No.137, No.136, No.135, No.134, No.133, No.132, No.131[7件]
眠りの淵【神十字】
眠りの淵【神十字】
Gottの日に書こうとしたけどさすがに薄暗いな……となってやめたネタ掘り起こし。1ヶ月も経っちゃったよ。
うちの神様と十字さんがくっつくことは永遠にないけど感情と矢印のでかさが掛け算のそれなので神十字。
眠らなくていい神様と眠る十字さんの話。
薄いカーテンの隙間から月明かりが差し込む。細く淡い光の下、烈火にも似た緋が現れて輝いた。真夜中、ベッドに横たわり瞑っていた瞼の下から覗くそれに、睡魔の形跡は全く残っていない。眠りから這い出た直後とは到底思えないほどはっきりと鮮やかな色と光を宿していた――当然だ、眠ってなどいないのだから。
身体に掛けていた毛布をそっとめくり、男は上半身を起こす。夜も更け日付が変わってしばらく経った時分、すっかりと暗くなった室内を軽く見回す。部屋を照らしていたランプの灯は消え、寝る前に読んでいた本も本棚に片付けた。嗜好品の類はキッチンに丁寧にしまわれているし、遊戯の類もベッドに入る前に所定の位置に戻した。手遊びになるようなものなどない。そも、布団から這い出すことなど不可能な状況にあるのだから、ここでじっとしている以外選択肢は無いのだ。はぁ、と溜め息をこぼした。
夜は退屈だ。
共に暮らすヒトに合わせて夜はベッドに入り横になるのだが、眠ることなど出来た例しがない。当たり前だ、『眠る』という機能が備わっていない身体なのだ。人間の真似事をして横になり目を瞑ったところで意識が落ちることなどない。したところで意味など全く無い行為だ。
何より、人間で言うところの『眠る』――暗闇の中、己の意志に関係なく意識を失うのは、人に忘れ去られることを想起させる。考えただけで、背筋を冷たいものがなぞっていく。明確な恐怖だ。神なんて存在がそんな感情を抱くなど、馬鹿馬鹿しいにも程がある。それでも、人間で表現するならば『本能』である部分が、意識が沈むことを恐れた。
夜闇の中、隣に視線を向ける。ヒト二人並ぶには幾分か狭いベッドの上、昼間干したばかりの柔らかな枕に頭を預けた蒼髪の青年は目を閉じていた。月夜の下、日中見せる澄んだ空色は見えない。
枕に頬を寄せ横を向いたその表情は穏やかなものだ。今日は子ども達と遊び、施設中の大掃除に精を出し、夕飯は少し凝った料理に挑戦していた。心地良い疲労を抱えた彼は、きっと深い眠りの底で良い夢を見ているのだろう。
眠っている。よく眠っている。まるで、死んだように。
黒いものが胸を撫ぜる。それが触れた部分から、闇が広がっていく。視界がかすかに揺らぐ。必要の無いはずの呼吸が詰まる。存在しない心臓が大きく脈を打ったように思えた。
シーツの上に放り出された腕に手を伸ばす。力の入っていないそれを取り上げ、筋が浮かんだ手首をぎゅっと握る。触れた部分から、心地良い温もりととくりとくりと規則的な血の動きが伝わってきた。
生きてる。生きている。ちゃんと、生きている。
確かな事実に、ほっと息を吐く。何と馬鹿らしいことをしているのだろうか。ヒト一人の死をこんなにも恐れ、無意味に慌てるだなんて。とんだ笑い話である。過去の時分が見れば、鼻で笑うことすらしないだろう。それほど些末で愚かな行為だ。
これで何度目だ、と自嘲する。夜中、横たわることに飽きて身を起こし、隣で眠るヒトの生を疑い、必死になって確認し安堵を得る。少なくとも、もうすぐ両の手の指では足りなくなるぐらいには行っているはずだ。なんと愚かなのか、と呆れ嘲笑う。仕方が無いだろう、と諦めにも似た声がどこかから聞こえた。
ヒトはすぐ死ぬ。若かろうが老いていようが、綿毛が風で散りゆくように簡単に死ぬ。にわか雨のように突然訪れる死に、いとも容易く攫われ消え去ってしまう。それこそ、眠っている間にも。
怖い。怖くてたまらない。この蒼を失うのが怖くてたまらない。
彼は己を『神』と心から認識する唯一の存在だ。『信仰』というひとつの認識によってようやく在ることができる己にとって、命のような存在である。そんな彼を失うのが怖い。また片時の死が訪れるのが怖い。一人が怖い。
寝息すらたてずに眠るその頭に腕を伸ばす。若草を指でなぞり、白い瞼にかかったそれを避ける。ほのかな月光の下、健康的な瑞々しい肌が晒された。指先ですくった髪を、形の良い耳に掛けて退ける。額まで露わになった寝顔は、どこか幼く感じた。
起こした身を屈める。目を閉じ眠るかんばせに、己のそれを寄せていく。ゼロ距離、さらけ出された白い額にそっと唇を寄せた。
死ぬなよ。生きろよ。生きてくれ。一人にしないでくれ。
願いを、祈りを、乞いを小さな温度に込める。神の想いなど、睡魔に誘われ意識を手放した青年に届くことなど無い。分かってはいるが、それでもやらずにはいられなかった。訳の分からない衝動が胸を満たし、身体を突き動かしたのだ。
なめらかな肌から離れ、身を起こす。さらさらとした髪を一撫でし、耳に掛けた髪をさっと払う。健康的な肌は、再び手入れされた若葉色の奥に隠れた。
ベッドを揺らさないように注意しながら再び横になる。毛布を手繰り寄せ、中に潜り込む。薄手ながらも心地の良い温もりをもたらすそれの中に埋もれた。眠る必要も、機能も無い。けれども、ヒトと同じように『眠る』形を取らなければ、隣で生きる彼は心配するのだ。己を『神』と正しく認識してはいるものの、ヒトと同じ形をしているからか眠らずに夜を過ごすことを不安げにするのだ。実際に口に出して問うたのは共に暮らし始めた時ぐらいで、以後言及することは無い。けれども、闇夜に包まれる時分になると、時折彼は心配そうに己を見るのだ。本当に眠らなくても大丈夫なのだろうか、本当に身を休めなくても大丈夫なのだろうか、本当に夜を一人で過ごしても大丈夫なのだろうか、と。
心優しい彼らしい。だから、形だけでも付き合うことにしたのだ。退屈で仕方が無いものの、この程度で水面色の瞳に膜張る不安を取り除けるのならば安いものである。
寝返りを打ち、隣を見やる。相変わらず、蒼は穏やかに眠っている。日中の働きぶりを見るに、朝まで起きることは無いだろう。
死ぬのが怖い。
失うのが怖い。
それは、一体どちらに対してなのだろうか。
どっちだろ、と意味も答えもない問いを思い浮かべつつ、神は瞼を下ろす。暗闇が世界を埋め尽くした。
闇に沈んでいた意識が浮き上がっていく。不確かなそれが、明るい光に照らされ輪郭を取り戻し始めた。わずかな震えの後、瞼がゆっくりと開かれる。白い緞帳の向こう側から、勿忘草が姿を表した。
朝か、と青年は開いたばかりの目を細める。カーテンの隙間から差し込む光は穏やかな色をしながらもはっきりとしていて、微睡みに浸ろうとする意識を思いっきり現実へと引き上げる。ぎゅっと目を閉じ、開き、また閉じ、開き。屈伸運動のように瞼を動かす。睡魔が引いていた薄い膜は払いのけられ、頭は確かな現実を認識した。
もぞりと身じろぎをし、寝返りを打つ。となりには、昨日干したばかりの枕に頭を沈めた紅の姿があった。いつだってぱっちりと開いた可愛らしい目は、今は閉じている。眠る人間と同じ様相をしていた。
神が眠ることなど無い。そんな機能は備わっていない、と当人が語ったのだから真実だ。けれども、浅慮で矮小な己は、彼がいっときも眠ることなく活動を続けることを不安がってしまうのだ。人ならざる存在であり、人と同じ枠に収まるはずのない存在であると理解しているはずなのに、脳味噌は人の尺度で神を測ってしまう。
お前となら眠れるかもな、と笑ったかの姿を思い出す。誰が見ても分かるほど、己を慮っての笑みと言葉だった。信仰する存在に気を遣わせるなど、なんと不出来な信者なのだろう。それでも、不安が消えることは無いのだから己は浅はかで愚かだ。
ぱちりと眼前の目が開く。健康的な色をした瞼の下から、真紅が顔を覗かせる。鮮烈な紅だ。眠っていたとは到底思えないほど澄んだ、鮮やかな紅色だ――実際、眠っていないのだから当然なのだが。
「おはようございます」
「おはよ」
普段と変わることなく、朝の挨拶を投げかける。少し拙い音色をした己とは正反対、常と同じ明朗な声が返ってきた。眠らずとも変わらぬパフォーマンスを発揮する姿に、そっと目を細める。やはり、彼は人ではない。分かりきったことが、寝起きの脳味噌を揺らした。
「朝ご飯作りますね」
肘を突き、身を起こす。身体にかかった毛布が自然と去っていった。陽光降り注ぐ部屋は暖かで、寒さなど感じない。少し前まではわずかな身震いをしてしまったというのに。季節が変わりつつあることを思わせた。
つられたように、隣で横たわっていた彼も起き上がる。ぐ、と天井へと腕を上げ背を伸ばす姿は、寝起きの人間と変わらない。
今日は眠れたのですか。
問いたい気持ちを必死に押さえつけ、胸の奥にしまいこむ。眠れるはずがないだろう、眠る必要も機能も無いのだから。こんな分かりきった問いなど思い浮かべるだけでも愚かでしかない。全てが時間の無駄だ。
「あー……えっと、あれ。卵ぐちゃってしたやつ」
「……スクランブルエッグですか?」
「たぶんそれ」
びっとこちらを指差す彼に、少し苦い笑みを返す。睡眠と同様、彼は食事を必要としない。活動エネルギーを食事で摂ることができる身体ではないのだ。それでも、最近は『食べる』ということを楽しむようになってきた。まだ料理名を覚えるまでには至らないのだけれど。
「少しずつ覚えましょうね」
「覚えなくてもクロワは作ってくれるじゃん?」
「そうですけど」
ことりを首を傾げいたずらげに笑う神に、人間もくすくすと笑みをこぼす。ふたつの可愛らしい笑顔を、陽の光が照らしだした。
今日も良い天気になるだろう。
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クリームソーダとケーキと空色と【ニア+ノア+レフ】
クリームソーダとケーキと空色と【ニア+ノア+レフ】
ニアノアちゃんお誕生日おめでと~!
