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世界を眺め少女は笑う【レイシス】

世界を眺め少女は笑う【レイシス】
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祝十周年! 祝十歳! おめでとう! おめでとう!
って感じのレイシスちゃんのお誕生日会な文章。皆もいるよ。
ボルテこれからも末永く続いてくれ。

「レイシス!」
「レイシス」
「レイシス姉ちゃん!」
「お誕生日おめでとう!」
 はしゃいだ数多の声が重なり合う。おめでとう、と祝いの大合唱が広い室内に響いた。パァン、と破裂音が混じる。いくつものクラッカーが弾け、小さな紙吹雪と色とりどりのテープを宙空に踊らせた。
「皆サン、ありがとうございマス!」
 部屋の前方、中心には一人の少女が立っていた。桃の髪を白いベールで飾ったレイシスは、同じく白いアームカバーに包まれた両の手を胸の前で重ね、弾ける笑顔で礼の言葉を言う。紅水晶の瞳は虹のように華やかで大きな弧を描いていた。
 本日、一月十八日。新たな年が始まり少し経ったこの日は、レイシスが――そして、この世界が誕生した記念すべき日だ。学園中の、否、ネメシスに住まう皆が、彼女が、世界が生誕した今日という日を祝っていた。その証拠に、誕生日パーティー会場である学園内でも特に広い特別教室の中には、たくさんの人々がひしめいていた。皆、レイシスを祝うために集まったのだ。
 普段ジャケット撮影に使われる無機質な教室は、様々な色で飾られていた。色とりどりのいろがみの輪が連なり、細かな傷がついた白い壁をカラフルに彩っている。所々に薄紙を束ねて作られた花が咲いている。真ん丸に膨らんだ小さな風船が随所に散りばめられていた。前方の壁には、『お誕生日おめでとう』と書かれた横断幕がかけられている。数日前から行われていた準備は順調に終わり、生誕を祝うパーティーはめでたき今日を鮮やかに彩り迎えた。
「お誕生日おめでとー!」
「おめでとうございます」
「おめでと……」
 タタタ、と軽やかな足音。両手を大きく広げ、小さな子猫たちは少女の足下に駆け寄る。頭二つ分上の桃を見つめる三色三対の瞳は、喜びに溢れキラキラと輝いていた。つやめくまあるいそれは、飴玉を思い起こさせる。髪と同じ色をした大きな三角耳は、胸の内に溢れる感情を表すようにピコピコとひっきりなしに動いていた。
「雛ちゃん、桃ちゃん、蒼ちゃん、ありがとうございマス」
「おめでとなー!」
「おめでとうございます」
 可愛らしい三匹に引き続き、クラッカーを携えた雷刀と烈風刀が寄ってきた。普段は白いマントと黒いインナーで身を包む彼らは、今日は真っ白なタキシードでその逞しい身を飾っていた。胸元のパーソナルカラーの蝶ネクタイと、同じ色をしたベストが良いアクセントになっていた。二人の正装を見るのは久しぶりだ。清らかな純白は、快活な朱にも、粛々とした碧にもよく似合っていた。
 おめでとー、と祝いの声がもう一度。パァン、と大きな破裂音が喧騒の中に高く鳴り響いた。目の前に紙吹雪が舞う。人に向けて鳴らすんじゃありません、と諫める声が続いた。
「ありがとうございマス。雷刀と烈風刀モ、お誕生日おめでとうございマス!」
 胸の前で手を合わせ、桃は満開の笑顔で祝いの言葉を返す。世界が始まってすぐの頃から共にある彼らの誕生日も一月十八日――つまり今日である。本日の主役、皆から一心に祝われる立場である彼女だが、仲間を祝いたいという気持ちは多分にある。これだけ人に溢れていると、面と向かって祝えるのは今のタイミングぐらいだろう。短い言葉に思いの丈をありったけ込めて二人へと投げかけた。
「へ?」
 太陽のように明るく輝く少女を前に、少年二人は空気が抜けるような音を同時に漏らした。ぱちぱちと二色が瞬く。兄は首を傾げ、碧もきょとりとした顔で鏡合わせのように見合わせる。しばしして、あ、と間の抜けた声が賑やかな室内に落ちた。
「……エ? エッ、まさか忘れてたんデスカ!?」
 依然目を瞬かせる二人の様子に、少女は素っ頓狂な声をあげる。まさか、誕生日を忘れることなんてないだろう。なんたって、自分が生まれた大切な日なのだ。けれども、目の前の彼らの反応は、どう見ても明らかに何かを忘れ、ようやく思い出した時のものだ。信じられないことだが、要素がはっきりと揃っているのだから疑ってしまう。そうでないことを祈りたいほどだ。
「いっ、いや、その……」
「だって、レイシスの誕生日だーってずっと思ってたから……」
 まあるい目を大きく見開き見つめる彼女に、二人はごにょごにょと口を動かす。普段はハキハキと明朗に話す烈風刀ですら歯切れの悪い調子だ。濁し言い訳のような言葉を漏らす様に、疑惑が確信に変わる。あんまりな事実に、薔薇の少女はぷくりと頬を膨らませた。
「大事な大事な誕生日なんデスカラネ! ちゃんと覚えてくだサイ!」
 この兄弟が己のことを特別大切に想ってくれているのは、常日頃肌身に感じている。過保護なのでは、と時折疑うほどだ。しかし、己を優先するがあまり自分たちを蔑ろにするのはさすがに不服である。もっと自身を大切にしてほしい。仲間を、世界を愛する少女にとって当然の願いだ。
 はい、と少し萎れた声と苦々しい笑みが二つ返される。約束デスヨ、と強い語調で念を押すと、おう、分かりました、とはっきりとした返事があった。本当だろうか、とかすかに残る懐疑の心を振り払う。これほど明瞭な音で返したのだ、嘘など吐かないに決まっている。信じるべきだ。
「そだ、ごちそういっぱい用意したんだ。早く食べよーぜ!」
「Cafe VOLTEからケーキの提供がありました。レイシスに存分に食べてほしい、とのことです」
 ほらほら、と嬬武器の兄弟は会場中央を指差す。会議机をいくつも寄せ集め、テーブルクロスを掛けたそこには、山のようと表現するのが相応しいほどの料理が並んでいた。多種多様なオードブルに小さく切られたサンドイッチ、辛いものから甘いものまで揃った飲茶に色とりどりのケーキ、慣れ親しんだお菓子にたくさんのジュース。学生たちで用意するには十二分に豪勢な食事が、広いテーブルの上にひしめくように集められていた。
「ワァ……!」
 夢のような光景に、少女は磨かれた宝石のようにつやめく瞳をまんまるに見開き輝かせる。感嘆の声を漏らす口の端は、喜びを表すように持ち上がっていた。
 食べることが大好きでいつだってめいっぱい食事を楽しむ彼女なのだ、これだけご馳走が並ぶ様に心が躍るのも無理はないだろう。桃色の可愛らしい瞳は、目の前に広がる料理を一心に見つめていた。釘付けというのが相応しい。
「レイシス! いっぱい食べるアルヨ!」
 高く積み上げたせいろを両手に乗せて掲げ、椿はニッと元気な笑顔を浮かべる。朝から頑張って用意したアル、と語る声はどこか得意げだ。その後ろ、大皿を四つ器用に持った福龍が妹をじとりと見やる。表情は眠たげな、どこか納得いかないような、それでいて嬉しげな複雑な色で彩られていた。椿の言う通り、二人で朝早くから用意してくれたのだろう。でなければ、机いっぱいを埋めるような量を準備することはできまい。
「ケーキもたくさん持ってきましたよ。好きなだけ食べてくださいね」
 椿の後ろから虎子――通称ハニーちゃんが顔を覗かせる。Cafe VOLTEのウェイトレスとして働く彼女は、提供されたケーキを運んできてくれたのだろう。カフェラテもありますからケーキと合わせて飲んでくださいね、と手に持ったポットを掲げた。カフェオレ、特にはちみつを入れたものはカフェの看板商品だ。名物たる美味しい飲み物まで用意してくれるだなんて、太っ腹ったらない。
 彼女の言う通り、机上には数え切れないほどのケーキが並んでいた。一口サイズの小ぶりなものから大きなホールケーキまで、大小様々なそれがテーブルを彩る。カラフルなケーキが集まる様は、さながら春の花畑だ。甘い物に目がないの薔薇の少女にとって、天国のような光景だろう。
「ありがとうございマス!」
 満開の笑みを咲かせ、少女は礼を言う。紡ぐ声は弾みに弾んでいた。
「皆サン、今日はありがとうございマス」
 レイシスの声に、賑やかな会場が一気に静まる。いくつもの瞳が、教室前方に立つ桃の少女を見つめていた。
「こんなにお祝いしてもらエテ、とっても幸せデス」
 えへへ、と今日の主役である少女ははにかむ。綻ぶ花のように可憐な笑顔に、会した者たちは一様に頬を緩めた。
「ジャア、皆サン。ジュースは持ちマシタカ?」
 烈風刀が手渡してくれた紙コップを高く掲げる。集まった者たちも、つられるように手にしたコップを頭上に掲げた。
「デハ、乾杯!」
 かんぱーい、と大合唱。静寂に満たされていた会場が、喧騒で塗り替えられた。食器が擦れる音、料理に舌鼓をうつ声、楽しげな会話。特別教室は、先ほどよりも賑やかになっていた。
 近くにあった紙皿と割り箸を手に、レイシスはキラリと目を輝かせる。まずは旧友が作ってくれた飲茶にしよう。高いヒールで飾られた足が、豪勢な料理たち目掛けて駆けていった。





 少し柔らかくなった紙コップに口を寄せ、そっと傾ける。幾分かぬるくなったオレンジジュースが、たくさんの会話を重ね乾いた喉を潤した。淡い白のコップにルージュのピンクが散った。
 広い会場の隅、飾りの少ない壁に背を預け、レイシスは室内をゆっくりと見渡す。空間は依然賑やかな音で満ちていた。きゃいきゃいとはしゃぐ高い声、うめぇと感嘆する声、パタパタと料理を運ぶ足音、人が行き交い言葉を交わす音。楽しげな、喜びに溢れた音が鼓膜を震わせる。ともすればうるさいとすら感じる響きは、少し疲れた様子の少女の表情を緩ませた。
 山積みになった様々な料理に舌鼓を売っている最中、皆が祝いの言葉を贈りに来てくれた。おめでとう、と元気に声をあげる友人たちの表情はどれも明るく、言葉を紡ぐ口の端は楽しさを表すように上がっていた。皆が皆、幸いに満ちていた。
 人々の様子が嬉しくてたまらなかった。祝われる喜びももちろんある。それ以上に、皆がこの場を楽しみ幸福を高らかに謳い上げていることが彼女にとって何よりの喜びだった。
 十年前に生まれたこの世界は、二人きりで始まった。ナビゲーターであるレイシスと、サポート役のつまぶきのたった二人で小さな世界を駆け回っていた。ここが生まれたばかりの頃は楽曲数も少なく、人はレイシスとつまぶき以外に誰もいなかったことを今でも覚えている。
 それが今はどうだろう。こんなにも、それこそ広い会場からはみ出してしまいそうなほど人に満ち溢れているではないか。二人ぼっちだった静かな世界は、たくさんの人々が住まう大きな世界へと変貌を遂げていた。
 雷刀が、烈風刀が、名前を授かって生まれ落ち。
 紅刃が、昴希が、かなでが、名をもらって生まれいずり。
 奈奈が、マキシマが、あんずが、椿が、福龍が、名を付けられて個としての存在を始め。
 世界が動き出すにつれ、ネメシスには名を与えられ存在を始める者が増えていった。二人きりだった世界は、とっくの昔に二人きりではなくなった。十年経った今、電子の世界は名を持ち生きる人々に溢れていた。
 ふふ、と桃は呼気にも似た笑みを漏らす。柔らかなそれは、愛しさと幸福が詰まった温かな音色をしていた。
「レイシス、ドーシタ?」
 頭上から声が降ってくる。視線を軽く上げると、そこにはつまぶきがいた。同じく今日が誕生日である彼も、パーティーのために珍しく着飾っている。小さな身体に大きな蝶ネクタイを付けた姿は微笑ましいものだ。
 三角形に開かれた口の周りには、白いものがついている。おそらくケーキのクリームだろう。彼もパーティーを満喫しているようだ。クリームついてマスヨ、と指を伸ばして取ってやる。サンキュ、と小さな精は短く礼を告げた。
「で、こんなとこでドーシタ? 疲れたカ?」
「ちょっとダケ」
 直球な言葉に薄く苦い笑みを浮かべて返す。さすがに代わる代わる途切れることなく人と話すのは、お喋りが好きな彼女でも少しの疲労を感じさせた。よく食べよく飲み軽く腹が膨れたので、小休憩を挟みたい気持ちもあった。わざわざ一人壁に寄って立つ主役の姿に察してくれたのだろう、声を掛けてくる者はようやく途切れた。ジュースをもう一口。ふぅ、と満足げな息を吐いた。
「でもめちゃくちゃ嬉しそうな顔してるゼ」
 ふよふよと揺れて降りてきた銀色が、真正面から薔薇輝石を見つめる。つやめく黒の目はいたずらげに細められており、問う口元もニヤニヤと愉快そうな笑みを形取っていた。己の心情など全部分かっていての発言だろう。生まれた時からずっと共にある少女のことなど、彼には丸わかりだ。
 ゆるりと笑みを浮かべることで答え、レイシスは今一度会場を見渡す。どこか遠くを眺める桜色につられるように、小さな相棒も広い空間へと視線を向けた。パーティーが始まってから随分と経つが、人が減る様子は無い。皆思い思いに行動し、喜色に満ちた声をあげていた。活気に溢れる様は、この世界を表すかのようだった。
「でかくなったもんダナァ」
「エェ。大きく、楽しくなりマシタ」
「もう寂しくネーカ?」
 くるりと身を翻した彼は、傾いで桃色の相棒を見つめた。問う声は普段の大きく明朗なものではなく、どこか心配げな落ち着いたものだ。いつだってハイテンションな彼らしくもない。けれども、世話焼きで面倒見が良い彼らしくもあった。
 世界が生まれた頃――つまぶきと二人きりだった頃、寂しさに表情を曇らせる日もあった。生まれたばかり、それも年頃の少女として生み出された己にとって、二人ぼっちは精神を蝕む恐れるべきものだった。それを知っているからこその言葉だろう。三角形の口から紡ぎ出される声は、少女への思い遣りに満ちていた。
「ハイ」
 はっきりと、元気いっぱいに、全ての憂慮を払うように桃は答える。髪と同じ色をした睫に縁取られた目が、大きく弧を描いた。会場の隅に、満開の笑顔が静かに咲く。
 寂しさなんてもう欠片も無い。だって、こんなにも仲間がいるのだ。こんなにも世界は幸せに満ち溢れているのだ。今あるのは、心の底から湧き出る喜びと楽しさだけだ。
 ソッカ、と相棒はニッと笑んでこぼす。表情も声色も、安堵で彩られていた。この精は少しばかり過保護なところがある。自分だってこの十年でもう随分と成長したのだ。そこまで気に掛けなくても大丈夫なのに、とむくれる。同時に、己のことにこんなにも心を砕いてくれる者がいる幸せが少女の胸に芽吹いた。
「誕生日、おめでとナ」
「つまぶきコソ。誕生日、おめでとうございマス」
「オゥ」
 クスクスと二人同時に笑い合う。そういえば、彼と二人きりで話すのは久しぶりだ。相棒との久方ぶりの時間は、懐かしく心安らぐものだった。
「……レイシス」
 隣から声。少しばかり小さい、耳馴染んだそれに薔薇色の少女は急いで音の方へと視線を向ける。鼓膜を震わす響きが示す通り、そこにはグレイスの姿があった。癖のある髪はまっすぐに整えられ、頭には白い花飾りで彩られたベールを被っている。ところどころレースで縁取られた白いドレスの腰元を、ストライプの入った黒いリボンがまとめている。今日の自分と揃いの衣装だ。彼女の濃い躑躅の髪に、透き通るような白はよく映えた。
「誕生日、おめでと」
「ありがとうございマス」
 シンプルな祝いの言葉を唱える声は柔らかい。可憐な口元はゆるりと綻んでいる。彼女もパーティーを楽しんでいるのだろう。ネメシスで新たな生を受けて数年経った今、彼女はこの世界に随分と馴染んでいた。
「ジャ、オレはケーキ食いにいってくるわ」
 じゃーなー、と気楽な調子で言い残し、つまぶきは会場の中央目指してふよふよと飛んでいった。せっかくの誕生日、愛する妹と二人きりにしてやろうという計らいだろう。自由気ままに見えるが、そういうところで気を遣うところが彼の魅力の一つだ。
「あ、の……、えっと、…………これ」
 ドレスと同じ、眩しいほどの純白のアームカバーで飾られた細い腕が伸ばされる。己よりも小さな手のひらの上には、薄い小箱が乗っていた。桃色に淡いドットが散る包装紙に包まれたそれは、レースで縁取られた太いリボンでおめかしされていた。
「…………誕生日プレゼント」
 あげる、と続ける声は、会場の賑やかさに埋もれ消えてしまいそうなほど細かった。いつだって自信満々に相手をまっすぐに射抜くマゼンタの瞳は、今日は少しばかり逸らされている。はっきりと弧を描く髪と同じ色をした眉は、端が少しばかり下がっていた。
「いいんデスカ!?」
 予想外の贈り物に、レイシスは思わず大きな声をあげた。少し上擦ったそれは、喜びに満ち溢れた音色をしていた。
「いいに決まってるでしょ。貴方、誕生日なのよ」
 いらないならいいけど、と拗ねた調子で躑躅はこぼす。絶対にいりマス、と自信なさげなそれに被せるように力強く言い放つ。バッと手を伸ばし、たなごころごと小箱を包み込んで受け取る。剥き出しになった細い肩がひくりと跳ねた。
「開けていいデスカ?」
「貴方のものなんだから好きにしたら」
 ワクワクとした様子で自身を見つめる姉に、妹は目を逸らして答える。ジャア、と弾んだ声をもらし、細かなレースで飾られたリボンに手を掛ける。太いそれを絡まらないようにそっと解き、美しい包装紙を破らないように丁寧に開いていく。現れたのは、真っ白な薄い小箱だった。蓋を開くと、中には黒いクッションが敷かれていた。闇夜のような布地の上に、金がきらめく。
 箱の中、クッションの上に丁重に飾られていたのは、小ぶりなヘアピンだった。三本並ぶ細い金地のそれの片端には、花の細工があしらわれていた。花弁の形を見るに、桜と桃と梅だろう。春を象徴する花を咲かせたそれは金と白の二色で構成されたシンプルなものだ。けれども、確かな存在感と品の良さを漂わせていた。
「前髪伸びてきて作業中邪魔そうだったから……、これでまとめたらマシになるんじゃない」
 呆けたように大きく目と口を開いて箱の中身を見つめる少女に、ぶっきらぼうな言葉が投げかけられる。素っ気ない響きだが、裏には思慮が溢れている。きっとたくさん考え、たくさん悩み、その末にこれを選んでくれたのだろう。大切な妹の優しさは、姉が誰よりも知っていた。
「付けてみてもいいデスカ?」
「いいけど、ヘアセット崩れるわよ?」
「大丈夫デス!」
 不安げに眉端を下げるグレイスに、湧き出てくるそれを吹き飛ばすかのような明快な声で返す。もらったばかりの宝物、桜で飾られたヘアピンをそっと手に取り、左側の髪をまとめるようにつける。鮮やかな桃の紙の上に、白と金の小さな桜が咲いた。指通しの良いつややかな髪に、その二色はよく映えた。
「どうデスカ?」
「似合ってるわよ」
 つけたピンを指差し浮かれた調子で問う姉に、妹はふ、と笑みをこぼす。漏らした息には、確かな安堵が宿っていた。己の喜びが、彼女に確かに伝わっている。彼女も喜んでくれている。こんなに嬉しくてたまらないことはない。
「大切に使いマスネ」
 蓋を閉じ、小箱をぎゅっと抱き締める。大切な大切な、何よりも大切な宝物だ。自然と笑みがこぼれた。ふふふ、と心底幸せそうに笑う薔薇色に、そう、と躑躅はふいと顔を背けた。映る横顔、その頬は薄い紅が刷かれていた。
「ネェ、グレイス。ケーキ食べマショウ!」
「……え? まだ食べるの? お腹大丈夫なの?」
「モチロン! まだまだ食べれマス!」
 今日という日――己の誕生日を祝うために、皆が頑張って用意してくれたのだ。主役である自分が誰よりも食べなければ心配されるだろう。少し休んだことで、胃袋は容量を取り戻しつつある。まだまだ入るはずだ。何より、どの料理も表情がとろけてしまうほど美味しいのだ。お腹いっぱい食べたいに決まっている。
 貴方、食いしん坊よね。呆れた調子でグレイスは呟く。響きの中には、確かな愛おしさがあった。大好きな、愛する姉への愛おしさが。
 黒いリボンが巻かれた妹の手を取る。繋いだ小さな手は、子どものように温かかった。伝わる温もりに、少女は頬を綻ばせる。掴んだ腕の先、小さな身体がひくんと揺れた。
「行きマショウ!」
 白いたなごころを握り締め、少女は駆け出す。ヒールが床を打つ高い音が喧騒の中に飛び込んだ。
「えっ――あぁもう! 走っちゃだめでしょ!」
 手を引かれる少女は叱責の言葉を飛ばすが、そこには楽しげな色もあった。首だけで振り返り、伝わる温度の先にある妹の顔を窺う。ラズベリルの瞳は幸せそうに細められ、薄い紅で彩った口は柔らかに綻んでいた。
 タッ、と足音二つ。賑やかな空間に、ローズピンクとアザレアがふわりと舞った。

