No.184, No.183, No.182, No.181, No.180, No.179, No.178[7件]
あんたに編み込んで【ヒロ←ニカ】
あんたに編み込んで【ヒロ←ニカ】
ハッピーハロウィン(フライング)(明日の体調が怪しいため)
キョンキョンぼう可愛い! そういやこれ三つ編み付いてんすね! お揃い! とかそういう単純な思考による単純な話。都合の悪いところは都合の良いように勝手に捏造してる。
ハロウィンギアが気になるベロニカちゃんハロウィンギアに興味津々なヒロ君の話。
前後に付けられた大きな装飾を横に避け、丼をひっくり返したような帽子を被る。そのままくるくると回して正しい被り方をする。不思議なことに、顔の真ん前に配置された大きな厚紙は透けて向こう側がはっきりと見えた。おぉ、とベロニカは思わず感嘆の声を漏らした。どういう仕組みか分からないものの、こんな顔を隠すようなデザインでしっかりと視界が確保できるようになっているのは驚きだ。見た目を最優先した機能性の低いギアだと思っていたが、そうではないようだ。
「前見えますか?」
「見える。すげーわこれ」
尋ねる声に急いでそちらへと顔を向ける。透ける札紙の向こうには、どこか心配そうな顔をしたヒロがいた。やはり視界の確保への懸念が大きいのだろう。そんな表情を振り払うように弾んだ声を、恥ずかしながら弾んでしまった声をあげる。それでも信じられないのか、送られる視線はまだ訝りを残していた。
「ヒロも被ってみろよ。すげーんだって」
被ったギア、キョンキョンぼうを脱ぎ捨て、目の前の青い頭へと載せる。うわ、と短い悲鳴があがった。怯んだように屈んだ頭を見下ろしながら、帽子の位置を調節してやる。こわごわと上げた顔からは次第に猜疑の色が消え、高揚にも似た感動の色が広がっていく。赤い瞳は感情を表すように大きく丸くなっていく。口元は小さく開き、はわぁと小さな溜め息が落ちた。
「ちゃんと見えるんですね。どういう仕組みなんでしょう」
「何なんだろうな。こっちから見たらただの紙なのに」
眼前に取り付けられた厚みのある紙をいじくりながら少年は呟く。少女も不思議そうに前から横からと覗き込んだ。やはり何度見ても正面からでは達筆すぎて読み下せない文字書かれたただの厚紙だ。けれど、横から見るとうっすらと前が透けて見える。きちんと被って見た結果は先ほど十二分に味わった。普通の紙のように見えるが、何か特殊なものなのだろうか。知的好奇心が年頃の少年少女をこれでもかとくすぐって、あちらへこちらへと動かした。
横から紙を眺める黄色い目がすぃと動く。レモンの瞳に映るのは、ギアの背面に付けられた装飾だ。背の半ばまであるそれは、三つ編みにされた髪のようなものだった。かっちりと編み込まれた様子は縄を思い起こさせる。前に取り付けられた札も大概意味が分からない装飾だが、こちらも何のためにあるのかが全く分からない。下手をすればバトル中どこかに引っかけてしまう危険性があるのだから、実用性を下げるものである。先ほどのような配慮はあれど、やはり見目を最優先したギアのようだ。
そういえば、とベロニカは記憶を辿る。インクリングはゲソを気合いを入れて伸ばし、前に垂らした三つ編みにしている者がいる。己もその一人だ。しかし、オクトリングがそのようなヘアスタイルをしているのは見たことがなかった。彼らの多くは長いゲソ――オクトリングは『ゲソ』ではないと目の前の友人に教えられた覚えがあるが――を分けて下ろしているか、簡単に結っているかがほとんどだ。
気合いを入れればゲソは伸ばすことができる。けれどもそれをしないのは何故なのだろう。バンカラ街のオクトリングもまた『イカした』ことに力を注いでいるのに、何故ヘアスタイルには無頓着なのだろう。インクリングとオクトリングはトレンドが違うのだろうか。いや、ロビーに広げっぱなしにされていた雑誌ではどちらも同じように扱っていた覚えがある。では、何故。
疑問と好奇心で埋め尽くされた少女の心は、容易く身体を動かす。角張った手が伸び、後ろに垂れた三つ編みの装飾を避け、背へと流れる青いゲソに触れる。先が緩やかにカールしたそれは、冷房が切られてぬるいロッカールームの中でもひやりとしていた。耳の後ろ側、太い部分に這わせた指をゆっくりと動かしなぞる。先端に辿り着いたところで、年頃の少女にしては硬い指が躊躇いがちに泳ぐ。しばしして、ゆるくうねったそれをしかりとつまむ。そのまま、ぐっと下に引っ張った。
「いった!」
瞬間、目の前で悲鳴があがる。形が良いブルーの頭がぐっと後ろに傾く。バランスを崩した帽子が揺れ動き、そのまま床へと落ちた。わっ、と思わずこちらも声をあげる。
「すまん!」
「一体どうしたんですか……?」
即座に手を離し、ベロニカは悲鳴と同じぐらい大声で謝る。ゲソを引っ張られた当人は、己の愚行に怒ることなく問いかけるだけだ。動揺をあらわにした声は、本当に状況が理解できていないことを如実に表していた。
「これ、後ろ三つ編みになってんだろ? オクトリングも気合い入れて引っ張ったら三つ編みにできねーのかなーって」
しょぼくれた声で答えを返す。この有様では返答ではなく言い訳にしか聞こえなかった。事実そうであるのだけれど。あまりにもイカしてない、みっともない、子どもそのものの行動だった。今になって羞恥と後悔が湧き起こってくる。何より、彼に危害を与えてしまったのが大問題だ。普段から世話を焼いてくれる優しい友人を衝動的な好奇心で傷付けるなど馬鹿にも程というものがある。
あぁ、と少年は納得した声をあげる。そこにうすらと笑みを含んでいるように聞こえたのは、きっと気のせいなんかでないだろう。当たり前だ、こんなガキくさいことをして笑われない方がおかしいのだ。
「オクトリングはインクリングに比べて触手の本数が少ないですからね。三つ編みはよっぽど頑張らないと難しいんじゃないでしょうか」
「あー……、本数は気合いじゃどうにもならねーもんな」
インクリングの頭部にあるゲソは六本だが、オクトリングのそれは四本だ。目の前の頭を見るに、それも左右に二本ずつ分かれた配置をしている。己たちのように気合いで伸ばしたとしても、アンバランスになってしまうだろう。
種族差によってヘアスタイルに違いが出てくるとは。なるほどなぁ、とベロニカはこぼす。目の前のヒロは、事態を飲み込めていないのかきょとりとした顔をしていた。
「できたらいいのにな。三つ編み似合いそうだし」
指を伸ばし、今度は顔の脇にある一本に触れる。ゲソの持ち主はびくりと身体を震わせた身を引いたが、すぐさま平常通り、何でもないという風な顔でこちらを見た。怯えさせてしまった事実に、また胸を悔恨が掻き混ぜて黒く染め上げていく。全ては自分が悪いのだけれど。
取れてしまった帽子に、無くなってしまった三つ編みに、心臓を撫でるように風が吹いていく。うっすらと、けれども確かに冷たいそれには覚えがある。ダイヤの乱れで待ち合わせの時間に会えない改札口。合流のタイミングを見誤って先にバトルに行かれてしまったロビー。予定が合わずしばしの間戦えない連絡が来た床の上。そんな時はいつだって冷えた何かが心の臓を這っていくのだ。
今は目の前に彼がいる。ギアの試着を終えれば、ナワバリバトルに繰り出す予定だ。なのに、何故こんな気分になるのだろう。少女は目をしばたたき、小首を傾げる。胸のあたりを撫でてみるが、依然として冷たさは消えなかった。
「せっかくのハロウィンですし使ってみたいですけど、ヒト速……ヒト速かぁ……」
「あたしもどうすっかなー」
ブツブツと呟くヒロに、ベロニカも難しそうな声を返す。ヒト速はトライストリンガーと相性は悪くないものの、今から普段通りのギア構成になるようにコーデを組み直すのは骨だ。自分の趣味嗜好を考えるに、使うとしても今回のハロウィン特別フェスが最初で最後だろう。そのために新しくコーデを考えるというのはどうにも面倒くささが勝つ。
悩ましげに眉を寄せ、いつの間にか拾った帽子を睨みつける友人を見やる。.96ガロンを扱うヒロにとって、ヒト速であるこのギアを採用するのは難しいだろう。.96ガロンはヒト速の効果量がそれはそれは低いのだ。わざわざ活かせないものに枠を割くのは非合理的である。それを分かっていても悩むほど、彼はこれに惹かれているようだ。
帽子に取り付けられた三つ編みが揺れる。三つ編み。オクトリングにはできないヘアスタイル。オクトリングである彼ではきっとずっと見られないヘアスタイル。
「……ま、いっか」
少女は小さくこぼす。は、と吐き出した息は、胸中の混迷具合と正反対に軽い響きをしていた。
今さっき見れたじゃないか。たとえギアの装飾とはいえ、三つ編みを下げた姿が見られたじゃないか。違うヘアスタイルをした彼が見れたじゃないか――己と揃いのヘアスタイルにした彼が見れたじゃないか。
吐いた途端、ぐちゃりと渦巻く感情が吹き飛んで消えていく。冷たいものが撫でていた胸に温度が戻ってくる。むしろ、温かさを覚える何かが胃の腑に落ちた気がした。
「どうしました?」
問われ、ベロニカは視線を前に戻す。そこには、今一度ギアを被ったヒロの姿があった。後ろに偽物の三つ編みを垂らした彼の姿が。
ふっと思わず笑みを漏らす。口元が緩む。とくりとくりと心の臓が普段よりも大きな駆動音を鳴らし始めた気がした。どれも不可解だ。けれど、どれも心地よさがあった。
「どうせなら写真撮っときゃよかったなって」
「さすがに勘弁してください」
ニカリと笑う少女に、少年は笑って返す。ギアを取り扱っている今、どちらの手元にもナマコフォンは無い。冗談と言うことは分かりきっていた。そもそも、彼が写真の類をあまり得意としていないことはよく知っている。珍しいコーデをしていようと、不躾にカメラを向けようだなんてことは一つも思わなかった。互いに冗談だと分かっているからこそ、笑みを交わせるのだ。
「作るだけ作ってみっかなぁ」
貸していたギアを眼前の頭からひょいと取り、ベロニカはスロッシャーのように指先でくるくると回す。インクの色に染まった長い三つ編みも一緒に回った。ぺちぺちと身体に当たるのが鬱陶しく、すぐにやめて胸を隠すように持つ。前から見ると相変わらず不透明な札が少女を見上げた。
「使うならこっちでしょうか」
そう言って少年が取り出したのは、不気味の一言に尽きる仮面だった。ヒトの顔に似ているようで、出っ張っている額や顎がヒトならざる者だと語っている。要所要所に開けられた穴たちや、矢印のような赤い模様が更に不気味さを加速させていた。
「何だそれ」
「『ホッケかめん』だそうです。ホッケ……なんでしょうか?」
裏表を確認していたオクトリングの手が止まる。そのまま両手を側面に当て、かぽりと顔に被せた。顔面全てを覆う仮面により、一瞬にして顔も表情が失われる。目元だけがうっすらと透けて見えるのが、どこか滑稽だった。
「……似合ってんじゃね?」
「似合うとか似合わないとか、そういうギアじゃないと思いますけどね」
軽口を叩き合い、二人でクスクスと笑い合う。ハロウィンまであと少し。
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緑橙誘いて【嬬武器兄弟】
緑橙誘いて【嬬武器兄弟】
ハッピーハロウィン(フライング)(内容的にフライングしないといけない)
ハロウィンだしボルテ学園は色々企画してそうだなーって感じでどうにかこうにか。毎度の如く捏造しかないよ。
ジャック・オ・ランタン眺める嬬武器兄弟の話。
リビングに続くドアをくぐり抜けると、三角吊り目と目があった。
丸っこい身体、もとい顔は深い緑と橙がまだらに散り、室内照明を受けてデコボコとした表面があらわになっている。三角の双眸は底見えぬ暗さだ。歪な口元も、目と同じほど底が見えない闇を奥に隠していた。けれども記号化された顔つきはコミカルで、愛らしさも感じさせる――リビングの机の上に一人鎮座しているのは不審極まりないが。
「おかえり」
キッチンから声。見ると、マグカップを手にした雷刀の姿があった。黒いTシャツを背にしたそれは、中身を淹れたばかりなのかほのかに湯気が見える。冬色をした手元と少しだけ厚みのある半袖とはちぐはぐだ。飲み物で暖を取る前に上着でも羽織ればいいのに、と考えてしまうのは当然だろう。今はそんなことより言うべきことがあるが。
「ただいま。何ですかこれ」
挨拶は欠かすことなく、けれども何よりも先に烈風刀は問う。このオブジェは朝の時点では影すら見ていない。今日、己よりも一足先に帰宅した兄の手によって持ち込まれたのは明白だ。
「そりゃ、かぼちゃだろ」
「分からないとでも?」
「ごめん」
茶化した風に答える朱に、碧は眇めて短く言う。すぐさま謝罪の言葉が飛んできた。互いに、言葉に反して声も口ぶりも軽い。秋風に晒され結ばれた口が解けていく心地がした。
「放課後おっさんがジャック…………えっと、かぼちゃランタンの教室やっててさ」
あぁ、と弟は思わず声を漏らす。先日、美術教師であるライオットが『ワークショップを行うので規格外のかぼちゃをいくらか売ってくれないか』と訪ねてきた記憶がよみがえったのだ。
植物も生きている以上、化けて大きくなりすぎたものや逆に他個体に栄養を奪われ小さくなってしまうものもある。味やサイズの問題で販売には回すことができない個体はどうしても生まれてしまうのだ。加工販売にまでは手が回っていないのもあり、堆肥にするなどして処分するしかない現状である。それを引き取ってくれるなど、しかもワークショップで活かしてくれるなど、こちらとしても喜ばしいことだ。日頃の付き合い――特に、あの時畑を引き継いで面倒を見てくれた人だ――もあり、無償で譲ったのだった。予備が必要だろう、と理由をつけて少し余計に引き取ってもらったのは秘密だが。
なるほど、今日がそのハロウィン特別企画ワークショップの実施日だったらしい。校庭の方から機械の駆動音や子どもたちの高い声が聞こえたのは、きっと制作の真っ最中だったからだろう。
「一番でっけーの作らせてもらった!」
「よく彫れましたね……」
目測でも両手でやっとどうにか持てるほどの大きさだと分かるほどである、化けてあまり身が詰まっていないものだろう。にしたって、かぼちゃの皮は硬くて厚い。これほどのサイズならば包丁は確実に通らず、彫刻刀でも貫通させられるか怪しいほどだ。目を一つ彫るのでも一苦労であるのは容易に想像できる。だというのに、中身はしっかりくり抜かれているのは目口の奥の闇からよく分かる。三角の目もジグザグの口も、切り口はナイフで削ったのか綺麗に整えられている。放課後の短時間でよく作れたものだと感心するほどの出来だ。
「おっさんが結構手伝ってくれたしな。こう、チェーンソーでヂューン! って」
謎の擬音とともに、兄は腕で空気を横薙ぎにする。きっとチェーンソーを操るライオットを真似しているのだろうが、その動きは明らかにランタンの形状を作り上げるには大袈裟で大雑把すぎる。そもそもこの手のものを作るにはチェーンソーよりも電動ドリルの方が相応しいのではないか。いや、最終的に立派な物が出来上がっているのだからいいではないか。思考を重ねて、喉から出そうになる言葉をどうにか押さえつけた。
「中にろうそく入れんだって。やろーぜ」
ほらほら、と雷刀はどこからかろうそくとライターを取り出した。左手に握られたろうそくは持ち主の髪よりも更に鮮やかな赤で、高校生の拳で握って尚はみ出るほど長く太い。明らかに仏壇に供えるためのものだった。かぼちゃはかなり大きいものの、さすがに入るのかと不安が浮かぶ。でかければでかいほどいい、と彼は何においてもよく言っているが、そろそろ適材適所という言葉を覚えるべきである。
テーブルに敷いた大判ラップの上に置かれたかぼちゃが持ち上げられる。台座を買い忘れたのか、雷刀はテーブルにろうそくの底面をぐりぐりと擦りつけるようにして底を広げていく。かなり無理に潰して立たせ、倒れないようにそっと火を点けた。食卓の上だけが更に明るさを増す。それもすぐさまオレンジの中に消えた。トトトと弾んだ足音に続いてパチリと軽い音が鳴った途端、部屋は闇に包まれる。しかし、目の前だけは穏やかな光で照らされていた。おぉ、とどこか上擦った声が二つ部屋に落ちた。
中のろうそくが大きいためか、直線で構成されたの顔から漏れる灯りははっきりとしたものだ。直視しては眩しいだろうが、かぼちゃで覆われることで輝かしい光は和らいでいる。LEDではなく炎だからだろうか、普段よりも柔らかな色をして見えた。
「いいじゃん」
「綺麗ですね」
何故だか二人ともひそめて言葉を交わす。まるで声と息に合わせるかのようにランタンの中で炎が揺れた。このまま消えてしまうような、消してしまうような心地に思わず口を噤む。兄もそうだったようで、隣から音が消えた。聞こえるのは、ほんのわずかな呼吸の揺らぎだけだ。
ゆらゆらと炎が揺らめく。室内だから風なんてものは無いのに、何もかも静止していて動くものは無いのに炎は揺らめく。まるで命が宿っているようだ、なんてメルヘンじみた錯覚に陥る。そういえば、ジャック・オ・ランタンは死者の魂が関わるものだとどこかで聞いた気がした。死者の魂。音も無く揺れ動くもの。見えないもの。
パチン、と軽い音が静かだった部屋に落ちる。ぶわりと光が部屋を満たす。気付けば、部屋の電気は点けられ、目の前のランタンは持ち上げられ中身のろうそくが消されたところだった。
「キレーだったな」
「……えぇ、とても」
ろうそくの後処理をしながら雷刀は笑う。烈風刀も遅れて首肯する。声帯が普段以上に震えたのは、きっと気のせいではない。
どうやら引き込まれていたのは自分だけだったようだ。滅多に味わわない炎の揺らめきとかじった程度のあやふやな知識が悪い方向に意識を引っ張っていったらしい。こんなのまるっきり子どもではないか、と内心自嘲する。兄のことを笑ってなどいられないほど己も単純な部分があるのだから嫌になる。
ぐっと目を瞑り、ぱっと開ける。目の前にはあの光は無い。ただ、かぼちゃとにらめっこする兄の姿があるだけだ。
「……これって食えんの?」
「一応食用の品種ですけれど……、化けているからあまり美味しくないと思いますよ」
「そっかー」
もったいねーけど捨てるしかねーか、と雷刀は唇を尖らせる。かぼちゃは表情を変えること無く、にらめっこを続けていた。
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どれにせよ腕は死ぬ【新3号】
どれにせよ腕は死ぬ【新3号】
久しぶりにヒロモやったら序盤でパブロ振らせるミッションあることに気付いて宇宙猫顔になったので。いやこんな序盤にパブロをオススメするの正気か? 初心者に時間制限付きステージでパブロ振らせるとか正気か?
