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書き出しと終わりまとめ7【SDVX】

書き出しと終わりまとめ7【SDVX】
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あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその7。ボ6個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:はるグレ1/ニア+ノア+レフ1/レイ+グレ2/ハレルヤ組1/プロ氷1

愛するだなんて/はるグレ
葵壱さんには「愛したこともないくせに」で始まり、「来年の今日もあなたといたい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。


 何かを愛したこともないくせに、と誰かが指差して嘲笑う。頭に響く不快な声に、少女は目を閉ざした。
 グレイス。すぐ横で名前を呼ばれる。開いた柘榴石が音を追う。少し首を動かすだけで、こちらを覗き込む虎目石とぶつかった。
 なに、と問いかけてみる。普段通りの声を作ったはずだが、彼にそんな稚拙な嘘は通用しない。首を傾げ、始果は口を開く。どこか不安な音色をしていた。
「苦しいのですか?」
「……そんなことないわ」
 それでも少女は虚勢を張る。見透かされているのは分かっていても、弱い部分ばかりを見せるのは嫌なのだ。腹に回された腕に小さく力がこもる。まるで逃がさないと言わんばかりに。
 何かを愛したこともないくせに。
 誰かが指差して嘲笑う。その『誰か』が『己』であることなどとっくに分かっている。そして、それが真実であるということも嫌というほど分かっている。
 生まれた時には誰もいなくて、冷たい世界で一人で生きて、自己を求めて闘って。誰かを愛する暇など、機会など無かった。こうやって、心を交わすことなど無かった。ただバグを従え、己の都合が良いように操るだけの日々だった。
 だからこそ、今この背にある愛が怖かった。愛をよく理解していない自分に、同じだけの愛を返すことができるのか。抱えているはずの拙い愛を伝えられているのか。この愛が途切れてしまう日が来るのではないか。恐怖が少女の根底にずっと張り付いて消えない。与えられる分だけ心が満たされ、与えられた分だけ憂慮が募る。
 何とも面倒くさい、と己でも思う。それでも、知らなかったものに対する恐怖は未だ拭えずにいた。理解しきれないものに振り回されていた。
 大丈夫ですよ、と少年は囁く。苦しくなるほど確かで、怖くなるほど力強い響きだった。
「来年も、今日も、ずっと君といますから」




果てを夢見て/ニア+ノア+レフ
葵壱さんには「宇宙の果てには何があるのでしょう」で始まり、「なぜか目が離せなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。
参考サイト
質問6-2)宇宙の果てはどうなっているの?
宇宙の果てには何があるの? 専門家に聞いてみた



「宇宙の果てには何があるのかなっ」
 窓の縁に身を乗り出し、ニアは弾んだ声で言う。紺碧の瞳には、ガラスの向こうで輝く星々が映り散りばめられていた。
「宇宙の果て、ですか」
 言葉を繰り返し、烈風刀は窓の向こう側へと目を向ける。浅葱の瞳にも星が散る。分厚いガラス窓から、目視などできないほど遠くへと思いを馳せる少女の頭へと視線を移す。青い頭の上に伸びる長いリボンカチューシャが、彼女の動きと連動して揺れた。
「宇宙に果ては無い、という話は聞いたことがありますね」
「えー!?」
 どこかで聞きかじった知識を口にしてみる。少年の言葉に、ニアは驚嘆の声をあげる。隣にいたノアも、彼の言葉に瑠璃の瞳をまあるくした。兎たちの視線は、窓の外から翡翠の瞳へと向けられた。
「無いの!?」
「一説ですよ。他にも色んな説があります」
 驚きに満ちた顔で少女は問う。慌てて手を振り、注釈を入れる。それでも、今しがた知ってしまった一つの解に双子兎はつぶらな瞳をいっぱいに開き顔を見合わせた。
「『果てが無い』ってことは、どこまでもずっと続いてるってこと?」
「そう……なるのでしょうか……」
 こてんと首を傾げるノアに、烈風刀は言葉を濁す。いつ聞いたか分からないほど前に聞きかじった情報なのだ。詳しいことなど分からない。かといって、答えられずに終わってしまうのも申し訳ない。
「調べてみましょうか」
 そう言って、ポケットから携帯端末を取り出す。『宇宙』『果て』の短い二ワードを検索窓に打ち込むだけで、何万もの答えが弾き出される。その一番上に出てきた文字列をタップする。二色三対の瞳が小さな液晶画面に吸い込まれた。
「百三十八億光年……光年?」
「光が一秒間に進む距離です。ものすごく遠いということですね」
 へー、と声が二つ重なる。小さな文字列を、蒼と碧が追う。短いページだ、数分足らずで読み終わる。ウェブサイトに記された文章ではいくつもの説をあげていたが、最終的には『無い』との結論を出していた。
「ずーっと遠くで途切れちゃってるってことかぁ……」
「観測できないことですから」
「見えないってことだよね?」
「はい。今はまだ、という話のようですが」
 人類の技術は日々進歩している。現時点では観測できずとも、数年後には更なる遠くを見られるようになってもおかしくはない。それこそ、この幼い少女たちが大人になる頃には観測できるようになっていてもおかしくはないのだ。
「二人が大人になる頃には観測できるようになっているかもしれませんよ」
「そうかな?」
「そうだといいなぁ!」
 烈風刀の言葉に、少女らは楽しげな声をあげる。まだ見ぬ果てが解明される楽しみに、長いリボンカチューシャが揺れる。
「早く見えるといいな」
「ねっ」
 青い兎たちは揃って背伸びをし、窓の縁に身を乗り出す。その小さな手が伸ばされ、ガラスに触れる。まるで星を掴もうとするような姿だった。果ての空を夢想し、少女らはきゃいきゃいと談笑する。月明かりに照らされる顔は気色に満ちていた。
 その可愛らしい背に、少年はふと目を細める。まだ見ぬ未来を望むその小さな身体から目が離せなかった。




内緒の寄り道/レイ+グレ
AOINOさんには「ふたりぼっちになりたかった」で始まり、「秘密を分け合った」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字)以内でお願いします。


 気がつけば、ふたりぼっちになってしまった。
 つい先ほどまでいたはずの嬬武器の兄弟はどこにも見えない。唯一いるのは、隣に立つレイシスだけだ。ちらりとそちらに目をやる。彼女は全く気にしていないのか、機嫌の良さそうな顔で袋を持っていた。
 幸い、学園祭用の買い出しは既に済ませており、あとは荷物を学園に持って帰るだけだ。未だネメシスの地理に詳しくないグレイスだけならまだしも、レイシスがいるのだ。はぐれたところで問題は無いだろう。結論づけ、少女は足を動かした。
「ねぇ、グレイス」
 一歩踏み出し、レイシスは妹の名を呼ぶ。なに、と問いかけると、突然手に温かなものが触れる。気がつけば、空いている方の手を彼女に握られていた。
「な、何よ」
「こっちデス」
 慌てて真意を問うも、姉はにこりと笑いかけるだけで何も言わない。振りほどこうにも、駆けるように手を引かれては抵抗もろくにできない。ただ、彼女が進むままについていくことしかできなかった。
「ここデス!」
 そう言って、唐突にレイシスは足を止める。何だ、と桃色の瞳が見つめる方に目をやれば、そこには『鯛焼き』と大きく描かれた赤い幟が立っていた。この店が何なのだろうか、とグレイスは訝しげな目で姉を見る。桜色の目が柔らかな弧を描く。
「ちょっと休憩していきマショウ?」
 美味しいんデスヨ、とキラキラと瞳で語る桃の少女に、躑躅の少女は未だ眇目で姉を見る。だから何だ、と言いたいところだが、こうなった彼女を止められる者はいないことぐらい、短くない付き合いで理解していた。
「アッ。グレイス、あんこ平気デシタヨネ?」
「大丈夫、だけど」
 ヨカッタ、と笑みを浮かべ、少女は店の方へと歩みを進めていった。店主らしき者と対話をする姉をぼんやりと眺める。程なくして、彼女は包み紙二つを抱えてこちらへと帰ってきた。
「ハイ、ドウゾ」
 そう言って、レイシスは包み紙の片方をグレイスに手渡す。両手で受け取ったそれは温かい。四角形の紙からは、魚を模した生地の頭が顔を覗かせていた。おそらく、幟に書いてある通り鯛焼きなのだろう。
 いただきマス、と言って、薔薇色の少女は茶色い頭に大きくかぶりつく。頬がもぐもぐと動き、嬉しそうな声があがる。つられるように、躑躅も小さな口でかぶりつく。瞬間、優しい甘みが口の中に広がった。懐疑で細められていた尖晶石がぱぁと輝く。その姿を見て、紅水晶がふわりと細められた。
「雷刀たちには秘密デスヨ?」
 ネ、とレイシスはマゼンタの瞳を見つめる。確かに、二人だけで寄り道して菓子を食べたなんて話してはいけないことだ。こくりと頷き、グレイスは鯛の頭にまた一口齧り付いた。
 ある日の放課後、姉妹は秘密を分け合った。




数字読み解き/ハレルヤ組
AOINOさんには「嫌なことは数えても減らない」で始まり、「その言葉を飲み込んだ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字)以内でお願いします。


 悲しいことに、嫌なものは数えても減らない。何度数えても事実としてそこにあり続けるのだ。
「あと何問やればいいんだよ……」
「五問ですよ」
「もうちょっとデスネ。頑張ってくだサイ」
 机に肘を付き頭を抱える雷刀に、烈風刀は涼しげに答える。横からレイシスが激励の言葉を投げかけた。
 三人が今いるのは、普段ゲーム運営に使っている会議室でなく放課後の教室だ。授業が終わってから少し経った今、空は少し赤らんでいる。ここ最近、日は次第に短くなっている。じきに真っ赤に染まっていくだろう。
 少年は目の前に広がる問題集を見る。基礎問題の横にはミミズがのたくったような文字で数式と解が書かれている。紛れもなく自分の文字だ。ここまで解いたはいい。問題はこの先の文章題だ。元々読解力の低い自分では、どこをどう読み解けばいいかすら分からない。とりあえず文章内にある数字を書き出してみても、使用方法はさっぱり思いつかない。もう両手を上げ降参したい気持ちでいっぱいだ――隣に座る弟がそれで逃げさせてくれるわけなんてないのだけれど。
 テスト勉強をしましょう、と言い出したのは烈風刀だった。今日返ってきた小テスト、兄の答案用紙に書かれた一桁に近い数字を見ての発言だ。いいデスネ、とレイシスが乗った時点で己に拒否する理由は無くなってしまった。愛しい彼女の言葉は己たち兄弟にとっては絶対なのだ。たとえ、対象が『勉強』という天敵でも、だ。
 文章の下に教科書から引っ張り出した公式を書いてみる。やはり、どの数字を代入すればいいかさっぱり分からない。うー、と濁った音が喉から漏れた。
「れふとぉ……」
 縋るように弟の名を呼ぶ。問題集の上に乗った腕を払い、少年は無言で文章の部分部分にアンダーラインを引いていく。
「これはここに代入して、こっちはここに代入するのです。ここまでは分かりますか?」
 隣から伸ばされたシャープペンシルが、目の前の問題集の上を走る。なめらかな文字が、公式に数字を当てはめていく。見覚えのある姿になった数字群を見て、雷刀はぱっと表情を輝かせた。
「おう! んで、解いていけばいいんだよな」
 言葉より先に手が動く。拙いながらも数式はいくつにも姿を変え、最終的に一つの数字を弾き出した。
 解答欄に記入したところで、碧い視線が計算式を追っていく。最後に記された数字を見て、烈風刀は口元を緩めた。
「合っていますね」
 弟の言葉に、小さくガッツポーズをする。すごいデス、と前から弾んだ声が飛んできた。
「普通の基礎問題は解けているのに何で文章題ができないのですか」
「だってどこ読みゃいいか分かんねーもん……」
 呆れた調子の声に、拗ねたような声が返される。文章題はどこにどの数字が必要なのかという部分から考えねばならないのだ。タスクが一つ増えるだけで脳味噌のキャパシティは限界を迎えてしまう。
「ほら、残り四問ですよ。早く解きましょう」
 そう言って碧は己の手元に視線を戻す。彼の目の前にある問題集は、自分のそれの数ページ先が開かれていた。
 へーい、と返し、手元を見る。新しく現れた文章題は相変わらず何を言っているか分からない。とりあえず弟に倣ってアンダーラインを引いてみたが、さっぱりだった。
 これがあと四問もあるという事実に絶望する。しかも、残りは応用問題のはずだ。更にややこしくなった文を読み解く自信などない。
 もうやだ、という確実に怒られるであろう弱音は飲み込んだ。




春と数/レイ+グレ
葵壱さんには「精一杯背伸びをした」で始まり、「君はきっと泣くだろう」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以内でお願いします。


 精一杯背伸びをする。ヒールの分もあってか、桃色の頭は少しだけ追い抜かすことができた。
「グレイス? どうかしまシタカ?」
「……何で貴方の方が大きいのよ」
 身体測定結果が書かれた紙を握りしめ、グレイスは不服そうに呟く。赤々とした唇は尖っていた。
 レイシスとグレイスは、実際の稼働年月は別として高校二年生程度の体格を形どっている。そこに差異など生まれなくてもいいはずだ。だのに、レイシスの方が己より数センチ身長が高いのだ。ほんの僅かとはいえ、負けているようで何となく気に入らない。小さい分、妹扱いに拍車が掛かりそうなのがまた懸念だ。
「すぐに伸びマスヨ。成長期なんデスカラ」
「それは貴方もじゃない」
 同じ年頃の形をしているのだ、成長速度もそう変わらないだろう。この差は埋まるか怪しい。
 うー、と音にならない唸りが喉から漏れる。何度測定結果を見ても、やはりそこにはレイシスよりも小さい数が書かれている。事実は覆りそうにない。
 成長期により彼女の身長を遥かに超えた己を想像してみる。今より妹らしさは減るだろう。それが目標だ。
 まぁ、実際に背を越したならば、大きくなりマシタネ、なんて言って姉を主張する彼女はきっと泣くのだろうけれど。




優しい貴方/プロ氷
葵壱さんには「ぱちりと目が合った」で始まり、「もう上手に生きられます」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。


 ぱちりと目があった。鮮やかな夕焼け色が瞬く。瞬間、その口元が綻んだ。安全靴がコンクリートを打つ音が近づく。あっという間に、あの美しい橙が己の目の前にやってきた。
「氷雪ちゃん。こんにちは」
「こ、こんにちは」
 柔らかな笑みで挨拶をする識苑に、氷雪は強張った声で何とか返す。編入時から何かとこちらを気にかけ世話を焼いてくれる彼だが、少女は未だ慣れずにいた。あの輝く夕日色の瞳を見られるのは、自分の弱い部分を全て見透かされるようで少しだけ怖い。否、とうに見透かされているのだろう。だからこそ、彼はこんなに優しくしてくれるのだ。
「どう? クラスにはもう慣れた?」
「す、少しだけ、慣れた……と思います」
 問いに対する答えは、どんどんと尻すぼみになっていく。途中編入故最初は一人ぼっちだったが、優しい人が多いおかげか少しずつ話すことのできる人も増えてきている。本当なら自信を持って答えるべきところである。けれども、心の暗い部分がそれを阻んだ。それは全部本当なのか、と。情けをかけられているだけではないのか、と。
「お、お友達も、できました、から」
 心を覆わんとする薄闇を払おうと、少女は言葉を続ける。桜子という大切な友人ができた。この事実は絶対に覆らない。何よりも嬉しいことで、何よりも識苑に報告したいことだった。こう言えば、彼はきっと安堵してくれるだろうから。
「本当!? 良かったねぇ!」
 そっかそっか、と青年は笑う。幸せそうな笑みだった。心から少女のことを案じているのが分かるものだ。その優しさが、それだけ彼に負担をかけているという事実が、胸に刺さる。雪の少女はその小さな手をそっと胸の前で握った。
「今から帰るの?」
「はっ、はい」
「そっか。最近日が暮れるの早いし、気をつけてね」
 じゃあね、と手を振り、識苑は校舎の方へ駆けていく。はためく白衣に向けてさようなら、と言う。細いそれは、絶対に届いていないだろう。挨拶すらろくにできない自己嫌悪が心を蝕む。
 はぁ、と無意識に溜め息がこぼれ落ちる。心優しい彼が無理に気に掛けることがなくなるくらい、もっと上手に生きられたらいいのに。

畳む

#ニア #ノア #嬬武器烈風刀 #レイシス #グレイス #嬬武器雷刀 #ハレルヤ組 #はるグレ #プロ氷

SDVX

その頬に色を【ライレフ】

その頬に色を【ライレフ】
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今更IV衣装ネタ。頬にイニシャルペイントするのはまだ分かるんですけどそれを兄弟の色でやるのマジ訳分かんないっすね。
Q.こういうのって転写シールとかでやるんじゃないんですか?
A.夢くらい見させて

