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No.185

諸々掌編まとめ14【SDVX】

諸々掌編まとめ14【SDVX】
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色んなところで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。と思ったけど最近3000字ぐらいのが多い。あと大体嬬武器兄弟。掲載時から修正とか改題してるのは気にするな。
成分表示:嬬武器兄弟2/ライレフ3/ロワ→ジュワ

夏空、雨香り/嬬武器兄弟
参考:“降り始め”と“雨上がり”で違う!? 「雨の匂い」の正体は? - ウェザーニュース

 湿気った空気が剥き出しの肌を撫ぜる。熱を孕んだそれは、昇降口に向かうにつれ存在を強く主張していった。湯でも沸かしているのではないか、なんて馬鹿げた考えが脳裏をよぎる。夏の蒸した空気は人の思考を少し狂わせる程の力を持っていた。
 ロッカーを開いて靴を履き替える。窓際に並ぶ傘立てから、朝置いたビニール傘を抜き出した。外に続くガラスドアへと足を進めるごとに、空気が湿度を増していく。サウナと言われても信じるほどの蒸し暑さに、烈風刀は小さく眉根を寄せた。
 両開きのドアをくぐり抜けると、一気に湿り気がまとわりついてくる。街なかでよく撒かれているミストの下を潜り抜けた時を思い出す。肌で感じる温度は正反対だが。
「あっつ!」
 後ろから叫びに近い声。しかめ面で振り返ると、そこには同じような顔をした双子の兄がいた。普段はぱっちりとした鮮やかな緋色の瞳は瞼の奥に半分ほど隠れている。八重歯がチャームポイントの大きな口はへの字に曲がっていた。うへぇ、と下がり調子の重い声が暗さを増したコンクリートへと落ちていった。
 声に出さないものの、烈風刀も全く同じ心地だ。ただでさえ蒸し暑い日々が続いているというのに、今日に至っては朝から雨が降る始末である。一時は激しく音をたてて地を打っていた雨粒は、ホームルームの時点でもう姿を消していた。けれども、彼らがもたらした水分はしっかりと空気に残っているのだ。夏の気温、日差し、そして水気。全ては不快指数を凄まじい勢いで増加させていった。
「やっぱ傘いらなかったじゃん」
 うっすらと日が差す空を見上げ、雷刀はどこか得意げに言う。事実、彼に手には烈風刀のように傘は無い。調子の良い言葉に、弟は眉間に皺を刻んだ。
「朝は降っていたでしょう。何言ってるんですか」
「でも烈風刀が入れてくれたし? 一本でじゅーぶんだったじゃん?」
「無理矢理入った、の間違いでしょう」
 部屋を出た時点で鈍色の曇り空。数分歩いたところでポツポツと降り出し、すぐさま音を響き渡らせるほどの勢いとなった。降水確率四〇パーセントを過信し傘を持たずに出てきた兄は、入れて、と己の差した傘に身体をぐぃっと押し入れてきたのだ。持っていた白い柄は当然のように奪われ、当たり前のように身を寄せられ。狭い、頼む、と言いあいながら登校したのをあまり人に見られなかったのは今日唯一の幸運だ。不運の全ては傘を持たない自業自得の片割れがもたらしてきたのだけれど。
「あっつ……すげーにおい……」
 眇目で見やる弟のことなど気にもかけず、雷刀はうんざりとした調子で声を漏らす。雨上がりの世界は、絡みつくような熱気と湿気、独特の臭いで満たされていた。鼻をかすめる臭気に、烈風刀は口元を歪める。ほこりっぽいような、湿っぽいような、土っぽいような、粉っぽいような何とも言えない臭いは、己の好みにはかすりもしないものだ。蒸し暑い空気も相まって、不快感ばかりが募っていく。
「なんだっけ。名前あんだっけ?」
「あるんですか?」
 朱の声に、碧は首だけで振り返る。動いた翡翠の瞳に、顎に手を当て宙を見上げる兄の姿が映った。夕日より鮮烈な朱い頭が徐々に傾いていく。呻きに似た声がまっすぐになった口から聞こえた。
「あったはず。こないだなんかで見た」
「ひとつも覚えてないではないですか」
 うーん、と喉を鳴らす兄に、弟はうんざりとした表情で返す。情報などとは到底言えないほど、何もかもがあやふやだ。おそらくたまたま思考に引っかかったそれを吟味せず直接吐き出しただけなのだろう。感覚ばかりが鋭い片割れはいつだってそんな調子だ。
「降りそうな臭いは『ペトリコール』でしたっけ」
「そんなんも聞いた気がする……でもなんか違う……もっとすげー名前だった……」
