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No.218
帰らぬ日々はおまえと共に【ワイエイ】
帰らぬ日々はおまえと共に【ワイエイ】
盆や正月に帰省しなくて暇だから恋人のところに転がり込む推しカプが見たくてぇ……。ワイヤーグラスくん、気まぐれで実家帰ったり帰らなかったりしそう。
珍しく付き合ってるワイエイだけど相変わらずカプ要素は風味程度。ご理解。
転がり込む男と転がり込まれる男の話。
本文を読む
何故こんなことになったのだろうか。
目の前、フローリングに寝転がる少年を眺めエイトは思考を巡らせる。この数時間で数えられないほど繰り返した問いは、どれだけ頭を働かせても解が出てくることはなかった。
いきなりチャイムが鳴って。チェーンをかけたまま開ければワイヤーグラスがいて。半ば無理矢理中に入られ。何をするかと思えば勝手に本棚を漁り。無言でフローリングに寝転がって雑誌を読み出す。どこを取っても意味が分からなかった。彼が自由――そんな言葉で済ませるにはあまりにも傍若無人であるが――なのはいつものことだが、時期が時期だ。季節は夏も半ば、所謂盆である。ロビーですれ違う者たちは口々に帰省がどうだと交わし、駅は普段以上にごった返している。ロビーの入り口に辿り着くのに苦労するほどだ。皆が皆、賑やかしいこの街を離れていた。己は面倒なので帰らないが。
もちろん、ワイヤーグラスもその一人であるはずだ。チームの面々と会話をしていたのを聞いたのだから確定である。だのに、何故この盆のまっさなかにここに――バンカラ街中央に近い己に部屋にいるのか。実家に帰るはずであろう彼が何故ここに留まっているのか。訳が分からない現実である。
「バックナンバーねぇの?」
紙の束が合わさり音をたてる。音もなく立ち上がったワイヤーグラスは、古いスポーツ雑誌を片手にこちらを見た。へ、と己らしくもない間の抜けた音が口から漏れ出る。
「本棚にあるよ」
「全部読んだ」
取り繕いながら発した声は、鋭利な声に切り裂かれた。彼が持っていた雑誌が床に山になっていた同胞の一番上に音をたてて着地する。種族特有の角張った指が床をなぞるように動いて、雑誌の山を抱える。裸足とフローリングが彼らしくもなく間の抜けた音を奏でた。カラフルな背中の向こう側から本が棚にしまわれていく淑やかな音が聞こえた。
あぁ、と呟くようにこぼし、エイトは廊下へと歩む。玄関にほど近い場所に置いていた段ボールの一つを持ち上げ抱える。週明けに回収に出そうとしていた古雑誌の一部だ。必要な部分はスクラップにしているため歯抜けだが、彼が読む分には十分だろう。そもそも全ては己の私物である。どんな状態であろうが文句を言われる筋合いは無い。
そう、文句を言われる筋合いは無いのだ。こんな突然押しかけて、勝手に棚を漁り、床を占領する輩に我が物顔をされる筋合いなど無いのだ。なのに、何故己はこんなに忠実に動いてしまうのだろう。馬鹿らしいったらない。
「読んだら帰りなよ」
部屋に戻り、段ボールを下ろすとともに言葉を吐く。返事は無い。代わりに、箱が開けられる音が部屋に響いた。ボスン、とめいっぱいに取り出された雑誌が床に着地する。カラフルなニットに包まれた身体が、鍛えられた足がまたフローリングの上に転がった。
はぁ、とエイトはこれ見よがしに溜め息を吐く。あのワイヤーグラス相手にこんな嫌味が通用するはずなどないと分かっている。だが、それぐらいはしないとやってられない状況である。部屋を他人――というには関係は随分親しいものであるが――に占領されて良い顔ができるはすなどない。
幸いなのは、彼の興味が雑誌に全て注がれていることだろうか。これが己に向いていたらたまったものではない。酷暑続きで洗濯物が乾きやすい時分とはいえ、大きなシーツを洗って干すのは面倒なのだ。彼の身勝手でベランダを占領されてはたまったものではない。