 視界が闇に包まれる。黒に包まれた世界の中感じるのは、左頬に当てられた手の温もりのみだ。布越しのそれは、いつもよりぬるく感じた。
 ひたり、と右目の下に柔らかなものが当てられる。触れた細いそれが、ゆっくりと縦方向へ滑る。頬に到達したぐらいで離れ、再び同じ場所へと戻っていく。今度は顔の内側に向かって慎重な手つきで動いていく。くすぐられるような感覚に、ふへ、と思わず小さな笑いが口から漏れ出た。ひくりと肩が揺れる。
「もう、動かないでください」
 よれてしまったではありませんか、と闇の中に声が落ちる。ぱちりと目を開けると、そこには筆を手に顔をしかめた弟がいた。
「ごめんごめん」
 謝るも、返ってくるのは溜め息だ。烈風刀は筆を置き、傍らにあった布を手に取る。濡れたそれを兄の頬に優しく押し当てる。しばし置いて、少年は白い布地を肌の上にゆっくりと滑らせる。そこに描かれていた碧い線は綺麗さっぱり無くなっていた。
 レイシスから世界のバージョンアップが行われるという知らせがされたのが半年ほど前。新たな世界に合った己たちの衣装が届いたのはつい最近だ。白を基調にした戦闘服を思わせるデザインは非常に格好良く、兄弟の間でも評判が良い。もちろん、世界を担う薔薇の少女もよく似合っていマス、と賞賛の言葉をくれた。
 武器――少女曰く、本物の武器ではなくスポーツ用品らしい――を持つのは久方ぶりのことである。使い慣れたそれとは違う形状だが、長年扱ってきただけあって長剣は手によく馴染んだ。重力戦争時代と違い、弟は己のような剣ではなくスナイパーライフルを与えられていた。銃の類を取り扱うのは初めてであるはずだが、すぐさま慣れてみせたのだから彼のセンスは素晴らしいものだ。白と黒の武器は、計算しつくされたように新たな衣装にぴたりと合っていた。
 さて、そんな好評な新衣装であったが、問題が一点あった。与えられたデザイン画では、頬にフェイスペイントを施すこととなっているのだ。宣材写真を撮るために着替えようにも、さすがに一人では頬に文字を書くことなどできない。誰かに書いてもらわねばならなかった。この程度のことでレイシスの手を煩わせるわけにはいかない、と、兄弟は互いの顔にペイントを施すこととしたのだ。
 手先が器用だから、ということで、まずは烈風刀が雷刀に書くこととなった。そうして、椅子に座り軽く上を向いて頬に書いてもらっていたのだが、己が笑ってしまったことにより線がよれてしまったらしい。きっと最初の一画は綺麗に書けていたのだろう、ひそめられた眉がその出来の良さを表していた。
 書きますよ、と言われ、再び頬に手を添えられる。彼が書きやすくなるよう、目を閉じる。慎重な手つきで、筆が肌の上をなぞっていく。柔らかな穂先が皮膚をこするのはやはりくすぐったい。鍛えられた腹筋が、しなやかな表情筋が動く。あぁ、と嘆息が降ってきた。
「動かないでくださいと言っているでしょう」
「だってくすぐってーもん」
 怒気を孕む声に、どこか拗ねたような声が返される。時間は有限である。早く終わらせるべきだということは分かっているのだから、自分だって動きたくない。けれども、肌を通る神経はほんの少しの感覚を受け取って、受容した脳は筋肉へと信号を送り出すのだ。元より、くすぐられることに対する耐性は高くない。この衝動を抑えるのはなかなかに難しいことだ。
「次動いたら、よれたままにしますからね」
「それじゃ写真撮れねーじゃん」
「それが分かっているのならば動かないでください」
 ほら、とまた頬に手を当てられる。否、当てられるなんて優しいものではない。顎を指先でしっかり押さえ固定する、鷲掴むような形だ。今度こそ終わらせるつもりでいるらしい。これ以上遅らせるのも怒らせるのも避けるべきことだ。笑わぬよう口を真一文字に引き結び、雷刀はまた目を閉じ上を向いた。
 もう三度目のペイントだ。多少慣れたのだろう、慎重な手つきは思い切りの良いものに変わった。すっと素早く肌の上を筆が走っていく。縦線が引かれ、外から内に向かって曲線が描かれる。腹筋に力が入れ、こそばゆさをどうにか押さえ込んだ。
 さっと内側に筆が払われる。それきり、柔らかな穂先が肌に触れることはない。よし、と満足げな声が鼓膜を震わせた。降ってきた音に、下ろしていた瞼を持ち上げる。広がった視界には、安堵を浮かべた烈風刀の顔があった。
「終わりましたよ」
「さんきゅ」
 礼を言い、椅子から立ち上がり、鏡台に手を付き鏡を覗き込む。己の右頬には、碧い線で『R』の一文字が綺麗に描かれていた。やはり、烈風刀の書く字は美しい。愛する人によって施された文字に思わず頬が緩みそうになる。その色を確かめようと、手を顔へと持ち上げた。
「触ってはいけませんよ」
 兄の行動を予測していたのだろう、弟は鋭い声で釘を刺す。まさに今やろうとしていたことを指摘され、思わずびくりと身体が震える。速乾性の高いインクを使っているが、完全に乾いていない状態で触っては線がのびてしまうかもしれない。そうなっては、また書き直しだ。衣装にインクが付いてしまうのもよろしくない。ばっと勢いよく手を下ろした。
「あ、次烈風刀の番な」
 筆を洗う碧の背に、朱は言葉を投げかける。分かりました、と簡潔な返事の後、丁寧に洗われた筆と朱の塗料を渡される。今度は自分がペイントを施す番だ。
 先ほどまで己が座っていた椅子に烈風刀を座らせる。濡れた穂先を布で拭い、塗料の入ったケースを手に取る。毛先を浸すと、清潔な白が鮮烈な朱に染め上がった。
 よし、と筆を手に弟の前に立つ。翡翠が己の紅玉を見上げる。何を言わずとも、澄んだその色は白い瞼の奥に秘められる。薄い唇がそっと閉じられた。
 あれ、と雷刀は一人首を捻る。今己を見上げる――目は閉じているけれど――弟の表情には、どこか見覚えがあった。フェイスペイントを描くなんてことは初めてなのだから、既視感など覚えないはずだ。何故だろう。どこで見たのだろうか。どうにも思い出せない。んー、と少年は口の中で疑問げに呟いた。
「……どうしたのですか?」
 瞼の奥から浅海色が顔を覗かせる。いつまでも筆を走らせない兄を不思議に思ったのだろう。美しい碧には懐疑の色が宿っていた。早くしないか、というかすかな苛立ちも見て取れた。
 んー、と喉を鳴らし、朱は顎に手を当て思案する。目を閉じ、先ほどの弟の顔を想起する。こちらを見上げ、目を閉じる。そんな表情を見る機会など、日常でそう多くはないだろう。兄弟は同じ身長で、見上げるなんて動作はなかなかない。どちらも相手の目を見て話す性質なのだから、人の前で目を閉じるなんてことはまずしないはずだ。何だろうか、と少年の頭が斜めに傾いでいく。そんな兄の姿を、弟は不審げな瞳で見つめていた。
 あ、と赤い唇から音が漏れる。見上げる。目を閉じる。口を閉じる。どの条件も当てはまる状況を一つ思い出し、少年は声をあげた。頭の中のもやもやとしたものが晴れていく感覚に、朱はぱぁと顔を輝かせた。
「キスする時の顔に似てる」
「は?」
 ようやく解けた既視感に、雷刀はうんうんと頷く。そうだ。口付けをする時、愛しい恋人はいつもあのような表情をするのだ。美しい瞳を白く透き通った瞼で覆い隠し、かすかな緊張に唇を引き結ぶ。まさに、今彼が浮かべていたものと同じだ。
 晴れやかな顔をした兄に反して、烈風刀はこれでもかというほど眉間に皺を寄せていた。それはそうだ。不自然に相手の手が止まり、訝しげに思い目を開けてみれば、いきなりキス云々など言われたのだ。突飛すぎる言葉と思考をあまり快くは思わないだろう。
「いやさ、今の顔、キスする時の顔に似てるなーって」
「な、にを馬鹿なことを考えているのですか」
「え? 烈風刀は思わなかった?」
「…………思いませんよ!」
 きょとりと首を傾げ問う兄に、弟は絶句の後、声を荒げる。その頬は、化粧をしていないというのに赤く色付いていた。その色が何よりの答えである。やっぱ思ったんじゃん、と口をついて出そうになった言葉をすんでのところで飲み込む。こんなことを言っても相手は否定を繰り返すだけだ。むやみに機嫌を損ねるようなことをするのはよくない。撮影まで時間も迫っているのだ――自分の発言で無為に時間を浪費しているのだが。
「ほら、早くしてください。撮影に遅れたらどうするのですか」
 ぎゅっと眉を寄せながら、烈風刀は朱を睨む。へいへい、と軽く返すと、眉間に刻まれた皺が更に深くなる。そんな顔してたら綺麗に書けねーよ、と苦笑すると、しばしして、それもそうですね、と気まずそうな声が返ってきた。気難しげに寄っていた眉が解かれる。これでいいですか、と問い、少年は再び目を閉じ兄を待った。
 改めて筆に塗料を付け、雷刀は弟の顔に向かい合う。顔を固定するように、右頬に手を添える。変な場所についてしまわぬよう、慎重な手つきで目の下に筆を乗せた。震えぬように注意しながら、頬へと向かって縦に線を引いていく。ふ、と息が漏れる音がする。やはり、烈風刀もくすぐったさを覚えるのだろう。動きが少なかったためか、幸い肌を走る線によれはない。そのまま、外側へと横に線を引いていく。弟の名を表す英字、『L』が完成した。
 よし、と筆を肌から離すとともに思わず声がこぼれる。わずかな時間、わずかな動作だったが、きちんと書けたという達成感が胸を満たす。きちんと書けてよかった、という安堵も少年の胸に広がった。
 声で作業の終わりを悟ったのだろう。烈風刀はゆっくりと瞼を開く。兄を見上げる浅葱は眩しげに細められていた。
「ありがとうございます」
「どーいたしまして」
 例の言葉を述べる弟に、兄は軽く返す。てか烈風刀も笑ってんじゃん、と軽口を叩くと、すみません、と碧い眉の端がゆるく下がった。
「思ったよりもくすぐったいですね」
「だろー? 笑っちまうのも仕方無いだろ?」
 そうですね、と返し、碧の少年は鏡へと目をやる。つられて、雷刀も蛍光灯の光に照らされた鏡面を見やった。美しく磨き上げられた鏡には、頬に己のイニシャルが書かれた少年二人が映っていた。受け渡されたデザイン画通りの仕上がりだった。
 鏡を見つめる中、つい先ほど見た映像が頭の中に甦る。己が手に頬を預け、白い瞼をすっと下ろし、つややかな唇を閉じる――口付けを待つ時のような、あの顔を。衝動が胸の底から湧き上がる。感情に素直な己は、そのままそれに突き動かされた。
「なーなー、烈風刀」
「何ですか?」
 名を呼ぶと、愛しい人はきょとりとした顔でこちらを振り向く。筆を水の入ったコップに浸し、一歩彼へ向かって進む。そのまま、何も書かれていない白い頬に再び手を添えた。
「キスしたい」
 あんな可愛らしい顔をされて、彼も己と同じように意識してしまったなど告白されて、口付けがしたくてたまらなくなってしまった。温かな彼に触れたい。よく手入れされた赤い唇に、己のそれを重ね合わせたい。そんな衝動が、少年の胸を焦がす。すり、とグローブをした手で柔らかな頬を撫でた。
「まだ書いたばかりで乾いていないでしょう。駄目です」
 兄の言葉に、弟は再び眉根を寄せた。口付けをして、万が一頬が擦れてしまったらまた書き直しだ。そんなことでまた書くなどごめんなのだろう。薄い唇がきゅっと引き結ばれる。それすら、あの行為を思い起こさせた。愛おしさが溢れ出る。それを行動で示したくてたまらなかった。
「じゃあ、乾いたらしていい?」
「もう撮影まで時間が無いでしょう」
 はぁ、と溜め息を吐く弟とともに、壁に掛けられた時計へと目をやる。アナログの針は、撮影開始時間までまだまだあることをはっきり示していた。塗料は速乾性の高いものが選ばれていることは二人とも承知だ――つまり、口付けする余裕が生まれるほどすぐ乾いて定着することは、弟もしっかりと理解していた。
 時計が表す事実に、天河石の瞳が気まずげに細められる。反して、柘榴石の瞳は機嫌良さげににまりと細められた。相反する色と表情が、壁一面を埋める鏡に映し出される。
「あーあ、早く乾かねーかなー」
 独り言にしてはやけに大きな声で雷刀は呟く。非常に機嫌良く、かなりわざとらしいものだった。静かにできないのですか、と棘のある声が投げつけられる。見下ろした先、未だ姿勢良く椅子に座った烈風刀は、その頬を描かれた塗料と同じ色に染めていた。どんな強い言葉を投げかけられようと、こんな表情をされては怖くもなんともない。可愛らしさすら感じるのだ。
 カチ、とアナログ時計が鳴き声をあげる。長針がまた一つ歩みを進める。鮮やかな朱が乾くまで、もう少し。

畳む

#ライレフ #腐向け

SDVX

とろける【ライレフ】

とろける【ライレフ】
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ハッピーバレンタイン(遅刻)
推しカプ一緒にお菓子食べてくれって話。

