No.164
favorite THANKS!! SDVXスプラトゥーン 2024/1/31(Wed) 00:00 edit_note
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諸々掌編まとめ9【SDVX/スプラトゥーン】
諸々掌編まとめ9【SDVX/スプラトゥーン】色んなところで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。掲載時から修正とか改題してるのは気にするな。
スプラの話はうちの新3号だったり名無しだったりコロイカだったり。独自設定ありなのでご理解。
成分表示:ナサニエル+バタキャ/ライ+レイ/新3号/新3号+コジャケ/インクリング→インクリング/ワイエイ2
雪空に子猫/バタキャ+ナサニエル
ネメシス=メトロポリス。電子の世界の中心にあるこの場所は、いつだって賑やかで人に溢れた場所だ。街道には人が行き交い、店々には客が溢れている。活力で満ちた街だ。
そんな場所でも、静かな日もある。路地裏、それも滅多に人が来ることのない教会ならば尚の事静けさに包まれるのだ。
水色の瞳が古びた窓の外を見やる。少し曇ったガラスの向こう側は、白に染まっていた。季節は冬、天気は雪。厳寒の世界は降り積もる白で支配されていた。
音もなく降りゆく様を眺め、ナサニエルは眉をひそめる。は、と吐いた息はほのかに白い。ストーブを焚いてはいるものの、広い教会内を全て暖めることなど不可能だ。古ぼけてあちこちガタが来ている建物なら尚更である。現に、足元を隙間風が駆け抜けていった。這い寄る寒気に、少年は眉を寄せた。
いつもは生意気な子どもや意味のない懺悔をする少年が訪れるここだが、こんな冷気に満ち溢れた世界をわざわざ出歩く者などいないだろう。今日ばかりはさすがに人など来るまい。もう閉めて裏に引っ込んでしまうのが得策だ。考え、新米天使は教会の入口へと向かう。ひび割れた床の上を足音が静かに流れていった。
ガチャン、と勢いの良い音が広くはない空間に響く。来訪者を示すそれに、少年は露骨に顔をしかめた。
「こんにちはー!」
可愛らしい三重奏が冷えた建物の中を駆けていく。雪の積もった地面を背景に、トリコロールが鮮やかに咲いた。開け放たれた扉から、鋭い寒気が教会内に注ぎ込む。全身を包まんとする冷気が、さらけ出された細い足にまとわりついた。
三匹子猫たちの姿に、ナサニエルはこれでもかと眉を寄せる。歓迎などしていないと言わんばかりの顔だ。機嫌の悪さを隠しもしない表情だ。当たり前だ、招かねざる者に取り繕う理由など無い。
「ここは遊び場じゃないぞ」
目を眇め眉を寄せ、天使は告げる。吐き捨てるようなそれはうんざりとしたものだ。表情も声も言葉も、さっさと帰れ、と強く語っていた。
「きょうかい、あったかいです」
「あったかい……」
「おそとさむーい!」
「だったら大人しく家にこもってろ」
少年の様子など気にもせず、子猫たちは戸を閉め気ままに教会内を歩く。濡れた長靴がペタペタと間の抜けた音をたてた。すてんどぐらすきれいですね。いすつめたい。ぺたぺたいうね。三者三様に古びた建物を楽しみ始めた。
はぁ、と新米天使はこれみよがしに溜め息を吐く。鋭く眇められた色素の薄い目は、自由気ままに歩き回る三色を睨むように眺めていた。
いつだっただろうか、雪降るさなか薄着ではしゃぎまわる姿に呆れて迎え入れてからというものの、三匹猫たちは時折ここに遊びに来るようになっていた。なってしまった。さっさと帰れ、と毎回しかめ面で吐き捨てる彼のことなど気にもかけず、子猫たちは訪れ、勝手に遊び、気が済めば帰っていく。完全に遊び場の一つとして認識されていた。心底面倒くさいことである。
一度甘い姿を見せてみればこれだ。情けなどかけるべきではなかった。チッ、と鋭く舌打ちをし、少年は眇目で小さな背中を見据える。細い腕を組み、足で力強く床を打つ。タン、と硬い音が広い空間に響いた。
「おいチビども。風邪引く気か?」
「ひかないよ!」
「こどもはかぜのこ、ですよ」
「げんきだよ……」
元気いっぱいに雛色は言う。少し得意げに桃色は言う。ことりと首を傾げて蒼色はいう。三人で奏でる声に、くちゅん、と小さな音が続いた。三対の目が響いたそれの方へと向けられる。音の主である蒼は、濡れた手袋で可愛らしい小さな鼻を擦っていた。
透き通る水晶の目がこれでもかと力強く細められる。鋭い眼光を気にすることなく、子猫たちはだいじょうぶ、だいじょうぶだよ、と言葉を交わしていた。くちゅん。くちゅん。また二つくしゃみが続く。鼻をすする音と、ふぇ、とくすぐったげに息を吸う音が教会内に落ちた。
もはや漫画のようなタイミングと展開に、ナサニエルは口を引き結ぶ。寒がる様子はないが、小さな身体は体温の低下とそれによる異変を正直に表していた。このままでは本当に風邪を引いてしまってもおかしくない。己の身体を過信し体調管理が甘い幼子は、案外風邪を引きやすいのだ。
はぁ、と天使は重苦しい溜め息を吐く。諦めが多分に含まれた音色をしていた。観念したという様子だった。随分と小さくなった手が菫色の頭を乱暴に掻く。降参だ、と手を上げているようにも見えた。
おいチビども。少年は苦々しい音色で吐き捨てる。不名誉ながら何度も呼ばれている言葉に、鼻をすする猫たちは頭二個は上にあるしかめ面を見上げた。
「あっちいけ」
ぶっきらぼうに吐き捨てながら、ナサニエルは教会の隅を指差す。三色三対の瞳が細い指の先へと吸い寄せられていった。
天使が指し示す先には、細い金属の柵に守られただるまストーブがあった。悪天候で薄暗い空間の中、赤とオレンジの光が煌々と輝いている。上に載せられたやかんは、シュンシュンと小さな鳴き声をあげていた。
わぁ、と感嘆の声。喜びを表すように、小さな耳が三つぴこぴことせわしなく動いた。今にでも飛びかかりそうな様子だった。
「触るなよ」
「はーい!」
釘を刺す少年に、子猫たちは元気に三重奏を奏でる。三色の長靴に包まれた細い足が、ストーブめがけて駆けていく。水気を含んだ靴底が、湿った足音をたてた。
