No.90, No.89, No.88, No.87, No.86, No.85, No.84[7件]
おなかいっぱい【ライレフ/R-18】
おなかいっぱい【ライレフ/R-18】
為す術も無く喘いじゃうオニイチャンが見たいとかお口いっぱいに頬張る弟君が見たいとか綺麗なお顔を汚したいとかそういう下卑た欲望の塊。昔書いた話のリメイクになった感満載。
つまぶきれふとくんがやりたいことをやりたくてとってもがんばるはなし。
密かに深呼吸をし、ベッド脇に音も無く跪く。低くなった視線、そのちょうど目の前にある膨らみを見て、烈風刀は小さく息を呑んだ。とくりとくりと心臓が脈を打つ音が聞こえる。血液を巡らせるその動きが緩やかに早まっていくのが自分でも分かった。
かすかに震える手を伸ばし、少年は下着の縁に指をかけ、ゆっくりと下ろしていく。緩慢な動作は、傍から見れば意地悪く焦らしているように映るだろう。実際は、高揚と緊張を抑えた結果のものだ。
秘めるべき肌を守る布の縁が、隆起した山の頂点を超える。瞬間、戒めを解かれた中心部が姿を表した。擬音が聞こえてきそうなほど勢い良く飛び出たそれに、少年は碧い目を瞠る。澄んだ海の水を注ぎ込んだような美しい瞳には、驚きと怯れだけでなく、確かな期待がにじんでいた。
無意識に開いていた口を固く閉じ、反射的に止まっていた手の動きを再開する。長い時間をかけ、下肢、その中心部に位置する重要な器官を守っていた布地が取り払われる。薄い生地の下に押し込められていたそれの全貌が顕になった。常は硬く張り詰めた欲望の象徴は、今はいささか硬度を失っている。天を仰ぐツヤツヤとした先端は少し項垂れており、青黒い血管が走る幹は血液が満ちきらず幾分か細く映る。本来の姿の半分にも満たない状態だ。冷たい外気に晒されてか、か弱くすら見えるそれが時折びくんと震える。意思と関係なくうごめくそれは、人間の身体の一部ではなく、一つの独立した生物のように思えた。
グロテスクと形容するのが相応しいそれと真正面から対峙し、烈風刀は再び息を呑む。とうに見慣れているはずだというのに、目の当たりにする度、少年の胸の内には緊張と少しの畏怖が渦巻く。心を落ち着けようとそっと吐かれた息は、明らかに熱を孕んだものだった。
手を伸ばし、ふにゃりとしたそれを普段の姿勢になるように支え起こす。手入れされたすべらかな白い指が、そろそろと浅黒い欲の塊をなぞる。どくりどくりと強く脈動するそれが、この上なく愛おしく思えた。
溢るる情愛に突き動かされるまま、少年は頂点にそっと唇を寄せる。ベッドサイドに置かれた小さなランプがほのかに照らす中、暗い赤と鮮やかな赤が触れ合う様はどこか背徳的に見えた。柔らかな粘膜同士の接触に、勃ちあがった肉茎がひくりと震える。喜びを表しているかような動きに、胸の内に満足感が広がっていく。
そのまま、くぼみへ、括れへ、幹へとゆっくりと下りながら、欲望全体に口付けていく。角度を変えて触れる度、ちゅ、ちゅ、と可愛らしい音が薄暗い部屋に落ちる。淫猥な行為とはあまりにもかけ離れた響きだが、切り替わりつつある思考は淫らなものだと判断する。鼓膜を震わすそれが、頭の隅をぴりぴりと痺れさせた。時折、鼻先が熱い幹を掠める。香る汗と兄の匂いが、消えつつある理性を更に削っていく。
根本まで口付けを施し終え、碧は一度顔を離す。中途半端に昂ぶっていた器官は、少年の熱烈な接吻によって硬度を増していた。存在を堂々と主張する屹立の真上に戻り、烈風刀は閉じていた口を薄く開ける。艶のある唇の間から、真っ赤に色付いた舌が顔を覗かせた。数拍遅れて、唾液がぬめった赤を伝っていく。糸を引くようにゆっくりと下へと伸びるそれが、反り返った肉槍の穂先にとろりと垂れた。透明な粘液が、艶めく先端から血管の浮かぶ幹を静かに這っていく。途切れる度、少年はくちゅくちゅと口を動かし、再び舌を出して溜まった唾液を垂らしていく。普段の彼ならばまずしない、頼まれても憤怒し断固拒否するであろうはしたない行動だ。けれども、これは今から行うことのために必要なプロセスなのだ。必要に駆られてのことなのだから仕方ない。仕方ないのだ、と碧は己に言い聞かせる。その頬は上気しきり、紅に染め上げられていた。
幾度か繰り返したところで、再び幹へと顔を寄せる。舌を伸ばし、表面を伝う唾液を塗り拡げていく。上から垂らすだけでは届かなかった場所を、熱くぬめる赤が丁寧になぞり、粘つく潤いを与えていく。横から唇で挟みこみ扱くと、くぷくぷと粘液が泡立つ音があがる。間の抜けた響きだというのに、今は何故だかとてつもなくいやらしいものに思えた。背筋を何かがなぞる。その正体を理解することから逃げるように、少年は必死に舌を動かした。熱を孕む赤が欲望の象徴をなぞる度、れる、とぬめった音が聞こえる。実際はそんな漫画めいた大袈裟な音などたっていないだろう。けれども、熱に溺れる少年の頭には、己の行動とはしたなさを如実に表す響きが鳴り渡っていた。
もう十分だろう、と烈風刀はようやく埋めた顔を上げる。しまい忘れた赤い舌と濡れそぼった先端との間に、細い橋がかかる。情熱的な口交を終えた後に生まれるものと同じ姿をしていた。
満遍なく唾液をまぶされた怒張が、ほのかな光に照らされぬらぬらと輝く。まるで闇から這い出てきた化け物のような容貌だ。あまりにも醜悪で不気味な光景だというのに、少年は目を逸らすことなく真正面からじぃと見つめる。浅く漏れる呼気と、大きく開かれた翡翠の瞳には、隠しようのない官能があった。
ふぅ、と大きく息を吐き、思い切り口を開く。そのまま、碧は艶めく先端をぱくりと咥えた。触れた舌先から、形容し難い味が広がる。味覚を殺すような凄まじい味に、反射的に吐き出しそうになるのをどうにか堪える。口淫などもう数え切れないほどやってきたというのに、この味にだけは未だ慣れずにいた。異物を拒否しようとする喉が、ぐぅ、とおかしな音をたてる。整った眉が強く寄せられた。
ぎゅうと目を瞑り、形を確かめるかのように唇でなぞりながら、硬い欲望を口腔内へと迎え入れていく。丁寧な愛撫により元の姿を取り戻した雄の象徴は、火傷してしまうのではないかと錯覚するほどに熱い。この熱は己によって生み出されたものなのだ、と考えて、少年の身体がふるりと震える。ん、と無意識に零れた声は鼻にかかったとろけた響きをしていた。
じりじりと進み、ようやく狭い口内の奥ギリギリまで怒張を迎え入れる。根本に茂った短い毛が埋まった鼻先を撫でる感覚がくすぐったかった。えづかずきちんと呑み込み終えた安堵に、無意識に止まっていた呼吸が再開される。瞬間、深い場所で熟成された濃い匂いが鼻孔を一気に満たした。頭を思い切り殴られたかのように意識が大きく揺れる。心臓が痛みすら覚えるほど早く拍動する。視界に細かな光が強く瞬く。愛する雄の象徴を口いっぱいに頬張り、番の匂いに嗅覚を犯され、少年は確かな性的興奮を覚えていた。腹の奥に灯った淡い火が、音をたてて燃え上がり始めた。
盛る情欲の炎に突き動かされるように、烈風刀は剛直が支配する口内で懸命に舌を動かす。硬い幹を舌全体で撫で、浮かぶ血管をなぞりながら優しく押し潰し、括れた部分をぐるりとなぞり、くぼんだ部分をいたずらするように突く。こんこんと湧き出る先走りが、少年の舌を蝕んでいく。美味とは正反対に位置する最低な味わいだというのに、すっかりと熱に浮かされた脳はこの上なく好ましいものだと判断を下した。己の唾液と混じったそれを飲み下す度、得も言われぬ感覚が背筋を駆け抜けていく。得体の知れないそれが、快楽を受容する神経を強く焼いた。
こんな稚拙な動きでは、満足させることなど到底不可能だろう。更なる悦楽を与えるべく、烈風刀はゆるゆると頭を動かす。限界まで呑み込み、張り出した部分に引っかかるまで戻り、また呑み込みを繰り返す。艶めく唇が雄肉を扱く度、かぽかぽと空気が抜ける卑猥な音がたつ。己が生み出したそれが、欲望で焼け付く腹に響く。身体の奥底から湧き上がる法悦に、声帯が甘ったるい音を奏でた。くぐもった浅ましい響きが悦の焔にくべられ、勢いを増していく。さながら永久機関だ。己が成すこと全てが快楽へと繋がっているように思えた。
ただ擦るだけでは芸がない。アクセントをつけるため、先端だけを口に含んでちゅうと吸い付く。咥え込んだそれがびくりと大きく跳ねた。まっすぐに刻まれたくぼみから、熱い蜜がとぷりと湧き溢れる。奉仕する彼が性的快感を得ているという確かな証拠だ。身体中を駆け巡る悦びとともに、たっぷりと与えられる最高の報酬を飲み干した。
かすかに不安の色を浮かべた翠玉が、ちらりと頭上へ向けられる。白熱灯の淡い光に照らされた兄の顔は、強くしかめられている。苦そうな表情は、不快感や苦痛によるものでない。証拠に、頬はすっかりと上気し、熟した果実のように鮮やかに色づいていた。呆けたように開いた口からは漏れる呼気は酷く荒く、何もかもを焼き尽くす焔のように熱い。覗く八重歯が薄明かりを受け光る様は、何もかもを断ち切る鋭利な刃物を思わせた。股座に顔を埋めた弟を見下ろす紅玉は、内で盛る熱で潤み、マグマのようにどろりととろけている。ふるふると震える美しい宝石の中には、苛烈なほどの情欲が燃え上がっているのがはっきりと見て取れた。
見上げる碧と見下ろす朱とが、真正面からかち合う。刹那、口内を埋め尽くす怒張がびくんと大きく反応した。ぐ、と堪えるような低い唸りが降ってくる。苦しげに眇められた目は、凶暴な獣のように爛々と輝いていた。
きもちよくなってくれている。よろこんでくれている。己の献身に対する確かな肯定に、胸に多大なる歓喜が広がる。どんどんと膨らむ喜悦は、すぐさま熱意へと変換された。もっときもちよくなってほしい。もっとよろこんでほしい。兄を想う一心に、碧は更に激しく頭を動かす。根本まで深くまで呑み込み、吸い付きながら幹を撫で上げ、張り出た境目を小刻みに扱き、深い溝を丁寧に舐め、走る筋を舌先でゆっくりとなぞり、ツルツルとした色の濃い頭を舌全体で磨いていく。単調にならぬよう、時折方向を変え、熱く柔らかな頬肉に、ぬめる硬口蓋に押し当てる。思いつく全てをもって、烈風刀は肉茎に尽くす。今の彼にとって、朱をきもちよくさせることが世界の全てであった。
懸命に愛する中、本能が酸素が不足していることを強く訴え始める。生命の危機に関わるそれに抗いきれず、少年は一度口を離した。濡れそぼった唇と赤黒い先端とに、名残惜しげな銀糸が繋がる。淫らに輝くそれは、熱に溺れた呼吸によってすぐさま途切れ失せた。
はぁはぁと荒い息を繰り返す。思いの外呼吸を犠牲にしていたらしく、乱れたそれはなかなか治る様子がない。ずっと大きく開いた状態だったからか、口も上手く閉じることができずに間抜けに開いたままだ。時折混じる細い喘ぎは、酸素が足りない苦しさではなく、口腔という敏感な場所を雄に支配される悦びと愛しい熱を失った寂しさが色濃くにじんでいた。
酸素不足と無茶な運動と依然燃え上がる愛欲で、頭がぐらぐらと揺れる。それでも、どろどろにとろけきった翡翠は、目の前に聳える雄から目を離せずにいた。舌を垂らしただただ凝視する姿は、待てをされた犬のようだ。
ベッドの縁に突いていた手を緩慢に持ち上げ、烈風刀はぬらぬらと光るそれに指を伸ばす。触れた先から伝わる焼けるような熱に、心の臓が一際大きく脈打った。唾液とカウパーでたっぷりとコーティングされた欲望を手でそっと包み込み、ゆっくりと上下に動かす。擦り上げる度、にちにちと粘っこい音が響く。卑猥なそれが、腹奥で燃え盛る炎に薪をくべた。はぁ、と零れた吐息は色欲に溺れきった音色をしていた。
全然足りない、と本能が叫ぶ。十分に働くことができない頭では、何が足りないかなど到底分からない。理性が求めきれぬ解を、本能は容易に弾き出し、ぼやける思考へと司令を下した。
気がつけば、烈風刀は再び怒張に唇を寄せていた。楽器でも演奏するかのように肉茎を横から挟みこみ、頭を動かしゆるゆると扱く。先端から湧き出る雫を指先でくるくると塗り拡げ、輪にした指で全体にまぶしていく。舌を伸ばし、くぼみからとめどなく溢れる涙を舐めとる。手のひらと唇から伝わる焼ける熱が、立ち昇る濃ゆい匂いが、味蕾を犯す形容し難い味が、粘つく姦濫な音が、脳髄を揺さぶる。鮮烈な官能が思考を桃色に染めあげる。きゅう、と物欲しげな鳴き声が腹の奥から聞こえた気がした。
淫猥な音を奏でる中、拙く動かす頭を包むように何かが触れる。ふわふわと揺れる髪をかき乱すように撫でるそれは、紛うことなく愛しい兄の手だ。そろそろとした手付きは、普段の甘やかす時や憂慮を宥め安らげる時のものではない。どこかぎこちない動きだ。
どうしたのだろうか。きもちよくなかったのだろうか。剛直から口を離し、烈風刀は不安を浮かべた目でそっと朱を見やる。こちらを見下ろす紅玉髄の中には、燃え盛り暴れ狂う獣欲が見えた。きっと心の内もそうだろうに、見上げた先の彼は苦しげに歯を食いしばり、爛々と輝く目を強く眇めていた。
「……む、り、しなくて、いいから」
荒い呼吸の中、つかえながらも雷刀は言葉を紡ぐ。震えながらも碧い頭を撫でる手付きは、慈愛と思慮に溢れたものだった。食い殺さんばかりの激情に満ちた目とは全くの正反対な言葉と触れ方は、あまりにも歪だ。
彼のことだ、おそらく呼吸すらままならないほど口淫を施し、休むことなく手淫まで行う弟の姿を見て、自身の為に無理をしていると考えたのだろう。彼の思考は半分正解で、半分不正解だ。これほどまで熱心に行為を続けているのは、兄――つまり愛する恋人の為、という部分は紛れもない事実である。ただ、無理など一切していない。全て、烈風刀自身の確固たる意思で――大好きなひとに尽くしたくてやっているのだ。『無理』だなんて、あまりにも的外れな指摘である。
