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No.171

諸々掌編まとめ10【スプラトゥーン】

諸々掌編まとめ10【スプラトゥーン】
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色んなところで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。掲載時から修正とか改題してるのは気にするな。
うちの新3号だったり名無しだったりごちゃまぜ。書いてる人はXP14~18をうろうろしてる程度なので戦略とかそういうのは適当に流し読みしてくれると助かる。
成分表示:新3号+新司令/インクリング→インクリング/インクリング+オクトリング3/インクリング→オクトリング

胃に温もり/新3号+新司令
 シャクン、と小気味良い音が大きな口からあがる。瞬間、口内に青い香りとほのかな苦み、次いで優しい甘みが広がった。逃げて奥まっていった切り身にかじりつく。弾力のある身を噛む度、薄い塩気とタンパク質の味が舌に広がっていく。ともすれば強く感じるそれは、野菜の甘みと歯触りとあわさり程よいものになっていた。控えめな、けれども確かな存在感のあるドレッシングが全てをまとめる。美味と評するには十分な味をしていた。
 すっかり食べ飽きたそれを黙々と咀嚼しながら、三号と呼ばれる少女はデバイスを操作する。電子の画面に表示されたオルタナの地図は、手にした時よりもずっと鮮明なものになっていた。それでも、端の部分にはわずかに暗い箇所がいくつかある。調査が不十分であるという証拠だ。
 今日はこのあたりを探しに行くか。考えつつ、三号は物言わずひたすらに口を動かす。大ぶりなラップサンドはかなりの速度で姿を消していった。
「三号、いつもそれ食べてるね」
 隣から声。視線だけやると、キラキラと輝く黄金色とかちあった。十字がきらめく大きな瞳は、サンドを掴んだ己の手元を覗き込んでいる。興味津々といった様子だ。
「あげないわよ」
「いらないよ」
 上半身をひねり、随分と近くなった顔から唯一の食料を遠ざける。髪飾りで彩られた丸い頭がことりと傾いだ。
「毎日食べてるなんて、そんなに美味しいの?」
「……これしか食べるもの無いだけよ」
 己の懐事情はいつだって最悪だ。毎月固定で差っ引かれていく家賃、莫大な食費、明らかに足元を見たギアクリーニング代、勝つためのギアの購入代。いつだって家計は火の車だ。せめて食費だけでも浮かせるためには、チケットで交換できるマキアミロール360°を食べるしかなかった。おかげで、先月よりも食費は減っていた――焼け石に水だけれど。
 うーん、と小さな音を漏らしながら、一号と名乗るインクリングは更に首を傾げる。食べるものが限られているなんて状況が珍しいのだろう。それはそうだ、普通に暮らしていればこんなことなど起こらない。我が家の家計は普通ではないからこうなっているのだ。
「飽きないの?」
「飽きてるわよ」
「じゃあ、今度お菓子持ってくるね。たまには別のものも食べよう!」
 胸の前で手を握りニコリと笑う一号に、三号もまた笑顔を返す。ありがとう、と告げる声も表情も、先ほどまでの眉根が寄った顔からは想像できないほど明るいものだった。
 この先輩隊員――勝手に訳の分からない隊に引き込まれたのだが――は、隊員四人では食べきれないほど多くの差し入れを持ってくる。たらふく食べさせてくれるのはもちろん、残ったものは自由に持ち帰らせてくれるのだ。普段よりずっと上等な食べ物を食べられる上に、食糧の確保までできる。これほど喜ばしいことはない。そういう意味では、一号への信頼は他隊員よりも高い。
 露骨なまでに明るい声に疑問を持つ様子無く――純真無垢と言ってもいい彼女なのだから気付いていないだけだろう――黒で縁取られた琥珀が弧を描く。楽しみにしててね、と弾んだ声が人工世界に響いた。
「……三号」
 今度は後ろから声。最後の一口を放り込み、少女はゆるりと振り返る。白い手袋に包まれた手が、差していた和傘を丁寧に畳む姿が見えた。
 傘を脇の箱に立てかけ、二号と呼ばれるインクリングは影になった場所から大ぶりな保温ポットとプラスチックのマグカップを取り出す。大きなそれを片手に持ち、器用な手付きでカップに中身を注ぎ入れる。流れゆくクリーム色に近い液体から、ふわりと湯気が舞った。
「『温かいものを飲んだ方がお腹が膨れる』と、司令は言っとるよ」
 はい、と二号は湯気立つマグカップをこちらに差し出してくる。柄の無いそれの中はカフェオレで満たされていた。探索の息抜きに、といつも差し出されるものだ。香ばしい匂いが鼻先をかすめた。
 確かに温かいものを飲むと腹は膨れる。合理的な言葉だ。ありがと、と短く礼を言い、三号は両手でマグを受け取る。あまり厚くない素材越しに、熱が強く伝わってくる。そのまま飲むのは厳しいのは明白だ。
 何度も息を吹きかけ、一口。ミルクのまろやかさとコーヒーの苦みが舌を撫ぜる。塩気が残っていた口内を、温かなものが洗い流していった。
 火傷しないように注意しつつ、ちびちびと飲んでいく。さほど大きくないカップは、じきに底を見せていった。ぐっとあおり、底の底、縁に残る雫まで飲み干す。ふぅ、と満足げな吐息が漏れた。
 空になったマグを握る手に、白い手が重ねられる。何だ、と思うより先に、手の内のカップは自然な動きで攫われた。大きなポットがまた傾けられ、熱がほのかに残るマグに中身を注いでいく。静かに去っていったそれは、また静かにこちらへと戻ってきた。
 ありがと、と礼を言い、少女はまたカフェオレを飲んでいく。ゆっくりと飲み干し、また溜め息。再びマグが取られ、カフェオレがたっぷりと注がれて舞い戻ってくる。ありがと、と今度は懐疑が滲んだ声で返した。またちびちびと飲んでいく。飲み終わった瞬間、自然な動きでカップを取られ、これまた自然な動きでカフェオレを注ぎ入れ、当然のようにこちらに渡してきた。
「……何?」
 無言で注がれ続けるおかわりに、少女は眉をひそめる。眇められた目が、湯気立つ小さなカップと眠たげなアンバーを往復した。
