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No.153
twitter掌編まとめ5【SDVX】
twitter掌編まとめ5【SDVX】
twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
成分表示:奈←恋1/キサ+煉1/つまぶき1/はるグレ+レフ1/嬬武器兄弟1/神十字1/火琉毘煉1/ハレルヤ組1/グレイス+ハレルヤ組1
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晴れ舞台が焼き付いて/奈←恋
「今度の文化祭、演劇部の舞台でお姫様役をやることになったの」
そう言ってふわりと笑う親友の横顔は、夕焼けに照らされて色付いていた。夏も終わりに近づいているというのに夕の陽は鮮烈で、白い肌を暖色に染め上げていた。
「……え? お姫様? 奈奈が?」
処理落ちした脳味噌が、インプットされた情報をやっと理解する。アウトプットされたのは、間の抜けた呆けた声だった。
「変、かしら……?」
「ううん! すっごく似合うわ!」
穏やかな弧を描いていた眉があっという間に八の字に下がる。陰った可愛らしい顔を前に、慌てて言葉を続ける。そう、と奈奈は依然不安げに首を傾げる。そんな顔をさせてしまうようなことを漏らした己を内心罵倒しながら、似合うに決まってるじゃない、と恋刃は微笑んだ。
「それで、しばらくは練習で遅くなるの。本番まで、一緒に帰れなくなっちゃうと思う」
寂しげに告げる七色の少女の手を、紅色の少女はきゅっと握る。少し曇った虹の瞳がぱちりと瞬いた。
「待つから一緒に帰りましょ。奈奈一人で夜遅くに出歩かせるのは危ないわ」
文化祭での公演である、大がかりな物になるだろう。それだけ練習量も多く、日が暮れるまで稽古を重ねるのは容易に想像できた。秋に近づき夜がすぐさま降りてくるようになった今、その程度の理由で親友一人で夜道を歩かせるなど言語道断だ。
「いいの?」
「もちろん。あ、ついでに練習見学できない? 劇の内容気になる」
明日聞いてみるわね、と七色は笑う。お願い、と紅色も笑った。
見学許可は簡単に下りた。毎日練習に励む親友を舞台袖から眺め、時には差し入れを持ち込み、時には初めての演技に不安がる様を励まし、時には過度に卑下する姿に檄を飛ばし。練習の日々は過ぎていく。
文化祭当日は盛況だった。大きな体育館に用意された座席の八割は埋まり、多くの人が舞台の幕開けを待っていた。
大丈夫かしら。普段とは正反対の黒いドレスに身を包み、カタカタと震えながら奈奈は漏らす。大丈夫よ。すっかりと冷たくなった美しい手を握り、恋刃は自信たっぷりに言う。演劇部の、七色の彼女の努力をずっと見てきた己には、この舞台の失敗など全く考えられなかった。大成功に決まってるわ、と冷えた手を包んで温める。そうだよ、大丈夫、と舞台衣装に着替えた部員たちも口々に言った。
頑張ってくるわね、と最後には笑顔で手を振った親友は、今は堂々とした姿で舞台に立っていた。初めは緊張でわずかに震えていた声も、今では普段通りの澄んだ、それでいて稽古によって鍛えられたよく通る声をしていた。動きもなめらかで、初心者には見えないものだ。ここしばらくの彼女の努力が結晶となり、ここで輝いていた。
主人公役である演劇部員の少年も、小さな身体をめいっぱい動かし舞台を盛り上げる。勇者である主人公は、ヒロインであるお姫様を追いかけて国中を旅する。たった一人の険しい旅路の様子を、幼い少年は懸命に演じてみせた。
物語は佳境に入り、とうとう勇者と姫は出会う。救うべき存在との邂逅だけでは、ハッピーエンドには至らなかった。ナイフを持った勇者は慟哭する。姫の悲痛な悲鳴が会場中に響き渡った。少女の手からリンゴが転がり落ちる。凶器を握ったまま蹲り嗚咽を漏らす少年の手に、たおやかな手が重ねられた。
どくん、と心臓が大きく脈打つ。え、と思わず漏らした声は、最大の山場を演出する音楽に掻き消された。
どくん、どくん、と心臓がうるさく跳ねる。気持ちが悪くなるぐらい鼓動が早くなる。背筋を冷たい何かが撫ぜる。嫌な汗が頬を伝う。
どうして、と少女は一人混乱に陥る。このシーンは練習でも特に見たものだ。主人公の台詞を覚え、帰り道に二人で練習したほどの場面である。なのに、何故か嫌なものが身体中を這って回る。細い身を雁字搦めにして、どこかへ連れて行こうとする。
精神は暗く揺れ動いているというのに、紅い目は舞台上に釘付けになっていた。細い手を振り払おうとする勇者に、姫は――親友は必死に言葉を振り絞る。序盤か弱く演出されたヒロインの隠された強さが発揮されるシーンだ。大好きな親友の最大の見せ場、最高に格好良い素敵なシーンだ。目が離せるわけがない。なのに、心は目を力いっぱい閉じてしまいたくてたまらなくなる。
何で。どうして。こんなに素敵な舞台なのに。こんなに素敵な演技なのに。こんなに素敵な奈奈なのに。
嗚咽を堪えることなく泣く勇者の背に、姫はそっと腕を回す。小さな身体を包み込むように、細い身いっぱい使って抱き締めた。
奈奈が、誰かを抱き締めている。
胸がカァと熱を持つ。心臓がギュウと締め付けられる。顔からサァと血の気が引いていく。末端がどんどんと冷えていくのが分かった。
情動に震える少女は、ずっと舞台を見つめる。見たくもない、と心は意味が分からないことを叫ぶ。見なければならない、と頭は当然のことを語った。
主人公が、ヒロインが舞台中央で抱き締め合う。金が、赤が、黒が、スポットライトを浴びて鮮烈にきらめいていた。
輝かしい舞台を見つめる紅は、光など失っていた。焦点の合わないガーネットが、結末で結ばれる二人をただ見つめていた。
口止め料八十円/キサ+煉
オレンジ色のスニーカーに包まれた小さな足が一生懸命動く。バッジで飾った帽子を揺らし、着崩したモスグリーンのジャケットをはためかせながらキサは廊下を駆けた。
夏休みの間にたくさんのスクープを撮ることができた。あとはこれを報道するだけだ。あぁ、早くたくさんの大事件を伝えたい。もちろん、起こったのは楽しいことばかりではない。しかし、そこには読み取るべき真実が眠っているのだ。これを広めないで何が報道か。
走る小柄な身体を、高い影が遮る。ぶつからないように急いでブレーキを掛けた。キュッと靴の底面と廊下が擦れる音があがる。
塞がる者から何かが飛んでくる。いつも通り、放り投げられた物を両手でキャッチする。学園内の購買で売られているあんぱんだ。大好きなそれに、思わず頬が緩む。それもすぐに戻り、少女は不可思議そうな表情を浮かべた。
「次郎くん、いつもあんパンくれるけど何で?」
「火琉毘煉だ」
疑問を投げかける少女に、煉はすぐさま訂正を入れる。『火琉毘煉』はあくまで彼が名乗っているだけで、本名は『鈴木次郎』である。真実を伝えるべき存在でありたいのだ、人のことはきちんと本名で呼びたい。
「いつも勝手に人のことを面白おかしく喧伝するからだ」
今だってそうだろう、と少年はすぐ隣、彼女のクラスのドアを指差す。たしかに、今まさに集めた大スクープを学級中に披露するところだった。読まれてるなぁ、と鞄にそっと手をやる。早朝にようやくできあがった、彼が載った新聞をそっと奥に隠した。
「この退治屋である火琉毘煉の活躍を記事にすればいいものの、何でやれ熱中症になったやら服が乾かないやらそういうことばかり言いふらすんだ」
「熱中症の危険性は報道すべきでしょ? 服のも梅雨の酷さを表すにはちょうどいい写真だったし」
指を立ててキサは言う。納得してしまったのだろう、うぐ、と悔しげな声が漏れた。
「あと毎回もらってもちょっと困るなぁ」
いつだって愉快な事件の中心にある彼は、キサが記事にすることの多い人物の一人だ。それを報道しようとする度、すぐさまあんパンが投げて寄越されるのだ。それも、毎回。一体、どこで情報を仕入れているのだろう。そこばかりが気になって仕方が無い。聞いても答えてくれないのだけれど。
「抜かりない。いつでも美味に舌鼓を打てるよう、保存期間が長いものを選んでいる」
顎に指を当て、煉はふっと格好付けたように笑う。論じているのはそこではないが、賞味期限が長いのはありがたい。
それにしても、毎回これでは財布が痛むだろうによくやることだ。大変だねぇ、と漏らしそうになった言葉をそっと飲み込む。もらう側が言う言葉ではない。
「だから言うなよ」
眼鏡で飾られた幼げな顔をビシリと指差し、白髪の少年は言う。人を指差すんじゃないわよ、と足下から窘める声があがった。
「分かったよー」
少女はひらひらと手を振って応える。ネタが一つ減ってしまうのは残念なことだ。しかし、きちんと対価としてあんパンを受け取っているのだから口は閉じねばならない。真実の報道は大切ではあるが、そこを反故してしまうのは良くない。そのあたりは弁えていた。
言葉を信じたのだろう――今まで何度も同じことをして口止めしたのだから信じて当たり前だ――煉は、では、と身を翻す。そのまま大仰な動きで廊下を歩き、自身の教室へと入っていった。足下を歩く式神が振り返り、小さく礼をする。ごめんなさいね、と大人びた声が聞こえた気がした。真っ白な毛が美しい狐は、すっと音も無く消えた。
黒い背を見送り、キサは乱れた頭を掻く。落ちてきそうになったキャスケットを慌てて受け止め、しっかりと被り直した。
新聞は作り直しかなぁ。
心の中で苦く呟いて、報道少女は軽い足取りで教室へと入る。ホームルームが始まりを告げるチャイムが、人がいなくなった廊下に響いた。
救う旅路と深い夢路/つまぶき
すぅすぅと穏やかな寝息が眼下からあがる。ソファに横たわった可愛らしい寝顔を前に、つまぶきはあー、と何とも言えない声を漏らした。
オンラインアリーナのバージョンアップ、それに伴う楽曲とエフェクトの追加、プレー性向上を目的とした機能アップデート、外部世界の大会運営に関する相談、プロリーグ開催に向けての準備。加えて通常アップーデトを行うだけでも重労働だというのに、そこにヘキサダイバーの調査にバトル大会も加わったのだからそれはもう大変だ。世界に一番近い位置にいる頑張り屋さんな少女は、起こる何もかもに全力で打ち込んだ。
そんな大仕事をいくつも終え、ようやく業務に凪が訪れた。ここ数ヶ月世界の代表として様々なことを行っていたレイシスを慮り、少しの間ナビゲートの仕事はグレイスが一任してくれている。おかげで、少女は久しぶりに穏やかな日々を過ごす時間を手に入れることができた。
そんな中で彼女がまず選んだのは、ゲームだった。新シーズン以降と同時のアップデートで追加される楽曲、そのジャケット撮影で久方ぶりに会話した少年からゲームの楽しさを説かれたのだ。彼女がやるゲームといえば、自分が暮らす世界の音楽ゲームが主だ。家庭用ゲーム機は持っているものの、随分と長いこと触っていない。オンラインサービスに入れば自由にできるよ、という少年の言葉に、便利デスネ、とキラキラと瞳を輝かせて言っていたことは記憶に新しい。
少女の手には大きなゲーム機を充電し、四苦八苦しながらオンラインサービスに加入し、専用のゲームをダウンロードし。そうして、彼女は世界を救う旅へと繰り出した。
荒廃した世界を旅するだけでなく、強い味方キャラを作り出すシステムに自身で歩いてマップを作るシステムと、勧められたゲームにはたくさんの要素が詰まっていた。やりこみ要素も兼ねているものだ。うんうんと唸りながら味方を作り出す横顔は真剣で、それでいて好奇心に輝いていた。二人で相談しながら合成を進め、マップを歩き、物語を歩んでいく。今日はようやく物語の終点に近い中ボスを倒したところだ。
点けっぱなしになっているゲーム機に近づく。画面はボス戦とその後の会話イベントが終わったところで止まっていた。念のためセーブをして、ゲーム機をスリープ状態にする。己の小さな身体では骨が折れる作業だが、あれほど頑張ってクリアしたのが水泡に帰しては一大事だ。しょんぼりとした少女の顔など見たくない。
