No.143, No.142, No.141, No.140, No.139, No.138, No.137[7件]
うちがわのどこまでも【ライレフ/R-18】
うちがわのどこまでも【ライレフ/R-18】
お腹の中身が気になっちゃうつまぶきらいとくんとお腹の中身を示してくれるつまぶきれふとくんが見たかっただけ。
じりじりと、まるで摺り足をするようにゆっくりと腰を押し進めていく。もどかしさを覚えるほどの緩慢さだが、これ以上早くては互いに負担が掛かってしまうことは分かっていた。何より、今ですら神経を焼くような快感を覚えているというのに、これ以上の刺激など耐えられるはずがない。たかが挿入だけで互いに果ててしまうなど、楽しくもきもちよくもない。ならば、我慢を選ぶしかない。
穏やかで緩い動きで、猛った刃が鞘へと納められていく。時折、ぐち、ぐちゅ、と粘ついた水音があがる。大きさに反して鼓膜を強く震わせるそれに、組み敷いた身体がびくびくと跳ねた。愛しい姿に、情欲をそそる姿に、雷刀は大きく唾液を飲み込む。このまま一気に突き入れたら、この身体はどうなってしまうのだろう。どんな反応を示すのだろう。どんな可愛らしい姿を見せてくれるのだろう。多大な好奇心が湧き起こる。駄目だ、急くな、やめろ、と必死に己に言い聞かせた。こんな短絡的な好奇心に負けて絶頂に至りたくなどない。
長い時間を掛け、ようやく肌と肌が触れ合う。薄い肚が全てを受け入れた証拠だ。ぁ、と情火に焼かれた呼吸が二つ、薄闇に包まれた部屋に落ちた。
互いに動くことなく――否、肉と肉での触れ合いによるあまりの快楽に動けず、荒い呼吸を漏らす。愛しい人の熱を敏感な粘膜から直に感じるだけで、きもちがよくてたまらなかった。これ以上の刺激は、もう少しだけ自分たちには早いのだ。
じわじわと頭の中身を溶かすような温かな悦びの中、朱は組み敷いた肢体を眺める。真っ白なシーツに身を預けた弟は、は、は、と浅い呼吸を繰り返していた。苦しさすら感じられる音に反し、それを奏でる表情はとろけきったものだ。悩ましげに八の字を描く眉も、涙をたたえ潤んだ瞳も、紅潮した頬も、薄く開かれた口も、その奥に隠した舌も、全てが性的興奮を覚えていることを明確に表していた。心地良さそうな姿に、艶めかしい姿に、安堵と劣情が胸の内に広がっていく。ギリ、と奥歯が鈍い音をたてた。
艶めく表情から逃げるように、視線を下ろしていく。筋が見える首、左右に広がっていく鎖骨、鍛えられほんのりとした膨らみを持った胸筋、唾液にまみれ蠱惑的に光る頂、闘いの最中発達し薄く割れた腹筋、浅くへこんだへそ、几帳面に整えられた若草色の茂み、絶えず雫をこぼす雄の象徴、己を受け入れた開かれざる蕾。視界に広がるどれもが扇情的で、欲望を強く刺激するものだった。ぐ、と息を呑む。情欲から逃げるはずが、己を追い込むだけになってしまった。
ふるふると頭を振り、何とか心を落ち着けようと試みる。降りきった視線をぐいと上げ、視覚的刺激の少ない――あくまで相対的評価でしかないが――腹へと目をやった。己自身を全て納めきった腹は、呼吸する度緩く上下していた。浅い溝がいくつも走る様は、彼の確かな鍛錬の結果を表している。思わず手を伸ばし、努力の結晶をそっと撫でる。ぁっ、と溜め息にも似た艶声があがった。
この内側に、己がいるのだ。受け入れるために作られていない器官を作り変え、己を受け入れてくれているのだ。圧迫感を覚えながらも、身体を、心を開き、受け止めてくれているのだ。健気さに、愛おしさに、淫らさに、きゅうと胸が締め付けられる。押しつけた腰がずくりと重くなったように感じた。
「な、んですか」
「あー……、いや、どこまで這入ってんのかなって」
甘さを隠しきれない咎める声に、誤魔化す言葉を作りあげて返す。嘘ではないことを示すように、ぐ、と触れた手に少しだけ力を加えてみる。呼吸と連動して上下する腹が、少しだけへこんだ。ぅ、と苦しげな声が漏れ出るのが聞こえた。
事実、この腹のどこまで己が潜り込んでいるかは、以前から気になっていた。目視はもちろん、今こうやって触ってみても、どこにあるかなど分からない。外側からは決して判断できないものだからこそ、謎は深まるばかりだ。
ベッドに投げ出された腕が緩慢に動き、汗で濡れた手が腹の上に置いた己の手に重なる。そのまま、きゅっと握られた。どうしたのだろう、と考える間もなく、力ないその手が滑るように移動する。撫でるような動きは、へそより下の部分で止まった。
「……このあたりでしょうか」
重ねられた手に力がこもる。腕の持ち主は、うちがわに迎え入れたその存在を示すかのように、ぐ、と自ら腹を押した。また苦しげな音が漏れる。うっすらと艶めきを宿しているようにも聞こえた。
カァ、と腹の奥が熱を持つ。奥底で燃えさかっていた炎が、空をも焼かんばかりの火柱へと生まれ変わる。大好物を目の前に置かれたかのように、口の中に唾液が湧き起こる。脳味噌の深い部分が、ジンと強い痺れを覚えた。
卑猥だった。あまりにも淫猥だった。淫靡としか言い様がない有様だった。だって、迎え入れた雄の存在を自ら誘導して示すだなんて、あまりにも妖艶で、あまりにもコケティッシュな姿だ。優しくどこか純朴な彼のことだ、投げかけられた純粋な問いへの答えとして指し示してくれたのだろう。その行動が、どれほど雄を煽るかなど知らぬまま。
そっか、と少年はどうにか返す。その三音節を絞り出すのが精一杯だった。あんな姿を見せられて、平常心でいろという方が無茶だ。元より人よりも感情の動きが激しい己ならば尚更だ。今こうやって我慢しているだけでも褒め称えられるべきである。
マットレスに沈み込んだ頭が小さく傾げられる。きちんと答えを示されておきながら、生返事しかないのが不思議で不服なのだろう。なんなのですか、と不満げで幼げな声が飛んできた。
「……もっと押し込んだら、もっと奥のとこいくのかな?」
今さっき示された場所は、へそよりも下だ。ならば、もっともっと押し込めば、へそまで到達するのでは。単純な発想だ。実践できるかなど分からない考えだ。不意に湧き起こったそれに、好奇心が、獣めいた何かが鎌首をもたげる。意図せず湧き上がったそれが膨らみ、どんどんと脳味噌の内を占めていく。今すぐ試してみたい、と心を突き動かすほど。
「や、めて、ください。むり、むりです」
眼下の顔がサァと青くなる。これいじょうはむり、と濡れた唇が必死に抵抗の言葉を紡ぎ出す。見開かれた海色には、絶望と恐怖が浮かんでいた。けれども、見えるのはその二色だけではない。己が抱えたものと同じ色が滲んでいるのが熱烈な視線から伝わってきた。
筋張った腰を掴む手に、汗ばんだ手が重ねられる。むり、とうわごとのように繰り返し、烈風刀は引き剥がそうとぐいぐいと自身を鷲掴む腕を押した。快楽に浸かりきった脳味噌は上手く伝達機能を果たせないのか、伝わる力は普段の十分の一もないような軽微なものだ。抗おうとしているのだろうが、意味など全く成していない。
そんな可愛らしい抵抗をされて、そんな可愛らしい言葉を吐かれて、そんな嗜虐心を煽るような行動をされて、じっとしていられるわけがない。元々、好奇心には抗えない質だ。加えて、情動を抑えられない質だ。動くなという方が無理な話である。そんなこと、生まれた時から共に在り、何度も夜を共にした彼が一番分かっているだろうに。
だいじょーぶ、と雷刀は片割れに笑いかける。いくらか低くなった声音も、愉快さをこれでもかと表すかのように吊り上がった口角も、サディスティックな光が宿った炎瑪瑙も、何もかもが言葉を否定していた。こんなに信頼できない『大丈夫』など、この世に存在しない。
むり、と碧は抗議の声を繰り返す。涙でどろどろになったそれは、つがいを興奮させるだけのものだった。
腰を引き、埋めた楔をわずかに抜く。ふぅ、と一息。そのまま、助走をつけて一気に押し入れた。
ばちゅん、と猥雑な水音と鋭い嬌声が二つ、薄闇を切り裂くようにあがった。
畳む
twitterすけべまとめ【ライレフ/R-18】
twitterすけべまとめ【ライレフ/R-18】
twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいのすけべまとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
獣誘う紅白
こめかみを、頬を、おとがいを、汗が伝っていく。大粒のそれは顎に到達し、そのまま重力に従い真下に落ちた。ぼた、と重い音とともに、甘やかな声が身体の下から聞こえた。
喘鳴めいた呼吸が二つ重なる。薄暗い寝室に、荒くもとろけた音が響く。それらが落とされていくシーツは、激しい運動とそれに伴う汗で湿り多量の皺が走っていた。
ぁ、と開きっぱなしの口から声が漏れる。呼吸にも嬌声にも嘆息にも似ていた。
繋がってしまうのではないかというほど押しつけた腰を、ゆっくりと引く。動きに合わせ、溜めに溜め込んだ精を何度も吐き出し硬度を失った昂ぶりが、温かで柔らかな肉筒から去っていく。敏感な粘膜を擦られてか、上擦った声が頭のすぐ下から聞こえた。
ずる、と鋭さを失った剣が鞘から抜き出される。温かな繋がりが途絶え、雷刀は小さく息を吐く。大切な人と繋がる喜びを失うのは切ない。しかし、もうすぐ片手で数えられなくなるほど交わったのだ。これ以上は愛する人に負担がかかってしまう。今日のような被せ物無しの粘膜接触ならば尚更だ。
ごぽり、と重い音があがる。響いたそこに自然と視線が吸い寄せられた。
音の発生源は、今の今まで繋がっていた場所だ。解し耕され加減無く打ち付けられたそこは、縁が赤く膨れていた。ぷっくりとしたそこから、白いものが――己の種が溢れ出るのが見えた。体液で濡れて光る赤く熟れた場所を、濃厚な白がしたたり染めていく姿は、この上なく淫猥なものだ。それこそ、ようやく満たされたはずの腹が飢えを訴え始めるほど。
まずい、と朱は急いで視線を逸らす。あんな猥褻極まる光景を見て平常でいられるわけがない。欲望に忠実な己なら尚更だ。もう視界に収めることのないように強く目を閉じる。しかし、真っ黒な瞼の裏にはあの卑猥な紅白がはっきりと浮かび出ていた。
ぅ、と苦しげな声が聞こえる。反射的に目を開け、愛しい響きの方へと目を向けた。
組み敷いていた弟は、これでもかというほど眉を寄せていた。涙をたたえた浅葱が眇められ、こちらをに睨みつける。鋭い視線への恐れよりも、匂い立つ性の色香を感じた。
「……だしすぎです、ばか」
二人分の唾液で濡れた唇が、可愛らしい罵倒を紡ぎ出す。涙で濡れた頬は依然赤く、水気を多分に含んだシーツの上に投げ出された体躯は性的興奮で赤らんだままだ――もちろん、雄を迎え入れ悦びを謳い上げた場所も。
ごぽ、とまた濁った音。ぅ、と鈍い声。後者は羞恥を孕んでいた。当たり前だ、たとえ恋人の前とはいえ腹の中から精液をこぼす姿を見られて恥ずかしくないわけがない。紅潮した身体が逃げるように身を捩る。更に注がれた欲望を吐き出す手伝いをするだけだった。
そして、そんな姿を見せられて、つがいが反応しないわけがない。
は、と無意識に息を吐く。情火の焔灯ったものだ。先ほどようやく消えたはずの欲望が、再び燃え盛る。頬が、心臓が、中心部が、熱を持つ。気付けば、離した身体をまた寄せていた。ずる、と擦れる音。白でつやめくそこに雄の器官を無意識に押しつけていた。
「ちょ、と、なにしてるんですか」
ばか、ばか、と拙い罵倒と力ない打撃が飛んでくる。紅が差した目尻を雫が伝っていく。普段は可愛らしく思うはずのそれが、妙にいやらしく思えた。
「ぁ、いや、ごめん。だいじょぶ、しない」
しないから、と吐き出すものの、力を失ったはずの雄茎は血を宿し天へと向いていた。やべ、と内心慌てふためく。駄目だ。これ以上は駄目なのだ。我慢しないといけないのだ。人より幼い理性を総動員して熱を押し込めようとする。でも、でも、と獣の本能は獰猛な声をあげた。
「……あといっかいだけですからね」
それいじょうはむりです。ばか。
もつれるように紡ぐ声と睨めつける目には、火が宿っていた。己と同じものだ――情欲だ。獣欲だ。つまり、つがいを求めている。
いいのか。身体大丈夫か。無理すんな。言うべき言葉は山ほどある。けれども、喉が発したのは呻きだけだ。ぐ、と息を呑むようなそれは、明らかに人間のそれではない。本能に従順な獣のものだった。
ずり、とぬめったもの同士が擦り合わされる。雄自身が触れる度、白で彩られた赤は甘えるように、誘うように、食むようにはくはくと蠢いた。
誘われるがままに腰を突き出す。とろけた声が二つ、薄闇に響き渡った。
溺れるぐらい愛したげる
腰を押しつけ、引き、再び押しつける。その度にぐちゅん、と粘ついた音があがった。淫らな響きが、鼓膜を震わせ聴覚を刺激する。音を認知する神経は、それを快楽の一部だと解釈した。ただでさえ高ぶった精神が、ますます高揚していく。欲望がままに、少年は引き締まった腰を動かした。
「れふとっ、れふと、きもちい?」
一心不乱に突き上げながら、雷刀は問う。切羽詰まった響きには、様々な色が滲んでいた。きちんときもちよくなっているだろうかという不安、愛しい人と繋がっているという興奮、夜とはいえこんなにも激しい性行為に及んでいるという背徳感、つがいに種を植え付けたいという獣としての欲望。ぐちゃぐちゃになったそれが、肉と肉が交わり合う音の中に響いた。
「っあ、ぁ、あッ……ぅぁ……ッ」
問われた烈風刀は言葉として構成されていない単音を発するだけだ。唾液でつやめく唇からはあー、あー、と譫言のような音があがるばかりで、答えが返ってくることはない。
弟ははっきりと物を言う性格だ。痛覚を刺激されたのならば『痛い』と素直に告げ、嫌なことをされたのならば『やめろ』と明確に抗議する。なのに、今はそれが無い。ただただ意味を持たない声をあげるだけだ。
聡明な頭脳を持つ彼が、言語化を得意とする彼が、簡単な問いに答えられないほどの状態になっている。答えられないほどの状態に、己がしている。
ぞくりと背筋を何かが駆け上がっていく。満足感、安心感、支配感。どれとも捉えられるものだ。
「……きもちいね、れふと」
笑みを浮かべ、朱は呟くように語りかける。ゆるりと上がった口角は、どこか獰猛な印象を植え付けた。
ぅあっ、と短い嬌声があがる。瞬間、雄の象徴を咥え込んだ柔肉が強く締まった。潤んだ熱い粘膜が、昂ったモノを抱き締め絡みつく。直接的な刺激に、少年は眉を寄せた。過ぎた快楽を堪えるためだ。まだまだ先は長いのに――まだまだきもちよくなってもらいたいのに、もっときもちよくさせてあげたいのに、こんなところで果てるわけにはいかない。欲望を放出しないよう、必死に腹に力を込めた。
もっときもちよくなろうな。
囁き、兄は己の下で乱れる弟に微笑みかける。慈愛の満ちた笑みだ。安堵が滲む笑みだ。餌を見つけた獣の笑みだ。欲望に支配された笑みだ。
ぐっと腰を押しつける。隘路の奥底が彼がいっとう好む場所だということは、とうの昔に知っている。大好きな人がたくさんきもちよくなってくれるそこを、張り詰めた先端でぐりぐりと刺激した。
高い艶声が室内に響き渡る。快楽に支配された響きに、朱は満足げに目を細めた。
うちがわのこうふく
47.抱かれはじめの頃は「れふと、どっちでイきたい?」って聞くと「前で、ぃ、イきたい…出したい…っ」ってもどかしそうに腰くねらせながら訴えてたのに、いつの間にか「このまま♡このままがいいっ♡あッ、あ゙♡あ♡奥いっぱいくる♡んあ、ぁ゙♡いく、いくっ♡♡♡」って甘く喘いで中イキするのが上手になったつまぶきれふとくん。
変態に抱かれるおひとりさまガチャ
瑞々しい果実を潰したような音が鼓膜を震わせる。実際はそんな美しいものではない。ただ、けものとけものが交わっているだけだ。
「あっ、ぁッ……ぅ、あ」
ぐじゅん、と淫らな水音と同時に、脊髄を快楽が走っていく。凄まじい勢いのそれが、そのまま脳味噌に叩き込まれる。頭が痺れる。身体が震える。声が漏れる。このいっときは、身体すべてがきもちよさに支配されていた。
まぐわい猥雑な音が奏でられる中、愛しい響きが聞こえる。脳味噌のどうにかまともに機能している部分が、れふと、と己を示す言葉を理解した。
らいと、と反射的に己を求めたつがいの名を呼ぶ。らいと、らいと、と幼子のように何度も繰り返す。奏でる音は幼子そのものの拙さだ。身体は快楽を拾うことに一心不乱で、舌を動かし言葉を発するなどという高等技術をこなすことは難しかった。
れふと、と応えるように名を呼ばれる。己を示す三音節を作った口、その端がニィと吊り上がる。同じほど感じているであろう法悦を耐え忍ぶように眇められた目が、ゆるりと弧を描く。笑みだ。しかし、そこには普段の快活で明るい輝きは無い。肉食獣が獲物を見定めた時の形だった。
「れふと、どっちでイきたい?」
痕を付けんばかりに腰を掴んでいた片手が離される。そろりと腰を撫で、腹を伝い、下部へと向かう。少し表面の硬い指が、すっかり充血し涙をこぼす烈風刀自身に這わされる。表面をそっとなぞる程度の動きだ。それでも、酷く直接的な刺激に少年は大きく身体を跳ねさせた。
兄は問うているのだ。雄の器官で達したいのか、内部を雄に蹂躙されて達したいのか、と。
もちろん前者だ。肚の内を暴かれることに慣れていない身体は、敏感なる部位を刺激させることでしか精を吐き出すことしか知らないのだ。前者以外に選択肢はない。
「――か」
しかし、それも数ヶ月前の話だ。
交合を重ねた身体は、兄に丁寧かつ好き勝手に愛された身体は、すっかりと内部を刺激される魅力を知ってしまった。覚えてしまった。それこそ、もうそれ以外など考えられないほどに。
「ナカ、ぁっ……、このまま、おなか……、おなか、いっぱいッ……!」
快楽漬けにされた脳味噌が言葉を奏でる。思考機能も会話機能も投げ捨てたはずの頭が、まともに機能する。否、まともとは言い難い。きもちいいことだけを考え、きもちいいことをめいっぱいに求めているだけなのだから。
卑猥な願いを口にした途端、ぎゅうとナカが締まる感覚がした。ただでさえ狭い肉の道が更に細くなり、迎え入れた雄を抱き締める。種をねだるように、内壁がうぞうぞと蠢き剛直を撫で上げる。全て己がやったことだというのに、それだけできもちがよくて仕方が無い。ひぁ、と高い嬌声が漏れ出る。ギリ、と歯が擦れる音が降ってきた。
「ッ、わかった」
雷刀は愛おしげに目を細める。薄くなったルビーの中には、情欲と愛欲、嗜虐の炎が燃え盛っていた。情事の時のみ見せる表情に、烈風刀はぶるりと背を震わせる。涙膜張るエメラルドがとろりととろけた。
ごちゅん、と骨に響くような重い一撃が腹を穿つ。快楽神経を破壊せんばかりの凄まじい快感が、身体中を支配する。恐ろしいほどのきもちよさを生み出したそれが、何度も何度も繰り出される。当たり前だ、たった一発で頂点へ至れるはずなどないのだから。
いっぱいイかせてやっからな。
優しい、甘い、愛おしい、大好きな声が、耳に直接注ぎ込まれる。容赦はしないぞ、と暗に語るそれに、碧はへにゃりと相好を崩した。
けもののまぼろし
58.夢の中なら注がれすぎてボッコリお腹膨らませたつまぶきれふとくんが見られるし、全身汚されて暴かれきったぐっちゃぐちゃの痴態を見せつけるように晒したれふとも、とろりとした甘い声で「孕まされちゃった」「すき」「もっとあいして」ってだらしなく緩んだ笑顔で手を伸ばしてくれる。
変態に抱かれるおひとりさまガチャ
ぐちゅ、と粘ついた音が鼓膜を震わせる。淫猥な響きが次々と耳から脳味噌を犯し、心を、身体を昂らせていく。吐き出す息は炎をまとったかのように熱かった。
卑猥な水音があがる度、高い何かが空間に響き渡る。嬌声だ。上擦り熱にとろかされた甘い声が、聴覚を支配する。聞いたことのある愛しい声だ。けれども、聞いたこともない淫らな声だ。何だ、とぼやけた思考が動き出す。焦点の合っていなかった朱い瞳が、世界を認識する。
実像を映し出した紅玉がこれでもかと瞠られる。八重歯覗く口から、え、と驚愕のあまり呆けた声が漏れる。それもすぐに、激しい水音――己が腰を振りたくり、打ち付ける音に掻き消された。
視界いっぱいに、碧と白と赤が広がる。ぐしゃぐしゃになった白いシーツの上、柔らかな碧い髪が、日焼けしていない白い体躯が散っていた。普段は綺麗に整えられた浅葱は乱れて布の上に広がり、鍛えられた身体はほのかに紅潮し力なく横たわっていた。首や肩には赤い点や半円がいくつも残されている。腹の上は不自然なほど水で――否、明らかに精液で濡れていた。股ぐらで大きく主張する雄の器官は、だらだらと不透明度の高い蜜をこぼしていた。
翡翠の瞳には、水が膜張っていた。涙だ。無色透明のそれがまあるい碧に覆い被さり、ゼリーのように震える。ぱちりと瞬く度に、目尻に痕を描きながら流れて消えていった。
手入れされ艶のある唇は、普段以上に潤っていた。唾液で濡れているのだ。いつだって身だしなみを気に掛ける彼らしくもなく、唇は唾液にまみれ、端からは溢れ出たそれが伝って落ちていた。
あまりにも酷い有様だというのに、その整った目元や色付いた唇は弧を描いていた。幸福をそのまま形にしたような笑みを浮かべ、彼は――弟であり、恋人である嬬武器烈風刀は、嬌声をあげていた。常の彼からは想像できないほど高く、細く、幸せな声だった。
こんな姿は見たことがない。こんな声は聞いたことがない。だって、自分たちはまだ付き合って数ヶ月しか経っていなくて、口付けをするのが精一杯で、性行為なんて夢のまた夢で。なのに、何で。
混乱に陥る最中も、身体は無意識に動いていた。柔らかなナカに埋め込んだ雄を抜き、熟れきった孔に突き立てる。腰を打ち付ける度、猥雑な音と情欲掻き立てる甘い嬌声があがった。
突き入れる度、腹筋に覆われた腹が形を変える。ちょうどへその辺りにぽこりとシルエットが現れるのだ。それが己の怒張の形だと気づき、頭が痺れる。腰を振りたくる。ただでさえ膨れた腹が、更に起伏を増した。
止めなければいけない。こんなこと、やめなければ。頭では考えるも、身体は思考通りに動かない。ただひたすらに腰を振り、目の前のつがいを犯す。整った顔を、鍛えられた身体を、ぐちゃぐちゃに犯して汚していく。
目の前、涙と唾液に塗れたうつくしい顔が破顔する。嬌声をこぼすばかりの口が、意味を成す音を紡ぎ始めた。
お腹いっぱいです。
孕まされちゃいました。
すきです。
だいすき。
もっといっぱいして。
あいして。
聞いたこともないとろけた声が神経を焼く。腹の内側が熱を持つ。止まることのない腰が重くなる。理性が消えて、本能が脳味噌を支配する。確実に孕ませろ、と。
衝動がまま、熱塊を肉洞に突き立てる。容量限界を超え溢れ出た精液が漏れる音、繊細な肚の内が乱暴にかき混ぜられる音、無遠慮に肌が肌を叩く音、悲鳴めいた高い嬌声、獣そのものの呻り声。艶めく音が聴覚を、脳味噌を支配する。本能を駆り立てる。
ぁは、と幸福に満ち満ちた笑声が鼓膜を震わせた。
「――――ッ!」
上半身が勢い良く跳ね起きる。朱い目がこれでもかと丸く開かれる。開いた口からは浅い息が漏れ出ていた。
視界いっぱいに広がるのは暗闇だった。白いシーツも、恋人の痴態もどこにもない。当たり前だ、ここは自室で、己は一人で眠りについて、そして。
「…………ゆめ?」
夜闇の中、ぽつりと呟く。音にした途端、それは現実となって脳に染みこんでいく。そうか、夢か。夢なんだ。あんな淫らな弟は、全て夢が作り出したもので。存在しなくて。