兄の言葉に、弟は密かに眉をひそめる。優しさ故のものとは分かっていても、己が好んでやっていることを勝手に勘違いし否定されるのは、あまり気分が良くない。何より、雷刀本人が一番無理をしているのは、烈風刀にははっきりと分かる。頭に添えられたままの震える手は、彼の胸の内を暴れ回る獣欲を無理矢理抑え込んでいることを如実に表していた。快楽を堪えるように眇めた目も、強く噛み締められた口も、その実はオスとしての本能を押さえつけるものだ。この熱く柔らかな口内を、湧き上がる欲望がままに犯し尽くしたい衝動を無理矢理我慢していることなど、一目で分かる。
優しい兄は、可愛い弟を傷つけぬよう、どうにか己を律しようとしているのだ。それはとても美しく素晴らしい、讃えられるべき行為であろう――当人である烈風刀以外にとっては、だが。
ゆるく握った指を解き、熱塊から手を退かす。ふぅ、と安堵の溜息が頭上から降ってくるのが聞こえた。安心しきった様子を確認した後、烈風刀はかぱりと最大限まで口を開く。そのまま、天を仰ぐ剛直全てを一気に呑み込んだ。
「――っあ? ぇっ……、ぅ、ァッ、れ、烈風刀っ!?」
勢いよく飛び込んできた熱塊が、柔らかな肉に直接ぶつかる。ごりゅ、とあまりよろしくない音が喉の奥底に響いた。えづき吐き出しそうになるのを必死で堪え、少年は口腔と食道を以て肉槍全てを無理矢理己の内に納める。すぐさま思い切り吸い付き、根本から先端まで唇で、頬肉で強く扱きあげる。伸ばした舌全体で幹を磨きつつ、股座に頭を深く埋め、自ら食道へと獣欲を突き立てる。できるかぎり早く頭を動かし、その工程を何度も繰り返す。ぐぽぐぽと下品な音をたてる様は筆舌に尽くしがたいほど淫らだ。それを常は性とは無縁とばかりに涼しい顔をしている烈風刀が、自ら欲に溺れて行っているというのだ。淫靡としか言いようがない光景である。
口の奥、喉に繋がる狭まった部分を張り出た傘がゴリゴリと抉る。細まった場所を無理矢理こじ開け、硬い切っ先が咽頭を突く度、鈍い痛みと胃の腑が迫り上がってくる不快感が襲う。けれども、少年は止まる気など欠片もなかった。何が無理をしなくていい、だ。一番無理をしている人間が何を言っているのだ。湧き上がる憤懣と意地と淫欲に身を任せ、少年は口という生きる上で重要な器官をを自ら犯していく。己の限界値を無視した口淫は、見ている者を不安にさせるほど激しく、それ以上に見ている者の獣の本能を暴き掻き立てるほど扇情的だった。
「れっ、れふとッ! 待って……、まて、って!」
ようやく状況を飲み込んだのか、雷刀は焦燥を顕にした声で弟を呼ぶ。上擦り震えるそれは、悲鳴のようにも聞こえた。拒否する声音とは正反対に、骨ばった腰は目の前の喉へ突き入れるかのようにビクンと跳ねる。食道を犯すかのような動きに、ぐ、と苦しげな呻きがあがる。醜いそれは、音という形になる前に喉の内に消えた。
「むりすんなってば! ……だめっ、ぁっ……だめだ、からぁ……、っ、やだぁ……!」
だめ、と駄々をこねる子どものように繰り返す声には、涙がにじんでいた。首を強く横に振る度、茜空のような髪が宙に広がり落ちる。汗を含んだ癖のある髪がぱさぱさと軽い音をたてる。それもすぐ、否定の言葉といやらしい水音と欲に溺れた呻きに掻き消された。
とめどなく溢れ出る唾液と先走りの混合物が、咥え込んだ口の端から漏れ出る。紅に染まった唇が肉幹を扱く度、じゅぷじゅぷと水音があがる。かき混ぜ泡立ったそれが流れ伝い、太腿に薄い線を描いていく。突如投げ込まれた未知の感覚に、朱は短い嬌声をあげる。烈風刀だけではない、雷刀もまた、神経回路をぐちゃぐちゃにされていた。性的興奮に支配された彼の神経は、伝達されてきた信号を全て快楽だと判断を下した。
「ぅ、アッ……、で、ちゃう、から……! や、だ……、れふとぉ……!」
やだやだとうわ言のように唱え、朱は己の股座に顔を深く埋めた弟の頭を両の手で後方へと押す。早く離せと訴えるそれを一切合切無視し、烈風刀は変わらず――否、むしろ更に大胆に動き始める。己から喉壁をノックするように、剛直を無理矢理根本まで呑み込む。その勢いは、そのまま咽頭を貫いてしまうのではないかと危惧するものだ。愛欲に溺れきった孔雀石は瞼の奥に固く閉ざされ、浅葱の眉は苦しげに強く寄せられていた。十分に酸素を補給できず、脳味噌がぐらぐらと揺れる。鼻呼吸を試みるも、奥底に溜め込まれた兄の香りとわずかに漏れた精液の香りが混ざった濃ゆい芳香が、思考を掻き乱すばかりだ。生存本能すら無視し、少年は獣が如く腹奥に燃え盛る淫欲に実直に動く。酸素よりも何よりも、兄が甘ったるい声をあげ悦びに震える姿が欲しくて仕方がなかった。
「だ、め……やだっ、れふと……、やっ――ぁ、あッ……!」
息を詰める音が聞こえたと同時に、凄まじい力で頭を押される。火事場の馬鹿力とはこういうことを言うのだろう。突き飛ばすように加減なく押され、烈風刀は驚きとわずかな痛みに短い悲鳴をあげる。声帯が奏でるくぐもった音は、口腔を埋め尽くす肉欲にぶつかって消えた。
兄が望んだ通り、碧い頭が己の身体から離れる。潤んだ柔らかい唇が硬い肉幹を根元から先端まで容赦なく擦りあげる。こじ開けられた軟口蓋を、ざらつく舌を、つるつるとした硬口蓋を、欲に滾った刃が一気に駆け抜けていく。吸い付き締め付ける口腔から無理矢理引き抜く感覚は、追いすがり絡みつく肉洞から逃れる時のそれとほぼ同じだ。つまり、腰が砕けるような凄まじい刺激である。そんなものをいきなり味わって、昂ぶった欲望が耐えられるはずなどなかった。
「あっ、ぁ、あ、ア、あああああッ!」
ぢゅぽん、と鈍い水音と同時に、甲高い咆哮があがる。口腔という熱い洞から抜け出た瞬間、硬く張り詰めた雄から白濁が吐き出された。切っ先から放たれた濁液が勢いよく宙を舞う。真っ直ぐに飛んだそれは、びちゃ、びちゃ、と汚らしい音をたてて目の前の顔に着地した。紅に染まりきった頬を、美しく通った鼻梁を、閉じられた白い瞼を、さらさらとした髪を、潤んだ真っ赤な舌を、欲望の証が蹂躙していく。熱い雫が降り注ぐ度、愛欲で満たされた頭が強く痺れた。
乱れきった呼吸とかすかな嬌声がぬるい部屋に落ちては消える。腹の奥底に煮え滾っていた獣欲を解放し、兄は半ば放心状態にあった。ギラギラと妖しく輝いていた炎瑪瑙は、焦点が合わないのかいささか曇って見える。薄く開いた目は涙を湛え、溢れたそれが眦から零れ落ちた。
己により愛し人が達した喜びに、碧の胸に達成感と幸福感がぶわりと広がる。無理矢理引き抜かれた反動でだらしなく垂れさがった舌が、白い欲望を乗せたまま元あるべき場所へと戻される。味蕾に染み渡る味を薄めるように、くちゅくちゅとはしたない音を奏でつつ唾液と混ぜ合わせる。口内で作られた即興カクテルを一息に飲み干すと、腹の中が悦びに満ちたように思えた。胃の腑を犯す味わいだけでは足りないと本能が叫ぶ。兄は多少は満足したようだが、自分はまだまだ足りない。こんなにわずかなものだけで、情火に浮かされた身体が満たされるはずがないのだ。飢えて死んでしまいそうな心持ちである。
「ぅ……、ぁ、ごっ、ごめん!」
呆けた意識が、ようやく現実にピントを合わせ終えたのだろう。喘鳴にも似た呼吸の合間、雷刀はごめんと何度も謝罪の言葉を繰り返す。土下座までしてしまいそうな勢いだ。上気していた顔は青褪め、髪と同じ色をした眉は八の字を描いていた。
確かに顔面を精液で汚すことなど滅多に無いことだが、今回は故意でなくただの事故である。彼が謝る必要性など全く無い。むしろ、静止の声を無視し、無理矢理行為を続けた己に責任があると言ってもよいだろう。
ティッシュと連呼し、兄は慌ただしい様子でベッド周りをひっくり返す。大丈夫ですよ、と言って、弟は己の瞼へと手を伸ばす。指の背で、這うように肌を伝っていく白濁をすくい拭おうとする。しかし、着弾した飛沫はさほど多くはないらしい。熱を失いつつある迸りはほとんどすくうことができず、結果的に瞼に塗り込むだけになってしまった。まるで自ら肌の奥の奥まで精で犯しているような行為に、背筋を鋭利な快感が駆け抜ける。被虐趣味的な電気信号が、快楽を受容する器官を焼いた。
ぞくぞくと法悦に震える身体を抑えつつ、少年は他の場所へと指を這わせる。拭う体を装い、濁った雫を肌と塗り込んでいく。まるで化粧をしているようだ。顔という重要な部位まで犯される感覚に、心臓がうるさいほどに拍動する。指を動かし、番の精液という淫らなファンデーションを塗り拡げていく度、悦びが正常な思考を崩していく。聡明な頭脳は、すっかりと官能に染め上げられていた。
ようやく全箇所に手を入れ終え、烈風刀は指を口元へと持っていく。白濁で汚れた――自ら積極的に汚したという方が正確である――指に、そっと舌を這わせる。乾きつつあるそれを舐め溶かすように、赤が傷一つない肌をたどっていく。仕上げに、先程まで雄に施していたように吸い付き唇で拭いあげる。欲望をまとった場所は、今は己の唾液でてらてらといやらしく輝いていた。はぁ、と熱に浮かされた甘ったるい溜め息が漏れる。美味いなど到底言えない代物だが、理性が消し飛び本能が支配する脳はこの上なく素晴らしいものだと判断した。腹奥底に灯る熱が、わずかながらも白を収めた胃を羨んで鳴き声をあげる。
ふと視線を感じ、烈風刀は顔を上げる。とろけきった深青の先には、大きく目を瞠る朱がいた。先程まで血の気が失せていた顔は再び赤く染まり、わずかに開いた口の端からはわずかに唾液が伝っていた。覗く八重歯が、淡い光を受けてきらめく。未だに荒い息は、強い熱を孕んだものだ。精虫を肌に塗り込み、名残惜しげに舐める己の姿を見て、彼が性的興奮を覚えていることが直感的に分かった。
「あー……えっと…………、顔洗ってくる?」
気まずげに視線を宙を彷徨わせ、雷刀は淀みながらも言葉を紡ぐ。優しい彼なのだから、気遣う言葉は本心からのものだろう。けれども、それは本能が主張する優先順位を理性が無理矢理修正した結果のものだということは、その表情と声音で簡単に分かった。本当は、もっと違う言葉を――行動をしたいに決まっている。双子なのだ、きっと同じことを考えているに間違いない。
「……洗いに行っている間、我慢できるのですか?」
言外に無理だろうとほのめかせ、烈風刀は意地悪く目を細める。朱が言葉を詰まらせるのを尻目に、碧はすっと視線を下ろす。つい先程欲望を吐き出したはずの屹立は、依然硬く張り詰め天を仰いでいた。先端から透明な雫を零す様は、獲物を前に涎を垂らす肉食獣のようだ。
血液が巡りきった欲望を片手でそっと支え、少年は親愛を表すようにすりすりと頬擦りをする。垂れた粘つく汁が、再び整った顔を汚す。柔い肌で擦られる感覚にか、頬を寄せたそれがビクリと大きく震えた。あまりにも正直で単純な反応に、愛おしさが胸に募る。こんなにも凶悪で醜悪で不気味なフォルムをしているというのに、今は酷く可愛らしく思えた。
「――貴方が大丈夫だとしても、僕が我慢できませんから」
だから、はやく。
昂ぶりに擦りついたまま、烈風刀は愛しい柘榴石を見上げゆっくりと言葉を紡ぐ。情欲でどろどろにとろけた目で見つめ、甘えた声で舌足らずにねだる様は、理性を容易く消し飛ばすほど淫靡だった。
口腔を押し広げ喉を染め胃の腑に落ちるはずの迸りを逃し、腹が減って仕方がないのだ。外に放たれぬるくなったものをわずかに舐め取った程度では、満足できるはずがない。早く、この肚を猛る鋭い楔で、煮え滾った欲望の濁流で満たしたい。侵略されたい。支配されたい。蹂躙されたい。思考を乗っ取った官能が声高に主張する。本能も同じほど大きく声をあげた。
瞠られたままの紅玉髄の中に火が灯る。小さなそれは一気に勢いを増し、音をたてて燃え盛る。欲望が煮えたぎる双眸がギラギラと輝く様は、凶暴と表現するのがぴったりだった。先程とてつもなく頑張って主張したであろう理性は、既に粉々に砕けて消えていた。
互いに理性というブレーキを失った今、静止し宥めるものなどいない。ぬるい空気に包まれた部屋には、獣としての本能を剥き出しにした人間だけが存在していた。
いきなり肩を掴まれ、碧はそのまま思い切り後ろに突き飛ばされる。微かな悲鳴と共に、掃除された絨毯に碧い髪が広がった。軽い衝撃で揺れる思考の中、反射的に閉じた目をゆっくりと開く。人影が光を遮り暗くなった視界には、燃えさかる炎のように鮮烈な朱だけが見えた。降り注ぐ荒い呼気が耳をくすぐる。獣欲で燃え上がったその色と響きに――そしてこれから訪れるであろう最上の快楽を夢想し、淫らに艶めく唇が三日月を模った。
畳む
中庭の猫たち【バタキャ+嬬武器】
中庭の猫たち【バタキャ+嬬武器】
本に突っ込もうと思って入稿締め切り前日に書き始めたけど終わらなかったやつを完成させた。
バタキャ+嬬武器と言ってるけどほぼほぼ嬬武器兄弟の話。
靴が床をうつ軽快な音が多くの生徒が行き交う廊下に溶けて消えていく。談笑しながら歩く人の間を縫いながら、烈風刀は何本もの紙パックを抱え早足で広い通路を歩んでいく。下駄箱が並ぶ玄関前を通り過ぎ、長い大廊下に出る。半ばにある外通路に繋がるガラス戸を開き、そのままタイルで舗装された道を進んだ。日差しが降り注ぐ外は、朝見た天気予報で示されていた気温よりも少し暑く感じた。
