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No.140
twitter掌編まとめ2【SDVX】
twitter掌編まとめ2【SDVX】
twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
成分表示:レイシス1/紅刃1/はるグレ1/プロ氷1/ライレフ4/識苑+氷雪1/氷雪ちゃん1
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翌日はちゃんとお揃いのお弁当で安心した/レイシス
昼食の時間はいつだって賑やかだ。会話を交わし、料理を楽しみ、満腹感に幸福を感じる。そんな毎日の楽しみになるような、楽しい時間だ。
今日は違うみたいだけど、とレイシスはちらりと視線を上げる。いつだって元気に弁当箱を開ける雷刀は、ただ黙して食べている。よく噛み味わって食べる烈風刀は、ろくに噛まず飲み込むように箸を運んでいた。どちらの間にも声はない。普段は美味しい、また作って、といった和やかな言葉を交わす二人は、唇を引き結んで黙々と弁当箱の中身を胃に押しやっていた。
え、え、と隣から動揺の声があがる。躑躅の妹は、己の弁当箱そっちのけで向かい側に座る兄弟のものを見ていた。料理上手の二人の昼食が羨ましいからではない。その逆、不安を覚えるような中身だからだ。
兄弟の前に置かれた色違いの弁当箱の中身はいつも同じだ。その日の料理当番が二人分作っているのだ、と前に話していたのを覚えている。けれども、今日は違っていた。二種類の弁当が並んでいるのだ。
雷刀の目の前、赤色の弁当箱の中には色とりどりのおかずが詰まっている。入っているカップ色合いや完成され切った形状から、どれも市販品のものだと分かる。冷凍食品をとりあえず入れただけというのが伝わってきた。
問題は烈風刀の前、青色の弁当箱の中身だ。傷が細かに付いたそれの中身は、白で染められていた。二段組みの弁当箱、そのどちらにも白米だけがぎっしりと詰められているのだ。弁当箱を取り違えたのでは、と疑いたくなるような有様である。二つとも色味が同じことと二種類つけられたふりかけが手違いなどではないと語っていた。
よほど大きな喧嘩をしたのだな、と少女はカップグラタンを口にする。久しぶりに食べたそれは美味しいが、今声に出すのは憚られた。
嬬武器の双子は仲が良い。それでも二人とも人間だ、喧嘩をする日もある。その喧嘩の様子が表れるのが弁当だ。食事による報復は時折行われていた。当番制の弱点だな、と最初に見た時は呑気に思ったものだ。
「え? あ、え? 烈風刀? 大丈夫? 私のおかず食べる?」
オロオロとした様子でグレイスは向かいに座った少年に自身の弁当箱を差し出す。よほど心配しているらしい。それはそうだ、昼食を白米とふりかけだけで済ませる人間が目の前にいれば、心優しい妹は心配してしまう。
「大丈夫ですよ」
不安げに眉尻を下げる少女に、烈風刀はにこやかな笑みで返す。形は普段と変わらないが、奥には冷たさと固さがあった。表面上は一切変わっていないだけに、作られたものだということがよく分かる。
そ、そう、と動揺を重ねた躑躅は、差し出した弁当箱を引っ込める。それでも心配なのか、箸を運ぶ仕草はどこかぎこちない。黙って食べている朱の様子も気になるのか、二色の間を尖晶石が静かに往復した。
早く終わるといいのだけれど、とレイシスは白米を口に運ぶ。業務に支障を出さないのは彼ららしいが、こんな様子を明日も見せられるのはごめんだ。食事は楽しく摂りたいのだ。
沈黙が四人の間を流れていく。昼休みはまだまだ続く。
虹描く空に赤を浮かべて/紅刃
しとしとと窓の外から地を雫が打つ音が響く。その中に、パタパタと弾んだ調子の足音が扉の向こうから飛び込んだ。コップ片手にリビングを出ると、可愛らしい歌声が耳をくすぐった。
「出かけるの?」
「お姉さま!」
鼻歌を歌いながら上がりかまちに座る小さな背に投げかける。靴を履き終え立ち上がった妹は、くるりと振り返って元気よく返事をした。お気に入りの真っ赤な長靴と薄桃色の雨合羽をまとう姿は可愛らしい。あと一年もすれば中学生になる彼女だが、まだまだ子どもらしい愛らしさを残していた。
「はい! 虹を見に行くんです」
傘立てから愛用の傘を取り出し、恋刃はニコリと笑う。外は気分を曇らせるような雨だというのに、その表情には輝きが満ちている。這い寄る湿気を振り払うような明るさがあった。
いってきます、と手を振り、少女は玄関を出て行く。ピンクをまとう小さな背に手を振り見送った。
最近、妹は新しい友達ができたとよく話している。虹がとても好きな子らしく、雨の日は『一緒に虹を見に行く』と出かけることが増えていた。わざわざ小遣いで合羽を買うほどの入れ込み具合だ。よっぽどその友達と虹を見ることが――否、新しい友達のことが好きなのだろう。
いいことだ、と少女は一人頷く。妹はどうにも姉である己に執着が強い。友達もたくさんいるようだが、物事において友達よりも姉を優先することが多々あった。お姉さまお姉さま、と懐いてくる姿は非常に可愛らしいが、せっかくの友達を大切にしてほしいと思ってしまう。友人に重きを置く最近の姿は、随分と成長したと言えよう。
それでも、いざ友達とばかり遊ぶ様を見せられると、ほんの少し寂しさを覚えてしまうのだから己はわがままだ。妹離れしなければな、と紅は苦く笑う。少し離れたところから見守るのが姉としての役目なのだから。
マグ片手に階段へと足を進める。宿題を済ませなければ、と静かな足取りで部屋に戻った。
扉を開き、教科書とノート、課題テキストが広げられた机に向かう。あと数問解けば終わりだ、頑張らねば。シャープペンシルを手に取る。ふと、カーテンを開いたままの窓の外が視界の端に映った。
ガラスの向こう側、重い灰色の空は少しだけ明るくなっていた。音が聞こえるほどだった雨脚も勢いを失っている。晴れるのも時間の問題だろう。
虹、見れるといいわね。
ぽつりと呟き、紅刃は空から視線を外す。終盤の応用問題に向かう少女の口元は、穏やかに解けていた。
湯煙と歌声/はるグレ
大ぶりなドライヤーを操る。吹き出す熱い豪風を少し遠くから髪に当て、たっぷりと含んだ水分を飛ばしていく。タオルできちんと拭いたものの、くるぶしまで届くほど長い髪はまだまだ湿って重い。乾いたタオルを添えながら、根元から毛先へと温風を当て傷めないように乾かしていく。水を含んで色の濃くなった躑躅の髪は、だんだんと元の鮮やかでつややかな様を取り戻しつつあった。
ドライヤーをかけるのは嫌いではない。長く癖のある髪をしっかりと手入れするのが面倒ではないと言えば嘘になるが、水分で重くまとまってしまったこいつをサラサラのふわふわの姿に戻すのは楽しい部分があった。
ほぼ乾かし終え、今度は弱い冷風を当てていく。弱くなった風の音に、音色が混じる。上機嫌なメロディーは、ステージ上で何度も歌った曲だ。あの鮮やかに彩られた世界からバージョンアップしてまだあまり日が経っていないというのに、何だか懐かしく感じた。
ドライヤーのスイッチを切り、ブラシで整えていく。ウェーブのかかった長い長い髪を、小さな手が慣れた手つきで梳いていく。自宅のそれより大きく力のある風のおかげか、丁寧な手入れのおかげか、いつもよりも櫛の通りがいいように感じた。
サラサラになるまで梳かし終え、手早く結い上げる。普段は二つに結うところだが、今日はもう帰って寝るだけだ。大きく一つにまとめるポニーテールで済ませることにした。鮮烈な色合いの枝垂れ桜が、広い脱衣所の片隅に揺れた。
着替えと手入れ道具を鞄にしまい、グレイスは出入り口へと向かう。赤い暖簾をくぐると、すぐに黒い影が現れた。
「早いわね。ちゃんと湯船に浸かった?」
「はい」
色違いの鞄を携えた始果は穏やかに返す。ならいいわ、と少女は笑う。せっかく寄宿舎よりずっと大きくて広い湯船があるのに入らないだなんてもったいないことだ。
「帰りましょ。湯冷めしちゃったら大変だわ」
季節柄まだ暖かいが、夜は少しばかり冷えてくる頃合いだ。あまり長く外にいては身体に悪いだろう。学生が夜遅くまで出歩くのもあまり良くない。ここの銭湯は寄宿舎からさほど遠くないが、のろのろと歩いて帰っては門限が来てしまう。
はい、と短く返し、狐は先を歩く躑躅の背を追う。高さの違う長いポニーテールが二つ、夜闇の中に揺れた。
「そういえば、久しぶりですね」
「そうね。最近忙しくて銭湯なんて来れなかったもの」
「いえ、そちらではなくて」
始果の言葉に、グレイスは首を傾げる。銭湯のことでなければ何だろう。二人で夜出歩くことだろうか。否、この少年は夜中に外に出る時はいつだって付いてくるのだ。変わらぬ風景である。では、一体何を指しているのだろうか。
「グレイスがあんなに楽しそうに歌っているの、久しぶりに聞きました」
「歌……?」
柔らかに笑む少年に、少女は訝しげに返す。確かに、歌を人前で歌ったのは以前の世界での話だ。武奏をまとう今の世界では歌を披露することはなくなっている。けれど、何故今このことを言い出したのだろう。疑問符を浮かべながら、躑躅は首を捻る。歌。久しぶり。ぐるぐると巡る思考の中、つい先ほどのことを思い出す。鼻歌を歌いながら髪を乾かしていた、つい先ほどの時間を。