畳む

#レイシス #嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀 #グレイス

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冬空に昇る願い【ライレフ】

冬空に昇る願い【ライレフ】
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書き初め。ライレフが初詣行こうとする話。
昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。

 ふわふわと温もりの中を漂っていた身を、冷気が覆い被さり無理矢理包み込む。刺すようなそれに、深い深い眠りの底から一気に意識が引き上げられる。足下から、襟元から、裾から、寝間着の隙間という隙間から冷えた空気が入り込み、ぬくまった身体を冷やしていく。普段ならば重たげにゆっくりと持ち上げられる瞼がカッと素早く開いた。冷気という外敵から身を守ろうと、少年は反射的に手足を折り曲げ丸まる。寝起きの必死の抵抗は、ほとんど効果を成さなかった。
「朝ですよ。起きてください」
 耳慣れた声が起き抜けの鼓膜と意識を震わせる。これでもかとすくめた首をどうにか動かし、音の方へと視線を向ける。冷やされても尚眠気が薄く膜張る朱い瞳に、鮮やかな碧と愛用の布団、毛布が映った。
「なんだよ……やすみだろ……」
 不機嫌さを隠すことなく、雷刀は愛しい愛しい寝具たちを剥ぎ取った弟に抗議をする。寝起きの低く掠れた声には、どこか迫力があった。しかし、相手は居すくまることなく真っ向から受け止める。猫のように丸まる片割れを見つめる若草色には、同じほどの気迫に満ちていた。棘のあるその声を跳ね返すような雰囲気すらある。
 今は冬休み真っ只中、それも休日である正月だ。運営作業も年末年始は休みで、毎日仕事に駆け回っている四人も今日ばかりは丸一日フリーだ。どれだけだって寝ていても許されるはずである。大切な休みに惰眠を貪るのは、この世にある贅沢の一つだ。誰にも迷惑を掛けない贅沢をして、怒られる筋合いなど無い。
 縮めた身をのろのろと動かし、寝起きでまだ動きの鈍い腕で掛け布団と毛布を奪い取る。刺すような寒さから身を守るべく、しっかりと握って奪ったそれで急いで身体をまるごと包み込む。少しばかり冷たくなった彼らに、思わずふるりと震えた。冷えは次第に消え失せ、体温と布地が柔らかな温もりをもたらしはじめる。冬の清澄な空気に追い出された睡魔がまた手を差し伸べた。
 はぁ、とわざとらしいほど大きな溜め息が分厚い綿と布越しに降ってくる。頭から布団に潜り込んでいるため顔は見えないが、きっと音の主は呆れた表情をしているだろう。重苦しい響きが抱える感情全てを表していた。
「初詣に行くのでしょうが」
 はつもうで。初詣。睡魔に誘われ沈み始めた思考に、その五音節が染みこんでくる。ワードの端に引っかかっていた記憶の糸をのろい動きで手繰り寄せる。そういえば、夜中にそんなことを話した気がする。だから早く寝ろ、と言われたところまで引っ張り出された。
 しかし、初詣程度でこんな布団を引っ剥がし、実の兄弟を極寒の下に放り出さなくてもいいではないか。そこまで初詣が大切なのだろうか。考えて、鈍く動く頭に何かが引っかかる。思い出すべきである何かは、寝起きでとっちらかった記憶たちに紛れて姿が分からなくなっていた。
「まぁ、好きにすればいいのではないですか。僕はレイシスと二人で行ってきますから」
 また溜め息一つ。『レイシス』『二人』の部分が殊更ゆっくりなぞられたそれは、呆れの中にわずかな優越感がにじんでいた。おやすみなさい、と突き放すような眠りへの挨拶とともに、カーペットの上にかすかな足音が奏でられた。
 わざとらしく強調された二つのワードに、寝起きで動きの鈍る頭がゆっくりと回転を始める。正月。冬休み。初詣。レイシス。二人。微睡み重くなりつつある意識に降ってきた単語を、どうにか脳味噌の中で組み立てていく。並べ立てた語たちが結びつき、少年は作った闇の中大きく目を見開く。同時に、散らばっていた記憶の中から大切なものを引っ張り上げた。
 そうだ、思い出した。今年も四人で初詣に行こう、と昨日レイシスからグループメッセージが来たのだ。同時に来た通知、小さな液晶に映った短い文に兄弟二人同時に賛同の返事をしたのを覚えている。寝坊しないように早く寝なさい、とだらだらとテレビを見ていた己の背に声がぶつけられた記憶も一緒に掘り起こされた。
 あれだけ愛ししがみついていた布団と毛布を跳ね飛ばし、朱は充電ケーブルに繋がった携帯端末の電源を入れる。ガラスフィルム越しの画面は、約束の時間まであと一時間と少しであると告げていた。待ち合わせの神社には、歩いて二十分もかからない。時間はまだあるが、余裕とは言い難い。すぐにだらけてしまう自分のことだ、すぐさま用意をしなければ遅刻してしまうだろう。
「オレも行く!」
 急いで布団をはねのけ、雷刀はベッドから転げ落ちるように身を下ろす。再び冷気が肌を刺し、粟立つ。しかし、怯んでなんていられない。大切な女の子を待たせることなど、何があっても回避せねばならぬ事項だ。
 冷えたカーペットから顔を上げると、扉の前で立ち止まった烈風刀が映った。早朝の空のように澄んだ碧い瞳には、呆れの色が多分に浮かんでいる。小ぶりな口の端はわずかに下がっていた。最初から起きてくださいよ、とうんざりした重い声が飛んできた。
「早く用意してください。レイシスたちを待たせるわけにはいかないでしょう」
「へーい」
 ドアを開け部屋を出る弟に続き、兄も廊下へと足を踏み出す。氷のように冷え切ったフローリングの感覚に、ぶるりと身体を震わせる。防寒効果の薄い寝間着のまま長時間過ごすのは自殺行為だ。さっさと準備してしまわねば。さっむ、と細い呟きを落としながら、少年は小走りで進んだ。
 凍ってしまいそうな冬の水に耐えながら手早く顔を洗い、急いで部屋に戻り着替える。迫り寄る焦燥にもつれながらも何とか着替えを終え、コートを肩に引っかけて玄関に向かう。二人暮らしで狭い底には、既にコートとマフラー、ブーツを装備した兄弟の姿があった。己が眠っている間に全て準備していたのだろう。優秀な彼はいつだって用意周到だ。
「朝ご飯は食べないのですか?」
「レイシスたち待たせたらダメだろ」
 片割れの問いにブーツを履きながら答える。朝食を摂るべきであるのは分かっているが、今はそんな時間など無い。約束した少女たちを待たせてしまう可能性は極力排除するべきだ。初詣程度の時間ならば、腹の虫を押さえつけ無視することも簡単だろう。帰ってから昼飯をたくさん食べればいいのだ。
 だったら早く起きてください、と真っ当な言葉が頭上から心を刺す。う、と濁った響きが喉から漏れた。そう言う烈風刀は寝坊することなく早くに起き、きちんと普段通り朝食を終え、寝転けていた己を起こすほど余裕を持って行動しているのだ。言い返しようがない。
 立ち上がり、トントンとつま先を地面に軽く打ち付ける。手早くコートを着ていると、ガチャリ、と重い音の後、玄関ドアが開かれた。目の前の鈍色が、あっという間に空色に塗り替えられる。
 二人で廊下に出、碧は手慣れた様子で鍵を掛ける。カチャン、と錠が落ちる音とノブを回しても開かないことを確認し、エントランスへと足を進めた。冬の穏やかな陽光に照らされた廊下に足音が二つ分落ちていく。
 エントランスの自動ドアをくぐり抜ける。ガラスドアの向こう側、広がる空は冬の朝らしい澄み渡った色をしていた。少し淡い青を、太陽の光と薄雲の白が彩る。小春日和とはこのような様をいうのだろう。普段ならば聞こえるはずの車の音も、子どもの声もない。正月休み、それもまだ朝なのだから当たり前だろう。
「さっみぃ……」
 冷え切った空気が身体を包み込む。部屋で布団を剥ぎ取られた時、否、それ以上の寒さだ。冬の風が吹き抜ける外なのだから当然である。つい先ほどまで布団でぬくまっていた身体にはあまりにも酷な温度だった。絞り出すように声を漏らした口から、白いものが生まれ空へと昇っていく。この調子では雪でも降るのではないか、などと考える。これだけ晴れ渡った青空からしてあり得ないのだけれど。
 さっみぃ、ともう一つ呟いて、首をこれでもかとすくめコートの襟に口元を埋める。剥き出しの指を凍らせるような外気から逃れるように、ポケットに手を突っ込んだ。冷えた分厚い生地が大きな手を包んだ。
「冬なのだから当たり前でしょう」
 すぐ隣から当然だといった調子の声が飛んでくる。そうだけどさぁ、とくぐもった音で返し、横を見やる。寒さなど平気だ、といった音色を奏でたその弟も、コートのポケットに片手を入れていた。危ないからポケットから手を出せ、なんて普段は言うくせに、自分だってやっているではないか。それほど寒さを感じているのに平然としているのだから、何だか気に入らない。思わず唇を尖らせた。
 そもそも、グレイスもいることを知っていて『レイシスと二人で初詣に行く』などと嘘を吐いたことも少しばかり不服だ。己を起こそうとしてのものとはいえ、あまりにも質が悪い。起き抜けの頭とはいえ、すっかり騙された自分も悪いのだけれど。
 さむ、と拗ねたようにこぼし、肩を縮こまらせて少しでも冷気から身を守ろうとする。襟元に埋めた口、そこから吐かれた呼気は依然白へと姿を変えていく。冬らしい光景だ。寒さが厳しいことの証でもある。
「カイロ、持ってこなかったのですか?」
「あー……。忘れた」
 持ってくればよかった、と今更になって後悔が湧き上がる。しかし、今朝の調子ではそんなことに頭が回るはずがない。起き抜け、しかもレイシスを待たせまいと慌てて用意をしたのだから、カイロなんてものに意識が向くわけがなかった。
 手を出してください、と声。いつもの説教だろうか。にしては、音は柔らかなものだ。やっと包み始めた温もりに名残惜しさを覚えながらも、素直にポケットから手を抜きだし隣へと差し出す。刹那、広げた手の平に何かが乗せられた。それが降り立った場所から、温もりが肌の上を広がっていく。白に黒がうっすらと透ける角の丸い長方形は、普段から使っている使い捨てカイロだ。
「えっ、いいの?」
「二つ持ってきましたから」
 貴方のことですから忘れていると思ってましたよ。辛辣な言葉が白く色付き、空に消える。棘があるものだが、芯は柔らかで温かだ。彼の気遣いがよく分かる。やっぱり、この弟はいつだって用意周到で優しいのだ。
 さんきゅ、と弾んだ声で礼を言う。突っ込みっぱなしだったもう片手を引き抜き、両の手で小さなカイロを包み込む。血の色を失い始めていた指先に、柔らかな温もりが宿った。
「あったけー……」
 はぁ、と満足げな溜め息が漏れ出る。冷やされた身体にカイロの温もりはまさに救いだった。じんわりと広がっていく温度が、縮こまっていた身体をゆっくりと解いていく。本当に単純ですね、と隣から飛んできた呆れた呟きは聞こえなかったことにする。
「レイシスたち、今年も着物着てくるかな」
「そうなのではないですか。少なくとも、グレイスには着せたがるでしょうし」
 カイロの温もりにより少しばかりの余裕ができた頭が、他愛も無いことを考える。こぼれた音はすくいあげられ、また返された。たしかに、とゆるく笑みをこぼした。
 この世界を担う可愛らしく愛しい少女は、新たにできた妹を溺愛している。イベント事では様々な衣装を作っては着せているほどだ。正月のような『晴れ着』という滅多に着る機会の無い衣装を着せられるイベントを逃すはずがないだろう。妹も、最近では様々な衣服を着ることを楽しんでいるように見える。今頃、姉の手によって手際よく着付けられているだろう。
 楽しみだなー、と口角を上げ浮かれた声をあげる。そうですね、と珍しく素直な声が返ってきた。愛する少女の着物姿は、兄弟にとっての初詣の楽しみの一つであった。大好きな女の子のハレの華やかな姿を見ることができる。それは年明け最初の幸せと言っても過言では無い。
「そーいや烈風刀はもうお願い事決めた?」
「あぁ……、まだですね」
 覗き込むように隣を見て、兄は問う。全く考えていなかったのだろう、少し呆けたような音が返ってきた。顎に指を添え、弟は宙空を見上げる。うーん、と悩ましげな響きが色の薄くなった唇の隙間から漏れた。
「決まったら教えて! 知りたい!」
「そういうことは人に言ってはいけないというでしょう」
 弾んだ声を、冷静な声がすっぱりと切り裂く。えー、と再び前を向いた翡翠を眇目で見やる。すぐ隣の片割れは、どこ吹く風といった様子で姿勢良く歩いていた。にべもない。
 他人に問うてみたものの、実のところ己も明確には決まっていなかった。願いたいことなど山ほどあるのだ。レイシスが元気に過ごせますように。成績がマシになりますように。今年こそレイシスと海に行けますように。バグが発生しませんように。ヘキサダイバーがまともに遊べるようになりますように。少し考えただけでも泉のように願い事が湧き上がってくる。絞り込むことなど至難の業だ。うーん、と喉が鳴るような音が白い息とともに蒼天へと昇った。
「……お願い事って何個までしていいんだっけ?」
「一個に決まっているでしょう」
 欲張るんじゃありません、と咎める声。想定通りの優等生な返答に、ちぇー、と不満げな声をあげた。
 そんなことを言われても、大量の願い事の中から一つだけを選ぶことなど不可能だ。ただ生きているだけで、叶えたいことも願いたいこともこの手で数えられないほど生まれてくる。人よりも欲深い自覚があり、あれもこれもと目移りしてしまう己ならば尚更だ。
 どうしようか、と縮こめていた首を伸ばし、空へと目をやる。ルビーレッドにスカイブルーがにじんだ。やはり願うならば自分のことだろうか。けれども、運営業務やレイシスに抱えているあれそれも大切で早く叶えたいことだ。弟に対してもそうだ。大切な人のことはいつだって願っていたい。
 烈風刀、と考え、一つの願いが頭をよぎる。常日頃考えていることであり、自力で叶えようと己から動いていることだ。最近では叶いつつあるのだから、神に願うほどのことではない。けれども、これを弟に言ったらどうなるのだろう。好奇心がむくむくと湧き上がる。冬の冷気に冷めつつあった心に、いらずらの灯がともった。ニィ、と無意識に口角が上がる。明らかに怪しいそれは、コートの襟に隠れて気付かれることはない。
「じゃあ、『烈風刀ともっといちゃいちゃできますように』にしよっかなー」
「はぁ?」
 いたずらげな声に素っ頓狂な声が重なる。静かな正月の朝の空間によく響く高さと大きさだった。エメラルドグリーンの瞳はこれでもかと鋭く眇められ、赤い口はぽかんと間の抜けた様子で開いている。冷えて色を失い始めた頬に、ぱっと朱が散った。
「神様にそんな馬鹿馬鹿しいことを願うんじゃありません」
「バカバカしくねーし。じゅーだいだし」
 愛する人と睦まじく過ごしたい。これは愛しい人を持つ人間ならば当然の願いであり、何もおかしな事ではないはずだ。少なくとも、雷刀にとってはこの上なく重大事項である。日々それに努め色々と画策するぐらいには大きな願いだ。馬鹿馬鹿しいだなんて切り捨てるのは酷である。
 ただ、言葉選びが悪い自覚はあった。否、わざとこの表現を選んだ。恋愛事に関しては恥ずかしがり屋で少々奥手な彼は、こんな言い方をすればきっと意識するだろう。今日一日この言葉を忘れられないぐらいには、脳に焼き付いてしまうはずだ。参拝中も、家に帰ってからも、己の言葉は彼の頭にこびりついて離れないだろう。恋人のことばかり考えてしまうだろう。そうなってしまえ、と意地の悪い部分が笑みを浮かべた。
「新年早々何を言っているのですか、本当に」
「お願い事決めてるだけだぜ?」
「……人に言うものではないと言っているでしょう」
 なぁ、とゆっくりとした調子で隣を窺うが、愛し人はふいと顔を背けてしまった。逸れた頭、白のマフラーと浅葱の髪の隙間から覗く耳は、ほんのりと血の色を浮かべていた。寒さ故の赤か、はたまた。考え、ふふ、と呼気のような笑みが漏れた。
 ブーツの硬い靴音がアスファルトの上に響く。晴れ着でその可愛らしい身を着飾っているであろう少女らが待つ神社へは、まだまだかかる。

