No.132, No.131, No.130, No.129, No.128, No.127, No.126[7件]
幕間、躑躅と浅葱【レフ+グレ】
幕間、躑躅と浅葱【レフ+グレ】
アザレアの使命篇、MixxioN選択画面の台詞的にレイシスちゃん全員倒してここまで来たんだなーと考えた結果出来上がったこれの続き的なもの。捏造しかないよ。
烈風刀とグレイスの組み合わせ好きなんすよね(2回目)
フィールドに細かな光が瞬いては消えていく。輝きが生まれる度、金属と金属が擦れ合う音が蒼天へと昇った。光と音を伴う鮮やかな剣戟が繰り広げられる様に、ワァ、と数多の高揚した声が空間を満たした。
場内を一望できる特等席――出場者待機所上部に設けられた観覧席、その欄干に両腕を突けて乗せ、烈風刀は剣と鎖が交わり合う競技場を眺める。姿勢悪く背を曲げ力なくもたれかかる姿は、いつだってしゃんとして過ごす彼らしくもないものだった。
碧の表面を白が、桃が瞬く。常は澄んだ川底色の目は、覇気無くぼんやりとしていた。愛する少女が全身全霊で闘っている最中だというのに、その手に汗握る風景を映し出す水宝玉はどこか膜を張ったようにぼやけて見えた。
「あら。レイシス、勝ったのね」
後方から声。普段と変わらず余裕たっぷりのそれに、少年は首だけで振り返る。わずかに伏せられた若葉の中に、鮮やかな躑躅が飛び込んだ。
観覧席の出入り口の脇、支える柱に背を預けたグレイスは、唇に指を当てふふ、と笑みをこぼす。言葉に反し、奏でられる響きとゆるりと細められた瞳は確信めいた色を灯していた。
世界が変わってからは白とチェリーピンクの衣装で華奢な体躯を彩る彼女だが、今日は全く違うものになっていた。
髪をまとめる役割も果たす角のような黒のヘッドギアは、薄く鋭利なものになっている。時折現れては消えていくEVIL EYEに似た形の装飾が、巻角のように後頭部から前へと侵蝕していた。
鮮やかな桃が白い肌を引き立てていた首元は、漆黒のギアで守られている。中央部が青白く光る様は機械めいた印象を与えた。
黒のフリルがあしらわれた胸元、つやめく鴇色で飾られた細い身は、今日は黒一色で彩られていた。エナメル質の輝きを宿す三角形の布地が、腹の横から覆うように彼女の身体を包む。まるで白い肌を黒い牙が食らおうとするようだった。
さらけ出された足回りは、頑強な装甲が守っていた。光を吸い込む黒と目に痛いほどのピンクのそれは、無骨ながら格好良さを醸し出している。腰を中心に何枚も広がる様は、花が咲いているようだ。
こちらに来た頃に比べて随分と健康的に色付いた肌には、黒い線が何本も走っている。頬、デコルテ、鼠蹊部、太股を侵蝕するその色は、彼女の柔肌にアクセントを加えスタイリッシュな印象を与えた。
慎まやかな胸元、幼く浮き出る肋、柔らかな白い腹、少し肉付きがよくなった太股を惜しげも無く晒す衣装は、重力戦争時代の彼女を彷彿とさせた。
MODE:Extarmination。
それがグレイスが身にまとう、今日のために作られた新たなる武奏だ。『駆除』を意味するこの武奏は、まさに何もかもを破壊し殲滅する様を容易に想像させる凶悪さを放っていた。
「あなた、レイシスと闘うのは初めてだったわよね? どうだった?」
不遜な眼差しで目の前の少年を射抜き、少女は愉快げに問う。そこには多大なる好奇心が浮かんでいた。
本日はヘキサダイバーにてバトル大会が行われていた。参加者は主催者であるグレイスを含め七名。対する挑戦者は、レイシスただ一人だ。休憩を挟む一対一の一本勝負とはいえ、一日で七人も相手取る試合形式は厳しいものである。だが、そうでなければならないのだ。この大会は躑躅の妹曰く『最近なまってる』あの薔薇色の姉を鍛え直すために企画されたのだから。
大会の記念すべき初戦、レイシスにとって今日初めての対戦相手は長年共にしてきた烈風刀だった。重力戦争時代、二人は一度対立したことがある。しかし、その時少年が直接剣を交えたのは恩師と兄だけだ。運が良いのか悪いのか、今までアリーナバトルで闘う機会も無かった。幼い主催者の言う通り、碧と桃が直接ぶつかり合うのは今回が初めてだ。
振り返っていた首を緩慢な動きで戻し、碧は再び広いフィールド――その真ん中で闘う愛おしい少女を見下ろす。繰り広げられる熱戦を前にしても、翡翠の瞳は依然ぼやけたままだ。
「強かったですよ」
興味津々といった様子の問いに――敗者にかけるには意地の悪い問いに、少年はただ一言だけ返す。先ほどまで闘っていたとは思えないほど冷めた平坦な音色をしていた。
「それだけ? もっと他にないの?」
「ありませんよ」
きょとりと目を瞬かせ、どこか気の抜けた様子で少女は問いを重ねる。返されるのは依然穏やかで短い言葉だ。面白みの欠片も無いそれが不満なのだろう、マゼンタの瞳はじとりと細められ、柔らかな頬がぷくりと膨らんだ。
「『強い』としか言えません。それぐらい、圧倒されてしまった」
ふ、と碧の少年は溜め息にも似た呼気を漏らす。細いそれには、悔しさがはっきりと滲んでいた。
護るべき存在だと思っていた。護られるべき存在だと思っていた。
かといって、か弱いなどとは決して思ってはいない。むしろ、己よりもずっと力を持った者だということははっきり分かっていた。ただ、己はその強さを漠然としか理解していなかったことを、己の力など到底及ばない存在であることを、嫌というほど思い知らされたのだ。
レイシスが剣を握り操り始めたのは、世界が新しくなってからだ。経験は浅いはずだというのに、闘う姿は数多のバトルを重ねてきた勇士のようなものだった。試合序盤は己の遠距離からの狙撃にはわはわと慌て隠れていたものの、しばしして物陰から跳びで駆け出した少女の立ち振る舞いはまっすぐで、愚直なまでに対戦相手を――烈風刀を見つめていた。試合経験少なく、銃への対抗手段もろくに知らない彼女には物陰に隠れスナイパーライフルを扱う己などなかなか捕捉できないだろうに、そのラズベリルの瞳は確かに倒すべき相手を見据えていた。
飛んでくる銃弾を素早く避け、時には真っ白な刃で跳ね飛ばし。そうしてついにこの懐に飛び込み得物を振るった彼女に圧倒されてしまったのは、紛れもない事実であった。
長い間剣を扱い闘ってきた碧から見て、桃の振る舞いはまだまだ荒削りだ。それでも、二振りの剣を操るその姿は輝きに溢れていた。原石とは彼女のような者を言うのだろう。それも、磨けば凄まじい光を放つ美しい宝石の。
全力を出すべき相手であることは理解していた。だから、全力を出して、アリーナバトルを重ね確かな扱いと信頼を得たこの武器を選んで挑んだ。そして、負けたのだ。普段ならば晴れ晴れとするこの胸から、未だに強い悔しさと歯がゆさがはっきりと溢れ出、侵蝕するほどに敗北を喫したのだ。
ふぅん、とグレイスはつまらなそうに漏らす。その音は依然不満げだ。けれども、どこか楽しさを孕んでいるようにも聞こえた。
「すっかり腑抜けてると思ったけど」
「闘ってみれば嫌でも分かりますよ」
黒いアームカバーに包まれた腕を組んだ彼女を見やり、烈風刀は笑みをこぼす。穏やかな色をした目には、自嘲の念がうっすらと膜張っていた。
重力戦争が終結して数年、レイシスはすっかり闘いから身を引いていた。アリーナバトルは何度かやっていたようだが、あれは結局スポーツで一種のアトラクションでしかない。彼女はあの日々が嘘のように闘いと無縁の生活を送っていた。その姿を隣でずっと見ていた妹だからこそ、そう思ったのだろう。先のヘキサダイバー内で起こった事件も相まって、『腑抜けてる』なんて評価を下したのはいつだって闘いに身を置く彼女からすれば当然だ。
けれども、今日相対した薔薇色はそんなことなど毛ほども思わせない様相だった。腑抜けたなんて到底思えないような、そんな言葉なんて欠片も浮かばないような、確かな腕をしていた。むしろ、更に強くなったのでは感じさせるほどだ。
「まっ、レイシスがどうであろうと最終的に勝つのは私だけどね!」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らして躑躅の少女は謳う。高らかなそれは、自信に満ち溢れたものだった。己の力を全く疑っていない、相手の力を認めつつも圧倒的に捻じ伏せてみるという気概をはっきりと感じさせるものだった。実に彼女らしい。
「……どうでしょうね」
「何? 私が負けるって言いたいの? この武奏で?」
呟くような声をしっかりと拾い上げ、少女は少しの怒気を滲ませた声を重ねる。チャキリ、と軽い金属音。視線をやると、どこからか取り出した二丁の銃を構えこちらへと向けていた。常日頃扱うそれより大ぶりで銀色の刀身が付いた、攻撃に特化したものだ。対レイシスのためだけに用意したのだろう。愛銃に比べればまだまだ使い慣れていないであろうそれに、確かな信頼を寄せていることが伝わってきた。
「負けるだなんて、一言も言っていませんよ」
ただ、と少年は続ける。欄干から身体を離し、くるりと振り返る。唇を尖らせこちらを睨めつける躑躅を、浅葱がはっきりと射抜く。武器を向けられているというのに、その口元には微笑みをたたえていた。
「容易に勝てる相手ではないことは確かです。それぐらい、貴女が一番分かっているのではないですか?」
誰よりもレイシスと闘ってきたのはグレイスだ。その力を一番理解しているのもグレイスだ。『腑抜けた』なんて言っているが、その実力を侮っているはずなどない。姉とアリーナバトルで手を合わせた数少ない相手は、妹である彼女なのだから尚更だ。スポーツという枠組みの中でも、桃の少女は確かな実力を発揮していたのだから。
ぐぬ、と尖っていた可愛らしい口がへの字に曲がる。構えていた銃が下ろされ、まっすぐに藍晶石を見つめていた尖晶石がふいと気まずげに逸らされた。
「……だから、手を抜いたりなんかしないわ」
可憐な口元から、確かな音がこぼれ出る。両手に持った銃をトリガーガードに指を入れくるりと回す。改めてグリップを握る手に力が込められていることなど、少し離れたここからでも分かった。チャキ、とまた金属音があがる。
「この最強の武奏で、全力で闘って勝つの」
力強い言葉は、聞く者の胸を貫くように鋭利でまっすぐだ。高らかな宣言は、誰よりも、何よりも、己に言い聞かせるようなものだった。強く眇められた瞳には、確かな闘志が、勝利への執着が見て取れた。何が何でも実力で姉に勝ちたい。そう考えていることがありありと分かる眼差しをしていた。
それもすぐに切り替わり、少女はふふん、と不敵に笑う。腰元の武奏の下に銃をしまい、もたれていた壁から身を離す。カツカツとブラックとマゼンタのヒールを鳴らし、グレイスは烈風刀の隣へと立つ。欄干に片肘を突いて、競技場を、そこで闘う者たちを見下ろした。
「でも、私のところまで来れるのかしら」
眼下に広がる光景に、白い眉間に皺が寄る。桜色の唇は、再び不満げに尖っていた。奏でられた音色はどこか不安げだ。
