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書き出しと終わりまとめ16【SDVX】

書き出しと終わりまとめ16【SDVX】
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あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその16。相変わらずボ10個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:プロ氷1/嬬武器兄弟2/ニア+ノア+レフ1/ライレフ2/レイ+グレ1/氷雪ちゃん1/ノア+レフ1/恋刃1

見上げる貴方/プロ氷
葵壱さんには「届きそうで届かない何かがあった」で始まり、「そう思い知らされた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字)以内でお願いします。


 届きそうで届かなくて、ぐっと背伸びをする。つま先に力を入れめいっぱい腕を伸ばしても、目当てのものには指先がわずかに触れるのがやっとだ。もうちょっと、というところで、それは大きな手に掴まれ消えた。振り返ると、そこには今まさに取ろうとしていた保存容器を片手に持った識苑の姿があった。
「これ?」
「ぁ、はい。ありがとうございます」
 差し出された容器を受け取り、氷雪は礼を言う。ようやく手にすることができた安堵と、手間を掛けさせてしまった申し訳なさが胸を渦巻いていく。常磐色の目が薄く伏せられた。
「片付ける場所変えなきゃだね」
 ごめんね、と言って青年は困ったような笑みを浮かべる。いえ、と慌てて否定の言葉を返すが、変更すべきであるのは事実だ。保存容器を一番利用する自分が手に届かない場所にしまっておくのは非効率的だ。
 台所上部に設置された棚の扉を閉じる大きな恋人を見上げる。普段よりも少しだけ首に負担が掛かるのは気のせいではない。常は下駄でいくらかかさ増しした身長は、今はスリッパによって正常な数値になっている。見上げる角度が増すのも自然なことだ。
 それが少しばかり悔しい。自分がもっと身長が高ければ、もう少しだけ釣り合いが取れるのに。今のように迷惑を掛けなくても済むのに。隣に並んでいても自然なのに。湧き起こる暗い感情に、少女はきゅっと唇を結んだ。
「どしたの?」
 下から愛しい桃色が現れる。いつの間にか俯いてしまっていたらしい。眼鏡の奥の夕陽が、心配げな色を宿してこちらを覗き込んでいた。
「いえ。何でもありません。取ってくださりありがとうございます」
 ぱっと顔を上げ、否定と感謝の言葉を吐く。本当に大丈夫だ、と示すように微笑んでみるが、きっとぎこちなく映るだろう。それがまた自己嫌悪を誘う。
 腰を屈め目線を合わせたまま、識苑はそっか、と笑った。優しい彼は、自分がまた余計なことを考えているのを理解しているのだろう。その上で触れずにいてくれるのだ。子どもの自分なんかより、ずっとずっと大人な恋人は。
 下駄を履いて背伸びをしないと、わざわざ屈んでもらわないと、目すらまっすぐに見られない。身長も、年齢も、全く釣り合わない。そう改めて思い知らされた。




痛いと言っても離してやらない/嬬武器兄弟
AOINOさんには「泣き虫が笑った」で始まり、「もう会えないかもしれないと思った」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以上でお願いします。


 ボロボロと涙をこぼす泣き虫が、ぱぁと表情を輝かせ笑った。れふと、とまだ涙に濡れた声が元気に己の名を呼んだ。
「れふとぉ!」
「ばか!」
 ずびずびと鼻を啜りながら駆け寄ってくる兄を、弟は怒鳴りつける。泣き腫らし赤くなった目の端から、ぽろりと涙が一粒落ちた。
「な、んで、一人で走っていくのですか! 『手を繋いでいよう』って、言ったじゃないですか!」
 週末のショッピングモールは混んでいた。まだ小学生、しかも何にでも興味を示しすぐにどこかに行ってしまうような兄と二人で出かけるのには向かない場所だ。それでも、買いたいものがあったのだから行くしかない。学校帰りに寄るには難しい距離なのだ。
 家を出る前から『二人で手を繋ぐ』『一人で行動しない』『どこかに行きたいなら事前に一声掛ける』と約束していた。事実、途中まではきちんと守っていたのだ。ここに入りたい。あれを買いたい。手を繋いで邪魔にならないように歩きながら、二人で珍しい遠出を楽しんでいたのだ。
 気がついた時には、右手の温もりは無くなっていた。辺りを見回しても、大切な朱はどこにもいない。はぐれたのだと理解した瞬間、サァと血の気が引くのが己でも分かった。
 公共の場だ、大声で名前を呼んだり駆け回って探すのは良くない。まずは、元の道を戻ってみなければ。そうして一店舗一店舗確認しながら来た道を丁寧に戻るが、最初に来た出入り口に戻ってきても片割れの姿は見つからなかった。鼻がツンと痛くなるのを我慢しながら、念のため持っていたリーフレットを確認する。『迷子センター』と書かれた場所目掛けて、碧は逸る足を押さえながら向かった。
 結果、そこに兄はいた。開けたその場所、ボロボロと泣いて店員に縋る朱色の姿を見てどれほど安堵したことか。どれほど怒りを覚えたことか。結果、真っ先に発露したのは罵声二文字だった。
 あんなに言ったのに、と弟は漏らす。苦しさと悔しさと怒りが強く滲んだものだった。ごめん、と鼻を啜りながら兄は返す。どちらも涙で潤んだものだった。
 力なく垂れ下がった左手に腕を伸ばす。そのまま、紅葉のようなそれをぎゅっと握った。ここで捕まえておかねば、またどこかに行ってしまう。いつでもその場の衝動で動くのだ、この兄は。
 見かねたのか、見つかってよかったわねぇ、と店員が優しい声で語りかけてくる。ご迷惑をおかけしました、と烈風刀は深々と頭を下げた。慌てて雷刀も弟を真似る。
「行きますよ」
「うん……」
 固い声で言い放ち、弟は握った手を引く。しょぼくれた声が返ってきた。人の少ない場所を選びながら通路を歩いて行く。気を付けてね、と穏やかな声が背中から聞こえた。
「……よかったぁ。もう会えないかと思った」
 そう言って、兄は握る手に力を込める。今度こそはぐれまいという意志がひしひしと伝わってきた。
 もう会えないかもしれないと思った。それはこちらの台詞だ。まだ少し痛む鼻をすすり、弟は繋いだ手を力いっぱい握った。




日焼け対策は万全に/ニア+ノア+レフ
葵壱さんには「守りたいものはありますか」で始まり、「夏が始まる」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。


 守らねばならないのだ。今、彼女らを守ることができるのは己しかいないのだから。
「二人とも、ちゃんと日焼け止め塗りましたか?」
「塗ったよー!」
「ちゃんとニアちゃんに背中も塗ってもらったよ」
 ビーチパラソルの下、日焼け止めのチューブ片手に烈風刀は頭二つは下の双子兎に問いかける。元気な挙手と声が返ってきた。証拠だと言わんばかりに、ノアはくるりと振り返りロングヘアを手で避けて背中を見せる。色が残らない薬品を塗った証拠というには乏しい光景だが、わざわざさらけ出して見せるほどなのだから信頼すべきだろう。
「それならよかった」
 少し険しくなっていた碧の表情が緩む。体質によるものの、日焼けは度が過ぎると翌日以降痛むのがほとんどだ。海の楽しい記憶を日焼けの痛さで上書きしてしまうような事態は避けるべきである。
「約束、覚えてますか?」
「足の付かないところには二人だけで行かない!」
「生き物には触らない!」
 もう一度問いを投げかけると、二人は宣誓するように手を上げ返す。どちらも前日から口を酸っぱくして言い聞かせてきた言葉だ。準備運動は、と追加で尋ねると、したよー、と双子はぴょんぴょんと跳びはねた。
 よし、と少年は一人頷く。とても素直でもう高学年の彼女らだ、約束をきちんと覚えていると信じていた。それでも、はしゃいだ状態ではそれを完遂できるかは怪しい。テンションが上がった人間が何をするかなど分からないことは、幼い頃から片割れの姿を見てきて痛感していた。きちんと注意を促し、いつでも手助けできるように観察するのは、今この場で保護者的存在である己が果たすべき役割だった。
「れふとは日焼け止め塗った?」
「塗りましたよ」
「……背中は塗ってないでしょー?」
 問いを返してきたノアに、烈風刀は優しい笑みで応える。少しの間の後、ニアはにやりと笑って少年の背中に回った。小さな手が、薄緑の上着の裾をぴらりとめくる。
「いえ、でも僕はパーカーを着ていますし大丈夫ですよ」
「後で脱ぐかもでしょ? 塗らなきゃダメだよ!」
「そーだよ!」
 いたずらげな手をそっと退けるが、今度は二人で挟むように前後から飛びつかれた。わわ、と揺らめく足に力を入れる。ちゃんと塗ろー、と兎の合唱がパラソルの下に響く。正論であった。
「……そうですね。後で塗っておきます」
「一人じゃ塗り辛いでしょ? ニアが塗ったげる!」
「ノアもー!」
 軽い足さばきで跳び上がり、姉兎は碧の手に握られていた日焼け止めチューブを取る。すぐさま後ろに回った妹兎が薄手のパーカーをバッとめくった。
「いえ、一人でも大丈夫ですから――」
「ほらほら、座って!」
「立ったままじゃ塗りにくいよー」
 烈風刀の抵抗は、ぴょんと跳んで肩を押さえつけるニアの手によって防がれた。柔らかい砂、その上に敷かれた大判のレジャーシートの上に尻餅をつくように腰を下ろす。ほらほら、とぐいと後ろに引かれ上着を剥ぎ取られる。筋肉の線が見える白い背が生地の下からあらわになった。
 パキン、とチューブの蓋が開けられる音。ねちゃ、と薬剤が捏ねられる音。ふんふん、と上機嫌な鼻歌。全てが己を置き去りにして愉快な合奏となって空に昇っていく。
 ここまできたら、もう逃げ場などないようだ。塗らねばならないという彼女らの言い分は確かなものであるし、塗ってもらえるならばそうした方がいいのだろう。相手が小学生、それもいたずらっこな女の子たちであるというのがいささか不安を覚えるのだけれど。
 塗るよー、と元気な声二つ。よろしくおねがいします、と観念して返すとほぼ同時に、ぬるい何かが背中に当てられた。小さなものが四つ、愉快げな鼻歌とともに背を駆け回っていく。二人がかりとはいえ、少し時間がかかるだろう。現に、背中に文字を書いて遊んでいるのだから。反応すれば長引くので耐えるしかないのだけれど。
 海遊びという夏の始まりはもう少し先のようだ。




疲れた身体には温もりが必要なのです/ライレフ
葵壱さんには「世界はいつだってかみ合わない」で始まり、「だから、もう少しだけ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以上でお願いします。


 世界はいつだって噛み合わない。
 テスト期間が始まって、ようやく終わったと思えば週刊アップデートの企画が舞い込んで。ようやく各方面への対応やコンテスト企画の立案を終わらせたと思えば、今度は世界のアップデートが決まって。
 忙殺という表現が相応しい日々だった。気を抜けばあまりの忙しさに押し潰されていただろう。最終的には皆ランナーズハイのようなものになっていたのは、きっと気のせいではあるまい。
 尻餅をつくようにソファに座り、烈風刀は背もたれに体重を預ける。たとえくつろぐためのソファとはいえども、もたれかかるなど行儀が悪いと分かっている。けれども、きちんと姿勢正しく座る気力などもう欠片も残っていなかった。帰宅し、あり合わせのもので食事を済ませ、シャワーを浴びただけで身体は限界を迎えたのだ。部屋に戻るために足を動かすのすら億劫だ。気が咎めるが、限界を超えて動けるほどのアドレナリンは尽きてしまった。
 カチャリと扉が開く音。ぺたりぺたりと力の無い足音がキッチンの方面へと向かうのが聞こえた。しばしして、また足音。重苦しいそれは、己のすぐ隣で止まった。どさ、とつい先ほど聞いたばかりの音とともに、座面が沈み込む感覚が襲う。次いで背もたれが揺れる。隣に座った兄が、己と同じようにソファに身体全てを預けたのだろう。
「れふとぉ」
「なんですか」
 力ない声に、力ない声で返す。もはや返事をするのすら面倒臭く感じる。どうやら己は思ったよりも疲れているらしい。相手も同じなのだろう、普段ならばぽんぽんと一方的に投げられる言葉は途絶えてしまった。
 こつん、と肩に小さな衝撃。同時に温かな温度と重み。朱がもたれかかってきたのだろう。確認しなくとも分かる。確認するために顔を動かすのも煩わしく思えた。
「……おつかれ」
「……おつかれさまです」
 耳に直接、彼らしくもない小さな声で労いの言葉が注がれる。どうにか同じく労う語を返した。長いアップデート企画期間、そしてロケテストに向けた準備のために共闘した相手である。同じほど頑張って、同じほど疲れているのは分かっていた。
 温かな呼気が肌を撫ぜる。そのまま眠ってしまいそうなほどの穏やかさだ。疲れ果てた状態で腹も満たされ温かな湯に包まれれば、眠気を覚えるのも仕方が無いだろう。心なしか、横から加えられる体重も増えている気がする。
 本当なら『寝るなら部屋で寝ろ』と言うべきなのだろう。そもそも、己も早く部屋に戻って寝るべきなのだ。こんなところでだらだらと座って時間を無為に過ごすのは身体にも良くないと分かっていた。
 けれども。
 肩に寄せられた朱い頭に、己も少しだけ身を寄せる。まだ濡れた感覚が肌から伝わる。常ならば不快に思うだろう。だが、今ばかりはその奥から伝わる温かなものが心地良くて仕方が無かった。
 日数を数えるのも面倒なほど頑張ったのだ。ちょっとぐらいなら、愛しい人とともにいても罰は当たらないはずだ。身体はもちろん、心にも休息は必要なのだから。
 だから、もう少しだけ。




いつだって見ていたいもの/ライレフ
葵壱さんには「ぱちりと目が合った」で始まり、「忘れたままでいてください」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字程度)でお願いします。


 薄くなった碧とぱちりと目が合った。
 やべ、と危機を覚えた瞬間、胸をぐいと押される。唇に灯っていた温もりが去っていく。代わりに、鋭い視線が向けられた。
「な、んで、目を開けているのですか!」
 先ほどまで触れ合わせていた唇をわなわなと震わせ、烈風刀は叫びに近い声をあげる。興奮のあまり少しひっくり返った音は、怒気と羞恥と混乱がごちゃ混ぜだ。つい先ほどまでの甘やかな雰囲気など消し飛んでしまった。
「いや、なんとなく……?」
 視線を逸らし、雷刀は言葉を濁す。真っ赤な嘘である。初心な恋人が期待に頬を染め、睫が震えるほど強く目を閉じ、こちらに身を委ね唇を差し出す様が見たかったのだ。あちらは毎回くっついてしまいそうなほど強く目をつむるので気付かれることはないと思っていたのだが、どうやらそう上手くいかないようだ。
「何となくで人の顔見るのやめてくれませんか」
 眇め睨めつける孔雀石は射殺さんばかりの強さを持っていた。恥ずかしさよりも怒りが勝ってきたようだ。奥手な彼の言うところの『顔』がどういうものかを指摘してやりたい気分になるが、怒りを買うだけだということぐらいさすがの己にも分かる。好奇心を無理矢理押さえ込んで殺した。
「は、ずかしいから、今度からはちゃんと閉じてください」
 僕にはいつも目をつむれというくせに、と恨めしげ声が飛んでくる。だってそう言わなきゃキスさせてくれねぇじゃん、といじけたように返す。ぐぅ、と喉が鳴る音が聞こえた。
 肩に添えていた手を離す。このまま久しぶりに睦まじく過ごす予定だったが、この調子では到底無理だろう。嘆息しそうになるのを堪える。元凶は己なのだから。
 ふと疑問がよぎる。目が合った。つまりはあちらも己のことを見た――目を開けたということである。いつもあれだけ強く目を閉じる彼が、だ。慎ましやかな恋人が、理性的な恋人が、無意味に口付けの最中に目を開けるとは思えない。何故なのか。
「烈風刀だって目ぇ開けたじゃん? オレのキス顔見たかったってこと?」
 つい先ほど殺したはずの好奇心がするりと言葉となってこぼれ落ちる。やべ、と再び頭が遅すぎる警鐘を鳴らす。感情的ながらも至極正論な鋭利な言葉が飛んでくるか、キャパシティを越えてしまい衝動に任せた拳が飛んでくるか。どちらか分かったものではない。己の浅はかさを嘆く脳味噌が、恐れに身体の動きを制止した。
 予想に反して、返ってきたのは真っ赤な顔と沈黙だった。潤った唇の端がひくりと引きつるのが見えた。あれ、と疑問符が浮かぶ。震えが止まり開かれた赤い口から紡がれた言葉は、確信をもたらすものだった。
「そっ、そんなわけないでしょう! 違いますから! ……もう、あんなの忘れてください!」




どうか素敵な休日ヲ!/レイ+グレ
AOINOさんには「恋って偉大だ」で始まり、「優しい風が髪を揺らした」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字程度)でお願いします。


 恋って偉大だな。
 ハンガーラックを真剣な眼差しで見つめるグレイスの姿に、レイシスは思わず笑みを浮かべる。自分が率先して選び与えていたのもあるのだろうが、彼女はあまり服に頓着がない。人並みに興味はあったようだが、自主的にお洒落をする姿は見たことがなかった。そんな妹が、鋭さすら思わせる眼差しでうんうんと呻り声を上げながら自分が着る服を選んでいるのだ。微笑ましいったらない。
「ね、ねぇ、これ、似合うかしら?」
 くるりと振り返った躑躅は、一着の服を身体に当てながら問う。華奢な手が選んだのは、ミントグリーンのトップスだ。爽やかな色合いは、彼女の鮮やかな髪をよく引き立てていた。
「とっても似合いマス! 可愛いデス~!」
「貴方、いつもそう言わない?」
 賞賛する桃に、躑躅は訝しげな視線を向ける。そんなことないデスヨ、と頬を膨らませるが、言われてみればそんな気もする。だって、可愛い可愛い妹には何だって似合うのだ。仕方の無いことである。
「本当に似合ってマスヨ。グレイスは黒い衣装を着ることが多いデスケド、こういうパステルカラーもとっても似合ってて可愛いデス!」
 思いの丈をそのまま言葉にする。尖晶石の瞳がぱちりと瞬き、頬に淡い朱が広がった。そうかしら、と嬉しげな、それでもまだ不安そうな色が残った声が返ってきた。
「ソレニ、緑は始果サンとお揃いデスシ!」
 グレイスの恋人である京終始果は、いつも緑の忍装束を着ていた。『お揃い』なんてことを意識してこれを選んだわけではないだろう。けれども、長く連れ添う彼女にとって彼と緑色はきっと深く結びついているものだ。無意識が選んでもおかしくはない。
 先ほどまで眉間に皺を寄せていた可愛らしい顔が、きょとりと幼くなる。数拍、マゼンタの目がこれでもかというほど見開かれた。薄紅色が浮かんでいた頬が紅葉したように真っ赤に染まる。
「そっ、そんなっ、そういうの意識したわけじゃないわよ!」
 服屋のど真ん中で少女は叫ぶ。常識ある彼女は、すぐさまハッとし気まずげな表情を浮かべた。めいっぱい開かれていた口が、小さくもごもごと動く。
「大体でっ、デー……休みの日まであの服を着てるわけがな…………いやあるわね……始果だもの……」
 どうにか否定しようとするが、逆に彼女の中で確信が生まれてしまったようだ。さすがにそんなことはないだろう、と言いたいところだが、相手はグレイス以外のほとんどに興味を示さない男である。親しいとは言い難い己が言い切るのは難しかった。
「ッ、やめた! 別のにする!」
 グレイスは慌てた調子で持っていたハンガーをラックの中に戻す。ミントグリーンが服の森に消えた。
 余計なこと言うんじゃなかった、と後悔を覚えながらも、表情に出さぬよう再び唸り始めた妹に少しばかりアドバイスをする。時折携帯端末で調べながら、どうにか『初めてのデート服』というとびきり大切な買い物を終えた。
 服屋を出て、二人で並んで歩く。本当ならば頭からつま先までコーディネートしたいが、相談されていない部分は本人に委ねるべきだ。好きな人と過ごすための服を、他人の指図で全て決めるのは良くない。助けを請われたのならば別だが。
「……付き合ってくれてありがと」
 ショッパーを両の手で握りながら、グレイスは呟きにも似た声で言う。ほのかに照れが乗ったそれは、とても穏やかな音色をしていた。可愛らしい姿に、姉は思わず頬を緩めた。
「ハイ。ワタシもとっても楽しかったデス」
 デート楽しみデスネ、と軽く返してみる。隣に並ぶ細い肩がびくりと震えた。しばしして、そうね、と確かな喜びが滲んだ声が返ってきた。
 晴れやかな帰り道、優しい風が桃と躑躅の髪を揺らした。