 甘い香りがキッチンに満ちる。作業台の隅、白いオーブンレンジからは、砂糖の甘い芳香が立ち上っていた。オレンジの光が庫内を照らす。鮮やかな色で照らし出される生地は、ふわりと膨らんでいた。
 ピピ、と短い電子音が鳴る。仕事を終えたという機械の報告に、烈風刀は手を止め振り返る。庫内を照らしていた光は消え、暗くなった中はガラス窓からは見えない。しかし、そこからあがる豊かな香りが成功を如実に示していた。
 ミトンをつけ、少年はオーブンレンジの取っ手に手を掛ける。少し力を入れて引くと、フックが外れる音とともに甘い香りがキッチンへと飛び出した。天板いっぱいに流し込まれた黒い生地は膨らみ、ところどころひび割れている。不格好に映るが、食欲を誘う見目をしていた。所々に埋まるナッツの白が、良いコントラストを描いている。
 注意しながら手を差し入れ、竹串で生地の中心部を刺す。戻ってきたそれに何も付いていないことを確認し、碧は頬を緩める。きちんと中まで焼けたようだ。
 両手にミトンをはめ、烈風刀は庫内から熱された天板を取り出す。焼き上がった生地から、白い湯気が立ち上る。鍋敷きの上に天板を載せ、そこに敷いていたクッキングシートに手を掛け生地を抜き取る。そのまま、ケーキクーラーの上に紙ごと置いた。
 さて、天板を冷ましている間に切らねば。少年は包丁を手に、数十分前に焼き上がりすっかりと冷めた生地へと向かう。銀の刃を温め、厚みのある生地にそっと入れる。よく研がれた包丁は、崩すことなく生地を切った。ススス、と線を引くように刃を入れ、スティックサイズに切り分けていく。一枚の大きな生地は、あっという間に姿を変えた。
 切り分けたそれを何本かのセットにし、クーラーの上に積む。ラッピングを済ませてしまいたいが、今は次の生地を焼かねばならない。作業をしている間に冷めた天板に、クッキングペーパーを敷く。淡い白で覆われたそれの中に、作り置いていた生地を流し込む。軽く平らにならしてから、ちょうど余熱の終わったオーブンレンジの中へと入れた。時間をセットし、スタートボタンを押す。低い呻り声とともに、白い箱にオレンジの光が宿った。
 明日はバレンタインデーだ。友人連中や後輩、世話になっている人たち――そして、想い人であるレイシスに手作りのチョコレートを渡そうと、烈風刀は夕食後からキッチンで奮闘していた。とはいっても、手軽に量産できるチョコレート菓子というのはあまり多くない。今年は、混ぜて焼いて切るだけのブラウニーを選んだ。ピュアココアとナッツを入れたそれは香り豊かで、食感も悪くないはずだ。子どもたちでも食べやすく、手が汚れにくいのもポイントだ。
 綺麗に切り分け積み上げたブラウニーを、傍らに用意していた細長い透明な袋に入れる。絞った口を短いラッピングタイで閉じ、その上に幅の太いリボンを結う。これでラッピングは完成だ。簡単な物ではあるが、十数人分となると流石に骨が折れる。オーブンレンジが働く低い声を背に、少年は黙々と手を動かした。
「今年は何作ってんの?」
 一人だけのキッチンに、明るい声が飛び込んでくる。視線をあげると、カウンターを挟んだ向こう側には雷刀が立っていた。風呂上がりなのだろう、首には白いタオルが掛けられている。言葉を紡ぎ出す唇も、潤いを保っていた。
「ブラウニーです」
「へー。これブラウニーっていうんだ」
 手際よくラッピングされていく生地の群れを眺め、少年はこぼす。作る側というより食べる側であり、物事にさして頓着しない彼は、このありきたりな菓子の名前を知らなかったようだ。そうですよ、と返し、碧は細い指を動かす。赤いリボンが綺麗に結われたパックが、ケーキクーラーの横に積まれていった。
「一個食べていい?」
「駄目です」
 身を乗り出し問うてくる兄に、弟はきっぱりと否定する。えー、と不満げな声がキッチンに落ちる。駄目なものは駄目です、と碧は縋るようなそれを言葉で払う。余分に作ってあるとはいえ、もし数が足りなくなってしまったら大問題だ。使える時間も材料も限られている。避けるべき事態だ。
「そこのならいいですよ」
「やった」
 クッキングシートの上に積まれた黒い切れ端を指差す。生地は焼くとどうしても端が丸くなってしまう。まっすぐとした見目にするために、端は切り落としているのだ。その山が、焼き色のついたクッキングシートの上に生まれていた。指差した先の光景に、嬉しげな声があがった。
 風呂上がりで少しふやけた指が、黒い生地を一つつまむ。あ、と大きく口を開け、朱は細長いそれに齧り付いた。顎と頬がもぐもぐと動き、しばしして喉が上下する。瞬間、ぱぁと明るい笑顔がキッチンに咲いた。
「んめー!」
「それはよかった」
 嬉しそうに笑みを浮かべる兄の姿に、弟は一人胸を撫で下ろす。自身でも味見はしていたものの、本当に美味しいものが作れているか、少しの不安は残っていた。他人による上等な評価に、きちんと作れていたことが証明され、安堵する。なにより、誰かが己の作った物を喜んで食べてくれることにたしかな幸せを感じていた。
「なーなー、オレの分はー?」
 これ皆のだろ、と雷刀はラッピングされた菓子を指差す。彼の言う通り、先ほどから量産されているそれは級友や下級生に配るためのものだ。事実、雷刀とレイシスのためには別にもう一つ用意をしてある。しかし、自分だけのものが用意されているという確信を持った声で言われると、なんだか腹が立つものだ。
「……ありますよ」
「欲しい!」
 少しの反抗を込めて一拍。烈風刀は少し小さくなった声で応える。言葉を捉えた瞬間、朱は両の手を広げてカウンター越しにこちらへと差し出した。輝く瞳は早く早く、と急かしている。まるで誕生日プレゼントを目の前にした子どものようだ。
 最後の一袋の包装を終え、碧は煌めく紅玉を見る。蒼玉は、呆れたように細められていた。
「バレンタインデーは明日でしょう。一日ぐらい待ってください」
「えー。いいじゃん、一日ぐらい」
 一日の感覚差に、兄弟の意見は分かれる。一日ぐらい誤差だって、と朱い少年は声高に主張する。乱暴すぎる意見に、碧い少年は口元をきゅっと引き結んだ。不満げに眇められた紅瑪瑙と孔雀石がぶつかる。しばしの沈黙が、甘い香りの漂うキッチンに流れた。オーブンレンジの低い呻り声が妙に大きく聞こえる。
「じゃあ、日付変わったら! オレに一番にちょーだい!」
 名案だ、というように、雷刀はピンと人差し指を立てて言う。『一番』という言葉に、彼の欲が表れていた。好きな人から一番最初にチョコをもらいたい。バレンタインデーを迎える人間が抱えてもおかしくはない願望だろう。
 兄の放った『一番』という言葉に、烈風刀の心が少し揺らぐ。たしかに、好きな人には一番最初にもらってもらいたい気持ちが無いと言えば嘘になる。しかし、こちらもこちらで段取りを考えているのだ。それを崩されるのは困る。ん、と細い喉が鳴った。
 お願い、と兄は手を合わせ弟を拝む。髪と同じ色をした眉は、端がへにゃりと下がっていた。潤むガーネットが、上目遣いでアクアマリンを見つめる。な、と小さく首を傾げて少年は頼み込んでくる。その様はまさに幼い子どもであった。う、と気まずげな音が白い喉からこぼれる。浅海色の瞳が悩ましげに伏せられた。
「…………分かりました。日付が変わったら、ですからね」
「いいの!?」
 溜め息を吐くように言う弟に、兄は大きな声をあげる。潤んでいた紅緋の瞳がぱぁと輝きを取り戻す。撤回しますか、との声に、ごめん、と悲鳴のような声が返された。
「分かりましたから、まず髪を乾かしてきてください」
 首元に暗い水玉模様が浮かぶシャツを指差し、烈風刀は言う。相変わらず、この兄は髪を乾かすという工程を忘れてしまうのだ。弟の指摘に、雷刀ははーい、と元気な声を返し、洗面所へと駆けていく。バタン、と乱暴にドアが閉められる音がリビングに響いた。
 オーブンレンジが呻り声をあげる。低く重いそれは、兄の意見に折れてしまったことを非難するような響きに聞こえた。だって仕方が無いではないか。あんな幼い子どものように頼み込まれては、ほだされてしまうに決まっている。だって、あの兄は可愛らしいのだ。そうだそうだ、と本能が言う。もっと自分を律しろ、と理性が正論を吐いた。
 はぁ、と溜め息一つ。烈風刀は包丁を洗い、温め直す。先ほど焼き上げ冷ましていた生地に、スッスッと刃を入れていく。一枚の大きな生地が、何本ものスティックに生まれ変わった。
「乾かしてきた!」
 扉が勢いよく開かれ、雷刀が顔を出す。彼の言う通り、鮮やかな朱の髪からは水気が無くなり、元のふわふわとしたものに戻っていた。一瞥し、そうですか、と短い声で返す。ん、と短い声が返され、兄は部屋の奥へと進んでいく。しばしして、テレビのスピーカーから音が流れ出るのが遠くに聞こえた。
 それからはもう、ひたすらに騒々しかった。ソファに寝転がってテレビを見ていたと思えば、急に立ち上がりその場をうろうろし出す。部屋に戻って漫画を持ってきたと思えば、何度も視線を外し時計を見やる。携帯端末で何か見ていても、何故か液晶画面でなく壁掛け時計へと視線をやる。キッチンで黙々と作業していても、その忙しなさが伝わってくるのだ。相当なものである。
 残った生地の焼成とラッピング作業、道具の片付け、キッチンの簡単な掃除を終え、烈風刀は兄を見やる。相変わらず、ガーネットの双眸は壁掛け時計へと向けられていた。携帯端末を指でなぞり、時計を見る。またなぞり、時計を見る。飽きたのか、端末を机の上に放り出し、とうとうじぃと時計を見つめるまでになってしまっていた。
 つられるように時計を見やる。アナログの時計盤は、日付が変わるまであと二時間はあることを示していた。あと二時間もこの調子なのか、と少年はうんざりとした顔をする。この静かな騒々しさをこれ以上味わいたくはない。はぁ、と溜め息一つ吐き、碧はソファに寝転がる朱へと歩み寄った。
「雷刀」
 名前を呼ぶと、兄はころりと転がりこちらを見やる。その顔には、まだかまだか、とそわそわしていた。あまりにも落ち着きが無い様子に、嘆息する。単純にも程というものがある。
「静かにできないのですか」
「静かにしてるじゃん」
「動きがうるさいのですよ。何度意味も無く立ち上がっているのですか」
 腕を組んだ碧の指摘に、朱はう、と言葉を詰まらせる。だって、と言い訳めいた声が返ってくる。柘榴石は気まずげに逸らされていた。八重歯の覗く口元は強ばり、そこから意味も無い音を漏らしていた。
「……来てください」
 寝転がった兄の手を掴み、軽く引く。疑問げな色を見せながらも、少年は大人しく手を引かれる。そのまま、二人でキッチンへと戻っていった。
 不思議そうにこちらを見つめる雷刀を無視し、烈風刀は冷蔵庫に手を掛ける。青白い光に照らされた庫内、その奥に隠していたマフィンカップを手に取った。片手に収まるそれを携え、今度は食器棚に向かう。紙のカップを外し、中から現れた黒いそれを白い皿に載せる。その様子を、朱はずっときょとんとした様子で見つめていた。
「……こんなに騒がしいのなら、先に食べてしまった方がマシです」
 きょとりとした視線から目を逸らし、碧は言う。弟の言葉の意味を理解し、朱はマジで、と大きな声をあげた。夜中にうるさいですよ、と窘めると、赤々とした唇がきゅっと引き結ばれた。
「なにそれ、マフィン?」
「少し違います」
 少し待ってください、と烈風刀は皿を手に持つ。そのまま、光を失ったオーブンレンジへと入れた。へ、と落ちた疑問符を気に掛けること無く、少年はボタンを操作する。ブォンと低い音があがり、皿がオレンジの光に照らし出される。三十秒経ったところで、ピピ、と電子音が鳴った。
 庫内から皿を取り出す。レンジによって温められた黒い生地は、ほんのりと湯気をあげていた。事態を飲み込めていないのか、朱は相変わらずきょとりとした顔で碧を見つめる。
「え? 何?」
「割ってみてください」
 はい、と温めたばかりの皿とフォークを手渡す。紅玉髄が、皿と弟の顔を何往復もする。さぁ、と手を差し出せば、未だ納得のいかない顔でフォークを手に取った。
 黒い塊に、銀のフォークが横に刺さる。そのまま力を入れ、雷刀は少し固い生地を半分に割っていく。三分の二ほど刃を入れたところで、中からチョコレートがとろりと溶け出した。突然のことに、わ、と少年は声をあげる。その反応を待っていたとばかりに、烈風刀は小さな笑声を漏らした。
「何これ!?」
「フォンダンショコラですよ」
 初めて聞いた、とチョコレートをとろとろとこぼす生地を眺め、少年は呟く。何回か食べたことがありますよ、と指摘するも、記憶に無いといった調子で首が傾げられた。彼が物の名前を覚えていないことは予測はしていた。だからこそ、今年はこれを選んだのだ。
「食べていい?」
「貴方のものですよ。いいに決まっているではありませんか」
 弟の言葉に、兄はおそるおそるといった風に生地が切り分ける。少しの逡巡の末、溶け出したチョコレートを一口サイズに切り分けられた生地が拭う。フォークに刺さったそれは、あ、と大きく開けられた口の中に吸い込まれていった。咀嚼、嚥下。フォークを握る手に力が込められる。未知のものに恐れを孕んでいた表情は、輝くような明るいものへと変化していた。
「んめぇ!」
「……それはよかった」
 元気な言葉に、烈風刀は一言返す。そこには、安堵がよく表れていた。何度か試作し成功していたものの、きちんととろけるものになるかどうか不安だった。成功したようでなによりだ。それに、初めての光景に驚き、喜ぶ兄の姿がひたすらに嬉しかった。作って良かった、と心の底から思える瞬間だ。
「本当は生クリームや粉砂糖を添えるものなのですけれど、時間がありませんでしたからね」
 う、と濁った音がフォンダンショコラを頬張る口から漏れ出る。事実、参考にしたレシピには、甘さを抑えているから生クリームなどで調節した方が良い、と書かれていた。無くとも美味しく食べてくれるだろうという信頼あって出したものだが、本当ならば完璧な状態で差し出したかったのが本音だ。
「……明日、二人で食べたかったのですけれどね」
 本来であれば、明日の夕食後、生クリームを泡立て、二人で食べる予定だったのだ。一日早まってしまった分、色んな段取りがすっ飛ばされてしまった。それを責めるつもりはないが、穏やかな二人だけの時間を過ごす予定が崩れてしまった悲しみが、少年の心を少しだけ滲ませた。
「ごめん……」
「この程度のことで謝らないでください」
 雷刀はしゅんとした様子で皿を見つめる。中からこぼれだしたチョコレートは全て流れ、皿の上に小さな水溜まりを作っていた。小さな黒い湖面を、朱が眺める。吸い込まれるようにじぃと見つめていたそれが、不意に上がった。真正面から対峙したその瞳は、陰りが失われ明るく光っていた。
 銀色のフォークが操られ、小さな生地が急いで切り分ける。一口サイズになったそれをチョコレート生地にくぐらせ、雷刀は烈風刀の前へと突き出した。突然のことに、天河石の瞳がまあるく見開かれる。
「半分こ! 半分こにして、今二人で食べよ!」
 な、と朱はいたずらげに首を傾げる。『二人で食べる』という部分が重要に映ったのだろう。光るフォークを差し出すその表情は、必死な色が見て取れた。自分のわがままで一人先に食べてしまった罪悪感も映っていた。
 はい、あーん。そう言って夕焼け色が朝空色を見つめる。よく磨かれたフォークが、その先に刺さったチョコレートを纏ったフォンダンショコラが、碧に差し出される。どうすべきか、少年は迷う。『二人で食べる』という提案は魅力的だ。それに乗ってしまいたいが、所謂『あーん』というものをするのは羞恥が先に来るのだ。白い肌に紅が薄らと差す。
 逡巡の末、碧い少年は小さく口を開ける。そのまま、フォークに素早く齧り付いた。先に刺さった生地を口の中に浚い、朱から視線を逸らす。咀嚼する度舌に広がる甘さは、レシピが謳う通り控えめとは思えなかった。
「美味しい?」
「えぇ」
 咀嚼し嚥下し、烈風刀は答える。良かったぁ、と安堵の声が上がった。それはこちらの台詞なのでは、と軽口を叩いてみる。それもそっか、と存外素直な返事が来た。
「はい」
 いつの間にか、生地がもう一口分差し出される。彼の言う『半分こ』はまだ達成されていないようだ。たしかに、皿にはまだ黒い生地が三分の二は残っている。『半分こ』するまで彼はずっと烈風刀の口へと菓子を運ぶ気なのだろう。朱い瞳には純粋な好意しか見えない。それがまた性質が悪いのだけれど。
「も、もう大丈夫です。ラッピングを済ませてしまわないといけないので」
 そう言って、烈風刀はブラウニー生地を載せたケーキクーラーへと向かう。えー、と残念そうな声が背中に投げかけられる。二度目の『あーん』を耐える気概など、恥ずかしがり屋な面がある少年には無い。
 包丁を温め、端を落として、切り分けていく。もう慣れてしまった動きだ、包丁の切れ味の良さもあって、スッと終わってしまった。今度はこれをラッピングしなければならない。これで最後だ、早く済ませてしまおう。そう考え、袋に手を伸ばしたところだった。
「烈風刀」
 愛しい声が己の名を呼ぶ。先ほど食べたチョコレート生地よりもずっと甘い、とろけた声だ。手を離し、少年は音の元へと視線をやる。そこには、柔らかな笑みを湛えた雷刀の姿があった。手元にあった皿は、綺麗に浚われている。
「今年もありがと。大好き」
 愛おしさをたっぷり声に乗せ、雷刀は言葉を投げかける。あまりにも甘ったるい響きに、烈風刀の眉がひそめられる。そこにあるのは不快感ではなく、ただの羞恥だった。あまりの甘さに、愛おしさに、耳が、心がとけてしまいそうな心地だ。整った唇が、きゅっと引き結ばれる。
「……喜んでいただけたなら、なによりです」
 引き結ばれた口元が綻び、烈風刀は笑みを浮かべる。幸いをたっぷり載せた、控えめながらも可愛らしい笑みだった。やはり、好きな人に喜んでもらえるのは嬉しいことだ。溢れ出る幸福が、表情に出る。自分でも、緩んだみっともない顔をしている自覚はある。でも、仕方の無いことだ。こんなにも幸せなのだから。
 釣られるように、雷刀も笑う。こちらも、幸せがたっぷり含まれた、甘い笑みだった。胸を溢れる喜びに、二人でくすくすと笑い合う。
 チョコレートの甘い残り香が、キッチンに立つ二人を包んでいた。

畳む

#ライレフ #腐向け

SDVX

書き出しと終わりまとめ6【SDVX】

書き出しと終わりまとめ6【SDVX】
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あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその6。ボ6個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:ライレフ4/はるグレ1/プロ氷1

五分のぬくもり/ライレフ
あおいちさんには「今の状況を冷静に考えてみよう」で始まり、「そう思い知らされた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以内でお願いします。


 今の状況を冷静に考えてみよう。
 現在地、ソファ。つい数秒まで腰掛けていた座面は、今は背を預けている。
 視界、広がるは天井。見開いた目の中、LEDライトの白い光が真正面から降り注ぐ。
 荷重、増加。寝転がった身体の上に、もう一つ身体が乗り上げている。完全に力が抜けているようで、体重がそのまま負荷としてのしかかってきた。
 温度、上昇。先程まで一人分だった体温は二人分となった。重なり合わさった部分が熱を帯びる。常ならば安堵を覚えるそれは、今は驚愕をもたらすものだった。
「――らいと?」
 押し倒てきた――正しく言うならば、もたれ倒れそのまま覆い被さってきた男の名を呼ぶ。澄んだ爽やかな声は、突然の行為への驚きで揺れていた。
 問いかけた先から返事は無い。聞こえるのは、すん、と短く息を吸う音だ。
「雷刀」
 もう一度兄の名を呼ぶ。苛立ちが滲んだものだ。いきなり押し倒された上に、のしかかられたままなのだ。男子高校生一人分の体重は重く、ろくに動くことも出来なければ、息苦しさも覚える。邪魔でしかない。
「……ぎゅってーさせて」
 ようやく返ってきた言葉は、願いだった。座面に放り出されていた手が首に回される。抱き締める力は、すぐにでも振りほどけてしまいそうなほど弱い。普段の彼からは考えられない様子だ。
 ねむい、と一言呟いて、朱は首筋に鼻先を埋める。すん、と呼吸の音一つ。癖のある柔らかい髪が肌を掠めるのがくすぐったい。
 重い、降りろ、眠いならば部屋で寝ろ、と様々な言葉が思い浮かぶ。しかし、どの言葉も普段とこうも様子が違う――どこか弱った様子の彼に対して言うことは何だか憚られた。
 結果、状況は変わらない――変えないことを選択してしまった。彼を受け入れ、好きにさせることを己から選択してしまったのだ。
 日頃何と言おうと、結局自分は兄に甘いのだ。そう思い知らされた。