落ちないようにゲーム機をソファの奥に追いやり、小さな妖精は部屋を飛び回る。隅に畳まれしまってあったブランケットを一生懸命引きずり、彼女の寝る場所へと帰る。なんとか広げ、よく眠る柔らかな身体を布で包み込んだ。一仕事終え、ふぅと息を漏らす。これで風邪を引くことはあるまい。
すやすやと眠る桃を眺める。ゲームはもう佳境だ。この進み具合ならば、数日後には最終ボスを撃破し物語を終えることができるだろう。そんな盛り上がるストーリーが気になって仕方無いのか、彼女は日に日に夜更かしをしていた。遅いから寝ようぜ、と誘っても、もう少しダケ、と懇願してゲームを続けるのだ。おかげで最近は寝不足のようで、授業中うとうととすることがあると聞いている。毎日同じだけ夜更かしして物語を横で見つめる己も日夜眠気と戦っているのだけれど。
身を丸め、穏やかに眠るレイシスを見下ろす。真っ黒で大きな目がふと細まった。
己がヒトと同じほどだったなら、彼女をベッドまで運んでいけるのだろう。少女の手のひらに収まってしまうほど小さな己では、そんなことは到底できない。潰されるのがオチである。結局、できるのは起こすか毛布を掛けてやるかの二択だ。この可愛らしい寝顔を歪めることなどできるはずがないから、毎回後者を選ぶこととなっている。
「風邪引くナヨナー」
長い髪を座面に広げ、白い瞼を下ろし、桜色の唇から寝息を漏らす少女に語りかける。深い眠りの海に身を沈めている彼女には届くはずがないと分かっている。それでも、一言ぐらいこぼしたくなる。心配なのだ、これでも。
三角形の口が大きく開く。くぁ、とあくびが漏れた。
己もいい加減寝なければいけない。きっと明日も起きる時間ギリギリまで眠っているであろう少女を起こしてやらねばならないのだ。いつまで経っても手が掛かる。ふ、と穏やかな吐息が弧を描く口元から漏れた。
ふよふよと飛び、ソファの縁に近い場所に身体を落ち着ける。ここならばレイシスに潰されることもないだろう。余った毛布の端に潜り込み、妖精は薄い身体を柔らかなクッション生地に預けた。
おやすみー、と眠たげな声。そのまま、桃の少女と銀の妖精は暖かな眠りに身を委ねた。
緑の壁/はるグレ+レフ
小さく息を吐き、烈風刀は立ち上がる。パッパと手を叩き、付いた微細な土を落とした。手を洗わねばならない。しかし、ここに水場らしい水場は無い。布で拭っているが、衛生上限界もあるだろう。どうしたものかな、と考えていると、烈風刀、と名を呼ばれた。
払う手をそのまま、少年は振り返る。黒い世界を背景に、躑躅の髪がふわりと揺れるのが見えた。トン、とヒールが地面を打つ。自分の庭のように暗い海を跳び回る少女が目の前に降り立つ。髪と同じ色をした目が、まっすぐに己を射抜いた。
「昨日の続きなんだけど」
「あぁ、あれですか」
様々な事象が重なり、しばらくの間彼女の下に身を寄せることになった。ネメシスを侵攻する彼女は、度々立案した作戦の相談をしてくる。つい先日までネメシスに住まっていた己は土地勘がある。効率的な進軍方法を相談されることが多々あった。
「ルートは十分だと思います。強いて言えば、特別教室棟側からも送り込めば挟み撃ちにしやすいでしょうか」
「あぁ、そっちは考えてなかったわ」
宙空に紫の電子モニタが現れる。ネメシスでも度々見るそれと全く同じのデバイスは、バグを使って作ったものらしい。器用なものだ、と感心したのを覚えている。
「ねぇ、この地形ならここの庭みたいなところからも――」
かざすグレイスの手にあわせ、モニタが動く。そのまま、こちらへと向けられた。電子の地図を指差そうと、細い身が近づく。瞬間、強い風が間を二人の通り抜けた。
風圧に細めた目を開ける。向いた隣、風が吹き込んできた場所には忍装束に身を包んだ少年がいた。夜闇に浮かぶ満月のような瞳がこちらを睨めつける。緑衣に包まれた手が、そっと広げられた。まるで後ろにいる少女を守るように。
「はーるーかー!」
少年の後ろから声があがる。明らかに苛立った、強い調子のものだ。目的を果たすべく大切な作戦を練っていたところを邪魔されたのだ、感情的なところがある彼女が怒りを覚えるのは当然である。
「邪魔するなって言ってるでしょ! 何回言ったら分かるのよ!」
それも、もう片手ではとうに足りないほど邪魔されているのならば。
グレイスと烈風刀は二人で相談することがよくある。会話の最中、特にふとした瞬間距離が近づくと、必ず始果は現れるのだ。忍である彼の動きなど、速度と手数を重視して戦う烈風刀ですら捉えられない。いつも間に入られ、警戒した目でじぃと睨まれてしまう。
子猫を守る親猫のような姿に、少年は苦い笑みをこぼす。彼の行動は、躑躅の少女にとっては不可解に映るだろう。しかし、碧い少年にとってはこの上なく分かる行動原理だ。だって、想いを寄せる少女が知らない男と二人で話している状況など、許せるはずがない。
「すみません」
「謝るならやるなって言ってるじゃない! 何で覚えない――」
警戒をあらわにした声音で忍の少年は謝罪の言葉を紡ぐ。毎度のことだ。学習しないそれが気に食わないのだろう、少女は声を荒げるばかりだ。それも何故か途中でふつりと途絶えてしまう。
「……いいからどきなさいよ。話の途中なんだから」
「…………はい」
少し低くなった声に従い、少年は二人の間から一歩横にずれる。碧と躑躅を阻んだ緑の障壁は失われた。しかし、その姿はスッと消える。気付けば、彼はグレイスの後ろにいた。長い袖に包まれた手が、黒で彩られた白い腹に回される。そのまま、ぎゅっと抱き締め後ろに寄せた。会議中の二人の身体が遠ざかる。
「…………で、ここのスペースなんだけど」
「はい」
身体を包まれることに一切言及せず、少女は話を続ける。小さな唇が紡ぐ声は、もう諦めきった響きをしていた。これも毎度のことなのだから仕方が無い。画面を見る邪魔にならないなら、と受け入れているようだ。ある種合理的な判断である。
躑躅と若草の様子を気にせず、否、気にしない風を装って烈風刀は話を続ける。グレイスもどんどんとアイディアを出していった。
ちらりと横目で少女を、その背を、腹を、身体を強固に守る少年を見る。依然、彼は険しい顔をしていた。やはり、己とグレイスが話すことをよく思っていないらしい。それでもこれ以上手を出してこないのは、『邪魔するな』という愛しい少女の命令を受けてのことだろう。今回のようなことはあれど、彼は忠臣と表現するのがこれ以上にないくらい相応しい人物なのだ。
ふ、と烈風刀は息をこぼす。微笑ましさのような、諦めのような、羨望のような、複雑な音色をしていた。
これぐらいできれば良かったのに。
あり得もしないことを頭の隅に追いやり、少年は発光するモニタに視線を戻す。黒衣で飾られた白い指が、電子画面を何度も辿った。
機能/性能/君の色 /嬬武器兄弟
青い布地を頭から被る。輪に腕を通し、太い肩紐をしっかりと肩に掛けた。生地の中程に付いた長い紐を後ろに回す。どうにか後ろ手で蝶々結びにした。うっかり踏んで躓かないように、ぎゅっと引いて端の部分を短くする。腰に当たる少しねじれた感覚から美しい形になっていないことは分かるが、怪我を引き起こさないことの方が重要だ。見目を気にするのは慣れてからだ。
買ったばかりのエプロンを見下ろし、雷刀は満足げに笑みを浮かべる。何故そんなものをわざわざ着けるのだろう、と料理する弟の背を見て疑問に思っていたが、実際に着けてみるとなかなかに良いものだ。気分が切り替わる感覚がした。
まな板の前に立ち、包丁を握る。白いそれに載った野菜をリズミカルに切っていく。途中、勢い余って跳ねた具材がエプロンに守られた腹に当たった。少し厚い布地に阻まれているため、服が汚れることはない。こういうところが便利なのだな、と新たな発見に少年は目を輝かせた。
「案外似合ってますね」
後ろから声が飛んでくる。包丁を置いて振り返ると、マグカップを手にした弟の姿があった。碧い視線は己の身体を守る青い生地に注がれている。彼と一緒に買いに行ったものだが、着ける姿を見せるのは初めてだ。
「だろー? 料理もできるオニイチャンって感じでいいだろー?」
ニコニコと笑みを浮かべ、朱い少年はくるりと回る。長い腰紐がふわりと舞って身体とともに円を描いた。台所でふざけない、と叱責の言葉がすぐに飛んでくる。
「後ろ、縦結びになってますよ」
じっとしててください、と冷静な言葉に、大人しく動きを止める。キッチンに入ってきた烈風刀は、青い腰紐をするりと解いて手早く結び直していく。綺麗な青く細い蝶々が引き締まった腰に止まった。あんがと、と生地の持ち主は振り向いて礼を言う。
「後ろ手だと結びにくいんだよなー」
「いつか慣れますよ」
そう言う弟はいつだって後ろ手でも綺麗な蝶々結びを作っていた。長い間赤いエプロンを身に着け、キッチンに立っていただけある。それでも何だか悔しい。不器用な自覚はあるが、蝶々結びなんて基礎的なことぐらいは早くできるようになりたい。
「そーいやさ、何で烈風刀のエプロンって赤なんだ? いっつも青選ぶだろ?」
ふと浮かんだ疑問をそのまま投げかける。碧い髪に碧い目。碧は弟を象徴する色だ。だからか、彼は碧いものを好んで買うことが多い。それが、エプロンだけは正反対の赤いものなのである。珍しいことだ。
冷蔵庫に手を掛けた碧い少年は、白い戸を開けるのを止め顎に手を当てた。翡翠が宙を漂う。
「……たぶん安かったからですね。生地が丈夫で安いとなると、色を選ぶ余裕なんてありませんから」
なるほど、と雷刀は頷く。弟は好みより機能を優先する節がある。毎日着けるものなのだから、機能を優先するのは当然ではあるのだけれど。
買う前はたかが布、と思っていたが、実際に買いに出てみるとかなり違いがあることを知った。布地の厚さ、身長に合った丈、ポケットの有無、適度な腰紐の長さ、その他諸々。選択すべきこと、重要視するべき点はたくさんあった。片割れのアドバイスと己の好みを擦り合わせた結果、今身に着けた厚めの青いエプロンを買ったのだ。悩んで選び抜いただけあって、身に着けたこれは心を弾ませる代物だった。
「貴方こそ、何で青にしたのですか? いつもは赤を選ぶでしょうに」
朱い髪に朱い目と、弟と正反対の朱に縁がある己は、何を買うにもその色を選ぶことが多かった。今回のように青を選ぶのはほとんど無いことだ。彼が疑問に思うのも無理は無いだろう。
「烈風刀が赤ならオレは青かなーって思って」
店頭には同じ型の赤色もあった。けれども、手を伸ばしたのは片割れを想起する青だった。別にお揃いの色でも良かったのだが、なんだか彼の色を選びたかったのだ。今思えば、洗濯する時取り違えることがなくなるので合理的な判断だ。
「いつもは逆ですのにね」
何だか不思議です、と烈風刀は笑う。確かになー、と青い裾をつまんで雷刀も笑った。
「晩飯、楽しみにしとけよ」
「期待してますよ」
ニカリと笑う兄に、弟はふわりと口元を綻ばせる。おう、と元気な声がキッチンに響いた。
朱い唇降りしきり/神十字
ちゅ、と可愛らしい音が若草芽吹く草はらに落ちる。くすぐったいよぉ、ときゃらきゃらとした可愛らしい笑い声があがった。
硬い輪郭をした手が少し短い前髪をそっと上げる。赤い唇が、さらけ出された白く柔らかな額に落とされる。おにいちゃんキスばっかしてるー。鈴のような笑い声が蒼天に昇った。
「だってお前らのこと大好きだしー?」
「わたしもおにいちゃんのこと好きだよー!」
紅葉手がシャープな線を描く頬に伸ばされる。潤った小さな唇が、春の日差しを浴びて色付き始めた肌に触れる。幼子の可愛らしい口付けに、紅い男はニカリと笑みを浮かべた。オレも好きー、と黒衣に包まれた腕が彼の半分にも満たない小さな身体を抱き締める。可愛らしい笑声が、明るい笑声が、昼空に響いていく。
和やかな風景に、青年は頬を緩める――はずだった。けれども、最近の有様を見ては苦い表情ばかりが浮かんでしまう。子どもにこんな顔を見せてはいけないのに、と表情筋を律しようとするが、意識に反して強張っていくばかりだ。
なぁ、あれって何?
