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No.97
ゆっくりおやすみ【ライレフ】
ゆっくりおやすみ【ライレフ】
寝る弟君とオニイチャンっぽいことしてるオニイチャンが書きたかっただけの話。性癖にとても素直。
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黒く曖昧とした世界から意識が浮上する。無意識の微かな呻りと共に、閉じていた目がゆっくりと開く。透き通る白の瞼から覗く碧は、まだ眠りの海を揺蕩っていた。
白くけぶる世界に、烈風刀は目を細める。形の良い細い眉は険しげに寄せられていた。寝起きの目には、蛍光灯の強い光は毒でしかない。う、と濁った音が喉奥から漏れ出た。
眠気でぼやけた思考が、現実を認識しようと鈍く動き出す。ゆるゆると連なる記憶をたぐり寄せてたっぷり十数秒、ようやく己がリビングのソファに横になっていることを理解した。あぁ、と内心嘆息する。どうやら、居眠りをしてしまったようだ。
輪郭を取り戻してきた五感が、ほのかな香りを掴み取る。野菜の煮える甘い香りだ。慣れ親しんだそれの中に、トントンと小気味の良い音が交わる。軽やかな音は、子守歌のように心地の良い響きをしていた。
もう夕飯時だろうか、とまだ動きの鈍い頭で考える。リビングを訪れたのは日が落ちつつある中だったはずだ。まだあまり時間は経っていないようである。良かった、という安堵と、居眠りをしてしまうなんて、という後悔が寝起きの頭をじわじわと染めた。
鼻腔をくすぐる優しい匂いが、意識の隅にある何かを引っ張り上げる。取り戻したそれを認識し、烈風刀は眇めていた目を大きく見開く。座面に横倒れになっていた上半身が大きく跳ねた。
そうだ、今日の夕食当番は自分ではないか。だというのに調理している気配があるということは、寝こけた自分を見かねて雷刀が変わってくれたに違いない。普段は自由奔放で無責任にも見える彼だが、こういう時は優しさを見せてくるのだ。
羞恥と悔恨で白い肌が赤らみ、青ざめ、激しく色が切り替わっていく。とにかく謝らねば、と少年は急いで飛び起きる。体勢を崩して脱げかけたスリッパそのまま、キッチンへと急いで駆けた。
さして広くない調理場には、蒸気が鍋蓋を揺らす音、包丁がまな板を叩く音、食材が煮える香りが満ちていた。キッチンという場所を表すかのようなものたちの中に、小さな鼻歌が漂う。朱が奏でる上機嫌な響きは、愛しい少女をイメージした楽曲だ。愛し守るべき彼女らしさをいっぱいに詰め込んだその歌は、三人のお気に入りだ。
「あ、烈風刀。おはよ」
包丁とまな板のリズミカルな音と可愛らしい歌声が止む。騒がしい足音で気付いたのだろう、こちらを向いて迎えた雷刀は、慌てた様子の弟ににこやかに笑いかけた。
「お、はよう、ございます……」
対する烈風刀は、気まずげに顔をしかめる。整った眉の端は下がり、応える声もどんどんと萎んでいく。常ならば相手の目にしっかりと向き合う翡翠の目は、緩やかな弧を描く紅玉からどんどんと逸らされ地面へと向かっていく。彼の胸を占める罪悪感を如実に表していた。
「そんなに急いでどした? なんかあった?」
「今週の夕食当番、僕でしたよね。すみません」
首を傾げる兄に、弟は苦しげに言葉を紡ぐ。謝罪の言葉と共に頭を下げると、傾いでいた朱い頭が更に斜めになっていく。え、と疑問符たっぷりの声が二人きりの空間に落ちた。
「いや、今週の当番オレだけど……」
ほら、と雷刀は包丁片手に冷蔵庫に貼られたカレンダーを指差す。今週の欄には赤い線が真っ直ぐ引かれており、その下に同じく赤で『雷刀』と大きく書かれていた。今週の食事当番は兄であることをはっきりと示している。今週の当番だと主張する烈風刀の名があるのはその一行下、来週の欄だ。
へ、と間の抜けた音が寝起きの喉から漏れる。互いに互いの言っていることが理解できず、朱と碧はその場で立ち尽くす。兄弟二人抱えたキッチンを沈黙が包み込んだ。
