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No.144
twitter掌編まとめ3【SDVX】
twitter掌編まとめ3【SDVX】
twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
成分表示:バタキャ+氷雪ちゃん1/恋+奈1/赤志魂1/グレイス1/ニア+ノア1/神+十字1/嬬武器雷刀1/ユーシャ1/雨魂雨1/火琉毘煉1
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大空求めて/バタキャ+氷雪ちゃん
「おそらっ」
「おそら……」
「おーそらっ!」
三匹子猫は上機嫌に歌う。溢れ出る楽しみを表すように、繋いだ手をぶんぶんと振った。
「えっと……お空は……」
はぐれぬようにとしかと掴まれた手の温かさを感じながら、氷雪は頭上のディスプレイをじぃと見やる。白い指で視界いっぱいに広がる液晶をなぞる。たどった『暁光の翼篇』の一文、空きがあるという表示に少女はほっと息を吐いた。
「すぐに体験できるみたいですよ。よかったですね」
やったー、と弾んだ合唱。手にした携帯端末を操作し、電子チケットから辿って案内を見る。色をついて示された場所は、『サンシャインエリア』と書かれていた。こっちです、と小さな手をそっと引く。とてとてと桃が続く。てこてこと蒼が続く。ぱたぱたと雛が駆け出した。
おそらとべたらいいな。
そんな風に空を眺め手を伸ばす子猫たちを眺めて数日。雪女はその姿が気にかかっていた。飽きやすい子猫たちが、あんなに空を渇望している。よほど興味があるのだろう。可愛らしいその願いを叶えてあげたい。自分はその願いを叶える手段を知っている。悩みに悩んだ末、雪女は勇気を振り絞って言ったのだ。『ヘキサダイバーでお空を飛べるみたいですよ』と。
そうして現在地、ヘキサダイバー内中央ロビー。手を繋いだ氷雪、桃、蒼、雛の四人は、受付を済ませサンシャインエリアを目指していた。人が賑わう通路でも決してはぐれぬようにと、四人はしっかりと手を握る。邪魔にならないように道を進み、該当エリアの出入り口に辿り着いた。
少女は全員分の電子チケットをかざし、手を引き連れ立って中に入る。開けた空間には、扉が立ち並んでいた。チケットに表示された番号の部屋に入れば、『仮想現実』が始まる手はずだ。少しだけ慣れた調子で氷雪は劇場内を歩く。二度目なのだから勝手はまだ分かっている方だ。
おそらおそらと歌う子猫に、雪女はふわりと笑みをこぼす。短くはない時間彼女らを見てきたが、ここまではしゃいでいる姿はあまり見ない。本当に喜んでいるようだ。誘ってよかった、と心の底から安堵する。
「ひゆきおねーちゃんはなにになるの……?」
ぴょこりと横から飛び出た蒼がこちらを見上げ尋ねる。え、と氷雪は声を漏らした。
「ももたちはきゅーぴっとさんですよ!」
「ひゆきおねーちゃんは? ひゆきおねーちゃんもきゅーぴっとさん?」
「えっと……、決められなかったので『おまかせコース』にしました」
興味津々の様子で見上げてくる三色三対の瞳に、花緑青の目がぱちりと瞬く。困ったような笑みを浮かべた。
ヘキサダイバーは様々な望みや物語を体験できる場所だ。けれども、望みがいつだってはっきりしているわけではない。漠然と希望はあれど、明確なビジョンが見えぬ者だっている。そのために用意されているのが『おまかせコース』らしい。登録情報や事前アンケートの内容によって、希望に近い世界を自動で選択してくれるのだ。本当ならば説明してやりたいが、内容は体験してからのお楽しみ、らしい。
「あとでひゆきおねーちゃんのどんなのだったかおしえてね!」
「きになる……!」
「しりたいです!」
ぴょこぴょこと興味津々な様子で耳を動かす三色猫に、雪色は分かりました、と微笑む。自分もどんな世界なのか楽しみだ。もちろん、体験したそれを少しぐらいは語りたい。それが彼女らの楽しみの一つとなるのならば尚更だ。
「ここのお部屋ですよ。いってらっしゃい」
電子チケットをかざすと、ピ、と電子音が短くあがる。大きな扉が、仮想空間に繋がる扉が開いた。
いってきます、と大合唱。大きくてと尻尾を振って、子猫たちは扉の中へと入っていく。はしゃぐ小さなその背に手を振り見送った。
プシュン、と自動ドアが閉まる。振っていた手を下ろし、少女は己のチケットを再度見る。示された番号は、すぐ隣の部屋だ。これなら終わってすぐに合流できるだろう。歩きながら考える。
この先にあるのはどんな物語だろう。『おまかせコース』は『空を飛ぶ』という望みをどんな風に叶えてくれるのだろう。
期待と少しの不安を胸に、氷雪は扉を開く。蒼天を映した大きなディスプレイが少女を迎えた。
夏の足音聞きながら/恋+奈
悩ましげな呻り声が店内の片隅に落ちる。少女は眉を寄せ、真剣な顔つきで手にした二つの衣装を眺めていた。否、睨みつけると言った方が正しいほどの鋭さである。
「そんなに悩むことかしら……?」
目の前に衣装を二着掲げられ、空中で体躯に合わせられる奈奈は戸惑いの声をあげる。眉は困ったように八の字を描き、七色の瞳はぱちぱちと瞬いている。白いヘッドドレスに彩られた小さな頭がゆるりと傾いだ。
「悩むわよ! だって奈奈が着るのよ? 最高のを選ばなきゃ……!」
親友の問いに、恋刃は鋭い声を返す。気迫と使命に満ちたものだった。少なくとも、ショッピングモールの水着売り場で見せるようなものではないほど。
水着を両手にうんうんと唸る赤い親友に、七色の少女は依然困ったように笑う。己のことのように、否、己のこと以上に悩む姿には嬉しさを覚えてしまう。けれども、その可愛らしい顔に眉間に深い皺を刻んでまですることだろうか。どうしても疑問が思い浮かんでしまう。
「でも、前に着たのが四着もあるのよ? 今年はその中から選べばいいんじゃないかしら?」
以前ジャケットの撮影に使った水着は、その後運営陣からプレゼントされていた。どれも撮影と友人らと遊びに行くのとで数回しか着ていないものだ。どれも美しいものなのだから、何度か着ねばもったいないのでは無いだろうか。
「ダメよ。数年前のだからもうサイズが合ってないかもしれないし、どうせ海に行くならもっとお洒落してもらいたいもの」
水着姿の奈奈を見られるなんて年に一回ぐらいなんだから、と恋刃は真剣な瞳でこちらを射抜く。そんなに大事だろうか、と奈奈は再び首を傾げた。
「やっぱり奈奈にはフリルがとっても似合うからフリルが多いのがいいかしら。でもこっちのレースのも大人っぽくて奈奈に合いそうなのよね。そもそも色はどうしましょ。今まで着たのは白か黒だし、合わせるか別の色を選ぶか……」
ぶつぶつと呟きながら赤はいくつもの水着を手に取っては戻していく。これ以上無く熱心に見繕われては、容易に動くこともできない。どうしましょ、と七色は視線を泳がせた。
「そもそも、恋刃はどれにするか決めたの?」
「え? 私?」
奈奈の問いに、恋刃は固まる。紅緋の瞳がぱちぱちと瞬いた。己のことなどすっかり忘れていたことが一目で分かる様相である。
「あぁ……、こないだのでいいかしら」
「もうサイズが合ってないかもしれないし、お洒落した方がいいんじゃなかったの?」
あからさまに濁す親友に、少しだけ強い語調で返す。う、と喉を詰まらせる音が細い喉から落ちた。
予想通りの様子に、少女はくすりと苦笑を漏らす。合わせて見るために少しだけ離れていた足を、一歩踏み出す。両手にハンガーを持った親友はぱちぱちと大きな瞳を瞬かせていた。
「今年は奈奈が選んでもいい?」
少しだけ屈んで、気まずげに泳ぎ瞬く深緋を覗き込む。ね、と小首を傾げると、再び喉がつっかえたような音が売り場に落ちた。
「……選んでくれるの?」
「選ばせて?」
だって、奈奈もお洒落した恋刃をもっと見たいもの。
一転眉尻を下げた友人に、奈奈は柔らかく笑む。本当にいいの、と不安げに問う恋刃に、もちろん、とにこりと笑顔を投げかけた。
「……じゃあ、お願い?」
「えぇ」
薄く頬を染め、赤は願いを口にする。常はハキハキとした彼女らしくもない、少し自信なさげな音色をしていた。揺れる心を落ち着けるように、七色は力強く頷く。タタタ、と駆け出し、水着がたくさん並んだラックの前に立つ親友の横に並んだ。
「この間は黒と赤だったよね? 今年は白か、紅刃さんみたいに赤がいいんじゃないかしら」
「白、私にも似合うかしら……」
「恋刃の綺麗な赤い髪には、白はとっても似合うと思うの」
どこか揺れる声と穏やかな声が交わる。次第に、どちらの音も弾んだ楽しげな響きになっていった。
水着の海の中、少女らは盛んに言葉を交わしあった。夏はすぐそこだ。
じゃのめでおむかい/赤志魂
軽やかにキーを叩く手が止まる。キーボードの上に置かれた手が組まれ、そのまま上方にぐっと伸ばされた。あー、と疲れ切った声が部屋に落ちた。
ファイルを保存し、再生ソフトの一時停止ボタンを押して魂はヘッドホンを取る。少しだけ圧迫されていた耳が軽くなった。はぁ、と肺の中の空気を全て追い出すように重く息が吐かれた。
パタ、パタタ。脳味噌に響くような音楽の代わりに、細かな音が鼓膜を震わせる。カーテンの向こう側、窓の外から聞こえるのは水が地を叩く音だ。おそらく、雨が降っているのだろう。作業に没頭していて気付かなかった。
ふっと脳内に青色が浮かぶ。普段は長い前髪で目を隠すいささか内気な旧友。雨の中ではハイテンションで粗野になる知己。雨傘片手に――時にはその身一つで雨空の下に飛び出す腐れ縁。常はおどおどした、雨の中では無鉄砲な紫陽花を思わせる青がよぎった。
時計を見る。時刻は、日付が変わる二時間前を指していた。この程度の時間なら、きっと彼は雨空の元へと駆け出していっているだろう。時計も持たず、下手をすれば傘すら差さずに、この寒空の下へと走るのだ。
容易に想像できる姿に、少年は苦笑を漏らす。雨の中哄笑し駆け回る友人も、ただの天気と腐れ縁をすぐに結びつけてしまう己も、なんと単純なのだろう。はぁ、と呆れを含んだ溜め息が漏れた。
ぐっと伸びをもう一度。キャスター椅子を引き、蒲公英色の少年は立ち上がる。作業に疲れた頭は、糖分を欲していた。どうせなら、温かいものがいい。ココアでも淹れよう、とキッチンへ向かった。
手慣れた調子で砂糖たっぷりのホットココアを作り、部屋に戻る。迎えたのは、ザァと風と水と風が奏でる強い音だった。どうやら、この短時間で雨脚は随分と強まったらしい。窓越しにこれだけ聞こえてくるのだから、よほどの勢いだろう。
再び、青が――今現在、雨空の下にいると確信できる青が脳裏をよぎる。最近の気温は高いとは言い難い。雨降る夜なら尚更低くなっているだろう。そんな中に飛び込み、雨粒に身を打たれ濡れに濡れて楽しむのだ、あの雨馬鹿は。
