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本日の主役にはケーキを!【グレイス+烈風刀+つまぶき】

本日の主役にはケーキを!【グレイス+烈風刀+つまぶき】
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誕生日おめでとう!!!!!!!!!!!!! お誕生日にはケーキだよねって話。
ケーキを作るグレイスちゃんと烈風刀と飛んできたつまぶきの話。
 まだ少し固い赤をそっとつまむ。青や黄で彩られた真っ白な舞台に、慎重な手つきでつやめく果実を置いた。表面にたっぷり塗られたクリームが少しだけへこんでくっついて、小ぶりないちごを支える。少し斜めを向いてしまったが、崩れることなく盛り付けられた安堵にグレイスは小さく息を吐いた。
「もっと気楽でも大丈夫ですよ」
 次のいちごをそぅっと手に取ると、笑みを含んだ声が飛んでくる。自然と半分下がった瞼のまま見やると、口元を綻ばせた烈風刀と目が合った。彼の胸元には銀の大きなボウルが抱えられている。泡立て器を持った左手は、心地よさを感じるほど一定のリズムで真っ白な中身を掻き回していた。
「大丈夫なわけないでしょう。誕生日ケーキなのよ」
 ふん、と少女は鼻を鳴らす。そうですね、とやはりどこか笑みが浮かぶ声が返ってきた。
 年も明けてしばらく経った今日は一月十八日。この世界が生まれた日。そして、レイシスたちの誕生日だ。
 こんなめでたい日を祝わずにいられるわけがない。ネメシスは世界の祝福、そして世界のために日々尽くす少女たちの祝福に一丸となって動いていた。例えばお祝いの言葉だとか、ぬいぐるみ付きの電報だとか、誕生日プレゼントだとか、誕生日パーティーだとか。
 週最後の平日である昨日は、放課後の教室で簡素なパーティーが行われた。クラスや学年の垣根を越えて人々がこぞって祝いに来たのだから、彼女たちの人望がよく分かる。四人をもってしても持ち帰られない数のプレゼントが積み重なったほどだ。保存がきくものは週末の間学校で過ごしてもらわねばならなくなってしまったぐらいには。
 迎えた週末、誕生日当日。本日はレイシスたっての希望で、五人きりの小さなパーティーを行うことになっていた。グレイスと烈風刀は料理担当だ。ケーキ生地を焼き、生クリームを泡立て、果物を処理し。午後も早くから始めたというのに、丁寧に作業していた分随分と時間が経ってしまった気がする。パーティーはケーキだけではない、他にも料理を作らねばならない。冷蔵庫の中には醤油や塩だれに漬け込まれた大量の鶏肉が待っているのだ。長い時間キッチンを占領してはいけない。手早くしたい、でも綺麗に丁寧にやりたい。躑躅の心は逸るばかりだ。
 そっと、そぅっと、崩れないように果物を配置していく。ブルーベリーにラズベリー、レモン汁を薄くまとったバナナ、薄切りにしたリンゴ、そしてツヤツヤのいちご。色とりどりの果実が白いスポンジケーキを彩っていった。
「いちご、もっと買ってくればよかったかしら」
 ケーキ一周分載せたところで、グレイスは呟く。こぶりなプラスチックパックの中のいちごは残り三分の一ほどだ。あとは半分に切って載せるので問題はないが、やはりこれだけではどこか物足りない気がする。生クリームたっぷりのホールケーキといえば、大ぶりでツヤツヤで真っ赤ないちごだ。もっとたくさん載せるべきではないか。そんな疑問が、不安が胸をよぎるのだ。
「さすがにこれ以上は無理ですよ。今の時期は高すぎます」
「ちょっとぐらい私が追加で出すわよ」
 パーティーで作る料理や買うジュースなどの費用は全員で平等に出し合っていた。旬を外れたいちごは店先で言葉を失い立ち尽くすほど高く、予算ではこの量が限界だったのだ。けれど、個人的に買えばもっと増やすことができた。何故早く思いつかなかったのだろう。もっと豪華なケーキを食べさせられたのに。今更になって後悔が押し寄せてくる。少しずつ沈んでいく少女の頭に、いえ、とはっきりとした声が降り注いだ。
「そういう部分をなぁなぁにすると雷刀が余計なことをしだすのでやめてください」
 眉根を寄せて首を振る烈風刀に、そうね、とグレイスは一拍置いて頷き返す。雷刀のことだ、自費で肉を増やすとか、菓子を増やすとか、机の上が大変なことになるような買い物をしでかすだろう。レイシスもそうだ。たくさんあって困ることはない、とピザを三枚や四枚気軽に追加する姿が容易に想像できた。
「僕が提供できれば一番よかったのですが……」
「どこまで手広くやる気なのよ。もう農園に余ってるとこ無いでしょ」
 烈風刀が営む農場で栽培されているのは、旬に合わせた野菜がほとんどだ。さすがにいちごを栽培するビニールハウス環境は整備していなかった。していても困るが、と少女はひそかに瞼を下ろす。知らぬ間に土地が増えていることが多いネメシスとはいえ、フルーツまで手を出すほど農園を広くするのは不可能だろう。何より、そんなに種類を増やしては世話をする彼の身体がもたない。
「おー! もうできてんじゃん!」
 風を切る音と弾む声がキッチンに飛び込んでくる。思いもよらぬ声に、手元を見つめていた二人は顔を上げた。躑躅と浅葱の先には、銀色に光る小さな三角形があった。今日の主役の一人であるつまぶきだ。
「貴方、買い物についていったんじゃなかったの?」
「レイシスに留守番してろって言われた」
 オレだって荷物持ちぐらいできんのにさ、とつまぶきは呆れた調子で首を振る。無理でしょ、と二つの声が綺麗に重なった。手のひらサイズの彼が持てるものなど、簡易包装のティッシュペーパー一パックぐらいだろう。ピザや菓子、ジュースに冷凍食品にと重い食品を買いに行った彼女らにとっては完全な戦力外だ。
 スゲー、と感嘆の声を漏らしながら、つまみの精は制作途中のケーキの周りを飛んで回る。フルーツでデコレーションされつつある白を、三六〇度から素早く、忙しなく眺めた。ぴょこぴょこと宙で跳ねて揺れる動きは兎のようだ。
「ぶつかっちゃったらどうすんのよ。あっちいってなさい」
 ぐるんぐるんと飛び回る彼を外に押しやるように、グレイスは手の甲を見せて大きく振る。扱いが虫と同レベルだ。あんまりな態度に、不満げな声が小さな口からあがった。
「そういや味見したのか? してねーならオレが――」
「つまぶき」
 皿の端っこに着地した精を、たおやかな手がそっとつまむ。逃げられないようにがっちりとつまむ。動揺にきょろきょろと視線を泳がせる彼を眼前まで持ち上げ、少女はにっこりと笑った。不自然なほど目元を曲げ、口角を上げるそれは、『笑顔』と表現するにはあまりにも凶悪なものだった。びくん、と逃げられずにいる小さな身体が大きく跳ねる。
「食べたらナパージュぶっかけてケーキの上に飾るわよ」
「……ハイ。タベマセン」
 たどたどしい調子で答えるつまぶきに、グレイスは白くなるほど力を入れていた指先を緩める。分かったならいいわ、と着信中の携帯端末のように震える銀に怒気がにじむ声をぶつけた。
 解放された銀の精はぴゅんと飛ぶ。怒られた子どもが親の背中に隠れるように、烈風刀の肩に腰を落ち着けた。こえー、と怯えきった小さな声が少年の耳をくすぐる。
「生クリームにつっこまないでくださいよ」
「しねーって! 烈風刀までオレのこと信用してねーのかよ!」
「していますが、事故は起きるものです。注意して損はありませんよ」
 ボウルを遠ざける烈風刀に、つまぶきはきゃんきゃんと子犬のように喚く。小さな身体が少年の肩の上でぴょんぴょんと跳んだ。説くように、いなすように、碧はさらりと言葉を紡ぐ。正論であるのは誰が聞いても明らかだ。
 納得したのか、まだ腑に落ちないのか。小さな身体は動きを止めて、五分まで立てられた生クリームがたっぷり入ったボウルから少しだけ距離を取った。むくれた声が少年の後ろを漂っていく。
 手を洗い、グレイスは再び飾り付けを再開する。変色することなく佇むバナナ、水気はないのにつやめくラスベリー、底が分からないほど濃い藍色を覗かせるブルーベリー、端っこがうっすら透けて見えるりんご、真っ赤に熟れたいちご。様々なフルーツを、事前に考えたバランスと相談しながら並べていく。丁寧な作業はようやく実を結び、やっとホールケーキが一つ完成した。安堵に、少女は思わず大きく息を吐く。すぐさまハッとして口元を手で押さえた。今の呼気で崩れてしまっては大変だ。揺れるラズベリルが白いキャンバスを見やる。華やいだフルーツたちは、ひとつも動くことなくケーキの上で咲き誇っていた。
「……これで足りるのかしら」
「二個ありますし大丈夫ですよ。今ロールケーキも焼いていますし」
 へ、と強張っていた口から気の抜けた音が漏れる。急いで振り返ると、随分と前に使い終わったはずのオーブンには再びオレンジの灯りが宿っていた。ヒーターが唸る低い音が、彼が仕事の真っ最中であることを語っていた。
 いつの間に、と驚愕を隠すことなく、グレイスは烈風刀を見やる。作り終わった生クリームをテキパキと処理し、揚げ物用の鍋を用意しながら、彼は小さく笑った。
「冷凍していた卵白がまだ残っていたので」
「卵白って冷凍できるものなの!?」
「できますよ。黄身を醤油漬けにしたりすると余りますから、いくらか冷凍して保存しています」
 作りすぎる人がいるので、と少年は嘆息する。そうなの、と少女は呟くように答える。丸くなったペツォッタイトがぱちぱちと瞬いた。グレイスは寄宿舎暮らしだ。レイシスの部屋を訪れた際に料理をすることはあれど、毎日メニューを考えたり調理をすることはない。卵黄と卵白は必ずセットで使うものだと思っていたし、片方だけが余るだなんて想像ができないことだった。余ったそれを冷凍することは更に想像がつかない。凍ってもちゃんと泡立つのか。そもそもあのどろりとしたものが凍るのか。疑問は尽きないが、今問うのはやめておいた方がいいだろう。
 疑問符を浮かべながらも、少女はナパージュを用意する。透明なそれを、シリコンの刷毛でフルーツに塗っていく。ただ飾っただけでも輝きを放っていた果物は、透明な衣をまとって更にキラキラと輝きだした。拙さの残る手作りのものだというのに、この一処理をしただけでまるで売り物のように様変わりしたのだから驚きだ。料理の奥深さに、手間暇を掛ける重要性に、アザレアの目が開いて閉じてを繰り返した。
 ぶつからないように細心の注意を払いながら、透明な保存容器を逆さにして被せる。これまたぶつからないように慎重に慎重を重ねて冷蔵庫にしまった。これで一つ完成だ。すぐさま元の場所に戻って、新しく皿を用意し、ケーキクーラーに載せていたスポンジを載せる。切っただけだったはずのスポンジは、いつの間にかシロップが塗られ少ししっとりとしていた。きっと烈風刀が処理してくれたのだろう。本当に手際が良い。
 一つ目と同じように、生クリームをたっぷり塗って処理し終えていたフルーツを丁寧に載せていく。先ほどのものはレイシス専用、今回のものは雷刀と烈風刀とつまぶき、そしてグレイスのものだ。貴方たちで全部食べなさいよ、と最初は遠慮したのだが、一人だけ仲間外れだとレイシスが悲しみますよ、と兄弟に押し切られてしまったのは記憶に新しい。本当に良いのだろうか、と未だに不安は残る。けれども、遠慮して食べずにいては、己にとことん甘いあの姉が眉を八の字にしてしょんぼりとするのは容易に想像できた。今日はレイシスの誕生日だ。誰一人として、彼女を悲しませてはならない。ならば己が取る選択は一つのみだ。
「僕らの分ですし適当でいいですよ」
「よくないわよ。何言ってんのよ」
 焼けたばかりのロールケーキの生地を処理しながら、烈風刀は事も無げに言う。あんまりな言葉に、グレイスは頬を膨らませた。整えられた細い眉と、勝ち気な目元がいっぺんに吊り上がる。
「貴方たちも主役でしょ。適当でいいわけないじゃない」
「主役、ですか」
 ケーキ生地からクッキングペーパーを剥がす烈風刀は、少したじろいだように呟く。少し高くなった声は、消しきれぬ疑問符が残った響きをしていた。あんまりにも理解していない様に、グレイスははぁと息を吐く。白い指が一本立って、少年をびしりと指差す。丸くなった翡翠の目が、指の勢いに押されたように揺れた。
「今日はレイシスと、雷刀と、烈風刀と、つまぶきの誕生日なのよ。レイシスだけじゃないの。貴方たちも主役なの!」
 分かった、と語気強く問う少女に、少年は気圧されたようにはい、と返す。そーだそーだ、とここぞとばかりに肩の上で妖精が飛び跳ねた。
「主役のオレはぁー、いちごがいっぱい載ったケーキ食いてぇ!」
「言われなくてもいっぱい載せてるわよ。楽しみにしてなさい」
 くるんと宙返りをして主張するつまぶきに、グレイスは不敵に笑んで返す。歓喜の声をあげ、妖精はまた器用に宙返りをした。落ちないでくださいよ、と大きな手が彼の前を素早く塞ぐ。落ちねーって、と上機嫌な声がキッチンに舞った。
「あと味見してぇ!」
「ダメって言ってんでしょ」
「後でロールケーキの切れ端上げますから、それまで待っててください」
 忙しなく動いて主張する銀色を、躑躅色がバッサリと切り捨てる。露草色の眉がゆるく下がって困ったような笑顔を作り出した。また銀がくるりとひらめいて舞って、急かすように少年の肩をつついた。
 いちごを半分に切りつつ、少女は時計を確認する。あと二十分もしないうちに二人は買い物から帰ってくるだろう。急がずゆっくり、何なら夕食に支障が出ない程度に買い食いでもして帰ってこいと言ってあるが、きっと彼らのことだからまっすぐに帰ってくるだろう。予約していたピザとポテトとチキンと、何リットルもあるジュースや器から溢れるほどの菓子を携えて。
 フルーツを切る音と油が熱される音、ケーキ生地を扇ぐ音が三人を包む。生クリームを冷やす氷が、金属ボウルにぶつかって軽やかな音をたてた。
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#グレイス#嬬武器烈風刀#つまぶき