 なんだっけー、と朱は重い声で繰り返す。薄くなった雲から姿を現し始めた夕日が、テスト中のそれに似た顔を照らし出した。
 うんうんと唸る片割れを横目に、碧は携帯端末を取り出す。開いたウェブブラウザ、角が丸い入力欄に『雨上がり 臭い』と打ち込む。硬さが窺える指が虫眼鏡アイコンをタップした。コンマ数秒で現れた画面、その一番上に、少し大きな文字が並ぶ。『雨上がりの匂いはゲオスミンと呼ばれ』という一文が青色でハイライトされていた。
「『ゲオスミン』だそうです」
「そう! それ!」
 短く告げる弟に、兄は叫ぶように返す。剣胼胝が残る人差し指がまっすぐに伸び、白い端末を指し示した。
「もうちょいで思い出せたのに」
「絶対思い出せませんよ」
 唇を尖らせる雷刀を、烈風刀はバッサリと切り捨てる。思い出せたし、と膨れ面で漏らす兄を横目に、弟は手にした小型端末を鞄にしまう。そのまま、一人歩き出した。烈風刀、と慌てた調子で名前を呼ばれる。気にすることなく、少年は歩みを進める。迫る足音、並ぶ足音。
「すげー名前だな。ゲオスミン」
「そうですね。何というか……考えつかない響きです」
「分かる」
 味わうように、記憶に刻むように、朱は立ち込めるそれの名前を繰り返す。覚えたての言葉を何度も口にする子どもとまるきり同じだ。ゲオスミン、と碧も口の中で呟いてみる。堅苦しく力強い響きは、ペトリコールと対を成す言葉とは到底思えないものだった。
 茜に照らされる中、兄弟は帰路を進んでいく。蒸した空気といかめしい名前の臭いが二人にまとわりついていた。




雨、一人、コインランドリー/ライレフ
 ゴウンゴウン。低い音をたてて銀の筒が回る。ガラス戸を隔てた中、音も無く白い布も回る。無骨な機械の中で柔らかな布が持ち上げられては落ちを繰り返すさまはさながら餅つきだ。普段使っている縦型洗濯機では見られない、ある種珍しい光景である。
 雨続きで。洗濯物は部屋干しでもなかなか乾かなくて。でも溜まった欲望は抑えられなくて。愛情を注ぎ注がれる瞬間が恋しくてたまらなくて。
 結果、小雨の中コインランドリーを訪れ、わざわざ金銭を使い愚かな情事で汚したシーツを洗う今に至る。
 ゴウンゴウン。低い音が一人きりの建物内に響く。規則的な音色は、うっすら聞こえる雨音も相まって眠気を誘うような響きをしていた。きっと、自業自得の疲れが残っているのもあるのだけれど。
 洗濯段階を終えたシーツは、とっくに乾燥段階に入っていた。大型の洗濯乾燥機をシーツだけが占領するのはなんとも贅沢である。本当ならば他の洗濯物も持ってきたかったが、一人で運ぶにはこれが精一杯だ。二人で運べばよいのだが、己の欲望に付き合わせた――あちらも乗ってきたのだから連帯責任だなんて思うのは少し勝手がすぎる――恋人の身体に鞭打って出歩かせるのは気が引ける。持っていける分中途半端に洗うよりもシーツ一枚だけに絞ってしまった方がいいだろう。それに、普段使わないガス乾燥機に耐えられない衣服が万一混じろうものなら大問題だ。
 回る布の横、小さな電子パネルへと視線をやる。古めかしい赤いデジタル数字は、終了まで残り十分を切ったことを示していた。盗まれるのではないかという不安がつきまといずっと座って始終を見ていたが、やっと終わりが来るらしい。ふぅ、と何もしていないというのに小さく息を吐く。なかなか見ない光景は面白かったが、八割方は単調で代わり映えがしない動きだからか最終的に退屈さが勝っていた。
 ゴウンゴウン。白い布が洗われ乾かされていく。昨晩の欲望など全て洗い流してまっさらにしていく。綺麗に消し去って日常へと帰らせてくる。
 自動ドアの外を見やる。外はまだ小雨が続いていた。天気予報も向こう一週間は雨である。何しろ梅雨に入ったのだ。雨が降るのは自然であり当然である。それを分かっていて、シーツを干すのが難しい天気だと知っていてベッドに雪崩込んだのだから己は大概である。我慢はしたのだ。爆発した時が運悪く悪天候の日々と重なっていただけで。そんな言い訳を考え、少年はまた息を吐いた。
 ゴウンゴウン。洗われ乾かされ、シーツが回る。昨晩の熱よりもずっと穏やかな温かさに触れるまで、あと八分。




朝のお楽しみは夜から/嬬武器兄弟
 朱い瞳が青白い庫内を見回す。台所の一角にある冷蔵庫の中身は、普段よりも閑散としていた。牛乳は残っているものの、手から伝わる重さをみるにあと一杯分ぐらいか。買い足す必要があるだろう。卵はまだあるから買わなくてもいい。野菜は玉ねぎを使い切ったところだったはずだ。軽く整理しながら保存している食材を確認していく。明日の買い物で余計なものを買うのは避けたいのだ。