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#ライレフ #腐向け

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こたつと微睡みと過ぎ去る日々と【嬬武器兄弟】

こたつと微睡みと過ぎ去る日々と【嬬武器兄弟】
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書き納め。嬬武器兄弟が大晦日にこたつでだらだらするだけ。
今年はお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 重い音とどこか間の抜けた声が笑い声に包まれたスタジオに響く。しばらくして、空気を切る音と打撃音、聞き苦しい悲鳴の何とも言い難い三重奏がスピーカーから流れた。
 めまぐるしく人が入れ替わる画面をぼんやりと眺め、烈風刀はコーヒーに口をつける。舌の上をぬるい苦みが染め、少し鈍くなった特有の香ばしさが鼻を抜けていく。手軽なドリップコーヒーとしては十分な味だ。冷えつつある黒を飲み干し、マグを元の位置に置く。深茶の天板の上に、同じ形をした赤と青が並んだ。
 朝早くから始めた大掃除は夕方にようやく終わり、夕食の年越し蕎麦も普段より少し早い夕食で食べた。夜が降り更けた今は、例年通り二人で年末恒例のバラエティ番組を眺めていた。弟にとっては特段心惹かれる内容ではないが、兄が毎年見たいとリモコンを取るのでそれに付き合っている状態だ。興味がさほどないのならば自室に引き上げてしまってもいいのだが、掃除も冬休みの宿題も済ませてしまったのだからやることがない。それに、一年の終わり、大晦日ぐらい家族と過ごしたいものだ。
 斜向かい、隣り合った一辺に座る兄を見る。彼の目の前には、半分ほど食べられたみかんとその皮が山積みになった紙のゴミ箱があった。瑞々しい小さな房を一つつまんだ指は、健康的な赤で彩られた口元に辿り着くことなく机の上で止まっている。黙々とみかんを咀嚼していた口は閉じられ、液晶画面に熱心に注がれていた視線は磨かれた天板に吸い込まれていた。朱い頭はこくりこくりと前後に揺れている。
「こたつで寝ないでくださいよ」
「んー……」
「年越しまで起きていたいのでしょう」
「んー……」
 揺れる頭に言葉を投げかけるが、返ってくるのは唸りに似た音ばかりだ。それも、半分眠っている響きをしていた。先ほどまで液晶画面に映し出される芸人たちを見て声をあげて笑っていたとは思えない様相だ。こたつがもらたす暖かさに負けそうになっているのだろう。この兄はいつもそうだ。
 テーブルの上に並んだマグを見やる。深い赤と薄い青で彩られたそれの中には、底に少しだけ焦げ茶をした水滴が残っている。どちらも空になっていた。カフェインたっぷりのコーヒーを飲んで尚船を漕ぐほど眠くなるのだから、こたつというものは恐ろしい――同じ条件の自分の元には睡魔が訪れていないのだから、気質の問題もあるのだろうけれど。
 自分の分のついでだ、目覚ましに淹れてきてやろう。考え、少年はカーペットに手をつける。身体の半分を包み込む心地良い温度にどうにか抗いつつ、分厚いこたつ布団と毛布の中から抜け出す。机上に並んだマグを手に、碧は立ち上がった。
 冷えたフローリングを足早に進み、キッチンへと向かう。目盛りに合わせて電気ケトルに水を入れ、スイッチを押す。棚からパック詰めされたドリップコーヒーを二人分取りだし、空っぽになったカップにセットした。
 冬の空気が背を撫ぜる。身体を無理矢理冷ますようなそれに、思わず大きく身震いをする。つい先ほどまでこたつの暖かさに包まれていた身体には、キッチンの冷え切った空気は凶器にも近い。どうせ何杯も飲むと分かっていたのだから、一式をリビングに持って行った方が良かっただろうか。いや、さすがにそれは堕落しすぎではないか。寒さで冴えつつある頭で益体もないことを考えている間に、カチン、とスイッチが上がる音がテレビの喧騒が遠くに聞こえる空間に響いた。水が沸く低くくぐもった音が止み、静寂が少年と薄く黒の残る陶器を包む。
 紙製のドリッパーに均等に湯を注ぎ入れる。湯で満たされたそれが水位を減らし、完全に雫が落ちきったところで取り、ゴミ箱に捨てた。寒さをよく表す白い湯気を上げるマグを手に、少年はリビングへと戻る。厚い靴下で保護された足は、普段よりもいくらか動きが速かった。
 リビングの中央、こたつの前。みかんが積まれた籠とゴミ箱、リモコンが載ったそれの傍らで烈風刀は足を止める。目の前に広がる光景に、整った眉が薄く寄せられた。
 溢れそうなほどみかんの皮が詰まった紙のゴミ箱の正面には、朱い塊があった。そこから繋がる肩と丸まった背は、ゆっくりと上下している。授業中よく見る姿だ。つまり、机に突っ伏して眠っている。
 兄のマグを突っ伏した頭の前に置き、穏やかに上下運動を繰り返す肩に手を伸ばす。掴み揺さぶろうとする直前で、少年は手を止めた。セーターに包まれた鍛えられた腕が引き、不満げに一文字を描いていた口元がわずかに解ける。細い溜め息が緩んだ口からこぼれ落ちた。
 日中、それも朝早くから彼はよく働いてくれた。風呂掃除に洗濯物干し、リビングの掃除にエアコンのフィルター掃除、家中の電灯の掃除。加えてくしゃくしゃになったプリントや通販の段ボール箱が溜まりに溜まった自室の掃除。分担したとはいえ、ものぐさで掃除が苦手な彼が朝から頑張って整理整頓をこなしたのだ、疲れているに決まっていた。疲弊した身体に温かな料理で胃が満たされ、とどめにこたつの温もりが身体を包んだのなら、眠ってしまうのも仕方が無いことだろう。動き疲れて眠ってしまうなんて子どもっぽいのだけれど。
 テレビの横に置かれた卓上時計に目をやる。音も無くなめらかに動く針は、日付が変わるまであと一時間と少しだと伝えてきた。やっぱ年越しは起きて過ごしたいじゃん、と彼は毎年浮き足立った様子で主張している。このまま寝過ごしては後がうるさいだろう。日付が変わる二十分ほど前に起こしてやろう。そう考え、烈風刀は定位置に座った。冷えたキッチンとフローリングを歩き冷えた足を、程よい温もりが包み込んだ。
 みかん籠の隣に置かれたリモコンに手を伸ばし、チャンネルを変える。ザッピングしてみるが、やはり大晦日と言うこともあってどのチャンネルも特番ばかりだ。無駄に電気を食うのだから、興味を引くものが無ければ消してしまった方がいいとは分かっている。しかし、音も何もない部屋で一人過ごすというのも何だか寂しいものだ。唯一の話し相手が眠ってしまっているのならば尚更である。テレビの賑やかしい音は、生まれてしまった空白を埋めるのには都合が良かった。
 結局、たまに見るニュース番組にチャンネルを合わせる。番組の雰囲気はがらりと変わっており、例に漏れず年越しをテーマに編成されていた。埃一つ無い画面に、今年のニュースがランキング形式で並べ立てられる。感心や驚きを含んだ出演者やギャラリーの声がスピーカーから流れた。わざとらしいそれが耳を通過していく。
 今年も色々なことがあったな、と鮮やかに映像を映し出す液晶画面をぼんやりと眺めながら考える。自分たちにとって一番のニュースは、バージョンアップによる世界の刷新と、ヴァルキリーモデルという新たな筐体の稼働だろう。年が変わる前から性能向上や新機能の実装、それらの調整に向けて皆で奔走した日々が思い起こされる。一年しか経っていないというのに、もう随分と懐かしく思えた。
 皆で尽力した甲斐あって、評判は上々だ。努力が報われた喜びと安心はあれど、まだ気を緩めるわけにはいかない。ユーザーたちは更なる世界を、機能を求めているのだ。ゲーム運営に関わる者として、それに応える義務がある。ここで満足して立ち止まらず、もっともっと精進せねばならないのだ。口には出さないが、きっと皆同じ思いだろう。来年も頑張らねばな、と小さく頷き、新たに満たされたマグを口に運んだ。程よい温度が喉を潤し、胃から身体を温めた。
 みかんを食べ、テレビを眺め、携帯端末をいじくり、コーヒーを飲み。一人きりの時間はスピーカーから流れる騒がしい音とともに静かに過ぎていく。
 ゴーン、と鈍い音がスピーカー越しの喧騒に紛れて耳に飛び込んでくる。鐘の音だ。もう除夜の鐘が鳴る頃か、と時計へと目をやる。気付けば、新年まであと十五分という時刻になっていた。
 かすかな寝息を立てる兄の背を軽く叩く。雷刀、と眠りの海に身を浸した片割れの名を呼ぶ。深く沈みいっているのか、返事は無い。雷刀、ともう一度強く名をなぞり、今度は肩を揺さぶる。癖のある朱い髪がふわふわと揺れた。しばしして、掴んだ肩がふるりと震える。断続的なそれの後、んー、と濁った音が天板と髪の隙間から漏れ出た。
 朱い頭がゆっくりと上がり、突っ伏し隠れていた顔があらわになる。額にうっすらと赤い跡が残ったかんばせは、まだ眠気で化粧されていた。やっとといった様子で半分だけ上がった瞼から覗く紅玉はけぶり、普段の輝きを失っている。鈍い朱がゆっくりと瞬き、くぁ、と大きく口が開く。大きなあくびと気の抜ける音が真っ赤な口から漏れ出た。
「もうすぐ日付変わりますよ」
「まじ……?」
 拳を軽く握り猫のように目元を擦りながら、雷刀はテレビ画面の右上、現在時刻を示す数字列に目をやる。うわマジだ、と少しだけ輪郭を取り戻した声があがった。どうやら驚愕で少し目は覚めたようだ。
 こたつ布団に潜り込んでいた腕が這い出、机上のマグへと伸びる。赤い陶器が赤々とした唇と触れ合う。傾けて少し、つめて、と少年は顔をしかめた。湯飲みのように握られたぐっと傾き、中身が一気に煽られる。冷たさと苦みでようやく意識が覚醒に至ったのか、瞼はすっかりと開き、覗く瞳は元の透明度を取り戻していた。
 朱い頭が天板に再び乗せられる。今度は正面から突っ伏すのではなく、横向きだ。プラスチック製の板面に押しつけられた頬がむにゅりと柔らかに形を変える。輝きが灯った瞳は隣に座る蒼玉を見上げていた。
「なー、烈風刀」
「何ですか」
 未だほんのりと眠気がにじむ声が己の名をなぞる。みかんの皮をゴミ箱に入れながら短く返すと、ぱちりと開いた朱がそっと細まったのが見えた。笑みにも似たそれは、愛しさを宿した曲線をしていた。
「今年もありがとな」
 歌うような軽やかな調子で兄は言う。言葉を紡ぎ出す口元は緩み、わずかに口角を上げている。確かな笑みを形作っていた。
「何ですか、いきなり」
「いやー、こういう時ぐらいしかこういうこと言えねーし?」
 訝しげな声に、どこか拗ねたような、少し照れくさそうな声が返される。だって世話になったのは事実じゃん、とほんのりと尖った唇が音を紡ぎ出した。天板に潰されていない方の頬がぷくりと膨らんだのが見えた。
 素直な彼らしいとも、自由奔放な彼らしくないともいえる言葉だ。まっすぐな音色は、確かに弟の胸に染みこんだ。ふ、と訝り固くなった口元が緩む。
「こちらこそ。来年もよろしくお願いしますね」
 世話になったのはこちらもである。まだまだ力不足だと考えているようだが、長い年月をかけ研鑽を積んだ彼は十二分にレイシスたちのサポートを務められている。新たなバージョンと筐体の稼働も、彼の力があってこそできたのだ。一人でも欠けていれば、今過ごす日々はきっとなかっただろう。どんなに謙遜しようと、それは変わらぬ事実だ。
 柔らかな声に、おう、と短い声が応える。寝起きとは思えないほど元気の良い、わずかに照れを孕んだ音だ。へへ、とはにかむ音が朱の緩んだ口元からこぼれ落ちる。続いて、碧の音にならない笑みが漏れ出た。
 ワァ、とスピーカーから一際大きな音が響く。不意の大音に、朱と碧が鮮やかな色を放つ液晶画面へと向けられた。右上に小さく表示されていたデジタル時計は消え、広いスタジオの後方に設置された大液晶へと姿を移していた。デジタルの角張った数字は、年が変わるまであと五分を切ったことを全身で示していた。おっ、と弾んだ声があがる。炎瑪瑙が輝き、リモコンを掴む。ボタンが幾度か押され、スピーカーから流れる音が大きくなった。
 液晶画面に釘付けになった朱を横目に、碧は籠へと手を伸ばす。手のひらからこぼれ落ちそうなほど大ぶりなそれを一つ掴み、皮を剥く。現れた実を分け、一房手に取った。
 昨年もこのように彼とともに過ごしたことを思い出す。テレビから流れるカウントダウンの声に己の声を高らかに重ねるその姿を見ながら年を越したのだ。昨年も今年もそうなのだから、きっと来年もそうなのだろう。そんなことを考え、少年は小さくなった実を口にする。噛んだ瞬間口内に溢れ出た果汁は、甘酸っぱかった。