広いフィールド上には、二人の少女がいた。接とレイシスだ。鎖苦無という初めての得物相手に苦戦しているようで、桃はぴょこぴょこと不安定に迫り来る攻撃を避けていた。はわわわ、と動揺する彼女の声が容易に想像できる動きだ。
「あぁもう! ちゃんと勝ちなさいよ!」
いつの間にか手すりを握り、妹は吠える。競技場いっぱいに響き、姉の耳に届いてしまいそうなほどの声量だ。すぐ隣で直に浴びせられ、碧は反射的に目を細める。それもすぐ柔らかなものへと変わった。
「敵を応援していいのですか?」
真剣に闘うべき相手を見つめる少女に、少年は意地悪く問うてみる。フィールドに釘付けになっていた薄朝焼け色が、再び空色へと向けられる。む、とまろい頬が不服そうに膨らんだ。
「レイシスは私が倒すの。途中で負けて私のところまで来れないとか許さないんだから」
ふん、と不機嫌そうに言い放ち、少女はすぐに競技場へと視線を戻す。カキン、と高い金属音があがる。刃が交わる音だ。あぁ、とこぼす声はハラハラとした焦燥と不安が混ざった音色をしていた。
グレイスにつられるように、烈風刀も広い競技フィールドを見やる。先ほどまで不安定だった動きは、次第に確かな足取りになっている。剣を振るう手も、相手に合わせ洗練されていっているのがはっきりと見て取れた。勝利はだんだんと彼女へと近づいていた。
頑張ってくださいね。
武奏を操る度ふわりと舞い踊る桃を眺め、碧は呟いた。
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闘いへと駆け出して【レフ+グレ】
闘いへと駆け出して【レフ+グレ】
予告動画とか3月のエンドシーンとか見てこういうやりとりあったのかなーと考えた妄想の塊。捏造しかないよ。
烈風刀とグレイスの組み合わせ好きなんすよね。
ねぇ、烈風刀。
すっかりと耳馴染んだ声が己を呼ぶ。モニタから顔を上げ、少年は音の方へと身体ごと向く。椅子を回した先、すぐ隣には鮮やかな躑躅が佇んでいた。勝ち気な目が、少し高い位置から碧をじっと見据える。鮮烈な輝きを放つその中にはかすかな怒りが滲んでいるように映った。
「レイシスったら、最近なまってると思わない?」
疑問符がついた言葉と頬に指を添え小首を傾げる様は問いのそれだが、発せられた響きは断言というのが相応しいものだ。ねぇ、と同じ音色をした追撃が飛んでくる。緩く弧を描くマゼンタは、どこかサディスティックな色をしていた。
「そう、でしょうか」
気圧されながらも、烈風刀は何とか言葉を返す。静かながらも恐ろしさを感じさせるほどの気迫に、ひくりと無意識に口元が引きつった。
そうよ、とあからさまに怒気を孕んだ響きでグレイスは言い放つ。可憐な桜色の唇は不満げに尖り、ペツォタイトの瞳が音が表す感情をそのまま映し出すように強く眇められた。
「航海やらライブやら、ここ最近遊んでばっかりじゃない。せっかくのアリーナバトルもあんまりやってないみたいだし」
もう、と少女は頬を膨らませる。奏でる音色に、わずかな懸念の旋律が追加された。
それは貴女もでは、とこぼれそうになった言葉を急いで飲み込み胃袋で溶かして消す。こんなことを言っては、射殺すような鋭い目つきとよく回る舌で否定されるだけである。
新たに広がった輝かしい世界へと航海に乗り出したのも、アイドルとして大舞台に立ち観客を湧かせたのも、決してレイシス一人だけではない。彼女の妹的存在であるグレイスもいつだってその隣に在った。違うところといえば、躑躅の少女はアリーナバトルに精を出していることだろうか。好戦的な彼女は、新たに手に入れた二丁の愛銃と共に様々な相手と試合を重ねていた。いつだって闘いに身を投じているのだ、この少女は。
だからね、とアザレアは脇に抱えたタブレットを取り出す。前腕いっぱい使って持ち、華奢な指で操作する。表面を幾度かなぞった後、彼女は薄型のそれを机上に突き立てるようにして少年に画面を向けた。
目に痛いほど光る液晶に映し出されたのは、細かな文字の大群だった。紙のように表示されたドキュメントファイルの頂点には、『バトル大会企画書』の一文が堂々と鎮座していた。
「バトル大会を開こうと思うの」
自信満々な様子で少女は言い放つ。『企画書』と謳ってはいるものの、彼女の中ではもう開催は決定しているかのような声色だ。実際、レイシスに提示すれば二つ返事で通るだろう。世界に一番近い薔薇色の少女はイベント事が大好きで、この世界が賑わせようといつだって全力なのだ。
並ぶ文章に目を通していく。目的は最近なまっているレイシスの鍛錬、開催場所はヘキサダイバー内バトルエリア、対戦形式は一対一の一本勝負、対戦相手は十人を想定している、と書かれていた。日頃少し幼げに話す彼女にしては、大人びた固い文章だ。相手に読ませ、納得してもらおうと言葉を選び組み立てた努力が窺える。この企画にどれだけ真剣に向き合っているかということがよく伝わってくるものだった。
参加人数に関する箇所に再度目を通し、烈風刀は小さく首を傾げる。『参加者』ではなく『対戦相手』という言葉選びが引っかかる。まさか、と若葉の瞳が大きく瞬いた。
「……レイシス一人で十人と闘わせるつもりなのですか?」
「そうよ。あの子を鍛えるのが目的なんだから」
否定を求めるような響きをした少年の問いに、少女はあっけらかんと答える。当たり前ではないか、何か問題でもあるのか、という音色をしていた。
「一対一の形式とはいえ、レイシス一人で十人を相手取るのはさすがに体力的に厳しいと思います。多くても八……いえ、六人では?」
「なまってはいるけど、あのレイシスよ? それぐらいいけるわよ」
「鍛え直すのが目的ならば、いきなりハードなものから始めるのは効率が悪いのでは? 簡単なものから始め、徐々にレベルを上げていくべきかと」
そうかしら、とグレイスは顎に人差し指を当てる。ぱちぱちと可愛らしく瞬く目の動きと色は、心底不思議そうなものだった。
なまっている、と厳しく評価しているものの、彼女はレイシス本来の力はしっかりと認めている。誰よりもレイシスと闘い、その実力を肌で感じ、身をもって思い知らされたのは、重力戦争時代敵対していたこの少女なのだから当たり前だ。確かな力があることを理解しているからこそ、こんな無茶な想定をしたのだろう。指摘されるまで疑問を一切持っていないことから、どれだけ姉を高く評価しているかが分かる。
そうね、と頷き、躑躅は机に立てたタブレットを手元に戻し操作する。再び同じ形で向けられた画面には、指摘通りに修正された数字が映っていた。素直に聞き入れてくれた事実に、碧は内心胸を撫で下ろす。世界を愛するあの少女は、どれだけの無茶も『楽しそう』の一言で受け入れてしまうのが容易に想像できる。己たちが未然に危険を取り除かねばならないのだ。
「で、本題なんだけど」
どこか弾んだ調子で少女は言う。言葉を発する口の端は、にまりと不穏な擬音が聞こえるかのようにつり上がっていた。嗜虐的な色すら見えるその表情に、少年はわずかに身を強張らせる。何か悪巧みでもしているのだろうか。しかし、己の性格を知っている彼女がそんな話題を振るとは思えない。咎められることなど明らかなのだ。では、一体何なのだろう。
「あなた、参加してみない?」
警戒心でいくらか細まった浅葱を、躑躅が覗き込むように見つめる。予想外の言葉に、烈風刀は眇めた目を見開く。驚愕を表すように、澄み渡る碧が幾度も瞬いた。
「僕が、ですか?」
「そう。あなたぐらいの実力ならレイシスと十分闘えるでしょ? 対戦相手としてぴったりだわ」
端が持ち上がった可憐な口で、少女は信頼に満ち溢れた声と答えを投げかける。にっこりと弧を描く目は、名案だと語っていた。
どう、と柘榴石がまっすぐに孔雀石を見つめる。射抜くような視線から目を逸らし、少年は顎に手を当て軽く俯く。悩ましげな唸りが二人きりの空間に小さく落ちた。
目的はともかく、彼女の企画は魅力的に映る。自身もアリーナバトルは体験しているが、あれはとても面白いものだ。それよりも本格的な形式をしたこのバトル大会には、強く興味をそそられる。企画者である彼女があれだけ評価しているレイシスと闘うことができる実力の持ち主だ、と判断されたのも喜ばしい。そこまで言われては、期待に応えたいという気持ちが生まれるというものだ。
しかし、と理性が諫めるように冷静に発する。闘いの相手はあのレイシスだ。己が命に替えてでも、どんな犠牲を払っても守るべき少女だ。『バトル大会』というスポーツ的な側面が大きなイベントとはいえ、彼女に武器を向けるのはいかがなものだろうか。否、考えることすら許されないことである。もう守るべき相手を傷つけることなどあってはならないのだから。
でも、と何かが心の奥底から叫び声をあげる。でも、でも、と聞き分けの聞かない子どものように繰り返すそれはどんどんと大きく強さを増し、理性を気圧し追いやった。
「――分かりました。引き受けましょう」
床を映していたエメラルドが、目の前のスピネルをまっすぐに射抜き返す。鮮やかな碧の中には、決心と好奇心が宿っていた。
レイシスは守るべき少女だ。しかし、同時にネメシス随一の実力者でもある。そんな相手と手合わせができる。こんな機会、もう二度と無いだろう。実力者と闘いたい。アリーナバトルにも積極的に参加する碧にとって、彼女の提案はこれ以上無く魅力的に映った。それこそ、いつでも確かな判断を下す理性が頭の隅に追いやられるほど。
向けられたはっきりとした声と真剣な瞳に、少女はパァと顔を輝かせた。やった、と弾んだ小さな声があがる。どうやら、引き受けてもらえないと思っていたらしい。当たり前だ、相手はレイシスを愛しレイシスを守る烈風刀なのである。大多数の人間はそんな提案をするという選択肢が思い浮かばない。人より少しだけ深く彼を知るグレイスだからこそ、話を持ちかけようと考えられたのだ。それでも受け入れられると思われないほどなのだが。
「じゃあ、全部用意できたらまた連絡するわ」
スリープ状態にしたタブレットを脇に抱え、躑躅の少女はにこやかな笑みでそう告げ踵を返す。その様子に、碧の少年は呆けた声をあげた。待て、全部と言ったか。全部と言ったのか、この少女は。
「待ってください。もしかして、貴女一人で全て用意するつもりですか?」
「そうよ。企画したのは私なんだから当たり前でしょ」
驚愕に口元を強張らせる少年に、少女は当然のように返す。まるで常識を語るような調子だ。どうしたのよ、と問う声は不思議でたまらないと語っている。こちらがおかしいのではと錯覚させるほど、純粋な音色をしていた。
「そんな大型企画、一人で準備するのは不可能ですよ」
「でも、やるしかないじゃない」
私がレイシスのために用意するのよ、とはっきりとした声が否定の言葉を横一文字に切り捨てる。自信と決意に溢れたものだ。しかし、その丸くつややかな目には少しの不安と意固地な色が浮かんでいる。こんな大きな舞台を一人で準備し、大人数に声を掛けまとめあげるなど、どれだけの時間と苦労がかかるか分からない。憂慮が浮かぶのも当然である。自信家のように見えて臆病な側面も持つ彼女なのだから尚更だ。