赤と緑、一対の目がぐ、と眇められる。甘いココアを味わうべき口は、横一文字に結ばれていた。
あの馬鹿が降りしきる雨の中どう行動しようが知ったことではない。けれども、そのせいで風邪をひかれては困るのだ。真面目で成績優秀な彼から宿題や授業内容を教えてもらえないのは、学生生活に多少の支障を来すのだ。
そうだ、己のためなのだ。言い聞かせるように反駁し、魂は手にしたマグカップを机の上に置く。部屋着の上に、撥水効果を持った厚手のパーカーを羽織る。手際よく準備を済ませ、踵を返し部屋から出た。
靴箱から雨靴を取り出し、傘を二本持つ。家の鍵をポケットに入れ、施錠されている玄関ドアを開けた。途端、バタバタバタと降り注ぐ雫が地を強く叩く音が耳に響いた。
パーカーのフードを被り、傘を開く。そのまま、少年は雨夜空へと飛び出した。ビニールを雨が穿つ音が響く。あまりにもうるさいそれに、雨空の下躍っているだろう腐れ縁に、こんな夜中にわざわざ雨傘二本持って家を出た己に眉根を寄せ、魂はバチャバチャと水張るコンクリートの上を早足で進んだ。
吹きつける風の中、独特な高い笑声が聞こえた気がした。
「次は並盛りデスネ!」「無理……」/グレイス
ゴトン、と重い音が目の前であがる。同時に現れた巨大な影に、グレイスはぎゅっと唇を引き結んだ。そうでもしなければ、短い悲鳴をあげてしまっていただろう。それほどまでに、目の前の存在は凄まじいものだった。
深い赤に白で縁取られたどんぶりは、己の手をめいっぱい広げて尚端に届かないほどの直径だ。両手でなければ到底持ち上げられないであろうそれの中は、野菜で満ちていた。真っ白なもやしと色鮮やかなキャベツがこんもりと山を成している。トッピングではなく、まるでそれがメインであるかのような高さだ。その斜面にもたれかかるように、小指の爪ほどあるのではないかという厚さのチャーシューが載せられている。ラーメンだというのに、どんぶりの中には麺もスープも見えなかった。野菜炒めと言われた方が納得がいくビジュアルである。
少女はごくりと息を呑む。食欲由来のものではない、完全に圧倒されてのものだ。当たり前だ、こんなもの圧倒されるに決まっているではないか。注文したのはメニュー表で『初心者向け』と書かれていたミニラーメンなのだ。『小さい』という意味を持つ語を冠したものからこんなものが飛び出てくるとは思わないではないか。予想外の事態に、凄まじい存在感に気圧されるのも仕方の無いことだ。
ちらりと左隣を見やる。カウンター席には、箸を持ち手を合わせる二色の双子の姿があった。彼らの目の前にあるのは、己のそれを二回り、否、三回りは大きくしたようなラーメン――ラーメンだとは未だ思えないが、店の言葉を信じるのならばラーメンなのだろう――があった。どんぶりは、もはや『どんぶり』と表現するのが相応しくない大きさと深さだ。載っている野菜も、もちろん多い。下手をすれば己のものの五倍はある量だ。まさに『山』と表現するのが相応しい姿である。頂点に載っているキャラメル色の炒め物らしき粒が得体の知れない感覚を更に強めた。何より恐ろしいのが、これで『大盛り』という事実である。『大』と表現するにはあまりにも巨大すぎる存在だ。
う、と喉から迫り上がってくる嗚咽をこぼさないように口で手を押さえ、今度は右隣を見やる。そこにいるのは、双子と同様手を合わせる姉だ。満面の笑みを浮かべる姿は可愛らしいと表現するのが相応しい。けれども、目の前にあるものとあまりにも不釣り合いで、一周回って恐怖を引き起こす様であった。
彼女の目の前に置かれているのも、またラーメンなのだろう。断言できないのは、どんぶりがまるでたらいのような大きさであり、凄まじいそれから見えるのが野菜だけだからだ。それも己や双子のものとは段違い、下手をすれば人の顔一つ分ほどの高さがある野菜の山がそこに存在していた。緑と白の山の麓を飾るようにチャーシューがぐるりと載せられている。凄まじい厚みや煮詰められた濃い色から、崖を思い起こさせる様相だった。兄弟のものと同じく、山には謎の粒が振りかけられている。お子様ランチの旗のように頂点にちょこんと飾られたナルトが、これがラーメンであることを唯一語主張する要素だった。
う、と躑躅はまた口を押さえる。嬬武器の兄弟たちのものでもかなり多く感じる己には、もはや見ただけで胃がもたれる量だ。これがこの店で一番多い『特盛り』らしい。大盛りと特盛りの差が激しすぎるのではないか。そんなどうでもいい疑問が湧き起こる。完全に現実逃避であった。
「いただきます!」
両隣から元気の良い声が響く。夕方、学生たちで賑わい騒がしさすら覚える店内でもよく通る声だ。この恐ろしい物体を目の前にしているとは到底思えない、元気いっぱい、食欲いっぱいの声だった。
ちらちらと隣に視線が向く。合掌を済ませた三人は、思い思いに食べ始めていた。大きく箸を開き、野菜をむんずと掴み取り、口に運ぶ。山の下に箸を入れ、埋まった麺を力強く引きずり出して啜る。添えられたレンゲを使い、スープを飲む。作法はラーメンのそれだった。
ごくりと息を呑む。そうだ、これはラーメンなのだ。今は野菜しか見えないが、恐らくこの下には麺があるだろう。放置していたは伸びてしまう。食べるなら、美味しい状態で食べるべきだ。たとえそれが未だ『ラーメン』と信じられない存在であっても。
「…………いただきます」
手を合わせ、食事の挨拶を口にする。箸入れから一膳取りだし、グレイスは目の前の山と対峙する。震える手で箸を操り、山目掛けて突っ込んだ。
騒がしい店内に食事の音が満ち満ちる。夕陽が肩まで姿を隠した頃、元気の良いごちそうさまの挨拶が三つ、力ない合掌の音が一つカウンター席に響いた。
たいへんよくたべました/ニア+ノア
ゆっくりと進む足音。調理器具が料理をすくう音。食器が盆に載せられる音。机に盆が載せられる音。椅子の足が床を擦る音。高揚した子どもの声。授業中の静けさはどこへやら、昼の教室内は賑やかしくなっていた。
教室の真ん中、こくりと息を呑む音が二つ落ちる。双子のニアとノアだ。いつだって元気で可愛らしい表情を浮かべる幼いかんばせは、今は随分と強張っていた。小さな手は、緊張でぎゅっと握られ膝の上に置かれている。長い青髪を飾るリボンカチューシャは、心なしかへたりと力を失っているように見える。
今は午前の授業が終わり、給食の時間だ。二人の目の前には、昼食が載った盆が置かれていた。白いプラスチックの食器には、栄養バランスの考えられた給食が綺麗に並べられている。底の深い二つの器には、ツヤツヤの白米と湯気を立てる味噌汁。大きな皿には主菜のハンバーグと付け合わせの野菜。飲み物は定番のパック牛乳。シンプルながらも、食欲をそそる品々だった。
大好きなハンバーグを目の前にしているというのに、兎たちの表情は依然強張ったままだ。瑠璃紺の瞳は、大きく存在を主張する主菜ではなく、その傍らに転がる副菜と、なみなみと注がれた汁物碗に吸い込まれていた。
今日の給食は白米、茄子と油揚の味噌汁、ハンバーグ、ミニトマト、牛乳。
そして、双子兎は茄子とトマトが大嫌いだった。特に、火を通していないものは。
うぅ、と引き結ばれた小さな口から唸りが漏れる。抗うような音だ。抵抗できないことを知っているからこそ出た音だ。
嫌いなものなら、友達に頼んで食べてもらえばいい。けれども、今月の二人にはその選択が出来なかった。
二人は知っている。献立表に『今月の給食は烈風刀のイキイキお野菜を使っています』と書かれていたことを。
二人は知っている。烈風刀が忙しい中でも時間を捻出し、どれだけ大切に野菜を育てているかということを。
二人は知っている。彼がテレビのインタビューで『皆に美味しく食べてほしいですね』とはにかんでいたことを。
「……ニアちゃん」
「……がんばろ、ノアちゃん」
妹兎が硬い声とともに、隣の青く長い袖を引く。姉兎はその手を解き、己の手を重ねた。同じ大きさの手がきゅっと握られる。勇気を分かち合う姿だった。
「手をあわせましょう!」
給食係が大きく声をあげる。パシン、と手を合わせる音が教室内にいくつも響く。繋いだ手を解き、青兎も袖から手を出しパチンと合わせた。
「いただきます!」
大合唱が響く。箸を持つ音、食器を持つ音、パックにストローを刺す音、野菜が噛まれる音、汁物を啜る音。食事の音色が教室を彩った。
箸を取り、双子の少女は今一度息を呑む。覚悟を決めるためだ。す、と息を吸い、は、と吐く。小さく頷き、二人はミニトマトを掴んだ。『ミニ』という割にはいささか大きく見える赤を、ひと思いに口に放り込む。意を決して、噛み締めた。
まず広がったのは青臭さだ。野菜特有の香りが、口の中を占拠する。続いて、張った皮が破裂しどろりとした何かが流れ込んでくる感覚。舌の上を、生暖かい液体が支配していく。青臭さが一際強くなったように思えた。泣きそうになりながら、どうにか咀嚼していく。剥がれた皮が残る感覚、中途半端に硬い果肉の歯触り、ところどころに散らばっては挟まってくる小さな種の食感、ゼリー状の内容物が舌の上を撫でていく味。最悪と表現するのが相応しいものだ。それでも、どうにか全て飲み下した。
敵は一人倒した。残るは、ただ一人だ。
汁物碗を持つ。浮かぶ紫色の物体を箸で掴み、震えながらも口に入れた。
これまたどろりとした食感。好きな者は『とろける』といった表現をするのだろう。嫌いな二人からすれば『どろどろ』と掴み所がない、けれども妙に存在感を発揮する舌触りだ。口に入れた途端分離した皮の固いような柔いような表現しがたい食感も、また奇妙さを感じさせた。小さい青い眉がぎゅっと寄せられる。素材そのままのミニトマトとは違い味は味噌で誤魔化されているものの、食感はどうにもならなかった。その上、赤いあいつと違って碗の中に細かなものがいくつも浮いている――つまり敵の数が多いことが問題だった。
熱い汁を一緒に飲み、時折油揚げで箸を休めながら、どうにか胃に収めていく。せいぜい二〇〇ミリリットルほどの汁物だというのに、何リットルも飲まされているかのように錯覚した。
ぷは、と少女らは同時に息を吐く。両手で持ち上げた碗の中身は空っぽになっていた。つまり、勝利である。
「ニア、ちゃんと食べたよ……ノアちゃん……」
「ノアもちゃんと食べたよ……ニアちゃん……」
食事中とは思えぬほど疲弊しきった声で、双子兎は互いを讃え合う。牛乳パックにストローを刺し、中身を一気に吸い上げる。口直しだ。野菜の青臭さと何とも言えない舌触りを早く忘れ去ってしまいたかった。
何にせよ、敵は全員倒した。残るは、大好きなハンバーグだ。
苦しげに寄せられていた眉が解ける。険しげに細められた目がキラキラと輝きだす。箸を持つ手に力がこもる。しなりとへたったリボンカチューシャがピンと立った。
「いただきます」
