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No.69

年を数える鐘の音【ライレフ】

年を数える鐘の音【ライレフ】
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除夜の鐘の音って結構好きってのと年越しって何かわくわくするよねって感じの話。
一月は過ぎ去ったけれど、明けましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願いいたします。

 賑やかな笑い声がスピーカーを通して部屋に響く。煌々と光るテレビの液晶には、様々な芸能人が忙しなく動き回る姿が映っていた。ありきたりなバラエティ番組だが、一段と豪奢なセットや出演者のきらびやかな衣装、画面のそこかしこに現れる色とりどりのテロップも相まって普段以上に賑やかに見えた。
 笑声の合間に、ごーん、と鈍い音が聞こえる。重く響くそれはかすかながらもはっきりとしており、音の主からずっと離れたこの部屋にもしっかりと届いた。
 もう年が終わるのだな、と考えながら、烈風刀は籠に積み上げられたみかんを一つ手に取る。鮮やかな橙色の玉にそっと指を差し込み、曲線に沿うように薄い皮をゆっくりと剥いていく。柑橘の爽やかな香りが鼻をくすぐった。実を守るように走る白い筋を丁寧に取り去っていく。いくらかの時間をかけ、ようやく姿を表した赤味の強い橙を房に沿って外していく。小さな柔い半月を口に含むと、優しい甘みが舌を撫でた。
 剥いた皮の上に置いた実に、節のある指が伸ばされる。手の持ち主、隣に座る朱は丁寧に処理された果実を一房口に放り込むと、甘い、と小さな声を漏らした。今日何度目かの言葉に碧は何も言う事はなく、また一つ小さな房に手を伸ばした。
 一年の最後を飾る日の夜、兄弟はこたつに入りぼんやりとテレビを眺めていた。液晶に映る年末恒例の特別番組は騒がしいばかりで、高校生の好奇心をくすぐるには少し足りない。それでも音が無いのは何だが寂しく思えて、ただ点けているだけだ。二人で暮らし始めて幾年、言葉を交わさぬ静寂などすっかり慣れてしまったというのに寂しさを覚えるのは、冬の寒さ故だろうか。そんな取り留めのないことを考えながら、少年は甘酸っぱい橙色を口にした。
 元々小ぶりなものを二人で分けたのだから、鮮やかな実はすぐに姿を消してしまった。残った柔い皮を小さく畳み、烈風刀は籠の傍らに置かれた屑入れに手を伸ばす。紙で作られた簡素なそれの中には、いくつもの橙色が積み重なっている。彼らがこの場に長い時間いるのだということを静かに表していた。
 大掃除はどうにか日が暮れる前に終わり、夕飯時には例年通り年越し蕎麦を食べた。既に風呂も済ませたので、あとは歯を磨いて寝るだけだ。見たいテレビ番組や早く読んでしまいたい本、済まさねばならない課題があるわけでもないのだから、これ以上起きている理由や必要性は無い。むしろ、明日はレイシスたちと初詣に行く約束をしているのだから、早く寝るべきなのだ。なのに、何だか眠るのが惜しく思えるのは何故だろう。スピーカー越しの騒がしい音楽をどこか遠くに聞きつつ、碧はマグカップに手を伸ばす。中身は既に冷めてしまったようで、空色の磁器は無機物らしい冷たさを主張していた。淹れ直してくるか、と考えるも、足元から伝わる温もりに掻き消される。面倒だ、と彼にしては珍しく諦め、少年はその中身をぐっと胃の腑に押し流した。
 飲み干したマグを机の中央に押しやり、烈風刀は両手をこたつの中に入れる。室内は決して寒いわけではないが、厚い布団の中に住まう温もりがおいでおいでと手招いてくるのだ。真冬という温度を全て奪い去っていく季節の中、その誘いを振り切るのは理性的な彼をもってしても難しいようだ。