赤い目がベッドサイドへと向けられる。背の低い棚の上に置かれたデジタル時計は、まだ昼になって程ない時間であると告げていた。この調子では短くても夕方まで居座るだろう。額のあたりが小さな痛みを訴える。逃がすようにまた重い溜め息を吐いた。
タブレットを手に、エイトも床へと座り込む。律儀に彼が雑誌を読み終わるのを待つ必要など無い。ならば、己も己で普段通り過ごすだけだ。幸いというべきだろうか、昨日は連戦したせいで振り返っていないバトルメモリーが溜まっていた。これを全て見終わり分析する頃には飽きて帰っているだろう――帰ってもらわねば困る。昼ならまだしも夜に彼がろくな行動に出るはずがない。
トレードマークでもあるワイヤレスヘッドホンをタブレットに接続し、専用アプリでバトルメモリーを再生していく。適宜止め、ナマコフォンのメモアプリに注目すべき時間と簡潔なメモを残していく。流して、止めて、書いて、また流して。時折、ヘッドホン越しに紙がめくる音が聞こえた気がした。
二人の時は穏やかに過ぎていく。あのワイヤーグラスといるとは思えないほど静かで、柔らかで、落ち着く時間が部屋を満たしていた。ナマコフォンのキーが鳴らす固い音、雑誌のページがめくられる音、音すら無い呼吸二つ。普段の苛烈さが嘘のような落ち着きが二人を包んでいた。まるで、仲の良い友達のように。長らく連れ添った恋人のように。
バトルメモリーの再生を止める。ふと液晶画面から目を上げると、部屋は濃い影を落としていた。カーテンが開けた窓の向こう、空は目に痛いほどの青から網膜に焼き付くような赤に姿を変えつつある。もう夕方になってしまったようだ。これならば彼を帰すには十分だろう。そもそも、あのぐらいの量ならばもう読み終わっているはずだ。
一人頷いていると、頭に、耳に感覚。つい先ほどまでは無かった子どもの歌声が丸い耳を撫ぜる。へ、と間の抜けた声を発し、思わず上を見やる。そこには、己の赤いヘッドフォンを無造作に掴んだワイヤーグラスの姿があった。人のギアに勝手に触れてきた不快感、一段落したとはいえ作業を途切れさせた怒り、無理矢理剥ぎ取られた混乱。何もかもが胸を逆撫でしていく。唇の端っこが短く痙攣したのは仕方が無いことだろう。
「飯行くぞ」
「は?」
「腹減った」
これ以上無く端的に、これ以上無く言葉足らずに宣言したワイヤーグラスは、エイトの頭にヘッドホンを押しつけてはめこむ。そのまま踵を返し、玄関へと向かった。帰るということだろう。やっと解放される感動に、やっと一人の時間を堪能できる喜びに、エイトは密かに胸を撫で下ろす。気心知れた関係とはいえ、彼に部屋に居座られては安息など無いのだ――無いはずである。先ほどのあの感覚など、全てまやかしなのだ。
「何してんだ」
段ボールの外に出された雑誌をまとめていると、背後から声が降ってきた。身をよじって見上げると、ぬらりと立ち見下ろすワイヤーグラスがあった。表情は逆光になって見えない。ゆったりとしたニットで膨らんだシルエット、ポケットに手を突っ込んだ無頼な出で立ち。どれも圧迫感を覚えるものだ。けれども、耳を撫ぜた声は驚くほど穏やかなものだった。まるで、ただの少年のような。
「きみこそどうしたんだ? 帰るんだろ」
「だから、飯食いに行くつってんだろ。早く来い」
は、と疑問形の息を漏らすより先に、雑誌をまとめていた腕に負荷がかかる。浅黒い腕が加減無く引っ張られ、力がままに無理矢理立ち上がる羽目になった。大きな手が解ける様子は無く、そのまま玄関へと引き連れられていった。早く靴履け、と吐き捨てた彼は、器用に足だけで大ぶりなスニーカーを履きこなした。
どうしてこんなことに。