驚きに固まった思考がようやく動き出す。カレンダーが語る日程は二人で相談した確かなもので、今週の当番は兄であることは事実だろう。メリットも道理も無いのだから、彼が嘘を吐いているということもないはずだ。
つまり、自分が寝ぼけて勘違いをしていたのだ。
鈍る頭でようやく解に辿り着く。途端、碧の顔にぶわりと紅が広がった。羞恥が胸の内を一気に染め上げる。居眠りをした挙げ句寝ぼけるだなんて、何と間抜けなのだろう。しかも、それを雷刀に見られた――実際は自分が勝手に見せたのだが――だなんて、恥ずかしいにも程がある。兄の性格上、からかわれるのは必至だ。
あぁ、何でこんなことに。脳内で頭を抱え何度問うても、納得のいく答えなど見つからない。間の抜けた自分の醜態だけが事実として残っているのだった。
「何? もしかして寝ぼけてた?」
赤くなって黙りこくる弟を見て、雷刀は問いかける。確信を持った、意地の悪い響きだ。緩く弧を描く口元は、完全にいたずらっ子のそれである。
からかわれて良い気などしない。しかし、今回ばかりは仕方の無いことだ。いきなり飛び込んできて意味不明なことを言い、作業を中断させ迷惑を掛けてしまったのだ。しかも、火や刃物を取り扱っている最中にである。一歩間違えれば大怪我をするような場所でこんなことをしたのだから、責められてもおかしくはない。
そもそも、リビングで居眠りなどしていたのが悪いのだ。普段兄にはソファで寝るのは控えろと言っているのに、自分がこれでは世話がない。
「……そうみたいです。すみません」
羞恥と悔恨と申し訳なさで心が埋め尽くされる中、どうにか形作った声はか細いものだった。寝起きの発声に慣れていない喉によるものではないのは明らかだ。色素の薄くなった唇が強く引き結ばれた。
こんなにも素直な返答が来るとは思っていなかったのだろう、兄は物珍しげにぱちりと瞬く。未だ沈痛な面持ちをした碧を見て、少年はんー、と口の中で呟く。そのまま、からりと笑った。
「烈風刀って意外とねぼすけさんなんだな」
かわいい、と柔らかな響きで続けて、雷刀は頬を緩める。恋人に対する愛おしさがそのまま溢れ出たような表情だ。
普段ならば『可愛い』などと言われればすぐさま否定する烈風刀であるが、今は気まずげに身を縮めるだけだ。兄の優しい様子に、淀み濁る胸がツキリと痛む。茶化すような言葉ではあるが、そこに先程までのからかう響きはない。気を遣っての言葉だということぐらい嫌でも分かる。己のミスでこんなにも迷惑を掛けてしまった嫌悪と後悔で、心臓がキリキリと痛んだ。
んー、と宙空を見つめた後、雷刀はぱっと顔を明るくする。何か思いついた様子だ――未だ目を逸らし床を見つめている烈風刀は気付くことはできないのだが。
「眠いんだったらもうちょっと寝てな?」
「……え?」
いきなりの提案に、烈風刀は空気が抜けたような音を漏らす。彼の指摘通り寝ぼけているのだから、顔でも洗ってくるべきだろう。そも、そのまま料理を手伝った方がいいに決まっている。なのにもう少し寝ているといいだなんて、一体何なのだ。
戸惑っている間に、朱は火を止め手を洗い、立ち尽くす碧へと歩み寄る。そのまま引き締まった肩を掴み、身体をくるりと反転させた。突然のことに、ちょっと、と抗議の声をあげるも、彼はまぁまぁ、と唱え背を押すだけだ。突如の行動に反抗する間もなく、そのまま二人でキッチンを出て行く形となった。
押されるがままに歩き着いた先は、先程まで寝こけていたリビングのソファだった。何ですか、と問うが、相変わらずまぁまぁ、とはぐらかす声が返ってくるだけで、真意は分からないままだ。
少しくたびれたそれの真ん前に立ったところで、また身体を反転させられる。意図の読めない行動に混乱していると、あれよあれよという間に座面に座らされ、そのまま横にさせられてしまった。
「晩飯できたら起こすから」
そう言って、兄はいつの間にか手にしたブランケットを横たわった身体に掛ける。まだ暖房のかかっていないリビングでは、柔らかな布のもたらす温かみは心地の良いものだ。
