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No.186
慣れるまでいっとう冷たくね【プロ氷】
慣れるまでいっとう冷たくね【プロ氷】
推しカプ同じ布団で寝てくれ(定期post)→プロ氷は一緒に寝るの無理だろ→それでも同じ空間にいてくれ……というオタクがわがままごねた結果がこれだよ。毎度のごとく都合良く捏造してるよ。
冷たくしてあげたい識苑先生と冷たくしてもらうのは申し訳ない大学生氷雪ちゃんの話。
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低い駆動音が部屋に染み渡っていく。呻り声とともに機械が吐き出す風は冷たく、触れれば冬と錯覚しそうなほどのものだ。除湿モードに切り替えた空調機は、狭い部屋をひたすらに冷気で満たしていった。
「本当にすみません……」
膝にかけたタオルケットを握り、氷雪は消え入りそうな声で呟く。川底のように澄んだ瞳は暗く陰り、白い柳眉は顔からこぼれ落ちてしまいそうなほど端が下がっていた。普段は太い三つ編みでまとめている髪は今は解いて下ろされており、上等な白い着物も薄手の浴衣に着替えている。何年経ってもほっそりとした美しい足は皺の寄ったシーツの上で膝を合わせて折り畳まれている。縮こまった身体は普段よりも更に小さく見えた。
「いいよ。どうせパソコンのために点けてなきゃいけないしね」
ベッドの上にあぐらを掻き、識苑はへらりと笑う。こんな顔と言葉で彼女の気は晴れないと分かっているものの、これぐらい笑い飛ばしてやらねばという思いが強い。事実、部屋で駆動する各種機械の排熱は凄まじく、室温を一度や二度上げるほどだ。それらを冷やし熱暴走を防ぐためにも、夏は冷房を躊躇なくガンガンと動かし部屋を冷やしきっていた。壊れた場合の修理費用や作業時間のロスを考えると、人間にとっては寒いぐらいに稼働させた方がリスクが少ないのだ――そう、人間にとっては。
恋人である氷雪は雪女である。雪の中で生まれ、雪の中で育ってきた。そんな彼女のなのだから、当然暑さには弱い。温度によっては生命を脅かされるほどであり、高気温が続く夏は天敵と言っても差し支えがないだろう。ネメシスでの暮らしを始めてから多少は耐性は付いたと本人は語るが、それでもまだまだ夏の暮らしには不便をしているようだ。ここ最近は酷暑が続いているのだから尚更だろう。
そんな彼女が、この夏のさなかに泊まりに来た。ならば対策は立てておくべきだろう。彼女が来る前にエアコンのリモコンの下ボタンを二回押したのも、普段なら常温保存する茶を冷蔵庫に入れたのも、氷を普段の倍は作ったのも秘密だ。
問題は夜である。欲望に身を任せて言えば、共に寝たい。同じ布団に入って、ちょっとだけおしゃべりをして、並んで寝たい。歳に似つかわしくないあまりにも少女趣味な願望であるが、彼女にこれ以上の『恋人らしいこと』を求めるのは己が許さない。それに、氷雪が泊まることなど半年に一回あるかどうかなのだ。これぐらい考えるのは心身共に健康な人間ならば当然だろう。
だが、彼女は暑さに――つまりは熱に弱い。人と並んで寝るなど、他人の体温を感じながら一晩過ごすなど言語道断である。最悪命を落とす可能性だってあるのだ。己のわがままと恋人の命を天秤に掛けるなんてことはあってはならない。加えて、彼女は寒ければ寒いほど過ごしやすいということは想像に容易い。ならば、と彼女は冷房直下の場所に布団を敷き、己は普段使っているベッドに寝るのが正解だろう。
「でも、あ、の……、さすがに、申し訳が……」
「暑さって氷雪の命に関わるよね? 申し訳ないとか考えることじゃないよ。生きるためなんだから」
「…………は、い。すみません、ありがとうございます」