 ガサゴソと音をたてて、庫内に手を入れ片付けていく。三つ重なったの納豆パックの影、少し奥から食パンの袋が発掘された。皺の寄ったビニールに書かれた賞味期限は明後日。ちょうど二枚あるから、明日の朝食に使えばいいだろう。
 牛乳。卵。食パン。食材が頭の中に並べ立てられていく。全てが繋がった瞬間、青白い光に照らされた瞳に輝きが宿った。
「烈風刀ー」
 冷蔵庫の扉を閉め、雷刀は弟の名を呼ぶ。何ですか、と返ってきた声は少しだけ遠い。微かに聞こえる物音から、彼もまた部屋の整理をしているのが窺えた。自身の手によって掃除は行き渡っているだろうにマメなものである。
「明日の朝、フレンチトーストでもいい?」
「いいですよ」
 了承の声に、兄はよっしゃと小さく声を漏らす。早速閉めたばかりの扉を開け、器用な手付きで材料を取り出した。
 卵を割ってほぐし、砂糖を気持ち多めに入れ、残っていた牛乳を全て注ぎ入れて混ぜる。ジッパー付きの保存袋に食パンを一枚ずつ放り込み、先ほどの卵液を等分して注いでいく。入念に空気を抜いて、ぴっちりと閉じた。軽快な足取りで冷蔵庫に戻り、整理して少し広くなった庫内に袋を横たわらせて置く。明日の朝に思いを馳せながら扉を閉じた。
「別に明日の朝でもいいでしょうに」
 隣から声と水の音。目を向けると、手を洗っている烈風刀が映った。濡れた手がスポンジを掴み、シンクに放り込まれたままのボウルをひょいと取って洗い出す。あんがと、と礼を言うと、ついでですから、と事も無げな声が返ってきた。
「そーだけどさ。やっぱ時間置いて染みこませたやつのが美味いじゃん?」
 漬け込み時間を要するフレンチトーストだが、時間をかけず液を染みこませる方法はある。食パンにフォークで軽く穴を開け、卵液と一緒に容器に入れ電子レンジで軽く温めるだけでも十分によく液は行き渡るのだ。手軽さと手早さを考えるとそちらの方がいいが、やはり時間があるのならばじっくりと漬けて染みこませたい。長い時間をて甘い卵液を全て吸い込んだフレンチトーストは、崩れそうなほどトロトロで美味しいのだ。
 それにさ、と雷刀は人差し指を立てる。洗い物を拭いて片付けた弟は、タオルを畳みながら兄へと顔を向けた。
「明日の朝ごはんが決まってたらなんか楽しいだろ? 楽しみで早く起きれそうじゃん?」
 にへらと朱は笑う。所謂時短レシピはある。それでも美味しくできあがる。けれど、このワクワクした期待の気持ちだけはどうやったって生み出せないのだ。それに、せっかくの休みなのだからちょっとの楽しみや幸せを用意しておきたいではないか。
 碧い目がぱちりと瞬く。丸いそれが、ふっと柔らかな線を描いて細くなった。蛍光灯に照らされた瞳に宿る色は温かで穏やかだ。
「そうですね」
「だろー?」
「でも、楽しみすぎて眠れない、なんてことにはならないでくださいよ」
「さすがにそれはねーって!」
 軽口を叩く烈風刀に、雷刀は大きく返す。笑みを隠しきれない軽やかな響きをしていた。夜も随分と更けた頃だというのに、キッチンは明るく温かな空気が満ちていた。
 朱は白い扉に視線を移す。少し固い大きな手が、つるりとしたそこを愛おしげに撫でた。




真夏のお手入れは優美に/ロワ→ジュワ
 春のくさはらを思わせる緑が、まさしく壊れ物を扱うかのように丁重な動きですくい上げられる。白い手袋に包まれた手に握られるブラシが、ウェーブがかった若草色をそうっと、そうっと撫でていく。夏の湿気を薄くまとった緑髪は、丁寧な指先によって柔らかさと軽さを取り戻し始めた。
 髪を梳かれる女も、髪を梳く男も言葉一つ発しない。男の方は、これ以上無く真剣な面持ちで手を動かしていた。万が一にも髪が引っかかるなんてことがあれば喉を掻き切る、と言わんばかりの鋭い輝きと危うさ、そして恭しさが彼を包んでいた。同時に、これ以上に無い褒美を賜ったような幸福に満ちた表情をしていた。
 女の方は、触れられているというのに表情らしい表情が無い。長い睫に縁取られた麗しい目はうっすらと細くなっている。化粧の気配が無いのに鮮やかに色付いた口元はまっすぐに閉じられていた。動きの少なさからも眠っているのではないか――それどころか、生きたヒトではなく一つの美術品なのではないかと思わせるような、人知を超えた何かを醸し出していた。必然、男の動きに全く反応をしない。美しい長髪は好き放題にされていた。
 ボリューミーな髪全てに手を施し終えたのか、男はブラシを傍らの教壇に置く。大ぶりな櫛を離した手が緑をさらい、白い手袋の上にほそやかな緑がまとめられていく。それもまた、恭しくこまやかな動きだった。
