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No.111

濡れ髪に触れて【ライレフ】

濡れ髪に触れて【ライレフ】
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オニイチャンは絶対に髪をろくに乾かさないという幻想と弟君はなんかかんか世話焼きだという幻想と髪に触るという性癖が合わさった結果がこれだよ。

 冷たい空気が肌を撫ぜる。常ならば身を縮こませるようなそれは、長風呂で火照った身体には心地良く感じた。ほぅ、と思わず息が漏れ出る。熱を孕んだ呼気は、暗い廊下に溶けて消えた。
 肺の空気を吐き出した喉が渇きを訴える。長時間の入浴を終えた身体は水分を欲しているようだ。水でも飲もう、と烈風刀はキッチンへと足を向ける。一歩踏み出したところで、少年の動きは止まった。
 照明が落とされ闇に包まれた廊下の中腹、リビングダイニングに続くドアにはめ込まれたガラスからは、光が漏れ出ていた。部屋に人がいる、もしくはいた証拠だ。夜も更けたこの時間、リビングに誰か――唯一の同居人で兄である雷刀がいることは少ない。大方、自室に引き上げる前に訪れ、そのまま電気を消し忘れたのだろう。何事においても大雑把な彼は何度注意しても改善しないのだ。整った若葉色の眉が険しげに寄せられた。
 足早に廊下を歩く。さほど広くはない住居では、目的の場所へはすぐに辿り着いた。リビングの扉、細かい傷のついたノブに手を掛ける。冷えたそれを回すと、軽い音をたててドアが開いた。
 扉の先の空間には、芝居がかった男女の声が響いていた。おそらく、音の発生源はテレビだろう。この時間は連続ドラマをやっていたはずだ。テレビまで点けっぱなしにしていったのか、と細い眉が更に寄せられる。白い眉間に深い皺が刻まれた。
 ダイニングを通り過ぎ、リビングに辿り着く。壁際に置かれたテレビには、手を繋ぎ道を行く男女の姿が映し出されていた。向かい側、二人掛けのソファへと視線を移す。予想に反して、そこには人影があった。眼前に広がる光景に、天河石の瞳が瞬いた。
 ソファにはこの状況を作ったであろう犯人――雷刀が座っていた。普通ならば液晶画面に向けられているであろう顔は俯いている。物語の顛末を見守るべき紅緋の目は閉じられていた。背もたれにもたれかかっているはずの背は丸まり、腹の前で腕を組んだ状態で前傾姿勢になっている。かくん、かくん、と丸まっては伸ばされる首には、白いタオルが掛けられている。きっと、風呂を上がってからそのままにしているのだろう。だらしのない彼にはよくあることだ。
 普段はぴょこぴょこと跳ねた癖のある髪は、どこかまっすぐに下りて見える。沈んで色濃く映るそれは濡れていることを示していた。髪を乾かしていないのがありありと分かる。洗面所にドライヤーを置いているというのに、この片割れはきちんと髪を乾かすことが少ない。今日もそうなのだろう。
 はぁ、と溜め息一つ。テーブルの上に置かれたリモコンを手に取り、テレビの電源を落とす。内蔵スピーカーから流れる軽快な音楽は止み、鮮やかな色を映し出す液晶は黒に包まれた。リモコンを定位置に戻し、今度は兄の肩に手を掛ける。そのまま、加減することなく船を漕ぐ身体を揺らした。
「雷刀、起きてください」
 ぐらぐらと揺れる身体がビクンと大きく跳ねる。んぁ、と常よりもいくらか低い声が聞こえた。呻き声とともに、曲がった首がゆっくりとまっすぐに戻る。伏せられた顔が上がり、緩慢な動きでこちらを向いた。
「んー……? あれ? れふと?」
 己の名を呼ぶ声はふにゃふにゃとして芯を持たず、どこか舌足らずだ。半分ほどしか開かれていない紅玉からは普段の澄んだ輝きは失せ、けぶった色をしている。眠っていたのがよく分かる様子だった。唸りとともに、緩く握られた拳が目元を擦る。猫が顔を洗う姿によく似ていた。