にかこつけてニアノアレフ。お誕生日にケーキを食べるニアノアちゃんと弟君の話。
皆ちょいちょいCafe VOLTE行ってたら可愛いね。
「もっ、もうちょっと! もうちょっとだけ待って!」
手にしたメニューをぎゅっと握り、ニアは叫ぶように乞う。表情も声も、いつだって元気でまっすぐな彼女らしからぬ焦りに駆られたものだ。瑠璃色の視線がラミネートコーティングされた紙の上を滑っていく。色とりどりの写真を追いかける目には焦燥と混乱がぐるぐると渦巻いていた。
「にーあーちゃーんー……」
隣に座ったノアが姉を呼ぶ。可憐な唇は不満げに尖っており、視線が右往左往する片割れを見る目もどこか冷たさを孕んでいた。掴むように机の端に乗せられた手がぱたぱたと上下する。猫が苛立ちを表すそれを思い起こさせる動きだ。どれもこれも、大人しい彼女にしては珍しいものである。当然だ、かれこれ姉の悩みに五分は付き合い待たされているのだから。
悩ましげに唸りながらメニューとにらめっこする姉兎と頬を膨らませる妹兎の姿に、対面に座る烈風刀は小さく笑みを漏らす。愛おしさがにじみ広がる温かな微笑みだ。真剣に悩み退屈に待つ二人には悪いが、じゃれあうような風景は可愛らしいと表現するのが相応しいものだった。
「先に飲み物だけでも頼みましょうか」
メニュー立てに戻した冊子を再び手に取り、少年はドリンク類のページを開いて二人に差し出す。ケーキの写真に釘付けになっていた青い目が二対、碧の手元に寄せられた。
「ノア、このクリームソーダがいい! 青いのすっごくきれい!」
ドリンク一覧の中央を飾る写真を指差し、少女はキラキラと目を輝かせる。普段控えめで甘えることを苦手とする彼女にしては積極的な様子だ。よっぽど、この澄み渡る青に惹かれたのだろう。
「えっと……、ニアもノアちゃんと同じのがいい!」
しばし悩む様子を見せながらも、ニアも妹の指と並ぶように写真を指す。クリームソーダという子どもに大人気なメニュー、それも自分たちと同じ深く鮮やかな青色をしたものがあれば興味を示すのも当然だ。分かりました、と柔らかに笑み、碧い少年は軽く手を上げ店員を呼ぶ。空色クリームソーダ二つとホットカフェラテ一つお願いします。かしこまりました。短いやりとりが少女らの頭上を渡っていく。
上機嫌な様子で宝石めいた鮮やかさの飲み物たちの写真を眺めるノアの隣で、ニアは依然強く眉根を寄せ真剣な目つきでメニュー表を睨む。うーん、と少女らしからぬ重苦しい音が細い喉からあがった。
明日はお誕生日ですね。よければケーキでも食べに行きませんか。
そんなお誘いを受けたのが昨日のこと。兄のような存在である烈風刀の提案に、双子兎はパァと表情を輝かせ、両手を天へと大きく伸ばして元気よく返事をした。ケーキが食べられる上に、大好きなお兄ちゃんと一緒に過ごせるのだ。これ以上嬉しいことなどない。お誕生日とっても楽しみだね、と帰って二人で笑い合ったものだ。
そうして六月十日、ニアとノアの誕生日。放課後に三人でCafe VOLTEを訪れたのが八分前。ノアと烈風刀がケーキを選んだのが六分前。ニアが呻きながらメニューと真剣に相対しているのが現在だ。
どうしよう。どれにしよう。定番の可愛らしいいちごショートも美味しそうだし、重厚で大人な色をしたチョコレートケーキも美味しそうだ。シンプルなチーズケーキはベイクドもレアもきっと濃厚な風味が舌を満たしてくれるし、フルーツをふんだんに使ったタルトは目をも楽しませてくれる。季節限定と大きく謳われたレモンケーキも鮮やかな色合いで目を引いた。
「全部食べたい……」
「お誕生日ですから、二つまでならいいですよ」
「二個も食べたら晩ご飯食べられなくなっちゃうよ。だめだよ」
思わず漏れ出た心の声に、優しい声が返される。ほんと、と顔を上げる前に、厳しい言葉が甘い希望を切り捨てた。うぅ、と泣き出しそうな声が潤った唇からこぼれ落ちる。妹はいつだって優しくて、いつだってしっかり者で、控えめながらも奔放な自分をそっと諫めてくれるのだ。とっても頼りになる自慢の妹だ。今日ばかりはそれが辛くて仕方ないのだけれど。
「どれと迷っているのですか?」
「えっと……、ショートケーキと、フルーツタルトと、レモンケーキのどれにしようかなって」
少年は軽く身を乗りだし、姉兎の手元を覗く。可愛らしいかんばせを俯けたニアは、色鮮やかな写真を三つ順番に指差した。どれも美味しそうですし悩んでしまいますね、とかすかに笑みを含んだ同意の言葉が降ってくる。でしょっ、と頭を必死に回転させる少女は思わず大きな声をあげた。静かにだよ、と少し慌てた妹の声が隣から飛んでくる。わわっ、と姉は急いで口元を押さえた。愛らしい姿に、少年の口元に再び笑みが浮かぶ。
「ノア、レモンケーキにしようか? そしたらニアちゃんに分けたげれるよ?」
「だっ、大丈夫だよっ! ノアちゃん、お誕生日ぐらい好きなもの食べてよぉ」
魅力的な提案を、青い兎はぎゅっと目を瞑って断る。その声は言葉に反して苦しげで、涙がにじむような響きをしていた。すぐさま飛びつきたいほどの申し出だが、こんな時まで大切な片割れに気を遣わせたくない。この可愛らしい妹はいつだって人を思い遣る控えめな子なのだ、今日ぐらいは遠慮せずに自分の好きなものを存分に味わってほしかった。
そうですね、と烈風刀は顎に指を当てる。数拍、思案に耽り結ばれた口元がゆるりと解けた。
「だったら、僕がレモンケーキも頼みましょう。そして、三人で分けましょう? これなら夕飯もちゃんと食べられますよ」
「……いいの?」
「えぇ、僕も季節限定のケーキは気になりますから」
こういう機会でも無ければなかなか食べられませんし、と少年は手元のメニューを撫ぜる。『季節限定』の四文字を、少し硬い指が辿った。
瞬間、皺の痕が残ってしまうのではないかと不安になるほど寄せられていた丸い眉がほろりと解ける。難しげに引き結ばれていた口元が綻び、大きく開き笑みを形取った。
「じゃっ、じゃあ、えっと…………、タルトにする! フルーツタルトがいい!」
「では注文しましょうか」
ようやく少女の決心がついたところで、失礼します、と朗らかな声が響いた。碧と蒼の三つの視線が音の方へと吸い寄せられる。そこには、銀の盆にグラスを載せたウェイトレスの姿があった。重いであろうそれを片手で持つ様はごく自然ながらも感心を誘う。
「こちら、空色クリームソーダとホットカフェオレお持ちしました。ケーキ、決まりましたか?」
「えぇ、ちょうど」
三人の前に注文のドリンクを並べながら、虎子は笑みを投げかける。烈風刀も柔らかな笑みを返した。ふふ、と息を吐くような楽しげな笑声。エプロンのポケットから注文票とボールペンを取り出し、少女はすっと背筋を伸ばした。
「ご注文、承ります」
「えっとね、ノアはレアチーズタルト」
「ニアはね、フルーツタルト!」
「僕はショートケーキとレモンケーキを」
三人のオーダーを書き連ね、店員はかしこまりました、とお手本のようににこやかな笑みを浮かべる。少々お待ちください、と残し、虎子は軽い足取りで店内を歩いていった。
「決まったことですし、クリームソーダ飲みましょうか。アイス溶けちゃいますよ」
うん、と双子兎は元気な返事をする。長い袖をまくり、各々の前に置かれたグラスをそっと引き寄せた。
細く背の高い透明なグラスには、真っ青に色付いた炭酸水が満ちていた。鮮やかに澄み渡るその色は、『空色』の名を冠するに相応しい。美しい青と細かな氷粒が満ち満ちたガラス容器の頂に、まあるいバニラアイスが乗せられている。少し黄みがかった白、散る小さな黒から、濃厚で風味豊かなものだということが想像できる。目も舌も十二分に楽しませてくれるであろうそれを前に、少女らの頬は自然と綻んだ。
いただきます、と声が重なる。大きく開いた口が、白いストローに寄せられる。ちゅう、と控えめに一口。炭酸のぱちぱちとした感覚と、舌を優しく撫でるような甘さが小さな口の中に広がった。
「おいしい!」
「それはよかった」
泡が浮かび上がるソーダと同じほどキラキラと目を輝かせる兎たちを眺め、碧は緩く笑む。彼もクリームで彩られた温かなカップに口を付ける。香ばしい風味とコーヒー特有の苦み、その中にそっと潜む蜂蜜の上品な甘さが少年の口内を満たした。美味しい、と漏れた言葉に、双子は己のことのように嬉しそうに笑った。
「ケーキ、楽しみですね」
「うん!」
「れふとにも分けたげるね」
「あっ、ニアも! ニアもちゃんと分けたげるからね!」
ニコニコと笑みを漏らして言う妹に対抗し、姉も声をあげる。二人が全部食べていいんですよ、と烈風刀は優しい言葉を返した。
「だってれふとが食べさせてくれるんだよ? れふともちゃんと食べて」
「僕も自分の分を頼みましたから大丈夫ですよ」
「そうだけどー……」
むぅ、とノアは頬を膨らます。少女の考えなどとうにお見通しなのだろう、分かりました、一口だけくださいね、と少年はいたずらげに返す。膨らんだ頬が萎み、代わりに喜ばしげに解けた。えへへ、と可愛らしい笑声が二つこぼれ落ちる。
学生たちで賑わう店内に、青色が三つ鮮やかに浮かんだ。
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晴天、陽光、艶事【ライレフ/R-18】
晴天、陽光、艶事【ライレフ/R-18】
真っ昼間からえっちなことするのえっち。
あぁ、空が青い。
開け放たれたカーテン、覗く磨かれたガラス戸の向こうは、目が醒めるほど鮮やかな青が広がっていた。絵の具をそのまま塗りたくったような色の中天に、痛いほど輝かしい太陽がおわす。透明なガラスを通して、広いとは言い難いリビングに陽の光が燦々と差し込む。ローテーブルにソファ、テレビ、そして己たち兄弟の身体を照らし出していた。
「どこ見てんの」
抜ける青に染められる碧に、朱が差す。常はぴょこりと跳ねる癖のある赤髪は、汗ばみ落ち着いた様相になっていた。健康的な肌に濡れた幾筋かの緋色が張り付く様はどこか妖艶だ。
「べつに」
問いに返す声は意図せず幼げな響きとなった。舌足らずになった調子に、烈風刀は薄く眉根を寄せる。潤んだ孔雀石が柘榴石から逃げるように逸らされた。寝転がった――押し倒され組み敷かれたソファの下、磨かれたフローリングにぐしゃぐしゃになった衣服が散っているのが映った。
ふぅん、と雷刀は声を漏らす。不満げな、愉快げな、獰猛な、何とも言い難い響きだ。ただ一つ分かるのは、この捕食者は更に己が身を丁寧に嬲り骨まで食らい尽くすということだ。
ごちゅん。腰骨と腰骨がぶつかる。硬質な音と痛みを訴えるはずのそこからあがったのは、ぬかるみに手を突っ込んだようにぬめり湿った音だった。骨を伝って響くそれと同時に、悦びが身体を走り抜けていく。このいっときだけ痛覚神経を快楽神経に作り変えられてしまった身は、硬いものがぶつかりあう痛みをきもちがいいものだと脳味噌に信号を送った。
「ぅ、……あッ、ぁ」
肌を、肉を、骨を、髄を、鋭い快感が走り抜けていく。肉の悦びを知ってしまった身体は、間抜けに開いた口を用いてそれを謳い上げる。持ち主にとってはたまったものではない。けれども、本能が放つものなど制御などしようがなかった。
ぱちゅ。ぐちゅ。晴天広がり陽光照らす昼下がりに全く相応しくない音が鼓膜を震わせる。濡れた響きは官能を揺らすものだ。揺さぶりに揺さぶって、脳味噌を駄目にしてしまう音だ。思考という機能を失ったそこは、法悦を受容する機関として新たなる使命を果たし始めた。
「ヒ、ぃ……ァ、ん……っ、ぅ」
クーラーが効いた部屋は、夏であっても快適な温度を保っていた。なのに、今は暑くてたまらない。当たり前だ、まぐわい揺さぶられ肌を重ね合わせ、他者と――愛する人と温度を共有しているのだ。心理的にも、肉体的にも、昂りを覚えないはずがない。空調がどれだけ心地良い室温を保とうとも、熱は蓄積するばかりだ。
「れふと、れふとっ」
ぬちゅん。ぐちゅん。淫猥な水音がひっきりなしにあがる最中、愛しい音色が己の名を奏でる。興奮しきり掠れた声は、普段の低さをわずかに失い上擦っている。可愛らしくも、背を震わせ脳を痺れさせるような色香があった。
ぱちゅん、と剣が鞘に納められる。高いカリが、猛々しい幹が、散々耕され柔らかくなったナカを一気に擦り上げていく。狭い内部を割り広げながら刺激され、碧はおんなのように高い声をあげた。
めいっぱい突きこまれた刀が、ずろろろ、と一気に引き抜かれていく。張り出た傘が、柔い内壁を引っ掻いていく。去っていくそれに泣き縋るように、熟れた肉洞は抱き締め絡みついた。
突いて、抜いて、突いて、抜いて。何度も行われる抽挿は、快楽を生み出しては脳髄から思考を溶かしていく。聡明な少年の脳は、悦びに染まっていった。
ごりゅ。熱を帯びふっくらとした柔肉、その一箇所を張り詰めた先端が抉るように突く。刹那、凄まじい快感が脳神経を焼いた。視界に白い粒が幾多も瞬く。ひゅ、と喉が呼吸のなり損ないを漏らした。
「ィッ――アッ、あぁッ!」
悲鳴のような嬌声をあげ、烈風刀は目を見開く。まあるくなった翡翠の端から、雫が漏れ出る。神経焦がす膨大な快楽を逃がそうとした結果だ――そんな猪口才なことで軽減できるようなものなどではないのだけれど。
鍛えられ逞しさを伺わせる体躯が弓なりに反る。激しい運動で汗が幾筋も伝う身体が、窓から差し込む陽光に照らされる。昼の最中、汗ばむ白い肌を日の下に晒す姿は卑猥であった。
喉を晒すほど仰け反り、視界が上下に反転する。これでもかと開いた目が、透明挟んだ向こうの青に染められた。
あぁ、空が青い。
本能に食い散らかされ消えたはずの理性が、呑気な感想を漏らす。現実逃避にしては幼稚なものだ。主席を守り続ける悧巧な頭脳であれど、熱に溺れるような行為の最中ではろくに機能しない。まだ考える力が残っていただけ上出来だ。それも、すぐに溶け去ってゆく。
ぁ、あ、と細い嬌声が無意識に漏れる。悦びを謳うとろけた響きだ。呼吸が荒い。凄まじい衝撃を受けた身体は息をするのがやっとだ。視界が未だチラつく。思考の機能を果たす場所に叩きつけられた快楽は、少年の内側に灯った火に薪をくべた。
れふと。愛しい声が己を示す音を紡ぐ。縋るようにソファの座面を引っ掻いていた手に、汗で濡れた手が重ねられる。捕らえられたそれ、わずかに開いた指と指の間に、胼胝がある硬い指が差し込まれる。押さえつけ逃さないような、愛しさを肌から注ぎ込むような力と温度をしていた。
指を絡めたまま、朱は己の首の後ろへと握った手をいざなう。法悦を脳の許容量以上叩き込まれた身体はろくに力が入らず、ただ載せるだけの形となってしまった。汗でしおれた髪が、指先をくすぐる。手のひらから伝わる温度も、感じるうるさいほど速い脈も、肌を撫ぜる髪の柔らかさも、全てが愛しく心地良かった。快楽に殴られ続けた頭に、わずかな凪が訪れる。
