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No.102
とろける【ライレフ】
とろける【ライレフ】
ハッピーバレンタイン(遅刻)
推しカプ一緒にお菓子食べてくれって話。
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甘い香りがキッチンに満ちる。作業台の隅、白いオーブンレンジからは、砂糖の甘い芳香が立ち上っていた。オレンジの光が庫内を照らす。鮮やかな色で照らし出される生地は、ふわりと膨らんでいた。
ピピ、と短い電子音が鳴る。仕事を終えたという機械の報告に、烈風刀は手を止め振り返る。庫内を照らしていた光は消え、暗くなった中はガラス窓からは見えない。しかし、そこからあがる豊かな香りが成功を如実に示していた。
ミトンをつけ、少年はオーブンレンジの取っ手に手を掛ける。少し力を入れて引くと、フックが外れる音とともに甘い香りがキッチンへと飛び出した。天板いっぱいに流し込まれた黒い生地は膨らみ、ところどころひび割れている。不格好に映るが、食欲を誘う見目をしていた。所々に埋まるナッツの白が、良いコントラストを描いている。
注意しながら手を差し入れ、竹串で生地の中心部を刺す。戻ってきたそれに何も付いていないことを確認し、碧は頬を緩める。きちんと中まで焼けたようだ。
両手にミトンをはめ、烈風刀は庫内から熱された天板を取り出す。焼き上がった生地から、白い湯気が立ち上る。鍋敷きの上に天板を載せ、そこに敷いていたクッキングシートに手を掛け生地を抜き取る。そのまま、ケーキクーラーの上に紙ごと置いた。
さて、天板を冷ましている間に切らねば。少年は包丁を手に、数十分前に焼き上がりすっかりと冷めた生地へと向かう。銀の刃を温め、厚みのある生地にそっと入れる。よく研がれた包丁は、崩すことなく生地を切った。ススス、と線を引くように刃を入れ、スティックサイズに切り分けていく。一枚の大きな生地は、あっという間に姿を変えた。
切り分けたそれを何本かのセットにし、クーラーの上に積む。ラッピングを済ませてしまいたいが、今は次の生地を焼かねばならない。作業をしている間に冷めた天板に、クッキングペーパーを敷く。淡い白で覆われたそれの中に、作り置いていた生地を流し込む。軽く平らにならしてから、ちょうど余熱の終わったオーブンレンジの中へと入れた。時間をセットし、スタートボタンを押す。低い呻り声とともに、白い箱にオレンジの光が宿った。
明日はバレンタインデーだ。友人連中や後輩、世話になっている人たち――そして、想い人であるレイシスに手作りのチョコレートを渡そうと、烈風刀は夕食後からキッチンで奮闘していた。とはいっても、手軽に量産できるチョコレート菓子というのはあまり多くない。今年は、混ぜて焼いて切るだけのブラウニーを選んだ。ピュアココアとナッツを入れたそれは香り豊かで、食感も悪くないはずだ。子どもたちでも食べやすく、手が汚れにくいのもポイントだ。
綺麗に切り分け積み上げたブラウニーを、傍らに用意していた細長い透明な袋に入れる。絞った口を短いラッピングタイで閉じ、その上に幅の太いリボンを結う。これでラッピングは完成だ。簡単な物ではあるが、十数人分となると流石に骨が折れる。オーブンレンジが働く低い声を背に、少年は黙々と手を動かした。
「今年は何作ってんの?」
一人だけのキッチンに、明るい声が飛び込んでくる。視線をあげると、カウンターを挟んだ向こう側には雷刀が立っていた。風呂上がりなのだろう、首には白いタオルが掛けられている。言葉を紡ぎ出す唇も、潤いを保っていた。
「ブラウニーです」
「へー。これブラウニーっていうんだ」
手際よくラッピングされていく生地の群れを眺め、少年はこぼす。作る側というより食べる側であり、物事にさして頓着しない彼は、このありきたりな菓子の名前を知らなかったようだ。そうですよ、と返し、碧は細い指を動かす。赤いリボンが綺麗に結われたパックが、ケーキクーラーの横に積まれていった。
「一個食べていい?」
「駄目です」
身を乗り出し問うてくる兄に、弟はきっぱりと否定する。えー、と不満げな声がキッチンに落ちる。駄目なものは駄目です、と碧は縋るようなそれを言葉で払う。余分に作ってあるとはいえ、もし数が足りなくなってしまったら大問題だ。使える時間も材料も限られている。避けるべき事態だ。
「そこのならいいですよ」
「やった」
クッキングシートの上に積まれた黒い切れ端を指差す。生地は焼くとどうしても端が丸くなってしまう。まっすぐとした見目にするために、端は切り落としているのだ。その山が、焼き色のついたクッキングシートの上に生まれていた。指差した先の光景に、嬉しげな声があがった。
