No.77, No.76, No.75, No.74, No.73, No.72, No.71[7件]
昼寝は三〇分から一時間が効果的【プロ氷】
昼寝は三〇分から一時間が効果的【プロ氷】
診断メーカーのお題で書くつもりだったけど全然違う方向性にいったので別途書き上げたもの。どうせ違うなら、と趣味に突っ走った結果がこれだよ!
ちょっと強気な氷雪ちゃんと動揺しまくる識苑先生の話。
葵壱さんには「目をそらさないで」で始ま
おまけの蛇足
「目をそらさないでください」
彼女にしては――少なくとも学内での彼女を知る者にとっては――珍しい、強い口調で言われ、識苑は乾いた笑いを漏らした。夕焼け色の瞳は先程からずっと宙を泳いでおり、正面からじぃと見つめる水底色から必死に逃げていた。
「……識苑さん」
二人きりの時にのみ許される呼び名に、反射的に少女の方へと顔を向ける。今まで逃げてきた翡翠の瞳は、怒気と憂心で揺れていた。重くのしかかる罪悪感に、青年はいたずらがばれた子供のように俯く。無理矢理視線から逃げようとする稚拙な行動は、両頬を捉えた冷たい手によって阻まれた。血色が良いとはとても言えない顔を動かないよう固定し、氷雪は再び正面から識苑を見据えた。
「識苑さん、顔色が酷いですよ。昨日何時間寝ましたか?」
「……よ、四時間ぐらい」
「夜中から明け方までエスポワールさんのメンテナンスをしていたと、御本人から聞きました。それに、今日は一時間目に授業がありましたよね? 計算が合いませんよ」
平坦な声と鋭い視線が、全て知っている、と語っている。普段はあんまり会話しないのに何で今日に限って、と機械仕掛けの少女を恨むが、もうどうしようもない。そもそも、彼女の証言は事実であるのだから反論などできないのだ。
嘘ではない。日付を跨いで三時間寝て、メンテナンスを終えてから職員朝礼の直前まで一時間ほど寝たのだ。嘘は一つもついていないが、そう弁解したところで意味はないだろう。そもそも、元の睡眠時間が人よりずっと少ないのだ。日頃の不摂生も相まって、健康的とはとてもいえない状態であることは自覚している。心優しい彼女が心配するのも当たり前だろう。
「とにかく、少しだけでも寝ましょう?」
寝てください、と悲しみを湛え潤んだ瞳で乞われ、彼の中に『断る』という選択肢は無くなった。小さく首を縦に振ると、心痛で強く眇められた目からわずかに力が抜けた。
すべすべとした小さな手が、ごつごつとした大きな手を包み込むように握る。氷雪はそのまま休憩スペース――技術班である彼が根城としている物置兼作業部屋で、唯一片付けられた長ソファへと向かった。
目的の場所に着き、少女は逃さんとばかりに強く握りしめていた手を離す。そのまま、ソファの端に腰を下ろした。呆けた様子の夕焼け色の瞳を見上げて、雪色の少女は白い着物に包まれた自身の太腿をぽんぽんと叩いた。
「寝てください」
「えっ? あっ、え? 氷雪? あれ、でも――」
それって膝枕ってやつじゃないかなぁ、と識苑は胸の内で叫ぶ。
己のことを真剣に案じ尽くしてくれるのは、申し訳無さもあるが嬉しい。嬉しいけれども、まさか膝枕だなんて。初な少年のように、心臓がうるさいほど脈打つ。研究一筋でろくな恋愛経験をしてこなかった彼には、膝枕という甘いシチュエーションを体験したことなど一度たりともなかった。そんなものが唐突に降ってきて――それも、日頃はその類に消極的な彼女が自ら提案してくれたなどという現実を、働き詰めで疲弊した脳味噌が処理できるはずがない。頭を抱え、その場に蹲ってしまいそうになる。
「寝てください」
あまりの動揺に言葉に詰まる彼を見上げ、氷雪は再び有無を言わせぬ声で告げる。普段は控えめに話す彼女がここまで強く主張するのは、本当に珍しいことだ。それほど、恋人の身体を案じているのだということが分かる。
一切譲る気が無いその姿に、青年は軽く目を伏せる。わずかに覗く夕陽色は葛藤で強く揺れていた。寝なければならないのは分かる、けど膝枕は、いや嬉しいけど、でもこんなところで、というかだらしない寝顔を見られるのでは、でも軽く寝た方がいいのは本当だし、寝ないと心配させるし、膝枕だし。様々な思いが寝不足で思考力が鈍った脳内を駆け巡る。その全ては、己の名を呼ぶ涼やかな声と、真剣に見上げる浅海
色の瞳によって欠片すら残らず消し飛んだ。
小さく深呼吸する。感情の波荒ぶ心をどうにか落ち着け、識苑は少女の元へと一歩踏み出す。その動きは、長らくメンテナンスをしていない機械のようなギクシャクとしたものだ。
目の前まで手を引かれて連れられたのだから、足を二回動かしただけで目的地に辿り着く。ごくり、と大袈裟なまでに大きく息を呑み、青年はソファに膝をついて乗り上げる。普段ならば適当に脱ぎ捨てる校内用のスリッパは、無意識に揃えられていた。
髪留めと眼鏡を外して白衣のポケットに放り込み、相変わらずぎこちのない動きで固い座面に横向きに寝転がる。その頭は、少女の柔らかな足を避け、弾力を失ったクッション部分に直接乗せられた。
ぽすぽすと腿を叩く軽い音と不満げな視線に苛まれながら、悩みに悩んで十数秒。ようやく決心をした、識苑は軽く起き上がりのろのろと身体を動かす。失礼します、と妙にかしこまった言葉と共に、少女の太腿にそっと己の頭を乗せた。
着物の厚い布越し、氷雪の柔らかな腿が重みでわずかに沈む。乗っているのは人間、それも成人男性の頭だ。辛くはないだろうか、と少し首を動かし、琥珀が斜め上を見やる。同じタイミングでその色を覗き込んだ翡翠と視線が交わった。新雪のように清廉なかんばせには、雪解け芽吹く梅のような紅色がうっすらと浮かんでいた。
「あっ、あの……、どうでしょうか? 痛かったり、寒かったりしませんか?」
「うん、大丈夫。……温かくて、すっごく安心する」
先程までとは正反対、自信なさげに問うてくる少女に青年は穏やかな声で返す。心の底からの言葉だ。温良な響きに安堵したのか、小さく息を吐く気配がした。
雪女という種族故か、氷雪は人よりも体温が低い。それに加え、着物の生地は洋服よりも厚い。体温など、ろくに伝わらないはずだ。けれども、乗り上げた側頭部や首元からは、たしかに彼女の優しい温もりを感じた。先程まで緊張でがちがちに固まっていた識苑の身体から、ゆっくりと力が抜けていく。ここ数日作業し通しで、ごちゃごちゃになっていた頭がだんだんと落ち着いていく。無意識に漏れた吐息は、安らぎで満ちていた。
衣擦れの微かな音の後、寝転んだ身体に何かが掛かる感覚がする。何だろうと思うより先に、冷えてはいけませんから、と少女の声が降ってくる。おそらく、普段から身に着けている被衣を掛けてくれたのだろう。他人から顔を隠すように常に被っているそれを、己のために躊躇うことなく外し与えてくれる。その優しさに、何だか目頭が熱くなった。ぎゅうと強く目をつむり、識苑は溢れそうになる感情をどうにか塞き止めた。
「一時間経ったら起こしますから、ゆっくり寝てください」
穏やかな声と共に、氷雪は膝の上の彼にそっと触れる。小さな美しい手が、桃色の頭をゆっくりと撫でる。ろくに手入れされていない、結いっぱなしですっかりと癖がついてしまった長い髪を、細い指が優しく梳いていく。慈しむような手つきは、まるで子供を寝かしつける母親のものだ。自分はもういい年した大人だと分かっているが、今はその感触が酷く心地よかった。
「……うん、分かった。お願いします」
手から、身体から伝わる穏やかな温もりに、橙の瞳がとろりと溶けていく。自分が思っていたよりも身体は睡眠を求めていたらしい。こんな状態では氷雪が必死になるのも仕方のないことだ、と沈みゆく意識の中で反省した。
おやすみなさい、識苑さん。
眠りの淵、かすかに聞こえた愛しい声に、おやすみ、とどうにか返す。瞼が降りきる直前、澄んだ川底のような優しい色が映った。
大切なその色と音を抱え、識苑は温かな夢の世界へと身を委ねた。
畳む
書き出しと終わりまとめ01【SDVX】
書き出しと終わりまとめ01【SDVX】
あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめ。全部ボ。大体BL。
成分表示:ライレフ(塔死神)4/プロ氷1/オル+グレ1/はるグレ1
夢見巡り/ライ←レフ
あおいちさんには「また同じ夢を見た」で始まり、「俗に言う失恋というやつです」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。
また同じ夢を見た。
宝石みたいに丸くキラキラと輝く目が大きく見開かれ、澄んだその色が薄く光を失う。震える唇は疑問と否定を意味する音を奏で、己の心の臓を切り裂いていく。痛傷を押し込め必死で言葉を紡ごうとしたところで目が覚めるのだ、と少年は語った。
「ソレハ……、凄い夢、デスネ」
聞き終えた少女は、しばしの空白の後短い言葉を漏らした。
最近あまりにも顔色が悪いと半ば泣き落として聞き出した内容は、いつもハキハキと話す彼が何度もつかえるほど重く苦しいものだった。何においても絶対的に経験が少ない彼女には、その悲痛な物語にどう返せばいいのか全く分からない。結果、当たり障りのない――彼を救うことなどできない言葉を口にするのが、少女には精一杯だった。
そうですね、と全てを吐き終えた少年は、まるで他人事のように相槌を打つ。けれども、苦笑の形に歪んだ翡翠の瞳はどこか濁っているように見えた。
「それが毎晩、デスカ」
「毎晩ではありませんが、頻度は高いですね。途中で目が覚めるのも一緒です」
何度も何度も、同じ人物に己の言葉を否定され続ける。そんなの、辛いに決まっているではないか。そんなものを見続けていれば、顔色が悪くなるのは当たり前だろう。むしろ、今まで倒れずにいたのが不思議なほどだ。
こうなるまで気付くことが出来なかった、頼ってくれなかった悔しさに、少女の唇が歪む。大丈夫ですよ、と少年は慌てて言う。その声はどこか白々しく聞こえた。
「睡眠時間は人並みに取れていますから」
「こんなに顔色が悪いノニ、信用できマセンヨ」
どうやら彼はろくに鏡も見ていないようだ。不満気に頬を膨らます少女を眺め、少年は愛おしげに目を細める。その目元に薄っすらと黒が滲んでいるように見えたのは、気のせいではないはずだ。
でもコレッテ、と少女は呟く。言葉の内容を具体的には語っていなかったが、彼がここまで疲弊するほどの状況など限られたものだ。
驚愕、懐疑、否定。同じ反応を、友人に借りた漫画で見たことが何度もある。紙の中で生きるどのキャラクターも、彼のように痛苦に喘いでいた。
えぇ、と少年は薄く笑みを浮かべる。白い喉が奏でたのは、自嘲と諦観と悔恨とがぐちゃぐちゃに混ざった音だった。
「俗に言う失恋というやつです」
ずっと、ずーっと/プロ氷
葵壱さんには「明日はどこに行こうか」で始まり、「必要なのは勇気でした」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字程度)でお願いします。
「明日はどこ行こうか」
そう言って、識苑は屈んで隣を歩く少女の顔を覗き込む。その声はまるでプレゼントを前にした子供のように無邪気で弾んだものだ。
「明日……ですか?」
「うん。せっかく二日も休みが出来たんだし、いっぱい遊びたいなーって思ってさ」
突然の問いに氷雪は首を傾げる。一つ頷いて、青年は楽しげに言葉を続けた。
激務に追われる識苑と会う機会は決して多くない。せっかくの休日も、氷雪は食事や睡眠を疎かにする彼を休ませることを優先するので、二人で出かけることは少ない。そう思うのは自然だろう。顔に出さないが彼女も同じだ。
「あ、もしかして都合悪かった?」
笑顔が一転して気まずそうなものに変わる。ごめん、と眉の端を下げる姿に、氷雪は慌てて胸の前で大きく両手を振った。
「いっ、いえ。大丈夫です。……ただ」
俯き、彼女は口元を袖で隠す。雪のように白く澄んだ頬に淡い桃が広がった。
「明日、のことなんて、考えていなかったので……、驚いてしまって」
今日一日共に過ごしただけで、幸せで胸がいっぱいなのだ。もうこれ以上のことなんて欠片も考えていなかった。
それに、と呟くように言って、青年は珍しく少女から目を逸らす。夕日に照らされた横顔は空と同じ色に染まっていた。
「明日も氷雪と一緒にいたいなー……なんて」
だんだんと萎む声は、はっきりと少女の耳に届いた。丸い翡翠の瞳がぱちりと大きく瞬きする。数瞬後、雪色の肌がぶわりと赤く染まった。
「ごっ、ごめんね! いい歳してこんなこと言って! はしゃぎすぎだね! 恥ずかしいね!」
「……わたしも」
揺れる川底色の瞳が、夕日色の瞳を見据える。緊張に引き結ばれた小さな口が、ゆっくりと解けた。
「わたしも、識苑さんと――」
明日も、次のお休みも、その次のお休みも、ずっと、ずっと一緒にいたい。ささやかな願いを、震える唇で音にする。ただひとつ、必要なのは勇気だった。
遠い過去とあの日と今この時間/オル+グレ
あおいちさんには「あの日もこんなふうだった」で始まり、「世界は限りなく優しい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字程度)でお願いします。
あの日もこんなふうだった。
混じりけのない青の絵の具をそのまま塗りたくったような空を見上げ、グレイスは目を細める。水が揺れ跳ねる鈍い音が耳をくすぐった。天辺目指して走る太陽からはこれでもかというほど光が降り注ぐ。じりじりと焦がす熱気を忘れたように、少女はぼんやりと目の前に広がる青を眺めた。
ネメシスに受け入れられ、レイシスたちによって世界に再び戻って数日経ったある日のこと。桃色の髪を揺らして走る少女に手を引かれ訪れた時も、この海は同じ姿をしていた。
闇とバグしかなかったあの世界が、澄んだ青の海へと変わったのには酷く驚いた。数多のバグに埋め尽くされ、光など一筋も差さなかったあの場所が、こんなにも美しくなるなんて。先など見えない不気味な世界が、こんなにも広大で輝く風景になるなんて。無彩色の世界で生きてきた彼女にとって、広がる景色は未知の世界そのものだった。
グレイスに見てほしかったんデス、と優しく語る少女の声を覚えている。
貴方が生きてた世界ハ、実はこんなに素敵だったンデスヨ。
傾く陽の光を受け、穏やかな笑みを浮かべる少女を見て、鼻の奥が痛んだことも、視界が滲んだことも、胸が苦しくなったことも、覚えている。
ずっと昔に捨てられた、己がひとり生きてきた世界を肯定される。それはまるで自分のすべてを肯定されたようで、これ以上になく幸福だった。
ぽす、と軽い音と共に視界が陰る。思考が過去から現実に戻り、視線を上げると、そこにはオルトリンデがいた。
「ずっと日向にいると熱中症になるぞ。被っているといい」
どうやら帽子をくれたらしい。礼を言おうにも、素直に感情を表すのが苦手な少女はもごもごと口を動かすばかりだ。慣れている戦乙女は、気にすることなく広がる風景に視線を向けた。
「晴れてよかったな。皆楽しんでおる」
安堵にも似た声を漏らし、オルトリンデは見渡す。反り立つ青を滑る青年、砂浜に寝そべる女性とその背にオイルを塗る着ぐるみ、子供らにかき氷を振る舞う少女、髪を踊らせ剣舞を交わす剣士たち。皆思い思いに海を楽しんでいた。グレイスの何千倍も生きてきた彼女の声も、どこか弾んだものだ。直接は聞いていないが、彼女も世界を楽しめるような生を送っていないということは察している。初めての体験に、無意識にはしゃいでいるのだろう。
輝いてすら見える柘榴を見上げていると、ふとその色が躑躅に向けられる。気まずさに、グレイスは思わず目を逸らす。反し、オルトリンデは穏やかな瞳で少女の姿を眺めた。
「水着、似合っておるではないか」
「…………あ、りが……と」
