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書き出しと終わりまとめ12【SDVX】

書き出しと終わりまとめ12【SDVX】
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あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその12。相変わらずボ6個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:レイ+グレ1/はるグレ1/グレイス1/ライレフ(神十字)3

何もかもを委ねて/レイ+グレ
葵壱さんには「私達は人間でした」で始まり、「それだけで充分」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。


「ワタシたちは人間デスヨ」
 当たり前じゃないデスカ、と彼女は歌うように言う。世界の常識を子どもに教え説くような響きをしていた。
 嘘よ、とグレイスは呟く。人間なわけがない。だって、己はバグの海で生まれ、バグの力で動く身体をしていたのだ。人間であるはずなどなかった。少なくとも、ネメシスという世界の理から生まれた彼女とは違う。
 嘘じゃありマセンヨ、と柔らかな言葉が耳に注がれる。背に回された手が、トントンと細い身を叩く。子をあやす母親の手つきだ。子ども扱いされているという不満と、心地良いリズムと温度がもたらす安堵が胸を渦巻く。不安に荒れ疲労を増した心は、後者に身を委ねつつあった。
「グレイスは人間デス。ワタシが保証しマス」
 だから泣かないでくだサイ。祈りのように呟いて、少女は柔らかく笑いかける。眉の端がほんのり下がった、少し困ったような笑みだ。
 浮かぶ表情に、少女は目を瞠る。鮮やかな紅水晶が、暗く染まっていく。涙をたたえたそれが、ふるふると揺れた。
 また彼女を困らせてる。また彼女に迷惑をかけている。
 自己嫌悪が心を塗り潰していく。ぅ、と再び嗚咽が漏れ出た。マゼンタの瞳から涙が一筋溢れ、寝間着の襟を濡らす。
 大丈夫。大丈夫。妹を抱き込んだ姉は、背を叩くリズムに合わせて幾度も言葉を繰り返す。穏やかながらも、沈みゆく心にきちんと届くようなはっきりしたものだ。
 大丈夫。大丈夫。優しい言葉がリフレインする。痛む頭を癒やすようだった。暗く濁る心を晴らすようだった。不透明度を増した躑躅色が、徐々に元の澄んだ色を取り戻していく。それでも、靄がかる闇は完全に晴れることはなかった。
 世界の理に一番近い彼女が『人間』だと認めてくれる。それだけで充分ではないか。充分なんだ。充分だと思わなければいけないのだ。だって、そうじゃないと、大好きな姉を困らせてしまうのだから。
 泣き疲れた脳味噌が囁く。そうだ。きっとそうだ。そう思わなければいけないんだ。言い聞かせるように繰り返し、少女は瞼を下ろしていく。暗くなった視界でもう一度繰り返す。
 彼女の言葉だけで充分なんだ。




されてばっかりは悔しいじゃない/はるグレ
AOINOさんには「私に少し足りないものは」で始まり、「どうか気付かないで」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。


 自分に少しばかり――否、確実に足りないのは勇気なのだと思う。
 いつだって虚勢を張って、心の底では怯えて、肝心な時に限って逃げてしまう。なんと臆病なのか。なんと意気地なしなのか。自分でも呆れるほどだ。
 けれども、今はそのなけなしの勇気をふるう時なのだ。
「は、るか」
 愛しい人を呼ぶ。掠れて上ずった、みっともない声だ。相手もその異常に気付いたのか、振り返った彼はことりと首を傾げた。
「どうしました?」
 呼ばれた少年は、足音もたてずに少女の元へと素早く辿り着く。瞬間移動ではないかと思うほどの早さだ。忍を名乗る彼は、いつだって不可思議な技を使ってくる。
 始果の顔が迫る。こちらの異常を確認するために覗き込んできたのだ。あまりの近さに、急いで二歩後ずさる。瞬間、強い後悔に襲われる。そういうところが勇気が無いのだぞ、と頭の中で誰かが囁いた。
「……グレイス?」
 ますますの異状に、少年は疑問符を浮かべ少女を呼ぶ。当たり前だ、呼ばれて近寄ってみたら逃げられたのだ。疑問に思うのも無理はない。
「何かあったのですか?」
「な、んでもない。なんでもないわよ」
 問いに急いで答え、グレイスはゆっくりと後ずさった距離を詰める。たった二歩、されど二歩。そんなわずかに近づいただけで心臓は強く脈を打ち始めた。
 目と鼻の先の彼を見上げる。頭一個分上のかんばせは、ほんのわずかに険しくなっていた。好きな人が異常な行動をすれば、心配にもなるものだ。命を捧げるほど愛する人間相手ならば尚更である。
 震える手を伸ばし、白い頬を包む。両手で捕らえた顔は険しさを失い、きょとりとした様子で瞬きをした。
「グレイス?」
「目、閉じなさい」
 呼ぶ声に被せるように命を下す。その声はみっともないほど震え、少しばかりひっくり返っていた。
 瞬き二つ。従順な彼は、その一言で目を閉じる。月色の瞳が瞼の奥に隠れる。瞼を下ろし、口を閉じたその顔に心臓がうるさく脈を鳴り響かせる。落ち着けようと小さく深呼吸。効果など無かった。
 つま先に力を入れ、捕らえた顔に己の顔を近づける。脈拍がどんどんと上がっていく。バクバクと心臓が音をたてた。
 己も目をつむり、きゅっと唇を引き結ぶ。あぁ、このうるさい鼓動にどうか気付かないでくれ、と祈りながら、少女はゆっくりと薄い唇を目指した。




薄雲の向こうに想いを乗せて/ライレフ
葵壱さんには「月の見えない夜だった」で始まり、「それが少しくすぐったかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字程度)でお願いします。


 月の見えない夜だ。見上げた空は光受け輝く衛星で薄ら明るく照らされているが、肝心の姿は雲の裏側だ。心なしか、夜闇は普段よりも深く見えた。
「満月なのに月見えねーな」
 もったいね、と曇り空を見上げ兄は言う。秋のベランダは寒いだろうに、彼は裸足にサンダルでそこにいた。薄雲の向こう側に思いを馳せる姿は、普段の彼からは想像できないものだ。
「開けたら閉める、と言っているでしょう」
 開け放たれたガラス戸に手をかけ、鉄作に肘をつく兄の背に言葉を刺す。夜風が吹き込むリビングは随分と冷えていた。このまま締め出してやろうか、だなんて意地の悪いことを考える。
 朱い頭が振り返る。ニッと笑い、兄は欄干についていた手をこちらに伸ばす。急いでサンダルをつっかけ、弟は引かれるがままにベランダに出た。ほら、と朱は薄闇空を指差す。夜闇に似合わず白く光る雲には、丸く明るいシルエットが浮かんでいた。
 繋いだ手が解かれる。手の平と手の平が合わさり、指が隙間に潜り込む。闇で冷めた手に温もりが灯る。
「『月が綺麗ですね』、なんてな」
 八重歯覗く口が彼らしくもないロマンチックな言葉を紡ぎ出す。覚えたての言葉を自慢気に披露する子供のような様相だ。おそらくレイシスあたりに聞いたのだろう。
「月、見えないのでしょう」
「雰囲気雰囲気」
 呆れた調子の声に、おどけた声が返される。深く繋いだ手を遊ぶようにゆるく振り、朱は笑う。三日月のように弧を描く目と大きく開いた口で形作られた表情は、上機嫌を形にしたようなものだった。
 繋がる手も、幸いに満ちた笑みも、らしくもない愛の言葉も、どこかくすぐったかった。