君と共にいないと、/はるグレ
葵壱さんには「忘れたくなかったのに」で始まり、「置いていかないで」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以内でお願いします。


 忘れたくなかったのに、何故忘れてしまったのだろう。
 バグの海が浄化された日、そこから今に至るまでを思い出し、始果は片手で目を覆う。月色の瞳は強く眇められ、表情はポーカーフェイスと評される彼らしからぬほど歪んでいた。
 忘れていた。あの娘を忘れていた。己にとって唯一無二の存在を忘れていた。
 バグの浄化の影響であることは分かっている。自分一人ではどうにもできなかったことだとも分かっている。それでも、たったひとときでもあの愛しい躑躅を忘れ去ってしまったという事実が許せなかった――恐ろしかった。
 また忘れてしまうのではないか。また彼女を失ってしまうのではないか。
 ネメシスに来てからというものの、記憶能力に不調はない。むしろ安定している。けれど、あの時のような『もしも』を考えてしまう。恐れが足下から這い寄り、心を雁字搦めにする。恐怖心など欠落しているようにも見える少年を、不安と恐怖が蝕んでいく。それほどまでに、彼にとって躑躅の少女を忘れるということは恐ろしいことであった。
 記憶定着のためにバグを摂取しようにも、大量のバグで溢れていたあの場所はもう無い。ネメシス内はコアの自浄作用によりバグなど滅多にないのだから、ここにいる限りかつての方法で記憶を繋ぎ止めるのは無理だ。
 どうすれば。少年はぐぅと痛ましげに喉を鳴らす。もう二度と忘れたくないのに、この不安定な身体はそれを保証してくれない。どうすれば、どうすれば。
「始果?」
 暗闇の底へと沈んでいた思考が、ふっと引き上げられる。手を外し、顔を上げた先には、愛しい躑躅色が不思議そうにこちらを覗いていた。
「どうしたの? どこか痛むの?」
 グレイスは首を傾げる。普段の強気な語調は抑えられ、目の前の少年を思いやった声色をしていた。表情を滅多に変えない彼が思い悩むように顔を歪ませているのだ。気に掛けるのは少女にとって当たり前のことだった。
「……いえ、なんでもありません」
 しばしの沈黙の後、狐の少年は首を振って応える。大丈夫だと主張するようにマゼンタの瞳をじぃと見つめると、ふぃと視線が逸らされる。垣間見えたそこには、本当か、と疑う色が浮かんでいた。
 まぁいいわ、と言って、グレイスは立ち上がる。そのまま、一歩踏み出そうとして彼女は動きを止めた。
「なに?」
 少女の腕を、始果が掴んでいた。黒い衣装に包まれた細い腕を掴む手は力強く、細かに震えていた。
「……置いていかないで、ください」
 はぁ、と躑躅は素っ頓狂な声をあげる。ただ立ち上がっただけで置いていくな、などと言われては驚くのも仕方が無いだろう。スピネルが訝しげに少年を見つめる。表情から何かを掴み取ろうにも、彼は俯いており、顔を見ることは叶わない。しかし、先程の細い声と震える手から、こうさせるだけの何かが彼の中に渦巻いているのだということは分かった。
「……仕方ないわね」
 呆れたように嘆息し、少女は再び椅子に腰を下ろす。もういいでしょ、と言わんばかりに掴まれた腕を振るが、少年が手放す気配は無い。また大きく息を吐き、彼女は抵抗を止める。変に強情なところがある彼だ、こうなってはもう離さないだろう。諦めた方が早い。
 この場に留まった躑躅に、狐は密かに安堵の息を吐く。己の手を無理やり振り払わずにいてくれることも、彼にとっては喜ばしいことだ。
 けれど、不安が晴れることはない。今は留まってくれたが、ずっと共に行動できるわけはない。学園への編入が決まれば、離れている時間は更に増えるに決まっておる。ずっと一緒にいられるはずなど――ずっと、隣でその存在を確認し、記憶し、片時も忘れないなんてことはできやしない。
 少年は俯いたまま、音もなく唇を動かす。
 置いていかないで。




同じ場所まで/プロ氷
AOINOさんには「爪先立ちの恋だった」で始まり、「永遠なんてない」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。


 爪先立ちの恋だ。
 いつだって自分は幼くて、拙くて。それでもあの人に少しでも近づこうと必死に背伸びをする。それすら理解されて、いつだってしゃがんで目線を合わせてくれるのだから、あの人は優しい。
 識苑さん、と愛しい人の名を呼ぶ。宛先の彼は夢の中で、声が届くはずなどない。穏やかに眠る様子を見て、氷雪は頬を緩めた。
 いつだって何かに夢中になって全てを犠牲にするこの恋人は、特に睡眠時間を削っていた。日中は元気な様子だが、その目の下に薄っすらと隈を作ることは両の手では数え切れないほどあった。
 だから、少しでも昼寝、つまりは仮眠の時間を取ろうと言い出したのが氷雪だった。彼の根城である空き教室にあるソファに氷雪が座り、その膝に識苑が頭を乗せる。所謂膝枕だ。そうして、今日も彼は少女の柔らかな膝の上で眠っていた。
 この形になったのは、少女の提案だった。提案というよりも、強行突破だ。こうでもしなければ、彼は睡眠時間を犠牲にし続けるのだから仕方のないことだ、と彼女は思っている。
 己の膝の上に散らばる長い桃髪を梳かし、少女はそっと目を伏せる。
 幼い自分はいつだって爪先立ちだが、ほんのたまに同じ目線に立つことができる。それが今のように感じる。生徒と教師、子どもと大人。そんな差が、今だけは無くなっているように思えた。ここにいるのは、ただのつがいだけだ、と。
 そんなことは気のせいだと、心の内では分かっている。いつだってわがままを言うのは自分で、折れてくれるのは彼だ。それでも、少しでも並び立てる、隣にいる瞬間のように思えたのだ。
 ヴ、と鈍い音が逞しい喉から漏れ出る。寝転がった白い顔に、険しげに皺が刻まれる。あやすように形の良い頭を撫で梳かすと、うー、と短い音の後、険しさは解けて消えた。再び、穏やかな寝息が鼓膜を揺らした。
 むずがる子どものような姿に、氷雪は音もなく笑う。恥ずかしながら、普段は自分があやされることが多いが、今は逆だ。この仮眠の時間ぐらいでしか見られない光景だ。普段のキラキラとした笑顔とは違う穏やかな表情の愛らしさと、こんな姿を見られるのは自分だけだという優越感が少女の胸を包んだ。
 こんな優しい時間が続いていけばいいのに、なんて考える。もちろん、永遠なんてものはないのだけれど。




星屑にさよなら/ライレフ
AOINOさんには「涙は星になった」で始まり、「だからもう終わりなんだ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。


 溢れた涙は星になった。ほろほろととめどなくこぼれ落ちる涙は白い明かりに照らされて、美しく瞬いている。その様はまさしくこの夜空を飾る星だった。
 泣くなよぉ、と宥める己の声は濡れていた。これでは説得力など欠片もない。返ってきたのは、短い嗚咽一つだけだ。
 大の男二人が大粒の涙をこぼして泣きじゃくるなど、なんと滑稽なのだろう。けれど、泣くのも仕方ないのだ。なにせ、数年来の想いがようやく実ったのだから。
 長く募った想いを伝えるのは、たった一言で済んでしまった。その二音節だけで、想い人の目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。涙の中、濡れた声で同じニ音節が返される。それを脳が認識した途端、己の目からも雫が溢れ落ちたのだった。
 嬉しいときは笑うものだと思っていたけど、こんなにも泣くこともあるのだなぁ、と頭に少しだけ残っていた理性的な部分が余計なことを考える。その間も涙は止まらない。感情を表す回路が壊れてしまったようだ。とめどなく溢れるものからして、この障害は当分直りそうにない。
 エメラルドの瞳には水が膜張り、ぽろぽろと星をこぼしていく。音もなく肌を伝う様は流星を思わせた。落ちた星が、ソファに黒い点を作っていく。二人分のこぼれ星が、数え切れないほど座面に散った。
 れふとぉ、と涙声で愛しい人の名を呼ぶ。いくらかの嗚咽の後、はい、と濡れた声が返ってきた。
 ぼやけた視界の中、どうにか目の前の頬に手を伸ばす。濡れたそこは熱くて、確かな生を思わせた。
 顔を近づけ、星がこぼれる目尻に唇を寄せる。泣かないでくれ、と願いを込めて。嬉しいのならば、二人笑顔でいたい。これで、涙はもう終わりなんだ、と。




君の元まで/ライレフ
あおいちさんには「時間は止まってくれない」で始まり、「いつもそこには君がいた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以上でお願いします。


 時間は止まってくれないなんてことは分かってる。だから今、走るしかないのだ。
 力一杯地を蹴り、跳ぶように前進する。鍛え上げられたしなやかな脚は、その持ち主を前へ前へと猛進させた。
 ポケットから携帯端末を取り出し、スリープを解除する。画面に映し出されたメッセージを確認し、すぐさましまい、ひたすら走る。肺が悲鳴をあげる。呼吸が苦しい。しかし、己の限界など考えることなく少年は速度を上げ続けた。間に合ってくれ、と強く願いながら。
 ようやく目的の地に辿り着く。このままの速度で中に入ることはできない。どうにか歩調を緩めつつも、急いでドアをくぐる。積み上げられた物を一つ引っ掴んで、足早に屋内を進んでいく。鳴り響く音楽が、人の声が、足音が、どこか遠くに聞こえる。聴覚が伝える情報など気にもとめず、少年は奥へ奥へと歩みを進めた。
「――よかったぁ……」
 目の前に積み上がった卵パックを眺め、雷刀は大きく息を吐き出した。安堵の溜息が、スーパーの磨かれた床に落ちた。
 昨日確認したチラシ情報によると、本日のタイムセールで卵が一パック八十八円らしい。食べ盛りの少年二人暮らしでは、卵の消費量はなかなかのものである。食材の消費量が偏らないよう日々メニューは考えているものの、使い勝手の良い卵はすぐに無くなってしまう。これは買うしかない、と放課後雷刀単身でスーパーに乗り込むこととなったのだ。
 パックを一つ手に取り、割れないようそっとカゴに入れる。できることなら二つは買いたいのだが、『お一人様一つ限り』の注意書きには逆らえない。積み上がったパックたちを名残惜しげに見つつ、携帯端末を取り出す。液晶画面に映し出された現在時刻は、タイムセール終了十分前を示していた。
 他にも買いたい物はあるが、まず卵だけで会計を済ませてしまった方がいいだろう。荒い息をどうにか整え、少年はセルフレジへと向かう。セール中故に人は多いが、順番はすぐに回ってきた。レジにバーコードを通し、商品をエコバッグに丁寧に入れ、電子マネーで会計を済ませる。これで今日の一大ミッションは終了だ。
 レジ出口に積み上げられた会計済みカゴに手にしたそれを入れ、朱はふぅと一息吐く。卵購入という重大事項はクリアしたものの、まだ果たすべきミッションは残っている。次は、他のセール商品だ。今日は肉も安いのだ。
 入り口にあるカゴを再び手に取り、雷刀は店内を歩んでいく。頭の中で、今日の献立を組み立てていく。せっかく卵を買ったのだし、今日はオムライスにでもしようか。必要な野菜はまだ冷蔵庫に残っていたはずだ。そろそろ使い切らなければいけないベーコンがあったはずだし、具材はそれでいいだろう。ケチャップの残りが少なかった覚えがあるが、買い置きがあるから大丈夫だろう。
 料理が並んだ食卓を思い浮かべる。温かな料理が並ぶそこを夢想し、少年の口角が緩く持ち上がった。
 二人分の食事が並んだテーブル、己の対面にはいつも愛しい君がいるのだ。




さようなら、またいつか/神十字
葵壱さんには「これまで何度さよならを言っただろう」で始まり、「ずっと子供でいたかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。


 これまで何度さよならを言っただろう。
 目の前に横たわる蒼を見つめ、紅は目を細める。考えても仕方の無いことだと分かっていても、このときが来る度この言葉が思い浮かんでしまうのだ。
 明日にはこの美しい身体は土の下で永い眠りにつくのだ。今日が、自分たち二人のお別れの日――最後の『さよなら』を言う日だ。
 棺に収まった細い身体、その小ぶりな頭に触れる。柔らかな髪はまだ健在だった。ただし、その下にあるはずの温もりは無い。通っていた血は動きを止め、彼を永遠の眠りへと誘ったのだった。
 まぁ、さよなら、と言ったところでまた出会うのだけれど。そう考え、青年はふと口元を緩める。自嘲の色が浮かんでいた。
 繰り返してきた幾星霜を思い浮かべ、目を伏せる。次の『はじめまして』がいつになるかは、まだ分からないのだけれど。けれど、その『はじめまして』は絶対にあるのだ。この別れは、次の『はじめまして』までの一時のものでしかない。
「……さよなら」
 それでも、この言葉を口にしてしまう。律儀なものだと我ながら思う。数え切れないほど言ってきたというのに、また何度も言うことになるのに、この言葉を繰り返す。さながら儀式だ。再び会うための、決定づけられた邂逅を願う、意味の無い儀式だ。
 流すはずの涙は、とっくの昔に乾き失せてしまった。離別も邂逅も全て定められたことなのだ、別れの度に泣くなど無意味である。
 あぁ、もっと、ずっと、彼との別れを悼める子供でいたかった。

畳む

#ライレフ #はるグレ #プロ氷 #腐向け

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ぜんぶおくすりのせい【ライレフ/R-18】

ぜんぶおくすりのせい【ライレフ/R-18】
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カヲアシちゃんのお薬(便利な言葉)で大変なことになっちゃった弟君がオニイチャンに大変なことをする話。♡喘ぎと淫語(ごく軽度)の練習。解釈違いとの戦い。

