できることは全部やりたいじゃんか

 すっかりと茶色くなった葉がカサカサと鳴く。畝を隠すそれらを細いツルごと刈り取って、隠れている土を剥き出しにしていく。秋の陽気に照らされたそこは、乾いているというのにグラウンドよりもずっと暗く濃い色をしていた。きっと栄養がたっぷり含まれている証拠なのだろう。あの烈風刀が手がけたものなのだからそうに違いない。考えながら、雷刀は葉の下からあらわになった太いツルの根元にそっと指を差し込む。軍手越しに照る日の温度を感じた。
 こんもりと盛り上がった土を、ツルに沿って掘っていく。動きだけを見れば、山崩しで遊ぶ時のそれと同じだ。違うのは、そんなお遊びなんかよりもずっと慎重な手つきでやらねばならないところである。そっと、けれども大胆に、朱い少年は掘り進める。くたびれた軍手に包まれた大きな手が、シャベルのようにごっそりと、撫でるようにゆっくりと土を掻き分けていく。捨てるつもりの古着の裾が、まだら茶に染まっていった。
 しばしして、指先に硬いものが当たった。塊に沿うように掻き分け、掻き分け、掻き分け。流れ伝う汗が幾度も土を濡らす頃には、赤みがかった紫が黒茶の中からすっかりと顔を覗かせるようになっていた。
 数え切れないほど連なる赤紫。そこから伸びる細いツルの群れ。そして、それらが集約する太いツル。一際太いそれに手を掛ける。実と近い部分を掴み、前後に揺する。多くの実が連なっているためか、思いの外力が必要だ。それでいて傷付けないように気を配らねばならないのだから、身体的にも精神的にも結構な重労働である。途中タオルで顔を拭きながら、少年は細かに、けれどもどこか大胆に実を揺する。手を動かす度土が剥がれていって、表面の鮮やかな色がどんどんとあらわになっていった。
 土のほとんどが落ち実が完全に姿を現したところで、雷刀はふっと短く吐く。両の手で今一度太いツルを掴み、今度は自身めがけて力いっぱい引き寄せた。ブチ、ブチブチ、と嫌な音が土の下から聞こえる。少しの恐ろしさを覚えるが、ここで止めては意味が無い。滑り止めが付いた軍手でしっかりと握り、渾身の力を込めて引っ張り上げた。
 ボコッ、と鈍い音があがる。ポコ、ボコボコ、と音が連なっていく。ようやくだ、と息を吐いたところで、身体が後ろに大きく傾いた。うわっ、と大きく開いた口から悲鳴があがる。古着に包まれた尻が思いきり地面に打ち付けられた。鈍い音が秋晴れの空へと昇っていく。
 急いで身を起こし、掴んだ先を確認する。軽く揺すり、そっとはたき、土を落として実の表面を確認する。見た限り、引き抜いたばかりのサツマイモには傷は付いていないようだ。何よりの平穏無事にほっと息を吐く。途端、舞い上がった土が鼻をくすぐった。小さなくしゃみが土色の空間に響いていく。
 大方の土を払ってから、サツマイモをそっとケースに横たわらせる。深いプラスチックケースの中は、鮮やかな赤紫で半分ほど満たされていた。不慣れで慎重に行っている故、作業ペースは弟に比べて随分と遅いだろう。けれども、無理に急いでやって傷を付けては大問題だ。弟が丁寧に、大切に育ててきた作物を台無しにするわけにはいかない。
 立ち上がり、雷刀は腰に手を当てる。そのまま、グッと背を反って伸びをした。長い間曲げていた腰が、突然の運動に悲鳴をあげる。滅多に感じぬ痛みに、喉がひしゃげたように潰れた音を漏らした。気休めにさすってみるが和らぐ気配は無い。腰回りに鈍くまとわりつくそれに、小さく呻きを漏らした。こんな感覚は久しぶりだ。
 気を紛らわせようと、朱はあたりを見やる。高校生一人で世話するには広い農園は、土の茶色と作物の緑で溢れていた。少し離れたところでは、鍬で土を掘り返す烈風刀の姿が見える。身の丈半分はある農具を振るう姿は堂々としていた。テキパキという擬音が相応しいほど鋭い動きには疲れの一つすら見えない。たまに手伝いをする程度の己とは大違いだ。それだけ彼がこの農園に真剣に取り組んでいることが分かる。
