グランブルーファンタジー[6件]
現の幻想【グラユス】
現の幻想【グラユス】
ハロウィンユーステスの台詞からフェイトから何から何まですごくてつらい。アビフェイトの破壊力がすごすぎてしんどい……。公式の供給すさまじすぎてつらい……。ありがとうサイゲ……。ハッピーハロウィン(遺言)
ネタバレしかない。
家々を渡るように架けられた旗が夜風に揺らめく。宙に浮かぶカボチャを模ったランタンは星々のように空を彩っていた。
ぼんやりとした月明かりとそれらが照らす街は、普段ならばとっくに寝静まっている時間でも昼間以上の喧騒と色に溢れている。明かりが灯り人が行き交うこの空間は、この世のどこよりも賑やかしく見えた。
すべてはこの雰囲気によるものだろう、とユーステスは壁に寄りかかり群衆を見回す。高い目線から見下ろす先に、真っ白なシーツを被った少女が人々の間を縫うように走り、その後ろをネジが刺さった帽子の少年が追う姿が映る。少し視線を動かせば、今度はドクロを模した面をつけた少女とかぼちゃの被り物をつけた少女が、菓子の入ったかご片手にはしゃいでいた。子供だけではない、多くの大人も魔女や妖怪といった空想世界の住人たちを模した衣装で大通りを行く。ここは現でなく幻想の世界なのではないか、と錯覚しそうなほどだ。
ハロウィン、だったか。ユーステスはいつか交わした会話を思い出す。なんでも、仮装をして人に菓子をもらう祭りらしい。菓子をくれないのならば悪戯をしていいのだ、と楽しげに語ったのは彼が現在身を置いている騎空団、その団長だ。キラキラと目を輝かせる姿は子供のそれで、何百人もの人間をまとめ指揮するこの勇ましい長はまだ年若い少年であるということを再度実感したのを覚えている。この島にやってきたのも、祭りが盛んであるからだと聞いている。楽しみだ、と楽しげに語る少年の姿を思い出し、ユーステスはわずかに口元を緩めた。
ふと、彼は己の手に目をやる。銃を操るため普段から身に着けている黒く分厚いグローブはそこになく、代わりに白く柔らかな手袋が己の浅黒い肌を包んでいた。手元だけではない、無骨なコートは濡れ羽色のスーツに変わり、その背には内を深緋で彩った外套を羽織っていた。足に付けたホルスターも、今日ばかりは赤で鮮やかに彩られている。エルーン特有の耳には、彼のそれと同じ黒の羽飾りが天を向くように取り付けられていた。
今回、ユーステスがつく任務は囮調査だ。ヴァンパイアの仮装をし、餌として祭りの陰で行われているという闇競売を探る。今までのことを思えば楽な部類に入るものだが、これで本当に役目が果たせているのだろうか、と彼は眉をひそめた。今晩菓子をねだりにきた子供たちは皆、自身を『ヴァンパイアの仮装をしたお兄ちゃん』と評していた。子供相手ですらこれでは、競売に参加するような目利きの者たちを騙せるか非常に怪しい。
いざとなれば潜入調査に切り替えるか、と手持無沙汰に羽飾りを撫でていると、ユーステス、と耳慣れた声が己の名を紡ぐ。喧騒の中でもよく通るそれに振り返ると、大きく手を振りこちらに駆けてくる少年――騎空団の長であるグランの姿があった。街道に溢れる人々の間をするするとすり抜け、彼は難なくユーステスの下へと辿りついた。
「やっぱりユーステスだ」
「どうした? グラン」
にへらと笑うグランに、ユーステスは秘かに姿勢を正し問いかける。先程見かけた時には一緒にいたルリアとビィは近くに見当たらない。おぞましい競売が行われている可能性がある街だ、まさか何かあったのではないだろうな、と彼は澄んだ琥珀色の瞳を見つめた。
「別に何もないよ? ただ、ユーステスが見えたから来ただけ」
あ、耳触ってもいいかな、とグランは青年の頭上に付いた耳へと手を伸ばす。最近は問うだけ問うて許可を出す前に触ることが多くなった。それほどの信頼関係が築かれる程度に、少年と青年は同じ時を過ごしていた。
「お前はいつもそれだな……」
「だってユーステスの耳、ふわっふわのさらっさらで気持ちいいもん」
呆れるような声に悪びれることなく返し、グランはその柔らかな黒の耳に優しく触れた。毛並みに沿ってゆっくりと撫でられ、ユーステスは心地よさに目を伏せる。初めはおっかなびっくりで触っていたというのに、今では手慣れたものだ。
「この羽飾りもかっこいいね。似合ってる」
耳と繋がる根元の金具部分に触れぬよう、グランは天を向くそれに指を伸ばす。彼の耳には到底敵わないが、こちらはこちらでいい手触りだ、と少年は評した。
「ヴァンパイア?」
「らしい」
グランの問いに、ユーステスは曖昧に返す。らしいってなんだよ、と少年は笑った。とはいっても、上層部がそうだと言って勝手に与えたものなのだ。ましてやモチーフは希少度が高く滅多にお目にかかれない種族なのだ。本当にそれに即しているのか、青年にははっきりと断言できなかった。
「でも似合ってる」
かっこいいなぁ、と少年は嬉しそうに笑った。任務のためだけに与えられたものだが、彼が気に入り褒めてくれたことは嬉しい。ユーステスは柔らかに目を細めた。
「お前は仮装しないのか?」
ハロウィンのことを語っていた時のことや日頃の行動を見るに、グランはこのような祭りごとを好んでいるはずだ。誰よりも先に仮装し祭りを満喫しそうなものだが、とユーステスは首を傾げた。彼の言葉に、グランの瞳に苦々しい色が浮かぶ。口元も心なしかひきつっているように見えた。
「……コルワが」
少年が口にしたのは、少し前に団に加入したエルーンの名だった。たしかデザイナーだったか、と思考を巡らせる。
「僕も仮装しようとしたんだけど、コルワが『衣装を準備してあるの! 全部着てみてもらうからね!』って迫ってきてさ……」
はぁ、とグランは重い溜め息を吐いた。心なしか、その顔には疲れが滲んでいる。
ユーステスとコルワは有する魔力属性が違うためあまり交流はないが、そのテンションの高い様は挺内で度々見かけた。あの様子で様々な衣装を持って迫ってくれば、さすがのグランでも押されるようだ。
「逃げてきたわけか」
ユーステスの言葉に、グランはうぅと唸った。その通りなのだろう。仕方ないだろ、と呟く声は拗ねた時の音をしていた。
「ルリアの分も用意してあるって言ってたし、今頃はルリアのファッションショー状態になってるんだろうなぁ……」
「お前もやってくればよかったじゃないか」
「恥ずかしいだろ!」
「普段と変わらないだろう」
グランは扱うジョブに合わせて常に衣装を変えている。分厚い盾と騎士のような重厚な鎧を身にしていると思えば、動植物の装飾を凝らし目深にローブを被った姿になり、気がつけばベレー帽を被りマントを翻しながら銃を操る。最近では、大きな帽子と琴と共に演奏している姿をよく見る。依頼に合わせて臨機応変に装備を変える姿は、ファッションショーのようなものだ。
それとこれとは違うんだよー、とグランは訴えかけるように言う。分かった、と諭す風にユーステスがその頭を撫でると、少年は不満げに頬を膨らませた。飴色の瞳は子供扱いするなと強く主張しているが、その様はまるっきり子供のそれだ。
「でも、皆色んな格好してて面白いな」
すっとグランは行き交う人々を見回す。つられて、ユーステスも彼の視線を追った。その先には、狼男に扮した少年がエルフの仮装をした少年と共に走っていく姿があった。作り物とはいえ、ふわふわと揺れる毛と小さな体躯は子犬のようだ。可愛らしい、とその背を眺めていると、ふいに鋭い視線を感じる。いつの間にか、グランはユーステスの方へと目を戻していた。
「……やっぱ仮装してくればよかった」
ふてくされたような声に、青年はぱちぱちと目を瞬かせた。やはり、様々な衣装に身を包んだ人々を見て羨ましくなったのだろうか。少年の心は移り気だ。
「あーもー! ベアトリクスに会うんじゃなかった!」
「あいつがどうかしたのか」
同じ任務にあたっている同僚の名に、ユーステスは思わず問いかけた。またなにかやったのか、と真っ先に疑ってしまうのは、彼女の日頃の行いが全て物語っている。
「一応狼の耳と尻尾のアクセサリーは持ってたんだけどさ、途中でベアトリクスに会ったから付けてきちゃったんだよ」
あぁ、とユーステスは納得したように頷いた。あの意地の張った少女がそれにどのような反応を示したかなど簡単に想像がつく。そして、その反応に少年が食いつきからかう様も容易に想像できた。
「僕だって耳と尻尾をつければユーステスにもふってもらえるのに」
「無くとも撫でてやるから安心しろ」
悔しげに言うグランを落ち着けるように、青年はその頭をゆっくりと撫でる。納得がいかないという風にしかめていたグランの表情は、その温かな手によってゆっくりと解けていった。それでも悔しいのか、度々うぅと唸り声があがるあたり、彼はまだまだ子供だ。
「それに、今回ばかりはそのままの方がよかったんじゃないか」
「何で?」
そっと離された手を追うように、グランはユーステスを見上げた。不思議そうなその眼を捉え、青年は薄く笑む。その表情は普段の彼と全く違う、どこか人外めいた温度を宿していた。
「今日の俺はヴァンパイアだからな。狼男よりも、人間といた方が自然だ」
エルーンが持つ尖った歯をのぞかせ紡がれる言葉に、グランはぞくりと身を震わせる。水面のように薄い青の瞳は、獲物を見つけた獣のそれによく似ていた。
「……眷属ってこと?」
