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お祭り騒ぎを君と【レイ+グレ】

お祭り騒ぎを君と【レイ+グレ】
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浴衣グレイスちゃんクルーかわいい~~~~~~レイシスちゃんとお祭り行って遊んで~~~~~~!
となったので書いた話。レイグレ姉妹がお祭りで遊ぶだけ。

 おそるおそる目の前の雪色にかじりつく。ふわふわとしたそれは、甘みを残してすぐさま消えた。
 初めての感覚に、少女は目を見開く。不思議な感覚を追い求め、もう一口。細い棒にくるくると巻かれた飴の糸は、舌に触れた瞬間しゅわりと解けて消えていく。口内に残る甘さは砂糖の塊らしく強いものだが、不思議としつこさはなかった。
 躑躅の瞳をキラキラと輝かせ、グレイスはもそもそと綿飴との格闘を続ける。ふわふわとした柔らかな感触と時折訪れるパリッとした食感に、少女は一瞬にして魅せられていた。
「口の周り、ベタベタになっちゃいマスヨ」
 小ぶりな綿菓子が姿を消し始めた頃、隣から優しい声が降ってくる。はっと見上げた先には、穏やかな笑みを浮かべたレイシスがいた。ハイ、と差し出された手には、ウェットティッシュの袋があった。どうやら、夢中になって食べていた様子をずっと見られていたらしい。それも、口の周りを汚すような幼稚な様を。
 始終を見られていた羞恥に、少女は頬を赤らめ、笑みから逃げるように視線を下に落とす。ありがと、と呟くように礼を言って一枚受け取る。すぐさま砂糖の残滓が残る口元を強く拭った。
「綿飴食べるのって難しいデスヨネ。すぐにベタベタになっちゃいマス」
 ふわりとこぼし、レイシスは手にしたりんご飴を一口かじった。パリッと赤い薄飴が割れる音と、シャクッと硬いりんごが噛み砕かれる音が、雑踏の中に舞って消えた。未だ頬を染めたグレイスも、その色付いた顔を隠すように綿飴にかじりつく。今度は汚さぬように注意し、そっと口に運んだ。白い雲が口内でしゅわっと溶けゆく。何度体験しても面白いものだ。
「あっ、グレイス! アレ! ヨーヨー釣りやりマショウ!」
 白い綿菓子と赤いりんご飴が姿を消し、支柱だった割り箸がゴミ箱に放り込まれた頃、はしゃいだ声が己の名をなぞった。返事をするより先に、細く小さな手が強く握られる。そのまま手を引かれ、スピネルの瞳が驚きにぱちりと瞬いた。ちょっと、と制止の声をあげるより先に、妹の手を取った姉は人混みを掻き分け足早に歩みを進める。下駄の軽快な足音が互い違いに響いた。
 ひしめく人の間を縫い歩き、少女らは『ヨーヨー釣り』と太い文字が描かれた垂れ幕が下がる屋台へと向かう。辿り着いたそこには、小さなビニールプールが置かれていた。心なしか普通のものより深く見えるそれには、色とりどりの水ヨーヨーが浮かんでいる。いくつもの鮮やかなドットが描かれたもの、夜空を描いたように星が散るもの、流水の中を金魚が泳ぐもの、色とりどりの線が走るもの。様々に彩られた小さな風船が、作られた海の中を漂っていた。
 躑躅色が白熱灯に照らされた水風船たちを見つめる。小さな腹いっぱいに水と空気を詰め込んだそれらは、満月のように真ん丸で、ちょうど手のひらに収まるようなサイズが愛らしいものだ。表面に浮かぶ雫が光を受けてキラキラときらめく様は、雨上がりの傘が陽に照らされる様子に似ていた。
 二人分お願いしマス、という弾んだ声に、グレイスははっと顔を上げる。急いで向けた視線の先には、にこやかに笑うレイシスがいた。ハイ、という声とともに、細く白い何かが手渡される。反射的に受け取って瞬き数拍、少女はどこか気まずげに礼を述べた。
 手渡されたのは、緩くねじられたこよりの先に小さく細いかぎ針が付けられたものだった。一体これをどう使うのだろう。マゼンタの瞳が瞬き、細い首が傾げられる。横目で姉を見やる。購入者である彼女ならば、確実に使い方を知っているだろう。実際に見るのが早い。
 桃の少女はこよりの先端を持ち、針の先端をヨーヨーたちが浮かぶプールへそっと沈める。水面に浮かんだ丸いゴム紐に、曲がった針が慎重な様子で通される。そうっと細い釣り竿を持ち上げると、紐の先に繋がった水ヨーヨーが宙に浮かんだ。
 ヤッタァ、とはしゃぐレイシスの声と、お嬢ちゃん上手いねぇ、という売り子の声が狭い屋台に響く。薔薇色の少女の手には、白地に緑の縞模様と青い丸が彩られた――学園でよく見かける丸い猫を模したものだ――小さな水ヨーヨーがすっぽりと収められていた。
 なるほど、そう使うのか。心の中で頷き、少女も隣で喜ぶ彼女をまねてそっとこよりの先を水に沈める。すすす、と水中をゆっくりと移動し、目当てのものに繋がるゴム紐へと針を引っかけた。きゅ、と紙の釣り竿を持つ手に力が込められる。ゆっくり静かに持ち上げるも、水を吸った頼りない紙紐は音も無く切れてしまった。パシャ、と水風船が水面に落ちる無慈悲な音が大きく響いた。
「もう一回!」
 急いで財布から硬貨を取り出し、グレイスは売り子に勢いよく突き出す。はい、と愉快そうな声とともに、頼りなさげな釣り竿と三枚の硬貨が交換された。
 真剣な光を宿したアザレアが、水面をじぃと見つめる。先ほどはこよりを水に沈めてから適当に獲物を定めたのが悪かったのだろう。千切れにくくなるよう、水分はなるべく吸わせないのが吉のはずだ。姉のように、取りたいものを選んでからこよりを――否、針部分だけを沈めるのがいいだろう。
 色とりどりの水ヨーヨーが浮かぶ海を見渡し、いっとう好みのものを見定める。見初めたそれから伸びるゴム紐は、運悪く多くのそれと交わり紛れてしまっていた。この混線具合では、目的のものをたぐり寄せられるか分からない。一か八かだ。
 神経を研ぎ澄ませ、少女はそっと針を水に沈める。刹那の迷いの末、真ん中に浮かぶゴム輪に細いそれを通した。また千切れてしまわぬように、そっと、そうっとこよりを持ち上げる。するすると水面を撫ぜるゴム紐の先には、己が欲していた黒い真ん丸があった。心を落ち着け、ゆっくりと腕を上げていく。今度こそ、透明な海の上から水ヨーヨーが引き上げられた。
 こよりが千切れてしまうより先に、店主が小さな風船を器に取り上げる。おめでとう、と差し出されたそれは、水滴をしたたらせキラキラと輝いていた。少女の顔が、同じほどぱぁと輝く。ついに捕まえた愛しの真ん丸を愛おしそうに両の手で包んで受け取った。
「取れた!」
「おめでとうございマス!」
 溢れ出る嬉しさのあまり、妹は隣に屈む姉の方へ顔を向ける。妹がこれだけ楽しんでくれたのが嬉しいのだろう、彼女も負けないほど満面の笑顔を咲かせていた。晴れやかなその表情を見て、躑躅ははっと我に返る。なんという反応をしてしまったのだろう。これでは幼い子どものようではないか。湧き上がる羞恥心に、柘榴石の視線は急いで地へと吸い込まれていった。
「お揃いデスネ」
 これ以上になく弾んだレイシスの声に、グレイスはぱちぱちと瞬きをする。地面に向けられていた視線が、己の手のひらへと戻っていく。白いたなごころに包まれた水風船は、学園で時折見かける黒く丸い猫を模したもの――姉がつい先ほど吊り上げたそれと色違いのものだ。気づかぬ内に、お揃いのものを選んでしまったらしい。かぁ、と少女の頬に朱が広がっていく。
「……たまたまよ」
「TAMA猫だけにデスカ?」
「違うわよ!」
 飛んできた軽口に、勢いよく返す。妹の覇気など気にする様子もなく、姉は楽しげにころころと笑った。無意識にお揃いのものを選んでしまった羞恥と、姉とお揃いのものを手に入れた喜びが、少女の胸をぐるぐると掻き回す。心底楽しげな薔薇に抗うように、躑躅はふん、と鼻を鳴らして顔を背けた。
 ありがとうございマシタ、とにこやかな笑みを浮かべた店主に礼を言い、レイシスは浴衣の裾を捌いて立ち上がる。ワンテンポ遅れ、グレイスも立ち上がる。何も言わずとも――言ってもどうしようもないと学習していた――白い手と手が重なった。
「次は何をしマショウカ」
 焼きそばニ、たこやきニ、射的ニ、かき氷ニ、とレイシスは指折り数える。食べ物ばっかりじゃない、とのグレイスの指摘に、彼女はえへへとはにかんだ。
「ダッテ、お祭りでしか食べられないじゃないデスカ」
「家で作れるでしょ?」
「お家で作って食べるのと屋台で買って食べるのは違うんデス!」
 ぐっと拳を握りしめて力説する少女に、思わず圧倒される。そうなの、と返すのがやっとだった。そうナンデス、と力強く言われては、もう否定する言葉など消え失せてしまった。
「グレイスはどれがいいデスカ? 何でも買ってあげマスヨ!」
「自分で買うわよ。ちゃんとお小遣い持ってきてるんだから」
 ぐっと拳を握りしめ息巻き胸を張る姉に、妹は眉を寄せて返す。眇められたラズベリルには、喜びと申し訳なさと悔しさがない交ぜになった複雑な色が浮かんでいた。
 一緒に夏祭りに行きマショウ、と誘ってきたレイシスは、何かにつけてグレイスに物を買い与えようとしてきた。誘った側だからこれぐらいはしたい、と彼女は言うが、絶対にただの建前だ。姉らしく妹を甘やかしたいという彼女の考えは、新たな生を受けたしばらく経った少女にだって分かる。
 高校二年生の財力なんてたかがしれている。彼女の懐事情のことも考えて、本来ならば強く拒否するべきだ。けれども、あの鮮やかに咲く花のような笑顔を向けて迫られると、いつも息が詰まってしまい断るのが厳しく思えるのだ。結果、綿菓子と型抜きと水ヨーヨーを買い与えられた今に至る。
 せっかく、ちゃんと不自由なく遊べるようにお小遣いを持ってきたのに。躑躅の少女は唇を尖らせる。姉に甘やかされるのが心底嫌だ、と言えば嘘になるが、こんな風に幼い子どものように甘やかされるのはどうにも不服だ。自分は、彼女が思っているほどこどもではないのだから。
 対等でありたい。
 言葉にするならこうだろうか。過度に甘やかされることなく、互いに思い遣りあって、共に並んで、語り合える。そんな関係を夢見るが、『妹』という認識がまだまだ強い今は難しいだろう。く、と赤い唇が強く噛み締められた。
「……じゃあ、あれ」
 わだかまる感情を隠しきれぬ声音で、グレイスは少し先を指差す。数人の子どもがたむろしている屋台には、青に白の波模様が映える布地に『かき氷』と赤い文字で大きく描かれていた。
「かき氷! いいデスネ!」
 ぐっと拳を握りしめ、レイシスは楽しげな声をあげる。先ほど彼女が挙げた候補に入っていただけあってか、楽しみにしていたようだ。早く行きマショウ、と手を引かれ、少女らは白熱灯に照らされる屋台の元へと駆けていった。
 狭い屋台の中には、大きな電動かき氷器と様々なシロップが並んでいた。赤、緑、青、黄、紫。まるで虹のように鮮やかな色の液体が入った瓶が並んでいる。机には『シロップかけ放題』というポップが飾られていた。どうやら、購入者が己でシロップをかけるのがこの屋台の方針らしい。
「ジャア、二つ分――」
「一つでいいでしょ。私は自分で買うんだから」
 指を二本立てたレイシスを尻目に、グレイスは店主に硬貨を差し出す。一つお願い。あいよ。短い言葉と金銭が交わされた。
「買ってあげるノニ」
 頬を膨らませ、薔薇の少女は躑躅を見つめる。紅水晶の瞳は、不服そうに細められていた。はぁ、と溜め息をこぼし、あしらうようにひらひらと手を振る。
「自分で買えるんだからいいわよ。で、貴方はどうするの?」
「ワタシも! おじさん、一つお願いしマス!」
 手を上げ元気よく言う少女に、店主はちょっと待っててな、と返す。機械は一台しかないのだから、仕方が無いだろう。ハーイ、と桃色は手に持った水ヨーヨーをぷらぷらと揺らして遊んだ。
 下部が大きく開かれた機械に、発泡スチロールでできた白い容器がセットされる。年季の入ったボタンが押されると、ガガガ、と大きな躯体が盛大な声をあげ始めた。しばしして、削られた細かな氷がカップの中に降り注いだ。豪快な音とともに、輝く氷が雪のように降り積もっていく。あっという間に、容器には氷の山ができあがった。端に、スプーン状に加工されたストローが豪快に刺される。
「あいよ。シロップはかけ放題だから好きなの選びな」
「あ、ありがとう」
 勢いよく片手で渡された器を気圧されながら受け取り、グレイスは数歩横へと足を進める。目の前にずらりと並んだシロップの瓶の群れに、少女はぱちぱちとまあるい瞳を瞬かせた。
 いちご、メロン、ブルーハワイ、レモン、グレープ、みぞれ、抹茶、コーラ、カルピス。様々な文字が大きな瓶の前面に貼り付けてある。透明なガラス瓶の中に揺蕩うシロップは、光を受けてつやめいていた。
 どれにしよう。カラフルなシロップを目の前に、グレイスは視線を泳がせる。いちごやメロンは、今まで食べてきた菓子のフレーバーから何となく味の想像がつく。コーラやカルピスは、氷にかけて食べた時の味の想像がつかない。ブルーハワイとみぞれに至っては、名前すら知らないものだ。目が醒めるような鮮やかな青と、カラフルな瓶の中で異質な様相をした無色透明が、更に謎を深める。
 悩み悩んだ末、少女は『いちご』というラベルが貼られた瓶へと手を伸ばした。大きなそれに差してある長い銀の匙を手に取る。先端に付けられた小さな深いカップに真っ赤な液体が満たされすくわれる。こぼさないように慎重に手を進め、細かな氷の山の頂へとシロップを垂らす。純白の上を、鮮烈な赤が広がっていった。一瞬のそれに、少女は目を丸くする。もう一杯だけ、とまたシロップをすくってかける。白い氷はすっかり真っ赤な蜜に染め上げられた。
「ワタシは何にしマショウ」
 よく通る声が隣から聞こえた。随分と弾んだそれに、少女は視線を音の方へと移す。自分の分を手に入れたのか、同じ容器を手にしたレイシスの姿があった。どれにしようカナ、と指先が瓶を指す度、白い花咲く群青の袖が揺れる。楽しげな笑みに満ちあふれた横顔は、少女らしい可愛らしいものだ。
 神様の言う通り。飛び跳ねるような声が止むとともに、指の動きも止まる。たおやかな細い指が指し示したのは、『ブルーハワイ』と書かれた瓶だった。ヨシ、とはっきりした言葉をこぼし、薔薇の少女は長い匙を手に取った。真っ青な液体の中に匙を沈め、たっぷりのそれをすくう。明らかに人工的に作られた極彩色に躊躇うことなく、彼女は白い雪山にシロップを降り注がせた。雪原が一瞬にして海色に染められた。どこか冒涜的な映像に、思わず口元が引きつる。一体、あれはどんな味がするのだろう。少なくとも、食べ物の色はしていないのだが。
「サ、邪魔になっちゃいますから行きマショウ」
 ありがとうございマシタ、と店主ににこやかな声と表情を投げかけ、レイシスは妹の手を取る。二人の間で揃いの水風船がぶつかって揺れた。
 屋台の群れから少し離れた場所に二人で辿り着く。休憩スペースとして開放されているようで、辺りには人がごった返していた。座るのは難しいが、立って食べることぐらいはできるだろう。姉もそう考えたのか、端の方へと歩みを進める。人が少しだけまばらなそこは、二人並んで立つには十分な空間だ。
「サ、食べマショウ。溶けちゃいマス」
 繋いだ手を離し、少女は容器に刺されたストローに手をかける。カラフルな縞模様で彩られたそれを引き抜き、丸くスプーン状になった先端部分を青い雪山の頂に入れる。一匙すくい、夜闇でも目立つ青を口に入れた。シャクン、と軽い音の後、ンー、と感嘆の声があがる。桃色の睫に縁取られた目は柔らかな孤を描いていた。
 グレイスもストローを手に取る。綺麗な山が崩れてしまわぬようそっと抜き、赤に染められた氷を小さくすくい取る。赤い欠片をおそるおそる口に運ぶ。簡易匙を咥えた瞬間、冷たさと甘さが口いっぱいに広がった。舌の上ですぐに溶けて消えたそれに、少女はぱちりと目を瞬かせる。アザレアの瞳には光がきらめいていた。
 冷たい。甘い。美味しい。人混みを歩き続けた身体に、氷の冷たさと人工甘味料の甘さが染み渡っていく。どれも心地の良いものだ。もう一口、もう一口、と躑躅の少女は黙々と匙を動かす。ひんやりとした氷が舌の上で溶けて、涼やかな食感と甘美な味を残して消えていく。先ほどの綿飴とよく似ているが、全く違う楽しさがあった。
 何口目かを口に含んだ瞬間、頭に電撃が走り抜けていく。強烈な痛みに、輝くマゼンタの瞳が歪められる。ぅ、とストローを含んだ口から鈍い唸りが漏れ出た。
「いったぁ……」
「急いで食べるからデスヨ」
 思わず額を押さえると、クスクスと笑い声がかけられる。見つめる瞳は姉ぶったそれの様相をしていた。
 また子ども扱いをされている、と少女は頬を膨らませる。妹の様子を気にすることなく、姉は青をすくったスプーンを咥える。瞬間、アゥ、と短い悲鳴があがった。どうやら彼女の頭にもあの痛みが襲ったようだ。貴方もじゃない、とむくれた声で指摘すると、エヘヘ、とはにかんだ笑声が返された。
「アッ、グレイス。見てくだサイ」
 何かを思いついたのか、レイシスは目を輝かせて妹を見る。すると、突然口を大きく開け、べろりと舌を出した。何だ、と疑うより先に、驚愕がグレイスを襲う。尖晶石が心情を強く表すように真ん丸に開かれた。
「えっ、何、それ。えっ?」
 目の前に出されたレイシスの舌は、真っ青に染まっていた。明らかに人のそれの色ではない。異常な光景だ。
 バグだろうか。いやでもそれにしてはレイシスは慌てていないではないか。というか、何でこんなものを見せつけてきたのだ。様々な疑問がぐるぐると頭を巡る。小さな口が呆然とした様子で開かれた。ぁ、ぅ、と混乱に満ちた声が漏れる。髪と同じ色をした形の良い眉が八の字に下がっていく。
「えっ、大丈夫なの?」
「大丈夫デスヨ。かき氷のシロップの色が移っちゃいマシタ」
 エヘヘー、とレイシスは笑う。最初から何も知らない自分を驚かせる気だったのだろう。スプーン片手に浮かべる笑みに、悪びれる様子はなかった。
 心配させるんじゃないわよ、と叫びそうになるのをぐっと堪える。こんな些細なことで心配しただなんて言ったら、また子ども扱いされるに決まっている。未だ胸に残る驚愕と不安と安堵がぐちゃりと混ざりあわさって、複雑な色を作り上げる。そう、とぶっきらぼうに言い放ち、グレイスはまた氷をすくって口に運んだ。しゃくりと細かな氷が鳴き声をあげる。
 ふと疑問が湧き上がる。青いかき氷を食べたレイシスの舌は鮮やかな青に染まっていた。では、赤いかき氷の食べた自分の舌も、この目に痛いほどの赤に染まっているのだろうか。衝動に身を任せたまま、少女はぺろりと小さく舌を出す。一生懸命視線を下をやっても、己で己の舌を見ることは不可能だった。謎は謎のままだ。
「グレイスはいちごデスカラ……赤いままデスネ」
 妹の舌を覗き込み、残念デスネ、と薔薇の少女は眉尻を少し下げる。一連の子どもじみた行動を見られていた羞恥が胸の底からぶわりと湧き起こる。躑躅の少女は急いで舌をしまった。別に、と鋭い声で返し、またかき氷を口に運ぶ。再び鋭い痛みが頭を走っていった。ぅ、と低い唸りがこぼれる。災難は重なるものらしい。うぅ、と喉奥から情けない声が漏れ出た。
「一口食べてみマス?」
 ハイ、アーン、とレイシスはストローを差し出した。スプーン状に加工された先には、真っ青に染まった氷が載せられていた。時間がたったそれは、少しだけ水に変わっていた。青い氷と水が、明かりに照らされきらめく。
 ふわと丸く柔らかな頬に朱が舞い広がる。白い喉がひくりと揺れた。ストローのスプーンが強く握られ、くしゃりと潰れる。
 あーん、なんてされる羞恥と、『ブルーハワイ』という謎のフレーバーに対する興味が胸の内で闘う。しばらくの格闘の末、好奇心旺盛な心は後者に軍配をあげた。
 あ、と小さく口を開く。可愛らしい口に、ストローがそっと差し込まれた。舌に触れた瞬間、急いで口を閉じ、匙の上の氷を浚って頭を後ろに引く。柔らかなプラスチックが、赤々とした口から勢いよく引き抜かれた。
 口の中に広がったのは、今まで食べていたものとほとんど変わらない甘みだった。心なしか爽やかさを感じるのは、あの目が醒めるような色によるものだろうか。『ブルーハワイ』なんて謎に満ちた名前をしているのにこんな味だなんて、何だか拍子抜けだ。こぶりな唇が少し尖らされた。
「色ついてるかもしれマセンヨ。べーってしてみてくだサイ」
 べー、と再び青い舌を出す姉の姿につられ、妹も控えめに舌を出す。ちろりと出されたそれを見て、桃の少女はうーんと難しそうに唸った。
「ついてマセンネ……。一口じゃだめなんデショウカ」
 もう一口食べマスカ、とまた匙を差し出すレイシスに、いいわよ、と短く返す。舌が染まる様に興味はあるが、人のものをたくさんもらってまでやることではない。そもそも、自分では見られないのだから意味が無いではないか。
「次は別のを食べてみマショウ? メロンとか色がつきやすいデスヨ!」
「次って……もう入んないわよ。それに冷たいものばっかりじゃ身体に悪いわ」
 かき氷はまだ半分ほど残っているが、先ほど綿菓子一つ食べたこともあってか少女の小さな胃はだいぶ膨れていた。火照った身体も、甘ったるい氷のおかげでもうすっかりクールダウンしている。これ以上冷たいものを食べるのは少し難しく思えた。それに、かき氷を二個食べたなんてうっかりこぼしたら、きっとオルトリンデとライオットが窘めてくるだろう。あの二人もレイシスに負けず劣らず過保護なのだ。
「ジャア、来年! 来年も一緒にかき氷食べマショウ!」
 妹の言葉に、姉はピンと人差し指を立てて応える。マゼンタを見つめるピンクの瞳には、喜びの輝きと少しの不安が宿っていた。
 来年、と飛んできた言葉を小さく復唱する。次。来年。心の中で姉の言葉をなぞる。甘美で温かなそれは、少女の胸にゆっくりと広がり満たしていった。
 一年後の未来も、共に在れるのだろうか。こんな自分が、まだこの輝かしい少女の隣に存在することはできるのだろうか。
 作り変わった身体はもう定着し、小さな姿に戻ることはなくなった。資格も取り、ナビゲーターとしての腕も磨いてきたつもりだ。今では、共に舞台に立ち、歌と踊りを披露するまで至っている。それでも、まだまだ幼い少女の胸に憂慮がのしかかる。彼女に対するコンプレックスは未だ重く残るものだ。
 それでも、それを超える喜びが胸の奥底から湧き上がってくる。共に行こうと言ってくれた。来年も共に在ると言ってくれた。無邪気な姉の言葉は、妹の胸に温かなものをもたらした。
「……えぇ」
 するりと肯定の言葉がこぼれ落ちる。音を形取った口の端は緩く持ち上がり、アザレア咲く瞳はゆるりと細められた。胸に湧いて出る幸いがこぼれ落ちたような、そんな優しく甘い笑顔だった。
 妹の言葉に、姉は大きな目を真ん丸に見開く。薄く膜張っていた不安の色は、綺麗に消え失せていた。あるのは、めいっぱいの喜びの色だ。
「ハイ! 約束デスヨ!」
 弾けるような声とともに、手が差し出される。握った手は、小指だけがピンと立ち上がっていた。ふ、と柔らかな息をこぼし、グレイスも同じ形の手を差し出す。細い小指はすぐに白い指に絡め取られた。小指と小指が絡み合い、ぎゅっと固く結ばれる。指切りげんまん、と弾んだ声が提灯の明かりに照らされた空間に響いた。
「指切ッタ! 約束デス! 絶対デスカラネ!」
「はいはい」
 楽しげに息巻くレイシスに、グレイスは呆れたように笑って返す。貴方こそ忘れるんじゃないわよ、と軽口を叩くと、忘れマセンヨ、とむくれた声が返ってきた。丸く柔らかな頬がぷくりと膨れる。まるで手にした水風船のようだ、と考えて、また笑みがこぼれた。
「グレイスとの約束を忘れるわけありマセンカラ!」
 真正面から飛んできた力強い言葉に、マゼンタの目が丸くなり、幾度も瞬く。胸の内に広がっていく温かな感情とこそばゆい感覚に、少女はふわりと破顔した。そっと細められた目が、暖色の光を受けてキラキラと輝いた。
「そうね」
「そうデスヨ」
 呟くように言うと、また力強い言葉が返される。自信と喜びに満ちあふれたそれは、信頼たり得るものだった――否、最初から信用しているのだ。この純真無垢で、いつだってまっすぐで、何事にも真剣に向き合う少女が、誰かに、自分に嘘なんて吐くはずがないのだから。
 もう溶けかけた氷をどうにかすくい取り、躑躅は口に運ぶ。少しぬるい甘みが心地良かった。