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どんなあなたもいつだって可愛いじゃないですか!【ヒロニカ】

どんなあなたもいつだって可愛いじゃないですか!【ヒロニカ】
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三つ編みヘアーはゲソを伸ばして作ってる(3アートブックより)→じゃあ解いたら初代ガールのヘアスタイルになるんじゃね?
とかこねくり回した結果がこちらになります。珍しく付き合ってるヒロニカ。都合の悪い部分は全部都合が良いように捏造してる。
風呂上がりのニカちゃんと風呂上がり待ちのヒロ君の話。

 心臓が爆散する音が聞こえた。
 否、錯覚らしい。生きているのだから錯覚だろう。けれども、まだ存在しているらしい心臓は破裂せんばかりに脈動していた。耳の真横で聞こえる鼓動の音は、浴びた者の全身を震わす重いキック音のようだ。きっと身体を飛び出して外側に聞こえてしまっているだろう。一瞬でもそう勘違いするほどの大音量が体の内側で奏でられていた。
「ヒロ?」
 少し高い音が耳朶を撫ぜる。ぼやけた視界が途端に実線を取り戻し、実像を結びだす。そこには、まあるい目をぱちぱちと瞬かせるベロニカの姿があった。しっとりとした手は首に掛けられたタオルを握っている。目に痛いほど鮮やかな黄色のゲソは輝くほどつやめいて見えた。彼女を表す三編みは今は無い。解かれ、ぺろんと一本の長いゲソが彼女の左頬を隠していた。
「あ、え? は、はい。どうしました?」
 聴覚を阻害する鼓動の中、ヒロはどうにか声を発する。口から飛び出した音は、驚くほどひっくり返ったものだった。もはや己の声と認識する方が難しいほどである。やっとクリアになった視界が、不審なほど揺れ動く瞳に合わせて再びブレだす。先ほどまで床についていた手は、気付けば依然バクバクと鳴って耳を狂わせる心臓を押さていた。
「どうかしてんのはお前だろ。どした? 腹痛いのか?」
 挙動不審という言葉を体現した恋人の姿に、少女は首を傾げる。先ほどまで綺麗な丸になっていた目は細められ、訝しげに、それでもどこか心配そうな色をして視線を彷徨わす赤を見つめた。その可愛らしい表情に、少年の心臓はまたバクリと音をたてる。破裂した音だと言われても納得するような爆音だった。
「……………あの」
 心臓を押さえたまま、いつの間にか俯いたまま、薄くなる呼吸の中、鼓動がうるさい中、ヒロは細い声を漏らす。二人きりの夜でなければまず聞き落とすような音だ。アタマ屋の店員の方がまだ聞き取りやすいレベルである。あの、その、とオクトリングは時間を掛けて声と言葉を絞り出していく。気が長くないはずの恋人は、訝しげな目でその姿を眺めていた。じっと言葉を待ってくれていた。
「…………か、わい、すぎて」
「は?」
 数えるのも面倒なほどの時間をかけて、なんとか意味のある言葉を紡ぎ出す。途切れ途切れながら意味を理解できる言葉に、ベロニカはひっくり返った声を漏らした。目も、口も、声も、彼女の全てがその言葉を理解できないと語っていた。
「ヘアスタイル変えたの、初めて見たので……、新鮮で、………………可愛くて」
 そこまで言って、少年は心臓を押さえていた手をようやく離す。大きな両の手を使って、今度は顔全てを覆った。肌から伝わる温度は高い。シャワーを浴びてしばらく経ったのだから、体温は普段通りに戻っているはずだ。だというのに、顔は夏の日差しに晒されたような熱を持っていた。
 ベロニカは普段髪を結っている。トレードマークとして機能するほど常に三編みに結っていた。曰く、これが一番邪魔にならないらしい。綺麗に編まれたゲソは美しく、彼女の勝ち気な顔を輝かしく飾っていた。
 それが今は解かれている。シャワーを浴びたのだ、ゲソを解くのは当然だろう。けれども、己がその姿を見たのは今日が生まれて初めてだった。恋人の普段と違うヘアスタイル。普段と違う姿。どこか幼気な、純朴な、愛らしい姿。心臓が撃ち抜かれないはずがなかった。その結果がこの無様な姿なのだけれど。
「お、ま、……バカか?」
 呆れ果てた、けれどもどこか上擦ったままの声が頭上から降り注ぐ。はぁ、と重い溜め息のおまけ付きだ。それはそうだろう、明らかに様子のおかしい恋人を心配した結果がこれである。呆れない方がおかしい。あまりにも恥ずべき姿に、醜態を晒した事実に、下がった少年の頭が更に下がっていく。もう丸まっていると表現した方が相応しいような有様だ。
「ヒロ」
 幾分かして、頭上からまた声が降り注ぐ。はい、と針を落としたような小さな声でオクトリングは返す。顔上げてみ、と続けざまに声が降ってきた。怒っているのだろうか。それにしては声はどこか楽しげだ。はい、とまた答え、顔を覆っていた手を離し、顔を上げる。
「ポニテ」
 視界に飛び込んできたのは、ベロニカの姿だった。けれども、普段とも、先ほどとも違う。下ろされていた太いゲソは、彼女の大きな手によって高い位置にひとまとめにして持ち上げられている。頭の少し上にぴょこんとゲソが飛び出していた。長いそれが取り払われたことによって、整った彼女の顔が、得意げににかりと笑んだ、頬をうっすらと上気させた可愛らしいかんばせが惜しげもなく晒されていた。
 喉が濁った音を漏らす。心臓がまたキックを鳴らす。気付いた頃には、視界はラグの白色で埋め尽くされていた。頭がぐわんぐわんと揺れる。急激に動いて俯いたことによる反動だろう。胸にある臓物は相変わらず凄まじい音を鳴らしていた。音楽家ならこれで一曲作れるのではないだろうか。そんな馬鹿げた考えが頭をよぎる。莫大な感情からの逃避によるものだった。
「大袈裟すぎだろ」
 呆れよりも愉快さが勝った声でベロニカは漏らす。しまいには笑い声が続いた。ケラケラと軽やかな笑声はいつもながら可愛らしいものだ。けれども、この状態を笑われるのは少しばかり不服だ。羞恥が何十倍にも勝っているが。
「大袈裟じゃありませんよ」
 なんとか顔を上げ、ヒロは返す。むくれた声は拗ねた子どものそれと相違ない。恋人に見せるには恥ずかしいが、恋人にぐらいしか見せられないような姿だ。頬はまだまだ熱を持っている。赤らんでいるその顔で恨めしげに見つめてむくれ声を出すなど、まさしく子どもである。己でも呆れ返るほどだ。
「恋人が違う姿を見せたら……、めっちゃくちゃ可愛い姿になったらこうなるに決まってるでしょう」
「そうか?」
 そうですよ、と返した声は吹っ切れた調子だった。正反対に、返ってくる声は理解しがたいといった調子だ。それにもどこか笑みが宿っている。悶えに悶えた己のことがまだ面白いらしい。あなたのせいなのに、なんて八つ当たりのような言葉が思い浮かんでしまった。
「ベロニカさんは僕が違うヘアスタイルにしたらどう思いますか?」
 未だにむくれ調子の声で問いを投げかけてみる。んー、と思案の音がゆるんだ口元から落ちた。上がっていた口角が更に上がり、美しい半月の形へと姿を変える。水面を撫でたようにすぃと細められた目は、いたずらげに、楽しげに輝いていた。
「見てみねぇと分かんねぇかなぁ」
「……今度、アフロにしますから」
「いや、それは笑っちまうと思うわ」
 どうにか反撃しようとした言葉は、呵々と大きく笑い飛ばされてしまった。想像したのだろうか、ふふ、と愉快げな吐息が聞こえた。インクリングやオクトリングは瞬時にヘアスタイルを変化させることができる種族だ。一瞬で変えるのも、すぐさま戻すのも自由自在だ。けれども、放った言葉を実行する気概は持ち合わせていなかった。鏡を見る度に笑うことなど考えたくもない。
 まっ、とベロニカは鼻で笑うように、高らかに歌うように言葉を宙に舞い立てる。未だにいたずらっ子のように細められた目が再びこちらに向けられた。
「お揃いでポニテにしてもいいんじゃね?」
 そう言って、少女はまた手の輪でポニーテールを結い上げる。また心臓が大きな音をあげて跳ね飛んだ。彼女の姿で一度急加速した鼓動は、彼女の手によってずっと全力疾走を続けていた。痛みを生み出し、呼吸を苦しめ、体温を上昇させる。それでも不快感は全く無かった。悔しさはあるけれども。
「まぁ、機会があったら、はい」
「あったら、じゃねぇんだよ。作るんだよ」
 もにゃもにゃと曖昧に返すと、バンバンと肩を叩かれた。そうだろう。彼女ならそう言うだろう。有言実行がこのヒトのモットーなのだ。
 なっ、と自信満々の調子で問われる。そんな笑顔で問われて、そんな嬉しそうな顔で問われて、そんな頬を紅に染めた愛らしいかんばせで問われては、もう肯定の言葉を返す以外の選択肢など失われてしまった。
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#Hirooooo #VeronIKA #ヒロニカ

スプラトゥーン

寄せあってぬくまって【ライレフ】

寄せあってぬくまって【ライレフ】
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明けましておめでとうございますな正月の右左。やっぱこたつには並んで寝転びたいじゃないっすか。いちゃいちゃしてほしいじゃないっすか。
こたつでちょっと攻防する右左の話。