「ちゃんと、オレ見て?」
視界が愛しい色で染まる。情欲の焔が燃え盛る炎瑪瑙が、とろけ潤んだ燐灰石を射抜く。法悦に焼かれた声が生み出したのは乞いであった。同時に、深い嫉妬と不満が顔を覗かせている。どうやら、窓の外へと意識が向いていたことが気に食わないらしい。それもそうだ、深く愛し合っている最中に己以外のものに気を向けられて良い気はするまい。
座面に放り出したままのもう片腕を緩慢な動作で持ち上げる。異常なまでに重く感じるそれを、目の前の首の後ろへと回す。少しばかり力を込めると、丸い昼空の中に茜空が広がった。らいと、ともつれる舌を動かし愛しい人の名を呼ぶ。雫こぼす藍晶石の奥、光が揺らめく。情火だ。行為が終わるまで消えることなどない、二人でしか消すことができない焔だ。
こういう時ばかり頭の回る兄である。しっかり意図を理解したのだろう、目を細めふっと笑む。応え求められた喜びを表すものだった。捕食者としての本性が色濃く滲み出たものでもあった。どうであれ、己は骨の髄まで食われることは最初から決定付けられている。今まで味わってきた被食者としての悦びがそわりと背を撫でた。
ただでさえ近い顔が更に近付く。距離がゼロになる瞬間、雷刀は大きく口を開けた。がぶり、と擬音が聞こえそうなほど、唇全てを覆うようにかぶりつかれる。健康的に色付いた柔らかな粘膜を、犬歯目立つ赤い口がやわやわと食む。それだけで頭の奥が痺れた。
口という生きる上で重要な器官を食われる最中、烈風刀は唇を薄く開き舌を出す。小さく姿を現したそれで、繋がった先の口内、そこに鎮座する赤を啄むようにちょんと突く。ほんのわずかな接触だというのに、舌先から官能が広がっていった。
可愛らしいおねだりを彼が見逃すはずがない。すぐさま住まいをこじ開けられ、いたずらっ子な赤を厚いそれで絡め取られた。ぬめる熱と熱が、口腔という劇場でダンスを踊る。唾液が混じり合う卑猥な水音と鼻を抜ける甘い音が、演舞に淫らなアクセントを加えた。
ざらついた表面を擦り合わせる。なめらかな裏側をくすぐる。尖らせた舌先でつつく。纏う唾液を搾り取るように吸い付く。舌という食事行動に必要不可欠な器官――いのちを保つための器官が、快楽を得るためだけのものへと生まれ変わる。妖しく蠢くそれは、二人の身体を快楽で満たしていった。
「ん、っ、ぅ……」
ちゅぷちゅぷと可愛らしくもいやらしい音を兄弟で奏でる中、律動が再開される。先ほどまでの勢いは失い、肚の内全てをゆっくりと撫でるような動きへと変わっていた。剛直がふわふわとした肉の道を丁寧に拓いていく。今までの神経を焦がすような官能とは正反対、身をどろどろに溶かす優しく甘やかな悦びに、合わさった口の間からとろけた声がこぼれ落ちた。
とん、とん、と穏やかな腰使いで兄は組み敷いた弟を愛す。子どもをあやすようなリズムだ。眠気を誘う揺さぶりだが、ぱちゅんという淫猥な音と生み落とされる確かな快感が意識を強く引き留めた。優しく与えられるそれは、腰から下が溶けて無くなってしまいそうな心地良さだ。頭の中身までぐずぐずに溶けて消えてしまうのではないだろうか。穏やかな快楽の海に漂う脳味噌が世迷い言をのたまった。
酸素不足という無粋なもののせいで、合わさった唇が離れる。名残惜しげに伸ばされた舌と舌が二人分の粘液で繋がる。長い橋はすぐに切れ、寝転がった烈風刀の口内に消えた。外気に触れ冷えたそれはどこか甘く感じた。
「きもちい?」
唾液で濡れつやめく唇が問いの言葉を紡ぎ出す。わずかに掠れたそれはあからさまに我慢の末に作られた音であるのが分かった。当然だ、彼の内に眠る獣欲がこんなぬるま湯のような緩慢で閑々たる交合で満たされるはずがない。かの獣はきっと咆哮しているだろう。もっと食わせろ、と。
こくりと小さく頷く。己を慮り愛を注いでくれているのだ、きもちがいいのは当然だ。ただ、物足りなさと申し訳無さを感じているのも事実である。もっと好きにしてほしい。もっと好き放題にされたい。肉から骨まで一つ残らず食らいつくされたい。自分勝手で淫奔な願いが、法悦でぼやける頭に浮かんだ。
あの、と烈風刀は口を開く。二人分の唾液で濡れた唇が、端からこぼれ落ちた粘つく雫が、降り注ぐ陽の光に照らされる。真昼の最中とは到底思えないほど蠱惑的な姿であった。
「あ、の……、もっと強くしても、大丈夫ですよ?」
ぱちりと瞬き、少年はどこか幼い音を紡ぐ。声の可愛らしさに反して、その裏に隠された願いはあまりにもいやらしいものだった。相手の欲求を尊重する言葉を装った、己の欲望を満たすためのものだ。浅ましいとは分かっている。はしたないとは分かっている。けれども、内に燻る熱は叫ぶのだ。もっと食らってくれなんて、被虐心丸出しの願いを。
ぐぅ、と苦しげな音が降ってくる。音と同じ感情を表すように、眼前の紅緋が強く眇められた。朱い頭が項垂れ、汗したたるかんばせが見えなくなる。煽んなよ、と呟く声が聞こえた気がした。
「加減できなかったらごめん」
謝罪の言葉を奏でる音は欲望に焼かれていた。こちらを射抜く紅玉も、更に輝きを増している。獲物を定めた獣の輝きだ。煌々と光る深緋は、闇の中轟々と燃え上がる炎と同じものだった。
ずる、と豪槍が潤んだ肉から引き抜かれる。焦らすようにゆっくりと去っていく動きに、思わず息が漏れる。細いそれは熱を帯び高くなっていた。
中ほどまで下がったところで動きが止まった。追い求めていた刺激が無くなり、肚の中は動揺にぞわぞわと蠢く。いかないで、戻ってきて、とねだるような動きで浅く食んだ雄茎に絡みついた。
この後何が起こるかなど明白だ。与えられるであろうものを夢想し、鼓動が速くなる。呼吸が浅くなる。頬が紅潮する。ガーネットを見つめるエメラルドには、多大なる期待の色が溢れていた。
早く、早く、と急かすように日に焼けていない腰が揺らめく。欲望に溺れ素直になった弟の姿に、兄はニィと口角を上げた。
ぼぢゅん。
引かれていた腰が素早く前へと動き、熱された雄杭が縁の膨れた挟穴に一気に突き立てられる。鈍く濁った、酷く卑猥な音が交わったそこからあがる。瞬間、背筋を凄まじい電流が駆け上がっていく。光速もかくやのそれは、膨大な快楽を脳に直接叩きつけた。
「ッ――――あッ!」
数拍置いて、盛大な叫声が二人きりのリビングに響き渡った。声を殺す傾向のある烈風刀からは考えられないほど大きく、強く、高く、艶めいた嬌声だ。その身に注ぎ込まれた快感を高らかに謳い上げたものだった。びくん、と鍛えられた身体が幾度も跳ねる。抱きついた恋人に胸を押し付けるように背を反らせる様は可愛らしくも妖しい色香を醸し出していた。
すぐ目の前、朱と視線がぶつかる。普段は丸くキラキラとした可愛らしい目は、今は強く眇められていた。わずかに覗く紅玉髄の奥には、依然轟々と焔が燃え上がっている。快楽と嗜虐心と愛情という薪をくべられたそれは、天を衝かんばかりに勢いが増していく。大火を消す術など、一つしかない。その唯一を求め、雄は腰を振りたくった。
ごぷん。ごりゅん。業物が細鞘に突き立てられる度、剛直が柔肉を抉る度、凄まじい快楽信号が少年の脳髄に送られる。ぶちこむと言うのが正しいほどの量と強烈さだった。頭の奥が痺れ、思考が動きを止め、理知的な頭が使い物にならなくなってゆく。この場では何の問題もない。今ここで一番重要なのは、『きもちよくなること』なのだから。
「ぅあっ! ぁ、ぃ……ッ、あ、アッ!」
必死に兄にしがみつき、弟は目を見開き涙を流す。恐怖すら覚えるほどの強い法悦に、身体が生理反射を行ったのだ。真ん丸になった天河石は熱い水をたたえ、限界を超えて端からこぼれる。肌を伝い整った顔に透明な線をいくつも描いていく様は、憐憫を誘うもオスを駆り立てる姿だった。
「れふとッ」
切羽詰まった声が己の名を呼ぶ。掠れた音は明確に獣欲に溺れていた。獣の本能に支配された瞳は、天高くに登った太陽の光よりも強烈な輝きを放っている。どろりと暗く溶け、ギラギラとしたそれは、休日の昼に見せるだなんてとても思えない代物だ。けれども、愛し捕食するけものとして何よりも相応しい色と光を宿していた。
「ぁっ、ア、らいと……らいとぉッ」
鋭い瞳と声に射抜かれ、被食者はとろけきった音で捕食者を呼ぶ。もっと欲しい、もっと食らってくれ、と懇願する響きだ。淫乱めいた姿に、ぐぅ、と朱い獣は喉を鳴らす。肚に迎え入れた熱塊が更に肥大したように思えた。
床に服が脱ぎ散らかされる。汗ばんだ身体が重なり合う。嬌声と唸り声、淫らな水音があがる。とても日の高い時間に繰り広げられているとは思えない風景だ。真っ昼間から性行為に及んでいるという背徳感が二人の背筋を撫でる。欲望に溺れ興奮しきった身には、それはただのスパイスでしかない。依然音をたてて燃える情火に燃料を注ぐだけだ。
狭き場所を切り開き、奥底を暴かんとばかりに雄肉が秘肉に突き立てられる。硬く逞しい欲望が、知り尽くした肚の中を我が物顔で食い荒らす。イイところをこつこつと突かれ、ごりゅごりゅと抉られ、ごりごりと全体を以て擦り上げられる。与えられる人間は、欲望でとろけた甘い声を叫び淫欲に生み出された涙を流すしかない。食われる側にできることなど何もないのだ。あるとすれば、熱く潤む淫肉を蠢かせ悦びを伝えることぐらいだ。
「ぁうっ、あ! ぅ……あッ! あァッ!」
許容限界を超える快楽信号を叩きつけられ続ける脳味噌は、発声という手段で襲い来るそれを逃がそうとする。そんなの焼け石に水でしかない。おまけに、甘やかで艶やかで猥褻な響きはオスを興奮させるものだ。己を餌たらしめんとする行為でしかなかった。
発情しきった艶声に煽られ、少年は欲望がままに腰を振りたくる。そこに『加減』なんてものは欠片もない。当たり前だ、目の前にこれ以上にない馳走を用意されて我慢などできるはずがない。食われる本人がもっと食らってくれ、残さず全て食らってくれ、とこの上なく淫らにねだるのだから尚更である。加減する理性など、とうの昔に弾けて消えていた。
ごちゅん、ごちゅん、と肚の道の行き止まりを強く穿たれる。扉を槌で叩き抉じ開けようとする様に似ていた。実際、閉じきったそこに侵入するには力で抉じ開けるしか術がない。この姿は当然であった。
すっかりと快楽を拾い上げる弱点と化した場所をめいっぱい刺激され、碧はひたすらに甘美な音を奏でる。きもちいい、こわい、もっと、やだ、すき、きもちいい。様々な言葉が浮かぶも、アウトプットする声帯は意味を成さない単音しか生み出さない。人間らしい発声方法など、もう忘れてしまったようだ。
猥雑な水音、肌がぶつかり合う高い音、獣めいた唸り声、艷やかな喘ぎ。卑猥極まる四重奏が昼空の下で繰り広げられる。二人暮らしの広くないリビングに響き渡るそれは、獣のようにまぐわい深く愛し合うつがいの情欲を煽るだけだった。
奥を重点的に突く腰使いが勢いと強さを増していく。このまま奥底に突きこまれ続けたら、腹が破れるのではないか。馬鹿馬鹿しい与太が、津波のように襲い来る淫悦に溺れる頭に浮かぶ。それもすぐ、凄まじい肛悦によって消し飛ばされた。
「ぁ、いと、っ……らい、と」
思考能力が消え去った脳味噌で、もつれる舌で、赤々とした唇で、どうにか愛しい人を示す音を作り上げる。普段ならすぐになに、どした、と朗らかな声が返ってくるが、今日はそれがない。代わりに、苦痛を――否、襲い来る快感を堪えるために眇められたルベライトが黙ってよこされる。不気味なまでに輝く紅晶がじぃとこちらを見据えた。
これだけ見つめられて、これだけ射抜かれて、これだけ情火の熱を向けられて、普段の烈風刀ならば顔を背け目を閉じ、苛烈な視線から逃げていただろう。だが、今日は違う。珍しく嫉妬心丸出しで『見て』なんて乞われたのだ、恋人の可愛らしい願いを叶えてやりたかった。
湧き出る雫に濡れたインディゴライトが、恋し愛す人を見つめる。首に回していた腕にどうにか力を込め、朱い頭を引き寄せる。らいと、と今一度愛しい名を紡ぎ、絶え間なく荒い息をこぼす口に唇を寄せた。
嬌声を漏らすばかりの口を大きく開け、食い縛るように引き結ばれたそこに思いきりかぶりつく。先ほどの意趣返しであり、獣を更に煽動するためだ。込み上げるはしたない声を抑えることを諦め、浅い呼吸と意味の無い音を吐き出しながらしとどに濡れた粘膜を柔く食む。口の中に誘い込んだ熟れた赤の表面を、性的興奮で粘度を増した唾液纏う舌でそっとなぞる。最後のひと押しとばかりに、合わせ目をノックするように突いた。
そこまで露骨に煽られて、欲望に至極素直な少年が黙っていられるはずなどない。覆い込む唇を振り解くかのように大きく口が開かれる。いたずらのような、挑発するような行為を向ける小さな舌を逃すまいとばかりに一対の赤で咥えこんだ。ぢゅ、と引きずり出すように強く吸い付かれる。それだけで官能が背筋を走っていった。
おいでくださいと誘うように、碧い少年は唇を開く。瞬間、熱いものが口内に捩じ込まれた。酷く熱された赤が、同じほどの熱を持つ赤を絡め取る。ざらつく表面を擦り合わせ、唾液湧き出る裏側を舐め回し、つるつるとした硬口蓋を押し付けるように撫でくすぐる。迎え入れた侵入者は、我が物顔で口腔を蹂躙していく。欲望を加減なくぶつけられ、隅々まで捕食される。何よりも求めたものだ、とマゾヒスティックな心が恭悦を高らかに叫んだ。
口辱の中でも、腰使いが止まることはない。むしろ、激しさを増していた。当たり前だ、快楽を求める身体が口での交合のみで満足できるはずなどない。燃え盛る情火を消す方法など一つしかない。種を植え付け、己のものだと声高に主張する。種を植え付けられ、雄の所有物だと宣言される。腹に渦巻く欲望を吐き出し吐き出されることで、やっと獣は鳴りを潜めるのだ。
ばちゅん。ずちゅん。肌が、肉が、粘膜が、猥褻な音を紡ぎ出す。浅瀬から奥底まで、雄の象徴が一気に擦り上げ、好む部分を何度も何度も刺激される。髄を駆け抜け脳神経を焼く快楽信号が受容される度、食われる碧は高い声をあげた。それも全て、食らいつくけものの口内へと消えていった。
蜜こぼす張り詰めた先端が、大きく張り出た傘が、血管浮かぶ幹が、肚の中身を掻き回す。さんざっぱら解し耕され、透明な体液を塗り込められたナカは、侵略の限りを尽くす雄の器官を強く抱き締めた。暴れ回る動きを止めるような、全てを暴かれることをねだるような動きだ。どちらにせよ、捕食者は突き立て、穿ち、抉り、獲物を蹂躙する以外に選択肢はない。被食者も、突き込まれ、穿たれ、隅々まで暴力的な快感で塗り潰されることしか考えていなかった。
「んっ、んぅ…………ッ、は、ぁ、あ!」