畳む

#レイシス #グレイス

SDVX

書き出しと終わりまとめ10【SDVX】

書き出しと終わりまとめ10【SDVX】
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あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその10。ボ6個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:はるグレ1/ライレフ3/嬬武器兄弟1/グレイス1

愛苦/はるグレ
AOINOさんには「ある晴れた日のことだった」で始まり、「答えはどこにもなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。


 晴れた日のことだ。
「グレイス、好きですよ」
 そう言って始果は口元を綻ばせる。表情が無いと言っても過言ではない彼が見せる貴重な顔だ。愛する少女の前でしか見せない、特別な笑みだ。柔らかなそれは、青空に映えるものだった。
 そう、と言ってグレイスは視線を逸らす。好意を一心に向けられているというのに、少女の表情は陰ったものだ。整った眉が寄る。俯く顔に太陽が影を作る。
 始果は度々『好きだ』と告げてくる。温かな感情を向けられて嬉しくないはずなどない。けれども、その言葉を信じ切ることができるほど、少女の心に余白は無かった。
 バグの海で出会った時、グレイスは始果の記憶能力を狂わせた。日常生活には支障がないものの、戦争が終結した今も彼の記憶力は低いままだ。知識もバラバラに抜け落ちたもので、度々人に世話を焼かれている。狂わせた影響なのか、感情表現も非常に希薄だ。
 この好意は、記憶能力を狂わせた影響によるものではないか。
 彼が愛しい言葉を紡ぐ度、疑問が少女の胸に湧いて出る。暗いそれは、柔らかで小さな心を簡単に食らい尽くした。
 これは何かの間違いなのだ。だって、記憶なんて大切なものを狂わせて恨まれないはずがない。好意を示されるはずがない。好かれるはずなどない。己にそんな資格など無い。
 重い言葉が少女の胸にぐるぐると渦巻く。間違いない、と決めつける言葉は、自分に言い聞かせるものだった。許されてはならない、と強い自罰意識が見えるものだ。誰よりも、何よりも、彼女自身が己が誰かに愛されることを許せなかった。
 グレイス、と柔らかな声が己の名前を呼ぶ。ゆっくりと伏せた顔を上げると、そこには穏やかな顔をした始果がいた。躑躅色の前髪に白い手が伸びる。長いそれを掻き分け、スピネルの瞳が陽の光の下に晒された。
 好きです、と一言。少年は微笑む。愛しさに溢れた表情だった。愛を詰め込んだ声だった。何もかも、グレイスにとって苦しいものだった。
 この言葉を素直に受け取ることができる日は来るのだろうか。
 答えなどどこにもなかった。




祭り囃子につられて/ライレフ
あおいちさんには「言葉が見つからなかった」で始まり、「懐かしい味がした」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。


 呆れのあまり、言葉が見つからなかった。
「何ですか、その量……」
「いや……どれも美味しそうだったから……」
 どうにか発した言葉に、兄はばつが悪そうに目を逸らし濁った言葉を返す。その手には、たくさんのビニール袋や棒に刺さった食べ物が握られていた。
 縁日やってるらしいし行こーぜ、と手を引き家を出たのが夕方に差し掛かる頃。多くの屋台を二人で見て回った頃には、世界はすっかり闇に包まれていた。張り巡らされた提灯の明かりが照らし出す世界は昼のように明るいが、気付けばもう夕食を済ませている時間だった。
 晩飯を食べてしまおう、買ってくるから待ってて、と人混みの中へと走り消えていった兄を待つこと十数分。戻ってきた彼の手に握られた数々の品を見て、烈風刀は眉をしかめた。勝手に走っていった時点で嫌な予感はしていたのだが、まさしく的中してしまった。
「貴方、これ全部食べるつもりなのですか」
「二人なら食べきれるだろ?」
「そうですけれど、買いすぎです。いくら使ったのですか」
 お祭り価格とはよく言ったもので、屋台の品々は基本的に価格が高い。それが悪いことだとは言わないが、さすがにこの量は無駄遣いだと言いたくなるものだった。手にした品々の数も、ざっと見た限り健康優良児である兄弟二人ならばどうにか胃に収まる量ではあるが、それでも限界に近いものだ。計画性が無いとしか言いようがない。
「いいじゃん、お祭りの時ぐらい」
「否定はしません。けれど、明らかに夕食に相応しくないものもありますよね? 夕食を買いに行ったのではなかったのですか?」
 ゆらゆらとビニール袋を揺らすその手には、りんご飴やいちご飴が握られていた。どうみても『夕食』には相応しくない代物である。大方、祭りの雰囲気に酔って衝動買いしたのだろう。
「いいじゃん。デザートだよ、デザート」
 ほら、と言って雷刀は赤いりんご飴をこちらに向ける。反射的に受け取ると、彼は辺りを見回した。
「あっちの方空いてるっぽいし、あっち行って食べよーぜ」
「帰ってからの方がいいのではないのですか?」
「せっかくのお祭りなんだから、ここで食べた方がいいって。その方が絶対うめーもん」
 そんなの場の空気に酔っているだけではないか、と言う反論は眼前に差し出された黄色によって阻まれた。焼きとうもろこしだ。焼けた醤油の香りが鼻をくすぐる。くぅ、と腹の虫が小さな声をあげた。
「はい、烈風刀の分な」
 そう言って兄はビニール袋を手渡してくる。ずしりと重たいそれを受け取ると、そのまま手を握られた。提灯の柔らかな光に照らされた顔に朱が差す。
「オレ、すぐはぐれちまうじゃん? ちゃんと掴んでて」
 反論の言葉は、都合の良い言葉によって消し去られた。たしかに、この人混みでは自由奔放で好奇心旺盛な兄はすぐにどこかに行ってはぐれてしまうだろう。そうなれば手間だ。ならば、仕方が無い。余計な手間を省くために一番効率が良い手段なのだ。言い聞かせ、弟はそっと手を握り返す。少し沈んだ視界、目の前の口元がニッと大きな弧を描いたのが見えた。
 頬に宿る熱を誤魔化すように、烈風刀は手にしたとうもろこしをかじる。きつね色のそれは、どこか懐かしい味がした。



奇跡よ、どうか続いて/ライレフ
AOINOさんには「いわゆる奇跡だったのです」で始まり、「君がいないと息もできない」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。