過去など追い越して/グレイス
あおいちさんには「幻ばかり追いかけていた」で始まり、「だから、見ていて」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば2ツイート(280字程度)でお願いします。


 姉の幻ばかり追いかけていた。
 いつだって明るくて、いつだって可愛らしくて、頑張り屋で、全てを愛していて、皆に、世界に愛される人。
 自分が成るかもしれなかった存在。
 羨ましくないかといえば嘘になる。幻想を見なかったといえば嘘になる。あの子に成りたい、と何度思ったことか。
 それも昔の話だ、と少女はふと息を吐く。新たにネメシスに産まれ、生き、人々と触れた今、その感情は多少薄れていた。皆、自分を『個』として認めてくれている――『グレイス』という存在を受け入れてくれている。もう、幻ばかり見ていられないのだ。
「グレイス、大丈夫デスカ?」
 暑いほどの照明の光から逃れた舞台袖、薄闇の中姉の声が耳に届く。ライブステージの轟音に掻き消されそうなそれは、心配げに揺れていた。整った美しい眉は、端が緩やかに下がっている。口元は心情を表すように強張って開かれていた。
「大丈夫よ」
 ふん、と鼻を鳴らし妹は答える。口角に力を入れ、不遜な笑みを作った。
 大丈夫なわけがない。今日はライブ、しかも初めてのソロでの登壇があるのだ。心臓が痛い。マイクを握る手が震える。表情だって、意識して作らないとすぐに不安で歪んでしまいそうだ。
 けれども、そんなことは言っていられない。だって、皆待ってくれているのだ。自分を、『グレイス』の歌を、パフォーマンスを、存在を。怯えてなんていられない。待つ人々に応えるのが、今の自分にできる全てだ。
 ふっと目を細め、少女は唇を吊り上げて笑う。躑躅の瞳には、確かな覚悟の光が、矜持の光が、高揚の光が宿っていた。
「私を誰だと思ってるの? 完璧にやりきってみせるわよ。だから、見てなさい」




僕らはもう臆することなんてないのだから/ライレフ
AOINOさんには「僕らは臆病だった」で始まり、「私はこの人に惹かれている」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。


 僕らは臆病なのだと思う。
 想いを通わせ合って――所謂『恋人』になったというのに、まだそれらしいことなど一つもできていないのだ。
 これが関係が始まってすぐならばおかしくないだろう。だが、もう付き合ってから一ヶ月以上経つのだ。口づけはおろか、今まであったハグや手を繋ぐことすらなくなった。関係が変わる前までは当たり前のように触れ合っていたというのに、愛しあった途端これだ。より強い繋がりを持ったはずだというのに、より希薄な触れ合いになってしまった。
 互いに触れることを恐れているのだ。もし嫌がられたら。もし嫌われたなら。手を伸ばすだけで、そんな恐怖が襲うのだ。臆病者たちは、いつまで経っても進めない。
「烈風刀ー。風呂上がったー」
 愛しい音が鼓膜を震わせる。視線を向けると、タオルを首に掛けた雷刀の姿があった。湯で温まった肌はほんのりと色付き、どこか艶やかだ。
 短絡的な思考にぶんぶんと頭を振る。こんな姿、見飽きているというのに、『恋人』になってからは妙に意識してしまう。なんと破廉恥か。なんと浅ましいのか。ただが風呂上がりの彼にこんなに胸を高鳴らせるなんて。
「どした? なんかあった?」
「いえ、別に。お風呂入りますね」
「ストップ」
 立ち上がろうとする己の前に、朱い影が立ちはだかる。逆光で陰った目には、薄く憂惧が浮かんでいた。
「まーた一人で考え込んでんだろ」
「そんなこと――」
「嘘吐け。オニイチャンには丸分かりですー」
 おどけた言葉だが、そこにある思慮は確かなものだ。彼はこういう時敏い。そして、誰よりも尽くそうと動くのだ。
「とりあえず言ってみ? 楽になるかもしんねーし」
 隣に腰を下ろした兄がじっと覗き込んでくる。ニッとした明るい笑みの裏には、思いやりが溢れていた。
 あぁ、敵わない。
 自分は、この温かな、何もかもを慈しむ彼に、こんなに惹かれているのだ。
 だから。
「らいと」
 震える声で愛しい人を呼ぶ。吐き出した音は、みっともなく掠れていた。
 胸を巣食う臆病を振り払い、座面に放り出された大きな右手に己の左手を伸ばした。




どんな形でも、貴方と/神十字
葵壱さんには「永遠なんてない」で始まり、「いつか僕を見つけてください」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以内でお願いします。