 柔らかな布地の上で、シルクのようにすべやかな髪が形を変えていく。三つに分けられた緑は器用に編み込まれ、最後はうなじより少し高い位置で丸められた。長いピンをいくつか通して固定された髪は、つるりと滑っていくようなつややかさを失うことなく美しい球状にまとめられている。まるで初夏を知らせる葉桜のようなみずみずしさと鮮やかさがあった。若干低い位置でまとめられている様はうっすらと幼さを漂わせる。反して、ぴょいと跳ねる後れ毛は心臓が跳ねるほどあでやかだ。どこを取っても豊かな体つきや澄ましたかんばせとは印象が全く異なるが、相反することなく調和していた。むしろ、冷たさすら感じる大人然とした姿に可愛らしさと艶やかさが添えられ、更なる魅力を引き出していた。
「どうですか」
 鏡を手に男は問う。ミュージカルのようななめらかな歌声に似た響きをしていた。問われた女は唇はおろか表情筋すら動かさない。しかし、その表情が心なしか晴れやかになったように見えるのは気のせいではないだろう。なにせ、剥き出しの背を覆い熱を閉じ込めていた長い髪がいっぺんに取り払われたのだ。熱を孕んでいた背を撫ぜる涼しさは、いっとう心地の良いものだろう。
 彼女に心酔する男もそれを感じ取ったのか、満足したように二、三と頷く。あぁ、と漏れ出た感嘆の吐息はとろけたものだった。まるで恋人に愛を囁くような響きをしていた。
「……あら」
 微かな音をたて、音楽室の前方にある自動ドアが開かれる。飛び込んできたのは、どこか固さがある少女の声だった。男の青い瞳がすぃと動き、教室と扉の境目で立ち尽くす生徒を見る。扉を開けた張本人であるグレイスは、眇めた目でうろうろと教室中を眺めていた。『気まずい』という心の中身が顔面にバッチリと現れている。
「あぁ、もう授業の時間でしたか」
「いや、まだよ。私がちょっと早く来ただけ」
 仮面の奥で柔らかく笑う青年に、少女はゆるく首を振る。事実、黒板の取り付けられた時計は午後一番の授業を始めるにはまだ早い時間を示していた。
「……あら?」
 宙を彷徨っていた躑躅の視線がピタリと止まる。マゼンタの双眸に映るのはつややかに輝くエメラルドグリーンだ。音楽の担当教師であるシャトー・ロワーレが『ジュワユース』と呼んで愛してやまない彼女の髪は、普段と違い美しい球体となり形の良い頭を彩っていた。常は床についてしまうのではないかと気に掛かっているだけに、綺麗にまとめられた姿は少女の心に安心感をもたらす。同時に、見た者全てを惹きこむような美麗さに目を奪われていた。
「涼しそうでいいわね。綺麗」
「よかったですね、ジュワユース」
 固かった表情をやっと緩めた生徒の言葉に、音楽教師は愛剣の顔を覗き込む。瞬きすらしない金の目は依然まっすぐと虚空を見つめるだけで表情が変わる気配も無い。それでも何かを感じ取ったのか、勝手に何かを解釈したのか、青年はうんうんと満足げに頷く。異常であるが、いつも通りの光景だった。少なくとも、あまり物怖じしないグレイスがツッコミの一つもしない程度には。
「最近よく結んでるわよね。貴方がやってるの?」
 ジュワユースはほとんど動かない。剣の精と噂される彼女が歩く、それどころか指先を動かす様子すら、少女は見たことがなかった。顔の筋肉一つすら動かさないことで有名だ。妖精だし人間とは感性が違うんじゃない、いやロワーレ先生が何でも押しつけるからでしょ、と生徒の間では一つの謎として話題に上ることは多々ある。事実は所有者本人すら知らないのだけれど。
「はい。そのままでは背中が暑そうですので」
 にこやかに答え、ロワーレは萌ゆる春山のような髪にそっと触れる。手袋越しでは感触は分からないだろうが、布地に引っかかることなくさらりと流れていく様からよく手入れがされていることが分かる。当然だ、所有者は執着を通り越した恐ろしい何かを感じるほど日々愛を囁き熱心に注いでいるのだ。日頃の手入れに瑕疵など一つもなかった。
 普段、ジュワユースは豊かな長髪をまとめることなく垂らしている。床に毛先が触れても一切反応しないほど――ロワーレは非常に慌てるが――無頓着だ。しかし、ある夏に彼女は言ったのだ。あつぃ、と。
 そこからのロワーレの動きは素早いものだった。剣の姿であれヒトの姿であれ手入れの頻度と入念さを増し、共にいる際は空調で心地良い温度を保つことを欠かさず、最終的には背を覆ってしまう長い髪をまとめて熱を逃がしてやるようになった。本人から否定的な反応がないのを良いことに、青年は様々なヘアアレンジを試し始めた。ポニーテール、ツインテール、ハーフアップ、多様な編み込み、そして今日のようなお団子。様々な髪型が精の頭を彩った。今のところ抗議の声も喜びの声も無い。