自然と言葉が漏れる。自然と表情が緩む。プラスチックの箸が、ケチャップが掛けられたハンバーグを切り分け、口に運んだ。よく焼かれた肉に歯を立てる。瞬間、油特有の甘さとケチャップの甘じょっぱさ、香辛料のほのかな刺激が口内に広がった。おいしい、と二人同時にこぼす。大嫌いな野菜を倒したあとのお肉は、何よりも美味しかった。
ハンバーグを食べ、ご飯を食べ、またハンバーグを食べ、たまに牛乳を飲み。兎たちは好きなものだけ残った給食を楽しむ。あれだけ強ばり険しかった表情は、すっかり解け明るいものとなっていた。
時計の針は進んでいく。規定の時間になり、給食係が再び手を合わせることを促す。パックの中身を全て飲みこみ、二人は空になった食器の前で手を合わせた。
「ごちそうさまでした!」
元気な合唱が教室に響き渡る。双子兎の元気な声も混じっていた。
挨拶を終え、食べ終わった者から食器を片付けていく。皿と碗、盆を配膳台の所定の位置に重ねていく。席に戻ると、ニアは妹の袖を引いた。
「……あとでれふとに『給食のお野菜おいしかったよ』って言いに行こ」
「……行こっか」
本当は、自分たちの味覚には『美味しい』なんて到底言えない。けれども、彼が丹精込めて作った野菜は家で食べるものよりもずっと苦労せず食べられた気がした。それはきっと、『美味しい』からなのだろう。今の自分たちにはまだ分からないけれど。
大人になったら分かるかな。
そんなことを考えながら、双子兎は細い足をぷらぷら揺らす。靴に付いた兎の耳が、同じ動きでふるふると揺れた。
真相は腹の中/神+十字
「そういえば、貴方って胃はどうなっているのですか?」
スープを飲み干し、青年は対面に疑問を投げ抱える。向かい合った紅は、口の中の食物を飲み込み首を傾げた。
「い?」
「食物を消化する器官です。物を食べられるということは、貴方にもあるのでしょうか」
語りかける目の前の存在は、人間ではない。生命活動――『生命』なんて言葉で表していいのか分からないのだけれど――する上で食事や睡眠を必要としない、神という存在だ。
そんな彼だが、最近では食事の楽しみに目覚めつつある。朝起きて食べ、昼語らって食べ、夜共に料理して食べる。人間のように三食、場合によってはおやつまで食べる毎日を過ごしている。
食事を必要としない。つまり、消化活動する必要が無い。内臓が存在していない可能性はある。けれども、彼は人間のように食事を摂っている。それらは一体どこに消えているのだろう。ふと浮かんだ疑問であった。
「どうなんだろ……」
指に付いたパンくずを舐め取り、神は依然頭を傾ぐ。思案と懐疑を表すように、真紅の瞳がぱちぱちと瞬いた。
「なぁ、その『い』ってニンゲンのどの辺りにあんの?」
「え? えっと、このあたりでしょうか」
突然の言葉に、蒼は戸惑いながらも胸の下あたりを撫でさすって示しながら返す。同じ動作をしてから、よし、と元気な声をあげて紅は立ち上がった。黒いブーツに包まれた足は、台所へと向かっていた。食事はまだ途中だというのに、何故だろう。どうしたのですか、と青年もその背を追った。
ごそごそと棚を漁る音。よし、という言葉とともに立ち上がったその手に握られていたのは、包丁だった。洗ったばかりのそれが、朝日を受けてキラリと輝く。この間研いだところだから、切れ味の良さは抜群だ。硬い手が、柄を逆手に持つ。銀の刃を、尖った切っ先を、己の腹へと向けた。
凄まじい勢いで背筋を寒気が走っていく。考えるより先に足が動いた。身体へと狙いを定めた手を、力いっぱい叩きつける。大して強く握られていなかったのか、凶器は硬い音をたてて床に落ちた。
「何をしているのですか!」
肺の空気全てを使う勢いで声を発する。人生で一度も出したことのない怒声だ。悲鳴とも言い換えられる響きをしていた。近所付き合いを重んじる彼らしくもない、近隣住民への迷惑など欠片も考えていないほどの声量をしていた。
凶行を働こうとしていた張本人、目の前のルビーはきょとりと丸くなっていた。そこに悪意といった負のものは一切見られない。子どものような純粋さだけが輝きの中にあった。
「だって、『胃』ってやつがあるかどうか知りたいんだろ? 裂けば分かるじゃん」
「ば――」
馬鹿、と不敬にも罵る言葉は途中で消えた。絶句するしかない返答であった。あるか分からない。ならば見ればいい。確かに単純明快ですぐさま解決できる手法だ。けれども、決して人体でやるべきではない対処法である。
「死んだらどうするのですか!」
「腹掻っ捌いたぐらいで死なねーよ」
当然だろうといった調子の声に、青年は言葉を詰まらせる。その通りだ。相手は『ニンゲン』なんて腹を裂いた程度で死ぬような脆弱な存在ではない。『神』という死という結末が存在しないに等しい者なのだ。刃が通ろうと死なない。流す血などない。食事を必要としない。睡眠を必要としない。酸素を必要としない。そんな高次元の存在なのだ。
そうですけれど、と返した声は苦々しいものだ。分かっている。目の前の存在が人ならざる者だとは分かっている。肉体的に死ぬことはない存在だと分かっている。けれども、己と同じ形を取っているだけで、同等の存在扱いしてしまう。敬い奉る存在に対してあまりにも礼節を欠いた行動だ。
すみません、と謝罪の言葉は呟くようなものになってしまった。これでは拗ねた子どもではないか。あまりの幼稚さに、ギリと奥歯を噛み締めた。
気にしてねーよ、と神は手を振って笑う。人間の愚行を咎める気はないようだ。安堵とともに、罪悪感が胸を染める。己の愚かさを見逃されるのは、なんだか恐ろしかった。
「んじゃ、改めて――」
「いえ、いいです。やめましょう。さっきのことは忘れてください」
再び包丁を取ろうと屈む身体より先に、床に落ちた凶器を取る。手早く水で洗って拭き、棚の中に片付ける。封をするように、その扉にもたれかかった。
「いいの? 気になるんだろ?」
「えぇ。いいです。もう大丈夫ですから」
問いかける神に、人間は笑んで返す。ぎこちないものだった。目の前の者はそうでも言わねばまた腹に刃を突き立てんとするような存在なのだ、ぎこちなくもなるだろう。
そっか、と素直に頷き、紅は歩き出す。騒動ですっかり忘れていたが、食事の最中だったのだ。食べ物は無駄にしてはいけない。料理したからには、食べきる義務がある。それがどこに消えていくのか分からなくとも。
慌てて背を追い、各自の席に座る。二人一緒に残ったパンに手を伸ばし、齧り付いた。
焼けたパンの表面が砕ける小気味良い音が、朝のダイニングに響いた。
季節変わり、染み渡り/嬬武器雷刀
タオルの隅と隅を持ち、大きく振り上げ勢い良く下ろす。水気たっぷりのそれが、パンと軽やかな音とともにまっすぐに広がった。
皺の減ったそれを吊し、また新たなタオルを伸ばし、吊し、伸ばし、吊し。慣れた様子で作業をこなしていく。二人分の洗濯物が入ったかごの中身はどんどんと減っていった。
バスタオル二枚干したところで、雷刀は大きく息を吐く。洗濯物干しなど、普段なら苦ではない。けれども、今日はさすがに気が滅入った。なにせ、日差しも強ければ気温も高い。今朝のニュースによれば、猛暑日になるとのことだ。午後の強い日光が降り注ぐベランダは、蒸し暑さで満ちていた。
あっつ、と萎れきった声を漏らし、少年は洗濯物から視線を逸らす。コンクリートと鉄パイプで構成された欄干の向こう側、兄弟二人で暮らす部屋の外には青空が広がっていた。絵の具をチューブから出してそのまま塗りたくったような、目に痛いほどの青だ。視界いっぱいに広がるその中に、雲の白など欠片も見当たらない。世界は青色で染め上げられていた。
階下から音が湧き上がってくる。蝉の音だ。短い生を受けた虫たちは、空間を支配せんとばかりに鳴き声を上げていた。
焼かれるような強い日差し。湿度を孕んだ熱い空気。青一色の広大な空。うるさいほどの蝉の音。
「夏だなぁ……」
夏の要素全てを詰め込んだような風景に、朱はしみじみと呟く。肌身に感じる四季に、先ほどまでの沈んだ様子は薄れていた。いっそ感嘆の色が見て取れるほどだ。
ふぅ、と息を吐く。このまま立ち尽くしていては、夏の空気に焼かれるだけだ。早く終わらせ、クーラーのよく効いた室内で冷たいアイスでも食べたいものである。よし、と漏らし、まだ中身が半分はある洗濯かごの中に手を突っ込んだ。
タオルを広げて干し、Tシャツをハンガーに掛けて干し、下穿きや靴下をピンチに挟んで干し、ズボンを吊して干し。茹だるような空気の中、少年はテキパキと作業をこなしていく。ヘアピンで留めて晒した額に汗が浮かぶ。珠となったそれが、形を崩して流れ肌を伝った。腕を持ち上げ、シャツの袖で乱暴に拭う。黒いシャツの一部が、一層深い闇色に染まった。
全て干し終え、雷刀はぐっと身体を伸ばす。何度も屈んでは伸びを繰り返した腰は、強い疲労を訴えていた。猛暑の最中頑張って仕事をこなしたこの身を早く労ってやろう。アイスというご褒美を与えてやろう。そんなことを考えながら、少年はかごを片手にベランダを出た。
ガラス戸を閉め、日を通す薄いカーテンで覆う。クーラーが正常に稼働している室内は、外とは比べものにならないほど涼しい。これこそ、人間が暮らすに適した温度だ。ほぅ、と思わず溜め息が漏れた。
かごを洗面所に戻しに行こうと、廊下へ続く扉へと向かう。もうすぐノブに手が届くというところで、ガチャリと音をたてて目の前のドアが開いた。
「ただいま帰りました」
「おー。おかえり」
現れたのは、朝から農園へと繰り出していた烈風刀だった。つばの広い麦わら帽子の下にある顔、その白い頬には少しだけ泥が付いている。夢中で作業をしていたことがよく分かる姿だった。汚れてんぞ、と頬を示してやる。あぁ、と漏らし、彼は首に掛けたタオルで薄く塗られた土を拭った。
「やっとスイカが穫れたんです。冷やして夜に食べましょう」
ほら、と弟は傍らに抱えていた緑と黒の球を掲げる。こぶりではあるが、良く張りツヤのある姿はスイカらしさに満ちていた。球の向こう側、こちらを見る浅葱の瞳は輝きに満ちている。彼がどれほど甲斐甲斐しく野菜たちの世話をしているかなど、時折手伝う程度の己でも知っている。丹念に丁寧に愛情たっぷり注いだのそれがようやく無事形を成したのだ、子どものようにキラキラと瞳を輝かせるのは無理ないだろう。
真ん丸なそれに、夏を象徴するそれに、雷刀はくすりと笑みをこぼす。
カーテンの隙間から差し込む強い日差し。ガラス戸の向こうの青空。うっすらと聞こえる蝉の声。クーラーの効いた部屋。弟謹製のスイカ。
「夏だなぁ」
しみじみと漏らし、朱はトロフィーのように持ち上げられたそれを受け取る。冷蔵庫入れとくから着替えてきな、と作業服そのままの碧へと投げかけた。ありがとうございます、と弟は踵を返し、リビングを出た。
落とさないようにしっかりと抱え、キッチンに向かう。冷蔵庫の扉を開き、中身を軽く整理し、スイカを中に入れる。青白いライトを浴びるそれは、サイズに反して堂々としていた。