 カチャ、と陶器が擦れる軽い音が薄暗い廊下に響く。慌てて皿とカップの配置を直し、雷刀は今一度手にしたトレーをしっかり掴んだ。面倒臭がって電灯を点けないままで薄暗闇に包まれた廊下を静々と歩く。音が消えたそこは何だか不気味に思えた。
 目的のドアの前に辿り着き、少年は取り付けられた銀のノブをじぃと見つめる。きちんと手入れされたそれは、明かりの下ならば美しく輝くだろう。薄闇に隠された今は、ただただ金属の冷たさを彷彿とさせるだけだ。
 無意識に伏せられていた朱い目が上がり、木目で彩られたドアを眺める。厚いその向こうにいる人物のことを考え、少年は小さく眉をひそめる。強い皺が刻まれたそこには、己の不甲斐なさや情けなさを悔いる苦しげな感情が見えた。
 手にしたトレーを片手で抱え直し、空いたもう片方の手を軽く握る。そのまま、目の前のドアをノックしようとして、手の動きがピタリと止まった。必要以上に無理をしていないかという心配と、一人籠もっているところに干渉していいのかという躊躇が、天秤の上でぐらぐらと揺れる。不安定に揺れ動いていたそれは、抱えた利己的な感情へと判を下した。
「烈風刀ー」
 握った手の甲でドアを軽く叩く。コンコンコンと軽く硬い音の後、部屋の主へと呼びかけた。
 普段ならばすぐに返事が来るのだが、今日返ってくるのは沈黙だけだ。もう寝てしまっているのだろうか。それとも、返事すらできないほど不調なのだろうか。いくつも芽生える不安が募っていく。
 こくりと唾を飲み込む。これ以上思案していても仕方が無い。食事はできるだけ摂るべきだ。今すぐには食べられなくとも、部屋に運んでおけば食事が行動の選択肢の一つに入るはずである。普段人の食生活を気に掛けてくれるあの弟は、自分に関しては案外無頓着だ。こうでもしておかなければ、一食抜かしてしまうに決まっている。
「……入るぞー」
 少し潜めた声で断りを入れ、ドアノブに手をかける。錠の無い扉は、抵抗一つなく開いた。キィ、と蝶番が擦れる高い音が薄闇に響く。
 ドア一つ隔てた先の世界は、廊下と同じ程の闇に包まれていた。ベッドボードに置かれた小さなライトが、ベッド周りだけを柔く照らす。光を煌々と浴びるマットレスの上には、薄い掛け布団だけがあった。丸く膨らんでいることから、その中には何か――部屋の主たる烈風刀がいることが分かる。頭まですっぽり潜る様は、子供の頃を思い起こさせるものだった。
 やはり寝ているのだろうか。起こしてしまわぬように、そっと足を運ぶ。綺麗に片付けられた学習机の上に、持ってきたトレーを音をたてぬよう置いた。机にあった付箋とペンを借り、調子が戻ったら食べるようにという旨のメッセージを書き残す。それをトレーの縁に貼れば、ミッションコンプリートだ。
 寝ているのならば、そっとしておくべきである。長居は禁物だ。再び、慎重な足取りで部屋の中を進んでいく。それでも、ついベッドの傍で足を止めてしまった。さっさと出ていくべきだということは、理性では分かっている。しかし、大切な片割れの様子が気になって仕方なかった。
 憂いに染まった朱が、薄い布団を見つめる。部屋の主が眠っている今、静かな部屋の中には音はないはずだ。しかし、何かの音が鼓膜を震わせる。何だろう、と音の発生源を探すため耳を澄ませる。源は、丸まった布団にあった。
 こんもりと膨らんだ布団の隙間から、はぁ、はぁ、と荒い息が聞こえる。短いそれは震えており、熱に浮かされるような苦しげなものだった。
「烈風刀……?」
 恐る恐る名を呼んでみる。瞬間、丸まった布団がびくりと跳ねた。その姿から寝ているものだと思っていたが、どうやら起きているようだ。答えは返ってこぬものの、隙間からは依然苦しげな喘鳴が漏れ出ている。明らかに様子がおかしい。
「おい、烈風刀」
 潜りこんだままでは、どんな状態にあるのか分からない。具合を確かめるため、すっぽりと被っている掛け布団に手を掛ける。いくらかの抵抗はあったものの、薄いそれはすぐに剥がれた。
 ふわりと何かが香った。嗅いだことがある匂いのはずだが、今はそれが何か思い出せない。そも、思い出す暇などない状況だ。なにせ、目の前には信じられない光景が広がっていたのだから。
 布団の中、烈風刀は胎児のように丸まっていた。まっすぐ姿勢良く眠る彼にしては珍しい体勢だ。しかし、注目すべきはその下半身だ。帰ってきた頃には制服に包まれていた足には何も履いておらず、生まれたままの状態であった。足元には、ボトムスと下着がぐしゃぐしゃになって転がっている。恐らく、布団の中で脱いだのだろう。上半身はジャケットが脱がれ、白いカッターシャツ一枚だけだ。それもボタンが全て外され、大胆にはだけていた。
 更に驚くことに、その顕になった白い肌は濡れていた。熱による汗ではない。粘力のある透明な液が、少年の手と股座――特に臀部を汚している。一部は薄く白が滲んでいた。敷かれたシーツも濡れており、小さなシミをいくつも作っていた。
 身体のほとんどを顕にし、肌を濡らし、喘鳴を漏らす。それは、情事を思い起こさせる光景だった。
「――――ッ!」
 あぁ、この匂いは精液の匂いか。頭にわずかに残った冷静な部分で呑気に考えていると、突如、力強く腕を引かれた。そのまま、目の前のベッドに倒れ込む。ぼふん、とマットレスが沈む音とともに、視界が黒くなる。香る精臭が一層濃くなったように思えた。
 何だ、と目を白黒させていると、今度は肩を掴まれる。力任せに引かれ、うつ伏せの状態から無理矢理仰向けにされる。暗くなった視界に淡い光が差し込む。同時に、腹に何かが乗り上げる感覚。強い負荷に、ぐ、と息が詰まる。全てが突然のことで、状況の何もかもが分からない状態だ。驚きに満ちた脳味噌には、感嘆符を伴う疑問符が多量に浮かんでいた。
「――ご、めんな、さい」
 はぁ、はぁ、と熱に浮かされた吐息と、舌足らずな声が上から降ってくる。見上げた視界には、己の身体に乗り上げた烈風刀の姿があった。その目は、声の幼さに反して険しげに細められている。薄っすらと潤んだそれは、いくつもの感情が渦巻いていた。
「放課後から、身体がおかしくて……。頭が、変で」
 放課後というワードに、雷刀の頭に数時間前の光景が呼び起こされる。
 今日の放課後、運営業務も早く終わり、三人で帰るところだった。たまたま理科室の前を通った際、教室内から爆発音がしたのだ。同時にドアが歪み、そこから正体不明の煙が漏れ始めた。偶然先頭を歩いていた烈風刀は、後方にいたレイシスを庇いその煙をもろに浴びたのだった。
 煙も落ち着き乗り込んだ理科室の中にいたのは、予想通りカヲルとアシタの二人だった。曰く、爆発と煙は新薬開発の失敗によるものだそうだ。詳しい内容は聞きそびれたが、彼女らのことだ、怪しいものを作っていたのであろう。理性的であろうと努力している彼がこんな状態になっているなんて、よほどのことだ。一体何を作っていたのだ、と少年は内心頭を抱えた。
「ら……、っ、雷刀が欲しくて、たまらなくて」
 我慢できなくて。
 一人でシても駄目で。
 酷くなるだけで
 苦しくて。
 寂しくて。
 雷刀じゃなきゃ嫌だと考えてしまって。
「――せ、セックス、したくて、たまらないんです」
 押し倒した兄の服をぎゅうと握りながら、弟は拙く言葉を紡いでいく。丸く輝く藍玉から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。よく見ると、潤んだそこの中央、瞳孔に当たる部分にはピンク色のハートマークが浮かんでいた。何より、その美しい瞳には情欲の炎が燃え盛っていた。
 現在の彼の姿、先程からのらしくもない淫らな発言、そしてとろけきった表情。目の前の男は、たしかに欲情していた。恋人である、自分相手に。
 あの煙は媚薬の類だったのだろう。なんてものを、と心の内で叫ぶが、もう後戻りできないところまで来てしまっているのは明らかだ。
「ごめ……、な、さい」
 全部僕がしますから。
 おねがいします。
 ごめんなさい。
 許して。
 涙声で唱える言葉は、どれも愁哀に満ちていた。神の前で罪を告白する罪人のようだ。自罰的な音色は、聞くこちらの胸も引き裂くような悲しみに満ちていた。
 許すも何もない、落ち着け。宥めようと手を伸ばし口を開くが、声を発することは叶わなかった。
 伸ばした手に、濡れた手が重ねられる。そのまま、指と指との間を埋めるようにぎゅうと握られた。視界が暗くなる。サラサラとした浅葱の髪が、目の前を掠める。水が溢れる翡翠が、目の前に迫った。
「ん、ぅ――!?」
 気付けば、唇を奪われていた。いきなりのことに、身体が硬直する。逃げる余裕も、跳ね返す余裕も、全て驚愕に奪い去られてしまった。
 言葉を発そうと開いた口の隙間から、舌が這入り込んでくる。常ならば恐る恐るといった調子でゆっくりと動くそれが、性急に己の赤を絡め取る。表面を擦り合わせ、潜って付け根をくすぐり、歯列をなぞり、固い口蓋を撫ぜる。一気に与えられる口悦に、少年は翻弄されるがままだ。ぐちぐちと溢れる唾液が掻き混ぜられる音が耳に響く。
 口付けに振り回される間に、腹に違和感を覚える。何か固いものを擦り付けられている感覚だ。布地が濡れていく感触に、それが烈風刀自身であることを理解する。おそらく、欲望が止まらないのだろう。口腔での交わりの間も、彼はひたすらに快楽を求めているようだ。ずり、ずり、と腹の上を先端が往復する。その度に、口の中に甘い吐息が注がれた。
「――は、ァ」
 口内での長い逢瀬が終わり、烈風刀は唇を離す。だらしなく垂れ下がった舌と舌との間に、細く輝く橋が渡る。それも、ちゅるりと飲み干されてしまった。
 口腔を愛し尽くされ、雷刀は荒い息をあげる。休む暇などなくずっと舌を交わらせていたのだ。酸素が足りなくて当然だ。健康な肺は、酸素を取り入れようと懸命に動いた。
「ごめんな、さい」
 ごめんなさい、ごめんなさい、と少年はうわ言のように繰り返す。開く口の端から、透明な唾液がつぅと流れて肌を伝った。
「頑張って、気持ち良くしますから」
 ごめんなさい、と今一度繰り返し、少年は腹の上で後退りする。引き締まった身体が、己の上から去っていく。怒涛の展開に呆然としていると、下腹部に――具体的に言うならば、中心部に何かが触れた。急所への感覚に、反射的に身体が跳ねる。肘を突いて急いで上半身を起こすと、そこには己の足の間に跪き、服に包まれた中心を撫で回す碧の姿があった。
 普段の彼から想像もできぬ光景に、思わず言葉を失う。何をしているのか――見た通りであり何もなどないのだが――と問おうにも、喉が上手く動かない。発声する機能を忘れてしまったかのようだ。
 精液とローションで濡れた手が、頭を撫でるように陰部をくるくると撫で回す。布越しの間接的なものとはいえ、刺激は刺激である。生理現象には敵わず、服の内に秘めたる肉は徐々に硬くなっていった。勃ち上がりはじめた肉茎が、生地を押し上げる。ぅ、と苦しげな、しかし確かな官能を孕んだ声が喉奥から漏れ出た。
 遠慮がちだった手が止まり、今度はボトムスへと伸びる。甘い痺れが脳を焼く雷刀に、その行動を止めることなどできない。隆起した場所を戒めていた布地は、濡れた白い手によって徐々に取り払われた。
「……、ぁっ、らいと、の……♡」
 まろびでた陰茎に、碧の少年は陶然とした声をあげた。未だ潤む目がゆっくりと垂れ下がり、口角が緩く持ち上がる。目の前に馳走を差し出された子どものような顔だ――子どもはこんな情欲に溺れた妖艶な表情などしないのだけれど。
 姿を現した屹立に熱烈な視線を送っていた少年が、かぱりと大きく口を開く。そのまま、緩く勃ち上がった雷刀自身をぱくりと呑み込んだ。
「えっ!? あッ、おい、烈風刀!?」
 突然の口淫に、朱の少年は驚きの声をあげる。否定の意味を含んだそれは伝わらなかったのか、碧は構うことなく頭を動かし始めた。
 芯を持ち始めた欲望の象徴に、温かな口の中でたっぷり唾液をまぶされる。奮い立てるように、窄めた唇が全体を往復し扱いていく。時折、横笛を吹くように横から唇で挟み、なぞるように幹をたどる。ぐぷぐぷと、唾液が泡立つ淫猥な音が鼓膜から脳味噌を犯した。
 口いっぱいに頬張り、少年は硬く張り詰めた頭に唾液を纏いぬめる舌を這わせていく。磨くように全体を舐め回し、傘の段差をくすぐられる。明確な刺激に、思わず腰が跳ねる。喉奥を突く形となってしまったが、碧は小さな官能の声をあげるだけだ。
 すっかりと勇ましい姿を取り戻した欲望の塊を、赤い舌が這う。浮かぶ血管を舌先でなぞるように舐められ、雷刀は断続的に欲の浮かぶ声をあげる。本当ならば、今すぐにでも突き放すのが正解なのだろう。けれど、直接的な快楽を一気に与えられた脳味噌は、反抗することを選ばなかった。否、快楽の波に揉まれ飲み込まれた状態では、物事を選択する余裕など無いのだ。
 しっかりと勃ち上がった竿をざらついた舌の表面で撫で上げ、尖らせた舌で裏筋を突く。そのまま、先走りが溢れる鈴口をぐりぐりと抉られる。柔らかな唇が、先端から根本まで丹念に扱き上げる。幾度も肌を重ね、知り尽くされた弱点を、弟は的確に攻め上げる。もう起き上がっているのが精一杯だった。腰骨を、脊椎を、脳を、強大な快楽信号が駆け抜けていく。頭を力一杯殴られているような心地だ。凄まじい快楽は最早暴力である。
「ァッ、れふっ、れふとッ! も、だめ……! だめだからぁ……!」
 降参の声をあげるも、口淫は止まらない。むしろ、果てを予感したことにより更に激しくなっていった。じゅぷじゅぷと激しい水音が二人きりの部屋に響く。
 弱い部分を、潤んだ唇が、ぬめる舌が、硬口蓋が、頬が、喉壁が攻めたてる。口全てを使われた愛撫に、雷刀は為す術がない。ただ、与えられる快感に喘ぐことしかできなかった。
 先端をぢゅうと思い切り吸い上げられ、ぐぅ、と息が詰まる。限界を超えた刺激に、呑み込まれた雄から白濁が勢いよく放たれた。剛直を咥えたまま、白い喉がうごめく。注ぎ込まれる濁液を飲んでいるのだということが分かる動きだ。美味いなどとはお世辞にも言えぬ欲望の証を、少年はこくりこくりと飲んでいく。先端に健気に吸い付き、尿道に残ったものまで飲み込むおまけ付きだ。
「……ん、ぅ♡ は、ぁ……、らいとの、おいしい……♡」
 たっぷりと注がれたスペルマを飲み下し、烈風刀は幸せそうに破顔する。薄っすら開いた口の中は真っ赤で、精の白は見当たらない。残らず全て飲み干したという何よりの証拠だった。あまりにも淫らな姿に、びくりと腰が跳ねる。夜明け空の瞳が、力を失った雄肉を追った。
 目の前に跪く少年の眦は幸福に垂れ下がり、頬は熱を帯び紅潮し、形の良い細い眉は悩ましげに八の字を描いている。常は涼しげな表情をした、美しさと格好良さを兼ね揃えた弟の顔が情欲に塗れとろけた様子は、毒そのものと言っても過言ではなかった。先程吐き出したばかりだというのに、腹の奥が熱を持つ。力無く倒れ伏せた雄杭に、再び血液が集まっていくのが分かった。
 跪いていた碧がふらふらと身を起こす。ベッドの上に乗り上げ、起き上がった烈風刀は兄の肩を軽く押した。熱烈な奉仕によって心身ともに翻弄され、欲望を思い切り吐き出した疲れに、少年は再びベッドに倒れこむ。すぐさま、腹と胸に重みがかかる。また烈風刀が乗り上げてきたのだと分かったのはすぐだった。
「ごめ……な、さい」
 淫情でどろどろにとろけた顔で、少年はまた謝罪の言葉を口にする。情火を多分に含んだ濡れた声は、淫らさよりも痛苦や悔恨が勝っていた。
「がんばって……、がんばって、きもちよくしますから。ぜんぶ、ぼくがしますから」
 ゆるして。
 赦しを、助けを乞う声が狭い部屋に落ちる。ぽろぽろとこぼれる涙が、己の胸元を濡らしていく。暗い色の布地に、黒い斑点がいくつも浮かび上がった。
 弟の言葉に、表情に、雷刀の身体は硬直する。動けるはずが――身を起こして諭し、拒否できるはずがなかった。ここまで淫情に振り回される愛し人の姿はあまりにも痛々しい。苦しみに悶え、喘ぎ、涙をこぼす様を放っておけるわけがない。この身体を差し出すことで彼を少しでも救えるのならば、己はこのまま倒れているのが正解なのだ。
 ず、ず、と勃ち上がった熱杭に、柔らかなものが擦り付けられる。しとどに濡れたそこは、おそらく烈風刀の臀部――そして奥に秘められた蕾だろう。内に燻る熱を吐き出すための自涜は、雄の器官だけでなく後孔でも行われていたようだ。ローションのぬめりがそれを明確に示していた。
 扱くように上下に動いていた腰が止まる。一点――奥まった、少しへこんだ場所に、先端が宛がわれた。予想される衝撃に、今一度身が硬くなる。ごくりと無意識に唾を飲み込んだ。
 硬さを取り戻した雄の象徴が、柔らかな肉に埋まっていく。恐ろしいほどの熱に包み込まれ、思わず息を呑む。じりじりと焼かれていくような、腰から下を融かされていくような感覚だ。手ずから耕された内部は、異物を難なくと飲み込んでいった。
「あ……♡ あっ、ァ……♡」
 熟れた切っ先が内部を切り込んでいく度、烈風刀はか細い声をあげる。エメラルドの瞳は白い瞼の奥に隠れ、姿は見えない。けれども、そこに情炎が燃えさかっていることは、可哀想なまでに震える身体と声から嫌でも分かった。
 獣欲の証が、括れた位置まで内部に潜り込む。少年はそこで動きを一度止めた。はぁ、はぁ、と荒い息が降ってくる。帰ってからの数時間、ずっと欲望の焔に炙られていたのだ。そこに、先程までの熱烈な口淫だ。疲弊しているに違いない。おそらく、今彼を救えるのはこうやって肌を重ねることだけだ。しかし、このままでは倒れてしまうのではないか。不安が胸を過る。それもすぐさま、消え失せた――消え失せられるほどの衝撃が、身体を襲った。
「――――ァッ!」
 ぐぷん、と鈍い音が聞こえた気がした。脳味噌を、快楽が力一杯殴りつける。神経を焼き切るような刺激に、短い悲鳴が二つ重なる。どちらも、欲に溺れた音色をしていた。
 先程までの行為はあくまで狙いを定めるものであって、照準を合わせた今、そのまま一気に呑み込んだのだ。それを理解できるほど、雷刀の頭は機能していない。当たり前だ、身体の中でも特に敏感な器官に受容しきれないほどの刺激を与えられたのだ。口付けと口淫で欲に煽られた脳味噌が、思考することにリソースを割けるわけがない。
「あ♡ は、ぁ……♡ ぁっ、あっ♡ らいとのおちんちん、ぜんぶはいったぁ……♡」
 甘い吐息をこぼしながら、烈風刀は恍惚とした顔で呟く。背と首をしならせ、快感にふるふると震え、普段ならば絶対に発することのない卑猥な言葉を口にする様は、淫らとしか言いようがなかった。
 鍛えられた胸板に手をつき、碧の少年は腰を持ち上げる。貫く杭を半ばまで抜き、重力に身を任せ一息に呑み込む。抜けそうなほどの浅い位置、張り出した部分で柔らかな淵を擦る。単純な動作ではあるが、生み出す悦楽は凄まじいものだ。腰骨から脊椎を快楽が駆け抜け、脳神経を焼いていく。視界には白い光の粒がいくつも瞬いた。
「ぅ、あっ♡ ん、ぁ♡ あ♡」
 上下する腰が、より内壁に擦り付けるように前後に動く。特に腹側の一点――彼の弱点と思われる位置を楔が抉る度、うちがわはきゅうと締まった。あまりにも強い刺激に、ぐぅ、と鈍い音が喉から漏れ出る。
 ぐちゅん、ぐぷん、と淫靡な音が結合部からあがる。甘ったるい嬌声が、唾液とともにこぼれ落ちる。淫猥な重奏が、聴覚を犯す。脳味噌がとろけてしまいそうな心地だった。
「ぁ、あっ、れふ、と……、れふとぉ……!」
 押し寄せる快楽から逃げるように、雷刀は己の目を片腕で覆う。開いた口から漏れ出るのは、本能が剥き出しになった喘ぎだけだ。ぁ、と安堵したような笑声が、暗い視界に降ってくる。潤んだ鞘が、包み込む熱の剣を強く締め付けた。
「あっ♡ は、ぁ♡ とまらな……ぁ♡」
 ぱちゅん、ぷちゅん、と濡れた肉と肉がぶつかりあう音が、二人きりの部屋に積もっていく。引き締まったその身が止まる様子はない。薬によって獣の本能に支配された彼は、己の身体をコントロールできないようだ。更に奥まで呑み込もうと、腰がぐりぐりと押し付けられる。行き止まりを張り詰めた頭が擦る度、熱を孕む隘路が奥へ誘うように蠕動した。
「ご、め、な……さい……、ごめんな、さい……」
 獣欲のままに腰を動かす中、烈風刀は幾度も謝罪の言葉を繰り返す。兄を欲望の捌け口にしている事実が、未だ彼の胸を苛んでいるのだろう。ごめんなさい、ごめんなさい、と濡れた言葉が朱の上に降り注いだ。
 目を覆っていた腕をどうにか動かし退ける。広がった視界には、涙でぐちゃぐちゃになった弟の姿があった。濡れた頬は紅潮し、閉じることのできない口の端からは唾液が伝っている。水をたっぷりとたたえた蒼玉の奥には、ピンク色のハートマークが煌々と輝いていた。腹に抱えた獣をこれでもかと刺激する姿だ。このまま食い尽くされたい。食い尽くしてしまいたい。騒ぎだす獣を必死に押し込め、雷刀は赤い唇で言葉を形作っていく。
「だいじょぶ、だから……。気にすんな、って……ぅ」
 雫がいくつも線を作る頬に手を伸ばす。びしょびしょになったそこは、浮かぶ色通り強い熱を孕んでいた。濡れることを厭わず、雷刀はその柔らかな場所をそっと撫ぜる。それだけでも快感を拾ってしまうのだろう、乗り上げた身体がびくりと大きく震えた。情欲に塗れた吐息が部屋に落ちた。
「だ、て……だってぇ……」
 兄の言葉に、弟は首を大きく横に振る。柔らかな髪がぱさぱさと音をたてて揺れる。まあるい瞳から更に雫をこぼれた。自罰的な節がある彼だ、薬に振り回され大切な恋人を無理矢理犯す己が許せないのだろう。そんな彼を落ち着かせようと、雷刀は頬を撫でながら言葉を紡いでいく。
「だいじょーぶ……、謝んなくて、いいから。烈風刀の、好きにして、いいから」
 本心であった。確かに驚きはしたものの、全てはあの謎の薬品が悪いのだ。烈風刀に非など無い。むしろ、身を挺し怪しげな薬からレイシスを救ったことは褒められるべきことである。結果的に自分は犯されているが、これは雷刀にとって合意の上の行為である。肌を重ねることで、可哀想なまでに翻弄されている彼を救い出せる。それならば、この身を捧げることぐらい何でもない。
「オニイチャンは、っ……だいじょーぶだから。気にすんな、って」
 な、とどうにか笑いかけると、ひぅ、と短い嬌声があがる。柔らかな内部がきゅんと締まり、雄茎を抱き込む。ソリッドな快感に、鈍い音が喉からこぼれ落ちた。抱き締めた側も、背を走る快楽に小さく喘いだ。
「でも……、ぅ……、ごめ、な、さい……」
「だいじょーぶって、言ってるだろ? オレは、ほんとにだいじょぶだから。烈風刀が、好きなようにして?」
 頬から手を離し、今度は頭を撫ぜる。碧色のさらさらとした髪は、汗ばんで少し湿っていた。乗り上げた身体がびくびくと震える。本能的なものか、引き締まった腰がくねる。与えられる快楽に唇を噛みしめながらも、雷刀は形の良い頭をゆっくりと撫ぜ梳かす。小さな頃、宥める時にやってきた行為だ。
 ハートマークの浮かぶ目がぱちぱちと瞬く。その度に、熱い雫がこぼれ、朱の胸を濡らす。だいじょぶ、ともう一度投げかけると、すん、と鼻を啜る音が返ってきた。
「ほ、とに……、ぅ、あっ……、ほんとに、いいんですか……?」
 大粒の涙をこぼしながら、烈風刀は問いかける。戸惑いの響きの中には、たしかな歓喜があった。理性的な彼を、本能が支配していることの表れだ。
「ほんとーにだいじょーぶ。いっぱい、気持ちよくなりな?」
 そっと目を細め、色欲の炎が揺らめく瞳をじぃと見つめる。柔らかながらも熱を持った視線に、肉の剣を収めた後孔が窄まる。根元を思い切り締め付けられ、雷刀は息を呑む。温かな肉に包まれた雄の部位がビクビクと震えた。
 ごめんなさい、と今一度呟いて、少年はゆっくりと腰を持ち上げる。繋ぎ合わさった部分から、硬く勃ち上がった陰茎が覗く。それもすぐに、狭穴に呑み込まれた。ぷちゅん、と可愛らしくもいやらしい音が響く。
 遠慮がちだった動きが、自然に速度を増していく。気がつけば、また淫猥な水音が部屋いっぱいに満ちていた。上下運動によって生み出される快楽は、二人の脳を焼いていく。理性はどんどんと削れ、本能が大手を振って頭の中を蔓延った。
「ッ、烈風刀、きもちい……っ?」
「あ♡ はっ、はい♡ きもちぃ♡ きもち、いいです♡」
 息を切らしての問いに、烈風刀は鍛えられた身体をくねらせながら答える。涙を流す瞳には、未だハートマークが煌々と輝いている。これが、彼の内に燻る欲望を表しているのだろう。ならば、解消されるまで――彼が存分にきもちよくなるまで付き合うだけだ。
 温かな洞が、咥え込んだ肉槍をきゅうきゅうと締め付ける。ひくつく内壁が、竿を、頭を頬張り、熱心に扱く。快楽が背を駆け脳味噌を殴っていく。神経信号は、愛し人がもたらす愛欲を伝えるだけで精一杯だった。
 あ、あ、とあがる嬌声がどんどんと短くなっていく。常と同じならば、それは彼の限界を示す動作のひとつだ。悦楽の果てに到達しようと、引き締まった腰がくねり、己が内部を嬲っていく。鍛えられた腹の内側を、しゃんとした背の内側を、己では到底暴けない最奥部を、己が意志で、勃ち上がった肉の刃によって蹂躙していく。
 らいと、と嬌声の中で名を呼ばれる。どした、と返す声は熱に溺れていた。弟が自由に動き快楽を貪るのは、兄が快楽を得るのと同義である。次々に生まれ叩き込まれる熱に支配されるのも仕方の無いことだ。
「らいとのっ♡ らいとのせーし♡ ください♡ ぼくのおなか、ぁっ♡ らいとのせーしで♡ いっぱいに、してぇ♡」
 くねくねと身を捩り、烈風刀はねだる。普段の彼から想像もつかない、あまりにも淫らな言葉遣いだった。薬がそうさせるのだろうか。だとしたら、本当になんてものを作ったのだ、あの悪魔は。恨み言を吐こうにも、思考が追いつかない。思考に割くべきリソースは、全て快楽を認識し受容することに使われていた。
 不意に影が差す。何だ、と思うよりも先に、唇を奪われた。随分と長い間離れていた舌が、久方ぶりに邂逅を果たす。熱の塊が、深い場所で擦れ、繋がり合う。唇と唇が合わさるリップノイズと、唾液が混じる水音と、合わさった場所から漏れ出る嬌声が交わる。二人でしか奏でられない、淫猥な合奏だ。
 口吻の最中でも、少年の身体が止まることはない。唇を重ねるために前傾姿勢になったことで、擦れる位置が変わったのだろう。内壁が更にうごめき、雄の象徴を撫で上げていく。洞の縁が、血管のうねる竿を扱きあげる。快感を得るための動きは、愛し人の官能も煽り昂ぶらせていく。隘路を埋め尽くす楔がびくびくと震えた。己の限界も近いのだと、本能が支配する脳味噌でも分かった。
 ぐちゅん、ぐちゅん、と卑猥な水音がどんどんと短くなる。怒張が最奥を勢い良く突いた瞬間、ひゅ、と呼吸のなり損ないのような音が白い喉から漏れた。
「んぅっ、ぁ、あ、ア――!」
 神経が受け止めきれない快楽に、少年は合わさった唇を離し、目一杯背をしならせる。張り詰め涙をこぼす烈風刀自身が、ふるんと震える。夜明け色の髪がばさりと音をたてて乱れた。
 熱塊を抱きこんだ媚肉が、一際強く締まる。熱い柔肉が、硬い幹を勢いよく撫で上げる。奥まった場所にある襞が、熟れた頭を締め付ける。どれも、烈風刀が気をやった証拠だ。同時に、雷刀を攻め立てる最後の動きでもあった。
「ァ、あ、あぁッ!」
 解放され、開きっぱなしになった口から短い嬌声があがる。瞬間、最奥まで埋め込んだ雄の証から、欲望が勢い良く吐き出された。びゅくびゅくと音をたて、欲の奔流がうちがわを白く染め上げていく。目の前のつがいを、内部から征服していく。
「アッ、あ♡ らいとの、せーし♡ あつ、ぃ、ぁ……っ♡」
 白濁が注がれる度、烈風刀は恍惚とした表情で嬌声をあげる。いやらしい言葉は彼自身も煽るのか、口を開く度に雄を抱き込んだ内部がびくびくと震えた。愛する人の精液を求め、うねる内壁が根元から先端まで貪欲に撫で上げる。達したばかりで敏感な欲望の象徴は、従順に濁液を吐き出した。
 はぁ、はぁ、と荒い呼吸が二つ重なる。共に果てたことにより、体力はほとんど消費してしまった。肩で息をするのが精一杯だ。胸部が大きく上下する。肺が目一杯活動している証拠だ。
 ようやく呼吸が落ち着き、雷刀は己を組み敷く恋人を見上げる。その顔は依然紅潮し、とろけたままだった。内部のみで果て、未だ快楽の海から戻れずにいるのだろうか。大丈夫か、と声をかけるより先に、しとどに濡れた唇が音を形作った。
「――ぁ……♡ ごめ、な、さい♡」
 力を失った欲望が埋め込まれたままの窄まりが、ひくひくとひくつき、根本を締め付ける。吐き出した熱を取り戻そうとするように、媚肉がうごめき幹を撫で上げた。特に敏感になっている部位を強く刺激され、朱は苦しげに呻く。過ぎた快楽は、痛苦をもたらすものでもあった。
「だめ、です♡ もっと……♡ もっと、ほしぃ♡ ください♡」
 真紅の瞳を見つめる碧には、未だハートマークがあった。一度気をやったというのに、それはまだ爛々と輝きを放っている。彼の言う通り、まだまだ足りないのだろう――その『もっと』がどれほどであるかは、到底想像がつかないのだけれど。
 重い腕を伸ばし、細い腰を撫ぜる。合意を示すものだった。こうなったら、どこまでも付き合ってやる。弟を救うのは、兄の役目なのだ。
 止まっていた腰が、今一度動き出す。ぱちゅん、と淫らな水音が二人の耳を犯した。





