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No.138

twitter掌編まとめ1【SDVX】

twitter掌編まとめ1【SDVX】
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twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
成分表示:ライレフ2/行道舞1/グレイス+ハレルヤ組1/魂+冷音2/ニア+ライ1/レイ+グレ1/氷雪ちゃん1/ロワ+ジュワ1

口付けに意味など/ライレフ
参考:キスの格言

「なーなー、キスの意味って知ってる?」
 すぐ隣から飛んできた突然の言葉に、は、と烈風刀は疑問符の浮かぶ声を反射的に返す。不機嫌にも聞こえるそれを気にすることなく、雷刀は言葉を続けた。
「なんかさ、キスする場所で意味違うんだって」
 弾んだ声もきらめく視線も、得たばかりの知識を披露したくて仕方ない子どものそれだ。言葉を紡ぐ口元は、話したくてたまらないというようにうずうずとしていた。
 キスの意味。聞いたことはある話だ。しかし、そんなものにはとんと興味がなさそうなこの兄が知っているのは意外である。大方レイシスから聞いたのだろう。あの可憐な少女は歳相応にロマンチックなことが好きなのだから。
 えっとなー、と朱は手元の携帯端末を操作する。既に『キスの意味』とやらを書き連ねたページを開いていたのだろう、画面をなぞる指がすぐに止まる。空いた手が、ソファの座面に放り出された碧の手を取った。すくうように取られた手が、恭しく持ち上げられる。紅緋の頭が少し下がると同時に、手の甲に少しかさついた温かなものが触れた。
「『手は尊敬のキス』なんだって」
「尊敬なんてしていないでしょうに」
「してるし。何でもすげー努力してすげー結果出す烈風刀のこと、尊敬してるぜ?」
 呆れた調子の声に、全てを照らし出すような明るい声が返される。あまりにもまっすぐな言葉に、う、と喉が音をたてる。頬が熱を持つのが嫌でも分かった。
 取られていた手がそっと膝の上に戻される。んでー、と間の抜けた声と共に、少し固い指が頬に触れる。撫ぜるようになぞったそれは、ほのかに熱い頬をそっと捕らえた。包まれる温もりと反対側に、小さな熱が落ちる。
「『頬は満足感のキス』」
 そう言ってにまりと笑う顔は満ち足りたものだった。それはそうだろう、これだけ好き放題口付けて彼が喜ばないはずがない。何が満足感だ、と胸中で呟いた。満足しているのはお前だけだろうに。
 そんで。
 握られていた小さな端末がソファの上に乱雑に投げられる。つい先ほど熱が落とされた場所が、大きな温もりに包まれる。燃え盛る茜空が澄み渡る昼空色を射抜く。迫る朱に、碧は思わず目を閉じた。数拍、唇に熱。ほんのわずかなはずのそれは、身体いっぱいを包むようなものに思えた。
「唇はなーんだ?」
 暗闇の中、楽しげな声が飛んでくる。固く閉じた目を開けると、眼前にはニコニコと笑う雷刀の姿があった。あまりにも愉快そうな姿に、思わず眉根を寄せる。愛しい弟のしかめ面にも、兄は笑うだけだった。
「……愛情といったところではないですか」
「知ってんの?」
 呆れを多分に含んだ声で返すと、驚嘆の声が返ってくる。丸くなった目を見るに、どうやら正解だったらしい。答える代わりに、はぁ、と大きく嘆息した。
 膝の上に置いたままだった手を持ち上げる。依然きょとりとした兄の頬を挟むように捕らえた。へ、と間の抜けた声など気にすることなく、距離を詰める。ちゅ、と小さな音が二人きりの部屋に落ちる。再び唇に熱が灯った。
「――キスに愛情以上の意味があると思いますか?」
 捕らえた手はそのまま、問いを投げかけてやる。ふ、と満足げな音が言葉を紡ぐ口の隙間から漏れたのが自分でも分かった。
 大きな目が瞠られ、まあるい瞳が更に丸くなる。それもすぐに、愛しげに細められた。温かな光を宿した紅玉が翡翠をまっすぐに見つめる。
 そだな、と心底嬉しげな声が返ってくる。頬を包む手が、そっと柔らかなそこを撫でた。その意図など、伝わる熱だけで理解できた。
 思いがままに、期待がままに、ゆっくりと瞼を下ろす。闇に包まれた世界の中、また熱が触れた。





