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No.161

twitterとか掌編まとめ7【SDVX/スプラトゥーン】

twitterとか掌編まとめ7【SDVX/スプラトゥーン】
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twitterとかで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
スプラの話はうちの新3号だったり某所に提出したりしたもの。独自設定ありなのでご理解。
成分表示:はるグレ/グレイス+ロワーレ/嬬武器兄弟/インクリング+コジャケ/インクリング2/オクトリング+インクリング

瞳の先にはいつだって/はるグレ
 カツカツと硬い音が室内に落ちる。人の声と機材の音で騒がしいスタジオ内では、その些細な響きはすぐに紛れて消えた。
 細い足が幾度も動く。数歩進み、ターンして数歩進み、またターンして進み。ブルーブラックのロングブーツに包まれた足は同じ場所をぐるぐると巡った。
 何をやっているのだろう、とグレイスは内心嘆息する。こんなあからさまに緊張している様を晒すなど馬鹿らしいと言い様がない。けれども、歩いてでもいなければ落ち着かないのだ。心がざわついて仕方が無いのだ。
 それはそうだ、落ち着くはずがない。なんたって、今日はネメシスアリーナ放送局、その記念すべき第一回――つまり、己が司会という大役を担当する初めての生配信が目前に迫っているのだ。
 レギュラーステージでも、選手たちの前で司会進行、DJ活動をリアルタイムで披露してきた。けれども、試合の形式上、相手はいつだって少人数だ。それが、いきなり全世界に向けて、しかもリアルタイムで行うのである。踏むべき段階を三個も四個もすっ飛ばしているとしか思えない展開だ。
 大勢の前で何かを披露するのはライブステージ以来だ。でも、今回は対面ではない。文字を介してのコミュニケーションだ。ちゃんとコメントを読めるだろうか。適切なものをピックアップすることができるだろうか。きちんと文脈を読み取って返答できるだろうか。スーパーチャットの読み上げという初めての試みを担うこともあり、少女の胸には不安が募っていく。
「グレイス、大丈夫デスカ?」
 可愛らしい声が己の名をなぞる。ぴゃわっ、と高い悲鳴とともに、武奏に包まれた身体がびくりと大きく跳ねた。急いで声の方向、ぐるりと身体を回して後ろを向く。そこには、スタッフの衣装に身を包んだレイシスと始果がいた。
「だっ、なっ、何がよ! 大丈夫に決まって――」
 心配の声を、少女は胸の前でぎゅっと腕を抱えながら跳ね飛ばす。少し裏返った調子のそれは、途中で止まった。生配信に向けて入念に整えられた美しい眉が訝しげに寄せられる。驚愕に見開かれた目が眇められた。
「何よそれ」
 普段はマイクやカメラといった機材を持つ少女の手には、青と赤のサイリウムが握られていた。蛍光色のそれは、ライトの光から離れた薄闇で鮮やかに輝いていた。カンペ用のスケッチブックを抱える少年の手には、大ぶりなうちわが握られている。黒い地紙にはデフォルメされた己の姿と『がんばれグレイス』というポップな文字が描かれていた。
「サイリウムデス!」
「うちわです」
「それぐらい分かるわよ。何でそんなもの持ってるのよ。ここスタジオよ?」
 胸を張る薔薇と狐に、躑躅は依然眉を寄せて返す。サイリウムにうちわ。ライブ会場の客席ならともかく、スタジオスタッフとして働く二人が持つには疑問を抱くものである。
「応援デス! 応援といったらサイリウムとうちわデショ?」
「……らしいです。応援しています」
 はわ~、と姉は両手に持った長いサイリウムを振る。赤と青が薄闇に包まれたスタジオに線を描いた。忍も控えめにうちわを振る。デフォルメされた己の姿が振り子のように揺れた。
 いつの間にそんなもの用意したのだ、と少女は唇を引き結ぶ。特に始果がそんなものを持つ、否、作るという発想をするわけがない。きっとレイシスの入れ知恵だろう。変なことばっかり教えるんだから、と呆れがたっぷりの声が配信用のリップで彩られた唇から漏れ出た。
「そんなことやってる暇あるの? まだリハーサル終わってないでしょ」
「機材の準備は整いマシタ!」
「カンペも完成しています」
 自信満々な声と落ち着いた声に、グレイスはそう、と返す。スタジオの準備はもうできている。つまり、本番が目前に近づいているということだ。そんなこと分かっている。けれど、慣れないことだらけの舞台を前に小さな心は未だに準備できずにいた。
「ちゃんとワタシたちがサポートしますカラ。安心してくだサイネ」
「きみのサポートをするためにここにいますから」
 そう言って、二人はサイリウムとうちわを振る。『サポート』の言葉の意味が違うのではないかと思わせるような姿だ。呑気にも見える二人を目に、躑躅はふぅと息を吐く。そこには安堵がわずかに窺えた。
 二人の仕事ぶりは今までずっと見てきた。いつだって最高の動きで機材を操り、最高のタイミングで進行を手伝ってくれる。こんな浮かれた様相をしていても、絶大な信頼を寄せている。分かってるわよ、とグレイスは手をひらひらと振る。えへへー、とレイシスは朗らかな笑みを浮かべた。
「……あんた、本当にカンペ出すタイミング完璧なのよね」
 少女はぽつりとこぼす。ペツォッタイトの瞳は、逞しい腕に抱えられたスケッチブックへと注がれていた。
 誰よりも先にスタッフとしての支援を志願してきた始果は、主にカンペでの指示を出すことを受け持っている。その指示の出し方が絶妙なのである。進行や時間は大丈夫だろうか、タイミングはおかしくないだろうか、と確認のために視線をやれば、そこにはいつだって答えが書いてある。流れるように進行ができるのは、この少年のおかげでもあった。
「きみが見るタイミングは何となく分かりますから」
 口元をほのかに綻ばせ、始果は言う。そんなものなのかしら、と躑躅の少女は小さく首を傾げた。
 ふふふ、と小さな笑声が二人の間に落ちる。声の主である薔薇の少女は、穏やかな、そしてどこか微笑ましそうな笑みを浮かべていた。
 何笑ってんのよ、と眉をひそめる妹に、姉はまた笑みをこぼす。ダッテ、と柔らかな弧を描いた口が言葉を紡ぎ出した。
「始果サンはいつもグレイスのこと見てマスシ、グレイスもいつも始果サンのこと見てるンダナッテ」
 ニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべる薔薇色に、躑躅と狐は黙って顔を見合わせる。数拍、白くなめらかなかんばせがぶわりと朱に染まった。不思議そうにミモザを見上げていたアザレアが、これでもかというほど見開かれる。鮮やかなそれは、言葉を認識した瞬間バッと音が聞こえそうなほど素早く逸らされた。
「あっ、あ、当たり前でしょ! 指示があるかもしれないんだから見てないといけないでしょ!」
 赤い顔で少女は叫ぶ。そうだ、全ては試合を円滑に進めるためなのだ。決してあの少年を見ているわけではない。指示だけを見ているのだ。始果のことなど関係ないのだ。事実のはずだというのに、言い訳めいた響きに聞こえてしまうのはきっと気のせいである。何かを払うかのように、マゼンタの頭が横に振られる。長いツインテールが宙を舞った。
「グレイスのサポートをするためにスタッフになりましたから」
 きょとりとした顔で少年は返す。学友が見れば、事実を並べただけの何の感情も無い言葉に見えるだろう。しかし、グレイスからすれば心の底からの言葉であるのが分かる響きと表情だ。だからこそ、心臓がうるさいくらいに脈を打つ。
 ニコニコと依然微笑ましげな笑みを浮かべるレイシス。赤い顔で唇を真一文字に結ぶグレイス。そんな二人を不思議そうに眺める始果。何とも言い難い空間がスタジオの片隅に生まれていた。
「とにかく! 準備! 最終確認するわよ!」
 サイリウムとうちわを手にした二人をびしりと指差す。本番の時間は刻一刻と迫ってきているのだ。こんなところで漫才めいたことをやっている暇は欠片もないのである。リハーサルもまだ済んでいないのだから尚更だ。本番前に全てを詰めて、完璧な放送に仕上げなければならないのだ。
 ハイ。はい。元気な声と穏やかな声が重なる。そこには先ほどまでの浮かれた様子は無い。スタッフとして、番組を支える者として、強い意志があらわになった響きだ。
「頑張ってくだサイネ」
「……当たり前でしょ」
 フフン、とグレイスは不敵に笑う。何度も地を叩き迷い彷徨っていた足は、しっかりと地を踏みしめていた。
 緊張がなくなったわけではない。不安がなくなったわけではない。けれども、支えてくれる者の姿と、まっすぐな応援の言葉が、この細い身体を迷いなく立たせてくれた気がした。
「任せなさい! かんっぺきにこなしてみせるんだから!」
 ビシリ、とグレイスはまっすぐに指を差す。『がんばれ』の可愛らしい文字が、躑躅の目いっぱいに映し出された。



飾り輝かせ/グレイス+ロワーレ
 ピアノの軽やかな音が防音加工された教室に響く。流れるような美しさと少しの哀愁を浮かべた旋律に、若々しい歌声が重なっていく。指揮者の大ぶりなタクトの動きに従い、生徒たちは奏でた。
 宙で結ぶような式の動きに合わせ、歌声が止む。ほのかな温かさを残す細い音色が静かな音楽室を流れゆく。指揮棒を握る腕が音もなく下ろされるとともに、ステレオスピーカーから響く音楽が終わった。機械を操作し音源を止め、指揮者である音楽教師は壁に備え付けられたデジタル時計に視線を移した。
「今日はここまでにしましょう。今のままでも十分ですが、もう少し練習すれば更に素晴らしくなるはずです」
 ジュワユースほどではありませんが、と仮面を着けた教師は言う。うっとりと愛剣を撫でる彼の様子など気にすることなく、生徒たちは教室後方に寄せた机たちを元に戻し始めた。
 電子の鐘が校内に、教室に鳴り響く。授業の終わりを知らせる調べだ。机を戻し終えた生徒たちは、各々教科書を手に教室を出ていく。談笑する声が、駆ける足音が、防音室から流れていった。
 廊下へと向かう人の波の中、華奢な足が動きを止める。学園指定の上履きに包まれた小さな足が、キュッと地を擦り踵を返す。グレイス、と尋ねる声など気にも掛けず、少女は速い足取りで音楽室内、その壇上へと戻った。
「ねぇ」
 教壇の前に立ち、少女は声をあげる。向こう側、教材を片付けていたロワーレは、何でしょうか、と穏やかに返した。
「貴方、その剣のこと本当に大切なの?」
 細い指が教壇の傍ら、大判の布で保護されたグランドピアノ、その天板の上に横たえられた剣を指す。突然の言葉にか、仮面の向こう側の藍色がぱちりと瞬いた。
「もちろん。この世にジュワユース以上に美しく、ジュワユース以上に素晴らしく、ジュワユース以上に守るべき、讃えるべきものなどありません」
 歌うように誇らしげに、陶酔すら見える調子で音楽教師は答える。予想通り、否、それ以上の言葉に躑躅の目が眇められる。うんざりとした様子だけではなく、疑わしさを多分に含んだ色を色濃くにじませていた。
「じゃあ、何でそんな大切な者を指揮棒代わりに振り回してるのよ」
 懐疑を隠すことなく少女は尋ねる。マゼンタの視線が金の仮面へ、青の剣へ向けられた。
 ボルテ学園高等部で音楽の教鞭を執るシャトー・ロワーレの腕は確かなものである。豊富な音楽知識を流れるように語る授業は分かりやすいと生徒の間でも評判だ。奏でるピアノは正確かつメリハリのある美しい音色を響かせ、セッションの際には存在感はあれど他の楽器を引き立たせるものだ。指揮も歌う者の個性を引き出す手腕に長けた者である。音楽教師として素晴らしい、目指す一つの形としての技術を持っていた。
 ただ一つ、愛剣をタクト代わりに振り回すこと以外は。
「大切なものなら何で振り回すのよ。危ないでしょ」
「たしかになー。吹っ飛んでくるんじゃねーかってたまに思うもん」
 依然不満をあらわに教師を睨む躑躅の少女の横に、朱い少年が並ぶ。賛同の声をあげる雷刀は、ちらりと担当教員の愛剣に視線をやる。子どもの背丈ほどもある武器は、窓から差し込む陽光を受けて輝いていた。よく手入れされ、よく磨かれ、よく研がれている――剣という武器としての役目を存分に果たすことができる証左である。
 グレイス。雷刀。可愛らしい声と涼やかな声が壇上に上がった二人の名を呼ぶ。レイシスと烈風刀だ。少女の愛らしい顔には不思議そうな色が、少年の整った顔には少しの焦りと苦さが浮かんでいた。
「次の授業まで時間がありません。早く行きますよ」
 どこか早口に言葉を紡ぎ、碧は片割れの首根っこを掴んで引く。ぐぇ、と苦しげな声があがった。彼らしくもなく急いた様子は、この話題に関わりたくない、という考えが容易に見て取れるものだった。
「そうですね」
 双子の様子など気にもせず、ロワーレは言葉を続ける。質問者であるグレイスとその横に並び立ったレイシスは、興味深そうに仮面で彩られたかんばせをじぃと見つめた。