眩しさに目を細め、少年は薄灰色の道をまっすぐに進んでいく。晒された肌を薄く包み込むような熱気に、少年はほのかに不安を浮かべた瞳で己の手を見やる。指と指の間で挟むように持った細い紙パックのジュースは、既にうっすらと汗を掻いていた。イラストと文字が躍るカラフルなパッケージが、陽光を受けきらめいている。先ほど買ったばかりだというのに、これではすぐにぬるくなってしまいそうだ。わずかな逡巡の末、少年はそっと地を蹴り駆け出す。パタパタとタイルを打つ軽い音が、昼下がりの空気に溶けて消えていく。
幅の広い外通路を通り、地続きになっている中庭へと入る。普段は多くの生徒が訪れ過ごすこの場所は、今日はいくらか閑散として見えた。なまぬるい風が、空へと枝を伸ばす木々を撫でる。葉がさざめく音が、緑溢れる空間に響いた。
目的の地に辿り着き、烈風刀はようやく歩を緩めた。等間隔に設置されたベンチ、そこから少し離れた庭木へと向かう。若い枝葉が広がり作る木陰の下、きっと目を輝かせ待っているであろう者を思い浮かべ、少年は少し早い足取りで緑の上を進んだ。短い草がサクサクと軽やかな音を奏でる。
「皆さん、買ってきました――」
よ、と続くはずの音は、細い喉に自然と押し込められた。覗き込んだ先、目の前に広がった光景に、烈風刀はそっと口を噤む。ぱちりと開かれた翡翠には、鮮やかな四色が映っていた。
一番に飛び込んできたのは桃色だ。華やかなその色に身を包んだ小柄な少女は、子猫のように身を丸め眠っていた。毛先に近い位置で二つに結った長い髪は、地を覆う柔らかな下草に付かぬように軽くまとめられている。同じ色をした細い尻尾と並んでいると、まるで尾が三本あるように見えた。手入れされた髪が空気を含みもふりと膨らんだ様は、春を間近にした桜の蕾のようだ。髪と揃いの色をした大きな耳が横に寝かされていることから、彼女が安心しているということがよく分かった。
そのちょうど反対側には、同じほどの体躯の青色が横たわっている。綺麗に切りそろえられたショートボブの髪が、その小さく形の良い頭を預けた場所に刷毛で刷いたように軽く散っている。鮮やかで明るい青が広がる様は、色合いも相まって青空を映しているように見えた。普段から少し眠たげに細められている藍玉の目は閉じられており、縁取る睫毛が気持ちよさそうな柔らかい線を描いていた。きゅっと閉じられた小さな口は不機嫌そうにも見えるが、穏やかな表情から彼女はたしかに安らぎを得ていることが分かる。桃と同じく静かに寝かされた耳が時折震える様は可愛らしいものだ。
二人の頭の上には、桃と青を橋架けるように寝転がる黄色がいる。丸い頭の天辺にぴょこりと立った細い髪が、時折風を受けて揺れている。いつも元気に輝く満月は閉じた瞼の裏に隠れており、たんぽぽのようにふわふわとした長い睫毛が穏やかな寝顔を彩っていた。風と梢が奏でる音色に重なる吐息は、規則的で落ち着いたものだ。手足を存分に伸ばして眠る姿には、人一倍元気が良い彼女らしさがよく表れていた。
そんな少女らの下には、見慣れた朱がいた。草の上に大の字に寝転がった少年は、『バタフライキャット』とまとめて呼ばれる子猫たちの下敷きになって眠っていた。枕代わりにされている足はともかく、ベッドのように腹の上に乗り上げられているというのに、彼は安らかな表情を浮かべ少女らとともに気持ちよさそうに眠っていた。筋肉の付いた胸が、呼吸の度に静かに上下する。緩やかな動きは、まるで揺り籠が静かに揺らめくようだ。その体躯に重なって眠る少女らにとっては、きっと心地の良い動きだろう。
すやすやと眠る四人を見下ろし、烈風刀はぱちりと幾度も瞬きを繰り返す。青々とした芝の上に寝転がった彼らを見つめる若葉の瞳には、驚きの色が見て取れた。
普段よりも早く授業が終わった午後、双子の兄弟は学内で偶然鉢合わせた三人の子猫に一緒に遊ぼうとせがまれたのだった。本日は特に用事も無く、帰宅時間まで十二分に余裕がある。揃って笑顔で快諾し、五色の少年少女は広い中庭でともに過ごすこととなった。
一緒に遊ぶとはいったものの、小学生三人を一度に相手取るのは想像以上に厳しいことだった。双子の身体能力は高い部類に入るはずだが、育ち盛りの彼女らはそれを上回るエネルギーで全力ではしゃいで回るのだ。きゃあきゃあと可愛らしい声をあげ、晴天の下元気よく駆ける猫たちはすばしっこく、追いつくだけでも精一杯である。気温が上がりつつある時分、燦々と降り注ぐ陽光の下で過ごしているのも相まり、健康的な肌の上を汗が軽く伝うほどだ。暖かい中ずっと動き回っていては疲れて倒れてしまうかもしれない、すこし休憩しよう、と雷刀が提案するまで一切立ち止まることなく動き回っていたのだから、子どもの元気の良さと体力は凄まじいものである。
少女らが木陰に腰を下ろし休む傍ら、何故か兄弟二人でじゃんけんが行われ、負けた烈風刀が五人分のジュースを買いに行くことになった。兄だけならば知ったことかと切り捨て無視するが、大きな耳でジュースの語を聞き取り、三色三対の大きな瞳を輝かせる少女らを見ては、押し付けられた役割を放り出すことはできなかった。結局、腹が立つほど元気の良い笑顔を向ける朱を睨めつけ、碧は自販機が並ぶ購買へと走ったのだった。
しかし、自分が離席している間に全員寝てしまうとは。少年は緑の上に寝転がった四人を興味深そうに見つめる。中庭と購買はさほど離れておらず、せっかくのジュースがぬるくなってしまわぬよう駆け足で戻ってきたのだから、さほど時間は経っていないはずだ。だというのに、全員揃ってこんなにもぐっすりと眠っているのだから驚くのも無理はないだろう。子どもは電池切れを起こすように突然眠ると聞くが、あれはただの冗談ではなく事実だったようだ――だとしても、その理論では高校生である兄まで同じように寝ているのはおかしいのだけれど。
おそらく、暖かな日和の中疲れて寝入りそうになった彼女らに膝を貸して、そのまま彼も眠ってしまったのだろう。『オニイチャン』と自らを積極的に称する雷刀は、初等部の面々を世話してやっていることが多い。元気が有り余る幼い少女たちについていけるのは、負けず劣らず元気で人一倍体力がある彼ぐらいだ。同じ目線でたくさん遊んでくれる朱い先輩は、遊び盛りの子どもたちから確かな人気を得ている。現に、今日も三人の子猫は兄の方へきゃいきゃいとはしゃいでついて回っていたのだ。よく懐かれていることが分かる。兄然と振る舞う彼に遠慮なく甘える少女らの姿も、嬉しそうに可愛がる少年の姿も容易に想像できた。
そんな活力に溢れた子どもと同じペースで遊んでいたのだから、酷く体力を消耗するのは当然だ。烈風刀自身、雷刀が休憩を提案する頃には若干息を切らしていたのだ。あまり顔に出さないだけで、彼も十二分に疲れているのだろう。そんな状態で柔らかな木漏れ日が降り注ぐ涼しい木陰に寝転んでしまえば、眠ってしまうのも仕方の無いことだ。
両手で持っていたジュースを器用に片手にまとめ、少年は制服のポケットからハンカチを取り出す。皺一つ無いそれを緑の上に敷き、その上に透明な汗が伝う紙パックをそっと置いた。手で持ち続けるよりも、こうやって日陰に置いておいた方がぬるくならないだろう。それでも、夏のそれに近づきつつある空気の下では焼け石に水程度の処置だ。こんなにも気持ちよさそうに眠っている彼らの邪魔をするのは心苦しいが、早く起こさねばならない。
とりあえず、雷刀から起こしてしまおう。わずかな思案の末、烈風刀は寝転がった兄の元に膝をつく。目を閉じ穏やかに寝息をたてる朱の顔を覗き込む。安心しきった表情を浮かべる姿に、碧は小さく笑みをこぼした。柔らかな草原に身を預け気持ちが良さそうに眠る様は、見ているこちらが幸せな気持ちになってしまうようなものだ。あどけない寝顔は、普段見せる底抜けに明るい笑顔とはまた違う魅力があった。
手を伸ばし、鮮やかな茜色に触れる。すくうように伸ばした指と指の間から、短い髪束がするりと逃げる。少し癖のある髪は見た目よりもずっと柔らかでさらりとしたものだ。走り回って汗を掻いたからか、ほんのりと湿りいつもよりも濃い色になっているように見える。ぴょこぴょこと跳ねる髪が緑の上に幾筋も広がる様は、形も相まって猫の耳のようだ。
目にかかった少し長い前髪を指先でなぞるようにして退かす。あらわになった睫毛は、髪と同じ燃えるように鮮烈な朱をしている。今は閉じているまあるい紅緋の目を縁取る色は、微笑んだ時のそれと同じ柔らかな弧を描いていた。その緩やかな曲線は、底抜けの明るさや朗らかな性格が良く表れているように思えた。
薄く開いた口元からは、彼のトレードマークでもある八重歯が小さく覗いている。白く尖ったそれは、鋭利な様がもたらす恐怖よりも、快活で健康に溢れた印象をもたらすものだ。人懐っこい犬が飼い主に甘え、大きく口を開けている様子を思い起こさせる。きっと、可愛いと評する者もいるだろう。
髪が横に流れたことによってさらけ出された頬は、男性らしくすっとしているように見えてまだ子どもらしい丸みが残っている。幼さを思わせるそれは、可愛らしい印象をもたらした。もう高校二年という少年の域を脱しつつある年頃だからか、彼は最近どこか大人びた表情を見せる時がある。けれどこうして見ると、まだまだ子どもらしさが残っている事が分かる。それに何故だか安堵を覚えるのは、きっと気のせいだろう。
好奇心に駆られ、烈風刀は健康的に色付いた頬にそっと指を伸ばす。ほんの少しだけ触れたそこは、見た目通りふにりと柔らかだった。どこまでも沈んでいきそうだと錯覚するそれがなんだか面白くて、可愛らしくて、烈風刀は声を漏らさぬように笑う。ふわりと綻んだその口元には、幸せの色が浮かんでいた。
そっと細められた蒼玉が、瞼に隠された紅玉を思い見つめる。お疲れ様です、と労いの言葉を呟き、少年は眠る兄の頭をそっと撫でた。手のひらから伝わるさらさらとした感触に、愛おしさが胸の内に満ちていく。
名残惜しさを覚えながらも、風に吹かれる茜色から静かに手を離す。そのまま、烈風刀は寝転がったその肩に腕を伸ばす。白いシャツに包まれた硬いそこを、優しくとんとんと叩いた。
「雷刀。雷刀、起きてください。ジュースがぬるくなってしまいますよ」
よく通る落ち着いた声が、夢路をたどる片割れの名を紡ぐ。幾ばくかして、開いた口が閉じられ、晒された喉元から、ぅ、と短い声があがった。形の良い眉がわずかに寄せられ、下ろされた瞼が痙攣するように小さく震える。ゆっくりと持ち上がった帳の奥から、見慣れた紅玉髄が姿を現した。常は明るく輝きを灯したそれは、今は眠気にけぶりどこかぼやけて見えた。
淡い輪郭をした瞳が、現実を認識しようと宙をふらふらと彷徨う。己を見下ろす弟に気づいたのか、眠り目が孔雀石の瞳をぼんやりと眺めた。碧を見つめる朱が、だんだんと焦点を合わせていく。れふと、と片割れを呼ぶ声は、微睡みでとろりとした音色をしていた。
「んー……? おはよ……?」
「おはようございます」
お昼を過ぎていますけどね、と軽口を叩くが、まだまだ眠たそうな彼には伝わらないだろう。芯のない低い声で唸る姿は、今にも寝直してしまいそうに見えた。
くぁ、と大きく欠伸を漏らし、雷刀は寝転んだまま伸びをしようとする。どこか上手く動かない身体に違和感を覚えたのだろう、少年は不思議そうな表情を浮かべ、わずかに上体を起こす。うわっ、と驚きの声が午後の空気を揺らした。身体の上に子どもが三人も眠っているのだ、驚くなという方が難しい。おっもい、と呟いた声は、穏やかな夢に浸る三匹には届かない――三人とも幼いとはいえ女の子なのだ。聞こえない方が良いに決まっている。
寝起きにいきなり飛び込んできた情報に戸惑う兄を横目に、烈風刀は丸まって眠る少女へと腕を伸ばす。これ以上、枕代わりにされている彼に負担を強いるのは可哀想だ。ぬるいジュースを飲ませる羽目になってしまうのも良くない。早く起こしてやるべきである。
「桃、蒼、雛。起きてください」
「さんにんともおきろー。じゅーすだぞー」
澄んだ優しい声と、ふわふわとした寝ぼけ声が幼い猫たちを呼ぶ。重なる音色は深い眠りの海の底にもしっかり届いたのか、うにゅ、と可愛らしい鳴き声がひとつあがった。眠気のまとったそれに、うにゃ、ふにゃ、と寝ぼけた鳴き声が二つ続く。横に寝かされた三色三対の大きな耳が、ぴくぴくと震える。ゆっくりと開いた瞼の下から、昼から暮れへと移りゆく空を思わせる色がひょこりと顔を出した。ふにゅ、とまだ夢見心地な鳴き声が三つ綺麗に重なる。
「らいとおにーちゃん……?」
「おはようございます……?」
「おはよー……」
ふにゃふにゃとした幼い声が、涼やかな木陰の中響く。まだまだ眠いのだろう、少女らの大きな丸い目はまだ半分も開いていない。ゆっくりと身を起こし、眠たげに小さな手で目元を懸命にこする姿は、顔を洗う猫にそっくりだ。
「じゅーす……?」
「はい。ジュースを買ってきましたよ。皆で飲みましょう」
眠気でふやけた音をした問いに、烈風刀は優しい声で返す。手を伸ばし、少年は下に敷いたハンカチごと傍らに置いたままのジュースをたぐり寄せる。薄い布地は、加工された紙の表面を伝う雫で少し湿っていた。手に取ったそれらから、ひやりとした心地良い温度が伝わってくる。まだ完全にぬるくなったわけではなさそうだ。よかった、とひそかに安堵の息を吐く。
碧の言葉に、三色の耳と尻尾が元気よくピンと立つ。じゅーす、と子猫たちは弾んだ声で合唱する。再び閉まりつつあった目はぱっちりと大きく開き、喜びできらきらと輝いていた。甘くて美味しいものへの期待に溢れるその純粋な様子は、とても可愛らしいものだ。