「永遠なんてありませんよ」
 当然の事実を口にする。途端、目の前の紅玉が苦々しげに眇められた。
「さっきはあるっつってたじゃん」
「子どもの前でそんなことは言えないでしょう」
 大体貴方が一番分かっているでしょうに、と呆れた調子で続ける。う、と濁った音が引き結ばれた唇から漏れた。
 ずっといっしょなんだ。えいえんにぼくがまもるんだ。
 己よりもずっと小さい、妹のような存在を抱き締め宣言する幼子に、そうですね、と頭を撫でたのが十数分前。仲間たちと遊びにいった小さな兄貴分の背を見送った後、神は言ったのだ。永遠を信じてるなんて可愛いじゃん、と。
「けどよぉ」
「けども何もないでしょう」
 無意味に食い下がる彼に、ほのかに苦みを含んだ笑みを返す。子どもを諭す時と全く同じだ。悠久の時を生きる存在だというのに、彼は時折こうも幼い姿を見せる。
「子どもにも言やぁいいのに」
「そんなことできるわけがないでしょう」
 馬鹿ですか、と冷たく言い放つと、そこまで言うことねぇじゃん、とむくれた声が返ってくる。
 幼き子どもは『ずっと』『永遠』を夢見る。頬を紅潮させ永久に思いを馳せる姿は可愛らしいものだ。そんな可憐な夢を大人が壊していい訳がない。受け止めて受け入れてやるのが自分たちの務めだ。
「オレには言うのに」
「子ども扱いしてほしいんですか?」
「そうじゃねぇよ」
 いじわる、と頬を膨らませる様子に思わず笑みをこぼす。子ども扱いなどせずとも、反応は子どもなのだから面白い。相手は敬うべき神であることを忘れてはいけないのだが。
「分かってくださいよ。というか、分かっているでしょう? 神様」
「……分かってんよ。分かってんけどさ」
 永遠に一緒にいてーもん。
 ぽつりと呟く声が手入れされたくさはらに落ちる。遠くから聞こえてくる子どもの声が、どこか小さくなったように思えた。
「な、んですか、それ」
 ハハ、と思わず笑いが漏れる。音に反して渇ききった、愉快さなど欠片も無い呆然としたものだ。ほのかな悲哀すら滲んでいた。
「人間が永遠に存在できるはずなどないでしょう。そんなの、貴方が誰よりも知っている」
 突き放すような蒼の言葉に、焔色の瞳が苦しげに歪む。事実を知っているからこそ――経験しているからこその顔だ。変えられないと知っているからこその表情だ。
 力強く唇を噛み締め地を見つめる愛しい人の頭に手を伸ばす。燃え盛る炎のように鮮やかな髪に触れ、丸い頭蓋に沿って撫でた。
「永遠なんてありませんよ」
 歌うように同じ言葉を口にする。ギリ、と歯が擦れる嫌な音が午後の空気に落ちた。
「けど、いなくなるまで一緒にいることはできるでしょう?」
「やだ。ずっとがいい」
「子どもみたいなこと言わないでください」
 唇を尖らせた愛する神に、思わず笑みがこぼれる。先ほどまであった乾きは失せて、あるのは慈しみだ。子どもに対するそれと同じである。
 地に吸い込まれていた顔が突如上がり、紅が蒼を射抜く。黒のロングコートに包まれた腕が伸ばされ、己の背に回された。ぎゅっと潰れそうなほどの力で抱き締められる。
「やだ」
「やだ、じゃありません」
 聞き分けてください、と願いの言葉を口にする。己に言い聞かせる言葉でもあった。だって、こんなにも求められたら応えたくなるではないか。応えられないと分かっているのに、叶えてやりたくなるじゃないか。そんなこと、人間にできっこないのに。
「そうだ。『輪廻転生』という言葉を知っていますか」
「何だよ、突然」
 懐疑と少しの怒りが混じった音が耳に直接注ぎ込まれる。構わず言葉を続ける。
「簡単に言うと、人は生まれ変わるということです」
「だから、何」
「生まれ変われば、ずっと一緒にいられるのではないですか?」
 それこそ、永遠に。
 歌うように、祈るように、言葉を口にする。戯れ言を唱える。そんなの、まやかしでしかない。分かっていても、『永遠』を共にするにはこれぐらいしか思いつかなかった。
 いたずらげに笑い、青年は微笑む。淡いそれには、諦観が浮かんでいた。
「生まれ変わっても、僕を見つけてくださいね」

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#レイシス #グレイス #はるグレ #ライレフ #腐向け

SDVX

明日は二人きりで【嬬武器兄弟】

明日は二人きりで【嬬武器兄弟】
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嬬武器兄弟お誕生日おめでと~~~と前日からプロット練ってたけど当日間に合わなかったので今更供養。前日に2本も書けるわきゃねぇんだよなぁ……。
付き合ったり好き合ってるつもりは微塵もないけど同生産ラインで腐向けを量産しているので怪しい。ご理解。
この話と繋がってるような繋がってないようなそんな感じの話。
改めてお誕生日おめでとう。