「『好きなだけ飲んでいけ』と、司令は言っとるよ」
「いや、もういいわよ」
 小さくポットを揺らす二号に、三号はげんなりとした声を返す。たとえ好んでいようとも、短時間に同じものを何杯も飲むのはさすがに飽きが来る。特にコーヒーは苦みと渋みが下に積み重なっていくので、あまり数をこなそうとは思えない。多くても二杯で十分だ。
 少女の視線など気にすることなく、二号はわずかに屈む。彼女のすぐ隣、不釣り合いなほど大きな帽子を被ったインクリングの口元へと耳を寄せていた。司令と呼ばれるインクリングは、寄せられた大きな耳と自身の口元を隠すように手を添える。何かを耳打ちしているようだった。
「『カフェオレでお腹を満たしていくといい』と、司令は言っとるよ」
 二号の言葉に、司令はこくりと大仰に頷く。赤い瞳が険しげな青をじぃと見つめた。
 牛乳がたっぷり入ったカフェオレは腹を満たしてくれるだろう。だが、それはあくまで一時的なものだ。所詮は飲み干すだけのただの液体だ、噛んで満腹中枢を満たす固形物とは違って長くは続かない。一時間もすれば空腹が襲ってくるのだ。その虚無感は何度も経験していた。主に白湯で。
 それに、牛乳で多少和らげられていてもカフェインが多く入ったコーヒーを飲みすぎては胃が荒れてしまう。腹の足しにするにはあまり適さない飲み物だ。
「はいはい。もうお腹いっぱいだからいいわ。ありがと」
 中身が入ったままのマグを、司令と呼ばれるインクリングに押しつける。頬杖を突いていた手が崩れ、湯気が踊るマグカップを両手で受け取った。大ぶりな帽子で陰った赤が、またじいと青を見つめる。いいのか、と言いたげな視線だった。言葉など何も言わず、少女はくるりと踵を返す。コジャケ、と相棒を呼んだ。
 形容しがたい声とともに、広がる海を眺めていた小さな身体がぴょんと跳ぶ。丸っこい腹で滑るように駆けてきた彼は、またぴょんと跳び、インクタンクの中に器用に収まった。
「『気を付けて』と、司令は言っとるよ」
 二号の声を背に受けるも、三号は口を開くことなく端末を操る。映し出された地図、まだ調査が甘い場所へと印を付ける。今日の目標はこの箇所の調査完了としよう。考え、少女は歩き出す。いってらっしゃーい、と跳んできた元気な声に、ひらひらと手を振った。
 踏みしめる雪がサクサクと音をたてる。キャンプ地での騒がしさはもう消え去っていた。あの賑やかな一号の声も、あのどこかけだるげな二号の声も、あの赤い瞳も無い。
「……自分で言いなさいよね」
 あの司令と呼ばれるインクリングは、自身の口で話すことは無い。少なくとも、己はあのインクリングが話す姿を見たことはない。体つきもよく見えないことも相まって、性別すら知らない有様である。
 自分の口で言わずに事を済ませるなど、失礼にも程がある。たとえその裏に何が隠れていようとも、気遣いは快く受け取りたい。だが、あんな態度を見せられては苛立ちの方が勝るのだ。
 なんなのよ、と何度目か分からぬ悪態をつく。鼻の奥には、まだコーヒーの香りが残っている気がした。




二人、ヤグラに揺られて/インクリング→インクリング
 グリップを握る指先に力を込め、トリガーを引く。そんな簡単な動きで、背のタンクから補充されたインクが銃口から飛び出した。拡散するシアンが地を、マゼンタにまみれた地を染めていく。潜り、引き、塗り、また潜り。繰り返し、陣地を塗り広げていく。味方が動き回れる場所を確保していく。
 インクタンクが高い声をあげる。スペシャルウェポンが使用可能になったという合図だ。素早く塗り広げ、少年は前線へと走りゆく。最前線、敵陣へと動き進むヤグラの上には、クーゲルシュライバーを構えたインクリングがいた。シアンに染まった側面を素早く塗り、インクリングの少年はヤグラへと駆け上がる。金網で囲まれた台に軽やかに飛び乗った。
 己が持つわかばシューターのスペシャルウェポンはグレートバリアだ。ヤグラ上で展開すれば、乗っている味方を守ることができる。もうじきカンモンに到達する今展開すれば、試合を有利に進められるはずだ。早くしなければ、と装置へと手を伸ばした。
「来ないで!」
 瞬間、大声が耳をつんざく。何だ、と目を丸くしていると、鮮やかなパープルと視線が交わる。普段は快活な光を宿した丸い目は、これでもかというほど険しく眇められていた。睨みつける、と表すのが相応しい目つきだ。
「え、何……、いやどうしたんだよ」
「乗らないでって言ってるの!」
 敵を狙う銃口をこちらに向けんばかりの形相で少女は叫ぶ。その細い身は足を踏み外してもおかしくないほど端へと寄っていた。明らかにこちらを避ける動きだった。
「今カンモンだろうが!」
「一人でもカウントは進むでしょ! いいって言ってるの!」
「んなこと言ってる場合か!」
 きゃんきゃんと吠える少女に、少年もまた吠える。今は相手にリードを許している状態だ。一刻も早くカウントを進め、逆転しなければいけないのだ。二人で乗るのが最効率である。
「いいから降りてってば!」
 もはや悲鳴に近い声で少女は叫ぶ。ついにはタンサンボムを取り出し、こちらに投げつけようとする始末だ。華奢な指に包まれた銀のボムが、日差しを受けて光る。
 そこまでして乗らせたくない理由は何なのだ。勝利よりも距離を重んじようとするその理由は何なのだ。己が何をしたというのだ。疑問ばかりが頭の中身を掻き回す。勝つために使わねばならない脳のリソースは、全て疑問に割かれていった。
「マジ何なんだ――」
 低いエンジン音が鼓膜を震わせる。嫌というほど耳にしてきたその音に、紫の目が、橙の目が、瞠られる。二つの頭がぎこちない動きで動く。音の方へ向かった先、広がる視界には、高台でチャージしている――否、今しがたチャージを済ませたハイドラントの姿があった。金色の銃口が陽光を受けてキラリと光る。まるで、間抜けな二匹の獲物を嘲笑うかのように。
 二人分の悲鳴がヤグラの上に響いた。




 ガヤガヤとロビーが騒がしさを取り戻していく。ロッカーに向かう者、売店に向かう者、射撃練習を行う者、再度バトルに向かう者。皆が皆、自由に動いていた。ただ二人を除いては。