 いわゆる奇跡なのだろう。
 家族で、男兄弟で、唯一無二の片割れで。そんな関係性の自分たちが『恋人』なんて甘やかな存在になったのは、奇跡としか言い様がない。こんなこと、奇跡でなかったら何だというのだ。烈風刀は幾度も考える。奇跡でも無ければ、この想いが実ることなど無いに決まっている。
 だからこそ、不安で押し潰されそうになる。『奇跡』なんてあり得ないものの上に築かれたこの関係が、いつ壊れてしまうかなど分からない。人と人との関係なんて、ほんの些細なことで簡単に崩れ去ってしまうのだ。それが『奇跡』なんて不可思議で不安定な存在の上に成ったものならば尚更だ。
 もし、この『奇跡』が解けてしまったならば。
 背筋に冷たいものが走っていく。明確な恐怖だ。はっきりとした怯えだ。今の関係性が壊れてしまったならば、もう元には戻れないだろう。ただの『兄弟』として生きていくことなど、絶対に不可能だ。だからこそ、恐れが身体を支配する。もう引き返しようのない場所にいるのに、ここはあまりにも不安定だ。いつ壊れてしまってもおかしくないのに、こんなところに二人で立っている。いつまでも居続けることなどできるはずがない。こんな関係が永遠に続くはずなどない。ずっと彼と一緒にいられるはずがない。
「烈風刀?」
 柔らかな声に、はっと目を開く。薄暗い視界の中に、鮮烈な朱が飛び込んでくる。丸い柘榴石が不思議そうにぱちりと瞬いた。
「どした? 調子悪い? 今日はやめとく?」
「い、え……。大丈夫、です」
 不安げに八の字を描く眉を見て、少年は淀んだ声で返す。ほんとに、と心配げに問うてくる愛しい人の首に腕を回し、そっと抱き寄せる。なんでもありませんよ、と囁けば、小さな呻り声が耳をくすぐった。
「嘘吐くなよ」
「嘘なんて吐いていませんよ」
 だから、早く。
 むくれた調子で言葉を紡ぐ兄の耳に、そっと言葉を流し込む。こくん、と喉が鳴る音が聞こえた。
「無理だと思ったらすぐ言えよな」
「はいはい」
 未だ訝しげに目を細める彼に、あしらう調子で声を発する。むぅ、と柔らかな頬が膨らむ。ほんとに無理すんなよ、と今一度釘を刺される。鈍いようで変なところで聡い彼には、この虚勢は見抜かれてしまったようだ。それでも、こちらの意志を汲んでくれるのだから、彼は優しい。その優しさにずっと甘えているのだ、と考えて、烈風刀は自嘲気味に笑みをこぼす。天河石の瞳に陰が差した。
 目が醒めるような朱が近づく。愛おしい熱を想い描きつつ、少年は目を閉じる。すぐさま、唇に温かなものが触れた。啄むような触れ合いが、どんどんと深くなっていく。呼吸が奪われていく。それでも、今はこの熱に溺れる他無かった。
 もう君がいないと呼吸すらできない。



蝉と昼空/嬬武器兄弟
あおいちさんには「夏が始まる」で始まり、「これから何かが始まる予感がした」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。


 あぁ、夏が始まるのだ。
 抜けるような青空を見上げ、烈風刀はベランダに一人立ち尽くす。彼を囲むように色とりどりの衣服と汚れ一つ無いタオルがはためく。
 ジー、ジー、と特徴的な音が鼓膜をこれでもかと震わせる。鼓膜を通り過ぎて頭に直接突き刺してくるようなそれを、少年はぼぅとした様子で聞く。アパートの前、歩道に植えられた並木には多くの蝉がしがみつき、短い生を謳歌しているのだろう。何重にも折り重なったこの鳴き声が何よりの証拠だ。
 昨日まで蝉は鳴いていただろうか。記憶の糸をたぐるが、あまりにも日常に溶けこんだそれを思い起こすことは不可能だった。今この瞬間――洗濯物を干す最中、ふと中天に近づきつつある太陽を見上げた今、脳がこの音を認識したのだ。不思議なものである、と思うと共に、そんなものか、とも思う。人間は、興味の無いことは案外認識しないものだ。
 雲一つ無い青空。照りつける太陽。蝉時雨。『夏』という語を思い起こすには十分の要素たちだった。
 そも、気付けばもう期末試験も終わり、再来週には終業式ではないか。夏にはとうに足を突っ込んでいるような時期だ。だのに今の今まで自覚しなかったのだから自分も大概惚けている。
「烈風刀ー、風呂掃除終わったー」
 カララ、と軽い音と共に飛び込んできた声に、意識が現実に引き戻される。ぱちりと瞬き一つ、音の方へ顔を向けると、空とは正反対の色をした兄が立っていた。
「どーした?」
「あぁ、いえ。何でもありません」
 首を傾げる雷刀に、少年は視線を下に落とす。誤魔化すように、手に持ったタオルを軽く振る。パン、と布地が広がる音が蒼天に上がる。
「うっわ、蝉の声すげーな。夏って感じ」
 洗濯かごからバスタオルを手にした雷刀は青空を眺め言う。うんざりしたようにも取れる言葉は、どこか弾んだものだ。
 そうですね、と物干し竿にタオルを吊しながら応える。同じことを考えた、という事実に、胸がどこかこそばゆくなる。単純な兄と同じ思考をしてしまった悲しみか、それとも愛しい家族と同じことを考えたことに対する喜びか。青春真っ只中の少年の複雑な心は、自分でも理解ができなかった。
「そういやもうすぐ夏休みだなー。今年は何やるんだろう」
「貴方はその前に補習があるでしょう」
「思い出させんなよ……」
 弾んでいた声が一気に萎む。コロコロと変わる表情と音に、少年はくすりと小さく笑みを漏らす。笑い事じゃねーだろー、とむくれた声が飛んできた。
「ま、補習なんてさっさと終わらせて遊ぼーな。レイシスも誘ってさ」
 切り替えた様子の兄はニッと笑う。何もかもを照らすような輝く笑みに、少年はそっと目を細める。そうですね、と返し、彼も口元を緩めた。
 今年も賑やかな夏が始まる予感がした。



貴方の音/ライレフ
あおいちさんには「君の好きな歌を口ずさんだ」で始まり、「今なら伝えられる」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以上でお願いします。


 愛する彼女を象徴する歌を口ずさむ。そういえば、この歌は兄も好きだったな、と余計な情報が呼び起こされる。愛しい少女のために作られた曲なのだ、己たち兄弟が好きになるのは当然のことだった。
 トントンとまな板と包丁が軽やかな音をたてる。合間に、シャキシャキと小気味の良い音が挟まる。細切りになった人参は、今晩の味噌汁の具材になる予定だ。
「あ、オレもそれ好き」
 後ろから飛んできた声に、手が、歌が止まる。強張った表情で音の方へと視線を移す。そこには冷蔵庫を開ける兄の姿があった。
 聞かれていた、という事実に、白い耳に血の色が差す。胸の内に重い何かがどろりと渦巻く。包丁を握る手にかすかに力がこもった。
「やっぱレイシスの曲は最高だよなー」
「……当たり前でしょう」
 麦茶をグラスに注ぐ兄の言葉に、短く返す。突き放すような響きになってしまったのは仕方のないことだろう。愛する彼女を歌った楽曲が素晴らしいのは当然のことであるし、気の利いた答えを返せるほどの余裕など今は持ち合わせていない。
 弟の様子など気にかけることなく、兄はグラスを傾ける。健康的な色をした喉が大きく動く。横目に、烈風刀は調理を再開する。シャクンと人参が軽やかな音をたてた。
「オレ、あれも好き。えっと――」
 そう言って兄はメロディーを奏で出す。テテテ、と口ずさむそれは、以前己がジャケットを担当した楽曲だ。機嫌良く歌う横顔は楽しげなものだ。彼は人前で歌うことに抵抗がないらしい。
「何だっけ」
「何故曲名は覚えていないのですか……」
「だって烈風刀が担当する曲、英語ばっかじゃん」
「貴方もでしょう」
 そうだけど、と雷刀は唇を尖らせる。自分の担当した曲名すら覚えているか怪しいのではないか、と疑念が湧く。これ以上話を進めるのはやめておいた方がいいだろう。
「グラス、ちゃんと洗っておいてくださいよ」
「へいへい」
 気の抜けた返事とともに、水が流れる音が響き出す。洗い物をする彼を横目に、烈風刀は具材を鍋に入れる。今度は大根を取り出し、まな板に据える。白い円柱に刃を入れると、瑞々しい音があがった。
「何か手伝う?」
「大丈夫ですよ。先に課題を終わらせてください」
 覗き込む兄に返すと、ぅ、と濁った音がキッチンに落ちた。勉強嫌いな彼のことだ、今の今まで忘れていたのだろう。提出期限もうすぐですよ、と追撃を飛ばすと、へい、と萎んだ声が返された。
 スリッパが床を打つ力のない音が後ろを通り、ダイニングへと消えていく。パタン、とドアが閉じる音が後ろ手に聞こえた。
 切ったばかりの大根を鍋に入れる。次は油揚げだ。先に湯抜きしておいたそれに包丁を入れる。柔らかな生地が音もなく分かたれた。
 まな板を包丁が叩く音の中、兄の歌声がリフレインする。好き、と言いながら歌う横顔は愛おしく可愛らしい。何より、自分が担当した曲を好きだと言われ、喜びが胸の内に湧いて出た。ジャケットを担当した曲はどれも思い入れのあるものだ。それを『好き』とまっすぐに言われて、嬉しくないはずなどなかった。そんなこと、恥ずかしくて面と向かって言えないけれど。
 僕も貴方のあの曲、好きですよ。
 口の中で呟いてみる。素直な言葉はいつか伝えられるだろうか。



奇跡も愛も受け止めきれずに/グレイス
葵壱さんには「いわゆる奇跡だったのです」で始まり、「明日はきっと優しくなれる」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。


 いわゆる奇跡だったのだろう、と、少女は己の手を見る。随分と小さくなってしまったそれを、意味もなく握って開いてを繰り返す。たしかな感触に、マゼンタの目が細められた。
 あの日――レイシスが手を伸ばし迎えに来てくれた日、古いプログラムでできた己の身体はネメシスの力によって再構成された。渇求した『あちら側』での存在を認められ、ヒトらしく暮らすようになって早幾月。再構成する段階で縮んでしまったグレイスの身体は、既に元のすらりとした体躯に戻っていた。
 それでも、まだ創り変えらたコアがしっかりと安定していないからか、ふとした拍子に幼い姿に戻ってしまうことがある。様々な要因が重なってしまった今日がそうだった。幸い、運営業務に差し障ることはなかったが、大事をとって先に帰宅することとなったのだ。
 レイシス謹製の服に着替え、グレイスはベッドに浅く座る。小さくなった身体をたしかめるように撫で、胸に手を当てる。創り変わったコアが脈動するのが、厚い布地越しに伝わってくる。生きているのだ、と改めて確認し、少女は小さな溜め息をついた。
 身体が縮む度、この意味のない行為をするのが彼女の癖となっていた。コアが動くことなどごく当たり前のことではないか、と人は首を傾げるだろう。けれどもグレイスにとって――一度消失寸前に陥った彼女にとっては、他者にとっての当たり前など当たり前ではない。現に、未だ不安定なこの身体は同じ形を保ち続けることができていないのだ。このまま元に戻らなかったら、もっともっと小さくなってしまったら、消えてしまったら。決して口に出すつもりはないが、少女の中には不安はまだまだ残っている。
 生まれ過ごした時間はレイシスたちとさほど変わらないものである。しかし、グレイスは誰もいないバグの海で生の大部分を過ごしてきた。他人と関わることが無いに等しかった少女の情操は、彼女らよりも発達していない。人よりも不安になってしまうのは仕方のないことだ。
 奇跡なのだ、と改めて考える。
 本来ならば、己はあの日世界諸共――それかただ独り――消滅していたはずなのだ。けれど、『死にたくない』と醜く発した言葉を、レイシスは聞き届けてくれた。手を差し伸べてくれた。救ってくれた。ネメシスで生きる願いを叶えてくれた。これが『奇跡』でなく何というのだ。
 レイシスという存在無しでは、今のグレイスは在りえない。感謝してもしきれない存在だ。なにせ、言葉通り命の恩人なのである。彼女無しでは、ネメシスに愛された彼女無しでは、己はとっくにバグに飲み込まれて消えていたのだから。
 だのに、あの少女が降り注ぐ満開の愛を、己は正面から受け止めきれずにいる。素直に捉えず、斜に構えて邪険に扱ってしまうのだ。
 グレイスは誰もいないバグの海で一人生きてきた少女である。愛を与えられることなどなかった。愛の受け止め方など知らなかった。だから、分からないのだ。素直な受け取り方を。
 愛を与えてくれるのに、愛に応えられない。どう応えていいか分からない。それが嫌でたまらない。命の恩人を邪険に扱うなど、最低ではないか。
 何より、グレイスはレイシスを好いている。好意には好意で応えたい。それは当たり前の思考だ。けれど、その当たり前が実行できない。歯痒くて仕方なかった。
 もっと自分が素直ならば。愛の受け止め方を知っていれば。愛の渡し方を知っていれば。
 何度考えても、心は、身体はついてきてくれない。いつまで経ってもぶっきらぼうにあしらってしまうのだ。何度歯噛みしても、育ちきっていない情緒は思考に追いついてくれないのだ。
 ふぅ、と息を吐く。存外重いそれに、思わず苦笑を漏らす。溜め息を吐きたいのはレイシスの方だろうに。何故加害者の自分がこんなことをしているのだろう。自己嫌悪がまた一つ募っていく。
 きっと明日――下手をすれば今日の業務終了後――は、レイシスが部屋を訪れるだろう。『大丈夫デスカ?』と心底心配な表情と声で尋ねてくるはずだ。あの心優しい姉は。
 明日は素直になれるだろうか。優しくなれるだろうか。
 なれたらいいのに、と考えて、少女はアザレアの瞳を閉じた。

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#はるグレ #ライレフ #嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀 #グレイス #腐向け

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凍てつく君を引き上げて【氷雪+ニア+ノア】

凍てつく君を引き上げて【氷雪+ニア+ノア】
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ΩDimension4周年おめでとうございます!(大遅刻)
にかこつけた4年前Ω初登場時に練ったプロット救済。ずっと書きたかったけど完全に機会を見失ってたのでここで出しちゃう。
ボス曲のジャケットという大役を任された氷雪ちゃんとニアノアちゃんの話。