はぁ、と重苦しい溜め息が漏れ出る。重い呼気とともに、嫌悪感が胸に広がっていく。黒いそれが心を蝕み、思考を蝕み、責め立てていく。なんて夢を見ているのだろうか。人並みに性欲があり、恋人との交合を求めているとはいえ、あんな無理矢理酷く犯すような夢を見るだなんて。最低以外に評価しようがない。
身体に違和感。嫌な予感に顔をしかめながら、布団をめくる。真っ暗な部屋の中でも、己の中心部分が隆起しているのが分かった。充血したそれはどくりどくりと脈動し、痛いほど張り詰めていた。身勝手で最低で淫らな夢に興奮し、反応しているのだ。ただ一人の空間だというのに。
あまりの自己嫌悪に、顔を覆う。あー、と気まずい音が漏れた。
このままでは寝ることができない。発散しないと。そう思えど、脳裏に浮かぶのは先ほどの夢――愛しい愛しい、大切で、汚したくない、清らかな関係でありたい恋人の、本能掻き立てる淫靡な姿だ。今処理をしては、確実に最低な夢の内容を慰めるために使ってしまう。そんなことは絶対にあってはならない。けれど、あんな鮮烈な映像を消し去ることなどできなかった。
どうすんだこれ。衣服の中でびくびくと震える雄を前に、雷刀は中身が未だピンク色に染まった頭を抱えた。
全て手の内
緩く握った手を上下に動かす。時になぞるようにゆっくりと往復し、時に締め付け力強く動かす。皮膚が粘膜を擦る度に、甘さを含んだ吐息が部屋に落ちた。
擦れる度、にちゅ、ぬちゅ、と粘ついた音が互いの聴覚を犯す。卑猥なそれは羞恥を煽るものであり、性的興奮を煽るものだ。手淫を施している雷刀にとっては後者である。押さえようと必死になりつつも漏れ出る控えめな嬌声も付いてくるのだから尚更だ。弟自身を握る手つきはどんどんと熱心なものになっていく。
とぷとぷと絶え間なく先走りが湧き出る先端に指を這わせる。敏感な場所に直に触れられ、抱き込んだ身体が大きく跳ねる。逃げるように腰が引かれるが、彼がいるのはベッドに腰掛けた己の足の間である。後ろに逃げる手段など無かった。咎めるようにぎゅっと握り、雫をこぼし続ける鈴口を円を描くように指の腹で擦る。ひぅ、と悲鳴のなりそこないのような鈍い声があがった。
だらしなく液を漏らす先端を撫で、溢れるそれを塗り込めるように全体を擦る。親指と人差し指で輪を作り、段差になった部分を重点的に刺激する。敏感な筋を、くすぐるように指で撫でる。献身的に、追い詰めるように手が動く度、必死に押さえられた口から、かろうじてあらわになっている鼻から甘ったるい音が漏れる。雄の象徴を刺激され、快楽を覚えている証拠である。休むことなく与えられる快感に流されぬようにする姿は可愛らしいものだ。嗜虐心を駆り立てるほどに。
じゅこじゅことわざとらしく音をたてて扱き立てる。数え切れないほど身体を重ねた仲だ、弱い部分――彼がいっとう好み、とってもきもちよくなる部分など熟知していた。そこを重点的に刺激してやる。絶えず叩き込まれる法悦にか、口を塞ぐ手がどんどんと緩くなっていく。あ、ぁ、と上擦った、明確な音が鼓膜を震わせた。
手の内の熱を意識する。触った感覚からして、弟のそれは己のモノとさほど変わらないだろう。普通のサイズだ。太さも、長さも、平均的。刺激されれば十分に反応し、快楽が上限に達すれば子種をしっかりと吐き出す。きちんとした機能を持った雄の器官だ。
この先、彼はこれを本来の用途で使うことは無いだろう。雌の胎内に潜り込み、種を植え付け、子孫を残す。そんな、人間として繁栄していくために使われることなく、この部位は役目を終えるのだ。雌と交わることなく、雄にきもちよくされるだけで生涯を終えるのだ。
考え、背筋がぞわりとさざ波たつ。何と残酷なのだろう。何と哀れなのだろう。その原因は、全て己なのだ。己のせいで、彼は遺伝子を残すことができない。
だというのに、湧き出るのは悔恨でも懺悔でも罪悪でもなかった。喜びだ。暗い歓喜の情が、支配欲が、嗜虐心が、湧き出溢れ心を満たしていく。最低としか表現しようがない有様だ。けれども、それが本心だった。
ひ、あっ、と漏れ出る声はどんどんと高く、大きくなっていく。砦たる手はもう守る役目を放棄し、快楽を与え続ける己の腕に添えられていた。止めることを乞うような、続きをねだるような、過ぎた快感の恐怖から逃げ縋るようなものだった。ふ、と愉快げな息をこぼし、朱はぱっと手を離す。ぇ、と戸惑いを多分に滲ませた声が耳をくすぐった。
「な……、で」
振り返り問う声は、好き放題にされた怒りと、いきなり淫悦が止んだ動揺と、高みに至る直前で突き放された絶望で彩られていた。悦びの涙が溢れ出る瞳も、同じ色で染められている。可愛らしい、愚かしい、愛らしい、哀れな姿に、思わずくすりと笑みを漏らす。だってさぁ、と紡いだ声は、己でも驚くほど愉快げだった。
「烈風刀、こっちの方が好きだろ?」
先端に指を這わせ、幹を辿り、会陰をなぞり、奥底に秘められた蕾へと至る。触れたそこは、待ち望んだ刺激にか可愛らしくひくついた。ひ、と悲鳴にも似た嬌声が上がる。明らかに期待が、悦びがこもった音色をしていた。
な、と耳に直接注いでやる。こくりと息を呑む音。こちらを向いていた顔が正面へと戻り、どんどんと俯いていく。肯定はしていない。けれども、否定もしていない姿だ。現段階では。
烈風刀。特別甘ったるい、少しだけ低くした声で愛しい人の名前を紡ぎ出す。ひくりと腕の中の身体が震える。腕にかけられていた手が離れる。腕を放し後方に身体をずらすと、捕らえていた身体は自らシーツの海に横たわった。眼下に晒された孔雀石がこちらを睨めつける。悔しさと、物欲しさと、待ち遠しさと、快楽にまみれたものだった。
続きを求める様に、無意識に口角が吊り上がる。ベッドに乗り上げ、投げ出された白い体躯に覆い被さった。
一生どーてーな責任、ちゃーんと取ってやっから。
心の中で宣言し、少年ははくはくと誘うように口を開ける秘蕾に指を這わせた。
畳む
twitter掌編まとめ2【SDVX】
twitter掌編まとめ2【SDVX】
twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
成分表示:レイシス1/紅刃1/はるグレ1/プロ氷1/ライレフ4/識苑+氷雪1/氷雪ちゃん1
翌日はちゃんとお揃いのお弁当で安心した/レイシス
昼食の時間はいつだって賑やかだ。会話を交わし、料理を楽しみ、満腹感に幸福を感じる。そんな毎日の楽しみになるような、楽しい時間だ。
今日は違うみたいだけど、とレイシスはちらりと視線を上げる。いつだって元気に弁当箱を開ける雷刀は、ただ黙して食べている。よく噛み味わって食べる烈風刀は、ろくに噛まず飲み込むように箸を運んでいた。どちらの間にも声はない。普段は美味しい、また作って、といった和やかな言葉を交わす二人は、唇を引き結んで黙々と弁当箱の中身を胃に押しやっていた。
え、え、と隣から動揺の声があがる。躑躅の妹は、己の弁当箱そっちのけで向かい側に座る兄弟のものを見ていた。料理上手の二人の昼食が羨ましいからではない。その逆、不安を覚えるような中身だからだ。
兄弟の前に置かれた色違いの弁当箱の中身はいつも同じだ。その日の料理当番が二人分作っているのだ、と前に話していたのを覚えている。けれども、今日は違っていた。二種類の弁当が並んでいるのだ。
雷刀の目の前、赤色の弁当箱の中には色とりどりのおかずが詰まっている。入っているカップ色合いや完成され切った形状から、どれも市販品のものだと分かる。冷凍食品をとりあえず入れただけというのが伝わってきた。
問題は烈風刀の前、青色の弁当箱の中身だ。傷が細かに付いたそれの中身は、白で染められていた。二段組みの弁当箱、そのどちらにも白米だけがぎっしりと詰められているのだ。弁当箱を取り違えたのでは、と疑いたくなるような有様である。二つとも色味が同じことと二種類つけられたふりかけが手違いなどではないと語っていた。
よほど大きな喧嘩をしたのだな、と少女はカップグラタンを口にする。久しぶりに食べたそれは美味しいが、今声に出すのは憚られた。
嬬武器の双子は仲が良い。それでも二人とも人間だ、喧嘩をする日もある。その喧嘩の様子が表れるのが弁当だ。食事による報復は時折行われていた。当番制の弱点だな、と最初に見た時は呑気に思ったものだ。
「え? あ、え? 烈風刀? 大丈夫? 私のおかず食べる?」
オロオロとした様子でグレイスは向かいに座った少年に自身の弁当箱を差し出す。よほど心配しているらしい。それはそうだ、昼食を白米とふりかけだけで済ませる人間が目の前にいれば、心優しい妹は心配してしまう。
「大丈夫ですよ」
不安げに眉尻を下げる少女に、烈風刀はにこやかな笑みで返す。形は普段と変わらないが、奥には冷たさと固さがあった。表面上は一切変わっていないだけに、作られたものだということがよく分かる。
そ、そう、と動揺を重ねた躑躅は、差し出した弁当箱を引っ込める。それでも心配なのか、箸を運ぶ仕草はどこかぎこちない。黙って食べている朱の様子も気になるのか、二色の間を尖晶石が静かに往復した。
早く終わるといいのだけれど、とレイシスは白米を口に運ぶ。業務に支障を出さないのは彼ららしいが、こんな様子を明日も見せられるのはごめんだ。食事は楽しく摂りたいのだ。
沈黙が四人の間を流れていく。昼休みはまだまだ続く。
虹描く空に赤を浮かべて/紅刃
しとしとと窓の外から地を雫が打つ音が響く。その中に、パタパタと弾んだ調子の足音が扉の向こうから飛び込んだ。コップ片手にリビングを出ると、可愛らしい歌声が耳をくすぐった。
「出かけるの?」
「お姉さま!」
鼻歌を歌いながら上がりかまちに座る小さな背に投げかける。靴を履き終え立ち上がった妹は、くるりと振り返って元気よく返事をした。お気に入りの真っ赤な長靴と薄桃色の雨合羽をまとう姿は可愛らしい。あと一年もすれば中学生になる彼女だが、まだまだ子どもらしい愛らしさを残していた。
「はい! 虹を見に行くんです」
傘立てから愛用の傘を取り出し、恋刃はニコリと笑う。外は気分を曇らせるような雨だというのに、その表情には輝きが満ちている。這い寄る湿気を振り払うような明るさがあった。
いってきます、と手を振り、少女は玄関を出て行く。ピンクをまとう小さな背に手を振り見送った。
最近、妹は新しい友達ができたとよく話している。虹がとても好きな子らしく、雨の日は『一緒に虹を見に行く』と出かけることが増えていた。わざわざ小遣いで合羽を買うほどの入れ込み具合だ。よっぽどその友達と虹を見ることが――否、新しい友達のことが好きなのだろう。
いいことだ、と少女は一人頷く。妹はどうにも姉である己に執着が強い。友達もたくさんいるようだが、物事において友達よりも姉を優先することが多々あった。お姉さまお姉さま、と懐いてくる姿は非常に可愛らしいが、せっかくの友達を大切にしてほしいと思ってしまう。友人に重きを置く最近の姿は、随分と成長したと言えよう。
それでも、いざ友達とばかり遊ぶ様を見せられると、ほんの少し寂しさを覚えてしまうのだから己はわがままだ。妹離れしなければな、と紅は苦く笑う。少し離れたところから見守るのが姉としての役目なのだから。
マグ片手に階段へと足を進める。宿題を済ませなければ、と静かな足取りで部屋に戻った。
扉を開き、教科書とノート、課題テキストが広げられた机に向かう。あと数問解けば終わりだ、頑張らねば。シャープペンシルを手に取る。ふと、カーテンを開いたままの窓の外が視界の端に映った。
ガラスの向こう側、重い灰色の空は少しだけ明るくなっていた。音が聞こえるほどだった雨脚も勢いを失っている。晴れるのも時間の問題だろう。
虹、見れるといいわね。
ぽつりと呟き、紅刃は空から視線を外す。終盤の応用問題に向かう少女の口元は、穏やかに解けていた。
湯煙と歌声/はるグレ
大ぶりなドライヤーを操る。吹き出す熱い豪風を少し遠くから髪に当て、たっぷりと含んだ水分を飛ばしていく。タオルできちんと拭いたものの、くるぶしまで届くほど長い髪はまだまだ湿って重い。乾いたタオルを添えながら、根元から毛先へと温風を当て傷めないように乾かしていく。水を含んで色の濃くなった躑躅の髪は、だんだんと元の鮮やかでつややかな様を取り戻しつつあった。
ドライヤーをかけるのは嫌いではない。長く癖のある髪をしっかりと手入れするのが面倒ではないと言えば嘘になるが、水分で重くまとまってしまったこいつをサラサラのふわふわの姿に戻すのは楽しい部分があった。
ほぼ乾かし終え、今度は弱い冷風を当てていく。弱くなった風の音に、音色が混じる。上機嫌なメロディーは、ステージ上で何度も歌った曲だ。あの鮮やかに彩られた世界からバージョンアップしてまだあまり日が経っていないというのに、何だか懐かしく感じた。
ドライヤーのスイッチを切り、ブラシで整えていく。ウェーブのかかった長い長い髪を、小さな手が慣れた手つきで梳いていく。自宅のそれより大きく力のある風のおかげか、丁寧な手入れのおかげか、いつもよりも櫛の通りがいいように感じた。
サラサラになるまで梳かし終え、手早く結い上げる。普段は二つに結うところだが、今日はもう帰って寝るだけだ。大きく一つにまとめるポニーテールで済ませることにした。鮮烈な色合いの枝垂れ桜が、広い脱衣所の片隅に揺れた。
着替えと手入れ道具を鞄にしまい、グレイスは出入り口へと向かう。赤い暖簾をくぐると、すぐに黒い影が現れた。
「早いわね。ちゃんと湯船に浸かった?」
「はい」
色違いの鞄を携えた始果は穏やかに返す。ならいいわ、と少女は笑う。せっかく寄宿舎よりずっと大きくて広い湯船があるのに入らないだなんてもったいないことだ。
「帰りましょ。湯冷めしちゃったら大変だわ」
季節柄まだ暖かいが、夜は少しばかり冷えてくる頃合いだ。あまり長く外にいては身体に悪いだろう。学生が夜遅くまで出歩くのもあまり良くない。ここの銭湯は寄宿舎からさほど遠くないが、のろのろと歩いて帰っては門限が来てしまう。
はい、と短く返し、狐は先を歩く躑躅の背を追う。高さの違う長いポニーテールが二つ、夜闇の中に揺れた。
「そういえば、久しぶりですね」
「そうね。最近忙しくて銭湯なんて来れなかったもの」
「いえ、そちらではなくて」
始果の言葉に、グレイスは首を傾げる。銭湯のことでなければ何だろう。二人で夜出歩くことだろうか。否、この少年は夜中に外に出る時はいつだって付いてくるのだ。変わらぬ風景である。では、一体何を指しているのだろうか。
「グレイスがあんなに楽しそうに歌っているの、久しぶりに聞きました」
「歌……?」
柔らかに笑む少年に、少女は訝しげに返す。確かに、歌を人前で歌ったのは以前の世界での話だ。武奏をまとう今の世界では歌を披露することはなくなっている。けれど、何故今このことを言い出したのだろう。疑問符を浮かべながら、躑躅は首を捻る。歌。久しぶり。ぐるぐると巡る思考の中、つい先ほどのことを思い出す。鼻歌を歌いながら髪を乾かしていた、つい先ほどの時間を。
「き、こえてたの……?」
「はい」
ぎこちなく尋ねるグレイスに、始果は当然のように返す。それがどうかしたのか、と言った調子だ。反して、疑問が確信に変わった少女はひゅ、と息を呑む。聞かれていた。あんな拙い鼻歌を聞かれていた。しかも、一人きりとはいえ公共の場で呑気に歌っていたのを。
風呂上がりでほのかに上気していた頬が、一気に真っ赤に染まり上がっていく。可憐な唇がぱくぱくと開閉を繰り返す。何か言いたいのに、言葉が見つからない。声が出ない。羞恥ばかりが胸を渦巻いた。
赤い顔を隠すように、少女は足取りを速める。逃げてしまいたい黒は、すぐさま事もなげに隣に並んできた。更に速める。すぐに追いつかれる。速める。追いつかれる。もう駆けるような勢いだ。
「グレイス?」
「早く帰るって言ってるでしょ……!」
不思議そうに名を呼ぶ狐に、躑躅は絞り出すように言葉を飛ばす。少女の変化に気付いていないのか、少年は分かりました、と返して並んで歩いた。
依然羞恥心渦巻く顔が熱い。足早に進む身体が熱い。せっかく時間を掛けてピカピカに身体を磨き上げたというのに、もう汗を掻いてしまいそうだ。あぁもう、と心の中で叫ぶ。それでも鼻歌を聞かれたという事実も、その恥ずかしさも消えることはなかった。
夜空、月と街灯が駆けるように歩んでいく二人を照らしていた。
結んで揃えて桃と雪/プロ氷
霧雨のように細やかで澄んだ髪を、ブラシが梳いていく。まっすぐに整えられたそれが、華奢な指によって均等に三つに分けられる。細いそれを、小さな手が慣れた手つきで手早く編んでいく。氷柱のように長く太かった髪の束は、あっという間に細く整った三つ編みに生まれ変わった。
鮮やかな手つきに、識苑はほぅと息を漏らす。髪を編む様は何度も見ているが、いつ見ても手際の良さに感動してしまう。あれだけ長く毛量のある髪を手入れしセットするのは大変だろうに、事もなげにやってしまうのだから見事だ。女の子ってすごいなぁ、と心の中で漏らした。
「識苑さん? どうかしましたか?」
毛先を細いゴムとオレンジの紐でまとめつつ、氷雪は首を傾げる。じぃと見つめてくる恋人の様子が気になったようだ。
「いや、いつも綺麗に結んでてすごいなぁって」
「すごくなんてありませんよ。小さな頃から毎日編んでいるので慣れてるだけです」
感嘆の息を漏らして言う青年に、少女は眉尻を下げながら笑う。よく手入れされたまろい頬には、ほのかに朱が滲んでいた。
「識苑さんもいつも結っているから慣れているでしょう? 同じですよ」
「俺は適当にまとめてるだけだよ。氷雪みたいに整えてないし」
翡翠の瞳が下ろされたままの長い桃の髪を見やる。毛先のばらついたそれに触れ、男は苦くこぼした。己は作業の邪魔にならないよう雑に結い上げているだけだ。恋人のようにこだわって伸ばしているわけでも、綺麗にしようと努力してるわけでもない。同じとするのは失礼に思えた。
「……あの、えっと……、もしよろしければ、今日はわたしが結ってみてもいいですか……?」
櫛を片手に、氷雪は小さく首を傾げて問うた。少し不安定な声音に反し、夕焼け色を見つめる水底色はキラキラと輝いていた。手入れがしたくて仕方が無い、といった様子だ。珍しい姿に識苑は頬を緩める。恋人であるこの少女は少しばかり引っ込み思案だ。こうやって己から希望を言ってくることはあまりない。よほど興味があるのだろう。それを叶えてやりたくて仕方無かった。
「じゃあ、お願いしよっかな」
弾んだ声で返し、青年は少女の隣、ベッドの縁に腰を下ろす。ありがとうございます、と同じく弾んだ声。腰掛けていた氷雪はそっとベッドに上がり、長い桃髪広がる背中へと回った。
失礼します、と少し固い声と共に雪色はぴょこぴょこと先の跳ねた髪をすくい上げる。少しずつ束に取り、手にしたブラシで梳いていく。寝起きで絡まっていた桃色は、綺麗に解けていった。
しばしの空白。鴇色の髪がまとめられ、首を回り肩に掛けられる。ごそごそと布の擦れる音と弾むスプリングの感覚の後、目の前に少女が現れる。ぱちりと瞬く愛し人の様子など気に掛けず、彼女は前に垂らされた桜髪に触れた。
胸元まである長い髪が三つに分けられる。細い束となったそれを、小さな手がすっすと編んでいく。あっという間に三つ編みができあがった。
「……おそろい、ですね」
垂れたピンクの編み髪から手を離し、氷雪はえへへとはにかむ。解けた口元には、幸がめいっぱいに溢れていた。
ふわ、と頬が、胸が熱を持つ。あまりにも可愛らしい笑顔に、あまりにも可愛らしい行動に、あまりにも可愛らしい姿に、心臓がきゅうと締め付けられた。
「あっ、えっと、戻しますね。前に垂れていては邪魔ですものね」
「いや、いい。今日はこのままがいいなぁ」
まとめたゴムを解こうとする細い手をそっと取り、識苑はにへらと笑う。こちらも幸福で染め上がった温かな笑みをしていた。ぁう、と目の前の細い喉から声が漏れるのが見えた。
「いいん、ですか……? 邪魔じゃありませんか?」
「邪魔なんかじゃないよ。氷雪とお揃いのままがいいな」
不安げに揺れる深雪色に、撫子色は柔らかな笑みと通った声を投げかける。潤った桜色の唇がはくはくと動く。あ、えっと、と震えた声がぽろぽろとこぼれ落ちた。しばしして、はい、と細い肯定の語が小さな口から紡がれた。
紅梅のように顔を染める愛し子をから視線を外し、識苑は肩に掛かった己の髪を見る。揃いの綺麗な三つ編みを眺め、へにゃりと緩んだ笑みをこぼした。
朝一番の幸福/ライレフ
※Dom/Subユニバースパロ。
ジャケットを羽織りながら長くない廊下を駆ける。クリーム色の制服に包まれた肩に鞄を掛ける頃には、目の前には呆れた調子の弟の姿があった。
「家でまで廊下を走るのはやめてください」
「早くしなきゃだろ?」
息を吐くように言う碧に、赤はニッと笑いかける。そうですけど、と返す浅葱の眉は軽く寄せられていた。
「烈風刀、『こっち向いて』」
優しい音色でコマンドを紡ぎ出す。毎朝恒例のその言葉に、烈風刀は従順に顔を向けた。どこか潤んだ、期待に溶けた川底色が夕焼け色を見つめる。今日も変わらず可愛らしい姿に、雷刀は頬を緩めた。
「『喉見せて』」
続けざまに示されたコマンドに、碧い少年は物言うことなく従う。何にも染められていない白い喉が、目の前に晒される。そのまま撫でてくすぐりたい衝動を抑え、朱い少年は下駄箱、その上に置かれた小物入れに手を伸ばす。片手で器用に開け、目的のものを取り出した。
さらけ出された喉に、手が伸ばされる。手にしたそれをうなじに沿うように通し、前で金具を留める。細い黒のチョーカーが日に焼けていない喉元を彩った。
「ん、オッケ。大人しくできててえらいな」
きちんと命令に従った『良い子』の頭を、梳くように撫ぜる。きちんと整えられた髪は、なめらかな指触りをしていた。跳ねる毛先をつつくように触れていると、顎がすっと引かれる。目覚めのはっきりとした若葉がこちらに向けられた。
「ありがとうございます」
首に巻かれたそれをそっと撫で、碧は笑う。頬をほんのりと染め、幸福にとろけた目を細め、口元を緩め礼を言う姿は、愛らしいと形容するのが相応しいものだ。
学校に向かう前に『外向き』の首輪を付けてやり、付けてもらうのが二人の日課だった。朝からDomの庇護をめいっぱいに受けることにより、Subの精神の安定性を図る。烈風刀が出した提案だ。頭の良い弟は頭の良いことを考えるものだな、とその優秀さに感服したのを覚えている。もちろん、二つ返事で引き受けた。
黒をなぞる指に、己の指を重ねる。つつ、と整えられた指を日で色付いた指がなぞり、首輪をなぞり、喉を撫ぜる。くすぐったいですよ、と笑みを含んだ声が返ってきた。
「いこっか」
「そうですね。レイシスを待たせてしまいます」
弟の言葉に、兄は急いで靴を履く。三人で登校するのも日課の一つだ。あの可憐で美しい少女を待たせてしまうのは、あってはならないことである。長い靴紐を雑に結んだ。トントン、とつま先で地面を打つ。ドアの開く音。開いた鉄扉の向こうに、朝の青空が広がっていた。
いってきます。
二人分の声が狭い玄関に響いて消えた。
今日は二人で夕食を/識苑+氷雪
住まいと住まいの間へと太陽が沈んでいく。去りゆく直前まで元気よく光を放つそれに、識苑は目を細める。作業で疲れた眼球にはあまりにも強いダメージだった。
ぐぅ、と固い腹筋に覆われた腹が鳴き声をあげる。プールの見張り当番に、技術班の仕事に、ついでにサーバー保守の手伝いに。今日は普段以上に働いた。常日頃から食事をないがしろにする身体に、腹の虫が怒りを示す。早くエネルギーを寄越せとうるさく騒ぎ立てた。