必死に気持ちを音にするも、言い慣れない言葉に幼い声はどこか掠れたものになる。それでもしっかりと届いたようで、白の戦乙女は帽子越しに少女の頭を撫でた。
「子供扱いするんじゃないわよ」
「我にとっては皆子供のようなものよ」
あやすようにもう一度撫で、日に焼けていない白い手が少女の頭から降りる。海に入る前にちゃんと準備運動をするのだぞ、と残し、オルトリンデは砂浜を悠然と歩いていった。残された少女は、被せてくれた帽子のつばをきゅっと握る。日に照らされた白い布地はほんのりと温かかった。
「グレイス! こっち! こっちデスヨー!」
よく通る元気な声が己の名を呼ぶ。波打ち際、大きな浮き輪片手に勢いよく手を振る少女を見て、グレイスは頬を緩めた。今行くわ、と大声で返し、少女は焼けた砂浜を駆けた。
気にかけて、受け入れて、共に過ごしてくれる人がいる。
己という存在を受け入れてくれたこの世界は、限りなく優しい。
その後については黙秘させていただきます/ライレフ
あおいちさんには「今の状況を冷静に考えてみよう」で始まり、「笑顔が眩しかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字程度)でお願いします。
今の状況を冷静に考えてみよう。
目の前には愛しい弟の顔。寝転んだ己の身体、その胸には少し固い右手が添えられ、腹には細く見えるが同年代よりもずっと逞しい身体が乗っている。開いたしなやかな足は、跨がった人間の横腹を軽く締めつけている。空いている左手は、シーツに放り出された己の手を布地に縫いつけていた。
つまり、押し倒されている。
今自らが置かれている状況を努めて冷静に分析し、雷刀は内心頭を抱えた。何度考えても、結局そこに帰結する。そして、その理由は全く分からないでいた。
一体どうしてこうなった、と叫びたくなるが、己の喉はひく、と変な音をたてるばかりで本来の役割を果たそうとしない。そも、言葉を形作るはずの唇は引きつるばかりでろくに動かなかった。
「あ、の、えっと……、れふ、と?」
ようやく発した声は酷く間の抜けたものだった。訳の分からぬ恐怖で怯えた瞳が、逆光で少し見辛い瞳を見上げる。常ならば澄んだ海を思い起こす目は、どこかほの暗いように見えた。
「何ですか」
問いに返された問いは、酷く平坦な音色をしていた。溢れんばかりの怒気を抱いている時のそれに似ているようで違う、聞く者を凍り付かせるような声だ。恐怖すら覚えるそれに、雷刀は再び言葉に詰まる。何だと言われても、訊ねたいことは山ほどある。どれから問えばいいかすら分からない。
「……好奇心、とでもいいましょうか」
あまりに動揺した兄の姿に呆れたのか、烈風刀は溜め息一つ吐いて口を開いた。
「男性も胸部で性感を覚えることは分かっていますよね?」
皮肉めいた口調で問われ、雷刀は気まずげに小さく頷いた。そんなこと、目の前の身体ではっきりと理解している。本人もそうなのだろう、逆光で陰った頬に薄らと朱が浮かんだのが見えた。
「なので、貴方もそうなのか確かめようと思いまして」
「…………は?」
ようやく示された解に、朱い瞳が大きく見開かれる。先ほどまで引きつっていた口から間の抜けた音が漏れた。告げる声は冷静で理知的なものだが、形作った言葉は正反対の訳の分からないものだ。解は示されても、その途中式が全く分からない。脳内は疑問符が増えるばかりだった。
「……貴方も、もっと気持ちがいい方がいいでしょう」
いつも僕ばかり、と薄暗闇に浮かぶ翡翠が悔しげに眇められる。なるほど、与えられるばかりなことに引け目を感じているのか。やっと全ての式と解が分かり、雷刀は胸中でぽんと手を打つ。彼らしいといえば彼らしいが、気にしすぎだ。
「いや、今も十分きもちい――」
「ですが、個人差があるそうなので、一度試してみなければ分かりません」
否定の言葉は、妙に大きな声で掻き消された。きっとわざとだろう。
「どこかの誰かはいつも余裕を与えてくれませんから、確かめる機会なんてないのですよね。こうでもしなければ」
揶揄をたっぷり含んだ言葉と共に、胸につかれた手がシャツをゆっくりと撫でる。乱れた裾に辿り着くと、捲れた部分から熱を持った手が侵入してきた。
「大丈夫ですよ。全部僕がやりますから、雷刀は天井のシミでも数えていてください」
いや天井にシミなんてないんだけど、と思わず突っ込みそうになるが、目の前の表情を前に喉はおかしく震えるのがやっとだ。
普段見ることのない、情欲が浮かぶ歪な笑顔が恐ろしいほど眩しかった。
信じるものは巣食われる/ライ→レフ
あおいちさんには「淡い夢を見ていた」で始まり、「それだけで充分」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。
淡い夢を見ていた。
好きだと言い続ければ、きっといつか届く。そんな淡くて、浅はかで、馬鹿馬鹿しい夢を、この感情を自覚した時からずっと見ていた。
この二文字がただの誇大表現であり、意味の無い薄っぺらい言葉だと捉えられていると気付いた時には、全てが遅かった。きっと、抱えた想いを口にしなければこの認識は覆せないだろう。つまり、もう取り返しが付かないのだ。
それでも淡く消えゆく夢を必死に追いかけ続ける。愚直な己にはそれしかできなかった。
「れーふとっ」
何度も何度も呼んできた愛おしい名前と共に、雷刀は台所に立っている烈風刀に後ろから抱きつく。これは兄弟である自分だけの特権だ、と少年は密かに考える。兄弟だけの特権であり、家族としては普遍的な、特別な意味など持たない行為だ。それこそ、己が唱え続けてきた言葉と同じである。
「料理中に抱きつくのはやめなさいと何度も言っているでしょう」
「えー。でもさ、こうやって烈風刀が料理してるの見るの好きなんだよなー」
「見るだけなら隣からにしてください。火傷したらどうするのですか」
弟はすぐ後ろの朱を見やる。声は疎ましげなものであるが、言葉の内容は兄を思いやったものだ。素直に離れ、すぐ隣から彼の手元を覗く。鍋の中は赤で満たされ、野菜の甘く柔らかな香りが立ち上っていた。
「今日の晩飯、何?」
「パスタです。トマトがたくさん採れたので、ミートソースにしてみました」
そう言って、烈風刀は鍋に蓋をする。あとは煮込むだけなのだろう。コンロの火を弱めたのを確認して、雷刀はその腕に抱き付いた。抱き付かれた弟は何も言わない。いきなり抱き付かれても全く動じないほど、この行為は日常茶飯事になっていた。それが酷く幸せで、酷く苦しい。濁り渦巻く感情は欠片も見せず、兄はにこにこといつも通りの笑顔を浮かべた。
「烈風刀の料理、ちょーうめーし大好きなんだよなー。楽しみ」
「おだてても何も出ませんよ」
決して世辞などではないが、素直でない弟は悪態をつく。しかし、口元がわずかに綻んだのを見るに、内心では賛辞を受け取ってくれたのだろう。
「烈風刀、好き」
えへへー、とはにかみながら愛の言葉を告げると、はいはい、と呆れた声が返ってくる。いつも通りの一場面――きっとこの先も変わらない、家族の風景だ。
これ以上を求めるのは贅沢だ、と己に強く言い聞かせる。
こうやって、恋人のように触れ合って、愛を囁く真似事ができる。今はそれだけで充分だ。
貴方が欲しい/塔死神
葵壱さんには「目をそらさないで」で始まり、「明日はどこに行こうか」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。
「目をそらすな」
凍てつく低い声が神経を焼く。首筋に感じた微かな風に、反射的に宙で背を反らし回る。逆転する視界、己の頭があった位置に一閃が見えた。
ぐるんと縦に一回転して着地する。見上げた先には、忌々しげにこちらを睨む碧の姿があった。
「余所見だなんて、随分と余裕ですね」
舌打ちと共に、白い手袋で覆われた指が細い柄を回す。余所見などあり得ない、と一笑する前に、宙に浮く死神が身の丈以上ある鎌を再び構える。刹那、眼下の朱に向かってまっすぐ跳んだ。
昼の三日月を思わせる刃が、再び朱の首を狙う。リーチはとっくの昔に把握している。ギリギリ躱せる位置まで後方に跳んだ。無論、理解しているのは相手も同じだ。死神は獲物を逃し振り切った鎌を器用に回し、逆手に掴む。そのまま、目の前の腹を銀の柄の先が捉えた。臓物に直接響く痛みに、炎色の瞳が僅かに歪む。しかし、ある程度距離が詰まったのは僥倖だ。そのまま、目の前の頭目がけて握った槌を目一杯振った。
相手は突いた反動を活かし再び距離を取る。求めた感触が得られず、灼熱に似た瞳が眇められる。これで終わるつもりはない。振った槌の先を真横に倒し、反対取り付けられた歪な刃で白い胸を狙う。小さな火花と共に、金属がぶつかりあう高い音が響いた。
斬って、殴って、突いて、砕いて。燃える瞳で睨み合い、踊るように急所を狙う。求めるのは命だ――とはいっても、ヒトとは違うこの身体に、明確な命など無い。しかし、相手の生命活動もどきをこの手で握り潰すのは、脳髄が痺れるほど甘美なのだ。
この世界唯一の悦びが、欲しくて欲しくて仕方がない。だから、殺す。甦っても、殺す。幾度も繰り返すそれはある種の求愛かもしれない、などと宣えば、身体が十六割されるのだろうが。
ザク、と布が裂ける音。肉に刃が埋まった確かな感触に、口角が上がる。一気に距離を詰め、小回りの効かない鎌では防ぎきれない懐に潜り込む。そのまま、胸に刺さった刃を素早く引き抜き、思い切り振り上げた槌で目の前の顎を砕いた。骨の砕ける確かな感触と鈍い音に、歓喜が胸を満たす。溢るる欣喜を乗せて、歪な刃をその首に叩きつけた。
肉と骨の感触、何かが転がる音、数拍して金属が叩きつけられる高い音。無様に倒れ伏す碧を見て、悦喜が背筋を駆ける。五感から伝わる全てが、甘美な悦びを身体いっぱいにもたらした。
瞬きする間に、転がる死骸は風に攫われ消える。いつも見る、何度も経験した現象だ。そして、己たちのような存在がいつか甦ることの証である。
歪な笑みが浮かぶ。最高の感覚は今日手にした。けれど、たった一回で満足できるはずなどない。もちろん、あちらも殺されたままで黙っている訳がない。
憎くて、愛おしくて、忌々しくて、恋しくて、大好きで、大嫌いなあいつはいつ甦るのか。明日か、明後日か、もっと先か。早く会いたい、と恋する少女のように考える。
兎にも角にも、探さねば始まらない。さて、明日はどこに行こうか。
頭を抱えるまであと一〇分/はるグレ
あおいちさんには「たまには遠回りしてみようか」で始まり、「信じてもいいですか」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。
「……たまには遠回りしてみませんか」
突然の言葉に、グレイスは反射的に足を止めた。様々な物が詰められたビニール袋が音をたてた。
目を見開き、少女は声の主を見上げる。頭一つ分上にある金の瞳は、普段と変わらぬ様相だ。
「何よいきなり。今買い出しの途中でしょ」
レイシスを中心としたゲームの運営業務は、とにかく忙しい。作業の休憩や気分転換に、と作業室にはインスタント飲料や菓子類などが常備されていた。そのいくつかがもうすぐ切れると分かり、比較的手の空いていたグレイスと始果の二人で買い出しに来たのだった。
「まだ仕事残ってるのよ。さっさと帰るべきよ」
「でも、レイシス……? が、遅くなっても大丈夫だ、と言っていました。それと……、むしろ寄り道してきてください、って」
疑問符に塗れた言葉の末、首を傾げる始果を見て、グレイスは眉間に皺を寄せる。あの姉は妙なところで気を回してくるのだ。それも、変なところで生真面目な狐面の少年がその言葉を額面通りに捉え実行することまで見越してのことなのだから、腹立たしい。
彼女の好む菓子だけ先に食い尽くしてやろうか、などと小さな嫌がらせを考えていたところで、左手に温かなものが触れた。突然のそれに、少女の肩が小さく跳ねる。朱が浮かんだ顔を素早く上げ、熱の持ち主をキッと睨んだ。
「っ、ちょっと、何よ!」
「……はぐれたら大変ですから、手を繋ごうと」
「は? はぐれるわけないで……いや、あんたははぐれるわね」
常にふらふらと出歩くこの少年が、はぐれ一人になってもちゃんと戻ってこれるとは思えない。グレイスも、まだ土地勘があるとは言い難い。はぐれないよう手を繋いでおくのは効率的だろう。効率のためなのだ、と言い聞かせて、躑躅の少女は溜め息を吐いた。
「で? 寄り道するってどこ行くの? 道分かるの?」
「……えっと、この辺りの道に、鯛焼き屋……? というものがあると烈風刀? から聞きました。そこに行ってみませんか?」
疑問符が多用された答えに不安を覚えるが、件の店については心当たりがある。以前レイシスに連れて行かれた店だ。餡子もクリームもチョコも苺も全部美味しいんデスヨ、と一人で全種制覇する様には圧倒されたが、出された菓子は彼女の言葉通りとても美味だった。この口ぶりだと、彼は聞いただけで食べたことはまだないのだろう。一体どんな反応をするだろう、と少女は内心にまりと笑った。
「いいわ。案内して」
「……はい」
少女の尊大な言葉に、始果は薄い笑顔を浮かべてその小さな手を引く。カサリ、と二人分のビニール袋が軽い音をたてた。
一歩先を歩く少年を後ろから眺める。その足取りは相変わらずふらふらと頼りないものだ。
ああは言ったものの、この調子で本当に辿り着くのだろうか。一応、自分も場所を把握しているが、自分たち二人だけでも大丈夫なのだろうか。今更ながら、不安が胸の奥底から湧き上がる。
繋いだ手を眺め、少女は眉をひそめる。本当に、引かれるこの手を信じてもいいのだろうか。
畳む
いつかの海と夢【はるグレ】
いつかの海と夢【はるグレ】
あおいちさんには「海に向かって叫ぶ夢を見た」で始まり、「そう小さく呟いた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。
#書き出しと終わり
https://shindanmaker.com/801664
という診断結果見て書いたけど収まらなかったよということでこっちにぶん投げる。
はるグレどっちも危なっかしいよねって話。
海に向かって叫ぶ夢を見ました。
あの日、僕たちがいた場所がきれいな海になった日。
きみが、あの子に手を引かれて、光へと向かっていって。
突然、海が黒くなって、あの暗い世界に戻って。
皆、バグに飲まれて。
きみも、飲まれて、見えなくなって。
消えて、いなくなって。
そんなゆめをみました、と最後に一言呟いて、始果は再び口を閉じた。色を失った唇は、己が内から湧き出す何かをこらえるように固く引き結ばれていた。黒い手甲に包まれた腕が、その内に捕らえた細い身を力強く抱きしめる。普段ならば激しく抵抗するであろうグレイスは、息苦しさにわずかに眉をひそめただけで一言も発しない。
毎度のごとく突然背後に現れ、そのまま有無を言わさず引き寄せ抱き締められたのがほんの少し前のこと。驚き振り返った時、一瞬だけ見えた彼の顔は、深い痛苦に塗り潰され今にも泣きそうなほどに歪んでいた。あの始果が、普段は何を考えているのか全く分からない顔をしている京終始果が、である。彼のそんな表情など、名前を与えた時からずっと共にしている名付け親ですら見たことのないものだった。少年の身を恐ろしい何かが蝕んでいるということは、誰が見ても明らかだ。そんな人間を無理矢理引き剥がし突き放すほど、グレイスは冷酷ではない。
グレイス、グレイス、と始果は腕に捕らえた少女の名を呼ぶ。引き止めるような、縋るような、乞うような、酷く弱々しい悲しみに濡れた声だ。恋い慕う人の名を口にする度に、しなやかな両腕に力が込められる。包み込んだ華奢な身体を潰してしまいそうなほど強く、いとしいひとを己が胸に閉じ込めた。