 長い柄杓がカタカタと音をたてて震える。細い柄を握る手は冬の空気よりも冷たく、積もる雪よりずっと透明な白に染まりきっていた。
 ボルテ学園、教室棟から少し離れた特別教室棟。その一室に位置する撮影ブースはまばゆい白に包まれていた。写真撮影用の大きなライトで照らされる明るい空間の片隅、機材の強い光が届かぬ物陰に座り込む小さな影が一つ。白と深青で彩られた衣装を纏い、ずり落ちてしまいそうなほど大きな帽子を被った少女――氷雪だ。
 凍えるように縮こまった華奢な身は、冬の海の冷たさを思い起こさせるような青白い衣装に包まれていた。常日頃彼女が身に着けている着物によく似たデザインだが、肩口には大きな切れ込みが入っており、そこから夜の海のような深い青が覗いている。白い布地には鮮やかな海色の細い線が走り縁取っていた。深海色の帯には赤く太い帯紐が結ばれている。髑髏と雪結晶を合わせたような帯留めが中央に輝いていた。
 厚い布地が重なって下半身を包むはずの裾は、大胆に開かれている。その中心を前垂れのような布が守っていた。左右に大きく割れた生地の隙間から覗く脚は、氷柱のように白く細い。影から顔を覗かせる深い青の襦袢とのコントラストが眩しかった。その白さを強調するように、赤い数珠とボロボロになった包帯が片足ずつに巻かれている。
 形の良い白い頭には、海賊帽が載せられている。黒地に金の髑髏マークと濁った赤の羽根で飾られたそれは、小柄な彼女の頭に対して随分と大きなものだ。背を丸め俯いた今の姿勢では、バランスを崩して床に落ちてしまいそうだった。
 寒さを堪えるように己の身を抱え震える彼女の姿は、この部屋において不自然なものだ。室内は滞りなく撮影作業ができるよう、空調が整えられている。むしろ、いくつも点けられた大型ライトの影響で暑さを覚えるほどだ。何より、『雪女』である彼女は人よりも寒さにずっと強い。このように寒さを凌ぐように震え縮こまるのは異常にすら映った。
 どうしよう。
 先ほど――特にこの衣装に着替えてから、氷雪の頭はその五文字で埋め尽くされていた。どうしよう。どうしよう。思わず口からこぼれ落ちそうになるが、可哀想なほど震える唇は音を形作ることができず細い呼気を漏らすだけだ。血の気が消え失せた真っ白な細い指が、まるで縋り付くように柄杓の柄を強く握った。
 ΩDimension――近日行われるアップデートで実装される新システム、およびそれに伴う楽曲追加があるという話は以前から耳にしていた。けれども、そのいくつもの楽曲たちを解禁した先に待ち構える楽曲――所謂『ボス曲』のジャケットを氷雪が担当するということを伝えられたのは、つい数週間前のことだった。
 数年ぶりの新システム、その第一弾を飾るということもあってか、用意された楽曲とエフェクトはどれも非常に難しいものである。しかも、それを専用の特殊ゲージでクリアするという厳しい解禁条件が設けられているのだ。かなり力が入った企画だということは誰が見ても分かる。
 その厳しい条件を全曲満たしてようやく挑戦できる――それもまだ片手で数えられるほどしか存在しない、レベル二〇の楽曲のジャケットを担当することなど、氷雪は欠片も考えていなかった。そもそも、自分がそのような大役を任されることなど想像すらしていなかったのだ。当たり前だ、彼女はそんな大それたことを考えるような性格ではないのだから。
 企画が伝えられた当初は全く実感が湧かず、どこか他人事のように思っていた。しかし、こうして撮影準備を進める内に、事の重大さがじわじわと少女の胸を苛み始めた。ついには、部屋の片隅で一人震えるほどの不安と恐怖が彼女にのしかかったのだった。
 何でわたしが。
 繰り返し湧いてくる疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡る。憂いと恐れに支配された思考は、それに対する明確な解を弾き出すことができない。できるはずなどなかった。
 今まで最高レベルの楽曲を飾ってきたのは、レイシスとマキシマが常だ。最近ではグレイスがその役割を担うことも増えているが、やはり多くはあの二人が務めている。そうでなくとも、古株である嬬武器の兄弟や紅刃、担当経験のあるニアとノアなど、自分よりもずっと相応しい者は大勢いるのだ。なのに、何で自分が――今まで低難易度の楽曲を主に担当してきた自分が今回抜擢されてしまったのか。何で。何で。どうして。疑問が頭を、心を巡り蝕んでいく。どれだけ考えようとも、答える者は今ここに存在しなかった。
 どうにか落ち着こう、と考え吐き出した息は酷く細い。無理に整えようとした呼吸は浅くなるばかりで、過呼吸を起こしてしまいそうな状態だ。少女がどれだけ努力しようとも、震えが止まる気配は無い。華奢な彼女の身体と思考は、答えの見つからない疑問と奥底から込み上げる不安に支配されていた。
 パキ、と高い音が空間に小さく響く。床に垂れた生地が凍り、音をたてたのだ。無意識に雪女の力が暴走している証拠だ。止めなきゃ、と頭に欠片だけ残った冷静な部分が言う。しかし、今の彼女に繊細なコントロールをすることなど不可能だ。パキパキと音が増えていく。室内の一角は真冬と変わらぬ温度まで下がっていっていた。
「あっ! 氷雪姉ちゃんだ!」
「氷雪姉ちゃーん!」
 重く凍る空気を全て吹き飛ばしてしまいそうなほど明るい声が、座り込んで震える少女の名をなぞる。快活な音色に、氷雪の細い肩がびくりと大きく跳ねた。ずっと白い床に縫い付けられていた視線がこわごわとした動きで上がり、音の方向へとゆっくりと移動する。怯えの浮かぶ翡翠の瞳に、柔らかに揺れる長い蒼が映し出された。
「ニ、ア、ちゃん。ノア、ちゃん」
 凍てついた細い喉が何とか紡ぎ出したのは、初等部に属する双子の兎の名だった。いつも元気に満ち溢れぴょんぴょんと飛び跳ねる彼女らは、今日も明るい笑顔を振りまいていた。少女の視線に気付き、兎たちは大きく手を振る。小さな手がぶんぶんと宙を往復する。
 普段ならば学園指定の白に青のセーラー服を身に着けている二人だが、今日は違う。小柄な身は、雲のように真っ白な袖の無いワンピースで彩られていた。
 シンプルなデザインながら、随所にあしらわれたフリルがボリューミーな印象を与える。たっぷりのフリルがあしらわれた胸元、その中央には瞬く星の輝きを模ったアクセサリーが存在を強く主張している。純白の布地はハイウエストで青いリボンによって絞られ、胸の下には金の刺繍が散る夜空色のリボンが垂れて揺れていた。トレードマークの青いリボンカチューシャは、今日は衣装と同じ白だ。兎耳がついたライムライトの靴は、白いリボンとファーが彩るサンダルに変わっている。背中からは、小鳥のような小さくふわふわとした羽が覗いていた。
「……天使さん、でしょうか?」
「そーだよ!」
「海賊の次は天使さんだよ!」
 無意識にこぼした声に、二人の少女は楽しげに応えた。どうかな、とニアはファッションショーのモデルのようにその場でくるりと回る。健康的な肌が透けるほど薄いワンピースの裾と胸元を彩る星模様の青いリボンが、陽光に照らされる花のように鮮やかに開いて舞った。
「え、ぇ。とっても似合っていますよ。かわいい、です」
 楽しげにはしゃぐ双子の姿に、不安で凍りついた少女の心にわずかに熱が灯る。安堵するかのように目をゆっくりと細め、氷雪は硬いながらも言葉を紡いだ。雪色の言葉に、青と白の天使はほんのりと頬を染め笑む。『可愛い』と褒めてもらえたのが嬉しいのだろう、えへへー、と面映ゆそうな笑声とともに紺碧の目が細められた。
「氷雪姉ちゃんもきれいだよ!」
「真っ白ですっごくきれいだよ」
 真っ白お揃いだね、と兎たちはきゃいきゃいと楽しげに声をあげる。新しい衣装と久しぶりのジャケット撮影に気分が高揚しているのだろう、頬は赤く染まり響く声も少し高い。一段と元気に見えた。
 双子兎のまっすぐな賞賛に、氷雪はありがとうございます、と礼を返す。しかしその声は未だ物音に掻き消されてしまうほど細いもので、どうにか微笑みを模ろうとした表情も強ばっていた。見るものに違和感を覚えさせる様相だ。
「……氷雪姉ちゃん、顔真っ白だよ?」
「大丈夫? 具合悪いの?」
 ようやく異変に気づいた双子が、不安げな声で問う。そういえば寒いもんね、と青兎は顔を見合わせる。気温低下の原因は目の前にいる少女なのだが、それには気づいていないようだ。
 眉を下げ心配そうに見つめる後輩の姿に、氷雪の肩がビクリと跳ねる。可哀想なほど怯えた動きだった。ぁ、ぅ、と小さな音が細い喉からこぼれ出る。
「い、いえ。ちょっと……緊張、して、しまって……」
 どうにか平静を取り繕うとするが、答える声は酷く震えていた。指摘された通り、顔色は良いなどとは到底言えないほど青白い。こんな様子では、不調と判断されるのも無理はないことだ。
 心配させてしまっている。困らせてしまっている。焦りが雪女の胸を巣食っていく。細い息を吐く唇は、もう色を失っていた。
「本当に大丈夫?」
「辛いならレイシス姉ちゃんに言ってくるよ?」
「だっ、だいじょうぶ、です。本当に、ただ緊張しているだけ……です、から……」
 だいじょうぶですよ、と雪色の少女は言う。何度も繰り返す言葉は、目の前の二人に伝えるというよりも、己に強く言い聞かせているように見えた。白耳の兎たちは不安げに顔を見合わせる。うーん、と小さな口から悩ましげな音が漏れ出、ハーモニーを奏でる。鏡合わせのように、小さな頭がことりと傾ぐ。昼空色の髪が音も無く揺れた。
「じゃっ、じゃあ」
 静まりかえった冷たい空間の中、声をあげたのはノアだった。姉に比べ少し気の弱いところがある彼女が大きな声を出すのは珍しいことだ。えっとね、えっとね、と呟きながら、ノアはきょとんとした様子の氷雪の前にしゃがみこむ。すぐ目の前、柄杓を握りしめる色を失った手に、己のそれを優しく重ねて包み込んだ。
「あのね、こうしてると安心するの」
 ね、ニアちゃん、と少女は姉を見る。妹の言葉に、ニアはぱちりと瞬く。うん、と元気に答えると、同じようにしゃがみこみ、氷雪と片割れの手に己のそれを重ねた。
「ノアがこわいなー、とか、きんちょうするなー、ってドキドキしてる時はね、いつもニアちゃんがこうやってくれるの」
「ニアも、ノアちゃんが手をぎゅーってしてくれると元気になるの! ノアちゃんの手、すっごくあったかくって安心するんだー」
「だから、氷雪姉ちゃんもこうしたらちょっとだけでも安心できないかな、って……」
 語るノアの声は次第に萎んでいき、丸い眉の端はどんどんと下がっていく。不安の色を浮かべた瑠璃が、天河石をじっと見上げる。大丈夫だろうか。少しでも助けになれないだろうか。迷惑ではないだろうか。幼い彼女のそんな心優しい気遣いが、氷雪には痛いほど伝わってきた。
「……ありがとう、ございます」
 色を失った唇が、二人の天使に礼の言葉を紡いで贈る。心なしか、強張っていた声はほんの少しだけ解けたように聞こえた。
 響きに反し、氷雪の心はどんどんと淀み沈んでいく。こんな小さな子に気を遣わせるなんて。迷惑をかけるだなんて。自己嫌悪がチクチクと胸を刺す。二人分の温かさに包まれているはずの彼女の手は、冷えるばかりだった。
「――なんで、わたしが」
 数え切れないほど繰り返した問いが、小さな口からこぼれ落ちる。数拍、無意識の失言に気づき、氷雪は不安色に染まった目をはっと見開く。青く凍りついた顔が、おそるおそる上げられる。見上げた先には、きょとんとした二対の青があった。降り始めの雪のように微かなそれは、兎の天使たちの耳に届いてしまったらしい。さぁ、と血の気が引いていくのが己でも分かる。常磐の瞳が急いで床へと向けられた。
「氷雪姉ちゃん?」
 心配げに問う兎たちの声に、雪女は可哀想なほど震える。聞かれてしまった。こんな情けない言葉を、こんな小さい子たちに聞かれてしまった。ピシ、と空間が再び冷たい音を鳴らした。
「氷雪姉ちゃん」
 ニアが少女の名を呼ぶ。白い着物に包まれた細い身が更に縮こまった。凍りついてしまったような動きだった。氷雪姉ちゃん、と揃った双子の声は、そんな彼女を包み込み温めるようなとても優しいものだ。
「あのねあのねっ、何か悩んでるんだったらニアたちに言ってみない?」
「えっと、人に言ったらちょっと楽になるかもしれないよ?」
「絶対秘密にするから!」
 真摯な二対のアズライトが、不安に揺れるエメラルドを見つめる。まあるく開かれた星空色には、少しでも力になりたい、という力強い願いが浮かんでいた。あまりにもまっすぐな視線に、萌葱の目がぱちぱちと瞬く。白い喉がひくりと動いた。
「……わたしが」
 ほろり。凍った唇が解ける。白に近いそれは、怯えを孕み震えていた。可哀想なほど小刻みに揺れる唇が、どうにか言葉を紡ぎ出していく。
「わたしが、わたしなんかが、ボスでいいのかな……、って」
 こんなにすぐ緊張して、力もコントロールできなくて、部屋の隅で一人で震えるような、こんな、ただの雪女のわたしが、『ボス曲』なんて大役を。
 恐怖で冷え切った言葉がぽろりぽろりとこぼれていく。音を吐き出す度に、視界がぼやけていく。浅瀬色の瞳に、水が膜張っていく。表面張力が限界を超えこぼれ落ちた雫は、すぐに凍りついてしまった。丸い氷が硬い床を転がっていく。細かな氷粒がいくつも落ちていく音が三人の間に響いた。
 淀む胸の内全てを吐露し、少女の胸にわずかに凪が訪れる。しかし、嫌悪の情がそれを全て塗り潰し、ぐちゃぐちゃに掻き乱していった。こんな小さい子に、こんなに弱い、みっともない姿を見せるだなんて。きっと呆れられてしまう。愛想を尽かされてしまう。嫌われてしまう。こんこんと湧き出す負の感情が、細い身を押し潰さんばかりに襲いかかった。
 カタカタと細かに震える手に重なった小さな手が、力強くぎゅうと握られる。まるで熱を分け与えようとしているようだった。沈みゆく心を、柔らかな温度が一気に引き上げる。
「大丈夫だよ!」
「今日の氷雪姉ちゃん、すっごくきれいですっごくかっこいいもん!」
 キラキラと輝く星空色二対が、川底色を射抜く。少女らの声は、瞳は、自信と元気に満ち溢れていた。二人の言葉は主観的で、決して論理的なものではない。けれども、雪すさぶ少女の心を一気に照らし出し晴らすような勢いがあった。
「でも、やっぱり最初は緊張しちゃうよね」
 ねー、と双子星は顔を見合わせて苦く笑う。ほんのりと染めた頬には羞恥が薄く乗っていた。
 そういえば、この二人もつい数ヶ月前に初めて『ボス曲』の看板を背負ったのだった。けれども、筐体上で盛大に発表されたジャケットの二人は、元気いっぱいの天真爛漫な笑顔をしていたではないか。意外だ、とぱちりと瞬きをする。目の前で笑う双子の兎たちはいつだって元気で、いつだって自信満々で、どんなときでも明るく笑っているのに。そんな彼女たちでも、こんな弱い己のように緊張するのだろうか。
「ノアたちも上手くできるかなーって怖かったけどね、レイシス姉ちゃんが『大丈夫デスヨ』って言ってくれてね」
「『ワタシも最初はとっても緊張しマシタ』って教えてくれたの」
 二人の言葉に、小さな口から、ぇ、と言葉が溢れる。まさかあのレイシスが、と雪色の少女は大きく目を見開いた。
 レイシスはこの世界の看板とも言える、常日頃最前線で活躍している少女だ。多くの『ボス曲』の看板を背負ってきたのも彼女である。いつだって朗らかで、女神のように慈愛に満ちていて、自分をまっすぐに信じている、皆の憧れの女の子。そんなレイシスが撮影で緊張しただなんて、信じられなかった。
「あっ、グレイスちゃんも緊張してたーってオルトリンデ先生が言ってた」
「グレイスさんもですか……?」
 続けて告げられた言葉に、氷雪は思わず驚きの声を漏らす。耳に飛び込んできた情報は、到底信じられないものだった。
 グレイスという少女は芯の通った、いつだって自信に満ち溢れたな子だ。少なくとも、交流の少ない氷雪にはそう映っている。そんな彼女が緊張をするだなんて、冗談のように聞こえる。けれども、情報の出処は彼女をずっと隣で見てきたあの教師なのだ。嘘ではないだろう。
「それ聞いたら安心したの」
「皆同じなんだなー、って」
 だからね、と兎は声を揃える。重ねた手に力がこもる。紅葉のような可愛らしい手が、細く白い手を包み込む。今の氷雪は雪女としての力が暴走している状態だ。周囲の空気はもちろん、彼女自身も雪のように冷たくなっている。このように触れていては、寒いなんて言葉では済まないに決まっている。下手をすれば凍傷を負ってしまう危険性もある。けれども、双子兎はその華奢な手をしっかりと握りしめた。
「氷雪姉ちゃんが緊張するのも一緒だよ!」
「皆と一緒だよ! 普通のこと!」
 だから、大丈夫だよ!
 明朗な二重奏が冷たい空間に響き渡る。星きらめく瞳が大きな孤を描き、色を失ったかんばせへと温かな笑顔を降り注ぐ。
 太陽のような声と表情に、涙に濡れた水宝玉が瞠られる。水底に沈みゆこうとしていた美しい緑の瞳が、ゆっくりと透明度を取り戻していった。眦から透明な雪がはらりと舞う。
 皆一緒。普通。天使たちが高らかに謳う言葉が、渦巻く重い感情で潰れかけた心をそっと掬い上げる。
 本当なのだろうか。心の暗い部分が疑念の声をあげる。しかし、ストンと素直に心に落ちて溶けていく言葉でもあった。当たり前だ、『ボス』なんて大役を初めて担うだなんて、誰だって緊張するだろう。何しろそのイベントの看板であり、企画を象徴するものなのだ。大きな責任感が押し寄せてくるのも、役目が全うできるのかと心細くなるのも、きっと『普通』のことなのだ。目の前の当事者が――緊張や不安といったことに無縁に見える爛漫な少女たちが言うのだから、本当だろう。彼女らが気休めの嘘を吐くなど、欠片も思えなかった。
 それにね、とニアは握った手をそっと撫でる。冷え切った手をなぞる姿は慈しみに満ちていた。それこそ、天から舞い降りた天使のような。
「レイシス姉ちゃんたちが適当に決めるはずないもん!」
「きっといっぱい考えて、氷雪姉ちゃんに決めたんだよ」
「氷雪姉ちゃんがいいんだよ!」
「氷雪姉ちゃんじゃなきゃだめなんだよ!」
 ねっ、と双子は声を揃えて語りかける。寄せ合うように小さな頭が鏡映しに傾ぐ。床についてしまいそうなほど長い青髪がさらりと揺れた。
 一生懸命紡ぎ出された言葉たちに、少女は目を瞠る。ほんのりと紅を取り戻しつつある唇がぽかんと開かれる。驚愕をありありと示していた。
 自分でなければいけないだなんて、考えたこともなかった。決まったことは決まったことで、そこにあるはずの理由など考えたことがなかった――考える余裕など、繊細な少女は持ち合わせていなかった。
 あのレイシスが――誰よりも世界を愛し、誰よりも尽力するあの少女が、意味の無い選出をするわけがないのだ。答える者がいない今真意を知ることはできないが、そこには確かな理由が存在するはずだ。氷雪でいけない理由が。
「……そう、なのでしょうか」
「そうだよ!」
 依然不安に染まった声に、快活な声が二つ重なる。確信を持った響きをしていた。青く長い睫毛に縁取られた目が弧を描く。満面の笑みが緊張と不安に冷えた少女を照らし出した。
「それに、氷雪姉ちゃん一人じゃないよ」
「ニアたちが一緒だよ。三人一緒なら、きっと大丈夫!」
 一回り小さい柔らかな手二対が、爪まで凍りきった手を握りしめる。憂いに揺れる少女に元気を、勇気を分け与えようとするような光景だった。
「……そう、ですね」
 二人が一緒にいてくれますものね、と氷雪は眩しげに目を細める。こぼれ落ちた声からは、緊張に縛られた硬さや不安を孕んだ冷たさは薄れていた。常の彼女が紡ぎ出す、柔らかで穏やかな響きが帰ってきていた。
 そうだ、一人きりではない。ニアとノアがいるのだ。担当する楽曲は違えど、二人も今回の『ボス曲』を背負う役目だ。同じ立場の人間が、共に在ってくれる。寄り添ってくれる。どれだけ心強いことだろう。『一緒』の一言が、少女の心を掬って引き上げる。笑顔と激励という陽光に照らされ、柔らかなそれに絡みついた呪縛が少しずつ剥がれていった。
「うん!」
 元気いっぱいの二重奏が冷えた空間に響く。冬の寒空の下のような冷気は、いつの間にか随分と和らいでいた。千々に乱れた心が落ち着きを取り戻しているのだ。暴走した力は、ようやくその姿を隠し始めた。
 重なった小さな掌が離れていく。指先が赤く染まった紅葉手が、胸の前でぎゅっと握りしめられる。えいえいおー、と元気な声とともに、握り拳が天に向かって掲げられた。
 ぉ、おー、とつられるように氷雪も小さく続く。色が失せた手に、かんばせに、ほんのりと朱が灯った。
 控えめながらも一緒にやってくれた嬉しさにか、双子の天使はにこりと満開の笑みを咲かせた。おー、ともう一度声があがる。先ほどよりも一回り大きな、部屋の外まで聞こえてしまいそうな合奏だ。
 青兎たちがすくりと立ち上がる。丈の短いワンピースの裾がふわりと舞う。たなびく白と青を追い、視線がゆっくりと持ち上がる。潤んだ燐灰石に、差し伸ばされた白く細い腕二つが映った。
「さっ、行こ!」
「一緒に行こう!」
 小さな手を目いっぱいに開き、ニアとノアは腕を伸ばす。ソプラノボイスが重なって可愛らしい音色を奏でた。
 常磐がゆっくりと瞬く。柄杓を固く握りしめていた右手がゆっくりと解けた。白い着物に包まれた細い腕が、こわごわとした様子で伸ばされる。救いの光を求めるように上がったそれに、二つのたなごころが重なった。
 小さな手が細い手を抱きとめ、握りしめ、ぎゅっと引く。わっ、と小さな声をあげながら、氷雪はふらつきながらも立ち上がった。ぺた、と素足が床に触れる音が空間に落ちる。
 自分たちより頭半分上の若葉を見上げ、露草が曲線を描く。空いている手が天に向かって大きく上げられた。
「撮影頑張ろうね!」
「いっぱい綺麗に撮ってもらおうね!」
 もうすぐ行われる撮影に思いを馳せる二人は、元気いっぱいに言う。『撮影』という単語に、解けた身が一瞬強張る。足下から這い寄る緊張を振り払うように、少女はふぅと細く息を吐いた。
 大丈夫だ。レイシスが選んでくれたんだから。二人がいるんだから。一人じゃないんだから。
 双子たちがくれた言葉を心の内で唱える。胸の内を覆う黒い靄がスッと晴れていく気がした。
「……はい、頑張りましょう」
 パタパタとサンダルが床を打つ音に、柔らかな声が混じる。温度を取り戻しつつある空間に溶けて消えそうなそれは、兎たちの耳にしっかりと届いたようだ。真夏に咲くひまわりのような大輪の笑顔がぱっと咲いた。
 双子兎と雪女は手を繋ぎ駆けていく。光に照らされた撮影ブースに人影が三つ飛び込んだ。