「き、こえてたの……?」
「はい」
ぎこちなく尋ねるグレイスに、始果は当然のように返す。それがどうかしたのか、と言った調子だ。反して、疑問が確信に変わった少女はひゅ、と息を呑む。聞かれていた。あんな拙い鼻歌を聞かれていた。しかも、一人きりとはいえ公共の場で呑気に歌っていたのを。
風呂上がりでほのかに上気していた頬が、一気に真っ赤に染まり上がっていく。可憐な唇がぱくぱくと開閉を繰り返す。何か言いたいのに、言葉が見つからない。声が出ない。羞恥ばかりが胸を渦巻いた。
赤い顔を隠すように、少女は足取りを速める。逃げてしまいたい黒は、すぐさま事もなげに隣に並んできた。更に速める。すぐに追いつかれる。速める。追いつかれる。もう駆けるような勢いだ。
「グレイス?」
「早く帰るって言ってるでしょ……!」
不思議そうに名を呼ぶ狐に、躑躅は絞り出すように言葉を飛ばす。少女の変化に気付いていないのか、少年は分かりました、と返して並んで歩いた。
依然羞恥心渦巻く顔が熱い。足早に進む身体が熱い。せっかく時間を掛けてピカピカに身体を磨き上げたというのに、もう汗を掻いてしまいそうだ。あぁもう、と心の中で叫ぶ。それでも鼻歌を聞かれたという事実も、その恥ずかしさも消えることはなかった。
夜空、月と街灯が駆けるように歩んでいく二人を照らしていた。
結んで揃えて桃と雪/プロ氷
霧雨のように細やかで澄んだ髪を、ブラシが梳いていく。まっすぐに整えられたそれが、華奢な指によって均等に三つに分けられる。細いそれを、小さな手が慣れた手つきで手早く編んでいく。氷柱のように長く太かった髪の束は、あっという間に細く整った三つ編みに生まれ変わった。
鮮やかな手つきに、識苑はほぅと息を漏らす。髪を編む様は何度も見ているが、いつ見ても手際の良さに感動してしまう。あれだけ長く毛量のある髪を手入れしセットするのは大変だろうに、事もなげにやってしまうのだから見事だ。女の子ってすごいなぁ、と心の中で漏らした。
「識苑さん? どうかしましたか?」
毛先を細いゴムとオレンジの紐でまとめつつ、氷雪は首を傾げる。じぃと見つめてくる恋人の様子が気になったようだ。
「いや、いつも綺麗に結んでてすごいなぁって」
「すごくなんてありませんよ。小さな頃から毎日編んでいるので慣れてるだけです」
感嘆の息を漏らして言う青年に、少女は眉尻を下げながら笑う。よく手入れされたまろい頬には、ほのかに朱が滲んでいた。
「識苑さんもいつも結っているから慣れているでしょう? 同じですよ」
「俺は適当にまとめてるだけだよ。氷雪みたいに整えてないし」
翡翠の瞳が下ろされたままの長い桃の髪を見やる。毛先のばらついたそれに触れ、男は苦くこぼした。己は作業の邪魔にならないよう雑に結い上げているだけだ。恋人のようにこだわって伸ばしているわけでも、綺麗にしようと努力してるわけでもない。同じとするのは失礼に思えた。
「……あの、えっと……、もしよろしければ、今日はわたしが結ってみてもいいですか……?」
櫛を片手に、氷雪は小さく首を傾げて問うた。少し不安定な声音に反し、夕焼け色を見つめる水底色はキラキラと輝いていた。手入れがしたくて仕方が無い、といった様子だ。珍しい姿に識苑は頬を緩める。恋人であるこの少女は少しばかり引っ込み思案だ。こうやって己から希望を言ってくることはあまりない。よほど興味があるのだろう。それを叶えてやりたくて仕方無かった。
「じゃあ、お願いしよっかな」
弾んだ声で返し、青年は少女の隣、ベッドの縁に腰を下ろす。ありがとうございます、と同じく弾んだ声。腰掛けていた氷雪はそっとベッドに上がり、長い桃髪広がる背中へと回った。
失礼します、と少し固い声と共に雪色はぴょこぴょこと先の跳ねた髪をすくい上げる。少しずつ束に取り、手にしたブラシで梳いていく。寝起きで絡まっていた桃色は、綺麗に解けていった。
しばしの空白。鴇色の髪がまとめられ、首を回り肩に掛けられる。ごそごそと布の擦れる音と弾むスプリングの感覚の後、目の前に少女が現れる。ぱちりと瞬く愛し人の様子など気に掛けず、彼女は前に垂らされた桜髪に触れた。
胸元まである長い髪が三つに分けられる。細い束となったそれを、小さな手がすっすと編んでいく。あっという間に三つ編みができあがった。
「……おそろい、ですね」
垂れたピンクの編み髪から手を離し、氷雪はえへへとはにかむ。解けた口元には、幸がめいっぱいに溢れていた。
ふわ、と頬が、胸が熱を持つ。あまりにも可愛らしい笑顔に、あまりにも可愛らしい行動に、あまりにも可愛らしい姿に、心臓がきゅうと締め付けられた。
「あっ、えっと、戻しますね。前に垂れていては邪魔ですものね」
「いや、いい。今日はこのままがいいなぁ」
まとめたゴムを解こうとする細い手をそっと取り、識苑はにへらと笑う。こちらも幸福で染め上がった温かな笑みをしていた。ぁう、と目の前の細い喉から声が漏れるのが見えた。
「いいん、ですか……? 邪魔じゃありませんか?」
「邪魔なんかじゃないよ。氷雪とお揃いのままがいいな」
不安げに揺れる深雪色に、撫子色は柔らかな笑みと通った声を投げかける。潤った桜色の唇がはくはくと動く。あ、えっと、と震えた声がぽろぽろとこぼれ落ちた。しばしして、はい、と細い肯定の語が小さな口から紡がれた。
紅梅のように顔を染める愛し子をから視線を外し、識苑は肩に掛かった己の髪を見る。揃いの綺麗な三つ編みを眺め、へにゃりと緩んだ笑みをこぼした。
朝一番の幸福/ライレフ
※
Dom/Subユニバース
パロ。
ジャケットを羽織りながら長くない廊下を駆ける。クリーム色の制服に包まれた肩に鞄を掛ける頃には、目の前には呆れた調子の弟の姿があった。
「家でまで廊下を走るのはやめてください」
「早くしなきゃだろ?」
息を吐くように言う碧に、赤はニッと笑いかける。そうですけど、と返す浅葱の眉は軽く寄せられていた。
「烈風刀、『こっち向いて』」
優しい音色でコマンドを紡ぎ出す。毎朝恒例のその言葉に、烈風刀は従順に顔を向けた。どこか潤んだ、期待に溶けた川底色が夕焼け色を見つめる。今日も変わらず可愛らしい姿に、雷刀は頬を緩めた。
「『喉見せて』」
続けざまに示されたコマンドに、碧い少年は物言うことなく従う。何にも染められていない白い喉が、目の前に晒される。そのまま撫でてくすぐりたい衝動を抑え、朱い少年は下駄箱、その上に置かれた小物入れに手を伸ばす。片手で器用に開け、目的のものを取り出した。
さらけ出された喉に、手が伸ばされる。手にしたそれをうなじに沿うように通し、前で金具を留める。細い黒のチョーカーが日に焼けていない喉元を彩った。
「ん、オッケ。大人しくできててえらいな」
きちんと命令に従った『良い子』の頭を、梳くように撫ぜる。きちんと整えられた髪は、なめらかな指触りをしていた。跳ねる毛先をつつくように触れていると、顎がすっと引かれる。目覚めのはっきりとした若葉がこちらに向けられた。
「ありがとうございます」
首に巻かれたそれをそっと撫で、碧は笑う。頬をほんのりと染め、幸福にとろけた目を細め、口元を緩め礼を言う姿は、愛らしいと形容するのが相応しいものだ。
学校に向かう前に『外向き』の首輪を付けてやり、付けてもらうのが二人の日課だった。朝からDomの庇護をめいっぱいに受けることにより、Subの精神の安定性を図る。烈風刀が出した提案だ。頭の良い弟は頭の良いことを考えるものだな、とその優秀さに感服したのを覚えている。もちろん、二つ返事で引き受けた。
黒をなぞる指に、己の指を重ねる。つつ、と整えられた指を日で色付いた指がなぞり、首輪をなぞり、喉を撫ぜる。くすぐったいですよ、と笑みを含んだ声が返ってきた。
「いこっか」
「そうですね。レイシスを待たせてしまいます」
弟の言葉に、兄は急いで靴を履く。三人で登校するのも日課の一つだ。あの可憐で美しい少女を待たせてしまうのは、あってはならないことである。長い靴紐を雑に結んだ。トントン、とつま先で地面を打つ。ドアの開く音。開いた鉄扉の向こうに、朝の青空が広がっていた。
いってきます。
二人分の声が狭い玄関に響いて消えた。
今日は二人で夕食を/識苑+氷雪
住まいと住まいの間へと太陽が沈んでいく。去りゆく直前まで元気よく光を放つそれに、識苑は目を細める。作業で疲れた眼球にはあまりにも強いダメージだった。
ぐぅ、と固い腹筋に覆われた腹が鳴き声をあげる。プールの見張り当番に、技術班の仕事に、ついでにサーバー保守の手伝いに。今日は普段以上に働いた。常日頃から食事をないがしろにする身体に、腹の虫が怒りを示す。早くエネルギーを寄越せとうるさく騒ぎ立てた。
ふらふらと歩みを進め、いつもの扉の前に立つ。ガラガラと古めかしい音をたてて扉を開くと、ひゃ、と聞き覚えのある声が鼓膜を揺らした。音の方、頭二つは下へと視線を動かす。そこには、真夏でも美しく輝く雪の白があった。
「あれ? 氷雪ちゃん?」
「識苑先生?」
互いに目を丸くする。生徒と学外で会うことは時折あるが、彼女と鉢合わせるのはこれが初めてだ。それも、ここは学園から少し離れた位置にある中華料理中心の店である。まだ幼さが残る少女と鉢合わせるなど、想像だにできない場所だ。
「どしたの? こんなところで」