 へぇ、とグレイスは感心したように息を吐く。彼女自身、姉のような存在にヘアアレンジをして遊ばれることが多い。年頃の少女らしくあろうと雑誌やウェブサイトを熱心に漁った時期もあった。それ故に、目は肥えている方だ。その感性をもってしても、ジュワユースに施されたヘアアレンジは見事なものだった。『暑さをしのぐ』という機能性の中に、美しさや艶めきを残すのは初心者にはなかなかできないことだ。音楽が専攻であるこの教師は、己の髪に頓着がなさそうなこの教師は、それを見事にやってのけたのだ。これが『愛』というやつだろうか、と少女は考える。それにしては、熱烈を通り越して苛烈だが。
「そろそろ戻りましょうか」
 ロワーレはジュワユースの細い肩に触れる。途端、美しい緑髪と健康的な肉体は消え去った。残るのは剥き身の剣だ。授業の時間が近いから本来の姿に戻ったのだろう。ボルテ学園の音楽教師が愛剣をタクトとして使うのは有名な話だ。もちろん、生徒であるグレイスも知っている。席が最前列であるため、その切っ先が目の前を横切る恐ろしさを何度も味わっていた。
「いいの? せっかくやってあげたんでしょ?」
 躑躅は首を傾げる。あの毛量、あの手の込みようから見るに、髪をゆわうにはある程度の時間がかかっただろう。そして、おそらくそれはゲームのセーブデータのように保存などされず、次に会う時には全て解けている。好きな人――ヒトではないけれど――の新たな姿をそうも簡単に見れなくなってしまってもいいのだろうか。疑問で彩られた声と瞳に、仮面の奥の瑠璃色がぱちりと瞬く。あぁ、と漏らした低い声はどこか柔らかで甘くて、紡ぐ口元は綻んでいた。
「どんな姿であっても、ジュワユースは美しいですから」
 ロワーレは白い仮面の奥でにこりと笑う。そう、とグレイスは曖昧な笑みを返す。答えになっていないが、それ以上を突き詰める度量を少女は持っていなかった。突き詰めれば授業が三つは潰れる羽目になるだろう。
 トトト、と軽い足音が音楽室の床を転がっていく。教壇斜め左の最前列、自身に割り当てられた席に座り、グレイスは小さく息を吐いた。余計なことを言って捕まらなくてよかった、という安堵がこれでもかとにじみ出ていた。
 白い指先が躑躅色の髪に触れる。癖が強く長いそれが、動きに合わせてふわふわと揺れる。今日、彼女は自身で髪を整えていた。まだまだほつれやゆるみが目立つが、朝の短い時間でやったにしては上出来である。それでも、ロワーレが整えたものよりも劣っているのは少女自身が一番分かっていた。
 まだ昼休みであることを確認し、グレイスは携帯端末を取り出す。動画アプリを開き、検索窓をタップする。細長い入力欄に『ヘアアレンジ ロング やりかた』と短いワードが刻まれた。




恋人要項/ライレフ
 頭とソファの背もたれがぶつかり鈍い音をたてる。覚えるはずの痛みは頭の中に渦巻く疑問によって誤魔化されてしまった。うぅん、と呻き声が喉から漏れる。唇はぴったりと合わさり、真一文字を描いていた。
 背もたれに預けた体重を移動させ、雷刀は元の姿勢に戻る。膝を肘置きにし背を丸めて携帯端末を眺める姿は褒められたものではない。けれど、今この手にある液晶画面の中身を堂々と披露するのは己であれど難しかった。
 手のひらに収まる程度の携帯端末、その煌々と光る液晶画面に並ぶのは『恋人』『アピール』『積極的』『ドキドキ』など、どこか乙女チックで甘ったるい、まばゆいほどに輝いて見える単語ばかりだ。画面から砂糖やら蜜やらのような匂いが漂ってきそうなほどの密度である。普段ならば決して見ないようなページだ――今は藁にも縋る思いで見ているのだけれど。
 先日、長年積もりに積もった恋心が報われた。雷刀は実の弟である烈風刀に告白し、想いが通じ合ったのだ。それこそ踊らんばかりに喜び、歓喜のあまり涙し、溢れた愛をたっぷりぶつけたほどである。
 交際は順調である。だが、順調すぎるのだ。お互い初めての交際ということもあり、手を出しあぐねているのが己でもよく分かる。もっと『恋人』らしいことをしたい。もっと『恋人』らしくありたい。そう思う心はどんどんと大きくなり、少年を突き動かした。手始めに、インターネットで情報を集めるという些細なことから。
 そうして『恋人らしいこと』と曖昧極まるワードで検索をかけ、トップに出たページから片っ端から読み漁り。どれも短いページだというのに、夜はすっかりと更けていた。
