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終わりも始めもあんたと【ヒロニカ】

終わりも始めもあんたと【ヒロニカ】
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イカタコ一人暮らししてそうだよね。ヒロニカも一人暮らししてそうだよね。でもちゃんと実家帰るタイプだろうし年末年始はバトルできないし会えないだろうね。ってことで書いた話。バトルジャンキーはどう頑張ってもバトルジャンキー。
早朝駅でのヒロ君とベロニカちゃんの話。

 階段を登ってすぐ、頭を飾る青く整った触手が視界に飛び込んでくる。想像だにしなかったその姿に、ベロニカはあれ、と声を漏らした。
「ヒロ?」
「……え? ベロニカさん?」
 駅のホーム、吹きさらしの椅子に座るその影に近寄り、少女はその名を呼ぶ。顔を上げた彼は、一拍遅れてこちらの名を呼んだ。声は互いに上擦ったものとなっていた。当たり前だ、再び会うだなんて思ってもみなかった相手と顔を合わせることとなったのだから。
「あれ? 反対方向じゃなかったですっけ?」
「そ。同じホームに来るみてーだな」
 青い頭はことりと傾ぎ、黄色い頭はふぃと動いて電光掲示板へと向く。青もつられるように顔を上げて電子文字が並ぶそこを見やる。幾分か汚れが目立つ液晶画面には、同じ乗車場所である一番ホームと二番ホームには反対方向へと向かう電車が訪れることを告げていた。デジタル時計が数字を一つ進める。あと十分もしないうちに電車がやってくることを示していた。
「すごい偶然ですね」
「だな。びっくりしたー」
 楽しげに笑みを浮かべるヒロに、ベロニカは大きく息を吐く。どちらの顔にも、隠しきれない歓喜が漂っていた。
 月日は経ち、十二月が訪れ、あっという間に年末となった。年末年始は実家に顔を出すのが恒例となっている。本当ならば、ヒトが多くマッチング時間が短い今の時期は残ってバトルに明け暮れたいが、一人暮らしを決めた際両親と『盆と年末年始は帰ってくること』という約束――正しくは交換条件である――をしたのだ。適当な理由をでっち上げて残るという手もあるが、そこまで親をないがしろにできるほど己の良心は擦り減っていない。手早く荷物をまとめて電車に揺られるのが年末恒例行事となっていた。
 月も終わるという頃に話したところ、ヒロも同じような境遇らしい。顔を見せて多少は安心させたいですしね、と語る彼の眉はゆるく下がっていた。あちらもあちらで複雑らしい。きっと、己と同じことを考えているのだろう。帰る時間でバトルがしたい、と。
 しばらくできないから、しばらく会えないから、と昨日までひたすらバトルに身を投じたのは当然の帰結だった。なにせ最低四日は実家でじっとしていなければいけないのだ。悲しいかな、実家はバンカラ街まで一時間はゆうにかかるのだ。ハイカラ地方は更に遠いのだから、当分バトルはおあずけだ。ならば、この欲求を満たしてから行かねばならない。居心地の良い実家で悶々とするのはごめんだ。
 タッグを組み、ナワバリバトルに潜り、オープンマッチに潜り、簡単に増えては減りを繰り返すパワーに一喜一憂し、最低限の食事を済ませてまた潜り。どれだけの時間を共に過ごしただろう。戦いに戦い襲いかかってくる疲労と戦いに戦い晴れ晴れとした心に満たされた頃には、冬の陽はとっくに沈んで夜をもたらしていた。
 では年明けに。また来年な。良いお年を。そんな有り体な別れの言葉を交わしてからまだ半日しか経っていないというのに再会したのだから互いに驚愕するのも仕方ないだろう。少しの居心地の悪さを覚えるのも。
 聞き慣れたメロディーが降り注ぐ。ゆっくりとしたリズムを刻む音色が近づいてくる。電車が来たのだ。少女は頭上におわす電光掲示板へと目をやる。己が乗るものまではまだ時間がある。彼が乗る方向のものが先に来たのだろう。
 少年は立ち上がる。その肩には、先ほどまで大人しく膝に乗っていた大きな鞄が担がれていた。デフォルメされたオクトリング型キーホルダーが音もなく揺れる。
「お先に行きますね。今度こそ、また来年」
「おう。良いお年を」
 良いお年を。互いに少しばかり苦く笑い、言葉を交わす。今度こそ、これが今年最後の会話だろう。実家は反対方向なのだから会うことはないはずだ。これが今年最後に目に焼きつく彼の姿と声だった。
 ヒトもまばらな電車の入り口、軽く振り返ってヒロは小さく手を振る。はにかむ彼につられるように、ベロニカもまた笑みをこぼして手を降った。鋼鉄の分厚い自動扉が二人を阻む。程なくして、大きな車体は盛大な音を立てて動き出した。あっという間に彼の姿は見えなくなる。ホームに残るは己だけだ。
 また軽快な音楽と腹に響くような音。どうやら乗車予定の電車が来たらしい。バックパックを担ぎ直し、ベロニカは踵を返す。ホームに印された通りに並ぶと、程なくして巨大な躯体が滑り込んできた。独特の音をたてて扉が開く。ブーツに包まれた足を持ち上げ、少女はいの一番に乗り込んだ。ヒトがいない車内、長い座席の隅っこに腰を下ろす。もうしばらくすれば、この巨大な乗り物は己を実家近くの駅へと穏やかに運んでくれるだろう。
 ゆっくりと瞼が落ちてくる。朝早く起きたこともあり、まだうっすらと眠気が残っていた。目的の駅まではそこそこの時間を要する。寝てしまっても問題ないだろう。念の為アラームをセットし、ナマコフォンを放り込んだ鞄を膝に乗せて抱え込む。くたびれた背もたれと広告が飾られた壁に身を委ね、ベロニカは身体から力を抜いた。首元を覆うコートに口元が埋もれて隠れた。
 良いお年を。そう言って流れて消えていったヒロの姿が思い起こされる。同時に、体力と気力の限界まで戦った数日間を思い出す。ここぞという時切り込むヒロの背に続いて弾を放ち、ポイズンミストで拘束した敵をヒロが撃ち抜いて、キューインキでオブジェクトを阻害するヒロに合わせて塗って射抜いて乗り込んで。もちろん相当に負けも味わったが、それ以上に心を満たす日々だった。タッグを組んで戦う楽しさを存分に味わった日々だった。
 途端、指が疼き出す。わきわきと動く大きな手が、ここには無いトライストリンガーを握る。ありもしない弦に手をかける。引き絞って、狙いを定めて、放って。全て妄想だ。昨日のうちにメンテナンスを終わらせた愛ブキは部屋に置いてきたのだ。
「……あー」
 少女は呆けた声を漏らす。昨日十二分に満たされたはずだというのに、身体はまだバトルを求めている。背を任せ、背を任せられるあの彼を求めている。二人で戦い、勝ち、負け、対策を立てるあの時間を求めている。今からは絶対に手に入らないというのに。
 はぁ、とインクリングは溜め息をこぼす。今から実家に帰るというのに、もうバンカラの部屋に帰りたくて仕方がなくなってしまった。彼に会いたくて、彼と戦いたくて仕方なくなってしまった。どうすんだよ、と少女は小さく声を漏らす。呆れと自嘲がありありと表れた音だった。
 また来年。年が明けるまであと二日。部屋に、バンカラ街に帰るまであと四日。一週間にも満たない、普段ならばなんともない日数だというのに、今は途方もなく長いように感じられた。
 ガタンゴトン。腹を揺らすような音をたてて、身体を揺らすような動きで走り、電車は街の外へと向かい出す。心はまだバンカラ街に、最後に会ったあの駅に取り残されているような心地がした。
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#Hirooooo #VeronIKA #ヒロニカ

スプラトゥーン

今日も明日も全力で【ヒロニカ】

今日も明日も全力で【ヒロニカ】
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弊ヒロニカはバトルジャンキーなのでクリスマスよりイベマ優先するだろと思ったので(24/12/26はサメ祭だったため)
あと育ち盛りバトルジャンキーなので弊ヒロニカは食べ盛りの健啖家だと思う。きっとめちゃくちゃ食う。そんな大遅刻クリスマス話。
ピザ屋帰りのヒロ君とベロニカちゃんの話。

 コートでは暑いほど暖かな屋内も、着込んでも凍えるほど寒い屋外も、どこもかしこもが油の匂いで満ちていた。
 ともすれば胃がもたれるような強烈なものだが、空腹の今は胃をこれでもかと刺激し痛みすら感じさせるほどのふくよかで芳しい香りだった。溶けて流れゆく油の匂い、香ばしく焼かれた肉の匂い、炙られとろけたチーズの匂い、ふわふわのカリカリに仕上がった小麦の匂い。何もかもが少女の鼻腔を満たし、食欲を溢れさせ、胃の腑が仕事するようつつき回した。
 ぐうぅ、と腹の虫が抗議の声をあげる。早く食わせろ、早く胃に入れろ、早く腹を満たせ、と叫ぶ。朝食を軽めに済ませたのもあり、腹は底が抜けて無くなってしまったかのように空っぽだ。盛大な音を響かせるのも仕方が無いことだろう。あまりにも凄まじい芳香に唾液が湧いてくるのも。
 ベロニカは手にしたビニール袋の中身を見やる。大きなピザが入った平たく丸い紙のパッケージはまだ温かで、うっすらと湯気を上げていた。箱とビニールが遮っているものの、やはりあの食欲そそる香りは鼻に届くほど強く匂っている。今すぐ蓋を開けて一切れだけでも食べてしまいたい。否、これは割り勘で買ったものなのだ。たとえ一切れでも、一人で勝手に食べるなど言語道断である。そもそも、ここはベンチも何もないただの歩道だ。おもむろにピザを取り出して食べ歩くなんて非常識なことはさすがにできない。いくら腹が潰れて無くなってしまうほど空腹でも、それぐらいの常識と理性は持っていた。
「すごい匂いですね」
 弾んだ声が隣から聞こえる。心を見透かしたような言葉に、少女はビクン、と肩を跳ねさせた。そろりと見やると、そこにはビニール袋を軽く掲げたヒロの姿があった。彼の手にあるそれには紙袋と紙箱、おまけにカラフルなチラシが入っている。そちらもそちらで油と肉の素敵な匂いを漂わせていた。ぐぅ、とまた腹が鳴る。今度は痛みを伴ったものだった。
「お腹が空く匂いですよね、これ」
「マジでなー……」
 ガサリ、と袋が下げられる音。ぐぅ、と輪唱のような腹の声。はは、とヒロは小さく笑声をあげた。腹が減っているのはお互い様らしい。食べたい、食べたい、食べたい。早くカリカリになった生地にかぶりつきたい。塩と油たっぷりのチーズで口を満たしたい。油したたる肉に食らいつきたい。サクサクのビスケットを頬張りたい。三大欲求の一つががなりたてる。ぐう、とまた腹の虫が大きな鳴き声をあげた。
「走ってこーぜ」
「ピザ崩れませんか?」
「だいじょぶじゃね? こう、横のまま抱えりゃ」
 首を傾げるヒロに、ベロニカは手に提げたピザを抱え直して見せる。腕を地面と平行にし、そこに箱を載せ、手で縁をしっかりと掴む形だ。まるで料理を運ぶ店員である。
「もうちょっとだけ待ってくれませんか? コンビニに寄るので」
「ジュースとか昨日買っただろ?」
 どこか苦く笑う少年に、今度は少女が首を傾げる番だった。
 今日は十二月二十五日。俗に言うクリスマスである。本当ならば二人でゆっくり過ごす予定だったのだが、明日イベントマッチを行うという知らせが入ったのだ。ならば早めに集まって早めに解散しよう、と決めたのはすぐだった。なにせイベントマッチは不定期開催な上に毎回内容が変わるのである。同じ内容のイベントが次いつ開催されるかなど誰も分からない。二人で過ごすことはいつでもできるが、イベントマッチは明日しかできない。バトルをこよなく愛する二人がどちらを優先するかなど火を見るより明らかだ。
 そうして昨日ジュースと菓子を買い込み、今日は朝から予約したピザとチキンとビスケットを受け取りに行き、二人きりのパーティー会場であるヒロの部屋に帰る今に至る。
「たぶんこれだけじゃ足りないと思いまして、ポテトとチキンを予約したんですよね」
「ナイス!」
 はにかむヒロに、ベロニカは親指を立てて褒め称える。今しがた取りに行ったピザたちもそこそこの量はあるものの、育ち盛り食べ盛りの己たちの腹を存分に満たすことができるかは若干怪しい部分がある。かといって、これ以上の品を頼めば予算を大幅にオーバーする。なので安い菓子類を買い込んだのだが、ここでまさかの主菜追加登場である。大手コンビニならば味も安定しているだろう。ピザ屋のものとの違いを楽しむことまでできる。最高の提案だった。
「帰ったら半分払うな」
「いいですよ。僕が食べたくて予約したので」
「あたしも食べるんだから出させろ。それともヒロ一人で全部食べんのか? あたしの真ん前で?」
 軽く手を振ってあしらおうとするオクトリングに、インクリングはじとりと眇めて睨みつける。優しい彼ならば絶対にあり得ない、意地の悪い問いだ。う、と詰まった音が横一文字になった口から漏れ出るのが聞こえた。赤い瞳が宙を彷徨う。しばしして、少年は眉根を軽く寄せながら目を伏せた。
「……分かりました。でもそこそこしますよ?」
「いいよ。美味いもんなんだからある程度金かかんのはしょうがねーだろ。……てかそこそこするもん一人だけで買おうとしてたのか、あんた」
 今回の食事代は割り勘だと決めていた。バトルで稼いではいるものの、これだけの量となると一人で賄うのは無理がある。そもそも、二人きりで半分こして食べるのだ。二人で半分ずつ負担するのは当然の結論である。だというのに、隣を歩くこいつは一人で負担を増やそうとしたらしい。心優しい彼らしくはあるが、さすがに看過できないものだった。互いに奢られてばかりでは気が済まないのを分かっている上での行動なのだから尚更である。
 う、とまた詰まった声。今度は呻き声に近いものだった。あー、えー、と意味をなさない声が白い息上がる口から漏れていく。観念したのか、すみません、と謝罪の言葉が紡がれた。
「ちょっとぐらいいい格好させてくれてもいいじゃないですか」
「こんなことで見栄張んな。いいカッコすんならバトルの時にしろ」
 唇を尖らせる少年を、少女はバッサリと切り捨てる。また濁った音が隣から聞こえた。どうにも己の言葉が刺さったらしい。金銭面で頼りになるようなことをするよりも、バトルで背を任せたり戦況を切り開いてくれる方がずっと格好がいいことぐらい彼も分かっているのだから。
「早く取りに行こーぜ。ピザ冷めちまう」
「そうですね」
 早足で歩き出すベロニカに、ヒロも同じほどの速さで続く。ヒトの少ない歩道を、柔らかな白い息と軽快な足音、油気たっぷりの香りが撫でていった。
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#Hirooooo #VeronIKA #ヒロニカ

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向き合う意地、向き合った世界【新3号+新司令】

向き合う意地、向き合った世界【新3号+新司令】
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うちのヒーローズに決着つけるために書いたやつ。この話を読んでないと何もかもが分からない。
相変わらずうちの新司令はカスだしうちの新3号はバンカラ生まれバンカラ育ちだし色んなところを捏造しかしてない。
新3号と新司令が喧嘩してるだけ。

 バトルロビーへ続く扉の前はいつだって賑わっている。駅の真ん前でただでさえヒト通りが多いというのに、そこにバトルを終えた若者がたむろしているのだから密度は高まるばかりだ。足早に行き交う者たちが何故他者にぶつかることなく歩いていけるのか不思議に思うほどである。
 ロビー入り口、そのすぐ脇。一匹のガール――隊員に『司令』と呼ばれるインクリングは、じっと座っていた。建物の前、それも出入り口に座り込むなど迷惑極まりないのは承知だ。けれども、ヒトに混じって姿を誤魔化すにはこれが一番いいのだ。
 インクリングはあたりを見回す。キョロキョロキョロキョロと挙動不審なほどあたりを見回す。こうやってヒトの波の中身を探してどれほどになるだろう。体感ではゆうに半日は神経を張り巡らせている。視神経も筋肉も脳味噌も随分と疲労を覚えていた。それでも、見張る目を止めることなど出来なかった。探さねばならないのだ。いるかどうかすら分からないあの子を、この中から。
 出会った時から『三号』と呼んできた隊員がキャンプを訪れなくなってどれほど経っただろう。意地が悪いことをした自覚はある。相応に罰を受ける自覚がある。けれども、その罰を与える相手がいつまで経ってもやってこないのだ。当然だ、あの気の強い、プライドで武装を重ねてやっとヒトと対峙するような少女が来るはずがない。こんな馬鹿げたたちの悪いいたずらをするようなやつのところに再びやってくる道理などないのだから。
 空気を割らんばかりに罵ったあの叫声を、嫌悪と敵意をあらわにしたあの凄まじい形相を、今まで見たことのないほどの速さで走り去った小さな背中を思い出す。その度に、心臓のあたりが熱湯をかけられたように痛みを覚えるのだ。あんなお粗末ないたずらで――彼女にとっては長い時間をかけた裏切りで怒らせてしまったことがよほど堪えているらしい。全ては自業自得なのだけれど。
 表現し難い声が鼓膜を震わせる。聞き慣れた――オルタナの白い地で何度も聞いてきた鳴き声に、司令はバッと顔を上げる。ゲソを振り乱し、急いで音の方へと顔を向ける。視界の中、ヒト混みの隙間から見えたのは、赤いモヒカンヘアーと銀のくちばし、緑のズボンを履いたコジャケだった。
 こんな街なかにコジャケが、シャケがいるはずがない。最近はビッグランというシャケの襲撃が起こっていると聞くが、現在それを示す警報は発令されていない。つまり、誰かが連れ込んだのだ。そして、コジャケと暮らすような者などそうそういない――それこそ、あの子ぐらいしか。
 立ち上がり、司令はあたりを見回す。コジャケのそばにヒトの姿は無い。もう雑踏に紛れてしまったのだろうか。どこだ、と目をこらし、懸命に探っていく。忙しなく動く目の端に何かがきらめく。反射的に視線を向けると、オーロラ色に輝く白がロビーへと向かっていくのが見えた。頭部に取り付けられたその色――耳の上部を覆うようなヘッドギアは見知ったものだ。過去の己が使い、今は他人へと譲られたヒーローブレインだ。あれはアタリメ司令から支給されたものであり、おそらく一般流通はしていない。ならば、あのギアの持ち主は。
 ダンッ、と勢いよく地を蹴り、司令はヒトの中を切り進んでいく。凄まじい足音に気圧されたのか道を譲る者が多く、思ったよりも楽に進むことができた。割れたヒト混み、その正面、ロビーに続く自動ドアが開く。輝くギアに飾られた頭の持ち主がその中に入っていくのが見えた。
「三号!」
 腹の底から、肺の中身を全て使って、声帯が裂けんばかりに声を出す。街中に響き渡るような大声量に、いくらかの者が足を止める。件の少女もその一匹だった。ヒトの波を掻き分け、司令は走る。ようやく辿り着いたドアの真ん前、歩みを再開しようとした少女の細い腕をがしりと掴んだ。
 己が力強く腕を引いたからだろう、目の前の少女はたたらを踏むように振り返る。きょとりと丸くなった群青の目は、たしかにこの子があの『三号』であると語っていた。ようやく見つけた安堵に、やっと再会した歓喜に、口元が綻ぶ。三号、と弾むような声でまた少女に与えた記号を口にした。
 腕が引っ張られる感覚。よろけそうになり、反射的に掴んでいた腕を離す。隠れるように腕が回り、目の前の身体が反転した。そのまま、捕まったはずの少女は駆け出す。雑踏に自ら身体を投げ込み、逃げるように走り去った。
 三号、とまた叫び、司令は駆け出す。ヒトの波に逆らって走り、オーロラで彩られた頭を一心に目指す。背の低いクラゲに引っかかっていたところを何とか追いつき、目に痛いほどのライムグリーンに包まれた腕を再び掴んだ。
「三号ってば!」
 何度も、何度でも彼女を呼ぶ。部隊のことは秘匿するのが暗黙の了解だ、本当ならば名前で呼ぶべきだろう。けれど、己は彼女の名前を知らないのだ。半年ほど過ごしてもなお、彼女の名前を知ることはなかった。当然だ、名前を聞く機会など無かったのだ。訪ねる機会など無かったのだ。隊員名で呼ぶ機会すら無かったのだ。己の刹那主義めいた好奇心が全てを潰したのだ。後悔が胸を押し寄せ、中身がダメになるほど潰していく。ぐぅ、と喉がおかしな音を漏らした。
 目の前の背中が振り返る。ようやくこちらを向いた顔は、警戒心と嫌悪に塗れていた。眇められた目はこちらを射殺さんばかりの鋭さを宿し、口は威嚇するようにカラストンビが剥き出しになっている。細い眉は見たことがないほど吊り上がっていた。普段から機嫌の悪い顔や怒った顔を見せることが多い彼女だったが、これほど酷いものは――こちらの全てを拒否し否定するようなものは初めてだ。剥き出しの敵意に、思わず後ずさりそうになる。すんでのところで留まり、こちらもまっすぐに見つめた。海色と空色がぶつかりあって火花を散らす。
「……離しなさいよ」
「やだ」
 また振り払おうとしたのだろう、三号は掴まれた腕をグッと力強く引く。容易に予測できた行動に、司令は掴む手に更に力を込めた。結果、硬直状態は変わらず続く。チッ、と鋭い舌打ちが聞こえた。
「戻ってきて」
 戻ってきてほしい。またオルタナを調査してほしい。アオリたちのためにアタリメ司令を見つけるのに協力してほしい――考えて、全部が違うことにようやく気付く。違う、New!カラストンビ部隊としての活動のためではない。ただ、ただ己が彼女に戻ってきてほしいだけなのだ。またキャンプで共に過ごしたいだけなのだ。食事をして、攻略を練って、調査結果を聞いて、チャレンジを見届けて。そんな日々をまた送りたいだけなのだ。
 は、と低い声が二人の間に落ちる。明らかに苛立った、明らかに怒気を孕んだ、明らかに軽蔑を示した音だった。視線も合わせて、負の感情を全てぶつけられているような錯覚に陥る――否、きっとこれは錯覚などではない。
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ」
 瞬間、腕に痛み。自由のままだった腕で思いきり叩き落とされたのだと理解した頃には、掴んだ腕は離れてしまっていた。ザ、と靴が地をする嫌な音。
「三号!」
「うるさい!」
 悲鳴に近い声で名前を、自分にとっては『名前』である記号を呼ぶ。それも全て凄まじい怒声に潰された。
 何あれ。喧嘩じゃない。うるさ。痴話喧嘩かな。どっちも女じゃん。チジョーノモツレってやつじゃない。こんなとこでやんなよ。
 訝しげな声が、うんざりとした声が、好奇心にまみれた声が聞こえる。気付けば、二人の周りにはわずかながらも空間が生まれ、遠巻きにヒトだかりができていた。誰も彼もが己たちに奇異の目を向けている。中にはナマコフォンを構える者までいる始末だ。
 ダッ、と地を蹴る音。それが示すことを瞬時に理解し、司令も地を蹴って駆け出す。特注ギアで彩られた頭を睨み、必死で追いかける。再び手を伸ばしたところで、ガシャン、と盛大な音が鳴り響いた。同時に、腹と足に痛み。慌てて目を向けると、そこにはキッチリと閉じた改札口があった。どうやら彼女は駅内へと逃げ込んだらしい。
 急いでポケットを漁る。ろくに物など入れられない小さなポケットの中には、携帯端末が一つあるだけだ。ICカードはもちろん、現金も無い。そもそも、切符を買っている間に彼女は電車に乗ってしまうだろう。もう追いかける術は無いのだ。
 どうしようもなくて、その場に立ち尽くす。薄く開いた口は浅い息を繰り返していた。腹がじくじくと痛む。それすらどこか遠くの他人事のように感じた。
 逃げられた。思いきり否定され、思いきり拒否され、思いきり敵意をぶつけられ、思いきり逃げられた。もう戻ることなど無いと明確に示された。事実に、胃の腑がグンと重くなる。心臓が早鐘を打つ。胸に海水をめいっぱい詰め込まれたような苦しさと重さ、薄い恐怖が広がっていった。
 もうダメなのだろうか。戻ってこないのだろうか。絶望ばかりが頭をよぎる。いや、けれどもこうやって会えたではないか。会話できたではないか。言葉が通じるではないか。それに、彼女は少しばかり押しに弱いところがある。ならば、回数を重ねて説得すれば、あるいは。
 水面色の目がぐっと眇められる。感情渦巻くその瞳の先には、知らないヒトが行き交う階段があるだけだった。