アイスはまた今度にしよう。冷たい甘さは、夜まで楽しみに取っておくべきだ。
夏を象徴するあの味を想起しながら、少年は笑みをこぼす。早く冷えろよ、と頭の中で緑に投げかけながら、白く厚い扉を閉めた。
スタンプカードと蝉時雨/ユーシャ
賑やかな演奏が校庭内に響いていく。鐘と弦楽器が奏でるリズムに合わせて、子ども達の元気の良い歌声が朝の清澄な空気の中広がった。
歌が終わると、今度は男性の大きな声がスピーカーから流れた。ラジオ体操第一、のかけ声に続き、ピアノの音が響き渡る。軽快なメロディに乗るように、弾んだ声が小さなラジオから響いた。
いち、に、さん、し、と音楽に合わせ、カウントアップが始まる。全てに促音が付いたような跳ねる掛け声に合わせ、子どもたちは腕を上げ、広げ、下ろしを繰り返した。
指示と数字に合わせ、ユーシャは身体を動かす。その動きはかなり鈍いものだった。のろのろと腕を上げ、重力に従うようにだらりと下げる。いっそ投げやりにすら見える動作だ。実際、情熱もやる気も何も無いものである。
重い瞼を必死に上げながら、少年はどうにか体操を続ける。正直なところ、身体を動かすのはおろか立っているのもやっとな状態だ。だって、眠いのだ。無理矢理叩き起こされた時から睡魔がずっとまとわりつき、眠りの海へと誘ってくるのだ。目を開けることが精一杯なくらいである。
分かっている。悪いのは己だ。早朝にラジオ体操があることを知りながら、日付が変わるような時分までゲームに熱中していた己が悪いのだ。母は絶対ラジオ体操の時間に叩き起こすと分かっていながら自ら睡眠時間を削った己が悪いのだ。後悔すると分かっていて画面にかじりついた己が悪いのだ。分かっていても、この夏休み恒例行事が恨めしくて仕方が無かった。
どれだけ眠かろうと、どれだけ身体が重かろうと、足を運び出席したからには身体を動かさねばならない。いっそ耳障りなほど元気な声に従い、少年は腕を、足を動かす。眠気と気だるさに支配された身体は、小気味よいリズムに必死にしがみついた。
深呼吸、の掛け声に、ユーシャはほっと息を吐く。これで終わりだ、と思うと、今までよりも動きが良くなってしまうのだから現金である。息を吸って、吐いて、を繰り返す。落ち着きをもたらすリズムは、更なる眠気を呼び寄せたように思えた。
ピアノの音色が鳴り止む。これで今日のラジオ体操は終わりだ。わぁ、と小さな子どもたちが、前方に設置された長机目掛けて走っていく。元気だなぁ、と眠い目を擦りながら、少年も駆け行く子ども達の後ろについて並んだ。
人数が多いため、列が進むスピードはあまり早くない。一歩、また一歩と細かに進んでいく。並ぶ中、夏の日差しが肌を焼く。昇ったばかりの太陽は、既に活発な活動を始めていた。
ラジオの音楽が消えた校庭に、別の音色が広がっていく。蝉の鳴き声だ。夏のみ姿を現すあの虫は、朝も早くだというのに大声で喚き立てた。寝不足の脳味噌にはいささか厳しい音に、少年は苦々しく目を細めた。
じりじりと進み、ようやく己の番が訪れる。押すよー、という教師の声に、首から提げたスタンプカードを外して差し出した。数字が書かれたマスに、赤い判がぽんと押される。四角いカードの中に、桜が一輪咲いた。
「ありがとうございます……」
「ユーシャ君、眠そうだねぇ」
ふにゃふにゃとした声で礼を言うと、当番の教師は愉快そうに笑った。こくりと頷くことで返事をする。あまりの眠気に声を出すのすら億劫だった。
スタンプはもらった。あとは帰るだけだ。重い足取りで列を離れる。少し寝なねー、と優しい言葉が背に投げかけられた。睡魔がどんどんと支配範囲を広げていく脳味噌は、返事をすることを放棄してしまった。
ふぁ、と大きくあくびをする。教師の言う通り、帰ってから少し寝よう。このまま起きているのは不可能だ。母に小言を言われるだろうが、眠いものは眠いのだから仕方が無い。耐えられるわけがなかった。
もう一度大きなあくびをしながら、少年はゆっくりと家路を辿る。桜咲くスタンプカードが、夏の朝のほんの少しだけ涼しい風に吹かれて揺れた。
その美しさは だけが知っていればいい/雨魂雨
少しだけ屈みこんで、上を向く。見上げ覗き込んだアイオライトは、ぱちりと瞬き一つ落とした。
「……何? どうしたの?」
「いや、何でお前目ぇ隠してんの?」
見下ろしてくる腐れ縁に、魂は姿勢を崩さぬまま首を傾げた。久方ぶりの問いに、冷音ははぁと溜め息を漏らす。今更何を、と言いたげな重さをしていた。
「人の目を見るの苦手だって昔から言ってるでしょ。自分で隠した方が便利なの」
「視力悪くなんねーの?」
「今年の視力検査、一・〇だった」
ふぅん、とつまらなそうに鼻を鳴らす。見下ろす紺青は呆れ返った様相をしていた。そんな目線など気に掛けず、少年は姿勢を戻し、背を伸ばす。視界に広がるのは、目元全てを覆い隠す青い髪だ。二色一対の瞳が、奥に隠れた青一色の瞳を見つめる。何、と警戒心を露わにした声が投げかけられた。
「キレーなのにもったいねぇ」
常に前髪で隠しているため分かりにくいが、この腐れ縁はとてもいい目の色をしている。本人の純朴で優しい性格をそのまま映し出したかのような、透明感のある濃い青。潜ってようやく分かるような、深い海の青。夜の帳が降りきる直前の、一瞬だけ見せる暗く深い青。美しい色だった。雨の日以外は常に隠しているのがもったいないと思わせる程度には。
綺麗、の言葉に、目の前の少年の動きが止まる。少しだけ日差しの色を映した頬に、ほのかに紅が刷かれた。それもすぐに消え、はぁ、と溜め息が降ってくる。
「褒めても何も買ってあげないよ」
「別に下心で言ってるわけじゃねーよ」
呆れきった声に、蒲公英色の少年は二色の目を細める。何かを要求したくて言ったわけではない。単純に、久しぶりにそう思っただけなのだ。己の身長でも尚屈んで覗き込まないと見えない、大切に隠された瞳。人見知りの彼が作った障壁に阻まれた美しい青。その色が、何故だか恋しく思えたのだ。
「魂こそ、綺麗な目なんだから――」
そこまで言って、音が止んだ。言葉を紡いでいた大きな口が、はっとしたように薄く開き、引き結ばれる。少しだけ逸らされた顔には、気まずげな色が浮かんでいた。
大方、『サングラスで目を隠さなくてもいいのに』と同じような言葉を返そうとしたのだろう。その言葉がどれほど暴力的なものだというのを忘れて。
己の目は彼のように一色に染まったものではない。片目が緑、もう片目が赤と二色で構成されていた。ネメシスは広いが、未だに同じような目を持つ者は外部からやってきたあの教師ぐらいしか見たことがない。それほど珍しいものだった。幼き子どもにとって不気味なほど異常に映り、不躾なほど好奇の目を向ける程度には。
成長した今では指摘する者はいない。けれども、やはり良いとは言いがたい興味を持つ者はいた。腐れ縁である冷音はそのことを知っていた。隣でずっと見ていたのだから当たり前だ。だというのに、それをさらけ出せなどと言おうとした自分がどれほど無神経で、嫌悪的で、申し訳なくて、すぐさま言葉を途切れさせたのだろう。優しい彼らしい。
あー、と声をあげ、魂はぐっと背を伸ばす。己でもわざとらしさに呆れるほどの誤魔化し方だ。けれども、こうやって気にしていない様子を見せなければ、この青はいつまでも気を病むのだ。
「帰り、コンビニ寄ろーぜ。アイス食いたい」
「太るよ」
「毎日どんだけ頭脳労働で糖分消費してると思ってんだよ。太らねーよ」
軽口を叩きながら、二人は歩き出す。靴音が二つ、空間に響いた。
まぁいい。あの美しい色を知るのは、己一人でいい。あの丸くも鋭さを宿した目を簡単に見られるのは、己一人だけでいい。あの純粋で透明な瞳を一心に見つめられるのは、己だけでいい。
二色の瞳がどこか満足げに細められる。ふ、と愉快さを孕んだ吐息が糖分を欲する口からこぼされた。
轟炎従え祓い晴れ/火琉毘煉
ザァ、と葉がさざめく音が辺りに響き渡る。快晴だというのに、今この場はどこか淀み暗くなって見えた――事実、淀んでいるのだから当然である。空気というものは、場に存在するものに影響されやすいのだ。
清澄と混濁の境に立ち、少年は懐に手を入れる。取り出したのは札だ。ピンと張った細長い紙には、暗い朱で複雑な紋様が書かれていた。少年にとっての武器であり、防具である。人差し指と中指で、何枚ものそれを広げて持つ。投げ飛ばすには、この持ち方が一番いい。
鈴音、と無彩色を身に纏う少年は傍らに佇む狐の名を呼ぶ。式神であり相棒である彼女は、物言わずにすっと立ち上がった。首に付けられた大きな鈴がしゃらんと澄んだ音を鳴らした。
黒と赤のブーツに包まれた足が一歩踏み出す。途端、濁った空気が身体にまとわりついた。紅い目がすぃと細められる。この程度の穢れは慣れてはいるが、心地良いものではない。
早く済ませてしまおう。ふっと一息吐き、少年は地を蹴る。同時に、式神も連れ立って飛び出す。アスファルトが細かい塵をあげた。
特に淀んだ場所目掛け、札を投げる。霊力を込めたそれは、宙で――否、狙った『それ』の表面に張り付き炎を上げた。ゴォと燃え上がる音。激しいその中に、音にならない、けれども不快感をもたらす響きが混じった。
まず一匹。止まることなく駆け回り、札を投げては燃やしを繰り返す。ひとところに留まっては、数で押されてしまうことがある。動き回り、元より狙いをを定めさせないのが肝要だ。
霊力を持って、少年は淀みの原因を晴らしていく。時折迫り来る者はいれども、すぐに式神が喉元に噛みつき火を放ち燃やした。炎が燃え盛る音が陰りほの暗い場に響いていく。濁り沈んだ空気を晴らしていく。
大きな個体に四方八方から札を貼り付ける。ふ、と霊力を込め息を吐くと同時に、紋様が光り特大の火柱となって燃え盛った。鼓膜を破かんばかりの――実際は鼓膜など震わせていないが――地を響くような音が、火炎とともに爆発する。霊力を糧に燃える火が、音ごと全てを焼き尽くす。
炎が消えると同時に、サァと風が辺りを吹き抜ける。どうやら今のが最後の一匹だったらしい。重い空気は常の涼やかな様相を取り戻していた。
余った札を懐にしまい、少年はパンパンと手を叩いて払う。そのまま目元を隠すように片手を掲げた。ハーッハッハ、と高笑いがようやく静けさを取り戻した空間にうるさく響き渡る。
「悪しき妖どもよ! 地獄の業火に焼かれし弱き者どもよ! 紅蓮に包まれ輪廻より外れた虚空へと消えるがよい!」
「うるさいわよ」
哄笑し叫ぶ煉を、鈴音は冷静な様子で一蹴する。少年はフッと格好付けたように笑みを漏らし、手を下ろす。どうやら満足したらしい。はぁ、と式神は呆れと諦めの溜め息を漏らした。
「ボルテ軒行くか」
「あら、いいの?」
「腹減った」
そう言って一人と一匹は歩き出す。淀み晴れ涼やかさを取り戻した風が、仕事を終えたばかりの退治屋の背を押した。
畳む
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SDVX