残りの授業の間眠気はもう訪れなかった/氷雪ちゃん
葵壱さんには「ぱちりと目が合った」で始まり、「そっと目を閉じた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。


 ぱちりと目が合った。目が合ってしまった。
 午後一番の授業は睡魔が時折やってくる。久しぶりに訪れたそれから逃れようと、氷雪は小さく頭を振る。少しだけ眠気が飛んだ視界の端に、空とは正反対の色が映った気がした。普段ならば授業中に余所見をすることはない。けれども、その珍しい色に視線は窓の外へと吸い寄せられてしまった。
 真っ青な空の下そびえる白い校舎、その壁によく跳ねる桃が咲いていた。鮮やかな桃色が、屋上から垂らしたロープに身を預け、白衣を翻し、壁を蹴って移動する。その度に高い位置で結った髪が風に舞った。
 識苑先生だ、と心の中で呟く。学園中を駆け回っている、という話は聞いたことがあるが、本当らしい。休み時間や放課後に見かけることはあるが、授業中に出くわしたのは初めてだ。それはそうだ、余所見をすることはいけないことなのだから。
 まるで地を駆けるのと同じように、鴇色が壁を移動していく。一歩間違えれば死に直結するような高さにいるというのに、動作には恐怖など全く感じさせない。地を歩くのではなく壁を蹴って生活するのが当然のように校舎の側面を移動していた。
 すごいなぁ、と見る度に考える。己は運動神経が良いと言いがたい。五〇メートル走は平均より少しだけ遅いし、球技も積極的に試合に参加できるほどの実力はない。体育の時間は苦手だった。そんな者から見れば、縦横無尽に空間を移動する彼の姿は一種の感動を覚えるものである。
 薄紅梅がするするとロープを辿って屋上へと上がっていく。宙を蹴り壁を蹴る安全靴が屋上という地面を踏みしめるのが見えた。休憩だろうか。あんな体勢で長い間動くことなど危ないのだから当然だ。
 桃が舞う。くるりと舞う。眼鏡が陽の光を受けて、キラリと光る。レンズの向こうの夕陽色が鮮やかに輝いて見えた。
 まくり上げられた白衣から覗く腕が上空へと上がる。大きな手がひらひらとこちらに振られた。
 瞬間、熱を持つ。熱いものが頬から広がり、顔を染め上げていく。窓の外を見て陽光を浴び続けていたのが原因でないことは明らかだった。
 慌てて外から視線を逸らす。常磐色の瞳が、広げられたノートを一心に見つめた。
 気付かれた。授業中、余所見をしているのを見られてしまった。羞恥が、罪悪が、後悔が胸を満たしていく。
 いや、勘違いかもしれない。校舎の中から見れば、壁や屋上にいる彼の存在はすぐに目に留まるだろう。しかし逆、無数の窓が存在する校舎の中から一生徒を見つけることなど不可能に決まっているのだ。そもそも、授業中に窓の外を見ている生徒などたくさんいるに決まっている。己に手を振ってくれたなんてことはあり得ないのだ。きっと、勘違いだ。
 あぁ、それでも熱は収まらない。優しくしてくれている先生に、こんな不真面目な姿を見られたかもしれないのだ。恥ずかしいったらない。
 現実から逃げるように、少女はそっと目を閉じた。




潤す飴玉/ノア+レフ
あおいちさんには「笑ってください」で始まり、「懐かしい味がした」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字程度)でお願いします。


「ほら、そんなに泣かないで。笑ってください」
 困ったように笑いながら、少年は目の前の頬を拭う。肌に寄せられたハンカチの生地は柔らかで、洗剤の良い匂いが心地良かった。心落ち着くものを与えられているというのに、少女の目からはボロボロと涙がこぼれるばかりだ。
 笑ってなんて無理だよ、と返そうにも、喉がつかえて形にできない。う、と嗚咽を漏らすばかりだ。そんな己を見ても、彼は呆れる様子無く流れる雫を拭ってくれた。
「飴でも舐めますか? 少し落ち着くかもしれません」
 そう言って烈風刀は衣装のポケットに手を入れる。しばしして出されたのは、手のひらサイズの丸いケースだった。中には外装と同じ色をした小さな丸い飴がたくさん詰まっている。スーパーでよく見る甘いのど飴だ。
 食べる、となんとか嗚咽交じりに返す。手を出してください、の言葉に、ノアは長い袖をまくり小さな手を出した。カラカラと音。手の上で振られた丸いプラスチックケースの中から、飴玉が一粒飛び出した。
 転がり落ちそうなそれを急いで口の中に放り込む。程よい甘さとフルーツの香りが口の中に広がっていく。コロコロと舌で、頬で転がす。少しだけ涙が引っ込んだ気がした。
「……おいしい」
「それはよかった」
 喉はちゃんとケアしないといけませんからね、と少年は笑いかける。喉。歌。ライブ。練習。たった一言から様々な言葉が引きずり出されていく。じわ、とまた涙が湧き出してきた。それもすぐ、少し濡れた布地に吸われて消えた。
「にあ、ちゃんが、わるい、の」
 のあだってちゃんとれんしゅうしてるのに、と言い訳めいた、否、言い訳でしかない言葉を吐いてしまう。自己嫌悪に、少女はぎゅっと目を閉じた。雫が珠となって地面へと落ちていく。
 元々内気で何事も不安がって自信があまり持てない己にとって、初めてのライブステージは不安でしかなかった。大丈夫かな、失敗しないかな、と弱音ばかり吐いてしまう己に、姉はいつだって大丈夫だと励ましてくれた。
 それでも、限界というものはあるらしい。大丈夫だって言ってるでしょ、と今日は強い言葉がぶつけられた。そんなに不安ならもっと練習すればいいじゃん。続けざまにぶつけられた言葉は、小さな心を抉った。
 練習ならいつもしている。放課後はもちろん、家に帰ってからも二人で歌詞や振り付けの確認は欠かさずにやっていた。その努力の積み重ねを知っているはずなのに。じわりとまた涙が浮かぶ。
 違う。悪いのは己だ。いつも励ましてくれる姉に甘えてばかりだったのが悪いのだ。分かっているのに、飛び出たのは謝罪の言葉ではなく大粒の涙と、ニアちゃんのいじわる、という泣き言だった。
 大好きな姉の顔が見たくなくて、走って、走って。気付いた時にはどこかの暗がりにいた。そして、たまたま通りかかった烈風刀に慰められる今に至る。
「二人がちゃんと練習しているのは皆知っていますよ。それこそ、ニアだって」
 ニアが一番分かっているはずです、と少年は涙を流す少女の頭を撫でる。優しい手つきに、また透明な雫が溢れる。拭ってくれるハンカチはすっかりとぐしょぐしょになっていた。
 これは秘密なんですけどね、と烈風刀は声をひそめる。口元に手を添える姿は内緒話をする時のそれだ。
「ニアもとっても不安みたいなんです。『大丈夫かな』っていつも尋ねてくるんですよ」
 少年の言葉に、ノアはぱちりと大きく瞬く。あの姉が、いつだって元気で、自信満々で、己を励ましてくれる姉が不安に思っているだなんて。そんな姿、ちっとも見せなかったというのに。
「『大丈夫』と言っても怖いみたいで。でも、『ノアちゃんとなら大丈夫だよね』って最後には言うんです」
 少女は再び瞬く。驚愕をあらわにした青に、碧は優しく笑いかける。大きな手が丸い頭をなぞった。
「ニアも、ノアと一緒で不安なんです。でも、ノアがいるから頑張っていられるのですよ」
 何があったかは僕には分かりませんけど、きっと二人なら大丈夫です。
 唱えるように言って、少年は可愛らしい頭を撫で続ける。慈愛に満ちた手つきだった。
 ボロボロと、涙が次々と溢れ出る。嗚咽が喉を突いて出る。止めなければいけないのに、止まる気がしなかった。ひたすらに幼稚な姿を晒す。それでも、彼は飽きることなく頭を撫で、涙を拭ってくれた。
 どれほど経っただろう、やっと嗚咽がおさまってくる。涙も少しずつながら姿を消しつつあった。
「落ち着きました?」
「……うん」
 ありがと、れふと、とまだ濡れた声で礼を言う。いえ、とずぶ濡れの顔をハンカチのまだ乾いている部分で拭われた。
「飴、もう一個食べますか?」
 泣いている内に飲み込んでしまったらしい。口内の甘い粒はいつの間にか無くなっていた。こくりと頷くと、また手のひらにまあるい飴が出される。すん、と鼻を啜って口に放り込む。食べ慣れた味だ。だって、いつも家で二人で舐めている飴なのだから。
「舐め終わったら戻りましょうか。きっとニアが探していますよ」
「……探してないよ」
「探してますよ。絶対に」
 断言する烈風刀に、ノアは懐疑的な目を向ける。瞬間、バイブレーション音が聞こえた。ポケットに手を入れ、少年は携帯端末を確認する。連絡だろうか。そうだ、彼だって練習の最中のはずだ。なのに、こんなところで無駄に時間を使わせてしまった。もう一個湧き出た罪悪感が胸を塗り潰していく。
「……ごめんね、れふと」
「いえいえ。僕も休憩したいところでしたから」
 練習続きじゃ気が張ってしまいますから、と少年は笑う。嘘ではないだろうが、本当でもないだろう。靄が晴れることはない。
 カラリ。ケースが音をたてる。大きな手に飴玉が転がる。そのまま、大きな口に吸い込まれていった。シャープな輪郭をした頬が動く。美味しいですね、と少年は笑った。うん、と少女も頷いた。
 食べ慣れた、姉との思い出が詰まった味が口の中を占めた。




新たな朝を待ちわびて/嬬武器兄弟
あおいちさんには「石段を駆け上がった」で始まり、「ほら、朝が来たよ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以上でお願いします。
参考:2023/1/1 日の出日の入り時間



 一段飛ばしで階段を駆け上がる。足が振り上げられる度、手にしたビニール袋がうるさく音をたてた。ダン、と地を蹴る重い足音と、ビニールが擦れる音が暗闇に響く。
 ようやく住まう部屋に辿り着き、雷刀はポケットから鍵を取り出す。かじかむ手でキーをさしこみ、錠を開ける。戸を開けると同時に、ただいま、と帰宅を告げた。
 靴の踵を踏んで脱ぎ捨て、足早に廊下を進む。足下から這い寄る冷気に、ぶるりと身体を震わす。急いでリビングに繋がる扉を開くと、程よい温かさが迎えてくれた。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
 今一度帰宅を告げると、柔らな声が返ってくる。こたつに身体を潜らせた烈風刀は、みかんの房を片手にこちらを見ていた。机上には、剥かれて半分に割られたオレンジ色が置かれている。おそらく待っている間に食べていたのだろう。
「肉まん食う腹無くなるぞ」
「みかん半分程度で大袈裟ですよ」
 そう言って彼はマグに口を付ける。淹れてから随分と経ったそれからは、柔らかな白い湯気は消え去っていた。もうかなり冷えているだろう。ビニール袋をこたつ机に置き、ちょうど空になったマグカップを二つ回収する。新しく淹れてくる、の言葉に、ありがとうございます、と礼が返された。
 電気ケトルに目分量で水を入れ、インスタントコーヒーをこれまた目分量でマグへと放りこむ。しばし待ち、カチンと音をたてたケトルから沸きたての湯を入れる。あっという間に熱いコーヒーの完成だ。肉まんに合うかは微妙なところではあるが、手軽に飲める温かいものといえばこれである。
 マグを両手にリビングへと帰る。弟は相変わらずみかんを食べていた。夜中、それも新年明けてばかりのテレビはあまり興味を引くものはやっていなかった。きっと手持ち無沙汰なのだろう。
 ほい、と弟の目の前に青いマグカップを差し出す。礼の言葉とともに、彼は湯気があがるそれを両手で受け取った。ぐるりと回り込み、彼の隣の面に腰を下ろす。分厚いこたつ布団の中に足を入れると、心地良い温度が末端を包んだ。ほぅ、と思わず溜め息が漏れ出る。
 先ほど置いたばかりの袋を漁る。中から取り出したのは、肉まんの包み二つだ。夜中に無性に食べたくなり、コンビニへと走ったのだ。お蕎麦とみかん食べたばかりでしょう、と小言を言う弟に、別腹とだけ返して外へと出た。瞬間、身を包んだ冷気に後悔を覚えたが、それ以上に食欲が勝った。衝動がままに足を動かし、二つ買ってまた走り、今に至る。
 冬真っ只中の空気に晒されていたというのに、丸い中華まんはまだ温かだった。赤で飾られた白いパッケージを一つ、無言で手渡す。ありがとうございます、とまた礼の言葉。柔らかな饅頭はそっと両手で受け取られた。
 止めるテープを取り、下に付いた敷き紙を剥がす。いただきます、と二人分の声。同時に大きな口でかぶりつく。温かな温度と皮の甘み、中に詰められた肉の旨味が舌を楽しませた。んめぇ、と思わず声を漏らす。
「やっぱ冬は肉まんだよなー」
「さっきまで『冬はみかんだ』と言ってたではないですか」
「どっちも」
 呆れた調子で笑う弟に、兄はケラケラと笑う。言葉を交わすのもそこそこに、互いに黙々と肉まんを食べる。こぶりなそれはあっという間に無くなった。ごちそうさまでした、と重なる声。くしゃりと丸められた紙と、丁寧に畳まれた紙が簡易的なゴミ箱に入れられた。橙が重なった箱の中に、白が咲く。
「今何時ー?」
「もうすぐ六時ですよ」
「初日の出って何時だっけ」
 朱の問いに、碧はえっと、とこぼして携帯端末を操る。しばしの沈黙。七時頃のようです、と液晶画面に表示されているのであろう情報が読み上げられた。
「まだまだじゃん」
「起きていられるんですか?」
「らくしょー」
 とは言ったものの、本当はもうかなり眠い。夜も遅いことはもちろんだが、肉まんでかなり腹が膨れてしまった。普段ならばこれ程度では腹は満たされないが、生憎昨晩お腹いっぱい蕎麦を食べ、今の今までみかんをだらだらと食べていたのだ。胃はかなり満たされていた。少し遠いコンビニまで走っていった疲れも今更になって襲ってくる。疲労感と満腹感が睡魔を誘う。けれども、せっかくここまで起きたのだ。何としてでも初日の出を拝みたい。
 みかんを食べ、携帯端末をいじり、時間が過ぎるのを待つ。睡魔は相変わらず居座り、眠りへと誘ってくる。気付けば、こくりこくりと船を漕いでいた。
 寝ないでくださいよ、と肩を叩かれる。寝ねーよ、という返事は思った以上にふにゃりとしていた。もごもごと口を動かす様子に、苦い笑いが返された。
 シャ、とカーテンが開けられる音。窓の向こうを見やると、真っ黒だった空はほのかに色を取り戻しているように見えた。
「ほら、もう少しで新年の朝が来ますよ。頑張ってください」




全ては三文字に帰結する/恋刃
葵壱さんには「最初は何とも思っていなかった」で始まり、「そっと笑いかけた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。


 最初は何とも思っていなかった。否、多大な喜びすら覚えていた。
 だって、大好きな姉と大好きな親友が仲良くなってくれるだなんて、嬉しいに決まっている。好きな人が好きな人のことを好ましく思ってくれるのだ。これほど嬉しいことはない。
 と、思っていたのだけれど。
「――それで、ミカエルが走っていっちゃって。慌てて追いかけたんです」
「あら、大変だったのね」
「でも、そのおかげで知らない綺麗な花壇を見つけたんです。満開のお花で埋め尽くされてて、とっても綺麗で。ミカエルが走っていかなかったら絶対に知らなかったから、よかったなぁって」
 えへへ、と奈奈はどこか面映ゆそうに笑みを浮かべる。たしかな喜びをにじませたそれに、紅刃は穏やかに素敵ね、と微笑みを浮かべた。
 穏やかな光景に反し、恋刃はわずかに目を眇める。平静を取り繕うとするも、整った細い眉はかすかに寄せられ眉間に薄く皺を作っていた。
 大好きな姉と大好きな親友が楽しく会話している。仲良くしてくれている。幸せな光景だ。喜ばしい現実だ。だというのに、このところは幸福に満ち満ちたそれを眺めると胸の内を得体の知れない何かが広がっていくのだ。暗いそれは小さな心を覆い影を落とす。胃もたれをしたような不快感が胸のあたりを満たす。解が無い問いを目の前にしたようにもやもやとする。訳の分からない現象だ。だって、好きな人と好きな人が仲良くしているのは幸せなのに。
「恋刃?」
 愛しい声が己の名をなぞる。そこでやっと、己が俯いていることに気付いた。
「はっ、はい。何でしょうか、お姉さま」
「奈奈ちゃんが持ってきてくれたチョコ美味しいわよ。食べないの?」
「たっ、食べます!」
 姉が差し出した箱から、妹は急いでチョコレートを一つ取ってかじる。チョコレートの豊かな風味と、ラズベリーの爽やかな香り、少しビターな味が口内に広がった。薄く険しさをまとった深緋の目が、ぱぁと輝いた。
「とっても美味しい!」
「よかった。恋刃も気に入ってくれて」
 赤い少女の歓喜に満ちた声に、七色の少女はふわりと笑みをこぼした。鮮やかな多色の瞳がふわりと弧を描く姿に、心臓がドキリと音をたてる。美味しい、と誤魔化すように言って、手にしたそれを食べきった。
「な、な。ねぇ、奈奈」
 手を拭き、隣に座る少女のワンピースの裾を引く。どうしたの恋刃、と不思議そうな視線と声がこちらに向けられた。
「このチョコ、どこで買ったの?」
「この間ショッピングモールに新しいお店ができたでしょ? そこで買ったの」
 ここ、と少女は箱の片隅にある紙片を取る。初めて見る店名だ。本当にオープンしたての店なのだろう。ねぇ、とほのかに揺れた調子の声。裾を握る指に温かなものが触れた。
「今度一緒に買いに行かない? 奈奈もこの味好きだから、もっと食べたいの」
「……もちろん! 連れてって!」
 奈奈の誘いに、恋刃は喜色満面の笑みを浮かべる。触れた手を取り、握り返した。目の前の虹色が、穏やかな弧を描いた。
「よかったわね」
 ふふ、と呼気のような笑声。姉だ。そうだ、この場には姉もいたのだ。親友との約束に浮かれて忘れていた。恥ずかしい姿を見せてしまった、と少女の頬に髪と同じ色が浮かんだ。
「はい」
 こちらに向けられていた虹色が、穏やかに細まった紅色へと向けられる。瞬間、どろりとしたものが胸に湧き上がった。訳の分からない感覚に、思わず身体が強張る。
 何故だ。今この瞬間まで幸せに包まれていたのに、何故こんなものが胸を満たすのだ。理由なんて皆目見当が付かない。正体も欠片も分からなかった。
「次のお休みで大丈夫?」
 声にはっとする。きゅ、と手を握った親友は、ほのかに頬を染めこちらを窺っていた。ドロドロとした何かが胸を掻き回す。美しいそれが、何故だか直視できない。
「えぇ、そうしましょう」
 少女は固さの残る顔でそっと笑いかけた。

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#プロ氷 #嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀 #ニア #ノア #ライレフ #レイシス #グレイス #氷雪ちゃん #恋刃 #腐向け

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E:うさみみ【ニア+ノア+嬬武器】

E:うさみみ【ニア+ノア+嬬武器】
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8/21はバニーの日!
ということで兎といえばニアノアちゃん。ついでに嬬武器兄弟。たぶんIV時空。
8/2に思いついたけど間に合わなかったのは秘密。

