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No.146
この翼できみへと【はるグレ】
この翼できみへと【はるグレ】
宵闇の翼篇予告で発狂して当日筐体前で濃厚なはるグレを浴びた人間の末路。
宵闇の翼篇会話・エンディングのネタバレ有。
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青い空の中、躑躅が舞う。闇を形にしたような漆黒を身に纏い、色鮮やかな牡丹と輝く銀の銃を操り、何十何百もの弾丸を撃ち放ち、長い躑躅の髪が宙を舞って踊る。青の中、少女は縦横無尽に闘い踊った。
バトル大会決勝は、激闘と呼ぶのが相応しい試合だった。両者ともにすさまじい気迫でぶつかりあい、実力を遺憾なく発揮し闘う姿は迫真に満ち、見る者全てを圧倒させるものだった。
それ以上に、飛び回る躑躅に目を奪われた。
空高く舞い上がるきみ。天も地も関係ないとばかりに飛び回って闘うきみ。届かない場所へと駆け上がっていくきみ。
鮮やかな姿が目に焼き付いて離れない。訳の分からない何かが胸を掻き乱す。理解できないこの情動は、どうすれば解決できるのだろう。
同じ場所に立てば分かるだろうか。
だから。
宵闇に包まれていた世界が光を取り戻す。重たい瞼を持ち上げた先に飛び込んできたのは、愛しい色だった。光を取り戻し、オレンジ一色に染まった世界でも鮮烈に咲き誇るアザレア。華奢な身体を武奏で彩る愛する少女。いつだって求めている人が、気づかぬ内に目の前に現れた。
あれ、と少年は音にせぬまま疑問の声をあげる。つい先ほどまでこの身を包んでいた浮遊感と、風が肌を撫ぜる感覚、鋼鉄の翼が空気を切る感覚は消え去っていた。代わりに、肩にほのかな痛みと前後に揺さぶられる感覚が身体を支配する。見れば、ロンググローブに包まれた細い腕が己に向かって伸ばされていた。
仮想現実は終わったのだろうか。仮想現実で望みを実現すると謳うシステムにより、空を飛ぶ夢は叶えられた。けれども、何故か胸は騒ぐばかりで落ち着かない。飛べば全てが分かると思っていたのだが、違うようだ。
はるか、はるか。
心から求める美しい声が名を呼ぶ。己を示す三音節を紡ぐ音色は、濡れたものだった。かすかにぼやける視界と思考を晴らすように瞬きを数回。鮮やかな花の色が更に色濃く視界に広がる。水色で縁取られた尖晶石が、まっすぐにこちらを見据えているのをようやく認識した。
「グレイス……?」
目の前、己の肩を掴む愛し人を呼ぶ。途端、可愛らしいまあるい目から、ぶわりと水が湧き上がった。どんどんと込み上げるそれは、限界を超え溢れ出て伝い肌を濡らす。ビビッドな愛らしい瞳に膜を張りぼやけさせる。とめどないそれは、少女の柔らかな頬に透明な線をいくつも描いた。おとがいまで到達した雫が重力に従い落ちる。足に少しだけ冷たさを感じた。
グレイス、と始果は今一度恋い慕う少女の名を呼ぶ。何故彼女は泣いているのだろう。いつも気丈に振る舞い、弱い部分など決して見せない強がりな彼女が、何故全てをさらけ出して泣いているのだろうか。理解できない現状と、愛する人が涙を流す不安が胸を掻き回す。
あぁ、と忍は一人合点する。きっと、この姿が悪いのだろう。妖狐になった姿は彼女に見せたことがない。こんな醜い姿を見ては、少し怖がりな部分がある少女は怯えを覚えてしまうはずだ。己が愛する人を苛んでいる。息が詰まるような感覚がした。
逡巡、黒に包まれた手が涙で濡れた頬に触れた。少しだけ硬い布地は、柔肌を濡らす雫を吸収し色を濃くする。あまり行儀が良いとは言えないが、今は濡れた顔を拭ってやる方が先決だ。繊細な肌を傷つけないよう、そっとなぞった。
こんこんと涙が湧き上がるモルガナイトがぱちりと瞬く。大きな衝撃に、また雫が溢れて白い肌を濡らした。これ以上こぼさせまいと少年は親指で目尻を拭う。見開かれた丸い目が、すっと眇められた。
パァンと高い音が空間に響く。遅れて、頬を痛みが襲った。突然の衝撃に、マリーゴールドが丸くなる。間の抜けた顔を一心に見つめるアザレアは、刃物を思わせるほど鋭さを宿していた。
「馬鹿始果!」