 きょろきょろとあたりを見回し、ヒトの形をした影が無いことを確認する。足音を立てぬようそっと、けれども足早に、少女は坂道を登っていく。後ろをついて回るコジャケがなんとも言い難い鳴き声をあげる。静かに、とひそめた声で言い放つと、相棒は鋭いくちばしを律儀に閉じた。珍しく伝わったようだ。それでも、こいつが跳んで跳ねて這いずり回る音が聞こえては意味が無い。見た目より重量がある身体を抱え上げ、少女はまた坂道を物音立てずに登っていった。
「ここにいなさいよ」
 バンカラ街のすみっこ、ヒトが少ない屋上スペースにコジャケを放つ。自由になった相棒は、ずりずりと這って走ってぴょんと跳び、欄干の上にちょこんと乗った。普段の様子から、彼はここが自分の定位置だと思っているらしい。本当に器用なものだ、と小さく息を吐いた。
 インクリングは手すりの隙間から下を覗く。やはりヒトはまばらだ。これなら誰かに、あの女に出会うことは無いだろう。踵を返し、足早に来た道を戻った。
 何故こんなことをしなければならないのだ、と怒りがふつふつと湧いてくる。原因はあの『司令』だ。街なかで出会ったあの日から、あの自己中心的な女はこちらの都合や他者の目など一切弁えず追ってくるのだ。隠れても、ギアを変えても、時間を変えても、あいつは追ってくる。一度交番に飛び込んで警察に突き出したのに、それでも諦めずつきまとってくるのだから呆れを通り越して恐怖すら覚える。
 何故あいつはこうも己に執着するのだろう。騙し続けたぐらいには信頼していないくせに、何故ああも悲痛な声で己を呼ぶのだろう。今までほとんど干渉しなかったくせに、何故オルタナを離れただけでああまで必死に追いかけてくるのだろう。分からない。分からないからこそ腹立たしい。あまりにも身勝手で、あまりにもわがままで、あまりにもヒトの心を軽視している。考えるだけで胃が一気に熱を持った。
「三号!」
 灰色のパーカーに包まれた身体がびくりと跳ねる。音の方、つまりは坂の下に目をやると、そこにはあの『司令』がいた。どうやって見つけたのだ、と思わず舌打ちをする。したところで現状は解消されないのだけれど。
 ダッ、と地を蹴る音。ダンダンと駆け上がってくる激しい音。このままでは鉢合う、それどころか追い詰められるのは確実だ。一度上に逃げて撒かなければ。踵を返し、『三号』と呼ばれ続けた少女は坂を駆け上がる。盛大な足音が二つ、街の隅に響いた。
 戻ってきた屋上広場、階段のすぐ脇に身を隠す。司令が広場の中央まで進んだところで降りて逃げる算段だ。息をひそめ、気配を殺し、じっと身を縮こめる。ダン、と地を踏みしめる音。もう一度地を踏みしめる音。何度も響くそれは明らかにこちらへと向いていた。
「三号」
 目の前のインクリングは毎度のごとく己を示す記号を発し、素早く腕を掴む。振り払おうとするも、今日は腕を動かすことすらできなかった。両の手を使い、彼女は握り潰さんばかりの力で己の腕を掴んでくる。逃がす気など欠片も無いのだということがありありと伝わってくる。それが腹立たしくて仕方が無い。何故こいつの都合で拘束されなければならないのだ。
「いい加減にしてくんない!?」
 怒号をあげ、三号は渾身の力で腕を振る。しかし、捕らえられたそれはびくとも動かなかった。腕に加えられる力が更に増し、痛みも酷くなる。痛覚を直接刺激するようなそれに、少女は顔をしかめた。
 掴む手の持ち主をギッと睨みつける。突き刺し殺さんばかりのそれに、まっすぐ視線が返される。眇め細くなった視界に映る青は、焦燥があらわになっていた。キャンプでは見たことないほど、感情がよく分かる色がしていた。いつだって感情なんて無いと言わんばかりの顔をしていたくせに、今になってこうやって感情を、ヒトらしい部分を見せてくるのだ――あの日だって、普通のヒトのように笑っていたのだから。
 胃がカァと凄まじい熱を宿す。頭の後ろ側がジンと痺れる。喉が絞まるような心地。思考全てが沸騰し染め上がっていく感覚。怒りが少女の全てを支配した。
 もう一度腕に力を込め、振り払おうと試みる。変わらず、動かすことはできなかった。潰れ弾けんばかりの痛みが広がるだけだ。これでは埒が明かない。呻きを漏らしそうになるのを防ぐように舌打ちを一つした。
「何で逃げるの」
 揺れる青が一心にこちらを見つめる。震えた声がまっすぐにこちらに問いかける。悲痛にすら見える有様だ。まるで被害者だと主張するような顔つきだ。それが気に入らなくてたまらない。正当防衛をしたまでの己を『逃げる』だなんて言い放つこいつが気に入らなくてたまらない。腹の底で燃え上がる炎が更に勢いを増した。
「あんたみたいな不審者につきまとわれて大人しくしてるわけないでしょ」
「そうじゃない」
 至極当然の言葉を返すも、すぐさま切り捨てられる。ほのかに震えるそれは、苛立つほどに力強いものだった。確信を持った、信念を持った、揺れることの無い言葉だった。
「何で来ないの」
 昼の空のような青が、まっすぐに海底色の瞳を射抜く。言葉を紡ぐ唇の動きは硬く、向けられる青円はかすかに揺れている。細い眉はどんどんと下がり、掴む手は縋るように力が増していく。必死な有様は、見る者がいれば彼女の味方につくだろう。その姿に腹が立つ。原因は全てこいつにあるのだ。だというのに、まるで己が悪いかのように見つめるその目が、己がおかしいかのように問う声が、気に食わなくて仕方が無い。自身を正当化するようなその姿が気に食わなくて仕方が無い。
「ヒトのこと騙しといて何言ってんの」
 発した声は己でも聞いたことがないほど低かった。憤怒が渦巻く身体では、もう常通りの声を出すことなど不可能なのだ。
 こうやって声を発することができるのに、こうやって会話をすることができるのに、こいつは半年以上己と直接話そうとしなかったのだ。こうやって表情を変えられるというのに、己の前だけではずっと無表情を貫いていたのだ。何か理由があったかもしれない。しかし、そんなことは知ったことではない。何も言わず、ずっと黙って、己だけを騙してきたこいつを許すことなどできるはずがない。
「そもそも、調査だかなんだかなんてあたしには関係ない話じゃない。何でそんなこと言われなきゃなんないのよ」
「だって、『三号』でしょ?」
「あんたたちが勝手に言ってるだけじゃない。あたしには関係無い――」
「関係ある!」
 切り捨てようとする声は、絶叫めいた声に吹き飛ばされた。腕を掴む力が更に強くなる。このまま潰され千切れんばかりの凄まじいそれに、こちらのことを全く考慮していない身勝手な言動に、少女は表情を歪めた。
「だって、だって三号は三号で、隊員で、だから――」
「だからそれはあんたたちが勝手に言ってるだけでしょ!」
 途切れ途切れに紡がれる言葉を大声が遮る。瞬間、目の前のスカイブルーが瞠られた。宿す光が鳴りを潜め、深さを増していく。焦燥の色は消え、悲哀一色に染まっていく。呆然に近い顔は、痛みを堪えるようなものだった。傷ついた、と言わんばかりのものだった。全てが少女の神経を逆撫でする。お前の身勝手な行動が全てを招いたというのに、傷ついたと訴えてくるなどなんと恥知らずなことか。傷ついたのはお前ではない。お前は傷つけた方ではないか。お前は被害者なんかじゃない。加害者で。自分勝手で。ストーカーで。不器用ながらも世話をしてくれたのに。心を寄せてくれたのに。なのに。
「あたしを巻き込むな!」
 空間が震えるほどの音が少女の口から吐き出される。加減無く声を出した喉は痛みを訴えた。中身全てを使い切った肺が痛い。中身をぐちゃぐちゃに掻き乱された頭が痛い。延長戦をフルで戦ったかのように心臓が痛い。臓器が無いはずの胸の真ん中の場所が痛い。身体が、心が、痛みを訴える。睨みつける視界がうすらとぼやけた気がした。
 真ん丸になっていた空色が元に戻り、黒い瞼の奥に消える。目の前の黄色い頭がゆっくりと動き、表情を隠した。己の荒い呼吸だけが世界に落ちていく。喘鳴に近いそれが落ち着く頃、やっと目の前の女は顔を上げた。再度向けられた顔からは、被害者ぶった色は消え失せている。代わりに、静けさに満ちた穏やかな、けれども温度が抜け落ちた何かがあった。それでも、瞳は輝きを取り戻している。何かを求めて不気味なほどギラギラと輝いている。撃ち抜くようにまっすぐにこちらを見つめている。
「わかった」
 こぼれた声からは、今までの激情は見られなかった。溜め息にも似たそれに、無意識に食いしばっていた少女の口元から力が抜けた。眇めた海色の目はまだ警戒に満ちている。いきなり聞き分けの良いことを言い始めたものを警戒するなという方が無理があるのだ。こういう時こそ神経を張り詰めねばならない。少女依然鋭い視線を送る。刺さんばかりのそれを浴びているというのに、目の前のインクリングは小さく笑んだ。
「もう追いかけないからさ。だから、最後にタイマンしてよ」
「は?」
 笑みとともにこぼれた言葉に、三号は眉をひそめる。言葉という形は取っていれど、前後の繋がりが全く分からない。訴えれば勝てるような行動から解放されることと、一対一での勝負のどこに関係性があるのだ。そもそも、こちらは追いかけ回され日常を脅かされた被害者である。なのに、何故加害者であるこいつに交換条件を持ちかけられなければならないのだ。
「それで諦めるから。おねがい」
「何でそんなのに付き合わなきゃ――」
「逃げるの」
 静かに流れる声を、棘で武装した声が弾き飛ばす。それも、落ちついた、けれども力を宿した一言が押さえつけた。は、と少女は思わず低い音を漏らす。何故そんな風に言われなければならないのだ。まるで己が勝負に怯えているようではないか。まるで己が勝てないから拒否しているようではないか。怒りで煮えたぎる頭は、簡単な挑発ですぐさま沸騰した。
「……いいわよ」
 やってやろうじゃない、と三号は啖呵を切る。こいつは己がオルタナを走り回っている間、ずっと座って何もしていなかったのだ。実力のほどは知らないが、あれだけろくに身体を使っていなければなまっているに決まっている。毎日のように地を駆け回り、チャレンジをクリアし、その上日々バトルに励んでいる自分が負けるはずがない。最後にこいつをぶちのめして、追いかけ回される日々が終わるのだ。そう考えると、なかなか魅力的な提案にすら思えてきた。最近負けが込んでいてどうにもフラストレーションが溜まっているのだ。
「ステージはユノハナ。ナワバリ……というか、キル数勝負で」
 告げる声は終始穏やかで、あれだけ悲哀にまみれていた顔には微笑みが浮かんでいた。一変したその様子に、いっそ不気味さすら覚える。ああも喚き立てられるよりはずっとマシなのだけれど。
「……分かった」
 少しの沈黙の後、少女は確かに頷く。基礎の基礎であるナワバリバトルやオブジェクト関与と管理が要求されるガチルールではなく、『キル数勝負』という部分が少し引っかかる。わざわざキルで競おうと言うほど、あちらは腕に自信があるのだろうか。否、きっと本当に己と戦いたいのだろう。ガチルールはオブジェクト関与をしなければ勝敗がつかないし、ナワバリは逃げ回って塗るだけで勝てるのだ。真っ向勝負をするなら、キルで競うのが一番良い。
「じゃ、行こっか」
 掴まれた腕を引かれる。いつの間にか、肉を潰さんばかりの力はすっかりと弱まっていた。この程度ならば、力を振り絞って引き剥がせば逃げられるだろう。けれども、少女は大人しく手を引かれて歩んだ。受けた勝負から逃げるのはプライドが許さなかった。
 二人連れ立って、不気味なほど静かに歩んでいく。足音に混じって、潰れたような鳴き声が聞こえた気がした。






 息を吸う。ひたすらに酸素を取り込み続けた喉と肺は激痛を叫んだ。胃の腑が押し上げられるような感覚。食道へと上ろうとするそれを必死に押さえ込み、少女はインクの中を駆け泳ぐ。呼吸する喉が、酸素を取り込む肺が、やめろと喚くのを捻じ伏せて。
 トリガーを引き、でたらめにインクをばら撒く。青いインクを己の黄色で上書きしていく。音は――敵にインクが当たり、ダメージを受けた声は聞こえない。どこだ、と少女はあたりを見回す。中央の激戦区だというのに、ここにはあまりにも青が少ない。つまり、隠れる場所がほぼ無いのだ。自陣に戻って塗っているのだろうか。否、今回はキル数勝負なのだ。わざわざ塗りに戻るメリットは薄い。金網を歩いて行かねば自陣に戻れないこのユノハナ大渓谷ならば尚更だ。
 とぷん、と背後で水の音が聞こえた。
 すぐさま振り向き、三号は引き金を引く。ヒーローシューターレプリカもとい、その性能の元となっているスプラシューターは弾ブレがそこまで無い。だというのに、インク一滴すら当たった感覚がしなかった。当然だ、目の前に人の影はもう無い。乾ききった大地とイエローのインクが広がるだけだ。
 また水の音。振り返るより先に、背に痛みが走った。撃たれたのだと理解する頃には、己はスポナーの上にいた。チッ、とインクリングは舌打ちを漏らす。音が鳴った口元は引き結ばれ、強張りを見せている。焦燥が丸分かりの顔つきをしていた。
 急いで飛び出し、また中央へと泳いでいく。肺が、胃が、手足が、異変と疲労を訴える。全てを無視し、少女は泳ぐ。ヒュ、と呼吸しようとした喉が細い音をたてた。
 おかしい。
 相手はスプラシューター、つまり己と同じブキを使っているのだ。なのに、何故こうも撃ち勝てないのだ。同じ射程だというのに当たらない。なのに相手の弾は当たる。ボムを投げてもかすった様子すら見せない。なのに相手のボムはこの身体を捉える。ウルトラショットで対応しようにも、発動要件を満たすより先に倒されてしまう。だというのに、こちらは物陰に隠れていても一撃必殺のそれを当てられる始末だ。
 訳が分からない。少女は今一度舌打ちをする。普段の鋭さはとうに失われ、リップノイズと差異のないものとなっていた。
 中央へと躍り出て、また塗り広げる。とにかくウルトラショットを使えるようにならねば。相手の潜伏場所を潰さねば。焦りのままに、三号はトリガーを引く。ひたすらに塗り潰し、塗り重ねていく。気が付けば、カチカチと乾いた音が手元から上がっていた。インクが尽きたのだ。回復しなければ。身をインクに沈めようとした瞬間、ガシャン、と重厚な音があたりに響いた。それが何を意味するかなど、分かりきっている。
 急いで音の反対方向へと逃げる。けれど、次いで聞こえた銃声は己の横方向から鼓膜を直接揺らした。視界がブルーに染まる。痛みが全身を染めていく。途切れた意識が復活した時には、既にスポナーの上だった。またやられたのだ。
 何故だ。ウルトラショットの発動音は後ろから聞こえたのに。なのに何故真横から飛んでくるのだ。インチキだ。何か卑怯な手を使っているに違いない。だって、そうでもなければ、瞬時に移動だなんて。少女はギリ、とカラストンビを噛み締める。眇めた目は、寄せた眉は、食い縛った口元は、焦りと悔しさ、わずかな恐怖に塗り潰されていた。
 泳ぐ。泳ぐ。泳ぐ。なんとしてでも自陣に入らせてはならない。リスポーン地点で延々とキルされることだけは避けねばならない。ウルトラショットはリスポーン時に付与されるアーマーを一気に剥がして潰す威力を持っているのだ。そんなこと、絶対に許してはならない。なんとしてでも阻止しないと。
 右高台から中央広場へと降り立つ。瞬間、足元が弾けた。一瞬の空白の後、それがキューバンボムだということを理解する――理解した頃には、またスポナーの上にいた。
 降り立つ位置を予測し、降りた瞬間爆破するようにボムを置かれたのだ。つまり、完全に行動を読まれている。降りる位置も、逃げる場所も、撃つ範囲も、全て読まれている。背筋を冷たいものがなぞっていく。身体の芯まで凍えさせるようなそれを頭を振って弾き飛ばし、少女は再びスポナーから降り立つ。またインクへと身を投じようとしたところで、べしゃり、と間の抜けた音が耳元で聞こえた。地面に倒れ込んでいるのだと気付くには随分と時間を要した――足音が鼓膜を震わせ、伏せた身体に影が差すほどには。
「ねぇ」
 頭上で声が聞こえる。地についた手に、ブキを握る手に力を込め、少女は早急に身を起こそうとする。しかし、何度も撃ち抜かれ爆破された身体は言うことを聞かなかった。べしゃり、とまた無様な音。今身体を起こすのは不可能らしい――つまり、このまま撃たれ、デスを重ねるのだ。
 嫌だ。そんなのは嫌だ。リスキルなんて嫌だ。己はそんなことをされるほど弱くない。ちゃんと戦って、撃って、勝たねば。せめて、一度ぐらいはあの身体をスポナーへと送らねば。
 ガチャ、と手にしたスプラシューターが鳴き声をあげる。持ち上げようとするも、腕の筋肉が全て取り払われてしまったかのように指一本動かすことができなかった。
「視野狭すぎない?」
 呆れきった声が頭上から降り注ぐ。は、と発しようとした声は、喉から飛び出ることなく消えた。代わりに、凄まじい勢いで何かが食道を駆け上っていく。押さえ込むより先に、三号の口からインクが吐き出された。飛び出たそれが、地面をびちゃびちゃと叩く。凄まじい疲労と短時間にリスポーンを繰り返したのが原因だろう。口の端からインクが垂れていく。あまりにもみっともなく、あまりにも惨めな姿であった。
「私のことしか見てないでしょ。だからボムでやられるし、足元塗られても気付かなくて足取られてる」
 違う。そんなことはない。ちゃんとあたりを見回して塗っている。そもそも、撃ち合いの時は相手しか見ないのは当然ではないか。姿を捉えねば弾が当たることなど無い。確かに撃ち合い中足元が悪くなることはあるが、そんなことで己のパフォーマンスが鈍ることなんて無い。
「射程も把握してないよね。絶対当たらない距離から無闇に撃ってる。インク切れるに決まってるじゃん」
 違う。そんなことはない。対面前に塗り広げるために射程外からでも撃つのは当然ではないか。射程が分からないはずがない。このブキを持ち始めて随分と経つのに、射程が分からないなんてことは無い。弾のブレが悪さをしているだけだ。
「塗り広げ雑すぎ。これだけ塗り狭かったら潜伏する暇無いよね? そもそも囲まれたら逃げられないのに」
 違う。そんなことはない。移動できるようきちんと塗り広げているし、相手のインクは潰している。射程外で塗りが届かない部分やまばらになる部分はあるが、塗ることに執着しては撃ち合う余裕が無くなる。ほんの少しの塗り残しぐらい見逃すのは当たり前ではないか。
「ていうかインク管理できないのって相当問題だよ? 対面中インク切れたらただの的になるだけなのに」
 違う。そんなことはない。長時間の撃ち合いでインクが切れることはあるが、それは運が無いだけだ。撃ち合いの最中、逃げて潜伏しインクを回復することなどできない。今あるインクで戦うしかない。そんなのは当然のことだ。
「スペシャル確認できてないのどうかと思うなぁ。相手がスペ溜まってるのに突っ込んでいっても返り討ちにされるだけなの分かるでしょ」
 違う。そんなことはない。スペシャルウェポンの発動は音で確認している。見逃すわけがなかった。事実、発動してからはすぐに身を隠している。そもそも、対面中も塗りが発生するのだから突然スペシャルウェポンを繰り出されるなど当然ではないか。そこに己の非など無い。
「……なわけ、ないでしょ」
 腕に力を入れ、やっとのことで上半身を起こす。震える足を叱咤し、地を踏みしめ、少女はどうにか立ち上がった。口から垂れるインクを拳で拭う。肌に付いたイエローはすぐさま宙に溶けて消えた。
「そんなわけないでしょ!」
「あるよ」
 激昂し叫ぶ三号に、司令は短く返す。ただただ短く声を発する。わずかな唇の動きで全てを否定する。
「全部できてなくて、弱いって言ってるの」
 真っ向からぶつけられた冷えた声は、見つめる目は、憐憫の情すら浮かんでいた。
 弱い。その三音節が少女の頭を殴る。たった一つ浴びせられたそれが頭を染め上げ、怒りの火に薪をくべ、思考を焼き尽くしていく。目の前が暗く陰った。
 食い縛り、少女はガシャリと派手な音をたててスプラシューターを構える。銃口が目の前の人を捉えるより先に、衝撃が、激痛が身体を染め上げていく。気付けば、やはりスポナーの上にいた。急いで飛び出し、相手の前に躍り出る。震える手でブキを構えるも、銃身は揺れて狙いが定まらない。トリガーを引く指も、ついには力が入らなくなりインクを撃ち出すことができなくなった。ついに疲労が限界を越えたのだ。当たり前だ、この二分ちょっとでバカみたいな数のデスを重ねたのだ。短時間に数えられないほど再生した身体がまともに動くわけがない。事実、力が入らなくなった足は身体を支えるという役割を放棄した。べしゃり、とまた惨めな音が耳元であがった。
 違う。弱くなんかない。己は弱くなんかない。強いのだ。こいつなんかに負けるはずがない。こんな、いつも座ってるだけのやつなんかに。人を騙すようなやつなんかに。最低なやつなんかに負けるはずがない。だって、己は強くて、強くなくてはいけなくて、だから。
「勝ちたいでしょ」
「……あ、たり、まえでしょ」
「これじゃ勝てないよ」
 基礎もできてないのに勝てるわけないでしょ。
 冷えきった声が、呆れきった声が、憐れみに満ちた声が降り注ぐ。頭上から注いで、染みて、思考を燃やしていく。心を焼き尽くしていく。
 違う。そんなことはない。馬鹿を言うな。調子に乗るな。様々な言葉が内臓の中を渦巻く。どれも声帯を震わせるには至らなかった。残る力を振り絞り、見下ろす青を睨めつける。太陽を背に受けた顔は、どんな色をしているのか分からなかった。
「勝ちたいなら――もっと強くなりたいなら、帰ってきなよ」
 平坦な声が、それでも少しの震えが見える声が落ちてくる。は、とこきめいた疑問の音が口から漏れた。
「帰ってくるなら鍛えてあげるからさ」
「いらないわよ!」
 馬鹿になった肺の中身を、カラカラに渇いた喉を、仕事を果たすことを忘れかけていた声帯をめいっぱい使い、少女は吼える。悲惨なまでに割れた声が、砂舞う空へと昇っていった。
 そう、と短い声が降ってくる。そこから一分の隙も無く、低い銃声が降り注いだ。
 視界が青に染まると同時に、ホイッスルの高い音が聞こえた気がした。






