十一月にはまだ早いんですよ

「寒いだろうが!」
「まだ早いですよ!」
 互いを押し潰さんばかりの大声がリビングに響く。普段ならば近所迷惑だと第一に考えるが、今日ばかりはそんな余地は無かった。ここで譲ってしまっては後が大変なのだ。烈風刀にはそれが身に染みて分かっていた。
 酷暑が続く夏が過ぎ去り、わずかばかりに涼しい秋がやってきて久しくなる。季節にまつわるアップデートに連動イベント、学校行事に農作業に。ゲーム運営に関わり学生として生きる兄弟二人は、今までと変わらぬ忙しい日々を送っていた。そんなめまぐるしい生活の中、季節も移ろっていく。暦は十一月、秋はもう過ぎ去るばかりの月になっていた。
 秋が終わりつつあるということは、冬が近づいて来ているということだ。事実、ここ最近のネメシスは随分と冷え込んできていた。まだ十一月だというのに、最高気温が一桁を記録する場所が出てきたほどである。夏の酷暑から秋の頭の猛暑、それが落ち着いたと思ったら今度は急激な冷え込みだ。クラスでは体調を崩す者が出ているほどの、まさにジェットコースターとでも表現するのが相応しい気温推移である。湯船に張った湯が冷める速度もどんどんと勢いを増していっていた。
 となると、今度は防寒対策をしなければならない。厚手のインナーに靴下。少し早いがコート。保温効果のある入浴剤。温かな食事。間近に迫った冬に備え、弟は少しずつ準備をしてきた。そこに兄がしたり顔で言い出したのだ。こたつを出せばいい、と。
「こんだけ寒かったらもう冬だろ! いいじゃん!」
 叫ぶように言葉を放ち、雷刀は床に力無く広がったこたつ布団を引っ掴む。すかさず、白い手が叩き落とした。重い音をたてて布団が床へと戻っていく。いってぇ、と大袈裟な声があがった。
「まだ着込めば十分なぐらいでしょう! こたつは結構電気代がかかるんですよ!」
 睨む兄に臆することなく、弟は声を荒げる。引く気など、主張を通させる気など一切無い。なんとしてでも否定し、撤退させなければならないのだ。
 寒くなってきているとはいうものの、室内ならばまだ上着を羽織れば十分に過ごしやすい程度の気温である。現に、冷え込む朝でも制服の下に一枚着込むだけでいつも通り過ごせるぐらいだ。先月から休暇を取っていたエアコンを点けるのはもちろん、冬の象徴ともいえるこたつを出すにはまだまだ早い。特に、こたつはあんな顔をして電気代を食うのだ。経済的に困っている部分は無いといえども、節制して過ごすのは重要である。なにより、片割れのわがままを通すわけにはいかなかった。ここで要求を呑めば、次は暖房だ電気毛布だなんだと言い出すのは目に見えている。早い段階で潰しておかねばならないのだ。
「こたつなら部屋よりあったかいじゃん! 課題とか捗るかもしれねーじゃん!」
 尚も朱は吼える。あちらも譲る気は更々無いらしい。大きな手が再びこたつ布団を掴み取る。バスタオルのように身体に巻き付けようとするそれを引っ掴み、引き剥がし、また床へと落とした。何度も叩きつけられた毛布が抗議をするように鈍い音をあげる。柔らかな身体から細かなほこりが舞い踊った。
「そう言って毎年だらだらしてるだけじゃないですか! 毎年毎年こたつを出した途端動かなくなるでしょう!」
 負けじと碧も吼える。人差し指一本立て、剣を突きつけるようにまっすぐに兄を指差す。普段の彼ならば失礼だと言ってまずやらない行為である。そんなことすら忘れてしまうほど躍起になっていた。
 こたつを出した途端、雷刀はその暖かな場所に入り浸るようになる。部屋に戻らず潜り込み、寝転がり、だらだらと動画を眺め、挙げ句の果てには眠りこける。『課題が捗る』だなんて大嘘だ。主張と現実は真逆であることは、過去の彼が誰よりも証明していた。幾重にも重なったこたつ布団の中で眠りに落ちた彼を何年も叩き起こし、毎年鼻風邪をひく姿を見てきた烈風刀にとっては、いとも容易く看破できる嘘であった。
 本人もそれを理解しているのか、こちらを睨む朱い目がすぃと水平移動して逸れていく。大きく開き主張していた口は閉じられ、気まずげにもにゃもにゃと動いている。整えられた眉は少しばかり寄せられ、難しい表情を形作っていた。露骨にも程がある反応だ。
「だから駄目です。せめて来月からですよ」
「今ですらかなりさみぃんだぜ? もう出した方がいいって」
 朱と碧がかち合い、互いに譲ることなく睨みあう。心地良い暖かさを今すぐ求める者。秩序と体調に重きを置く者。二者がぶつかるのは毎年のこと、もはや季節の行事と同義だった。毎年同じ論争をしていることに我ながら呆れを覚えるも、互いに引けないのだから仕方が無い。意見を押し通すしかないのだ。端麗な眉を吊り上げ、丸い目を細め、弟は兄と対峙する。鋭い視線の先は、鏡を見たかのように同じ顔をしていた。
「――じゃあさ」
 漫画ならば火花が散りそうなほどこちらを睨む紅緋が伏せられる。代わりに、人差し指を立てた手が天井を指差すようにすっと持ち上がった。あまりにも怪しい行動に、碧は依然厳しい視線を送る。瞬時に持ち上がった瞼、その奥に隠されていた夕焼け色は、まさに夕陽がごとくまばゆく、けれどもどこか暗さを帯びて輝いていた。
「最低気温が一桁になったら出す。これでどうだ?」
「最近の最低気温は一桁続きですよ」
