現の幻想【グラユス】
現の幻想【グラユス】
ハロウィンユーステスの台詞からフェイトから何から何まですごくてつらい。アビフェイトの破壊力がすごすぎてしんどい……。公式の供給すさまじすぎてつらい……。ありがとうサイゲ……。ハッピーハロウィン(遺言)
ネタバレしかない。
家々を渡るように架けられた旗が夜風に揺らめく。宙に浮かぶカボチャを模ったランタンは星々のように空を彩っていた。
ぼんやりとした月明かりとそれらが照らす街は、普段ならばとっくに寝静まっている時間でも昼間以上の喧騒と色に溢れている。明かりが灯り人が行き交うこの空間は、この世のどこよりも賑やかしく見えた。
すべてはこの雰囲気によるものだろう、とユーステスは壁に寄りかかり群衆を見回す。高い目線から見下ろす先に、真っ白なシーツを被った少女が人々の間を縫うように走り、その後ろをネジが刺さった帽子の少年が追う姿が映る。少し視線を動かせば、今度はドクロを模した面をつけた少女とかぼちゃの被り物をつけた少女が、菓子の入ったかご片手にはしゃいでいた。子供だけではない、多くの大人も魔女や妖怪といった空想世界の住人たちを模した衣装で大通りを行く。ここは現でなく幻想の世界なのではないか、と錯覚しそうなほどだ。
ハロウィン、だったか。ユーステスはいつか交わした会話を思い出す。なんでも、仮装をして人に菓子をもらう祭りらしい。菓子をくれないのならば悪戯をしていいのだ、と楽しげに語ったのは彼が現在身を置いている騎空団、その団長だ。キラキラと目を輝かせる姿は子供のそれで、何百人もの人間をまとめ指揮するこの勇ましい長はまだ年若い少年であるということを再度実感したのを覚えている。この島にやってきたのも、祭りが盛んであるからだと聞いている。楽しみだ、と楽しげに語る少年の姿を思い出し、ユーステスはわずかに口元を緩めた。
ふと、彼は己の手に目をやる。銃を操るため普段から身に着けている黒く分厚いグローブはそこになく、代わりに白く柔らかな手袋が己の浅黒い肌を包んでいた。手元だけではない、無骨なコートは濡れ羽色のスーツに変わり、その背には内を深緋で彩った外套を羽織っていた。足に付けたホルスターも、今日ばかりは赤で鮮やかに彩られている。エルーン特有の耳には、彼のそれと同じ黒の羽飾りが天を向くように取り付けられていた。
今回、ユーステスがつく任務は囮調査だ。ヴァンパイアの仮装をし、餌として祭りの陰で行われているという闇競売を探る。今までのことを思えば楽な部類に入るものだが、これで本当に役目が果たせているのだろうか、と彼は眉をひそめた。今晩菓子をねだりにきた子供たちは皆、自身を『ヴァンパイアの仮装をしたお兄ちゃん』と評していた。子供相手ですらこれでは、競売に参加するような目利きの者たちを騙せるか非常に怪しい。
いざとなれば潜入調査に切り替えるか、と手持無沙汰に羽飾りを撫でていると、ユーステス、と耳慣れた声が己の名を紡ぐ。喧騒の中でもよく通るそれに振り返ると、大きく手を振りこちらに駆けてくる少年――騎空団の長であるグランの姿があった。街道に溢れる人々の間をするするとすり抜け、彼は難なくユーステスの下へと辿りついた。
「やっぱりユーステスだ」
「どうした? グラン」
にへらと笑うグランに、ユーステスは秘かに姿勢を正し問いかける。先程見かけた時には一緒にいたルリアとビィは近くに見当たらない。おぞましい競売が行われている可能性がある街だ、まさか何かあったのではないだろうな、と彼は澄んだ琥珀色の瞳を見つめた。
「別に何もないよ? ただ、ユーステスが見えたから来ただけ」
あ、耳触ってもいいかな、とグランは青年の頭上に付いた耳へと手を伸ばす。最近は問うだけ問うて許可を出す前に触ることが多くなった。それほどの信頼関係が築かれる程度に、少年と青年は同じ時を過ごしていた。
「お前はいつもそれだな……」
「だってユーステスの耳、ふわっふわのさらっさらで気持ちいいもん」
呆れるような声に悪びれることなく返し、グランはその柔らかな黒の耳に優しく触れた。毛並みに沿ってゆっくりと撫でられ、ユーステスは心地よさに目を伏せる。初めはおっかなびっくりで触っていたというのに、今では手慣れたものだ。
「この羽飾りもかっこいいね。似合ってる」
耳と繋がる根元の金具部分に触れぬよう、グランは天を向くそれに指を伸ばす。彼の耳には到底敵わないが、こちらはこちらでいい手触りだ、と少年は評した。
「ヴァンパイア?」
「らしい」
グランの問いに、ユーステスは曖昧に返す。らしいってなんだよ、と少年は笑った。とはいっても、上層部がそうだと言って勝手に与えたものなのだ。ましてやモチーフは希少度が高く滅多にお目にかかれない種族なのだ。本当にそれに即しているのか、青年にははっきりと断言できなかった。
「でも似合ってる」
かっこいいなぁ、と少年は嬉しそうに笑った。任務のためだけに与えられたものだが、彼が気に入り褒めてくれたことは嬉しい。ユーステスは柔らかに目を細めた。
「お前は仮装しないのか?」
ハロウィンのことを語っていた時のことや日頃の行動を見るに、グランはこのような祭りごとを好んでいるはずだ。誰よりも先に仮装し祭りを満喫しそうなものだが、とユーステスは首を傾げた。彼の言葉に、グランの瞳に苦々しい色が浮かぶ。口元も心なしかひきつっているように見えた。
「……コルワが」
少年が口にしたのは、少し前に団に加入したエルーンの名だった。たしかデザイナーだったか、と思考を巡らせる。
「僕も仮装しようとしたんだけど、コルワが『衣装を準備してあるの! 全部着てみてもらうからね!』って迫ってきてさ……」
はぁ、とグランは重い溜め息を吐いた。心なしか、その顔には疲れが滲んでいる。
ユーステスとコルワは有する魔力属性が違うためあまり交流はないが、そのテンションの高い様は挺内で度々見かけた。あの様子で様々な衣装を持って迫ってくれば、さすがのグランでも押されるようだ。
「逃げてきたわけか」
ユーステスの言葉に、グランはうぅと唸った。その通りなのだろう。仕方ないだろ、と呟く声は拗ねた時の音をしていた。
「ルリアの分も用意してあるって言ってたし、今頃はルリアのファッションショー状態になってるんだろうなぁ……」
「お前もやってくればよかったじゃないか」
「恥ずかしいだろ!」
「普段と変わらないだろう」
グランは扱うジョブに合わせて常に衣装を変えている。分厚い盾と騎士のような重厚な鎧を身にしていると思えば、動植物の装飾を凝らし目深にローブを被った姿になり、気がつけばベレー帽を被りマントを翻しながら銃を操る。最近では、大きな帽子と琴と共に演奏している姿をよく見る。依頼に合わせて臨機応変に装備を変える姿は、ファッションショーのようなものだ。
それとこれとは違うんだよー、とグランは訴えかけるように言う。分かった、と諭す風にユーステスがその頭を撫でると、少年は不満げに頬を膨らませた。飴色の瞳は子供扱いするなと強く主張しているが、その様はまるっきり子供のそれだ。
「でも、皆色んな格好してて面白いな」
すっとグランは行き交う人々を見回す。つられて、ユーステスも彼の視線を追った。その先には、狼男に扮した少年がエルフの仮装をした少年と共に走っていく姿があった。作り物とはいえ、ふわふわと揺れる毛と小さな体躯は子犬のようだ。可愛らしい、とその背を眺めていると、ふいに鋭い視線を感じる。いつの間にか、グランはユーステスの方へと目を戻していた。
「……やっぱ仮装してくればよかった」
ふてくされたような声に、青年はぱちぱちと目を瞬かせた。やはり、様々な衣装に身を包んだ人々を見て羨ましくなったのだろうか。少年の心は移り気だ。
「あーもー! ベアトリクスに会うんじゃなかった!」
「あいつがどうかしたのか」
同じ任務にあたっている同僚の名に、ユーステスは思わず問いかけた。またなにかやったのか、と真っ先に疑ってしまうのは、彼女の日頃の行いが全て物語っている。
「一応狼の耳と尻尾のアクセサリーは持ってたんだけどさ、途中でベアトリクスに会ったから付けてきちゃったんだよ」
あぁ、とユーステスは納得したように頷いた。あの意地の張った少女がそれにどのような反応を示したかなど簡単に想像がつく。そして、その反応に少年が食いつきからかう様も容易に想像できた。
「僕だって耳と尻尾をつければユーステスにもふってもらえるのに」
「無くとも撫でてやるから安心しろ」
悔しげに言うグランを落ち着けるように、青年はその頭をゆっくりと撫でる。納得がいかないという風にしかめていたグランの表情は、その温かな手によってゆっくりと解けていった。それでも悔しいのか、度々うぅと唸り声があがるあたり、彼はまだまだ子供だ。
「それに、今回ばかりはそのままの方がよかったんじゃないか」
「何で?」
そっと離された手を追うように、グランはユーステスを見上げた。不思議そうなその眼を捉え、青年は薄く笑む。その表情は普段の彼と全く違う、どこか人外めいた温度を宿していた。
「今日の俺はヴァンパイアだからな。狼男よりも、人間といた方が自然だ」
エルーンが持つ尖った歯をのぞかせ紡がれる言葉に、グランはぞくりと身を震わせる。水面のように薄い青の瞳は、獲物を見つけた獣のそれによく似ていた。
「……眷属ってこと?」
「そのように見えるだろう」
ふ、と笑う表情は、既にいつものそれへと戻っていた。なるほど、とグランは内心頷く。彼の持つ深い冷たさは、闇夜を支配するヴァンパイアのそれに恐ろしいほど似合っていた。
「じゃ、ヴァンパイアらしく噛んでみる?」
そう言ってグランは、己が着ているパーカーの襟口をぐいと引っ張った。いきなり何だ、とユーステスは晒されたそこを見る。髪の影になるその部位は、日頃鍛錬や戦闘で日に焼けた身体よりも幾分か白い。明かりが灯ってもなお薄暗い夜だからか、その白はほのかに輝いて見えた。
「……たしかに噛みやすそうだ」
「だったら、かぷっといっときなよ」
ヴァンパイアさん、とグランはいたずらめいた笑みを浮かべた。挑発のような色が見えるのはきっと気のせいではないだろう。数え切れないほど戦い抜いてきたせいか、この少年は人を煽るのが妙に上手い。そして、それに乗せられる自身も大概単純だ。
グランの肩にユーステスの手が置かれる。動かないよう少し力を入れ、その首元へ顔を寄せる。幾ばくか逡巡し、ほの白い肌にゆるりと牙を立てた。
獣のような耳を持つエルーン族とはいえ、特別牙が発達しているわけではない。ましてや生き血を食らうヴァンパイアのような鋭さなど持ち合わせていなかった。人間のそれより尖った犬歯は、少年の柔らかな肌に食い込むばかりで、赤が漏れ出ることはない。
「くすぐったいよ」
グランはじゃれるようにきゃらきゃらと笑った。暗にもっとやってみろ、と主張するそれに従い、青年はもう一度歯を立てる。並びの良い歯が先程よりも強く深く食い込むが、それでも少年は気にせず笑うばかりだ。
これ以上続けても仕方あるまい、と諦めて口を離す。晒されたままの肌にはほんのりと痕が残っていた。
「なかなか難しいな」
「まぁ本当に血が出てもそれはそれで困るし、いいんじゃない?」
ヴァンパイアとしては失格だろうけど、とグランはからかうようにくすくすと声を漏らす。困るんじゃないのか、と青年が指摘すれば、それはそれ、と少年ははぐらかすように笑みを浮かべた。
「でも、本当に血が欲しいなら手加減なんてしちゃだめだろ?」
グランの目が鈍く光る。反射的に身を離すより先に、少年の手がユーステスの襟を捕えた。ぐい、と力強く引かれ、思わず前屈みになると、少年の顔が間近に迫る様が見える。明るい栗色の瞳に青灰色とほの暗い何かが映るのが見え、ユーステスはひくりと息を呑む。先程までの子供らしさは消え、ただ浮かぶのは血を知る人間の深い深い色だ。
頬を柔らかな髪が掠める。瞬間、首元に鋭い痛みが走った。
首を絞められるような息苦しさと、不意の痛みで青年は思わず顔を歪めた。抗議の声を発するより前に、襟から手が離れる。責めるように険しく細めた瞳には、満足そうな表情をした少年の姿が映った。
「――これぐらい思いっきりやらなきゃ」
ね、と小首を傾げ、グランは唇を舐めた。覗く赤い舌が明かりに照らされ、艶めかしく光る。笑みを作るようにゆっくりと細められた瞳が狩りを営むけもののそれに似ているように思えたのは、きっと気のせいではない。
噛まれた箇所へ手をやる。手袋をしているため確認はできないが、あの痛みならばきっと痕になっているだろう。こういう時、少年は手加減などしない。このようなことで己相手に手加減をする理由など、一切有していないのだ。ユーステスは小さく顔をしかめた。
「来年は僕もヴァンパイアの仮装しようかなー。どうせコルワが作るだろうし」