はぁ、とナサニエルはまた深い溜め息を吐く。こんな甘い対応をするから子どもたちがたかりに来ることなどとうに分かっている。本当なら無理矢理にでも外に放り出して帰すべきなのだ。頭では分かっていても、心の甘っちょろい部分が勝手に顔を出して、勝手に腑抜けた対応を選んでしまう。なんとも丸くなったものだ、とまた嘆息した。そもそも、念のためにとわざわざ協会内のストーブを点けていた時点で大概丸く腑抜けて甘っちょろくなっている。
これも修行とやらだ。人を助ければ面倒くさいったらない天使の修行とやらも終わりに近づくだろう。その天使で新米の冠は取れないだろうが。
依然不機嫌そうに細められた目が薄暗い空間のすみへと向けられる。くしゃみをしていた猫たちは、ストーブを囲む柵から少し離れた位置で温まっていた。あったかいね、ときゃいきゃいとはしゃぐ声がこちらまで聞こえてくる。
スルメでも取ってくるか。頭を掻き、新米天使は居住空間に続く扉へと足を向ける。乾いた床を靴底が打つ音がほの暖かな空気の中に響いた。
白米、豚肉の温サラダ、きんぴらごぼう、じゃがいもと玉ねぎのお味噌汁/ライ+レイ
にんじん、じゃがいも、ごぼう、豚こま肉、味噌。
広い売り場を歩き回り、メッセージアプリに記された食材をカゴに放り込んでいく。無機質な灰色の中に様々な色が咲いた。
ある程度放り込み、カゴの中身を確認する。野菜と肉は指定のものを探し当てた。調味料は一部手に入っていない状態だ。チューブしょうがはどの売場だっただろうか、と天井から吊り下げられた案内看板へと視線をやる。並ぶ細かな文字を追っていると、後ろからあっ、と愛らしい声が聞こえた。
「雷刀」
名を呼ばれ、雷刀は振り返る。回った視線の先には鮮やかな桃色があった。レイシス、と制服姿のままカゴを携えた少女の名を呼ぶ。軽やかな足音とともに、華やかな桃が近づいてくる。
「あれ? レイシスも買い物?」
「ハイ。お肉を買い忘れチャッテ」
カゴを軽く掲げ、レイシスは苦く笑う。無彩色の中には、豚肉のパックが二つ、鶏むね肉のパックが一つあった。どちらも大家族向け、一人暮らしの少女が買うにはあまりにも多すぎる量だ。しかし、相手がこの薔薇色の少女ならば話は別である。なにせ、彼女は食べ盛りの男子高校生である己の倍以上は食べるのだから。
「雷刀もお夕飯のお買い物デスカ?」
「ん。作るのは烈風刀だけど」
カゴの中身に視線をやりつつ、言葉を交わす。にんじん、じゃがいも、ごぼう、豚こま肉、味噌。今晩は豚汁だろうか。寒さが厳しくなるばかりの近頃だ、具だくさんの味噌汁は心身に染み渡るような美味しさだ。それが料理上手な弟によって作られるなら、何よりも美味しいに決まっている。
「……こんな時ぐらい、オレに任せてくれりゃいいのに」
胸にわだかまる黒いものが、ぽつりと口から漏れ出る。言葉の意味を、込められた感情を理解しているのだろう。アァ、とレイシスも少し苦い笑みを浮かべた。
重力戦争は無事終結した。戦いの中しばしの間学園を離れていた烈風刀は、その間行われた授業の一部を放課後受けることとなったのだ。自力で勉強する、先生方の手を煩わせるほどではない、と本人は主張したものの、教師陣の強い希望により補習は決行された。ここ数週間は、彼一人だけ長い放課後を過ごす日々を送っている。
事情が事情とはいえ、主席の彼が放課後に居残り授業をするなんて不思議なものである。とは言っても、烈風刀の聡明な頭と学習能力によって補習授業は予定よりも早く終わりを迎えつつある。それでも、毎日時間割通りに授業を受け、放課後は残って補習をこなし、その上合間には運営業務も行っているのだ。どれだけ身体は動こうとも、疲労は確実に蓄積している。疲れているに決まっているのだ。だから補習中は家事当番を変わる、と言ったのだが、弟は一切聞き入れなかった。結局は、雷刀が折れた。こういう時の片割れは妙に頑固なのだ。
「デモ、忙しい時って料理したくなりマセン?」
「あー……、ちょっと分かる」
レイシスの言葉に、雷刀はバツが悪そうな笑みを浮かべる。何かに尽力しているときほど、息抜きに料理や掃除がしたくなるのだ。特に料理は段取り良くこなすパズルめいた気持ち良さがある。様々な食材を駆使し、あるいは限られた食材を組み上げ何かを作り上げることも達成感がある。たとえ疲れた身体でも、料理はこれ以上なく楽しいだろう。いつだって料理に真摯に向き合う烈風刀ならば当然だ。
そっか、そうだな。小さくこぼし、雷刀はカゴの中身を今一度見やる。にんじん、じゃがいも、ごぼう、豚こま肉、味噌。今週分の食材は、どうやって使われるのだろう。どうやって彼はパズルを組み上げるのだろう。それは、彼にとってどれほど楽しいのだろう。学業で張り詰めた心はどれほど晴れるのだろう。
「ジャア、ワタシお会計してきマスネ。雷刀も早く帰らなきゃダメデスヨ?」
「わーってるって。レイシスこそ、帰り道気ぃつけてな」
ハイ、と元気に返事をし、少女は店内を足早に歩んでいく。セルフレジの列へと消えた桃を見送って、朱はカゴを抱え直す。広い店内から白い天井へと視線を移した。紅緋の瞳が『調味料』と書かれた看板を捉える。
チューブしょうが。だいよーりょーのやつ。メッセージアプリに書かれた買い出しメモを読み上げ、少年は歩き出した。
「あと十枚ねー」「えっ」/新3号
一つ一つ踏みしめ、梯子を登っていく。ブーツが金属の段にかかる度、ガシャン、と硬い音があがる。音は大袈裟で不安を煽るものの、足裏から伝わる感覚は強固でしっかりとしたものだ。遠い地面から這い寄る恐怖を蹴り捨てつつ、少女は確かな足取りで登っていった。金属梯子の鳴き声が、街のざわめきの中消えていった。
登りきった先は狭い舞台だった。なんとか人が立つ余裕がある程度のそこを、慎重な足取りで進んでいく。ほらほら、と浮かれた声が手招いた。
この街では度々『フェス』というイベントが開催される。三陣営に分かれ、バトルで貢献度と得てポイントを競うという単純明快なルールである。本気で戦う者、その名の通りお祭り気分で遊ぶ者、バトルよりも屋台を楽しむ者、変わらずアルバイトに励む者。様々な者が夜の街に溢れていた。
フェスの目玉は百倍マッチだ。貢献度が大量に入手できるそれは皆が狙い、殺気立つほど真剣に戦う特別なバトルである。十倍マッチをいくつも重ね、迎えた百倍マッチ。己は勝利を掴むことができた。これでスーパーサザエの大量獲得に近づいたと内心満面の笑みを浮かべていたところだった。
オミコシ乗ろう!