今日何十回目かの疑問は相変わらず答えが出てくる様子は無かった。
満たされた腹がほどよい心地良さを身体に巡らせてくる。は、と吐き出した息は、温かく穏やかなものだった。ニンニクの香りがするのは余計だが。
「……すまない」
「あ?」
隣、ナマコフォンをいじるワイヤーグラスに尋ねる。不機嫌そうな低い声が返ってきた。あくまで『不機嫌そう』であって、悪しき音ではない。むしろ充足に満ち鋭さを失った響きをしていた。
「今手元に現金が無くてね。代金は次会った時渡せばいいかい?」
部屋から無理矢理引っ張り出された先、彼が足を向けたのはバイガイ亭だった。盆の最中でもある程度余裕がある大型店舗は、すぐさま二人を受け入れた。そこからはワイヤーグラスが全て注文を済ませ、黙々と食べ、伝票を奪取され。何もかもが目まぐるしく、追いつく余裕がないスピードで運んでいき、やっと自由な意思で店を出る今に至る。気にかかるのは、食事代は全て彼が出したということだ。きっと会計でもたもたと二人で財布を取り出すのを面倒くさがったのだろう。否、それ以前に突然引き連れられた故に己は財布を持っていない。それを知っての行動だったのかもしれない。全ては用意する余裕すら与えてくれなかった彼のせいだが。
あ、と心底不思議そうな声が飛んできた。レンズの無い眼鏡の奥の濃紅はきょとりという表現が似合うほど丸くなっている。常は吊り上がった勝ち気な眉は、満腹感に絆されてかいつもより角度を下げていた。
「奢る」
「いや、いいよ。借りは作りたくない」
「今日居座っただろ。その代金と思っとけ」
言葉少なな彼に言葉を返していく。最後に向かってきたのは、彼らしくもない殊勝な言葉だった。へ、と今日何度目かの音が漏れる。ルビーレッドの瞳が先ほどの彼よろしく丸くなる。声をこぼした口は小さく開いたままだった。
彼に『居座った』という認識があるなど露ほども考えていなかった。その上、『代金』だなんて律儀な言葉まで飛び出してくるのだから驚きである。何かの間違いでは無いか、と訝しげな目つきで隣を歩く彼をひっそりと見やる。何だ、と鋭い声が飛んできた。
「いや、きみにそんな感覚があると思わなくてね」
「チームじゃよくあることだ」
ワイヤーグラスはチームを率いるリーダーである。メンバー固定のチーム故、集まる機会は多いだろう。そこに飲食店が挙がるのも当然である。この街はコーヒー一杯で長居しても許される、否、諦められている店が多いのだ。チームリーダーとして代金を立て替えるのは、リーダーらしくはあるが『ワイヤーグラス』というヒトからは想像できない行動である。何せ、理不尽、強引、傍若無人をヒトの形に落とし込んだような姿ばかり見せるのだ、この男は。こんなにいきなり殊勝な姿を見せることなど天地がひっくり返ったような心地だ。
バンカラ街から少し離れた道、少し暗がったそこで足音が一つに減る。目をやると、そこにはこちらを見るワイヤーグラスがいた。緩やかな逆三角形を描く身体は半分捻られてこちらに向ききっていない。きっと、そちらが彼が帰る方向なのだろう。ようやく離れられる。振り回されずに済む。安堵がくちくなった腹を中心に広がっていった。思わず息が漏れ出る。ニンニクの匂いがうっすらと鼻をついた。
「じゃ、明日」
ひらりと手を振り、ワイヤーグラスは身を翻して歩んでいく。大きく速い足取りなこともあり、その背はすぐに闇に消えてしまった。青い頭一つ、古ぼけた街灯に照らされた道に取り残される。は、ともう数えるのが馬鹿らしくなった疑問符付きの溜め息が漏れた。
明日も来るのか。明日も来る気なのか。雑誌はもう読み終わっただろうに。そもそも盆なら実家に帰るべきだろうに。何故己の部屋に居座るのだ。何故いつものように手を出すことなく、ただただ穏やかに過ごすのだ。意味が分からなかった。行動は凪いだものだというのに、胸の内を大時化めいて掻き乱す。理解が追いつかない脳味噌は無駄な回転をするばかりだった。