「僕も手伝いますよ」
へ、と今度は少女が声をあげる番だった。協力者が現れるなど、想像すらしていなかったらしい。本当に一人で全て背負い込もうと決意していたことがよく分かる音をしていた。
「貴女一人だけでは何ヶ月かかるか分かりません」
「でも……、いいの? あなたも仕事あるでしょ?」
「貴女の方がもっと忙しいでしょう。そんな中、一人で会場を手配し、対戦相手を見繕い、全てのセッティングをするつもりなのですか? 倒れますよ」
不安でわずかに揺れる声を、冷静な声が切り払う。少し前に資格を取ったグレイスは、晴れて夢であったナビゲーターとなり、レイシスと共に日々の業務を行っている。十分激務であるのに、そんな中でこんな大型企画を一人で動かすだなんて無茶という言葉では済まない。多少なりとも自覚はあったのだろう、うぐ、と細い喉から気まずげな声が漏れたのが聞こえた。
「とは言っても、僕一人だけではまだ手が足りません。他の人にも協力を仰ぎましょうか」
「……協力してくれる人なんているのかしら」
「いますよ」
皆が貴女のことを認め、好いているのですから。
一転して自信を失った音を、柔らかな音がすくいあげる。恐れを抱えた子どもを落ち着けるように、烈風刀は微笑みを浮かべ、眉尻を下げたグレイスを見やる。温かな言葉と表情に、少女は面食らったようにぱちぱちと何度も瞬きを繰り返した。好意を全面に出されたそれに、白い頬にさっと朱が刷かれる。
「そろそろ頼ることを覚えた方がいいですよ」
「うるさいわよ……」
愛おしげに細まった藍晶石に、躑躅の少女は頬を膨らませる。眇めた目を逸らしむくれる姿は、いじけた子どもそのものだ。ふふ、と思わず笑みが漏れる。何笑ってんのよ、とうっすらと怒りが滲む声が向けられた。
分かったわ、と少女は普段通りのよく通る声で紡ぐ。そこにはもう、不安の色など無かった。
「頼りにしてるわよ」
「えぇ、任せてください」
どこか嬉しげに尖晶石の目を細め、グレイスは少し弾んだ声で言う。ふふん、と鼻を鳴らす彼女に、少年は穏やかな笑みと音色を返した。
とりあえず企画書のデータをください。分かったわ。他に誰か声を掛けましたか。まだだけどリストは作ってあるわ。これよ。
机に置いたタブレットを囲み、二人は言葉を交わす。白い指が二本、液晶画面の上を幾度もすべっていった。
一人の少女から始まったこの企画が、会場から溢れるほど大勢の観客を集めるような凄まじい規模のものになることは、まだ誰も知らない。
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朝ご飯食べよっ【嬬武器兄弟】
朝ご飯食べよっ【嬬武器兄弟】
料理するオニイチャンと寝起きの弟君が書きたかっただけ。
もたりとした生地が、広いフライパンの上にゆっくりと落ちていく。黒と薄黄が触れ合った瞬間、シュウと小さな鳴き声があがった。
お玉を動かさないよう注意しながら、重たい液体を高い位置から流し込む。ビニールのパッケージの裏には『高い位置から落とすのが丸く焼くコツ!』と可愛らしいフォントで書かれていた。商品を研究し尽くし販売しているメーカーがそう言っているのだ、従うのが吉だろう。事実、コートパンの上に落ちていく卵色は、同心円状に広がり丸い形を成していた。
八分目まで注いでいた中身を全て流し入れ終え、再びお玉でボウルに入った生地をすくう。空いたスペース目掛けて、先ほどと同じように焼いていく。高い位置から熱されたマーブルコートパンに着地した柔らかな黄色は、再び美しい円を描いていった。
まるで漫画でよく見る高い位置から紅茶を淹れる執事のようだな、と今の己の姿を思い描き愉快な笑みがこぼれる。好奇心旺盛で影響されやすい性格のため、遠い昔一度試そうとしたのだが、準備段階で察した弟に怒りながら制されて未遂に終わってしまった。それが真っ当な調理で体験出来る。なかなか良いではないか、と朱はふ、と笑声をこぼした。
二つの生地の表面にプツプツと泡が湧き起こる。お玉をフライ返しに持ち替え、薄い生地の下に差し入れる。軽く持ち上げたそれを、思い切りよく裏返す。ぱすんと軽い音をたてて落ちた丸は、背伸びをするように膨らんだ。もう一枚も勢い良く裏返す。黒いフライパンの上に、月が二つ生まれた。
美しい焼き色に、思わず感嘆の声をあげる。何となく気が向いたので初めてパッケージ通りの手順でやってみたのだが、これだけ綺麗に焼けるとは思ってもみなかった。やはり制作者の言葉には素直に従うものだ。今度からもこうやってやろう、と茜色の頭が小さく上下した。
そろそろいいだろう、と物言わぬ月色にフライ返しを滑り込ませる。よっ、と小気味よいかけ声とともに、丸いそれを裏返す。裏面は最初に焼いた面とは違い、泡の跡が残り少しでこぼことしていた。いくらか気になるが、盛り付ける際に色の美しい方を上にすればいいだけの話だ。腹に入れば姿形など関係ないが、料理には見目も大切だ。自分よりずっと料理歴が長く得意な弟から学んだことだ。
焼き上がったそれを、並べた白い皿に一枚ずつ乗せる。後から他の食材も乗せるのだ、少し端に寄せておいておこう。これも弟の盛り付け方から学んだことだ。料理に関しては、全て弟が己にとっての見本であった。
そうやって三枚、四枚、とどんどん生地を焼いていく。ボウルが空になる頃には、皿の上には三枚のパンケーキが積み重なっていた。どれも焼き色は良好、味はもちろん企業が保証してくれている。良い朝食となるだろう。うんうん、と少年は満足げに頷いた。
調理を一通り終え、朱い瞳が壁に向けられる。掛けられたアナログ時計の短針は、もうすぐ十の字を指そうとしていた。ちょうどいい頃合いだ、とボウルとお玉を手早く水に浸し、エプロンで手を拭きながらキッチンを出る。向かうは烈風刀の部屋だ。あの生真面目で勤勉な弟のことだ、週末は平日よりも丹念に復習や予習をしているだろう。それ故に就寝時間が遅くなることが多いのは、よく夜更かしをする雷刀は知っていた。普段ならば平日通りに起床する彼だが、今日は自分の方が先に起きてしまった。珍しいことであり、良くないことである。遅く起きることが悪いのではない、規則正しい生活リズムで生きるあの弟がこんな時間まで寝ているということは、夜中まで勉学に励んでいたか、休みで張り詰めた気が解け疲れが表に出てきたかの二択だ。
本来ならばこのまま存分に眠らせてやりたいのだが、堅物とまで言える弟がこんなに遅く――と言ってもも、休日の自分からすれば十分早起きの部類である――まで眠っていることを是とするはずがない。だったら、自分が起こしてやった方が良いだろう。昼まで寝ていては、彼は確実に後悔に苛まれるのだから。
コンコンコン、と硬い扉をノックする。入るぞー、と断りを入れ、物言わぬ銀のノブを回した。
予想通り、ベッドの上の布団はふんわりと盛り上がっていた。まだ中で烈風刀が寝ている証拠である。このままたっぷり眠らせてやりたい欲求が胸に広がっていくが、今ばかりは押し殺して起こさねばならない。それが生真面目で自罰的なところがある弟への被害を減らす唯一の手段なのだ。
窓へと足を向ける。二重になったカーテンに手を掛け、左右に思い切り開いた。薄暗かった部屋に晴れ空におわす太陽の光が燦々と注ぎ込まれ、全てが照らし出された。眠る彼の方へも光が差し込んでいるのに起きる気配がないのだから、相当深く眠っているらしい。
閉まらないようカーテンを端に寄せ、ベッドへと向かう。数歩で辿り着いたそこ、ヘッドボードの下に置かれた白い枕の上には、朝のくさはらを思わせる鮮やかな緑が広がっていた。髪と同じ色をした睫に縁取られた目は閉じられ、下向きに緩やかな弧を描いている。彼がまだ深い眠りの海に沈んでいる証拠だ。普段の聡明でキリリと格好良い表情と反する幼い顔つきに、ふわりと笑みがこぼれる。どんなに大人びた表情を、行動をしていても、彼もまだまだ子どもに分類される年頃で、己の可愛い弟なのだ。
衝動に駆られ、愛らしい寝顔に指を伸ばす。邪魔だろうから、と言い訳をし、目に掛かる少しだけ長い髪を避けてやる。現れた肌は、農作業に精を出しているというのに白く透っている。手入れを怠っていない証拠だ。さすがだなぁ、と考えつつ、浅葱をゆるく梳く。己とは少し違うさらさらとした感触が心地良かった。
これ以上眠っている人間で遊ぶのはよろしくない。それに、無為に時間を掛けてはせっかくのパンケーキが冷めてしまう。指を離し、今度は掛け布団に包まれた肩に手を添える。そのまま、優しく押した。
「烈風刀ー、起きろー。十時だぞー」
ゆるゆると押し引きを繰り返し、同じ年代よりもしっかりとした身体を揺らす。しばしして、んぅ、と幼げな声が陽光に照らされる部屋に落ちた。
白い瞼を飾る若草色の睫が上がり、下に隠れていた孔雀石が顔を出す。常ならば水のように澄み切ったそれは、まだ睡魔に手を引かれているのか、少しばかりけぶっていた。睫と瞼がゆっくりと上下を繰り返す。その度に、美しい花浅葱が鮮やかさを取り戻していった。
「……らいと?」
普段の彼からは想像出来ない、ふにゃりとやわこい声が己の名を形取る。おはよ、と返すと、おはようございます、と依然どこか舌足らずで幼げな声が落ちた。
「もうすぐ朝飯できっから顔洗ってきな」
枕に預けたままの形の良い頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと撫でてやる。いつもならば子ども扱いするな、と叱責の声が飛んでくるが、今日はそれが無い。寝起きでまだ現実の輪郭を捉えられていないのだろう。温もりへの名残惜しさを堪えながら手を戻す。怒られる前に離れるのが吉である。
すくりと立ち上がり、少年はドアへと足を向ける。ゆっくりでいいからなー、と一言残し、雷刀は部屋を出た。少し足早な調子でキッチンへと足を伸ばす。弟は己よりもずっと寝起きが良い。着替え、顔を洗い、身なりを整えるまでさほど時間を要さないはずだ。それまでにベーコンを焼き、ゆで卵の殻を剥いて盛り付けなくては。
料理の美しい完成形とそれを二人で食す幸せを夢想し、雷刀は無意識に頬を緩める。どこかはしゃいだ足音が廊下に響いた。
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追想叙事詩篇レイグレ姉妹こんなんだったらいいなという妄想という名の怪文書【レイ+グレ】
追想叙事詩篇レイグレ姉妹こんなんだったらいいなという妄想という名の怪文書【レイ+グレ】
タイトル通りだよ。
HEXA DIVER追想叙事詩篇エンディングネタバレを含みます。ご理解。
あんなこと言ってるグレイスちゃんも春には二度目のバグ被害に遭うんだなぁと考えるとこうな……。
青い。