住宅が並ぶ街並み、玄関で頬に口付け合う家族を見て紅は疑問の声をあげる。えっ、と思わず同じ音を返してしまった。だって、数え切れない時を生きている『神』である彼が口付けを知らないなど考えるはずがないではないか。
大切な人への親愛表現ですよ、と優しく笑って教えた。翌週、今度は唇と唇を合わせる男女の姿を見て、あれもそうなのか、と指差された時は頭を抱えたが。
新たな感情の表現方法を覚えた彼は、施設の子どもたちに口付けを降らせるようになった。曰く、皆好きだから。曰く、全員大切だから。子どもたちと同じ時を過ごすようになって随分と経つ。愛情も湧くだろう。庇護欲を刺激する幼子ならば尚更だ。己だってあの子たちが愛しくて仕方が無い。
けれども、その表現を一律に『口付け』でやってしまうのは良くないに決まっている。口には絶対にするな、と言い聞かせているが、何かあっては大変だ。大切なファーストキスを覚えたての表現方法を使いたがる存在に奪われてしまっては、可哀想なんて言葉では済まない。
「なんかすげー顔してるけど」
地を映し始めていた蒼の中に、紅が宿る。目の前には、少し屈んでこちらを覗き込む神の姿があった。いつの間にか子どもたちと別れてこちらに来たらしい。
「……いい加減キスするのやめたらどうですか」
「何で? 好きなんだからいいじゃん」
「色々と問題があるのですよ」
あっけらかんとした様子の神に、人間は渋い顔をする。事故が起こってからでは遅いのだ。それに、あんな微笑ましい風景を見ているというのに何故だか胸が薄ら暗くなるのだ。長く暮らしているはずの己以上に懐いている姿を見ているからだろうか。嫉妬としても幼すぎる。はぁ、と溜め息をこぼす。そーなのか、と紅は納得半分疑問半分の声を漏らした。
「でも大切な人にやるもんなんだろ? 皆大切なんだしいいじゃん」
「『大切』の中でも特に大切な人にするものなのです。そう簡単にするものではありません」
へぇ、と赤い口から間の抜けた声が漏れる。そうは言ったものの、彼の中で『大切』の分類がきちんとされているか怪しい。不安は尽きない。
「それに、子どもたちの教育にあまり良くありません」
所構わず口付けを降らせる神の姿に影響され、子どもたちの間では口付け合うのが流行し始めている。こちらも『口』への事故が不安だ。言い聞かせ、早く廃れさせなければいけない。そのためには、まず元凶を止めなければならないのだ。
ふんふんと目の前の紅い頭が上下し頷く。今度は肩を寄せるようにことりと傾く。戻ってまた頷き。なるほどな、と会得のいった声が聞こえた。
どうやら理解してくれたらしい。よかった、と胸を撫で下ろす。あとは子どもたちの方をどうにかせねば。考える頭に何かが触れる。温かなものがそっと頭を撫ぜ、こめかみを伝い、頬へと添えられる。
「じゃあクロワにはしてもいいんだよな?」
だってクロワは一番『大切』なんだし。
そう言って神は笑う。頭上におわす太陽のような眩しい笑みが向けられる。きゅうと何かに締め付けられるような感覚に陥った。思わず一歩退く。固さが目立つ手が自然と離れていった。
「……まぁ、僕になら」
日々振り回されているものの、己ならば彼にきちんとストップを掛けられるはずだ。『事故』があっても子どもたちほどダメージは受けない。それに、『神』の求めるものを捧げる信者の役目である。頬や額を差し出すぐらい安いものだ。
草が踏みしめられる音。目の前の紅が視界を埋める。また頬に温度。紅玉がふっと細まり、赤い口が開く。クロワ、といっとう甘い声が己の名をなぞった。
紅が近づく。風に揺られる紅が、真ん丸な紅が、八重歯で彩られた紅が近づく。視界を埋めていく。鮮やかな、眩しいほど鮮やかな色に反射的に目を閉じた。
柔らかな温もりが頬に触れる。ちゅ、と可愛らしい音が耳元で聞こえた。
熱は一瞬で離れて消えていく。消えていくはずなのに、頬が熱くて仕方無い。触れた場所から伝播していくような心地だ。情けない、と思わず目を伏せる。たかが頬へと口付け程度で赤くなるなど、初心にも程がある。
「そういや何で口はダメなんだ?」
「…………色々と複雑なのです。帰ったら説明しますから」
この場で唇に唇に触れる意味など教えられるはずがない。彼を納得させる簡潔な言葉は持っていないのだ。それに、子どもたちに聞かれては一大事である。彼と二人暮らしをしているのだから、帰ってから本で例でも出しながら説明した方が早い。
なぁ、と呼ぶ声。視線をやると、輝く炎瑪瑙と視線が合った。
「帰ってからもやってもいい?」
「ダメです」
すぐさま切り捨てると、不満げな声があがる。頬を膨らませる姿は幼げで可愛らしいが、絆され許してしまうべきことではない。それを含めて、帰ってからみっちり教えねば。
一人決心し、蒼は子どもたちへと歩みを進める。そろそろ戻りますよ、と屈んで視線を合わせながら告げる。はーい、と元気な声と、早くも草を踏みしめ駆けていく音が聞こえた。
風が子の、人の、神の背を押す。若い緑で染まった庭から影が消え、建物の中からはしゃいだ声が聞こえ始めた。
業焔宿りし瞳/火琉毘煉
幕が垂らされたブースに入る。敷かれた布に皺が寄らないよう、慎重に足を運んだ。
空間の真ん中に音も無くしゃがみこむ。少し斜めを向き、少年は片膝を床につけた。右半身に温度。視線をやれば、珍しくこちらに寄り添う式神の姿があった。あまり接触を好まない彼女だが、指定されたポーズなのだから仕方無い。早くしなさいよ、と言いたげな菫がこちらに向けられた。
懐から取り出した愛用の札を、いつものように両手の指に挟んで構える。そのまま、真正面を向いた。まばゆいほどの照明が、数え切れないほどの撮影機材が、脚立に設置されたカメラが見返してくる。透明なレンズと視線がぶつかる。遠くまで引かれ小さくなった円の中に、黒が、白が、赤が見えた。
深い赤の目がすぅと眇められる。よく舌が回る大きな口が閉じられ、口角が上げられる。普段は見せることのない不敵な笑みを作りだし、退治屋はまっすぐにレンズを見つめた。
「よく撮れてるじゃないか」
液晶画面を横から覗き込み、煉は満足げに言う。撮影の興奮冷めやらぬのか、どこか上擦った調子をしていた。親指と人差し指を顎に当て、ふふふ、と漏らす笑声もどこか浮ついている。前足を机に掛けて一緒に覗き込んでいた鈴音が呆れを多分に含んだ息を漏らした。
いつもの調子の少年に構うこと無く、撮影班は淡々と撮った写真を比較していく。これでいいかな、と一枚の写真がノートパソコンの画面いっぱいに表示される。いいじゃないか、と依然浮かれた声が飛んできた。
「俺の業火より燃え血よりも深い瞳が鮮明に刻まれているな。この漆黒の闇と紅蓮の焔差す純白の髪も綺麗に映って――」
「じゃあこれで決まりだねー。お疲れ様」
流れるように言葉を並べ立てる少年に、撮影を担当していた識苑は手を振る。よく回る舌が止まり、世話になった、と礼の言葉がなめらかに告げられた。礼節はきちんと弁えていた。
黒いブーツが踵を返す。一歩進んだところで、それはまたくるりと回った。赤い瞳が次の撮影の準備をしようとパソコンを操作する背を眺める。しばしして、なぁ、と煉は口を開いた。
「先の写真なんだが」
「あれ? 別のが良かった?」
「いや、違う」
慌てて先ほど決定したばかりの写真を開く教師に、退治屋は否定の言葉を返す。夕陽色の目がぱちりと瞬いた。相対する茜空の目が宙を泳ぐ。しばしして、長い指が液晶に映る自身の顔を差した。
「……左目にエフェクトを付けることってできるか?」
「ちょっと」
煉の提案に、足下に付いていた鈴音が抗議の声をあげる。黒衣に包まれた足を白い前足がぺしんと叩く。わがままを言うな、手を掛けさせるな、と鋭い紫苑の瞳が頭上の主を見上げた。
「いや、もちろん現時点でも素晴らしい写真ではあるのだが、この彼岸花のように鮮烈で紅玉のように濃く深い左目に焔のように輝きたなびく光のエフェクトを付けることで写真の更なる魅力が引き出され――」
「いいねぇ! かっこいいと思うよ!」
言い訳をするように早い調子の長口上を遮り、月色の目がぱぁと輝く。骨張った手がマウスを操り、画像編集ソフトを立ち上がる。左目に風になびくような赤の線を引き、腕を組んで依然迂遠な言葉を連ねる少年に画面を向けた。
「こんな感じ?」
「そう!」
簡素に加工された写真を指差し、白髪の少年は大声をあげる。理想通りだったらしい。
「そういえば持ってきた宣材写真もこういう風に加工されてたしねー。君っぽくて良いと思うよ」
「そうだろう? 俺の代償背負いたる左目にはこういうのが――」
「いい加減にしなさい」
また口を開く煉の頬に肉球が押しつけられる。見かねて立ち上がった鈴音の手だ。まだ丸みを残した頬がぐにりと歪んだ。口に近い部分を押さえられてか、長々とした言葉が止む。そんな二人を気にすること無く、識苑はマウスを操作した。
「うん、じゃあエフェクト入れとくね。今度こそお疲れ様」
「よろしく頼む」
では、と手を振って身を翻し、少年は大仰な足取りで扉へと歩いていった。戸を開け、廊下に出て一礼し、彼は撮影室を出た。
特別教室棟の廊下に、ふふふ、と浮かれた調子の笑い声と、はぁ、と呆れた調子の深い溜め息が響いた。
月より団子/ハレルヤ組
窓越し、星が輝く夜を背に白が並ぶ。綺麗に揃えられた真ん丸は三方の上に積み上げられ、美しい三角山を作り出していた。つるりとした丸だというのに転がり落ちる気配すらないところから、作った人間の几帳面さがよく窺える。
薔薇輝石の瞳が、柘榴石の瞳が真っ白ですべすべとした表面を見つめる。二色の瞳は山を成す団子に釘付けになっていた。こくりと白く喉が上下する。真っ白なお団子。美しいお団子。美味しそうなお団子。丁寧に作られた月見団子は、少年少女の食欲をこれでもかと刺激した。夕飯を食べたばかりだというのに腹が鳴ってしまいそうなほどだ。
「……一個ぐらいならバレなくね?」
「形崩れちゃうからバレちゃいマスヨ」
「食べる用は別で作ってありますから勝手に食べない」
月見団子の山に熱烈な視線を送る二人の背に、ほのかに棘が見える声が掛けられる。身体が二つビクンと震え、鏡合わせのような動きでおそるおそる振り向く。食欲に輝く紅葉と桃に、盆を持った浅葱の姿が映った。
「タッ、食べマセンヨ?」
「まだ何にもやってねぇよ?」
きょろきょろと視線を泳がせる二人に、烈風刀は小さく息を漏らす。呆れと少しの愛しさがにじんでいた。薄く険しさが浮かぶ表情が解け、小さな笑みを浮かべた。
「それに、そちらは作ってから時間が経って固くなっています。あんまり美味しくありませんよ」
こっちを食べてください、と少年は手にした盆を机の上に置く。両手でなければ持てない大きさのそれには、朱と桃が今の今まで見つめていた白があった。それも、三つ。
