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No.169
繋がる安堵、繋ぐ決意【8号+3号】
繋がる安堵、繋ぐ決意【8号+3号】
サイド・オーダーやって「たぶんうちの8号ならこういうことするだろうなー」と考えた結果。サイド・オーダーのネタバレ有。毎度のごとく捏造と独自解釈しかない。
3号と8号がだべってるだけ。
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真っ暗な視界に薄い光が差す。ぼやけた中、青白い光が不規則に明滅する。己が瞬きをしているからだと気付くには随分と時間を要した。
喉を鳴らし、八号と呼ばれるオクトリングは目をしばたたく。輪郭が淡い赤い瞳が、黒い瞼の奥に消えて現れを繰り返す。回数を増す毎に、元の透き通った色が戻ってきた。頬に確かな硬さと何とも言い難いぬるい温度を感じる。どうやら、机に突っ伏して寝ていたようだ。
目の前、いつの間にか暗くなった部屋の中、煌々と輝く何かが視神経を刺激する。刺すように眩しく白いそれに、少女は目を細める。次第に目が慣れ、中に映るものを認識しだした。色を失った白い塔、消えゆくような白い街、確かな違和感を残す生物たち。見覚えはあれど見慣れないそれが、途絶えた意識を引っ張り上げてくる。白い世界に引きずり込まれた記憶を、塔を駆け上った記憶を。
ルビーレッドがこれでもかと見開かれる。机に突っ伏していた細い身体が、脊髄反射のような勢いで跳ね起きる。バン、と乱暴な音が照明が落とされた部屋に響いた。
借り物のナマコフォンを折らんばかりの勢いで閉じ、投げるのと同義の動きで机に置く。空いた手はすぐさま自身の携帯端末へと伸びた。震える手が端末を鷲掴み、尖った指が強化ガラスで保護された画面を撫ぜていく。彼女らしくもなく急いたそれは精細など無く、違うアプリを立ち上げては画面を切り替えてを繰り返す。ホーム画面に並んだアプリ一つ立ち上げるだけだというのに、普段では考えられないほどの時間を費やしてしまった。
小刻みに震える指先が、画面に並ぶ文字を辿っていく。やっと見つけた『さんごうさん』の行を、薄い端末を貫かんばかりの勢いでタップする。受話器のアイコンを力強く押し、すっかり白くなった手で握る機械を耳に押し当てた。
コール音が四度、五度、六度。高いそれが回数を重ねる度に、心拍数が上がっていく。身体から温度が失われていく。嫌なものばかりが頭を埋めていく。無意識に開いた口からは、過呼吸めいた浅い息が漏れるばかりだった。
「――もしもし? 八号?」
十度目が響く前に、ぷつりと小さな音。瞬間、耳に当てたスピーカーから求めていた声が流れてきた。
「三号さん!」
悲鳴然とした声が部屋に響く。ガタン、と耳障りな音が部屋に響く。バン、と叩きつける音が部屋に響く。全て己が生み出したものだと言うことを認識する余裕など、少女は一欠片も持ち合わせていなかった。
「大丈夫ですか!?」
「え? 何が?」
オクトリングは叫ぶように尋ねる。恫喝と表現されてもおかしくない勢いだった。繋がった通話回線の向こう側、三号と呼ばれるインクリングは困惑の声をあげる。常通りのものだが、今この場では八号の声に掻き消されてしまいそうなほど細いものに聞こえた。
声の調子はいつも通りだ。でももし何かあったら。もし電話では見えない表情が曇っていたら。もしいつでもしゃんとしたあの身体が倒れ伏せていたら。『もしも』ばかりが頭を埋め尽くしていく。無事を確認する言葉を発するはずの喉は機能を果たさない。ただただ酸素を肺に送るだけだ。
「……え? ほんとにどしたの? なんかあった?」
酷く戸惑った声が、心配げな声が鼓膜を震わせる。ゆっくりと紡がれるそれは、宥める時の響きにも似ていた。その音で、やっと最悪の仮定を生み出し続ける頭が現実に戻ってくる。八号、と己を呼ぶ声はいつも通り、温かで穏やかなものだった。