どうぞ、と碧は細長い紙パックを少女らに渡していく。受け取った手から伝わる冷たさにか、わぁと声があがった。きゃらきゃらと可愛らしく響く声と、喜びを表すかのようにぴょこぴょこと動く耳を見て、双子は微笑ましそうに笑った。
「ジュース、ありがとう……」
「れふとおにーちゃん、ありがとうございます」
「おにーちゃん、ありがとー!」
両手でカラフルなパッケージを抱えた猫たちは、浅葱の瞳を見上げ、高らかに礼の言葉を奏でる。弾んだ素直な言葉に、碧は口元に穏やかな笑みを浮かべる。いえ、とひとつこぼし、少年は同じようにジュースを抱えた朱へと向いた。
「買ってくれたのは雷刀ですよ。ちゃんと、雷刀にお礼を言いましょうね」
飲み物を買いに走ったのは自分だが、休憩を提案し五人分の代金を出したのは雷刀だ。礼を言うならば、まず彼に言うべきである。己の名前が挙がるとは全く思っていなかったのか、紅緋の瞳がぱちりと大きく開かれる。驚きの色を浮かべたそれをじぃと見つめ、三匹の猫は、らいとおにーちゃんありがとう、と元気に合唱した。喜びに溢れる可愛らしい声と無垢な瞳に、少年は、どーいたしまして、とはにかんだ。
華奢な手が斜めに取り付けられた袋からストローを取り出し、細い紙パックに伸ばしたそれを突きたてる。いただきます、と行儀の良い声の後、三人は揃った動きで白いそれに口を付ける。ちゅうと一口吸ったところで、歓喜に溢れた鳴き声が青空の下に響いた。遊び疲れた後、それも暑い中飲む冷たいジュースは格別だろう。双子は愛おしそうに目を細め、満面の笑みを浮かべ美味しそうに飲む少女らを眺める。これだけ喜んでもらえたならば、買いに走った甲斐があったものだ。少年らも同様にストローを刺し、一口飲む。甘味料の甘さと香料のちゃちい風味が少し渇いた口の中に広がった。
「ねーねー、次は何して遊ぶ?」
パックの中に沈み込んでしまいそうなほど深く刺さったストローから口を離し、雛は元気な声で問う。朱と碧ををじぃと見上げる向日葵色の目はぱっちりと花開き、活力に溢れきらめいていた。
少女の純粋な言葉に、双子はシンクロするようにぎくりと固まる。たしかに休憩とは言ったが、広い中庭をずっと駆け回り、うたた寝してしまうほど疲れているのだ。これほど元気な様子で遊びの続きをねだるとは思ってもみなかった。むしろ、眠って回復してしまったのかもしれない。本当に子供の体力は底知れないものだ。緊張しピンと伸ばされた背筋を、寒気が撫ぜる。
「えっ? えっ、えーっと……」
「かっ、かくれんぼはいかがでしょうか? 僕が鬼をやりますよ」
動揺を隠しきれずあわあわと慌てふためく雷刀の声に、烈風刀の提案が重なる。その声もまた、動揺と焦燥でわずかに震えていた。二人の強い狼狽えはまだまだ遊び足りない彼女らには伝わらなかったのか、かくれんぼ、と楽しげな三重奏が響く。じゅう、とカラフルなパックから鈍い音があがる。飲み切りへこんだそれから手を離し、少女らはすくりと立ち上がった。
「じゃあ、れふとおにーちゃんがさいしょのおにね!」
「ろくじゅうびょうかぞえてね……」
「らいとおにーちゃん、かくれましょう!」
思い思いの声をあげ、子猫たちは方々へパタパタと駆け出す。彼女らの中では、かくれんぼはもう始まっているようだ。疲れを全く感じさせない動きで木陰から飛び出した彼女らの背を、双子は呆然と見つめる。二色二対の目はどこか濁った色をしていた。
「……次、代わるから」
「よろしくおねがいします……」
放り出された紙パックを手早く集めて畳み、雷刀は低い声で呟きのろのろと立ち上がる。綺麗に折られたそれを見ることなく受け取り、烈風刀も同じほどの声で返す。そのどちらの音も、疲労と諦観が色濃く浮かんでいた。
己の役割を果たすべく、晴れ渡る空の下へと駆け出した兄の背を見送り、弟は溜め息を一つこぼす。この調子では、まだまだ帰ることはできそうにない。最初から長時間付き合うつもりでいたものの、この数十分を振り返ると先が不安で仕方がない。どこかで切り上げなければいけないな、と考えるが、あの無垢にきらめく愛らしい笑顔の前では、己から別れを切り出すことはかなり難しく思えた。
己の体力の限界と待ち受けているであろう未来に強い憂慮を抱きつつ、烈風刀は少女らが走っていた方向へと背を向け静かに目を閉じる。いーち、と数字を唱える小さな声が、午後のぬるい空気に溶けていった。
畳む
雨時のふたり【はるグレ+レフ】
雨時のふたり【はるグレ+レフ】
2017年6月のエンドシーンネタのようなもの。ほんのりレフ→レイ風味。
しとりしとりと屋根を伝う雨粒が奏でる音に、靴音が二つ加わる。硬い靴底が鳴らすそれが人気の少ない廊下に落ちていく。柔らかな音と硬い音の合唱は、囁くように静かなものだ。
そっと正面から視線を移し、烈風刀は隣を歩く少女、グレイスを見やる。彼よりも頭一つほど背の低い、高く結い上げた癖のある髪を静かに揺らす彼女は、抱えた資料を退屈そうに眺めていた。
「何?」
ふと、少女の視線が胸元の紙束から隣を歩く少年へと移動する。シアンに縁取られたマゼンタの瞳が怪訝そうに細められた。
「いえ、何でもありません」
ゆるりと首を振る碧に、躑躅は本当かしら、と独白にも似た疑問を漏らす。皮肉めいた音だが、彼女は普段からこのような語調である。それを理解している少年は、気にすることなくその隣を歩き続けた。
「それにしても、あれだけの仕事に加えこんなに処理しなきゃならないなんて、あなたたち忙しいのね」
抱えたいくつもの資料を見下ろし、少女は感心にも似た音で言葉をこぼす。彼女の胸元に抱きしめられたそれらは、どれも分厚いものだった。
様々な物語を超え、晴れてネメシスの住人となったグレイスは、レイシスと同じくナビゲーターの仕事に就くこととなった。しかし、すぐさまその任全てをこなすことはできるはずなどなく、今は彼女らのサポートをしつつ業務を覚えることに注力している。本来ならば同じ役割であるレイシスから直接学ぶべきなのだが、メインナビゲーターとして忙しい彼女が指導に時間を割くことは難しい状態にある。代わりに、彼女と同じほど運営業務に関わり、その勤勉さからナビゲートについてもある程度の理解を持った烈風刀が少女の補佐をすることとなったのだ。以前の彼ならば、雷刀一人に業務を任せることに不安を覚えただろう。しかし、あの戦争を超えた兄は、いつの間にか必要水準ぎりぎりながらも一人で仕事をこなすようになっていた。頼もしくなった片割れを強く信頼し、弟は新たな仲間の学習を手助けすることを選択したのだった。
ゲーム運営に関わる資料と、グレイスが学習すべき事項を記した資料を揃え、二人は業務に励むレイシスたちの元へと帰るべく廊下を歩む。グレイスは元より多くは語らない性格であり、それを知る烈風刀も無理に干渉はしない。他者よりもほんの少しだけ付き合いの長い躑躅と浅葱は、無言に気まずさなど感じることはなかった。現在二人しかいない細長い空間には、足音が二つ響くばかりだ。
資料を読むのに飽きたのか、躑躅色の瞳が窓へと向けられる。暗雲の埋めつくす薄暗い空と糸のように細い雨の陰を見て、その目が苦々しげに細められた。
「どうかしましたか?」
「別に」
少女は投げかけられた声を鋭く切り捨てる。問うた碧の瞳には、先程彼女が浮かべた表情には何らかの感情が強くにじんでいるように映った。それほどの情意を有していて、何もないということは無いだろう。
「雨、止みませんね」
「そうね……」
会話を続けてみるが、グレイスは憂鬱に満ちた言葉と溜め息を漏らすばかりだ。可憐な唇が紡ぎ出す音は、空を埋める暗い雲にも負けず劣らずの重さをしていた。
そういえば、と烈風刀は桃の少女と青の兎たちが悩まし気にこぼしていた言葉を思い出す。雨が多く湿度の高いこの季節は、湿気によって髪がまとまらないことが多いそうだ。少年にはあまり実感がないが、長く美しい髪をもつ彼女らにとっては真剣に悩むべき事項なのだろう。彼女と変わらぬほど長い髪を持つグレイスが同じ悩みも抱えていてもおかしくはないだろう。
「やはり、湿度が高いと手入れが大変なのですか?」
「は?」
少年の問いに、少女は訳が分からないという声で返す。違うのか、と烈風刀は内心首を傾げる。ならば、彼女はこの雨空の何を疎ましげに思っているのだろうか。
「あぁ、髪のこと? それなら、レイシスが嫌ってほど整えるせいで何も問題はないわ」
グレイスはどこかうんざりとした様子でふるふると首を横に振る。高く結った長い髪が風に吹かれる花のように揺れた。
レイシスはグレイスを実の妹のように可愛がっている。裁縫技術はあまり高くなかったというのに、彼女の洋服を作るためだけに腕前を上げ、いつでもどこでも彼女に構い過剰までに面倒をみようとするほどの溺愛っぷりだ。その姿に、烈風刀がどこぞの兄を思い出すのは秘密である。
そんな姉のような少女が、似た姿故同じ悩みを抱えているはずである妹のような少女のために尽くすのは想像に容易い。そして、隣を歩く少女が不満げな口調ながらも嬉しそうに尽くされる姿も容易に想像できた。
そうじゃないわ、という否定とともに、溜め息がもう一つ少女の口からこぼれ落ちる。再度、紅水晶が窓の外に向けられた。つられて、翡翠も外を見やる。雨脚が緩む気配はまだ無い。
「雨の日は――」
「グレイス」
少女が口を開くと同時に、平坦な低い声がその名をなぞる。突然加わった音に、二人の肩がびくりと驚きに震えた。揃って振り向くと、そこには狐面を付けた少年が立っていた。己の真後ろに佇む彼に、グレイスは再度驚きに身体を跳ね、すぐさま鋭く目を眇めた。
「始果! 急に後ろに来るの止めなさいって何回も言ってるでしょ!」
「すみません」
怒りを露わにする少女に、金色の目をした少年はぼんやりとした調子で謝罪する。そこには反省の意志は全く見られない。いつもどおりの光景である。
「雨の日だといつも以上に気配消して近づいてくるんだから、もう!」
グレイスは不機嫌な様子で始果から顔を逸らす。怒りと驚きと羞恥が混ざったその表情は、忍の少年と行動をともにする時にのみ見せる特別なものだ。
なるほど、このせいか。目の前で繰り広げられる会話を聞き、烈風刀は一人納得する。躑躅色の少女に強く想いを寄せている狐面の少年は、常日頃から彼女について回っていた。まるで雛鳥が親鳥の後ろを歩いているような姿である。たとえ離れていたとしても、少女に何かがあれば音もなくすぐさまその元へと現れるのだ。ネメシスの外側に生きていた頃からの長い付き合いとはいえ、突然の登場に驚くのも無理はないだろう。気配がないところからいきなり現れるならば尚更だ。
ふと、金に光るの視線が碧に向けられる。じとりと細められたそれには、グレイスが浮かべるものとはまた別の、怒りにも似た感情が込められていた。
あなたを見ていると、何故かもやもやします。
いつかの共闘の最中、彼に告げられた言葉を思い出す。グレイスを心より愛する彼にとって、過去に共謀し、今もなお行動をともにする烈風刀は気に入らない存在なのだろう。記憶とともに知識も抜け落ちた様子のある彼は理解していないようだが、それは明らかに嫉妬の情だった。薔薇色の少女に想いを寄せる双子の弟が、同じく好意を露わにする兄に向けるものと同じだ。
そんな始果の様子に、烈風刀は二歩ほど後ろに下がりグレイスから距離を取る。彼が想いを寄せる少女に特別な感情は一切抱いていない、という無言の意思表示である。それでもやはり腑に落ちないのか、月のような淡い黄の瞳は少年を胡乱気に見つめていた。同じ立場ならば、自分だってこのような様子になってもおかしくはない。恋する者故仕方がないことだろう、と同じものを抱えた少年は苦笑いを浮かべた。
「こんなところで喋ってる暇なんてないのよ。始果、さっさと行くわよ!」
そう言って、グレイスは始果の手を取る。たったそれだけで、暗い色を孕んだ金色の目が柔らかさを取り戻した。
「はい。グレイス」
彼女らしい強い語調を気にすることなく、始果は嬉しそうにふわりと笑った。その笑顔に、少女の頬がさっと赤を宿す。もう、とこぼした声は、不服さの中に喜びを有しているように見えた。
ずんずんと廊下を進む少年と少女の三歩後ろに烈風刀も続く。躑躅色の髪と深い緑のスカーフが揺れる様に、翡翠にも似た目が細められた。
レイシスのそれと同じほど長い髪の少女、己と同じほどの背丈の少年。手を取り歩むその後ろ姿に、想い人と自分の姿を重ねる。ああやって二人だけでともに並べたならば、手を繋いで歩けたならば、どんなに幸せなのだろう。彼のように積極的に想いを口にできるならば、臆せず触れることができるならば、募るこの想いはどれだけ彼女に伝わるのだろう。そんな仮定を考える。随分と奥手であると自覚している己には到底できないということなど、分かりきっている。
「僕だって、貴方が羨ましいですよ」
誰にも聞こえないようにぽそりとこぼし、恋する少年は苦く笑った。
畳む
被/加【ライレフ/R-18】
被/加【ライレフ/R-18】
診断メーカーで出たやつが性癖ど真ん中ストレートで書き殴ったもの。キャラ崩壊も甚だしい。
これと同じ世界線のようなそうでもないような話。
弟君を縛り上げ、誰に犯されているのか自覚させながらじっくり弄びます。浅い所をくぽくぽと刺激し、また奥をごつごつ突いては何度も達させ、いやらしいね、と言葉で嬲りながら中出しを繰り返すと泣き出してしまいました。
ギチ、と白い海の上から軋むような音が響く。両の腕を雁字搦めに彩る青いネクタイは、腕の主が身じろぎする度に鈍い悲鳴をあげていた。
