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No.116

良い子にはたっぷりのご褒美を【ライレフ】

良い子にはたっぷりのご褒美を【ライレフ】
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ライレフでDom/Subユニバースパロ。リンクの解説を参考に色々捏造しまくってるので注意。
DomオニイチャンがSub弟君におしおきしたりご褒美あげたりしていちゃいちゃするだけ。

 かじかむ手で鞄のポケットから鍵を取り出す。失くしてしまわないように二色のキーホルダーで目印を付けたそれをノブに差し込み回すと、錠が外れる軽い音が廊下に響いた。薄暗い蛍光灯の明かりを受け鈍く光るドアノブを回し、兄弟は部屋へと入る。ただいま、と暗い室内に二人分の声が響いた。
 靴を乱雑に脱ぎ捨て、雷刀は中身の詰まっていない学生鞄をリビングに放り込む。常ならば乱暴に扱う様を咎めるであろう烈風刀は、今日は何も言わない。玄関の鍵とチェーンをかけた後、彼もその隣に己の鞄をそっと置いた。
 そのままの足で、兄は洗面所へと駆けていく。風邪が流行り出す時分だ、手洗いとうがいはしっかりしろ、と面倒見の良い弟に常日頃言われている。その言葉に素直に従い、手早く済ませた。
 入れ違いに入ってきた碧を尻目に、少年は赤髪を揺らしすぐさまリビングへと戻る。急いで電気を点け、寄り添うように並ぶ二つの鞄の横を通り過ぎ、入ってすぐの場所に置かれた棚へと一直線に向かう。上部に取り付けられた扉を開き、綺麗に片付けられたそこの奥にしまわれた箱を取り出す。埃一つ付いていない夜闇色のそれをゆっくりと開き、同じ色のクッションに埋まったものを眺める。緩く孤を描く朱は、慈しみにもサディズムにも似た不思議な色をしていた。
 己にとっても片割れにとっても大切なそれをそっと取り出す。まるで触れただけで壊れてしまう飴細工でも扱うような手つきだ――もっとも、大きな両の手で持ち上げたものは、そんな美しく可憐なものとは全く違うのだけれど。
 しっかりとした造りのそれを胸に抱え、雷刀は悠々とした足取りで窓際に置かれたソファへと向かう。二人分には少しだけ大きなそれの中央に腰を下ろす。普段ならば兄弟並んで座るために片端へと寄るのだが、帰宅直後の今は中央に座る必要があった。
 手にした物の縁や表面を指でなぞる。つやめく生地やキラキラと光る金具を眺めながら、まだ洗面所にいるであろう弟を待つ。来るまでそう時間はかからないとは分かっているが、弾む心と待ち遠しさに手の中の宝物を忙しなく触ってしまう。待ち合わせに早く来てしまった時のような気分だ。
 カチャリ、とノブが回る小さな音が、一人きりのリビングに落ちる。輝く瞳をそちらへ向けると、細く開いたドアの隙間から柔らかな碧が覗いた。ようやく姿を現した彼は、滑り込むように部屋に入り、過剰なほど丁寧な手つきで扉を閉める。振り返ったその頬には、薄らと紅が浮かんでいた。それが外の冷たい空気に晒された故のものではないということは、朱が一番理解していた。
 自室に運ぶべき鞄の横を通り過ぎ、烈風刀は兄が座るソファへと向かう。その足取りは、彼にしては珍しくどこか浮き足立ったものだ。少しばかりふらつく様子は、熱に浮かされた人間のそれにも似ている。
 足早にソファに辿り着き、少年は座った片割れを見下ろす。学内でよく見かける、問題を起こした兄を叱りつける光景のように見えるが、今の彼は一言も発さず目の前の兄弟をじぃと見つめるだけだ。薄桃色が滲む顔とどこか潤んだ瞳で相手を見つめる様は、告白を決意した少女を思わせるものだった。
 烈風刀、と揺らぐ碧を眺め、雷刀は世界で唯一の兄弟の名前を呼ぶ。はい、と返ってきた声は震えていた。恐怖や憤怒によるものではない、わずかな緊張と強い想望によるものだということは、互いに理解していた。
「『おすわり』」
 朱い少年が発したのは、短い命令だった。それも万が一にも人間に向けるものではない、犬や猫といった動物に対するようなものだ。他人が聞けばまず眉をひそめ、批判するだろう。もちろん、言われた者は激怒するに決まっている。何ならば多少の暴力を振るっても許される、と他者が判してもおかしくない。そんなことをされたというのに、当の本人――規律を重んじ、礼儀を欠かさない碧い少年は不自然なほど黙ったままだ。