風呂上がりで少しふやけた指が、黒い生地を一つつまむ。あ、と大きく口を開け、朱は細長いそれに齧り付いた。顎と頬がもぐもぐと動き、しばしして喉が上下する。瞬間、ぱぁと明るい笑顔がキッチンに咲いた。
「んめー!」
「それはよかった」
嬉しそうに笑みを浮かべる兄の姿に、弟は一人胸を撫で下ろす。自身でも味見はしていたものの、本当に美味しいものが作れているか、少しの不安は残っていた。他人による上等な評価に、きちんと作れていたことが証明され、安堵する。なにより、誰かが己の作った物を喜んで食べてくれることにたしかな幸せを感じていた。
「なーなー、オレの分はー?」
これ皆のだろ、と雷刀はラッピングされた菓子を指差す。彼の言う通り、先ほどから量産されているそれは級友や下級生に配るためのものだ。事実、雷刀とレイシスのためには別にもう一つ用意をしてある。しかし、自分だけのものが用意されているという確信を持った声で言われると、なんだか腹が立つものだ。
「……ありますよ」
「欲しい!」
少しの反抗を込めて一拍。烈風刀は少し小さくなった声で応える。言葉を捉えた瞬間、朱は両の手を広げてカウンター越しにこちらへと差し出した。輝く瞳は早く早く、と急かしている。まるで誕生日プレゼントを目の前にした子どものようだ。
最後の一袋の包装を終え、碧は煌めく紅玉を見る。蒼玉は、呆れたように細められていた。
「バレンタインデーは明日でしょう。一日ぐらい待ってください」
「えー。いいじゃん、一日ぐらい」
一日の感覚差に、兄弟の意見は分かれる。一日ぐらい誤差だって、と朱い少年は声高に主張する。乱暴すぎる意見に、碧い少年は口元をきゅっと引き結んだ。不満げに眇められた紅瑪瑙と孔雀石がぶつかる。しばしの沈黙が、甘い香りの漂うキッチンに流れた。オーブンレンジの低い呻り声が妙に大きく聞こえる。
「じゃあ、日付変わったら! オレに一番にちょーだい!」
名案だ、というように、雷刀はピンと人差し指を立てて言う。『一番』という言葉に、彼の欲が表れていた。好きな人から一番最初にチョコをもらいたい。バレンタインデーを迎える人間が抱えてもおかしくはない願望だろう。
兄の放った『一番』という言葉に、烈風刀の心が少し揺らぐ。たしかに、好きな人には一番最初にもらってもらいたい気持ちが無いと言えば嘘になる。しかし、こちらもこちらで段取りを考えているのだ。それを崩されるのは困る。ん、と細い喉が鳴った。
お願い、と兄は手を合わせ弟を拝む。髪と同じ色をした眉は、端がへにゃりと下がっていた。潤むガーネットが、上目遣いでアクアマリンを見つめる。な、と小さく首を傾げて少年は頼み込んでくる。その様はまさに幼い子どもであった。う、と気まずげな音が白い喉からこぼれる。浅海色の瞳が悩ましげに伏せられた。
「…………分かりました。日付が変わったら、ですからね」
「いいの!?」
溜め息を吐くように言う弟に、兄は大きな声をあげる。潤んでいた紅緋の瞳がぱぁと輝きを取り戻す。撤回しますか、との声に、ごめん、と悲鳴のような声が返された。
「分かりましたから、まず髪を乾かしてきてください」
首元に暗い水玉模様が浮かぶシャツを指差し、烈風刀は言う。相変わらず、この兄は髪を乾かすという工程を忘れてしまうのだ。弟の指摘に、雷刀ははーい、と元気な声を返し、洗面所へと駆けていく。バタン、と乱暴にドアが閉められる音がリビングに響いた。
オーブンレンジが呻り声をあげる。低く重いそれは、兄の意見に折れてしまったことを非難するような響きに聞こえた。だって仕方が無いではないか。あんな幼い子どものように頼み込まれては、ほだされてしまうに決まっている。だって、あの兄は可愛らしいのだ。そうだそうだ、と本能が言う。もっと自分を律しろ、と理性が正論を吐いた。
はぁ、と溜め息一つ。烈風刀は包丁を洗い、温め直す。先ほど焼き上げ冷ましていた生地に、スッスッと刃を入れていく。一枚の大きな生地が、何本ものスティックに生まれ変わった。
「乾かしてきた!」
扉が勢いよく開かれ、雷刀が顔を出す。彼の言う通り、鮮やかな朱の髪からは水気が無くなり、元のふわふわとしたものに戻っていた。一瞥し、そうですか、と短い声で返す。ん、と短い声が返され、兄は部屋の奥へと進んでいく。しばしして、テレビのスピーカーから音が流れ出るのが遠くに聞こえた。
それからはもう、ひたすらに騒々しかった。ソファに寝転がってテレビを見ていたと思えば、急に立ち上がりその場をうろうろし出す。部屋に戻って漫画を持ってきたと思えば、何度も視線を外し時計を見やる。携帯端末で何か見ていても、何故か液晶画面でなく壁掛け時計へと視線をやる。キッチンで黙々と作業していても、その忙しなさが伝わってくるのだ。相当なものである。