見た目よりもずっと力のある少年に加減無しに抱き締められるのは、苦しさを通り越して痛みすら覚える。けれども、グレイスは何も言わず、彼が求めるがままにされていた。どんな言葉を投げかけても、今の彼には届かないだろう――何より、生まれてほんの少ししか経っていない彼女には、こんな状況で掛けるべき言葉など分からなかった。形の良い小さな唇が強く噛みしめられる。訳の分からない悔しさが、彼女の胸の内に渦巻いていた。
「…………すみません」
長い長い沈黙の後、呟くような謝罪と共に始果は腕に込めていた力をようやく緩める。強い拘束がわずかに解け、やっと普段通りに呼吸が出来るようになる。グレイスは気付かれぬように小さく安堵の息を吐いた。少し呼吸を整えて、首だけで振り返り、少女は頭一つ分上にある少年の顔を見る。山吹色の細い目は、相も変わらず不安と悲傷で揺れていた。
「いつも好き勝手にするくせに、何で謝るのよ」
「……すみません」
呆れを装った言葉で返すと、再び謝罪の声が降ってくる。抱き付いているほど近い距離だから何とか聞こえるような、彼らしくもない微かなものだった。これだけ弱りきった姿など初めてだ、と少女は再度考える。あの日――消滅を前提とした行動を命じた時でも、狐面の少年はほんの少し顔を歪めただけだったというのに、何故ただが夢でこんなにも苦しそうにしているのか。グレイスには全くもって分からない。けれども、分からないなりにも彼に寄り添いたいと思うのは、おかしいことではないはずだ。きっとそうだとどうにか結論づけ、躑躅色の少女は普段通りの勝ち気な音色であのねぇ、と溜め息にも似た言葉を吐いた。
「私がそんなにすぐ消えるような存在だと思ってるの?」
「はい」
間髪入れずに肯定の語を返され、グレイスは思わず言葉に詰まる。うぐ、と白く細い喉がおかしな音をたてた。きっぱりと否定してやりたいが、前科があるので強くは言えない。けれども、全てははるか昔に過ぎ去った、今はかけらも存在しない感情だ。それぐらい分かっているものだと思っていたのに、こいつは。小さな苛立ちと罪悪感を飲み込み、少女はどうにか己の胸の内を音へと形作っていく。
「……ここに居られるようになって、いつか見た夢のような今を手に入れて……、あんたもこうやって一緒に居てくれるのに、どっかに消えちゃうと思うの?」
暗く寂しいバグの海から、温かな、ずっとずっと求めていたネメシスに生きることを許されたのだ。ずっと行動を共にしていた皆――始果とも、これからを生きていけるのだ。自ら消えようだなんて馬鹿なこと、もう二度と考えるはずがない。
「大体、私がそんなに弱く見えるのかしら?」
マゼンタとシアンの瞳を眇め、グレイスは見上げた先の黄金色に不遜に問う。引き結ばれていた唇がわずかにほどけ、ふふ、と小さな笑い声がこぼれる。真一文字で固まっていたそこが、ほんの少しだけ緩やかな曲線を描いたように見えた。
「……そうですね。ここなら、もうきみがいなくなることなんてない、……ですよね」
一言一言噛みしめるように、始果は言葉を紡いでいく。そのまま少女の白い首筋に顔を埋め、猫が甘えるようにすりすりと頭を押しつけた。柔らかな髪と温かな呼気が肌を撫ぜるくすぐったさに、少女は小さく身じろぎをした。
「でも、グレイスは強くないですよ」
「うるさいわね」
率直な評価に、少女の形の良い眉が強く寄せられる。重力戦争では前線に立っていた彼女だが、バグを操ることを主としていたためか基礎的な力は見た目よりも弱いものだ。レイシスやオルトリンデはもちろん、始果と比べるならば尚更だ。けれども、それは比較対象がおかしいだけだ。そも、男はもちろん世界を担う少女と数千の時を生きた戦乙女と比べるなど、普通ならばあり得ないことである。
だから、と少年は言葉を続ける。その声には、先ほどまでの弱々しさはない。いつもと同じ、ふわふわとしているようで芯の通った、少し低いまっすぐな音だ。
「だから、僕がグレイスを守ります」
守りますから、ずっと一緒にいてくださいね。
問いにも、乞いにも、願いにも、誓いにも聞こえる言葉を紡いで、始果は未だ腕の中に閉じ込めたままだった少女の身を再び抱き締める。苦しいわよ、とグレイスは小さな手で少年の腕をぺちぺちと叩いた。先ほどまでよりずっと弱い力なのだから、苦しさなど無いに等しい。照れ隠しであることは明白だ。
少しして、腹に回された腕が緩み、少女の身体がようやく解放される。包み込んでいた温もりが遠ざかるわずかな寂しさを隠すようにくるりと振り返ると、そこにはどこか穏やかにも見える笑みを浮かべた――いつもと同じ、京終始果がいた。
「すみません、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。ほら、いつまで経ってもこんなとこにいないでさっさと帰るわよ」
「はい」
柔らかな返事と共に、グレイスの左手が温かなものに包まれる。真正面にいたはずの少年は、いつの間にか少女のすぐ隣に、そしてその小さな手を取った。当たり前のように繋がったそこを見て、躑躅色の少女の頬に紅葉の色が浮かぶ。振り返り緩く笑みを浮かべた少年は、そのまま寄宿舎の方へと歩み出した。優しい力に引かれ、グレイスもそっと歩み出す。躑躅色の髪がふわりとなびいた。
気恥ずかしさに、少女は繋がれた手から視線を上げる。深い緑の装束の上に一つに結われた長い黒髪が揺れる様と、形の良い頭に括り付けられた狐面を眺め、髪と同じ色をした瞳が苦しげに細められた。
妖狐の姿を持つ少年は、愛しい少女はすぐに消え去るような存在だと評した。それはこちらの台詞だ、とグレイスは言葉を飲み込んだ。
名付け親との記憶を失わないために、身を滅ぼすことを厭わずバグを取り込んでいた少年。愛する人のために、共に消失することを選んだ少年。己のことなどひとつも勘定に入れず、たった一人の少女のためにだけ行動する少年。危なっかしいなんてものではない。いつ消失してもおかしくないではないか、と見る者を不安にさせるような姿だ。
「――先にいなくなるのは、あんたじゃないの」
嗟嘆が色濃くにじむ瞳を歪ませ、少女は震える唇でそう小さく呟いた。
畳む
#はるグレ
色紙に密やかな願いを込めて【グラルリ】
色紙に密やかな願いを込めて【グラルリ】
公式の七夕絵がやばい……浴衣かわいいかよ……最高かよ……ありがとう公式……。
そんな感じの捏造マシマシグラルリ。ジータちゃんもいるよ。
Q.何で七月七日に投稿しなかったんですか?
A.ネタ思いついたのが八日の朝方だから。
サァと風が走り抜ける音に続いて、細い葉と色とりどりの紙が揺れる。星空を背に踊るその姿は、暗闇の中でもはっきりと映った。
空高く伸びる緑を見上げ、グランはほぅと小さく息を吐く。節が等間隔に並ぶ幹は随分と細いというのに、大木にも負けないほど力強くまっすぐに立っていた。手を広げるように生えた細長い葉の根元、茎の部分には札のような色紙がいくつも括り付けられている。鮮やかなそれには、様々な文字が踊っていた。
グラン率いる騎空団は、長い航行の休息を兼ねてこの島に停泊する事となった。入港手続きをしていると、受付をしている島民が愉快そうに語りかけてきた。曰く、今この島では年に一回の七夕祭――笹という植物に願い事を書いた紙を吊し、成就するよう祈る祭りをやっているとのことだ。せっかくの機会だ、皆で遊びに行こうではないか、と団員たちに提案したのが昼のこと。出店や見世物を楽しみ、夜の帳が降りた頃、グランたちは広場に立ち寄る。街一番の広さを誇るこの場所には、大きな笹が数え切れないほど並んでいた。その全てには色鮮やかな紙がいくつも結ばれており、若い緑の植物を彩っていた。
グラン、とはしゃぐ声が若き団長の名を呼ぶ。くるりと振り返ると、笹の間を駆けて抜けてくるルリアの姿があった。その細い身体は普段の白いワンピースではなく、ユカタヴィラという花の柄がいくつも散る衣装に包まれていた。せっかくのお祭りだから、と団に属するコルワが用意してくれたものだ。しっかりとグランたちの分まで用意してあったのはさすがと言うべきだろう。
からころと可愛らしい足音が少年の前で止まる。宵闇の中でもキラキラと輝く青の瞳が、鳶色を見上げた。
「ねぇ、グラン! グランはもう短冊を吊してきましたか?」
「まだだよ。これから」
そう言って、グランは少女の手元を見る。白く細い手には鮮やかな赤の色紙が握られていた。
「ルリアは何をお願いするの?」
少年の問いに、ルリアは細長い短冊の上下を持ち、帆を張るようにピンと伸ばす。薄い紙には、少女らしい丸っこい文字が綺麗に並んでいた。
「『皆元気に旅ができますように』です!」
楽しそうな笑みと共に語られた願いは、心優しい彼女らしいものだった。はにかむ愛らしい姿に、少年の頬が緩む。煉瓦色がふわりと弧を描く様子を見て、ルリアも楽しげにえへへと笑った。
「グランは何をお願いするんですか?」
好奇心たっぷりの声で問うて、蒼い瞳が少年の手元を覗きこむ。途端、グランの身体が大げさなほどに跳ねた。あわあわと慌てて、少年は手に握った短冊をぎゅうと抱きしめ、彼女の視線から無理矢理外した。不可解な行動に、小さな頭がこてんと傾く。緩く結われた蒼空色の髪がさらりと揺れた。
「グラン?」
「あ、あぁ、いや。ごめん、ちょっとびっくりしただけだよ。何でもない。何でもないよ」
あはははは、とグランは大きな笑い声をあげる。その音色は明らかに何かを誤魔化すもので、頬も妙に強ばっていた。もしかして見られたくなかったのだろうか。勝手に覗き込むなんて悪いことをしてしまった。己の過失に、少女の顔が曇る。蒼の視線がどんどんと足元に向かっていることに気付き、少年は慌てて抱えた短冊を離し、少女と同じように両の手で大きく広げて見せた。
「えっと、ほら! 『イスタルシアに辿りつけますように』だよ!」
大きな皺が浮かぶ短冊を少女の目の前に差し出す。少し癖のある字が、幼い頃から夢見ていた大きな願いをはっきりと形作っていた。ルリアの視線が再び上がったことを確認して、少年は柔らかな笑みを向ける。栗色の瞳が柔らかに細められた。
「もちろん、皆で元気に、ね」
「――はい! もちろんです!」
優しく語りかける少年に、ルリアも笑顔で答える。彼女の抱えた不安は綺麗に晴れ、満面の笑みが暗闇の中に咲いた。
「他のに埋もれちゃう前に吊るしてくるといいよ。ビィに頼んで一番高いところに結んでもらおう」
「そうですね。グランも一緒に行きましょう?」
「あー……、えっと……、ちょっと用事があるし、僕は後にするよ。先に行ってて」
ほら、と少年は形の良い蒼い頭を撫でる。少女は不思議そうに小さく首を傾げてつつも、はいと元気よく返事した。
ビィさーん、と大きな声で駆けていくルリアの背を見送って、グランは大きく溜息を吐いた。まだ幼さの残る顔に、安堵と疲労の色が色濃く浮かぶ。数え切れないほどの戦いをくぐり抜けてきた彼だが、今の表情は大きな戦いを終えた時よりもずっと疲れて見えた。
「へー」
真後ろから聞こえた声に、グランはびくりと飛び上がる。ひ、と悲鳴を飲み込み慌てて振り返ると、そこには双子の片割れであるジータがいた。お揃いの鳶色の瞳は細められ弧を描いており、口元は意地悪げに口角を上げていた。
「『イスタルシアに辿り着けますように』、ねぇ」
「……何だよ」
へー、ふーん、と意地の悪い笑みで眺めてくる兄弟に、グランは強く眉を寄せる。棘のある声など気にもかけず、ジータは片割れの手元へと素早く手を伸ばした。あっ、と少年は焦燥の声をあげるが、音が発せられた頃には手にしていたはずの短冊は少女の手の内にあった。
「あれれー? おかしいなー? 後ろにもう一枚紙があるよー?」
以前共闘した少年の口調を真似て、ジータはわざとらしく疑問を口にする。普段から剣を振るうしなやかな指がするりと紙の上を滑る。若草のような淡い緑で染まった紙の後ろ側から、海底のような深い青の紙が顔を覗かせた。
「っ、返せよ!」
血相を変え、グランは己の願いを込めた短冊を取り戻そうと、急いで少女が握る紙へと手を伸ばす。普段から鍛えた素早い動きでだったが、ジータは事も無げにひらりとかわす。先日、グランより先に修行を終え忍者のジョブを取得した彼女の動きは、まるで風のように軽やかで素早い。今のグランには捕まえられそうにない。ぐ、と少年の顔が悔しげに歪んだ。
「どうせ吊るすんだから隠す必要ないじゃない」
「吊るさないって!」
「吊るさないのにわざわざ書いたんだ?」
へー、と咎めるような鋭い視線から顔を逸らし、グランは腰帯に刺していたうちわを取り出し口元を隠す。意気地の無い片割れの様子に、少女は呆れを多大に込めた溜息を吐いた。
「こんなの書くぐらいなら、直接言ってくればいいじゃない」
「……言えたら、そんなものわざわざ書いてない」
「へたれ」
「うるさい」
辛辣な評価に薄く涙を浮かべた兄弟を見て、ジータははぁ、とわざとらしく嘆息する。ほんっとどっちもまどろっこしいんだから、という呟きは、笹の葉がさざめく音に消えた。
「で? これ、どうするの」
二色の短冊をトランプを広げるように持ち、ジータは薄い紙をひらひらと振る。詰問めいた尖った声に、グランは力なく視線を少女へと戻した。それでも直接見つめることは出来ないのか、鳶の瞳はわずかに逸らされている。
「…………持って帰る」
「捨てないんだ」
「ここで捨てたら他の人に見られるかもしれないだろ。部屋で燃やす」
長い沈黙の後に返ってきた答えに、ジータは上空を仰ぐ。そういう部分より先に気にかけることがあるだろう、と叫びたい気持ちをどうにか飲み込み、少女は手にした薄紙を元通りにぴったりと重ね合わせる。半ば投げやりに少年に突き出すと、剣胼胝がいくつも出来た指が力なく受け取った。二人の年若き団長の口は揃って真一文字に結ばれている。沈黙の中を、涼しげな夜風が通り過ぎた。
「あーもー、さっさと吊るしてきなさいよー。ルリア、待ってるわよ」
沈黙を破り、ジータは少年の背越しに蒼の少女を見やる。空に浮かぶ星のようにきらきらと輝く瞳は、青々とした笹の葉と鮮やかに揺れる短冊たちを見つめていた。少女の視線に気付いたのか、ルリアが大きく手を上げこちらに向かって振る。青と黄の花が散るユカタヴィラの袖がひらひらと揺れていた。ジータも赤い花で彩られた袖を揺らし、手を振り返した。
じゃーね、とそのままひらひらと手を振り、ジータはルリアの方へと歩き去る。金魚の尾のようにふわりと広がる帯が綺麗に結われた背を見送って、グランは視線を下ろす。深く息を吐き、今一度己の手元を見た。
すっかりくしゃくしゃになった短冊には『イスタルシアに辿り着けますように』と大きな文字で書かれている。薄緑に染まるそれを少しずらすと、下から深い青の薄紙が姿を現した。薄紙には、紙色に埋もれてしまいそうなほど細く薄い文字で『ルリアと一緒にいられますように』と、淡い恋心が綴られていた。
おまけ
満天の星空を隠してしまいそうなほどの緑を見上げ、ジータはほぅと感動の息を漏らす。木々が生い茂る森とはまた違う光景に、少女の視線は上空へと吸い込まれた。
紺碧と常磐の夜空を堪能し、ジータは上へと向けた首を元の角度に戻す。ぐるりと辺りを見回すと、多くの人の中に団員たちの姿を捉える。楽しげにはしゃぐ彼らを愛おしげに眺めて、少女は歩き出す。丸っこい下駄がからころと軽やかな音を奏でた。
人混みをすいすいと進む中、透き通る蒼髪が夜風にたなびくのが目に入る。宛もなく歩いていた少女の足が、見慣れたそれの方へと向いた。近づくと、爽やかな蒼の瞳は手元をじぃと見つめているのが分かる。集中しているのか、少女に気付く様子は無い。
「ルーリア」
とん、と細い肩を叩くと、名を呼ばれた少女はひゃあと大きな悲鳴をあげた。想像以上の反応に、ジータも小さく跳ねる。驚きに思わず大きく目を見開くと、恐る恐るといった風に悲鳴の主が振り返った。