 瞬間、烈風刀はそのまま崩れ落ちるように床に座った。正座が崩れたような形でぺたりとフローリングに腰を下ろし、身体の前で手を揃え床についた姿は、犬が『おすわり』する姿によく似ていた。
 それが当然であるというように、少年は行儀が良いとはとても言えない姿で目の前の兄を見上げる。丸い翡翠の瞳は、期待でキラキラと輝いていた。
 従順な様を見下ろし、雷刀は愛おしげに笑む。褒めるように形の良い頭を撫でてやると、眼下の水宝玉が歓喜にとろりととろけたのが見えた。手を離すと、『おすわり』をした少年はぐいと頭を反らす。日に焼けていない白い喉を見せつける動きだ。素直で可愛らしい弟のために、兄は筋の浮かぶそこに付けられた黒いチョーカーへと手を伸ばした。
 すべらかな肌を傷つけないよう気を払いつつ、電灯に照らされ輝く小さな金具を解く。細いそれの端と端を持ち、ゆっくりと取り外す。『外向け』のアクセサリーをテーブルに置き、座ったままの少年は己の膝の上に置いたものを手に取った。
 雷刀が帰ってすぐに棚から取り出したのは、真っ赤な首輪だった。幅は太く、嵌めるための金具も大ぶりなものだ。人の首に付ければ、過剰なほど存在を主張するだろう。傷一つ無い明るい色の生地はつややかに輝いており、その質の高さをよく表していた。
 大袈裟なほど丁寧な手つきで金具を外し、広げた赤を晒されたままの首にそっと宛がう。触れる無機質な冷たさにか、それとも待ち望んだものが与えられた喜びにか、座り込んだ身体が小さく震えたのが見えた。ゆっくりと巻き付け、息苦しくならない程度の場所でベルト穴に金具を通す。椿のような鮮やかな赤い輪が、白い肌を彩った。
 首元から手が去ってようやく烈風刀は頭を戻す。天河石の瞳が、再び兄を見上げる。主人の言葉をじっと待つ、躾の行き届いた犬と同じ姿をしていた。
「ちゃんと大人しくできてえらいな」
 ニコリと笑みを浮かべ、雷刀はさらさらとした浅葱の髪を優しく撫でる。小さな子どもに向けるような声音だ。普段ならば子ども扱いするな、と怒るであろう片割れは何も言わない。与えられる感触と言葉に嬉しそうに目を細めるだけだ。
「こないだのテストも学年で一番だったし、アプデ前にミス見つけてバッチリ対処してくれたし、こんなに忙しい中でもニアたちの面倒ちゃーんと見てるし。烈風刀は本当にえらいな。すっげー良い子だな」
 頭を撫でたまま、兄は賞賛の言葉を並べ立てる。人によっては馬鹿にしていると取られるような口ぶりだ。しかし、これは心の底から湧き出たものだ。事実、弟のおかげで多くの者が助かっている。そんな素晴らしい彼を褒めないんだなんて、あり得ないことだ。
「……ありがとうございます」
 讃える言葉に、烈風刀は感謝の言葉を述べる。その声音は、いつも兄が発するような、子どものように無邪気なものだ。細まり緩く孤を描く碧の瞳は、歓喜に満ち溢れた色をしている。ほぅと小さくこぼした息は、発した音とは正反対のどこか色香が漂うものだった。
 犬のように首輪をつけられ床に座った人間を、椅子に座った人間が眺めつつ撫でる。傍から見れば異常な光景だ。特に、学内の彼らしか見たことのない者ならば己の目を疑うだろう。けれど、二人にとってこれは当たり前のことだった。ここは『他者が多くいる外』ではなく『二人きりの家の中』で、互いは大切なパートナーなのだから。
 互いの第二性――雷刀が他者を支配することを求めるDomであり、烈風刀が他者に支配されることを求めるSubであると判明したのは、高等部に進学して少し経った頃だった。知った頃には二人とも既にゲーム運営業務に携わっており、どうしたものかと焦ったことは記憶に新しい。学内に第二性を自覚した者はまだ少なく、いたとしても運営業務があまりにも多忙故にパートナーとしての関係性を深める時間が取れそうにない。学外ならば尚更だ。できるだけ近くにいることができて、多忙な自分たちに合わせることが可能、だなんてあまりにも難しい条件だ。
