No.60, No.59, No.58, No.57, No.56, No.55, No.54[7件]
夏に降りゆく積もりゆく【プロ氷】
夏に降りゆく積もりゆく【プロ氷】
夏の初めに書き始めたはいいが公式エンドシーンに設定全部打ち砕かれ放置してたのを開き直って仕上げただけの話。ねつ造も甚だしい少女漫画めいたプロ氷。
プロ氷は8割方自覚識苑→←無自覚氷雪だととてもおいしい。
パタパタと小さな軽い足音。先生、と透き通る声が夏の日差しに焼かれた廊下に優しく響いた。
識苑は手にした工具を鮮やかな手つきで片付け、声がした方に顔を向ける。瞳の先に映る季節外れな涼やかしい雪色に、彼はふにゃりと顔を綻ばせた。
「氷雪ちゃん。こんにちは」
「こんにちは、識苑先生」
柔らかな笑みを向ける識苑に、氷雪は朗らかな挨拶と笑顔を返した。成長したなぁ、と彼は密かに微笑む。学園に来たばかりの頃は全くと言っていいほど人とのかかわりをもたず距離を置いていた彼女が、今では自ら進んで人と触れ合おうとし、こんなにも可愛らしい笑顔を見せるようになったのだ。初期から彼女と接し、その様子を見続けていた識苑にとってその光景は嬉しいの一言に尽きた。朝焼け色の瞳が慈しむように細められた。
「どうしたの? もう終業式は終わったよね?」
壁に掛けられた時計に目をやる。文字盤を辿る二つの針は本日の授業は既に終了した旨を告げていた。
本日午前の終業式を以って前期日程は全て終了し、追試の無い生徒ならば明日から夏休みが始まる。成績は人並みに良く、追試などない彼女がこんな時間まで学校に残っている理由はないはずだ。不思議そうに首を傾げる識苑に、彼女はあいまいに笑った。
「あの、わたし、夏休みに一旦帰省することになりまして」
氷雪は現在故郷を離れ、学園が設けている寮で暮らしている。最初こそひとりきりで寂しく思っていたが、時が経つにつれ友人も増え、少し前には同郷の仲間がやってきたこともあり楽しい日々を過ごしていた。そんな温かな環境もあって、彼女はここまで変化したのだろう。良いことだと考え、識苑はそっかー、とゆるく声をあげた。
「こっちに来てからまだ一回も帰ってないんだっけ? そりゃ、親御さんにちゃんと顔見せに行かないとね」
「はい」
雪翔くんも一緒です、と氷雪は嬉しそうに笑った。冬以外はこちらに留学している彼も、一度故郷に顔見せに行かねばならないようだ。こちらの夏は彼女らが住まう世界に比べずっと暑い。避暑を兼ねたものなのだろう。わずかな期間とはいえ涼やかな彼女の姿を見ることができなくなるのは少しばかり寂しいが、仕方のないことだ。
「えっと……、それで、先生に何かおみやげを差し上げたいのですが……」
どんなものがよろしいでしょうか、と氷雪は恐る恐る識苑を見上げた。不安げなその表情に、彼は困ったような笑みを浮かべぱたぱたと手を横に振る。
「おみやげなんてわざわざいいよー」
「いっ、いえ! お願いします!」
氷雪は両手を胸に当て、澄んだ瞳で目の前の明るい橙を見つめた。その深い緑には確固たる意志が宿っていた。珍しい、と識苑は内心驚く。彼女がここまで自分の意見をはっきりと述べるのは初めてではないだろうか。それほどまでこだわるとは、彼女にとってよほど大切なことなのだろうか。
うぅん、と識苑は難しそうに小さく唸る。彼女の言葉に甘えたいが、生徒に物をたかるような行為は憚られた。この間、同じ技術班の仲間に怒られたので尚更だ。
「あー……他の皆はなんて言ってた? 先生も皆と一緒で大丈夫だよ」
その回答が逃げであるのははっきりと分かっている。それでも、自分ひとりのために彼女に手間をかけさせるのは気が引けた。悩まず簡単に済ませることができるのならばそれが一番だろう。識苑は普段と変わらぬ軽い口調と和やかな笑みを浮かべ訊ねた。
「いえ、あ、の……」
夏の若々しい葉を思わせる深い緑がふいと横に逸れる。口元を隠す白い着物の袖から覗くその頬には、目の前の彼の髪と同じ桃色がうっすらと浮かんでいた。
――他の方には、まだ何も聞いていなくて。
そう切り出した声はかすかに震えていた。それでも、彼女は一生懸命己の胸の内を声へと変換していく。空から舞い落ちる雪のように、澄んだ声が静かな廊下にこぼれていった。
「わ、わたし、いつも先生にお世話になっているので……、だから、識苑先生にだけでも……」
なにか、お渡したいのです。
己の思いを必死に告げる氷雪の声はだんだんと小さくなっていく。それでも、識苑の耳にはその涼やかな声がしっかりと届いた。
その言葉は、まるで自分だけを『特別』と扱ってくれているようで。彼女が自分に『だけ』執着しているように思えて。彼女が『自分だけ』を見ていてくれているようで。
可愛らしい主張に、橙の目が緩やかに弧を描き、頬がへにゃりとだらしなく緩んだ。
「あっ、わっ、わがまま言ってすみません」
「わがままじゃないよー」
両手で口元を隠し再度俯く氷雪に、識苑は優しい声で返す。ありがとう、と沈む萌黄を見つめ礼を言うと、彼女の顔にじわじわと赤が広がっていく。白い髪や服と相まって、まるで雪の中静かに咲く花のようだった。
「うーん、そうだなぁ」
顎に手を当て、識苑は再び唸った。彼女の思いに応えたい。けれども、何を選べば彼女に負担がかからないのだろう。なにかないものか、と目を伏せ彼は思考を巡らせる。少しして、あっと何か思いついたような声が日に照らされた廊下に響いた。しっかりと開かれた秋の夕空のように鮮やかな橙が、夜明けの空を思わせる緑をしっかりと見つめた。
「雪。雪がいいな!」
「雪、ですか……?」
人差し指をピンと立て、山吹色の瞳を輝かせながら言う識苑を氷雪は不思議そうに見つめた。そんなものでもいいのか、と河底の澄んだ水のような緑の瞳は物語っていた。どこか不安げな白に、桃はふわりと優しく笑いかける。
「うん。氷雪ちゃんの故郷の雪が見てみたいな」
任されている仕事故、自分が彼女が暮らすそこに行くことは難しい。けれども、一度でいいから彼女が生きる世界が見てみたかった。美しく可愛らしい、清らかな白を作り出した世界を、少しでも知りたいのだ。たとえ、その一部分だけとしても。
変態めいてるなぁ、と識苑は内心苦笑する。しかし、それは本心だった。今以上に彼女のことを知りたい、その欲求は嘘偽りなどない心の底からのものだ。
識苑の言葉に、氷雪は分からないといった調子で更に首を傾げた。伝わらないのは彼も重々承知である。むしろ伝わってほしくない、と考えてしまう自分は臆病者だ、とはっきり自覚している。笑顔の裏に潜めた心は存外脆い。たいせつな彼女が相手なのだから尚更だ。
「はい、頑張って持って帰ってきますね!」