次のバトルへ向かおうとしたところで、後ろからシャツを引っ掴まれて飛んできた言葉がこれである。は、と疑問を吐き出した瞬間、乗ろう乗ろうと声がまた二つ重なる。終いには、百倍マッチでたまたま同チームになった三人に手を引かれ背を押され、壇上に登る今に至る。
そんなに登りたいものか、と三号と呼ばれる少女は嘆息する。百倍マッチの勝利者は、広場に設置された舞台、通称オミコシに乗ることが許されている。これに乗りたいがためにフェスに心血を注ぐ者もいると聞くほどだ。どうやら、即興チームの三人組はその部類だったらしい。三人で乗ればいいじゃない、と返すと、チーム全員揃ってないと乗れないの、と三重奏が返された。ついでに引く力と押す力まで強くなったのだからもう逃げることなどできない。包囲されている時点で手遅れなのだけれど。
フェスは稼ぎ時だ。普段よりも人が増えるため、マッチングがとてつもなく早い。同じ時間でも、常以上に回数をこなせる。勝利で得られるスーパーサザエの存在も重要だ。これさえあれば通常はカネを払うことでしかできないギアスロットの開放が行えるのだ。常に家計が火の車である己にとっては救いであり何に代えても手に入れるべきものだ。フェスの時間いっぱいまで戦わねばならない。なのにこれである。
はぁ、と三号はまた深い溜め息を吐く。これ見よがしに吐き出されたそれは、やはり夜のざわめきに消える。そもそも、隣の三人組は既に彼女らだけで盛り上がっているのだ。自分の存在などもう路傍の石ころ同然である。本当に何でこんなことに、と少女は顔をしかめた。
隣から聞こえるかしましい声を意識から切り捨て、インクリングは足元に向けていた視線を上げる。もう風景を見るぐらいしかやることがない。いつもの街並みを眺めて貴重な時間を無為に潰すだけだ。ふん、と少女は眇目で鼻を鳴らした。
フェスの夜、常は明るい街は闇が落ちていた。陽の光に照らされた階段は影を落とし、みずみずしく輝く植え込みも夜に溶けている。夜のベールが世界を包んでいた。
その闇を振り払うように、数多の光が灯っていた。フェスのためにだけに設置された提灯が揺れる。昼は寝静まったネオンがこれでもかと自己を主張する。電光掲示板が稼ぎ時だとばかりに広告主の名をきらめかせる。痛いほどの光が世界を照らしていた。
煌々と光るそれらに照らされながら、広場に集った者は踊る。ある者は手を上げ、ある者はタオルを広げ、ある者は軽快にステップを踏み、ある者は頭にサイリウムを突き刺し。皆が音楽に合わせて身体を揺らしていた。闇を振り払うような光の中、皆笑顔を浮かべ天を、オミコシを見上げては笑顔を浮かべていた。
目がくらむような明かりたちに、眩しいほどの雑踏に、三号は目を細める。皆が楽しみ、皆が喜び、皆が笑顔を振りまく。あまりにも輝かしい光景だ。フェス、つまりはお祭りをそのまま形にしたかのような風景だ。
ふぅん、と少女はまた鼻を鳴らす。今度はどこか上機嫌なものだ。こんな街を眺められるのはフェスの夜だけだ。そして、それを見下ろすことができるのはこのオミコシの上ぐらいだろう。なかなかに気分がいい。真一文字に引き結ばれた口は、いつの間にかふわりと解けていた。
「ねぇねぇ、写真撮ろう!」
隣から声、そしてまた袖を引かれる衝撃。え、と思わず呆けた調子で返すと、立って立って、とまた手を引かれた。狭い舞台の上、危なげによろめきながら少女は立ち上がる。訝しげに細められた目に、短い髪を揺らし満面の笑みを浮かべる少女が映った。
「写真って何」
「オミコシの上で写真撮れるんだって! 記念に撮ろう!」
「いや、あたしは――」
「四人じゃないと撮れないの!」
否定の言葉はかき消された。大方返す言葉を予想されていたのだろう。それを押し込める言葉と笑顔を用意して待ち構えられたのだ。
ほら、とインクリングの少女が背を叩く。彼女が指差した闇の中には、ドローンが飛んでいた。笠を被ったそれは、オルタナで世話になっているものと酷似している。あの店主こんなことまでやってるのか、と呆れと感嘆が混じった息が漏れた。
「ほら、いくよー!」
肩に温度。腕を回されたのだと気づいたころには、ぎゅっと身体を引き寄せられていた。耳がかすめる。頬がくっつく。せーの、と元気な三重奏が夜空に上がった。
まぁ、たまにはこういうのもいいか。
三号はふっと目を細める。同時に、パシャ、と軽快な音が大音量の音楽の中に落ちた。
秋雨と洗い物/新3号+コジャケ
しとしと。ぴちょぴちょ。ぱたぱた。ばちゃばちゃ。ざぁざぁ。
瞬く間に勢いを増した雨音に、少女は眉をひそめる。整った細い眉は、皺を刻み込むと言った方が正しいほど強く寄せられていた。大きな手に握られたTシャツにくしゃりと皺が寄った。
ここ数日、バンカラ街は雨に包まれていた。晴れ間はあれど、すぐにまた降り出すのだ。降り続けていると表現しても問題のない程度には、雨雲は絶え間なく街を覆っていた。
真っ暗な空を睨み、三号と呼ばれる少女は溜め息を吐く。この雨のせいでろくに洗濯ができないのだ。狭いベランダしかないこの部屋では、雨の日に洗濯物を干すなど不可能である。妥協して部屋干しをしようにも、一人と一匹で暮らすのがやっとなこの部屋には干す場所など無い。今の懐事情ではコインランドリーという選択肢は最初から無かった。止むのをじっと待つしかないのだ。
はぁ、とインクリングはまた一つ溜め息を吐く。バトルに行こうにも、この雨では外を出歩くのすら億劫だ。雨に降られるのも嫌だし、バトルでギアを汚して洗濯物を増やすのも嫌だ。そも、愛用のギアはここ数日洗濯カゴの中で黙しているだけれど。
洗濯物をまた一つカゴに放り投げ、少女はそのままベッドに倒れ込む。ぼすん、と大きな頭を受け止めた枕が鈍い声をあげた。枕元のナマコフォンに手を伸ばす。緩慢な動きでボタンを操作し、アプリを立ち上げ天気予報を見る。本日は雨、降水確率八十パーセント。明日はくもりのち雨、降水確率六十パーセント。明後日はくもり、降水確率五十パーセント。いくら足掻こうと表示される傘と灰雲のアイコンを睨み、携帯端末を閉じた。手のひらサイズに畳まれたそれは再びベッドの上に転がった。