しなやかなそれの持ち主である少年の表情は、寝起きのようにぼんやりとしたものだ。常ならば夜明けの空のように澄み切った碧の瞳は、奥底から湧き上がる水に溺れふるふるとしている。ハキハキと言葉を紡ぐ口は呆けたように軽く開いており、その奥から艷やかな赤い舌が覗いていた。唇は飲み込みきれなかった唾液で濡れ、口の端からも同じものがゆっくりと肌を伝い痕を残していく。上気し朱で彩られた肌と浅い呼気には、確かな情欲の高ぶりが見て取れた。
腕を縛り上げられた非日常の中、雄を欲するような顔付きで想い人を見つめる様は艶めかしいの一言に尽きた。きっと扇情的とはこのような姿をいうのだろう。普段の嬬武器烈風刀からは想像もつかないその様は、雄の欲望を煽り掻き立てるものだった。少なくとも、人よりも感受性が豊かな恋人を欲望がままに突き動かすには十二分なものだ。
隙間無く合わさるよう押し付けていた腰をゆっくりと引く。埋め込んだ剛直が去ろうとすると、柔く熱い内壁が追いすがるように締め付けた。脳髄に直接響くような快楽に、雷刀は思わず顔をしかめる。先程吐精したばかりだというのに、油断すれば再び達してしまいそうだ。
「――ぁ、あっ……う、ァ……」
熱杭が内壁を擦る感覚に、小さく開いた口から断続的な声があがる。吐息にも似たそれは、性的快感に震えていた。内から込み上げる甘い感覚から逃げるように、烈風刀は背を丸め縮こまる。強すぎる快楽への恐怖に、涙を湛えた翡翠が白い瞼の下に姿を隠す。固く閉じられたそこの端から、澄んだものが零れ落ちた。
「烈風刀」
努めて落ち着いた声で愛しい人の名を呼ぶ。肉付きの薄い腰から片手を離し、雷刀は桜色に染まる頬へと手を伸ばす。熱を孕んだ肌を、同じほどの温度を持った手の平で撫ぜた。そのまま、怯え震える浅葱の睫毛を親指でそっとなぞる。とめどなく溢れる雫を受けたそこは、朝露で濡れた草原のようだ。
朱の優しい手つきに、ぎゅうと強く閉じられていた目がゆっくりと開かれる。揺れる水面に沈んだ蒼玉の中に、己を示す紅玉が映る。不気味なほど爛々と輝く深紅の中に、情欲の炎が激しく燃え上がっているのが見えた。途端、ひ、と引きつった小さな声が薄暗い部屋に落ちる。呼吸に失敗したような音は、目の前の色への恐怖を如実に表していた。その中にわずかな悦びが滲んでいるのを、鮮烈な朱に隠れた形の良い耳は聞き逃さない。無意識に、赤い唇が歪な三日月を模った。
れふと、と兄は今一度弟の名を呼ぶ。優しさを装った音に有無を言わさぬ言葉――目を逸らすな、しっかりとこちらを見ろ、という命令が込められているのは、欲に溺れきった碧にも十二分に理解できた。
反射的に閉じかけていた目が恐々といったように開いていく。ゆっくりと現れた潤む水宝玉は、怯えを色濃く浮かべながらも目の前の柘榴石をまっすぐ見つめた。凍えたように震える唇から、喘鳴とすら思える細い息が漏れる。微かなそれは、表情に反して甘くとろけたものだ。内に燻る欲望を堪えるかのように、上気しきった艶めかしい身体が小さく捩る。ギチリ、と腕を戒める丈夫な布が小さな悲鳴をあげた。
いつだったか『おしおき』などと称し、ふざけて腕を縛り上げ肌を重ねた時から、弟は自由を奪われることを好むようになってしまった。シャツにしがみつき皺をつける。手や唇を噛み声を抑える。引き剥がそうと相手の胸を叩く。背中に傷ができるほど爪をたてる。普段ならば言及すらしないそれを、彼は重罪だというように申告し、『おしおき』を望むようになったのだ。
初めは、遊びの延長線として腕を縛る程度のほんの簡単ものだった。解きやすく痕を残さないような軽いものだったが、それでは『おしおき』の意味を成さないという彼自身の強い希望で、今ではどう抗おうと絶対に解けない程強く縛り上げている。以前は嫌っていた深紅の所有印を刻む行為も、『おしおき』だと捉え受け入れるようになった。それどころか、牙を立て傷を残すことを自ら望み、獣めいた兄を煽るまでになった。
碧の中に芽生えたマゾヒズムは、そのままエスカレートしていくばかりだった。視界を奪う。身動きができぬよう両手足を拘束する。頭を固定され呼吸を犠牲に喉奥まで雄を飲み込む。燻る欲望を吐き出せぬよう戒める。後孔がめくれあがるほど激しく抽挿する。そんな苦しみを伴う行為を『おしおき』と称して自らねだるのだ。
常ならば厳格に規律を守る彼が、自ら咎められるようなことを行い、積極的に重い罰を求める。その様はあまりにも退廃的で倒錯的なものだった。そんな淫らな姿に、欲望に忠実な兄が抗うことなどできるはずがない。望むがままに、抵抗などできぬよう拘束し、痕が残るほど強く噛みつき、呼吸を奪い、容赦なく突き上げる。きっと酷い痛みと苦しみを感じているだろうに、愛しい碧はいつも法悦を高らかに歌い上げるのだ。その被虐趣味に溺れきった姿が、朱の内に眠っていた何かを目覚めさせるのはすぐだった。
ほんの少しの瑕疵を論い、求めるであろう罰を先んじて与える。『おしおき』を告げられ喜色を浮かべ頬を染める弟を見る度、朱の背筋を得も言われぬ感覚が走るのだ。
相手は戒められ充足を得る、己は戒め充足を得る。互いの欲求を十全に満たすのだから、この行為は何らおかしくない。むしろ、望みが叶うのだから良い行いだ。そんな詭弁を弄し続けた結果、今――決して動けぬよう腕を縛り上げ、身体を折るように足を大きく上げさせ、押し潰すように強く突き立てるという行為を当たり前のように行う日々に至る。
全ては去らぬように注意しつつ、雷刀は根本まで埋め込んでいた剛直をゆっくりと抜いていく。合わさった場所、愛しい熱を食むようにひくひくと収縮する秘蕾が眼下に晒される。あまりにも淫らな光景に、腹の奥が熱くなるのが分かった。
湧き上がる衝動をどうにか抑え、少年は同じようにゆっくりと肉洞を進んでいく。再び熱との邂逅を果たし歓びの音色を漏らす碧を見つめ、這入ってすぐの場所、腹側にある柔らかな一点をこつりと軽く突いた。
「ぃっ――ぁっ、あッ!」
瞬間、烈風刀は大きく目を見開き高い悲鳴をあげた。わずかな衝撃だというのに、まるで雷が直撃したかのように紅で彩られた体躯が弓なりに反る。襲う快楽の強さを表すように、肉の道がぎゅうと狭まり侵入者を強く抱きしめた。
照準が外れぬように、兄は断続的に跳ねる身体をがっちりと押さえつける。そのまま、狙い定めた場所を硬く張り詰めた先端で幾度もノックする。知り尽くした弱い箇所を刺激する度、困惑と法悦が混ざった嬌声があがった。
期待以上に乱れる様に、内に潜むサディズムが満たされていくのが自身でも分かる。同時に、それ以上の嗜虐心が膨れ上がっていくのもはっきりと理解できた。混ざり増大する感情と身を溶かすような悦楽に、朱の背筋がぞくりと震える。シーツに縫い付けたしなやかな足に、切り揃えられた爪が強く食い込んだ。
楔を抜き差しする度に、交わった部分からくぽくぽと間の抜けた音が奏でられる。つい先程内部を染め上げた白濁が薄く漏れ出、剣と鞘の境目で薄く泡立つ音だ。時折、ぐちゅ、と熟した果実を潰すようなものも混じる。潤んだ肉が熱塊を受け止め、悦びを高らかに叫んでいるのだ。
非現実的とまで思える淫猥な合奏に、赤い眉が強く寄せられ苦しげに歪む。一度欲を吐き出し落ち着いたとはいえ、未だ獣欲に忠実に従う雷刀にはあまりにも刺激が強すぎるものだ。
欲を煽る響きに、軽くつつく程度の緩い動きが、どんどんと速度と重量を増していく。熟知した好む場所を抉るように穿つ度、閉じることのできない口から甘ったるい音色が溢れ出る。まるで一種の楽器を演奏しているようだ――もっとも、こんなにも淫らで艶めかしい楽器などこの世に存在しないが。
「ぁ、あっ、あ…………、ぅ、ア」
意味を成さない淫声をあげながらも、とめどなく澄んだ水をこぼす藍玉は目の前で繰り広げられる卑猥な光景をしっかりと見ていた。以前の烈風刀ならば、確実に目を逸らし現実から逃げようとしただろう。けれど、今の彼は目を逸らすなという重大な命を受けているのだ。身も心も完全に屈服した兄の言葉に逆らうという選択肢など、最初から与えられていない。己が犯されているという事実を、この雄が己を犯しているという事実を、視覚を通して聡明な碧い頭に直接叩き込まれる。腹の内側で飢えに喘ぎ吠える被虐心が満たされる感覚に、潤んだ孔雀石が幸福そうに細められた。
マゾヒズムを甘受する弟の姿に、燃え盛る柘榴石にサディスティックな光が宿る。きちんと言いつけを守っている褒美と言わんばかりに、雷刀は浅い場所で遊んでいた熱杭を予告なく一気に突き立てた。
「――ィっ、アッ、ああああああッ!」
隘路を突き進み奥の奥をこつんと叩いた瞬間、烈風刀の口から今までと比べ物にならないほどの叫びがあがった。本当に物静かな彼があげたのかと疑うほど大きく、高く、甘美な歓呼だ。ほぼ同時に、柔らかいナカが勢いよく縮まりぎゅうと締まる。侵入者を食い千切らんばかりの拘束に、兄は力いっぱい歯を食いしばる。歯が砕けてしまいそうだが、それほど力を入れなければ精を残さず搾り取られてしまいそうな強烈な刺激だ。
「…………もしかして、イッた?」
荒い息を繰り返す中、雷刀は呆けた様子で疑問を漏らす。縋るように容赦なく締めつけるこの動きは、組み敷く碧が達したことを表すものだ。しかし、今日は彼自身に一切触れていないのだ。腹につくほど勃ち上がったそれは色の濃い先端から透明な蜜をとろりと漏らすだけで、欲望の証である白などどこにもない。肉体の反応がちぐはぐだ。
烈風刀本人も理解が追いつかないのか、目を大きく見開き天を見つめたまま動かない。半ば停止状態にある意識と反して、体躯は痙攣するように断続的に震えていた。雄を咥え込んだ場所が、はくはくとひっきりなしに喘ぐ。時折びくりと身体が跳ねる度、熟れてぷくりと膨らんだそこが受け入れた熱を逃さんとばかりに強く吸いついた。
「ぇ、あ…………な、で……っ、わか、な……っ、ぃっ……」
荒い息を吐く口が久方ぶりに発した意味のある語は、彼の中で渦巻く混乱を表したものだった。過呼吸に近い涙声は、明らかな官能を孕んでいる。やはり、気をやったのは確かなようだ。それも雄の部分を刺激することなく、普通ならば快楽を得ることを想定されていない内部を抉られただけで、だ。導き出した解に、喘鳴めいた呼吸を漏らす朱の口が歪な弧を描いた。
「ナカだけでイッたんだ」
ふぅん、と雷刀は嘆息に似た声を漏らす。感心したようなそれには、隠しきれない嗜虐がありありと浮かんでいた。否、隠す意味など無い。むしろ、明確に示してやる方が、被虐趣味に耽る愛しい人は悦ぶはずだ。現に、言葉を受けた彼はぶるりと一際大きく震える。唾液が伝う口端が、微かに持ち上がったのが見えた。
「えっ、あっ……ち、が……そ、な……、ち、が、ぁ」
「違うくないだろ?」
示された解を必死に否定しようとする細い声を、朱は明瞭な音で切り捨てる。よく通るそれは、知ったばかりの知識を披露する子供のように無邪気で、嬲り遊び食らい尽くす獲物を捕らえた獣のように残忍なものだ。
ぐい、と身を乗り出し、雷刀は事実を認めきれず首を横に振る弟の耳元に唇を寄せる。上から容赦なく押し潰され、雄の象徴が更に奥深くまで潜り込む感覚に、碧はかすかな甘い声を漏らした。
「こないだまでは全然だったのに。オレの知らないうちに、こんなにやらしくなってたんだ」
やらしい、と困惑と快感で揺さぶられ続ける脳に直接届くよう、耳元ではっきりと告げる。嘲りを隠そうともしない声に、桜色に上気しきった身体が大袈裟なほどぶるりと震える。身をよじってまで否定しようとするその姿には、声音や表情と正反対の恭悦に満ちていた。
「ちがっ……、ちが、い、ま、ァ…………、そっ……そんな、じゃ、ぁッ」
「違わない。烈風刀はナカだけでイッちゃう、すっげーやらしい子なんだな」
幾度も重ねられる否定の言葉とは裏腹に、欲望を咥え込んだ肉洞は悦びに打ち震えていた。柔く潤んだ内壁が、もっと奥に来て、と甘えねだるように侵入者に絡みつく。盛大なまでに達してなお貪欲に快楽を求める姿に、腹の奥に灯った欲望が音をたてて燃え上がったのが己でも分かった。
やらしい。はしたない。えっち。おんなのこみたい。時には潔癖とすら評される弟の耳に、兄は低い声で淫猥な言葉を淡々と注ぎ込む。その度に、ちがう、と消え入りそうな否定があがった。
いつまで経っても事実を受け入れようとしない、あまりにも往生際が悪い様に、雷刀は艶めく唇を小さく尖らせる。ぐわと大きく口を開き、罰するように形の良い耳に歯を立てた。鋭い八重歯が、柔らかながらも芯がある耳殻にじわじわと刺さる。痛みへの恐れと悦びが色濃く出た高音が、耳元で奏でられた。がぶがぶと幾度も重ねられる甘噛み――と言うにはあまりにも激しいものだが――に、被食者は身を固くする。苦しげにこぼす吐息は、未だ燃え盛る情欲の熱がこもったものだ。
すっかりと濡れてしまった耳から口を離し、兄はゆっくりと身体を起こす。澄み切った涙で紅に染まった顔を彩り、わずかに舌を覗かせ浅い呼吸を繰り返す弟を見下ろし、暗くギラついた紅玉髄が愉快そうに細められた。
「なぁ、烈風刀」
ぐちゃぐちゃと表現するのが適切なほど崩れた顔をじぃと見つめたまま、血のように赤い口が酷く穏やかな声で愛しい人の名を紡ぐ。返事を待つことなく腰を引き、根本まで突き入れていた肉槍をゆっくりと退けていく。張り出した部分にうちがわを嬲られる感覚に、濡れそぼった唇から意味をもたない音がいくつも溢れたのが見えた。