 シンクを打ちつけていた流水が止まる。スポンジを握った手は淀みない動きで道具を所定の位置に戻していった。流れるように布巾を手に取り、水切りかごに伏せた食器たちを手慣れた動きで拭いていく。水気が消え失せ輝くそれらを棚に片付けたところで、烈風刀は小さく息を吐いた。
 布巾を元の場所に掛け、少年は電気を消してキッチンを出る。十歩足らずで辿り着くリビングには、朱い頭があった。当然のように床の上に転がって、紅緋の髪を絨毯に散らせている。ゆったりと過ごすことを許された正月とはいえ、あまりにもだらしがない姿だ。冬に入って、正確にはこたつを出してからはずっとこの調子なのだから呆れ果てたものである。
「行儀が悪い」
 一言諌めて、烈風刀はこたつに身体を滑り込ませる。いっそ暑いほどの温もりが下半身を包み込んだ。リビングと一続き、多少は暖房が流れ込むとはいえ、キッチンはいくらか肌寒い。夕飯の食器を洗うだけだったとはいえ、やはり足元は幾分か冷えてしまっていた。水風呂に浸したような感覚に陥っていた足先が温められていく。気付かぬ内に強張った身体がほぐされていくような心地がした。
「いいじゃん、正月なんだし」
 寝返りを打ってこちらを向き、雷刀は言い訳めいた言葉を放つ。声はふにゃりとしたものであり、睡魔が彼の身体から力を奪っていっていることがよく分かった。このままでは眠ってしまうだろう。こたつで寝るなと言っても聞いた試しがないのだ、この兄は。
 温められつつある足先を動かして、烈風刀はこたつの中にだらしなく伸ばされた足をちょいとつつく。震えるように小さく反応したそれは、器用な動きでこちらの足をつつき返してきた。眉をひそめて見やると、いたずらげに細められた緋色と視線がかちあう。行儀悪いぞ、と仕返しするように声が飛んできた。
「ほっといたら寝るでしょう、貴方は」
「寝ねーよ。全然眠くねーもん」
「……まぁ、昼過ぎまで寝ていましたものね」
 大晦日から正月に移り変わる夜更けまで起きていたこともあってか、兄は初日の出が中天に昇るまで惰眠を貪っていた。半日近く眠っていれば、確かに夜でも眠気は薄いだろう。けれども、ふやけた声音で紡がれる言葉には説得力が全くと言っていいほど無かった。懲りることなく眠って起こされてを繰り返すこたつの中、という状況が合わさると尚更だ。信用しろという方が無茶である。
 だろー、と雷刀はどこか得意げに返す。そんなだらしのない生活で得意になるものではないだろう。考えても、烈風刀は黙するのみだ。言ったところで効果がないのは何年もの時間をかけて保証されていた。
「烈風刀も寝てみろよ。こたつん中あったけーしきもちぃぞ」
「嫌ですよ」
 上半身を起こし、兄は自身の隣に空いた絨毯を叩く。子をあやすような、信頼を置いた飼い犬を呼ぶような動きだ。弟は眉間に刻む皺を深くするばかりである。こたつに寝転ぶのが心地よいのは分かる。だからこそ、やりたくなかった。こたつに潜って寝転んで過ごすだなんて、どう考えても行儀も悪ければだらしもない。それに、そのまま眠るようなことがあっては示しがつかないではないか。どこまでも堕落させる魅惑の空間だからこそ、己を律しなくてはならないのだ。
「ちょっと寝っ転がるぐらいだらしくなくねーって。絨毯の上だぜ? その上布団があるこたつの中だし? 寝るのがトーゼンじゃね?」
 誰にでも看破できる屁理屈をこねくり回しながら、朱はなおも絨毯の上を叩く。穏やかだったリズムは、いつの間にか機嫌の悪い猫が尻尾で地を叩くそれとよく似たものになっていた。つまりは、自論が通じないからと勢いで押そうとしている。いつものことだった。
 烈風刀、と名を呼ばれる。昼に食べた汁粉よりもずっと甘ったるい響きだ。寂しがりの子犬が甘えるような響きだ。耳からたっぷり流し込んで思考を甘っちょろいものに冒していく響きだ。
 一層険しい顔を作って、碧は寝転がった恋人を見やる。夕陽色の目はわずかに細められ、どこか伏し目がちだ。悲しげにも、眠たげにも見えた。彼岸花色の眉は端っこが下がっている。彼の内に渦巻く感情を、思惑をよく表していた。冬の茜空の髪は汗を掻いているのかどこか力を失って垂れている。悲しみに暮れる犬の耳とよく似ていた。
 れふとぉ、ともう一度名を呼ばれる。息を飲み込もうとしたのに、喉がおかしな音をたてる。だらしのない言葉を跳ね除けようとしたのに、頭が上手く機能しない。言葉を紡ぐ頭はあの甘ったるい声にとっくの間に侵食されてしまっていた。
 深く溜め息を吐き出す。ただのポーズであり言い訳だ。甘っちょろい己に対する自責だ。意味なんて成さないと分かっていながらも、こうでもしないと格好がつかない。年頃の心はいっちょまえに見栄を張った。
 静かに立ち上がり、烈風刀は音もなく絨毯の上を歩んでいく。兄が叩いていた場所より少し離れたところ、それでも彼の隣である場所に身体を滑りこませた。座って逡巡。しばしして、姿勢良く伸びていた背が丸まり、横へと倒れて寝転がった。絨毯のやわい毛が頬をくすぐる。先ほどまで足だけに感じていたぬくもりが腹まで包み込んだ。
 目の前、絨毯の上に髪を散らした朱が笑う。いたずらが成功した時のような、待ち焦がれたプレゼントをもらった時のような、テストで良い点を取った時のような笑みだ。つまりは幸いが彼の顔を染めていた。
「あったけーだろ?」
「当然でしょう」
 まるで自分の手柄であるように雷刀は問う。そこにはもう眠りの膜は見えなかった。夜も更けてきたというのに、日が高い時間のようにケラケラと愉快そうに笑う。ただ己が隣に寄っただけで、何故こうも上機嫌になるのだろう。浮かんだ問いはすぐに解決して消えた。そんなの、己が寝転んだ理由と同じだ。
 ぬくいこたつ布団の中、手にぬくもり。ヒーターが温めるそれとは明確に違う温度に、烈風刀は瞬き一つ落とす。眼前には眠る直前のように目を細め、口元を逆さ虹の形になぞった朱の姿があった。肌に直に触れる温度が緩やかに動いて、手を包んで引っ張る。ねだるように、乞うように。
 むずがるように身動ぎ一つ、二つ。ようやく碧は動き出す。引く手に誘われて動き出す。ほんのちょっと身を寄せただけで、大きな手が背に回り引き寄せられた。暑いくらいのこたつ布団の中、体温が重なる。
「暑いんですけど」
「オレはちょうどいいけど?」
 ウミウシのように動く弟の身体を、兄の腕ががっちりと捕らえる。とはいっても、軽くて緩いものだ。本気で動けば振り払えるだろう。だというのに、身動きがろくに取れなくなってしまうのだから、己は本当に甘いったらない。兄限定の甘さだけれど。
 こたつ布団に朱い頭が埋もれる。ほぼ同時に、胸にやわい衝撃。紅色の頭は、匂いをつける猫のように己の胸に擦りついた。寝惚け声のような笑声が胸からあがる。幸せをそのまま音にしたような響きをしていた。
 思案。思索。思慮。何十にも重ねた意味のない思考の末、碧は自由な手を動かす。少しごわついてきたこたつ布団の中で動いて、胸に飛び込んできた頭にそっと添えた。髪を梳くように頭を撫でていく。よく跳ねる赤色はほのかにしっとりとしていた。長時間こたつに入って寝転んでいた頭は、やはりうっすらと汗を掻いているようだ。
 へへ、と胸の中から声があがる。甘えきったものだった。とろけきったものだった。心の中で生まれた幸せをめいっぱいに謳い上げたものだった。
 また頭が擦りついてくる。その度に、胸の真ん中がぬくくなっていくような気がした。きっと、暖かなこたつのせいだろう。
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#ライレフ#腐向け

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年の瀬は豪華に【嬬武器兄弟】

年の瀬は豪華に【嬬武器兄弟】
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書き納め。お蕎麦には揚げ物載せたくなるよね。
大晦日にスーパー行く嬬武器兄弟の話。

 商品PRの録音音声、特徴的な店舗オリジナル音楽、カートが動く音、靴が床を打つ音、人の声。様々なものが人でごった返した空間に途切れることなく流れていく。
「豆腐ありました?」
「ほい。……あれ? 絹でよかったよな?」
「合ってます。ありがとうございます」
 手にした買い物かごに入れられた白いパックを確認し、烈風刀は歩みを進める。よかったー、と呟く雷刀もその後ろに続いた。
 天かす、油揚げ、と事前にリストアップした品を二人で次々とカゴに入れていく。年の瀬のスーパーは普段以上に人口密度が高く、動くのすらやっとだ。灰色のプラスチックの中に色が溢れる頃には、普段の倍近い時間が経っていた。
 チープな音楽が流れる惣菜コーナーへと辿り着く。『年越し!』とマジックペンで書き殴られた赤いポップの下には、豊富な揚げ物が並んでいた。エビ天にイカ天に磯辺揚げ、から揚げにアジフライにスコッチエッグなんてものもある。普段は閑散とした棚は、どこも衣の黄色で埋まっている。底の浅い容器に残った細かな揚げカスの量から、元は山盛りになっていたことが察せられた。
 やはり大晦日となると、揚げ物需要が高いらしい。事実、己たち兄弟も今日の目当てはエビ天だ。年越し蕎麦にはエビ天が必要不可欠なのだ。
 本当ならばこんな大晦日に人が普段の五割増しになるスーパーには行かない方が良いのだろう。しかし、さすがに大掃除をこなした大晦日やその前日に揚げ物をするのは骨が折れるのだ。手軽さを求めて最寄りのスーパーで買うのが恒例行事となっていた。
「烈風刀ー」
 トングとフードパックを持って品定めしていると、名を呼ばれた。碧い瞳が聞き逃すことの無い音の方へと動いていく。そこには、にまりと笑みを浮かべた朱の姿があった。手には己と同じように銀のトングと透明なパックが握られている。カチカチと金属がぶつかる音がPRに励む自動音声にまぎれていった。
「大晦日なんだしさ、贅沢してもよくね?」
「大晦日と贅沢に関連性が見えませんが」
 えー、と雷刀は口を尖らせる。またカチカチとトングが鳴き声をあげた。行儀が悪い、と諫めると、動かす手が拗ねたように止まった。
「大掃除頑張ったしちょっとぐらい贅沢してもよくね? カロリー消費しまくってんだから補充しねーと」
「まぁ、たしかに頑張ってくれましたが」
 兄の言葉に、弟は丸い目を薄くする。整えられた眉は悩ましげに寄せられていた。なー、と兄は繰り返す。まるで撫でろと擦り付いてくる猫のような姿だった。
 言葉通り、今日の雷刀の活躍はめざましいものだった。自室はもちろん、トイレに風呂、洗面所といった本格的に手入れすると七面倒臭い場所を綺麗に磨き上げてくれたのだ。特に風呂場の鏡など湯垢の一つも無くピカピカに仕上げていたのだから素晴らしいものである。これを使って汚していいのだろうか、と躊躇うほどには。
 それだけの功績を挙げたのだから、天ぷらの一つや二つ弾んでもいいではないだろうか。エビ天といっても、このスーパーのものはサイズに対してリーズナブルだ。少し多く買ったとて財布へのダメージは少ない。功労を讃えるにしては随分と安上がりだ。
「……いいですよ」
「さすが烈風刀!」
 頷く弟に、兄は満面の笑みを返す。カチン、とまたトングが鳴く。勢い余ったのか、パックもクシャリと悲鳴をあげた。
 鼻歌でも歌いそうな表情で、雷刀はトングを操っていく。衣たっぷりのエビ天、緑鮮やかな磯辺揚げ、一口で収まりそうにないから揚げ、触れただけで音をたてそうなコロッケ。たくさんの揚げ物が手元のパックに詰められていった。
「……もしかして、それ全部お蕎麦に載せるんですか?」
「そうだけど?」
 眉をひそめる烈風刀に、雷刀はきょとりとした顔で返す。丸くなった目は、当然だろう、と言いたげなものだった。はぁ、と思わず溜め息が漏れた。
「お蕎麦が油でギトギトになるでしょう。別で食べた方がいいですって」
「だってエビ天蕎麦もちくわ天蕎麦もコロッケ蕎麦もあるじゃん? 全部一緒にしてもだいじょぶだって」
「から揚げ蕎麦は無いでしょう」
 首を振る碧に、朱はまたトングで返事をする。おかしいですって。だいじょぶだって。揚げ物売り場で静かな議論が繰り広げられていく。
「あー、でもぐしょぐしょなから揚げはやだな。から揚げだけ別にすっかな」
「コロッケも別の方がいいでしょう。出汁の中で崩れてぐちゃぐちゃになりますよ」
 それもそっか、と雷刀は輪ゴムを手に取る。はち切れんばかりに詰められたパックに二度通し、蓋を押さえ込んだ。手にしたカゴに入れられる。ギチギチと音をたてそうなそれに、これだけで二食は食べられるのではないか、なんて考えてしまう。健啖家な兄だから、一食でもまだ足りないなんて言い出しそうだが。
 手にしたままの空っぽパックに、烈風刀も揚げ物を詰めていく。エビ天と磯辺揚げを入れると、手早く輪ゴムで閉じた。カゴに入れたそれが滑ってぶつかり音をたてる。
「そんだけでいいの?」
「あんまり多く入れると油だらけになりますからね」
 新年に胃もたれしたくないでしょう、と返すと、こんぐらいで胃もたれしねーだろ、と笑い飛ばす声が返ってくる。普段通り米で食べるならそうだが、今回は蕎麦である。汁物である。温かで穏やかな味とはいえ、汁たっぷりの食べ物に揚げ物をたんまり載せるのは食べ合わせが悪いように思えて憚られた。
「あとなんか買うもんあったっけ? うどん?」
「うどんは冷凍のがあと三つはありますね。大丈夫かと」
「じゃあこれでいっか」
 カゴの中身を眺める雷刀に、そうですね、と言って烈風刀は歩き出す。道を塞がないためにか、兄も縦に並んで続いた。
 大晦日、音と人がごった返す中に二色が消えていった。
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#嬬武器雷刀#嬬武器烈風刀