肉体の限界を試される新3号の話。
どぷんと液体が湧く音。べしゃりと固体が落ちる音。ヤカンの金網から吐き出された黄色は、白い地に放り出されて転がったまま動かない。相棒の生死を確かめるようにコジャケが駆け寄り、その鮮やかなイエローの髪をつつく。三度触れて動かぬことを見て、何とも表現しがたい鳴き声が固い嘴から漏れる。そのまま、全てを呑み込まんばかりに大きく口を開けた。
「食えないっつってんでしょ」
地面に放られた手が素早く動き、持ち上がった上顎を掴む。そのまま、力強く引き寄せ、持ち上げ、大きく空に放り投げた。言語化しがたい鳴き声と丸い体躯が液晶が作り出す蒼天へとまっすぐに昇っていった。
はぁ、と嘆息し、インクリングは再び地を転がる。ヒーロスーツに包まれた腕はまだ熱を持っていた。じんじんとこもる熱も、ずぐずぐと疼く痛みも落ち着く様子がない。また溜め息。少女は端末を開き、イカの姿に戻りキャンプ地へと飛び立った。
「おかえりー!」
降り立ちヒトの形へと変わると、元気な声が飛んでくる。爽やかで弾けるような明るさに、少女は目元を険しくする。気付かないのか、気にしていないのか――おそらく前者だ――一号と呼ばれるインクリングはぶんぶんと手を振った。
気にも留めず、黄髪の少女は歩みを進めキャンプ地の隅へと腰を下ろす。いつの間にか戻ってきたのか、相棒のコジャケがこちらをじぃと見上げていた。何も無いわよ、と手の甲を向けて振って突き放す。瞬間、腕にまた痛みが走った。グッ、と漏れ出掛けた呻きをどうにか喉で殺す。仕留めきれなかったのか、あれ、と跳ねるような声がこちらに飛んでくるのが聞こえた。
「三号、どうしたの? 腕痛いの?」
二人挟んで向こう側、足音が聞こえ始めてどんどん大きくなる。顔を上げた頃には、目の前にはしゃがみ込みこちらを見つめる一号の姿があった。金に十字が刻まれた丸瞳がじぃとこちらを見つめる。ぱちぱちと瞬くそれには表面にうすらと好奇心が刷かれている。輝きすら思わせる視線は、グローブに包まれた手は、スーツに包まれた少女の腕へと向かった。
触れるより先に、勢いよく腕を引く。途端、また前腕に痛みが走った。今度は殺せきれなかった呻きが結んだ唇から漏れる。それでも触らせまいと、三号と呼ばれるインクリングは腕を己の身体で隠そうとした。
「え? 怪我したの!? 大丈夫!?」
「何もないわよ」
チッ、とこれみよがしに舌打ちをし、三号は尻で後退って距離を取る。それもすぐに詰められた。目の前の太い眉はへにゃりと下がり、黄金の目は曇りを振り払うように瞬いている。『心配しています』と言いたげな顔だった。実際、心配しているのだろう。この一号とやらは底抜けにヒトがいいのだ。それこそ、腹が立つほどに。
「怪我なら手当しないとだよ? 『油断せず早期治療…戦場の鉄則!』ってじーちゃんが言ってた!」
「怪我じゃないっつってんでしょ」
また腕に伸ばされる手を振り払い、少女は先輩隊員を睨めつける。青い双眸はこれでもかと眇められ、眉は強く寄せられ、口元は威嚇するようにカラストンビを剥き出しにしている。同年代の少年少女なら怯むほどの気迫だ。しかし、相手は成人した、それもなんだかよく知らないが色々と経験を積んできた先輩である。表情を変えることなく、ただただこちらを見つめてきた。純粋な、清廉な、本当にこちらを慮った視線が、警戒心丸出しのインクリングへと注がれる。視線がかち合い、逸れることなくぶつかりあう。
「…………パブロ、疲れんのよ」
長い戦いの末、敗北したのは三号だった。ふぃ、と顔を逸らし、少女は吐き捨てるように告げる。へ、と呆けたような声。数拍置いて、あぁ、と納得の声と頷きが返ってきた。
オルタナの一区画、『ながいきヤングニュータウン』と記された場所に辿り着いてしばらくが経った。これまでの経験もあってか、探索は前の区画に比べて随分と順調に進んでいる。ケバインクの除去ももうすぐ終わるころだ。ただ、一つ問題が残っていた。
ケバインクの海に埋もれたヤカン、そこに設定されたミッション。迫りくるヌリヌリ棒から逃げながら的を全て壊すそれは、三号にとって苦戦するばかりだ。何しろ、オススメされるブキがパブロである。身の丈以上ある大きなフデを振り回し小さな的を狙って壊すのはなかなかに手こずる。それを棒に潰されぬよう、漏れなく壊すために素早く行わなければいけないのだから忙しいったらない。特に、己は今まで引き金を引くだけでインクが出るシューター系統しか使ってきていないのだ。大きな得物を絶え間なく振り回し続けるパブロを使えばどうなるかなど自明である。
「パブロは難しいよねぇ」
眉尻を下げて笑う一号に、三号はまた舌打ちを返す。『難しい』のではない、ただただ『疲れる』のだ。同年代よりも体力はあるものの、あんなものを振り回し続けるなど初めての行為であり日常ではまずあり得ない動きである。慣れぬ内は体力を必要以上に消耗するのは当たり前なのだ。難しいなんてことはない。そう吐き捨ててやりたいものの、全ては言い訳にしか聞こえないだろう。それぐらいのことは疲れた身体と頭でも理解していた。
「『使うといい』と、司令は言っとるよ」
隣から声。そして鼻に刺さるような臭い。眇目でそちらを見ると、そこには箱を差し出す二号の姿があった。手袋に包まれた手が持つそれは、ドラッグストアで見かける湿布だ。小さな箱の隙間から、薬の嫌な匂いが漏れ出ている。開封済みのようだ。
「何でそんなもん持ってんのよ」
「さぁ? とりあえず貼っとき」
あぐらをかいた膝の上に薬臭い箱が載せられる。逡巡。溜め息とともに手に取り、箱を開け袋の中からいくらか引き抜いた。スーツを脱いで腕を晒し、痛みと熱を覚える部分に遠慮なくペタペタと貼っていく。ひやりとした感触が、患部が確かなる熱を持っていることを証明していた。薬品が染みこむことを表すように皮膚がじんじんと痛み出す。筋肉の悲鳴とはまた別の刺激に、少女は小さく顔を歪めた。
「他の使ってみる?」
「残りバケスロとヴァリよ」
ミッションで使用できるブキは三種。バケットスロッシャー、パブロ、ヴァリアブルローラーだ。一部での略称が『バケツ』であるバケットスロッシャーは、インクをすくい上げるように腕を大きく動かさねばならないブキだ。パブロほどではないがこちらも腕に限界が来る。ではヴァリアブルローラーが良いかと言われればそうでもない。ローラー種はどれもサイズが大きく、その中でもヴァリアブルローラーは変形ギミックを搭載しているためかかなりの重量を誇るものだ。縦に配置された的がある都合上、どうしても縦に振り上げる機会は多い。こちらも腕を、それどころか身体全体を酷使するブキであった。
「あー……バケスロもかなり腕動かすもんね」
「ヴァリはまだ動きが少ないけど、そもそも持ち上げるのに力いるしねぇ」
「そう?」
首を傾げる一号に、そうでしょ、と二号は呆れたように返す。何を言っているんだこいつは、と三号も険しい視線を送る。ダイナモより軽いけどなぁ、と小首を傾げてこぼす黒色に、黄色は片眉を上げて睨めつける。白色はふるふると小さく首を振った。
「もう筋トレでもするしかないんじゃない」
口角を片方上げて吐き捨てる。もちろん、筋肉を鍛え上げたとてあの大業物を絶えず振り回すなど不可能だ。そもそも、今から鍛え始めても効果が出るのは何ヶ月も先だ。今すぐ攻略したいこの心にも身体にも意味など為さない。ハッ、と鼻で笑い飛ばした。途端、あぁ、とまた弾けるような明るい声が蒼天に響いた。
「いいね! でも今日は休んだ方がいいよ。明日からにしよ!」
「冗談に決まってんでしょ」
立ち上がって拳を握る一号に、三号は呆れ返った声を返す。このインクリングは己よりもずっと年上だというのに子どものように疑うことを知らない。よくここまで純粋なまま生きて来れたものだと感心するほどだ。もちろん、悪い意味でだが。
「『一つだけ言うと』」
二人の間にスッと声が差し込まれる。視線をやると、そこにはこちらを見る二号の姿があった。そして、その奥に座る司令の顔も映る。普段は背を丸め膝と頬に付けられた腕は解かれ、ピンと人差し指を一本立てている。相変わらず口元が動く気配はない。ただ、深青の瞳がじぃとこちらを見つめていた。
「『パブロならフデダッシュで轢いて壊せる』と、司令は言っとるよ」
「早く言いなさいよ!」
思わず地に拳を叩きつけ吠える。瞬間、腕を痛みが襲った。痛みに目を引き絞り、三号はギッと司令を睨みつける。今の痛みは自業自得であるが、そもそもこの腕の酷い疲労感は攻略法を教えず押し黙っていたこいつにも責任がある。この痛みと怒りをぶつけるのは当然だ。疲弊と突沸した感情で揺さぶられる脳味噌はそうやって解を弾き出した。
「でも今日はお休みしよ? これ以上痛くなったら大変だもん」
「『戦いに備えて体調は万全にしておこう』と、司令は言っとるよ」
「言われなくても休むわよ」
思い遣る言葉たちを少女は手を翻して切り捨てる。無様にも湿布を貼るような有様だというのにまた挑戦するほど馬鹿なはずがないだろう。何を考えているのだ、こいつらは。ハッ、とまた鼻を鳴らした。
「カフェオレでも飲んどく?」
「……飲む」
くるくると傘を回す二号に、一拍置いて返す。相棒のせいで家計が火の車な我が家である、食べ物を施されるのはいつだって歓迎だ。だが、今このタイミングで寄越されるのは拗ねた子どもをなだめすかすようなものに思えて気に食わない。けれども、動き回って嵩を減らしに減らした空っぽの胃は、プライドを容易く蹴り飛ばした。
どこからか取り出されたカップに、どこからか取り出されたポットが温かな飲み物を注ぎ入れる。コーヒーの香ばしい匂い、ほのかな砂糖の甘い匂い。心地良いそれらを腕に貼られた湿布の薬臭さが全て上書きしていった。
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諸々掌編まとめ13【スプラトゥーン】
諸々掌編まとめ13【スプラトゥーン】
色んなところで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。と思ったけど今回3000字ぐらいのが多い。あとほぼほぼヒロニカ。掲載時から修正とか改題してるのは気にするな。
成分表示:インクリング+オクトリング/ヒロ→←ニカ/ヒロ→ニカ3/ヒロニカ
好ましくないやつらには好ましくないもんぶつけんだよ!【オクトリング+インクリング】
溶けるような音が小さな舞台に響き渡る。力を得た身体は、何倍、何十倍にも肥大していった。巨大で凶悪な――まさに『帝王』の名に相応しい姿へと変貌し、少年は身体をうねらせ飛び跳ねる。四方八方から銃撃が降り注ごうと、テイオウイカはその体躯に見合わぬ狭き舞台で悠然と踊った。
甲高いホイッスルの音がステージ中に響き渡る。しばしして、身体が縮み元の形へと戻った。見上げた先、まだら模様の審判がこちらへと旗を掲げる。己たちが勝ったという現実を証明していた。
「ナイスー!」
ヒトとなり正面へと戻った視界の中、シャープマーカーネオを手にしたオクトリングがこちらを振り返り親指を立てる。特徴的な牙が覗く口は普段の彼からは考えられないほど開き、口角はいっそ恐ろしいほど上がっている。これ以上にないほど楽しげな、愉悦という言葉がよく似合う笑みだった。
ナイス、と返し、テイオウイカから戻ったインクリングはヤグラから飛び降りる。大きな天井ガラスから降り注ぐ光を浴びて、手にしたバレルスピナーデコがギラギラときらめく。最後のダメ押しを決めてくれた相棒は、まるで勝利を喜ぶかのように輝いていた。
友人が手を上げる。己も同じ程の高さまで上げ、勢いよくハイタッチをした。ぱしぃん、と盛大な音が試合が終わったステージに響いた。ナイス、と再び互いを讃える。二人で勝ち取った勝利なのだ、賛美するのは当然だった。
好ましくねー。性格わる。
背後から声が聞こえる。先程のバトルで敵だった二人だろう。シャープマーカーネオで塗りを広げ、バレルスピナーデコでヤグラを押さえ。奪われればトリプルトルネードとキューバンボムで奪い返し、ダメ押しにテイオウイカで乗り続ける。敵にとってはまさに好ましくない、この上なく不愉快な戦い方だろう。敗者がそんなことを言うのはあまりにもイカしていない、有り体に言ってダサいということを忘れるほどに。
飛んできた負け惜しみに、二匹のインクリングは口角を上げる。カラストンビが覗かせた笑みは、『凶悪』『極悪』と表現するのが相応しいものだった。何よりも美味い馳走を手に入れた悦びに、もう一度盛大な音をたててハイタッチをした。
「まぁ、次頑張ろっか。俺たちならいけるって」
「うん! 絶対勝とうね! かーくんと一緒ならなんだってできるもん!」
男女の声が背後から聞こえる。甘ったるい響きと言葉に、少年たちの顔から笑みが消える。代わりに、眉間に深い皺が刻まれた。あれほど輝いていた瞳は陰り、睨むと表現するのが相応しいほど眇められている。上がっていた口角は下がり、真一文字を描いていた。ケッ、とどちらともなく悪態をつく。次行こーぜ、と紡いだ声は棘がめいっぱいに生えたものだった。いじけると表現するのが相応しいものである。
最強ペア決定戦。
バンカラマッチは四人で戦うルールだが、今回のイベントマッチである『最強ペア決定戦』は二人で、つまりペアで戦うという限定レギュレーションで行われる。友人と戦う者、一期一会の相手と戦う者。組む相手は様々だ。その中でもとりわけ多いのはカップルだ。『最強ペア』なんて名前を冠しているのだから当然である。
バトルに恋愛を持ち込むなど無粋だ。言語道断だ。汚らわしい。
そう言い出したのはどちらだっただろうか。どちらでもいい。やっかみ、僻み、妬み、羨みといったろくでもない感情から発せられた言葉であるのは確かなのだから。
あぁそうだ、当然だ、バトルは清くあるべきだ、などと熱くなった議論は一つの結論に辿り着く。『カップルで参加する腑抜けた奴らを実力で叩きのめそう』という、迷惑極まりないものに。
そして、コンビを組んでバトルに潜り、出会ったカップルたちを完膚なきまでに叩きのめす今に至る。
「つってもさ、そろそろカップル減ってきたじゃん?」
「さすがにここまでパワー上げたらなぁ」