 解決策が見つからず悩む中でも、そんなことは関係ないとばかりに身体は度々不調を訴えるのだから面倒だ。百歩譲って、己が苦しむのはいい。だが、その不調により業務に支障が出ることが一番の問題だった。兄弟にとって、愛しいレイシスに迷惑をかけることは死ぬよりも辛く苦しいことだ。どうしたものか、と不調の度に頭を抱えたものだ。
 学生の間だけでも一時的にパートナーにならないか、と提案したのは、意外なことに雷刀の方だった。幸いなことに属性は噛み合っており、信頼関係も既に築かれている。双子の兄弟で共にいることが多く、その上同じ家に住んでいるのだ。片方が不調を訴えた時、すぐに対処出来るのは便利である。特に、両者とも運営業務中に携わっており、業務中調子が崩れた際すぐさま回復に尽力できることは、『レイシスに迷惑をかけない』という最重要事項を満たすこれ以上にないメリットだった。
 そうして『学生の間』『不調に対処出来るように』『正式なパートナーが見つかるまで一時的に』という前提の関係が結ばれたのは、夏が本格的に始まる頃だった。
 それから時間が経った今、その前提はとうに崩れ去ってしまっていた。共に過ごす内に互いの存在がどんどんと大きくなり、現在は『一時的』などではない、正真正銘のパートナーとなったのだ。
 しかし、静かに深まったこの関係を他者に口外することなどできない。少なくとも、学生の間は無理だろう。男同士で正式な関係を結ぶことは珍しくないこととはいえ、変に詮索される可能性が無いとは断言できない。それでレイシスに迷惑をかけようものなら、目も当てられない。黙っているのが最適解だ。
 なので、表向きは変わらず『一時的なもの』で通している。関係性を結んだという安心感を与えるために贈った首輪も、あまり主張のない細くシンプルなデザインのものだ――あくまで『人目がある』『外』でのみつけるものだが。
 もちろん、そんな簡素なもので支配したい、支配されたい、という強い本能が満たされるはずがない。だから、誰も見ていない、たった二人きりの時だけは別の首輪をつける取り決めをしたのだ。己の色がこの人間を支配している、己はこの色が示す人間に支配されている、と一目で分かる、鮮やかな朱の首輪をつけよう、と。
「烈風刀」
 触り心地の良い綺麗な髪を撫でていた手を離し、兄は再び弟の名を呼ぶ。とろけた藍玉が紅玉を見上げる。その顔は、大切なおもちゃを奪われた子どものような、飼い主に見捨てられた子犬のような、不満と悲愁が色濃く浮かんだものだ。外では涼しげな表情をしている彼が見せる本能をさらけ出した幼い表情に、朱は喉奥で小さく笑う。彼のこんな顔を見ることができるのは自分だけだ、と考え、欲求で渇いた胸がほんの少しだけ満たされた。
 そのまま、ソファに座った少年は大きく腕を広げる。意図を読み取り、烈風刀はすぐさま立ち上がった。失礼します、と少し硬い声から一拍置いて、しなやかな身体がソファに乗り上がる。恥ずかしがるように所在なくもぞもぞと動き、手を広げ待つ片割れの足を跨ぐように膝立ちになる。そのまま、彼は青い制服に包まれた太股の上にゆっくりと腰を下ろした。高校生二人分の体重に、布で包まれたクッションが深く沈む。
 向かい合ったまま、雷刀は膝に乗るその身体を包み込むように手を回した。胸の内にある感情全てを伝えるようにぎゅうと抱き締めると、捕らえた身体がひくりと跳ねる。遅れて、白いジャケットに包まれた腕が頭ごと包み込むように首に回された。
 抱き締めた身体、己の正面にある逞しい胸に頭を埋める。深く呼吸をすると、ほのかな汗の匂いと愛するパートナーの匂いが混じった芳香が鼻腔をくすぐる。静かに吐き出した呼気は、歓喜と安堵に満ちていた。一日の内に積もった何かが、ゆっくりと消えていく。それでも、支配欲の強い少年の胸を満たせるほどのものではない。大切な者をより求め、少年は甘えるようにぐりぐりと額を押しつけた。
 同じものを欲してか、烈風刀も抱きついた兄の首元に顔を埋める。首輪の固い革が当たる感触と、肌を直接撫でる呼気のくすぐったさに、柘榴石の瞳が細められた。回した手で、背を優しく撫でてやる。安心したように、抱えた身体からゆっくりと力が抜けていくのが分かった。