 暗く温かな場所から、意識がゆっくりと浮上していく。現実を認識するより先に、けほ、と咳が漏れ出た。喉が痛みを訴え、意識を現実へと無理矢理引っ張り上げる。水分が不足し渇いた感覚に、雷刀は顔をしかめた。
 鈍い痛覚が、寝起きの頭に前日の記憶を想起させる。そうだ、あの後互いの体力が尽きるまで何度も貪りあったのだ。おかげで後始末も何もしていない。途中まで着ていたはずの服はいつの間にか失せ、今は肌全てを晒した状態だ。べたついて感じるのは、睡眠中の発汗によるものだけでないのは明らかである。
 う゛、と濁った声が隣から聞こえる。鈍い動きで寝返りを打つと、そこには同じく生まれたままの姿の烈風刀がいた。あれだけ嬌声をあげ乱れたのだ、彼の喉にも甚大なダメージがいっているだろう。呻き声は、次第に大きくなっていく。しばしして、孔雀石が白い瞼の裏から薄く顔を覗かせた。
 目の前の熟れた唇が、言葉を紡ごうと動く。それは、喉から込み上げる咳に掻き消された。げほげほと咳き込む姿に、雷刀は内心慌てる。何か水分を摂れないだろうか。そうだ、昨晩食事と一緒にペットボトルに入った水を運んだではないか。救世主の存在に思い至り、兄は急いで上半身を起こす。鈍い痛みが全身を襲う中、最小限の動きを心掛け、どうにか透明なボトルを掴み取る。力の入らない手でもたもたとキャップを開け、咳き込む弟に差し出した。
 渡されたプラスチックボトルをしっかりと握り、烈風刀は横になったまま器用に水を飲む。昨晩反らし薄闇の中晒された白い喉が上下する。ごくごくと音が聞こえるほどのいい飲みっぷりだった。三分の一ほど飲んだところで、ボトルがキャップの所有者の手に返される。同じく喉にダメージを負っている雷刀も、開いたままのそれを思い切り呷った。渇ききった喉を水が潤していく感覚が心地よい。残り四分の一になったところで、少年は口を離す。緩慢な動きでキャップを閉め、ベッドボードに置いた。
 隣に横たわった身体がゆっくりと起き上がる。彼だって自分と同じほど、否、自分以上に疲れているはずだ。寝ていても大丈夫だ、と声をかけるが、少年は言葉を無視して身体を動かした。
 起き上がった身体が、姿勢を正す。何故か、碧はベッドの上で正座をした。どこか間の抜けた光景に、朱はぽかんと口を開け呆ける。兄の様子を気にかけることなく、弟は深々と頭を下げた。
「……申し訳、ありませんでした」
 謝る声はまだ掠れていた。その響きは悲痛なもので、彼の中に渦巻く後悔と苦痛と歯がゆさがはっきりと表れていた。疲弊した身体に鞭を打ってまで謝罪するほど、昨晩のことを悔やみ申し訳なく思っているのだろう。自身に対して厳格な彼らしいことだ。
「いや、謝ることじゃないだろ」
「でも――」
「色々あったけどさ、治ったからいいじゃん? それでおしまい」
 バッと顔を上げ否定の言葉を発しようとする弟を、兄は無理矢理遮って終わらせようとする。ちゃんちゃん、と手を叩きながら漫画のような効果音を口にすると、烈風刀は眉をひそめた。眉間に刻まれた皺は、言葉にできない感情を示している。
「…………はい」
 答えた言葉は歯切れの悪いものだった。どこか含みがあるような、短いながらも複雑な物言いだ。まだ納得ができないのだろうか。それにしては、声色がおかしい。どうしたのだろう、と内心首を傾げる。寝起きの頭でぐるぐると考えて、ふと一つの可能性が浮かび上がる。まさかそんなことあるまい、と脳内で否定するも、口は勝手にそれを発していた。
「……えっと……、もしかして、治ってない……?」
 問うた瞬間、烈風刀はさっと素早く顔を背ける。天河石の瞳は伏せられていた。まるで、そこにある何かを――鮮やかな桃色をしたハートマークを見せないように。
 もはや答えと言ってもいい様子に、サァ、と顔から血の気が失せていく。嘘だろ、という言葉は口の中に溶けて消えた。
「……大丈夫です昨日よりずっと落ち着いています大丈夫です本当に大丈夫ですもう手間はかけません一人で始末できます大丈夫です」
 長い沈黙の後、ようやく口を開いた少年は呪文を唱えるように一息で言い終える。普段は聞き取りやすいようハキハキと喋る彼の姿を知っている者には、明らかに異常に映る。大丈夫、と無理矢理何度も繰り返しているのが拍車をかけていた。
 マジか、と雷刀は思わず天井を仰ぐ。数え切れないほど交わり欲を吐き出したというのに、薬の効果はまだ切れていないだなんて。どれだけ強いものを作ったのだ、あの悪魔は。内心恨み言を吐くが、元凶に届くことはない。うぅ、と情けない呻きが口端から漏れた。
 うー、と呻り声をあげながら、少年は思案する。正直なところ、一晩中まぐわった身体はもう限界に近い。けれども、昨日の様子を見て、彼が言ったように一人で処理しきれるとは到底思えなかった。
 よし、と口の中で呟く。正座し目を逸らしたままの烈風刀に向き直り、その肩をとんと押す。彼の身体も限界に近いのだろう、そのたった少しの衝撃で少年はバランスを崩し、ベッドに倒れ込んだ。のそりと重い身体を動かし、その上に覆い被さる。呆然とした様子の愛しい人を、己が腕の中に閉じ込めた。
「え? は、え? 雷刀?」
「何だっけ。『のしかかったフナ』ってやつ?」
 治るまで付き合うよ、と柔らかに笑いかける。この手で救うと決めたのだ。ならば、最後まで付き合うべきだ。
 兄の優しく温かな声に、浅海色の目がまあるく見開かれる。予想通り、そこには桃色のハートマークが浮かんでいた。昨晩より随分と色が薄いものの、碧の中で輝きはっきりと存在を主張している。未だ存在感はあれど、映る色の薄さを見るに、本当に残り少しで効果は切れるのだろう――だと思いたい。だったら、協力しなくてどうするのだ。
「オニイチャンにまかせとけって!」
 お馴染みの台詞を唱えると、碧の少年の顔が険しげに歪む。苦しげな、今にも泣きそうな表情だ。しかし、その中には薄っらと期待の色が見て取れた。細められた目に浮かぶハートマークが、少し輝いたように見えたのは気のせいではないだろう。
 シーツに放り出された手が緩慢に持ち上がり、己の首に回される。合意を――二人でこの騒動を終わらせようという意志を示す行動だった。
「……ごめんなさい」
「だから謝んなって」
 顔を伏せる弟の額に、口付けを一つ降らせる。それだけで、組み敷いた身体がひくりと震える。ぁ、と甘い声が目の前の赤い口から発せられた。白い肌に、さっと朱が散る。こんな軽い触れ合いだけで感じ入ってしまうことを羞恥しているようだ。
 回された腕に、ぎゅっと力がこもる。抱き寄せられ、互いの肩に互いの頭が埋まる。髪が肌を撫ぜる感覚がくすぐったかった。
 らいと、と耳のすぐそばで己の名を呼ばれる。応えるように、己も愛しい恋人の名を呼んだ。