 ロビーの隅、バトルの個人成績やメモリーを見ることができる端末の前には二匹のガールがいた。一匹は苦虫を口いっぱいに放り込まれて噛み潰したかのように、もう一匹はどこかスッキリとした顔で液晶画面を眺めている。
 少しノイズが走る画面には、プライベートマッチの結果が記されていた。LOSE、つまり負けを示す語の下に書かれた自身の名前を眺め、三号は更に眉間に皺を寄せる。塗りポイント六一三、キル数ゼロ、デス数十五。悲惨の一言に尽きるリザルトだった。黄色で囲まれた文字たちから視線を上げ、すぐ上、青色で囲まれた部分を見る。WINの文字で飾られた枠の中、『Player』のネームの横にも数字が書かれている。塗りポイント八八四、キル数一五、デス数ゼロ。ナワバリバトルとして見れば、塗りポイントの差異はあまり多くない。けれども、今回の勝負は『キル数勝負』だ。デスゼロ――つまり、一度も倒されなかったことは、圧倒的勝利を表している。
 負けた。
 機械が語る厳正な結果に、否定したい現実に、認めたくない事実に、少女はカラストンビを噛み締める。音が鳴るほどのそれに痛みを覚えるも、筋肉は感情に操られたままで言うことを聞かない。身体が悲鳴をあげようと、心は加減をする余裕など持ち合わせていなかった。
 何で負けた。こんなやつに何で負けた。何で撃ち合いに勝てなかった。何で一キルすら取れなかった。何で。何で。
 多数の、けれども根源は一つの疑問が頭をぐるぐると回る。答えは分かっている。けれども、それを認めることなどできない。だって、己は強くて、強くなくてはいけなくて、だから負けるはずなど。
「負けっぱなしでいいの」
 涼しい声が鼓膜を震わせる。画面から音の方へと視線を、敵意を向ける。少し滲んだ視界の中には、汗一つ無い顔でこちらを見つめる司令がいた。言葉を紡ぎ出す口、その端っこはうっすら上がっている。激戦の後だというのに、何でもないという風な顔をしていた。
「……んなわけないでしょ」
 ガシャリ、と握ったスプラシューターが音をたてる。持ち上げたくても、銃口を向けたくても、撃ち殺したくても、腕はぴくりとも動かなかった。バトルと再生で体力を使い果たした身体はまだろくに言うことを聞かないのだ。
「じゃあ帰ってきなよ。定期的にタイマンやったげるから」
 さらりと告げられた言葉に、少女は吐息のような音を漏らす。疑問符でめいっぱいに彩られたそれは、ようやく少女の口を怒りから解放した。
 何を言っているのだ、こいつは。あの場所に、あの部隊に戻ることと、敗北を喫したことに関係性など無い。定期的にタイマン、という言葉の意図も分からない。定期的に戦うことに何の意味があるのだ。一度の負けなど、今覆してやればいいのだから。
「今やればいい話でしょ。もう一回やるわよ」
「ゼロキル十五デス」
 風に吹かれる柳のように動く三号に、司令は端末を指差す。先ほど嫌というほど見た数字だ。『キル数勝負』で負けた事実を突きつけてくる数字だ。笑みすら浮かべた涼しげな顔に、スプラシューターを軽々と扱う手つきに、少女は呻きを漏らした。屈辱に、憤怒に、悲痛に彩られた音をしていた。
「勝てないでしょ」
「やんなきゃ分かんないでしょ!」
 力を振り絞り、少女は目の前の胸倉を掴む。普段なら持ち上げるところだというのに、今は柔らかな皺を作るのがやっとだ。指が上手く動かない。身体が上手く動かない。怒りに身を任せても、疲弊した身体は拒否をする。あまりの情けなさにまた呻きがこぼれる。
「分かるよ。このレベルに負けるわけない」
 伊達にウデマエXじゃないんだから、と司令は歌うように言葉を紡ぐ。耳慣れぬ単語に、三号は更に表情を険しくした。バトル、その一つであるバンカラマッチはウデマエはS+が最高だ。Xなんてものはない。Xマッチならば分かるが、あれはウデマエでなく数値で実力を示されるものだ。つまり、ただのハッタリである。ハッ、と少女は鼻を鳴らす。胸倉を掴む手に力を込める。依然、指は震えて柔らかなままだ。
「だからさ」
 歌うように、なぞるように、撫でるように、司令は言う。冷えきっていた目には温もりが宿り、頬は色を灯して緩み、口元はゆるい弧を描いていた。
「鍛えてあげる。強くなりたいなら協力したげる」
「いらないっつってんでしょ!」
「今これだけ酷いのに独学で強くなれるの? 私に勝てるぐらいに?」
 曇り無き眼が少女に向けられる。純粋さを装った瞳は、暗に『無理だ』と語っていた。ギリ、とキチン質がまた嫌な音をたてた。
 今の戦い方は全て独学だ。バトルに身を投じ、身につけてきたものだ。今は負けが込んで悲惨な数字が並んでいるが、最近はゆっくりながらも勝率は高くなっている。成熟しているのは明らかだ。独りでも強くなれることは明白だ。
 けれども、先の戦いが邪魔をする。一キルも取れなかった事実。十五回も撃ち殺された事実。行動全てを読まれた事実。彼女曰く『弱い』部分を指摘された事実。それらが確固たるものであったはずの自信を潰さんとのしかかってくる。否定する言葉を押し込めてくる。
「定期的に私とタイマンして立ち回り磨けばいいよ。何だったら暇な時に軽く教えたげるし」
 軽い調子で司令は言う。一本立てた指をくるりと回す仕草は余裕綽々といったものだった。少女の神経を逆撫でするものである。掴む指に、感覚が戻りつつある指に力を込める。だからさ、と続いた声には、締められる苦しさなど欠片も見えなかった。
「帰ってきてよ」
 おねがい。
 司令は、一匹のインクリングは紡ぎ出す。こぼす、と表現するのが正しいほどの小ささだった。今までの様子からは考えられないほどの細さだった。縋るような必死さが滲んだものだった。
 何で。何でこいつはここまで己に執着するのだ。追いかけ回すほど。叩き負かすほど。鍛えてやるだなんて言い出すほど。こんな、情けない声を出すほど。こんなにも縋りついて離そうとしないのは一体何故なのだ。
 布を掴んでいた腕を離す。重い頭が沈んで落ちていく。だらりと垂れた己のゲソが、傷だらけのブーツが、傷一つ無いスプラシューターが、整備された地面が視界を埋める。
 分からない。少女には到底理解できない。理解しようと思わない。けれども。
「……たい」
 拳を握り締め、三号は俯いた顔を上げる。深海のような深い瞳には、炎が灯っていた。轟々と音を鳴らし、酸素を奪い尽くさんとばかりに燃え盛る炎が。
「絶対に、勝ってやるから」
 鍛えてやる。教えてやる。そんな馬鹿な言葉は、殺したいほど腹立たしい言葉は、全て利用してやる。そして、こいつを打ち負かすのだ。完膚なきまでに叩きのめし、敗北の苦さを存分に味わわせてやるのだ。だから、今は従ってやる。従ったふりをしてやる。こいつを負かすために。こいつに勝つために。
「ボコボコにしてやる!」
「楽しみにしてる」
 叫びにも似た少女の声に、司令は穏やかな声で返す。口元に浮かぶ笑みは深さを増しているように見えた。
 目の前、右手にあったスプラシューターが左手に持ち替えられる。空いたその手がゆるりと動く。手に柔らかな、温かな感触。目をやると、そこには己の手を握る司令の手があった。
「帰ろ」
 インクリングは笑う。無表情を貫いていたインクリングは笑う。温かな色を宿した、幸福の光を宿した顔で笑う。怪訝そうな視線が真っ向から向けられた。
「……帰るって?」
「え? キャンプに帰ろ?」
「……え? あぁ、うん?」
 首を傾げると、あちらも首を傾げてくる。己にとって、キャンプはただのオルタナでの活動拠点だ。『戻る』ならまだしも、『帰る』はいまいちピンとこない表現である。こいつにとってはあそこが家のようなものなのだろうか。あんなところに住んでいるのか、と湧いてきた疑問に、少女は眉をひそめた。
「……あー、そっか」
 傾げた首が戻り、目が丸くなり、すぐさま閉じられ。目の前の口から漏れ出たのは、溜め息めいた疲れ果てた声だった。そっかぁ、と続けざまに何度もこぼしていく音は暗く沈みきったものだ。今更になって疲労が襲ってきたらしい。いいザマだ、と三号は鼻を鳴らした。
 手が引かれる。いつぞやのように握り潰さんばかりのものではなく、引き千切らんばかりのものではなく、優しいものだ。こちらがついてくることを見越したようなものだ。鼻につくが、今は従ってやる。全てはこいつに勝つためだ。
「とりあえず、射程把握するところからね」
「射程なんか分かってるわよ」
「……まぁでも、もっかいちゃんと射程確認しとこっか」
 二匹のガールは手を繋いで歩く。二丁のスプラシューターが連れ立っていった。畳む

#新3号 #新司令

スプラトゥーン

善し悪しと受け入れることは全くの別問題【インクリング】

善し悪しと受け入れることは全くの別問題【インクリング】
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Ordertuneブックレット読んで嘘やん……………………となったので書いた。ジュークボックスで配信されている以上一般市民イカタコにもファンはいるだろうしあの記事読んだらショック受けるだろうなぁと。音ゲーやってるくせに音楽知識全然無いから何かそこらへん適当に流し読んでください。
音楽好きのイカ君の話。Ordertuneネタバレ有。

 重い音が開け放たれたロッカーに吸い込まれる。ホチキス止めの紙束はリノリウムを穿たんばかりの勢いで落ち、硬さに負けて床に這いつくばった。
 手にした雑誌は落ち、読んでいた紙面は視界から消えた。けれども、少年の視線は動くことがない。身体は凍ってしまったかのように硬直しているようで、手だけがぶるぶると震えている。紙があった場所をまっすぐに見つめた目も、水面に映る月のように輪郭を揺らしていた。
「ん? なに? どした?」
 ロッカーの扉に隠れて立ち尽くすインクリングの少年の背に、訝しげな声がぶつけられる。友人の声だと頭は認識しているのに、口は全く動かない。否、歯の根が合わないように震えている。身体が、内臓が全部重くて、声を発することなどできなかった。
「ほんとにどーしたんだよ」
 懐疑を通り越して心配の音色すら孕んだ声が真横から聞こえる。ん、と疑問形の声が聞こえる。ほどなくして、紙たちが擦れ動く音が足元からたつ。薄い紙がめくられていくさざなみめいた響きが鼓膜をなぞった。
「何? 今月も懸賞当たんなかった?」
「…………MOF8の」
 細かに揺れるだけだった口がようやく動き出す。どうにか吐き出した声は、心と同じほど揺れてブレていた。
「MOF8の曲、盗作だって」
 発した声がそのまま石のように固まって胃の腑に落ちていく感覚がした。思いきり落とされて、反動で内臓がひっくり返るような心地。そのまま中身を吐き出してしまいそうな気分。
 帰宅まで我慢できず、ロッカーにしまっておいた雑誌を手にしたのは何分前だろう。今日発売したばかりの音楽雑誌は特集が多くいつもより厚かったことを覚えている。各種特集ページを読み進めながら薄くインクの香りが漂う紙をめくっていくと、見開きページが目に入った。レコードを模したロゴに近頃よく見かける緑の顔、目を隠すサンバイザー。Dedf1shだ。
 Dedf1shといえば、数年前から話題になっているも誰もその姿に辿り着けなかったアーティストだ。最近になって顔出しするようになったが、その露出はとうとう雑誌寄稿まで及んだらしい。多彩な楽曲を作り出すトラックメイカー、その楽曲批評が読めるだなんて。心を躍らせながら、緑の目は細かな文字を追った。
 素朴ながらも芯が通った言葉はどれも響くものだった。そう、この曲はその音がいいのだ。その技術に触れるとはさすが。活動停止辛すぎるよな。感嘆に声を漏らしそうなのをこらえながら、少年は紙面を追っていく。瞳が捕らえたのは、何十何百と眺め目に焼き付いたジャケットだ。愛してやまないMOF8を象徴するものだ。この曲にも触れてくれるのか。現役アーティストから見たこの曲はどんなものなのだろう。湧き立つ心に身を任せ、丸い萌葱色は並ぶ文字を辿った。
 これはボクが作った曲だ。
 勝手に音源を引っ張ってきてリリースしたみたいだな。
 MOF8、そのジャケットの隣に書かれたいくつもの文章。ほんのわずかなその文字たちは己の頭を殴り、脳を揺らし、思考を止め、呼吸を遮った。心臓が爆発でもしたかのように大きく跳ねる。酸素を欲した肺が筋肉を動かすが、喉は上手く取り入れられずに惨めな音をたてた。視界がブレ、ぼやけ、全ての感覚が消えていく。
 やっと取り戻した今も、まだ心臓はうるさく鼓動を続けていた。感覚は戻れど、頭は動かない。否、動かしたくないのだ。だって、大好きなアーティストが、大好きな曲が、盗作だったなんて、そんなの。
 事態を飲み込めないのか、友人は眉をひそめ眺めるばかりだ。急いでその手から雑誌を奪い、該当のページを開いて押し付ける。なんだよ、とむくれた声。しばしの沈黙の後、何とも表現し難い蠢くような声が聞こえた。
「うわー……マジかー……」
「うそだろぉ……」
 事態を理解した友人は信じがたいと言いたげに呟く。その言葉が、先ほど目にした文章が夢や幻でないことを突きつけてくる。心を刺すそれに耐えきれず、少年は頭を抱えてその場にくずおれた。ぶつかったロッカー扉が抗議の声をあげる。
「お前、馬鹿みてぇに流してたもんな」
 うわー、と友人はまた声を漏らす。明らかに引いている声だった。それはそうだ、盗作するアーティストを目の当たりにして負の感情を抱かないはずがない。名義を偽って発表するだなんてたちが悪いことをしているのだから尚更だ。
「……まぁ、ドンマイ?」
「何がドンマイだよぉ……」
「それ以外に言えることねーだろ」
 肺の中にある空気全てを吐き出すように嘆息する。身体が重い。頭が重い。もう動きたくない心地だった。
「元はDedf1shの曲なんだろ? じゃあDedf1sh追えばいいじゃん」
「ちげぇんだよ……一曲盗作だったってことは他も怪しいだろ……」
 幽鬼めいた少年の声に、友人は一拍置いてあぁ、とこぼした。
 MOF8の楽曲は多彩だ。重低音が唸るように織りなす曲もあれば、シンセサイザーの軽快な音色を重ねる曲もある。迫力ある管楽器演奏に愉快なコーラスを合わせた楽曲は愛してやまないものだ。ジュークボックスで流しすぎて友人たちに怒られた程度には。
 それも全部、誰か知らないヒトの楽曲かもしれない。ヒトの楽曲を盗んで発表しているのかもしれない。多彩な作風はただただ他人の継ぎ接ぎだっただけなのかもしれない。
 疑念ばかりが頭を支配していく。全てが盗作だなんて確証は無い。同時に、一曲だけなんて確証も無いのだ。どれがオリジナルでどれが盗作かだなんて、誰も保証してくれない。
 MOF8も、過去のDedf1shと同様に突如現れた正体不明のアーティストだ。ジュークボックスに何曲か収録されているものの、外部露出は一切無い。ここ数年は新曲の発表すら無いのだ。誰かの別名義ではないかと囁かれるほどである。
 新作の発表がないのも、外部露出がないのも、『全て盗作だったから』で説明できてしまう。納得できてしまう。納得したくないのに、現実は突きつけて突き刺して無理矢理受け入れさせようとしてくる。
「まぁ、ほら。こーゆー時は別の曲聞こうぜ? な?」
 肩に感覚。努めて軽薄な声を出す友人が叩いているのだと理解するまで随分とじかんがかかった。促されるがままに、少年は立ち上がる。不気味なまでに鈍く遅く力無く動く様は、幽霊と言われても信じられるようなものだった。
 友人に手を引かれ、少年はロッカールームを出てジュークボックスの下へと歩む。筐体前に立つと、手が勝手に動いた。手癖で曲を選ぼうとしたところで、不自然なほど急激に動きがストップする。今選ぼうとした曲も盗作かもしれない。大好きなMOF8の曲じゃないかもしれない。そもそも、MOF8なんて『アーティスト』はいないかもしれなくて。
 コインが落ちる高い音。機械が動く重い音。程なくして、バトル中よく耳にする楽曲がロビーに響き渡った。鋭いギターサウンドが空間を震わせる。
「ベイカ嫌いだっつってんだろ」
「ベイカがアレでも曲はいいだろ」
 露骨なまでに眉根を寄せ、少年は友人を睨めつける。視線の先の青い目もまたこちらを睨みつけた。他人が見れば鏡写しのようだろう。
 財布からコインを取り出し、無言でジュークボックスを操作する。収録されたばかりの曲を選び、硬貨を入れた。うるさいまでの音楽が消え、少し間の抜けた電子音が整備された空間を埋めていった。
「やっぱDedf1shじゃん」
「いいだろうが」
 鼻を鳴らすように笑う友人に、少年はぶっきらぼうに返す。いいんじゃね、と普段通りの薄っぺらい軽い声が隣から聞こえた。
 ジュークボックスの近く、小さな審判が眠るソファの隅に座る。今日はもう動きたくない気分だ。本当ならばイヤホンで聞きたいが、生憎ナマコフォンとイヤホンはロッカーに置きっぱなしだ。スピーカーから流れる音楽に身を委ねるしかない。委ねて何も考えたくない。音の中に埋まっていたい。何も考えず、何にも囚われず、何にも侵されず、ただ音楽を聞いていたい。
 少年は壁にもたれかかって目を伏せる。軽やかなクラップと美しいハイトーンが疲れ切った頭に染み込んでいった。畳む

