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No.76
昼寝は三〇分から一時間が効果的【プロ氷】
昼寝は三〇分から一時間が効果的【プロ氷】
診断メーカーのお題で書くつもりだったけど全然違う方向性にいったので別途書き上げたもの。どうせ違うなら、と趣味に突っ走った結果がこれだよ!
ちょっと強気な氷雪ちゃんと動揺しまくる識苑先生の話。
葵壱さんには「目をそらさないで」で始ま
り、「明日はどこに行こうか」で終わ
る物語を書いて欲しいです。
できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。
おまけの蛇足
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「目をそらさないでください」
彼女にしては――少なくとも学内での彼女を知る者にとっては――珍しい、強い口調で言われ、識苑は乾いた笑いを漏らした。夕焼け色の瞳は先程からずっと宙を泳いでおり、正面からじぃと見つめる水底色から必死に逃げていた。
「……識苑さん」
二人きりの時にのみ許される呼び名に、反射的に少女の方へと顔を向ける。今まで逃げてきた翡翠の瞳は、怒気と憂心で揺れていた。重くのしかかる罪悪感に、青年はいたずらがばれた子供のように俯く。無理矢理視線から逃げようとする稚拙な行動は、両頬を捉えた冷たい手によって阻まれた。血色が良いとはとても言えない顔を動かないよう固定し、氷雪は再び正面から識苑を見据えた。
「識苑さん、顔色が酷いですよ。昨日何時間寝ましたか?」
「……よ、四時間ぐらい」
「夜中から明け方までエスポワールさんのメンテナンスをしていたと、御本人から聞きました。それに、今日は一時間目に授業がありましたよね? 計算が合いませんよ」
平坦な声と鋭い視線が、全て知っている、と語っている。普段はあんまり会話しないのに何で今日に限って、と機械仕掛けの少女を恨むが、もうどうしようもない。そもそも、彼女の証言は事実であるのだから反論などできないのだ。
嘘ではない。日付を跨いで三時間寝て、メンテナンスを終えてから職員朝礼の直前まで一時間ほど寝たのだ。嘘は一つもついていないが、そう弁解したところで意味はないだろう。そもそも、元の睡眠時間が人よりずっと少ないのだ。日頃の不摂生も相まって、健康的とはとてもいえない状態であることは自覚している。心優しい彼女が心配するのも当たり前だろう。
「とにかく、少しだけでも寝ましょう?」
寝てください、と悲しみを湛え潤んだ瞳で乞われ、彼の中に『断る』という選択肢は無くなった。小さく首を縦に振ると、心痛で強く眇められた目からわずかに力が抜けた。
すべすべとした小さな手が、ごつごつとした大きな手を包み込むように握る。氷雪はそのまま休憩スペース――技術班である彼が根城としている物置兼作業部屋で、唯一片付けられた長ソファへと向かった。
目的の場所に着き、少女は逃さんとばかりに強く握りしめていた手を離す。そのまま、ソファの端に腰を下ろした。呆けた様子の夕焼け色の瞳を見上げて、雪色の少女は白い着物に包まれた自身の太腿をぽんぽんと叩いた。
「寝てください」
「えっ? あっ、え? 氷雪? あれ、でも――」
それって膝枕ってやつじゃないかなぁ、と識苑は胸の内で叫ぶ。
己のことを真剣に案じ尽くしてくれるのは、申し訳無さもあるが嬉しい。嬉しいけれども、まさか膝枕だなんて。初な少年のように、心臓がうるさいほど脈打つ。研究一筋でろくな恋愛経験をしてこなかった彼には、膝枕という甘いシチュエーションを体験したことなど一度たりともなかった。そんなものが唐突に降ってきて――それも、日頃はその類に消極的な彼女が自ら提案してくれたなどという現実を、働き詰めで疲弊した脳味噌が処理できるはずがない。頭を抱え、その場に蹲ってしまいそうになる。
「寝てください」
あまりの動揺に言葉に詰まる彼を見上げ、氷雪は再び有無を言わせぬ声で告げる。普段は控えめに話す彼女がここまで強く主張するのは、本当に珍しいことだ。それほど、恋人の身体を案じているのだということが分かる。