残った生地の焼成とラッピング作業、道具の片付け、キッチンの簡単な掃除を終え、烈風刀は兄を見やる。相変わらず、ガーネットの双眸は壁掛け時計へと向けられていた。携帯端末を指でなぞり、時計を見る。またなぞり、時計を見る。飽きたのか、端末を机の上に放り出し、とうとうじぃと時計を見つめるまでになってしまっていた。
つられるように時計を見やる。アナログの時計盤は、日付が変わるまであと二時間はあることを示していた。あと二時間もこの調子なのか、と少年はうんざりとした顔をする。この静かな騒々しさをこれ以上味わいたくはない。はぁ、と溜め息一つ吐き、碧はソファに寝転がる朱へと歩み寄った。
「雷刀」
名前を呼ぶと、兄はころりと転がりこちらを見やる。その顔には、まだかまだか、とそわそわしていた。あまりにも落ち着きが無い様子に、嘆息する。単純にも程というものがある。
「静かにできないのですか」
「静かにしてるじゃん」
「動きがうるさいのですよ。何度意味も無く立ち上がっているのですか」
腕を組んだ碧の指摘に、朱はう、と言葉を詰まらせる。だって、と言い訳めいた声が返ってくる。柘榴石は気まずげに逸らされていた。八重歯の覗く口元は強ばり、そこから意味も無い音を漏らしていた。
「……来てください」
寝転がった兄の手を掴み、軽く引く。疑問げな色を見せながらも、少年は大人しく手を引かれる。そのまま、二人でキッチンへと戻っていった。
不思議そうにこちらを見つめる雷刀を無視し、烈風刀は冷蔵庫に手を掛ける。青白い光に照らされた庫内、その奥に隠していたマフィンカップを手に取った。片手に収まるそれを携え、今度は食器棚に向かう。紙のカップを外し、中から現れた黒いそれを白い皿に載せる。その様子を、朱はずっときょとんとした様子で見つめていた。
「……こんなに騒がしいのなら、先に食べてしまった方がマシです」
きょとりとした視線から目を逸らし、碧は言う。弟の言葉の意味を理解し、朱はマジで、と大きな声をあげた。夜中にうるさいですよ、と窘めると、赤々とした唇がきゅっと引き結ばれた。
「なにそれ、マフィン?」
「少し違います」
少し待ってください、と烈風刀は皿を手に持つ。そのまま、光を失ったオーブンレンジへと入れた。へ、と落ちた疑問符を気に掛けること無く、少年はボタンを操作する。ブォンと低い音があがり、皿がオレンジの光に照らし出される。三十秒経ったところで、ピピ、と電子音が鳴った。
庫内から皿を取り出す。レンジによって温められた黒い生地は、ほんのりと湯気をあげていた。事態を飲み込めていないのか、朱は相変わらずきょとりとした顔で碧を見つめる。
「え? 何?」
「割ってみてください」
はい、と温めたばかりの皿とフォークを手渡す。紅玉髄が、皿と弟の顔を何往復もする。さぁ、と手を差し出せば、未だ納得のいかない顔でフォークを手に取った。
黒い塊に、銀のフォークが横に刺さる。そのまま力を入れ、雷刀は少し固い生地を半分に割っていく。三分の二ほど刃を入れたところで、中からチョコレートがとろりと溶け出した。突然のことに、わ、と少年は声をあげる。その反応を待っていたとばかりに、烈風刀は小さな笑声を漏らした。
「何これ!?」
「フォンダンショコラですよ」
初めて聞いた、とチョコレートをとろとろとこぼす生地を眺め、少年は呟く。何回か食べたことがありますよ、と指摘するも、記憶に無いといった調子で首が傾げられた。彼が物の名前を覚えていないことは予測はしていた。だからこそ、今年はこれを選んだのだ。
「食べていい?」
「貴方のものですよ。いいに決まっているではありませんか」
弟の言葉に、兄はおそるおそるといった風に生地が切り分ける。少しの逡巡の末、溶け出したチョコレートを一口サイズに切り分けられた生地が拭う。フォークに刺さったそれは、あ、と大きく開けられた口の中に吸い込まれていった。咀嚼、嚥下。フォークを握る手に力が込められる。未知のものに恐れを孕んでいた表情は、輝くような明るいものへと変化していた。
「んめぇ!」
「……それはよかった」
元気な言葉に、烈風刀は一言返す。そこには、安堵がよく表れていた。何度か試作し成功していたものの、きちんととろけるものになるかどうか不安だった。成功したようでなによりだ。それに、初めての光景に驚き、喜ぶ兄の姿がひたすらに嬉しかった。作って良かった、と心の底から思える瞬間だ。
「本当は生クリームや粉砂糖を添えるものなのですけれど、時間がありませんでしたからね」