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#ライレフ #腐向け #R18

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晴れ空の下、君と【レイ+グレ+嬬武器】

晴れ空の下、君と【レイ+グレ+嬬武器】
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新年っぽい話が書きたかったのと手を繋いでほしかっただけの話。
明けましておめでとうございました。本年もよろしくお願いいたします。

 地域唯一故地元の人間が来るからか、訪れた神社は想像以上に混んでいた。年始の挨拶を交わす者、おみくじを読んではしゃぐ者、賽銭箱の前で真剣に祈る者。学生らしき若人を中心に、境内は人で溢れていた。
「あけましておめでとうございマス!」
 真っ赤な鳥居の前に、一際元気で可憐な声が響く。ピンクを基調とした晴れ着を纏ったレイシスは、相対する二人の少年に満面の笑みを咲かせた。
「あけおめー!」
「明けましておめでとうございます」
 簡略な言葉とともに笑顔で手を振る雷刀、丁寧な言葉とともに軽く一礼する烈風刀。常と変わらぬ様子の二人に、少女は嬉しそうに笑みを深めた。
「あけましておめでと」
 桃の隣に立つ躑躅が、一足遅れて新年の挨拶を贈る。少年二人は同じように祝いの言葉を返した。改まった調子に気恥ずかしさを覚えたのか、グレイスは少しだけ顔を伏せ視線をふぃと逸らす。小さな白い手が、髪と同じ色をした巾着の紐をいじった。
「ネェネェ、見てくだサイ! グレイス、着物似合ってるデショ? 可愛いデスヨネ!」
 弾んだ声とともに、レイシスはグレイスの両肩に手を添える。そのままその黒い晴れ着に包まれた細身を引き寄せ、嬬武器の兄弟に見せびらかすように向きを変える。ニコニコと人好きする可愛らしい顔は、妹への愛で満ち溢れていた。
「何回言うのよ」
 今日何度目か分からぬ言葉に、グレイスは眉をひそめる。なにせ、朝寄宿舎に訪れ自らの手で着付けてから、人に会う度にこうなのだ。褒められるのは面映ゆく感じるも悪い気はしないが、こう何度も言われてはうんざりしてくるものである。
 それでも嬉しそうに言葉を紡ぐレイシスの様子に、躑躅の少女はすっと目を細める。姉はこうやって似合う、可愛らしい、と言ってくれるが、妹はその言葉を信じ切ることができずにいた。小物まで選んでくれた彼女のセンスを疑っているわけではない。彼女の性格上、世辞なんかではないことも分かっている。それでも、本当に似合っているのか、こんな上等なものを自分なんかが着ていいのか、姉の期待通りになっているのか。そんな憂慮が、少女の心にのしかかるのだ。
 レイシスが似合うと言ってくれたのなら、と素直に自信が持てればどれほど良かったのだろうか。小さな口がきゅっと横一文字に引き結ばれた。
「えぇ、似合っていますよ」
「うんうん。グレイスって本当に黒が似合うよなー」
 妹の晴れ姿に目を輝かせる桃の言葉に、兄弟二人も賛辞の言葉を投げかける。途端、躑躅の頬にさっと朱が広がった。こうもストレートに褒められると、やはり照れが真っ先に来る。長い間一人で過ごしていて、褒められる機会などほぼ無かった彼女なら尚更だ。
 次いで、安堵が胸に広がる。レイシスの見立ては、言葉は正しいものだったのだ、と二人が肯定してくれた。少しだけ、不安で陰った心に光が差した。
 幾許かして、ありがと、と小さな声が返される。ふふ、と嬉しそうな笑声三つが蒼天に昇った。
「さ、混む前に行こーぜ」
 そう言って、雷刀は遠くにある本殿を指差す。新たなる年の光に照らされた社、その入り口に置かれた賽銭箱の前には、何組もの人が並んでいた。昼も近くなってきたからか、人が増えてきたようにも見える。彼の言う通り、混む前に並んでしまうのが吉だろう。
「あっ、雷刀。待ちなさい」
 少年は一人鳥居を潜り抜け、軽い足取りで指差した場所へと向かおうとする。その手を烈風刀が制止の言葉とともに引っ掴む。しかし、朱は先に並んどいた方がいいだろ、と言うばかりだ。
「だいじょぶだって」
「そう言っていつも一人はぐれるでしょう」
 弟の言葉に、前だけ見つめていた兄は突如ぱっと振り返る。その唇はむぅと尖っていた。この歳にもなって迷子になることを心配されるのが不服なのだろう。しかし、烈風刀からすればその心配は当然のものだった。幼い頃から一人で突っ走り、そのまま迷子になるのが彼なのだ。今だって例外ではない。自由奔放な兄を引き留めるのは、弟にとって自然なことだった。
 真紅の瞳がパチリと瞬く。掴まれていた手がスッと動き、そのまま自然な動きで振り解く。解かれ放り出された烈風刀の手に、雷刀の手のひらがひたりと当てられる。ニィといたずらげに笑った朱は、そのままぎゅっと握る。二人の指が固く絡まりあった。
「これならはぐれねーだろ」
「そう、ですけれど」
 子どもじゃあるまいし、と出かけた言葉を碧は飲み込む。先に子ども扱いしたのは烈風刀の方だ。彼を咎めることは憚られた。それに、こうやって幼い頃のように手を繋げば、多少は兄の行動をコントロールできる。一応は合理的な判断だった。この歳の男兄弟で、わざわざ人混みで手を繋ぐのは恥ずかしいということを除けば。
「じゃ、オレたち先に並んで待ってるから」
 弟が抗議の声をあげるより先に、雷刀はそう言ってひらひらと空いた手を振る。そのまま、軽やかな足取りで本殿へと駆けていった。目立つ朱と碧は、賑やかな人混みの中に混じり消えた。
「……ワタシたちも繋ぎましょうか?」
「いっ、いいわよ!」
 ハイ、と差し出されたレイシスの手を、グレイスは身を反転させ背を見せることで拒否する。わざわざ腕を組んで手を塞ぐおまけ付きだ。
「嫌デスカ……?」
 しょんぼりとした声が、少女の背中越しに聞こえてくる。きっとすぐ後ろには、しゅんとした表情でやり場のなくなった手を力なく下ろす姉の姿があるだろう。罪悪感が胸を刺す。うぐ、と喉が何ともいえない音を上げた。
「いやじゃない……けど……」
 子どもじゃないんだから、と躑躅は唇を尖らせる。実年齢はどうであれ、二人とも高校生なのだ。はぐれないように手を繋いで歩くなど、さすがに恥ずかしい。そもそも、若干混んでいるとはいえ、相手を見失うほど敷地は広くなければ、人も多いわけではない。当たり前のように受け入れるあの兄弟がおかしいのだ。
「嫌じゃないならいいじゃないデスカ!」
「そういう問題じゃないわよ!」
 えー、と不満げな声とともに、桃は頬を膨らます。彼女には、家族というものに憧れがある。そして、家族として一番身近なケースはあの兄弟だ。彼らと同じように、姉妹のように、大切な人と手を繋いで歩いてみたい。少女の中の欲求は強いものだった。
 不満を表すかのように、胸の前でぎゅっと拳を握るレイシスの姿は可愛らしいものだ。あの兄弟ならば即座に手を差し出したことだろう。しかし、躑躅は目を眇めて反抗した。
「ちょっとだけですから……。ダメ、ですか……?」
 ラズベリルがスピネルを真正面から見つめる。桃色の形の良い眉は、不安そうに八の字に垂れていた。
 う、とグレイスの細い喉から気まずげな音があがる。彼女のこの顔に、声に弱いことは、少女自身嫌というほど分かっている。そして、姉と同じぐらい、彼女に対して甘いことも自覚していた。
「………………ちょっとだけよ。並ぶまで、本当にちょっとだけ」
 ちょっとだけなんだから、と念押しし、躑躅は組んでいた腕をゆっくりと解く。少しの迷いで小さな手は揺れるも、少女は姉に向かって白いそれをそっと差し出した。
 己の願いが叶ったという事実を認識し、薔薇の少女はぱぁと表情を明るくする。先程まで悲しみに陰っていた顔が、歓喜に満たされた。
「ハイ!」
 元気な声をあげ、少女は差し出された手を己の両の手で優しく包み込む。それじゃ歩けないじゃない、と至極当然の指摘に、ハワ、と動揺の声を漏らす。常識よりも嬉しさが勝り、行動に表れてしまったのだ。えへへとはにかみ、レイシスは今度こそグレイスの右手に己の左手を重ね、優しく握る。一拍置いて、妹もその手を握り返す。姉妹の手は、解けないようにしっかりと繋がれた。
「行きマショウ!」
「……えぇ」
 喜びを表すかのように繋いだ手を振り、桃は空いた手で本殿を指差す。せっかく雷刀たちが先に並んでくれているのだ、早く行くべきだろう。あまりに遅くなり、彼らが先に済ませてしまうことになるのも申し訳がない。
 けれども、せっかく繋いだ手が早々に解けてしまうのも寂しいことだった。自然と、二人の足取りはゆっくりとしたものになる。レイシスに合わせているのだから仕方ない、と躑躅は己に言い聞かせる。妹の心情を知ってか知らずか、桃は繋いだ手を優しく振った。
 桃と黒の美しい晴れ姿が、鳥居を潜り抜け、人混みへと溶けていった。

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#レイシス #グレイス #嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀

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その正体はきっと【ライ→レフ】

その正体はきっと【ライ→レフ】
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恋心が自覚できないオニイチャンが恋心に振り回される話。書きたいところだけ書いたのでオチはない。

「なぁ、烈風刀。告白されたってマジ?」
 口に含んでいた食物を喉に押し込み、雷刀は今日一日抱えていた疑問をぶつける。箸を止め、目の前に座る弟をじぃと見つめた。
 突然投げかけられた言葉に驚いたのか、米を口に運ぶ烈風刀の手が一瞬止まる。箸に乗せたものを口に放り込み、咀嚼し、飲み込んだところで、少年は熱烈な視線に真っ向から対峙する。エメラルドグリーンの瞳は、じとりと眇められていた。
「…………何故、貴方が知っているのですか」
 彼にしては珍しく、問いに問いで返してくる。この話題が出た――否、この話が兄に知られてしまったことが心底嫌だということがありありと分かる声色だった。
 明確な答えは返ってこなかったものの、その問いが実質の答えである。自ら口にしたことが事実であることへの驚きに、ほへぇ、と空気が漏れ出るような音が口から吐き出される。一拍置いて、ルビーレッドの瞳がキラキラと輝き出した。
「えっ、マジ? マジなの!? すげー!」
「あぁもう、食事中ですよ! 静かになさい!」
 今にも身を乗り出さんとする雷刀を、烈風刀は鋭い声と視線で押し込める。はぁい、と気の抜けた声が食卓に落ちた。
 静寂の中、二人は黙々と食事を続ける。しかし、朱の目はテーブルに並ぶ料理でなく、目の前に座る少年へと幾度も向けられる。話が聞きたくてたまらないということが嫌でも分かる。静かにしろと言われて口を噤んだのは良いが、こうも視線がうるさければ意味が無い。
「……告白されたのは事実です。もう、何日も前の話になりますが」
 チラチラと伺ってくる様子に嫌気が差したのだろう。箸を置き、烈風刀は溜め息と共に言葉を紡ぐ。どこか投げやりなものだった。今すぐにでもこの話題を終わらせたい彼にとってはそうなってしまうのも仕方のないことだろう。
 箸を持ったまま、兄はキラキラと輝く瞳で弟を見つめる。そこには羨望と、少しの嫉妬があった。
 弟が告白されたと聞いたのは、今日の昼休みだった。移動教室の準備をしている際、すぐ後ろにたむろしていたクラスの男子グループが話していたのが聞こえたのだ。『三組の女子が烈風刀に告白したらしい』と。
 噂話は、雷刀にとって何よりの衝撃だった。たしかに烈風刀は主席であるほど頭が良くて、基本的には落ち着いて大人びていて、それでいてどこか抜けた可愛らしい面もあり、いつだって何事にも全力で、自己研鑽を怠らない男だ。家族であることによる贔屓目を抜いても、女子から羨望や尊敬の念、恋愛感情を抱かれる要素は沢山あると思えた。
 それでも、女子から告白を受けるだなんて、身内がそんな青春の一大イベントを体験しているだなんて思ってもみなかった。『恋愛』という思春期真っ只中の少年にとって一段と興味がある事象に、身近な人間が遭遇したのだ。話を聞きたくて仕方がない。
「どうだった!?」
「どうもなにもありませんよ」
「ドキドキしたーとか、女の子可愛かったーとか、そーゆーのねーの?」
「ありません」
 追い縋るように問いを重ねるが、返ってくるのは否定のみである。あまりにも素っ気ない素振りに、朱は不満げに頬を膨らます。碧は何食わぬ顔で食事を続けるだけだ。
「もちろん断りましたけど」
 無慈悲な注釈をつけ、烈風刀は再び米を口に運ぶ。そこにはこれ以上語る気などないという、強い意志が見て取れた。
「えー、もったいねー」
「レイシス以外を選ぶはずなどないでしょう」
「そりゃそうか」
 当たり前の事実に、少年は納得の声と共に首を縦に振る。自分たちが焦がれるほど恋しているのはレイシスただ一人で、それ以外の女子は恋愛対象にすらならない。それは分かっているが、やはり告白だなんてイベントに遭遇すれば、たとえあの烈風刀であろうと何らかの感情が動くのではないかと思ったのだが。己がまだ体験していないことについての興味は当分尽きそうにない。
「もういいでしょう。さっさと食べてしまいますよ」
 硬い声で言い、烈風刀は黙々と箸を動かす。彼の前に置かれた食器は、全て空に近い。反して、雷刀のそれはまだ四分の一は残っている状態だ。さっさと食べてしまわなければ、後片付けや風呂の時間を無駄に圧迫してしまう。急いで箸を動かし、まだ温かい夕食を胃袋へと収めていった。
 しかし。
 ふと過ったものに、雷刀は箸を咥えたまま動きを止める。真紅の瞳は、綺麗にさらわれつつある皿をぼんやりと見つめていた。
 烈風刀が告白された、と聞いてまず浮かんだのは、驚愕だった。身内にそんなイベントが発生する日が来るだなんて思ってもみていなかったのだから、仕方がないだろう。
 次に浮かんだのは、軽い嫉妬だった。レイシスという恋い焦がれる少女はいるものの、自分だって『告白』というイベントを体験してみたい。顔がそっくりだとよく言われるのに、他人から見れば同じ見目をした弟だけ先に体験するのは何だかずるく思えた。
 そして、今になって浮かんできたのは、焦燥だった。
 何故かは分からない。何に対するものかは分からない。けれども、漠然とした焦りが少年の胸をじわじわと蝕んでいっていた。
 なんだこれ、と内心首を捻りながら、少年は食事を続ける。ごちそうさまでした、と対面から聞こえてきた声に、更に箸を運ぶスピードを上げた。
 薄くゆらめく焦燥のもやは、料理と共に胃袋へと押し込んだ。