カップルで参加するもののほとんどはバトルを遊び程度に捉えて楽しむ、所謂『ライト層』である。実力が高い者もいるにはいるが、『ライト層』に比べ数は圧倒的に少ない。一定ラインを超えたあたりから、マッチングのほとんどが明らかに野良で組んだ二人組になってきた。
「どうする? やめる?」
「たまにいるだろ、バトルが出会いで~って言う高XPのカップル。ああいうのはまだ残ってんだぞ」
「あー……確かにいるわ……。じゃあやんねぇとな!」
そうだそうだ。やらねばならぬのだ。潰せ。勝つぞ。勝手極まりない、迷惑千万にも程がある言葉を交わしながら、少年たちはマッチング手続きをする。待機の間、インクリングはイカバンカーを撃ち今一度エイムを合わせる。射程端で的確に捉え、常に距離的優位を取るのはバトルで何よりも重要なことだ。せっかく温まった身体を冷やさないためにも軽く動いておいた方がいい。
「……なー」
バンカーが弾ける音。漏れる声。タイミング悪く掻き消されたと思ったが、イカロールの練習をしていた友人には伝わったようだ。なんだー、と尋ねる声が返ってきた。
「どうせだからこのまま最強ペア目指さねぇ?」
イベントマッチのタイトルは『最強ペア決定戦』だ。ならば、自分たちが『最強のペア』になってもいいのではないか。順調にパワーを上げた今なら、達成できるのではないか。上位に食い込み、『最強』の名をほしいままにできるのではないか。久しぶりに二人でコンビを組み、勝ち続けた今、そんなことを考えてしまう。『最強』というイカした肩書を得る未来を。
「いや、カップル潰す方が重要だろうが。何のためにやってんだよ」
非常に冷静な、冷めた声が返ってくる。ノリの良い彼からは想像できないほどのものあった。滅多に出さない響きであった。それほど、友人は『カップルを潰す』という行為に重点を置き、命を懸けていることが分かる。
「まぁ、それはそう」
オクトリングの言葉に、インクリングはさらりと返す。肯定する軽い言葉に反して、苦味のある笑みが漏れた。
そうだ、カップルを潰すためにここにいるのだ。だのに最強がどうやらなど考えるだなんて。高くなる勝率に調子づき、腑抜けたことを考えてしまったようだ。馬鹿だなぁ、と嘲る言葉が胸に重く落ちてくる。吐き出した息は細さに反して重い響きをしていた。
高い音がロビーに響く。マッチングが完了したのだ。すぐさまブキを持って、バトルポッドに入り込みステージへと移動する。ポッド内の液晶画面に相手のネームとプレートが映される。プレートデザイン、二つ名、ネーム、バッジ。構成するどれもがバラバラだ。ネームから性別は判断できないが、野良の可能性が高いだろうか。否、実力者たちは『おそろい』なんてものにこだわっていない。この程度の情報で判断するのは早計だ。
入ったスポナーから飛び出し、ブキを構える。相手はクーゲルシュライバーとスプラシューターコラボ。頭のギアが同じだ。服と靴とは全く調和が見られないそれに、笑みが浮かぶ。トドメとばかりに、視線を交わして頷きあう姿が見えた。
瞼が軽く落ちる。頬が持ち上がる。口角が上がる。ブキを持つ手に力がこもる。胸の奥がカァと熱を持つのが分かった。
潰すぞ。おう。
インクリングとオクトリングは静かに言葉を交わす。どちらも高揚しきったものだ。どちらも獰猛極まりないものだ。どちらも、意志の固さがはっきりと分かるものだった。
少年たちはスポナーに飛び込む。狙いを定めて数拍。オレンジ色に染まった身体が二つ、ステージめがけて飛び出した。
あなたの前で被る猫なんてない【ヒロ→←ニカ】
「そこの高台取るかいっつも悩むんだよな」
「打開に使われやすいですものね。押さえたら強いのですけれど……、アクセスのしやすさでは敵の方が勝るのが気になります」
「それなんだよ。前からも横からも後ろからも刺しやすいし、ヤグラ乗ってるやつもろとも吹き飛ばされることあるし」
「ウルショやカニにとっては格好の的になっちゃいますもんね」
端的な、しかしどうにも不名誉な表現に、ベロニカはストローを噛む。硬いプラスチックがへし折れて癖が付くのが口の中で分かった。少女の様子を気にすることなく、対面の少年は小さな端末に線を書き入れていく。侵入ルートを記す矢印、防衛箇所をピックアップする丸、オブジェクトまでの有効射程ラインを表した四角。様々な図形がゴンズイ地区のマップ画像に書き込まれていた。
掃除が行き届いたロビーの隅、木製の高台横。黄色のインクリングと青のオクトリングがタブレット端末を囲んで座り込む。傍らには様々なブキとインクが散っていた。二人が射程の確認や数多の戦法を練った証だ。
「こっちの高台は……さっきのバトルで試してらっしゃいましたけど、微妙ですよね」
「いけっかと思ったけどダメだ。トラストの射程じゃそこから前線に手ぇ出せねぇ」
敵陣右奥、アクセスするのに一手間かかる高台にバツ印が付けられる。こっちは、だったらこっちのが、と少年少女は議論を重ねる。文字と図形がどんどんと大きな画像を埋めていく。
焼けたしなやかな指が、白い角ばった指が、威勢の良い言葉が、少し荒れた線が、端末の上を駆けていく。一通りまとまった作戦資料を眼下に捉え、二匹はふぅと息を吐く。舌戦に試射にと筋肉をこれでもかと動かしたというのに、そこに疲労は無い。満足感ばかりが見えた。
「マッチング次第になりますけど、とにかく試してみましょうか。僕もカバーできるラインを確認しておきたいです」
「……なぁ、ヒロ」
片付けたタブレットを小脇に抱え、オクトリングは立ち上がる。黄色い瞳が小麦の細い足から上って、赤い瞳をじぃと見る。ヒロと呼ばれた少年ははい、と答える。不思議そうな響きをしていた。
「それ、無理してねぇ?」
「はい?」
小首を傾げて問うベロニカに、ヒロはまた疑問符だらけの声を返す。ひっくり返ったそれは、普段の落ち着いた様子からは想像だにできないほど情けがないものだった。へ、え、と意味のない音を重ねる口は不安げに震え、黄の視線を真っ向から受ける目は何度もしばたたかれる。『動揺』という言葉をこれでもかというほど体現していた。
「無理? え? 反省会がですか?」
「ちげーよ。そうじゃなくて、喋り方」
混乱の渦に飲み込まれた少年は疑問たっぷりに言葉を重ねていく。そんな様子を訝しげに眺める少女はバッサリと切り捨てた。薄い唇を胼胝ができた白い指がビシリと指差す。つられるように、硬さの見える尖った指が主人の口を指差した。
「喋り方……? ぁっ、えっ、もっ、もしかして、この喋り方不愉快でしたか!?」
「ちげーつってんだろ。お前、バトル中はタメ口じゃん。何でいつもはケーゴなんだよ」
手を動かし目を瞬き口を開閉し、わたわたと慌てふためくヒロをベロニカはギロリと睨みつける。目元には苛立ちがうっすらと見えるが、口元は『拗ねる』と表現するのが正しいほど尖っていた。
ヒロは丁寧に話す。この年頃にしては丁寧な口調に隙の少ない理論、それでいて柔らかさと謙虚さを伺わせる落ち着いた喋り方をする。しかし、バトルのさなかでは別だ。戦況を知らせる際に交わす言葉は『ゴール横ロラ』『ショクワン来てる』と非常に簡潔なものばかりだ。色の薄い唇が放つ言葉には普段の恭しさも柔らかさもない。必要なものだけを詰め込んだ、短く鋭い響きだけがステージに響くのだ。
「あー……バトルは情報伝達が最優先ですから忘れちゃうんですよね。すみません」
うすらと頬を染め、ヒロは眉尻下げて頭を掻く。ちょっとした失敗を見られた時のような、恥ずかしさとバツの悪さがあった。本人による答えが出されたというのに、相対するベロニカの表情は曇ったままだ。茜色を一心に見つめていた月色は、どんどんと下がって地へと吸い込まれていった。
「……やっぱ無理してんのか?」
少女の口から言葉がこぼれる。一滴のインクのような小さな言葉が、コンクリートの床に落ちて消える。ロビーに流れる音楽に掻き消えてもおかしくない響きは届いてしまったようで、え、とまた抜けた調子の声が少女の頭に落ちた。
「無理? あっ、バトルで大きな声を出すことですか? さすがにもう慣れました――」
「ちげーっつってんだろ! 話聞け!」
合点いった調子で人差し指を立てて答えようとする声を、怒声が吹き飛ばす。動揺も不安も消えた少年の笑顔が搔き消え、また不安が分厚い化粧を施した。
「だからー……『忘れちゃう』ってことは、バトル中のタメ口が素なんだろ? その、わざわざ敬語喋ってんの、無理してんのかなって」
威勢よく放たれた声はどんどんと萎み、しまいにはもごもごと動く口の中に消えるほど小さくなってしまった。眇められた山吹は陰差し、健康的な色の唇はもどかしそうにむにむにと形を崩しては戻る。あぐらをかいた足首を握る手はほのかに震えており、力が込められていることが分かった。
は、とヒロは溜息にも似た音を漏らす。尻上がりの響きは懐疑がよく見て取れた。無理、と少年は飛んできた言葉を己の口でも作り出す。無理、と今一度紡ぐ声は上がり調子で、どこか素っ頓狂な響きをしていた。
「無理だなんて……。この喋り方は癖みたいなものなんです。無理なんてしてませんよ」
どこか呆れた調子の、けれどもなんだか弾んだ響きで少年は答える。クエスチョンマークと不安が多量に浮かんだ表情は晴れやかなものに戻り、眩しいほどの笑顔を浮かべていた。いっそ胡散臭さすら感じさせるものだ。
疑うように、試すように、ベロニカは頭上の赤をじぃと見つめる。睨めつけると表現した方が相応しいほどの鋭さだ。ものともせず、ヒロは言葉を続ける。
「そもそも、ベロニカさんの前で無理なんかしませんよ。これだけ熱く語れるヒトの前で無理したり取り繕ったりするのは無理です」
「……ほんとか?」
「嘘を吐いても意味がないでしょう? 怒られるのが分かってるんですから、吐くだけ損です」
まだ不安に揺れる黄金を、紅玉がじぃと見つめる。すっと膝を折り、少年はあぐらをかいたままの少女と視線を合わせる。暖かな色を宿した柘榴石が、細まった琥珀をまっすぐに見つめた。
「ベロニカさんの前が一番自然でいられるんです。無理なんてしてません。無理して仲間と話せるわけないでしょう?」
「……まぁ、それはそう、か」
そうですよ、とヒロは笑う。そっか、とベロニカは引き結んだ唇を綻ばせる。心元なさそうに足首を掴んでいた手が引き締まった太ももへと移動する。短い息とともに、少女は立ち上がった。今度は紅が金を見上げる。
「無理してねぇならいい!」
ニカリと笑い、インクリングは声をあげる。ロビー全体に響くほど、大きく弾ける、ハツラツとした音をしていた。はい、とオクトリングも同じほど弾けた声をあげる。すくりと立ち上がり、また赤と黄がかちあう。そこには陰も何もなく、ただ生き生きとした輝きだけがあった。
「んじゃ次行くか!」
「そうですね……、あ」
少女はトライストリンガーを器用に蹴り上げて取る。.96ガロンや他のブキをまとめて抱えた少年は、ぽつりと音をこぼして固まった。
「どした? トイレか?」
「あの……スケジュール変わっちゃいました……」
え、と漏らしてベロニカは急いで振り返る。ヒロが指差した先、大きな液晶スクリーンに映し出されたスケジュールはガチヤグラからガチホコバトルに変わっていた。反省会――と己の無駄な勘ぐりによる問答をしているうちに、随分と時間が経っていたようだ。少女は苦々しげに唇を引き結ぶ。せっかく編み出した戦法が実践できない悔しさに、己の浅はかさと間抜けさへの怒りに、少女は小さく呻き声を漏らす。警戒心を剥き出しにした鳥の鳴き声によく似ていた。
「ホコは……前に考えたの一個実践できてませんね。やってみます?」
タブレット端末を再び開いた少年は、しなやかな指を操りながら問う。くるりと回して差し出した液晶画面には、ナメロウ金属のマップ画像が映し出されていた。赤い丸、青い矢印、緑の斜線。様々な色が画像の上を踊っている。数日前、二人で反省会および戦略会議をした時のファイルだ。確かに、あの日は時間が無く考えたもの全てを試すことができなかった。つまり、スケジュールが変わったばかりの今は絶好のチャンスだ。
「やる!」
「では一回確認してからにしましょうか。時間が経ってまた見えるものもありますから」
「おう!」
抱えたブキを放り出し、ベロニカは再びあぐらをかいてタブレットを見つめる。抱えていたブキとタブレットを地面に静かに並べたヒロは、複製したファイルを表示させた。
警戒な音楽流れるロビーの隅、熱のこもった声が二つ響いては溶けていった。
バトルに行ったらすぐに取れてがっかりしただなんて言えない【ヒロ→ニカ】
五色が空から降り注ぐ。頭のずっとずっと上、無骨な機器から流れ出るそれは絶え間なく地へと降り立っていた。飛沫が霧のようになり、熱された空気を冷やしていく。盛大に流れ細かに散りを絶え間なく行うインクたちは、夕暮れの赤い世界の中でも己の確かな色を誇っていた。
「すげー……」
「圧巻ですね……」
隣で感嘆の声を漏らす友人につられ、ヒロも溜め息のように言葉を吐き出す。グランドフェスティバル特設会場、その入り口に設置されたカラフルなミストシャワー――ミストと言うにはいささか量が多いが――は少年少女を圧倒するほどダイナミックで鮮やかに入場者を待ち構えていた。
「……いや、これ通っても大丈夫なのか? 死なねぇ?」
ほぅと吐かれた息に不安が宿った声が続く。袖口をくいくいと引かれ、少年は隣へと視線を移す。一緒に会場を訪れた友人、ベロニカは警戒心をあらわにこちらの顔と流れ出るミストシャワーとを視線で往復した。インクリングおよびオクトリングは、自身の身体に適合しないインクを浴びると大きなダメージを受ける。色とりどり、つまりは自身と違う色のインクを浴びることに危険を覚えるのは当然だろう。
「大丈夫ですよ。公式サイトに『安全に配慮したインクを使用しています』と書いてありますから」
ほら、とヒロは手にしたナマコフォンの画面を指差す。細かな文字を追い終えたのか、ほんとだ、と返ってきた声は少し拍子抜けした調子をしているように聞こえた。途端、服を掴む力が強くなる。小さめにつまんで不安げに引く手は、ぐっと握り締め好奇心旺盛に引っぱり連れ行くものに様変わりしていた。前方へと、シャワーの下へと引っ張られるがままに、ヒロは足を動かす。インクが降り注ぐ水音に、元気な足音が二つ飛び込んだ。