う、と濁った音がフォンダンショコラを頬張る口から漏れ出る。事実、参考にしたレシピには、甘さを抑えているから生クリームなどで調節した方が良い、と書かれていた。無くとも美味しく食べてくれるだろうという信頼あって出したものだが、本当ならば完璧な状態で差し出したかったのが本音だ。
「……明日、二人で食べたかったのですけれどね」
本来であれば、明日の夕食後、生クリームを泡立て、二人で食べる予定だったのだ。一日早まってしまった分、色んな段取りがすっ飛ばされてしまった。それを責めるつもりはないが、穏やかな二人だけの時間を過ごす予定が崩れてしまった悲しみが、少年の心を少しだけ滲ませた。
「ごめん……」
「この程度のことで謝らないでください」
雷刀はしゅんとした様子で皿を見つめる。中からこぼれだしたチョコレートは全て流れ、皿の上に小さな水溜まりを作っていた。小さな黒い湖面を、朱が眺める。吸い込まれるようにじぃと見つめていたそれが、不意に上がった。真正面から対峙したその瞳は、陰りが失われ明るく光っていた。
銀色のフォークが操られ、小さな生地が急いで切り分ける。一口サイズになったそれをチョコレート生地にくぐらせ、雷刀は烈風刀の前へと突き出した。突然のことに、天河石の瞳がまあるく見開かれる。
「半分こ! 半分こにして、今二人で食べよ!」
な、と朱はいたずらげに首を傾げる。『二人で食べる』という部分が重要に映ったのだろう。光るフォークを差し出すその表情は、必死な色が見て取れた。自分のわがままで一人先に食べてしまった罪悪感も映っていた。
はい、あーん。そう言って夕焼け色が朝空色を見つめる。よく磨かれたフォークが、その先に刺さったチョコレートを纏ったフォンダンショコラが、碧に差し出される。どうすべきか、少年は迷う。『二人で食べる』という提案は魅力的だ。それに乗ってしまいたいが、所謂『あーん』というものをするのは羞恥が先に来るのだ。白い肌に紅が薄らと差す。
逡巡の末、碧い少年は小さく口を開ける。そのまま、フォークに素早く齧り付いた。先に刺さった生地を口の中に浚い、朱から視線を逸らす。咀嚼する度舌に広がる甘さは、レシピが謳う通り控えめとは思えなかった。
「美味しい?」
「えぇ」
咀嚼し嚥下し、烈風刀は答える。良かったぁ、と安堵の声が上がった。それはこちらの台詞なのでは、と軽口を叩いてみる。それもそっか、と存外素直な返事が来た。
「はい」
いつの間にか、生地がもう一口分差し出される。彼の言う『半分こ』はまだ達成されていないようだ。たしかに、皿にはまだ黒い生地が三分の二は残っている。『半分こ』するまで彼はずっと烈風刀の口へと菓子を運ぶ気なのだろう。朱い瞳には純粋な好意しか見えない。それがまた性質が悪いのだけれど。
「も、もう大丈夫です。ラッピングを済ませてしまわないといけないので」
そう言って、烈風刀はブラウニー生地を載せたケーキクーラーへと向かう。えー、と残念そうな声が背中に投げかけられる。二度目の『あーん』を耐える気概など、恥ずかしがり屋な面がある少年には無い。
包丁を温め、端を落として、切り分けていく。もう慣れてしまった動きだ、包丁の切れ味の良さもあって、スッと終わってしまった。今度はこれをラッピングしなければならない。これで最後だ、早く済ませてしまおう。そう考え、袋に手を伸ばしたところだった。
「烈風刀」
愛しい声が己の名を呼ぶ。先ほど食べたチョコレート生地よりもずっと甘い、とろけた声だ。手を離し、少年は音の元へと視線をやる。そこには、柔らかな笑みを湛えた雷刀の姿があった。手元にあった皿は、綺麗に浚われている。
「今年もありがと。大好き」
愛おしさをたっぷり声に乗せ、雷刀は言葉を投げかける。あまりにも甘ったるい響きに、烈風刀の眉がひそめられる。そこにあるのは不快感ではなく、ただの羞恥だった。あまりの甘さに、愛おしさに、耳が、心がとけてしまいそうな心地だ。整った唇が、きゅっと引き結ばれる。
「……喜んでいただけたなら、なによりです」
引き結ばれた口元が綻び、烈風刀は笑みを浮かべる。幸いをたっぷり載せた、控えめながらも可愛らしい笑みだった。やはり、好きな人に喜んでもらえるのは嬉しいことだ。溢れ出る幸福が、表情に出る。自分でも、緩んだみっともない顔をしている自覚はある。でも、仕方の無いことだ。こんなにも幸せなのだから。
釣られるように、雷刀も笑う。こちらも、幸せがたっぷり含まれた、甘い笑みだった。胸を溢れる喜びに、二人でくすくすと笑い合う。
チョコレートの甘い残り香が、キッチンに立つ二人を包んでいた。
畳む
#ライレフ
#腐向け
#ライレフ
