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どれにせよ腕は死ぬ【新3号】

どれにせよ腕は死ぬ【新3号】
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久しぶりにヒロモやったら序盤でパブロ振らせるミッションあることに気付いて宇宙猫顔になったので。いやこんな序盤にパブロをオススメするの正気か? 初心者に時間制限付きステージでパブロ振らせるとか正気か?
肉体の限界を試される新3号の話。

 どぷんと液体が湧く音。べしゃりと固体が落ちる音。ヤカンの金網から吐き出された黄色は、白い地に放り出されて転がったまま動かない。相棒の生死を確かめるようにコジャケが駆け寄り、その鮮やかなイエローの髪をつつく。三度触れて動かぬことを見て、何とも表現しがたい鳴き声が固い嘴から漏れる。そのまま、全てを呑み込まんばかりに大きく口を開けた。
「食えないっつってんでしょ」
 地面に放られた手が素早く動き、持ち上がった上顎を掴む。そのまま、力強く引き寄せ、持ち上げ、大きく空に放り投げた。言語化しがたい鳴き声と丸い体躯が液晶が作り出す蒼天へとまっすぐに昇っていった。
 はぁ、と嘆息し、インクリングは再び地を転がる。ヒーロスーツに包まれた腕はまだ熱を持っていた。じんじんとこもる熱も、ずぐずぐと疼く痛みも落ち着く様子がない。また溜め息。少女は端末を開き、イカの姿に戻りキャンプ地へと飛び立った。
「おかえりー!」
 降り立ちヒトの形へと変わると、元気な声が飛んでくる。爽やかで弾けるような明るさに、少女は目元を険しくする。気付かないのか、気にしていないのか――おそらく前者だ――一号と呼ばれるインクリングはぶんぶんと手を振った。
 気にも留めず、黄髪の少女は歩みを進めキャンプ地の隅へと腰を下ろす。いつの間にか戻ってきたのか、相棒のコジャケがこちらをじぃと見上げていた。何も無いわよ、と手の甲を向けて振って突き放す。瞬間、腕にまた痛みが走った。グッ、と漏れ出掛けた呻きをどうにか喉で殺す。仕留めきれなかったのか、あれ、と跳ねるような声がこちらに飛んでくるのが聞こえた。
「三号、どうしたの? 腕痛いの?」
 二人挟んで向こう側、足音が聞こえ始めてどんどん大きくなる。顔を上げた頃には、目の前にはしゃがみ込みこちらを見つめる一号の姿があった。金に十字が刻まれた丸瞳がじぃとこちらを見つめる。ぱちぱちと瞬くそれには表面にうすらと好奇心が刷かれている。輝きすら思わせる視線は、グローブに包まれた手は、スーツに包まれた少女の腕へと向かった。
 触れるより先に、勢いよく腕を引く。途端、また前腕に痛みが走った。今度は殺せきれなかった呻きが結んだ唇から漏れる。それでも触らせまいと、三号と呼ばれるインクリングは腕を己の身体で隠そうとした。
「え? 怪我したの!? 大丈夫!?」
「何もないわよ」
 チッ、とこれみよがしに舌打ちをし、三号は尻で後退って距離を取る。それもすぐに詰められた。目の前の太い眉はへにゃりと下がり、黄金の目は曇りを振り払うように瞬いている。『心配しています』と言いたげな顔だった。実際、心配しているのだろう。この一号とやらは底抜けにヒトがいいのだ。それこそ、腹が立つほどに。
「怪我なら手当しないとだよ? 『油断せず早期治療…戦場の鉄則!』ってじーちゃんが言ってた!」
「怪我じゃないっつってんでしょ」
 また腕に伸ばされる手を振り払い、少女は先輩隊員を睨めつける。青い双眸はこれでもかと眇められ、眉は強く寄せられ、口元は威嚇するようにカラストンビを剥き出しにしている。同年代の少年少女なら怯むほどの気迫だ。しかし、相手は成人した、それもなんだかよく知らないが色々と経験を積んできた先輩である。表情を変えることなく、ただただこちらを見つめてきた。純粋な、清廉な、本当にこちらを慮った視線が、警戒心丸出しのインクリングへと注がれる。視線がかち合い、逸れることなくぶつかりあう。
「…………パブロ、疲れんのよ」
 長い戦いの末、敗北したのは三号だった。ふぃ、と顔を逸らし、少女は吐き捨てるように告げる。へ、と呆けたような声。数拍置いて、あぁ、と納得の声と頷きが返ってきた。
 オルタナの一区画、『ながいきヤングニュータウン』と記された場所に辿り着いてしばらくが経った。これまでの経験もあってか、探索は前の区画に比べて随分と順調に進んでいる。ケバインクの除去ももうすぐ終わるころだ。ただ、一つ問題が残っていた。
 ケバインクの海に埋もれたヤカン、そこに設定されたミッション。迫りくるヌリヌリ棒から逃げながら的を全て壊すそれは、三号にとって苦戦するばかりだ。何しろ、オススメされるブキがパブロである。身の丈以上ある大きなフデを振り回し小さな的を狙って壊すのはなかなかに手こずる。それを棒に潰されぬよう、漏れなく壊すために素早く行わなければいけないのだから忙しいったらない。特に、己は今まで引き金を引くだけでインクが出るシューター系統しか使ってきていないのだ。大きな得物を絶え間なく振り回し続けるパブロを使えばどうなるかなど自明である。
「パブロは難しいよねぇ」
 眉尻を下げて笑う一号に、三号はまた舌打ちを返す。『難しい』のではない、ただただ『疲れる』のだ。同年代よりも体力はあるものの、あんなものを振り回し続けるなど初めての行為であり日常ではまずあり得ない動きである。慣れぬ内は体力を必要以上に消耗するのは当たり前なのだ。難しいなんてことはない。そう吐き捨ててやりたいものの、全ては言い訳にしか聞こえないだろう。それぐらいのことは疲れた身体と頭でも理解していた。
「『使うといい』と、司令は言っとるよ」
 隣から声。そして鼻に刺さるような臭い。眇目でそちらを見ると、そこには箱を差し出す二号の姿があった。手袋に包まれた手が持つそれは、ドラッグストアで見かける湿布だ。小さな箱の隙間から、薬の嫌な匂いが漏れ出ている。開封済みのようだ。
「何でそんなもん持ってんのよ」
「さぁ? とりあえず貼っとき」
 あぐらをかいた膝の上に薬臭い箱が載せられる。逡巡。溜め息とともに手に取り、箱を開け袋の中からいくらか引き抜いた。スーツを脱いで腕を晒し、痛みと熱を覚える部分に遠慮なくペタペタと貼っていく。ひやりとした感触が、患部が確かなる熱を持っていることを証明していた。薬品が染みこむことを表すように皮膚がじんじんと痛み出す。筋肉の悲鳴とはまた別の刺激に、少女は小さく顔を歪めた。
「他の使ってみる?」
「残りバケスロとヴァリよ」
 ミッションで使用できるブキは三種。バケットスロッシャー、パブロ、ヴァリアブルローラーだ。一部での略称が『バケツ』であるバケットスロッシャーは、インクをすくい上げるように腕を大きく動かさねばならないブキだ。パブロほどではないがこちらも腕に限界が来る。ではヴァリアブルローラーが良いかと言われればそうでもない。ローラー種はどれもサイズが大きく、その中でもヴァリアブルローラーは変形ギミックを搭載しているためかかなりの重量を誇るものだ。縦に配置された的がある都合上、どうしても縦に振り上げる機会は多い。こちらも腕を、それどころか身体全体を酷使するブキであった。
「あー……バケスロもかなり腕動かすもんね」
「ヴァリはまだ動きが少ないけど、そもそも持ち上げるのに力いるしねぇ」
「そう?」
 首を傾げる一号に、そうでしょ、と二号は呆れたように返す。何を言っているんだこいつは、と三号も険しい視線を送る。ダイナモより軽いけどなぁ、と小首を傾げてこぼす黒色に、黄色は片眉を上げて睨めつける。白色はふるふると小さく首を振った。
「もう筋トレでもするしかないんじゃない」
 口角を片方上げて吐き捨てる。もちろん、筋肉を鍛え上げたとてあの大業物を絶えず振り回すなど不可能だ。そもそも、今から鍛え始めても効果が出るのは何ヶ月も先だ。今すぐ攻略したいこの心にも身体にも意味など為さない。ハッ、と鼻で笑い飛ばした。途端、あぁ、とまた弾けるような明るい声が蒼天に響いた。
「いいね! でも今日は休んだ方がいいよ。明日からにしよ!」
「冗談に決まってんでしょ」
 立ち上がって拳を握る一号に、三号は呆れ返った声を返す。このインクリングは己よりもずっと年上だというのに子どものように疑うことを知らない。よくここまで純粋なまま生きて来れたものだと感心するほどだ。もちろん、悪い意味でだが。
「『一つだけ言うと』」
 二人の間にスッと声が差し込まれる。視線をやると、そこにはこちらを見る二号の姿があった。そして、その奥に座る司令の顔も映る。普段は背を丸め膝と頬に付けられた腕は解かれ、ピンと人差し指を一本立てている。相変わらず口元が動く気配はない。ただ、深青の瞳がじぃとこちらを見つめていた。
「『パブロならフデダッシュで轢いて壊せる』と、司令は言っとるよ」
「早く言いなさいよ!」
 思わず地に拳を叩きつけ吠える。瞬間、腕を痛みが襲った。痛みに目を引き絞り、三号はギッと司令を睨みつける。今の痛みは自業自得であるが、そもそもこの腕の酷い疲労感は攻略法を教えず押し黙っていたこいつにも責任がある。この痛みと怒りをぶつけるのは当然だ。疲弊と突沸した感情で揺さぶられる脳味噌はそうやって解を弾き出した。
「でも今日はお休みしよ? これ以上痛くなったら大変だもん」
「『戦いに備えて体調は万全にしておこう』と、司令は言っとるよ」
「言われなくても休むわよ」
 思い遣る言葉たちを少女は手を翻して切り捨てる。無様にも湿布を貼るような有様だというのにまた挑戦するほど馬鹿なはずがないだろう。何を考えているのだ、こいつらは。ハッ、とまた鼻を鳴らした。
「カフェオレでも飲んどく?」
「……飲む」
 くるくると傘を回す二号に、一拍置いて返す。相棒のせいで家計が火の車な我が家である、食べ物を施されるのはいつだって歓迎だ。だが、今このタイミングで寄越されるのは拗ねた子どもをなだめすかすようなものに思えて気に食わない。けれども、動き回って嵩を減らしに減らした空っぽの胃は、プライドを容易く蹴り飛ばした。
 どこからか取り出されたカップに、どこからか取り出されたポットが温かな飲み物を注ぎ入れる。コーヒーの香ばしい匂い、ほのかな砂糖の甘い匂い。心地良いそれらを腕に貼られた湿布の薬臭さが全て上書きしていった。
畳む

#新3号

スプラトゥーン

諸々掌編まとめ13【スプラトゥーン】

諸々掌編まとめ13【スプラトゥーン】
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色んなところで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。と思ったけど今回3000字ぐらいのが多い。あとほぼほぼヒロニカ。掲載時から修正とか改題してるのは気にするな。
成分表示:インクリング+オクトリング/ヒロ→←ニカ/ヒロ→ニカ3/ヒロニカ


好ましくないやつらには好ましくないもんぶつけんだよ!【オクトリング+インクリング】
 溶けるような音が小さな舞台に響き渡る。力を得た身体は、何倍、何十倍にも肥大していった。巨大で凶悪な――まさに『帝王』の名に相応しい姿へと変貌し、少年は身体をうねらせ飛び跳ねる。四方八方から銃撃が降り注ごうと、テイオウイカはその体躯に見合わぬ狭き舞台で悠然と踊った。
 甲高いホイッスルの音がステージ中に響き渡る。しばしして、身体が縮み元の形へと戻った。見上げた先、まだら模様の審判がこちらへと旗を掲げる。己たちが勝ったという現実を証明していた。
「ナイスー!」
 ヒトとなり正面へと戻った視界の中、シャープマーカーネオを手にしたオクトリングがこちらを振り返り親指を立てる。特徴的な牙が覗く口は普段の彼からは考えられないほど開き、口角はいっそ恐ろしいほど上がっている。これ以上にないほど楽しげな、愉悦という言葉がよく似合う笑みだった。
 ナイス、と返し、テイオウイカから戻ったインクリングはヤグラから飛び降りる。大きな天井ガラスから降り注ぐ光を浴びて、手にしたバレルスピナーデコがギラギラときらめく。最後のダメ押しを決めてくれた相棒は、まるで勝利を喜ぶかのように輝いていた。
 友人が手を上げる。己も同じ程の高さまで上げ、勢いよくハイタッチをした。ぱしぃん、と盛大な音が試合が終わったステージに響いた。ナイス、と再び互いを讃える。二人で勝ち取った勝利なのだ、賛美するのは当然だった。
 好ましくねー。性格わる。
 背後から声が聞こえる。先程のバトルで敵だった二人だろう。シャープマーカーネオで塗りを広げ、バレルスピナーデコでヤグラを押さえ。奪われればトリプルトルネードとキューバンボムで奪い返し、ダメ押しにテイオウイカで乗り続ける。敵にとってはまさに好ましくない、この上なく不愉快な戦い方だろう。敗者がそんなことを言うのはあまりにもイカしていない、有り体に言ってダサいということを忘れるほどに。
 飛んできた負け惜しみに、二匹のインクリングは口角を上げる。カラストンビが覗かせた笑みは、『凶悪』『極悪』と表現するのが相応しいものだった。何よりも美味い馳走を手に入れた悦びに、もう一度盛大な音をたててハイタッチをした。
「まぁ、次頑張ろっか。俺たちならいけるって」
「うん! 絶対勝とうね! かーくんと一緒ならなんだってできるもん!」
 男女の声が背後から聞こえる。甘ったるい響きと言葉に、少年たちの顔から笑みが消える。代わりに、眉間に深い皺が刻まれた。あれほど輝いていた瞳は陰り、睨むと表現するのが相応しいほど眇められている。上がっていた口角は下がり、真一文字を描いていた。ケッ、とどちらともなく悪態をつく。次行こーぜ、と紡いだ声は棘がめいっぱいに生えたものだった。いじけると表現するのが相応しいものである。
 最強ペア決定戦。
 バンカラマッチは四人で戦うルールだが、今回のイベントマッチである『最強ペア決定戦』は二人で、つまりペアで戦うという限定レギュレーションで行われる。友人と戦う者、一期一会の相手と戦う者。組む相手は様々だ。その中でもとりわけ多いのはカップルだ。『最強ペア』なんて名前を冠しているのだから当然である。
 バトルに恋愛を持ち込むなど無粋だ。言語道断だ。汚らわしい。
 そう言い出したのはどちらだっただろうか。どちらでもいい。やっかみ、僻み、妬み、羨みといったろくでもない感情から発せられた言葉であるのは確かなのだから。
 あぁそうだ、当然だ、バトルは清くあるべきだ、などと熱くなった議論は一つの結論に辿り着く。『カップルで参加する腑抜けた奴らを実力で叩きのめそう』という、迷惑極まりないものに。
 そして、コンビを組んでバトルに潜り、出会ったカップルたちを完膚なきまでに叩きのめす今に至る。
「つってもさ、そろそろカップル減ってきたじゃん?」
「さすがにここまでパワー上げたらなぁ」
 カップルで参加するもののほとんどはバトルを遊び程度に捉えて楽しむ、所謂『ライト層』である。実力が高い者もいるにはいるが、『ライト層』に比べ数は圧倒的に少ない。一定ラインを超えたあたりから、マッチングのほとんどが明らかに野良で組んだ二人組になってきた。
「どうする? やめる?」
「たまにいるだろ、バトルが出会いで~って言う高XPのカップル。ああいうのはまだ残ってんだぞ」
「あー……確かにいるわ……。じゃあやんねぇとな!」
 そうだそうだ。やらねばならぬのだ。潰せ。勝つぞ。勝手極まりない、迷惑千万にも程がある言葉を交わしながら、少年たちはマッチング手続きをする。待機の間、インクリングはイカバンカーを撃ち今一度エイムを合わせる。射程端で的確に捉え、常に距離的優位を取るのはバトルで何よりも重要なことだ。せっかく温まった身体を冷やさないためにも軽く動いておいた方がいい。
「……なー」
 バンカーが弾ける音。漏れる声。タイミング悪く掻き消されたと思ったが、イカロールの練習をしていた友人には伝わったようだ。なんだー、と尋ねる声が返ってきた。
「どうせだからこのまま最強ペア目指さねぇ?」
 イベントマッチのタイトルは『最強ペア決定戦』だ。ならば、自分たちが『最強のペア』になってもいいのではないか。順調にパワーを上げた今なら、達成できるのではないか。上位に食い込み、『最強』の名をほしいままにできるのではないか。久しぶりに二人でコンビを組み、勝ち続けた今、そんなことを考えてしまう。『最強』というイカした肩書を得る未来を。
「いや、カップル潰す方が重要だろうが。何のためにやってんだよ」
 非常に冷静な、冷めた声が返ってくる。ノリの良い彼からは想像できないほどのものあった。滅多に出さない響きであった。それほど、友人は『カップルを潰す』という行為に重点を置き、命を懸けていることが分かる。
「まぁ、それはそう」
 オクトリングの言葉に、インクリングはさらりと返す。肯定する軽い言葉に反して、苦味のある笑みが漏れた。
 そうだ、カップルを潰すためにここにいるのだ。だのに最強がどうやらなど考えるだなんて。高くなる勝率に調子づき、腑抜けたことを考えてしまったようだ。馬鹿だなぁ、と嘲る言葉が胸に重く落ちてくる。吐き出した息は細さに反して重い響きをしていた。
 高い音がロビーに響く。マッチングが完了したのだ。すぐさまブキを持って、バトルポッドに入り込みステージへと移動する。ポッド内の液晶画面に相手のネームとプレートが映される。プレートデザイン、二つ名、ネーム、バッジ。構成するどれもがバラバラだ。ネームから性別は判断できないが、野良の可能性が高いだろうか。否、実力者たちは『おそろい』なんてものにこだわっていない。この程度の情報で判断するのは早計だ。
 入ったスポナーから飛び出し、ブキを構える。相手はクーゲルシュライバーとスプラシューターコラボ。頭のギアが同じだ。服と靴とは全く調和が見られないそれに、笑みが浮かぶ。トドメとばかりに、視線を交わして頷きあう姿が見えた。
 瞼が軽く落ちる。頬が持ち上がる。口角が上がる。ブキを持つ手に力がこもる。胸の奥がカァと熱を持つのが分かった。
 潰すぞ。おう。
 インクリングとオクトリングは静かに言葉を交わす。どちらも高揚しきったものだ。どちらも獰猛極まりないものだ。どちらも、意志の固さがはっきりと分かるものだった。
 少年たちはスポナーに飛び込む。狙いを定めて数拍。オレンジ色に染まった身体が二つ、ステージめがけて飛び出した。