やはりというべきか、心優しい彼女はこの配置を気にしてしまうようだ。出会った頃よりは好意を受け取るようになっているものの、まだまだ引け目を感じてしまうらしい。こちらとしては、どうにか片付けてもまだまだごちゃつく床の上、そこになんとか敷いた安物の布団で眠らせてしまうことに申し訳無さを感じるのだけれど。
「……一緒に寝れたら、いいんですけど」
ぽそり。小さな声が工具が転がる床に落ちる。向かい合った目の前、布団の上で正座をした恋人の頬は紅で染まっていた。真冬の椿もかくやの鮮やかさである。愛おしさが胸を満たしていく。今すぐにでも抱きしめたい衝動が手を動かし、少女へと腕を伸ばす。なんとか残っていた理性が脳味噌を殴って揺らし、無遠慮な動きをベッドの上へと封じ込めた。
「かっ、身体は、大丈夫なんです……、たぶん。でも、まだ、緊張してしまって……」
朱が広がる顔が伏せられ、白い頭があらわになる。肩に少しだけかかった長い雪色がするりと布の上を滑って落ちた。
緊張かぁ、と識苑は心の内で漏らす。肺にあるものを全て吐き出したかのような、肩に重いものが落ちてきてしがみつかれたような、そんな心地がした。
恋人は雪原と同じほど白くて純情で、とことん恥ずかしがり屋で奥手である。付き合って何年も経つが、それでもまだ触れあうことは得意ではない方だ。ちょっとだけ進んだ口づけで溶けそうになるほど緊張しているのは、目を瞑ってこちらを待つ顔がいつだって物語っていた。最近では溶けるまではいかなくなったものの、やはりまだまだ緊張はするらしい。触れる頬はいつだってぷるぷると震えていた。
そんな彼女なのだ、経験が無い『恋人と一緒のベッドで寝る』だなんて行為に緊張を覚えるのは当然である。そもそも、氷雪がこの部屋にまだ泊まるようになって日が浅いのだ。『一緒の部屋で寝る』ことにすら慣れていないというのに、二段も三段も飛ばして『一緒のベッドで寝る』など彼女の心が受け入れられるはずがない。キャパシティオーバーで溶けてしまうのは目に見えていた。
けれども、それでも、付き合って数年経つのにまだ『緊張する』と言われるのは少しばかり辛いものがある。己はまだ彼女にとって安息の地にはなっていない。その事実が睡魔忍び寄る頭に染み渡っていく。もう髪を乾かしたというのに、頭が重くなったかのように感じた。
「あっ、あ、の。えっと」
シーツの上、白がぶわりと舞う。勢いよく上げられた氷雪の顔は、少しばかり色を失っていた。花緑青の瞳は目いっぱいに開かれ、手入れを済ませたばかりの唇は忙しなく開閉を繰り返している。えっと、その、と漏らす声は普段よりも少し大きく、けれども細くて高いものになっていた。どうやら己の馬鹿げた感情は顔に出ていたらしい。あぁ、と識苑は心の中で頭を抱える。彼女が気に病むなど分かりきっているというのに、何故こんなことをしてしまうのだ。もういい歳だというのに、何故こんな年若い少女に気を遣わせているのだ。自己嫌悪が心に黒いもやを撒き散らしていく。そんなこと胸の内の動乱など一切無い、とばかりに、技術教師は普段通りの笑みを浮かべた。こんなものはきっと看破されてしまうけれど、いつまでもしょぼくれた顔をしているわけにはいかないのだ。
「えっと、あの、き、緊張といいますか……」
依然慌てた調子で雪色の少女は言葉を紡ぎ出す。上擦っていた声は落ち着くことなく、むしろ悪化している。けれども、顔には色が戻っていた。むしろ、柔らかなまろい頬は紅葉したように色づいている。噛み合わない声と表情に、月色の目がぱちりと瞬く。あうあうと打ち上げられた魚のように口を開いては閉じる氷雪だったが、どうやら落ち着いたらしい。すぅ、はぁ、と大きく深呼吸する音が聞こえてきた。
「…………まだ、すごく、ドキドキするので」
好きな人と一緒に寝るのは、ドキドキしすぎて、溶けちゃうかもしれないので。