#腐向け
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SDVX
2024/1/31(Wed) 00:00
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とろける【ライレフ】ハッピーバレンタイン(遅刻)
推しカプ一緒にお菓子食べてくれって話。
甘い香りがキッチンに満ちる。作業台の隅、白いオーブンレンジからは、砂糖の甘い芳香が立ち上っていた。オレンジの光が庫内を照らす。鮮やかな色で照らし出される生地は、ふわりと膨らんでいた。
ピピ、と短い電子音が鳴る。仕事を終えたという機械の報告に、烈風刀は手を止め振り返る。庫内を照らしていた光は消え、暗くなった中はガラス窓からは見えない。しかし、そこからあがる豊かな香りが成功を如実に示していた。
ミトンをつけ、少年はオーブンレンジの取っ手に手を掛ける。少し力を入れて引くと、フックが外れる音とともに甘い香りがキッチンへと飛び出した。天板いっぱいに流し込まれた黒い生地は膨らみ、ところどころひび割れている。不格好に映るが、食欲を誘う見目をしていた。所々に埋まるナッツの白が、良いコントラストを描いている。
注意しながら手を差し入れ、竹串で生地の中心部を刺す。戻ってきたそれに何も付いていないことを確認し、碧は頬を緩める。きちんと中まで焼けたようだ。
両手にミトンをはめ、烈風刀は庫内から熱された天板を取り出す。焼き上がった生地から、白い湯気が立ち上る。鍋敷きの上に天板を載せ、そこに敷いていたクッキングシートに手を掛け生地を抜き取る。そのまま、ケーキクーラーの上に紙ごと置いた。
さて、天板を冷ましている間に切らねば。少年は包丁を手に、数十分前に焼き上がりすっかりと冷めた生地へと向かう。銀の刃を温め、厚みのある生地にそっと入れる。よく研がれた包丁は、崩すことなく生地を切った。ススス、と線を引くように刃を入れ、スティックサイズに切り分けていく。一枚の大きな生地は、あっという間に姿を変えた。
切り分けたそれを何本かのセットにし、クーラーの上に積む。ラッピングを済ませてしまいたいが、今は次の生地を焼かねばならない。作業をしている間に冷めた天板に、クッキングペーパーを敷く。淡い白で覆われたそれの中に、作り置いていた生地を流し込む。軽く平らにならしてから、ちょうど余熱の終わったオーブンレンジの中へと入れた。時間をセットし、スタートボタンを押す。低い呻り声とともに、白い箱にオレンジの光が宿った。
明日はバレンタインデーだ。友人連中や後輩、世話になっている人たち――そして、想い人であるレイシスに手作りのチョコレートを渡そうと、烈風刀は夕食後からキッチンで奮闘していた。とはいっても、手軽に量産できるチョコレート菓子というのはあまり多くない。今年は、混ぜて焼いて切るだけのブラウニーを選んだ。ピュアココアとナッツを入れたそれは香り豊かで、食感も悪くないはずだ。子どもたちでも食べやすく、手が汚れにくいのもポイントだ。
綺麗に切り分け積み上げたブラウニーを、傍らに用意していた細長い透明な袋に入れる。絞った口を短いラッピングタイで閉じ、その上に幅の太いリボンを結う。これでラッピングは完成だ。簡単な物ではあるが、十数人分となると流石に骨が折れる。オーブンレンジが働く低い声を背に、少年は黙々と手を動かした。
「今年は何作ってんの?」
一人だけのキッチンに、明るい声が飛び込んでくる。視線をあげると、カウンターを挟んだ向こう側には雷刀が立っていた。風呂上がりなのだろう、首には白いタオルが掛けられている。言葉を紡ぎ出す唇も、潤いを保っていた。
「ブラウニーです」
「へー。これブラウニーっていうんだ」
手際よくラッピングされていく生地の群れを眺め、少年はこぼす。作る側というより食べる側であり、物事にさして頓着しない彼は、このありきたりな菓子の名前を知らなかったようだ。そうですよ、と返し、碧は細い指を動かす。赤いリボンが綺麗に結われたパックが、ケーキクーラーの横に積まれていった。
「一個食べていい?」
「駄目です」
身を乗り出し問うてくる兄に、弟はきっぱりと否定する。えー、と不満げな声がキッチンに落ちる。駄目なものは駄目です、と碧は縋るようなそれを言葉で払う。余分に作ってあるとはいえ、もし数が足りなくなってしまったら大問題だ。使える時間も材料も限られている。避けるべき事態だ。
「そこのならいいですよ」
「やった」
クッキングシートの上に積まれた黒い切れ端を指差す。生地は焼くとどうしても端が丸くなってしまう。まっすぐとした見目にするために、端は切り落としているのだ。その山が、焼き色のついたクッキングシートの上に生まれていた。指差した先の光景に、嬉しげな声があがった。