碧は手慣れた様子でテーブルに皿を並べていく。各々の前に置かれた小皿の上には、一口サイズに整えられた団子が小さな山の形に盛られていた。脇にある小さな鉢には、黒と茶と橙がスプーンとともに入っている。二色の瞳が不思議そうな様子で三色を覗き込む。少し節が目立つ指が器を順々に指差した。
「これがあんこで、こっちがみたらし餡、そっちがかぼちゃ餡です。好きなものを掛けて食べてください」
わぁ、と感嘆の声が二つあがる。誤魔化すように宙をうろうろと漂っていた紅水晶と紅玉が皿に一心に向けられる。見つめる瞳は夜空に浮かぶ星と同じほど輝いていた。関心は台の上に成された大きな三角山でなく、目の前の小さな山にすっかりと移ってしまったようだ。
並べられた団子の前に、三人一緒に手を合わせる。いただきます、と元気な合唱が夜の部屋に響いた。
「あんこ美味しいデス~!」
「かぼちゃんめぇ! 甘い!」
好きな餡を掛けた団子が赤い口の中に消え、柔らかな頬がもぐもぐと動く。感動に満ちた声が二つあがった。それはよかった、と烈風刀もみたらし餡をひとすくい掛けて団子を口に運ぶ。出来が良かったのだろう、花緑青の目元がふわりと解けた。
赤い口の中にどんどんと白が消えていく。団子も餡もあっという間に無くなってしまった。ごちそうさまでした、とまた合唱。美味しかった、と元気いっぱいの二重奏が続いた。
ルビーレッドが、チェリーピンクがそろりと動く。同じ方向へと向けられた視線二つは、まだ山を成す大きな月見団子に吸い込まれた。輝く二色は、まだ食べ足りないと語っていた。夕飯をめいっぱい食べて尚、ほの甘いであろうそれに目を奪われてしまう。『甘い物は別腹』とはよく言ったものだ。
「そのまま食べるのには向いていませんよ」
「じゃあどうすんだ? 捨てるわけにはいかないだろ?」
「調べたのですけど、おしるこにするのがいいそうで。水分を吸って柔らかくなり食べやすくなるみたいです」
おしるこ、と二つの声が重なる。同時にバッと振り返り、白い山に向けられていた視線が若草色に注ぎ込まれる。見つめる二色の瞳には、食欲の光が煌々と輝いていた。小さく開いた口から涎が垂れてしまいそうなほどの輝かしさだ。
「……明日にする予定だったんですけどね」
半分諦めた調子の声に、少年と少女の目が丸くなる。まっすぐに見つめる瞳には、期待がたっぷりと乗っていた。
困ったように、呆れたように眉を八の字にした碧は、手早く盆に皿を載せる。秋服に包まれた腕が、三方へと伸ばされる。そのまま、器を重ねて空けたスペースにそれを載せた。
「今から作ってきます。ちょっと待っててください」
「ハイ!」
「おう!」
やったー、と顔を向き合わせ手を上げ喜ぶ二人の姿に、烈風刀はそっと口元を綻ばせる。先の団子も、飾っていた月見団子も、彼が自作したものだ。自分が作った料理を楽しみにしてくれている。美味しく食べてくれている。作り手冥利に尽きる光景だ。
再びキッチンに立った少年は、ふとリビングへと視線を戻す。ローテーブルの前に腰を下ろした二人は、窓の外には一切目もくれず楽しげに話していた。おしるこ、とはしゃぐ声が耳をなぞる。
お月見なんですけどね、と笑みを含んで呟く声は、少し冷えた台所に落ちて消えた。
「今日の卵焼きしょっぱかったですね」「たまにはこういうのもいいでしょ?」/グレイス+ハレルヤ組
いただきます。四重奏が昼休みの賑やかな教室に響く。合わせた手を解くと、各々箸や弁当箱の蓋に手を掛けた。
薄紫の蓋を両手で開けて取り、グレイスは箸を握る。弁当箱の半分には、朝作って詰め込んだおかずたちが並んでいた。一部冷凍食品を詰め込んだものの、どれもなかなかの出来だ。一人で料理するようになってしばらく経つが、ようやく見目を意識して作ることができるようになってきた。それでもまだ姉や仲間の碧には敵わないのだけど。
んめー、と向かいから声。頬いっぱいに弁当を頬張る雷刀の姿が見えた。深紅の箸には黄色い卵焼きがあった。少し大ぶりなそれが、めいっぱいに開いた赤い口に吸い込まれる。頬をもぐもぐと動かしながら、またんめぇ、と感嘆の声をあげた。飲み込んでから喋りなさい、と諫める声が朱い頭にぶつけられた。
「なんかさー、たまにしょっぱい卵焼き食べたくなるよな」
なんでだろな、と彼は白米に箸を伸ばす。わしりと掴み、口に放り込んでいく。すっとした輪郭をした頬が丸く膨らむ。
え、と躑躅は思わず声を漏らす。白身フライを口に運ぶ手が止まった。
「卵焼きって甘いんじゃないの?」
「しょっぱいのもあるだろ?」
きょとりとした顔をする躑躅の少女に、朱い少年もきょとりとした顔を返す。アァ、と隣から納得したような声。
「ワタシは甘いのしか作りマセンカラ、グレイスはしょっぱい卵焼き食べたことないンデス」
ネメシスに来たばかりの頃は、レイシスが昼ご飯に弁当を作ってくれていた。その中に入っている鮮やかに黄色くてかっちりと巻かれた卵焼きはいつだって甘かった。卵焼きとはこういう味なのか、甘い食べ物なのか、と今の今までずっと思っていたが、それは彼女の嗜好の結果だったらしい。
「オレらも基本甘いのだけど、しょっぱいのも作るぜ?」
な、と雷刀は隣に顔を向ける。そうですね、と烈風刀は箸を置いて応えた。へぇ、とグレイスは漏らす。甘いのとしょっぱいのがあるなら、辛いのや苦いのもあるのだろうか。今度聞いてみようか、と掴んだままだったフライを口に入れる。魚の香りと塩気が舌の上に広がった。
「食べてみますか?」
筋の浮かぶ手が深い青の二段式弁当箱を掴む。少年はおかずが入った段を少女の目の前に差し出した。ブロッコリーの緑、プチトマトの赤、カップグラタンの白、ウィンナーの茶色。様々な色の中に少し焦げ目の付いた黄色があった。
いいの、と尋ねると、えぇ、と穏やかな声が返ってくる。いただきます、と一言断って、グレイスはよく焼かれた卵焼きへと箸を伸ばした。一口で食べるには少し大きなそれを半分かじる。口内に広がったのは普段のほの甘い優しい味ではない。しょっぱさの中に不思議な風味が広がるものだった。
「ほんとだ。しょっぱい」
こくりと飲み込み、少女はこぼす。美味いか、と正面から問いが飛んでくる。美味しいわ、と素直に答えると、目の前の顔がパァと明るくなった。どうやら今日の弁当を作ったのは兄の方のようだ。
「……ねぇ、これって砂糖の代わりに塩入れればいいの?」
「そだな。今日は白だしも入れたけど」
初めて聞く名だ。しろだし、と思わず復唱する。スーパーに売ってますよ、と優しい声がかけられた。ふぅん、とどこか心ここにあらずといった調子で声を漏らしてしまう。
「美味しいわ。ありがとう」
礼を言って、グレイスは残りの卵焼きを食べる。またふわりと風味が香る。これが『しろだし』とやらによるものなのだろうか。塩のしょっぱさだけでも十二分に美味しいだろうが、こうやって風味があると更に美味しく感じる。料理って不思議、と心の中でこぼした。
躑躅の目が弁当箱からあがる。しばしの逡巡、ねぇ、と健康的に色付いた唇が控えめな声を発した。
「しょっぱい卵焼きって、塩としろだしってやつどれぐらい入れればいいの?」
「……えーっと…………、塩はこんくらい? で、白だしはなんかちょっとどばってならないぐらい」
少女の問いに、制作者である朱は悩んだ末身振り手振りで示す。正確な分量を知りたいのだが、どうやら感覚で作っているようだ。いつも直感で行動する彼らしい。
「こればかりは感覚と経験ですね」
苦笑を漏らしながら烈風刀が言う。レシピを厳守し、きちんと量って料理をする彼らしくもない言葉だった。経験ねぇ、とどうにもならない解答をぼやくように繰り返した。
「……うん。分かったわ。ありがと」
今一度礼を紡ぎ、グレイスは白米に箸を伸ばす。舌の上にほのかに残った塩気に、米の甘みが加わった。なるほど、しょっぱい卵焼きはご飯に合うのか。甘い卵焼きも合わないわけではないが、白米に合わせるならこちらの方が良いように思えた。
今日は帰りにスーパーに寄ろう。そして卵と『しろだし』とやらを買おう。帰ったら試作だ。ぶっつけ本番ではまずいものができあがってしまうかもしれない。そんなもの、自分で食べるのはもちろん人に食べさせるわけにもいかない。
考え、少女は食事を続ける。鼻の奥にはまだあの風味が残っている気がした。
畳む
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SDVX
2024/1/31(Wed) 00:00
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twitter掌編まとめ5【SDVX】
twitter掌編まとめ5【SDVX】twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
成分表示:奈←恋1/キサ+煉1/つまぶき1/はるグレ+レフ1/嬬武器兄弟1/神十字1/火琉毘煉1/ハレルヤ組1/グレイス+ハレルヤ組1
晴れ舞台が焼き付いて/奈←恋
「今度の文化祭、演劇部の舞台でお姫様役をやることになったの」
そう言ってふわりと笑う親友の横顔は、夕焼けに照らされて色付いていた。夏も終わりに近づいているというのに夕の陽は鮮烈で、白い肌を暖色に染め上げていた。
「……え? お姫様? 奈奈が?」
処理落ちした脳味噌が、インプットされた情報をやっと理解する。アウトプットされたのは、間の抜けた呆けた声だった。
「変、かしら……?」
「ううん! すっごく似合うわ!」
穏やかな弧を描いていた眉があっという間に八の字に下がる。陰った可愛らしい顔を前に、慌てて言葉を続ける。そう、と奈奈は依然不安げに首を傾げる。そんな顔をさせてしまうようなことを漏らした己を内心罵倒しながら、似合うに決まってるじゃない、と恋刃は微笑んだ。
「それで、しばらくは練習で遅くなるの。本番まで、一緒に帰れなくなっちゃうと思う」
寂しげに告げる七色の少女の手を、紅色の少女はきゅっと握る。少し曇った虹の瞳がぱちりと瞬いた。
「待つから一緒に帰りましょ。奈奈一人で夜遅くに出歩かせるのは危ないわ」
文化祭での公演である、大がかりな物になるだろう。それだけ練習量も多く、日が暮れるまで稽古を重ねるのは容易に想像できた。秋に近づき夜がすぐさま降りてくるようになった今、その程度の理由で親友一人で夜道を歩かせるなど言語道断だ。
「いいの?」
「もちろん。あ、ついでに練習見学できない? 劇の内容気になる」
明日聞いてみるわね、と七色は笑う。お願い、と紅色も笑った。
見学許可は簡単に下りた。毎日練習に励む親友を舞台袖から眺め、時には差し入れを持ち込み、時には初めての演技に不安がる様を励まし、時には過度に卑下する姿に檄を飛ばし。練習の日々は過ぎていく。