「な、なんだ……ジータでしたか……」
「ごめんごめん、驚かせちゃったね」
安堵の溜め息を吐くルリアに、ジータは申し訳なさそうに謝罪する。ちょっとしたいたずらのつもりだったが、ここまで驚かせてしまうとは思わなかった。しゅんとする彼女の様子に、ルリアはわたわたと胸の前で大きく手を振った。
「大丈夫ですよ、ちょっと驚いちゃっただけです」
困ったように笑う彼女に、ごめんね、と今一度謝罪の言葉を唱える。気にしないでください、と手を振る彼女の手に握られた薄紙の存在に気付き、ジータはぱちりと瞬きをした。
「ルリアも短冊書いたの?」
「……は、い」
今この島で行われている七夕祭は、願い事を書いた短冊を笹に結わえるという行事だ。広場の片隅に何本も設置された笹の枝には、既に多くの短冊が吊され夜風を受けてひらめいていた。
好奇心旺盛なルリアは昼からはしゃいでいたが、夜となった今はどこか覇気がなく見えた。何かあったのだろうか、お腹でも痛いのだろうか、夜風で冷えたのだろうか、大丈夫だろうか。過保護な思考にジータの目が眇められる。少女の変化に気付き、ルリアは今一度大丈夫ですよ、と苦笑した。
「えっと、あの、短冊もらったんですけど……、字を間違えちゃって、どうしようかな、って……」
えへへ、と苦笑するルリアだが、その声も表情も普段よりずっと硬い。何か隠していることは、長い時を共に過ごしてきたジータでなくてもすぐに気付く。嘘を吐くのが苦手だというのに、彼女は余計な心配をかけまいと己の感情を無理矢理隠ししまいこんでしまう節がある。今回もそうなのだろう。
ルリア、と彼女が抱えているであろう淀みを溶かすように、ジータは優しく蒼い少女の名を呼ぶ。うぅ、と気まずげな呻りの後、青い瞳が鳶色のそれを見上げた。絶対、絶対秘密ですよ、と真剣に訴える彼女に、ジータは力強く頷く。何よりも誰よりも可愛らしい彼女との約束を破る訳など無かった。
安心したように、ルリアはぎゅうと握っていた短冊をそっとジータに差し出す。少し皺になった蒼空色の紙には、丸っこい字で少女の願いが綴られていた。
「え、っと、お願い事を書いたはいいんですけど……、はっ、恥ずかしくなっちゃって……」
だんだんと細くなる声に比例して、蒼の少女の頬が赤く色付いていく。羞恥に耐えられなくなったのか、少女はううう、と今一度唸った。
『これからもグランと一緒に旅できますように』と可愛らしい字が綴った願い事を読み、あー、とジータは音にならぬよう嘆息する。確かにこれは吊せない――人に、それも本人の目に触れる場所に飾ることなど、淡い恋心を宿したルリアにできるはずなどなかった。
どうしましょう、とルリアははわはわと焦った様子でジータを見上げる。大丈夫だよ、と蒼い瞳の端に浮かぶ涙を消すようにジータは小さな頭を撫でる。真ん中にぴょこりと立った蒼い髪が揺れた。
「字を間違えてちゃいました、って言って新しいのもらってこよう? こっちのは……、私が預かっておいた方がいいかな」
「はい……」
未だ赤が浮かぶ顔を伏せ、ルリアはか細い声で返事をする。自分が持っていては落としてしまうかもしれない、ということは彼女自身も分かっているようだった。うん、と頷き、ジータは温かな想いが描かれた短冊を懐の奥の方へ、絶対に落とさないようにしまいこむ。自室に帰ってから燃やして処分すればいいだろう。徹夜で自身の研究を行っている団員が多いのだから、夜中に火の元素を操っても怪しまれない。
「さ、行こう。あっちで配ってたはずだよ」
少女の細い手を取り、ジータは広場の一角を指差す。人が多く集まっている簡素な屋台の側には『七夕祭の短冊はこちら』と大きく書かれたのぼりが立っていた。
「はい!」
羞恥と不安に細められていた蒼穹を思わせる瞳が、ゆっくりと解けてふわりと弧を描く。抱えた不安は取り除けたようだ、とジータも安堵の笑みを浮かべる。早く行こう、とそのまま少女の手を引き、目的の場所まで歩みを進めた。
からころと下駄の音が二つ分響く中、ジータは思案する。さて、同じ想いを抱えた片割れはどうするのか。後で見にいってやろう、と密かに意地の悪い笑みを浮かべ、少女は夜の広場を歩んでいった。
畳む
雁字搦め【ライレフ/R-18】
雁字搦め【ライレフ/R-18】
解釈違いの自分を捩じ伏せて書いた趣味の塊でしかない文章。
つまぶきらいとくんがつまぶきれふとくんにひどいことするだけのはなし。
ぴちゃ、くちゅ、と日常ではあまり聞かない音が、静かな部屋に落ちては積もっていく。それに比例するように腹の奥に熱が生まれ広がっていく感覚に、寝転んだ背がふるりと震えた。わずかな恐怖と多大な渇求を乗せて、烈風刀は覆い被さる兄の袖に手を伸ばす。普段ならば皺になると気が咎めるが、今はそんなことを考える余裕などない。非日常めいた水音と粘膜から直に感じる他者の体温に、理性がガリガリと削れ失せていく。代わりに、獣めいた本能が冷静だと評される少年の頭を染めていった。
そっと忍び込み口内を蹂躙していった赤が、同じように静かに去っていく。追いかけ無意識に舌を伸ばすと、再び熱と熱が逢瀬を果たす。待ち望んだ刺激に、細い指が白いシャツをぎゅうと握った。ねだるように腕を引き寄せられ、雷刀もまた相手を求めるように唇を寄せる。触れ合い繋がった部分がより密着し、互いに更に奥深くへと潜り込んだ。
ぬめる赤たちが口内で踊る間に、硬さが目立ち始めた手が器用にネクタイを緩めシャツのボタンを外していく。はだけられたそこから覗く肌に、朱は恐々と触れた。重なるそこから伝わる温度に、烈風刀は小さく声を漏らす。体温は同じぐらいだというのに、今触れる彼のそれはずっと高いもののように思えた。火傷してしまいそうだ、と益体のないことを考える。そんなことはあり得ないと分かっているのに、どこかそれを望む己がいるように思えた。
直に伝わった音に気を良くしたのか、雷刀も小さく笑声をこぼす。潜り込ませた熱をざらりと擦り合わせ、歯の一本一本を確かめるようにゆっくりと沿っていき、上顎を愛しそうに突く。同じように、腹に乗った手がゆっくりと肌を伝っていく。脇腹をくすぐり、肋を超え、筋肉でわずかに盛り上がった胸へと手のひらで撫でゆく。そのまま、朱はその頂にそっと指を伸ばした。柔らかなそこに直に触れられ、烈風刀の身体がびくりと跳ねる。弟の様子などお構いなしに、兄はふにふにとしたそこに指を押しつけ、擦るように撫でる。先程までの壊れ物を扱うような手つきが嘘のような動きだ。捏ねるように擦り、くすぐるように円を描き、時折いたずらするかのように爪で掻く。じわじわと与えられる刺激に、柔らかだった粒はどんどんと硬さを増していった。主張し始めたそこを咎めるようにわずかに爪が立てられる。背筋を走る得も言われぬ感覚に、碧の背が大きくしなった。
胸部から広がる快楽と、口を塞がれ続ける酸素不足で頭の中がぐらぐらと揺れ始める。危機感を持った脳味噌が司令を出し、助けを求めるように掴んだシャツをぐいぐいと引いた。察したのか、朱はゆっくりと唇を離す。名残惜しそうに伸ばされたままの舌と舌が細い糸を紡いだ。
「っ、あっ、ぅあ、っ……」
酸素を取り込もうとした口が、意思に反して声をあげる。久しぶりに発した音は、己でも驚くほど甘ったるいものだった。快楽を如実に表したそれに、目の前の紅玉が嬉しそうに細められる。常ならば陽の光の下澄んできらめく紅の中には、どこか仄暗い明かりが灯っていた。あてられたかのように、潤む蒼の中にも炎が灯る。どちらも、内で盛る熱でとろりととろけていた。
指が離れ、今度は手のひらが心臓の真上の肌を包み込む。鍛えられた筋肉の上、健康的についた肉を、包み込んだそれが捏ねるようにやわやわと揉む。優しくも淫らな手つきに、烈風刀はまた小さな嬌声を漏らした。男のくせに女のような声を出すなんて。悦び媚びるような音を漏らすなんて。削れたはずの理性が咎め、羞恥を呼び起こす。苦しくなるほどのそれに従い、少年は咄嗟に空いている手の甲を口に押し付けた。声帯が震え奏でるいやらしい音を漏らすまいと、ぎゅうと目をつむり必死に押し当て塞ぐ。ガリ、と薄い肉に噛みついたところで、胸部に奉仕していた手が止まった。胸部を焼く熱が去り、ギシ、と男子高校生二人分の体重を受け止めたシングルベッドが悲鳴をあげる。頭の横のマットレスが沈む感覚に、碧が瞼の下からおそるおそる姿を現した。
「声、我慢すんなって言ってるだろ」
不服そうな声と共に、雷刀は口に押し当てた弟の腕を掴む。指が食い込みそうなほど手首をしっかりと握られている光景を見て、今の自分では振りほどくことなどできないと悟る。己の声を殺す手段を失い、烈風刀は不安そうに眉尻を下げた。
「だって、みっとも、ない、ですし」
「そんなことねーって」
逃げるように視線を逸らす碧の姿に、朱はむくれたように頬を膨らます。彼が口にした評価は、烈風刀の理性が評したものと正反対だ。この場で自身の判断を捨て相手の主張を信じられるほど、少年の中の羞恥心は薄いものではない。ちがう、と抗議する声はあまりにもかすかで、朱色の髪に隠れた形の良い耳に届かぬまま消えた。
「あぁもう、噛んじゃってるし。傷つくからダメだって言ってるだろー」
あーあ、と呆れたように雷刀は声を漏らす。そのまま掴んだ手首を引き寄せ、甲に浮かぶ赤い歯型をべろりと舐めた。肌を這うぬめった感触に、小さな口がまた媚びる音色を発する。聞かせたくないと反射的に口を塞ごうとするが、やはり掴まれた腕が動くことはなかった。
不機嫌さを表すように眇められた柘榴石が突然パチリと開く。弟の腕を強く掴んだ手から力が抜ける。そのまま捕らえていたそれを解放し、兄は目の前の首へと手を伸ばした。ひくりと動く喉の真横、先程解いた学園指定の青いネクタイを掴む。しゅるりとかすかな衣擦れの音の後、雷刀は引き抜いたそれを皺を伸ばすようにピンと張った。
一体何だ、と熱に潤む水宝玉が訝しげに紅玉髄を睨む。にぃと口端が歪に持ち上がる様を見て、欲に沈みつつあった頭が警鐘を鳴らす。逃げようと烈風刀が身を捩るより先に、つい先程までネクタイを握っていたはずの雷刀の手が素早く伸びる。どこか華奢にすら見える手首を片手でまとめて掴み、蒼髪の真上のシーツに押し付けた。そのままもう片方に握っていた青い布で、手首から腕の中頃までぐるぐるに巻き上げる。食い込みそうなほど強く締めたそれの真ん中に、いくつも固結びを作っていく。一体何だ、と碧は混乱に身じろぐが、がっちりとまとめ縛られた腕は動かすことすら困難だった。
「オニイチャンの言うことぜーんぜん聞かない悪い烈風刀にはー」
おしおき、ってやつ?
楽しげな声と共に、兄は可愛らしく小首を傾げる。発した言葉の凶悪さとの酷い落差に、弟の頭は思考することを一時的に停止した。困惑に開いたままの口から、間の抜けた声が漏れた。
たっぷり十数秒の沈黙。ようやく己が置かれた状況を理解したのか、組み敷かれた少年の顔がその頭髪よろしく真っ青に染まる。あまりの事態に、白い喉がおかしな音をあげた。
「なっ、何を馬鹿なことを言っているのですか! 早く外しなさい!」
「ダーメ。言っただろ? おしおき、って」
細められた緋の瞳は、声や表情とはまた別種の愉快さに輝いていた。こんなこといつの間に覚えたのだ。漫画の読みすぎだ。誰だそんな内容のもの貸したのは。強い危機感を覚えるこの状況から逃避するように、少年の頭の中には些末な疑問ばかりが浮かぶ。全ては再び腹に添えられた熱に霧散した。ひゃ、と驚きの声があがる。咄嗟に口を塞ごうとするが、でたらめに縛られた腕はびくともしなかった。
「ちょ、っと、雷刀!」
予想される行為に、烈風刀は静止を望む声をあげる。焦りが強く滲むそれを無視して、雷刀は再び白い肌に手を這わせた。
腹筋が薄く浮かぶ腹を撫で、柔らかな脇腹をなぞり、浮かぶ肋の段差をくすぐり、熱の塊のような手がまた心臓の真上に辿りつく。ゆっくりと曲げられた人差し指の腹が、芯を失った頂に乗せられる。そのまま、ぐにりと力任せに潰した。
「ッ――ひ、あっ、ぁ!」
直接的な鋭い刺激に、烈風刀は目を見開き声をあげた。組み敷かれた身体が跳ねる度、ギシギシとスプリングが抗議の音をたてる。そんなことなど露程も気にせず、胸部に乗り上げた手は覆ったそこを好き放題に弄くる。粘土でも弄ぶようにぐにぐにと押し潰し、勃ち上げるように二本の指で挟んで捏ね、きゅうと引っ張る。だんだんと強く主張しだしたそこを、今度は爪でかりかりと引っかき、痕を残さんばかりに強く突き立てる。痛みすら覚えるそれに、碧は困惑と焦燥の混じった嬌声をあげた。浅ましいそれを抑えようとするも、自由を奪われた手は込み上げる羞恥心を救うことなどできなかった。
「ぁ、あっ、やっ……嫌、だ、雷刀っ、外して――」
「おしおきって言っただろ」
懇願を切り捨てる声は、普段よりもずっと低い。ぞわり、と恐怖とよく分からない何かが混じったものが胸中を撫で、弟の身体が硬直する。その間に、兄の両の手が眼下の薄い胸に這わされた。
「ひッ……、あ、ぁっ、や、ぁっ…………ぅ、あ」
硬い筋が浮かぶ手が、薄くついた柔肉を揉む。指と指の間に粒を挟まれ、そのまま肉全体をぎゅうと掴まれると、理解したくない感覚が腹の底に火を灯した。どんどんと勢いを増していくそれに比例して、漏れる声も甘さを増していく。漏らすまいと唇を噛んで抑えようとするも、与えられる快楽が抵抗する力を全て奪っていった。口の端からだらだらと唾液が垂れていくのが分かる。肌を生温かい液体が伝っていくのは不快でしかないが、拭う術など今の彼は持ち合わせていなかった。
恥ずかしい。みっともない。はしたない。浅ましい。愚かだ。消え行きつつある理性が最後の叫びをあげる。それを押しのけて、本能がきもちいいと声高に主張した。こんな、こんな胸を揉まれるなんて、腕を縛り上げられるなんて、あまりにもおかしいことなのに、常識から逸脱した行為なのに、脳味噌は法悦の声をあげる。神経器官に叩きつけられる快楽を処理できず、烈風刀は喉はただただ艶めいた声を奏でた。
本能に従いつつある弟を愉快そうに見やり、兄はその胸部から手を離した。とろけた蒼玉がわずかに光を取り戻す。困惑と失望が交じるその色を一瞥し、雷刀は再び薄い腹に手を当てる。今度は逆方向、太腿の方へと焦らすようにゆっくりと這わせた。予測される行動に、碧は我に返り引きつった悲鳴を漏らした。嫌だと駄々をこねる子供のように幾度も呟くも、朱は手を止めることなどしない。そのまま、制服の青い下衣が寛げられた。太ももを合わせ必死に抗おうとするが、両足の間には既に兄の身体が座している。目的とは正反対、離れまいとするように腰に絡めるような形になってしまった。
ずるり、と、雷刀は下着ごと弟の下衣を全て剥ぎ取る。役目を放棄したそれを乱雑に投げ捨て、兄は胸につくほど腿を押し上げる。顕になった雄の証は既にゆるく勃ち上がっていた。己の身体の反応に、烈風刀は信じられないとばかりに首を横に振る。うそ、と呟いた言葉は彼の口の中で消えた。
「ぁ、あッ!?」
突如、己自身が異常なまでに熱を持つ。違う、これは内から発するものではない、と脳が否定する。いきなりの感覚に戸惑いつつ、烈風刀は己の下肢へと視線を下ろしていく。そこに見えたのは、鮮やかな赤だけだった。薄暗闇の中、ただ燃えるような緋色がふわりと揺れるばかりで、顔も何も見えない。理解が追いつかないまま呆然とそれを眺めていると、頭が動くのと同時に下半身に強い快楽が叩き込まれた。口で愛撫されているのだ、とようやく理解し、碧は普段ならば決して聞かせることのない高い悲鳴をあげた。
「やだっ、やだ、らいとっ! やめっ、ぅ……ぁ……っ、ゃ、だ!」