ふらふらと歩みを進め、いつもの扉の前に立つ。ガラガラと古めかしい音をたてて扉を開くと、ひゃ、と聞き覚えのある声が鼓膜を揺らした。音の方、頭二つは下へと視線を動かす。そこには、真夏でも美しく輝く雪の白があった。
「あれ? 氷雪ちゃん?」
「識苑先生?」
互いに目を丸くする。生徒と学外で会うことは時折あるが、彼女と鉢合わせるのはこれが初めてだ。それも、ここは学園から少し離れた位置にある中華料理中心の店である。まだ幼さが残る少女と鉢合わせるなど、想像だにできない場所だ。
「どしたの? こんなところで」
「いえ、アルバイトが終わったので帰るところです」
アルバイトの言葉に、青年は首を傾げる。ボルテ学園の校則は他校に比べてずっと緩い。アルバイトも認められていた。それでも、彼女がアルバイトをするのは意外に思えた。
「夏の間だけ、かき氷のアルバイトをさせていただいているんです。少しでもお役に立てたらな、と思って」
そう言って少女ははにかむ。雪女である氷雪は、すぐに物を凍らせてしまう己の体質にコンプレックスを抱いていた。それを活かそうとしているのだ。随分と成長した姿に、教師は頬を緩めた。
「うちの店を『こんなところ』とは何アルカ」
店の奥からむくれた声が飛んでくる。見ると、メニュー片手にこちらに向かってくる椿の姿があった。ごめんごめん、と手を振って謝る。今日は許してやるアル、と看板娘は依然頬を膨らませて言った。
「で、今日もいつものアルカ?」
「うん。よろしくー」
ハイヨー、と元気の良い返事をして椿は奥へと戻っていく。いつものネ、と厨房へと叫ぶ声が聞こえた。
「氷雪ちゃん、もう晩ご飯食べた?」
「いえ、まだです」
「バイトで疲れてるでしょ? ご飯食べてから帰りなよ。先生奢ったげるから」
識苑の言葉に、氷雪はえ、と驚きに満ちた声を漏らす。すぐさま、ぱちぱちと川底色の瞳が動揺に瞬いた。整った細い眉が八の字を描く。
「そっ、そんな、申し訳ありません」
「でも寄宿舎まで結構かかるでしょ? お腹空かせたまま帰るの大変だよ」
この店から学園の併設された寄宿舎までは結構な距離がある。バイトで働き疲れ空腹に苛まれる身体で帰るのは大変だろう。成長期の中学生なら尚更だ。
「それに、先生久しぶりに人とご飯食べたいなぁ。いつも一人だからさ」
付き合ってくれないかな、と問いかける。あわわ、と桃色の唇から慌てた声が漏れるのが見えた。白い頭が俯く。厨房から響く忙しない調理音が二人の間を埋めた。
「あ、の、今日アルバイト代が入ったので、自分のお金で食べるのでしたら……」
ご一緒させてください、と下を向いた頭から細い声があがる。久しぶりに人と食事の時間を過ごすことができる喜びに、少女が受け入れてくれた喜びに、青年はやった、と声を漏らした。
「何食べる?」
「えっと、えび餃子、食べてみたいです」
雪色の言葉に、桃色は頷く。椿ちゃん、えび餃子追加でー、とカウンターの奥へと大きな声を飛ばす。アイヨー、と元気の良い声が返ってきた。
入ろっか、と識苑はようやく扉をくぐる。はい、と慌てた調子で身を翻し、氷雪も店内へと戻った。
ガラガラと音をたてて扉が閉められる。店先に掛けられた『かき氷はじめました』と書かれたのぼりを夕焼けが照らしていた。
目覚めもたらす温度/ライレフ
温かなものが意識を包む。全てを受け止めるような柔らかな感覚に身を委ね、ゆっくりと沈んでいく。頭のてっぺんまで潜る直前、ぐらりと世界が揺れた。
「――いと、雷刀。雷刀!」
無理矢理引き上げられた意識が、音を認識する。己を示す名だ。いつだって聞いてきた声だ。愛しい音色のはずなのに、今はどうにも受け入れがたい。もっと温かな場所にいたかったのに、と覚醒に至らぬ頭がわがままを言った。
「……んだよ」
強く呼ぶ弟に対し、何とか言葉を返す。寝起きの低い声で放った音は、明らかに機嫌が悪いものだった。それはそうだ、ゆっくり眠っていたところを叩き起こされて良い気分になるはずなどない。
凄みを感じさせる響きに臆することなく、烈風刀は眠気でけぶる紅玉を射抜く。眉根を寄せる様は、怒りと呆れが混じり合ったものだ。
「起きてください。もうお昼ですよ」
「いーじゃん、やすみだろ」
ぐらぐらと肩を揺さぶる碧から逃れるように、朱は寝返りを打つ。今日は土曜日、運営業務も何もない休日だ。今週の食事当番は弟なのだから、惰眠を貪ることで片割れに迷惑を掛けることもない。いつまでも寝ていたって許されるはずだ。
「良くないでしょう。休日だからってお昼まで寝ているのはどうかと思いますよ」
ほら、起きなさい。言葉と共に被さった布団に手が掛けられる。引っ剥がそうとするそれを急いで掴み、頭まで被った。視界が暗くなる。こら、とくぐもった声が聞こえた。
だって眠っていたいのだ。新しく買ったゲームを夜中までやっていてまだ眠いのだ。温もりに溢れた柔らかな布団の世界で暮らしていたいのだ。重い瞼を、眠りに沈む意識を、無理矢理上げることなどしたくなかった。
このまま布団の中で籠城しても、いずれは無理矢理掛剥がれるだろう。どうしようか、と動きが鈍い頭で考える。真面目な弟が諦めそうな言葉は何だろうか。このまま駄々をこねるのは意味が無いだろう。仮病はさすがに心配を掛ける。他に何か。真っ暗でぬくい世界の中、ぐるぐると考える。しばしして、赤い唇がゆるりと綻んだ。
剥がされないように端をしっかり握りながら、もぞもぞと掛け布団から顔を出す。目の前には、依然仁王立ちをした烈風刀の姿があった。
「……おはようのちゅーしてくれたらおきる」
寝起きの脳味噌で考え出した言葉を紡ぎ出す。音を形作る口は、どこか意地悪げに緩んでいた。
弟は、恋人は奥手だ。付き合ってだいぶ経つが、未だ口付けを受け入れることすら得意としていない。そんな彼が、自発的に口付けなんてできるはずがない。それに、『おはようのちゅー』だなんて漫画みたいな行為を要求すれば呆れること必至だ。きっと痺れを切らして部屋から出て行くだろう。
はぁ、と深い深い溜め息。やはり、予想は当たったようだ。己の勝利を確信し、どうにか持ち上げていた瞼を下ろす。もう自由に眠るだけだ。
ギ、とスプリングが軋む音。身体を預けたマットレスが沈む感覚。頬になめらかな何かが触れる感触。そして、唇に熱。
「……お昼は焼きそばですからね。さっさと着替えてきてください」
熱が去ると共に、少し固い声が降ってくる。頬の温もりが離れ、スプリングが再び軋み、沈んだマットレスが戻る。ぱたぱたと少し急いだ調子の足音。バタン、とドアが閉められる音が陽光注ぐ部屋に響いた。
沈みかけた意識が、下がった瞼が思いきり引き上げられる。先ほどまで睡魔でけぶっていた意識が一気にクリアになる。同時に、凄まじい混乱の渦に陥った。
「………………へ?」
間抜けな音を漏らす唇に、指を当てる。一瞬与えられた熱は既に消え去っていた。けれども、感覚はしっかりと残っている。口付けの感覚が。
朱い目が瞠られる。日に焼けた健康的な色の頬が赤く色付いていく。八重歯覗く口が、驚愕にぽかんと開かれた。
夢だろうか。夢かもしれない。夢だろう。でも、肌に残る感触は確かなもので。触れた熱も求めていたもので。
ぇ、え、と開いた口から動揺の音が漏れる。はっきりと目覚めたというのに、頭の中はこんがらがって身体を動かしてくれない。意味の無い音を漏らすのが精一杯だ。それも、すぐにただの呻きとなり、最後には消え去った。
沈黙が部屋を包む。ギシ、とスプリングの音。ごそ、と衣擦れの音。くたびれたシャツとジャージに包まれた身体が、布団から露わになった。
もつれるようにベッドから身を下ろし、ふらつく足取りで扉に向かう。あんなことを言って、本当に叶えてくれただから、宣言通り起きなければいけない。それに。
着替えることなど、顔を洗うことなど忘れ、まっすぐにリビングを目指す。愛しい人が美味しい昼食を作って待っているであろうその場所に。
目覚めをもたらしたあの唇に、『おはようのちゅー』を返すために。
夕焼け空で二人きり/ライレフ
低い機械音が遠くに聞こえる。時折混ざる金属が軋む高い音が心をざわつかせた。
「夕焼け、きれーだな……」
「えぇ、そうですね……」
半円に作り上げられたガラス窓の外は、赤色一色に染め上がっていた。日中はあれほど青が広がっていた空が、正反対の色で塗り潰される。日常でありながら、何とも不思議な光景だ。その色を作り上げた陽の強い光が目を焼いた。
美しい夕焼け空を眺める碧と朱の瞳は濁っていた。現在地、観覧車の小さなゴンドラの中。現在時刻、夜が近づく夕暮れ時。状況、人目に付かない二人きりの密室。恋人関係にある者にとってこれ以上無くロマンチックなシチュエーションだというのに、空を見つめる二色二対の目は消沈しきっていた。
今日は兄弟、そして愛しい愛しいレイシスと三人で遊園地にやってきた。たくさんのアトラクションを楽しみ、現地限定のスイーツを味わい、趣向を凝らされた園内を歩き回り。それはそれは楽しい時間を過ごした。
その素晴らしい一日を締めくくる最後のアトラクションとして選ばれたのは、小さな観覧車だった。二人乗りのそれにどう乗るか――どちらがレイシスと乗るか、兄弟で静かな争いが起こったのは言うまでもない。ここは平等にいこう、とじゃんけんで組み分けをしたのだ。
その結果がこれである。
「何でだよ……」
「こちらの台詞ですよ……」
顔を覆う兄に、弟は覇気の無い声で返す。まさか兄弟二人で乗る羽目になるとは。簡単に予測できる事態であるのに、レイシスのことで頭がいっぱいな二人にはそんなことは一切思い浮かばなかったのだ。間抜けとしか言い様がない有様だ。
はぁ、と重い溜め息をこぼし、雷刀は顔を上げる。輝かしく眩しい夕陽が色の濁った瞳を刺す。痛みすら覚えるそれから逃げるように、少年は正面へと顔を向けた。
対面に座る弟は、変わらず力ない様子で外を眺めていた。夕焼けに照らされ、白く整った横顔が赤に染まる。美しい光景だ。少なくとも、ドキリと心臓が大きく脈打つ程度には。沈みきった気持ちがほのかに浮き上がる程度には。今現在『恋人と二人きり』であることを思い出す程度には。
「何ですか、じっと見て」
「いや、きれーだなーって」
じとりとした目線を送る碧に、朱はふと笑みをこぼして返す。あぁ、と翡翠が紅緋に染まる空へと戻される。ちげーって、と照らされる横顔にそっと指で触れた。
「烈風刀が」
「……何を馬鹿なことを」
触れた頬は、普段よりも少し温度が高いように思えた。一日おおいに遊び、日にめいっぱい照らされたからだろう。けれども、少しばかり膨れたそれは別の熱を持っているように見えた。白い肌が紅に染まる。己の色に染まる。天候によるものとはいえ、何だか気分が良い。にへ、と朱は幸福にふやけた笑みをこぼした。赤に照らされる孔雀石が、強く眇められた。その中に浮かぶ色は、鋭さを宿せども温かだ。
「そろそろ終わりますよ」
降りてレイシスを迎えなければ。そうだな。短く会話を交わすうちにも、ゴンドラは地上へと戻っていく。数分もかからぬうちに、地上へと足を着けることになった。
「観覧車、楽しかったデス~!」
一つ後ろのゴンドラに乗っていた少女は、地面に降り立つとともに弾んだ声をあげた。一人きりで乗ったというのに、随分と楽しんだようだ。それはよかった、と二人で返すが、心情は少し複雑だ。
「アレ? 二人トモ、顔赤いデスヨ? どうしマシタ?」
少女の言葉に、少年たちはへ、と声を漏らす。大きな手が二つともぺたぺたと頬を触る。確かに、触れたそこは熱を持っていた。何故だろう、と考えるより先に、ゴンドラ内のやりとりが頭に浮かぶ。初心な恋人はともかく、己まで赤くなっているとは。あー、と気まずげな声が二つ落ちた。
「……思ったより暑かったので」
「夕陽直撃だったしな。うん」
誤魔化す声二つに、レイシスは小さく首を傾げる。疑問はすぐに氷解したのか、ニコリと変わらぬ可愛らしい笑みを浮かべた。
「まだ時間ありマスヨネ? もう一周しマセンカ?」
「もちろん」
「する!」
桃の提案に、朱と碧は目を輝かせる。筋の目立ち始めた大きな手がぎゅっと握られ、拳を作る。今度こそ、少女との甘やかな時間を勝ち取ろうと。
ぐっとっぱ、と気迫に満ちた声と軽やかな声が夕焼けに包まれる乗り場に響いた。
一時間後、カメラロールは碧で染まった/ライレフ
蒼天を背景に白が舞う。陽光にたっぷり照らされふかふかになったそれは、雲に似ていた。雲めいた柔らかで暖かな四角形が、胸の内に収まった。
うっかり落としてしまわぬように腕にしっかりと抱え、烈風刀は掛け布団を胸にベランダを後にする。自分の分、そして兄の分をリビングに運び込み、少年は小さく息を吐いた。中身は羽毛なので幾分か軽いが、大きなそれを運ぶのは高校生でも一苦労だ。
洗ってしまっていた真っ白なカバーを掛け、まずは己の分を抱える。床に擦らないようにしっかり持ち上げ、自室に運び込む。これまた洗濯済みの清潔なシーツをベッドにかけ、カバーを替えた枕を置き、仕上げに掛け布団をふわりと被せる。全てが替えられ整ったベッドでは、きっと良い夢が見られるだろう。お日様の匂いに包まれる夜へと思いを募らせながら、碧はリビングへと引き返す。今度は兄の分だ。
簡単に畳んだ布団を両の腕で抱える。引きずらないようにしっかりと上げる。干したての暖かなそれが鼻先を掠める。ふわ、と何かが香った。
何だ、と烈風刀は目を瞬かせる。先ほどはこんな匂いはしなかったはずだ。日差しを浴びた暖かさも、干したての羽毛の柔らかさも、きちんと洗濯してしまっておいたカバーも変わらないはずだ。何が違うのだろう。覚えのある、心を軽く引っ掻くようなこれは一体。
歩み出した足が止まる。しばしして、あぁ、と呆れと羞恥が混ざった声が一人きりの部屋に落ちた。
何だも何もない。これは兄の匂いだ。兄の掛け布団なのだから、彼の匂いがするのは当たり前だ。なんて単純なものに疑問を抱えているのだろう。あまりの間抜けさに頭痛がするようだ。
はぁ、と溜め息もう一つ。止まっていた歩みを進める。兄の部屋に運んで、シーツを替えて、枕を置いて、掛け布団を被せる。これで二人分のベッドメイクは終わりだ。
ふかふかになったそれに、暖かなそれに、日に当たれども兄の香りを残したそれに、ふと目を細める。部屋には、兄弟二人で住む一室には己しかいないというのに、きょろきょろと意味も無く周りを見渡す。自分の他に誰もいないという当たり前の事実を再度確認し、そっと息を吐いた。
音をたてないようゆっくりと床に膝をつく。そのまま、頭を干したての掛け布団に軽く埋めた。
すぅ、と小さく呼吸する。鼻腔を太陽の暖かで柔らかな匂いが満たす。その奥に、愛しい人の香りが舞った。
「……らいとのにおい」
安心感をもたらす二つの香りに、少年は小さく呟く。ほのかに溶けた、甘い響きをしていた。すん、ともう一呼吸。陽光の匂い。兄の匂い。どちらも心地良さをもたらす素敵な匂いだ。同時に、睡魔を召喚する温度と安楽だった。
ゆっくりと瞼が降りていく。視界が狭まっていく。まだ洗濯物を取り込んでいる途中なのだ、寝てはいけない。けれども、朝から洗濯に掃除に精を出して少しばかり疲労が溜まった身体は徐々に動く力を失っていった。
花緑青の瞳がゆっくりと隠れていく。触覚から伝わる温度が、嗅覚を満たす香りが、少年を眠りへと誘う。駄目なのに、と叫ぶ理性は、温もりと香気に呼び起こされた本能に押さえつけられた。白い世界が狭まる。陰り暗くなる。ついには、瞼の裏側にある闇に染まった。
沈む意識の中、愛し人が己を包んだように思えた。
氷、煌めき、凍てついて/氷雪ちゃん
※HEXA DIVER暁光の翼篇ネタバレ有。
ふわり。ひらり。輝きが舞い落ちる。氷だ。小さな欠片が、陽光を受けて輝いては散っていく。故郷を思い出す風景だ。胸に一滴落ちた郷愁に、少女はきゅっと胸の前で手を握った。
結んだ手を開き、氷へと指を伸ばす。不思議なことに、冷たさも溶ける様子も感じられなかった。己が雪女だからだろうか。それとも、この世界が特殊なのだろうか。
この世界、と考え、雪女は小さく首を傾げる。『この世界』とは何だろう。世界はただ一つしかないのに。空を舞い飛び暮らす、この世界しかないのに。うぅん、と不可思議を詰め込んだ声が小さな口から漏れる。最近友人によく漫画借りて読んでいるから、その影響だろうか。現実と空想の切り分けができないだなんて、己もまだ未熟だ。うぅん、と苦い音が桜色の唇からこぼれた。
氷雪サン。
遠くから声が聞こえる。鋭く名を呼ばれ、氷雪は発生源へと目を向ける。常磐色の瞳に、桃色の点が映った。
レイシスさん、と雪色は声を漏らす。学園内を駆け巡る彼女には出会うことが多い。だというのに、随分と久しぶりに邂逅したように思えた。同時に、強い違和感を覚える。どうしてこの少女は羽を持っていないのだろう。空を駆け巡る世界に生を受けて、何故羽を持っていないのだろう。大丈夫なのだろうか、と不安が心ににじんだ。それもすぐ、鮮烈にきらめく氷たちに掻き消された。
綺麗でしょう、と白に身を包んだ少女は言葉を紡ぎ出す。どこか恍惚とした、魅入られた響きをしていた。常の彼女からは想像できぬ音に、薔薇色の少女は表情を硬くする。正気に戻ってくだサイ、と叫ぶような声が氷に支配された空間に響いた。
ぱちり、と川底色の目が大きく瞬く。正気とは何だろうか。己は正気のはずだ。正気だから空を飛んでいられる。正気だからこの世界を美しいと思うことができる。正気だから、彼女もここにいてほしいと強く思う。おかしい点など一つも無いはずだ。
ここじゃナイ。ピリカサン。どこヘ。飛んデ。もっと上ヘ。
ヘッドギアに手を当て、レイシスは声をあげる。断片的に聞こえる言葉に――『もっと上へ』という言葉に、心がざわめく。何が目的かは知らないが、どこかに行こうとしているのだ。この美しい世界から去ろうとしているのだ。こんなに美しくて、輝かしくて、冷たくて、心地良い世界から、去ろうとしている。事実が、心の柔らかな部分に爪を立てる。
仕方がないですね。
紡ぎ出した声は、己でも驚くほど冷え切ったものだった。氷柱のようなそれが、眼下の少女の元へと落ちていく。え、と驚愕に満ちた声があがったのが聞こえた。
ぴきり。ぱきり。空間が高い音をたてる度、背後の存在が大きくなる。氷でできた羽が肥大しているのだ。透き通ったいくつもの氷羽が、数を増し、太さを増し、鋭さを増していく。天へと広がるそれが、向きを変える。見知った少女へと、世界から逃げようとする者へと矛先を向ける。キラリと鋭利な氷塊が光を受けて輝いた。
氷雪サン、と悲鳴めいた声が飛んでくる。透明な刃を向けられた桃は、恐怖と焦燥に満ちた表情でこちらを見上げていた。それでも、その足は地を踏んだままだ。どこかへ歩み出そうと地を踏みしめたままだ。
安心してください。
ふわりと、はらりと、雪女は口元を綻ばせる。心を冷たく撫でるような、美しい笑みをしていた。
「永遠に、ここで、一緒に」
美しい世界にいましょう。
雪女は依然笑みを浮かべる。澄んだ、凍てついた、冷え切った、艶然とした笑みを浮かべる。ゆるりと細められた金緑石には、石解けた桜色の唇には、恐ろしい何かが宿っていた。
雪の気配が、氷の気配が、一層強さを増した。
畳む
書き出しと終わりまとめ14【SDVX】
書き出しと終わりまとめ14【SDVX】
あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその14。相変わらずボ10個。
成分表示:ニア+レフ1/烈風刀1/識苑+氷雪1/嬬武器兄弟1/レイ+グレ1/ライレフ3/ハレルヤ組1/紅刃1
頭ふたつ上のお兄さん/ニア+レフ
葵壱さんには「精一杯背伸びをした」で始まり、「君は気付いてくれるかな」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字程度)でお願いします。
精一杯背伸びをした。
地面からめいっぱい離れるほどつま先立ちし、これでもかというほど背筋をピンと伸ばす。それでも、目の前の碧の肩にすら届かない。長いリボンカチューシャを入れてやっと頭半分下に届く程度だ。うぐぐ、と喉から苦しげな音が漏れる。限界を訴える肉体の叫びであり、悔しさを覚える心の叫びであった。
「どうしたのですか?」
不自然な声に気付いたらしい、隣で端末を操作していた烈風刀がこちらを見る。小さく首を傾げ、形の良い頭が下がる。一時的とはいえ嵩が減ったというのに、カチューシャという下駄を履いても尚彼に並び立てることが出来なかった。限界を迎えた足が踵を地に着ける。拙い努力によってどうにか縮まっていた差は元に戻ってしまった。
「れふと、身長高いなぁって」
唇を尖らせニアは呟く。響く音色は拗ねた子どものそれだった。
烈風刀はニアよりずっと身長が高い。当たり前だ、彼はずっと年上で、男の子で、成長期なのだ。まだ初等部の子どもで、女の子で、ようやく成長期に差し掛かった程度の自分が追いつけるはずなどない。事実なのだから仕方無い。事実だから口惜しい。
「ニアもすぐに伸びますよ。成長期ですから」
「そーかなぁ……」
大丈夫ですよ、と大きな手が蒼い頭を撫でる。いつもならば心地良さと喜びを覚えるものだというのに、今日は何だか落ち着かない。抵抗するようにまたつま先立ちをした。危ないですよ、と優しく窘められるだけだった。
「女の子は成長が早いですから」
「ニアもれふとぐらい大きくなれる?」
青兎の純粋な問いに、碧い少年は言葉に詰まる。悩ましげな音が頭上から降ってきた。
「さすがに僕と同じほどは難しいかもしれませんね……」
「えー……」
苦く笑う少年に、少女は頬を膨らませる。彼は困ったように笑うだけだ。幼稚で我が儘な自分が困らせているだけなのだ。
分かっている。性による成長の差は大きいのだから仕方無いことだとは分かっている。けれども、あの碧い目と同じ場所に立ちたかった。高くて、広くて、遠くて。そんな彼と同じ視界を共有したかった。
貴方と同じ目線になりたい。同じ世界を見たい。そんな小さな願いに、貴方は気付いてくれるだろうか。
チラシはくまなく確認しましょう/嬬武器烈風刀
葵壱さんには「世界はいつだってかみ合わない」で始まり、「想いを伝える術はなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。
世界はいつだって噛み合わない。
出したはずの提出物は回収されておらず放課後職員室に走り、順調に終わるはずのアップデート作業は突然のバグに見舞われ、補習が終わり先に帰った兄に連絡するも返事は無く。何もかもが噛み合わず、何もかもが狂っていく。
ダッと地を蹴る音が夜闇に響く。街灯の明かりにぼんやりと照らされる道を、烈風刀は駆け行く。右足で地を蹴り、左足を大きく広げ、つま先で捕らえた地面をめいっぱいに踏み出し、少年は走る。走っていく。
手にした携帯端末をちらりと見やる。ロック画面には通知は無い。兄は何度も送ったメッセージを見ていないという証であった。おそらく、鞄の中に入れっぱなしにしているのだろう。それか、疲れて寝ているか。どれにせよ、タイミングが悪いとしか言い様がない。眉根を寄せ、端末を鞄の中に放り込む。余所見をして走るのは危ない。何より、速度が落ちる。今は少しでも早く目的地に辿り着かなくてはいけないのだ。
走る。走る。走る。足が重いことなど関係ない。息が苦しいことなど関係ない。肺が、心臓が痛むことなど関係ない。今は前に進まねばならぬのだ。
ぐっと地を踏みしめ、角を曲がる。目的地はすぐそこまで迫っていた。ラストスパートだ、と長い足をこれでもかと広げ、しなやかな筋肉を千切れんばかりに動かし、少年は走る。ようやく、磨かれたガラスドアの前まで辿り着いた。