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#嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀

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雪色サンタさん【プロ氷】

雪色サンタさん【プロ氷】
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サンタな上に赤縁眼鏡はずるくないですか
ありがとうSOUND VOLTEX……ありがとうKONAMI……ありがとう眼鏡……プロ氷眼鏡おそろ最高……(何でも推しカプに繋げるオタク)

 低い呻り声が物が溢れかえる机の上を張っていく。ゴポゴポと沸き立つあぶくが弾ける音が空気を揺らす。それを掻き消すように、ガサガサと騒がしい音がデスクの下部からあがった。
 あれぇ、と識苑は呆けた声を漏らす。ゴソゴソと耳障りな音が続く。また抜けた声を漏らし、青年は頭を掻きつつ机の下から身を起こす。頭には小さな綿埃が乗っていた。
 息抜きにコーヒーでも飲もう、と湯を沸かしたはいいが、肝心のインスタントコーヒーが見つからない。在庫はまだあったと思っていたのだが、備え付けの棚や積み上がった段ボール箱の奥の奥まで漁ってもそれらしきパッケージは影すら見せなかった。まさか買い忘れていたのだろうか。毎日のように飲むのだから大量に買ってストックしていたはずなのだが。乱れた髪をガシガシと掻き、青年は小さな呻り声をあげる。せっかく沸かしたのに、とみみっちい後悔が胸の隅から湧き上がった。
 コンコンコン。雑多に散らかった部屋にノックの音が飛び込んでくる。放課後である今、技術準備室を訪ねてくる者は少ない。技術班の者だろうか。いや、あの用件第一の面々がノックなんて礼儀正しいことはしない。だとしたら生徒か。それにしても、わざわざ放課後に技術教師である自分の元に訪れるなんて随分と珍しい。
「どうぞー」
「…………し、失礼、します」
 普段の調子で返事をする。しばしの沈黙の後、カラリと軽い音をたてて鉄製の引き戸がわずかに開けられた。狭い隙間から今にも消え入りそうな細い声が滑り込む。少し上ずったそれは、耳慣れた愛おしい響きをしていた。
「あ、氷雪ちゃん」
 鼓膜を揺らした音に、技術教師は弾んだ声で愛しい人の名前をなぞる。戸口の隙間から覗く白は、大切な生徒であり愛する恋人である氷雪の色だ。しかし、今日は少しばかり様子がおかしい。最近では恥ずかしがることなく素直に入室する彼女だが、今日は一歩も踏み入れず戸の隙間からこちらを眺めるばかりだ。出会ったばかりの頃を思い出す様子である。どうしたのだろう、と小さく首を傾げた。
 せんせい、と少し掠れた声が呼ぶ。なぁに、と努めて柔らかな声で返す。あの、その、と揺れる声が、技術室と準備室の境目に落ちる。幾許、手が入る程度に開かれていた扉が、軽い音をたてながらゆっくりと大きく開かれていった。
 まず目に飛び込んできたのは赤だ。旬を迎え熟れきったリンゴのように鮮やかな紅色が、夕焼け色の瞳を染め上げる。
 彼女を象徴するような白い着物は、丈の短い真っ赤なワンピースに変わっていた。縦方向に編み目が浮かんでいる生地の端は、白いボアで縁取られている。胸元と少し割れた裾は濃い茶色の丸ボタンで留められていた。ノースリーブのため、日に焼けていないまろい肩があられもなく覗いている。ワンピースと同じ色をした余裕のあるアームカバーが、手折れそうなほど細い腕を二の腕の中ほどから守っていた。
 ワンピースの裾からは黒のフリルスカートがわずかに覗いている。こちらもかなり丈が短く、肌の防護という点では衣服としての機能を果たしていない。代わりに、黒いタイツが細くも柔らかな足を守っている。うっすらと肌の色が透けているのがどこか艶やかだ。履き物も、普段の黒く厚い下駄ではなく、柔らかな白いボアとリボンで彩られた真っ赤なロングブーツに変わっていた。
 鮮烈に赤いリブワンピースの真ん中を、オレンジ色の太い紐が走っている。先は彼女の頭より二回り以上は大きい白い袋に繋がっていた。リボンのショルダーで斜め掛けされたそれは、大きな空色の球、下部を包む赤い生地、薄橙の結晶模様で彩られ、ポップな印象を与えた。
 深夜に降り積もる雪のように白い髪、それに包まれた小ぶりな頭には、柔らかに垂れた三角帽子が被さっていた。真っ赤な生地をボア生地が縁取るのはワンピースと同じだが、左右に猫の耳のような三角飾りが付いているのが特徴的だ。長い三つ編みを結い飾るのは、オレンジの編み紐でなく白くふわふわとしたヘアゴムだ。普段は顔を隠すように長い前髪は、片側を青い雪結晶で飾られたヘアピンで分けられていた。
 長い髪で少しばかり隠れた頬は、赤く色付いていた。清水のように透き通る雪色の肌を紅が染める様は、可愛らしいものだ。白と黒のボア生地で縁取られたアームカバーに包まれた手が、胸元に走る幅の太いショルダーをぎゅっと握る。
「めっ……メリー……クリスマス、です……」
 絞り出すように放たれた声は、少しひっくり返っていた。揺れる音は口から漏れ出てすぐに溶けて消えていく。ぁ、ぅ、と細い声がピンク色の潤った唇からこぼれ落ちる。水底色の瞳は地へと吸い込まれ、ゼリーのようにふるふると震えていた。
 普段の彼女からは想像も付かない衣装で現れた恋人に、識苑は大きく目を見開いた。目の前の現実を受け止めきれぬ身体はしきりに目を瞬かせ、口は呆けたようにぽかんと開いていた。なんとも間の抜けた表情である。
「あ、えっ…………え……?」
 こんなに可愛らしくめかしこんだ愛し子が目の前にいるのだ、もっと言うべき言葉があるとは分かっている。けれども、処理落ちを起こした脳味噌がアウトプットしたのは呆然とした間抜けな音だけである。あ、え、と意味を成さない単音ばかりが開きっぱなしの口からどんどんと落ちていく。無駄な響きが散らかった部屋の床に積み重なっていった。
「あの、えっと……、さっ、サンタさん、です」
 そう言って、氷雪は被った三角帽の端をきゅっと握った。ふわふわとした三角耳と、てっぺんについた丸いぽんぽん飾りが揺れた。
 真っ赤な衣服。真っ赤な三角帽。それに、大きな袋。確かにサンタらしい衣装だ。しかし、彼女が何故そんな格好をしているのか。何故普段の美しい着物ではなくこんなに可愛らしい衣装を身に纏っているのか。今の脳味噌には、湧いて出てくる疑問を処理する能力など無かった。
「ぁ、の……、やはり、変、でしょうか……?」
「えっ、あっ、いや! 似合ってる! めちゃくちゃ似合ってる! すっごく可愛い!」
 萎んでいく声を、高揚し上擦った声が掻き消す。しょんぼりと表情を曇らせる少女を前に、青年はぶんぶんと千切れんばかりの勢いで首を横に振った。可愛い。綺麗。大人っぽい。似合ってる。月並みな台詞が口を突いて出る。ようやく元の処理能力を取り戻しつつある脳味噌は、今度は熱暴走を始めた。
 これでもかと降ってくる賞賛の言葉に、翡翠のまなこが大きく瞠られる。小さく開いた口から、ひゅ、と息が漏れる音。薄紅が刷かれていたかんばせは、あっという間に赤く染め上げられていった。白く細い喉が上下する。オレンジの太いショルダーを握る手に力が込められた。
「本当にすっごく、もうほんと、めっちゃくちゃ可愛いよ! 氷雪ちゃんが選んだの?」
 褒め言葉だけが湧き出漏れ出る口から、ようやく会話らしい言葉が落ちる。普段はシンプルな白と黒で柔らかな身を彩る彼女が、こんな目が醒めるような赤を選ぶのは珍しい。肩だけとはいえ、肌を晒すのも奥ゆかしい彼女らしからぬ選択だ。誰かのアドバイスがあったのか、はたまたジャケット撮影か。クリスマスも近い今の時期を考えると、後者だろうか。最近はジャケット撮影に関わっていないため、その辺りの情報には疎い。
「班田さんが選んでくださったんです」
 そう言って、少女は胸元に両手を当てる。大きく開かれた目がふわりと柔らかに細まり、桜色の唇が軽く綻ぶ。小さく笑声を漏らしはにかむ様は愛くるしい。
 彼女の口から出てきた『班田』の名に、識苑は瞬きを一つ落とす。班田はたしか高等部の生徒だ。人と関わることをあまり得意としない彼女と付き合いがあるのは、同学年の少女二人や同郷の留学生ぐらいである。そんな少女が、新たなる友好関係を築いている。喜ばしいことだ。
「ネメシスクルーにもなるんです。少し、恥ずかしいですけれど……」
 胸元に添えられた手がきゅと握り締められる。固く包まれた白い指先には、緊張が灯っていた。しかし、普段なら凍りついたように強張り色を失う表情は、今回はほんの少し解けたものだ。ネメシスクルーになるのも三度目だ、多少の慣れもあるだろう。それ以上に、新たな衣装が嬉しいのだろう。彼女も年頃の女の子なのだ。
 あっ、と雪色は声をあげる。可憐なたなごころが解かれ、ワンピースのポケットに入っていく。しばしの間、細い指が取り出したのは楕円形のケースだった。半透明のワインレッドが開かれ、中から何かを取りだされる。ケースを再びポケットにしまうと、少女はたおやかな指でつまんだ小ぶりなものをカチャカチャと広げた。顔が軽く伏せられ、おそるおそるといった調子で上がる。未だ紅がうっすらと浮かぶかんばせに、ぱっと鮮やかな赤が咲いた。
 氷雪が取り出し着けたのは、シンプルな眼鏡だった。プラスチックのリムは衣装と同じく赤で、アンダーのみで丸みのあるレンズを支えていた。細身なデザインは柔らかな雰囲気をまとう彼女によく似合っている。
「眼鏡も選んでいただいんです」
 両の手をテンプルに添え、少女は弾んだ声を奏でる。言葉を紡ぎ出す桜色の唇は、ゆるやかに綻んでいた。新しいアクセサリーが嬉しいのか、はたまた人に見繕ってもらったのが嬉しいのか。どちらもだろうな、と考え、識苑は頬を緩めた。
「え、っと……、あの、……め、眼鏡、おそろい、ですね」
 咲き誇る椿のように色づいた頬がふにゃりと柔らかく緩む。苔瑪瑙が幸せそうに細められ、白い睫に縁取られた目がふわと弧を描く。えへ、と細く開いた口が可愛らしい笑い声を漏らした。
 幸いに彩られ綻びきったその笑みに、心の臓が跳ねるように大きく拍動する。ポンプの役割を果たす臓器がどんどんと動きを速めていく。同時に、ぎゅっと紐で引き絞られるような感覚もした。
「そ、うだね。うん。おそろいだ」
 バクバクとうるさく音をたてる心臓をどうにか無視して、何とか返事をする。言葉を紡ぐ口はぎこちなくつかえる様子に反してだらしなく緩み、奏でる音色はとろけきった甘い響きをしていた。
 ただでさえ新たな衣装を見せてくれた恋人が愛しくて仕方が無いのに、そこに『おそろい』なんてことを言われては、可愛くて可愛くて仕方が無いではないか。湧き出る幸が胸を、心を、頭を、身体を満たしていく。溢れ出たそれが、表情筋を緩めていく。へにゃへにゃと口元が、頬が、目元が緩むのが自分でも分かる。きっと、なんとも情けない顔になっているだろう。本当ならばこんな顔を彼女に見せるべきではないが、幸せが際限無く湧き出る今ばかりは緩んでいく筋肉をコントロールすることなど不可能だった。
「今年は氷雪ちゃんがサンタなんだ。すごいね」
 ネメシスの住人たちのデータから作られたネメシスクルーは、皆の普段の姿だけではなく季節に合わせた衣装やジャケット衣装の姿のものも生み出されている。クリスマスならば、トナカイモチーフの衣装に身を包んだニアとノア、そのものずばりサンタの格好をしたグレイスなど、前例はある。今年はその役目が氷雪に回ってきたようだ。
「そうなんです。ちゃんと、頑張ってプレゼント配りますよ」
 雪の少女は胸の前で両の手をぎゅっと握り締める。とろけへにゃりと下がっていた眉の端は少しばかり持ち上がり、萌葱の瞳には真摯で真剣な光が宿っていた。かすかに滲む恐れを払うように、白はこくりと小さく頷く。頑張ります、と、健康的につやめく唇が宣言するように今一度言葉を形作った。
 気合いを入れた様子に、識苑はふっと目を細める。頑張り屋で真面目な彼女らしい姿だ。同時に、数年前の彼女からは全く想像できない姿であった。己の体質にコンプレックスを持っているのも相まって、人と関わりをもつことが少なかったこの幼き優しい雪女は、引っ込み思案で酷く控えめな性格をしている。誰よりもぬくもりを求めているのに、人と触れ合うことを自ら避けてしまうほどだ。そんな彼女が、友人たちに背を押されたとはいえ『サンタクロース』の役目を引き受け、全うしようとしている。随分と社交的に、積極的になったものだ。成長したなぁ、とまるで親のように感慨深くなってしまう。
「あっ、あ、の……」
 少しだけ高く細い声。可愛らしい唇が何か言いたげにもごもごと動く。えっと、と何度か繰り返して、少女は再び目の前に立つ恋人を見上げた。先ほどまでぱちりと開いた目は不安げに揺れ、溢れるやる気を象徴するように上がっていた眉は軽く下がっていた。ふわ、と頬に血潮の色が浮かぶ。
「先生は、サンタさんへのお願い決まりましたか……?」
 ことりと首を傾げ問う愛し子に、青年はぱちりと瞬きをした。お願い、と口の中で呟く。つられるように桃色の頭が傾ぐ。乱暴にまとめられたポニーテールがゆらりと揺れた。数瞬、あぁ、と合点のいった声があがった。
「先生、もうサンタって歳じゃないからなぁ」
 クリスマスまであとわずかだ。サンタを信じている子どもたちはもうプレゼントのリクエストやお願い事をしている頃だろう。しかし、自分はもう立派な大人である。『サンタにお願いをする』という考えすら今の今まで湧いてこなかった程度には、サンタからはもう随分と前に卒業してしまった。
 もうサンタになる側だもん、と冗談めかして言う。そうか、もうそんな歳なのか。絶対的な時の流れが胸を深々と刺す。今まで考えたことはあったものの、いざ言葉にするとダメージが襲いかかってくるものだ。想定外の自傷行為に、胸が鈍い痛みを覚える。思わず苦い笑いが少し口角の下がった口からこぼれ出た。
 乾いた笑いを漏らす恋人を前に、氷雪はきゅっと唇を引き結ぶ。赤で彩られた胸の前で握った手を、もう片手が包み込む。祈りの姿にも似ていた。
 はくりと愛らしい小さな口が開く。酸素を求めるように、はくはくと幾度も唇が開閉する。こっ、とわずかに裏返った声が細く白い喉から発せられた。
「今年は、わたしがサンタさん、ですから……、えっと、あの…………」
 しどろもどろに声を漏らしながら、少女は肩から下げた大きな袋に手を突っ込んだ。先が軽く膨らんだアームカバーに包まれた両腕がわたわたと動き、袋の中身を掻き回す。幾許かして、解かれ開いた白い袋から腕が引き抜かれた。
 紅葉手に包まれていたのは、小箱だった。両の手で包み込める程度の大きさのそれは、早朝の澄んだ空を思わせるような水色の包装紙と幅の太いつややかな白いリボンでラッピングされていた。よく見ると、包装紙には薄く雪の結晶を模したマークが散っている。冬らしくも可愛らしいデザインだ。
「く、クリスマスにはまだまだ早いですけれど……」
 サンタさんからの、プレゼントです。
 呟くように言って、氷雪はたなごころに包んだ小箱を差し出した。顔を伏せているため、表情は見えない。しかし、長い髪の隙間から見える耳は牡丹のように赤く色付いていた。よく見れば、箱を持った手は微かに震えている。雪のように澄み渡る白の指は、色を失っていた。
 夕陽の瞳がぱちぱちと瞬く。きょとりと丸くなったそれが、ふっと細められた。不健康な白い瞼の隙間から覗く山吹には、愛慕と歓喜、確かな幸福が浮かんでいた。
 頑張り屋の彼女はサンタクロースの役目を果たそうと頑張っているのだ。人との関わりという己の苦手を克服し努力する姿に、愛おしさが溢れ出る。そんなところに己は惹かれたのだ。
 優しい彼女のことだから、きっと己だけでなく学園中の皆にプレゼントを渡しているだろう。それでも、愛する人からプレゼントを贈られるということは、心が沸き立つほど嬉しかった。幸福感が胸を、脳を満たしていく。また口元がへにゃりとだらしなく緩むのが自分でも分かった。
「ありがと」
 礼を言う声は、幸いに満ち満ちたとろけていた。小さな両の手を包み込むように箱を受け取る。重なった手は、その色が表すとおり冷たかった。触れたそれが怯えたようにばっと去っていく。血の気を失った手が、胸の真ん中を分かつように掛けられたショルダーを握った。
「あ、の、えっと……、でっ、では、わたし、着替えてきます。撮影も終わりましたので」
 失礼します、と大きく一礼。耳の付いたサンタ帽を揺らし、少女はくるりと踵を返し扉へと駆けていく。幼い手が慌てた様子で戸を開ける。くるりと振り返って小さく一礼し、少女は戸を閉め技術準備室を出て行った。
 パタパタとくぐもって聞こえる足音を耳にしながら、識苑は今日何度目かの瞬きをした。彼女らしからぬ、随分と忙しない動きだった。いつものように手を振り別れの挨拶を言う暇すらなかったのだから尚更である。もう放課後になって随分と経つ。早く着替えて帰りたかったのだろうか。ならば余計な会話で引き留めてしまったのは申し訳なかったな、と小さな後悔が胸をよぎった。
 両の手で持った小箱に視線を移す。片手で持ち直し、可愛らしい飾り結びにされたリボンを解き、美しい包装紙を破らないようにそっと開いていく。カサカサと紙が擦れる音が狭苦しい部屋に落ちた。
 リボンと紙の下から現れたのは、四角い白い缶だった。正方形に近いそれには、『ハーブティー』とデザインチックな英字の筆記体で書かれている。金色で縁取られた蓋の上には、小さな紙が薄青のマスキングテープで貼り付けられていた。
 たまにはコーヒー以外も飲んでくださいね。氷雪。
 シンプルな飾り枠が彩るメッセージカードには、丸っこい可愛らしい文字でそう書かれていた。署名もある通り、間違いなく氷雪の文字だ。思い遣りのこもった、それでいて諫めるような文面に、思わず苦笑が漏れる。コーヒーばかり飲んでいると胃が荒れますよ、と彼女は時折言う。それでも懲りずに飲んでいた結果が今回のプレゼントなのだろう。己のことを考え抜いたプレゼントへの嬉しさと、心配をかけてしまった申し訳なさが胸の内で混ざり合う。困ったように頭を掻いた。
 金インクで模様が描かれた蓋をそっと外す。瞬間、ハーブの特徴的な爽やかな匂いがふわと舞った。中には個包装されたティーバッグが整然と並んでいた。積み上げられた山々を崩さないように机の上にスペースを作る。そこに手にした缶箱を置き、中身を一つ抜き取る。淡いオレンジ色のパッケージには、『カモミール』と流麗な英書体で書かれていた。
 ちらりと机の脇に目をやる。電気ケトルの中身はまだぬるいはずだ、すぐに沸くだろう。インスタントコーヒーのために沸かしていたものだから、量も十分だろう。ティーバッグの紅茶一杯入れる程度に問題ないくらいの。
 緩く笑み、青年はケトルのスイッチを入れる。小さなボタンを押す指先は、どこか浮かれていた。