口内隅々まで味わっていた舌が離れ、塞がれた唇が解放される。絡まる赤が解けた途端、喉を登りつめてきた情動が声として発せられる。高いそれは、身を襲う快楽に染まりきっていた。艷やかな音だ。淫らな音だ。何より、雄を誘い煽る音だ。
「ィッ! ひ、ぁ……あ、あっ……ぅあ!」
「れふと、れふと!」
情欲溢るる声に、切羽詰まった声が重なる。つがいを求め、朱と碧は互いを一心に見つめる。つやめき潤みとろけた瞳の中には、共に淫欲の炎が轟々と燃え盛っていた。
足りない、とばかりにもう一度口付けが降ってくる。否、口付けなんて可愛らしいものではない。噛み付くように合わせ、舌を絡み合わせ、口端から唾液を垂らす様は、捕食と表現する方が正しかった。
口で、秘所で、身体を結び合わせる。口が、秘所が、猥雑な音楽を奏でる。口も、秘所も、この上ない法悦を謳い上げる。心が叫ぶ。幸福だ、と。
柔らかな肉筒が、内部を荒らし回る怒張を舐め回すように蠕動する。痙攣に似た動きで幾度も抱くつくそれを振りほどくように、雄根は引き下がっていく。刹那、泣いて追い縋る肚粘膜に、去ったばかりの聳峙が一気にぶち込まれた。これが欲しかったのだろう、と捕食器官が問う。応えるように、熟れきったナカはきゅうきゅうと絡みつき抱きついた。
「ん、ぅっ…………あぅっ……、あ、あ、アッ」
燃える紅緋で染まった視界にいくつもの白が瞬く。バチバチと何かが焼き切れそうな音が脳に流れ込む。淫らに雄を迎え入れた肚の奥から何かが迫り上がってくる。果てが近いのだ。つがいに食い尽くされつつある身体は、高みへと至ろうとしていた。
ヒ、と怯えるような音が喉からあがる。幾度も体験してきた、過ぎた快楽が襲いかかる恐怖。まだ可食部分は山ほどあるのに、行為が終わってしまう悲哀。愛する人を置いて一人飛び立つ寂寥。いつだって人生最大を更新するきもちよさへの期待。全てが混じり合った、複雑な音色していた。原初の欲望に溺れきった、とろけきった響きをしていた。
ごぢゅん。洞の突き当りを破壊せんばかりに力いっぱい穿たれる。瞬間、視界が白に染まる。無彩色に塗り潰された世界の中、バチン、と何かが勢い良く切れる音が耳のそばで聞こえた気がした。
「ァ――――、あッ!」
酷く高い法悦の叫びが、白い喉からあがる。引き締まった身体が弓のようにしなり反り返る。縋り付くように、腕の中の赤い頭を搔き抱いた。
絶頂を迎えた媚肉が、ぎゅうと引き締まる。潤った桃肉がうぞうぞと蠢き、歓待した雄を根本から頭まで強く撫でる。子種をねだる動きだ。早くこの肚にぶちまけてくれ、といやらしく乞う声が聞こえてくるようだった。
ぐ、と苦しげに息を呑む音が遠くに聞こえる。瞬間、凄まじい感覚が焼き切れたはずの脳神経を伝達した。痛みだ。針を刺すような鋭い痛みが、抱き込んだ頭の下から発生する。暴力的なまでの快楽で飛びそうになった意識が一気に引き戻される。白んだ視界が色を取り戻した。
ィッ、と悲鳴と呻きが混じった声が反った喉から発せられる。つい先ほどまで恭悦に喘ぎ悦びを謳った口が引きつり結ばれる。見開かれた花緑青が強く歪み、雫を溢れさせた。
噛まれたのだ、と気付くのはすぐだった。愛し恋する兄は、噛み癖がある。興奮するとつい歯を立ててしまう、とは本人の談だ。反省はしているようだが、直る気配はない。それはそうだ、理性が消し飛ぶような状況下で己をコントロールするなど至難の業である。すぐ本能に支配される彼相手ならば尚更だ。
引きつった口元が緩む。歪んだ目元が解け、愛おしそうに細められる。は、と吐き出した息は、歓喜と情欲、それらから生まれる熱で染まりきっていた。
噛まれている。すなわち、愛しい人は興奮しているのだ。性的興奮を覚えているのだ。己相手に感情を高ぶらせ、牙を立てるほど理性を失っているのだ。歓喜以外の何が沸き起ころう。
薄暗い歓びに、一瞬だけ本来の様相を取り戻した痛覚神経が改めて書き換えられる。痛みといういのちに関わる信号を認識する場所は、それを快楽と解釈する器官へとすっかり改変された。被虐的な心にぴったりの生まれ変わり方だ。あ、あ、と細い声があがる。肉に歯を立てられ肌を食い破られる痛覚は、この上ない快感として英明だった頭に受容された。
噛まれる最中も腰使いが止まることはない。抜け落ちそうなほど引き、隙間が無くなるほど押し付ける。腹筋浮かぶ固い腹を破らんばかりの勢いだ。逃すまいと噛みつきながら一心不乱に腰を振る様は、交尾をする猫に似ていた。まさに獣そのものだ。
「ぁっ、いッ……や、ぁ! あ!」
皮膚を、肉を、粘膜を抉られる悦びが、身体中を駆け巡る。中からも外からも与えられる強大な快楽は、達したばかりの身体にはあまりにも辛いものだ。碧はビクビクと震え、高く苦しげに喘ぐ。その響きの中には、確かな幸福があった。
ふーふーと荒く激しい息が耳をくすぐる。高ぶりに高ぶった、理性などない獣の呼吸だ。生殖本能を丸出しにした、目の前のつがいを孕ませることしか考えていない雄の響きだ。より深く牙を埋めたのか、痛みが強くなる。それもすぐ、頭の奥を痺れさせるきもちよさとして誤認した。
肩に、首筋に、痛覚を受容する。快楽に変換されたそれが、内部を蹂躙される悦楽とともに神経回路を焼いていく。凄まじい量の快楽信号を叩きつけられる脳味噌には、理性も思考も何もなかった。本能がまま雄を誘う艶声をあげ、本能がままつがいを求め名を呼び、本能がまま欲望に溺れゆく。淫らに乱れる様は、つがいを更に煽るものだ。抽挿が激しくなり、かぶりつく力が強くなる。全て快感を生み出すものだった。食われる悦びに、被食者は歓喜の涙をこぼし続けた。
招き入れる荒らし回る欲の塊が、どちゅどちゅと奥底を穿つ。その度に、内壁は生理反射のごとく蠢き熱を撫で上げた。ただでさえ狭い肚の道が狭まり、ぴったりと侵入者に身を寄せ締めつける。全て無意識の行動だ。食われる雄は、本能由来の淫乱めいた動きで捕食者たる雄を悦びの頂点へと誘った。
ごりゅん。
道の行き止まりが一際強く叩かれ抉られる。全力全身の打撃に、解れきった内肉はぎゅうと食いちぎらんばかりに熱槌を締めつけた。細かな襞が蠕動し、抱き込んだ恋人自身全てを刺激する。ぐぅ、と苦しげな鈍い音が、耳のすぐ隣で聞こえた。
刹那、肚の奥底が熱を持つ。全てを焼き尽くすような熱が、淫猥にうねるナカを舐め回していく。欲望がままに、生殖本能がままに、肚に射精されたのだ――子種を注ぎ込まれたのだ。
「ぁ、はぁ…………」
幸福に染まりきり上擦った声が、だらしなく緩んだ口から吐き出される。舌を絡め合わせるのはきもちいい。内部を暴かれるのもきもちいい。肉に牙を立てられるのもきもちいい。だが、種を植え付けられる悦びは格別だ。欲望で煮詰められた熱が敏感な粘膜を焼く心地は、何よりもきもちがいいことだった。
びゅるびゅると音をたてて獣欲の奔流が内部を侵略していく。からだのうちがわ全てを彼の生んだ白で染められるような心地だ。肚の内、誰にも――愛し人以外の誰にも触れられない場所に、たっぷりとマーキングされる。愛するつがいだと宣言される。なんと幸福なのだろう。熱い吐息が解けきった口から漏れた。
どれだけ情欲に駆られていようと、終焉は訪れる。肚で蹂躙者が脈打ち射精する感触が弱まってゆく。それでも最後のひとしずくまで植え付けようと、兄はカクカクと細かく腰を動かす。入念に精を塗り込められ、身体の内から全てを支配される感覚に、弟は吐息にも似た細い嬌声を漏らす。欲望の証を咥えこんだ潤む洞は、搾り取るように根本から先端まで襞を蠢かせた。淫情の焔で焼け付いた唸りが鼓膜を震わせる。
本当に全て吐き出したのだろう、内部の強い脈動と腰使いが止まる。行為が終わったことを悟り、烈風刀は涙膜張ったままの瞳でぼんやりと天井を眺める。望むがまま好き放題食らわれ、達して尚揺さぶられ、腹いっぱい灼熱を注ぎ込まれた身体は疲れ果てていた。中途半端に開いた口からは、喘鳴にも似た呼吸が浅くこぼれていた。
は、と依然火の灯った呼気が耳をくすぐる。しばしして、首元に立てられていた牙が抜かれた。熱い口内に囚われ唾液をまとったそこが、温度を失い奪われ寒さを覚える。同時に、鈍い痛みがじわじわと広がった。ようやく本来の様相を取り戻した神経回路が、痛覚を正しく脳へと伝えたのだ。何度味わっても慣れぬ疼痛に、形の良い眉が寄せられる。ぅ、と濁った呻きが息整わぬ喉から漏れた。
酷く荒い呼吸が二人分、光差し込むリビングに積もっていく。鍛えられた胸が大きく上下する度、一糸まとわぬ肌を多量の汗が伝う。開きっぱなしの口から、時折艶めいた細い単音がこぼれる。うららかな陽気に似つかわしくない、酷く退廃的な光景だった。
「あー……ごめん、ゴムすんの忘れた……」
呼吸落ち着かぬまま、雷刀は申し訳無さそうに謝る。そこにはもうあの獣めいた響きも熱も鳴りを潜めている。理性ある人間としての様相を取り戻していた。
「何を今更」
わずかに涙をたたえた目を眇め、烈風刀は覆い被さったままの兄を見やる。忘れたも何も、ここは寝室ではない、性に関するものなど一切置いていないリビングだ。そんな場所で衝動がままに事に及んだのだから、そんなものを準備する余裕などどちらも持ち合わせていなかった。そも、受け入れる時点で互いに黙したままだったのだ。合意と同義である。
ティッシュ、と呟きながら朱はテーブルへと手を伸ばす。ソファから落ちないように、楔が抜け落ちないように注意しながら、机上に置いた箱をどうにか手繰り寄せた。何枚か抜き取って重ね、少年は繋がった場所の下に敷く。抜くな、と一言断り、ゆっくりと腰を引いていった。
欲の証を吐き終え柔らかくなった雄自身が、緩慢な動きで体内から去っていく。粘膜と粘膜が擦れる感触に、ん、と鼻にかかった息を漏らしてしまう。身体を満たしていた官能はとうに消えたはずだというのに、淫らな肚は切なげに泣き声をあげた。そんなみっともないものなど、聞かないふりをする。こんな淫乱に構っている余裕も体力も残っていないのだ。
全て抜けた瞬間、ごぷ、と猥雑な音があがる。内部を満たしていた白い種が、隘路を逆流しひくつく孔穴からどろりと溢れ出した。赤く膨れた孔の縁からこぼれ落ちる粘ついた濁液が、上気した身体を白で彩っていく。筆舌尽くしがたいほど卑猥な姿だった。
腹を満たしていた精虫が漏れ出ていく感覚に、碧は眉をひそめる。はしたなく精をこぼす姿を見せるのも、粘つく液体が未だ過敏な肌を伝っていくのも、大切な熱が勝手に抜け落ちていくのも、全ていい気はしない。兄のおかげでソファを汚すことがないのが幸いだ――そも、こんな場所で性行為をするなという話なのだけれど。
「先シャワー浴びてきな。その……ほら、それとかあるし」
腹の内の獣を刺激する光景から目を逸らし、朱い少年はもごもごと言葉を紡ぐ。音には気まずさが色濃く滲んでいた。それはそうだ、己が欲望がままに相手に余計な負担を強いたのだ。たとえ普段は機微に欠ける彼でも気にするに決まっている。
分かりました、と返し、碧い少年は肘を突きゆっくりと身を起こす。こぽ、とまた小さな音があがる。肚にしかと抱え込んだはずの愛しい迸りがどんどんと消えゆく感覚に、小さく息を呑む。堪える音は、まだほのかに甘い響きをしていた。
早くも空腹を訴え始めたけものから逃げるように、視線を横へと逸らす。視界の端に、ベランダに続くガラス戸が映る。常日頃掃除し美しい透明度を保つガラスの向こう側は、依然晴天が広がっていた。
あぁ、空が青い。
畳む
書き出しと終わりまとめ13【SDVX】
書き出しと終わりまとめ13【SDVX】
あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその13。相変わらずボ6個。
成分表示:嬬武器兄弟1/プロ←氷1/識苑+チョコプラちゃん1/ライレフ2/レイ+グレ1
旅路の夜/嬬武器兄弟
あおいちさんには「明日はどこに行こうか」で始まり、「そう思い知らされた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。
「明日はどこ行く?」
何枚ものリーフレットを低い机上に広げ、雷刀は弾みに弾んだ声で問う。片割れを見つめる瞳は窓の外の空に瞬く星のようにきらめいてた。
「そうですね……。一応海へ行くことを考えていたのですが、他にどこかありますか?」
烈風刀は紙上、広く塗られた青を指差す。白い指先の隣には、晴れ空の下輝く海面を映した四角形と細かな文が書かれていた。
「うみ!」
片割れの言葉に、朱はまあるい炎瑪瑙を瞬かせる。復唱する声は酷く興奮し、どこか高く幼くなったものだ。まるきり遠足前の子どものそれだ。
「行きたい! 行く!」
「では、そうしましょうか」
はしゃぐ兄の姿に、弟は柔らかな笑みと言葉をこぼす。やったー、と無邪気な声が和室に響いた。
「あれ? でも水着持ってきてないよな?」
「……え? 泳ぐ気なのですか?」
「え? 泳がねぇの?」
兄弟二人はきょとりとした瞳を交差させる。相手の言っていることが信じられない、と語っていた。
「まだ入るには寒いですよ。季節を考えてください」
眉を寄せる弟に、兄はえー、と唇を尖らせる。漏らす音は先ほどから一転して低くなり、不満を露わにしていた。
はぁ、と溜め息一つ。烈風刀は部屋の隅に置いたスーツケースへと手を伸ばす。開いたそれの中を探り、少し大きなビニール袋を取り出した。ガサと音をたてるそれに、少し細くなった紅玉が寄せられる。
「サンダルは持ってきましたから、足を浸すことは出来ますよ。それで我慢してください」
ほら、と碧は袋からサンダルを二足取り出す。百円ショップで売っているちゃちいものだが、海に足を浸す程度ならば十分に機能するだろう。きちんと分別すれば、旅先で処分し荷物を軽くすることも出来る。ちょうどいい品だ。
「足を浸すぐらいなら気持ちいい水温だと思いますよ。どうですか?」
「……やる!」
サンダル片手に首を傾げ問う烈風刀に、雷刀は元気よく応える。眇められていた目は再び丸く可愛らしい姿を取り戻していた。
「烈風刀、あんがとな」
柔からさを取り戻した声で、朱は言う。奏でる口元はにへらと口角が上がっており、先ほどまで片割れを見つめていた目は虹のように大きな弧を描いていた。満面の笑みとはこのようなものを言うのだろう。
夜空の下咲く笑顔を前に、碧はそっと目を細める。そうだ、この笑みが、この喜ぶ姿が見たくて、綿密に旅程を組んだのだ。頑張って情報を集め、組み込んだ甲斐があったというものだ。
本当に、この笑顔には絶対に敵わない。改めてそう思い知らされた。
終の春/プロ←氷
あおいちさんには「たった5文字が言えなかった」で始まり、「君は否定も肯定もしなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字)以内でお願いします。