2024/1/31(Wed) 00:00
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twitter掌編まとめ3【SDVX】
twitter掌編まとめ3【SDVX】twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
成分表示:バタキャ+氷雪ちゃん1/恋+奈1/赤志魂1/グレイス1/ニア+ノア1/神+十字1/嬬武器雷刀1/ユーシャ1/雨魂雨1/火琉毘煉1
大空求めて/バタキャ+氷雪ちゃん
「おそらっ」
「おそら……」
「おーそらっ!」
三匹子猫は上機嫌に歌う。溢れ出る楽しみを表すように、繋いだ手をぶんぶんと振った。
「えっと……お空は……」
はぐれぬようにとしかと掴まれた手の温かさを感じながら、氷雪は頭上のディスプレイをじぃと見やる。白い指で視界いっぱいに広がる液晶をなぞる。たどった『暁光の翼篇』の一文、空きがあるという表示に少女はほっと息を吐いた。
「すぐに体験できるみたいですよ。よかったですね」
やったー、と弾んだ合唱。手にした携帯端末を操作し、電子チケットから辿って案内を見る。色をついて示された場所は、『サンシャインエリア』と書かれていた。こっちです、と小さな手をそっと引く。とてとてと桃が続く。てこてこと蒼が続く。ぱたぱたと雛が駆け出した。
おそらとべたらいいな。
そんな風に空を眺め手を伸ばす子猫たちを眺めて数日。雪女はその姿が気にかかっていた。飽きやすい子猫たちが、あんなに空を渇望している。よほど興味があるのだろう。可愛らしいその願いを叶えてあげたい。自分はその願いを叶える手段を知っている。悩みに悩んだ末、雪女は勇気を振り絞って言ったのだ。『ヘキサダイバーでお空を飛べるみたいですよ』と。
そうして現在地、ヘキサダイバー内中央ロビー。手を繋いだ氷雪、桃、蒼、雛の四人は、受付を済ませサンシャインエリアを目指していた。人が賑わう通路でも決してはぐれぬようにと、四人はしっかりと手を握る。邪魔にならないように道を進み、該当エリアの出入り口に辿り着いた。
少女は全員分の電子チケットをかざし、手を引き連れ立って中に入る。開けた空間には、扉が立ち並んでいた。チケットに表示された番号の部屋に入れば、『仮想現実』が始まる手はずだ。少しだけ慣れた調子で氷雪は劇場内を歩く。二度目なのだから勝手はまだ分かっている方だ。
おそらおそらと歌う子猫に、雪女はふわりと笑みをこぼす。短くはない時間彼女らを見てきたが、ここまではしゃいでいる姿はあまり見ない。本当に喜んでいるようだ。誘ってよかった、と心の底から安堵する。
「ひゆきおねーちゃんはなにになるの……?」
ぴょこりと横から飛び出た蒼がこちらを見上げ尋ねる。え、と氷雪は声を漏らした。
「ももたちはきゅーぴっとさんですよ!」
「ひゆきおねーちゃんは? ひゆきおねーちゃんもきゅーぴっとさん?」
「えっと……、決められなかったので『おまかせコース』にしました」
興味津々の様子で見上げてくる三色三対の瞳に、花緑青の目がぱちりと瞬く。困ったような笑みを浮かべた。
ヘキサダイバーは様々な望みや物語を体験できる場所だ。けれども、望みがいつだってはっきりしているわけではない。漠然と希望はあれど、明確なビジョンが見えぬ者だっている。そのために用意されているのが『おまかせコース』らしい。登録情報や事前アンケートの内容によって、希望に近い世界を自動で選択してくれるのだ。本当ならば説明してやりたいが、内容は体験してからのお楽しみ、らしい。
「あとでひゆきおねーちゃんのどんなのだったかおしえてね!」
「きになる……!」
「しりたいです!」
ぴょこぴょこと興味津々な様子で耳を動かす三色猫に、雪色は分かりました、と微笑む。自分もどんな世界なのか楽しみだ。もちろん、体験したそれを少しぐらいは語りたい。それが彼女らの楽しみの一つとなるのならば尚更だ。
「ここのお部屋ですよ。いってらっしゃい」
電子チケットをかざすと、ピ、と電子音が短くあがる。大きな扉が、仮想空間に繋がる扉が開いた。
いってきます、と大合唱。大きくてと尻尾を振って、子猫たちは扉の中へと入っていく。はしゃぐ小さなその背に手を振り見送った。
プシュン、と自動ドアが閉まる。振っていた手を下ろし、少女は己のチケットを再度見る。示された番号は、すぐ隣の部屋だ。これなら終わってすぐに合流できるだろう。歩きながら考える。
この先にあるのはどんな物語だろう。『おまかせコース』は『空を飛ぶ』という望みをどんな風に叶えてくれるのだろう。
期待と少しの不安を胸に、氷雪は扉を開く。蒼天を映した大きなディスプレイが少女を迎えた。
夏の足音聞きながら/恋+奈
悩ましげな呻り声が店内の片隅に落ちる。少女は眉を寄せ、真剣な顔つきで手にした二つの衣装を眺めていた。否、睨みつけると言った方が正しいほどの鋭さである。
「そんなに悩むことかしら……?」
目の前に衣装を二着掲げられ、空中で体躯に合わせられる奈奈は戸惑いの声をあげる。眉は困ったように八の字を描き、七色の瞳はぱちぱちと瞬いている。白いヘッドドレスに彩られた小さな頭がゆるりと傾いだ。
「悩むわよ! だって奈奈が着るのよ? 最高のを選ばなきゃ……!」
親友の問いに、恋刃は鋭い声を返す。気迫と使命に満ちたものだった。少なくとも、ショッピングモールの水着売り場で見せるようなものではないほど。
水着を両手にうんうんと唸る赤い親友に、七色の少女は依然困ったように笑う。己のことのように、否、己のこと以上に悩む姿には嬉しさを覚えてしまう。けれども、その可愛らしい顔に眉間に深い皺を刻んでまですることだろうか。どうしても疑問が思い浮かんでしまう。
「でも、前に着たのが四着もあるのよ? 今年はその中から選べばいいんじゃないかしら?」
以前ジャケットの撮影に使った水着は、その後運営陣からプレゼントされていた。どれも撮影と友人らと遊びに行くのとで数回しか着ていないものだ。どれも美しいものなのだから、何度か着ねばもったいないのでは無いだろうか。
「ダメよ。数年前のだからもうサイズが合ってないかもしれないし、どうせ海に行くならもっとお洒落してもらいたいもの」
水着姿の奈奈を見られるなんて年に一回ぐらいなんだから、と恋刃は真剣な瞳でこちらを射抜く。そんなに大事だろうか、と奈奈は再び首を傾げた。
「やっぱり奈奈にはフリルがとっても似合うからフリルが多いのがいいかしら。でもこっちのレースのも大人っぽくて奈奈に合いそうなのよね。そもそも色はどうしましょ。今まで着たのは白か黒だし、合わせるか別の色を選ぶか……」
ぶつぶつと呟きながら赤はいくつもの水着を手に取っては戻していく。これ以上無く熱心に見繕われては、容易に動くこともできない。どうしましょ、と七色は視線を泳がせた。
「そもそも、恋刃はどれにするか決めたの?」
「え? 私?」
奈奈の問いに、恋刃は固まる。紅緋の瞳がぱちぱちと瞬いた。己のことなどすっかり忘れていたことが一目で分かる様相である。
「あぁ……、こないだのでいいかしら」
「もうサイズが合ってないかもしれないし、お洒落した方がいいんじゃなかったの?」
あからさまに濁す親友に、少しだけ強い語調で返す。う、と喉を詰まらせる音が細い喉から落ちた。
予想通りの様子に、少女はくすりと苦笑を漏らす。合わせて見るために少しだけ離れていた足を、一歩踏み出す。両手にハンガーを持った親友はぱちぱちと大きな瞳を瞬かせていた。
「今年は奈奈が選んでもいい?」
少しだけ屈んで、気まずげに泳ぎ瞬く深緋を覗き込む。ね、と小首を傾げると、再び喉がつっかえたような音が売り場に落ちた。
「……選んでくれるの?」
「選ばせて?」
だって、奈奈もお洒落した恋刃をもっと見たいもの。
一転眉尻を下げた友人に、奈奈は柔らかく笑む。本当にいいの、と不安げに問う恋刃に、もちろん、とにこりと笑顔を投げかけた。
「……じゃあ、お願い?」
「えぇ」
薄く頬を染め、赤は願いを口にする。常はハキハキとした彼女らしくもない、少し自信なさげな音色をしていた。揺れる心を落ち着けるように、七色は力強く頷く。タタタ、と駆け出し、水着がたくさん並んだラックの前に立つ親友の横に並んだ。
「この間は黒と赤だったよね? 今年は白か、紅刃さんみたいに赤がいいんじゃないかしら」
「白、私にも似合うかしら……」
「恋刃の綺麗な赤い髪には、白はとっても似合うと思うの」
どこか揺れる声と穏やかな声が交わる。次第に、どちらの音も弾んだ楽しげな響きになっていった。
水着の海の中、少女らは盛んに言葉を交わしあった。夏はすぐそこだ。
じゃのめでおむかい/赤志魂
軽やかにキーを叩く手が止まる。キーボードの上に置かれた手が組まれ、そのまま上方にぐっと伸ばされた。あー、と疲れ切った声が部屋に落ちた。
ファイルを保存し、再生ソフトの一時停止ボタンを押して魂はヘッドホンを取る。少しだけ圧迫されていた耳が軽くなった。はぁ、と肺の中の空気を全て追い出すように重く息が吐かれた。
パタ、パタタ。脳味噌に響くような音楽の代わりに、細かな音が鼓膜を震わせる。カーテンの向こう側、窓の外から聞こえるのは水が地を叩く音だ。おそらく、雨が降っているのだろう。作業に没頭していて気付かなかった。
ふっと脳内に青色が浮かぶ。普段は長い前髪で目を隠すいささか内気な旧友。雨の中ではハイテンションで粗野になる知己。雨傘片手に――時にはその身一つで雨空の下に飛び出す腐れ縁。常はおどおどした、雨の中では無鉄砲な紫陽花を思わせる青がよぎった。
時計を見る。時刻は、日付が変わる二時間前を指していた。この程度の時間なら、きっと彼は雨空の元へと駆け出していっているだろう。時計も持たず、下手をすれば傘すら差さずに、この寒空の下へと走るのだ。
容易に想像できる姿に、少年は苦笑を漏らす。雨の中哄笑し駆け回る友人も、ただの天気と腐れ縁をすぐに結びつけてしまう己も、なんと単純なのだろう。はぁ、と呆れを含んだ溜め息が漏れた。
ぐっと伸びをもう一度。キャスター椅子を引き、蒲公英色の少年は立ち上がる。作業に疲れた頭は、糖分を欲していた。どうせなら、温かいものがいい。ココアでも淹れよう、とキッチンへ向かった。
手慣れた調子で砂糖たっぷりのホットココアを作り、部屋に戻る。迎えたのは、ザァと風と水と風が奏でる強い音だった。どうやら、この短時間で雨脚は随分と強まったらしい。窓越しにこれだけ聞こえてくるのだから、よほどの勢いだろう。
再び、青が――今現在、雨空の下にいると確信できる青が脳裏をよぎる。最近の気温は高いとは言い難い。雨降る夜なら尚更低くなっているだろう。そんな中に飛び込み、雨粒に身を打たれ濡れに濡れて楽しむのだ、あの雨馬鹿は。
赤と緑、一対の目がぐ、と眇められる。甘いココアを味わうべき口は、横一文字に結ばれていた。