一呼吸おいて、氷雪は両手を胸の前でぐっと握った。ちゃんと力をコントロールします、と彼女は意気込みキラキラと目を輝かせた。日頃の鍛錬の成果を見せるチャンスだ、といった調子で小さく頷く。朝日に照らされた雪のように明るい表情に、識苑はそっと目を細めた。
「他には何かありますでしょうか?」
「いやー、それだけで十分だよー」
問う氷雪に識苑は笑って返す。そもそも、彼女にこのようなことを訊ねられるだけで十分に嬉しいことなのだ。それ以上を望むつもりはない。
「ほ、本当ですか? 遠慮なさらないでください」
「大丈夫だよー」
笑顔を見つめる常盤色の瞳は不安と懐疑がゆらゆらと揺らめいている。ごまかしてるわけじゃないんだけどな、と彼は頬を掻く。信頼されているとは思うが、こういう点はまだ信用ならないらしい。日頃の行いのせいだ、というのは自覚しているので文句など全く言えないのだから情けない。苦笑いを浮かべ、識苑は指揮者のように立てた人差し指をすぃと振った。
「強いて言うなら、無茶して怪我とか病気にならないでほしいかな。休み中に怪我する子は多いって聞くし、氷雪ちゃんには元気でいてもらいたいや」
大切な生徒だからね、と識苑は微笑む。優しいそれに、氷雪の顔がほんのりと色付いた。たいせつ、と彼女の小さな唇がゆっくりと動き、雪が溶けるかのようにふわりと綻ぶ。
「はい、気を付けます」
識苑先生にご心配をかけるわけにはいきませんから、と彼女ははにかんだ。その元気な表情と言葉に、識苑は愛しげに目を細め目の前の白を眺めた。
電子的な鐘の音が廊下に響く。いきなりの音に、二人の視線が廊下にかけられた時計に向けられた。円の中を駆ける針は、普段ならば午後一番の授業が終わる時間を示していた。時間割に変更がある際は鳴らさないように設定されているはずだが、今日はそれが上手くいっていなかったらしい。くるりと二人は同時に視線を互いに向ける。それがおかしいのか、氷雪は小さく笑った。
「では、お休み明けに」
「うん。体に気をつけてね」
「先生もお体にお気を付けください」
「努力するよ」
笑う識苑を氷雪は少し不服そうに見る。縦横無尽に学内を行き来し、積み重なるタスクに潰されかけながら不摂生な生活をしていることは皆知っている。信用などできないだろう。
「ご無理はなさらないでください。わたしも……、わたしも、識苑先生に元気でいてほしいです」
澄んだ緑の瞳が鮮やかな橙を見つめる。その瞳は真剣だった。無自覚ながらも『特別』気にかけている人物がこの調子ならば心配するのも無理はない。その心はしっかりと伝わったのか、識苑も真面目な面持ちでその深緑を見つめた。
「分かった。先生も気を付けるよ」
何なら指切りでもしようか、と識苑はおどけた調子で小指を立てた。氷雪はそれをじっと見つめる。きゅっと唇を結び、袖をたくしあげ長いそれで隠されていた手を露わにする。一生懸命伸ばされた細く澄み切った白の指が、骨ばった固い指に絡んだ。
「や、くそく、です」
そう言う氷雪の頬は紅梅のように鮮やかな赤に染まっていた。儚く細められた濃い抹茶のように深い緑の瞳は、どこか潤んでいるように見えた。
「……うん、約束」
ちゃんと守るよ、と識苑は笑った。ゆーびきーりげんまん、と歌うように手を軽く振る。つられて氷雪もおずおずと繋いだ彼に合わせて指を振る。二人の指が風に舞う花びらのようにゆらゆらと揺れた。幾ばくかして、ゆーびきった、と彼は絡めた指を自然な動きで解いた。
「じゃあ、また次の学期に」
「はい!」
さようなら、と一礼し、氷雪は元来た廊下をパタパタと走っていく。その足取りは、来た時よりも少し早く軽いように見えた。
彼女の姿が完全に見えなくなったところで、識苑は振っていた手を口元に当てた。薄い唇は嬉しそうに弧を描いていた。笑う、というよりもにやける、というのが適切だろう。堪えられずに漏れ出でてしまうほど、彼女との邂逅は嬉しくて仕方のないものだった。
ふぅ、と息を吐いて己の小指を見つめる。雪のような冷たさの中に、ほんのりと優しい熱が残っている気がした。
「――約束、だからね」
まずは小さく第一歩。三食きちんと食べる事から始めよう。
そう考えて、識苑は大きく伸びをした。
畳む
レンズ越し【ハレルヤ組+魂】
レンズ越し【ハレルヤ組+魂】
pixivで非公開にしていたものをサルベージ。キャプションとか諸々全部当時のままです。
お題:遅すぎた笑顔[15m]
魂がカメラを抱えてやってきたのは、運営業務が比較的落ち着いた頃だった。
一体何だと問うと、学内掲示用に三人の写真が欲しいとのことだ。現在の様子では業務にも余裕もあり、学校側が必要とするものならばと了承し、三人は魂の前に並ぶ。レイシスを中心に、二人が彼女の顔の高さに合わせて少し屈んで立つこととなった。
「じゃあ先輩方、笑って笑ってー」
カメラを構えた魂がこちらに向かってて手を振る。ハイ、とレイシスは普段から見せる明るく可愛らしい笑顔でレンズの方を向いた。隣に立つ雷刀も楽しげに笑い、レイシスに寄るようにしてピースサインをしている。一方、反対側に立つ烈風刀の表情はどこか硬い。
「烈風刀先輩、もうちょっと笑えません?」
「そんな、いきなり笑えだなんて言われましても」
魂の要求に烈風刀は苦々しく顔をしかめた。意識して笑顔を作るのがどうも苦手らしい。彼自身頑張っているように見えるが、やはり硬さが残りどこか不格好だ。それを自覚して、更に表情が硬くなる。見事な悪循環だ。
「んー、じゃあ先輩はキリッとした感じでいきましょ」
魂の指定に烈風刀は小さく謝り、普段通りの真面目な表情でレンズに向かう。無表情ではないので大丈夫だろうと思うも、どこか不安は残る。不安をどうにか抑え込み、彼は透明なレンズをじっと見つめた。
幾度かシャッターを切る音が鳴る。フラッシュの強い光が収まると、魂はこちらにカメラを差し出した。確認してほしいとのことだ。
「おー、綺麗に撮れてんな」
「ちゃんと映ってマスネ。嬉しいデス」
背面の液晶画面を覗き込み、雷刀とレイシスは嬉しそうに声を上げた。画面には華やかな笑みを浮かべたレイシスが大きく写っている。その姿を見て、烈風刀は小さく笑みをこぼした。あぁ、やはり彼女は可愛らしい。きっと雷刀も同じことを思っているのだろう、先ほどから頬が緩みっぱなしだ。
「あー! 烈風刀先輩、それさっきやってくださいっす!」
突然魂が大きな声を上げた。『それ』とは今の笑みのことだろう。そんなことを言われても、と烈風刀は顔を歪めた。
「じゃ、もう一回いきましょう」
「えっ」
再びカメラを構える魂に、烈風刀は間の抜けた声を上げる。そんな彼に近寄り、魂は少し背伸びをしてこそこそと言葉を継げる。