あなたの前で被る猫なんてない【ヒロ→←ニカ】
「そこの高台取るかいっつも悩むんだよな」
「打開に使われやすいですものね。押さえたら強いのですけれど……、アクセスのしやすさでは敵の方が勝るのが気になります」
「それなんだよ。前からも横からも後ろからも刺しやすいし、ヤグラ乗ってるやつもろとも吹き飛ばされることあるし」
「ウルショやカニにとっては格好の的になっちゃいますもんね」
 端的な、しかしどうにも不名誉な表現に、ベロニカはストローを噛む。硬いプラスチックがへし折れて癖が付くのが口の中で分かった。少女の様子を気にすることなく、対面の少年は小さな端末に線を書き入れていく。侵入ルートを記す矢印、防衛箇所をピックアップする丸、オブジェクトまでの有効射程ラインを表した四角。様々な図形がゴンズイ地区のマップ画像に書き込まれていた。
 掃除が行き届いたロビーの隅、木製の高台横。黄色のインクリングと青のオクトリングがタブレット端末を囲んで座り込む。傍らには様々なブキとインクが散っていた。二人が射程の確認や数多の戦法を練った証だ。
「こっちの高台は……さっきのバトルで試してらっしゃいましたけど、微妙ですよね」
「いけっかと思ったけどダメだ。トラストの射程じゃそこから前線に手ぇ出せねぇ」
 敵陣右奥、アクセスするのに一手間かかる高台にバツ印が付けられる。こっちは、だったらこっちのが、と少年少女は議論を重ねる。文字と図形がどんどんと大きな画像を埋めていく。
 焼けたしなやかな指が、白い角ばった指が、威勢の良い言葉が、少し荒れた線が、端末の上を駆けていく。一通りまとまった作戦資料を眼下に捉え、二匹はふぅと息を吐く。舌戦に試射にと筋肉をこれでもかと動かしたというのに、そこに疲労は無い。満足感ばかりが見えた。
「マッチング次第になりますけど、とにかく試してみましょうか。僕もカバーできるラインを確認しておきたいです」
「……なぁ、ヒロ」
 片付けたタブレットを小脇に抱え、オクトリングは立ち上がる。黄色い瞳が小麦の細い足から上って、赤い瞳をじぃと見る。ヒロと呼ばれた少年ははい、と答える。不思議そうな響きをしていた。
「それ、無理してねぇ?」
「はい?」
 小首を傾げて問うベロニカに、ヒロはまた疑問符だらけの声を返す。ひっくり返ったそれは、普段の落ち着いた様子からは想像だにできないほど情けがないものだった。へ、え、と意味のない音を重ねる口は不安げに震え、黄の視線を真っ向から受ける目は何度もしばたたかれる。『動揺』という言葉をこれでもかというほど体現していた。
「無理? え? 反省会がですか?」
「ちげーよ。そうじゃなくて、喋り方」
 混乱の渦に飲み込まれた少年は疑問たっぷりに言葉を重ねていく。そんな様子を訝しげに眺める少女はバッサリと切り捨てた。薄い唇を胼胝ができた白い指がビシリと指差す。つられるように、硬さの見える尖った指が主人の口を指差した。
「喋り方……? ぁっ、えっ、もっ、もしかして、この喋り方不愉快でしたか!?」
「ちげーつってんだろ。お前、バトル中はタメ口じゃん。何でいつもはケーゴなんだよ」
 手を動かし目を瞬き口を開閉し、わたわたと慌てふためくヒロをベロニカはギロリと睨みつける。目元には苛立ちがうっすらと見えるが、口元は『拗ねる』と表現するのが正しいほど尖っていた。
 ヒロは丁寧に話す。この年頃にしては丁寧な口調に隙の少ない理論、それでいて柔らかさと謙虚さを伺わせる落ち着いた喋り方をする。しかし、バトルのさなかでは別だ。戦況を知らせる際に交わす言葉は『ゴール横ロラ』『ショクワン来てる』と非常に簡潔なものばかりだ。色の薄い唇が放つ言葉には普段の恭しさも柔らかさもない。必要なものだけを詰め込んだ、短く鋭い響きだけがステージに響くのだ。
「あー……バトルは情報伝達が最優先ですから忘れちゃうんですよね。すみません」
 うすらと頬を染め、ヒロは眉尻下げて頭を掻く。ちょっとした失敗を見られた時のような、恥ずかしさとバツの悪さがあった。本人による答えが出されたというのに、相対するベロニカの表情は曇ったままだ。茜色を一心に見つめていた月色は、どんどんと下がって地へと吸い込まれていった。
「……やっぱ無理してんのか?」
 少女の口から言葉がこぼれる。一滴のインクのような小さな言葉が、コンクリートの床に落ちて消える。ロビーに流れる音楽に掻き消えてもおかしくない響きは届いてしまったようで、え、とまた抜けた調子の声が少女の頭に落ちた。
「無理? あっ、バトルで大きな声を出すことですか? さすがにもう慣れました――」
「ちげーっつってんだろ! 話聞け!」
 合点いった調子で人差し指を立てて答えようとする声を、怒声が吹き飛ばす。動揺も不安も消えた少年の笑顔が搔き消え、また不安が分厚い化粧を施した。
「だからー……『忘れちゃう』ってことは、バトル中のタメ口が素なんだろ? その、わざわざ敬語喋ってんの、無理してんのかなって」
 威勢よく放たれた声はどんどんと萎み、しまいにはもごもごと動く口の中に消えるほど小さくなってしまった。眇められた山吹は陰差し、健康的な色の唇はもどかしそうにむにむにと形を崩しては戻る。あぐらをかいた足首を握る手はほのかに震えており、力が込められていることが分かった。
 は、とヒロは溜息にも似た音を漏らす。尻上がりの響きは懐疑がよく見て取れた。無理、と少年は飛んできた言葉を己の口でも作り出す。無理、と今一度紡ぐ声は上がり調子で、どこか素っ頓狂な響きをしていた。
「無理だなんて……。この喋り方は癖みたいなものなんです。無理なんてしてませんよ」
 どこか呆れた調子の、けれどもなんだか弾んだ響きで少年は答える。クエスチョンマークと不安が多量に浮かんだ表情は晴れやかなものに戻り、眩しいほどの笑顔を浮かべていた。いっそ胡散臭さすら感じさせるものだ。
 疑うように、試すように、ベロニカは頭上の赤をじぃと見つめる。睨めつけると表現した方が相応しいほどの鋭さだ。ものともせず、ヒロは言葉を続ける。
「そもそも、ベロニカさんの前で無理なんかしませんよ。これだけ熱く語れるヒトの前で無理したり取り繕ったりするのは無理です」
「……ほんとか?」
「嘘を吐いても意味がないでしょう? 怒られるのが分かってるんですから、吐くだけ損です」
 まだ不安に揺れる黄金を、紅玉がじぃと見つめる。すっと膝を折り、少年はあぐらをかいたままの少女と視線を合わせる。暖かな色を宿した柘榴石が、細まった琥珀をまっすぐに見つめた。
「ベロニカさんの前が一番自然でいられるんです。無理なんてしてません。無理して仲間と話せるわけないでしょう?」
「……まぁ、それはそう、か」
 そうですよ、とヒロは笑う。そっか、とベロニカは引き結んだ唇を綻ばせる。心元なさそうに足首を掴んでいた手が引き締まった太ももへと移動する。短い息とともに、少女は立ち上がった。今度は紅が金を見上げる。
「無理してねぇならいい!」
 ニカリと笑い、インクリングは声をあげる。ロビー全体に響くほど、大きく弾ける、ハツラツとした音をしていた。はい、とオクトリングも同じほど弾けた声をあげる。すくりと立ち上がり、また赤と黄がかちあう。そこには陰も何もなく、ただ生き生きとした輝きだけがあった。
「んじゃ次行くか!」
「そうですね……、あ」
 少女はトライストリンガーを器用に蹴り上げて取る。.96ガロンや他のブキをまとめて抱えた少年は、ぽつりと音をこぼして固まった。
「どした? トイレか?」
「あの……スケジュール変わっちゃいました……」
 え、と漏らしてベロニカは急いで振り返る。ヒロが指差した先、大きな液晶スクリーンに映し出されたスケジュールはガチヤグラからガチホコバトルに変わっていた。反省会――と己の無駄な勘ぐりによる問答をしているうちに、随分と時間が経っていたようだ。少女は苦々しげに唇を引き結ぶ。せっかく編み出した戦法が実践できない悔しさに、己の浅はかさと間抜けさへの怒りに、少女は小さく呻き声を漏らす。警戒心を剥き出しにした鳥の鳴き声によく似ていた。
「ホコは……前に考えたの一個実践できてませんね。やってみます?」
 タブレット端末を再び開いた少年は、しなやかな指を操りながら問う。くるりと回して差し出した液晶画面には、ナメロウ金属のマップ画像が映し出されていた。赤い丸、青い矢印、緑の斜線。様々な色が画像の上を踊っている。数日前、二人で反省会および戦略会議をした時のファイルだ。確かに、あの日は時間が無く考えたもの全てを試すことができなかった。つまり、スケジュールが変わったばかりの今は絶好のチャンスだ。
「やる!」
「では一回確認してからにしましょうか。時間が経ってまた見えるものもありますから」
「おう!」
 抱えたブキを放り出し、ベロニカは再びあぐらをかいてタブレットを見つめる。抱えていたブキとタブレットを地面に静かに並べたヒロは、複製したファイルを表示させた。
 警戒な音楽流れるロビーの隅、熱のこもった声が二つ響いては溶けていった。




バトルに行ったらすぐに取れてがっかりしただなんて言えない【ヒロ→ニカ】
 五色が空から降り注ぐ。頭のずっとずっと上、無骨な機器から流れ出るそれは絶え間なく地へと降り立っていた。飛沫が霧のようになり、熱された空気を冷やしていく。盛大に流れ細かに散りを絶え間なく行うインクたちは、夕暮れの赤い世界の中でも己の確かな色を誇っていた。
「すげー……」
「圧巻ですね……」
 隣で感嘆の声を漏らす友人につられ、ヒロも溜め息のように言葉を吐き出す。グランドフェスティバル特設会場、その入り口に設置されたカラフルなミストシャワー――ミストと言うにはいささか量が多いが――は少年少女を圧倒するほどダイナミックで鮮やかに入場者を待ち構えていた。
「……いや、これ通っても大丈夫なのか? 死なねぇ?」
 ほぅと吐かれた息に不安が宿った声が続く。袖口をくいくいと引かれ、少年は隣へと視線を移す。一緒に会場を訪れた友人、ベロニカは警戒心をあらわにこちらの顔と流れ出るミストシャワーとを視線で往復した。インクリングおよびオクトリングは、自身の身体に適合しないインクを浴びると大きなダメージを受ける。色とりどり、つまりは自身と違う色のインクを浴びることに危険を覚えるのは当然だろう。
「大丈夫ですよ。公式サイトに『安全に配慮したインクを使用しています』と書いてありますから」
 ほら、とヒロは手にしたナマコフォンの画面を指差す。細かな文字を追い終えたのか、ほんとだ、と返ってきた声は少し拍子抜けした調子をしているように聞こえた。途端、服を掴む力が強くなる。小さめにつまんで不安げに引く手は、ぐっと握り締め好奇心旺盛に引っぱり連れ行くものに様変わりしていた。前方へと、シャワーの下へと引っ張られるがままに、ヒロは足を動かす。インクが降り注ぐ水音に、元気な足音が二つ飛び込んだ。
 ダン、とインクリングは思いっきり地を蹴り飛び込む。タン、と軽く地を駆けオクトリングも色の下へと身を飛び込ませた。瞬間、冷えた空気が、液体の感触が身体を包む。厳しい残暑の空気に晒され続けていた身体にとっては、この上なく心地の良いものだった。わぁ、とどちらともなく声をあげる。はしゃぎきった子どもの響きをしていた。
 涼しい空間を潜り抜け、ヒロは会場へと足を踏み入れる。瞬間、音が弾け空気が大きく震えた。楽器の通る音色、負けじと主役を張る歌声、そして盛大な歓声。きっとライブが始まったところなのだろう。入り口を抜けてすぐの場所にステージがあったはずだ。
「何だこれ!?」
 隣から悲鳴。何事だ、と急いで顔を向けると、そこには自身の腕を見つめるベロニカの姿があった。視線の先、健康的な色をした剥き出しの肌には緑色のインクがべっとりと付いていた。否、腕だけではない。頭に、頬に、耳に、服に、手に、足に、靴に。身体中のそこかしこがカラフルなインクで彩られていた。インクにまみれた大きな両の手が、持ち主の身体を性急に触っていく。うわ、と時折聞こえる声は驚愕に満ちていた。
 少女の姿に、思わず少年も身体を確認する。色合いは違うが、己の身体も彼女と同じようにインクまみれになっていた。皮膚に直接ついているというのに、痛みや違和感は一欠片もない。本当に無害なインクを使っているようだ。
「すごいですね……」
「驚かせんなよなー」
 もう、とベロニカは頬を膨らませる。眉は寄せられ目は細くなっているものの、口元は綻んでいる。口ぶりとは反対に、サプライズめいたこのサービスを楽しんでいるようだ。愛らしい様に、ヒロも頬を緩ませた。
「すげぇな。全然落ちねぇし痛くねぇ」
「べとついたり流れたりもしませんね。これ、どういう仕組みなんでしょう」
 二人は今一度自身の身体を見回す。衣服はもちろん、肌についたインクが汗で流れ落ちる様子は無い。触れたかぎり、完全に乾いて張り付いているようだった。だのに、痛みも無ければ不快感も無い。訳の分からない技術である。
「頭が一番すげーな。ほら」
 そう言い、少女はこちらに青い何かを差し出した。よく見れば、それは彼女の髪だった。常は鮮やかで美しい黄色を三つに編み込んだそれは、今は青で塗り潰されている。先ほどのミストシャワーの仕業だ。反対側、流した長い髪はピンクに染まっている。鮮やかな黄に目に痛いほどのピンク、吸い込まれてしまいそうな深い青は、不思議ながらも彼女自身の黄と調和が取れていた。
「こことかヒロみてーだ」
 青色に染まった三つ編みを指差し、ベロニカは笑声をあげる。確かに、彼女に付着した青は己固有のインク色とよく似ていた。チームを組む時は同じ青に染まることもあるが、こうやって黄に青が散る様は見たことがない。
 少女の姿に、少年の心臓がドクリと大きく拍動する。ひゅ、と息を吸った喉がおかしな音をたてた。
 髪がまばらに染まる様など見たことがない。見たことはないけれど、想起するものはある。以前インターネットで読んだウェブ漫画だ。年齢制限はかからないものの、少しだけ『大人』なその漫画では、キスをすると二人の色が混ざっていた。とっても『大人』な口付けを終えると、女性の髪には男性のインクの色がにじんでいたのだ。まるで、侵蝕するように。自分のものだと主張するように。
 今の彼女の姿は、まさにそれのようで――己で染まったようで。
 ドッドッと小さな心臓が大きな音をたてる。頬に気温とは関係が無い熱が集まっていく感覚がする。ミストを浴びたばかりだというのに熱くてたまらなかった。無害なインクを浴びたというのに内臓が痛みを訴えていた。全ては己の頭が原因なのは明白だ。
「どした?」
 地を見つめていた赤い目がハッと上げられる。視界が地面の茶色から、色とりどりの世界に、訝しげにこちらを見つめる黄色に染まる。髪をつまんだまま小首を傾げる友人――否、想いビトの姿に、少年は口を開く。声を出すはずが、大きなそれからは空気しか出てこない。は、と吐き出された呼気は浅いものだ。己の心臓の駆動とは正反対に細く小さなものだった。
「い、え。似合っているな、と」
「似合う?」
 どうにか笑みを作り出し、どうにか言葉を作り出す。オクトリングの言葉に、インクリングはまた小さく首を傾げた。ふぅん、と訝しげに鼻を鳴らし、少女はビビッドカラーに染まった髪を眺める。そっか、としばらくして聞こえた声は上機嫌なものだった。
「ヒロも似合ってんぞ」
「ありがとうございます」
 ニカリと笑う片恋相手に、ヒロはにこやかさを意識して礼を返す。依然顔は熱いし、心臓は痛いし、拍動はうるさい。こんなみっともない様子を察せられるにはいかなかった。己の演技が上手くいったのか、頬に付着したインクが隠してくれたおかげか、はたまた彼女の気遣いなのか。ベロニカは何も言わず笑みを返した。その頬にもまた、青が存在を主張している。更に鼓動が早くなった気がした。
「いこーぜ。結局どこに投票すんだ?」
「まだ悩んでいるのですよね……。今回のお題は難しすぎますよ」
「もう色で選ぶか」
「それは真剣に選んだ方に失礼かと」
 じゃあどうすんだよ。どうしましょうか。悩む声が、弾む声が、会場へと吸い込まれていく。絶え間なく流れるシャワーが二人の背を隠してしまった。




シーズン開始まであと十日【ヒロ→ニカ】
 ロッカールームの一角、赤い瞳が黄色い頭をじぃと睨む。これだけ熱烈な視線を送られているのに、相手は一切気付いていないらしい。言葉を発することもなくじぃとソファに座っていた。気付かないのも当然だろう。その目は、その意識は、全てナマコフォンの小さな画面に釘付けになっているのだから。
「……ベロニカさん」
「…………ん? 何だ?」
 ヒロは目の前の、ずっと刺すような視線を送っていた友人の名を呼ぶ。普段よりもいささか低い、他人が聞けば『機嫌が悪い』と判断されてもおかしくないような響きをしていた。名を呼ばれた本人は欠片も知らぬといった顔で、普段と一切変わらない調子で短く返す。彼女らしくもなく少しばかり間があったのは、意識が画面の中に吸い込まれていたからだろう。音を認識するまでタイムラグが生じるほど集中していたのだ。いつだって機敏な彼女らしくもない姿だった。彼女を彼女らしからぬ姿にするほど、液晶画面に映る映像は衝撃的なものだった。
 フルイドV。
 先日、国際ナワバリ連盟から発表された新たなブキ。ハイドラントやエクスプロッシャーを手がけるブキメーカーが新開発したブキ。バンカラで発達しまだ二種しか存在しないストリンガー種に颯爽と殴り込んできたのがこのブキだった。
 発表を見た瞬間のベロニカの反応は凄まじいものだった。滅多に聞かない上擦った歓声をあげ、宝物を見つめる子どものようにキラキラと目を輝かせ、天を衝かんばかりに拳を振り上げたのだ。挙げ句の果てには想いを寄せるように毎日件の発表動画を見る始末である。まるで恋する乙女のようだ。考えただけでも胃が痛くなる表現だが、そうと表すのが一番相応しい様子であった。
「またフルイドの動画ですか」
「そう! 何度見てもほんとにすげーんだよなぁ!」
 溜め息交じりに問うオクトリングに、インクリングは目を輝かせて返す。ナマコフォンに向ける視線はプレゼントを目の前にした子どもそのものだ。いつだって鋭さと輝きを宿し、年齢からは考えられないほどの気迫と気概を纏った彼女からは想像できないものだった。非常に可愛らしく胸が苦しくなるほどの破壊力を持っていた。それ以上に、まだ幼い心をめいっぱい叩きつけて割って壊すような恐怖をもたらすものだった。
 ちらりと小さな画面へと視線をやる。映っているのはフルイドVだけではない。紹介PVを担当する男性のインクリングもだ。動画内で使い手を務める彼は、たしかトライストリンガーを主に使うプロプレイヤーのはずだ。極秘も極秘、決して外部に漏らせぬ新ブキを先行して体験させてもらい、対戦の様子を撮影され配信されるほどなのだから、よほど信頼のある者なのだろう。それだけに、腕は凄まじいものだった。ベロニカという巧みなるトライストリンガー使いと数え切れないほど手合わせし、研究のためにいくらか使いこんだ身から見ても、その経験と実績が分かる動きをしていた。
 そんな素晴らしい――有り体に言って『強い』プレイヤーを見て、この己と同じほど『強い』者を求めるベロニカがどう思うか。
 戦いたいと思うだろうか。憧れを抱くだろうか。目指すべく相手とするだろうか。その強さに惚れ込むだろうか――恋するだろうか。
 仮定も仮定、根拠の薄い妄想による二音節を考えただけで、チャージャーに撃ち抜かれたように胸に強い痛みが走る。スロッシャーに被せ潰されたように頭が痛む。潜伏ローラーに出くわした時のように心臓が大袈裟なほど脈打つ。ストリンガーの氷結弾を直接撃ち込まれたかのように背筋を冷たいものが駆け抜けていく。
 一言で表すならば『恐怖』だった。だって、好きなヒトが別のヒトを好きになるなんてこと、想像したくないに決まっている。
「――き遅いし重量級なんかな。中量級だといいんだけどなー」
 弾んだ声に、暗がりへと転がり落ちていた意識が浮上する。焦点の合った視界の中には、ニコニコと輝かしい笑みを浮かべるベロニカがいた。胼胝のある美しい指が指す先にあるのは相変わらずあの動画だ。あのプロプレイヤーだ。あの男性だ。
 ぎゅっと拳に力が入る。指が手の平を突き抜けてしまいそうな勢いだ。緩めたいのに、身体が言うことを聞かない。痛覚が神経を刺激するのに、思考はぐるぐるとぐちゃぐちゃと掻き回されるばかりで理性的な動きができない。
「――あ、の」
 ヒロは口を開く。か細い声はいつだってハキハキと話す彼らしくもないものだった。やっと異変に気付いたのか、ベロニカはナマコフォンを片手で閉じてまっすぐに少年を見る。どうした、と尋ねる声は真剣そのものだった。幼い光が輝く瞳に、鋭さが戻る。
「あ、の……、ベロニカさんには、トライストリンガーが一番似合うと思います!」
 オクトリングは叫ぶ。街中に響き渡りそうな声量だった。事実、自身のロッカーを開いていた者がいくらかぎょっとした顔を向けるほどである。意図したわけではない。今この場で声を制御する機能など、恋を患う頭には不可能なのだ。
「……お、おう。ありがと?」
 声量にか、突然の賛辞にか、ベロニカはぱちりと目をしばたたかせる。答える顔も声も気が抜けた、疑問符が浮かんだものだ。それはそうだ。いくら肝の据わった少女と言えど、いきなり呼ばれ大声で脈絡もないことを言われて困惑しないわけがない。
「だ、から、無理にフルイドを使うことはないかと思います! 注目するのは分かりますけど! で、も……あの……」
 えっと、と続く声はどんどんと萎んでいく。己の制御できない声に、想いビトの戸惑った様子に、ヒロは見開いた目を泳がせる。己の行動に己が一番驚いていた。理性のストッパーが効かなくなっただけで、こんなに幼い行動を取ってしまう。あまりにも醜く苦しい事実であった。ナンプラー遺跡の採掘跡にでも埋まりたい心地である。
「いや、無理とかそんなんあるわけないだろ。新しいブキは使いたいだろうが。しかもストリンガーだし」
 惑っていた黄色い目がじとりと細められる。訝しげな視線が少年の全身を突き刺す。何を言っているんだお前は、と言いたげなものだった。当然である。
「つーか、似合う似合わないじゃなくて強いか強くないかだろ?」
「…………はい、その通りです」
 はん、と鼻を鳴らすインクリングに、オクトリングは萎んだ声で返す。言い返す余地など無い、まさしく正論だった。普段の己ならば同じ判断を下すに決まっている。けれども、恋が絡む心は非論理的な言葉ばかりを紡ぎ出すのだ。あまりにもみっともない現実である。
「ほんっとらしくねーなー。なんかあったのか?」
「いえ、何もありません。本当に何もありません。ただベロニカさんにはトライストリンガーが一番似合うと思っただけです」
 ほんのりと心配の色を宿した黄が赤に向けられる。逃げるように頭ごと地へと視線を移し、ヒロは言い訳をまくしたてた。何もかもが不自然であるのは己が一番分かっていた。ふぅん、とまた鼻を鳴らすのが聞こえた。
「まぁ、似合ってるって言われて悪い気はしねぇな」
 あんがとな、と少女は笑う。柔らかで、温かで、朗らかで、幸せがにじむ笑顔だった――その愛らしい笑みを向けられた当人は地面とにらめっこしていて気付かないのだが。
 布が擦れる音。目の前の影と気配が消える。やっとのことで視線を上げると、そこには伸びをするインクリングの姿があった。傍らに置かれていたトライストリンガーは既に彼女の手の中へと戻っていた。
「スケジュール変わったしいこーぜ。今日はナワバリからやるか?」
「……そ、うですね。少し身体を慣らしてからにしましょうか」
 スタスタと横を通り抜ける少女に、少年は急いで身を翻して後を追う。不自然に固い声で返してしまったが、彼女は気付いていないらしい。今カジキだってさ、と呑気な声が返ってきた。
 少女の手の中にあるナマコフォンには、もうフルイドVも、男性の姿も無かった。