一切譲る気が無いその姿に、青年は軽く目を伏せる。わずかに覗く夕陽色は葛藤で強く揺れていた。寝なければならないのは分かる、けど膝枕は、いや嬉しいけど、でもこんなところで、というかだらしない寝顔を見られるのでは、でも軽く寝た方がいいのは本当だし、寝ないと心配させるし、膝枕だし。様々な思いが寝不足で思考力が鈍った脳内を駆け巡る。その全ては、己の名を呼ぶ涼やかな声と、真剣に見上げる浅海
色の瞳によって欠片すら残らず消し飛んだ。
小さく深呼吸する。感情の波荒ぶ心をどうにか落ち着け、識苑は少女の元へと一歩踏み出す。その動きは、長らくメンテナンスをしていない機械のようなギクシャクとしたものだ。
目の前まで手を引かれて連れられたのだから、足を二回動かしただけで目的地に辿り着く。ごくり、と大袈裟なまでに大きく息を呑み、青年はソファに膝をついて乗り上げる。普段ならば適当に脱ぎ捨てる校内用のスリッパは、無意識に揃えられていた。
髪留めと眼鏡を外して白衣のポケットに放り込み、相変わらずぎこちのない動きで固い座面に横向きに寝転がる。その頭は、少女の柔らかな足を避け、弾力を失ったクッション部分に直接乗せられた。
ぽすぽすと腿を叩く軽い音と不満げな視線に苛まれながら、悩みに悩んで十数秒。ようやく決心をした、識苑は軽く起き上がりのろのろと身体を動かす。失礼します、と妙にかしこまった言葉と共に、少女の太腿にそっと己の頭を乗せた。
着物の厚い布越し、氷雪の柔らかな腿が重みでわずかに沈む。乗っているのは人間、それも成人男性の頭だ。辛くはないだろうか、と少し首を動かし、琥珀が斜め上を見やる。同じタイミングでその色を覗き込んだ翡翠と視線が交わった。新雪のように清廉なかんばせには、雪解け芽吹く梅のような紅色がうっすらと浮かんでいた。
「あっ、あの……、どうでしょうか? 痛かったり、寒かったりしませんか?」
「うん、大丈夫。……温かくて、すっごく安心する」
先程までとは正反対、自信なさげに問うてくる少女に青年は穏やかな声で返す。心の底からの言葉だ。温良な響きに安堵したのか、小さく息を吐く気配がした。
雪女という種族故か、氷雪は人よりも体温が低い。それに加え、着物の生地は洋服よりも厚い。体温など、ろくに伝わらないはずだ。けれども、乗り上げた側頭部や首元からは、たしかに彼女の優しい温もりを感じた。先程まで緊張でがちがちに固まっていた識苑の身体から、ゆっくりと力が抜けていく。ここ数日作業し通しで、ごちゃごちゃになっていた頭がだんだんと落ち着いていく。無意識に漏れた吐息は、安らぎで満ちていた。
衣擦れの微かな音の後、寝転んだ身体に何かが掛かる感覚がする。何だろうと思うより先に、冷えてはいけませんから、と少女の声が降ってくる。おそらく、普段から身に着けている被衣を掛けてくれたのだろう。他人から顔を隠すように常に被っているそれを、己のために躊躇うことなく外し与えてくれる。その優しさに、何だか目頭が熱くなった。ぎゅうと強く目をつむり、識苑は溢れそうになる感情をどうにか塞き止めた。
「一時間経ったら起こしますから、ゆっくり寝てください」
穏やかな声と共に、氷雪は膝の上の彼にそっと触れる。小さな美しい手が、桃色の頭をゆっくりと撫でる。ろくに手入れされていない、結いっぱなしですっかりと癖がついてしまった長い髪を、細い指が優しく梳いていく。慈しむような手つきは、まるで子供を寝かしつける母親のものだ。自分はもういい年した大人だと分かっているが、今はその感触が酷く心地よかった。
「……うん、分かった。お願いします」
手から、身体から伝わる穏やかな温もりに、橙の瞳がとろりと溶けていく。自分が思っていたよりも身体は睡眠を求めていたらしい。こんな状態では氷雪が必死になるのも仕方のないことだ、と沈みゆく意識の中で反省した。
おやすみなさい、識苑さん。
眠りの淵、かすかに聞こえた愛しい声に、おやすみ、とどうにか返す。瞼が降りきる直前、澄んだ川底のような優しい色が映った。