「いや、でも――」
「寝ぼけちゃうぐらいまだ眠いんだろ? だったら一回ちゃんと寝ちゃうのが一番だって」
笑顔で紡がれる言葉に、う、と言葉が詰まる。一度飛び起きはしたものの、うたた寝だったせいか眠気はまだ残っている。だが、こんな時間に眠っては夜眠れなくなってしまうのではないか。そもそも不注意で寝てしまったことは咎められるべきなのではないか。様々な懸念が頭をよぎり、音も無く積み重なっていく。細くなった喉がきゅうと音をたてた。
やはり良くない。急いで身を起こそうとするも、まぁまぁ、という声と共に、そっと肩を押さえられる。たったそれだけで己が身は再びソファに沈んでしまった。その程度で抑えられてしまうほど動きが鈍っているという事実に、少年は顔をしかめる。身体は確かに睡眠を求めているのだろう。けれども、やはり兄一人に作業を押しつけ眠ってしまうことに罪悪感を抱いてしまうのだ。
不安げに視線を泳がせる弟の様子に、雷刀はその目の前にしゃがみこむ。手を伸ばし、横たわった碧い頭をそっと撫でた。だいじょーぶだいじょーぶ、と根拠の無い言葉を口にする。優しいリズムで繰り返されるそれは、子守歌のようだった。
「昼寝は一時間までならセーフって前にテレビで言ってた。だから、大丈夫」
ちゃんと起こすから安心して寝ときな、と歌うように紡いで、朱は頭に添えた手をそっと動かす。節の目立ち始めた手が浅海色の髪を泳ぐように梳く。子どもを寝かしつける手つきだ。憂慮に揺れる孔雀石を見つめる紅瑪瑙は、愛おしそうに細められていた。
甘やかな言葉と慈愛に満ちた視線に、烈風刀は悔しげに目を眇める。こういう時に限って存分に甘やかしてくるのだから、この男は質が悪い。そして、何だかんだ言って甘えてしまう自分も、どうしようもないのだ。
優しく撫で梳く手つきに、与えられる温もりに、身を薄く包んでいた眠気が気配を濃くする。目の前が暗くなっていく。瞼が下がってきているのだ、と認識するより先に、視界は細く狭くなっていった。
睡魔に奪われつつある五感が、おやすみ、と呟くような声を捉えた気がした。
聞こえ始めたかすかな寝息に、雷刀は小さく息を吐く。愛おしい碧をじぃと見つめていた瞳が一度伏せられた。
夕飯を作るためキッチンに向かう最中、ソファで寝こけている姿は確認していた。珍しい、夕飯前まで寝かせておくか、とそのままにしておいたのだが、まさか寝ぼけて突然キッチンに飛び込んでくるなどとは思ってもみなかった。寝起きは良い方である彼があんな姿を見せるだなんて。珍しいことは重なるものである。
サラサラとした海色の髪を梳き撫でる。眠りに落ちる直前の彼の表情は、不安げなものだった。おそらく、また眠ってしまうことや、作業を手伝わないことに引け目を感じていたのだろう。眠いならば少しぐらい寝ていてもいいというのに、彼は自堕落だと必要以上に己を責めてしまうのだ。いつまで経っても治らない悪癖である。
さて、と、少年は壁に掛けられた時計に目をやる。アナログの針は、もう少しで夕食時になると告げていた。一眠りするには些か短い時間だろう。
一品増やすか。可愛らしい寝顔を眺めながら、少年は考える。冷蔵庫に使ってもいい野菜はあっただろうか。どんな副菜なら自然だろうか。調理時間はどれほど増えるだろうか。様々な事項を脳内で検索していく。
まぁ、急ぐことではない――急いでやっては意味の無いことだ。雷刀は音を立てぬように立ち上がる。ここで無駄に考え込んで起こす可能性を生んでしまうより、現場を見てゆっくり考える方が良いに決まっている。
今一度眠っている愛しい人を眺める。水底色の瞳は白い瞼の奥に消え、横たわった身体は呼吸することを確かに表すように小さく上下していた。眠りに落ちる前の不安の色はそこにはもう無い。きっと、穏やかな夢の中にいるだろう。
おやすみ。
音にせず唇で形作り、少年はキッチンへと足を向けた。
畳む
#ライレフ
#腐向け
#ライレフ
#腐向け