もたついて開く自動ドアに苛立ちを覚えながらも、碧は足取りを緩める。どんなに急いでいたとて、こんなところで走るのは非常識だ。焦りは覚えども、常識が彼を縛った。
走る一歩直前の足取りで店内を歩く。目的地はすぐそこだ。駆け出さないように強く意識し、足早に進む。頼む、残っていてくれ、と祈りながら。
目的の場所、大きくスペースが取られたガラス棚の中は空っぽだった。小さなパック一つすら残っていない。空いた空間を大型冷蔵庫が無意味に冷やしているだけだ。
崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、烈風刀はのろのろとした手つきで携帯端末を取り出す。絶望に染まった目で画面を見るも、やはりそこには通知など一つも無い。『挽肉も買っといた』なんてメッセージが表示されるだなんて都合の良い奇跡など無かった。
そもそも、挽肉の特売だなんて重要情報をを見逃していたのがまず悪いのだ。一際大きく出された鶏もも肉の特売情報にすっかり目を奪われていたのが悪い。おそらく、兄も気付いていないはずだ。先に帰った彼は、きっと伝えられた通りもも肉だけを買って帰っただろう。悪くない。悪くないけれど、何故気付いてくれないのだと嘆きが湧いて出るのも仕方無いだろう。
あぁ、本当に今日は何もかもが噛み合わない。
叫び出したい気持ちをぐっと抑える。通い詰めているスーパーの店内では、思いを吐き出す術など無かった。
願いと流星/識苑+氷雪
あおいちさんには「ずっと子供でいたかった」で始まり、「君と夜空を駆けたい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。
子どものままでいたかったなぁ。
目の前に広がる光景に無意味なことを考える。
「すげー! めっちゃ降ってる!」
「綺麗デス~!」
「すごい……。とっても綺麗ね、奈奈」
「ニアちゃん! 何お願いしたらいいかなっ?」
夜空を見上げ、子どもたちははしゃぎ声をあげる。闇でもキラキラと輝く瞳に、数多の星が映る。黒の中で小さくきらめくそれは、今日は様相を変えていた。筆で線を描くように暗闇の上を光が何本も走っていく。瞬く度に流れゆくそれは壮観の一言に尽きた。
すごいなぁ、と識苑は思わず声を漏らす。夜も更けた帰り道、旧校舎の近くでたまたま子どもたちと鉢合わせた。話を聞くに、流星群を見に来たそうだ。警備の届いた学園の敷地内とはいえ、子どもだけでは危険だ。先生も付き合うよ、なんてことを言って保護者役を買って出たのが数十分前。今では生徒らと同じほど夜空に目を奪われていた。
バグがなくなりマスヨウニ。追試受けませんように。恋刃と一緒にいられますように。桃ちゃんたちとまた遊べますように。ぎゅっと目を瞑り、両手を合わせ子ども達は流れる星に祈る。微笑ましい光景に、思わず口元が解けた。
昔は流れ星に願ったものだが、大人になった今ではそんな純粋な思いなど消えていた。流星群はただの現象、ただの風景、願いを叶える力なんてない。夢のないことばかり考えてしまう程度には、長い月日を生きてきた。
稼働年数が随分と長くなった首が痛みを訴える。上空に吸われていた視線を下ろすと、虹色と丹色の少し後ろに立つ少女が視界に入った。雪色で身を包む氷雪は、胸に手を当てながら流れる星々をじぃと眺めていた。桃色の唇はわずかに開かれている。漏れた息には感嘆が色濃く滲んでいた。
「流れ星、すごいね」
大股で進み、一人眺める少女の隣に立って声を掛ける。ひゃっ、と可愛らしい声が夜の空気に溶ける。先生、と水底色の瞳が月色を見上げた。
「えぇ、すごいですね……。流れ星ってこんなにいっぱい見られるものなのですね」
「流星群だからねー。しばらくはずっと降ってくると思うよ」
そうなのですか、と答える声はどこか遠くに向けられていた。夕陽色を見つめていた瞳は、再び空へと吸い込まれていく。よほど流れ星に心を奪われているらしい。
「氷雪ちゃんは何かお願いした?」
「お願い、ですか」
識苑の問いに、氷雪はうぅんと短い音を漏らす。しばしして、笑声にも似た音が小さな口から漏れ出た。
「全然考えてませんでした……。本当に、綺麗で、すごくて。お願いごとをするなんて、忘れてました」
少し困ったように弧を描く口元に、白い袖が当てられる。雪原めいた傷一つ無いなめらかな頬に、朱がふわりと滲む。
「先生はお願い事しましたか?」
「んー……、先生も忘れてたや」
忘れていた、というより、端から頭に無かったという方が正しい。だって、星が願いを叶えてくれるはずなどないのだから。意味など無いことをしても仕方が無い。
そうですか、と可憐な口が小さな声を紡ぎ出す。少し不思議そうな音色をしていた。それはそうだ、願い事はしたか、と聞いてきた本人が忘れていた、なんて返してくるのは不自然に思うだろう。
「まぁ、綺麗だなー、って見てるだけでも楽しいしね」
「そうですね。……本当に、綺麗」
誤魔化すように空を見上げる。少女は再び流星群に釘付けになる。興奮にかすかに紅潮した頬と、ほぅと漏らす高い息はいつだって落ち着いた彼女らしからぬものだ。それほど、この光景に惹きつけられているのだということが分かる。
ゆるりと笑い、大人は子どもに連れ立つように空へと目を向ける。星々の白い軌跡をなぞるように、萌葱と藤黄が夜空を駆けた。
君の味/嬬武器兄弟
葵壱さんには「君は気付いてくれるかな」で始まり、「懐かしい味がした」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以上でお願いします。
さて、彼は気付いてしまうだろうか。
少しの不安を抱えながら対面を見やる。ちょうど、真っ赤な箸が件の品へと伸ばされたところだった。大きく開かれたそれが、調味料がよく絡んだ野菜と肉を鷲掴む。山ほどのおかずが、思い切り開かれた口へと運ばれる。閉じられたと同時に顎が動き、頬が膨らむ。しばしして、笑みを形取っていた目がきょとりと丸くなった。
「……あれ? こないだとちょっと違う?」
「分かりましたか」
不可思議そうに首を傾げる雷刀の姿に、烈風刀は小さく息を吐く。悔しさがにじんだものだった。
セールで安くなっていたからと市販の合わせ調味料を買ったのが先月のこと。賞味期限は長いとはいえあまり放置するのもよくない、何より一度味を確認したい、と使ったのが今月の頭。企業努力の結晶によって作られしワンランク上の美味しさに打ちのめされたのは、その夜のことだ。
何とかあの味を再現できないものか。買ったパッケージや公式ホームページで原材料を調べ、食事当番の度に密かに研究を重ねた。本当に食べたいのならば、また調味料を買い直せばいい話である。しかし、自分の目的はあくまで『再現』だ。あの素晴らしい味を再現したい、手にしたい、もっと料理が上手くなりたい。兄が心なしか普段よりも喜びたくさん食べていたあの味に勝ちたかった。
「色々と調整したのですけれどね」
そう言って回鍋肉を口に運ぶ。味見の時にも感じたが、やはり何かが違う。風味はしっかりと効いており具材と調味料もよく絡んでいるものの、どこか物足りない。恐らく、パッケージ裏にずらりと並べられていたエキスとやらが足りないのだろう。中華出汁などを駆使したが、企業が独自に制作した複雑なそれを再現するには至らなかったようだ。当たり前だ、簡単に再現できるようなものならばスーパーの棚にずらりと並べられるほどヒットしているわけがない。
「でもすげーウメー!」
曇る碧の表情を照らし出すように、朱は機嫌の良い声をあげる。大きな口と皿とを箸が往復する。もぐもぐと咀嚼する姿は普段と変わらない元気のよいものだ。美味しいという評価は真実なのだろう。それでもどこか負けた気分になるのは何故なのだろうか。はぁ、と溜め息一つ。不出来な主菜を胃に押し込むように白米を口にした。
でもさぁ、と向かい側から声。ご飯茶碗から視線を上げると、鮮やかな紅緋とかち合う。輝かしいそれが柔らかく細まった。
「あれも美味しかったけど、オレは烈風刀がいつも作るやつが好きだなぁ」
八重歯を見せ、雷刀は笑う。紡ぐ声はしみじみとしたものだ。かける言葉は気休めなどではなく、真実であることが分かる響きをしていた。
「……あの日はいつもより多く食べていましたけど」
「だって珍しかったし。烈風刀あんまああいうの使わないじゃん」
返す声はむくれていた。返ってくる声もむくれたものだ。互いに拗ねたように言い合う。あまりにも幼いやりとりに、同時に笑声を漏らした。
「また作ってな。今度はいつものやつ」
「分かりましたよ。次の当番の時を期待しててください」
やった、と兄は弾んだ声をあげる。山盛りになった米をめいっぱい掴んだ箸が、赤い口に吸い込まれる。柔らかな頬が丸く膨れた。
楽しげに食事を続ける片割れを見やり、弟はそっと味噌汁に口を付ける。口内にふわりと広がったのは、いつも通り、昔馴染みの懐かしい味だった。
震えなんて吹き飛ばして/レイ+グレ
AOINOさんには「魔法は3秒で解けました」で始まり、「永遠なんてない」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。
魔法なんてものは三秒で解けた。
大きく開いた手に、人差し指で『人』の字を書く。広げた手を口元に運び、見えないそれを大きく飲み込む。ごくんと大袈裟に喉を動かして、胃の腑に魔法の文字を落とし込む。バクバクと脈打つ心臓が落ち着くことも、末端の細かな震えが止まることもない。緊張を解くおまじないとやらは、この身体には通用しないようだ。
あぁもう、とグレイスは内心叫ぶ。本当ならば八つ当たりをするように喚きたい。我が儘を言う子どものように蹲ってしまいたい。天敵を前にした動物のようにこの場から逃げ去ってしまいたい。どれも、不可能だ。状況が許してくれない。何より、己のプライドがそんなみっともないことは絶対に許さない。
「大丈夫デスカ?」
後ろから声が飛んでくる。ビクン、と剥き出しになった白い肩が大袈裟なほど跳ねた。ぎゅっと身を縮こませ、少女は恐る恐る振り返る。声の主であるレイシスは、舞台袖の薄闇の中眉尻をほんのりと下げてこちらを見ていた。手にはマイクが握られている――もうマイクを持って準備せねばならないような時間であることを突きつけられる。
「だっ、だ、だいじょぶ、よ。だいじょぶにきまってるでしょ」
「大丈夫な顔色じゃありマセンヨ!?」
返す声は惨めったらしいほど震えていた。よほど酷い顔をしているらしい、姉の顔は心配の一色で塗り潰されていた。はわわ、とリップで綺麗に彩られた唇が言葉を漏らす。
「深呼吸しマショウ? 吸っテ、吐いテ」
すー、はー、と声に出して深呼吸をする桃を真似て、躑躅も息を吸う。ひゅ、と細い音がチョーカーで飾られた喉から漏れた。不器用ながら息を吸って、ゆっくりと吐き出す。何度繰り返しても、バクバクとうるさく音を鳴らす心臓が落ち着くことはなかった。
「大丈夫デスヨ。あんなに練習したじゃないデスカ」
「わ、分かってるわよ。だから、大丈夫って言ってるでしょ」
微笑みかけるレイシスに、グレイスは依然震えた声で返す。強い語調は己に言い聞かせるようなものだ。
大丈夫。大丈夫。不安を払うはずの五音節を繰り返す。それでも、手の震えも、足の震えも止まる様子はない。冷え切った指先が熱を取り戻す気配もなかった。
うぅん、と悩ましげな声が音楽鳴り響く薄暗闇に落ちる。カツカツとヒールが床を叩く音。しばしして、柔らかなものが己を包んだ。緊張に支配された脳味噌は、姉が抱きついてきたのだと理解するまで随分と時間を要した。
「ぎゅーってするト、緊張や不安は飛んでっちゃうんデスッテ」
おまじないです、と少女はいたずらげに言う。優しさに満ちた、柔らかな響きをしていた。
胸が、腹が、背が、温もりに包まれる。レイシスの言葉に反し、心臓はドクドクと爆音掻き鳴らし身体を強張らせるばかりだ。けれども、なんだか呼吸がしやすくなった気がした。
「ずっと緊張してるなんてことありマセンカラ。大丈夫デスヨ」
大丈夫。大丈夫。桃はまじないのように繰り返し、躑躅の背を撫でる。とんとんと背を叩く様は、慈愛に満ちていた。
温もりが離れていく。はぁ、と息を吐く。あんなに下手くそだった呼吸は、幾分かマシになっていた。離れていった熱を追いかけて、俯いていた顔を上げる。マゼンタとピンクがかちあった。
「緊張、解けマシタ?」
「最初っから大丈夫って言ってるでしょ」
やっと震えの止まった唇が紡ぎ出したのは、意地を張る子どものような音だった。つっけんどんなそれをぶつけられても、姉はふふ、と笑みをこぼすだけだ。
ハイ、マイク。短い言葉とともに、少女はダイナミックマイクが渡す。受け取った白と黒で彩られたそれは、今までの舞台やこれまでの練習で何度も握ったものだ。そろそろ相棒と呼んでもいいぐらいである。
「いきマショウ」
「……言われなくても」
伸ばされた手を取り、グレイスは一歩踏み出す。震えはいつの間にか収まっていた。
大丈夫。姉がかけてくれた魔法があれば、この恐れが永遠に続くことはない。そう信じて。
まどろむしあわせ/ライレフ
葵壱さんには「午後は眠気との戦いだ」で始まり、「時間は止まってくれない」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字)以内でお願いします。
午後は眠気との闘いだ。
ソファに寝転びながら、雷刀は考える。そんな文言を思い浮かべる頭の動きは、どんどんと鈍くなっていく。瞼も重くなるばかりだ。
久しぶりの何もない休日。美味しい昼食で心ゆくまで満たされた胃袋。空調が作り上げた心地良い室温。磨かれた窓から差し込む穏やかな陽光。陽の光に照らされほのかな熱を宿したふかふかのソファ。どれも眠気をもたらすものだ。普段ならば即座に夢の世界へと飛び込むだろう。けれども、今日は睡魔に抗いたい気分だ。
柔らかなものに頭を預けたまま、ちらりと上を見やる。現在太股という極上の枕を提供してくれている弟は、携帯端末を眺めていた。碧の目が上から下へと何度も往復する。小説でも読んでいるのだろうか。液晶画面に釘付けになったそれに、なんだか寂しさを覚える。身じろぎし、腹に顔を押しつける。そのままぐりぐりと頭を擦り付けた。
「れふとー、ねむい」
「だったら部屋に行って寝てください」
「ねたくない」
「どちらなのですか」
うー、と唸りながら猫のようにすりすりと頭を寄せる。くすぐったいですよ、と烈風刀は朱い頭を軽く叩いた。
突き放すような言葉だが、音は非常に柔らかい。甘やかしてくれているのがすぐに分かる音だ。そも、こうやって膝枕なんてしてくれている時点で相当に甘やかしてくれているのだけれど。
押しつけた腹から温度が伝わってくる。布越しのそれは、太陽の光と同じぐらい温かで穏やかで心地が良い。すん、と鼻で息をする。柔軟剤の匂いの奥に、愛しい人の香りが覗いた。ふふ、と思わず笑声を漏らす。くすぐったいですってば、とまた頭を叩かれた。その手つきも穏やかなものだ。
このままずっと一緒にだらだらできればいいのに。
そんな願望が浮かぶ。時間が止まってくれるはずなどないのだけれど。
初夏の白/ライ→レフ
葵壱さんには「ある晴れた日のことだった」で始まり、「なぜか目が離せなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。
晴れた日だ。とても良く晴れた日だ。憎らしいほど晴れた日だ。
「あっつ……」
机に突っ伏し、雷刀は呟く。吐き出すと言った方が正しい響きをしていた。机と肌の接地面から汗が湧き出、膜を作っていく。不快指数は今朝からずっと高まっていくばかりで、落ち着く様子がない。
「クーラー点かねぇの……?」
「まだ六月頭ですよ」
「クーラーは七月からデスネー」
呆れた涼やかな声と、困ったような可愛らしい声。後者は暑いデス、と続けた。
六月もまだ始まったばかりだというのに、本日の気温は夏真っ盛りといった調子で上がり続ける。空は雲一つないのだから、陰ってわずかでも落ち着く期待すらできない。クーラーがまだ運転していない教室内は、窓と戸を開け放しても熱が籠もっていた。
あつい、あつい、と恨みがましい音ばかりが漏れ出る。みっともないですよ、と弟の声が垂れ流れるそれを切りつけた。
「雷刀、髪まとめてみマセン?」
とうとう呻り声をあげるだけになった朱に、桃は一つ提案する。え、と高気温に打ちひしがれた声が返された。
「首を出すとちょっとだけ涼しくなるかもしれマセンヨ? 試してみマショウ!」
起きてくだサイ、とレイシスは弾んだ声で言う。あまりの暑さに動く気力など欠片も無かったが、相手があのレイシスであるならば別である。ぁい、としょぼくれた声で何とか返し、雷刀はうつ伏せた上半身を起こした。
少し曲がった背の後ろに少女は立つ。ポケットから取り出した簡素なコームで、汗ばんだ朱髪を手早く梳かしていく。少しだけ落ち着きを取り戻したそれを片手で軽くまとめ、少し高い位置に持ち上げる。小さなヘアゴムで器用に括った。小さな朱い尾っぽが教室の片隅に生まれる。
「これでどうデショウ?」
「おー……ちょっと涼しいかも」
ニコニコと笑みを浮かべる少女に、少年は不思議そうに目を瞬かせる。たしかに、首を覆っていた熱は少し解放された気がした。窓からうっすらと流れ込む風が、汗ばんだうなじを撫ぜる。生ぬるいそれが、かすかに心地よさをもたらした。
「せっかくデスシ、烈風刀も結んでみマショウ!」
「えっ? え、いや、僕は――」
「だッテ、烈風刀も汗掻いてマスヨ? 暑いデスヨネ?」
「そう、ですけども……」
善意と好奇心で染まり上がった薔薇輝石から逃げるように、碧は視線を窓へとやる。ぅ、と苦しげな音。様々な感情を天秤に掛けているのが分かる音だ。羞恥心と期待感といったところだろうか、と兄は眺めて考える。この弟は、愛しい少女に触れられることを好みながらも得意としないのだから。
「…………では、お願いします」
長い沈黙の末、そう言って烈風刀は空いている席に腰を下ろし、レイシスに背を向けた。少し丸まった背は、好きにしてくれ、と語っていた。ハイ、と嬉しそうな返事があがった。
しまったばかりのコームを再び手にし、薔薇色の少女は再び慣れた調子で髪をまとめ上げていく。今度は、同じほどの長さをした碧い尻尾が生まれた。
「どうデスカ?」
「少し涼しくなりました。ありがとうございます」
目を輝かせる少女に、少年はにこやかに返す。形の良い頭が傾ぐ度、高い位置で結われた髪がぴょこぴょこと揺れる。可愛らしい光景だ。
動くものはつい目で追ってしまう性分である己だが、今日は何故か全く反応しない。少女の機転によりわずかに清涼感とまともな動きを取り戻したはずの脳味噌は、揺れるそれでなく根元、伸びた髪を辿った場所に引きつけられた。
浅葱色の髪の下から現れた首筋は白かった。家庭菜園に精を出し、度々ベランダで作業をしているとは思えないような白さだ。その美しく澄んだ色が、差し込む陽光に照らされ輝く。汗だ。汗ばんだ肌が、光を受けて輝いているのだ。雪原めいた場所に、まとめきれなかった浅海色が張り付いている。水分を含んだそれは、少しだけ色が濃く見えた。
ドク、と心臓が大きく脈打つ感覚。何故か湧いて出てきた唾液を飲み込む。朱い瞳が軽く瞠られる。朱が、白に吸い寄せられる。
その美しい色から、輝かしい色から、艶めかしさすら感じる色から、何故か目が離せなかった。
花咲く夜を今年も/ハレルヤ組
あおいちさんには「花が咲くように」で始まり、「だから君がいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。
花が咲くように、とはまさしくこのことを言うのだろう。上空から視線を逸らし、少年二人は隣を見やる。
夜空に花が咲く。真っ暗闇に広がる炎の花々を見上げ、桃の瞳がまあるくなる。大きく美しい瞳に、空咲く花火が映っては消えていく。はわぁ、と高揚した声を漏らす可憐な口は、歓喜を表すように大きく開いていた。
可愛らしい、と朱と碧は頬を緩める。空に、すぐ隣に咲いた花はどちらも素晴らしいものだ。永遠に見ていたい、と思うほどに。
盛大な音とともに、暗闇に大輪の花がいくつも咲いては消えていく。爆音と表現するのが正しいような音なのに、目に焼け付くほど激しい光なのに、どれもが心を満たしていく。暖かな火が灯るような心地だった。
華やかな時間もいつかは終わる。一際大きな音と光が夜を支配する。視界に収まりきらないそれが闇へと溶けると、アナウンスが鳴った。花火大会は終了を迎えたのだ。
「花火、すごかったデスネ!」
「ほんとほんと! すごかった!」
「えぇ、美しいものでした」
はしゃいだ声をあげるレイシスに、雷刀と烈風刀は同じく弾んだ声で返す。花火の素晴らしさはもちろん、隣で歩く少女が喜び楽しんでいる様子が嬉しくてたまらなかった。
「でも、僕たちでよかったのですか? 紅刃さんたちが誘ってきたでしょうに」
少年の口から不安が漏れる。彼の言うとおり、薔薇色の少女にはたくさんの友人がいる。花火大会に誘ってきた者も多くいただろう。男の自分たちより、同じ感性を持つ女友達との方が楽しめたのではないか。それは、兄弟二人が誘われてからずっと抱えていたものだ。隣を歩く朱の表情もわずかに陰る。
「何言ってるんデスカ」
碧の言葉に、表情を曇らせる朱に、桃は唇を尖らせる。むぅ、となめらかな頬が膨れる。それもすぐに萎み、口元がふわりと綻ぶ。ふふ、と楽しげな笑声とともに、ぱっちりとした鴇色の目が虹のように大きな弧を描いた。花火と遜色ない、夜空に咲く大輪の笑顔だ。
「今年も二人と見たかったんデスヨ。だから、三人一緒がいいんデス」
潜る昔話/紅刃
あおいちさんには「昔読んだ本を思い出した」で始まり、「そんな昔の話」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字程度)でお願いします。
昔読んだ本たちを思い出す。
目の前のモニタには、様々なタイトルが並んでいた。『桃太郎』『ヘンゼルとグレーテル』『白雪姫』『雪女』と耳慣れたものもあれば、初めて聞くようなものもある。『好きな物語を選択してください』と最上部に書かれているものの、こんなに多くては選びようがない。どうしましょうか、と紅刃は唇に手を当てた。
ちらりと隣を見やる。己をこのヘキサダイバーに誘ってくれた妹とその友人は、一つのモニタを覗き込んでいた。どれにしましょう、奈奈はお姫様よ、じゃあ恋刃は勇者様かしら、とはしゃいだ声が聞こえてくる。彼女らも存分にこの新たな遊戯を楽しんでいるようだ。微笑ましい、と笑みをこぼした。
「お姉さまは何にするんですか?」
体験する物語を決めたのだろう、妹はくるりと振り返って問うてくる。二人の可愛らしい様子を見てばかりで、自分のことを忘れていた。どうしようかしら、と少し焦りを含んだ声が漏れた。
目を輝かせる恋刃から視線を外し、モニタへと戻す。『金太郎』『幸福の青い鳥』『ラプンツェル』『かぐや姫』。膨大な量だというのに、どうしても知っているものに目がいってしまう。知らない物語を体験する方がシステムコンセプトとして正しいのだろうが、どうしても一切見聞きしたことのない世界に入るのは尻込みしてしまう。んー、と閉じた唇から悩ましいと息が漏れた。
「……『赤ずきん』」
先頭に近い位置にあった物語の名をなぞる。昔からよく読み聞かされた、妹にもよく読み聞かせた物語だ。
「『赤ずきん』にしようかしら」
ようやく答えを返すと、恋刃は素敵、と弾んだ調子で言った。こちらを見上げる瞳は興奮で輝いている。始まる前からこんな調子だなんて、可愛らしい。最近大人びた様子を見せるが、妹はまだまだ子どものようだ。ありがとう、と礼を言う。ふふふ、と愛しいかんばせに満面の笑みが咲いた。
