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No.132

神として在らんことを【神+十字】

神として在らんことを【神+十字】
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五月十日はGottの日!
ということで神様と十字さんの話。足し算のつもりで書いたけど向ける矢印の重さが腐向けのそれな気がしてならない。ご理解。
神様ってなんだろうねって話。

 深い水底に沈んでいたものが、うっすらと自我を取り戻していく。身を包む黒く温かなものを振り払い、世界を認識する機能は光差す水面へとゆっくり浮かんでいった。
 色の薄い瞼がひくりと揺れる。いくらかの動きの後、若草の睫でステッチされた白い帳が持ち上がった。透ったそれの向こう側から姿を現した浅葱は、眠気にけぶりぼやけた色をしていた。
 カーテンの裾から差す陽光が視覚を刺激する。ガラスの向こうで鳴く鳥の高い音が聴覚を刺激する。小麦が焼ける甘くも香ばしい匂いが嗅覚と起き抜けの胃袋を刺激した。
 あぁ、もう朝か。ようやく世界を再認識し、青年は指でまだ重苦しい目元をこする。肌と肌とが擦れ合う触覚が、ぼやける視界と意識を少しずつ晴らしていった。
 あれ、と常の聡明な動きを取り戻せずにいる脳が疑問符を浮かべる。陽の光は新たな朝を迎えた証だ。鳥たちの高い囀りも、日が昇ったという証左だ。では、この胃袋をくすぐり覚醒へと至らす香りは何だろうか。普段目覚める時、こんな香りがすることはない。キッチンに立っている時や皆で食事をするときに味わうそれが、何故ベッドの上で微睡む今伝わってくるのだ。寝起きで解くにはなかなかに難しい謎である。
 しばしの空白、睡魔に足を取られ動きの鈍る頭がひとつの仮説を唱える。まさか。いやそんなことは。胸中で否定を繰り返しながら、蒼は急いで起き上がり隣を見る。いつもならばそこに散らばる鮮烈な緋色はどこにもない。あるのは、綿いっぱいの白い枕一匹だ。
 起き抜けの頭を焦燥感が塗り潰していく。投げ捨てるように布団から抜けだし、青年は転げ落ちるようにベッドから飛び出て部屋を出る。バタバタと彼らしくもない忙しない足音は、一直線にダイニングへと向かっていった。
 勢い良くダイニング、そしてキッチンへと続く扉を開く。盛大に響いた音に、窓際、調理台の前に立った黒い肩がびくりと跳ねるのが見えた。動揺を露わに、慌てた調子で細い身が翻る。ふわりと揺れる赤の向こう、丸く瞠られた紅水晶の中に、焦りでふるふると揺れる藍水晶が映し出された。
「あぁ、おはよ」
 視界に飛び込んできた色に、紅は見開いた目を柔らかく細める。朝の挨拶を歌う口元は穏やかに解け、奏でる音色は愛おしさに満ちていた。愛する者の下に新しい朝が訪れたのを祝福する響きだった。
「……おはようございます」
 機嫌の良さそうな敬い奉るべき者()の姿に反し、唯一の信者(ニンゲン)はぐっと眉根を寄せる。しかめられた顔も、詰まったように一拍置いて返す声も、どちらも酷く気まずそうなものだ。当たり前だ、己の寝坊が原因で信仰対象に朝食を作らせるなどという事態を起こしたのだ。後悔に苛まれ、罪悪感に心が刺し貫かれるのも必然である。
「タイミングいいな。ちょうど飯できたとこだ。食おーぜ」
 手にしたトングを軽く振り、紅い神は弾んだ声と弾ける笑顔を向ける。眩しいほどのそれがまた蒼い青年の罪悪感を煽った。槍となった暗い感情が、グサグサと小さな心を突き刺す。痛みが表情に出ていたのだろう、目の前の明るい表情が不思議そうなものへと移り変わった。
「どした? まだ眠い?」
 調理器具をまな板の上に置き、紅は大股でドア、そこに立ち尽くす蒼へと向かう。そう広くない室内では、ほんの数歩進んだだけで二人の距離は触れそうなほど詰められた。
 普段は黒いグローブに包まれた手が持ち上げられる。寝癖ついてら、と大きなそれが少し跳ねた花緑青を撫でる。声も眼差しも手つきも、どれも親が子に向けるそれとまるきり同じだった。
「あ、ぁ、いえ、何でもありません」
 きゅるりとした瞳でこちらを覗く彼に、焦った調子で言葉を繕って返す。ようやく眠気の霧が晴れたターコイズの瞳は、ゆらゆらと揺れていた。依然残る後悔と罪悪感、幼子のように扱われる羞恥と心地よさがぐちゃりと混ざって胸を染める。うぅ、と子どもじみた音が喉から漏れ出た。