「寝るならちゃんと部屋で寝てください。というか、その前に髪を乾かしてください」
「えー……」
 応える声は先ほどよりもはっきりしている。けれども、返事は淀んだものだ。面倒臭い、と声色が明確に語っていた。
 目元を擦っていた拳が開き、いつもより色の沈んだ緋色の頭へと伸ばされる。節が目立つ指が、湿り気の残る髪の毛を一房つまむ。捩るように指先が動く。んー、と疑問符がついた声が静かになったリビングに落ちた。
「そこそこ乾いてんじゃん」
「どこがですか」
 ピンとつまんだ髪を弾き、ケロリとした顔で雷刀は言う。対面する烈風刀の声と顔は、その正反対に渋いものだ。呆れを多分に含んだ声とともに、少年は目の前の頭へと手を伸ばす。指先から伝わる温度は冷たく、普段のふわふわとした触り心地は無い。じとりと湿ったものだ。やはり乾いてなどいない。自然乾燥で完全に乾かすことなど無理に等しいのだから当たり前だ。薄い唇が苦々しげに引き結ばれた。
「ちゃんと乾かしてください」
「めんどい」
「『めんどい』ではありません。風邪をひきますよ」
 ここ数ヶ月高かった気温は徐々に落ち着きを取り戻し、最近では空調が必要ないほど快適なものだ。夜になると寒さを覚えることもあるくらいである。そんな中髪を乾かさずにいるなど、風邪の原因になるかもしれないではないか。日々の運営業務はどんどんと量を増し、忙しくなっているのだ。こんな時にくだらないことで体調を崩されては困る。
 面倒臭そうに細められた柘榴石がぱちりと瞬く。座面に放り出されていた腕が、首元のタオルを掴んだ。柔らかなそれが音も無く首から抜ける。
「じゃあ、烈風刀が乾かして」
 はい、と目の前にタオルが差し出された。同時に、上がっていた顔が軽く伏せられる。まるで撫でてくれと頭を差し出す犬のようだ。
 いきなりの行動に、藍玉の瞳が幾度も瞬く。ようやく意味を理解して、丸く開かれた目がうんざりとした様子で眇められた。
 自分でやるのが面倒臭いから乾かして、なんてのたまうなど、どれだけものぐさなのだ。大体、高校生にもなってそんなことを人に、それも双子の弟に頼むなどふざけている。行動がまるきり幼い子どものそれだ。この歳でやるようなことではない。
 はぁ、と重く息をこぼす。伸ばされた手にあるタオルを乱暴に奪い取り、目の前の頭に放り投げるように被せる。手を大きく開き、ぐわと指を曲げる。そのまま白に包まれた頭に立て、大きく動かした。
「いってぇ!」
「黙っていてください」
 あがった悲鳴を冷たく切り捨て、碧はガシガシと手を動かす。兄の言葉に従うのは癪だが、こんなふざけたことで風邪をひかれるよりもずっとマシだ。今月はアップデート作業が詰まっているのだ。そんな時に体調を崩され、数少ない戦力が失われてしまうような事態は避けるべき事項である。甘いな、と内心自嘲する。どんなに理屈をこねくり回そうと、このだらしのない片割れを甘やかしていることには相違ない。
 その代わり、加減などしてやらない。頼んだことを後悔しろ、と暗い念を込めつつ、少年は腕を動かす。思いやりなど、今の烈風刀には欠片も持ち合わせていなかった。
 柔らかな布地が動きにあわせて形を変える。ふわふわとしていたそれが、だんだんと重みを増していく。髪が有している水分がタオルに吸われているのだ。そのままわしゃわしゃと拭いてやる。髪と布が擦れる音が静かな空間に落ちた。
 苦しげな唸りがだんだんと消えていく。ようやく観念したか、と布地の下にある顔をちらりと見やった。
 タオルの下に隠れた真紅の瞳は気持ちよさそうにきゅうと細められ、緩い孤を描いていた。痛みに横に引かれていた口元も、どこか緩んでいる。頭を撫でられて喜ぶ犬を思わせる光景だった。