ダン、とインクリングは思いっきり地を蹴り飛び込む。タン、と軽く地を駆けオクトリングも色の下へと身を飛び込ませた。瞬間、冷えた空気が、液体の感触が身体を包む。厳しい残暑の空気に晒され続けていた身体にとっては、この上なく心地の良いものだった。わぁ、とどちらともなく声をあげる。はしゃぎきった子どもの響きをしていた。
涼しい空間を潜り抜け、ヒロは会場へと足を踏み入れる。瞬間、音が弾け空気が大きく震えた。楽器の通る音色、負けじと主役を張る歌声、そして盛大な歓声。きっとライブが始まったところなのだろう。入り口を抜けてすぐの場所にステージがあったはずだ。
「何だこれ!?」
隣から悲鳴。何事だ、と急いで顔を向けると、そこには自身の腕を見つめるベロニカの姿があった。視線の先、健康的な色をした剥き出しの肌には緑色のインクがべっとりと付いていた。否、腕だけではない。頭に、頬に、耳に、服に、手に、足に、靴に。身体中のそこかしこがカラフルなインクで彩られていた。インクにまみれた大きな両の手が、持ち主の身体を性急に触っていく。うわ、と時折聞こえる声は驚愕に満ちていた。
少女の姿に、思わず少年も身体を確認する。色合いは違うが、己の身体も彼女と同じようにインクまみれになっていた。皮膚に直接ついているというのに、痛みや違和感は一欠片もない。本当に無害なインクを使っているようだ。
「すごいですね……」
「驚かせんなよなー」
もう、とベロニカは頬を膨らませる。眉は寄せられ目は細くなっているものの、口元は綻んでいる。口ぶりとは反対に、サプライズめいたこのサービスを楽しんでいるようだ。愛らしい様に、ヒロも頬を緩ませた。
「すげぇな。全然落ちねぇし痛くねぇ」
「べとついたり流れたりもしませんね。これ、どういう仕組みなんでしょう」
二人は今一度自身の身体を見回す。衣服はもちろん、肌についたインクが汗で流れ落ちる様子は無い。触れたかぎり、完全に乾いて張り付いているようだった。だのに、痛みも無ければ不快感も無い。訳の分からない技術である。
「頭が一番すげーな。ほら」
そう言い、少女はこちらに青い何かを差し出した。よく見れば、それは彼女の髪だった。常は鮮やかで美しい黄色を三つに編み込んだそれは、今は青で塗り潰されている。先ほどのミストシャワーの仕業だ。反対側、流した長い髪はピンクに染まっている。鮮やかな黄に目に痛いほどのピンク、吸い込まれてしまいそうな深い青は、不思議ながらも彼女自身の黄と調和が取れていた。
「こことかヒロみてーだ」
青色に染まった三つ編みを指差し、ベロニカは笑声をあげる。確かに、彼女に付着した青は己固有のインク色とよく似ていた。チームを組む時は同じ青に染まることもあるが、こうやって黄に青が散る様は見たことがない。
少女の姿に、少年の心臓がドクリと大きく拍動する。ひゅ、と息を吸った喉がおかしな音をたてた。
髪がまばらに染まる様など見たことがない。見たことはないけれど、想起するものはある。以前インターネットで読んだウェブ漫画だ。年齢制限はかからないものの、少しだけ『大人』なその漫画では、キスをすると二人の色が混ざっていた。とっても『大人』な口付けを終えると、女性の髪には男性のインクの色がにじんでいたのだ。まるで、侵蝕するように。自分のものだと主張するように。
今の彼女の姿は、まさにそれのようで――己で染まったようで。
ドッドッと小さな心臓が大きな音をたてる。頬に気温とは関係が無い熱が集まっていく感覚がする。ミストを浴びたばかりだというのに熱くてたまらなかった。無害なインクを浴びたというのに内臓が痛みを訴えていた。全ては己の頭が原因なのは明白だ。
「どした?」
地を見つめていた赤い目がハッと上げられる。視界が地面の茶色から、色とりどりの世界に、訝しげにこちらを見つめる黄色に染まる。髪をつまんだまま小首を傾げる友人――否、想いビトの姿に、少年は口を開く。声を出すはずが、大きなそれからは空気しか出てこない。は、と吐き出された呼気は浅いものだ。己の心臓の駆動とは正反対に細く小さなものだった。
「い、え。似合っているな、と」
「似合う?」
どうにか笑みを作り出し、どうにか言葉を作り出す。オクトリングの言葉に、インクリングはまた小さく首を傾げた。ふぅん、と訝しげに鼻を鳴らし、少女はビビッドカラーに染まった髪を眺める。そっか、としばらくして聞こえた声は上機嫌なものだった。
「ヒロも似合ってんぞ」
「ありがとうございます」
ニカリと笑う片恋相手に、ヒロはにこやかさを意識して礼を返す。依然顔は熱いし、心臓は痛いし、拍動はうるさい。こんなみっともない様子を察せられるにはいかなかった。己の演技が上手くいったのか、頬に付着したインクが隠してくれたおかげか、はたまた彼女の気遣いなのか。ベロニカは何も言わず笑みを返した。その頬にもまた、青が存在を主張している。更に鼓動が早くなった気がした。
「いこーぜ。結局どこに投票すんだ?」
「まだ悩んでいるのですよね……。今回のお題は難しすぎますよ」
「もう色で選ぶか」
「それは真剣に選んだ方に失礼かと」
じゃあどうすんだよ。どうしましょうか。悩む声が、弾む声が、会場へと吸い込まれていく。絶え間なく流れるシャワーが二人の背を隠してしまった。
シーズン開始まであと十日【ヒロ→ニカ】
ロッカールームの一角、赤い瞳が黄色い頭をじぃと睨む。これだけ熱烈な視線を送られているのに、相手は一切気付いていないらしい。言葉を発することもなくじぃとソファに座っていた。気付かないのも当然だろう。その目は、その意識は、全てナマコフォンの小さな画面に釘付けになっているのだから。
「……ベロニカさん」
「…………ん? 何だ?」
ヒロは目の前の、ずっと刺すような視線を送っていた友人の名を呼ぶ。普段よりもいささか低い、他人が聞けば『機嫌が悪い』と判断されてもおかしくないような響きをしていた。名を呼ばれた本人は欠片も知らぬといった顔で、普段と一切変わらない調子で短く返す。彼女らしくもなく少しばかり間があったのは、意識が画面の中に吸い込まれていたからだろう。音を認識するまでタイムラグが生じるほど集中していたのだ。いつだって機敏な彼女らしくもない姿だった。彼女を彼女らしからぬ姿にするほど、液晶画面に映る映像は衝撃的なものだった。
フルイドV。
先日、国際ナワバリ連盟から発表された新たなブキ。ハイドラントやエクスプロッシャーを手がけるブキメーカーが新開発したブキ。バンカラで発達しまだ二種しか存在しないストリンガー種に颯爽と殴り込んできたのがこのブキだった。
発表を見た瞬間のベロニカの反応は凄まじいものだった。滅多に聞かない上擦った歓声をあげ、宝物を見つめる子どものようにキラキラと目を輝かせ、天を衝かんばかりに拳を振り上げたのだ。挙げ句の果てには想いを寄せるように毎日件の発表動画を見る始末である。まるで恋する乙女のようだ。考えただけでも胃が痛くなる表現だが、そうと表すのが一番相応しい様子であった。
「またフルイドの動画ですか」
「そう! 何度見てもほんとにすげーんだよなぁ!」
溜め息交じりに問うオクトリングに、インクリングは目を輝かせて返す。ナマコフォンに向ける視線はプレゼントを目の前にした子どもそのものだ。いつだって鋭さと輝きを宿し、年齢からは考えられないほどの気迫と気概を纏った彼女からは想像できないものだった。非常に可愛らしく胸が苦しくなるほどの破壊力を持っていた。それ以上に、まだ幼い心をめいっぱい叩きつけて割って壊すような恐怖をもたらすものだった。
ちらりと小さな画面へと視線をやる。映っているのはフルイドVだけではない。紹介PVを担当する男性のインクリングもだ。動画内で使い手を務める彼は、たしかトライストリンガーを主に使うプロプレイヤーのはずだ。極秘も極秘、決して外部に漏らせぬ新ブキを先行して体験させてもらい、対戦の様子を撮影され配信されるほどなのだから、よほど信頼のある者なのだろう。それだけに、腕は凄まじいものだった。ベロニカという巧みなるトライストリンガー使いと数え切れないほど手合わせし、研究のためにいくらか使いこんだ身から見ても、その経験と実績が分かる動きをしていた。
そんな素晴らしい――有り体に言って『強い』プレイヤーを見て、この己と同じほど『強い』者を求めるベロニカがどう思うか。
戦いたいと思うだろうか。憧れを抱くだろうか。目指すべく相手とするだろうか。その強さに惚れ込むだろうか――恋するだろうか。
仮定も仮定、根拠の薄い妄想による二音節を考えただけで、チャージャーに撃ち抜かれたように胸に強い痛みが走る。スロッシャーに被せ潰されたように頭が痛む。潜伏ローラーに出くわした時のように心臓が大袈裟なほど脈打つ。ストリンガーの氷結弾を直接撃ち込まれたかのように背筋を冷たいものが駆け抜けていく。
一言で表すならば『恐怖』だった。だって、好きなヒトが別のヒトを好きになるなんてこと、想像したくないに決まっている。
「――き遅いし重量級なんかな。中量級だといいんだけどなー」
弾んだ声に、暗がりへと転がり落ちていた意識が浮上する。焦点の合った視界の中には、ニコニコと輝かしい笑みを浮かべるベロニカがいた。胼胝のある美しい指が指す先にあるのは相変わらずあの動画だ。あのプロプレイヤーだ。あの男性だ。
ぎゅっと拳に力が入る。指が手の平を突き抜けてしまいそうな勢いだ。緩めたいのに、身体が言うことを聞かない。痛覚が神経を刺激するのに、思考はぐるぐるとぐちゃぐちゃと掻き回されるばかりで理性的な動きができない。
「――あ、の」
ヒロは口を開く。か細い声はいつだってハキハキと話す彼らしくもないものだった。やっと異変に気付いたのか、ベロニカはナマコフォンを片手で閉じてまっすぐに少年を見る。どうした、と尋ねる声は真剣そのものだった。幼い光が輝く瞳に、鋭さが戻る。
「あ、の……、ベロニカさんには、トライストリンガーが一番似合うと思います!」
オクトリングは叫ぶ。街中に響き渡りそうな声量だった。事実、自身のロッカーを開いていた者がいくらかぎょっとした顔を向けるほどである。意図したわけではない。今この場で声を制御する機能など、恋を患う頭には不可能なのだ。
「……お、おう。ありがと?」
声量にか、突然の賛辞にか、ベロニカはぱちりと目をしばたたかせる。答える顔も声も気が抜けた、疑問符が浮かんだものだ。それはそうだ。いくら肝の据わった少女と言えど、いきなり呼ばれ大声で脈絡もないことを言われて困惑しないわけがない。
「だ、から、無理にフルイドを使うことはないかと思います! 注目するのは分かりますけど! で、も……あの……」
えっと、と続く声はどんどんと萎んでいく。己の制御できない声に、想いビトの戸惑った様子に、ヒロは見開いた目を泳がせる。己の行動に己が一番驚いていた。理性のストッパーが効かなくなっただけで、こんなに幼い行動を取ってしまう。あまりにも醜く苦しい事実であった。ナンプラー遺跡の採掘跡にでも埋まりたい心地である。
「いや、無理とかそんなんあるわけないだろ。新しいブキは使いたいだろうが。しかもストリンガーだし」
惑っていた黄色い目がじとりと細められる。訝しげな視線が少年の全身を突き刺す。何を言っているんだお前は、と言いたげなものだった。当然である。
「つーか、似合う似合わないじゃなくて強いか強くないかだろ?」
「…………はい、その通りです」
はん、と鼻を鳴らすインクリングに、オクトリングは萎んだ声で返す。言い返す余地など無い、まさしく正論だった。普段の己ならば同じ判断を下すに決まっている。けれども、恋が絡む心は非論理的な言葉ばかりを紡ぎ出すのだ。あまりにもみっともない現実である。
「ほんっとらしくねーなー。なんかあったのか?」
「いえ、何もありません。本当に何もありません。ただベロニカさんにはトライストリンガーが一番似合うと思っただけです」
ほんのりと心配の色を宿した黄が赤に向けられる。逃げるように頭ごと地へと視線を移し、ヒロは言い訳をまくしたてた。何もかもが不自然であるのは己が一番分かっていた。ふぅん、とまた鼻を鳴らすのが聞こえた。
「まぁ、似合ってるって言われて悪い気はしねぇな」
あんがとな、と少女は笑う。柔らかで、温かで、朗らかで、幸せがにじむ笑顔だった――その愛らしい笑みを向けられた当人は地面とにらめっこしていて気付かないのだが。
布が擦れる音。目の前の影と気配が消える。やっとのことで視線を上げると、そこには伸びをするインクリングの姿があった。傍らに置かれていたトライストリンガーは既に彼女の手の中へと戻っていた。
「スケジュール変わったしいこーぜ。今日はナワバリからやるか?」
「……そ、うですね。少し身体を慣らしてからにしましょうか」
スタスタと横を通り抜ける少女に、少年は急いで身を翻して後を追う。不自然に固い声で返してしまったが、彼女は気付いていないらしい。今カジキだってさ、と呑気な声が返ってきた。
少女の手の中にあるナマコフォンには、もうフルイドVも、男性の姿も無かった。
ナワバリはとっても広くて【ヒロニカ】
このヒトにはパーソナルスペースというものがあるのだろうか。
肩から伝わる熱を想い、ヒロは考える。紙が繰られる軽い音が昼下がりの少し陰った部屋に落ちた。
隣、己の肩に頭を体重を預け漫画本を読むベロニカを見やる。常は敵を見とめる鮮烈なイエローは、クリーム色の紙面を絶えず追っていた。読み進める速度は自分よりも遅い。じっくりと味わうタイプなのだろう。時折、漏れる笑みの揺れが肌を伝わってきた。
交際を始めてからというものの、ベロニカのスキンシップは増えた。元から背を叩き鼓舞する、頬に負った傷を手早く手当する、好みのルールとステージ選出に逸るあまり手を繋いで走る、といったことは時折あった。けれど、所謂『コイビト』という関係になってからというものの、それらは当然のようになり、更に積極性を増した。二人きりの時手を繋ぐ、勝利を祝い肩を組む、愚痴を漏らしながら抱きついて頬ずりをする、背もたれのように寄りかかって座る――ちょうど今のように。
嫌なわけではない。むしろ、喜びが何十倍にも勝っている。今だって、心臓が跳ね跳んでいってしまいそうなほど脈打つほどである。けれども、これだけ気安いと己以外の誰かにもやっているのではないか、と不安がよぎるのである。彼女を信頼していないのではない。ただ、彼女が己以外の誰かと触れ合うのが嫌なのだ。端的に言って嫉妬である。何ともイカしていないがどうしようもない。悲しいかな、己はまだ精神が成熟しきっていないし、交際はこれが初めてなのだ。