「まぁ、いつもより早いもんな。眠いのも当たり前か」
 そう言って、柘榴石が壁へと向けられる。同じ動きをした孔雀石に、丸い掛け時計が映し出された。
 十二の文字が書かれた文字盤、その上を歩く針は、普段の起床時間よりも二十分は早い時刻を指し示していた。いなくなった紅に慌てふためき時計など見ていなかったが、どうやら休日なのに随分と早起きをしたらしい。それ以上に神を早く起こし、あまつさえ一人で料理などさせたという事実が新たな槍となり胸を刺した。
「冷めちまう前に食おーぜ。顔洗ってきな」
 若芽芽吹くくさはらのような頭を撫で梳かす手が滑り、流れるように頬を撫ぜる。すり、と柔らかな肌を固い指がなぞった。直接の温もりはすぐに過ぎ去り、ぽんぽんと薄い寝間着に包まれた肩が叩かれた。
 はい、と返す声は己でも驚くほど沈んでいた。しょぼくれている、と言った方が正しい音色だ。これではいじけた子どもではないか。あまりの幼稚さに、ぅ、と苦々しい音が喉から落ちた。
 逃げるように足早に洗面所に向かい、乱雑に顔を洗う。早くせねば、せっかくの料理が冷めてしまう。作らせた上に待たせ、冷え切った悲しい食物を摂らせるなんて事態は絶対に避けねばならない。端が濡れた前髪を拭うことも忘れ、蒼は再び廊下を忙しなく走り、もつれるように着替えを済ませてダイニングへと戻った。
 狭い室内、その隅に置かれた二人掛けのテーブルの上には、四枚の皿と二つのカップが並べられていた。丸く白い磁器二枚には、焼かれた食パンが丸一枚ずつ載っている。残りの二皿には、焼かれたベーコンと野菜が盛られていた。同じく汚れない白の容器の中に入った液体は薄黄金色で、小さな野菜の欠片が浮いている。昨晩作ったスープの残りだろう。
 どれも、己が本当に時間を惜しんだ時に作る簡素な朝食と内容が同じだ。時折調理中に手元を興味深そうに覗いてくることがある彼のことだ、きっと一番簡単なこれを真似たのだ。買い出しを直前にしていた今日は食材の残りがあまりなく、選択肢自体が少なかったこともあるだろう。
「これぐらいしかできなくてごめんな?」
「い、いえ。そもそも、貴方に料理させること自体間違っているのですから」
 申し訳なさそうに眉を八の字に下げる神に、青年はすみません、と謝罪の言葉を返す。途端に、目の前のルビーが鋭く細まった。八重歯がチャームポイントの口元はまっすぐに引き結ばれ、シャープな輪郭を描く頬が幼い子どものように丸く膨らむ。不満がありありと分かる表情だ。
「たまにはこういうことやらせてくれよ。楽しそうなんだし」
 ほら座れって、と紅はすっかり自身の定位置となった席に腰を下ろす。その向かい側、一人きりの頃から使っていた席に蒼も座った。
「あったかいうちに食ってくれよ。頑張って作ったんだしさ」
 へらりとはにかみ、神は願う。記憶が正しければ、彼が一人きりで料理をしたのはこれが初めてだ。手先が器用なのは知っているが、たった一人で全てをこなすのは多少なりとも苦労はしただろう。頑張ったのは本当のことであるのは分かりきっていた。
 それを無駄にすまい。してはいけない。ふるふると軽く頭を振り、青年はではいただきます、と小さく頭を下げた。
 きつね色というにはいささか濃い色味をしたトーストに手を伸ばす。外見から想像された通り、掴んだ縁は普段己が焼くそれよりもいくらか固い。口を開き、行儀良くかぶりつく。パリ、と小気味よい音と香ばしい匂い、固い舌触りと少しの苦みが五感を刺激した。顎を動かし、しっかりと咀嚼する。小麦の甘さの中に焦げた苦みは混ざるものの、美味しい部類に入る。初めて一人で作ったことを考えると、十二分な出来だ。
 香ばしさがよく表れたトーストを噛み締めつつ、苔瑪瑙が向かい側の炎瑪瑙をちらりと窺う。相手も、もごもごと大きな口を動かし食パンを口にしているところだった。自ら手製の料理を見るまなこは不可思議そうに丸くなっている。舌を撫ぜる苦みの原因を理解できないのだろう。『焦げ』の概念をあまり知らない彼にとって、パンとはいつだって甘くて香ばしくて美味しいものなのだから。