「そのように見えるだろう」
ふ、と笑う表情は、既にいつものそれへと戻っていた。なるほど、とグランは内心頷く。彼の持つ深い冷たさは、闇夜を支配するヴァンパイアのそれに恐ろしいほど似合っていた。
「じゃ、ヴァンパイアらしく噛んでみる?」
そう言ってグランは、己が着ているパーカーの襟口をぐいと引っ張った。いきなり何だ、とユーステスは晒されたそこを見る。髪の影になるその部位は、日頃鍛錬や戦闘で日に焼けた身体よりも幾分か白い。明かりが灯ってもなお薄暗い夜だからか、その白はほのかに輝いて見えた。
「……たしかに噛みやすそうだ」
「だったら、かぷっといっときなよ」
ヴァンパイアさん、とグランはいたずらめいた笑みを浮かべた。挑発のような色が見えるのはきっと気のせいではないだろう。数え切れないほど戦い抜いてきたせいか、この少年は人を煽るのが妙に上手い。そして、それに乗せられる自身も大概単純だ。
グランの肩にユーステスの手が置かれる。動かないよう少し力を入れ、その首元へ顔を寄せる。幾ばくか逡巡し、ほの白い肌にゆるりと牙を立てた。
獣のような耳を持つエルーン族とはいえ、特別牙が発達しているわけではない。ましてや生き血を食らうヴァンパイアのような鋭さなど持ち合わせていなかった。人間のそれより尖った犬歯は、少年の柔らかな肌に食い込むばかりで、赤が漏れ出ることはない。
「くすぐったいよ」
グランはじゃれるようにきゃらきゃらと笑った。暗にもっとやってみろ、と主張するそれに従い、青年はもう一度歯を立てる。並びの良い歯が先程よりも強く深く食い込むが、それでも少年は気にせず笑うばかりだ。
これ以上続けても仕方あるまい、と諦めて口を離す。晒されたままの肌にはほんのりと痕が残っていた。
「なかなか難しいな」
「まぁ本当に血が出てもそれはそれで困るし、いいんじゃない?」
ヴァンパイアとしては失格だろうけど、とグランはからかうようにくすくすと声を漏らす。困るんじゃないのか、と青年が指摘すれば、それはそれ、と少年ははぐらかすように笑みを浮かべた。
「でも、本当に血が欲しいなら手加減なんてしちゃだめだろ?」
グランの目が鈍く光る。反射的に身を離すより先に、少年の手がユーステスの襟を捕えた。ぐい、と力強く引かれ、思わず前屈みになると、少年の顔が間近に迫る様が見える。明るい栗色の瞳に青灰色とほの暗い何かが映るのが見え、ユーステスはひくりと息を呑む。先程までの子供らしさは消え、ただ浮かぶのは血を知る人間の深い深い色だ。
頬を柔らかな髪が掠める。瞬間、首元に鋭い痛みが走った。
首を絞められるような息苦しさと、不意の痛みで青年は思わず顔を歪めた。抗議の声を発するより前に、襟から手が離れる。責めるように険しく細めた瞳には、満足そうな表情をした少年の姿が映った。
「――これぐらい思いっきりやらなきゃ」
ね、と小首を傾げ、グランは唇を舐めた。覗く赤い舌が明かりに照らされ、艶めかしく光る。笑みを作るようにゆっくりと細められた瞳が狩りを営むけもののそれに似ているように思えたのは、きっと気のせいではない。
噛まれた箇所へ手をやる。手袋をしているため確認はできないが、あの痛みならばきっと痕になっているだろう。こういう時、少年は手加減などしない。このようなことで己相手に手加減をする理由など、一切有していないのだ。ユーステスは小さく顔をしかめた。
「来年は僕もヴァンパイアの仮装しようかなー。どうせコルワが作るだろうし」
けんぞくぅにしてやる、とグランはユーステスを見上げ目を細める。子供らしい表情に似つかわない、駆け引きを知る大人の瞳が青年の姿を捉えていた。
もう、手遅れだというのに。
そして、彼もそのことをしっかりと理解しているというのに、何を言っているのだ。ユーステスは呆れるように少年の頭をくしゃくしゃと撫でた。
夜は更け、現でありながら幻想の世界が闇夜に沈んでいく。漆黒の耳に付いた羽飾りが、青年の歩調に合わせて揺れていった。
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遠い日の思い出と【グラ+ジタ+ルリ】
遠い日の思い出と【グラ+ジタ+ルリ】
リュミエールイベのあれ。
鍋を目の前にした少年と少女の言葉に、泡立て器を持った少女とコック帽を被った竜が懐疑の声をあげた。大きく開かれた二対の目は、言葉を理解することを拒否しているかのようにも見えた。
「はちみつを茹でるんですか……?」
控えめな、それでも否定を求める声が投げかけられる。長い三つ編みを不安げに揺らす少女の姿に、二人の料理人は自信満々に頷いた。その様子に抗議したのは赤い竜の方だ。
「おいおい、グラン、ジータ。待ってくれよ、お前、自分が何を言ってるかわかってるか?」
「分かってるよ?」
「何言ってんだよ、ビィ」
動揺のあまり険しい顔をするビィに、グランとジータはきょとりとした表情で首を傾げた。首を傾げたいのはこちらである、と言わんばかりに、ビィは目を両手で覆った。
「えっと、グランたちがそういうなら、一度試してみましょうか……!」
「おいおい、ルリアまで何言ってんだ!?」
頑なに拒むビィを見て、ルリアは力なく笑う。そーだよね、とエプロン姿のジータが彼女に微笑みかける。賛同を得た嬉しさがはっきりと見て取れるものだ。
「やってみなきゃ分かんないもんね!」
「分かんないよな!」
「分かんないならやるなよ!」
悲痛なビィの声は無視され、二人の団長の手にロイヤルハニーがたっぷり詰まった壺が握られる。これから広がるであろう光景を思い浮かべ、ルリアの瞳に悲嘆と諦観の色が宿った。
ぐらぐらと湯が煮えたぎる鍋の前に、グランとジータが並んで立つ。あーあ、と赤い竜は後悔がたっぷり詰まった声をもらした。
「茹でるってなんだよ……」
「ビィ、覚えてないのか?」
小さな親友の姿に、グランは首を傾げる。ジータもそれに続いた。異常な行動を起こしているのは彼らだというのに、まるでビィの意見がおかしいような口ぶりだった。
「何をだよ!」
「ほら、私たちが風邪で寝込んだことがあったでしょ?」
苛立ちをあらわにした声を気にもかけず、ジータは立てた指をくるりと回してビィに問いかける。幾許かして、あぁ、と小さな竜はぼんやりとした声で答えた。その瞳はどこか遠いものになっていた。
幼い頃からやんちゃな二人は、好奇心に身を任せどこへでも突き進んでいった。それが、雪積もる真冬の川であってもだ。二人の首根っこを引っ掴み必死に止めたビィだが、子供と言えど小さな竜ひとりで止めるには無茶な相手だった。結局のところそのままずるずるとひきずられ、その動向を見守る羽目になったのである。
見守るとは言っても、ビィひとりでは限度というものがある。寒さのあまり氷張る川の上を突き進む子供二人を一気に相手取るには無理があった。その結果、降り積もった雪に足を取られ仲良く躓き、白いそれにぼふりと深くまで埋まったのであった。その身体全てをあらん限り使い、ばたばたともがく彼らを救い出したのは苦い思い出である。そのあと、雪で濡れた二人が風邪をひき熱を出して寝込んだのなら尚更だ。
「あの時、隣のおばあちゃんが作ってくれた飲み物が美味しくてね」
ふふ、とジータは楽しげに笑う。遠い日を語る少女の目は、懐かしさで柔らかく細められていた。どこか儚い雰囲気をまとう姿は、数え切れないほどの人間を有する団の長として振る舞う彼女がなかなか見せない、年相応のものだ。
「風邪なんか吹っ飛んじゃうぐらいだったの」
「そうそう。温かくて甘くて、すぐに元気になっちゃうぐらいな」
ジータに続いてグランも笑う。懐かしい思い出を語る少女らの姿は微笑ましいものだが、その手に握られた希少なはちみつのことを思うと素直に聞くことができなかった。遠くの美しい思い出より、目の前の悲惨な現実である。
「あとでばあちゃんに聞きにいったら、『固まったはちみつをお湯に入れて、酸っぱいくだものの果汁を入れた』って教えてくれてね」
「それってつまり、はちみつを茹でるってことでしょ?」
「なるほどー」
「いや、それは溶かすって言うだろ」
納得したように頷くルリアに、よく分からない独自の理論に頭を抱えるビィ。そんな相方たちを尻目に、二人の団長は和やかな様子で話を続ける。
「元気のないシャルロッテちゃんも、これなら飲めるかな、って」
「温かいもの飲めばちょっとは落ち着くだろうし、最適だろ?」
そう言って得意気にウィンクを飛ばす二人に、ルリアははわ、と声をあげる。可愛らしいその声は感嘆に満ちていた。
「そうですね! シャルロッテさんのためにも、はちみつを茹でましょう!」
「おー!」
「おー!」
元気な三重奏がキッチンに響く。オイラもう知らない、と言わんばかりにビィはがくりと項垂れた。
そうして三人が自信満々に出した『茹ではちみつ』もとい『ほぼお湯』を飲んだシャルロッテが何とも言えない顔をしたことは、誰しもが想像できるものだろう。
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色紙に密やかな願いを込めて【グラルリ】
色紙に密やかな願いを込めて【グラルリ】
公式の七夕絵がやばい……浴衣かわいいかよ……最高かよ……ありがとう公式……。
そんな感じの捏造マシマシグラルリ。ジータちゃんもいるよ。
Q.何で七月七日に投稿しなかったんですか?