「ひろー?」
耳のすぐ側から聞こえる声に、少年の肩がビクリと跳ねる。呼ばれるがままに顔を向けると、そこには首を軽く反らせてこちらを見る少女があった。先ほどまで熱心に読んでいた本はその両手に閉じて収まっている。読み終わったのだろう。
「読み終わりましたか?」
「全巻読んだ。どこ戻せばいい?」
「テーブルの上に置いておいてください。後で片付けます」
ん、と短く返事し、インクリングは手にしたコミックスをテーブルの上に置く。彼女らしからぬゆっくりと、慎重さすら感じる動きだ。これらの漫画は己の所有物である。きっと、粗雑に扱ってはならないと思ってくれたのだろう。荒々しく猛々しいバトルを見せる彼女だが、こういうところはきちんとしているのだ。ただただ彼女がきちんと教育され健やかに育った証であるだけなのに、なんだか愛されているような気分になる。勘違いも甚だしいと頭の中の何かが嘲った。
肩に、腕に、身体にかかる重みが増す。肩に、腕に、身体に熱が触れる。肩に、腕に、身体に彼女のぬくもりが直に伝わってくる。寄りかかる少女は、むずがるように頭をこすりつける。躊躇いのない、警戒心の欠片もない姿に、少年の心臓は更に早鐘を打つ。このままではこれだけドギマギしていることがバレてしまう、という焦りすら生まれるほどだ。
「べ、ろにかさんって、結構パーソナルスペースが狭いですよね」
「ぱーそなる……何だそれ」
逃げることもできず、逃げたくない本能に抗えず、少年は意識しすぎる思考から逃れるように言葉を放つ。いきなりの話題転換にか、布と肌が擦れる感覚が止まる。返ってきたのは疑問形の声だった。首を傾げたのか、肩に固いものが擦れて衣擦れの音をたてた。
「簡単に言うと『他者を近づけたくない範囲』です。結構触れたり近づいたりしますし、狭いんだなって」
「ナワバリみたいなもんか?」
「そうですね。近いと思います」
ふぅん、とベロニカは鼻を鳴らす。ふむ、とヒロも口の中で呟いた。たしかに、日夜ナワバリ争い――歴史上では戦争すら行ったほどだ――に明け暮れるインクリングたち相手ならば、『パーソナルスペース』は『ナワバリ』と言い換えた方が伝わりやすい。いや、『ナワバリ』の言葉の強さと種族ゆえの意味の強さを当てはめるのは少し危険か。そんな詮無いことを考える。気づいた頃には、身体にあったはずの熱は姿を失っていた。姿勢を正したのだろうか、と考えていたところに、なぁ、と声が飛んでくる。どこか笑みを含んだそれに引かれるように、ヒロは顔ごと視線を動かす。口角を上げたコイビトの姿が視界を埋めた。
「インクリングってさ、生まれた頃からナワバリ意識つえーんだよ。ナワバリ……まぁ、雑に言うと自分だけのだって場所は広く持とうとするし、広げようとする。それぐらい知ってるよな?」
「はい……?」
突然の言葉に、オクトリングは首を傾げて返す。誰もが知っている常識であるため肯定したものの、その真意が分からず思わず疑問が浮かぶ響きとなってしまった。それでも彼女にはきちんと伝わったらしい。潤いを保った唇が三日月を描いた。うすらと開いたそこから鋭い白が覗く。
「そのひろーい、一生懸けて広げたひっろーいナワバリにあんたを入れる意味」
歌うように少女は言葉を紡ぎ出す。ソファの座面に放り出した手の甲に、温かなもの。すべらかなものが肌の上を滑っていく。少し硬さをみせるものが、くすぐるように指と指の間を撫でる。消えた熱が再び姿を現す。
「わかるよなぁ?」
問いかけ、インクリングはにまりと笑う。はっきりと見えるカラストンビは美しく、輝かんばかりの鋭さがあった。肉食であり捕食者であることをまざまざと主張してくる。
インクリングとってナワバリは、本能に刻まれた生における最重要事項である。それこそ、太古の世界ではインクリングとオクトリングは地上というナワバリを奪い争ったほどだ。
広げ、主張してきたそこに、赤の他人を入れる。そんなの。
ぶわりと身体中に熱が広がっていく。こんがりと焼けた肌に鮮やかな紅が広がり、存在を主張していく。赤い目が瞠られ、太陽もかくやと真ん丸になる。大層大きな口が薄く開かれ、震える舌が覗く。その身体を動かす心臓は、耳元に移動したのではないかと錯覚するほどうるさく音をたてた。
する、と手の甲を撫でていた指が動く。なぞるように動いたそれが、己の指と指の間にそっと埋まり、ぎゅっと握られる。ナワバリに入ったものを――自分のものを逃さんとばかりに、強く握られる。触れ合う面積が広がって、伝わる熱も増える。心地よさを覚えるはずのそれは、今は毒のように身体を巡っていくばかり。心臓をばくばくと跳ね動かし、脳味噌をぐちゃぐちゃに掻き、心をめためたに引っ掻き回していった。
「気に入らなくなったら蹴り出すけどな」
「……容赦ありませんね」
「そんぐらい分かってんだろ?」
先ほどの甘さも恐ろしさも消え失せた声が軽口を叩く。どうにか返した言葉に、いたずらげな笑みが向けられた。その頬が普段より血の色が濃くなっているのは気のせいだろうか。問う声にまだ甘やかな香りが残っているのは気のせいだろうか。見つめる目に熱が宿っているように見えるのは気のせいだろうか。全部気のせいであってほしい。ナワバリ意識たっぷりの言葉に加えてそれらまで受け入れられるほど、まだ己の器は大きくない。全てをリセットしようと頭を振りたくなる衝動を、ヒロは必死で抑え込んだ。
いつの間にか緩んでいた手が、また握られる。先ほどのような力強いものではなく、じゃれつくような軽いものだ。己の手をおもちゃにしているかのようだった。これだけ振り回されているのだから、あながち間違いではないかもしれない。混迷に混迷を重ね迷走する思考は、明後日の方へと飛んでいっていた。
この手からは、彼女のナワバリからは、当分逃げられそうにない――逃げるつもりはない。
朝ご飯は早くから仕込んで【ヒロ→ニカ】
重なる短い鳴き声が沈んた意識を引っ張り上げていく。真っ黒な瞼が強張ったようにぎこちなく持ち上がり、黄色い瞳が姿を現した。差し込む陽光を直に受けたまんまるは、消え現れを繰り返してやっと普段の姿を取り戻す。寝起きには厳しいまばゆさに濁った音が喉から漏れた。
ごろりと寝返りを打ち、ベロニカは己を照らし出す朝日から逃れる。抱き込んだ布団は普段のものと違う匂いがした。覚えた小さな引っかかりは、意識に飛び込んできた甘い香りによって全て霧散した。砂糖の甘い匂い。焼ける香ばしい匂い。焦げるような少し濃い匂い。寝惚け頭を覚醒まで引き上げるには十二分に足るものだった。
知らない布団を投げ捨て、インクリングはベッドを飛び降り裸足で床を歩いていく。見慣れてきたキッチンに続く扉を開けると、甘い香りがぶわりと広がって身体を包み込んだ。脳と胃を刺激するそれに、腹の虫が寝起き一発目の鳴き声をあげた。
「あれ、起こしちゃいましたか?」
フライ返しを片手に、ヒロはぱちりと目を瞬かせた。コンロの火が落とされる硬い音が二人の間に響く。同時に、砂糖が焼ける匂いがほんの少しだけ気配を薄くした。
「眩しくて目ぇ覚めた」
「あぁ、すみません。カーテン閉めておいた方がよかったですね」
「寝っぱなしもよくねぇし気にすんな」
眉尻を下げ、申し訳無さそうに少年は言う。少女は言葉通り気にする様子なく手をひらひらと振った。事実、度を過ぎた睡眠は回復からすぐさま反転して疲労へと変貌する。ここらで起きるのが身体は正しいと判断したのだろう。
「何? ホットケーキ?」
火が消えたコンロの上、静かになったフライパンを覗き込む。映ったのは予想した丸ではなく四角だった。四方が茶で囲まれた四角が、白い身体を焦げ目で彩って横たわっている。淵の部分はまだしゅわしゅわと油が泡立っていた。
「フレンチトーストです」
「おしゃれじゃん」
「そんなことありませんよ。簡単にできますし」
ぱちぱちと瞬くベロニカに、ヒロは小さく首を振って返す。柔らかな笑みはどこか面映そうに見えた。
彼は否定したものの、己にとってはフレンチトーストとやらはかなり手の込んだ料理である。何しろ長時間調味液に漬けてパンにたっぷりと吸わせなければならないのだ。十分やそこらならまだしも、何時間、それこそ一晩を要するような代物だ。手早くできない料理なのだから、十分に手がかかっているおしゃれな食べ物だった。
「つってもめちゃくちゃ浸しとかないとだろ? めんどいじゃん」
「あー……、電子レンジを使えば簡単にできるんです。何度か温めればすぐに液を吸ってくれるんでしょ」
へぇ、と少女はまた目をしばたたかせる。少年の言葉に、山吹の瞳はいつの間にかキラキラと輝きだしていた。己も料理は人並みにはするものの、彼ほど日常的に行うわけでもなければレシピ開拓の努力もさほどしない。故に、そんな裏技のようなものを聞くのは初めてだった。魔法のようなそれは起き抜けの頭にも輝かしく見えた。
「ちょうど焼けたところですし食べましょうか。飲み物何にしますか?」
「冷たいやつ」
ではコーヒーで。歌うように言いながら、ヒロはフライパンの中身を皿に移す。二口コンロのもう一つにかかっていたフライパンと素早く取り換え、その中身も皿に放り出す。転がり込んできたのは、よく焼け目がついたウィンナーだった。
突然の闖入者に、よく整えられた眉が寄せられ黄色い丸い頭がことりと傾ぐ。フレンチトーストとは甘いものである。食事ではあるものの、味は菓子に近い印象があった。なのに、ウィンナー。塩気の強い肉が一緒に並んでいるのは何故なのだろう。このフレンチトーストは甘くないのだろうか。いや、でもこのキッチンには砂糖が焦げた甘い匂いが満ちているではないか。
「……合うのか?」
「合うんですよ」
首を傾げ呟くインクリングに、オクトリングは短く返す。どこか得意げな響きをしていた。ほんとか、と少女は訝しげに呟く。食べてみてください、と笑みを含んだ声が返された。何だかからかわれているようで不服だが、彼の味覚は己と似通っているはずだ。少なくとも食べれないほどの代物ではないだろう。
並べられた皿を素早く手に取り、ベロニカは器用に扉を開けて部屋へと戻る。昨晩二人で熱心に議論し書き込んだノートと色とりどりのペンを端に寄せ、広くなった場所に料理を置いた。ついでに蹴飛ばした布団を手早く畳んでベッドに戻す。皺の波立つシーツが朝日に照らされていた。
しかし、朝食までもらう羽目になろうとは。眉根を寄せ、少女は小さく唸る。
昨日は遅くまでバトルをしていた。特に新しく登場したナンプラー遺跡はまだ研究が進んでいないこともあり、スケジュール更新までずっと二人で潜っていたほどだ。それでもデータは足りなくて。動きを考える頭は冴えきって。戦略を立てたい心は躍りに躍って。
うちに来い、と言い出したのはベロニカだった。今この頭にある立ち回りやポジションを明日まで溜め込むのは不可能だ。それに、高台を陣取るトライストリンガーの視点だけでなく、ステージを駆け回るシューター視点での所感も確かめておきたい。経験を積みに積んだ今日のうちに議論して、アウトプットしたくてたまらなかった。
それを距離の観点から否定し、こちらの部屋に来ないかと提案したのはヒロだった。こちらの部屋までは駅一つ分だからすぐに帰ることができる。その分議論や戦略の構築に時間を割くことができる。ついでに昨日の残りがあるから軽い食事だって食べられる。彼の提案は論理的で魅力的だ。疲れたはずの身体で歩き出したのはすぐだった。
議論し、思考全てをアウトプットし、ノートに疑問を書き出し、動画サイトに投稿されたステージ案内動画を食い入るように見つめ、研究を重ね。気づいた頃には終電はとっくに過ぎていた。泊まっていってください、と布団一式を引きずり出しながら言う少年に甘え、今朝に至る。
本当ならば早くに起きてすぐに帰る予定だったのだ。さすがに泊まらせてもらった上に朝食まで食べさせてもらうのは申し訳無さが先立つ。今度なんか差し入れでも持っていくか、と考えつつ、少女はフローリングに腰を下ろした。途端、思考に何かが引っかかって冴え始めた頭がつんのめる。ん、と細い喉が鳴った。
ヒロは『電子レンジを使えば』と言っていた。しかし、電子レンジを動かした音は聞いた覚えがなかった。眠っていて聞き逃したのかもしれない。だが、『何度か』という言葉が確かなら、複数回使ったということに間違いはない。あんなに高い音を何度も聞いて、己が目覚めないのは不自然である。
まぁ、それほど疲れていたのだろう。何しろ二時間休み無しでバトルし、夜通し頭も口も動かしたのだ。気づかないこともあるだろう。結論づけ、少女は目の前の皿に視線を移す。できたてなのか、どちらの品もまだ細い湯気をあげていた。
柔らかな甘い香りと肉の焼けた香ばしい香りが狭い部屋を漂っていた。
畳む
おべんと食べよ!【ヒロ→ニカ】
おべんと食べよ!【ヒロ→ニカ】
イカタコ売店の物しか食べてなさそうだけど絶対飽きるよなって思ったあれ。ヒロニカ飯食ってくれ~~~~~という話。推しカプには飯を食わせろ。古事記にもそう書いてある。
アゲバサミサンドを食べ飽きたベロニカちゃんと色々と頑張るヒロ君の話。
「飽きた!」
怒声と同義の叫声がロビーに響く。鉄骨が張り巡らされた天を仰ぎ吠えた少女は、今度は地を睨み嘆息する。険しく眇められた目が、手に持ったアゲバサミサンドをじっと捉える。深く息を吐き出した口がぐわりと大きく開き、荒々しい動きでソースの香りを漂わせるそれにかぶりついた。
「飽きますよね」
ガツガツとサンドを食らう友人の隣、壁に背を預けたヒロが苦笑を漏らす。呼吸すると、手に持ったアゲアゲバサミサンドが放つ油の香りが鼻腔をくすぐってきた。誘われるがままに、少年は大きく開いた口で飛び出た爪を捕らえる。バリバリと豪快な音が口内で弾けた。
「こればっかりはどうしようもありませんからねぇ」
「ビッグマザーマウンテンも似たような味だしなぁ。飽きる! もっと違うもん食いたい!」
今一度吠え、ベロニカはすっかり小さくなったサンドを一気に口に放り込む。柔らかな頬がフグのように丸く膨れ、殻と衣が噛み砕かれる固い音とともに萎んでいった。