 随分と人間臭くなったものだ、と蒼はそっと目を伏せる。出会った頃は食事なと不要、捧げ物の食物など不要、気にするな、と笑い飛ばしていたのに、今では誰よりも食を楽しんでいる。もちろん、街の人々や暮らす仲間たちの前で『人間』に擬態するための行動でもある。しかし、最近では子どもたちと一緒に料理をするほど、料理する己の手元を楽しげに眺めるほど、やりたいと積極的に手伝いをするほど、味覚を刺激するこの文化に強い興味を示していた。
 いいのだろうか。何かが問いかけてくる。悪くはないだろう、と何かが答える。良くもないだろう、とまた別の何かが反論した。
「……まずかった?」
「へ?」
「だって食わねーでずっとこっち見てるし……」
 対面から飛んできた声に、青年は少し裏返った声を返す。思考の海に沈んでぼやけた視界にピントを合わせる。目の前におわす神は、不安げな表情を浮かべていた。眉尻は下がり、きらめくガーネットはほのかに陰っている。漏らす声はしょんぼりとしたものだ。
「そんなことありませんよ」
 これ以上気落ちさせまい、と慌てて否定する。確かに少し焦げてはいるものの、まずいなんてことは欠片も無い。今まで見てきただけ、料理初心者が作ったにしては上出来な仕上がりであった。
「美味しいですよ。ありがとうございます」
 ふわりと笑い、青年は焼かれたにんじんにフォークを立てる。少し厚いそれを運んで一口。表面に黒がポツポツと浮かぶ橙は、中まで火が通っておらず少し固かった。根菜の火通りの確認は難しいから、と心の中で叫ぶ。初心者に十分な火の管理を任せるだなんて無茶である。焼いて食べやすくしようとしただけでも十分な気遣いだ。そも、崇拝する神が作ったものに文句を言うことなど許されない。
 美味しい、と安心させるようにもう一言。手が進んだのもあってようやく安堵したのだろう、ほっと息を吐く愛おしい色が視界を彩った。
 緩やかな会話の中、二人は食事を勧める。対面の皿が一枚空っぽになった頃、八重歯覗く赤い口がなぁ、と問いの音を奏でた。
「今日って洗濯以外になんかやることあったっけ?」
「そうですね……天気がいいですし、掃除して換気もしましょうか」
「分かった」
 用意しとく、と言って、紅はベーコンにフォークを刺す。よく焼かれた薄いそれは、軽い音をたてて割れた。破片をどうにか銀の上に乗せそっと口元に運ぶ姿に、思わず笑みがこぼれた。
 本当ならば家事の手伝いなどさせたくない。何しろ、相手は神様である。そんなことをさせるなど、不敬以外の何物でも無い。しかし、それが神たっての希望ならば話は別だ。望むものをただが人間一人の利己的感情で曲げ捧げないのも、また不敬であった。
 カラトリーの小さな合唱が途絶え、二人分の食器が空になる。片付けは僕がしますね、と蒼は先んじて立ち上がり、机上の食器を重ねて回収した。きょとりと丸くなった緋色がしばし泳ぎ、分かった、といくらか不満げな響きが混じった声が返される。どうやら後片付けまで自分で済ませるつもりだったようである。さすがにそこまでやらせるわけにはいかない、と青年は手早く机上を片付けた。
 重ねた皿をシンクに運び、置かれたままになっていた調理器具とともに洗っていく。パンくずや油が付いた食器類は、水と洗剤によって綺麗に磨かれ元の姿を取り戻していった。
 本当にこれでいいのだろうか。流れる水をぼんやりと眺め、蒼は宙空に問う。ここまで人間臭い生活をさせていいのだろうか。こんな、人間そっくりの生活をして、彼は神で在ることができるのだろうか。願いを叶えるだなんて言い訳をして、己がかの神をヒトに堕としているのではないか。
 様々な疑問が脳内を巡る。疑問というにはいささか語気が強く、責め立てるものだった。答えのないそれが、脳味噌を、心を殴っていく。言い返せない惨めな己は、蹲り丸くなって逃げることしかできなかった。
 彼はニンゲンの生活を楽しんでいる。『ニンゲン』らしさを謳歌している。神でありながら、ヒトを楽しんでいる。それは、本当に幸せと言っていいのだろうか。
「クロワー。準備終わったー」
 正面、窓の外、庭から大声が飛んでくる。まさしく今思い浮かべていた存在が奏でる音だ。どうやら、考え事をしている間に洗濯の用意ができたらしい。ガラス挟んで向こう側の紅は、洗濯道具を抱えこちらに手を振っていた。
「今行きます」
 窓を少し開けてしっかりと聞こえる声で返し、青年は急いで食器をすすぐ。真っ白な磁器には、もう何の色も残っていなかった。