#インクリング

スプラトゥーン

その程度でお前を隠せるはずがない【ワイ→←エイ】

その程度でお前を隠せるはずがない【ワイ→←エイ】
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エイトくんを評価しまくってるワイヤーグラスくんとんなこと露ほども思って無いし気付いてないエイトくん良いな……というあれ。ワイヤーグラスくんもワイヤーグラスくんでそこそこ重い感情抱えてたら私が喜ぶ。あと色んなとこ捏造しまくってるし色んな解釈はゲームのオンライン要素寄り。
自由気ままに野良に潜ってるワイヤーグラスくんと隠れて野良に潜ってるエイトくんの話。大体3話前ぐらいの時系列。

 広いロッカールーム、その一角。チープな金属扉に隠れるように頭を潜り込ませ、エイトは愛用するミミタコ8を外す。カゴの中に静かに放り込み、代わりにロブスターブーニーを取り出した。目元はもちろん、長めのヘアスタイルも全て隠すように目深に被り、ブキを片手に足早にロッカールームを出る。開けたロビーでは多くの者たちがエイムやイカロールの練習に励んでいた。普段と違い、こちらを見る目は皆無に近い。
 新バンカラクラスであるエイトは目立つ。それはもう目立つ。特徴的なギアを着けていることもあり、ロビーに入ればすぐに存在を気付かれるほどには目立つ。存在に気づいて離れていくものもあれば、これみよがしに声を交わす者もいる。やりたくねー。当たりたくねー。何で野良で潜ってんだよ。時にはげんなりとした声で、時には嘲るような声で紡がれる言葉は、それこそ耳にタコができるほど聞いたものである。
 ならば、目立たなければいい。
 ヒトというのはどうやら色を特徴として捉え、大きく印象持ち、強く覚えるらしい。頭と真反対の色をした、それはもう目立つ真っ赤なミミタコ8を外すだけで飛んでくる声の数は減った。つばの大きな帽子を目深に被り、ギアと同じぐらい鮮烈な赤い目を隠せば、潜めた声の数は激減した。プレートの名前は変えられないものの、近頃は騙りが多いからか気にする者は少ない。『本物』がまぎれているだなんて思うヤツの方が少ないのだ。インクリングは単純な種族だと聞かされていたが、オクトリングも同じほど間抜けらしい。これできちんとバトルができるのかと不安を覚えるほどである。
 マッチングを開始し、少年は壁際を陣取る。普段ならばエイム練習をするところだが、今ばかりは静観する他無い。目立ってしまっては意味がないのだ。手遊ぶように片手でナマコフォンを開いてスケジュールを再確認する。今のステージはマテガイ放水路とゴンズイ地区だ。マテガイ放水路は最近になって手が入り、地形が変わったと知らされている。事前に確認したかぎり侵入ルートが一つ増えただけだが、実戦でどうなるかなどまだ分からない。少しでも経験を積む必要がある。実力だけではない、情報も全て手に入れ優位に立たねばならないのだ。
 ベルの音が鳴り響く。マッチングが終わったようだ。慣れた調子で移動し、スポナーへと入る。少しの待機の後、浮遊感。開始地点に並んだ証だ。もうじきバトルが始まるだろう。
 スポナーを満たしていた身体をヒトの姿へと変え、エイトはスポナーの上に立つ。武器を構えたところで、両脇からゲェッと汚い悲鳴が聞こえた。何だ、と瞠られた三対の目たちの先をみやる。視界に入ったそれに、腹の奥底から勢いよく声が湧き出てきた。野良のチームメンバーのように無様な声を出さぬよう、喉で必死に押し殺す。潰れたような醜い音がスポナーの上に落ちた。
 身体はゆったりとしたニットとサルエルパンツにほとんど隠されているが、覗くわずかな部分だけでも鍛えられていることが分かる。抱えるのは目に痛いほど鮮やかな青で彩られたプライムシューターだ。長いゲソはコーンロウで綺麗にまとめており、顔立ちがしっかりと見える。目つきは鋭く、視界に入った何もかもを射殺すような輝きに満ちていた。その目元には細い銀フレームの眼鏡――あれを眼鏡と称すのは未だに疑問を覚えるが――が光る。何より、ネームプレートに記された名前。
 ワイヤーグラス。
 8傑――その中でも更に強い者が集まった新バンカラクラス、トップに立つ最強のインクリングがそこにいた。よくよく見ると、彼の両隣のオクトリングもあんぐりと口を開いて固まっている。どうやら野良で一人潜っているところに出くわしてしまったらしい。
「いやいやいやいや」
「うっそだろ、ワイヤーグラスとかマジ?」
「これ無理っしょー……」
 聞こえる声は完全に意気消沈していた。強者に勝とうという気概など一欠片も見えない。最初から勝負を放棄していることが丸分かりだ。
 罵声を吐きそうになるのを愛銃のグリップを握ることで押し止める。向上心など欠片も感じられない、反骨心の一つも見られない、立ち向かう気概など砂粒ほども無いヤツらなど、今まで数え切れないほど見てきたではないか――相対してきたではないか。掃いて捨てるほどいる弱いヤツを引いただけの話だ。寄せ集めの野良なんてこんなものである。
 ポジティブに解釈すれば、絶好のチャンスである。ここから見ただけでも、相手チームはワイヤーグラス以外の面子がすっかりと萎縮しているのが分かる。きっと勇んで前線に躍り出てくることは無いだろう。つまり、前線は己と彼との一騎打ちがほとんどになる。バトルメモリーや現地での観戦で彼の動きは何十何百と見ているが、実際に手合わせできる機会など滅多に無い。新バンカラクラス最強との戦い――またとない好機だ。
 またスポナーに身体を沈める。ふ、と短く息を吐く。いつもより浅くなっていたのは、きっと気のせいだ。
 勝つ。一回だけでも絶対に撃ち勝つ。
 バトル開始の合図とともにステージに降り立つ。赤い瞳は相手のリスポーン地点を――ワイヤーグラスがいるであろう場所を一心に見つめていた。




 
 
 音が弾けると同時に、目の前、相手陣地に紙吹雪が舞う。見える顔は喜びよりも安堵、もっと言うならば疲弊が強く出ていた――一人を除いて。
 そのたった一人であるワイヤーグラスも、特段勝利を喜んでいるようには見えない。へたり込む即席チームの仲間など無視して端末を操作していた。おそらくマップを確認しているのだろう。熱心なものだ、とエイトは小さく息を吐いた。
「こんなん勝てっかよ」
「え? 勝とうとか思ってたの?」
「んなわけないじゃん」
「最初から負けるって決まってんだよなー」
 だよなー、とリスポーン地点に座り込んだ野良三人は合唱する。疲弊しきったような素振りに、少年は舌打ちしそうになるのをこらえた。疲労を覚えるほど戦っていなかったくせに。最初からろくに前線に出てこなかったくせに。カバーはおろか撃ち合う素振りすら見せなかったくせに――最初から勝負を放棄していたくせに。勝つ気がないくせに被害者面をするのだから腹立たしい。これだから弱いヤツは弱いままなのだ。
 ぐだぐだと文句を垂れ流す弱者など目もくれず、オクトリングはロビーへと戻る。先のバトルでの経験をまとめ、バトルメモリーを見返さねばならない。己の実力にあぐらをかいて研究を怠ってはならない。強者はいつだって強者であらねばならないのだ。
 手早くナマコフォンを開き、つい先ほど記録されたリザルトを眺める。並ぶ数字の群れに喉が鳴った。こぼれ落ちた濁った音が喧騒に溶けて消える。
 目を引くのはやはりワイヤーグラスのものだ。インクリングをデフォルメしたアイコンの横に並ぶ数字は八とゼロ。つまり、三分の間一度も倒れることなく戦ったことを意味している。対して己のは五と三。三度倒れたのは、全てワイヤーグラスにとの対面だった。遠くからラインマーカーで刺され、マーキングによって把握された行動を見咎められ、削られた状態で対面に持ち込まれ、撃ち合いに負けてリスポーンへと戻る。他の面子――あちらも大概自陣に引きこもっていたが――をいくらか倒して前線を上げようとしたものの、全て抑えられてしまった。上げたところで味方は続こうとしなかったのだから意味は薄かったのだけれど。
 サブウェポンの使い方も、メインウェポンの使い方も、スペシャルウェポンの切りどころも、全てが完璧だった。敵が嫌がることを丁寧に行い、攻勢を封じ込め、押し切り抑えきる。まさにお手本のような戦い方だ――実力が違いすぎてほとんどの者にとって参考にはならないだろうが。
 はぁ、と思わず溜め息をこぼす。対面に一度も勝てなかったのは悔しい。一人の力で勝てなかったのが悔しい。強い者はいつだって強くあらねばならないのだ。たとえ味方が非協力的であろうが、一人で勝ちを掴まねばならない。それでこそ『強者』なのだから。
「エイト」
 耳慣れた声が、生きてきた中で数えられないほど聞いた言葉をなぞる。想定などしていないそれに、ビクンと大きく肩が跳ねた。この声は。いやけれども。だって今、『エイト』は『新バンカラクラスのエイト』の姿をしていなくて。なのに。
 ガッと音が鳴りそうなほど肩を強く掴まれ、勢いよく引かれる。たたらを踏みそうになるのを体幹に物を言わせてこらえ、エイトは振りほどくように身を反転させた。反動を殺すようにタップを踏んで二、三歩距離を取る。帽子が上半分を隠した視界の中には、予想通り鮮やかなオレンジがあった。深い橙を通り越して血にも似た瞳がこちらを睨みつける。この身を貫き刺し殺すような視線だった。
「……よく分かったね」
 相対するワイヤーグラスに、エイトはどうにか笑みを浮かべて返す。あぁ、と威圧的な声が聞こえた。銀のアタマギアの奥、吊り目が眇められ鋭さを増す。十人中八人はこの顔を見ただけで逃げるだろう。そして残り二人は名前を聞いて逃げ帰る。
「分かるに決まってんだろ」
 鼻を鳴らしインクリングは言う。は、と今度はこちらが疑問の声を漏らす番だった。
 己は今、目立つアタマギアを外し、目やヘアスタイルといった特徴を隠している。ネームは『エイト』のままであれど、騙りが多いここ最近は信用に値しない情報だ。バトル中は別のインク色に変わっていたのだから、あのさなかで『新バンカラクラスのエイト』の印象を持つはずがない。だのに、何故。
「動き見りゃ分かる」
 当然のように吐き捨てる強者に、オクトリングはますます首を傾げる。確かにヒトには動きにはどうしても癖が存在する。開幕まっすぐに中央に進む、対面時はサブウェポンから入る、潜伏を多用する、スペシャルの切りどころが同じなど様々だ。弱点に繋がるそれを消そうと日夜注意しているものだが、気付いていないだけでまだまだあるらしい。いや、それはいい。問題は『何故彼が己の癖を覚えているか』だ。
 彼は強い者にしか興味が無い。そして、己は彼に敗れた――悔しいけれども、彼にとっては『弱いヤツ』だ。新バンカラクラスに誘われたものの、その事実は覆せていない。彼の中では己は『弱いヤツ』であり、有象無象の一人でしかないのだ。だというのに、何故彼は己の癖を覚えているのだ。まるで今までの戦いを見てきたかのような。まるで意識してきたかのような。そんなこと、あるはずがないのに。
「お前も分かるだろ」
「まぁ、きみほどとなるとさすがにね」
 ほらな、とワイヤーグラスはまた鼻を鳴らす。誰だって強者のことは覚えるだろう。己は彼を研究しているのだから尚更だ。だが、彼にとっては事情が違うではないか。強者ならともかく、弱者を覚えているなど。
「もう一戦付き合え」
「は?」
「侵入できるようになったとこ研究しきれてねぇんだよ。手伝え」
 は、とまた疑問符にまみれた声が漏れる。相手はこちらの様子など歯牙にもかけず、スタスタと歩き出していた。まるで付いてくるのが当然であるかのような姿だ。色とりどりの毛糸で飾られた背中はどんどんと遠ざかり、マッチング手続きをするために動いていく。
 覚えられていた。
 彼が弱者に意識を向けていた驚愕、理由が全く分からぬ故の猜疑――そして、己は彼が記憶するに値した存在であるという事実への歓喜。マイナスもプラスも心の中をぐるぐると巡って、鼓動を早くしていく。マイナスもプラスも殴りかかるように突っ込んできて、頭の中をぐちゃぐちゃに掻き乱した。
 これではまるで彼が己のことを認めているようではないか。そんなはずはない。彼は『負けた弱いヤツ』に興味があるはずなど無いのだ。脅威になり得ない己を意識するはずがないのだ。けれど、現実が、『彼は己の癖を把握している』という事実が全ての前提を破壊していく。ろくに思考できない脳味噌を更に使い物にならないものにしていく。
 拳を握りしめ、エイトは歩き出す。手続きをするワイヤーグラスを追って歩き出す。うるさい鼓動を、無様に浮き足立ちそうな心を、醜く慌てふためく脳味噌を押さえつけるように、悠々とした足取りで歩みを進めた。
 共に戦うなどまたとない機会だ。すぐ隣で戦えば、彼の癖が更に分かるはずだ。味方に出す指示やカバー時の立ち回りを盗めるかもしれない。対面するよりも貴重な、今後あるか分からないほどのチャンスだ。それをみすみす逃すわけにはいかない。どうでもいいことを考えて立ち尽くすわけにはいかないのだ。
 混迷し高揚しごちゃつく思考を切り替え、少年は歩みを進める。ようやく追いついたカラフルな身体の横に立ち、端末を操作する。チームで潜る時と同じように手続きを終えた。
 盗むのだ。暴くのだ。全てを研究し、解き、ワイヤーグラスに勝つのだ。誰よりも強者としてあるのだ。あらねばならないのだ。
 たった一つの目標を、打ち倒すべく強者を横目でみやり、エイトは.96ガロンを握り締めた。畳む

#ワイヤーグラス #エイト #ワイエイ #腐向け

スプラトゥーン

おとなにはまだ早い【ヒロニカ】

おとなにはまだ早い【ヒロニカ】
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「インク切れの会社員」ヒロ君と「バンカラな若者」ニカちゃん(公式PVとかの二つ名)だったらどんなんかなーこんなんになるかなーと考えた結果がこちらになります。付き合ってる時空。
子どもに手は出さない大人がとても好き。大人になったらどうなるかは知らないよ。
大人だと主張するニカちゃんと大人であろうとするヒロ君の話。

 流れる水の音が消え、カチンと電灯が落とされる音が背後から聞こえた。次いで足音。スリッパが打ち鳴らすそれはすぐそばで絶え、代わりに座るソファの座面が沈む気の抜けた音がした。
「お疲れ様です」
「ん。なんか面白いのやってる?」
「特段」
 そ、と隣に座ったばかりの恋人は短く返す。大きな手が遠慮無しにリモコンを引っ掴んで、慣れた手付きで操作していく。電子のカーソル音と共に、さして大きくないテレビの中を様々なサムネイル画像が流れていく。濁流のような視覚情報はやがて止まり、空気が抜けるような音がスピーカーから流れた。小さな画像が画面いっぱいに広がり、すぐさま暗転する。
「こないだ配信始まってさ」
 見よ、という提案より先に映像は再生されていく。配給会社の大きなロゴが画面を占有すると同時に、肩に重みと温もり。寄りかかってきた小さな頭を撫でてやると、上機嫌な高い笑声が耳のすぐ横で聞こえた。
 週末、こうして二人で過ごすのはもう日常となりつつある。社会人である己――ヒロと高校生であるベロニカが時間を気にせずゆっくり過ごせるのは土曜日ぐらいだ。今日は部屋で持ち寄った漫画を読んで、流れるように夕食を共にした。門限に間に合う電車まで時間があるこの夜は、映画を見て過ごすと決めたらしい。映画一本見るにはいくらか短い時間だが、これはこれで『続きを一緒に見る』という楽しみが生まれる。悪くはない選択だった。
 白色ライトが照らす中、二人黙して物語を味わっていく。王道ストーリーは承が終わるころのようで、画面の中では主人公が浜辺に突っ伏して泥だらけになっている姿が映し出されていた。王道が故に先の展開が読めてしまうため、集中力は少し途切れつつある。先に飲み物でも用意した方がよかったな、と些末な考えが主人公の慟哭が響き渡る中よぎった。
 すり、と手の甲に感触。角張った白い指が、浅黒い肌の上を滑っていく。じゃれつくような動きだが、ゆったりとしたそれにはどこか艶めかしさがあった。焦らすように広い部分をじわじわとなぞって、吸い込まれるように指と指の間に潜っていく。脱力した己の指はすぐに開いて、小さな侵入者を受け入れた。
 すり、と肩に感触。頭を擦り付ける動きは子が甘えるようなものだが、今この時ばかりは奥底にこごった欲望が透けて見える。ふ、と息を吐き出す音にすら熱を持っているように聞こえた。
 足を軽く動かし、ヒロは拳半分だけ恋人から距離を取る。抗議するように、捕らえられたままの手を強く握られた。わざとらしく物音を立て、ベロニカは拳一個分距離を詰める。離れた分だけずり落ちた頭がまた寄せられ、不満げにぐりぐりと擦り付けられた。愛らしい姿に、青年は思わず息を呑む。崩れそうになる理性をどうにか立て直し、今度は拳一個分離れる。焦れたのか、恋人は握った手を思いきり引っ張った。バトルに身を投じ鍛えられていれど、相手はまだまだ子どもである。座面に沈めた手はびくともしなかった――しないように思い切り力を込めていたのだから当然である。
「逃げんなよ」
「逃げてません」
 苛立ちを隠しもしない声が耳に直接注がれる。受け流すように努めて静かに返すと、また抉るように頭を押しつけられた。逃げてんだろうが、とむくれた声が壮大な劇伴にまぎれて消えた。
「ベロニカ」
 腹を括るように小さく息を吐き、ヒロは画面から恋人へと視線を移す。身体ごと相手へと向こうとして軽くひねると、支えを失いバランスを崩した恋人がそのまま胸に飛び込んできた。わっ、と小さな悲鳴が二つ重なる。大人びたことをする彼女を諭すはずが、余計に事態を悪化させてしまった。スピーカーから流れる波音が何とも言えない沈黙を埋める。それでも二人を包む空気は形容しがたい温度をしていた。
「ヒロ」
 甘えきった声が、とろけつつある声が、胸の中からあがる。悔しいが、こちらの心拍数も上がるばかりだ。どれだけ理性的であろうとしても、己も健康な男である。恋人を胸に収め、艶やかな声で名を呼ばれては気分が逸るのは自然の摂理だ。けれども、毅然とした態度を示さねばならない。己は『大人』なのだから。
「駄目です」
「何でだよ」
「言ったでしょう。社会人になるまでそういうのはおあずけです」
 恋人であるベロニカは高校生だ。少なくとも、学生である間――まだ『子ども』である間は手を出すつもりはない。付き合い始めた頃からそう言い聞かせ同意しているというのに、最近の彼女はそれを破ろうとしてくるのだ。全ては誕生日を迎え成人したからである。高校生でありながら成人――所謂『大人』になった少女は、『大人』扱いを望むのだ。
 ヒロからすれば、たとえ法律上で『大人』同然となろうが彼女はまだまだ子どもだ。高校生は成人しようともまだ保護されるべき『青少年』なのだ。当初の約束の通り、『そういうこと』をするつもりは欠片も無い――無くさねばならない。『大人』が不用意に『子ども』を傷付けてはならないのだ。
「もう大人なんだぞ? いいじゃん」
「高校生の間はまだ『青少年』ですよ。それに、約束したでしょう」
「……まぁ、そうだけどさー」
 いいじゃんかよー、と恋人はむずがるように頭を擦り付ける。見える横顔は頬は少し膨らみ唇を尖らせており、まだまだ幼さを窺わせるものだ。やはり、こんな年若い『子ども』に手を出すのはいけないことだ。理性は正論を喚き立てる。同調した心は、姿を現しかけた本能を無理矢理押し込めて見えなくした。
「貴女はまだまだ若いんです。まだ学生で、見える世界が狭い間にそういうことをするのはもったいないんです。もっと世界が広くなって、見えるものが多くなってからでも遅くありません」
「遅ぇって」
「遅くない」
 互いに引かず問答を繰り広げる。法律に個の責任を認められたベロニカはそれを盾に訴えてくる。『子ども』扱いをやめられない――やめてはならないヒロは約束を理由に突っぱねる。頑固者同士譲る姿勢は見せなかった。遅い、遅くない、と硬い声が二つ何度も重なってはソファへと落ちていく。
「…………好きな人とそういうことしたいのは、おかしいのかよ」
 はたと口を噤んだ少女は、依然尖った唇でぽつりと呟く。ぐ、と青年の喉からおかしな音が漏れた。
  一瞬呼吸が止まってしまったのは仕方が無いことだ。これだけ可愛らしい姿や心を見せられては、心拍数は上がるばかりだし、胸は締め付けられるばかりだし、腹の奥には何かが溜まるばかりだ。押し込められて窮屈そうにしていた本能が、理性が載せた蓋を押しのけてようとする。今一度封印するため、青年は強く目を瞑る。ここで折れるわけにはいかないのだ。
「お、かしくんは、ないですけど」
 大人然とした正しい姿をとるはずが、発した声は途切れ途切れの情けないものとなってしまった。あぁ、と胸中で思わず頭を抱えて蹲る。『大人』でありたいというのに、『恋人』としての己は我慢を貫き通せないのだから情けなくて仕方が無い。彼女の前では模範的な『大人』でありたいというのに、まだ四半世紀しか人生経験を積んでいない己はそれを演じきれないのだ。無様としか言い様がない。
「あと四年、頑張れませんか」
 結ばれていない手をそっと細い背に回し、あやすようにゆっくりと撫でる。触れた細い身体がひくりと震え強張るが、小さな吐息とともにすぐに解けた。身体に掛かる重みが更に増える。理性を揺らす幸福であった。
「四年も待ってくれんの」
「待つに決まってるでしょう」
 大切な貴女を待てないはずがないでしょう。
 歌うように言葉を紡ぎ、ヒロは愛しいヒトの背をトントンと叩く。んぅ、と鼻に抜けるような息の音。熱っぽいそれはすぐに消え、んー、とむずがるような声があがった。
「ぜってーだかんな」
「絶対ですよ」
 指切りでもしますか、なんて軽口を叩いてみる。子ども扱いすんな、とむくれ声があがった。繋がったままの手に少しだけ力が込められるのが伝わってくる。ぎゅっぎゅと握り締めるゆるやかな店舗は、指切りする時のそれとよく似ていた。
 己は『大人』だ。ベロニカにとっては『大人』であらねばならない。けれども、恥ずかしいことに心はまだ成熟しきっていないのだ。少なくとも、こんなに愛しているヒトを手放す選択肢など無いぐらいには『子ども』だ。大切なものは何年でも守り通してやる――他の誰にだって渡さない、己だけのものだと思うほど『子ども』だ。そして、そんな姿を彼女に見せるわけにはいかない。少なくともあと四年は『大人』を演じねばならないのだ。
 演じきれるだろうか、なんて心の片隅の何かが弱音を吐く。演じねばならないのだ、と頭の中で何かが叫んだ。
 慈しむように、縋るように、青年は少女の背を撫でる。ほったらかしにされた画面の中では、子どもたちが愛を叫んでいた。
畳む