長い長い思考の末、エイトは溜め息一つ落とす。質量があるならばコンクリートの地面をへこませてしまいそうなものだった。当然だ、キャパオーバーによるフリーズ寸前の脳味噌が疲労を覚えないはずが無いのだから。丸一日かけて掻き乱された心がそう簡単に落ち着くはずなどないのだから。
「……スーパー寄っていくか」
彼は『明日』と言った。明日も来るのである。つまり、明日も食事が必要だ。彼のことだ、今日のように『居座った代金』としてまた奢ってくるだろう。しかし、それは己の意地が許さない。金銭をなぁなぁにされるのは不愉快である。何より、やられっぱなしでいられるわけがなかった。そう何度も外食して、金を使って、彼と二人でいるところを見られてたまるものか。
種族特有のとがった指が慣れた手つきでナマコフォンを開き、電子決済アプリを立ち上げる。ど真ん中に表示された数字は、いつもの倍買っても問題の無いことを語っていた。
二人分一気に作れる料理は何だろうか。カレーはあまりにも多い。スープでは腹の足しにならないだろう。ならば、炊いた米と焼いた肉か。己一人ならともかく、ヒトに振る舞うのだから手早く作れるレシピを探さねばならない。カコカコと鳴き声をあげながら、ナマコフォンは持ち主の指示通りの情報を液晶画面に並べていった。サムネイルと少しだけ表示されたページ内容を頼りに、レシピを漁っていく。何故こんなことに、という疑問ははたき落として頭の隅に追いやってしまう。
けぶるように暗い道、底の薄い靴が薄ぼけたコンクリートを叩いていった。
畳む
#ワイヤーグラス
#エイト
#ワイエイ
#腐向け
#ワイヤーグラス
#エイト
#ワイエイ
#腐向け
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THANKS!!
スプラトゥーン
2025/8/17(Sun) 08:41
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帰らぬ日々はおまえと共に【ワイエイ】
帰らぬ日々はおまえと共に【ワイエイ】盆や正月に帰省しなくて暇だから恋人のところに転がり込む推しカプが見たくてぇ……。ワイヤーグラスくん、気まぐれで実家帰ったり帰らなかったりしそう。
珍しく付き合ってるワイエイだけど相変わらずカプ要素は風味程度。ご理解。
転がり込む男と転がり込まれる男の話。
何故こんなことになったのだろうか。
目の前、フローリングに寝転がる少年を眺めエイトは思考を巡らせる。この数時間で数えられないほど繰り返した問いは、どれだけ頭を働かせても解が出てくることはなかった。
いきなりチャイムが鳴って。チェーンをかけたまま開ければワイヤーグラスがいて。半ば無理矢理中に入られ。何をするかと思えば勝手に本棚を漁り。無言でフローリングに寝転がって雑誌を読み出す。どこを取っても意味が分からなかった。彼が自由――そんな言葉で済ませるにはあまりにも傍若無人であるが――なのはいつものことだが、時期が時期だ。季節は夏も半ば、所謂盆である。ロビーですれ違う者たちは口々に帰省がどうだと交わし、駅は普段以上にごった返している。ロビーの入り口に辿り着くのに苦労するほどだ。皆が皆、賑やかしいこの街を離れていた。己は面倒なので帰らないが。
もちろん、ワイヤーグラスもその一人であるはずだ。チームの面々と会話をしていたのを聞いたのだから確定である。だのに、何故この盆のまっさなかにここに――バンカラ街中央に近い己に部屋にいるのか。実家に帰るはずであろう彼が何故ここに留まっているのか。訳が分からない現実である。
「バックナンバーねぇの?」