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#プロ氷

SDVX

血肉と果実【奈+恋】

血肉と果実【奈+恋】
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今更も今更に10月のエンドシーンネタななこの。
好き合ってないし付き合ってないけど同生産ラインで百合とか薔薇生産しているので注意。
奈恋奈は一生親友以上恋人未満みたいな関係性でいてほしい。

 あーん、と可愛らしい声とともに、白い指が眼前に迫る。ふとした拍子に折れてしまうのではないかと不安になるほど細い指先には、小さな赤があった。不格好な多角形のそれは、毒々しいほど鮮やかだ。透き通り、光を受けてどこかきらめく様はガラスの欠片を思わせた。
 差し出されたそれに、恋刃は小さく眉をひそめる。健康的な色をした唇が引き結ばれ、口角が悩ましげに下がる。きらめく粒と同じほど赤い瞳は、いつだって真っ直ぐに相手を見据える彼女らしくもなくうろうろと宙を彷徨っていた。逡巡、少女は震える口を小さく開き、指の持ち主に向けてわずかに身を乗り出す。あーん、と再び愛らしい声。あーん、とかすかに震え掠れた復唱。白を飾る透る赤は、血肉の色をした舌の上に乗せられ口内へと消えた。華奢な顎が動き、少女は迎え入れたそれを咀嚼する。瞬間、紅玉の瞳が険しげに細められた。
「すっぱぃ……」
「そんなに?」
 口いっぱいに広がる酸味に、赤い少女はうぅ、と苦々しい声を漏らす。小指の爪ほどの小さな実だというのに、舌の上はそれが中に秘めた酸味で一気に塗り潰されてしまった。リンゴやイチゴのように真っ赤に熟れた外見からは全く想像できない味だ。旬を迎えていることもこの味の強さの一因だろうか。だとしてもすっぱいったらない。
 小さくうなりながら顔をしかめる恋刃を、奈奈は不思議そうな顔で眺める。赤い粒――ザクロを食べさせた、つまりは己がこんな顔をしている原因は彼女だというのに、七色の瞳はどこか楽しげに輝いていた。すっぱさに悶える己の顔はそんなにも物珍しいのだろうか。それとも、ただ『あーん』ができて嬉しいのだろうか。後者だといいのだけれど、と少女は机上のペットボトルに手を伸ばした。しかめっ面で口をつけ、大きく傾け中身を煽る。甘いストレートティーだというのに、レモンティーのような風味が口の中に広がった。
 少女らの――正確には奈奈の目の前にはザクロの実が転がっていた。手のひらサイズのそれは熟し、中から目に痛いほど鮮やかな赤が覗いている。絵の具をそのまま塗りたくったようなそれは、どこか不気味な印象すら与える。反して、丁寧に磨かれた宝石のような美しさも持ち合わせていた。
 弾けるようにこぼれたその一粒を取り上げ、虹色の少女は指先で小さな赤を転がす。色彩感覚が狂いそうなほど強い色をした粒を見つめる瞳には、好奇心と愛おしさがにじんでいた。
「ねぇ、恋刃」
「なに?」
 紅茶の甘みと渋みで口内を洗い流そうとする赤に、虹はそっと目を細める。カラフルな瞳には、どこかいたずらげな光が灯っていた。
「ザクロって、人のお肉の味がするんですって」
 七色に彩られた少女の言葉に、紅茶を飲む恋刃の動きが止まる。ぐ、と口に含んだ液体を噴き出しそうになるのを必死に堪える。どうにか飲み下し、紅緋に染まる少女は目の前に座る親友をじとりと見た。
「何で私に食べさせた後にそんな話をするの……?」
 ザクロは人肉の味。確かに聞いたことのある話だ。しかし、人に食べさせておいて『人のお肉の味』などと告げるのは、さすがに愛しい愛しい親友とはいえいたずらがすぎる。先ほどから幾度も手ずから食べさせているのだから尚更だ――可愛らしい『あーん』の声に逆らえず全部食べた自分も悪いのだけれど。
 昔聞いた覚えがあったから、と少女はこともなげに言う。本当にただ与太として話したようだ。親友はどこかずれたところがある。それが出たのだろう。しかしタイミングと内容が最悪である。
「そもそも、何でこんなに私に食べさせるの? 奈奈が食べたらいいじゃない」
 むぅと頬を膨らませ、恋刃はふてくされたように投げかける。味が気になるならば、人に食べさせて感想を聞くよりも、自分で実際に食べてみる方がいいに決まっている。だのにこの親友は先ほどから己に食べさせるばかりで自分で食べようとはしない。不思議ったらない。
「だって、恋刃みたいだから」
 透き通ってて、真っ赤で、つやつやで。恋刃の目みたい。
 澄んだ瞳とどこか儚げな微笑みを浮かべた少女は、歌うように言葉を紡ぐ。純粋な、裏も何もない声と表情だ。そんな顔でまっすぐに言われては、胸の内に溜め込んだ言葉なぞ失ってしまう。ふわ、と頬が熱を持つ感覚。けれども、その温度も『人のお肉の味』というフレーズにすぐ引っ込んでしまった。
「お味はどう?」
「すっぱいだけよ」
「人のお肉はすっぱいってことなのかしら」
「奈奈?」
 不穏な言葉をぽろぽろとこぼす友に、少女はひきつる口元をあらわに小首を傾げる。どこか天然なところがある彼女だ、悪気などないのだろう。けれども、こんな話題をいつまでも続けるのはごめんだ。お肉から離れましょ、と乞いにも似た声で言うと、そうね、とふわりとした笑みが返される。天然なところがあるだけで、奈奈は心優しい子だ。悪気など一切無いのだろう。けれども、どこか遊ばれているような感覚がするのは何故なのか。名に恋を冠する少女は密かに頬を膨らませた。
「あ。ねぇ、恋刃」
「なに」
 名を呼ぶ奈奈に、恋刃は短く返す。拗ねたような音になってしまったのを誤魔化すように、紅茶を一口。酸味が残っていた口内は、やっと元のフラットな様相を取り戻した。
「ザクロって血の味とも言われてるんですって」
 つややかな瞳がふわりと虹を描く。七色の瞳に宿る光は、どこか妖艶に見えた。
 純粋な少女に不釣り合いな輝きと爆弾のような言葉に、赤色の少女はぱちぱちと瞬きを繰り返す。『血』の一音節に、心臓がドクリと跳ねた。
 ねぇ、と友は口を開く。グロスを塗ったようにつやめく唇の隙間から覗く舌は、ザクロのように――血のように赤かった。
「血の味、した?」
「……しないわよ。ただすっぱいだけ」
 好奇心といたずらの色をにじませた言葉に、少女はぶっきらぼうに返す。血はもっと鉄臭くて、生臭くて、ほの甘い。血のような色をしたこの果実とは似ても似つかない味だ。先ほどまでの己の反応からそんなこと分かっているだろうに、わざわざ問うてくるのは天然故か、それとも故意のものか。愛らしいこの親友は時々訳の分からないことを言う。そこがまた可愛らしいと思ってしまう己も大概なのだけれど。
 ふぅん、と興味深そうな音を漏らし、奈奈は再びザクロの粒を一つ摘み取る。白い指先に赤が灯る。
「こんなに血みたいな――恋刃みたいな色なのにね」
 摘んだ粒を指先で転がしながら、虹色は愛おしげにその赤を見つめる。少し持ち上げ光に透かし、きらめくそれを眺める姿は、大切な宝物を愛でるようなものに見えた。
 指先が口元に運ばれ、少女は血色の粒を可憐な口に入れた。もぐ、と小さな顎が動く。瞬間、七色の目が驚愕に大きく開いた。まあるい可愛らしい目はすぐさまつむられ、ピンク色の唇がきゅっと寄せられた。
「……本当にすっぱいのね」
「散々言ったじゃない」
 ほら、と顔をしかめる親友に、恋刃はペットボトルを差し出す。ありがとう、と弱々しい声とともに、虹の少女は深い琥珀をこくこくと飲む。赤いラベルで彩られたそれから口を離した少女は、今一度すっぱい、とこぼした。瞳からあの輝きは失せ、眉を八の字に下げたどこかしょんぼりとした表情をしていた。さんざっぱら味を聞いていたとはいえ、あのすっぱさをいきなり体験してはこんな顔になってしまうのも無理はない。けれども、そこにはどこか幼い子どものような可愛らしさがあった。ふ、と笑みがこぼれ落ちる。
「ケーキでも食べて口直ししましょ?」
 赤はそう言って席を立つ。目の前の割れたザクロとペットボトルを級友にもらったビニール袋に詰め込み、うー、と小さく声を漏らす虹に手を差し伸べた。口内を支配しているであろう酸味に目を眇める少女は、ぱちりと大きく瞬きをする。透き通る可憐な手が、大きく広げられた華奢な手を取った。
「Cafe VOLTE、秋の新作ケーキが出てるはずよ。食べに行きましょ」
「……ザクロのケーキ、あるかしら?」
「そろそろザクロから離れましょ?」
 あれだけの酸味を味わっておいてまだザクロに固執するのだから、この親友は分からない。そんなところも可愛いのだけれど、と思ってしまう自分も大概だ。
 ほら、と恋刃は愛しい親友の手を引く。幼き頃からの親友に手を引かれ、奈奈はその細い足を動かした。黒いスカートと白いワンピースがふわりと舞う。
 何食べようかしら。やっぱりモンブランじゃない。カボチャもいいかも。弾んだ声を交わしながら、少女たちはケーキに思いを馳せる。ビニール袋の中で、ザクロがまた一つ粒をこぼした。

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#虹霓・シエル・奈奈 #恋刃

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お菓子といたずらを君と【烈風刀+初等部】

お菓子といたずらを君と【烈風刀+初等部】
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様々なものの現実逃避にハロウィンネタ。地味に昔から考えてた弟君とちびっこたちハレルヤ添えレフレイ風味。III時空。出てくる子はタグを見てね。
ハロウィンにちっちゃい子やおっきい子にお菓子たかられる弟君の話。