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終わりも始めもあんたと【ヒロニカ】

終わりも始めもあんたと【ヒロニカ】
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イカタコ一人暮らししてそうだよね。ヒロニカも一人暮らししてそうだよね。でもちゃんと実家帰るタイプだろうし年末年始はバトルできないし会えないだろうね。ってことで書いた話。バトルジャンキーはどう頑張ってもバトルジャンキー。
早朝駅でのヒロ君とベロニカちゃんの話。

 階段を登ってすぐ、頭を飾る青く整った触手が視界に飛び込んでくる。想像だにしなかったその姿に、ベロニカはあれ、と声を漏らした。
「ヒロ?」
「……え? ベロニカさん?」
 駅のホーム、吹きさらしの椅子に座るその影に近寄り、少女はその名を呼ぶ。顔を上げた彼は、一拍遅れてこちらの名を呼んだ。声は互いに上擦ったものとなっていた。当たり前だ、再び会うだなんて思ってもみなかった相手と顔を合わせることとなったのだから。
「あれ? 反対方向じゃなかったですっけ?」
「そ。同じホームに来るみてーだな」
 青い頭はことりと傾ぎ、黄色い頭はふぃと動いて電光掲示板へと向く。青もつられるように顔を上げて電子文字が並ぶそこを見やる。幾分か汚れが目立つ液晶画面には、同じ乗車場所である一番ホームと二番ホームには反対方向へと向かう電車が訪れることを告げていた。デジタル時計が数字を一つ進める。あと十分もしないうちに電車がやってくることを示していた。
「すごい偶然ですね」
「だな。びっくりしたー」
 楽しげに笑みを浮かべるヒロに、ベロニカは大きく息を吐く。どちらの顔にも、隠しきれない歓喜が漂っていた。
 月日は経ち、十二月が訪れ、あっという間に年末となった。年末年始は実家に顔を出すのが恒例となっている。本当ならば、ヒトが多くマッチング時間が短い今の時期は残ってバトルに明け暮れたいが、一人暮らしを決めた際両親と『盆と年末年始は帰ってくること』という約束――正しくは交換条件である――をしたのだ。適当な理由をでっち上げて残るという手もあるが、そこまで親をないがしろにできるほど己の良心は擦り減っていない。手早く荷物をまとめて電車に揺られるのが年末恒例行事となっていた。
 月も終わるという頃に話したところ、ヒロも同じような境遇らしい。顔を見せて多少は安心させたいですしね、と語る彼の眉はゆるく下がっていた。あちらもあちらで複雑らしい。きっと、己と同じことを考えているのだろう。帰る時間でバトルがしたい、と。
 しばらくできないから、しばらく会えないから、と昨日までひたすらバトルに身を投じたのは当然の帰結だった。なにせ最低四日は実家でじっとしていなければいけないのだ。悲しいかな、実家はバンカラ街まで一時間はゆうにかかるのだ。ハイカラ地方は更に遠いのだから、当分バトルはおあずけだ。ならば、この欲求を満たしてから行かねばならない。居心地の良い実家で悶々とするのはごめんだ。
 タッグを組み、ナワバリバトルに潜り、オープンマッチに潜り、簡単に増えては減りを繰り返すパワーに一喜一憂し、最低限の食事を済ませてまた潜り。どれだけの時間を共に過ごしただろう。戦いに戦い襲いかかってくる疲労と戦いに戦い晴れ晴れとした心に満たされた頃には、冬の陽はとっくに沈んで夜をもたらしていた。
 では年明けに。また来年な。良いお年を。そんな有り体な別れの言葉を交わしてからまだ半日しか経っていないというのに再会したのだから互いに驚愕するのも仕方ないだろう。少しの居心地の悪さを覚えるのも。
 聞き慣れたメロディーが降り注ぐ。ゆっくりとしたリズムを刻む音色が近づいてくる。電車が来たのだ。少女は頭上におわす電光掲示板へと目をやる。己が乗るものまではまだ時間がある。彼が乗る方向のものが先に来たのだろう。
 少年は立ち上がる。その肩には、先ほどまで大人しく膝に乗っていた大きな鞄が担がれていた。デフォルメされたオクトリング型キーホルダーが音もなく揺れる。
「お先に行きますね。今度こそ、また来年」
「おう。良いお年を」
 良いお年を。互いに少しばかり苦く笑い、言葉を交わす。今度こそ、これが今年最後の会話だろう。実家は反対方向なのだから会うことはないはずだ。これが今年最後に目に焼きつく彼の姿と声だった。
 ヒトもまばらな電車の入り口、軽く振り返ってヒロは小さく手を振る。はにかむ彼につられるように、ベロニカもまた笑みをこぼして手を降った。鋼鉄の分厚い自動扉が二人を阻む。程なくして、大きな車体は盛大な音を立てて動き出した。あっという間に彼の姿は見えなくなる。ホームに残るは己だけだ。
 また軽快な音楽と腹に響くような音。どうやら乗車予定の電車が来たらしい。バックパックを担ぎ直し、ベロニカは踵を返す。ホームに印された通りに並ぶと、程なくして巨大な躯体が滑り込んできた。独特の音をたてて扉が開く。ブーツに包まれた足を持ち上げ、少女はいの一番に乗り込んだ。ヒトがいない車内、長い座席の隅っこに腰を下ろす。もうしばらくすれば、この巨大な乗り物は己を実家近くの駅へと穏やかに運んでくれるだろう。
 ゆっくりと瞼が落ちてくる。朝早く起きたこともあり、まだうっすらと眠気が残っていた。目的の駅まではそこそこの時間を要する。寝てしまっても問題ないだろう。念の為アラームをセットし、ナマコフォンを放り込んだ鞄を膝に乗せて抱え込む。くたびれた背もたれと広告が飾られた壁に身を委ね、ベロニカは身体から力を抜いた。首元を覆うコートに口元が埋もれて隠れた。
 良いお年を。そう言って流れて消えていったヒロの姿が思い起こされる。同時に、体力と気力の限界まで戦った数日間を思い出す。ここぞという時切り込むヒロの背に続いて弾を放ち、ポイズンミストで拘束した敵をヒロが撃ち抜いて、キューインキでオブジェクトを阻害するヒロに合わせて塗って射抜いて乗り込んで。もちろん相当に負けも味わったが、それ以上に心を満たす日々だった。タッグを組んで戦う楽しさを存分に味わった日々だった。
 途端、指が疼き出す。わきわきと動く大きな手が、ここには無いトライストリンガーを握る。ありもしない弦に手をかける。引き絞って、狙いを定めて、放って。全て妄想だ。昨日のうちにメンテナンスを終わらせた愛ブキは部屋に置いてきたのだ。
「……あー」
 少女は呆けた声を漏らす。昨日十二分に満たされたはずだというのに、身体はまだバトルを求めている。背を任せ、背を任せられるあの彼を求めている。二人で戦い、勝ち、負け、対策を立てるあの時間を求めている。今からは絶対に手に入らないというのに。
 はぁ、とインクリングは溜め息をこぼす。今から実家に帰るというのに、もうバンカラの部屋に帰りたくて仕方がなくなってしまった。彼に会いたくて、彼と戦いたくて仕方なくなってしまった。どうすんだよ、と少女は小さく声を漏らす。呆れと自嘲がありありと表れた音だった。
 また来年。年が明けるまであと二日。部屋に、バンカラ街に帰るまであと四日。一週間にも満たない、普段ならばなんともない日数だというのに、今は途方もなく長いように感じられた。
 ガタンゴトン。腹を揺らすような音をたてて、身体を揺らすような動きで走り、電車は街の外へと向かい出す。心はまだバンカラ街に、最後に会ったあの駅に取り残されているような心地がした。
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#Hirooooo #VeronIKA #ヒロニカ

スプラトゥーン

今日も明日も全力で【ヒロニカ】

今日も明日も全力で【ヒロニカ】
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弊ヒロニカはバトルジャンキーなのでクリスマスよりイベマ優先するだろと思ったので(24/12/26はサメ祭だったため)
あと育ち盛りバトルジャンキーなので弊ヒロニカは食べ盛りの健啖家だと思う。きっとめちゃくちゃ食う。そんな大遅刻クリスマス話。
ピザ屋帰りのヒロ君とベロニカちゃんの話。