「あとで好きなだけ写真現像しますしデータも渡しますから。さっきのレイシス先輩の笑顔を思い浮かべてください」
ね、と彼は二色の瞳をいたずらっぽく細める。先ほどの笑みの原因などお見通しらしい。烈風刀は喉に何か詰まらせたように顔をしかめた。緑青の瞳がゆらゆらと揺らめく。少しして、彼は諦めたかのように俯いた。
「…………おねがいします」
「はい。せんぱーい! あと何枚かおねがいしまーす!」
満面の笑みを浮かべ、魂は少し離れた位置にいる二人を呼ぶ。彼女らは快く了承した。
「なーなー、今度は皆でポーズ取ろうぜ」
雷刀はそう言って再びピースサインを示す。いいデスネ、とレイシスは顔を輝かせ、彼と同じように両手でそれを作った。ほら、と二人分の視線が烈風刀に向けられる。戸惑う彼だが、キラキラとした期待のまなざしに負け、同じくそれを作った。どこか歪だが、二人は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、撮りますよ」
さん、にー、いち。四人分のカウントダウンの声が響く。
レンズの向こう側、三色三対の瞳は緩やかな弧を描いていた。
畳む
白紙対策【ハレルヤ組】
白紙対策【ハレルヤ組】
pixivで非公開にしていたものをサルベージ。キャプションとか諸々全部当時のままです。
お題:残念な山[30m]
真っ赤な髪が机の上に散らばる。赤い塊からは潰れたような唸り声が聞こえてくる。声だけ聞けば幽霊か何かかと勘違いしてしまうような沈みっぷりだ。
「雷刀、大丈夫デスカ?」
「大丈夫じゃない……」
心配そうに問うレイシスに、雷刀は力ない声で返す。はわわ、とレイシスは慌てるが、彼の真後ろに座る烈風刀は心配する必要はありません、と言った。そのままじとり、と冷たい視線を机に伏せた兄の背中に向ける。
「テストが上手くいかなかっただけですよ」
「ヤマが思いっきり外れた……」
冷めた烈風刀の声に、雷刀は後悔のにじむ声で呻く。どうもヤマを張った部分が全て外れてしまったようで、普段以上に沈んだ声である。あぁ、とレイシスは困ったように笑った。
「まったく、山勘に頼るからこうなるのです」
「やっぱりちゃんと勉強しなきゃだめデスネ」
呆れる烈風刀の声と優しく諌めるようなレイシスの声に雷刀はうぅ、と唸った。弟の反応はともかく、レイシスにまでこう言われてしまっては辛いものがある。
「レイシスはどうでしたか?」
「ハイ、勉強したところがちゃんと出てきマシタ」
烈風刀の問いに、レイシスはニコニコと笑みを浮かべ元気よく答えた。普段から勤勉で成績もよい彼女だが、やはり自身で対策を取った部分ができると嬉しいらしい。その笑顔につられるように烈風刀も笑った。
「そうですか。それはよかったですね」
「なぁ、オレと反応違いすぎね?」
ガバ、とようやく頭を上げ、雷刀は勢いよく振り返り後ろに座る烈風刀を見る。すっと柔らかな笑みが消え、彼は凍てつくような視線で兄を見た。その冷たい緑色の瞳には怒りの色が浮かんでいた。
「日頃勉強した上で対策を取ったレイシスと、全く勉強しないで山勘に頼った貴方とは全く違うでしょう」
まったくの正論に、雷刀はバツが悪そうに顔をしかめた。それにしてもあまりに違う、とぶつぶつと文句を言うが、烈風刀が聞く様子は全くない。いつものことだ。
「雷刀はいつもヤマが外れマスネ」
「だよなー。なんでだろ」
不思議そうな二人の声。烈風刀は首を傾げる赤に冷たく指摘した。
「普段から授業を聞いていないのですから、各単元の重要なポイントが分かっていないでしょう。そんな状態で山勘に頼ったところでどうするのですか。せめてレイシスのように傾向を把握した上でヤマを張るべきです」
「……うん」
「……デスネ」
沈んだ声が重なる。レイシスまで落ち込ませるつもりはなかったのに、と烈風刀は内心慌てた。
「で、でもっ、テストが終わったらもうすぐ夏休みデスヨ! 頑張りまショウ!」
ぐっと胸の前で両手を握り、励ますように笑うレイシスの言葉に雷刀も笑う。夏休みだ夏休みー、デスー、と嬉しそうに話す二人を見て、烈風刀は頬を緩めた。しかしその顔はどこか暗い。
二人は忘れているのだろう。夏休みに入れば課題が出ることを。そして、昨年のその量はまるで山のようで、尋常なものではなかったということを。
今言っても二人とも落ち込むだけだろう。黙っておこう、と烈風刀は口をつぐんだ。
窓の外に広がる空は青く、陽の光も春のそれに比べ強くなってきている。
夏はすぐそこだ。
畳む
縁取る色【ライレフ】
縁取る色【ライレフ】
あんまりにも何も書けずに放置してたら訳も分からず腹が立ってきたのでリハビる。とは言っても8割方書いて放置してたの仕上げただけ。
べったべたあっまあまな話が書きたかった。糖分くれ糖分。
勢いよく加えられた重みにソファがギシリと悲鳴を上げる。耳障りなそれを気にすることなく、雷刀は背もたれに身体を預け大きく息を吐いた。その姿を見て烈風刀は弱々しい笑みを浮かべ、労うように手にしたマグカップをそっと差し出す。力ない様子ながらもしっかりと手に取ったことを確認し、彼もその隣に腰を下ろした。ズズ、とコーヒーを啜る音が青白い光に照らされた静かな部屋に響いた。
「つっ……かれたー……」
「お疲れ様でした」
「ほんとにつかれた……」
中身が半分ほど減ったカップを机に置き、雷刀は再びソファにもたれかかる。その顔には明らかに疲労がにじんでいた。
グレイスたちの登場もあってか、最近は各所に細かなバグが湧くことが多くなっていた。根本からの対策を考えるだけでなく、目の前のそれを潰し秩序を守ることも日々の仕事として重要な位置づけになっている。普段からバグとの戦闘をこなし経験を積んでいる彼はその中心となって活躍している。そうやって人一倍動いているのだから疲れるのも当たり前だろう。
「最近、本当に多いよな」
「あちらも本腰を入れてきた、ということでしょうか」
ぐ、とカップを持つ烈風刀の手に力がこもる。ネメシス=メトロポリスへの被害、そして先日の恋刃の件が脳裏に蘇る。バグ対策を練っている最中、そのバグによって身近な人物にまで被害が及んだのだ。事前に防ぐことができなかったことを悔しく思うのは当然だ。
「これ以上被害を出さないようにしないと」
「だな。……もし、レイシスに何かあったら笑えねぇ」
自分たちの核となるレイシスに被害が出れば、対抗しうる手段は潰えると言っても過言ではない。なにより、彼女と対峙し戦うことなど考えたくもなかった。想定しうる最悪の事態は何としても防がねばならない。絶対に守ります、と絞り出すような声に、雷刀も静かに頷いた。