大声が響き渡る。悲鳴といっても十分な高さと鋭さ、悲しみを存分に孕んだ音色だった。ばか、ばか、と少女は涙声で拙い罵倒を繰り返す。言葉に合わせるように、両の拳で胸を叩かれた。相応の衝撃はあれど、痛みはない。けれども、暗い何かが打ち付けられた場所から広がっていく感覚がした。
「あっ、あん、た、わた……わたし、が……、ぅ、わたしが、ど、れだけ……っぅ、ぅう……」
鋭利な声は徐々に毀れ、ぼやけてにじんだものになっていく。まっすぐにこちらを睨めつける目はだんだんと下がっていき、ついには項垂れ見えなくなってしまった。丸い頭と細い肩が嗚咽に合わせて震える。ひたすらに痛ましい姿だった。
泣かないでください。思わずこぼれた声は、どこか己らしからぬ焦りがあった。あのグレイスがこんなにも泣くなど異常事態である。何より、いつだって幸せで在ってほしいいとしいひとが悲しみに濡れている様が胸を締め付けた。誰のせいだと思ってんのよ、とつかえつかえの涙声が返ってきた。
ぽたり、ぽたりと雫が少年の太股を濡らす。ず、と鼻を啜る音。俯いていたかんばせがゆっくりと上げられた。美しい瞳はまだ水気を含んで潤んでいる。けれども、雫となってこぼれる様子はなかった。ようやく泣き止んだらしい。まだ涙で濡れる頬を、黒い手がそっと拭う。普段ならば弾き飛ばす少女は、珍しくされるがままでいた。
「まったくもう……しっかりしなさいよ!」
少しだけ濁り震えた声とともに、胸をべちんと叩かれる。相応の実力の持ち主とはいえ、グレイスは肉弾戦とは縁遠い存在だ。渾身のものであろうが、痛みはほとんど感じない。けれども、心の臓がきゅうと締め付けられるような感覚がした。内臓に影響を及ぼす技術を持っていたのか、と感心する。それにしては鈍いものだけれども。
「……勝手に居なくならないで! ちゃんと傍にいなさいよね!」
躑躅の瞳が蒲公英の瞳を正面から射抜く。まだ潤んだペツォタイトは、真剣そのものだった。はっきりとした声には、鋭利な光を宿した瞳には、本心しか込められていないのがひしひしと伝わってくる。
グレイスの言葉に、始果は小さく首を傾げる。一体何を言っているのだろうか。己が彼女から離れることなどない。傍にいるなど当たり前のことだ――否、今回ばかりは離れてしまった。『飛びたい』という願望のために、勝手に行動してしまった。いとしいきみに届きたくて飛んだというのに、結果泣くほど怒らせてしまった。身勝手さに、身の程を弁えない愚かな己に、少年は顔をしかめる。
「分かったら返事!」
「はい。もちろん」
ひそめた表情を別の意味に捉えたのだろう、べちんともう一度胸を叩かれる。今度こそ、すぐさま返事をした。絶対よ、絶対だからね、と躑躅の少女は何度も繰り返す。この短い約束を反故させまいという気迫があった。
「ここ、まだ安定してなくて危ないのよ! 興味があるなら今度から私と行くこと!」
いいわね、と少女はびしりと指を突きつける。念を押すようにぶんぶんと振る様は、指揮者に似ていた。絶対よ、と更に言葉が飛んでくる。同じ言葉を繰り返す姿は、確固たるものをねだる幼い子どもに似ていた。
強く握り締め一本指だけ立てた可憐な手を、黒で彩られた両の手が包み込む。分かりました、と同じ言葉を、果たすべき約束の言葉を繰り返した。
やはり、届かない。
同じ景色を見たくて飛んでみたけれど、ついぞ彼女には届かぬままだ。やっと共に、隣に在られると思ったのに、仮想現実は仮想現実でしかない。
けれども、愛しい躑躅はこんな愚かな己に『傍にいろ』と言ってくれた。彼女の傍に在る。何よりの幸福だ。
その命はいつまで続くのだろう。いつまで傍に在ることを許されるのだろう。いつになれば、同じ場所に立てるのだろう。
不相応な考えだ。消すべきそれが、頭の中を巡り巡る。淀んだものが少年の心に深い影を落とした。
小さな手を包み込んだ大きな手に力が込められる。離れて飛び立ったのは己だというのに、この触れ合った場所から伝わる愛しい温もりを手放すのが酷く恐ろしく思えた。
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#はるグレ