熱い口内から逃れようと必死に腰をひねるが、押し上げられた足ごとがしりと押さえつけられては動くことすら難しかった。普段ならばその頭を力いっぱい押し引き剥がすが、両腕を縛り上げられたこの状況ではそれが叶うはずなどなかった。やだ、とひたすらに抗議の声をあげるが、朱が動きを止めることはない。むしろ、じゅぷじゅぷとわざとらしくはしたない音をたてて行為を続けた。
少し前に互いに擦り合わせたあの赤が、今度は己自身を擦り上げている。そう考えて、腹の底に灯った炎が音をたてて燃え上がったのが分かった。熱くぬめったものが幹を撫で上げ、張り出した境目をぐるりとなぞる。裏筋を舌全体で舐め上げられ、脳味噌が感電したかのようにびりびりと痺れた。
「らいとっ、はなれ、……ぅ、あっ、ァ!」
意思に反して腰が跳ねる度、兄の喉奥へと自身を突き入れる形となってしまう。突き上げるタイミングに合わせてじゅうと強く吸われ、白い喉がのけ反る。細いそこから、快楽に溺れた音が奏でられた。
健康的に色付いた唇が、硬度を増していく竿を撫であげる。引き抜けそうなほど扱きあげ、喉奥限界まで呑み込み戻っていく。また先端まで吸い上げ、奥深くへと潜り込む。ゆっくりとした動きのはずなのに、伝達される快感は神経を焼き切ってしまいそうなほど鋭い。少年の口から漏れるのは、最早意味を成さない単音と飲み込みきれない唾液ばかりだ。
膨れ上がった頭を磨くように舐め回され、窪んだ箇所を尖らせた舌で抉られる。次々と叩き込まれる快感に、翡翠の目から大粒の涙がいくつも零れ落ちた。水が膜張る視界はぼやけ、映すものを歪ませる。滲む視界の中でも、朱は相変わらず頭を動かしていることは分かった。
腹の奥が熱い。内に燃え盛る炎が限界を主張し始めたのが、靄がかる意識の中でも分かる。奥底から昇ってくる何かに、断続的に怯えた高い声があがる。融けた翡翠が、逃げるように固く瞑られた。
途端、下肢から送られ続けた強い感覚が止まる。突然のそれに、唾液でしとどに濡れた唇からぇ、と困惑の音が零れた。吐き出そうとした熱が、来た道を戻りまた奥底でぐずぐずと燻る。何で、と物欲しげな問いが漏れ出るより先に、鋭い快感が髄を駆け上った。
「えっ、あッ、なっ……なに…………ぃ、ぁッ」
再び自身を這う舌の感覚に、烈風刀の声帯が戸惑いと悦びの混じった音を奏でる。高みに上り詰めかける度に兄は動きを止め、少し落ち着くと口淫を再開する。弟の好む場所を熟知した動きと、わざと気をやらせないよう焦らす行為に、拘束された少年は涙し嬌声をあげることしかできなかった。泣いて喚いて懇願しても終わることのないこの状態は、烈風刀にとって地獄と形容するのが相応しいものだ。
「ぅ…………あ、ぁ……?」
容赦なく絞り上げていた口の動きが少しばかり緩む。やっと終わったのか、という碧のわずかな希望は、内腿を這う手に粉々に砕かれた。つつ、と見た目よりも柔らかな腿を辿り、奥の奥、決して暴かれることなどないはずの秘めた場所に指がそっと添えられる。溢れた唾液と先走りでぬめる秘所を、節が浮き始めたそれが縁をなぞるように円を描く。まるで行為の始まり、熱塊が媚肉を割り開くべく狙いを定めるようなその動きに、少年の身体が端から端、爪先までぴぃんと硬直した。
「え、ァ……、ま、まって……、まって、くだ、さ……」
雄の場所を好き放題にされただけで狂ってしまいそうなほどきもちがいいのに、雌の役割を与えられつつある場所まで弄られるだなんて。それも、きっと二つ同時に容赦なく蹂躙されるだなんて。容易に想像できる未来に、引きつった口元から慄く音が零れる。多大な快楽を期待する色と過剰な快楽に恐怖する色が混ぜごぜになったそれは、兄の胸に潜む何かを煽るのに十分だったようだ。怯えぎこちなく首を横に振る弟など視界にすら入れず、朱は奥まったそこを暴くべく、押さえた片足を横に押し退けた。
「ひ、ぃ…………ぃ、あ、あ……ッ」
形を確かめるように外周をなぞっていた指が止まる。少しばかり太いそれがようやく狙いを定め、浅く沈んだ部分に宛てがわれた。二人の体液でたっぷりと濡れた孔穴に、つぷり、と淫らな音をたてて指が這入っていく。慣らし始め、ほんの浅い場所を擦られただけだというのに、烈風刀の背が弓のようにしなる。喉が奏でる音はもう意味など欠片も持たず、意思伝達に使うはずのその役割は、受容限界を超える快楽を逃がすためのものに塗り替えられつつあった。
秘めたる孔が、食いちぎらんばかりに侵入者を締めつける。脳味噌は快楽に恐怖しているというのに、淫肉は奥へと誘うようにひくついた。ぎゅうと拳を握る。怯えから逃れるため何かに縋ろうにも、頭の真上に縛られた手に届くものなど何も無い。心細さが胸を蝕む。縋るものがないだけで、こんなにも恐ろしいだなんて知りたくなかった。浅海色の瞳からぼろぼろと涙が零れては紅潮した肌を濡らした。
浅く挿し込まれた指がそっと引いていく。爪の中頃まで抜かれ、また奥へと進み第一関節まで埋め込む。指の腹が内壁を優しく撫でる度、甘い声が涙と同じくぽろぽろと零れる。抑え込む理性はとうの昔に消え失せ、残るのは肉欲に溺れつつある本能だけだ。己と同じ場所まで沈みつつある弟の姿に、兄は密かに笑みを漏らした。埋め込んだものはそのまま、未だ口腔に迎え入れられた昂ぶりを強く吸い上げられる。嬌声と涙が乱れたシーツの上に零れ落ちた。
ゆるゆると抜き差しされる指が、奥を目指してどんどんと歩みを進める。節の部分が、熱に潤む肉を耕すように侵入する。硬いものが内部を擦る感覚に、窄まりがきゅうと縮こまった。早く去ってくれと必死に願うも、身体は意思に反して侵入者を強く抱きしめる。その度に這入ったそれの形を意識してしまい、日に焼けていない体躯がびくびくと震えた。
「っ、ぅ、ぁ……ご、ごめ、な、さい…………ごめんな、さ、ぁっ……」
ごめんなさい、ごめんなさい、と、烈風刀はひたすらに謝罪の言葉を繰り返す。恥も外聞もなく涙を流し、必死に許しを乞うその表情はどこか幼く、反面嗜虐心を煽るような淫猥さがあった。
いいつけをまもらなかったぼくがわるい。らいとがおこるのはあたりまえだ。わるいことをしたのだからあやまらなければならない。快楽で朦朧とする頭が、理不尽な罰を受け入れる。ごめんなさい、と幾度も繰り返す声はとろけきっており、雄を誘うような音色に移り変わっていた。
舐め上げるかのように唇がゆっくりと幹を辿り、ちゅぽんとわざとらしく音をたてて欲の塊が口腔から抜け落ちる。ようやく熱から解放された安堵に、碧は浅い息を吐いた。許容限度を超える快楽を叩き込まれた身体が弛緩する。瞬間、内部に埋め込まれたものの存在を思い出し、肉洞が食むように収縮した。きゅうきゅうと甘え抱きしめる内部から、指が逃れ戻っていく。ずるりと引き抜かれ、甘美な痺れが腹の底を刺激した。
足を押しつけ割り開いていた手が離れる。しばしして、涙の跡がいくつも走る頬にそっと汗ばんだ手が触れる。水が張りぼやける視界の中、紅玉が藍玉を覗き込んでいるのが見えた。
「もう噛んだりしない?」
雷刀の問いに、烈風刀はこくこくと首肯する。ごめんなさい、と今一度謝る声に、兄は困ったように眉端を下げた。澄んだ雫が零れ続ける眦を、親指が優しく拭う。早く外してくれ、と強い訴えを乗せ、翠玉は覆い被さる朱を見上げる。浮かべる表情は穏やかだが、その瞳には未だ燃え盛る炎が宿っていた。
肉付きの薄い内腿を濡れた手が再び辿る。戸惑いの声があがるより先に、ぐにゅと柔らかな音をたてて隘路が割り開かれた。
「えっ、え、ゃ……、やっ、な、で」
「だから、おしおき」
混乱に陥る碧を見下ろし、朱は唇を舐める。心底愉快そうに口端を吊り上げる様は、肉食獣が獲物を見定めたそれに似ていた。
許す気など欠片も無いのだと悟り、組み敷かれた身体が恐怖に大きく震えた。どうにか逃れようと、烈風刀は必死に身を捩る。知らぬ間に更に奥へと潜り込んだ指が、宥めるように腹側の壁を押した。弱い箇所を直に刺激され、海に似た瞳が目いっぱいに見開かれる。悲鳴にも似た嬌声が薄暗い部屋に響いた。
「あッ、あっ! だっ、だ、め……、らいと、そこ、だめ、でっ……ぅ、ぁッ!」
神経を焼き切るような鋭い快感に、烈風刀はいやいやと首を横に振る。浅葱の髪が白いシーツの上に踊る様子はどこか淫らなものだ。脊髄を走り抜ける快楽から逃れようにも、既に足は取り押さえられており動くことは困難だった。何より、肉洞は奥深くを暴く侵入者を逃すまいというように強く締め付けていた。あまりにも浅ましい己の身体に、藍玉の埋まる目元から溢れる水量が増す。だめ、やだ、とほんのわずかに残った思考がうわ言のように否定の言葉を並べ立てる。聞き入れられることのないそれは、内壁を擦り上げる指に掻き消された。
「ぅあ、ッ……ら、いと…………ァ、らいと、らいとっ……!」
縋るように兄の名前を呼ぶ度、ぞくぞくと背筋を何かが撫でていく。彼こそが全ての元凶だというのに、暴力的なまでの快楽に翻弄され朦朧とした頭は愛する者に泣き縋ることしか選択できなかった。
もーちょい待って、と宥める声がぼやける意識に降ってくる。余裕ぶってはいるが、明らかに切羽詰った響きをしていた。己の欲望を押さえつける理性から獣の欲がにじむそれに、心のやわらかな部分がふるりと震える。らいと、らいと、と雛鳥のように囀る度、褒美とばかりに好む場所をとんとんと柔く突かれる。許容量以上に伝わる法悦を示す電気信号に、脳髄が痛いほど痺れる。思考力をガリガリと削り落としていくそれに、烈風刀は最早涙を流し喘ぐことしかできなかった。
浅い場所まで退いた指が増援を呼び、再び潤む肉を拓いていく。ばらばらに動くそれが、柔らかなうちがわを擦り耕す度、奥底に燻る熱が薪をくべた炎のように盛っていく。何かを求めて、腹の底がきゅうきゅうと甘い声をあげた。根本まで咥え込み、指では届かないほど奥へ誘うようにひくひくとうごめく。もっととねだるように食む様は、淫らの一言に尽きた。
ちゅぷり、と淫靡な音をたて、二人の侵入者が狭い洞から抜け出す。浅ましい肉孔が寂しげにはくはくと収縮するのが己でも分かった。羞恥する余裕もなく、はぁはぁと細く甘い吐息を漏らす碧を眺め、紅の目が苦しげに細められる。暗い色の奥に灯る火は、轟々と音をたてて燃え盛っていた。
小さな金属音の後、かすかな衣擦れの音が情欲の海に揺蕩う浅葱の意識を現実へと引き戻す。未だひくつく孔口に、熱く硬いものが触れた。疲弊し弛緩しきった烈風刀の身体が、いっそわざとらしいほど大きく跳ねる。ばくばくと懸命に動く心臓が、苦しさを覚えるほど一際大きく鼓動した。
本能がが待ちわびていた熱に、無意識に腰が揺れる。早く早く、と丁寧に耕されぷくりとした孔穴が、先走りで濡れた赤黒い先端に擦りつくように動く。その姿は淫乱と評するのが相応しいものだ。ぐぅ、と苦しげな唸りが聞こえる。食いしばる朱の口から漏れた音は、獣欲の支配に抗うものだ。淫情に濡れた藍晶が、ひとを保とうとする雄を見上げる。獣としての本能で濁る意識が、愛し人を示す響きを舌足らずに奏でる。幾度もつがいを求める声に、炎瑪瑙の中にかろうじて残るひととしての意識が消し飛ぶのが見えた。獣の唸りをあげ、雷刀は膝裏に挿し込んだ手に指の痕がつくほど力を込める。
ずちゅん、と重く粘ついた音をたて、熱塊が解れきった肉洞に突き立てられる。容赦なく内壁を擦り上げられる感覚に、少年の背が限界までしなった。
「――――ァ、ッあ、ぁッ!!」
本能が求め続けていた感覚に、烈風刀は高い法悦の声をあげた。感電したかのように目の前にバチバチと強い光が輝く。衝撃と共に、奥底に渦巻いていた熱が一気に迫り上がる。刹那、二人分の体液でてらてらとした肉茎から勢いよく欲望が吐き出された。熱杭が突き入れられる度びゅくびゅくと溢れ出るそれが、色情で薄く色付いた肌に濁った白を塗り重ねる。
雄の象徴が力任せに隘路を突き進む。ごりゅごりゅと加減無しに擦り上げられ、声帯が悦びの音を奏でた。うちがわから脊髄を砕くような快楽が際限なく与えられる。薄い肉に硬い腰骨がごつんと鈍い音をたてて打ち付けられる。腕を縛り上げるネクタイがギチギチと抗議の音をたてた。痛覚はとっくに麻痺し、その衝撃すら甘美なものとして脳に電気信号を送った。スプリングが軋む音、肉が打ちつける音、粘液が泡立つ音、欲に溺れきった悲鳴。淫らな重奏が薄暗い部屋に響く。
熟れた硬い先端が、烈風刀が好む箇所を幾度も抉る。弱点を容赦なく穿たれ、薄い身体が痙攣するように跳ねた。開きっぱなしの口から溢れる唾液と際限なく湧く涙が、上気した少年の顔を彩る。ぐちゃぐちゃと言って差し支えない面様は、この場においては酷く扇情的なものだった。頭の上に縛り上げられた腕が非日常感を演出し、組み敷く獣に眠る本能を煽る。
濃い妖艶な香りに誘われ、雷刀は艶めくその唇を覆うように噛みつく。ぬめる赤との邂逅に、海の底に似た青が愛おしそうに細められた。息をするのもやっとだというのに、再びの逢瀬に悦び、彼は舌を伸ばして相手を求める。普段ならば、つい先程まで己を咥えていたそれと再び合わさることはあまり好まないというのに、今ばかりは違った。溢れ送られてくる唾液は甘露のように美味で、もっとと求めるように自ら奥深くへと進む。口腔での邂逅の間も腰使いは止まらない。力任せに揺さぶられ、粘膜が擦れる度、合わさった箇所から甘ったるい音が漏れる。わずかなそれすら逃すまいと、朱は唇を殊更強く押しつけた。飲み込みきれない二人分の唾液がぐぷぐぷと淫猥な音をたてる。
酸素を補給せよと脳が司令を下したのか、ようやく唇が離れる。名残惜しげに繋がる糸は、下から突き上げる衝撃にすぐさま失せた。生きるために必要なものを取り込みたいのに、揺さぶられる身体は悦楽を拾うことを優先する。開かれたままの口から細かな甘奏が溢れた。
奥の奥まで潜り込んだ剛直が、こつこつと腹の底を突く。子宮を持つ女ならまだしも、男である己の内部に行き止まりなど存在しないはずだ。だというのに、熟れきった硬い先端が存在し得ない壁を突き破ろうと一心不乱に突き上げる。勢い良く奥まで突きこみ、抜け落ちてしまいそうなほど戻っていく。柔らかな洞を焼けた楔で耕す度に内壁が蹂躙され、快楽が脳を殴る。いっとう好む場所を強く擦り上げられ、悲鳴とほぼ同義の嬌声があがった。
不規則に明滅する小さな光が面積を増し、少年の思考が無彩色に塗り潰されていく。欲に溺れギラつく紅玉、獣めいた吐息、足に食い込む爪の感触、内部を抉る雄の形。果てが近い意識が、兄のことばかり認識する。熱い迸りを求め、情欲が燃え盛る腹の奥が疼いた。
「ぃっ、ぁ……あっ、あッ、ア――――」
あるはずのない最奥を熱杭が穿つ。腹を突き破られるような衝撃に、丸い翡翠が限界まで見開かれた。脳髄がバチと激しい音をたてる。神経全てを焼き切る悦びが身体中を駆け巡る感覚は、暴力と言って差し支えないものだった。欲望の証を咥え込んだ場所が、痙攣するように収縮する。意思でコントロールできないそれは、内部を蹂躙する兄自身を食いちぎらんばかりに抱き締めた。高みに昇り詰めたはずなのに、勃ち上がりきった雄は涙をこぼすことなく、ただびくびくと震えるばかり。代わりに、疼いていた腹の底が恭悦を叫んだ。
必死に抱きつく柔肉から逃れるように、雷刀は勢いよく腰を引き、抜け落ちる直前でまた突き上げナカを満たす。身体全てを揺さぶる衝撃に、碧の宝玉からぼろぼろと涙が溢れる。腕を厳重に拘束され、足を掴まれ固定され、何一つ抵抗できない獲物を獣が食らっていく。当初覚えた恐怖は既に消え失せ、どこか悦ぶ声が頭の片隅から聞こえた。芽生え始めたマゾヒスティックな快楽に、烈風刀は甘い鳴き声を何度もあげた。
ごつん、と骨と骨とがぶつかる音。一際大きく打ち付けられ、繋がった部分が限界まで密着する。肉が肉を叩く高い音に紛れ、ぁ、と朱のか細い声が部屋に落ちた。数拍の後、絶頂で未だ攣縮する内部に獣欲の迸りが勢いよく注ぎ込まれた。劣情で煮え滾った濁流が、指では届かない奥深くを舐めていく。身体の内から焼き尽くされるような感覚に、碧の背がぴぃんとまっすぐに伸びる。固結びにされたネクタイの悲鳴と、悲鳴になり損ねた歓喜の声が薄闇に溶けた。