「烈風刀になんかあってもやだしなー。戦いたくねぇ。怪我させんのやだ」
「僕だってそうですよ。貴方と戦うなんて」
こぼした言葉に、雷刀はきょとんとした表情でこちらを見る。間の抜けたそれはだんだんと緩み、どこか意地の悪い笑みへと変わっていった。ろくなことを考えていないであろうその姿に、烈風刀は慌てたように続ける。
「貴方のような戦闘面に特化した者が敵に回れば厄介に決まっているでしょう。これ以上面倒なことになっては堪りません」
「素直じゃねーなー」
逃げるようにカップに口をつける彼を見て雷刀はケラケラと楽しげに笑う。このような会話は既に慣れっこだ。それでも不満は残るのか、彼は拗ねたように口を尖らせた。
「こないだみたいに素直に本音言えばいいのに」
「お願いします止めてください忘れてください」
烈風刀は酷く沈んだ声で懇願する。その顔は真っ青と言っても差し支えがないほどに血の気を失っていた。レイシスも雷刀も大して気にしていないようだが、先日の出来事は当人である烈風刀にとってはもう二度と思い出したくない、永遠に記憶の底に封じ込めておきたいものだ。それを蒸し返されては、常日頃冷静だと評価される彼でも取り乱してしまうのは仕方のないことだろう。
「そーいや、あの時なんか雰囲気違ったよなー。なんだろ」
推理する探偵のように顎に手を当て、雷刀は烈風刀の顔をじっと見る。まるで間違い探しをするように、深い朱の瞳が鏡に映ったかのように同じ、けれども自分とは確かに違うその顔を隅から隅までじっと見つめる。居心地が悪いのか烈風刀は顔を逸らすが、それは短く声を上げた兄によって阻まれた。何かひらめいたような楽しげな声と共に、両頬を捕えられ少しばかり上を――ソファに片足を乗り上げて膝を付き、自分よりわずかに高い位置にある彼の方へと向かされる。顔を固定され動かすことができなくなってしまった今、嫌が応にも目の前の赤を見なければいけなくなる。少し見上げた先の紅玉に似た瞳は、まるで本物のそれのようにキラキラと輝いていた。
「睫毛! あの時睫毛めっちゃ目立ってた!」
「だからやめてください!」
許してくれ、と言わんばかりに烈風刀は悲痛な声で叫ぶ。わりぃわりぃ、と雷刀は笑うが、そこに反省の色は見られない。誤魔化したつもりか、と水宝玉の瞳が不機嫌そうに細められた。
「やっぱ烈風刀って睫毛長いなー」
感嘆するようにそう言って、雷刀はずいと顔を寄せた。視界いっぱいに広がる赤に烈風刀の肩が小さく跳ねる。無意識だろうが、鼻先がぶつかってしまいそうな――普段、口づけをする時と同じほどの距離だ。驚きと恥じらいが胸の内に湧き上がり、ゆっくりと広がっていく。
「雷刀も十分長いでしょう。同じですよ」
「そうか?」
誤魔化そうとする声を気にする様子なく、雷刀はじぃと烈風刀の瞳――それを縁どる澄んだ空色の睫毛を眺める。そんなところを見て一体何が楽しいのだろうか、と烈風刀は可能な限り視線を逸らした。柔く頬に手を当てられているだけだというのに、『手を振り払って逃げる』という選択肢はないようだ。結局逆らうことなどできず、されるがままだ。
頬に添えられていた手が外される。やっと解放されるのかと安心したのもつかの間、目の前――本当に目の、瞳の真ん前にその手が差し出された。眼前に指が迫る光景に本能的な恐怖を覚え、烈風刀は反射的にぎゅっと目を閉じた。作った暗闇の中、目元を何かが辿る感触が肌を通して伝わってくる。どうやら睫毛に触れているらしい。やっぱ長いなー、と間の抜けた声と壊れ物を扱うかのような優しい指の感触が暗い視界の中に浮かぶ。目を開け抗議したいが、なぞる指が離される様子はない。雷刀、と不満げな声で名を呼ぶが、指の主は何の言葉も返さずにいた。
慈しむように目元を撫でていたそれが、すっと静かに離れる感触。熱から距離を取った手は再び頬へと添えられた。
瞼に温かな何かが触れる感触。小さく響いた音で、そこに口づけられたのだと理解した。
いきなりの行為にひくりと烈風刀の身体が小さく震える。撫でるようなそれはすぐに終わったというのに、与えられた熱は彼の心の内にしっかりと残っていた。
「……何をするのですか」
しばしして、烈風刀はゆっくりと目を開き暗闇から抜け出す。まだ光に順応できないでいる目でも、目の前にいる人物が楽しげな笑みを浮かべていることぐらい分かった。
「そーゆー顔に見えたから?」
にぃ、と雷刀は意地が悪そうに口角を上げる。どういう顔だ、と烈風刀は非難をにじませた瞳で睨むが、目の前の兄が怯む様子はない。こうやっていたずらを仕掛け睨まれるのはもう日常と化している。そして、学習する気もない――それでも、本当に嫌がっているか否かという判断をつけることだけはしっかりと身についているのだから性質が悪いとしか言いようがない。
「なに? 他のとこがよかった?」
すぃ、と節が目立つようになった指が赤々とした唇をなぞる。先程瞼に落とされたそれとは違う温かさと感触に、烈風刀の頬に薄らと朱が差した。あれほど顔を近づけられたのだ、それを連想してしまったのは否めない。それだけに、まるで求めているのは自分だけと言うような彼の指摘は気に食わなかった。
すっ、と烈風刀は静かに腕を伸ばす。己を捕える腕を抜け、眼前にいる雷刀の頬を同じように捕える。赤い瞳に不思議そうな色と己の青がふわりと浮かんでいた。
そのまま自ら顔を近づけ、彼の唇に己のそれを重ねた。
わずかに触れる程度のそれは瞬く間に終わる。それでも、交わした体温や重ねた肌の感触は確かに残っていた。
「…………そーゆーのずるくね?」
「貴方に言われたくありませんよ」
たっぷり数秒おいて、雷刀は硬直から復帰し困ったように笑った。その頬は、自身が依然捕えたままのそれと同じく紅が散っていた。お返しだ、と烈風刀は緩く笑う。自らそのような行為を仕掛けた恥ずかしさは強いものの、それ以上に一矢報いた嬉しさと珍しく恥じらう彼の顔が見れた喜びが大きかった。普段彼は自分を『可愛い』と評価するが、彼の笑顔の方がずっと可愛らしい。
こつん、と額と額が合わさる。睫毛同士が触れあってしまいそうな距離、夕焼け色と夜明け色の視線がぶつかった。その二色には先程までは見られなかった何かがしっかりと灯っていた。
「もっかいやる?」
「……お好きにどうぞ」
素直じゃねーな、と雷刀は楽しげに笑う。けれども普段ならばすぐに突っぱねる彼だ、これでも素直な方である。
色付く頬を温かな手が優しく撫で、包み込む。柔らかに揺れる赤と青、熱を宿す赤と赤が静かに交わった。
畳む
『貴方』と一緒に【ハレルヤ組】
『貴方』と一緒に【ハレルヤ組】
夜中に目が覚めて眠れなかったのでだらだらと。
――手……繋いでもいいデスカ……?