 手にしていた小型携帯端末を放り出し、雷刀は寝返りを打つ。ぽふん、と腕と端末がマットレスに沈む音が静かな部屋に響いた。
 告白云々の話をして一週間。少年の頭には、未だ焦燥が薄く膜張り思考を覆っていた。
 烈風刀を見る度、『告白された』という話を思い出す。事実を思い返す度、何かが胸をひっかき小さな爪痕を残すのだ。痛みはない。けれど、たしかに何かが胸を少しだけ掻き乱すのだ。
 それがあの日抱いた焦燥だと気づいたのがつい最近。何故傷を残すのかは、分からずじまいだ。
 何で、と数え切れないほど繰り返した問いを今一度口の中で呟く。答える者など、自分を含め誰もいない。
 何故烈風刀が告白されたことに焦燥を覚えるのか。先を越されたからか。自分にはまだ春が来ないからか。いくつか思いつく文言は、どれもしっくりこない。かといって、他に解は導き出せない。結局原因解明には至らないままだ。
 うーん、と低く唸り、仰向けになる。頭の後ろで腕を組み、枕代わりにする。いきなり動かした肩が少しだけ痛んだ。
 ――烈風刀が誰かと付き合うのが嫌だから?
 いきなり思い浮かんだ解に、少年は目を大きく見開く。は、と疑問符たっぷりの声が思わず口から漏れ出た。
 本人が言った通り、烈風刀がレイシス以外の女子と付き合うなど、選択肢として存在しない。だから、まずありえないことだ。何故そのありえない事象に焦りを覚えるのか、全く分からない。
 そもそも、弟が誰かと付き合うことを嫌がるなどどういうことだ。相手が自分の想い人であるレイシスなら話は別だが、それ以外の女子ならまず祝福すべきことである。嫉妬の一つや二つはするかもしれないが、焦りを生むことはないはずだ。
 だけど、何で。
 分からない、分からない。ゴロンと寝返りを打ち、うつ伏せになる。そのまま枕に顔を埋め、うーと唸り声をあげた。
「……嫌、なのかなぁ」
 くぐもった声が枕と顔の隙間から漏れ出る。音にした瞬間、脳はそれが正答解であるかのように主張を始めた。んな馬鹿な、と理性は言う。それから外れた何かが、そうなんだよ、と力強く言い切った。受け入れがたい状況に、少年は枕に頭を擦り付けた。
 烈風刀に彼女ができる。烈風刀の隣を、誰か知らない女の子が歩く。烈風刀が、誰か知らない女の子に笑いかける。烈風刀が、誰か知らない女の子と――
 あり得るかもしれない未来の姿を想像した瞬間、胸に鋭い痛みが走った。心臓が杭でも打ち込まれたかのように強く痛む。血液が沸騰しているかのように、脈がおかしな調子で揺らめく。反して、身体は真冬の寒空の下に放り出されたかのように冷えていく。カッと見開かれた目は、暗く濁った色に染まっていた。
 そんなの嫌だ。烈風刀の隣に、知らない誰かがいるのが嫌だ。レイシスでも自分でもない誰かがいるのが嫌だ。誰か知らない人に笑いかけるなんて、そんなの絶対に嫌だ。
 一度思い浮かべてしまった光景を、脳が必死に拒否する。子どものわがままよりずっと酷い、自分勝手にも程がある主張だ。いつかあるかもしれない弟の幸せを否定するだなんて、何と酷い兄なのだろう。けれども、焦燥と絶望に駆られた頭は、嫌だ嫌だと駄々をこねた。
 何故このように思ってしまうかが全く分からない。何故、こんなことでこんなにも頭が、心が掻き乱されるのか、皆目見当が付かない。何故、何故。何度も問いを繰り返すが、答えは一つも思い浮かばなかった。
 見開いた目をそっと閉じ、瞼の裏に愛しい家族を思い描く。うつくしい翠玉の瞳は、己の目をしっかりと見据えていた。








 夏が過ぎ去ったばかりの朝は、まだ生ぬるい空気で満ちている。シャツの胸元をパタパタと扇ぎ、汗ばむ肌へ少しでも空気を送る。焼け石に水だが、無いよりはマシだ。あちぃ、と呟く声は雲一つない蒼天へと昇って消える。暑いですね、と覇気のない声が隣から飛んできた。
 降り注ぐ太陽の熱に抗いながら、兄弟二人は普段より時間をかけて登校する。少し遅い時間だからか、下駄箱には人はもうほとんどいなかった。
 今日の一限何だっけ。古文ですよ。辞書ロッカーにあったかな。そんな他愛もない会話を繰り広げながら、雷刀はスニーカーから内履きへと履き替える。靴紐を結び終え立ち上がると、そこには立ち尽くしたままの烈風刀がいた。
 いつもならばさっさと履き替えてしまうのに、一体どうしたのだろうか。下駄箱を開いたまま固まった少年の手元を覗く。ドアで隠されていた左手には、なにか四角い紙のようなものがあった。折りたたまれ方や装飾から見るに、封筒だろうか。
「何それ?」
 兄の声に、弟の肩がビクリと跳ねる。手にしたものを下駄箱に押し込むと、急いでその扉を閉じる。ガタン、と金属のロッカーが耳障りな音をたてた。
 一体どうしたのだろう、と朱は小さく首を捻る。下駄箱。封筒。そして弟の不可解な反応。いくつもの要素が線で繋がり、一つの解を導き出す。
「えっ!? ラブレター!?」
「静かに!」
 反射的に叫ぶと、鋭い声が被される。浅海色の瞳は強く眇められ、射抜かんばかりの鋭さでこちらを睨めつけていた。あまりの気迫に一歩引くも、次第に好奇心がむくむくと湧き上がってくる。一歩、二歩とじりじり歩み寄り、学籍番号が書かれた鉄扉へと手を伸ばす。少し大きな手は金属の冷たさを感じることなく、パシンと乾いた音とともに痛みを訴えた。
「見せませんよ」
「えー」
「見せるわけがないでしょう」
 他人に見られたくないからこんな手段を選んだのでしょうに、と続け、少年は扉を押さえたまま、兄を睨む。言葉通り、見せる気は毛頭ないようだ。けち、と吐き出しかけた言葉を喉の奥に急いで押し込む。こんなことを言っては余計に警戒させ怒らせるだけだということぐらい、さすがの雷刀にも分かる。
「それに、そういうものと決まったわけではありません。中身を確認するまで分かりませんよ」
 いや絶対ラブレターだろ、という台詞は飲み込んだ。それが事実であったとしても、指摘したところで相手は否定を繰り返すだけだろう。こんなところで無駄に問答を繰り広げても意味の無いことだ。
 兄を睨めつけたまま、碧は警戒心を顕にした様子でロッカーを開け、閉じ込めていた封筒を素早く鞄にしまい込む。そうしてようやく靴を履き替え始めた弟を横目に、壁に掛けられた大きな時計を見やる。大きな針は、予鈴までもう時間が少ないことを示していた。思ったより時間を食っていたらしい。
 早く行きますよ、と少し焦りの含んだ声とともに、肩をぽんと叩かれる。あぁ、と振り向いて、兄弟二人は教室へと足早に歩みを進めた。
 ラブレター。
 その語が表すもの――それを示すものに込められた想いを考えて、胸がさざめく。理解できぬ感情が心を揺らし、爪を立て、傷をつける。
 何でだ、と少年は密かに首を傾げる。ただが弟がラブレターをもらっただけで、何故こんなにも感情が揺らめくのだろう。他人事だというのに、何故こんなにも心がざわめくのだろう。早くも暑さで茹だりつつある頭では、当分理解できそうにない。
 何かを訴える心を胸の奥深くへと無理矢理追いやり、雷刀は廊下を駆ける。すぐ横から、廊下を走ってはいけません、と耳慣れた声が飛んできた。








 鐘の音を模した電子音が教室棟に響き渡る。担任教師によるホームルームを終え、一日の授業行程は全て終了した。席を立つ者。足早に教室を出る者。その場で友人と歓談する者。放課後に向け、生徒たちは思い思いに行動する。静寂に包まれた授業中から一転、教室は賑やかさを取り戻していた。
 愛用のペンケースとノートを鞄に放り込み、雷刀は席を立つ。向かうはレイシスの席だ。同じクラスであるレイシスと烈風刀と合流し、そのまま日々の運営業務へと向かう。いつからかは定かではないが、これが彼らの日常となっていた。
 一列挟んで向こう側にいる彼女の席にはすぐに着く。お疲れ、と手を振ると、お疲れ様デス、と愛らしい声と可憐な笑みが返ってきた。
 普段なら先にいるはずの烈風刀の姿はない。まだだろうか、と彼の席へと目をやろうとすると、レイシス、と耳慣れた声が愛しい少女の名を呼ぶのが後ろから聞こえた。二人で振り向くと、鞄を肩に掛けた碧の姿があった。
「すみません、少し用事ができてしまいました。二人で先に行っていてください」
 常通りの澄んだ声で彼は告げる。一時的とはいえ、仕事を抜けてしまうのが申し訳ないのだろう。その眉はほんのりと八の字に下がっていた。
「そうデスカ」
 少年の言葉に、少女はぱちりと瞬き一つして応える。主席である烈風刀は委員会の仕事や教師からの依頼が度々舞い込んでくる。今日もその類なのだろうと判断したのか、レイシスは鞄を手にさっと立ち上がった。
「じゃあ、先に行ってマスネ」
 烈風刀も頑張ってくだサイ、と両手を腕の前で握って、少女は笑みを浮かべる。可愛らしい応援は、彼女を愛する双子にはてきめんだ。
 しかし、烈風刀は変わらず申し訳無さそうな顔をするばかりだ。普段ならば、少し高揚した様子ではい、とはっきり応えるというのに、今日は曖昧に微笑むだけである。その眉は八の字を描いたままだ。むしろ、更に下がったようにも見える。
 放課後。用事。そして、今朝の封筒。
 雷刀は内心頷く。やはり今朝のものはラブレターで、弟はその送り主に呼び出されたのだ。おそらく、その口で愛の言葉を紡ぎ、聞いてもらうために。
 どくり、と心臓が大きく跳ねる。一度大きく動いた心臓はそのまま強く動き、鼓動を早める。どくどくと力強く脈打つ音が身体の内側から聞こえた。
 ラブレター。呼び出し。告白。
 烈風刀が、知らない女の子にラブレターをもらった。
 烈風刀が、知らない女の子に会いに行く。
 烈風刀が、知らない女の子と話す。
 烈風刀が、知らない女の子と――
 頭の中に警鐘が鳴り響く。脳はけたたましいそれを理解できず、ただ固まるだけだ。もともと回転率の良くない頭が、いつも以上に回らない。視界が平坦になり、色が淡く消えゆく。混乱に陥った身体は、末端からどんどんと冷えていった。
 いつぞやの焦燥がまた顔を出す。原因不明のそれは、固まった思考を動かそうとするように心を煽る。早くしろ、手遅れになるぞ、と。何を早くすればいいのか、何が手遅れになるかは、全く分からない。けれど、そんなことはお構いなしに焦りはどんどん胸の内から溢れ出てくる。
 では失礼します、と小さく会釈し、碧はその引き締まった足を教室のドアへと向ける。そのまま、一歩歩きだそうとした。
 パシッ、と乾いた音が生徒の声に溢れた教室に落ちる。妙に大きく聞こえたそれは、誰も見向きもせずに喧騒の中に溶けて消えた。
 気が付けば、烈風刀の腕を掴んでいた。それも、音が鳴るほど強く。
 目の前の翡翠と、隣の紅水晶が丸く見開かれる。突然の行動に驚いたのだろう、二人の口は瞳と同じようにぽかんと丸く開かれていた。
「……何ですか?」
 いきなり腕を捕まれ、烈風刀は怪訝な様子で兄を見る。会話が終わり教室を出ようとしたところを、文字通りいきなり引き止められたのだ。訝しがるのも当然だろう。先程まで垂れていた眉は、ぎゅっと寄せられていた。
「え、あ……、いや…………」
「痛いです。離してください」
 動揺し口ごもる朱に、碧は冷たい声を浴びせる。実際、掴まれた腕は白くなっている。同年代よりもずっと力のある少年にがっちりと鷲掴まれているのだ。痛みを覚えるのも必然である。
 あぁごめん、と少年は急いで手を離す。日に焼けていない白い腕には、指の跡がうっすら浮かんでいた。痛々しさと異常性を覚えるものだ。
 浮かぶ手跡を見て、浅葱の瞳が厳しげに細められる。夏服で剥き出しになった腕に浮かぶそれは、いささか目立つ。不可解な行動を含め、良い気分はしないだろう。すっと、鋭い視線が雷刀に浴びせられる。当然の反応に、少年は気まずげに身を縮こませることしかできなかった。
「何なのですか、いきなり」
「あ、いや……。え、えっと……」
 怒気の滲む言葉に、朱は曖昧な言葉を返す――曖昧な言葉しか返せなかった。なにせ、無意識の行動だったのだ。なぜこのようなことをしたのか、何が自分を突き動かしたのか、欠片も分からない。答えようがなかった。
「……行きますね。では、また後で」
 再び会釈をし、烈風刀は今度こそドアへと足を向ける。そのまま机の間を縫って歩き、教室から出ていった。
 その白い背を、雷刀はずっと見つめていた。弟が去ってもなお、その紅玉はドアの方へと向けられていた。細められた紅緋は、眩しそうにも、痛みを堪えているようにも見えた。
「雷刀?」
 どうしたんデスカ、とレイシスは不安げに尋ねる。先程の行動といい、今の立ち尽くしている状態といい、今日の彼は少女の目に不可解に映った。心優しい彼女が心配に思うのも仕方のないことだろう。
 少女の声に、少年はビクリと肩を震わせる。素早く振り返り、桃と相対する。眇められていた紅瑪瑙は、今は驚きで丸く見開かれていた。
「えっ? い、いや、何でもない。だいじょーぶ」
 わたわたと腕を動かし、雷刀は何でもない、と繰り返す。その様子は、何でもないようには到底思えない。少女の眉が不安そうにふにゃりと下がった。
「本当に大丈夫デスカ?」
「うん、大丈夫。早く行こーぜ」
 心配そうに見つめるレイシスに、彼はニコリと笑って今一度大丈夫と返す。このまま会話を続けても、優しい彼女は己のことを気遣い心を痛めるだけだろう。ならば、行動で示すしかない。少年は鞄を担ぎ直し、ドアを指差した。
 そうデスネ、と桃はどこか腑に落ちない声で返す。やはり、先程の一連の行動が気にかかるのだろう。元気な姿を見せなければ、と心の中で奮起する。そこにも、未だ何か暗いものがへばりついていた。
 行こ行こ、と少年はステップを踏むように机と人を掻き分けて扉へと向かう。一拍遅れて、ハイ、と言う声とともに、少女もその背を追った。
 ホームルームが終わったばかりでまだ人の多い廊下を、雷刀とレイシスは連れ立って歩く。今日の仕事何あったっけ。えっとデスネ。他愛のない会話を繰り広げながら、二人は運営業務へと向かっていく。
 少女との会話を繰り広げながらも、少年の頭には未だ警鐘が鳴り響いていた。動悸は少しだけ収まったが、まだ耳のすぐそばで脈が打つ音が聞こえる。口の中がカラカラに乾く。なんとなく呼吸が下手になった気がする。常通りに振る舞おうと努力するが、身体の内部は未だ異常を示していた。
 全ては、この頭を支配する焦燥のせいだった。再び顔を出したこいつが、何かを訴える。何かは分からない。とんと理解ができない。けれども、そいつはずっと居座り、何かを訴え続けるのだ。思考を、心を掻き乱すのだ。
 何なんだよこれ、と一人胸の内で毒づく。理不尽な仕打ちに抗うようぎゅっと瞑る。瞼の裏には、腕を捕まれ目を見開く弟の姿がはっきり焼き付いていた。


畳む

#ライレフ #腐向け

SDVX


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