 問題はその記事の内容だ。華やかな装飾で綴られたページに書いてあることはほぼ同じだった。『手を繋ぐ』とか、『抱き締める』とか、『一緒に出掛ける』とか、『メッセージを送りあう』とか。
 どれも日常的な行動だった。ふらふらと歩く己を引き留めるために手を繋ぐことは多い。抱き締めるのだって感情表現の一つとして度々行っている。一緒に出掛ける、メッセージを送るに至っては日常に染みこんだ必然の行動であった。買い物に行くには手が多い方が便利であるし、メッセージを交わさなければ料理や風呂の段取りが付かない。『恋人らしいこと』のほとんどはもう達成しているのだ。
 頭を抱えたのは言うまでもない。だって、まさか『恋人らしいこと』をほぼ達成しているだなんて思わないではないか。何年も共に暮らしている肉親であることも大きいだろう。にしたって、こうも早々とクリアしているとは思わないではないか。今まで行ってきた全ての行為に恋人らしい甘やかでときめく要素は無かったけれども。
 煌々と光る強化ガラスを指で弾く。『恋人としたこと十選!』と題されたページがスクロールされていき、下部で止まる。そこに並ぶのは直球的な一言だ。『キスする』という、一番に思い浮かぶ行動。
 はぁ、と雷刀は深く息を吐く。あまりの重さに質量を持ち床を転がっていきそうな勢いである。当然だ、唯一残された『恋人らしいこと』が現時点で一番ハードルが高い、雲の上にあるような手が届かないものなのだから。
「キスなぁ……」
 呟いた途端、ぐちゃぐちゃと掻き回されていた思考がピタリと止まる。まるで映画のスクリーンのように、弟の姿が、顔が思い浮かんだ。キス。口付け。頭の中で言葉を重ねる度、意識は自然と唇へとズームアップしていく。それが間近で、触れそうで、くっ付きそうで。
「腰を悪くしますよ」
 ぼけにぼけた意識に澄んだ声が飛び込んでくる。丸まりに丸まった少年の背が、バネめいた動きで勢い良くまっすぐに正された。うわ、と驚きの声が後ろで聞こえた。
 まずい。見られた。いや隠してたし見えていないか。バレたのでは。焦燥が頭を染めゆく。普段通りに返そうと口を動かすも、声帯は仕事を果たさなかった。ひゅ、と情けない音をたてて息が漏れ出るだけだ。
 気にしていないのか、声の主である弟は何も言わずに隣に座った。揃いの携帯端末を取り出し、軽い指捌きで操っていく。おそらくメッセージや天気を確認しているのだろう。洗濯物は少しばかり溜まっていた。
 ドッ、ドッ、と心臓が広がっては縮み、体内に爆音を響かせる。肉と皮膚を破って外に漏れ出てしまってもおかしくないほどの激しさだ。恋人のことを、それもあまりにも格好が付かない内容を考えていたら本人が現れたのだからこうなるのも仕方の無いことである。
「どうしたんですか?」
 訝しげな声が飛んでくる。いつの間にか項垂れていた頭をバッと上げると、そこにはこちらを見る烈風刀の姿があった。透明度の高い碧い目は半月になってこちらを見据えている。整えられた眉は少しばかり中央に寄っているように見えた。
「あ、いや、なんにも? べつに? ふつーだけど?」
「普通の人はそんな動きをしないんですよ」
 バタフライめいて視線が宙を泳いでいく。言葉を吐き出す口は音の数よりも動きが多かった。指先は素早く携帯端末をスリープ状態にし、軽快にパスして恋人から遠ざける。明らかに不審者の動きであった。これを普通と呼ぶならば社会が混乱に陥ってもおかしくはない。もちろん、冷静極まりない碧にはすぐさま指摘された。
 え、あ、うん。しどろもどろに声を漏らし、雷刀は再び項垂れる。頭が痛い。顔が熱い。指先が冷たい。地に足が付いている感覚が無い。まるで高熱を出した時のようだ。実際はただ身体全てが羞恥に染まっているだけなのだけれど。
「また何か隠しているんですか? 先週の化学のテキスト提出し忘れたとか」
「いや、それはちゃんと出した」
 訝る弟に兄は手を振って否定する。じゃあ何なんですか、と溜め息交じりの声が飛んできた。心に刺さったそれが痛みを訴え、また心拍数を上げていく。このまま身体ごと破裂してしまいそうな勢いだ。
「……あのさ、オレら……こう……あれ、……付き合ってんじゃん?」
「……まぁ、そうですね」
 おそるおそる言葉を紡いでいく。問いにはきちんと肯定が返ってきた。安堵し、朱は深く息を吐く。隠していた携帯端末を右手に持ち、スリープを解除する。そのまま、輝く画面を碧へと向けた。
「恋人らしいこと分かんなくて調べてた……」
「あー……」