そう言って、彼女は頬に薄らと紅を浮かべ、花開くかのようにふわりとはにかんだ。
パチ、パチ、と不規則な音が暗い闇に響く。小さな火花を散らしていた赤い球体は次第に小さくなり、音もなく事切れ闇へと消えた。闇の中から手が伸び、近くの袋に入った線香花火を一つ取る。細いその先端に火を点けると、小さな赤い丸がまた細やかな音をたてはじめた。短い生を目一杯生きようと火花を散らすそれを、二対の瞳がぼんやりと見つめていた。
「うぅ……レイシス……」
ズッ、と鼻をすする音が暗闇に響く。線香花火の淡い光に照らされた雷刀の顔は、涙や鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。顔中濡れたままでは気持ちが悪いだろうが、今の彼には顔を拭く気力すら残っていない。落ち込みに落ち込んだ彼には、この細い花火を持つことだけで精一杯だった。
「レイシス……何処の何者と花火大会に行ったのです……」
普段ならばみっともない、と真っ先に注意する烈風刀だが、今の彼の目には兄の姿など映っていない。光を失い濁った瞳には目の前の線香花火の小さな光しか見えない――認めたくない事実や見たくもない現実から何から何まで見ないようにしていた。彼らしくもないが、それほどまでに烈風刀の精神は追い詰められていた。
レイシスが新たに浴衣を用意していたことは前々から知っていた。昨年、一昨年と同じくきっと自分たちと花火に行こうとしているのだ。そう考えて、兄弟はそわそわと彼女の誘いを待っていた。花火がよく見える穴場スポット、足が痛くなった時に休めそうな場所、効率よく屋台を回るルートなど、彼女との時間をより良く過ごせるよう二人は完璧なまでに準備していたのだった。
その結果がこれである。
「オニーチャンもゆかた見たかった……見たかったぞぉ…………」
「レイシスを誑かす不貞な輩に無体な仕打ちを……ラスト一ノーツを忘れハード落ちする呪いを……」
泣き言と呪詛の言葉が暗い闇に溶ける。その度に辺りがより暗さを増しているように見えるのは気のせいだと思いたい。
レイシスが浴衣を用意していたのはユーザーと夏祭りを楽しむためだと知ったのは今日の昼、運営業務が一通り終わった頃だった。事実を知った二人は愕然とし、その足取りで量販店へと向かい何故か花火を大量に購入した。しかも線香花火ばかりである。そうして、二人で暗闇の中ひたすら線香花火を散らすという悲しいにも程がある現在に至る。
「うぅ……ねとられた……」
「バカなことを言わないでください!」
雷刀の言葉に烈風刀は激昂する。兄は深い意味を知らずに言ったのだろうが、さすがにその言葉は許せなかった。その意味、一生想像などしたくないことが起こってしまいそうな状態にあるのだ、あまりに生々しい。ズッ、と鼻をすする音と赤い火の塊が一つぽとりと落ちた。彼らしくもない様子で乱暴に袋に手を突っ込み、ガサガサと音を立てて烈風刀は新たな線香花火を取り火を灯した。小さなそれに薄暗く照らされる顔は更に暗く、その目は最早闇と同じ色になるほど濁っていた。元の澄んだ青色が復活する兆しはない。
「…………きーみーをーみてーいたー」
ぼそぼそと雷刀が言葉をこぼす。随分と昔のアップデートで追加された儚くも美しい歌を、彼は涙で濁る声で歌いだした。きっと目の前の脆く儚い花火を見て思い出したのだろう。現実から目を背けるように暗闇に歌声が落ちていく。
「ぼくの時計はとまったー……」
「……光がけーむたーくてー」
ズビズビと鼻をすする音が混じる歌声に、暗く低い歌声が続く。とうとう烈風刀まで現実から逃げだすことを選んだらしい。美しい曲とは正反対の低く重苦しい声が重なった。暗闇でのその風景は不気味でしかない。初等部の子らが見れば泣き出し逃げ出すだろう。
「ぼ、ぼくは…………ひとりに……なった……」
続く歌詞に、烈風刀は息を詰まらせる。この透き通るような美しい歌すら『現実を見ろ』と双子に訴えてくるようだった。救いなど一切なかった。普段以上に目を赤くして泣く雷刀に、己の髪色のように顔が青くなる烈風刀。ある種の地獄絵図にも見えた。
「い…………息が苦しくなってきた……」
「うぉぉぉぉぉぉ!! どこだぁぁれいしすぅぅぅぅぅ!!」
うぅ、と烈風刀は喉元を押さえ苦しげに呻く。雷刀もあまりのことに耐え切れなくなったのか、大声で愛しい彼女の名前を叫ぶ。そんなことをしても、あの美しい彼女は戻ってこないことなど二人とも知っている。それでも、叫ばなければやってられなかった。声の振動によるものか、二人の線香花火がぼとりと闇に落ち生を終えた。
ビニール袋が擦れる騒がしい音。雷刀は黙々と線香花火を二本取り出し、片方を烈風刀に渡した。彼は黙って受け取り、二人分のそれに火を点ける。細い火花が散る儚い音が闇夜に響いた。
「何もないのに……そう、何もないのに…………レイシスとお祭りに行くことなどなかったのに……」
「忘れたいのに……もうこんなの忘れたいのにぃ…………」
最早歌声ですらない呟きが二人の口からこぼれる。それでもちゃんと忠実に歌詞を言っているのだから、やはり兄弟というべきか。細い声は線香花火が燃える小さな音にすらかき消されてしまいそうだった。
「あれ? 二人ともどうしたんデスカ?」
カラン、と軽やかな音が闇夜に響く。聞き慣れた可憐な声に、二人は急いで振り返った。
濃紺の生地に水上に浮かぶように白い花があしらわれた浴衣、サイドにまとめ淡い赤と青のコサージュで飾り付けた長い髪、TAMA猫をモチーフにしたうちわと綿菓子に似た巾着を手にし、物理的だけではなく精神的にも淀み沈んだ暗闇を覗きこんでいる少女がいた。
「れっ――――」
「れいしすうぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!」
今の今まで思い浮かべていた彼女――レイシスの姿を見て、二人の目が大きく見開かれる。烈風刀の目から今までずっと我慢していた涙がぽろぽろとこぼれ、雷刀は更に涙と鼻水をぼろぼろとこぼし大声でその名を叫んだ。
雷刀は感激のあまりか、レイシスに向かって走り出す。その手が彼女の浴衣に到達する直前、烈風刀は勢いよくその襟元を引っ張った。カエルが潰れるような醜い音が闇夜に響く。確実に彼の浴衣は着崩れたろうが、そんなことは烈風刀に関係がない。あとで着付け直せばいいだけの話だ。
「レイシス、一体どうしたのですか? ユーザーの皆さんとお祭りに行ったのでは?」
「もうネメシスクルーのデータは完成しましたし、今日のお仕事は終わりましたよ?」
必死で涙を隠し問う烈風刀に、レイシスは不思議そうに首を傾げて返した。彼女の言葉に、烈風刀はあ、と何かに気づいたような間抜けな声を出した。
ネメシスクルーは各自のデータを取り、それを元に作り出すものだ。今回実装されるそれは『レイシスが誰かと一緒に祭りに行く』という設定で企画されたものである。その『誰かと一緒に祭りに行く』という部分だけがあまりに印象強く、彼ら兄弟は勘違いをしてしまったのだろう。全ては彼らの間抜けなミスが引き起こしたことだ。その事実に、烈風刀は両手で顔を覆った。人の話を聞かない雷刀はともかく、自分まで勘違いするとは。あまりの恥ずかしさに更に涙が湧いてきた。