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SDVX
2024/1/31(Wed) 00:00
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ゆっくりおやすみ【ライレフ】
ゆっくりおやすみ【ライレフ】寝る弟君とオニイチャンっぽいことしてるオニイチャンが書きたかっただけの話。性癖にとても素直。
黒く曖昧とした世界から意識が浮上する。無意識の微かな呻りと共に、閉じていた目がゆっくりと開く。透き通る白の瞼から覗く碧は、まだ眠りの海を揺蕩っていた。
白くけぶる世界に、烈風刀は目を細める。形の良い細い眉は険しげに寄せられていた。寝起きの目には、蛍光灯の強い光は毒でしかない。う、と濁った音が喉奥から漏れ出た。
眠気でぼやけた思考が、現実を認識しようと鈍く動き出す。ゆるゆると連なる記憶をたぐり寄せてたっぷり十数秒、ようやく己がリビングのソファに横になっていることを理解した。あぁ、と内心嘆息する。どうやら、居眠りをしてしまったようだ。
輪郭を取り戻してきた五感が、ほのかな香りを掴み取る。野菜の煮える甘い香りだ。慣れ親しんだそれの中に、トントンと小気味の良い音が交わる。軽やかな音は、子守歌のように心地の良い響きをしていた。
もう夕飯時だろうか、とまだ動きの鈍い頭で考える。リビングを訪れたのは日が落ちつつある中だったはずだ。まだあまり時間は経っていないようである。良かった、という安堵と、居眠りをしてしまうなんて、という後悔が寝起きの頭をじわじわと染めた。
鼻腔をくすぐる優しい匂いが、意識の隅にある何かを引っ張り上げる。取り戻したそれを認識し、烈風刀は眇めていた目を大きく見開く。座面に横倒れになっていた上半身が大きく跳ねた。
そうだ、今日の夕食当番は自分ではないか。だというのに調理している気配があるということは、寝こけた自分を見かねて雷刀が変わってくれたに違いない。普段は自由奔放で無責任にも見える彼だが、こういう時は優しさを見せてくるのだ。
羞恥と悔恨で白い肌が赤らみ、青ざめ、激しく色が切り替わっていく。とにかく謝らねば、と少年は急いで飛び起きる。体勢を崩して脱げかけたスリッパそのまま、キッチンへと急いで駆けた。
さして広くない調理場には、蒸気が鍋蓋を揺らす音、包丁がまな板を叩く音、食材が煮える香りが満ちていた。キッチンという場所を表すかのようなものたちの中に、小さな鼻歌が漂う。朱が奏でる上機嫌な響きは、愛しい少女をイメージした楽曲だ。愛し守るべき彼女らしさをいっぱいに詰め込んだその歌は、三人のお気に入りだ。
「あ、烈風刀。おはよ」
包丁とまな板のリズミカルな音と可愛らしい歌声が止む。騒がしい足音で気付いたのだろう、こちらを向いて迎えた雷刀は、慌てた様子の弟ににこやかに笑いかけた。
「お、はよう、ございます……」
対する烈風刀は、気まずげに顔をしかめる。整った眉の端は下がり、応える声もどんどんと萎んでいく。常ならば相手の目にしっかりと向き合う翡翠の目は、緩やかな弧を描く紅玉からどんどんと逸らされ地面へと向かっていく。彼の胸を占める罪悪感を如実に表していた。
「そんなに急いでどした? なんかあった?」
「今週の夕食当番、僕でしたよね。すみません」
首を傾げる兄に、弟は苦しげに言葉を紡ぐ。謝罪の言葉と共に頭を下げると、傾いでいた朱い頭が更に斜めになっていく。え、と疑問符たっぷりの声が二人きりの空間に落ちた。
「いや、今週の当番オレだけど……」
ほら、と雷刀は包丁片手に冷蔵庫に貼られたカレンダーを指差す。今週の欄には赤い線が真っ直ぐ引かれており、その下に同じく赤で『雷刀』と大きく書かれていた。今週の食事当番は兄であることをはっきりと示している。今週の当番だと主張する烈風刀の名があるのはその一行下、来週の欄だ。
へ、と間の抜けた音が寝起きの喉から漏れる。互いに互いの言っていることが理解できず、朱と碧はその場で立ち尽くす。兄弟二人抱えたキッチンを沈黙が包み込んだ。