「いえ、アルバイトが終わったので帰るところです」
アルバイトの言葉に、青年は首を傾げる。ボルテ学園の校則は他校に比べてずっと緩い。アルバイトも認められていた。それでも、彼女がアルバイトをするのは意外に思えた。
「夏の間だけ、かき氷のアルバイトをさせていただいているんです。少しでもお役に立てたらな、と思って」
そう言って少女ははにかむ。雪女である氷雪は、すぐに物を凍らせてしまう己の体質にコンプレックスを抱いていた。それを活かそうとしているのだ。随分と成長した姿に、教師は頬を緩めた。
「うちの店を『こんなところ』とは何アルカ」
店の奥からむくれた声が飛んでくる。見ると、メニュー片手にこちらに向かってくる椿の姿があった。ごめんごめん、と手を振って謝る。今日は許してやるアル、と看板娘は依然頬を膨らませて言った。
「で、今日もいつものアルカ?」
「うん。よろしくー」
ハイヨー、と元気の良い返事をして椿は奥へと戻っていく。いつものネ、と厨房へと叫ぶ声が聞こえた。
「氷雪ちゃん、もう晩ご飯食べた?」
「いえ、まだです」
「バイトで疲れてるでしょ? ご飯食べてから帰りなよ。先生奢ったげるから」
識苑の言葉に、氷雪はえ、と驚きに満ちた声を漏らす。すぐさま、ぱちぱちと川底色の瞳が動揺に瞬いた。整った細い眉が八の字を描く。
「そっ、そんな、申し訳ありません」
「でも寄宿舎まで結構かかるでしょ? お腹空かせたまま帰るの大変だよ」
この店から学園の併設された寄宿舎までは結構な距離がある。バイトで働き疲れ空腹に苛まれる身体で帰るのは大変だろう。成長期の中学生なら尚更だ。
「それに、先生久しぶりに人とご飯食べたいなぁ。いつも一人だからさ」
付き合ってくれないかな、と問いかける。あわわ、と桃色の唇から慌てた声が漏れるのが見えた。白い頭が俯く。厨房から響く忙しない調理音が二人の間を埋めた。
「あ、の、今日アルバイト代が入ったので、自分のお金で食べるのでしたら……」
ご一緒させてください、と下を向いた頭から細い声があがる。久しぶりに人と食事の時間を過ごすことができる喜びに、少女が受け入れてくれた喜びに、青年はやった、と声を漏らした。
「何食べる?」
「えっと、えび餃子、食べてみたいです」
雪色の言葉に、桃色は頷く。椿ちゃん、えび餃子追加でー、とカウンターの奥へと大きな声を飛ばす。アイヨー、と元気の良い声が返ってきた。
入ろっか、と識苑はようやく扉をくぐる。はい、と慌てた調子で身を翻し、氷雪も店内へと戻った。
ガラガラと音をたてて扉が閉められる。店先に掛けられた『かき氷はじめました』と書かれたのぼりを夕焼けが照らしていた。
目覚めもたらす温度/ライレフ
温かなものが意識を包む。全てを受け止めるような柔らかな感覚に身を委ね、ゆっくりと沈んでいく。頭のてっぺんまで潜る直前、ぐらりと世界が揺れた。
「――いと、雷刀。雷刀!」
無理矢理引き上げられた意識が、音を認識する。己を示す名だ。いつだって聞いてきた声だ。愛しい音色のはずなのに、今はどうにも受け入れがたい。もっと温かな場所にいたかったのに、と覚醒に至らぬ頭がわがままを言った。
「……んだよ」
強く呼ぶ弟に対し、何とか言葉を返す。寝起きの低い声で放った音は、明らかに機嫌が悪いものだった。それはそうだ、ゆっくり眠っていたところを叩き起こされて良い気分になるはずなどない。
凄みを感じさせる響きに臆することなく、烈風刀は眠気でけぶる紅玉を射抜く。眉根を寄せる様は、怒りと呆れが混じり合ったものだ。
「起きてください。もうお昼ですよ」
「いーじゃん、やすみだろ」
ぐらぐらと肩を揺さぶる碧から逃れるように、朱は寝返りを打つ。今日は土曜日、運営業務も何もない休日だ。今週の食事当番は弟なのだから、惰眠を貪ることで片割れに迷惑を掛けることもない。いつまでも寝ていたって許されるはずだ。
「良くないでしょう。休日だからってお昼まで寝ているのはどうかと思いますよ」
ほら、起きなさい。言葉と共に被さった布団に手が掛けられる。引っ剥がそうとするそれを急いで掴み、頭まで被った。視界が暗くなる。こら、とくぐもった声が聞こえた。
だって眠っていたいのだ。新しく買ったゲームを夜中までやっていてまだ眠いのだ。温もりに溢れた柔らかな布団の世界で暮らしていたいのだ。重い瞼を、眠りに沈む意識を、無理矢理上げることなどしたくなかった。
このまま布団の中で籠城しても、いずれは無理矢理掛剥がれるだろう。どうしようか、と動きが鈍い頭で考える。真面目な弟が諦めそうな言葉は何だろうか。このまま駄々をこねるのは意味が無いだろう。仮病はさすがに心配を掛ける。他に何か。真っ暗でぬくい世界の中、ぐるぐると考える。しばしして、赤い唇がゆるりと綻んだ。
剥がされないように端をしっかり握りながら、もぞもぞと掛け布団から顔を出す。目の前には、依然仁王立ちをした烈風刀の姿があった。
「……おはようのちゅーしてくれたらおきる」
寝起きの脳味噌で考え出した言葉を紡ぎ出す。音を形作る口は、どこか意地悪げに緩んでいた。
弟は、恋人は奥手だ。付き合ってだいぶ経つが、未だ口付けを受け入れることすら得意としていない。そんな彼が、自発的に口付けなんてできるはずがない。それに、『おはようのちゅー』だなんて漫画みたいな行為を要求すれば呆れること必至だ。きっと痺れを切らして部屋から出て行くだろう。
はぁ、と深い深い溜め息。やはり、予想は当たったようだ。己の勝利を確信し、どうにか持ち上げていた瞼を下ろす。もう自由に眠るだけだ。
ギ、とスプリングが軋む音。身体を預けたマットレスが沈む感覚。頬になめらかな何かが触れる感触。そして、唇に熱。
「……お昼は焼きそばですからね。さっさと着替えてきてください」
熱が去ると共に、少し固い声が降ってくる。頬の温もりが離れ、スプリングが再び軋み、沈んだマットレスが戻る。ぱたぱたと少し急いだ調子の足音。バタン、とドアが閉められる音が陽光注ぐ部屋に響いた。
沈みかけた意識が、下がった瞼が思いきり引き上げられる。先ほどまで睡魔でけぶっていた意識が一気にクリアになる。同時に、凄まじい混乱の渦に陥った。
「………………へ?」
間抜けな音を漏らす唇に、指を当てる。一瞬与えられた熱は既に消え去っていた。けれども、感覚はしっかりと残っている。口付けの感覚が。
朱い目が瞠られる。日に焼けた健康的な色の頬が赤く色付いていく。八重歯覗く口が、驚愕にぽかんと開かれた。
夢だろうか。夢かもしれない。夢だろう。でも、肌に残る感触は確かなもので。触れた熱も求めていたもので。
ぇ、え、と開いた口から動揺の音が漏れる。はっきりと目覚めたというのに、頭の中はこんがらがって身体を動かしてくれない。意味の無い音を漏らすのが精一杯だ。それも、すぐにただの呻きとなり、最後には消え去った。
沈黙が部屋を包む。ギシ、とスプリングの音。ごそ、と衣擦れの音。くたびれたシャツとジャージに包まれた身体が、布団から露わになった。
もつれるようにベッドから身を下ろし、ふらつく足取りで扉に向かう。あんなことを言って、本当に叶えてくれただから、宣言通り起きなければいけない。それに。
着替えることなど、顔を洗うことなど忘れ、まっすぐにリビングを目指す。愛しい人が美味しい昼食を作って待っているであろうその場所に。
目覚めをもたらしたあの唇に、『おはようのちゅー』を返すために。
夕焼け空で二人きり/ライレフ
低い機械音が遠くに聞こえる。時折混ざる金属が軋む高い音が心をざわつかせた。
「夕焼け、きれーだな……」
「えぇ、そうですね……」
半円に作り上げられたガラス窓の外は、赤色一色に染め上がっていた。日中はあれほど青が広がっていた空が、正反対の色で塗り潰される。日常でありながら、何とも不思議な光景だ。その色を作り上げた陽の強い光が目を焼いた。
美しい夕焼け空を眺める碧と朱の瞳は濁っていた。現在地、観覧車の小さなゴンドラの中。現在時刻、夜が近づく夕暮れ時。状況、人目に付かない二人きりの密室。恋人関係にある者にとってこれ以上無くロマンチックなシチュエーションだというのに、空を見つめる二色二対の目は消沈しきっていた。
今日は兄弟、そして愛しい愛しいレイシスと三人で遊園地にやってきた。たくさんのアトラクションを楽しみ、現地限定のスイーツを味わい、趣向を凝らされた園内を歩き回り。それはそれは楽しい時間を過ごした。
その素晴らしい一日を締めくくる最後のアトラクションとして選ばれたのは、小さな観覧車だった。二人乗りのそれにどう乗るか――どちらがレイシスと乗るか、兄弟で静かな争いが起こったのは言うまでもない。ここは平等にいこう、とじゃんけんで組み分けをしたのだ。
その結果がこれである。
「何でだよ……」
「こちらの台詞ですよ……」
顔を覆う兄に、弟は覇気の無い声で返す。まさか兄弟二人で乗る羽目になるとは。簡単に予測できる事態であるのに、レイシスのことで頭がいっぱいな二人にはそんなことは一切思い浮かばなかったのだ。間抜けとしか言い様がない有様だ。
はぁ、と重い溜め息をこぼし、雷刀は顔を上げる。輝かしく眩しい夕陽が色の濁った瞳を刺す。痛みすら覚えるそれから逃げるように、少年は正面へと顔を向けた。