風呂上がりで少しふやけた指が、黒い生地を一つつまむ。あ、と大きく口を開け、朱は細長いそれに齧り付いた。顎と頬がもぐもぐと動き、しばしして喉が上下する。瞬間、ぱぁと明るい笑顔がキッチンに咲いた。
「んめー!」
「それはよかった」
嬉しそうに笑みを浮かべる兄の姿に、弟は一人胸を撫で下ろす。自身でも味見はしていたものの、本当に美味しいものが作れているか、少しの不安は残っていた。他人による上等な評価に、きちんと作れていたことが証明され、安堵する。なにより、誰かが己の作った物を喜んで食べてくれることにたしかな幸せを感じていた。
「なーなー、オレの分はー?」
これ皆のだろ、と雷刀はラッピングされた菓子を指差す。彼の言う通り、先ほどから量産されているそれは級友や下級生に配るためのものだ。事実、雷刀とレイシスのためには別にもう一つ用意をしてある。しかし、自分だけのものが用意されているという確信を持った声で言われると、なんだか腹が立つものだ。
「……ありますよ」
「欲しい!」
少しの反抗を込めて一拍。烈風刀は少し小さくなった声で応える。言葉を捉えた瞬間、朱は両の手を広げてカウンター越しにこちらへと差し出した。輝く瞳は早く早く、と急かしている。まるで誕生日プレゼントを目の前にした子どものようだ。
最後の一袋の包装を終え、碧は煌めく紅玉を見る。蒼玉は、呆れたように細められていた。
「バレンタインデーは明日でしょう。一日ぐらい待ってください」
「えー。いいじゃん、一日ぐらい」
一日の感覚差に、兄弟の意見は分かれる。一日ぐらい誤差だって、と朱い少年は声高に主張する。乱暴すぎる意見に、碧い少年は口元をきゅっと引き結んだ。不満げに眇められた紅瑪瑙と孔雀石がぶつかる。しばしの沈黙が、甘い香りの漂うキッチンに流れた。オーブンレンジの低い呻り声が妙に大きく聞こえる。
「じゃあ、日付変わったら! オレに一番にちょーだい!」
名案だ、というように、雷刀はピンと人差し指を立てて言う。『一番』という言葉に、彼の欲が表れていた。好きな人から一番最初にチョコをもらいたい。バレンタインデーを迎える人間が抱えてもおかしくはない願望だろう。
兄の放った『一番』という言葉に、烈風刀の心が少し揺らぐ。たしかに、好きな人には一番最初にもらってもらいたい気持ちが無いと言えば嘘になる。しかし、こちらもこちらで段取りを考えているのだ。それを崩されるのは困る。ん、と細い喉が鳴った。
お願い、と兄は手を合わせ弟を拝む。髪と同じ色をした眉は、端がへにゃりと下がっていた。潤むガーネットが、上目遣いでアクアマリンを見つめる。な、と小さく首を傾げて少年は頼み込んでくる。その様はまさに幼い子どもであった。う、と気まずげな音が白い喉からこぼれる。浅海色の瞳が悩ましげに伏せられた。
「…………分かりました。日付が変わったら、ですからね」
「いいの!?」
溜め息を吐くように言う弟に、兄は大きな声をあげる。潤んでいた紅緋の瞳がぱぁと輝きを取り戻す。撤回しますか、との声に、ごめん、と悲鳴のような声が返された。
「分かりましたから、まず髪を乾かしてきてください」
首元に暗い水玉模様が浮かぶシャツを指差し、烈風刀は言う。相変わらず、この兄は髪を乾かすという工程を忘れてしまうのだ。弟の指摘に、雷刀ははーい、と元気な声を返し、洗面所へと駆けていく。バタン、と乱暴にドアが閉められる音がリビングに響いた。
オーブンレンジが呻り声をあげる。低く重いそれは、兄の意見に折れてしまったことを非難するような響きに聞こえた。だって仕方が無いではないか。あんな幼い子どものように頼み込まれては、ほだされてしまうに決まっている。だって、あの兄は可愛らしいのだ。そうだそうだ、と本能が言う。もっと自分を律しろ、と理性が正論を吐いた。
はぁ、と溜め息一つ。烈風刀は包丁を洗い、温め直す。先ほど焼き上げ冷ましていた生地に、スッスッと刃を入れていく。一枚の大きな生地が、何本ものスティックに生まれ変わった。
「乾かしてきた!」
扉が勢いよく開かれ、雷刀が顔を出す。彼の言う通り、鮮やかな朱の髪からは水気が無くなり、元のふわふわとしたものに戻っていた。一瞥し、そうですか、と短い声で返す。ん、と短い声が返され、兄は部屋の奥へと進んでいく。しばしして、テレビのスピーカーから音が流れ出るのが遠くに聞こえた。