 予想外の表情に、浅葱の目が軽く見開かれる。まあるいそれがぱちぱちと幾度も瞬いた。
 こんなにも乱雑に拭いているというのに、このような顔をするなど思ってもみなかった。そんなに気持ちの良いものなのだろうか、と手を止めることなく考える。髪の手入れは昔から己で全てやっており、他人に髪を拭いてもらうことなどほとんど経験したことが無い。想像すらつかない。
 乾いていた白がすっかり湿って重くなった頃、少年はようやく手を離した。形の良い頭からタオルを引いて取る。布に包まれていた髪は、強風の中歩いたかのようにボサボサになっていた。代わりに、先ほどよりもずっと色が明るくなり、毛先も軽くなっている。常のように跳ねているのがその証拠だ。
 うー、と唸りとともに兄は目を開ける。赤紅が眩しげにぱちぱちと瞬いた。膝の上で揃えられていた手が、再び頭へと向かう。ぐしゃぐしゃになった髪を触ると、おぉ、と感心したような声をあげた。
「乾いたな。あんがと」
 へらりと笑い、雷刀は礼を言う。そのまま立ち上がろうとする彼の頭に手を乗せ、ぐっと押した。わ、と驚愕の声とともに、起こされた身体が座面へと戻る。柔らかなスプリングが軽い音をたてた。
「何だよー」
「そのままでは駄目でしょう」
「いいじゃん。乾いたんだし」
「水分を粗方取っただけです。完全には乾いていません」
 えー、と不満げな声があがる。開いた口は疎ましげに口角を下げていた。普段はぱっちりと開かれた丸い目は、今は瞼が軽く降りている。うたた寝をしていたほどだ、もう眠気が限界に近いのだろう。それでも、このまま部屋に帰してやるほど弟は甘くなかった。まだ湿った状態なのに、眠らせるわけにはいかない。ここまできたら最後まで乾かしてやろう。少しの使命感が少年の心に湧く。
 待っていてください、と鋭く告げ、烈風刀は足早にリビングを出る。湿気の残る洗面所に飛び込み、棚からドライヤーを引っ掴む。パタパタと忙しない足音をたて、急いで居間へと踵を返した。
 大人しくソファに座ったままの兄の横を通り過ぎ、ドライヤーをコンセントに繋ぐ。長いコードを引きつつ、目を擦る彼の前に立った。手元を見て察したのか、朱色の頭が無言で伏せられた。
 手にしたドライヤーのスイッチを入れる。瞬間、ブオォと大きな音が小型の躯体から発せられた。
 吐き出される温かな風を、乱れた髪に吹きかける。大きく一房掴み、頭頂部から毛先に掛けてゆっくりとした手つきで風を当てていく。往復しながらしばらく当て続け、指先から湿り気が伝わってこないことを確認し、また一房掴んで風を吹きかけていく。乾かしながら、緋の髪を撫で梳かして整えていく。同じ動きを何度も何度も繰り返すにつれ、湿った感触はどんどんとふわふわとした柔らかなものへと変化していった。普段通りの触り心地に戻っていっていることに、小さな達成感が胸に芽生える。密かに口元を綻ばせつつ、碧は粛々と手を動かした。
 最後の一房を乾かし終えると、今度はわしゃわしゃと全体を掻き乱しつつ、乾きにくい根元に温風を当てていく。生乾きの部分など作ってはいけない。やるならば最後までしっかりと、が己の信条だ。時折梳いて整えながら、少年は朱い髪に風を吹きかけた。
 先ほどよりも丁寧な手つきに加え、温かな風を受けているからだろうか、雷刀の表情は先ほど以上に穏やかでとろけたものだった。赤い睫に縁取られた目は柔らかな孤を描き、口角は緩く持ち上がり、笑みを形取っている。幸色に満ちたそれに、温かな何かが胸の内に広がっていく。これだけ心地良さそうな姿を見ると、こちらまで良い気分になるものだ。
 最後に全体に風を当て、サッサッと撫でて梳かす。長年放置された樹木のように方々に跳ねた髪は、どんどんと落ち着きを取り戻していった。これで完成だ。片手でドライヤーのスイッチを切る。暴風吹き荒れる音がピタリと止まった。