ナワバリはとっても広くて【ヒロニカ】
 このヒトにはパーソナルスペースというものがあるのだろうか。
 肩から伝わる熱を想い、ヒロは考える。紙が繰られる軽い音が昼下がりの少し陰った部屋に落ちた。
 隣、己の肩に頭を体重を預け漫画本を読むベロニカを見やる。常は敵を見とめる鮮烈なイエローは、クリーム色の紙面を絶えず追っていた。読み進める速度は自分よりも遅い。じっくりと味わうタイプなのだろう。時折、漏れる笑みの揺れが肌を伝わってきた。
 交際を始めてからというものの、ベロニカのスキンシップは増えた。元から背を叩き鼓舞する、頬に負った傷を手早く手当する、好みのルールとステージ選出に逸るあまり手を繋いで走る、といったことは時折あった。けれど、所謂『コイビト』という関係になってからというものの、それらは当然のようになり、更に積極性を増した。二人きりの時手を繋ぐ、勝利を祝い肩を組む、愚痴を漏らしながら抱きついて頬ずりをする、背もたれのように寄りかかって座る――ちょうど今のように。
 嫌なわけではない。むしろ、喜びが何十倍にも勝っている。今だって、心臓が跳ね跳んでいってしまいそうなほど脈打つほどである。けれども、これだけ気安いと己以外の誰かにもやっているのではないか、と不安がよぎるのである。彼女を信頼していないのではない。ただ、彼女が己以外の誰かと触れ合うのが嫌なのだ。端的に言って嫉妬である。何ともイカしていないがどうしようもない。悲しいかな、己はまだ精神が成熟しきっていないし、交際はこれが初めてなのだ。
「ひろー?」
 耳のすぐ側から聞こえる声に、少年の肩がビクリと跳ねる。呼ばれるがままに顔を向けると、そこには首を軽く反らせてこちらを見る少女があった。先ほどまで熱心に読んでいた本はその両手に閉じて収まっている。読み終わったのだろう。
「読み終わりましたか?」
「全巻読んだ。どこ戻せばいい?」
「テーブルの上に置いておいてください。後で片付けます」
 ん、と短く返事し、インクリングは手にしたコミックスをテーブルの上に置く。彼女らしからぬゆっくりと、慎重さすら感じる動きだ。これらの漫画は己の所有物である。きっと、粗雑に扱ってはならないと思ってくれたのだろう。荒々しく猛々しいバトルを見せる彼女だが、こういうところはきちんとしているのだ。ただただ彼女がきちんと教育され健やかに育った証であるだけなのに、なんだか愛されているような気分になる。勘違いも甚だしいと頭の中の何かが嘲った。
 肩に、腕に、身体にかかる重みが増す。肩に、腕に、身体に熱が触れる。肩に、腕に、身体に彼女のぬくもりが直に伝わってくる。寄りかかる少女は、むずがるように頭をこすりつける。躊躇いのない、警戒心の欠片もない姿に、少年の心臓は更に早鐘を打つ。このままではこれだけドギマギしていることがバレてしまう、という焦りすら生まれるほどだ。
「べ、ろにかさんって、結構パーソナルスペースが狭いですよね」
「ぱーそなる……何だそれ」
 逃げることもできず、逃げたくない本能に抗えず、少年は意識しすぎる思考から逃れるように言葉を放つ。いきなりの話題転換にか、布と肌が擦れる感覚が止まる。返ってきたのは疑問形の声だった。首を傾げたのか、肩に固いものが擦れて衣擦れの音をたてた。
「簡単に言うと『他者を近づけたくない範囲』です。結構触れたり近づいたりしますし、狭いんだなって」
「ナワバリみたいなもんか?」
「そうですね。近いと思います」
 ふぅん、とベロニカは鼻を鳴らす。ふむ、とヒロも口の中で呟いた。たしかに、日夜ナワバリ争い――歴史上では戦争すら行ったほどだ――に明け暮れるインクリングたち相手ならば、『パーソナルスペース』は『ナワバリ』と言い換えた方が伝わりやすい。いや、『ナワバリ』の言葉の強さと種族ゆえの意味の強さを当てはめるのは少し危険か。そんな詮無いことを考える。気づいた頃には、身体にあったはずの熱は姿を失っていた。姿勢を正したのだろうか、と考えていたところに、なぁ、と声が飛んでくる。どこか笑みを含んだそれに引かれるように、ヒロは顔ごと視線を動かす。口角を上げたコイビトの姿が視界を埋めた。
「インクリングってさ、生まれた頃からナワバリ意識つえーんだよ。ナワバリ……まぁ、雑に言うと自分だけのだって場所は広く持とうとするし、広げようとする。それぐらい知ってるよな?」
「はい……?」
 突然の言葉に、オクトリングは首を傾げて返す。誰もが知っている常識であるため肯定したものの、その真意が分からず思わず疑問が浮かぶ響きとなってしまった。それでも彼女にはきちんと伝わったらしい。潤いを保った唇が三日月を描いた。うすらと開いたそこから鋭い白が覗く。
「そのひろーい、一生懸けて広げたひっろーいナワバリにあんたを入れる意味」
 歌うように少女は言葉を紡ぎ出す。ソファの座面に放り出した手の甲に、温かなもの。すべらかなものが肌の上を滑っていく。少し硬さをみせるものが、くすぐるように指と指の間を撫でる。消えた熱が再び姿を現す。
「わかるよなぁ?」
 問いかけ、インクリングはにまりと笑う。はっきりと見えるカラストンビは美しく、輝かんばかりの鋭さがあった。肉食であり捕食者であることをまざまざと主張してくる。
 インクリングとってナワバリは、本能に刻まれた生における最重要事項である。それこそ、太古の世界ではインクリングとオクトリングは地上というナワバリを奪い争ったほどだ。
 広げ、主張してきたそこに、赤の他人を入れる。そんなの。
 ぶわりと身体中に熱が広がっていく。こんがりと焼けた肌に鮮やかな紅が広がり、存在を主張していく。赤い目が瞠られ、太陽もかくやと真ん丸になる。大層大きな口が薄く開かれ、震える舌が覗く。その身体を動かす心臓は、耳元に移動したのではないかと錯覚するほどうるさく音をたてた。
 する、と手の甲を撫でていた指が動く。なぞるように動いたそれが、己の指と指の間にそっと埋まり、ぎゅっと握られる。ナワバリに入ったものを――自分のものを逃さんとばかりに、強く握られる。触れ合う面積が広がって、伝わる熱も増える。心地よさを覚えるはずのそれは、今は毒のように身体を巡っていくばかり。心臓をばくばくと跳ね動かし、脳味噌をぐちゃぐちゃに掻き、心をめためたに引っ掻き回していった。
「気に入らなくなったら蹴り出すけどな」
「……容赦ありませんね」
「そんぐらい分かってんだろ?」
 先ほどの甘さも恐ろしさも消え失せた声が軽口を叩く。どうにか返した言葉に、いたずらげな笑みが向けられた。その頬が普段より血の色が濃くなっているのは気のせいだろうか。問う声にまだ甘やかな香りが残っているのは気のせいだろうか。見つめる目に熱が宿っているように見えるのは気のせいだろうか。全部気のせいであってほしい。ナワバリ意識たっぷりの言葉に加えてそれらまで受け入れられるほど、まだ己の器は大きくない。全てをリセットしようと頭を振りたくなる衝動を、ヒロは必死で抑え込んだ。
 いつの間にか緩んでいた手が、また握られる。先ほどのような力強いものではなく、じゃれつくような軽いものだ。己の手をおもちゃにしているかのようだった。これだけ振り回されているのだから、あながち間違いではないかもしれない。混迷に混迷を重ね迷走する思考は、明後日の方へと飛んでいっていた。
 この手からは、彼女のナワバリからは、当分逃げられそうにない――逃げるつもりはない。




朝ご飯は早くから仕込んで【ヒロ→ニカ】
 重なる短い鳴き声が沈んた意識を引っ張り上げていく。真っ黒な瞼が強張ったようにぎこちなく持ち上がり、黄色い瞳が姿を現した。差し込む陽光を直に受けたまんまるは、消え現れを繰り返してやっと普段の姿を取り戻す。寝起きには厳しいまばゆさに濁った音が喉から漏れた。
 ごろりと寝返りを打ち、ベロニカは己を照らし出す朝日から逃れる。抱き込んだ布団は普段のものと違う匂いがした。覚えた小さな引っかかりは、意識に飛び込んできた甘い香りによって全て霧散した。砂糖の甘い匂い。焼ける香ばしい匂い。焦げるような少し濃い匂い。寝惚け頭を覚醒まで引き上げるには十二分に足るものだった。
 知らない布団を投げ捨て、インクリングはベッドを飛び降り裸足で床を歩いていく。見慣れてきたキッチンに続く扉を開けると、甘い香りがぶわりと広がって身体を包み込んだ。脳と胃を刺激するそれに、腹の虫が寝起き一発目の鳴き声をあげた。
「あれ、起こしちゃいましたか?」
 フライ返しを片手に、ヒロはぱちりと目を瞬かせた。コンロの火が落とされる硬い音が二人の間に響く。同時に、砂糖が焼ける匂いがほんの少しだけ気配を薄くした。
「眩しくて目ぇ覚めた」
「あぁ、すみません。カーテン閉めておいた方がよかったですね」
「寝っぱなしもよくねぇし気にすんな」
 眉尻を下げ、申し訳無さそうに少年は言う。少女は言葉通り気にする様子なく手をひらひらと振った。事実、度を過ぎた睡眠は回復からすぐさま反転して疲労へと変貌する。ここらで起きるのが身体は正しいと判断したのだろう。
「何? ホットケーキ?」
 火が消えたコンロの上、静かになったフライパンを覗き込む。映ったのは予想した丸ではなく四角だった。四方が茶で囲まれた四角が、白い身体を焦げ目で彩って横たわっている。淵の部分はまだしゅわしゅわと油が泡立っていた。
「フレンチトーストです」
「おしゃれじゃん」
「そんなことありませんよ。簡単にできますし」
 ぱちぱちと瞬くベロニカに、ヒロは小さく首を振って返す。柔らかな笑みはどこか面映そうに見えた。
 彼は否定したものの、己にとってはフレンチトーストとやらはかなり手の込んだ料理である。何しろ長時間調味液に漬けてパンにたっぷりと吸わせなければならないのだ。十分やそこらならまだしも、何時間、それこそ一晩を要するような代物だ。手早くできない料理なのだから、十分に手がかかっているおしゃれな食べ物だった。
「つってもめちゃくちゃ浸しとかないとだろ? めんどいじゃん」
「あー……、電子レンジを使えば簡単にできるんです。何度か温めればすぐに液を吸ってくれるんでしょ」
 へぇ、と少女はまた目をしばたたかせる。少年の言葉に、山吹の瞳はいつの間にかキラキラと輝きだしていた。己も料理は人並みにはするものの、彼ほど日常的に行うわけでもなければレシピ開拓の努力もさほどしない。故に、そんな裏技のようなものを聞くのは初めてだった。魔法のようなそれは起き抜けの頭にも輝かしく見えた。
「ちょうど焼けたところですし食べましょうか。飲み物何にしますか?」
「冷たいやつ」
 ではコーヒーで。歌うように言いながら、ヒロはフライパンの中身を皿に移す。二口コンロのもう一つにかかっていたフライパンと素早く取り換え、その中身も皿に放り出す。転がり込んできたのは、よく焼け目がついたウィンナーだった。
 突然の闖入者に、よく整えられた眉が寄せられ黄色い丸い頭がことりと傾ぐ。フレンチトーストとは甘いものである。食事ではあるものの、味は菓子に近い印象があった。なのに、ウィンナー。塩気の強い肉が一緒に並んでいるのは何故なのだろう。このフレンチトーストは甘くないのだろうか。いや、でもこのキッチンには砂糖が焦げた甘い匂いが満ちているではないか。
「……合うのか?」
「合うんですよ」
 首を傾げ呟くインクリングに、オクトリングは短く返す。どこか得意げな響きをしていた。ほんとか、と少女は訝しげに呟く。食べてみてください、と笑みを含んだ声が返された。何だかからかわれているようで不服だが、彼の味覚は己と似通っているはずだ。少なくとも食べれないほどの代物ではないだろう。
 並べられた皿を素早く手に取り、ベロニカは器用に扉を開けて部屋へと戻る。昨晩二人で熱心に議論し書き込んだノートと色とりどりのペンを端に寄せ、広くなった場所に料理を置いた。ついでに蹴飛ばした布団を手早く畳んでベッドに戻す。皺の波立つシーツが朝日に照らされていた。
 しかし、朝食までもらう羽目になろうとは。眉根を寄せ、少女は小さく唸る。
 昨日は遅くまでバトルをしていた。特に新しく登場したナンプラー遺跡はまだ研究が進んでいないこともあり、スケジュール更新までずっと二人で潜っていたほどだ。それでもデータは足りなくて。動きを考える頭は冴えきって。戦略を立てたい心は躍りに躍って。
 うちに来い、と言い出したのはベロニカだった。今この頭にある立ち回りやポジションを明日まで溜め込むのは不可能だ。それに、高台を陣取るトライストリンガーの視点だけでなく、ステージを駆け回るシューター視点での所感も確かめておきたい。経験を積みに積んだ今日のうちに議論して、アウトプットしたくてたまらなかった。
 それを距離の観点から否定し、こちらの部屋に来ないかと提案したのはヒロだった。こちらの部屋までは駅一つ分だからすぐに帰ることができる。その分議論や戦略の構築に時間を割くことができる。ついでに昨日の残りがあるから軽い食事だって食べられる。彼の提案は論理的で魅力的だ。疲れたはずの身体で歩き出したのはすぐだった。
 議論し、思考全てをアウトプットし、ノートに疑問を書き出し、動画サイトに投稿されたステージ案内動画を食い入るように見つめ、研究を重ね。気づいた頃には終電はとっくに過ぎていた。泊まっていってください、と布団一式を引きずり出しながら言う少年に甘え、今朝に至る。
 本当ならば早くに起きてすぐに帰る予定だったのだ。さすがに泊まらせてもらった上に朝食まで食べさせてもらうのは申し訳無さが先立つ。今度なんか差し入れでも持っていくか、と考えつつ、少女はフローリングに腰を下ろした。途端、思考に何かが引っかかって冴え始めた頭がつんのめる。ん、と細い喉が鳴った。
 ヒロは『電子レンジを使えば』と言っていた。しかし、電子レンジを動かした音は聞いた覚えがなかった。眠っていて聞き逃したのかもしれない。だが、『何度か』という言葉が確かなら、複数回使ったということに間違いはない。あんなに高い音を何度も聞いて、己が目覚めないのは不自然である。
 まぁ、それほど疲れていたのだろう。何しろ二時間休み無しでバトルし、夜通し頭も口も動かしたのだ。気づかないこともあるだろう。結論づけ、少女は目の前の皿に視線を移す。できたてなのか、どちらの品もまだ細い湯気をあげていた。
 柔らかな甘い香りと肉の焼けた香ばしい香りが狭い部屋を漂っていた。
畳む

#インクリング #オクトリング #Hirooooo #VeronIKA #ヒロニカ

スプラトゥーン

おべんと食べよ!【ヒロ→ニカ】

おべんと食べよ!【ヒロ→ニカ】
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イカタコ売店の物しか食べてなさそうだけど絶対飽きるよなって思ったあれ。ヒロニカ飯食ってくれ~~~~~という話。推しカプには飯を食わせろ。古事記にもそう書いてある。
アゲバサミサンドを食べ飽きたベロニカちゃんと色々と頑張るヒロ君の話。

「飽きた!」
 怒声と同義の叫声がロビーに響く。鉄骨が張り巡らされた天を仰ぎ吠えた少女は、今度は地を睨み嘆息する。険しく眇められた目が、手に持ったアゲバサミサンドをじっと捉える。深く息を吐き出した口がぐわりと大きく開き、荒々しい動きでソースの香りを漂わせるそれにかぶりついた。
「飽きますよね」
 ガツガツとサンドを食らう友人の隣、壁に背を預けたヒロが苦笑を漏らす。呼吸すると、手に持ったアゲアゲバサミサンドが放つ油の香りが鼻腔をくすぐってきた。誘われるがままに、少年は大きく開いた口で飛び出た爪を捕らえる。バリバリと豪快な音が口内で弾けた。
「こればっかりはどうしようもありませんからねぇ」
「ビッグマザーマウンテンも似たような味だしなぁ。飽きる! もっと違うもん食いたい!」
 今一度吠え、ベロニカはすっかり小さくなったサンドを一気に口に放り込む。柔らかな頬がフグのように丸く膨れ、殻と衣が噛み砕かれる固い音とともに萎んでいった。
 バンカラ街にはバトルに打ち込む者が溢れている。溢れるがあまりマッチングが早く、大人数がごった返すことを想定した広いロビーは閑散としていることがほとんどだった。そんなバトルに明け暮れる者たちにとってのひとつの生命線が、片隅で営業している売店である。朝晩春夏秋冬いつだって出来たて熱々のサンドを提供してくれるこの店は、激しいバトルで腹を空かせたインクリングたちにとってオアシスであった。何しろ、国際ナワバリ連盟から提供されるチケットさえあれば誰でも食べられるのである。クリーニング代をむしり取られ素寒貧になっても、連敗に連敗を重ね懐が大吹雪でも、くじ引きで有り金全て溶かしても、チケットさえあれば食べられる。オクトリングはともかく、計画性無くカネを使うインクリングにとって救い以外の何物でもない。
 そうはいえども、メニューは非常に少ない。なんと六種である。一人で食べられるものだけに限れば四種という驚きの少なさだ。日常的に利用していれば飽きるのは当然である。日々バトルに明け暮れ、時間がもったいないと外で食事を摂るのを諦めるベロニカたちも例外ではない。日々を彩っていた美味しいサンドは、今では空腹を満たすための手段でしかなくなっていた。
「クマサン商会の方では別の賄いが出るそうですよ」
「商会のやつってバトルじゃなくてシャケシバき倒すやつだろ? あんま好きじゃねーんだよなー」
 ソースまみれの包み紙をくしゃくしゃに丸め、インクリングは小さく息を吐く。そうですよね、とオクトリングは小さく頷く。ヒロモベロニカも、戦うことが好きだ。だが、それは練りに練った戦略や日々鍛えた腕を試し、ぶつけ、競い合う、肌や心がヒリつくようなバトルが好きなのである。大勢で襲ってくるシャケを迎撃するバイトは、求めるものと少しばかり違う。
 小さな口をもそもそと動かし、ヒロは塩っ気たっぷりのサンドを食べ終える。袋状になった包み紙を丁寧に畳み、ぎゅっとひねって小さくする。あとは、と油の匂いが残る口を開く。大きな手の中で小さくなった包み紙がもてあそばれて転がった。
「いっそのこと、お弁当を作るのも手ですね」
「べんとぉ?」
 ヒロの言葉に、ベロニカは素っ頓狂な声をあげる。最後の一音が急激に上がった響きは、驚愕と疑念に満ちていた。山吹の瞳が睨めつけるように細くなる。目にも声にも、ほんの少しの呆れと嘲りが見えた。
「飯買いに行くのがめんどくてここの食ってんだろ。弁当作るのに時間使ったら意味ねーじゃん」
「それはそうですけど、総合するとお弁当が一番時間がかからないんですよね。前日に仕込んでおけば後は持っていくだけですし。買いに行く時間よりは短く済むかと思います」
 唇を尖らせる少女に、少年は先の尖った人差し指をくるりと回す。バンカラ街、特にロビーがある地区の飲食店はいつだって混んでいる。コンビニエンスストアすら長蛇の列が頻繁に発生するほどだ。ロビーを出て列に並び、食べ、また戻る。外食で移動や待機に時間を使うよりも、弁当を作る時間の方がずっと短く済む可能性が高い。事実、弁当を持ってきてロッカールームで食べている少年少女は度々見かける。
「なにより、自分が好きなものを好きなだけ食べれます」
「あー……いや、でもよぉ……」
 訝り細くなっていた月色が丸くなり、また半月に近くなる。視線も声もゆらゆらと不安定に揺れ動く。歯切れの悪い様子も相まって、心が揺れ動いていることが丸わかりだ。
「弁当ってなると、おかずいっぱい作んなきゃいけねーだろ? あたしそこまでレパートリーないから無理だ」
 はぁ、とベロニカは嘆息する。重いそれは諦めとわずかな悔しさで彩られていた。地を転がりゆく響きに、ヒロはぱちりと目をしばたたかせる。赤い瞳が黒い瞼の奥に隠れては現れを短く繰り返す。あぁ、と漏れ出た声はうすらと笑みがにじんでいた。
「おにぎりだけなら一時間もかかりませんよ。サンドイッチなんかは夜に仕込んでおけば早起きする必要がありません」
「……それ、弁当って言えんのか?」
 未だ訝り眉を寄せる少女に、少年は思わず笑みをこぼす。己の言葉に疑念を抱き納得できないということは、ベロニカにとって『お弁当』は『色んなおかずがいっぱい入ったもの』であるのだろう。それは、彼女が今まで生きてきた中食べた弁当が、おそらく親が作ってくれた弁当がそうであったことを如実に語っている。おかずがたくさん入った弁当。なんと手間暇、そして愛に満ちているのだろう。彼女が愛をめいっぱいに注がれ生きてきた証左であった。
 何笑ってんだよ、とむくれた声と鋭い視線が赤い瞳に突き刺さる。すみません、と謝る己の声にはまだ笑みが、愛おしさがにじんでいた。あ、と問うような、問い詰めるような、追い詰めるような低い声が二人の間に落ちる。すみません、と今一度返した声はようやく落ち着きを取り戻していた。
「ともかく、おにぎりやサンドイッチだけでも十分に『お弁当』になりますよ。コンビニにもたまに売っているでしょう?」
「あー……まぁ、そうだけどさ」
 実際に商品として確立されている例を出されるも、少女は頬を膨らませるばかりだ。どうにも腑に落ちない様子である。自分の中の常識と違うものをいきなり突きつけられてすぐに受け入れられるほど、己たちの年頃はまだ精神が成熟しきっていない。同じ状況ならば、己も困惑に満ちた声を出していただろう。
 弁当なぁ、とベロニカは小さく漏らす。どこか遠くへ飛んでいくようなそれに連れ立つように、腹の虫が鳴き声をあげたのが聞こえた。