 腕に抱えたノートの束、その一番上の一冊がコーティングされた表紙の上を滑って飛び出す。慌てて腕を傾け、胸の内に飛び込ませて受け止めた。もう落とすことはないように、山を少しだけ身体の内側に傾け胸に預ける形にする。束ねた冊数が冊数だけにかすかに圧迫感を覚えるが、ここから職員室まではさほど距離はない。我慢できる範囲だ。早く日直の仕事を済ませようと、烈風刀は提出物のノートたちと廊下を進んだ。
 じゃんけんぽん。元気な声が二つ重なって空間に響く。耳慣れたそれは、職員室へと続く階段の方から聞こえた。ぐーりーこっ、と弾んだ掛け声と階段を軽やかに上る足音。聞き慣れた遊びの言葉とよく知る可愛らしい声に、少年は目元を緩めた。
 足を進めると、当然ながら声はどんどんと大きく、近くなっていく。じゃんけんぽん、と元気な掛け声がまた重なる。ぱーいーなーつーぷーるっ、と大きく歩を進める言葉、その最後の一音とともに、大きな黄緑のリボンが揺れるのが視界に映った。見知った青と目が合う。可憐な口が大きく開き、頭の上に伸びる長いリボンがぴょんと跳ねた。
「あっ、れふとだー!」
 三度目の合図の前に、己の名が挟まる。タッタッタ、と小さな足が軽快な足音を奏でる。えっ、れふと、と下の方からもう一つ声が聞こえた。タンッ、と跳ねるような足音から、一段飛ばしで階段を駆け上がってくるのが分かった。程なくして、青い双子が目の前に揃った。れふとれふとー、と幼い兎たちは囀りのように何度も名を呼んだ。
「懐かしいですね」
「そうなの?」
「今クラスで流行ってるよ」
 ねー、とニアとノアは顔を向け合って声を重ねる。確かに、己が彼女らと同じほどの年頃にこうやって遊んでいた覚えがある。階段を上がっていく言葉もそっくりそのまま同じだ。学校課程丸々一つ飛ばすほど時が経っているのに、全く変わっていないというのも不思議なものだ。
 ぴょんぴょんと、双子兎は忙しなく青の周りを跳びはねる。まだまだ成長中の小さな足が地を蹴る度、頭に付けたリボンカチューシャが身体と同じく上下に揺れた。腰元に付いたもふもふとした丸い飾りも弾む。軽やかな動きで跳ぶ様も、長い耳のようなリボンが舞う様も、尻尾のような飾りが揺れる様も、兎を彷彿とさせる。小動物そのものの愛らしさに、自然と口元が穏やかな笑みを形作った。
「どしたのれふと?」
「ノアたちのお顔、何かついてる?」
 タン、と大きな足音一つと一緒に兎たちの動きが止まる。小さな丸い頭が鏡合わせのように傾いだ。確認するように、長い袖に包まれた手が柔らかな頬をぺたぺたと触る。
「あぁ、いいえ」
 ただ遊ぶ姿を眺めていただけのはずだが、彼女らには不審に映ったらしい。相手はまだ幼いとは言えども歴とした女の子だ。無意識とはいえ、不躾に眺めるなど失礼にもほどがある。すみません、とすぐさま謝罪の言葉を紡いだ。
「兎みたいだなぁ、と思いまして」
「よく言われるよ!」
「れふとがくれた靴もウサギさんだしね」
 そう言って、ノアは頭上の浅葱から自身の足下に視線をうつす。いつだって力強く、それでいて軽い姿で地を蹴る小さな足は、細い耳と可愛らしい顔模様が付いた鮮やかな黄緑の靴に包まれていた。数年前、あまりに廊下を飛んで自身も周りも危険に身をさらす彼女らを案じてプレゼントしたものだ。気に入ってくれたのか、その日から毎日のように履いて登校しているようだ。靴を贈ってからは、無闇矢鱈と廊下を跳んで回ることは減っていた。年数が経っているのに目立つ汚れがないことから、よく手入れしていることが分かる。随分と大切にしてくれているようだ。悩んだ末贈ってよかった、と歓喜と安堵が胸に広がった。
「ウサギさん、似合ってる?」
 靴を見せつけるように片足を上げ、ニアはモデルのように軽くターンをする。つま先と一緒に緑の兎が小さな円を描いた。
「えぇ。とても」
 己がプレゼントしたものを褒めるのは何だか自画自賛のようで気が引けるが、マリンブルーに身を染める彼女らにライムグリーンの靴が似合っているのは事実である。心からの賛辞に、少女らは顔を向かい合わせる。にへへー、とはにかみによく似た笑声が二つあがった。
 ウサギさん、ウサギさん、と青兎たちは碧の周りを跳びはねて回る。こんな階段の近くではしゃいでは、足を踏み外して転げ落ちてしまうかもしれない。危ないですよ、とそっと窘めた。はーい、と靴が地面を叩く音が止む。素直なのはよいことだ。それでもまだうずうずとしている様子が見えるから気は抜けないのだけれど。
「……ねぇねぇ」
 控えめな声とともに、制服の裾が引かれる感覚。見ると、こちらを一心に見上げる瑠璃色と目が合った。つやつやとした丸いそれは常から生命の輝きに満ちている。今は更に輝いて見えた。それも、悪い予感を覚えるような光り方だ。何だ、と少年は身を固くした。
「れふともウサギさん、やってみる?」
「え?」
 にこりと笑うノアに、烈風刀は呆けた声を返す。ウサギさんをやる、とは一体どういう意味なのだろう。ウサギは動物であり、やるもなにもない。突然のものということもあってか、少女の言葉の意味が咀嚼できずにいた。
 余って垂れるほど長い袖に包まれた手が、形の良い小さな頭に回される。そのまま、彼女は自身の象徴の一つと言っても過言ではないリボンカチューシャを外した。どうしたのだろう。跳ねて回って乱れた髪でも整えるのだろうか。いや、きちんと手入れされつややかな髪は整ったままだ。では、何故。疑問を抱えたまま眺めていると、ずい、とリボンが垂れたそれを目の前に差し出された。
「れふとにも似合うと思うなぁ」
「絶対似合うよ!」
 妹兎の言葉に、姉兎も加勢する。ねー、と示し合わせたように顔を合わせた。付けて付けて、とねだる声と高い位置まで跳ぼうとする足音が廊下に響く。
 キラキラと目を輝かせはしゃぐ青い双子とは正反対に、碧い少年は困ったような、悩むような表情を浮かべる。いくら懐いてくれている少女らの頼みとはいえど、この歳で、しかも男である己がカチューシャを付けるのには抵抗がある。それに、これは小学生である彼女らにぴったりなサイズの品だ。高校生の自分の頭には小さく、嵌めるのは難しいことは容易に分かる。
 そもそも、目に灯った光の様子から、これが彼女らにとって一種のいたずらのような物であることが分かる。本気の頼みではなく、ただのお遊びだ。似合っている、という言葉もただの方便であるに決まっている。
「れふとの髪にすっごく似合うと思うなぁ……」
「ダメ……?」
 アズライトの瞳が二対、エメラルドを見上げる。ことりと小首を傾げ、上目遣いで見上げ、弱々しい声で尋ねる姿は小さな子どもらしく可愛らしいものだ。その可愛らしさで全てを誤魔化し押し通そうとしているのだ。どうやら渋い顔を見て作戦を変えたらしい。素直で幼く見えて、こういう部分は妙に頭が回るのだ。
 いたずらと分かっていても、頭ごなしに断るのは憚られた。子どもの願いを理由も無く切り捨てるのは良くないことだ。きちんと理由を説明して、納得してもらうのが一番である。
「すみません、僕にはサイズが合わな――」
「烈風刀ー!」
 断ろうと切り出したところで、言葉は大声に阻まれた。聞き慣れた声に、三人揃って音の方へと向く。透き通る寒色の瞳三対に、四角いものを掲げて走り寄ってくる朱が鮮やかに映し出された。
「ごめん! オレ出し忘れてた!」
 キュ、と靴が地面を擦る音とともに、双子の兄は目の前で止まった。振り上げていたノートを己の胸の内のノートの一番上に載せる。間に合ってよかったー、と少年はへにゃりと笑みをこぼした。
「あれ? 頭のやつ外してるの珍しいな」
 己の隣、カチューシャを手に持ったままのノアを見て、雷刀は不思議そうに声を漏らす。言われてみれば、双子兎との付き合いは長いがこの髪飾りを外している姿を見るのは初めてである。本当に珍しい光景だ。女の子はお洒落をこだわりにこだわり突き通すものだと思っていたが、いたずらのために外してしまうあたりがいたずらっ子な彼女ららしい。
「あのねー」
「れふとに付けてー、って言ってたの」
 青兎たちの言葉に、ルビーの目がぱちりと瞬く。顎に指を当て、ははぁん、とどこかいたずらげな声を漏らした。八重歯覗く口がにまりと笑みを形作る。
「いーじゃん。それぐらいやったげろよ」
「嫌ですよ」
 丸い頭の妹兎から目を外した兄はひらひらと手を振り軽く言う。弟は眉間に皺を寄せて鋭く返した。ただでさえこんなに可愛らしい飾りを付けることに躊躇いを覚えるというのに、それが彼の前となれば尚更だ。少女らと同じぐらいいたずら好きな片割れの前でそんな愉快の姿を見せてはろくなことになるはずがない。
 ふぅん、と朱は鼻を慣らす。再び顎に指を当て、何度か頷く。睨むのに近い視線で見やる碧など無視して、少年は依然カチューシャを持ったままの少女に手を差し出した。広げられた大きな手に、藍晶がぱちりと瞬く。にこりと笑みを浮かべ、無言で手の内にある髪飾りを渡した。
 嫌な予感が胸を撫でる。静かに逃げようと一歩下がったところで、目の前の片割れは三歩距離を詰めてきた。筋が浮かび始めた手が、カチューシャを持った手が浅葱の頭に伸びる。素早い動きで頭に何かが付けられた。は、と疑問符がたっぷり付いた声が漏れる。今何をした、こいつは。
「おー、似合う似合う」
 新たな様子に生まれ変わった弟の姿を前に、兄は呑気な声をあげる。頭部に締め付けるような軽い痛みを覚える。あのカチューシャを付けられたのだ、と気付くのはすぐだった。小学生女子の頭に合わせて作られた物が、高校生男子の頭に綺麗に嵌まるわけがない。無理に押されて入れられたのだ。締め付けを覚えるのは当然だ。
 突然の事態とわずかな痛みに困惑している間に、雷刀は白いジャケットのポケットをゴソゴソと漁る。取り出したのは、携帯端末だ。何とか片手で持つことができるサイズのそれが、笑みを浮かべた顔の前で構えられる。カシャ、と電子のシャッター音が廊下に落ちた。
「ッ、なっ、何してるんですか!」
「いや、記念に」
「何の記念ですか!」
 言葉の応酬の最中にも、カシャカシャとシャッター音が鳴り響く。こんな姿を、年相応ではないリボンカチューシャを付けた様を何枚も撮られている。羞恥と憤怒に顔が赤らむのが分かった。
 やめなさい、と撮影を重ねる手を叩き落とそうとするが、両腕はクラス全員分のノートで塞がれていた。慌てて片手で抱え直し、手を伸ばす。もたついている間に、手が届かない位置まで距離を取られてしまった。ちゃっかりと青い双子も彼の後ろについて、れふと似合ってるー、とはしゃいだ声をあげていた。
「らいともウサギさんするー?」
「おー。やってみっかな」
 はい、とニアはさらりとした髪からカチューシャを外し朱に手渡す。両手で丁寧に受け取った彼は、そのまま真紅の頭に小さな髪飾りを差し込んだ。ちょっとちっちぇーな、と苦笑が聞こえた。
 スッと姉兎は空になった手を朱い兄に伸ばす。何か通じ合ったのだろう、少年はニィと笑い手にしたままの携帯端末を少女に渡した。そのまま、軽い足取りでこちらに駆けてくる。身構えるより先に、首に腕が回された。肩を掴まれ、ぐっと寄せられる。頬がくっつきそうなほど、顔と顔との距離が縮まった。
「お揃い!」
「おそろいだー」
「ウワギさんだー」
 いぇーい、と陽気な声をあげ、雷刀はピースサインを作って双子に向ける。手渡された大きな端末を両の手で横に持ち、青兎はパシャパシャとシャッターを鳴らした。兄弟揃ってこんなふざけた格好をしているところを写真に収められている。それも、小さな子どもの前で。カァ、と顔に熱が一気に集中したのが分かった。
「三人とも!」
 はしゃぐ朱と青に、碧は悲鳴めいた声をあげる。肩に回された手を外そうとするが、自由になっている腕はちょうど掴まれている側だ。無理な姿勢なこともあり、振り払うのは容易ではなかった。抜け出そうと身を捩るが、更に腕に力が入り顔が近づくだけだ。
 何度シャッター音を聞いただろう、ようやく腕が外される。そのまま、頭に手が伸ばされた。瞬時に締め付けるような痛みから解放される。え、と声を漏らす間に、兄は自身の頭にも手を伸ばし、双子のお揃いのカチューシャを外した。どうやら己のものも外してくれたらしい。
 返すなー、と朱い片割れは青兎にそれぞれの髪飾りを手渡す。ありがとー、と受け取って、ニアは代わりに携帯端末を返した。大きな手が小さな手から小型機器を受け取る。そのまま液晶画面を指で操り、満足げに頷いた。
 駆け足に近い調子で近づき、背後から端末に手を伸ばす。予測されていたのか、軽く身をひねって躱された。思わず悔しげな声が喉から漏れる。
「消しなさい」
「バックアップ取ってからな」
「馬鹿なこと言っていないで消しなさい!」
「れふと、廊下で大きな声出したらダメだよ」
 端末をタップして操る兄に、弟は鋭い声を向ける。諍いの最中、頭二つ下から冷静な声が飛んできた。思わずう、と口を噤む。正論であった。
 少年が身を強張らせる間にも、兄は小型機械を操作する。宣言通り、クラウドサービスにアップロードしてバックアップを取っているのだろう。己の悲惨な姿がインターネット上に複製されていく現実に、軽いめまいを覚えた。信じたくない事実である。
「じゃ、ノートよろしく」
「ニアたちも帰るねー」
「れふと、また明日ねー」
 三人揃って手を振り、階段を下っていく。タッタッタ、と急いだ調子の足音が三つバラバラに奏でられる。あっという間に人は失せ、少年はノートの束とともに一人取り残された。
 はぁ、と重い溜め息を吐く。もういたずらされたのも、そんな姿を見られたのも仕方が無い、取り返しの付かないことだ。問題は写真である。レイシスたちに見られる前に何としても消させなければいけない。そのためにも、早く日直の仕事を済ませねば。碧は急いで階段を下った。
 競歩に近い速度で廊下を進み、職員室の扉の前に立つ。自動ドアは音も無く開いた。失礼します、と普段よりもいささか早い調子で言い、古典担当の教師の席へと歩みを進めた。
「すみません、提出が遅くなりました」
「あぁ、気にするな」
 謝罪の言葉に、オルトリンデは手を止め薄く笑って返す。こちらです、と渡した何十冊ものノートを片手で軽々と受け取り、彼女はそれを机の端に置いた。教育実習生である彼女は忙しく、早く仕事をこなしたいはずだ。だというのに、遅くなるなど申し訳ないことをしてしまった。それも全てあの双子兎とふざけた兄のせいなのだけれど。
「しかし珍しいな。そなたがそんなに髪を乱しているなんて」
 頭を見つめる二色の瞳に、え、と少年は声を漏らす。ようやく自由になった手で、急いで頭を触る。確かに、朝整えたはずの髪は少し乱れていた。原因は言うまでもない。
「……色々ありまして」
「そうか」
 気まずげに返す烈風刀に、戦乙女は気にする様子も無く頷く。当番お疲れ様、と労いの言葉が掛けられた。失礼します、と軽く礼をし、少年は早足で職員室を進む。出入り口で再度挨拶と一礼。急いで廊下へと出た。
 廊下を早足、否、最早駆け足に近い調子で進んでいく。規律を重んじる彼ならば、普段は決してやらないことだ。『廊下を走ってはいけない』という初歩的なルールが頭から飛んでいくほど、聡明な頭は恥を収めた写真のことでいっぱいになっていた。
 早く端末を奪わなければ。軽くなった腕を振り、碧は必死に足を動かした。

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#ニア #ノア #嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀

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この翼できみへと【はるグレ】

この翼できみへと【はるグレ】
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宵闇の翼篇予告で発狂して当日筐体前で濃厚なはるグレを浴びた人間の末路。
宵闇の翼篇会話・エンディングのネタバレ有。

 青い空の中、躑躅が舞う。闇を形にしたような漆黒を身に纏い、色鮮やかな牡丹と輝く銀の銃を操り、何十何百もの弾丸を撃ち放ち、長い躑躅の髪が宙を舞って踊る。青の中、少女は縦横無尽に闘い踊った。
 バトル大会決勝は、激闘と呼ぶのが相応しい試合だった。両者ともにすさまじい気迫でぶつかりあい、実力を遺憾なく発揮し闘う姿は迫真に満ち、見る者全てを圧倒させるものだった。
 それ以上に、飛び回る躑躅に目を奪われた。
 空高く舞い上がるきみ。天も地も関係ないとばかりに飛び回って闘うきみ。届かない場所へと駆け上がっていくきみ。
 鮮やかな姿が目に焼き付いて離れない。訳の分からない何かが胸を掻き乱す。理解できないこの情動は、どうすれば解決できるのだろう。
 同じ場所に立てば分かるだろうか。
 だから。






 宵闇に包まれていた世界が光を取り戻す。重たい瞼を持ち上げた先に飛び込んできたのは、愛しい色だった。光を取り戻し、オレンジ一色に染まった世界でも鮮烈に咲き誇るアザレア。華奢な身体を武奏で彩る愛する少女。いつだって求めている人が、気づかぬ内に目の前に現れた。
 あれ、と少年は音にせぬまま疑問の声をあげる。つい先ほどまでこの身を包んでいた浮遊感と、風が肌を撫ぜる感覚、鋼鉄の翼が空気を切る感覚は消え去っていた。代わりに、肩にほのかな痛みと前後に揺さぶられる感覚が身体を支配する。見れば、ロンググローブに包まれた細い腕が己に向かって伸ばされていた。
 仮想現実は終わったのだろうか。仮想現実で望みを実現すると謳うシステムにより、空を飛ぶ夢は叶えられた。けれども、何故か胸は騒ぐばかりで落ち着かない。飛べば全てが分かると思っていたのだが、違うようだ。
 はるか、はるか。
 心から求める美しい声が名を呼ぶ。己を示す三音節を紡ぐ音色は、濡れたものだった。かすかにぼやける視界と思考を晴らすように瞬きを数回。鮮やかな花の色が更に色濃く視界に広がる。水色で縁取られた尖晶石が、まっすぐにこちらを見据えているのをようやく認識した。
「グレイス……?」
 目の前、己の肩を掴む愛し人を呼ぶ。途端、可愛らしいまあるい目から、ぶわりと水が湧き上がった。どんどんと込み上げるそれは、限界を超え溢れ出て伝い肌を濡らす。ビビッドな愛らしい瞳に膜を張りぼやけさせる。とめどないそれは、少女の柔らかな頬に透明な線をいくつも描いた。おとがいまで到達した雫が重力に従い落ちる。足に少しだけ冷たさを感じた。
 グレイス、と始果は今一度恋い慕う少女の名を呼ぶ。何故彼女は泣いているのだろう。いつも気丈に振る舞い、弱い部分など決して見せない強がりな彼女が、何故全てをさらけ出して泣いているのだろうか。理解できない現状と、愛する人が涙を流す不安が胸を掻き回す。
 あぁ、と忍は一人合点する。きっと、この姿が悪いのだろう。妖狐になった姿は彼女に見せたことがない。こんな醜い姿を見ては、少し怖がりな部分がある少女は怯えを覚えてしまうはずだ。己が愛する人を苛んでいる。息が詰まるような感覚がした。
 逡巡、黒に包まれた手が涙で濡れた頬に触れた。少しだけ硬い布地は、柔肌を濡らす雫を吸収し色を濃くする。あまり行儀が良いとは言えないが、今は濡れた顔を拭ってやる方が先決だ。繊細な肌を傷つけないよう、そっとなぞった。
 こんこんと涙が湧き上がるモルガナイトがぱちりと瞬く。大きな衝撃に、また雫が溢れて白い肌を濡らした。これ以上こぼさせまいと少年は親指で目尻を拭う。見開かれた丸い目が、すっと眇められた。
 パァンと高い音が空間に響く。遅れて、頬を痛みが襲った。突然の衝撃に、マリーゴールドが丸くなる。間の抜けた顔を一心に見つめるアザレアは、刃物を思わせるほど鋭さを宿していた。
「馬鹿始果!」
 大声が響き渡る。悲鳴といっても十分な高さと鋭さ、悲しみを存分に孕んだ音色だった。ばか、ばか、と少女は涙声で拙い罵倒を繰り返す。言葉に合わせるように、両の拳で胸を叩かれた。相応の衝撃はあれど、痛みはない。けれども、暗い何かが打ち付けられた場所から広がっていく感覚がした。
「あっ、あん、た、わた……わたし、が……、ぅ、わたしが、ど、れだけ……っぅ、ぅう……」
 鋭利な声は徐々に毀れ、ぼやけてにじんだものになっていく。まっすぐにこちらを睨めつける目はだんだんと下がっていき、ついには項垂れ見えなくなってしまった。丸い頭と細い肩が嗚咽に合わせて震える。ひたすらに痛ましい姿だった。
 泣かないでください。思わずこぼれた声は、どこか己らしからぬ焦りがあった。あのグレイスがこんなにも泣くなど異常事態である。何より、いつだって幸せで在ってほしいいとしいひとが悲しみに濡れている様が胸を締め付けた。誰のせいだと思ってんのよ、とつかえつかえの涙声が返ってきた。
 ぽたり、ぽたりと雫が少年の太股を濡らす。ず、と鼻を啜る音。俯いていたかんばせがゆっくりと上げられた。美しい瞳はまだ水気を含んで潤んでいる。けれども、雫となってこぼれる様子はなかった。ようやく泣き止んだらしい。まだ涙で濡れる頬を、黒い手がそっと拭う。普段ならば弾き飛ばす少女は、珍しくされるがままでいた。
「まったくもう……しっかりしなさいよ!」
 少しだけ濁り震えた声とともに、胸をべちんと叩かれる。相応の実力の持ち主とはいえ、グレイスは肉弾戦とは縁遠い存在だ。渾身のものであろうが、痛みはほとんど感じない。けれども、心の臓がきゅうと締め付けられるような感覚がした。内臓に影響を及ぼす技術を持っていたのか、と感心する。それにしては鈍いものだけれども。
「……勝手に居なくならないで! ちゃんと傍にいなさいよね!」
 躑躅の瞳が蒲公英の瞳を正面から射抜く。まだ潤んだペツォタイトは、真剣そのものだった。はっきりとした声には、鋭利な光を宿した瞳には、本心しか込められていないのがひしひしと伝わってくる。
 グレイスの言葉に、始果は小さく首を傾げる。一体何を言っているのだろうか。己が彼女から離れることなどない。傍にいるなど当たり前のことだ――否、今回ばかりは離れてしまった。『飛びたい』という願望のために、勝手に行動してしまった。いとしいきみに届きたくて飛んだというのに、結果泣くほど怒らせてしまった。身勝手さに、身の程を弁えない愚かな己に、少年は顔をしかめる。
「分かったら返事!」
「はい。もちろん」
 ひそめた表情を別の意味に捉えたのだろう、べちんともう一度胸を叩かれる。今度こそ、すぐさま返事をした。絶対よ、絶対だからね、と躑躅の少女は何度も繰り返す。この短い約束を反故させまいという気迫があった。
「ここ、まだ安定してなくて危ないのよ! 興味があるなら今度から私と行くこと!」
 いいわね、と少女はびしりと指を突きつける。念を押すようにぶんぶんと振る様は、指揮者に似ていた。絶対よ、と更に言葉が飛んでくる。同じ言葉を繰り返す姿は、確固たるものをねだる幼い子どもに似ていた。
 強く握り締め一本指だけ立てた可憐な手を、黒で彩られた両の手が包み込む。分かりました、と同じ言葉を、果たすべき約束の言葉を繰り返した。
 やはり、届かない。
 同じ景色を見たくて飛んでみたけれど、ついぞ彼女には届かぬままだ。やっと共に、隣に在られると思ったのに、仮想現実は仮想現実でしかない。
 けれども、愛しい躑躅はこんな愚かな己に『傍にいろ』と言ってくれた。彼女の傍に在る。何よりの幸福だ。
 その命はいつまで続くのだろう。いつまで傍に在ることを許されるのだろう。いつになれば、同じ場所に立てるのだろう。
 不相応な考えだ。消すべきそれが、頭の中を巡り巡る。淀んだものが少年の心に深い影を落とした。
 小さな手を包み込んだ大きな手に力が込められる。離れて飛び立ったのは己だというのに、この触れ合った場所から伝わる愛しい温もりを手放すのが酷く恐ろしく思えた。

