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業焔宿りし瞳(火琉毘練)

 幕が垂らされたブースに入る。敷かれた布に皺が寄らないよう、慎重に足を運んだ。
 空間の真ん中に音も無くしゃがみこむ。少し斜めを向き、少年は片膝を床につけた。右半身に温度。視線をやれば、珍しくこちらに寄り添う式神の姿があった。あまり接触を好まない彼女だが、指定されたポーズなのだから仕方無い。早くしなさいよ、と言いたげな菫がこちらに向けられた。
 懐から取り出した愛用の札を、いつものように両手の指に挟んで構える。そのまま、真正面を向いた。まばゆいほどの照明が、数え切れないほどの撮影機材が、脚立に設置されたカメラが見返してくる。透明なレンズと視線がぶつかる。遠くまで引かれ小さくなった円の中に、黒が、白が、赤が見えた。
 深い赤の目がすぅと眇められる。よく舌が回る大きな口が閉じられ、口角が上げられる。普段は見せることのない不敵な笑みを作りだし、退治屋はまっすぐにレンズを見つめた。




「よく撮れてるじゃないか」
 液晶画面を横から覗き込み、煉は満足げに言う。撮影の興奮冷めやらぬのか、どこか上擦った調子をしていた。親指と人差し指を顎に当て、ふふふ、と漏らす笑声もどこか浮ついている。前足を机に掛けて一緒に覗き込んでいた鈴音が呆れを多分に含んだ息を漏らした。
 いつもの調子の少年に構うこと無く、撮影班は淡々と撮った写真を比較していく。これでいいかな、と一枚の写真がノートパソコンの画面いっぱいに表示される。いいじゃないか、と依然浮かれた声が飛んできた。
「俺の業火より燃え血よりも深い瞳が鮮明に刻まれているな。この漆黒の闇と紅蓮の焔差す純白の髪も綺麗に映って――」
「じゃあこれで決まりだねー。お疲れ様」
 流れるように言葉を並べ立てる少年に、撮影を担当していた識苑は手を振る。よく回る舌が止まり、世話になった、と礼の言葉がなめらかに告げられた。礼節はきちんと弁えていた。
 黒いブーツが踵を返す。一歩進んだところで、それはまたくるりと回った。赤い瞳が次の撮影の準備をしようとパソコンを操作する背を眺める。しばしして、なぁ、と煉は口を開いた。
「先の写真なんだが」
「あれ? 別のが良かった?」
「いや、違う」
 慌てて先ほど決定したばかりの写真を開く教師に、退治屋は否定の言葉を返す。夕陽色の目がぱちりと瞬いた。相対する茜空の目が宙を泳ぐ。しばしして、長い指が液晶に映る自身の顔を差した。
「……左目にエフェクトを付けることってできるか?」
「ちょっと」
 煉の提案に、足下に付いていた鈴音が抗議の声をあげる。黒衣に包まれた足を白い前足がぺしんと叩く。わがままを言うな、手を掛けさせるな、と鋭い紫苑の瞳が頭上の主を見上げた。
「いや、もちろん現時点でも素晴らしい写真ではあるのだが、この彼岸花のように鮮烈で紅玉のように濃く深い左目に焔のように輝きたなびく光のエフェクトを付けることで写真の更なる魅力が引き出され――」
「いいねぇ! かっこいいと思うよ!」
 言い訳をするように早い調子の長口上を遮り、月色の目がぱぁと輝く。骨張った手がマウスを操り、画像編集ソフトを立ち上がる。左目に風になびくような赤の線を引き、腕を組んで依然迂遠な言葉を連ねる少年に画面を向けた。
「こんな感じ?」
「そう!」
 簡素に加工された写真を指差し、白髪の少年は大声をあげる。理想通りだったらしい。
「そういえば持ってきた宣材写真もこういう風に加工されてたしねー。君っぽくて良いと思うよ」
「そうだろう? 俺の代償背負いたる左目には焔たる輝きが――」
「いい加減にしなさいな」
 また口を開く煉の頬に肉球が押しつけられる。見かねて立ち上がった鈴音の手だ。まだ丸みを残した頬がぐにりと歪んだ。口に近い部分を押さえられてか、長々とした言葉が止む。そんな二人を気にすること無く、識苑はマウスを操作した。
「うん、じゃあエフェクト入れとくね。今度こそお疲れ様」
「よろしく頼む」
 では、と手を振って身を翻し、少年は大仰な足取りで扉へと歩いていった。戸を開け、廊下に出て一礼し、彼は撮影室を出た。
 特別教室棟の廊下に、ふふふ、と浮かれた調子の笑い声と、はぁ、と呆れた調子の溜め息が響いた。
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