超越目指せし者/行道舞

 みゅうぅ、と濁った声がゲームセンターの一角に落ちる。悲痛な響きは、筐体から奏でられる大音量の音楽の中に掻き消えた。
「勝てないみゅん……!」
 行道舞は筐体にもたれかかるように項垂れ、苦しげな声を漏らす。悔しさが色濃く浮かんだものだ。ぐ、と少女然とした可愛らしい拳が強く握られた。
 ウホ、と黒い手が少女に差し伸べられる。隣の筐体でプレーしていたごりらだ。短い鳴き声には、仕方無い、と慰めの言葉が込められていた。
「仕方無くないみゅん! まいちゃんなら……まいちゃんなら絶対勝てるみゅん……!」
 気遣う心など、口惜しさに苛まれる彼女には届かなかった。大きく柔らかな手が細い肩に触れる前に、高い位置で結った赤い髪を振り乱し叫ぶ。悲鳴めいたそれも、再び大型スピーカーたちが掻き鳴らす音楽に潰された。
 つい先日、世界は新たなステージに進んだ。セカンドシーズンと銘打ち大型アップデートが行われ、ネメシスには多くの力が搭載された。その中でも目玉なのが、オンラインアリーナだ。全国のプレーヤーと対戦することができる新たなゲームモードは、日々大盛況だ。それこそ、運営陣が毎日過労寸前で駆けずり回りほど。
 音楽ゲームが大好きな舞は当然飛びついた。同じほどの実力のプレーヤーと、自分よりもずっと強いプレーヤーと闘うことができる。楽しみで仕方が無かった。
 初見で高難易度をエクセッシブレートでクリアするような彼女だ、もちろんランクはS、それも開始時の振り分けで一番高位であるS1から始まった。たくさんの闘いを乗り越え、苦難の末に辿り着いたULTIMATEランク。そんな実力者のみが挑めるULTIMATE MATCHを心ゆくまで楽しんだ。どれだけ上手かろうと、負ける日もある。けれども、その敗北を糧に己の腕を磨いてきた。おかげで勝率は九割九分だ。
 そう、九割九分。残り一分の壁を破ることができない。主に、左隣の筐体で遊ぶ少女のせいで。
「やっぱり普通に遊んだ方がいいデスヨ……」
「大丈夫みゅん! いけるみゅん! 絶対勝ってみせるみゅん!」
 おろおろと声を掛けるレイシスに、舞は叫んで返す。あまりの気迫に、薔薇色の少女ははわ、と困惑の声を漏らした。
 ナビゲーターを務めるだけあって、レイシスはかなりの実力者だ。舞同様、高難易度を初見エクセッシブクリアできる程度にはゲームが上手い。けれども、それ以上の実力を秘めている。普段ならば、決して人前では出さない実力を。
 オートモード。
 全てのノーツでS-CRITICALを叩き出すことのできる機能を彼女は搭載していた。俗に言う『DJ AUTO』である。もちろん、普段のプレーではそれを使うことはない。オンラインマッチングで競う要素があるゲームでは決して使ってはならないものだ。オンラインアリーナ、それもEXスコア――いかにS-CRITICALを出せるかで競うULTIMATE MATCHでは尚更だ。禁忌とも言える力である。
 そんなレイシスに――オートモードを発動したレイシスに、舞は挑んでいた。腕を磨き、己の力を信じ、挑んでいた。
 全てで最高判定を出すオートモードに挑むなど、無謀以外に表現しようがない。それでも、彼女は挑み続けた。運営業務の息抜きで遊ぶレイシスを見かける度、オートモードで対戦してほしいみゅん、と乞うた。心優しいレイシスである、断ることができず毎回対戦に応じることとなる。そして、毎回勝つのだ。全ての譜面で理論値を出して。
「まいちゃんだってできるみゅん……! 全部理論値出してみせるみゅん……!」
 2ndの文字が映し出される画面の前で、少女はこぼす。己を鼓舞するような、神に祈るような声をしていた。
「レイシス先輩、もう一回対戦してみゅん! 今度こそ勝つみゅん!」
 びし、と指差し、舞は再び挑む。レイシスははわ、と揺れる感情を色濃く滲み出した声を漏らすばかりだ。ウホ、と赤い髪の後ろから黒い身体がひょこりと覗く。もう一回だけやってやってくれないか、とごりらは鳴き声をあげた。
「あと一回だけデスヨ? もう遅いデスカラ」
「大丈夫みゅん! 次で終わらせるみゅん!」
 桃色の言葉に、椿色は元気な声をあげる。笑みを形作るようにすっと細められた目には、闘志が燃え上がっていた。絶対に勝ってみせる。強い意志が鮮やかな青い瞳に宿っていた。
 コンティニューを選び、ゲームモードにカーソルを合わせる。支払いを済ませ、少女は二人でULTIMATE MATCHを選択した。カシャン、という音とともに、己の隣の枠に『RASIS』というプレーヤーネームが表示される。直後、スタートボタンを押してマッチングをスキップする。外部の人間とオートモードで対戦するなど迷惑にも程があるのだから、即時にマッチングを終わらせるのは当然だ。
 お気に入りフォルダを素早く開き、少女は最大の武器曲にカーソルを合わせる。指に力を込め、スタートボタンを押す。すぐさま対戦が始まった。
 勝つみゅん。
 固い声を漏らし、舞は画面を睨む。小ぶりな手が、華奢な指が、大きなボタンに置かれた。




後でこそっと体重教えたら更に怒られた/グレイス+ハレルヤ組

 手のひらより少し小さなおにぎりを口にする。かじったそれを意識して咀嚼し、嚥下する。また一口、咀嚼、嚥下。ゆっくりと繰り返し、こぶりなそれを食べる。普段よりも小さなそれは、当然ながら早く食べ終わってしまった。箸を握り、レンジで加熱した鶏肉と野菜をちびちびと食していく。もちろん、こちらもよく噛んで胃に落とす。それでも、物足りなさを覚えた。
「グレイス、最近ご飯少ないデスヨネ? 調子悪いんデスカ?」
 心配げな声が弁当箱の中身をじぃと見つめる少女に投げかけられる。はっと顔を上げると、そこには箸と置いてこちらを見つめるレイシスの姿があった。いつだってぱっちりと開いた輝かしい瞳には、不安が膜を張っている。大好きな食事を前に柔らかな弧を描くはずの口元は、落ち込んだように下がっていた。
 薔薇色の少女の言葉に、グレイスは苦々しく顔を歪める。自分でも露骨に感じるほど弁当の中身と量を変えたのだ、聡い姉が気付かないわけがない。
「別に。大丈夫よ」
「でもそれだけじゃお腹空いちゃいマスヨ? ワタシのおかず少し食べマスカ?」
 ホラ、と少女は弁当箱を持ち上げ妹へと向ける。ピンク色の箱の中には、色とりどりのおかずが溢れていた。適当に加熱した食材を詰め込んだ自分のものとは大違いだ。刺激された食欲が唾液を分泌させる。湧いて出たそれを飲み込み、躑躅の少女はいいわよ、と断った。
「……ダイエットしてるのよ」
 ぽそりと呟くように言う。人に告げる恥ずかしい事柄だが、きちんと言わねばこの姉は食が細いと勘違いした己を心配するばかりだ。それに、宣言することで改めて意志を固めることができる。絶対に達成するぞという強い意志が。
 気付いたのは一週間前だっただろうか。シャワーを終え鏡を見ると、どうにも腹回りの輪郭が丸くなっているように感じた。不思議に思いながらへそ周りを突いてみる。むにりと柔らかな感触がした。ネメシスに来る前までは、己の腹はこんなに柔らかくなかったはずだ。つまり、脂肪がついた――太ったのだ。
 たしかにネメシスに来てからは食事というものをきちんとするようになり、甘味という嗜好品を口にすることも増えた。肉が付き、体重が増えるのは当然と言えた。
 さぁと血の気が引く。まずい。嫌だ。太ったなんて信じたくない。嫌だ。負の感情が心を埋め尽くす。
 グレイスは年頃の少女である。太るなんて受け入れがたい現実であった。
 同時に、グレイスは行動力がある少女である。ダイエットを思い立つのはすぐだった。
 運動に関しては、日々の運営業務で学園中、ネメシス中を駆け回っているのだから不足しているとは言い難い。ならば変えるべきは食生活だ。まず、食事量と摂取する脂質を減らすところから。そうして、少女は手のひらほどの大きさのおにぎりを一回り小さくし、弁当から余計な炭水化物とできるかぎりの脂質を排除した。おかげで少しだけ空腹に悩まされる日々ではあるが、効果は期待できるはずだ。
 ダイエット、と三人分の声が重なる。非常に懐疑に満ちた視線が三つ、躑躅に向けられた。
「……え? ダイエットですか? 貴方が?」
「は? ダイエットする必要あるか?」
「だっ、ダイエットなんてしたら、これ以上痩せたらグレイスなくなっちゃいマスヨ!」
 信じられないと言った烈風刀の声。理解できないとばかりの雷刀の声。悲鳴に同義のレイシスの声。続けざまに浴びせられた少女は、ぱちりと瞬く。三人の反応が全く分からないといった様子だ。
「だって太ったでしょ? 自分で見て分かるもの」
「太ったんじゃナインデスヨ! ちゃんとした身体になったんデス! グレイスは元が細すぎるんデス!」
 首を傾げる妹に、姉は叫ぶ。涙すらにじんだ声だ。
 細い、と言われても信じがたい。それに、たとえ細かったとしても肉が付いたことは事実であるのだ。余分なそれは落とすべきである。
「女性にするのはいささか気が引ける話なのですが……、グレイス、高校二年生女子の平均体重は知っていますか?」
「知らないわよ」
 当然だろうとばかりの言葉に、烈風刀は表情を渋くする。携帯端末を取り出し、少年は画面を指でなぞる。しばしして、これです、と彼は依然不思議そうな瞳をした少女に液晶画面を向けた。ペツォタイトが鮮やかなそれに向けられる。光るそれには、『年齢別平均体重』と書かれたページが表示されていた。縦に長い表の中央辺り、『高校二年生』の文字の隣の数字を見る。春に測った己の体重より、少しばかり数字が大きい。
「グレイス、おかず分けてやっから食べろ。ちゃんと食べろ」
 珍しく声を固くした雷刀が、弁当箱を差し出す。人に弁当を分け与えるなど、食い意地の張った彼らしくもない行為だ。それほど、目の前の少女の身体を案じていた。
「ダイエットなんて絶対ダメデスカラネ! 許しマセンヨ!」
 何であなたに許可取らなきゃいけないのよ、という言葉はすぐに引っ込んだ。己を射抜く薔薇輝石の瞳は、真剣そのものだった。心の底から怒っている。心の底から己を案じてくれている。彼女の強い感情と意志が嫌でも伝わってきた。
「明日からワタシがお弁当作ってきマスカラネ! ちゃんといっぱい食べてくだサイ!」
「わ、分かったわよ……」
 凄まじい気迫をした姉の姿に、妹は思わず了承する。完全に気圧されていた。レイシスがここまで怒るのは珍しい。押し負けてしまうのは仕方の無いことだろう。
「本当にダイエットなんてやめましょうね」
「やめとけよ」
「絶対にダメデスカラネ!」
 可愛らしい少女を案じる言葉が三つ、昼休みの教室に響いた。