#Hirooooo #VeronIKA #ヒロニカ

スプラトゥーン

クリーニング・チェンジリング・シンキング【ヒロ→←ニカ】

クリーニング・チェンジリング・シンキング【ヒロ→←ニカ】
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ヒロ君は勉強熱心なので(幻覚)色んな本買ってたらいいな……買いすぎて本棚に入らなくて床に積んでたらいいな……という幻覚。整理整頓得意そうな子がのっぴきならない理由で部屋を汚してるのは可愛いね。ついでにニカちゃんは整理整頓ができないけどどこに何があるかは分かるから不便してないタイプだといい。
部屋にヒトを入れたくないヒロ君と興味津々で部屋に行きたがるベロニカちゃんの話。

 回されたシリンダー錠が硬い鳴き声をあげる。握られたドアノブも続くようにガチャリと鳴いた。
「……どうぞ」
「おじゃましまーす」
 金属たちと同じほど硬い声でヒロは言う。電車の中からずっと渋面を貼り付けていた彼のことなど気にせず、ベロニカは呑気な声とともにドアをくぐった。
 玄関の狭い三和土にはクツギアがいくらか並んでいる。つま先から踵まできっちりと揃えられて整列している様は、海藻が丁寧に植えられた水槽を思い起こさせる。シューズラックの上には底の浅いトレーがある。鍵やメモ帳、薬用リップが転がっていた。
 ガチャンと扉が閉まる音。パチンと軽い音とともに、天井から光が降り注いだ。あの、と控えめな、依然強張った声が続く。振り返ると、そこには相変わらず苦々しげに眉を寄せ複雑そうに唇をうごめかせる友人の姿があった。
「すぐ取ってくるのでここで待っていてくれませんか? 十秒で終わりますから」
「あんたのと間違えるかもしれねーだろ。あたしも探す」
 適当な言葉を並べ立て、ベロニカは靴を脱いで廊下へと上がる。ひゅ、と息を呑む音が聞こえたが、気のせいだということにする。
 上げた目線の先、続く短い廊下と部屋の境界には丈の短いカーテンが掛けられている。電気が点けられていないこともあり、薄布の向こう側は見えない。秘められた奥地を暴くべく、少女は歩みを進めた。
 ヒロはヒトを部屋に迎えたくないようだ。本人曰く、『汚い』『狭い』『足の踏み場が無い』『人を迎えられるような場所じゃない』らしい。嘘だとすぐに分かるような言葉ばかりである。あの狭苦しいロッカーを美しく機能的に整理するような彼が部屋を散らかすはずがない。いつの日だったか、存在する物全てが転がり散らばる大層汚い己の部屋をその日の予定も何もかも放り出して片付けたような彼なのだ。他人の部屋を片付けられるヒトが、自分の部屋を汚すわけが無い。
 なにか別の理由があるのだろう。嘘を吐くほど入れたくないのだ。踏み入らない方がいいに決まっている。けれど、好奇心というものはなかなかコントロールできないもので。『クリーニングの際にギアを取り違えた』『すぐ返すはずのそれを忘れてきた』なんて、訪れるにはうってつけの理由があればついつそれを盾にしてしまうわけで。結果、折れた彼は部屋を訪れることを許してくれた――終始苦しげな顔をしていたけれど。
 十歩も無いような廊下をずんずんと歩んでいく。部屋のすぐ手前にあるキッチンは油汚れが見当たらないぐらい綺麗に手入れされている。鍋やフライパンも狭いスペースの中工夫してしまわれていた。こんなところまで綺麗に整えるようなヒトの部屋が汚いわけがないではないか。一体何が待ち受けているのだろう。好奇心は注がれ続ける刺激を養分に膨らむばかりだ。健気に訴える罪悪感や良心を弾き飛ばすほどに。
 おじゃましまーす、と再び唱え、ベロニカはカーテンに手をかける。軽いそれは、ちょっと力を入れただけで動いて端へと寄った。ベールの向こう側が、玄関から差す光にうすらと照らされ眼前に広がる。
 まず飛び込んできたのは本だ。大小厚薄入り乱れた本がいくつも積み重なり、床の上に背の低いタワーを築いている。何本も立ち並ぶ姿はさながら住宅街だ。目を凝らすと、カーテンが閉められた窓の横には本棚がある。己の身の丈ほどあるその腹の中は満杯で、雑誌一冊入れる隙間すら無い。どうやら、床の住人たちは居住地が見つからないためにそこにいるようだ。
 部屋の中央、あまり大きくないローテーブルの上にも小さな塔がある。傍らには大判の雑誌が悠々と身体を伸ばしている。端っこにはマグカップが申し訳無さそうに佇んでいた。傍らにあるゴミ箱らしき筒から、ビニール袋の取っ手が伸びている。処理したばかりなのだろう、中身は見えなかった。
 パチンとまた軽い音。瞬間、また光が降り注ぐ。薄闇に包まれていた部屋の全貌が白色灯の下にさらけだされた。
 本棚の上には、更に本が積み重なっている。部屋の中で安住の地を待つ住人は、棚一つでは足りないほどいるように見えた。隣、窓際にある大きなかごからはTシャツが一枚這い出ている。おそらく洗濯物だろう。すぐさま視線を九十度移動させると、カラフルな背表紙と目が合う。やはり中身は満員だ。壁際に寄せられたベッドは整えられており、本当にここで寝起きしているのかと疑うほど綺麗だ。壁には帽子型のアタマギアがいくつか並んでいる。等間隔に並ぶ様はインテリアと言われても信じるほどである。また視線を動かすと、今度はカレンダーと視線がかち合う。二ヶ月分の日付が記されたそこには、大きな丸印や少し角張った字が記されていた。今日の日付の部分には、赤丸と『ギア』という文字がある。
「すみません……汚くて……」
 背中に消え入りそうな声がぶつかる。細いそれは呼吸ができていないのかと疑うほど苦しげだ。うぅ、と漏らす嗚咽は羞恥が色濃く滲んでいた。
「いや、あたしの部屋より綺麗だろ。何言ってんだ?」
 思わず振り返り、少女は真ん丸になった目で少年を見る。口を引き結んだ友人は、いえ、ほんと、あの、と否定の声を漏らすばかりだ。
 掃除してくれた身だ、ヒロは己の部屋の惨状を知っている。なのに、ちゃんと足の踏み場があって、洗濯物が片付けられていて、布団も整えられている部屋を『汚い』と評すのは意味が分からない。この程度で『汚い』ならば、己の部屋は『ゴミ捨て場』とでも表現するのが正しい。
「床見えてんだから綺麗だろ」
「『綺麗』のハードル低すぎませんか?」
 証明するようにズカズカと部屋を進む。きちんと動線を確保してあるのか、問題なく中央の机まで進むことができた。広げられた雑誌が目に入る。大きなロゴの下に、.96ガロンを持ったプロ選手の写真が何枚も並んでいる。整列した細かい文字は二色に分かれている。おそらくインタビュー記事だろう。
「もう本棚を置く場所が無くて……床に置くしかないんですよね……」
 はぁ、と喉に栓でもされていたのかと思うほど重い溜息。あぁ、と落ちた声はやはり恥ずかしげなものだ。彼にとってこの部屋はヒトに見せられないほど『汚い』らしい。あたしの部屋見た時よく倒れなかったな、と今更な感心が浮かんできた。同時に、好奇心に弾き飛ばされていた罪悪感が這い戻ってきて主張を始める。ここまで嫌がるのに無遠慮に足を踏み入れてしまった。彼のミスを盾に無理をさせた。湧き出る後悔の念が大声でがなりたてて頭を揺らす。何度も殴っては刺してくるそれらに、ベロニカは小さく喉を上下させた。
「あっ! ギアはきちんと保管しているので! 綺麗ですから! 洗ってありますから!」
 大声をあげて、バタバタと足音をたててヒロは部屋を突き進む。クローゼットを開け、すぐさま何かを引っ掴んで戻ってくる。これです、と押し付けるように渡され、少女は気圧された短い声を漏らした。厚いビニールのショッパーに手を入れ、中身を引き出して確認する。まさに取り違えていたギアだ。ギアスロットが記されたタグを確認すると、昨日クリーニングに出した時のまま、まっさらになっている。確かに己のものであった。
「これだわ。あんがと」
「すみません、こんなことになってしまって……」
「『行きたい』って押しかけたのはあたしだろ? 何で謝んだよ」
 まぁ、それは、はい。オクトリングは歯切れの悪い言葉を漏らす。いつだって人の目をまっすぐに見る赤い目は床ばかりを見ていて、豊かに動かす口元はもにゃもにゃと曖昧に動いている。整えられた眉の端っこは下がりきっている。よほど落ち込んでいるらしい。また罪悪感が鋭く胸を刺した。
「……ごめん」
「いえ、最終的に迎えたのは僕です。ベロニカさんが謝ることはありません」
 今更になって謝罪を漏らす。すぐさま否定する彼も、またしょもしょもと萎んでいってしまった。明るく照らされた部屋だというのに、なんだか冬の暗がりに飛び込んでしまったかのような心地がした。誤魔化すように頭を掻く。耐えきれず視線をうろつかせると、足元のテーブルが黄色い瞳に映った。紙面の上、.96ガロンを構えた選手とバッチリ目が合う。それすら気まずくて、また視線を彷徨わせる。飛び込んできたのは、雑誌の下から顔を覗かせる『ストリンガー』の文字だった。堅苦しいフォントで書かれたそれの下には、モノクロで描かれたトライストリンガーのイラストがある。折れ目が付いた緑色の帯には、『構造』『基礎』『重版』と色んな言葉が並んでいた。
「トラスト、興味あんの?」
 訊ねる声は弾んでしまった。反省の色も何も無いそれに返ってきたのは、え、というきょとりとした声。すぐさま、ヒュ、と息を呑む音が聞こえた。え、あ、は、と意味を持たない音が彼の口から漏れては床を転がっていく。
「いえ、あ、の……ちょっと気になっただけで……ほんのちょっとだけ……」
 本当に、ただ気になって、他意はなく、とヒロは言葉を重ねていく。『しどろもどろ』という言葉を体現したような有様だった。友人の様子に、ベロニカは視界が斜めになるほど首を傾げる。彼は探究心が強い努力家だ。様々なブキに興味を持つことは自然である。事実、対戦相手に匠にブキを扱うプレイヤーがいると一緒にバトルメモリーを見返すことは多いし、試し撃ち場でそのブキをふるっている様子も見る。床に積み上げられた本も、背表紙を見る限り多数のブキ指南書や整備に関する本が多く見受けられる。何故こんなにも慌てるのか、全く理解ができなかった。
「戻りましょうか! スケジュール変わっちゃいますし!」
「そこまで急がなくていいだろ……」
 バタバタとらしくもない足音をたてて進む少年の背に、少女は呆れ返った声を漏らす。本当に、ここに来てからずっと様子がおかしい。様子をおかしくしてしまったのは無理矢理押しかけた己なのだけれど。罪悪感がまた心臓を刺した。
「まだ電車まで時間あんだろ。ゆっくり行こうぜ。コケっぞ」
「そう、ですね」
 都合の悪い感情を押し込めるように言葉を紡ぐ。返ってくるのはやはりしょぼくれた声だ。また罪悪感が心臓を、脳味噌を刺す。後悔も加わり、針地獄を作り上げる勢いで膨らんでいった。
 二人交互に靴を履き、部屋を出る。コンクリートで囲まれた廊下は熱がこもってほのかに暑い。息を吐くと同時に、錠が掛けられる音が響いた。
 白い表紙が、緑の帯が、頭に浮かんだまま離れない。視界に映った本は、ほとんどがシューターに関するものだった。その中に一つだけ輝く、己のブキ。机に出して置いたままにするほど読み込んでいる己のブキ。ふわりとうちがわにある柔らかな部分が宙に浮かんでいく。確かな熱が胸に注がれていく。
 何事にも挑戦する彼だ。互いに研究する彼だ。いつかトライストリンガーを使う日が来るかもしれない。己と同じブキを使う日が来るかもしれない。考えただけで、動かす足とその音が軽く弾んだものとなった。
 まぁ、トラスト二枚はしんどいけど。笑みを含んだ声がこぼれ落ちる。小さなそれは、大きな足音に掻き消されて消えた。畳む

#Hirooooo #VeronIKA #ヒロニカ

スプラトゥーン

あんたに編み込んで【ヒロ←ニカ】

あんたに編み込んで【ヒロ←ニカ】
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ハッピーハロウィン(フライング)(明日の体調が怪しいため)
キョンキョンぼう可愛い! そういやこれ三つ編み付いてんすね! お揃い! とかそういう単純な思考による単純な話。都合の悪いところは都合の良いように勝手に捏造してる。
ハロウィンギアが気になるベロニカちゃんハロウィンギアに興味津々なヒロ君の話。

 前後に付けられた大きな装飾を横に避け、丼をひっくり返したような帽子を被る。そのままくるくると回して正しい被り方をする。不思議なことに、顔の真ん前に配置された大きな厚紙は透けて向こう側がはっきりと見えた。おぉ、とベロニカは思わず感嘆の声を漏らした。どういう仕組みか分からないものの、こんな顔を隠すようなデザインでしっかりと視界が確保できるようになっているのは驚きだ。見た目を最優先した機能性の低いギアだと思っていたが、そうではないようだ。
「前見えますか?」
「見える。すげーわこれ」
 尋ねる声に急いでそちらへと顔を向ける。透ける札紙の向こうには、どこか心配そうな顔をしたヒロがいた。やはり視界の確保への懸念が大きいのだろう。そんな表情を振り払うように弾んだ声を、恥ずかしながら弾んでしまった声をあげる。それでも信じられないのか、送られる視線はまだ訝りを残していた。
「ヒロも被ってみろよ。すげーんだって」
 被ったギア、キョンキョンぼうを脱ぎ捨て、目の前の青い頭へと載せる。うわ、と短い悲鳴があがった。怯んだように屈んだ頭を見下ろしながら、帽子の位置を調節してやる。こわごわと上げた顔からは次第に猜疑の色が消え、高揚にも似た感動の色が広がっていく。赤い瞳は感情を表すように大きく丸くなっていく。口元は小さく開き、はわぁと小さな溜め息が落ちた。
「ちゃんと見えるんですね。どういう仕組みなんでしょう」
「何なんだろうな。こっちから見たらただの紙なのに」
 眼前に取り付けられた厚みのある紙をいじくりながら少年は呟く。少女も不思議そうに前から横からと覗き込んだ。やはり何度見ても正面からでは達筆すぎて読み下せない文字書かれたただの厚紙だ。けれど、横から見るとうっすらと前が透けて見える。きちんと被って見た結果は先ほど十二分に味わった。普通の紙のように見えるが、何か特殊なものなのだろうか。知的好奇心が年頃の少年少女をこれでもかとくすぐって、あちらへこちらへと動かした。
 横から紙を眺める黄色い目がすぃと動く。レモンの瞳に映るのは、ギアの背面に付けられた装飾だ。背の半ばまであるそれは、三つ編みにされた髪のようなものだった。かっちりと編み込まれた様子は縄を思い起こさせる。前に取り付けられた札も大概意味が分からない装飾だが、こちらも何のためにあるのかが全く分からない。下手をすればバトル中どこかに引っかけてしまう危険性があるのだから、実用性を下げるものである。先ほどのような配慮はあれど、やはり見目を最優先したギアのようだ。
 そういえば、とベロニカは記憶を辿る。インクリングはゲソを気合いを入れて伸ばし、前に垂らした三つ編みにしている者がいる。己もその一人だ。しかし、オクトリングがそのようなヘアスタイルをしているのは見たことがなかった。彼らの多くは長いゲソ――オクトリングは『ゲソ』ではないと目の前の友人に教えられた覚えがあるが――を分けて下ろしているか、簡単に結っているかがほとんどだ。
 気合いを入れればゲソは伸ばすことができる。けれどもそれをしないのは何故なのだろう。バンカラ街のオクトリングもまた『イカした』ことに力を注いでいるのに、何故ヘアスタイルには無頓着なのだろう。インクリングとオクトリングはトレンドが違うのだろうか。いや、ロビーに広げっぱなしにされていた雑誌ではどちらも同じように扱っていた覚えがある。では、何故。
 疑問と好奇心で埋め尽くされた少女の心は、容易く身体を動かす。角張った手が伸び、後ろに垂れた三つ編みの装飾を避け、背へと流れる青いゲソに触れる。先が緩やかにカールしたそれは、冷房が切られてぬるいロッカールームの中でもひやりとしていた。耳の後ろ側、太い部分に這わせた指をゆっくりと動かしなぞる。先端に辿り着いたところで、年頃の少女にしては硬い指が躊躇いがちに泳ぐ。しばしして、ゆるくうねったそれをしかりとつまむ。そのまま、ぐっと下に引っ張った。
「いった!」
 瞬間、目の前で悲鳴があがる。形が良いブルーの頭がぐっと後ろに傾く。バランスを崩した帽子が揺れ動き、そのまま床へと落ちた。わっ、と思わずこちらも声をあげる。
「すまん!」
「一体どうしたんですか……?」
 即座に手を離し、ベロニカは悲鳴と同じぐらい大声で謝る。ゲソを引っ張られた当人は、己の愚行に怒ることなく問いかけるだけだ。動揺をあらわにした声は、本当に状況が理解できていないことを如実に表していた。
「これ、後ろ三つ編みになってんだろ? オクトリングも気合い入れて引っ張ったら三つ編みにできねーのかなーって」
 しょぼくれた声で答えを返す。この有様では返答ではなく言い訳にしか聞こえなかった。事実そうであるのだけれど。あまりにもイカしてない、みっともない、子どもそのものの行動だった。今になって羞恥と後悔が湧き起こってくる。何より、彼に危害を与えてしまったのが大問題だ。普段から世話を焼いてくれる優しい友人を衝動的な好奇心で傷付けるなど馬鹿にも程というものがある。
 あぁ、と少年は納得した声をあげる。そこにうすらと笑みを含んでいるように聞こえたのは、きっと気のせいなんかでないだろう。当たり前だ、こんなガキくさいことをして笑われない方がおかしいのだ。
「オクトリングはインクリングに比べて触手の本数が少ないですからね。三つ編みはよっぽど頑張らないと難しいんじゃないでしょうか」
「あー……、本数は気合いじゃどうにもならねーもんな」
 インクリングの頭部にあるゲソは六本だが、オクトリングのそれは四本だ。目の前の頭を見るに、それも左右に二本ずつ分かれた配置をしている。己たちのように気合いで伸ばしたとしても、アンバランスになってしまうだろう。
 種族差によってヘアスタイルに違いが出てくるとは。なるほどなぁ、とベロニカはこぼす。目の前のヒロは、事態を飲み込めていないのかきょとりとした顔をしていた。
「できたらいいのにな。三つ編み似合いそうだし」
 指を伸ばし、今度は顔の脇にある一本に触れる。ゲソの持ち主はびくりと身体を震わせた身を引いたが、すぐさま平常通り、何でもないという風な顔でこちらを見た。怯えさせてしまった事実に、また胸を悔恨が掻き混ぜて黒く染め上げていく。全ては自分が悪いのだけれど。
 取れてしまった帽子に、無くなってしまった三つ編みに、心臓を撫でるように風が吹いていく。うっすらと、けれども確かに冷たいそれには覚えがある。ダイヤの乱れで待ち合わせの時間に会えない改札口。合流のタイミングを見誤って先にバトルに行かれてしまったロビー。予定が合わずしばしの間戦えない連絡が来た床の上。そんな時はいつだって冷えた何かが心の臓を這っていくのだ。
 今は目の前に彼がいる。ギアの試着を終えれば、ナワバリバトルに繰り出す予定だ。なのに、何故こんな気分になるのだろう。少女は目をしばたたき、小首を傾げる。胸のあたりを撫でてみるが、依然として冷たさは消えなかった。
「せっかくのハロウィンですし使ってみたいですけど、ヒト速……ヒト速かぁ……」
「あたしもどうすっかなー」
 ブツブツと呟くヒロに、ベロニカも難しそうな声を返す。ヒト速はトライストリンガーと相性は悪くないものの、今から普段通りのギア構成になるようにコーデを組み直すのは骨だ。自分の趣味嗜好を考えるに、使うとしても今回のハロウィン特別フェスが最初で最後だろう。そのために新しくコーデを考えるというのはどうにも面倒くささが勝つ。
 悩ましげに眉を寄せ、いつの間にか拾った帽子を睨みつける友人を見やる。.96ガロンを扱うヒロにとって、ヒト速であるこのギアを採用するのは難しいだろう。.96ガロンはヒト速の効果量がそれはそれは低いのだ。わざわざ活かせないものに枠を割くのは非合理的である。それを分かっていても悩むほど、彼はこれに惹かれているようだ。
 帽子に取り付けられた三つ編みが揺れる。三つ編み。オクトリングにはできないヘアスタイル。オクトリングである彼ではきっとずっと見られないヘアスタイル。
「……ま、いっか」
 少女は小さくこぼす。は、と吐き出した息は、胸中の混迷具合と正反対に軽い響きをしていた。
 今さっき見れたじゃないか。たとえギアの装飾とはいえ、三つ編みを下げた姿が見られたじゃないか。違うヘアスタイルをした彼が見れたじゃないか――己と揃いのヘアスタイルにした彼が見れたじゃないか。
 吐いた途端、ぐちゃりと渦巻く感情が吹き飛んで消えていく。冷たいものが撫でていた胸に温度が戻ってくる。むしろ、温かさを覚える何かが胃の腑に落ちた気がした。
「どうしました?」
 問われ、ベロニカは視線を前に戻す。そこには、今一度ギアを被ったヒロの姿があった。後ろに偽物の三つ編みを垂らした彼の姿が。
 ふっと思わず笑みを漏らす。口元が緩む。とくりとくりと心の臓が普段よりも大きな駆動音を鳴らし始めた気がした。どれも不可解だ。けれど、どれも心地よさがあった。
「どうせなら写真撮っときゃよかったなって」
「さすがに勘弁してください」
 ニカリと笑う少女に、少年は笑って返す。ギアを取り扱っている今、どちらの手元にもナマコフォンは無い。冗談と言うことは分かりきっていた。そもそも、彼が写真の類をあまり得意としていないことはよく知っている。珍しいコーデをしていようと、不躾にカメラを向けようだなんてことは一つも思わなかった。互いに冗談だと分かっているからこそ、笑みを交わせるのだ。
「作るだけ作ってみっかなぁ」
 貸していたギアを眼前の頭からひょいと取り、ベロニカはスロッシャーのように指先でくるくると回す。インクの色に染まった長い三つ編みも一緒に回った。ぺちぺちと身体に当たるのが鬱陶しく、すぐにやめて胸を隠すように持つ。前から見ると相変わらず不透明な札が少女を見上げた。
「使うならこっちでしょうか」
 そう言って少年が取り出したのは、不気味の一言に尽きる仮面だった。ヒトの顔に似ているようで、出っ張っている額や顎がヒトならざる者だと語っている。要所要所に開けられた穴たちや、矢印のような赤い模様が更に不気味さを加速させていた。
「何だそれ」
「『ホッケかめん』だそうです。ホッケ……なんでしょうか?」
 裏表を確認していたオクトリングの手が止まる。そのまま両手を側面に当て、かぽりと顔に被せた。顔面全てを覆う仮面により、一瞬にして顔も表情が失われる。目元だけがうっすらと透けて見えるのが、どこか滑稽だった。
「……似合ってんじゃね?」
「似合うとか似合わないとか、そういうギアじゃないと思いますけどね」
 軽口を叩き合い、二人でクスクスと笑い合う。ハロウィンまであと少し。
畳む