物語を選択し、ブースに向かう。個別のそこに入り、テスター専用のパスを通し、電子モニタを操作して確認画面に向かう。今一度規約に目を通し、了承を選ぶ。全ての手続きが終わると、身を包む空間が暗くなった。唯一光を放つ目の前の画面に『LOADING』の電子文字が流れゆく。
昔はこの物語を恐れたものだ。だって、オオカミに食べられてしまうだなんて、小さな子どもには刺激が強い展開だ。すぐに猟師に助けられ、祖母も孫も無事だったことに酷く安堵したことを覚えている。そして、悪いオオカミに罰が下ったことに安心感を覚えたことも。
けれど。
愛する祖母に花を届けようとする少女。そんな幼子を騙し、食らったオオカミ。
そんなやつなんて、石なんか詰めずとも。
「……全て切り裂いてしまえばよかったのに」
ふふ、と不気味さを孕んだ笑みが闇に落ちる。
昔話が、世界を包み始めた。
二人寝の夜/ライレフ
あおいちさんには「二人きりの夜には」で始まり、「おやすみなさい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。
布団にすっぽり埋もれる二人きりの夜は、いつだって温かい。どんなに汗を掻くような夏だって、どんなに縮み上がるような冬だって、いつだって心地の良い温かさが肌から注がれるのだ。暑い、と一蹴しても、狭い、と文句を言っても、その温かさはいつだってやってきて、いつだって己の心に火を灯すのだ。
れふと、と名を呼ばれる。重くなった瞼を上げると、そこには枕に頭を沈み込ませた片割れがいた。いつだってぱっちりと開いた朱い瞳は、もう八割方姿を隠している。眠りきってしまうのも時間の問題だろう。
シングルベッドに男子高校生二人並んで眠るのは狭苦しくて仕方無い。それでも枕で無理矢理場所を奪い、身体を捩じ込ませてくる兄は楽しそうにしていた。嬉しそうにしていた。一緒に寝よ、と眠気をたっぷりまとって誘う声はいつだって幸いに満ちていた。そんなものだから、いつだって絆されて、許して、受け入れてしまう。甘いにも程があった。
なんですか、と返してみる。答えはない。寝言のようなものなのだろう。予想はしていた。それでも言葉を投げ返してしまうのだから、己も律儀なものである――否、ただ求めているだけだ。つい応えてしまうほど、愛しい人を。
れふと、とまた声。なんですか、とまた返す。いつまで経ってもあの元気な声は応えない。それでも、どこか満ち足りた気分になるのは何故だろうか。
ふ、と息を吐く。兄はもうすぐ本格的に寝入るだろう。そも、もう己も眠るべき時間だ。いつまでもこの眠気にとろけた可愛らしい顔を眺めていてはいけないのだ。
おやすみなさい、と目を閉じる。おやすみ、とほとんど寝た声が闇の中聞こえてきた。
畳む
twitter掌編まとめ1【SDVX】
twitter掌編まとめ1【SDVX】
twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。
成分表示:ライレフ2/行道舞1/グレイス+ハレルヤ組1/魂+冷音2/ニア+ライ1/レイ+グレ1/氷雪ちゃん1/ロワ+ジュワ1
口付けに意味など/ライレフ
参考:キスの格言
「なーなー、キスの意味って知ってる?」
すぐ隣から飛んできた突然の言葉に、は、と烈風刀は疑問符の浮かぶ声を反射的に返す。不機嫌にも聞こえるそれを気にすることなく、雷刀は言葉を続けた。
「なんかさ、キスする場所で意味違うんだって」
弾んだ声もきらめく視線も、得たばかりの知識を披露したくて仕方ない子どものそれだ。言葉を紡ぐ口元は、話したくてたまらないというようにうずうずとしていた。
キスの意味。聞いたことはある話だ。しかし、そんなものにはとんと興味がなさそうなこの兄が知っているのは意外である。大方レイシスから聞いたのだろう。あの可憐な少女は歳相応にロマンチックなことが好きなのだから。
えっとなー、と朱は手元の携帯端末を操作する。既に『キスの意味』とやらを書き連ねたページを開いていたのだろう、画面をなぞる指がすぐに止まる。空いた手が、ソファの座面に放り出された碧の手を取った。すくうように取られた手が、恭しく持ち上げられる。紅緋の頭が少し下がると同時に、手の甲に少しかさついた温かなものが触れた。
「『手は尊敬のキス』なんだって」
「尊敬なんてしていないでしょうに」
「してるし。何でもすげー努力してすげー結果出す烈風刀のこと、尊敬してるぜ?」
呆れた調子の声に、全てを照らし出すような明るい声が返される。あまりにもまっすぐな言葉に、う、と喉が音をたてる。頬が熱を持つのが嫌でも分かった。
取られていた手がそっと膝の上に戻される。んでー、と間の抜けた声と共に、少し固い指が頬に触れる。撫ぜるようになぞったそれは、ほのかに熱い頬をそっと捕らえた。包まれる温もりと反対側に、小さな熱が落ちる。
「『頬は満足感のキス』」
そう言ってにまりと笑う顔は満ち足りたものだった。それはそうだろう、これだけ好き放題口付けて彼が喜ばないはずがない。何が満足感だ、と胸中で呟いた。満足しているのはお前だけだろうに。
そんで。
握られていた小さな端末がソファの上に乱雑に投げられる。つい先ほど熱が落とされた場所が、大きな温もりに包まれる。燃え盛る茜空が澄み渡る昼空色を射抜く。迫る朱に、碧は思わず目を閉じた。数拍、唇に熱。ほんのわずかなはずのそれは、身体いっぱいを包むようなものに思えた。
「唇はなーんだ?」
暗闇の中、楽しげな声が飛んでくる。固く閉じた目を開けると、眼前にはニコニコと笑う雷刀の姿があった。あまりにも愉快そうな姿に、思わず眉根を寄せる。愛しい弟のしかめ面にも、兄は笑うだけだった。
「……愛情といったところではないですか」
「知ってんの?」
呆れを多分に含んだ声で返すと、驚嘆の声が返ってくる。丸くなった目を見るに、どうやら正解だったらしい。答える代わりに、はぁ、と大きく嘆息した。
膝の上に置いたままだった手を持ち上げる。依然きょとりとした兄の頬を挟むように捕らえた。へ、と間の抜けた声など気にすることなく、距離を詰める。ちゅ、と小さな音が二人きりの部屋に落ちる。再び唇に熱が灯った。
「――キスに愛情以上の意味があると思いますか?」
捕らえた手はそのまま、問いを投げかけてやる。ふ、と満足げな音が言葉を紡ぐ口の隙間から漏れたのが自分でも分かった。
大きな目が瞠られ、まあるい瞳が更に丸くなる。それもすぐに、愛しげに細められた。温かな光を宿した紅玉が翡翠をまっすぐに見つめる。
そだな、と心底嬉しげな声が返ってくる。頬を包む手が、そっと柔らかなそこを撫でた。その意図など、伝わる熱だけで理解できた。
思いがままに、期待がままに、ゆっくりと瞼を下ろす。闇に包まれた世界の中、また熱が触れた。
超越目指せし者/行道舞
みゅうぅ、と濁った声がゲームセンターの一角に落ちる。悲痛な響きは、筐体から奏でられる大音量の音楽の中に掻き消えた。
「勝てないみゅん……!」
行道舞は筐体にもたれかかるように項垂れ、苦しげな声を漏らす。悔しさが色濃く浮かんだものだ。ぐ、と少女然とした可愛らしい拳が強く握られた。
ウホ、と黒い手が少女に差し伸べられる。隣の筐体でプレーしていたごりらだ。短い鳴き声には、仕方無い、と慰めの言葉が込められていた。
「仕方無くないみゅん! まいちゃんなら……まいちゃんなら絶対勝てるみゅん……!」
気遣う心など、口惜しさに苛まれる彼女には届かなかった。大きく柔らかな手が細い肩に触れる前に、高い位置で結った赤い髪を振り乱し叫ぶ。悲鳴めいたそれも、再び大型スピーカーたちが掻き鳴らす音楽に潰された。
つい先日、世界は新たなステージに進んだ。セカンドシーズンと銘打ち大型アップデートが行われ、ネメシスには多くの力が搭載された。その中でも目玉なのが、オンラインアリーナだ。全国のプレーヤーと対戦することができる新たなゲームモードは、日々大盛況だ。それこそ、運営陣が毎日過労寸前で駆けずり回りほど。
音楽ゲームが大好きな舞は当然飛びついた。同じほどの実力のプレーヤーと、自分よりもずっと強いプレーヤーと闘うことができる。楽しみで仕方が無かった。
初見で高難易度をエクセッシブレートでクリアするような彼女だ、もちろんランクはS、それも開始時の振り分けで一番高位であるS1から始まった。たくさんの闘いを乗り越え、苦難の末に辿り着いたULTIMATEランク。そんな実力者のみが挑めるULTIMATE MATCHを心ゆくまで楽しんだ。どれだけ上手かろうと、負ける日もある。けれども、その敗北を糧に己の腕を磨いてきた。おかげで勝率は九割九分だ。
そう、九割九分。残り一分の壁を破ることができない。主に、左隣の筐体で遊ぶ少女のせいで。
「やっぱり普通に遊んだ方がいいデスヨ……」
「大丈夫みゅん! いけるみゅん! 絶対勝ってみせるみゅん!」
おろおろと声を掛けるレイシスに、舞は叫んで返す。あまりの気迫に、薔薇色の少女ははわ、と困惑の声を漏らした。
ナビゲーターを務めるだけあって、レイシスはかなりの実力者だ。舞同様、高難易度を初見エクセッシブクリアできる程度にはゲームが上手い。けれども、それ以上の実力を秘めている。普段ならば、決して人前では出さない実力を。
オートモード。
全てのノーツでS-CRITICALを叩き出すことのできる機能を彼女は搭載していた。俗に言う『DJ AUTO』である。もちろん、普段のプレーではそれを使うことはない。オンラインマッチングで競う要素があるゲームでは決して使ってはならないものだ。オンラインアリーナ、それもEXスコア――いかにS-CRITICALを出せるかで競うULTIMATE MATCHでは尚更だ。禁忌とも言える力である。
そんなレイシスに――オートモードを発動したレイシスに、舞は挑んでいた。腕を磨き、己の力を信じ、挑んでいた。
全てで最高判定を出すオートモードに挑むなど、無謀以外に表現しようがない。それでも、彼女は挑み続けた。運営業務の息抜きで遊ぶレイシスを見かける度、オートモードで対戦してほしいみゅん、と乞うた。心優しいレイシスである、断ることができず毎回対戦に応じることとなる。そして、毎回勝つのだ。全ての譜面で理論値を出して。
「まいちゃんだってできるみゅん……! 全部理論値出してみせるみゅん……!」
2ndの文字が映し出される画面の前で、少女はこぼす。己を鼓舞するような、神に祈るような声をしていた。
「レイシス先輩、もう一回対戦してみゅん! 今度こそ勝つみゅん!」
びし、と指差し、舞は再び挑む。レイシスははわ、と揺れる感情を色濃く滲み出した声を漏らすばかりだ。ウホ、と赤い髪の後ろから黒い身体がひょこりと覗く。もう一回だけやってやってくれないか、とごりらは鳴き声をあげた。
「あと一回だけデスヨ? もう遅いデスカラ」
「大丈夫みゅん! 次で終わらせるみゅん!」
桃色の言葉に、椿色は元気な声をあげる。笑みを形作るようにすっと細められた目には、闘志が燃え上がっていた。絶対に勝ってみせる。強い意志が鮮やかな青い瞳に宿っていた。
コンティニューを選び、ゲームモードにカーソルを合わせる。支払いを済ませ、少女は二人でULTIMATE MATCHを選択した。カシャン、という音とともに、己の隣の枠に『RASIS』というプレーヤーネームが表示される。直後、スタートボタンを押してマッチングをスキップする。外部の人間とオートモードで対戦するなど迷惑にも程があるのだから、即時にマッチングを終わらせるのは当然だ。
お気に入りフォルダを素早く開き、少女は最大の武器曲にカーソルを合わせる。指に力を込め、スタートボタンを押す。すぐさま対戦が始まった。
勝つみゅん。
固い声を漏らし、舞は画面を睨む。小ぶりな手が、華奢な指が、大きなボタンに置かれた。
後でこそっと体重教えたら更に怒られた/グレイス+ハレルヤ組
手のひらより少し小さなおにぎりを口にする。かじったそれを意識して咀嚼し、嚥下する。また一口、咀嚼、嚥下。ゆっくりと繰り返し、こぶりなそれを食べる。普段よりも小さなそれは、当然ながら早く食べ終わってしまった。箸を握り、レンジで加熱した鶏肉と野菜をちびちびと食していく。もちろん、こちらもよく噛んで胃に落とす。それでも、物足りなさを覚えた。
「グレイス、最近ご飯少ないデスヨネ? 調子悪いんデスカ?」
心配げな声が弁当箱の中身をじぃと見つめる少女に投げかけられる。はっと顔を上げると、そこには箸と置いてこちらを見つめるレイシスの姿があった。いつだってぱっちりと開いた輝かしい瞳には、不安が膜を張っている。大好きな食事を前に柔らかな弧を描くはずの口元は、落ち込んだように下がっていた。
薔薇色の少女の言葉に、グレイスは苦々しく顔を歪める。自分でも露骨に感じるほど弁当の中身と量を変えたのだ、聡い姉が気付かないわけがない。
「別に。大丈夫よ」
「でもそれだけじゃお腹空いちゃいマスヨ? ワタシのおかず少し食べマスカ?」
ホラ、と少女は弁当箱を持ち上げ妹へと向ける。ピンク色の箱の中には、色とりどりのおかずが溢れていた。適当に加熱した食材を詰め込んだ自分のものとは大違いだ。刺激された食欲が唾液を分泌させる。湧いて出たそれを飲み込み、躑躅の少女はいいわよ、と断った。
「……ダイエットしてるのよ」
ぽそりと呟くように言う。人に告げる恥ずかしい事柄だが、きちんと言わねばこの姉は食が細いと勘違いした己を心配するばかりだ。それに、宣言することで改めて意志を固めることができる。絶対に達成するぞという強い意志が。
気付いたのは一週間前だっただろうか。シャワーを終え鏡を見ると、どうにも腹回りの輪郭が丸くなっているように感じた。不思議に思いながらへそ周りを突いてみる。むにりと柔らかな感触がした。ネメシスに来る前までは、己の腹はこんなに柔らかくなかったはずだ。つまり、脂肪がついた――太ったのだ。
たしかにネメシスに来てからは食事というものをきちんとするようになり、甘味という嗜好品を口にすることも増えた。肉が付き、体重が増えるのは当然と言えた。
さぁと血の気が引く。まずい。嫌だ。太ったなんて信じたくない。嫌だ。負の感情が心を埋め尽くす。
グレイスは年頃の少女である。太るなんて受け入れがたい現実であった。
同時に、グレイスは行動力がある少女である。ダイエットを思い立つのはすぐだった。
運動に関しては、日々の運営業務で学園中、ネメシス中を駆け回っているのだから不足しているとは言い難い。ならば変えるべきは食生活だ。まず、食事量と摂取する脂質を減らすところから。そうして、少女は手のひらほどの大きさのおにぎりを一回り小さくし、弁当から余計な炭水化物とできるかぎりの脂質を排除した。おかげで少しだけ空腹に悩まされる日々ではあるが、効果は期待できるはずだ。
ダイエット、と三人分の声が重なる。非常に懐疑に満ちた視線が三つ、躑躅に向けられた。
「……え? ダイエットですか? 貴方が?」
「は? ダイエットする必要あるか?」
「だっ、ダイエットなんてしたら、これ以上痩せたらグレイスなくなっちゃいマスヨ!」
信じられないと言った烈風刀の声。理解できないとばかりの雷刀の声。悲鳴に同義のレイシスの声。続けざまに浴びせられた少女は、ぱちりと瞬く。三人の反応が全く分からないといった様子だ。
「だって太ったでしょ? 自分で見て分かるもの」
「太ったんじゃナインデスヨ! ちゃんとした身体になったんデス! グレイスは元が細すぎるんデス!」
首を傾げる妹に、姉は叫ぶ。涙すらにじんだ声だ。
細い、と言われても信じがたい。それに、たとえ細かったとしても肉が付いたことは事実であるのだ。余分なそれは落とすべきである。
「女性にするのはいささか気が引ける話なのですが……、グレイス、高校二年生女子の平均体重は知っていますか?」
「知らないわよ」
当然だろうとばかりの言葉に、烈風刀は表情を渋くする。携帯端末を取り出し、少年は画面を指でなぞる。しばしして、これです、と彼は依然不思議そうな瞳をした少女に液晶画面を向けた。ペツォタイトが鮮やかなそれに向けられる。光るそれには、『年齢別平均体重』と書かれたページが表示されていた。縦に長い表の中央辺り、『高校二年生』の文字の隣の数字を見る。春に測った己の体重より、少しばかり数字が大きい。
「グレイス、おかず分けてやっから食べろ。ちゃんと食べろ」
珍しく声を固くした雷刀が、弁当箱を差し出す。人に弁当を分け与えるなど、食い意地の張った彼らしくもない行為だ。それほど、目の前の少女の身体を案じていた。
「ダイエットなんて絶対ダメデスカラネ! 許しマセンヨ!」
何であなたに許可取らなきゃいけないのよ、という言葉はすぐに引っ込んだ。己を射抜く薔薇輝石の瞳は、真剣そのものだった。心の底から怒っている。心の底から己を案じてくれている。彼女の強い感情と意志が嫌でも伝わってきた。
「明日からワタシがお弁当作ってきマスカラネ! ちゃんといっぱい食べてくだサイ!」
「わ、分かったわよ……」
凄まじい気迫をした姉の姿に、妹は思わず了承する。完全に気圧されていた。レイシスがここまで怒るのは珍しい。押し負けてしまうのは仕方の無いことだろう。
「本当にダイエットなんてやめましょうね」
「やめとけよ」
「絶対にダメデスカラネ!」
可愛らしい少女を案じる言葉が三つ、昼休みの教室に響いた。
雨空ダイブ!!/魂+冷音
キーボードを叩く音が機器に埋め尽くされた室内に響く。普段は軽やかに音色を奏でる安物のそれは、今日は妙に大きな音を鳴らすか不気味なまでに静まりかえるかのどちらかだ。
奥歯で小さくなった飴玉を噛み砕く。パキン、と高い音とともに強い甘みが口内に弾けた。甘い香り漂う息が小さな口から漏れ出る。彼らしからぬ重苦しいものだった。
「魂、一回休みなよ」
またキーを激しく叩く少年の背に、心配げな声が投げかけられる。どこか呆れを含んだものだ。ここ数日同じ場所で足踏みし菓子と時間を浪費している姿を見せられ続けているのだ、呆れを覚えないのも無理はない。
あ、と疑問符が付いた低い声が黒いチョーカーが飾る喉から漏れ出る。音の方へ振り返った魂は、これでもかというほど眉を寄せる。柄が悪いと表現するのがぴったりな音と顔だ。
「俺を誰だと思ってんだ? 天才ハッカーだぜ? これぐらいすぐに終わらせてやんよ」
「そう言ってここしばらくずっと唸ってるだけじゃん」
うるせぇ、と正論を浴びせてくる腐れ縁を切り捨て、少年は二色一対の瞳をモニタへと戻す。新たに文字列を書き加えるが、どうもしっくりこない。書いて消してを繰り返すばかりで、作業は一切進まない。完成には程遠い状態だ。
世界が変わったのをきっかけに現れた新型バグに対抗しようと、技術班としての力を注ぎ込みバグレーダーを作った。精度を上げるべく日々プログラムの改良に努めているが、ある一点に到達してからアップデートが遅々として進まなくなってしまったのだ。ここが己の限界ではないはずだ。己ならばもっと先に進めるはずだ。そう信じて指を動かすが、成果が出る気配はない。焦りだけがどんどんと生まれは脳の片隅に積もってゆく。
腕を伸ばし、キーボードを机の奥側に押しやる。そのまま、空いたスペースに上半身を倒れ込ませた。あー、と濁った声があがる。疲労が色濃く滲んだものだ。回しに回しまくり使い倒した頭は、ぐらぐらと視界を揺らした。
魂、と冷音は今一度友人を呼ぶ。返事をする気力すらなかった。こうも上手くいかないのはいつぶりだろうか。少なくとも、世界が変わってからはこんなに行き詰まったことはない。今の今まで順調だっただけに、現在の有様がとてつもなく無様で惨めなものに思えた。
サァ、と風の音が聞こえる。パタ、と何かが打ち付ける音。小さなそれは、どんどんと数と勢いを増していく。雨か、と少年は机に突っ伏したまま考える。天気予報では今日は晴れ時々曇りだったはずだ。傘なんて持ってきていない。帰んのめんどくせぇなぁ、と暗い視界の中ごちた。
「あーもー、めんどくせぇなぁ」
ガシガシと頭を掻く音とともに、苛立った声が背中にぶつけられる。友人の声だ。友人らしからぬ声だ。そっか雨か、と鈍い頭を動かす。だとしても、自分には関係ないのだが。雨を愛してやまない彼のことだ、きっとすぐさまこの部屋を飛び出して雨空の下に飛び込んでいくだろう。勝手にすればいい。己は少し休んでから作業に戻るだけだ。また、あの変化の訪れない画面に飛び込みキーをのろのろと叩くだけだ。
首に凄まじい衝撃。締め付けられる感覚に、ぐぇ、と潰れた音が喉から漏れる。椅子に座った尻が、だらしなく伸ばした足が地面が離れていく感覚。突然の空中浮遊は疲れた脳に混乱をもたらす。何だ、と声をあげようとも、音を発する喉は何かに絞められたままだ。
「気分転換するぞ」
普段より幾分か低い声に、ヒャハ、と凶悪な笑声がついてくる。首根っこを引っ掴まれて絞められる首に、無理矢理持ち上げられた不安定な浮遊感に、少年は喘ぐ。苦しい。酸素が入ってこない。死ぬ。
「おま……、れ、い……、いき、できね……、おろ、せ」
必死の言葉に、冷音はおっと、とわざとらしい声を漏らす。後ろに引かれる力が弱まる。地に足が付く。ようやく元の生活に近い形に戻り、魂はゲホゲホと咳き込んだ。
「何すんだよ。作業してんだぞ」
「だから、気分転換って言ってんだろ」
「いらねーよ。つーか、気分転換ぐらいしてるって」
「秒で消える菓子食うだけで気分が変わるわけねーだろ」
外の空気吸え、と青髪の少年は金髪の少年のシャツの襟を引っ掴んだまま歩く。苦しいっつってんだろ、と小柄な少年は大きな手を振りほどいた。本当なら今すぐデスクに戻りたいが、この友人のことだ、また首根っこを無理矢理引っ掴んで己をどこかに連れて行こうとするだろう。このまま大人しくついていった方が厄介事にならずに済む。はぁ、とわざとらしく嘆息してやる。雨に浮かれた腐れ縁の耳に届く様子はない。
二人連れ立って昇降口に訪れる。先の言葉通り、外に行くらしい。靴を履き替えなければ。あぁ、でも傘がない。パーカーでも被るか。そう考え、己の学籍番号が書かれた下駄箱へ向かおうとした。
瞬間、腕を掴まれる。力強いそれは、絶対に逃がさないと高らかに宣言していた。
掴まれたそれを力任せに引っ張られる。突然の衝撃にたたらを踏む足は、無理矢理玄関へと向かされていた。は、と疑問符にまみれた音が口から漏れる。
「ちょ、お前、靴!」
「替えてる時間がもったいねぇ!」
ヒャヒャヒャ、と高く恐ろしい笑い声をあげ、冷音は走り出す。腕を引かれる魂の足も、走りと同じ形に動いた。ザァ、と雨風吹きすさぶ音に、バタバタと二人分の足音が飛び込んだ。
靴も替えず、傘も差さずに雨空の下に飛び出す。まず感じたのは生ぬるい風だ。間髪入れず、大粒の水が肌を叩く。あっという間に身体中ずぶ濡れになってしまった。
「お、前……!」
「少しは頭冷やせ!」
ヒャー、と青い友人は漫画の悪役めいた笑声を天高くあげる。彼も己と同じぐらい雨に濡れている。違うところといえば、歓喜の声をあげ口角を吊り上げた笑みを浮かべていることだ。雨が大好きで雨に降られることを愛す冷音ならば当然だろう。友人になってからずっと、隣でその姿を見てきたのだから。
髪が、服が、水を含み重くなる。顔に水が打ち付けられる衝撃。肌の上を冷たい雫がつたっていく不快感。体温が奪われ冷えていく感覚。どれも、忌避するようなものだ。すぐさま走って校内に戻るのが正解であるのは明白だ。
けれども、今ばかりはその『正解』を選ぶ気分が起こらなかった。