大切なその色と音を抱え、識苑は温かな夢の世界へと身を委ねた。
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#プロ氷
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SDVX
2024/1/31(Wed) 00:00
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り、「明日はどこに行こうか」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。おまけの蛇足
「目をそらさないでください」
彼女にしては――少なくとも学内での彼女を知る者にとっては――珍しい、強い口調で言われ、識苑は乾いた笑いを漏らした。夕焼け色の瞳は先程からずっと宙を泳いでおり、正面からじぃと見つめる水底色から必死に逃げていた。
「……識苑さん」
二人きりの時にのみ許される呼び名に、反射的に少女の方へと顔を向ける。今まで逃げてきた翡翠の瞳は、怒気と憂心で揺れていた。重くのしかかる罪悪感に、青年はいたずらがばれた子供のように俯く。無理矢理視線から逃げようとする稚拙な行動は、両頬を捉えた冷たい手によって阻まれた。血色が良いとはとても言えない顔を動かないよう固定し、氷雪は再び正面から識苑を見据えた。
「識苑さん、顔色が酷いですよ。昨日何時間寝ましたか?」
「……よ、四時間ぐらい」
「夜中から明け方までエスポワールさんのメンテナンスをしていたと、御本人から聞きました。それに、今日は一時間目に授業がありましたよね? 計算が合いませんよ」
平坦な声と鋭い視線が、全て知っている、と語っている。普段はあんまり会話しないのに何で今日に限って、と機械仕掛けの少女を恨むが、もうどうしようもない。そもそも、彼女の証言は事実であるのだから反論などできないのだ。
嘘ではない。日付を跨いで三時間寝て、メンテナンスを終えてから職員朝礼の直前まで一時間ほど寝たのだ。嘘は一つもついていないが、そう弁解したところで意味はないだろう。そもそも、元の睡眠時間が人よりずっと少ないのだ。日頃の不摂生も相まって、健康的とはとてもいえない状態であることは自覚している。心優しい彼女が心配するのも当たり前だろう。
「とにかく、少しだけでも寝ましょう?」
寝てください、と悲しみを湛え潤んだ瞳で乞われ、彼の中に『断る』という選択肢は無くなった。小さく首を縦に振ると、心痛で強く眇められた目からわずかに力が抜けた。
すべすべとした小さな手が、ごつごつとした大きな手を包み込むように握る。氷雪はそのまま休憩スペース――技術班である彼が根城としている物置兼作業部屋で、唯一片付けられた長ソファへと向かった。
目的の場所に着き、少女は逃さんとばかりに強く握りしめていた手を離す。そのまま、ソファの端に腰を下ろした。呆けた様子の夕焼け色の瞳を見上げて、雪色の少女は白い着物に包まれた自身の太腿をぽんぽんと叩いた。
「寝てください」
「えっ? あっ、え? 氷雪? あれ、でも――」
それって膝枕ってやつじゃないかなぁ、と識苑は胸の内で叫ぶ。
己のことを真剣に案じ尽くしてくれるのは、申し訳無さもあるが嬉しい。嬉しいけれども、まさか膝枕だなんて。初な少年のように、心臓がうるさいほど脈打つ。研究一筋でろくな恋愛経験をしてこなかった彼には、膝枕という甘いシチュエーションを体験したことなど一度たりともなかった。そんなものが唐突に降ってきて――それも、日頃はその類に消極的な彼女が自ら提案してくれたなどという現実を、働き詰めで疲弊した脳味噌が処理できるはずがない。頭を抱え、その場に蹲ってしまいそうになる。
「寝てください」
あまりの動揺に言葉に詰まる彼を見上げ、氷雪は再び有無を言わせぬ声で告げる。普段は控えめに話す彼女がここまで強く主張するのは、本当に珍しいことだ。それほど、恋人の身体を案じているのだということが分かる。