 隠し立てても疑われる、最悪心配をかけるだけだ。ならば、恥を忍んで正直に白状した方がいい。結果、返ってきたのは生返事だった。けれど、少し高い調子のそれには呆れも嘲りもない。むしろ、同感の響きがあった。
「オニイチャンだって努力すんだよぉ……」
「あー……まぁ、はい。そうなりますよね。そういうところは真面目ですよね」
 絞り出した声に何とも言えない声が返される。褒められているのかけなされているのか分からないものであった。少なくとも、慰めは多少なりとも感じる。ほのかに羞恥の色が見えるのは気のせいだろうか。気のせいであってほしい。
「まぁ、そんで色々見たんだけどさ。出てくるやつ大体もうやってて……」
「はい?」
 沈んだ声で説明を並べ立てていくと、ひっくり返ったような声が返される。反射的に隣を見ると、そこには頬に紅を浮かべた恋人の姿があった。潤いのある唇は少しばかり震えている。丸い瞳は忙しなく瞼の奥に隠れては現れを繰り返していた。
「だって手ぇ繋ぐのもぎゅってすんのも出掛けんのも連絡すんのも全部やってんじゃん! 出掛けんのとか毎週だし!」
「それはそうですけど……、いや、でも買い出しをデートにカウントするのはおかしくないですか!?」
 でーと。
 烈風刀が放った言葉を思わず復唱する。でーと。デート。そうだ、恋人と出掛けることはデートと言うのだ。けれど、己たちの毎週の買い出しと『デート』というイメージはかけ離れている。たしかに、彼の言ったように『デート』ではないだろう。そっか、と思わず感嘆の声が漏れた。
「……え? じゃあ今度ちゃんとデートする?」
 え、と少し高い音が二人の間に落ちる。対面、日焼けしていないかんばせがみるみるうちに赤に染まっていく。いつぞやの花見で見た先生の赤ら顔がこんな感じだっただろうか、とどこか外れたことが頭の中に浮かんだ。
 赤い顔が俯いて隠れて、つむじがこちらに向けられる。浅葱の髪の下からは、あ、う、と溺れて喘ぐような音が聞こえてきた。変なことを言っただろうか。いや、確実に変なことを言った。突然『デート』に誘うなど、いくら恋人とは言え突飛も突飛だった。こういうのは完璧なルートを立てて、雰囲気を作って、さらっとやるものなのだ。少なくとも、レイシスに借りた少女漫画ではそうしていた。こんな間抜けに誘うものではないのだ。あまりの浅慮に今度は雷刀が俯く番だった。
「…………し、ましょう」
 細い、吐息にも似た音が静まりきった部屋に落ちる。顔を上げると、そこには相変わらず赤い顔をした弟がいた。目は潤んでいるも、どこか据わっている。口元はぎゅっと結ばれ美しいまでの一本線を描いていた。
「デート、しましょう」
「え? は? い、いいのっ!?」
「するんですよ」
 思わず立ち上がる雷刀に、烈風刀は低い声で返す。地に響くようなそれは、いつぞやお化け屋敷に入る前に聞いた腹を括った時の声と似ていた。反して、己は高い声で返す。間抜け極まりなかった。
 思わず後退りそうになった身体を、伸びた手がTシャツの端を掴んで引き留める。逃がさんと言わんばかりだった。事実、こんな些細な動きと拘束だというのに、一ミリたりとも動けなくなる。餌を求める魚のようにぱくぱくと口を動かすのがやっとだった。
「デートスポット調べましょう。特集記事とかどこかにあるでしょう」
 ぐっと引かれ、兄はまたソファに腰を下ろす。すぐさま弟が拳一個分距離を詰め、自身の携帯端末を取り出して見せてきた。検索エンジンの入力窓には、早くも『ネメシス デート 定番』と入力されていた。
「……こういうのってオレが決めてくるもんじゃね?」
「二人で決めて二人で行きたいところに行った方が満足できますよ」
 ほら、と烈風刀は掴んだままの裾を引っ張る。誘われるがままに、大小様々な文字が並ぶ液晶画面へと視線を移した。
 碧と朱がまばゆい画面を一心に見つめる。夜はまだ長い。




しあわせは二人で/ライレフ
 皮膚の厚い指が強化ガラスをなぞっていく。指が弾くように動くと同時に、ガラス越しの情報が勢いよくスクロールしていく。ごちゃまぜの情報が次々と液晶に表示されては消えていった。
 タイムラインを一通り見終え、雷刀は携帯端末の電源ボタンを押す。煌々と光る画面が暗闇一色に染まり、光を反射して鏡のように持ち主の顔を映し出した。
「烈風刀ー」
 物言わぬ端末をポケットに放り込み、兄は弟の名前を呼ぶ。隣に座る弟は、目の前の画面から目を離すことなく、何ですか、と短く返した。
「ちょっとこっち向いて?」
「何です――」
