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No.145

結って遊んで愛らしく【はるグレ】

結って遊んで愛らしく【はるグレ】
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髪をいじくって遊ぶ推しカプは尊い。
これのセルフ三次創作です。

 緑の上を流れる黒を一房すくう。手のひらに載せたそれに、少女は折りたたみ式のコームを当てた。根元から細い毛先まで、ゆっくりとした手つきで丁寧に梳いていく。時折、プラスチック製の歯が抜けると同時にすくった黒髪が逃げていきそうになる。それほどまで、なめらかでまっすぐとした毛であるということだ。あまりにも櫛通しが良すぎて、本当に整える必要があるのかと疑ってしまうほどである。癖っ毛の己ではまず味わえない感覚だ。少しの嫉妬を抱えながら、グレイスは長い黒髪を恭しさすら覚える手つきで梳いていった。
 細いそれを全て整え終える。普段素早い動きに合わせ涼やかになびく黒は、いつにも増してツヤとなめらかさを持っているように見えた。一仕事終え、躑躅は小さく息を吐く。本番はここからだ。
 広い背の中程まである長い髪を左右二つに均等に分ける。片方を両手で持ち、頭に沿う動きで上げていく。耳より拳半分ほど高い位置で手を止め、根元を握って固定する。傍らに置いたポーチに手を入れ、ヘアゴムを取り出した。細く小さなそれを、手で仮止めした場所からずれないよう注意しつつ縛っていく。しっかりと結い終えると、さらりとした黒い尻尾が姿を成した。同じ要領で、残り半分も結い上げる。毎朝自身で髪をセットしているだけあって、手つきはこなれたものだ。
 結い終え、躑躅の少女は椅子に座りされるがままでいる髪の持ち主の前まで回り込む。カツカツとヒールが床を叩く硬い靴音は、どこか弾んで聞こえた。
 尖晶石の瞳が正面から作品を眺める。常は首の後ろで雑にまとめた髪は、細いツインテールに生まれ変わっていた。毛量が少ないものの、するりと流れるような柔らかなストレートヘアであるためか美しい仕上がりになっている。ふふん、と少女は満足げに笑みをこぼした。
 当人である髪の持ち主――始果は、不思議な様子で目の前の彼女を見ていた。きっと、髪型で遊ぶ楽しさが理解できないのだろう。日頃髪はおろか生活全般に頓着の無い彼だ、ジャケット撮影の度に様々なヘアスタイルを楽しむ女の子の気持ちが分かるはずなど無い。
 鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌な様子で、グレイスはツインテールの片方を手に取る。そのまま、長い結い髪をくるくると根元に巻き付けはじめた。ポーチからピンを取り出し、丸い塊となった黒に刺して留める。もう片方も同じようにまとめた。
 一歩引き、マゼンタの瞳が依然されるがままでいる少年を眺める。細く長いツインテールは、小さなお団子頭へと様変わりしていた。ふふ、と桜色の唇から笑みと同義の吐息がこぼれる。満足げな、楽しげな響きをしていた。
 手慣れた様子でピンを外し、そのままひっかからないよう注意しながらヘアゴムも取り払う。背へと戻ろうとする黒髪を小さな手ですくい取り、緑衣に包まれた肩にかけた。たおやかな指が、細いそれを更に細い三つの束に分ける。そのまま、するすると器用に編み込んでいく。ひとしきり編むと、ヘアゴムを使って留めて再び肩に掛けた。もう一房も手早く編んで肩にそっと掛けた。
 再び一歩引き、目の前の彼を見やる。快活な様を思わせるお団子姿は、落ち着いたお下げへと変わった。どこか幼い印象を与える顔と黒く長い髪が相まって、異様に似合って見える。ふ、と閉じた口から吐息がこぼれる。ふふ、と漏れるそれは、あっという間にあはは、と高い笑声へと移り変わった。
「グレイス?」
「っ、ぅ、な、なに……?」
 きょとりとした様子で名を呼ぶ狐に、躑躅はどうにか応える。口を押さえ笑いを噛み殺そうとするが、無駄な足掻きだった。三つ編み姿が妙に様になった愛しい人が、何だか面白くてたまらない。どんどんと込み上げてくる感情に、剥き出しになった薄い腹がひくひくと震えた。
「どうかしました……?」
「どっ、どうもしないわ、大丈夫よ」
 あまりにも異常に映ったのだろう、心配げな様子でこちらを見つめる金色の目に、少女は軽く手を振って返す。しばしして、長い溜め息とともに湧いて出てくる笑いはおさまった。必死に堪えていたこともあってわずかに疲れを覚える。はー、とまだほのかに笑みが残る息を吐いた。
「すごいですね……」
 肩に掛けられた三つ編みを片方手に取り、始果は嘆息するように漏らす。いつも自分で適当にまとめるだけの彼には、新たなヘアスタイルを物珍しく感じるのだろう。ジャケット撮影でも髪型を変えることが少ない少年にとって、矢継ぎ早に髪を結って変化させていくのは初めての体験だ。