紙の束が合わさり音をたてる。音もなく立ち上がったワイヤーグラスは、古いスポーツ雑誌を片手にこちらを見た。へ、と己らしくもない間の抜けた音が口から漏れ出る。
「本棚にあるよ」
「全部読んだ」
取り繕いながら発した声は、鋭利な声に切り裂かれた。彼が持っていた雑誌が床に山になっていた同胞の一番上に音をたてて着地する。種族特有の角張った指が床をなぞるように動いて、雑誌の山を抱える。裸足とフローリングが彼らしくもなく間の抜けた音を奏でた。カラフルな背中の向こう側から本が棚にしまわれていく淑やかな音が聞こえた。
あぁ、と呟くようにこぼし、エイトは廊下へと歩む。玄関にほど近い場所に置いていた段ボールの一つを持ち上げ抱える。週明けに回収に出そうとしていた古雑誌の一部だ。必要な部分はスクラップにしているため歯抜けだが、彼が読む分には十分だろう。そもそも全ては己の私物である。どんな状態であろうが文句を言われる筋合いは無い。
そう、文句を言われる筋合いは無いのだ。こんな突然押しかけて、勝手に棚を漁り、床を占領する輩に我が物顔をされる筋合いなど無いのだ。なのに、何故己はこんなに忠実に動いてしまうのだろう。馬鹿らしいったらない。
「読んだら帰りなよ」
部屋に戻り、段ボールを下ろすとともに言葉を吐く。返事は無い。代わりに、箱が開けられる音が部屋に響いた。ボスン、とめいっぱいに取り出された雑誌が床に着地する。カラフルなニットに包まれた身体が、鍛えられた足がまたフローリングの上に転がった。
はぁ、とエイトはこれ見よがしに溜め息を吐く。あのワイヤーグラス相手にこんな嫌味が通用するはずなどないと分かっている。だが、それぐらいはしないとやってられない状況である。部屋を他人――というには関係は随分親しいものであるが――に占領されて良い顔ができるはすなどない。
幸いなのは、彼の興味が雑誌に全て注がれていることだろうか。これが己に向いていたらたまったものではない。酷暑続きで洗濯物が乾きやすい時分とはいえ、大きなシーツを洗って干すのは面倒なのだ。彼の身勝手でベランダを占領されてはたまったものではない。
赤い目がベッドサイドへと向けられる。背の低い棚の上に置かれたデジタル時計は、まだ昼になって程ない時間であると告げていた。この調子では短くても夕方まで居座るだろう。額のあたりが小さな痛みを訴える。逃がすようにまた重い溜め息を吐いた。
タブレットを手に、エイトも床へと座り込む。律儀に彼が雑誌を読み終わるのを待つ必要など無い。ならば、己も己で普段通り過ごすだけだ。幸いというべきだろうか、昨日は連戦したせいで振り返っていないバトルメモリーが溜まっていた。これを全て見終わり分析する頃には飽きて帰っているだろう――帰ってもらわねば困る。昼ならまだしも夜に彼がろくな行動に出るはずがない。
トレードマークでもあるワイヤレスヘッドホンをタブレットに接続し、専用アプリでバトルメモリーを再生していく。適宜止め、ナマコフォンのメモアプリに注目すべき時間と簡潔なメモを残していく。流して、止めて、書いて、また流して。時折、ヘッドホン越しに紙がめくる音が聞こえた気がした。
二人の時は穏やかに過ぎていく。あのワイヤーグラスといるとは思えないほど静かで、柔らかで、落ち着く時間が部屋を満たしていた。ナマコフォンのキーが鳴らす固い音、雑誌のページがめくられる音、音すら無い呼吸二つ。普段の苛烈さが嘘のような落ち着きが二人を包んでいた。まるで、仲の良い友達のように。長らく連れ添った恋人のように。
バトルメモリーの再生を止める。ふと液晶画面から目を上げると、部屋は濃い影を落としていた。カーテンが開けた窓の向こう、空は目に痛いほどの青から網膜に焼き付くような赤に姿を変えつつある。もう夕方になってしまったようだ。これならば彼を帰すには十分だろう。そもそも、あのぐらいの量ならばもう読み終わっているはずだ。