 碧い頭がもぞりと動く。刹那、首筋に小さな痛みが走った。驚きに、朱い目が大きく見開かれる。噛まれたのだ、と理解して、丸いそれがふっと細められた。つい先ほどまで明るく柔らかな色をしていた瞳の奥に、妖しい光が宿る。
 そんなことは露知らず、烈風刀は目の前の肌に牙を立てる。深く傷つけるような力強いものではなく、猫がじゃれつくような甘噛みだ。ほんのりと痕が浮かぶ程度の弱い力で、美しく並んだ歯が場所を変えて幾度も突き立てられる。ほのかに汗ばんだ肌が、小さく開かれた口から溢れる唾液で濡れた。
 愛しい弟は今日のように噛みつくことがある。スキンシップを得意としない彼なりに甘えようとした結果なのだろう――もしくは、手酷く仕置きされ心も体も支配し尽くされたくてやっているのだ。どちらにせよ、パートナーである雷刀には構う義務がある。義務など無くても、可愛らしくて不器用な彼の欲求を満たしてやりたくてたまらない。それがどちらであれど。
「れーふーとー」
 甘え噛みつく愛し人の背を、回した手でぽんぽんと軽く叩く。いたずらっ子を諭すような声音だ。しかし、烈風刀には強く諫めるように聞こえたのか、控えめに立てられていた牙が急いで離れた。残されたのは、すぐさま消えてしまうような薄い歯形と、唾液が渇いていく冷たさだけだ。
 埋めた首元から顔を上げた少年は、眼下の紅玉髄を見つめる。視線を受け止め見上げた先、逆光で少し暗く見える孔雀石には、少しの後悔と強い罪悪感、それ以上の多大な期待が浮かんでいた。
「噛んじゃだめって言ってるだろー?」
「す、すみません」
 優しく言い聞かせるように、そっと柔らかな頬を撫でる。すぐさま、少し震えた謝罪の声が降ってきた。形の良い眉を八の字に下げる様から、己の失態を自責し、言いつけを守らなかったことを後悔していることが分かる。しかし、その顔はほんのりと上気し、吐く息もどこか熱を帯びている。言葉と表情が正反対だ。
 そのどちらもが烈風刀の本心であるということは、しっかりと理解している。ただ、どちらの欲望を満たしてやるかは、支配権を持つ雷刀の自由だ。
「次からは気を付けような。烈風刀は良い子だから、ちゃんと約束守れるよな?」
 すべらかな頬をゆっくりと撫でながら、赤い口から諭す言葉が紡がれる。努めて優しい声は、先ほどのいたずらに対してもう怒っていないと語っていた。
「えっ……? ……あ、はい。気を、付けます」
 告げられた優しい言葉に、少年はぱちくりと目を瞬かせる。淀みながら慌てて返した言葉には、動揺と落胆が色濃く滲んでいた。普通ならば怒られずに済んだ安堵で満ちるであろう顔は、どこか暗く沈んだものだ。やはり、言葉と表情がちぐはぐだ。
 予想通りの様子に、雷刀は内心ほくそ笑む。支配を望む弟は、己の粗相が許されず、手酷く『おしおき』されることを期待していたのだろう。だから、わざとそちらを選ばなかったのだ。支配されることを望む人間を、何も与えずに放置する。これだって十分な『おしおき』だ。支配欲の強い己も我慢せねばならないのは辛いものがあるが、悪いことをした者には相応の罰が必要なのだから仕方無い。
 戸惑いながらもきちんと反省の言葉を返した褒美に、兄はわしゃわしゃと乱暴に頭を撫でた。普段ならば気持ちよさそうに目を細める弟だが、今浮かぶ表情は不服と悲嘆と当惑と後悔がぐちゃぐちゃに混ざった複雑なものだ。何か言いたげな様子だが、手入れされ整った唇は引き結ばれており、言葉を発する様子はない。
 黙りこくる恋人を尻目に、雷刀は背に回したままだった片腕をゆっくりと離す。過ごしやすい室温になっているはずだというのに、肌に触れる空気が酷く冷たく思えた。膝の上、解放され自由になった少年の身体が小さく跳ねる。依然こちらを見つめたままの瞳に、強い不安が広がったのがはっきりと見えた。
「そういや、帰ってから何にも飲んでないよな? 喉渇かねぇ?」
 再度柔らかな頬を包みこみ、朱は普段通りの明るい調子で尋ねる。慈しむように、緩い曲面に沿って優しく手を這わす。乗り上がったままの身体は、未だ強ばりろくに動かない。
「コーヒーでも淹れてくる。ブラックでよかったよな?」
「えっ? いえ、それくらい僕が――」
「烈風刀」