「乾きましたよ」
「おー」
 言葉とともに小型機械を折りたたむと、感嘆に満ちた声があがった。雷刀は自らの頭に手を当て、さわさわと撫でる。癖のついた髪の毛が指に弾かれぴょこぴょこと揺れた。おー、とまた声が漏れ出たのが見えた。
「ふわっふわのさらっさら」
「ちゃんと乾かせばこうなりますよ」
 当たり前のことに感心の音を漏らす兄の姿に、弟は呆れた声を漏らす。やはり髪を乾かしていないのか、と指で弾いて遊ぶ彼を眇目で睨めつける。かちあった紅玉髄が一瞬で気まずげな色に染まり、ばっと勢いよく逸らされた。どう見ても図星である。はぁ、とわざとらしく溜め息を吐く。う、と苦々しげな声が返ってきた。
「そういや、烈風刀の髪はいつもさらさらだもんな」
 慌てた調子の声とともに、跳ねる赤髪から手が外れる。鍛えられた逞しい腕がこちらへと伸ばされた。胼胝の浮いた指が鮮やかな若草に潜り込み、そっと肌を撫ぜるように掻き分ける。手入れされた髪が音も無く揺れた。指通しを楽しむように、つややかな頭髪がさらさらと梳かされる。なぞる手つきは慈しみに満ちていた。
 触れられる度に胸に満ちる温かな感覚に、少年は気付かれぬようほんの少しだけ瞼を伏せる。不機嫌そうに引き結ばれていた口元が、かすかに綻んだ。
 しばしして、癖のある前髪に触れる指が静かに離れていく。流れていた穏やかな時はそっと終わりを迎えた。
「あんがとな、烈風刀」
 そう言って、雷刀はへにゃりと相好を崩した。穏やかな孤を描く目元は普段よりも少しだけ下がっており、眠気を宿していることがよく分かる。証明するように、くぁ、とあくびが犬歯が覗く大きな口から漏れ出た。
「寝るなら部屋で寝てくださいよ」
「わーってるって」
 二度目の弟の言葉に、兄はひらひらと手を振って応える。大きく開かれた口から再びあくびが漏れ出るのが見えた。
 本当だろうか、と片割れを横目で見ながら、烈風刀はドライヤーのコードをまとめる。夜もだいぶ更けてきているのだ、明日に備えて己も早く眠らなければいけない。早く片付けてしまわないと、と少年は洗面所へと足を向けた。
「なーなー」
 リビングのドアを開いたところで、背中に声が飛んでくる。首だけで振り返ると、そこにはソファの背もたれに腕を掛けてこちらを眺める朱の姿があった。眠気でとろけていた目には、何故か先ほどまではなかった輝きが宿っている。好奇心を前面に出した子どものような様相だ。
「今度はオレが烈風刀の髪乾かしたい」
 眠たげな目元に反し、声は常のように元気に弾んだものだった。いいだろ、と少年は小首を傾げる。乾かしたばかりの茜色が、動きに合わせてさらりと揺れた。
「無理でしょう」
 尋ねる言葉をバッサリと切り捨てる。そこに冷たさは無く、ただ淡々と事実を告げる響きをしていた。えー、と不満げな声が返される。だらりと垂れ下がった手がソファの背面をバタバタと軽く叩いた。
「僕はお風呂から上がったらすぐに乾かしています。貴方に乾かしてもらう機会なんてありませんよ」
「じゃあ、明日だけ乾かさないで」
「何で貴方のためにそんなことをしないといけないのですか」
 身勝手な要求に碧は険しげに川底色の目を眇める。髪が濡れたままで過ごすなど、余計な冷たさと不快感を覚えるだけの愚行だ。何で兄の欲求を満たすために己がそんな思いをせねばならないのだ。澄み渡る浅海色に呆れとほんの少しの怒りが浮かぶ。瞳に宿った感情を読み取ってか、兄は小さな唸りを漏らす。未練がましい音色をしていた。
 紅葉色の瞳が諦め悪く宙を彷徨う。数拍、丸いそれがぱっと見開かれた。尖っていた唇は解け、にぃと孤を描く。何かひらめいたのだろう。それも、ろくでもないことを。普段の経験から嫌でも分かった。