一人頷いていると、頭に、耳に感覚。つい先ほどまでは無かった子どもの歌声が丸い耳を撫ぜる。へ、と間の抜けた声を発し、思わず上を見やる。そこには、己の赤いヘッドフォンを無造作に掴んだワイヤーグラスの姿があった。人のギアに勝手に触れてきた不快感、一段落したとはいえ作業を途切れさせた怒り、無理矢理剥ぎ取られた混乱。何もかもが胸を逆撫でしていく。唇の端っこが短く痙攣したのは仕方が無いことだろう。
「飯行くぞ」
「は?」
「腹減った」
これ以上無く端的に、これ以上無く言葉足らずに宣言したワイヤーグラスは、エイトの頭にヘッドホンを押しつけてはめこむ。そのまま踵を返し、玄関へと向かった。帰るということだろう。やっと解放される感動に、やっと一人の時間を堪能できる喜びに、エイトは密かに胸を撫で下ろす。気心知れた関係とはいえ、彼に部屋に居座られては安息など無いのだ――無いはずである。先ほどのあの感覚など、全てまやかしなのだ。
「何してんだ」
段ボールの外に出された雑誌をまとめていると、背後から声が降ってきた。身をよじって見上げると、ぬらりと立ち見下ろすワイヤーグラスがあった。表情は逆光になって見えない。ゆったりとしたニットで膨らんだシルエット、ポケットに手を突っ込んだ無頼な出で立ち。どれも圧迫感を覚えるものだ。けれども、耳を撫ぜた声は驚くほど穏やかなものだった。まるで、ただの少年のような。
「きみこそどうしたんだ? 帰るんだろ」
「だから、飯食いに行くつってんだろ。早く来い」
は、と疑問形の息を漏らすより先に、雑誌をまとめていた腕に負荷がかかる。浅黒い腕が加減無く引っ張られ、力がままに無理矢理立ち上がる羽目になった。大きな手が解ける様子は無く、そのまま玄関へと引き連れられていった。早く靴履け、と吐き捨てた彼は、器用に足だけで大ぶりなスニーカーを履きこなした。
どうしてこんなことに。
今日何十回目かの疑問は相変わらず答えが出てくる様子は無かった。
満たされた腹がほどよい心地良さを身体に巡らせてくる。は、と吐き出した息は、温かく穏やかなものだった。ニンニクの香りがするのは余計だが。
「……すまない」
「あ?」
隣、ナマコフォンをいじるワイヤーグラスに尋ねる。不機嫌そうな低い声が返ってきた。あくまで『不機嫌そう』であって、悪しき音ではない。むしろ充足に満ち鋭さを失った響きをしていた。
「今手元に現金が無くてね。代金は次会った時渡せばいいかい?」
部屋から無理矢理引っ張り出された先、彼が足を向けたのはバイガイ亭だった。盆の最中でもある程度余裕がある大型店舗は、すぐさま二人を受け入れた。そこからはワイヤーグラスが全て注文を済ませ、黙々と食べ、伝票を奪取され。何もかもが目まぐるしく、追いつく余裕がないスピードで運んでいき、やっと自由な意思で店を出る今に至る。気にかかるのは、食事代は全て彼が出したということだ。きっと会計でもたもたと二人で財布を取り出すのを面倒くさがったのだろう。否、それ以前に突然引き連れられた故に己は財布を持っていない。それを知っての行動だったのかもしれない。全ては用意する余裕すら与えてくれなかった彼のせいだが。
あ、と心底不思議そうな声が飛んできた。レンズの無い眼鏡の奥の濃紅はきょとりという表現が似合うほど丸くなっている。常は吊り上がった勝ち気な眉は、満腹感に絆されてかいつもより角度を下げていた。
「奢る」
「いや、いいよ。借りは作りたくない」
「今日居座っただろ。その代金と思っとけ」
言葉少なな彼に言葉を返していく。最後に向かってきたのは、彼らしくもない殊勝な言葉だった。へ、と今日何度目かの音が漏れる。ルビーレッドの瞳が先ほどの彼よろしく丸くなる。声をこぼした口は小さく開いたままだった。