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#はるグレ

SDVX

結って遊んで愛らしく【はるグレ】

結って遊んで愛らしく【はるグレ】
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髪をいじくって遊ぶ推しカプは尊い。
これのセルフ三次創作です。

 緑の上を流れる黒を一房すくう。手のひらに載せたそれに、少女は折りたたみ式のコームを当てた。根元から細い毛先まで、ゆっくりとした手つきで丁寧に梳いていく。時折、プラスチック製の歯が抜けると同時にすくった黒髪が逃げていきそうになる。それほどまで、なめらかでまっすぐとした毛であるということだ。あまりにも櫛通しが良すぎて、本当に整える必要があるのかと疑ってしまうほどである。癖っ毛の己ではまず味わえない感覚だ。少しの嫉妬を抱えながら、グレイスは長い黒髪を恭しさすら覚える手つきで梳いていった。
 細いそれを全て整え終える。普段素早い動きに合わせ涼やかになびく黒は、いつにも増してツヤとなめらかさを持っているように見えた。一仕事終え、躑躅は小さく息を吐く。本番はここからだ。
 広い背の中程まである長い髪を左右二つに均等に分ける。片方を両手で持ち、頭に沿う動きで上げていく。耳より拳半分ほど高い位置で手を止め、根元を握って固定する。傍らに置いたポーチに手を入れ、ヘアゴムを取り出した。細く小さなそれを、手で仮止めした場所からずれないよう注意しつつ縛っていく。しっかりと結い終えると、さらりとした黒い尻尾が姿を成した。同じ要領で、残り半分も結い上げる。毎朝自身で髪をセットしているだけあって、手つきはこなれたものだ。
 結い終え、躑躅の少女は椅子に座りされるがままでいる髪の持ち主の前まで回り込む。カツカツとヒールが床を叩く硬い靴音は、どこか弾んで聞こえた。
 尖晶石の瞳が正面から作品を眺める。常は首の後ろで雑にまとめた髪は、細いツインテールに生まれ変わっていた。毛量が少ないものの、するりと流れるような柔らかなストレートヘアであるためか美しい仕上がりになっている。ふふん、と少女は満足げに笑みをこぼした。
 当人である髪の持ち主――始果は、不思議な様子で目の前の彼女を見ていた。きっと、髪型で遊ぶ楽しさが理解できないのだろう。日頃髪はおろか生活全般に頓着の無い彼だ、ジャケット撮影の度に様々なヘアスタイルを楽しむ女の子の気持ちが分かるはずなど無い。
 鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌な様子で、グレイスはツインテールの片方を手に取る。そのまま、長い結い髪をくるくると根元に巻き付けはじめた。ポーチからピンを取り出し、丸い塊となった黒に刺して留める。もう片方も同じようにまとめた。
 一歩引き、マゼンタの瞳が依然されるがままでいる少年を眺める。細く長いツインテールは、小さなお団子頭へと様変わりしていた。ふふ、と桜色の唇から笑みと同義の吐息がこぼれる。満足げな、楽しげな響きをしていた。
 手慣れた様子でピンを外し、そのままひっかからないよう注意しながらヘアゴムも取り払う。背へと戻ろうとする黒髪を小さな手ですくい取り、緑衣に包まれた肩にかけた。たおやかな指が、細いそれを更に細い三つの束に分ける。そのまま、するすると器用に編み込んでいく。ひとしきり編むと、ヘアゴムを使って留めて再び肩に掛けた。もう一房も手早く編んで肩にそっと掛けた。
 再び一歩引き、目の前の彼を見やる。快活な様を思わせるお団子姿は、落ち着いたお下げへと変わった。どこか幼い印象を与える顔と黒く長い髪が相まって、異様に似合って見える。ふ、と閉じた口から吐息がこぼれる。ふふ、と漏れるそれは、あっという間にあはは、と高い笑声へと移り変わった。
「グレイス?」
「っ、ぅ、な、なに……?」
 きょとりとした様子で名を呼ぶ狐に、躑躅はどうにか応える。口を押さえ笑いを噛み殺そうとするが、無駄な足掻きだった。三つ編み姿が妙に様になった愛しい人が、何だか面白くてたまらない。どんどんと込み上げてくる感情に、剥き出しになった薄い腹がひくひくと震えた。
「どうかしました……?」
「どっ、どうもしないわ、大丈夫よ」
 あまりにも異常に映ったのだろう、心配げな様子でこちらを見つめる金色の目に、少女は軽く手を振って返す。しばしして、長い溜め息とともに湧いて出てくる笑いはおさまった。必死に堪えていたこともあってわずかに疲れを覚える。はー、とまだほのかに笑みが残る息を吐いた。
「すごいですね……」
 肩に掛けられた三つ編みを片方手に取り、始果は嘆息するように漏らす。いつも自分で適当にまとめるだけの彼には、新たなヘアスタイルを物珍しく感じるのだろう。ジャケット撮影でも髪型を変えることが少ない少年にとって、矢継ぎ早に髪を結って変化させていくのは初めての体験だ。
「そう? 簡単なのしかやってないけど」
 つややかな黒を眺める姿に、グレイスは小首を傾げる。結んだだけのツインテールに丸めるだけのお団子ヘア、分けて編むだけの三つ編み。どれもヘアゴムとピンさえあれば簡単にセットできるものだ。特に、ツインテールなんて位置を決めてまとめ上げるだけの手軽さである。常日頃から髪を結い、姉にも髪を結って遊ばれる己にとってはどれも朝飯前だ。
「こんなの慣れよ。慣れ」
「グレイスはいつも結っていますものね」
 自身が持つ黒に向けられていた真ん丸な月色が、すぃと上がり眼前の少女へと向く。床についてしまいそうなほど長い毛先から、頭のてっぺんに近い位置にある根元まで、長いツインテールを金の視線が辿っていく。無感情にも見える瞳には、少しばかりの輝きが宿っているように見えた。
 そうね、と少女は長い髪の中ほどを手の甲で軽くすくう。枝垂れ桜を思わせる長い尾がふわりと広がった。伸ばし続けている髪は、毎朝丁寧にブラシを入れ、毛量と頑固なくせに負けないようにしっかりと縛り上げている。最初こそ難儀したものの、今では半分寝ていてもこなせるほど身体に染みついてしまった。
「……あんたもやってみる?」
 ふと頭に浮かんだものをそのまま口に出す。音となったそれは、何よりの名案に思えた。ふふ、とまた愉快げな笑みがこぼれる。どことなく浮かれた調子にも聞こえた。
 代わって、と躑躅は狐の手を取り軽く引く。突然の出来事に、え、と目の前のお提げ頭が傾いだ。構わず、ほら、と一押しすると、従順な忍は音も無く椅子から立ち上がった。繋いだ手を支点にするようにくるりと回り、少女は入れ替わりで椅子に座る。そのまま、朝早くに起きて整え結い上げたツインテールを解いた。華奢な身を包み込むように、ふわふわとした髪が広がった。満開の桜の木を思わせるようなシルエットとボリュームだ。
「はい、これブラシとヘアゴム」
 ポーチから大ぶりなヘアブラシを取り出す。つい先ほどまで鮮烈なアザレをまとめ上げていたヘアゴムと共に、目の前の少年に差し出した。事態を理解できないのか、彼は依然え、とこぼし首を傾げる。珍しく動揺をあらわにした様子に、どことなく愉快さと可愛らしさを覚える。柔らかな輪郭を描く頬が穏やかに綻んだ。
「私がやったみたいに二つに分けて、高い位置で留めればいいのよ。あんたも毎朝髪結んでるんだからできるでしょ?」
 ほら、と整えやすいよう、長い髪を後ろ側にさっと流して軽くまとめる。それでも、癖の強い髪は花が開くようにふわりと広がってしまうのだ。まぁブラシで整えれば何とかなるだろう、と毎朝の己の行動を思い返しながら呑気に考えた。
「お願いね」
 呆然と立ち尽くす始果に、グレイスはニコリと笑いかける。可愛らしいおねだりとも、早くしろという催促にも見えた。しばしして、分かりました、と少し強張ったらしくもない声が返ってきた。
 音も無く少年は背に回る。沈黙少し、ほのかに暖かさを持ち始めた剥き出しの背を、涼しさが撫でた。中央あたりに感じたことから、髪を左右二つに分けたのだろうということが分かる。とりあえず片方だけ持ったのか、すぐに左側だけが温かさを取り戻した。うなじにほの冷たい手が触れる。分けた髪の根元に添えられたそれは、抱えるように髪をすくい上げた。
 髪に何か触れる感覚。数拍、右側に少し引っ張られる感覚。ブラシを通したのだろう。癖のある髪は頑固で、歯を素直に通してくれることが少ないのだ。動きとともに傾いてしまう頭に、大丈夫ですか、と不安がうっすらと浮かぶ声が飛んでくる。大丈夫よ、と返すと、そうですか、とまだ暗さの残る声が後ろから聞こえた。
 緩慢な動きでブラシが髪を撫ぜていく。そんな調子では梳く意味が薄い。おそらく、頭を引っ張ってしまうのが怖いのだろう。悲しいことに、癖っ毛である己の髪はこの通り櫛通しがあまり良くないのだ。自身のサラサラとしたまっすぐな髪しか扱ったことのない彼には取り扱いが難しかっただろうか。そもそも、愛する少女以外にはまるで興味がない男だ、ブラシなんてものを扱うのはこれが初めてなのかもしれない。
「ブラシ使うの難しいならそのまま結んでもいいわよ。後で適当に梳くわ」
「……分かりました」
 助け船を出してやると、わずかな沈黙の後了承の言葉が返ってくる。どこか不服そうな、申し訳なさそうなとをしていたのは気のせいではないだろう。こと己に関しては変なところを気にするのだ、この恋人は。
 半分に分けられた髪の根元を軽く握られる。そのまま、そろそろと恐れを孕んだ動きで頭頂へと持ち上げられていった。普段結っている位置まで辿り着いたところで手が止まる。掴むように根元に手が触れ、毛先が持ち上げられる。根元に当てたヘアゴムに、必死に長い髪を通していることが伝わってきた。器用で所作の素早い彼にしては遅い動きで、ボリュームのある髪がまとめ上げられていく。何度か通したところで、髪を取り扱う手が止まった。ふわりと広がる反対側を手がまとめる感覚。同じように、不安定な手つきで髪が結い上げられていく。普段己が行う何倍もの時間を掛けて、アザレアの髪が普段のツインテールへと姿を変えた。
「…………終わりました」
「ありがと」
 不安の残る声で作業の終わりが告げられる。弾んだ声で礼を言い、躑躅は携帯端末を取り出し、カメラアプリを起動した。上部のバーをタップして、内側カメラに切り替える。床を映していた小さな画面に、モルガナイトが二つ輝く。
 液晶画面に映ったのは、普段と同じようで少し違う己の姿だった。いつも同じ高さで綺麗にまとめられた髪は、今は高さがバラバラだ。結び方もどこかゆるく、時間が経てば崩壊して解けてしまいそうだ。長くふわりとした髪は扱いづらく全てまとめきれなかったのだろう、大きくさらけ出された背中にはまだ髪が何房も伝っている感覚が残っている。
 初心者がやったのならばこんなものだろう。むしろ、取り扱いづらい部類の己の髪をこれだけ結えただけで十二分にすごいことなのだ。己でも、寝癖の強い日は扱いづらく感じることもあるのだ。他人がいわんやである。
「…………すみません」
「ちゃんとできてるじゃない。何で謝るのよ」
 落ち込みすら窺わせる声で、始果は謝罪の言葉を漏らす。暗く濁った色など吹き飛ばすように、グレイスは普段通りのからりとした声で返した。事実、ちゃんとツインテールに仕上がっているのなら要件は十分に満たしている。なにより、『結んで』と頼んだのは己なのだ。彼が謝る必要性などない。
 再び画面の中を見つめる。カメラが液晶に映し出す顔は緩んだものだ。過去の己が見れば、だらしがない、と叱り飛ばすような腑抜け具合である。しかし、どうしようもないことなのだ。だって、心の底から湧き出るこの感情が頬を、口を、目元を綻ばせるのだ。二人きりのプライベートな空間で、表情筋を無理矢理コントロールする必要性も無い。
 ふふ、と少女は今日何度目かの笑みを漏らす。喜びと幸せが滲んだ温かな色を宿していた。
「ありがとね、始果」
 首だけで振り返り、躑躅は所在なさげに後ろに立つ狐に再度礼の言葉を投げかける。シアンとマゼンタで構成された目は虹のように大きな弧を描き、言葉を紡ぎ出す口は穏やかに解けていた。
 好きな人が己の髪を結ってくれた。大好きな人が己のためになれないことを頑張ってくれた。それだけでこの上なく幸せだ。
「……結い直した方がいいのではないですか?」
「何でよ。せっかくやってくれたのに」
 きちんとセットしてくれたというのに、解けとは何事か。綻んだ頬が一転、空気を含んでぷくりと膨らむ。臆することなく、けれどもまだ不安を宿したまま、少年は丸くなった顔を見つめた。
「いつもきみがしているみたいに綺麗になりませんでしたから……」
 やはり、元の形そのまましっかりと戻せなかったことがかなり気に掛かっているようだ。彼は己がいつも丁寧に髪を整えている姿を知っているだけに、尚更気になるのだろう。どれだけ申し訳なさそうにしても、三つ編み姿ではただシュールである。
「いいのよ。私が結うのより、始果がしてくれたのがいいの」
 心からの言葉だった。早さや綺麗さだけを取るならば、自分で結うのが一番だ。けれども、それ以上に恋い慕う人が一生懸命結ってくれたことが嬉しくて、幸せで仕方が無いのだ。こんな宝物みたいなもの、『整っていないから』なんてどうでもいい理由で解くなんてあり得ない。
「……そう、でしょうか」
「そうよ」
 疑問が残る声をこぼす忍の少年に、躑躅の少女は上機嫌に返す。いつもより床に近い位置にある長い毛を一房すくい、細い指に巻き付けて遊ぶ。ふわふわと揺れる癖のあるこの髪が、いつも以上に愛しく思えた。
「ねぇ、またやってよ」
 少女は弾んだ声でねだる。最初はただの思いつきだったが、なかなかに楽しいではないか。もっともっとこの楽しさを、嬉しさを、幸せを味わいたい。警戒心の強い彼女が稀に見せる、甘えたな姿だ。
 長い長い沈黙の後、はい、と消え入りそうな声が返ってくる。あまり気乗りしないことが丸分かりである。それでも最終的には了承するのが彼らしい。
「私でいっぱい練習しなさいよね」
「きみ以外の人の髪を結う事なんてありませんよ?」
「私の髪を結ぶことはあるかもしれないじゃない」
 いっぱい練習して、綺麗に結べるようになりなさいよね。
 いたずらげに笑いかけると、少年はぱちりと目を瞬かせた。はい、と返ってきた声は、どこか腑に落ちないような、それでいてほのかな幸せを孕んだ音色のように聞こえた。
 二人きりの空間に、二輪の躑躅が咲き誇った。

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#はるグレ

SDVX

twitter掌編まとめ3【SDVX】

twitter掌編まとめ3【SDVX】
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twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
成分表示:バタキャ+氷雪ちゃん1/恋+奈1/赤志魂1/グレイス1/ニア+ノア1/神+十字1/嬬武器雷刀1/ユーシャ1/雨魂雨1/火琉毘煉1