 バトルポットの脇、わかばシューターとクーゲルシュライバーを携えたインクリングが二人並ぶ。ゲソの明るいインクカラーに反して、包む空気は非常に重いものだ。表情も暗い――というよりも、むくれた、拗ねたと表現する方が相応しいものだ。つまり、雰囲気は最悪だ。
「……マジで何だったんだよ」
 はぁ、とインクリングの少年はわざとらしいほど大きな溜め息を吐く。すぐ隣、クーゲルシュライバーを握る手に力が入ったのが見えた。
 あの後、試合は散々だった。二人の様子に戦線を上げていた味方二人まで惑い、そのまま前線を崩され一気に押し込まれてしまった。結果はノックアウト負けである。
「……あなたと」
 長い沈黙が破られる。小さく開いた口からこぼれた声は震えていた。怒っているのだろうか。怒りたいのはこちらの方だ。眉を寄せ、少年はちらりと視線をやる。綺麗に編まれた三編みの奥に、下がった眉と伏し目が見えた。
「友達が、いつもあなたとヤグラ乗ってるって言ってくるの。『いつも一緒にいるね』って笑うの。『好きなの?』とか……」
 言葉はどんどんと細くなり、ついには途切れてしまった。ぅ、と小さな嗚咽が聞こえる。眺める横顔は暗くなりゆき、菫色の瞳は潤みを増していく。今にも何かがこぼれ落ちてしまいそうな様子だった。
「ば、っかばかし」
 なんだよそれ、と少年は鼻で笑い飛ばす。いつも一緒にいるなどと言うが、二人でいる時などガチヤグラを練習している時ぐらいだ。共にヤグラに乗るのも、中射程で敵を撃ち払う彼女の役割とヤグラを守るスペシャルウェポンを持つ己の役割があってのことだ。彼女がスプラシューターを担いでいる時は二人で乗ることはない。今、彼女がクーゲルシュライバーを練習しているからこそ起こっていることなのである。そんなこと、二人のブキを見ていれば分かるだろうに。一場面だけ切り取って噂し、あまつさえ本人に投げかけるなどなんともデリカシーの無い者たちだ。呆れるばかりである。
「じゃあ、俺次からZAP持つわ。それなら一緒にヤグラ乗ること無いだろ」
 いいよな、と少年はいつの間にか深く俯いた少女に投げかける。下がった頭が小さく上下するのが見えた。カシャ、と手元のスピナーが彼女の代わりに声をあげる。
「じゃ、変えてくるから待ってろよ」
 地面を見つめたままの少女に告げ、少年はロッカールームへと足を運ぶ。駆け足で向かった己のロッカー、その扉を開く。乱雑に放り込んだ中身を掻き分け、黒く細い銃を取り出す。さすがにわかばシューターほどではないものの、N-ZAP85は塗りの確保が十分できるブキだ。スペシャルウェポンのエナジースタンドで彼女以外の味方を補助することも可能である。射程の短さや前線に立つ役割も相まって、ヤグラに乗ることはないだろう。
 そう、乗ることはない。
 考え、少年の視線がどんどんと沈んでいく。つられるように背も丸まり、身体が縮こまっていく。まだ細い身は、まるでロッカーの中に頭を突っ込むかのような姿勢で止まった。はぁ、と重い溜息が散らかったロッカーの中に放り込まれた。
「……バレてたかぁ」
 彼女の練習に付き合っていたのは本当だ。サポートのためにわかばシューターを選んだのも本当だ――ただ、『一緒にヤグラに乗っても怪しまれない』というちょっとの下心があっただけで。
 ガチヤグラにおいて、グレートバリアはヤグラ上で展開することが多い。つまり、他のブキに比べ違和感無くヤグラに乗ることができるのだ。彼女が乗っているヤグラに。
 恋心を寄せる相手にごく自然な様子で近づく、隣に立つ絶好のチャンスである。可愛らしい顔をきりりと引き締め、的確に相手を仕留めんと大きな得物を操る彼女をすぐ隣で見ることができる唯一無二のチャンスだ。わざわざあまり使っていないわかばシューターを持ち出すぐらいには勝ち取りたいチャンスだった。
 それも彼女があれだけ意識してしまえばもう無理だろう。せっかく彼女が努力を重ねるを己の欲で崩してしまうのは、誰よりも己が許せなかった。
 余計なこと言いやがって、と内心毒づく。女子というのは噂好きだ。惚れた腫れたの話ならば尚更だ。今までは全く他人事だったそれが恨めしくて仕方が無い――もうどうしようもないのだけれど。
 はぁ、とまた重い溜め息。ロッカーの扉を乱暴に閉め、少年は細身の銃を携えて歩き出す。透明な自動ドアの向こうに、未だ俯いた少女の姿が見えた。




醤油ラーメンと炒飯、餃子二皿、それとアサリ/インクリング+オクトリング
 音と飛沫があがりそうな勢いで、丼に箸が突き入れられる。プラスチック製の安っぽい箸は、スープの飛沫とともに宙に持ち上げられた。極彩色に染まった口がぐわりと開かれる。挟み、たっぷり掴んだちぢれ麺が、大きな口の中に吸い込まれていった。ずるる、と大量の麺を思いっきり啜る音が卓上に響く。風船のように膨らんだ頬が黙々と動く。しばしして、細い喉が上下に動く。ニンニクに彩られた細い息が短く吐かれた。
「やっぱさぁ、右から侵入した方がよかったんじゃね?」
 指揮棒のように箸を宙で動かしながら、インクリングの少年は問いかける。丼に添えられていた手は、目の前のタブレット、大きな液晶画面に表示されたマップを指差していた。
「いや、それはさすがに結果論だろ。あそこは正面から行くしかなかった」
 レンゲを置き、オクトリングの少年もタブレットへと手を伸ばす。尖った指が画面をなぞる。バイガイ亭、ガチアサリで用いられるマップの上に赤い矢印が引かれた。中央から左に続く道からゴール正面へと向かう印だ。
「いや、あの時点で俺は七個持ってたんだよ。だったら俺が右から上がってゴール前に潜伏して誰かが一個投げるの待ってた方がゴールしやすかった」
「トラストがガチアサリ持った状態でか? 無理だろ。あっちは四人で防衛してるのにこっちは二人で護衛する羽目になるんだぞ」
 丸いオレンジの目をじとりと睨み、オクトリングは言う。強化ガラスで守られた画面に置かれていた手が再びレンゲを握る。もう半分ほどしかない炒飯の山に差し込み、一気にすくい上げた。小さな食器の上に、こぶりな黄金色の山が築き上げられる。輝きすら感じるそれは、大きな口に全て吸い込まれていった。濃く焼けた頬がもごもごと動く。