 カサ、と手にした紙袋が音をたてる。中に詰まった小さな袋、その中に詰まった菓子を見やり、烈風刀はふ、と息を吐いた。
 今日は十月三十一日、ハロウィンである。毎年子どもたちがお菓子といたずらを求めてやってくる日だ。
 もちろん、いたずらをされてはたまらない。子どもとはいえ、否、子どもだからこそ皆容赦のないいたずらを仕掛けてくるのだ。一人相手ならまだいい。しかし、何人もが相手となると正面から受け止めるのはかなり厳しいものである。連続でやってくることを考えると尚更だ。それに、菓子をもらえず悲しい顔をする子どもたちの姿はできれば見たくはない。子どもたちはいつだって元気で笑顔であってほしいのだ。
 だからこそ、少年は毎年この日に菓子を用意していた。生徒の自由を尊重し、イベント事に全力を注ぐこの学園は、校則が他に比べて緩い。菓子の持ち込みは許されていた。今日のような日は尚更である。
 今年のお菓子は、カボチャパウダーを練り込んだ生地とココア生地を合わせたアイスボックスクッキーだ。薄い橙と焦げ茶の市松模様はハロウィンらしい色合いだろう。味に関してもかぼちゃとココアの組み合わせは相性が悪くない。量産もしやすいから、こういうイベントにはもってこいの品だ。
 さて、今年は誰が一番に来るだろう。やはり業務で真っ先に会うレイシスと雷刀だろうか。そんなことを考えながら、作戦会議室を目指し廊下を歩く。足音が広い空間に響いた。
「れふとおにーちゃん!」
 元気な声と足音が後ろから飛んでくる。パタパタパタと軽やかなそれがどんどんと近づいてくる。耳慣れた可愛らしい声に、碧はくるりと振り返った。
 視界に飛び込んできたのは、白い塊三つだった。真っ白な何かの中央には、黒い丸が二つある。頂点は少し膨れ上がり、三角形のような形が二つ浮き上がっていた。そんな不思議な物体が、素早く駆け寄ってくる。さながらホラー映画の一場面だ。異様な光景に、少年はびくりと肩を震わせる。一体何だ、と戦きながらもよく見ると、裾がひらひらと揺れている。大きな布を被っているようだ。
 布を被った小さき者たちは、少年の前でピタリと止まった。頭に三角耳の形が浮かぶ真っ白な生地の端からは青、桃、黄の三色の尻尾が覗いていた。布の中央辺りでくり抜かれた穴から、キラリと鮮やかな目が三対光った。
「トリック……」
「オア!」
「トリート、です!」
 三つの愛らしい声が一つの単語を作り上げる。中でばんざいするように手を上げたのか、布の両端が持ち上がりひらめいた。上がった裾からカラフルな靴下が覗く。
 元気な声に――バタフライキャットとひとまとめにして呼ばれる初等部の子猫、蒼、雛、桃の弾んだ声に、少年は頬を緩める。どうやら、今年はお化けの仮装のようだ。遠目ではただの白い塊にしか見えなかったそれには面食らったが、こうやって近くで見てみればとても可愛らしいものである。
 烈風刀は屈みこみ、少女たちと視線を――彼女らの目は穴の奥に隠れてしっかりとは見えないが――合わせる。穴の奥、夜闇の中の猫のように目を輝かせる子猫たちを見て、彼は首を傾げた。
「三人とも、そんな小さな穴でちゃんと前が見えているのですか?」
「見えてるよ!」
「大丈夫……」
「きちんと見えています!」
 少年の問いに、少女たちは元気に答える。こちらまでまっすぐに駆け寄ってきたのがその証拠だろうが、見ている分にはどうにも危なっかしい。ひらひらはためく布をどこかに引っかけてしまうのではないか。長い裾を踏んで転んでしまうのではないか。少しの不安が碧の胸をよぎる。
「そうですか。でも、足下には気を付けてくださいね。踏んで転んでは大変ですから」
 少年の言葉に、はーい、と三人合唱が返される。中で片手を上げたのだろう、小さなお化けたちの頭の横に小さな山ができあがった。
「それより! れふとおにーちゃん!」
「お菓子くれなきゃいたずらしちゃいますよ!」
「するよー……」
 バサバサと布をはためかせ、少女らは声をあげる。ハロウィンでよく聞く言葉だ。元気盛り、いたずら盛りの年頃だ、本当にいたずらする気満々なのだろう。布の裾から覗く三色の尻尾は獲物を狙う猫のそれのようにゆらゆら揺らめいていた。白い布地に包まれた耳が期待するようにぴょこぴょこと動く。
「それは困りますね。はい、どうぞ」
 紙袋から包みを三つ取り出し、子猫たちに差し出す。甘い香りを上げるそれを目の前に、目出し穴の奥で三色三対の瞳が輝くのが分かった。
 お化けたちの裾がばっと上がり、小さな手三つ露わになる。紅葉のようなたなごころが、クッキーの入った袋を一つずつ掴んだ。
「クッキーだ!」
「ハロウィン色だ……!」
「可愛いです!」
 袋の中に並ぶ市松模様を見て、三人はきゃいきゃいと可愛らしい声をあげる。頭から布を被っている故表情は全く見えないが、声の調子から喜んでいることがありありと分かった。はしゃぐお化け猫たちの様子に、碧は口元を綻ばせる。こうやって喜んでくれる姿を見ると、作ってよかったと毎年思うのだ。
「お菓子くれたからいたずらはなしですね」
「それは助かります」
 桃の言葉に、烈風刀は柔らかに返す。どこか残念そうな響きをしているのは気のせいではないだろう。菓子をもらえて嬉しいのは彼女らの本心だろうが、いたずらをしたいのも本心なのだ。そのことは、日頃のはしゃぐ姿からよく見て取れた。
「……だめ?」
「駄目ですね」
 クッキー片手に首を傾げる蒼に、少年は苦笑する。日頃から面倒を見ている愛しい子猫たちではあるが、さすがにお菓子といたずらいっぺんに選ぶのは反則だ。きちんと菓子をあげたのだから、いたずらをされては困る。相手が何をしてくるか分からない子どもならば尚更である。
 えー、と唇を尖らせる蒼と雛を、だめですよ、と桃が窘める。クッキーで許してくださいね、と念を押すと、はーい、とお化け猫たちは素直に手を上げて答えた。
「ありがとね!」
「れふとおにーちゃん、ありがとう……」
「ありがとうございました」
 布の中に包みをしまい、猫たちは三者三様に礼を述べる。さよならー、とまた合唱。くるりと一斉にターンし、少女らは廊下を駆けていった。ひらひらとはためく白いお化けたちが、初等部に続く廊下の角を曲がって消えていく。
 立ち上がり、烈風刀は小さく息を吐く。真っ白なお化けという三人の仮装には驚かされたが、大きな布をひらめかせ大きく動く彼女らの姿は可愛らしいものだった。渡したお菓子も、狙い通りハロウィンらしい部分を喜んでもらえたようで何よりである。いたずらまで欲張られたのは少し困ったが。
 さて、次は誰が現れるだろう。そんなことを考えながら、少年はまた廊下を歩こうと一歩踏み出す。
 ぱたぱたと軽い足音。前方から誰かが駆けてきているのが見えた。小さな点だったそれが、どんどんと近づいて大きくなっていく。オレンジ色と白色の小さな影は、碧い少年の前でぴたりと立ち止まった。
「お菓子ちょうだい!」
 元気な声にワン、と可愛らしい鳴き声が続く。初等部のリボンと、その愛犬のわたがしだ。普段は大きなリボンで飾られた黄金色の頭は、今は真っ白な三角耳のカチューシャで彩られていた。もこもことした素材が可愛らしい。まるで愛犬とお揃いのそれは、月色の頭によく似合っていた。
 彼女らしいまっすぐすぎる言葉に、少年は小さく笑みをこぼす。お菓子が大好きなリボンにとっては、いたずらよりもお菓子が何よりも重要なのだろう。いたずらの『い』の字すら出てこないのが実に正直で、いっそ好感すら持てた。
「はい、どうぞ」
 少年は屈み、紙袋からクッキーが入った袋を取り出し、菓子を愛する少女に手渡す。透明なラッピング袋の中に詰まった焼き菓子を見て、まあるくふくふくとしたかんばせがぱぁと輝いた。やったー、と喜びの声と、ぴょんぴょんと跳ねる音。隣に寄り添う愛犬も、飼い主の嬉しそうな様子にワン、と一鳴きした。
 すぐさまねじられたラッピングタイを外し、少女は袋の中に手を入れる。紅葉手が中身を一枚取りだし、いただきまーす、と口に放り込んだ。サクン、とよく焼けた生地が割れる音。柔らかな頬がもごもごと動く。次第に、星光る夕焼け色の瞳がキラキラと輝きだした。
「おいしい!」
「それはよかった」
 菓子好きの少女の言葉に、作り手の少年は口元を綻ばせる。やはり、『美味しい』と喜んでもらえるのは嬉しい。菓子をこよなく愛し食べてきた彼女にも満足のいく出来だというのも嬉しいことだ。もしゃもしゃと笑顔でクッキーを頬張る少女を、碧い瞳が愛おしげに眺めた。
「ほら、わたがしも食べて!」
 ほらほら、と飼い主は愛犬へと一枚差し出す。キューン、と不安げな声をあげ、わたがしは小さく一歩退いた。丸くもこもことした身体が動き、つぶらな黒い瞳が少年の方へ向けられる。本当に食べていいのか、と問うように潤んでいた。
 自分の知識が確かであれば、犬が食べていけないような材料は使っていない。しかし、人間の食物の味付けは動物たちには濃すぎるため良くないという話は度々聞いている。動物用ではないものを食べさせるのは、わたがしの身体のことを考えると控えるべきだろう。
 ストップ、と少女と犬の間に手を割り込ませる。突然のことに、夕陽色の目がぱちりと瞬いた。
「これは犬用のものではないので食べられない……というより、食べさせない方がいいですね。ごめんなさい」
「そっかー……」
 諭す少年の言葉に、星色の目をした少女はしょんぼりとした顔で俯く。きっと、愛犬と菓子を食べるという幸せを分け合いたかったのだろう。落ち込んだ飼い主を慰めるように、リボンでおめかしをした愛犬がすりすりと足下に擦りつく。ワン、とまた一鳴き。まるで気にするな、と励ましているようだ。
「また今度、わたがしも食べられる物を作ってきますね」
「ほんと?」
 烈風刀の言葉に、リボンは顔をあげる。そこには、まだほんのりと悲しみがにじんでいた。それを振り払うように、はい、と力強く返事をする。待っていてくださいね、と足下のふわふわとした白い身体を撫でた。ワン、と元気な鳴き声が一つ廊下に響く。蒲公英の瞳が、柔らかな白と澄んだ浅葱を往復する。輝きを取り戻したその色が、元気よくぱちりと瞬いた。
「約束だよ!」
「はい、約束です」
 少女は小指をピンと立てた手をこちらに伸ばす。少年も同じように小指を立て、手を差し出した。指と指が絡み合う。ゆーびきーりげーんまーん、と可愛らしい声とともに繋がった手が揺れた。
 お菓子ありがとー。ワン。一言ずつ言い残し、一人と一匹は廊下を駆けていった。小さな背が初等部棟へと続く廊下に消えたことを確認し、碧は立ち上がる。帰ったら犬用クッキーのレシピを調べねば、と考えながら、再び廊下を歩き出した。
「れーふとー!」
「れふとー!」
 また後ろから声。そして、タン、タン、とリズミカルに地を叩く音。少し特殊な足音に眉をひそめながらも、名を呼ばれた少年は振り返る。そこには、黒いマントをはためかせた二人の兎がいた。ライムグリーンの靴が床を踏みしめ、宙を飛ぶ。マントが羽のようにひらひらと舞った。
「トリック・オア・トリート!」
「お菓子くれなきゃいたずらしちゃうよー!」
 ぴょん、と器用に烈風刀の目の前に着地し、ニアとノアはお決まりの文言を口にする。大きく開いた口からは、普段は見えない八重歯が覗いていた。きっと、仮装用の小道具だろう。丈の長い真っ黒なマントを見るに、吸血鬼の仮装だろうか。小さな両の手には、お菓子が顔を覗かせる紙袋が握られている。もう各所でたくさんお菓子をもらってきたらしい。
「二人とも、廊下を飛んではいけないと言っているでしょう」
「……トリックオアトリート!」
「おっ、お菓子!」
 険しい面持ちでいつも通り注意する少年に、少女らはもう一度ハロウィンの挨拶を繰り返す。どうやらそれで誤魔化す気らしい。イベント事で浮ついているのは分かるが、やはり危ないのだから注意してほしいものだ。楽しいイベントだというのに、狭い空間で跳んで跳ねて怪我をしては台無しになってしまうのだから。
 ふぅん、と翡翠の瞳が細められる。そこには日頃子どもたちと相対する彼らしからぬ少し冷たい色が宿っていた。
「悪い子にあげるお菓子はありませんよ」
「飛びません!」
「ちゃんと歩きます!」
 はっきりと通る声に、双子兎はビシリと額に揃えた手を当て必死な声で叫ぶ。良い子にするからお菓子ください、と兎たちは合唱する。こちらを見つめる瑠璃の瞳はうるうると揺らめいていた。普通ならば、菓子をくれないならばいたずらをするところだろうに、よほど菓子が食べたいらしい。いたずらのことなどもう忘れてしまったようだ。きちんと言いつけを守ろうとする姿勢といい、素直なのはよろしいことである。
「良い子にしているならあげましょう。どうぞ」
「やったー!」
「ありがとう、れふと!」
 はい、と小さな手に包みを乗せてやる。瞬間、悲しげに歪んでいた顔がぱぁと明るくなった。クッキー片手にぴょんぴょんと元気に跳ね、二人は礼の言葉を口にする。あ、と気まずげな音がこぼれ、地面を蹴る足音がピタリと止む。本当に言いつけを遵守するつもりのようだ。素直で微笑ましい姿に、少年は小さく笑みをこぼした。
 チラリ、と青兎たちは碧を見上げる。星空色の視線が、手に持った袋と少年を往復する。何か言いたげな様子に、どうしたのだろうか、と小さく首を傾げる。もしや、もう一つ欲しいと言い出すのだろうか。
「一人一個ですよ」
「わ、分かってるよ!」
「そうじゃなくてー……」
 うー、と不満げに呻きをあげ、少女たちは再び烈風刀を見上げる。ゆらゆら揺れる二対のアズライトが、エメラルドを見上げる。カサ、と小さな手に握られた紙袋が音をたてた。
「れふとはハロウィンやらないのー……?」
 頭を寄せるように首を傾げ、兎たちは声を揃えて問う。予想外の言葉に、若草色の目がぱちりと瞬きをした。
 ハロウィンならきちんと楽しんでいる。今まであってきた少女らのように仮装こそしていないが、子どもたちに渡すためにわざわざ菓子を作る程度には自分もハロウィンを満喫していた。二人にもきちんと菓子を渡したのだから、それは伝わっているはずだ。だのに、何故そのようなことを問うのだろう。
 しばしの思考。あ、と小さな音が薄い唇からこぼれ落ちる。そういうことか、と頷き、少年は屈みこむ。蒼天のような瞳をまっすぐに見つめ、彼は手を差し出した。
「トリック・オア・トリート」
 お菓子くれなきゃいたずらしちゃいますよ、といたずらげな調子でお決まりの文言を口にする。薄い唇の端は、ゆるりと持ち上がっていた。
 ぴこん、と二人の頭に付けられたリボンカチューシャが揺れる。見つめた先、紺碧の瞳がキラキラと輝き出す。待っていました、とばかりにノアは持っていた紙袋に急いで手を突っ込む。長い袖を器用に操り、中から一つの袋を取りだした。
「お菓子あげるよ!」
「いたずらしないでー!」
 きゃいきゃいとはしゃぎながら、双子は伸ばされた手に小さな袋を乗せる。白い英字が書かれた透明な袋の中には、クッキーが入っていた。溶けてしまったように輪郭が少しひしゃげ少し濃い焼き色をしたそれは、手作りだと一目で分かるものだ。きっと、彼女らも自分と同じようにハロウィンで皆に配る菓子を作ってきたのだ。そわそわとした様子を見るに、それを自分にも渡したくて仕方無かったらしい。それはそうだ、せっかく用意してきたのならば食べてもらいたい。それは、料理を作る者として当たり前の欲求だ。
「ありがとうございます」
「こちらこそ!」
「れふともお菓子ありがとう! 大切に食べるね!」
 少年はふわりと笑って礼を言う。ニアとノアの二人ももらった袋を大事そうに両の手で包み込み、ニコリと笑う。青空色の睫で縁取られた目が、虹のように大きな弧を描いた。
 また明日ねー。ハッピーハロウィーン。双子兎はそう言って、玄関へと早足で歩いて行った。ちゃんと言いつけ通り歩いているあたり、彼女らは根は素直で良い子なのだ。いつも楽しい気持ちがそれを上回ってしまうのが問題なのだけれど、それはまだ幼い故だろう。
 さて、と少年は袋の中を見る。クラスの友人たちに渡したのもあって、大きな紙袋の中身は朝よりだいぶ減っていた。それでも、まだ訪れていない子どもたちに配る分はあるはずだ。そして、愛しいレイシスにも。
 彼女もハロウィンを楽しんでいるだろうか。菓子を渡したら喜んでくれるだろうか。そんなことを考え、少年は再び歩き出そうとした。
 瞬間、視界が紫に染まる。目の前が一色に塗り潰され、ビクン、とクリーム色のジャケットに包まれた肩が跳ねた。突然の異常から逃げるように、反射的に一歩後退る。少し広くなった視界に、今度はオレンジが映り込んだ。ぱたぱたと羽がはためく音が静かな廊下に落ちる。
「菓子ヨコセー!」
「ジャナイトイタズラシチャウヨ?」
 勢いの良い声とクスクスと高い笑い声が耳をくすぐる。目の前に突如現れたのは、学園の理科室に住み着いている小さな悪魔、カヲルとアシタだ。姉妹たちも、ハロウィンを楽しもうとしているらしい。学園内でも随一のいたずらっ子――今までの所業を考えるとそんな可愛らしい言葉で済ませていいのか疑問だが――の彼女らにはもってこいのイベントなのだ、普段よりも増して元気に見えた。
 八重歯覗く口がサッサトシロヨ、ハヤクハヤク、と少し乱暴な調子で言葉を紡ぎ出す。先の尖った尻尾がゆらゆらと振られていた。
「いたずらされては困ります。はい、どうぞ」
 袋から包みを二つ取り出し、小さな手に乗せてやる。シンプルなラッピングが施された小袋を見て、少女らは二マリと笑う。そこにはまだいたずらの色が宿っていた。
「コレッポッチジャ足リナイヨー?」
「モットヨコセー!」
 菓子の袋を掴んだまま、双子は怒りを表すように両手を掲げる。八重歯覗く口からはケタケタと意地悪げな笑い声が漏れていた。どうやら、意地でもいたずらがしたいようだ。
「一人一つですよ」
「知ルカ!」
「クレナイナライタズラダネー」
 眉を寄せ、烈風刀は小さな悪魔たちを眇目で見つめる。そんなことはお構いなしとばかりに、二人はわがままを叫んだ。クスクスとまた笑い声。こんなに幼いのに、とても悪魔らしい響きをしていた。
 ホラホラ、と少女らは小さな三つ編みを揺らしにじり寄る。その手には、いつの間にか緑色の小瓶が握られていた。きっと、彼女ら謹製の香水だ。それも、ほぼ確実にただの香水ではない。怪しい効能付きのものである。ただでさえろくなことを起こさないのだ、『ハロウィン』といういたずらっ子の祭典のために用意されたそれがどんな効能を持つかなど考えたくもない。
 きゅぽん、と蓋が抜かれる音。同時に、少年ははぁ、と溜め息一つ吐いた。投げやりに袋に手を突っ込み、もう一袋取り出す。今にも瓶を傾けんとする双子の前に、それを掲げて差し出した。
「特別ですよ。半分こしてくださいね」
 他の子どもたちのいたずらなら甘んじて受け入れただろう。しかし、カヲルとアシタはただの幼い子どもでなく悪魔である。そんな何が起こるか全く分からない、実害を伴う彼女らのいたずらを受けるのはごめんである。菓子一個で回避できるなら素直にしておくべきだ。
「エー」
「モウ一個クレレバイイジャン」
「二人だけ特別なのですよ? わがまま言わない」
 毅然とした碧の言葉に、双子悪魔は顔を見合わせる。不満げにぷくりと頬を膨らます姿は年相応の可愛らしいものだ。その手に握られた怪しい香水の瓶が全てを台無しにしているのだけれど。
 チェー、と二人はいじけた声を発する。どうやら、この一袋で手を打ってくれるようだ。内心、ほっと胸を撫で下ろす。二人だけを特別扱いするのは少し気が引けるが、謎の香水の餌食になるとなれば話は別だ。菓子一個で己の身を守れるのならば安いものである。