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どれにせよ腕は死ぬ【新3号】

どれにせよ腕は死ぬ【新3号】
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久しぶりにヒロモやったら序盤でパブロ振らせるミッションあることに気付いて宇宙猫顔になったので。いやこんな序盤にパブロをオススメするの正気か? 初心者に時間制限付きステージでパブロ振らせるとか正気か?
肉体の限界を試される新3号の話。

 どぷんと液体が湧く音。べしゃりと固体が落ちる音。ヤカンの金網から吐き出された黄色は、白い地に放り出されて転がったまま動かない。相棒の生死を確かめるようにコジャケが駆け寄り、その鮮やかなイエローの髪をつつく。三度触れて動かぬことを見て、何とも表現しがたい鳴き声が固い嘴から漏れる。そのまま、全てを呑み込まんばかりに大きく口を開けた。
「食えないっつってんでしょ」
 地面に放られた手が素早く動き、持ち上がった上顎を掴む。そのまま、力強く引き寄せ、持ち上げ、大きく空に放り投げた。言語化しがたい鳴き声と丸い体躯が液晶が作り出す蒼天へとまっすぐに昇っていった。
 はぁ、と嘆息し、インクリングは再び地を転がる。ヒーロスーツに包まれた腕はまだ熱を持っていた。じんじんとこもる熱も、ずぐずぐと疼く痛みも落ち着く様子がない。また溜め息。少女は端末を開き、イカの姿に戻りキャンプ地へと飛び立った。
「おかえりー!」
 降り立ちヒトの形へと変わると、元気な声が飛んでくる。爽やかで弾けるような明るさに、少女は目元を険しくする。気付かないのか、気にしていないのか――おそらく前者だ――一号と呼ばれるインクリングはぶんぶんと手を振った。
 気にも留めず、黄髪の少女は歩みを進めキャンプ地の隅へと腰を下ろす。いつの間にか戻ってきたのか、相棒のコジャケがこちらをじぃと見上げていた。何も無いわよ、と手の甲を向けて振って突き放す。瞬間、腕にまた痛みが走った。グッ、と漏れ出掛けた呻きをどうにか喉で殺す。仕留めきれなかったのか、あれ、と跳ねるような声がこちらに飛んでくるのが聞こえた。
「三号、どうしたの? 腕痛いの?」
 二人挟んで向こう側、足音が聞こえ始めてどんどん大きくなる。顔を上げた頃には、目の前にはしゃがみ込みこちらを見つめる一号の姿があった。金に十字が刻まれた丸瞳がじぃとこちらを見つめる。ぱちぱちと瞬くそれには表面にうすらと好奇心が刷かれている。輝きすら思わせる視線は、グローブに包まれた手は、スーツに包まれた少女の腕へと向かった。
 触れるより先に、勢いよく腕を引く。途端、また前腕に痛みが走った。今度は殺せきれなかった呻きが結んだ唇から漏れる。それでも触らせまいと、三号と呼ばれるインクリングは腕を己の身体で隠そうとした。
「え? 怪我したの!? 大丈夫!?」
「何もないわよ」
 チッ、とこれみよがしに舌打ちをし、三号は尻で後退って距離を取る。それもすぐに詰められた。目の前の太い眉はへにゃりと下がり、黄金の目は曇りを振り払うように瞬いている。『心配しています』と言いたげな顔だった。実際、心配しているのだろう。この一号とやらは底抜けにヒトがいいのだ。それこそ、腹が立つほどに。
「怪我なら手当しないとだよ? 『油断せず早期治療…戦場の鉄則!』ってじーちゃんが言ってた!」
「怪我じゃないっつってんでしょ」
 また腕に伸ばされる手を振り払い、少女は先輩隊員を睨めつける。青い双眸はこれでもかと眇められ、眉は強く寄せられ、口元は威嚇するようにカラストンビを剥き出しにしている。同年代の少年少女なら怯むほどの気迫だ。しかし、相手は成人した、それもなんだかよく知らないが色々と経験を積んできた先輩である。表情を変えることなく、ただただこちらを見つめてきた。純粋な、清廉な、本当にこちらを慮った視線が、警戒心丸出しのインクリングへと注がれる。視線がかち合い、逸れることなくぶつかりあう。
「…………パブロ、疲れんのよ」
 長い戦いの末、敗北したのは三号だった。ふぃ、と顔を逸らし、少女は吐き捨てるように告げる。へ、と呆けたような声。数拍置いて、あぁ、と納得の声と頷きが返ってきた。
 オルタナの一区画、『ながいきヤングニュータウン』と記された場所に辿り着いてしばらくが経った。これまでの経験もあってか、探索は前の区画に比べて随分と順調に進んでいる。ケバインクの除去ももうすぐ終わるころだ。ただ、一つ問題が残っていた。
 ケバインクの海に埋もれたヤカン、そこに設定されたミッション。迫りくるヌリヌリ棒から逃げながら的を全て壊すそれは、三号にとって苦戦するばかりだ。何しろ、オススメされるブキがパブロである。身の丈以上ある大きなフデを振り回し小さな的を狙って壊すのはなかなかに手こずる。それを棒に潰されぬよう、漏れなく壊すために素早く行わなければいけないのだから忙しいったらない。特に、己は今まで引き金を引くだけでインクが出るシューター系統しか使ってきていないのだ。大きな得物を絶え間なく振り回し続けるパブロを使えばどうなるかなど自明である。
「パブロは難しいよねぇ」
 眉尻を下げて笑う一号に、三号はまた舌打ちを返す。『難しい』のではない、ただただ『疲れる』のだ。同年代よりも体力はあるものの、あんなものを振り回し続けるなど初めての行為であり日常ではまずあり得ない動きである。慣れぬ内は体力を必要以上に消耗するのは当たり前なのだ。難しいなんてことはない。そう吐き捨ててやりたいものの、全ては言い訳にしか聞こえないだろう。それぐらいのことは疲れた身体と頭でも理解していた。
「『使うといい』と、司令は言っとるよ」
 隣から声。そして鼻に刺さるような臭い。眇目でそちらを見ると、そこには箱を差し出す二号の姿があった。手袋に包まれた手が持つそれは、ドラッグストアで見かける湿布だ。小さな箱の隙間から、薬の嫌な匂いが漏れ出ている。開封済みのようだ。
「何でそんなもん持ってんのよ」
「さぁ? とりあえず貼っとき」
 あぐらをかいた膝の上に薬臭い箱が載せられる。逡巡。溜め息とともに手に取り、箱を開け袋の中からいくらか引き抜いた。スーツを脱いで腕を晒し、痛みと熱を覚える部分に遠慮なくペタペタと貼っていく。ひやりとした感触が、患部が確かなる熱を持っていることを証明していた。薬品が染みこむことを表すように皮膚がじんじんと痛み出す。筋肉の悲鳴とはまた別の刺激に、少女は小さく顔を歪めた。
「他の使ってみる?」
「残りバケスロとヴァリよ」
 ミッションで使用できるブキは三種。バケットスロッシャー、パブロ、ヴァリアブルローラーだ。一部での略称が『バケツ』であるバケットスロッシャーは、インクをすくい上げるように腕を大きく動かさねばならないブキだ。パブロほどではないがこちらも腕に限界が来る。ではヴァリアブルローラーが良いかと言われればそうでもない。ローラー種はどれもサイズが大きく、その中でもヴァリアブルローラーは変形ギミックを搭載しているためかかなりの重量を誇るものだ。縦に配置された的がある都合上、どうしても縦に振り上げる機会は多い。こちらも腕を、それどころか身体全体を酷使するブキであった。
「あー……バケスロもかなり腕動かすもんね」
「ヴァリはまだ動きが少ないけど、そもそも持ち上げるのに力いるしねぇ」
「そう?」
 首を傾げる一号に、そうでしょ、と二号は呆れたように返す。何を言っているんだこいつは、と三号も険しい視線を送る。ダイナモより軽いけどなぁ、と小首を傾げてこぼす黒色に、黄色は片眉を上げて睨めつける。白色はふるふると小さく首を振った。
「もう筋トレでもするしかないんじゃない」
 口角を片方上げて吐き捨てる。もちろん、筋肉を鍛え上げたとてあの大業物を絶えず振り回すなど不可能だ。そもそも、今から鍛え始めても効果が出るのは何ヶ月も先だ。今すぐ攻略したいこの心にも身体にも意味など為さない。ハッ、と鼻で笑い飛ばした。途端、あぁ、とまた弾けるような明るい声が蒼天に響いた。
「いいね! でも今日は休んだ方がいいよ。明日からにしよ!」
「冗談に決まってんでしょ」
 立ち上がって拳を握る一号に、三号は呆れ返った声を返す。このインクリングは己よりもずっと年上だというのに子どものように疑うことを知らない。よくここまで純粋なまま生きて来れたものだと感心するほどだ。もちろん、悪い意味でだが。
「『一つだけ言うと』」
 二人の間にスッと声が差し込まれる。視線をやると、そこにはこちらを見る二号の姿があった。そして、その奥に座る司令の顔も映る。普段は背を丸め膝と頬に付けられた腕は解かれ、ピンと人差し指を一本立てている。相変わらず口元が動く気配はない。ただ、深青の瞳がじぃとこちらを見つめていた。
「『パブロならフデダッシュで轢いて壊せる』と、司令は言っとるよ」
「早く言いなさいよ!」
 思わず地に拳を叩きつけ吠える。瞬間、腕を痛みが襲った。痛みに目を引き絞り、三号はギッと司令を睨みつける。今の痛みは自業自得であるが、そもそもこの腕の酷い疲労感は攻略法を教えず押し黙っていたこいつにも責任がある。この痛みと怒りをぶつけるのは当然だ。疲弊と突沸した感情で揺さぶられる脳味噌はそうやって解を弾き出した。
「でも今日はお休みしよ? これ以上痛くなったら大変だもん」
「『戦いに備えて体調は万全にしておこう』と、司令は言っとるよ」
「言われなくても休むわよ」
 思い遣る言葉たちを少女は手を翻して切り捨てる。無様にも湿布を貼るような有様だというのにまた挑戦するほど馬鹿なはずがないだろう。何を考えているのだ、こいつらは。ハッ、とまた鼻を鳴らした。
「カフェオレでも飲んどく?」
「……飲む」
 くるくると傘を回す二号に、一拍置いて返す。相棒のせいで家計が火の車な我が家である、食べ物を施されるのはいつだって歓迎だ。だが、今このタイミングで寄越されるのは拗ねた子どもをなだめすかすようなものに思えて気に食わない。けれども、動き回って嵩を減らしに減らした空っぽの胃は、プライドを容易く蹴り飛ばした。
 どこからか取り出されたカップに、どこからか取り出されたポットが温かな飲み物を注ぎ入れる。コーヒーの香ばしい匂い、ほのかな砂糖の甘い匂い。心地良いそれらを腕に貼られた湿布の薬臭さが全て上書きしていった。
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#新3号

スプラトゥーン

諸々掌編まとめ13【スプラトゥーン】

諸々掌編まとめ13【スプラトゥーン】
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色んなところで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。と思ったけど今回3000字ぐらいのが多い。あとほぼほぼヒロニカ。掲載時から修正とか改題してるのは気にするな。
成分表示:インクリング+オクトリング/ヒロ→←ニカ/ヒロ→ニカ3/ヒロニカ


好ましくないやつらには好ましくないもんぶつけんだよ!【オクトリング+インクリング】
 溶けるような音が小さな舞台に響き渡る。力を得た身体は、何倍、何十倍にも肥大していった。巨大で凶悪な――まさに『帝王』の名に相応しい姿へと変貌し、少年は身体をうねらせ飛び跳ねる。四方八方から銃撃が降り注ごうと、テイオウイカはその体躯に見合わぬ狭き舞台で悠然と踊った。
 甲高いホイッスルの音がステージ中に響き渡る。しばしして、身体が縮み元の形へと戻った。見上げた先、まだら模様の審判がこちらへと旗を掲げる。己たちが勝ったという現実を証明していた。
「ナイスー!」
 ヒトとなり正面へと戻った視界の中、シャープマーカーネオを手にしたオクトリングがこちらを振り返り親指を立てる。特徴的な牙が覗く口は普段の彼からは考えられないほど開き、口角はいっそ恐ろしいほど上がっている。これ以上にないほど楽しげな、愉悦という言葉がよく似合う笑みだった。
 ナイス、と返し、テイオウイカから戻ったインクリングはヤグラから飛び降りる。大きな天井ガラスから降り注ぐ光を浴びて、手にしたバレルスピナーデコがギラギラときらめく。最後のダメ押しを決めてくれた相棒は、まるで勝利を喜ぶかのように輝いていた。
 友人が手を上げる。己も同じ程の高さまで上げ、勢いよくハイタッチをした。ぱしぃん、と盛大な音が試合が終わったステージに響いた。ナイス、と再び互いを讃える。二人で勝ち取った勝利なのだ、賛美するのは当然だった。
 好ましくねー。性格わる。
 背後から声が聞こえる。先程のバトルで敵だった二人だろう。シャープマーカーネオで塗りを広げ、バレルスピナーデコでヤグラを押さえ。奪われればトリプルトルネードとキューバンボムで奪い返し、ダメ押しにテイオウイカで乗り続ける。敵にとってはまさに好ましくない、この上なく不愉快な戦い方だろう。敗者がそんなことを言うのはあまりにもイカしていない、有り体に言ってダサいということを忘れるほどに。
 飛んできた負け惜しみに、二匹のインクリングは口角を上げる。カラストンビが覗かせた笑みは、『凶悪』『極悪』と表現するのが相応しいものだった。何よりも美味い馳走を手に入れた悦びに、もう一度盛大な音をたててハイタッチをした。
「まぁ、次頑張ろっか。俺たちならいけるって」
「うん! 絶対勝とうね! かーくんと一緒ならなんだってできるもん!」
 男女の声が背後から聞こえる。甘ったるい響きと言葉に、少年たちの顔から笑みが消える。代わりに、眉間に深い皺が刻まれた。あれほど輝いていた瞳は陰り、睨むと表現するのが相応しいほど眇められている。上がっていた口角は下がり、真一文字を描いていた。ケッ、とどちらともなく悪態をつく。次行こーぜ、と紡いだ声は棘がめいっぱいに生えたものだった。いじけると表現するのが相応しいものである。
 最強ペア決定戦。
 バンカラマッチは四人で戦うルールだが、今回のイベントマッチである『最強ペア決定戦』は二人で、つまりペアで戦うという限定レギュレーションで行われる。友人と戦う者、一期一会の相手と戦う者。組む相手は様々だ。その中でもとりわけ多いのはカップルだ。『最強ペア』なんて名前を冠しているのだから当然である。
 バトルに恋愛を持ち込むなど無粋だ。言語道断だ。汚らわしい。
 そう言い出したのはどちらだっただろうか。どちらでもいい。やっかみ、僻み、妬み、羨みといったろくでもない感情から発せられた言葉であるのは確かなのだから。
 あぁそうだ、当然だ、バトルは清くあるべきだ、などと熱くなった議論は一つの結論に辿り着く。『カップルで参加する腑抜けた奴らを実力で叩きのめそう』という、迷惑極まりないものに。
 そして、コンビを組んでバトルに潜り、出会ったカップルたちを完膚なきまでに叩きのめす今に至る。
「つってもさ、そろそろカップル減ってきたじゃん?」
「さすがにここまでパワー上げたらなぁ」
 カップルで参加するもののほとんどはバトルを遊び程度に捉えて楽しむ、所謂『ライト層』である。実力が高い者もいるにはいるが、『ライト層』に比べ数は圧倒的に少ない。一定ラインを超えたあたりから、マッチングのほとんどが明らかに野良で組んだ二人組になってきた。
「どうする? やめる?」
「たまにいるだろ、バトルが出会いで~って言う高XPのカップル。ああいうのはまだ残ってんだぞ」
「あー……確かにいるわ……。じゃあやんねぇとな!」
 そうだそうだ。やらねばならぬのだ。潰せ。勝つぞ。勝手極まりない、迷惑千万にも程がある言葉を交わしながら、少年たちはマッチング手続きをする。待機の間、インクリングはイカバンカーを撃ち今一度エイムを合わせる。射程端で的確に捉え、常に距離的優位を取るのはバトルで何よりも重要なことだ。せっかく温まった身体を冷やさないためにも軽く動いておいた方がいい。
「……なー」
 バンカーが弾ける音。漏れる声。タイミング悪く掻き消されたと思ったが、イカロールの練習をしていた友人には伝わったようだ。なんだー、と尋ねる声が返ってきた。
「どうせだからこのまま最強ペア目指さねぇ?」
 イベントマッチのタイトルは『最強ペア決定戦』だ。ならば、自分たちが『最強のペア』になってもいいのではないか。順調にパワーを上げた今なら、達成できるのではないか。上位に食い込み、『最強』の名をほしいままにできるのではないか。久しぶりに二人でコンビを組み、勝ち続けた今、そんなことを考えてしまう。『最強』というイカした肩書を得る未来を。
「いや、カップル潰す方が重要だろうが。何のためにやってんだよ」
 非常に冷静な、冷めた声が返ってくる。ノリの良い彼からは想像できないほどのものあった。滅多に出さない響きであった。それほど、友人は『カップルを潰す』という行為に重点を置き、命を懸けていることが分かる。
「まぁ、それはそう」
 オクトリングの言葉に、インクリングはさらりと返す。肯定する軽い言葉に反して、苦味のある笑みが漏れた。
 そうだ、カップルを潰すためにここにいるのだ。だのに最強がどうやらなど考えるだなんて。高くなる勝率に調子づき、腑抜けたことを考えてしまったようだ。馬鹿だなぁ、と嘲る言葉が胸に重く落ちてくる。吐き出した息は細さに反して重い響きをしていた。
 高い音がロビーに響く。マッチングが完了したのだ。すぐさまブキを持って、バトルポッドに入り込みステージへと移動する。ポッド内の液晶画面に相手のネームとプレートが映される。プレートデザイン、二つ名、ネーム、バッジ。構成するどれもがバラバラだ。ネームから性別は判断できないが、野良の可能性が高いだろうか。否、実力者たちは『おそろい』なんてものにこだわっていない。この程度の情報で判断するのは早計だ。
 入ったスポナーから飛び出し、ブキを構える。相手はクーゲルシュライバーとスプラシューターコラボ。頭のギアが同じだ。服と靴とは全く調和が見られないそれに、笑みが浮かぶ。トドメとばかりに、視線を交わして頷きあう姿が見えた。
 瞼が軽く落ちる。頬が持ち上がる。口角が上がる。ブキを持つ手に力がこもる。胸の奥がカァと熱を持つのが分かった。
 潰すぞ。おう。
 インクリングとオクトリングは静かに言葉を交わす。どちらも高揚しきったものだ。どちらも獰猛極まりないものだ。どちらも、意志の固さがはっきりと分かるものだった。
 少年たちはスポナーに飛び込む。狙いを定めて数拍。オレンジ色に染まった身体が二つ、ステージめがけて飛び出した。




