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No.98
その正体はきっと【ライ→レフ】
その正体はきっと【ライ→レフ】
恋心が自覚できないオニイチャンが恋心に振り回される話。書きたいところだけ書いたのでオチはない。
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「なぁ、烈風刀。告白されたってマジ?」
口に含んでいた食物を喉に押し込み、雷刀は今日一日抱えていた疑問をぶつける。箸を止め、目の前に座る弟をじぃと見つめた。
突然投げかけられた言葉に驚いたのか、米を口に運ぶ烈風刀の手が一瞬止まる。箸に乗せたものを口に放り込み、咀嚼し、飲み込んだところで、少年は熱烈な視線に真っ向から対峙する。エメラルドグリーンの瞳は、じとりと眇められていた。
「…………何故、貴方が知っているのですか」
彼にしては珍しく、問いに問いで返してくる。この話題が出た――否、この話が兄に知られてしまったことが心底嫌だということがありありと分かる声色だった。
明確な答えは返ってこなかったものの、その問いが実質の答えである。自ら口にしたことが事実であることへの驚きに、ほへぇ、と空気が漏れ出るような音が口から吐き出される。一拍置いて、ルビーレッドの瞳がキラキラと輝き出した。
「えっ、マジ? マジなの!? すげー!」
「あぁもう、食事中ですよ! 静かになさい!」
今にも身を乗り出さんとする雷刀を、烈風刀は鋭い声と視線で押し込める。はぁい、と気の抜けた声が食卓に落ちた。
静寂の中、二人は黙々と食事を続ける。しかし、朱の目はテーブルに並ぶ料理でなく、目の前に座る少年へと幾度も向けられる。話が聞きたくてたまらないということが嫌でも分かる。静かにしろと言われて口を噤んだのは良いが、こうも視線がうるさければ意味が無い。
「……告白されたのは事実です。もう、何日も前の話になりますが」
チラチラと伺ってくる様子に嫌気が差したのだろう。箸を置き、烈風刀は溜め息と共に言葉を紡ぐ。どこか投げやりなものだった。今すぐにでもこの話題を終わらせたい彼にとってはそうなってしまうのも仕方のないことだろう。
箸を持ったまま、兄はキラキラと輝く瞳で弟を見つめる。そこには羨望と、少しの嫉妬があった。
弟が告白されたと聞いたのは、今日の昼休みだった。移動教室の準備をしている際、すぐ後ろにたむろしていたクラスの男子グループが話していたのが聞こえたのだ。『三組の女子が烈風刀に告白したらしい』と。
噂話は、雷刀にとって何よりの衝撃だった。たしかに烈風刀は主席であるほど頭が良くて、基本的には落ち着いて大人びていて、それでいてどこか抜けた可愛らしい面もあり、いつだって何事にも全力で、自己研鑽を怠らない男だ。家族であることによる贔屓目を抜いても、女子から羨望や尊敬の念、恋愛感情を抱かれる要素は沢山あると思えた。
それでも、女子から告白を受けるだなんて、身内がそんな青春の一大イベントを体験しているだなんて思ってもみなかった。『恋愛』という思春期真っ只中の少年にとって一段と興味がある事象に、身近な人間が遭遇したのだ。話を聞きたくて仕方がない。
「どうだった!?」
「どうもなにもありませんよ」
「ドキドキしたーとか、女の子可愛かったーとか、そーゆーのねーの?」
「ありません」
追い縋るように問いを重ねるが、返ってくるのは否定のみである。あまりにも素っ気ない素振りに、朱は不満げに頬を膨らます。碧は何食わぬ顔で食事を続けるだけだ。
「もちろん断りましたけど」
無慈悲な注釈をつけ、烈風刀は再び米を口に運ぶ。そこにはこれ以上語る気などないという、強い意志が見て取れた。
「えー、もったいねー」
「レイシス以外を選ぶはずなどないでしょう」
「そりゃそうか」
当たり前の事実に、少年は納得の声と共に首を縦に振る。自分たちが焦がれるほど恋しているのはレイシスただ一人で、それ以外の女子は恋愛対象にすらならない。それは分かっているが、やはり告白だなんてイベントに遭遇すれば、たとえあの烈風刀であろうと何らかの感情が動くのではないかと思ったのだが。己がまだ体験していないことについての興味は当分尽きそうにない。
「もういいでしょう。さっさと食べてしまいますよ」
硬い声で言い、烈風刀は黙々と箸を動かす。彼の前に置かれた食器は、全て空に近い。反して、雷刀のそれはまだ四分の一は残っている状態だ。さっさと食べてしまわなければ、後片付けや風呂の時間を無駄に圧迫してしまう。急いで箸を動かし、まだ温かい夕食を胃袋へと収めていった。
しかし。
ふと過ったものに、雷刀は箸を咥えたまま動きを止める。真紅の瞳は、綺麗にさらわれつつある皿をぼんやりと見つめていた。
烈風刀が告白された、と聞いてまず浮かんだのは、驚愕だった。身内にそんなイベントが発生する日が来るだなんて思ってもみていなかったのだから、仕方がないだろう。
次に浮かんだのは、軽い嫉妬だった。レイシスという恋い焦がれる少女はいるものの、自分だって『告白』というイベントを体験してみたい。顔がそっくりだとよく言われるのに、他人から見れば同じ見目をした弟だけ先に体験するのは何だかずるく思えた。
そして、今になって浮かんできたのは、焦燥だった。
何故かは分からない。何に対するものかは分からない。けれども、漠然とした焦りが少年の胸をじわじわと蝕んでいっていた。
なんだこれ、と内心首を捻りながら、少年は食事を続ける。ごちそうさまでした、と対面から聞こえてきた声に、更に箸を運ぶスピードを上げた。
薄くゆらめく焦燥のもやは、料理と共に胃袋へと押し込んだ。
手にしていた小型携帯端末を放り出し、雷刀は寝返りを打つ。ぽふん、と腕と端末がマットレスに沈む音が静かな部屋に響いた。
告白云々の話をして一週間。少年の頭には、未だ焦燥が薄く膜張り思考を覆っていた。
烈風刀を見る度、『告白された』という話を思い出す。事実を思い返す度、何かが胸をひっかき小さな爪痕を残すのだ。痛みはない。けれど、たしかに何かが胸を少しだけ掻き乱すのだ。
それがあの日抱いた焦燥だと気づいたのがつい最近。何故傷を残すのかは、分からずじまいだ。
何で、と数え切れないほど繰り返した問いを今一度口の中で呟く。答える者など、自分を含め誰もいない。
何故烈風刀が告白されたことに焦燥を覚えるのか。先を越されたからか。自分にはまだ春が来ないからか。いくつか思いつく文言は、どれもしっくりこない。かといって、他に解は導き出せない。結局原因解明には至らないままだ。
うーん、と低く唸り、仰向けになる。頭の後ろで腕を組み、枕代わりにする。いきなり動かした肩が少しだけ痛んだ。
――烈風刀が誰かと付き合うのが嫌だから?