 ようやく反応を示した烈風刀の声を、落ち着いた声が遮る。短く静かな響きだが、そこには有無を言わせない力強さがあった。
「『まて』」
 笑顔で言い放たれた命令に、碧の身体が凍ったように硬直する。瞬きすらできずにいる彼の顔には、強い動揺と痛苦が浮かんでいた。
 しばらくして、はい、とか細い返事が部屋に落ちた。のろのろと名残惜しそうに膝から降りた少年は、今一度床に腰を下ろす。絶望に染まった青白い顔が、己の恋人であり支配者である朱色を見上げた。
 迷わず床に座った弟の姿に困ったような笑みをこぼし、雷刀は板張りの床に付けられた手をそっと取る。命じなくともごく自然に地べたに座るのは非常に真面目な彼らしく愛らしいが、こういう時ぐらいは素直に隣に座ってほしいものだ。互いに命令する、命令されるという一種の主従関係ではあれど、根底は何よりも大切なパートナーなのだ。共に過ごすならば、その存在を確かに感じられる隣にいてほしい。
 握って繋いだ手を軽く引く。従順な片割れは、されるがままに立ち上がった。そのままゆっくりと腕を引き、己の隣に座らせる。入れ替わるように立ち上がる。くるりと横を向き、若草色の頭を見下ろす。柔らかなソファの座面に沈んだ弟の身体は、寒さを堪えるように縮こまっていた。
「すぐ淹れてくる。烈風刀は良い子だから、大人しく待てるよな?」
 強張る身体を少しでも解こうと、兄は下を向いた弟の頭を撫でる。指で梳くように、形の良い頭をゆっくりとなぞっていく。少し屈み、視線を合わせて優しく語りかけると、不安に揺らめく藍晶石が炎瑪瑙をまっすぐに見た。
「……はい。大丈夫、です」
 返ってきた声はわずかに震えていたが、その響きはしっかりとしたものだった。Domの言いつけを守らねばならない、というSubの本能だけではない。彼の生真面目さや信頼に応えようとする真摯な姿勢がはっきりと見て取れた。『良い子』という言葉を強調したのも大きな要因だろう。『良い子』でいれば褒美が与えられることは、賢い弟はとうに学習済みだ。
 しっかりと返事出来たことを褒めるように今一度頭を撫で、雷刀はキッチンへと足を向ける。戸棚から取り出したマグカップ二つに水を注ぎ、カウンターに置かれた電気ケトルに入れて電源スイッチを押す。小型の機械を低い呻り声を上げる間に、スティックタイプのインスタントコーヒーを取り出す。いつもならきちんとドリップするのだが、これはあくまで『おしおき』の一環だ。時間が掛からない簡素なもので十分である。
 烈風刀はとにかく世話を焼きたがる。炊事や洗濯、掃除などの家事全般はもちろん、恋人の爪の処理や髪の手入れすら丁寧に行うほど、世話して尽くすことを日常の喜びとしていた。飲み物などを用意するのも、普段ならば彼の仕事だ。好みを全て把握し、体調などを考慮しその場に最適なものを出す完璧ぶりである。
 そんな人間から、世話する役割を奪う。これだって十分に『おしおき』だ。
 愛用のマグの取っ手を撫でながら、雷刀は思案する。先ほどの様子を見るに、思った以上に参っているらしい。これ以上『おしおき』を重ねては、サブドロップを起こしてしまう可能性がある。自身の過失はもうしっかり理解しているのだから、そろそろ切り上げてまためいっぱい甘やかしてやろう。うんうん、と頷き、黒い粉末をカップに適当に放り込み、沸き立ての湯を注ぎ込む。真っ白な湯気とインスタントの安っぽい香りが、少し肌寒いキッチンに広がった。
 白が舞う二つのマグカップを両手に、兄は弟の待つソファへと戻る。『おしおき』の真っ最中である彼は、言いつけ通り大人しく座って待っていた。きちんと背筋を伸ばし、膝に手を置いた姿勢の良い佇まいは、真面目な烈風刀らしい。けれども、その顔は軽く伏せられており、口元は固く引き結ばれているのが遠目でも分かった。
 日常の皮を被った異質な光景に、少年は密かに口角を上げる。己の言葉ひとつで相手を支配する悦びと、愚直なまでに従順な彼への愛おしさが胸いっぱいに広がる。命に従ったことを褒めてやりたい。いたずらをしたことを罰してやりたい。早く構ってやりたい。もっと虐めてやりたい。相反する欲求が身体を突き動かす。
「はい、これ。熱いから気を付けろよ」
「……ありがとうございます」