「そりゃそうだけどさぁ。そしたら、トラストがこっちにガチアサリ投げてくれりゃよかったんじゃね? そこを俺がすっと拾って、ずばーんっとゴールして、後ろから叩くなりヘイト稼げばなんとかなったかもだし」
 宙で円を描いていた箸が丼の上に落ち着く。かなり減ったラーメンの上にちょこんと乗っていた味玉が、赤紫の箸にさらわれる。つるりとした表面が箸を滑って落ちる前に、半分に切られたそれは開かれた口に投げ入れられた。
「ガチアサリの飛距離を考えろ。届かないだろ」
 味玉で頬を膨らませた友人を見やり、オクトリングは溜息を吐く。飛んでもこんぐらいだよ、と先の細い指が地図上に丸を書く。横長のそれが示す場所は、ゴールには到底届かない、右からの侵入ルートからでも近づくのが難しい位置だった。
「んじゃどうすりゃよかったんだよ」
 否定ばっかしてねぇで意見言え意見を、とインクリングは唇を尖らせて目の前の友人を箸で差す。味玉を咀嚼し飲み込んだ頬は、依然膨らんでいた。
 レンゲを手にしたまま、オクトリングはじっとタブレットを見つめる。小さな唸り。しばしして、地図上に書かれた線が全て消し去られた。
「トラストにガチアサリパスしてもらって、俺が中央に下がって引き付ければよかった……気がする。んで、その間にお前が下ルートとゴール前のアサリを拾ってガチアサリもう一個作ってゴールする」
「だったらやっぱ右ルートから行った方がいいじゃねぇか」
 線を書き入れる焼けた指に、小麦色の指が交わる。角張った指が、ガチアサリが湧く位置をトントンと突いた。
「お前わかばだろ。正面から行ってバリア張った方が遅延できる。スパジャンできるし」
「だったらお前がここらへんにビーコン置きゃよかっただろ。何のためにサ性積んでんだよ」
「相手リッターともみじいただろうが。ソナーで全部狩られたんだよ」
 はぁ、とオクトリングは大きく息を吐く。今日一番の深く、重い息だった。ジャンプビーコンを活かすためにサブ性能アップに大きくギアパワー枠を割く彼にとって、ホップソナーで全てを破壊されるのは酷く辛いことだった。ただでさえ味方が利用しなければ意味を持たないサブウェポンがすぐさま破壊され機能しなくなるなど、サブウェポン無しで戦うも同然である。
「まぁ、でもあそこでエナスタ使うべきだった。あれは俺のミス」
「スペ溜まってたっけ?」
「溜まった直後に抜かれた。即出しゃよかった」
 オクトリングは短く呻く。そこはしゃーねーだろ、とインクリングは丼に箸を差し込む。麺を持ち上げ、また口に運んだ。ずるるる、と豪快な音が机上に響く。リッター4Kの射程は全ブキの中で一番長い。手練れが担げば、短射程が手出しできない高台から撃ち抜くことなど容易であることはどちらも分かっていた。
「俺もリッターにスプボ投げればよかったわ。ボム持ち他にいなかったし」
「正面から投げたらそんまま抜かれただろ。だったらゴール前の固まってたとこに投げた方がいい」
「いや、リッターを先に処理するべきだって。トラスト動きにくそうだったし」
「いや、動きにくかったのは死ぬほどトピ飛んできたからだろ」
 メンマを一気に食べながらインクリングは言う。コップに水を注ぎながらオクトリングは返す。橙と赤の視線がバチリとぶつかる。どちらともなく、はぁ、と溜め息が落ちた。食器が重なる机の上を温かな息と冷えた息が流れていく。
「ブキ変えっかなぁ」
「赤スパ練習したいっつったのお前だろ。使えよ」
「勝てなきゃ意味ねぇじゃん」
「勝つために練習すんだろが」
 箸を置き、インクリングは丼を持ち上げる。縁に口をつけ、大きなそれを傾ける。中を満たしていた濃い茶色のスープが、どんどんと水位を減らしていく。ぷはぁ、と満足げな息とともに置かれた。底に隠されていたバイガイ亭のロゴが、電灯の下に晒される。
「いいからもう一戦行くぞ」
「休ませろよ。腹痛くなるわ」
「次のアサリ明日の早朝だぞ。今やるしかねーじゃん」
 ほら、と伝票を手にインクリングは立ち上がる。急かすように、薄っぺらいそれがひらひらと揺らされる。プラスチックのコップの中身を飲み干し、オクトリングはタブレットを手に立ち上がった。
「……なぁ」
「何だよ」
「次反省会するならカフェにしようぜ」
「何でだよ。ここのが安いし量食えるだろ」
「タブレットがめちゃくちゃ汚れんだよ」
 誰かさんが汁飛ばすからよ、とオクトリングはタブレットの画面をウェットティッシュで拭う。先を行く細い喉から、う、と詰まった音が漏れた。
「……次から炒飯と餃子にするわ」
「お前ぜってー餃子のタレ飛ばすだろ。炒飯だけにしろ」
 へいへい、とインクリングは軽く返す。タブレットを鞄にしまい、オクトリングはその背を追う。薄っぺらい財布を手に、少年たちは会計レジへと向かった。




埋めて詰めて飾って貴女へ/インクリング→オクトリング
 弾けるような響きが耳に飛び込んでくる。己の名と同じ形をしたそれに、オクトリングは手元の液晶画面から視線を上げた。文字情報で溢れていた狭い視界が開け、いきものに溢れた広い世界が広がっていく。その中心には、手を大きく振りながらこちらに駆けてくる友の姿があった。
 もう一度己の名が可愛らしい声で紡がれる。爆ぜるように響いたそれと同時に、眩しいほどの愛らしい笑顔が視界を埋めた。
「ハッピーバレンタイン!」
 そう言って友人であるインクリングは天に拳を突き出した。元気と勢いのあまり、締まった身体が軽く跳ぶ。トン、とスニーカーの靴底がコンクリートを叩く音が響いた。
「バレンタインは来週だよ?」
 ゲソを揺らす少女に、オクトリングは小さく首を傾げる。つやつやとした吸盤が光を受けてきらめいた。
 バレンタイン。由来や歴史は色々あれど、己たち二人の間では『好きなチョコレートを食べる日』ということで通っている。チョコレートが大好物の己にとっては、一年で一番の楽しみ、誕生日を超える大イベントだ。いくら先月中頃からデパートやスーパーがチョコレート特集だらけだといって、日付を間違えるわけがなかった。なにせ、当日は限定チョコレートを買う予定と彼女とチョコを交換して食べる予定が入っているのだから。
「まぁそうなんだけど」