おなかがあつい。うでがいたい。きもちいい。きもちいい。身体の奥深くまで埋める熱と悦が、痛覚が訴える信号を好むべきものだと塗り替えていく。異常でしかないというのに、快楽に支配された脳はそれを簡単に条件付けした。
ぜぇはぁと疲労が濃く浮かぶ息遣いの中、ひとのものとは思えない低い唸りが落ちる。溜まった涙が流れ落ち少しばかりクリアになった視界に、燃える赤が浮かぶ。荒い呼吸の中、組み敷いた深碧の瞳を紅緋が射抜く。眇められた赤の中、淫情が業火のように燃え盛るのが見えた。恐怖すら覚えるそれに碧は大きく震える。先程条件付けを終えたばかりの身体は、恐ろしさでなくこれから与えられる愉楽への期待で揺らめいた。
熱をたっぷりと受け止めた肉鞘が、さらなる糧を求めてひくひくとうごめく。淫欲の海へ誘う動きに、埋められた刃がびくりと反応した。大きな脈動と共に、己を貫く肉槍が更に肥大する。欲望を欲する場所が満たされる感覚に、烈風刀は無意識に笑みを浮かべた。涙を湛えた浅葱の瞳はとろりととろけ、同じ色の細い髪が汗ばむ肌に散り、浅く開いた口から真っ赤に熟れた舌が覗く。雄を惑わす蠱惑的な姿だった。
ギシリとスプリングが音をたてる。いくつもの染みができたシーツの海に、幸福に満ちた嬌声が落ちた。
そろりと手を伸ばし、雷刀は白の布越しに烈風刀の腹に触れる。布が肌に擦れる感覚にか、上から小さな笑い声が聞こえた。可愛らしい声がもっと聞きたくて、いたずらするように服の上から撫でる。くすぐったいです、と咎める楽しげな声が飛んできた。
音の方へ笑みを向け、そのままそろそろと手を下ろしていく。すぐに辿り着いたシャツの裾から、中へと潜り込んだ。撫であげるのと同期して、指定の制服も身体に沿って胸の方へと進んでいく。直接触られる感覚に、今度は堪えるような声が耳をくすぐった。
するすると衣擦れの音と共に、日に焼けていない白い肌が顕になる。肉の薄い腹、浅く小さな臍、淡く浮かぶ肋骨、そして平坦に見えて筋肉でわずかに盛り上がった胸。健康的、けれどどこか艶めかしい身体つきに、雷刀は赤い唇を舐める。組み敷いた弟がふるりと震えたのが手の平越しに分かった。
なだらかな丘を、壊れ物を扱うかのようにそっと撫でていく。節の見える指が頂に辿り着いた瞬間、怯えるように息を呑む音が聞こえた。鼻にかかった響きには、この先にあるものへの期待がはっきりと見てとれた。応えるように、触れたそこを指の腹で優しく撫でる。擦るように細かく動かすと、柔らかな粒がすぐに芯を持ち始める。その存在を持ち主に知らしめるように外周をなぞる。スプーンでコーヒーをかき混ぜるようにくるくると指を動かすと、薄い胸が小さく震えた。
赤い瞳が捲れ上がった白を辿り、上へと視線を移していく。いつも目にする綺麗な碧は瞼の下に身を潜めていた。ふ、と溢れ出そうな感情を堪える音が、懸命に閉じようとする唇から漏れる。我慢しなくてもいいと常々言っているが、意外と強情な彼はこうやっていつも湧き出る声を殺すのだ。見下ろす紅玉が不服そうに細められる。その口を開かせるべく、ぷくりと膨れた頂点を爪で軽く引っ掻いた。いきなりの強い刺激に、ひ、と甘さを含んだ小さな悲鳴が響く。期待通りの反応に、朱の唇がゆるく弧を描く。日頃見せる明るく朗らかなものとは正反対、暗く意地の悪い笑みだ。
ばっ、とシーツに投げ出されていた烈風刀の左手が素早く持ち上がる。そのまま、彼は手の甲で己の口を塞いだ。こうやって組み敷かれた時点で艶めいた声を漏らしてしまうことは分かっていただろうに、往生際の悪いことだ、と雷刀は内心嘆息する。けれども、この強情な弟の心を暴き、徹底的に乱すことを彼は無意識に楽しんでいた。
優しく引っ掻いていた尖りを、今度はぐにりと押し潰す。そのまま円を描くように捏ねると、薄い身体が幾度も跳ねた。塞がれた口元から熱い吐息が漏れ出すのが聞こえる。指先のそれを楽しげに弄んでいると、ガリ、と何かをかじるような音が鼓膜を震わせた。痛々しい響きに、朱の眉がピクリと動く。胸部に置いた手を離し、雷刀は持ち主の口を必死に塞ぐ腕を掴んだ。
「だーかーらー、噛むなって何回も言ってるだろー?」
不満げな声と共に、掴んだ腕を弟の口元から取り払う。くるりと裏返し当てていた甲の方を見ると、そこには並びのいい歯型が薄く浮かんでいた。はぁ、と呆れたように息を吐く。苛立ちの浮かぶ嘆息に怯えてか、瞼の下から丸い碧がおそるおそる姿を現した。紅玉髄が咎めるように孔雀石を見つめる。兄の鋭い視線に、烈風刀はぅ、と気まずげな声を漏らした。再び覗いた碧の目が不安げに泳ぐ。幾度も朱を見上げては逸らすその様子に、少年は小さく首をひねった。何か言いたげに見えるが、彼がここまで言い淀むことはあまりない。一体どうしたのだろうか、と眺めていると、ようやく翡翠が柘榴石を見据える。常ならば澄んで涼やかな色をしたそれは、既に熱で柔くとろけていた。
「あ、の」
小さく開いた口から響く声はか細い。あの、えっと、とつっかえるように何度も繰り返し、決心したように烈風刀は己の首元に手を伸ばす。綺麗に結ばれたネクタイを自ら解き、その片端をゆるく握った。
「あの、えっと…………く、癖とはいえ、また、悪い事をしてしまいましたし……」
おしおき、しますか?
甘さの漂う声が怯えるように問う。わずかに震える声音とは裏腹に、上目遣いに見上げ手にした青を差し出す姿は期待で満ちていた。
予想外の問いかけに、雷刀は目を見開く。あまりの驚愕に、覆い被さった身体がビシリと硬直した。投げかけられた言葉を頭の中で何度も何度も噛み砕き、飲み込み、反芻する。長い時間をかけて言葉の意図をしっかりと理解し、驚きに真一文字に結ばれていた口の端がにぃと醜く釣り上がった。一対の紅玉が鈍く光る。そこには、暗い欲望が姿を現し始めていた。
そーだなー、と間延びした声で悩むような言葉を紡ぐ。装った音は明らかな偽りで、心は既に決まっていた。うーん、とわざとらしく呟いた後、朱は多大な期待に揺れる碧にニコリと笑いかけた。非常に楽しそうなその表情は、普段の彼を知る者が見れば目を疑うであろうほど歪んでいた。
「そーだよなー。烈風刀はオニイチャンの言う事聞かない悪い子だもんなー。じゃあ、おしおきしないとな」
おしおき、の部分を殊更ゆっくり言うと、碧の瞳が嬉しそうに輝く。淡い願いが叶い歓喜するその頬はすっかりと上気していた。
差し出されたネクタイをしゅるりと取り上げ、雷刀は投げ出された弟の両腕を片手でまとめる。いつぞやは抵抗されたが、今回はあっさりと捕まった。協力的にすら見えたのはきっと気のせいではないだろう。そのまま海色の頭の上に軽く縫い付け、掴んだ両手首を深青の布でぐるぐると巻き上げる。幾重にも重なる青を彩るように、最後に固結びを一つ作る。ぎゅっと縛る音に、熱を孕んだ吐息がこぼれたのが聞こえた。自ら進んで罰を望み、被虐を期待する姿は淫らとしか表現できない。
早くと言わんばかりに身を捩る烈風刀の姿に、雷刀の胸の内に暗い欲求が湧き上がる。可愛い。虐めたい。愛しい。泣かせたい。愛でたい。抱き潰したい。正反対に見えて表裏一体の感情がぐらぐらと腹の底に煮える。被虐を望む碧に、朱の加虐心が強く刺激された。
は、と艶めいた吐息を漏らす口を見やる。薄闇の中、ちらつき輝く淫靡な赤に誘われ、朱は噛みつくように愛し人の唇に己のそれを合わせた。
畳む
+745【ジタ+サン】
+745【ジタ+サン】
息抜きに前から気になってたあれそれのネタ。ちょっとメタい。
タイトルでもう落ちてる感ある。
黒い雫が静かに黒の湖面を揺らす。抽出機の中身が空になったことを確認し、サンダルフォンは手にしたそれをシンクへと運ぶ。珈琲粉を処分し、使った器具を綺麗に洗い水切り籠に伏せた。人が来る前に拭いて片付けねばならないな、と考えて目をすがめる。珈琲一杯淹れるだけにいちいち共有部に来るのは手間であるが、ここでしか湯を沸かせないのだから仕方が無い。火の元素を扱える者は自室で淹れているらしいが、今の自分にそれができないということは彼自身が誰よりも理解していた。
冷める前にさっさと部屋に戻ろう、と青年はカップを手に踵を返す。廊下に繋がる扉まであと数歩というところで、厚い木の板越しにバタバタと騒がしい音が聞こえた。どんどんと近づいてくるそれに、サンダルフォンは眉をひそめた。この艇の人間は必要以上に人と関わろうとする。それをあまり好ましく思わないため常々人と会わぬよう避けて行動しているが、今回はどうにもタイミングが悪かったようだ。逃げようにも、台所の扉は目の前にある一つしかない。もう諦める他ない。
足音が止まると同時に、扉が開く音が響く。木製のそれの隙間から、ジータが顔を出した。
「あっ、サンダルフォン!」
どこか嬉しそうに青年の名を呼び、少女はそのまま小柄な身体を中に滑り込ませ静かに閉める。ただいまー、と呑気に言う彼女は、普段着ているワンピースではなく大きな襟が特徴的な魔道士風の衣装を身にまとっていた。依頼から帰ってきたばかりでまだ着替えていないのだろう。汚れが見当たらないのは外で軽く払ってきたのもあるだろうが、何より彼女の実力が確かなものであるという証だ。
「珈琲飲むの?」
夜空色の帽子を脱いだ少女が、サンダルフォンの手元を覗き込む。好きだねー、と感心にも問いにも似た音が小さな口からこぼれた。青年が珈琲を好んで飲んでいることは、彼が艇に乗ることになったその日から知っているはずだ。なのに、カップを持っているだけでいちいち反応するのだから煩わしい。赤き竜や蒼の少女といい、余計な世話ばかりかけてくる。青年の眉間にまた一つ皺が刻まれる。不機嫌であることが一目で分かる表情をしているというのに、少女は全く気にかけず返答を待つように深紅の目を見つめた。
「見れば分かるだろう」
「私の分はー?」
「無い。抽出機は既に片付けた。勝手に淹れればいい」
半ば無理矢理会話を切り上げ、青年が宛てがわれた部屋に戻ろうとする。足早に過ぎようとしたところで、ジータがあ、と何かひらめいたように声をあげた。この少女がろくなことを――少なくともサンダルフォンにとって、だ――思いついた試しがない。彼女が口を開く前に出ていこうと青年が一歩踏み出したところで、がしりと腕を掴まれた。見た目は幼く華奢な少女であるが、その力はそこらの大人よりもずっとある。数多の星晶獣と対峙し打ち勝ち、様々な属性と技を操る彼女は、この団の誰よりも強いのだ。顕現して日が浅く、まだ力が上手く扱えない青年を引き止めるぐらい、ジータにとっては至極簡単なことだ。
「あのね、サンダルフォンに食べてほしいものがあるんだ」
こっち、と少女は掴んだ腕を無理矢理引き、台所の奥へと足を動かす。こうなってしまってはもうどうしようもない。早々に諦め、青年は珈琲がこぼれぬよう大人しく彼女に引き連れられた。
ジータが足を止めたのは、共用の戸棚だった。その最下部、一番大きな開き戸を開けると、屈んで中を漁り始める。手を離された今逃げることは可能だが、あとが面倒くさいことは今までの経験ではっきりと知っている。大人しく従った方が早く済むだろう。緋色の瞳は屈んだ少女をぼんやりと映し出していた。
しばらくして、あったあったと嬉しそうな声があがり、少女は立ち上がる。そのままくるりと振り返り、サンダルフォンの目の前に大きな袋を差し出した。彼女が手にした透明な袋の中には、鮮やかな黄とオレンジが転がっていた。小さな丸いそれには、顔を模したような絵が描かれている。何だこれは、と紅の瞳が訝しげに細められる。これを見せることに一体何の意味があるのだろう。
「マカロンっていうんだ。甘くて珈琲に合うと思うの」
青年の声に出さぬ問いに答え、少女は片手で戸棚の皿を一枚取りだし傍らにある机に置いた。そのまま袋から菓子を取り出し次々と皿に並べていく。その量は茶請けにしては明らかに多い。彼女も共に食べるだろうとしても異常なものだ。白く大きな皿の上、山盛りになった菓子を見て、青年は顔をしかめる。鮮やかなそれが放つ甘い匂いで既に腹がいっぱいになりそうだった。
再び力強く腕を掴み、ジータはサンダルフォンを席に着かせる。未だ事態を理解していない様子をした彼の目の前に、どんと重い音をたてて皿が置かれた。少女が乱暴なのではない、純粋に皿が重いのだ。
「はい、召し上がれ」
向かいの席に座り、ジータは両肘をついて楽しげな表情で青年を見る。見つめるばかりで真っ白な手袋を外す様子はない。礼儀の正しい彼女は、食事をする際は必ず手袋といったものは外す。菓子に手を付ける気はないのだろう。
「……特異点は食べないのか?」
「うん。私が食べても意味ないもん」
「つまり、全て俺一人で食べろと?」
「そうだよ?」
ほら、と少女は青年の方へと皿を押しやる。早く食べろということだろう。その様子に、サンダルフォンは殊更強く眉を寄せた。勝手に呼ばれ、勝手に連れられ、勝手に差し出され、さぁ全て食えと無理矢理押しつけられる。特異点である彼女は度々無理を押しつけてくるが、今回はあまりにも勝手すぎる。不快感が胸の奥底からふつふつと湧き出てくるのが嫌でも分かった。
「何故俺がこんなに食わなければ――」
「食べて」
怒りを強くにじませた声を、はっきりとした声が切り捨てる。目の前に対峙した少女は相も変わらずニコニコと明るい笑みを浮かべているが、その声は冷え切ったものだ。こちらを見つめる鳶色は普段の温かみを完全に失っている。可愛らしい少女の姿にはあまりにも不釣り合いなそれに、黒鎧に包まれた背がぞくりと震えた。
「全部食べて。団長命令」
ね、とジータは小首を傾げる。有無を言わせぬ声音だった。戦いの最中、団長として仲間に指示を飛ばす時のそれと同じ音だ。あまりの気迫に――少なくとも、こんな場所で見るはずなどない様子に、青年は声を失った。
「……食べればいいんだろう」
「うん」
この様子では、少女が譲ることなどあり得ないだろう。恐怖で従うのではない、こんな少女に怯えることなどあり得ない、と言い聞かせ、サンダルフォンは山積みになった菓子へと手を伸ばした。さっさと食べきってしまおう、と小さなそれを丸々一個口に放り込む。途端口いっぱいに広がった味に、深紅の瞳が苦しそうに歪んだ。
甘い。あまりにも甘い。珈琲に入れる角砂糖をそのまま食べてしまったのではないかと錯覚するような甘さだ。少女は珈琲に合うと言っていたが、全く違う。珈琲に合うのでなく、珈琲で中和しなければ食べられない甘さだ。放つ香りから想像すべきだった。青年の顔からどんどんと色が失われていく。こんなものを、この皿いっぱい食べなければならないのか。
「六十九個、全部、残さず、ちゃーんと食べてね」
正面から送られる視線は、青年の様子を観察するものでなく、彼が言いつけ通り全て食べきるか監視するためのものだ。ただ菓子を食うだけのことではないか。たったそれだけだというのに、何故団長命令を下し、こんなにも強く迫ってくるのか。全く意味が分からない――そもそも、特異点の突飛な行動を理解できたことなど、ほぼ無いのだけれど。
一時的に身を置いているだけとはいえ、サンダルフォンはれっきとした団員だ。団長であるジータに、それこそ団長命令まで下されてしまっては逆らうことなどできない。彼に残された選択肢は、目の前の甘い菓子を胃に押し込むことだけだ。
「あ、珈琲のおかわり淹れる?」
「…………頼む」
問う声が楽しげに聞こえたのはきっと気のせいだろう。気のせいにしておこう。席を立ちぱたぱたと駆けていく少女の足音を背に、サンダルフォンはまた一つ菓子を口に放り込む。これ全て平らげるまでどれほどかかるのだろうか。考えるだけ無駄だ、と青年はカップの中身をあおり、口の中の甘ったるさを胃の腑に押し流した。
経験値を51405獲得!