彼に『居座った』という認識があるなど露ほども考えていなかった。その上、『代金』だなんて律儀な言葉まで飛び出してくるのだから驚きである。何かの間違いでは無いか、と訝しげな目つきで隣を歩く彼をひっそりと見やる。何だ、と鋭い声が飛んできた。
「いや、きみにそんな感覚があると思わなくてね」
「チームじゃよくあることだ」
ワイヤーグラスはチームを率いるリーダーである。メンバー固定のチーム故、集まる機会は多いだろう。そこに飲食店が挙がるのも当然である。この街はコーヒー一杯で長居しても許される、否、諦められている店が多いのだ。チームリーダーとして代金を立て替えるのは、リーダーらしくはあるが『ワイヤーグラス』というヒトからは想像できない行動である。何せ、理不尽、強引、傍若無人をヒトの形に落とし込んだような姿ばかり見せるのだ、この男は。こんなにいきなり殊勝な姿を見せることなど天地がひっくり返ったような心地だ。
バンカラ街から少し離れた道、少し暗がったそこで足音が一つに減る。目をやると、そこにはこちらを見るワイヤーグラスがいた。緩やかな逆三角形を描く身体は半分捻られてこちらに向ききっていない。きっと、そちらが彼が帰る方向なのだろう。ようやく離れられる。振り回されずに済む。安堵がくちくなった腹を中心に広がっていった。思わず息が漏れ出る。ニンニクの匂いがうっすらと鼻をついた。
「じゃ、明日」
ひらりと手を振り、ワイヤーグラスは身を翻して歩んでいく。大きく速い足取りなこともあり、その背はすぐに闇に消えてしまった。青い頭一つ、古ぼけた街灯に照らされた道に取り残される。は、ともう数えるのが馬鹿らしくなった疑問符付きの溜め息が漏れた。
明日も来るのか。明日も来る気なのか。雑誌はもう読み終わっただろうに。そもそも盆なら実家に帰るべきだろうに。何故己の部屋に居座るのだ。何故いつものように手を出すことなく、ただただ穏やかに過ごすのだ。意味が分からなかった。行動は凪いだものだというのに、胸の内を大時化めいて掻き乱す。理解が追いつかない脳味噌は無駄な回転をするばかりだった。
長い長い思考の末、エイトは溜め息一つ落とす。質量があるならばコンクリートの地面をへこませてしまいそうなものだった。当然だ、キャパオーバーによるフリーズ寸前の脳味噌が疲労を覚えないはずが無いのだから。丸一日かけて掻き乱された心がそう簡単に落ち着くはずなどないのだから。
「……スーパー寄っていくか」
彼は『明日』と言った。明日も来るのである。つまり、明日も食事が必要だ。彼のことだ、今日のように『居座った代金』としてまた奢ってくるだろう。しかし、それは己の意地が許さない。金銭をなぁなぁにされるのは不愉快である。何より、やられっぱなしでいられるわけがなかった。そう何度も外食して、金を使って、彼と二人でいるところを見られてたまるものか。
種族特有のとがった指が慣れた手つきでナマコフォンを開き、電子決済アプリを立ち上げる。ど真ん中に表示された数字は、いつもの倍買っても問題の無いことを語っていた。
二人分一気に作れる料理は何だろうか。カレーはあまりにも多い。スープでは腹の足しにならないだろう。ならば、炊いた米と焼いた肉か。己一人ならともかく、ヒトに振る舞うのだから手早く作れるレシピを探さねばならない。カコカコと鳴き声をあげながら、ナマコフォンは持ち主の指示通りの情報を液晶画面に並べていった。サムネイルと少しだけ表示されたページ内容を頼りに、レシピを漁っていく。何故こんなことに、という疑問ははたき落として頭の隅に追いやってしまう。
けぶるように暗い道、底の薄い靴が薄ぼけたコンクリートを叩いていった。
畳む
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