 つぶらな瞳で見つめる友人に、インクリングは苦く笑う。ノリだよノリ、とまた手を振った。それもそうか、とオクトリングは内心頷く。インクリングという種族の特性を抜いても、この友人はどうにも勢いで生きているところが多い。イベントのフライングなどよくあることだ。誕生日一ヶ月前に誕生日プレゼントを贈ってきた時は少しばかり彼女の記憶力を疑ってしまったのだけれど。
「そんな感じでハッピーバレンタイン!」
 にこやかな笑みを絶やさず、少女は下げていた手を掲げる。薄く焼けた大きな手にはショッパーが握られていた。シックな赤の紙を黒く細い飾り枠と流麗な白い文字が飾る。ところどころ散る花びらは金色で、光を受けてキラキラと輝いている。静謐な上品さに華やぎをひとひら落としたような、大人びたデザインだ。
「え、それ」
「ここのブランドのチョコ好きだったよね? 奮発しちゃった」
 ほろりと言葉を漏らすオクトリングに、インクリングは弾んだ声で返す。カラストンビで飾られた極彩色の口が満足げに弧を描いた。
 彼女が持っているショッパーは、超有名チョコレート専門店のものだ。今年もデパートの特設コーナーの中央を華やかに飾っていたのは記憶に新しい。自分の財布事情ではおいそれと手を出せない、けれど味もデザインも全てが最上級の店である。憧れと言っても過言ではない存在だ。それが、目の前にある。それも、こちらに差し出すように。
「え? 大丈夫なの? すっごく高かったでしょ?」
「だいじょーぶ! こないだ勝ち抜けしまくって稼いだからね」
 おろおろと宙で手を彷徨わせるオクトリングに、インクリングはニカリと笑う。たしかに、彼女はここ数日ずっとバンカラマッチに潜っていた。やっと連勝バッジ取れた、とインクまみれの顔で報告してきたことは記憶に新しい。バッジが取れるほど連勝していれば財布も潤っているだろう。だとしても、この店のチョコレートはかなり値が張る。痛い出費には変わりないはずだ。形の良い眉がどんどんと八の字を描いていく。
「はいはい。いいから開けてみて」
 ほら、と声とともに膝の上に重み。いつの間にか下がっていた視界の中、己の膝の上には先ほどのショッパーが載っていた。はやくー、と軽やかな声が陰りゆく心を引き上げ照らす。うん、とゆっくり頷き、少女は傷をつけないようにそっと袋の中身を取り出した。
 現れたのは、銀の缶だった。ハードカバー本と似た大きさをしたそれの蓋には、白い飾り枠となめらかな筆記体が流れるように描かれていた。枠の一部や文字の一部は淡いピンクで彩られている。文章の最後には、ピリオドの代わりにパールピンクの小さなハートが打たれていた。
 これ、とオクトリングの少女は呟く。この缶はバレンタインの時期にしか売り出さない限定デザイン、限定フレーバーなどの多種多様なチョコレートを詰め込んだもののひとつだ。その中でも、値段とサイズから所謂『本命用』とファンの間で囁かれているものである。値段でも目的でも、自分ではまず買わないしもらうことはない代物だ。手にする日が来るなんて、と輝く目が瞬きを繰り返した。
「どれがいいか分かんないから箱が綺麗なの買ったんだけど……、もしかして大丈夫じゃないやつだった?」
「だっ、大丈夫だよ! 大好き! ずっと食べたかったやつだよ!」
 不安げに問う少女に、オクトリングは慌てて声をあげる。慌てるがあまり試合中ですら滅多に出さないような大声になってしまった。あまりの声量に互いに目を瞠る。それもすぐに解け、柔らかな笑みへと変わった。
「これ、毎年買いたくても買えなかったやつなの。ありがとう」
 嬉しい、と少女はこぼす。やわらかでとろけた、解け落ちて消えてしまいそうな響きをしていた。銀を撫でる指に、よかったー、と喜色と安堵が混じった声が落ちた。
「あっ、ごめん。私まだ用意できてない……」
「バレンタイン来週でしょ? 来週でいいよ。というかあたしが早すぎるだけだし」
 楽しみにしてるね、とインクリングは笑う。奮発するね、とオクトリングも笑った。小さな笑声が重なり、雑踏に溶けていく。
「じゃ、あたし先に行ってるね!」
 また大きく手を振り、インクリングの少女は駆け出した。ロビーに続くドアへと向かう友人に、またね、とオクトリングの少女は手を振る。一度振り返って笑った友は、すぐに透明な自動ドアに吸い込まれていった。
 振っていた手を下ろし、少女は視線を膝の上に戻す。そこに横たわる赤は、輝く銀は、静かに存在を主張していた。飾り枠に指を這わせる。少し盛り上がったその感触が、これは現実であると主張していた。
 まさかこんなものがもらえるとは思わなかった。『本命用』が飛び出したのは驚いたが、言葉通りデザインで選んだのだろう。彼女はチョコレートが好きでも、ブランドに詳しいわけではないのだ。きっと好みのデザインを、己が好きそうなデザインを、味を、彼女は選んでくれたのだ。事実に、ふわりと胸が熱を持つ。薄い唇がほろりと綻んだ。
 缶をショッパーに入れ、オクトリングは立ち上がる。今日はナワバリバトルで練習をするつもりだったが、予定変更だ。きちんと掃除し整理しているとはいえ、こんな素敵なものをロッカーなんかに入れてバトルに赴くわけにはいかない。ちゃんと持ち帰り、保存し、時間を作ってゆっくり味わうべきだ。そして、お返しの品を考えなくてはならない。こんなに素敵な贈り物に見合うほど、彼女が喜びそうなものを。
 ナマコフォンを取り出しメッセージアプリを立ち上げる。かの友人のアイコンをタップし、入力欄に今日は一度帰る旨と謝罪を打ち込んだ。紙飛行機のマークを押そうとして、指が止まる。数拍、動き出した指は『来週楽しみにしててね』という一文を紡ぎ出した。








 カチャカチャと金属が擦れる音がロッカールームに響く。ブーツを履き終えたインクリングは小さく息を吐いた。このギアはデザインもギアパワーも良いのだが、履く時手間がかかるのが玉に瑕だ。新しいやつ作ろうかな、と考えながら、ハンガーへと手を伸ばした。
 細かく震える端末が金属と擦れあって鈍い音をたてる。持っていたスカーフを首に掛け、インクリングはナマコフォンへと手を伸ばした。片手で開いた画面には先ほどまで共にいた友人の名前とアイコンがあった。通知をタップすると、メッセージアプリが開く。今日は一度帰るという旨のメッセージと可愛らしいスタンプ二つ、シンプルな背景の中に泳いでいた。
