小説サンプル スプラトゥーン

小さな影探して(新3号+コジャケ)

 大きな自動ドアをくぐり、ロビーから広場へと出る。普段は重い足取りは、今日はスキップでもしそうなほど軽やかだ。タッタッと雑踏に紛れる足音も軽快に聞こえた。
 なにせ、今日は大勝ちした。勝利に次ぐ勝利を重ね、たんまりとカネを得たのだ。ここ数日は負けが込み、泣き縋るように向かったバイトも失敗続きで収入が激減していただけに今日の成果は大きなものだ。嬉しいったらない。なけなしのチケットを使い金運を上げた甲斐があったというものである。
 早く帰ろう。久しぶりにまともな食事にありつこう。ハイカットスニーカーに包まれた足を操り、少女は階段を駆け下りていく。長いそれの終わり、ブキ屋との間を埋めるように設置された金網の上に視線をやった。
 コジャケ、と相棒の名を口にしようとして少女ははたと止まる。いつもならば保護用の金網の上に鎮座し広場を見渡す小さな相棒の姿は無かった。あるのは無造作に置かれた植木鉢と落書きされた壁だけだ。
 今日は別の場所にいるのだろうか。くるりと振り返り、反対側にある植え込みへと足を伸ばす。オルタナへと続くマンホールを見つめる小さな影は無い。ぶらぶらと手持ち無沙汰に足を動かす同胞しかいなかった。
 封鎖された門の前を駆け、店に続く道へと向かう。謎の透明な立方体の前に佇む小さな体躯は無い。クラゲが気ままに歩いているだけだ。
 珍しい、と少女は丸い目を瞬かせる。普段は広場にいるのだが、今日はどこにも見当たらない。別の場所にいるのだろうか。ああ見えてあの子は神出鬼没だ。己の両の手に乗るような小さな体躯だというのに、この雑踏の中を這い歩きどこかで街行く人々を眺めているのだ。
 踵を返し、店が建ち並ぶ通りへと向かっていく。
 ザッカ屋の前。ポールの上でぴょこぴょこと跳ねる相棒の姿は無い。
 少し歩いてクツ屋の前。出入りする客を眺める相棒の姿は無い。
 振り返って見上げた高い看板の上。広場を見下ろす相棒の姿は無い。
 裏道を抜けた先の開けた場所。デッキを組む少年少女を見つめる相棒の姿は無い。
 急な坂道を駆け上がった高台の上。柵の上で器用に眠る相棒の姿は無い。
 うーん、と少女は小さく唸り声を漏らす。心当たりがあるのはこれぐらいだ。それでも見当たらないだなんて、今日は一体どこへ行ったのだというのだろう。
 仕方無い、と小さく息を吐き、来た道を戻る。先にクリーニング依頼を済ませてしまおう。普段ならば一回依頼できるかできないかというほどの財政事情だが、今日は三回依頼してなお有り余るほど懐が暖かいのだ。忘れぬ内に済ませてしまわないと、いつまで経ってもいいギアを作ることができない。ろくなギアパワーが付いていないものが多く溜まっているのだ。早く始末してしまいたい。
 ナワバトラーの熱い試合が繰り広げられる横を通り抜け、細い裏道を進みロビー前まで戻る。アタッシュケースの横で気怠げに過ごす青年に声を掛けようとしたところで、体躯に対して随分と大きな足が止まった。
 青年が座っている後ろ、高い看板で陰った場所。そこには見知った小さな影があった。
 小さな身体は、薄く小さなヒレを広げて地面にぺたりとうつ伏せている。小柄な図体からは想像出来ないほど大きな口はぽかりと開かれ、赤い舌が覗いていた。飛び出た黄色い真ん丸な目は閉じられている。何故か崩れることがない背の高い髪は、風に吹かれてそよいでいた。
 ここにいたのか、と少女はふっと息を吐く。傷が入り切れた太い眉が、呆れたように八の字を描いた。
 そういえば、相棒はここで眠っていることがあるのだった。あまり行ってはいけないと言いつけており、最近ではその忠告通りに過ごしてくれていただけにすっかり忘れていた。数歩足を動かせば見つかる場所だというのに、あれほど街を駆け回るなんて自分はなんと間抜けなのだろう。内心苦い笑いをこぼした。
 身を半分翻し、少女は後ろに佇むビルへと視線をやる。そこにはクマサン商会――遡上するシャケたちを倒し尽くそうと日々働く同胞たちが集まる店が構えられていた。
 ここに通うのは、シャケを倒すことに命を賭けていると言っていいほど熱心な者が多い。本当に懐が寂しい時に嫌々ながら参加するが、どいつもこいつも恐ろしいほどの気迫に満ちているのだから怖いったらない。
 そんな者たちが集まる場所、しかも仕事終わりに店を出てすぐ目の前に映るような場所にいては、追いかけ回されしばき倒されるに決まっている。なので近寄らないように言っていたのだが、今日ばかりは忘れていたようだ。よほど眠かったのだろうか、と健やかな寝顔を眺めて考える。
 こんなところにいたら危ないよ。
 小さく呟き、少女は眠る相棒に駆け寄る。クリーニングは明日だ。どうせギアパワーを付けるためにまたバトルに明け暮れねばならないのだ。明日の朝一番に依頼し、そのまままっさらなギアを身に着け闘いへと身を投じる方が効率的だろう。
 帰るよ。
 語りかけるように優しく漏らし、少女は眠るコジャケの身体をそっとすくい上げる。蛍光色のギアに包まれた細い腕に収まる相棒は、依然起きる様子は無い。きっと当分の間は眠っているだろう。一旦家に帰り、この子を置いてから買い物に向かった方がいい。
 晩ご飯何にしようかな。たまにはこの子の好きなものも作ってあげないとな。
 久方ぶりの温かな食事に思いを馳せ、少女は人々行き交う広場を歩んでいった。
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