あなたの前で被る猫なんてない【ヒロ→←ニカ】
「そこの高台取るかいっつも悩むんだよな」
「打開に使われやすいですものね。押さえたら強いのですけれど……、アクセスのしやすさでは敵の方が勝るのが気になります」
「それなんだよ。前からも横からも後ろからも刺しやすいし、ヤグラ乗ってるやつもろとも吹き飛ばされることあるし」
「ウルショやカニにとっては格好の的になっちゃいますもんね」
 端的な、しかしどうにも不名誉な表現に、ベロニカはストローを噛む。硬いプラスチックがへし折れて癖が付くのが口の中で分かった。少女の様子を気にすることなく、対面の少年は小さな端末に線を書き入れていく。侵入ルートを記す矢印、防衛箇所をピックアップする丸、オブジェクトまでの有効射程ラインを表した四角。様々な図形がゴンズイ地区のマップ画像に書き込まれていた。
 掃除が行き届いたロビーの隅、木製の高台横。黄色のインクリングと青のオクトリングがタブレット端末を囲んで座り込む。傍らには様々なブキとインクが散っていた。二人が射程の確認や数多の戦法を練った証だ。
「こっちの高台は……さっきのバトルで試してらっしゃいましたけど、微妙ですよね」
「いけっかと思ったけどダメだ。トラストの射程じゃそこから前線に手ぇ出せねぇ」
 敵陣右奥、アクセスするのに一手間かかる高台にバツ印が付けられる。こっちは、だったらこっちのが、と少年少女は議論を重ねる。文字と図形がどんどんと大きな画像を埋めていく。
 焼けたしなやかな指が、白い角ばった指が、威勢の良い言葉が、少し荒れた線が、端末の上を駆けていく。一通りまとまった作戦資料を眼下に捉え、二匹はふぅと息を吐く。舌戦に試射にと筋肉をこれでもかと動かしたというのに、そこに疲労は無い。満足感ばかりが見えた。
「マッチング次第になりますけど、とにかく試してみましょうか。僕もカバーできるラインを確認しておきたいです」
「……なぁ、ヒロ」
 片付けたタブレットを小脇に抱え、オクトリングは立ち上がる。黄色い瞳が小麦の細い足から上って、赤い瞳をじぃと見る。ヒロと呼ばれた少年ははい、と答える。不思議そうな響きをしていた。
「それ、無理してねぇ?」
「はい?」
 小首を傾げて問うベロニカに、ヒロはまた疑問符だらけの声を返す。ひっくり返ったそれは、普段の落ち着いた様子からは想像だにできないほど情けがないものだった。へ、え、と意味のない音を重ねる口は不安げに震え、黄の視線を真っ向から受ける目は何度もしばたたかれる。『動揺』という言葉をこれでもかというほど体現していた。
「無理? え? 反省会がですか?」
「ちげーよ。そうじゃなくて、喋り方」
 混乱の渦に飲み込まれた少年は疑問たっぷりに言葉を重ねていく。そんな様子を訝しげに眺める少女はバッサリと切り捨てた。薄い唇を胼胝ができた白い指がビシリと指差す。つられるように、硬さの見える尖った指が主人の口を指差した。
「喋り方……? ぁっ、えっ、もっ、もしかして、この喋り方不愉快でしたか!?」
「ちげーつってんだろ。お前、バトル中はタメ口じゃん。何でいつもはケーゴなんだよ」
 手を動かし目を瞬き口を開閉し、わたわたと慌てふためくヒロをベロニカはギロリと睨みつける。目元には苛立ちがうっすらと見えるが、口元は『拗ねる』と表現するのが正しいほど尖っていた。
 ヒロは丁寧に話す。この年頃にしては丁寧な口調に隙の少ない理論、それでいて柔らかさと謙虚さを伺わせる落ち着いた喋り方をする。しかし、バトルのさなかでは別だ。戦況を知らせる際に交わす言葉は『ゴール横ロラ』『ショクワン来てる』と非常に簡潔なものばかりだ。色の薄い唇が放つ言葉には普段の恭しさも柔らかさもない。必要なものだけを詰め込んだ、短く鋭い響きだけがステージに響くのだ。
「あー……バトルは情報伝達が最優先ですから忘れちゃうんですよね。すみません」
 うすらと頬を染め、ヒロは眉尻下げて頭を掻く。ちょっとした失敗を見られた時のような、恥ずかしさとバツの悪さがあった。本人による答えが出されたというのに、相対するベロニカの表情は曇ったままだ。茜色を一心に見つめていた月色は、どんどんと下がって地へと吸い込まれていった。
「……やっぱ無理してんのか?」
 少女の口から言葉がこぼれる。一滴のインクのような小さな言葉が、コンクリートの床に落ちて消える。ロビーに流れる音楽に掻き消えてもおかしくない響きは届いてしまったようで、え、とまた抜けた調子の声が少女の頭に落ちた。
「無理? あっ、バトルで大きな声を出すことですか? さすがにもう慣れました――」
「ちげーっつってんだろ! 話聞け!」
 合点いった調子で人差し指を立てて答えようとする声を、怒声が吹き飛ばす。動揺も不安も消えた少年の笑顔が搔き消え、また不安が分厚い化粧を施した。
「だからー……『忘れちゃう』ってことは、バトル中のタメ口が素なんだろ? その、わざわざ敬語喋ってんの、無理してんのかなって」
 威勢よく放たれた声はどんどんと萎み、しまいにはもごもごと動く口の中に消えるほど小さくなってしまった。眇められた山吹は陰差し、健康的な色の唇はもどかしそうにむにむにと形を崩しては戻る。あぐらをかいた足首を握る手はほのかに震えており、力が込められていることが分かった。
 は、とヒロは溜息にも似た音を漏らす。尻上がりの響きは懐疑がよく見て取れた。無理、と少年は飛んできた言葉を己の口でも作り出す。無理、と今一度紡ぐ声は上がり調子で、どこか素っ頓狂な響きをしていた。
「無理だなんて……。この喋り方は癖みたいなものなんです。無理なんてしてませんよ」
 どこか呆れた調子の、けれどもなんだか弾んだ響きで少年は答える。クエスチョンマークと不安が多量に浮かんだ表情は晴れやかなものに戻り、眩しいほどの笑顔を浮かべていた。いっそ胡散臭さすら感じさせるものだ。
 疑うように、試すように、ベロニカは頭上の赤をじぃと見つめる。睨めつけると表現した方が相応しいほどの鋭さだ。ものともせず、ヒロは言葉を続ける。
「そもそも、ベロニカさんの前で無理なんかしませんよ。これだけ熱く語れるヒトの前で無理したり取り繕ったりするのは無理です」
「……ほんとか?」
「嘘を吐いても意味がないでしょう? 怒られるのが分かってるんですから、吐くだけ損です」
 まだ不安に揺れる黄金を、紅玉がじぃと見つめる。すっと膝を折り、少年はあぐらをかいたままの少女と視線を合わせる。暖かな色を宿した柘榴石が、細まった琥珀をまっすぐに見つめた。
「ベロニカさんの前が一番自然でいられるんです。無理なんてしてません。無理して仲間と話せるわけないでしょう?」
「……まぁ、それはそう、か」
 そうですよ、とヒロは笑う。そっか、とベロニカは引き結んだ唇を綻ばせる。心元なさそうに足首を掴んでいた手が引き締まった太ももへと移動する。短い息とともに、少女は立ち上がった。今度は紅が金を見上げる。
「無理してねぇならいい!」
 ニカリと笑い、インクリングは声をあげる。ロビー全体に響くほど、大きく弾ける、ハツラツとした音をしていた。はい、とオクトリングも同じほど弾けた声をあげる。すくりと立ち上がり、また赤と黄がかちあう。そこには陰も何もなく、ただ生き生きとした輝きだけがあった。
「んじゃ次行くか!」
「そうですね……、あ」
 少女はトライストリンガーを器用に蹴り上げて取る。.96ガロンや他のブキをまとめて抱えた少年は、ぽつりと音をこぼして固まった。
「どした? トイレか?」
「あの……スケジュール変わっちゃいました……」
 え、と漏らしてベロニカは急いで振り返る。ヒロが指差した先、大きな液晶スクリーンに映し出されたスケジュールはガチヤグラからガチホコバトルに変わっていた。反省会――と己の無駄な勘ぐりによる問答をしているうちに、随分と時間が経っていたようだ。少女は苦々しげに唇を引き結ぶ。せっかく編み出した戦法が実践できない悔しさに、己の浅はかさと間抜けさへの怒りに、少女は小さく呻き声を漏らす。警戒心を剥き出しにした鳥の鳴き声によく似ていた。
「ホコは……前に考えたの一個実践できてませんね。やってみます?」
 タブレット端末を再び開いた少年は、しなやかな指を操りながら問う。くるりと回して差し出した液晶画面には、ナメロウ金属のマップ画像が映し出されていた。赤い丸、青い矢印、緑の斜線。様々な色が画像の上を踊っている。数日前、二人で反省会および戦略会議をした時のファイルだ。確かに、あの日は時間が無く考えたもの全てを試すことができなかった。つまり、スケジュールが変わったばかりの今は絶好のチャンスだ。
「やる!」
「では一回確認してからにしましょうか。時間が経ってまた見えるものもありますから」
「おう!」
 抱えたブキを放り出し、ベロニカは再びあぐらをかいてタブレットを見つめる。抱えていたブキとタブレットを地面に静かに並べたヒロは、複製したファイルを表示させた。
 警戒な音楽流れるロビーの隅、熱のこもった声が二つ響いては溶けていった。




バトルに行ったらすぐに取れてがっかりしただなんて言えない【ヒロ→ニカ】
 五色が空から降り注ぐ。頭のずっとずっと上、無骨な機器から流れ出るそれは絶え間なく地へと降り立っていた。飛沫が霧のようになり、熱された空気を冷やしていく。盛大に流れ細かに散りを絶え間なく行うインクたちは、夕暮れの赤い世界の中でも己の確かな色を誇っていた。
「すげー……」
「圧巻ですね……」
 隣で感嘆の声を漏らす友人につられ、ヒロも溜め息のように言葉を吐き出す。グランドフェスティバル特設会場、その入り口に設置されたカラフルなミストシャワー――ミストと言うにはいささか量が多いが――は少年少女を圧倒するほどダイナミックで鮮やかに入場者を待ち構えていた。
「……いや、これ通っても大丈夫なのか? 死なねぇ?」
 ほぅと吐かれた息に不安が宿った声が続く。袖口をくいくいと引かれ、少年は隣へと視線を移す。一緒に会場を訪れた友人、ベロニカは警戒心をあらわにこちらの顔と流れ出るミストシャワーとを視線で往復した。インクリングおよびオクトリングは、自身の身体に適合しないインクを浴びると大きなダメージを受ける。色とりどり、つまりは自身と違う色のインクを浴びることに危険を覚えるのは当然だろう。
「大丈夫ですよ。公式サイトに『安全に配慮したインクを使用しています』と書いてありますから」
 ほら、とヒロは手にしたナマコフォンの画面を指差す。細かな文字を追い終えたのか、ほんとだ、と返ってきた声は少し拍子抜けした調子をしているように聞こえた。途端、服を掴む力が強くなる。小さめにつまんで不安げに引く手は、ぐっと握り締め好奇心旺盛に引っぱり連れ行くものに様変わりしていた。前方へと、シャワーの下へと引っ張られるがままに、ヒロは足を動かす。インクが降り注ぐ水音に、元気な足音が二つ飛び込んだ。
 ダン、とインクリングは思いっきり地を蹴り飛び込む。タン、と軽く地を駆けオクトリングも色の下へと身を飛び込ませた。瞬間、冷えた空気が、液体の感触が身体を包む。厳しい残暑の空気に晒され続けていた身体にとっては、この上なく心地の良いものだった。わぁ、とどちらともなく声をあげる。はしゃぎきった子どもの響きをしていた。
 涼しい空間を潜り抜け、ヒロは会場へと足を踏み入れる。瞬間、音が弾け空気が大きく震えた。楽器の通る音色、負けじと主役を張る歌声、そして盛大な歓声。きっとライブが始まったところなのだろう。入り口を抜けてすぐの場所にステージがあったはずだ。
「何だこれ!?」
 隣から悲鳴。何事だ、と急いで顔を向けると、そこには自身の腕を見つめるベロニカの姿があった。視線の先、健康的な色をした剥き出しの肌には緑色のインクがべっとりと付いていた。否、腕だけではない。頭に、頬に、耳に、服に、手に、足に、靴に。身体中のそこかしこがカラフルなインクで彩られていた。インクにまみれた大きな両の手が、持ち主の身体を性急に触っていく。うわ、と時折聞こえる声は驚愕に満ちていた。
 少女の姿に、思わず少年も身体を確認する。色合いは違うが、己の身体も彼女と同じようにインクまみれになっていた。皮膚に直接ついているというのに、痛みや違和感は一欠片もない。本当に無害なインクを使っているようだ。
「すごいですね……」
「驚かせんなよなー」
 もう、とベロニカは頬を膨らませる。眉は寄せられ目は細くなっているものの、口元は綻んでいる。口ぶりとは反対に、サプライズめいたこのサービスを楽しんでいるようだ。愛らしい様に、ヒロも頬を緩ませた。
「すげぇな。全然落ちねぇし痛くねぇ」
「べとついたり流れたりもしませんね。これ、どういう仕組みなんでしょう」
 二人は今一度自身の身体を見回す。衣服はもちろん、肌についたインクが汗で流れ落ちる様子は無い。触れたかぎり、完全に乾いて張り付いているようだった。だのに、痛みも無ければ不快感も無い。訳の分からない技術である。
「頭が一番すげーな。ほら」
 そう言い、少女はこちらに青い何かを差し出した。よく見れば、それは彼女の髪だった。常は鮮やかで美しい黄色を三つに編み込んだそれは、今は青で塗り潰されている。先ほどのミストシャワーの仕業だ。反対側、流した長い髪はピンクに染まっている。鮮やかな黄に目に痛いほどのピンク、吸い込まれてしまいそうな深い青は、不思議ながらも彼女自身の黄と調和が取れていた。
「こことかヒロみてーだ」
 青色に染まった三つ編みを指差し、ベロニカは笑声をあげる。確かに、彼女に付着した青は己固有のインク色とよく似ていた。チームを組む時は同じ青に染まることもあるが、こうやって黄に青が散る様は見たことがない。
 少女の姿に、少年の心臓がドクリと大きく拍動する。ひゅ、と息を吸った喉がおかしな音をたてた。
 髪がまばらに染まる様など見たことがない。見たことはないけれど、想起するものはある。以前インターネットで読んだウェブ漫画だ。年齢制限はかからないものの、少しだけ『大人』なその漫画では、キスをすると二人の色が混ざっていた。とっても『大人』な口付けを終えると、女性の髪には男性のインクの色がにじんでいたのだ。まるで、侵蝕するように。自分のものだと主張するように。
 今の彼女の姿は、まさにそれのようで――己で染まったようで。
 ドッドッと小さな心臓が大きな音をたてる。頬に気温とは関係が無い熱が集まっていく感覚がする。ミストを浴びたばかりだというのに熱くてたまらなかった。無害なインクを浴びたというのに内臓が痛みを訴えていた。全ては己の頭が原因なのは明白だ。
「どした?」
 地を見つめていた赤い目がハッと上げられる。視界が地面の茶色から、色とりどりの世界に、訝しげにこちらを見つめる黄色に染まる。髪をつまんだまま小首を傾げる友人――否、想いビトの姿に、少年は口を開く。声を出すはずが、大きなそれからは空気しか出てこない。は、と吐き出された呼気は浅いものだ。己の心臓の駆動とは正反対に細く小さなものだった。
「い、え。似合っているな、と」
「似合う?」
 どうにか笑みを作り出し、どうにか言葉を作り出す。オクトリングの言葉に、インクリングはまた小さく首を傾げた。ふぅん、と訝しげに鼻を鳴らし、少女はビビッドカラーに染まった髪を眺める。そっか、としばらくして聞こえた声は上機嫌なものだった。
「ヒロも似合ってんぞ」
「ありがとうございます」
 ニカリと笑う片恋相手に、ヒロはにこやかさを意識して礼を返す。依然顔は熱いし、心臓は痛いし、拍動はうるさい。こんなみっともない様子を察せられるにはいかなかった。己の演技が上手くいったのか、頬に付着したインクが隠してくれたおかげか、はたまた彼女の気遣いなのか。ベロニカは何も言わず笑みを返した。その頬にもまた、青が存在を主張している。更に鼓動が早くなった気がした。
「いこーぜ。結局どこに投票すんだ?」
「まだ悩んでいるのですよね……。今回のお題は難しすぎますよ」
「もう色で選ぶか」
「それは真剣に選んだ方に失礼かと」
 じゃあどうすんだよ。どうしましょうか。悩む声が、弾む声が、会場へと吸い込まれていく。絶え間なく流れるシャワーが二人の背を隠してしまった。