驚きに固まった思考がようやく動き出す。カレンダーが語る日程は二人で相談した確かなもので、今週の当番は兄であることは事実だろう。メリットも道理も無いのだから、彼が嘘を吐いているということもないはずだ。
つまり、自分が寝ぼけて勘違いをしていたのだ。
鈍る頭でようやく解に辿り着く。途端、碧の顔にぶわりと紅が広がった。羞恥が胸の内を一気に染め上げる。居眠りをした挙げ句寝ぼけるだなんて、何と間抜けなのだろう。しかも、それを雷刀に見られた――実際は自分が勝手に見せたのだが――だなんて、恥ずかしいにも程がある。兄の性格上、からかわれるのは必至だ。
あぁ、何でこんなことに。脳内で頭を抱え何度問うても、納得のいく答えなど見つからない。間の抜けた自分の醜態だけが事実として残っているのだった。
「何? もしかして寝ぼけてた?」
赤くなって黙りこくる弟を見て、雷刀は問いかける。確信を持った、意地の悪い響きだ。緩く弧を描く口元は、完全にいたずらっ子のそれである。
からかわれて良い気などしない。しかし、今回ばかりは仕方の無いことだ。いきなり飛び込んできて意味不明なことを言い、作業を中断させ迷惑を掛けてしまったのだ。しかも、火や刃物を取り扱っている最中にである。一歩間違えれば大怪我をするような場所でこんなことをしたのだから、責められてもおかしくはない。
そもそも、リビングで居眠りなどしていたのが悪いのだ。普段兄にはソファで寝るのは控えろと言っているのに、自分がこれでは世話がない。
「……そうみたいです。すみません」
羞恥と悔恨と申し訳なさで心が埋め尽くされる中、どうにか形作った声はか細いものだった。寝起きの発声に慣れていない喉によるものではないのは明らかだ。色素の薄くなった唇が強く引き結ばれた。
こんなにも素直な返答が来るとは思っていなかったのだろう、兄は物珍しげにぱちりと瞬く。未だ沈痛な面持ちをした碧を見て、少年はんー、と口の中で呟く。そのまま、からりと笑った。
「烈風刀って意外とねぼすけさんなんだな」
かわいい、と柔らかな響きで続けて、雷刀は頬を緩める。恋人に対する愛おしさがそのまま溢れ出たような表情だ。
普段ならば『可愛い』などと言われればすぐさま否定する烈風刀であるが、今は気まずげに身を縮めるだけだ。兄の優しい様子に、淀み濁る胸がツキリと痛む。茶化すような言葉ではあるが、そこに先程までのからかう響きはない。気を遣っての言葉だということぐらい嫌でも分かる。己のミスでこんなにも迷惑を掛けてしまった嫌悪と後悔で、心臓がキリキリと痛んだ。
んー、と宙空を見つめた後、雷刀はぱっと顔を明るくする。何か思いついた様子だ――未だ目を逸らし床を見つめている烈風刀は気付くことはできないのだが。
「眠いんだったらもうちょっと寝てな?」
「……え?」
いきなりの提案に、烈風刀は空気が抜けたような音を漏らす。彼の指摘通り寝ぼけているのだから、顔でも洗ってくるべきだろう。そも、そのまま料理を手伝った方がいいに決まっている。なのにもう少し寝ているといいだなんて、一体何なのだ。
戸惑っている間に、朱は火を止め手を洗い、立ち尽くす碧へと歩み寄る。そのまま引き締まった肩を掴み、身体をくるりと反転させた。突然のことに、ちょっと、と抗議の声をあげるも、彼はまぁまぁ、と唱え背を押すだけだ。突如の行動に反抗する間もなく、そのまま二人でキッチンを出て行く形となった。
押されるがままに歩き着いた先は、先程まで寝こけていたリビングのソファだった。何ですか、と問うが、相変わらずまぁまぁ、とはぐらかす声が返ってくるだけで、真意は分からないままだ。
少しくたびれたそれの真ん前に立ったところで、また身体を反転させられる。意図の読めない行動に混乱していると、あれよあれよという間に座面に座らされ、そのまま横にさせられてしまった。
「晩飯できたら起こすから」
そう言って、兄はいつの間にか手にしたブランケットを横たわった身体に掛ける。まだ暖房のかかっていないリビングでは、柔らかな布のもたらす温かみは心地の良いものだ。