対面に座る弟は、変わらず力ない様子で外を眺めていた。夕焼けに照らされ、白く整った横顔が赤に染まる。美しい光景だ。少なくとも、ドキリと心臓が大きく脈打つ程度には。沈みきった気持ちがほのかに浮き上がる程度には。今現在『恋人と二人きり』であることを思い出す程度には。
「何ですか、じっと見て」
「いや、きれーだなーって」
じとりとした目線を送る碧に、朱はふと笑みをこぼして返す。あぁ、と翡翠が紅緋に染まる空へと戻される。ちげーって、と照らされる横顔にそっと指で触れた。
「烈風刀が」
「……何を馬鹿なことを」
触れた頬は、普段よりも少し温度が高いように思えた。一日おおいに遊び、日にめいっぱい照らされたからだろう。けれども、少しばかり膨れたそれは別の熱を持っているように見えた。白い肌が紅に染まる。己の色に染まる。天候によるものとはいえ、何だか気分が良い。にへ、と朱は幸福にふやけた笑みをこぼした。赤に照らされる孔雀石が、強く眇められた。その中に浮かぶ色は、鋭さを宿せども温かだ。
「そろそろ終わりますよ」
降りてレイシスを迎えなければ。そうだな。短く会話を交わすうちにも、ゴンドラは地上へと戻っていく。数分もかからぬうちに、地上へと足を着けることになった。
「観覧車、楽しかったデス~!」
一つ後ろのゴンドラに乗っていた少女は、地面に降り立つとともに弾んだ声をあげた。一人きりで乗ったというのに、随分と楽しんだようだ。それはよかった、と二人で返すが、心情は少し複雑だ。
「アレ? 二人トモ、顔赤いデスヨ? どうしマシタ?」
少女の言葉に、少年たちはへ、と声を漏らす。大きな手が二つともぺたぺたと頬を触る。確かに、触れたそこは熱を持っていた。何故だろう、と考えるより先に、ゴンドラ内のやりとりが頭に浮かぶ。初心な恋人はともかく、己まで赤くなっているとは。あー、と気まずげな声が二つ落ちた。
「……思ったより暑かったので」
「夕陽直撃だったしな。うん」
誤魔化す声二つに、レイシスは小さく首を傾げる。疑問はすぐに氷解したのか、ニコリと変わらぬ可愛らしい笑みを浮かべた。
「まだ時間ありマスヨネ? もう一周しマセンカ?」
「もちろん」
「する!」
桃の提案に、朱と碧は目を輝かせる。筋の目立ち始めた大きな手がぎゅっと握られ、拳を作る。今度こそ、少女との甘やかな時間を勝ち取ろうと。
ぐっとっぱ、と気迫に満ちた声と軽やかな声が夕焼けに包まれる乗り場に響いた。
一時間後、カメラロールは碧で染まった/ライレフ
蒼天を背景に白が舞う。陽光にたっぷり照らされふかふかになったそれは、雲に似ていた。雲めいた柔らかで暖かな四角形が、胸の内に収まった。
うっかり落としてしまわぬように腕にしっかりと抱え、烈風刀は掛け布団を胸にベランダを後にする。自分の分、そして兄の分をリビングに運び込み、少年は小さく息を吐いた。中身は羽毛なので幾分か軽いが、大きなそれを運ぶのは高校生でも一苦労だ。
洗ってしまっていた真っ白なカバーを掛け、まずは己の分を抱える。床に擦らないようにしっかり持ち上げ、自室に運び込む。これまた洗濯済みの清潔なシーツをベッドにかけ、カバーを替えた枕を置き、仕上げに掛け布団をふわりと被せる。全てが替えられ整ったベッドでは、きっと良い夢が見られるだろう。お日様の匂いに包まれる夜へと思いを募らせながら、碧はリビングへと引き返す。今度は兄の分だ。
簡単に畳んだ布団を両の腕で抱える。引きずらないようにしっかりと上げる。干したての暖かなそれが鼻先を掠める。ふわ、と何かが香った。
何だ、と烈風刀は目を瞬かせる。先ほどはこんな匂いはしなかったはずだ。日差しを浴びた暖かさも、干したての羽毛の柔らかさも、きちんと洗濯してしまっておいたカバーも変わらないはずだ。何が違うのだろう。覚えのある、心を軽く引っ掻くようなこれは一体。
歩み出した足が止まる。しばしして、あぁ、と呆れと羞恥が混ざった声が一人きりの部屋に落ちた。
何だも何もない。これは兄の匂いだ。兄の掛け布団なのだから、彼の匂いがするのは当たり前だ。なんて単純なものに疑問を抱えているのだろう。あまりの間抜けさに頭痛がするようだ。
はぁ、と溜め息もう一つ。止まっていた歩みを進める。兄の部屋に運んで、シーツを替えて、枕を置いて、掛け布団を被せる。これで二人分のベッドメイクは終わりだ。
ふかふかになったそれに、暖かなそれに、日に当たれども兄の香りを残したそれに、ふと目を細める。部屋には、兄弟二人で住む一室には己しかいないというのに、きょろきょろと意味も無く周りを見渡す。自分の他に誰もいないという当たり前の事実を再度確認し、そっと息を吐いた。
音をたてないようゆっくりと床に膝をつく。そのまま、頭を干したての掛け布団に軽く埋めた。
すぅ、と小さく呼吸する。鼻腔を太陽の暖かで柔らかな匂いが満たす。その奥に、愛しい人の香りが舞った。
「……らいとのにおい」
安心感をもたらす二つの香りに、少年は小さく呟く。ほのかに溶けた、甘い響きをしていた。すん、ともう一呼吸。陽光の匂い。兄の匂い。どちらも心地良さをもたらす素敵な匂いだ。同時に、睡魔を召喚する温度と安楽だった。
ゆっくりと瞼が降りていく。視界が狭まっていく。まだ洗濯物を取り込んでいる途中なのだ、寝てはいけない。けれども、朝から洗濯に掃除に精を出して少しばかり疲労が溜まった身体は徐々に動く力を失っていった。
花緑青の瞳がゆっくりと隠れていく。触覚から伝わる温度が、嗅覚を満たす香りが、少年を眠りへと誘う。駄目なのに、と叫ぶ理性は、温もりと香気に呼び起こされた本能に押さえつけられた。白い世界が狭まる。陰り暗くなる。ついには、瞼の裏側にある闇に染まった。
沈む意識の中、愛し人が己を包んだように思えた。
氷、煌めき、凍てついて/氷雪ちゃん
※HEXA DIVER暁光の翼篇ネタバレ有。
ふわり。ひらり。輝きが舞い落ちる。氷だ。小さな欠片が、陽光を受けて輝いては散っていく。故郷を思い出す風景だ。胸に一滴落ちた郷愁に、少女はきゅっと胸の前で手を握った。
結んだ手を開き、氷へと指を伸ばす。不思議なことに、冷たさも溶ける様子も感じられなかった。己が雪女だからだろうか。それとも、この世界が特殊なのだろうか。
この世界、と考え、雪女は小さく首を傾げる。『この世界』とは何だろう。世界はただ一つしかないのに。空を舞い飛び暮らす、この世界しかないのに。うぅん、と不可思議を詰め込んだ声が小さな口から漏れる。最近友人によく漫画借りて読んでいるから、その影響だろうか。現実と空想の切り分けができないだなんて、己もまだ未熟だ。うぅん、と苦い音が桜色の唇からこぼれた。
氷雪サン。
遠くから声が聞こえる。鋭く名を呼ばれ、氷雪は発生源へと目を向ける。常磐色の瞳に、桃色の点が映った。
レイシスさん、と雪色は声を漏らす。学園内を駆け巡る彼女には出会うことが多い。だというのに、随分と久しぶりに邂逅したように思えた。同時に、強い違和感を覚える。どうしてこの少女は羽を持っていないのだろう。空を駆け巡る世界に生を受けて、何故羽を持っていないのだろう。大丈夫なのだろうか、と不安が心ににじんだ。それもすぐ、鮮烈にきらめく氷たちに掻き消された。
綺麗でしょう、と白に身を包んだ少女は言葉を紡ぎ出す。どこか恍惚とした、魅入られた響きをしていた。常の彼女からは想像できぬ音に、薔薇色の少女は表情を硬くする。正気に戻ってくだサイ、と叫ぶような声が氷に支配された空間に響いた。
ぱちり、と川底色の目が大きく瞬く。正気とは何だろうか。己は正気のはずだ。正気だから空を飛んでいられる。正気だからこの世界を美しいと思うことができる。正気だから、彼女もここにいてほしいと強く思う。おかしい点など一つも無いはずだ。
ここじゃナイ。ピリカサン。どこヘ。飛んデ。もっと上ヘ。
ヘッドギアに手を当て、レイシスは声をあげる。断片的に聞こえる言葉に――『もっと上へ』という言葉に、心がざわめく。何が目的かは知らないが、どこかに行こうとしているのだ。この美しい世界から去ろうとしているのだ。こんなに美しくて、輝かしくて、冷たくて、心地良い世界から、去ろうとしている。事実が、心の柔らかな部分に爪を立てる。
仕方がないですね。
紡ぎ出した声は、己でも驚くほど冷え切ったものだった。氷柱のようなそれが、眼下の少女の元へと落ちていく。え、と驚愕に満ちた声があがったのが聞こえた。
ぴきり。ぱきり。空間が高い音をたてる度、背後の存在が大きくなる。氷でできた羽が肥大しているのだ。透き通ったいくつもの氷羽が、数を増し、太さを増し、鋭さを増していく。天へと広がるそれが、向きを変える。見知った少女へと、世界から逃げようとする者へと矛先を向ける。キラリと鋭利な氷塊が光を受けて輝いた。
氷雪サン、と悲鳴めいた声が飛んでくる。透明な刃を向けられた桃は、恐怖と焦燥に満ちた表情でこちらを見上げていた。それでも、その足は地を踏んだままだ。どこかへ歩み出そうと地を踏みしめたままだ。
安心してください。
ふわりと、はらりと、雪女は口元を綻ばせる。心を冷たく撫でるような、美しい笑みをしていた。
「永遠に、ここで、一緒に」
美しい世界にいましょう。
雪女は依然笑みを浮かべる。澄んだ、凍てついた、冷え切った、艶然とした笑みを浮かべる。ゆるりと細められた金緑石には、石解けた桜色の唇には、恐ろしい何かが宿っていた。
雪の気配が、氷の気配が、一層強さを増した。