細い声で言葉が編まれていく。音が止んだ後も口はまた開閉を繰り返し、全てを隠すように顔が伏せられた。銀糸が絡まる耳はしもやけのように真っ赤で、彼女の心がどうなっているかということを雄弁に語っていた。
好きな人。ドキドキ。可愛らしいワードが、己にとって都合が良すぎるワードが、愛する人の口から紡がれたワードが、頭に、心に染み渡っていく。先ほどまで立ち込めていたもやは、ひとかけらも残さず吹き飛んで消えた。代わりに、熱いものが胸を満たしていく。苦しいぐらい熱いものが。叫びたいほど温かくてたまらないものが。
ベッドの上に投げ出していた手を素早く動かし、鷲掴むようにして顔を隠す。冷房で冷やされた手には、ケアをされたばかりの頬と額が随分と熱く感じた。何故そう感じるかなど自明である。自分の顔が何色で染まっているかなど鏡を見なくとも分かる。口がみっともなく緩んでしまっているのも誰よりも己が一番分かっていた。そっかぁ、と漏らした声は、無様なほどとぎれとぎれで上擦ってとろけきっていた。
指の隙間から対面を見る。こちらを見る氷雪の顔も紅梅といい勝負をするほど赤かった。それがまた、己の心を煽る。苦しくなるほど愛おしさをもたらして、顔に血を上らせていく。ぅ、と思わず嗚咽のような声が漏れた。
「うん…………、じゃ、また、いつか。あんまり緊張しなくなったら……えっと……」
ヨロシクオネガイシマス。揺れる視線を隠すように頭を下げてそう伝える声は己でも驚くほどぎこちがないものだった。普段彼女の前では余裕ぶった姿で在ろうとしているのに、なんと不格好なのだろう。恥ずかしくて布団を被って逃げてしまいたい衝動に駆られる。これ以上彼女の前で格好悪いことはしたくないのでどうにか抑え込んだが。
「は、はい……、えと、……よろしく、おねがいします」
返す言葉はところどころひっくり返っていた。目の前の氷雪もまた、己と同じように視線をうろうろと泳がせていた。それもどんどん俯いて隠れていく。やはり耳は紅で染まったままだった。
「……寝よっか!」
「はい! 寝ましょう!」
裏っ返った声でした提案は、すぐさま可決された。おやすみ、と互いに交わす声は隣の部屋に聞こえてしまいそうなほど大きくて、夜にはあまりにも不釣り合いなほど元気なものだった。
手元のリモコンを操作すると、ピッと短い音と同時に部屋の照明が落ちる。真っ暗闇の中では、もうあの白い髪も、緑の瞳も、赤く染まった頬も、何も見えなくなってしまった。
衣擦れの音が聞こえる。きっと、タオルケットを掛けたのだろう。寝ようと提案した手前、己も眠るしかない。もそもそと鈍い動きで夏用の薄い掛け布団の中に潜り込んだ。除湿モードの冷気で冷やされた肌には、薄布が随分と暖かく感じた。
「……し、おん、さん」
「なぁに」
暗闇の中、声。努めて柔らかな響きで返すが、沈黙が闇を満たすばかりだった。しばしして、また衣擦れの音。まだ順応が終わっていない目には、暗闇の中には何も見えない。けれども、あの美しい翡翠がこちらを見ているように感じられるのは、きっと木のせいではないはずだ。
「おやすみなさい」
「……うん。おやすみ」
いい夢を。
呟くように、歌うように、寝言のように、言葉を紡ぐ。またごそごそと布が擦れる音が闇に落ちた。寝返りを打って、壁の方へと視線を向ける。あれだけ熱かった顔も、頭も、心も、這い寄る睡魔によって落ち着きを取り戻していた。
闇夜が、機器の駆動音が部屋を満たす。そこに安らかな呼吸が二つ加わるのはすぐだった。
畳む
#プロフェッサー識苑
#氷雪ちゃん
#プロ氷
#プロフェッサー識苑
#氷雪ちゃん
#プロ氷
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THANKS!!