ごろんと寝返りを打って横を向く。青い目が気だるげに動き、キッチンにほど近い床を映した。ペット用の食器の横には、コジャケが寝転んでいた。食事を終えた彼は暇を持て余しているのか、己と同じように床をころころと転がっていた。短いヒレが床を打つ音が雨音にまじる。
「……コジャケさぁ」
一回転しては戻りを繰り返している小さな相棒の名を呼ぶ。何とも表現し難い鳴き声が部屋に落ちた。両手に乗せられるほど小柄な身体がぴょんと飛び上がる。黄色い目がまっすぐにこちらを見た。
「それ、変えなくていいの?」
四角い指が一本立てられる。それ、と少女が指差したのは、相棒の下半身を包む緑の布だった。
彼は拾った頃からずっとその下着――と言っていいのか分からないが、見た目は下着である――を履いていた。砂漠を駆けずり回る時も、オルタナを走り回る時も、バンカラ街の隅っこに佇む時も、この部屋で転がって遊んでいる時も、ずっと同じものを履いていた。シャワーを浴びせる時に一緒に洗っているから汚れきっているわけではないと思うが、さすがに一切履き替えてないのは問題なのではないだろうか。雨で暇を持て余した脳味噌は、至極どうでもいい疑問を抱き始めた。
「新しいの買ったげよっか」
そうだ、たまには相棒の服を買ってやってもいいではないか。シャケ用の服がこの街に売っているかは怪しいが、己たちインクリングやオクトリング向けの下着から似たようなサイズのものを見繕ってやれば十分だろう。うん、それがいい。突然降って湧いた名案に、少女は満足げに目を細めた。
鳥にも似た鳴き声があがる。普段のどこか間の抜けたものではない、ジャンク品を嗅ぎ当てた時のそれと同じ鋭いものだった。小さな身体がぴょんと跳ねていく。素早く飛んだ彼は部屋の隅に収まった。丸い目がじぃとこちらを見つめる。否、睨みつけると言っても過言ではないほどの鋭い視線が向けられた。
「え? そんなに嫌? 新しい方がいいでしょ?」
初めて見る相棒の姿に、インクリングはきょとりとした顔をする。ぱちぱちと瞬く青い目に、蛙の鳴き声にも似た音が返された。強く鋭いものだった。人懐っこい彼からは想像できないほど、警戒心に溢れた音だった。
新しい服がそんなに嫌なものだろうか。今着ている服がそんなに大切なものなのだろうか。シャケの事情など分からない。シャケの感覚など理解ができない。けれども、普段何も考えていないといった顔をするあの相棒がこんな様子になるのだ。よっぽどのことなのだろう。ごめんごめん、と三号は苦く笑って手を振る。依然警戒が強く滲み出た音が返ってきた。
部屋の隅から――己から一番遠い場所から動こうとしないコジャケの姿に、少女はうぅんと呻きを漏らす。彼がこんな姿を見せるなど初めてだ。おそらく、しばらくはこの調子だろう。少し落ち着いた頃にまた呼んで、おやつでもやろう。さすがに触れてならない部分に触れてしまった詫びはしておいた方がいいはずだ。ジャンク品を掘り当てる彼の嗅覚を失うのは手痛い。
一回転し、身体を窓の方へと向ける。ガラスの向こう、薄暗い世界は未だ雨で包まれていた。雨音もうるさいほどの激しさを保ったままだ。予報通り、当分止みはしないだろう。
「……洗濯物ぉ」
呟き、三号は枕に顔を埋める。コンクリートのベランダとガラス窓を打つ水の音が部屋に静かに響いていた。
シアンの雨降る/インクリング→インクリング
雨の日パラシェルで相合い傘するイカって話から。
機械的な音を細くあげ、ロビーの自動ドアが開く。瞬間、生ぬるさが肌を撫ぜた。埃にも土にも似た匂いが鼻先をかすめる。足元から水気のある空気が這い上がってくる。コンクリートが水に打たれる音が鼓膜を震わせた。
うわ、と少年は思わず顔をしかめる。雨音が街の音を、声を消していく。傘の群れが駅前を、広場を進んでいく。近くの軒下に、同じように顔をしかめるインクリングやオクトリングの姿が見えた。
「どしたの――うっわ」
軽快に訊ねる声は返事を待たずに重いものへと変わった。うっわぁ、とうんざりとした声が頭半分下からあがった。
「傘持ってきてないんだけどー」
「だよなぁ」
唇を尖らせるインクリングの少女に、同じくインクリングである少年は応える。その声も彼女と同じほどうんざりとしたものだった。大きな手がつるりとした頭を掻く。視界の端で同じマゼンタの長いゲソがふわりと舞うのが見えた。
「置き傘とかしてないの?」
「こないだ使ったまま家に置いてきた。お前はしてねーの?」
「私もこないだ使っちゃった」
運わるー、と少女はこぼす。それな、と少年もこぼす。二対の瞳はロビーの外、雨降る世界を睨んでいた。
己たちインクリングは水に弱い種族だ。雨は天敵といっても過言ではない。それ故に雨具はロッカーに備えているのだが、先日の通り雨で使ったまま戻すのをすっかり忘れてしまっていた。雨合羽も用意しておくべきだったか。しかし、この歳で雨合羽を着て歩くというのは全くイカしていない。かといって、無いものは無いのだからどうしようもない。この調子では、近場の店では傘はもう売り切れているだろう。予報晴れだったじゃん、と思わずこぼした言葉に、だよねー、と少し勢いのある声が返された。
止むまで待つか、と少年は溜め息をこぼす。種族の特性故本当に死ぬわけではないが、真水に濡れるのはやはり痛みが強い。降られながら帰るという選択肢は可能な限り避けて通りたい。
途端、ザァと強い音が耳に飛び込んできた。湿った風が肌を叩く。何とも言い難い匂いが強く香る。バタバタバタ、と打楽器の演奏めいた音が身体を包んだ。
「……え? これ止む?」
「止みそうにねぇよなぁ……」