大空求めて/バタキャ+氷雪ちゃん
「おそらっ」
「おそら……」
「おーそらっ!」
 三匹子猫は上機嫌に歌う。溢れ出る楽しみを表すように、繋いだ手をぶんぶんと振った。
「えっと……お空は……」
 はぐれぬようにとしかと掴まれた手の温かさを感じながら、氷雪は頭上のディスプレイをじぃと見やる。白い指で視界いっぱいに広がる液晶をなぞる。たどった『暁光の翼篇』の一文、空きがあるという表示に少女はほっと息を吐いた。
「すぐに体験できるみたいですよ。よかったですね」
 やったー、と弾んだ合唱。手にした携帯端末を操作し、電子チケットから辿って案内を見る。色をついて示された場所は、『サンシャインエリア』と書かれていた。こっちです、と小さな手をそっと引く。とてとてと桃が続く。てこてこと蒼が続く。ぱたぱたと雛が駆け出した。
 おそらとべたらいいな。
 そんな風に空を眺め手を伸ばす子猫たちを眺めて数日。雪女はその姿が気にかかっていた。飽きやすい子猫たちが、あんなに空を渇望している。よほど興味があるのだろう。可愛らしいその願いを叶えてあげたい。自分はその願いを叶える手段を知っている。悩みに悩んだ末、雪女は勇気を振り絞って言ったのだ。『ヘキサダイバーでお空を飛べるみたいですよ』と。
 そうして現在地、ヘキサダイバー内中央ロビー。手を繋いだ氷雪、桃、蒼、雛の四人は、受付を済ませサンシャインエリアを目指していた。人が賑わう通路でも決してはぐれぬようにと、四人はしっかりと手を握る。邪魔にならないように道を進み、該当エリアの出入り口に辿り着いた。
 少女は全員分の電子チケットをかざし、手を引き連れ立って中に入る。開けた空間には、扉が立ち並んでいた。チケットに表示された番号の部屋に入れば、『仮想現実』が始まる手はずだ。少しだけ慣れた調子で氷雪は劇場内を歩く。二度目なのだから勝手はまだ分かっている方だ。
 おそらおそらと歌う子猫に、雪女はふわりと笑みをこぼす。短くはない時間彼女らを見てきたが、ここまではしゃいでいる姿はあまり見ない。本当に喜んでいるようだ。誘ってよかった、と心の底から安堵する。
「ひゆきおねーちゃんはなにになるの……?」
 ぴょこりと横から飛び出た蒼がこちらを見上げ尋ねる。え、と氷雪は声を漏らした。
「ももたちはきゅーぴっとさんですよ!」
「ひゆきおねーちゃんは? ひゆきおねーちゃんもきゅーぴっとさん?」
「えっと……、決められなかったので『おまかせコース』にしました」
 興味津々の様子で見上げてくる三色三対の瞳に、花緑青の目がぱちりと瞬く。困ったような笑みを浮かべた。
 ヘキサダイバーは様々な望みや物語を体験できる場所だ。けれども、望みがいつだってはっきりしているわけではない。漠然と希望はあれど、明確なビジョンが見えぬ者だっている。そのために用意されているのが『おまかせコース』らしい。登録情報や事前アンケートの内容によって、希望に近い世界を自動で選択してくれるのだ。本当ならば説明してやりたいが、内容は体験してからのお楽しみ、らしい。
「あとでひゆきおねーちゃんのどんなのだったかおしえてね!」
「きになる……!」
「しりたいです!」
 ぴょこぴょこと興味津々な様子で耳を動かす三色猫に、雪色は分かりました、と微笑む。自分もどんな世界なのか楽しみだ。もちろん、体験したそれを少しぐらいは語りたい。それが彼女らの楽しみの一つとなるのならば尚更だ。
「ここのお部屋ですよ。いってらっしゃい」
 電子チケットをかざすと、ピ、と電子音が短くあがる。大きな扉が、仮想空間に繋がる扉が開いた。
 いってきます、と大合唱。大きくてと尻尾を振って、子猫たちは扉の中へと入っていく。はしゃぐ小さなその背に手を振り見送った。
 プシュン、と自動ドアが閉まる。振っていた手を下ろし、少女は己のチケットを再度見る。示された番号は、すぐ隣の部屋だ。これなら終わってすぐに合流できるだろう。歩きながら考える。
 この先にあるのはどんな物語だろう。『おまかせコース』は『空を飛ぶ』という望みをどんな風に叶えてくれるのだろう。
 期待と少しの不安を胸に、氷雪は扉を開く。蒼天を映した大きなディスプレイが少女を迎えた。




夏の足音聞きながら/恋+奈
 悩ましげな呻り声が店内の片隅に落ちる。少女は眉を寄せ、真剣な顔つきで手にした二つの衣装を眺めていた。否、睨みつけると言った方が正しいほどの鋭さである。
「そんなに悩むことかしら……?」
 目の前に衣装を二着掲げられ、空中で体躯に合わせられる奈奈は戸惑いの声をあげる。眉は困ったように八の字を描き、七色の瞳はぱちぱちと瞬いている。白いヘッドドレスに彩られた小さな頭がゆるりと傾いだ。
「悩むわよ! だって奈奈が着るのよ? 最高のを選ばなきゃ……!」
 親友の問いに、恋刃は鋭い声を返す。気迫と使命に満ちたものだった。少なくとも、ショッピングモールの水着売り場で見せるようなものではないほど。
 水着を両手にうんうんと唸る赤い親友に、七色の少女は依然困ったように笑う。己のことのように、否、己のこと以上に悩む姿には嬉しさを覚えてしまう。けれども、その可愛らしい顔に眉間に深い皺を刻んでまですることだろうか。どうしても疑問が思い浮かんでしまう。
「でも、前に着たのが四着もあるのよ? 今年はその中から選べばいいんじゃないかしら?」
 以前ジャケットの撮影に使った水着は、その後運営陣からプレゼントされていた。どれも撮影と友人らと遊びに行くのとで数回しか着ていないものだ。どれも美しいものなのだから、何度か着ねばもったいないのでは無いだろうか。
「ダメよ。数年前のだからもうサイズが合ってないかもしれないし、どうせ海に行くならもっとお洒落してもらいたいもの」
 水着姿の奈奈を見られるなんて年に一回ぐらいなんだから、と恋刃は真剣な瞳でこちらを射抜く。そんなに大事だろうか、と奈奈は再び首を傾げた。
「やっぱり奈奈にはフリルがとっても似合うからフリルが多いのがいいかしら。でもこっちのレースのも大人っぽくて奈奈に合いそうなのよね。そもそも色はどうしましょ。今まで着たのは白か黒だし、合わせるか別の色を選ぶか……」
 ぶつぶつと呟きながら赤はいくつもの水着を手に取っては戻していく。これ以上無く熱心に見繕われては、容易に動くこともできない。どうしましょ、と七色は視線を泳がせた。
「そもそも、恋刃はどれにするか決めたの?」
「え? 私?」
 奈奈の問いに、恋刃は固まる。紅緋の瞳がぱちぱちと瞬いた。己のことなどすっかり忘れていたことが一目で分かる様相である。
「あぁ……、こないだのでいいかしら」
「もうサイズが合ってないかもしれないし、お洒落した方がいいんじゃなかったの?」
 あからさまに濁す親友に、少しだけ強い語調で返す。う、と喉を詰まらせる音が細い喉から落ちた。
 予想通りの様子に、少女はくすりと苦笑を漏らす。合わせて見るために少しだけ離れていた足を、一歩踏み出す。両手にハンガーを持った親友はぱちぱちと大きな瞳を瞬かせていた。
「今年は奈奈が選んでもいい?」
 少しだけ屈んで、気まずげに泳ぎ瞬く深緋を覗き込む。ね、と小首を傾げると、再び喉がつっかえたような音が売り場に落ちた。
「……選んでくれるの?」
「選ばせて?」
 だって、奈奈もお洒落した恋刃をもっと見たいもの。
 一転眉尻を下げた友人に、奈奈は柔らかく笑む。本当にいいの、と不安げに問う恋刃に、もちろん、とにこりと笑顔を投げかけた。
「……じゃあ、お願い?」
「えぇ」
 薄く頬を染め、赤は願いを口にする。常はハキハキとした彼女らしくもない、少し自信なさげな音色をしていた。揺れる心を落ち着けるように、七色は力強く頷く。タタタ、と駆け出し、水着がたくさん並んだラックの前に立つ親友の横に並んだ。
「この間は黒と赤だったよね? 今年は白か、紅刃さんみたいに赤がいいんじゃないかしら」
「白、私にも似合うかしら……」
「恋刃の綺麗な赤い髪には、白はとっても似合うと思うの」
 どこか揺れる声と穏やかな声が交わる。次第に、どちらの音も弾んだ楽しげな響きになっていった。
 水着の海の中、少女らは盛んに言葉を交わしあった。夏はすぐそこだ。




じゃのめでおむかい/赤志魂
 軽やかにキーを叩く手が止まる。キーボードの上に置かれた手が組まれ、そのまま上方にぐっと伸ばされた。あー、と疲れ切った声が部屋に落ちた。
 ファイルを保存し、再生ソフトの一時停止ボタンを押して魂はヘッドホンを取る。少しだけ圧迫されていた耳が軽くなった。はぁ、と肺の中の空気を全て追い出すように重く息が吐かれた。
 パタ、パタタ。脳味噌に響くような音楽の代わりに、細かな音が鼓膜を震わせる。カーテンの向こう側、窓の外から聞こえるのは水が地を叩く音だ。おそらく、雨が降っているのだろう。作業に没頭していて気付かなかった。
 ふっと脳内に青色が浮かぶ。普段は長い前髪で目を隠すいささか内気な旧友。雨の中ではハイテンションで粗野になる知己。雨傘片手に――時にはその身一つで雨空の下に飛び出す腐れ縁。常はおどおどした、雨の中では無鉄砲な紫陽花を思わせる青がよぎった。
 時計を見る。時刻は、日付が変わる二時間前を指していた。この程度の時間なら、きっと彼は雨空の元へと駆け出していっているだろう。時計も持たず、下手をすれば傘すら差さずに、この寒空の下へと走るのだ。
 容易に想像できる姿に、少年は苦笑を漏らす。雨の中哄笑し駆け回る友人も、ただの天気と腐れ縁をすぐに結びつけてしまう己も、なんと単純なのだろう。はぁ、と呆れを含んだ溜め息が漏れた。
 ぐっと伸びをもう一度。キャスター椅子を引き、蒲公英色の少年は立ち上がる。作業に疲れた頭は、糖分を欲していた。どうせなら、温かいものがいい。ココアでも淹れよう、とキッチンへ向かった。
 手慣れた調子で砂糖たっぷりのホットココアを作り、部屋に戻る。迎えたのは、ザァと風と水と風が奏でる強い音だった。どうやら、この短時間で雨脚は随分と強まったらしい。窓越しにこれだけ聞こえてくるのだから、よほどの勢いだろう。
 再び、青が――今現在、雨空の下にいると確信できる青が脳裏をよぎる。最近の気温は高いとは言い難い。雨降る夜なら尚更低くなっているだろう。そんな中に飛び込み、雨粒に身を打たれ濡れに濡れて楽しむのだ、あの雨馬鹿は。
 赤と緑、一対の目がぐ、と眇められる。甘いココアを味わうべき口は、横一文字に結ばれていた。
 あの馬鹿が降りしきる雨の中どう行動しようが知ったことではない。けれども、そのせいで風邪をひかれては困るのだ。真面目で成績優秀な彼から宿題や授業内容を教えてもらえないのは、学生生活に多少の支障を来すのだ。
 そうだ、己のためなのだ。言い聞かせるように反駁し、魂は手にしたマグカップを机の上に置く。部屋着の上に、撥水効果を持った厚手のパーカーを羽織る。手際よく準備を済ませ、踵を返し部屋から出た。
 靴箱から雨靴を取り出し、傘を二本持つ。家の鍵をポケットに入れ、施錠されている玄関ドアを開けた。途端、バタバタバタと降り注ぐ雫が地を強く叩く音が耳に響いた。
 パーカーのフードを被り、傘を開く。そのまま、少年は雨夜空へと飛び出した。ビニールを雨が穿つ音が響く。あまりにもうるさいそれに、雨空の下躍っているだろう腐れ縁に、こんな夜中にわざわざ雨傘二本持って家を出た己に眉根を寄せ、魂はバチャバチャと水張るコンクリートの上を早足で進んだ。
 吹きつける風の中、独特な高い笑声が聞こえた気がした。




「次は並盛りデスネ!」「無理……」/グレイス
 ゴトン、と重い音が目の前であがる。同時に現れた巨大な影に、グレイスはぎゅっと唇を引き結んだ。そうでもしなければ、短い悲鳴をあげてしまっていただろう。それほどまでに、目の前の存在は凄まじいものだった。
 深い赤に白で縁取られたどんぶりは、己の手をめいっぱい広げて尚端に届かないほどの直径だ。両手でなければ到底持ち上げられないであろうそれの中は、野菜で満ちていた。真っ白なもやしと色鮮やかなキャベツがこんもりと山を成している。トッピングではなく、まるでそれがメインであるかのような高さだ。その斜面にもたれかかるように、小指の爪ほどあるのではないかという厚さのチャーシューが載せられている。ラーメンだというのに、どんぶりの中には麺もスープも見えなかった。野菜炒めと言われた方が納得がいくビジュアルである。
 少女はごくりと息を呑む。食欲由来のものではない、完全に圧倒されてのものだ。当たり前だ、こんなもの圧倒されるに決まっているではないか。注文したのはメニュー表で『初心者向け』と書かれていたミニラーメンなのだ。『小さい』という意味を持つ語を冠したものからこんなものが飛び出てくるとは思わないではないか。予想外の事態に、凄まじい存在感に気圧されるのも仕方の無いことだ。
 ちらりと左隣を見やる。カウンター席には、箸を持ち手を合わせる二色の双子の姿があった。彼らの目の前にあるのは、己のそれを二回り、否、三回りは大きくしたようなラーメン――ラーメンだとは未だ思えないが、店の言葉を信じるのならばラーメンなのだろう――があった。どんぶりは、もはや『どんぶり』と表現するのが相応しくない大きさと深さだ。載っている野菜も、もちろん多い。下手をすれば己のものの五倍はある量だ。まさに『山』と表現するのが相応しい姿である。頂点に載っているキャラメル色の炒め物らしき粒が得体の知れない感覚を更に強めた。何より恐ろしいのが、これで『大盛り』という事実である。『大』と表現するにはあまりにも巨大すぎる存在だ。
 う、と喉から迫り上がってくる嗚咽をこぼさないように口で手を押さえ、今度は右隣を見やる。そこにいるのは、双子と同様手を合わせる姉だ。満面の笑みを浮かべる姿は可愛らしいと表現するのが相応しい。けれども、目の前にあるものとあまりにも不釣り合いで、一周回って恐怖を引き起こす様であった。
 彼女の目の前に置かれているのも、またラーメンなのだろう。断言できないのは、どんぶりがまるでたらいのような大きさであり、凄まじいそれから見えるのが野菜だけだからだ。それも己や双子のものとは段違い、下手をすれば人の顔一つ分ほどの高さがある野菜の山がそこに存在していた。緑と白の山の麓を飾るようにチャーシューがぐるりと載せられている。凄まじい厚みや煮詰められた濃い色から、崖を思い起こさせる様相だった。兄弟のものと同じく、山には謎の粒が振りかけられている。お子様ランチの旗のように頂点にちょこんと飾られたナルトが、これがラーメンであることを唯一語主張する要素だった。
 う、と躑躅はまた口を押さえる。嬬武器の兄弟たちのものでもかなり多く感じる己には、もはや見ただけで胃がもたれる量だ。これがこの店で一番多い『特盛り』らしい。大盛りと特盛りの差が激しすぎるのではないか。そんなどうでもいい疑問が湧き起こる。完全に現実逃避であった。
「いただきます!」
 両隣から元気の良い声が響く。夕方、学生たちで賑わい騒がしさすら覚える店内でもよく通る声だ。この恐ろしい物体を目の前にしているとは到底思えない、元気いっぱい、食欲いっぱいの声だった。
 ちらちらと隣に視線が向く。合掌を済ませた三人は、思い思いに食べ始めていた。大きく箸を開き、野菜をむんずと掴み取り、口に運ぶ。山の下に箸を入れ、埋まった麺を力強く引きずり出して啜る。添えられたレンゲを使い、スープを飲む。作法はラーメンのそれだった。
 ごくりと息を呑む。そうだ、これはラーメンなのだ。今は野菜しか見えないが、恐らくこの下には麺があるだろう。放置していたは伸びてしまう。食べるなら、美味しい状態で食べるべきだ。たとえそれが未だ『ラーメン』と信じられない存在であっても。
「…………いただきます」
 手を合わせ、食事の挨拶を口にする。箸入れから一膳取りだし、グレイスは目の前の山と対峙する。震える手で箸を操り、山目掛けて突っ込んだ。
 騒がしい店内に食事の音が満ち満ちる。夕陽が肩まで姿を隠した頃、元気の良いごちそうさまの挨拶が三つ、力ない合掌の音が一つカウンター席に響いた。




たいへんよくたべました/ニア+ノア
 ゆっくりと進む足音。調理器具が料理をすくう音。食器が盆に載せられる音。机に盆が載せられる音。椅子の足が床を擦る音。高揚した子どもの声。授業中の静けさはどこへやら、昼の教室内は賑やかしくなっていた。
 教室の真ん中、こくりと息を呑む音が二つ落ちる。双子のニアとノアだ。いつだって元気で可愛らしい表情を浮かべる幼いかんばせは、今は随分と強張っていた。小さな手は、緊張でぎゅっと握られ膝の上に置かれている。長い青髪を飾るリボンカチューシャは、心なしかへたりと力を失っているように見える。
 今は午前の授業が終わり、給食の時間だ。二人の目の前には、昼食が載った盆が置かれていた。白いプラスチックの食器には、栄養バランスの考えられた給食が綺麗に並べられている。底の深い二つの器には、ツヤツヤの白米と湯気を立てる味噌汁。大きな皿には主菜のハンバーグと付け合わせの野菜。飲み物は定番のパック牛乳。シンプルながらも、食欲をそそる品々だった。
 大好きなハンバーグを目の前にしているというのに、兎たちの表情は依然強張ったままだ。瑠璃紺の瞳は、大きく存在を主張する主菜ではなく、その傍らに転がる副菜と、なみなみと注がれた汁物碗に吸い込まれていた。
 今日の給食は白米、茄子と油揚の味噌汁、ハンバーグ、ミニトマト、牛乳。
 そして、双子兎は茄子とトマトが大嫌いだった。特に、火を通していないものは。
 うぅ、と引き結ばれた小さな口から唸りが漏れる。抗うような音だ。抵抗できないことを知っているからこそ出た音だ。
 嫌いなものなら、友達に頼んで食べてもらえばいい。けれども、今月の二人にはその選択が出来なかった。
 二人は知っている。献立表に『今月の給食は烈風刀のイキイキお野菜を使っています』と書かれていたことを。
 二人は知っている。烈風刀が忙しい中でも時間を捻出し、どれだけ大切に野菜を育てているかということを。
 二人は知っている。彼がテレビのインタビューで『皆に美味しく食べてほしいですね』とはにかんでいたことを。
「……ニアちゃん」
「……がんばろ、ノアちゃん」
 妹兎が硬い声とともに、隣の青く長い袖を引く。姉兎はその手を解き、己の手を重ねた。同じ大きさの手がきゅっと握られる。勇気を分かち合う姿だった。
「手をあわせましょう!」
 給食係が大きく声をあげる。パシン、と手を合わせる音が教室内にいくつも響く。繋いだ手を解き、青兎も袖から手を出しパチンと合わせた。
「いただきます!」
 大合唱が響く。箸を持つ音、食器を持つ音、パックにストローを刺す音、野菜が噛まれる音、汁物を啜る音。食事の音色が教室を彩った。
 箸を取り、双子の少女は今一度息を呑む。覚悟を決めるためだ。す、と息を吸い、は、と吐く。小さく頷き、二人はミニトマトを掴んだ。『ミニ』という割にはいささか大きく見える赤を、ひと思いに口に放り込む。意を決して、噛み締めた。
 まず広がったのは青臭さだ。野菜特有の香りが、口の中を占拠する。続いて、張った皮が破裂しどろりとした何かが流れ込んでくる感覚。舌の上を、生暖かい液体が支配していく。青臭さが一際強くなったように思えた。泣きそうになりながら、どうにか咀嚼していく。剥がれた皮が残る感覚、中途半端に硬い果肉の歯触り、ところどころに散らばっては挟まってくる小さな種の食感、ゼリー状の内容物が舌の上を撫でていく味。最悪と表現するのが相応しいものだ。それでも、どうにか全て飲み下した。
 敵は一人倒した。残るは、ただ一人だ。
 汁物碗を持つ。浮かぶ紫色の物体を箸で掴み、震えながらも口に入れた。
 これまたどろりとした食感。好きな者は『とろける』といった表現をするのだろう。嫌いな二人からすれば『どろどろ』と掴み所がない、けれども妙に存在感を発揮する舌触りだ。口に入れた途端分離した皮の固いような柔いような表現しがたい食感も、また奇妙さを感じさせた。小さい青い眉がぎゅっと寄せられる。素材そのままのミニトマトとは違い味は味噌で誤魔化されているものの、食感はどうにもならなかった。その上、赤いあいつと違って碗の中に細かなものがいくつも浮いている――つまり敵の数が多いことが問題だった。
 熱い汁を一緒に飲み、時折油揚げで箸を休めながら、どうにか胃に収めていく。せいぜい二〇〇ミリリットルほどの汁物だというのに、何リットルも飲まされているかのように錯覚した。
 ぷは、と少女らは同時に息を吐く。両手で持ち上げた碗の中身は空っぽになっていた。つまり、勝利である。
「ニア、ちゃんと食べたよ……ノアちゃん……」
「ノアもちゃんと食べたよ……ニアちゃん……」
 食事中とは思えぬほど疲弊しきった声で、双子兎は互いを讃え合う。牛乳パックにストローを刺し、中身を一気に吸い上げる。口直しだ。野菜の青臭さと何とも言えない舌触りを早く忘れ去ってしまいたかった。
 何にせよ、敵は全員倒した。残るは、大好きなハンバーグだ。
 苦しげに寄せられていた眉が解ける。険しげに細められた目がキラキラと輝きだす。箸を持つ手に力がこもる。しなりとへたったリボンカチューシャがピンと立った。
「いただきます」
 自然と言葉が漏れる。自然と表情が緩む。プラスチックの箸が、ケチャップが掛けられたハンバーグを切り分け、口に運んだ。よく焼かれた肉に歯を立てる。瞬間、油特有の甘さとケチャップの甘じょっぱさ、香辛料のほのかな刺激が口内に広がった。おいしい、と二人同時にこぼす。大嫌いな野菜を倒したあとのお肉は、何よりも美味しかった。
 ハンバーグを食べ、ご飯を食べ、またハンバーグを食べ、たまに牛乳を飲み。兎たちは好きなものだけ残った給食を楽しむ。あれだけ強ばり険しかった表情は、すっかり解け明るいものとなっていた。
 時計の針は進んでいく。規定の時間になり、給食係が再び手を合わせることを促す。パックの中身を全て飲みこみ、二人は空になった食器の前で手を合わせた。
「ごちそうさまでした!」
 元気な合唱が教室に響き渡る。双子兎の元気な声も混じっていた。
 挨拶を終え、食べ終わった者から食器を片付けていく。皿と碗、盆を配膳台の所定の位置に重ねていく。席に戻ると、ニアは妹の袖を引いた。
「……あとでれふとに『給食のお野菜おいしかったよ』って言いに行こ」
「……行こっか」
 本当は、自分たちの味覚には『美味しい』なんて到底言えない。けれども、彼が丹精込めて作った野菜は家で食べるものよりもずっと苦労せず食べられた気がした。それはきっと、『美味しい』からなのだろう。今の自分たちにはまだ分からないけれど。
 大人になったら分かるかな。
 そんなことを考えながら、双子兎は細い足をぷらぷら揺らす。靴に付いた兎の耳が、同じ動きでふるふると揺れた。