一面の青に、レイシスは桃色の目を眩しそうに瞬かせる。寝起きのようにぼやけた瞳に、醒めるような青が注ぎ込まれる。鮮烈な色は、丸く美しい瞳を包み込み、食らうようにすら見えた。
懐かしい青だ。己の心の奥底に刻まれた青だ。始まりの色。己が生まれ落ちた世界の色。愛しい愛しい、守るべき世界の色。一色で輝く世界は、少女の胸をめいっぱい刺激する。郷愁が小さな心を満たした。
真っ青な光に塗り潰された世界に、少女はぱちぱちと目を瞬かせる。何故この青にいるのだろうか。この色は何年も前にバージョンアップの末歴史に刻まれ今は無い色だというのに、何故自分は再びこの青に包まれているのだろうか。記憶を遡ってみるが、全て靄がかっていて朧気だ。思い出せることは一つ。自分はナビゲーターであることだ。プレイヤーを導き、ゲームを楽しんでもらうために尽くす役。それが自分であり、生まれた理由であった。
そうだ、ナビゲートをしなくては。プレーヤーたちはゲームを待ち望んでいるのだ。早くしなければ。役目を果たさねば。微かな焦燥に駆られつつ、薔薇色の少女は耳元に手を当てる。無骨なヘッドホンが青光を受けて鈍く輝いた。
いつの間にか目の前に現れたコンソールに手を伸ばす。白い手袋に包まれた細い指が、電子のキーの上を踊った。エントリーは無事完了し、ネメシスと正常に繋がった。あとはマッチングの手配だ。同楽曲を選んだプレーヤーを検索し、繋ぎ合わせる。あとはゲーム開始を待つだけだ。
「――シス! レイシス!」
一人きりの世界に、高い声が飛び込んだ。世界を切り裂くような鋭い、けれども泣きそうな、必死な声だ。長い離別の末再会したような、安堵を孕んだ音色だ。
名を呼ばれ、ナビゲーターはキョロキョロと辺りを見回す。誰だろう。原初の青に包まれた世界は、自分とつまぶきの二人きりだ。このように名前を呼ぶのはあの精だけだが、彼とは全く違う声だ。こんな声など聞き覚えがない。
そこまで考えて、アレ、と首を傾げる。そういえば、あの小さな精はどこに行ったのだろう。いつもならばマッチングの手配を手伝ってくれるというのに、何故今日は姿すら見せないのだろう。サボってるのだろうか、と少女はぷくりと頬を膨らませる。しかし、それは違う、と頭の中の何かが大声をあげた。
「信号が強くなってきました! きっと……もうすぐです!」
「レイシス! いるんでしょ! 早く戻ってきなさいよ!」
切羽詰まった声がもう一つ増える。突如飛び込み増えていく声に、桃は動揺を露わにぱちぱちと丸く大きな目を瞬かせる。先の呼び声だけでも意味が分からないのに、二人目が出てくるだなんて。一体何なのだ。この世界に何が起こっているのだ。
「バグ……デショウカ?」
生まれて間もないこの世界は、少なくない数のバグが発生している。この声たちもバグの類なのだろうか。考え、コンソールの上に指を滑らせる。修復もナビゲーターである己の役目だ。早く、プレーヤーに被害が出る前に直さねば。キーボードを操る指は焦れども、目の前の画面は異常など無いと語っていた。はわ、と疑問符が多分に含まれた声が漏れる。バグは発生していない。では、この声は一体何なのだ。誰だというのだ。
あぁもう、と叫びにも似た声が青の中に響く。カシャン、と何かが装填される音。一拍置いて、硬いものを何度も叩く――撃つ音が電子で作られた青の中鈍く響き渡った。
パリン、と小さな音がした。ピキ、パキ。短い音が鳴る度に、世界に蜘蛛の巣が張り巡らされていく――否、割れているのだ。この世界が。愛しい青で作られた懐かしい世界が割れているのだ――壊れていっているのだ。
「はっ、はわわ!」
薔薇色の少女は慌てて亀裂に手を伸ばす。割れたものに安易に触れてはいけないということは分かっているが、そんなことは言っていられない。だって、世界が、己が守るべき世界が、己がいるべき世界が、壊れてしまう。失くなってしまう。消えてしまう。そんなことが目の前で起きていて、じっとしていられるわけがない。胸を焦燥が、恐怖が満たしていく。嫌だ、嫌だ、嫌だ。涙声で叫びながら、広がっていく割れ目を必死で押さえつける。そんなことは逆効果でしかない。けれども、今自分にできることなどこれぐらいしか思いつかなかった。
パリン。一際大きな音がたつ。空間を一気にヒビが走っていく。テープで貼り合わせるように押さえていた目の前の細かな網目が綻び、凄まじい音をたてて崩壊した。愛しい青が崩れ落ちていく様を目の前に、紅水晶を絶望が塗り潰していく。ア、ァ、と悲鳴にすらならない声が引きつった口元から漏れ出た。
割れて消えた青の向こう側は、目が眩むようなオレンジで塗り潰されていた。視界を潰す強烈な色に、レイシスは目を眇める。懐かしい色が、知らない色に変わっていく。あまりにも恐ろしい光景だった。
「――レイシス!」
鮮やかなオレンジの中を、同じぐらい強く鮮やかなマゼンタが舞う。鋭い愛しい声が、絶望に落ちゆく少女の胸を射抜いた。
ブルーブラックのロンググローブに包まれた細い腕が、眼前に伸ばされる。少しばかり小さな手が、白い手袋に包まれた己のそれを握った。小柄な手から伝わる力は痛いくらい強いものだ。絶対に離しはしないという強固な意志が嫌でも感じ取れた。
「いきますよ! 離れちゃダメです!」
「さっさと帰るわよ!」
掴まれた手をぐいぐいと引かれる。ハワ、と悲鳴にも似た声をあげるが、繋がった手の主は欠片も気にとめる様子はない。早く、と変わらず焦りを多分に含んだ言葉をぶつけ、力任せに引っ張るばかりだ。
「帰る、ッテ」
何だ。『帰る』とはどういうことだ。己はこの世界の住人なのに。己はこの世界で役目を果たさなければならないのに。己はこの青と共に在らねばならないのに。ぐるぐると思考が巡る。けれども、心のどこかがその言葉に喜びの音色をあげた。
「ネメシスに決まってるでしょ! アンタがいないとダメなのよ!」
ミオン、と躑躅色の髪を振り乱す少女が叫ぶ。はい、とすぐさま声が返ってきた。音の発生源を辿る。よく見れば、腕を引く彼女の後ろにはつまぶきと同じほどの小さな人間がいた。薄緑の羽を瞬かせるその人は、己の身体と同じほどの大きさの時計に寄り添っていた。宇宙に似た模様で彩られた文字盤の上には、針が存在していない。盤面に刻まれた文字も、六までだ。時計としての機能を果たせるのか甚だ疑問だ。
いきます、と薄若草の長い髪をひらめかせ、小さな少女は時計に手を添えた。文字盤が淡く光り始め、どこからともなく現れた針が逆回転に走り出す。天の川のような色合いの盤面の中央に、『I』と大きな一文字が浮かんだ。
針が回転する度に、愛しい青がひび割れる。崩れてゆく。消えてゆく。懐かしい世界が、失われていく。
ヤダ、と泣きそうな声が漏れ出た。帰らなければいけないのは何故だか分からないが理解できる。しかし、この世界が崩壊する様を目の前にどこかへ行くことなどできない――したくなかった。だって、この世界は己が守るべきもので、守らなければならないもので、いつまでも維持させなくてはならないもので。そんな大切なものが消えていくなんて、耐えられない。
呟くような泣き声は、崩壊の凄まじい音の中でも届いたらしい。腕を引く少女が振り返る。シアンに縁取られたペツォタイトがこれでもかと強く眇められる。ギリ、と歯が擦れる嫌な音が崩れゆく世界に落ちた。
「アンタがここにいたいのは分かるわよ! でも、ネメシスには――っ、私の世界には! アンタがいなきゃダメなの!」
だから帰るの。
帰ってきてよ。
耳を撃ち抜く声は、慟哭に、祈りに似ていた。繋いだ手に更に力が込められる。逃がしはしない、離しはしない、絶対に共にいるのだ、と宣言しているような力だった。
淡く光る緑の数字が消えては表示されを繰り返しながら一つずつ増えていく。『VI』の字が現れた瞬間、青の世界は完全に崩れ去った。
アァ。レイシスは呆然とした声を漏らす。欠片となって落ち行く青を眺め、少女は苦しげに目を細めた。あまりにも悲痛な光景に、目を伏せる。桃色の睫に縁取られた目の端から、透明なものが溢れ出た。
瞼の裏には、愛おしい青い世界がずっと広がっていた。
遠くで愛しい声が聞こえる。愛しい人が己を呼んでいる。ん、と寝惚け声を漏らし、少女はゆっくりと瞼を持ち上げた。途端、視界が橙色に塗り潰される。あまりの強い色彩に、開いた目を強く細めた。
「レイシス!」
オレンジの中、アザレアが広がる。視界いっぱいに広がるそれは、どこか滲んでいた。レイシス、レイシス、と目の前の少女は己の名を幾度も呼ぶ。まるで幼子が親を探し求めるような切実なものだった。
そうか、己を呼んでいたのはグレイスか。それにしても、何故彼女はこんなにも焦っているのだろう。何故こんなにも泣きそうな声で己を呼ぶのだろう。そもそも、何故この子がここにいるのだろう。ここはヘキサダイバーの最深部で、己は一人で調査していて、そして。
「あれぇ……グレイス? どうしてここニ?」
そうだ、調査だ。己はヘキサダイバーにて幾度も起こるバグの調査に乗り出し、深部へと到達したのだ。しかし、記憶はそこまでしかない。辿り着いた後の記憶は、一切合切抜け落ちていた。
そのことを伝えたいのに、吐き出す声はふにゃふにゃとしていた。どうにも呂律が怪しい。泣き出しそうな妹に寄り添おうとしようにも、身体が異常なまでに重かった。バグ調査でこんなにも疲労を覚えるのは初めてのことだ。一体どうしたのだろう。不安がぼやけた頭の隅に生まれた。
「ちょっとちょっと! しっかりしなさいよ! 大丈夫なのこれ!?」
癖のある薄紅梅が勢いよく舞う。射殺さんばかりに鋭い視線の先、大きな時計を抱えたミオンは、胸の前で手を握り不安げにぱくぱくと口を開いては閉じていた。
「レイシスさんの力が以前よりも減少していたので、時を遡って昔の力を発揮してもらおうとしたんですけど……」
おろおろとホムクルスは萌黄の瞳を躑躅と桃の間を往復させる。困ったように目を泳がせる少女の横に、大きな影が現れた。乱雑にまとめられた鴇色の髪が揺れた。
「慣れないことをしたせいで、少し負担がかかったみたいだね。まあ栄養取って寝ればすぐに元気になるよ」
フーム、と顎に手を当て、識苑は床にへたり込んだレイシスを眺める。風邪じゃないのよ、とグレイスが間髪入れずに睨みつける。だって本当に疲れてるだけだよ、と飄々とした声が返された。プロフェッショナルでありながら重大性を欠片も見せない彼の様子を信じたのだろう、はぁ、と妹は深い溜め息を吐いた。
「はわわ~……なんだか疲れちゃいマシタ~」
声に出した途端、どっと重たいものが背にのしかかってきた。識苑が言うには、己は『慣れないこと』をしたらしい。疲れてしまうのも仕方ないだろう。一体何が起こったかなど分からないのだけれど。
「疲れちゃいマシタ、じゃないわよ!」