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SDVX
2024/1/31(Wed) 00:00
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twitter掌編まとめ2【SDVX】twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
成分表示:レイシス1/紅刃1/はるグレ1/プロ氷1/ライレフ4/識苑+氷雪1/氷雪ちゃん1
翌日はちゃんとお揃いのお弁当で安心した/レイシス
昼食の時間はいつだって賑やかだ。会話を交わし、料理を楽しみ、満腹感に幸福を感じる。そんな毎日の楽しみになるような、楽しい時間だ。
今日は違うみたいだけど、とレイシスはちらりと視線を上げる。いつだって元気に弁当箱を開ける雷刀は、ただ黙して食べている。よく噛み味わって食べる烈風刀は、ろくに噛まず飲み込むように箸を運んでいた。どちらの間にも声はない。普段は美味しい、また作って、といった和やかな言葉を交わす二人は、唇を引き結んで黙々と弁当箱の中身を胃に押しやっていた。
え、え、と隣から動揺の声があがる。躑躅の妹は、己の弁当箱そっちのけで向かい側に座る兄弟のものを見ていた。料理上手の二人の昼食が羨ましいからではない。その逆、不安を覚えるような中身だからだ。
兄弟の前に置かれた色違いの弁当箱の中身はいつも同じだ。その日の料理当番が二人分作っているのだ、と前に話していたのを覚えている。けれども、今日は違っていた。二種類の弁当が並んでいるのだ。
雷刀の目の前、赤色の弁当箱の中には色とりどりのおかずが詰まっている。入っているカップ色合いや完成され切った形状から、どれも市販品のものだと分かる。冷凍食品をとりあえず入れただけというのが伝わってきた。
問題は烈風刀の前、青色の弁当箱の中身だ。傷が細かに付いたそれの中身は、白で染められていた。二段組みの弁当箱、そのどちらにも白米だけがぎっしりと詰められているのだ。弁当箱を取り違えたのでは、と疑いたくなるような有様である。二つとも色味が同じことと二種類つけられたふりかけが手違いなどではないと語っていた。
よほど大きな喧嘩をしたのだな、と少女はカップグラタンを口にする。久しぶりに食べたそれは美味しいが、今声に出すのは憚られた。
嬬武器の双子は仲が良い。それでも二人とも人間だ、喧嘩をする日もある。その喧嘩の様子が表れるのが弁当だ。食事による報復は時折行われていた。当番制の弱点だな、と最初に見た時は呑気に思ったものだ。
「え? あ、え? 烈風刀? 大丈夫? 私のおかず食べる?」
オロオロとした様子でグレイスは向かいに座った少年に自身の弁当箱を差し出す。よほど心配しているらしい。それはそうだ、昼食を白米とふりかけだけで済ませる人間が目の前にいれば、心優しい妹は心配してしまう。
「大丈夫ですよ」
不安げに眉尻を下げる少女に、烈風刀はにこやかな笑みで返す。形は普段と変わらないが、奥には冷たさと固さがあった。表面上は一切変わっていないだけに、作られたものだということがよく分かる。
そ、そう、と動揺を重ねた躑躅は、差し出した弁当箱を引っ込める。それでも心配なのか、箸を運ぶ仕草はどこかぎこちない。黙って食べている朱の様子も気になるのか、二色の間を尖晶石が静かに往復した。
早く終わるといいのだけれど、とレイシスは白米を口に運ぶ。業務に支障を出さないのは彼ららしいが、こんな様子を明日も見せられるのはごめんだ。食事は楽しく摂りたいのだ。
沈黙が四人の間を流れていく。昼休みはまだまだ続く。
虹描く空に赤を浮かべて/紅刃
しとしとと窓の外から地を雫が打つ音が響く。その中に、パタパタと弾んだ調子の足音が扉の向こうから飛び込んだ。コップ片手にリビングを出ると、可愛らしい歌声が耳をくすぐった。
「出かけるの?」
「お姉さま!」
鼻歌を歌いながら上がりかまちに座る小さな背に投げかける。靴を履き終え立ち上がった妹は、くるりと振り返って元気よく返事をした。お気に入りの真っ赤な長靴と薄桃色の雨合羽をまとう姿は可愛らしい。あと一年もすれば中学生になる彼女だが、まだまだ子どもらしい愛らしさを残していた。
「はい! 虹を見に行くんです」
傘立てから愛用の傘を取り出し、恋刃はニコリと笑う。外は気分を曇らせるような雨だというのに、その表情には輝きが満ちている。這い寄る湿気を振り払うような明るさがあった。
いってきます、と手を振り、少女は玄関を出て行く。ピンクをまとう小さな背に手を振り見送った。
最近、妹は新しい友達ができたとよく話している。虹がとても好きな子らしく、雨の日は『一緒に虹を見に行く』と出かけることが増えていた。わざわざ小遣いで合羽を買うほどの入れ込み具合だ。よっぽどその友達と虹を見ることが――否、新しい友達のことが好きなのだろう。
いいことだ、と少女は一人頷く。妹はどうにも姉である己に執着が強い。友達もたくさんいるようだが、物事において友達よりも姉を優先することが多々あった。お姉さまお姉さま、と懐いてくる姿は非常に可愛らしいが、せっかくの友達を大切にしてほしいと思ってしまう。友人に重きを置く最近の姿は、随分と成長したと言えよう。
それでも、いざ友達とばかり遊ぶ様を見せられると、ほんの少し寂しさを覚えてしまうのだから己はわがままだ。妹離れしなければな、と紅は苦く笑う。少し離れたところから見守るのが姉としての役目なのだから。
マグ片手に階段へと足を進める。宿題を済ませなければ、と静かな足取りで部屋に戻った。
扉を開き、教科書とノート、課題テキストが広げられた机に向かう。あと数問解けば終わりだ、頑張らねば。シャープペンシルを手に取る。ふと、カーテンを開いたままの窓の外が視界の端に映った。
ガラスの向こう側、重い灰色の空は少しだけ明るくなっていた。音が聞こえるほどだった雨脚も勢いを失っている。晴れるのも時間の問題だろう。
虹、見れるといいわね。
ぽつりと呟き、紅刃は空から視線を外す。終盤の応用問題に向かう少女の口元は、穏やかに解けていた。
湯煙と歌声/はるグレ
大ぶりなドライヤーを操る。吹き出す熱い豪風を少し遠くから髪に当て、たっぷりと含んだ水分を飛ばしていく。タオルできちんと拭いたものの、くるぶしまで届くほど長い髪はまだまだ湿って重い。乾いたタオルを添えながら、根元から毛先へと温風を当て傷めないように乾かしていく。水を含んで色の濃くなった躑躅の髪は、だんだんと元の鮮やかでつややかな様を取り戻しつつあった。
ドライヤーをかけるのは嫌いではない。長く癖のある髪をしっかりと手入れするのが面倒ではないと言えば嘘になるが、水分で重くまとまってしまったこいつをサラサラのふわふわの姿に戻すのは楽しい部分があった。
ほぼ乾かし終え、今度は弱い冷風を当てていく。弱くなった風の音に、音色が混じる。上機嫌なメロディーは、ステージ上で何度も歌った曲だ。あの鮮やかに彩られた世界からバージョンアップしてまだあまり日が経っていないというのに、何だか懐かしく感じた。
ドライヤーのスイッチを切り、ブラシで整えていく。ウェーブのかかった長い長い髪を、小さな手が慣れた手つきで梳いていく。自宅のそれより大きく力のある風のおかげか、丁寧な手入れのおかげか、いつもよりも櫛の通りがいいように感じた。
サラサラになるまで梳かし終え、手早く結い上げる。普段は二つに結うところだが、今日はもう帰って寝るだけだ。大きく一つにまとめるポニーテールで済ませることにした。鮮烈な色合いの枝垂れ桜が、広い脱衣所の片隅に揺れた。
着替えと手入れ道具を鞄にしまい、グレイスは出入り口へと向かう。赤い暖簾をくぐると、すぐに黒い影が現れた。
「早いわね。ちゃんと湯船に浸かった?」
「はい」
色違いの鞄を携えた始果は穏やかに返す。ならいいわ、と少女は笑う。せっかく寄宿舎よりずっと大きくて広い湯船があるのに入らないだなんてもったいないことだ。
「帰りましょ。湯冷めしちゃったら大変だわ」
季節柄まだ暖かいが、夜は少しばかり冷えてくる頃合いだ。あまり長く外にいては身体に悪いだろう。学生が夜遅くまで出歩くのもあまり良くない。ここの銭湯は寄宿舎からさほど遠くないが、のろのろと歩いて帰っては門限が来てしまう。
はい、と短く返し、狐は先を歩く躑躅の背を追う。高さの違う長いポニーテールが二つ、夜闇の中に揺れた。
「そういえば、久しぶりですね」
「そうね。最近忙しくて銭湯なんて来れなかったもの」
「いえ、そちらではなくて」
始果の言葉に、グレイスは首を傾げる。銭湯のことでなければ何だろう。二人で夜出歩くことだろうか。否、この少年は夜中に外に出る時はいつだって付いてくるのだ。変わらぬ風景である。では、一体何を指しているのだろうか。
「グレイスがあんなに楽しそうに歌っているの、久しぶりに聞きました」
「歌……?」
柔らかに笑む少年に、少女は訝しげに返す。確かに、歌を人前で歌ったのは以前の世界での話だ。武奏をまとう今の世界では歌を披露することはなくなっている。けれど、何故今このことを言い出したのだろう。疑問符を浮かべながら、躑躅は首を捻る。歌。久しぶり。ぐるぐると巡る思考の中、つい先ほどのことを思い出す。鼻歌を歌いながら髪を乾かしていた、つい先ほどの時間を。
「き、こえてたの……?」