いきなり思い浮かんだ解に、少年は目を大きく見開く。は、と疑問符たっぷりの声が思わず口から漏れ出た。
本人が言った通り、烈風刀がレイシス以外の女子と付き合うなど、選択肢として存在しない。だから、まずありえないことだ。何故そのありえない事象に焦りを覚えるのか、全く分からない。
そもそも、弟が誰かと付き合うことを嫌がるなどどういうことだ。相手が自分の想い人であるレイシスなら話は別だが、それ以外の女子ならまず祝福すべきことである。嫉妬の一つや二つはするかもしれないが、焦りを生むことはないはずだ。
だけど、何で。
分からない、分からない。ゴロンと寝返りを打ち、うつ伏せになる。そのまま枕に顔を埋め、うーと唸り声をあげた。
「……嫌、なのかなぁ」
くぐもった声が枕と顔の隙間から漏れ出る。音にした瞬間、脳はそれが正答解であるかのように主張を始めた。んな馬鹿な、と理性は言う。それから外れた何かが、そうなんだよ、と力強く言い切った。受け入れがたい状況に、少年は枕に頭を擦り付けた。
烈風刀に彼女ができる。烈風刀の隣を、誰か知らない女の子が歩く。烈風刀が、誰か知らない女の子に笑いかける。烈風刀が、誰か知らない女の子と――
あり得るかもしれない未来の姿を想像した瞬間、胸に鋭い痛みが走った。心臓が杭でも打ち込まれたかのように強く痛む。血液が沸騰しているかのように、脈がおかしな調子で揺らめく。反して、身体は真冬の寒空の下に放り出されたかのように冷えていく。カッと見開かれた目は、暗く濁った色に染まっていた。
そんなの嫌だ。烈風刀の隣に、知らない誰かがいるのが嫌だ。レイシスでも自分でもない誰かがいるのが嫌だ。誰か知らない人に笑いかけるなんて、そんなの絶対に嫌だ。
一度思い浮かべてしまった光景を、脳が必死に拒否する。子どものわがままよりずっと酷い、自分勝手にも程がある主張だ。いつかあるかもしれない弟の幸せを否定するだなんて、何と酷い兄なのだろう。けれども、焦燥と絶望に駆られた頭は、嫌だ嫌だと駄々をこねた。
何故このように思ってしまうかが全く分からない。何故、こんなことでこんなにも頭が、心が掻き乱されるのか、皆目見当が付かない。何故、何故。何度も問いを繰り返すが、答えは一つも思い浮かばなかった。
見開いた目をそっと閉じ、瞼の裏に愛しい家族を思い描く。うつくしい翠玉の瞳は、己の目をしっかりと見据えていた。
夏が過ぎ去ったばかりの朝は、まだ生ぬるい空気で満ちている。シャツの胸元をパタパタと扇ぎ、汗ばむ肌へ少しでも空気を送る。焼け石に水だが、無いよりはマシだ。あちぃ、と呟く声は雲一つない蒼天へと昇って消える。暑いですね、と覇気のない声が隣から飛んできた。
降り注ぐ太陽の熱に抗いながら、兄弟二人は普段より時間をかけて登校する。少し遅い時間だからか、下駄箱には人はもうほとんどいなかった。
今日の一限何だっけ。古文ですよ。辞書ロッカーにあったかな。そんな他愛もない会話を繰り広げながら、雷刀はスニーカーから内履きへと履き替える。靴紐を結び終え立ち上がると、そこには立ち尽くしたままの烈風刀がいた。
いつもならばさっさと履き替えてしまうのに、一体どうしたのだろうか。下駄箱を開いたまま固まった少年の手元を覗く。ドアで隠されていた左手には、なにか四角い紙のようなものがあった。折りたたまれ方や装飾から見るに、封筒だろうか。
「何それ?」
兄の声に、弟の肩がビクリと跳ねる。手にしたものを下駄箱に押し込むと、急いでその扉を閉じる。ガタン、と金属のロッカーが耳障りな音をたてた。
一体どうしたのだろう、と朱は小さく首を捻る。下駄箱。封筒。そして弟の不可解な反応。いくつもの要素が線で繋がり、一つの解を導き出す。
「えっ!? ラブレター!?」
「静かに!」
反射的に叫ぶと、鋭い声が被される。浅海色の瞳は強く眇められ、射抜かんばかりの鋭さでこちらを睨めつけていた。あまりの気迫に一歩引くも、次第に好奇心がむくむくと湧き上がってくる。一歩、二歩とじりじり歩み寄り、学籍番号が書かれた鉄扉へと手を伸ばす。少し大きな手は金属の冷たさを感じることなく、パシンと乾いた音とともに痛みを訴えた。
「見せませんよ」
「えー」
「見せるわけがないでしょう」
他人に見られたくないからこんな手段を選んだのでしょうに、と続け、少年は扉を押さえたまま、兄を睨む。言葉通り、見せる気は毛頭ないようだ。けち、と吐き出しかけた言葉を喉の奥に急いで押し込む。こんなことを言っては余計に警戒させ怒らせるだけだということぐらい、さすがの雷刀にも分かる。
「それに、そういうものと決まったわけではありません。中身を確認するまで分かりませんよ」
いや絶対ラブレターだろ、という台詞は飲み込んだ。それが事実であったとしても、指摘したところで相手は否定を繰り返すだけだろう。こんなところで無駄に問答を繰り広げても意味の無いことだ。
兄を睨めつけたまま、碧は警戒心を顕にした様子でロッカーを開け、閉じ込めていた封筒を素早く鞄にしまい込む。そうしてようやく靴を履き替え始めた弟を横目に、壁に掛けられた大きな時計を見やる。大きな針は、予鈴までもう時間が少ないことを示していた。思ったより時間を食っていたらしい。