叫び声が耳をつんざく。はわっ、と声を漏らし、急いで音の発生源へと目を向ける。薔薇輝石に映し出されたのは、これでもかと力強く眇められた柘榴石だった。視線に殺傷能力があれば、己などとうに細切れになっているであろうほどの鋭さだ。恐ろしいなんて言葉では収まらない形相だ。女の子がそんな顔しちゃだめデスヨ、と言いたいところだが、そんなこと口に出せば凄まじい罵倒が飛んでくるだろう。何より、この妹が心の底から己を心配してこんな顔をしているということぐらい、疲れ切った脳味噌でもすぐさま分かる。
「一人で抱え込んで、一人で行動して! いきなり通信消えて! どんだけ心配したと思ってるのよ! バカ!」
バカバカバカ、とグレイスは幼い罵声を浴びせる。正論である。ヘキサダイバーで起こった数々のバグは、今まで直せはしたものの単純なものだとは言い難い。単身飛び込んでいくなど、愚かと言われても仕方の無いことだ。どうやら己は知らぬ間に自身の力を過信していたらしい。反省すべき部分である。
「私を頼ったらどうなのよ! そ、りゃ、一回ここに取り込まれた私なんて信頼できないかもだけど……。でも、でも!」
一人で行かないでよ。
一人で消えないでよ。
俯いた少女が涙声で言葉を紡ぐ。ギリ、と歯と歯が擦れ合う痛ましい音が空間に響いた。ばか、と力無い罵声がまたひとつこぼれ落ちた。
すみマセン、と呟き、姉は地を見つめる妹に手を伸ばす。角を思わせるヘッドギアで彩られたまあるい頭にそっと触れた。普段は綺麗に整えられているアザレアの髪は、今は振り乱されてボサボサだ。常の彼女ならばまず許さない姿だろう。そんなことを気にする暇なく、なりふり構わず己を助けに来てくれたという証左である。妹に心配をかけた。妹に迷惑をかけた。あまりの申し訳なさに、レイシスはきゅっと唇を引き結んだ。悔恨に塗り潰されゆく心の端に、温かなものが芽吹く。歓喜だ。大好きで大切な彼女が己の身を案じ、真っ先に助けに来てくれたという事実に対する喜びだ。なんと不謹慎なのだろう。なんと最低なのだろう。けれども、芽生えたそれは消せそうになかった。
「まったく……最近、航海やらライブやらでなまってるんじゃないの?」
すん、と小さな音一つ。項垂れていた少女は顔を上げる。そのまま、自身の頭を撫でる姉の目を射抜く。どこか水気をまとった瞳はじとりと細められ、つやめく赤い唇は真一文字を描いていた。
「ここは私が一度引き締めてあげないとダメなようね!」
すくり立ち上がり、躑躅の少女は腕を組んで仁王立ちをする。姉を見下ろす瞳には怒りの炎が煌々と燃えさかっていた。はわ、と薔薇色の少女は動揺の声を漏らす。しかし、グレイスはフンと鼻を慣らすだけだ。彼女は太股のホルスターにしまったトイガンを取り出し、地面にへたり込んだレイシスへと向ける。チャキ、と本物そっくりの銃が金属音を鳴らした。
「明後日から特訓よ! 久しぶりにアリーナバトルするわよ! 分かったわね!」
だから、今日と明日はしっかり休みなさいよね。
高らかに宣言する躑躅は、頬を膨らませて呟く。紡がれた言葉は、優しい音色をしていた。指摘すれば、病人相手に本気なんか出せないからよ、なんて言うだろう。恥ずかしがり屋なのだ、この妹は。
「ハイ。明後日から、よろしくお願いしマス!」
ニコリと笑って元気よく返事する。何笑ってんのよ、と少しばかり理不尽な言葉が飛んできた。
何やら言葉を交わす識苑と魂、ミオンとグレイスを眺める中、レイシスはふと振り返る。広がるのは、ヘキサダイバーを象徴する目に痛いほど鮮やかなオレンジだ。けれども、その奥に何かが見えた気がした。懐かしい何かが。
何だろう、と少女は首を傾げる。ヘキサダイバーはできたばかりの最新鋭システムで、懐かしいと思う要素など欠片も無いはずだ。けれども何だろう、この胸に広がる郷愁は。
はわ、と疑問符を携えた声が地面に落ちる。ぱちぱちと瞬く瞼の裏側、愛おしい色が散った気がした。
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書き出しと終わりまとめ12【SDVX】
書き出しと終わりまとめ12【SDVX】
あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその12。相変わらずボ6個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:レイ+グレ1/はるグレ1/グレイス1/ライレフ(神十字)3
何もかもを委ねて/レイ+グレ
葵壱さんには「私達は人間でした」で始まり、「それだけで充分」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。
「ワタシたちは人間デスヨ」
当たり前じゃないデスカ、と彼女は歌うように言う。世界の常識を子どもに教え説くような響きをしていた。
嘘よ、とグレイスは呟く。人間なわけがない。だって、己はバグの海で生まれ、バグの力で動く身体をしていたのだ。人間であるはずなどなかった。少なくとも、ネメシスという世界の理から生まれた彼女とは違う。
嘘じゃありマセンヨ、と柔らかな言葉が耳に注がれる。背に回された手が、トントンと細い身を叩く。子をあやす母親の手つきだ。子ども扱いされているという不満と、心地良いリズムと温度がもたらす安堵が胸を渦巻く。不安に荒れ疲労を増した心は、後者に身を委ねつつあった。
「グレイスは人間デス。ワタシが保証しマス」
だから泣かないでくだサイ。祈りのように呟いて、少女は柔らかく笑いかける。眉の端がほんのり下がった、少し困ったような笑みだ。
浮かぶ表情に、少女は目を瞠る。鮮やかな紅水晶が、暗く染まっていく。涙をたたえたそれが、ふるふると揺れた。
また彼女を困らせてる。また彼女に迷惑をかけている。
自己嫌悪が心を塗り潰していく。ぅ、と再び嗚咽が漏れ出た。マゼンタの瞳から涙が一筋溢れ、寝間着の襟を濡らす。
大丈夫。大丈夫。妹を抱き込んだ姉は、背を叩くリズムに合わせて幾度も言葉を繰り返す。穏やかながらも、沈みゆく心にきちんと届くようなはっきりしたものだ。
大丈夫。大丈夫。優しい言葉がリフレインする。痛む頭を癒やすようだった。暗く濁る心を晴らすようだった。不透明度を増した躑躅色が、徐々に元の澄んだ色を取り戻していく。それでも、靄がかる闇は完全に晴れることはなかった。
世界の理に一番近い彼女が『人間』だと認めてくれる。それだけで充分ではないか。充分なんだ。充分だと思わなければいけないのだ。だって、そうじゃないと、大好きな姉を困らせてしまうのだから。
泣き疲れた脳味噌が囁く。そうだ。きっとそうだ。そう思わなければいけないんだ。言い聞かせるように繰り返し、少女は瞼を下ろしていく。暗くなった視界でもう一度繰り返す。
彼女の言葉だけで充分なんだ。
されてばっかりは悔しいじゃない/はるグレ
AOINOさんには「私に少し足りないものは」で始まり、「どうか気付かないで」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。
自分に少しばかり――否、確実に足りないのは勇気なのだと思う。
いつだって虚勢を張って、心の底では怯えて、肝心な時に限って逃げてしまう。なんと臆病なのか。なんと意気地なしなのか。自分でも呆れるほどだ。
けれども、今はそのなけなしの勇気をふるう時なのだ。
「は、るか」
愛しい人を呼ぶ。掠れて上ずった、みっともない声だ。相手もその異常に気付いたのか、振り返った彼はことりと首を傾げた。
「どうしました?」
呼ばれた少年は、足音もたてずに少女の元へと素早く辿り着く。瞬間移動ではないかと思うほどの早さだ。忍を名乗る彼は、いつだって不可思議な技を使ってくる。
始果の顔が迫る。こちらの異常を確認するために覗き込んできたのだ。あまりの近さに、急いで二歩後ずさる。瞬間、強い後悔に襲われる。そういうところが勇気が無いのだぞ、と頭の中で誰かが囁いた。
「……グレイス?」
ますますの異状に、少年は疑問符を浮かべ少女を呼ぶ。当たり前だ、呼ばれて近寄ってみたら逃げられたのだ。疑問に思うのも無理はない。
「何かあったのですか?」
「な、んでもない。なんでもないわよ」
問いに急いで答え、グレイスはゆっくりと後ずさった距離を詰める。たった二歩、されど二歩。そんなわずかに近づいただけで心臓は強く脈を打ち始めた。
目と鼻の先の彼を見上げる。頭一個分上のかんばせは、ほんのわずかに険しくなっていた。好きな人が異常な行動をすれば、心配にもなるものだ。命を捧げるほど愛する人間相手ならば尚更である。
震える手を伸ばし、白い頬を包む。両手で捕らえた顔は険しさを失い、きょとりとした様子で瞬きをした。
「グレイス?」
「目、閉じなさい」
呼ぶ声に被せるように命を下す。その声はみっともないほど震え、少しばかりひっくり返っていた。
瞬き二つ。従順な彼は、その一言で目を閉じる。月色の瞳が瞼の奥に隠れる。瞼を下ろし、口を閉じたその顔に心臓がうるさく脈を鳴り響かせる。落ち着けようと小さく深呼吸。効果など無かった。
つま先に力を入れ、捕らえた顔に己の顔を近づける。脈拍がどんどんと上がっていく。バクバクと心臓が音をたてた。
己も目をつむり、きゅっと唇を引き結ぶ。あぁ、このうるさい鼓動にどうか気付かないでくれ、と祈りながら、少女はゆっくりと薄い唇を目指した。
薄雲の向こうに想いを乗せて/ライレフ
葵壱さんには「月の見えない夜だった」で始まり、「それが少しくすぐったかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。
月の見えない夜だ。見上げた空は光受け輝く衛星で薄ら明るく照らされているが、肝心の姿は雲の裏側だ。心なしか、夜闇は普段よりも深く見えた。
「満月なのに月見えねーな」
もったいね、と曇り空を見上げ兄は言う。秋のベランダは寒いだろうに、彼は裸足にサンダルでそこにいた。薄雲の向こう側に思いを馳せる姿は、普段の彼からは想像できないものだ。
「開けたら閉める、と言っているでしょう」
開け放たれたガラス戸に手をかけ、鉄作に肘をつく兄の背に言葉を刺す。夜風が吹き込むリビングは随分と冷えていた。このまま締め出してやろうか、だなんて意地の悪いことを考える。
朱い頭が振り返る。ニッと笑い、兄は欄干についていた手をこちらに伸ばす。急いでサンダルをつっかけ、弟は引かれるがままにベランダに出た。ほら、と朱は薄闇空を指差す。夜闇に似合わず白く光る雲には、丸く明るいシルエットが浮かんでいた。
繋いだ手が解かれる。手の平と手の平が合わさり、指が隙間に潜り込む。闇で冷めた手に温もりが灯る。
「『月が綺麗ですね』、なんてな」
八重歯覗く口が彼らしくもないロマンチックな言葉を紡ぎ出す。覚えたての言葉を自慢気に披露する子供のような様相だ。おそらくレイシスあたりに聞いたのだろう。
「月、見えないのでしょう」
「雰囲気雰囲気」
呆れた調子の声に、おどけた声が返される。深く繋いだ手を遊ぶようにゆるく振り、朱は笑う。三日月のように弧を描く目と大きく開いた口で形作られた表情は、上機嫌を形にしたようなものだった。