 黒で縁取られた大きな目がふっと細まる。電子の文字を何度も追うそれは、温かな光と薄い冷たさを宿していた。
 先ほどの柔らかな笑みからも、滅多に見ない浮かれた調子のスタンプからも、彼女の喜びが伝わってくる。あれを選んで正解だったようだ――インターネットで『本命用』と名高いものを選んで。
 チョコレート好きの、あのブランドの長年のファンである彼女はこの『本命用』チョコレートのことは知っていただろう。けれど、黙っていてくれた。きっと己が『本命用』ということを知らないと思っていたからだ。それを指摘しては驚くだろう、恥ずかしがるだろう、と優しい友人は見て見ぬ振りをしてくれたのだ。それが意図したものであることなどつゆも知らず。
 バトルをする彼女が好きだった。チョコレートを食べる彼女が好きだった。己の話に柔らかに笑う彼女が好きだった。ゆっくりと穏やかに話す彼女が好きだった。何もかもが好きだった。短い生の中、一番大切で一番大好きで、一番欲しいと思うほど、彼女のことが好きだった。
 だが、この叫びだしたくなるような感情を彼女に悟られてはいけない。こんなもの、絶対彼女は受け取れない。受け取れないと分かっているのに受け取って苦しむか、受け取れないと分かっているからこそ苦しんで謝るかの二択なのは目に見えていた。あの子を困らせるわけにはいかない。あの子を苦しませるわけにはいかない。あの子には幸いだけがあらねばならない。
 けれども抑えきることなどできない。インクリングという種以前に、自分は感情に素直な性分なのだ。全て封じ込めて殺して消し去ることも、無視することも不可能だ。
 だから、種類を誤魔化して『好き』と伝えられるイベント事が大好きだ。特に、いきものの情愛を商売の戦略として使う、近年では性も関係も問わずにプレゼントできるバレンタインは。
 全ては自己満足だ。隠して愛を伝えたつもりになりたいのだ。隠して愛を受け取ってもらえたように思いたいだけなのだ。独りよがりだ。『彼女の幸せ』を盾にして自分を慰めたいだけなのだ。最低であることは分かっていた。けれども、やめられるほど己の精神はおとなではないのだ。
 端末を閉じ、インクリングは首に掛けたままだったスカーフを巻き付ける。フックに掛けた帽子を被り、ラックに放り込んだままのブキを片手にロッカーを閉じた。
「来週かぁ」
 楽しみ、と呟き、少女はロッカールームを出る。指を通した赤いマニューバーがくるりと回った。




実用性<見栄と意地と恋心/オクトリング+インクリング
 ハンガーの海を掻き分ける。少し吊り目がちに見える目が端から端を言ったり来たりする。どうしようか、とオクトリングは鮮やかなギアを眺めた。
 今日は友人たちとオープンマッチで練習する約束をしていた。今の時間はガチホコバトル、そして友人は『ホコショ練習したい』と言っていた。ならば、素早くホコを確保できるスパッタリーだろうか。いや、友人らは全員前衛ブキを持つことがほとんどだ。ならば、少し後ろから援護することも前に出ることもできるノーチラスか。いや、むしろ射線で圧をかけるためにチャージャーか。
 フクギアを掻き分ける手が止まる。そうだ、聞いてしまえばいいのだ。友人二人は性が違うため別のロッカールームにいるが、同性の友人一人はすぐ隣にいる。彼のブキを考えて選択する方がいいだろう。屈んでいた身を伸ばし、扉を開きっぱなしにしたまま軽く仰け反って隣を覗き込んだ。
「なぁ、お前何持って――」
 尋ねる声は途中で止まった、否、途切れてしまった。言葉を失うほどのものがロッカードアの向こう側に広がっていた。
 今隣にいるインクリングは、とにかくギアに頓着しないタイプだ。私服は人並みの格好をしているが、ギアコーデに関しては壊滅的という表現すら足りないほどである。なにせニット帽を被り、タンクトップで腕を惜しみもなくさらけ出し、素足でスニーカーを履く始末である。季節感など一ミリもない、コーディネートの概念など存在しない、ただただ機能だけを考えたギアを身に着けていた。どうにかならねぇのかよ、と文句を言うと、ギアパワー揃ってりゃそれでいいだろ、と素っ気ない言葉が返ってくることはもはや通例だ。
 だが、今はどうだ。
 普段はタンクトップやロングコートといった体温管理が極端なフクに包まれている身体は、爽やかなシャツに包まれていた。青と白のストライプ柄のそれを、真っ青なパーカーがまとめている。重ね着となると暑さを覚えそうだが、中ほどまでまくられた袖が清涼感と快活さを醸し出していた。
 最近は季節が二つは遅れているブーツばかりを履いている足は、シルエットの大きなスニーカーに包まれている。少しスモーキーな白をまとめる黒、ピンポイントに差し込まれる青の三色で構成されたそれはパーカーとよく合っていた。上半身はスリムなシルエットなだけに、厳つさすらある大きなスニーカーは安定感と格好良さをもたらした。
 普段は帽子で隠されていることが多い頭は、サンバイザーで彩られている。普段はツバが前に来るそれは、後ろ側に回されている。最近の流行、今どきの着こなしだ。太いベルトの向こう側にツンツンとしたゲソがよく見える。ツバを後ろに回したことにより、隠れがちな髪型がよく見えるようになっていた。
 総じて、良いコーデだ。カラーもシルエットもバランスの取れた、季節感も考えられた良いコーデだ。まさにイカしていた。
 問題は、それを着こなしているのが呆れるほどコーデに無頓着な友人ということである。何故あの季節感をぶち壊すようなコーデばかりをしていた友人がこんな爽やかなコーデをしているのか。何故あのギアパワーしか考えていない友人がこんなにバランスの取れたコーデをしているのか。全くもって理解できなかった。
「どした?」
 丸い輪郭をした目がこちらを見つめる。だが、少年の頭はその現実や言葉を認識することができなかった。処理することができなかった。衝撃的な光景は脳味噌をぶん殴り、意識を揺らし、処理能力をゴリゴリと削っていく。あんぐりと開いた口からは、は、え、と意味のない音が漏れている。まるで意識への衝撃を音として逃しているようだった。