「え?」
「あ?」
 短い声が二つ、ロッカールームの片隅に置かれたソファの上に落ちる。片方は跳ねるように高いもので、もう片方は地を這うように低いものだ。どちらも、たった一音だというのに感情に満ち満ちていた。
「ベロニカさんもお弁当作ってきたんですか?」
「そうだけど。何だよ、その顔」
 大きな保冷バッグを持ったヒロは、丸い目を何度も瞬き問う。答えるベロニカの膝には、小さな保存容器が載っていた。輪ゴムで厳重にまとめられたそれは、ザトウマーケットのプライベートブランドの容器である。肯定の言葉からも、それが弁当であるのは明白だった。イエローの瞳が黒い瞼の奥に隠れて細くなる。流行りのメイクを取り入れた眉は寄せられ、真ん中に深い皺を刻んでいた。
「いえ……、あの……。実は、ベロニカさんの分も作ってきて……」
 刺すような声と視線に、少年は歯切れ悪く答える。視線から逃げるように顔ごと逸らす様も、人の目を見てハキハキと返す普段の彼からはかけ離れた姿だ。
 昨日の会話から、ベロニカは簡素な弁当を想像できない様子がよく分かった。想像できないならば、実際に見るのが一番だ。そう考え、昨晩目覚ましアラームを少しだけ早くに設定し、ほんのりと睡魔が絡みつく身体で作ってきたこれは、他人に食べてもらうに耐えうる出来だと自負している。しかし、彼女も作ってきたならば話は別だ。きちんとした『お弁当』像を持つ彼女が作ったそれの前に出せるはずがなかった。
 少年は手にしたバッグをそろりそろりと自身の背中へと隠していく。少し大きな保存容器二つ分のそれは、同じ年頃の子よりもしっかりとした身体の後ろに消えていった。
「マジで!?」
 弾んだ大きな声とともに、まさしく流れ星のように黄金の瞳が輝く。バトルのさなかとはまた違う煌めきを宿したそれは、少年の手に抱えられた鞄をまっすぐに捉えた。少女は隠れゆくそれへと手を伸ばす。姿が消えきるよりも先に、小麦色の手が青いバッグを捕らえた。
「何で隠すんだよ」
「あー……えっと……、なんとなく?」
 むくれるベロニカに、ヒロはまたもや歯切れ悪く返す。顔は未だに彼女から逸れており、視線も所在なさげに宙を彷徨っている。鞄を握る手に少しばかり力を込めてみる。察知されたのか、己が引くよりも先に引っ張られ、果てには埒があかないとばかりに奪い取られた。
 理由など、『なんとなく』なんて曖昧なものではない。ただただ『恥ずかしいから』であった。だって、自分ひとりだけが浮かれているみたいではないか。昨日の今日で、しかも他人の分まで勝手に作ってくるだなんてはしゃいでいるようではないか。喜んでもらえるだなんて勝手に思い込んで作ってきただなんて恥ずかしいではないか。まったくもってイカしていない。そんな姿を想いを寄せるヒトの前で自覚して、正常な判断と行動ができるはずがなかった。
「あたしのなんだろ? 食わせろよ。つーか食う」
「もちろんいいですけど……、あの、本当に簡単なものですよ?」
 安物の保冷バッグを遠慮なく開ける少女に、少年は不安げに問う。事実、中身はおにぎりとちょっとした副菜一つだけ、簡素も簡素なものである。見栄を張って副菜をつけたものの、彼女が作ってきた『お弁当』には到底敵わないだろう。決して比較し優劣をつけるようなヒトではないことは分かっている。けれども、きちんとした『お弁当』と並べられて食べられるのは胸に恐怖が爪立てるのだ。
「あたしのも簡単だぞ。サンドイッチだけだ」
 ほら、とベロニカは自身が持ってきた保存容器を掲げる。細い輪ゴムの背景は白一色だ。保存容器自体は透明だから、中身の色がそのまま出ていることは明白である。本当に『サンドイッチだけ』らしい。
 え、と首を傾げるオクトリングに、インクリングもつられるように首を傾げる。しばしの沈黙が二人を包む。んー、と尻上がりな唸りが使い込まれたソファの上に落ちた。
「サンドイッチだけでも弁当になるっつったのヒロだろ?」
「あ、えぇ、まぁ、そうですけれど」
「やってみたら案外簡単だし早くていいな。たまに作るのもいいかもなー」
 狼狽えながら返すヒロに、ベロニカは口角を上げて保存容器を指でなぞる。あぁ、はい、そうですね。空白を埋めようと、意味を為さない言葉がボロボロと口からこぼれ出ていく。困惑と消沈、焦燥。様々なものが彼の頭を掻き回していた。
「ヒロのは何だ? サンドイッチ?」
「おにぎりです。あと、ブロッコリーのおかか和えもちょっとだけ」
「すげーじゃん!」
 恥ずかしくて、苦しくて、悔しくて、口はもごもごと醜く動きいじけたようなみっともない声で言い訳めいた言葉を紡ぐ。そんな無様な姿を晒しているというのに、ベロニカはきらんと音が聞こえそうなほど瞳を輝かせる。まるであの白黒猫を見つけた茶猫のようだ。いつだって元気に言葉を作り出す口は、めいっぱいに開かれていた。はぁ、と感嘆めいた音がカラストンビの陰から姿を現す。
「あたしはおかず作んの無理だったんだよなー。すげー」
「……別に、和えただけですし。本当に簡単なものですから」
 すごいだなんて、と続ける声はロビーから流れる音楽に掻き消されてもおかしくはないものであった。逃げるばかりの顔はついには俯き、地面を眺めて表情を隠す。は、と疑問形の一音が頭の上に降ってきた。
「簡単だろうが何だろうが作ったのは間違いねーだろ? すげーよ」
 開けていい、と尋ねる声の後にパカリと蓋が開く音。おぉ、と感動と歓喜でめいっぱいに飾られた音が頭上で弾けた。いただきます。手と手が合わせられる音。割り箸が割れる音。食事の音が少年の丸っこい耳に流れ込んでいく。全て、心臓の音が塗り潰していくようだった。
「うめぇ!」
 澄み渡った声が爆発するかのように響き渡る。もごもごと口が、喉が動く音が頭上から、隣から聞こえる。喜びに満ちた音に、少年はおそるおそる顔を上げる。どうにか見やった隣には、箸を操り器用に大きなおにぎりを食べる少女の姿があった。その表情は花咲くように華やいで、目はキラキラと輝いて、かぶりつく口元や膨らむ頬は紅で彩られていて。
「梅干しとか久しぶりに食べた!」
「……すみません、僕の好みで作ってしまって」
 上機嫌そのもののベロニカを前にしても、口は謝罪ばかりを紡いでしまう。これだけ喜んでくれることに感謝すべきだというのに、いじけた子どもそのものの態度を取ってしまう。なんてイカしていないのだろう。もう消えてしまいたい気持ちだった。目の前の水を被れば弾けて消えられるだろうか。不穏な考えが青い頭をよぎる。
「元はヒロの弁当なんだろ? ヒロが食いたいもん詰めて当たり前じゃん。あたしは食わせてもらってるだけなんだぜ?」
 全部うめーから自信持てって。
 バシバシと丸まった背中を大きな手が叩く。息が詰まりそうだった。涙がこぼれてしまいそうだった。全部ぐっと堪えて、大きく息を吸って飲み込む。閉じつつあった目を開き、地面ばかりを見ていた顔を上げ、丸まった背を伸ばし、きちんと姿勢を正す。ようやっと、紅梅が向日葵をまっすぐに見つめた。
「……美味しい、ですか?」
「うめぇ! めっちゃ美味い! ブロッコリーって醤油も合うんだな!」
 平常を装った声で問うと、矢継ぎ早に賞賛の声が飛んでくる。鰹節をまとったブロッコリーを頬張る顔はまさに満面の笑みという表現が似合うものだ。あまりの眩しさにヒロは目を細め、唇を噛み締める。あっ、と短い声とともに箸を操る手が止まった。
「ヒロもあたしの食べろよ。もらってばっかじゃやだ」
「そんなの気にしなくても――」
「気にするだろ。こんなに美味いもん食わせてもらってんだからお礼はしなきゃダメだろーが」
 まぁ礼になるか分かんないけどな、とベロニカは笑う。先ほどまでの明るい表情は少し陰り、眉尻は申し訳なさそうに下がっている。そんな顔をさせたくて作ったわけではないのに。そんなことない、と飛び出しそうになった言葉をぐっと飲み込む。こんなことを言っても、彼女は更に気にするだけだ。更に気を遣わせてしまうだけだ。ここは好意に甘え、礼としてきちんといただくべきである。
 では、と一言断りを入れ、ヒロは保存容器を縛る輪ゴムを外す。青い蓋を開けると、一面白だった。ラップの乱反射で色は見えるものの九割九分白だ。おそるおそる隙間に指を入れ、一つ取り出す。ラップを半分外し、中身を剥き出しにする。合わさった食パン二枚の隙間から少しだけ白っぽい何かが見えた。いただきます、と恭しく呟き、オクトリングは小さくかじりついた。
「――美味しい」
 舌の上を満たす塩気に、ほんのりと広がるまろやかな風味に、鼻腔をそっと撫ぜる香りに、少年は溜め息めいた言葉を漏らす。味と食感から、中身はツナをマヨネーズで和えたものだろう。舌を刺激しほのかに香るのはきっと胡椒だ。ツナの油はしっかりと切ってあるものの、マヨネーズたっぷりだからか少し柔らかい。だからこそ、少しパサついたパンによく馴染んでいた。
「ツナマヨ挟んだだけだぞ」
「胡椒入れてありますよね。『挟んだだけ』だなんて、そんな」
 とっても美味しいです。
 溜め息めいた調子で少年は呟く。赤は緩やかな弧を描き、固く結ばれていた口元は綻んでいた。美味しくて、でもすぐに食べてしまうのはもったいなくて、少年は少しずつかじっていく。食べ終わる頃には、隣から聞こえる食器の音は消えていた。
「……ほんとに美味かった?」
「美味しかったです!」
 綻んだ口元そのまま、少年は答える。先ほどの沈み具合など嘘のような、明朗で弾んだものだった。そっか、と応えた少女の唇は少し尖っている。けれども、ふわりと解けた頬の様からそれがただの照れ隠しであることは明白であった。
「ヒロの弁当もめっちゃ美味かった。ありがとな」
「喜んでいただけたのなら、何よりです」
「おう。すげー美味かったしすげー嬉しい」
 あんがとな、と少女は笑う。インクの色も相まって、まさしく夏に咲き誇る向日葵のようだった。眩しくて、愛らしくて、面映ゆくて、少年は目を細める。こちらこそ、と返す声は穏やかでほのかにとろけたものだった。
「残りの食ったらナワバリ行こーぜ。次リュウグウだろ?」
「ですね。早く食べてしまいましょうか」
 保存容器を片付け、ゴミをまとめて。二人は交換していた弁当箱を元の持ち主へと返していく。少女はラップを剥がし、少年は蓋を取って箸を持った。
 いただきます、と華やいだ声が今一度ロッカールームに響いた。
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全て射抜いて撃ち抜いて【ヒロニカ】

全て射抜いて撃ち抜いて【ヒロニカ】
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つまりはうちのヒロニカ馴れ初め話。口調とかはamiibo由来。
ずーーーーーーーーーーーーーーーーーっと書きたい書きたい言って言い訳してたのやっと書いた。ヤグラも96もトラストも下手くそだから戦略とかは大目に見て……(言い訳)
バトルジャンキートラスト使いとバトルジャンキー96使いの話。