呆然とした声を漏らしながら、二匹のインクリングは同時にナマコフォンを取り出す。四角い指が手早く二つ折りの端末を開き、慣れた手付きでニュースアプリを操作していく。現在の天気の欄には傘マーク。一時間後の欄にも傘マーク。二時間後の欄にも傘マーク。三時間後のものになってやっと灰色雲のマークが付いていた。つまり、当分止みそうにない。うっそでしょ、と悲鳴めいた声が隣から聞こえた。
「えー、どうすんのこれ」
「どうしようもないだろ」
二人揃ってどんよりとした声を漏らす。アプリを操作し、今のステージスケジュールを確認する。現在開催されているバンカラマッチのルールは、ロッカーに置いてあるブキでは参加が難しいものだった。かといって、ナワバリバトルに参加しようにも塗りの面で不安が残るものばかりである。バトルで時間を潰すには微妙な手札だ。
「パラシェルターならあるんだけどな」
溜め息とともに少年は呟く。ロッカーにはパラシェルターが一本眠っている。傘であれど傘ではないそいつは、ロビーの外の世界では活躍できないのだ。戦うためのブキなのだから当たり前なのだが、なんとも納得のいかないものである。
「いいじゃん! 持ってきてよ!」
弾けるような明るい声とともに、短い袖が強く引かれる。たたらを踏みそうになるのを耐え、少年は音の方へと顔を向ける。赤い目がばちんとこちらを射抜いた。鼻がくっつきそうなほど近くまで寄せられた顔に、少年は急いで身体を引く。ダン、と地を強く踏みしめる音が空間に響いた。
「だ、めだろ。ブキ外で使うのってアウトじゃん」
「バレなきゃいーの。最近パラシェルターモチーフの傘出たじゃん? マジのが混ざってても気付かれないって」
揺れる声を気にすること泣く、少女はにまりと笑う。いけるって、と四角い指が一本広場の方へと向けられる。群れのように動く傘の中には、パラシェルターを模したものがいくつもあった。確かに、混ざってしまえば気付かれないだろう。けれど、パラシェルターは一本しかないのだ。使えるのも一人だけである。
「それだったらオレが使うし。何でお前に貸さなきゃいけないんだよ」
「え? 一緒に入ってけばいいじゃん?」
赤い顔を逸らして言う少年に、少女はけろりとした顔で言う。夕焼け色の瞳は、何を言っているのだ、と言いたげに丸くなっていた。
一緒に入っていけばいい。いっしょにはいっていけばいい?
言葉を噛み砕き、飲み下した瞬間、少年の頭はフリーズを起こした。固まりきった脳内を、言葉が反響していく。いっしょにはいっていけばいい。機能を復旧しだした脳が、言葉の意味を処理する。つまりは、相合い傘である。脳味噌が答えを弾き出した瞬間、うすらと日に焼けた顔がインクでもぶちまけたかのように真っ赤に染まった。
「い、や、お前、何言ってんだよ」
「いいじゃん相合い傘ぐらい。私のアパート、君のとこより近いじゃん? 入れてってよ」
ねーねーと少女は鳴き声のように声をあげる。いつの間にか握られた腕が振り子のように動かされた。
相合い傘である。女の子と相合い傘である。年頃の女の子と年頃の男の子が相合い傘である。大問題だ――少なくとも、少年の心にとって。
「いや、おまえ、そんな――」
「相合い傘ぐらいで何照れてんの?」
視線を泳がせしどろもどろに言葉を紡ぐ少年に、少女は言葉をぶつける。意地の悪い響きをしていた。明らかな挑発だ。乗る意味の無い挑発だ。けれども、カッコつけたがりな年頃には無視ができない言葉であった。
「は? 照れてねーし。気ぃ遣ってやってんだけど?」
「んなとこに気遣ってないでパラシェルに入れてってっつってんのよ」
売り言葉に買い言葉。そして綺麗なカウンター。ここまで来て引けるはずなどない。ここで引こうものならこれから雨の日の度にからかわれるに決まっている。もう相合い傘をするしかないのだ。見事に少女の手の平の上で踊らされてしまった。単純すぎだろ、と少年は胸の内で頭を抱えた。
待ってろ、と短く残してバトルロビーへと踵を返す。バトルポットの横を駆けて、自動ドアをくぐってロッカーへと駆けていく。乱暴に開いたそこからパラシェルターを取り出し、また元来た道を走る。後ろで手を組んで待っていた少女の横に立ち、物言わずにパラシェルターを開いた。間違えてパージしないよう加減をしながら、少年はブキを掲げて外へと一歩踏み出す。撥水加工された生地を雨粒がうるさく叩いた。
たん、と軽快な足音。隣に気配。ちらりと視線をやると、わざとらしいほどにこりとした笑顔が視界に入った。
「じゃ、しばらくよろしくー」
「しゃーねーな」
そう言って身を寄せてくる少女に、少年はわざとらしく肩をすくめて返す。今度ジュース奢ったげる、と機嫌の良い声が返ってきた。
大丈夫だ。ただ一緒の傘に入るだけだ。何が相合い傘だ。ただの共犯関係である。むしろ己は被害者だ。悪くない。己に責任は無い。頭の中で強く言い聞かせる。そうでもなければ、隣の小さくて柔らかな存在を強く意識してしまう。そんなことはあってはならない。このぐらいで異性を意識するなどイカしていないにもほどがある。
大丈夫。大丈夫。まじないのように心の中で何度も繰り返す。早まっていく鼓動を無視するように柄をしっかりと握った。
パシュン、と何かが発射されたような音が頭上から聞こえた。
強者で在るために/ワイエイ
23年9月号終わった後ぐらいの時系列。読み始めた頃に書いたものなので作中におけるチームとかそういうのの重要性軽視してる。ご理解。
視界の真ん中を愛用のギアが埋める。バトルの際ずっと履いているそれは、普段よりもどこかくたびれて見えた。
はぁ、と溜め息を吐き、エイトは手を組む。そのまま身体を前に倒し、膝に手を載せた。ギアの青と赤、剥き出しの足、固さが見え始めた指が視界を埋める。項垂れた拍子に垂れた髪がゆらりと揺れるのが少しだけ見えた。
じぃと地を見つめる。ロッカールームの床は少し汚れていた。掃除などのこまめな作業が苦手なインクリングがよく利用しているのだ、無理は無い。普段ならばわずかな嫌悪感を覚えるそれも、今は感情を動かすことはなかった。
負けた。