半ばまで下がったところで、雷刀は動きを止める。涙が膜張る水宝玉が、何故、と言いたげにこちらを見つめた。本能に支配されきった浅ましい姿を眺め、紅宝石がゆっくりと細まった。問いに答えるべく、朱は硬さが目立ち始めた手に力を込める。決して動けぬよう、捕らえたままの足をシーツに押し付けた。
「こっちとさ」
こつん、と少し前まで虐め抜いていた箇所を再び軽く突く。達したばかりの身体にはあまりにも強い衝撃だったようで、ひぁ、と短い悲鳴があがった。気にすることなく、うねる細い道を少しばかり戻る。
「こっち」
言葉とともに、今度は最奥目指して肉杭を一気に打ち込む。ごりゅごりゅと内部を勢いよく開拓する鈍い音に、高い嬌声が重なった。
「どっちが好き――どっちでイキたい?」
猛る獣欲を根本まで全て収め、潰さんばかりに体重を乗せて腰を押し付けたまま、雷刀は組み敷いた弟に問う。答えなければ動いてやらないぞ、と言外に示しているのは、獣めいた焔が燃え盛る紅緋を見れば誰にでも分かる。相手が性的な語を言うのに強い抵抗感を持っているということも、このままではいつまで経っても苦しいだけだということも全て理解した上での問いだ。
見つめる深碧がゆらゆらと不安げに揺れる。淫らな言葉を自分の意志で口にする羞恥と、与えられるであろう素晴らしい快楽への期待とを天秤に掛けているのだろう。理性と本能の間でぐるぐると思い悩む姿は、あまりにも哀れで愛おしくてたまらない。は、と無意識に吐き出した息は、焼けるように熱かった。
「――――く」
長い沈黙の後、溢れる唾液で艶めく唇がそっと動く。羞恥に塗れた空色が、見下ろす茜色をまっすぐ見つめる。鮮やかな色彩は、内から湧き上がる熱ですっかりととろけていた。
「おく……おく、が…………、おく、がっ、い……、です……!」
己からはしたなく求める羞恥と、痴態を晒し見下される快感に、白い身体が揺らめく。雄を誘うような動きに、腰がずくりと重くなる感覚がした。熱が渦巻く場所から、苛烈な感情が湧き上がる。この番をひたすらに犯し、愛し、虐め、慈しみたい。獣の本能が生み出すぐちゃぐちゃになったそれが、胸の内に膨れて弾けた。
「お、く……、もっと、いっぱ――ッ、あ、ぁあっ!」
欲望をさらけ出す声が、鈍い音と高い音で掻き消される。肉杭が勢いよく穿たれ再び内部を抉る音と、突然脳髄に叩きつけられた快楽信号を処理できずにあがった嬌声だ。ばちゅん、と体液で濡れた肌と肌がぶつかる。ぐちゅ、と硬い欲望が潤う粘膜を半ば無理矢理割り開く。淫猥な音が響く度、法悦を謳う声が奏でられた。
「ッ……、ちゃんと言えて、えらいなっ」
体重をかけ真上から腰を打ち付けつつ、雷刀はどうにか賛する言葉を投げかける。苦手ながらもきちんと言葉にしたのはとても素晴らしいことであり、褒めるべきことだ。しかし、兄とて余裕があるわけではない。眼前で恋人が痴態を晒し、舌足らずに己を求められて、余裕を持てという方が無茶な話だ。意味のある語を発せただけでも十分だろう。
抜け落ちそうなほど思い切り引き、すぐさまその身を潰さんばかりに一息に穿つ。奥がいい、という健気な願いを叶えるため――そして己が内で暴れる欲望に従い、一心不乱に隘路を突き進む。十分に耕され柔らかな内部は、容赦なく蹂躙する怒張を愛おしそうに締め付ける。溶かされてしまいそうなほど熱い粘膜が絡みつく感覚に、神経回路がバチバチと音をたてた。激越な動きの中吹き出た汗が頬を伝い滴り落ちる。清潔な白いシーツには、数え切れないほどの水玉模様ができていた。
肉が肉を叩く音、際限なくたつ水音、上ずった甘い声が薄暗闇に響く。腕を強く縛られ、足を掴み押さえつけられ、押し潰すように打ち付けられ、腹を破らんばかりに穿たれているというのに、碧は幸福に満ちた笑みを浮かべていた。事実、彼が求める全て――身動きできない無力な状態で犯され、願った通り奥の奥まで熱塊で暴かれ、脳が処理しきれないほどの快楽を与えられているのだ。どうしようもないほど被虐趣味に溺れた者が、加虐の限りをつくされ、幸せでないはずがない。澄みきり聡明な色を湛えていた翡翠は、官能にどろどろに融けて濡れていた。
淫欲を煽り立てる重奏が脳髄を揺らす。情欲を掻きたてる情景が背筋を震わせる。自身から直に伝わる熱が神経回路を焼き焦がす。理性を本能が染め上げていく感覚に、雷刀は低く短い呻きを漏らした。それすら、彼の獣欲を揺さぶる。
「ッ、ほんと、すっげぇやらしい」
本能に支配され乱れる弟の姿に、兄は無意識に声を漏らす。己の浅ましくはしたない様子を端的に表す言葉に、烈風刀は、ひぁ、と艶めいた音をあげた。嘲りに似た言葉は、ただただ彼の欲を満たすだけだった。そして、マゾヒスティックな悦びを露わにする様は、雷刀の加虐心を煽り立てる。互いに互いの本能を刺激し、交わりはどんどんと激しくなるばかりだ。
温かな肉鞘が、焼け付く刃を受け止め、主人の形を覚えようと抱きしめる。粘膜が粘膜に絡みつく度に、髄を電流が駆け上がり脳に快楽信号を叩きつける。絶え間なく叩き込まれるそれに、受容しきれぬ神経がバチバチと火花をたてる。不穏なそれが、瞼の裏に瞬き始めた。己の果てが近いことを理解し、雷刀は更に動きを早く、重くしていく。意地の悪い問いに対し、愛しい彼は奥でイキたい、と逃げずに答えたのだ。それを叶えてやるのは、質問者として、そして恋人として当然の義務だ。
肉を通り越して骨に響くほど重い一撃を何発も繰り出す。潜り込めるかぎりの奥を、熟れきった硬い切っ先でごつごつと力強くノックする。筋肉に覆われた薄い腹に、肉の楔の形が浮き上がるのではないかと不安になるほどの勢いだ。奥底を守る襞を破らんばかりに突かれる衝撃に、捕らえられた獣は叫びに近い嬌声をあげることしかできない。あまりにも無力で可哀相な姿に、舌を垂らし荒い息を吐く口の端がニィと歪に釣り上がる。加虐に染め上がった笑みは、普段の嬬武器雷刀からは考えられないほど凶悪なものだ。それを目の前で見せられた碧は潤んだ瞳を細め破顔する。貪り食われること悦ぶ笑みは、普段の嬬武器烈風刀からは想像できないほど婉然としたものだ。誰でもない、二人だけの世界でこぼす表情に、互いは喜悦の笑声をあげた。かすかなそれは、人と人とが奥底まで交わる音にかき消された。
腹の奥で燃え盛る欲望が、質量をもって腰を重くする。ごつん、と鈍い音をたてて最奥の秘めたる襞を無理矢理突き破った刹那、叫声になりそこねた音が部屋に響き渡った。声として成立しないそれは、貪り食われ続けた碧が高みに達したことを如実に表していた。
すっかりと色づき綻んだ蕾が、膨れた槍の根本をぎゅうと締め付ける。丁寧に耕されふわふわと柔らかな内壁が、頭から竿まで欲望の象徴を撫でる。こじ開けられた襞が、侵入者を舐め回しくびれた部分を締め付ける。一気に叩き込まれる強大な快感に、朱い頭の中が真っ白に染まった。
ぁ、と己がこぼした声が呼び水となったのだろう。腹の奥で渦巻いていた熱が爆発し、白濁となり勢いよく外へと飛び出した。びゅーびゅーと派手な音をたてて吐き出される欲望の迸りが、熱い内部を舐めていく。二回目だというのに、うちがわ全てを支配せんばかりの量だ。それでも足りないと言わんばかりに、獣の白に染め上げられる肉洞は、根こそぎ搾り取らんばかりにうねり抱きついた。達したばかりの過敏な身体にはあまりにも強烈な刺激に、朱い口から短い嬌声がこぼれた。
ねだった通り、身体の奥の奥まで暴かれ気をやった烈風刀は、呼吸をするのがやっとといった様子だ。乱れきった荒い息の中、時折鼻にかかった甘い声が混じる。彼がまだ愛欲の海に浸っているのは明白だ。それでも、焦点の合わない海色は言いつけ通り見下ろす夕焼け空へと向いていた。
津波のように押し寄せる快感の波が次第に止み、ようやく互いに呼吸が落ち着いてくる。欲を吐き出したからか、強い快楽で消し飛んでいた理性がほんの少し顔を覗かせる。かすかなそれは、すぐに未だ思考を支配する本能に砕かれた。ぎらぎらと不気味なまでに輝く紅玉は、全然足りないと渇きを強く訴えていた。
ぐち、と卑猥な音をたて、支配者が潤む道から去っていく。頂点まで登りつめたばかりの身体にはそれすら酷く響くのか、断続的に甘い声があがった。欲望の白が薄くまとわりつく剛直は、その半ばまで退いたところで動きを止める。ようやく光を取り戻し始めた藍玉が、何故、と言いたげに己の飼い主を見つめた。瞳には、まだ情欲の焔が灯ったままだ。
決して動かぬよう、掴んだ足を再びシーツに押し付ける。爪が食い込むほど掴まれ、無理な姿勢を取らされているというのに、碧は抵抗一つすらせず黙って見守っていた。そうした方がきもちのいいことをしてもらえると理解しているからだろう。物欲しそうに結び合わさった箇所を見つめる様子は、朱の胸を強くくすぐった。
ふぅ、と小さく息を吐き、欠片も狂わぬよう狙いを定める。ずず、とほんの少しだけ腰を引く。そのまま助走をつけて、覚えきった柔らかい箇所に硬さを保つ先端を思い切りぶつけた。
おんなのように高い声が薄暗闇を切り裂く。快楽を表すそれは、喜悦と困惑と悲痛に揺れていた。人生初めてのドライオーガズムを短時間で二度も経験したばかりの身体には、あまりにも強すぎる刺激だ。絶え間なく襲いかかるそれに、海色の瞳が大きく見開かれる。揺さぶられる度、湛えた涙がぼろぼろと流れ落ちた。
「ぁっ、えっ……、な、なん、で…………や、あっ!」
「だって、さっきちゃんと答えられただろ? いい子にはゴホービあげなきゃ」
嬌声混じりの疑問に、兄は動きを止めることなく答える。つい先程、性を匂わせる語を苦手とする弟は、淫らな問いにはっきりと回答した。苦手なものから目を逸らさず立ち向う姿勢はとても素晴らしいことであり、褒めるべきことだ。
だから、褒美を与えるのも、至極当然なことだ。
「烈風刀、こっちも大好きだろ? さっきいっぱやらしい声出してたもんな」
だから、こっちでもちゃーんとイカせてやるよ。
そう言って、雷刀はにこりと微笑みかける。優しさ満ち溢れる声と表情には、正反対のサディスティックな欲望がありありと浮かんでいた。『ゴホービ』などと謳っているが、ただ彼が獲物を嬲り尽くし己の欲を満たしたいだけだということは明白だ。
凶暴な獣に睨まれたかのように、組み敷いた身体がすくみあがる。軽く反った白い喉が呼吸のなりそこないのような引きつった音を漏らした。無理だ、というように、碧はぎこちない動きで首を振る。その情欲で紅潮した顔も、水底に沈む丸い硝子玉のような瞳も、怯え震える声も、この先もたらされる官能への恐怖より、期待と歓喜が強くにじんでいた。あまりにもちぐはぐなそれに、朱は愉快そうに唇を歪ませる。無意識に被虐を煽り嬌態を晒す様は酷く哀れで、酷く可愛らしい、淫靡なものだった。
期待に応えるべく、細かく腰を動かしこつこつと弱い部分を幾度も突く。処理しきれないほどの電気信号を叩きつけられ、碧は意味の無い声をあげるのが精一杯だ。際限なく湧き出る涙と唾液が、整った顔をぐちゃぐちゃに汚していく。その様すら、今は兄を煽り立てるものでしかなかった。
さて、何度で終わるだろうか。既に二度果てているが、これだけで終わるはずがないことは今までの経験からしてたしかだ。それも、互いにここまで獣の本能が燃え上がった状態ならば尚更だ。
まぁ、数える気など最初から欠片もないのだけれど。は、と欲で煮え滾った吐息を漏らし、若い雄は甘い声を上げる唇に噛みついた。
畳む
IV I->III【レイ+グレ】
IV I->III【レイ+グレ】
IVでのレベル改定のメタネタ。
書いた当時はまだラクリマPUCされてなかったんですよ……。
ぶくぶくと泡が上っていく細かな音が鼓膜をくすぐる。水滴一つ落としたように、透き通る高い音が波となって広がっていく。様々な音が、細い身体を包んでいた。
揺りかごのような浮遊感の中、ぼんやりとしていた意識が浮上する。目を開けると、そこは一面の青だった。闇を孕んだ青の中、空から降り注ぐ日の光が薄いカーテンのように揺れる。まるでいつか見た海のようだ。いや、実際に海をイメージしたものなのだろう。
グレイスはその場でくるりと回り、辺りを見回す。降り注ぐ光に照らされフリルをふんだんにあしらったスカートを翻す様は、スポットライトを浴びる女優のようだ。自分の他に誰もいないことを確認し、グレイスはふふ、と不敵に笑う。その表情は優越感に満ちていた。
現在、彼女が目を覚ましたのは"LEVEL20"フォルダだ。新バージョンに移行した際、ネメシスは新しく楽曲のレベルを取り決めた。LEVEL20は最高、数ある難関楽曲の中でもとりわけ難しいと判断されたものが住まう場所だ。
そして、そのフォルダには現在グレイス――"Lachryma《Re:Queen’M》"のジャケットを担当する”亡国の王女”しかいない。つまり、彼女が全楽曲の頂点として存在しているのだ。
「やっぱり、私が最強よね」
ふふん、と少女は得意気に笑う。前作ではLEVEL16フォルダにてレイシスと肩を並べていた。数々の楽曲を彩り、いつでも頂点に近しい場所にいた彼女を羨んだものだ。しかし、今回を持って自分は彼女を凌駕する存在だ、と正式に証明されたのだ。普段は何かと幼い子供のように扱われるが、少なくとも楽曲のレベルという部分においてはグレイスの方が上であるというのは、ネメシスが下した確かなものだ。
再び透き通った高い音が空間に響く。それを合図に、グレイスは踊るようにもう一度回る。フリルが幾重にも重なるスカートと高く結った髪をを翻し、黒と赤で輝くステッキを握り直す。す、と右腕を上げ、手を大きく広げると、その中に眩く輝く光が集まった。サイケデリックな桃色の瞳が暗い光を灯す。