 硬い持ち手をしかりと握り、少女は弦を引く。引き絞れば絞るほど、三つの銃口が強い光を宿していく。充填されたインクが急速に冷却されている証拠だ。めいっぱい引いて、狙いを定め、軽やかに離す。途端、凍ったインクの弾が三つ、凄まじい勢いで飛び出した。地面に並んで刺さってして一拍、氷結インクが高い音をたてて爆発する。着弾時、そして爆発で広がったインクに足を取られる青いインクリングが眼下に見える。素早くチャージし、少し飛び上がって今一度撃ち出した。カカカ、と軽快な音。ピチュン、と弾と標的が破裂する音。ミィ、と濁った鳴き声。まるで一つのメロディーのようなそれが自然公園の蒼天へと昇っていった。
 視界の端、動く影へと瓶を投げる。叩きつけられ割れたガラス瓶は、中に詰まったインクを辺りに撒き散らした。一瞬にしてポイズンミストに覆われたオクトリングが、醜くのろのろと動いて脱出を図ろうとする。進む足の先へとフルチャージ一発。また情けない鳴き声があがった。
 少し後ろで構えていた味方がイカ状態になりインクを泳ぎゆく。己が二枚落とした今、人数的優位に立っている。攻め時だと判断したのだろう。しばしして、ガチヤグラが音楽を奏でながら敵陣へと進み出した。
 ヤグラの後方に位置取り、ベロニカはまた弦を引く。前線は味方によって塗られているだろう。ここらは多少まばらだが、泳ぐには十分だ。そもそも己が塗りに回る必要は無い。やることはただ一つ――敵を射抜くだけだ。
 敵インクが塗り広がっていくのを確認し、すぐさまスペシャルウェポンを発動させる。背に現れた六つのスピーカーから、低い呻り声と渦巻くレーザーが吐き出された。メガホンレーザー5.1chが追う先に、軽くチャージした弾を撃ち込む。敵の姿が視界に入ってくると同時に氷結弾が爆発する。まんまとインクに足を取られたインクリングは、背後から迫るレーザーから逃れられずに弾けて消えた。
 まずは一枚。更なるキルのために、少女は木製の弓を握り直す。同時に、視界を何かが横切った。大きさから見てキューバンボムか。いや、にしては背が低い。音をたてて着地したそれを横目で見やる。正体はスプリンクラーだった。敵の青いインクが徐々に足元を染めていく。
 スプリンクラーは名前の通りインクを撒き散らすサブウェポンだ。ボムのような威力や脅威は無いが、放置しては相手のスペシャルゲージが加速してしまう。しょぼいものだが壊しておくべきだろう。インクを放つべく、ベロニカは軽く弦を引いた。
 瞬間、視界が青に染まった。
 身体を痛みが支配していく。肌を、肉を何かが――青いインクが侵蝕していく。その身の芯まで到達した瞬間、醜い声が己の喉からあがった気がした。
 気がつけば、スポナーの上にいた。
 は、とインクリングの少女は疑問符にまみれた声を漏らす。今のは何だ。スプリンクラーを囮にしたのか。受けたのは一発やそこらだったというのに何故己は倒されてしまったのだ。スプリンクラーが撒き散らすインクによるわずかなダメージが原因か。混乱が頭を支配せんとばかりに凄まじい速度で広がっていく。大きく振ることで脳内を暴れる混迷を振り払い、少女はヒトからイカへと姿を変える。すぐさま、ガチヤグラに乗った味方へとスーパージャンプした。黄色のインクが飛行機雲のように青空に線描いた。
 トッ、と軽い音をたてて着地する。弓を構えるより先に、視界が青色に染まった。は、と懐疑たっぷりの声を発したと同時に、また聞き苦しい音が己からあがった。
 何だ、今のは。
 再びスポナーの上に復活したベロニカは目を瞠る。スーパージャンプの途中、眼下に広がる地面は味方の黄色で染まっていた。敵の青などこの空の雲のようにまばらだったはずだ。ボムが転がる音も、爆発する音も聞こえた覚えが無い。ならば、何故己はデスを重ねたのだ。一体、何が。
 ぐるぐると巡る思考の中、ダメージを受けた感覚が肉体から甦る。断続的だったそれが、少女の頭に一つの機械を浮かび上がらせた――勢い良くインクを撒き散らすサブウェポン、スプリンクラーを。
 あまり前線に立つことがない故に、己はステルスジャンプを積んでいない。味方にスーパージャンプをすれば、ジャンプマーカーがはっきりと表示されるだろう。そこを狙われたのだ。ジャンプマーカーに合わせて的確にスプリンクラーを置き、動きを封じダメージを与えてきたのだ。
 スポナーから飛び出し、インクリングはマップを確認する。ステージを記したそれの右上、相手のブキ編成が表示された部分へと視線を移す。スプリンクラーを持っているのは.96ガロン一人だけだ。先ほどの囮も着地狩りもこいつによるものだろう。
 バンカラ街には.96ガロン使いは少ない。攻撃的な戦法や新しいものを好むものが多いこの街では、殺傷能力が低いスプリンクラーとキューインキというセットは見向きもされないのだ。メインウェポンの威力は高いものの、取り回しのしやすさや総括した攻撃性から.52ガロンやプライムシューターを使う者がほとんどである。.96ガロンを見かけることは稀と言っても過言ではない。
 だのに、いつだって死と隣り合わせの過激なバンカラマッチに持ち込み、ここまでサブウェポンを駆使して立ち回る。きっと相当な手練れだろう。それこそ、こいつしか扱ってきてないと言わんばかりの。
 口角が持ち上がるのが己でも分かる。手練れ――つまりは警戒を要する相手だ。敵で一番強いやつだ。馬鹿みたいにブキを操るのが上手くて、馬鹿みたいに強いやつに決まっている。そんなのを前にして、心躍らずにはいられない。強者を相手取るなど、バトルにおいて何よりも楽しいことではないか。笑みを隠すことなく、ベロニカは前線へと戻っていく。ガチヤグラが流す音楽が――ガチヤグラが自陣へと向かってくることを表す音楽が鼓膜を震わせた。
 高台に登り、トライストリンガーを構える。フルチャージを終えるよりも先に、足元からインクが飛んできた。ブーツ越しの足に食らった一発は想定外に重く、視界が一気ににじんでいく。すぐさまポイズンミストを叩き込み、自陣側へと降りた。泳いで素早く回り込み、軽くチャージした弾を霧の中へと撃ち込む。敵に当たった音も、ダメージを受けた声も聞こえない。もう逃げられたのだろう、と判断した瞬間、また青いインクが視界に飛び込んできた。相変わらず重いその弾から逃れるべく、少女はインクに潜り引き下がった。
 敵のブキ編成で一番射程が長いのは.96ガロンである。おそらく、またあの『強いやつ』がちょっかいをかけてきたのだ。編成内一番の射程と威力を誇るソイチューバーを持つ味方を無視しトライストリンガーを持つ己を狙ってきたのは、きっとガチヤグラ上に氷結弾を撒かれるのを警戒してのことだろう。ソイチューバーは一撃でキルできる攻撃性能を持つが、ことガチヤグラへの妨害ならばポイズンミストと氷結弾を持つトライストリンガーの方が厄介である。ヤグラの防衛という観点から見れば正しい行動だ。
 考えている内にも、味方が連鎖的に倒れていく。スプラシューターが投げたキューバンボムは、ガチヤグラの柱や一瞬の昇降を用いて躱されていた。この場随一のキル性能を持つチャージャーが青いインクを受けて弾けるのが視界の端に映る。自陣営のイカランプは黒が三つ並んでいる――つまり、生き残っているのは己だけ。追い詰められている現実に、淡い色を宿した唇が弧を描く。薄く開かれた口から、年頃の少女には似つかわしくない鋭いカラストンビが覗いた。
 わざと高台に登り、弓を引き絞る。中ほどまでチャージしたところで、銃口を天へと向けた。放たれた氷結弾が弧を描いて飛んでいく。金網の後ろ側、ブロックの陰に刺さって弾けると同時に、鈍い呻きが聞こえた。やはりそこに――高台のソイチューバーから逃れやすく、けれども射程内に捉えられる場所にいたか。味方が二発で弾け飛んだのを見るに、またあの.96ガロンの仕業だろう。カッ、カッ、と凍ったインクを地へと放つ。現れた青い頭目掛けて、フルチャージを撃ち込んだ。
 キィン、と高い音が響く。青いインクがアーチを作り、地へと落ちて跳ねる。イカロールだ。近年編み出されたそれは、一時的に相手の攻撃を無効化できる技である。しかし、実戦で活かしている者はまだあまり見ない。動作もタイミングもシビアで、扱うにはある程度の練度を要するのだ。それを狙ってやってのけたのだ、あの.96ガロン使いは。
「――いいねぇ、いいねぇ!」
 胸の真ん中が鉄でも流し込まれたように熱を持つ。心臓が急激に馬力を上げて脈打つ。脳味噌が力いっぱい殴られたように痺れる。自然と開いた口が笑みを作り、呵々大笑と声をあげた。カラストンビを剥き出しにした三日月の口元は、まんまるに見開かれた黄色い瞳は、これ以上になく喜悦に満ちていた。
 ガチヤグラが乾いた大地を進みゆく。鳴り響く音から、延長戦に突入したことを理解した。カウントはまだ勝っているが、このまま進まれては負けてもおかしくない。ソイチューバーが、スプラシューターが、デュアルスイーパーが、ガチヤグラを狙う。奪還すべく、勝利を掴むべく、全員が巨大なオブジェクトへと神経を向けていた。
 ベロニカもトライストリンガーを引き絞る。素早くチャージし、凍った弾が縦列になってガチヤグラの柱へとまっすぐに飛んでいく。天板へと撃ち込むよりも、柱に刺して爆発させた方が退けやすい。前衛の誰かが乗る隙を作るにはこれが一番だ。
 ガシャン、と音。機械が駆動する高い音が乾燥した空気を揺らす。音を中心に、風が渦巻くのが――スプラッシュボムが、キューバンボムが、トーピードが、己が飛ばした氷結弾が、音も無く一瞬で吸われていくのが見えた。
 キューインキ。
 インクでできたもの全てを吸い込むあの機械は滅多に見るものではない。攻撃性も防御性も低く、動作制限や吸引範囲の限界により大きな隙を生むそれは発動しても無駄になることがほとんどだからだ。使うタイミングからその後の動きまで、味方との連携が取れなければろくに活かせないスペシャルウェポンである。それを、オープンマッチでたまたま出会った寄せ集めチームで使ってみせる。ここぞとばかりに最終兵器として切る。なかなかできることではない。敵味方含め周りの状況を素早く把握する力。一番有効な発動タイミングを見極め実行する力。そして、あったばかりの赤の他人を信頼する胆力。熟練だからこそ可能にする動きだ――あの.96ガロン使いだ。
 ベロニカは即座に背に手をやる。少女の髪を染め上げる黄色のインクは、少女を示すイカランプは、輝かしい光を放っていた。インクでできたもの全てを吸い込むキューインキだが、いくつかのスペシャルウェポンには無効だ。狙いをあの.96ガロン使い一人に絞り込み、インクリングはスペシャルウェポン――キューインキが吸い込むことができないスペシャルウェポン、メガホンレーザー5.1chを発動させた。
 低い呻り声が、黄色のレーザーが、一つ残らず青を狙う。狭いガチヤグラの上、全員が密集していた青は、レーザーに貫かれて弾け飛んだ。スプラシューターが、デュアルスイーパーが、青が散った地を駆ける。二人がガチヤグラに乗るより先に、高い笛の音があたりに鳴り響いた。
 全員の視線が白黒茶の審判へと向けられる。ぐるぐると手を回す二匹の猫たちに、八つの視線が突き刺さる。パァン、と音が弾け、白黒斑の審判が旗を高く上げた――青インクのチームの勝利を、己の敗北を示した。
 胸に重い物が落ちてくる。それ以上に熱い何かが注ぎ込まれ、血肉を沸騰させて、神経をこれでもかと刺激し、脳髄を痺れさせ高揚させる。負けたというのに、楽しくて仕方が無かった――当然だ、少女にとって『強者と戦う』以上の幸福は無いのだから。
 腑抜けた声を漏らす即席チームメイトなど見向きもせず、ベロニカはロビーを駆けていく。青いインクの頭を、青いオクトリングを、桃の.96ガロンを探す。イカバンパーが並ぶ場所へ、ロッカールームへ、自販機コーナーへ、カフェコーナへ、少女は足と目を忙しなく向けていく。あの青い頭と桃の獲物は影すら見つからない。もう帰ったのだろうか。いや、次の試合に向かったのかもしれない。ならばロビーで待ち構えるのが得策か。考え、インクリングは階段を一つ飛ばしで駆け下りていく。凄まじい興奮がバトルを終えたばかりの細身を動かしていた。
「すみません」
 ダン、と地をブーツが打ち付ける音と控えめな響きが重なる。己の方へと飛んできたそれの方をちらりと見やる。深い青が、山吹の瞳に映った。
 まっすぐに飛び出していきそうだった身体を、鍛えられた足が縫い止めて引き戻す。求めていた色に、インクリングの少女は黄金の目を丸くした。心の臓がばくりばくりと音をたてる。あまりに動いて渇いた口が開く。弧を描いたそこから、あぁ、と弾んだ声が漏れ出た。
「先ほどはありがとうございました」
 オクトリングの少年は――探していた.96ガロン使いはにこやかに笑う。延長戦にもつれ込んだほど激しい試合の後だというのに涼しい顔だ。紡ぐ声も落ち着いた響きをしている。笑顔も相まって爽やかさすら感じさせるものだった。
「とてもお強いのですね。何度か一確取られちゃいました」
「あんたほどじゃないだろ」
 眉尻を下げて頬を掻くオクトリングに、インクリングはニヤリと笑う。確かに何度かキルを取ったが、勝利に繋がる動きをしていたのは彼の方だ。何度も邪魔をされたのだから、取ったキルも有効だったとは言い難い。こと『勝利』を掴むという点では、立ち回りも判断も彼が上だ。
「いえ、味方のおかげですよ」
 守ってもらえないとキューインキはすぐ死んじゃいますから、と少年は漏らす。事実だが、あの短時間で信頼を築き『守ってもらえる』という判断を下したのは彼自身だ。メイン、サブ、スペシャル。どれを取っても癖の強いそれら全てを駆使できるのは、彼の技術と胆力によるものに決まっている。
「……あの、突然で申し訳ないのですけれど」
 興奮に突き動かされ開こうとした口を、控えめな言葉が塞ぐ。何だよ、と問うより先に、眼前に何かが差し出された。ゴツゴツとした表面と丸いフォルムは、近年広がりつつあるナマコフォンのそれだ。きょとりと目を丸くする少女に、少年は小さく首を傾げる。天井に設置されたライトを受けた海色の瞳が、鋭い輝きを宿す。
「フレンドになりませんか? またあなたと戦ってみたいんです」
 敵でも、味方でも。あなたとまだまだ戦いたいんです。
 言葉を紡ぎ終えたオクトリングはゆるりと笑みを浮かべた。そこには先ほどまでの爽やかな色は無い。好戦的な、強者を求めてやまない強い色が、丸い青いっぱいに広がっていた。吐き出される声音も、浮かべる表情も、瞳に宿る光も、全てが己と同じだ。何よりも強者を好む、己と同じ。
 少女はニィと口角を吊り上げる。すぐさまポケットを漁り、細かな傷が付いたナマコフォンを取り出した。
「あぁ、なろうぜ」
 極めて友好的な笑みを作り――実際はサメも驚くほど凶悪なものだが――ベロニカは快諾する。ありがとうございます、と少年は弾んだ声をあげた。その目には依然ギラギラとした光が宿っている。まるで鏡を見ているかのような心地がした。
 互いに端末を操作し、手続きを終える。液晶画面に映し出された文字列に、少女は小首を傾げた。
「……ひろおおおお?」
「ヒロです」
 プレートに書かれた名前を読み上げると、すぐさま声が飛んでくる。ややこしいな、と漏れそうになった言葉を必死に喉でせき止めた。人のネームにケチを付けるものではない。己のネームも大概な書き方をするのだから。
「えっと……ベロニカさん、でよろしいでしょうか?」
「あぁ。別に『さん』とかそういうのいらねぇよ」
「さすがに出会って間もない方を呼び捨てにはできませんよ」
 ひらひらと手を振るベロニカに、ヒロは困ったように眉尻を下げた。丁寧な口ぶりを見るに、元からそういう性分なのだろう。己にはいまいち理解できない感覚だ。名前という識別記号に敬意を払ったところで強くなることなどないのに。
「では、ベロニカさん」
 名を呼ぶ声とともに、ナマコフォンを片付けた手がスッと差し出される。視界の真ん中、青い目が瞬きにも似た動きで細められるのが見えた。
「どうぞよろしくお願いします」
 友好を示すためだろう、少年はニコリと笑った。意図を察し、少女も笑みを浮かべる。差し出された手に、己のそれを重ねる。日に焼けた手は、その指は、ところどころ皮膚が硬い。胼胝だ。彼がどれほど努力を重ねてきたのかを明確に表していた。歳に似つかわしくない硬さを宿した白い手が、これでもかと力を込めて握り締める。一拍置いて、小麦色の手ががっしりと握り返してきた。
「じゃ、いこうぜ!」
 固く握手した手をぐっと引く。え、と少し上擦った声がロビーに響いた。不規則なリズムで足音が鳴る。驚愕と疑問に満ちた青が黄を見つめる。銀杏色の目がどこか得意げに細くなった。
「戦いたいんだろ?」
 ベロニカはカラストンビを覗かせて笑う。.96ガロン使いは――ヒロは『またあなたと戦ってみたい』と言った。ならば、今すぐバトルに繰り出すべきだ。戦いたい二人が揃っているならば、そのまま飛び出すのが当然だ。
「――はい!」
 きょとりとした深海色がぱちりと瞬く。黒い瞼に一瞬だけ撫でられたそれは、更なる輝きを持って少女を見つめた。満月色も同じほどの輝きを宿し、しかりと少年を見つめた。
 二人分の足音が広いロビーに大きく響く。バトルポッドが扉を閉じ、強者二人の身体を隠した。
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酔いどれ酔いふけ酔いさめ【すりみ連合】

酔いどれ酔いふけ酔いさめ【すりみ連合】
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某所に提出したやつ。
酔いどれ絡み酒フウカちゃん見たいねって話から。すりみの口調はバンカラジオログ漁ったりググったりしたりしたけどあれがそれでこれなので雰囲気で読んでくんなまし。
酔いどれサメと酔い醒めウツボとアルコール耐性馬鹿高マンタの話。

 ほの甘い米の香りが、塩っ辛い魚肉の香りが、甘ったるい果実の香りが、むせ返るようなアルコールの香りが部屋を漂う。ぐちゃまぜにミックスされたそれは頭をぐらりと揺さぶるようなものだ。
 手元のコップを傾ける。中身は水だというのに、ちょっと前まで注いでいた酒の匂いがこびりついているからかまだ呑んでいるような気分になる。ぐびりぐびりと飲み干し、ペットボトルからミネラルウォーターを注ぎ入れる。また豪快に飲み干し、ウツホははぁ、と息を吐いた。
「いい呑みっぷりやねぇ」
 寄ってくるふわふわとした音色に眉をひそめ、インクリングは隣へと視線をやる。山吹色の瞳に赤ら顔が映る。普段以上に赤みを増したなめらかな紅の指先が、つまんだ猪口をゆるりと振った。陶器の表面に描かれたエイがゆらゆらと揺れて宙を泳ぐ。
「ほら、もっと呑みぃ」
 手近な酒瓶を引っ掴み、フウカは旧友へと寄っていく。スリムなボトムスが、紅緋に染まった指先が、フローリングの床の上をずりずりぺたぺたと進んでいく。目標は己の手にあるガラスコップなのは明白だった。
「ワシはもういい。十分呑んだ」
「はぁ? 何言っとるん。まだ呑めるやろぉ」
 手で押しやりコップを遠のけると、瞼で半分隠れた赤い瞳が更に瞼の奥に隠れていく。睨めつけるような視線に普段の鋭さはない。酩酊が切れ長な目元を包んでいた。
「呑んだ呑んだ。フウカの酒は十分呑んだ」
「呑んでへん。なーんも呑んでへんわぁ」
 ほらぁ、と酔っぱらいは酒瓶を押し付けてくる。このままではコップを割る勢いだ。そればかりは避けねばならない。酔っぱらい三人――二人はもう酔いは醒め気味だが――で割れたガラスを処理するなど考えたくもない。わかったわかった、とウツホは透明なコップを傾ける。んふふ、と上機嫌そのものな笑い声。遠慮せず呑みぃやぁ、とフウカは瓶を傾けた。どぼどぼと品のない音をたて、コップの中に勢いよく酒が注がれていく。溢れるより先に、紫の指先が瓶を正常な姿勢へと戻した。
 アルコールの臭いが鼻をつく。ほんの少し前までは心を躍らす心地良い香りだったというのに、今では苦しさを覚えるほどの臭気に思えた。ほーら、と酔いどれは手を叩いて囃したてる。腹をくくり、コップに口を付けた。ゆるく傾け、もうぬるくなったアルコールを胃の腑に流し込む。酒の温度に反して、内臓がカァと強い熱を持つのが分かった。いい呑みっぷりやねぇ、とフウカはコロコロ笑う。へにゃだれた声は彼女の身体と脳味噌をアルコールが支配していることをよく表していた。
「ほら、呑みぃ。どんどん呑みぃ。これ、ウツホのために買ってきたんやでぇ」
「呑んどる。せっかくのフウカの酒じゃぞ、ゆっくり呑まんともったいないじゃろ」
 コップを無理矢理傾けんとする指を払い、ウツホは身をよじって酔いどれタコから逃れる。せやねぇ、と方便を素直に受け取った友人はすっと通った目元をゆるりと下げた。普段なら飛んでくるはずの鋭いツッコミも、嘘やろという冷静な判断も何も無い。言葉をそのまま受け止め子どものように喜ぶ姿に、良心が痛みを覚える。ブンブンと頭を振り、ちびちびと酒を呑み下していった。
「こないだのフェスもよかったなぁ。マンタローのアレンジ、ほんとよかったわぁ」
「エイ!?」
 突如矛先を向けられ、マンタローは悲鳴めいた声をあげる。大きなヒレの先からアルミ缶が落ちる。柔らかな金属が硬い床と合唱をした。酔いが完全に醒めた彼は、既に宴の片付けをしていたようだ。
「ウツホの踊りもよかったしなぁ」
 再び矛先が己に向けられる。視界の端で旧友が露骨に胸を撫で下ろすのが見えた。普段ならば何逃げとんじゃ、と唾飛ばさんところだが、今回は見逃してやろう。場を提供し、甲斐甲斐しくも片付けまで行っている家主にまで被害を拡大しては後が大変なことぐらい酔いが回った頭でも分かる。
「指先のキレが良くてなぁ。こう、ガッと」
 踊りには似つかわしくない擬音とともに、フウカは指先を操る。ぬるりとしたような、もたりとしたような、何とも言い難い動きだ。普段の彼女のなめらかなるもよく決まったダンスからは想像ができないほどの動きだった。酔っぱらいの動きにキレを求めるほうが無茶だが。
 んふふ、と切れ長で涼し気な目元がとろりととろけた。うつほ、と呼ぶ声に普段のような芯は無い。どろどろになって、形が無くなって、酩酊に身を委ねた音色だ。有り体に言うなら酔っぱらいの声である。
「もっかい踊ってみぃ。ほら、マンタロー歌いやぁ」
 赤ら顔のオクトリングは無茶を言う。名を呼ばれた昔馴染は、エイ、と呟いて何とも言い難い顔をした。酔っぱらいに絡まれたのだ、こんな表情になるのも仕方がないだろう。ほーら、と急かす声。赤い指先が、紅で色付いた手の平が叩き合わさって音をたてる。エイ、エイ、と狼狽した声が酒臭い部屋に落ちた。
 歌わんならウチが歌うわ、としびれを切らしたフウカが口を開く。みゅはな、といつもの歌い出しは調子が外れたものだった。気分がいいのか、手拍子まで始める始末である。酒精の匂い立ち込める部屋に輪郭を失いつつある歌声とぱちぱちとどこか稚気な音が響いた。
 酔っぱらいをこのまま放っておくわけにもいかない。コップを床に置き、ウツホは手を動かす。普段の踊りとは似ても似つかない、ふにゃけた動きだ。それでも満足したのか、ハズレ調子の歌声が笑声へと変わった。
「フウカ」
「なにぃ?」
 渋い声で名を呼ぶ。青い旧友は上がり調子の声で返した。まだ酔いは醒めていないようだ。当たり前だ、彼女の手には先程から酒瓶と酒の入った猪口しかないのだ。
「水を飲め。明日が大変じゃぞ」
「はぁ? 何言っとるん。今日は呑み会やでぇ? 水なんて飲んでどうするん」
 フェスも終わって一週間、週末の今日は慰労会と言う名の呑み会が行われていた。酒につまみに菓子にと好きなものを持ち寄り、呑み、食い。日付が変わった時分まで続いた会はこの始末である。
 三人とも、アルコールには強い方だ。けれども、フウカ――と己も――は時折馬鹿みたいに呑んで馬鹿みたいに酔うのだ。今のように。
 フウカはこうなると面倒だ。オクトリングらしく絡んで離さない。子どものように駄々をこねて離さない。可愛げはあるが、根本は酔っぱらいである。酒臭くて面倒臭くてたまらなかった。旧友でなければ、普段面倒を見てもらっていなければ見放す程度には面倒だ。家主であるマンタローに任せっぱなしというのも申し訳がないから、大抵の場合己が面倒を見てやっている。マンタローの時より面倒臭い絡まれ方をしているのは気のせいだということにしておこう。
「もっと呑みぃや。これ、ウツホのために買ってきたんやでぇ」
 酒瓶をゆらゆらと揺らめかせ、フウカはつい先程と同じ言葉を繰り返す。酔っている証拠であった。はぁ、と酒臭い息を吐き、ウツホは背を向ける。空いたコップをひったくるように手を取り、身体で隠しながらミネラルウォーターをどぼどぼと注ぎ入れる。なみなみと注がれたそれをずいと差し出した。
「フウカこそ、ワシの酒が呑めんのか?」
「呑むに決まっとるやろぉ」
 大振りなガラスコップを受け取ったフウカは上機嫌に笑う。口を付け、大きく傾け、彼女はごくごくと音をたてて呑んでいく。どうやら水ということはバレていないようだ。かなり酔っている証拠である。
「ほら、もっと飲め。いっぱい飲め。もったいないじゃろ」
「そんな急かさんといてぇ。呑むからぁ」
 んふふ、と笑い、赤い指先が空になったコップを差し出す。無視して、ウツホは別のマグカップに水を注ぎ入れた。相手は酒を呑んでると思いこんだ酔っぱらいなのだ、水のペットボトルを見せるわけにはいかない。空のものと交換し、マグを差し出す。普段なら情緒ってもんがないわぁ、と文句を言う彼女は、嬉しそうに飲み干した。ほらほら、とわんこそばのようにどんどんと水を飲ませていく。
「もうお腹いっぱいやわぁ」
「おう。よく呑んだなぁ。さすがフウカじゃ」
「せやろぉ? ウツホの酒やからなぁ。特別やでぇ?」
 にへへ、と緩みきった笑みを浮かべてフウカは床に寝転んだ。周りに転がるビニール袋やアルミ缶をさっと避けてやる。すぐさまマンタローが回収してゴミ袋に入れた。すまん、と視線を送ると、早く寝かせてあげて、と大きなヒレがひらひらと揺れた。
 部屋の隅からマフラータオルを引っ張り出し、寝転んだフウカの腹に掛ける。三人――というより己のフウカの二人の格好は薄手のTシャツだ。このまま床で寝られては腹を冷やしてしまう。本当ならば動けるうちに絨毯の上にでも運んでしまいたいが、そんなことをすれば寝ない、まだ呑める、と駄々をこねるのが目に見えていた。今はこのまま寝るのを待つほかない。
「うつほぉ。まんたろぉ」
「なんじゃ」
「エイ?」
 ビクリと震え、二人は返す。視線の先、紅ではない赤で彩られた目元がとろりととろけたのが見えた。
「ふぇす、おつかれ」
「……おう、お疲れ様じゃ」
「エイー」
 お疲れ様、とマンタローも言う。二人の言葉に満足げに頷き、赤い瞳が色付いた瞼の奥に隠れていく。ほどなくして、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえてきた。
 はぁ、と二人で盛大に溜め息を吐く。酔っぱらいを寝かせるのは毎度ながら大仕事だ。絡み酒のフウカの時は殊更である。お疲れ、エイ、と言葉を交わす。どちらの声も宴会の場には相応しくないほど下がり調子だった。
 床に置いたコップを手に取り、机の上に置く。しばし沈黙。小さく頷き、ウツホは再びコップを手に取る。ぐっと煽り、中身を飲み干していく。エイ、と驚愕に満ちた声が部屋に響いた。
 本当ならばもう呑まない方がいいに決まっている。けれども、これはフウカが己のために買ってきた、己のために注いでくれた酒だ。このまま流しに捨てるわけにはいかない。呑むのが義理というものだ。
 ぷはぁ、とウツホは酒臭い息を吐く。一気に流し込んだからか、頭がぐるぐると回る。視界がぐらぐらと揺れる。手の感覚も、足の感覚も、身体の感覚もふわふわとして何もかもが分からない気分だ。雲に座ればこんな感じなのだろうか、などとふざけた考えがぐらつく頭をよぎった。
「……マンタロー」
「エイ」
 分かってるよ、とマンタローは諦め顔で呟く。すまん、と手を振り、ウツホはフローリングの床へと思いっきり倒れた。耳のすぐそばで、ふふ、と上機嫌な寝惚け声が聞こえた気がした。
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#フウカ #ウツホ #マンタロー #すりみ連合