あー、と声を漏らし、魂は頭を掻く。雨に濡れ重くなった髪が指先をくすぐる。不快だ。不快だけども、悪い気はしない。何か重いものが詰まっていた胃の腑が、ふわりと軽さを取り戻す感覚がした。
天を向き、哄笑する腐れ縁の元に駆け行く。仕返しだ、とばかりに、その首根っこを掴んで思いっきり地面へと引いた。
降りしきる雨の中、バシャンと激しい水音とハハッと愉快げな笑い声があがった。
いつまで立ちっぱなしでいればいいのかと気付くのは二分後/ニア+ライ
空気が抜けるような音と扉が開く。カツン、とブーツが床を打つ音が部屋に飛び込んだ。
ようやく作戦会議室に戻り、雷刀ははぁと息を吐く。ようやく落ち着いた、といった調子だ。なにせ、放課後に入ってすぐから日が暮れ始めた今この時までバグ退治に勤しんでいたのだ。体力が人一倍ある彼だが、少しばかり疲れていた。新型バグを相手取るのにまだ慣れていないのもある。早く慣れなきゃなぁ、と天へと伸ばした腕を下ろしながら考える。はぁ、とまた大きく息を吐いた。
とりあえず、早くコートを脱いで武器を片付けねば。手分けしてバグ駆除作業に出た烈風刀はまだ帰っていないようだ。珍しくレイシスも見当たらない。闘いが本格的になってきたからか、最近彼女は訓練に精を出している。今日もそれだろうか、なんて愛しい少女を思い浮かべながらコートに手を掛けた。
プシュン、と自動ドアが開く音。すぐさま、バタバタと騒がしい足音が飛び込んだ。らいと、と切羽詰まった声が己を呼ぶ。慌てて声の方へ目をやると、そこには大股で駆けてくるニアの姿があった。普段爛漫な笑みを浮かべる可愛らしいかんばせは、焦燥に塗り潰されていた。
跳ねるように駆け寄ってきた少女は、少年の後ろに回る。そのまま長いコートの裾を思いっきりめくり上げた。クリーム色の厚い生地がぶわりと広がる。できた空間に、彼女は小柄な体躯を潜り込ませた。
「へ? え? 何? どしたんだ?」
「ちょっとだけ隠れさせて!」
しー、だよ、と青兎は必死な声をあげる。困惑に目を瞬かせる朱の様子などお構いなしだ。必死に身を縮こませ、少女は固い生地と少年の足の間に入った。
ニア、と疑問符で彩られた声で姉兎の名を呼ぶ。普段ならば元気良く返事する彼女だが、今は息を潜め一言も発しない。『隠れる』の言葉は本当のようだ。
えぇ、と動揺の声を漏らしていると、再びドアが開く軽い音が室内に落ちる。烈風刀かレイシスが帰ってきたのだろうか、この状況をどう説明しようか、そもそも何だこの状況は。様々な言葉が頭の中をぐるぐる回る中、少年の鼓膜を大きな声が震わせた。
「らいと! ニアちゃん来なかった?」
音の主は今己の後ろにいる少女の妹であるノアだった。常のおっとりとした面持ちは、今は表情豊かにキラキラと輝いている。遊んでいる時のそれだ。
「え? ニアなら――」
少女の声に、雷刀は足下に視線をやる。すぐさま、しー、と鋭い潜め声が飛んできた。なるほど、と内心頷き、少年はにこやかな笑みを浮かべて妹兎に返す。
「さっき出てったとこだぜ。何かあったのか?」
「隠れ鬼してるの! さっき見つけたとこだったのになぁ」
どこいっちゃったんだろ、と少女がきょろきょろ見回す度、長い青髪と黄色のリボンカチューシャが揺れる。室内を見回す瞳は真剣そのものだ。大人しい彼女にしては珍しい。それほど、遊びに真摯に向き合っていることが分かる。
ありがとね、と手を振り、ノアは室内から出て行く。ドアがしっかりと閉まり、足音が遠くなっていく。再び部屋を静寂が満たしたところで、もぞ、と己の後方が蠢いた。
「らいと、ありがと」
「どーいたしまして」
コートの下からもぞもぞと這い出て、ニアはふぅ、と息を吐く。子どもらしからぬ重いものだ。それほど必死に息を潜め隠れていたことが分かる。遊びに対して本当に真剣なのだ、この双子は。
姉兎は室内をきょろきょろと見回す。んー、と可愛らしい呻り声。しばしして、瑠璃の瞳が紅玉を見上げた。
「……ノアちゃん戻ってきそうだし、もうちょっと隠れてていい?」
小首を傾げて尋ねる様は愛らしく、庇護を誘うものだ。きゅるりとした目に、朱はふっと笑声にも似た息を漏らす。黒い手袋に包まれた手がコートの裾を掴み、上へと持ち上げる。再び、子ども一人隠れることが出来る程度の空間が生まれた。
「いいぜ」
「ありがと!」
ニカリと笑いかけると、星空色した瞳が輝く。そのまま、少女は作られた空間にぴょんと飛び込んだ。縮こまった様子を確認し、少年は裾を手放す。クリーム色の生地が、小柄な兎の身体を隠した。
収まり悪そうに真後ろの小さな身体がもぞもぞと動く感覚に、雷刀は柔らかな笑みを浮かべる。微笑ましさが胸の内から溢れ出た。
モニタが張り巡らされ壁を作るレイシスの席の方が隠れ場所として最適なことや、後ろから見ると丸わかりなことは黙っておいてやろう。
「着いたらアイス奢れよ!」「……はいはい」/魂+冷音
風が頬をそっと撫ぜる。生ぬるいそれは、長く伸ばした前髪を揺らした。
ゼー、ハー、と喘鳴が前方から聞こえてくる。濁ったそれが吐き出される度、風が肌を撫でていく。風景が流れていく。キィ、と金属が擦れる高い音が蒼天に昇った。
「……んで、オレが漕がなきゃなんねーんだよ……」
「じゃんけんで負けた方が漕ぐって言い出したの、魂でしょ」
荒い息の中に怨嗟の声が混じる。恨みがましさたっぷりの問いに、冷音は涼しげに答えた。クソが、と短い罵声が返ってくる。
海行こうぜ。
短いメッセージが届いたのが午前中のこと。了承の旨をスタンプで返し、送信元である魂がやってきたのがその十分後。チャリ貸して、と怪しいほどにこやかな笑みで問われ、訝しげながらに了承したのが彼が着いてすぐ後。じゃあ負けた方が漕いでくってことで、とすぐさまお決まりのフレーズとともに拳が出され、慌てて応対したのが何十分前だろうか。
そして、昼に近い空、自転車の荷台に座る今に至る。
「冷音……あそこにコンビニあるじゃん……? 一回休まねぇ……?」
「いいけど交代はしないよ」
「何でだよ!」
「だから、負けた方が漕ぐって言い出したのは魂じゃん。頑張ってね」
あー、と濁った咆哮が日差し燦々降り注ぐ空に昇っていく。キィ、と高い音が続けてあがる。ぐ、と身体が前に傾く。見やれば、年季の入ったハンドルを握った腐れ縁はサドルから立ち上がり思いっきりペダルを押し始めたところだった。少しだけ風景が流れゆく速度があがった。それでも、自分で漕ぐ時よりもずっと遅いものだ。高校生一人荷台に載せているのだから当たり前なのだけれど。
サァ、と風が吹く。強い日差しに照らされた身体には心地の良いものだ。こめかみから汗が伝う。すっと雫が肌を撫ぜ行く。ふと空を見上げる。雲一つ無い青空が視界を埋め尽くした。
生ぬるい風。降り注ぐ日差し。雲一つ無い空。まだ遠い海。
夏だなぁ。
言葉が自然にこぼれ落ちる。暦の上ではもう夏なのだから、当たり前のことだ。だというのに、今になって改めて実感する。『海』というワードが季節を強く感じさせるのだろうか。些末なことを考える。
あー、とまた濁った叫声。こぼした呑気な言葉が聞こえたのだろうか。いや、あんな小さな声が必死になってペダルを漕ぐ友人に聞こえるはずがない。単に限界を迎えつつあるだけだろう。
「帰りはお前が漕げよ! 絶対だかんな!」
前から空に響き渡るような悲鳴めいた言葉。ギ、と足下から小さな悲鳴。風景は同じ速度で流れゆく。
「じゃんけんで負けたらね」
「ふざけんな!」
涼しげな声で返すと、再び叫ぶような罵声が返ってくる。何と言われようが、提案したのはそちらなのだ。それに、己が負けていたならば、帰りも冷音が漕いでけよ、負けたんだから、なんて言われたであろうことは想像に難くない。気遣ってやる必要など無いだろう。そもそも、そんな気を遣わねばならないような仲ではないのだから。
海まであと何分だろう。ゆっくりとスクロールしていく世界を見ながら考える。この調子では着くのは昼過ぎだろうか。お昼ご飯どうしようかなぁ、と財布の中身を思い浮かべた。
波の音はまだ聞こえない。
ブタさんにおまかせ/レイ+グレ
尖晶石が空中を睨む。
かすかに聞こえる音。揺れる小さな黒い影。点と相違ないそれを広い空間から見つけ出し、手を構える。近づいてきた黒めがけて、手を勢い良く重ね合わせる。パァン、と高い音が鳴った。
思いっきり重ね、痛みすら覚える手と手を開く。そこには、求めていた黒はいなかった。ただ赤くなった皮膚が広がってるだけだ。ぷぅん、と耳元で耳障りな羽音が聞こえた。
「あぁもう!」
痺れを覚える手を握り締め、グレイスは咆哮する。キッと空中を睨むが、奴の行方は分からない。あの胡椒粒のような姿を即座に室内から探し出せ、という方が無理がある。音を頼りにしようとも、動きが早すぎて翻弄されるばかりだ。腹立たしいったらない。
「蚊取り線香点けマショウネ」
猫のように毛を逆立てる妹の後ろで、姉は電気蚊取りを取り出し部屋の隅に置いた。ブタの形をしたそれは、少女のシンプルながらも可愛らしい部屋によく似合っていた。
「何それ」
「蚊を落としてくれるんデスヨ」
興味津々な様子のグレイスに、レイシスは指を立てて答える。へぇ、と関心と興味を多分に含まれた声が返ってきた。
「何でブタなの? 蚊と関係あるかしら?」
「……アレ? 何でなんでショウ?」
昔から蚊取り線香といったらブタさんなんデスヨネ、と薔薇色の少女はプラスチックでできたブタを撫でる。ふぅん、と躑躅の少女は疑問と納得が半分この声を返した。姉を真似て、赤みの引いた指先でブタを撫でる。まあるい口のような部分がなんだか間が抜けて可愛らしく思えた。
ぷぅん。
かすかな羽音。それは、耳のすぐ近くで確かに聞こえた。
ばっと身を引き、急いで構える。視界の真ん中に捕らえた黒に、瞬時に手を伸ばす。パァン、と力強い音が再び部屋に響いた。
ヒリヒリと痛む手をそっと開く。そこには、求めた黒の姿があった。無残に潰れた黒が。
「やった!」
ようやく勝利を収め、少女は喜びに満ち満ちた声をあげる。マゼンタの瞳はキラキラと輝いていた。それも瞬時に光が収まる。あれ、と不思議そうな声が漏れた。
手の中には潰れた黒があった。しかし、黒だけではない。同じぐらい赤も散っていた。ゾワ、と何かが背を撫でる。未知だ。訳の分からないものに直接触れてしまった恐怖だ。びくんと小さな体躯が跳ねた。
「アァ、もう吸われちゃってたみたいデスネ……」
ティッシュ箱片手に、姉は妹の手を覗き込む。拭きマショウネ、と一枚抜き出したそれで汚らしい赤と黒を拭い取った。
レイシスの言葉に、グレイスは急いで己の手足を確認する。赤く腫れた場所は無い。痒みもない。では、刺されたのは姉の方だろうか。いや、まだ分からない。血がはじけ飛んだということは、吸った直後だったということだ。つまり、今日中に痒みが己を襲う可能性は残っている。
「もう!」
「かゆみ止め用意しておきマスカラネ」
叫ぶ躑躅に、薔薇は苦笑する。薄く煙を吐き出すブタが、姉妹の姿を眺めていた。
寄り道、お買い物、甘いもの/氷雪ちゃん
棚に囲まれた狭い通路をそろそろと歩く。少しでも触れてしまえば物を落としてしまいそうなほどぎゅうぎゅう詰めになった商品たちを見回す。色とりどりのそれは、故郷のスーパーで見たことのあるものもあれば、名前すら初めて聞くものもあった。あまりの種類の多さに目が回りそうだ。袖や被衣がぶつからないように気を付けながら、氷雪は品物の森の中を抜けた。
壁一面の冷蔵庫の前には、少し背の低い棚があった。アイスや冷凍食品が並べられたそれは冷凍庫だろう。己の背よりもずっと高い棚に囲まれる圧迫感から解放され、少女はほっと息を吐く。ほのかに感じる冷気も安心感をもたらした。
「あっ、氷雪さん。買うもの決まったですの?」
「え? あ、えっ、えっと……まだです……」
アイスケースを覗き込む桜子と目が合う。問うた少女の手には緑と紋様で彩られたチルドカップが一つ握られていた。反して己の手にはまだ何もない。商品が多すぎて迷ってしまうのだ。早く決めなければ、友人を待たせてしまう。どうしよう、と少しの焦りが小さな胸の内に生まれた。
「私もですの……。どれも美味しそうで多くて悩んじゃいますの」
「コンビニって季節限定品多くて悩むわよねぇ」
うぅん、と悩ましげに唸る狐の隣で、紅色も迷いを孕んだ声を漏らす。背の低いアイスケースの端には『季節限定』と書かれたポップがいくつもあった。種類も多ければ値段も少しばかり高く、全てを選ぶことなどできない。中学生の懐ならば尚更だ。
真剣にケースを見つめる友人らの姿に、雪女はほっと息を吐く。彼女らも己と同じほど悩んでいるようだ。とても急がなければならないわけではないだろう。それでも、迷いすぎるのは良くないのだけれど。
拙い足取りで店内を歩く。目に入ったのは、隅に置かれた背の高い冷凍庫だ。透明なそれの中並ぶカップはアイスに似ているが、ガラスドアに貼られたシールにはどれもストローが刺さっていた。何だろうこれ、と少しだけつま先立ちをしてシールに書かれた細かな文字へと視線をやった。
「フラッペにするの?」
背後からの声に少女はびくんと身体を震わせる。そろりと振り返ると、そこには紙パック飲料を手にした恋刃がいた。血の色をした瞳は、先ほどまで見つめていた冷凍庫の中身へと向けられていた。
「ふらっぺ……?」
耳慣れぬ単語を復唱する。あぁ、と赤い少女は冷凍庫脇に貼られたポップを指差す。『ミルクを注いで!』という大きな文字が可愛らしい書体で書かれていた。
「えっと、アイスみたいな氷に牛乳入れて飲むジュースのこと。美味しいわよ」
「そんなものがあるのですね」
感心の息を漏らし、ポップに書かれた説明をじぃと見やる。地元にはコンビニエンスストアはほとんど無く、この『フラッペ』というものを見るのは初めてだ。美味しいのだろうか。美味しいのだろう。自分よりずっと舌の肥えた友人が『美味しい』と評価したのだから。
細い取っ手に手を掛ける。重く大きなガラス戸をゆっくり開き、少しだけ高い位置にあるピンク色のカップを手に取った。凍りきったひんやりとした感覚が心地良い。
「それにするの?」
「はい。ふらっぺ、飲んでみたいです」
覚えたての言葉を拙いながらに伝えると、恋刃はふっと目を細めた。レジ行きましょっか、と赤い髪を翻し少女は店の入口方面へと歩みを進める。はい、と黒いその背を追う。
慣れぬ手つきで会計を済ませると、こっちよ、と赤い友人が手招きをする。誘われるがままに向かうと、そこには黒く背の高い機械があった。前面には多数のボタンと、『コーヒー』や『フラッペ』といった文字が狭苦しく並べられている。なんだろう、と頭に疑問符を浮かべていると、恋刃は機械の下部に取り付けられた透明な小さな扉を開いた。
「蓋めくってここに置いて」
「は、はい」
たどたどしい手つきでカップの蓋を開け、指示の通り機械の中に置く。ドアを閉め、友人は次これ、と丸いボタンを指差す。『フラッペ』の文字の隣に設置されたそれをそっと押すと、機械めいた低い音があがった。故障を思わせる音に、思わず身体がびくりと震える。程なくして、置いた容器に白いものが注がれていく。カップの六分目まで白が達すると、ピー、と高い音とともにボタンが点滅した。やはり壊したのだろうか。おろおろとする氷雪を尻目に、恋刃はコーヒーメーカーからフラッペを取り出し、蓋とストローと手際よく付けていく。ゴミまで綺麗に処理し、視線を泳がせ慌てる少女の前にピンクと白で彩られたカップを突き出した。
「これでできあがり。このままじゃまだただのミルクだから、もう少し溶けてから混ぜて飲むのよ」
「そ、そうなのですか……」
手にした容器をじぃと見つめ、雪色の少女はほぅと息を吐く。たしかに、友人が言う通り氷部分はまだ溶けきっておらず、ストローで吸うことができるのは注がれたてのミルクぐらいだ。揉むといいわよ、の言葉に、おそるおそる両の手に力を入れてみる。固い感覚が返ってくるだけだった。まだまだ溶けるには時間がかかるようだ。
「氷雪さん、それ何ですの?」
「ふらっぺ、というジュースみたいです」
ふらっぺ、と覗き込む桜子は復唱する。彼女も己と同じようにこの商品をあまり知らないようだ。もふもふとした白い尻尾が興味深そうに揺れた。
「一口飲んでみますか?」
「いいんですの?」
「もうちょっとして、溶けてからになってからでもよければ」
雪色の言葉に、狐は嬉しげにぴんと耳と尻尾を立てる。大きく開かれた目は喜色に満ちていた。私もアイス一口分けてあげますの、と手にしたビニール袋を掲げた。
「私のも飲む? 今月出た新フレーバーですって」
「えっ、いいんですの?」
「いいわよ。氷雪も飲む?」
ぱたぱたと尻尾を振る桜子と向き合っていた恋刃がこちらを向く。突然のそれに、氷雪はひくりと肩を震わせた。両手に持ったカップの中身が揺れる。
「あっ、えっ、えっと……、いいん、ですか……?」
「いいわよ。これぐらい」
あ、でもフラッペ一口飲みたいかも、と赤は興味深そうに手元を見る。ど、どうぞ、と差し出すと、少女は少し苦そうに笑った。貴方がまず飲まなきゃダメよ、と諭す声は優しいものだ。
いきましょ。いきましょですの。そう言って友人らは出入り口へと足を向ける。はい、と答え、氷雪はその後ろに続いた。返した声はおのれでも驚くほど弾んでいた。
特徴的な電子音と、ありがとうございましたー、という明るい声が三人を見送った。
喜び願う赤と黄/ライレフ
エプロンを身に着け、烈風刀は冷蔵庫の前に立つ。料理当番表とマグネットが貼られた白い扉に触れながら、二人暮らしには幾分か大きいそれの中身を思い出した。
卵の賞味期限がもうギリギリだ。まずはこれを使わねばならない。昨晩確認した限りだと、タマネギとニンジンが中途半端に余っていた。これも早くに処理してしまう方が良いだろう。となると、スパニッシュオムレツか。いや、キャベツや冷凍ほうれん草も残っていたから卵炒めもいいかもしれない。今日は冷凍したご飯を食べる予定だから、炒飯も選択肢の一つに入ってくるだろう。どうしようか、と少年は顎に指を当てた。
卵、ニンジン、タマネギ、ご飯。脳内に材料を並べ立てたところで、一つの料理が思い浮かぶ。しかし、こいつを作るのは少しばかり手間だ。少なくとも、先に思いついた料理よりもずっと行程がかかってしまう。料理は時間との勝負だ。選択肢から外すべきだろう。けれども。
しばしの沈黙。目を伏せ、碧は観念したように息を吐く。手間がかかることは承知だ。時間がかかるのも承知だ。効率が良いとは言いがたい物であるのも承知だ。けれども、それら全てを天秤に乗せても負けないほどのものが頭に思い浮かんでしまったのだから仕方無い。腹を決めて冷蔵庫を開けた。
照らされた庫内から野菜とベーコン、卵を取り出す。冷凍庫から小分けに保存した白米を二人分取り出し、電子レンジに入れる。慣れた調子でボタンを操作すると、低い呻り声を上げて黒い箱が稼働を始めた。
材料を手早く切り、一部を水とともに小鍋に入れる。油とともに野菜とベーコンをフライパンで炒め、解凍し終わったご飯を入れ、ケチャップとコンソメを掛けてまた炒め。出来上がったケチャップライスを二等分にし、皿に盛る。ケチャップ色に染まったフライパンを洗って拭いて、慣れた調子で卵をボウルに割り入れ牛乳とともに綺麗に溶き混ぜる。弱火にかけたフライパンに、黄色いそれを注ぎ込む。火が通り固まりゆくそれをぐるぐるとかき混ぜ、ふわりとしたものにする。半熟より少し固くなったところで火を止め、ケチャップライスの上に乗せた。鮮やかな赤を優しい黄色が包み込む。
ぐつぐつと沸く小鍋に固形コンソメを放り込む。混ぜて溶かし、味見に一口。少し物足りないので塩をほんの少しだけ入れる。もう一度味見。感覚で入れたが、ちょうどいい塩梅に仕上がった。満足げに頷き、スープ椀に移した。
オムライスと野菜とベーコンのコンソメスープ。味覚が子どもに近い兄が喜ぶラインナップだ。
卵料理が好きな兄は、スパニッシュオムレツでも喜んだだろう。卵炒めだって、火が通り鮮やかな色をした食材を鷲掴んでもりもり食べるほど好んでいる。炒飯も、掻き込んで口いっぱいに頬張るほど彼が好む料理だ。
けれども、それ以上にあの兄はオムライスを好いている。ケチャップの塩気と、野菜の甘みと、ベーコンの旨味と、ふわふわの卵の感触。どれも最高だ、といつも目を輝かせ満面の笑みを浮かべて食べるのだ。それこそ、見ている方が幸せになるほど。
甘いなぁ、と眉を寄せ烈風刀は嘆息する。効率を考えるのならば、オムライスなどまず外すべき選択肢である。けれども、選んだ。選んでしまった。あの笑顔が見たいばかりに。
ガチャ、とドアが開く音。時計を見ると、普段夕食の時間から少しばかり時間が経っていた。やはり時間効率が悪い、と改めて思わされる。
「オムライス!」
ぱたぱたとキッチンまで入ってきた雷刀は声をあげる。歓喜に染まったものだ。やったー、と漏らす声は弾みに弾み、ふかふかとした黄色を見つめる瞳は星と同じほど輝いていた。
その嬉しさ溢るる声を聞いただけで、喜色に満ちた顔を見ただけで、もう全てが吹き飛んでしまった。
「ちょうどできたところですよ。運んでください」
「おう!」
エプロンで手を拭う弟にニカリと笑いかけ、兄は皿を両手に食卓まで駆けていった。オムライスー、と機嫌の良い鼻歌が聞こえてきた。
きっと彼は同じ調子で手を合わせ、同じ調子で大口で食べ、頬を膨らませて食べるのだろう。大きなその一口をごくりと飲み込んで言うのだ。『美味しい』と。
そんな姿を思い浮かべ、烈風刀は小さく頬を緩める。その姿が見たくて、時間も効率も無視して作ったのだ。その姿のためだけに、今日は料理したのだ。
再び冷蔵庫のドアに手を掛ける。これだけでは野菜が不足している。サラダでも出さねば。常備菜でもいいかもしれない。何か洋食に合うような物はあっただろうか。
考えながら庫内を眺める目には、幸いが滲んでいた。
真夏でもお手入れは万全に/ロワ+ジュワ
あ、つぃ。
小さな声が音楽室に落ちる。昼休みの中頃、まだクーラーが入って間もない音楽室は熱で包まれていた。カーテンは閉めているものの、日当たりのいいこの教室は布越しでも太陽光による熱気が満ち満ちていた。
音楽室、窓際に近い教壇に設置された椅子には少女が座っていた。膝裏ほどまで伸びた癖のある緑髪を高い位置で括った彼女は、可愛らしい目をこれでもかと眇めていた。日頃からぼんやりとした瞳は更にぼやけ、虚ろにすら見える。当たり前だ、この高温の教室で普通に過ごせという方が無茶である。薄く開かれた口から重苦しい溜め息が漏れた。
あぁ、ジュワユース。
歌うように男は言う。悲哀が満ちた音だった。細い眉は下がりきり、口は悲しげに端を下げている。仮面を付けているというのに表情がよく分かる有様だった。
青年は懐に手を入れる。取り出したのは、大判の布だった。ほつれも汚れも無い薄いそれは、一目で上等なものだと分かる。剣を手入れする際に使う道具だった。
褐色の肌に、手袋に包まれた手が伸びる。ぐったりと己に身を預ける少女の肌に、柔らかな布が触れた。玉の汗が伝うなめらかな肌を、上質な生地がそっと拭っていく。汗が取り払われるのが気持ち良いのか、触れるきめ細やかな布の感覚が気持ち良いのか、少女はほぅと息を吐く。それでも依然内に燃ゆる熱は消えないらしい。ぁつい、とまた一言声が漏れた。
愛するものの言葉に、青年は更に眉を下げる。この少女は非常に寡黙で、言葉を発することが少ない。己の声に応えることすら稀なのである。そんな彼女が、何度も自発的に声をあげている。暑い、と。熱に命が脅かされているのだ、と――勝手な解釈ではあるが、男にはそうとしか聞こえなかった。
あぁ、ジュワユース!