Lvが15→45になった!
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書き出しと終わりまとめ2【SDVX】
書き出しと終わりまとめ2【SDVX】あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその2。全部ボ。CPごっちゃごちゃ。大体暗い。
毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。成分表示:プロ氷2/はるグレ1/レイ+ライレフ1/奈恋1/レイ+グレ1/ニア+ノア1/ハレルヤ組1/後輩組1
名前の後ろ/プロ→氷
あおいちさんには「それはまるで呪いのよう」で始まり、「当たり前は当たり前じゃなくなった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。
それはまるで呪いのようだ、と時折馬鹿馬鹿しいことを考える。
『先生』と己を示す度、呼ばれる度、胸が小さな痛みを訴える。こんなの気のせいだ、と何度も何度も言い聞かせてきた。それでも、この面倒臭い代物は叫び声をあげるのだから嫌になる。
これがバグか何かならなぁ、と、識苑は青空を眺めて漠然と思考する。自身の専門はハード面だが、ソフト面の知識も十二分にある。ちょっとしたバグなら簡単に処理できる。問題は、自分は機械でなく、生身の人間であることだ。
はぁ、と溜息一つ、青年は桃の髪を揺らし壁を蹴る。午後の授業の準備をするため、別棟にある技術室へ向かわねばならない。学内を移動するには、廊下を歩くより校舎の壁を伝っていく方が早い。
「あっ、先生」
聞き慣れた声に、青年は足を止める。少し高度を下げ、足元の開いた窓を覗くと、そこには見知った雪色と桜色がいた。
「こんにちは、氷雪ちゃん。桜子ちゃん」
「先生、こんにちはですの」
「こんにちは、識苑先生」
挨拶をすると、二人の生徒は礼儀正しく返す。普段ならば赤髪の少女も一緒にいるはずだが、今は姿が見えない。恐らく、昼休みに行われる委員会会議に出席しているのだろう。
「二人は移動教室かな?」
「はい。次の時間は、理科の実験があるので」
そう言って、氷雪は抱えていた教科書を識苑に見せる。理科実験室は、技術室と同じく特別教室棟にある。授業のある生徒は休み時間中に移動しなければならない。
「遠いから大変だよねー。先生も次の時間授業あるし、あっちの棟に行かなきゃ」
「いつもみたいに壁を走っていくんですの?」
首を傾げ問う桜子に、識苑はそうだよと軽く返す。ショートカットってやつだね、と言うと、桃と白の耳がぴこぴこと動く。輝く大きな瞳は好奇心で溢れていた。
「あの……先生。危なくはないのですか……?」
反して、隣に立つ白の少女の瞳は不安に揺れていた。傍から見れば綱一本で宙にぶら下がってる状態だ。心配するのも無理はない。
「大丈夫だよ。これ見た目よりずっと丈夫だし。それに、先生一応プロの高所作業員だからね。これぐらい余裕余裕」
「あっ、そう、でした……」
ロープを軽く引きつつ答えると、川底色の瞳に安堵が浮かぶ。しかし、それもすぐさま暗く陰った。俯く様を見るに、余計なことを聞いてしまった、と後悔しているのだろう。心優しい彼女らしい。それだけに、暗い顔をさせたくなかった。
「でも、慣れてるからー、って気を抜いてたら危ないもんね。注意するよ。ありがとう」
不安を吹き飛ばそうとにこやかに礼を言うと、白雪のかんばせがわずかに上がる。未だ自己嫌悪の情が見えるが、先程よりは明るい。よかった、と密かに安堵の溜息を吐いた。
あ、と桜子が声をあげる。釣られて向けた視線の先、別棟の外面に設置された時計は、予鈴手前の時刻で針が止まっていた。
「もうこんな時間ですの!?」
「本当だ。二人とも、もう行った方がいいね」
「そっ、そうですね」
失礼します、と少し慌てた声と礼が二人分重なる。微笑ましさに思わず頬が緩んだ。またねー、と手を振り、識苑は彼女らの背を見送る。
「まだ時間あるし、走んなくても大丈夫だよ」
「分かってますの!」
足早に別棟に向かう二人の背に声を投げかけると、元気な声が返ってくる。真面目な彼女たちに言うことではなかったな、と苦笑していると、真っ白な背がくるりと反転した。宝石のような瞳が、再びこちらを見る。人と話すのが苦手な氷雪だが、今は眼鏡のレンズの奥にある橙をまっすぐに見ていた。
「あの、先生もあまり急がず……、えっと、お気をつけください」
「……うん。ありがとう。気をつけるね!」
『先生』の四音を聞く度、言う度、心の奥底で何かが悲鳴をあげる。うるさいな、と煩わしいそれを握り潰し、識苑は再び笑顔を浮かべた。
「じゃあ、授業頑張ってねー」
「はい。失礼します」
再び礼儀正しく礼をして、氷雪は旧友の元へと向かう。草履がぱたぱたと音をたてた。
軽く壁を蹴り、識苑は校舎の窓から覗くことができない位置に移動する。そのまま、ぐいと首を反らして天を仰いだ。
雪色の少女の声を思い起こす。可憐な声が呼ぶ己の名の後ろには、必ず『先生』という呪いの言葉がついていた。
「……ほんっと、馬鹿馬鹿しい」
己と彼女は教師と生徒という関係なのだから、そう呼ぶのは当たり前だ。あの礼儀正しく真面目な少女が、教師を呼び捨てにするなんてあり得ない。分かっているのに、こんな当たり前のことで、馬鹿みたいに苦しくなる。いい歳してこれなのだから、本当に救いようがない。
はぁ、と重く息を吐く。こんなこと、当然で、至極自然で、当たり前のことだと思っていたのに。いつの間にか、当たり前は当たり前じゃなくなっていた。
躑躅に捧ぐ/はる→グレ
葵壱さんには「こんな世界は嫌いです」で始まり、「満足そうな顔で頷いた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。
こんな世界は嫌いだ、と始果は歯を強く噛みしめる。痛苦と憤怒で歪んだ口元から、ギリ、と嫌な音がした。
こんな、愛しい躑躅色が苦しむような、愛らしい少女が悲しむような、愛するグレイスが消滅を選ぶような世界なんて、好きになるわけなどない。こんな世界、存在する価値などない。彼女が破滅を望んだのだから、壊さねばならない。
少女の影響でどんどんと増殖していくバグを、細い体内に取り込んでいく。己の中に在る何かが力を増し、額に浮かぶ橙の瞳が強い光を放ちだした。身体を蝕む感覚に、夜空のような目が苦悶に歪む。記憶を維持するため日常的にバグを食らってきたが、今回の量は流石に己の限界値を超えているらしい。増幅する何かに食い殺されぬよう、少年は歯を食いしばる。たとえこの身が壊れようと、与えられた役目を果たせればそれでいい。生き残ったところで、グレイスが消滅した世界に意味などないのだから。
久方ぶりに現れた双尾がぶわりと毛立つ。ようやく邪魔者が訪れたようだ。髪と同じ色をした狐耳が忙しなく動き、敵を探る。隠れることなく進むそれは簡単に見つかった。
バグの海を泳ぐ無機質な機体を見下ろす。気配を探るかぎり、相手は一機のようだ。少なくとも五機存在することは確認済みだが、他にそれらしきものは全く感じない。彼女の計画通り、戦力を分散させることに成功したらしい。
意識を集中し、世界を漂う電子で得物を織る。力を振り絞り、この一帯を制圧できる数を生み出していく。いくらあちら側が研究に研究を重ねた機械であろうとも、全て当たれば無事では済まないだろう――もっとも、相手がそう簡単に散るような者でないことは、いくらか刃を交え理解しているが。
周囲に苦無と手裏剣を幾重にも展開し、刀と鎖鎌を握る。妙に手に馴染むそれを構え、少年は煌々と輝く金の目を伏せた。
さぁ、役者は揃った。あとは、あの子の願いを叶えるだけ。
最期の役目を今一度確認し、双尾の妖狐は満足そうな顔で頷いた。
同一の喜び、相違の楽しみ/ニア+ノア
あおいちさんには「昔読んだ本を思い出した」で始まり、「当たり前は当たり前じゃなくなった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。
昔読んだ本を思い出した。
白いステッキをぶんぶんと振り回し、己の名を呼びながらこちらに駆けてくる姉の姿を見て、ノアは記憶の隅に残っていた古びた本をめくる。子供向けのそれは、広大な海を自由に走る海賊たちを描いたものだ。詳しい内容は忘れてしまったが、嵐の中一致団結して突き進み、凶暴な獣が跋扈する宝島を探検し、時には悪い海賊たちと戦う。そんな冒険活劇を、姉妹二人で目を輝かせたことははっきりと覚えている。
そんな姉は、普段の星空模様の服ではなく、豪奢な衣装を身に纏っていた。
真っ白なセーラーブラウスに、鮮やかなライトグリーンの大ぶりなタイ。コルセットのついた真っ青なスカートからは、白のソックスと底の厚いブーツが覗いている。少女らしい衣装だ。
ポニーテールが揺れる小さな頭には、ずり落ちてしまいそうなほど大きな黒い帽子が被さっている。山のような形をしたそれの中央には、錨のマークが輝いていた。昔読んだ本、その表紙に描かれた海賊の大将も同じものを身に着けていたな、と先ほど掘り起こした記憶が語った。
「ノアちゃんすっごく似合ってる!」
「ニアちゃんもとっても似合ってるよー」
妹の姿を見て、ニアははしゃいだ様子で腕をばたつかせる。いつも通り元気な様を見て、ノアも楽しげに笑った。
「でも、ニアちゃんの方がかっこよくていいなー……。帽子、すごくかっこいいもん」
まあるい瞳が、己の身を見下ろす。基本的にはニアと同じデザインだが、妹に与えられたのは金の柄を持つ真っ赤な旗と、小さな王冠だ。先程思い出した本の印象もあって、姉の海賊らしい衣装が羨ましい。
「ノアちゃんもいいなー。王冠、ちっちゃくてキラキラして可愛いもん」
いいなー、と二人は互いの衣装を見比べる。自分が着ているものも素敵だが、ほんの少しの差が酷く羨ましく思えた。可愛いのもいいけれど、かっこいいのもいい。年頃の乙女の心は複雑なのだ。
「じゃあ、後で交換しよう! ニアも王冠つけてみたい!」
姉の提案に、妹はぱぁと目を輝かせる。双子であり、同じ体格の二人だからできることだ。うん、と大きく頷いて、二人の兎は満足そうに笑う。もうすぐ行われるジャケット撮影と、その後の衣装交換への期待に、少女らの胸は高鳴った。
姉妹同じだと信じて疑わず、昔からお揃いの服を着るのが当たり前だった。けれども、この世界に深く関わっていく内に、同一であると思っていた自分たちには多くの差異があると気付いてしまった。
別個であると分かってしまったのは悲しい。けれど、その差異を活かし、別々の服を着るのは楽しかった。服だけでない、髪留めやアクセサリーといった小物を互いに見つけあうのは、お洒落に敏感な年頃の乙女には楽しくて仕方がなかった。
今まで気づかなかった楽しみを知った青空色の兎は、今日もきゃらきゃらとはしゃぎ飛び回る。おんなじだという双子の当たり前は、当たり前ではなくなった。
照らすスポットライト/奈←恋
あおいちさんには「知らないふりをしていたんだ」で始まり、「想いを伝える術はなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。
ずっと知らないふりをしていた。
眩い舞台、その中央に座る友人を見つめる。七色の美しい瞳は涙で濡れ、華奢な手はナイフを持った少年の手に重ねられていた。物悲しい音楽を背に、二人は言葉を交わす。劇は終盤に近づいているようだ。
舞台が奏でる音は、客席にいる恋刃の耳には届かない。鮮血のように真っ赤な瞳は、スポットライトを浴びる二人の影を呆然と眺めていた。
学園祭の演劇に出るの、と人見知りの友人がはにかみながら話したのはいつだったか。練習に励む彼女を応援したのはいつからだったか。舞台袖で震えて出番を待つヒロインを鼓舞したのは何分前だったか。全てが遠い昔のことに感じる。そう錯覚するほど、目の前の光景は少女の心を強く揺さぶるものだった。
――私じゃ、あんな風になれない。
普段ならば、舞台に立つ少年の位置には自分がいる。いつだって奈奈の隣にいるのは恋刃だけで、その手を握るのも互いだけだ。けれども、今ステージに上がっているのは自分ではない。いつもの位置に自分はいない。なのに、これが当たり前の風景に見えた。
女の自分よりも、男である主人公の方が奈奈の隣にいるのが自然だ。恋刃でなく、別の男の方が奈奈にとって相応しい存在なのだと言われているようだった。
その認識は劇の役や演出によるものだ、ということは分かっている。けれども、紅の瞳に映る全ては、少女がずっと目を逸らしていたことを容赦なく突きつけた。
知らないふりをしていた。気付かないふりをしていた。分からないふりをしていた。
女である私があの位置にずっといることができないなんてこと、知らないままでいたかった。
ステージに立つヒロインの手から、真っ赤な林檎が落ちる。そのまま、二人の横を転がり舞台袖へと消えていくそれが、まるで己のように思えた。
目を逸らしてきた感情が胸の内で膨れ上がり、淀み渦巻く。行き場の無い苦しさに、恋刃は己の胸を強く押さえた。
こんな、こんなに醜く汚らしい、ずっと知らないふりをしてきた想いを誰かに伝える術などなかった。
ひとりとふたり/レイ+ライレフ
葵壱さんには「気付いてしまった」で始まり、「そっと目を閉じた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字程度)でお願いします。
気付いてしまったのはいつだっただろうか。
運営用のコンピュータが立ち並ぶデスクから少し離れた場所、一通りの書類や資料をまとめた棚の前で会話する二人を眺め、レイシスはそんなことを考える。
真剣な顔つきで話す双子は、共に運営業務を行う大切な仲間だ。この電子の世界ができてからずっと一緒にいる、レイシスにとって家族のような存在だだ。二人もそのように思ってくれているのか、よく自分のことを気にかけてくれる――そのことで喧嘩することがあるのは、悲しいのだけれど。
気質が正反対のためか、二人が言い争う姿は今も昔もよく見かける。級友やレイシスが仲裁に入ることもしばしばだ。かといって、決して兄弟仲が悪いわけではない。むしろ、とても良い方だろう。兄が弟を構い倒す姿は日常風景であり、弟が兄を案じ行動する姿も同じく当たり前の日常だ。
同じことを同時に口にしたり、いざという時は息がぴったりなのも、きっと互いのことをよく理解している故だ。言葉を交わすことなく相手の思考を瞬時に理解し素早く動く様は、『生まれた時から兄弟』と言うのがよく分かるものだ。
けれどもいつだったか、その雰囲気が変わっていることに気付いた。
普段の会話も、小さな言い争いも、どこか柔らかい。触れあう様も、案じる様も、兄弟という括りにしては優しくて甘いものだ。
あぁ、何か――関係がより深まることがあったのだな、と頭の隅で理解したことを覚えている。同時に、胸に小さく重い言葉が落ちてきたことも、それが未だに残っていることも、はっきり分かっている。
結局、自分はずっと他人のままなのだ。
どんなに近くにいても、家族のように触れあっても、『兄弟』という明確な血縁関係を持つ二人の中にレイシスは入れない。それ以上の何かになった二人ならば、尚更だ。そこに他人が挟まる余地などない。たとえ、彼らが強い好意を寄せてくれているとしても、だ。
羨ましい、と少女は眩しそうに目を細める。家族が、特別な相手がいるのが羨ましい。ナビゲートシステムである自分には手に入れられないものを持つ二人が羨ましい。
ワタシも血の繋がった家族だったらよかったのに。
抱える子供じみた嫉妬に呆れ、レイシスはそっと目を閉じた。
花咲く夜を共に/ハレルヤ組