あの馬鹿が降りしきる雨の中どう行動しようが知ったことではない。けれども、そのせいで風邪をひかれては困るのだ。真面目で成績優秀な彼から宿題や授業内容を教えてもらえないのは、学生生活に多少の支障を来すのだ。
そうだ、己のためなのだ。言い聞かせるように反駁し、魂は手にしたマグカップを机の上に置く。部屋着の上に、撥水効果を持った厚手のパーカーを羽織る。手際よく準備を済ませ、踵を返し部屋から出た。
靴箱から雨靴を取り出し、傘を二本持つ。家の鍵をポケットに入れ、施錠されている玄関ドアを開けた。途端、バタバタバタと降り注ぐ雫が地を強く叩く音が耳に響いた。
パーカーのフードを被り、傘を開く。そのまま、少年は雨夜空へと飛び出した。ビニールを雨が穿つ音が響く。あまりにもうるさいそれに、雨空の下躍っているだろう腐れ縁に、こんな夜中にわざわざ雨傘二本持って家を出た己に眉根を寄せ、魂はバチャバチャと水張るコンクリートの上を早足で進んだ。
吹きつける風の中、独特な高い笑声が聞こえた気がした。
「次は並盛りデスネ!」「無理……」/グレイス
ゴトン、と重い音が目の前であがる。同時に現れた巨大な影に、グレイスはぎゅっと唇を引き結んだ。そうでもしなければ、短い悲鳴をあげてしまっていただろう。それほどまでに、目の前の存在は凄まじいものだった。
深い赤に白で縁取られたどんぶりは、己の手をめいっぱい広げて尚端に届かないほどの直径だ。両手でなければ到底持ち上げられないであろうそれの中は、野菜で満ちていた。真っ白なもやしと色鮮やかなキャベツがこんもりと山を成している。トッピングではなく、まるでそれがメインであるかのような高さだ。その斜面にもたれかかるように、小指の爪ほどあるのではないかという厚さのチャーシューが載せられている。ラーメンだというのに、どんぶりの中には麺もスープも見えなかった。野菜炒めと言われた方が納得がいくビジュアルである。
少女はごくりと息を呑む。食欲由来のものではない、完全に圧倒されてのものだ。当たり前だ、こんなもの圧倒されるに決まっているではないか。注文したのはメニュー表で『初心者向け』と書かれていたミニラーメンなのだ。『小さい』という意味を持つ語を冠したものからこんなものが飛び出てくるとは思わないではないか。予想外の事態に、凄まじい存在感に気圧されるのも仕方の無いことだ。
ちらりと左隣を見やる。カウンター席には、箸を持ち手を合わせる二色の双子の姿があった。彼らの目の前にあるのは、己のそれを二回り、否、三回りは大きくしたようなラーメン――ラーメンだとは未だ思えないが、店の言葉を信じるのならばラーメンなのだろう――があった。どんぶりは、もはや『どんぶり』と表現するのが相応しくない大きさと深さだ。載っている野菜も、もちろん多い。下手をすれば己のものの五倍はある量だ。まさに『山』と表現するのが相応しい姿である。頂点に載っているキャラメル色の炒め物らしき粒が得体の知れない感覚を更に強めた。何より恐ろしいのが、これで『大盛り』という事実である。『大』と表現するにはあまりにも巨大すぎる存在だ。
う、と喉から迫り上がってくる嗚咽をこぼさないように口で手を押さえ、今度は右隣を見やる。そこにいるのは、双子と同様手を合わせる姉だ。満面の笑みを浮かべる姿は可愛らしいと表現するのが相応しい。けれども、目の前にあるものとあまりにも不釣り合いで、一周回って恐怖を引き起こす様であった。
彼女の目の前に置かれているのも、またラーメンなのだろう。断言できないのは、どんぶりがまるでたらいのような大きさであり、凄まじいそれから見えるのが野菜だけだからだ。それも己や双子のものとは段違い、下手をすれば人の顔一つ分ほどの高さがある野菜の山がそこに存在していた。緑と白の山の麓を飾るようにチャーシューがぐるりと載せられている。凄まじい厚みや煮詰められた濃い色から、崖を思い起こさせる様相だった。兄弟のものと同じく、山には謎の粒が振りかけられている。お子様ランチの旗のように頂点にちょこんと飾られたナルトが、これがラーメンであることを唯一語主張する要素だった。
う、と躑躅はまた口を押さえる。嬬武器の兄弟たちのものでもかなり多く感じる己には、もはや見ただけで胃がもたれる量だ。これがこの店で一番多い『特盛り』らしい。大盛りと特盛りの差が激しすぎるのではないか。そんなどうでもいい疑問が湧き起こる。完全に現実逃避であった。
「いただきます!」
両隣から元気の良い声が響く。夕方、学生たちで賑わい騒がしさすら覚える店内でもよく通る声だ。この恐ろしい物体を目の前にしているとは到底思えない、元気いっぱい、食欲いっぱいの声だった。
ちらちらと隣に視線が向く。合掌を済ませた三人は、思い思いに食べ始めていた。大きく箸を開き、野菜をむんずと掴み取り、口に運ぶ。山の下に箸を入れ、埋まった麺を力強く引きずり出して啜る。添えられたレンゲを使い、スープを飲む。作法はラーメンのそれだった。
ごくりと息を呑む。そうだ、これはラーメンなのだ。今は野菜しか見えないが、恐らくこの下には麺があるだろう。放置していたは伸びてしまう。食べるなら、美味しい状態で食べるべきだ。たとえそれが未だ『ラーメン』と信じられない存在であっても。
「…………いただきます」
手を合わせ、食事の挨拶を口にする。箸入れから一膳取りだし、グレイスは目の前の山と対峙する。震える手で箸を操り、山目掛けて突っ込んだ。
騒がしい店内に食事の音が満ち満ちる。夕陽が肩まで姿を隠した頃、元気の良いごちそうさまの挨拶が三つ、力ない合掌の音が一つカウンター席に響いた。
たいへんよくたべました/ニア+ノア
ゆっくりと進む足音。調理器具が料理をすくう音。食器が盆に載せられる音。机に盆が載せられる音。椅子の足が床を擦る音。高揚した子どもの声。授業中の静けさはどこへやら、昼の教室内は賑やかしくなっていた。
教室の真ん中、こくりと息を呑む音が二つ落ちる。双子のニアとノアだ。いつだって元気で可愛らしい表情を浮かべる幼いかんばせは、今は随分と強張っていた。小さな手は、緊張でぎゅっと握られ膝の上に置かれている。長い青髪を飾るリボンカチューシャは、心なしかへたりと力を失っているように見える。
今は午前の授業が終わり、給食の時間だ。二人の目の前には、昼食が載った盆が置かれていた。白いプラスチックの食器には、栄養バランスの考えられた給食が綺麗に並べられている。底の深い二つの器には、ツヤツヤの白米と湯気を立てる味噌汁。大きな皿には主菜のハンバーグと付け合わせの野菜。飲み物は定番のパック牛乳。シンプルながらも、食欲をそそる品々だった。
大好きなハンバーグを目の前にしているというのに、兎たちの表情は依然強張ったままだ。瑠璃紺の瞳は、大きく存在を主張する主菜ではなく、その傍らに転がる副菜と、なみなみと注がれた汁物碗に吸い込まれていた。
今日の給食は白米、茄子と油揚の味噌汁、ハンバーグ、ミニトマト、牛乳。
そして、双子兎は茄子とトマトが大嫌いだった。特に、火を通していないものは。
うぅ、と引き結ばれた小さな口から唸りが漏れる。抗うような音だ。抵抗できないことを知っているからこそ出た音だ。
嫌いなものなら、友達に頼んで食べてもらえばいい。けれども、今月の二人にはその選択が出来なかった。
二人は知っている。献立表に『今月の給食は烈風刀のイキイキお野菜を使っています』と書かれていたことを。
二人は知っている。烈風刀が忙しい中でも時間を捻出し、どれだけ大切に野菜を育てているかということを。
二人は知っている。彼がテレビのインタビューで『皆に美味しく食べてほしいですね』とはにかんでいたことを。
「……ニアちゃん」
「……がんばろ、ノアちゃん」
妹兎が硬い声とともに、隣の青く長い袖を引く。姉兎はその手を解き、己の手を重ねた。同じ大きさの手がきゅっと握られる。勇気を分かち合う姿だった。
「手をあわせましょう!」
給食係が大きく声をあげる。パシン、と手を合わせる音が教室内にいくつも響く。繋いだ手を解き、青兎も袖から手を出しパチンと合わせた。
「いただきます!」
大合唱が響く。箸を持つ音、食器を持つ音、パックにストローを刺す音、野菜が噛まれる音、汁物を啜る音。食事の音色が教室を彩った。
箸を取り、双子の少女は今一度息を呑む。覚悟を決めるためだ。す、と息を吸い、は、と吐く。小さく頷き、二人はミニトマトを掴んだ。『ミニ』という割にはいささか大きく見える赤を、ひと思いに口に放り込む。意を決して、噛み締めた。
まず広がったのは青臭さだ。野菜特有の香りが、口の中を占拠する。続いて、張った皮が破裂しどろりとした何かが流れ込んでくる感覚。舌の上を、生暖かい液体が支配していく。青臭さが一際強くなったように思えた。泣きそうになりながら、どうにか咀嚼していく。剥がれた皮が残る感覚、中途半端に硬い果肉の歯触り、ところどころに散らばっては挟まってくる小さな種の食感、ゼリー状の内容物が舌の上を撫でていく味。最悪と表現するのが相応しいものだ。それでも、どうにか全て飲み下した。
敵は一人倒した。残るは、ただ一人だ。
汁物碗を持つ。浮かぶ紫色の物体を箸で掴み、震えながらも口に入れた。
これまたどろりとした食感。好きな者は『とろける』といった表現をするのだろう。嫌いな二人からすれば『どろどろ』と掴み所がない、けれども妙に存在感を発揮する舌触りだ。口に入れた途端分離した皮の固いような柔いような表現しがたい食感も、また奇妙さを感じさせた。小さい青い眉がぎゅっと寄せられる。素材そのままのミニトマトとは違い味は味噌で誤魔化されているものの、食感はどうにもならなかった。その上、赤いあいつと違って碗の中に細かなものがいくつも浮いている――つまり敵の数が多いことが問題だった。
熱い汁を一緒に飲み、時折油揚げで箸を休めながら、どうにか胃に収めていく。せいぜい二〇〇ミリリットルほどの汁物だというのに、何リットルも飲まされているかのように錯覚した。
ぷは、と少女らは同時に息を吐く。両手で持ち上げた碗の中身は空っぽになっていた。つまり、勝利である。
「ニア、ちゃんと食べたよ……ノアちゃん……」
「ノアもちゃんと食べたよ……ニアちゃん……」
食事中とは思えぬほど疲弊しきった声で、双子兎は互いを讃え合う。牛乳パックにストローを刺し、中身を一気に吸い上げる。口直しだ。野菜の青臭さと何とも言えない舌触りを早く忘れ去ってしまいたかった。
何にせよ、敵は全員倒した。残るは、大好きなハンバーグだ。
苦しげに寄せられていた眉が解ける。険しげに細められた目がキラキラと輝きだす。箸を持つ手に力がこもる。しなりとへたったリボンカチューシャがピンと立った。
「いただきます」