真相は腹の中/神+十字
「そういえば、貴方って胃はどうなっているのですか?」
 スープを飲み干し、青年は対面に疑問を投げ抱える。向かい合った紅は、口の中の食物を飲み込み首を傾げた。
「い?」
「食物を消化する器官です。物を食べられるということは、貴方にもあるのでしょうか」
 語りかける目の前の存在は、人間ではない。生命活動――『生命』なんて言葉で表していいのか分からないのだけれど――する上で食事や睡眠を必要としない、神という存在だ。
 そんな彼だが、最近では食事の楽しみに目覚めつつある。朝起きて食べ、昼語らって食べ、夜共に料理して食べる。人間のように三食、場合によってはおやつまで食べる毎日を過ごしている。
 食事を必要としない。つまり、消化活動する必要が無い。内臓が存在していない可能性はある。けれども、彼は人間のように食事を摂っている。それらは一体どこに消えているのだろう。ふと浮かんだ疑問であった。
「どうなんだろ……」
 指に付いたパンくずを舐め取り、神は依然頭を傾ぐ。思案と懐疑を表すように、真紅の瞳がぱちぱちと瞬いた。
「なぁ、その『い』ってニンゲンのどの辺りにあんの?」
「え? えっと、このあたりでしょうか」
 突然の言葉に、蒼は戸惑いながらも胸の下あたりを撫でさすって示しながら返す。同じ動作をしてから、よし、と元気な声をあげて紅は立ち上がった。黒いブーツに包まれた足は、台所へと向かっていた。食事はまだ途中だというのに、何故だろう。どうしたのですか、と青年もその背を追った。
 ごそごそと棚を漁る音。よし、という言葉とともに立ち上がったその手に握られていたのは、包丁だった。洗ったばかりのそれが、朝日を受けてキラリと輝く。この間研いだところだから、切れ味の良さは抜群だ。硬い手が、柄を逆手に持つ。銀の刃を、尖った切っ先を、己の腹へと向けた。
 凄まじい勢いで背筋を寒気が走っていく。考えるより先に足が動いた。身体へと狙いを定めた手を、力いっぱい叩きつける。大して強く握られていなかったのか、凶器は硬い音をたてて床に落ちた。
「何をしているのですか!」
 肺の空気全てを使う勢いで声を発する。人生で一度も出したことのない怒声だ。悲鳴とも言い換えられる響きをしていた。近所付き合いを重んじる彼らしくもない、近隣住民への迷惑など欠片も考えていないほどの声量をしていた。
 凶行を働こうとしていた張本人、目の前のルビーはきょとりと丸くなっていた。そこに悪意といった負のものは一切見られない。子どものような純粋さだけが輝きの中にあった。
「だって、『胃』ってやつがあるかどうか知りたいんだろ? 裂けば分かるじゃん」
「ば――」
 馬鹿、と不敬にも罵る言葉は途中で消えた。絶句するしかない返答であった。あるか分からない。ならば見ればいい。確かに単純明快ですぐさま解決できる手法だ。けれども、決して人体でやるべきではない対処法である。
「死んだらどうするのですか!」
「腹掻っ捌いたぐらいで死なねーよ」
 当然だろうといった調子の声に、青年は言葉を詰まらせる。その通りだ。相手は『ニンゲン』なんて腹を裂いた程度で死ぬような脆弱な存在ではない。『神』という死という結末が存在しないに等しい者なのだ。刃が通ろうと死なない。流す血などない。食事を必要としない。睡眠を必要としない。酸素を必要としない。そんな高次元の存在なのだ。
 そうですけれど、と返した声は苦々しいものだ。分かっている。目の前の存在が人ならざる者だとは分かっている。肉体的に死ぬことはない存在だと分かっている。けれども、己と同じ形を取っているだけで、同等の存在扱いしてしまう。敬い奉る存在に対してあまりにも礼節を欠いた行動だ。
 すみません、と謝罪の言葉は呟くようなものになってしまった。これでは拗ねた子どもではないか。あまりの幼稚さに、ギリと奥歯を噛み締めた。
 気にしてねーよ、と神は手を振って笑う。人間の愚行を咎める気はないようだ。安堵とともに、罪悪感が胸を染める。己の愚かさを見逃されるのは、なんだか恐ろしかった。
「んじゃ、改めて――」
「いえ、いいです。やめましょう。さっきのことは忘れてください」
 再び包丁を取ろうと屈む身体より先に、床に落ちた凶器を取る。手早く水で洗って拭き、棚の中に片付ける。封をするように、その扉にもたれかかった。
「いいの? 気になるんだろ?」
「えぇ。いいです。もう大丈夫ですから」
 問いかける神に、人間は笑んで返す。ぎこちないものだった。目の前の者はそうでも言わねばまた腹に刃を突き立てんとするような存在なのだ、ぎこちなくもなるだろう。
 そっか、と素直に頷き、紅は歩き出す。騒動ですっかり忘れていたが、食事の最中だったのだ。食べ物は無駄にしてはいけない。料理したからには、食べきる義務がある。それがどこに消えていくのか分からなくとも。
 慌てて背を追い、各自の席に座る。二人一緒に残ったパンに手を伸ばし、齧り付いた。
 焼けたパンの表面が砕ける小気味良い音が、朝のダイニングに響いた。




季節変わり、染み渡り/嬬武器雷刀
 タオルの隅と隅を持ち、大きく振り上げ勢い良く下ろす。水気たっぷりのそれが、パンと軽やかな音とともにまっすぐに広がった。
 皺の減ったそれを吊し、また新たなタオルを伸ばし、吊し、伸ばし、吊し。慣れた様子で作業をこなしていく。二人分の洗濯物が入ったかごの中身はどんどんと減っていった。
 バスタオル二枚干したところで、雷刀は大きく息を吐く。洗濯物干しなど、普段なら苦ではない。けれども、今日はさすがに気が滅入った。なにせ、日差しも強ければ気温も高い。今朝のニュースによれば、猛暑日になるとのことだ。午後の強い日光が降り注ぐベランダは、蒸し暑さで満ちていた。
 あっつ、と萎れきった声を漏らし、少年は洗濯物から視線を逸らす。コンクリートと鉄パイプで構成された欄干の向こう側、兄弟二人で暮らす部屋の外には青空が広がっていた。絵の具をチューブから出してそのまま塗りたくったような、目に痛いほどの青だ。視界いっぱいに広がるその中に、雲の白など欠片も見当たらない。世界は青色で染め上げられていた。
 階下から音が湧き上がってくる。蝉の音だ。短い生を受けた虫たちは、空間を支配せんとばかりに鳴き声を上げていた。
 焼かれるような強い日差し。湿度を孕んだ熱い空気。青一色の広大な空。うるさいほどの蝉の音。
「夏だなぁ……」
 夏の要素全てを詰め込んだような風景に、朱はしみじみと呟く。肌身に感じる四季に、先ほどまでの沈んだ様子は薄れていた。いっそ感嘆の色が見て取れるほどだ。
 ふぅ、と息を吐く。このまま立ち尽くしていては、夏の空気に焼かれるだけだ。早く終わらせ、クーラーのよく効いた室内で冷たいアイスでも食べたいものである。よし、と漏らし、まだ中身が半分はある洗濯かごの中に手を突っ込んだ。
 タオルを広げて干し、Tシャツをハンガーに掛けて干し、下穿きや靴下をピンチに挟んで干し、ズボンを吊して干し。茹だるような空気の中、少年はテキパキと作業をこなしていく。ヘアピンで留めて晒した額に汗が浮かぶ。珠となったそれが、形を崩して流れ肌を伝った。腕を持ち上げ、シャツの袖で乱暴に拭う。黒いシャツの一部が、一層深い闇色に染まった。
 全て干し終え、雷刀はぐっと身体を伸ばす。何度も屈んでは伸びを繰り返した腰は、強い疲労を訴えていた。猛暑の最中頑張って仕事をこなしたこの身を早く労ってやろう。アイスというご褒美を与えてやろう。そんなことを考えながら、少年はかごを片手にベランダを出た。
 ガラス戸を閉め、日を通す薄いカーテンで覆う。クーラーが正常に稼働している室内は、外とは比べものにならないほど涼しい。これこそ、人間が暮らすに適した温度だ。ほぅ、と思わず溜め息が漏れた。
 かごを洗面所に戻しに行こうと、廊下へ続く扉へと向かう。もうすぐノブに手が届くというところで、ガチャリと音をたてて目の前のドアが開いた。
「ただいま帰りました」
「おー。おかえり」
 現れたのは、朝から農園へと繰り出していた烈風刀だった。つばの広い麦わら帽子の下にある顔、その白い頬には少しだけ泥が付いている。夢中で作業をしていたことがよく分かる姿だった。汚れてんぞ、と頬を示してやる。あぁ、と漏らし、彼は首に掛けたタオルで薄く塗られた土を拭った。
「やっとスイカが穫れたんです。冷やして夜に食べましょう」
 ほら、と弟は傍らに抱えていた緑と黒の球を掲げる。こぶりではあるが、良く張りツヤのある姿はスイカらしさに満ちていた。球の向こう側、こちらを見る浅葱の瞳は輝きに満ちている。彼がどれほど甲斐甲斐しく野菜たちの世話をしているかなど、時折手伝う程度の己でも知っている。丹念に丁寧に愛情たっぷり注いだのそれがようやく無事形を成したのだ、子どものようにキラキラと瞳を輝かせるのは無理ないだろう。
 真ん丸なそれに、夏を象徴するそれに、雷刀はくすりと笑みをこぼす。
 カーテンの隙間から差し込む強い日差し。ガラス戸の向こうの青空。うっすらと聞こえる蝉の声。クーラーの効いた部屋。弟謹製のスイカ。
「夏だなぁ」
 しみじみと漏らし、朱はトロフィーのように持ち上げられたそれを受け取る。冷蔵庫入れとくから着替えてきな、と作業服そのままの碧へと投げかけた。ありがとうございます、と弟は踵を返し、リビングを出た。
 落とさないようにしっかりと抱え、キッチンに向かう。冷蔵庫の扉を開き、中身を軽く整理し、スイカを中に入れる。青白いライトを浴びるそれは、サイズに反して堂々としていた。
 アイスはまた今度にしよう。冷たい甘さは、夜まで楽しみに取っておくべきだ。
 夏を象徴するあの味を想起しながら、少年は笑みをこぼす。早く冷えろよ、と頭の中で緑に投げかけながら、白く厚い扉を閉めた。




スタンプカードと蝉時雨/ユーシャ
 賑やかな演奏が校庭内に響いていく。鐘と弦楽器が奏でるリズムに合わせて、子ども達の元気の良い歌声が朝の清澄な空気の中広がった。
 歌が終わると、今度は男性の大きな声がスピーカーから流れた。ラジオ体操第一、のかけ声に続き、ピアノの音が響き渡る。軽快なメロディに乗るように、弾んだ声が小さなラジオから響いた。
 いち、に、さん、し、と音楽に合わせ、カウントアップが始まる。全てに促音が付いたような跳ねる掛け声に合わせ、子どもたちは腕を上げ、広げ、下ろしを繰り返した。
 指示と数字に合わせ、ユーシャは身体を動かす。その動きはかなり鈍いものだった。のろのろと腕を上げ、重力に従うようにだらりと下げる。いっそ投げやりにすら見える動作だ。実際、情熱もやる気も何も無いものである。
 重い瞼を必死に上げながら、少年はどうにか体操を続ける。正直なところ、身体を動かすのはおろか立っているのもやっとな状態だ。だって、眠いのだ。無理矢理叩き起こされた時から睡魔がずっとまとわりつき、眠りの海へと誘ってくるのだ。目を開けることが精一杯なくらいである。
 分かっている。悪いのは己だ。早朝にラジオ体操があることを知りながら、日付が変わるような時分までゲームに熱中していた己が悪いのだ。母は絶対ラジオ体操の時間に叩き起こすと分かっていながら自ら睡眠時間を削った己が悪いのだ。後悔すると分かっていて画面にかじりついた己が悪いのだ。分かっていても、この夏休み恒例行事が恨めしくて仕方が無かった。
 どれだけ眠かろうと、どれだけ身体が重かろうと、足を運び出席したからには身体を動かさねばならない。いっそ耳障りなほど元気な声に従い、少年は腕を、足を動かす。眠気と気だるさに支配された身体は、小気味よいリズムに必死にしがみついた。
 深呼吸、の掛け声に、ユーシャはほっと息を吐く。これで終わりだ、と思うと、今までよりも動きが良くなってしまうのだから現金である。息を吸って、吐いて、を繰り返す。落ち着きをもたらすリズムは、更なる眠気を呼び寄せたように思えた。
 ピアノの音色が鳴り止む。これで今日のラジオ体操は終わりだ。わぁ、と小さな子どもたちが、前方に設置された長机目掛けて走っていく。元気だなぁ、と眠い目を擦りながら、少年も駆け行く子ども達の後ろについて並んだ。
 人数が多いため、列が進むスピードはあまり早くない。一歩、また一歩と細かに進んでいく。並ぶ中、夏の日差しが肌を焼く。昇ったばかりの太陽は、既に活発な活動を始めていた。
 ラジオの音楽が消えた校庭に、別の音色が広がっていく。蝉の鳴き声だ。夏のみ姿を現すあの虫は、朝も早くだというのに大声で喚き立てた。寝不足の脳味噌にはいささか厳しい音に、少年は苦々しく目を細めた。
 じりじりと進み、ようやく己の番が訪れる。押すよー、という教師の声に、首から提げたスタンプカードを外して差し出した。数字が書かれたマスに、赤い判がぽんと押される。四角いカードの中に、桜が一輪咲いた。
「ありがとうございます……」
「ユーシャ君、眠そうだねぇ」
 ふにゃふにゃとした声で礼を言うと、当番の教師は愉快そうに笑った。こくりと頷くことで返事をする。あまりの眠気に声を出すのすら億劫だった。
 スタンプはもらった。あとは帰るだけだ。重い足取りで列を離れる。少し寝なねー、と優しい言葉が背に投げかけられた。睡魔がどんどんと支配範囲を広げていく脳味噌は、返事をすることを放棄してしまった。
 ふぁ、と大きくあくびをする。教師の言う通り、帰ってから少し寝よう。このまま起きているのは不可能だ。母に小言を言われるだろうが、眠いものは眠いのだから仕方が無い。耐えられるわけがなかった。
 もう一度大きなあくびをしながら、少年はゆっくりと家路を辿る。桜咲くスタンプカードが、夏の朝のほんの少しだけ涼しい風に吹かれて揺れた。




その美しさは  だけが知っていればいい/雨魂雨
 少しだけ屈みこんで、上を向く。見上げ覗き込んだアイオライトは、ぱちりと瞬き一つ落とした。
「……何? どうしたの?」
「いや、何でお前目ぇ隠してんの?」
 見下ろしてくる腐れ縁に、魂は姿勢を崩さぬまま首を傾げた。久方ぶりの問いに、冷音ははぁと溜め息を漏らす。今更何を、と言いたげな重さをしていた。
「人の目を見るの苦手だって昔から言ってるでしょ。自分で隠した方が便利なの」
「視力悪くなんねーの?」
「今年の視力検査、一・〇だった」
 ふぅん、とつまらなそうに鼻を鳴らす。見下ろす紺青は呆れ返った様相をしていた。そんな目線など気に掛けず、少年は姿勢を戻し、背を伸ばす。視界に広がるのは、目元全てを覆い隠す青い髪だ。二色一対の瞳が、奥に隠れた青一色の瞳を見つめる。何、と警戒心を露わにした声が投げかけられた。
「キレーなのにもったいねぇ」
 常に前髪で隠しているため分かりにくいが、この腐れ縁はとてもいい目の色をしている。本人の純朴で優しい性格をそのまま映し出したかのような、透明感のある濃い青。潜ってようやく分かるような、深い海の青。夜の帳が降りきる直前の、一瞬だけ見せる暗く深い青。美しい色だった。雨の日以外は常に隠しているのがもったいないと思わせる程度には。
 綺麗、の言葉に、目の前の少年の動きが止まる。少しだけ日差しの色を映した頬に、ほのかに紅が刷かれた。それもすぐに消え、はぁ、と溜め息が降ってくる。
「褒めても何も買ってあげないよ」
「別に下心で言ってるわけじゃねーよ」
 呆れきった声に、蒲公英色の少年は二色の目を細める。何かを要求したくて言ったわけではない。単純に、久しぶりにそう思っただけなのだ。己の身長でも尚屈んで覗き込まないと見えない、大切に隠された瞳。人見知りの彼が作った障壁に阻まれた美しい青。その色が、何故だか恋しく思えたのだ。
「魂こそ、綺麗な目なんだから――」
 そこまで言って、音が止んだ。言葉を紡いでいた大きな口が、はっとしたように薄く開き、引き結ばれる。少しだけ逸らされた顔には、気まずげな色が浮かんでいた。
 大方、『サングラスで目を隠さなくてもいいのに』と同じような言葉を返そうとしたのだろう。その言葉がどれほど暴力的なものだというのを忘れて。
 己の目は彼のように一色に染まったものではない。片目が緑、もう片目が赤と二色で構成されていた。ネメシスは広いが、未だに同じような目を持つ者は外部からやってきたあの教師ぐらいしか見たことがない。それほど珍しいものだった。幼き子どもにとって不気味なほど異常に映り、不躾なほど好奇の目を向ける程度には。
 成長した今では指摘する者はいない。けれども、やはり良いとは言いがたい興味を持つ者はいた。腐れ縁である冷音はそのことを知っていた。隣でずっと見ていたのだから当たり前だ。だというのに、それをさらけ出せなどと言おうとした自分がどれほど無神経で、嫌悪的で、申し訳なくて、すぐさま言葉を途切れさせたのだろう。優しい彼らしい。
 あー、と声をあげ、魂はぐっと背を伸ばす。己でもわざとらしさに呆れるほどの誤魔化し方だ。けれども、こうやって気にしていない様子を見せなければ、この青はいつまでも気を病むのだ。
「帰り、コンビニ寄ろーぜ。アイス食いたい」
「太るよ」
「毎日どんだけ頭脳労働で糖分消費してると思ってんだよ。太らねーよ」
 軽口を叩きながら、二人は歩き出す。靴音が二つ、空間に響いた。
 まぁいい。あの美しい色を知るのは、己一人でいい。あの丸くも鋭さを宿した目を簡単に見られるのは、己一人だけでいい。あの純粋で透明な瞳を一心に見つめられるのは、己だけでいい。
 二色の瞳がどこか満足げに細められる。ふ、と愉快さを孕んだ吐息が糖分を欲する口からこぼされた。