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#氷雪ちゃん #ニア #ノア

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濡れ髪に触れて【ライレフ】

濡れ髪に触れて【ライレフ】
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オニイチャンは絶対に髪をろくに乾かさないという幻想と弟君はなんかかんか世話焼きだという幻想と髪に触るという性癖が合わさった結果がこれだよ。

 冷たい空気が肌を撫ぜる。常ならば身を縮こませるようなそれは、長風呂で火照った身体には心地良く感じた。ほぅ、と思わず息が漏れ出る。熱を孕んだ呼気は、暗い廊下に溶けて消えた。
 肺の空気を吐き出した喉が渇きを訴える。長時間の入浴を終えた身体は水分を欲しているようだ。水でも飲もう、と烈風刀はキッチンへと足を向ける。一歩踏み出したところで、少年の動きは止まった。
 照明が落とされ闇に包まれた廊下の中腹、リビングダイニングに続くドアにはめ込まれたガラスからは、光が漏れ出ていた。部屋に人がいる、もしくはいた証拠だ。夜も更けたこの時間、リビングに誰か――唯一の同居人で兄である雷刀がいることは少ない。大方、自室に引き上げる前に訪れ、そのまま電気を消し忘れたのだろう。何事においても大雑把な彼は何度注意しても改善しないのだ。整った若葉色の眉が険しげに寄せられた。
 足早に廊下を歩く。さほど広くはない住居では、目的の場所へはすぐに辿り着いた。リビングの扉、細かい傷のついたノブに手を掛ける。冷えたそれを回すと、軽い音をたててドアが開いた。
 扉の先の空間には、芝居がかった男女の声が響いていた。おそらく、音の発生源はテレビだろう。この時間は連続ドラマをやっていたはずだ。テレビまで点けっぱなしにしていったのか、と細い眉が更に寄せられる。白い眉間に深い皺が刻まれた。
 ダイニングを通り過ぎ、リビングに辿り着く。壁際に置かれたテレビには、手を繋ぎ道を行く男女の姿が映し出されていた。向かい側、二人掛けのソファへと視線を移す。予想に反して、そこには人影があった。眼前に広がる光景に、天河石の瞳が瞬いた。
 ソファにはこの状況を作ったであろう犯人――雷刀が座っていた。普通ならば液晶画面に向けられているであろう顔は俯いている。物語の顛末を見守るべき紅緋の目は閉じられていた。背もたれにもたれかかっているはずの背は丸まり、腹の前で腕を組んだ状態で前傾姿勢になっている。かくん、かくん、と丸まっては伸ばされる首には、白いタオルが掛けられている。きっと、風呂を上がってからそのままにしているのだろう。だらしのない彼にはよくあることだ。
 普段はぴょこぴょこと跳ねた癖のある髪は、どこかまっすぐに下りて見える。沈んで色濃く映るそれは濡れていることを示していた。髪を乾かしていないのがありありと分かる。洗面所にドライヤーを置いているというのに、この片割れはきちんと髪を乾かすことが少ない。今日もそうなのだろう。
 はぁ、と溜め息一つ。テーブルの上に置かれたリモコンを手に取り、テレビの電源を落とす。内蔵スピーカーから流れる軽快な音楽は止み、鮮やかな色を映し出す液晶は黒に包まれた。リモコンを定位置に戻し、今度は兄の肩に手を掛ける。そのまま、加減することなく船を漕ぐ身体を揺らした。
「雷刀、起きてください」
 ぐらぐらと揺れる身体がビクンと大きく跳ねる。んぁ、と常よりもいくらか低い声が聞こえた。呻き声とともに、曲がった首がゆっくりとまっすぐに戻る。伏せられた顔が上がり、緩慢な動きでこちらを向いた。
「んー……? あれ? れふと?」
 己の名を呼ぶ声はふにゃふにゃとして芯を持たず、どこか舌足らずだ。半分ほどしか開かれていない紅玉からは普段の澄んだ輝きは失せ、けぶった色をしている。眠っていたのがよく分かる様子だった。唸りとともに、緩く握られた拳が目元を擦る。猫が顔を洗う姿によく似ていた。
「寝るならちゃんと部屋で寝てください。というか、その前に髪を乾かしてください」
「えー……」
 応える声は先ほどよりもはっきりしている。けれども、返事は淀んだものだ。面倒臭い、と声色が明確に語っていた。
 目元を擦っていた拳が開き、いつもより色の沈んだ緋色の頭へと伸ばされる。節が目立つ指が、湿り気の残る髪の毛を一房つまむ。捩るように指先が動く。んー、と疑問符がついた声が静かになったリビングに落ちた。
「そこそこ乾いてんじゃん」
「どこがですか」
 ピンとつまんだ髪を弾き、ケロリとした顔で雷刀は言う。対面する烈風刀の声と顔は、その正反対に渋いものだ。呆れを多分に含んだ声とともに、少年は目の前の頭へと手を伸ばす。指先から伝わる温度は冷たく、普段のふわふわとした触り心地は無い。じとりと湿ったものだ。やはり乾いてなどいない。自然乾燥で完全に乾かすことなど無理に等しいのだから当たり前だ。薄い唇が苦々しげに引き結ばれた。
「ちゃんと乾かしてください」
「めんどい」
「『めんどい』ではありません。風邪をひきますよ」
 ここ数ヶ月高かった気温は徐々に落ち着きを取り戻し、最近では空調が必要ないほど快適なものだ。夜になると寒さを覚えることもあるくらいである。そんな中髪を乾かさずにいるなど、風邪の原因になるかもしれないではないか。日々の運営業務はどんどんと量を増し、忙しくなっているのだ。こんな時にくだらないことで体調を崩されては困る。
 面倒臭そうに細められた柘榴石がぱちりと瞬く。座面に放り出されていた腕が、首元のタオルを掴んだ。柔らかなそれが音も無く首から抜ける。
「じゃあ、烈風刀が乾かして」
 はい、と目の前にタオルが差し出された。同時に、上がっていた顔が軽く伏せられる。まるで撫でてくれと頭を差し出す犬のようだ。
 いきなりの行動に、藍玉の瞳が幾度も瞬く。ようやく意味を理解して、丸く開かれた目がうんざりとした様子で眇められた。
 自分でやるのが面倒臭いから乾かして、なんてのたまうなど、どれだけものぐさなのだ。大体、高校生にもなってそんなことを人に、それも双子の弟に頼むなどふざけている。行動がまるきり幼い子どものそれだ。この歳でやるようなことではない。
 はぁ、と重く息をこぼす。伸ばされた手にあるタオルを乱暴に奪い取り、目の前の頭に放り投げるように被せる。手を大きく開き、ぐわと指を曲げる。そのまま白に包まれた頭に立て、大きく動かした。
「いってぇ!」
「黙っていてください」
 あがった悲鳴を冷たく切り捨て、碧はガシガシと手を動かす。兄の言葉に従うのは癪だが、こんなふざけたことで風邪をひかれるよりもずっとマシだ。今月はアップデート作業が詰まっているのだ。そんな時に体調を崩され、数少ない戦力が失われてしまうような事態は避けるべき事項である。甘いな、と内心自嘲する。どんなに理屈をこねくり回そうと、このだらしのない片割れを甘やかしていることには相違ない。
 その代わり、加減などしてやらない。頼んだことを後悔しろ、と暗い念を込めつつ、少年は腕を動かす。思いやりなど、今の烈風刀には欠片も持ち合わせていなかった。
 柔らかな布地が動きにあわせて形を変える。ふわふわとしていたそれが、だんだんと重みを増していく。髪が有している水分がタオルに吸われているのだ。そのままわしゃわしゃと拭いてやる。髪と布が擦れる音が静かな空間に落ちた。
 苦しげな唸りがだんだんと消えていく。ようやく観念したか、と布地の下にある顔をちらりと見やった。
 タオルの下に隠れた真紅の瞳は気持ちよさそうにきゅうと細められ、緩い孤を描いていた。痛みに横に引かれていた口元も、どこか緩んでいる。頭を撫でられて喜ぶ犬を思わせる光景だった。
 予想外の表情に、浅葱の目が軽く見開かれる。まあるいそれがぱちぱちと幾度も瞬いた。
 こんなにも乱雑に拭いているというのに、このような顔をするなど思ってもみなかった。そんなに気持ちの良いものなのだろうか、と手を止めることなく考える。髪の手入れは昔から己で全てやっており、他人に髪を拭いてもらうことなどほとんど経験したことが無い。想像すらつかない。
 乾いていた白がすっかり湿って重くなった頃、少年はようやく手を離した。形の良い頭からタオルを引いて取る。布に包まれていた髪は、強風の中歩いたかのようにボサボサになっていた。代わりに、先ほどよりもずっと色が明るくなり、毛先も軽くなっている。常のように跳ねているのがその証拠だ。
 うー、と唸りとともに兄は目を開ける。赤紅が眩しげにぱちぱちと瞬いた。膝の上で揃えられていた手が、再び頭へと向かう。ぐしゃぐしゃになった髪を触ると、おぉ、と感心したような声をあげた。
「乾いたな。あんがと」
 へらりと笑い、雷刀は礼を言う。そのまま立ち上がろうとする彼の頭に手を乗せ、ぐっと押した。わ、と驚愕の声とともに、起こされた身体が座面へと戻る。柔らかなスプリングが軽い音をたてた。
「何だよー」
「そのままでは駄目でしょう」
「いいじゃん。乾いたんだし」
「水分を粗方取っただけです。完全には乾いていません」
 えー、と不満げな声があがる。開いた口は疎ましげに口角を下げていた。普段はぱっちりと開かれた丸い目は、今は瞼が軽く降りている。うたた寝をしていたほどだ、もう眠気が限界に近いのだろう。それでも、このまま部屋に帰してやるほど弟は甘くなかった。まだ湿った状態なのに、眠らせるわけにはいかない。ここまできたら最後まで乾かしてやろう。少しの使命感が少年の心に湧く。
 待っていてください、と鋭く告げ、烈風刀は足早にリビングを出る。湿気の残る洗面所に飛び込み、棚からドライヤーを引っ掴む。パタパタと忙しない足音をたて、急いで居間へと踵を返した。
 大人しくソファに座ったままの兄の横を通り過ぎ、ドライヤーをコンセントに繋ぐ。長いコードを引きつつ、目を擦る彼の前に立った。手元を見て察したのか、朱色の頭が無言で伏せられた。
 手にしたドライヤーのスイッチを入れる。瞬間、ブオォと大きな音が小型の躯体から発せられた。
 吐き出される温かな風を、乱れた髪に吹きかける。大きく一房掴み、頭頂部から毛先に掛けてゆっくりとした手つきで風を当てていく。往復しながらしばらく当て続け、指先から湿り気が伝わってこないことを確認し、また一房掴んで風を吹きかけていく。乾かしながら、緋の髪を撫で梳かして整えていく。同じ動きを何度も何度も繰り返すにつれ、湿った感触はどんどんとふわふわとした柔らかなものへと変化していった。普段通りの触り心地に戻っていっていることに、小さな達成感が胸に芽生える。密かに口元を綻ばせつつ、碧は粛々と手を動かした。
 最後の一房を乾かし終えると、今度はわしゃわしゃと全体を掻き乱しつつ、乾きにくい根元に温風を当てていく。生乾きの部分など作ってはいけない。やるならば最後までしっかりと、が己の信条だ。時折梳いて整えながら、少年は朱い髪に風を吹きかけた。
 先ほどよりも丁寧な手つきに加え、温かな風を受けているからだろうか、雷刀の表情は先ほど以上に穏やかでとろけたものだった。赤い睫に縁取られた目は柔らかな孤を描き、口角は緩く持ち上がり、笑みを形取っている。幸色に満ちたそれに、温かな何かが胸の内に広がっていく。これだけ心地良さそうな姿を見ると、こちらまで良い気分になるものだ。
 最後に全体に風を当て、サッサッと撫でて梳かす。長年放置された樹木のように方々に跳ねた髪は、どんどんと落ち着きを取り戻していった。これで完成だ。片手でドライヤーのスイッチを切る。暴風吹き荒れる音がピタリと止まった。
「乾きましたよ」
「おー」
 言葉とともに小型機械を折りたたむと、感嘆に満ちた声があがった。雷刀は自らの頭に手を当て、さわさわと撫でる。癖のついた髪の毛が指に弾かれぴょこぴょこと揺れた。おー、とまた声が漏れ出たのが見えた。
「ふわっふわのさらっさら」
「ちゃんと乾かせばこうなりますよ」
 当たり前のことに感心の音を漏らす兄の姿に、弟は呆れた声を漏らす。やはり髪を乾かしていないのか、と指で弾いて遊ぶ彼を眇目で睨めつける。かちあった紅玉髄が一瞬で気まずげな色に染まり、ばっと勢いよく逸らされた。どう見ても図星である。はぁ、とわざとらしく溜め息を吐く。う、と苦々しげな声が返ってきた。
「そういや、烈風刀の髪はいつもさらさらだもんな」
 慌てた調子の声とともに、跳ねる赤髪から手が外れる。鍛えられた逞しい腕がこちらへと伸ばされた。胼胝の浮いた指が鮮やかな若草に潜り込み、そっと肌を撫ぜるように掻き分ける。手入れされた髪が音も無く揺れた。指通しを楽しむように、つややかな頭髪がさらさらと梳かされる。なぞる手つきは慈しみに満ちていた。
 触れられる度に胸に満ちる温かな感覚に、少年は気付かれぬようほんの少しだけ瞼を伏せる。不機嫌そうに引き結ばれていた口元が、かすかに綻んだ。
 しばしして、癖のある前髪に触れる指が静かに離れていく。流れていた穏やかな時はそっと終わりを迎えた。
「あんがとな、烈風刀」
 そう言って、雷刀はへにゃりと相好を崩した。穏やかな孤を描く目元は普段よりも少しだけ下がっており、眠気を宿していることがよく分かる。証明するように、くぁ、とあくびが犬歯が覗く大きな口から漏れ出た。
「寝るなら部屋で寝てくださいよ」
「わーってるって」
 二度目の弟の言葉に、兄はひらひらと手を振って応える。大きく開かれた口から再びあくびが漏れ出るのが見えた。
 本当だろうか、と片割れを横目で見ながら、烈風刀はドライヤーのコードをまとめる。夜もだいぶ更けてきているのだ、明日に備えて己も早く眠らなければいけない。早く片付けてしまわないと、と少年は洗面所へと足を向けた。
「なーなー」
 リビングのドアを開いたところで、背中に声が飛んでくる。首だけで振り返ると、そこにはソファの背もたれに腕を掛けてこちらを眺める朱の姿があった。眠気でとろけていた目には、何故か先ほどまではなかった輝きが宿っている。好奇心を前面に出した子どものような様相だ。
「今度はオレが烈風刀の髪乾かしたい」
 眠たげな目元に反し、声は常のように元気に弾んだものだった。いいだろ、と少年は小首を傾げる。乾かしたばかりの茜色が、動きに合わせてさらりと揺れた。
「無理でしょう」
 尋ねる言葉をバッサリと切り捨てる。そこに冷たさは無く、ただ淡々と事実を告げる響きをしていた。えー、と不満げな声が返される。だらりと垂れ下がった手がソファの背面をバタバタと軽く叩いた。
「僕はお風呂から上がったらすぐに乾かしています。貴方に乾かしてもらう機会なんてありませんよ」
「じゃあ、明日だけ乾かさないで」
「何で貴方のためにそんなことをしないといけないのですか」
 身勝手な要求に碧は険しげに川底色の目を眇める。髪が濡れたままで過ごすなど、余計な冷たさと不快感を覚えるだけの愚行だ。何で兄の欲求を満たすために己がそんな思いをせねばならないのだ。澄み渡る浅海色に呆れとほんの少しの怒りが浮かぶ。瞳に宿った感情を読み取ってか、兄は小さな唸りを漏らす。未練がましい音色をしていた。
 紅葉色の瞳が諦め悪く宙を彷徨う。数拍、丸いそれがぱっと見開かれた。尖っていた唇は解け、にぃと孤を描く。何かひらめいたのだろう。それも、ろくでもないことを。普段の経験から嫌でも分かった。
「じゃあさ、一緒に入れば解決だな!」
「は?」
 元気に飛び出した言葉に、烈風刀はぽかんと口を開ける。漏れ出た音は怪訝さに満ちていた。やはりろくでもないことを考えていたようだ。理解しがたい言葉に、頭が軽い痛みを覚える。思わず顔を覆いそうになるのを必死に堪えた。
「一緒に入れば一緒に上がるだろ? そしたら烈風刀の髪濡れたまんまじゃん? そのままオレが乾かしてやれる」
 キラキラと輝くガーネットは、名案だろう、と告げていた。どこがだ、とエメラルドがこれでもかと険しく細められる。髪と同じ色をした細い眉がぎゅっと寄せられた。
 あまりにも無茶苦茶な提案だった。そもそも、高校生にもなって二人で風呂に入るなど普通ならあり得ない――そう、普通ならば。しかし、己たちの関係は『普通』から逸脱したものだ。今まで何度か経験がある以上、あり得ない、と切り捨てるのは少しばかり難しい。けれども、こんなふざけたことのために共に入るなどごめんだ。
「決まりなー。じゃ、おやすみ」
 いつの間にか立ち上がりこちらへと歩み寄っていた雷刀がぽんと背を叩く。ちょっと、と反論をするよりも先に、言葉の宛先は暗い廊下に足早に消えた。開かれたままだった扉が、音をたてて急いで閉められる。もう声が届くことは無いだろう。
 一人取り残された烈風刀は呆然とその場に立ち尽くす。あまりにも突然で、あまりにも勝手で、あまりにもふざけた行動だ。一方的に言い捨て回避する余裕すら与えなかった彼に、ふつふつと怒りが湧いてくる。ドライヤーのコードを握る手に力が込められる。ビニールに包まれたそれが寄せられ、端が軽くばらけた。
 はぁ、と少年は息を吐き出す。非常に重々しい、怒りと呆れがふんだんに詰め込まれたものだった。
 あの兄のことだ、明日は絶対に『一緒に入る』とごねるだろう。それこそ、幼子のように。忘れっぽいくせに、こういうことばかりはしっかりと覚えて声を大にして主張してくるのだから質が悪いったらない。
 しかし、と少年は軽く俯く。重く苛烈な感情が渦巻く胸に小さな何かが顔を覗かせた。
 普段は自分が世話を焼くばかりで、雷刀に何かしてもらうことなどほとんどない。先の行動が実際に行われるというのならば、これ以上になく貴重な機会だ。
 つい先ほどまで眺めていた兄の顔が思い出される。髪を拭かれ乾かされる彼の表情はとても気持ちが良さそうで、幸いに彩られたものだった。他者に髪を手入れしてもらうことは、そんなに気持ちが良いのだろうか。まだ知らぬ温かな何かが、明日己に与えられるかもしれない。そう考えて、淡い何かが心に宿ったのは気のせいではないだろう。
 胸の内に芽生えたそれを振り払うように、碧の少年は強く頭を振る。せっかく整えた髪がバサバサと音をたてて乱れた。
 はぁ、とまた溜め息が漏れ出る。疲れが滲んだものだった。そうだ、他人の髪を乾かすなんて慣れないことをして疲れているのだ。だから、こんな馬鹿なことを考えてしまう。きっとそうだ、と少年は一人頷く。己に言い聞かせるような動きだった。
「……早く寝なければ」
 息を吐いたまま開かれた口から、自然と言葉が漏れ出る。明日も学校が、運営業務があるのだ。しっかりと睡眠を取り、忙しない日常へ備えなければならない。こんなところでドライヤーを握りしめて突っ立っているわけにはいかないのだ。
 はぁ、とまた溜め息一つこぼし、烈風刀は扉横のスイッチに手を伸ばす。プラスチックのそれを軽く押さえると、部屋はすぐさま暗闇に満たされた。そのままノブを握り、少年は扉を開けて廊下へと出た。
 夜闇に包まれたリビングには、ただ静寂が広がっていた。