そうだ、きちんと説明をしなければ。焦燥のままに唇を動かせど、出てくるのはあの、えっと、と情報伝達として役目を果たさないものばかりだった。うん、と優しい音がスピーカーから流れてくる。いくつも重なった無意味な音の上を、細い息が流れていく。ようやく、声帯が震え意味のある言葉を紡ぎ出した。
「最近、何かおかしなことはありませんか? ぼんやりするとか、疲れたとか、調子が悪いとか、そういうことは」
「んー……無いかなぁ。変わんないよ」
つかえつかえの拙い問いに、明るい答えが返される。声の調子も、言葉の調子も、全て普段通りのものだった。それに、彼女は嘘を吐くようなヒトではない。本当に変わらず、不調も何もないのだろう。理解し、強張った身体から一気に力が抜けていく。は、と短くも深い息が吐き出された。
「あっ、もしかしてニュースのやつ?」
音声データとして変換された声が耳に注がれる。ひゅ、と喉が細い音をたてた。
「あれスクエアの話でしょ? じゃあ大丈夫だよー。今バンカラにいるし」
「え」
カラカラと笑う三号に、八号は呆けた声を返す。あれ、と不思議そうな声が小型端末から耳へと注がれた。
「言ってなかったっけ? しばらくバンカラにいるんだ」
「そう、なのですか……」
変わらぬ調子で続けるインクリングに、オクトリングは溜め息のような調子で返す。真正面を向いていた赤い瞳が、机の天板へと向かっていく。視界の端に己の赤い吸盤が見えた。
彼女がバンカラ地方にいるなど、ハイカラの地にいないなど、初めて耳にした。想像すらできない事実だ。だって、彼女はいつだってハイカラの地を見回り守っているのだ。あの地から出ることなど考えたこともない。考えるようなことではないのだ。
胸の中心がうすらと温度を失っていく。聞いていなかった事実が、今まで伝えられずにいた事実が、冷えたものを心に流し込んでいく。日頃通話はおろかメッセージを交わすことすらしないのだ、知らないのは当然だ。ここ最近メッセージを送ったことも送られたこともないのだから当たり前である。分かっている。けれども、胸の奥底に石でも放り込まれたような感覚がした。
あの、えっと、と八号はまた意味のない声を重ねる。こんなことで落ち込んでいる暇は無い。現在は大事は無いと分かった。でも、未来がどうなるか分からない。まだ異常が出ていないだけで、あの世界に触れていないわけではないかもしれない。
「あの、『トキメキ★秩序世界の大冒険!』にアクセスしたことはありますか?」
「ときめき…………、何?」
おそるおそる尋ねる声に、怪訝そうな声が返される。意味が全く理解できないといった声音だった。本当に知らないのだろう。少女はほっと胸を撫で下ろす。あぁ、とスピーカーの向こうで声が弾けたのが聞こえた。
「ネトゲだっけ? アオリちゃ……一号が言ってた気がする」
「ネト、ゲ……? 棘、がどうかしたんですか?」
耳慣れぬ言葉に、今度は八号が怪訝そうな声を漏らす。『ネトゲ』という謎の響きからは、『トゲ』という言葉しか抽出できない。浮かび上がったそれと『トキメキ★秩序世界の大冒険!』との関連性が全く思い浮かばなかった。この手のことに疎い己は知らないだけで、VRと棘には何か関連性があるのだろうか。端末にひたりと寄せられた頭がゆっくりと傾いだ。
「ネットゲームのこと。ネットでやるゲーム」
「『トキメキ★秩序世界の大冒険!』はゲームじゃありませんよ?」
三号の言葉に、八号は依然怪訝な調子で返す。『トキメキ★秩序世界の大冒険!』はオクタリアンの記憶を取り戻すためのシステムだ。アクセスにインターネットを用いれど、ゲームではない。いや、敵を倒し塔を上がっていくという形式は『ゲーム』と表現してもおかしくはないのだろうか。思考を積み重ねていると、ふふ、と小さな笑声が耳に注がれた。
「なんかそれだけ聞くとやばいね」
「やばい……?」
笑みを含んだ言葉を紡ぐインクリングに、オクトリングは更に首を傾げる。分かんなくていいよ、やはり笑みを隠しきれない声が鼓膜を震わせた。
「とにかく、私は元気だよ。なんにもない」
「そうですか」