「音楽は美しく、素晴らしいものですよね」
 歌うような声だ。穏やかな声だ。そこには音楽教師らしく、音楽へと真摯に向けられた思いが見て取れた。
「そして、ジュワユースは美しく、気高く、素晴らしい剣です」
 仮面の奥の藍色が、なめらかな布の上に横たわる剣へと向けられる。愛おしげに細められた目は、うっとりとしたものだ。愛がこれでもかと浮かんだとろけた目つきに、躑躅は険しげに目を細めた。
「美しいジュワユースには、美しい音楽が似合う。美しい二つが合わされば、更に素晴らしい輝きを放つでしょう?」
 ジュワユースには、音楽が何よりも似合うのですから。
 そう言ってロワーレは柔らかに笑む。常識だろう、と語るような声色だ。事実、彼にとっては常識なのだろう。誰よりもこの剣を愛し慈しむ彼にとっては。
 はわぁ。へぇ。感嘆の声が二つ上がる。スピネルとエメラルドが眇目になる。前者には純粋な感心が、後者にはうんざりとした様子が強く表れていた。正反対の反応だ。
「見てください、この輝きを。この研ぎ澄まされた刃を。いつまでも変わらぬ美しさを。布に横たえると生地の柔らかさとジュワユースの細くも剛健たる姿が――」
「あぁ、そろそろ予鈴が鳴りそうですね!」
「そうね! 失礼するわ!」
 浅葱と躑躅は声をあげる。あからさまにこの話を切り上げようとするものだった。当たり前だ、この教師の愛剣への想いを語らせれば放課後になってしまうだろう。一種ののろけ話を延々と聞かされるなど、高校生には耐えがたいものである。
 行くわよ。行きますよ。兄妹姉妹は片割れの手を引いて足早に教室の出口へと向かう。はわっ、と驚いた調子の声があがる。そこまで急ぐことないだろ、と不思議そうな声が手を引く背に投げかけられる。どちらの声にも応える者はいなかった。
 四人分の盛大な足音が教室の外へと出ていく。静かな音をたてて自動ドアが閉まった。その様子を教師はきょとりとした瞳で眺めていた。
 一拍、深青のスーツに彩られた足がゆるりと動き出す。靴音を立てることなく、美しい足取りで青年は愛剣の元へと向かった。
 白い指が蒼と紋様で飾られた刀身をそっと撫でる。恭しい手つきは、まさに宝物に、壊れ物に、愛おしい者に触れる様であった。
 ジュワユース。
 うっとりとした声が音楽室に落ちる。穏やかな、けれども陶酔しきった色を宿した笑みが銀の刃に反射した。



ハンバーガー食べよっ/嬬武器兄弟
 夕暮れ道に足音が二人分響く。常ならば軽やかなそれは、まるで這っているかのように重苦しいものだ。響くというよりも、落ちると表現する方が正しい音色であった。
 またしても起こったヘキサダイバーの異変解決。息つく間もなくオンラインアリーナの開催準備をし、裏ではメガミックスバトルの大型アップデートに向けて動き。加えて外部の世界とのコラボレーションを行いプロリーグの準備までしていたのだ。激動の数ヶ月を過ごしてきた身体は、常に悲鳴をあげていた。その悲鳴を無視して走ってきたが、遂に限界を迎えつつあった。
 今日はお休みしマショウ、とレイシスの疲弊しきった笑顔に見送られ、兄弟二人で学園を出た。疲労に支配された身体は重く、歩みを進めるのも億劫だ。これから帰って晩ご飯を食べ、シャワーを浴びて、洗濯をして、課題を済ませて、予習をして。今まで事もなげにやってきた日常だというのに、今は想像するだけでも頭が痛くなる内容だ。かといって、学生として、人間として怠るわけにはいかないのだ。残った気力でやり遂げるしかない。考え、烈風刀は息を吐く。足取りと同じ重さをした、深いものだった。
「……れふとぉ」
 重くか細い声が片割れの名をなぞる。彼らしくもない音色だが、二人とも同じほど疲れているのだ。こんな声を出してしまうのも仕方が無いことだろう。
「晩飯、ハンバーガーでいい?」
 碧い頭が上下に動く。スニーカーに包まれた足が二対、己が住処と反対方向へと向けられた。



 ポテトとナゲットのセット。ソースは全種類。ハンバーガー四つ。コーラとアイスコーヒー、どちらもLサイズ。
 大量の注文だが、今では席に座って指先でアプリを操るだけで持ってきてもらえるのだから便利な世の中である。レジに並ぶことすら苦痛に感じてしまうほどの身にはありがたいったらない。文明の発達に感謝する瞬間だ――何とも生活臭いことだけども。
 おまたせしました、と明るい声。二つのトレーを持った店員は、みっともなく机に倒れ伏した兄を気にすること無くプラスチックトレーを並べていく。ごゆっくりどうぞ、の言葉と共に去っていく背に、碧は小さく会釈をした。きちんと礼を言うべきであるのは分かっているが、店について席に座った途端言葉を発する体力まで尽きてしまった。どうやら、無視してきたものは思っていた以上に酷かったようだ。
 朱い頭がゆるりと上がる。うつ伏せから猫背に座り直した兄は、そっと両の手を合わせた。弟も同じく手を合わせる。いただきます、と力ない合唱が明るい店内放送が流れる世界の片隅に落ちた。
 小さなソースパックを開ける。広がったスパイシーな香りに、腹がぐぅと大きな鳴き声をあげた。同時に、胃にかすかな痛みが走る。どうやら、胃が痛くなるほど空腹状態にあったらしい。身体にのしかかる疲労にばかり気を取られて、すっかり忘れてしまっていた。
 紙箱の蓋を開け、ナゲットを一つ取り出す。開いたばかりのソースのパックに、小ぶりなそれをどぷりと沈めた。手で掴んで食べるのも、素材の味を殺すほどソースを付けるのも、どちらも行儀の悪いことだ。しかし、今は世間体を気にする余裕など無い。そもそも、ジャンクフードなんてものはこうやって食べるのが最早作法である。そんな馬鹿げた言い訳をしながら、少年は茶色に輝くナゲットを口に運んだ。
 サクリとした薄い衣に歯を立てる。舌に広がったのは、強い塩気だった。舌を刺す、と表現してもおかしくないほど濃く刺激的な味が口の中に広がっていく。空っぽの胃に相応しくないものだというのに、動きの鈍った脳味噌はそれを強く歓迎した。
 白と茶の紙に包まれたバーガーを取り出す。行儀が悪いほど大きく口を開き、かぶりつく。少しパサパサとしたバンズの食感。香辛料がたっぷりと仕込まれた肉の味。これまた濃いケチャップの塩気。いっそわざとらしいほどのピクルスの酸味。安っぽい味だというのに、口はどんどんと動き、遂には一つぺろりと平らげてしまった。脳の奥が温かに満たされる感覚がした。
 赤い紙容器に入ったポテトに手を伸ばす。大ぶりな赤から抜いた一本は長く、しなりとしていた。作られてから随分と時間が経っていることが分かる姿だ。気にすることなく、中ほどまでかじりつく。芋の味と、それを全て消し去るような塩気が口の中に広がった。