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#ライレフ #腐向け

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その美しい髪に口付けを【はるグレ】

その美しい髪に口付けを【はるグレ】
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αzaleaのジャケがはるグレ(オタク特有の拡大解釈)ではるグレ…………となったのではるグレ。珍しく付き合ってるタイプ。
はるグレが互いに髪を触っていちゃいちゃするだけ。

 躑躅色の髪が音も無く揺れる。癖のあるそれの端、くるんと丸まった箇所を筋張った指が捕らえる。見た目よりもしっかりとした指が、ウェーブがかったそれを梳いていく。ゆっくりと髪の間を指が通る様は、慈しみに満ちていた。
 すっと通り抜けた指が、柔らかな髪を再びつまむ。今度はそのままくるくると指に巻き付けた。スパゲティをフォークで絡め取るような動きだ。不健康なほど白い指先にふわふわとしたアザレアが咲く。
 柔らかな温もりが少女の背に、足に、腹に宿る。チュールレースに守られた柔らかな腹には、緑衣に包まれた腕が回されていた。細い腰に長い腕が回され、緩く捕らえられる。ようやく力加減を覚えたのか、苦しさはない。あるのは穏やかな温かさと安らぎだ。安心感で落ちそうになる瞼を、少しの緊張が押し上げる。スピネルの瞳はどこを見ていいのか分からないのか、宙をうろうろと泳いでいた。
 マゼンタを絡めた指が持ち上がる。そのまま、手の持ち主は己の口元へとそれを運んだ。さらさらとした髪に、音も無く口付けが落とされる。気配で分かったのだろう、細い肩がひくりと揺れた。
「あんた、本当に私の髪好きよね……」
 胸に芽吹く羞恥を誤魔化すように、少女は呆れた調子で言葉を紡ぐ。事実、この少年――今自分を抱きかかえている京終始果は、己の髪によく触れる。ウェーブがかった長い髪を恭しく持ち上げ、音も無く口付けを落とすのは、それこそ出会った時からずっと行われていた。最初は飛び退くほど驚いたものだが、今ではすっかり慣れてしまった。反応することすら面倒臭く感じるほどだ。それでも未だにわずかな恥じらいを覚えてしまうのだから、自分はいつまで経っても子どもだ。
「グレイスの全部が好きですよ?」
 少女の言葉に、始果は平坦な声で返す。ストレートな言葉に、柔らかで白い頬がかぁと紅で染まる。そういう意味じゃないわよ、とすぐ下にある膝をぺしりと叩いた。よくある反応を気にすることなく、狐面の少年は変わらず長い髪を梳かした。柔らかな髪がそっと形を変え、元に戻った。
「汚いわよ」
「そうなのですか?」
「だって一日過ごしたわけだし……」
 首を傾げる始果に、グレイスはもにょもにょと口を動かす。はっきりとした声が徐々に萎んでいく。ぅ、と気まずげな音が少女の細い喉から漏れ出た。
 もちろん、髪は毎日洗っているし、相応に手入れもしている。人に触れさせても問題が無い程度に身綺麗にしているはずだ。けれども、一日過ごし汗や埃が付いたそれを人に――特に愛する人に触れられるのは、何だが気まずい。汗臭くないだろうか、と今更な懸念が湧いて出る。今日は体育の授業がなかったから、余計な汗は掻いていないはずだ。それでも、春の陽気が過ぎ去り夏に近づく今、普段よりも汗を掻いているに違いない。どうしよう、と躑躅は動揺に身を捩る。逃げるような動きは、捕らえられた腕によって阻まれた。
「そうは思いませんよ」
 小さな心が揺れ乱れる中、少年は平時と変わらない調子で言葉を紡ぐ。そこに世辞など無かった。そも、彼は世辞を言うような人間ではない。特に、グレイスに対しては、だ。黒百合色をした少年の言葉は、いつだってまっすぐに少女の心を射抜く。取り繕うことのない言葉に、揺れる少女の心臓はどくんと大きく跳ねた。
 言葉を証明するように、また髪に口付け一つ。ちゅ、と小さなリップノイズが二人の間に落ちる。始果のことだ、きっと偶然でわざとではないだろう。それでも、その小さな音は少女の耳にいやに大きく響いた。さっと白い肌に紅が刷かれる。
 髪ばっかり。そんなことを考えて、少女は密かに頬を膨らませる。膝の上に座らされ、後ろから抱きかかえられた現状は、恋人らしいことをしていると言えるだろう。しかし、本当にただ触れあっているだけで、始果はグレイス本人でなくその緩やかな髪に触れるばかりなのだ。もっと触れてほしい。触れたい。そんな欲求が少女の胸に湧き出る。恋人と少しでも触れ合い交流を深めたいと思うのは自然なことだろう。人と交わることをほとんどせず生きてきた彼女ならば尚更だ。好きな人には、たくさん触れたい。
 腹に回された手に己の両手を掛ける。そのままぐっと前に押し、少しだけ空間を作る。できた余白を活用し、少女は身体を捻って半身だけ振り向く。見上げた先の月色は大きく開かれていた。ぱちり、と満月二つが瞬く。大人しく座っていた少女の突然の行動に驚いたのだろう。
「私にも触らせなさいよ」
 むぅと頬を膨らませ、グレイスは瞬く金色をまっすぐに見つめる。はっきりとした声には、少し拗ねた色が浮かんでいた。当たり前だ、ここまで触れ合っておきながら今の今までろくに構ってもらえなかったのだ。多少いじけるのも仕方が無いことだろう。恋人との甘やかな時間に憧れを抱く年頃の少女ならば尚更だ。
 細い腕が少年の首筋へと伸びる。服と同じ色をした襟巻きを通り過ぎ、白い指が後ろで結わえられた長い髪を捕らえる。細い束を優しく掴み、そのまま肩に掛けるように前に持ってきた。緑の柔らかな布の上に、濡れ羽色の髪が散る。
 ほっそりとした指が漆黒に通される。無造作に束ねられた黒はつややかで、照明の光を受け輝いていた。癖のないストレートの髪は指通しが良く、すっと差し入れるだけで抵抗無く梳かれる。毎朝大格闘している己の癖っ毛とは大違いだ。始果の性格と生活環境上、手入れなどしていないはずだ。それでこのさらさらとした美しい髪に仕上がっているのだから、なんだか悔しい。丸い頬がぷくりと膨らんだ。
「どうしました?」
「何でもないわよ」
 するすると黒い髪に指を絡める少女に、少年は問う。返ってきたのは、ぶっきらぼうな短い言葉だ。少女の声は不満と嫉妬が色濃く浮かんでいた。何故彼女がそんな感情を露わにしているのか分からないのだろう、始果はことりと首を傾げた。長い前髪がさらりと揺れる。
 少女の言葉を深く考える様子もなく、少年は再び手を動かす。高い位置で結われたサイドテールを崩さないように、そっと指を差し入れる。そのまま、櫛を通すようにゆっくりと手を動かす。つややかな髪が、引っかかることなく梳かれていく。指と髪が離れた瞬間、癖のある躑躅はぴょんと跳ねた。それが面白かったのか、少年は何度も指を入れては動かしを繰り返す。大胆ながらも、ガラス細工を扱うような繊細な手つきだった。
 沈黙の中、二人は互いの髪を触りあう。愛おしさに満ちあふれた動きだった。傍から見れば、愛し合う恋人同士が甘やかな時間を過ごしているように映るだろう――彼女らはまだ足りないだなんて思っているだろうけれど。
「……何というのでしょうか」
 流れる静寂を、少し低い声が破る。何が、とグレイスは髪をいじくる手を止め、すぐ隣の顔を見やる。きょとりとした顔に、きょとりとした顔が返される。尖晶石を見つめる琥珀石の瞳がぱちりと瞬く。常は平坦な色をしたそれは、今はどこかきらめいて見えた。
「きみに触れられていると、何だがふわふわ……します」
 ゆっくりと紡がれた言葉には、疑問符が混じっていた。彼にも、今の己の心情が理解できないのだろう。何せ、この少年は『嫉妬』の名すら知らないのだ。今胸から湧き出るこの気持ちを――『幸せ』という名前が付いたそれを理解することなどできなかった。けれども、その温かみはしっかりと分かるのだろう。普段はまっすぐな一本線を描く口元は、無意識にかゆるりと綻んでいた。春を目前とした桜の蕾が解けそうになっている、そんな風景を思い起こさせるものだ。
 微かな笑みを浮かべる狐の姿に、躑躅もつられて口元を緩める。ふふ、と思わず笑声が漏れてしまったのは仕方が無いことだろう。少しの呆れと多分の幸いを含んだそれは、二人の間に溶けて消えた。
 この少年は驚くほど感情の名を知らない。それでも、それを言葉という形として伝えようと思うほど、今この情動を強く感じているのだ。それはグレイスも同じだった。羞恥心が勝ってしまう彼女は言葉にしないものの、彼と同じほどの幸福感を抱えていた。現に、笑みとして表れてしまうほどだ。
 そう、と少女は一言だけ返す。愛おしさと、慈しみと、幸福がたっぷり詰まった音色をしていた。
 彼の真似をして、グレイスは結われた長い黒髪をそっと手に取る。そのまま、つやめくそれに口付け一つ落とした。
 二人きりの空間に、唇が触れる小さな音が落ちて消えた。

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#はるグレ

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愛おしい熱を【ライレフ】

愛おしい熱を【ライレフ】
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キスの日に考えたプロットが残ってたので書いたやつ。ライレフがキスするだけ。
Q.何でキスの日当日に投稿しなかったんですか?
A.プロット立て終えたのが終了30分前だったから。