よかった、と少女は絞り出すかのように漏らす。よかった。本当によかった。何もなくてよかった。巻き込まれていなくてよかった。あのヒトに何事もなくてよかった。安堵が心に、身体中に染み渡っていく。気付いた頃には、その場に座り込んでいた。フローリングの冷えた感触が、今までのやりとりは全て己の妄想ではなく確かな現実だと語っていた。
「なんかよく分かんないけど、八号は心配性だねぇ」
三号は普段と変わらぬ調子で笑う。己は心配性なのだろうか、とぼやけてしまった頭で考える。いや、そんなことはどうでもいい。己が心配性であろうがなかろうが、彼女の無事とは関係が無いのだから。
「八号こそ大丈夫? なんにもない?」
え、とオクトリングは呆けた声をあげる。『なんにもない』という問いには肯定を返すしかない現状だ。けれども、今の事態を伝えては心配させるのではないだろうか。余計な気遣いをさせてしまうのではないだろうか。優しい彼女に負担をかけてしまうのではないだろうか。だが、否定するのは嘘を吐くのと同義である。恩人である彼女に嘘を吐くなど許されない。
「だいじょぶそうだねー」
積もりゆく沈黙を、スピーカーから発せられる音が切り裂く。明るく軽いそれは、明らかにこちらを気遣ったものだった。いつまで経っても返事をできない己を慮ってのものだ。また気を遣わせてしまった。また負担をかけてしまった。いつもこうだ。己はいつだって何も返すことができない。迷惑をかけるばかりだ。すみません、と反射的に漏らした謝罪を、何が、と笑い声が吹き飛ばしていった。
「なんかあったらまた連絡してよ。しばらくは暇だからさ」
スピーカーの向こう側、穏やかな声で少女は言う。予想だにしない言葉に、赤目がぱちりと瞬いた。
彼女はバンカラにいると言っていた。わざわざハイカラの地を出るなど、よほどの用事、それこそ彼女が所属する部隊の任務でもあるのだと考えていた。拠点を移動するほどの状況なのに、暇とはどういうことなのだろう。一段落したところなのだろうか。ならばもう帰ってくるのだろうか。疑問と期待がぐちゃりと混ざる。
はい、と返した声は、拗ねた子どものそれと同じ響きをしていた。己が発した音だというのに、びくん、と細い肩が跳ねる。こんな声を出すなど何をしているのだろう。これでは彼女に心配をかけるだけではないか。心配どころか、不快にさせたかもしれない。きっとそうだ。どうしよう。どうしよう。不安と焦燥が思考を支配する。ひゅ、とまた喉が鳴る。ん、と柔らかな声がぐちゃぐちゃに掻き回された頭に注がれた。
「じゃ、元気でね」
「は、い。三号さんも、お気をつけて」
「はいはい」
やっぱ八号は心配性だねぇ、と回線の向こう側で笑い声が聞こえる。すみません、とまた謝罪が口をついて出た。返ってくるのは温かな笑声だけだ。
「じゃ」
「はい。失礼します」
またねー、と陽気な声がスピーカーから飛び出てくる。プツン、と短い音とともに、愛しい声は途絶えた。代わりとばかりに下り調子の電子音が鳴る。部屋は再び静寂で満たされていった。
液晶画面に表示された『通話終了』の文字を眺め、八号はまた息を漏らす。肺の中身を全て吐き出すかのような長さと重さをしていた。
端末をスリープ状態にし、のろのろと立ち上がって椅子に座り直す。変わらず元気な彼女の声を聞いたというのに、心臓はまだ常よりも早く動いていた。
大丈夫。大丈夫だ。だってあのヒトが嘘を吐くはずがない。ヒトを騙すはずがない。だから、本当に何もない。本当に何も知らない。何も彼女を苛まない。大丈夫、と少女は心の中で繰り返す。本当だろうか、と脳の底から低い声が聞こえた気がした。醜いそれを吹き飛ばすように大きく頭を振る。起きたての身体には刺激が強かったようで、視界が少しぐらついた。
今は大丈夫だ。でも、彼女は『トキメキ★秩序世界の大冒険!』の存在を知っていた。『一号』と呼ばれる彼女の同胞がプレーしているのだと言っていた。つまり、今後触れる可能性はゼロではない。ならば。
少女は随分と遠くに滑っていったナマコフォンに手を伸ばす。手の平サイズの機械を素早く広げると、目映い光が天井を薄く照らした。
赤い瞳が液晶画面を映し出す。はっきりと意識を取り戻したそれは、確固な輝きを宿していた。