けんぞくぅにしてやる、とグランはユーステスを見上げ目を細める。子供らしい表情に似つかわない、駆け引きを知る大人の瞳が青年の姿を捉えていた。
もう、手遅れだというのに。
そして、彼もそのことをしっかりと理解しているというのに、何を言っているのだ。ユーステスは呆れるように少年の頭をくしゃくしゃと撫でた。
夜は更け、現でありながら幻想の世界が闇夜に沈んでいく。漆黒の耳に付いた羽飾りが、青年の歩調に合わせて揺れていった。
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遠い日の思い出と【グラ+ジタ+ルリ】
遠い日の思い出と【グラ+ジタ+ルリ】
リュミエールイベのあれ。
鍋を目の前にした少年と少女の言葉に、泡立て器を持った少女とコック帽を被った竜が懐疑の声をあげた。大きく開かれた二対の目は、言葉を理解することを拒否しているかのようにも見えた。
「はちみつを茹でるんですか……?」
控えめな、それでも否定を求める声が投げかけられる。長い三つ編みを不安げに揺らす少女の姿に、二人の料理人は自信満々に頷いた。その様子に抗議したのは赤い竜の方だ。
「おいおい、グラン、ジータ。待ってくれよ、お前、自分が何を言ってるかわかってるか?」
「分かってるよ?」
「何言ってんだよ、ビィ」
動揺のあまり険しい顔をするビィに、グランとジータはきょとりとした表情で首を傾げた。首を傾げたいのはこちらである、と言わんばかりに、ビィは目を両手で覆った。
「えっと、グランたちがそういうなら、一度試してみましょうか……!」
「おいおい、ルリアまで何言ってんだ!?」
頑なに拒むビィを見て、ルリアは力なく笑う。そーだよね、とエプロン姿のジータが彼女に微笑みかける。賛同を得た嬉しさがはっきりと見て取れるものだ。
「やってみなきゃ分かんないもんね!」
「分かんないよな!」
「分かんないならやるなよ!」
悲痛なビィの声は無視され、二人の団長の手にロイヤルハニーがたっぷり詰まった壺が握られる。これから広がるであろう光景を思い浮かべ、ルリアの瞳に悲嘆と諦観の色が宿った。
ぐらぐらと湯が煮えたぎる鍋の前に、グランとジータが並んで立つ。あーあ、と赤い竜は後悔がたっぷり詰まった声をもらした。
「茹でるってなんだよ……」
「ビィ、覚えてないのか?」
小さな親友の姿に、グランは首を傾げる。ジータもそれに続いた。異常な行動を起こしているのは彼らだというのに、まるでビィの意見がおかしいような口ぶりだった。
「何をだよ!」
「ほら、私たちが風邪で寝込んだことがあったでしょ?」
苛立ちをあらわにした声を気にもかけず、ジータは立てた指をくるりと回してビィに問いかける。幾許かして、あぁ、と小さな竜はぼんやりとした声で答えた。その瞳はどこか遠いものになっていた。
幼い頃からやんちゃな二人は、好奇心に身を任せどこへでも突き進んでいった。それが、雪積もる真冬の川であってもだ。二人の首根っこを引っ掴み必死に止めたビィだが、子供と言えど小さな竜ひとりで止めるには無茶な相手だった。結局のところそのままずるずるとひきずられ、その動向を見守る羽目になったのである。
見守るとは言っても、ビィひとりでは限度というものがある。寒さのあまり氷張る川の上を突き進む子供二人を一気に相手取るには無理があった。その結果、降り積もった雪に足を取られ仲良く躓き、白いそれにぼふりと深くまで埋まったのであった。その身体全てをあらん限り使い、ばたばたともがく彼らを救い出したのは苦い思い出である。そのあと、雪で濡れた二人が風邪をひき熱を出して寝込んだのなら尚更だ。
「あの時、隣のおばあちゃんが作ってくれた飲み物が美味しくてね」
ふふ、とジータは楽しげに笑う。遠い日を語る少女の目は、懐かしさで柔らかく細められていた。どこか儚い雰囲気をまとう姿は、数え切れないほどの人間を有する団の長として振る舞う彼女がなかなか見せない、年相応のものだ。
「風邪なんか吹っ飛んじゃうぐらいだったの」
「そうそう。温かくて甘くて、すぐに元気になっちゃうぐらいな」
ジータに続いてグランも笑う。懐かしい思い出を語る少女らの姿は微笑ましいものだが、その手に握られた希少なはちみつのことを思うと素直に聞くことができなかった。遠くの美しい思い出より、目の前の悲惨な現実である。
「あとでばあちゃんに聞きにいったら、『固まったはちみつをお湯に入れて、酸っぱいくだものの果汁を入れた』って教えてくれてね」
「それってつまり、はちみつを茹でるってことでしょ?」
「なるほどー」
「いや、それは溶かすって言うだろ」
納得したように頷くルリアに、よく分からない独自の理論に頭を抱えるビィ。そんな相方たちを尻目に、二人の団長は和やかな様子で話を続ける。
「元気のないシャルロッテちゃんも、これなら飲めるかな、って」
「温かいもの飲めばちょっとは落ち着くだろうし、最適だろ?」
そう言って得意気にウィンクを飛ばす二人に、ルリアははわ、と声をあげる。可愛らしいその声は感嘆に満ちていた。
「そうですね! シャルロッテさんのためにも、はちみつを茹でましょう!」
「おー!」
「おー!」
元気な三重奏がキッチンに響く。オイラもう知らない、と言わんばかりにビィはがくりと項垂れた。
そうして三人が自信満々に出した『茹ではちみつ』もとい『ほぼお湯』を飲んだシャルロッテが何とも言えない顔をしたことは、誰しもが想像できるものだろう。
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入居者募集中【はる+グレ】
入居者募集中【はる+グレ】
2017年のエイプリルフールのあれとそのエンドシーンの話。
「……えっ暴龍邸? なにコレ?」
「ジャグジー多ッ! 何だァこの前衛的な家はッ!?」
掲示されていた広告を見て、赤い機械で身を包んだ青年と躑躅色の髪を持つ少女が素っ頓狂な声をあげる。二人がまじまじと見つめる広告は、新たな不動産情報が記されていた。三LDKということまでは理解が追い付くが、その後ろに記されている八ジャグジー、一ゲーセンという文字の連なりは、脳が処理落ちするようなインパクトがあった。舵を象ったようなデザインの時点で十分な破壊力があるというのに、過剰すぎるジャグジーの数にゲームセンター付きの物件など前代未聞、前衛的にもほどがある。
えぇ、と放心したような少女の声と、体躯の都合で入居できないことを嘆く青年の声。その隣に物言わずぼんやりと立ち尽くす少年。広告と引けを取らないほどカオスな空間である。
現在、四月一日、エイプリルフール。昨年は大きな勘違いをし恥をかいたグレイスだが、今年は既にその知識を手に入れており、もう羞恥に苛まれることはあるまい、と得意になっていた。仕返しにレイシスに何か仕掛けてやろうと企む少女の姿を、普段から付き従うライオットと始果は微笑ましげに見守っていた。仕掛けるために少女の元へと向かう中、たまたま目に入ったのがこの広告だ。知識はあれどまだこちらの文化に慣れていない三人は動揺するばかりだ。
「それにしても、どれもたっけーな」
「レイシスは一体何を紹介してるのよ……」
あまりの突拍子のなさ故エイプリルフールの冗談と分かっていても、記されたどの語も破壊力がありすぎて理解が追いつかない。グレイスははわふわとした薔薇色の少女に想いを馳せる。毎年この日には気合いを入れているという話は聞いていたが、ここまで訳の分からないものを作るとは。嘘を仕掛けるより先に、何故そこまで注力するかを聞きたくなる。
真剣な表情で広告を眺めるライオットを横目に、グレイスは隣に佇む始果へと視線を移す。学園指定の白いジャケットに愛用する深緑のスカーフを身に着けた少年は、どこか焦点の定まらない目で広告を眺めていた。
「始果? どうしたのよ」
「…………いえ」
なんでもありません、と応える声は心ここに在らずと言った様子で、グレイスのことなど気にもかけていないように見えた。少女は鋭く目を細める。東洋風の少年がぼんやりとしているのはいつものことだが、この程度のことをはぐらかす意味が分からなかった。いつもはグレイス、グレイス、とうるさい癖に、と躑躅色の少女は気に入らないといった調子で黒髪の少年を見やった。
「……帰る、ところ」
ぽそりと始果が呟く。あまりに小さなそれは無意識にこぼれた言葉のように聞こえた。
「何言ってんの、今更」
少年の声に、少女は呆れたように言葉を投げかける。ふん、と鼻を鳴らす姿は相変わらず不遜なものだ。
「帰るところなんて、もうあるじゃない」
バグで構成された少女と、記憶を失くした少年、故郷を探す少女に救いを探す戦女神、そして二つの心を持つ青年。コンソール=ネメシスに住まう者たちとと対立していた五人が、拠点としていたバグの海から抜け出してもう久しい。今では皆ボルテ学園に身を寄せ、新しい生活を始めていた。外界から来たことにより家を持たぬ少女らは、主に学園の寄宿舎に住まっていた。たくさんの生徒が過ごす、賑やかな場所。捨てられた世界にひとりきりで生きてきた少女と、記憶を失くしひとりぼっちになってしまった少年は、既にひとりでは無くなったのだ。
「……そう、ですね」
グレイスの言葉に、始果は顔をあげる。焦点の定まらぬ金色の瞳が、躑躅色の瞳を捉え、ふわりと微笑んだ。
「僕にも、君にも、帰る場所はもうありますものね」
「……当たり前でしょ」
その笑顔になんだか気恥ずかしさを覚え、グレイスは誤魔化すようにその背をバシンと叩いた。痛いです、と言う始果の声は穏やかなものだ。
「さ、そろそろ行きましょう。きっと………………あの子が待っています」
そう言って始果は手を差し出す。妙な間が空いたのは、彼女らが向かう先の少女の名を思い出せなかったのだろう。少年は名前を覚えるのが苦手だった。グレイス以外の名前を覚える気はない、と言われても納得できるほどの記憶力である。
「そうね」
グレイスは差し出した手を取る。柔らかな温もりを持つそれが、重なった温度を包む。握った手をそのまま、彼女は振り返り未だまじまじと広告を見つめるライオットに声をかけた。
「ほら、もう行くわよ!」
楽しげに微笑む少女に、機械の身体を持つ青年が愉快そうに笑う。わーってるよ、と言う声は、乱暴な言葉に反して優しいものだ。
レイシスの待つ寄宿舎に向かうため、グレイスは一歩踏み出す。手を引かれる始果と後ろを歩くライオットは、その小さな背中を微笑ましそうに眺めていた。
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ずっと上でお隣なおにいさん【ニア+ノア+嬬武器】
ずっと上でお隣なおにいさん【ニア+ノア+嬬武器】
ピリカちゃんが羨ましいニアノアちゃんとその被害者嬬武器弟。
腐向けにつま先突っ込んでる感。
パタパタと軽い音が背中から聞こえる。予測される未来にくるりと振り返ると、そこには両手をぶんぶんと振って駆け寄ってくるニアとノアの姿があった。注意した通りちゃんと飛ばずに歩いているのは関心である、と烈風刀は可愛らしい姿に頬を緩めた。
ぴょん、と助走をつけて一跳び、ニアは少年の胸に飛び込んだ。小さな体躯をしっかりと受け止め、危ないですよ、と窘めようとしたところで、キラキラと輝く二対の瞳が彼に向けられた。
「れふにぃ!」
双子が揃って口にしたその語に、烈風刀の思考がぴたりと止まった。
「えっ、あ……え?」
状況を理解できずに困惑の声を漏らす彼を見て、あのねーあのねーとニアは言葉を続ける。彼女の声はとても弾んだ楽しそうなものだ。
「ピリカちゃんがはるかのこと『はるにぃ』って呼んでてね!」
「いいなーって思って、ノアたちもれふとのことそう呼びたいなって!」
「れふとはニアたちのおにいちゃんみたいなものだからね!」
ねー、と二人の兎は細い耳を揺らして声を揃える。きゃっきゃと愉快そうに笑う姿は微笑ましいものだ。けれども、烈風刀の頭はその可愛らしい光景が入ってくる余裕を持ち合わせていなかった。
たしかに、日頃からニアとノア、それだけでなくずっと下の学年の幼い少女らの面倒を見ているのは主に烈風刀である。初等部に属する彼女らにとって、高等部に属する烈風刀は『兄』と呼んで差し支えないほど歳が離れた存在だ。現に、バタフライキャットと呼ばれる桃、雛、蒼の三人は、彼のことを『れふとおにーちゃん』と呼んでいた。ニアとノアもそのように呼ぶのは不自然ではないだろう。
けれども、日頃『双子の弟』である烈風刀は、『兄』扱いされることに慣れていなかった。『兄』と呼ばれるその感覚はなんだかこそばゆく、三色の猫たちにそう呼ばれる際も少しの照れくささを感じていた。面々の中でも一番歳が近い彼女らは本当の妹のような距離感であるのだから尚更だ。姿を現しつつある羞恥心を誤魔化すように、彼は二人の兎から目を逸らした。
「れふにぃ! 今日も運営のお仕事あるの?」