「はい」
ぎこちなく尋ねるグレイスに、始果は当然のように返す。それがどうかしたのか、と言った調子だ。反して、疑問が確信に変わった少女はひゅ、と息を呑む。聞かれていた。あんな拙い鼻歌を聞かれていた。しかも、一人きりとはいえ公共の場で呑気に歌っていたのを。
風呂上がりでほのかに上気していた頬が、一気に真っ赤に染まり上がっていく。可憐な唇がぱくぱくと開閉を繰り返す。何か言いたいのに、言葉が見つからない。声が出ない。羞恥ばかりが胸を渦巻いた。
赤い顔を隠すように、少女は足取りを速める。逃げてしまいたい黒は、すぐさま事もなげに隣に並んできた。更に速める。すぐに追いつかれる。速める。追いつかれる。もう駆けるような勢いだ。
「グレイス?」
「早く帰るって言ってるでしょ……!」
不思議そうに名を呼ぶ狐に、躑躅は絞り出すように言葉を飛ばす。少女の変化に気付いていないのか、少年は分かりました、と返して並んで歩いた。
依然羞恥心渦巻く顔が熱い。足早に進む身体が熱い。せっかく時間を掛けてピカピカに身体を磨き上げたというのに、もう汗を掻いてしまいそうだ。あぁもう、と心の中で叫ぶ。それでも鼻歌を聞かれたという事実も、その恥ずかしさも消えることはなかった。
夜空、月と街灯が駆けるように歩んでいく二人を照らしていた。
結んで揃えて桃と雪/プロ氷
霧雨のように細やかで澄んだ髪を、ブラシが梳いていく。まっすぐに整えられたそれが、華奢な指によって均等に三つに分けられる。細いそれを、小さな手が慣れた手つきで手早く編んでいく。氷柱のように長く太かった髪の束は、あっという間に細く整った三つ編みに生まれ変わった。
鮮やかな手つきに、識苑はほぅと息を漏らす。髪を編む様は何度も見ているが、いつ見ても手際の良さに感動してしまう。あれだけ長く毛量のある髪を手入れしセットするのは大変だろうに、事もなげにやってしまうのだから見事だ。女の子ってすごいなぁ、と心の中で漏らした。
「識苑さん? どうかしましたか?」
毛先を細いゴムとオレンジの紐でまとめつつ、氷雪は首を傾げる。じぃと見つめてくる恋人の様子が気になったようだ。
「いや、いつも綺麗に結んでてすごいなぁって」
「すごくなんてありませんよ。小さな頃から毎日編んでいるので慣れてるだけです」
感嘆の息を漏らして言う青年に、少女は眉尻を下げながら笑う。よく手入れされたまろい頬には、ほのかに朱が滲んでいた。
「識苑さんもいつも結っているから慣れているでしょう? 同じですよ」
「俺は適当にまとめてるだけだよ。氷雪みたいに整えてないし」
翡翠の瞳が下ろされたままの長い桃の髪を見やる。毛先のばらついたそれに触れ、男は苦くこぼした。己は作業の邪魔にならないよう雑に結い上げているだけだ。恋人のようにこだわって伸ばしているわけでも、綺麗にしようと努力してるわけでもない。同じとするのは失礼に思えた。
「……あの、えっと……、もしよろしければ、今日はわたしが結ってみてもいいですか……?」
櫛を片手に、氷雪は小さく首を傾げて問うた。少し不安定な声音に反し、夕焼け色を見つめる水底色はキラキラと輝いていた。手入れがしたくて仕方が無い、といった様子だ。珍しい姿に識苑は頬を緩める。恋人であるこの少女は少しばかり引っ込み思案だ。こうやって己から希望を言ってくることはあまりない。よほど興味があるのだろう。それを叶えてやりたくて仕方無かった。
「じゃあ、お願いしよっかな」
弾んだ声で返し、青年は少女の隣、ベッドの縁に腰を下ろす。ありがとうございます、と同じく弾んだ声。腰掛けていた氷雪はそっとベッドに上がり、長い桃髪広がる背中へと回った。
失礼します、と少し固い声と共に雪色はぴょこぴょこと先の跳ねた髪をすくい上げる。少しずつ束に取り、手にしたブラシで梳いていく。寝起きで絡まっていた桃色は、綺麗に解けていった。
しばしの空白。鴇色の髪がまとめられ、首を回り肩に掛けられる。ごそごそと布の擦れる音と弾むスプリングの感覚の後、目の前に少女が現れる。ぱちりと瞬く愛し人の様子など気に掛けず、彼女は前に垂らされた桜髪に触れた。
胸元まである長い髪が三つに分けられる。細い束となったそれを、小さな手がすっすと編んでいく。あっという間に三つ編みができあがった。
「……おそろい、ですね」
垂れたピンクの編み髪から手を離し、氷雪はえへへとはにかむ。解けた口元には、幸がめいっぱいに溢れていた。
ふわ、と頬が、胸が熱を持つ。あまりにも可愛らしい笑顔に、あまりにも可愛らしい行動に、あまりにも可愛らしい姿に、心臓がきゅうと締め付けられた。
「あっ、えっと、戻しますね。前に垂れていては邪魔ですものね」
「いや、いい。今日はこのままがいいなぁ」
まとめたゴムを解こうとする細い手をそっと取り、識苑はにへらと笑う。こちらも幸福で染め上がった温かな笑みをしていた。ぁう、と目の前の細い喉から声が漏れるのが見えた。
「いいん、ですか……? 邪魔じゃありませんか?」
「邪魔なんかじゃないよ。氷雪とお揃いのままがいいな」
不安げに揺れる深雪色に、撫子色は柔らかな笑みと通った声を投げかける。潤った桜色の唇がはくはくと動く。あ、えっと、と震えた声がぽろぽろとこぼれ落ちた。しばしして、はい、と細い肯定の語が小さな口から紡がれた。
紅梅のように顔を染める愛し子をから視線を外し、識苑は肩に掛かった己の髪を見る。揃いの綺麗な三つ編みを眺め、へにゃりと緩んだ笑みをこぼした。
朝一番の幸福/ライレフ
※Dom/Subユニバースパロ。
ジャケットを羽織りながら長くない廊下を駆ける。クリーム色の制服に包まれた肩に鞄を掛ける頃には、目の前には呆れた調子の弟の姿があった。
「家でまで廊下を走るのはやめてください」
「早くしなきゃだろ?」
息を吐くように言う碧に、赤はニッと笑いかける。そうですけど、と返す浅葱の眉は軽く寄せられていた。
「烈風刀、『こっち向いて』」
優しい音色でコマンドを紡ぎ出す。毎朝恒例のその言葉に、烈風刀は従順に顔を向けた。どこか潤んだ、期待に溶けた川底色が夕焼け色を見つめる。今日も変わらず可愛らしい姿に、雷刀は頬を緩めた。
「『喉見せて』」
続けざまに示されたコマンドに、碧い少年は物言うことなく従う。何にも染められていない白い喉が、目の前に晒される。そのまま撫でてくすぐりたい衝動を抑え、朱い少年は下駄箱、その上に置かれた小物入れに手を伸ばす。片手で器用に開け、目的のものを取り出した。
さらけ出された喉に、手が伸ばされる。手にしたそれをうなじに沿うように通し、前で金具を留める。細い黒のチョーカーが日に焼けていない喉元を彩った。
「ん、オッケ。大人しくできててえらいな」
きちんと命令に従った『良い子』の頭を、梳くように撫ぜる。きちんと整えられた髪は、なめらかな指触りをしていた。跳ねる毛先をつつくように触れていると、顎がすっと引かれる。目覚めのはっきりとした若葉がこちらに向けられた。
「ありがとうございます」
首に巻かれたそれをそっと撫で、碧は笑う。頬をほんのりと染め、幸福にとろけた目を細め、口元を緩め礼を言う姿は、愛らしいと形容するのが相応しいものだ。
学校に向かう前に『外向き』の首輪を付けてやり、付けてもらうのが二人の日課だった。朝からDomの庇護をめいっぱいに受けることにより、Subの精神の安定性を図る。烈風刀が出した提案だ。頭の良い弟は頭の良いことを考えるものだな、とその優秀さに感服したのを覚えている。もちろん、二つ返事で引き受けた。
黒をなぞる指に、己の指を重ねる。つつ、と整えられた指を日で色付いた指がなぞり、首輪をなぞり、喉を撫ぜる。くすぐったいですよ、と笑みを含んだ声が返ってきた。
「いこっか」
「そうですね。レイシスを待たせてしまいます」
弟の言葉に、兄は急いで靴を履く。三人で登校するのも日課の一つだ。あの可憐で美しい少女を待たせてしまうのは、あってはならないことである。長い靴紐を雑に結んだ。トントン、とつま先で地面を打つ。ドアの開く音。開いた鉄扉の向こうに、朝の青空が広がっていた。
いってきます。
二人分の声が狭い玄関に響いて消えた。
今日は二人で夕食を/識苑+氷雪
住まいと住まいの間へと太陽が沈んでいく。去りゆく直前まで元気よく光を放つそれに、識苑は目を細める。作業で疲れた眼球にはあまりにも強いダメージだった。
ぐぅ、と固い腹筋に覆われた腹が鳴き声をあげる。プールの見張り当番に、技術班の仕事に、ついでにサーバー保守の手伝いに。今日は普段以上に働いた。常日頃から食事をないがしろにする身体に、腹の虫が怒りを示す。早くエネルギーを寄越せとうるさく騒ぎ立てた。
ふらふらと歩みを進め、いつもの扉の前に立つ。ガラガラと古めかしい音をたてて扉を開くと、ひゃ、と聞き覚えのある声が鼓膜を揺らした。音の方、頭二つは下へと視線を動かす。そこには、真夏でも美しく輝く雪の白があった。
「あれ? 氷雪ちゃん?」
「識苑先生?」
互いに目を丸くする。生徒と学外で会うことは時折あるが、彼女と鉢合わせるのはこれが初めてだ。それも、ここは学園から少し離れた位置にある中華料理中心の店である。まだ幼さが残る少女と鉢合わせるなど、想像だにできない場所だ。
「どしたの? こんなところで」
「いえ、アルバイトが終わったので帰るところです」