バンカラ街にはバトルに打ち込む者が溢れている。溢れるがあまりマッチングが早く、大人数がごった返すことを想定した広いロビーは閑散としていることがほとんどだった。そんなバトルに明け暮れる者たちにとってのひとつの生命線が、片隅で営業している売店である。朝晩春夏秋冬いつだって出来たて熱々のサンドを提供してくれるこの店は、激しいバトルで腹を空かせたインクリングたちにとってオアシスであった。何しろ、国際ナワバリ連盟から提供されるチケットさえあれば誰でも食べられるのである。クリーニング代をむしり取られ素寒貧になっても、連敗に連敗を重ね懐が大吹雪でも、くじ引きで有り金全て溶かしても、チケットさえあれば食べられる。オクトリングはともかく、計画性無くカネを使うインクリングにとって救い以外の何物でもない。
そうはいえども、メニューは非常に少ない。なんと六種である。一人で食べられるものだけに限れば四種という驚きの少なさだ。日常的に利用していれば飽きるのは当然である。日々バトルに明け暮れ、時間がもったいないと外で食事を摂るのを諦めるベロニカたちも例外ではない。日々を彩っていた美味しいサンドは、今では空腹を満たすための手段でしかなくなっていた。
「クマサン商会の方では別の賄いが出るそうですよ」
「商会のやつってバトルじゃなくてシャケシバき倒すやつだろ? あんま好きじゃねーんだよなー」
ソースまみれの包み紙をくしゃくしゃに丸め、インクリングは小さく息を吐く。そうですよね、とオクトリングは小さく頷く。ヒロモベロニカも、戦うことが好きだ。だが、それは練りに練った戦略や日々鍛えた腕を試し、ぶつけ、競い合う、肌や心がヒリつくようなバトルが好きなのである。大勢で襲ってくるシャケを迎撃するバイトは、求めるものと少しばかり違う。
小さな口をもそもそと動かし、ヒロは塩っ気たっぷりのサンドを食べ終える。袋状になった包み紙を丁寧に畳み、ぎゅっとひねって小さくする。あとは、と油の匂いが残る口を開く。大きな手の中で小さくなった包み紙がもてあそばれて転がった。
「いっそのこと、お弁当を作るのも手ですね」
「べんとぉ?」
ヒロの言葉に、ベロニカは素っ頓狂な声をあげる。最後の一音が急激に上がった響きは、驚愕と疑念に満ちていた。山吹の瞳が睨めつけるように細くなる。目にも声にも、ほんの少しの呆れと嘲りが見えた。
「飯買いに行くのがめんどくてここの食ってんだろ。弁当作るのに時間使ったら意味ねーじゃん」
「それはそうですけど、総合するとお弁当が一番時間がかからないんですよね。前日に仕込んでおけば後は持っていくだけですし。買いに行く時間よりは短く済むかと思います」
唇を尖らせる少女に、少年は先の尖った人差し指をくるりと回す。バンカラ街、特にロビーがある地区の飲食店はいつだって混んでいる。コンビニエンスストアすら長蛇の列が頻繁に発生するほどだ。ロビーを出て列に並び、食べ、また戻る。外食で移動や待機に時間を使うよりも、弁当を作る時間の方がずっと短く済む可能性が高い。事実、弁当を持ってきてロッカールームで食べている少年少女は度々見かける。
「なにより、自分が好きなものを好きなだけ食べれます」
「あー……いや、でもよぉ……」
訝り細くなっていた月色が丸くなり、また半月に近くなる。視線も声もゆらゆらと不安定に揺れ動く。歯切れの悪い様子も相まって、心が揺れ動いていることが丸わかりだ。
「弁当ってなると、おかずいっぱい作んなきゃいけねーだろ? あたしそこまでレパートリーないから無理だ」
はぁ、とベロニカは嘆息する。重いそれは諦めとわずかな悔しさで彩られていた。地を転がりゆく響きに、ヒロはぱちりと目をしばたたかせる。赤い瞳が黒い瞼の奥に隠れては現れを短く繰り返す。あぁ、と漏れ出た声はうすらと笑みがにじんでいた。
「おにぎりだけなら一時間もかかりませんよ。サンドイッチなんかは夜に仕込んでおけば早起きする必要がありません」
「……それ、弁当って言えんのか?」
未だ訝り眉を寄せる少女に、少年は思わず笑みをこぼす。己の言葉に疑念を抱き納得できないということは、ベロニカにとって『お弁当』は『色んなおかずがいっぱい入ったもの』であるのだろう。それは、彼女が今まで生きてきた中食べた弁当が、おそらく親が作ってくれた弁当がそうであったことを如実に語っている。おかずがたくさん入った弁当。なんと手間暇、そして愛に満ちているのだろう。彼女が愛をめいっぱいに注がれ生きてきた証左であった。
何笑ってんだよ、とむくれた声と鋭い視線が赤い瞳に突き刺さる。すみません、と謝る己の声にはまだ笑みが、愛おしさがにじんでいた。あ、と問うような、問い詰めるような、追い詰めるような低い声が二人の間に落ちる。すみません、と今一度返した声はようやく落ち着きを取り戻していた。
「ともかく、おにぎりやサンドイッチだけでも十分に『お弁当』になりますよ。コンビニにもたまに売っているでしょう?」
「あー……まぁ、そうだけどさ」
実際に商品として確立されている例を出されるも、少女は頬を膨らませるばかりだ。どうにも腑に落ちない様子である。自分の中の常識と違うものをいきなり突きつけられてすぐに受け入れられるほど、己たちの年頃はまだ精神が成熟しきっていない。同じ状況ならば、己も困惑に満ちた声を出していただろう。
弁当なぁ、とベロニカは小さく漏らす。どこか遠くへ飛んでいくようなそれに連れ立つように、腹の虫が鳴き声をあげたのが聞こえた。
「え?」
「あ?」
短い声が二つ、ロッカールームの片隅に置かれたソファの上に落ちる。片方は跳ねるように高いもので、もう片方は地を這うように低いものだ。どちらも、たった一音だというのに感情に満ち満ちていた。
「ベロニカさんもお弁当作ってきたんですか?」
「そうだけど。何だよ、その顔」
大きな保冷バッグを持ったヒロは、丸い目を何度も瞬き問う。答えるベロニカの膝には、小さな保存容器が載っていた。輪ゴムで厳重にまとめられたそれは、ザトウマーケットのプライベートブランドの容器である。肯定の言葉からも、それが弁当であるのは明白だった。イエローの瞳が黒い瞼の奥に隠れて細くなる。流行りのメイクを取り入れた眉は寄せられ、真ん中に深い皺を刻んでいた。
「いえ……、あの……。実は、ベロニカさんの分も作ってきて……」
刺すような声と視線に、少年は歯切れ悪く答える。視線から逃げるように顔ごと逸らす様も、人の目を見てハキハキと返す普段の彼からはかけ離れた姿だ。
昨日の会話から、ベロニカは簡素な弁当を想像できない様子がよく分かった。想像できないならば、実際に見るのが一番だ。そう考え、昨晩目覚ましアラームを少しだけ早くに設定し、ほんのりと睡魔が絡みつく身体で作ってきたこれは、他人に食べてもらうに耐えうる出来だと自負している。しかし、彼女も作ってきたならば話は別だ。きちんとした『お弁当』像を持つ彼女が作ったそれの前に出せるはずがなかった。
少年は手にしたバッグをそろりそろりと自身の背中へと隠していく。少し大きな保存容器二つ分のそれは、同じ年頃の子よりもしっかりとした身体の後ろに消えていった。
「マジで!?」
弾んだ大きな声とともに、まさしく流れ星のように黄金の瞳が輝く。バトルのさなかとはまた違う煌めきを宿したそれは、少年の手に抱えられた鞄をまっすぐに捉えた。少女は隠れゆくそれへと手を伸ばす。姿が消えきるよりも先に、小麦色の手が青いバッグを捕らえた。
「何で隠すんだよ」
「あー……えっと……、なんとなく?」
むくれるベロニカに、ヒロはまたもや歯切れ悪く返す。顔は未だに彼女から逸れており、視線も所在なさげに宙を彷徨っている。鞄を握る手に少しばかり力を込めてみる。察知されたのか、己が引くよりも先に引っ張られ、果てには埒があかないとばかりに奪い取られた。
理由など、『なんとなく』なんて曖昧なものではない。ただただ『恥ずかしいから』であった。だって、自分ひとりだけが浮かれているみたいではないか。昨日の今日で、しかも他人の分まで勝手に作ってくるだなんてはしゃいでいるようではないか。喜んでもらえるだなんて勝手に思い込んで作ってきただなんて恥ずかしいではないか。まったくもってイカしていない。そんな姿を想いを寄せるヒトの前で自覚して、正常な判断と行動ができるはずがなかった。
「あたしのなんだろ? 食わせろよ。つーか食う」
「もちろんいいですけど……、あの、本当に簡単なものですよ?」
安物の保冷バッグを遠慮なく開ける少女に、少年は不安げに問う。事実、中身はおにぎりとちょっとした副菜一つだけ、簡素も簡素なものである。見栄を張って副菜をつけたものの、彼女が作ってきた『お弁当』には到底敵わないだろう。決して比較し優劣をつけるようなヒトではないことは分かっている。けれども、きちんとした『お弁当』と並べられて食べられるのは胸に恐怖が爪立てるのだ。
「あたしのも簡単だぞ。サンドイッチだけだ」
ほら、とベロニカは自身が持ってきた保存容器を掲げる。細い輪ゴムの背景は白一色だ。保存容器自体は透明だから、中身の色がそのまま出ていることは明白である。本当に『サンドイッチだけ』らしい。
え、と首を傾げるオクトリングに、インクリングもつられるように首を傾げる。しばしの沈黙が二人を包む。んー、と尻上がりな唸りが使い込まれたソファの上に落ちた。
「サンドイッチだけでも弁当になるっつったのヒロだろ?」
「あ、えぇ、まぁ、そうですけれど」
「やってみたら案外簡単だし早くていいな。たまに作るのもいいかもなー」
狼狽えながら返すヒロに、ベロニカは口角を上げて保存容器を指でなぞる。あぁ、はい、そうですね。空白を埋めようと、意味を為さない言葉がボロボロと口からこぼれ出ていく。困惑と消沈、焦燥。様々なものが彼の頭を掻き回していた。
「ヒロのは何だ? サンドイッチ?」
「おにぎりです。あと、ブロッコリーのおかか和えもちょっとだけ」
「すげーじゃん!」
恥ずかしくて、苦しくて、悔しくて、口はもごもごと醜く動きいじけたようなみっともない声で言い訳めいた言葉を紡ぐ。そんな無様な姿を晒しているというのに、ベロニカはきらんと音が聞こえそうなほど瞳を輝かせる。まるであの白黒猫を見つけた茶猫のようだ。いつだって元気に言葉を作り出す口は、めいっぱいに開かれていた。はぁ、と感嘆めいた音がカラストンビの陰から姿を現す。
「あたしはおかず作んの無理だったんだよなー。すげー」
「……別に、和えただけですし。本当に簡単なものですから」
すごいだなんて、と続ける声はロビーから流れる音楽に掻き消されてもおかしくはないものであった。逃げるばかりの顔はついには俯き、地面を眺めて表情を隠す。は、と疑問形の一音が頭の上に降ってきた。
「簡単だろうが何だろうが作ったのは間違いねーだろ? すげーよ」
開けていい、と尋ねる声の後にパカリと蓋が開く音。おぉ、と感動と歓喜でめいっぱいに飾られた音が頭上で弾けた。いただきます。手と手が合わせられる音。割り箸が割れる音。食事の音が少年の丸っこい耳に流れ込んでいく。全て、心臓の音が塗り潰していくようだった。
「うめぇ!」
澄み渡った声が爆発するかのように響き渡る。もごもごと口が、喉が動く音が頭上から、隣から聞こえる。喜びに満ちた音に、少年はおそるおそる顔を上げる。どうにか見やった隣には、箸を操り器用に大きなおにぎりを食べる少女の姿があった。その表情は花咲くように華やいで、目はキラキラと輝いて、かぶりつく口元や膨らむ頬は紅で彩られていて。
「梅干しとか久しぶりに食べた!」
「……すみません、僕の好みで作ってしまって」
上機嫌そのもののベロニカを前にしても、口は謝罪ばかりを紡いでしまう。これだけ喜んでくれることに感謝すべきだというのに、いじけた子どもそのものの態度を取ってしまう。なんてイカしていないのだろう。もう消えてしまいたい気持ちだった。目の前の水を被れば弾けて消えられるだろうか。不穏な考えが青い頭をよぎる。
「元はヒロの弁当なんだろ? ヒロが食いたいもん詰めて当たり前じゃん。あたしは食わせてもらってるだけなんだぜ?」
全部うめーから自信持てって。
バシバシと丸まった背中を大きな手が叩く。息が詰まりそうだった。涙がこぼれてしまいそうだった。全部ぐっと堪えて、大きく息を吸って飲み込む。閉じつつあった目を開き、地面ばかりを見ていた顔を上げ、丸まった背を伸ばし、きちんと姿勢を正す。ようやっと、紅梅が向日葵をまっすぐに見つめた。
「……美味しい、ですか?」
「うめぇ! めっちゃ美味い! ブロッコリーって醤油も合うんだな!」
平常を装った声で問うと、矢継ぎ早に賞賛の声が飛んでくる。鰹節をまとったブロッコリーを頬張る顔はまさに満面の笑みという表現が似合うものだ。あまりの眩しさにヒロは目を細め、唇を噛み締める。あっ、と短い声とともに箸を操る手が止まった。
「ヒロもあたしの食べろよ。もらってばっかじゃやだ」
「そんなの気にしなくても――」
「気にするだろ。こんなに美味いもん食わせてもらってんだからお礼はしなきゃダメだろーが」
まぁ礼になるか分かんないけどな、とベロニカは笑う。先ほどまでの明るい表情は少し陰り、眉尻は申し訳なさそうに下がっている。そんな顔をさせたくて作ったわけではないのに。そんなことない、と飛び出しそうになった言葉をぐっと飲み込む。こんなことを言っても、彼女は更に気にするだけだ。更に気を遣わせてしまうだけだ。ここは好意に甘え、礼としてきちんといただくべきである。
では、と一言断りを入れ、ヒロは保存容器を縛る輪ゴムを外す。青い蓋を開けると、一面白だった。ラップの乱反射で色は見えるものの九割九分白だ。おそるおそる隙間に指を入れ、一つ取り出す。ラップを半分外し、中身を剥き出しにする。合わさった食パン二枚の隙間から少しだけ白っぽい何かが見えた。いただきます、と恭しく呟き、オクトリングは小さくかじりついた。
「――美味しい」
舌の上を満たす塩気に、ほんのりと広がるまろやかな風味に、鼻腔をそっと撫ぜる香りに、少年は溜め息めいた言葉を漏らす。味と食感から、中身はツナをマヨネーズで和えたものだろう。舌を刺激しほのかに香るのはきっと胡椒だ。ツナの油はしっかりと切ってあるものの、マヨネーズたっぷりだからか少し柔らかい。だからこそ、少しパサついたパンによく馴染んでいた。
「ツナマヨ挟んだだけだぞ」
「胡椒入れてありますよね。『挟んだだけ』だなんて、そんな」
とっても美味しいです。
溜め息めいた調子で少年は呟く。赤は緩やかな弧を描き、固く結ばれていた口元は綻んでいた。美味しくて、でもすぐに食べてしまうのはもったいなくて、少年は少しずつかじっていく。食べ終わる頃には、隣から聞こえる食器の音は消えていた。