「じゃあさ、一緒に入れば解決だな!」
「は?」
 元気に飛び出した言葉に、烈風刀はぽかんと口を開ける。漏れ出た音は怪訝さに満ちていた。やはりろくでもないことを考えていたようだ。理解しがたい言葉に、頭が軽い痛みを覚える。思わず顔を覆いそうになるのを必死に堪えた。
「一緒に入れば一緒に上がるだろ? そしたら烈風刀の髪濡れたまんまじゃん? そのままオレが乾かしてやれる」
 キラキラと輝くガーネットは、名案だろう、と告げていた。どこがだ、とエメラルドがこれでもかと険しく細められる。髪と同じ色をした細い眉がぎゅっと寄せられた。
 あまりにも無茶苦茶な提案だった。そもそも、高校生にもなって二人で風呂に入るなど普通ならあり得ない――そう、普通ならば。しかし、己たちの関係は『普通』から逸脱したものだ。今まで何度か経験がある以上、あり得ない、と切り捨てるのは少しばかり難しい。けれども、こんなふざけたことのために共に入るなどごめんだ。
「決まりなー。じゃ、おやすみ」
 いつの間にか立ち上がりこちらへと歩み寄っていた雷刀がぽんと背を叩く。ちょっと、と反論をするよりも先に、言葉の宛先は暗い廊下に足早に消えた。開かれたままだった扉が、音をたてて急いで閉められる。もう声が届くことは無いだろう。
 一人取り残された烈風刀は呆然とその場に立ち尽くす。あまりにも突然で、あまりにも勝手で、あまりにもふざけた行動だ。一方的に言い捨て回避する余裕すら与えなかった彼に、ふつふつと怒りが湧いてくる。ドライヤーのコードを握る手に力が込められる。ビニールに包まれたそれが寄せられ、端が軽くばらけた。
 はぁ、と少年は息を吐き出す。非常に重々しい、怒りと呆れがふんだんに詰め込まれたものだった。
 あの兄のことだ、明日は絶対に『一緒に入る』とごねるだろう。それこそ、幼子のように。忘れっぽいくせに、こういうことばかりはしっかりと覚えて声を大にして主張してくるのだから質が悪いったらない。
 しかし、と少年は軽く俯く。重く苛烈な感情が渦巻く胸に小さな何かが顔を覗かせた。
 普段は自分が世話を焼くばかりで、雷刀に何かしてもらうことなどほとんどない。先の行動が実際に行われるというのならば、これ以上になく貴重な機会だ。
 つい先ほどまで眺めていた兄の顔が思い出される。髪を拭かれ乾かされる彼の表情はとても気持ちが良さそうで、幸いに彩られたものだった。他者に髪を手入れしてもらうことは、そんなに気持ちが良いのだろうか。まだ知らぬ温かな何かが、明日己に与えられるかもしれない。そう考えて、淡い何かが心に宿ったのは気のせいではないだろう。
 胸の内に芽生えたそれを振り払うように、碧の少年は強く頭を振る。せっかく整えた髪がバサバサと音をたてて乱れた。
 はぁ、とまた溜め息が漏れ出る。疲れが滲んだものだった。そうだ、他人の髪を乾かすなんて慣れないことをして疲れているのだ。だから、こんな馬鹿なことを考えてしまう。きっとそうだ、と少年は一人頷く。己に言い聞かせるような動きだった。
「……早く寝なければ」
 息を吐いたまま開かれた口から、自然と言葉が漏れ出る。明日も学校が、運営業務があるのだ。しっかりと睡眠を取り、忙しない日常へ備えなければならない。こんなところでドライヤーを握りしめて突っ立っているわけにはいかないのだ。
 はぁ、とまた溜め息一つこぼし、烈風刀は扉横のスイッチに手を伸ばす。プラスチックのそれを軽く押さえると、部屋はすぐさま暗闇に満たされた。そのままノブを握り、少年は扉を開けて廊下へと出た。
 夜闇に包まれたリビングには、ただ静寂が広がっていた。

畳む

#ライレフ #腐向け

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