「うぅー……れいしすぅ……れいしすぅぅ……」
「はわっ! 雷刀、なんでそんなにぐちゃぐちゃなんデスカ?」
滝のようにぼろぼろと涙を流し彼女の名を呼ぶ雷刀を見て、レイシスは酷く驚いた顔をした。急いで巾着からハンカチを取り出しその顔を優しく拭く。彼は動くことなくされるがままでいた。最後に鼻を拭うためにポケットティッシュを手渡し、彼女は烈風刀の方へと向く。
「烈風刀も涙でボロボロデスヨ? 二人とも、本当にどうしたんデスカ?」
「いえ、花火の煙が目に染みただけですよ。何もありません」
不安げな問いに烈風刀はどうにか作り出したにこやかな笑みで答える。素直に言えば彼女は別のハンドタオルで彼の涙を優しく拭ってくれただろうに、『レイシスの前だけはしっかりしていたい』という彼のプライドがそれを邪魔した。納得しがたい様子だが追及しても仕方ないと諦め。レイシスは二人を見まわした。ぼろぼろと泣く男子高校生を女の子が見上げる姿はいっそシュールなほどだ。
「二人とも、もうお祭りには行きマシタカ?」
「……まだ」
「ここでずっと花火をしていましたからね……」
改めて言葉にすると、寂しいを通り越して異様なことをしていたというのがよく分かる。一体何をやっていたのだろう、兄弟の胸には後悔にも呆れにも似た感覚が思い浮かんだ。
「では、花火までまだ時間はありますし皆で行きマショウ!」
パン、とレイシスは胸の前で両手を合わせ微笑む。たっぷり数十秒かかってその言葉を理解し、双子の顔がパァと明るくなった。待ちに待っていた彼女からの誘いなのだ、嬉しくないはずなどない。
「さんせー! だいさんせー!」
「えぇ、そうしましょう!」
先ほどの涙はどこへやら、二人は明るい表情を浮かべ心底嬉しそうに笑った。元気な姿にレイシスも手を口元に当てクスクスと笑う。喜ぶ兄弟の姿はまるで幼い子どものようであった。
「そだ、レイシス! 手繋ごーぜ!」
「あ、こら。雷刀は下がっていてください」
雷刀はレイシスに向かって手を差し出す。いち早く動いた兄に、烈風刀は焦った様子でその腕を強く叩き下ろした。泣き腫らした赤い瞳が同じく赤がにじむ青を睨む。浅葱の瞳も負けじと深緋の瞳を睨み返した。
「なんだよ、手繋ぐぐらい普通だろ」
「何もないところでもよく転ぶ貴方がレイシスと手を繋いでは危ないでしょう。ただでさえ下駄で慣れていないでしょうに。僕が手を引き支えますよ」
「いやいや、慣れてないのは烈風刀も一緒だろ? それにいざ倒れた時にレイシスを支えて助けられるのはオレの方だ。オレのがふさわしい」
「雷刀では人のことを構わず早足で歩いてレイシスを疲れさせるだけです。どう考えても僕の方がふさわしいですよ」
「オニイチャンの言うことぐらい聞けっての」
「弟の忠告ぐらい素直に受け取ったらどうですか」
キャンキャンと騒がしい声が暗闇に響く。その姿は幼い子どもそのものであった。目の前で繰り広げられる喧嘩に、レイシスはぷぅと頬を膨らませた。彼らが喧嘩すること自体もそうだが、一人放置されるのもあまりよく思わない。せっかく二人と遊びたくて早く終わらせてきたのに、とレイシスは小さく息を吐いた。
「雷刀、烈風刀」
怒りとわずかな寂しさを含んだ声が双子の名を呼ぶ。何だ、と二人が振り返ると、その方手にそっと温かなものが触れた。それは己の手を包むようにぎゅっと握りこむ。レイシスに手を繋がれたと分かり、彼らの目が驚きで大きく見開かれた。
「これで解決デス」
繋いだ二人の手を掲げ、名案だろう、と言わんばかりにレイシスはにこりと笑った。その笑顔に彼らが勝てるわけなどないのだ。いがみあい険しかった二人の表情が和らぐ。雷刀は嬉しそうに笑い、烈風刀もふわりとはにかんだ。よろしい、とおどけた調子でレイシスは二人を見まわした。
「さ、早く行きマショウ! お祭りが終わっちゃいマスヨ!」
そう言ってレイシスは二人の手を引き歩き出す。双子の嬉しそうな返事が重なった。まず向かうは屋台が並ぶエリアだ。入念に準備した情報を生かす場面が来た、と雷刀と烈風刀は顔を見合わ小さく頷いた。
三足の下駄が、カランコロンと輪唱するように軽やかな音を奏でた。
畳む
夕暮れ色【ライレイ】
夕暮れ色【ライレイ】
諸々上手くいかないのでリハビリと挑戦を兼ねてライレイ。
予定よりカップリング色が強く出た……と思いたい。
トン、トン、トン。規則的に机を叩く硬い音がこぼれ落ち積もっていく。夕日に照らされた教室は日中の活気など見られず、ただただ静かだった。
「――雷刀?」
開け放された教室の扉からひょこりと人影が覗き込む。今日の仕事に区切りがつき、一旦教室に帰ってきたレイシスだった。二つに結んだ長い髪が、彼女の動きにつられてゆっくり揺れる。夕日を受けた桃色の髪は、普段より赤みを増しているように見えた。
彼女の声に、積もり続けていた小さな音が止む。音の発生源である少年――嬬武器雷刀はシャープペンシルを動かす手を止め、机から顔を上げた。その表情はいつもの明るく元気ものでなく、酷く疲れしおれていた。
「あー……レイシス……」
「まだ終わらないのデスカ?」
彼の前の席に腰かけたレイシスの問いに、雷刀は机に突っ伏した。その姿が答えを明確に示していた。やはりか、と彼女は苦笑した。
本日提出の課題が終わらず、雷刀は放課後残ってそれを解いていた。普段ならばそのまま忘れて課題の山の一部となるのだが、どうやらこの課題は成績に大きく関わるものらしい。普段から口うるさい烈風刀だけでなく、担当教員であるマキシマにまで真剣な様子で釘を刺されたのだ。あのハイテンションな彼が落ち着いた調子で言うほどに重要なものなのだ、さすがの雷刀も危機感を覚えた。無視することなどできない。彼はこの厚いテキストに向かう他なかった。
「烈風刀はどうしまシタ?」
「なんか委員会だかの用事があるらしくて、今職員室行ってる」
それで一人で勉強していたのか、とレイシスは納得し頷いた。本日は運営に必要な仕事量が少なくレイシスとつまぶきだけでも十分だったため、烈風刀も彼の勉強に付き合っていた――正しくは逃げださないよう監視し、最終締め切りである本日中に全てを終わらせるためだ。切羽詰まった時によく見られる光景である。
「わけわかんねー……」
「でも、ちゃんと解けてマスヨ?」
椅子の背に力なくもたれ器用にペンを回す彼の前、机に乱雑に広げられたテキストをレイシスは覗きこむ。問題をぎっちりと詰め込んだページにはいくつもの答えが並び、かなり進んでいた。ページ数を見るに、課題範囲の終わり手前まできているようだ。勉強を大の苦手とする雷刀にしてはペースが早い。烈風刀の助力のおかげだろうか、とレイシスは書き殴られた解答を目で追う。ざっと見た限りでは、正答率もなかなかのものだ。
「さすがにヤバいしなー。それに、烈風刀が『教科書をちゃんと読めば分かる』って言ってたし」