「そう? 簡単なのしかやってないけど」
 つややかな黒を眺める姿に、グレイスは小首を傾げる。結んだだけのツインテールに丸めるだけのお団子ヘア、分けて編むだけの三つ編み。どれもヘアゴムとピンさえあれば簡単にセットできるものだ。特に、ツインテールなんて位置を決めてまとめ上げるだけの手軽さである。常日頃から髪を結い、姉にも髪を結って遊ばれる己にとってはどれも朝飯前だ。
「こんなの慣れよ。慣れ」
「グレイスはいつも結っていますものね」
 自身が持つ黒に向けられていた真ん丸な月色が、すぃと上がり眼前の少女へと向く。床についてしまいそうなほど長い毛先から、頭のてっぺんに近い位置にある根元まで、長いツインテールを金の視線が辿っていく。無感情にも見える瞳には、少しばかりの輝きが宿っているように見えた。
 そうね、と少女は長い髪の中ほどを手の甲で軽くすくう。枝垂れ桜を思わせる長い尾がふわりと広がった。伸ばし続けている髪は、毎朝丁寧にブラシを入れ、毛量と頑固なくせに負けないようにしっかりと縛り上げている。最初こそ難儀したものの、今では半分寝ていてもこなせるほど身体に染みついてしまった。
「……あんたもやってみる?」
 ふと頭に浮かんだものをそのまま口に出す。音となったそれは、何よりの名案に思えた。ふふ、とまた愉快げな笑みがこぼれる。どことなく浮かれた調子にも聞こえた。
 代わって、と躑躅は狐の手を取り軽く引く。突然の出来事に、え、と目の前のお提げ頭が傾いだ。構わず、ほら、と一押しすると、従順な忍は音も無く椅子から立ち上がった。繋いだ手を支点にするようにくるりと回り、少女は入れ替わりで椅子に座る。そのまま、朝早くに起きて整え結い上げたツインテールを解いた。華奢な身を包み込むように、ふわふわとした髪が広がった。満開の桜の木を思わせるようなシルエットとボリュームだ。
「はい、これブラシとヘアゴム」
 ポーチから大ぶりなヘアブラシを取り出す。つい先ほどまで鮮烈なアザレをまとめ上げていたヘアゴムと共に、目の前の少年に差し出した。事態を理解できないのか、彼は依然え、とこぼし首を傾げる。珍しく動揺をあらわにした様子に、どことなく愉快さと可愛らしさを覚える。柔らかな輪郭を描く頬が穏やかに綻んだ。
「私がやったみたいに二つに分けて、高い位置で留めればいいのよ。あんたも毎朝髪結んでるんだからできるでしょ?」
 ほら、と整えやすいよう、長い髪を後ろ側にさっと流して軽くまとめる。それでも、癖の強い髪は花が開くようにふわりと広がってしまうのだ。まぁブラシで整えれば何とかなるだろう、と毎朝の己の行動を思い返しながら呑気に考えた。
「お願いね」
 呆然と立ち尽くす始果に、グレイスはニコリと笑いかける。可愛らしいおねだりとも、早くしろという催促にも見えた。しばしして、分かりました、と少し強張ったらしくもない声が返ってきた。
 音も無く少年は背に回る。沈黙少し、ほのかに暖かさを持ち始めた剥き出しの背を、涼しさが撫でた。中央あたりに感じたことから、髪を左右二つに分けたのだろうということが分かる。とりあえず片方だけ持ったのか、すぐに左側だけが温かさを取り戻した。うなじにほの冷たい手が触れる。分けた髪の根元に添えられたそれは、抱えるように髪をすくい上げた。
 髪に何か触れる感覚。数拍、右側に少し引っ張られる感覚。ブラシを通したのだろう。癖のある髪は頑固で、歯を素直に通してくれることが少ないのだ。動きとともに傾いてしまう頭に、大丈夫ですか、と不安がうっすらと浮かぶ声が飛んでくる。大丈夫よ、と返すと、そうですか、とまだ暗さの残る声が後ろから聞こえた。
 緩慢な動きでブラシが髪を撫ぜていく。そんな調子では梳く意味が薄い。おそらく、頭を引っ張ってしまうのが怖いのだろう。悲しいことに、癖っ毛である己の髪はこの通り櫛通しがあまり良くないのだ。自身のサラサラとしたまっすぐな髪しか扱ったことのない彼には取り扱いが難しかっただろうか。そもそも、愛する少女以外にはまるで興味がない男だ、ブラシなんてものを扱うのはこれが初めてなのかもしれない。
「ブラシ使うの難しいならそのまま結んでもいいわよ。後で適当に梳くわ」
「……分かりました」
 助け船を出してやると、わずかな沈黙の後了承の言葉が返ってくる。どこか不服そうな、申し訳なさそうなとをしていたのは気のせいではないだろう。こと己に関しては変なところを気にするのだ、この恋人は。
 半分に分けられた髪の根元を軽く握られる。そのまま、そろそろと恐れを孕んだ動きで頭頂へと持ち上げられていった。普段結っている位置まで辿り着いたところで手が止まる。掴むように根元に手が触れ、毛先が持ち上げられる。根元に当てたヘアゴムに、必死に長い髪を通していることが伝わってきた。器用で所作の素早い彼にしては遅い動きで、ボリュームのある髪がまとめ上げられていく。何度か通したところで、髪を取り扱う手が止まった。ふわりと広がる反対側を手がまとめる感覚。同じように、不安定な手つきで髪が結い上げられていく。普段己が行う何倍もの時間を掛けて、アザレアの髪が普段のツインテールへと姿を変えた。