それからはもう、ひたすらに騒々しかった。ソファに寝転がってテレビを見ていたと思えば、急に立ち上がりその場をうろうろし出す。部屋に戻って漫画を持ってきたと思えば、何度も視線を外し時計を見やる。携帯端末で何か見ていても、何故か液晶画面でなく壁掛け時計へと視線をやる。キッチンで黙々と作業していても、その忙しなさが伝わってくるのだ。相当なものである。
残った生地の焼成とラッピング作業、道具の片付け、キッチンの簡単な掃除を終え、烈風刀は兄を見やる。相変わらず、ガーネットの双眸は壁掛け時計へと向けられていた。携帯端末を指でなぞり、時計を見る。またなぞり、時計を見る。飽きたのか、端末を机の上に放り出し、とうとうじぃと時計を見つめるまでになってしまっていた。
つられるように時計を見やる。アナログの時計盤は、日付が変わるまであと二時間はあることを示していた。あと二時間もこの調子なのか、と少年はうんざりとした顔をする。この静かな騒々しさをこれ以上味わいたくはない。はぁ、と溜め息一つ吐き、碧はソファに寝転がる朱へと歩み寄った。
「雷刀」
名前を呼ぶと、兄はころりと転がりこちらを見やる。その顔には、まだかまだか、とそわそわしていた。あまりにも落ち着きが無い様子に、嘆息する。単純にも程というものがある。
「静かにできないのですか」
「静かにしてるじゃん」
「動きがうるさいのですよ。何度意味も無く立ち上がっているのですか」
腕を組んだ碧の指摘に、朱はう、と言葉を詰まらせる。だって、と言い訳めいた声が返ってくる。柘榴石は気まずげに逸らされていた。八重歯の覗く口元は強ばり、そこから意味も無い音を漏らしていた。
「……来てください」
寝転がった兄の手を掴み、軽く引く。疑問げな色を見せながらも、少年は大人しく手を引かれる。そのまま、二人でキッチンへと戻っていった。
不思議そうにこちらを見つめる雷刀を無視し、烈風刀は冷蔵庫に手を掛ける。青白い光に照らされた庫内、その奥に隠していたマフィンカップを手に取った。片手に収まるそれを携え、今度は食器棚に向かう。紙のカップを外し、中から現れた黒いそれを白い皿に載せる。その様子を、朱はずっときょとんとした様子で見つめていた。
「……こんなに騒がしいのなら、先に食べてしまった方がマシです」
きょとりとした視線から目を逸らし、碧は言う。弟の言葉の意味を理解し、朱はマジで、と大きな声をあげた。夜中にうるさいですよ、と窘めると、赤々とした唇がきゅっと引き結ばれた。
「なにそれ、マフィン?」
「少し違います」
少し待ってください、と烈風刀は皿を手に持つ。そのまま、光を失ったオーブンレンジへと入れた。へ、と落ちた疑問符を気に掛けること無く、少年はボタンを操作する。ブォンと低い音があがり、皿がオレンジの光に照らし出される。三十秒経ったところで、ピピ、と電子音が鳴った。
庫内から皿を取り出す。レンジによって温められた黒い生地は、ほんのりと湯気をあげていた。事態を飲み込めていないのか、朱は相変わらずきょとりとした顔で碧を見つめる。
「え? 何?」
「割ってみてください」
はい、と温めたばかりの皿とフォークを手渡す。紅玉髄が、皿と弟の顔を何往復もする。さぁ、と手を差し出せば、未だ納得のいかない顔でフォークを手に取った。
黒い塊に、銀のフォークが横に刺さる。そのまま力を入れ、雷刀は少し固い生地を半分に割っていく。三分の二ほど刃を入れたところで、中からチョコレートがとろりと溶け出した。突然のことに、わ、と少年は声をあげる。その反応を待っていたとばかりに、烈風刀は小さな笑声を漏らした。
「何これ!?」
「フォンダンショコラですよ」
初めて聞いた、とチョコレートをとろとろとこぼす生地を眺め、少年は呟く。何回か食べたことがありますよ、と指摘するも、記憶に無いといった調子で首が傾げられた。彼が物の名前を覚えていないことは予測はしていた。だからこそ、今年はこれを選んだのだ。
「食べていい?」
「貴方のものですよ。いいに決まっているではありませんか」
弟の言葉に、兄はおそるおそるといった風に生地が切り分ける。少しの逡巡の末、溶け出したチョコレートを一口サイズに切り分けられた生地が拭う。フォークに刺さったそれは、あ、と大きく開けられた口の中に吸い込まれていった。咀嚼、嚥下。フォークを握る手に力が込められる。未知のものに恐れを孕んでいた表情は、輝くような明るいものへと変化していた。
「んめぇ!」
「……それはよかった」
元気な言葉に、烈風刀は一言返す。そこには、安堵がよく表れていた。何度か試作し成功していたものの、きちんととろけるものになるかどうか不安だった。成功したようでなによりだ。それに、初めての光景に驚き、喜ぶ兄の姿がひたすらに嬉しかった。作って良かった、と心の底から思える瞬間だ。