「れふにぃ、ニアたちもまた遊びに行っていい?」
「ストップ! 二人ともちょっと待ってください!」
れふにぃれふにぃと鳴き声のように繰り返す青い双子を、少年は大きな声と片手で制する。もう片方の手で隠したその顔は、ほんのりと紅が浮かんでいるように見えた。顔を見合わせたニアとノアは、にんまりと笑う。珍しく恥ずかしがる烈風刀の姿は、元来いたずら好きな少女らの目にはとてもからかい甲斐のあるように映ったのだ。
「えー? れふにぃ、何でー?」
「れふにぃ、いきなりどうしたの?」
にししと口元を袖で隠して笑うニア、心配そうな瞳に多分な好奇心を浮かべたノアがぴょんぴょんと跳ね、手の奥に隠された烈風刀の顔を覗こうとする。逃げる少年は、あの、ちょっと、と控えめな悲鳴を上げるばかりだ。
「あれ? 烈風刀、どした?」
少女らのいたずらげな合唱に、少年の不思議そうな声が混じる。たじろぐ烈風刀の後ろから現れたのは、その兄である雷刀だった。
「あのねー、れふにぃがねー」
「れふにぃ?」
首を傾げる雷刀に、駆け寄ったニアがこそこそと耳打ちする。この状況を把握して、赤い目がにんまりと愉快そうに弧を描いた。ノアも楽しげにくすくすと笑う。蒼と朱の二色の瞳は、完全にいたずらっ子のそれだった。
「へぇー、烈風刀がオニイチャンかー」
にやにやと見つめる兄に、弟は指の間から鋭い視線を向ける。それでも赤く染まり、わずかに涙すら浮かぶその顔では全く効果がない、むしろ増長するようなものだ。雷刀は悪い笑みを浮かべ、様々な感情で縮こまった肩に腕を回した。
「いいなー、オレも『れふにぃ』って呼ぼうかなー」
「はぁっ!?」
兄の言葉に、弟は素っ頓狂な声をあげる。怒気のにじんだそれを無視して、雷刀は顔と同じく赤で染まった耳に唇を寄せた。
「なぁ、れふにぃ」
わざと低くした声を、己の髪のそれで色付いた耳に直接注ぎ込む。小さな音を受けた途端、抱き込んだ肩が面白いほど跳ねた。耳慣れぬ音に驚いたようにも、低い声に怯えるようにも見えるその様子に、雷刀は楽し気に目を細める。紅玉には意地の悪い色が浮かんでいた。
「れーふーにーいー」
「や、めて、くださ」
「えー? だって烈風刀はニアたちのオニイチャンなんだろ? いいじゃん、れふにぃ」
くすぐるように兄は囁く。その度に身体を震わせ、怯えたように否定の声をあげる弟の姿は、朱の胸に眠る何かを強く刺激した。元々大したものでもないストッパーが音をたてて壊れる。止める者など、いたずらっ子とその被害者のみのこの空間には存在しない。
「れふにぃ」
「やっ……」
「れふにぃってば」
「ぅ、やめ……、て、くだ、さ……っ」
「呼ばれたらちゃんと返事しなきゃダメだろ? れふにぃ」
「っ、ぁ……、や、だ……らい、と」
注ぎ込まれる声に、いやだ、と弱々しく抗議の声をあげる烈風刀の姿を見る度、雷刀の心にゾクゾクとよく分からない何かが駆けていく。普段は冷静で凛とした弟が、自分の言葉ひとつで涙をこぼしそうなほど震えるその姿は、可愛らしさとはまた違う何かを孕んでいた。もっとこの姿を見ていたい、もっとこの弱々しい声を聞きたい、もっとこの手で彼を震えさせたい。嗜虐の色を灯した欲求が、少年の心に芽生えつつあった。
「れふにぃ」
「れふにぃ!」
「れふにぃー」
朱ひとつに蒼ふたつ、いたずらな声が三重奏を奏でる。三つ分の呼び声に、ぅ、と微かな呻き声ひとつ残して烈風刀はその場にへたり込んでしまった。
「っぁ、……ほんと、に、やめて……くだ、さ、い……」
やだ、と呟く声は消えてしまいそうなほど細く、心底辛そうなものだった。羞恥心がキャパシティを超え、防衛のためにブレーカーを落としてしまったのだろう。うずくまる彼の背は、可哀想なほどふるふると震えていた。
ニアとノアの頭に付いたカチューシャがぴぃん、と真っ直ぐに伸びる。ショックを受けたようなその様子の後、あわわわわ、と兎たちは酷く慌てた声をあげた。
「れふとっ! ごめんなさい!」
「れふとを困らせたいんじゃないの! ごめんなさい!」
うずくまる少年を囲み、ニアとノアはばたばたと袖を振って謝る。その瞳にはじわりと涙がにじんでいく。たしかにいたずらっ子な彼女らだが、相手を悲しませるようなことなどしたくはなかった。うぇ、と幼い嗚咽が漏れる。二対の目から涙が溢れ出る前に、雷刀はその頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「泣くなよー」
「だってぇ……」
「だって、ニアたちがふざけすぎたから、れふとが……」
「ニアとノアは悪くねーよ。烈風刀泣かしたのはオレだし」
涙声の少女らに雷刀は笑いかける。きっかけは双子の兎たちによるものだったとしても、これほどまで弟の羞恥を煽り泣かせたのは自分であることぐらいさすがに自覚していた。
未だ、だって、と後悔の音を漏らす彼女らの頭を、少年は再度ぐしゃぐしゃと撫でた。あとはオニイチャンが面倒みとくから、と乱れた青い髪を手櫛で整える。ふぇ、と嗚咽交じりの声をあげた少女らは、うずくまり顔を隠す烈風刀を見た。
「れふと、ほんとうにごめんね」
「ふざけすぎてごめんね、れふと。もうやらないから、ごめんね」
涙と鼻水で濁る声で謝り、双子は後悔で染まった瞳で少年を見つめた。すん、と鼻をすする音の後、いいです、とくぐもった声で答える烈風刀の姿は、いたずら好きな彼女らを拒否しているようにも映った。
「れふとっ、ぅ、うっ、ごめんなさい!」
「う、ぇっ、ごっ、ごめんなさい!」
とうとう大きな声をあげ泣き出してしまったニアとノアを見て、雷刀は苦い顔をした。兄たった一人で泣き虫三人を抱え込むのはなかなかに辛いものがある。
「ほら、烈風刀もこう言ってるし。もう大丈夫だからな? 泣かなくてもいいからな?」
泣いたまま謝っても、烈風刀が辛いから、と雷刀は苦笑いとともに双子を諭す。しかし、青い瞳は潤むばかりで涙が引っ込む気配は全くなかった。
ううう、と三人分の嗚咽。さすがに手に負えなかった。仕方がない、思う存分泣かせてやろう、と雷刀は震える弟の隣に身を寄せしゃがみ、小さな頭を静かに撫で続けた。
どれほど経っただろう、ようやく嗚咽がおさまり、鼻をすする音がふたつ。ふえ、と可愛らしい声をあげる少女らの顔は、涙と鼻水でべとべとだった。雷刀は烈風刀のジャケットからポケットティッシュを抜き取り、二人に渡す。勢いよく鼻をかむ音がハーモニーを奏でた。
「れふと、ごめんなさい……」
「ごめんなさい……」
未だしゅんとした表情で謝る少女らに、烈風刀は少しだけ顔を上げる。さらさらとした髪と膝の上で組まれた腕の間から見える碧は、潤み熱を持っていた。
「もう、大丈夫です」
すん、と鼻をすする音がもう一度。答える少年の声は、先程より幾分かクリアになっているように聞こえた。
「今日は僕相手だったからいいのですけれど、他の人にはこんな度を越したいたずらはしていけませんよ」
分かりましたか、とどこか棘のある声に、兎たちはごめんなさいとまた合唱した。だいじょぶだからー、と雷刀は涙声をあげる二人の頭を撫でる。赤色にも戸惑いの色が生まれ始めた。
「烈風刀もこう言ってるんだし、もう泣くなよー」
オニイチャンも困っちゃうぜ、と言う声に、もう一度二人分のごめんなさいが奏でられる。謝られても仕方ないんだけどな、と言う困り果てた言葉を飲み込んで、雷刀は笑って立ち上がった。
「ニアとノアはもうちゃんと謝ったし、烈風刀はいいって言った! これで大丈夫! もうおしまい!」
パンパンと手を叩くと、萎れていたぴこんと二対の耳が伸びる。罪悪感に鼻をすする二人の姿に、雷刀はもう一度大丈夫と繰り返した。
ごめんなさい、とうずくまる烈風刀と同じで目線で謝り、とぼとぼと帰路についた。何度も何度も振り返りこちらを見る姿に、雷刀はひらひらと手を振る。少女らも力なく袖を振り、ようやく昇降口へと向かった。
その小さな二つの背中を見送って、兄はもう一度しゃがむ。手を伸ばし、未だにうずくまったままの弟を髪を梳くように撫でた。
「ほら、烈風刀ももう泣かねーの」
「だ、れのせいだと、おもっているのですか」
兄の言葉に、弟は怒気と羞恥と涙が混ぜごぜになった声で返す。ここまで言えるほど調子が戻ってきたのならもう大丈夫だろう。ごめんなー、と苦笑し、雷刀は柔らかな碧の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「だって、烈風刀すっげーかわいいし」
「なにがかわいいですか、ばか」
怒る声はまだ弱々しい。しかし、じきに調子が戻れば拳の一つや二つ飛んできてもおかしくはない。雷刀より筋力が劣る烈風刀だが、それは相対的な評価である。絶対的な評価ならば、彼は平均以上の力を持っていた。そんなものを食らえば痛いに決まっている。兄は立ち上がり、すぐ躱せるようにそっと一歩分距離を取った。
「ほら、帰るぞ」
ぐぃ、と膝の上で組んだままの腕を引くと、烈風刀はふらふらと立ち上がった。手の甲で目元を擦る姿は子どものそれだ。
「後で覚悟してくださいよ……」
怒りの声は恐ろしいほど低い。『後』がいつを指すのか分からないが、もう対策を取るには遅いということは雷刀も十分に理解していた。
少しばかりおぼつかない足取りで校門へと向かう弟の背中を眺める。
「れふにぃ、ねぇ」
当人には聞こえないような小さな声で、あの言葉を繰り返す。あれだけ恥ずかしがる烈風刀の姿はとても貴重だった。特に自分が口にした時の反応といったら、得も言われぬ感覚が背筋を走るほどだ。己の言葉で頬を染め涙を浮かべる弟の姿が、あれほど魅力的なものだなんて、長い間兄弟をやってきた雷刀も知らなかった。知らない方がよかったのでは、と告げる声はねじ伏せておく。
今度またからかってやろう、と朱はいたずらげに笑った。
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ごはん【嬬武器兄弟】
ごはん【嬬武器兄弟】
海外では『帰ってきたら「ただいま」じゃなくて「ごはん」と言う』とかそんな話を聞いた時の話。
バタン、と勢いよくドアが開けられる。照明の消えた暗く冷えた空間に、凍えた声がふらふらと飛んでいく。
「うあー、さっむー」
「冬だから当たり前でしょう」
暗さと寒さに、はぁ、と二人で息を吐く。空中に放り出された呼気は白く染まり、すぐさま溶ける。宵闇に消えゆく雲のようだった。さっむ、と何度も繰り返す雷刀を尻目に、烈風刀は開いたままのドアを閉める。それだけで、幾分か寒さが和らいだ気がした。
「あー、ごはん、ごはんっ」
バタバタとブーツを脱ぎ捨て、マフラーを外しながら雷刀は呪文を唱えるようにごはんと繰り返す。現在時刻は夕食時を少し過ぎ、完全に夜となった頃。運営業務を終わらせ、減っていた食材を買い足しにスーパーに寄っていたらもうこんな時間だ。成長期の男子高校生の腹は、早く糧をよこせと強く訴えていた。
「今から作るんでしょう。静かにしなさい」
「えー」
窘める声に、不満げな声。唇を尖らせる姿は実際の歳よりもずっと幼いように見えた。
「烈風刀だって腹減っただろ?」
「減っていますよ。だから早く作りますよ」
は、と吐いた息は呆れを表したものか、空腹を紛らわすためのものか。どちらにせよ、二人の腹の虫は鳴き声をあげるばかりだ。
ぱちぱちと音をたてて、雷刀は壁にあるボタンを押していく。一拍おいて、闇の中照明が活動を再開した。柔らかな色をしたそれは、闇が有する冷たさを溶かしていくように見えた。
そだ、と兄は外したマフラーを片手に振り返る。連れ添うように、手にしたビニール袋がかさりと音をたてた。
「烈風刀、おかえり」
「ただいま」
ふわ、と寒さから逃れ綻んだ笑顔が二つ。おかえりなさい、と続いた烈風刀の声に、雷刀もただいま、と返した。
おかえり。ただいま。同時に帰宅しても互いにこの挨拶を交わすのは、昔からの習慣だった。答えを求め投げかけた言葉が無音の空間に吸い込まれる様は、寂しさを通り越して恐怖すら与える。だからこそ、互いに互いを迎え、迎えられることにしたのだった。その恐ろしさも、与えられる言葉の安堵も、高校生になった今も変わっていない。
「さー、作るぞー! お腹空いた!」
「その前に靴を揃えなさい。みっともない」
ガサガサとビニール袋を鳴らしながら部屋に向かう雷刀の背中に、烈風刀は咎める言葉を投げる。返事は一向に聞こえて来る様子は無く、彼は眉をひそめた。
散らかった靴を揃え、食材が入ったビニール袋の中身を見やる。さて、早く下ごしらえをしなければな、と考えて、烈風刀は靴を脱いだ。
ただいま、ともう一度繰り返す。先に部屋に入り待っている兄がまたおかえり、と言うのだろうな、と考えて、彼は冷たい廊下を足早に進んだ。