繋がる手も、幸いに満ちた笑みも、らしくもない愛の言葉も、どこかくすぐったかった。
過去など追い越して/グレイス
あおいちさんには「幻ばかり追いかけていた」で始まり、「だから、見ていて」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば2ツイート(280字程度)でお願いします。
姉の幻ばかり追いかけていた。
いつだって明るくて、いつだって可愛らしくて、頑張り屋で、全てを愛していて、皆に、世界に愛される人。
自分が成るかもしれなかった存在。
羨ましくないかといえば嘘になる。幻想を見なかったといえば嘘になる。あの子に成りたい、と何度思ったことか。
それも昔の話だ、と少女はふと息を吐く。新たにネメシスに産まれ、生き、人々と触れた今、その感情は多少薄れていた。皆、自分を『個』として認めてくれている――『グレイス』という存在を受け入れてくれている。もう、幻ばかり見ていられないのだ。
「グレイス、大丈夫デスカ?」
暑いほどの照明の光から逃れた舞台袖、薄闇の中姉の声が耳に届く。ライブステージの轟音に掻き消されそうなそれは、心配げに揺れていた。整った美しい眉は、端が緩やかに下がっている。口元は心情を表すように強張って開かれていた。
「大丈夫よ」
ふん、と鼻を鳴らし妹は答える。口角に力を入れ、不遜な笑みを作った。
大丈夫なわけがない。今日はライブ、しかも初めてのソロでの登壇があるのだ。心臓が痛い。マイクを握る手が震える。表情だって、意識して作らないとすぐに不安で歪んでしまいそうだ。
けれども、そんなことは言っていられない。だって、皆待ってくれているのだ。自分を、『グレイス』の歌を、パフォーマンスを、存在を。怯えてなんていられない。待つ人々に応えるのが、今の自分にできる全てだ。
ふっと目を細め、少女は唇を吊り上げて笑う。躑躅の瞳には、確かな覚悟の光が、矜持の光が、高揚の光が宿っていた。
「私を誰だと思ってるの? 完璧にやりきってみせるわよ。だから、見てなさい」
僕らはもう臆することなんてないのだから/ライレフ
AOINOさんには「僕らは臆病だった」で始まり、「私はこの人に惹かれている」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。
僕らは臆病なのだと思う。
想いを通わせ合って――所謂『恋人』になったというのに、まだそれらしいことなど一つもできていないのだ。
これが関係が始まってすぐならばおかしくないだろう。だが、もう付き合ってから一ヶ月以上経つのだ。口づけはおろか、今まであったハグや手を繋ぐことすらなくなった。関係が変わる前までは当たり前のように触れ合っていたというのに、愛しあった途端これだ。より強い繋がりを持ったはずだというのに、より希薄な触れ合いになってしまった。
互いに触れることを恐れているのだ。もし嫌がられたら。もし嫌われたなら。手を伸ばすだけで、そんな恐怖が襲うのだ。臆病者たちは、いつまで経っても進めない。
「烈風刀ー。風呂上がったー」
愛しい音が鼓膜を震わせる。視線を向けると、タオルを首に掛けた雷刀の姿があった。湯で温まった肌はほんのりと色付き、どこか艶やかだ。
短絡的な思考にぶんぶんと頭を振る。こんな姿、見飽きているというのに、『恋人』になってからは妙に意識してしまう。なんと破廉恥か。なんと浅ましいのか。ただが風呂上がりの彼にこんなに胸を高鳴らせるなんて。
「どした? なんかあった?」
「いえ、別に。お風呂入りますね」
「ストップ」
立ち上がろうとする己の前に、朱い影が立ちはだかる。逆光で陰った目には、薄く憂惧が浮かんでいた。
「まーた一人で考え込んでんだろ」
「そんなこと――」
「嘘吐け。オニイチャンには丸分かりですー」
おどけた言葉だが、そこにある思慮は確かなものだ。彼はこういう時敏い。そして、誰よりも尽くそうと動くのだ。
「とりあえず言ってみ? 楽になるかもしんねーし」
隣に腰を下ろした兄がじっと覗き込んでくる。ニッとした明るい笑みの裏には、思いやりが溢れていた。
あぁ、敵わない。
自分は、この温かな、何もかもを慈しむ彼に、こんなに惹かれているのだ。
だから。
「らいと」
震える声で愛しい人を呼ぶ。吐き出した音は、みっともなく掠れていた。
胸を巣食う臆病を振り払い、座面に放り出された大きな右手に己の左手を伸ばした。
どんな形でも、貴方と/神十字
葵壱さんには「永遠なんてない」で始まり、「いつか僕を見つけてください」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以内でお願いします。
「永遠なんてありませんよ」
当然の事実を口にする。途端、目の前の紅玉が苦々しげに眇められた。
「さっきはあるっつってたじゃん」
「子どもの前でそんなことは言えないでしょう」
大体貴方が一番分かっているでしょうに、と呆れた調子で続ける。う、と濁った音が引き結ばれた唇から漏れた。
ずっといっしょなんだ。えいえんにぼくがまもるんだ。
己よりもずっと小さい、妹のような存在を抱き締め宣言する幼子に、そうですね、と頭を撫でたのが十数分前。仲間たちと遊びにいった小さな兄貴分の背を見送った後、神は言ったのだ。永遠を信じてるなんて可愛いじゃん、と。
「けどよぉ」
「けども何もないでしょう」
無意味に食い下がる彼に、ほのかに苦みを含んだ笑みを返す。子どもを諭す時と全く同じだ。悠久の時を生きる存在だというのに、彼は時折こうも幼い姿を見せる。
「子どもにも言やぁいいのに」
「そんなことできるわけがないでしょう」
馬鹿ですか、と冷たく言い放つと、そこまで言うことねぇじゃん、とむくれた声が返ってくる。
幼き子どもは『ずっと』『永遠』を夢見る。頬を紅潮させ永久に思いを馳せる姿は可愛らしいものだ。そんな可憐な夢を大人が壊していい訳がない。受け止めて受け入れてやるのが自分たちの務めだ。
「オレには言うのに」
「子ども扱いしてほしいんですか?」
「そうじゃねぇよ」
いじわる、と頬を膨らませる様子に思わず笑みをこぼす。子ども扱いなどせずとも、反応は子どもなのだから面白い。相手は敬うべき神であることを忘れてはいけないのだが。
「分かってくださいよ。というか、分かっているでしょう? 神様」
「……分かってんよ。分かってんけどさ」
永遠に一緒にいてーもん。
ぽつりと呟く声が手入れされたくさはらに落ちる。遠くから聞こえてくる子どもの声が、どこか小さくなったように思えた。
「な、んですか、それ」
ハハ、と思わず笑いが漏れる。音に反して渇ききった、愉快さなど欠片も無い呆然としたものだ。ほのかな悲哀すら滲んでいた。
「人間が永遠に存在できるはずなどないでしょう。そんなの、貴方が誰よりも知っている」
突き放すような蒼の言葉に、焔色の瞳が苦しげに歪む。事実を知っているからこそ――経験しているからこその顔だ。変えられないと知っているからこその表情だ。
力強く唇を噛み締め地を見つめる愛しい人の頭に手を伸ばす。燃え盛る炎のように鮮やかな髪に触れ、丸い頭蓋に沿って撫でた。
「永遠なんてありませんよ」
歌うように同じ言葉を口にする。ギリ、と歯が擦れる嫌な音が午後の空気に落ちた。
「けど、いなくなるまで一緒にいることはできるでしょう?」
「やだ。ずっとがいい」
「子どもみたいなこと言わないでください」
唇を尖らせた愛する神に、思わず笑みがこぼれる。先ほどまであった乾きは失せて、あるのは慈しみだ。子どもに対するそれと同じである。
地に吸い込まれていた顔が突如上がり、紅が蒼を射抜く。黒のロングコートに包まれた腕が伸ばされ、己の背に回された。ぎゅっと潰れそうなほどの力で抱き締められる。
「やだ」
「やだ、じゃありません」
聞き分けてください、と願いの言葉を口にする。己に言い聞かせる言葉でもあった。だって、こんなにも求められたら応えたくなるではないか。応えられないと分かっているのに、叶えてやりたくなるじゃないか。そんなこと、人間にできっこないのに。
「そうだ。『輪廻転生』という言葉を知っていますか」
「何だよ、突然」
懐疑と少しの怒りが混じった音が耳に直接注ぎ込まれる。構わず言葉を続ける。
「簡単に言うと、人は生まれ変わるということです」
「だから、何」
「生まれ変われば、ずっと一緒にいられるのではないですか?」
それこそ、永遠に。
歌うように、祈るように、言葉を口にする。戯れ言を唱える。そんなの、まやかしでしかない。分かっていても、『永遠』を共にするにはこれぐらいしか思いつかなかった。
いたずらげに笑い、青年は微笑む。淡いそれには、諦観が浮かんでいた。
「生まれ変わっても、僕を見つけてくださいね」
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明日は二人きりで【嬬武器兄弟】
明日は二人きりで【嬬武器兄弟】
嬬武器兄弟お誕生日おめでと~~~と前日からプロット練ってたけど当日間に合わなかったので今更供養。前日に2本も書けるわきゃねぇんだよなぁ……。
付き合ったり好き合ってるつもりは微塵もないけど同生産ラインで腐向けを量産しているので怪しい。ご理解。
この話と繋がってるような繋がってないようなそんな感じの話。
改めてお誕生日おめでとう。
夜の陰落ちるアスファルトの上を足音が二つ転がっていく。陽が沈んで随分と経った住宅街に落ち行く固い音色を奏でるのは、普段の履き慣れたスニーカーではなく新品の革靴だ。汚れ一つ無い真っ白なそれは、街灯が照らす夜道の中でほのかに光って見えた。
「パーティー楽しかったな!」
「えぇ。何より、レイシスが楽しんでくれたようですからね」
「そそ。レイシス、ずーっと笑ってたもんな」
よっぽど楽しかったんだろうなー、と喜色に満ちた声は白を形取り、ふわりと浮かんで空へと消えていく。喜びで華やかに彩られ緩んだ頬は、うっすらと紅が滲んでいた。
えぇ、と応える穏やかな声。その音も、普段の怜悧でシャープな輪郭を失い、わずかにとろけていた。ふ、と柔らかに吐き出した息も同じく白になり、闇夜に舞って消えた。
本日は一月十八日。己たちが愛し守るべき少女、レイシスが――そして、この世界が生まれた記念すべき日だ。この世で一番大切であるその日を盛大に祝い迎えるため、兄弟と仲間たちは一ヶ月ほど前から誕生日パーティーの準備を進めていた。多忙な運営業務の合間と主役である薔薇の少女の目をかいくぐりつつ用意した舞台は、仲間たちの多大な助力もあり大成功を収めた。今日一日、満面の笑顔を咲かせはしゃぐ彼女の姿を見ることができた。それだけで企画した甲斐があったというものだ。
「オレらも誕生日だしなー」
「……そうでしたね」
そんな賑やかで晴れやかなパーティーであるが、本日の主役で祝われる少女が驚愕の表情とわずかな怒りを見せる場面があった。兄弟二人して自身の誕生日をすっかり忘れていた、と発覚した時のことだった。