 カサカサとビニールが擦れる音。真っ先に袋を開け、少女らは白い手袋に包まれた手を袋の中に入れる。細く小さな指がクッキーを一枚掴み、口に運ぶ。サクリ、と軽い生地が割れる音がした。
「ウメー!」
「オイシイネ、カヲルタン!」
 目の前に浮かぶブラッドレッドの瞳がキラキラと輝き出す。どうやら、お気に召したようだ。ウメー。オイシー。楽しげに声をあげながら、少女らは袋の中身をひょいひょいと口に放り込んでいく。頬を膨らませもぐもぐと食べる姿は、小動物的愛らしさがあった。この姿だけ見れば、ただの可愛らしい子どもなのだから困る。
 食べれば無くなる。それは必然だ。二人で半分こ、それもハイペースで食べたため、袋はあっという間に空になってしまった。同じ色した二対の瞳が、名残惜しげに空になった袋を見つめる。しばしして、期待で彩られた顔がこちらに向けられた。
「ダメです」
「チェー」
「ケチー」
「特別だと言ったでしょう」
 唇を尖らせる悪魔たちに、烈風刀は袋を後ろ手で隠しながら言う。これ以上食べられてはキリが無い。悪質ないたずらを盾にわがままを突き通させるのも、教育上よろしくない。ここできちんと終わらせなければいけないのだ。
「……マァ、勘弁シテヤンヨ。ネ、アシタタン」
「仕方ナイネー。カヲルタン」
 姉妹は顔を見合わせケラケラと笑う。悪魔じみた響きが廊下にこだました。瞬間、目の前の小さな躯体が消える。どういう原理かは知らないが、どうやら満足して帰ったようだ。最初から最後まで心臓に悪い少女らだ。
 高い笑い声が未だ耳に残る中、少年は歩き出す。度々子どもたちに引き留められるため、作戦会議室までの道のりはまだ遠い。アップデート作業は一昨日の時点で終わらせており、正常に動いていることは昨日確認済みである。ハロウィンを楽しみたいレイシスの望みを叶えるため、この一週間調節に調節を重ね、今日行うべき業務はできるだけ減らした。慌てる必要はないが、それでもあまり遅くなるのもよくないだろう。手早く済ませ、彼女が長くハロウィンを楽しめるようにしてやらねばならないのだ。それが今自分が何よりもやるべき事である。
 作戦会議室目指し、少年はまた一歩踏み出す。タタタ、と軽快な足音が近づいてくる。また子どもたちだろうか。今度は誰が来るだろう、と考え、碧い少年はふと目を細め振り返った。
「烈風刀ー!」
 耳に飛び込んできた耳慣れた声と視界に映った朱に、碧は眉を寄せる。これでもかというほど露骨に顔がしかめられた。
 そんな彼の様子など毛ほども気にせず、走り寄ってきた少年――雷刀はキラキラと輝く目で弟を見つめる。大きな手をこれでもかと広げ、ずいと碧の目の前に差し出した。
「トリックオアトリート! 菓子くれ!」
「もうあげたでしょうが」
 弾む声を冷たい声が切り捨てる。明らかにうんざりとした、機嫌の悪さを露わにした声だ。子どもたちの前ではまず見せない様子である。相手が血を分けた兄だからこそ、取り繕うことなく感情をさらけ出しているのだ。そして、こんな感情を抱くのも相手が兄だからである。
 昨晩クッキーをラッピングしている最中、雷刀は突然言ってきたのだ。『トリック・オア・トリート』と一日早い挨拶を。明日まで待て、と拒否したが、彼はいたずらげな笑みで時計を指差した。よく見れば、壁掛け時計の短針は十二を指していた。どうやら、ラッピングしている内に日付を超えてしまったらしい。お決まりの文言が再び紡がれるより先に、脇に積み重なっていたクッキー一枚を引っ掴みその口に放り込んだのが今日の夜中の話である。これで彼の分は終わりだ、と思っていたのだが、また要求してくるとは。何とも図々しい兄を持ったものである。
「それはそれ、これはこれだろ? てかオレだけクッキー一枚とかさすがにひでーだろ」
 ほら、と朱は広げた手をひらひらと振る。幼い子どもであれば可愛らしい光景であるが、相手は同い年の双子の兄である。可愛らしさなど欠片も感じない。ふてぶてしさだけがそこにあった。
「何? それとも烈風刀はいたずらがいい?」
 ニヤ、と口角を吊り上げ、雷刀は笑う。差し出された手が顔の横まで持ち上がり、指が曲がり伸ばされを繰り返す。明らかに何かよからぬことを働こうとする動きだ。じり、と朱い少年は一歩にじり寄る。ほらほらー、と煽る声は腹立たしいものだ。
 はぁ、とこれ見よがしに嘆息する。彼の考えるいたずらなど大したものではないだろうが、そんなものに構ってやる暇などない。紙袋の中に手を入れ、引っ掴んだそれを投げ渡す。宙を舞ったそれを、目の前の朱はきっちりと受け止めた。カサ、と手の内に収まった透明な袋が声をあげる。
「さんきゅ。いたずらは勘弁してやんよ」
「図々しいにも程があるでしょう」
 ニコニコと楽しげな笑みを浮かべる雷刀に、烈風刀は酷く渋い顔で返す。何が『勘弁』だ、二度ももらうなどと卑怯なことをしているというのに。何とも身勝手で面倒な兄を持ったものである。
 ふと頭に疑問がよぎる。これだけ人に菓子をねだる彼だが、その手には先ほど渡した菓子以外何も持っていない。ぱっと見たかぎりでは、ポケットに何かを入れている様子もないようだ。ふむ、と頷く。そのまま、少年はずいと手を差し出した。
「……トリック・オア・トリート」
 碧は冷たい声と視線を浴びせる。え、と目の前の紅緋がきょとりと丸くなる。八重歯覗く口が間抜けに開かれた。
「人にねだっておいて、貴方は何も持っていないなんてことありませんよね?」
 小首を傾げ、碧の少年はニコリと笑う。花浅葱の睫に彩られた目は柔らかな弧を描いているが、その表情は笑顔からは程遠い冷たさを孕んでいた。どこか気迫のあるそれは恐ろしさすら感じるものだ。
 弟の言葉に、兄の身体がギクリと固まる。あ、え、と意味を持たない音が気まずげに開いた口から漏れ出る。真紅の瞳はうろうろと宙を泳ぎ、定まらない。ザリ、と音をたてて一歩後退ったのが見えた。踏み出し、離れた分の距離を詰める。ほら、と一言催促すると、びくんと目の前の身体が大袈裟なほど跳ねた。
「えーっと……」
 濁った声を漏らしながら、朱はきょろきょろと視線を彷徨わせる。呻き声がいくらか漏れた後、彼は今しがたもらったばかりのクッキーをそろそろと差し出した。
「駄目に決まっているでしょうが」
 ふざけた行動を冷え切った声が切り捨てる。だよなぁ、と諦めきった声が響いた。分かっているなら最初からやるな、と眉間に更に皺が刻まれる。よほど凄まじい形相をしているのだろう、うぇ、と目の前の朱が小さく苦い声を漏らしたのが見えた。
「お菓子がないのでしたら、いたずらしますね?」
 一言放ち、烈風刀は一歩踏み出す。同時に、雷刀は一歩後退る。踏み出す。後退る。踏み出す。後退る。何度も繰り返されるそれに、一向に二人の距離は縮まらない。往生際が悪いにも程というものがある。
「…………やだ!」
 子どもめいた声をあげ、雷刀は急いで踵を返す。ダン、と強く足を踏み出す。力強い足音ととも、片割れは廊下の奥へと消えていった。
 一人だけの廊下に溜め息が一つ落ちる。呆れと疲労を滲ませた重苦しいものだった。鈍く痛む頭に手を添える。秋も終盤の空気でほんのりと冷えたそれが心地良く思えた。
 人にしつこく菓子を要求しておいて、いざ自分が同じ文言を言われては逃げるなど、どれだけふざけているのだ。まさか小さい子相手にもやっているのではないか、と疑念が浮かび上がる。否、さすがにないだろう。彼も子どもたちが好きで、なかなかに面倒見が良いのだ。おそらく大人しくいたずらを受けているだろう。それが双子の弟相手となったら逃げるというのは何とも情けないが。
 彼は自分だけクッキー一枚で済まされるのは酷い、と主張していた。それくらい分かっている。だから、家に帰ったら残った生地を焼いて、夕食後に一緒に食べようと考えていたのだ。けれども、こんなことをされてはさすがにそんな甘いことをする気は起こらない。冷凍したままにして、今度の休みに自分一人だけで食べてしまおう。そんなことを考えながら、少年はまた歩みを再開する。軽い足音が廊下に響いた。
「烈風刀!」
 可憐な声とともに、ぱたぱたと軽やかな足音。前方、広がる視界に桃色が揺れる。紫色の三角帽がふわっと浮いた。
「烈風刀! トリック・オア・トリート! デス!」
 落ちてしまいそうになった帽子を手で押さえつつ、走り寄ってきたレイシスは声高にハロウィンの挨拶をした。桃色の目と桜色の唇はにっこりと弧を描いており、彼女のテンションをよく表している。
 レイシスはイベント事が大好きだ。しかし、イベントとアップデートは重なるもので、当日は運営業務に追われ満足にイベントを楽しむことはあまりできなかった。しかし、今年は少しだけ早めのハロウィン関連アップデートを行い、当日の業務を極力減らしたのだ。少なくとも、レイシスへの負担は最小限にしている。だからこそ、今年は楽しんできてください、と放課後彼女を友人たちの元へ送り出したのだ。あの時見せた、いっそ泣き出してしまいそうなほどの満面の笑みは、まだ瞼の裏に焼き付いている。
 今年こそはとことん楽しむと決めたらしい。彼女の服装は、クリーム色の学園指定制服から変わっていた。濃紫のパフスリーブワンピースには、そこかしこをオレンジと黒の大ぶりなリボンが彩っている。丈は短いが、ふんだんにあしらわれたフリルからボリューミーな印象を与えられる。普段は高い位置でツインテールにしているピンク色の髪は、今日は太くゆるい三つ編みのお下げにアレンジされていた。頭にはワンピースと同じ色をした大きな三角帽子が被されている。先日、別世界と繋がった際に撮影したハロウィンドレスだ。今日という日にぴったりな衣装である。肩に掛けられたトートバッグは膨らんでいる。きっと、友人らに菓子をたくさんもらったのだろう。彼女の交友関係の広さと人望が窺える。
 愛しい少女の可愛らしい姿に、烈風刀は口元を綻ばせる。魔女らしくも少女然としたデザインは、愛らしい彼女によく似合っていた。二つ結びになった三つ編みが、普段よりも幼く純朴とした印象を与える。楚々とした彼女のために作られた衣装は、その魅力を何倍にも膨らませていた。
「はい、お菓子あげますから――」
 だらしなく緩みそうになる頬に力を入れつつ、少年は紙袋に手を入れる。掴んで取り出したのは、先ほどニアとノアにもらったクッキーだった。想定外のものに、碧い目が丸くなる。一度しまい、改めて袋の中を覗き込む。あれだけあったクッキーの包みは、綺麗に無くなっていた。
 あれ、と思わず疑問符が多分に含まれた声が漏れる。何度袋の中を手で引っ掻き回しても、あるのは二人にもらったクッキーだけだ。自分で作ったものは一つも見当たらない。どうやら、先ほど雷刀に渡したものが最後だったようだ。あの兄め、と弟は眉を寄せる。せっかくたくさん作ってきた――愛しいレイシスにも食べて喜んでもらうために作ってきたというのに、無くなっては意味がないではないか。きちんと計算して用意しなかった自分にも非はあるが、直接の原因となった兄へ恨みを向けてしまう。白い眉間に皺が刻まれた。
「アレ? 烈風刀?」
 ずっと紙袋の中を探る少年の姿に違和感を覚えたのだろう、少女は不思議そうに首を傾げ、彼の名を呼ぶ。野の花が風にそよぐように、撫子の髪がふわりと揺れた。
「えっと……その……」
「もしかシテ、お菓子ないんデスカ?」
「…………はい」
 少女の問いに、少年は消沈した声で答える。もらったお菓子が入った紙袋を丁寧に地面に置き、両手を頭の横まで上げる。降参のポーズだ。好きにしてくれ、と全身で語っていた。
 はわ、とレイシスはこぼす。その声は悲しみと喜びがない交ぜになった不思議な色をしていた。お菓子がもらえない悲嘆と、いたずらができる歓喜が同時に湧き起こってきているのだろう。菓子好きでイベント好きな彼女としては複雑であろう。
「……ジャア、いたずらしちゃいマス!」
 しばしの沈黙の後、キラン、と紅水晶の瞳が輝く。温厚な彼女には珍しい、いたずらっ子の光が宿っていた。せっかくのハロウィンだ、お菓子だけでなくいたずらも楽しみだったであろうことはよく分かる。それが堪能できる今に目を輝かせるのは必然だ。
 一体どんないたずらをされるのだろう、と少年は楽しげな少女を目の前に考える。清楚で元気な彼女は、どちらかというといたずらをされる側だ。年相応にお茶目な部分はあれど、いたずらをすることなど滅多にない。そんな彼女のいたずら、それもハロウィンというはっきりとした名目のある本気のものなど、想像が付かなかった。
 薔薇色の少女は、じりじりと碧の少年に近づく。距離が縮まる度に、鼓動が速くなっていく。何をされるか分からない緊張もあるが、それ以上に好きな女の子が自分のすぐ近くまで来ているという事実が心臓を力いっぱい動かした。こくり、と息を呑む。口の中は二つの緊張でどんどんと乾いていった。
「コチョコチョー!」
 元気な声とともに、少女は少年へと飛びかかる。好きな女の子がすぐ近くまで――しかも、己の胸に飛び込んでくるように迫ってきた事実に、烈風刀の頬にぶわっと紅が刷かれた。天河石の目が怯えたように、逃げるようにぎゅっと閉じられる。
 抱きつくように大きく開かれた細い腕は、少年の脇腹へと伸ばされた。たおやかな指が曲げられ、伸ばされ、制服の上から薄い肌をくすぐる。白い指は何度も蠢き、少年の横腹を細かくなぞった。
 敏感な部分に触れられ、肌が粟立つ。瞬間、身体中にくすぐったさが広がっていく。は、と呼気にも似た音が開かれた口から漏れた。
「ぁっ、は、ははッ!」
 容赦ない手の動きに、烈風刀は大きな笑い声をあげる。物静かな彼らしくもない、腹の底から出すような大声だ。くすぐられているのだ、そんな声もあげてしまうのも仕方が無いだろう。我慢しろと言う方が難しい。
「ッ、あ、はは! れいし、す! あは、やめ、やめてくだ、ははは!」
「逃げちゃダメデスヨー?」
 コチョコチョー、と楽しげな声を奏でながら、少女の細く美しい指が少年の脇腹をくすぐる。容赦など全くない、本気の動きだ。何にでもまっすぐ全力を出す彼女だ、いたずらも例外では無いのだろう。された側はたまったものではないが。
 ははは、と少年はらしくもない大笑声をあげ続ける。あげるしかないのだ。全身を支配するくすぐったさに何もできなくなってしまっていた。距離を取ろうにも、愛するレイシスに『逃げないで』だなんて言われては、動くことなど本能が拒否する。結果、ただただその場に立ち尽くし、少女のいたずらを一身に受けるばかりだ。
「は、ぁっ、はは! あ、は! れい、しす! も、や、ぁっ、はははは!」
 涙すら浮かべ笑う碧の姿に、桃はふふ、と笑みをこぼす。小悪魔めいた、いたずらっ子な響きだ。白魚のような手は止まることなく、こちょこちょと少年の脇腹をなぞる。その度に、彼は普段よりも少し高い笑い声をあげた。人のいない廊下に、いたずらっ子の楽しげな声と被害者の笑い声が響いた。
 どれほど経っただろうか、ようやく少女の手が退いていく。ようやく全身を襲うくすぐったさから解放され、烈風刀は思わずその場に崩折れた。腹を抱えるように脇腹を押さえて蹲り、ぜーはーと大きく息を吐く。あまりにも大きく長く笑ったため、呼吸するのもままならない。そういえばくすぐりは拷問に使われるとどこかで聞いたな、と酸素が足りていない脳味噌が余計なことを思い出した。
「大丈夫デスカ?」
 ワタシのせいデスケド、と言いながら、レイシスは蹲った少年の顔を覗き込む。その目からはいたずらっ子の光は消え失せ、常通りの優しい色が戻っていた。心配げの声には、どこか満足感が滲んでいる。やはり、盛大に全力でいたずらできたのが嬉しいようだ。彼女が喜んでくれたならば、と少年の献身的な部分が満たされていく。未だ息が整わない身体は、もう少し加減してくれ、と泣き言を吐いた。
 だいじょうぶです、と息も絶え絶えに答える。すー、はー、と意識的に深呼吸をする。長い間くすぐられていたためか、まだ脇腹がぞわぞわとした感覚に陥る。ひ、と時折引きつった笑い声が名残のように漏れ出た。バクバクと心臓が大きく鼓動する。くすぐられていた名残もだが、好きな女の子に触れそうなほど近く、否、実際に触れられたことに小さな心が反応しているのだ。上気した頬は、いたずらによる笑みだけでなく恋の色がふわりと浮かんでいた。
「らい、ねん、は、ちゃんと、用意、します、の、で……、勘弁、して、くださいね……」
「もちろんデス! お菓子くれたらいたずらなんかしマセンヨ」
 笑い疲れもはや虫の息の烈風刀の言葉に、レイシスは笑顔で答える。大輪の花のように華やかな笑顔は可愛らしいものだ。けれども、碧にはそのかんばせがどこか恐ろしいものに見えた。
 降ってきた声に、少年は安堵の息を吐く。素直できちんとした彼女がトリックもトリートもいっぺんにやるとは思えないが、いたずらを受けたばかりの脳味噌にはその保証の言葉は何よりも染み入った。
 懸命な深呼吸の末、ようやく息が整ってきた。はー、と一度大きく息を吐き、烈風刀は立ち上がる。まだ脇がそわそわとする感覚があるが、笑いも息も大方収まった。もう動けるだろう。
 ニコニコと人好きする笑みを浮かべる桃を見やる。菓子という彼女が一番求めていたものを差し出すことができなかった悔やみはあれど、最終的にいたずらで満足してくれたのはいい。しかし、やられっぱなしというのも己の性にあわない。少しのいたずら心が、少年の胸に芽生えた。
「……とりっく、おあ、とりーと」
 笑い疲れた声で碧は言葉を紡ぐ。どこか拙い響きをしていた。急くように差し出された手に、桃ははわっ、と声をあげる。驚きに開かれたラズベリルは、すぐにどこか得意げに細まった。
「もちろん、用意してありマスヨ!」
 ふふん、と楽しげに鼻を鳴らし、少女は肩に掛けたトートバックに手を入れる。中を掻き回してしばらく、なめらかな手が透明な袋を掴んで取り出した。小さなそれの中には、小ぶりなマフィンが収められていた。カボチャを練り込んだのだろう、オレンジ色の生地はドーム状に丸く膨らみ、その斜面には三角形が三つチョコレートで描かれていた。二つの逆三角形の間に小さな三角形がある様は、ジャック・オ・ランタンを思わせる。ハロウィンらしい可愛らしい菓子だ。
 手渡された愛らしいデザインの菓子に、少年はふわりと笑みをこぼす。彼女の料理の腕前は高い。このような見目の美しさ、そこから想像できる美味しさは確かに保証されている。何より、好きな女の子の手作りお菓子をもらえたのが大きい。密かながらも多大な恋心を抱える碧にとって、それは何よりも嬉しく喜ばしいことだ。表情が緩むのも仕方の無いことだろう。
「ダカラ、いたずらしちゃダメデスヨ?」
「お菓子をもらえたのですからしませんよ」
 顎に人差し指を当て、レイシスは茶目っ気たっぷりに言う。烈風刀も軽い口調で真面目な言葉を返した。ふふ、と笑声が二つこぼれ落ちる。
「ハロウィン、楽しいデスネ!」
 そう言って、薔薇色の少女はニコリと笑った。お菓子にいたずら、どちらも堪能できた今年のハロウィンは、彼女にとって良い思い出となったようだ。今まで業務を最優先にし、イベント事を楽しむ機会を失っていた彼女が、これほどまでハロウィンを楽しんでいる。愛する人が喜びに溢れ笑う様に、碧の少年の胸に幸福が広がっていく。彼女の幸せが、彼にとっての最大の幸せだった。
 それはよかった、と烈風刀は微笑む。ハイ、と少女はにっこりとした笑顔で頷いた。
 カボチャ色の陽が、二人の横顔を照らした。