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あなたのいろ 【ライレフ】
あなたのいろ 【ライレフ】
いつぞやツイッターで見た「真剣な顔のオニイチャンにドキドキする弟」(うろ覚え)ってのにときめいたので。なんかかんかどっちも大好きだという話。
妄想感捏造感1600%でお送りいたします。
斜め下から見上げる。この眺めは自分だけのものだ、と雷刀は密かに考える。
ソファに仰向けに寝転がり、すぐ隣に座っている弟の膝に少しもたれかかるように頭を預ける。膝枕まではいかないが、たしかに触れている。まるで猫のようだ、と擦り寄るその様を指摘されたのを覚えている。それでも彼は、この位置を否定することはなかった。
堅物とさえ言える彼がこんなことを許すなど、家族で、兄弟で――そして、恋人である自分以外にいるはずなどない。たとえ彼によく懐いているニアやノア、桃に雛に蒼だって、断り無しにこんなことはできないだろう。
自分だけが許された場所。それは優越感と独占欲を心地よく満たした。
掲げるように読んでいた漫画からわずかに視線を移し、雷刀は弟である烈風刀の顔を見やる。文庫本片手に難しそうな顔をしている彼の様子は、真剣そのものだ。じぃと細かな文字が並ぶページを見つめる目は少しだけ細められていて、普段とはまた違う鋭さがあった。
澄んだ瞳は冷たい色を有しているが、その中には優しい明かりが灯っており、決して冷淡な印象は与えない。むしろ見るを安心させる温かさが浮かんでいる。その柔らかな光は、彼の性格をよく表しているように見えた。
白に浮かぶ丸い碧は、いつか見た海のそれと似ていてる。緑の優しい鮮やかさと青の澄明な強さを併せ持つその色は、思わず触れてしまいたくなるほどの魅力を秘めていた。
すっと細められた目を縁どる睫毛は、自分のそれよりも長く見える。さらさらと指通しのよい髪と同じ、純美な碧はその瞳によく似合う色調だ。彩る柔らかさと鮮やかさを何と表そうか。
碧と碧が引き立て合うその瞳だけでも、彼の魅力と美しさがよく分かる――ように思えるのはきっと補正がかかっているのだろうけど、と雷刀は内心自嘲する。仕方がない、こんなに惚れこんでいるのだから。
かっこよくて、綺麗で、冷静で、聡明で。自分とは真逆と言っても過言ではない、よくできた自慢の弟だ。
そんな彼も、常にその美しさをまとっているわけではない。楽しいことがあれば子どもらしく笑い、辛いことがあれば感情を押し殺せずに表情を歪め、レイシスに何かあれば普段の彼から想像もできないほど慌てふためく。垣間見える年相応の表情は、可愛いという表現がよく似合う。好奇心に瞳を輝かせる姿は愛らしく、喜びにふわりと微笑む様は愛おしい。そんな表情を見せるのも、自分を含め彼が心を許した限られた人間のみだ。
見上げていた烈風刀の表情が変わる。驚いたようにゆっくりと瞬きをし、柔らかに細められる。何か面白い表現があったのだろう、わずかに緩んだ口元がそれを証明していた。
ずるいよなぁ、と雷刀はひっそりと苦笑する。キレイでかわいいなんて、好きになってしまうに決まっているじゃないか。
「どうかしましたか?」
碧の瞳が紙から離れ、下へと降りる。その中に浮かび上がる朱を見て、雷刀は楽しげに笑みを浮かべた。
「別にー?」
楽しげな声と共に、雷刀は頭を少し上げ烈風刀の膝に乗り上げた。そのまま、怪訝そうに眉をひそめる弟の頬に手を伸ばす。撫でるように捕えた肌はすべらかだ。
「烈風刀はキレーだなーって」
「……何を馬鹿なことを言っているのですか」
呆れたように呟いて、烈風刀は見つめる朱から視線を逸らした。添えた手から伝わる熱がわずかに上がったように思えたのは、気のせいだろうか。その姿すら愛おしくて、雷刀は慈しむように顔を綻ばせた。
「やっぱ、烈風刀かわいい」
「うるさいですよ」
そう言いながら、烈風刀は頬を撫ぜる手に己のそれを重ねる。心地よい温度に、二対の瞳が暖かな色を灯した。
隣に並び、同じ方向を見る。この眺めは自分だけのものだ、と烈風刀は秘かに考える。
じっとたたずむ兄に気付かれぬよう、烈風刀はそっとそちらへと視線を移す。同じ高さにある朱い瞳は、普段のいたずらめいた明るい色は鳴りを潜めていた。
双子故か、それとも互いを創り出したコアの気まぐれか。雷刀と烈風刀の身長は常に同じだった。ほんの少しの差もなく、まるで同期しているかのように揃って成長していった。
常に同じ。彼と同じ高さで、同じ目線で何もかもを見てきたのだ。四半世紀にも満たないわずかな時間とはいえ、烈風刀は兄と同じ世界を共に見て生きてきた。そんな者など、家族で、双子の兄弟で――そして、恋人でもある、自分以外に存在するはずなどない。ただ隣にいる。それだけで特別なのだ。
自分以外には決して見ることが出来ない、ふたりだけ共有する世界。それは優越感と独占欲を心地よく満たした。
出撃準備を終え、戦艦を待つ。己の持つ赤い機体を見る雷刀の瞳は、静かな苛烈さが潜んでいた。
柔らかな赤でなく、燃え上がるように鮮やかで力強い朱。太陽のように人を照らす光は静かに姿を消し、冷たさすら感じる澄んだ色を湛えていた。静かな熱を宿すそれは、目に映った全てを焦がしてしまうような強さがはっきりと見て取れた。
普段なら緩やかに持ち上がり曲線を描くのが常であるその口元は、今は真一文字に引き結ばれている。研ぎ澄まされた剣のような様は見る者を圧倒する。それは細められた目も同じだ。穏やかな色は消え失せ、代わりに活火のような激しさで彩られている。烈々たるそれは普段の彼からは想像もできない鋭さだ。
真剣そのものである相貌に無意識に息を呑む。普段の兄は子どものように無邪気で明るく朗らかで、恥ずかしながら可愛いとすら思える。しかし、今の彼は美しいとすら感じた。真っ直ぐ、何もかもを燃やしつくすような炎を孕むその表情に、心臓が強く脈打つ。見る者を貫き、尚人を惹きつける美しさがそこにある――ように思えるのは、きっと補正がかかっているのだろう、と烈風刀は内心自嘲する。仕方がないではないか、惚れているのだから。
可愛らしく、美しく、快活で、勇烈で。相反する光を有す兄の姿は、密かに憧れを抱くほど壮大である。
しかし、彼がこのように激しい姿を見せることはあまりない。普段は陽気にふるまい、人々を笑顔にするような明るさを持つ彼がここまでの表情を見せることなど、普通はない。この鋭さを間近で見られるのは、共に戦う一握りの人間のみ。それも、隣合わせで戦う自分とレイシスぐらい。
「ん? どした?」
ふいに朱と視線が交わる。横目で見る程度だったはずが、いつの間にかそちらの方を向いていたらしい。紅を刷いたように染まっているであろう己の顔を見せぬよう、少しばかり目を逸らし伏せる。
「何もありませんよ」
「そーか?」
冷静を装った声に、雷刀はうーんと短く唸り、首を傾げる。数瞬して、彼は烈風刀の顔を覗きこみ、愉快そうに笑った。
「オニイチャンに見惚れてた?」
「そんなわけがないでしょう」
ニヤニヤと笑っているであろう兄に、呆れるように溜め息を吐く。調子に乗っている兄にも、容易く心を見透かされた己にも、だ。
「ほら。ふざけていないで行きますよ」
「おう!」
機体の整備が終わったことを確認し、意識をしっかりと切り替える。闘うべく歩を進めると、後ろからトンと軽く肩を叩かれた。烈風刀、と呼ぶ声が機械音の響く格納庫でもはっきりと聞こえた。
「今日もがんばろーな!」
「はい」
よろしくお願いします。よろしくな。ふたつの声が重なり、消えていく。
今日も闘いが始まる。
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共に輝く舞台へ【レイ+グレ】
共に輝く舞台へ【レイ+グレ】
ロケテでVのデフォクルーはグレイスちゃんだと聞いてうわああああああああってなったあれ。
結局デフォクルーはレイシスちゃんだったし、書きたかったこと全部公式キャラ紹介が書いちゃってるけど、稼働開始二日前に書き始めたやつだから許してほしい……。
レイグレ姉妹頑張れ超頑張れという話。
着替えを終え、グレイスは壁に取り付けられた大きな鏡へと振り返る。メイク台の上、光る鏡面の中、己の長い髪が踊るように揺れたのが見えた。
目の前に映る自分をじぃと眺める。普段ならば学園内では指定の制服を着ているが、今彼女の身体を包んでいるのは全く違うものだ。
白地に青のラインが走るセーラー服は、ほのかに輝く白で縁取られた深い黒のベアトップに変わっている。胸元は大胆に開いており、間からは目に痛いほど鮮やかなピンクが覗いていた。少し下、上腹部はポップなマークが散りばめられた柔らかな生地が優しく包み込んでいた。胸部を彩る衣装を繋ぎ止める肩紐は細く、片側は大振りなフリルで縁取られている。大人びた格好良さの中に、少女らしい可愛らしさをもたらすものだ。
白のショートパンツは、トップスと同じ色の短いスカートに変わっている。フリルがふんだんにあしらわれたそれはボリューミーで、膨らんだシルエットや大ぶりなフリルが揺れる様は可愛らしさに溢れている。細い腰に巻かれたビビッドカラーの太いベルトには、彼女らが生きる世界の名が大きく刻まれていた。
変なところはないだろうか、と少女は全身を確認しようと鏡の前でくるくると身を翻す。高い位置に結ったポニーテールが、風に揺れる花のようにふわりと舞った。
重力戦争が終わり、輝く海の世界が生まれて二年。今、ネメシスはまた新しい舞台へと歩み出そうとしていた。レイシスとともにメインビジュアルを務めることが決まったグレイスには、新しい衣装が与えられることとなった。稼働が間近に迫った今日は、不備が無いか最終確認をしているのだ。
鏡像と正面から向き合い、少女は己の胸に手を当てる。ロケテストでのナビゲートやポスター撮影などで既に何度か着ているが、未だこの姿に慣れずにいた。学園内では指定の制服を着ており、私服は姉手ずからデザインした少女趣味のものを与えられている。このようなデザイン傾向の衣服は以前ライブイベントで着たぐらいで、あまり馴染みがないのだ。
着慣れぬにそわそわとしているが、薄く色付いたその口元は緩やかに綻んでいた。大人びて振る舞おうとしているが、グレイスも年頃の女の子なのだ。新しい衣装に心が踊り、はしゃいでしまうのは仕方のないことだろう。
「サイズは大丈夫デスカ?」
突然背後から飛んできた声に、少女の細い肩が小さく跳ねる。急いで振り返ると、そこにはにこやかに笑うレイシスの姿があった。そうだ、同じく最終確認を行うために彼女も共にいたのだった。衣装に気を取られてすっかりと忘れていた。今までの落ち着きのない様子を全てを見られていたという羞恥に、躑躅の白い頬に紅が差す。姉の慈愛に満ちた笑顔から逃げるように、マゼンタの瞳がふいと逸らされた。
「えぇ、問題ないわ」
平静を装った声で答えると、良かったデス、と嬉しそうな言葉が返ってくる。事実、衣装は初めから驚くほどぴったりに作られていた。ネメシスで暮らし始めた頃はレイシスが服を作り与えてくれたので、サイズを把握されていてもおかしくはない。しかし、身体が安定し成長してから測り直した覚えはないというのに、何故今でも寸分の狂いもない衣装が作れるのだろうか。ある種の恐怖すら浮かんでくる。ふるふると緩く頭を振り、考えてもどうしようもないそれを意識から無理矢理弾き飛ばした。
真正面に立つ姉の顔を見ることができず、躑躅は壁に面したメイク台へと視線を移す。化粧道具と小物が散らばるそれの上から、白いマイクを手を取る。細い柄に描かれた新たな世界の名前を眺め、少女は静かに目を眇めた。
もうすぐ始まる新しい世界。そこでは、グレイスが正式にナビゲートを担当することとなった。
ネメシスに迎え入れられてからの二年間、仲間たちに助けられつつも少女はナビゲーターとしての基礎を学んできた。始めはたどたどしいものだったが、本人の頑張りもあって今では一人で仕事を任されることも増えてきている。彼女が確かな成長を遂げていることは、運営に携わる皆が認めていた。
グレイス自身、ナビゲーターとしての実力がついてきていることは実感している。けれども、今までレイシスが担当していたその位置に己が就くのか、と考えると、胸の中に黒く重い何かが渦巻くのだ。
一人でもきちんと役目を果たせるだろうか。レイシスのようにユーザーをサポートすることができるのだろうか。己にはその技量があるのだろうか。何か大きなミスをして迷惑を掛けないだろうか。本当に、私でいいのだろうか。
普段ならば気に掛けることのない些細な懸念がいくつも募り、どんどんと膨れ上がっていく。小さな体躯を潰してしまいそうな不安から己を守るように、グレイスは目を伏せマイクを握りしめる。青いネイルで彩られた細い指は、手にしたそれと同じほど色を無くしていた。
「緊張しマスヨネ」