A.ネタ思いついたのが八日の朝方だから。
サァと風が走り抜ける音に続いて、細い葉と色とりどりの紙が揺れる。星空を背に踊るその姿は、暗闇の中でもはっきりと映った。
空高く伸びる緑を見上げ、グランはほぅと小さく息を吐く。節が等間隔に並ぶ幹は随分と細いというのに、大木にも負けないほど力強くまっすぐに立っていた。手を広げるように生えた細長い葉の根元、茎の部分には札のような色紙がいくつも括り付けられている。鮮やかなそれには、様々な文字が踊っていた。
グラン率いる騎空団は、長い航行の休息を兼ねてこの島に停泊する事となった。入港手続きをしていると、受付をしている島民が愉快そうに語りかけてきた。曰く、今この島では年に一回の七夕祭――笹という植物に願い事を書いた紙を吊し、成就するよう祈る祭りをやっているとのことだ。せっかくの機会だ、皆で遊びに行こうではないか、と団員たちに提案したのが昼のこと。出店や見世物を楽しみ、夜の帳が降りた頃、グランたちは広場に立ち寄る。街一番の広さを誇るこの場所には、大きな笹が数え切れないほど並んでいた。その全てには色鮮やかな紙がいくつも結ばれており、若い緑の植物を彩っていた。
グラン、とはしゃぐ声が若き団長の名を呼ぶ。くるりと振り返ると、笹の間を駆けて抜けてくるルリアの姿があった。その細い身体は普段の白いワンピースではなく、ユカタヴィラという花の柄がいくつも散る衣装に包まれていた。せっかくのお祭りだから、と団に属するコルワが用意してくれたものだ。しっかりとグランたちの分まで用意してあったのはさすがと言うべきだろう。
からころと可愛らしい足音が少年の前で止まる。宵闇の中でもキラキラと輝く青の瞳が、鳶色を見上げた。
「ねぇ、グラン! グランはもう短冊を吊してきましたか?」
「まだだよ。これから」
そう言って、グランは少女の手元を見る。白く細い手には鮮やかな赤の色紙が握られていた。
「ルリアは何をお願いするの?」
少年の問いに、ルリアは細長い短冊の上下を持ち、帆を張るようにピンと伸ばす。薄い紙には、少女らしい丸っこい文字が綺麗に並んでいた。
「『皆元気に旅ができますように』です!」
楽しそうな笑みと共に語られた願いは、心優しい彼女らしいものだった。はにかむ愛らしい姿に、少年の頬が緩む。煉瓦色がふわりと弧を描く様子を見て、ルリアも楽しげにえへへと笑った。
「グランは何をお願いするんですか?」
好奇心たっぷりの声で問うて、蒼い瞳が少年の手元を覗きこむ。途端、グランの身体が大げさなほどに跳ねた。あわあわと慌てて、少年は手に握った短冊をぎゅうと抱きしめ、彼女の視線から無理矢理外した。不可解な行動に、小さな頭がこてんと傾く。緩く結われた蒼空色の髪がさらりと揺れた。
「グラン?」
「あ、あぁ、いや。ごめん、ちょっとびっくりしただけだよ。何でもない。何でもないよ」
あはははは、とグランは大きな笑い声をあげる。その音色は明らかに何かを誤魔化すもので、頬も妙に強ばっていた。もしかして見られたくなかったのだろうか。勝手に覗き込むなんて悪いことをしてしまった。己の過失に、少女の顔が曇る。蒼の視線がどんどんと足元に向かっていることに気付き、少年は慌てて抱えた短冊を離し、少女と同じように両の手で大きく広げて見せた。
「えっと、ほら! 『イスタルシアに辿りつけますように』だよ!」
大きな皺が浮かぶ短冊を少女の目の前に差し出す。少し癖のある字が、幼い頃から夢見ていた大きな願いをはっきりと形作っていた。ルリアの視線が再び上がったことを確認して、少年は柔らかな笑みを向ける。栗色の瞳が柔らかに細められた。
「もちろん、皆で元気に、ね」
「――はい! もちろんです!」
優しく語りかける少年に、ルリアも笑顔で答える。彼女の抱えた不安は綺麗に晴れ、満面の笑みが暗闇の中に咲いた。
「他のに埋もれちゃう前に吊るしてくるといいよ。ビィに頼んで一番高いところに結んでもらおう」
「そうですね。グランも一緒に行きましょう?」
「あー……、えっと……、ちょっと用事があるし、僕は後にするよ。先に行ってて」
ほら、と少年は形の良い蒼い頭を撫でる。少女は不思議そうに小さく首を傾げてつつも、はいと元気よく返事した。
ビィさーん、と大きな声で駆けていくルリアの背を見送って、グランは大きく溜息を吐いた。まだ幼さの残る顔に、安堵と疲労の色が色濃く浮かぶ。数え切れないほどの戦いをくぐり抜けてきた彼だが、今の表情は大きな戦いを終えた時よりもずっと疲れて見えた。
「へー」
真後ろから聞こえた声に、グランはびくりと飛び上がる。ひ、と悲鳴を飲み込み慌てて振り返ると、そこには双子の片割れであるジータがいた。お揃いの鳶色の瞳は細められ弧を描いており、口元は意地悪げに口角を上げていた。
「『イスタルシアに辿り着けますように』、ねぇ」
「……何だよ」
へー、ふーん、と意地の悪い笑みで眺めてくる兄弟に、グランは強く眉を寄せる。棘のある声など気にもかけず、ジータは片割れの手元へと素早く手を伸ばした。あっ、と少年は焦燥の声をあげるが、音が発せられた頃には手にしていたはずの短冊は少女の手の内にあった。
「あれれー? おかしいなー? 後ろにもう一枚紙があるよー?」
以前共闘した少年の口調を真似て、ジータはわざとらしく疑問を口にする。普段から剣を振るうしなやかな指がするりと紙の上を滑る。若草のような淡い緑で染まった紙の後ろ側から、海底のような深い青の紙が顔を覗かせた。
「っ、返せよ!」
血相を変え、グランは己の願いを込めた短冊を取り戻そうと、急いで少女が握る紙へと手を伸ばす。普段から鍛えた素早い動きでだったが、ジータは事も無げにひらりとかわす。先日、グランより先に修行を終え忍者のジョブを取得した彼女の動きは、まるで風のように軽やかで素早い。今のグランには捕まえられそうにない。ぐ、と少年の顔が悔しげに歪んだ。
「どうせ吊るすんだから隠す必要ないじゃない」
「吊るさないって!」
「吊るさないのにわざわざ書いたんだ?」
へー、と咎めるような鋭い視線から顔を逸らし、グランは腰帯に刺していたうちわを取り出し口元を隠す。意気地の無い片割れの様子に、少女は呆れを多大に込めた溜息を吐いた。
「こんなの書くぐらいなら、直接言ってくればいいじゃない」
「……言えたら、そんなものわざわざ書いてない」
「へたれ」
「うるさい」
辛辣な評価に薄く涙を浮かべた兄弟を見て、ジータははぁ、とわざとらしく嘆息する。ほんっとどっちもまどろっこしいんだから、という呟きは、笹の葉がさざめく音に消えた。
「で? これ、どうするの」
二色の短冊をトランプを広げるように持ち、ジータは薄い紙をひらひらと振る。詰問めいた尖った声に、グランは力なく視線を少女へと戻した。それでも直接見つめることは出来ないのか、鳶の瞳はわずかに逸らされている。
「…………持って帰る」
「捨てないんだ」
「ここで捨てたら他の人に見られるかもしれないだろ。部屋で燃やす」
長い沈黙の後に返ってきた答えに、ジータは上空を仰ぐ。そういう部分より先に気にかけることがあるだろう、と叫びたい気持ちをどうにか飲み込み、少女は手にした薄紙を元通りにぴったりと重ね合わせる。半ば投げやりに少年に突き出すと、剣胼胝がいくつも出来た指が力なく受け取った。二人の年若き団長の口は揃って真一文字に結ばれている。沈黙の中を、涼しげな夜風が通り過ぎた。