 雷刀とレイシスの強い要望により冬の始めに出したこの暖房器具は、すっかりと生活に馴染んでいた。日頃からソファやベッドに寝転がって過ごすことの多かった雷刀は言わずもがなであるが、意外なことに烈風刀も多くの時間をこの場所で過ごすようになっていた。エアコンとはまた違う、身体の内側まで染み入るような温かさはとても心地が良く、一度入ればつい長居してしまう。机としての役割も十二分に果たせるため、作業をするのに適しているのも一因だ。冬に限るならば、自室で過ごすよりも快適だった――というのはどれも確かな事実であるが、言い訳でもある。決して口にはしないが、兄と同じ空間、すぐ隣で過ごしたくて、烈風刀はここに訪れるのだ。
 普段から兄弟二人でソファで隣り合って座り、共に過ごすことは少なくない。けれども、わざわざ単語帳や参考書を持ち込んで自室で済むようなことをするのは不自然ではないか、そうしてまで彼の隣にいようとするのはあまりにも幼いのではないか、自分ばかり求めるだなんて浅ましいのではないか。小さな羞恥と不安が、生真面目な少年の胸の隅に居座り、時折ぶわりと膨れ上がるのだ。
 しかし、このこたつという暖房器具は座るのが当たり前であり、わざわざここで勉強なり作業なりをしていても不自然ではない代物である。この魔性とすら言える暖かさを知る者ならば、長居することを疑問に思うこともないだろう。冬限定とはいえ、この家具は隣にいたいというささやかな願いと小さな悩みに合理的な――あくまで彼にとって、である――答えを叩きつけ、解消してくれるものだった。
 ごーん、とまた一つ鐘の音。ぺたりと机に伏した朱い頭を超し、烈風刀は窓へと視線を移した。何もかも吸い込んでしまうような黒に塗り潰された世界の中を、鈍い音が響いていく。秒針が進むのとはまた違う、残る時を数えていくようなそれは、寒空をゆっくりと歩んでいるかのようだった。ひとつ鳴るごとに、年が終わりに近づいていく。大晦日という言葉や日付よりも、この音が一番それを感じさせるもののように思えた。
 スピーカーがわぁ、と大きな声をあげる。釣られて音の方へと目を向けると、液晶の中には仰々しい書体で六〇という文字が踊っていた。五九、五八と一つずつ減っていく様を見て、その数字が日付――そして新しい年へと移り変わることを示しているのだと気付いた。出演者皆で手を高く掲げ、指折りながらカウントダウンしていくのをぼぅと眺める。数字が小さくなるにつれ、声はどんどんと大きくなっていく。
 一〇の二文字が一際大きく表示される。こたつ机にぺたりと頬をつけていた朱い頭がおもむろに持ち上がった。雷刀は顔を上げ、肘をつき己の手に頭を預ける。夕焼け空の瞳が煌々と光る画面を眺める。響く男女混合の笑声に、きゅー、はち、と耳慣れた声が重なった。呟くようなそれに耳を傾け、烈風刀も鮮やかな色を映す液晶を見つめた。
 さん、にー、いち。
 ぜろ、の声とともに豪奢に飾られた数字が画面いっぱいに広がった。新たな年を表すその数字とともに、大きな破裂音と色とりどりの紙吹雪がぶわりと舞う。明けたなー、と隣から少し弾んだ声が聞こえてくる。そうですね、と返して、少年は静かに背筋を伸ばした。
「れふと、れふと」
 隣を向こうとしたところで、楽しげな声が碧の名を呼ぶ。何ですか、と問いながら横を向くと、そこには姿勢を正し、こちらに身体を向けた雷刀の姿があった。夜も深いというのに、まっすぐ向けられた茜の瞳はまるで昼間のようにきらきらと輝いていた。
「あけまして、おめでとーございます」
 挨拶と同時に、ぺこりと朱い頭が下げられる。かしこまったその姿は、何だか子供が大人を真似して背伸びしているように見えた。どこか微笑ましく思えるその様子に、烈風刀は気付かれぬよう笑みをこぼす。今一度横――兄の方へと身体を向け、少年はすっと居住まいを正した。
「明けましておめでとうございます」
 同じ言葉とともに、碧も礼をする。互いに深々と頭を下げる様は、家族に対しては物々しい立ち振る舞いに見えた。