 スポンジを持った手を動かす。柔らかなアクリル繊維が表面を撫でている内に、茶色のソースが付いた皿は元の白色を取り戻した。バーを上げ、蛇口から水を出す。サァ、と音をたてる流水を浴びせると、雫をまといながら美しく姿を変えた陶磁器が手元に残った。
 水を止め、雫のしたたるそれを水切りかごに置き、烈風刀は再びスポンジを握る。あらかじめ水に浸しておいたご飯茶碗を手に取る。べったりと付着していた米粒のデンプンは、ふやけたおかげか一撫でしただけでさらりと落ちた。
「れーふと」
 声と同時に背に熱。兄がやってきたのだと理解するより先に、腹に手を回された。そっと、しかし簡単には振りほどけない程度の締め付けが鍛えられた腹に与えられる。突然の接触に顔をしかめると同時に、肩に顎が乗せられた。
「ちょっと、お皿を洗ってるところなのですよ」
「んー」
 抗議の言葉は意味の無い音に攫われた。日に焼けていない白い首筋を、赤い髪が撫ぜる。くすぐったさに、少年は小さく身を捩る。昼空色の瞳が眇められる。奔放な兄の何も考えない行動はもうすっかり慣れてしまったことであるが、家事の邪魔をされるのは不服だ。こんなことで作業効率を落としたくはない。
「もう少しで終わりますから。あっちで大人しく待っててください」
「なーなー」
 あしらう言葉を口にするが、相手は意に介する様子はない。こちらの声を無視して呼びかける声は無駄に弾んでいた。どうせくだらない、それもろくでもないことを考えているのだろう。苛立ちと不穏な予感に、髪と同じ色をした碧い眉が強く寄せられた。
「今日、キスの日なんだって」
 明るい声が耳に直接注がれる。子どもが知ったばかりの知識を親に披露するような響きだった。ふふん、と上機嫌な笑声付きだ。それが余計に子どもらしさを醸し出していた。
 やはり、ろくなことを考えていない。はぁ、と見せつけるように思いきり嘆息する。だから何だというのだ。口付けでもしろというのか。そんなもの、いつだって許可も何もなく突然するではないか。だのに、こんな誰が制定したのかも知らぬ記念日と呼んでいいかすら分からないものにかこつけようとするのだから、我が兄ながら呆れる。
 ちゅ、と軽い音が鼓膜を揺らす。耳殻にかさついた温かなものが触れる感覚に、碧は身体を震わせた。ちゅ、ちゅ、とリップ音が形の良い耳にいくつも注ぎ込まれる。耳殻に、耳たぶに、首筋に、うなじに、温かなものが触れる。口付けされているのだと理解するのはすぐだった。
 肌と肌が触れあうくすぐったさに、幾度も口付けされる照れくささに、少年は小さく身を捩る。それも、腹に回された手によって防がれた。前はシンク、後ろは兄に道を塞がれている。身体に腕を巻きつけられているのだから、横に動くことも難しい。逃げることは困難だ。このまま唇が触れる感覚を享受するしかない。
 可愛らしくも艶めかしい音をたて、唇が肌を這っていく。心地の良い熱が触れて離れてを繰り返す。温かなものが皮膚に触れる度に、何か焦がれるような思いが募っていく。じわじわと内側に熱が宿って積もっていく。とろ火で炙られるような気分だ。
 食器を洗う手は完全に止まってしまっていた。当たり前だ、こんな状態で作業なんてろくにできるはずがない。こんな触れるだけのものばかり与えられて、数えられないほどの経験をしてきた身体は、次を、一番欲しい場所への熱を求めてしまう。あまりにも浅ましく、あまりにもはしたないことであるのは分かっている。それでも、想い人をより求めてしまうのは仕方の無いことなのだ。だって、愛しているのだから。
 雷刀、と口付けを降らせる恋人の名を呼ぶ。どこか拗ねた響きだった。常々彼を子どものようだと思っているが、この程度でこんな音を発してしまうなど自分も負けず劣らず子どもではないか。頬にほのかな赤が灯った。
 スポンジを所定の位置に置き、無理矢理身を捩って半身だけ振り返る。広がった視界の先、雷刀はにまりと笑った。チャームポイントである八重歯が覗く、愛らしい笑顔だ。しかし、今はその底にろくでもない思惑が隠れていることがありありと分かる。可愛らしさより腹立たしさを覚えるものだ。整った浅葱色の眉が寄せられた。
 抱き締めた愛し人の目をまっすぐに見やり、朱はなぁに、と間延びした返事をする。砂糖をそのまま音にしたような甘い響きをしていた。ちゅ、とまた音が一つ注がれる。今度は弾力のある耳殻に熱が与えられた。胸にまた何かが降って積もっていく。
「…………こちらはいいのですか」
 尋ねる声は、己らしくもなくぽそぽそとしたものだ。どこであるか、具体的な名称は挙げない。挙げられないのだ。どこに口付けが欲しいかなど、羞恥が邪魔して言葉として形作ることなどできない。頬に熱が広がっていく。先ほどから幾度も与えられるそれによるものではないことは明らかだ。
「そっちも!」
 弟の控えめな言葉に、兄は元気よく応える。腹に回された腕にこもる力が強くなる。苦しさに、思わず呻きその手を叩く。あっ、と焦った声とともに拘束が弱まった。
 見上げた真紅の瞳が愛おしげにきゅうと細められる。口付けする時、彼がよく見せる表情だ。途端に感覚が想起され、背筋を何かが走っていく。隠しようのない期待だ。己は今、何よりも口付けを求めている。
 顔が、唇が、徐々に近づく。普段通り、触れあうより先に目を閉じる。白い瞼は固く閉ざされ、縁取る浅海色の睫毛はふるふると震えていた。健康的な色をした唇がきゅっと結ばれる。
 ちゅ、と再び可愛らしい音。熱が宿ったのは唇ではない、分けられた髪から覗く額にだ。予想外の行動に、抱きかかえられた身体がひくりと震える。引き結ばれていた口がほろりと綻ぶ。ぇ、と漏れた声には動揺がありありと浮かんでいた。
 ちゅ、ちゅ、と音が、温度が幾度も降り注ぐ。額に、瞼に、目尻に、鼻先に、頬に、熱が灯されていく。けれども、求める場所には一切降ってくることはない。細い眉の端が困惑で下がっていく。
 頬に何度目かの灯火が宿ったところで、烈風刀は目を開ける。眉間には深く皺が刻まれ、水宝玉の瞳は眇められていた。その眦にほんのりと赤が差しているのは気のせいではないだろう。柔らかな頬にも、薄らと朱が散っていた。
「分かってやっているでしょう……」
 鋭く細められた碧が、朱を射抜く。薄い唇が自然と尖っていく。いじける子どもの様相とよく似ていた。らしくもないと己でも分かる表情を浮かべている。けれども、こんな顔になってしまうのも当たり前だ。
 鈍感に見えてどこか聡い兄が、己が発した言葉の意味を理解していないわけがない。大体、一番欲しい場所だけ綺麗に避けて口付けを降り注がせるなど、わざとに決まっている。この男は変なところで意地が悪いのだ。特に、なかなか素直になれない自分に対しては。
「別にー? 全部にちゅーしたいだけだぜ?」
 片腕が腹部から離れていく。温かく大きな手が、散々口付けが散らされた頬に添えられた。触れた指先が、白い肌をすりと撫でる。くすぐったさを覚えるとともに、心臓がとくりと跳ねた。鼓動が次第に早さを増していく。
 再び瞼を下ろす。闇に包まれた視界の中、何かが動く気配。
 唇に何かが触れる感触。少しかさついた、それでいて柔らかな肌触りと、確かな温かさ。口付けのそれだ。待ちわびた感覚に、きゅうと喉が鳴る。とくりとくりと心臓が脈打つ。歓喜に溢れた音色をしていた。
 ちゅ、ちゅ、とわざとらしく音をたてて唇と唇が触れあう。温かなそれが重なる度、胸に小さな火が灯っていく。飢餓を訴えていた心が満たされていく。いたずらするように唇を食まれた瞬間、背筋を何かがそっと撫ぜた。ん、と鼻にかかった音が漏れ出る。恥じ入るべき響きは捕らえられた頬に紅を注いだ。
 何度もの重なりの末、愛しい温度が離れていく。名残惜しさに声が漏れ出てしまいそうになるのをどうにか我慢する。もっと欲しい、と叫ぶ胸の内に必死に蓋をした。
 ゆっくりと目を開く。光に順応しきっていない目に、少し細められた緋と八重歯の白覗く赤が映った。キッチンの蛍光灯の下、薄くなったルビーが輝く。鮮烈な色の奥には、同じほど鮮やかな炎が燃えているのが見えた。
「これだけでいい?」
 普段よりも落ち着いた声とともに、節が目立ち始めた指が烈風刀の唇をなぞる。幾度も食まれたそれは、唾液で少し湿っていた。光を受けつやめくそれは、どこか艶めかしさがあった。
 言葉は問いの形を取っているが、響きは確信的なものだ。これだけでは足りないだろう。もっと欲しいだろう。この先が欲しいだろう。かすかに低くなった声はそう告げていた。
 朱の言葉に、赤い口がきゅっと引き結ばれる。形の良い眉が苛立たしげにひそめられた。孔雀石が眇められる。機嫌の悪さを、腹立たしさを隠しもしない表情だ。
 悔しいことに、兄の言葉は真実だ。一番欲しかった場所に熱を与えられた身体は、愛する人の温度を更に求め声をあげる。もっとちょうだい、と本能が浅ましくねだる。しかし、理性はそれを良しとしない。何より、兄の思い通りになるのが悔しくてたまらなかった。普段は突き抜けるほど単純な癖に、こういうところで考えを巡らすのだから腹立たしくて仕方が無い。まんまとはまってしまう己の浅はかさもだ。
 大体、欲しいのは、我慢できないのはお前もだろう。そんな思いを乗せて、弟は目の前の紅宝玉を睨めつける。慣れているのか、兄は意に介す様子もなくまた唇を指で撫ぜる。柔らかなそれがふにりと形を変えた。
 ぐるっと身を翻す。拘束が弱まっていたこともあって、先ほどよりも簡単に振り返ることができた。半分だけ顔を向けていた体勢から、ようやく真正面から向かい合う形になる。突然の行動にか、目の前の炎瑪瑙がぱちりと瞬く。あどけない子どものような表情に内心笑みをこぼしながら、その健康的な色をした頬に手を伸ばす。柔らかく弾力のあるそれを、両の手で包み込んだ。
 今一度、唇に温かな感触。ちゅ、と小さな音が部屋に落ちた。
 ゼロ距離になっていた唇を、顔を離す。すぐ目の前、飴玉のようにきらめく柘榴石がめいっぱいに見開かれたのが映った。ぽかんと間の抜けた様子で口を開きこちらを見つめる姿に、ふふ、と思わず笑みが漏れる。期待通りの反応に、達成感が胸を満たした。
「貴方こそ、いいのですか?」
 問いに問いで返す。ことさらゆっくりとした調子で言葉を紡ぎ出す。わざわざ問うまでもないだろう。お前がそうなのだから。そんな言葉を込めて、挑発的に口角を吊り上げる。にまりと己らしくもない笑顔が形取られた。
「――よくねーに決まってんじゃん」
 数拍、眼前の赤い口がニィと笑う。口端の片方だけ吊り上がった、凶悪な印象を与える笑みだ。愛しいレイシスや幼い初等部の子どもたちにはまず見せられない、絶対に見せることなどない表情である。そも、この笑みが見られるのは己ぐらいだ。何しろ、褥でしか見せないものなのだから。
 仕返しのように両頬を捕らえられる。先ほどの撫でるようなものではない、がっちりと掴んで離さないものだ。どくんと心臓が跳ねる。甘い感覚が背筋を駆け抜けた。
 意趣返しが上手くいった達成感と、己しか見ることができないこの表情を引きずり出した優越感と、この先への期待感が胸を満たす。どくん、どくん、と心臓がうるさく音をたてる。
 顔が、口が近づく。大きく開けられたそれは、触れた瞬間己を食らうだろう。そして、熱くぬめった舌が口腔を我が物顔で荒らし回るのだ。いつもそうなのだから、今日だってそうに決まっている。つい先ほどまでの児戯めいた可愛らしい口付けではない、乱暴とすらいえる捕食者の口付けが今から己を襲うのだ。
 数瞬後に享受するであろう熱を夢想し、思わず口元が緩む。愛しい人に食われるために、碧はそっと目を閉じた。

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#ライレフ #腐向け

SDVX

書き出しと終わりまとめ9【SDVX】

書き出しと終わりまとめ9【SDVX】
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あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその9。ボ6個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:プロ氷1/ニア+ノア+レフ1/烈風刀1/ライレフ(神十字)2/レイ+グレ1

触れあいを求めて/プロ氷
あおいちさんには「あーあ、言っちゃった」で始まり、「それを人は幸せと呼ぶらしい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字)以内でお願いします。


 あぁ、言ってしまった。
 ぎゅっと目をつむる彼女の顔はそう語っていた。俯いた顔は熟れきった赤色で、きゅっと引き結ばれた唇と胸の前で握られた拳はぷるぷると震えている。細い身体は己が身を守るように縮こまっていた。今までの彼女を見ていれば、彼女が持ちうる勇気を全て振り絞っているのだと分かる姿だった。
「ぁ、え…………、いいの? だ、大丈夫?」
 だというのに、己の口から漏れ出た言葉はこれなのだから何と間抜けなのだろう。これだけ頑張っている彼女に向けて、何だその呆けた返答は。もっと真摯に向き合え。内なる自分が罵倒する。言い返すことなどできなかった。
「だっ、だいじょうぶ、です。でき、ます」
 ぱっと顔を上げ、氷雪は識苑を見上げる。細い身はふるふると震えており、こちらをまっすぐに射抜く川底色の美しい瞳はかすかに潤んでいる。今まで何度も失敗してきたことなのだから怖いのだろう。未知の行為なのだから恐ろしいのだろう。けれども、その色の中にはその恐れを振り払った確かな決意が見えていた。
 小さく頷き、朱に染まりきった頬へと手を伸ばす。触れた指先から伝わる温度は火傷しそうなほど熱い。愛おしい温度に、頬が緩んだ。
 目閉じて、と声をかける。恥ずかしいほどに掠れた音だった。緊張しているのは己も同じなのだ。仕方無いだろう、愛おしい人と触れあう時が来たのだから。愛する少女に触れることをどれだけ待ちわびたことか。慕う少女に触れるのがどれだけ恐ろしいか。自分でも分からなくなるほどだ。
 震えながらも目を閉じ顔を上げたままの少女へと顔を近づける。一センチ。二センチ。のろのろと、しかしながらも確かに離れていた間が縮まっていく。愛おしいかんばせが近づくにつれ、青年の顔も赤らむ。恥ずかしさから目を背けるように瞼を閉じた。
 長い時を経て、二人の距離がゼロになる。薄くかさついた唇と、柔らかな小さな唇が重なった。
 一秒にも満たない邂逅。それでも、触れあった感触は、熱は、存在は、確かなものだった。
 そっと顔を離す。ゼロだった距離が、元通り頭二つ分離れる。恐る恐る目を開けると、翡翠の瞳と視線がかちあった。
「……でき、たね」
「……はい」
 相も変わらず間の抜けた言葉に、肯定の語が返される。淡雪のようにすぐ溶けて消えてしまいそうな声だった。しかし、その愛らしい声は己の耳にしかと届いた。
「――よかったぁ……」
 へなへなと情けなくその場にしゃがみこむ。張り詰めていた緊張の糸が完全に切れてしまい、どっと疲れが襲ってきた。膝に額を付け、はぁと大きく息を吐く。緊張が消えた心の内に、違うものが満ちていく。温かなそれに涙腺が刺激される。みっともなく緩みそうになるそれを必死に押し込めた。
「だ、だいじょうぶですか?」
「大丈夫だよー。……氷雪ちゃんこそ大丈夫?」
 上空から降ってくる問いに手を振って返す。少しの沈黙の後、そっと顔を上げる。見上げた先の小さな顔は逆光で少し薄暗く見えるも、変わらず真っ赤に色付いていることがありありと分かった。
 あ、ぅ、と淀んだ声が降り注ぐ。雪色の肌を朱に染めた少女は口元を着物の袖で覆う。口付けという恋人らしい行為に対しての羞恥が見て取れた。
「だ、だい、じょうぶ、です」
 あの、えっと、と時折唸りながらも氷雪は言葉を続けようとする。未だしゃがみこんだままの識苑は、彼女が発言しようとする様をじぃと見つめ待っていた。引っ込み思案な彼女がこれだけ頑張って何かを言おうとするなど、珍しいことだ。聞いてあげたいに決まっていた。
「――やっときっ、き、す、できて、うれしかった、です」
 長い沈黙の末、少女は拙いながらも言葉を紡ぐ。白銀の髪と同じ色をした眉がへにゃりと下がる。天河石の瞳が緩い弧を描く。その端から、透明な雫が静かに伝った。澄んだそれが悲しみや苦しみによるものではないのは、その幸い色に染まった表情を見れば明らかだった。
「……うん。俺も」
 そう言って識苑は笑みを浮かべる。とろけた顔と言うのが相応しい様相だった。彼の顔も、少女と同じく幸い色で満ち満ちていた。
 紙にインクが染み渡るように、胸の内に温かなものが広がっていく。今にもはち切れ溢れてしまいそうなこれを、人は幸せと呼ぶのだろう。