シーズン開始まであと十日【ヒロ→ニカ】
 ロッカールームの一角、赤い瞳が黄色い頭をじぃと睨む。これだけ熱烈な視線を送られているのに、相手は一切気付いていないらしい。言葉を発することもなくじぃとソファに座っていた。気付かないのも当然だろう。その目は、その意識は、全てナマコフォンの小さな画面に釘付けになっているのだから。
「……ベロニカさん」
「…………ん? 何だ?」
 ヒロは目の前の、ずっと刺すような視線を送っていた友人の名を呼ぶ。普段よりもいささか低い、他人が聞けば『機嫌が悪い』と判断されてもおかしくないような響きをしていた。名を呼ばれた本人は欠片も知らぬといった顔で、普段と一切変わらない調子で短く返す。彼女らしくもなく少しばかり間があったのは、意識が画面の中に吸い込まれていたからだろう。音を認識するまでタイムラグが生じるほど集中していたのだ。いつだって機敏な彼女らしくもない姿だった。彼女を彼女らしからぬ姿にするほど、液晶画面に映る映像は衝撃的なものだった。
 フルイドV。
 先日、国際ナワバリ連盟から発表された新たなブキ。ハイドラントやエクスプロッシャーを手がけるブキメーカーが新開発したブキ。バンカラで発達しまだ二種しか存在しないストリンガー種に颯爽と殴り込んできたのがこのブキだった。
 発表を見た瞬間のベロニカの反応は凄まじいものだった。滅多に聞かない上擦った歓声をあげ、宝物を見つめる子どものようにキラキラと目を輝かせ、天を衝かんばかりに拳を振り上げたのだ。挙げ句の果てには想いを寄せるように毎日件の発表動画を見る始末である。まるで恋する乙女のようだ。考えただけでも胃が痛くなる表現だが、そうと表すのが一番相応しい様子であった。
「またフルイドの動画ですか」
「そう! 何度見てもほんとにすげーんだよなぁ!」
 溜め息交じりに問うオクトリングに、インクリングは目を輝かせて返す。ナマコフォンに向ける視線はプレゼントを目の前にした子どもそのものだ。いつだって鋭さと輝きを宿し、年齢からは考えられないほどの気迫と気概を纏った彼女からは想像できないものだった。非常に可愛らしく胸が苦しくなるほどの破壊力を持っていた。それ以上に、まだ幼い心をめいっぱい叩きつけて割って壊すような恐怖をもたらすものだった。
 ちらりと小さな画面へと視線をやる。映っているのはフルイドVだけではない。紹介PVを担当する男性のインクリングもだ。動画内で使い手を務める彼は、たしかトライストリンガーを主に使うプロプレイヤーのはずだ。極秘も極秘、決して外部に漏らせぬ新ブキを先行して体験させてもらい、対戦の様子を撮影され配信されるほどなのだから、よほど信頼のある者なのだろう。それだけに、腕は凄まじいものだった。ベロニカという巧みなるトライストリンガー使いと数え切れないほど手合わせし、研究のためにいくらか使いこんだ身から見ても、その経験と実績が分かる動きをしていた。
 そんな素晴らしい――有り体に言って『強い』プレイヤーを見て、この己と同じほど『強い』者を求めるベロニカがどう思うか。
 戦いたいと思うだろうか。憧れを抱くだろうか。目指すべく相手とするだろうか。その強さに惚れ込むだろうか――恋するだろうか。
 仮定も仮定、根拠の薄い妄想による二音節を考えただけで、チャージャーに撃ち抜かれたように胸に強い痛みが走る。スロッシャーに被せ潰されたように頭が痛む。潜伏ローラーに出くわした時のように心臓が大袈裟なほど脈打つ。ストリンガーの氷結弾を直接撃ち込まれたかのように背筋を冷たいものが駆け抜けていく。
 一言で表すならば『恐怖』だった。だって、好きなヒトが別のヒトを好きになるなんてこと、想像したくないに決まっている。
「――き遅いし重量級なんかな。中量級だといいんだけどなー」
 弾んだ声に、暗がりへと転がり落ちていた意識が浮上する。焦点の合った視界の中には、ニコニコと輝かしい笑みを浮かべるベロニカがいた。胼胝のある美しい指が指す先にあるのは相変わらずあの動画だ。あのプロプレイヤーだ。あの男性だ。
 ぎゅっと拳に力が入る。指が手の平を突き抜けてしまいそうな勢いだ。緩めたいのに、身体が言うことを聞かない。痛覚が神経を刺激するのに、思考はぐるぐるとぐちゃぐちゃと掻き回されるばかりで理性的な動きができない。
「――あ、の」
 ヒロは口を開く。か細い声はいつだってハキハキと話す彼らしくもないものだった。やっと異変に気付いたのか、ベロニカはナマコフォンを片手で閉じてまっすぐに少年を見る。どうした、と尋ねる声は真剣そのものだった。幼い光が輝く瞳に、鋭さが戻る。
「あ、の……、ベロニカさんには、トライストリンガーが一番似合うと思います!」
 オクトリングは叫ぶ。街中に響き渡りそうな声量だった。事実、自身のロッカーを開いていた者がいくらかぎょっとした顔を向けるほどである。意図したわけではない。今この場で声を制御する機能など、恋を患う頭には不可能なのだ。
「……お、おう。ありがと?」
 声量にか、突然の賛辞にか、ベロニカはぱちりと目をしばたたかせる。答える顔も声も気が抜けた、疑問符が浮かんだものだ。それはそうだ。いくら肝の据わった少女と言えど、いきなり呼ばれ大声で脈絡もないことを言われて困惑しないわけがない。
「だ、から、無理にフルイドを使うことはないかと思います! 注目するのは分かりますけど! で、も……あの……」
 えっと、と続く声はどんどんと萎んでいく。己の制御できない声に、想いビトの戸惑った様子に、ヒロは見開いた目を泳がせる。己の行動に己が一番驚いていた。理性のストッパーが効かなくなっただけで、こんなに幼い行動を取ってしまう。あまりにも醜く苦しい事実であった。ナンプラー遺跡の採掘跡にでも埋まりたい心地である。
「いや、無理とかそんなんあるわけないだろ。新しいブキは使いたいだろうが。しかもストリンガーだし」
 惑っていた黄色い目がじとりと細められる。訝しげな視線が少年の全身を突き刺す。何を言っているんだお前は、と言いたげなものだった。当然である。
「つーか、似合う似合わないじゃなくて強いか強くないかだろ?」
「…………はい、その通りです」
 はん、と鼻を鳴らすインクリングに、オクトリングは萎んだ声で返す。言い返す余地など無い、まさしく正論だった。普段の己ならば同じ判断を下すに決まっている。けれども、恋が絡む心は非論理的な言葉ばかりを紡ぎ出すのだ。あまりにもみっともない現実である。
「ほんっとらしくねーなー。なんかあったのか?」
「いえ、何もありません。本当に何もありません。ただベロニカさんにはトライストリンガーが一番似合うと思っただけです」
 ほんのりと心配の色を宿した黄が赤に向けられる。逃げるように頭ごと地へと視線を移し、ヒロは言い訳をまくしたてた。何もかもが不自然であるのは己が一番分かっていた。ふぅん、とまた鼻を鳴らすのが聞こえた。
「まぁ、似合ってるって言われて悪い気はしねぇな」
 あんがとな、と少女は笑う。柔らかで、温かで、朗らかで、幸せがにじむ笑顔だった――その愛らしい笑みを向けられた当人は地面とにらめっこしていて気付かないのだが。
 布が擦れる音。目の前の影と気配が消える。やっとのことで視線を上げると、そこには伸びをするインクリングの姿があった。傍らに置かれていたトライストリンガーは既に彼女の手の中へと戻っていた。
「スケジュール変わったしいこーぜ。今日はナワバリからやるか?」
「……そ、うですね。少し身体を慣らしてからにしましょうか」
 スタスタと横を通り抜ける少女に、少年は急いで身を翻して後を追う。不自然に固い声で返してしまったが、彼女は気付いていないらしい。今カジキだってさ、と呑気な声が返ってきた。
 少女の手の中にあるナマコフォンには、もうフルイドVも、男性の姿も無かった。




ナワバリはとっても広くて【ヒロニカ】
 このヒトにはパーソナルスペースというものがあるのだろうか。
 肩から伝わる熱を想い、ヒロは考える。紙が繰られる軽い音が昼下がりの少し陰った部屋に落ちた。
 隣、己の肩に頭を体重を預け漫画本を読むベロニカを見やる。常は敵を見とめる鮮烈なイエローは、クリーム色の紙面を絶えず追っていた。読み進める速度は自分よりも遅い。じっくりと味わうタイプなのだろう。時折、漏れる笑みの揺れが肌を伝わってきた。
 交際を始めてからというものの、ベロニカのスキンシップは増えた。元から背を叩き鼓舞する、頬に負った傷を手早く手当する、好みのルールとステージ選出に逸るあまり手を繋いで走る、といったことは時折あった。けれど、所謂『コイビト』という関係になってからというものの、それらは当然のようになり、更に積極性を増した。二人きりの時手を繋ぐ、勝利を祝い肩を組む、愚痴を漏らしながら抱きついて頬ずりをする、背もたれのように寄りかかって座る――ちょうど今のように。
 嫌なわけではない。むしろ、喜びが何十倍にも勝っている。今だって、心臓が跳ね跳んでいってしまいそうなほど脈打つほどである。けれども、これだけ気安いと己以外の誰かにもやっているのではないか、と不安がよぎるのである。彼女を信頼していないのではない。ただ、彼女が己以外の誰かと触れ合うのが嫌なのだ。端的に言って嫉妬である。何ともイカしていないがどうしようもない。悲しいかな、己はまだ精神が成熟しきっていないし、交際はこれが初めてなのだ。
「ひろー?」
 耳のすぐ側から聞こえる声に、少年の肩がビクリと跳ねる。呼ばれるがままに顔を向けると、そこには首を軽く反らせてこちらを見る少女があった。先ほどまで熱心に読んでいた本はその両手に閉じて収まっている。読み終わったのだろう。
「読み終わりましたか?」
「全巻読んだ。どこ戻せばいい?」
「テーブルの上に置いておいてください。後で片付けます」
 ん、と短く返事し、インクリングは手にしたコミックスをテーブルの上に置く。彼女らしからぬゆっくりと、慎重さすら感じる動きだ。これらの漫画は己の所有物である。きっと、粗雑に扱ってはならないと思ってくれたのだろう。荒々しく猛々しいバトルを見せる彼女だが、こういうところはきちんとしているのだ。ただただ彼女がきちんと教育され健やかに育った証であるだけなのに、なんだか愛されているような気分になる。勘違いも甚だしいと頭の中の何かが嘲った。
 肩に、腕に、身体にかかる重みが増す。肩に、腕に、身体に熱が触れる。肩に、腕に、身体に彼女のぬくもりが直に伝わってくる。寄りかかる少女は、むずがるように頭をこすりつける。躊躇いのない、警戒心の欠片もない姿に、少年の心臓は更に早鐘を打つ。このままではこれだけドギマギしていることがバレてしまう、という焦りすら生まれるほどだ。
「べ、ろにかさんって、結構パーソナルスペースが狭いですよね」
「ぱーそなる……何だそれ」
 逃げることもできず、逃げたくない本能に抗えず、少年は意識しすぎる思考から逃れるように言葉を放つ。いきなりの話題転換にか、布と肌が擦れる感覚が止まる。返ってきたのは疑問形の声だった。首を傾げたのか、肩に固いものが擦れて衣擦れの音をたてた。
「簡単に言うと『他者を近づけたくない範囲』です。結構触れたり近づいたりしますし、狭いんだなって」
「ナワバリみたいなもんか?」
「そうですね。近いと思います」
 ふぅん、とベロニカは鼻を鳴らす。ふむ、とヒロも口の中で呟いた。たしかに、日夜ナワバリ争い――歴史上では戦争すら行ったほどだ――に明け暮れるインクリングたち相手ならば、『パーソナルスペース』は『ナワバリ』と言い換えた方が伝わりやすい。いや、『ナワバリ』の言葉の強さと種族ゆえの意味の強さを当てはめるのは少し危険か。そんな詮無いことを考える。気づいた頃には、身体にあったはずの熱は姿を失っていた。姿勢を正したのだろうか、と考えていたところに、なぁ、と声が飛んでくる。どこか笑みを含んだそれに引かれるように、ヒロは顔ごと視線を動かす。口角を上げたコイビトの姿が視界を埋めた。
「インクリングってさ、生まれた頃からナワバリ意識つえーんだよ。ナワバリ……まぁ、雑に言うと自分だけのだって場所は広く持とうとするし、広げようとする。それぐらい知ってるよな?」
「はい……?」
 突然の言葉に、オクトリングは首を傾げて返す。誰もが知っている常識であるため肯定したものの、その真意が分からず思わず疑問が浮かぶ響きとなってしまった。それでも彼女にはきちんと伝わったらしい。潤いを保った唇が三日月を描いた。うすらと開いたそこから鋭い白が覗く。
「そのひろーい、一生懸けて広げたひっろーいナワバリにあんたを入れる意味」
 歌うように少女は言葉を紡ぎ出す。ソファの座面に放り出した手の甲に、温かなもの。すべらかなものが肌の上を滑っていく。少し硬さをみせるものが、くすぐるように指と指の間を撫でる。消えた熱が再び姿を現す。
「わかるよなぁ?」
 問いかけ、インクリングはにまりと笑う。はっきりと見えるカラストンビは美しく、輝かんばかりの鋭さがあった。肉食であり捕食者であることをまざまざと主張してくる。
 インクリングとってナワバリは、本能に刻まれた生における最重要事項である。それこそ、太古の世界ではインクリングとオクトリングは地上というナワバリを奪い争ったほどだ。
 広げ、主張してきたそこに、赤の他人を入れる。そんなの。
 ぶわりと身体中に熱が広がっていく。こんがりと焼けた肌に鮮やかな紅が広がり、存在を主張していく。赤い目が瞠られ、太陽もかくやと真ん丸になる。大層大きな口が薄く開かれ、震える舌が覗く。その身体を動かす心臓は、耳元に移動したのではないかと錯覚するほどうるさく音をたてた。
 する、と手の甲を撫でていた指が動く。なぞるように動いたそれが、己の指と指の間にそっと埋まり、ぎゅっと握られる。ナワバリに入ったものを――自分のものを逃さんとばかりに、強く握られる。触れ合う面積が広がって、伝わる熱も増える。心地よさを覚えるはずのそれは、今は毒のように身体を巡っていくばかり。心臓をばくばくと跳ね動かし、脳味噌をぐちゃぐちゃに掻き、心をめためたに引っ掻き回していった。
「気に入らなくなったら蹴り出すけどな」
「……容赦ありませんね」
「そんぐらい分かってんだろ?」
 先ほどの甘さも恐ろしさも消え失せた声が軽口を叩く。どうにか返した言葉に、いたずらげな笑みが向けられた。その頬が普段より血の色が濃くなっているのは気のせいだろうか。問う声にまだ甘やかな香りが残っているのは気のせいだろうか。見つめる目に熱が宿っているように見えるのは気のせいだろうか。全部気のせいであってほしい。ナワバリ意識たっぷりの言葉に加えてそれらまで受け入れられるほど、まだ己の器は大きくない。全てをリセットしようと頭を振りたくなる衝動を、ヒロは必死で抑え込んだ。
 いつの間にか緩んでいた手が、また握られる。先ほどのような力強いものではなく、じゃれつくような軽いものだ。己の手をおもちゃにしているかのようだった。これだけ振り回されているのだから、あながち間違いではないかもしれない。混迷に混迷を重ね迷走する思考は、明後日の方へと飛んでいっていた。
 この手からは、彼女のナワバリからは、当分逃げられそうにない――逃げるつもりはない。




朝ご飯は早くから仕込んで【ヒロ→ニカ】
 重なる短い鳴き声が沈んた意識を引っ張り上げていく。真っ黒な瞼が強張ったようにぎこちなく持ち上がり、黄色い瞳が姿を現した。差し込む陽光を直に受けたまんまるは、消え現れを繰り返してやっと普段の姿を取り戻す。寝起きには厳しいまばゆさに濁った音が喉から漏れた。
 ごろりと寝返りを打ち、ベロニカは己を照らし出す朝日から逃れる。抱き込んだ布団は普段のものと違う匂いがした。覚えた小さな引っかかりは、意識に飛び込んできた甘い香りによって全て霧散した。砂糖の甘い匂い。焼ける香ばしい匂い。焦げるような少し濃い匂い。寝惚け頭を覚醒まで引き上げるには十二分に足るものだった。
 知らない布団を投げ捨て、インクリングはベッドを飛び降り裸足で床を歩いていく。見慣れてきたキッチンに続く扉を開けると、甘い香りがぶわりと広がって身体を包み込んだ。脳と胃を刺激するそれに、腹の虫が寝起き一発目の鳴き声をあげた。
「あれ、起こしちゃいましたか?」
 フライ返しを片手に、ヒロはぱちりと目を瞬かせた。コンロの火が落とされる硬い音が二人の間に響く。同時に、砂糖が焼ける匂いがほんの少しだけ気配を薄くした。
「眩しくて目ぇ覚めた」
「あぁ、すみません。カーテン閉めておいた方がよかったですね」
「寝っぱなしもよくねぇし気にすんな」
 眉尻を下げ、申し訳無さそうに少年は言う。少女は言葉通り気にする様子なく手をひらひらと振った。事実、度を過ぎた睡眠は回復からすぐさま反転して疲労へと変貌する。ここらで起きるのが身体は正しいと判断したのだろう。
「何? ホットケーキ?」
 火が消えたコンロの上、静かになったフライパンを覗き込む。映ったのは予想した丸ではなく四角だった。四方が茶で囲まれた四角が、白い身体を焦げ目で彩って横たわっている。淵の部分はまだしゅわしゅわと油が泡立っていた。
「フレンチトーストです」
「おしゃれじゃん」
「そんなことありませんよ。簡単にできますし」
 ぱちぱちと瞬くベロニカに、ヒロは小さく首を振って返す。柔らかな笑みはどこか面映そうに見えた。
 彼は否定したものの、己にとってはフレンチトーストとやらはかなり手の込んだ料理である。何しろ長時間調味液に漬けてパンにたっぷりと吸わせなければならないのだ。十分やそこらならまだしも、何時間、それこそ一晩を要するような代物だ。手早くできない料理なのだから、十分に手がかかっているおしゃれな食べ物だった。
「つってもめちゃくちゃ浸しとかないとだろ? めんどいじゃん」
「あー……、電子レンジを使えば簡単にできるんです。何度か温めればすぐに液を吸ってくれるんでしょ」
 へぇ、と少女はまた目をしばたたかせる。少年の言葉に、山吹の瞳はいつの間にかキラキラと輝きだしていた。己も料理は人並みにはするものの、彼ほど日常的に行うわけでもなければレシピ開拓の努力もさほどしない。故に、そんな裏技のようなものを聞くのは初めてだった。魔法のようなそれは起き抜けの頭にも輝かしく見えた。
「ちょうど焼けたところですし食べましょうか。飲み物何にしますか?」
「冷たいやつ」
 ではコーヒーで。歌うように言いながら、ヒロはフライパンの中身を皿に移す。二口コンロのもう一つにかかっていたフライパンと素早く取り換え、その中身も皿に放り出す。転がり込んできたのは、よく焼け目がついたウィンナーだった。
 突然の闖入者に、よく整えられた眉が寄せられ黄色い丸い頭がことりと傾ぐ。フレンチトーストとは甘いものである。食事ではあるものの、味は菓子に近い印象があった。なのに、ウィンナー。塩気の強い肉が一緒に並んでいるのは何故なのだろう。このフレンチトーストは甘くないのだろうか。いや、でもこのキッチンには砂糖が焦げた甘い匂いが満ちているではないか。
「……合うのか?」
「合うんですよ」
 首を傾げ呟くインクリングに、オクトリングは短く返す。どこか得意げな響きをしていた。ほんとか、と少女は訝しげに呟く。食べてみてください、と笑みを含んだ声が返された。何だかからかわれているようで不服だが、彼の味覚は己と似通っているはずだ。少なくとも食べれないほどの代物ではないだろう。
 並べられた皿を素早く手に取り、ベロニカは器用に扉を開けて部屋へと戻る。昨晩二人で熱心に議論し書き込んだノートと色とりどりのペンを端に寄せ、広くなった場所に料理を置いた。ついでに蹴飛ばした布団を手早く畳んでベッドに戻す。皺の波立つシーツが朝日に照らされていた。
 しかし、朝食までもらう羽目になろうとは。眉根を寄せ、少女は小さく唸る。
 昨日は遅くまでバトルをしていた。特に新しく登場したナンプラー遺跡はまだ研究が進んでいないこともあり、スケジュール更新までずっと二人で潜っていたほどだ。それでもデータは足りなくて。動きを考える頭は冴えきって。戦略を立てたい心は躍りに躍って。
 うちに来い、と言い出したのはベロニカだった。今この頭にある立ち回りやポジションを明日まで溜め込むのは不可能だ。それに、高台を陣取るトライストリンガーの視点だけでなく、ステージを駆け回るシューター視点での所感も確かめておきたい。経験を積みに積んだ今日のうちに議論して、アウトプットしたくてたまらなかった。
 それを距離の観点から否定し、こちらの部屋に来ないかと提案したのはヒロだった。こちらの部屋までは駅一つ分だからすぐに帰ることができる。その分議論や戦略の構築に時間を割くことができる。ついでに昨日の残りがあるから軽い食事だって食べられる。彼の提案は論理的で魅力的だ。疲れたはずの身体で歩き出したのはすぐだった。
 議論し、思考全てをアウトプットし、ノートに疑問を書き出し、動画サイトに投稿されたステージ案内動画を食い入るように見つめ、研究を重ね。気づいた頃には終電はとっくに過ぎていた。泊まっていってください、と布団一式を引きずり出しながら言う少年に甘え、今朝に至る。
 本当ならば早くに起きてすぐに帰る予定だったのだ。さすがに泊まらせてもらった上に朝食まで食べさせてもらうのは申し訳無さが先立つ。今度なんか差し入れでも持っていくか、と考えつつ、少女はフローリングに腰を下ろした。途端、思考に何かが引っかかって冴え始めた頭がつんのめる。ん、と細い喉が鳴った。
 ヒロは『電子レンジを使えば』と言っていた。しかし、電子レンジを動かした音は聞いた覚えがなかった。眠っていて聞き逃したのかもしれない。だが、『何度か』という言葉が確かなら、複数回使ったということに間違いはない。あんなに高い音を何度も聞いて、己が目覚めないのは不自然である。
 まぁ、それほど疲れていたのだろう。何しろ二時間休み無しでバトルし、夜通し頭も口も動かしたのだ。気づかないこともあるだろう。結論づけ、少女は目の前の皿に視線を移す。できたてなのか、どちらの品もまだ細い湯気をあげていた。
 柔らかな甘い香りと肉の焼けた香ばしい香りが狭い部屋を漂っていた。
畳む

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