 夜の陰落ちるアスファルトの上を足音が二つ転がっていく。陽が沈んで随分と経った住宅街に落ち行く固い音色を奏でるのは、普段の履き慣れたスニーカーではなく新品の革靴だ。汚れ一つ無い真っ白なそれは、街灯が照らす夜道の中でほのかに光って見えた。
「パーティー楽しかったな!」
「えぇ。何より、レイシスが楽しんでくれたようですからね」
「そそ。レイシス、ずーっと笑ってたもんな」
 よっぽど楽しかったんだろうなー、と喜色に満ちた声は白を形取り、ふわりと浮かんで空へと消えていく。喜びで華やかに彩られ緩んだ頬は、うっすらと紅が滲んでいた。
 えぇ、と応える穏やかな声。その音も、普段の怜悧でシャープな輪郭を失い、わずかにとろけていた。ふ、と柔らかに吐き出した息も同じく白になり、闇夜に舞って消えた。
 本日は一月十八日。己たちが愛し守るべき少女、レイシスが――そして、この世界が生まれた記念すべき日だ。この世で一番大切であるその日を盛大に祝い迎えるため、兄弟と仲間たちは一ヶ月ほど前から誕生日パーティーの準備を進めていた。多忙な運営業務の合間と主役である薔薇の少女の目をかいくぐりつつ用意した舞台は、仲間たちの多大な助力もあり大成功を収めた。今日一日、満面の笑顔を咲かせはしゃぐ彼女の姿を見ることができた。それだけで企画した甲斐があったというものだ。
「オレらも誕生日だしなー」
「……そうでしたね」
 そんな賑やかで晴れやかなパーティーであるが、本日の主役で祝われる少女が驚愕の表情とわずかな怒りを見せる場面があった。兄弟二人して自身の誕生日をすっかり忘れていた、と発覚した時のことだった。
 一月十八日はレイシスの誕生日。何より大切な日。世界で一番めでたい日。
 そのような意識があまりにも強く、己たちの誕生日など完全に忘れていた。この日、この世で最も喜ばせるべき彼女に、信じられないとばかりに目を丸くさせ、自分たちのことも大切にしろ、と諭すほどの事態を招いたのは、今回唯一の瑕疵だ。まさかこんなことで愛しい少女の記念すべき日に傷を残してしまうなど思ってもみなかった。ちゃんと覚えてくだサイ、とまろい頬をぷくりと膨らませた彼女の姿と強い言葉は胸に刻むべきである。少なくとも、生きている間は。
「オレたちはすっかり忘れちまってたけど、レイシスは覚えててくれたし? 嬉しいよな。オレたち以上にオレたちのこと考えてくれてるってことじゃん」
「あー……まぁ、そういう解釈もできますね」
 にへらと呑気に口元を緩ませる兄に、弟は呆れた調子で返す。しかし、そんな彼が紡ぐ音も片割れ同様にどこか綻んでいた。愛している人が己たちのことを覚えていてくれた。考えていてくれた。想っていてくれた。随分と都合の良い解釈だが、忘れずにいてくれたことは紛れもない事実である。あの鮮やかな桃の少女に想いを寄せる少年たちが喜ばないはずなどなかった。
「烈風刀」
 声とともに、朱い瞳が隣を歩く碧を見る。コートのポケットに手を突っ込み、少し屈んで己と対の色を覗き込む姿は幼さを思わせるものだ。蒼玉を見つめる紅玉には、喜びと愛おしさがにじみ幸いの色を成していた。
「誕生日おめでと」
 ニッと口角を上げ、雷刀は祝いの語を紡ぎ出す。いたずらげな表情とは裏腹に、響かせる音色はふわりとまあるく柔らかで温かさに満ちていた。
 兄の言葉に、浅葱が瞬く。少しだけ瞠られたそれがゆっくりと細まり、ゆるいカーブを描いた。唯一無二の兄弟を見つめる瞳は、優しく愛おしげな、大切なものにそっと触れるようなものだった。
「雷刀こそ。誕生日、おめでとうございます」
 ふふ。へへ。幸福で染められた笑声が、薄闇を纏う夜道にこぼれ落ちる。穏やかな音色を耳にし、胸にしまいこんだのは、朱碧の双子だけだった。
「よーし! ケーキ買ってこうぜ! オニイチャンがおごってやんよ!」
 腕まくりをするようにコートに包まれた二の腕をがっちりと掴み、朱い少年は張り切って宣言する。髪と同じ色をした睫に縁取られた大きな目は、夜闇を照らすように輝いていた。天上の黒を彩る星たちとよく似た光をしていた。
「もうどこのお店も閉まってますよ」
 やる気に満ち溢れた炎瑪瑙を、苔瑪瑙が苦い笑みを浮かべて見やる。つややかなそれには、呆れと少しの寂しさが宿っていた。
 パーティーとその片付けを終えた今、二人で暮らす部屋への帰り道、夜の帳はすっかりと落ちきり世界をすっぽりと覆っていた。一般的な店はとうに閉店時刻を過ぎている。ケーキを買うなど無茶な話だ。大体、雷刀の財布の中はいつだって寒風が吹き荒ぶっている。テンションに任せておごるなどと言っているが、実現は不可能であろう。
 えー、と朱は不満げな声を漏らす。せっかく思い浮かんだ名案が一言で崩された彼の唇は、ほのかに尖っていた。子どもそのものな姿に、碧は少し苦みを漂わせ息を吐いた。ふ、と細い音と白が夜を彩る。
「明日二人で買いに行きましょう。朝の早い内に行けば、たくさんの種類がありますよ」
 ネメシスでケーキといえばCafe VOLTEだ。常から多くの女性客で賑わい売り切れになることもしばしばなかのカフェだが、昼前に行けばそんな心配などなく多種多様なケーキに出会えるだろう。個数限定品を買うのは無理でも、常時販売しているものや季節限定品は手に入れられるはずだ。問題は、朝にすこぶる弱い兄が起きられるかどうかという点だが。
 なるほどなー、としょげた様子をしていた片割れは感心したような音を漏らす。よし、とあげた声は一転して明るく、夜空に響き渡りそうなほど大きなものだった。
「じゃ、明日は早く起きねーとな!」
「起きれるんですか?」
「起きれるかじゃなくて、起きるんだよ」
 何故か得意げな声音で紡ぎ、兄はトンと拳で胸を叩く。調子の良い台詞に、弟はふ、と呆れた息をこぼす。そこには愛しさを孕んだ響きが混じっていた。
「じゃ、さっさと帰って寝よーぜ」
 ほら、と雷刀は隣を歩く烈風刀の手を掴む。冷えたそれを離すまいとばかりにぎゅっと握り締め、少年はタッと軽やかに地面を蹴り駆け出した。
 唐突に手を引かれ、碧い少年はえっ、と驚きの声をあげる。たたらを踏むように彼も走り出した。
「ちょっ、と、雷刀! 危ないでしょう!」
「だいじょぶだいじょぶ!」
 咎める声に、おどけた声。強く握り力強く引く手に諦めたのか、碧は足を速め、薄ら闇を走る朱の隣に並んだ。隣までやってきた喜びを表すように、重なり繋がった手が緩く振られた。にひ、と喜色をあらわにした笑みが八重歯覗く口からこぼれ落ちた。
「まずはお風呂に入らなければいけないでしょう」
「わーってるって」
 だから早く早く、と雷刀は足の動きを速めていく。烈風刀も、後れを取るまいと負けじと強く地を蹴った。
 街灯に照らされた夜道を駆け行く軽やかな音が、星瞬く天空へと響いていった。

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#嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀

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世界を眺め少女は笑う【レイシス】

世界を眺め少女は笑う【レイシス】
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祝十周年! 祝十歳! おめでとう! おめでとう!
って感じのレイシスちゃんのお誕生日会な文章。皆もいるよ。
ボルテこれからも末永く続いてくれ。