だからちょーっと頑張ってみた、と雷刀は力なく笑った。その顔には頭脳労働による疲労が色濃く出ているが、どこか達成感も見て取れた。自分一人で問題を解き明かし解答に辿りつくことが嬉しいのだろう。その感覚はレイシスにもよく分かる。パズルのピースがぴたりとはまるようなあの感覚は、勉強をしていて一番楽しく思う瞬間だ。
「でもさー、烈風刀全然褒めてくれねーの。『これくらいできて当たり前です』ってばっかり」
オニイチャン頑張ってるのにー、と彼は机に肘をつきため息を吐いた。確かに雷刀にしてはとても頑張っている。けれども、今回の原因は己が放置していたことによるものだ。頑張りを褒めることよりも、こうやってきちんと解くことができるのに何故今まで放置していたのだ、という怒りの方が強いのだろう。落ち込んでいるようにも見えるその姿に、レイシスはぐっと胸の前で拳を握った。
「じゃあ、ワタシが褒めマス!」
いきなりの言葉に、雷刀はぱちくりと目を瞬かせた。そんなことはかけらも期待していなかったらしく、驚いているようだ。そんな彼を気にすることなく、レイシスはえーっと、と頬に手を当て宙を見上げる。『褒める』と言ったはいいものの、どんな言葉で示せばいいのだろう。しばし目を閉じ考える。あ、と小さい声を漏らすと、彼女は嬉しそうに人差し指を立てて笑った。
「大変よくできマシタ!」
ニコニコと元気よく言う彼女の姿に、雷刀は小さくふきだした。はわ、とレイスは驚いたようにその顔を見つめた。何故笑われたのか分からないようだ。
「それ、全部終わってから言うことじゃね?」
「そうデスカ?」
じゃあ、とレイシスは立てたままの指をくるくると宙で回し再度考える。ふさわしい言葉はなんだろう、と脳の中に存在する言葉の引き出しをパタパタと開いていく。
「よく頑張ったデショウ?」
うぅん、と指を頬に付き、彼女は首を傾げる。これでいいのだろうか、という疑問が見て取れた。
その可愛らしい様子に雷刀は小さく微笑む。ああは言ったものの、彼女からの言葉ならどんなものでも嬉しかった。それが己だけに向けられたものなら尚更だ。
「ん、ありがと」
嬉しそうにはにかみ、雷刀は頑張るぞー、と大きく伸びをする。くるくると勢いよく回したシャープペンシルをしっかりと握り、彼は再びテキストに向かう。残るはいくつかの長文問題だ。今までの問題よりも複雑なそれは時間はかかるだろうが、彼女が応援してくれたのだ、頑張るしかない。その元気な様子にレイシスは安心したように微笑んだ。自分の言葉で彼が元気を取り戻したのが嬉しいようだ。
「あ、そだ」
ぱっと顔を上げ、雷刀はレイシスの顔を見る。彼女はきょとんとした顔で夕焼けに染まる彼を見ていた。手にしたペンを口元にあてた彼は、どこかいたずらめいた表情で桃色の瞳を見つめた。
「なー、レイシス」
「何デスカ?」
「もーっと頑張るからさ、今度の小テストで平均以上取れたらまた褒めてくれね?」
おねがい、と彼は笑った。レイシスもつられて小さく笑う。勉強嫌いの彼がそれだけのことでやる気を出すのだ。断る理由などない。レイシスはは胸の前で両手を握り、はいと元気よく頷いた。
「でも、『褒める』って何をすればいいデスカ? さっきの言葉ぐらいしか思いつきマセン」
うーん、とレイシスは頬に手を当て悩む。同じ言葉ばかりではだめだろう、というのが彼女の考えだ。そうだなぁ、と雷刀も顎にシャープペンシルを当て宙を見つめる。先程の言葉でも十分だが、また別のものの方が嬉しいのも事実である。何があるだろう、と彼も小さく唸った。
「――じゃ、頭撫でて」
「それでいいんデスカ?」
「それがいーなー」
そしたらちょーがんばる、と雷刀は手に持ったペンをステッキのようにくるりと回した。不思議そうな表情をしていたレイシスだが、彼の言葉に納得したのか花開くようにふわりと笑った。
「分かりマシタ!」
いっぱい撫でてあげマス、とレイシスは意気込む。やる気満々の彼女に、雷刀は照れるように笑った。
本当ならば抱きしめてほしい、あわよくば頬にでもキスをしてほしいなどと大胆なことを言いたかったのだが、さすがに『褒める』という枠から逸脱していた。まずは小さなことから。彼らしくもない奥手な考えだが、そうなってしまうほどに彼女のことが好きだった。そんなことは露知らず、レイシスはその姿を眺めていた。
「よーし、じゃあさっさと終わらすーぞ」
「頑張ってくだサイ」
応援しマス、とレイシスは言う。満ち溢れるやる気を示すように腕まくりをし、雷刀はおうと普段のように元気よく返事した。すぐさまシャープペンシルをを握りテキストに向かい合う。今ならどんなに難しい問題でも解ける、そんな気がした。
夕焼けの赤に染まる教室、その窓際からは二人分の影が伸びていた。
畳む
ひとり、ふたり、【ライレイ】
ひとり、ふたり、【ライレイ】pixivで非公開にしていたものをサルベージ。キャプションとか諸々全部当時のままです。
「PURオニイチャン引いたらライレイ書くからはよ来い」的なことを言ってたら1時間後に来てくれたので。ジェネ力万歳。でもコンプできてない。
ネメシスクルーについてはふんわりぼんやり捏造。
レイシスちゃんもオニイチャンもいるから弟はよ来い。
唸るような低い音と共に視界が白に染まる。世界を認識させないほどの光の洪水に飲み込まれ、息をすることすら困難に思えた。自我すら強烈なそれに掻き消されてしまうのではないか、と些末な不安が胸をよぎり、意識を塗り潰すような輝きに消し去られた。
どれほど経っただろう、暴力的なそれがようやく収束し、雷刀は小さく息を吐いた。ふわふわと宙に浮いたような感覚が消え、重力に従い緩やかに落ち地面へと着地する。カツン、とブーツが床を打つ固い音が呆然とした意識に響いた。
固く閉じていた目をゆっくりと開く。黒のバイザー越しに映る世界はサイバーなオレンジと光のような白で構成されていた。宙に浮くいくつものパネルを見るにシステム内の一角だろうか、と雷刀は視界を遮るそれを取り、辺りを見回す。ネメシスクルーとして作成された『嬬武器雷刀』にはどこか待機場所があるとインプットされている。しかし、あまりにも広いこの空間からそれを見つけ出すのは難しく思えた。どうしようか、と辺りを見回していると、カツンと硬質な音が鼓膜を震わせた。
「雷刀!」
果てが見えないほど広い空間に澄み切った美しい声が響いた。慣れ親しんだその声の方へと急いで身体を向ける。少し遠く、オレンジに染まる床にレイシス――ネメシスクルーである『レイシス』が立っていた。どうやら自分に先んじてクルーの任についていたようだ。ぱぁと顔を輝かせる彼女に応えるように小さく手を振る。レイシス、と少女の名を呼ぼうとして、雷刀の動きが止まった。
パタパタと地面を駆ける軽やかの音と共に、長いツインテールがふわりと揺れる。駆け寄ってきたレイシスは、そのまま雷刀の胸へと勢いよく飛び込んだ。いきなりのことに少しよろめくが、どうにか彼女を抱きとめる。どうしたのだと問おうにも、縋るように己の服を握り小さく震える姿を前にしては呆然とする他なかった。
「やっと……、やっと、来てくれたんデスネ……」