 コートでは暑いほど暖かな屋内も、着込んでも凍えるほど寒い屋外も、どこもかしこもが油の匂いで満ちていた。
 ともすれば胃がもたれるような強烈なものだが、空腹の今は胃をこれでもかと刺激し痛みすら感じさせるほどのふくよかで芳しい香りだった。溶けて流れゆく油の匂い、香ばしく焼かれた肉の匂い、炙られとろけたチーズの匂い、ふわふわのカリカリに仕上がった小麦の匂い。何もかもが少女の鼻腔を満たし、食欲を溢れさせ、胃の腑が仕事するようつつき回した。
 ぐうぅ、と腹の虫が抗議の声をあげる。早く食わせろ、早く胃に入れろ、早く腹を満たせ、と叫ぶ。朝食を軽めに済ませたのもあり、腹は底が抜けて無くなってしまったかのように空っぽだ。盛大な音を響かせるのも仕方が無いことだろう。あまりにも凄まじい芳香に唾液が湧いてくるのも。
 ベロニカは手にしたビニール袋の中身を見やる。大きなピザが入った平たく丸い紙のパッケージはまだ温かで、うっすらと湯気を上げていた。箱とビニールが遮っているものの、やはりあの食欲そそる香りは鼻に届くほど強く匂っている。今すぐ蓋を開けて一切れだけでも食べてしまいたい。否、これは割り勘で買ったものなのだ。たとえ一切れでも、一人で勝手に食べるなど言語道断である。そもそも、ここはベンチも何もないただの歩道だ。おもむろにピザを取り出して食べ歩くなんて非常識なことはさすがにできない。いくら腹が潰れて無くなってしまうほど空腹でも、それぐらいの常識と理性は持っていた。
「すごい匂いですね」
 弾んだ声が隣から聞こえる。心を見透かしたような言葉に、少女はビクン、と肩を跳ねさせた。そろりと見やると、そこにはビニール袋を軽く掲げたヒロの姿があった。彼の手にあるそれには紙袋と紙箱、おまけにカラフルなチラシが入っている。そちらもそちらで油と肉の素敵な匂いを漂わせていた。ぐぅ、とまた腹が鳴る。今度は痛みを伴ったものだった。
「お腹が空く匂いですよね、これ」
「マジでなー……」
 ガサリ、と袋が下げられる音。ぐぅ、と輪唱のような腹の声。はは、とヒロは小さく笑声をあげた。腹が減っているのはお互い様らしい。食べたい、食べたい、食べたい。早くカリカリになった生地にかぶりつきたい。塩と油たっぷりのチーズで口を満たしたい。油したたる肉に食らいつきたい。サクサクのビスケットを頬張りたい。三大欲求の一つががなりたてる。ぐう、とまた腹の虫が大きな鳴き声をあげた。
「走ってこーぜ」
「ピザ崩れませんか?」
「だいじょぶじゃね? こう、横のまま抱えりゃ」
 首を傾げるヒロに、ベロニカは手に提げたピザを抱え直して見せる。腕を地面と平行にし、そこに箱を載せ、手で縁をしっかりと掴む形だ。まるで料理を運ぶ店員である。
「もうちょっとだけ待ってくれませんか? コンビニに寄るので」
「ジュースとか昨日買っただろ?」
 どこか苦く笑う少年に、今度は少女が首を傾げる番だった。
 今日は十二月二十五日。俗に言うクリスマスである。本当ならば二人でゆっくり過ごす予定だったのだが、明日イベントマッチを行うという知らせが入ったのだ。ならば早めに集まって早めに解散しよう、と決めたのはすぐだった。なにせイベントマッチは不定期開催な上に毎回内容が変わるのである。同じ内容のイベントが次いつ開催されるかなど誰も分からない。二人で過ごすことはいつでもできるが、イベントマッチは明日しかできない。バトルをこよなく愛する二人がどちらを優先するかなど火を見るより明らかだ。
 そうして昨日ジュースと菓子を買い込み、今日は朝から予約したピザとチキンとビスケットを受け取りに行き、二人きりのパーティー会場であるヒロの部屋に帰る今に至る。
「たぶんこれだけじゃ足りないと思いまして、ポテトとチキンを予約したんですよね」
「ナイス!」
 はにかむヒロに、ベロニカは親指を立てて褒め称える。今しがた取りに行ったピザたちもそこそこの量はあるものの、育ち盛り食べ盛りの己たちの腹を存分に満たすことができるかは若干怪しい部分がある。かといって、これ以上の品を頼めば予算を大幅にオーバーする。なので安い菓子類を買い込んだのだが、ここでまさかの主菜追加登場である。大手コンビニならば味も安定しているだろう。ピザ屋のものとの違いを楽しむことまでできる。最高の提案だった。
「帰ったら半分払うな」
「いいですよ。僕が食べたくて予約したので」
「あたしも食べるんだから出させろ。それともヒロ一人で全部食べんのか? あたしの真ん前で?」
 軽く手を振ってあしらおうとするオクトリングに、インクリングはじとりと眇めて睨みつける。優しい彼ならば絶対にあり得ない、意地の悪い問いだ。う、と詰まった音が横一文字になった口から漏れ出るのが聞こえた。赤い瞳が宙を彷徨う。しばしして、少年は眉根を軽く寄せながら目を伏せた。
「……分かりました。でもそこそこしますよ?」
「いいよ。美味いもんなんだからある程度金かかんのはしょうがねーだろ。……てかそこそこするもん一人だけで買おうとしてたのか、あんた」
 今回の食事代は割り勘だと決めていた。バトルで稼いではいるものの、これだけの量となると一人で賄うのは無理がある。そもそも、二人きりで半分こして食べるのだ。二人で半分ずつ負担するのは当然の結論である。だというのに、隣を歩くこいつは一人で負担を増やそうとしたらしい。心優しい彼らしくはあるが、さすがに看過できないものだった。互いに奢られてばかりでは気が済まないのを分かっている上での行動なのだから尚更である。
 う、とまた詰まった声。今度は呻き声に近いものだった。あー、えー、と意味をなさない声が白い息上がる口から漏れていく。観念したのか、すみません、と謝罪の言葉が紡がれた。
「ちょっとぐらいいい格好させてくれてもいいじゃないですか」
「こんなことで見栄張んな。いいカッコすんならバトルの時にしろ」
 唇を尖らせる少年を、少女はバッサリと切り捨てる。また濁った音が隣から聞こえた。どうにも己の言葉が刺さったらしい。金銭面で頼りになるようなことをするよりも、バトルで背を任せたり戦況を切り開いてくれる方がずっと格好がいいことぐらい彼も分かっているのだから。
「早く取りに行こーぜ。ピザ冷めちまう」
「そうですね」
 早足で歩き出すベロニカに、ヒロも同じほどの速さで続く。ヒトの少ない歩道を、柔らかな白い息と軽快な足音、油気たっぷりの香りが撫でていった。
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#Hirooooo #VeronIKA #ヒロニカ

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向き合う意地、向き合った世界【新3号+新司令】

向き合う意地、向き合った世界【新3号+新司令】
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うちのヒーローズに決着つけるために書いたやつ。この話を読んでないと何もかもが分からない。
相変わらずうちの新司令はカスだしうちの新3号はバンカラ生まれバンカラ育ちだし色んなところを捏造しかしてない。
新3号と新司令が喧嘩してるだけ。

 バトルロビーへ続く扉の前はいつだって賑わっている。駅の真ん前でただでさえヒト通りが多いというのに、そこにバトルを終えた若者がたむろしているのだから密度は高まるばかりだ。足早に行き交う者たちが何故他者にぶつかることなく歩いていけるのか不思議に思うほどである。
 ロビー入り口、そのすぐ脇。一匹のガール――隊員に『司令』と呼ばれるインクリングは、じっと座っていた。建物の前、それも出入り口に座り込むなど迷惑極まりないのは承知だ。けれども、ヒトに混じって姿を誤魔化すにはこれが一番いいのだ。
 インクリングはあたりを見回す。キョロキョロキョロキョロと挙動不審なほどあたりを見回す。こうやってヒトの波の中身を探してどれほどになるだろう。体感ではゆうに半日は神経を張り巡らせている。視神経も筋肉も脳味噌も随分と疲労を覚えていた。それでも、見張る目を止めることなど出来なかった。探さねばならないのだ。いるかどうかすら分からないあの子を、この中から。
 出会った時から『三号』と呼んできた隊員がキャンプを訪れなくなってどれほど経っただろう。意地が悪いことをした自覚はある。相応に罰を受ける自覚がある。けれども、その罰を与える相手がいつまで経ってもやってこないのだ。当然だ、あの気の強い、プライドで武装を重ねてやっとヒトと対峙するような少女が来るはずがない。こんな馬鹿げたたちの悪いいたずらをするようなやつのところに再びやってくる道理などないのだから。
 空気を割らんばかりに罵ったあの叫声を、嫌悪と敵意をあらわにしたあの凄まじい形相を、今まで見たことのないほどの速さで走り去った小さな背中を思い出す。その度に、心臓のあたりが熱湯をかけられたように痛みを覚えるのだ。あんなお粗末ないたずらで――彼女にとっては長い時間をかけた裏切りで怒らせてしまったことがよほど堪えているらしい。全ては自業自得なのだけれど。
 表現し難い声が鼓膜を震わせる。聞き慣れた――オルタナの白い地で何度も聞いてきた鳴き声に、司令はバッと顔を上げる。ゲソを振り乱し、急いで音の方へと顔を向ける。視界の中、ヒト混みの隙間から見えたのは、赤いモヒカンヘアーと銀のくちばし、緑のズボンを履いたコジャケだった。
 こんな街なかにコジャケが、シャケがいるはずがない。最近はビッグランというシャケの襲撃が起こっていると聞くが、現在それを示す警報は発令されていない。つまり、誰かが連れ込んだのだ。そして、コジャケと暮らすような者などそうそういない――それこそ、あの子ぐらいしか。
 立ち上がり、司令はあたりを見回す。コジャケのそばにヒトの姿は無い。もう雑踏に紛れてしまったのだろうか。どこだ、と目をこらし、懸命に探っていく。忙しなく動く目の端に何かがきらめく。反射的に視線を向けると、オーロラ色に輝く白がロビーへと向かっていくのが見えた。頭部に取り付けられたその色――耳の上部を覆うようなヘッドギアは見知ったものだ。過去の己が使い、今は他人へと譲られたヒーローブレインだ。あれはアタリメ司令から支給されたものであり、おそらく一般流通はしていない。ならば、あのギアの持ち主は。
 ダンッ、と勢いよく地を蹴り、司令はヒトの中を切り進んでいく。凄まじい足音に気圧されたのか道を譲る者が多く、思ったよりも楽に進むことができた。割れたヒト混み、その正面、ロビーに続く自動ドアが開く。輝くギアに飾られた頭の持ち主がその中に入っていくのが見えた。
「三号!」
 腹の底から、肺の中身を全て使って、声帯が裂けんばかりに声を出す。街中に響き渡るような大声量に、いくらかの者が足を止める。件の少女もその一匹だった。ヒトの波を掻き分け、司令は走る。ようやく辿り着いたドアの真ん前、歩みを再開しようとした少女の細い腕をがしりと掴んだ。
 己が力強く腕を引いたからだろう、目の前の少女はたたらを踏むように振り返る。きょとりと丸くなった群青の目は、たしかにこの子があの『三号』であると語っていた。ようやく見つけた安堵に、やっと再会した歓喜に、口元が綻ぶ。三号、と弾むような声でまた少女に与えた記号を口にした。
 腕が引っ張られる感覚。よろけそうになり、反射的に掴んでいた腕を離す。隠れるように腕が回り、目の前の身体が反転した。そのまま、捕まったはずの少女は駆け出す。雑踏に自ら身体を投げ込み、逃げるように走り去った。
 三号、とまた叫び、司令は駆け出す。ヒトの波に逆らって走り、オーロラで彩られた頭を一心に目指す。背の低いクラゲに引っかかっていたところを何とか追いつき、目に痛いほどのライムグリーンに包まれた腕を再び掴んだ。
「三号ってば!」
 何度も、何度でも彼女を呼ぶ。部隊のことは秘匿するのが暗黙の了解だ、本当ならば名前で呼ぶべきだろう。けれど、己は彼女の名前を知らないのだ。半年ほど過ごしてもなお、彼女の名前を知ることはなかった。当然だ、名前を聞く機会など無かったのだ。訪ねる機会など無かったのだ。隊員名で呼ぶ機会すら無かったのだ。己の刹那主義めいた好奇心が全てを潰したのだ。後悔が胸を押し寄せ、中身がダメになるほど潰していく。ぐぅ、と喉がおかしな音を漏らした。
 目の前の背中が振り返る。ようやくこちらを向いた顔は、警戒心と嫌悪に塗れていた。眇められた目はこちらを射殺さんばかりの鋭さを宿し、口は威嚇するようにカラストンビが剥き出しになっている。細い眉は見たことがないほど吊り上がっていた。普段から機嫌の悪い顔や怒った顔を見せることが多い彼女だったが、これほど酷いものは――こちらの全てを拒否し否定するようなものは初めてだ。剥き出しの敵意に、思わず後ずさりそうになる。すんでのところで留まり、こちらもまっすぐに見つめた。海色と空色がぶつかりあって火花を散らす。
「……離しなさいよ」
「やだ」
 また振り払おうとしたのだろう、三号は掴まれた腕をグッと力強く引く。容易に予測できた行動に、司令は掴む手に更に力を込めた。結果、硬直状態は変わらず続く。チッ、と鋭い舌打ちが聞こえた。
「戻ってきて」
 戻ってきてほしい。またオルタナを調査してほしい。アオリたちのためにアタリメ司令を見つけるのに協力してほしい――考えて、全部が違うことにようやく気付く。違う、New!カラストンビ部隊としての活動のためではない。ただ、ただ己が彼女に戻ってきてほしいだけなのだ。またキャンプで共に過ごしたいだけなのだ。食事をして、攻略を練って、調査結果を聞いて、チャレンジを見届けて。そんな日々をまた送りたいだけなのだ。
 は、と低い声が二人の間に落ちる。明らかに苛立った、明らかに怒気を孕んだ、明らかに軽蔑を示した音だった。視線も合わせて、負の感情を全てぶつけられているような錯覚に陥る――否、きっとこれは錯覚などではない。
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ」
 瞬間、腕に痛み。自由のままだった腕で思いきり叩き落とされたのだと理解した頃には、掴んだ腕は離れてしまっていた。ザ、と靴が地をする嫌な音。
「三号!」
「うるさい!」
 悲鳴に近い声で名前を、自分にとっては『名前』である記号を呼ぶ。それも全て凄まじい怒声に潰された。
 何あれ。喧嘩じゃない。うるさ。痴話喧嘩かな。どっちも女じゃん。チジョーノモツレってやつじゃない。こんなとこでやんなよ。
 訝しげな声が、うんざりとした声が、好奇心にまみれた声が聞こえる。気付けば、二人の周りにはわずかながらも空間が生まれ、遠巻きにヒトだかりができていた。誰も彼もが己たちに奇異の目を向けている。中にはナマコフォンを構える者までいる始末だ。
 ダッ、と地を蹴る音。それが示すことを瞬時に理解し、司令も地を蹴って駆け出す。特注ギアで彩られた頭を睨み、必死で追いかける。再び手を伸ばしたところで、ガシャン、と盛大な音が鳴り響いた。同時に、腹と足に痛み。慌てて目を向けると、そこにはキッチリと閉じた改札口があった。どうやら彼女は駅内へと逃げ込んだらしい。
 急いでポケットを漁る。ろくに物など入れられない小さなポケットの中には、携帯端末が一つあるだけだ。ICカードはもちろん、現金も無い。そもそも、切符を買っている間に彼女は電車に乗ってしまうだろう。もう追いかける術は無いのだ。
 どうしようもなくて、その場に立ち尽くす。薄く開いた口は浅い息を繰り返していた。腹がじくじくと痛む。それすらどこか遠くの他人事のように感じた。
 逃げられた。思いきり否定され、思いきり拒否され、思いきり敵意をぶつけられ、思いきり逃げられた。もう戻ることなど無いと明確に示された。事実に、胃の腑がグンと重くなる。心臓が早鐘を打つ。胸に海水をめいっぱい詰め込まれたような苦しさと重さ、薄い恐怖が広がっていった。
 もうダメなのだろうか。戻ってこないのだろうか。絶望ばかりが頭をよぎる。いや、けれどもこうやって会えたではないか。会話できたではないか。言葉が通じるではないか。それに、彼女は少しばかり押しに弱いところがある。ならば、回数を重ねて説得すれば、あるいは。
 水面色の目がぐっと眇められる。感情渦巻くその瞳の先には、知らないヒトが行き交う階段があるだけだった。