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SDVX
2024/1/31(Wed) 00:00
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この翼できみへと【はるグレ】
この翼できみへと【はるグレ】宵闇の翼篇予告で発狂して当日筐体前で濃厚なはるグレを浴びた人間の末路。
宵闇の翼篇会話・エンディングのネタバレ有。
青い空の中、躑躅が舞う。闇を形にしたような漆黒を身に纏い、色鮮やかな牡丹と輝く銀の銃を操り、何十何百もの弾丸を撃ち放ち、長い躑躅の髪が宙を舞って踊る。青の中、少女は縦横無尽に闘い踊った。
バトル大会決勝は、激闘と呼ぶのが相応しい試合だった。両者ともにすさまじい気迫でぶつかりあい、実力を遺憾なく発揮し闘う姿は迫真に満ち、見る者全てを圧倒させるものだった。
それ以上に、飛び回る躑躅に目を奪われた。
空高く舞い上がるきみ。天も地も関係ないとばかりに飛び回って闘うきみ。届かない場所へと駆け上がっていくきみ。
鮮やかな姿が目に焼き付いて離れない。訳の分からない何かが胸を掻き乱す。理解できないこの情動は、どうすれば解決できるのだろう。
同じ場所に立てば分かるだろうか。
だから。
宵闇に包まれていた世界が光を取り戻す。重たい瞼を持ち上げた先に飛び込んできたのは、愛しい色だった。光を取り戻し、オレンジ一色に染まった世界でも鮮烈に咲き誇るアザレア。華奢な身体を武奏で彩る愛する少女。いつだって求めている人が、気づかぬ内に目の前に現れた。
あれ、と少年は音にせぬまま疑問の声をあげる。つい先ほどまでこの身を包んでいた浮遊感と、風が肌を撫ぜる感覚、鋼鉄の翼が空気を切る感覚は消え去っていた。代わりに、肩にほのかな痛みと前後に揺さぶられる感覚が身体を支配する。見れば、ロンググローブに包まれた細い腕が己に向かって伸ばされていた。
仮想現実は終わったのだろうか。仮想現実で望みを実現すると謳うシステムにより、空を飛ぶ夢は叶えられた。けれども、何故か胸は騒ぐばかりで落ち着かない。飛べば全てが分かると思っていたのだが、違うようだ。
はるか、はるか。
心から求める美しい声が名を呼ぶ。己を示す三音節を紡ぐ音色は、濡れたものだった。かすかにぼやける視界と思考を晴らすように瞬きを数回。鮮やかな花の色が更に色濃く視界に広がる。水色で縁取られた尖晶石が、まっすぐにこちらを見据えているのをようやく認識した。
「グレイス……?」
目の前、己の肩を掴む愛し人を呼ぶ。途端、可愛らしいまあるい目から、ぶわりと水が湧き上がった。どんどんと込み上げるそれは、限界を超え溢れ出て伝い肌を濡らす。ビビッドな愛らしい瞳に膜を張りぼやけさせる。とめどないそれは、少女の柔らかな頬に透明な線をいくつも描いた。おとがいまで到達した雫が重力に従い落ちる。足に少しだけ冷たさを感じた。
グレイス、と始果は今一度恋い慕う少女の名を呼ぶ。何故彼女は泣いているのだろう。いつも気丈に振る舞い、弱い部分など決して見せない強がりな彼女が、何故全てをさらけ出して泣いているのだろうか。理解できない現状と、愛する人が涙を流す不安が胸を掻き回す。
あぁ、と忍は一人合点する。きっと、この姿が悪いのだろう。妖狐になった姿は彼女に見せたことがない。こんな醜い姿を見ては、少し怖がりな部分がある少女は怯えを覚えてしまうはずだ。己が愛する人を苛んでいる。息が詰まるような感覚がした。
逡巡、黒に包まれた手が涙で濡れた頬に触れた。少しだけ硬い布地は、柔肌を濡らす雫を吸収し色を濃くする。あまり行儀が良いとは言えないが、今は濡れた顔を拭ってやる方が先決だ。繊細な肌を傷つけないよう、そっとなぞった。
こんこんと涙が湧き上がるモルガナイトがぱちりと瞬く。大きな衝撃に、また雫が溢れて白い肌を濡らした。これ以上こぼさせまいと少年は親指で目尻を拭う。見開かれた丸い目が、すっと眇められた。
パァンと高い音が空間に響く。遅れて、頬を痛みが襲った。突然の衝撃に、マリーゴールドが丸くなる。間の抜けた顔を一心に見つめるアザレアは、刃物を思わせるほど鋭さを宿していた。