 秋の空晴れ渡る今日は、兄弟二人で収穫作業を行っていた。普段ならば弟一人でやるのだが、最近は手広く育てているせいで一人では到底作業が追いつかなくなってしまった、とは本人の言葉だ。そこで白羽の矢が立ったのが双子の片割れである雷刀である。なるほど、時々手伝っているのである程度の勝手が分かり、力も十分にあるのだから適役だ。作業した分早く収穫した作物を食べられる上に、駄賃としてラーメンまで奢ってもらえる。断る理由は無かった。
 少年は今一度腰を伸ばす。長い間曲がっていたそこは、やはり変な音をたてた。口がへの字に曲がるのが己でも分かる。なんとも表現し難い呻きを漏らし、無理矢理腰を伸ばしてまっすぐと立つ。残りの畝を見渡して、重い溜め息を吐き出してしまったのは仕方の無いことだろう。これでまだ半分なのだから。
 まだ体力が尽きてしまったわけではないが、やはり重労働のためか疲労は目立つ。現に、呼吸はいつもより少し乱れたものになっていた。ここの主である弟は、己とは違い顔色一つ変えずにやっているのだろう。無意識に漏れた唸りに、少年は一人眉を寄せた。
 農園を始めてからというものの、烈風刀の体力はメキメキと鍛えられていっていた。作物を植えて世話し、農具を振るい、多くの収穫もこなしているのだから自然だろう。持久力も付いているのか、春の体力測定、シャトルランでは僅差で負けてしまった。悔しくもあるが、納得がいく結果でもある。副産物とはいえ、これだけの努力が実を結ぶのは当然だ。
 これだけ鍛えられるのだから、己ももっと手伝った方がいいのだろうか。腰をさすりながら雷刀は考える。手伝えばその分烈風刀の負担は減り、己は体力がつき、収穫も早くに終わってたくさん食べられる。良いことづくめだ。けれども、と頭の冷静な部分が理論を並べ立てる。今から素人に毛が生えた程度の人間が手伝い始めては、農園の主は指導という余計な仕事を抱えてしまう。ただでさえ忙しい彼の手を煩わせるのはどうにも気が引けた。何より、己は大雑把な性格だ。何かの間違いで農作物に傷を付けては大問題である。今回のように、力があれば何とかなる作業ぐらいしか安全に行えることはないのだ。
「大丈夫ですか?」
 声が、遠くに飛んでいた意識を引き戻す。ぼやけていた思考と視界が晴れ、実像を結び出す。そこには、ペットボトルを持った弟の姿があった。麦わら帽子で陰った目元は晴れやかで、久々のお出かけにはしゃぐ子どものようにキラキラと輝いている。朝も早くから作業をしているとは思えないほどの活力がみなぎっていた。
「疲れたなら休んでくださいね」
「休んだら遅くなるだろー」
 思い遣り、そして余裕溢るる烈風刀の言葉に、雷刀は素っ気なく応える。その声がどこか拗ねた響きになってしまったのは、きっと気のせいではない。己で発した音だというのに、羞恥心が刺激され苦いものがにじみ出てくる。
 相手は数えられないほどの月日を畑に費やした人間なのだ、たまに手伝う程度で不慣れな己が勝てるはずなどない。なのに、競ってしまう。余裕でありたいと思ってしまう。生まれた頃から隣に並び、競い合い、そして助け合ってきた兄弟なのだ。たとえ相手が有利なフィールドでも『勝ちたい』と思ってしまうのは仕方が無いことなのだ。そんな言い訳を並べ立てる。農作業に勝ち負けも何もないことなど、己自身が誰よりも分かっていた。
「もちろん、休憩を加味して予定を組んでいます。無理に急ぐ必要はありません」
「無理とか――」
「無理してるでしょう。汗と土、すごいですよ」
 ペットボトルを持っていない、土汚れが染みついた軍手に包まれた指がこちらに向けられる。言われた瞬間、額を、頬を絶え間なく流れていく汗の感覚が脳神経を刺激した。反射的に首に掛けたままだったタオルで頬を拭う。しっとりとした肌から離れた布は、水分をたっぷりと含んで濃い色へと移り変わっていた。うすらと黒くなっているのは跳ねた土だろう。途端、煙たいようなほこりっぽいような匂いが鼻を刺激する。むずがゆさに、大きなくしゃみが八重歯覗く口から放たれた。