早く行きますよ、と少し焦りの含んだ声とともに、肩をぽんと叩かれる。あぁ、と振り向いて、兄弟二人は教室へと足早に歩みを進めた。
ラブレター。
その語が表すもの――それを示すものに込められた想いを考えて、胸がさざめく。理解できぬ感情が心を揺らし、爪を立て、傷をつける。
何でだ、と少年は密かに首を傾げる。ただが弟がラブレターをもらっただけで、何故こんなにも感情が揺らめくのだろう。他人事だというのに、何故こんなにも心がざわめくのだろう。早くも暑さで茹だりつつある頭では、当分理解できそうにない。
何かを訴える心を胸の奥深くへと無理矢理追いやり、雷刀は廊下を駆ける。すぐ横から、廊下を走ってはいけません、と耳慣れた声が飛んできた。
鐘の音を模した電子音が教室棟に響き渡る。担任教師によるホームルームを終え、一日の授業行程は全て終了した。席を立つ者。足早に教室を出る者。その場で友人と歓談する者。放課後に向け、生徒たちは思い思いに行動する。静寂に包まれた授業中から一転、教室は賑やかさを取り戻していた。
愛用のペンケースとノートを鞄に放り込み、雷刀は席を立つ。向かうはレイシスの席だ。同じクラスであるレイシスと烈風刀と合流し、そのまま日々の運営業務へと向かう。いつからかは定かではないが、これが彼らの日常となっていた。
一列挟んで向こう側にいる彼女の席にはすぐに着く。お疲れ、と手を振ると、お疲れ様デス、と愛らしい声と可憐な笑みが返ってきた。
普段なら先にいるはずの烈風刀の姿はない。まだだろうか、と彼の席へと目をやろうとすると、レイシス、と耳慣れた声が愛しい少女の名を呼ぶのが後ろから聞こえた。二人で振り向くと、鞄を肩に掛けた碧の姿があった。
「すみません、少し用事ができてしまいました。二人で先に行っていてください」
常通りの澄んだ声で彼は告げる。一時的とはいえ、仕事を抜けてしまうのが申し訳ないのだろう。その眉はほんのりと八の字に下がっていた。
「そうデスカ」
少年の言葉に、少女はぱちりと瞬き一つして応える。主席である烈風刀は委員会の仕事や教師からの依頼が度々舞い込んでくる。今日もその類なのだろうと判断したのか、レイシスは鞄を手にさっと立ち上がった。
「じゃあ、先に行ってマスネ」
烈風刀も頑張ってくだサイ、と両手を腕の前で握って、少女は笑みを浮かべる。可愛らしい応援は、彼女を愛する双子にはてきめんだ。
しかし、烈風刀は変わらず申し訳無さそうな顔をするばかりだ。普段ならば、少し高揚した様子ではい、とはっきり応えるというのに、今日は曖昧に微笑むだけである。その眉は八の字を描いたままだ。むしろ、更に下がったようにも見える。
放課後。用事。そして、今朝の封筒。
雷刀は内心頷く。やはり今朝のものはラブレターで、弟はその送り主に呼び出されたのだ。おそらく、その口で愛の言葉を紡ぎ、聞いてもらうために。
どくり、と心臓が大きく跳ねる。一度大きく動いた心臓はそのまま強く動き、鼓動を早める。どくどくと力強く脈打つ音が身体の内側から聞こえた。
ラブレター。呼び出し。告白。
烈風刀が、知らない女の子にラブレターをもらった。
烈風刀が、知らない女の子に会いに行く。
烈風刀が、知らない女の子と話す。
烈風刀が、知らない女の子と――
頭の中に警鐘が鳴り響く。脳はけたたましいそれを理解できず、ただ固まるだけだ。もともと回転率の良くない頭が、いつも以上に回らない。視界が平坦になり、色が淡く消えゆく。混乱に陥った身体は、末端からどんどんと冷えていった。
いつぞやの焦燥がまた顔を出す。原因不明のそれは、固まった思考を動かそうとするように心を煽る。早くしろ、手遅れになるぞ、と。何を早くすればいいのか、何が手遅れになるかは、全く分からない。けれど、そんなことはお構いなしに焦りはどんどん胸の内から溢れ出てくる。
では失礼します、と小さく会釈し、碧はその引き締まった足を教室のドアへと向ける。そのまま、一歩歩きだそうとした。
パシッ、と乾いた音が生徒の声に溢れた教室に落ちる。妙に大きく聞こえたそれは、誰も見向きもせずに喧騒の中に溶けて消えた。
気が付けば、烈風刀の腕を掴んでいた。それも、音が鳴るほど強く。
目の前の翡翠と、隣の紅水晶が丸く見開かれる。突然の行動に驚いたのだろう、二人の口は瞳と同じようにぽかんと丸く開かれていた。
「……何ですか?」
いきなり腕を捕まれ、烈風刀は怪訝な様子で兄を見る。会話が終わり教室を出ようとしたところを、文字通りいきなり引き止められたのだ。訝しがるのも当然だろう。先程まで垂れていた眉は、ぎゅっと寄せられていた。
「え、あ……、いや…………」
「痛いです。離してください」
動揺し口ごもる朱に、碧は冷たい声を浴びせる。実際、掴まれた腕は白くなっている。同年代よりもずっと力のある少年にがっちりと鷲掴まれているのだ。痛みを覚えるのも必然である。
あぁごめん、と少年は急いで手を離す。日に焼けていない白い腕には、指の跡がうっすら浮かんでいた。痛々しさと異常性を覚えるものだ。