雨空ダイブ!!/魂+冷音

 キーボードを叩く音が機器に埋め尽くされた室内に響く。普段は軽やかに音色を奏でる安物のそれは、今日は妙に大きな音を鳴らすか不気味なまでに静まりかえるかのどちらかだ。
 奥歯で小さくなった飴玉を噛み砕く。パキン、と高い音とともに強い甘みが口内に弾けた。甘い香り漂う息が小さな口から漏れ出る。彼らしからぬ重苦しいものだった。
「魂、一回休みなよ」
 またキーを激しく叩く少年の背に、心配げな声が投げかけられる。どこか呆れを含んだものだ。ここ数日同じ場所で足踏みし菓子と時間を浪費している姿を見せられ続けているのだ、呆れを覚えないのも無理はない。
 あ、と疑問符が付いた低い声が黒いチョーカーが飾る喉から漏れ出る。音の方へ振り返った魂は、これでもかというほど眉を寄せる。柄が悪いと表現するのがぴったりな音と顔だ。
「俺を誰だと思ってんだ? 天才ハッカーだぜ? これぐらいすぐに終わらせてやんよ」
「そう言ってここしばらくずっと唸ってるだけじゃん」
 うるせぇ、と正論を浴びせてくる腐れ縁を切り捨て、少年は二色一対の瞳をモニタへと戻す。新たに文字列を書き加えるが、どうもしっくりこない。書いて消してを繰り返すばかりで、作業は一切進まない。完成には程遠い状態だ。
 世界が変わったのをきっかけに現れた新型バグに対抗しようと、技術班としての力を注ぎ込みバグレーダーを作った。精度を上げるべく日々プログラムの改良に努めているが、ある一点に到達してからアップデートが遅々として進まなくなってしまったのだ。ここが己の限界ではないはずだ。己ならばもっと先に進めるはずだ。そう信じて指を動かすが、成果が出る気配はない。焦りだけがどんどんと生まれは脳の片隅に積もってゆく。
 腕を伸ばし、キーボードを机の奥側に押しやる。そのまま、空いたスペースに上半身を倒れ込ませた。あー、と濁った声があがる。疲労が色濃く滲んだものだ。回しに回しまくり使い倒した頭は、ぐらぐらと視界を揺らした。
 魂、と冷音は今一度友人を呼ぶ。返事をする気力すらなかった。こうも上手くいかないのはいつぶりだろうか。少なくとも、世界が変わってからはこんなに行き詰まったことはない。今の今まで順調だっただけに、現在の有様がとてつもなく無様で惨めなものに思えた。
 サァ、と風の音が聞こえる。パタ、と何かが打ち付ける音。小さなそれは、どんどんと数と勢いを増していく。雨か、と少年は机に突っ伏したまま考える。天気予報では今日は晴れ時々曇りだったはずだ。傘なんて持ってきていない。帰んのめんどくせぇなぁ、と暗い視界の中ごちた。
「あーもー、めんどくせぇなぁ」
 ガシガシと頭を掻く音とともに、苛立った声が背中にぶつけられる。友人の声だ。友人らしからぬ声だ。そっか雨か、と鈍い頭を動かす。だとしても、自分には関係ないのだが。雨を愛してやまない彼のことだ、きっとすぐさまこの部屋を飛び出して雨空の下に飛び込んでいくだろう。勝手にすればいい。己は少し休んでから作業に戻るだけだ。また、あの変化の訪れない画面に飛び込みキーをのろのろと叩くだけだ。
 首に凄まじい衝撃。締め付けられる感覚に、ぐぇ、と潰れた音が喉から漏れる。椅子に座った尻が、だらしなく伸ばした足が地面が離れていく感覚。突然の空中浮遊は疲れた脳に混乱をもたらす。何だ、と声をあげようとも、音を発する喉は何かに絞められたままだ。
「気分転換するぞ」
 普段より幾分か低い声に、ヒャハ、と凶悪な笑声がついてくる。首根っこを引っ掴まれて絞められる首に、無理矢理持ち上げられた不安定な浮遊感に、少年は喘ぐ。苦しい。酸素が入ってこない。死ぬ。
「おま……、れ、い……、いき、できね……、おろ、せ」
 必死の言葉に、冷音はおっと、とわざとらしい声を漏らす。後ろに引かれる力が弱まる。地に足が付く。ようやく元の生活に近い形に戻り、魂はゲホゲホと咳き込んだ。
「何すんだよ。作業してんだぞ」
「だから、気分転換って言ってんだろ」
「いらねーよ。つーか、気分転換ぐらいしてるって」
「秒で消える菓子食うだけで気分が変わるわけねーだろ」
 外の空気吸え、と青髪の少年は金髪の少年のシャツの襟を引っ掴んだまま歩く。苦しいっつってんだろ、と小柄な少年は大きな手を振りほどいた。本当なら今すぐデスクに戻りたいが、この友人のことだ、また首根っこを無理矢理引っ掴んで己をどこかに連れて行こうとするだろう。このまま大人しくついていった方が厄介事にならずに済む。はぁ、とわざとらしく嘆息してやる。雨に浮かれた腐れ縁の耳に届く様子はない。
 二人連れ立って昇降口に訪れる。先の言葉通り、外に行くらしい。靴を履き替えなければ。あぁ、でも傘がない。パーカーでも被るか。そう考え、己の学籍番号が書かれた下駄箱へ向かおうとした。
 瞬間、腕を掴まれる。力強いそれは、絶対に逃がさないと高らかに宣言していた。
 掴まれたそれを力任せに引っ張られる。突然の衝撃にたたらを踏む足は、無理矢理玄関へと向かされていた。は、と疑問符にまみれた音が口から漏れる。
「ちょ、お前、靴!」
「替えてる時間がもったいねぇ!」
 ヒャヒャヒャ、と高く恐ろしい笑い声をあげ、冷音は走り出す。腕を引かれる魂の足も、走りと同じ形に動いた。ザァ、と雨風吹きすさぶ音に、バタバタと二人分の足音が飛び込んだ。
 靴も替えず、傘も差さずに雨空の下に飛び出す。まず感じたのは生ぬるい風だ。間髪入れず、大粒の水が肌を叩く。あっという間に身体中ずぶ濡れになってしまった。
「お、前……!」
「少しは頭冷やせ!」
 ヒャー、と青い友人は漫画の悪役めいた笑声を天高くあげる。彼も己と同じぐらい雨に濡れている。違うところといえば、歓喜の声をあげ口角を吊り上げた笑みを浮かべていることだ。雨が大好きで雨に降られることを愛す冷音ならば当然だろう。友人になってからずっと、隣でその姿を見てきたのだから。
 髪が、服が、水を含み重くなる。顔に水が打ち付けられる衝撃。肌の上を冷たい雫がつたっていく不快感。体温が奪われ冷えていく感覚。どれも、忌避するようなものだ。すぐさま走って校内に戻るのが正解であるのは明白だ。
 けれども、今ばかりはその『正解』を選ぶ気分が起こらなかった。
 あー、と声を漏らし、魂は頭を掻く。雨に濡れ重くなった髪が指先をくすぐる。不快だ。不快だけども、悪い気はしない。何か重いものが詰まっていた胃の腑が、ふわりと軽さを取り戻す感覚がした。
 天を向き、哄笑する腐れ縁の元に駆け行く。仕返しだ、とばかりに、その首根っこを掴んで思いっきり地面へと引いた。
 降りしきる雨の中、バシャンと激しい水音とハハッと愉快げな笑い声があがった。