「馬鹿始果!」
大声が響き渡る。悲鳴といっても十分な高さと鋭さ、悲しみを存分に孕んだ音色だった。ばか、ばか、と少女は涙声で拙い罵倒を繰り返す。言葉に合わせるように、両の拳で胸を叩かれた。相応の衝撃はあれど、痛みはない。けれども、暗い何かが打ち付けられた場所から広がっていく感覚がした。
「あっ、あん、た、わた……わたし、が……、ぅ、わたしが、ど、れだけ……っぅ、ぅう……」
鋭利な声は徐々に毀れ、ぼやけてにじんだものになっていく。まっすぐにこちらを睨めつける目はだんだんと下がっていき、ついには項垂れ見えなくなってしまった。丸い頭と細い肩が嗚咽に合わせて震える。ひたすらに痛ましい姿だった。
泣かないでください。思わずこぼれた声は、どこか己らしからぬ焦りがあった。あのグレイスがこんなにも泣くなど異常事態である。何より、いつだって幸せで在ってほしいいとしいひとが悲しみに濡れている様が胸を締め付けた。誰のせいだと思ってんのよ、とつかえつかえの涙声が返ってきた。
ぽたり、ぽたりと雫が少年の太股を濡らす。ず、と鼻を啜る音。俯いていたかんばせがゆっくりと上げられた。美しい瞳はまだ水気を含んで潤んでいる。けれども、雫となってこぼれる様子はなかった。ようやく泣き止んだらしい。まだ涙で濡れる頬を、黒い手がそっと拭う。普段ならば弾き飛ばす少女は、珍しくされるがままでいた。
「まったくもう……しっかりしなさいよ!」
少しだけ濁り震えた声とともに、胸をべちんと叩かれる。相応の実力の持ち主とはいえ、グレイスは肉弾戦とは縁遠い存在だ。渾身のものであろうが、痛みはほとんど感じない。けれども、心の臓がきゅうと締め付けられるような感覚がした。内臓に影響を及ぼす技術を持っていたのか、と感心する。それにしては鈍いものだけれども。
「……勝手に居なくならないで! ちゃんと傍にいなさいよね!」
躑躅の瞳が蒲公英の瞳を正面から射抜く。まだ潤んだペツォタイトは、真剣そのものだった。はっきりとした声には、鋭利な光を宿した瞳には、本心しか込められていないのがひしひしと伝わってくる。
グレイスの言葉に、始果は小さく首を傾げる。一体何を言っているのだろうか。己が彼女から離れることなどない。傍にいるなど当たり前のことだ――否、今回ばかりは離れてしまった。『飛びたい』という願望のために、勝手に行動してしまった。いとしいきみに届きたくて飛んだというのに、結果泣くほど怒らせてしまった。身勝手さに、身の程を弁えない愚かな己に、少年は顔をしかめる。
「分かったら返事!」
「はい。もちろん」
ひそめた表情を別の意味に捉えたのだろう、べちんともう一度胸を叩かれる。今度こそ、すぐさま返事をした。絶対よ、絶対だからね、と躑躅の少女は何度も繰り返す。この短い約束を反故させまいという気迫があった。
「ここ、まだ安定してなくて危ないのよ! 興味があるなら今度から私と行くこと!」
いいわね、と少女はびしりと指を突きつける。念を押すようにぶんぶんと振る様は、指揮者に似ていた。絶対よ、と更に言葉が飛んでくる。同じ言葉を繰り返す姿は、確固たるものをねだる幼い子どもに似ていた。
強く握り締め一本指だけ立てた可憐な手を、黒で彩られた両の手が包み込む。分かりました、と同じ言葉を、果たすべき約束の言葉を繰り返した。
やはり、届かない。
同じ景色を見たくて飛んでみたけれど、ついぞ彼女には届かぬままだ。やっと共に、隣に在られると思ったのに、仮想現実は仮想現実でしかない。
けれども、愛しい躑躅はこんな愚かな己に『傍にいろ』と言ってくれた。彼女の傍に在る。何よりの幸福だ。
その命はいつまで続くのだろう。いつまで傍に在ることを許されるのだろう。いつになれば、同じ場所に立てるのだろう。
不相応な考えだ。消すべきそれが、頭の中を巡り巡る。淀んだものが少年の心に深い影を落とした。
小さな手を包み込んだ大きな手に力が込められる。離れて飛び立ったのは己だというのに、この触れ合った場所から伝わる愛しい温もりを手放すのが酷く恐ろしく思えた。
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