己は敗北した。それも、『アホ』と名高い、無名のチームにだ。見くびっていたわけではない。どれだけ無名とはいえ、噂だけで8傑へとのし上がったミツアミが加わっていたのだ。何より、新バンカラクラスであるシェーディと8ビットを倒した者である。警戒すべき相手であり、全力で潰すべき相手だ。大枚をはたき特に強い者を集め、トレーニングに力を入れ、己のコンディションを整え。万全を期してバトルを迎えた。
なのに、負けた。
前半は押していた。高台にあるリスポーン地点の手前、スポナーから飛び出したところを狙い撃てるほどの場所まで追い詰めていた。そのまま時間いっぱいまで撃ち抜けば勝てるほどに追い詰めていた。
けれど、負けた。
飛び出たホクサイが塗り進んで掻き回し、その隙をスクイックリンが打ち抜き、スプラシューターとトライストリンガーが前線へと飛び出て。金に目が眩み、チームでの連携が崩れたところを突かれた。途中ウメボシだか何だか訳の分からないことで引っ掻き回されたが、その盤外戦術を抜いても彼らの戦いは――チームメイトを信頼し、完璧な連携を取った戦いは、強者の集まりを打ち砕いた。『アホ』の弱いチームが、強者を、新バンカラクラスであり強者である己を破ったのだ。
強くありたかった。強くあらねばならなかった。
常に勝者であらねばならない。常に強者であらねばならない。敗者に存在意義は無い。弱者に意味など無い。だから、強くあらねばならないのだ。弱者に落ちぶれるなどあってはならないのだ。
ドサ、と重い音。同時に身体がわずかに揺れる。クッションの中に埋め込まれたスプリングがかすかに悲鳴をあげた。
床を見つめていた視線をゆっくりと隣へと移す。見慣れた靴と濃く焼けた肌が視界の端に映った。
「……お疲れ様」
項垂れたまま、エイトは隣に腰を下ろしたワイヤーグラスへと声をかける。返ってきたのは沈黙、次いではぁ、と大きな溜め息。彼らしい様に、日常そのままの姿に、少年はわずかに口元を綻ばせた。
彼も――新バンカラクラス、その最強であるワイヤーグラスも負けた。あの『アホ』の弱いやつらにだ。
試合直後、映し出されたマップを見て我が目を疑った。マップの中央まで青が広がる様に現実を疑った。常ならばマップのほとんどを埋め尽くすオレンジが塗り潰されているなど、信じられるはずがなかった。
けれど、全ては現実だ。受け入れがたい事実だ。
ホイッスルが鳴り響き訪れた静寂の中、審判はブルーチームの勝利を謳った。結果を受け入れたワイヤーグラスはミツアミとの約束通りにブラックラベルを破り捨て、取りやめることを高らかに宣言した。そして、新バンカラクラスの解散。強者を求めた集まりは、強者の集まりは消えて散ってしまった――最強である彼が作ったものが。
先ほどのバトルを思い返す。確かに押していた。リスポーン地点から抜けられないほど押し込めていた。ラインマーカーが飛び貫き、カニタンクが砲を放ち、プライムシューターが全てを撃ち抜く。文句のつけようがない、強者である彼の戦いだった。全てを蹂躙する、最強である彼の戦いだった。
それをブルーチームは破った。また協力で、連携で、前線を崩したのだ。相変わらず盤外戦術はあったものの、それをワイヤーグラスは瞬時に対応した。それでも、勝てなかった。強者である彼が。
ブルーチームは弱者の集まりだ。エイムが飛び抜けて良いわけでもない。ブキを操る身体能力が特別高いわけでもない。スペシャルウェポンが強力なわけでもない。けれど、彼らは勝ち上がった――『チームの連携』という部分で、襲い来る強者全てを倒したのだ。
チーム、とエイトは考える。己のチームは即席であることが常だ。強さに確かな保証はあるものの、ブルーチームのようにチームメイトの動きや能力を完全に把握するのは難しい。各ブキのセオリー通り動くことを大前提として行動するのが限度だ。けれど、強者である己一人が全てをこなせば、全てを潰せば済む話だ――済む話だった。今までの戦法は打ち破られてしまったのだ。
チーム、とエイトは音も無くこぼす。彼らのようにチームを組めば勝てるのだろうか。能力を仔細に把握し、手癖に至るまで戦闘スタイルを把握し、声かけ行動を合わせれば勝てるだろうか。更に強くなれるだろうか。
チーム、とエイトは呟く。吐息めいた細く小さい声は、静まりきったロッカールームにはいやに響いて聞こえた。
「……ワイヤーグラス」
「……何だ」
隣、背もたれに身を預けているであろう彼の名を呼ぶ。今度は声が返ってきた。常のようで、ほのかに熱のこもった響きをしていた。きっと、先ほどのバトルの高揚がまだ残っているのだろう。久々に己を打ち負かす者――『強者』が出てきたのだ、当然である。
項垂れた姿勢を正し、少年は隣へと身体を軽く向ける。背もたれにオレンジの頭を預けたワイヤーグラスをまっすぐに見つめる。視線に気付いたのだろう、天井へと向けられていた目が緩慢な動きでこちらへと向けられる。赤と赤がぶつかりあう。
「チームを組まないか?」
努めて静かに吐き出したはずの声は、わずかに上擦っていた。興奮、緊張、恐怖、全てがないまぜになったそれが、シンと静まりかえった空間に落ちた。
あ、と懐疑に満ちた声が返ってくる。当たり前だ、黙っていたと思えばいきなりチームへの誘いなど不審に感じるだろう。相手がエイト――過去に完膚なきまで打ち負かした相手ならば尚更だ。
「ブルーチームにはチームとしての強さがあった。たとえ弱者でも、協力すれば強さを引き出すことができるというのは今までのバトルで分かっただろう?」
恐れを感じさせるような響きを無視し、オクトリングは言葉を紡ぐ。先の尖った指が小さく擦り合わせられる。中量級なれど大ぶりなブキを巧みに操る指は、どこか弱々しい動きをしていた。
「なら、強者がチームを組めば強いに決まっている。オレたちが組めば、更なる強さを手に入れることができるはずだ」
晴れた赤の目が、深い赤をまっすぐに射抜く。強い輝きを宿した瞳が、薄く高揚が浮かぶ瞳をまっすぐに射抜く。真剣そのものの視線が、強者へとまっすぐに向けられた。