SDVX
2024/11/4(Mon) 15:23
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冷たくしてあげたい識苑先生と冷たくしてもらうのは申し訳ない大学生氷雪ちゃんの話。
低い駆動音が部屋に染み渡っていく。呻り声とともに機械が吐き出す風は冷たく、触れれば冬と錯覚しそうなほどのものだ。除湿モードに切り替えた空調機は、狭い部屋をひたすらに冷気で満たしていった。
「本当にすみません……」
膝にかけたタオルケットを握り、氷雪は消え入りそうな声で呟く。川底のように澄んだ瞳は暗く陰り、白い柳眉は顔からこぼれ落ちてしまいそうなほど端が下がっていた。普段は太い三つ編みでまとめている髪は今は解いて下ろされており、上等な白い着物も薄手の浴衣に着替えている。何年経ってもほっそりとした美しい足は皺の寄ったシーツの上で膝を合わせて折り畳まれている。縮こまった身体は普段よりも更に小さく見えた。
「いいよ。どうせパソコンのために点けてなきゃいけないしね」
ベッドの上にあぐらを掻き、識苑はへらりと笑う。こんな顔と言葉で彼女の気は晴れないと分かっているものの、これぐらい笑い飛ばしてやらねばという思いが強い。事実、部屋で駆動する各種機械の排熱は凄まじく、室温を一度や二度上げるほどだ。それらを冷やし熱暴走を防ぐためにも、夏は冷房を躊躇なくガンガンと動かし部屋を冷やしきっていた。壊れた場合の修理費用や作業時間のロスを考えると、人間にとっては寒いぐらいに稼働させた方がリスクが少ないのだ――そう、人間にとっては。
恋人である氷雪は雪女である。雪の中で生まれ、雪の中で育ってきた。そんな彼女のなのだから、当然暑さには弱い。温度によっては生命を脅かされるほどであり、高気温が続く夏は天敵と言っても差し支えがないだろう。ネメシスでの暮らしを始めてから多少は耐性は付いたと本人は語るが、それでもまだまだ夏の暮らしには不便をしているようだ。ここ最近は酷暑が続いているのだから尚更だろう。
そんな彼女が、この夏のさなかに泊まりに来た。ならば対策は立てておくべきだろう。彼女が来る前にエアコンのリモコンの下ボタンを二回押したのも、普段なら常温保存する茶を冷蔵庫に入れたのも、氷を普段の倍は作ったのも秘密だ。
問題は夜である。欲望に身を任せて言えば、共に寝たい。同じ布団に入って、ちょっとだけおしゃべりをして、並んで寝たい。歳に似つかわしくないあまりにも少女趣味な願望であるが、彼女にこれ以上の『恋人らしいこと』を求めるのは己が許さない。それに、氷雪が泊まることなど半年に一回あるかどうかなのだ。これぐらい考えるのは心身共に健康な人間ならば当然だろう。
だが、彼女は暑さに――つまりは熱に弱い。人と並んで寝るなど、他人の体温を感じながら一晩過ごすなど言語道断である。最悪命を落とす可能性だってあるのだ。己のわがままと恋人の命を天秤に掛けるなんてことはあってはならない。加えて、彼女は寒ければ寒いほど過ごしやすいということは想像に容易い。ならば、と彼女は冷房直下の場所に布団を敷き、己は普段使っているベッドに寝るのが正解だろう。
「でも、あ、の……、さすがに、申し訳が……」
「暑さって氷雪の命に関わるよね? 申し訳ないとか考えることじゃないよ。生きるためなんだから」
「…………は、い。すみません、ありがとうございます」
やはりというべきか、心優しい彼女はこの配置を気にしてしまうようだ。出会った頃よりは好意を受け取るようになっているものの、まだまだ引け目を感じてしまうらしい。こちらとしては、どうにか片付けてもまだまだごちゃつく床の上、そこになんとか敷いた安物の布団で眠らせてしまうことに申し訳無さを感じるのだけれど。