文化祭当日は盛況だった。大きな体育館に用意された座席の八割は埋まり、多くの人が舞台の幕開けを待っていた。
大丈夫かしら。普段とは正反対の黒いドレスに身を包み、カタカタと震えながら奈奈は漏らす。大丈夫よ。すっかりと冷たくなった美しい手を握り、恋刃は自信たっぷりに言う。演劇部の、七色の彼女の努力をずっと見てきた己には、この舞台の失敗など全く考えられなかった。大成功に決まってるわ、と冷えた手を包んで温める。そうだよ、大丈夫、と舞台衣装に着替えた部員たちも口々に言った。
頑張ってくるわね、と最後には笑顔で手を振った親友は、今は堂々とした姿で舞台に立っていた。初めは緊張でわずかに震えていた声も、今では普段通りの澄んだ、それでいて稽古によって鍛えられたよく通る声をしていた。動きもなめらかで、初心者には見えないものだ。ここしばらくの彼女の努力が結晶となり、ここで輝いていた。
主人公役である演劇部員の少年も、小さな身体をめいっぱい動かし舞台を盛り上げる。勇者である主人公は、ヒロインであるお姫様を追いかけて国中を旅する。たった一人の険しい旅路の様子を、幼い少年は懸命に演じてみせた。
物語は佳境に入り、とうとう勇者と姫は出会う。救うべき存在との邂逅だけでは、ハッピーエンドには至らなかった。ナイフを持った勇者は慟哭する。姫の悲痛な悲鳴が会場中に響き渡った。少女の手からリンゴが転がり落ちる。凶器を握ったまま蹲り嗚咽を漏らす少年の手に、たおやかな手が重ねられた。
どくん、と心臓が大きく脈打つ。え、と思わず漏らした声は、最大の山場を演出する音楽に掻き消された。
どくん、どくん、と心臓がうるさく跳ねる。気持ちが悪くなるぐらい鼓動が早くなる。背筋を冷たい何かが撫ぜる。嫌な汗が頬を伝う。
どうして、と少女は一人混乱に陥る。このシーンは練習でも特に見たものだ。主人公の台詞を覚え、帰り道に二人で練習したほどの場面である。なのに、何故か嫌なものが身体中を這って回る。細い身を雁字搦めにして、どこかへ連れて行こうとする。
精神は暗く揺れ動いているというのに、紅い目は舞台上に釘付けになっていた。細い手を振り払おうとする勇者に、姫は――親友は必死に言葉を振り絞る。序盤か弱く演出されたヒロインの隠された強さが発揮されるシーンだ。大好きな親友の最大の見せ場、最高に格好良い素敵なシーンだ。目が離せるわけがない。なのに、心は目を力いっぱい閉じてしまいたくてたまらなくなる。
何で。どうして。こんなに素敵な舞台なのに。こんなに素敵な演技なのに。こんなに素敵な奈奈なのに。
嗚咽を堪えることなく泣く勇者の背に、姫はそっと腕を回す。小さな身体を包み込むように、細い身いっぱい使って抱き締めた。
奈奈が、誰かを抱き締めている。
胸がカァと熱を持つ。心臓がギュウと締め付けられる。顔からサァと血の気が引いていく。末端がどんどんと冷えていくのが分かった。
情動に震える少女は、ずっと舞台を見つめる。見たくもない、と心は意味が分からないことを叫ぶ。見なければならない、と頭は当然のことを語った。
主人公が、ヒロインが舞台中央で抱き締め合う。金が、赤が、黒が、スポットライトを浴びて鮮烈にきらめいていた。
輝かしい舞台を見つめる紅は、光など失っていた。焦点の合わないガーネットが、結末で結ばれる二人をただ見つめていた。
口止め料八十円/キサ+煉
オレンジ色のスニーカーに包まれた小さな足が一生懸命動く。バッジで飾った帽子を揺らし、着崩したモスグリーンのジャケットをはためかせながらキサは廊下を駆けた。
夏休みの間にたくさんのスクープを撮ることができた。あとはこれを報道するだけだ。あぁ、早くたくさんの大事件を伝えたい。もちろん、起こったのは楽しいことばかりではない。しかし、そこには読み取るべき真実が眠っているのだ。これを広めないで何が報道か。
走る小柄な身体を、高い影が遮る。ぶつからないように急いでブレーキを掛けた。キュッと靴の底面と廊下が擦れる音があがる。
塞がる者から何かが飛んでくる。いつも通り、放り投げられた物を両手でキャッチする。学園内の購買で売られているあんぱんだ。大好きなそれに、思わず頬が緩む。それもすぐに戻り、少女は不可思議そうな表情を浮かべた。
「次郎くん、いつもあんパンくれるけど何で?」
「火琉毘煉だ」
疑問を投げかける少女に、煉はすぐさま訂正を入れる。『火琉毘煉』はあくまで彼が名乗っているだけで、本名は『鈴木次郎』である。真実を伝えるべき存在でありたいのだ、人のことはきちんと本名で呼びたい。
「いつも勝手に人のことを面白おかしく喧伝するからだ」
今だってそうだろう、と少年はすぐ隣、彼女のクラスのドアを指差す。たしかに、今まさに集めた大スクープを学級中に披露するところだった。読まれてるなぁ、と鞄にそっと手をやる。早朝にようやくできあがった、彼が載った新聞をそっと奥に隠した。
「この退治屋である火琉毘煉の活躍を記事にすればいいものの、何でやれ熱中症になったやら服が乾かないやらそういうことばかり言いふらすんだ」
「熱中症の危険性は報道すべきでしょ? 服のも梅雨の酷さを表すにはちょうどいい写真だったし」
指を立ててキサは言う。納得してしまったのだろう、うぐ、と悔しげな声が漏れた。
「あと毎回もらってもちょっと困るなぁ」
いつだって愉快な事件の中心にある彼は、キサが記事にすることの多い人物の一人だ。それを報道しようとする度、すぐさまあんパンが投げて寄越されるのだ。それも、毎回。一体、どこで情報を仕入れているのだろう。そこばかりが気になって仕方が無い。聞いても答えてくれないのだけれど。
「抜かりない。いつでも美味に舌鼓を打てるよう、保存期間が長いものを選んでいる」
顎に指を当て、煉はふっと格好付けたように笑う。論じているのはそこではないが、賞味期限が長いのはありがたい。
それにしても、毎回これでは財布が痛むだろうによくやることだ。大変だねぇ、と漏らしそうになった言葉をそっと飲み込む。もらう側が言う言葉ではない。
「だから言うなよ」
眼鏡で飾られた幼げな顔をビシリと指差し、白髪の少年は言う。人を指差すんじゃないわよ、と足下から窘める声があがった。
「分かったよー」
少女はひらひらと手を振って応える。ネタが一つ減ってしまうのは残念なことだ。しかし、きちんと対価としてあんパンを受け取っているのだから口は閉じねばならない。真実の報道は大切ではあるが、そこを反故してしまうのは良くない。そのあたりは弁えていた。
言葉を信じたのだろう――今まで何度も同じことをして口止めしたのだから信じて当たり前だ――煉は、では、と身を翻す。そのまま大仰な動きで廊下を歩き、自身の教室へと入っていった。足下を歩く式神が振り返り、小さく礼をする。ごめんなさいね、と大人びた声が聞こえた気がした。真っ白な毛が美しい狐は、すっと音も無く消えた。
黒い背を見送り、キサは乱れた頭を掻く。落ちてきそうになったキャスケットを慌てて受け止め、しっかりと被り直した。
新聞は作り直しかなぁ。
心の中で苦く呟いて、報道少女は軽い足取りで教室へと入る。ホームルームが始まりを告げるチャイムが、人がいなくなった廊下に響いた。
救う旅路と深い夢路/つまぶき
すぅすぅと穏やかな寝息が眼下からあがる。ソファに横たわった可愛らしい寝顔を前に、つまぶきはあー、と何とも言えない声を漏らした。
オンラインアリーナのバージョンアップ、それに伴う楽曲とエフェクトの追加、プレー性向上を目的とした機能アップデート、外部世界の大会運営に関する相談、プロリーグ開催に向けての準備。加えて通常アップーデトを行うだけでも重労働だというのに、そこにヘキサダイバーの調査にバトル大会も加わったのだからそれはもう大変だ。世界に一番近い位置にいる頑張り屋さんな少女は、起こる何もかもに全力で打ち込んだ。
そんな大仕事をいくつも終え、ようやく業務に凪が訪れた。ここ数ヶ月世界の代表として様々なことを行っていたレイシスを慮り、少しの間ナビゲートの仕事はグレイスが一任してくれている。おかげで、少女は久しぶりに穏やかな日々を過ごす時間を手に入れることができた。
そんな中で彼女がまず選んだのは、ゲームだった。新シーズン以降と同時のアップデートで追加される楽曲、そのジャケット撮影で久方ぶりに会話した少年からゲームの楽しさを説かれたのだ。彼女がやるゲームといえば、自分が暮らす世界の音楽ゲームが主だ。家庭用ゲーム機は持っているものの、随分と長いこと触っていない。オンラインサービスに入れば自由にできるよ、という少年の言葉に、便利デスネ、とキラキラと瞳を輝かせて言っていたことは記憶に新しい。
少女の手には大きなゲーム機を充電し、四苦八苦しながらオンラインサービスに加入し、専用のゲームをダウンロードし。そうして、彼女は世界を救う旅へと繰り出した。
荒廃した世界を旅するだけでなく、強い味方キャラを作り出すシステムに自身で歩いてマップを作るシステムと、勧められたゲームにはたくさんの要素が詰まっていた。やりこみ要素も兼ねているものだ。うんうんと唸りながら味方を作り出す横顔は真剣で、それでいて好奇心に輝いていた。二人で相談しながら合成を進め、マップを歩き、物語を歩んでいく。今日はようやく物語の終点に近い中ボスを倒したところだ。
点けっぱなしになっているゲーム機に近づく。画面はボス戦とその後の会話イベントが終わったところで止まっていた。念のためセーブをして、ゲーム機をスリープ状態にする。己の小さな身体では骨が折れる作業だが、あれほど頑張ってクリアしたのが水泡に帰しては一大事だ。しょんぼりとした少女の顔など見たくない。
落ちないようにゲーム機をソファの奥に追いやり、小さな妖精は部屋を飛び回る。隅に畳まれしまってあったブランケットを一生懸命引きずり、彼女の寝る場所へと帰る。なんとか広げ、よく眠る柔らかな身体を布で包み込んだ。一仕事終え、ふぅと息を漏らす。これで風邪を引くことはあるまい。
すやすやと眠る桃を眺める。ゲームはもう佳境だ。この進み具合ならば、数日後には最終ボスを撃破し物語を終えることができるだろう。そんな盛り上がるストーリーが気になって仕方無いのか、彼女は日に日に夜更かしをしていた。遅いから寝ようぜ、と誘っても、もう少しダケ、と懇願してゲームを続けるのだ。おかげで最近は寝不足のようで、授業中うとうととすることがあると聞いている。毎日同じだけ夜更かしして物語を横で見つめる己も日夜眠気と戦っているのだけれど。
身を丸め、穏やかに眠るレイシスを見下ろす。真っ黒で大きな目がふと細まった。
己がヒトと同じほどだったなら、彼女をベッドまで運んでいけるのだろう。少女の手のひらに収まってしまうほど小さな己では、そんなことは到底できない。潰されるのがオチである。結局、できるのは起こすか毛布を掛けてやるかの二択だ。この可愛らしい寝顔を歪めることなどできるはずがないから、毎回後者を選ぶこととなっている。