 きょろきょろとあたりを見回し、ヒトの形をした影が無いことを確認する。足音を立てぬようそっと、けれども足早に、少女は坂道を登っていく。後ろをついて回るコジャケがなんとも言い難い鳴き声をあげる。静かに、とひそめた声で言い放つと、相棒は鋭いくちばしを律儀に閉じた。珍しく伝わったようだ。それでも、こいつが跳んで跳ねて這いずり回る音が聞こえては意味が無い。見た目より重量がある身体を抱え上げ、少女はまた坂道を物音立てずに登っていった。
「ここにいなさいよ」
 バンカラ街のすみっこ、ヒトが少ない屋上スペースにコジャケを放つ。自由になった相棒は、ずりずりと這って走ってぴょんと跳び、欄干の上にちょこんと乗った。普段の様子から、彼はここが自分の定位置だと思っているらしい。本当に器用なものだ、と小さく息を吐いた。
 インクリングは手すりの隙間から下を覗く。やはりヒトはまばらだ。これなら誰かに、あの女に出会うことは無いだろう。踵を返し、足早に来た道を戻った。
 何故こんなことをしなければならないのだ、と怒りがふつふつと湧いてくる。原因はあの『司令』だ。街なかで出会ったあの日から、あの自己中心的な女はこちらの都合や他者の目など一切弁えず追ってくるのだ。隠れても、ギアを変えても、時間を変えても、あいつは追ってくる。一度交番に飛び込んで警察に突き出したのに、それでも諦めずつきまとってくるのだから呆れを通り越して恐怖すら覚える。
 何故あいつはこうも己に執着するのだろう。騙し続けたぐらいには信頼していないくせに、何故ああも悲痛な声で己を呼ぶのだろう。今までほとんど干渉しなかったくせに、何故オルタナを離れただけでああまで必死に追いかけてくるのだろう。分からない。分からないからこそ腹立たしい。あまりにも身勝手で、あまりにもわがままで、あまりにもヒトの心を軽視している。考えるだけで胃が一気に熱を持った。
「三号!」
 灰色のパーカーに包まれた身体がびくりと跳ねる。音の方、つまりは坂の下に目をやると、そこにはあの『司令』がいた。どうやって見つけたのだ、と思わず舌打ちをする。したところで現状は解消されないのだけれど。
 ダッ、と地を蹴る音。ダンダンと駆け上がってくる激しい音。このままでは鉢合う、それどころか追い詰められるのは確実だ。一度上に逃げて撒かなければ。踵を返し、『三号』と呼ばれ続けた少女は坂を駆け上がる。盛大な足音が二つ、街の隅に響いた。
 戻ってきた屋上広場、階段のすぐ脇に身を隠す。司令が広場の中央まで進んだところで降りて逃げる算段だ。息をひそめ、気配を殺し、じっと身を縮こめる。ダン、と地を踏みしめる音。もう一度地を踏みしめる音。何度も響くそれは明らかにこちらへと向いていた。
「三号」
 目の前のインクリングは毎度のごとく己を示す記号を発し、素早く腕を掴む。振り払おうとするも、今日は腕を動かすことすらできなかった。両の手を使い、彼女は握り潰さんばかりの力で己の腕を掴んでくる。逃がす気など欠片も無いのだということがありありと伝わってくる。それが腹立たしくて仕方が無い。何故こいつの都合で拘束されなければならないのだ。
「いい加減にしてくんない!?」
 怒号をあげ、三号は渾身の力で腕を振る。しかし、捕らえられたそれはびくとも動かなかった。腕に加えられる力が更に増し、痛みも酷くなる。痛覚を直接刺激するようなそれに、少女は顔をしかめた。
 掴む手の持ち主をギッと睨みつける。突き刺し殺さんばかりのそれに、まっすぐ視線が返される。眇め細くなった視界に映る青は、焦燥があらわになっていた。キャンプでは見たことないほど、感情がよく分かる色がしていた。いつだって感情なんて無いと言わんばかりの顔をしていたくせに、今になってこうやって感情を、ヒトらしい部分を見せてくるのだ――あの日だって、普通のヒトのように笑っていたのだから。
 胃がカァと凄まじい熱を宿す。頭の後ろ側がジンと痺れる。喉が絞まるような心地。思考全てが沸騰し染め上がっていく感覚。怒りが少女の全てを支配した。
 もう一度腕に力を込め、振り払おうと試みる。変わらず、動かすことはできなかった。潰れ弾けんばかりの痛みが広がるだけだ。これでは埒が明かない。呻きを漏らしそうになるのを防ぐように舌打ちを一つした。
「何で逃げるの」
 揺れる青が一心にこちらを見つめる。震えた声がまっすぐにこちらに問いかける。悲痛にすら見える有様だ。まるで被害者だと主張するような顔つきだ。それが気に入らなくてたまらない。正当防衛をしたまでの己を『逃げる』だなんて言い放つこいつが気に入らなくてたまらない。腹の底で燃え上がる炎が更に勢いを増した。
「あんたみたいな不審者につきまとわれて大人しくしてるわけないでしょ」
「そうじゃない」
 至極当然の言葉を返すも、すぐさま切り捨てられる。ほのかに震えるそれは、苛立つほどに力強いものだった。確信を持った、信念を持った、揺れることの無い言葉だった。
「何で来ないの」
 昼の空のような青が、まっすぐに海底色の瞳を射抜く。言葉を紡ぐ唇の動きは硬く、向けられる青円はかすかに揺れている。細い眉はどんどんと下がり、掴む手は縋るように力が増していく。必死な有様は、見る者がいれば彼女の味方につくだろう。その姿に腹が立つ。原因は全てこいつにあるのだ。だというのに、まるで己が悪いかのように見つめるその目が、己がおかしいかのように問う声が、気に食わなくて仕方が無い。自身を正当化するようなその姿が気に食わなくて仕方が無い。
「ヒトのこと騙しといて何言ってんの」
 発した声は己でも聞いたことがないほど低かった。憤怒が渦巻く身体では、もう常通りの声を出すことなど不可能なのだ。
 こうやって声を発することができるのに、こうやって会話をすることができるのに、こいつは半年以上己と直接話そうとしなかったのだ。こうやって表情を変えられるというのに、己の前だけではずっと無表情を貫いていたのだ。何か理由があったかもしれない。しかし、そんなことは知ったことではない。何も言わず、ずっと黙って、己だけを騙してきたこいつを許すことなどできるはずがない。
「そもそも、調査だかなんだかなんてあたしには関係ない話じゃない。何でそんなこと言われなきゃなんないのよ」
「だって、『三号』でしょ?」
「あんたたちが勝手に言ってるだけじゃない。あたしには関係無い――」
「関係ある!」
 切り捨てようとする声は、絶叫めいた声に吹き飛ばされた。腕を掴む力が更に強くなる。このまま潰され千切れんばかりの凄まじいそれに、こちらのことを全く考慮していない身勝手な言動に、少女は表情を歪めた。
「だって、だって三号は三号で、隊員で、だから――」
「だからそれはあんたたちが勝手に言ってるだけでしょ!」
 途切れ途切れに紡がれる言葉を大声が遮る。瞬間、目の前のスカイブルーが瞠られた。宿す光が鳴りを潜め、深さを増していく。焦燥の色は消え、悲哀一色に染まっていく。呆然に近い顔は、痛みを堪えるようなものだった。傷ついた、と言わんばかりのものだった。全てが少女の神経を逆撫でする。お前の身勝手な行動が全てを招いたというのに、傷ついたと訴えてくるなどなんと恥知らずなことか。傷ついたのはお前ではない。お前は傷つけた方ではないか。お前は被害者なんかじゃない。加害者で。自分勝手で。ストーカーで。不器用ながらも世話をしてくれたのに。心を寄せてくれたのに。なのに。
「あたしを巻き込むな!」
 空間が震えるほどの音が少女の口から吐き出される。加減無く声を出した喉は痛みを訴えた。中身全てを使い切った肺が痛い。中身をぐちゃぐちゃに掻き乱された頭が痛い。延長戦をフルで戦ったかのように心臓が痛い。臓器が無いはずの胸の真ん中の場所が痛い。身体が、心が、痛みを訴える。睨みつける視界がうすらとぼやけた気がした。
 真ん丸になっていた空色が元に戻り、黒い瞼の奥に消える。目の前の黄色い頭がゆっくりと動き、表情を隠した。己の荒い呼吸だけが世界に落ちていく。喘鳴に近いそれが落ち着く頃、やっと目の前の女は顔を上げた。再度向けられた顔からは、被害者ぶった色は消え失せている。代わりに、静けさに満ちた穏やかな、けれども温度が抜け落ちた何かがあった。それでも、瞳は輝きを取り戻している。何かを求めて不気味なほどギラギラと輝いている。撃ち抜くようにまっすぐにこちらを見つめている。
「わかった」
 こぼれた声からは、今までの激情は見られなかった。溜め息にも似たそれに、無意識に食いしばっていた少女の口元から力が抜けた。眇めた海色の目はまだ警戒に満ちている。いきなり聞き分けの良いことを言い始めたものを警戒するなという方が無理があるのだ。こういう時こそ神経を張り詰めねばならない。少女依然鋭い視線を送る。刺さんばかりのそれを浴びているというのに、目の前のインクリングは小さく笑んだ。
「もう追いかけないからさ。だから、最後にタイマンしてよ」
「は?」
 笑みとともにこぼれた言葉に、三号は眉をひそめる。言葉という形は取っていれど、前後の繋がりが全く分からない。訴えれば勝てるような行動から解放されることと、一対一での勝負のどこに関係性があるのだ。そもそも、こちらは追いかけ回され日常を脅かされた被害者である。なのに、何故加害者であるこいつに交換条件を持ちかけられなければならないのだ。
「それで諦めるから。おねがい」
「何でそんなのに付き合わなきゃ――」
「逃げるの」
 静かに流れる声を、棘で武装した声が弾き飛ばす。それも、落ちついた、けれども力を宿した一言が押さえつけた。は、と少女は思わず低い音を漏らす。何故そんな風に言われなければならないのだ。まるで己が勝負に怯えているようではないか。まるで己が勝てないから拒否しているようではないか。怒りで煮えたぎる頭は、簡単な挑発ですぐさま沸騰した。
「……いいわよ」
 やってやろうじゃない、と三号は啖呵を切る。こいつは己がオルタナを走り回っている間、ずっと座って何もしていなかったのだ。実力のほどは知らないが、あれだけろくに身体を使っていなければなまっているに決まっている。毎日のように地を駆け回り、チャレンジをクリアし、その上日々バトルに励んでいる自分が負けるはずがない。最後にこいつをぶちのめして、追いかけ回される日々が終わるのだ。そう考えると、なかなか魅力的な提案にすら思えてきた。最近負けが込んでいてどうにもフラストレーションが溜まっているのだ。
「ステージはユノハナ。ナワバリ……というか、キル数勝負で」
 告げる声は終始穏やかで、あれだけ悲哀にまみれていた顔には微笑みが浮かんでいた。一変したその様子に、いっそ不気味さすら覚える。ああも喚き立てられるよりはずっとマシなのだけれど。
「……分かった」
 少しの沈黙の後、少女は確かに頷く。基礎の基礎であるナワバリバトルやオブジェクト関与と管理が要求されるガチルールではなく、『キル数勝負』という部分が少し引っかかる。わざわざキルで競おうと言うほど、あちらは腕に自信があるのだろうか。否、きっと本当に己と戦いたいのだろう。ガチルールはオブジェクト関与をしなければ勝敗がつかないし、ナワバリは逃げ回って塗るだけで勝てるのだ。真っ向勝負をするなら、キルで競うのが一番良い。
「じゃ、行こっか」
 掴まれた腕を引かれる。いつの間にか、肉を潰さんばかりの力はすっかりと弱まっていた。この程度ならば、力を振り絞って引き剥がせば逃げられるだろう。けれども、少女は大人しく手を引かれて歩んだ。受けた勝負から逃げるのはプライドが許さなかった。
 二人連れ立って、不気味なほど静かに歩んでいく。足音に混じって、潰れたような鳴き声が聞こえた気がした。