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飛んで跳んでおさんぽ【インクリング→インクリング】

飛んで跳んでおさんぽ【インクリング→インクリング】
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イカタコ改修を口実にさんぽデートしてくれ!!!!!!!!!!
という感じの話。ビーコン農家のイカちゃんと振り回されるイカ君の話。


 長い銃身を支え、構える。銀が差し伸ばす射線を操りつつ、少年は周囲を探っていく。チャージキープを活かしつつ、不規則に位置を変えすぐさま物陰へと銃口を向ける。ちらりとマップを確認するも、インクが塗り広げられている様子は無い。いや、相手はマニューバーだ。スライドを使えば敵インクの上も難なく移動できる。塗り状況に大きな変化は無くとも油断はできない――そもそも油断なんかしようものなら容赦なくシバかれるのだからできるはずがないのだけれど。
 大きく塗られたインクの上、隠れていそうな物陰、隅に散る小さなインク溜まり。時には潜伏し、時にはチャージキープを使い、インクリングの少年は全ての要素に神経と銃口を向ける。ブラフに見当違いな方向へと数発撃つも、相手が出てくる気配は無い。普段は短気なくせに、バトルとなると途端に根比べが上手くなるのだからずるいものである。チッ、と舌打ち一つ。わざとそれらしい位置を狙いつつ、マップを確認する。気がつけば、広いステージ上にはいくつかのインクの点、そしてジャンプビーコンが増えていた。己が置いたオレンジではない、強く存在を主張する紫――敵のインクの色だ。つまり。
 また舌打ち一つ。リッター4Kカスタムを担ぎ直し、少年は敵陣手前に置いたジャンプビーコンへと跳ぶ。すぐさま足元を軽く塗り、敵ビーコンが設置された方向へと構える。チャージ、一発。射程端で捉えた小型機械は煙を上げて砕けた。
 ぞぷん、と液体が波立つ――インクの中から何かが現れる音が背後で聞こえた。
 すぐさまイカ状態になり、少年は音と反対方向へとインクを泳いだ。パシュ、と軽い音――マニューバーがスライドする音。飛んでくる紫をイカロールで躱すも、重量の差で移動速度はこちらが劣る。すぐに間合いを詰められた。
 インクから飛び出しオレンジを纏った視界の中、赤い銃口がまっすぐに己を睨んでいるのが映った。




 タブレットの上をペンが滑っていく。カツカツと硬質な音とともに、画面上のマップにいくつもの丸が描かれていった。うーん、と楽しさをにじませた悩ましげな声。ヂュゴゴ、とストローがジュースを吸い上げる音。どちらもうるさいほど賑やかなフードコートに溶けて消えた。
「こんぐらいかなぁ」
 ガラスの上を駆けていたペンを回し、インクリングの少女は息を吐く。丸まっていた背が伸び、背もたれに細い身を預ける。安っぽい椅子が小さく抵抗の声をあげた。
 ジュースカップに手を伸ばす友人を眺め、インクリングの少年は唇を尖らせる。じとりと細められた緑の目はどこか暗さがあった。
「卑怯だろ」
「索敵甘いそっちが悪いでしょ。すぐビーコン置けば気付けたかもしんないのに」
 いじけた子どもそのものの声で吐き捨てると、向かい側からすぐさま正論が飛んでくる。反論の余地など無いそれに、瞼で半分隠された目が更に姿を失っていく。尖っていた唇は情けなくへの字に曲がってしまった。
「あとなんか見辛かった場所無い?」
 少年の様子など気にすることなく、少女は二人の間に置かれたタブレット端末、その大きな画面に表示されたマップをペンで指す。背を丸めて覗き込み、少年は小さく唸った。
「やっぱ新しく広がったとこは見辛い。でも抑えの時は来ること分かりやすいからめちゃくちゃ警戒しねーとって感じじゃない……と思う」
「置いても普通に壊されそうだしねぇ。上がる時ちょっとでも塗り返したらすぐバレるし」
「あんま変わってねー感じすんだよな。隠しやすくなったけど結局位置は変わってねーっつーか」
「だよねぇ」
 地図を眺め言葉を紡ぐ少年に、少女は深く溜め息を吐く。コマめいて指の上を回っていたスライタスペンが大きな手から離れ、テーブルの上に転がった。パーカーに包まれた身体が勢い良く後ろへと傾く。ガタン、と危うさを覚える音が二回吹き抜けへと昇っていった。
 深い緑の視線が端末の画面をなぞっていく。液晶画面には様々な色が踊っていた。赤や青の丸。一部の地形を強調する緑の斜線。マップを二部刷るような橙の線と六つの四角。走り気味の黒の文字たち。タラポートショッピングパークのステージマップには、この数時間の少女――と微力ながら己も――の努力の証が刻まれていた。
 タラポ行くよ、と手を引かれたのが待ち合わせ場所についてすぐのこと。訳も分からず電車に揺られ、到着したのが二時間前。そのままずっとステージを駆け回り、マップ画像に書き込みながら研究し、やっと休憩する今に至る。
 先日、タラポートショッピングパークはリニューアルオープンした。それに伴い、バトルステージも改装工事が行われたのだ。それに飛びついたのが友人であり、所謂『ビーコン農家』の少女である。彼女はバトルで勝つというよりも、ビーコンを設置することに命を賭けているように見えるほどの熱狂なビーコン使いだ。端的に言えば狂っていた。植える場所確認しなきゃでしょ、と説明も何もなしに無理矢理リッター4Kカスタムを押しつけてくる程度には。
 互いにビーコンを設置し、短射程視線で潜伏しやすい場所を探し、長射程視線で見辛い場所を探し。事前予約したステージ貸出時間めいっぱい研究を重ねた。おかげでビーコンの設置場所はもちろん、各ルールでのルート取りや意識すべきポイントが多く発見できた。こちらとしては非常に大きな収穫である――ビーコンに取り憑かれた彼女は満足いかないようだが。
 ストローに口を付けつつ、少年はひそりと正面へと視線を向ける。ふて腐れた様子だった友人は、既に機嫌を取り戻しけろりとした顔でエビ焼きに舌鼓を打っていた。熱さと柔らかさにはふはふと口を動かしながら詰めこむ様から、どれだけ空腹であったかが分かる。長時間動き回り頭もフル回転させたのだから当然だろう。大きな口でかぶりつき、まろい頬を膨らませ、唇の端をソースで彩る姿は可愛らしいの一言に尽きた。急速で落ち着いたはずの鼓動がわずかに加速する。わざとらしくタブレットへと視線を落とし、少年は思いきりジュースを飲み込んだ。残り少ない飲み物が大層聞き苦しい声をあげた。
 休日の昼下がり、ショッピングモールに女の子と二人きりで出掛ける。思春期と青春、恋の真っ只中である少年にとっては『デート』と認識してしまうような事実だ。なのに、現実は色気も何もないバトル一色の時間である。彼女はこちらの気持ちなど欠片も知らないのだから当たり前だ。こうやって二人きりで食事をするのも、ステージ研究を続けるために腹を膨らませること以外考えていないだろう。相手はバトルジャンキーもといビーコンジャンキーなのだ。
 ほぅ、と短い、満足げな溜め息。次いで、ごちそうさまでした、と短い言葉。顔を上げると、そこにはテキパキと食器を片付ける少女がいた。食事を終え、バトルに潜るために帰るのだろう。結局己はただ研究のために駆り出されただけなのだ。
「……何で俺なんだよ」
「リッカス使えるのあんたぐらいでしょ。みーんなビーコンブキ持たないんだから」
 喧騒に掻き消えそうなほど小さなぼやきは、運悪く少女の耳に届いてしまったらしい。分かりきった事実を告げられ、少年は唇をもにゃもにゃと動かす。彼女の友人の多くは短射程使い、わずかにいる中・長射程使いもサブウェポンにジャンプビーコンを持つブキを使わない。駆り出されるのは自然であった――そもそも彼女の友人らがビーコンブキを使わないのは、彼女がビーコンブキしか使わないことが原因だろうけど。
 好きなヒトに選ばれた。けれども理由は友情とか愛とか恋なんてものは無い、ただの消去法なのだから現実は残酷である。そもそも、あちらはこちらを異性としてみていないのだから愛や恋が介在する余地など無い。結局のところ、己がずっと燻るだけなのだ。勇気を出せず、みっともなくもだもだと惑い、勝手に思いを募らせていく己だけが。
「ねぇ」
 影差す思考に声が飛び込んでくる。はっと顔を上げると、目の前にはトレーと食器をまとめて持った少女がいた。椅子と背中の間に挟んで置いていた鞄は肩に掛けられている。もう帰る気であるのが容易に分かった。
「このあと時間ある?」
「あるけど……何? まだやんの?」
 まっすぐにこちらを見つめる想いビトからわずかに視線を逸らし、少年は息を吐く。休んだものの、みっちり二時間頭と身体をフルに使った疲れはまだ残っている。ここから実戦に赴くのは少し骨だ。明日にしよーぜ、と訴えるべく、大袈裟な調子で手を振り口を開いた。
「違う違う。買い物付き合って」
「……は?」
 飛び出すはずの言葉は、首を振る少女の言葉に遮られた。声を紡ぐはずだった少年の口は間抜けにぽかんと開いている。どしたの、と怪訝な声と表情が向けられた。
「せっかく来たんだし買い物したいじゃん。リニューアルオープンしたんだしさ」
「一人でいきゃいいだろ」
「一人だと悩んだとき困るじゃん。付き合ってよ。あんたセンス良いんだから」
 ハッ、と少年は大袈裟に鼻を鳴らす。投げやりな様子など気に掛けることなく、少女はさらりと言葉を紡ぐ。恋心を抱えた少年の心をくすぐる言葉を。
 会話するはずの喉が、声を発することなくぐぅと鈍い音をあげる。己が選ばれたことに『ついで』いがいの理由など無いと分かっている。分かっているけれども。
「……何見んの」
 呟くように尋ね、少年は立ち上がる。逡巡、少女の手にあったトレーをなかば強引に奪い取った。ありがと、と柔らかな声が尖った耳をくすぐる。音色に撫でられたそこがじんわりと熱を持った気がした。
「靴見たい。今履いてるのだいぶボロボロになってきちゃった」
 続くように立ち上がった少女の足元を見る。ギアから普段使いのものに履き替えられたスニーカーは、つま先部分に汚れが目立っている。側面のソール部分もいくらかよれてひび割れているのが見えた。白い靴紐はすっかりとくすみ、まとめられていたはずの紐端も扇のように広がっている。確かにそろそろ新しいものを見繕ってもおかしくない頃合いだろう。
「んじゃ、さっさと行こーぜ」
「うん。よろしく」
 トレーと食器を返却すべく、少年はフードコートを大股に進んでいく。後ろから軽快な足音が続く。ただ床を叩く音でしかないそれがどこか楽しげに聞こえるのは、きっと己の気のせいだろう。『こんなのデートじゃん』だなんて馬鹿げたことを考えるこの脳味噌の錯覚だ。言い聞かせ、少年は歩みを早めた。
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#インクリング

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諸々掌編まとめ12【SDVX】

諸々掌編まとめ12【SDVX】
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色んなところで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。掲載時から修正とか改題してるのは気にするな。
成分表示:嬬武器兄弟4/奈+恋/雷+グレ/ライレフ


強火はコンロの最大火力を指す言葉ではない/嬬武器兄弟
 掴んだ黒を口に運ぶ。歯に触れたそれはすぐに解けた――否、崩れた。味蕾を殺すような強烈な苦味とザリザリとした不快な食感が舌の上を広がっていく。砂を食べた方がマシだ、と思うほどのものである。これが食べ物であることを認めたくないほどの代物だ。今すぐ吐き出してしまいたいほどおぞましい何かだ。そんなことは許されないのだけれど。
「……雷刀」
「ダメだかんな」
 対面から不安げな声が飛んでくる。この十数分だけでも三度聞いた言葉が重ならないようにすぐさま声を重ねる。有無を言わせぬような鋭さで言ったつもりが、響きは少しばかり震えた情けないものとなってしまった。聞き入れないとばかりにまた箸で黒を掴む。薄っぺらいそれはボロリと崩れ、欠片しか残らなかった。躍起になってかき集め、掴み、崩れる前に口に放り込む。凄まじい苦味と青臭さ、ざらつく食感とやけに硬い歯ごたえ、焦げ臭さがまた五感を蹂躙していった。
 料理を始めてから少し経ち、ある程度の基礎は身についたと思っていた。そろそろ簡単な料理ならばレシピを見ずとも作れるだろうと思っていた。味見をきちんとすれば弟のように勘で味付けできるだろうと思っていた。全ては思い込みだ。今更気付いたところでどうにもならないのだが。
 冷蔵庫には野菜が中途半端に余っている。ならば、野菜炒めにしよう。そうしてフライパンに材料を放り込んでできあがったのが、目の前にうず高く積み上がった黒の山である。材料の全ては真っ黒に焦げ付き、元の色がほとんど分からない。キャベツやほうれん草と思われるものは薄い部分が炭と化していた。そのくせ人参や玉ねぎは火が通りきっていない。豚こま肉も例外なく焦げ、噛みちぎるのも一苦労なほど固くなっている。塩胡椒で味を付けたはずが、全て焦げによって上書きされていた。だのに時折胡椒の塊が舌を刺すのだから悲惨でならない。見た目からしても、味見をしても、食べ物として成立していない。『料理』として食卓に出すなど絶対に許されない代物であった。
 こんなもの、到底人様――たとえ家族で兄弟で己の料理の腕の拙さを知っている弟でも、食べさせることなどできない。結果、兄弟二人の夕飯になるはずだったそれは己の目の前にだけ置いた。弟の分は冷凍のからあげと常備菜、味噌汁でどうにか成り立たせた。冷凍食品、そして常に作り置きをしてくれている弟には感謝ばかりが募っていく。同じほど、申し訳無さも積み上がっていった。
 何が悪かったのか。まず火加減だろう。火加減が強くなければ焦げないのだ。あとは調理時間か。気がついたころには葉物野菜は炭となっていた。長く炒めすぎたのだろう。あとは。
 苦味に支配される口内から意識を逸らすように原因を探っていく。考えれば考えるほど悪い点しか見つからない。なのに、何故調理中は気付かなかったのだろう。何故気付かずにこんな代物を生み出してしまったのだろう。後悔がどんどんとのしかかってくる。飲み下した喉がおかしな音をたてた。
「やはり手伝った方がいいですよ。一人で食べるなんて無理でしょう」
「ダメ。やだ。オレが全部食べる」
 箸を置き手を差し伸べる烈風刀に、雷刀は強く首を横に振る。整った手が近付きつつある皿を急いで取り、己しか手が届かない場所に置いた。そんな顔で言っても、と困ったような呆れたような声が食卓に落ちた。
「オレが作ったんだからオレが責任とんねーといけねーだろ」
「それはそうですけど」
「だからダメ。烈風刀は食べなくていい」
 きっぱりと言い、兄はまた野菜炒めとなるはずだった黒の山に箸を伸ばす。こぼれそうなほど掴み、崩れ去る前に口に放り込む。最低限の咀嚼をして飲み込み、味噌汁を飲んで苦味を流す。黒い野菜たちはゆっくりなれど着実に姿を消していった。
 心配げな、申し訳無さそうな碧が視界の端に映る。心優しい弟はどうにもこの失敗作が気になって仕方がないらしい。二人分の材料で作った結果生まれた山のような失敗作を一人で食べる己が心配で仕方ないらしい。気持ちはありがたいが、食べさせるわけにはいかない。いつも美味しい料理を作ってくれる弟に、いつも丁寧に料理を教えてくれる弟に、己の驕りによって生まれたこいつを食べさせるなどあってはならないのだ。全ては彼の教えを――『慣れないうちはちゃんと計量してレシピ通りに作る』という基本中の基本を守らなかった己が悪いのだから。
 またひっ掴んで口に放り込み、飲み込む。苦味を忘れようと味噌汁椀を手にとったところで、その軽さに違和感を覚えた。苦々しく細くなった朱い目が黒い椀へと向けられる。プラスチックの食器の中身は、既に空っぽだった。どうやら、先ほどの一口が最後だったらしい。こういう日に限って味噌汁はきっかり二杯分しか作っていないのだ。ぐぅ、と喉が低い音を鳴らす。残りは白米で誤魔化すしかないようだ。冷凍のやつ残ってたっけ、と冷凍庫の中身を必死に思い出そうとした。
 テーブルの上に沈黙が積もっていく。食器がぶつかるかすかな音だけが、普段は人の声で満たされる部屋に落ちていった。