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#嬬武器烈風刀 #雛 #蒼 #桃 #リボン #ニア #ノア #カヲル #アシタ #嬬武器雷刀 #レイシス

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お昼は二人でたこパしよっ【嬬武器兄弟】

お昼は二人でたこパしよっ【嬬武器兄弟】
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いつもの診断メーカーで掌編書こうとしたら思いの外長くなったので。
嬬武器兄弟がたこ焼き焼くだけ。
AOINOさんには「100グラム足りなかった」で始まり、「優しい風が髪を揺らした」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以上でお願いします。

「あっ、百グラム足りねぇ」
 やべ、と雷刀は顔をしかめる。電子計量器の液晶画面には、必要分量から百グラムほど少ない数字が表示されていた。ボウルに移していた袋の中身はもう空っぽである。どれだけ逆さにして振っても、出てくるのは一グラムにも満たない微量の粉だけだ。
 え、という声とともに、野菜が刻まれる小気味良い音が止む。隣を見ると、包丁を手にしたままこちらを向く烈風刀の姿があった。手早く手を洗った彼はこちらに歩み寄り、一緒にスケールの数字を覗き込んだ。
「……買い置き、ありませんでしたよね?」
「これが最後だったと思う……」
 どうしよ、と少年は縋るような目で碧を見る。他の具材の準備はとうに済ませてしまった。もう戻れない場所まで来てしまっているのだ。だのに肝心のものがこれでは、今日の昼食が台無しになってしまう。縋るように再び袋を逆さに振る。最早欠片すら出てこなかった。
 ふむ、と弟は顎に指を当てる。貸してください、と言われ、袋を手渡す。裏面をじっくりと読んだ彼は冷蔵庫にまっすぐに向かい、奥から小麦粉を取り出した。
「残りは小麦粉でもいいでしょう。原材料はほぼ同じのようですし」
 そう言って、彼は袋の留め具を外しボウルに粉を入れていく。デジタルの数字がちょうど必要な分量を示したところで、テキパキと片付けた。その流れるような手さばきを呆然と眺める。朱い頭がこわごわと傾いだ。
「いいのか……?」
「まぁ、出汁が足りないかもしれませんけれど、食べる時に鰹節をたっぷりかければいいでしょう」
 不安げに尋ねる兄にあっけらかんと言い放ち、弟は再びまな板に向かう。包丁が動く度、プラスチックの板の上で緑が細かくなっていく。ザクザクと耳障りの良い音がキッチンに響いた。
 基本的に、烈風刀はレシピ遵守を心掛けている。大体これくらいでいいだろう、といつも勘で料理をする自分とは大違いだ。けれども、時たまこうやって雑になることがある。彼が培ってきた知識と経験あってこその判断なのだから、そう見えるだけであって信頼できる合理的なものだ。それでも、真面目な彼が己と同じようなことをするだなんて、と毎度意外に思ってしまう。同時に親近感を覚えた。そんなことを言ったら、感覚だけでやっている貴方とは違う、と怒られるだろうけれど。
「さ、こっちは終わりましたよ。生地の方、お願いしますね」
 ボウルに刻んだ野菜を入れ、烈風刀はこちらを見やる。未だスケールに乗せられたボウルを前に佇む自分に、少し冷めた目線が送られる。あっ、と声を漏らし、雷刀は急いで粉袋の裏面に書かれた分量の水と卵を入れてかき混ぜる。少しダマのできたそれとお玉を抱え、雷刀も彼に続いて食卓へと足早に向かった。
 いつも多くの料理が並ぶテーブルの上には、ボウルやスチロールトレイといった食器と言い難いものが並んでいた。その中央に、大きなホットプレートが鎮座している。久しぶりの彼の登場に、朱は目を輝かせた。
 手早く付属品とコンセントをセットし、スイッチを入れる。熱を発し始めたそれに、烈風刀は窪み一つ一つに油を塗り込んでいく。全体に油が染み渡ったことを確認し、彼は先ほど作ったばかりの生地を流し込む。じゅわぁ、と音とともに白が黒いプレートを塗り潰していく。水分の多いそれは一気に丸い窪みを満たしていった。
 脇に置いていたトレイを手に取り、彼は刻んだタコを一つ一つ手早く放り込んでいく。それが終わると、すぐさま揚げ玉が入った袋を傾けプレート全体に降らせていく。続けて刻んだキャベツと紅ショウガ。黒かったプレートは、白と緑と赤で彩られた。
 じゅうじゅうと鳴くプレートを前に、雷刀は竹串を持つ。スッと金属プレートに走る溝に合わせて手早く線を引き、今度は深い窪みへと差し込む。端にはみ出した生地を中に巻き込むようにしてくるくると回してひっくり返していく。軽やかな指さばきにより、半円だった生地は丸い形に整えられていった。
 すっかり球体になった生地をころころと転がし、きつね色になった頃合いを見計らって皿に移していく。いくつもの丸が白い食器の上を転がり、串でつつかれ整列する。上からソースを掛け、マヨネーズ、青のり、そして弟が言ったようにたっぷりの鰹節を浴びせる。生地の熱を受けた鰹節がひらひらと拙いダンスを踊った。
「烈風刀、できたぞー」
「ありがとうございます」
 油を引き直し生地と具材を再び投入している弟の前に、たこ焼きが載った皿を置く。ちょうど入れ終わったのだろう、烈風刀は礼の言葉を言い手を止めた。
 パシン、と手を合わせる音。続けて、いただきます、と二人分の声が重なった。
 箸を手に取り、まあるいそれを一つ引っ掴む。ふーふー、と念入りに息を吹きかけ、口の中に放り込む。瞬間、ソースと甘さとマヨネーズの塩気、青のりの風味、生地と鰹節の濃厚な味が口の中に広がった。同時に、凄まじい熱が舌と口内粘膜を焼いていく。
「あっふ!」
「ちゃんと冷まして食べなさい」
 もう、と呆れた声を発しつつ、烈風刀ははふはふと空気を求めて口を開ける兄の前に麦茶が入ったグラスを置く。礼を言う暇も無くそれを手に取り、口の中に流し込む。冷たい液体が粘膜を冷まし潤していく。喉を焼きつつ、柔らかなたこ焼きは少年の胃の腑に収められた。
「んめー!」
 中身が空になったグラスを机に置き、雷刀は歓喜の声をあげる。口内を焼き払っていったたこ焼きは、思わず声をあげるほどの美味しさだった。さすがたこ焼き粉、と内心頷く。今回は半分近くがただの小麦粉なのだけれど。それでもいつも通り美味く感じるのは、弟が言ったように鰹節で旨味を補っているからだろう。やはり、彼の知識と経験に基づく判断は素晴らしいものだ。
 麦茶を注ぎつつ、向かい側を見やる。自分以上に念入りに息を吹きかける碧の姿が目に入った。青色の箸が動き、ソースたちで彩られた丸を口に運ぶ。はふ、と息を吐き出す音。口に手を当て、彼は咀嚼する。少し膨れて動く頬は子どもらしく愛らしいものだ。喉が動き、嚥下する様が分かる。一拍置いて、美味しい、と柔らかな声が聞こえた。だろ、と朱は得意げに箸を回した。
「貴方、本当にたこ焼きを焼くのが上手ですよね」
「だろー? オニイチャンすごいだろー?」
 こういうことばかりですけどね、と烈風刀は笑う。なんだよ、と拗ねた口調で返す。音に反して口角は上がり、緩い孤を描いていた。ふ、と笑声が二つテーブルにこぼれ落ちる。
 じゅわじゅわと声をあげる生地を見て、雷刀は竹串を操る。くるりくるり回転する生地の面倒を見つつ、冷めつつあるたこ焼きを口にする。カリッとした表面が、とろりととろける中身が相変わらず口内を焼く。それでも、食べる手は止められなかった。この瞬間が好きだ。たこ焼きやお好み焼きといった食べながら作るものは、なんだかある種のイベントのようで楽しいのだ。
 作業をしながらものを食べるなど、行儀が悪いと怒られるだろう。けれども、今日ばかりは烈風刀は何も言わなかった。大切な昼食の調理をしているのだから当たり前だ。今日ばかりは彼が口出しできることなど無い。そこも少しだけ好きだった。あの何でもできる弟に頼られている感覚がするのは嬉しい。たとえそれが、たこ焼きを焼くなんて単純なことであっても。
 焼けた生地を皿に移して、ソースたちを降らせて、プレートに油を敷いて、生地を流し込んで、具材を撒いて。それを繰り返しながら昼食の時間は進んでいく。調理しつつのそれは、普段よりも長くゆったりとした時間だった。
 ボウルの中の生地が無くなり、ザルやトレイの中の具材たちも消える。ほとんどのものが焼け、プレートの上も穴あき状態だ。端の焼けにくいものを中央に移動させながら、雷刀はたこ焼きを頬張る。随分と冷めてしまったが、これぐらいのものも良い。舌を犠牲にしながら熱々なものを食べるのもいいが、冷めて表面がしっとり柔らかになったものも十二分に美味いのだ。
 ようやくプレートの上から生地がいなくなる。皿の上の丸たちもすっかり少年らの胃の中に収められた。パン、と再び手を合わせる音。ごちそうさまでした、と二重奏が奏でられた。
 あっつ、と呟き、雷刀は窓際に歩み寄る。鍵を開け、背丈より大きな窓を開く。さぁと清涼な風が熱っぽいリビングダイニングに吹き込んできた。汗ばんだ肌を澄んだ風が撫ぜ、身体を冷ましていく。調理後や食後のこの感覚がいつも心地良くてたまらなかった。
「来週はお好み焼きな」
「粉物続きではありませんか」
 くるりと振り返り、雷刀は指を立てて笑う。呆れた笑みが返された。
 そんなことを言いつつも、きっと彼は来週も己の望みを叶えてくれるだろう。今度は粉が足りないなんて事態に至らないように、次の買い出しではお好み焼き粉を買わないと。後で買い物リストに書き足そう、と考え、少年はゆるりと頬を緩めた。
 週末の午後、優しい風が朱い髪を揺らした。

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#嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀

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