「風邪引くナヨナー」
長い髪を座面に広げ、白い瞼を下ろし、桜色の唇から寝息を漏らす少女に語りかける。深い眠りの海に身を沈めている彼女には届くはずがないと分かっている。それでも、一言ぐらいこぼしたくなる。心配なのだ、これでも。
三角形の口が大きく開く。くぁ、とあくびが漏れた。
己もいい加減寝なければいけない。きっと明日も起きる時間ギリギリまで眠っているであろう少女を起こしてやらねばならないのだ。いつまで経っても手が掛かる。ふ、と穏やかな吐息が弧を描く口元から漏れた。
ふよふよと飛び、ソファの縁に近い場所に身体を落ち着ける。ここならばレイシスに潰されることもないだろう。余った毛布の端に潜り込み、妖精は薄い身体を柔らかなクッション生地に預けた。
おやすみー、と眠たげな声。そのまま、桃の少女と銀の妖精は暖かな眠りに身を委ねた。
緑の壁/はるグレ+レフ
小さく息を吐き、烈風刀は立ち上がる。パッパと手を叩き、付いた微細な土を落とした。手を洗わねばならない。しかし、ここに水場らしい水場は無い。布で拭っているが、衛生上限界もあるだろう。どうしたものかな、と考えていると、烈風刀、と名を呼ばれた。
払う手をそのまま、少年は振り返る。黒い世界を背景に、躑躅の髪がふわりと揺れるのが見えた。トン、とヒールが地面を打つ。自分の庭のように暗い海を跳び回る少女が目の前に降り立つ。髪と同じ色をした目が、まっすぐに己を射抜いた。
「昨日の続きなんだけど」
「あぁ、あれですか」
様々な事象が重なり、しばらくの間彼女の下に身を寄せることになった。ネメシスを侵攻する彼女は、度々立案した作戦の相談をしてくる。つい先日までネメシスに住まっていた己は土地勘がある。効率的な進軍方法を相談されることが多々あった。
「ルートは十分だと思います。強いて言えば、特別教室棟側からも送り込めば挟み撃ちにしやすいでしょうか」
「あぁ、そっちは考えてなかったわ」
宙空に紫の電子モニタが現れる。ネメシスでも度々見るそれと全く同じのデバイスは、バグを使って作ったものらしい。器用なものだ、と感心したのを覚えている。
「ねぇ、この地形ならここの庭みたいなところからも――」
かざすグレイスの手にあわせ、モニタが動く。そのまま、こちらへと向けられた。電子の地図を指差そうと、細い身が近づく。瞬間、強い風が間を二人の通り抜けた。
風圧に細めた目を開ける。向いた隣、風が吹き込んできた場所には忍装束に身を包んだ少年がいた。夜闇に浮かぶ満月のような瞳がこちらを睨めつける。緑衣に包まれた手が、そっと広げられた。まるで後ろにいる少女を守るように。
「はーるーかー!」
少年の後ろから声があがる。明らかに苛立った、強い調子のものだ。目的を果たすべく大切な作戦を練っていたところを邪魔されたのだ、感情的なところがある彼女が怒りを覚えるのは当然である。
「邪魔するなって言ってるでしょ! 何回言ったら分かるのよ!」
それも、もう片手ではとうに足りないほど邪魔されているのならば。
グレイスと烈風刀は二人で相談することがよくある。会話の最中、特にふとした瞬間距離が近づくと、必ず始果は現れるのだ。忍である彼の動きなど、速度と手数を重視して戦う烈風刀ですら捉えられない。いつも間に入られ、警戒した目でじぃと睨まれてしまう。
子猫を守る親猫のような姿に、少年は苦い笑みをこぼす。彼の行動は、躑躅の少女にとっては不可解に映るだろう。しかし、碧い少年にとってはこの上なく分かる行動原理だ。だって、想いを寄せる少女が知らない男と二人で話している状況など、許せるはずがない。
「すみません」
「謝るならやるなって言ってるじゃない! 何で覚えない――」
警戒をあらわにした声音で忍の少年は謝罪の言葉を紡ぐ。毎度のことだ。学習しないそれが気に食わないのだろう、少女は声を荒げるばかりだ。それも何故か途中でふつりと途絶えてしまう。
「……いいからどきなさいよ。話の途中なんだから」
「…………はい」
少し低くなった声に従い、少年は二人の間から一歩横にずれる。碧と躑躅を阻んだ緑の障壁は失われた。しかし、その姿はスッと消える。気付けば、彼はグレイスの後ろにいた。長い袖に包まれた手が、黒で彩られた白い腹に回される。そのまま、ぎゅっと抱き締め後ろに寄せた。会議中の二人の身体が遠ざかる。
「…………で、ここのスペースなんだけど」
「はい」
身体を包まれることに一切言及せず、少女は話を続ける。小さな唇が紡ぐ声は、もう諦めきった響きをしていた。これも毎度のことなのだから仕方が無い。画面を見る邪魔にならないなら、と受け入れているようだ。ある種合理的な判断である。
躑躅と若草の様子を気にせず、否、気にしない風を装って烈風刀は話を続ける。グレイスもどんどんとアイディアを出していった。
ちらりと横目で少女を、その背を、腹を、身体を強固に守る少年を見る。依然、彼は険しい顔をしていた。やはり、己とグレイスが話すことをよく思っていないらしい。それでもこれ以上手を出してこないのは、『邪魔するな』という愛しい少女の命令を受けてのことだろう。今回のようなことはあれど、彼は忠臣と表現するのがこれ以上にないくらい相応しい人物なのだ。
ふ、と烈風刀は息をこぼす。微笑ましさのような、諦めのような、羨望のような、複雑な音色をしていた。
これぐらいできれば良かったのに。
あり得もしないことを頭の隅に追いやり、少年は発光するモニタに視線を戻す。黒衣で飾られた白い指が、電子画面を何度も辿った。
機能/性能/君の色 /嬬武器兄弟
青い布地を頭から被る。輪に腕を通し、太い肩紐をしっかりと肩に掛けた。生地の中程に付いた長い紐を後ろに回す。どうにか後ろ手で蝶々結びにした。うっかり踏んで躓かないように、ぎゅっと引いて端の部分を短くする。腰に当たる少しねじれた感覚から美しい形になっていないことは分かるが、怪我を引き起こさないことの方が重要だ。見目を気にするのは慣れてからだ。
買ったばかりのエプロンを見下ろし、雷刀は満足げに笑みを浮かべる。何故そんなものをわざわざ着けるのだろう、と料理する弟の背を見て疑問に思っていたが、実際に着けてみるとなかなかに良いものだ。気分が切り替わる感覚がした。
まな板の前に立ち、包丁を握る。白いそれに載った野菜をリズミカルに切っていく。途中、勢い余って跳ねた具材がエプロンに守られた腹に当たった。少し厚い布地に阻まれているため、服が汚れることはない。こういうところが便利なのだな、と新たな発見に少年は目を輝かせた。
「案外似合ってますね」
後ろから声が飛んでくる。包丁を置いて振り返ると、マグカップを手にした弟の姿があった。碧い視線は己の身体を守る青い生地に注がれている。彼と一緒に買いに行ったものだが、着ける姿を見せるのは初めてだ。
「だろー? 料理もできるオニイチャンって感じでいいだろー?」
ニコニコと笑みを浮かべ、朱い少年はくるりと回る。長い腰紐がふわりと舞って身体とともに円を描いた。台所でふざけない、と叱責の言葉がすぐに飛んでくる。
「後ろ、縦結びになってますよ」
じっとしててください、と冷静な言葉に、大人しく動きを止める。キッチンに入ってきた烈風刀は、青い腰紐をするりと解いて手早く結び直していく。綺麗な青く細い蝶々が引き締まった腰に止まった。あんがと、と生地の持ち主は振り向いて礼を言う。
「後ろ手だと結びにくいんだよなー」
「いつか慣れますよ」
そう言う弟はいつだって後ろ手でも綺麗な蝶々結びを作っていた。長い間赤いエプロンを身に着け、キッチンに立っていただけある。それでも何だか悔しい。不器用な自覚はあるが、蝶々結びなんて基礎的なことぐらいは早くできるようになりたい。
「そーいやさ、何で烈風刀のエプロンって赤なんだ? いっつも青選ぶだろ?」
ふと浮かんだ疑問をそのまま投げかける。碧い髪に碧い目。碧は弟を象徴する色だ。だからか、彼は碧いものを好んで買うことが多い。それが、エプロンだけは正反対の赤いものなのである。珍しいことだ。
冷蔵庫に手を掛けた碧い少年は、白い戸を開けるのを止め顎に手を当てた。翡翠が宙を漂う。
「……たぶん安かったからですね。生地が丈夫で安いとなると、色を選ぶ余裕なんてありませんから」
なるほど、と雷刀は頷く。弟は好みより機能を優先する節がある。毎日着けるものなのだから、機能を優先するのは当然ではあるのだけれど。
買う前はたかが布、と思っていたが、実際に買いに出てみるとかなり違いがあることを知った。布地の厚さ、身長に合った丈、ポケットの有無、適度な腰紐の長さ、その他諸々。選択すべきこと、重要視するべき点はたくさんあった。片割れのアドバイスと己の好みを擦り合わせた結果、今身に着けた厚めの青いエプロンを買ったのだ。悩んで選び抜いただけあって、身に着けたこれは心を弾ませる代物だった。
「貴方こそ、何で青にしたのですか? いつもは赤を選ぶでしょうに」
朱い髪に朱い目と、弟と正反対の朱に縁がある己は、何を買うにもその色を選ぶことが多かった。今回のように青を選ぶのはほとんど無いことだ。彼が疑問に思うのも無理は無いだろう。
「烈風刀が赤ならオレは青かなーって思って」
店頭には同じ型の赤色もあった。けれども、手を伸ばしたのは片割れを想起する青だった。別にお揃いの色でも良かったのだが、なんだか彼の色を選びたかったのだ。今思えば、洗濯する時取り違えることがなくなるので合理的な判断だ。
「いつもは逆ですのにね」
何だか不思議です、と烈風刀は笑う。確かになー、と青い裾をつまんで雷刀も笑った。
「晩飯、楽しみにしとけよ」
「期待してますよ」
ニカリと笑う兄に、弟はふわりと口元を綻ばせる。おう、と元気な声がキッチンに響いた。
朱い唇降りしきり/神十字
ちゅ、と可愛らしい音が若草芽吹く草はらに落ちる。くすぐったいよぉ、ときゃらきゃらとした可愛らしい笑い声があがった。
硬い輪郭をした手が少し短い前髪をそっと上げる。赤い唇が、さらけ出された白く柔らかな額に落とされる。おにいちゃんキスばっかしてるー。鈴のような笑い声が蒼天に昇った。
「だってお前らのこと大好きだしー?」
「わたしもおにいちゃんのこと好きだよー!」
紅葉手がシャープな線を描く頬に伸ばされる。潤った小さな唇が、春の日差しを浴びて色付き始めた肌に触れる。幼子の可愛らしい口付けに、紅い男はニカリと笑みを浮かべた。オレも好きー、と黒衣に包まれた腕が彼の半分にも満たない小さな身体を抱き締める。可愛らしい笑声が、明るい笑声が、昼空に響いていく。
和やかな風景に、青年は頬を緩める――はずだった。けれども、最近の有様を見ては苦い表情ばかりが浮かんでしまう。子どもにこんな顔を見せてはいけないのに、と表情筋を律しようとするが、意識に反して強張っていくばかりだ。
なぁ、あれって何?