「蹂躙してやるわ」
不敵に笑い、彼女は挑戦者を待ち構える。唯一の”LEVEL20”として、その権威を示すために。
ぶらぶらとバタ足をするように足を動かす。そんなことをしてもこの気持ちが治まるはずがないことなど、グレイスは十分理解している。それでも、彼女の細い脚は依然つまらなそうに揺れた。
暇だった。
確かに連日挑戦者が押し寄せてくるが、それを相手取るのはもう慣れたものである。ただ、毎日たったひとりでそれだけをこなすことがつまらないのだ。
そういえば、とグレイスは水面のような空をぼんやりと見上げる。初めてLEVEL16を担当した時は暇で仕方なかった、とレイシスがこぼしていたことを思い出す。十五段階で区分された世界の中に突然新設された”LEVEL16”、その地位を初めて与えられたのはレイシスとマキシマだ。グレイスとは違い二人だったとはいえ、相当暇だったらしい。やっぱり皆と一緒がいいデス、と彼女が寂しげに笑ったのはいつの日だったか。
「暇ねぇ……」
現在はひとりきりだが、前作でLEVEL16の楽曲がゴロゴロと増えていったように、今作もLEVEL20の楽曲は増えていくのだろう。ただただ、同格の存在が追加される日を待つしかなかった。
こぽこぽと泡が空へと向かう音が、ひとりきりの空間に虚しく響いた。
「グレイス!」
大きな声が、眠りの底に沈んでいた意識を引き上げる。聞き覚えのある声に、グレイスはゆっくりと目を開いた。なかなか焦点が合わず瞬きをすると、どん、と身体に何かがぶつかる。正面から来たであろうそれの勢いに負け、彼女はそのまま後ろに倒れ込んだ。
「いった……」
「グレイス!」
こぼれた声を上書きするように、再び名を呼ばれる。痛みの中、どうにか開いた目の先には、鮮やかな桃色の瞳があった。
「……レイシス?」
「やっとここに来れマシタ!」
疑問形で名を呼ばれたレイシスは、声の主を抱き締めることで返事をした。ちょっと、とじたばたともがくグレイスを無視して、少女は話を続ける。
「今日からワタシもLEVEL20デス! また一緒デスヨ!」
ヤッター、と喜びの声をあげぎゅうぎゅうと抱き付く彼女の背を、グレイスは抗議するように強く叩く。のしかかられ、腹部に腕を回され力いっぱい抱きしめられては苦しくて仕方がない。レイシスもようやく気付いたのか、はわと小さく声をあげて離れた。
上半身を起こし、ようやく離れた彼女の姿を見ることが叶う。真っ赤なフリルスカート、光沢のある黒のジャケットから、同じ色のボーダーに縁取られた赤いトップが覗く。その頭には、リボンとフリルのあしらわれた大きな海賊帽が乗っていた。腰のホルスターに刺さった金色の銃が、揺れる光を浴びてキラリと輝いた。
「今年は海賊デスヨ。かっこいいデショ?」
レイシスははしゃいだ様子でくるりと回る。桃色の髪が優雅に揺れた。今年というのはKACコンテストのことを指すのだろう。毎年行われるそれの最優秀楽曲は、常に最高レベルに属していた。今作も例に漏れず最高レベルを与えられたのだろう。
「グレイス姉ちゃーん!」
「ノアたちも来たよー!」
長い髪を翻す少女の後ろから、ニアとノアが駆けてくる。手にした旗とステッキを振り回す姿は相変わらず元気なものだった。デザインはレイシスのそれとは異なるが、彼女らも海賊をモチーフにしたドレスを身に着けていた。一度に二つも追加されたのか、とグレイスは驚いたようにぱちぱちと瞬きをした。いくらなんでも極端ではないか、と思うも、ネメシスが支配するこの世界ならば仕方ないと切り替える。こんなこと、日常茶飯事だ。
「今日から四人一緒だね!」
「よろしくね!」
ニコニコと嬉しそうに笑うニアとノアに手を引かれ、グレイスはようやく起き上がる。ステッキお揃いだねー、と姉妹ははしゃいだ声をあげ、両脇から彼女に抱きついた。青い双子はLEVEL20はもちろん、今まで最高レベルの楽曲を担当したことがない。初めての経験なのだ、これほどまでにはしゃぐのも仕方ないだろう。
「グレイス」
優しい声が、青い世界にひとりきりだった少女の名前をなぞる。顔を上げると、そこには柔らかな笑みを浮かべるレイシスがいた。
「今日からもう、一人じゃありマセンヨ」
自身の心を見透かしたような言葉に、グレイスの心臓がどきりと跳ねる。何故、と思うも、答えはすぐに見つかった。レイシスも――”For UltraPlayers”のジャケットを担当した彼女も、この寂しさを抱きかかえていたと語っていたではないか。同じ状況、否、それよりも寂しい環境に放り込まれた少女の思いなど、お見通しだ。
ひとりぼっちではなくなった嬉しさと、心を見透かされた恥ずかしさを隠すように、グレイスはふん、と笑い飛ばす。宣戦布告をするように、彼女は真正面からレイシスを指差した。
「いい気にならないことね。追加されたばっかりのあんたたちはともかく、私は一年経った今もなおPUCされてないのよ。つまり、私が一番強いんだから!」
不敵な笑みで告げるグレイスを見て、レイシス、ニア、ノアの三人は顔をきょとんと見合わせる。全員同じことを考えたのか、くすりと小さな笑いが三つこぼれた。
「ちょっと! 何を笑っているのよ!」
「何でもありマセンヨ?」
「何でもないよねー?」
「内緒だもんね!」
隠した感情などお見通しと言ったように笑う三人の姿に、グレイスはうぅ、と悔しそうに呻いた。
「ほら! 呼ばれてるわよ! さっさと行ってきなさいよ!」
軽やかな音楽とともに、青い少女らを呼ぶコードが宙に表示される。ゲーム開始を知らせるそれに、グレイスはぶんぶんとステッキを振り回して必死に話を逸らそうとした。
「分かったー!」
「じゃあ、ノアたち行ってくるね!」
「またあとでねー!」
来た時同様、手にした獲物を振ってニアとノアは駆けていった。広いフォルダの中、今度はレイシスとグレイスのふたりきりだ。
「またよろしくお願いしマス」
「……よろしく」
薔薇と躑躅の姉妹は、仲良く隣に並び挑戦者を待っていた。
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現の幻想【グラユス】
現の幻想【グラユス】
ハロウィンユーステスの台詞からフェイトから何から何まですごくてつらい。アビフェイトの破壊力がすごすぎてしんどい……。公式の供給すさまじすぎてつらい……。ありがとうサイゲ……。ハッピーハロウィン(遺言)
ネタバレしかない。
家々を渡るように架けられた旗が夜風に揺らめく。宙に浮かぶカボチャを模ったランタンは星々のように空を彩っていた。
ぼんやりとした月明かりとそれらが照らす街は、普段ならばとっくに寝静まっている時間でも昼間以上の喧騒と色に溢れている。明かりが灯り人が行き交うこの空間は、この世のどこよりも賑やかしく見えた。
すべてはこの雰囲気によるものだろう、とユーステスは壁に寄りかかり群衆を見回す。高い目線から見下ろす先に、真っ白なシーツを被った少女が人々の間を縫うように走り、その後ろをネジが刺さった帽子の少年が追う姿が映る。少し視線を動かせば、今度はドクロを模した面をつけた少女とかぼちゃの被り物をつけた少女が、菓子の入ったかご片手にはしゃいでいた。子供だけではない、多くの大人も魔女や妖怪といった空想世界の住人たちを模した衣装で大通りを行く。ここは現でなく幻想の世界なのではないか、と錯覚しそうなほどだ。
ハロウィン、だったか。ユーステスはいつか交わした会話を思い出す。なんでも、仮装をして人に菓子をもらう祭りらしい。菓子をくれないのならば悪戯をしていいのだ、と楽しげに語ったのは彼が現在身を置いている騎空団、その団長だ。キラキラと目を輝かせる姿は子供のそれで、何百人もの人間をまとめ指揮するこの勇ましい長はまだ年若い少年であるということを再度実感したのを覚えている。この島にやってきたのも、祭りが盛んであるからだと聞いている。楽しみだ、と楽しげに語る少年の姿を思い出し、ユーステスはわずかに口元を緩めた。
ふと、彼は己の手に目をやる。銃を操るため普段から身に着けている黒く分厚いグローブはそこになく、代わりに白く柔らかな手袋が己の浅黒い肌を包んでいた。手元だけではない、無骨なコートは濡れ羽色のスーツに変わり、その背には内を深緋で彩った外套を羽織っていた。足に付けたホルスターも、今日ばかりは赤で鮮やかに彩られている。エルーン特有の耳には、彼のそれと同じ黒の羽飾りが天を向くように取り付けられていた。
今回、ユーステスがつく任務は囮調査だ。ヴァンパイアの仮装をし、餌として祭りの陰で行われているという闇競売を探る。今までのことを思えば楽な部類に入るものだが、これで本当に役目が果たせているのだろうか、と彼は眉をひそめた。今晩菓子をねだりにきた子供たちは皆、自身を『ヴァンパイアの仮装をしたお兄ちゃん』と評していた。子供相手ですらこれでは、競売に参加するような目利きの者たちを騙せるか非常に怪しい。
いざとなれば潜入調査に切り替えるか、と手持無沙汰に羽飾りを撫でていると、ユーステス、と耳慣れた声が己の名を紡ぐ。喧騒の中でもよく通るそれに振り返ると、大きく手を振りこちらに駆けてくる少年――騎空団の長であるグランの姿があった。街道に溢れる人々の間をするするとすり抜け、彼は難なくユーステスの下へと辿りついた。
「やっぱりユーステスだ」
「どうした? グラン」
にへらと笑うグランに、ユーステスは秘かに姿勢を正し問いかける。先程見かけた時には一緒にいたルリアとビィは近くに見当たらない。おぞましい競売が行われている可能性がある街だ、まさか何かあったのではないだろうな、と彼は澄んだ琥珀色の瞳を見つめた。
「別に何もないよ? ただ、ユーステスが見えたから来ただけ」
あ、耳触ってもいいかな、とグランは青年の頭上に付いた耳へと手を伸ばす。最近は問うだけ問うて許可を出す前に触ることが多くなった。それほどの信頼関係が築かれる程度に、少年と青年は同じ時を過ごしていた。
「お前はいつもそれだな……」
「だってユーステスの耳、ふわっふわのさらっさらで気持ちいいもん」
呆れるような声に悪びれることなく返し、グランはその柔らかな黒の耳に優しく触れた。毛並みに沿ってゆっくりと撫でられ、ユーステスは心地よさに目を伏せる。初めはおっかなびっくりで触っていたというのに、今では手慣れたものだ。
「この羽飾りもかっこいいね。似合ってる」
耳と繋がる根元の金具部分に触れぬよう、グランは天を向くそれに指を伸ばす。彼の耳には到底敵わないが、こちらはこちらでいい手触りだ、と少年は評した。
「ヴァンパイア?」
「らしい」
グランの問いに、ユーステスは曖昧に返す。らしいってなんだよ、と少年は笑った。とはいっても、上層部がそうだと言って勝手に与えたものなのだ。ましてやモチーフは希少度が高く滅多にお目にかかれない種族なのだ。本当にそれに即しているのか、青年にははっきりと断言できなかった。
「でも似合ってる」
かっこいいなぁ、と少年は嬉しそうに笑った。任務のためだけに与えられたものだが、彼が気に入り褒めてくれたことは嬉しい。ユーステスは柔らかに目を細めた。
「お前は仮装しないのか?」
ハロウィンのことを語っていた時のことや日頃の行動を見るに、グランはこのような祭りごとを好んでいるはずだ。誰よりも先に仮装し祭りを満喫しそうなものだが、とユーステスは首を傾げた。彼の言葉に、グランの瞳に苦々しい色が浮かぶ。口元も心なしかひきつっているように見えた。
「……コルワが」
少年が口にしたのは、少し前に団に加入したエルーンの名だった。たしかデザイナーだったか、と思考を巡らせる。
「僕も仮装しようとしたんだけど、コルワが『衣装を準備してあるの! 全部着てみてもらうからね!』って迫ってきてさ……」
はぁ、とグランは重い溜め息を吐いた。心なしか、その顔には疲れが滲んでいる。
ユーステスとコルワは有する魔力属性が違うためあまり交流はないが、そのテンションの高い様は挺内で度々見かけた。あの様子で様々な衣装を持って迫ってくれば、さすがのグランでも押されるようだ。
「逃げてきたわけか」
ユーステスの言葉に、グランはうぅと唸った。その通りなのだろう。仕方ないだろ、と呟く声は拗ねた時の音をしていた。
「ルリアの分も用意してあるって言ってたし、今頃はルリアのファッションショー状態になってるんだろうなぁ……」
「お前もやってくればよかったじゃないか」
「恥ずかしいだろ!」
「普段と変わらないだろう」
グランは扱うジョブに合わせて常に衣装を変えている。分厚い盾と騎士のような重厚な鎧を身にしていると思えば、動植物の装飾を凝らし目深にローブを被った姿になり、気がつけばベレー帽を被りマントを翻しながら銃を操る。最近では、大きな帽子と琴と共に演奏している姿をよく見る。依頼に合わせて臨機応変に装備を変える姿は、ファッションショーのようなものだ。
それとこれとは違うんだよー、とグランは訴えかけるように言う。分かった、と諭す風にユーステスがその頭を撫でると、少年は不満げに頬を膨らませた。飴色の瞳は子供扱いするなと強く主張しているが、その様はまるっきり子供のそれだ。
「でも、皆色んな格好してて面白いな」
すっとグランは行き交う人々を見回す。つられて、ユーステスも彼の視線を追った。その先には、狼男に扮した少年がエルフの仮装をした少年と共に走っていく姿があった。作り物とはいえ、ふわふわと揺れる毛と小さな体躯は子犬のようだ。可愛らしい、とその背を眺めていると、ふいに鋭い視線を感じる。いつの間にか、グランはユーステスの方へと目を戻していた。