「レイシス!」
「レイシス」
「レイシス姉ちゃん!」
「お誕生日おめでとう!」
 はしゃいだ数多の声が重なり合う。おめでとう、と祝いの大合唱が広い室内に響いた。パァン、と破裂音が混じる。いくつものクラッカーが弾け、小さな紙吹雪と色とりどりのテープを宙空に踊らせた。
「皆サン、ありがとうございマス!」
 部屋の前方、中心には一人の少女が立っていた。桃の髪を白いベールで飾ったレイシスは、同じく白いアームカバーに包まれた両の手を胸の前で重ね、弾ける笑顔で礼の言葉を言う。紅水晶の瞳は虹のように華やかで大きな弧を描いていた。
 本日、一月十八日。新たな年が始まり少し経ったこの日は、レイシスが――そして、この世界が誕生した記念すべき日だ。学園中の、否、ネメシスに住まう皆が、彼女が、世界が生誕した今日という日を祝っていた。その証拠に、誕生日パーティー会場である学園内でも特に広い特別教室の中には、たくさんの人々がひしめいていた。皆、レイシスを祝うために集まったのだ。
 普段ジャケット撮影に使われる無機質な教室は、様々な色で飾られていた。色とりどりのいろがみの輪が連なり、細かな傷がついた白い壁をカラフルに彩っている。所々に薄紙を束ねて作られた花が咲いている。真ん丸に膨らんだ小さな風船が随所に散りばめられていた。前方の壁には、『お誕生日おめでとう』と書かれた横断幕がかけられている。数日前から行われていた準備は順調に終わり、生誕を祝うパーティーはめでたき今日を鮮やかに彩り迎えた。
「お誕生日おめでとー!」
「おめでとうございます」
「おめでと……」
 タタタ、と軽やかな足音。両手を大きく広げ、小さな子猫たちは少女の足下に駆け寄る。頭二つ分上の桃を見つめる三色三対の瞳は、喜びに溢れキラキラと輝いていた。つやめくまあるいそれは、飴玉を思い起こさせる。髪と同じ色をした大きな三角耳は、胸の内に溢れる感情を表すようにピコピコとひっきりなしに動いていた。
「雛ちゃん、桃ちゃん、蒼ちゃん、ありがとうございマス」
「おめでとなー!」
「おめでとうございます」
 可愛らしい三匹に引き続き、クラッカーを携えた雷刀と烈風刀が寄ってきた。普段は白いマントと黒いインナーで身を包む彼らは、今日は真っ白なタキシードでその逞しい身を飾っていた。胸元のパーソナルカラーの蝶ネクタイと、同じ色をしたベストが良いアクセントになっていた。二人の正装を見るのは久しぶりだ。清らかな純白は、快活な朱にも、粛々とした碧にもよく似合っていた。
 おめでとー、と祝いの声がもう一度。パァン、と大きな破裂音が喧騒の中に高く鳴り響いた。目の前に紙吹雪が舞う。人に向けて鳴らすんじゃありません、と諫める声が続いた。
「ありがとうございマス。雷刀と烈風刀モ、お誕生日おめでとうございマス!」
 胸の前で手を合わせ、桃は満開の笑顔で祝いの言葉を返す。世界が始まってすぐの頃から共にある彼らの誕生日も一月十八日――つまり今日である。本日の主役、皆から一心に祝われる立場である彼女だが、仲間を祝いたいという気持ちは多分にある。これだけ人に溢れていると、面と向かって祝えるのは今のタイミングぐらいだろう。短い言葉に思いの丈をありったけ込めて二人へと投げかけた。
「へ?」
 太陽のように明るく輝く少女を前に、少年二人は空気が抜けるような音を同時に漏らした。ぱちぱちと二色が瞬く。兄は首を傾げ、碧もきょとりとした顔で鏡合わせのように見合わせる。しばしして、あ、と間の抜けた声が賑やかな室内に落ちた。
「……エ? エッ、まさか忘れてたんデスカ!?」
 依然目を瞬かせる二人の様子に、少女は素っ頓狂な声をあげる。まさか、誕生日を忘れることなんてないだろう。なんたって、自分が生まれた大切な日なのだ。けれども、目の前の彼らの反応は、どう見ても明らかに何かを忘れ、ようやく思い出した時のものだ。信じられないことだが、要素がはっきりと揃っているのだから疑ってしまう。そうでないことを祈りたいほどだ。
「いっ、いや、その……」
「だって、レイシスの誕生日だーってずっと思ってたから……」
 まあるい目を大きく見開き見つめる彼女に、二人はごにょごにょと口を動かす。普段はハキハキと明朗に話す烈風刀ですら歯切れの悪い調子だ。濁し言い訳のような言葉を漏らす様に、疑惑が確信に変わる。あんまりな事実に、薔薇の少女はぷくりと頬を膨らませた。
「大事な大事な誕生日なんデスカラネ! ちゃんと覚えてくだサイ!」
 この兄弟が己のことを特別大切に想ってくれているのは、常日頃肌身に感じている。過保護なのでは、と時折疑うほどだ。しかし、己を優先するがあまり自分たちを蔑ろにするのはさすがに不服である。もっと自身を大切にしてほしい。仲間を、世界を愛する少女にとって当然の願いだ。
 はい、と少し萎れた声と苦々しい笑みが二つ返される。約束デスヨ、と強い語調で念を押すと、おう、分かりました、とはっきりとした返事があった。本当だろうか、とかすかに残る懐疑の心を振り払う。これほど明瞭な音で返したのだ、嘘など吐かないに決まっている。信じるべきだ。
「そだ、ごちそういっぱい用意したんだ。早く食べよーぜ!」
「Cafe VOLTEからケーキの提供がありました。レイシスに存分に食べてほしい、とのことです」
 ほらほら、と嬬武器の兄弟は会場中央を指差す。会議机をいくつも寄せ集め、テーブルクロスを掛けたそこには、山のようと表現するのが相応しいほどの料理が並んでいた。多種多様なオードブルに小さく切られたサンドイッチ、辛いものから甘いものまで揃った飲茶に色とりどりのケーキ、慣れ親しんだお菓子にたくさんのジュース。学生たちで用意するには十二分に豪勢な食事が、広いテーブルの上にひしめくように集められていた。
「ワァ……!」
 夢のような光景に、少女は磨かれた宝石のようにつやめく瞳をまんまるに見開き輝かせる。感嘆の声を漏らす口の端は、喜びを表すように持ち上がっていた。
 食べることが大好きでいつだってめいっぱい食事を楽しむ彼女なのだ、これだけご馳走が並ぶ様に心が躍るのも無理はないだろう。桃色の可愛らしい瞳は、目の前に広がる料理を一心に見つめていた。釘付けというのが相応しい。
「レイシス! いっぱい食べるアルヨ!」
 高く積み上げたせいろを両手に乗せて掲げ、椿はニッと元気な笑顔を浮かべる。朝から頑張って用意したアル、と語る声はどこか得意げだ。その後ろ、大皿を四つ器用に持った福龍が妹をじとりと見やる。表情は眠たげな、どこか納得いかないような、それでいて嬉しげな複雑な色で彩られていた。椿の言う通り、二人で朝早くから用意してくれたのだろう。でなければ、机いっぱいを埋めるような量を準備することはできまい。
「ケーキもたくさん持ってきましたよ。好きなだけ食べてくださいね」
 椿の後ろから虎子――通称ハニーちゃんが顔を覗かせる。Cafe VOLTEのウェイトレスとして働く彼女は、提供されたケーキを運んできてくれたのだろう。カフェラテもありますからケーキと合わせて飲んでくださいね、と手に持ったポットを掲げた。カフェオレ、特にはちみつを入れたものはカフェの看板商品だ。名物たる美味しい飲み物まで用意してくれるだなんて、太っ腹ったらない。
 彼女の言う通り、机上には数え切れないほどのケーキが並んでいた。一口サイズの小ぶりなものから大きなホールケーキまで、大小様々なそれがテーブルを彩る。カラフルなケーキが集まる様は、さながら春の花畑だ。甘い物に目がないの薔薇の少女にとって、天国のような光景だろう。
「ありがとうございマス!」
 満開の笑みを咲かせ、少女は礼を言う。紡ぐ声は弾みに弾んでいた。
「皆サン、今日はありがとうございマス」
 レイシスの声に、賑やかな会場が一気に静まる。いくつもの瞳が、教室前方に立つ桃の少女を見つめていた。
「こんなにお祝いしてもらエテ、とっても幸せデス」
 えへへ、と今日の主役である少女ははにかむ。綻ぶ花のように可憐な笑顔に、会した者たちは一様に頬を緩めた。
「ジャア、皆サン。ジュースは持ちマシタカ?」
 烈風刀が手渡してくれた紙コップを高く掲げる。集まった者たちも、つられるように手にしたコップを頭上に掲げた。
「デハ、乾杯!」
 かんぱーい、と大合唱。静寂に満たされていた会場が、喧騒で塗り替えられた。食器が擦れる音、料理に舌鼓をうつ声、楽しげな会話。特別教室は、先ほどよりも賑やかになっていた。
 近くにあった紙皿と割り箸を手に、レイシスはキラリと目を輝かせる。まずは旧友が作ってくれた飲茶にしよう。高いヒールで飾られた足が、豪勢な料理たち目掛けて駆けていった。