愛剣の名を叫び、青年は懐からもう一枚布を取り出す。もたれかかった身体、その肌をまた拭っていく。こめかみから伝う汗を、うなじから湧く汗を、豊かな胸元を流れていく汗を、丁寧に拭っていく。献身的な姿だった。絵画になりそうなほど美しい姿だった――最小限の局部を隠した程度でほぼ素肌を晒した幼い顔立ちの女性と、こんな夏でもスーツを着込み仮面で素顔を隠した成人男性という二人の外見がそれをぶち壊しているのだけれど。
頭からつま先まで身体を拭き終え、男はふぅと息を吐く。達成感が見て取れるものだ。小柄な女性とはいえ、人一人の身体を丁寧に拭くのは重労働だ。それが冷房がまだ効いていない真夏の教室ならば尚更である。だというのに、彼は疲れなど一切見せていない。当然である、溺愛する少女の世話を苦に感じるはずなどなかった。
どうですか。楽になりましたか。
緩み崩れそうになっていた緑髪を今一度結い直してやりながら、青年は問う。肌を包む汗が取り払われたことと、だんだんと空調が効いてきたこともあり、少女の表情はわずかに明るくなっていた。少なくとも男にはそう見えた。うん、ありがとう、と幻聴まで聞こえてくるほどにはマシな表情になっていた。
あぁ、あぁ、ジュワユース。
青年は何度も愛剣と同じ響きをした少女の名を呼ぶ。耳元で何度も呼ばれたからか、金の瞳が更に眇められる。しかし、そこには最初の不快さはかなり減っていた。普段通りの、穏やかでぼんやりとした落ち着きを取り戻しつつあった。
月色の瞳がゆるりと動き、ガラスへと向けられる。透明なそれの向こう、燦々と輝く太陽を視界に入れ、少女はぐっと目を細めた。
あつぃ、と小さな声がまた音楽室に落ちた。
畳む
触れて満たして愛して【ライレフ】
触れて満たして愛して【ライレフ】
推しカプちゅっちゅしてくれ~~~~~(いつもの発作)
てな感じでDom/Subユニバースパロライレフ。毎度のごとくリンク先を参考に都合良く捏造しまくってるよ。
ライレフがちゅっちゅするだけ。
双子の弟でありこの世でただ一人の恋人である嬬武器烈風刀は、性に関する行為を苦手としている。
とはいっても、忌避や嫌悪といったマイナス感情を抱えているわけではない。むしろ、興味や好奇心を多分に寄せていることがよく分かる。所謂『恥ずかしがり屋』や『奥手』といった、淑やかで奥ゆかしい性格なのだ。どれだけ興味があっても、どれだけ欲していても、己からそれを求めることを『はしたない』と思い込んでいるのである。可愛らしいものだ。
ほら、今だって。
目の前、バラエティ番組の賑やかな風景が流れるテレビから視線を外し、雷刀はちらりと隣をみやる。拳一つ分空けて座る愛しい人は、鮮やかな液晶画面を眺めていた。澄んだ碧い瞳はどこかぼんやりとしており、画面に対する関心の色は見受けられない。視神経から入力される情報は、彼の心に届いていないようだ。
花緑青が瞬く。丸くつやめく瞳がふぃと動き、映像流れる画面から離れる。なめらかな動きをしたそれが、こちらに向けられた。朱と碧がかち合う。ぶつかることなど互いに予想していなかったのだろう、二色二対の瞳はどちらもぱちりと大きく瞬いた。
びくん、と触れそうなほど近くにある肩が大袈裟なほど大きく跳ねる。布地が擦れる鈍い音とともに、体温が届きそうなほどの距離にあった身体が後退る。指を伸ばせば触れられるほどだった互いの身体は、腕を伸ばしてやっと届くぐらい大きく離れてしまった。
弟は奥手だ。己の欲求を表に出せない恥ずかしがり屋だ。
そんな可愛らしい性格は、Subという支配や庇護を求める第二性と非常に相性が悪かった。生きるために満たさねばならない欲求を、接触を恥じらう意識ばかりが、後ろめたさばかりが先走って無理矢理に押さえつけてしまう。結果、体調不良を引き起こすまで我慢してしまうのだから大問題だ。どれだけ言い聞かせようと、本人がどれだけ理解しようとも、根っこの部分を変えるのは難しいことだ。やはり、我慢を選択してしまうことがほとんどであった。
だから、己がサポートしてやらねばならない。恋人を求めてやまないのに、恥じらって逃げて自身を追い込んでしまう彼をすくい上げて、抱える正当な欲求を発散させて、健やかに過ごせるようにしなければならない。それが、パートナーでありDomである己の役目だ。
「れーふと」
努めて明るく、柔らかな音色で大切な碧色の名を呼ぶ。わざとらしく顔ごと己から視線を逸らした彼は、しばしの躊躇いの末首を動かした。浅葱の頭がぎこちなく動き、伏せた顔がそっと上がる。わずかに眇められた孔雀石には、羞恥と悔恨とほのかな期待がぐちゃりと混ざって浮かんでいた。
「……なんですか」
「オニイチャン、もっとくっつきたいなーって」
ダメかな、と朱はにこやかな笑みで問う。普段と変わらぬおどけた調子だ。あまり恋人らしい、甘やかな雰囲気を押し出しては、彼は尻込みしてしまうに決まっている。あくまでいつも通り、じゃれる程度のものと思わせてやらねばならない。
細くなった藍晶がぱっと開かれ、また強く細められる。軽く伏せられた碧が、うろうろと所在なさげに宙を彷徨う。いつも明朗に話す口は、苦しげに引き結ばれていた。朱は言葉を待ち、碧は言葉を探し、互いに黙する。大袈裟な笑い声が重い沈黙の中に響いた。
ダメじゃないです。コマーシャルに切り替わり、静けさを取り戻した空間に小さな声が落ちる。紛うことなき肯定で、了承だった。やった、とはしゃいだ声をあげる。へにゃりと口元が緩みに緩むのが己でも分かった。
「烈風刀、『おいで』」
居住まいを正し、唯一無二の片割れへと身体を向ける。両の手を大きく広げ、雷刀は言葉を紡いだ。Subを支配する――目の前のパートナーが渇望している『命令』だ。とびきり優しく、とびきり甘い声で、大切なコマンドを紡ぎ出す。Domとして、つがいとして、身体が相手を求めてやまない。それが音となり現れたのだ。
背筋をなぞるような響きに、烈風刀は身を固くする。それもすぐに解け、おずおずと動きを始めた。腕一本ほど離れた距離が拳五つ分ほどになり、三つになり、一つになり。ゆっくり、しかし確実に距離は縮まっていく。半分になったところで、慎ましやかな愛し人は力を抜いたように身体を傾かせる。大きく広げられた朱の腕の中に、碧が倒れ込むように飛び込んだ。ゼロになった距離から、温もりが、愛が広がってゆく。胸に溢れゆくそれをそのまま伝えるように、その鍛えられた身体をぎゅっと抱き締めた。
「ん、『いい子』」
褒美の言葉をいっとう優しい声で与え、胸に押しつけ埋まった形の良い頭をそっと撫でる。ふ、と細く息を吐く感触が布越しに伝わってきた。風呂上がり、綺麗に乾かした指通しの良い髪を硬い指で梳いていく。むずがるように、ねだるように、碧い頭が擦り付いてきた。可愛い、と腕に込める力を強めそうになるのを必死に我慢する。潰してしまっては逃げていくに決まっているではないか。ここは抑えるべき場面である。
ね、烈風刀。幸福にとろけた声で己が腕の中に収まった弟を呼ぶ。なんですか、と随分と柔らかさが増した声が返ってきた。
「キスしたいなー、って」
ダメ、と朱は再び問う。大切なパートナーは触れ合いを求めている――恐らく、その先にある口付けも同じほど求めているはずだ。それをしっかりと与えてやりたかった。押し込めようとする欲求を満たしてやりたかった。何より、己が彼を欲してやまないのだけれど。
空白が二人の間を流れる。テレビ番組の賑やかな音に包まれているはずだというのに、痛いほど静かなように思えた。長くほのかな冷たさを覚えるそれの後、はい、と消え入るような声が部屋に落ちる。胸の内から聞こえたそれは、聞き間違えようがない、確かなものだ。
「烈風刀、『キスしよ』」
ぎゅうと抱き締める腕を緩めて、雷刀は言葉を紡ぐ。胸に額をつけ、完全に埋もれていた若葉色の頭がゆっくりと上がっていく。露わになった整ったかんばせは、澄んだ水に朱を落としたようにふわりと赤く染まっていた。翡翠の双眸が紅玉を射抜く。美しい色の中には、確かな熱が宿っていた。
炎燃える瞳が、健康的に色付いた唇が、ぎゅっと閉じられる。下ろされた瞼も、引き結ばれた唇も、寄せた身体も微かに震えている。しかし、そこには怯える様子も逃げる気配も欠片も無い。大切なパートナーが己を求めているという確かな事実がそこにあった。
己の瞳の色に染まった頬に、優しく手を這わせる。こくりと白い喉が上下する。大丈夫、と安心させるように整ったそこを撫で、静かに顔を近づける。音も無く、二人の距離が縮まっていく。引き結ばれた唇に、己のそれを押しつけるように重ねた。
触れて、離れて。また触れて、離れて。じゃれるようなわずかな触れ合いを幾度も繰り返す。かすかに伝わる温度に、胸が満たされていく。同時に、強い渇きを覚える。もっと欲しい、と贅沢な欲が湧き出て溢れていった。それは片割れも同じなのだろう、熱が離れた瞬間、ぁ、と切なげな音が漏れるのが聞こえた。
「ちゃんとキスできたなー。えらい!」
ぎゅうと目を瞑った愛しい人の頭をぐしゃぐしゃと掻き撫でる。叱責の声が飛んでくる前に掻き乱したそれをさっさっと指で整えていると、下ろされた瞼が震えた。かすかに揺れるそれが、そっと上がっていく。再び姿を現した藍水晶には、未だ熱が宿っていた。まだ、もっと、とねだる声が聞こえてくるようだ。彼本人は絶対に口に出すなんてことはしないのだけれど。
ならば、己が勝手に与えて、勝手に満たしてやるまでだ。
わずかに開いた唇に、もう一度口付けを降らせる。ちゅ、と可愛らしい音が触れ合ったそこからあがった。
「頑張ったごほーび」
ぱちりと瞬く水底色に、ニッと笑いかける。ぱちぱちと瞬きを繰り返す丸いそれが、さらにまあるく見開かれた。ぅえ、とひっくり返った声が筋張った喉から漏れ出るのが眼下に見えた。
「あ、なたが、したいだけでしょう」
「正解」
だからもうちょいさせて、と頬に這わせた指を動かし、まろいそこを撫ぜる。きちんと手入れされたきめ細やかな肌は、熱を孕んでいた。あんなほんの少しの触れ合いでは到底消えそうにない熱だ。己が求めて仕方が無い熱だ。
これでもかと開かれた目がふっと細まる。瞬間、視界が碧に染まった。弧を描く唇に温もり。ちゅ、と可愛らしい音が再び部屋に響いた。
「いいですよ」
突然の感覚に、予想だにしなかった感覚に、兄はぱちくりと目を瞬かせる。すぐ下から愛しい朱を見上げる弟は、満足そうに、どこか意地が悪そうに、幸福そうに口元を綻ばせ言葉を紡ぎ出した。先ほどのつがいに負けじと甘ったるい響きをしていた。
唇を尖らせ、雷刀は喉奥から悔しげな音を漏らす。恥ずかしがり屋の癖に、奥手な癖に、時折こうやって可愛らしい意趣返しをしてくるのだから、この恋人はずるい。ずるくて、可愛くて、愛しくて、愛したくてたまらない。うぅ、と情けない声が己の喉から落ちる。ふふ、と烈風刀は楽しげな笑声を漏らした。
突き出すように寄せた口元をふわりと解き、朱は笑みを浮かべる。端がわずかに吊り上がった、意地悪げな笑みだ。
了承は確かに得た。『もうちょい』と言ったが、明確な時間は示していない。だから、己が満足いくまで、彼が満足いくまで好き放題に口付けてやる。嫌だ、なんて恥ずかしがっても、絶対に逃がしてやらない。互いに満たされるまで、愛してやるのだ。
そんな小ずるいことを考えながら、背に回していた手を空いた頬に添える。美しく整った顔を優しく、逃がさぬように捕らえた。
楽しげに緩んだ口元に、今一度唇を寄せる。ありったけの熱と愛を、柔らかなそれに注ぎ込んだ。
畳む
書き出しと終わりまとめ15【SDVX】
書き出しと終わりまとめ15【SDVX】あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその14。相変わらずボ10個。
毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。成分表示:嬬武器兄弟3/はるグレ2/ハレルヤ組1/後輩組1/ライレフ3
次は中火で炒めましょうね/嬬武器兄弟
あおいちさんには「優しいのはあなたです」で始まり、「だから君がいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字程度)でお願いします。
何でそんなに優しいんだよ。
心の中で漏らした言葉はどうやら口を突いて出てしまっていたらしい、目の前の藍晶がぱちりと瞬いた。
「何がですか?」
ことりと首を傾げる弟に、兄は苦々しく唇を横一文字に結ぶ。眇められた目には悔しさが多分に浮かんでいた。うぅ、と拗ねたような声が喉からこぼれ落ちる。なんとみっともないのだろう、と情けなさと腹立たしさが胸に渦巻いた。
俯く片割れの様子を不思議そうに見やりながら、烈風刀は目の前の皿に箸を伸ばす。黒が所々に浮かぶ野菜炒めを取り、口に運ぶ。よく噛み締め、飲み込む。美味しいですよ、と少年は再び賛辞の言葉を口にした。
「……おせじとかいいから」
「貴方相手にお世辞を言ってどうするのですか。美味しいから『美味しい』と言っているのですよ」
変なところで疑り深いですよね、と対面に座る彼は呆れたように言う。疑り深いのではない、事実なのだ。現に、自分の口の中に放り込んだ野菜炒めは、炭と形容した方が相応しい味と見た目をしていた。弟の皿にはできるだけ焦げがないものを取り分けたが、それでもどれも一カ所は黒い斑点ができているような有様だ。日々料理を探求し、舌の肥えている彼が『美味しい』なんて言えるものではないということぐらい、鈍感だと評される自分でも分かった。
「そーゆーとこが優しいっつってんの」
「いや……意味が分からないのですけれど……」
むくれながら言う朱に、碧は訝しげな目を向ける。深青の箸がまた野菜を掴み、赤い口に放り込む。整った顎が動く度、複雑な感情が胸を掻き乱した。誤魔化すように白米を掻き込む。柔らかな甘さが炭の風味と濃い調味料で満たされた口内を洗い流した。
「焦げはありますがきちんと全部に火が通っていますし、味付けが不慣れだからと焼き肉のタレを使ったのは正確な判断です。初めて作ったにしては上出来ですよ」
「……嘘だぁ」
「こんなことで嘘を吐いてどうするのですか」
それはそうだけど、といじけたようにこぼす。彼の言っていることは正しいが、目の前の代物はどう考えても『美味しい』『上出来』という評価には繋がらない仕上がりだ。弟のことを信じたくとも、己の味覚とプライドが許してくれなかった。
「また作ってくださいね」
飛んできた言葉に、は、と呆然とした声が漏れた。こんなお粗末なものを食べて『また作ってほしい』だなんて、さすがにどうかしている。驚愕が伝わったのだろう、目の前の片割れはふわりと笑った。
「貴方の料理が食べたいのです。貴方のものだからいいのですよ」
結った緑に願う/はるグレ
AOINOさんには「届きそうで届かない何かがあった」で始まり、「来年の今日もあなたといたい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。
届きそうで届かないそれを目指す。めいっぱいつま先立ちし、細い腕を限界まで伸ばす。それでも、頭上の緑はこの手に収まってくれなかった。
「これですか」
ひょいと手に持った薄紙が横から取られる。目の前でねじり結われていく銀のラッピングタイを見て、マゼンタの瞳が強く眇められた。
「自分でできたわよ」
「そうでしょうか……」
笹に短冊を結び終えた始果は首を傾げる。踵を地面につけ、グレイスは頬を膨らませる。全体重を掛けていたつま先が少しばかり痛みを訴えた。もうちょっとで届いたわよ、と少女は唇を尖らせる。嘘であり負け惜しみである。自分の身長では、つま先立ちしてやっと指先が触れる程度の場所だった。だからこそ、結びつけようとしたのだけれど。
「あんたは短冊書いたの?」
鮮烈な躑躅が、頭一つ上の丸い蒲公英を見やる。問われた当人は、襟巻きに口元を埋めるように小首を傾げた。長い沈黙の後、あぁ、と合点いったような声をあげた。
「書きました」
あら、と少女は声を漏らす。この少年はイベント事に対する興味が薄い。聞いたものの、七夕の短冊を書くなんてことはしていないと決めつけていた。
「どこ? 何て書いたの?」
きょろきょろといろがみだらけの緑の大群を見回す。あそこです、と指差した先は、彼の身長よりもずっと高い場所だった。どうやって括り付けたのだろうか。何と書いてあるのだろうか。考えながら目をこらす。自分よりも頭三つは高い場所にある薄緑の紙には、細い文字で何かが書いていることしか見えなかった。
目を細め必死に紙を眺めるグレイスに、始果は柔らかに笑む。えっとですね、と漏らす声は彼らしくもなく感情が滲んだ音に聞こえた。
「来年も君といたい、と書きました」
放たれた言葉に、シアンに縁取られたマゼンタがぱちりと瞬く。数拍、日に焼けていない白いかんばせが真っ赤に染まった。
「……いるに決まってるでしょ。ネメシスから出るつもりなんてないわよ」
ようやくあの暗い海から輝かしい世界にやってこられたのだ。待ち望んだ場所から出ていくなどあり得ないことだ。
一緒にいてくださいね、と狐は躑躅を見つめる。少女はふぃと視線を逸らした。尖晶石が居心地悪そうにうろうろと泳ぐ。己が書いた、少年が結んでくれた短冊が視界に入った。ほんの数分前に必死に考えしたためた文章が頭の中に甦った。
ずっと一緒にいられますように。
数日後には元通り/ハレルヤ組
AOINOさんには「傷口には触れないで」で始まり、「そう思い知らされた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。
「傷口には触れちゃダメデスヨ! 絶対デスカラネ!」
頬を膨らませ、立てた人差し指でビシリとこちらを指すレイシスに、雷刀ははい、としおらしく返事をする。本当は患部が痒くてかきむしりたくてたまらない。しかし、今ここで実行しては二人分のお説教が頭にのしかかってくるだろう。絆創膏に伸ばしかけた手を気付かれないようにそっと下ろした。
「かさぶたを掻くのも駄目ですからね」
隣から烈風刀が追撃を放つ。まさしく考えていたことを潰され、朱は喉が潰れたような音を漏らす。はぁ、と呆れ返った嘆息が機械の駆動音満ちる部屋に落ちた。
今日のバグ退治は散々だった。数えられないほど相対してきた新型バグは、こちらの動きを学習したのか斬撃を避けられることがわずかながら増えてきた。飛び回り逃げ回るそれに躍起になって追いかけているうちに、茂みに顔を突っ込む羽目になってしまったのだ。緑の中に身を隠した外敵を排除することは叶ったが、代わりに頬にたくさんの傷が生まれた。一部は枝に引っかかったのか、血が滲むものすらあった。仕事を終え合流した弟と、作戦室で待っていた愛しい少女に怒られたのは言わずもがなである。
痛みを訴える己を無視して容赦なくアルコール消毒され、塗り薬を丹念に塗り込まれ、可愛い柄の絆創膏を貼られ。この上なく適切な処置だ、己の代謝も合わせて数日もすれば治るだろう。血は出たものの傷口は浅かったようだから、痕が残ることもないはずだ。
しかし、とちらりと隣を見やる。桃と碧は真剣な顔で話していた。毎日絆創膏貼り替えてくだサイネ。もちろん。掻かないように見張りますから。お願いしマス。絆創膏も剥がしにくい物に買い直した方がいいですね。頬に指を当てた少女と顎に指を当てた少年は、明らかに己の対処について話していた。どう聞いても子どもの面倒を見る親の会話だ。じっとするのが苦手で、傷ができる度掻いて悪化させ、かさぶたになったと思ったら好奇心で剥がすような己である。反論できないのが悲しい。
雷刀、と固い声。視線を向けると、そこには変わらず険しい表情をしたレイシスがいた。美しい桃の眉はぎゅっと寄せられ、丸く輝かしい薔薇輝石の瞳も眇められている。その澄んだ色の中には、心配の色が多分に浮かんでいた。
「烈風刀にも言いましたケド、毎日薬を塗って絆創膏を貼り替えてくだサイネ。雑菌が入らないようにしなきゃいけマセンカラ」
「何度も貼り替えては逆に雑菌が入る機会が増えてしまいますし、お風呂上がりに替えるのが一番でしょうね。僕も気を付けますが、忘れずにやってください」
真剣にこちらを思い遣る桃と碧に、朱は分かったよ、と返す。いつも通りに返したつもりが、どこか拗ねたような響きになってしまった。これではまるきり子どもではないか。思わず顔をしかめる。
「面倒くさがらない」
「早く治すためデスカラネ!」