 手にした淡い空色を渡すと、少しの間を置いて礼の言葉が返ってくる。しかし、その響きは普段よりも幾分か細く暗いものだ。髪の間から垣間見えた宝石のように丸く澄んだ瞳は、輝きを失いつつあった。可哀想で可愛らしいその様子に、少年の背筋を甘い感覚が駆け抜けた。
 吊り上がりかけた口角をどうにか整え、雷刀は常通りの明るい笑みを作る。ちゃんと待ててえらいな、と頭を撫でてやると、見下ろしたその肩が少し跳ねたのが見えた。ふるりと震えるその姿は、愛らしいという表現がよく似合う。
 己の分のカップを手に持ち、朱は碧の横に腰を下ろす。湯気で隠れた黒い湖面に薄い波紋が広がった。同心円状にさざめくそれを眺めるふりをしつつ、密かに隣を見やる。しゃんと背筋を伸ばして座る弟は、細かな傷のついたマグカップを両手で抱え、己と同じように真っ黒な湖面を見つめていた。液体が波打つ様を映す浅葱は薄く曇っており、彼の意識は現実でないどこか遠くにいるのだと察することができる。
 従順に『まて』を完遂したパートナーに賞賛という褒美を与えたが、やはりそれっぽっちでは足りないようだ。何故放り出されたのか。何故自身が行動することが許されなかったのか。全て自分のせいなのだ。このまま見捨てられてしまうのではないか。そんな悲観的で自罰的な思考に陥っているのは、長年連れ添ってきた雷刀には言葉にしなくても理解できた。
 さて、どうするべきか。理由無く褒めるなり抱き締めるなりしても、今の烈風刀は哀れみと受け取ってしまうだろう。完全に逆効果だ。ならば、どんなに些細なことでもいいから彼が起こした行動をきちんと評価し、全て肯定して褒めてやるべきだ。
 喉奥で唸りつつ、手にしたマグカップを口元に運ぶ。茜色のそれをゆっくりと傾け、湯気の漂うコーヒーを口にする。瞬間、舌先に凄まじい熱と鋭い痛みが走った。思ったよりもずっと熱い液体が、赤い舌を焼く。突如身体を駆け抜けた痛みに、雷刀は反射的にマグから口を離す。口内にわずかに残った熱いコーヒーが、粘膜を焼いていく。ゴクリと飲み干し、喉粘膜まで焼かれた少年は呻きを漏らした。ひりつく舌を犬のようにべろんと出す。外気で冷まそうとするその行動は、焼け石に水でしかない。
「何をしているのですか」
「舌火傷した……」
 呆れた声が隣から飛んでくる。固かった声音は通常のものに戻っていた。いつも通りの間の抜けた兄の姿に、ようやく調子が戻ったのだろう。若草色の眉が呆れたようにひそめられた。
「先ほど僕に気を付けろと言ったばかりでしょう」
「もういけると思ったんだよ」
 いたい、と情けない声をあげる雷刀を見て、烈風刀は嘆息する。返す言葉など欠片も無かった。うぅ、と恨めしげな音を漏らす。隣に座る弟は、反面教師を横目にふぅふぅとマグに息を吹きかける。深闇色の湖面がまた揺れた。
 また同じ過ちを起こさないよう、兄も同じく息を吹きかける。十二分に冷まして一口。今度は程よい熱が口の中に広がっていく。けれども、舌先は依然鈍い痛みを訴え続けるのだ。味も何もあったものではない。思わず眉間に皺を寄せた。
 コトリ、と硬質な音が二人きりの部屋に落ちる。音の方へ視線をやると、そこには目の前のローテーブルにマグを置く烈風刀の姿があった。その中身はまだろくに減っていない。一体どうしたのだろう、と首を傾げるより先に、あの、と細い声が飛んできた。
「あ、の…………、っ、貴方、いつも『舐めれば治る』と言っていますよね」
「え? そうだけど――」
 治療の手間が面倒臭く感じる己は、『傷など舐めれば治る』と常々言っている。それが一体どうしたのだろうか。怪我なんてしていないのに――否、『怪我』なら先ほどしたばかりではないか。『火傷』という明確な怪我を。
 あ、と少年は声を漏らす。傷。舐める。恥じらう姿と口にした言葉が、頭の中で結びつく。彼が今考えている行動はあまりにも愉快で、あまりにも淫蕩なものだ。思わぬ積極性に、雷刀は目を瞠る。それも、湧き上がる愉悦が全てを塗り潰していった。
「うん。これぐらいなら、舐めればすぐ治るって」
 言葉とともに、べぇと舌を出し患部を見せつける。ひりひりと痛むそこを、碧い目がじぃと見つめる。先ほどまでの呆れは消え失せ、今は熱を孕んだ視線がこちらへと向けられていた。