 どれもジャンキーで、身体に悪い味だ。そんなことは入店前から分かっていたというのに、手は、口は、どんどんとそれを求めて動いてしまう。疲れ切った身体は、過剰な油分と塩分を大歓迎していた。
「…………うめー」
 はぁ、と雷刀は息を吐く。彼の前には、くしゃくしゃになった包み紙が二つと空になった箱があった。どうやら、もうバーガーとナゲットを食べきってしまったらしい。そこまで栄養補給をして、やっと会話する機能と余裕を取り戻したようだ。
「たまに食うとうめーよな」
「貴方は『たまに』なんて頻度で済まないでしょう」
「んなことねーって」
 もそもそとポテトをつまみながら、兄弟二人は言葉を交わす。普段の軽快さなどまるでない、ぽそりぽそりといったような響きだ。それでも、先ほどまでの枷でも付けられたような重みは随分と薄れていた。
「烈風刀はしなしな派? カリカリ派?」
 そう言って、朱は手に持ったポテトを残ったソースに付けた。茶に染まったそれが、油分で潤った口に吸い込まれていく。シャープな輪郭をした頬がもごもごと動いた。
 うぅん、と小さな声をあげ、碧は目の前の赤い容器に視線をやる。中身がほとんど無くなったそれに指を入れ、焦げが見える短い一本を取りだした。
「……カリッとしている方が好きですね」
「烈風刀が作るのはいつもカリカリでホクホクだもんなー」
 カリ。硬い音が二つ重なる。流れるような線を描く顎が、柔らかな頬が、喉仏が目立つ喉が動く。動作の速度に比例して、テーブルの上の食器の中身は綺麗に消え去っていった。
 畳まれた包み紙が四つ、空箱が三つ、潰された容器が二つ。注文した食べ物は全て男子高校生二人の胃の中に収まってしまった。小さく息を吐き、ストローに口を付ける。ヂュゴ、と醜い音があがった。一番大きなサイズを選んだはずのドリンクも、もう無くなってしまったようだ。
 ごちそうさまでした。
 二人、共に手を合わせ、作法の言葉を口にする。帰ろっか。そうですね。短く言葉を交わし、トレーを一つずつ持って席を立つ。店内の片隅にあるゴミ箱に分別して容器を捨て、残った氷を捨てる。まっさらになったトレーを重ね、双子は自動ドアをくぐり抜ける。ありがとうございましたー、と元気な声が制服に包まれた背を押した。
 冷たい空気が肌を撫ぜる。世界はすっかり夜闇に包まれていた。季節はもう秋の中頃、冬が近い。夜が支配する時間はどんどんと増えつつあった。
「明日の晩ご飯どうすっかなー」
「気が早すぎるでしょう」
 頭を掻きながら言う兄に、弟は呆れた調子で返す。まだ少しだけ油が残った唇は、ゆるりと笑みを描いていた。
「だって今日使わなかった分の食材のこと考えなきゃだろ? 冷凍保存できるのはともかく、野菜とか使い切らなきゃだし」
 むぅと頬を膨らませ、雷刀は唇を尖らせる。そうですね、すみません、と烈風刀は返す。その口元も、目元も、柔らかな笑顔を浮かべていた。穏やかな片割れの様子に、朱はふ、と息を漏らす。店に入る前のそれよりもずっと軽く、柔らかな響きをしていた。
「明日も頑張りましょうね」
「……おう」
 少しだけ力を取り戻した声で兄弟は言葉を交わす。声を発する口の奥には、未だソースのスパイシーな香りが残っているように思えた。



祭の後に残るのは/インクリング+コジャケ
 ブーツに包まれた足を動かし、少女は薄暗いロビーを出る。夜が降りていた世界は、いつの間にか元の様相を取り戻していた。煌々と光る数多のぼんぼりは姿を消し、目に痛いほど鮮やかなネオンの明かりも消えている。ハレの日は終わり、ケの日が戻ってきたことをよく表していた。
 ぎゅっと目を閉じ、手を組んでぐっと背を伸ばす。連戦に次ぐ連戦を重ねた身体は悲鳴をあげていた。疲労はかなり溜まっているものの、その分多大な成果があったのだから十分だ。十倍マッチに百倍マッチ、どちらも勝利を収めたのだ。陣営に貢献したのは確かである。あとは結果発表を待つだけだ。
 ふぅ、と小さく息を吐く。ロビー正面、階段を下った先の大きな広場にはオミコシの姿は無かった。代わりに、大型のバンが止まっている。傍らには木材の山と大量のゴミ袋があることから、オミコシの解体作業が済んだのが分かった。フェスはついさっき終わったところだというのに、早いものである。お祭りを象徴するような豪奢な建築物、それも己も壇上に上がったものだけあって一抹の寂しさを覚えた。
 階段から離れ、ロビー出入り口横へと向かう。気怠げに携帯端末を操る青年、その後ろの看板の影を覗き込む。お天道様の陽から逃げたそこには、すやすやと眠る相棒の姿があった。フェス中はここで眠っていたのだろう。シャケをしばき倒しイクラを集める者たちが集う場所に近いこの場所には行ってはいけないと言いつけているが、今回は別だ。普段通り街中を出歩いて、祭に浮かれ集まった者の波に呑まれ潰されてしまっては洒落にならない。宵闇に包まれた世界、その隅の影となれば一番安全な場所である。
「起きて。帰るよ」
 横たわったまあるい身体をそっと揺り動かす。小さなヒレがひくりと動く。真ん丸な黄色い目がゆっくりと開き、幾度も瞬きを繰り返した。すぐにぴょんと小さく跳ね、コジャケは身体を起こして特徴的な鳴き声をあげた。彼はとっても寝起きが良いのだ。
 ぴょんぴょんと小柄な身体がめいっぱい跳ね、相棒は地面に降り立つ。そのまま、滑るように街を歩き出した。どこへ行くのだろう、と彼にとっては素早く、己にとってはゆっくりと進んでいく小さな背を追う。程なくして着いたのは、クマサン商会の脇だった。小さな広場に続く通路の脇には、ゴミ袋の山が鎮座していた。後片付けの最中なのだろう。廃棄物の山を見るのはあまり良い気分はしないが、祭の後などこういうものである。むしろ、きちんと集めてまとめられているだけマシだ。この街にはゴミをゴミ箱に捨てずに置き去りにする者が多いのだ。
 ぴょんぴょんと小さな身体が跳ねる。己たちに比べて随分と小柄な相棒は、器用な動きで見るからに不安定なゴミ袋の山を登っていった。
「あっ、こら。汚いでしょ」
 咎める声とともに駆け寄る。黒いビニール袋の頂に立った彼は、興味深そうに辺りを見回していた。元よりポールの上や欄干の上を好む子だ、高いところには登りたい性分なのかもしれない。あまりにも目立つ場所故に諦めたが、できることならばオミコシにも乗せてやりたかったものである。