「倒れられたら今日中に終わらなくなります。無理される方が困るんですよ」
 どこか笑みを含んだ声が、麦わら帽子の下に隠れた耳を撫ぜる。剥き出しになった白い手が、朱い少年へと差し出される。汚れの無いタオルが握られていた。これで拭け、ということなのだろう。それだけ酷い顔をしているのだ、己は。
 土だらけの軍手に包まれた手がうろうろと彷徨う。しばしして、片方が乱暴に引き抜かれる。雷刀の手が差し出されたそれを掴んで受け取った。軍手で蒸れて汗ばんだ手に、ふわふわとした布地が心地良い。惹かれるがままに、少年は清潔なタオルに顔を埋めた。肌を覆っていた汗が吸われ、いつの間にかまとわりついていた不快感が一気に消えていく。ゴシゴシと音が聞こえそうなほど強く拭いて離すと、ささやかに吹いた風が汗が引いた肌を撫でていった。爽快感に、思わず長く息を吐く。
「水も飲んでくださいね。あとタブレットも」
「へーい」
 新しいタオルを首に掛け、兄は次いで差し出されたペットボトルを受け取る。正論を前にして、ふて腐れた声が出てしまったのは我ながら情けない。けれども、どうにも羞恥と敗北が胸を襲うのだ。音にならない呻きを漏らし、雷刀はキャップを開けてボトルに口を付ける。冷たい水が乾いた口を、渇いた喉を、飢えた胃を洗っていく。あまりの気持ちよさに、喉が盛大に動いていく。口を離す頃には、ペットボトルの中身は底の形をした氷だけになっていた。
「あっちにもまだ置いてありますから、こまめに飲んでくださいね。休み休みやってください」
 いいですね、と手の内のボトルと汚れだらけのタオルを奪い取り、今度は塩タブレットを押しつけてくる烈風刀が言う。浅葱の目には、有無を言わせぬ力が宿っていた。威圧するような、宥めるような、言い聞かせるような、慮るような、複雑な輝きだ。汗を拭い、水分を取り、知らぬ間に落ち込んでいたコンディションがマシになった兄には、十二分に効果がある視線だ。はい、と素直に答えるしかないほどには。
 では、と軍手をはめ直した弟は自分の場所へと戻っていく。土埃が付いた背を見送り、雷刀は大きく息を吐いた。握らされた手を開き、押し込まれた小袋を開けて中身を口に放り込む。『塩タブレット』の名の通りしょっぱい味であるはずなのに、今ばかりは正反対の甘さが口いっぱいに広がっていく。それだけ汗を掻き、生きるために必要な成分を失っていたということだ。弟の忠告の正しさをこれでもかと証明していた。
 そういえば、と少年は輪郭がはっきりしはじめた頭で考える。昔、この農園がまだもう少し小さかった頃、烈風刀は倒れたことがある。後に記録に残る炎天下での慣れない農作業、それも休憩を軽んじた結果の熱中症だった。すぐさま処置され大事には至らなかったものの、それ以後彼は誰よりも体調に気を遣っているように見える。あの有無を言わせぬ言葉は、きっと自戒も含んでいるのだろう。
 少し遠く、農園を囲む柵の方を見やる。裏返した空ケースの上に座り水を飲む弟の姿が見えた。人にああ言うぐらいだ、彼もきちんと休んでいた。その姿すら、己と正反対の余裕たっぷりな様に見えてしまう。うぅ、と情けない音が喉から漏れた。
 タブレットを噛んで飲み下し、雷刀は再びしゃがみこむ。水分も塩分も補給した。疲れが消え去ったわけではないが、あと一つ分ならば確実に収穫できる力は残っている。ならば、作業を続けるまでだ。
 きちんと休み休みやろう。倒れないように。残り全部、ちゃんと、収穫できるように。
 考えながら、枯れ葉が群れるツルを束ねる。再びサツマイモを掘るべく、それらを刈り取った。
 ガサリ、と水分を失った葉たちが空に向けて鳴いた。


十一月にはまだ早いんですよ 便利な物は便利なだけじゃないんです

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