「……ほんとに美味かった?」
「美味しかったです!」
綻んだ口元そのまま、少年は答える。先ほどの沈み具合など嘘のような、明朗で弾んだものだった。そっか、と応えた少女の唇は少し尖っている。けれども、ふわりと解けた頬の様からそれがただの照れ隠しであることは明白であった。
「ヒロの弁当もめっちゃ美味かった。ありがとな」
「喜んでいただけたのなら、何よりです」
「おう。すげー美味かったしすげー嬉しい」
あんがとな、と少女は笑う。インクの色も相まって、まさしく夏に咲き誇る向日葵のようだった。眩しくて、愛らしくて、面映ゆくて、少年は目を細める。こちらこそ、と返す声は穏やかでほのかにとろけたものだった。
「残りの食ったらナワバリ行こーぜ。次リュウグウだろ?」
「ですね。早く食べてしまいましょうか」
保存容器を片付け、ゴミをまとめて。二人は交換していた弁当箱を元の持ち主へと返していく。少女はラップを剥がし、少年は蓋を取って箸を持った。
いただきます、と華やいだ声が今一度ロッカールームに響いた。
畳む
全て射抜いて撃ち抜いて【ヒロニカ】
全て射抜いて撃ち抜いて【ヒロニカ】
つまりはうちのヒロニカ馴れ初め話。口調とかはamiibo由来。
ずーーーーーーーーーーーーーーーーーっと書きたい書きたい言って言い訳してたのやっと書いた。ヤグラも96もトラストも下手くそだから戦略とかは大目に見て……(言い訳)
バトルジャンキートラスト使いとバトルジャンキー96使いの話。
硬い持ち手をしかりと握り、少女は弦を引く。引き絞れば絞るほど、三つの銃口が強い光を宿していく。充填されたインクが急速に冷却されている証拠だ。めいっぱい引いて、狙いを定め、軽やかに離す。途端、凍ったインクの弾が三つ、凄まじい勢いで飛び出した。地面に並んで刺さってして一拍、氷結インクが高い音をたてて爆発する。着弾時、そして爆発で広がったインクに足を取られる青いインクリングが眼下に見える。素早くチャージし、少し飛び上がって今一度撃ち出した。カカカ、と軽快な音。ピチュン、と弾と標的が破裂する音。ミィ、と濁った鳴き声。まるで一つのメロディーのようなそれが自然公園の蒼天へと昇っていった。
視界の端、動く影へと瓶を投げる。叩きつけられ割れたガラス瓶は、中に詰まったインクを辺りに撒き散らした。一瞬にしてポイズンミストに覆われたオクトリングが、醜くのろのろと動いて脱出を図ろうとする。進む足の先へとフルチャージ一発。また情けない鳴き声があがった。
少し後ろで構えていた味方がイカ状態になりインクを泳ぎゆく。己が二枚落とした今、人数的優位に立っている。攻め時だと判断したのだろう。しばしして、ガチヤグラが音楽を奏でながら敵陣へと進み出した。
ヤグラの後方に位置取り、ベロニカはまた弦を引く。前線は味方によって塗られているだろう。ここらは多少まばらだが、泳ぐには十分だ。そもそも己が塗りに回る必要は無い。やることはただ一つ――敵を射抜くだけだ。
敵インクが塗り広がっていくのを確認し、すぐさまスペシャルウェポンを発動させる。背に現れた六つのスピーカーから、低い呻り声と渦巻くレーザーが吐き出された。メガホンレーザー5.1chが追う先に、軽くチャージした弾を撃ち込む。敵の姿が視界に入ってくると同時に氷結弾が爆発する。まんまとインクに足を取られたインクリングは、背後から迫るレーザーから逃れられずに弾けて消えた。
まずは一枚。更なるキルのために、少女は木製の弓を握り直す。同時に、視界を何かが横切った。大きさから見てキューバンボムか。いや、にしては背が低い。音をたてて着地したそれを横目で見やる。正体はスプリンクラーだった。敵の青いインクが徐々に足元を染めていく。
スプリンクラーは名前の通りインクを撒き散らすサブウェポンだ。ボムのような威力や脅威は無いが、放置しては相手のスペシャルゲージが加速してしまう。しょぼいものだが壊しておくべきだろう。インクを放つべく、ベロニカは軽く弦を引いた。
瞬間、視界が青に染まった。
身体を痛みが支配していく。肌を、肉を何かが――青いインクが侵蝕していく。その身の芯まで到達した瞬間、醜い声が己の喉からあがった気がした。
気がつけば、スポナーの上にいた。
は、とインクリングの少女は疑問符にまみれた声を漏らす。今のは何だ。スプリンクラーを囮にしたのか。受けたのは一発やそこらだったというのに何故己は倒されてしまったのだ。スプリンクラーが撒き散らすインクによるわずかなダメージが原因か。混乱が頭を支配せんとばかりに凄まじい速度で広がっていく。大きく振ることで脳内を暴れる混迷を振り払い、少女はヒトからイカへと姿を変える。すぐさま、ガチヤグラに乗った味方へとスーパージャンプした。黄色のインクが飛行機雲のように青空に線描いた。
トッ、と軽い音をたてて着地する。弓を構えるより先に、視界が青色に染まった。は、と懐疑たっぷりの声を発したと同時に、また聞き苦しい音が己からあがった。
何だ、今のは。
再びスポナーの上に復活したベロニカは目を瞠る。スーパージャンプの途中、眼下に広がる地面は味方の黄色で染まっていた。敵の青などこの空の雲のようにまばらだったはずだ。ボムが転がる音も、爆発する音も聞こえた覚えが無い。ならば、何故己はデスを重ねたのだ。一体、何が。
ぐるぐると巡る思考の中、ダメージを受けた感覚が肉体から甦る。断続的だったそれが、少女の頭に一つの機械を浮かび上がらせた――勢い良くインクを撒き散らすサブウェポン、スプリンクラーを。
あまり前線に立つことがない故に、己はステルスジャンプを積んでいない。味方にスーパージャンプをすれば、ジャンプマーカーがはっきりと表示されるだろう。そこを狙われたのだ。ジャンプマーカーに合わせて的確にスプリンクラーを置き、動きを封じダメージを与えてきたのだ。
スポナーから飛び出し、インクリングはマップを確認する。ステージを記したそれの右上、相手のブキ編成が表示された部分へと視線を移す。スプリンクラーを持っているのは.96ガロン一人だけだ。先ほどの囮も着地狩りもこいつによるものだろう。
バンカラ街には.96ガロン使いは少ない。攻撃的な戦法や新しいものを好むものが多いこの街では、殺傷能力が低いスプリンクラーとキューインキというセットは見向きもされないのだ。メインウェポンの威力は高いものの、取り回しのしやすさや総括した攻撃性から.52ガロンやプライムシューターを使う者がほとんどである。.96ガロンを見かけることは稀と言っても過言ではない。
だのに、いつだって死と隣り合わせの過激なバンカラマッチに持ち込み、ここまでサブウェポンを駆使して立ち回る。きっと相当な手練れだろう。それこそ、こいつしか扱ってきてないと言わんばかりの。
口角が持ち上がるのが己でも分かる。手練れ――つまりは警戒を要する相手だ。敵で一番強いやつだ。馬鹿みたいにブキを操るのが上手くて、馬鹿みたいに強いやつに決まっている。そんなのを前にして、心躍らずにはいられない。強者を相手取るなど、バトルにおいて何よりも楽しいことではないか。笑みを隠すことなく、ベロニカは前線へと戻っていく。ガチヤグラが流す音楽が――ガチヤグラが自陣へと向かってくることを表す音楽が鼓膜を震わせた。
高台に登り、トライストリンガーを構える。フルチャージを終えるよりも先に、足元からインクが飛んできた。ブーツ越しの足に食らった一発は想定外に重く、視界が一気ににじんでいく。すぐさまポイズンミストを叩き込み、自陣側へと降りた。泳いで素早く回り込み、軽くチャージした弾を霧の中へと撃ち込む。敵に当たった音も、ダメージを受けた声も聞こえない。もう逃げられたのだろう、と判断した瞬間、また青いインクが視界に飛び込んできた。相変わらず重いその弾から逃れるべく、少女はインクに潜り引き下がった。
敵のブキ編成で一番射程が長いのは.96ガロンである。おそらく、またあの『強いやつ』がちょっかいをかけてきたのだ。編成内一番の射程と威力を誇るソイチューバーを持つ味方を無視しトライストリンガーを持つ己を狙ってきたのは、きっとガチヤグラ上に氷結弾を撒かれるのを警戒してのことだろう。ソイチューバーは一撃でキルできる攻撃性能を持つが、ことガチヤグラへの妨害ならばポイズンミストと氷結弾を持つトライストリンガーの方が厄介である。ヤグラの防衛という観点から見れば正しい行動だ。
考えている内にも、味方が連鎖的に倒れていく。スプラシューターが投げたキューバンボムは、ガチヤグラの柱や一瞬の昇降を用いて躱されていた。この場随一のキル性能を持つチャージャーが青いインクを受けて弾けるのが視界の端に映る。自陣営のイカランプは黒が三つ並んでいる――つまり、生き残っているのは己だけ。追い詰められている現実に、淡い色を宿した唇が弧を描く。薄く開かれた口から、年頃の少女には似つかわしくない鋭いカラストンビが覗いた。
わざと高台に登り、弓を引き絞る。中ほどまでチャージしたところで、銃口を天へと向けた。放たれた氷結弾が弧を描いて飛んでいく。金網の後ろ側、ブロックの陰に刺さって弾けると同時に、鈍い呻きが聞こえた。やはりそこに――高台のソイチューバーから逃れやすく、けれども射程内に捉えられる場所にいたか。味方が二発で弾け飛んだのを見るに、またあの.96ガロンの仕業だろう。カッ、カッ、と凍ったインクを地へと放つ。現れた青い頭目掛けて、フルチャージを撃ち込んだ。
キィン、と高い音が響く。青いインクがアーチを作り、地へと落ちて跳ねる。イカロールだ。近年編み出されたそれは、一時的に相手の攻撃を無効化できる技である。しかし、実戦で活かしている者はまだあまり見ない。動作もタイミングもシビアで、扱うにはある程度の練度を要するのだ。それを狙ってやってのけたのだ、あの.96ガロン使いは。
「――いいねぇ、いいねぇ!」
胸の真ん中が鉄でも流し込まれたように熱を持つ。心臓が急激に馬力を上げて脈打つ。脳味噌が力いっぱい殴られたように痺れる。自然と開いた口が笑みを作り、呵々大笑と声をあげた。カラストンビを剥き出しにした三日月の口元は、まんまるに見開かれた黄色い瞳は、これ以上になく喜悦に満ちていた。
ガチヤグラが乾いた大地を進みゆく。鳴り響く音から、延長戦に突入したことを理解した。カウントはまだ勝っているが、このまま進まれては負けてもおかしくない。ソイチューバーが、スプラシューターが、デュアルスイーパーが、ガチヤグラを狙う。奪還すべく、勝利を掴むべく、全員が巨大なオブジェクトへと神経を向けていた。
ベロニカもトライストリンガーを引き絞る。素早くチャージし、凍った弾が縦列になってガチヤグラの柱へとまっすぐに飛んでいく。天板へと撃ち込むよりも、柱に刺して爆発させた方が退けやすい。前衛の誰かが乗る隙を作るにはこれが一番だ。
ガシャン、と音。機械が駆動する高い音が乾燥した空気を揺らす。音を中心に、風が渦巻くのが――スプラッシュボムが、キューバンボムが、トーピードが、己が飛ばした氷結弾が、音も無く一瞬で吸われていくのが見えた。
キューインキ。
インクでできたもの全てを吸い込むあの機械は滅多に見るものではない。攻撃性も防御性も低く、動作制限や吸引範囲の限界により大きな隙を生むそれは発動しても無駄になることがほとんどだからだ。使うタイミングからその後の動きまで、味方との連携が取れなければろくに活かせないスペシャルウェポンである。それを、オープンマッチでたまたま出会った寄せ集めチームで使ってみせる。ここぞとばかりに最終兵器として切る。なかなかできることではない。敵味方含め周りの状況を素早く把握する力。一番有効な発動タイミングを見極め実行する力。そして、あったばかりの赤の他人を信頼する胆力。熟練だからこそ可能にする動きだ――あの.96ガロン使いだ。
ベロニカは即座に背に手をやる。少女の髪を染め上げる黄色のインクは、少女を示すイカランプは、輝かしい光を放っていた。インクでできたもの全てを吸い込むキューインキだが、いくつかのスペシャルウェポンには無効だ。狙いをあの.96ガロン使い一人に絞り込み、インクリングはスペシャルウェポン――キューインキが吸い込むことができないスペシャルウェポン、メガホンレーザー5.1chを発動させた。
低い呻り声が、黄色のレーザーが、一つ残らず青を狙う。狭いガチヤグラの上、全員が密集していた青は、レーザーに貫かれて弾け飛んだ。スプラシューターが、デュアルスイーパーが、青が散った地を駆ける。二人がガチヤグラに乗るより先に、高い笛の音があたりに鳴り響いた。
全員の視線が白黒茶の審判へと向けられる。ぐるぐると手を回す二匹の猫たちに、八つの視線が突き刺さる。パァン、と音が弾け、白黒斑の審判が旗を高く上げた――青インクのチームの勝利を、己の敗北を示した。
胸に重い物が落ちてくる。それ以上に熱い何かが注ぎ込まれ、血肉を沸騰させて、神経をこれでもかと刺激し、脳髄を痺れさせ高揚させる。負けたというのに、楽しくて仕方が無かった――当然だ、少女にとって『強者と戦う』以上の幸福は無いのだから。
腑抜けた声を漏らす即席チームメイトなど見向きもせず、ベロニカはロビーを駆けていく。青いインクの頭を、青いオクトリングを、桃の.96ガロンを探す。イカバンパーが並ぶ場所へ、ロッカールームへ、自販機コーナーへ、カフェコーナへ、少女は足と目を忙しなく向けていく。あの青い頭と桃の獲物は影すら見つからない。もう帰ったのだろうか。いや、次の試合に向かったのかもしれない。ならばロビーで待ち構えるのが得策か。考え、インクリングは階段を一つ飛ばしで駆け下りていく。凄まじい興奮がバトルを終えたばかりの細身を動かしていた。
「すみません」
ダン、と地をブーツが打ち付ける音と控えめな響きが重なる。己の方へと飛んできたそれの方をちらりと見やる。深い青が、山吹の瞳に映った。
まっすぐに飛び出していきそうだった身体を、鍛えられた足が縫い止めて引き戻す。求めていた色に、インクリングの少女は黄金の目を丸くした。心の臓がばくりばくりと音をたてる。あまりに動いて渇いた口が開く。弧を描いたそこから、あぁ、と弾んだ声が漏れ出た。
「先ほどはありがとうございました」
オクトリングの少年は――探していた.96ガロン使いはにこやかに笑う。延長戦にもつれ込んだほど激しい試合の後だというのに涼しい顔だ。紡ぐ声も落ち着いた響きをしている。笑顔も相まって爽やかさすら感じさせるものだった。