いつまで立ちっぱなしでいればいいのかと気付くのは二分後/ニア+ライ

 空気が抜けるような音と扉が開く。カツン、とブーツが床を打つ音が部屋に飛び込んだ。
 ようやく作戦会議室に戻り、雷刀ははぁと息を吐く。ようやく落ち着いた、といった調子だ。なにせ、放課後に入ってすぐから日が暮れ始めた今この時までバグ退治に勤しんでいたのだ。体力が人一倍ある彼だが、少しばかり疲れていた。新型バグを相手取るのにまだ慣れていないのもある。早く慣れなきゃなぁ、と天へと伸ばした腕を下ろしながら考える。はぁ、とまた大きく息を吐いた。
 とりあえず、早くコートを脱いで武器を片付けねば。手分けしてバグ駆除作業に出た烈風刀はまだ帰っていないようだ。珍しくレイシスも見当たらない。闘いが本格的になってきたからか、最近彼女は訓練に精を出している。今日もそれだろうか、なんて愛しい少女を思い浮かべながらコートに手を掛けた。
 プシュン、と自動ドアが開く音。すぐさま、バタバタと騒がしい足音が飛び込んだ。らいと、と切羽詰まった声が己を呼ぶ。慌てて声の方へ目をやると、そこには大股で駆けてくるニアの姿があった。普段爛漫な笑みを浮かべる可愛らしいかんばせは、焦燥に塗り潰されていた。
 跳ねるように駆け寄ってきた少女は、少年の後ろに回る。そのまま長いコートの裾を思いっきりめくり上げた。クリーム色の厚い生地がぶわりと広がる。できた空間に、彼女は小柄な体躯を潜り込ませた。
「へ? え? 何? どしたんだ?」
「ちょっとだけ隠れさせて!」
 しー、だよ、と青兎は必死な声をあげる。困惑に目を瞬かせる朱の様子などお構いなしだ。必死に身を縮こませ、少女は固い生地と少年の足の間に入った。
 ニア、と疑問符で彩られた声で姉兎の名を呼ぶ。普段ならば元気良く返事する彼女だが、今は息を潜め一言も発しない。『隠れる』の言葉は本当のようだ。
 えぇ、と動揺の声を漏らしていると、再びドアが開く軽い音が室内に落ちる。烈風刀かレイシスが帰ってきたのだろうか、この状況をどう説明しようか、そもそも何だこの状況は。様々な言葉が頭の中をぐるぐる回る中、少年の鼓膜を大きな声が震わせた。
「らいと! ニアちゃん来なかった?」
 音の主は今己の後ろにいる少女の妹であるノアだった。常のおっとりとした面持ちは、今は表情豊かにキラキラと輝いている。遊んでいる時のそれだ。
「え? ニアなら――」
 少女の声に、雷刀は足下に視線をやる。すぐさま、しー、と鋭い潜め声が飛んできた。なるほど、と内心頷き、少年はにこやかな笑みを浮かべて妹兎に返す。
「さっき出てったとこだぜ。何かあったのか?」
「隠れ鬼してるの! さっき見つけたとこだったのになぁ」
 どこいっちゃったんだろ、と少女がきょろきょろ見回す度、長い青髪と黄色のリボンカチューシャが揺れる。室内を見回す瞳は真剣そのものだ。大人しい彼女にしては珍しい。それほど、遊びに真摯に向き合っていることが分かる。
 ありがとね、と手を振り、ノアは室内から出て行く。ドアがしっかりと閉まり、足音が遠くなっていく。再び部屋を静寂が満たしたところで、もぞ、と己の後方が蠢いた。
「らいと、ありがと」
「どーいたしまして」
 コートの下からもぞもぞと這い出て、ニアはふぅ、と息を吐く。子どもらしからぬ重いものだ。それほど必死に息を潜め隠れていたことが分かる。遊びに対して本当に真剣なのだ、この双子は。
 姉兎は室内をきょろきょろと見回す。んー、と可愛らしい呻り声。しばしして、瑠璃の瞳が紅玉を見上げた。
「……ノアちゃん戻ってきそうだし、もうちょっと隠れてていい?」
 小首を傾げて尋ねる様は愛らしく、庇護を誘うものだ。きゅるりとした目に、朱はふっと笑声にも似た息を漏らす。黒い手袋に包まれた手がコートの裾を掴み、上へと持ち上げる。再び、子ども一人隠れることが出来る程度の空間が生まれた。
「いいぜ」
「ありがと!」
 ニカリと笑いかけると、星空色した瞳が輝く。そのまま、少女は作られた空間にぴょんと飛び込んだ。縮こまった様子を確認し、少年は裾を手放す。クリーム色の生地が、小柄な兎の身体を隠した。
 収まり悪そうに真後ろの小さな身体がもぞもぞと動く感覚に、雷刀は柔らかな笑みを浮かべる。微笑ましさが胸の内から溢れ出た。
 モニタが張り巡らされ壁を作るレイシスの席の方が隠れ場所として最適なことや、後ろから見ると丸わかりなことは黙っておいてやろう。




「着いたらアイス奢れよ!」「……はいはい」/魂+冷音

 風が頬をそっと撫ぜる。生ぬるいそれは、長く伸ばした前髪を揺らした。
 ゼー、ハー、と喘鳴が前方から聞こえてくる。濁ったそれが吐き出される度、風が肌を撫でていく。風景が流れていく。キィ、と金属が擦れる高い音が蒼天に昇った。
「……んで、オレが漕がなきゃなんねーんだよ……」
「じゃんけんで負けた方が漕ぐって言い出したの、魂でしょ」
 荒い息の中に怨嗟の声が混じる。恨みがましさたっぷりの問いに、冷音は涼しげに答えた。クソが、と短い罵声が返ってくる。
 海行こうぜ。
 短いメッセージが届いたのが午前中のこと。了承の旨をスタンプで返し、送信元である魂がやってきたのがその十分後。チャリ貸して、と怪しいほどにこやかな笑みで問われ、訝しげながらに了承したのが彼が着いてすぐ後。じゃあ負けた方が漕いでくってことで、とすぐさまお決まりのフレーズとともに拳が出され、慌てて応対したのが何十分前だろうか。
 そして、昼に近い空、自転車の荷台に座る今に至る。
「冷音……あそこにコンビニあるじゃん……? 一回休まねぇ……?」
「いいけど交代はしないよ」
「何でだよ!」
「だから、負けた方が漕ぐって言い出したのは魂じゃん。頑張ってね」
 あー、と濁った咆哮が日差し燦々降り注ぐ空に昇っていく。キィ、と高い音が続けてあがる。ぐ、と身体が前に傾く。見やれば、年季の入ったハンドルを握った腐れ縁はサドルから立ち上がり思いっきりペダルを押し始めたところだった。少しだけ風景が流れゆく速度があがった。それでも、自分で漕ぐ時よりもずっと遅いものだ。高校生一人荷台に載せているのだから当たり前なのだけれど。
 サァ、と風が吹く。強い日差しに照らされた身体には心地の良いものだ。こめかみから汗が伝う。すっと雫が肌を撫ぜ行く。ふと空を見上げる。雲一つ無い青空が視界を埋め尽くした。
 生ぬるい風。降り注ぐ日差し。雲一つ無い空。まだ遠い海。
 夏だなぁ。
 言葉が自然にこぼれ落ちる。暦の上ではもう夏なのだから、当たり前のことだ。だというのに、今になって改めて実感する。『海』というワードが季節を強く感じさせるのだろうか。些末なことを考える。
 あー、とまた濁った叫声。こぼした呑気な言葉が聞こえたのだろうか。いや、あんな小さな声が必死になってペダルを漕ぐ友人に聞こえるはずがない。単に限界を迎えつつあるだけだろう。
「帰りはお前が漕げよ! 絶対だかんな!」
 前から空に響き渡るような悲鳴めいた言葉。ギ、と足下から小さな悲鳴。風景は同じ速度で流れゆく。
「じゃんけんで負けたらね」
「ふざけんな!」
 涼しげな声で返すと、再び叫ぶような罵声が返ってくる。何と言われようが、提案したのはそちらなのだ。それに、己が負けていたならば、帰りも冷音が漕いでけよ、負けたんだから、なんて言われたであろうことは想像に難くない。気遣ってやる必要など無いだろう。そもそも、そんな気を遣わねばならないような仲ではないのだから。
 海まであと何分だろう。ゆっくりとスクロールしていく世界を見ながら考える。この調子では着くのは昼過ぎだろうか。お昼ご飯どうしようかなぁ、と財布の中身を思い浮かべた。
 波の音はまだ聞こえない。