 息を吸う。ひたすらに酸素を取り込み続けた喉と肺は激痛を叫んだ。胃の腑が押し上げられるような感覚。食道へと上ろうとするそれを必死に押さえ込み、少女はインクの中を駆け泳ぐ。呼吸する喉が、酸素を取り込む肺が、やめろと喚くのを捻じ伏せて。
 トリガーを引き、でたらめにインクをばら撒く。青いインクを己の黄色で上書きしていく。音は――敵にインクが当たり、ダメージを受けた声は聞こえない。どこだ、と少女はあたりを見回す。中央の激戦区だというのに、ここにはあまりにも青が少ない。つまり、隠れる場所がほぼ無いのだ。自陣に戻って塗っているのだろうか。否、今回はキル数勝負なのだ。わざわざ塗りに戻るメリットは薄い。金網を歩いて行かねば自陣に戻れないこのユノハナ大渓谷ならば尚更だ。
 とぷん、と背後で水の音が聞こえた。
 すぐさま振り向き、三号は引き金を引く。ヒーローシューターレプリカもとい、その性能の元となっているスプラシューターは弾ブレがそこまで無い。だというのに、インク一滴すら当たった感覚がしなかった。当然だ、目の前に人の影はもう無い。乾ききった大地とイエローのインクが広がるだけだ。
 また水の音。振り返るより先に、背に痛みが走った。撃たれたのだと理解する頃には、己はスポナーの上にいた。チッ、とインクリングは舌打ちを漏らす。音が鳴った口元は引き結ばれ、強張りを見せている。焦燥が丸分かりの顔つきをしていた。
 急いで飛び出し、また中央へと泳いでいく。肺が、胃が、手足が、異変と疲労を訴える。全てを無視し、少女は泳ぐ。ヒュ、と呼吸しようとした喉が細い音をたてた。
 おかしい。
 相手はスプラシューター、つまり己と同じブキを使っているのだ。なのに、何故こうも撃ち勝てないのだ。同じ射程だというのに当たらない。なのに相手の弾は当たる。ボムを投げてもかすった様子すら見せない。なのに相手のボムはこの身体を捉える。ウルトラショットで対応しようにも、発動要件を満たすより先に倒されてしまう。だというのに、こちらは物陰に隠れていても一撃必殺のそれを当てられる始末だ。
 訳が分からない。少女は今一度舌打ちをする。普段の鋭さはとうに失われ、リップノイズと差異のないものとなっていた。
 中央へと躍り出て、また塗り広げる。とにかくウルトラショットを使えるようにならねば。相手の潜伏場所を潰さねば。焦りのままに、三号はトリガーを引く。ひたすらに塗り潰し、塗り重ねていく。気が付けば、カチカチと乾いた音が手元から上がっていた。インクが尽きたのだ。回復しなければ。身をインクに沈めようとした瞬間、ガシャン、と重厚な音があたりに響いた。それが何を意味するかなど、分かりきっている。
 急いで音の反対方向へと逃げる。けれど、次いで聞こえた銃声は己の横方向から鼓膜を直接揺らした。視界がブルーに染まる。痛みが全身を染めていく。途切れた意識が復活した時には、既にスポナーの上だった。またやられたのだ。
 何故だ。ウルトラショットの発動音は後ろから聞こえたのに。なのに何故真横から飛んでくるのだ。インチキだ。何か卑怯な手を使っているに違いない。だって、そうでもなければ、瞬時に移動だなんて。少女はギリ、とカラストンビを噛み締める。眇めた目は、寄せた眉は、食い縛った口元は、焦りと悔しさ、わずかな恐怖に塗り潰されていた。
 泳ぐ。泳ぐ。泳ぐ。なんとしてでも自陣に入らせてはならない。リスポーン地点で延々とキルされることだけは避けねばならない。ウルトラショットはリスポーン時に付与されるアーマーを一気に剥がして潰す威力を持っているのだ。そんなこと、絶対に許してはならない。なんとしてでも阻止しないと。
 右高台から中央広場へと降り立つ。瞬間、足元が弾けた。一瞬の空白の後、それがキューバンボムだということを理解する――理解した頃には、またスポナーの上にいた。
 降り立つ位置を予測し、降りた瞬間爆破するようにボムを置かれたのだ。つまり、完全に行動を読まれている。降りる位置も、逃げる場所も、撃つ範囲も、全て読まれている。背筋を冷たいものがなぞっていく。身体の芯まで凍えさせるようなそれを頭を振って弾き飛ばし、少女は再びスポナーから降り立つ。またインクへと身を投じようとしたところで、べしゃり、と間の抜けた音が耳元で聞こえた。地面に倒れ込んでいるのだと気付くには随分と時間を要した――足音が鼓膜を震わせ、伏せた身体に影が差すほどには。
「ねぇ」
 頭上で声が聞こえる。地についた手に、ブキを握る手に力を込め、少女は早急に身を起こそうとする。しかし、何度も撃ち抜かれ爆破された身体は言うことを聞かなかった。べしゃり、とまた無様な音。今身体を起こすのは不可能らしい――つまり、このまま撃たれ、デスを重ねるのだ。
 嫌だ。そんなのは嫌だ。リスキルなんて嫌だ。己はそんなことをされるほど弱くない。ちゃんと戦って、撃って、勝たねば。せめて、一度ぐらいはあの身体をスポナーへと送らねば。
 ガチャ、と手にしたスプラシューターが鳴き声をあげる。持ち上げようとするも、腕の筋肉が全て取り払われてしまったかのように指一本動かすことができなかった。
「視野狭すぎない?」
 呆れきった声が頭上から降り注ぐ。は、と発しようとした声は、喉から飛び出ることなく消えた。代わりに、凄まじい勢いで何かが食道を駆け上っていく。押さえ込むより先に、三号の口からインクが吐き出された。飛び出たそれが、地面をびちゃびちゃと叩く。凄まじい疲労と短時間にリスポーンを繰り返したのが原因だろう。口の端からインクが垂れていく。あまりにもみっともなく、あまりにも惨めな姿であった。
「私のことしか見てないでしょ。だからボムでやられるし、足元塗られても気付かなくて足取られてる」
 違う。そんなことはない。ちゃんとあたりを見回して塗っている。そもそも、撃ち合いの時は相手しか見ないのは当然ではないか。姿を捉えねば弾が当たることなど無い。確かに撃ち合い中足元が悪くなることはあるが、そんなことで己のパフォーマンスが鈍ることなんて無い。
「射程も把握してないよね。絶対当たらない距離から無闇に撃ってる。インク切れるに決まってるじゃん」
 違う。そんなことはない。対面前に塗り広げるために射程外からでも撃つのは当然ではないか。射程が分からないはずがない。このブキを持ち始めて随分と経つのに、射程が分からないなんてことは無い。弾のブレが悪さをしているだけだ。
「塗り広げ雑すぎ。これだけ塗り狭かったら潜伏する暇無いよね? そもそも囲まれたら逃げられないのに」
 違う。そんなことはない。移動できるようきちんと塗り広げているし、相手のインクは潰している。射程外で塗りが届かない部分やまばらになる部分はあるが、塗ることに執着しては撃ち合う余裕が無くなる。ほんの少しの塗り残しぐらい見逃すのは当たり前ではないか。
「ていうかインク管理できないのって相当問題だよ? 対面中インク切れたらただの的になるだけなのに」
 違う。そんなことはない。長時間の撃ち合いでインクが切れることはあるが、それは運が無いだけだ。撃ち合いの最中、逃げて潜伏しインクを回復することなどできない。今あるインクで戦うしかない。そんなのは当然のことだ。
「スペシャル確認できてないのどうかと思うなぁ。相手がスペ溜まってるのに突っ込んでいっても返り討ちにされるだけなの分かるでしょ」
 違う。そんなことはない。スペシャルウェポンの発動は音で確認している。見逃すわけがなかった。事実、発動してからはすぐに身を隠している。そもそも、対面中も塗りが発生するのだから突然スペシャルウェポンを繰り出されるなど当然ではないか。そこに己の非など無い。
「……なわけ、ないでしょ」
 腕に力を入れ、やっとのことで上半身を起こす。震える足を叱咤し、地を踏みしめ、少女はどうにか立ち上がった。口から垂れるインクを拳で拭う。肌に付いたイエローはすぐさま宙に溶けて消えた。
「そんなわけないでしょ!」
「あるよ」
 激昂し叫ぶ三号に、司令は短く返す。ただただ短く声を発する。わずかな唇の動きで全てを否定する。
「全部できてなくて、弱いって言ってるの」
 真っ向からぶつけられた冷えた声は、見つめる目は、憐憫の情すら浮かんでいた。
 弱い。その三音節が少女の頭を殴る。たった一つ浴びせられたそれが頭を染め上げ、怒りの火に薪をくべ、思考を焼き尽くしていく。目の前が暗く陰った。
 食い縛り、少女はガシャリと派手な音をたててスプラシューターを構える。銃口が目の前の人を捉えるより先に、衝撃が、激痛が身体を染め上げていく。気付けば、やはりスポナーの上にいた。急いで飛び出し、相手の前に躍り出る。震える手でブキを構えるも、銃身は揺れて狙いが定まらない。トリガーを引く指も、ついには力が入らなくなりインクを撃ち出すことができなくなった。ついに疲労が限界を越えたのだ。当たり前だ、この二分ちょっとでバカみたいな数のデスを重ねたのだ。短時間に数えられないほど再生した身体がまともに動くわけがない。事実、力が入らなくなった足は身体を支えるという役割を放棄した。べしゃり、とまた惨めな音が耳元であがった。
 違う。弱くなんかない。己は弱くなんかない。強いのだ。こいつなんかに負けるはずがない。こんな、いつも座ってるだけのやつなんかに。人を騙すようなやつなんかに。最低なやつなんかに負けるはずがない。だって、己は強くて、強くなくてはいけなくて、だから。
「勝ちたいでしょ」
「……あ、たり、まえでしょ」
「これじゃ勝てないよ」
 基礎もできてないのに勝てるわけないでしょ。
 冷えきった声が、呆れきった声が、憐れみに満ちた声が降り注ぐ。頭上から注いで、染みて、思考を燃やしていく。心を焼き尽くしていく。
 違う。そんなことはない。馬鹿を言うな。調子に乗るな。様々な言葉が内臓の中を渦巻く。どれも声帯を震わせるには至らなかった。残る力を振り絞り、見下ろす青を睨めつける。太陽を背に受けた顔は、どんな色をしているのか分からなかった。
「勝ちたいなら――もっと強くなりたいなら、帰ってきなよ」
 平坦な声が、それでも少しの震えが見える声が落ちてくる。は、とこきめいた疑問の音が口から漏れた。
「帰ってくるなら鍛えてあげるからさ」
「いらないわよ!」
 馬鹿になった肺の中身を、カラカラに渇いた喉を、仕事を果たすことを忘れかけていた声帯をめいっぱい使い、少女は吼える。悲惨なまでに割れた声が、砂舞う空へと昇っていった。
 そう、と短い声が降ってくる。そこから一分の隙も無く、低い銃声が降り注いだ。
 視界が青に染まると同時に、ホイッスルの高い音が聞こえた気がした。