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#8号
#3号
#8号
#3号
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スプラトゥーン
2024/3/9(Sat) 00:36
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3号と8号がだべってるだけ。
真っ暗な視界に薄い光が差す。ぼやけた中、青白い光が不規則に明滅する。己が瞬きをしているからだと気付くには随分と時間を要した。
喉を鳴らし、八号と呼ばれるオクトリングは目をしばたたく。輪郭が淡い赤い瞳が、黒い瞼の奥に消えて現れを繰り返す。回数を増す毎に、元の透き通った色が戻ってきた。頬に確かな硬さと何とも言い難いぬるい温度を感じる。どうやら、机に突っ伏して寝ていたようだ。
目の前、いつの間にか暗くなった部屋の中、煌々と輝く何かが視神経を刺激する。刺すように眩しく白いそれに、少女は目を細める。次第に目が慣れ、中に映るものを認識しだした。色を失った白い塔、消えゆくような白い街、確かな違和感を残す生物たち。見覚えはあれど見慣れないそれが、途絶えた意識を引っ張り上げてくる。白い世界に引きずり込まれた記憶を、塔を駆け上った記憶を。
ルビーレッドがこれでもかと見開かれる。机に突っ伏していた細い身体が、脊髄反射のような勢いで跳ね起きる。バン、と乱暴な音が照明が落とされた部屋に響いた。
借り物のナマコフォンを折らんばかりの勢いで閉じ、投げるのと同義の動きで机に置く。空いた手はすぐさま自身の携帯端末へと伸びた。震える手が端末を鷲掴み、尖った指が強化ガラスで保護された画面を撫ぜていく。彼女らしくもなく急いたそれは精細など無く、違うアプリを立ち上げては画面を切り替えてを繰り返す。ホーム画面に並んだアプリ一つ立ち上げるだけだというのに、普段では考えられないほどの時間を費やしてしまった。
小刻みに震える指先が、画面に並ぶ文字を辿っていく。やっと見つけた『さんごうさん』の行を、薄い端末を貫かんばかりの勢いでタップする。受話器のアイコンを力強く押し、すっかり白くなった手で握る機械を耳に押し当てた。
コール音が四度、五度、六度。高いそれが回数を重ねる度に、心拍数が上がっていく。身体から温度が失われていく。嫌なものばかりが頭を埋めていく。無意識に開いた口からは、過呼吸めいた浅い息が漏れるばかりだった。
「――もしもし? 八号?」
十度目が響く前に、ぷつりと小さな音。瞬間、耳に当てたスピーカーから求めていた声が流れてきた。
「三号さん!」
悲鳴然とした声が部屋に響く。ガタン、と耳障りな音が部屋に響く。バン、と叩きつける音が部屋に響く。全て己が生み出したものだと言うことを認識する余裕など、少女は一欠片も持ち合わせていなかった。
「大丈夫ですか!?」
「え? 何が?」
オクトリングは叫ぶように尋ねる。恫喝と表現されてもおかしくない勢いだった。繋がった通話回線の向こう側、三号と呼ばれるインクリングは困惑の声をあげる。常通りのものだが、今この場では八号の声に掻き消されてしまいそうなほど細いものに聞こえた。
声の調子はいつも通りだ。でももし何かあったら。もし電話では見えない表情が曇っていたら。もしいつでもしゃんとしたあの身体が倒れ伏せていたら。『もしも』ばかりが頭を埋め尽くしていく。無事を確認する言葉を発するはずの喉は機能を果たさない。ただただ酸素を肺に送るだけだ。
「……え? ほんとにどしたの? なんかあった?」
酷く戸惑った声が、心配げな声が鼓膜を震わせる。ゆっくりと紡がれるそれは、宥める時の響きにも似ていた。その音で、やっと最悪の仮定を生み出し続ける頭が現実に戻ってくる。八号、と己を呼ぶ声はいつも通り、温かで穏やかなものだった。
そうだ、きちんと説明をしなければ。焦燥のままに唇を動かせど、出てくるのはあの、えっと、と情報伝達として役目を果たさないものばかりだった。うん、と優しい音がスピーカーから流れてくる。いくつも重なった無意味な音の上を、細い息が流れていく。ようやく、声帯が震え意味のある言葉を紡ぎ出した。