「あーもー、さっさと吊るしてきなさいよー。ルリア、待ってるわよ」
沈黙を破り、ジータは少年の背越しに蒼の少女を見やる。空に浮かぶ星のようにきらきらと輝く瞳は、青々とした笹の葉と鮮やかに揺れる短冊たちを見つめていた。少女の視線に気付いたのか、ルリアが大きく手を上げこちらに向かって振る。青と黄の花が散るユカタヴィラの袖がひらひらと揺れていた。ジータも赤い花で彩られた袖を揺らし、手を振り返した。
じゃーね、とそのままひらひらと手を振り、ジータはルリアの方へと歩き去る。金魚の尾のようにふわりと広がる帯が綺麗に結われた背を見送って、グランは視線を下ろす。深く息を吐き、今一度己の手元を見た。
すっかりくしゃくしゃになった短冊には『イスタルシアに辿り着けますように』と大きな文字で書かれている。薄緑に染まるそれを少しずらすと、下から深い青の薄紙が姿を現した。薄紙には、紙色に埋もれてしまいそうなほど細く薄い文字で『ルリアと一緒にいられますように』と、淡い恋心が綴られていた。
おまけ
満天の星空を隠してしまいそうなほどの緑を見上げ、ジータはほぅと感動の息を漏らす。木々が生い茂る森とはまた違う光景に、少女の視線は上空へと吸い込まれた。
紺碧と常磐の夜空を堪能し、ジータは上へと向けた首を元の角度に戻す。ぐるりと辺りを見回すと、多くの人の中に団員たちの姿を捉える。楽しげにはしゃぐ彼らを愛おしげに眺めて、少女は歩き出す。丸っこい下駄がからころと軽やかな音を奏でた。
人混みをすいすいと進む中、透き通る蒼髪が夜風にたなびくのが目に入る。宛もなく歩いていた少女の足が、見慣れたそれの方へと向いた。近づくと、爽やかな蒼の瞳は手元をじぃと見つめているのが分かる。集中しているのか、少女に気付く様子は無い。
「ルーリア」
とん、と細い肩を叩くと、名を呼ばれた少女はひゃあと大きな悲鳴をあげた。想像以上の反応に、ジータも小さく跳ねる。驚きに思わず大きく目を見開くと、恐る恐るといった風に悲鳴の主が振り返った。
「な、なんだ……ジータでしたか……」
「ごめんごめん、驚かせちゃったね」
安堵の溜め息を吐くルリアに、ジータは申し訳なさそうに謝罪する。ちょっとしたいたずらのつもりだったが、ここまで驚かせてしまうとは思わなかった。しゅんとする彼女の様子に、ルリアはわたわたと胸の前で大きく手を振った。
「大丈夫ですよ、ちょっと驚いちゃっただけです」
困ったように笑う彼女に、ごめんね、と今一度謝罪の言葉を唱える。気にしないでください、と手を振る彼女の手に握られた薄紙の存在に気付き、ジータはぱちりと瞬きをした。
「ルリアも短冊書いたの?」
「……は、い」
今この島で行われている七夕祭は、願い事を書いた短冊を笹に結わえるという行事だ。広場の片隅に何本も設置された笹の枝には、既に多くの短冊が吊され夜風を受けてひらめいていた。
好奇心旺盛なルリアは昼からはしゃいでいたが、夜となった今はどこか覇気がなく見えた。何かあったのだろうか、お腹でも痛いのだろうか、夜風で冷えたのだろうか、大丈夫だろうか。過保護な思考にジータの目が眇められる。少女の変化に気付き、ルリアは今一度大丈夫ですよ、と苦笑した。
「えっと、あの、短冊もらったんですけど……、字を間違えちゃって、どうしようかな、って……」
えへへ、と苦笑するルリアだが、その声も表情も普段よりずっと硬い。何か隠していることは、長い時を共に過ごしてきたジータでなくてもすぐに気付く。嘘を吐くのが苦手だというのに、彼女は余計な心配をかけまいと己の感情を無理矢理隠ししまいこんでしまう節がある。今回もそうなのだろう。
ルリア、と彼女が抱えているであろう淀みを溶かすように、ジータは優しく蒼い少女の名を呼ぶ。うぅ、と気まずげな呻りの後、青い瞳が鳶色のそれを見上げた。絶対、絶対秘密ですよ、と真剣に訴える彼女に、ジータは力強く頷く。何よりも誰よりも可愛らしい彼女との約束を破る訳など無かった。
安心したように、ルリアはぎゅうと握っていた短冊をそっとジータに差し出す。少し皺になった蒼空色の紙には、丸っこい字で少女の願いが綴られていた。
「え、っと、お願い事を書いたはいいんですけど……、はっ、恥ずかしくなっちゃって……」
だんだんと細くなる声に比例して、蒼の少女の頬が赤く色付いていく。羞恥に耐えられなくなったのか、少女はううう、と今一度唸った。
『これからもグランと一緒に旅できますように』と可愛らしい字が綴った願い事を読み、あー、とジータは音にならぬよう嘆息する。確かにこれは吊せない――人に、それも本人の目に触れる場所に飾ることなど、淡い恋心を宿したルリアにできるはずなどなかった。
どうしましょう、とルリアははわはわと焦った様子でジータを見上げる。大丈夫だよ、と蒼い瞳の端に浮かぶ涙を消すようにジータは小さな頭を撫でる。真ん中にぴょこりと立った蒼い髪が揺れた。
「字を間違えてちゃいました、って言って新しいのもらってこよう? こっちのは……、私が預かっておいた方がいいかな」
「はい……」
未だ赤が浮かぶ顔を伏せ、ルリアはか細い声で返事をする。自分が持っていては落としてしまうかもしれない、ということは彼女自身も分かっているようだった。うん、と頷き、ジータは温かな想いが描かれた短冊を懐の奥の方へ、絶対に落とさないようにしまいこむ。自室に帰ってから燃やして処分すればいいだろう。徹夜で自身の研究を行っている団員が多いのだから、夜中に火の元素を操っても怪しまれない。
「さ、行こう。あっちで配ってたはずだよ」
少女の細い手を取り、ジータは広場の一角を指差す。人が多く集まっている簡素な屋台の側には『七夕祭の短冊はこちら』と大きく書かれたのぼりが立っていた。
「はい!」
羞恥と不安に細められていた蒼穹を思わせる瞳が、ゆっくりと解けてふわりと弧を描く。抱えた不安は取り除けたようだ、とジータも安堵の笑みを浮かべる。早く行こう、とそのまま少女の手を引き、目的の場所まで歩みを進めた。
からころと下駄の音が二つ分響く中、ジータは思案する。さて、同じ想いを抱えた片割れはどうするのか。後で見にいってやろう、と密かに意地の悪い笑みを浮かべ、少女は夜の広場を歩んでいった。
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+745【ジタ+サン】
+745【ジタ+サン】
息抜きに前から気になってたあれそれのネタ。ちょっとメタい。
タイトルでもう落ちてる感ある。
黒い雫が静かに黒の湖面を揺らす。抽出機の中身が空になったことを確認し、サンダルフォンは手にしたそれをシンクへと運ぶ。珈琲粉を処分し、使った器具を綺麗に洗い水切り籠に伏せた。人が来る前に拭いて片付けねばならないな、と考えて目をすがめる。珈琲一杯淹れるだけにいちいち共有部に来るのは手間であるが、ここでしか湯を沸かせないのだから仕方が無い。火の元素を扱える者は自室で淹れているらしいが、今の自分にそれができないということは彼自身が誰よりも理解していた。
冷める前にさっさと部屋に戻ろう、と青年はカップを手に踵を返す。廊下に繋がる扉まであと数歩というところで、厚い木の板越しにバタバタと騒がしい音が聞こえた。どんどんと近づいてくるそれに、サンダルフォンは眉をひそめた。この艇の人間は必要以上に人と関わろうとする。それをあまり好ましく思わないため常々人と会わぬよう避けて行動しているが、今回はどうにもタイミングが悪かったようだ。逃げようにも、台所の扉は目の前にある一つしかない。もう諦める他ない。