 何故こんなことに。十数回目の疑問が脳味噌を掻き回す。それが思考の底から何かを引っ掛け、ぐっと持ち上げる。あの彼がお洒落をするような要因を。
「……いや、気合い入れすぎじゃね?」
「うるせぇ!」
 首を傾げ、オクトリングはようやく言葉を紡ぐ。瞬間、大声が全てを吹き飛ばした。正面から怒声めいた音を浴びせられても、オクトリングは依然首を傾げるだけだ。反面、疑問を投げかけられたインクリングの顔は真っ赤に染まっていた。黒で縁取られた目は眇められ、口元は食い縛られている。視線は居心地が悪そうに宙空を彷徨っていた。
 こんな彼がお洒落をする理由があるとすれば一つ。今別のロッカールームで着替えているであろう友人のインクリングだ。少し弱気で、でも勇気はしっかりと持っていて、慌てがちだが判断はしっかりとしている、笑顔が可愛らしいあの女友達に、彼が恋心を寄せていることは知っていた。大方、彼女の前で良い格好をしたいのだろう。
「たっ、たまにはいいだろ! 何だよ、似合ってねーっつーのかよ!」
 子犬が吠え立てるように少年は声を荒げる。頬は赤みを帯びたままで、普段はしかりと前を見据える目は不自然なほど泳いでいる。ハキハキと喋る口はどこか尖っていた。
 たまには、も何もない。今日だからこのコーデにしたのだろう。あの子にちょっとでも格好つけたくてコーデを練ったのだろう。完全に彼女のために考えたコーデである。そういえば彼はここ最近バイトに向かっていたが、あれはギアパワーを整えるためか。そうまでしてあの子のためにお洒落をしたのだ、この友人は。あまりにも健気で、あまりにも可愛らしい。恋とはヒトを変えるものだと聞いていたが、まさか目の当たりにするとは思っていなかった。本音を言うならめちゃくちゃ面白い。声を出して笑いそうなほどには愉快だ。
「いや、似合ってんよ」
 笑いを必死に噛み殺し、オクトリングの少年は言葉を返す。似合っているのは本当だ。少し細身の彼によく合ったコーデだ。特にサンバイザーは髪型も相まってバッチリと決まっていた。これを『似合っていない』と評価するやつとは仲良くなれないと思う程度には。
「お、おぅ……」
 インクリングの少年は短く返す。先ほどの大声の主とは思えないほど小さな、萎みきったものだ。視線は完全にこちらから外れ、依然赤い顔が少し伏せられる。唇はむにむにと何か言いたげに動いている。照れているのだ。照れるぐらいなら聞かなきゃいいのに、という言葉はどうにか飲み込んだ。きっと勢いで飛び出た言葉で、否定されると思ってた言葉なのだろう。今回のコーデへの、彼自身の感性への自信の無さが見て取れた。似合ってる、と追撃しそうになるのをどうにか堪える。面倒事になるのは明白だ。
「いやー、あのお前がよく考えたもんだな」
「『あの』ってなんだ、『あの』って」
「サングラスにダウン着てサンダル履く『あの』お前がだよ」
 唇を尖らせた友人は、う、と呻いて苦い顔をした。心当たりがあるのだろう。ギアパワーの関係上、ダウンにサンダルは彼がよく着るコーデの上位に位置するものだ。
「でもいつも変なギア着てるの見られてんじゃん。今更すぎねぇ?」
 少年は疑問を音にする。彼女と一緒にバトルをするのはこれが初めてではない。両手で数えられる程度ではあるが、過去に何回も共に戦っていた。その際、彼はあのしっちゃかめっちゃかなコーデをしていたはずだ。それを彼女が指摘していた覚えがない。なのに、何故今更になって気を遣いだしたのだろう。
「……いいじゃねーかよ、たまには」
 拗ねたようにインクリングは返す。どうにも煮え切らない、淀んだものだ。説明したくないのだろう。『あの子』のことを一言も言っていないのに何の問いも返ってこなかった時点で自白しているのと同義なのだけれど。
「いーんじゃね、たまには」
 ふ、と堪えきれなかっった笑みが漏れ出る。笑うんじゃねぇ、と鋭い視線と声が飛んできた。
「そういや何持ってくん?」
「ガロン」
「分かった」
 きっと友人二人はスプラシューターコラボとドライブワイパーだろう。前衛ばかりなら、中衛を選んだ方がバランスが良い。何より、全員前衛だとホコの爆発にやられて全滅なんて間抜けな事故が極稀に起こるのだ。
 フクを掻き分け、アタマギアを漁り、ノーチラス79のために作ったコーデに着替えていく。靴紐を結び、立て掛けていたブキを担ぎ、ロッカーの扉を締めた。
 隣に視線をやる。.52ガロンを握った友人は、空いた手でしきりに自身の身体を触っていた。パーカーから覗く裾を整え、袖を何度もまくり、サンバイザーを細かに動かし。とにかくコーデのことが気になっている様子だ。それはそうだ、今から好きな女の子にこの姿を見られるのだから。
「似合ってるっつってんだろ。自信持て」
「……おう」
 あまりにも忙しない様子に笑いを噛み殺しつつ、丸くなった背中をバンバンと叩く。普段なら文句が飛んでくる口は、もにゃもにゃと歯切れ悪く動いていた。これ以上何か言っても意身も効果も無いに決まっている。いくぞー、とむき出しになった手首を掴んで歩き出す。後ろから不安定に床を叩く音がする。すぐに整った足音に変わった。
 彼が想いを寄せるあの子は、お洒落が大好きだ。新作発売日には小遣い全てをギアに注ぎ込むぐらい、完璧なコーデを作るためにバイトに明け暮れギアのかけらを集めるぐらい、一つのブキにいくつもコーデを作るぐらい、お洒落が大好きだ。自分のお洒落も、他人のお洒落も大好きだ。
 彼女は絶対に彼のコーデに反応するだろう。きっと目を輝かせるはずだ。きっと褒めちぎるはずだ。そうなると、彼は面白い反応をするに決まっている。顔を赤くししどろもどろになるか、何でも無いように振る舞うが声が上ずるか、それとも照れて逃げるか。どう転んでも面白い光景だ。
 込み上げてくる笑みを喉奥で殺す。面白いし、何より幸せな光景ではないか。早く見たくてたまらない。ロビーへと向かう足取りはどんどんと早くなっていた。
 二人でロッカールームを出る。すぐ左、眠る審判の隣に友人らの姿が見えた。




めっちゃ引っ掻かれたしめっちゃ怒られたししばらく出禁/オクトリング+インクリング
 軽やかな音が敵陣に響き渡る。同時に、ホイッスルの鋭い音色が高い天井へと昇った。