「いや、でも――」
「寝ぼけちゃうぐらいまだ眠いんだろ? だったら一回ちゃんと寝ちゃうのが一番だって」
笑顔で紡がれる言葉に、う、と言葉が詰まる。一度飛び起きはしたものの、うたた寝だったせいか眠気はまだ残っている。だが、こんな時間に眠っては夜眠れなくなってしまうのではないか。そもそも不注意で寝てしまったことは咎められるべきなのではないか。様々な懸念が頭をよぎり、音も無く積み重なっていく。細くなった喉がきゅうと音をたてた。
やはり良くない。急いで身を起こそうとするも、まぁまぁ、という声と共に、そっと肩を押さえられる。たったそれだけで己が身は再びソファに沈んでしまった。その程度で抑えられてしまうほど動きが鈍っているという事実に、少年は顔をしかめる。身体は確かに睡眠を求めているのだろう。けれども、やはり兄一人に作業を押しつけ眠ってしまうことに罪悪感を抱いてしまうのだ。
不安げに視線を泳がせる弟の様子に、雷刀はその目の前にしゃがみこむ。手を伸ばし、横たわった碧い頭をそっと撫でた。だいじょーぶだいじょーぶ、と根拠の無い言葉を口にする。優しいリズムで繰り返されるそれは、子守歌のようだった。
「昼寝は一時間までならセーフって前にテレビで言ってた。だから、大丈夫」
ちゃんと起こすから安心して寝ときな、と歌うように紡いで、朱は頭に添えた手をそっと動かす。節の目立ち始めた手が浅海色の髪を泳ぐように梳く。子どもを寝かしつける手つきだ。憂慮に揺れる孔雀石を見つめる紅瑪瑙は、愛おしそうに細められていた。
甘やかな言葉と慈愛に満ちた視線に、烈風刀は悔しげに目を眇める。こういう時に限って存分に甘やかしてくるのだから、この男は質が悪い。そして、何だかんだ言って甘えてしまう自分も、どうしようもないのだ。
優しく撫で梳く手つきに、与えられる温もりに、身を薄く包んでいた眠気が気配を濃くする。目の前が暗くなっていく。瞼が下がってきているのだ、と認識するより先に、視界は細く狭くなっていった。
睡魔に奪われつつある五感が、おやすみ、と呟くような声を捉えた気がした。
聞こえ始めたかすかな寝息に、雷刀は小さく息を吐く。愛おしい碧をじぃと見つめていた瞳が一度伏せられた。
夕飯を作るためキッチンに向かう最中、ソファで寝こけている姿は確認していた。珍しい、夕飯前まで寝かせておくか、とそのままにしておいたのだが、まさか寝ぼけて突然キッチンに飛び込んでくるなどとは思ってもみなかった。寝起きは良い方である彼があんな姿を見せるだなんて。珍しいことは重なるものである。
サラサラとした海色の髪を梳き撫でる。眠りに落ちる直前の彼の表情は、不安げなものだった。おそらく、また眠ってしまうことや、作業を手伝わないことに引け目を感じていたのだろう。眠いならば少しぐらい寝ていてもいいというのに、彼は自堕落だと必要以上に己を責めてしまうのだ。いつまで経っても治らない悪癖である。
さて、と、少年は壁に掛けられた時計に目をやる。アナログの針は、もう少しで夕食時になると告げていた。一眠りするには些か短い時間だろう。
一品増やすか。可愛らしい寝顔を眺めながら、少年は考える。冷蔵庫に使ってもいい野菜はあっただろうか。どんな副菜なら自然だろうか。調理時間はどれほど増えるだろうか。様々な事項を脳内で検索していく。
まぁ、急ぐことではない――急いでやっては意味の無いことだ。雷刀は音を立てぬように立ち上がる。ここで無駄に考え込んで起こす可能性を生んでしまうより、現場を見てゆっくり考える方が良いに決まっている。
今一度眠っている愛しい人を眺める。水底色の瞳は白い瞼の奥に消え、横たわった身体は呼吸することを確かに表すように小さく上下していた。眠りに落ちる前の不安の色はそこにはもう無い。きっと、穏やかな夢の中にいるだろう。
おやすみ。
音にせず唇で形作り、少年はキッチンへと足を向けた。
畳む
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