あおいちさんには「去年の花火は綺麗だった」で始まり、「それでも世界は変わらなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。
「去年の花火も綺麗デシタケド、今年もとっても綺麗デシタネ!」
上機嫌な様子で、少女は手にした団扇をくるくると回す。今しがた終わった花火大会の興奮がまだ覚めやらないようだ。
「うん……キレイだったな……」
「そうですね……とても綺麗でした……」
少女を守るように挟んで歩く二人の少年は、肯定の言葉を返す。しかし、その声は震え湿り気を帯びたものだ。時折、鼻をすする音が聞こえる。顔を俯け、目元を抑える姿も見える。どこか挙動不審な兄弟の様子に、レイシスはこてんと首を傾げた。
「二人共、そんなに感動したンデスカ?」
「……うん。すっげー感動した」
「はい。美しすぎて言葉も出てきません」
双子は感極まったという様子で答える。ズ、と鼻をすする音と、ぅ、とえづく音が同時に響く。地域の小さい花火大会を見ての反応としては、いささか大袈裟だ。
それもそのはず。兄弟は花火に感動しているわけでない。『再びレイシスと花火を見ることができた』という、今この日に感涙しているのだ。
一緒に海に行こうと画策してはや数年。そちらの目標は未だ達成できていないものの、昨年はようやく『三人で花火を見る』ことができたのだ。
その場の勢いで来年も見に行こうと約束づけたのが、昨年の帰り道。そして、それをしっかりと覚えてくれていた少女は、今年も花火大会へ行きマショウ、と誘ってくれたのだ。あまりの喜びに、兄弟揃ってその場で崩れ落ち咽び泣きになったのは秘密だ。
そうして花火大会当日。浴衣と甚平に身を包んだ三人は、隣りあい思う存分夜空に咲く火の花を堪能したのだった。泣くほど喜ぶのも無理はない。
「来年もまた見たイデスネ」
ふふ、と団扇で口元を隠しながら、レイシスは弾んだ声で言う。『来年』という言葉に、兄弟の鼻奥が更に痛みを訴えた。
「はい。来年も、是非」
「ぜってー行きたい! 約束なっ!」
目元を袖口で拭う烈風刀と、一思いに鼻をすすった雷刀が、ようやくまともな声をあげる。調子が戻った様子に、少女はクスクスと笑う。目元に紅が残る少年らも、つられたように笑った。カランコロンと弾む軽やかな足音が三つ分、静かな帰り道に響く。
光の花で彩られた非日常な闇夜が、何もかを塗り潰すような日常の色へと戻っていく。それでも、三人を包む優しい世界は変わらない。
ゆるして/レイ+グレ
葵壱さんには「優しい彼女は夢を見る」で始まり、「また一から始めよう」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば11ツイート(1540字程度)でお願いします。
優しい彼女は夢を見る。それも、とびきり酷い悪夢を、何度も何度も繰り返す。
隣から聞こえる痛々しい呻き声に、レイシスは苦しげに目を細める。形のいい桃の眉が悔しげに寄せられる。可愛らしい唇は普段のように柔らかな弧を描かず、真一文字に結ばれていた。
重力戦争が終結してもうすぐ一年経つ。終結と共にネメシスに迎え入れられたグレイスは、もうすっかりこの温かな世界に馴染んでいた。
初めは補助されながら必死に行っていた運営業務も、今では一人でこなせるようになった。一年遅れのハンデがある勉学も、懸命な努力を重ねどんどんと成績を上げている。最初は拭いきれない警戒心で険しかった表情も、最近では柔らかになり、少しずつだが笑顔を見る機会が増えた。
躑躅の少女は日々成長し、電子の世界で元気に生きている。
その姿をすぐ隣で見てきたレイシスは、幸せで堪らなかった。生きたいと願い手を伸ばしてくれた少女が、今この世界で生を謳歌している。これ以上の幸せなどない。
そんな愛しい妹は、己の横で眠っている。深い夢の世界に溺れ沈むグレイスは、華奢な身を縮こまらせていた。苦しげな呻きと細い呼吸に混じり、かすかな嗚咽が聞こえる。固く閉じた少女の目から、漏れ出るように淡い涙が流れた。あまりにも痛ましい姿に、レイシスはぎゅうと掛け布団を握った。
優しい彼女は夢を見る。終わりを迎え、過ぎ去ったはずの闘いの日々の夢を見て、恐怖と罪悪感に押し潰されている。
この様子を初めて見たのは、グレイスがこちらに来て一ヶ月経った頃だったろうか。夜中にふと目が覚めると、隣に眠る小さな妹が苦悶の表情を浮かべていて酷く驚いたことを覚えている。
ごめんなさい。ゆるして。いやだ。きえたくない。いきたい。ごめんなさい。ごめんなさい。
呻きにも似た寝言は、あの闘いの日々が未だに彼女を苛んでいると如実に語っていた。
たしかに、市街を襲い、人々をバグで操り、世界を壊そうとした二年間をすぐに忘れることは難しいだろう。けれど、それらは全て無事に修復し終わり、既に元の姿を取り戻している。初めは『敵』だと警戒されていたが、今までは皆彼女を『仲間』として受け入れていた。もう、グレイスが苦しむ必要などないのだ。
だというのに、悪夢は度々少女を襲う。深く重いそれは、彼女の中から消えることのない罪の日々を突きつける。抵抗する術など無い少女は、痛みと苦しみに喘ぐことしかできない。
本当ならば起こしてしまいたい。この悪夢からすくいあげたい。けれど、それは逆効果だということは既に学んでいた。あの日、錯乱状態に陥り、一晩中震え泣きじゃくった彼女の姿を思い返すだけで、今でも胸が酷く痛む。今できるのは、暖かい毛布をかけ、溢れる涙を拭い、震える身を抱きしめてやることぐらいだ。
己の無力さに、少女は歯噛みする。皆を守ると誓ったのに、妹を悪夢から守ってやることすらできない。悔しくて、苦しくて、こちらまで泣きそうになる。けれども、一番辛いのは夢に溺れる彼女なのだ。泣くことなんて、少女自身が許さない。感情を抑え込むように、桜色の瞳が固く閉じられた。
ごめんなさい、と腕の中の少女が細い声で喘ぐ。閉じた目を開け、痛ましい音を奏でる度に溢れる涙を袖で拭い、レイシスは硬く縮こまった身体を優しく抱きしめた。ずっと温かな布団の中にいたはずなのに、その細い身は芯から冷え切っているように思えた。
涙を流す躑躅の額に、薔薇色は己のそれを合わせる。決して許されないと頑なに思い込んでいる妹へ向けて、姉は言い聞かせるように囁いた。
「……大丈夫デス。ミンナ、アナタのことを許してマスヨ。ミンナと一緒ニ、また一から始めマショウ」
空模様心模様/後輩組
葵壱さんには「永遠なんてない」で始まり、「明日はきっと元通り」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。
「永遠なんてないのは分かってるよ……」
「当たり前だろ。永遠に梅雨のままとかあり得ねーよ」
窓に片手をつけ、悲壮に満ちた表情で空を見上げ呟く瑠璃紺を横目に、魂は疎ましげな声で吐き捨てる。よく磨かれ透き通るガラスの向こう側は、空を埋め尽くしていた真っ黒な雲が薄れ、色の薄い空と穏やかな光が顔を覗かせていた。
梅雨入りしてもう随分と経った今日は、雨に世界を支配されていた。降る勢いはそれほど激しくないが、傘を差さねば外を出歩くことは難しく、地面は水で薄く覆われ歩きにくい程度には面倒だ。中途半端に高い気温と相まって、不快指数は上がるばかり。ただでさえ気が滅入るというのに、雨の日は性格が豹変する友人が一日中騒がしいのだから嫌になる。腐れ縁と称するのが相応しいほど長く共にいるのだから彼の奇行には慣れているが、うるさいことには変わりない。憂鬱になるのも仕方のないことだ。はぁ、と重い溜め息とともに、二色一対の目が不機嫌そうに細まった。
「でも、ずっと雨の方が楽しいでしょ?」
「楽しいのは冷音だけでしょ……」
必死に同意を求めようとする少年の言葉を、眠たげな声が切り捨てる。壁にもたれかかり眠っていた灯色がようやく目を覚ましたようだ。まだ半分瞼が降りたままの目には、眠気だけでなく呆れも見えた。
友人らの指摘に、冷音は押し黙る。反論できずに俯く彼の表情は、群青の髪で隠れ見ることは叶わない。けれど、その瞳が悲しみで伏せられていることぐらい、容易に想像できる。うぅ、と小さな唸り声が、悲しげに歪んだ口から漏れ出た。
「もう梅雨明け近いんだし、さっさと諦めろよ」
「分かってるよ。……でも、雨の日が減るのは悲しいよ」
投げやりな言葉に、冷音は唇を尖らせる。もう子供ではないのだから、永遠に雨が続くわけがないことぐらい承知だ。それでも、雲が消えるほど晴れ渡る日々が待つ夏に向かうのは、雨を愛する少年にとっては憂鬱でしかない。
嫌だなぁ、と未練がましい声が、雨音の消えた部屋に落ちる。毎年のことだ、反応しても意味は無い。悲痛な声を漏らす友人を無視し、魂は口に含んだ飴玉を噛む。溶けて小さくなった砂糖の塊が砕ける音が骨を伝って聞こえた。
まるで悲劇のヒロインのように窓ガラスに手を付け空を見上げる友人を尻目に、灯色は立ち上がることなく魂の方へとぺたぺたと這っていく。曰く、キーボードを叩く音は心地良よく、よく眠ることができるから聞いていたいらしい。今回は、晴天で湿った呟きから逃げる意図もあるのだろう。
友人の邪魔にならないよう、少年は彼が作業している机のいくつか隣、コンピューターが置かれていない簡素な机の下に潜り込む。眠たげな目をゆっくりと瞬かせ、少年は再び冷たい床に身体を横たわらせた。
ずっとモニタと向かい合う中、二色の瞳がちらりと横目で窓辺を見やる。晴れ渡る空と街を切り取ったガラスの真下には、深い群青の塊があった。胸を蝕む悲哀が頂点に達し、半ば鬱状態になった冷音だ。えっぐえっぐ、と大げさな泣き声が、タイプ音と機械類の駆動音が支配する部屋の床に落ちて消えた。
「……ほんと、懲りないよね」
寝転がっていた胡桃色がもぞりと動き、同じく窓辺へと顔を見ける。眠気でふわふわとした声には、呆れを通り越して関心すら見えた。
「いつもああだよ。構ってもしょーがねーし、落ち着くまでほっとくのが一番」
「魂が言うと説得力あるね……」
「当たり前だろ。何年付き合わされてると思ってんだ」
呑気な声に、うんざりとした声が返される。モニタの青白い明かりに照らされた顔は、英数字が踊る液晶画面を見つめたままだ。
互いに『腐れ縁』と称する程度に共に過ごしてきたのだ。雨色の彼のことなど、嫌というほど理解している。雨雲が消え、晴れた直後の冷音が湿っぽくて非常に面倒臭いことなど、魂の中では当たり前の知識だ。その対処法も、誰よりも分かっている。
大体さぁ、と心底辟易した声を漏らし、少年はパーカーのポケットに放り込んでいた携帯端末を取り出す。小型のそれを片手で器用に操り、地面に寝転がったままの灯色の眼前に突きだす。手のひらサイズの画面に映し出された文字列を見て、眠たげな少年の口から、うわぁ、と小さな声が漏れた。
青白く光るそれの中、開かれたページには、大きな傘のマークと降水確率示す数字があった。午前と午後に分かれたその欄には、どちらも九〇パーセントという高い数字が赤字で刻まれていた。ご丁寧に『傘を忘れずに!』とほぼ意味のない注意書きまで添えられている。
どこか沈んだ灯色の声に、魂も同じ調子で溜め息をつく。すぐに来るであろう明日をことを考えて、疲労が蓄積された頭が鈍い痛みを訴える。色鮮やかな眼鏡を外し眉間を揉みながら、少年は嘆息するように重苦しい声を漏らした。
「明日にはきっと元通りだ……」
音の数と意味の数/プロ氷
葵壱さんには「たった5文字が言えなかった」で始まり、「月が綺麗ですね」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。
たった五文字が言えないことに、氷雪は酷く罪悪感を覚えていた。
愛する人は、夕陽のようなまあるい瞳を柔らかに細め、愛しさに満ち溢れた五文字を幾度も与えてくれる。だというのに、己は羞恥に固まってしまうか、動揺でろくに言葉を発せなくなるだけで、応えられた試しがない。与えられるばかりで何も返せない罪悪感と、いつまで経っても慣れない不甲斐なさに、少女の心は押し潰されるばかりだ。
自分よりもずっと大人な彼は、気にしなくていい、見てるだけで十分伝わってくる、と言ってくれる。その優しさに甘えてしまっている自分が、嫌でたまらなかった。与えられた愛を同じぐらい伝えたいのに、羞恥心を言い訳にする身勝手さに、胸の奥がじくじくと痛む。苦しくて、悔しくてたまらなかった。
低い声が奏でる五文字を聞くだけで、少女の心は喜びと温かさでいっぱいになる。きっと、識苑もそうだ。己の言葉で彼の心をほんの少しでも満たせれば、と考え、氷雪は嘆息する。そう考えて、もう随分と経つのに、未だに上手くいかないのだから不甲斐ない。桜色の唇から、今一度深い溜め息がこぼれた。
「氷雪ちゃん?」
落ち着いた調子の声が、己の名前を紡ぐ。軽く屈み、わざわざ視線を合わせてこちらを覗き込む識苑に気づき、氷雪の意識が現実へと引き戻される。心配そうに下がった眉を見て、胸に小さな痛みが走る。どうに平常を装い、少女は急いで笑みを浮かべた。
「い、いえ。ちょっと、考え事をしていて」
「……そっか」
無理に作った硬い笑顔と言葉に、識苑は普段通りの笑みを浮かべる。聡い彼から見れば己の姿は明らかに不自然だろうに、追求しないのは優しさによるものだろう。また迷惑をかけてしまった、と、少女は学生鞄の持ち手をぎゅうと握った。草履と安全靴が奏でる足音が、宵闇に溶けていく。
帰宅しようと下駄箱に向かう途中、たまたま出会ったのが陽が地平線へと沈みゆく頃。気分転換したいし寄宿舎まで散歩しようかな、と二人で玄関を出て、今に至る。本来ならば、学園に隣接して作られたそこにはすぐに着くのだが、二人の足は自然と遠回りになる道を選んでいた。
人通りが少ないここには、氷雪と識苑の二人しかいない。久々の二人きりの時間なのに、暗い考えに思考が傾いてしまう自分に嫌悪感が募っていくばかりだ。
姿勢を正し、識苑は伸びをするように後ろで手を組み、空を見上げる。陽光が薄く残る空には、点のような星が姿を表していた。
「テスト近いしねー。課題とか増えるし、色々考えることあって大変でしょ?」
「そうですね。けれど、桜子さんや恋刃さんが教えてくれるので、いつもより不安は少ないです」
「そっか。良い友達を持ったね」
穏やかな言葉に、少女は、はい、と嬉しそうに返す。ようやく見せた明るい表情に、青年はつられるように笑みを浮かべた。
事実、試験前に催している勉強会のおかげで、成績は少しずつ上がっていた。学力の向上はもちろんだが、何より『友達と一緒に勉強会をする』ということが、氷雪にとってはとても嬉しいことだった。
そういえば、と勉強会中の会話を思い出す。現代文の課題を一通りこなし、一度休憩した時、桜子がうっとりとした表情で語った話だ。それは確証のない作り話だ、とすぐさま恋刃に切り捨てられていたが、ロマンチックなそれは氷雪の頭の隅に残っていた。
真似するように、少女も夜空を見上げる。太陽と入れ替わりに姿を表した黄金色を見上げ、白い少女はこくりと息を呑んだ。
「あ、の……、識苑先生」
少し掠れた声で、愛する名前を口にする。なぁに、と落ち着く優しい声が耳をくすぐった。
静かに深呼吸をし、少女はぐいと顔を上げる。雪とすれ違いに咲く梅の色に染まった顔が、月色の瞳を見上げた。
呼ばれた青年はおどけるように小さく首を傾げる。しかし、その目は引っ込み思案な恋人の言葉をしっかりと受け止めようとする真摯なものだ。
震える唇を叱咤し、雪色は拙く舌を動かす。どうか聡明な彼に伝わりますように、と祈りながら、五音と同義の九音を紡いだ。
「つっ、月が、綺麗です……、ね」
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