どこか心許ない声に、少女はばっと顔を上げる。さっきまで逸らしていた視線の先には、眉端を下げたレイシスが立っていた。薄く苦い笑みを浮かべる姉を見て、妹は驚きに目を瞬かせる。ナビゲートシステムとして常に最前面に立ち、皆を率いていく彼女はいつだって笑顔で元気に満ち溢れている。このような表情をすることなど、滅多にないことだ。
「……あなたでも緊張なんてするのね」
「しマスヨ」
精一杯の軽口に、レイシスは酷いデス、と唇を尖らせる。その声も表情も、普段の太陽のように明るく輝かしいそれとは違う、どこか弱々しく陰ったものだった。彼女らしくもない様子に、グレイスは呆けたように姉を見る。生まれたばかりでろくに経験を積んでいない自分ならまだしも、何故生まれ落ちた時からこの役割を十全に果たしている彼女がこんな表情をするなんて。いつだって未熟な自分を引っ張っていってくれる彼女が、こんな弱音を吐くだなんて。思ってもみないことだった。
呆然と己を見つめる妹の心情を察したのか、薔薇色の少女は安心させるように小さく笑みを浮かべ、えへへと笑声を漏らす。愛らしさに溢れたその響きには、微かに寂しさが混ざっているように聞こえた。
「新しい世界に行くのはいつだって緊張しマスヨ。変わることは不安デスカラ」
小さな可愛らしい口が、細く静かな音を紡ぐ。わずかに伏せられたその目には、憂いが薄く影を落としていた。普段よりも華奢に見える姉の姿に、グレイスは苦しげに眉を寄せる。彼女を覆う闇を晴らしたいというのに、自身が抱えるそれにすら押し潰されそうなほど未熟な自分にはどうにもできないのだ。言葉のひとつすら出てこない無力さに、少女は口を引き結んだ。
デモ、と薔薇色の少女はまとわりつく影を振り払うように力強く声をあげる。丸く愛らしい目が気合いを入れるようにぎゅうと瞑られ、ぱちりと開く。再び現れた紅水晶には、元のキラキラとした輝きが戻っていた。
「遊んでくれる皆サンがもっと楽しんでくれルノハ、とっても嬉しいことデスカラ。緊張はしマスケド、それ以上に新しい世界が楽しみナンデス!」
胸の前で両手を握り、少女はにこやかに笑う。そこにはもう憂色は無く、普段と変わらぬ太陽のような明るさと温もりに満ちた笑顔があった。
華やかに咲く薔薇色を見て、躑躅は眩しそうに目を細める。きっと先ほど漏らした言葉通り、彼女も年相応に不安を抱えているのだ。それでも、皆のために顔を上げまっすぐに進んでいく。その力強さが、グレイスにとって眩しくてたまらなかった。
かつん、と狭い部屋に靴音が一つ落ちる。強く握りしめ冷え切った己の手が、温かく柔らかなものに包まれる。一体何だと思うより先に、そのままぐいと持ち上げられる。驚きに開いた柘榴石の中に、己の手を握った姉の姿と、花開くかのような満面の笑顔が映った。
「ソレニ、今回はグレイスが一緒にデスカラ。ダカラ、きっと怖くなんてありマセン!」
励ますように妹の手をぎゅうと握り、レイシスははきはきと言葉を紡ぎ出す。元気いっぱいのその声には、二人ならば絶対に上手くいくという自信と、相手に対しての信頼に満ち溢れていた。
姉の言葉に、グレイスは大きく目を見開く。ぱちぱちと瞬いて数拍、引き結ばれていた口がようやく綻び、その端がゆっくりと持ち上がった。小さく描かれた曲線は、まさしく笑みの形をしていた。
「……そうよね。私がいるもの」
咲き誇る薔薇色を見つめ、躑躅は小さく言葉を漏らす。愛おしそうに細められたその目には、安堵と色が広がっていた。
誰にだって優しく慈愛の溢れる彼女が、不安に縮こまる自分を気遣ってくれているということは分かっている。それでも、憧れ目指し努力してきたその人が、まだまだ未熟な己を頼ってくれる。投げかけられたその言葉は、グレイスにとって嬉しくてたまらないものだった。
だからこそ、その隣に立ちたい。自分よりも他人を優先するような彼女を支えたい。世界を輝き照らす姉のようになりたい。数年の間、胸の内に積もっていた思いがぶわりと広がる。素直に言葉にすることができない自分は、態度で表すしかないのだ。そう考えて、少女は気付かれぬよう小さく頷いた。
そうデスヨ、とレイシスは弾んだ声をあげる。憂慮に潰されそうになっていた妹がやっと笑ってくれたのが嬉しいのだろう。溢れる感情をそのまま表すように、握ったその手をぶんぶんと振った。常ならば忙しない、子供じゃないのだから、と振り払うグレイスだが、今日ばかりは伝わる慈しみに満ちた温もりを手放すことはしなかった。
「そうよ、あなた以上に立派なナビゲートをしてみせるんだから」
ふん、と不遜に笑い飛ばし、グレイスはそう言ってみせる。事実、今で満足などしていない。もっとユーザーを導けるように、隣に並ぶべき彼女に近づけるほどにならねばならないのだ。言葉通り、レイシスを超える気概でいなければならない。今までも、これからもずっとそうだ。こんなこと絶対に口に出してなんかやらないけれど、と内心呟き、少女はにまりと口角を上げた。
その言葉に、目の前の鮮やかな桃の瞳が大きく開かれる。こてんと首を傾げて少し、叩きつけられた宣言をはっきりと理解して、レイシスは不満げに声をあげた。
「ワタシだってまだまだ負けマセンヨ!」
「さぁ? どうかしら」
子供のようにむくれる姉と、不敵に妹。にらめっこをするかのように二人は互いをじぃと見つめ合う。しばらくして、どちらともなくくすくすと小さな笑い声をあげた。可愛らしい軽やかな二重奏が、二人きりの部屋に響いた。
「これからもよろしくお願いしマスネ」
「もちろんよ。よろしく」
手を繋ぎ合ったまま、姉妹は穏やかに言葉を交わす。そこにはもう不安と緊張の鈍い色は無い。輝かしい未来への期待と、互いへの強い信頼があった。
ひとりきりの暗く寂しい世界で、ずっと見つめ憧れてきた存在。手を伸ばしても絶対に届かないと思い込んでいたこの位置に、今自分は立っているのだ。それも、思い描いてきたそれよりもずっと素敵な形で、この世界で生きている。繋いだ先から伝わる姉の温かさと響く明るい声に、グレイスは小さく息を吐く。細いそれは、幸せの色をしていた。
緊張が解け温度と色を取り戻した手から、重なり包み込んでいた温もりが去って行く。寂しさを覚えるより先に、空いている方の手に細く白い指が絡みつく。指と指の間に己のそれをそっと潜り込ませ、レイシスは大切な妹を優しく捕らえた。
「サァ、稼働までもうすぐデスヨ! 一緒に頑張りマショウ!」
繋いだ手をきゅっと握り、少女は今一度躑躅に語りかける。そうね、と素っ気なく返し、グレイスもそのしなやかな指を姉の手に絡めた。
ついさっきまで不安でたまらなかったのに、今では新しい世界が楽しみで仕方がない。それはきっと、隣に寄り添ってくれる彼女がいるからこそだ。
決して口に出さない姉への信頼と憧れを胸に仕舞い込み、グレイスは鮮やかに花開いた薔薇色を愛おしげに見つめた。
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書き出しと終わりまとめ2【SDVX】
書き出しと終わりまとめ2【SDVX】
あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその2。全部ボ。CPごっちゃごちゃ。大体暗い。
成分表示:プロ氷2/はるグレ1/レイ+ライレフ1/奈恋1/レイ+グレ1/ニア+ノア1/ハレルヤ組1/後輩組1
名前の後ろ/プロ→氷
あおいちさんには「それはまるで呪いのよう」で始まり、「当たり前は当たり前じゃなくなった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。
それはまるで呪いのようだ、と時折馬鹿馬鹿しいことを考える。
『先生』と己を示す度、呼ばれる度、胸が小さな痛みを訴える。こんなの気のせいだ、と何度も何度も言い聞かせてきた。それでも、この面倒臭い代物は叫び声をあげるのだから嫌になる。
これがバグか何かならなぁ、と、識苑は青空を眺めて漠然と思考する。自身の専門はハード面だが、ソフト面の知識も十二分にある。ちょっとしたバグなら簡単に処理できる。問題は、自分は機械でなく、生身の人間であることだ。
はぁ、と溜息一つ、青年は桃の髪を揺らし壁を蹴る。午後の授業の準備をするため、別棟にある技術室へ向かわねばならない。学内を移動するには、廊下を歩くより校舎の壁を伝っていく方が早い。
「あっ、先生」
聞き慣れた声に、青年は足を止める。少し高度を下げ、足元の開いた窓を覗くと、そこには見知った雪色と桜色がいた。
「こんにちは、氷雪ちゃん。桜子ちゃん」
「先生、こんにちはですの」
「こんにちは、識苑先生」
挨拶をすると、二人の生徒は礼儀正しく返す。普段ならば赤髪の少女も一緒にいるはずだが、今は姿が見えない。恐らく、昼休みに行われる委員会会議に出席しているのだろう。
「二人は移動教室かな?」
「はい。次の時間は、理科の実験があるので」
そう言って、氷雪は抱えていた教科書を識苑に見せる。理科実験室は、技術室と同じく特別教室棟にある。授業のある生徒は休み時間中に移動しなければならない。
「遠いから大変だよねー。先生も次の時間授業あるし、あっちの棟に行かなきゃ」
「いつもみたいに壁を走っていくんですの?」
首を傾げ問う桜子に、識苑はそうだよと軽く返す。ショートカットってやつだね、と言うと、桃と白の耳がぴこぴこと動く。輝く大きな瞳は好奇心で溢れていた。
「あの……先生。危なくはないのですか……?」
反して、隣に立つ白の少女の瞳は不安に揺れていた。傍から見れば綱一本で宙にぶら下がってる状態だ。心配するのも無理はない。
「大丈夫だよ。これ見た目よりずっと丈夫だし。それに、先生一応プロの高所作業員だからね。これぐらい余裕余裕」
「あっ、そう、でした……」
ロープを軽く引きつつ答えると、川底色の瞳に安堵が浮かぶ。しかし、それもすぐさま暗く陰った。俯く様を見るに、余計なことを聞いてしまった、と後悔しているのだろう。心優しい彼女らしい。それだけに、暗い顔をさせたくなかった。
「でも、慣れてるからー、って気を抜いてたら危ないもんね。注意するよ。ありがとう」
不安を吹き飛ばそうとにこやかに礼を言うと、白雪のかんばせがわずかに上がる。未だ自己嫌悪の情が見えるが、先程よりは明るい。よかった、と密かに安堵の溜息を吐いた。
あ、と桜子が声をあげる。釣られて向けた視線の先、別棟の外面に設置された時計は、予鈴手前の時刻で針が止まっていた。
「もうこんな時間ですの!?」
「本当だ。二人とも、もう行った方がいいね」
「そっ、そうですね」
失礼します、と少し慌てた声と礼が二人分重なる。微笑ましさに思わず頬が緩んだ。またねー、と手を振り、識苑は彼女らの背を見送る。
「まだ時間あるし、走んなくても大丈夫だよ」
「分かってますの!」
足早に別棟に向かう二人の背に声を投げかけると、元気な声が返ってくる。真面目な彼女たちに言うことではなかったな、と苦笑していると、真っ白な背がくるりと反転した。宝石のような瞳が、再びこちらを見る。人と話すのが苦手な氷雪だが、今は眼鏡のレンズの奥にある橙をまっすぐに見ていた。
「あの、先生もあまり急がず……、えっと、お気をつけください」
「……うん。ありがとう。気をつけるね!」
『先生』の四音を聞く度、言う度、心の奥底で何かが悲鳴をあげる。うるさいな、と煩わしいそれを握り潰し、識苑は再び笑顔を浮かべた。
「じゃあ、授業頑張ってねー」
「はい。失礼します」
再び礼儀正しく礼をして、氷雪は旧友の元へと向かう。草履がぱたぱたと音をたてた。
軽く壁を蹴り、識苑は校舎の窓から覗くことができない位置に移動する。そのまま、ぐいと首を反らして天を仰いだ。
雪色の少女の声を思い起こす。可憐な声が呼ぶ己の名の後ろには、必ず『先生』という呪いの言葉がついていた。
「……ほんっと、馬鹿馬鹿しい」
己と彼女は教師と生徒という関係なのだから、そう呼ぶのは当たり前だ。あの礼儀正しく真面目な少女が、教師を呼び捨てにするなんてあり得ない。分かっているのに、こんな当たり前のことで、馬鹿みたいに苦しくなる。いい歳してこれなのだから、本当に救いようがない。
はぁ、と重く息を吐く。こんなこと、当然で、至極自然で、当たり前のことだと思っていたのに。いつの間にか、当たり前は当たり前じゃなくなっていた。
躑躅に捧ぐ/はる→グレ
葵壱さんには「こんな世界は嫌いです」で始まり、「満足そうな顔で頷いた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。
こんな世界は嫌いだ、と始果は歯を強く噛みしめる。痛苦と憤怒で歪んだ口元から、ギリ、と嫌な音がした。