たった五文字が言えない。大声で叫びたい言葉は、喉にへばりついたままで音として生み落とされることはない。
当たり前だ、こんなの言えるはずがない。『いかないで』だなんて身勝手な、大好きな人を困らせるだけの言葉をぶつけることなどできるはずがない。そも、己は小心者の意気地無しだ。我が儘を、願いを、乞いを口にするなど不可能である。
「いやぁ、この歳になって花束をもらうなんてねぇ」
ちょっとくすぐったいな、と識苑は笑う。眼鏡の奥の瞳は、言葉に反して喜びが宿っている。教え子達が己の新たな旅立ちを祝ってくれるのが嬉しいのだろう。
「似合ってますの」
頑張った甲斐があったのですの、と隣に立つ桜子は満足げに言う。企画する際、花に詳しい接に相談したのは彼女だ。花を愛でる少女のおかげで、抱えられたそれは華やかながらも素朴な可愛らしさと美しさがあった。
終業式が終わり、離任式が行われた。プロフェッサー識苑と呼ばれ愛される技術教師は、今年度をもって学園を離れる。
新しく研究したいことができた、とは本人の談だ。最新鋭の設備が揃ったこの学園でも、彼の新たな研究には足りないらしい。過去の縁を辿り、海外の研究室に身を寄せるとのことだ。
報を聞いた時の衝撃は忘れられない。忘れられるはずなどない。ずっと想いを寄せている相手が突然目の前から消え去るなんてことを想像すらしなかったのだ。そもできるはずなどない。己は周りの小さな世界しか知らない子どもなのだから。
「研究、頑張ってくださいね」
氷雪はどうにか言葉を紡ぐ。浮かべる笑顔はぎこちない。元より笑顔は苦手なのに、感情を隠し作るのは至難の業だ。胸を悲哀が満たす今なら尚更である。
ありがと、と教師は柔らかな笑みを返す。その瞳がどこか寂しげに見えたのは、きっと気のせいだ。気のせいであってほしい。だって、彼がここに名残惜しさを感じているだなんて思いたくない。寂しがるぐらいならいかないで、なんて身勝手なことを考えたくなかった。
あの、とどうにか足掻いて声を絞り出す。言葉を形にしようと、細い喉が上下する。
「研究が終わったら、また学園に戻ってくるのですか?」
震える唇から、醜く縋る音が生まれた。頭二つは上の月色を見上げる水底色は、細かに震えていた。
識苑はきょとりと目を丸くする。それもすぐに細められ、曖昧な笑みが浮かぶ。緩く弧を描いた口からは、肯定の言葉も、否定の言葉も生まれなかった。
噂のあの子/識苑+チョコプラちゃん
あおいちさんには「私に少し足りないものは」で始まり、「もう遅すぎた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字程度)でお願いします。
「ボク、ちょっと警戒心が足りないかも」
マグカップの縁に手を顎を掛けた妖精はそう呟いて嘆息した。
「いや、話が見えないんだけど。いきなりどうした――」
の、と問いを言い切る前に、凄まじい音をたてて技術準備室の扉が開け放たれる。突如響いた騒音に識苑はびくりと肩を跳ねさせた。
「先生! チョコプラちゃん来なかった!?」
扉を開け放った生徒たちは語気荒く問う。その目は真剣そのもので、己の手の内にいる妖精を強く探し求めていることが一目で分かった。
「え? あぁ、あの子なら――」
視線を下げ、手にしたマグの湖面へと視線をやる。水面から顔を出した少女は、慌てた様子で口元に人差し指を当てていた。お願い、黙っていて、と眼鏡の奥から覗く瞳は必死に語っていた。
「――さっきまでいたんだけど、またどっか行っちゃったみたい」
「そっか! ありがと!」
いないことを証明するように、口元にマグを当て飲むふりをしながら青年は返す。教師の言葉を信じ切った生徒たちは再び勢い良く扉を閉め、盛大な足音を立てて廊下を駆けていった。
「……行ったけど」
「ありがと」
ふぅ、と『チョコプラちゃん』の愛称で親しまれる妖精は疲れ切った様子で息を吐く。こころなしか、溶けて人としての形を崩しているように見えた。
「何かしたの?」
「何もしてないよ。あの子たちが勝手にテストの問題全部知ってるだろ、なんて言って追い回してくるだけ」
識苑の問いに妖精はむくれた様子で返す。そういえばそんな噂があったな、と青年はマグの縁に手を掛け伸びをする少女を眺めながら思い返した。
チョコプラちゃんと呼ばれるこの妖精は、カップの中を気ままに転々として日々を過ごしている。それは生徒間でも有名な話である。そして、学園内で中身の入ったカップが一番多いのは職員室だ。職員室に自由に入ることができる――つまり、テストの問題を盗み見ることなど造作無い、と誰が最初に言い出したのだろう。広がる憶測に生徒たちは噂するのだ。チョコプラちゃんはテストの問題全部知ってる、と。
「……見てないよね?」
「見ないよ、興味無いし。それに見たって全部覚えるなんて無理でしょ?」
訝しげにカップの中身を眺める識苑に、妖精は頬を膨らませる。彼女の言う通りだ。つまり、噂は噂でしかない。
「テスト前だしもうちょっと警戒するべきだったなー。いつも通りカップに入ってたらいきなり捕まえられそうになったから驚いたよ」
はぁ、と白い妖精は今日何度目かの溜め息を吐く。しつこく追いかけ回されいつも以上に容器の中を移動してきたのだろう、湖面に沈みぷくぷくと泡を吐く姿は疲弊したものだ。
「先生、匿ってくれてありがとね」
「いいよ、これぐらい」
薄い笑みを浮かべ、妖精は礼の言葉を口にする。教師はひらひらと手を振って応えた。カップの中身を隠すぐらい、感謝されるほどのことではない。
じゃあまたね、と手を振り、白い体躯が黒い水面へと沈み行く。ぽちゃん、と小さな音が静けさを取り戻した技術準備室に落ちた。どうやら彼女はどこかへ帰ったようだ。
騒々しさが過ぎ去り、識苑はふぅと息をこぼす。改めて飲みかけのマグを口元に運んだ。
「…………あ」
コーヒーを口に含もうとした瞬間、青年は声を漏らす。このマグにはつい先ほどまでチョコプラちゃんが入っていた。そして、彼女が入ったマグカップの中身は必ず甘く染め上げられるのだ。
あぁ、どうしよう。眠気を消し飛ばすような濃いブラックを好む男は、苦々しく目を細めマグの中身を見る。もう全てが遅すぎた。
一歩ずついきましょう/ライレフ
あおいちさんには「少しだけ期待していた」で始まり、「また一から始めよう」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字)以内でお願いします。
少しだけ期待していた。
夜で、二人きりで、隣に座り合って。しかも偶然手と手が触れ合うなんてことがあったら、期待してしまうに決まっている。恋愛漫画ならきっと大きな展開が起こる場面だ――自分たちに起こったのは、大仰な身振りで手を引っ込めるなんて間抜けなことなのだけれど。
「ご、め」
や、謝ることじゃないか、うん、あぁ、えっと、ごめん。矢継ぎ早にまくしたて、雷刀は俯く。先ほどまでかちあっていた朱は、今は膝の上に握った己の手を見つめていた。見える横顔、その頬と耳は赤い。きっと、己も同じ様相をしているだろう。同じ部分が熱を持っていた。
長年の思いを通わせ付き合い始めたのが一ヶ月前。あれだけ触れ合っていたというのに、交際を始めたというだけで近づくことは減ってしまった。それでも欲求は消えることがない。互いにどれだけの間想いを募らせてきたというのだ。ようやく特別な位置に立ち、特別なことが許される場所にあるのだ。触れ合うこと――恋人らしく、手を繋いだり、口付けをするなんてこと、夢見てしまう。
そんな甘やかな夢を見れど、実行に移すことはない。兄弟共々、こういうところは奥手なのだ。
だから、口付けなんてずっと遠い場所にあるもので。でも手を伸ばしたいもので。掴みたいもので。
「あ、の……」
発した声は掠れていた。喉が渇く。心臓が痛む。手が震える。身体は恐怖と緊張に怯え固くなっていた。
はしたないと嫌われる恐怖はある。自ら求めに行く緊張もある。けれど。けれども。
みっともないほど細かに震える手を伸ばす。すぐ隣、ぎゅっと縮こまるように閉じられた太股、その端に指で触れた。
ビクン、とくたびれた服に包まれた肩が跳ねる。ひゅ、と息を呑む音。まるで油が切れた機械のような動きで首が動く。まあるい紅玉と再び視線が重なった。
「えっと……、その、触るの、嫌ですか……?」
問いは乞いだった。嫌われませんように、と祈りを捧げながら言葉を紡ぐ。へ、と上擦った音が犬歯覗く口から漏れ出た。
「い、やじゃない。嫌じゃない――触りたい」
赤々とした唇が欲望を音にする。同じ欲求を抱えていたという事実に、安堵が胸に一滴落ちる。同時に、喜びが広がっていった。
真剣な面持ちへと変わった恋人を見つめ、碧はふわりと笑む。安堵と緊張と恐怖と、多大なる幸がそこにはあった。
「では、一からやってみましょうか」
本能に勝てる日など来ないのだけれど/ライレフ
葵壱さんには「言葉が見つからなかった」で始まり、「君が目覚めるまでは」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以内でお願いします。
あまりの惨状に言葉が見つからなかった。
隣で眠る碧の顔は穏やかなものだ。昨晩のどろどろに溶けた翡翠は瞼の奥に隠れ、今は見えない。眠りの底に沈んだ彼は、しばらく起きることはないだろう。
問題は顔より下、首や肩だ。農業に精を出すも日焼け対策がばっちりな恋人は白い肌をしている。澄んだ白であるものの、不健康さは感じさせない。鍛えられた身体も相まって、健やかな印象を与えた。
そんな美しい白の上には、いくつもの赤が散っていた。短い線が半円形に並ぶそれは深く、痛々しい印象を与える。日常で見ることなどないような形の傷跡がいくつも散る様は異常だ。
その痕の犯人が己であることは明白だ。何しろ、己には噛み癖があるのから。
情事の際は理性が消し飛ぶことがほとんどだ。獣めいた衝動に支配される己は、いつも目の前の肉体に噛みついてしまう。なだらかな首元にのけ反り露わになった喉元、まろい肩口。衣服というベールから解き放たれ晒された場所へ、牙を立て傷を残す。獣欲に支配された己は、愛しい人に痛々しい赤い痕を散らせてしまうのだ。
あぁ、どうしよう。朱は髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。痛みを与えるだけでも十二分に酷いというのに、文字通り傷を付けるなど最低である。けれども、毎度本能に支配された身体は欲望に身を任せてしまうのだ。最低である。
眉根を寄せながら、逞しい身に散る赤を指でなぞる。瞬間、支配欲が腹の奥底から湧き上がった。どろりとしたそれは身体を駆け上がり、心を満たす。暗いそれをぶんぶんと頭を振って振りほどいた。
ごめんなぁ、と呟き、枕に沈む浅葱の頭を撫でる。自己満足でしかないが、これぐらいの罪滅ぼしはさせてほしかった。せめて、愛しい彼が目覚めるまでは。
冬の帰り道、世界へと進む道/レイ+グレ
葵壱さんには「ぬくもりを半分こした」で始まり、「それは優しい呪文」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字程度)でお願いします。
手にした温もりを半分こにする。丸かったそれは少し力を入れるだけで割れ、ふわりと湯気を漂わせた。
「はい」
「ありがとうございマス! コレ、グレイスの分デス!」
ニコニコと笑う姉に半分に割った肉まんを渡す。元気な礼と共に、同じく半分になったピザまんが渡された。いただきマス、と元気な声。はふん、と生地にかぶりつく音。美味しいデス、と満足げな声があがった。
「最初から肉まんもう一個買った方がよかったんじゃない? 貴方それじゃ足りないでしょ?」
「たっ、足りマスヨ。それニ、ご飯前に二個も食べちゃダメデスシ」
グレイスは不思議そうに問う。両手に中華まんを抱えたレイシスは、少し慌てた調子で返した。明らかに裏に何か隠しているのが分かる。きっとダイエットでもしているのだろう、と考え、躑躅はふぅんと気の抜けた声で応えた。
いただきます、と呟き、一口かじる。柔らかな皮と少し固い肉の食感、続けてジャンキーな強い味が舌を強く殴った。コンビニで売っている一般的な中華まんだ。時折セールが行われるそれは、帰り道の買い食いにぴったりだった。
「ピザまんも美味しいデスヨ!」
姉は妹にキラキラとした視線を送る。本当に美味しいのだろう、手の内にある赤と黄で中身が彩られた中華まんは、もう残り三分の一ほどになっていた。
一度に二つも食べることは出来ない。けれども、彼女の言葉に惹かれるのは事実だ。少し行儀が悪いけれど、ともう片手に持ったピザまんを一口かじる。今度は肉とともにトマトと香辛料の風味が広がる。少し口を引くと、チーズの細い橋が生地と口にかかった。急いで噛み切り、細く垂れたものをどうにか口に入れる。はしたなさに、ふくふくとした頬がわずかに赤らんだ。
「今日もナビゲートお疲れ様デシタ」
既に中華まんを二つとも食べ終えたレイシスは、隣を歩くグレイスに労いの言葉と笑顔をかける。ふ、と妹は細い笑声を漏らした。
「貴方もお疲れ様。アップデートの準備、大変でしょ? ちゃんと休みなさいよ」
鮮やかな色で彩られた世界は、次の世界へと変わる時期を迎えた。最近はその準備とナビゲート業務でいっぱいいっぱいだ。
「グレイスコソ、ちゃんと休んでくだサイネ? 慣れてきた時こそ危ないんデスカラ」
美しい曲線を描く頬を膨らませ、レイシスはむくれた調子で言う。はいはい、とグレイスは軽くあしらう。また肉まんを一口。疲れた身体に塩っ気が染み渡っていく感覚は格別だ。
「……大丈夫かしら」
新しい未来への期待はある。けれども、同じほど不安もあった。新しい世界へ向かうのは、いつだってそのつと一緒だ。けれども、今回は世界自体に大きな変化が訪れるのだ。後者に少し天秤が傾いてしまう。
「大丈夫デスヨ」
呟く声は静閑な夜の中、薔薇色の少女に届いたようだ。ふわりと愛おしげに目を細め、柔らかで温かな言葉を紡ぎ出す。そこには絶対の自信があった。
世界の根幹に大きく関わる彼女だ、抱える不安は己以上だろう。それでも、こんなにはっきりと『大丈夫』と言い切ることが出来る。その強さをよく感じさせる姿だった。
大丈夫デスカラ、と少女は今一度繰り返す。歌うような、語りかけるような、なめらかな響きをしていた。同時にはっきりとした芯も感じる。確信めいた音をしていた。
その言葉は、声は、音は、全て優しく強い呪文のように思えた。
畳む
神として在らんことを【神+十字】
神として在らんことを【神+十字】
五月十日はGottの日!