 右目を眇め口の片端を上げたニヒルな笑みで、妙案だろうと言いたげな声で雷刀は問う。冷静な声がすぐさま切り捨てた。チッ、と短い音がこたつ布団の上に落ちる。粗雑な部分がありながらも礼節はきちんと弁えている彼らしからぬ姿だった。それだけこたつに執着があるらしい。いくらなんでも大袈裟である――己も言える口では無いが。
「じゃあ最高気温が一桁になったら! そんだけ寒くなったなら出した方がいいだろ? 烈風刀だって寒いのやだろ?」
 なぁなぁ、とまるで幼子が甘えるように兄は喚く。天を指し示めしていた指は、『一桁』という言葉を強調するようにこちらに向けられ指揮棒のごとくでたらめに大きく振られていた。先ほどの格好付けた表情など陰すら残っていない。駄々をこねて無理に押し切ろうとする態度が丸見えだ。あまりにも幼げな姿に、わざわざ音が漏れるほど大きく息を吐く。こうなっては更に面倒になることが確定だ。あちらが理論を捨ててゴネることも。
「分かりました」
 弟の言葉に、兄はよっしゃあと歓声をあげてガッツポーズをする。アリーナバトルで勝った時と同じほどの弾み具合だった。テストで赤点を大幅回避した時と同じほどの歓喜に溢れていた。ただし、と大袈裟なまでにゆっくりと、はっきりと烈風刀は言葉を紡ぐ。こたつ布団を掴もうとした手が止まり、丸くなった朱が瞬いてこちらを見た。
「最低気温が一桁になったら、ですからね。それまでは絶対に出しません。いいですね?」
 兄のことだ、たとえ条件を満たさなくても何かこじつけてこたつを出そうと画策してくるだろう。ならば、ここではっきりと決めて抑えるがまでだ。一度あちらの提案を呑んだのだ、今度はこちらが要求する番――要求を通させる番である。
「いいぜ。ぜってーだかんな」
 ニィと雷刀は笑う。勝利を確信した時と同じ顔をしていた。詰めの甘さが際立った、驕った笑みだった。単純極まりない。
 冷え込んできたといえど、この時期に最高気温が一桁を記録することなど無いに等しい。以前関わった北海道や東北、雪翔や氷雪の故郷のような厳寒の地ならばあり得るだろう。しかし、十一月のネメシス、それも世界の中心に近いこの平地ではそんなにも気温が下がることなどまず考えられない。九割方クリアできない条件だ。なのにこんなに勝ち誇った顔をするあたり、兄は秋の気温事情を知らないらしい。天気予報をきちんと見ていない証拠である。条件を持ちかけてきておいてこれなのだから呆れたものだ。
「約束しましたからね。さぁ、片付けますよ」
「どうせすぐ出すだろ。隅っこに置いとこうぜ」
 こたつ布団を畳む烈風刀の隣に雷刀が座る。もこもことしたこたつ用毛布を畳みながら唱える声は上機嫌と表現するに相応しいものだった。先ほどの剣幕はどこへやら、だ。こちらも言えたものではないが。
 兄の言葉を無視し、弟は畳んだ布団たちを今一度保管用カバーにしまいこむ。非難の声あげる片割れなど一瞥すらせず、その二つをクローゼットの奥深くにしまいこんだ。空いていたスペースに、カバーに守られた布団がぴたりと収まる。
 おっ、と後ろで声。烈風刀烈風刀、とこれ以上になく弾んだ声が背中にぶつけられた。静かにドアを閉めて振り返る。そこには、煌々と輝く液晶画面をこちらに向けてくる朱の姿があった。声は機嫌良く跳ね、顔は得意げな笑みを作っている。林檎色の目が細まって、愉快げに、自慢げに、誇らしげに弧を描く。勝ち誇った、と表現するのがぴったりな表情だった。
「今週末、最高気温九度だって」
 そう言って指差す先、端末に映っていたのは数字の羅列だ。太陽や雲のアイコンと共に並ぶ数字はどれも二人一組、二桁だ。けれども、今週の土曜日を示す欄だけはどちらもひとりぼっちになっていた。雨雲のアイコンの横、スラッシュを挟んで九と二が並ぶ。
 ニコリと、にっこりと、雷刀は笑う。期待と喜びに満ちた笑みを浮かべる。勝利を確信した笑みを浮かべる。ふふ、と鼻を鳴らして笑う様は、ミュージカルなら今にでも歌い出すであろうものだった。腹立たしいという表現がこの上なく似合う。
「予報なんてコロコロ変わりますよ」
 文明は随分と進化した。けれども、天気予報、特に五日以上先のものはまだまだ案外当てにならないのは普段の生活で実感している。大気はいつだってめまぐるしく動き、雲も太陽も自由気ままに活動するのだ。どれだけ技術が発達していても、完全に完璧に予報することなど不可能だ。今出ている情報だけで勝利を確信するのはあまりにも尚早である。
 しかも、今は季節の変わり目、天気が不安定な時期である。天気予報に振り回され、家事がままならない日があるのは彼も分かっているはずだ。だのに、これである。目先のことしか見えていない、考えていないのが丸分かりだ。何とも彼らしく、何とも愚かな有様だった。
「おーじょーぎわ悪いぞ」
「貴方にだけは言われたくありません」
 唇を尖らせ、カードでも回すように端末をポケットにしまう片割れを横目に、烈風刀は静かに歩いて行く。いつの間にかコンセントのすぐそばまで伸ばされていたコードを手早くまとめて回収した。
 こたつの活躍などまだ早い。まだまだ先だ。季節が語る事実であり、少年の願いであった。


違いはなかなか分からないものですね できることは全部やりたいじゃんか

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