声と表情が合わさり、最悪の解釈を生み出したようだ。少年と少女は表情を険しくしながら言葉を紡ぐ。分かってる、大丈夫、ちゃんとやる、と項垂れ両の手を上げて返した。降伏の意思表示である。
お願いしマスネ。ちゃんとしてくださいね。二人分の固い声が頭上から降ってくる。どちらも内側に込められた温かで柔らかな心が伝わってくるものだった。
それにしても、と心の中で呟く。たかが顔の傷でこれほど心配するだなんて、二人はどれだけ優しいのだろうか。相手が怪我に頓着し悪化させる自分であることを差っ引いても、大袈裟なほどである。
こんなに心配させるほど、己は信用されていないのだ。こんなに心配してくれるほど、二人は己を大切にしてくれるのだ。そう思い知らされた。
二度目の制止は言う暇を与えてくれなかった/はるグレ
葵壱さんには「私に少し足りないものは」で始まり、「その声がひどく優しく響いた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。
己に足りないものは、辛抱とか、我慢とか、そういうものなのだろう。
闇の中、ずっと待つ。否、『ずっと』なんて言葉を使うほど長い時間ではない。きっとまだ三十秒も経っていないだろう。けれども、この暗い世界に放り込まれたのは随分前のように感じた。
静寂と暗闇に耐えきれず、そっと目を開ける。目の前には、月色が広がっていた。見知った月色。愛しい月色。彼を象徴する色が、目が、視界いっぱいに映るほど迫っている。事実に、ぶわりと顔が熱を持つ。ひくりと喉が引きつった音を漏らした。
「す、すとっぷ!」
「はい」
叫び、ぐいと目の前の胸を押す。あんなにも近くにあった月は、従順な声とともにすぐさま引いていった。視界いっぱいの黄色が消え、広がるは愛しい人の顔だ。月が、金の双眸が、こちらを射抜く。見つめられることなど普段と変わらぬことだというのに、今は何故か逃げたくてたまらない。思わず顔を背けようとするが、両頬を手で包まれ顔を固定された状態では叶わなかった。
まただ、とグレイスはギリと歯を噛み締める。付き合ってからもう随分と経つ。手を繋いだり、抱き締めたりと、恋人らしいこともたくさんしてきたつもりだ。けれども、こうやってまっすぐに向き合って、頬を優しく捕らえられて、目を閉じ口付けるなんて甘やかな行為は未だに慣れることができないのだ。口付けなんて彼が不意打ちで何度もしてくるのだから、多少離れているはずだ。けれども、意識をするだけで何もかもが駄目になる。悔しいったらなかった。
すり、と親指が頬をなぞる。自分のものより大きなそれは少しかさついていて、温かだ。愛しい温もりと優しい感触に、そっと息を吐く。バクバクと騒がしい音をたてる心臓が、ほんのわずかに凪いだように思えた。
「……落ち着きましたか?」
「さ、最初から、落ち着いてるわよ」
穏やかな問いに、つかえつかえに返す。見え透いた嘘だ。誤魔化される優しさは持っていない彼は、そうでしょうか、と疑問符が付いた声を返す。そうよ、と思わず語気を強くした。
「では、やりましょうか」
両の頬を捕まえたまま、始果は言う。常と変わらぬ声が、有無を言わせぬ声が、酷く優しく、どこか恐ろしく響いた。
「クーラー効いた部屋で食べるアイスこそ至高」とか言うやつが全部悪い /後輩組
AOINOさんには「たったひとつ欲しいものがあるの」で始まり、「今日も空が青い」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。
ただ一つ欲しいものがある。願いを胸に、少年たちは手を握った。
生っ白い手が振り上げられ、青に包まれた腕がそっと上げられ、床に転がった茶の腕がかすかに動く。ぽん、と気迫溢れる声とともに、大小三つの手が寄せられた。
「えぇ……」
大きく開かれた少し小ぶりな手。力なく開かれた剣胼胝のある手。そして、ぎゅっと握られた己の手。一度きりのじゃんけんは、青い少年一人の敗北で締めくくられた。
よっしゃ、と魂は力いっぱい開いた手を頭上に歓声をあげる。床に寝転がった灯色は、腕を動かすことなく目を伏せていた。すぐにでも眠りの海に沈み行く彼の肩を掴み、名を呼びながらゆさゆさと動かす。このまま眠られては困る。
「じゃーあー、オレはしろくまな。背高くてフルーツめいっぱい入ってる方」
不機嫌そうに薄く目を開けるはしばみ色の横で、くちなし色は上機嫌に言う。椅子の上であぐらを掻いて座る様は浮かれたものだ。
「灯色は?」
「別に……。適当にしといて……」
尋ねる冷音に、灯色はむにゃむにゃと寝言めいた声で返す。それもすぐに穏やかな寝息に変わった。もう眠ってしまったようだ。闘いの参加者であり勝者といえど、彼は魂に無理矢理巻き込まれたのだ。せっかくの勝利への頓着も何もないのは当然と言える。相変わらずマイペースで、睡眠に貪欲な友人だ。
「じゃあしろくま三つね」
小さく息を吐き、青は立ち上がる。身体が重くて仕方が無い。それでも、己は敗者だ。賭けに乗った以上、どんな結果であれど勝者には従わなければならない。財布をポケットに突っ込み、のろのろとした足取りで出入り口へと向かう。よろしくー、と気楽な声が飛んできた。わざと神経を逆なでするようなそれに、思わず眉を寄せる。魂のだけわざと溶けさせて持って帰ってやろうか、なんて意地の悪いことを考える。そんなこと、溶けるまであんな外気温とともに過ごさねばならない地獄を考えなくても絶対にやらないのだけれど。
自動ドアを開け、サーバー室を出る。すぐに、むわりとした空気が冷房で冷やされた身体を包みこんだ。うわ、と思わずげんなりとした声が漏れる。それも夏の空気に溶けて掻き消された。
はぁ、と溜め息一つ。冷音は重い足取りで昇降口へと向かう。目指すは学園から少し離れた場所にあるコンビニだ。『じゃんけんで負けたやつがアイス買ってくる』なんて賭け事に乗り、負けた責務を果たさねばならない。
とぼとぼと廊下を歩く。ただでさえ空調が無い廊下は暑いというのに、今日は夏の日差しが燦々と降り注いでいるのだから尚更暑くてたまらない。外はこれ以上の気温なのが容易に想像できるのだから嫌になる。はぁ、とまた重い溜め息を吐いた。
細めた目で、ガラス窓の向こうを見やる。夏の空は、今日も憎たらしいほど青かった。
温もり結んで/ライレフ
AOINOさんには「音もなくほどけた」で始まり、「だから君がいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字程度)でお願いします。
繋いだ手は音もなくほどけた。
寒いから、なんて理屈を捏ねられ繋いだそれはどちらともなく離れ、愛おしい熱は物言わずに去っていく。名残惜しさを覚えるが、ここは二人で暮らすアパート、そのエントランスまでほどない場所だ。時刻はもう夜に近く人通りは少なくなっているとはいえ、住人とすれ違う可能性はゼロではない。男子高校生二人が手を繋いでいる姿を見られるだなんて事態は、さすがに回避したい。
持った手に揺られ、ビニールバッグがカサカサと音をたてる。二人の間に響くのは無機質なそれのみだ。中身いっぱい詰まった鞄二つが鳴く中、兄弟は上階へと向かう。ライトで照らされた廊下を歩き、己たちの住まいに繋がる灰色の扉の前に立つ。片手で器用に鍵を取り出し、烈風刀は錠を開ける。カチャン、と無機質な音がコンクリートに打たれた廊下に響いた。
ただいま。おかえり。互いに帰宅の言葉と迎える言葉を交わしあい、靴を脱ぐ。踵を踏んで脱ぐ兄を横目に、弟は片足ずつ脱いで向きを整えて置いた。
「なー、烈風刀」
先に廊下に上がった雷刀が名前を呼ぶ。ようやく帰宅したというのに、どこか寂しげな音色をしていた。
何ですか、と返す前に、空いた手に温もりが訪れる。甲に触れた指先から点のように宿り、肌をなぞって線を描き、手のひらと手のひらを合わせてしかと触れ合う。開きっぱなしの指の間に、胼胝ができた硬いそれが潜り込む。離ればなれになった二つは再び寄り添い、つい数分前までの形を取り戻した。
「もうちょっと、手ぇ繋いでたい」
だめ、と問う声は甘える時のそれだ。わざわざ軽く屈んで下から覗き込む朱の瞳も、少し潤んだねだる時のそれだ。求めていることがよく分かった。
兄の様子に、弟は難しそうに眉をひそめる。外と違って家の中はまだ暖かいのだから、手を繋いで温もりを分け合う必要などない。そもそも、今から料理をせねばならないのだから手を繋いでいる暇など無い。だというのに、振りほどこうという気がなかなか起きないのだから、大概だ。
「……せめて手を洗ってからにしてください」
逡巡、絞り出すように言葉を生み出す。合理的であるはずの否定の言葉は吐くことができなかった。非効率的だ。愚かだ。分かっていても、胸に燻る思いは手放すことを選択できなかった。
だって、部屋の暖かさより、空調の温もりより、何よりも、愛しい人の体温がいい。
「分かった!」
パァと表情を明るくし、朱は元気よく返事する。早く洗お、と繋いだ手を引かれる。わ、と小さな悲鳴をあげならがも、少年は靴下で滑るように廊下を駆け出した。
何よりも大切な熱は、二人の間に灯ったままだ。
思い出飾る色たち/ライレフ
葵壱さんには「幸せが逃げて行く気がした」で始まり、「そっと思い出を捨てた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。
幸せが逃げていくとはよく言ったものだ。
一つ手を取る度――幸せが詰まっていたそれらを手に取る度、はぁ、と溜め息が漏れる。あまりに多すぎて、肺の中身が全て無くなってしまいそうな心地だ。意識して呼吸すると、舞い散る埃が鼻をくすぐる。くしゅん、と大きなくしゃみが飛び出した。
「手を止めない」
むず痒さに鼻をこすっていると、強い声が飛んでくる。言葉の主は、テキパキと手を動かしていた。己とは全く違う、容赦など一切無い手つきだ。
「何でこんなに段ボール箱を溜め込むのですか」
「ほら……いつか何かに使うかもしれないじゃん……?」
「使わないからこんなところで埃を被っているのでしょう。全部捨てますよ」
苦い顔で首を傾げる兄を切り捨て、弟は通販サイトのロゴが書かれたダンボール箱を手早く畳んでいく。長方形の浅い箱がいくつも畳まれ、積み上げられていった。見かけの嵩は減ったものの、数はあまりにも多い。縛って捨てるのは少し骨が折れるだろう。それも全て己がやらねばならないのだけれど。
「何で包装紙なんて取ってあるのですか。使わないでしょう」
クローゼットの隅、小さな段ボール箱の中に畳んで入れられた包装紙の束を掴み、烈風刀は溜め息を吐く。呆れきった音色をしていた。
「いや、それはダメ」
色とりどりのそれを燃えるゴミ分別用の袋に向ける腕を掴む。静止の声は強いものだ。『ゴミ』と判断されたそれへの想いが詰まっていた。
雷刀の言葉に、烈風刀はぱちりと瞬く。予想外の硬い声に、込められた力の強さに、呆けたように動きが止まった。それもすぐに解け、眉間に皺が寄る。片割れを見やる目は厳しいものだ。
「使わないのでしょう。取っておいても仕方ないではないですか」
「だってそれ、全部烈風刀がくれたプレゼントのやつだもん」
恋人になってから初めてのクリスマス。世界生誕パーティーが終わって二人きりになった誕生日。帰ってから赤らんだ顔でそっと差し出してきたバレンタイン。全て、恋人である烈風刀からもらったプレゼントを飾った紙であった。どれも大切な思い出の一つだ。捨てられるはずがない。
兄の言葉に、弟は何度も瞬きをする。沈黙数拍、ようやく意味を理解した彼の顔にぶわりと朱が滲んで広がった。厳しく結ばれた口は解け、ぱくぱくと開閉を繰り返している。そこから音が紡がれることはなかった。
「…………それほど大切ならば、こんなところではなくもっと別の場所にしまっておくべきではないのですか」
ようやく通常の形を取り戻した口が紡ぎ出したのは、依然厳しいものだった。う、と言葉に詰まる。反論しようがない言葉であった。だってさぁ、と抵抗する声に、はぁ、と溜め息が被された。
「捨てますよ」
「やだってば!」
ゴミ袋に伸びる手に縋る。すぐさま振りほどかれ、鋭い視線が向けられる。しかし、そこには今まで冷たさはなかった。
「プレゼントぐらいまたあげますから」
だから、今までのは捨てます。
瞼を下ろし、愛し人は言う。呟くようなものだった。けれども、確かな言葉であった。
予想外の言葉に、歓喜を呼び起こす言葉に、朱い目が瞠られる。悲しみの色を浮かべていた顔が、ぱぁと明るさを取り戻した。
「いや、それはそれとして捨てんのやだ」
「諦めなさい」
誤魔化されないぞとばかりにすぐさま腕を伸ばすが、完全に予測された動きで躱された。むぅ、と頬を膨らませるが、片割れに通用するはずがなかった。
「次の機会を楽しみにしててください」
どこかいたずらげに言って、烈風刀は手にしたそれを燃えるゴミ用袋に入れる。手付きには先ほどまでの厳しさなど見えず、壊れ物を扱うような繊細さがあった、
そっと、思い出の詰まった色たちが捨てられた。
濡れ髪に病/嬬武器兄弟
AOINOさんには「空はこんなに青いのに」で始まり、「そう小さく呟いた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。
空はこんなに青いのに。太陽はあんなに輝かしいのに。風はあんなにそよめいているのに。
「何でこんななんだよ……」
目元を腕で覆い、雷刀は呟く。非常に重苦しく苦々しい音色をしていた。低い音に反して、響きは力のないものだ。普段の彼らしい明るさや軽快さは欠片も見られない。はぁ、と空気を吐き出すように溜め息を漏らす。総じて彼らしからぬ姿だ。
「髪を乾かさないでクーラーの効いた部屋でそのまま腹を出して寝たからではないですか」
自業自得です、と険しい声が降ってくる。重い腕を下ろし、朱は声の方へと視線だけやる。ペットボトルと体温計を持った弟の姿がこちらを覗き込んでいるのが見えた。
ほら、と小さな体温計が差し出される。ベッドに寝転がったまま受け取り、掛け布団の中に潜らせ脇に挟んだ。沈黙十数秒。ピピピ、と高い電子音を合図に、布団の中から体温計を取り出す。液晶画面には、三七・〇とデジタルの数字が示されていた。
「まだ少しありますね……。水分を取って大人しく寝ていてください」
体温計と交換で、ペットボトルを受け取る。力の入りづらい手でキャップを握る。あらかじめ開いていてくれたのか、固いはずのそれはすぐに外れた。少しだけ起き上がり、ボトルを傾ける。ゴクゴクと音をたて、中身を飲み下した。水分が渇いた喉を潤していく。スポーツドリンク特有のわずかな甘さが舌に残った。
「薬の時間になったら起こしますから、大人しく寝ていてくださいね。起き上がってはいけませんよ」
「えー……」
厳しい言葉を残し踵を返す弟の背に、兄は不満げな音を漏らす。普段のそれに似ているようで、幾分か細いものだった。
「暇なんだけど」
「知りません。風邪をひいた自分を恨みなさい」
「宿題すんのもダメ?」
「駄目です」
いつもなら止めねーのに、とからかうように投げかける。すぐさま、やる気なんて最初から無いでしょうが、と棘の生えた音が返ってきた。
「夜、熱が下がってたらしてもいいですよ」
「……朝まで寝てる」
「薬の時間になったら絶対に起こしますからね。ちゃんと食べて、ちゃんと薬を飲んで、ちゃんと治してください」
分かりましたね、と振り返って烈風刀は言う。指差し念を押すおまけ付きだ。はい、と消沈した声が自室に落ちた。彼の言うことは全て正しい。軽口なんて叩かずに従うべきだ。分かってはいるが、ずっと寝ているだけでは暇だ。病気で弱っているせいか、どこか寂しさすら覚える始末だ。病は気から、とはこのようなことを言うのだろうか。熱に浮かされた脳味噌の中、些末な疑問が思い浮かぶ。
「おやすみなさい」
一言残し、碧は部屋を出る。響いた音は、厳しく言いつけているようにも、優しく寝かしつけているようにも聞こえた。
パタン、と軽い音をたてて扉が閉じる。それだけで、世界に隔絶されたように錯覚する。部屋に一人きりで寝るなど当たり前なのに、こんなにも心細く思うなんて。はぁ、とまた重い溜め息を吐いた。
「早く下がんねーかなー……」
そう小さく呟いて、少年は瞼を下ろした。
手→鞄→ベッド↓/嬬武器兄弟
あおいちさんには「大切なものをなくしました」で始まり、「謎は謎のままがいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。
「何でそんな大切なものなくすのですか!」
「オレが知りたい!」
ガサガサ。ゴソゴソ。バサバサ。騒がしい音が部屋に満ちる。二人がかりで隅々まで部屋の中を漁る。それでも、目当てのものは見当たらなかった。
「学校に置いてきたのではないのですか!」
「だと思ってこないだ探してきた! 無かった!」
「じゃあどこにあるのですか!」
「知らねぇよ!」
叫び散らしながら必死に手を動かす。鞄の中、引き出しの中、机の下、本棚の中、クローゼットの中、ベッドの下。空間という空間を探っていく。それでも、『数学II」と書かれた冊子はどこにも姿を見せなかった。
宿題どっかいった。
夏休みも終わる時分、リビングに落ちた呟きに兄弟二人は硬直した。『終わってない』ならまだしも、『どっかいった』である。その場の言い訳などではなく、本当に行方不明になっているのだ。いっそ乾いた笑いが込み上げてくる。
仕方が無いですね、と嘆息する弟とともに自室で捜索活動を始めたのが一時間前。目的のものは影すら見せない。すぐに見つかると思っていたのだろう、初めは余裕を持った手つきで探していた烈風刀の表情はだんだんと険しく焦りを孕んだものとなっていた。当事者である雷刀はずっと青ざめ泣き出しそうな顔で手を動かしていた。気まずいったらない。
どこだ、と揃って叫びながら捜索する。机の裏、椅子の裏、引き出しの隙間、クローゼットの天袋。まずあり得ない場所すら手を伸ばしていく。
「――あった!」
光明差す声をあげたのは、雷刀だった。どこですか、と焦燥と驚愕と歓喜に満ちた声をあげ、烈風刀は兄の方へと振り返る。そこには、ベッドと壁の隙間から問題集を引き上げた朱の姿があった。
「…………何でそんなところにあるのですか」
「分かんねぇ……」
苛立ちと怒りを露わにした声に、気まずげな硬い声が返される。貫かんばかりの鋭い視線を向ける弟に、兄は振り返ることができなかった。
「……ほら、謎は謎のままがいいんじゃねぇかなぁ」
強張った動きで振り返り、テキストブック片手に朱はへらりと笑う。怒号が夜の一室に響いた。
降り注ぎ染み込み/ライレフ
葵壱さんには「最初は何とも思っていなかった」で始まり、「その言葉を飲み込んだ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。
最初は何とも思っていなかった。否、正確に言えば呆れを覚えていたほどだ。
けれども、何度も何度も、それはもう耳にたこができるほど言われれば、自然と染みつき意識してしまうものである。
例えば、満面の笑みを浮かべとろけきった様子で。
例えば、肩に顎を乗せられ耳のすぐ傍でひそめた調子で。
例えば、普段の奔放さなど欠片も見せない真剣そのものの様相で。
例えば、食われてしまうのではないかと錯覚するような鋭い視線で。
どんな時でも変わらず言われれば、本当にそうなのではないかと勘違いしてしまう。そんなことはあり得ないと分かっていても、めいっぱいに降り注ぐ言葉を信じてしまう。あり得ないのに。信じたくないのに。
「烈風刀、かわいい」
なのに、愛しい人は今日だって、いつだって褒めそやすのだ。『可愛い』だなんて、己のような四角四面な人間に使うのはあまり相応しくない言葉で。
可愛いわけがない。自分のように真面目が過ぎると評価されるような人間が可愛いはずがない。身体のどこも筋張って柔らかさなど欠片も無い姿が可愛くなんてあるはずがない。
だというのに、彼はいつだって『可愛い』とストレートに言うのだ。嘘なんて一欠片も見えないまあるく輝く瞳で見つめ、愛しさをめいっぱい込めた柔らかで甘い声で言うのだ。一瞬で心に染みこんでしまうような音を奏でるのだ。なんと質が悪いのだろう。
可愛いわけがないでしょう。何度も何度も繰り返した否定の言葉を、今日はうっかり飲み込んでしまった。
畳む
#嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀 #レイシス #はるグレ #赤志魂 #青雨冷音 #不律灯色 #後輩組 #ライレフ #腐向け