 ロビーの隅、バトルの個人成績やメモリーを見ることができる端末の前には二匹のガールがいた。一匹は苦虫を口いっぱいに放り込まれて噛み潰したかのように、もう一匹はどこかスッキリとした顔で液晶画面を眺めている。
 少しノイズが走る画面には、プライベートマッチの結果が記されていた。LOSE、つまり負けを示す語の下に書かれた自身の名前を眺め、三号は更に眉間に皺を寄せる。塗りポイント六一三、キル数ゼロ、デス数十五。悲惨の一言に尽きるリザルトだった。黄色で囲まれた文字たちから視線を上げ、すぐ上、青色で囲まれた部分を見る。WINの文字で飾られた枠の中、『Player』のネームの横にも数字が書かれている。塗りポイント八八四、キル数一五、デス数ゼロ。ナワバリバトルとして見れば、塗りポイントの差異はあまり多くない。けれども、今回の勝負は『キル数勝負』だ。デスゼロ――つまり、一度も倒されなかったことは、圧倒的勝利を表している。
 負けた。
 機械が語る厳正な結果に、否定したい現実に、認めたくない事実に、少女はカラストンビを噛み締める。音が鳴るほどのそれに痛みを覚えるも、筋肉は感情に操られたままで言うことを聞かない。身体が悲鳴をあげようと、心は加減をする余裕など持ち合わせていなかった。
 何で負けた。こんなやつに何で負けた。何で撃ち合いに勝てなかった。何で一キルすら取れなかった。何で。何で。
 多数の、けれども根源は一つの疑問が頭をぐるぐると回る。答えは分かっている。けれども、それを認めることなどできない。だって、己は強くて、強くなくてはいけなくて、だから負けるはずなど。
「負けっぱなしでいいの」
 涼しい声が鼓膜を震わせる。画面から音の方へと視線を、敵意を向ける。少し滲んだ視界の中には、汗一つ無い顔でこちらを見つめる司令がいた。言葉を紡ぎ出す口、その端っこはうっすら上がっている。激戦の後だというのに、何でもないという風な顔をしていた。
「……んなわけないでしょ」
 ガシャリ、と握ったスプラシューターが音をたてる。持ち上げたくても、銃口を向けたくても、撃ち殺したくても、腕はぴくりとも動かなかった。バトルと再生で体力を使い果たした身体はまだろくに言うことを聞かないのだ。
「じゃあ帰ってきなよ。定期的にタイマンやったげるから」
 さらりと告げられた言葉に、少女は吐息のような音を漏らす。疑問符でめいっぱいに彩られたそれは、ようやく少女の口を怒りから解放した。
 何を言っているのだ、こいつは。あの場所に、あの部隊に戻ることと、敗北を喫したことに関係性など無い。定期的にタイマン、という言葉の意図も分からない。定期的に戦うことに何の意味があるのだ。一度の負けなど、今覆してやればいいのだから。
「今やればいい話でしょ。もう一回やるわよ」
「ゼロキル十五デス」
 風に吹かれる柳のように動く三号に、司令は端末を指差す。先ほど嫌というほど見た数字だ。『キル数勝負』で負けた事実を突きつけてくる数字だ。笑みすら浮かべた涼しげな顔に、スプラシューターを軽々と扱う手つきに、少女は呻きを漏らした。屈辱に、憤怒に、悲痛に彩られた音をしていた。
「勝てないでしょ」
「やんなきゃ分かんないでしょ!」
 力を振り絞り、少女は目の前の胸倉を掴む。普段なら持ち上げるところだというのに、今は柔らかな皺を作るのがやっとだ。指が上手く動かない。身体が上手く動かない。怒りに身を任せても、疲弊した身体は拒否をする。あまりの情けなさにまた呻きがこぼれる。
「分かるよ。このレベルに負けるわけない」
 伊達にウデマエXじゃないんだから、と司令は歌うように言葉を紡ぐ。耳慣れぬ単語に、三号は更に表情を険しくした。バトル、その一つであるバンカラマッチはウデマエはS+が最高だ。Xなんてものはない。Xマッチならば分かるが、あれはウデマエでなく数値で実力を示されるものだ。つまり、ただのハッタリである。ハッ、と少女は鼻を鳴らす。胸倉を掴む手に力を込める。依然、指は震えて柔らかなままだ。
「だからさ」
 歌うように、なぞるように、撫でるように、司令は言う。冷えきっていた目には温もりが宿り、頬は色を灯して緩み、口元はゆるい弧を描いていた。
「鍛えてあげる。強くなりたいなら協力したげる」
「いらないっつってんでしょ!」
「今これだけ酷いのに独学で強くなれるの? 私に勝てるぐらいに?」
 曇り無き眼が少女に向けられる。純粋さを装った瞳は、暗に『無理だ』と語っていた。ギリ、とキチン質がまた嫌な音をたてた。
 今の戦い方は全て独学だ。バトルに身を投じ、身につけてきたものだ。今は負けが込んで悲惨な数字が並んでいるが、最近はゆっくりながらも勝率は高くなっている。成熟しているのは明らかだ。独りでも強くなれることは明白だ。
 けれども、先の戦いが邪魔をする。一キルも取れなかった事実。十五回も撃ち殺された事実。行動全てを読まれた事実。彼女曰く『弱い』部分を指摘された事実。それらが確固たるものであったはずの自信を潰さんとのしかかってくる。否定する言葉を押し込めてくる。
「定期的に私とタイマンして立ち回り磨けばいいよ。何だったら暇な時に軽く教えたげるし」
 軽い調子で司令は言う。一本立てた指をくるりと回す仕草は余裕綽々といったものだった。少女の神経を逆撫でするものである。掴む指に、感覚が戻りつつある指に力を込める。だからさ、と続いた声には、締められる苦しさなど欠片も見えなかった。
「帰ってきてよ」
 おねがい。
 司令は、一匹のインクリングは紡ぎ出す。こぼす、と表現するのが正しいほどの小ささだった。今までの様子からは考えられないほどの細さだった。縋るような必死さが滲んだものだった。
 何で。何でこいつはここまで己に執着するのだ。追いかけ回すほど。叩き負かすほど。鍛えてやるだなんて言い出すほど。こんな、情けない声を出すほど。こんなにも縋りついて離そうとしないのは一体何故なのだ。
 布を掴んでいた腕を離す。重い頭が沈んで落ちていく。だらりと垂れた己のゲソが、傷だらけのブーツが、傷一つ無いスプラシューターが、整備された地面が視界を埋める。
 分からない。少女には到底理解できない。理解しようと思わない。けれども。
「……たい」
 拳を握り締め、三号は俯いた顔を上げる。深海のような深い瞳には、炎が灯っていた。轟々と音を鳴らし、酸素を奪い尽くさんとばかりに燃え盛る炎が。
「絶対に、勝ってやるから」
 鍛えてやる。教えてやる。そんな馬鹿な言葉は、殺したいほど腹立たしい言葉は、全て利用してやる。そして、こいつを打ち負かすのだ。完膚なきまでに叩きのめし、敗北の苦さを存分に味わわせてやるのだ。だから、今は従ってやる。従ったふりをしてやる。こいつを負かすために。こいつに勝つために。
「ボコボコにしてやる!」
「楽しみにしてる」
 叫びにも似た少女の声に、司令は穏やかな声で返す。口元に浮かぶ笑みは深さを増しているように見えた。
 目の前、右手にあったスプラシューターが左手に持ち替えられる。空いたその手がゆるりと動く。手に柔らかな、温かな感触。目をやると、そこには己の手を握る司令の手があった。
「帰ろ」
 インクリングは笑う。無表情を貫いていたインクリングは笑う。温かな色を宿した、幸福の光を宿した顔で笑う。怪訝そうな視線が真っ向から向けられた。
「……帰るって?」
「え? キャンプに帰ろ?」
「……え? あぁ、うん?」
 首を傾げると、あちらも首を傾げてくる。己にとって、キャンプはただのオルタナでの活動拠点だ。『戻る』ならまだしも、『帰る』はいまいちピンとこない表現である。こいつにとってはあそこが家のようなものなのだろうか。あんなところに住んでいるのか、と湧いてきた疑問に、少女は眉をひそめた。
「……あー、そっか」
 傾げた首が戻り、目が丸くなり、すぐさま閉じられ。目の前の口から漏れ出たのは、溜め息めいた疲れ果てた声だった。そっかぁ、と続けざまに何度もこぼしていく音は暗く沈みきったものだ。今更になって疲労が襲ってきたらしい。いいザマだ、と三号は鼻を鳴らした。
 手が引かれる。いつぞやのように握り潰さんばかりのものではなく、引き千切らんばかりのものではなく、優しいものだ。こちらがついてくることを見越したようなものだ。鼻につくが、今は従ってやる。全てはこいつに勝つためだ。
「とりあえず、射程把握するところからね」
「射程なんか分かってるわよ」
「……まぁでも、もっかいちゃんと射程確認しとこっか」
 二匹のガールは手を繋いで歩く。二丁のスプラシューターが連れ立っていった。畳む

#新3号 #新司令

スプラトゥーン


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