「……それだけで治るのでしたら、舐めましょうか?」
 薄い唇から、ちろりと赤い舌が覗く。唾液でコーティングされたそれは、電灯の明かりを受けてつややかに光っていた。その光景も、仕草も、今の彼の何もかもが妖艶に映る。事実、恥ずかしげに眉を八の字に下げ、頬を染めて舌を出す様は淫靡であった。
 マグをテーブルに起き、雷刀は弟の方へ身体を向ける。膝の上に乗った手をするりと撫でる。白いそれがゆっくりと動き、手のひらと手のひらが合わさる。指の間に入った指がゆっくりと曲がり、緩く絡められた。所謂恋人繋ぎだ。スキンシップを得意としない彼のことを考えると、驚くほどの積極性だ。よっぽどの情動が彼を動かしているのだろう。
 そっと顔が近づいてくる。つられるように、目の前の身体が前傾姿勢になってゆく。受け止めるべく、肩に手を添えた。潤んだ瞳と瞳がかち合う。どちらも奥底に焔を灯していた。
 距離がどんどんと縮まり、ゼロに近くなる。眼前の口が開き、控えめに出された舌が伸ばされる。触れやすいよう――治療すべき患部を舐めやすいよう、朱もべろりと大きく舌を出した。
 ちょん、と舌先と舌先が触れ合う。瞬間、鈍い痛みが走った。顔に出てしまわぬよう、必死に表情筋をコントロールする。努力が実ったのか、単に気付いていないだけか、碧は気にする様子なくちょん、ちょん、と舌先で更に触れてくる。小鳥が実を啄むような可愛らしい動きだ――行ってることは、この上なく破廉恥なのだけれど。
 つつく舌先が離れ、一度しまわれる。こくりと白い喉が動く。意を決したのか、また赤いそれが顔を覗かせる。べろりと大きく出されたそれが、患部を覆うように重なった。
 ぬるつく舌が、火傷を負ったそれを舐める。時折しまい、口内で唾液をまぶし、またぺろぺろと舐める。出しっぱなしで乾くはずの火傷舌は、持ち主のものでない唾液にまみれてらてらとつやめいていた。
 甲斐甲斐しく患部を舐めていた舌が去っていく。これで終わりだろうか、と碧を見ると、一拍置いて口が大きく開かれる。そのまま、出されたままの舌をぱくりと食んだ。迎え入れられた口内で、唾液をまとった舌がざらつく己のそれを舐めていく。たっぷりの唾液をもって痛む患部が舐め尽くされる感覚に、腹に重いものがわだかまる。それが何であるかなど、とうに分かっていた。
 口を離した瞬間を見計らい、雷刀は大きく口を開ける。そのまま、目の前の口にかぶりついた。唇ごと食んで捕らえ、呆けたように開いた隙間から舌をねじ込む。口内で唾液を補充していた片割れのそれを、己のそれで絡め取った。
 ぬる、と舌の腹と腹が擦れ合う。ざらりとした感覚に、背筋を何かが素早く駆けていく。甘美な刺激がもっと欲しくて、少年は更に舌を動かす。ん、と鼻にかかった声が室内に落ちて消えた。
 絡め取った熱が退き、再び触れ合う。今度は舌先でのじゃれあいだ。治療という名目は、まだ烈風刀の中で生きているらしい。真面目な彼らしい、とゆるりと広角を上げた。
 二人分の唾液を十二分にまとっているとはいえ、やはり火傷した部分は触れる度痛む。けれども、それが気にならないほど甘ったるい感覚が脳を焼いた。もっと、とねだるように奥に潜り込む。熱の塊が触れ合い擦れ合うのは、この上なく気持ちが良かった。『治療』なんて銘打ってこんな卑猥なことをしているという背徳感のスパイスまでついているのだから尚更だ。
 随分と長い『治療』が終わり、口と口が離れる。べろりと互いにだらしなく出した舌の間に、細い糸が橋がかる。光を受けて輝くそれを、もったいないというように相手の舌ごと舐め取った。
 二人分の呼吸音が部屋に落ちては積もってゆく。目の前の弟の姿は――つやめく舌をだらしなく垂れ下げ、頬を紅に染め、眦を下げた目に涙をたたえた恋人の姿は、この上なく淫らだった。
 衝動に任せ、雷刀は繋いだ手をぐいと引く。バランスを崩した弟の身体が、胸に雪崩込んでくる。うわ、と小さな悲鳴があがった。
「これだけ舐めたなら夜には治るかもな。ありがと、烈風刀」
「い、え……、これぐらい、なんでもありません」
 礼の言葉とともに、ニコリと笑いかける。腕の中の愛し人は、嬉しそうにはにかんだ。赤らんだ頬で控えめに笑む様は愛らしい。けれども、瞳に宿る情火がその愛らしさを淫らな印象に塗り替えた。