一切譲る気が無いその姿に、青年は軽く目を伏せる。わずかに覗く夕陽色は葛藤で強く揺れていた。寝なければならないのは分かる、けど膝枕は、いや嬉しいけど、でもこんなところで、というかだらしない寝顔を見られるのでは、でも軽く寝た方がいいのは本当だし、寝ないと心配させるし、膝枕だし。様々な思いが寝不足で思考力が鈍った脳内を駆け巡る。その全ては、己の名を呼ぶ涼やかな声と、真剣に見上げる浅海
色の瞳によって欠片すら残らず消し飛んだ。
小さく深呼吸する。感情の波荒ぶ心をどうにか落ち着け、識苑は少女の元へと一歩踏み出す。その動きは、長らくメンテナンスをしていない機械のようなギクシャクとしたものだ。
目の前まで手を引かれて連れられたのだから、足を二回動かしただけで目的地に辿り着く。ごくり、と大袈裟なまでに大きく息を呑み、青年はソファに膝をついて乗り上げる。普段ならば適当に脱ぎ捨てる校内用のスリッパは、無意識に揃えられていた。
髪留めと眼鏡を外して白衣のポケットに放り込み、相変わらずぎこちのない動きで固い座面に横向きに寝転がる。その頭は、少女の柔らかな足を避け、弾力を失ったクッション部分に直接乗せられた。
ぽすぽすと腿を叩く軽い音と不満げな視線に苛まれながら、悩みに悩んで十数秒。ようやく決心をした、識苑は軽く起き上がりのろのろと身体を動かす。失礼します、と妙にかしこまった言葉と共に、少女の太腿にそっと己の頭を乗せた。
着物の厚い布越し、氷雪の柔らかな腿が重みでわずかに沈む。乗っているのは人間、それも成人男性の頭だ。辛くはないだろうか、と少し首を動かし、琥珀が斜め上を見やる。同じタイミングでその色を覗き込んだ翡翠と視線が交わった。新雪のように清廉なかんばせには、雪解け芽吹く梅のような紅色がうっすらと浮かんでいた。
「あっ、あの……、どうでしょうか? 痛かったり、寒かったりしませんか?」
「うん、大丈夫。……温かくて、すっごく安心する」
先程までとは正反対、自信なさげに問うてくる少女に青年は穏やかな声で返す。心の底からの言葉だ。温良な響きに安堵したのか、小さく息を吐く気配がした。
雪女という種族故か、氷雪は人よりも体温が低い。それに加え、着物の生地は洋服よりも厚い。体温など、ろくに伝わらないはずだ。けれども、乗り上げた側頭部や首元からは、たしかに彼女の優しい温もりを感じた。先程まで緊張でがちがちに固まっていた識苑の身体から、ゆっくりと力が抜けていく。ここ数日作業し通しで、ごちゃごちゃになっていた頭がだんだんと落ち着いていく。無意識に漏れた吐息は、安らぎで満ちていた。
衣擦れの微かな音の後、寝転んだ身体に何かが掛かる感覚がする。何だろうと思うより先に、冷えてはいけませんから、と少女の声が降ってくる。おそらく、普段から身に着けている被衣を掛けてくれたのだろう。他人から顔を隠すように常に被っているそれを、己のために躊躇うことなく外し与えてくれる。その優しさに、何だか目頭が熱くなった。ぎゅうと強く目をつむり、識苑は溢れそうになる感情をどうにか塞き止めた。
「一時間経ったら起こしますから、ゆっくり寝てください」
穏やかな声と共に、氷雪は膝の上の彼にそっと触れる。小さな美しい手が、桃色の頭をゆっくりと撫でる。ろくに手入れされていない、結いっぱなしですっかりと癖がついてしまった長い髪を、細い指が優しく梳いていく。慈しむような手つきは、まるで子供を寝かしつける母親のものだ。自分はもういい年した大人だと分かっているが、今はその感触が酷く心地よかった。
「……うん、分かった。お願いします」
手から、身体から伝わる穏やかな温もりに、橙の瞳がとろりと溶けていく。自分が思っていたよりも身体は睡眠を求めていたらしい。こんな状態では氷雪が必死になるのも仕方のないことだ、と沈みゆく意識の中で反省した。
おやすみなさい、識苑さん。
眠りの淵、かすかに聞こえた愛しい声に、おやすみ、とどうにか返す。瞼が降りきる直前、澄んだ川底のような優しい色が映った。
大切なその色と音を抱え、識苑は温かな夢の世界へと身を委ねた。
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