ということで神様と十字さんの話。足し算のつもりで書いたけど向ける矢印の重さが腐向けのそれな気がしてならない。ご理解。
神様ってなんだろうねって話。
深い水底に沈んでいたものが、うっすらと自我を取り戻していく。身を包む黒く温かなものを振り払い、世界を認識する機能は光差す水面へとゆっくり浮かんでいった。
色の薄い瞼がひくりと揺れる。いくらかの動きの後、若草の睫でステッチされた白い帳が持ち上がった。透ったそれの向こう側から姿を現した浅葱は、眠気にけぶりぼやけた色をしていた。
カーテンの裾から差す陽光が視覚を刺激する。ガラスの向こうで鳴く鳥の高い音が聴覚を刺激する。小麦が焼ける甘くも香ばしい匂いが嗅覚と起き抜けの胃袋を刺激した。
あぁ、もう朝か。ようやく世界を再認識し、青年は指でまだ重苦しい目元をこする。肌と肌とが擦れ合う触覚が、ぼやける視界と意識を少しずつ晴らしていった。
あれ、と常の聡明な動きを取り戻せずにいる脳が疑問符を浮かべる。陽の光は新たな朝を迎えた証だ。鳥たちの高い囀りも、日が昇ったという証左だ。では、この胃袋をくすぐり覚醒へと至らす香りは何だろうか。普段目覚める時、こんな香りがすることはない。キッチンに立っている時や皆で食事をするときに味わうそれが、何故ベッドの上で微睡む今伝わってくるのだ。寝起きで解くにはなかなかに難しい謎である。
しばしの空白、睡魔に足を取られ動きの鈍る頭がひとつの仮説を唱える。まさか。いやそんなことは。胸中で否定を繰り返しながら、蒼は急いで起き上がり隣を見る。いつもならばそこに散らばる鮮烈な緋色はどこにもない。あるのは、綿いっぱいの白い枕一匹だ。
起き抜けの頭を焦燥感が塗り潰していく。投げ捨てるように布団から抜けだし、青年は転げ落ちるようにベッドから飛び出て部屋を出る。バタバタと彼らしくもない忙しない足音は、一直線にダイニングへと向かっていった。
勢い良くダイニング、そしてキッチンへと続く扉を開く。盛大に響いた音に、窓際、調理台の前に立った黒い肩がびくりと跳ねるのが見えた。動揺を露わに、慌てた調子で細い身が翻る。ふわりと揺れる赤の向こう、丸く瞠られた紅水晶の中に、焦りでふるふると揺れる藍水晶が映し出された。
「あぁ、おはよ」
視界に飛び込んできた色に、紅は見開いた目を柔らかく細める。朝の挨拶を歌う口元は穏やかに解け、奏でる音色は愛おしさに満ちていた。愛する者の下に新しい朝が訪れたのを祝福する響きだった。
「……おはようございます」
機嫌の良さそうな敬い奉るべき者の姿に反し、唯一の信者はぐっと眉根を寄せる。しかめられた顔も、詰まったように一拍置いて返す声も、どちらも酷く気まずそうなものだ。当たり前だ、己の寝坊が原因で信仰対象に朝食を作らせるなどという事態を起こしたのだ。後悔に苛まれ、罪悪感に心が刺し貫かれるのも必然である。
「タイミングいいな。ちょうど飯できたとこだ。食おーぜ」
手にしたトングを軽く振り、紅い神は弾んだ声と弾ける笑顔を向ける。眩しいほどのそれがまた蒼い青年の罪悪感を煽った。槍となった暗い感情が、グサグサと小さな心を突き刺す。痛みが表情に出ていたのだろう、目の前の明るい表情が不思議そうなものへと移り変わった。
「どした? まだ眠い?」
調理器具をまな板の上に置き、紅は大股でドア、そこに立ち尽くす蒼へと向かう。そう広くない室内では、ほんの数歩進んだだけで二人の距離は触れそうなほど詰められた。
普段は黒いグローブに包まれた手が持ち上げられる。寝癖ついてら、と大きなそれが少し跳ねた花緑青を撫でる。声も眼差しも手つきも、どれも親が子に向けるそれとまるきり同じだった。
「あ、ぁ、いえ、何でもありません」
きゅるりとした瞳でこちらを覗く彼に、焦った調子で言葉を繕って返す。ようやく眠気の霧が晴れたターコイズの瞳は、ゆらゆらと揺れていた。依然残る後悔と罪悪感、幼子のように扱われる羞恥と心地よさがぐちゃりと混ざって胸を染める。うぅ、と子どもじみた音が喉から漏れ出た。
「まぁ、いつもより早いもんな。眠いのも当たり前か」
そう言って、柘榴石が壁へと向けられる。同じ動きをした孔雀石に、丸い掛け時計が映し出された。
十二の文字が書かれた文字盤、その上を歩く針は、普段の起床時間よりも二十分は早い時刻を指し示していた。いなくなった紅に慌てふためき時計など見ていなかったが、どうやら休日なのに随分と早起きをしたらしい。それ以上に神を早く起こし、あまつさえ一人で料理などさせたという事実が新たな槍となり胸を刺した。
「冷めちまう前に食おーぜ。顔洗ってきな」
若芽芽吹くくさはらのような頭を撫で梳かす手が滑り、流れるように頬を撫ぜる。すり、と柔らかな肌を固い指がなぞった。直接の温もりはすぐに過ぎ去り、ぽんぽんと薄い寝間着に包まれた肩が叩かれた。
はい、と返す声は己でも驚くほど沈んでいた。しょぼくれている、と言った方が正しい音色だ。これではいじけた子どもではないか。あまりの幼稚さに、ぅ、と苦々しい音が喉から落ちた。
逃げるように足早に洗面所に向かい、乱雑に顔を洗う。早くせねば、せっかくの料理が冷めてしまう。作らせた上に待たせ、冷え切った悲しい食物を摂らせるなんて事態は絶対に避けねばならない。端が濡れた前髪を拭うことも忘れ、蒼は再び廊下を忙しなく走り、もつれるように着替えを済ませてダイニングへと戻った。
狭い室内、その隅に置かれた二人掛けのテーブルの上には、四枚の皿と二つのカップが並べられていた。丸く白い磁器二枚には、焼かれた食パンが丸一枚ずつ載っている。残りの二皿には、焼かれたベーコンと野菜が盛られていた。同じく汚れない白の容器の中に入った液体は薄黄金色で、小さな野菜の欠片が浮いている。昨晩作ったスープの残りだろう。
どれも、己が本当に時間を惜しんだ時に作る簡素な朝食と内容が同じだ。時折調理中に手元を興味深そうに覗いてくることがある彼のことだ、きっと一番簡単なこれを真似たのだ。買い出しを直前にしていた今日は食材の残りがあまりなく、選択肢自体が少なかったこともあるだろう。
「これぐらいしかできなくてごめんな?」
「い、いえ。そもそも、貴方に料理させること自体間違っているのですから」
申し訳なさそうに眉を八の字に下げる神に、青年はすみません、と謝罪の言葉を返す。途端に、目の前のルビーが鋭く細まった。八重歯がチャームポイントの口元はまっすぐに引き結ばれ、シャープな輪郭を描く頬が幼い子どものように丸く膨らむ。不満がありありと分かる表情だ。
「たまにはこういうことやらせてくれよ。楽しそうなんだし」
ほら座れって、と紅はすっかり自身の定位置となった席に腰を下ろす。その向かい側、一人きりの頃から使っていた席に蒼も座った。
「あったかいうちに食ってくれよ。頑張って作ったんだしさ」
へらりとはにかみ、神は願う。記憶が正しければ、彼が一人きりで料理をしたのはこれが初めてだ。手先が器用なのは知っているが、たった一人で全てをこなすのは多少なりとも苦労はしただろう。頑張ったのは本当のことであるのは分かりきっていた。
それを無駄にすまい。してはいけない。ふるふると軽く頭を振り、青年はではいただきます、と小さく頭を下げた。
きつね色というにはいささか濃い色味をしたトーストに手を伸ばす。外見から想像された通り、掴んだ縁は普段己が焼くそれよりもいくらか固い。口を開き、行儀良くかぶりつく。パリ、と小気味よい音と香ばしい匂い、固い舌触りと少しの苦みが五感を刺激した。顎を動かし、しっかりと咀嚼する。小麦の甘さの中に焦げた苦みは混ざるものの、美味しい部類に入る。初めて一人で作ったことを考えると、十二分な出来だ。
香ばしさがよく表れたトーストを噛み締めつつ、苔瑪瑙が向かい側の炎瑪瑙をちらりと窺う。相手も、もごもごと大きな口を動かし食パンを口にしているところだった。自ら手製の料理を見るまなこは不可思議そうに丸くなっている。舌を撫ぜる苦みの原因を理解できないのだろう。『焦げ』の概念をあまり知らない彼にとって、パンとはいつだって甘くて香ばしくて美味しいものなのだから。
随分と人間臭くなったものだ、と蒼はそっと目を伏せる。出会った頃は食事なと不要、捧げ物の食物など不要、気にするな、と笑い飛ばしていたのに、今では誰よりも食を楽しんでいる。もちろん、街の人々や暮らす仲間たちの前で『人間』に擬態するための行動でもある。しかし、最近では子どもたちと一緒に料理をするほど、料理する己の手元を楽しげに眺めるほど、やりたいと積極的に手伝いをするほど、味覚を刺激するこの文化に強い興味を示していた。
いいのだろうか。何かが問いかけてくる。悪くはないだろう、と何かが答える。良くもないだろう、とまた別の何かが反論した。
「……まずかった?」
「へ?」
「だって食わねーでずっとこっち見てるし……」
対面から飛んできた声に、青年は少し裏返った声を返す。思考の海に沈んでぼやけた視界にピントを合わせる。目の前におわす神は、不安げな表情を浮かべていた。眉尻は下がり、きらめくガーネットはほのかに陰っている。漏らす声はしょんぼりとしたものだ。
「そんなことありませんよ」
これ以上気落ちさせまい、と慌てて否定する。確かに少し焦げてはいるものの、まずいなんてことは欠片も無い。今まで見てきただけ、料理初心者が作ったにしては上出来な仕上がりであった。
「美味しいですよ。ありがとうございます」
ふわりと笑い、青年は焼かれたにんじんにフォークを立てる。少し厚いそれを運んで一口。表面に黒がポツポツと浮かぶ橙は、中まで火が通っておらず少し固かった。根菜の火通りの確認は難しいから、と心の中で叫ぶ。初心者に十分な火の管理を任せるだなんて無茶である。焼いて食べやすくしようとしただけでも十分な気遣いだ。そも、崇拝する神が作ったものに文句を言うことなど許されない。
美味しい、と安心させるようにもう一言。手が進んだのもあってようやく安堵したのだろう、ほっと息を吐く愛おしい色が視界を彩った。
緩やかな会話の中、二人は食事を勧める。対面の皿が一枚空っぽになった頃、八重歯覗く赤い口がなぁ、と問いの音を奏でた。
「今日って洗濯以外になんかやることあったっけ?」
「そうですね……天気がいいですし、掃除して換気もしましょうか」
「分かった」
用意しとく、と言って、紅はベーコンにフォークを刺す。よく焼かれた薄いそれは、軽い音をたてて割れた。破片をどうにか銀の上に乗せそっと口元に運ぶ姿に、思わず笑みがこぼれた。
本当ならば家事の手伝いなどさせたくない。何しろ、相手は神様である。そんなことをさせるなど、不敬以外の何物でも無い。しかし、それが神たっての希望ならば話は別だ。望むものをただが人間一人の利己的感情で曲げ捧げないのも、また不敬であった。
カラトリーの小さな合唱が途絶え、二人分の食器が空になる。片付けは僕がしますね、と蒼は先んじて立ち上がり、机上の食器を重ねて回収した。きょとりと丸くなった緋色がしばし泳ぎ、分かった、といくらか不満げな響きが混じった声が返される。どうやら後片付けまで自分で済ませるつもりだったようである。さすがにそこまでやらせるわけにはいかない、と青年は手早く机上を片付けた。
重ねた皿をシンクに運び、置かれたままになっていた調理器具とともに洗っていく。パンくずや油が付いた食器類は、水と洗剤によって綺麗に磨かれ元の姿を取り戻していった。
本当にこれでいいのだろうか。流れる水をぼんやりと眺め、蒼は宙空に問う。ここまで人間臭い生活をさせていいのだろうか。こんな、人間そっくりの生活をして、彼は神で在ることができるのだろうか。願いを叶えるだなんて言い訳をして、己がかの神をヒトに堕としているのではないか。
様々な疑問が脳内を巡る。疑問というにはいささか語気が強く、責め立てるものだった。答えのないそれが、脳味噌を、心を殴っていく。言い返せない惨めな己は、蹲り丸くなって逃げることしかできなかった。
彼はニンゲンの生活を楽しんでいる。『ニンゲン』らしさを謳歌している。神でありながら、ヒトを楽しんでいる。それは、本当に幸せと言っていいのだろうか。
「クロワー。準備終わったー」
正面、窓の外、庭から大声が飛んでくる。まさしく今思い浮かべていた存在が奏でる音だ。どうやら、考え事をしている間に洗濯の用意ができたらしい。ガラス挟んで向こう側の紅は、洗濯道具を抱えこちらに手を振っていた。
「今行きます」
窓を少し開けてしっかりと聞こえる声で返し、青年は急いで食器をすすぐ。真っ白な磁器には、もう何の色も残っていなかった。
視界を塗り潰す眩しい青の中、白がいくつもはためく。風に吹かれて揺れる様は、空を流れる雲にも似ていた。今日は青色一色の蒼天なのだから尚のことそれらしく映った。
「つかれたー……」
疲弊した声が地から上る。紅色は、大きな洗濯かごにもたれかかるように屈んでいた。あー、と濁った声がうつ伏せた真っ赤な頭からあがる。丸い穴に声をあげる姿は、童話のワンシーンを思い起こさせた。