足音が止まると同時に、扉が開く音が響く。木製のそれの隙間から、ジータが顔を出した。
「あっ、サンダルフォン!」
どこか嬉しそうに青年の名を呼び、少女はそのまま小柄な身体を中に滑り込ませ静かに閉める。ただいまー、と呑気に言う彼女は、普段着ているワンピースではなく大きな襟が特徴的な魔道士風の衣装を身にまとっていた。依頼から帰ってきたばかりでまだ着替えていないのだろう。汚れが見当たらないのは外で軽く払ってきたのもあるだろうが、何より彼女の実力が確かなものであるという証だ。
「珈琲飲むの?」
夜空色の帽子を脱いだ少女が、サンダルフォンの手元を覗き込む。好きだねー、と感心にも問いにも似た音が小さな口からこぼれた。青年が珈琲を好んで飲んでいることは、彼が艇に乗ることになったその日から知っているはずだ。なのに、カップを持っているだけでいちいち反応するのだから煩わしい。赤き竜や蒼の少女といい、余計な世話ばかりかけてくる。青年の眉間にまた一つ皺が刻まれる。不機嫌であることが一目で分かる表情をしているというのに、少女は全く気にかけず返答を待つように深紅の目を見つめた。
「見れば分かるだろう」
「私の分はー?」
「無い。抽出機は既に片付けた。勝手に淹れればいい」
半ば無理矢理会話を切り上げ、青年が宛てがわれた部屋に戻ろうとする。足早に過ぎようとしたところで、ジータがあ、と何かひらめいたように声をあげた。この少女がろくなことを――少なくともサンダルフォンにとって、だ――思いついた試しがない。彼女が口を開く前に出ていこうと青年が一歩踏み出したところで、がしりと腕を掴まれた。見た目は幼く華奢な少女であるが、その力はそこらの大人よりもずっとある。数多の星晶獣と対峙し打ち勝ち、様々な属性と技を操る彼女は、この団の誰よりも強いのだ。顕現して日が浅く、まだ力が上手く扱えない青年を引き止めるぐらい、ジータにとっては至極簡単なことだ。
「あのね、サンダルフォンに食べてほしいものがあるんだ」
こっち、と少女は掴んだ腕を無理矢理引き、台所の奥へと足を動かす。こうなってしまってはもうどうしようもない。早々に諦め、青年は珈琲がこぼれぬよう大人しく彼女に引き連れられた。
ジータが足を止めたのは、共用の戸棚だった。その最下部、一番大きな開き戸を開けると、屈んで中を漁り始める。手を離された今逃げることは可能だが、あとが面倒くさいことは今までの経験ではっきりと知っている。大人しく従った方が早く済むだろう。緋色の瞳は屈んだ少女をぼんやりと映し出していた。
しばらくして、あったあったと嬉しそうな声があがり、少女は立ち上がる。そのままくるりと振り返り、サンダルフォンの目の前に大きな袋を差し出した。彼女が手にした透明な袋の中には、鮮やかな黄とオレンジが転がっていた。小さな丸いそれには、顔を模したような絵が描かれている。何だこれは、と紅の瞳が訝しげに細められる。これを見せることに一体何の意味があるのだろう。
「マカロンっていうんだ。甘くて珈琲に合うと思うの」
青年の声に出さぬ問いに答え、少女は片手で戸棚の皿を一枚取りだし傍らにある机に置いた。そのまま袋から菓子を取り出し次々と皿に並べていく。その量は茶請けにしては明らかに多い。彼女も共に食べるだろうとしても異常なものだ。白く大きな皿の上、山盛りになった菓子を見て、青年は顔をしかめる。鮮やかなそれが放つ甘い匂いで既に腹がいっぱいになりそうだった。
再び力強く腕を掴み、ジータはサンダルフォンを席に着かせる。未だ事態を理解していない様子をした彼の目の前に、どんと重い音をたてて皿が置かれた。少女が乱暴なのではない、純粋に皿が重いのだ。
「はい、召し上がれ」
向かいの席に座り、ジータは両肘をついて楽しげな表情で青年を見る。見つめるばかりで真っ白な手袋を外す様子はない。礼儀の正しい彼女は、食事をする際は必ず手袋といったものは外す。菓子に手を付ける気はないのだろう。
「……特異点は食べないのか?」
「うん。私が食べても意味ないもん」
「つまり、全て俺一人で食べろと?」
「そうだよ?」
ほら、と少女は青年の方へと皿を押しやる。早く食べろということだろう。その様子に、サンダルフォンは殊更強く眉を寄せた。勝手に呼ばれ、勝手に連れられ、勝手に差し出され、さぁ全て食えと無理矢理押しつけられる。特異点である彼女は度々無理を押しつけてくるが、今回はあまりにも勝手すぎる。不快感が胸の奥底からふつふつと湧き出てくるのが嫌でも分かった。
「何故俺がこんなに食わなければ――」
「食べて」
怒りを強くにじませた声を、はっきりとした声が切り捨てる。目の前に対峙した少女は相も変わらずニコニコと明るい笑みを浮かべているが、その声は冷え切ったものだ。こちらを見つめる鳶色は普段の温かみを完全に失っている。可愛らしい少女の姿にはあまりにも不釣り合いなそれに、黒鎧に包まれた背がぞくりと震えた。
「全部食べて。団長命令」
ね、とジータは小首を傾げる。有無を言わせぬ声音だった。戦いの最中、団長として仲間に指示を飛ばす時のそれと同じ音だ。あまりの気迫に――少なくとも、こんな場所で見るはずなどない様子に、青年は声を失った。
「……食べればいいんだろう」
「うん」
この様子では、少女が譲ることなどあり得ないだろう。恐怖で従うのではない、こんな少女に怯えることなどあり得ない、と言い聞かせ、サンダルフォンは山積みになった菓子へと手を伸ばした。さっさと食べきってしまおう、と小さなそれを丸々一個口に放り込む。途端口いっぱいに広がった味に、深紅の瞳が苦しそうに歪んだ。
甘い。あまりにも甘い。珈琲に入れる角砂糖をそのまま食べてしまったのではないかと錯覚するような甘さだ。少女は珈琲に合うと言っていたが、全く違う。珈琲に合うのでなく、珈琲で中和しなければ食べられない甘さだ。放つ香りから想像すべきだった。青年の顔からどんどんと色が失われていく。こんなものを、この皿いっぱい食べなければならないのか。
「六十九個、全部、残さず、ちゃーんと食べてね」
正面から送られる視線は、青年の様子を観察するものでなく、彼が言いつけ通り全て食べきるか監視するためのものだ。ただ菓子を食うだけのことではないか。たったそれだけだというのに、何故団長命令を下し、こんなにも強く迫ってくるのか。全く意味が分からない――そもそも、特異点の突飛な行動を理解できたことなど、ほぼ無いのだけれど。
一時的に身を置いているだけとはいえ、サンダルフォンはれっきとした団員だ。団長であるジータに、それこそ団長命令まで下されてしまっては逆らうことなどできない。彼に残された選択肢は、目の前の甘い菓子を胃に押し込むことだけだ。
「あ、珈琲のおかわり淹れる?」
「…………頼む」
問う声が楽しげに聞こえたのはきっと気のせいだろう。気のせいにしておこう。席を立ちぱたぱたと駆けていく少女の足音を背に、サンダルフォンはまた一つ菓子を口に放り込む。これ全て平らげるまでどれほどかかるのだろうか。考えるだけ無駄だ、と青年はカップの中身をあおり、口の中の甘ったるさを胃の腑に押し流した。
経験値を51405獲得!
Lvが15→45になった!