「最近、何かおかしなことはありませんか? ぼんやりするとか、疲れたとか、調子が悪いとか、そういうことは」
「んー……無いかなぁ。変わんないよ」
つかえつかえの拙い問いに、明るい答えが返される。声の調子も、言葉の調子も、全て普段通りのものだった。それに、彼女は嘘を吐くようなヒトではない。本当に変わらず、不調も何もないのだろう。理解し、強張った身体から一気に力が抜けていく。は、と短くも深い息が吐き出された。
「あっ、もしかしてニュースのやつ?」
音声データとして変換された声が耳に注がれる。ひゅ、と喉が細い音をたてた。
「あれスクエアの話でしょ? じゃあ大丈夫だよー。今バンカラにいるし」
「え」
カラカラと笑う三号に、八号は呆けた声を返す。あれ、と不思議そうな声が小型端末から耳へと注がれた。
「言ってなかったっけ? しばらくバンカラにいるんだ」
「そう、なのですか……」
変わらぬ調子で続けるインクリングに、オクトリングは溜め息のような調子で返す。真正面を向いていた赤い瞳が、机の天板へと向かっていく。視界の端に己の赤い吸盤が見えた。
彼女がバンカラ地方にいるなど、ハイカラの地にいないなど、初めて耳にした。想像すらできない事実だ。だって、彼女はいつだってハイカラの地を見回り守っているのだ。あの地から出ることなど考えたこともない。考えるようなことではないのだ。
胸の中心がうすらと温度を失っていく。聞いていなかった事実が、今まで伝えられずにいた事実が、冷えたものを心に流し込んでいく。日頃通話はおろかメッセージを交わすことすらしないのだ、知らないのは当然だ。ここ最近メッセージを送ったことも送られたこともないのだから当たり前である。分かっている。けれども、胸の奥底に石でも放り込まれたような感覚がした。
あの、えっと、と八号はまた意味のない声を重ねる。こんなことで落ち込んでいる暇は無い。現在は大事は無いと分かった。でも、未来がどうなるか分からない。まだ異常が出ていないだけで、あの世界に触れていないわけではないかもしれない。
「あの、『トキメキ★秩序世界の大冒険!』にアクセスしたことはありますか?」
「ときめき…………、何?」
おそるおそる尋ねる声に、怪訝そうな声が返される。意味が全く理解できないといった声音だった。本当に知らないのだろう。少女はほっと胸を撫で下ろす。あぁ、とスピーカーの向こうで声が弾けたのが聞こえた。
「ネトゲだっけ? アオリちゃ……一号が言ってた気がする」
「ネト、ゲ……? 棘、がどうかしたんですか?」
耳慣れぬ言葉に、今度は八号が怪訝そうな声を漏らす。『ネトゲ』という謎の響きからは、『トゲ』という言葉しか抽出できない。浮かび上がったそれと『トキメキ★秩序世界の大冒険!』との関連性が全く思い浮かばなかった。この手のことに疎い己は知らないだけで、VRと棘には何か関連性があるのだろうか。端末にひたりと寄せられた頭がゆっくりと傾いだ。
「ネットゲームのこと。ネットでやるゲーム」
「『トキメキ★秩序世界の大冒険!』はゲームじゃありませんよ?」
三号の言葉に、八号は依然怪訝な調子で返す。『トキメキ★秩序世界の大冒険!』はオクタリアンの記憶を取り戻すためのシステムだ。アクセスにインターネットを用いれど、ゲームではない。いや、敵を倒し塔を上がっていくという形式は『ゲーム』と表現してもおかしくはないのだろうか。思考を積み重ねていると、ふふ、と小さな笑声が耳に注がれた。
「なんかそれだけ聞くとやばいね」
「やばい……?」
笑みを含んだ言葉を紡ぐインクリングに、オクトリングは更に首を傾げる。分かんなくていいよ、やはり笑みを隠しきれない声が鼓膜を震わせた。
「とにかく、私は元気だよ。なんにもない」
「そうですか」
よかった、と少女は絞り出すかのように漏らす。よかった。本当によかった。何もなくてよかった。巻き込まれていなくてよかった。あのヒトに何事もなくてよかった。安堵が心に、身体中に染み渡っていく。気付いた頃には、その場に座り込んでいた。フローリングの冷えた感触が、今までのやりとりは全て己の妄想ではなく確かな現実だと語っていた。