一月十八日はレイシスの誕生日。何より大切な日。世界で一番めでたい日。
そのような意識があまりにも強く、己たちの誕生日など完全に忘れていた。この日、この世で最も喜ばせるべき彼女に、信じられないとばかりに目を丸くさせ、自分たちのことも大切にしろ、と諭すほどの事態を招いたのは、今回唯一の瑕疵だ。まさかこんなことで愛しい少女の記念すべき日に傷を残してしまうなど思ってもみなかった。ちゃんと覚えてくだサイ、とまろい頬をぷくりと膨らませた彼女の姿と強い言葉は胸に刻むべきである。少なくとも、生きている間は。
「オレたちはすっかり忘れちまってたけど、レイシスは覚えててくれたし? 嬉しいよな。オレたち以上にオレたちのこと考えてくれてるってことじゃん」
「あー……まぁ、そういう解釈もできますね」
にへらと呑気に口元を緩ませる兄に、弟は呆れた調子で返す。しかし、そんな彼が紡ぐ音も片割れ同様にどこか綻んでいた。愛している人が己たちのことを覚えていてくれた。考えていてくれた。想っていてくれた。随分と都合の良い解釈だが、忘れずにいてくれたことは紛れもない事実である。あの鮮やかな桃の少女に想いを寄せる少年たちが喜ばないはずなどなかった。
「烈風刀」
声とともに、朱い瞳が隣を歩く碧を見る。コートのポケットに手を突っ込み、少し屈んで己と対の色を覗き込む姿は幼さを思わせるものだ。蒼玉を見つめる紅玉には、喜びと愛おしさがにじみ幸いの色を成していた。
「誕生日おめでと」
ニッと口角を上げ、雷刀は祝いの語を紡ぎ出す。いたずらげな表情とは裏腹に、響かせる音色はふわりとまあるく柔らかで温かさに満ちていた。
兄の言葉に、浅葱が瞬く。少しだけ瞠られたそれがゆっくりと細まり、ゆるいカーブを描いた。唯一無二の兄弟を見つめる瞳は、優しく愛おしげな、大切なものにそっと触れるようなものだった。
「雷刀こそ。誕生日、おめでとうございます」
ふふ。へへ。幸福で染められた笑声が、薄闇を纏う夜道にこぼれ落ちる。穏やかな音色を耳にし、胸にしまいこんだのは、朱碧の双子だけだった。
「よーし! ケーキ買ってこうぜ! オニイチャンがおごってやんよ!」
腕まくりをするようにコートに包まれた二の腕をがっちりと掴み、朱い少年は張り切って宣言する。髪と同じ色をした睫に縁取られた大きな目は、夜闇を照らすように輝いていた。天上の黒を彩る星たちとよく似た光をしていた。
「もうどこのお店も閉まってますよ」
やる気に満ち溢れた炎瑪瑙を、苔瑪瑙が苦い笑みを浮かべて見やる。つややかなそれには、呆れと少しの寂しさが宿っていた。
パーティーとその片付けを終えた今、二人で暮らす部屋への帰り道、夜の帳はすっかりと落ちきり世界をすっぽりと覆っていた。一般的な店はとうに閉店時刻を過ぎている。ケーキを買うなど無茶な話だ。大体、雷刀の財布の中はいつだって寒風が吹き荒ぶっている。テンションに任せておごるなどと言っているが、実現は不可能であろう。
えー、と朱は不満げな声を漏らす。せっかく思い浮かんだ名案が一言で崩された彼の唇は、ほのかに尖っていた。子どもそのものな姿に、碧は少し苦みを漂わせ息を吐いた。ふ、と細い音と白が夜を彩る。
「明日二人で買いに行きましょう。朝の早い内に行けば、たくさんの種類がありますよ」
ネメシスでケーキといえばCafe VOLTEだ。常から多くの女性客で賑わい売り切れになることもしばしばなかのカフェだが、昼前に行けばそんな心配などなく多種多様なケーキに出会えるだろう。個数限定品を買うのは無理でも、常時販売しているものや季節限定品は手に入れられるはずだ。問題は、朝にすこぶる弱い兄が起きられるかどうかという点だが。
なるほどなー、としょげた様子をしていた片割れは感心したような音を漏らす。よし、とあげた声は一転して明るく、夜空に響き渡りそうなほど大きなものだった。
「じゃ、明日は早く起きねーとな!」
「起きれるんですか?」
「起きれるかじゃなくて、起きるんだよ」
何故か得意げな声音で紡ぎ、兄はトンと拳で胸を叩く。調子の良い台詞に、弟はふ、と呆れた息をこぼす。そこには愛しさを孕んだ響きが混じっていた。
「じゃ、さっさと帰って寝よーぜ」
ほら、と雷刀は隣を歩く烈風刀の手を掴む。冷えたそれを離すまいとばかりにぎゅっと握り締め、少年はタッと軽やかに地面を蹴り駆け出した。
唐突に手を引かれ、碧い少年はえっ、と驚きの声をあげる。たたらを踏むように彼も走り出した。
「ちょっ、と、雷刀! 危ないでしょう!」
「だいじょぶだいじょぶ!」
咎める声に、おどけた声。強く握り力強く引く手に諦めたのか、碧は足を速め、薄ら闇を走る朱の隣に並んだ。隣までやってきた喜びを表すように、重なり繋がった手が緩く振られた。にひ、と喜色をあらわにした笑みが八重歯覗く口からこぼれ落ちた。
「まずはお風呂に入らなければいけないでしょう」
「わーってるって」
だから早く早く、と雷刀は足の動きを速めていく。烈風刀も、後れを取るまいと負けじと強く地を蹴った。
街灯に照らされた夜道を駆け行く軽やかな音が、星瞬く天空へと響いていった。
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神として在らんことを【神+十字】
神として在らんことを【神+十字】五月十日はGottの日!
ということで神様と十字さんの話。足し算のつもりで書いたけど向ける矢印の重さが腐向けのそれな気がしてならない。ご理解。
神様ってなんだろうねって話。
深い水底に沈んでいたものが、うっすらと自我を取り戻していく。身を包む黒く温かなものを振り払い、世界を認識する機能は光差す水面へとゆっくり浮かんでいった。
色の薄い瞼がひくりと揺れる。いくらかの動きの後、若草の睫でステッチされた白い帳が持ち上がった。透ったそれの向こう側から姿を現した浅葱は、眠気にけぶりぼやけた色をしていた。
カーテンの裾から差す陽光が視覚を刺激する。ガラスの向こうで鳴く鳥の高い音が聴覚を刺激する。小麦が焼ける甘くも香ばしい匂いが嗅覚と起き抜けの胃袋を刺激した。
あぁ、もう朝か。ようやく世界を再認識し、青年は指でまだ重苦しい目元をこする。肌と肌とが擦れ合う触覚が、ぼやける視界と意識を少しずつ晴らしていった。
あれ、と常の聡明な動きを取り戻せずにいる脳が疑問符を浮かべる。陽の光は新たな朝を迎えた証だ。鳥たちの高い囀りも、日が昇ったという証左だ。では、この胃袋をくすぐり覚醒へと至らす香りは何だろうか。普段目覚める時、こんな香りがすることはない。キッチンに立っている時や皆で食事をするときに味わうそれが、何故ベッドの上で微睡む今伝わってくるのだ。寝起きで解くにはなかなかに難しい謎である。
しばしの空白、睡魔に足を取られ動きの鈍る頭がひとつの仮説を唱える。まさか。いやそんなことは。胸中で否定を繰り返しながら、蒼は急いで起き上がり隣を見る。いつもならばそこに散らばる鮮烈な緋色はどこにもない。あるのは、綿いっぱいの白い枕一匹だ。
起き抜けの頭を焦燥感が塗り潰していく。投げ捨てるように布団から抜けだし、青年は転げ落ちるようにベッドから飛び出て部屋を出る。バタバタと彼らしくもない忙しない足音は、一直線にダイニングへと向かっていった。
勢い良くダイニング、そしてキッチンへと続く扉を開く。盛大に響いた音に、窓際、調理台の前に立った黒い肩がびくりと跳ねるのが見えた。動揺を露わに、慌てた調子で細い身が翻る。ふわりと揺れる赤の向こう、丸く瞠られた紅水晶の中に、焦りでふるふると揺れる藍水晶が映し出された。
「あぁ、おはよ」
視界に飛び込んできた色に、紅は見開いた目を柔らかく細める。朝の挨拶を歌う口元は穏やかに解け、奏でる音色は愛おしさに満ちていた。愛する者の下に新しい朝が訪れたのを祝福する響きだった。
「……おはようございます」
機嫌の良さそうな敬い奉るべき者の姿に反し、唯一の信者はぐっと眉根を寄せる。しかめられた顔も、詰まったように一拍置いて返す声も、どちらも酷く気まずそうなものだ。当たり前だ、己の寝坊が原因で信仰対象に朝食を作らせるなどという事態を起こしたのだ。後悔に苛まれ、罪悪感に心が刺し貫かれるのも必然である。
「タイミングいいな。ちょうど飯できたとこだ。食おーぜ」
手にしたトングを軽く振り、紅い神は弾んだ声と弾ける笑顔を向ける。眩しいほどのそれがまた蒼い青年の罪悪感を煽った。槍となった暗い感情が、グサグサと小さな心を突き刺す。痛みが表情に出ていたのだろう、目の前の明るい表情が不思議そうなものへと移り変わった。
「どした? まだ眠い?」
調理器具をまな板の上に置き、紅は大股でドア、そこに立ち尽くす蒼へと向かう。そう広くない室内では、ほんの数歩進んだだけで二人の距離は触れそうなほど詰められた。
普段は黒いグローブに包まれた手が持ち上げられる。寝癖ついてら、と大きなそれが少し跳ねた花緑青を撫でる。声も眼差しも手つきも、どれも親が子に向けるそれとまるきり同じだった。
「あ、ぁ、いえ、何でもありません」
きゅるりとした瞳でこちらを覗く彼に、焦った調子で言葉を繕って返す。ようやく眠気の霧が晴れたターコイズの瞳は、ゆらゆらと揺れていた。依然残る後悔と罪悪感、幼子のように扱われる羞恥と心地よさがぐちゃりと混ざって胸を染める。うぅ、と子どもじみた音が喉から漏れ出た。
「まぁ、いつもより早いもんな。眠いのも当たり前か」
そう言って、柘榴石が壁へと向けられる。同じ動きをした孔雀石に、丸い掛け時計が映し出された。
十二の文字が書かれた文字盤、その上を歩く針は、普段の起床時間よりも二十分は早い時刻を指し示していた。いなくなった紅に慌てふためき時計など見ていなかったが、どうやら休日なのに随分と早起きをしたらしい。それ以上に神を早く起こし、あまつさえ一人で料理などさせたという事実が新たな槍となり胸を刺した。
「冷めちまう前に食おーぜ。顔洗ってきな」
若芽芽吹くくさはらのような頭を撫で梳かす手が滑り、流れるように頬を撫ぜる。すり、と柔らかな肌を固い指がなぞった。直接の温もりはすぐに過ぎ去り、ぽんぽんと薄い寝間着に包まれた肩が叩かれた。
はい、と返す声は己でも驚くほど沈んでいた。しょぼくれている、と言った方が正しい音色だ。これではいじけた子どもではないか。あまりの幼稚さに、ぅ、と苦々しい音が喉から落ちた。
逃げるように足早に洗面所に向かい、乱雑に顔を洗う。早くせねば、せっかくの料理が冷めてしまう。作らせた上に待たせ、冷え切った悲しい食物を摂らせるなんて事態は絶対に避けねばならない。端が濡れた前髪を拭うことも忘れ、蒼は再び廊下を忙しなく走り、もつれるように着替えを済ませてダイニングへと戻った。
狭い室内、その隅に置かれた二人掛けのテーブルの上には、四枚の皿と二つのカップが並べられていた。丸く白い磁器二枚には、焼かれた食パンが丸一枚ずつ載っている。残りの二皿には、焼かれたベーコンと野菜が盛られていた。同じく汚れない白の容器の中に入った液体は薄黄金色で、小さな野菜の欠片が浮いている。昨晩作ったスープの残りだろう。