こんな、愛しい躑躅色が苦しむような、愛らしい少女が悲しむような、愛するグレイスが消滅を選ぶような世界なんて、好きになるわけなどない。こんな世界、存在する価値などない。彼女が破滅を望んだのだから、壊さねばならない。
少女の影響でどんどんと増殖していくバグを、細い体内に取り込んでいく。己の中に在る何かが力を増し、額に浮かぶ橙の瞳が強い光を放ちだした。身体を蝕む感覚に、夜空のような目が苦悶に歪む。記憶を維持するため日常的にバグを食らってきたが、今回の量は流石に己の限界値を超えているらしい。増幅する何かに食い殺されぬよう、少年は歯を食いしばる。たとえこの身が壊れようと、与えられた役目を果たせればそれでいい。生き残ったところで、グレイスが消滅した世界に意味などないのだから。
久方ぶりに現れた双尾がぶわりと毛立つ。ようやく邪魔者が訪れたようだ。髪と同じ色をした狐耳が忙しなく動き、敵を探る。隠れることなく進むそれは簡単に見つかった。
バグの海を泳ぐ無機質な機体を見下ろす。気配を探るかぎり、相手は一機のようだ。少なくとも五機存在することは確認済みだが、他にそれらしきものは全く感じない。彼女の計画通り、戦力を分散させることに成功したらしい。
意識を集中し、世界を漂う電子で得物を織る。力を振り絞り、この一帯を制圧できる数を生み出していく。いくらあちら側が研究に研究を重ねた機械であろうとも、全て当たれば無事では済まないだろう――もっとも、相手がそう簡単に散るような者でないことは、いくらか刃を交え理解しているが。
周囲に苦無と手裏剣を幾重にも展開し、刀と鎖鎌を握る。妙に手に馴染むそれを構え、少年は煌々と輝く金の目を伏せた。
さぁ、役者は揃った。あとは、あの子の願いを叶えるだけ。
最期の役目を今一度確認し、双尾の妖狐は満足そうな顔で頷いた。
同一の喜び、相違の楽しみ/ニア+ノア
あおいちさんには「昔読んだ本を思い出した」で始まり、「当たり前は当たり前じゃなくなった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。
昔読んだ本を思い出した。
白いステッキをぶんぶんと振り回し、己の名を呼びながらこちらに駆けてくる姉の姿を見て、ノアは記憶の隅に残っていた古びた本をめくる。子供向けのそれは、広大な海を自由に走る海賊たちを描いたものだ。詳しい内容は忘れてしまったが、嵐の中一致団結して突き進み、凶暴な獣が跋扈する宝島を探検し、時には悪い海賊たちと戦う。そんな冒険活劇を、姉妹二人で目を輝かせたことははっきりと覚えている。
そんな姉は、普段の星空模様の服ではなく、豪奢な衣装を身に纏っていた。
真っ白なセーラーブラウスに、鮮やかなライトグリーンの大ぶりなタイ。コルセットのついた真っ青なスカートからは、白のソックスと底の厚いブーツが覗いている。少女らしい衣装だ。
ポニーテールが揺れる小さな頭には、ずり落ちてしまいそうなほど大きな黒い帽子が被さっている。山のような形をしたそれの中央には、錨のマークが輝いていた。昔読んだ本、その表紙に描かれた海賊の大将も同じものを身に着けていたな、と先ほど掘り起こした記憶が語った。
「ノアちゃんすっごく似合ってる!」
「ニアちゃんもとっても似合ってるよー」
妹の姿を見て、ニアははしゃいだ様子で腕をばたつかせる。いつも通り元気な様を見て、ノアも楽しげに笑った。
「でも、ニアちゃんの方がかっこよくていいなー……。帽子、すごくかっこいいもん」
まあるい瞳が、己の身を見下ろす。基本的にはニアと同じデザインだが、妹に与えられたのは金の柄を持つ真っ赤な旗と、小さな王冠だ。先程思い出した本の印象もあって、姉の海賊らしい衣装が羨ましい。
「ノアちゃんもいいなー。王冠、ちっちゃくてキラキラして可愛いもん」
いいなー、と二人は互いの衣装を見比べる。自分が着ているものも素敵だが、ほんの少しの差が酷く羨ましく思えた。可愛いのもいいけれど、かっこいいのもいい。年頃の乙女の心は複雑なのだ。
「じゃあ、後で交換しよう! ニアも王冠つけてみたい!」
姉の提案に、妹はぱぁと目を輝かせる。双子であり、同じ体格の二人だからできることだ。うん、と大きく頷いて、二人の兎は満足そうに笑う。もうすぐ行われるジャケット撮影と、その後の衣装交換への期待に、少女らの胸は高鳴った。
姉妹同じだと信じて疑わず、昔からお揃いの服を着るのが当たり前だった。けれども、この世界に深く関わっていく内に、同一であると思っていた自分たちには多くの差異があると気付いてしまった。
別個であると分かってしまったのは悲しい。けれど、その差異を活かし、別々の服を着るのは楽しかった。服だけでない、髪留めやアクセサリーといった小物を互いに見つけあうのは、お洒落に敏感な年頃の乙女には楽しくて仕方がなかった。
今まで気づかなかった楽しみを知った青空色の兎は、今日もきゃらきゃらとはしゃぎ飛び回る。おんなじだという双子の当たり前は、当たり前ではなくなった。
照らすスポットライト/奈←恋
あおいちさんには「知らないふりをしていたんだ」で始まり、「想いを伝える術はなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。
ずっと知らないふりをしていた。
眩い舞台、その中央に座る友人を見つめる。七色の美しい瞳は涙で濡れ、華奢な手はナイフを持った少年の手に重ねられていた。物悲しい音楽を背に、二人は言葉を交わす。劇は終盤に近づいているようだ。
舞台が奏でる音は、客席にいる恋刃の耳には届かない。鮮血のように真っ赤な瞳は、スポットライトを浴びる二人の影を呆然と眺めていた。
学園祭の演劇に出るの、と人見知りの友人がはにかみながら話したのはいつだったか。練習に励む彼女を応援したのはいつからだったか。舞台袖で震えて出番を待つヒロインを鼓舞したのは何分前だったか。全てが遠い昔のことに感じる。そう錯覚するほど、目の前の光景は少女の心を強く揺さぶるものだった。
――私じゃ、あんな風になれない。
普段ならば、舞台に立つ少年の位置には自分がいる。いつだって奈奈の隣にいるのは恋刃だけで、その手を握るのも互いだけだ。けれども、今ステージに上がっているのは自分ではない。いつもの位置に自分はいない。なのに、これが当たり前の風景に見えた。
女の自分よりも、男である主人公の方が奈奈の隣にいるのが自然だ。恋刃でなく、別の男の方が奈奈にとって相応しい存在なのだと言われているようだった。
その認識は劇の役や演出によるものだ、ということは分かっている。けれども、紅の瞳に映る全ては、少女がずっと目を逸らしていたことを容赦なく突きつけた。
知らないふりをしていた。気付かないふりをしていた。分からないふりをしていた。
女である私があの位置にずっといることができないなんてこと、知らないままでいたかった。
ステージに立つヒロインの手から、真っ赤な林檎が落ちる。そのまま、二人の横を転がり舞台袖へと消えていくそれが、まるで己のように思えた。
目を逸らしてきた感情が胸の内で膨れ上がり、淀み渦巻く。行き場の無い苦しさに、恋刃は己の胸を強く押さえた。
こんな、こんなに醜く汚らしい、ずっと知らないふりをしてきた想いを誰かに伝える術などなかった。
ひとりとふたり/レイ+ライレフ
葵壱さんには「気付いてしまった」で始まり、「そっと目を閉じた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字程度)でお願いします。
気付いてしまったのはいつだっただろうか。
運営用のコンピュータが立ち並ぶデスクから少し離れた場所、一通りの書類や資料をまとめた棚の前で会話する二人を眺め、レイシスはそんなことを考える。
真剣な顔つきで話す双子は、共に運営業務を行う大切な仲間だ。この電子の世界ができてからずっと一緒にいる、レイシスにとって家族のような存在だだ。二人もそのように思ってくれているのか、よく自分のことを気にかけてくれる――そのことで喧嘩することがあるのは、悲しいのだけれど。
気質が正反対のためか、二人が言い争う姿は今も昔もよく見かける。級友やレイシスが仲裁に入ることもしばしばだ。かといって、決して兄弟仲が悪いわけではない。むしろ、とても良い方だろう。兄が弟を構い倒す姿は日常風景であり、弟が兄を案じ行動する姿も同じく当たり前の日常だ。
同じことを同時に口にしたり、いざという時は息がぴったりなのも、きっと互いのことをよく理解している故だ。言葉を交わすことなく相手の思考を瞬時に理解し素早く動く様は、『生まれた時から兄弟』と言うのがよく分かるものだ。
けれどもいつだったか、その雰囲気が変わっていることに気付いた。
普段の会話も、小さな言い争いも、どこか柔らかい。触れあう様も、案じる様も、兄弟という括りにしては優しくて甘いものだ。
あぁ、何か――関係がより深まることがあったのだな、と頭の隅で理解したことを覚えている。同時に、胸に小さく重い言葉が落ちてきたことも、それが未だに残っていることも、はっきり分かっている。
結局、自分はずっと他人のままなのだ。
どんなに近くにいても、家族のように触れあっても、『兄弟』という明確な血縁関係を持つ二人の中にレイシスは入れない。それ以上の何かになった二人ならば、尚更だ。そこに他人が挟まる余地などない。たとえ、彼らが強い好意を寄せてくれているとしても、だ。
羨ましい、と少女は眩しそうに目を細める。家族が、特別な相手がいるのが羨ましい。ナビゲートシステムである自分には手に入れられないものを持つ二人が羨ましい。
ワタシも血の繋がった家族だったらよかったのに。
抱える子供じみた嫉妬に呆れ、レイシスはそっと目を閉じた。
花咲く夜を共に/ハレルヤ組
あおいちさんには「去年の花火は綺麗だった」で始まり、「それでも世界は変わらなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。
「去年の花火も綺麗デシタケド、今年もとっても綺麗デシタネ!」
上機嫌な様子で、少女は手にした団扇をくるくると回す。今しがた終わった花火大会の興奮がまだ覚めやらないようだ。
「うん……キレイだったな……」
「そうですね……とても綺麗でした……」
少女を守るように挟んで歩く二人の少年は、肯定の言葉を返す。しかし、その声は震え湿り気を帯びたものだ。時折、鼻をすする音が聞こえる。顔を俯け、目元を抑える姿も見える。どこか挙動不審な兄弟の様子に、レイシスはこてんと首を傾げた。
「二人共、そんなに感動したンデスカ?」
「……うん。すっげー感動した」
「はい。美しすぎて言葉も出てきません」
双子は感極まったという様子で答える。ズ、と鼻をすする音と、ぅ、とえづく音が同時に響く。地域の小さい花火大会を見ての反応としては、いささか大袈裟だ。
それもそのはず。兄弟は花火に感動しているわけでない。『再びレイシスと花火を見ることができた』という、今この日に感涙しているのだ。
一緒に海に行こうと画策してはや数年。そちらの目標は未だ達成できていないものの、昨年はようやく『三人で花火を見る』ことができたのだ。
その場の勢いで来年も見に行こうと約束づけたのが、昨年の帰り道。そして、それをしっかりと覚えてくれていた少女は、今年も花火大会へ行きマショウ、と誘ってくれたのだ。あまりの喜びに、兄弟揃ってその場で崩れ落ち咽び泣きになったのは秘密だ。
そうして花火大会当日。浴衣と甚平に身を包んだ三人は、隣りあい思う存分夜空に咲く火の花を堪能したのだった。泣くほど喜ぶのも無理はない。
「来年もまた見たイデスネ」
ふふ、と団扇で口元を隠しながら、レイシスは弾んだ声で言う。『来年』という言葉に、兄弟の鼻奥が更に痛みを訴えた。
「はい。来年も、是非」
「ぜってー行きたい! 約束なっ!」
目元を袖口で拭う烈風刀と、一思いに鼻をすすった雷刀が、ようやくまともな声をあげる。調子が戻った様子に、少女はクスクスと笑う。目元に紅が残る少年らも、つられたように笑った。カランコロンと弾む軽やかな足音が三つ分、静かな帰り道に響く。
光の花で彩られた非日常な闇夜が、何もかを塗り潰すような日常の色へと戻っていく。それでも、三人を包む優しい世界は変わらない。
ゆるして/レイ+グレ
葵壱さんには「優しい彼女は夢を見る」で始まり、「また一から始めよう」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば11ツイート(1540字程度)でお願いします。
優しい彼女は夢を見る。それも、とびきり酷い悪夢を、何度も何度も繰り返す。
隣から聞こえる痛々しい呻き声に、レイシスは苦しげに目を細める。形のいい桃の眉が悔しげに寄せられる。可愛らしい唇は普段のように柔らかな弧を描かず、真一文字に結ばれていた。