アルバイトの言葉に、青年は首を傾げる。ボルテ学園の校則は他校に比べてずっと緩い。アルバイトも認められていた。それでも、彼女がアルバイトをするのは意外に思えた。
「夏の間だけ、かき氷のアルバイトをさせていただいているんです。少しでもお役に立てたらな、と思って」
そう言って少女ははにかむ。雪女である氷雪は、すぐに物を凍らせてしまう己の体質にコンプレックスを抱いていた。それを活かそうとしているのだ。随分と成長した姿に、教師は頬を緩めた。
「うちの店を『こんなところ』とは何アルカ」
店の奥からむくれた声が飛んでくる。見ると、メニュー片手にこちらに向かってくる椿の姿があった。ごめんごめん、と手を振って謝る。今日は許してやるアル、と看板娘は依然頬を膨らませて言った。
「で、今日もいつものアルカ?」
「うん。よろしくー」
ハイヨー、と元気の良い返事をして椿は奥へと戻っていく。いつものネ、と厨房へと叫ぶ声が聞こえた。
「氷雪ちゃん、もう晩ご飯食べた?」
「いえ、まだです」
「バイトで疲れてるでしょ? ご飯食べてから帰りなよ。先生奢ったげるから」
識苑の言葉に、氷雪はえ、と驚きに満ちた声を漏らす。すぐさま、ぱちぱちと川底色の瞳が動揺に瞬いた。整った細い眉が八の字を描く。
「そっ、そんな、申し訳ありません」
「でも寄宿舎まで結構かかるでしょ? お腹空かせたまま帰るの大変だよ」
この店から学園の併設された寄宿舎までは結構な距離がある。バイトで働き疲れ空腹に苛まれる身体で帰るのは大変だろう。成長期の中学生なら尚更だ。
「それに、先生久しぶりに人とご飯食べたいなぁ。いつも一人だからさ」
付き合ってくれないかな、と問いかける。あわわ、と桃色の唇から慌てた声が漏れるのが見えた。白い頭が俯く。厨房から響く忙しない調理音が二人の間を埋めた。
「あ、の、今日アルバイト代が入ったので、自分のお金で食べるのでしたら……」
ご一緒させてください、と下を向いた頭から細い声があがる。久しぶりに人と食事の時間を過ごすことができる喜びに、少女が受け入れてくれた喜びに、青年はやった、と声を漏らした。
「何食べる?」
「えっと、えび餃子、食べてみたいです」
雪色の言葉に、桃色は頷く。椿ちゃん、えび餃子追加でー、とカウンターの奥へと大きな声を飛ばす。アイヨー、と元気の良い声が返ってきた。
入ろっか、と識苑はようやく扉をくぐる。はい、と慌てた調子で身を翻し、氷雪も店内へと戻った。
ガラガラと音をたてて扉が閉められる。店先に掛けられた『かき氷はじめました』と書かれたのぼりを夕焼けが照らしていた。
目覚めもたらす温度/ライレフ
温かなものが意識を包む。全てを受け止めるような柔らかな感覚に身を委ね、ゆっくりと沈んでいく。頭のてっぺんまで潜る直前、ぐらりと世界が揺れた。
「――いと、雷刀。雷刀!」
無理矢理引き上げられた意識が、音を認識する。己を示す名だ。いつだって聞いてきた声だ。愛しい音色のはずなのに、今はどうにも受け入れがたい。もっと温かな場所にいたかったのに、と覚醒に至らぬ頭がわがままを言った。
「……んだよ」
強く呼ぶ弟に対し、何とか言葉を返す。寝起きの低い声で放った音は、明らかに機嫌が悪いものだった。それはそうだ、ゆっくり眠っていたところを叩き起こされて良い気分になるはずなどない。
凄みを感じさせる響きに臆することなく、烈風刀は眠気でけぶる紅玉を射抜く。眉根を寄せる様は、怒りと呆れが混じり合ったものだ。
「起きてください。もうお昼ですよ」
「いーじゃん、やすみだろ」
ぐらぐらと肩を揺さぶる碧から逃れるように、朱は寝返りを打つ。今日は土曜日、運営業務も何もない休日だ。今週の食事当番は弟なのだから、惰眠を貪ることで片割れに迷惑を掛けることもない。いつまでも寝ていたって許されるはずだ。
「良くないでしょう。休日だからってお昼まで寝ているのはどうかと思いますよ」
ほら、起きなさい。言葉と共に被さった布団に手が掛けられる。引っ剥がそうとするそれを急いで掴み、頭まで被った。視界が暗くなる。こら、とくぐもった声が聞こえた。
だって眠っていたいのだ。新しく買ったゲームを夜中までやっていてまだ眠いのだ。温もりに溢れた柔らかな布団の世界で暮らしていたいのだ。重い瞼を、眠りに沈む意識を、無理矢理上げることなどしたくなかった。
このまま布団の中で籠城しても、いずれは無理矢理掛剥がれるだろう。どうしようか、と動きが鈍い頭で考える。真面目な弟が諦めそうな言葉は何だろうか。このまま駄々をこねるのは意味が無いだろう。仮病はさすがに心配を掛ける。他に何か。真っ暗でぬくい世界の中、ぐるぐると考える。しばしして、赤い唇がゆるりと綻んだ。
剥がされないように端をしっかり握りながら、もぞもぞと掛け布団から顔を出す。目の前には、依然仁王立ちをした烈風刀の姿があった。
「……おはようのちゅーしてくれたらおきる」
寝起きの脳味噌で考え出した言葉を紡ぎ出す。音を形作る口は、どこか意地悪げに緩んでいた。
弟は、恋人は奥手だ。付き合ってだいぶ経つが、未だ口付けを受け入れることすら得意としていない。そんな彼が、自発的に口付けなんてできるはずがない。それに、『おはようのちゅー』だなんて漫画みたいな行為を要求すれば呆れること必至だ。きっと痺れを切らして部屋から出て行くだろう。
はぁ、と深い深い溜め息。やはり、予想は当たったようだ。己の勝利を確信し、どうにか持ち上げていた瞼を下ろす。もう自由に眠るだけだ。
ギ、とスプリングが軋む音。身体を預けたマットレスが沈む感覚。頬になめらかな何かが触れる感触。そして、唇に熱。
「……お昼は焼きそばですからね。さっさと着替えてきてください」
熱が去ると共に、少し固い声が降ってくる。頬の温もりが離れ、スプリングが再び軋み、沈んだマットレスが戻る。ぱたぱたと少し急いだ調子の足音。バタン、とドアが閉められる音が陽光注ぐ部屋に響いた。
沈みかけた意識が、下がった瞼が思いきり引き上げられる。先ほどまで睡魔でけぶっていた意識が一気にクリアになる。同時に、凄まじい混乱の渦に陥った。
「………………へ?」
間抜けな音を漏らす唇に、指を当てる。一瞬与えられた熱は既に消え去っていた。けれども、感覚はしっかりと残っている。口付けの感覚が。
朱い目が瞠られる。日に焼けた健康的な色の頬が赤く色付いていく。八重歯覗く口が、驚愕にぽかんと開かれた。
夢だろうか。夢かもしれない。夢だろう。でも、肌に残る感触は確かなもので。触れた熱も求めていたもので。
ぇ、え、と開いた口から動揺の音が漏れる。はっきりと目覚めたというのに、頭の中はこんがらがって身体を動かしてくれない。意味の無い音を漏らすのが精一杯だ。それも、すぐにただの呻きとなり、最後には消え去った。
沈黙が部屋を包む。ギシ、とスプリングの音。ごそ、と衣擦れの音。くたびれたシャツとジャージに包まれた身体が、布団から露わになった。
もつれるようにベッドから身を下ろし、ふらつく足取りで扉に向かう。あんなことを言って、本当に叶えてくれただから、宣言通り起きなければいけない。それに。
着替えることなど、顔を洗うことなど忘れ、まっすぐにリビングを目指す。愛しい人が美味しい昼食を作って待っているであろうその場所に。
目覚めをもたらしたあの唇に、『おはようのちゅー』を返すために。
夕焼け空で二人きり/ライレフ
低い機械音が遠くに聞こえる。時折混ざる金属が軋む高い音が心をざわつかせた。
「夕焼け、きれーだな……」
「えぇ、そうですね……」
半円に作り上げられたガラス窓の外は、赤色一色に染め上がっていた。日中はあれほど青が広がっていた空が、正反対の色で塗り潰される。日常でありながら、何とも不思議な光景だ。その色を作り上げた陽の強い光が目を焼いた。
美しい夕焼け空を眺める碧と朱の瞳は濁っていた。現在地、観覧車の小さなゴンドラの中。現在時刻、夜が近づく夕暮れ時。状況、人目に付かない二人きりの密室。恋人関係にある者にとってこれ以上無くロマンチックなシチュエーションだというのに、空を見つめる二色二対の目は消沈しきっていた。
今日は兄弟、そして愛しい愛しいレイシスと三人で遊園地にやってきた。たくさんのアトラクションを楽しみ、現地限定のスイーツを味わい、趣向を凝らされた園内を歩き回り。それはそれは楽しい時間を過ごした。
その素晴らしい一日を締めくくる最後のアトラクションとして選ばれたのは、小さな観覧車だった。二人乗りのそれにどう乗るか――どちらがレイシスと乗るか、兄弟で静かな争いが起こったのは言うまでもない。ここは平等にいこう、とじゃんけんで組み分けをしたのだ。
その結果がこれである。
「何でだよ……」
「こちらの台詞ですよ……」
顔を覆う兄に、弟は覇気の無い声で返す。まさか兄弟二人で乗る羽目になるとは。簡単に予測できる事態であるのに、レイシスのことで頭がいっぱいな二人にはそんなことは一切思い浮かばなかったのだ。間抜けとしか言い様がない有様だ。
はぁ、と重い溜め息をこぼし、雷刀は顔を上げる。輝かしく眩しい夕陽が色の濁った瞳を刺す。痛みすら覚えるそれから逃げるように、少年は正面へと顔を向けた。
対面に座る弟は、変わらず力ない様子で外を眺めていた。夕焼けに照らされ、白く整った横顔が赤に染まる。美しい光景だ。少なくとも、ドキリと心臓が大きく脈打つ程度には。沈みきった気持ちがほのかに浮き上がる程度には。今現在『恋人と二人きり』であることを思い出す程度には。