「…………終わりました」
「ありがと」
 不安の残る声で作業の終わりが告げられる。弾んだ声で礼を言い、躑躅は携帯端末を取り出し、カメラアプリを起動した。上部のバーをタップして、内側カメラに切り替える。床を映していた小さな画面に、モルガナイトが二つ輝く。
 液晶画面に映ったのは、普段と同じようで少し違う己の姿だった。いつも同じ高さで綺麗にまとめられた髪は、今は高さがバラバラだ。結び方もどこかゆるく、時間が経てば崩壊して解けてしまいそうだ。長くふわりとした髪は扱いづらく全てまとめきれなかったのだろう、大きくさらけ出された背中にはまだ髪が何房も伝っている感覚が残っている。
 初心者がやったのならばこんなものだろう。むしろ、取り扱いづらい部類の己の髪をこれだけ結えただけで十二分にすごいことなのだ。己でも、寝癖の強い日は扱いづらく感じることもあるのだ。他人がいわんやである。
「…………すみません」
「ちゃんとできてるじゃない。何で謝るのよ」
 落ち込みすら窺わせる声で、始果は謝罪の言葉を漏らす。暗く濁った色など吹き飛ばすように、グレイスは普段通りのからりとした声で返した。事実、ちゃんとツインテールに仕上がっているのなら要件は十分に満たしている。なにより、『結んで』と頼んだのは己なのだ。彼が謝る必要性などない。
 再び画面の中を見つめる。カメラが液晶に映し出す顔は緩んだものだ。過去の己が見れば、だらしがない、と叱り飛ばすような腑抜け具合である。しかし、どうしようもないことなのだ。だって、心の底から湧き出るこの感情が頬を、口を、目元を綻ばせるのだ。二人きりのプライベートな空間で、表情筋を無理矢理コントロールする必要性も無い。
 ふふ、と少女は今日何度目かの笑みを漏らす。喜びと幸せが滲んだ温かな色を宿していた。
「ありがとね、始果」
 首だけで振り返り、躑躅は所在なさげに後ろに立つ狐に再度礼の言葉を投げかける。シアンとマゼンタで構成された目は虹のように大きな弧を描き、言葉を紡ぎ出す口は穏やかに解けていた。
 好きな人が己の髪を結ってくれた。大好きな人が己のためになれないことを頑張ってくれた。それだけでこの上なく幸せだ。
「……結い直した方がいいのではないですか?」
「何でよ。せっかくやってくれたのに」
 きちんとセットしてくれたというのに、解けとは何事か。綻んだ頬が一転、空気を含んでぷくりと膨らむ。臆することなく、けれどもまだ不安を宿したまま、少年は丸くなった顔を見つめた。
「いつもきみがしているみたいに綺麗になりませんでしたから……」
 やはり、元の形そのまましっかりと戻せなかったことがかなり気に掛かっているようだ。彼は己がいつも丁寧に髪を整えている姿を知っているだけに、尚更気になるのだろう。どれだけ申し訳なさそうにしても、三つ編み姿ではただシュールである。
「いいのよ。私が結うのより、始果がしてくれたのがいいの」
 心からの言葉だった。早さや綺麗さだけを取るならば、自分で結うのが一番だ。けれども、それ以上に恋い慕う人が一生懸命結ってくれたことが嬉しくて、幸せで仕方が無いのだ。こんな宝物みたいなもの、『整っていないから』なんてどうでもいい理由で解くなんてあり得ない。
「……そう、でしょうか」
「そうよ」
 疑問が残る声をこぼす忍の少年に、躑躅の少女は上機嫌に返す。いつもより床に近い位置にある長い毛を一房すくい、細い指に巻き付けて遊ぶ。ふわふわと揺れる癖のあるこの髪が、いつも以上に愛しく思えた。
「ねぇ、またやってよ」
 少女は弾んだ声でねだる。最初はただの思いつきだったが、なかなかに楽しいではないか。もっともっとこの楽しさを、嬉しさを、幸せを味わいたい。警戒心の強い彼女が稀に見せる、甘えたな姿だ。
 長い長い沈黙の後、はい、と消え入りそうな声が返ってくる。あまり気乗りしないことが丸分かりである。それでも最終的には了承するのが彼らしい。
「私でいっぱい練習しなさいよね」
「きみ以外の人の髪を結う事なんてありませんよ?」
「私の髪を結ぶことはあるかもしれないじゃない」
 いっぱい練習して、綺麗に結べるようになりなさいよね。
 いたずらげに笑いかけると、少年はぱちりと目を瞬かせた。はい、と返ってきた声は、どこか腑に落ちないような、それでいてほのかな幸せを孕んだ音色のように聞こえた。
 二人きりの空間に、二輪の躑躅が咲き誇った。

畳む

#はるグレ

SDVX


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