重力戦争が終結してもうすぐ一年経つ。終結と共にネメシスに迎え入れられたグレイスは、もうすっかりこの温かな世界に馴染んでいた。
初めは補助されながら必死に行っていた運営業務も、今では一人でこなせるようになった。一年遅れのハンデがある勉学も、懸命な努力を重ねどんどんと成績を上げている。最初は拭いきれない警戒心で険しかった表情も、最近では柔らかになり、少しずつだが笑顔を見る機会が増えた。
躑躅の少女は日々成長し、電子の世界で元気に生きている。
その姿をすぐ隣で見てきたレイシスは、幸せで堪らなかった。生きたいと願い手を伸ばしてくれた少女が、今この世界で生を謳歌している。これ以上の幸せなどない。
そんな愛しい妹は、己の横で眠っている。深い夢の世界に溺れ沈むグレイスは、華奢な身を縮こまらせていた。苦しげな呻きと細い呼吸に混じり、かすかな嗚咽が聞こえる。固く閉じた少女の目から、漏れ出るように淡い涙が流れた。あまりにも痛ましい姿に、レイシスはぎゅうと掛け布団を握った。
優しい彼女は夢を見る。終わりを迎え、過ぎ去ったはずの闘いの日々の夢を見て、恐怖と罪悪感に押し潰されている。
この様子を初めて見たのは、グレイスがこちらに来て一ヶ月経った頃だったろうか。夜中にふと目が覚めると、隣に眠る小さな妹が苦悶の表情を浮かべていて酷く驚いたことを覚えている。
ごめんなさい。ゆるして。いやだ。きえたくない。いきたい。ごめんなさい。ごめんなさい。
呻きにも似た寝言は、あの闘いの日々が未だに彼女を苛んでいると如実に語っていた。
たしかに、市街を襲い、人々をバグで操り、世界を壊そうとした二年間をすぐに忘れることは難しいだろう。けれど、それらは全て無事に修復し終わり、既に元の姿を取り戻している。初めは『敵』だと警戒されていたが、今までは皆彼女を『仲間』として受け入れていた。もう、グレイスが苦しむ必要などないのだ。
だというのに、悪夢は度々少女を襲う。深く重いそれは、彼女の中から消えることのない罪の日々を突きつける。抵抗する術など無い少女は、痛みと苦しみに喘ぐことしかできない。
本当ならば起こしてしまいたい。この悪夢からすくいあげたい。けれど、それは逆効果だということは既に学んでいた。あの日、錯乱状態に陥り、一晩中震え泣きじゃくった彼女の姿を思い返すだけで、今でも胸が酷く痛む。今できるのは、暖かい毛布をかけ、溢れる涙を拭い、震える身を抱きしめてやることぐらいだ。
己の無力さに、少女は歯噛みする。皆を守ると誓ったのに、妹を悪夢から守ってやることすらできない。悔しくて、苦しくて、こちらまで泣きそうになる。けれども、一番辛いのは夢に溺れる彼女なのだ。泣くことなんて、少女自身が許さない。感情を抑え込むように、桜色の瞳が固く閉じられた。
ごめんなさい、と腕の中の少女が細い声で喘ぐ。閉じた目を開け、痛ましい音を奏でる度に溢れる涙を袖で拭い、レイシスは硬く縮こまった身体を優しく抱きしめた。ずっと温かな布団の中にいたはずなのに、その細い身は芯から冷え切っているように思えた。
涙を流す躑躅の額に、薔薇色は己のそれを合わせる。決して許されないと頑なに思い込んでいる妹へ向けて、姉は言い聞かせるように囁いた。
「……大丈夫デス。ミンナ、アナタのことを許してマスヨ。ミンナと一緒ニ、また一から始めマショウ」
空模様心模様/後輩組
葵壱さんには「永遠なんてない」で始まり、「明日はきっと元通り」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。
「永遠なんてないのは分かってるよ……」
「当たり前だろ。永遠に梅雨のままとかあり得ねーよ」
窓に片手をつけ、悲壮に満ちた表情で空を見上げ呟く瑠璃紺を横目に、魂は疎ましげな声で吐き捨てる。よく磨かれ透き通るガラスの向こう側は、空を埋め尽くしていた真っ黒な雲が薄れ、色の薄い空と穏やかな光が顔を覗かせていた。
梅雨入りしてもう随分と経った今日は、雨に世界を支配されていた。降る勢いはそれほど激しくないが、傘を差さねば外を出歩くことは難しく、地面は水で薄く覆われ歩きにくい程度には面倒だ。中途半端に高い気温と相まって、不快指数は上がるばかり。ただでさえ気が滅入るというのに、雨の日は性格が豹変する友人が一日中騒がしいのだから嫌になる。腐れ縁と称するのが相応しいほど長く共にいるのだから彼の奇行には慣れているが、うるさいことには変わりない。憂鬱になるのも仕方のないことだ。はぁ、と重い溜め息とともに、二色一対の目が不機嫌そうに細まった。
「でも、ずっと雨の方が楽しいでしょ?」
「楽しいのは冷音だけでしょ……」
必死に同意を求めようとする少年の言葉を、眠たげな声が切り捨てる。壁にもたれかかり眠っていた灯色がようやく目を覚ましたようだ。まだ半分瞼が降りたままの目には、眠気だけでなく呆れも見えた。
友人らの指摘に、冷音は押し黙る。反論できずに俯く彼の表情は、群青の髪で隠れ見ることは叶わない。けれど、その瞳が悲しみで伏せられていることぐらい、容易に想像できる。うぅ、と小さな唸り声が、悲しげに歪んだ口から漏れ出た。
「もう梅雨明け近いんだし、さっさと諦めろよ」
「分かってるよ。……でも、雨の日が減るのは悲しいよ」
投げやりな言葉に、冷音は唇を尖らせる。もう子供ではないのだから、永遠に雨が続くわけがないことぐらい承知だ。それでも、雲が消えるほど晴れ渡る日々が待つ夏に向かうのは、雨を愛する少年にとっては憂鬱でしかない。
嫌だなぁ、と未練がましい声が、雨音の消えた部屋に落ちる。毎年のことだ、反応しても意味は無い。悲痛な声を漏らす友人を無視し、魂は口に含んだ飴玉を噛む。溶けて小さくなった砂糖の塊が砕ける音が骨を伝って聞こえた。
まるで悲劇のヒロインのように窓ガラスに手を付け空を見上げる友人を尻目に、灯色は立ち上がることなく魂の方へとぺたぺたと這っていく。曰く、キーボードを叩く音は心地良よく、よく眠ることができるから聞いていたいらしい。今回は、晴天で湿った呟きから逃げる意図もあるのだろう。
友人の邪魔にならないよう、少年は彼が作業している机のいくつか隣、コンピューターが置かれていない簡素な机の下に潜り込む。眠たげな目をゆっくりと瞬かせ、少年は再び冷たい床に身体を横たわらせた。
ずっとモニタと向かい合う中、二色の瞳がちらりと横目で窓辺を見やる。晴れ渡る空と街を切り取ったガラスの真下には、深い群青の塊があった。胸を蝕む悲哀が頂点に達し、半ば鬱状態になった冷音だ。えっぐえっぐ、と大げさな泣き声が、タイプ音と機械類の駆動音が支配する部屋の床に落ちて消えた。
「……ほんと、懲りないよね」
寝転がっていた胡桃色がもぞりと動き、同じく窓辺へと顔を見ける。眠気でふわふわとした声には、呆れを通り越して関心すら見えた。
「いつもああだよ。構ってもしょーがねーし、落ち着くまでほっとくのが一番」
「魂が言うと説得力あるね……」
「当たり前だろ。何年付き合わされてると思ってんだ」
呑気な声に、うんざりとした声が返される。モニタの青白い明かりに照らされた顔は、英数字が踊る液晶画面を見つめたままだ。
互いに『腐れ縁』と称する程度に共に過ごしてきたのだ。雨色の彼のことなど、嫌というほど理解している。雨雲が消え、晴れた直後の冷音が湿っぽくて非常に面倒臭いことなど、魂の中では当たり前の知識だ。その対処法も、誰よりも分かっている。
大体さぁ、と心底辟易した声を漏らし、少年はパーカーのポケットに放り込んでいた携帯端末を取り出す。小型のそれを片手で器用に操り、地面に寝転がったままの灯色の眼前に突きだす。手のひらサイズの画面に映し出された文字列を見て、眠たげな少年の口から、うわぁ、と小さな声が漏れた。
青白く光るそれの中、開かれたページには、大きな傘のマークと降水確率示す数字があった。午前と午後に分かれたその欄には、どちらも九〇パーセントという高い数字が赤字で刻まれていた。ご丁寧に『傘を忘れずに!』とほぼ意味のない注意書きまで添えられている。
どこか沈んだ灯色の声に、魂も同じ調子で溜め息をつく。すぐに来るであろう明日をことを考えて、疲労が蓄積された頭が鈍い痛みを訴える。色鮮やかな眼鏡を外し眉間を揉みながら、少年は嘆息するように重苦しい声を漏らした。
「明日にはきっと元通りだ……」
音の数と意味の数/プロ氷
葵壱さんには「たった5文字が言えなかった」で始まり、「月が綺麗ですね」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。
たった五文字が言えないことに、氷雪は酷く罪悪感を覚えていた。
愛する人は、夕陽のようなまあるい瞳を柔らかに細め、愛しさに満ち溢れた五文字を幾度も与えてくれる。だというのに、己は羞恥に固まってしまうか、動揺でろくに言葉を発せなくなるだけで、応えられた試しがない。与えられるばかりで何も返せない罪悪感と、いつまで経っても慣れない不甲斐なさに、少女の心は押し潰されるばかりだ。
自分よりもずっと大人な彼は、気にしなくていい、見てるだけで十分伝わってくる、と言ってくれる。その優しさに甘えてしまっている自分が、嫌でたまらなかった。与えられた愛を同じぐらい伝えたいのに、羞恥心を言い訳にする身勝手さに、胸の奥がじくじくと痛む。苦しくて、悔しくてたまらなかった。
低い声が奏でる五文字を聞くだけで、少女の心は喜びと温かさでいっぱいになる。きっと、識苑もそうだ。己の言葉で彼の心をほんの少しでも満たせれば、と考え、氷雪は嘆息する。そう考えて、もう随分と経つのに、未だに上手くいかないのだから不甲斐ない。桜色の唇から、今一度深い溜め息がこぼれた。
「氷雪ちゃん?」
落ち着いた調子の声が、己の名前を紡ぐ。軽く屈み、わざわざ視線を合わせてこちらを覗き込む識苑に気づき、氷雪の意識が現実へと引き戻される。心配そうに下がった眉を見て、胸に小さな痛みが走る。どうに平常を装い、少女は急いで笑みを浮かべた。
「い、いえ。ちょっと、考え事をしていて」
「……そっか」
無理に作った硬い笑顔と言葉に、識苑は普段通りの笑みを浮かべる。聡い彼から見れば己の姿は明らかに不自然だろうに、追求しないのは優しさによるものだろう。また迷惑をかけてしまった、と、少女は学生鞄の持ち手をぎゅうと握った。草履と安全靴が奏でる足音が、宵闇に溶けていく。
帰宅しようと下駄箱に向かう途中、たまたま出会ったのが陽が地平線へと沈みゆく頃。気分転換したいし寄宿舎まで散歩しようかな、と二人で玄関を出て、今に至る。本来ならば、学園に隣接して作られたそこにはすぐに着くのだが、二人の足は自然と遠回りになる道を選んでいた。
人通りが少ないここには、氷雪と識苑の二人しかいない。久々の二人きりの時間なのに、暗い考えに思考が傾いてしまう自分に嫌悪感が募っていくばかりだ。
姿勢を正し、識苑は伸びをするように後ろで手を組み、空を見上げる。陽光が薄く残る空には、点のような星が姿を表していた。
「テスト近いしねー。課題とか増えるし、色々考えることあって大変でしょ?」
「そうですね。けれど、桜子さんや恋刃さんが教えてくれるので、いつもより不安は少ないです」
「そっか。良い友達を持ったね」
穏やかな言葉に、少女は、はい、と嬉しそうに返す。ようやく見せた明るい表情に、青年はつられるように笑みを浮かべた。
事実、試験前に催している勉強会のおかげで、成績は少しずつ上がっていた。学力の向上はもちろんだが、何より『友達と一緒に勉強会をする』ということが、氷雪にとってはとても嬉しいことだった。
そういえば、と勉強会中の会話を思い出す。現代文の課題を一通りこなし、一度休憩した時、桜子がうっとりとした表情で語った話だ。それは確証のない作り話だ、とすぐさま恋刃に切り捨てられていたが、ロマンチックなそれは氷雪の頭の隅に残っていた。
真似するように、少女も夜空を見上げる。太陽と入れ替わりに姿を表した黄金色を見上げ、白い少女はこくりと息を呑んだ。
「あ、の……、識苑先生」
少し掠れた声で、愛する名前を口にする。なぁに、と落ち着く優しい声が耳をくすぐった。
静かに深呼吸をし、少女はぐいと顔を上げる。雪とすれ違いに咲く梅の色に染まった顔が、月色の瞳を見上げた。
呼ばれた青年はおどけるように小さく首を傾げる。しかし、その目は引っ込み思案な恋人の言葉をしっかりと受け止めようとする真摯なものだ。
震える唇を叱咤し、雪色は拙く舌を動かす。どうか聡明な彼に伝わりますように、と祈りながら、五音と同義の九音を紡いだ。
「つっ、月が、綺麗です……、ね」
畳む
昼寝は三〇分から一時間が効果的【プロ氷】
昼寝は三〇分から一時間が効果的【プロ氷】
診断メーカーのお題で書くつもりだったけど全然違う方向性にいったので別途書き上げたもの。どうせ違うなら、と趣味に突っ走った結果がこれだよ!