果てまで届け/ニア+ノア+レフ
AOINOさんには「ガラス瓶の中に想いを詰め込んだ」で始まり、「そのまま変わらずにいてね」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以内でお願いします。


 ガラス瓶の中に、想いを詰め込んだ便箋を入れる。巻かれたそれは元の形に戻ろうとするが、すぐにガラスの壁に阻まれた。
「手紙だけでいいのですか?」
「貝殻も入れる!」
 烈風刀の言葉に、ニアは大きな声で答える。隣で紙を入れるのに四苦八苦している妹の名前を呼ぶ。ちょっと待って、と慌てた声が返ってきた。
「僕が入れましょうか?」
「大丈夫だよっ」
 見かねた少年が手を貸そうとするが、片割れは頑なに断る。一人で成し遂げたいのだろう。言い出したのは彼女なのだから。
 数日前、ノアが一冊の本を差し出してきた。図書室で借りたらしいそれには、『ボトルレター』というものが登場していた。海の向こうへ想いを渡すそれは、ロマンチストな妹の胸をくすぐったのだろう。これやってみたい、と控えめな彼女にしては珍しくはっきりとした主張に、姉は大仰に頷いたのだった。
 そして数日後の放課後、子ども二人きりで海に行こうとしたのを見かねてついてきた烈風刀と共に、砂浜へとやってきたのだ。
 ようやく詰め終えた妹の手を取り、浜辺を歩く。両手で抱えられるほどの貝殻を拾い集め少年の元へ戻ると、彼は苦笑した。
「全部入りますかね」
「入れるの!」
 揃って言うと、少年はそうですか、と口元を綻ばせた。
 クリアな瓶に貝殻を詰め込んでいく。すぐに満たされていくそれに、崩れぬようにどうにか全部詰め込む。おぉ、と驚きと感心の声をあげる碧にふふん、と双子は胸を張った。
 手紙と貝をたっぷり抱えた瓶を手に取る。そのまま、本の登場人物のように大きく振りかぶり、二人で一緒に遠くへと投げた。宙高く飛んだそれは、陽の光を浴びてキラリと光り、青い波間へと消えた。
「届くかな?」
「届くよー!」
「届きますよ、きっと」
 妹の問いに、碧と蒼は同じことを言う。それがなんだか面白くて、ニアはクスクスと笑った。吊られるように、ノアも控えめな笑みを浮かべる。そんな双子を、烈風刀は穏やかなまなざしで眺めていた。
 少女は光り輝く水平線を見やる。このまま、変わらず楽しくいたい。




戒/嬬武器烈風刀
あおいちさんには「また同じ夢を見た」で始まり、「その想いは海に沈めた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以内でお願いします。


 また同じ夢を見た。
 胸元を強く握り締め、烈風刀は荒い息を繰り返す。こめかみを汗が伝う。心臓が痛いほど鼓動する。
 己の身体を取り巻く茨が、鮮烈な朱を刺す。光剣が分厚いジャケットを切り裂く。晒された肌を裂く。布地が、紅が宙を散り彩る。
 斬りつけて、斬りつけて、斬りつけた。それでも立ち上がり向かってくる彼に地に倒され、そして――
 ぐ、と息が詰まる。呼吸が上手くできない。早鐘を打つ胸が痛む。脳の奥が何か叫び声をあげた。
 意識的に息を吐き、深く吸いを繰り返す。うるさかった心音がゆっくりと収まっていく。乱れていた呼気もじきに落ち着きを取り戻した。
 大丈夫。大丈夫だ。言い聞かせるように、心の中で何度も言葉を繰り返す。大丈夫だ。あんなことはもう二度と無い。あんなことはもう絶対に起こり得ない。あり得てはいけない。もう許されないことなのだ。
 そうだ、己は許されない。忘れるな。仲間を、愛しい人を、大切な家族を傷付けた己は許されることはないのだ。優しい彼女がどれだけ良いと言おうとも、頼もしい兄がどれだけ気にするなと言おうとも、己は許されないのだ。
 息を大きく吸い、一気に吐く。あれほど大量に湧いて出た汗は引いていた。静かな夜闇を碧が睨む。そこには、確かな意志が浮かんでいた。
 許されない。許されるはずがない。許されてはいけない。当たり前の事実を今一度口の中で繰り返す。強い響きが身体に刻まれていく。何年もの歳月をかけて重ねられたそれは、もう消えることなどないものだ。
 許されたいだなんて甘い想いは、あの輝かしい海に沈めたのだ。




移ろいゆくもの/神十字
あおいちさんには「みんな変わってしまうんだ」で始まり、「百年も待っていられないよ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば11ツイート(1540字程度)でお願いします。


「皆変わっちまうんだよなぁ」
 窓の外を見やりぽつりと呟く。こぼれた声は存外大きかったようで、少し離れた本棚の前に立つ青年がクスリと笑みを漏らした。
「当たり前ですよ。人間なのですから」
 神様と一緒にしないでください、と軽口を叩き、男は手にしていた本を閉じ、棚へと戻した。白い指先がしばし宙を彷徨い、やがて止まる。背表紙に指を引っかけ、新たな本を取り出した。埃の香りがふわりと舞う。
「にしてもあっという間に変わっちまうじゃん。特に子どもはさ。オレの腰ぐらいしかなかったチビがいつの間にか頭一つ分まで迫ってきてんだぜ?」
 身振り手振り交えつつ赤髪の男は言葉を紡ぐ。小さな子どもと相違ない様子に、緑髪の青年は密かに口元を緩めた。
「子どもの成長は早いですからね」
 そう言って青年は開け放たれた窓の外を見やる。日向の中、幾人もの子どもが駆け回っていた。明確に自我を持ち始めた年頃の子もいれば、そろそろ『子ども』のカテゴリから外れるような年頃の子もいる。ここは『家族』を持たない者たちの集まりだ。様々な歳の子が所属していた。
「おもしれーよなー、子どもってさ」
「貴方は成長しませんものね」
「神がそう簡単に姿形が変わっちゃ困るだろ?」
「そうでしょうか」
「そうだろ。信仰対象がころころ姿変わったら何を信じたらいいか分からなくなっちまう」
「そうでもないと思いますよ。どんな姿であろうと、貴方が貴方であることに変わりはないのですから」
 窓の向こうへと目を向けながら、二人は他愛のない応酬を重ねる。子どもたちを眺める眼差しは、親のそれだった。職員である緑髪の男はもちろんであること、それなりの年月をともに暮らした赤髪の男――人ならざる者である神も彼らを実子のように愛していた。
 カツン、とヒールの音をたてて、神は青年に近寄る。赤い目が男の頭からつま先までじぃと見る。どうした、と蒼は目で問うた。
「お前は変わんねーよなー」
「それはそうですよ。僕はもう大人なんですよ? これ以上成長することなんてほとんどあり得ません」
 そんなもんか、と首を傾げる紅に、そうですよ、と蒼は返す。その口元は穏やかに綻んでいた。
 赤い頭が黒い服に包まれた肩に乗せられる。丸い青がぱちりと瞬いた。柔らかな髪が首筋を撫ぜる感覚に、小さな笑声が漏れ出た。
「……変わんないままでいてくれよ」
「それは無理ですよ。人間なのですから」
「さっき変わんねーっつったじゃん」
「それとこれとは別です」
 人は絶対に変わってしまうものなのです。
 青年――否、青年と呼ぶには幾分か年老いた男は、歌うように言葉を紡ぐ。諦観を孕んだ音色に、神は苦しげな音を漏らした。
「大丈夫ですよ。貴方のことは子どもたちにちゃんと伝え教えてあります。消えることは――」
「そうじゃねぇ!」
 穏やかな笑みを浮かべた男の声を、鋭い声が切り裂く。張り詰めた、今にも泣き出しそうな響きだった。怖い夢を見て夜中に起きてしまった子どものそれに似ているように思え、青い瞳がゆるりと綻んだ。
 寄り添った頭が離れる。黒い外套が翻る。タン、と地面を蹴る音。勢いに任せ、紅は蒼を強く抱き締めた。苦しいですよ、と男は背を叩くが、逆に力が込められるだけだ。聞き入れられる様子はなかった。
「十年もしたら僕のことなんて忘れますよ。だから、大丈夫」
「大丈夫なわけないだろ……」
 子供をあやすように男は黒い背を叩く。絞り出すような低い声が返された。
 十年だろうが百年だろうが、ずっと覚えて待っててやっからな。
 呟きにも似た重い言葉に、蒼は背を叩くことで返した。




冬、君と共に/ライレフ
AOINOさんには「ぬくもりを半分こした」で始まり、「だから君がいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。


 冬が来る度、ぬくもりを半分こする。
 思ってたより寒いから。暖房代節約したいから。そんな稚拙な嘘を並べ立てて、今日も朱は枕片手に部屋を訪れる。シングルベッドは健康優良児である高校生二人を抱えるには狭いというのに、兄はいつだって屁理屈をこねて己のベッドに潜り込んでくるのだ。どれだけ拒否しようと、素早い動きで冷たい身体を布団に滑り込ませてくるのだから質が悪い。
 今日の言い訳は『寒い』の一言だった。シンプルすぎる言葉は、温度計が示す室温を見るに真実であろう。だからといって、この歳にもなって兄弟二人一緒に寝るという選択肢が発生するのは訳が分からないのだけれど。
「烈風刀、もうちょいこっち」
 声と同時に背中に手を回され、ぐいと身体を引かれる。それだけで二人の距離はゼロに等しいものとなった。ほんのりと相手の温度が伝わってくる。毛布に包まれた身体は柔らかな温もりで満たされており、優しい眠気を誘うものだ。隣にいる者が静かなら、このまま寝入ってしまってもおかしくない。
「暑いのですけれど」
「マジ? オレはこれでちょうどいいけど」
 眇め、闇夜の中の朱を見る。声の調子から、その飴玉のようにまあるい輝く瞳を大きく開いていることが分かる。暑い、と主張したにもかかわらず、少年は布団の主を更に抱き寄せる。足に足が絡みつく。まるで蛸が餌を捕らえるような動きだ。心地良い温度が身体を包み込んでいく。睡魔が瞼をそっと撫ぜた。
「暑いですってば。離れてください」
「オニイチャン、烈風刀が離れたら寒くて眠れなくなっちゃうなー」
 ぐいぐいと胸板を押してみるが、効果はほぼ無い。逆に背に回された手に力が入った。
 悔しいことに、重力戦争時代に戦闘を主にしていた雷刀の方が己より力が勝っている。それに、睡魔に絆されつつある身体は平時よりも言うことが聞かない。抵抗しても無駄であることは烈風刀も理解していた。それでも、このまま兄の思うがままになるのは癪だ。
「雷刀」
「なぁに」
 咎める声で名を呼ぶが、返ってくるのは砂糖を溶かしたような甘ったるい声だ。こつん、と額と額が触れあう。鼻先と鼻先が掠めあう。直接感じる温度と甘やかな呼吸に、浅海色の瞳がぱちりと瞬く。温もりでほのかに色付いていた肌に、ぱっと朱が広がった。反射的に顔を伏せ、首元まで布団に潜り込んでしまう。控えめな笑声が碧い頭に降り注いだ。
 『兄弟』という関係から更に先に進んでしまった今、こうやって抱き合って眠るのは少なくない。顔を近づけ合うことだって数え切れないほどだ。それ以上のことだって、もう多分にやっている。けれども、この胸には恋を初めて知った乙女のような恥じらいがいつだって湧き起こるのだ。なんとも情けない。己でもほとほと呆れるが、湧いて出るものはどうしようもなかった。
 烈風刀、と甘やかな声が己の名を紡ぎ出す。布団からはみ出た頭に温度が灯る。さらさらとした髪の間を、胼胝の浮かぶ指が流れるように梳いていく。眠れない子どもを安心させようとする親のような手つきだ。心地良くもあり、腹立たしくもあった。普段は初等部の子たちと同じほど子どもっぽいというのに、たまにこうやって兄ぶってくる。今のこれに至っては丸め込むための動きだ。薄い唇がきゅっと引き結ばれた。
「……寒いなら、毛布を増やせばいいではありませんか」
「これ以上毛布増やしたら重すぎて寝れねーって」
「いい加減湯たんぽを買ったらどうですか」
「売ってるのどれもちっさいじゃん。あんなんじゃ足りねぇ」
 案を並べ立てるが、のらりくらりと躱されてしまう。どちらも眠りの海に足を浸しているというのに、それらしい言葉を紡ぎ出せてしまうのだから不思議だ。
 背に回された手に力がこもる。途端、わずかにあった空白が埋まって、距離がゼロになる。鼓動の音まで聞こえてきそうだ。首筋に温度。肌を呼気が撫ぜる。すん、と息を吸う短い音が耳のすぐ側で聞こえた。そわりと背筋を何かが駆けていく。理解したくない感覚に、少年は美しい碧の瞳を伏せた。
 闇の中、自分と違うようで似ている声が耳元で囁く。
 だって烈風刀が一番温かい。烈風刀がいい。烈風刀じゃなきゃやだ。




世界がどう在ろうとも/レイ+グレ
あおいちさんには「どうか許さないでください」で始まり、「私は案外欲張りなんだよ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以上でお願いします。


 許さないでよ。
 そう言って、彼女はこちらの胸元を強く掴んだ。崩折れそうなほど震えながらも布地を握り締める姿は、縋り付くと表現した方が正しい。すん、と鼻を啜る音が静かな部屋に落ちる。スピネルのような美しい瞳からしたたる雫が、己の膝に丸いシミを作っていく。生暖かいそれに、彼女が生きてこの場に存在していることを実感する。
 泣きじゃくる躑躅色の頭をそっと撫ぜる。悪夢を見て飛び起きたからだろう、癖の強い髪は汗ばんでいた。しっとりとしたそれが愛おしい。
「許しマスヨ」
「やめてよ!」
 とびきり優しく告げるが、返ってきたのは叫びだった。悲痛に濡れた、痛苦に塗れた、後悔が色濃く浮き出た音色が夜の空気を切り裂く。彼女の胸に抱える痛みが嫌というほど伝わってくる響きだった。
「許さないでよ……許されないんだから……」
 一生許されないのよ。
 絞り出すように呟いて、少女は嗚咽を漏らす。昂りすぎた感情に支配された頭は、もう意味のある語を成せないようだ。喉がひくつく音、鼻を啜る音が静寂を上塗りしていく。
 悲嘆に暮れる妹を、正面からそっと抱き締める。小さな頭を己の肩に乗せ、ぽんぽんと優しく叩く。大丈夫デスヨ、と囁くと、ゆるゆると形の良い頭が横に振られた。癖のある躑躅が揺れる。
 大丈夫、大丈夫。柔い輪郭を描く耳に、優しい囁きを落としていく。まじないのようであり、祈りにも似ていた。
 彼女――グレイスは、時折とびきり悪い夢を見る。泣いて飛び起きるため、その内容は多くは語らない。けれども、言葉の端々からはあの闘いの日々に対する強い後悔が見て取れた。今日だってそうだ。許して、とうわごとのように繰り返していたというのに、起きた今は『許さないで』と正反対の言葉を紡ぐのだ。
 許してほしい本心と、許されてはならないという強迫観念が彼女の精神を削っていく。どれほど苦しいのだろう。どれほど悲しいのだろう。どれほど願っているのだろう。想像を絶する感情であることぐらいは分かった。
 そんな彼女に対して、自分は何ができるのだろうか。今はその頭を、背を撫で、体温を共有し、少しでも落ち着けてやることぐらいしかできなかった。歯痒さに桃色の眉が形を歪める。どれだけの権限を持とうと、己は無力だ。
「大丈夫デス。許されマス。皆、許していマスヨ」
「そんなわけないでしょ。そんなこと、あり得ないんだから」
「あり得マスヨ」
 ワタシが何とかしてみせマス。
 重力戦争では、多大な被害がネメシスを襲った。それに対して良い感情を抱いていない者はいるだろう。彼女の言う通り、許さないと言う者もいるだろう。けれども、大切な妹がこちらの世界にやってきた時に誓ったのだ。全てを何とかしてみせる、と。世界が彼女を受け入れてくれるよう全力を尽くす、と。
「全部、やってみせちゃいマスカラ。ワタシ、案外欲張りなんデスヨ?」

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