 少し柔らかくなった紙コップに口を寄せ、そっと傾ける。幾分かぬるくなったオレンジジュースが、たくさんの会話を重ね乾いた喉を潤した。淡い白のコップにルージュのピンクが散った。
 広い会場の隅、飾りの少ない壁に背を預け、レイシスは室内をゆっくりと見渡す。空間は依然賑やかな音で満ちていた。きゃいきゃいとはしゃぐ高い声、うめぇと感嘆する声、パタパタと料理を運ぶ足音、人が行き交い言葉を交わす音。楽しげな、喜びに溢れた音が鼓膜を震わせる。ともすればうるさいとすら感じる響きは、少し疲れた様子の少女の表情を緩ませた。
 山積みになった様々な料理に舌鼓を売っている最中、皆が祝いの言葉を贈りに来てくれた。おめでとう、と元気に声をあげる友人たちの表情はどれも明るく、言葉を紡ぐ口の端は楽しさを表すように上がっていた。皆が皆、幸いに満ちていた。
 人々の様子が嬉しくてたまらなかった。祝われる喜びももちろんある。それ以上に、皆がこの場を楽しみ幸福を高らかに謳い上げていることが彼女にとって何よりの喜びだった。
 十年前に生まれたこの世界は、二人きりで始まった。ナビゲーターであるレイシスと、サポート役のつまぶきのたった二人で小さな世界を駆け回っていた。ここが生まれたばかりの頃は楽曲数も少なく、人はレイシスとつまぶき以外に誰もいなかったことを今でも覚えている。
 それが今はどうだろう。こんなにも、それこそ広い会場からはみ出してしまいそうなほど人に満ち溢れているではないか。二人ぼっちだった静かな世界は、たくさんの人々が住まう大きな世界へと変貌を遂げていた。
 雷刀が、烈風刀が、名前を授かって生まれ落ち。
 紅刃が、昴希が、かなでが、名をもらって生まれいずり。
 奈奈が、マキシマが、あんずが、椿が、福龍が、名を付けられて個としての存在を始め。
 世界が動き出すにつれ、ネメシスには名を与えられ存在を始める者が増えていった。二人きりだった世界は、とっくの昔に二人きりではなくなった。十年経った今、電子の世界は名を持ち生きる人々に溢れていた。
 ふふ、と桃は呼気にも似た笑みを漏らす。柔らかなそれは、愛しさと幸福が詰まった温かな音色をしていた。
「レイシス、ドーシタ?」
 頭上から声が降ってくる。視線を軽く上げると、そこにはつまぶきがいた。同じく今日が誕生日である彼も、パーティーのために珍しく着飾っている。小さな身体に大きな蝶ネクタイを付けた姿は微笑ましいものだ。
 三角形に開かれた口の周りには、白いものがついている。おそらくケーキのクリームだろう。彼もパーティーを満喫しているようだ。クリームついてマスヨ、と指を伸ばして取ってやる。サンキュ、と小さな精は短く礼を告げた。
「で、こんなとこでドーシタ? 疲れたカ?」
「ちょっとダケ」
 直球な言葉に薄く苦い笑みを浮かべて返す。さすがに代わる代わる途切れることなく人と話すのは、お喋りが好きな彼女でも少しの疲労を感じさせた。よく食べよく飲み軽く腹が膨れたので、小休憩を挟みたい気持ちもあった。わざわざ一人壁に寄って立つ主役の姿に察してくれたのだろう、声を掛けてくる者はようやく途切れた。ジュースをもう一口。ふぅ、と満足げな息を吐いた。
「でもめちゃくちゃ嬉しそうな顔してるゼ」
 ふよふよと揺れて降りてきた銀色が、真正面から薔薇輝石を見つめる。つやめく黒の目はいたずらげに細められており、問う口元もニヤニヤと愉快そうな笑みを形取っていた。己の心情など全部分かっていての発言だろう。生まれた時からずっと共にある少女のことなど、彼には丸わかりだ。
 ゆるりと笑みを浮かべることで答え、レイシスは今一度会場を見渡す。どこか遠くを眺める桜色につられるように、小さな相棒も広い空間へと視線を向けた。パーティーが始まってから随分と経つが、人が減る様子は無い。皆思い思いに行動し、喜色に満ちた声をあげていた。活気に溢れる様は、この世界を表すかのようだった。
「でかくなったもんダナァ」
「エェ。大きく、楽しくなりマシタ」
「もう寂しくネーカ?」
 くるりと身を翻した彼は、傾いで桃色の相棒を見つめた。問う声は普段の大きく明朗なものではなく、どこか心配げな落ち着いたものだ。いつだってハイテンションな彼らしくもない。けれども、世話焼きで面倒見が良い彼らしくもあった。
 世界が生まれた頃――つまぶきと二人きりだった頃、寂しさに表情を曇らせる日もあった。生まれたばかり、それも年頃の少女として生み出された己にとって、二人ぼっちは精神を蝕む恐れるべきものだった。それを知っているからこその言葉だろう。三角形の口から紡ぎ出される声は、少女への思い遣りに満ちていた。
「ハイ」
 はっきりと、元気いっぱいに、全ての憂慮を払うように桃は答える。髪と同じ色をした睫に縁取られた目が、大きく弧を描いた。会場の隅に、満開の笑顔が静かに咲く。
 寂しさなんてもう欠片も無い。だって、こんなにも仲間がいるのだ。こんなにも世界は幸せに満ち溢れているのだ。今あるのは、心の底から湧き出る喜びと楽しさだけだ。
 ソッカ、と相棒はニッと笑んでこぼす。表情も声色も、安堵で彩られていた。この精は少しばかり過保護なところがある。自分だってこの十年でもう随分と成長したのだ。そこまで気に掛けなくても大丈夫なのに、とむくれる。同時に、己のことにこんなにも心を砕いてくれる者がいる幸せが少女の胸に芽吹いた。
「誕生日、おめでとナ」
「つまぶきコソ。誕生日、おめでとうございマス」
「オゥ」
 クスクスと二人同時に笑い合う。そういえば、彼と二人きりで話すのは久しぶりだ。相棒との久方ぶりの時間は、懐かしく心安らぐものだった。
「……レイシス」