絞り出すように呟く声はか細く悲痛なものだった。雷刀の胸に額を押し付けるように俯いた状態のためその表情を見ることは叶わないが、桃色の可愛らしい瞳が涙で濡れていることは容易に想像できる。
「寂しかったデス……。ずっと、ずっとワタシ一人きりデ……、誰も来なクテ、怖クテ……」
うぅ、と嗚咽を漏らす姿はまるで親とはぐれてしまった子どものようだ。どうやら『レイシス』は随分と前にここに訪れたらしい。そして、今まで――つい数分前に『嬬武器雷刀』が加わるまで、彼女以外のネメシスクルーは存在しなかったようだ。こんな広い空間に一人きりで暮らすのはさぞかし辛かっただろう。雷刀は寂しげに声をあげるその頭をあやすようにゆっくりと撫でた。抱きとめた細い身体の震えが落ち着くまで、彼は腕の中の桜を静かに撫で続けた。
「…………すみマセン、取り乱しマシタ」
すん、とレイシスはバツが悪そうに小さく鼻をすする。まだ少し俯いたままのその頭を雷刀は再度撫でた。先程までの優しい手つきとは反対の、少し乱暴なものだ。ぐしゃぐしゃと髪をかき乱され、彼女は驚いたように小さく声をあげた。
「いーって。寂しかったんだろ?」
「寂しかったデス。何か月も、ずーっと一人ぼっちだったんデスヨ?」
レイシスはいじけたように雷刀を見上げた。己を励ますためと分かっていても、せっかく整えた髪を乱されたことを少し怒っているようだった。撫子の瞳から悲しみの色が薄れた様子に、雷刀は安堵したように小さく笑う。
「てことは、烈風刀はまだいないのかー」
「ハイ。…………今、手に入れようとしてるみたいデスネ」
何かを――恐らく多額の電子マネーをチャージしたことだ――感知したのか、レイシスは酷く苦い顔をした。『嬬武器雷刀』が来るまでかなりの期間と金銭がかかったのだ、『嬬武器烈風刀』の場合どうなるかなど考えなくても分かる。無理はしないでほしいデス、と暗い顔で零す彼女の姿に雷刀も気まずそうに視線を逸らした。大切な仲間なのだ、早く行動を共にしたいが入手手段を考えると強く主張することはできない。
ん、と雷刀は小さく首を傾げた。レイシス曰く『ずっと一人きり』だった。そして、ここには紅刃もニアとノアも、もちろん烈風刀もいない。つまり、現在この空間――ひいてはこの電子の世界には、自分とレイシスの二人きりではないか。そこまで考えて、雷刀は固まった。同時に彼女が自分の腕の中にいる――抱きつかれていることを強く認識し、ぶわと顔が赤く染まった。
「ま、まぁ、もうオレがいるからな! 心配すんなって!」
雷刀は慌てた様子で両手を離した。好いている女性に抱きつかれたまま過ごすほどの気概は目覚めたばかりの彼――その『元』となった嬬武器雷刀にはなかった。誤魔化すようにそのまま手を広げ、万歳をするように両腕を上げる。そんな彼の様子に気づくことなく、レイシスは嬉しそうに赤を見上げた。
「雷刀が来てくれて本当によかったデス」
ニコニコと笑うレイシスの姿に、雷刀も思わず笑みをこぼす。先程まで沈んでいた様子は消え去りいつも通りの元気な姿を見せたこともだが、レイシスが自分がいることを心の底から喜んでいるということが嬉しかった。けど、と雷刀はふと目を伏せる。それは彼女が今まで『一人きり』だったからこそ出てきた言葉なのだろう。きっと、来たのが紅刃でも、ニアとノアでも、もちろん烈風刀でも同じことを言ったであろう。そんな暗い考えが小さく胸を苛む。
けれども、今『レイシス』は『雷刀』だけを見てくれている。『雷刀』の存在を喜んでいる。それは紛れもない事実だ。ぐ、と淀むそれを押し込め、雷刀は再び笑った。陽の光を受け鮮やかに咲く花のような彼女にも負けない、力強い笑みだった。
「あ、雷刀が来たからワタシはしばらくお休みデスネ」
「えー、一緒に出撃できねーの?」
不満げな雷刀に、レイシスはシステムですから、と苦笑する。ネメシスクルーとしての役割としてそのことはしっかりとインプットされているが、それでも彼女と一緒にいたい。先程の痛ましい姿を見ては尚更だ。
「でもさー」
「ワタシだって、皆と一緒がいいデスヨ」
そう言う彼女は寂しげだ。それもそうだ、雷刀が出撃している間、彼女はまた一人きりになってしまうのだ。たとえそれが一時的なものであっても、長い間『一人きり』で過ごした彼女には辛く感じてしまうのだろう。その憂い顔を見て、雷刀は小さく顔をしかめた。
腕を伸ばし、レイシスの手を取る。そのまま手のひらと手のひらを合わせ指を絡めるようにぎゅっと握った。ハワ、と驚きの声を漏らす彼女と視線を合わせ、雷刀は満面の笑みを返した。
「じゃあ、出撃しない時はずっと一緒にいような! そしたら寂しくないだろ?」
レイシスに寂しい思いをさせてたまるか。雷刀の胸の内はそのことでいっぱいだった。『嬬武器雷刀』を元に作られた存在だとしても、自分が『レイシス』を好きなことに変わりはない。好きな人を悲しませるようなことなど絶対にしたくないのだ。
レイシスは依然驚いたようにその大きな目を大きく見開き、ぱちぱちと瞬きをした。それでも彼の思いはしっかりと伝わったのか、瞳に浮かぶ寂しげな色は消え、ふわりと幸せそうに破顔した。
「ハイ、一緒デス!」
「一緒、だな!」
にこやかに笑うその姿に、雷刀も嬉しそうに笑った。あぁ、やはり彼女には笑顔が一番似合う。彼女が心から笑う、それだけで幸せだ。
オレンジの空間に電子音が響く。なんだ、と辺りを見回すと、宙に大きなウィンドウが現れた。オレンジで構成されたそれには、『出撃』の二文字が画面いっぱいに表示されていた。
「出撃命令デスネ。ゲームが始まったみたいデス」
物珍しそうな顔でそれを見つめていた雷刀に、レイシスは簡単に説明をした。そうだ、己はゲームをナビゲートしバグらと戦うネメシスクルーとして作られたのだ。その仕事が回ってくるのは至極当然のことだ。
「んじゃ、初仕事といきますか」
繋いだ手を優しく解き、雷刀は片手を掲げる。静かに宙に現れた銀の筒を握ると、その先端から赤い光が伸びる。さながら剣のようだ。
「おぉ……かっけぇ……!」
「カッコイイデス!」
わぁ、と二人は感嘆の声を上げる。システムとしてインプットされていることとはいえ、初めて見るそれに驚いてしまうのは仕方のないことだろう。サッと握った手を軽く振り下ろす。初めて握るはずのそれは、幾年も共に戦ったように手に馴染んだ。これならば、皆を――レイシスを守ることができる。雷刀は手にしたそれを力強く握った。
「雷刀、いってらっしゃいデス」
彼を象徴するような色に輝く剣を手にしたその背に、レイシスは小さく手を振った。彼女の表情に暗い影はもうない。その様子に安堵し、雷刀は振り返りにこりと元気に笑った。見送る彼女を安心させるかのように 、剣を持たぬ手を大きく振り応えた。
「オニイチャンにまかせとけって♪」
いつもの台詞をその笑顔に投げかけ、雷刀は駆けだした。不敵に口角を上げ、前方を――向かうべき場所をしっかりと見据える。
さぁ、早く仕事を終わらせよう。
そして、彼女が待つ『ここ』に帰ってくるのだ。
オレンジと白で構成された空間を、燃えるような赤が切り裂いていった。
畳む
#ライレイ