雨の音、春の足音/嬬武器兄弟
 バタバタと頭上で騒がしい音が鳴る。安物のビニール生地は、強い雨脚にも負けず己の仕事を淡々とこなしていた。ぱしゃんと足元で軽い音が鳴る。そろそろ傷みが目立ち始めた靴は、跳ねる水にも耐え抜き足を守った。
 水溜まりを避けながら、雷刀は歩みを進める。ちらりと透明なビニール傘越しに空を見るが、薄墨色の雲が晴れる気配も激しい雨が止む気配も無い。当然だ、今日の天気予報は雨、降水確率八〇パーセントである。雨粒は朝からずっと地を叩き世界を濡らしていた。
 雨水が乗って重くなった傘が、バランスを崩してゆっくりと傾いていく。左隣のナイロンバッグめがけいくそれに慌てて、細い柄を引き寄せる。反対側に勢いよく動いた雨水が己の右肩を濡らした。つめてっ、と思わず声を漏らす。まっすぐ持たないからでしょう、と少し笑みを含んだ声が雨音に混じって聞こえた。
 普段ならばこんな土砂降りの日に外に出ることはない。わざわざ雨に降られて洗濯物を増やすなんてことはしたくないのだ。けれど、今回ばかりは事情が違う。何しろ今日のセールでは牛乳が一パック一六〇円なのだ。その上、キャベツが一玉八〇円である。何としてでも買わねばならない。牛乳もキャベツも日々凄まじい勢いで消費されていくのだ。
 そうして二人でスーパーを目指し、無事お一家族二つまでのそれらを確保し、切らしていた食材や日用品を買い、帰り道に至る。
 傘をまっすぐに持ち直しつつ、雷刀は歩みを進める。開店直後の早い時間だからか、それともあまりに強い雨のためか、広い歩道には兄弟二人しかいなかった。休日の朝だからか、車通りも少ない。まるで世界に二人だけ取り残されたようだ。最近読んだ漫画の影響か、そんな空想が頭の中に広がっていく。なんだか面白くて、思わずくるりと傘を回す。うわ、と隣から跳ねた声が聞こえた。
「冷たいじゃないですか。やめてください」
 碧い瞳が眇められ、じとりとこちらを睨みつける。どうやら、今の手遊びで傘に溜まった雨水が弟の方へ飛んでいってしまったようだ。見ると、左肩にかけたネイビーのナイロンバッグと、シアンのパーカーの左肩部分の生地がいくらか暗く色を変えていた。水を吸っている証拠である。
「え? あっ、ごめん」
「子どもじゃないんですから」
 謝るも、返ってくるのは呆れ声だ。幸い、今日買ったものはビニール袋に小分けにして詰めている。バッグの中身に影響はないだろう。だからこそ互いにこの程度で済んでいるのだ。ごめんごめん、と軽い調子で謝罪の言葉を口にする。ぱしゃん、とまた足元で水が跳ねる。またうわ、と驚いた声が聞こえた。
 低い言葉が飛んでくる前に、兄は二歩踏み出し先を歩んでいく。これ以上隣を歩くのは互いに危険だ。少し早い調子で足を動かし、どんどんと雨降る世界を歩んでいく。バシャバシャと水が薄く張ったコンクリートが声をあげる。時折足首に感じる冷たさを無視しながら、朱は帰り道を進んだ。
 程なくして、赤信号が目の前に立ちはだかった。雨でけぶる世界の中でも煌々と輝く赤に従い、雷刀は足を止める。ここの信号は少し長い。多少待つことになりそうだ。手持ち無沙汰に右肩にかけたナイロンバッグを担ぎ直しながら、少年は辺りを見る。大通りから離れたこともあり、人の姿は見えない。雨雲に覆われた空は灰色で、コンクリートの地面は水で濡れて黒色で、かすれつつある横断歩道は変わらず白で、等間隔で植えられた街路樹はまだ冬を越したばかりで枯れ木色で。無彩色に近い世界の中、暇潰しに色を探していった。
 気付いたのはすぐだった。葉が落ち枝だけの姿になった街路樹は、枝先に色を宿していた。分かれて走る枝のそこかしこに、小さな赤い粒が身を寄せている。ゆるく膨らんだそれは、まさに花の蕾だ。そういえばここは桜並木だったか、と少年は記憶を辿る。古びたこの道は、入学式の時分になると淡い白が舞い散って積もりゆくのだ。
「青になりましたよ」
 雨音でぼやけた耳に、慣れた声が突然飛び込んでくる。びくん、と思わず肩が跳ねる。バランスを欠いた傘が雨水を右肩に降り注がせた。つめてっ、とまた声を漏らした。
 白んだ世界の中、進んでゆく浅葱の背中を追いかける。駆ける足がまた飛沫を飛ばす。隣に並ぶより先に、いつもより一歩は距離を取られた。
「なーなー、桜まだかな」
 雨とビニール傘が奏でる音色に負けぬよう、少しだけ声を張る。きちんと聞こえたのだろう、晴天色の瞳がこちらを向いた。薄暗い空の下でも鮮やかなそれが、すっと空間をなぞっていく。あぁ、と小さな声が聞こえた。
「どうでしたっけ」
 開花宣言はされていたと思うのですが、と烈風刀は小さく首を傾げる。たしかに、SNSのニュースアカウントがそんなことを投稿していた覚えがある。あれはこのあたりのことだったろうか。それとももっと南の方の話だっただろうか。流し読みしただけのそれは全く詳細が思い出せない。そもそも見出しを見ただけで中身を読んだ覚えがない。
「あと数日で咲いてもおかしくはないですね」
「分かるもんなの?」
 弟の言葉に、兄は目を丸くする。見ただけで分かるものなのだろうか。いや、弟である烈風刀は学年主席であり博識である。その上菜園を営むほど植物の知識は豊富だ。この程度のこと、手に取るように分かってもおかしくはない。
「何となくですよ。これだけ芽が膨らんでいますし」
 最近暖かいですしね、と言葉が続く。たしかに、ここ一週間は着込まずとも問題なく過ごせるほどの気温になっていた。通学時に薄く汗を掻く日があるほどだ。季節が春に移ってからもうすぐ一ヶ月が経つ。彼の言う通り、そろそろ咲いてもおかしくない頃だろう。そっか、と感心の声を漏らした。
「まだ咲いてなくてよかった」
 兄はぽつりとこぼす。ビニールを叩いて鳴らす雨音の中からきちんと拾ってくれたのだろう、え、と珍しく間の抜けた音が返ってきた。
「ほら、今日の雨で散っちゃったらもったいないじゃん?」
「あぁ、たしかに」
 ピンと指を立てて言うと、弟は小さく頷いた。花というのは短い命だ。小さく美しく輝かしい命だ。せっかく咲いたというのに、雨に降られて全て散ってしまうなんてことがあったらあまりにも残念だ。花見だってしたいのだ。
 花見、と考えて少年は目を細める。今年は花見はできるだろうか。夏からずっと準備を進めていたプロリーグも、先日無事に終わった。まだまだアップデートは山積みだが、そろそろまとまった休みが取れてもいい頃合いだ。皆で食べ物や持ち物を持ち寄って、学園の敷地内で花見をするぐらいの休みが。
 早く咲かねぇかなぁ。雨音で支配された世界に、穏やかな声が落ちた。




狭さと温もり、それとふれあい/ライレフ
 淡い青が大波を起こし、音をたてる。盛大な音色とともに大量の湯が湯船から溢れ出ていった。白が立ち上るほど温かなそれが風呂場の床をざぱりと撫で、排水溝へと勢いよく流れゆく。碧い目は苦い色を灯してその光景を見つめた。
「あったけー」
 水道代とガス代が無駄になっていく様など欠片も知らない呑気な声が浴室に響く。ばしゃん、と大きな音。大きな波。せっかく張った湯船の中身はどんどんと溢れ、嵩を減らしていった。
「ちょっと。溢れるじゃないですか」
 もったいない、と烈風刀は縁から流れゆく湯を目で追いかける。熱めに沸かして張った湯を無闇に溢れさせるのは、良く言えば贅沢、悪く言えば無駄遣いである。こんなところまで切り詰めねばならぬほど家計は切迫していないが、無駄遣いに思えるようなことは苦手だ。そもそも、水道代とガス代の節約のためにこうして二人で湯船に浸かっているというのに。
 ネメシスの冬は寒い。雪の気配は去れども、冷え切ったから風が温度を奪っていく日々が続いていた。使い捨てカイロを手放すにはまだ早いような気温である。
 冷えた身体を温めるには風呂、特に湯船に浸かるのが一番良いだろう。身体の芯まで温めるのは冬場において重要であるし、何より寒さで凝り固まった身体を熱い湯で解すのは心地が良い。冷えた空気に晒された日ならば尚更だ。
 問題は、今住まう部屋の風呂には追い焚き機能が無いことである。そうなると、一人毎に湯を張り替えねばならない。半身浴より少し多い程度とはいえ、せっかくの湯を捨てまた沸かして貯めを繰り返すのは経済的にも時間的にもよろしくない。しかし、後に入る方が冷めて水に片足を突っ込んだような湯船に浸かることになれば風邪をひいてしまう。ではどうすればいいか。
 二人で入っちゃえばいいじゃん、と兄が指を立てて言ったのはいつの日だったか。随分と遠い昔のように思える。少なくとも、学園に入学するより前から行っていたような気がした。入学前の記憶はどうにも曖昧で思い出せないのだけれど。
「烈風刀」
 狭い浴室に己の名を示す音が響く。人を二人抱え込んで青さを失った水面から視線を上げる。目の前には、大きく腕を広げた雷刀の姿があった。
「これじゃ足伸ばせねーし狭いだろ?」
 な、と兄は小首を傾げて問う。広げた腕は、自身の身体全てを使ってこちらを抱きとめる気概に溢れていた。
 今は二人で体育座りのように身を縮こめ、向かい合って湯に浸かっている状態だ。足を伸ばせば相手の身体を蹴ってしまうし、肩までひたるのも難しい。ならば、二人で同じ方向を向いて入ればいいと言うのだ。行動派の兄にしては理論的であり、合理的である。その裏に『くっつきたい』『抱き締めたい』なんて邪な想いがあるのは明白だけれど。
 せっかく沸かした湯は節約すべきだ。身体はじっくりと温めるべきだ。手足は伸ばして筋肉を解すべきだ。ならば、従った方がいいに決まっている。羞恥よりも節制だ。己のための言い訳を並べ立て、弟はそっと立ち上がる。身を隠すように素早く反転し、また湯船に入る。しばしして、広げた腕の中、開かれた胸の中に、鍛えられた背が飛び込んだ。狭くて四角い海が音もなく波立つ。
 ばしゃん、とまた盛大な音。整った唇から文句が飛び出すより先に、厚みの少ない腹を隆起が見られ始めた腕が包み込んだ。すぐさまぎゅっと締められ、捉えた身体を抱き寄せる。むき出しの肌と肌が、湯すら入らないほどくっついた。
 温かい。熱いぐらいに沸かして張ったから温かいのは当然だ。けれども、今背から伝わってくる温もりは、風呂がもたらすものよりもっと温かくもっと心地よく思えた。いつの間にか強張っていた身体から力を抜き、烈風刀は足を伸ばす。同期するように、身体の横から兄の足が伸びていくのが見えた。
 ほぅ、と二人で息を吐く。予定よりも減ってしまったものの、湯船の中身は身体を温めるには十分な量だった。かじかんでいた足の指が解けていく。確かめるように少し動かすと、また湯がさざなみ立った。
 首の後ろに息遣いを感じる。狭い風呂場に少し低いメロディが反響する。寒さが解ける気持ち良さ故か、己を抱きとめた故か、兄は鼻歌を歌うほど機嫌が良いらしい。いくら湯気立ち込める風呂場とはいえ、濡れたむき出しの肌に息がかかるのは少しばかり寒さを感じる。けれど、不思議と止めようという気は起きなかった。
「昔は二人で入っても広かったのになー」
「もう高校生ですよ。昔とは体格が全然違うでしょう」
 この湯船は、昔は――とてもおぼろげな記憶だけれど――二人で向かい合って足を伸ばせるほど広かった。けれど、それはお互い小さかったからだ。高校生二人で入れば狭いに決まっている。このギリギリ足が伸ばせる湯船は明らかに人間が二人で入ることを想定していないのだ。
「成長しましたから」
 温かな水面を声が揺らす。溜め息のようなそれは湯気とともに消えた。
 そうだ、己たち兄弟は成長した。春に測った身長は高校生の平均よりも高かったし、日々の業務で駆け回っているからか足も腕も同学年の男子よりは鍛えられている。成長して、大きくなって、すっかり変わってしまった。身体だけでなく、心も、関係も。
 節制は大切だ。けれども、高校生にもなって兄弟二人で一緒に風呂に入ってまで節制するなど過剰である。きっちりと管理した家計は湯船を二回張っても問題ないほど余裕があるし、この辺りの水道代やガス代は良心的な価格だ。ここまでやるのは異常だ――『節制』という一点だけから見れば。裏を返せば、それ以外の理由があれば十二分にやる価値がある行為なのだ。例えば、『恋人と一緒に過ごしたい』なんて欲求を満たすとか。
 現状――恋人の誘いに乗り、一緒に風呂に入り、裸で抱き締められているという事実を再認識したところで、顔が熱湯で満たされたかのように熱を持つ。烈風刀は勢いよく湯をすくい、うっすらと汗が浮かんだ顔に浴びせた。熱く感じるほどの温度にしたからだろう、水を浴びたというのにこの顔の熱は冷める様子がなかった。
 はぁ、と満足げな溜め息が首筋に落ちる。そのまま冷たく柔らかなものが肌を撫で、温かで湿ったものが肌に触れる。腹に回された腕に力が込められ、引き寄せられるのが分かった。
「寝ないでくださいよ」
「だいじょーぶ」
 水の中、この身を抱き締める腕を軽く叩く。紡いだ言葉が信用できないぐらいには眠気をまとった声が返ってきた。首筋に押し当てられているであろう頭がむずがるように動く。ぐりぐりと頭をこすりつけるのは、撫でろと飼い主に要求する犬に似ていた。溺れても知りませんからね、と一言告げると、だいじょぶだって、と依然ゆるんだ声が落ちた。
 ふぅ、と息を吐き、碧はすっかり水位が減った湯を眺める。少し前ならばもうぬるくなっていた湯はまだ温かさを保っていた。冷えるのが遅くなるほど気温が高くなってきた証拠である。冬はもう過ぎ去り、春を迎えようとしているのだ。ならば、今冬はこれが最後かもしれない。夏場のように湯が冷めにくい時期ならば、二人で入る必要はない。春だって、少しぐらい寒くとも時間を決めれば順番に入って事足りる。二人一緒に入って、抱き締めて温まる必要なんてなくなるのだ。
 狭い風呂に二人で入るより、短い時間でも足を伸ばして一人で入る方がいいに決まっている。けれども、この時間を失うのはなんだか胸のどこかが風に晒されるような気分になるのだ。馬鹿げた感覚だ。けれども、言い訳を並べ立ててまで行う程度にはこの時間を求めているのだ、己は。
 血色が良くなった唇がまっすぐに引き結ばれる。湯気を浴びた目が眇められる。湯に浸していない頬に紅色が広がっていった。また湯をすくい、烈風刀は豪快に顔を洗う。飛沫が湯船から溢れ、床を滑って排水口に流れていった。
 首筋に、肩に重み。耳の後ろ側から聞こえる呼吸は少し細く規則的なものになっていた。まるきり寝入る時のそれである。
「起きてください」
「……ねてねーよ」
 腕を後ろに回し、弟は朱い頭を軽く叩く。一拍置いて、睡魔の影が見える声が晒された肌を撫でていった。
「眠いならあがりますよ」
 溜め息がちに吐かれた言葉に、兄はえー、と不満げな声を漏らす。すっかり緩んでいた腹の拘束が少しだけ強くなった。逃さんと言わんばかりである。
「もーちょいだけだから」
 おねがい、とやわこい声が鼓膜を震わせる。輪郭が曖昧なのは、眠気によるものだけではないだろう。それが容易に分かるほど、関係は深くなっていた。
「……のぼせても知りませんからね」
 少なくとも、甘えきったそれに応えてしまう程度には。
 わずかに身体の力を抜き、後ろに体重を預ける。ひたりと肌と肌が隙間なく重なる。濡れた人の肌に触れるなど、普通は不快感を覚えるはずである。けれども、今このときは安堵をもたらすものだった。
 春が近い空気の中、湯はまだ温かい。もう少しぐらいなら、浸かっていても湯冷めものぼせもしないだろう。考え、碧はまた落ち着いた息を吐いた。




罪をはんぶんこ/嬬武器兄弟
 足の裏から冷たいものが身体を登っていく。冬の夜の廊下はスリッパ無しでは氷の上を歩いているのと同義だった。ぶるりと雷刀は大きく体を震わせる。たかがキッチンに行くだけだと油断した結果がこれだ。それでも、履き物すら放り出すほどの衝動が己の身を動かしていた。具体的には、腹が。
 胃の底の辺りが、目の奥の方が痛みを訴える。夕食を食べてから日付が変わって二時間経つほど長時間、ずっとゲームをやっていたのだ。敵を確実に仕留めるために画面を注視し、耳から伝わる些細な情報すら逃せないほど気を張り巡らせるシューティングゲームは体力も気力も削られる。集中するあまりなかなか疲れに気づけないのがまた厄介だ。あまりに負けが込み机に突っ伏したところでやっと心身の疲労と空腹を自覚したぐらいである。
 普段ならば夜中の空腹は部屋に置いてある菓子を食べて凌ぐのだが、今日ばかりはそれだけで足りる気がしなかった。何しろ、最低でも四時間は飲まず食わずだったのだ。さすがにスナック菓子一袋だけで満たされる気はしない。この胃はカップ麺でも食べなければ満足してくれないことなど容易に想像がつく。
 キッチンに続くドアを開ける。目的の場所は、随分と夜中だというのに明るかった。冴えきった朱い目が瞬く。明かりを消し忘れたのか、それとも弟も起きているのか。おそらく後者だろう。あの几帳面な弟がキッチンの明かりを消し忘れることなどない。きっと夜中に目が覚めて水でも飲みに来たのだ。
 廊下と同じぐらい冷えたフローリングの上を、雷刀は裸足で歩いていく。進むにつれ、どこか暖かさを覚えた。まるで鍋で煮物をしている時のような、火と湯気の気配だ。こんな夜中なのに、と少年は小さく首を傾げる。牛乳でも温めているのだろうか。はちみつを入れたホットミルクや牛乳たっぷりのココアは鍋で作った方が美味しいのだ。
 ようやく明かりの元へと辿り着く。コンロの前には、予想通り烈風刀の姿があった。同時にバリ、と盛大な音が鼓膜を震わせる。夜には似つかわしくない音に、兄はまたぱちりと瞬く。またバリ、という袋が開くような音。次いで、ぼちゃん、と何かが水に落ちる音。ガサガサと袋が擦れる音。そして、油の濃厚な匂いがほのかに温かなキッチンにぶわりと広がった。
 インスタントラーメンの匂いだ。それも、常備している塩ラーメンの匂いだ。腹が求めてやまない、この時間に浴びるにはあまりにも刺激が強い香りである。グゥ、と盛大な音が己の身体から響いた。
 ガサガサと音。瞬間、鍋と対峙していた碧い頭がゴミ箱の方へと――こちらへと振り返った。立ち上る湯気の向こう、普段とおんなじの透き通った浅海色の瞳が鮮やかに輝く。
 あ、と二つの声が重なった。




 色の薄い縮れた麺。油がたっぷりと浮かんだスープ。同封された香り高いゴマ。鮮やかな刻んだ青ネギ。二つの丼の中には、ラーメンができあがっていた。わざわざネギを刻んで入れるなど、夜中に食べるには手間暇のかかった豪勢なものである。しかし、このネギが夜中に多量にカロリーを摂取する罪悪感を薄めるためのものであることは雷刀にも分かった。
 いただきます、といつもよりも性急な声が二つ重なる。すぐさまずぞぞ、と麺をすする大きな音が響いた。
 口の中を熱が、塩気が、油気が満たしていく。舌が痺れるような心地だった。それが幸せで仕方がない。真夜中、それも長時間何も食べていない胃袋にとって、インスタントラーメンは最大の恵みであった。無心で麺をすすり、ネギをかじり、スープを飲む。丼の中身が空になった頃には、空腹感はさっぱり無くなり満足感と幸福感が全身を満たしていた。
「烈風刀がラーメンってめずらしーな」
 食べ終わった丼に箸を入れ、兄は言う。弟が夜食を食べる姿は時折見かける。しかし、即席麺を作ってまで食べるという姿はあまり見かけないものだ。カラン、と箸と器がぶつかる軽い音が鳴ると同時に、麺をすする音が不自然に止まる。しばしして、箸を置く音が明るいテーブルの上に転がった。
「今日は夕飯が早かったでしょう。さすがにお腹が空いてしまって……」
 空色の目が宙を泳ぐ。白い指がそろりとテーブルを撫ぜる。温かな食事を摂ったからか、白い肌は少しだけ赤みを帯びていた。珍しく落ち着きがない姿である。それはそうだ、普段から栄養バランスと量をきちんと考えた食事を作る彼が夜中にインスタントラーメンなんて栄養バランスもへったくれもないものを食べている姿を見られては気まずくもなるだろう。己ですら夜中のラーメンは少しばかり罪悪感と背徳感を覚えてしまうのだから。
「たまにはいいな」
 油で薄く光る口元がニッと笑みを作る。腹が満たされ温もりを得た朱い目元はほのかにとろけていた。
「貴方はよくカップ麺を食べているでしょう」
 トン、と丼を机に置く音に少し尖った声が続く。そだけどさ、と笑みを含んだ声が返された。即席麺の類は全てキッチンに収納しているのだ、己がそこそこの頻度で食べていることは筒抜けである。
 対面の丼を引き寄せ、己のものと重ねて箸を放り込む。落とさないように二膳の箸を軽く押さえ、雷刀は立ち上がった。
「片付けとく。おやすみ」
 ついでとはいえ作ってもらったのだ、片付けぐらいは己がやるべきだろう。不利な話題を切り上げるためでもあるが。え、と少し揺れる声を無視して、少年は足早にキッチンへと向かう。しばしして、おやすみなさい、と穏やかな声が聞こえた。
 重ねた丼をほどき、両方に水を入れる。スポンジに食器用洗剤を垂らし、予め水に浸して置いてあった鍋に手をかけた。油が残らないようにきちんと洗い、かごに伏せて置く。丼に張った水を捨てたところで、ふと何かが頭をよぎった。
 一人分のラーメンは二つに分けられた。けれど、丼の中身はいつも通り、一袋作った時と同じ量で満たされていた。味は常と変わらないどころか濃く感じたので、スープを水で薄めたということはないだろう。そもそも、麺も一袋分のしっかりとした量が入っていた。つまり。
 考えて少年は笑みを浮かべる。ふは、と油をまとった笑声がシンクに落ちた。