住宅が並ぶ街並み、玄関で頬に口付け合う家族を見て紅は疑問の声をあげる。えっ、と思わず同じ音を返してしまった。だって、数え切れない時を生きている『神』である彼が口付けを知らないなど考えるはずがないではないか。
大切な人への親愛表現ですよ、と優しく笑って教えた。翌週、今度は唇と唇を合わせる男女の姿を見て、あれもそうなのか、と指差された時は頭を抱えたが。
新たな感情の表現方法を覚えた彼は、施設の子どもたちに口付けを降らせるようになった。曰く、皆好きだから。曰く、全員大切だから。子どもたちと同じ時を過ごすようになって随分と経つ。愛情も湧くだろう。庇護欲を刺激する幼子ならば尚更だ。己だってあの子たちが愛しくて仕方が無い。
けれども、その表現を一律に『口付け』でやってしまうのは良くないに決まっている。口には絶対にするな、と言い聞かせているが、何かあっては大変だ。大切なファーストキスを覚えたての表現方法を使いたがる存在に奪われてしまっては、可哀想なんて言葉では済まない。
「なんかすげー顔してるけど」
地を映し始めていた蒼の中に、紅が宿る。目の前には、少し屈んでこちらを覗き込む神の姿があった。いつの間にか子どもたちと別れてこちらに来たらしい。
「……いい加減キスするのやめたらどうですか」
「何で? 好きなんだからいいじゃん」
「色々と問題があるのですよ」
あっけらかんとした様子の神に、人間は渋い顔をする。事故が起こってからでは遅いのだ。それに、あんな微笑ましい風景を見ているというのに何故だか胸が薄ら暗くなるのだ。長く暮らしているはずの己以上に懐いている姿を見ているからだろうか。嫉妬としても幼すぎる。はぁ、と溜め息をこぼす。そーなのか、と紅は納得半分疑問半分の声を漏らした。
「でも大切な人にやるもんなんだろ? 皆大切なんだしいいじゃん」
「『大切』の中でも特に大切な人にするものなのです。そう簡単にするものではありません」
へぇ、と赤い口から間の抜けた声が漏れる。そうは言ったものの、彼の中で『大切』の分類がきちんとされているか怪しい。不安は尽きない。
「それに、子どもたちの教育にあまり良くありません」
所構わず口付けを降らせる神の姿に影響され、子どもたちの間では口付け合うのが流行し始めている。こちらも『口』への事故が不安だ。言い聞かせ、早く廃れさせなければいけない。そのためには、まず元凶を止めなければならないのだ。
ふんふんと目の前の紅い頭が上下し頷く。今度は肩を寄せるようにことりと傾く。戻ってまた頷き。なるほどな、と会得のいった声が聞こえた。
どうやら理解してくれたらしい。よかった、と胸を撫で下ろす。あとは子どもたちの方をどうにかせねば。考える頭に何かが触れる。温かなものがそっと頭を撫ぜ、こめかみを伝い、頬へと添えられる。
「じゃあクロワにはしてもいいんだよな?」
だってクロワは一番『大切』なんだし。
そう言って神は笑う。頭上におわす太陽のような眩しい笑みが向けられる。きゅうと何かに締め付けられるような感覚に陥った。思わず一歩退く。固さが目立つ手が自然と離れていった。
「……まぁ、僕になら」
日々振り回されているものの、己ならば彼にきちんとストップを掛けられるはずだ。『事故』があっても子どもたちほどダメージは受けない。それに、『神』の求めるものを捧げる信者の役目である。頬や額を差し出すぐらい安いものだ。
草が踏みしめられる音。目の前の紅が視界を埋める。また頬に温度。紅玉がふっと細まり、赤い口が開く。クロワ、といっとう甘い声が己の名をなぞった。
紅が近づく。風に揺られる紅が、真ん丸な紅が、八重歯で彩られた紅が近づく。視界を埋めていく。鮮やかな、眩しいほど鮮やかな色に反射的に目を閉じた。
柔らかな温もりが頬に触れる。ちゅ、と可愛らしい音が耳元で聞こえた。
熱は一瞬で離れて消えていく。消えていくはずなのに、頬が熱くて仕方無い。触れた場所から伝播していくような心地だ。情けない、と思わず目を伏せる。たかが頬へと口付け程度で赤くなるなど、初心にも程がある。
「そういや何で口はダメなんだ?」
「…………色々と複雑なのです。帰ったら説明しますから」
この場で唇に唇に触れる意味など教えられるはずがない。彼を納得させる簡潔な言葉は持っていないのだ。それに、子どもたちに聞かれては一大事である。彼と二人暮らしをしているのだから、帰ってから本で例でも出しながら説明した方が早い。
なぁ、と呼ぶ声。視線をやると、輝く炎瑪瑙と視線が合った。
「帰ってからもやってもいい?」
「ダメです」
すぐさま切り捨てると、不満げな声があがる。頬を膨らませる姿は幼げで可愛らしいが、絆され許してしまうべきことではない。それを含めて、帰ってからみっちり教えねば。
一人決心し、蒼は子どもたちへと歩みを進める。そろそろ戻りますよ、と屈んで視線を合わせながら告げる。はーい、と元気な声と、早くも草を踏みしめ駆けていく音が聞こえた。
風が子の、人の、神の背を押す。若い緑で染まった庭から影が消え、建物の中からはしゃいだ声が聞こえ始めた。
業焔宿りし瞳/火琉毘煉
幕が垂らされたブースに入る。敷かれた布に皺が寄らないよう、慎重に足を運んだ。
空間の真ん中に音も無くしゃがみこむ。少し斜めを向き、少年は片膝を床につけた。右半身に温度。視線をやれば、珍しくこちらに寄り添う式神の姿があった。あまり接触を好まない彼女だが、指定されたポーズなのだから仕方無い。早くしなさいよ、と言いたげな菫がこちらに向けられた。
懐から取り出した愛用の札を、いつものように両手の指に挟んで構える。そのまま、真正面を向いた。まばゆいほどの照明が、数え切れないほどの撮影機材が、脚立に設置されたカメラが見返してくる。透明なレンズと視線がぶつかる。遠くまで引かれ小さくなった円の中に、黒が、白が、赤が見えた。
深い赤の目がすぅと眇められる。よく舌が回る大きな口が閉じられ、口角が上げられる。普段は見せることのない不敵な笑みを作りだし、退治屋はまっすぐにレンズを見つめた。
「よく撮れてるじゃないか」
液晶画面を横から覗き込み、煉は満足げに言う。撮影の興奮冷めやらぬのか、どこか上擦った調子をしていた。親指と人差し指を顎に当て、ふふふ、と漏らす笑声もどこか浮ついている。前足を机に掛けて一緒に覗き込んでいた鈴音が呆れを多分に含んだ息を漏らした。
いつもの調子の少年に構うこと無く、撮影班は淡々と撮った写真を比較していく。これでいいかな、と一枚の写真がノートパソコンの画面いっぱいに表示される。いいじゃないか、と依然浮かれた声が飛んできた。
「俺の業火より燃え血よりも深い瞳が鮮明に刻まれているな。この漆黒の闇と紅蓮の焔差す純白の髪も綺麗に映って――」
「じゃあこれで決まりだねー。お疲れ様」
流れるように言葉を並べ立てる少年に、撮影を担当していた識苑は手を振る。よく回る舌が止まり、世話になった、と礼の言葉がなめらかに告げられた。礼節はきちんと弁えていた。
黒いブーツが踵を返す。一歩進んだところで、それはまたくるりと回った。赤い瞳が次の撮影の準備をしようとパソコンを操作する背を眺める。しばしして、なぁ、と煉は口を開いた。
「先の写真なんだが」
「あれ? 別のが良かった?」
「いや、違う」
慌てて先ほど決定したばかりの写真を開く教師に、退治屋は否定の言葉を返す。夕陽色の目がぱちりと瞬いた。相対する茜空の目が宙を泳ぐ。しばしして、長い指が液晶に映る自身の顔を差した。
「……左目にエフェクトを付けることってできるか?」
「ちょっと」
煉の提案に、足下に付いていた鈴音が抗議の声をあげる。黒衣に包まれた足を白い前足がぺしんと叩く。わがままを言うな、手を掛けさせるな、と鋭い紫苑の瞳が頭上の主を見上げた。
「いや、もちろん現時点でも素晴らしい写真ではあるのだが、この彼岸花のように鮮烈で紅玉のように濃く深い左目に焔のように輝きたなびく光のエフェクトを付けることで写真の更なる魅力が引き出され――」
「いいねぇ! かっこいいと思うよ!」
言い訳をするように早い調子の長口上を遮り、月色の目がぱぁと輝く。骨張った手がマウスを操り、画像編集ソフトを立ち上がる。左目に風になびくような赤の線を引き、腕を組んで依然迂遠な言葉を連ねる少年に画面を向けた。
「こんな感じ?」
「そう!」
簡素に加工された写真を指差し、白髪の少年は大声をあげる。理想通りだったらしい。
「そういえば持ってきた宣材写真もこういう風に加工されてたしねー。君っぽくて良いと思うよ」
「そうだろう? 俺の代償背負いたる左目にはこういうのが――」
「いい加減にしなさい」
また口を開く煉の頬に肉球が押しつけられる。見かねて立ち上がった鈴音の手だ。まだ丸みを残した頬がぐにりと歪んだ。口に近い部分を押さえられてか、長々とした言葉が止む。そんな二人を気にすること無く、識苑はマウスを操作した。
「うん、じゃあエフェクト入れとくね。今度こそお疲れ様」
「よろしく頼む」
では、と手を振って身を翻し、少年は大仰な足取りで扉へと歩いていった。戸を開け、廊下に出て一礼し、彼は撮影室を出た。
特別教室棟の廊下に、ふふふ、と浮かれた調子の笑い声と、はぁ、と呆れた調子の深い溜め息が響いた。
月より団子/ハレルヤ組
窓越し、星が輝く夜を背に白が並ぶ。綺麗に揃えられた真ん丸は三方の上に積み上げられ、美しい三角山を作り出していた。つるりとした丸だというのに転がり落ちる気配すらないところから、作った人間の几帳面さがよく窺える。