 熱心に今日の献立探しをしていた目がこちらへと向く。わずかに寄せられた眉、じとりと半月になった苔瑪瑙、薄く開いた口、スリープ状態にした端末を握る手、半分ひねってこちらを向いた身体。恋人はしかりとこちらへと意識を向けた。雷刀もまた同じように向き合い、半歩擦って寄って距離を詰める。そのまま、倒れるように片割れの胸へと飛び込んだ。うわ、と少し上擦った声が照明光る天井へと昇っていった。
 あまり大きく体重をかけなかったこともあり、倒れ込んだ身体は弟の鍛えられた胸にしかと受け止められた。何なんですか、と棘が生えしきる声を気にすることなく、朱は腕を伸ばし目の前の身体をぎゅうと抱きしめる。薄い布越しに温度が重ね合わさり、心地よい熱を覚える。まだ風呂に入っていないからか、彼の香りを普段よりも強く感じた。腕の中の熱がひくりと震える。
「……幸せ?」
 ぎゅうと更に腕に力を込め、ぴとりと更に身体を寄せ、雷刀は短く問う。息の詰まる音。数拍、重く吐き出される音。上から降り注ぐそれは、腕の中にいる彼の心情をめいっぱいに表していた。
「本当に何なんですか」
「いやさー、『触ると幸せホルモンが出るのは心を許してる人相手だから』っての見てさ」
 指を動かすだけで繋がるインターネットの海は、色んな情報が満ちて流れて現れては消えてゆく。つい先ほどたまたま目に入ったのは、アプリがおすすめとして差し出してきた短い投稿だった。
 皮膚接触で幸せホルモンが出るのは心を許している相手だからであり、そうでない者との接触は攻撃と受け取る。
 ゴシック体のフォントが記す情報には明確なソースは記されておらず、真偽など分からない。ただの与太話、ネットの噂、と一瞬で記憶から消え去るようなものである――己にとっては違うが。
 真偽など分からない。ならば、試せばよいではないか。ちょうど隣には愛する恋人がいるのだから。
 は、と疑問符が山盛りに盛りつけられた声が降ってくる。当然だ、いきなり幸せだの何だのと言われてすぐさま理解しろだなんて無茶である。相手が主席であり続けるほど優秀な頭脳を持つ烈風刀であれど、だ。けれども彼の聡明なる――そして兄の突飛な言動に慣れた脳味噌は、たった数拍で事態を理解したらしい。ほの寒さで白む肌にぶわりと紅色が広がり散っていった。整えられた唇がはくりと開いて閉じてを繰り返す。まるで今この現実を咀嚼しているようだった。
「………………幸せ、ですよ」
 はぁ、と大きな溜め息。それに紛れるように小さな言葉がつやめく唇からこぼれ落ちた。胸に飛び込んで頭をうずめた兄の耳にも、きちんと落ちて入って染みていった。
 そっか、と雷刀は漏らす。しかりと噛みしめるような、それでいて弾んで弾んでどこかにいってしまいそうなほど浮かれた、この世の幸福を全て詰め込んだようなとろけた声をしていた。衝動に身を任せ、目の前の鍛えられた胸板にぐりぐりと頭を擦り付ける。恋人の確かなる声によってもたらされた愛を、溢れんばかりの幸せを全身で表す。伝わったのだろう、伝えられたのだろう、あやすように背中をトントンと軽く叩かれた。
「雷刀」
 愛しい声が己の名を紡ぐ。じゃれつく猫のように動かしてた頭を止め、兄は顔を上げる。目の前には、依然頬を朱色に染めた弟の姿があった。浅葱の瞳はどこか潤んでいて、ゆらゆらと揺れ彷徨っている。口元はまるで定規で線を引いたかのように結ばれているようで、真ん中あたりがどこかもにゃもにゃと動いていた。そんな口元が動き、雷刀、とまた名前を呼ばれる。なーに、と返す声は己でも笑ってしまうほど甘ったるい響きをしていた。
 背に回されていた手が動く。布の上を滑って、どこかに行ったそれが持ち上がって、己の頬にひたりと当てられた。どんな時でも手入れを欠かさない手はすべらかで、それでも武器を扱う者らしい固さが目立つ。肌を通して伝わる温度が普段よりも高く感じるのは、きっとほのかな冷たさをまとった空気のせいだけではないはずだ。
「……幸せ、ですか?」
 見上げた先、眉を少しだけ下げた弟は細い声で問いを漏らす。揺れる響きが耳朶を撫でて鼓膜を震わせる。行動の意味を、言葉の意味を理解した瞬間、朱はこれ以上ないほどの笑みを浮かべた。
「トーゼンじゃん!」
 半ば叫ぶように愛を高らかに謳う。頭を動かし、頬に触れた手にすりすりと擦りつく。もっともっと幸せホルモン――否、幸せが欲しいのだ。愛する人と触れ合う幸せが。
 小さく息を吐くのが聞こえる。揺れていた碧の瞳が輝く朱をまっすぐに見つめる。朱もまた、正面からその澄んだ碧をまっすぐに見つめた。
 小さな、幸せに満ちた、愛に溢れた笑声が広くない部屋に二つ落ちた。
畳む

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