どれも、己が本当に時間を惜しんだ時に作る簡素な朝食と内容が同じだ。時折調理中に手元を興味深そうに覗いてくることがある彼のことだ、きっと一番簡単なこれを真似たのだ。買い出しを直前にしていた今日は食材の残りがあまりなく、選択肢自体が少なかったこともあるだろう。
「これぐらいしかできなくてごめんな?」
「い、いえ。そもそも、貴方に料理させること自体間違っているのですから」
申し訳なさそうに眉を八の字に下げる神に、青年はすみません、と謝罪の言葉を返す。途端に、目の前のルビーが鋭く細まった。八重歯がチャームポイントの口元はまっすぐに引き結ばれ、シャープな輪郭を描く頬が幼い子どものように丸く膨らむ。不満がありありと分かる表情だ。
「たまにはこういうことやらせてくれよ。楽しそうなんだし」
ほら座れって、と紅はすっかり自身の定位置となった席に腰を下ろす。その向かい側、一人きりの頃から使っていた席に蒼も座った。
「あったかいうちに食ってくれよ。頑張って作ったんだしさ」
へらりとはにかみ、神は願う。記憶が正しければ、彼が一人きりで料理をしたのはこれが初めてだ。手先が器用なのは知っているが、たった一人で全てをこなすのは多少なりとも苦労はしただろう。頑張ったのは本当のことであるのは分かりきっていた。
それを無駄にすまい。してはいけない。ふるふると軽く頭を振り、青年はではいただきます、と小さく頭を下げた。
きつね色というにはいささか濃い色味をしたトーストに手を伸ばす。外見から想像された通り、掴んだ縁は普段己が焼くそれよりもいくらか固い。口を開き、行儀良くかぶりつく。パリ、と小気味よい音と香ばしい匂い、固い舌触りと少しの苦みが五感を刺激した。顎を動かし、しっかりと咀嚼する。小麦の甘さの中に焦げた苦みは混ざるものの、美味しい部類に入る。初めて一人で作ったことを考えると、十二分な出来だ。
香ばしさがよく表れたトーストを噛み締めつつ、苔瑪瑙が向かい側の炎瑪瑙をちらりと窺う。相手も、もごもごと大きな口を動かし食パンを口にしているところだった。自ら手製の料理を見るまなこは不可思議そうに丸くなっている。舌を撫ぜる苦みの原因を理解できないのだろう。『焦げ』の概念をあまり知らない彼にとって、パンとはいつだって甘くて香ばしくて美味しいものなのだから。
随分と人間臭くなったものだ、と蒼はそっと目を伏せる。出会った頃は食事なと不要、捧げ物の食物など不要、気にするな、と笑い飛ばしていたのに、今では誰よりも食を楽しんでいる。もちろん、街の人々や暮らす仲間たちの前で『人間』に擬態するための行動でもある。しかし、最近では子どもたちと一緒に料理をするほど、料理する己の手元を楽しげに眺めるほど、やりたいと積極的に手伝いをするほど、味覚を刺激するこの文化に強い興味を示していた。
いいのだろうか。何かが問いかけてくる。悪くはないだろう、と何かが答える。良くもないだろう、とまた別の何かが反論した。
「……まずかった?」
「へ?」
「だって食わねーでずっとこっち見てるし……」
対面から飛んできた声に、青年は少し裏返った声を返す。思考の海に沈んでぼやけた視界にピントを合わせる。目の前におわす神は、不安げな表情を浮かべていた。眉尻は下がり、きらめくガーネットはほのかに陰っている。漏らす声はしょんぼりとしたものだ。
「そんなことありませんよ」
これ以上気落ちさせまい、と慌てて否定する。確かに少し焦げてはいるものの、まずいなんてことは欠片も無い。今まで見てきただけ、料理初心者が作ったにしては上出来な仕上がりであった。
「美味しいですよ。ありがとうございます」
ふわりと笑い、青年は焼かれたにんじんにフォークを立てる。少し厚いそれを運んで一口。表面に黒がポツポツと浮かぶ橙は、中まで火が通っておらず少し固かった。根菜の火通りの確認は難しいから、と心の中で叫ぶ。初心者に十分な火の管理を任せるだなんて無茶である。焼いて食べやすくしようとしただけでも十分な気遣いだ。そも、崇拝する神が作ったものに文句を言うことなど許されない。
美味しい、と安心させるようにもう一言。手が進んだのもあってようやく安堵したのだろう、ほっと息を吐く愛おしい色が視界を彩った。
緩やかな会話の中、二人は食事を勧める。対面の皿が一枚空っぽになった頃、八重歯覗く赤い口がなぁ、と問いの音を奏でた。
「今日って洗濯以外になんかやることあったっけ?」
「そうですね……天気がいいですし、掃除して換気もしましょうか」
「分かった」
用意しとく、と言って、紅はベーコンにフォークを刺す。よく焼かれた薄いそれは、軽い音をたてて割れた。破片をどうにか銀の上に乗せそっと口元に運ぶ姿に、思わず笑みがこぼれた。
本当ならば家事の手伝いなどさせたくない。何しろ、相手は神様である。そんなことをさせるなど、不敬以外の何物でも無い。しかし、それが神たっての希望ならば話は別だ。望むものをただが人間一人の利己的感情で曲げ捧げないのも、また不敬であった。
カラトリーの小さな合唱が途絶え、二人分の食器が空になる。片付けは僕がしますね、と蒼は先んじて立ち上がり、机上の食器を重ねて回収した。きょとりと丸くなった緋色がしばし泳ぎ、分かった、といくらか不満げな響きが混じった声が返される。どうやら後片付けまで自分で済ませるつもりだったようである。さすがにそこまでやらせるわけにはいかない、と青年は手早く机上を片付けた。
重ねた皿をシンクに運び、置かれたままになっていた調理器具とともに洗っていく。パンくずや油が付いた食器類は、水と洗剤によって綺麗に磨かれ元の姿を取り戻していった。
本当にこれでいいのだろうか。流れる水をぼんやりと眺め、蒼は宙空に問う。ここまで人間臭い生活をさせていいのだろうか。こんな、人間そっくりの生活をして、彼は神で在ることができるのだろうか。願いを叶えるだなんて言い訳をして、己がかの神をヒトに堕としているのではないか。
様々な疑問が脳内を巡る。疑問というにはいささか語気が強く、責め立てるものだった。答えのないそれが、脳味噌を、心を殴っていく。言い返せない惨めな己は、蹲り丸くなって逃げることしかできなかった。
彼はニンゲンの生活を楽しんでいる。『ニンゲン』らしさを謳歌している。神でありながら、ヒトを楽しんでいる。それは、本当に幸せと言っていいのだろうか。
「クロワー。準備終わったー」
正面、窓の外、庭から大声が飛んでくる。まさしく今思い浮かべていた存在が奏でる音だ。どうやら、考え事をしている間に洗濯の用意ができたらしい。ガラス挟んで向こう側の紅は、洗濯道具を抱えこちらに手を振っていた。
「今行きます」
窓を少し開けてしっかりと聞こえる声で返し、青年は急いで食器をすすぐ。真っ白な磁器には、もう何の色も残っていなかった。
視界を塗り潰す眩しい青の中、白がいくつもはためく。風に吹かれて揺れる様は、空を流れる雲にも似ていた。今日は青色一色の蒼天なのだから尚のことそれらしく映った。
「つかれたー……」
疲弊した声が地から上る。紅色は、大きな洗濯かごにもたれかかるように屈んでいた。あー、と濁った声がうつ伏せた真っ赤な頭からあがる。丸い穴に声をあげる姿は、童話のワンシーンを思い起こさせた。
数日ぶりの洗濯で量が多かったこともあるが、あまりに張り切り一人でたくさんこなそうとしたのが普段以上の疲労の原因であろう。数えきれぬ年月を過ごしてきた存在だというのに、かの者は時折子どものように力配分を見誤るのだから不思議だ。長い眠りから覚め、触れる新たな世界にはしゃいでいるのだろうか。それこそ、子どものように。
「休んでいてもよかったのに」
「二人でやった方がはえーじゃん。効率効率」
からかいにも似た苦笑を漏らす蒼に、紅は歌うように答える。そうですね、と返し、青年は洗濯ばさみが入った箱を手に取った。本当に効率を求めるのならば、洗濯する者と家の掃除をする者で分担するのが最適解だということは黙っておく。そもそも、それを知っていて二人で洗濯することを選んだ己も大概なのだ。
「掃除の前に一旦休憩しましょうか。紅茶でも淹れましょう」
蒼の言葉に、洗濯かごの中に突っ込むように伏せていた頭がバッと上がる。やった、と大きな口から可愛らしい声があがった。姿勢悪く屈んでいた黒い身がすくりと立ち上がる。腕には今の今までもたれかかっていた大かごが抱えられていた。片付け茶を嗜む準備万端である。
「あっ! こないだ子どもらと作ったクッキー残ってたよな? あれも食おう!」
ピンと指を一本立て、神は朗らかな笑みを浮かべる。青空の下つやめく翡翠を見つめる瞳は、名案だ、というようにキラキラと輝いていた。
「……そうですね」
そうしましょう、と返す声に、やったー、ともう一度歓喜の声が上がる。待ちきれないとばかりに、紅は家の方へと真っ先に駆けていった。厳ついブーツに包まれたしなやかな足が、ザッザと音をたてて若い葉を散らす。風に吹かれ、蒼天に細かな新緑が上った。
紅茶にクッキー。子どもたちとよく共に食べるそれを、彼はいっとう好んでいた。特に、先日年長の子らと一緒に作ったクッキーはよほど美味しかったようで、まさしく夜空の一等星のように瞳を輝かせていたことを覚えている。湿気らないように厳重に保管しながら、一枚一枚大切に食べているほどだ。
子どもたちと共に食を楽しんでいる。
ヒトと共に食を楽しんでいる。
ヒトのように食を楽しんでいる。
ヒトのように暮らしている。
本当に良いのだろうか。また何かが同じ問いを重ねる。本当に、このまま彼はヒトのように過ごしていいのだろうか。ヒトらしく生きていいのだろうか。
いいのだ、と心の中で呟く。ヒトとの暮らしを忘れてしまうほど長い眠りから目覚めた彼が、こんなにも楽しそうに暮らしているのだ。どこに問題があるのだろう。ヒトじみているのが何だ。こんなちっぽけなニンゲンとの暮らしを、愛慕うべき存在が楽しんでくれている。崇拝すべき存在を楽しませている。それの何が悪いのだ。神という万物を超越した存在だけれども、生を謳歌することに悪いなんてことは一切無い。無いはずなのだ、と胸中で何かが叫び声を上げた。
そうだ、崇め奉るのだ。敬い愛すべきなのだ。そうすれば、彼は存在することができる。それが己ただ一人であろうとも、彼を『神』と観測する者がいれば、彼は『神』で在ることができるのだ。
大丈夫。大丈夫。青年は小さく頷く。それは小さな子におまじないの言葉をかける時のそれとよく似ていた。
クロワ。
愛おしい神が矮小なニンゲンの名を呼ぶ。洗濯かごを脇に抱えた紅は、早く早くと言わんばかりに家の戸の前で大きく手を振っていた。
今行きます。
穏やかな声で返し、蒼は身を翻す。 存在を望む者の下へと、軽やかな足取りで駆けていった。
家の外、陽光燦々と降り注ぐ庭には、いくつもの白がはためいていた。
畳む
#ライレフ #腐向け