浮かぶ手跡を見て、浅葱の瞳が厳しげに細められる。夏服で剥き出しになった腕に浮かぶそれは、いささか目立つ。不可解な行動を含め、良い気分はしないだろう。すっと、鋭い視線が雷刀に浴びせられる。当然の反応に、少年は気まずげに身を縮こませることしかできなかった。
「何なのですか、いきなり」
「あ、いや……。え、えっと……」
怒気の滲む言葉に、朱は曖昧な言葉を返す――曖昧な言葉しか返せなかった。なにせ、無意識の行動だったのだ。なぜこのようなことをしたのか、何が自分を突き動かしたのか、欠片も分からない。答えようがなかった。
「……行きますね。では、また後で」
再び会釈をし、烈風刀は今度こそドアへと足を向ける。そのまま机の間を縫って歩き、教室から出ていった。
その白い背を、雷刀はずっと見つめていた。弟が去ってもなお、その紅玉はドアの方へと向けられていた。細められた紅緋は、眩しそうにも、痛みを堪えているようにも見えた。
「雷刀?」
どうしたんデスカ、とレイシスは不安げに尋ねる。先程の行動といい、今の立ち尽くしている状態といい、今日の彼は少女の目に不可解に映った。心優しい彼女が心配に思うのも仕方のないことだろう。
少女の声に、少年はビクリと肩を震わせる。素早く振り返り、桃と相対する。眇められていた紅瑪瑙は、今は驚きで丸く見開かれていた。
「えっ? い、いや、何でもない。だいじょーぶ」
わたわたと腕を動かし、雷刀は何でもない、と繰り返す。その様子は、何でもないようには到底思えない。少女の眉が不安そうにふにゃりと下がった。
「本当に大丈夫デスカ?」
「うん、大丈夫。早く行こーぜ」
心配そうに見つめるレイシスに、彼はニコリと笑って今一度大丈夫と返す。このまま会話を続けても、優しい彼女は己のことを気遣い心を痛めるだけだろう。ならば、行動で示すしかない。少年は鞄を担ぎ直し、ドアを指差した。
そうデスネ、と桃はどこか腑に落ちない声で返す。やはり、先程の一連の行動が気にかかるのだろう。元気な姿を見せなければ、と心の中で奮起する。そこにも、未だ何か暗いものがへばりついていた。
行こ行こ、と少年はステップを踏むように机と人を掻き分けて扉へと向かう。一拍遅れて、ハイ、と言う声とともに、少女もその背を追った。
ホームルームが終わったばかりでまだ人の多い廊下を、雷刀とレイシスは連れ立って歩く。今日の仕事何あったっけ。えっとデスネ。他愛のない会話を繰り広げながら、二人は運営業務へと向かっていく。
少女との会話を繰り広げながらも、少年の頭には未だ警鐘が鳴り響いていた。動悸は少しだけ収まったが、まだ耳のすぐそばで脈が打つ音が聞こえる。口の中がカラカラに乾く。なんとなく呼吸が下手になった気がする。常通りに振る舞おうと努力するが、身体の内部は未だ異常を示していた。
全ては、この頭を支配する焦燥のせいだった。再び顔を出したこいつが、何かを訴える。何かは分からない。とんと理解ができない。けれども、そいつはずっと居座り、何かを訴え続けるのだ。思考を、心を掻き乱すのだ。
何なんだよこれ、と一人胸の内で毒づく。理不尽な仕打ちに抗うようぎゅっと瞑る。瞼の裏には、腕を捕まれ目を見開く弟の姿がはっきり焼き付いていた。
畳む
#ライレフ
#腐向け
#ライレフ
#腐向け
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SDVX
2024/1/31(Wed) 00:00
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その正体はきっと【ライ→レフ】
その正体はきっと【ライ→レフ】恋心が自覚できないオニイチャンが恋心に振り回される話。書きたいところだけ書いたのでオチはない。
「なぁ、烈風刀。告白されたってマジ?」
口に含んでいた食物を喉に押し込み、雷刀は今日一日抱えていた疑問をぶつける。箸を止め、目の前に座る弟をじぃと見つめた。
突然投げかけられた言葉に驚いたのか、米を口に運ぶ烈風刀の手が一瞬止まる。箸に乗せたものを口に放り込み、咀嚼し、飲み込んだところで、少年は熱烈な視線に真っ向から対峙する。エメラルドグリーンの瞳は、じとりと眇められていた。
「…………何故、貴方が知っているのですか」
彼にしては珍しく、問いに問いで返してくる。この話題が出た――否、この話が兄に知られてしまったことが心底嫌だということがありありと分かる声色だった。
明確な答えは返ってこなかったものの、その問いが実質の答えである。自ら口にしたことが事実であることへの驚きに、ほへぇ、と空気が漏れ出るような音が口から吐き出される。一拍置いて、ルビーレッドの瞳がキラキラと輝き出した。
「えっ、マジ? マジなの!? すげー!」
「あぁもう、食事中ですよ! 静かになさい!」
今にも身を乗り出さんとする雷刀を、烈風刀は鋭い声と視線で押し込める。はぁい、と気の抜けた声が食卓に落ちた。