ブタさんにおまかせ/レイ+グレ

 尖晶石が空中を睨む。
 かすかに聞こえる音。揺れる小さな黒い影。点と相違ないそれを広い空間から見つけ出し、手を構える。近づいてきた黒めがけて、手を勢い良く重ね合わせる。パァン、と高い音が鳴った。
 思いっきり重ね、痛みすら覚える手と手を開く。そこには、求めていた黒はいなかった。ただ赤くなった皮膚が広がってるだけだ。ぷぅん、と耳元で耳障りな羽音が聞こえた。
「あぁもう!」
 痺れを覚える手を握り締め、グレイスは咆哮する。キッと空中を睨むが、奴の行方は分からない。あの胡椒粒のような姿を即座に室内から探し出せ、という方が無理がある。音を頼りにしようとも、動きが早すぎて翻弄されるばかりだ。腹立たしいったらない。
「蚊取り線香点けマショウネ」
 猫のように毛を逆立てる妹の後ろで、姉は電気蚊取りを取り出し部屋の隅に置いた。ブタの形をしたそれは、少女のシンプルながらも可愛らしい部屋によく似合っていた。
「何それ」
「蚊を落としてくれるんデスヨ」
 興味津々な様子のグレイスに、レイシスは指を立てて答える。へぇ、と関心と興味を多分に含まれた声が返ってきた。
「何でブタなの? 蚊と関係あるかしら?」
「……アレ? 何でなんでショウ?」
 昔から蚊取り線香といったらブタさんなんデスヨネ、と薔薇色の少女はプラスチックでできたブタを撫でる。ふぅん、と躑躅の少女は疑問と納得が半分この声を返した。姉を真似て、赤みの引いた指先でブタを撫でる。まあるい口のような部分がなんだか間が抜けて可愛らしく思えた。
 ぷぅん。
 かすかな羽音。それは、耳のすぐ近くで確かに聞こえた。
 ばっと身を引き、急いで構える。視界の真ん中に捕らえた黒に、瞬時に手を伸ばす。パァン、と力強い音が再び部屋に響いた。
 ヒリヒリと痛む手をそっと開く。そこには、求めた黒の姿があった。無残に潰れた黒が。
「やった!」
 ようやく勝利を収め、少女は喜びに満ち満ちた声をあげる。マゼンタの瞳はキラキラと輝いていた。それも瞬時に光が収まる。あれ、と不思議そうな声が漏れた。
 手の中には潰れた黒があった。しかし、黒だけではない。同じぐらい赤も散っていた。ゾワ、と何かが背を撫でる。未知だ。訳の分からないものに直接触れてしまった恐怖だ。びくんと小さな体躯が跳ねた。
「アァ、もう吸われちゃってたみたいデスネ……」
 ティッシュ箱片手に、姉は妹の手を覗き込む。拭きマショウネ、と一枚抜き出したそれで汚らしい赤と黒を拭い取った。
 レイシスの言葉に、グレイスは急いで己の手足を確認する。赤く腫れた場所は無い。痒みもない。では、刺されたのは姉の方だろうか。いや、まだ分からない。血がはじけ飛んだということは、吸った直後だったということだ。つまり、今日中に痒みが己を襲う可能性は残っている。
「もう!」
「かゆみ止め用意しておきマスカラネ」
 叫ぶ躑躅に、薔薇は苦笑する。薄く煙を吐き出すブタが、姉妹の姿を眺めていた。




