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No.156

躑躅色飾る夜【はるグレ】

躑躅色飾る夜【はるグレ】
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サンタグレイスちゃんクルー本当に可愛いよねってのとウキウキでサンタクロースやるグレイスちゃん可愛いよねって感じのはるグレ。
メリークリスマス!

 白いフェイクファーで彩られた手が銀色に伸びる。冬夜の空気に晒された金属は、凍っているのではないかと疑うほど冷たかった。鈍く光るノブを握り、音をたてないようにゆっくりと回す。横向きの長いそれを下ろしきり、おそるおそるといった調子で引く。普段の彼女からは想像できないほど慎重な手つきをしていた。
 傷が付いた扉の向こうは、ほんのりと明るさを持っていた。きっとカーテンを閉めていないのだろう。部屋の主は日常に関わる全てにおいて無頓着なのだ。
 細く開けたドアの隙間から、滑り込むように身を差し込み中へと入る。室内は廊下と同じくひやりとした温度をしていた。寄宿舎の各部屋にはエアコンが備え付けられているが、彼が使っているとは到底思えない。予想通りの様子に、緊張で張り詰めた胸に少しの安心が落ちた。
 これまた音が鳴らないように注意しながら戸を閉め、少女は薄明かりの中そろそろと足を進めていく。摺り足と表現するのが相応しい動きだった。部屋の床は硬いフローリングである。硬質なヒールが打つ高い音が鳴らないように気を付けねばならないのだ。本当ならば音が鳴らないようなものを履いてくるべきだが、それでは格好が付かない。今日はきちんと着飾らねばならないのだ。
「グレイス?」
 二歩進んだところで、すっと影が差す。すぐ近く、目の前から己を示す響きが飛んできた。突然の出来事に、思わずぴゃっと悲鳴をあげる。黒い編み上げブーツで彩られた足が一歩退く。カツン、と高い音が薄闇の中に落ちた。
「ねっ、寝てなさいよ! 何時だと思ってるの!」
「寝ていましたよ。ただ、きみの気配がしたので」
 夜中だということを忘れ、グレイスは大声をあげる。部屋の主であり目の前に立つ始果は当然のように言葉を紡ぎ、小さく首を傾げた。気配って何よ、と躑躅の少女は苦い顔をする。彼は忍であり、気配に敏感なことは知っている。それでも人を識別できるだなんて、一体どういう理屈なのだ。疑問渦巻く少女の顔に、不思議そうな色を宿した瞳が向けられた。
「とにかく、ちゃんと寝てない子のところにはサンタは来ないわよ」
 悔しまぎれに少し意地の悪いことを言ってやる。返ってきたのは残念そうな声ではなく、さんた、と感情の無い復唱だった。
「さんた……とは何でしょうか?」
「え? サンタはサンタでしょ? あんた、サンタを待ってたんじゃないの?」
 不可思議そうに首を傾げる少年に、少女は驚いた声をあげる。彼の後ろ、無機質なベッドへと急いで視線をやる。枕元には、ビビッドな色をした大きな靴下が吊り下げられていた。クリスマスの夜、サンタクロースからのプレゼントを待ち遠しく過ごす子どもとまるきり同じ姿だ。だというのに、何故サンタを知らないというのだ。
 つられるように、カナリアの瞳がマゼンタと同じ方向に向けられる。ベッドのすぐ脇に注がれたそれに、あぁ、と合点がいったような声を漏らしたのが聞こえた。
「くりすますはこうするときみが来てくれるのでしょう?」
 それが常識であるかのように始果は言う。ぱちりと瞬く目は純粋な色で、疑うことなど全くしていないものだ。ぅ、とグレイスは小さく喉を鳴らした。
 クリスマス。サンタクロース。靴下。プレゼント。
 全てはネメシスに来て初めて迎えた冬、レイシスが教えてくれたことだ。クリスマスの夜、枕元に靴下を吊しておくとサンタさんがプレゼントを入れてくれるんデスヨ、とにこやかに語る薔薇色の姿は今でも覚えている。事実、クリスマスの翌朝、吊り下げた靴下の中に大きなプレゼントが入れられていた。不思議な現象に驚いたことは記憶に新しい。
 けれども、それはサンタクロースという謎の人物によるものではなく、姉の仕業だということはとうに理解していた。後でからくりを知った時は少しの落胆を覚えたが、今では別の感情を宿している。心弾むこれは、きっと楽しさというのだろう。
「とにかく! サンタが来てあげたわよ!」
 透き通る肌をした手を胸にかざし、躑躅は高らかに言う。自信満々な音色と大きく鮮やかな瞳は、黒の世界に散りばめられた星々と同じほど輝いていた。
 サンタクロースの役割が与えられたのは、ネメシスで過ごす二度目の冬のことだ。トナカイのカチューシャと赤を基調とした衣装、そしてプレゼントがたっぷりと詰められた大袋で身を飾り、同じくサンタになった双子兎と夜を駆け回ったのだ。どの家にも煙突がなくて慌ててしまったことは未だに記憶に残っている。少し苦い思い出を頭の隅に押しやり、少女はふふん、と楽しげな笑い声を漏らした。
 今年も冬がやってきた。つまり、またサンタの役割を果たす日が来たのだ。だから普段は眠っているこんな夜中に部屋を抜け出してここを訪れたのだ――プレゼントを渡すべき彼は起きてしまったのだけれど。