 晴れ空に包まれた街を見回していた目が止まる。黄色い視線の先には、袋から飛び出した太い串があった。きっと屋台で売られていた軽食のものだろう、尖った木のそれは油でてらてらと輝いていた。
 ぞわ、と背筋を何かが駆け抜けていく。少女は目を見開き、急いで地を蹴る。ナワバリバトルで鍛えられたしなやかな脚が、石造りのタイルを力強く踏みしめた。
「食べちゃダメ!」
 ダッと音がたつほど強く蹴って跳び上がり、ゴミ山の頂に立つ相棒の身体を掴んで引きずり下ろす。鳥の鳴き声のような声が裂けた風にすら見える大きな口からあがった。
「ゴミなんか食べちゃダメ! 汚いでしょ!」
 指が食い込みそうなほど強く掴んだ小さな身体、不釣り合いなほど大きな目を真正面から見据え、少女は大声で叫ぶ。勢いのあまり、小さな体躯を揺らしてしまう。トサカのような赤い髪が強風に吹かれたように前後に揺れた。
 尖った大口から疑問に彩られた鳴き声があがる。見つめる瞳も、何を言っているのだ、と言いたげな様子だ。ゴミなんか食べないぞ、と主張するような姿だった。しかし、見たのだ。あの大きな口の端から涎が垂れるのを。
「お腹空いてるなら早く帰るよ。ご飯食べるでしょ」
 少女は依然険しい顔で相棒を睨む。コジャケは普段と変わらぬ声で鳴いた。小さなヒレが忙しなく動く。先ほどまでの問答など、『ご飯』の言葉の前では飛んで消えてしまったようだった。
 はぁ、と少女は溜め息を吐く。本来ならフェス用に貸し出されたシャツを返さねばならないが、今の街中に相棒を放り出すのは危険だ。またバランスの悪いゴミ山に登るのも、ゴミ袋から溢れ出た食べかすを目ざとく見つけるのも、何としてでも止めなければならない。『シャケ』という種族故に病院にも連れて行けないのだ。怪我をするようなことなどさせるわけにはいかない。
 返却は後にしよう。まずはこの子を家に帰さないと。考え、腕の中の小さな身体をしかと抱き締める。久方ぶりにダメージ加工されたシャツで着飾った少女は、大股で改札へと向かった。



遠いあの日々が追いかけてくる/インクリング
 規則的な電子音が己の奥底を揺らす。高いそれが眠りの底に沈みきった自我を、重く閉じきった瞼を引っ張り上げた。まだ輪郭が無い意識の中、やかましい音の発生源へと腕を伸ばす。薄闇に包まれた世界で煌々と輝く液晶画面をスワイプすると、部屋は静寂に包まれた。
 湧き出てくる欠伸を噛み殺しながら、少女は身を起こす。柔らかで温かなベッドから降り立ち、素足のままぺたぺたと窓辺へと向かう。淡い緑の真ん中に手を入れ、横へと掻き分ける。シャ、と涼やかな音とともに眩しい朝日が降り注いだ。
 ナイス!
 耳に飛び込んできた声に、少女は思わず眉を寄せる。続けざまに鳴り響く発砲音、爆発音、インクを泳ぐ音、活気に溢れた掛け声。耳からの脳にたっぷりと注ぎ込まれる不快感に、大きな手は急いでカーテンを閉めた。もちろん、薄布二枚程度であんな派手な音が完全に防ぐことなどできるはずがない。まだ鈍く聞こえるそれから逃げるように、大きな足はリビングへと続くドアへと向けられた。
 ハイカラスクエアから電車で六駅。ビル街や住宅地から少しだけ遠い、でも不便ではない、独り身でも行きやすい静かな場所。貯めた、否、いつの間にか貯まっていたおカネをはたいて引っ越したのは二年ほど前のことだっただろうか。当時にしては相場より少し高い家賃だが、過ごしやすさへの対価としては十分な額だった。
 ケトルに水を入れ、火にかける。マグを取り出し、ドリッパーを載せ、フィルターを付け、粉を入れ。まだ眠気が残る身体で用意している間に、細いケトルはすぐに鳴き声をあげた。火を落とし、ドリッパーへと湯を傾ける。温かな湯気が運ぶ香ばしい匂いが鼻をくすぐった。朝っぱらから胸に落とされた鈍い何かが解けていくような心地がした。
 ハイカラスクエアから電車で六駅。ビル街や住宅地から少しだけ遠い、でも不便ではない、独り身でも行きやすい静かな場所。ガチマッチに疲弊しきり折れた心が選んだこの街は、今ではすっかり栄えていた。栄えてしまった。逃げたはずの過去が追いかけてくるほどに。
 ドリッパーを外し、湯気立ち上るマグへと口を付ける。瞬間、ピー、と高いホイッスルの音がガラスの向こうから鳴り響いた。マグを傾けるはずの手が止まる。先ほどのバトルが終わったのだろう。この音を聞く度動きが止まってしまうのだから、身体は未だに過去を忘れてくれない。厄介ったらないものだ。頭を埋めていく嫌悪を振り払うように、今度こそコーヒーを口にする。程よい熱と濃い苦みが舌の上を広がっていく。飲み慣れたそれが、まだけぶった思考を晴らしていった。
 ハイカラスクエアから電車で六駅。ビル街や住宅地から少しだけ遠い、でも不便ではない、独り身でも行きやすい静かな場所。ゆっくりと栄えたここは、近年になってナワバリバトルの新たなステージとして開発されてしまった。ステージを設けるというニュースを見た瞬間、思わず端末を音してしまったことをよく覚えている。何で、と一人きりの部屋で叫んだことも。
 おかげでバトルの喧騒と過去に耳を、頭を、心を引っ掻き回される日々を送っている。当時バトルで稼いだおかげで貯金はまだまだある。引っ越すことも考えた。けれど、引っ越したその先がまたステージとして栄えたら。ハイカラ地方に住む以上、もう逃げ場など無いのだ。
 ちびちびと飲み進めながら、携帯端末を操作する。今日は燃えるゴミの日だ。飲んだら捨てに行かなくては。考えながらニュースサイトの文字を辿っていく。天気は晴れ。降水確率二〇パーセント。バトルには最高の一日でしょう、と添えられた一言に、少女はまた顔をしかめた。
 ぬるくなりつつあるコーヒーをぐっと飲み干し、マグをシンクに置く。粉がへばりついたフィルターを捨て、ゴミ袋を縛る。壁に掛けた上着を引っ掴んで羽織り、膨れた袋を手に玄関へと向かった。回収時間にはまだ余裕はあるが、早く済ませるに越したことはない。そんな見え透いた言い訳をしながら、少女は玄関のロックを解除した。
 階段を降り、マンション指定のゴミ捨て場に向かう。エントランスのガラスドアを抜けた瞬間、きゃらきゃらと可愛らしい声が耳に飛び込んできた。
 さっきのバトル頑張ったね。すごかったでしょ。あそこでカバーしてくれたのさすがだよ。
 自販機の前にたむろした少女らは高揚した調子で言葉を交わす。片手にはペットボトル、片手にはブキ。きっと先ほどまでナワバリバトルをしていた子どもたちなのだろう。少しだけ上擦った声と互いを讃え合う爽やかな言葉が鼓膜を震わせる。脳を揺らす。心を濁らせる。