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枕を二つ【グラ→ルリ】
枕を二つ【グラ→ルリ】
くっっっっっっそ寒いから推しカプは一つの布団で互いの体温を感じながら凍える事なくぬくぬくと温かく幸せに寝てくれと言う話。
諸々都合の良い捏造しかない。
あ、え、と意味を成さない音が、間抜けに開いた口からぽろぽろとこぼれる。室内は寒いというのに、顔は真夏の日差しを浴びたように熱い。きっと真っ赤になっているだろうな、と、脳のかろうじて冷静な部分が他人事のように判断を下した。
動揺で頭からつま先まで固まっている少年を見つめ、少女はこてんと小さく首を傾げる。丁寧に手入れされた長い蒼髪が、音もなくさらりと揺れた。
「グラン? どうかしましたか? ……もしかして、具合が悪いんですか?」
「あ、え、いっ、いや。何でもない。何でもないよ。大丈夫。大丈夫だから」
澄んだ丸い青に不安の色が滲んでいくのを見て、グランは異状はないと示すように慌てて手を振った。確かに身体に異常はない。けれど、ルリアが発した言葉は、少年の心と脳を揺さぶるようなものだった。
「えっと……、なん、だっけ?」
「はい。今日はとっても寒いですし、一緒に寝ませんか?」
腕に抱えた枕をぎゅっと抱きしめ、ルリアは今一度少年に問うた。奏でられた声は、たしかにルリア本人のものであり、聞き違いや己の脳が都合よく変換した言葉でないのだと確信する。本当なのか、とグランは胸中で頭を抱え蹲った。
これまで数多の戦いに身を投じてきたグランであるが、実情は無垢で純粋な子供だ。故郷であるザンクティンゼルには同い年の子供はあまりおらず、一緒に寝るなんてことは相棒である小竜のビィ、仲の良い男友達ぐらいとしかしたことがない。そんな彼に、近い年齢の――しかも、他者に向けるそれとは違う、名前の分からない特別な情を抱く少女が『一緒に寝よう』だなんて誘ってきたのだ。年頃の男の子が平静でいられるはずなどない。
「グラン?」
「あー……、そ、そうだ。カタリナさんとじゃなくていいの?」
ルリアはカタリナを家族のように慕っている。その様子は、グランが無意識に嫉妬してしまうほど睦まじいものだ。寒いというだけならば、グランよりもカタリナと一緒に眠る方がルリアも落ち着くだろう。
「その……、こういうこと言うと、カタリナは子供扱いしてくるから」
そう言って、少女は小さく頬を膨らませた。以前にそういう扱いをされて不満に思っているようだ。客観的に見てもルリアはまだ子供であるのだから仕方のないことだが、年頃の少女にとっては譲れないことなのだろう。同じく度々子供扱いされることのある――事実、彼もまだ子供であるが――グランにも、彼女の気持ちは分かった。
「グランは同じぐらいの歳ですし、私のこと子供だなんて言えませんよね!」
にこりと爛漫に笑う姿は、無邪気な子供そのものだ。指摘しては拗ねてしまうだろう、と少年は口を噤む。拗ねた姿も可愛らしいが、今はそんなことを考えている場合ではない。一番納得できるであろう案が否定されてしまったのだ。他に何か言い訳はないものか、と必死に頭を動かしていく。
「寒いなら毛布増やすのは……って、今予備のは無かったな……」
空を旅する中では、様々な気候の島を通ることとなる。寒冷地でも対応できるよう予備の毛布をいくらか用意しているが、つい最近団員が増えたので一時的にそちらに回したのだった。何ともタイミングが悪い。
「あっ、でも、僕よりビィと一緒のがいいんじゃないかな? 僕も冬場によくやってたけど、すごく温かいよ」
小さな相棒はトカゲと呼ばれることが多いが、変温動物ではない。成長した今こそ機会は減ったが、昔は冬場に彼を抱いて眠ることも多かった。小柄な彼は抱きしめるのにぴったりのサイズであり、子供のようにぽかぽかと温かいので、胸に収めればどんなに寒い日でもよく眠れた。その効果は今でも健在だろう。
「でも、ビィさんもう寝ちゃってますよ?」
蒼穹と同じ色の瞳が宙を見上げる。天井から吊るされた大きな籠――ビィがベッドとして利用しているものだ――からは穏やかな寝息が聞こえてくる。小竜は二人より一足先に夢の世界へと飛び立ったようだ。元気いっぱいの彼は日中によく動くためか、グラン達より早く眠ることが常であった。動揺のあまり完全に忘れていた、とグランは内心顔を覆う。
他に何か彼女を諦めさせる言い訳はないものか、と少年は小さな脳味噌をフルで働かせる。その苦悩を彼女に悟られぬよう必死に普段通りの表情を作っているつもりだが、素直な彼はどうしてもその心情が表情や声音に出てしまった。美点であり弱点である度々指摘されるそれを、グランはすっかり忘れていた。苦悩がにじむ少年の顔を見て、蒼の少女はその心を察してか表情を曇らせた。
「あ……、えっと……迷惑、でしたか……?」
「そんなことない!」
後悔に震える声を、大きな声が遮る。今が日の境に近い時間だということを思い出し、少年は慌てて口を手で塞いだ。普段声を荒げることのないグランがこうも強く主張したことに驚いたのか、ルリアはその澄んだ空色の瞳を大きく開いて固まっていた。
「迷惑なんかじゃないよ。迷惑じゃないんだけど……」
驚き固まったままの少女に戸惑いながら、少年は彼女の不安を吹き飛ばすべくどうにか言葉を紡いでいく。けれども、その本心をさらけ出すことは恥ずかしいのか、こぼれる音は淀むばかりだ。前述したとおり、彼は年頃の男の子である。一緒に寝ることを喜び、恥ずかしがっているだなどという格好の悪い事実を、特別な少女に隠そうとするのも仕方が無いことだろう。
「んー……? ぐらん……るりあ……?」
中空から寝ぼけた声が降ってくる。大きなあくびとともに、赤い耳が籠の縁から顔を出した。ごしごしと目元を擦り、ビィは縁に顎を乗せ、二人を見下ろす。起き抜けだからか、つぶらな目にはまだ眠気が膜を張っているようだ。
「どうしたんだぁ……?」
「ビィ、起きたのか」
「ごめんなさい、起こしちゃいましたね……」
助かったとばかりに相棒を見上げるグランと、起こしてしまった罪悪感に床を見るルリア。正反対な二人の様子を見て、ビィは一体何事だ、と首を傾げた。
「二人して何してんだ? もう夜も遅いだろ?」
「あー……いや……、ちょっと、な」
「今日は寒いから、グランと一緒に寝たいなって話してて」
枕を抱え俯く少女の言葉に、小竜は明後日の方向へ視線を逸らす相棒を見る。気まずそうに口を引き結ぶ少年の顔を見て、寝起きのそれとは全く違う半分閉じた目ではぁと溜め息を一つ吐いた。
「別にいいじゃねぇか。一緒に寝るくらい」
何が問題なんだよ、と胡桃色の瞳とともに少年の背に言葉を投げかける。今まで相棒と何度もともに夜を過ごした赤い竜にとって、一つのベッドで眠ることなど何らおかしなことではないのだろう。種族故か、歳故か、いつでも息がぴったりな相棒はその心情を理解できずにいるようだ。
「あっ、そうだ。ビィさんも一緒に寝ませんか?」
二人でも温かいですけど、三人一緒だともっと温かいと思うんです、と少女は言葉を続ける。先ほどグランが温かいと言っていたからか、それともビィも一緒ならば少年も了承してくれるのではないかと思ったのか。その顔には好奇心と期待と少しの不安が浮かんでいた。
「オイラは別にいいけどよぉ、お前はどうなんだ?」
「えっ? あー……、うん、いいと思うよ。三人だともっと温かいもんな、名案だ」
うん、うん、と少年は何度も深く頷く。二人きりでは抵抗感――というよりも羞恥が強いが、ビィと三人ならば胸中に渦巻くこの感情も少し薄まるだろう。少女が示してくれた絶好の逃げ道に喜ぶも、どこか落胆していることには彼は気付いていない。
賛同の言葉に、ビィは伸びをするように羽を広げふわりと籠から飛び立つ。そのままぽすりとグランの胸にその身を預けた。温かな相棒の瞼は半分降りており、今にも眠りの底へと落ちていきそうに見えた。
「さぁ、寝ましょう!」
弾む小さな声に振り向くと、そこにはぎゅうと枕を抱いたルリアの姿があった。その表情から憂いは消え、代わりに喜びがあった。楽しげな少女の姿に、少年はふわりと口元を緩める。あれほど否定し続けたことの罪悪感が胸をチクチクと刺すも、ルリアが笑ってくれることがとても嬉しかった。
自分の枕を置き、ぽすんと柔らかなベッドに飛び込むルリアに続いて、グランもビィを抱えたまま毛布に足を入れる。綺麗に整えられた寝具はひやりと冷たいが、直に三人分の体温でよく眠れる温度になるだろう。胸の中の相棒はそんな冷たさに気付くことなく、一足先にすぅすぅと安らかな寝息をたてていた。
ふふ、とかすかな笑い声。楽しげな音の方へ視線を移せば、そこには嬉しそうに弧を描いた空色があった。
「おやすみなさい、グラン。ビィさん」
「うん。おやすみ、ルリア」
ゆっくりと紡がれる穏やかな音に、少年も柔らかな音を返す。ゆっくりと降りていく瞼は、鮮やかな琥珀と瑠璃を優しく隠していった。
月が空を駆け、夜はどんどんと世界を広げていく。眠りの海に身を任せた子供達の表情は、とても穏やかで幸せそうなものだった。
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#グラルリ
書き出しと終わりまとめ3【SDVX/GBF】
書き出しと終わりまとめ3【SDVX/GBF】あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその3。ボ5個とグ1個。CPごっちゃごちゃ。大体暗い。
毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。成分表示:プロ氷1/はるグレ1/レイ+グレ1/ライレフ1/ノア+(ライ←)レフ1/グラルリ1
春姿/プロ氷
AOINOさんには「ぱちりと目が合った」で始まり、「その声がひどく優しく響いた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば11ツイート(1540字程度)でお願いします。
若草色とぱちりと目が合った。
愛しいその瞳を見つめ、識苑は相好を崩しひらひらと手を振る。交わった柑子色に、氷雪の細い肩が小さく跳ねた。それでも、初夏の草葉を思い起こさせる瞳は、逸らされることなくこちらを見つめたままだ。
彼女の視線で気付いたのだろう、共に並んでいた少女らも青年を捉える。そのまま、全員で彼の元に駆け寄ってきた。識苑先生、と桜色に彩られた唇が己の名を紡ぐ。少し上ずった声に、夕日色の目がふと細まった。
「三人とも、卒業おめでとう」
祝いの言葉に、ありがとうございます、と可愛らしい三重奏が響く。少し硬い畏まった音色に、識苑は音もたてずに笑う。
春の日和に包まれた本日、ボルテ学園中等部の卒業式が執り行われた。卒業生である氷雪達は、普段の着物ではなく、正装である学園の制服をまとっている。胸元は淡い色のコサージュで彩られており、細い腕で卒業証書が詰められた筒を抱えていた。教師である識苑も、今日ばかりは普段の作業着ではなくスーツを着ている。
「皆大きくなったね」
「おじさん臭いわよ」
しみじみとした声に鋭く返し、恋刃は眉を顰める。否定しようのない厳しい言葉に、青年は苦笑いを浮かべた。
その隣、黒い筒をぎゅうと抱えた雪色を見て、橙の瞳が眩しそうに細められる。愛おしさに満ちたその目に、緊張に強ばっていた氷雪の表情が少し和らいだ。
「……うん、本当に、ね」
噛みしめるように呟く声は震えていた。目の奥がじんと熱をもつ。式典前にしっかりと手入れしたはずなのに、眼鏡越しの世界はどんどんと曇り滲んでいく。何故だ、と思うより先に、せんせい、と慌てた声が飛び込んできた。
認識出来ない世界の中、軽い足音が響く。そっと目元に柔らかなものがあてられる。じわりと広がる水気に、ようやく己が泣いていることに気付いた。
「あの、大丈夫です。私達、そのまま高等部に進学しますから。だから――」
これからも、毎日会えます。
識苑にしか聞こえないように声を潜め、氷雪は潤む夕日色を見つめる。翡翠の瞳には慈しみの色が浮かんでいた。
分かってるん、だけど、ね、と青年は吐き出すように返す。嗚咽にも似た声を発する度、ボロボロと涙がこぼれた。
ボルテ学園はエスカレーター式であり、よほどのことがなければ皆そのまま高等部へと進学する。教師という身なのだから勿論理解しているし、氷雪本人からもそのことを伝えられていた。
けれども、いざその姿を目の前にして、青年の心は大きくさざめいた。彼女の成長への喜びと、愛し子が新たなる世界へ進む祝福と、学園という唯一の繋がりが切れ離れてしまうのではないかという不安が一気に膨らみ、胸の内を塗り潰していく。とめどなく湧き出る感情が、涙となって外に溢れてしまう。いい年した大人がこんなにも泣くだなんて、何と恥ずかしいことなのだろう。それでも、愛する人の晴れ姿を前に、識苑は己の感情を制御することができなかった。
熱を持つ目元を、すべらかな布が絶えず撫で拭っていく。落ち着きましたか、との問いに、うん、と萎れた声でどうにか返す。少女の甲斐甲斐しい世話により、青年の世界は元の姿を取り戻しつつあった。
「……ごめんね」
「気にしないでください」
今一度目元を拭われる。すんと鼻をすすると、微かな笑声が鼓膜を震わせた。大袈裟ですの、涙もろいにも程があるわよ、と呆れた声も飛び込んでくる。もっともな酷評に、再び鼻の奥が痛んだ。
「高校生になってからも――これからもずっと、よろしくお願いします」
未来を約束する言葉とともに、水底色のまあるい目がふわりと細められる。甘く柔らかなその声が、酷く優しく響いた。
華奢な歩み/はるグレ
あおいちさんには「ぴたりと足が止まった」で始まり、「ゆっくりでいいよ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字程度)でお願いします。
ぴたりと足が止まったのが見え、始果は急いで歩みを進める。数歩先にいる躑躅の少女は立ったままふらふらと揺れており、非常に不安定に見える。立ち止まるというよりも、動けずにいるというのが正確だろう。
「グレイス」
「大丈夫だって言ってるでしょ」
応えるというよりも、続く言葉を切り捨てるかのような鋭い響きでグレイスは言う。今日何度目かの問答に、始果は眉間に小さく皺を刻む。グレイスはそれ以上に深く眉を寄せていた。眇められた柘榴石には、悔しさが強く滲んでいた。
「こんなの、すぐに慣れるわよ」
今日だけで数えられないほど口にした言葉は、まるで自身に言い聞かせるようなものだ。事実そうなのだろう。固く細い声は、彼女の苦悩をよく表していた。
重力戦争が終わり、グレイスたちがネメシスに迎え入れられて少し経った。まるまる再構成された彼女の身体もようやく安定し、最近では元の大きさで問題なく過ごせるようになっている。これならば大丈夫だろう、と学園側の判断の元、少女は来年度からボルテ学園に編入することが決まったのだ。
先に制服作っちゃいマショウ、という姉の提案の元、彼女には世界とともに新しくなった制服が支給された。丈の短いセーラー服とショートパンツで構成されたそれは動きやすいものだ。足を飾る白のパンプスはヒールが高く華奢なデザインをしている。
早速身に着けたのだが、ここで問題が一つ発生した。グレイスはヒールで歩く感覚をほとんど忘れてしまっていたのだった。
元々ヒールの高いロングブーツを履いていたとはいえ、彼女は基本的に宙を浮いていることが主で歩く機会は少なかった。加え、幼い身体でいた頃は安全を考慮し踵の低い靴を履いていた。その期間が思ったより長かったのもあるだろう。
すぐ慣れるわよ、と心配する姉を突っぱね、練習にと廊下に出た彼女だが、案の定バランスが取れず覚束ない足取りになってしまう。危なっかしい姿に、始果が飛んできたのは無理もないことだ。
また慎重に歩み始める少女を見て、少年は口を真一文字に引き結ぶ。本当ならば、怪我をする前に止めてしまいたい気持ちでいっぱいだ。しかし、そんなことは彼女のプライドが許さないに決まっている。けれど、でも、と、形容し難い思いが渦巻く。口下手な彼には、どう伝えればいいか分からずにいた。
「……グレイス」
引き結ばれていた口が愛しい人の名を紡ぐ。返事よりも先に、狐の少年は少女の正面へと周り、その細い両手を握った。途端、キッと射殺さんばかりに鋭い視線が、頭一つ分上の満月を睨む。受け止めた彼は、同じく頭一つ下の躑躅をじぃと見つめた。
「……手が繋ぎたいです」
「だから、大丈夫だって――」
「繋がせてください」
彼らしからぬはっきりとした声で少年は乞う。ぐちゃぐちゃになった感情の内、唯一言葉に成った『手を繋いで支えたい』という思いをまっすぐにぶつけた。
いきなりの願いに、躑躅色の瞳が驚きに幾度も瞬く。丸く可愛らしい目が眇められ、少女は唸る。しばしの沈黙の後、強く握る少年の手がそっと握り返された。
「……仕方ないわね」
大袈裟なほど深い溜め息が吐き、グレイスは諦めの言葉を口にする。根負けしたといった様子だ。けれども、その声音には仄かに安堵の色があった。
少女の言葉に、始果は口元を綻ばせる。そっと細められた目は喜びで満ちていた。
解けぬよう、少年は細く白い手を今一度握る。向き合い手を繋ぐ様は、ダンスを踊るかのようだった。
「……一緒に行きましょう。ゆっくりでいいですから」
怖がりと温もり/レイ+グレ
葵壱さんには「優しい嘘なら許されますか」で始まり、「そして眠りにつく」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字)以内でお願いします。
優しい嘘なら許されるとでも思っているのだろうか。
温もりを背に、グレイスは心の中で呟く。眠気でけぶった躑躅の瞳は、不服そうに歪められていた。
夜も更けてきた頃合い、姉と二人で夕食の片付けを終わらせた少女は何気なしにテレビを点ける。たまたま放送されていた映画は、二人とも名は耳にしたことがあるが内容は知らないものだ。良い機会だし見てみよう、と姉妹並んでソファに座ったのが全て悪かった。
画面に流れる映像は、爽やかなタイトルやCMに反し薄暗くホラー要素が非常に強いものだった。ただでさえ恐ろしい物語は、巧みなカメラワークと鬼気迫る演技により更に引き立てられ、見る者の恐怖を十二分に煽る。自然なCGと巧みな特殊メイクにより人間が怪物へと変貌していく様が脳裏を過り、少女は反射的に身を縮こまらせる。細い体躯が胎児のように丸まった。
地獄のような二時間弱を耐え、風呂に入りベッドに潜り込んだのが数十分前。暗闇の中、ひやりとした布団に包まれる感覚に、目は冴えゆくばかりで到底眠れそうにない。どうしよう、と考えていたところで、ドアを叩く硬い音が耳に飛び込んできた。突然の響きに、ビクリと少女の肩が大きく跳ねる。次いで、ドアノブが回される音と、グレイス、と少し潜められた声が鼓膜を震わせた。
あの映画、思ったよりも怖クテ。ダカラ、一緒に寝てくれマセンカ?