 勝利を意味するそれに、オクトリングは深い溜め息を吐く。まっすぐだった背中が丸まり、年頃にしては高い位置にある頭が高度を下げていく。気がつけば、敵のインクの上だというのに座り込んでいた。
 永遠に終わらないかと思った。五分間互いに防衛した結果雪崩れ込んだ延長戦、やはり互いに互いの防衛を崩せずに時間だけが過ぎていった。アサリを集め、相手のガチアサリ持ちを倒し、ガチアサリを作り、ゴールに届くことなく倒され。一生続くのではないかと絶望を覚えたほど長い戦いだった。最終的にはボールドマーカーネオが凄まじい執念で敵陣に置き続けていたビーコンにガチアサリ持ちが飛んでゴール、こちらの勝利に終わった。
 はぁ、ともう一度溜め息。緊張が一気に解けた身体に、十分近く動き続けた疲労がのしかかってくる。このまま潰れてしまいそうな心地だ。このまま寝転がってしまいたい気分だ。また大きく息を吐き、伏せた顔をわずかに上げる。周りには同じように座り込んだインクリングたちがいた。中にはブキを放り捨て大の字になって寝転がっているものもいる。相変わらず自由な種族である。
 その中に一人、立っているインクリングがいた。アサリの練習付き合って、と誘ってきた友人だ。勝ったというのに、そこには普段見せる爛漫な笑みも、疲労による歪みも見られない。彼らしくもなく神妙な顔つきをしていた。紫色の丸っこい目は、その手に握ったアサリをじぃと見つめている。
「なにしてんの」
 どうにか立ち上がり、オクトリングは友人の下に歩む。声をかけても、その輝きを感じさせる鮮やかな目はアサリを見つめたままだ。視線を外すことなく、友人は小さく首を傾げた。
「……いやさぁ」
「なに」
「これ、食えんのかな」
 は、と思わず低い声が漏れる。大きな吸盤で飾られた頭が同じように傾いだ。何を言っているのだ、こいつは。
「これ、食うアサリと見た目一緒じゃん。マジのアサリなんかなって」
 鈍く輝く金を見つめ、インクリングの少年は言う。目も、表情も、声色も、全て真剣そのものだ。本気で言っているのだ、こいつは。
「んなわけねぇだろ」
 はぁ、と今日一番の大溜め息を吐き出し、オクトリングの少年は切り捨てる。呆れを隠しもしない、むしろ見せつけるような声をしていた。
 たしかに、ガチアサリで用いるアサリはスーパーに並んでいるアサリと全く同じ見た目だ。しかし、これは地面から勝手に湧いてくるような、その上一定個数持っていたら勝手にガチアサリに変化するような代物だ。ただのアサリ、ただの食べ物のはずがない。そもそも、食べ物を試合に使うだなんてことはないだろう。罰当たりにもほどがある。
「分かんねぇじゃん? 動いてるから作りもんじゃないだろうし」
 手の中で細かに震えるアサリを指差し、友人は言う。やっぱ食えんじゃね、と真剣な面持ちで呟く。くぅ、と小さな音が遠くから聞こえる店内BGMに混じって消えた。どうやら空腹で頭が回っていないらしい。とりあえず早くロビーに戻って何か食べさせなければ。返事すらせず、オクトリングはアサリをしかと掴む手に腕を伸ばした。
「なにー?」
 焼けた腕に白い手が届く前に、地面から声がした。パープルとイエローが同じ動きで音の方へと向いていく。発生源には、H3リールガンの傍らで仰向けで寝転がるインクリングがいた。青いゴーグルを額に掛けた顔は疲れ切っている。特性上集中力と冷静さを非常に試されるブキだ、その上長時間の延長戦となれば疲労も凄まじいものだろう。敵チームである彼は負けたのだから殊更疲れを覚えているかもしれない。
「このアサリ食えんのかなって」
「あー、分かる。思う」
「じゃあ、試すか?」
 今度は後ろから声。そこには、エクスプロッシャーに腰掛けたオクトリングがいた。釣り気味に見える目には疲弊の色が残っているものの、どこかいたずらげに輝いている。小さな声をこぼして彼は立ち上がり、得物を乱暴に担いだ。
「こいつなら焼けるだろ」
 こいつ、と細っこい腕で掲げられたエクスプロッシャーの丸い口元は、風景が歪んでいた。熱気だ。ヒーターを元にして作られたこのブキは、いつだってやけどしてもおかしくないような熱を放出していた。
「いいねー」
「そんまま食うのきつくね?」
「んじゃ俺醤油借りてくるわ」
 嬉々とした声が友人の周りに寄ってくる。気付けば、試合はとうに終わったというのに敵も味方も全員集まっていた。己以外の全員が、調理器具として使われようとしているエクスプロッシャーと未知の存在であるアサリを愉快げに眺めていた。一人が声と共に走り出す。おそらく、ステージ近くにいる席へと向かったのだろう。ここ、バイガイ亭の各席には、醤油に胡椒に塩に酢に一味にと充実した調味料が並んでいるのだ。
 いや、おい、とオクトリングは声を漏らす。試すだなんて危ないだろう。試合に使う道具を加熱するだなんて何が起こるかわからない。地面から生えてくるような訳の分からないものを食べて無事で済むはずがない。そもそも食えるはずがない。やめさせなければ。それでも、混乱と動揺でぐちゃぐちゃにされた頭は文章を生み出すことができない。短い音は、どれもが明るく賑やかな声に掻き消された。
 気付けば、集団の中心にはエクスプロッシャーが置かれていた。周りにはアサリが六個転がっている。まだ残っているものを拾ってきたのだろう。しっかりとガチアサリにならない数に調整しているあたり、本気であることが伺えた。
「醤油借りてきたー!」
 遠くから声、醤油入れを掲げたインクリングが駆けてきた。おつー、さんきゅー、と労う軽薄な声が遠くに聞こえる。常識が通用しない現実に、少年の頭は聴覚から入る情報をシャットアウトしようとしていた。
「よし、焼くか!」
 いぇーい、と陽気な声があがる。友人の手が、その手に握られたアサリが、熱気を上げ続けるエクスプロッシャーの上へと向かっていった。
 いやダメだろ、と試合中でもめったに聞かないほどの大声が、明るい店内に響き渡った。
畳む

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スプラトゥーン


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