 早く捨てて戻ろう。帰ってもう一杯コーヒーを飲もう。声を掻き消すように考え、足早に進む。少し乱暴な手つきでゴミ袋を置き、足早に来た道を戻った。
「あっ、またカフェオレなんだ」
「だって苦いの苦手だもん」
 エントランスに入る瞬間、そんな会話が聞こえた。
 またカフェオレ飲んでる。苦いの苦手だもん。こどもだー。同い年のくせに何言ってんの。
 交わした言葉が、記憶が、光景が、ぶわりと膨れ上がる。厳重に塞いだ蓋を破って湧いて出る。頭を、心を染め上げていく。苛烈な何かが胃を焼いた。
 バトルの後にジュースを飲むのが好きだった。苦いものが苦手な己をからかってくるあの子とじゃれあうのが好きだった。互いに褒め合い、励まし合い、次のバトルへと向かう合間の穏やかな時間が好きだった。
 バトルではいつだって息の合った動きをしていたあの子は、今何をしているのだろう。考えたところで、自ら逃げた己には『今』を知る方法など無いのだけれど。
 無意識に目元を強く押さえていた手を緩慢な動きで下ろす。はぁ、と溜め息一つ吐き、鈍い足取りで自動ドアをくぐった。
 音も無く閉まったガラス戸の向こう、もうあのかしましい声は聞こえなくなっていた。



週末、昼時、掃除と貴方と/オクトリング+インクリング
 音もなく開いたドアをくぐり、数字が書かれたボタンを押す。ドアが閉まります、と機械的な声が狭いスペースに響き、分厚いドアが閉じる。一拍置いて、鈍くこもった機械音が鳴り始めた。薄い浮遊感に少年は今一度足を踏みしめた。
 たった四階だ、数秒で箱は動きを止めた。機械音声とともに、自動ドアが開く。物言わなくなったそれから抜けだし、少年は廊下を歩んでいった。
 道の突き当たり、角部屋のドアの前に立つ。リュックから鍵を取り出し、ノブの穴に差し込む。軽く回せば、ガチャリ、と重い音が光差し込むコンクリートの世界に響いた。鞄たちを抱え直し、少年は部屋に入った。
 カーテンが閉められた室内には、電灯を点けずとも惨状が広がっていることが容易に分かる匂いが立ちこめていた。アルコールと砂糖の匂いに、ほのかに香水が香る。慣れたはずの悪臭だというのに、思わず酒くさ、とげんなりとした声を漏らした。
 脱ぎ散らかされた服と転がる缶、中に水気を孕んだペットボトル、油汚れが残るプラスチック容器が散らばる床をそろりと進んでいく。そうでもしないとゴミを踏みつけてしまうほどの荒れようだ。わずかに残った足の踏み場をつま先立ちで渡り歩き、少年は窓へと近づく。二重になったカーテンに手を掛け、勢い良く開いた。シャ、と軽い音とともに、薄闇に包まれた部屋は光に満たされた。
 そのまま窓を開け、少年はゆるりと振り返る。陽光差す部屋は、相変わらず凄惨な有様をしていた。はぁ、と溜め息を吐き、来た道を慎重な足取りで戻る。玄関へと向かい、ブーツやパンプスが詰め込まれたシューズボックスの中から、大容量のビニール袋とほうき、地域指定のゴミ袋を取り出した。
 プラスチック容器、缶、ペットボトルを別々の袋に放り込んでいく。捨てる前に洗わねばならないし細かい分別もしなければならないが、そんなのは後回しだ。今は床が見えるようにするのが最優先である。大きな手がゴミを掴み、手際よく黙々と分けていった。
 んぅ、と寝惚け声が窓辺からあがる。ゴソゴソと布が擦れる音。しばしして、窓際の丸まった影が形を変えた。
「……あ~、おはよ」
 少年の姿を見とめ、布団の主、そして部屋の主である女性はにへらと笑った。昼は透き通り輝きに満ちた色を見せる瞳は、今は眠気でけぶっている。はつらつとした声も輪郭が曖昧になっていた。
「おはようございます」
 手を止めることなく、少年は短く返す。この部屋に足を踏み入れた時点で、彼の最優先事項は『掃除』になっていた。家主への敬意――そんなものはとうに消え失せているが――など二の次である。まだ幼さ残る丸い目は、ゴミが除かれはじめた床へと向けられていた。
「今日も早いねぇ。眠くない? もうちょっと寝よ~よ~。ベッド半分貸したげるからさ」
 ふにゃりとした声で良い、女性は枕を抱えるようにヘッドボードへと身を寄せる。掛け布団は君のね、と空いた下半分に柔らかな羽毛布団を追いやった。彼女の言う『半分』は、ベッドを正方形に分けた状態を指すらしい。
「もうすぐお昼ですよ。眠くなんてありません」
 硬い少年の声に、そ~ぉ~、と疑問形のやわこい声が返される。毛布の端から腕が伸び、白い指が枕元の携帯端末を捕まえる。しばしして、ほんとだぁ、と溶けた声があがった。
「さっさと起きてシャワー浴びてきてください。もうすぐ掃除終わりますから」
 燃えるゴミをまとめた少年は、じとりとした視線をベッドへと向ける。はぁい、と存外素直な言葉と毛布が擦れる音。ぺたぺたとようやくまともに姿を現しはじめた床を歩く音が続いた。
 ざっくりと分けたゴミと洗濯物の山を部屋の隅に押しやり、少年はキッチンへと向かう。毎度ながら、ここも大層な惨状だ。転がる缶と瓶を分け、いつ放り込まれたか分からない水切りかごの食器を拭いて片付け、中途半端に水に浸された食器を洗い、水垢が浮かび始めたシンクを掃除し。テキパキと作業を進め、あらかた片付けたところで手を洗い、持ってきたエコバッグに手を入れる。取り出したのは、行き道で買ったクロワッサンだ。小ぶりなそれを数個トースターに放り込み、フライパンをコンロにかける。冷蔵庫から先週買って置いたままの卵を取り出し、ボウルに割ってかき混ぜ、油を敷いたフライパンに注ぎ入れる。ガシャガシャと適当にかき混ぜ、きちんと火が通ったところで二等分して皿に移した。ケチャップをかけていると、トースターが高い鳴き声をあげる。バターの香りが一層増したパンを取り出し、卵の脇に置く。二人分のそれを手に、少年は部屋へと踵を返した。
 クロワッサンにスクランブルエッグ、インスタントコーヒー。シンプルな朝食兼昼食を前に、少年と女性は手を合わせる。いただきます、と短い合唱が随分と広くなった部屋に落ちた。
「やっぱり君のご飯は美味しいね」
「あのパン屋が美味しいだけですよ。俺は卵を焼いただけです」
「え~? 火の通り具合とか味付けとかちょうどいいよ? やっぱり料理上手だよ」
 笑いながら、スクランブルエッグを一口食べる。美味し~、と嬉しげな声があがった。料理人は何も言わずクロワッサンにかじりつく。サクッ、と小気味よい音があがった。
 ねぇ、と女性は少年を呼ぶ。あれだけ曖昧な輪郭をしていた声には、常通りの芯が通っている。すっかりと目を覚ました様子だ。
「やっぱ一緒に住まない? 家賃と食費は全部私が持つからさ」