温もりが赤を包んで/奈+恋
※性に関する描写有

 重い。痛い。
 その言葉ばかりが頭の中を満たしていく。一歩足を動かす度に、身体の真ん中から違和感が広がっていく。常はしっかりと前を見据える紅玉の瞳は、今は廊下の先よりも床を見ることが多かった。
 腹が重い。鈍く痛い。
 下腹部を覆うようなそれが、怜悧な頭にノイズをかける。厳しさがありながらも愛らしさを感じさせるかんばせを崩していく。整えられた美しい細い眉はわずかに寄せられ、眉間に薄く皺を刻んでいた。どれも彼女の必死な努力によって抑えられているものの、親しい者が見れば気付いてしまうだろう。
 頭の中を埋め尽くす二単語を、腹のあたりを包みこむ違和感を吹き飛ばすように、恋刃は廊下を歩んでいく。それでも足取りは普段よりも遅く、一歩一歩が鈍く重いものになっていた。当然だ、痛みを抱えたままでいるのはまだ幼さが抜けきらない中学生には難しいことなのだ。けれど、常通りであらねばならない。弱った姿を人に見せるなどあってはいけないのだ。
「恋刃」
 普段よりもゆるやかな足音が積もりゆく廊下に、落ち着いた声が響く。ひくん、とむき出しになった肩が小さく跳ねた。後ろから聞こえたこの声の持ち主など分かりきっている。そして、いつになく硬さを孕んだそれが何を意味しているかなども。
「どうしたの、奈奈」
 小さく深呼吸、恋刃はいつもの笑顔を貼り付けて振り返る。そこには、やはり奈奈がいた。虹色の丸く美しい目は今は細くなっている。リップをしなくとも潤ってつややかな唇は引き結ばれている。細く儚げな眉は小さく寄せられていた。怒っていることなど、付き合いの長い己にはひと目で分かる。だからこそ、この場を穏便に切り抜けねばならないのだ。
 硬い靴底が廊下を打つ。硬質な音は虹色の少女の感情を表すかのようなものだった。白い手が伸び、後ろに回していた己の腕を掴む。自己主張が苦手な彼女にしては大胆な行動だ。晒された腕を掴む細い手はしかりと力が入っていて、逃しはしないとこれでもかと主張している。己が彼女の感情を見抜いているように、彼女も己の状態を見抜かれているのだ。でなければ、ただ廊下を歩いているだけでこんなに強い力で腕を掴みはしない。
 ぐっと腕を引かれ、少女は思わずたたらを踏む。そんな友人の様子などつゆほども気にせず、奈奈は廊下を歩いていく。奈奈、と抗議するように友人の名を呼ぶ。いいから、と振り返ることすらなく険しい声が返ってきた。
「奈奈、お昼休み終わっちゃうわよ? 次移動教室で――」
「いいから来て」
 困ったように問うてみるも、すぐさま強い声が重ねられる。固く、険しく、それでいて苦しむような、耐えるような響きだ。そんな声を出させているという事実に、赤い眉が八の字を描く。
「保健委員長がそんな調子でいいのかしら」
 追撃のような言葉に、血色をした少女は小さく呻く。保健委員、つまりは生徒の健康を真っ先に考える組織に属する者がこんなに弱った状態では――姉と友人以外には気付かれていないと思うけれど――説得力が無い。それが組織のトップである己ならば尚更のことだ。分かってはいても、どうにも弱い部分を見せたくないプライドが邪魔をする。こうやって、不調をひと目で見抜くほど交流の深い友人に無理矢理連れられないと行動できないぐらいには。
 二人で廊下を、来た道を戻っていく。程なくして辿り着いたのは、保健室だった。保健委員長である恋刃にとって馴染みのある、けれども今は少しばかり近付きたくない場所だ。分かっているだろうに、奈奈は手を離すこと無くまっすぐに部屋へと入っていく。自動ドアをくぐり抜けると、消毒液の独特な匂いが鼻を刺激した。
 シャ、と勢いのいい音。上げられずにいた視線をゆっくりと正面へと戻していく。そこには、畳まれた布団をベッドの上にテキパキとセットしている友人の姿があった。
「いや、ちょっと大袈裟――」
「寝て」
 慌てて友人へと手を伸ばす。ちょうどベッドメイクを終えた虹色の少女は、まっすぐな声で短く言った。命令とも、懇願とも取れる音だ。普段の彼女が発することがない、強い響きだ。付き合いの長い己には分かるが、よっぽどのことがなければこんな声を出すはずがない。だからこそ、逆らえない。
 鈍い動きで上履きを脱ぎ、ベッドへと乗り上がる。抵抗するようにぺたりとマットレスの上に座っていると、そっと肩を押された。力などほとんど入っていないのに、そのまま簡単にベッドに倒れ込んでしまう。すぐさま掛け布団を被せられ、カーテンが引かれる。世界はあっという間に四角く切り取られてしまった。
 足音、何かを漁る音、水が注がれる音。昼休みも終わり際、二人きりの保健室に無機質な音が響く。逃げるように枕に頭を埋めるも、家の布団とは全く違う匂いが現実から逃してくれなかった。
 シャ、と再びカーテンが開けられる。おそるおそる音の方へと目を向ける。予想通り、そこには湯たんぽを抱えた奈奈がいた。
「これ、お腹に当てて。少し楽になると思う」
「……ありがと」
 差し出された容器をおずおずと受け取り、恋刃は布団の中にそれを引き入れる。言われた通り腹に当てると、少しだけあの重さと痛みが薄れたように思えた。やはり、この痛みは温めるのが一番効果的だ。分かってはいたものの、実行するのは――わざわざ保健室で借りた湯たんぽを腹に当てる姿を見られたり、カイロを腹に仕込んでいることに気付かれてしまうのは、いつだって毅然として在りたい己には難しいことだった。友人には全部お見通しで、だからこそ無理矢理にでも引き連れてきたのだろうけれど。
「先生には奈奈が言っておくね。だから、ちゃんとお腹あっためて寝て」
「うん……」
 声音は子どもを諌める時のそれとまるきり同じだった。芯の通った、有無を言わさない音色だった。普段の彼女しか知らない者には全く想像できないものだろう――己は時折聞く、否、言わせてしまう羽目になるのだけれど。
 綿布団の上に奈奈の手が置かれる。そっと滑っていった美しい白は、ちょうど布団の盛り上がった場所――湯たんぽを抱えた腹のあたりで止まった。たおやかな手がそっと布団を、その下にある己の腹を撫でる。うぅ、と情けない声が漏れた。もっとも、こんな状態を見られて、こんなに世話を焼かれている時点でとても情けないのだけれど。
「大丈夫だから」
 暖かくして寝れば、いつもの恋刃に戻れるから。
 歌うような声は慈愛に満ちていた。まるでおばけを恐れる子どもを寝かしつけるような、迷子になって泣いている子どもを励ますような、祈るような、そんな音色をしていた。
 わかった、と恋刃は小さく返す。ふ、と小さく息を吐く音と、トントンと軽く布団を叩く感覚が少女を包んだ。まるきり子ども扱いのそれに、思わず唇を尖らせる。口元は掛け布団の影になって見えなかったのか、白い手は物言わずにそっと離れていった。
「おやすみ、恋刃」
「……おやすみ」
 少しひそめられた声に、同じくひそめて返す。きっと己が眠りやすいように小さな声で言ってくれたのだろうけれど、なんだかいけないことをしている気分になる。保健室に二人でいることなんていつものことのはずなのに、なんだか恥ずかしさや後ろめたさが込み上げてくる。逃げるように、布団を頭まですっぽりと被った。
 カーテンが開けられる音。ゆっくりと閉められる音。少しの足跡と、自動ドアが開く音。先生、と変わらずひそめた調子で話す友人の声が布団の隙間から聞こえた。きっと一時限分休む手続きを代わりにとってくれているのだろう。勝手に寝るだけでは無断欠席扱いになってしまうのだ。
 腹に当てた湯たんぽをぎゅっと抱きしめる。温かなそれが、腹の重みと痛みを和らげていく。お湯の温もりが、布団の温もりが、瞼を撫でて降ろしていく。
 起きたら奈奈にお礼を言わないと。謝らないと。無理してごめんって言わないと。もう大丈夫って言わないと。これ以上奈奈を心配させちゃいけない。
 睡魔が動きを鈍らせる中、少女は拙く思考を重ねていく。縋るように腹の温もりを抱き締め、恋刃はそっと瞼を下ろした。




いつでもおんなじ味で/雷刀+グレイス
 物音を立てぬよう注意しつつ、そっとキッチンを覗き込む。二人暮らしにしては広いそこには、包丁がまな板を叩く軽快な音が響いていた。まるでリズムを刻んでいるような、気持ちよさすら覚えるほどの音色だった。丸い躑躅がぱちりと瞬く。影からじぃと見つめる姿は不審極まりないが、瞳に宿る光は真摯なものだ。それでも、うろうろと泳ぐ様は怪しさに拍車をかけた。
 本日土曜日、グレイスはレイシスと二人で嬬武器の兄弟の部屋に遊びに来ていた。テレビゲームにボードゲームにと遊びに興じていると、あっという間に時は過ぎてしまう。気づけば、午後を回ってしばらく経っていたほどである。
 昼飯作るな、と立ち上がったのは雷刀だった。兄弟は家事に当番制を採用しているようで、今週は雷刀が料理当番だそうだ。手伝うわ、とグレイスも立ち上がったが、大丈夫だと兄弟二人で制されてしまっては大人しく座るしかなかった。けれど、気になって仕方がない。遊びに訪れる際はいつも手土産を持ってきているが、わざわざ昼食を作らせ食べさせてもらうこととではどうにも釣り合っていないように思えるのだ。こちらは店で選んで買うだけだが、あちらは時間と材料、手間をかけているのだ。それが等価と言われて素直に首を縦に振ることはグレイスにはできなかった。
 結局いてもたってもいられず、水をもらってくると言い訳をしてキッチンに向かった今に至る。
 少女は依然視線を泳がせ思案する。来たはいいものの、申し出を断られたらどうしよう。それはそれで迷惑ではないだろうか。けれど、手数は増えて困ることはない。己も経験を積み、人並みに料理ができるほどになったのだ。足を引っ張ることは無いだろう。けれど。
「グレイス?」
 ぐるぐると思考する頭に己を示す音が飛び込んでくる。不意打ちのようなそれに、少女はぴゃわっと小さく悲鳴をあげた。急いで声の方へと視線を向ける。そこには、包丁片手にこちらを見つめる雷刀の姿があった。
「座ってていいのに。腹減ってるだろ?」
「……作ってもらってばかりじゃ悪いじゃない」
 へらりと笑う朱に、躑躅は唇を尖らせて返す。これが時折、たまに、ぐらいならばいい。けれど、午前中に訪れた時はほぼ毎回作ってもらっているのだ。申し訳無さは募っていくばかりである。せめて材料を持ってこれたらならば、と考えるが、いくらなんでも手土産に野菜や肉を持っていくわけにはいかない。結果、いつも彼らの冷蔵庫の中身を余計に消費させてしまうばかりだった。
「オレらが遊びに行った時は作ってくれるじゃん。それでよくね?」
「頻度が違うでしょ。……やっぱり、悪いわ」
「んなに気にしなくていいのに」
 少し縮こまったグレイスを眺め、雷刀は笑う。会話の中でも、手はきっちりと動いていた。刻み終わった野菜を手早くまとめ、火の通りにくいものから順にフライパンに入れて炒めていく。餌を与えられた油が盛大な音と香りをたてた。
 焼きムラを作らないようにするためだろう、菜箸で適度に掻き回し、少年は次々と野菜を入れていく。次第に加熱された野菜の甘い香りがキッチンを満たしはじめた。さっさっと炒め、朱い少年はコンロ前の棚へと手を伸ばす。塩をほんの少し入れ、続けざまに引き出しから計量スプーンを取り出す。今度は醤油を大さじできっちりと量って入れた。
「意外ね」
 マゼンタの目がぱちりと瞬き、桜色の唇から小さな声が漏れる。ちょうど炒め終え火を消したタイミングだったからだろう、それは朱の耳にしっかりと届いた。
「何が?」
「貴方、ちゃんと量って作るのね」
 日頃の嬬武器雷刀は、物事の全てを『大体』や『こんぐらい』といった曖昧な言葉で表している。業務が絡まなければ、明確な数字が出てくることは稀だと言ってもいいほどである。そんな彼なのだ、料理でも調味料など一切量らず大雑把に味付けをするものかと思っていた。こんな風にしっかりと計量スプーンを使う様など、全く想像ができないものであった。
 ひっでぇ、と雷刀は笑う。言葉に反して陽気な音色がキッチンを漂っていく。あんな、と彼はくるりと菜箸で宙に円を描いた。
「ものによるけどさ、ちゃんと量ってやんないと反応起きなかったりして失敗する料理とかもあんだよ」
 少年の言葉に、グレイスは小さく頷く。料理、その中でもとりわけ菓子作りでよく聞く話だ。菓子作りなんてボウルに付いた水の一滴も許されないようなものもある。日常の料理でもそういうものはきっとたくさんあるのだろう。料理のさしすせそがそうだろうか、と頭の隅で考えた。
「それに味が安定しないしな。濃すぎたら調整できねーし」
 彼の言う通りである。薄味は少しずつ調味料を足していけばきちんとした味にすることができるが、一度濃い味になってしまえば後戻りはできない。材料を増やして中和することもできるが、手間な上に材料が余計にかかってしまう。食べきれない量になってしまう危険性もあるのだ。非常に合理的な考えだ。
「まぁ、全部烈風刀の受け売りだけど」
「いいじゃない。教わったことをちゃんとやってるんだから」
 苦く笑う雷刀に、グレイスは小さく首を傾げて返す。教わったことをきちんとこなすのは良いことだ。己だって、レイシスに教わったことを忠実にやっているからこそ人並みに料理が作ることができるのだ。それも、彼が師事するのは料理上手で仲間内では有名な嬬武器烈風刀である。その教えをしっかりと守り、美味な料理を作ろうとする姿勢は自然なものであろう。
 そっか、と雷刀は呟く。いつの間にかまな板の上には豚肉が刻まれていた。奥では電子レンジが動いている。一体何を作っているのだろうか。好奇心に身を任せ、少女は手元を眺める。大皿に盛られた野菜の炒めもの。細かく切られた豚肉。フライパンの近くに見える筒はソースだろうか。
「それにさ」
 声に、思考が現実に戻ってくる。細い肩が小さく跳ね、まんまるな愛らしい瞳が朱へと向けられる。視界の中、朱い少年は八重歯を覗かせ笑みを咲かせた。
「オレらだけで食うならいいけど、今日はレイシスとグレイスにも食ってもらうんだぜ? ちゃんとした美味いもん作んないとだろ?」
 なっ、と朱はまた菜箸を回す。まるで魔法を唱える魔法使いのようだった。にこやかな表情は自信とやる気に満ちている。食べる人を喜ばせようという心意気がよく分かるものだった。
 ラズベリルがぱちぱちと瞬く。丸くなったそれは、すぐにふわりと細くなった。潤いつやめく唇がそっと解ける。聞き入り真剣そのものだった表情は、柔らかに綻び穏やかな色を灯した。
「そうね。レイシスにまずいもの食べさせるわけにはいかないもの」
「そのとーり」
 グレイスにもな、と続ける少年に、少女は少しばかり視線を逸らす。そうもはっきり言われると、どうにもこそばゆい。自分のことまで考えてくれているというのは嬉しいことだが、まだ慣れられないことでもあった。朱も分かっているのだろう、何も知らないといった風にフライパンに油を敷き直した。
「つーことでっ、楽しみにしててな」
「……分かったわ」
 楽しみにしてる、と躑躅は笑う。おう、と朱は自信満々に応えた。まな板が持ち上げられ、フライパンに豚肉が投入される。ジュワァ、と肉が焼ける大きな音と胃袋を刺激する香りがキッチンに響いた。
 これ以上居座るのも悪いだろう。グレイスはそっとキッチンから出る。スタスタと淀みなく進む足は途中でふっと止まった。
「……お水もらうの忘れてた」
 もちろん、水をもらうなどキッチンに行くための言い訳だ。けれど、長居した上に空のコップを持って帰ってくるのは明らかにおかしい。『手伝いに行ってました』と自分で主張しているようなものだ。それはさすがにまずい。というより恥ずかしい。だって、そんなことがあってはあの桃と碧は微笑ましそうにこちらを見てくるに決まっているではないか。そればかりは避けるべきだ。
 少女は急いで踵を返す。お水ちょうだい、と油の香ばしく甘い匂いの中に飛び込んだ。




赤と紫にうずもれて/嬬武器兄弟
 朱い視線が食卓をゆっくりとなぞっていく。常ならば馳走を前に輝く瞳は、今はどこか暗くなっていた。愛らしさを感じさせるまんまるな姿も、瞼に押され細くなっている。よく動く八重歯が覗く口元も、筆で線を引いたかのようにまっすぐに結ばれていた。
 食卓には様々な料理が並んでいる。炊きたてでツヤツヤの白米。大皿いっぱいの麻婆茄子。出汁がよく染みた茄子の揚げ浸し。白と紫のコントラストが眩しい茄子の浅漬け。ドレッシングを弾くほどみずみずしいトマトとレタスのサラダ。煮てもなお鮮やかさを保ったトマトと卵の味噌汁。どれも料理上手な弟の確かな腕によって調理された、美味しさが確約された素晴らしい料理である。
 素晴らしい料理であるが。
「……烈風刀」
「あと箱一つ分なんです」
 眇められた目が向かい側、同じく唇を引き結んだ片割れへと向かう。碧い瞳は瞼の奥に逃げ、眉は皺を刻むほど寄せられている。硬く動く口からは、引き絞るような苦い声が漏れ出た。三日前も聞いた――その時は『箱二つ』だったが――言葉に、雷刀はますます目を細くする。狭まった朱の中には様々な色がぐるぐると渦巻いていた。
 一年ほど前から始まった烈風刀の菜園趣味はどんどんと本格的になり、遂にはベランダを飛び出し畑を一つ持つほどとなった。学園の隅、園芸部の一角を譲り受けたそれは丁寧な手入れにより豊かなものとなり、植えられた苗たちもすくすくと育っていた。それはそれはすくすくと。想像を遙かに越えるほどに。
 夏になる頃、様々な野菜が実った。実りすぎたのだ。夏に向けて植えたトマトと茄子だけでも、みちみちに箱に詰めてなおいくつも積まれるほど凄まじい量となった。少なくとも、兄弟二人で消費するのは不可能なほどに。
 レイシスに分け、近所に配り、と無理矢理数を減らしたものの、それでもまだかなりの数が残っている。そうなると、あとは二人で消費するしかない。
 その結果、毎日が茄子とトマトで埋め尽くされる日々が続いている。
「味噌炒め……夏野菜カレー……らたとゆ……ミートソース……田楽……」
「分かってます……」
 指を折りながら、雷刀はここ最近の晩飯を並べ立てていく。見事に茄子とトマトづくしである。赤と紫が内臓に染み付いて取れなくなるのではと思うほど茄子とトマトづくしである。美味しく調理されているものの、全ては茄子とトマトである。他の具材も用いられているものの、さすがにこうも続くと飽きというものが来る。烈風刀も理解しているのだろう、嫌味とも取れるそれに反論することなく、ひたすら苦々しい表情で受け止めていた。
「今週中には使い切れるでしょうから。だから、我慢してください」
 絞り出すような弟の声に、兄は小さく頷く。彼を非難しているわけではない。苦しめたいわけではない。けれども、さすがに食べる喜びよりも同じものが続く苦しさが勝っていた。きっと当人、元凶である烈風刀も同じだろう。だからこそ、毎日のように消費し、保存の効くものを率先して作り、常備菜として消費したり冷凍保存しているのだ。分かってはいる。分かってはいるものの。
「いただきます」
 沈んだ声が二つ落ちる。箸を持つ音、食器と擦れる音、食物を噛みしめる音が二人きりの食卓に満ちていった。
 常備菜を作っている。冷凍保存している。ということは、最終的には食べねばならないのである。それがどれほど先であるか。少なくとも、常備菜は今週中に食べ終えることはできないだろう。結局、来週も少しの地獄が続くのだ。
 来週のメニューどうすっかなぁ。
 ぼんやりと考えながら、来週の食事当番は紫を口に運んだ。
畳む

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