轟炎従え祓い晴れ/火琉毘煉
 ザァ、と葉がさざめく音が辺りに響き渡る。快晴だというのに、今この場はどこか淀み暗くなって見えた――事実、淀んでいるのだから当然である。空気というものは、場に存在するものに影響されやすいのだ。
 清澄と混濁の境に立ち、少年は懐に手を入れる。取り出したのは札だ。ピンと張った細長い紙には、暗い朱で複雑な紋様が書かれていた。少年にとっての武器であり、防具である。人差し指と中指で、何枚ものそれを広げて持つ。投げ飛ばすには、この持ち方が一番いい。
 鈴音、と無彩色を身に纏う少年は傍らに佇む狐の名を呼ぶ。式神であり相棒である彼女は、物言わずにすっと立ち上がった。首に付けられた大きな鈴がしゃらんと澄んだ音を鳴らした。
 黒と赤のブーツに包まれた足が一歩踏み出す。途端、濁った空気が身体にまとわりついた。紅い目がすぃと細められる。この程度の穢れは慣れてはいるが、心地良いものではない。
 早く済ませてしまおう。ふっと一息吐き、少年は地を蹴る。同時に、式神も連れ立って飛び出す。アスファルトが細かい塵をあげた。
 特に淀んだ場所目掛け、札を投げる。霊力を込めたそれは、宙で――否、狙った『それ』の表面に張り付き炎を上げた。ゴォと燃え上がる音。激しいその中に、音にならない、けれども不快感をもたらす響きが混じった。
 まず一匹。止まることなく駆け回り、札を投げては燃やしを繰り返す。ひとところに留まっては、数で押されてしまうことがある。動き回り、元より狙いをを定めさせないのが肝要だ。
 霊力を持って、少年は淀みの原因を晴らしていく。時折迫り来る者はいれども、すぐに式神が喉元に噛みつき火を放ち燃やした。炎が燃え盛る音が陰りほの暗い場に響いていく。濁り沈んだ空気を晴らしていく。
 大きな個体に四方八方から札を貼り付ける。ふ、と霊力を込め息を吐くと同時に、紋様が光り特大の火柱となって燃え盛った。鼓膜を破かんばかりの――実際は鼓膜など震わせていないが――地を響くような音が、火炎とともに爆発する。霊力を糧に燃える火が、音ごと全てを焼き尽くす。
 炎が消えると同時に、サァと風が辺りを吹き抜ける。どうやら今のが最後の一匹だったらしい。重い空気は常の涼やかな様相を取り戻していた。
 余った札を懐にしまい、少年はパンパンと手を叩いて払う。そのまま目元を隠すように片手を掲げた。ハーッハッハ、と高笑いがようやく静けさを取り戻した空間にうるさく響き渡る。
「悪しき妖どもよ! 地獄の業火に焼かれし弱き者どもよ! 紅蓮に包まれ輪廻より外れた虚空へと消えるがよい!」
「うるさいわよ」
 哄笑し叫ぶ煉を、鈴音は冷静な様子で一蹴する。少年はフッと格好付けたように笑みを漏らし、手を下ろす。どうやら満足したらしい。はぁ、と式神は呆れと諦めの溜め息を漏らした。
「ボルテ軒行くか」
「あら、いいの?」
「腹減った」
 そう言って一人と一匹は歩き出す。淀み晴れ涼やかさを取り戻した風が、仕事を終えたばかりの退治屋の背を押した。

畳む

#桃 #蒼 #雛 #氷雪ちゃん #恋刃 #虹霓・シエル・奈奈 #グレイス #ニア #ノア #嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀 #ユーシャ・夏野・フェアリェータ #雨魂雨 #火琉毘煉 #腐向け

SDVX

書き出しと終わりまとめ15【SDVX】

書き出しと終わりまとめ15【SDVX】
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あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその14。相変わらずボ10個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:嬬武器兄弟3/はるグレ2/ハレルヤ組1/後輩組1/ライレフ3

次は中火で炒めましょうね/嬬武器兄弟
あおいちさんには「優しいのはあなたです」で始まり、「だから君がいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字程度)でお願いします。


 何でそんなに優しいんだよ。
 心の中で漏らした言葉はどうやら口を突いて出てしまっていたらしい、目の前の藍晶がぱちりと瞬いた。
「何がですか?」
 ことりと首を傾げる弟に、兄は苦々しく唇を横一文字に結ぶ。眇められた目には悔しさが多分に浮かんでいた。うぅ、と拗ねたような声が喉からこぼれ落ちる。なんとみっともないのだろう、と情けなさと腹立たしさが胸に渦巻いた。
 俯く片割れの様子を不思議そうに見やりながら、烈風刀は目の前の皿に箸を伸ばす。黒が所々に浮かぶ野菜炒めを取り、口に運ぶ。よく噛み締め、飲み込む。美味しいですよ、と少年は再び賛辞の言葉を口にした。
「……おせじとかいいから」
「貴方相手にお世辞を言ってどうするのですか。美味しいから『美味しい』と言っているのですよ」
 変なところで疑り深いですよね、と対面に座る彼は呆れたように言う。疑り深いのではない、事実なのだ。現に、自分の口の中に放り込んだ野菜炒めは、炭と形容した方が相応しい味と見た目をしていた。弟の皿にはできるだけ焦げがないものを取り分けたが、それでもどれも一カ所は黒い斑点ができているような有様だ。日々料理を探求し、舌の肥えている彼が『美味しい』なんて言えるものではないということぐらい、鈍感だと評される自分でも分かった。
「そーゆーとこが優しいっつってんの」
「いや……意味が分からないのですけれど……」
 むくれながら言う朱に、碧は訝しげな目を向ける。深青の箸がまた野菜を掴み、赤い口に放り込む。整った顎が動く度、複雑な感情が胸を掻き乱した。誤魔化すように白米を掻き込む。柔らかな甘さが炭の風味と濃い調味料で満たされた口内を洗い流した。
「焦げはありますがきちんと全部に火が通っていますし、味付けが不慣れだからと焼き肉のタレを使ったのは正確な判断です。初めて作ったにしては上出来ですよ」
「……嘘だぁ」
「こんなことで嘘を吐いてどうするのですか」
 それはそうだけど、といじけたようにこぼす。彼の言っていることは正しいが、目の前の代物はどう考えても『美味しい』『上出来』という評価には繋がらない仕上がりだ。弟のことを信じたくとも、己の味覚とプライドが許してくれなかった。
「また作ってくださいね」
 飛んできた言葉に、は、と呆然とした声が漏れた。こんなお粗末なものを食べて『また作ってほしい』だなんて、さすがにどうかしている。驚愕が伝わったのだろう、目の前の片割れはふわりと笑った。
「貴方の料理が食べたいのです。貴方のものだからいいのですよ」




結った緑に願う/はるグレ
AOINOさんには「届きそうで届かない何かがあった」で始まり、「来年の今日もあなたといたい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。


 届きそうで届かないそれを目指す。めいっぱいつま先立ちし、細い腕を限界まで伸ばす。それでも、頭上の緑はこの手に収まってくれなかった。
「これですか」
 ひょいと手に持った薄紙が横から取られる。目の前でねじり結われていく銀のラッピングタイを見て、マゼンタの瞳が強く眇められた。
「自分でできたわよ」
「そうでしょうか……」
 笹に短冊を結び終えた始果は首を傾げる。踵を地面につけ、グレイスは頬を膨らませる。全体重を掛けていたつま先が少しばかり痛みを訴えた。もうちょっとで届いたわよ、と少女は唇を尖らせる。嘘であり負け惜しみである。自分の身長では、つま先立ちしてやっと指先が触れる程度の場所だった。だからこそ、結びつけようとしたのだけれど。
「あんたは短冊書いたの?」
 鮮烈な躑躅が、頭一つ上の丸い蒲公英を見やる。問われた当人は、襟巻きに口元を埋めるように小首を傾げた。長い沈黙の後、あぁ、と合点いったような声をあげた。
「書きました」
 あら、と少女は声を漏らす。この少年はイベント事に対する興味が薄い。聞いたものの、七夕の短冊を書くなんてことはしていないと決めつけていた。
「どこ? 何て書いたの?」
 きょろきょろといろがみだらけの緑の大群を見回す。あそこです、と指差した先は、彼の身長よりもずっと高い場所だった。どうやって括り付けたのだろうか。何と書いてあるのだろうか。考えながら目をこらす。自分よりも頭三つは高い場所にある薄緑の紙には、細い文字で何かが書いていることしか見えなかった。
 目を細め必死に紙を眺めるグレイスに、始果は柔らかに笑む。えっとですね、と漏らす声は彼らしくもなく感情が滲んだ音に聞こえた。
「来年も君といたい、と書きました」
 放たれた言葉に、シアンに縁取られたマゼンタがぱちりと瞬く。数拍、日に焼けていない白いかんばせが真っ赤に染まった。
「……いるに決まってるでしょ。ネメシスから出るつもりなんてないわよ」
 ようやくあの暗い海から輝かしい世界にやってこられたのだ。待ち望んだ場所から出ていくなどあり得ないことだ。
 一緒にいてくださいね、と狐は躑躅を見つめる。少女はふぃと視線を逸らした。尖晶石が居心地悪そうにうろうろと泳ぐ。己が書いた、少年が結んでくれた短冊が視界に入った。ほんの数分前に必死に考えしたためた文章が頭の中に甦った。
 ずっと一緒にいられますように。




数日後には元通り/ハレルヤ組
AOINOさんには「傷口には触れないで」で始まり、「そう思い知らされた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。


「傷口には触れちゃダメデスヨ! 絶対デスカラネ!」
 頬を膨らませ、立てた人差し指でビシリとこちらを指すレイシスに、雷刀ははい、としおらしく返事をする。本当は患部が痒くてかきむしりたくてたまらない。しかし、今ここで実行しては二人分のお説教が頭にのしかかってくるだろう。絆創膏に伸ばしかけた手を気付かれないようにそっと下ろした。
「かさぶたを掻くのも駄目ですからね」
 隣から烈風刀が追撃を放つ。まさしく考えていたことを潰され、朱は喉が潰れたような音を漏らす。はぁ、と呆れ返った嘆息が機械の駆動音満ちる部屋に落ちた。
 今日のバグ退治は散々だった。数えられないほど相対してきた新型バグは、こちらの動きを学習したのか斬撃を避けられることがわずかながら増えてきた。飛び回り逃げ回るそれに躍起になって追いかけているうちに、茂みに顔を突っ込む羽目になってしまったのだ。緑の中に身を隠した外敵を排除することは叶ったが、代わりに頬にたくさんの傷が生まれた。一部は枝に引っかかったのか、血が滲むものすらあった。仕事を終え合流した弟と、作戦室で待っていた愛しい少女に怒られたのは言わずもがなである。
 痛みを訴える己を無視して容赦なくアルコール消毒され、塗り薬を丹念に塗り込まれ、可愛い柄の絆創膏を貼られ。この上なく適切な処置だ、己の代謝も合わせて数日もすれば治るだろう。血は出たものの傷口は浅かったようだから、痕が残ることもないはずだ。
 しかし、とちらりと隣を見やる。桃と碧は真剣な顔で話していた。毎日絆創膏貼り替えてくだサイネ。もちろん。掻かないように見張りますから。お願いしマス。絆創膏も剥がしにくい物に買い直した方がいいですね。頬に指を当てた少女と顎に指を当てた少年は、明らかに己の対処について話していた。どう聞いても子どもの面倒を見る親の会話だ。じっとするのが苦手で、傷ができる度掻いて悪化させ、かさぶたになったと思ったら好奇心で剥がすような己である。反論できないのが悲しい。
 雷刀、と固い声。視線を向けると、そこには変わらず険しい表情をしたレイシスがいた。美しい桃の眉はぎゅっと寄せられ、丸く輝かしい薔薇輝石の瞳も眇められている。その澄んだ色の中には、心配の色が多分に浮かんでいた。
「烈風刀にも言いましたケド、毎日薬を塗って絆創膏を貼り替えてくだサイネ。雑菌が入らないようにしなきゃいけマセンカラ」
「何度も貼り替えては逆に雑菌が入る機会が増えてしまいますし、お風呂上がりに替えるのが一番でしょうね。僕も気を付けますが、忘れずにやってください」
 真剣にこちらを思い遣る桃と碧に、朱は分かったよ、と返す。いつも通りに返したつもりが、どこか拗ねたような響きになってしまった。これではまるきり子どもではないか。思わず顔をしかめる。
「面倒くさがらない」
「早く治すためデスカラネ!」
 声と表情が合わさり、最悪の解釈を生み出したようだ。少年と少女は表情を険しくしながら言葉を紡ぐ。分かってる、大丈夫、ちゃんとやる、と項垂れ両の手を上げて返した。降伏の意思表示である。
 お願いしマスネ。ちゃんとしてくださいね。二人分の固い声が頭上から降ってくる。どちらも内側に込められた温かで柔らかな心が伝わってくるものだった。
 それにしても、と心の中で呟く。たかが顔の傷でこれほど心配するだなんて、二人はどれだけ優しいのだろうか。相手が怪我に頓着し悪化させる自分であることを差っ引いても、大袈裟なほどである。
 こんなに心配させるほど、己は信用されていないのだ。こんなに心配してくれるほど、二人は己を大切にしてくれるのだ。そう思い知らされた。




二度目の制止は言う暇を与えてくれなかった/はるグレ
葵壱さんには「私に少し足りないものは」で始まり、「その声がひどく優しく響いた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。


 己に足りないものは、辛抱とか、我慢とか、そういうものなのだろう。
 闇の中、ずっと待つ。否、『ずっと』なんて言葉を使うほど長い時間ではない。きっとまだ三十秒も経っていないだろう。けれども、この暗い世界に放り込まれたのは随分前のように感じた。
 静寂と暗闇に耐えきれず、そっと目を開ける。目の前には、月色が広がっていた。見知った月色。愛しい月色。彼を象徴する色が、目が、視界いっぱいに映るほど迫っている。事実に、ぶわりと顔が熱を持つ。ひくりと喉が引きつった音を漏らした。
「す、すとっぷ!」
「はい」
 叫び、ぐいと目の前の胸を押す。あんなにも近くにあった月は、従順な声とともにすぐさま引いていった。視界いっぱいの黄色が消え、広がるは愛しい人の顔だ。月が、金の双眸が、こちらを射抜く。見つめられることなど普段と変わらぬことだというのに、今は何故か逃げたくてたまらない。思わず顔を背けようとするが、両頬を手で包まれ顔を固定された状態では叶わなかった。
 まただ、とグレイスはギリと歯を噛み締める。付き合ってからもう随分と経つ。手を繋いだり、抱き締めたりと、恋人らしいこともたくさんしてきたつもりだ。けれども、こうやってまっすぐに向き合って、頬を優しく捕らえられて、目を閉じ口付けるなんて甘やかな行為は未だに慣れることができないのだ。口付けなんて彼が不意打ちで何度もしてくるのだから、多少離れているはずだ。けれども、意識をするだけで何もかもが駄目になる。悔しいったらなかった。
 すり、と親指が頬をなぞる。自分のものより大きなそれは少しかさついていて、温かだ。愛しい温もりと優しい感触に、そっと息を吐く。バクバクと騒がしい音をたてる心臓が、ほんのわずかに凪いだように思えた。
「……落ち着きましたか?」
「さ、最初から、落ち着いてるわよ」
 穏やかな問いに、つかえつかえに返す。見え透いた嘘だ。誤魔化される優しさは持っていない彼は、そうでしょうか、と疑問符が付いた声を返す。そうよ、と思わず語気を強くした。
「では、やりましょうか」
 両の頬を捕まえたまま、始果は言う。常と変わらぬ声が、有無を言わせぬ声が、酷く優しく、どこか恐ろしく響いた。




「クーラー効いた部屋で食べるアイスこそ至高」とか言うやつが全部悪い /後輩組
AOINOさんには「たったひとつ欲しいものがあるの」で始まり、「今日も空が青い」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。


 ただ一つ欲しいものがある。願いを胸に、少年たちは手を握った。
 生っ白い手が振り上げられ、青に包まれた腕がそっと上げられ、床に転がった茶の腕がかすかに動く。ぽん、と気迫溢れる声とともに、大小三つの手が寄せられた。
「えぇ……」
 大きく開かれた少し小ぶりな手。力なく開かれた剣胼胝のある手。そして、ぎゅっと握られた己の手。一度きりのじゃんけんは、青い少年一人の敗北で締めくくられた。
 よっしゃ、と魂は力いっぱい開いた手を頭上に歓声をあげる。床に寝転がった灯色は、腕を動かすことなく目を伏せていた。すぐにでも眠りの海に沈み行く彼の肩を掴み、名を呼びながらゆさゆさと動かす。このまま眠られては困る。
「じゃーあー、オレはしろくまな。背高くてフルーツめいっぱい入ってる方」
 不機嫌そうに薄く目を開けるはしばみ色の横で、くちなし色は上機嫌に言う。椅子の上であぐらを掻いて座る様は浮かれたものだ。
「灯色は?」
「別に……。適当にしといて……」
 尋ねる冷音に、灯色はむにゃむにゃと寝言めいた声で返す。それもすぐに穏やかな寝息に変わった。もう眠ってしまったようだ。闘いの参加者であり勝者といえど、彼は魂に無理矢理巻き込まれたのだ。せっかくの勝利への頓着も何もないのは当然と言える。相変わらずマイペースで、睡眠に貪欲な友人だ。
「じゃあしろくま三つね」
 小さく息を吐き、青は立ち上がる。身体が重くて仕方が無い。それでも、己は敗者だ。賭けに乗った以上、どんな結果であれど勝者には従わなければならない。財布をポケットに突っ込み、のろのろとした足取りで出入り口へと向かう。よろしくー、と気楽な声が飛んできた。わざと神経を逆なでするようなそれに、思わず眉を寄せる。魂のだけわざと溶けさせて持って帰ってやろうか、なんて意地の悪いことを考える。そんなこと、溶けるまであんな外気温とともに過ごさねばならない地獄を考えなくても絶対にやらないのだけれど。
 自動ドアを開け、サーバー室を出る。すぐに、むわりとした空気が冷房で冷やされた身体を包みこんだ。うわ、と思わずげんなりとした声が漏れる。それも夏の空気に溶けて掻き消された。
 はぁ、と溜め息一つ。冷音は重い足取りで昇降口へと向かう。目指すは学園から少し離れた場所にあるコンビニだ。『じゃんけんで負けたやつがアイス買ってくる』なんて賭け事に乗り、負けた責務を果たさねばならない。
 とぼとぼと廊下を歩く。ただでさえ空調が無い廊下は暑いというのに、今日は夏の日差しが燦々と降り注いでいるのだから尚更暑くてたまらない。外はこれ以上の気温なのが容易に想像できるのだから嫌になる。はぁ、とまた重い溜め息を吐いた。
 細めた目で、ガラス窓の向こうを見やる。夏の空は、今日も憎たらしいほど青かった。




温もり結んで/ライレフ
AOINOさんには「音もなくほどけた」で始まり、「だから君がいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字程度)でお願いします。


 繋いだ手は音もなくほどけた。
 寒いから、なんて理屈を捏ねられ繋いだそれはどちらともなく離れ、愛おしい熱は物言わずに去っていく。名残惜しさを覚えるが、ここは二人で暮らすアパート、そのエントランスまでほどない場所だ。時刻はもう夜に近く人通りは少なくなっているとはいえ、住人とすれ違う可能性はゼロではない。男子高校生二人が手を繋いでいる姿を見られるだなんて事態は、さすがに回避したい。
 持った手に揺られ、ビニールバッグがカサカサと音をたてる。二人の間に響くのは無機質なそれのみだ。中身いっぱい詰まった鞄二つが鳴く中、兄弟は上階へと向かう。ライトで照らされた廊下を歩き、己たちの住まいに繋がる灰色の扉の前に立つ。片手で器用に鍵を取り出し、烈風刀は錠を開ける。カチャン、と無機質な音がコンクリートに打たれた廊下に響いた。
 ただいま。おかえり。互いに帰宅の言葉と迎える言葉を交わしあい、靴を脱ぐ。踵を踏んで脱ぐ兄を横目に、弟は片足ずつ脱いで向きを整えて置いた。
「なー、烈風刀」
 先に廊下に上がった雷刀が名前を呼ぶ。ようやく帰宅したというのに、どこか寂しげな音色をしていた。
 何ですか、と返す前に、空いた手に温もりが訪れる。甲に触れた指先から点のように宿り、肌をなぞって線を描き、手のひらと手のひらを合わせてしかと触れ合う。開きっぱなしの指の間に、胼胝ができた硬いそれが潜り込む。離ればなれになった二つは再び寄り添い、つい数分前までの形を取り戻した。
「もうちょっと、手ぇ繋いでたい」
 だめ、と問う声は甘える時のそれだ。わざわざ軽く屈んで下から覗き込む朱の瞳も、少し潤んだねだる時のそれだ。求めていることがよく分かった。
 兄の様子に、弟は難しそうに眉をひそめる。外と違って家の中はまだ暖かいのだから、手を繋いで温もりを分け合う必要などない。そもそも、今から料理をせねばならないのだから手を繋いでいる暇など無い。だというのに、振りほどこうという気がなかなか起きないのだから、大概だ。
「……せめて手を洗ってからにしてください」
 逡巡、絞り出すように言葉を生み出す。合理的であるはずの否定の言葉は吐くことができなかった。非効率的だ。愚かだ。分かっていても、胸に燻る思いは手放すことを選択できなかった。
 だって、部屋の暖かさより、空調の温もりより、何よりも、愛しい人の体温がいい。
「分かった!」
 パァと表情を明るくし、朱は元気よく返事する。早く洗お、と繋いだ手を引かれる。わ、と小さな悲鳴をあげならがも、少年は靴下で滑るように廊下を駆け出した。
 何よりも大切な熱は、二人の間に灯ったままだ。