静寂の中、二人は黙々と食事を続ける。しかし、朱の目はテーブルに並ぶ料理でなく、目の前に座る少年へと幾度も向けられる。話が聞きたくてたまらないということが嫌でも分かる。静かにしろと言われて口を噤んだのは良いが、こうも視線がうるさければ意味が無い。
「……告白されたのは事実です。もう、何日も前の話になりますが」
チラチラと伺ってくる様子に嫌気が差したのだろう。箸を置き、烈風刀は溜め息と共に言葉を紡ぐ。どこか投げやりなものだった。今すぐにでもこの話題を終わらせたい彼にとってはそうなってしまうのも仕方のないことだろう。
箸を持ったまま、兄はキラキラと輝く瞳で弟を見つめる。そこには羨望と、少しの嫉妬があった。
弟が告白されたと聞いたのは、今日の昼休みだった。移動教室の準備をしている際、すぐ後ろにたむろしていたクラスの男子グループが話していたのが聞こえたのだ。『三組の女子が烈風刀に告白したらしい』と。
噂話は、雷刀にとって何よりの衝撃だった。たしかに烈風刀は主席であるほど頭が良くて、基本的には落ち着いて大人びていて、それでいてどこか抜けた可愛らしい面もあり、いつだって何事にも全力で、自己研鑽を怠らない男だ。家族であることによる贔屓目を抜いても、女子から羨望や尊敬の念、恋愛感情を抱かれる要素は沢山あると思えた。
それでも、女子から告白を受けるだなんて、身内がそんな青春の一大イベントを体験しているだなんて思ってもみなかった。『恋愛』という思春期真っ只中の少年にとって一段と興味がある事象に、身近な人間が遭遇したのだ。話を聞きたくて仕方がない。
「どうだった!?」
「どうもなにもありませんよ」
「ドキドキしたーとか、女の子可愛かったーとか、そーゆーのねーの?」
「ありません」
追い縋るように問いを重ねるが、返ってくるのは否定のみである。あまりにも素っ気ない素振りに、朱は不満げに頬を膨らます。碧は何食わぬ顔で食事を続けるだけだ。
「もちろん断りましたけど」
無慈悲な注釈をつけ、烈風刀は再び米を口に運ぶ。そこにはこれ以上語る気などないという、強い意志が見て取れた。
「えー、もったいねー」
「レイシス以外を選ぶはずなどないでしょう」
「そりゃそうか」
当たり前の事実に、少年は納得の声と共に首を縦に振る。自分たちが焦がれるほど恋しているのはレイシスただ一人で、それ以外の女子は恋愛対象にすらならない。それは分かっているが、やはり告白だなんてイベントに遭遇すれば、たとえあの烈風刀であろうと何らかの感情が動くのではないかと思ったのだが。己がまだ体験していないことについての興味は当分尽きそうにない。
「もういいでしょう。さっさと食べてしまいますよ」
硬い声で言い、烈風刀は黙々と箸を動かす。彼の前に置かれた食器は、全て空に近い。反して、雷刀のそれはまだ四分の一は残っている状態だ。さっさと食べてしまわなければ、後片付けや風呂の時間を無駄に圧迫してしまう。急いで箸を動かし、まだ温かい夕食を胃袋へと収めていった。
しかし。
ふと過ったものに、雷刀は箸を咥えたまま動きを止める。真紅の瞳は、綺麗にさらわれつつある皿をぼんやりと見つめていた。
烈風刀が告白された、と聞いてまず浮かんだのは、驚愕だった。身内にそんなイベントが発生する日が来るだなんて思ってもみていなかったのだから、仕方がないだろう。
次に浮かんだのは、軽い嫉妬だった。レイシスという恋い焦がれる少女はいるものの、自分だって『告白』というイベントを体験してみたい。顔がそっくりだとよく言われるのに、他人から見れば同じ見目をした弟だけ先に体験するのは何だかずるく思えた。
そして、今になって浮かんできたのは、焦燥だった。
何故かは分からない。何に対するものかは分からない。けれども、漠然とした焦りが少年の胸をじわじわと蝕んでいっていた。
なんだこれ、と内心首を捻りながら、少年は食事を続ける。ごちそうさまでした、と対面から聞こえてきた声に、更に箸を運ぶスピードを上げた。
薄くゆらめく焦燥のもやは、料理と共に胃袋へと押し込んだ。
手にしていた小型携帯端末を放り出し、雷刀は寝返りを打つ。ぽふん、と腕と端末がマットレスに沈む音が静かな部屋に響いた。
告白云々の話をして一週間。少年の頭には、未だ焦燥が薄く膜張り思考を覆っていた。
烈風刀を見る度、『告白された』という話を思い出す。事実を思い返す度、何かが胸をひっかき小さな爪痕を残すのだ。痛みはない。けれど、たしかに何かが胸を少しだけ掻き乱すのだ。
それがあの日抱いた焦燥だと気づいたのがつい最近。何故傷を残すのかは、分からずじまいだ。
何で、と数え切れないほど繰り返した問いを今一度口の中で呟く。答える者など、自分を含め誰もいない。
何故烈風刀が告白されたことに焦燥を覚えるのか。先を越されたからか。自分にはまだ春が来ないからか。いくつか思いつく文言は、どれもしっくりこない。かといって、他に解は導き出せない。結局原因解明には至らないままだ。
うーん、と低く唸り、仰向けになる。頭の後ろで腕を組み、枕代わりにする。いきなり動かした肩が少しだけ痛んだ。
――烈風刀が誰かと付き合うのが嫌だから?