 飛び込んできた彼の腰に、手を添える。そのまま、腰骨を、背筋の窪みを、項を大きな手が這ってゆく。わざとらしいほどゆっくりとしたその感触にか、腕の中の身体がそわりと震えた。見上げる浅海色は、既に熱でとろけて潤んでいた。
「手当してくれるし、こんなにオレのこと気遣ってくれるなんて、烈風刀はめちゃくちゃ良い子だな。すごいぞー。えらいぞー」
 褒め称える言葉とともに、わしゃわしゃと若葉色の頭を撫でる。喜びと温かさにか、弟はへにゃりと笑った。日頃怜悧な顔つきをした彼からは想像できないほど、とろけきった笑みだった。愛おしさが、嗜虐心が胸の中に溢れ出る。後者に無理矢理蓋をしつつ、兄は言葉を紡ぎ出す。
「えらくて良い子な烈風刀にはいーっぱいご褒美あげないとな。何が欲しい? 何でもあげるぜ?」
 乱した髪をさっさっと梳かし整えつつ、朱は小首を傾げて問う。『ご褒美』の部分をことさらゆっくり言ってやると、腕の中の身体がぶるりと震えた。それが喜悦と期待によるものだということは、手にとるように分かった。
 しばしの沈黙が二人を包む。恥じらうようにもぞもぞと動く身体を撫でつつ、雷刀は言葉を待つ。どれだけだって待ってやるつもりだ。何でも与えてやるつもりだ。もっとも、彼が何を望むかなど、もう分かりきっているのだけれど。
「――雷刀が欲しい、です」
 いっぱい褒めて、いっぱい愛してください。
 ゆっくりと言葉を紡ぎ、烈風刀は艶然に笑う。柔らかな弧を描く燐灰石の瞳は、これ以上ないほど欲望に溺れていた。
 予想通りの要求に、少年は喉奥で笑う。あまりにも可愛らしい言葉だった。あまりにもいやらしい言葉だった。どちらも、Domの本能を刺激する。目の前のつがいを支配し、愛してやることこそが、今の自分の使命だ。
 背に回した手に、絡み合った手に力を込める。肯定の意であり、逃さないという意でもあった。きちんと伝わったのか、捕まえられた少年はゆるりと口角を上げる。整った顔は、幸福と想望、淫欲で彩られていた。
 ふっと身体の力を抜く。そのまま、重力に逆らうことなく後ろに倒れた。ぼすん、と柔らかな座面が大きく沈み込む。ギシ、とソファのスプリングが大きな抗議の声をあげた。
 上に乗せた同世代男性の身体は相応に重い。しかし、その重さが、制服越しに伝わる温もりが何よりも愛おしかった。胸に溢れる愛情に、思わず笑声がこぼれ出る。上機嫌なそれをどう解釈したのか、腕の中の彼は、ぁ、と細い声をあげた。
 上に乗った烈風刀が、座面に手をつき身を起こす。傍から見れば、彼が己を押し倒している構図だ。普段とは逆である。それもまた、非日常を演出する。
 背に回した手を離し、目の前のネクタイに手をかける。丁寧に結われた部分を乱雑に下に引くと、青いそれは簡単に解けた。今度は、ネクタイの下に隠されていたボタンに手をかける。一番上まできっちり閉じられたそこを、己と同じように二つ外してやる。日に焼けていない白い肌が姿を表した。首輪の赤とのコントラストが眩しく、妙に艶かしく映った。
 ぁ、と声が降ってくる。熱を孕んだ、甘ったるい響きをしていた。見下ろす視線は、続きを待望としたとろけたものだ。当たり前だ、『おしおき』を終え、念願の『ご褒美』をもらっている人間が、続きを期待しないはずがない。
 頭上、かすかに開いた口を見て、雷刀はふと先ほどのいたずらを思い出す。かぷかぷと幼い猫のように甘噛みする姿は可愛らしいものだった。しかし、あの程度では痕など残っていないだろう。それだけが不満だ。どうせやるならば、痕ぐらい残してほしいものだ――実際にやれば『おしおき』必至だが。
 上体を軽く起こす。上に乗った烈風刀との距離が一気に縮まる。急激な接近に、溶けた朝空色の瞳が瞠られる。口づけされると勘違いしたのだろう、美しい碧が白い瞼の奥に隠れた。
 弟の様子など気にせず、雷刀はぐわ、と大きく口を開ける。『噛む』というのはこうやるのだぞ、とお手本を示すように、はだけた白い肌に牙を立てた。

畳む

#ライレフ #腐向け

SDVX


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