「なんかよく分かんないけど、八号は心配性だねぇ」
三号は普段と変わらぬ調子で笑う。己は心配性なのだろうか、とぼやけてしまった頭で考える。いや、そんなことはどうでもいい。己が心配性であろうがなかろうが、彼女の無事とは関係が無いのだから。
「八号こそ大丈夫? なんにもない?」
え、とオクトリングは呆けた声をあげる。『なんにもない』という問いには肯定を返すしかない現状だ。けれども、今の事態を伝えては心配させるのではないだろうか。余計な気遣いをさせてしまうのではないだろうか。優しい彼女に負担をかけてしまうのではないだろうか。だが、否定するのは嘘を吐くのと同義である。恩人である彼女に嘘を吐くなど許されない。
「だいじょぶそうだねー」
積もりゆく沈黙を、スピーカーから発せられる音が切り裂く。明るく軽いそれは、明らかにこちらを気遣ったものだった。いつまで経っても返事をできない己を慮ってのものだ。また気を遣わせてしまった。また負担をかけてしまった。いつもこうだ。己はいつだって何も返すことができない。迷惑をかけるばかりだ。すみません、と反射的に漏らした謝罪を、何が、と笑い声が吹き飛ばしていった。
「なんかあったらまた連絡してよ。しばらくは暇だからさ」
スピーカーの向こう側、穏やかな声で少女は言う。予想だにしない言葉に、赤目がぱちりと瞬いた。
彼女はバンカラにいると言っていた。わざわざハイカラの地を出るなど、よほどの用事、それこそ彼女が所属する部隊の任務でもあるのだと考えていた。拠点を移動するほどの状況なのに、暇とはどういうことなのだろう。一段落したところなのだろうか。ならばもう帰ってくるのだろうか。疑問と期待がぐちゃりと混ざる。
はい、と返した声は、拗ねた子どものそれと同じ響きをしていた。己が発した音だというのに、びくん、と細い肩が跳ねる。こんな声を出すなど何をしているのだろう。これでは彼女に心配をかけるだけではないか。心配どころか、不快にさせたかもしれない。きっとそうだ。どうしよう。どうしよう。不安と焦燥が思考を支配する。ひゅ、とまた喉が鳴る。ん、と柔らかな声がぐちゃぐちゃに掻き回された頭に注がれた。
「じゃ、元気でね」
「は、い。三号さんも、お気をつけて」
「はいはい」
やっぱ八号は心配性だねぇ、と回線の向こう側で笑い声が聞こえる。すみません、とまた謝罪が口をついて出た。返ってくるのは温かな笑声だけだ。
「じゃ」
「はい。失礼します」
またねー、と陽気な声がスピーカーから飛び出てくる。プツン、と短い音とともに、愛しい声は途絶えた。代わりとばかりに下り調子の電子音が鳴る。部屋は再び静寂で満たされていった。
液晶画面に表示された『通話終了』の文字を眺め、八号はまた息を漏らす。肺の中身を全て吐き出すかのような長さと重さをしていた。
端末をスリープ状態にし、のろのろと立ち上がって椅子に座り直す。変わらず元気な彼女の声を聞いたというのに、心臓はまだ常よりも早く動いていた。
大丈夫。大丈夫だ。だってあのヒトが嘘を吐くはずがない。ヒトを騙すはずがない。だから、本当に何もない。本当に何も知らない。何も彼女を苛まない。大丈夫、と少女は心の中で繰り返す。本当だろうか、と脳の底から低い声が聞こえた気がした。醜いそれを吹き飛ばすように大きく頭を振る。起きたての身体には刺激が強かったようで、視界が少しぐらついた。
今は大丈夫だ。でも、彼女は『トキメキ★秩序世界の大冒険!』の存在を知っていた。『一号』と呼ばれる彼女の同胞がプレーしているのだと言っていた。つまり、今後触れる可能性はゼロではない。ならば。
少女は随分と遠くに滑っていったナマコフォンに手を伸ばす。手の平サイズの機械を素早く広げると、目映い光が天井を薄く照らした。
赤い瞳が液晶画面を映し出す。はっきりと意識を取り戻したそれは、確固な輝きを宿していた。
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#8号 #3号