「……一緒に寝れたら、いいんですけど」
ぽそり。小さな声が工具が転がる床に落ちる。向かい合った目の前、布団の上で正座をした恋人の頬は紅で染まっていた。真冬の椿もかくやの鮮やかさである。愛おしさが胸を満たしていく。今すぐにでも抱きしめたい衝動が手を動かし、少女へと腕を伸ばす。なんとか残っていた理性が脳味噌を殴って揺らし、無遠慮な動きをベッドの上へと封じ込めた。
「かっ、身体は、大丈夫なんです……、たぶん。でも、まだ、緊張してしまって……」
朱が広がる顔が伏せられ、白い頭があらわになる。肩に少しだけかかった長い雪色がするりと布の上を滑って落ちた。
緊張かぁ、と識苑は心の内で漏らす。肺にあるものを全て吐き出したかのような、肩に重いものが落ちてきてしがみつかれたような、そんな心地がした。
恋人は雪原と同じほど白くて純情で、とことん恥ずかしがり屋で奥手である。付き合って何年も経つが、それでもまだ触れあうことは得意ではない方だ。ちょっとだけ進んだ口づけで溶けそうになるほど緊張しているのは、目を瞑ってこちらを待つ顔がいつだって物語っていた。最近では溶けるまではいかなくなったものの、やはりまだまだ緊張はするらしい。触れる頬はいつだってぷるぷると震えていた。
そんな彼女なのだ、経験が無い『恋人と一緒のベッドで寝る』だなんて行為に緊張を覚えるのは当然である。そもそも、氷雪がこの部屋にまだ泊まるようになって日が浅いのだ。『一緒の部屋で寝る』ことにすら慣れていないというのに、二段も三段も飛ばして『一緒のベッドで寝る』など彼女の心が受け入れられるはずがない。キャパシティオーバーで溶けてしまうのは目に見えていた。
けれども、それでも、付き合って数年経つのにまだ『緊張する』と言われるのは少しばかり辛いものがある。己はまだ彼女にとって安息の地にはなっていない。その事実が睡魔忍び寄る頭に染み渡っていく。もう髪を乾かしたというのに、頭が重くなったかのように感じた。
「あっ、あ、の。えっと」
シーツの上、白がぶわりと舞う。勢いよく上げられた氷雪の顔は、少しばかり色を失っていた。花緑青の瞳は目いっぱいに開かれ、手入れを済ませたばかりの唇は忙しなく開閉を繰り返している。えっと、その、と漏らす声は普段よりも少し大きく、けれども細くて高いものになっていた。どうやら己の馬鹿げた感情は顔に出ていたらしい。あぁ、と識苑は心の中で頭を抱える。彼女が気に病むなど分かりきっているというのに、何故こんなことをしてしまうのだ。もういい歳だというのに、何故こんな年若い少女に気を遣わせているのだ。自己嫌悪が心に黒いもやを撒き散らしていく。そんなこと胸の内の動乱など一切無い、とばかりに、技術教師は普段通りの笑みを浮かべた。こんなものはきっと看破されてしまうけれど、いつまでもしょぼくれた顔をしているわけにはいかないのだ。
「えっと、あの、き、緊張といいますか……」
依然慌てた調子で雪色の少女は言葉を紡ぎ出す。上擦っていた声は落ち着くことなく、むしろ悪化している。けれども、顔には色が戻っていた。むしろ、柔らかなまろい頬は紅葉したように色づいている。噛み合わない声と表情に、月色の目がぱちりと瞬く。あうあうと打ち上げられた魚のように口を開いては閉じる氷雪だったが、どうやら落ち着いたらしい。すぅ、はぁ、と大きく深呼吸する音が聞こえてきた。
「…………まだ、すごく、ドキドキするので」