「嫌です」
 小首を傾げて何度目かの問いを投げかける女性を、少年はいつも通りバッサリと切り捨てる。え~、と不満げな声があがった。それもどこか愉快げだ。
「俺には住み込みの家政夫なんて無理です。ていうかちゃんとプロを雇ってください」
「知らない人より君の方がいいよ」
「俺も十分『知らない人』でしょう」
 少し遅くなった帰り道、薄暗い駅のホーム。赤ら顔した彼女に声をかけられたのが全ての始まりだった。私もこっちなんだよね~、と笑いながら正反対の方向に向かおうとする女性を適切な路線に乗せ、降りてすぐ乗りもしない電車のホームへと向かう足を改札口へと向かわせ、すぐ近くなの~、と改札へと戻ろうとする手を引いてアパートへと送り届け、そして部屋の惨状に目を奪われ。気がつけば、光差し込む部屋の中、ゴミ袋の山を作り上げていた。
 翌週も駅で出会い、あの惨状が不安になって尋ねれば言葉を濁され。また掃除し、また出会い、掃除し、出会い、掃除し。いつの間にか合鍵を渡され、週末彼女の部屋を訪れ掃除する日々を送っている。
 対価も無いくせによくやるものである。我ながらバカだ。己を嘲りながら、少年はフォークで皿を浚う。仕方無いのだ、もう見放せる段階はとうに過ぎてしまった。一度知ってしまった以上、こんな惨状など見過ごせないのだ。言い訳を頭の中で並べ立てる。幼い脳味噌に言い聞かせるには十分だった。
 そうかなぁ、とこぼしながら、女性はクロワッサンに手を伸ばす。パリッ、と香ばしく焼けた生地が割れる音が部屋に落ちた。
「私が『知らない人』に合鍵渡すように見える?」
「渡してるじゃないですか」
「だから、もう『知らない人』じゃないんだって」
 ね、と女性は少年の名を呼ぶ。柔らかく温かな音色に、彼は思わず眉をひそめる。まろい輪郭をした頬にうすらと朱が差した。
 ごちそうさまでした、と手を合わせ、少年は皿とフォークを手にキッチンへと向かう。はやっ、と笑い声が薄い背に投げかけられた。物言わず部屋を出、手際よく食器を洗っていく。彼女の分の食器を洗ったら、掃除の続きをしなければならない。最近ようやくきちんと資源回収に出すようになってくれたのだ、このまま習慣づけさせねばならない。さすがに資源回収の日まで訪れるほどの余裕は無い。
 もし余裕があれば、己はそこまでして彼女の世話をするのだろうか。ふと疑問が頭をよぎる。するんだろうな、と諦めの声を脳内であげ、少年は食器を水切りかごに入れた。
 ごちそうさま、と後ろから声。振り返ると、そこには食器を持った女性の姿があった。お粗末様です、と返し、少年は大きな手から食器を受け取り手早く洗い始める。私がやるのに、と拗ねたような声に、彼は小さく溜め息を返した。
「ペットボトルすら洗わない人が何を言っているんですか」
「最近は洗ってるよ? キッチンにある分は洗ってあるよ?」
 たしかにキッチンに転がっていた分のペットボトルはキャップが外され、中身も綺麗になっていた。ペットボトルぐらい洗ってくださいよ、と常々言っていたのがようやく実ったようである。達成感とともに、なにか冷たいものが胸に落ちる。訳の分からないそれに小さく首を傾げながら、少年は洗った食器をかごに入れた。
「洗濯物してくるね」
「お願いします」
 片付ける時は薄目でまとめるだけだが、洗濯するとなればきちんと生地を見定めて分けねばならない。女性の洗濯物をまじまじと見るなど失礼だ。それ以上に、第二次性徴の最中にある少年には刺激が強すぎる。こればかりは任せるしかなかった。
「いつもありがとね」
「……別に」
 俺がやりたくてやってるだけですから。
 小さく返し、少年はまだ水気まとう食器を拭く。ありがと、と今一度礼を言い、女性はキッチンを出て行った。
 そうだ、やりたくてやっているのだ。でも何で。見捨てておけないから。知らない人なのに。合鍵をもらっているのだから。勝手に渡されたのに。それでも。
 頭の中で問答が繰り広げられていく。理性が吐く正論を、幼い心は大声をあげて掻き消した。
 ふるふると頭を振り、少年は食器を片付ける。余計なことを考えていないで掃除の続きをしよう。さっさと終わらせナワバリバトルをしたいのだ。
 少年はまた溜め息をこぼす。大きな足がぺたぺたと床を歩き、部屋へと戻っていく。まだ小さな身体は、ペットボトルのラベルを剥がす女性の下へと寄せられた。
 ゴトゴトと洗濯機があげる鈍い鳴き声が、二人きりの部屋に響いていた。



あとでキレたり拝んだりした/インクリング
イカタコたちはステージまでスポナーで移動しているのでは?という仮説による話


 あ、とロッカールームに小さな声が落ちる。疑問符が浮かぶそれは、賑やかな空間に溶けて消えた。
 大きな手だ開かれたロッカーの中には、常日頃手入れしてしまっているスポナーの姿は無かった。傷が細かくついた銀は消え失せ、あるのは不自然なほど大きな空間だけだ。
 そうだ、昨日の夕方、スポナーを忘れたという友人に貸したのだった。無いのは当然である。すっかり忘れていた、と少年は丸い頭を掻く。今日は朝一番からバトルに身を投ずる予定だったというのに忘れてしまうなど馬鹿にもほどがある。はぁ、と短く息を吐いた。
 瞬間、焦燥の色が小さな頭を猛烈な勢いで染め上げていく。かすかに高揚していた心は一気に冷え上がり、地へと落ちた。
 急いでロッカールームを見渡す。明日返すわ、と急いで走っていった友人の姿はどこにもない。今日は朝から一人でバトルに赴こうとしたのだから当たり前だ。
 どうしよう。少年はロッカーの前に立ち尽くす。バトルロビーからステージへの移動は、スポナーに乗って行う。公共交通機関での移動も許されているが、既にエントリーした今からスポナー以外の移動方法では到底バトルに間に合わない。件の友人に会えるのも、おそらく早くて昼前になるだろう。こちらから回収しに行こうにも、彼の家までは電車で三駅かかる。今から向かうのは非現実的であった。
 どうしよう。少年は小さく呟く。丸い目はありもしないおのれのスポナーを求めて泳ぎ、口は湧き出る焦りにわなわなと震えていた。
「どうしたの?」
 後ろから声。突然のそれに、まだ細い肩がびくりと跳ねる。慌てて振り返ると、そこには見知った少女の姿があった。
「あっ、もしかしてスポナー持ってきてないの?」
「……友達に貸したの忘れてた」
 えー、とロッカーを覗き込んでいた少女は目を丸くする。それはそうだ、日々バトルに励むものがスポナーの存在を忘れるなんてあり得ないことだ。こんな朝早くからロビーを訪れ、バトルに向かうような者なら尚更である。