寄り道、お買い物、甘いもの/氷雪ちゃん

 棚に囲まれた狭い通路をそろそろと歩く。少しでも触れてしまえば物を落としてしまいそうなほどぎゅうぎゅう詰めになった商品たちを見回す。色とりどりのそれは、故郷のスーパーで見たことのあるものもあれば、名前すら初めて聞くものもあった。あまりの種類の多さに目が回りそうだ。袖や被衣がぶつからないように気を付けながら、氷雪は品物の森の中を抜けた。
 壁一面の冷蔵庫の前には、少し背の低い棚があった。アイスや冷凍食品が並べられたそれは冷凍庫だろう。己の背よりもずっと高い棚に囲まれる圧迫感から解放され、少女はほっと息を吐く。ほのかに感じる冷気も安心感をもたらした。
「あっ、氷雪さん。買うもの決まったですの?」
「え? あ、えっ、えっと……まだです……」
 アイスケースを覗き込む桜子と目が合う。問うた少女の手には緑と紋様で彩られたチルドカップが一つ握られていた。反して己の手にはまだ何もない。商品が多すぎて迷ってしまうのだ。早く決めなければ、友人を待たせてしまう。どうしよう、と少しの焦りが小さな胸の内に生まれた。
「私もですの……。どれも美味しそうで多くて悩んじゃいますの」
「コンビニって季節限定品多くて悩むわよねぇ」
 うぅん、と悩ましげに唸る狐の隣で、紅色も迷いを孕んだ声を漏らす。背の低いアイスケースの端には『季節限定』と書かれたポップがいくつもあった。種類も多ければ値段も少しばかり高く、全てを選ぶことなどできない。中学生の懐ならば尚更だ。
 真剣にケースを見つめる友人らの姿に、雪女はほっと息を吐く。彼女らも己と同じほど悩んでいるようだ。とても急がなければならないわけではないだろう。それでも、迷いすぎるのは良くないのだけれど。
 拙い足取りで店内を歩く。目に入ったのは、隅に置かれた背の高い冷凍庫だ。透明なそれの中並ぶカップはアイスに似ているが、ガラスドアに貼られたシールにはどれもストローが刺さっていた。何だろうこれ、と少しだけつま先立ちをしてシールに書かれた細かな文字へと視線をやった。
「フラッペにするの?」
 背後からの声に少女はびくんと身体を震わせる。そろりと振り返ると、そこには紙パック飲料を手にした恋刃がいた。血の色をした瞳は、先ほどまで見つめていた冷凍庫の中身へと向けられていた。
「ふらっぺ……?」
 耳慣れぬ単語を復唱する。あぁ、と赤い少女は冷凍庫脇に貼られたポップを指差す。『ミルクを注いで!』という大きな文字が可愛らしい書体で書かれていた。
「えっと、アイスみたいな氷に牛乳入れて飲むジュースのこと。美味しいわよ」
「そんなものがあるのですね」
 感心の息を漏らし、ポップに書かれた説明をじぃと見やる。地元にはコンビニエンスストアはほとんど無く、この『フラッペ』というものを見るのは初めてだ。美味しいのだろうか。美味しいのだろう。自分よりずっと舌の肥えた友人が『美味しい』と評価したのだから。
 細い取っ手に手を掛ける。重く大きなガラス戸をゆっくり開き、少しだけ高い位置にあるピンク色のカップを手に取った。凍りきったひんやりとした感覚が心地良い。
「それにするの?」
「はい。ふらっぺ、飲んでみたいです」
 覚えたての言葉を拙いながらに伝えると、恋刃はふっと目を細めた。レジ行きましょっか、と赤い髪を翻し少女は店の入口方面へと歩みを進める。はい、と黒いその背を追う。
 慣れぬ手つきで会計を済ませると、こっちよ、と赤い友人が手招きをする。誘われるがままに向かうと、そこには黒く背の高い機械があった。前面には多数のボタンと、『コーヒー』や『フラッペ』といった文字が狭苦しく並べられている。なんだろう、と頭に疑問符を浮かべていると、恋刃は機械の下部に取り付けられた透明な小さな扉を開いた。
「蓋めくってここに置いて」
「は、はい」
 たどたどしい手つきでカップの蓋を開け、指示の通り機械の中に置く。ドアを閉め、友人は次これ、と丸いボタンを指差す。『フラッペ』の文字の隣に設置されたそれをそっと押すと、機械めいた低い音があがった。故障を思わせる音に、思わず身体がびくりと震える。程なくして、置いた容器に白いものが注がれていく。カップの六分目まで白が達すると、ピー、と高い音とともにボタンが点滅した。やはり壊したのだろうか。おろおろとする氷雪を尻目に、恋刃はコーヒーメーカーからフラッペを取り出し、蓋とストローと手際よく付けていく。ゴミまで綺麗に処理し、視線を泳がせ慌てる少女の前にピンクと白で彩られたカップを突き出した。
「これでできあがり。このままじゃまだただのミルクだから、もう少し溶けてから混ぜて飲むのよ」
「そ、そうなのですか……」
 手にした容器をじぃと見つめ、雪色の少女はほぅと息を吐く。たしかに、友人が言う通り氷部分はまだ溶けきっておらず、ストローで吸うことができるのは注がれたてのミルクぐらいだ。揉むといいわよ、の言葉に、おそるおそる両の手に力を入れてみる。固い感覚が返ってくるだけだった。まだまだ溶けるには時間がかかるようだ。
「氷雪さん、それ何ですの?」
「ふらっぺ、というジュースみたいです」
 ふらっぺ、と覗き込む桜子は復唱する。彼女も己と同じようにこの商品をあまり知らないようだ。もふもふとした白い尻尾が興味深そうに揺れた。
「一口飲んでみますか?」
「いいんですの?」
「もうちょっとして、溶けてからになってからでもよければ」
 雪色の言葉に、狐は嬉しげにぴんと耳と尻尾を立てる。大きく開かれた目は喜色に満ちていた。私もアイス一口分けてあげますの、と手にしたビニール袋を掲げた。