 隣から声。少しばかり小さい、耳馴染んだそれに薔薇色の少女は急いで音の方へと視線を向ける。鼓膜を震わす響きが示す通り、そこにはグレイスの姿があった。癖のある髪はまっすぐに整えられ、頭には白い花飾りで彩られたベールを被っている。ところどころレースで縁取られた白いドレスの腰元を、ストライプの入った黒いリボンがまとめている。今日の自分と揃いの衣装だ。彼女の濃い躑躅の髪に、透き通るような白はよく映えた。
「誕生日、おめでと」
「ありがとうございマス」
 シンプルな祝いの言葉を唱える声は柔らかい。可憐な口元はゆるりと綻んでいる。彼女もパーティーを楽しんでいるのだろう。ネメシスで新たな生を受けて数年経った今、彼女はこの世界に随分と馴染んでいた。
「ジャ、オレはケーキ食いにいってくるわ」
 じゃーなー、と気楽な調子で言い残し、つまぶきは会場の中央目指してふよふよと飛んでいった。せっかくの誕生日、愛する妹と二人きりにしてやろうという計らいだろう。自由気ままに見えるが、そういうところで気を遣うところが彼の魅力の一つだ。
「あ、の……、えっと、…………これ」
 ドレスと同じ、眩しいほどの純白のアームカバーで飾られた細い腕が伸ばされる。己よりも小さな手のひらの上には、薄い小箱が乗っていた。桃色に淡いドットが散る包装紙に包まれたそれは、レースで縁取られた太いリボンでおめかしされていた。
「…………誕生日プレゼント」
 あげる、と続ける声は、会場の賑やかさに埋もれ消えてしまいそうなほど細かった。いつだって自信満々に相手をまっすぐに射抜くマゼンタの瞳は、今日は少しばかり逸らされている。はっきりと弧を描く髪と同じ色をした眉は、端が少しばかり下がっていた。
「いいんデスカ!?」
 予想外の贈り物に、レイシスは思わず大きな声をあげた。少し上擦ったそれは、喜びに満ち溢れた音色をしていた。
「いいに決まってるでしょ。貴方、誕生日なのよ」
 いらないならいいけど、と拗ねた調子で躑躅はこぼす。絶対にいりマス、と自信なさげなそれに被せるように力強く言い放つ。バッと手を伸ばし、たなごころごと小箱を包み込んで受け取る。剥き出しになった細い肩がひくりと跳ねた。
「開けていいデスカ?」
「貴方のものなんだから好きにしたら」
 ワクワクとした様子で自身を見つめる姉に、妹は目を逸らして答える。ジャア、と弾んだ声をもらし、細かなレースで飾られたリボンに手を掛ける。太いそれを絡まらないようにそっと解き、美しい包装紙を破らないように丁寧に開いていく。現れたのは、真っ白な薄い小箱だった。蓋を開くと、中には黒いクッションが敷かれていた。闇夜のような布地の上に、金がきらめく。
 箱の中、クッションの上に丁重に飾られていたのは、小ぶりなヘアピンだった。三本並ぶ細い金地のそれの片端には、花の細工があしらわれていた。花弁の形を見るに、桜と桃と梅だろう。春を象徴する花を咲かせたそれは金と白の二色で構成されたシンプルなものだ。けれども、確かな存在感と品の良さを漂わせていた。
「前髪伸びてきて作業中邪魔そうだったから……、これでまとめたらマシになるんじゃない」
 呆けたように大きく目と口を開いて箱の中身を見つめる少女に、ぶっきらぼうな言葉が投げかけられる。素っ気ない響きだが、裏には思慮が溢れている。きっとたくさん考え、たくさん悩み、その末にこれを選んでくれたのだろう。大切な妹の優しさは、姉が誰よりも知っていた。
「付けてみてもいいデスカ?」
「いいけど、ヘアセット崩れるわよ?」
「大丈夫デス!」
 不安げに眉端を下げるグレイスに、湧き出てくるそれを吹き飛ばすかのような明快な声で返す。もらったばかりの宝物、桜で飾られたヘアピンをそっと手に取り、左側の髪をまとめるようにつける。鮮やかな桃の紙の上に、白と金の小さな桜が咲いた。指通しの良いつややかな髪に、その二色はよく映えた。
「どうデスカ?」
「似合ってるわよ」
 つけたピンを指差し浮かれた調子で問う姉に、妹はふ、と笑みをこぼす。漏らした息には、確かな安堵が宿っていた。己の喜びが、彼女に確かに伝わっている。彼女も喜んでくれている。こんなに嬉しくてたまらないことはない。
「大切に使いマスネ」
 蓋を閉じ、小箱をぎゅっと抱き締める。大切な大切な、何よりも大切な宝物だ。自然と笑みがこぼれた。ふふふ、と心底幸せそうに笑う薔薇色に、そう、と躑躅はふいと顔を背けた。映る横顔、その頬は薄い紅が刷かれていた。
「ネェ、グレイス。ケーキ食べマショウ!」
「……え? まだ食べるの? お腹大丈夫なの?」
「モチロン! まだまだ食べれマス!」
 今日という日――己の誕生日を祝うために、皆が頑張って用意してくれたのだ。主役である自分が誰よりも食べなければ心配されるだろう。少し休んだことで、胃袋は容量を取り戻しつつある。まだまだ入るはずだ。何より、どの料理も表情がとろけてしまうほど美味しいのだ。お腹いっぱい食べたいに決まっている。
 貴方、食いしん坊よね。呆れた調子でグレイスは呟く。響きの中には、確かな愛おしさがあった。大好きな、愛する姉への愛おしさが。
 黒いリボンが巻かれた妹の手を取る。繋いだ小さな手は、子どものように温かかった。伝わる温もりに、少女は頬を綻ばせる。掴んだ腕の先、小さな身体がひくんと揺れた。
「行きマショウ!」
 白いたなごころを握り締め、少女は駆け出す。ヒールが床を打つ高い音が喧騒の中に飛び込んだ。
「えっ――あぁもう! 走っちゃだめでしょ!」
 手を引かれる少女は叱責の言葉を飛ばすが、そこには楽しげな色もあった。首だけで振り返り、伝わる温度の先にある妹の顔を窺う。ラズベリルの瞳は幸せそうに細められ、薄い紅で彩った口は柔らかに綻んでいた。
 タッ、と足音二つ。賑やかな空間に、ローズピンクとアザレアがふわりと舞った。