「本当は生クリームや粉砂糖を添えるものなのですけれど、時間がありませんでしたからね」
う、と濁った音がフォンダンショコラを頬張る口から漏れ出る。事実、参考にしたレシピには、甘さを抑えているから生クリームなどで調節した方が良い、と書かれていた。無くとも美味しく食べてくれるだろうという信頼あって出したものだが、本当ならば完璧な状態で差し出したかったのが本音だ。
「……明日、二人で食べたかったのですけれどね」
本来であれば、明日の夕食後、生クリームを泡立て、二人で食べる予定だったのだ。一日早まってしまった分、色んな段取りがすっ飛ばされてしまった。それを責めるつもりはないが、穏やかな二人だけの時間を過ごす予定が崩れてしまった悲しみが、少年の心を少しだけ滲ませた。
「ごめん……」
「この程度のことで謝らないでください」
雷刀はしゅんとした様子で皿を見つめる。中からこぼれだしたチョコレートは全て流れ、皿の上に小さな水溜まりを作っていた。小さな黒い湖面を、朱が眺める。吸い込まれるようにじぃと見つめていたそれが、不意に上がった。真正面から対峙したその瞳は、陰りが失われ明るく光っていた。
銀色のフォークが操られ、小さな生地が急いで切り分ける。一口サイズになったそれをチョコレート生地にくぐらせ、雷刀は烈風刀の前へと突き出した。突然のことに、天河石の瞳がまあるく見開かれる。
「半分こ! 半分こにして、今二人で食べよ!」
な、と朱はいたずらげに首を傾げる。『二人で食べる』という部分が重要に映ったのだろう。光るフォークを差し出すその表情は、必死な色が見て取れた。自分のわがままで一人先に食べてしまった罪悪感も映っていた。
はい、あーん。そう言って夕焼け色が朝空色を見つめる。よく磨かれたフォークが、その先に刺さったチョコレートを纏ったフォンダンショコラが、碧に差し出される。どうすべきか、少年は迷う。『二人で食べる』という提案は魅力的だ。それに乗ってしまいたいが、所謂『あーん』というものをするのは羞恥が先に来るのだ。白い肌に紅が薄らと差す。
逡巡の末、碧い少年は小さく口を開ける。そのまま、フォークに素早く齧り付いた。先に刺さった生地を口の中に浚い、朱から視線を逸らす。咀嚼する度舌に広がる甘さは、レシピが謳う通り控えめとは思えなかった。
「美味しい?」
「えぇ」
咀嚼し嚥下し、烈風刀は答える。良かったぁ、と安堵の声が上がった。それはこちらの台詞なのでは、と軽口を叩いてみる。それもそっか、と存外素直な返事が来た。
「はい」
いつの間にか、生地がもう一口分差し出される。彼の言う『半分こ』はまだ達成されていないようだ。たしかに、皿にはまだ黒い生地が三分の二は残っている。『半分こ』するまで彼はずっと烈風刀の口へと菓子を運ぶ気なのだろう。朱い瞳には純粋な好意しか見えない。それがまた性質が悪いのだけれど。
「も、もう大丈夫です。ラッピングを済ませてしまわないといけないので」
そう言って、烈風刀はブラウニー生地を載せたケーキクーラーへと向かう。えー、と残念そうな声が背中に投げかけられる。二度目の『あーん』を耐える気概など、恥ずかしがり屋な面がある少年には無い。
包丁を温め、端を落として、切り分けていく。もう慣れてしまった動きだ、包丁の切れ味の良さもあって、スッと終わってしまった。今度はこれをラッピングしなければならない。これで最後だ、早く済ませてしまおう。そう考え、袋に手を伸ばしたところだった。
「烈風刀」
愛しい声が己の名を呼ぶ。先ほど食べたチョコレート生地よりもずっと甘い、とろけた声だ。手を離し、少年は音の元へと視線をやる。そこには、柔らかな笑みを湛えた雷刀の姿があった。手元にあった皿は、綺麗に浚われている。
「今年もありがと。大好き」
愛おしさをたっぷり声に乗せ、雷刀は言葉を投げかける。あまりにも甘ったるい響きに、烈風刀の眉がひそめられる。そこにあるのは不快感ではなく、ただの羞恥だった。あまりの甘さに、愛おしさに、耳が、心がとけてしまいそうな心地だ。整った唇が、きゅっと引き結ばれる。
「……喜んでいただけたなら、なによりです」
引き結ばれた口元が綻び、烈風刀は笑みを浮かべる。幸いをたっぷり載せた、控えめながらも可愛らしい笑みだった。やはり、好きな人に喜んでもらえるのは嬉しいことだ。溢れ出る幸福が、表情に出る。自分でも、緩んだみっともない顔をしている自覚はある。でも、仕方の無いことだ。こんなにも幸せなのだから。
釣られるように、雷刀も笑う。こちらも、幸せがたっぷり含まれた、甘い笑みだった。胸を溢れる喜びに、二人でくすくすと笑い合う。
チョコレートの甘い残り香が、キッチンに立つ二人を包んでいた。
畳む
#ライレフ #腐向け