「私のも飲む? 今月出た新フレーバーですって」
「えっ、いいんですの?」
「いいわよ。氷雪も飲む?」
 ぱたぱたと尻尾を振る桜子と向き合っていた恋刃がこちらを向く。突然のそれに、氷雪はひくりと肩を震わせた。両手に持ったカップの中身が揺れる。
「あっ、えっ、えっと……、いいん、ですか……?」
「いいわよ。これぐらい」
 あ、でもフラッペ一口飲みたいかも、と赤は興味深そうに手元を見る。ど、どうぞ、と差し出すと、少女は少し苦そうに笑った。貴方がまず飲まなきゃダメよ、と諭す声は優しいものだ。
 いきましょ。いきましょですの。そう言って友人らは出入り口へと足を向ける。はい、と答え、氷雪はその後ろに続いた。返した声はおのれでも驚くほど弾んでいた。
 特徴的な電子音と、ありがとうございましたー、という明るい声が三人を見送った。




喜び願う赤と黄/ライレフ

 エプロンを身に着け、烈風刀は冷蔵庫の前に立つ。料理当番表とマグネットが貼られた白い扉に触れながら、二人暮らしには幾分か大きいそれの中身を思い出した。
 卵の賞味期限がもうギリギリだ。まずはこれを使わねばならない。昨晩確認した限りだと、タマネギとニンジンが中途半端に余っていた。これも早くに処理してしまう方が良いだろう。となると、スパニッシュオムレツか。いや、キャベツや冷凍ほうれん草も残っていたから卵炒めもいいかもしれない。今日は冷凍したご飯を食べる予定だから、炒飯も選択肢の一つに入ってくるだろう。どうしようか、と少年は顎に指を当てた。
 卵、ニンジン、タマネギ、ご飯。脳内に材料を並べ立てたところで、一つの料理が思い浮かぶ。しかし、こいつを作るのは少しばかり手間だ。少なくとも、先に思いついた料理よりもずっと行程がかかってしまう。料理は時間との勝負だ。選択肢から外すべきだろう。けれども。
 しばしの沈黙。目を伏せ、碧は観念したように息を吐く。手間がかかることは承知だ。時間がかかるのも承知だ。効率が良いとは言いがたい物であるのも承知だ。けれども、それら全てを天秤に乗せても負けないほどのものが頭に思い浮かんでしまったのだから仕方無い。腹を決めて冷蔵庫を開けた。
 照らされた庫内から野菜とベーコン、卵を取り出す。冷凍庫から小分けに保存した白米を二人分取り出し、電子レンジに入れる。慣れた調子でボタンを操作すると、低い呻り声を上げて黒い箱が稼働を始めた。
 材料を手早く切り、一部を水とともに小鍋に入れる。油とともに野菜とベーコンをフライパンで炒め、解凍し終わったご飯を入れ、ケチャップとコンソメを掛けてまた炒め。出来上がったケチャップライスを二等分にし、皿に盛る。ケチャップ色に染まったフライパンを洗って拭いて、慣れた調子で卵をボウルに割り入れ牛乳とともに綺麗に溶き混ぜる。弱火にかけたフライパンに、黄色いそれを注ぎ込む。火が通り固まりゆくそれをぐるぐるとかき混ぜ、ふわりとしたものにする。半熟より少し固くなったところで火を止め、ケチャップライスの上に乗せた。鮮やかな赤を優しい黄色が包み込む。
 ぐつぐつと沸く小鍋に固形コンソメを放り込む。混ぜて溶かし、味見に一口。少し物足りないので塩をほんの少しだけ入れる。もう一度味見。感覚で入れたが、ちょうどいい塩梅に仕上がった。満足げに頷き、スープ椀に移した。
 オムライスと野菜とベーコンのコンソメスープ。味覚が子どもに近い兄が喜ぶラインナップだ。
 卵料理が好きな兄は、スパニッシュオムレツでも喜んだだろう。卵炒めだって、火が通り鮮やかな色をした食材を鷲掴んでもりもり食べるほど好んでいる。炒飯も、掻き込んで口いっぱいに頬張るほど彼が好む料理だ。
 けれども、それ以上にあの兄はオムライスを好いている。ケチャップの塩気と、野菜の甘みと、ベーコンの旨味と、ふわふわの卵の感触。どれも最高だ、といつも目を輝かせ満面の笑みを浮かべて食べるのだ。それこそ、見ている方が幸せになるほど。
 甘いなぁ、と眉を寄せ烈風刀は嘆息する。効率を考えるのならば、オムライスなどまず外すべき選択肢である。けれども、選んだ。選んでしまった。あの笑顔が見たいばかりに。
 ガチャ、とドアが開く音。時計を見ると、普段夕食の時間から少しばかり時間が経っていた。やはり時間効率が悪い、と改めて思わされる。
「オムライス!」
 ぱたぱたとキッチンまで入ってきた雷刀は声をあげる。歓喜に染まったものだ。やったー、と漏らす声は弾みに弾み、ふかふかとした黄色を見つめる瞳は星と同じほど輝いていた。
 その嬉しさ溢るる声を聞いただけで、喜色に満ちた顔を見ただけで、もう全てが吹き飛んでしまった。
「ちょうどできたところですよ。運んでください」
「おう!」
 エプロンで手を拭う弟にニカリと笑いかけ、兄は皿を両手に食卓まで駆けていった。オムライスー、と機嫌の良い鼻歌が聞こえてきた。
 きっと彼は同じ調子で手を合わせ、同じ調子で大口で食べ、頬を膨らませて食べるのだろう。大きなその一口をごくりと飲み込んで言うのだ。『美味しい』と。
 そんな姿を思い浮かべ、烈風刀は小さく頬を緩める。その姿が見たくて、時間も効率も無視して作ったのだ。その姿のためだけに、今日は料理したのだ。
 再び冷蔵庫のドアに手を掛ける。これだけでは野菜が不足している。サラダでも出さねば。常備菜でもいいかもしれない。何か洋食に合うような物はあっただろうか。
 考えながら庫内を眺める目には、幸いが滲んでいた。