 年が明ける度行うこの挨拶は、二人にとっては恒例のこととなっていた。また今年も一緒に過ごしていこう。ともに助け合っていこう。そんな思いを、十五の音にのせる。そんな短い響きでも、互いにその思いが理解できた。それでも普段とは全く違う、仰々しいそれが何だかおかしく思えて、二人は顔を見合わせくすくすと笑った。
「今年もよろしくな!」
「はい、よろしくおねがいします」
 全てを照らし出す太陽のように笑う雷刀に、烈風刀も穏やかな笑みを浮かべる。ともに過ごし、新たな年を一緒に歩み出す。当たり前のように感じるそれを改めて噛みしめ、翡翠に似た瞳が嬉しそうに細められた。
「さぁ、もう寝ましょう」
 そう言って、烈風刀は机に置かれた屑入れに手を伸ばす。柑橘の爽やかさが香るそれを手早く畳んでいると、えーと不満げな声が飛んできた。
「もうちょっと起きてよーぜ?」
「駄目です。明日はレイシスたちと初詣に行く約束でしょう? 寝坊したらどうするのですか」
「……起こして?」
 甘えるような声でこてんと首を傾げる兄に、弟は答えの代わりにじとりとした視線を返す。うぅ、と観念したかのような声が喉から絞り出されるのが見えた。ゴミを捨てに立ち上がろうとしたところで、くいと袖口を弱々しく引かれる。何だ、と目で問うと、朱はぽそぽそと小さな音をこぼしだした。
「だってー……、もうちょっと一緒にいたいし……一緒に初日の出見たいし……」
「貴方、今から起きていても絶対に途中で寝るでしょう。そのまま寝過ごすに決まっています」
 朝から起きて、しかも大掃除で普段以上に身体を動かしたのだ。よく眠る彼が睡魔に打ち勝ち、これ以上起きていられるとは烈風刀には到底思えない。本人も自覚はあるのか、雷刀は気まずげに俯いた。でも、と反論を探して唸る様は拗ねているようにも見えた。はぁ、と小さく溜め息一つ。弟は今一度腰を下ろす。目線を合わせ、俯く兄の目を見つめた。
「今から寝て、日の出前にちゃんと起きればいいでしょう」
「絶対起きられな――」
「一緒に寝れば、僕と同じ時間に起きられますよね?」
 一緒にいたい、という兄の気持ちは烈風刀にも十分理解できた。もう少しだけ、新たに刻み始めた時間をともに過ごしたい。これからまた三六五日ともに暮らしていくとは分かっていても、今を――年の始まり、二人きりでいられるこの時間を、誰にも邪魔されず彼を独り占めにできるこの夜を寄り添って過ごしたい。そんな甘えた願いが浮かぶのは、年が明けて無意識にはしゃいでいるからだろう。きっとそうだ、そういうことにしよう。そんな言い訳を胸中で繰り返し、烈風刀は訊ねるように小さく首を傾げ、わずかに伏せられた朱を見つめた。
 言い聞かせるような問いに、雷刀はばっと顔をあげる。言葉をゆっくりと噛み砕いていく中、朱の瞳が大きく見開かれる。意味を飲み込んだところで、ぱぁと丸い瞳が輝いた。
「起きる! 絶対起きる!」
 こくこくと大きく頷く様は、人懐っこい犬のようだった。その背後に勢いよく振られる尻尾すら見える。現金だな、ところころと変わる表情を見て、少年は密かに笑みをこぼした。
「まぁ、起こしてはあげませんけどね」
 自力で起きてください、と告げ、烈風刀は屑入れを手にして立ち上がった。えー、と落胆したような音を背に、少年は応えることなく台所へと向かう。こたつに暖められた身体を冷やすような薄闇の中、折りたたまれた紙製の屑入れをゴミ箱に放り込む。朝焼け色の皮が、四角い暗闇に飲み込まれた。
 さて、日の出の時間は何時だったろうか。晴れるだろうか。調べなければ、と考えたところで、ぱちりと瞬きをする。子供のように浮き足立った思考に、少年は小さく苦笑を漏らした。
 朝日のように目を輝かせているであろう兄が待つ部屋へと、静かに歩みを進める。また一つ鐘の音が聞こえた気がした。

畳む

#ライレフ #腐向け

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