「……やっぱ仮装してくればよかった」
ふてくされたような声に、青年はぱちぱちと目を瞬かせた。やはり、様々な衣装に身を包んだ人々を見て羨ましくなったのだろうか。少年の心は移り気だ。
「あーもー! ベアトリクスに会うんじゃなかった!」
「あいつがどうかしたのか」
同じ任務にあたっている同僚の名に、ユーステスは思わず問いかけた。またなにかやったのか、と真っ先に疑ってしまうのは、彼女の日頃の行いが全て物語っている。
「一応狼の耳と尻尾のアクセサリーは持ってたんだけどさ、途中でベアトリクスに会ったから付けてきちゃったんだよ」
あぁ、とユーステスは納得したように頷いた。あの意地の張った少女がそれにどのような反応を示したかなど簡単に想像がつく。そして、その反応に少年が食いつきからかう様も容易に想像できた。
「僕だって耳と尻尾をつければユーステスにもふってもらえるのに」
「無くとも撫でてやるから安心しろ」
悔しげに言うグランを落ち着けるように、青年はその頭をゆっくりと撫でる。納得がいかないという風にしかめていたグランの表情は、その温かな手によってゆっくりと解けていった。それでも悔しいのか、度々うぅと唸り声があがるあたり、彼はまだまだ子供だ。
「それに、今回ばかりはそのままの方がよかったんじゃないか」
「何で?」
そっと離された手を追うように、グランはユーステスを見上げた。不思議そうなその眼を捉え、青年は薄く笑む。その表情は普段の彼と全く違う、どこか人外めいた温度を宿していた。
「今日の俺はヴァンパイアだからな。狼男よりも、人間といた方が自然だ」
エルーンが持つ尖った歯をのぞかせ紡がれる言葉に、グランはぞくりと身を震わせる。水面のように薄い青の瞳は、獲物を見つけた獣のそれによく似ていた。
「……眷属ってこと?」
「そのように見えるだろう」
ふ、と笑う表情は、既にいつものそれへと戻っていた。なるほど、とグランは内心頷く。彼の持つ深い冷たさは、闇夜を支配するヴァンパイアのそれに恐ろしいほど似合っていた。
「じゃ、ヴァンパイアらしく噛んでみる?」
そう言ってグランは、己が着ているパーカーの襟口をぐいと引っ張った。いきなり何だ、とユーステスは晒されたそこを見る。髪の影になるその部位は、日頃鍛錬や戦闘で日に焼けた身体よりも幾分か白い。明かりが灯ってもなお薄暗い夜だからか、その白はほのかに輝いて見えた。
「……たしかに噛みやすそうだ」
「だったら、かぷっといっときなよ」
ヴァンパイアさん、とグランはいたずらめいた笑みを浮かべた。挑発のような色が見えるのはきっと気のせいではないだろう。数え切れないほど戦い抜いてきたせいか、この少年は人を煽るのが妙に上手い。そして、それに乗せられる自身も大概単純だ。
グランの肩にユーステスの手が置かれる。動かないよう少し力を入れ、その首元へ顔を寄せる。幾ばくか逡巡し、ほの白い肌にゆるりと牙を立てた。
獣のような耳を持つエルーン族とはいえ、特別牙が発達しているわけではない。ましてや生き血を食らうヴァンパイアのような鋭さなど持ち合わせていなかった。人間のそれより尖った犬歯は、少年の柔らかな肌に食い込むばかりで、赤が漏れ出ることはない。
「くすぐったいよ」
グランはじゃれるようにきゃらきゃらと笑った。暗にもっとやってみろ、と主張するそれに従い、青年はもう一度歯を立てる。並びの良い歯が先程よりも強く深く食い込むが、それでも少年は気にせず笑うばかりだ。
これ以上続けても仕方あるまい、と諦めて口を離す。晒されたままの肌にはほんのりと痕が残っていた。
「なかなか難しいな」
「まぁ本当に血が出てもそれはそれで困るし、いいんじゃない?」
ヴァンパイアとしては失格だろうけど、とグランはからかうようにくすくすと声を漏らす。困るんじゃないのか、と青年が指摘すれば、それはそれ、と少年ははぐらかすように笑みを浮かべた。
「でも、本当に血が欲しいなら手加減なんてしちゃだめだろ?」
グランの目が鈍く光る。反射的に身を離すより先に、少年の手がユーステスの襟を捕えた。ぐい、と力強く引かれ、思わず前屈みになると、少年の顔が間近に迫る様が見える。明るい栗色の瞳に青灰色とほの暗い何かが映るのが見え、ユーステスはひくりと息を呑む。先程までの子供らしさは消え、ただ浮かぶのは血を知る人間の深い深い色だ。
頬を柔らかな髪が掠める。瞬間、首元に鋭い痛みが走った。
首を絞められるような息苦しさと、不意の痛みで青年は思わず顔を歪めた。抗議の声を発するより前に、襟から手が離れる。責めるように険しく細めた瞳には、満足そうな表情をした少年の姿が映った。
「――これぐらい思いっきりやらなきゃ」
ね、と小首を傾げ、グランは唇を舐めた。覗く赤い舌が明かりに照らされ、艶めかしく光る。笑みを作るようにゆっくりと細められた瞳が狩りを営むけもののそれに似ているように思えたのは、きっと気のせいではない。
噛まれた箇所へ手をやる。手袋をしているため確認はできないが、あの痛みならばきっと痕になっているだろう。こういう時、少年は手加減などしない。このようなことで己相手に手加減をする理由など、一切有していないのだ。ユーステスは小さく顔をしかめた。
「来年は僕もヴァンパイアの仮装しようかなー。どうせコルワが作るだろうし」
けんぞくぅにしてやる、とグランはユーステスを見上げ目を細める。子供らしい表情に似つかわない、駆け引きを知る大人の瞳が青年の姿を捉えていた。
もう、手遅れだというのに。
そして、彼もそのことをしっかりと理解しているというのに、何を言っているのだ。ユーステスは呆れるように少年の頭をくしゃくしゃと撫でた。
夜は更け、現でありながら幻想の世界が闇夜に沈んでいく。漆黒の耳に付いた羽飾りが、青年の歩調に合わせて揺れていった。
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青に魅せられて【はるグレ】
青に魅せられて【はるグレ】文章リハビリにはるグレ。書きたいところだけ書いたのでオチがない。
推しカプ推しコンビ皆水族館に行ってくれ……。
照明が落とされた空間の中、壁の一面だけが淡い光を放っていた。横長に切り取られた枠内を、空から降り注ぐ光に照らされた水の中を魚たちが泳いでいく。尾びれが水を切る度起きる小さな泡が、ライトの輝きを受けてきらめいていた。
非現実的な美しさを有す水槽を前に、グレイスは立ち尽くした。躑躅色の瞳は、青に染められた世界に釘付けになっていた。
華奢な足が一歩踏み出し、吸い寄せられるように大きなアクリルガラスへと向かう。少しでも世界に近づこうと手を伸ばそうとしたところで、その動きがピタリと止まる。己が触れてしまって、この美しい世界を壊してしまうのではないか、という不安が少女の中に芽生えていた。
呆然と大きく見開かれた目のすぐ前を、魚の群れが素早く泳いでいく。細かな銀色がキラキラと輝いて水中を駆る様は、まるで流れ星のようだ。立ち止まらず一心不乱に水の中を切り進んでいく星たちは、その体躯以上の壮大な生命力に溢れていた。
「すご……」
「すごい……」
グレイスが思わず漏らした感嘆の言葉に、始果も同じ言葉を返す。少女に応えるというよりも、彼自身の心の奥底から同じ感情が溢れた結果なのだと分かる声色をしていた。事実、月色の瞳は愛おしい躑躅ではなく、その先にある蒼を見つめていた。
柘榴石と琥珀が、きらめく錫色を追っていく。ゆったりと泳ぐ姿に見惚れ、素早く駆けてゆく様に目を瞠り、ふわりと水面へと上っていく様子を眩しそうに見上げる。少女らの意識は、切り取られた海の中深くを潜っていた。
水槽の端から端を泳いでいく魚たちに誘われるように、二人は順路を歩いていく。途中途中、壁に埋め込まれた小さな四角い海を見つける度、言葉を交わさずとも立ち止まって並んで眺める。たくさんの魚で作り上げられた道を歩いていく姿は、海の中をゆったりと泳ぐ魚のそれによく似ていた。
長い時間をかけ、少女と少年はようやく水槽の群れを抜けた。薄暗い通路の先、青色に照らされた場所を目指し歩みを進める。しばらくして、その色のすぐ前に辿り着いた。
薄暗闇に包まれた通路の先には、大きく開けた空間が広がっていた。今まで通ってきた展示室とは比較にならないほど広々とした部屋の大きな一面に、アクリルガラスがはめこまれている。十数メートル先の天から降り注ぐ光が、薄闇に水の色を映し、世界を青に染める。自分たちも水槽に入ってしまったのではないかと錯覚してしまいそうになる空間だった。
視界いっぱいを埋める水槽の中を、色とりどりの魚が泳いでいく。赤、黄、青、銀、黒。多種多様な色が、水の中を舞い踊る。大小様々な影の黒がアクセントのように散っていた。
輝かしい世界を目の前に、二人は息を呑む。細い二対の足は、地に縫い付けられたように止まっていた。すごい、と溜め息のような細い声がどちらともなくあがる。返事をする者などいない――こんな光景を目の前にして、返事をすることなど不可能だった。
タン、と少女は一歩踏み出す。今の今まで走らぬよう気を付けていたことを忘れ、グレイスは軽やかな足取りでガラスの前まで駆けていく。それほどまで、彼女はこの水槽が産み出した空間に魅せられていた。
「始果! 見て見て! すっごい大きい!」
弾んだ声で少年の名を呼び、少女は己の遥か上を指差す。山吹茶の視線が指の先へと吸い込まれると共に、大きな影が二人を覆う。グレイスが指差した先には、水中を悠々と泳ぐ大きな魚があった。堂々たる姿は、この水槽の主であることを思わせるものだった。
「そうですね……! 何という魚なのでしょう」
大きく目を見開き、始果も弾んだ声で返す。普段は表情の変化に乏しい彼だが、今この瞬間は高揚していることがよく分かる声と表情をしていた。
二人で水槽の下部を見回し、内部の魚について書かれたプレートを探す。二人の少し右、水槽内の光を受け鈍く光る板には、鮮やかな写真と共にサメの一種だという解説が細かな字で記されていた。さめ、とふたつの小さな声が重なる。創作物でよく見る凶暴な姿と、今目の前を雄大に泳いでいく姿は、同じ名を冠するものとは到底思えなかった。
ゆったりと泳ぐ主の脇を、ひらひらと何かが飛んでいく。先ほどの解説の隣に書いてあったことから、エイの一種だと分かった。ふわりふわりと薄いひれを動かし泳ぐ姿は、空を飛び舞う鳥を思わせるものだった。
「あ、これ知ってる。ライオットが釣ってくるやつね」
泳ぐ小さな魚の群れの一つを指差し、グレイスは言う。こんな非現実的な世界の中に身近な存在がいたのが嬉しいのだろう、どこか得意げな響きをしていた。
「……そうなのですか?」
「そうでしょ。あんたも前に釣ってきたじゃない」
こてんと首を傾げる始果に、少女は一転して不満げな声を漏らす。言葉の意味と何故関わってしまった声の調子に、少年は今一度首を傾げた。以前、早朝ライオットに捕まり釣りに出掛けた記憶はあるが、どんなものを釣ったかなどさっぱり忘れていた。そも、今日この時まで魚に興味など無かったのだから覚えているはずなどない。
「この小さいのがイワシでしょ。で、あっちのちょっと大きいのがアジ」
どっちもあんたが釣ってきたんじゃない、と呆れる躑躅に、狐は小さく笑みをこぼす。己の記憶は曖昧でぼやけたものだが、彼女が己以上に己のことを覚えていてくれたことが嬉しいのだろう。何笑ってんのよ、と唇を尖らせるグレイスに、始果はいえ、と一言返す。ふん、と拗ねたように鼻を鳴らし、少女は再びアクリルガラスの向こう側を見上げた。
「……本当に綺麗」
ほぅ、と桜色の唇から溜め息が漏れる。感動の熱がこもった幸せな響きをしていた。少女の声に、少年もは、と息を吐く。同じく、幸に彩られた響きだった。
二人並んだまま、水槽内を視線で泳いでいく。スピネルとアンバーに映し出される世界は、彩る魚たちによってくるくると表情を変える。その度に、二つの小さな口から感激の声が漏れた。
「ねぇ、次! あっち!」
たっぷり十数分。広い広い水の世界を堪能したグレイスは、始果の袖をくいくいと引っ張り暗闇を指差す。すぐ近くには順路の文字と矢印記号が書かれたプレートがかかっていた。大きな尖晶石の目をキラキラと輝かせはしゃいだ声をあげる愛しい人の姿に、少年は幸に満ちた笑みを浮かべた。
えぇ、と返し、今にも走り出してしまいそうな少女に引かれるままに始果は歩み出す。彼の足取りも、普段よりずっと軽やかで弾んだものだった。
青に照らされる薄闇を進む中、不意に少女は振り返る。先ほど見た鮮やかな長い尾びれのように、マゼンタの癖の強い髪がふわりと舞った。青に照らされるそれは、彼女の瞳とよく似た色合いに姿を変えていた。
「始果も楽しそうでよかった」
そう言って、グレイスはふわりと笑う。ああやってはしゃいでいたが、自分ばかり楽しんでいて大丈夫なのかと不安だったのだろう。先ほどの少年の笑みを見て、やっと安堵したのだ。同じしあわせを共有している喜びがそこにあった。
「……えぇ。とても」
普段通りゆっくりとした調子で返す狐に、モルガナイトの瞳が柔らかな弧を描く。つられて、ヘリオドールの瞳もそっと細められた。どちらも、幸福の色を映していた。
軽やかな足音を立て、少年と少女は少し急いだ調子で歩く。ふたつの小さな影が、たくさんの水槽で彩られた光る通路に吸い込まれていった。
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#はるグレ