視線の先、ワイヤーグラスは静かに目を伏せる。背もたれに預けた身体がバネめいた動きで起こされ、軽くひねられこちらを向いた。伏せた目が開かれる。そこには、確かな輝きがあった。愉快さを、不遜さを宿した輝きが。
へぇ、とワイヤーグラスはこぼす。その声も酷く愉快げだった。言葉を紡ぐ口元が三日月を描く。インクリングの尖った大きな牙が剥き出しになった笑みは、凶悪の一言に尽きた。
「お前が? オレに負けたお前がか?」
「あぁ」
恐怖すら呼び起こす笑みを前に、エイトは恐れることなく強く言葉を返す。へぇ、とまた愉快さを宿した声が二人きりの空間に落ちる。
「手始めにバトルしてみるかい?」
そう言い、オクトリングは傍らに置いた.96ガロンを手に取る。使い慣れたはずのそれが、妙に重く感じる。両手でしっかりと抱え、見せつけるように片手で構えた。長い銃身が天へと向けられた。
黙し、インクリングは同じく傍らに置いたプライムシューターを手に取る。四角い指がグリップをしっかりと握った。
「ステージは」
「マサバ海峡大橋で」
エイトの言葉に、ワイヤーグラスは目を細める。ふぅん、と鼻を鳴らすのが聞こえた。
マサバ海峡は全体的に開けたステージだ。メインの射撃はもちろん、4Kスコープすら越える射程を持つラインマーカーをまっすぐに飛ばすことができる。カニタンクの射撃やカノン砲もだ。身を隠す場所は多少あれど、狭いそこではラインマーカーで簡単に炙り出されてしまう。メインの射程はわずかにこちらが勝っているが、サブウェポンとスペシャルウェポンの相性を考えれば彼が優位に立てるステージであることは明白だ。ステージを熟知しているワイヤーグラスが気付かないはずがない。
己が優位に立てるステージはある。けれど、それでは意味が無い。別次元の強さである彼をそんな姑息な手で打ち破ろうとするなどあってはならないのだ。相手の全力を引き出してこそ、勝つ意味があるのだ――強者として在ることができるのだ。
ギシ、とスプリングが悲鳴をあげる。座面が揺れる。靴が床を打つ音が二人きりのロッカールームに響いた。カラフルなニット生地に包まれた背中が、揺れるオレンジの髪がどんどんと出口へと遠ざかっていった。
素早く立ち上がり、エイトも出口へと向かう。高揚を抑えきれない足は、ぱたぱたと軽い音をたてた。
絶対に勝つ。勝って、認められ、チームを組む。己は、己たちは更に強くなるのだ。
自動ドアの向こう側、ロビーへと向かう背を一心に見つめ、エイトは心の中で力強く言葉を紡ぐ。真一文字に引き結ばれていた口は自然と解け、緩やかな弧を描いていた。
ドアが開く音とともに足音が消え去る。ロッカールームは、元の静けさを取り戻した。
シャワー浴びたらなんとかなった/ワイエイ
指先へと視線を注ぐ。赤い目が見つめる先、紙をつまんだ指に少しばかり力を入れる。手の内のそれがピンと張って伸び、その存在を主張した。
黒い紙にはインクリングを表すマークが大きく描かれていた。それを丸が囲う姿は愛らしさを思わせるものだ。しかし、その存在を全否定するように書かれた赤いばつ印が全てを台無しにしていた。残るのは不気味さだ。
ブラックラベル。
ブキを封じる力を持つそれは、最近手に入れたものだ。ワイヤーグラスと名乗るインクリングに敗北し、『新バンカラクラス』なるものに誘われた。『強いヤツの集まり』という誘い文句は、力を求める己には何よりも魅力的に映った。久方ぶりに敗北を味わい、次元の違う強者との邂逅を果たしたあの瞬間においては。
指先のラベルを眺めながら、エイトは小さく悩ましげな唸りを漏らす。見た目はザッカ屋に売っていてもおかしくない、ただの小さなステッカーだ。ペラペラと表現できるほど薄い様は安っぽさすら感じさせるほどである。しかし、この紙切れは貼るだけでブキを機能不全に陥らせる力を有しているのだ。一体、どういう原理なのか。薄さからして何か機器を仕込んであるようには見えない。印刷されているインクが特殊なものなのだろうか。それとも、紙自体になんらかの仕掛けがあるのか。うぅん、と結んだ唇から小さな音が落ちた。
「何してんだ」
頭上から声。耳慣れた――否、あの日脳に刻み込まれてしまった声に、エイトは大仰なほどに素早く顔を上げる。疑問と好奇心でいっぱいの赤い瞳に、鮮やかな真紅が映った。
あぁ、とオクトリングの少年は短くこぼす。声の主は、このブラックラベルを己に与えた張本人であるワイヤーグラスだ。吊り気味の深い赤に感情は見えない。ただただ恐ろしいほどの鋭さだけが宿っていた。
刺すような視線から逃れるように、ブラックラベルへと視線を戻す。指先のそれを軽く操り、彼に見えるように少しだけ角度を変える。わずかに加えられた力に、薄く小さな紙は短い声をあげた。
「一体どういう仕組みか気になってね」
エイトの言葉に、ワイヤーグラスは物言わず首を傾げる。鋭利な視線が、佇むだけでも感じられる気迫が身体に被さる。ただ対面しているだけだというのに、恐れを超えて痛みすら覚えるほどだ。
「こんな小さなラベルでブキを封じられるだなんて不思議じゃないか。見た目はただの紙なのに、強大な力を持っている。面白い存在だよ」
それでも、少年は何ともないという風に言葉を続ける。怯える姿など見せてはいけない。それは弱者の振る舞いだ。強者を求める彼の前で、強者としてほんの僅かでも認めてくれた彼の前で、恐れなど振り払わねばならないのだ。強者で在りたい己のためにも。
ふぅん、とインクリングの少年は鼻を鳴らす。心底どうでもいいといった様子だ。きっと、彼にとってこのラベルは手段でしかない。機構などどうでもいい、『ブキを封じる』という結果さえ残ればいいと考えているだろう。わざわざ仕組みを知りたがる己は珍しく映るはずだ。
「これ、ブキにしか効かないのかい?」
「知らねぇ」
試してねぇ、とワイヤーグラスは吐き捨てるように答える。そこらのガールが聞けば悲鳴をあげるような響きをしていた。けれども、そこに怒りや煩わしさといった負の感情はない。ただただ興味がない、関心がかけらも無いとありありと語っていた。