 まあるい目を不思議そうに瞬かせる少女から目を逸らし、少年は心の中で叫ぶ。何でよりによって今日、よりによってこの子の前で。小さな脳味噌が悲鳴をあげる。脳神経が焼き切れそうな心地だった。
 今目の前に居る少女は、『友達』というには少しばかり遠い、しかし『知り合い』と切り捨てるには近すぎる存在だ。時折ロビーで出会う彼女とはもう何度もともに戦い、ぶつかりあってきた。同じブキを扱う者として話に花を咲かせることも多々ある。ただ、知っているのはプレートに記された名前――本名かどうかすら分からない登録ネームだけだ。その程度の距離感、その程度の仲だ。
 けれども、そんな小さな触れ合いだけでも恋に落ちるのは十分だった。戦場を駆け回る逞しい姿に惹かれた。勝利に喜ぶ可憐な姿に目を奪われた。楽しげにブキを語る姿に心奪われた。少年は、どうしようもなく恋をしていた。
 そんな恋心を寄せる女性に間抜けな姿を見せてしまったのだ、まだ齢十四の幼い心が耐えられるはずがない。今すぐにでも逃げ出したい気分だ。
「……エントリー取り消してくる」
「え? もったいなくない? 今結構込んでるから次いつになるか分からないよ?」
「スポナー無かったら移動しようがないじゃん。このままじゃ他の子に迷惑掛けるし」
 はぁ、と重い溜め息を吐きながら少年はロッカーを閉める。今日は丸一日バトルし腕を磨く予定だったが、これではどうにもならない。友人が来るのを待つしかないだろう。悩ましい呻り声を背に、大きな靴に包まれた足がロッカールームの出口へと向けられた。一歩踏み出したところで、あっ、そうだ、と明るい声が広い部屋に響く。次いで、袖を引かれる感覚。緩慢な動きで視線を向けると、そこには輝く大きな瞳があった。
「私のスポナーに一緒に乗ってかない?」
「……………………は?」
 わたしのすぽなーにいっしょにのってかない?
 耳から入り込んだ言葉が頭の中を巡る。脳内で咀嚼、反芻を繰り返し、ようやく言葉の意味を理解する。瞬間、少年の顔がインクを浴びせかけられたようにぶわりと赤に染まった。
「ばっ、い、や、無理だろ!」
「大丈夫でしょ。君も私もちっちゃいんだし」
「ちっちゃいって言うな!」
 えー、と少女は唇を尖らせる。うー、と少年は呻き声を上げる。澄んだ可愛らしい瞳から逃れるように、彼は勢いよく顔を逸らした。もはや『振り返る』と表現した方が正しいほどの動きだった。
 たしかにおのれも彼女も年の割には小柄だ。けれども、スポナーに一緒に入ることができるほど小さくは無いはずだ。たとえイカの姿になったとしても、あの小型のスポナーに二人入るなど、しかもそのまま移動するなど無茶な話である。
 そもそも、好きな女の子とあんな狭い空間に二人きりなるなど、心が耐えられるはずがない。無理だ、と思春期の脳味噌と心は甲高い悲鳴をあげた。
「一旦私のに乗っていって、バトルの時は現地で借りればいいでしょ? それまでの我慢だよ」
「そ、う、かも……だけど……」
 もごもごと歯切れ悪く口を動かす少年に、少女はニコリと笑いかける。満開の可愛らしさの中に、苛烈な感情が輝くのが分かる笑みをしていた。
「私、早くバトルしたいんだよね」
 弾んだ声に、短い言葉に、少年の肩がびくりと跳ねる。驚愕にも焦燥にも混乱にも、そして畏怖にも見える動きだった。
 少女はこう見えてバトルが大好きだ。休みの日はご飯食べるの忘れちゃうんだよね、と笑いながら連戦するほどバトルが大好きだ。こんなに朝早くからロビーを訪れるほどバトルが大好きだ。早くバトルに向かいたいに決まっている。抜けてしまった一人の枠を探して待つ時間すら惜しんでいるのがありありと分かった。
 ね、と少女は問いかける。可愛らしいが、どこか重圧を感じさせる音色だ。ダメ押しといった調子である。
 しばしの沈黙。よろしくおねがいします、とかすかに震えた声が二人の間に落ちた。
「じゃ、いこっか! もうすぐ時間だよ!」
「……はい」
 掴んだままの袖を引き、少女はロビーへと駆けていく。引かれるがままに、少年も足早に歩みを進めた。地面を蹴る軽い音。地面を踏みしめるような重い音。正反対な音色が二つ、ロビーに続く扉を抜けた。
 しばしして着いた移動スペースには、いくらかの影があった。これが今回のバトルメンバーなのだろう。誰が味方に、誰が敵になるか分からないのだ、普段ならブキに目をやる場面である。しかし、少年の瞳は血に吸い寄せられていた。これから起こることを考えると、ブキどころか袖を引く彼女の背を見ることすら不可能だった。
「私のスポナーこれね。さっ、入って入って」
 イカの姿になり、少女はスポナーの上に乗る。小さな身体は磨かれた銀の箱に吸い込まれていった。
 ごくり、と少年は唾を飲み込む。本当に入るのか。いや、入らなければ迷惑が掛かる。けど。だけども。往生際悪く惑う心を、早くー、と明るい声が手招いた。
 深呼吸をし、少年はイカの姿に戻る。ぴち、ぴち、と力なく跳ねながら、スポナーに乗った。まるで薄氷の上に足を踏み出したかのような慎重な動作だった。
 今一度深呼吸。よし、と覚悟を決めて上げた顔、目に文字が飛び込んでくる。壁に貼られたポスターには『貸しスポナーはこちらへ』と書かれていた。大きな矢印は、その隣、壁一面を埋めるようなロッカーを注している。開きっぱなしの一つから銀が覗いている。見慣れた機械、スポナーだ。
 そうだ、貸しスポナーというものがあるではないか。普段スポナーを手放すことなど無いからすっかり忘れていた。最初からこれを使えばよかったのだ。何で忘れてたんだよ、と少年は心の中で頭を抱えた。もう戻れないところまで来ているのだけれど。
 一旦私のに乗っていって、バトルの時は現地で借りればいいでしょ?
 ふっと少女の言葉が脳裏をよぎる。現地で借りれば良い。つまり、彼女は貸しスポナーという存在を知っていた。なのに、そのことを隠したまま一緒に乗ろうと誘ったのだ。しかも、自ら急かすほど。
 え、え、と少年は声にならない声を漏らす。何で。どうして。一体どういう。疑問が頭の中を埋めていく。黒く縁取られた目がこれでもかと見開かれた。
 脳味噌が都合の良い結論を出すより先に、小さな身体はスポナーの中へと吸い込まれていった。

畳む

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SDVXスプラトゥーン


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