いきなり思い浮かんだ解に、少年は目を大きく見開く。は、と疑問符たっぷりの声が思わず口から漏れ出た。
本人が言った通り、烈風刀がレイシス以外の女子と付き合うなど、選択肢として存在しない。だから、まずありえないことだ。何故そのありえない事象に焦りを覚えるのか、全く分からない。
そもそも、弟が誰かと付き合うことを嫌がるなどどういうことだ。相手が自分の想い人であるレイシスなら話は別だが、それ以外の女子ならまず祝福すべきことである。嫉妬の一つや二つはするかもしれないが、焦りを生むことはないはずだ。
だけど、何で。
分からない、分からない。ゴロンと寝返りを打ち、うつ伏せになる。そのまま枕に顔を埋め、うーと唸り声をあげた。
「……嫌、なのかなぁ」
くぐもった声が枕と顔の隙間から漏れ出る。音にした瞬間、脳はそれが正答解であるかのように主張を始めた。んな馬鹿な、と理性は言う。それから外れた何かが、そうなんだよ、と力強く言い切った。受け入れがたい状況に、少年は枕に頭を擦り付けた。
烈風刀に彼女ができる。烈風刀の隣を、誰か知らない女の子が歩く。烈風刀が、誰か知らない女の子に笑いかける。烈風刀が、誰か知らない女の子と――
あり得るかもしれない未来の姿を想像した瞬間、胸に鋭い痛みが走った。心臓が杭でも打ち込まれたかのように強く痛む。血液が沸騰しているかのように、脈がおかしな調子で揺らめく。反して、身体は真冬の寒空の下に放り出されたかのように冷えていく。カッと見開かれた目は、暗く濁った色に染まっていた。
そんなの嫌だ。烈風刀の隣に、知らない誰かがいるのが嫌だ。レイシスでも自分でもない誰かがいるのが嫌だ。誰か知らない人に笑いかけるなんて、そんなの絶対に嫌だ。
一度思い浮かべてしまった光景を、脳が必死に拒否する。子どものわがままよりずっと酷い、自分勝手にも程がある主張だ。いつかあるかもしれない弟の幸せを否定するだなんて、何と酷い兄なのだろう。けれども、焦燥と絶望に駆られた頭は、嫌だ嫌だと駄々をこねた。
何故このように思ってしまうかが全く分からない。何故、こんなことでこんなにも頭が、心が掻き乱されるのか、皆目見当が付かない。何故、何故。何度も問いを繰り返すが、答えは一つも思い浮かばなかった。
見開いた目をそっと閉じ、瞼の裏に愛しい家族を思い描く。うつくしい翠玉の瞳は、己の目をしっかりと見据えていた。
夏が過ぎ去ったばかりの朝は、まだ生ぬるい空気で満ちている。シャツの胸元をパタパタと扇ぎ、汗ばむ肌へ少しでも空気を送る。焼け石に水だが、無いよりはマシだ。あちぃ、と呟く声は雲一つない蒼天へと昇って消える。暑いですね、と覇気のない声が隣から飛んできた。
降り注ぐ太陽の熱に抗いながら、兄弟二人は普段より時間をかけて登校する。少し遅い時間だからか、下駄箱には人はもうほとんどいなかった。
今日の一限何だっけ。古文ですよ。辞書ロッカーにあったかな。そんな他愛もない会話を繰り広げながら、雷刀はスニーカーから内履きへと履き替える。靴紐を結び終え立ち上がると、そこには立ち尽くしたままの烈風刀がいた。
いつもならばさっさと履き替えてしまうのに、一体どうしたのだろうか。下駄箱を開いたまま固まった少年の手元を覗く。ドアで隠されていた左手には、なにか四角い紙のようなものがあった。折りたたまれ方や装飾から見るに、封筒だろうか。
「何それ?」
兄の声に、弟の肩がビクリと跳ねる。手にしたものを下駄箱に押し込むと、急いでその扉を閉じる。ガタン、と金属のロッカーが耳障りな音をたてた。
一体どうしたのだろう、と朱は小さく首を捻る。下駄箱。封筒。そして弟の不可解な反応。いくつもの要素が線で繋がり、一つの解を導き出す。
「えっ!? ラブレター!?」
「静かに!」
反射的に叫ぶと、鋭い声が被される。浅海色の瞳は強く眇められ、射抜かんばかりの鋭さでこちらを睨めつけていた。あまりの気迫に一歩引くも、次第に好奇心がむくむくと湧き上がってくる。一歩、二歩とじりじり歩み寄り、学籍番号が書かれた鉄扉へと手を伸ばす。少し大きな手は金属の冷たさを感じることなく、パシンと乾いた音とともに痛みを訴えた。
「見せませんよ」
「えー」
「見せるわけがないでしょう」
他人に見られたくないからこんな手段を選んだのでしょうに、と続け、少年は扉を押さえたまま、兄を睨む。言葉通り、見せる気は毛頭ないようだ。けち、と吐き出しかけた言葉を喉の奥に急いで押し込む。こんなことを言っては余計に警戒させ怒らせるだけだということぐらい、さすがの雷刀にも分かる。