真夏でもお手入れは万全に/ロワ+ジュワ

 あ、つぃ。
 小さな声が音楽室に落ちる。昼休みの中頃、まだクーラーが入って間もない音楽室は熱で包まれていた。カーテンは閉めているものの、日当たりのいいこの教室は布越しでも太陽光による熱気が満ち満ちていた。
 音楽室、窓際に近い教壇に設置された椅子には少女が座っていた。膝裏ほどまで伸びた癖のある緑髪を高い位置で括った彼女は、可愛らしい目をこれでもかと眇めていた。日頃からぼんやりとした瞳は更にぼやけ、虚ろにすら見える。当たり前だ、この高温の教室で普通に過ごせという方が無茶である。薄く開かれた口から重苦しい溜め息が漏れた。
 あぁ、ジュワユース。
 歌うように男は言う。悲哀が満ちた音だった。細い眉は下がりきり、口は悲しげに端を下げている。仮面を付けているというのに表情がよく分かる有様だった。
 青年は懐に手を入れる。取り出したのは、大判の布だった。ほつれも汚れも無い薄いそれは、一目で上等なものだと分かる。剣を手入れする際に使う道具だった。
 褐色の肌に、手袋に包まれた手が伸びる。ぐったりと己に身を預ける少女の肌に、柔らかな布が触れた。玉の汗が伝うなめらかな肌を、上質な生地がそっと拭っていく。汗が取り払われるのが気持ち良いのか、触れるきめ細やかな布の感覚が気持ち良いのか、少女はほぅと息を吐く。それでも依然内に燃ゆる熱は消えないらしい。ぁつい、とまた一言声が漏れた。
 愛するものの言葉に、青年は更に眉を下げる。この少女は非常に寡黙で、言葉を発することが少ない。己の声に応えることすら稀なのである。そんな彼女が、何度も自発的に声をあげている。暑い、と。熱に命が脅かされているのだ、と――勝手な解釈ではあるが、男にはそうとしか聞こえなかった。
 あぁ、ジュワユース!
 愛剣の名を叫び、青年は懐からもう一枚布を取り出す。もたれかかった身体、その肌をまた拭っていく。こめかみから伝う汗を、うなじから湧く汗を、豊かな胸元を流れていく汗を、丁寧に拭っていく。献身的な姿だった。絵画になりそうなほど美しい姿だった――最小限の局部を隠した程度でほぼ素肌を晒した幼い顔立ちの女性と、こんな夏でもスーツを着込み仮面で素顔を隠した成人男性という二人の外見がそれをぶち壊しているのだけれど。
 頭からつま先まで身体を拭き終え、男はふぅと息を吐く。達成感が見て取れるものだ。小柄な女性とはいえ、人一人の身体を丁寧に拭くのは重労働だ。それが冷房がまだ効いていない真夏の教室ならば尚更である。だというのに、彼は疲れなど一切見せていない。当然である、溺愛する少女の世話を苦に感じるはずなどなかった。
 どうですか。楽になりましたか。
 緩み崩れそうになっていた緑髪を今一度結い直してやりながら、青年は問う。肌を包む汗が取り払われたことと、だんだんと空調が効いてきたこともあり、少女の表情はわずかに明るくなっていた。少なくとも男にはそう見えた。うん、ありがとう、と幻聴まで聞こえてくるほどにはマシな表情になっていた。
 あぁ、あぁ、ジュワユース。
 青年は何度も愛剣と同じ響きをした少女の名を呼ぶ。耳元で何度も呼ばれたからか、金の瞳が更に眇められる。しかし、そこには最初の不快さはかなり減っていた。普段通りの、穏やかでぼんやりとした落ち着きを取り戻しつつあった。
 月色の瞳がゆるりと動き、ガラスへと向けられる。透明なそれの向こう、燦々と輝く太陽を視界に入れ、少女はぐっと目を細めた。
 あつぃ、と小さな声がまた音楽室に落ちた。

畳む

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SDVX


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