自然と言葉が漏れる。自然と表情が緩む。プラスチックの箸が、ケチャップが掛けられたハンバーグを切り分け、口に運んだ。よく焼かれた肉に歯を立てる。瞬間、油特有の甘さとケチャップの甘じょっぱさ、香辛料のほのかな刺激が口内に広がった。おいしい、と二人同時にこぼす。大嫌いな野菜を倒したあとのお肉は、何よりも美味しかった。
ハンバーグを食べ、ご飯を食べ、またハンバーグを食べ、たまに牛乳を飲み。兎たちは好きなものだけ残った給食を楽しむ。あれだけ強ばり険しかった表情は、すっかり解け明るいものとなっていた。
時計の針は進んでいく。規定の時間になり、給食係が再び手を合わせることを促す。パックの中身を全て飲みこみ、二人は空になった食器の前で手を合わせた。
「ごちそうさまでした!」
元気な合唱が教室に響き渡る。双子兎の元気な声も混じっていた。
挨拶を終え、食べ終わった者から食器を片付けていく。皿と碗、盆を配膳台の所定の位置に重ねていく。席に戻ると、ニアは妹の袖を引いた。
「……あとでれふとに『給食のお野菜おいしかったよ』って言いに行こ」
「……行こっか」
本当は、自分たちの味覚には『美味しい』なんて到底言えない。けれども、彼が丹精込めて作った野菜は家で食べるものよりもずっと苦労せず食べられた気がした。それはきっと、『美味しい』からなのだろう。今の自分たちにはまだ分からないけれど。
大人になったら分かるかな。
そんなことを考えながら、双子兎は細い足をぷらぷら揺らす。靴に付いた兎の耳が、同じ動きでふるふると揺れた。
真相は腹の中/神+十字
「そういえば、貴方って胃はどうなっているのですか?」
スープを飲み干し、青年は対面に疑問を投げ抱える。向かい合った紅は、口の中の食物を飲み込み首を傾げた。
「い?」
「食物を消化する器官です。物を食べられるということは、貴方にもあるのでしょうか」
語りかける目の前の存在は、人間ではない。生命活動――『生命』なんて言葉で表していいのか分からないのだけれど――する上で食事や睡眠を必要としない、神という存在だ。
そんな彼だが、最近では食事の楽しみに目覚めつつある。朝起きて食べ、昼語らって食べ、夜共に料理して食べる。人間のように三食、場合によってはおやつまで食べる毎日を過ごしている。
食事を必要としない。つまり、消化活動する必要が無い。内臓が存在していない可能性はある。けれども、彼は人間のように食事を摂っている。それらは一体どこに消えているのだろう。ふと浮かんだ疑問であった。
「どうなんだろ……」
指に付いたパンくずを舐め取り、神は依然頭を傾ぐ。思案と懐疑を表すように、真紅の瞳がぱちぱちと瞬いた。
「なぁ、その『い』ってニンゲンのどの辺りにあんの?」
「え? えっと、このあたりでしょうか」
突然の言葉に、蒼は戸惑いながらも胸の下あたりを撫でさすって示しながら返す。同じ動作をしてから、よし、と元気な声をあげて紅は立ち上がった。黒いブーツに包まれた足は、台所へと向かっていた。食事はまだ途中だというのに、何故だろう。どうしたのですか、と青年もその背を追った。
ごそごそと棚を漁る音。よし、という言葉とともに立ち上がったその手に握られていたのは、包丁だった。洗ったばかりのそれが、朝日を受けてキラリと輝く。この間研いだところだから、切れ味の良さは抜群だ。硬い手が、柄を逆手に持つ。銀の刃を、尖った切っ先を、己の腹へと向けた。
凄まじい勢いで背筋を寒気が走っていく。考えるより先に足が動いた。身体へと狙いを定めた手を、力いっぱい叩きつける。大して強く握られていなかったのか、凶器は硬い音をたてて床に落ちた。
「何をしているのですか!」
肺の空気全てを使う勢いで声を発する。人生で一度も出したことのない怒声だ。悲鳴とも言い換えられる響きをしていた。近所付き合いを重んじる彼らしくもない、近隣住民への迷惑など欠片も考えていないほどの声量をしていた。
凶行を働こうとしていた張本人、目の前のルビーはきょとりと丸くなっていた。そこに悪意といった負のものは一切見られない。子どものような純粋さだけが輝きの中にあった。
「だって、『胃』ってやつがあるかどうか知りたいんだろ? 裂けば分かるじゃん」
「ば――」
馬鹿、と不敬にも罵る言葉は途中で消えた。絶句するしかない返答であった。あるか分からない。ならば見ればいい。確かに単純明快ですぐさま解決できる手法だ。けれども、決して人体でやるべきではない対処法である。
「死んだらどうするのですか!」
「腹掻っ捌いたぐらいで死なねーよ」
当然だろうといった調子の声に、青年は言葉を詰まらせる。その通りだ。相手は『ニンゲン』なんて腹を裂いた程度で死ぬような脆弱な存在ではない。『神』という死という結末が存在しないに等しい者なのだ。刃が通ろうと死なない。流す血などない。食事を必要としない。睡眠を必要としない。酸素を必要としない。そんな高次元の存在なのだ。
そうですけれど、と返した声は苦々しいものだ。分かっている。目の前の存在が人ならざる者だとは分かっている。肉体的に死ぬことはない存在だと分かっている。けれども、己と同じ形を取っているだけで、同等の存在扱いしてしまう。敬い奉る存在に対してあまりにも礼節を欠いた行動だ。
すみません、と謝罪の言葉は呟くようなものになってしまった。これでは拗ねた子どもではないか。あまりの幼稚さに、ギリと奥歯を噛み締めた。
気にしてねーよ、と神は手を振って笑う。人間の愚行を咎める気はないようだ。安堵とともに、罪悪感が胸を染める。己の愚かさを見逃されるのは、なんだか恐ろしかった。
「んじゃ、改めて――」
「いえ、いいです。やめましょう。さっきのことは忘れてください」
再び包丁を取ろうと屈む身体より先に、床に落ちた凶器を取る。手早く水で洗って拭き、棚の中に片付ける。封をするように、その扉にもたれかかった。
「いいの? 気になるんだろ?」
「えぇ。いいです。もう大丈夫ですから」
問いかける神に、人間は笑んで返す。ぎこちないものだった。目の前の者はそうでも言わねばまた腹に刃を突き立てんとするような存在なのだ、ぎこちなくもなるだろう。
そっか、と素直に頷き、紅は歩き出す。騒動ですっかり忘れていたが、食事の最中だったのだ。食べ物は無駄にしてはいけない。料理したからには、食べきる義務がある。それがどこに消えていくのか分からなくとも。
慌てて背を追い、各自の席に座る。二人一緒に残ったパンに手を伸ばし、齧り付いた。
焼けたパンの表面が砕ける小気味良い音が、朝のダイニングに響いた。
季節変わり、染み渡り/嬬武器雷刀
タオルの隅と隅を持ち、大きく振り上げ勢い良く下ろす。水気たっぷりのそれが、パンと軽やかな音とともにまっすぐに広がった。
皺の減ったそれを吊し、また新たなタオルを伸ばし、吊し、伸ばし、吊し。慣れた様子で作業をこなしていく。二人分の洗濯物が入ったかごの中身はどんどんと減っていった。
バスタオル二枚干したところで、雷刀は大きく息を吐く。洗濯物干しなど、普段なら苦ではない。けれども、今日はさすがに気が滅入った。なにせ、日差しも強ければ気温も高い。今朝のニュースによれば、猛暑日になるとのことだ。午後の強い日光が降り注ぐベランダは、蒸し暑さで満ちていた。
あっつ、と萎れきった声を漏らし、少年は洗濯物から視線を逸らす。コンクリートと鉄パイプで構成された欄干の向こう側、兄弟二人で暮らす部屋の外には青空が広がっていた。絵の具をチューブから出してそのまま塗りたくったような、目に痛いほどの青だ。視界いっぱいに広がるその中に、雲の白など欠片も見当たらない。世界は青色で染め上げられていた。
階下から音が湧き上がってくる。蝉の音だ。短い生を受けた虫たちは、空間を支配せんとばかりに鳴き声を上げていた。
焼かれるような強い日差し。湿度を孕んだ熱い空気。青一色の広大な空。うるさいほどの蝉の音。
「夏だなぁ……」
夏の要素全てを詰め込んだような風景に、朱はしみじみと呟く。肌身に感じる四季に、先ほどまでの沈んだ様子は薄れていた。いっそ感嘆の色が見て取れるほどだ。
ふぅ、と息を吐く。このまま立ち尽くしていては、夏の空気に焼かれるだけだ。早く終わらせ、クーラーのよく効いた室内で冷たいアイスでも食べたいものである。よし、と漏らし、まだ中身が半分はある洗濯かごの中に手を突っ込んだ。
タオルを広げて干し、Tシャツをハンガーに掛けて干し、下穿きや靴下をピンチに挟んで干し、ズボンを吊して干し。茹だるような空気の中、少年はテキパキと作業をこなしていく。ヘアピンで留めて晒した額に汗が浮かぶ。珠となったそれが、形を崩して流れ肌を伝った。腕を持ち上げ、シャツの袖で乱暴に拭う。黒いシャツの一部が、一層深い闇色に染まった。
全て干し終え、雷刀はぐっと身体を伸ばす。何度も屈んでは伸びを繰り返した腰は、強い疲労を訴えていた。猛暑の最中頑張って仕事をこなしたこの身を早く労ってやろう。アイスというご褒美を与えてやろう。そんなことを考えながら、少年はかごを片手にベランダを出た。
ガラス戸を閉め、日を通す薄いカーテンで覆う。クーラーが正常に稼働している室内は、外とは比べものにならないほど涼しい。これこそ、人間が暮らすに適した温度だ。ほぅ、と思わず溜め息が漏れた。
かごを洗面所に戻しに行こうと、廊下へ続く扉へと向かう。もうすぐノブに手が届くというところで、ガチャリと音をたてて目の前のドアが開いた。
「ただいま帰りました」
「おー。おかえり」
現れたのは、朝から農園へと繰り出していた烈風刀だった。つばの広い麦わら帽子の下にある顔、その白い頬には少しだけ泥が付いている。夢中で作業をしていたことがよく分かる姿だった。汚れてんぞ、と頬を示してやる。あぁ、と漏らし、彼は首に掛けたタオルで薄く塗られた土を拭った。
「やっとスイカが穫れたんです。冷やして夜に食べましょう」
ほら、と弟は傍らに抱えていた緑と黒の球を掲げる。こぶりではあるが、良く張りツヤのある姿はスイカらしさに満ちていた。球の向こう側、こちらを見る浅葱の瞳は輝きに満ちている。彼がどれほど甲斐甲斐しく野菜たちの世話をしているかなど、時折手伝う程度の己でも知っている。丹念に丁寧に愛情たっぷり注いだのそれがようやく無事形を成したのだ、子どものようにキラキラと瞳を輝かせるのは無理ないだろう。
真ん丸なそれに、夏を象徴するそれに、雷刀はくすりと笑みをこぼす。
カーテンの隙間から差し込む強い日差し。ガラス戸の向こうの青空。うっすらと聞こえる蝉の声。クーラーの効いた部屋。弟謹製のスイカ。
「夏だなぁ」
しみじみと漏らし、朱はトロフィーのように持ち上げられたそれを受け取る。冷蔵庫入れとくから着替えてきな、と作業服そのままの碧へと投げかけた。ありがとうございます、と弟は踵を返し、リビングを出た。
落とさないようにしっかりと抱え、キッチンに向かう。冷蔵庫の扉を開き、中身を軽く整理し、スイカを中に入れる。青白いライトを浴びるそれは、サイズに反して堂々としていた。
アイスはまた今度にしよう。冷たい甘さは、夜まで楽しみに取っておくべきだ。