思わず上げた視線の先、映った表情を見るに、はぐらかしているわけではないようだ。きっと、本当に知らないのだろう。効果さえ発揮できるのならば、仕組みを知る必要などない。ブキの構造など知らずとも、バトルはどれだけでもできるのと同じだ。しかし、最初の使用者――つまり製作者である、もしくは製作者を知っている彼すら中身を知らないとは。これ以上の情報を得ることはできないだろう。無闇矢鱈と深堀りして良い結果が残るとは到底思えない相手である。
今一度ブラックラベルを見つめる。不可思議な力を持つ無機物は物言わぬまま手の内でひらひらと揺れた。こうして持っていても何も起こらないあたり、やはりブキの何かしらに反応するのだろうか。サブウェポンには効果があるのだろうか。スペシャルウェポンを封じることはできるのだろうか。興味がこんこんと湧いて出る。答えの出ない問いばかりが浮かんでは頭の底にわだかまった。
「……試すか」
頭上から声。耳慣れぬ愉快さを孕んだ声に、オクトリングは思わず顔を上げる。赤い瞳の先には、薄く口角を上げたインクリングがいた。レンズの無い特徴的なデザインの眼鏡の奥、黒に縁取られた深い赤は煌々と輝いている。まるで獲物を見定めた猛禽類のような、嗜虐を孕んだ輝きが。
ひく、と唇が引きつって動く。悪い予感がする、否、悪いことが起きるのなど火を見るより明らかな光景である。逃げるべきだろう、否、逃げてはいけない。ここで背を向けるなど、弱い者の行動だ。強い己には、強く在りたい己には、逃げるなんて選択肢は存在しなかった。ただ、その恐ろしい視線と真っ向から対峙するしかない――正しくは、視線だけで縫い付けられて動けないだけなのだけれど。
ぺら、と音が聞こえた気がした。次いで、頬に冷たい感触。硬い感触。べたついた感触。何かが貼り付く感触。
エイトは反射的に身を引く。プラスチックの背もたれに背中が勢いよくぶつかった。痛みに意識を向けるより先に、頬へと手を伸ばす。叩くも同然に触れたそこには、紙の感触があった。クシャ、と頬に貼り付いた何か――ブラックラベルが短い鳴き声をあげた。
頬に当てた手が弾くように払われる。己のそれの代わりに、角張った指が触れる。紙越しに伝わる熱が頬を辿っていく。輪郭をなぞるようなそれは品定めをしているように思えた。
「……なんかおかしくなったか」
指が離れるとともに、問いが降ってくる。紅の視線が一心に降ってくる。貫かれるような心地がするほどに。
「い、や……特に、何も」
「そうか」
分かってよかったなと、と吐き捨て、ワイヤーグラスは鼻を鳴らす。先ほどまで場を支配していた重圧感と嗜虐性はすっかり鳴りを潜めていた。結果を見て興味を失ったのだろう。金属フレームの向こう側の目は既にラベルから逸れ、丸くなった赤を見下ろしていた。
強く眉を寄せ、オクトリングは目の前の深紅を見据える。ひくり、と口元が引きつる感覚がした。物の機能を停止させる危険性を孕んだものを勝手に貼り付けられて良い気分などするわけがない。筋肉が感情の発露のために動くのは当然である。
「ど、うやったら、剥がせるのかな?」
震える口角を律しながら、エイトは言葉を紡ぎ出す。努めて冷静に吐き出したそれは、わずかに震えていた。目の前の強者に対する畏怖か。突飛な行動をする者への憤怒か。感情の天秤は後者に傾いていた。
「ブラックラベルを貼ったまま外にいるなんて、『新バンカラクラス』の名に傷がつくだろう? 剥がしてくれないか?」
「洗えば剥がれる」
丁寧な問いに、短い言葉が返される。もはやぶつけると言った方が正しい音色をしていた。そこに何らかの思いは見て取れない。実際、何も思っていないのだろう。目の前の事象に対しての興味などとうに失せてしまっているなんて、顔を見るだけで分かる。
顔洗ってこい、と告げ、インクリングは踵を返す。存外綺麗にまとめられたオレンジが陽光を反射しながら揺れる。つやめくそれは、あっという間に雑踏の中に消えた。
「…………は?」
溜め息にも似た声がこぼれ落ちる。音色は相変わらず震えていた。もはや何によるものなのかすら分からぬほど揺れていた。
先の細い指で自身の頬を撫ぜる。そこには依然紙が、ブラックラベルが鎮座していた。角に指先を差し込んでみるも、欠片も剥がれる様子が無い。引っ掻くと表現するほうが相応しいほどの強さで指を動かすも、黒いそれはべったりと貼り付いて取れなかった。
頬から手を離し、エイトは深くうなだれる。はぁ、と吐き出した息は酷く重苦しいものだった。憤り、疲れ、呆れ、諦め。様々な感情が渦巻き、質量すら感じさせる音を奏でた。
浅黒い指が頬を撫ぜる。依然、ブラックラベルは剥がれる様子もなくそこに鎮座していた。本当に洗えば取れるのだろうか。いわば特殊機器であるブキを封じるそれが、洗う程度で剥がれるのだろうか。にわかに信じがたい言葉である。しかし、ワイヤーグラスが嘘を吐くはずがない。バトルの駆け引きでもなく嘘を吐くメリットなど無いのだ。信じる他なかった。
はぁ、と少年はまた溜め息を吐く。洗えば剥がれるとしても、これを顔に貼り付けたまま水場に行くなど無茶だ。バンカラ街は様々な者が集まっているとはいえ、顔に大判のラベルを貼り付けたものなど目立つに決まっている。それが『新バンカラクラス』として名を馳せている己ならば尚更だ。衆目を避け顔を洗うなど無茶である。
はぁ、とオクトリングは溜め息を吐く。大きな手が頬に、貼り付いたブラックラベルを覆うように当てられた。
「……ロッカーにマスクあったっけ」
呟き、エイトは立ち上がる。手の熱が伝わる頬を意識から弾き出しながら、バトルロビーに続く裏道へと歩みを進めた。
カサリ、とラベルがあげる小さな声が薄暗がりに落ちて消えた。
畳む
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