「何ですか、じっと見て」
「いや、きれーだなーって」
じとりとした目線を送る碧に、朱はふと笑みをこぼして返す。あぁ、と翡翠が紅緋に染まる空へと戻される。ちげーって、と照らされる横顔にそっと指で触れた。
「烈風刀が」
「……何を馬鹿なことを」
触れた頬は、普段よりも少し温度が高いように思えた。一日おおいに遊び、日にめいっぱい照らされたからだろう。けれども、少しばかり膨れたそれは別の熱を持っているように見えた。白い肌が紅に染まる。己の色に染まる。天候によるものとはいえ、何だか気分が良い。にへ、と朱は幸福にふやけた笑みをこぼした。赤に照らされる孔雀石が、強く眇められた。その中に浮かぶ色は、鋭さを宿せども温かだ。
「そろそろ終わりますよ」
降りてレイシスを迎えなければ。そうだな。短く会話を交わすうちにも、ゴンドラは地上へと戻っていく。数分もかからぬうちに、地上へと足を着けることになった。
「観覧車、楽しかったデス~!」
一つ後ろのゴンドラに乗っていた少女は、地面に降り立つとともに弾んだ声をあげた。一人きりで乗ったというのに、随分と楽しんだようだ。それはよかった、と二人で返すが、心情は少し複雑だ。
「アレ? 二人トモ、顔赤いデスヨ? どうしマシタ?」
少女の言葉に、少年たちはへ、と声を漏らす。大きな手が二つともぺたぺたと頬を触る。確かに、触れたそこは熱を持っていた。何故だろう、と考えるより先に、ゴンドラ内のやりとりが頭に浮かぶ。初心な恋人はともかく、己まで赤くなっているとは。あー、と気まずげな声が二つ落ちた。
「……思ったより暑かったので」
「夕陽直撃だったしな。うん」
誤魔化す声二つに、レイシスは小さく首を傾げる。疑問はすぐに氷解したのか、ニコリと変わらぬ可愛らしい笑みを浮かべた。
「まだ時間ありマスヨネ? もう一周しマセンカ?」
「もちろん」
「する!」
桃の提案に、朱と碧は目を輝かせる。筋の目立ち始めた大きな手がぎゅっと握られ、拳を作る。今度こそ、少女との甘やかな時間を勝ち取ろうと。
ぐっとっぱ、と気迫に満ちた声と軽やかな声が夕焼けに包まれる乗り場に響いた。
一時間後、カメラロールは碧で染まった/ライレフ
蒼天を背景に白が舞う。陽光にたっぷり照らされふかふかになったそれは、雲に似ていた。雲めいた柔らかで暖かな四角形が、胸の内に収まった。
うっかり落としてしまわぬように腕にしっかりと抱え、烈風刀は掛け布団を胸にベランダを後にする。自分の分、そして兄の分をリビングに運び込み、少年は小さく息を吐いた。中身は羽毛なので幾分か軽いが、大きなそれを運ぶのは高校生でも一苦労だ。
洗ってしまっていた真っ白なカバーを掛け、まずは己の分を抱える。床に擦らないようにしっかり持ち上げ、自室に運び込む。これまた洗濯済みの清潔なシーツをベッドにかけ、カバーを替えた枕を置き、仕上げに掛け布団をふわりと被せる。全てが替えられ整ったベッドでは、きっと良い夢が見られるだろう。お日様の匂いに包まれる夜へと思いを募らせながら、碧はリビングへと引き返す。今度は兄の分だ。
簡単に畳んだ布団を両の腕で抱える。引きずらないようにしっかりと上げる。干したての暖かなそれが鼻先を掠める。ふわ、と何かが香った。
何だ、と烈風刀は目を瞬かせる。先ほどはこんな匂いはしなかったはずだ。日差しを浴びた暖かさも、干したての羽毛の柔らかさも、きちんと洗濯してしまっておいたカバーも変わらないはずだ。何が違うのだろう。覚えのある、心を軽く引っ掻くようなこれは一体。
歩み出した足が止まる。しばしして、あぁ、と呆れと羞恥が混ざった声が一人きりの部屋に落ちた。
何だも何もない。これは兄の匂いだ。兄の掛け布団なのだから、彼の匂いがするのは当たり前だ。なんて単純なものに疑問を抱えているのだろう。あまりの間抜けさに頭痛がするようだ。
はぁ、と溜め息もう一つ。止まっていた歩みを進める。兄の部屋に運んで、シーツを替えて、枕を置いて、掛け布団を被せる。これで二人分のベッドメイクは終わりだ。
ふかふかになったそれに、暖かなそれに、日に当たれども兄の香りを残したそれに、ふと目を細める。部屋には、兄弟二人で住む一室には己しかいないというのに、きょろきょろと意味も無く周りを見渡す。自分の他に誰もいないという当たり前の事実を再度確認し、そっと息を吐いた。
音をたてないようゆっくりと床に膝をつく。そのまま、頭を干したての掛け布団に軽く埋めた。
すぅ、と小さく呼吸する。鼻腔を太陽の暖かで柔らかな匂いが満たす。その奥に、愛しい人の香りが舞った。
「……らいとのにおい」
安心感をもたらす二つの香りに、少年は小さく呟く。ほのかに溶けた、甘い響きをしていた。すん、ともう一呼吸。陽光の匂い。兄の匂い。どちらも心地良さをもたらす素敵な匂いだ。同時に、睡魔を召喚する温度と安楽だった。
ゆっくりと瞼が降りていく。視界が狭まっていく。まだ洗濯物を取り込んでいる途中なのだ、寝てはいけない。けれども、朝から洗濯に掃除に精を出して少しばかり疲労が溜まった身体は徐々に動く力を失っていった。
花緑青の瞳がゆっくりと隠れていく。触覚から伝わる温度が、嗅覚を満たす香りが、少年を眠りへと誘う。駄目なのに、と叫ぶ理性は、温もりと香気に呼び起こされた本能に押さえつけられた。白い世界が狭まる。陰り暗くなる。ついには、瞼の裏側にある闇に染まった。
沈む意識の中、愛し人が己を包んだように思えた。
氷、煌めき、凍てついて/氷雪ちゃん
※HEXA DIVER暁光の翼篇ネタバレ有。
ふわり。ひらり。輝きが舞い落ちる。氷だ。小さな欠片が、陽光を受けて輝いては散っていく。故郷を思い出す風景だ。胸に一滴落ちた郷愁に、少女はきゅっと胸の前で手を握った。
結んだ手を開き、氷へと指を伸ばす。不思議なことに、冷たさも溶ける様子も感じられなかった。己が雪女だからだろうか。それとも、この世界が特殊なのだろうか。
この世界、と考え、雪女は小さく首を傾げる。『この世界』とは何だろう。世界はただ一つしかないのに。空を舞い飛び暮らす、この世界しかないのに。うぅん、と不可思議を詰め込んだ声が小さな口から漏れる。最近友人によく漫画借りて読んでいるから、その影響だろうか。現実と空想の切り分けができないだなんて、己もまだ未熟だ。うぅん、と苦い音が桜色の唇からこぼれた。
氷雪サン。
遠くから声が聞こえる。鋭く名を呼ばれ、氷雪は発生源へと目を向ける。常磐色の瞳に、桃色の点が映った。
レイシスさん、と雪色は声を漏らす。学園内を駆け巡る彼女には出会うことが多い。だというのに、随分と久しぶりに邂逅したように思えた。同時に、強い違和感を覚える。どうしてこの少女は羽を持っていないのだろう。空を駆け巡る世界に生を受けて、何故羽を持っていないのだろう。大丈夫なのだろうか、と不安が心ににじんだ。それもすぐ、鮮烈にきらめく氷たちに掻き消された。
綺麗でしょう、と白に身を包んだ少女は言葉を紡ぎ出す。どこか恍惚とした、魅入られた響きをしていた。常の彼女からは想像できぬ音に、薔薇色の少女は表情を硬くする。正気に戻ってくだサイ、と叫ぶような声が氷に支配された空間に響いた。
ぱちり、と川底色の目が大きく瞬く。正気とは何だろうか。己は正気のはずだ。正気だから空を飛んでいられる。正気だからこの世界を美しいと思うことができる。正気だから、彼女もここにいてほしいと強く思う。おかしい点など一つも無いはずだ。
ここじゃナイ。ピリカサン。どこヘ。飛んデ。もっと上ヘ。
ヘッドギアに手を当て、レイシスは声をあげる。断片的に聞こえる言葉に――『もっと上へ』という言葉に、心がざわめく。何が目的かは知らないが、どこかに行こうとしているのだ。この美しい世界から去ろうとしているのだ。こんなに美しくて、輝かしくて、冷たくて、心地良い世界から、去ろうとしている。事実が、心の柔らかな部分に爪を立てる。
仕方がないですね。
紡ぎ出した声は、己でも驚くほど冷え切ったものだった。氷柱のようなそれが、眼下の少女の元へと落ちていく。え、と驚愕に満ちた声があがったのが聞こえた。
ぴきり。ぱきり。空間が高い音をたてる度、背後の存在が大きくなる。氷でできた羽が肥大しているのだ。透き通ったいくつもの氷羽が、数を増し、太さを増し、鋭さを増していく。天へと広がるそれが、向きを変える。見知った少女へと、世界から逃げようとする者へと矛先を向ける。キラリと鋭利な氷塊が光を受けて輝いた。
氷雪サン、と悲鳴めいた声が飛んでくる。透明な刃を向けられた桃は、恐怖と焦燥に満ちた表情でこちらを見上げていた。それでも、その足は地を踏んだままだ。どこかへ歩み出そうと地を踏みしめたままだ。
安心してください。
ふわりと、はらりと、雪女は口元を綻ばせる。心を冷たく撫でるような、美しい笑みをしていた。
「永遠に、ここで、一緒に」
美しい世界にいましょう。
雪女は依然笑みを浮かべる。澄んだ、凍てついた、冷え切った、艶然とした笑みを浮かべる。ゆるりと細められた金緑石には、石解けた桜色の唇には、恐ろしい何かが宿っていた。
雪の気配が、氷の気配が、一層強さを増した。
畳む
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