「それに、そういうものと決まったわけではありません。中身を確認するまで分かりませんよ」
いや絶対ラブレターだろ、という台詞は飲み込んだ。それが事実であったとしても、指摘したところで相手は否定を繰り返すだけだろう。こんなところで無駄に問答を繰り広げても意味の無いことだ。
兄を睨めつけたまま、碧は警戒心を顕にした様子でロッカーを開け、閉じ込めていた封筒を素早く鞄にしまい込む。そうしてようやく靴を履き替え始めた弟を横目に、壁に掛けられた大きな時計を見やる。大きな針は、予鈴までもう時間が少ないことを示していた。思ったより時間を食っていたらしい。
早く行きますよ、と少し焦りの含んだ声とともに、肩をぽんと叩かれる。あぁ、と振り向いて、兄弟二人は教室へと足早に歩みを進めた。
ラブレター。
その語が表すもの――それを示すものに込められた想いを考えて、胸がさざめく。理解できぬ感情が心を揺らし、爪を立て、傷をつける。
何でだ、と少年は密かに首を傾げる。ただが弟がラブレターをもらっただけで、何故こんなにも感情が揺らめくのだろう。他人事だというのに、何故こんなにも心がざわめくのだろう。早くも暑さで茹だりつつある頭では、当分理解できそうにない。
何かを訴える心を胸の奥深くへと無理矢理追いやり、雷刀は廊下を駆ける。すぐ横から、廊下を走ってはいけません、と耳慣れた声が飛んできた。
鐘の音を模した電子音が教室棟に響き渡る。担任教師によるホームルームを終え、一日の授業行程は全て終了した。席を立つ者。足早に教室を出る者。その場で友人と歓談する者。放課後に向け、生徒たちは思い思いに行動する。静寂に包まれた授業中から一転、教室は賑やかさを取り戻していた。
愛用のペンケースとノートを鞄に放り込み、雷刀は席を立つ。向かうはレイシスの席だ。同じクラスであるレイシスと烈風刀と合流し、そのまま日々の運営業務へと向かう。いつからかは定かではないが、これが彼らの日常となっていた。
一列挟んで向こう側にいる彼女の席にはすぐに着く。お疲れ、と手を振ると、お疲れ様デス、と愛らしい声と可憐な笑みが返ってきた。
普段なら先にいるはずの烈風刀の姿はない。まだだろうか、と彼の席へと目をやろうとすると、レイシス、と耳慣れた声が愛しい少女の名を呼ぶのが後ろから聞こえた。二人で振り向くと、鞄を肩に掛けた碧の姿があった。
「すみません、少し用事ができてしまいました。二人で先に行っていてください」
常通りの澄んだ声で彼は告げる。一時的とはいえ、仕事を抜けてしまうのが申し訳ないのだろう。その眉はほんのりと八の字に下がっていた。
「そうデスカ」
少年の言葉に、少女はぱちりと瞬き一つして応える。主席である烈風刀は委員会の仕事や教師からの依頼が度々舞い込んでくる。今日もその類なのだろうと判断したのか、レイシスは鞄を手にさっと立ち上がった。
「じゃあ、先に行ってマスネ」
烈風刀も頑張ってくだサイ、と両手を腕の前で握って、少女は笑みを浮かべる。可愛らしい応援は、彼女を愛する双子にはてきめんだ。
しかし、烈風刀は変わらず申し訳無さそうな顔をするばかりだ。普段ならば、少し高揚した様子ではい、とはっきり応えるというのに、今日は曖昧に微笑むだけである。その眉は八の字を描いたままだ。むしろ、更に下がったようにも見える。
放課後。用事。そして、今朝の封筒。
雷刀は内心頷く。やはり今朝のものはラブレターで、弟はその送り主に呼び出されたのだ。おそらく、その口で愛の言葉を紡ぎ、聞いてもらうために。
どくり、と心臓が大きく跳ねる。一度大きく動いた心臓はそのまま強く動き、鼓動を早める。どくどくと力強く脈打つ音が身体の内側から聞こえた。
ラブレター。呼び出し。告白。
烈風刀が、知らない女の子にラブレターをもらった。
烈風刀が、知らない女の子に会いに行く。
烈風刀が、知らない女の子と話す。
烈風刀が、知らない女の子と――
頭の中に警鐘が鳴り響く。脳はけたたましいそれを理解できず、ただ固まるだけだ。もともと回転率の良くない頭が、いつも以上に回らない。視界が平坦になり、色が淡く消えゆく。混乱に陥った身体は、末端からどんどんと冷えていった。
いつぞやの焦燥がまた顔を出す。原因不明のそれは、固まった思考を動かそうとするように心を煽る。早くしろ、手遅れになるぞ、と。何を早くすればいいのか、何が手遅れになるかは、全く分からない。けれど、そんなことはお構いなしに焦りはどんどん胸の内から溢れ出てくる。