 肩に担いだ大きな袋を床に置く。口を縛る長いリボンを解き、中に手を入れる。もう残り少なくなったプレゼントの海から目的の物を取り出す。なめらかな手に握られているのは、深緑の箱だった。細長いそれの頭には、真紅のリボンが蝶々結びで巻いてある。クリスマスをよく表した彩りをしていた。
「はい、クリスマスプレゼント。寝てない悪い子だけど、特別にあげるわ」
 ふん、と鼻を慣らし、グレイスはこちらを見下ろす始果の胸に緑を押しつける。普段は手甲に包まれている硬い指が、柔らかな手ごと箱を包み込んだ。びくん、と少女は思わず小さく跳ねる。急いで指を離し、プレゼントと大きな手から逃げた。
「開けてもいいですか?」
「……いいけど」
 少年の問いに、小さな了承の言葉が返される。節が目立つ手が、シックな色合いをしたリボンと包み紙を解いていく。彼にとっては少し小さめのそれに触れる手つきは丁寧でどこか愛おしげなものだ。開けたところでこんな闇の中見えるのだろうか、と些末な疑問が湧き出る。妙に夜目がきくから見えるのだろう、と一人結論づけた。
 壊れ物を扱うかのように、忍の少年は緑に包まれていた白い箱の蓋をゆっくりと開ける。中から現れたのは、紙の緩衝材の中横たわる瓶だった。透明で厚いそれは、たっぷりの液体とピンクで満たされている。薄闇の中でも鮮やかな色合いは存在感を放っていた。
「……花ですか?」
「ハーバリウムよ」
 はーばりうむ、と狐は復唱する。予想通りの反応に、知らないわよねぇ、とこぼしてトンと瓶を突いた。
「保存のきく花よ。あんたの部屋、殺風景すぎるのよ。飾っときなさい」
 忍の少年は物への執着が全くと言っていいほど無い。彼が身を寄せる寄宿舎の一室は、備え付けの家具と己が持ち込んだクッションしかないのがそれをよく表していた。殺風景という言葉では足りないほどの様相である。少しぐらいは日常に彩りを求めるべきだ。
 それに、彼が躑躅咲く植え込みを眺めている姿を学内で何度か見かけた。きっと花が好きなのだろう。だから、鮮やかなピンクの花が詰め込まれたこれを選んだのだ。
 はい、と呟くような声で応え、始果は瓶に指を滑らせる。彼の背から差し込む月光を受け、透明なガラスがほのかに輝いた。
「……まぁ、安いやつだからそんなに日持ちしないけど」
 保存がきく、と言ったものの、ハーバリウムの寿命はあまり長くない。安物ならば尚更だ。本当ならばよくもつ良い物を選びたかったのだが、学生の身でありナビゲーターとして日々活動する己の財布事情はいいとは言い難い。アルバイトをしたものの、四人分ともなると保存期間が長い上等なものを選ぶのは難しかった。結局、少しチープなもので済ませてしまったのは悔しいことである。
 少女の言葉に、少年は首を傾げる。薄闇の中、月光を背にした顔はきょとりとしていた。
「はーばりうむには値段が関係あるのですか?」
「あるでしょ。高い物の方が綺麗だし保存がきくもの」
「そうなのですか……」
 とっても綺麗なのに、と狐は呟く。高いのはもっと綺麗よ、と躑躅は思わず返す。言葉にすると、やはり後悔が胸を襲う。音にならない唸りが細い喉から漏れた。
 くるりと振り返り、忍は窓辺へと向かう。カーテンが開け放たれたまま、月明かりを部屋に注ぎ込むそれの脇、備え付けのシンプルな机にガラス瓶をそっと置いた。差し込む柔らかな光を受け、花弁の色が薄く滲む影が木製の天板に落ちた。
「大切にしますね」
「そうよ。ちゃんと飾っときなさいよ」
 ふわりと笑う始果に、グレイスは呆れたように返す。はい、と優しい響きをした声が二人きりの部屋に落ちた。
 脇に置いた大袋の口を縛り直し、少女は白いそれを肩に担ぐ。中身はだいぶ減ったものの、あまり力の無い己の身体には少しの負担を感じる重さをしていた。ふぅ、と思わず疲労が滲む溜め息を漏らした。
「じゃ、もう寝なさいよ」
「……グレイスはまだ寝ないのですか?」
「レイシスの部屋に寄ってから寝るわ」
 一日かけたサンタの役目はまだ残っている。最後にクリスマスやサンタクロースを教えてくれた――そして、己にとって初めてのサンタクロースになってくれたレイシスの元にプレゼントを届けねばならない。彼女はいつも、特に妹のように接してくる己に対しては与える側にばかり回っている。たまには与えられる側に回るべきである。何より、お返しがしたいのだ。あの喜びに溢れた日をもたらしてくれた姉に。
 そうですか、と少年はこぼす。どこか不満げな音色をしているように聞こえた。彼は少し過保護なきらいがある。こんな遅くまで起きているのが気に入らないのだろうか。それはお互い様だというのに。
「おやすみ。ちゃんと寝なさいよ」
「はい。おやすみなさい」
 ひらひらと手を振り、躑躅は部屋を出る。冷えた冬の空気が剥き出しになった肩を撫でた。小さく震え、少女は歩き出す。ポケットに手を入れ、中に合鍵が入っていることを今一度確認しつつ廊下を進んだ。
 サンタクロースの夜はもう少しだけ続く。

畳む

#はるグレ

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