夏を象徴するあの味を想起しながら、少年は笑みをこぼす。早く冷えろよ、と頭の中で緑に投げかけながら、白く厚い扉を閉めた。
スタンプカードと蝉時雨/ユーシャ
賑やかな演奏が校庭内に響いていく。鐘と弦楽器が奏でるリズムに合わせて、子ども達の元気の良い歌声が朝の清澄な空気の中広がった。
歌が終わると、今度は男性の大きな声がスピーカーから流れた。ラジオ体操第一、のかけ声に続き、ピアノの音が響き渡る。軽快なメロディに乗るように、弾んだ声が小さなラジオから響いた。
いち、に、さん、し、と音楽に合わせ、カウントアップが始まる。全てに促音が付いたような跳ねる掛け声に合わせ、子どもたちは腕を上げ、広げ、下ろしを繰り返した。
指示と数字に合わせ、ユーシャは身体を動かす。その動きはかなり鈍いものだった。のろのろと腕を上げ、重力に従うようにだらりと下げる。いっそ投げやりにすら見える動作だ。実際、情熱もやる気も何も無いものである。
重い瞼を必死に上げながら、少年はどうにか体操を続ける。正直なところ、身体を動かすのはおろか立っているのもやっとな状態だ。だって、眠いのだ。無理矢理叩き起こされた時から睡魔がずっとまとわりつき、眠りの海へと誘ってくるのだ。目を開けることが精一杯なくらいである。
分かっている。悪いのは己だ。早朝にラジオ体操があることを知りながら、日付が変わるような時分までゲームに熱中していた己が悪いのだ。母は絶対ラジオ体操の時間に叩き起こすと分かっていながら自ら睡眠時間を削った己が悪いのだ。後悔すると分かっていて画面にかじりついた己が悪いのだ。分かっていても、この夏休み恒例行事が恨めしくて仕方が無かった。
どれだけ眠かろうと、どれだけ身体が重かろうと、足を運び出席したからには身体を動かさねばならない。いっそ耳障りなほど元気な声に従い、少年は腕を、足を動かす。眠気と気だるさに支配された身体は、小気味よいリズムに必死にしがみついた。
深呼吸、の掛け声に、ユーシャはほっと息を吐く。これで終わりだ、と思うと、今までよりも動きが良くなってしまうのだから現金である。息を吸って、吐いて、を繰り返す。落ち着きをもたらすリズムは、更なる眠気を呼び寄せたように思えた。
ピアノの音色が鳴り止む。これで今日のラジオ体操は終わりだ。わぁ、と小さな子どもたちが、前方に設置された長机目掛けて走っていく。元気だなぁ、と眠い目を擦りながら、少年も駆け行く子ども達の後ろについて並んだ。
人数が多いため、列が進むスピードはあまり早くない。一歩、また一歩と細かに進んでいく。並ぶ中、夏の日差しが肌を焼く。昇ったばかりの太陽は、既に活発な活動を始めていた。
ラジオの音楽が消えた校庭に、別の音色が広がっていく。蝉の鳴き声だ。夏のみ姿を現すあの虫は、朝も早くだというのに大声で喚き立てた。寝不足の脳味噌にはいささか厳しい音に、少年は苦々しく目を細めた。
じりじりと進み、ようやく己の番が訪れる。押すよー、という教師の声に、首から提げたスタンプカードを外して差し出した。数字が書かれたマスに、赤い判がぽんと押される。四角いカードの中に、桜が一輪咲いた。
「ありがとうございます……」
「ユーシャ君、眠そうだねぇ」
ふにゃふにゃとした声で礼を言うと、当番の教師は愉快そうに笑った。こくりと頷くことで返事をする。あまりの眠気に声を出すのすら億劫だった。
スタンプはもらった。あとは帰るだけだ。重い足取りで列を離れる。少し寝なねー、と優しい言葉が背に投げかけられた。睡魔がどんどんと支配範囲を広げていく脳味噌は、返事をすることを放棄してしまった。
ふぁ、と大きくあくびをする。教師の言う通り、帰ってから少し寝よう。このまま起きているのは不可能だ。母に小言を言われるだろうが、眠いものは眠いのだから仕方が無い。耐えられるわけがなかった。
もう一度大きなあくびをしながら、少年はゆっくりと家路を辿る。桜咲くスタンプカードが、夏の朝のほんの少しだけ涼しい風に吹かれて揺れた。
その美しさは だけが知っていればいい/雨魂雨
少しだけ屈みこんで、上を向く。見上げ覗き込んだアイオライトは、ぱちりと瞬き一つ落とした。
「……何? どうしたの?」
「いや、何でお前目ぇ隠してんの?」
見下ろしてくる腐れ縁に、魂は姿勢を崩さぬまま首を傾げた。久方ぶりの問いに、冷音ははぁと溜め息を漏らす。今更何を、と言いたげな重さをしていた。
「人の目を見るの苦手だって昔から言ってるでしょ。自分で隠した方が便利なの」
「視力悪くなんねーの?」
「今年の視力検査、一・〇だった」
ふぅん、とつまらなそうに鼻を鳴らす。見下ろす紺青は呆れ返った様相をしていた。そんな目線など気に掛けず、少年は姿勢を戻し、背を伸ばす。視界に広がるのは、目元全てを覆い隠す青い髪だ。二色一対の瞳が、奥に隠れた青一色の瞳を見つめる。何、と警戒心を露わにした声が投げかけられた。
「キレーなのにもったいねぇ」
常に前髪で隠しているため分かりにくいが、この腐れ縁はとてもいい目の色をしている。本人の純朴で優しい性格をそのまま映し出したかのような、透明感のある濃い青。潜ってようやく分かるような、深い海の青。夜の帳が降りきる直前の、一瞬だけ見せる暗く深い青。美しい色だった。雨の日以外は常に隠しているのがもったいないと思わせる程度には。
綺麗、の言葉に、目の前の少年の動きが止まる。少しだけ日差しの色を映した頬に、ほのかに紅が刷かれた。それもすぐに消え、はぁ、と溜め息が降ってくる。
「褒めても何も買ってあげないよ」
「別に下心で言ってるわけじゃねーよ」
呆れきった声に、蒲公英色の少年は二色の目を細める。何かを要求したくて言ったわけではない。単純に、久しぶりにそう思っただけなのだ。己の身長でも尚屈んで覗き込まないと見えない、大切に隠された瞳。人見知りの彼が作った障壁に阻まれた美しい青。その色が、何故だか恋しく思えたのだ。
「魂こそ、綺麗な目なんだから――」
そこまで言って、音が止んだ。言葉を紡いでいた大きな口が、はっとしたように薄く開き、引き結ばれる。少しだけ逸らされた顔には、気まずげな色が浮かんでいた。
大方、『サングラスで目を隠さなくてもいいのに』と同じような言葉を返そうとしたのだろう。その言葉がどれほど暴力的なものだというのを忘れて。
己の目は彼のように一色に染まったものではない。片目が緑、もう片目が赤と二色で構成されていた。ネメシスは広いが、未だに同じような目を持つ者は外部からやってきたあの教師ぐらいしか見たことがない。それほど珍しいものだった。幼き子どもにとって不気味なほど異常に映り、不躾なほど好奇の目を向ける程度には。
成長した今では指摘する者はいない。けれども、やはり良いとは言いがたい興味を持つ者はいた。腐れ縁である冷音はそのことを知っていた。隣でずっと見ていたのだから当たり前だ。だというのに、それをさらけ出せなどと言おうとした自分がどれほど無神経で、嫌悪的で、申し訳なくて、すぐさま言葉を途切れさせたのだろう。優しい彼らしい。
あー、と声をあげ、魂はぐっと背を伸ばす。己でもわざとらしさに呆れるほどの誤魔化し方だ。けれども、こうやって気にしていない様子を見せなければ、この青はいつまでも気を病むのだ。
「帰り、コンビニ寄ろーぜ。アイス食いたい」
「太るよ」
「毎日どんだけ頭脳労働で糖分消費してると思ってんだよ。太らねーよ」
軽口を叩きながら、二人は歩き出す。靴音が二つ、空間に響いた。
まぁいい。あの美しい色を知るのは、己一人でいい。あの丸くも鋭さを宿した目を簡単に見られるのは、己一人だけでいい。あの純粋で透明な瞳を一心に見つめられるのは、己だけでいい。
二色の瞳がどこか満足げに細められる。ふ、と愉快さを孕んだ吐息が糖分を欲する口からこぼされた。
轟炎従え祓い晴れ/火琉毘煉
ザァ、と葉がさざめく音が辺りに響き渡る。快晴だというのに、今この場はどこか淀み暗くなって見えた――事実、淀んでいるのだから当然である。空気というものは、場に存在するものに影響されやすいのだ。
清澄と混濁の境に立ち、少年は懐に手を入れる。取り出したのは札だ。ピンと張った細長い紙には、暗い朱で複雑な紋様が書かれていた。少年にとっての武器であり、防具である。人差し指と中指で、何枚ものそれを広げて持つ。投げ飛ばすには、この持ち方が一番いい。
鈴音、と無彩色を身に纏う少年は傍らに佇む狐の名を呼ぶ。式神であり相棒である彼女は、物言わずにすっと立ち上がった。首に付けられた大きな鈴がしゃらんと澄んだ音を鳴らした。
黒と赤のブーツに包まれた足が一歩踏み出す。途端、濁った空気が身体にまとわりついた。紅い目がすぃと細められる。この程度の穢れは慣れてはいるが、心地良いものではない。
早く済ませてしまおう。ふっと一息吐き、少年は地を蹴る。同時に、式神も連れ立って飛び出す。アスファルトが細かい塵をあげた。
特に淀んだ場所目掛け、札を投げる。霊力を込めたそれは、宙で――否、狙った『それ』の表面に張り付き炎を上げた。ゴォと燃え上がる音。激しいその中に、音にならない、けれども不快感をもたらす響きが混じった。
まず一匹。止まることなく駆け回り、札を投げては燃やしを繰り返す。ひとところに留まっては、数で押されてしまうことがある。動き回り、元より狙いをを定めさせないのが肝要だ。
霊力を持って、少年は淀みの原因を晴らしていく。時折迫り来る者はいれども、すぐに式神が喉元に噛みつき火を放ち燃やした。炎が燃え盛る音が陰りほの暗い場に響いていく。濁り沈んだ空気を晴らしていく。
大きな個体に四方八方から札を貼り付ける。ふ、と霊力を込め息を吐くと同時に、紋様が光り特大の火柱となって燃え盛った。鼓膜を破かんばかりの――実際は鼓膜など震わせていないが――地を響くような音が、火炎とともに爆発する。霊力を糧に燃える火が、音ごと全てを焼き尽くす。
炎が消えると同時に、サァと風が辺りを吹き抜ける。どうやら今のが最後の一匹だったらしい。重い空気は常の涼やかな様相を取り戻していた。
余った札を懐にしまい、少年はパンパンと手を叩いて払う。そのまま目元を隠すように片手を掲げた。ハーッハッハ、と高笑いがようやく静けさを取り戻した空間にうるさく響き渡る。
「悪しき妖どもよ! 地獄の業火に焼かれし弱き者どもよ! 紅蓮に包まれ輪廻より外れた虚空へと消えるがよい!」
「うるさいわよ」
哄笑し叫ぶ煉を、鈴音は冷静な様子で一蹴する。少年はフッと格好付けたように笑みを漏らし、手を下ろす。どうやら満足したらしい。はぁ、と式神は呆れと諦めの溜め息を漏らした。
「ボルテ軒行くか」
「あら、いいの?」
「腹減った」
そう言って一人と一匹は歩き出す。淀み晴れ涼やかさを取り戻した風が、仕事を終えたばかりの退治屋の背を押した。
畳む
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