数日ぶりの洗濯で量が多かったこともあるが、あまりに張り切り一人でたくさんこなそうとしたのが普段以上の疲労の原因であろう。数えきれぬ年月を過ごしてきた存在だというのに、かの者は時折子どものように力配分を見誤るのだから不思議だ。長い眠りから覚め、触れる新たな世界にはしゃいでいるのだろうか。それこそ、子どものように。
「休んでいてもよかったのに」
「二人でやった方がはえーじゃん。効率効率」
からかいにも似た苦笑を漏らす蒼に、紅は歌うように答える。そうですね、と返し、青年は洗濯ばさみが入った箱を手に取った。本当に効率を求めるのならば、洗濯する者と家の掃除をする者で分担するのが最適解だということは黙っておく。そもそも、それを知っていて二人で洗濯することを選んだ己も大概なのだ。
「掃除の前に一旦休憩しましょうか。紅茶でも淹れましょう」
蒼の言葉に、洗濯かごの中に突っ込むように伏せていた頭がバッと上がる。やった、と大きな口から可愛らしい声があがった。姿勢悪く屈んでいた黒い身がすくりと立ち上がる。腕には今の今までもたれかかっていた大かごが抱えられていた。片付け茶を嗜む準備万端である。
「あっ! こないだ子どもらと作ったクッキー残ってたよな? あれも食おう!」
ピンと指を一本立て、神は朗らかな笑みを浮かべる。青空の下つやめく翡翠を見つめる瞳は、名案だ、というようにキラキラと輝いていた。
「……そうですね」
そうしましょう、と返す声に、やったー、ともう一度歓喜の声が上がる。待ちきれないとばかりに、紅は家の方へと真っ先に駆けていった。厳ついブーツに包まれたしなやかな足が、ザッザと音をたてて若い葉を散らす。風に吹かれ、蒼天に細かな新緑が上った。
紅茶にクッキー。子どもたちとよく共に食べるそれを、彼はいっとう好んでいた。特に、先日年長の子らと一緒に作ったクッキーはよほど美味しかったようで、まさしく夜空の一等星のように瞳を輝かせていたことを覚えている。湿気らないように厳重に保管しながら、一枚一枚大切に食べているほどだ。
子どもたちと共に食を楽しんでいる。
ヒトと共に食を楽しんでいる。
ヒトのように食を楽しんでいる。
ヒトのように暮らしている。
本当に良いのだろうか。また何かが同じ問いを重ねる。本当に、このまま彼はヒトのように過ごしていいのだろうか。ヒトらしく生きていいのだろうか。
いいのだ、と心の中で呟く。ヒトとの暮らしを忘れてしまうほど長い眠りから目覚めた彼が、こんなにも楽しそうに暮らしているのだ。どこに問題があるのだろう。ヒトじみているのが何だ。こんなちっぽけなニンゲンとの暮らしを、愛慕うべき存在が楽しんでくれている。崇拝すべき存在を楽しませている。それの何が悪いのだ。神という万物を超越した存在だけれども、生を謳歌することに悪いなんてことは一切無い。無いはずなのだ、と胸中で何かが叫び声を上げた。
そうだ、崇め奉るのだ。敬い愛すべきなのだ。そうすれば、彼は存在することができる。それが己ただ一人であろうとも、彼を『神』と観測する者がいれば、彼は『神』で在ることができるのだ。
大丈夫。大丈夫。青年は小さく頷く。それは小さな子におまじないの言葉をかける時のそれとよく似ていた。
クロワ。
愛おしい神が矮小なニンゲンの名を呼ぶ。洗濯かごを脇に抱えた紅は、早く早くと言わんばかりに家の戸の前で大きく手を振っていた。
今行きます。
穏やかな声で返し、蒼は身を翻す。 存在を望む者の下へと、軽やかな足取りで駆けていった。
家の外、陽光燦々と降り注ぐ庭には、いくつもの白がはためいていた。
畳む
幕間、躑躅と浅葱【レフ+グレ】
幕間、躑躅と浅葱【レフ+グレ】
アザレアの使命篇、MixxioN選択画面の台詞的にレイシスちゃん全員倒してここまで来たんだなーと考えた結果出来上がったこれの続き的なもの。捏造しかないよ。
烈風刀とグレイスの組み合わせ好きなんすよね(2回目)
フィールドに細かな光が瞬いては消えていく。輝きが生まれる度、金属と金属が擦れ合う音が蒼天へと昇った。光と音を伴う鮮やかな剣戟が繰り広げられる様に、ワァ、と数多の高揚した声が空間を満たした。
場内を一望できる特等席――出場者待機所上部に設けられた観覧席、その欄干に両腕を突けて乗せ、烈風刀は剣と鎖が交わり合う競技場を眺める。姿勢悪く背を曲げ力なくもたれかかる姿は、いつだってしゃんとして過ごす彼らしくもないものだった。
碧の表面を白が、桃が瞬く。常は澄んだ川底色の目は、覇気無くぼんやりとしていた。愛する少女が全身全霊で闘っている最中だというのに、その手に汗握る風景を映し出す水宝玉はどこか膜を張ったようにぼやけて見えた。
「あら。レイシス、勝ったのね」
後方から声。普段と変わらず余裕たっぷりのそれに、少年は首だけで振り返る。わずかに伏せられた若葉の中に、鮮やかな躑躅が飛び込んだ。
観覧席の出入り口の脇、支える柱に背を預けたグレイスは、唇に指を当てふふ、と笑みをこぼす。言葉に反し、奏でられる響きとゆるりと細められた瞳は確信めいた色を灯していた。
世界が変わってからは白とチェリーピンクの衣装で華奢な体躯を彩る彼女だが、今日は全く違うものになっていた。
髪をまとめる役割も果たす角のような黒のヘッドギアは、薄く鋭利なものになっている。時折現れては消えていくEVIL EYEに似た形の装飾が、巻角のように後頭部から前へと侵蝕していた。
鮮やかな桃が白い肌を引き立てていた首元は、漆黒のギアで守られている。中央部が青白く光る様は機械めいた印象を与えた。
黒のフリルがあしらわれた胸元、つやめく鴇色で飾られた細い身は、今日は黒一色で彩られていた。エナメル質の輝きを宿す三角形の布地が、腹の横から覆うように彼女の身体を包む。まるで白い肌を黒い牙が食らおうとするようだった。
さらけ出された足回りは、頑強な装甲が守っていた。光を吸い込む黒と目に痛いほどのピンクのそれは、無骨ながら格好良さを醸し出している。腰を中心に何枚も広がる様は、花が咲いているようだ。
こちらに来た頃に比べて随分と健康的に色付いた肌には、黒い線が何本も走っている。頬、デコルテ、鼠蹊部、太股を侵蝕するその色は、彼女の柔肌にアクセントを加えスタイリッシュな印象を与えた。
慎まやかな胸元、幼く浮き出る肋、柔らかな白い腹、少し肉付きがよくなった太股を惜しげも無く晒す衣装は、重力戦争時代の彼女を彷彿とさせた。
MODE:Extarmination。
それがグレイスが身にまとう、今日のために作られた新たなる武奏だ。『駆除』を意味するこの武奏は、まさに何もかもを破壊し殲滅する様を容易に想像させる凶悪さを放っていた。
「あなた、レイシスと闘うのは初めてだったわよね? どうだった?」
不遜な眼差しで目の前の少年を射抜き、少女は愉快げに問う。そこには多大なる好奇心が浮かんでいた。
本日はヘキサダイバーにてバトル大会が行われていた。参加者は主催者であるグレイスを含め七名。対する挑戦者は、レイシスただ一人だ。休憩を挟む一対一の一本勝負とはいえ、一日で七人も相手取る試合形式は厳しいものである。だが、そうでなければならないのだ。この大会は躑躅の妹曰く『最近なまってる』あの薔薇色の姉を鍛え直すために企画されたのだから。
大会の記念すべき初戦、レイシスにとって今日初めての対戦相手は長年共にしてきた烈風刀だった。重力戦争時代、二人は一度対立したことがある。しかし、その時少年が直接剣を交えたのは恩師と兄だけだ。運が良いのか悪いのか、今までアリーナバトルで闘う機会も無かった。幼い主催者の言う通り、碧と桃が直接ぶつかり合うのは今回が初めてだ。
振り返っていた首を緩慢な動きで戻し、碧は再び広いフィールド――その真ん中で闘う愛おしい少女を見下ろす。繰り広げられる熱戦を前にしても、翡翠の瞳は依然ぼやけたままだ。
「強かったですよ」
興味津々といった様子の問いに――敗者にかけるには意地の悪い問いに、少年はただ一言だけ返す。先ほどまで闘っていたとは思えないほど冷めた平坦な音色をしていた。
「それだけ? もっと他にないの?」
「ありませんよ」
きょとりと目を瞬かせ、どこか気の抜けた様子で少女は問いを重ねる。返されるのは依然穏やかで短い言葉だ。面白みの欠片も無いそれが不満なのだろう、マゼンタの瞳はじとりと細められ、柔らかな頬がぷくりと膨らんだ。
「『強い』としか言えません。それぐらい、圧倒されてしまった」
ふ、と碧の少年は溜め息にも似た呼気を漏らす。細いそれには、悔しさがはっきりと滲んでいた。
護るべき存在だと思っていた。護られるべき存在だと思っていた。
かといって、か弱いなどとは決して思ってはいない。むしろ、己よりもずっと力を持った者だということははっきり分かっていた。ただ、己はその強さを漠然としか理解していなかったことを、己の力など到底及ばない存在であることを、嫌というほど思い知らされたのだ。
レイシスが剣を握り操り始めたのは、世界が新しくなってからだ。経験は浅いはずだというのに、闘う姿は数多のバトルを重ねてきた勇士のようなものだった。試合序盤は己の遠距離からの狙撃にはわはわと慌て隠れていたものの、しばしして物陰から跳びで駆け出した少女の立ち振る舞いはまっすぐで、愚直なまでに対戦相手を――烈風刀を見つめていた。試合経験少なく、銃への対抗手段もろくに知らない彼女には物陰に隠れスナイパーライフルを扱う己などなかなか捕捉できないだろうに、そのラズベリルの瞳は確かに倒すべき相手を見据えていた。
飛んでくる銃弾を素早く避け、時には真っ白な刃で跳ね飛ばし。そうしてついにこの懐に飛び込み得物を振るった彼女に圧倒されてしまったのは、紛れもない事実であった。
長い間剣を扱い闘ってきた碧から見て、桃の振る舞いはまだまだ荒削りだ。それでも、二振りの剣を操るその姿は輝きに溢れていた。原石とは彼女のような者を言うのだろう。それも、磨けば凄まじい光を放つ美しい宝石の。
全力を出すべき相手であることは理解していた。だから、全力を出して、アリーナバトルを重ね確かな扱いと信頼を得たこの武器を選んで挑んだ。そして、負けたのだ。普段ならば晴れ晴れとするこの胸から、未だに強い悔しさと歯がゆさがはっきりと溢れ出、侵蝕するほどに敗北を喫したのだ。
ふぅん、とグレイスはつまらなそうに漏らす。その音は依然不満げだ。けれども、どこか楽しさを孕んでいるようにも聞こえた。
「すっかり腑抜けてると思ったけど」
「闘ってみれば嫌でも分かりますよ」
黒いアームカバーに包まれた腕を組んだ彼女を見やり、烈風刀は笑みをこぼす。穏やかな色をした目には、自嘲の念がうっすらと膜張っていた。
重力戦争が終結して数年、レイシスはすっかり闘いから身を引いていた。アリーナバトルは何度かやっていたようだが、あれは結局スポーツで一種のアトラクションでしかない。彼女はあの日々が嘘のように闘いと無縁の生活を送っていた。その姿を隣でずっと見ていた妹だからこそ、そう思ったのだろう。先のヘキサダイバー内で起こった事件も相まって、『腑抜けてる』なんて評価を下したのはいつだって闘いに身を置く彼女からすれば当然だ。
けれども、今日相対した薔薇色はそんなことなど毛ほども思わせない様相だった。腑抜けたなんて到底思えないような、そんな言葉なんて欠片も浮かばないような、確かな腕をしていた。むしろ、更に強くなったのでは感じさせるほどだ。
「まっ、レイシスがどうであろうと最終的に勝つのは私だけどね!」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らして躑躅の少女は謳う。高らかなそれは、自信に満ち溢れたものだった。己の力を全く疑っていない、相手の力を認めつつも圧倒的に捻じ伏せてみるという気概をはっきりと感じさせるものだった。実に彼女らしい。
「……どうでしょうね」
「何? 私が負けるって言いたいの? この武奏で?」
呟くような声をしっかりと拾い上げ、少女は少しの怒気を滲ませた声を重ねる。チャキリ、と軽い金属音。視線をやると、どこからか取り出した二丁の銃を構えこちらへと向けていた。常日頃扱うそれより大ぶりで銀色の刀身が付いた、攻撃に特化したものだ。対レイシスのためだけに用意したのだろう。愛銃に比べればまだまだ使い慣れていないであろうそれに、確かな信頼を寄せていることが伝わってきた。
「負けるだなんて、一言も言っていませんよ」
ただ、と少年は続ける。欄干から身体を離し、くるりと振り返る。唇を尖らせこちらを睨めつける躑躅を、浅葱がはっきりと射抜く。武器を向けられているというのに、その口元には微笑みをたたえていた。
「容易に勝てる相手ではないことは確かです。それぐらい、貴女が一番分かっているのではないですか?」