 視界を塗り潰す眩しい青の中、白がいくつもはためく。風に吹かれて揺れる様は、空を流れる雲にも似ていた。今日は青色一色の蒼天なのだから尚のことそれらしく映った。
「つかれたー……」
 疲弊した声が地から上る。紅色は、大きな洗濯かごにもたれかかるように屈んでいた。あー、と濁った声がうつ伏せた真っ赤な頭からあがる。丸い穴に声をあげる姿は、童話のワンシーンを思い起こさせた。
 数日ぶりの洗濯で量が多かったこともあるが、あまりに張り切り一人でたくさんこなそうとしたのが普段以上の疲労の原因であろう。数えきれぬ年月を過ごしてきた存在だというのに、かの者は時折子どものように力配分を見誤るのだから不思議だ。長い眠りから覚め、触れる新たな世界にはしゃいでいるのだろうか。それこそ、子どものように。
「休んでいてもよかったのに」
「二人でやった方がはえーじゃん。効率効率」
 からかいにも似た苦笑を漏らす蒼に、紅は歌うように答える。そうですね、と返し、青年は洗濯ばさみが入った箱を手に取った。本当に効率を求めるのならば、洗濯する者と家の掃除をする者で分担するのが最適解だということは黙っておく。そもそも、それを知っていて二人で洗濯することを選んだ己も大概なのだ。
「掃除の前に一旦休憩しましょうか。紅茶でも淹れましょう」
 蒼の言葉に、洗濯かごの中に突っ込むように伏せていた頭がバッと上がる。やった、と大きな口から可愛らしい声があがった。姿勢悪く屈んでいた黒い身がすくりと立ち上がる。腕には今の今までもたれかかっていた大かごが抱えられていた。片付け茶を嗜む準備万端である。
「あっ! こないだ子どもらと作ったクッキー残ってたよな? あれも食おう!」
 ピンと指を一本立て、神は朗らかな笑みを浮かべる。青空の下つやめく翡翠を見つめる瞳は、名案だ、というようにキラキラと輝いていた。
「……そうですね」
 そうしましょう、と返す声に、やったー、ともう一度歓喜の声が上がる。待ちきれないとばかりに、紅は家の方へと真っ先に駆けていった。厳ついブーツに包まれたしなやかな足が、ザッザと音をたてて若い葉を散らす。風に吹かれ、蒼天に細かな新緑が上った。
 紅茶にクッキー。子どもたちとよく共に食べるそれを、彼はいっとう好んでいた。特に、先日年長の子らと一緒に作ったクッキーはよほど美味しかったようで、まさしく夜空の一等星のように瞳を輝かせていたことを覚えている。湿気らないように厳重に保管しながら、一枚一枚大切に食べているほどだ。
 子どもたちと共に食を楽しんでいる。
 ヒトと共に食を楽しんでいる。
 ヒトのように食を楽しんでいる。
 ヒトのように暮らしている。
 本当に良いのだろうか。また何かが同じ問いを重ねる。本当に、このまま彼はヒトのように過ごしていいのだろうか。ヒトらしく生きていいのだろうか。
 いいのだ、と心の中で呟く。ヒトとの暮らしを忘れてしまうほど長い眠りから目覚めた彼が、こんなにも楽しそうに暮らしているのだ。どこに問題があるのだろう。ヒトじみているのが何だ。こんなちっぽけなニンゲンとの暮らしを、愛慕うべき存在(神様)が楽しんでくれている。崇拝すべき存在(神様)を楽しませている。それの何が悪いのだ。神という万物を超越した存在だけれども、生を謳歌することに悪いなんてことは一切無い。無いはずなのだ、と胸中で何かが叫び声を上げた。
 そうだ、崇め奉るのだ。敬い愛すべきなのだ。そうすれば、彼は存在することができる。それが己ただ一人であろうとも、彼を『神』と観測する者がいれば、彼は『神』で在ることができるのだ。
 大丈夫。大丈夫。青年は小さく頷く。それは小さな子におまじないの言葉をかける時のそれとよく似ていた。
 クロワ。
 愛おしい神が矮小なニンゲンの名を呼ぶ。洗濯かごを脇に抱えた紅は、早く早くと言わんばかりに家の戸の前で大きく手を振っていた。
 今行きます。
 穏やかな声で返し、蒼は身を翻す。 存在を望む者()の下へと、軽やかな足取りで駆けていった。
 家の外、陽光燦々と降り注ぐ庭には、いくつもの白がはためいていた。

畳む

#ライレフ #腐向け

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