ちょっと強気な氷雪ちゃんと動揺しまくる識苑先生の話。
葵壱さんには「目をそらさないで」で始ま
おまけの蛇足
「目をそらさないでください」
彼女にしては――少なくとも学内での彼女を知る者にとっては――珍しい、強い口調で言われ、識苑は乾いた笑いを漏らした。夕焼け色の瞳は先程からずっと宙を泳いでおり、正面からじぃと見つめる水底色から必死に逃げていた。
「……識苑さん」
二人きりの時にのみ許される呼び名に、反射的に少女の方へと顔を向ける。今まで逃げてきた翡翠の瞳は、怒気と憂心で揺れていた。重くのしかかる罪悪感に、青年はいたずらがばれた子供のように俯く。無理矢理視線から逃げようとする稚拙な行動は、両頬を捉えた冷たい手によって阻まれた。血色が良いとはとても言えない顔を動かないよう固定し、氷雪は再び正面から識苑を見据えた。
「識苑さん、顔色が酷いですよ。昨日何時間寝ましたか?」
「……よ、四時間ぐらい」
「夜中から明け方までエスポワールさんのメンテナンスをしていたと、御本人から聞きました。それに、今日は一時間目に授業がありましたよね? 計算が合いませんよ」
平坦な声と鋭い視線が、全て知っている、と語っている。普段はあんまり会話しないのに何で今日に限って、と機械仕掛けの少女を恨むが、もうどうしようもない。そもそも、彼女の証言は事実であるのだから反論などできないのだ。
嘘ではない。日付を跨いで三時間寝て、メンテナンスを終えてから職員朝礼の直前まで一時間ほど寝たのだ。嘘は一つもついていないが、そう弁解したところで意味はないだろう。そもそも、元の睡眠時間が人よりずっと少ないのだ。日頃の不摂生も相まって、健康的とはとてもいえない状態であることは自覚している。心優しい彼女が心配するのも当たり前だろう。
「とにかく、少しだけでも寝ましょう?」
寝てください、と悲しみを湛え潤んだ瞳で乞われ、彼の中に『断る』という選択肢は無くなった。小さく首を縦に振ると、心痛で強く眇められた目からわずかに力が抜けた。
すべすべとした小さな手が、ごつごつとした大きな手を包み込むように握る。氷雪はそのまま休憩スペース――技術班である彼が根城としている物置兼作業部屋で、唯一片付けられた長ソファへと向かった。
目的の場所に着き、少女は逃さんとばかりに強く握りしめていた手を離す。そのまま、ソファの端に腰を下ろした。呆けた様子の夕焼け色の瞳を見上げて、雪色の少女は白い着物に包まれた自身の太腿をぽんぽんと叩いた。
「寝てください」
「えっ? あっ、え? 氷雪? あれ、でも――」
それって膝枕ってやつじゃないかなぁ、と識苑は胸の内で叫ぶ。
己のことを真剣に案じ尽くしてくれるのは、申し訳無さもあるが嬉しい。嬉しいけれども、まさか膝枕だなんて。初な少年のように、心臓がうるさいほど脈打つ。研究一筋でろくな恋愛経験をしてこなかった彼には、膝枕という甘いシチュエーションを体験したことなど一度たりともなかった。そんなものが唐突に降ってきて――それも、日頃はその類に消極的な彼女が自ら提案してくれたなどという現実を、働き詰めで疲弊した脳味噌が処理できるはずがない。頭を抱え、その場に蹲ってしまいそうになる。
「寝てください」
あまりの動揺に言葉に詰まる彼を見上げ、氷雪は再び有無を言わせぬ声で告げる。普段は控えめに話す彼女がここまで強く主張するのは、本当に珍しいことだ。それほど、恋人の身体を案じているのだということが分かる。
一切譲る気が無いその姿に、青年は軽く目を伏せる。わずかに覗く夕陽色は葛藤で強く揺れていた。寝なければならないのは分かる、けど膝枕は、いや嬉しいけど、でもこんなところで、というかだらしない寝顔を見られるのでは、でも軽く寝た方がいいのは本当だし、寝ないと心配させるし、膝枕だし。様々な思いが寝不足で思考力が鈍った脳内を駆け巡る。その全ては、己の名を呼ぶ涼やかな声と、真剣に見上げる浅海
色の瞳によって欠片すら残らず消し飛んだ。
小さく深呼吸する。感情の波荒ぶ心をどうにか落ち着け、識苑は少女の元へと一歩踏み出す。その動きは、長らくメンテナンスをしていない機械のようなギクシャクとしたものだ。
目の前まで手を引かれて連れられたのだから、足を二回動かしただけで目的地に辿り着く。ごくり、と大袈裟なまでに大きく息を呑み、青年はソファに膝をついて乗り上げる。普段ならば適当に脱ぎ捨てる校内用のスリッパは、無意識に揃えられていた。
髪留めと眼鏡を外して白衣のポケットに放り込み、相変わらずぎこちのない動きで固い座面に横向きに寝転がる。その頭は、少女の柔らかな足を避け、弾力を失ったクッション部分に直接乗せられた。
ぽすぽすと腿を叩く軽い音と不満げな視線に苛まれながら、悩みに悩んで十数秒。ようやく決心をした、識苑は軽く起き上がりのろのろと身体を動かす。失礼します、と妙にかしこまった言葉と共に、少女の太腿にそっと己の頭を乗せた。
着物の厚い布越し、氷雪の柔らかな腿が重みでわずかに沈む。乗っているのは人間、それも成人男性の頭だ。辛くはないだろうか、と少し首を動かし、琥珀が斜め上を見やる。同じタイミングでその色を覗き込んだ翡翠と視線が交わった。新雪のように清廉なかんばせには、雪解け芽吹く梅のような紅色がうっすらと浮かんでいた。
「あっ、あの……、どうでしょうか? 痛かったり、寒かったりしませんか?」
「うん、大丈夫。……温かくて、すっごく安心する」
先程までとは正反対、自信なさげに問うてくる少女に青年は穏やかな声で返す。心の底からの言葉だ。温良な響きに安堵したのか、小さく息を吐く気配がした。
雪女という種族故か、氷雪は人よりも体温が低い。それに加え、着物の生地は洋服よりも厚い。体温など、ろくに伝わらないはずだ。けれども、乗り上げた側頭部や首元からは、たしかに彼女の優しい温もりを感じた。先程まで緊張でがちがちに固まっていた識苑の身体から、ゆっくりと力が抜けていく。ここ数日作業し通しで、ごちゃごちゃになっていた頭がだんだんと落ち着いていく。無意識に漏れた吐息は、安らぎで満ちていた。
衣擦れの微かな音の後、寝転んだ身体に何かが掛かる感覚がする。何だろうと思うより先に、冷えてはいけませんから、と少女の声が降ってくる。おそらく、普段から身に着けている被衣を掛けてくれたのだろう。他人から顔を隠すように常に被っているそれを、己のために躊躇うことなく外し与えてくれる。その優しさに、何だか目頭が熱くなった。ぎゅうと強く目をつむり、識苑は溢れそうになる感情をどうにか塞き止めた。
「一時間経ったら起こしますから、ゆっくり寝てください」
穏やかな声と共に、氷雪は膝の上の彼にそっと触れる。小さな美しい手が、桃色の頭をゆっくりと撫でる。ろくに手入れされていない、結いっぱなしですっかりと癖がついてしまった長い髪を、細い指が優しく梳いていく。慈しむような手つきは、まるで子供を寝かしつける母親のものだ。自分はもういい年した大人だと分かっているが、今はその感触が酷く心地よかった。
「……うん、分かった。お願いします」
手から、身体から伝わる穏やかな温もりに、橙の瞳がとろりと溶けていく。自分が思っていたよりも身体は睡眠を求めていたらしい。こんな状態では氷雪が必死になるのも仕方のないことだ、と沈みゆく意識の中で反省した。
おやすみなさい、識苑さん。
眠りの淵、かすかに聞こえた愛しい声に、おやすみ、とどうにか返す。瞼が降りきる直前、澄んだ川底のような優しい色が映った。
大切なその色と音を抱え、識苑は温かな夢の世界へと身を委ねた。
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IV I->III【レイ+グレ】
IV I->III【レイ+グレ】IVでのレベル改定のメタネタ。
書いた当時はまだラクリマPUCされてなかったんですよ……。
ぶくぶくと泡が上っていく細かな音が鼓膜をくすぐる。水滴一つ落としたように、透き通る高い音が波となって広がっていく。様々な音が、細い身体を包んでいた。
揺りかごのような浮遊感の中、ぼんやりとしていた意識が浮上する。目を開けると、そこは一面の青だった。闇を孕んだ青の中、空から降り注ぐ日の光が薄いカーテンのように揺れる。まるでいつか見た海のようだ。いや、実際に海をイメージしたものなのだろう。
グレイスはその場でくるりと回り、辺りを見回す。降り注ぐ光に照らされフリルをふんだんにあしらったスカートを翻す様は、スポットライトを浴びる女優のようだ。自分の他に誰もいないことを確認し、グレイスはふふ、と不敵に笑う。その表情は優越感に満ちていた。
現在、彼女が目を覚ましたのは"LEVEL20"フォルダだ。新バージョンに移行した際、ネメシスは新しく楽曲のレベルを取り決めた。LEVEL20は最高、数ある難関楽曲の中でもとりわけ難しいと判断されたものが住まう場所だ。
そして、そのフォルダには現在グレイス――"Lachryma《Re:Queen’M》"のジャケットを担当する”亡国の王女”しかいない。つまり、彼女が全楽曲の頂点として存在しているのだ。
「やっぱり、私が最強よね」
ふふん、と少女は得意気に笑う。前作ではLEVEL16フォルダにてレイシスと肩を並べていた。数々の楽曲を彩り、いつでも頂点に近しい場所にいた彼女を羨んだものだ。しかし、今回を持って自分は彼女を凌駕する存在だ、と正式に証明されたのだ。普段は何かと幼い子供のように扱われるが、少なくとも楽曲のレベルという部分においてはグレイスの方が上であるというのは、ネメシスが下した確かなものだ。
再び透き通った高い音が空間に響く。それを合図に、グレイスは踊るようにもう一度回る。フリルが幾重にも重なるスカートと高く結った髪をを翻し、黒と赤で輝くステッキを握り直す。す、と右腕を上げ、手を大きく広げると、その中に眩く輝く光が集まった。サイケデリックな桃色の瞳が暗い光を灯す。
「蹂躙してやるわ」
不敵に笑い、彼女は挑戦者を待ち構える。唯一の”LEVEL20”として、その権威を示すために。
ぶらぶらとバタ足をするように足を動かす。そんなことをしてもこの気持ちが治まるはずがないことなど、グレイスは十分理解している。それでも、彼女の細い脚は依然つまらなそうに揺れた。
暇だった。
確かに連日挑戦者が押し寄せてくるが、それを相手取るのはもう慣れたものである。ただ、毎日たったひとりでそれだけをこなすことがつまらないのだ。
そういえば、とグレイスは水面のような空をぼんやりと見上げる。初めてLEVEL16を担当した時は暇で仕方なかった、とレイシスがこぼしていたことを思い出す。十五段階で区分された世界の中に突然新設された”LEVEL16”、その地位を初めて与えられたのはレイシスとマキシマだ。グレイスとは違い二人だったとはいえ、相当暇だったらしい。やっぱり皆と一緒がいいデス、と彼女が寂しげに笑ったのはいつの日だったか。
「暇ねぇ……」
現在はひとりきりだが、前作でLEVEL16の楽曲がゴロゴロと増えていったように、今作もLEVEL20の楽曲は増えていくのだろう。ただただ、同格の存在が追加される日を待つしかなかった。
こぽこぽと泡が空へと向かう音が、ひとりきりの空間に虚しく響いた。
「グレイス!」
大きな声が、眠りの底に沈んでいた意識を引き上げる。聞き覚えのある声に、グレイスはゆっくりと目を開いた。なかなか焦点が合わず瞬きをすると、どん、と身体に何かがぶつかる。正面から来たであろうそれの勢いに負け、彼女はそのまま後ろに倒れ込んだ。
「いった……」
「グレイス!」
こぼれた声を上書きするように、再び名を呼ばれる。痛みの中、どうにか開いた目の先には、鮮やかな桃色の瞳があった。
「……レイシス?」
「やっとここに来れマシタ!」
疑問形で名を呼ばれたレイシスは、声の主を抱き締めることで返事をした。ちょっと、とじたばたともがくグレイスを無視して、少女は話を続ける。
「今日からワタシもLEVEL20デス! また一緒デスヨ!」
ヤッター、と喜びの声をあげぎゅうぎゅうと抱き付く彼女の背を、グレイスは抗議するように強く叩く。のしかかられ、腹部に腕を回され力いっぱい抱きしめられては苦しくて仕方がない。レイシスもようやく気付いたのか、はわと小さく声をあげて離れた。
上半身を起こし、ようやく離れた彼女の姿を見ることが叶う。真っ赤なフリルスカート、光沢のある黒のジャケットから、同じ色のボーダーに縁取られた赤いトップが覗く。その頭には、リボンとフリルのあしらわれた大きな海賊帽が乗っていた。腰のホルスターに刺さった金色の銃が、揺れる光を浴びてキラリと輝いた。
「今年は海賊デスヨ。かっこいいデショ?」
レイシスははしゃいだ様子でくるりと回る。桃色の髪が優雅に揺れた。今年というのはKACコンテストのことを指すのだろう。毎年行われるそれの最優秀楽曲は、常に最高レベルに属していた。今作も例に漏れず最高レベルを与えられたのだろう。
「グレイス姉ちゃーん!」
「ノアたちも来たよー!」
長い髪を翻す少女の後ろから、ニアとノアが駆けてくる。手にした旗とステッキを振り回す姿は相変わらず元気なものだった。デザインはレイシスのそれとは異なるが、彼女らも海賊をモチーフにしたドレスを身に着けていた。一度に二つも追加されたのか、とグレイスは驚いたようにぱちぱちと瞬きをした。いくらなんでも極端ではないか、と思うも、ネメシスが支配するこの世界ならば仕方ないと切り替える。こんなこと、日常茶飯事だ。
「今日から四人一緒だね!」
「よろしくね!」
ニコニコと嬉しそうに笑うニアとノアに手を引かれ、グレイスはようやく起き上がる。ステッキお揃いだねー、と姉妹ははしゃいだ声をあげ、両脇から彼女に抱きついた。青い双子はLEVEL20はもちろん、今まで最高レベルの楽曲を担当したことがない。初めての経験なのだ、これほどまでにはしゃぐのも仕方ないだろう。
「グレイス」
優しい声が、青い世界にひとりきりだった少女の名前をなぞる。顔を上げると、そこには柔らかな笑みを浮かべるレイシスがいた。
「今日からもう、一人じゃありマセンヨ」
自身の心を見透かしたような言葉に、グレイスの心臓がどきりと跳ねる。何故、と思うも、答えはすぐに見つかった。レイシスも――”For UltraPlayers”のジャケットを担当した彼女も、この寂しさを抱きかかえていたと語っていたではないか。同じ状況、否、それよりも寂しい環境に放り込まれた少女の思いなど、お見通しだ。
ひとりぼっちではなくなった嬉しさと、心を見透かされた恥ずかしさを隠すように、グレイスはふん、と笑い飛ばす。宣戦布告をするように、彼女は真正面からレイシスを指差した。
「いい気にならないことね。追加されたばっかりのあんたたちはともかく、私は一年経った今もなおPUCされてないのよ。つまり、私が一番強いんだから!」
不敵な笑みで告げるグレイスを見て、レイシス、ニア、ノアの三人は顔をきょとんと見合わせる。全員同じことを考えたのか、くすりと小さな笑いが三つこぼれた。
「ちょっと! 何を笑っているのよ!」
「何でもありマセンヨ?」
「何でもないよねー?」
「内緒だもんね!」
隠した感情などお見通しと言ったように笑う三人の姿に、グレイスはうぅ、と悔しそうに呻いた。
「ほら! 呼ばれてるわよ! さっさと行ってきなさいよ!」
軽やかな音楽とともに、青い少女らを呼ぶコードが宙に表示される。ゲーム開始を知らせるそれに、グレイスはぶんぶんとステッキを振り回して必死に話を逸らそうとした。
「分かったー!」
「じゃあ、ノアたち行ってくるね!」
「またあとでねー!」
来た時同様、手にした獲物を振ってニアとノアは駆けていった。広いフォルダの中、今度はレイシスとグレイスのふたりきりだ。
「またよろしくお願いしマス」
「……よろしく」
薔薇と躑躅の姉妹は、仲良く隣に並び挑戦者を待っていた。
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#レイシス #グレイス