誰よりもレイシスと闘ってきたのはグレイスだ。その力を一番理解しているのもグレイスだ。『腑抜けた』なんて言っているが、その実力を侮っているはずなどない。姉とアリーナバトルで手を合わせた数少ない相手は、妹である彼女なのだから尚更だ。スポーツという枠組みの中でも、桃の少女は確かな実力を発揮していたのだから。
ぐぬ、と尖っていた可愛らしい口がへの字に曲がる。構えていた銃が下ろされ、まっすぐに藍晶石を見つめていた尖晶石がふいと気まずげに逸らされた。
「……だから、手を抜いたりなんかしないわ」
可憐な口元から、確かな音がこぼれ出る。両手に持った銃をトリガーガードに指を入れくるりと回す。改めてグリップを握る手に力が込められていることなど、少し離れたここからでも分かった。チャキ、とまた金属音があがる。
「この最強の武奏で、全力で闘って勝つの」
力強い言葉は、聞く者の胸を貫くように鋭利でまっすぐだ。高らかな宣言は、誰よりも、何よりも、己に言い聞かせるようなものだった。強く眇められた瞳には、確かな闘志が、勝利への執着が見て取れた。何が何でも実力で姉に勝ちたい。そう考えていることがありありと分かる眼差しをしていた。
それもすぐに切り替わり、少女はふふん、と不敵に笑う。腰元の武奏の下に銃をしまい、もたれていた壁から身を離す。カツカツとブラックとマゼンタのヒールを鳴らし、グレイスは烈風刀の隣へと立つ。欄干に片肘を突いて、競技場を、そこで闘う者たちを見下ろした。
「でも、私のところまで来れるのかしら」
眼下に広がる光景に、白い眉間に皺が寄る。桜色の唇は、再び不満げに尖っていた。奏でられた音色はどこか不安げだ。
広いフィールド上には、二人の少女がいた。接とレイシスだ。鎖苦無という初めての得物相手に苦戦しているようで、桃はぴょこぴょこと不安定に迫り来る攻撃を避けていた。はわわわ、と動揺する彼女の声が容易に想像できる動きだ。
「あぁもう! ちゃんと勝ちなさいよ!」
いつの間にか手すりを握り、妹は吠える。競技場いっぱいに響き、姉の耳に届いてしまいそうなほどの声量だ。すぐ隣で直に浴びせられ、碧は反射的に目を細める。それもすぐ柔らかなものへと変わった。
「敵を応援していいのですか?」
真剣に闘うべき相手を見つめる少女に、少年は意地悪く問うてみる。フィールドに釘付けになっていた薄朝焼け色が、再び空色へと向けられる。む、とまろい頬が不服そうに膨らんだ。
「レイシスは私が倒すの。途中で負けて私のところまで来れないとか許さないんだから」
ふん、と不機嫌そうに言い放ち、少女はすぐに競技場へと視線を戻す。カキン、と高い金属音があがる。刃が交わる音だ。あぁ、とこぼす声はハラハラとした焦燥と不安が混ざった音色をしていた。
グレイスにつられるように、烈風刀も広い競技フィールドを見やる。先ほどまで不安定だった動きは、次第に確かな足取りになっている。剣を振るう手も、相手に合わせ洗練されていっているのがはっきりと見て取れた。勝利はだんだんと彼女へと近づいていた。
頑張ってくださいね。
武奏を操る度ふわりと舞い踊る桃を眺め、碧は呟いた。
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触れて満たして愛して【ライレフ】
触れて満たして愛して【ライレフ】推しカプちゅっちゅしてくれ~~~~~(いつもの発作)
てな感じでDom/Subユニバースパロライレフ。毎度のごとくリンク先を参考に都合良く捏造しまくってるよ。
ライレフがちゅっちゅするだけ。
双子の弟でありこの世でただ一人の恋人である嬬武器烈風刀は、性に関する行為を苦手としている。
とはいっても、忌避や嫌悪といったマイナス感情を抱えているわけではない。むしろ、興味や好奇心を多分に寄せていることがよく分かる。所謂『恥ずかしがり屋』や『奥手』といった、淑やかで奥ゆかしい性格なのだ。どれだけ興味があっても、どれだけ欲していても、己からそれを求めることを『はしたない』と思い込んでいるのである。可愛らしいものだ。
ほら、今だって。
目の前、バラエティ番組の賑やかな風景が流れるテレビから視線を外し、雷刀はちらりと隣をみやる。拳一つ分空けて座る愛しい人は、鮮やかな液晶画面を眺めていた。澄んだ碧い瞳はどこかぼんやりとしており、画面に対する関心の色は見受けられない。視神経から入力される情報は、彼の心に届いていないようだ。
花緑青が瞬く。丸くつやめく瞳がふぃと動き、映像流れる画面から離れる。なめらかな動きをしたそれが、こちらに向けられた。朱と碧がかち合う。ぶつかることなど互いに予想していなかったのだろう、二色二対の瞳はどちらもぱちりと大きく瞬いた。
びくん、と触れそうなほど近くにある肩が大袈裟なほど大きく跳ねる。布地が擦れる鈍い音とともに、体温が届きそうなほどの距離にあった身体が後退る。指を伸ばせば触れられるほどだった互いの身体は、腕を伸ばしてやっと届くぐらい大きく離れてしまった。
弟は奥手だ。己の欲求を表に出せない恥ずかしがり屋だ。
そんな可愛らしい性格は、Subという支配や庇護を求める第二性と非常に相性が悪かった。生きるために満たさねばならない欲求を、接触を恥じらう意識ばかりが、後ろめたさばかりが先走って無理矢理に押さえつけてしまう。結果、体調不良を引き起こすまで我慢してしまうのだから大問題だ。どれだけ言い聞かせようと、本人がどれだけ理解しようとも、根っこの部分を変えるのは難しいことだ。やはり、我慢を選択してしまうことがほとんどであった。
だから、己がサポートしてやらねばならない。恋人を求めてやまないのに、恥じらって逃げて自身を追い込んでしまう彼をすくい上げて、抱える正当な欲求を発散させて、健やかに過ごせるようにしなければならない。それが、パートナーでありDomである己の役目だ。
「れーふと」
努めて明るく、柔らかな音色で大切な碧色の名を呼ぶ。わざとらしく顔ごと己から視線を逸らした彼は、しばしの躊躇いの末首を動かした。浅葱の頭がぎこちなく動き、伏せた顔がそっと上がる。わずかに眇められた孔雀石には、羞恥と悔恨とほのかな期待がぐちゃりと混ざって浮かんでいた。
「……なんですか」
「オニイチャン、もっとくっつきたいなーって」
ダメかな、と朱はにこやかな笑みで問う。普段と変わらぬおどけた調子だ。あまり恋人らしい、甘やかな雰囲気を押し出しては、彼は尻込みしてしまうに決まっている。あくまでいつも通り、じゃれる程度のものと思わせてやらねばならない。
細くなった藍晶がぱっと開かれ、また強く細められる。軽く伏せられた碧が、うろうろと所在なさげに宙を彷徨う。いつも明朗に話す口は、苦しげに引き結ばれていた。朱は言葉を待ち、碧は言葉を探し、互いに黙する。大袈裟な笑い声が重い沈黙の中に響いた。
ダメじゃないです。コマーシャルに切り替わり、静けさを取り戻した空間に小さな声が落ちる。紛うことなき肯定で、了承だった。やった、とはしゃいだ声をあげる。へにゃりと口元が緩みに緩むのが己でも分かった。
「烈風刀、『おいで』」
居住まいを正し、唯一無二の片割れへと身体を向ける。両の手を大きく広げ、雷刀は言葉を紡いだ。Subを支配する――目の前のパートナーが渇望している『命令』だ。とびきり優しく、とびきり甘い声で、大切なコマンドを紡ぎ出す。Domとして、つがいとして、身体が相手を求めてやまない。それが音となり現れたのだ。
背筋をなぞるような響きに、烈風刀は身を固くする。それもすぐに解け、おずおずと動きを始めた。腕一本ほど離れた距離が拳五つ分ほどになり、三つになり、一つになり。ゆっくり、しかし確実に距離は縮まっていく。半分になったところで、慎ましやかな愛し人は力を抜いたように身体を傾かせる。大きく広げられた朱の腕の中に、碧が倒れ込むように飛び込んだ。ゼロになった距離から、温もりが、愛が広がってゆく。胸に溢れゆくそれをそのまま伝えるように、その鍛えられた身体をぎゅっと抱き締めた。
「ん、『いい子』」
褒美の言葉をいっとう優しい声で与え、胸に押しつけ埋まった形の良い頭をそっと撫でる。ふ、と細く息を吐く感触が布越しに伝わってきた。風呂上がり、綺麗に乾かした指通しの良い髪を硬い指で梳いていく。むずがるように、ねだるように、碧い頭が擦り付いてきた。可愛い、と腕に込める力を強めそうになるのを必死に我慢する。潰してしまっては逃げていくに決まっているではないか。ここは抑えるべき場面である。
ね、烈風刀。幸福にとろけた声で己が腕の中に収まった弟を呼ぶ。なんですか、と随分と柔らかさが増した声が返ってきた。
「キスしたいなー、って」
ダメ、と朱は再び問う。大切なパートナーは触れ合いを求めている――恐らく、その先にある口付けも同じほど求めているはずだ。それをしっかりと与えてやりたかった。押し込めようとする欲求を満たしてやりたかった。何より、己が彼を欲してやまないのだけれど。
空白が二人の間を流れる。テレビ番組の賑やかな音に包まれているはずだというのに、痛いほど静かなように思えた。長くほのかな冷たさを覚えるそれの後、はい、と消え入るような声が部屋に落ちる。胸の内から聞こえたそれは、聞き間違えようがない、確かなものだ。
「烈風刀、『キスしよ』」
ぎゅうと抱き締める腕を緩めて、雷刀は言葉を紡ぐ。胸に額をつけ、完全に埋もれていた若葉色の頭がゆっくりと上がっていく。露わになった整ったかんばせは、澄んだ水に朱を落としたようにふわりと赤く染まっていた。翡翠の双眸が紅玉を射抜く。美しい色の中には、確かな熱が宿っていた。
炎燃える瞳が、健康的に色付いた唇が、ぎゅっと閉じられる。下ろされた瞼も、引き結ばれた唇も、寄せた身体も微かに震えている。しかし、そこには怯える様子も逃げる気配も欠片も無い。大切なパートナーが己を求めているという確かな事実がそこにあった。
己の瞳の色に染まった頬に、優しく手を這わせる。こくりと白い喉が上下する。大丈夫、と安心させるように整ったそこを撫で、静かに顔を近づける。音も無く、二人の距離が縮まっていく。引き結ばれた唇に、己のそれを押しつけるように重ねた。
触れて、離れて。また触れて、離れて。じゃれるようなわずかな触れ合いを幾度も繰り返す。かすかに伝わる温度に、胸が満たされていく。同時に、強い渇きを覚える。もっと欲しい、と贅沢な欲が湧き出て溢れていった。それは片割れも同じなのだろう、熱が離れた瞬間、ぁ、と切なげな音が漏れるのが聞こえた。
「ちゃんとキスできたなー。えらい!」
ぎゅうと目を瞑った愛しい人の頭をぐしゃぐしゃと掻き撫でる。叱責の声が飛んでくる前に掻き乱したそれをさっさっと指で整えていると、下ろされた瞼が震えた。かすかに揺れるそれが、そっと上がっていく。再び姿を現した藍水晶には、未だ熱が宿っていた。まだ、もっと、とねだる声が聞こえてくるようだ。彼本人は絶対に口に出すなんてことはしないのだけれど。
ならば、己が勝手に与えて、勝手に満たしてやるまでだ。
わずかに開いた唇に、もう一度口付けを降らせる。ちゅ、と可愛らしい音が触れ合ったそこからあがった。
「頑張ったごほーび」
ぱちりと瞬く水底色に、ニッと笑いかける。ぱちぱちと瞬きを繰り返す丸いそれが、さらにまあるく見開かれた。ぅえ、とひっくり返った声が筋張った喉から漏れ出るのが眼下に見えた。
「あ、なたが、したいだけでしょう」
「正解」
だからもうちょいさせて、と頬に這わせた指を動かし、まろいそこを撫ぜる。きちんと手入れされたきめ細やかな肌は、熱を孕んでいた。あんなほんの少しの触れ合いでは到底消えそうにない熱だ。己が求めて仕方が無い熱だ。
これでもかと開かれた目がふっと細まる。瞬間、視界が碧に染まった。弧を描く唇に温もり。ちゅ、と可愛らしい音が再び部屋に響いた。
「いいですよ」
突然の感覚に、予想だにしなかった感覚に、兄はぱちくりと目を瞬かせる。すぐ下から愛しい朱を見上げる弟は、満足そうに、どこか意地が悪そうに、幸福そうに口元を綻ばせ言葉を紡ぎ出した。先ほどのつがいに負けじと甘ったるい響きをしていた。
唇を尖らせ、雷刀は喉奥から悔しげな音を漏らす。恥ずかしがり屋の癖に、奥手な癖に、時折こうやって可愛らしい意趣返しをしてくるのだから、この恋人はずるい。ずるくて、可愛くて、愛しくて、愛したくてたまらない。うぅ、と情けない声が己の喉から落ちる。ふふ、と烈風刀は楽しげな笑声を漏らした。
突き出すように寄せた口元をふわりと解き、朱は笑みを浮かべる。端がわずかに吊り上がった、意地悪げな笑みだ。
了承は確かに得た。『もうちょい』と言ったが、明確な時間は示していない。だから、己が満足いくまで、彼が満足いくまで好き放題に口付けてやる。嫌だ、なんて恥ずかしがっても、絶対に逃がしてやらない。互いに満たされるまで、愛してやるのだ。
そんな小ずるいことを考えながら、背に回していた手を空いた頬に添える。美しく整った顔を優しく、逃がさぬように捕らえた。
楽しげに緩んだ口元に、今一度唇を寄せる。ありったけの熱と愛を、柔らかなそれに注ぎ込んだ。
畳む
#ライレフ #腐向け