薔薇輝石の瞳が、柘榴石の瞳が真っ白ですべすべとした表面を見つめる。二色の瞳は山を成す団子に釘付けになっていた。こくりと白く喉が上下する。真っ白なお団子。美しいお団子。美味しそうなお団子。丁寧に作られた月見団子は、少年少女の食欲をこれでもかと刺激した。夕飯を食べたばかりだというのに腹が鳴ってしまいそうなほどだ。
「……一個ぐらいならバレなくね?」
「形崩れちゃうからバレちゃいマスヨ」
「食べる用は別で作ってありますから勝手に食べない」
月見団子の山に熱烈な視線を送る二人の背に、ほのかに棘が見える声が掛けられる。身体が二つビクンと震え、鏡合わせのような動きでおそるおそる振り向く。食欲に輝く紅葉と桃に、盆を持った浅葱の姿が映った。
「タッ、食べマセンヨ?」
「まだ何にもやってねぇよ?」
きょろきょろと視線を泳がせる二人に、烈風刀は小さく息を漏らす。呆れと少しの愛しさがにじんでいた。薄く険しさが浮かぶ表情が解け、小さな笑みを浮かべた。
「それに、そちらは作ってから時間が経って固くなっています。あんまり美味しくありませんよ」
こっちを食べてください、と少年は手にした盆を机の上に置く。両手でなければ持てない大きさのそれには、朱と桃が今の今まで見つめていた白があった。それも、三つ。
碧は手慣れた様子でテーブルに皿を並べていく。各々の前に置かれた小皿の上には、一口サイズに整えられた団子が小さな山の形に盛られていた。脇にある小さな鉢には、黒と茶と橙がスプーンとともに入っている。二色の瞳が不思議そうな様子で三色を覗き込む。少し節が目立つ指が器を順々に指差した。
「これがあんこで、こっちがみたらし餡、そっちがかぼちゃ餡です。好きなものを掛けて食べてください」
わぁ、と感嘆の声が二つあがる。誤魔化すように宙をうろうろと漂っていた紅水晶と紅玉が皿に一心に向けられる。見つめる瞳は夜空に浮かぶ星と同じほど輝いていた。関心は台の上に成された大きな三角山でなく、目の前の小さな山にすっかりと移ってしまったようだ。
並べられた団子の前に、三人一緒に手を合わせる。いただきます、と元気な合唱が夜の部屋に響いた。
「あんこ美味しいデス~!」
「かぼちゃんめぇ! 甘い!」
好きな餡を掛けた団子が赤い口の中に消え、柔らかな頬がもぐもぐと動く。感動に満ちた声が二つあがった。それはよかった、と烈風刀もみたらし餡をひとすくい掛けて団子を口に運ぶ。出来が良かったのだろう、花緑青の目元がふわりと解けた。
赤い口の中にどんどんと白が消えていく。団子も餡もあっという間に無くなってしまった。ごちそうさまでした、とまた合唱。美味しかった、と元気いっぱいの二重奏が続いた。
ルビーレッドが、チェリーピンクがそろりと動く。同じ方向へと向けられた視線二つは、まだ山を成す大きな月見団子に吸い込まれた。輝く二色は、まだ食べ足りないと語っていた。夕飯をめいっぱい食べて尚、ほの甘いであろうそれに目を奪われてしまう。『甘い物は別腹』とはよく言ったものだ。
「そのまま食べるのには向いていませんよ」
「じゃあどうすんだ? 捨てるわけにはいかないだろ?」
「調べたのですけど、おしるこにするのがいいそうで。水分を吸って柔らかくなり食べやすくなるみたいです」
おしるこ、と二つの声が重なる。同時にバッと振り返り、白い山に向けられていた視線が若草色に注ぎ込まれる。見つめる二色の瞳には、食欲の光が煌々と輝いていた。小さく開いた口から涎が垂れてしまいそうなほどの輝かしさだ。
「……明日にする予定だったんですけどね」
半分諦めた調子の声に、少年と少女の目が丸くなる。まっすぐに見つめる瞳には、期待がたっぷりと乗っていた。
困ったように、呆れたように眉を八の字にした碧は、手早く盆に皿を載せる。秋服に包まれた腕が、三方へと伸ばされる。そのまま、器を重ねて空けたスペースにそれを載せた。
「今から作ってきます。ちょっと待っててください」
「ハイ!」
「おう!」
やったー、と顔を向き合わせ手を上げ喜ぶ二人の姿に、烈風刀はそっと口元を綻ばせる。先の団子も、飾っていた月見団子も、彼が自作したものだ。自分が作った料理を楽しみにしてくれている。美味しく食べてくれている。作り手冥利に尽きる光景だ。
再びキッチンに立った少年は、ふとリビングへと視線を戻す。ローテーブルの前に腰を下ろした二人は、窓の外には一切目もくれず楽しげに話していた。おしるこ、とはしゃぐ声が耳をなぞる。
お月見なんですけどね、と笑みを含んで呟く声は、少し冷えた台所に落ちて消えた。
「今日の卵焼きしょっぱかったですね」「たまにはこういうのもいいでしょ?」/グレイス+ハレルヤ組
いただきます。四重奏が昼休みの賑やかな教室に響く。合わせた手を解くと、各々箸や弁当箱の蓋に手を掛けた。
薄紫の蓋を両手で開けて取り、グレイスは箸を握る。弁当箱の半分には、朝作って詰め込んだおかずたちが並んでいた。一部冷凍食品を詰め込んだものの、どれもなかなかの出来だ。一人で料理するようになってしばらく経つが、ようやく見目を意識して作ることができるようになってきた。それでもまだ姉や仲間の碧には敵わないのだけど。
んめー、と向かいから声。頬いっぱいに弁当を頬張る雷刀の姿が見えた。深紅の箸には黄色い卵焼きがあった。少し大ぶりなそれが、めいっぱいに開いた赤い口に吸い込まれる。頬をもぐもぐと動かしながら、またんめぇ、と感嘆の声をあげた。飲み込んでから喋りなさい、と諫める声が朱い頭にぶつけられた。
「なんかさー、たまにしょっぱい卵焼き食べたくなるよな」
なんでだろな、と彼は白米に箸を伸ばす。わしりと掴み、口に放り込んでいく。すっとした輪郭をした頬が丸く膨らむ。
え、と躑躅は思わず声を漏らす。白身フライを口に運ぶ手が止まった。
「卵焼きって甘いんじゃないの?」
「しょっぱいのもあるだろ?」
きょとりとした顔をする躑躅の少女に、朱い少年もきょとりとした顔を返す。アァ、と隣から納得したような声。
「ワタシは甘いのしか作りマセンカラ、グレイスはしょっぱい卵焼き食べたことないンデス」
ネメシスに来たばかりの頃は、レイシスが昼ご飯に弁当を作ってくれていた。その中に入っている鮮やかに黄色くてかっちりと巻かれた卵焼きはいつだって甘かった。卵焼きとはこういう味なのか、甘い食べ物なのか、と今の今までずっと思っていたが、それは彼女の嗜好の結果だったらしい。
「オレらも基本甘いのだけど、しょっぱいのも作るぜ?」
な、と雷刀は隣に顔を向ける。そうですね、と烈風刀は箸を置いて応えた。へぇ、とグレイスは漏らす。甘いのとしょっぱいのがあるなら、辛いのや苦いのもあるのだろうか。今度聞いてみようか、と掴んだままだったフライを口に入れる。魚の香りと塩気が舌の上に広がった。
「食べてみますか?」
筋の浮かぶ手が深い青の二段式弁当箱を掴む。少年はおかずが入った段を少女の目の前に差し出した。ブロッコリーの緑、プチトマトの赤、カップグラタンの白、ウィンナーの茶色。様々な色の中に少し焦げ目の付いた黄色があった。
いいの、と尋ねると、えぇ、と穏やかな声が返ってくる。いただきます、と一言断って、グレイスはよく焼かれた卵焼きへと箸を伸ばした。一口で食べるには少し大きなそれを半分かじる。口内に広がったのは普段のほの甘い優しい味ではない。しょっぱさの中に不思議な風味が広がるものだった。
「ほんとだ。しょっぱい」
こくりと飲み込み、少女はこぼす。美味いか、と正面から問いが飛んでくる。美味しいわ、と素直に答えると、目の前の顔がパァと明るくなった。どうやら今日の弁当を作ったのは兄の方のようだ。
「……ねぇ、これって砂糖の代わりに塩入れればいいの?」
「そだな。今日は白だしも入れたけど」
初めて聞く名だ。しろだし、と思わず復唱する。スーパーに売ってますよ、と優しい声がかけられた。ふぅん、とどこか心ここにあらずといった調子で声を漏らしてしまう。
「美味しいわ。ありがとう」
礼を言って、グレイスは残りの卵焼きを食べる。またふわりと風味が香る。これが『しろだし』とやらによるものなのだろうか。塩のしょっぱさだけでも十二分に美味しいだろうが、こうやって風味があると更に美味しく感じる。料理って不思議、と心の中でこぼした。
躑躅の目が弁当箱からあがる。しばしの逡巡、ねぇ、と健康的に色付いた唇が控えめな声を発した。
「しょっぱい卵焼きって、塩としろだしってやつどれぐらい入れればいいの?」
「……えーっと…………、塩はこんくらい? で、白だしはなんかちょっとどばってならないぐらい」
少女の問いに、制作者である朱は悩んだ末身振り手振りで示す。正確な分量を知りたいのだが、どうやら感覚で作っているようだ。いつも直感で行動する彼らしい。
「こればかりは感覚と経験ですね」
苦笑を漏らしながら烈風刀が言う。レシピを厳守し、きちんと量って料理をする彼らしくもない言葉だった。経験ねぇ、とどうにもならない解答をぼやくように繰り返した。
「……うん。分かったわ。ありがと」
今一度礼を紡ぎ、グレイスは白米に箸を伸ばす。舌の上にほのかに残った塩気に、米の甘みが加わった。なるほど、しょっぱい卵焼きはご飯に合うのか。甘い卵焼きも合わないわけではないが、白米に合わせるならこちらの方が良いように思えた。
今日は帰りにスーパーに寄ろう。そして卵と『しろだし』とやらを買おう。帰ったら試作だ。ぶっつけ本番ではまずいものができあがってしまうかもしれない。そんなもの、自分で食べるのはもちろん人に食べさせるわけにもいかない。
考え、少女は食事を続ける。鼻の奥にはまだあの風味が残っている気がした。
畳む
#奈恋 #キサ=キジモト #火琉毘煉 #つまぶき #はるグレ #嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀 #レイシス #グレイス