好きな人と一緒に寝るのは、ドキドキしすぎて、溶けちゃうかもしれないので。
細い声で言葉が編まれていく。音が止んだ後も口はまた開閉を繰り返し、全てを隠すように顔が伏せられた。銀糸が絡まる耳はしもやけのように真っ赤で、彼女の心がどうなっているかということを雄弁に語っていた。
好きな人。ドキドキ。可愛らしいワードが、己にとって都合が良すぎるワードが、愛する人の口から紡がれたワードが、頭に、心に染み渡っていく。先ほどまで立ち込めていたもやは、ひとかけらも残さず吹き飛んで消えた。代わりに、熱いものが胸を満たしていく。苦しいぐらい熱いものが。叫びたいほど温かくてたまらないものが。
ベッドの上に投げ出していた手を素早く動かし、鷲掴むようにして顔を隠す。冷房で冷やされた手には、ケアをされたばかりの頬と額が随分と熱く感じた。何故そう感じるかなど自明である。自分の顔が何色で染まっているかなど鏡を見なくとも分かる。口がみっともなく緩んでしまっているのも誰よりも己が一番分かっていた。そっかぁ、と漏らした声は、無様なほどとぎれとぎれで上擦ってとろけきっていた。
指の隙間から対面を見る。こちらを見る氷雪の顔も紅梅といい勝負をするほど赤かった。それがまた、己の心を煽る。苦しくなるほど愛おしさをもたらして、顔に血を上らせていく。ぅ、と思わず嗚咽のような声が漏れた。
「うん…………、じゃ、また、いつか。あんまり緊張しなくなったら……えっと……」
ヨロシクオネガイシマス。揺れる視線を隠すように頭を下げてそう伝える声は己でも驚くほどぎこちがないものだった。普段彼女の前では余裕ぶった姿で在ろうとしているのに、なんと不格好なのだろう。恥ずかしくて布団を被って逃げてしまいたい衝動に駆られる。これ以上彼女の前で格好悪いことはしたくないのでどうにか抑え込んだが。
「は、はい……、えと、……よろしく、おねがいします」
返す言葉はところどころひっくり返っていた。目の前の氷雪もまた、己と同じように視線をうろうろと泳がせていた。それもどんどん俯いて隠れていく。やはり耳は紅で染まったままだった。
「……寝よっか!」
「はい! 寝ましょう!」
裏っ返った声でした提案は、すぐさま可決された。おやすみ、と互いに交わす声は隣の部屋に聞こえてしまいそうなほど大きくて、夜にはあまりにも不釣り合いなほど元気なものだった。
手元のリモコンを操作すると、ピッと短い音と同時に部屋の照明が落ちる。真っ暗闇の中では、もうあの白い髪も、緑の瞳も、赤く染まった頬も、何も見えなくなってしまった。
衣擦れの音が聞こえる。きっと、タオルケットを掛けたのだろう。寝ようと提案した手前、己も眠るしかない。もそもそと鈍い動きで夏用の薄い掛け布団の中に潜り込んだ。除湿モードの冷気で冷やされた肌には、薄布が随分と暖かく感じた。
「……し、おん、さん」
「なぁに」
暗闇の中、声。努めて柔らかな響きで返すが、沈黙が闇を満たすばかりだった。しばしして、また衣擦れの音。まだ順応が終わっていない目には、暗闇の中には何も見えない。けれども、あの美しい翡翠がこちらを見ているように感じられるのは、きっと木のせいではないはずだ。
「おやすみなさい」
「……うん。おやすみ」
いい夢を。
呟くように、歌うように、寝言のように、言葉を紡ぐ。またごそごそと布が擦れる音が闇に落ちた。寝返りを打って、壁の方へと視線を向ける。あれだけ熱かった顔も、頭も、心も、這い寄る睡魔によって落ち着きを取り戻していた。
闇夜が、機器の駆動音が部屋を満たす。そこに安らかな呼吸が二つ加わるのはすぐだった。
畳む
#プロフェッサー識苑 #氷雪ちゃん #プロ氷