では失礼します、と小さく会釈し、碧はその引き締まった足を教室のドアへと向ける。そのまま、一歩歩きだそうとした。
パシッ、と乾いた音が生徒の声に溢れた教室に落ちる。妙に大きく聞こえたそれは、誰も見向きもせずに喧騒の中に溶けて消えた。
気が付けば、烈風刀の腕を掴んでいた。それも、音が鳴るほど強く。
目の前の翡翠と、隣の紅水晶が丸く見開かれる。突然の行動に驚いたのだろう、二人の口は瞳と同じようにぽかんと丸く開かれていた。
「……何ですか?」
いきなり腕を捕まれ、烈風刀は怪訝な様子で兄を見る。会話が終わり教室を出ようとしたところを、文字通りいきなり引き止められたのだ。訝しがるのも当然だろう。先程まで垂れていた眉は、ぎゅっと寄せられていた。
「え、あ……、いや…………」
「痛いです。離してください」
動揺し口ごもる朱に、碧は冷たい声を浴びせる。実際、掴まれた腕は白くなっている。同年代よりもずっと力のある少年にがっちりと鷲掴まれているのだ。痛みを覚えるのも必然である。
あぁごめん、と少年は急いで手を離す。日に焼けていない白い腕には、指の跡がうっすら浮かんでいた。痛々しさと異常性を覚えるものだ。
浮かぶ手跡を見て、浅葱の瞳が厳しげに細められる。夏服で剥き出しになった腕に浮かぶそれは、いささか目立つ。不可解な行動を含め、良い気分はしないだろう。すっと、鋭い視線が雷刀に浴びせられる。当然の反応に、少年は気まずげに身を縮こませることしかできなかった。
「何なのですか、いきなり」
「あ、いや……。え、えっと……」
怒気の滲む言葉に、朱は曖昧な言葉を返す――曖昧な言葉しか返せなかった。なにせ、無意識の行動だったのだ。なぜこのようなことをしたのか、何が自分を突き動かしたのか、欠片も分からない。答えようがなかった。
「……行きますね。では、また後で」
再び会釈をし、烈風刀は今度こそドアへと足を向ける。そのまま机の間を縫って歩き、教室から出ていった。
その白い背を、雷刀はずっと見つめていた。弟が去ってもなお、その紅玉はドアの方へと向けられていた。細められた紅緋は、眩しそうにも、痛みを堪えているようにも見えた。
「雷刀?」
どうしたんデスカ、とレイシスは不安げに尋ねる。先程の行動といい、今の立ち尽くしている状態といい、今日の彼は少女の目に不可解に映った。心優しい彼女が心配に思うのも仕方のないことだろう。
少女の声に、少年はビクリと肩を震わせる。素早く振り返り、桃と相対する。眇められていた紅瑪瑙は、今は驚きで丸く見開かれていた。
「えっ? い、いや、何でもない。だいじょーぶ」
わたわたと腕を動かし、雷刀は何でもない、と繰り返す。その様子は、何でもないようには到底思えない。少女の眉が不安そうにふにゃりと下がった。
「本当に大丈夫デスカ?」
「うん、大丈夫。早く行こーぜ」
心配そうに見つめるレイシスに、彼はニコリと笑って今一度大丈夫と返す。このまま会話を続けても、優しい彼女は己のことを気遣い心を痛めるだけだろう。ならば、行動で示すしかない。少年は鞄を担ぎ直し、ドアを指差した。
そうデスネ、と桃はどこか腑に落ちない声で返す。やはり、先程の一連の行動が気にかかるのだろう。元気な姿を見せなければ、と心の中で奮起する。そこにも、未だ何か暗いものがへばりついていた。
行こ行こ、と少年はステップを踏むように机と人を掻き分けて扉へと向かう。一拍遅れて、ハイ、と言う声とともに、少女もその背を追った。
ホームルームが終わったばかりでまだ人の多い廊下を、雷刀とレイシスは連れ立って歩く。今日の仕事何あったっけ。えっとデスネ。他愛のない会話を繰り広げながら、二人は運営業務へと向かっていく。
少女との会話を繰り広げながらも、少年の頭には未だ警鐘が鳴り響いていた。動悸は少しだけ収まったが、まだ耳のすぐそばで脈が打つ音が聞こえる。口の中がカラカラに乾く。なんとなく呼吸が下手になった気がする。常通りに振る舞おうと努力するが、身体の内部は未だ異常を示していた。
全ては、この頭を支配する焦燥のせいだった。再び顔を出したこいつが、何かを訴える。何かは分からない。とんと理解ができない。けれども、そいつはずっと居座り、何かを訴え続けるのだ。思考を、心を掻き乱すのだ。
何なんだよこれ、と一人胸の内で毒づく。理不尽な仕打ちに抗うようぎゅっと瞑る。瞼の裏には、腕を捕まれ目を見開く弟の姿がはっきり焼き付いていた。
畳む
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