少し開いた扉の隙間から覗くレイシスは、困ったような笑みを浮かべていた。その腕には、彼女が愛用している枕が抱えられていた。
レイシスは怖がるものの、それをコンテンツと割り切って楽しむタイプだ。なのに、そんなことを言って訪れるなどおかしい。明らかな嘘だ。
子供扱いされている。暗闇の中、グレイスは強く眉を寄せる。確かに己は彼女よりも幼いといえど、子供扱いされるほど年が離れているわけではない。こんな扱いをされるのは心外だ。けれども、姉の来訪に陰がさした心がわずかに軽くなったのも事実だ。
幼子のように扱われる不服さと、闇に一人取り残される寒さ。二つを天秤に掛けた結果、シングルベッドの中二人で眠る現在に至る。
嘘とはいえ、レイシスの方からこちらに訪れたのだ。意地になって跳ね返すのも幼稚だ。ここで受け入れてやる方が大人だ。仕方ない。仕方がないことなのだ。己に言い聞かせるように、少女は一人頷く。怖いなんてことはない。ただ、何となく普段よりも寒くて暗く感じただけだ。
背から伝わる体温と穏やかな呼吸に、とろりと瞼がゆっくりと落ちてくる。あんなにも寒さに包まれていた身体は、今は柔らかな温もりに埋まっていた。
怖くなんてない。全部、世話焼きで嘘が下手で優しい姉のわがままをきいてあげただけ。もう怖くなんてない。
音も無くこぼし、グレイスは口元まで布団に潜る。安堵が浮かぶ躑躅の瞳が瞼の裏に隠れ、少女は眠りについた。
触れて繋いで/ライレフ
葵壱さんには「いつまでもこの手をはなせずにいる」で始まり、「つまり私は恋をしている」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。
いつまでもこの手を離せずにいる。
日が陰りゆく帰り道、何となく触れあった手を互いに合わせ、静かに繋いだそこはうっすらと汗ばんでいた。不快感が無いといえば嘘になる。それに、あと数分もしないうちに家に着くのだから、そろそろ離してしまう方が自然だ。けれども、この温度を手放してしまうことは何だか寂しく思えた。
そこまで考えて、烈風刀はぱちりと大きく瞬きをした。そうだ、寂しいのだ。兄の温もりを失うことも、この小さな甘やかな時間を終えてしまうことも嫌なのだ。
子供っぽいにもほどがある、と少年は内心自嘲する。それでも自ら手を離そうとしないのだから、事実自分は子供でわがままなのだ。
そもそも、ずっと繋いだままで迷惑なのではないのだろうか。不安を覚え、碧は隣に並ぶ朱をそっと見やる。沈みゆく陽をを背負った横顔は穏やかなもので、その頬はほのかに赤らんで見えた。
視線に気付いたのか、それともたまたまなのか、すぐに水宝玉と紅玉がかち合う。美しい紅瑪瑙がぱっと大きく見開かれ、ふわりと細められる。夕暮れ色の睫毛に縁取られた目は柔らかな弧を描いており、口元はへにゃりと幸せそうに緩んでいた。
はにかむ雷刀の姿に、烈風刀もそっと目を細める。蒼天の色をした瞳は、見つめ合う朱と同じかたちをしていた。ほとんど沈んでしまった陽に照らされる顔は、薄らと紅が浮かんでいた。
普段よりもゆっくりな足取りの中、繋がれた手にやわく力が込められる。驚きに硬くなった碧も、そっと指を深く絡め応えた。
たまたま触れあい、何となくで繋いだ手は、互いの確かな意思を持って離さないまま。
あぁ、つまり僕たちは恋をしている。
おとなのおにいさん/ノア+(ライ←)レフ
葵壱さんには「大人は泣かないものだと思っていた」で始まり、「優しいのはあなたです」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字)以内でお願いします。
大人は泣かないものだと思っていた。
「烈風刀……?」
旧校舎の階段下、俯き立ち尽くしている少年を背を見上げ、ニアはその名を呼んだ。目の前の細い肩がビクリと跳ねる。ズ、と鼻を啜る音が人気の無い空間にやけに大きく響く。急いで袖口で目元を擦るのが見えた。
「……ニア、ですか。どうしたのですか?」
振り返った碧は、笑顔で問う。しかし、その眦と鼻先はわずかに赤らんでおり、声もどこか濡れたものだった。彼は必死に隠そうとしているが、今の今まで泣いていたということは明らかだ。
「えっと……、ノアちゃんたちとかくれんぼしてて、こっち探してたら烈風刀がいて、それで……」 しどろもどろになりながら、少女はどうにか言葉を紡ぐ。日頃入ってはいけないと言われている場所で人に会うなど――その上、兄のように慕っている烈風刀が泣いている場面に出会うことなど、一切考えていなかった。考えることなど難しいだろう。少女にとって烈風刀は『大人』のひとりであり、自分たち『子供』の前では常に冷静であろうと努めていたのだから。
「こんなところでどうしたのかな、って……」
怒られるのではないかという不安と、あの烈風刀が泣いているということへの動揺で、青い兎の声はどんどんと尻すぼみになっていく。彼女にとって、烈風刀はずっと年上の『大人』とも言える存在だ。レイシスひいてはこの世界を支える気丈な少年がこんなにも泣いていることなど、想像すらしなかった。こんな滅多に人が来ない場所で泣いているなど、誰かに見られたくないからに決まっている。そんな場所に逃げ込むほど、追い詰められているのだということが分かる。
「ただ掃除をしていただけですよ」
埃っぽいから目が痒くて、と烈風刀はあたりを見回し言う。たしかに人の出入りが少ない旧校舎は埃が多いが、彼の言葉が本当ならば近くに掃除用具など見当たらず、埃が積もったままの現状は明らかに不自然だ。聞いてもいないことをわざわざ口にするのは、『これ以上踏み込んでくるな』と言外に言われているようだった。
「そっ、か」
そう言ってニアは俯く。それ以上の言葉が出てこなかった。今は赤らんだ目と鼻について触れないことが、彼女が考えうる中で一番の選択だった。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
不意に、少女の頭に何かが触れる。顔を上げなくとも、烈風刀が頭を撫でてくれているのだと分かった。優しい彼は、いつも不安そうにしている自分をこうやって撫でて癒やしてくれた。さらさらとした青いロングヘアを、大人の形になりつつある手が頭の形に添うように優しく撫でる。いつもと同じ、温かな手つきだった。
ニアは優しいですね、と少年は言う。子供なりの拙い慰めを、聡い彼は汲み取ってくれたのだろう。大人びた言葉も手つきも、泣きたくなるほど優しかった。
自分なんかが泣いてはいけない、と少女はぎゅっと唇を噛み締める。幼い己に負担を掛けまいと無理矢理涙を止めている彼の前で泣くことなど、絶対にできない。してはならないのだ。
そんなことない、と少女は胸中で呟く。自分はただ幼いだけで優しくなんてない。優しいのはあなただ。
ひとかけらの嘘/グラ→ルリ
あおいちさんには「小さな嘘をついた」で始まり、「指切りしよう」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以上でお願いします。
小さな嘘を吐いた。
蒼髪に包まれた幼い背を眺め、グランは密かに胸を押さえる。罪悪感が心を苛んだ。
談話室に置いてる菓子が無くなってしまって。僕お菓子とかに詳しくないから。皆依頼に行ってて他に頼める人がいないから。
そんな言葉を並べ立てて、嬉しそうに目を輝かせた蒼と艇を出たのが一時間程前。現在、少年の胸には喜びと後ろめたさとが複雑に渦巻いていた。
嘘ではない。事実、団員は依頼や休暇などで大半が出ており、自身は菓子の類には詳しくない。ただ、備蓄が切れていることを知った上で、買い出しに適した団員に意識的に依頼を振り、二人きりで買い出しに行ってもおかしくない状況を作り上げただけだ。
それを嘘だというのだ、言い訳をするな、と良心が責め立てる。否定しようのない正論に、少年は苦々しげに目を伏せた。
「どうかしましたか?」
すぐ目の前から響く愛らしい声に、胡桃色の目が開かれる。罪悪感が滲む瞳に、こちらを覗き込む蒼が映った。
「い、や。何でもないよ」
焦りに声が上ずる。心優しいルリアのことだ、こんな調子の自分を見てはきっと気に病んでしまうだろう。美しい空色が不安で陰らぬよう、グランはすぐさま言葉を紡いだ。
「どれがよさそう?」
問いに、少女は小さく唸る。色とりどりの焼き菓子が並ぶ店先をちらりと見やり、困ったように笑った。
「全部美味しそうで……なかなか決められません」
菓子が好きな彼女にとって、沢山の種類の中から一部だけ選ぶことは至難の業だろう。菓子に疎いグランにも全て魅力的に映るそれらから絞り込むのは難しい。
「いっそ全種類買っちゃう?」
「でも、そうしたらいっぱい買えませんし……」
団員は二人の両手を使っても数え切れないほどの人数だ。予算を考えると全てを買って帰るのは不可能である。
「……じゃあさ」
菓子を眺める少女の背に、少年は問いかける。その声はわずかに震えていた。
「今日は全部少しずつ買っていって、皆にどれが好みか聞いて明日また買いに来るのはどう?」
皆が好むものを二人だけで選ぶのは難しい。ならば、好みを聞いてから改めて買いに来ればいい――というのは、全て言い訳だ。ただ、明日も想いを寄せる少女と共に過ごしたいだけだ。
「それがいいですね!」
提案に、ルリアはぱぁと顔を輝かせ手を合わせた。己の言葉を純粋に受け止める彼女の姿に、再び罪悪感が心を刺す。こんな嘘で騙すなど、最低にも程がある。けれども、想いを宿した心は勝手に言葉を紡いでしまった。もう戻すことなどできない。
少年の胸の内を知らない少女は、歓喜に満ちた笑顔を浮かべ小指を立てる。そのほっそりとした白い指を命の片割れの目の前に差し出した。
「約束です! 指切りしましょう!」
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