思い出飾る色たち/ライレフ
葵壱さんには「幸せが逃げて行く気がした」で始まり、「そっと思い出を捨てた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。


 幸せが逃げていくとはよく言ったものだ。
 一つ手を取る度――幸せが詰まっていたそれらを手に取る度、はぁ、と溜め息が漏れる。あまりに多すぎて、肺の中身が全て無くなってしまいそうな心地だ。意識して呼吸すると、舞い散る埃が鼻をくすぐる。くしゅん、と大きなくしゃみが飛び出した。
「手を止めない」
 むず痒さに鼻をこすっていると、強い声が飛んでくる。言葉の主は、テキパキと手を動かしていた。己とは全く違う、容赦など一切無い手つきだ。
「何でこんなに段ボール箱を溜め込むのですか」
「ほら……いつか何かに使うかもしれないじゃん……?」
「使わないからこんなところで埃を被っているのでしょう。全部捨てますよ」
 苦い顔で首を傾げる兄を切り捨て、弟は通販サイトのロゴが書かれたダンボール箱を手早く畳んでいく。長方形の浅い箱がいくつも畳まれ、積み上げられていった。見かけの嵩は減ったものの、数はあまりにも多い。縛って捨てるのは少し骨が折れるだろう。それも全て己がやらねばならないのだけれど。
「何で包装紙なんて取ってあるのですか。使わないでしょう」
 クローゼットの隅、小さな段ボール箱の中に畳んで入れられた包装紙の束を掴み、烈風刀は溜め息を吐く。呆れきった音色をしていた。
「いや、それはダメ」
 色とりどりのそれを燃えるゴミ分別用の袋に向ける腕を掴む。静止の声は強いものだ。『ゴミ』と判断されたそれへの想いが詰まっていた。
 雷刀の言葉に、烈風刀はぱちりと瞬く。予想外の硬い声に、込められた力の強さに、呆けたように動きが止まった。それもすぐに解け、眉間に皺が寄る。片割れを見やる目は厳しいものだ。
「使わないのでしょう。取っておいても仕方ないではないですか」
「だってそれ、全部烈風刀がくれたプレゼントのやつだもん」
 恋人になってから初めてのクリスマス。世界生誕パーティーが終わって二人きりになった誕生日。帰ってから赤らんだ顔でそっと差し出してきたバレンタイン。全て、恋人である烈風刀からもらったプレゼントを飾った紙であった。どれも大切な思い出の一つだ。捨てられるはずがない。
 兄の言葉に、弟は何度も瞬きをする。沈黙数拍、ようやく意味を理解した彼の顔にぶわりと朱が滲んで広がった。厳しく結ばれた口は解け、ぱくぱくと開閉を繰り返している。そこから音が紡がれることはなかった。
「…………それほど大切ならば、こんなところではなくもっと別の場所にしまっておくべきではないのですか」
 ようやく通常の形を取り戻した口が紡ぎ出したのは、依然厳しいものだった。う、と言葉に詰まる。反論しようがない言葉であった。だってさぁ、と抵抗する声に、はぁ、と溜め息が被された。
「捨てますよ」
「やだってば!」
 ゴミ袋に伸びる手に縋る。すぐさま振りほどかれ、鋭い視線が向けられる。しかし、そこには今まで冷たさはなかった。
「プレゼントぐらいまたあげますから」
 だから、今までのは捨てます。
 瞼を下ろし、愛し人は言う。呟くようなものだった。けれども、確かな言葉であった。
 予想外の言葉に、歓喜を呼び起こす言葉に、朱い目が瞠られる。悲しみの色を浮かべていた顔が、ぱぁと明るさを取り戻した。
「いや、それはそれとして捨てんのやだ」
「諦めなさい」 
 誤魔化されないぞとばかりにすぐさま腕を伸ばすが、完全に予測された動きで躱された。むぅ、と頬を膨らませるが、片割れに通用するはずがなかった。
「次の機会を楽しみにしててください」
 どこかいたずらげに言って、烈風刀は手にしたそれを燃えるゴミ用袋に入れる。手付きには先ほどまでの厳しさなど見えず、壊れ物を扱うような繊細さがあった、
 そっと、思い出の詰まった色たちが捨てられた。




濡れ髪に病/嬬武器兄弟
AOINOさんには「空はこんなに青いのに」で始まり、「そう小さく呟いた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。


 空はこんなに青いのに。太陽はあんなに輝かしいのに。風はあんなにそよめいているのに。
「何でこんななんだよ……」
 目元を腕で覆い、雷刀は呟く。非常に重苦しく苦々しい音色をしていた。低い音に反して、響きは力のないものだ。普段の彼らしい明るさや軽快さは欠片も見られない。はぁ、と空気を吐き出すように溜め息を漏らす。総じて彼らしからぬ姿だ。
「髪を乾かさないでクーラーの効いた部屋でそのまま腹を出して寝たからではないですか」
 自業自得です、と険しい声が降ってくる。重い腕を下ろし、朱は声の方へと視線だけやる。ペットボトルと体温計を持った弟の姿がこちらを覗き込んでいるのが見えた。
 ほら、と小さな体温計が差し出される。ベッドに寝転がったまま受け取り、掛け布団の中に潜らせ脇に挟んだ。沈黙十数秒。ピピピ、と高い電子音を合図に、布団の中から体温計を取り出す。液晶画面には、三七・〇とデジタルの数字が示されていた。
「まだ少しありますね……。水分を取って大人しく寝ていてください」
 体温計と交換で、ペットボトルを受け取る。力の入りづらい手でキャップを握る。あらかじめ開いていてくれたのか、固いはずのそれはすぐに外れた。少しだけ起き上がり、ボトルを傾ける。ゴクゴクと音をたて、中身を飲み下した。水分が渇いた喉を潤していく。スポーツドリンク特有のわずかな甘さが舌に残った。
「薬の時間になったら起こしますから、大人しく寝ていてくださいね。起き上がってはいけませんよ」
「えー……」
 厳しい言葉を残し踵を返す弟の背に、兄は不満げな音を漏らす。普段のそれに似ているようで、幾分か細いものだった。
「暇なんだけど」
「知りません。風邪をひいた自分を恨みなさい」
「宿題すんのもダメ?」
「駄目です」
 いつもなら止めねーのに、とからかうように投げかける。すぐさま、やる気なんて最初から無いでしょうが、と棘の生えた音が返ってきた。
「夜、熱が下がってたらしてもいいですよ」
「……朝まで寝てる」
「薬の時間になったら絶対に起こしますからね。ちゃんと食べて、ちゃんと薬を飲んで、ちゃんと治してください」
 分かりましたね、と振り返って烈風刀は言う。指差し念を押すおまけ付きだ。はい、と消沈した声が自室に落ちた。彼の言うことは全て正しい。軽口なんて叩かずに従うべきだ。分かってはいるが、ずっと寝ているだけでは暇だ。病気で弱っているせいか、どこか寂しさすら覚える始末だ。病は気から、とはこのようなことを言うのだろうか。熱に浮かされた脳味噌の中、些末な疑問が思い浮かぶ。
「おやすみなさい」
 一言残し、碧は部屋を出る。響いた音は、厳しく言いつけているようにも、優しく寝かしつけているようにも聞こえた。
 パタン、と軽い音をたてて扉が閉じる。それだけで、世界に隔絶されたように錯覚する。部屋に一人きりで寝るなど当たり前なのに、こんなにも心細く思うなんて。はぁ、とまた重い溜め息を吐いた。
「早く下がんねーかなー……」
 そう小さく呟いて、少年は瞼を下ろした。




手→鞄→ベッド↓/嬬武器兄弟
あおいちさんには「大切なものをなくしました」で始まり、「謎は謎のままがいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。


「何でそんな大切なものなくすのですか!」
「オレが知りたい!」
 ガサガサ。ゴソゴソ。バサバサ。騒がしい音が部屋に満ちる。二人がかりで隅々まで部屋の中を漁る。それでも、目当てのものは見当たらなかった。
「学校に置いてきたのではないのですか!」
「だと思ってこないだ探してきた! 無かった!」
「じゃあどこにあるのですか!」
「知らねぇよ!」
 叫び散らしながら必死に手を動かす。鞄の中、引き出しの中、机の下、本棚の中、クローゼットの中、ベッドの下。空間という空間を探っていく。それでも、『数学II」と書かれた冊子はどこにも姿を見せなかった。
 宿題どっかいった。
 夏休みも終わる時分、リビングに落ちた呟きに兄弟二人は硬直した。『終わってない』ならまだしも、『どっかいった』である。その場の言い訳などではなく、本当に行方不明になっているのだ。いっそ乾いた笑いが込み上げてくる。
 仕方が無いですね、と嘆息する弟とともに自室で捜索活動を始めたのが一時間前。目的のものは影すら見せない。すぐに見つかると思っていたのだろう、初めは余裕を持った手つきで探していた烈風刀の表情はだんだんと険しく焦りを孕んだものとなっていた。当事者である雷刀はずっと青ざめ泣き出しそうな顔で手を動かしていた。気まずいったらない。
 どこだ、と揃って叫びながら捜索する。机の裏、椅子の裏、引き出しの隙間、クローゼットの天袋。まずあり得ない場所すら手を伸ばしていく。
「――あった!」
 光明差す声をあげたのは、雷刀だった。どこですか、と焦燥と驚愕と歓喜に満ちた声をあげ、烈風刀は兄の方へと振り返る。そこには、ベッドと壁の隙間から問題集を引き上げた朱の姿があった。
「…………何でそんなところにあるのですか」
「分かんねぇ……」
 苛立ちと怒りを露わにした声に、気まずげな硬い声が返される。貫かんばかりの鋭い視線を向ける弟に、兄は振り返ることができなかった。
「……ほら、謎は謎のままがいいんじゃねぇかなぁ」
 強張った動きで振り返り、テキストブック片手に朱はへらりと笑う。怒号が夜の一室に響いた。




降り注ぎ染み込み/ライレフ
葵壱さんには「最初は何とも思っていなかった」で始まり、「その言葉を飲み込んだ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。


 最初は何とも思っていなかった。否、正確に言えば呆れを覚えていたほどだ。
 けれども、何度も何度も、それはもう耳にたこができるほど言われれば、自然と染みつき意識してしまうものである。
 例えば、満面の笑みを浮かべとろけきった様子で。
 例えば、肩に顎を乗せられ耳のすぐ傍でひそめた調子で。
 例えば、普段の奔放さなど欠片も見せない真剣そのものの様相で。
 例えば、食われてしまうのではないかと錯覚するような鋭い視線で。
 どんな時でも変わらず言われれば、本当にそうなのではないかと勘違いしてしまう。そんなことはあり得ないと分かっていても、めいっぱいに降り注ぐ言葉を信じてしまう。あり得ないのに。信じたくないのに。
「烈風刀、かわいい」
 なのに、愛しい人は今日だって、いつだって褒めそやすのだ。『可愛い』だなんて、己のような四角四面な人間に使うのはあまり相応しくない言葉で。
 可愛いわけがない。自分のように真面目が過ぎると評価されるような人間が可愛いはずがない。身体のどこも筋張って柔らかさなど欠片も無い姿が可愛くなんてあるはずがない。
 だというのに、彼はいつだって『可愛い』とストレートに言うのだ。嘘なんて一欠片も見えないまあるく輝く瞳で見つめ、愛しさをめいっぱい込めた柔らかで甘い声で言うのだ。一瞬で心に染みこんでしまうような音を奏でるのだ。なんと質が悪いのだろう。
 可愛いわけがないでしょう。何度も何度も繰り返した否定の言葉を、今日はうっかり飲み込んでしまった。

畳む

#嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀 #レイシス #はるグレ #赤志魂 #青雨冷音 #不律灯色 #後輩組 #ライレフ #腐向け

SDVX

うちがわのどこまでも【ライレフ/R-18】

うちがわのどこまでも【ライレフ/R-18】
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お腹の中身が気になっちゃうつまぶきらいとくんとお腹の中身を示してくれるつまぶきれふとくんが見たかっただけ。

 じりじりと、まるで摺り足をするようにゆっくりと腰を押し進めていく。もどかしさを覚えるほどの緩慢さだが、これ以上早くては互いに負担が掛かってしまうことは分かっていた。何より、今ですら神経を焼くような快感を覚えているというのに、これ以上の刺激など耐えられるはずがない。たかが挿入だけで互いに果ててしまうなど、楽しくもきもちよくもない。ならば、我慢を選ぶしかない。
 穏やかで緩い動きで、猛った刃が鞘へと納められていく。時折、ぐち、ぐちゅ、と粘ついた水音があがる。大きさに反して鼓膜を強く震わせるそれに、組み敷いた身体がびくびくと跳ねた。愛しい姿に、情欲をそそる姿に、雷刀は大きく唾液を飲み込む。このまま一気に突き入れたら、この身体はどうなってしまうのだろう。どんな反応を示すのだろう。どんな可愛らしい姿を見せてくれるのだろう。多大な好奇心が湧き起こる。駄目だ、急くな、やめろ、と必死に己に言い聞かせた。こんな短絡的な好奇心に負けて絶頂に至りたくなどない。
 長い時間を掛け、ようやく肌と肌が触れ合う。薄い肚が全てを受け入れた証拠だ。ぁ、と情火に焼かれた呼吸が二つ、薄闇に包まれた部屋に落ちた。
 互いに動くことなく――否、肉と肉での触れ合いによるあまりの快楽に動けず、荒い呼吸を漏らす。愛しい人の熱を敏感な粘膜から直に感じるだけで、きもちがよくてたまらなかった。これ以上の刺激は、もう少しだけ自分たちには早いのだ。
 じわじわと頭の中身を溶かすような温かな悦びの中、朱は組み敷いた肢体を眺める。真っ白なシーツに身を預けた弟は、は、は、と浅い呼吸を繰り返していた。苦しさすら感じられる音に反し、それを奏でる表情はとろけきったものだ。悩ましげに八の字を描く眉も、涙をたたえ潤んだ瞳も、紅潮した頬も、薄く開かれた口も、その奥に隠した舌も、全てが性的興奮を覚えていることを明確に表していた。心地良さそうな姿に、艶めかしい姿に、安堵と劣情が胸の内に広がっていく。ギリ、と奥歯が鈍い音をたてた。
 艶めく表情から逃げるように、視線を下ろしていく。筋が見える首、左右に広がっていく鎖骨、鍛えられほんのりとした膨らみを持った胸筋、唾液にまみれ蠱惑的に光る頂、闘いの最中発達し薄く割れた腹筋、浅くへこんだへそ、几帳面に整えられた若草色の茂み、絶えず雫をこぼす雄の象徴、己を受け入れた開かれざる蕾。視界に広がるどれもが扇情的で、欲望を強く刺激するものだった。ぐ、と息を呑む。情欲から逃げるはずが、己を追い込むだけになってしまった。
 ふるふると頭を振り、何とか心を落ち着けようと試みる。降りきった視線をぐいと上げ、視覚的刺激の少ない――あくまで相対的評価でしかないが――腹へと目をやった。己自身を全て納めきった腹は、呼吸する度緩く上下していた。浅い溝がいくつも走る様は、彼の確かな鍛錬の結果を表している。思わず手を伸ばし、努力の結晶をそっと撫でる。ぁっ、と溜め息にも似た艶声があがった。
 この内側に、己がいるのだ。受け入れるために作られていない器官を作り変え、己を受け入れてくれているのだ。圧迫感を覚えながらも、身体を、心を開き、受け止めてくれているのだ。健気さに、愛おしさに、淫らさに、きゅうと胸が締め付けられる。押しつけた腰がずくりと重くなったように感じた。
「な、んですか」
「あー……、いや、どこまで這入ってんのかなって」
 甘さを隠しきれない咎める声に、誤魔化す言葉を作りあげて返す。嘘ではないことを示すように、ぐ、と触れた手に少しだけ力を加えてみる。呼吸と連動して上下する腹が、少しだけへこんだ。ぅ、と苦しげな声が漏れ出るのが聞こえた。
 事実、この腹のどこまで己が潜り込んでいるかは、以前から気になっていた。目視はもちろん、今こうやって触ってみても、どこにあるかなど分からない。外側からは決して判断できないものだからこそ、謎は深まるばかりだ。
 ベッドに投げ出された腕が緩慢に動き、汗で濡れた手が腹の上に置いた己の手に重なる。そのまま、きゅっと握られた。どうしたのだろう、と考える間もなく、力ないその手が滑るように移動する。撫でるような動きは、へそより下の部分で止まった。
「……このあたりでしょうか」
 重ねられた手に力がこもる。腕の持ち主は、うちがわに迎え入れたその存在を示すかのように、ぐ、と自ら腹を押した。また苦しげな音が漏れる。うっすらと艶めきを宿しているようにも聞こえた。
 カァ、と腹の奥が熱を持つ。奥底で燃えさかっていた炎が、空をも焼かんばかりの火柱へと生まれ変わる。大好物を目の前に置かれたかのように、口の中に唾液が湧き起こる。脳味噌の深い部分が、ジンと強い痺れを覚えた。
 卑猥だった。あまりにも淫猥だった。淫靡としか言い様がない有様だった。だって、迎え入れた雄の存在を自ら誘導して示すだなんて、あまりにも妖艶で、あまりにもコケティッシュな姿だ。優しくどこか純朴な彼のことだ、投げかけられた純粋な問いへの答えとして指し示してくれたのだろう。その行動が、どれほど雄を煽るかなど知らぬまま。
 そっか、と少年はどうにか返す。その三音節を絞り出すのが精一杯だった。あんな姿を見せられて、平常心でいろという方が無茶だ。元より人よりも感情の動きが激しい己ならば尚更だ。今こうやって我慢しているだけでも褒め称えられるべきである。
 マットレスに沈み込んだ頭が小さく傾げられる。きちんと答えを示されておきながら、生返事しかないのが不思議で不服なのだろう。なんなのですか、と不満げで幼げな声が飛んできた。
「……もっと押し込んだら、もっと奥のとこいくのかな?」
 今さっき示された場所は、へそよりも下だ。ならば、もっともっと押し込めば、へそまで到達するのでは。単純な発想だ。実践できるかなど分からない考えだ。不意に湧き起こったそれに、好奇心が、獣めいた何かが鎌首をもたげる。意図せず湧き上がったそれが膨らみ、どんどんと脳味噌の内を占めていく。今すぐ試してみたい、と心を突き動かすほど。
「や、めて、ください。むり、むりです」
 眼下の顔がサァと青くなる。これいじょうはむり、と濡れた唇が必死に抵抗の言葉を紡ぎ出す。見開かれた海色には、絶望と恐怖が浮かんでいた。けれども、見えるのはその二色だけではない。己が抱えたものと同じ色が滲んでいるのが熱烈な視線から伝わってきた。
 筋張った腰を掴む手に、汗ばんだ手が重ねられる。むり、とうわごとのように繰り返し、烈風刀は引き剥がそうとぐいぐいと自身を鷲掴む腕を押した。快楽に浸かりきった脳味噌は上手く伝達機能を果たせないのか、伝わる力は普段の十分の一もないような軽微なものだ。抗おうとしているのだろうが、意味など全く成していない。
 そんな可愛らしい抵抗をされて、そんな可愛らしい言葉を吐かれて、そんな嗜虐心を煽るような行動をされて、じっとしていられるわけがない。元々、好奇心には抗えない質だ。加えて、情動を抑えられない質だ。動くなという方が無理な話である。そんなこと、生まれた時から共に在り、何度も夜を共にした彼が一番分かっているだろうに。
 だいじょーぶ、と雷刀は片割れに笑いかける。いくらか低くなった声音も、愉快さをこれでもかと表すかのように吊り上がった口角も、サディスティックな光が宿った炎瑪瑙も、何もかもが言葉を否定していた。こんなに信頼できない『大丈夫』など、この世に存在しない。
 むり、と碧は抗議の声を繰り返す。涙でどろどろになったそれは、つがいを興奮させるだけのものだった。
 腰を引き、埋めた楔をわずかに抜く。ふぅ、と一息。そのまま、助走をつけて一気に押し入れた。
 ばちゅん、と猥雑な水音と鋭い嬌声が二つ、薄闇を切り裂くようにあがった。

畳む

#ライレフ #腐向け #R18

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