「とてもお強いのですね。何度か一確取られちゃいました」
「あんたほどじゃないだろ」
眉尻を下げて頬を掻くオクトリングに、インクリングはニヤリと笑う。確かに何度かキルを取ったが、勝利に繋がる動きをしていたのは彼の方だ。何度も邪魔をされたのだから、取ったキルも有効だったとは言い難い。こと『勝利』を掴むという点では、立ち回りも判断も彼が上だ。
「いえ、味方のおかげですよ」
守ってもらえないとキューインキはすぐ死んじゃいますから、と少年は漏らす。事実だが、あの短時間で信頼を築き『守ってもらえる』という判断を下したのは彼自身だ。メイン、サブ、スペシャル。どれを取っても癖の強いそれら全てを駆使できるのは、彼の技術と胆力によるものに決まっている。
「……あの、突然で申し訳ないのですけれど」
興奮に突き動かされ開こうとした口を、控えめな言葉が塞ぐ。何だよ、と問うより先に、眼前に何かが差し出された。ゴツゴツとした表面と丸いフォルムは、近年広がりつつあるナマコフォンのそれだ。きょとりと目を丸くする少女に、少年は小さく首を傾げる。天井に設置されたライトを受けた海色の瞳が、鋭い輝きを宿す。
「フレンドになりませんか? またあなたと戦ってみたいんです」
敵でも、味方でも。あなたとまだまだ戦いたいんです。
言葉を紡ぎ終えたオクトリングはゆるりと笑みを浮かべた。そこには先ほどまでの爽やかな色は無い。好戦的な、強者を求めてやまない強い色が、丸い青いっぱいに広がっていた。吐き出される声音も、浮かべる表情も、瞳に宿る光も、全てが己と同じだ。何よりも強者を好む、己と同じ。
少女はニィと口角を吊り上げる。すぐさまポケットを漁り、細かな傷が付いたナマコフォンを取り出した。
「あぁ、なろうぜ」
極めて友好的な笑みを作り――実際はサメも驚くほど凶悪なものだが――ベロニカは快諾する。ありがとうございます、と少年は弾んだ声をあげた。その目には依然ギラギラとした光が宿っている。まるで鏡を見ているかのような心地がした。
互いに端末を操作し、手続きを終える。液晶画面に映し出された文字列に、少女は小首を傾げた。
「……ひろおおおお?」
「ヒロです」
プレートに書かれた名前を読み上げると、すぐさま声が飛んでくる。ややこしいな、と漏れそうになった言葉を必死に喉でせき止めた。人のネームにケチを付けるものではない。己のネームも大概な書き方をするのだから。
「えっと……ベロニカさん、でよろしいでしょうか?」
「あぁ。別に『さん』とかそういうのいらねぇよ」
「さすがに出会って間もない方を呼び捨てにはできませんよ」
ひらひらと手を振るベロニカに、ヒロは困ったように眉尻を下げた。丁寧な口ぶりを見るに、元からそういう性分なのだろう。己にはいまいち理解できない感覚だ。名前という識別記号に敬意を払ったところで強くなることなどないのに。
「では、ベロニカさん」
名を呼ぶ声とともに、ナマコフォンを片付けた手がスッと差し出される。視界の真ん中、青い目が瞬きにも似た動きで細められるのが見えた。
「どうぞよろしくお願いします」
友好を示すためだろう、少年はニコリと笑った。意図を察し、少女も笑みを浮かべる。差し出された手に、己のそれを重ねる。日に焼けた手は、その指は、ところどころ皮膚が硬い。胼胝だ。彼がどれほど努力を重ねてきたのかを明確に表していた。歳に似つかわしくない硬さを宿した白い手が、これでもかと力を込めて握り締める。一拍置いて、小麦色の手ががっしりと握り返してきた。
「じゃ、いこうぜ!」
固く握手した手をぐっと引く。え、と少し上擦った声がロビーに響いた。不規則なリズムで足音が鳴る。驚愕と疑問に満ちた青が黄を見つめる。銀杏色の目がどこか得意げに細くなった。
「戦いたいんだろ?」
ベロニカはカラストンビを覗かせて笑う。.96ガロン使いは――ヒロは『またあなたと戦ってみたい』と言った。ならば、今すぐバトルに繰り出すべきだ。戦いたい二人が揃っているならば、そのまま飛び出すのが当然だ。
「――はい!」
きょとりとした深海色がぱちりと瞬く。黒い瞼に一瞬だけ撫でられたそれは、更なる輝きを持って少女を見つめた。満月色も同じほどの輝きを宿し、しかりと少年を見つめた。
二人分の足音が広いロビーに大きく響く。バトルポッドが扉を閉じ、強者二人の身体を隠した。
畳む
先生!おかしといたずらください!【ボルテナイザー・マキシマ】
先生!おかしといたずらください!【ボルテナイザー・マキシマ】マキシマ先生のハロウィンボイスに脳を焼かれた結果がこれだよ。たすけてください。先生におませさんって言われたい。
死ぬほど資料漁ったけど口調あやふやだし元からマキシマ先生に死ぬほど理想と夢を見ているオタクなので色々と色々。
マキシマ先生が生徒とハロウィンを過ごす話。
今日もボルテ学園の校門は賑わいを見せていた。下校時間を過ぎた今、多くの生徒が帰路に着こうとゲートへ歩みを進めている。だが、今日この時に限っては歩みを止めている者も多い。特に初等部の幼い子どもたちは、ゲートから逸れて走っていっている姿が見受けられた。彼女らが向かった先からは、きゃいきゃいと可愛らしい声が溢れて広がっている。楽しげで嬉しげな、聞いているだけで胸が温かくなるような響きだ。
少年少女の中心は青で染まっていた。否、青い身体をした男性がいるのだ。子どもたちの倍以上はある体躯は筋骨隆々と表現するのが相応しい、丹精込めて鍛え上げらたことがひと目で分かるものだ。着衣を最小限で済ませていることもあり、美術品がごとく仕上げられた肉体は惜しみもなく晒されている。筋肉の陰影を深く刻んだ肌はきらめいて見えるほどつややかで、まるで朝露をまとっているようにすら見える。そこかしこに細かな傷は残っていれど、それすらも作品の一要素であるかのように堂々としていた。
「Foooooo! みんな、ちゃんと並ぶんだゾッ☆ 先生もお菓子も逃げないからネーッ!」
自身を『先生』と称す男性――ボルテナイザー・マキシマは、まるでポーズを決めるように両手に下げた袋を高く持ち上げる。白いそれの縁から小さな飴がいくらかこぼれ落ちる。ビシリと決めた身体に、溢れ出るほど菓子がある様に、きゃあきゃあと可愛らしい歓声があがった。
秋晴れを空風が飾る本日は十月三十一日、所謂ハロウィンである。自由な校風で有名なボルテ学園は、今日一日菓子といたずらのせめぎあいでどこもかしこも普段以上に賑やかだった。いたずらを仕掛ける者、菓子で武装し自衛する者、イベントにかこつけて菓子を食べる者、いたずらを返り討ちにせんと闘う者。学園中がハロウィン一色である。サプライズと称して教師が盛大ないたずらもとい改造を仕掛けるほどだ――別の教師にしこたま怒られていたが。
ボルテナイザー・マキシマもハロウィンを楽しむ一人だった。生徒からはいたずらを仕掛けられ、躱し、菓子を与え、菓子をもらい、と一日をこなしてきた。授業が終わった今は、初等部の生徒を中心に菓子を配っているところだ。生徒にハロウィンを楽しんでもらいたい。そんな教師としての思慮が見える姿であった。肝心の子どもたちは菓子に夢中でハロウィンなんてことは忘れている様子だけれど。
「せんせー!」
「トリック・オア・トリート、だよ!」
子どもたちの中に星空まとう兎が飛び込む。初等部の双子、ニアとノアだ。彼女らもハロウィンを楽しんでいるのだろう、片手には菓子がたくさん詰まった袋を抱えていた。それに隠れたハーフパンツのポケット部分は、不自然なほど膨らんでいる。何が入っているかなど、彼女らを知る者にはすぐさま理解できる。そして、理解と同時に逃げ出すだろう。初等部の双子兎は仲の良さだけでなくいたずらっ子としても有名なのだ。
「ニアGIRL! ノアGIRL! ハッピーハロウィーンッ!」
彼女たちと親しい――つまりは彼女たちの性格をばっちりと知っているというのに、マキシマは逃げることなく笑顔を浮かべていた。大きく開いた口からは、学園の外にまで響き渡るような声が弾け出る。綺麗に生え揃った白い歯が秋の穏やかな日差しを受けて輝いた。
「勿論、二人にもお菓子を用意してるゾーッ!」
袋を持った両手を器用に操り、マキシマは二つの包みを取り出す。市販の、けれども子どものお小遣いで買うにはちょっと手が届かない、程よい甘さとよく詰まった生地で評判のマドレーヌだ。透明な袋に入れオレンジのリボンで飾られたそれは、まさにハロウィンに相応しいものだ。菓子の登場に、双子兎の目が輝き出す。わー、と元気な声があがった。ありがとー、と元気な礼とともに、ニアは長い袖で隠された手を菓子へと伸ばす。ニアちゃん、と妹は姉の脇腹をツンツンと突いた。笑顔満面に彩られた目がハッと開き、腕がすぐさま引かれていく。そんな不自然な動きをしているというのに、マキシマは全く気にせず二人をにこやかに眺めていた。
「せんせー? あのね?」
「ニアたち、お菓子じゃなくていたずらがいいなー」
二人の顔は依然笑みで飾られていた。けれども、目の奥に輝くのは喜びのきらめきではなく意地悪気な影を落としていた。真ん丸な目が弓張月のように、小さな口が三日月のように弧を描いて笑顔を浮かべる。可愛らしいはずのそれは、瞳に宿るもののせいでどこか不穏な雰囲気をまとっていた。手を隠す長い袖が柳のようにぷらんぷらんと揺れる。それが膨らんだポケットに辿り着く前に、二人の額に何かが触れた。
「先生にいたずらがしたいーッ? このお・ま・せ・さ・んめッ☆」
双子の額にちょんと触れたマキシマの指に、ほんのわずかに力が込められる。離れさせるようにちょいとつつかれ、ビタミングリーンの耳がふわんと揺れる。わわっ、と兎たちは慌てた声を漏らした。
「ダメかー」
双子は揃って声をあげる。どこか晴れ晴れとして弾んだ調子なのはきっと気のせいではないだろう。いたずらめいた輝きが消えた瞳が、普段通りゆるりと口角を持ち上げた可愛らしい口元が、いたずらが失敗した彼女らの心を語っていた。
「じゃあ先生。改めてー」
「トリック・オア・トリート、だよ!」
「Hmm……。じゃーあー……先生はTreatを選ぶゾッ!」
持っていってねッ、とマキシマは彼女らの手の上に先ほどの菓子を載せる。ありがとー、と元気な声が二つ重なった。
「マキシマ先生ー!」
菓子片手に駆けていく双子兎を見送るマキシマの背に鋭い声が飛んでくる。名を呼ばれ、教師はいつも通りの爽やかを通り越して暑苦しい笑みを浮かべたまま振り返った。彼の目元を覆うバイザーに赤が映る。小さかったそれはどんどんど大きくなり、すぐさまその足元まで追いついた。昇降口から校門前ゲートまでの短い距離を走っただけだというのに、声の主はゼェハァと大袈裟なほど息をこぼす。疲労で俯いていた黄色い頭がバッと上がり、同時に日に焼けていない白い手が突き出された。
「菓子配ってるって聞きました! ください!」
「魂! みっともないよ!」
ねだり叫ぶ少年――赤志魂の後ろから、青雨冷音が叫んで走って寄ってくる。走って少しだけあらわになった目元は見開かれ、焦りと羞恥でわずかに色づいて見えた。一心不乱にマキシマを見つめる腐れ縁の首根っこを掴んだ彼は、ぐっと力を入れて引き剥がす。菓子一直線の少年は踏ん張って堪えた。この調子では菓子がもらえるまで動かないことぐらい、誰にだって理解できる。
「魂BOYもハッピーハロウィーンッ! HAHAHA、元気なのはいいことだゾーッ」
はい、とマキシマはまっすぐに突き出された魂の手に菓子を載せる。ありがとうございます、と普段の彼からは想像できないほどの声が辺りに響いた。
「すみません……」
「そこまでして欲しいもんなの……?」
はしゃいで菓子を眺める少年の後ろで、冷音は縮こまって謝罪の言葉を漏らす。その後ろから疑問の言葉が飛んでくる。彼らの友人である不律灯色だ。授業のほとんどを寝て過ごしていると噂される彼は、いつもと同じ眠たげな目で菓子を手にはしゃぐ魂を眺めていた。
「イベントは楽しむものだゾッ☆ 冷音BOY! 灯色BOY! お菓子といたずらどっちにするッ?」
三人の様子を気にすることなく――否、むしろ申し訳無さそうに縮こまる冷音を気遣うように、マキシマは普段通り呵々大笑する。彼の大声量を聞き慣れた少年は、ホッとした様子でリュックサックのショルダーベルトを握っていた手を緩めた。この大音量を間近で聞いているというのに、灯色は眠たげどころか寝ているかのように瞼を下ろしている。
「お、お菓子でお願いします……」
ゴソゴソとリュックを漁る冷音の目の前に、ビニール袋に包まれた菓子が差し出される。ありがとうございます、と少しつかえつかえになりながら、青いパーカーに包まれた手がこわごわと動いて受け取る。ハッピーハロウィーン、とまた大声が空に昇っていった。少しだけ晴れやかになった表情に、薄く笑みが浮かぶ。これでは反対じゃないだろうか、と出そうになった疑問は喉の奥に押し込めることに決めたようだ。
「灯色BOYはいたずらかなッ?」
「お菓子だよ……さっさとちょうだい……」
問うて構える――もちろん冗談だ――マキシマに、灯色は呆れ返った声であしらう。けだるげに差し出された生徒の手に、教師は先ほどと同じ菓子を載せた。今にも閉じてしまいそうな目が手の中にあるマドレーヌを見つめる。またこれか、と言いたげな瞳をしていた。ふぅん、と少年は小さく鼻を鳴らす。
今しがた灯色に渡されたマドレーヌは、よくマキシマが彼に与えるものだった。まだ学園にやってきて日の浅い頃、迷い子だった少年はこれをよく食べた。いっとう好んでいるわけではない。ただ毎回それだけ数が多いから、バランスよく数を減らそうと選んで食べただけだ。しかし、マキシマにはそれが『灯色が好むもの』として映ったらしい。彼は時たま差し入れにこの菓子を少年に渡すのだ。否定するのも面倒だから、と灯色は語る。けれども、彼にとってこの菓子はまだ未発達の心の中の『思い出』のひとつとして鈍い光を灯すものであるのは確かだった。
せんせー。ありがとー。さよならー。またあしたー。幼い声がゲート前に響く。時折少女の声や少年の声も混ざる。もちろん、その中でひときわ響いて輝くのはボルテ学園英語教師――誰よりも生徒を思い行動するボルテナイザー・マキシマの声だった。
畳む
#ボルテナイザー・マキシマ #ニア #ノア #赤志魂 #青雨冷音 #不律灯色