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#レイシス #嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀 #グレイス

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冬空に昇る願い【ライレフ】

冬空に昇る願い【ライレフ】
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書き初め。ライレフが初詣行こうとする話。
昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。

 ふわふわと温もりの中を漂っていた身を、冷気が覆い被さり無理矢理包み込む。刺すようなそれに、深い深い眠りの底から一気に意識が引き上げられる。足下から、襟元から、裾から、寝間着の隙間という隙間から冷えた空気が入り込み、ぬくまった身体を冷やしていく。普段ならば重たげにゆっくりと持ち上げられる瞼がカッと素早く開いた。冷気という外敵から身を守ろうと、少年は反射的に手足を折り曲げ丸まる。寝起きの必死の抵抗は、ほとんど効果を成さなかった。
「朝ですよ。起きてください」
 耳慣れた声が起き抜けの鼓膜と意識を震わせる。これでもかとすくめた首をどうにか動かし、音の方へと視線を向ける。冷やされても尚眠気が薄く膜張る朱い瞳に、鮮やかな碧と愛用の布団、毛布が映った。
「なんだよ……やすみだろ……」
 不機嫌さを隠すことなく、雷刀は愛しい愛しい寝具たちを剥ぎ取った弟に抗議をする。寝起きの低く掠れた声には、どこか迫力があった。しかし、相手は居すくまることなく真っ向から受け止める。猫のように丸まる片割れを見つめる若草色には、同じほどの気迫に満ちていた。棘のあるその声を跳ね返すような雰囲気すらある。
 今は冬休み真っ只中、それも休日である正月だ。運営作業も年末年始は休みで、毎日仕事に駆け回っている四人も今日ばかりは丸一日フリーだ。どれだけだって寝ていても許されるはずである。大切な休みに惰眠を貪るのは、この世にある贅沢の一つだ。誰にも迷惑を掛けない贅沢をして、怒られる筋合いなど無い。
 縮めた身をのろのろと動かし、寝起きでまだ動きの鈍い腕で掛け布団と毛布を奪い取る。刺すような寒さから身を守るべく、しっかりと握って奪ったそれで急いで身体をまるごと包み込む。少しばかり冷たくなった彼らに、思わずふるりと震えた。冷えは次第に消え失せ、体温と布地が柔らかな温もりをもたらしはじめる。冬の清澄な空気に追い出された睡魔がまた手を差し伸べた。
 はぁ、とわざとらしいほど大きな溜め息が分厚い綿と布越しに降ってくる。頭から布団に潜り込んでいるため顔は見えないが、きっと音の主は呆れた表情をしているだろう。重苦しい響きが抱える感情全てを表していた。
「初詣に行くのでしょうが」
 はつもうで。初詣。睡魔に誘われ沈み始めた思考に、その五音節が染みこんでくる。ワードの端に引っかかっていた記憶の糸をのろい動きで手繰り寄せる。そういえば、夜中にそんなことを話した気がする。だから早く寝ろ、と言われたところまで引っ張り出された。
 しかし、初詣程度でこんな布団を引っ剥がし、実の兄弟を極寒の下に放り出さなくてもいいではないか。そこまで初詣が大切なのだろうか。考えて、鈍く動く頭に何かが引っかかる。思い出すべきである何かは、寝起きでとっちらかった記憶たちに紛れて姿が分からなくなっていた。
「まぁ、好きにすればいいのではないですか。僕はレイシスと二人で行ってきますから」
 また溜め息一つ。『レイシス』『二人』の部分が殊更ゆっくりなぞられたそれは、呆れの中にわずかな優越感がにじんでいた。おやすみなさい、と突き放すような眠りへの挨拶とともに、カーペットの上にかすかな足音が奏でられた。
 わざとらしく強調された二つのワードに、寝起きで動きの鈍る頭がゆっくりと回転を始める。正月。冬休み。初詣。レイシス。二人。微睡み重くなりつつある意識に降ってきた単語を、どうにか脳味噌の中で組み立てていく。並べ立てた語たちが結びつき、少年は作った闇の中大きく目を見開く。同時に、散らばっていた記憶の中から大切なものを引っ張り上げた。
 そうだ、思い出した。今年も四人で初詣に行こう、と昨日レイシスからグループメッセージが来たのだ。同時に来た通知、小さな液晶に映った短い文に兄弟二人同時に賛同の返事をしたのを覚えている。寝坊しないように早く寝なさい、とだらだらとテレビを見ていた己の背に声がぶつけられた記憶も一緒に掘り起こされた。
 あれだけ愛ししがみついていた布団と毛布を跳ね飛ばし、朱は充電ケーブルに繋がった携帯端末の電源を入れる。ガラスフィルム越しの画面は、約束の時間まであと一時間と少しであると告げていた。待ち合わせの神社には、歩いて二十分もかからない。時間はまだあるが、余裕とは言い難い。すぐにだらけてしまう自分のことだ、すぐさま用意をしなければ遅刻してしまうだろう。
「オレも行く!」
 急いで布団をはねのけ、雷刀はベッドから転げ落ちるように身を下ろす。再び冷気が肌を刺し、粟立つ。しかし、怯んでなんていられない。大切な女の子を待たせることなど、何があっても回避せねばならぬ事項だ。
 冷えたカーペットから顔を上げると、扉の前で立ち止まった烈風刀が映った。早朝の空のように澄んだ碧い瞳には、呆れの色が多分に浮かんでいる。小ぶりな口の端はわずかに下がっていた。最初から起きてくださいよ、とうんざりした重い声が飛んできた。
「早く用意してください。レイシスたちを待たせるわけにはいかないでしょう」
「へーい」
 ドアを開け部屋を出る弟に続き、兄も廊下へと足を踏み出す。氷のように冷え切ったフローリングの感覚に、ぶるりと身体を震わせる。防寒効果の薄い寝間着のまま長時間過ごすのは自殺行為だ。さっさと準備してしまわねば。さっむ、と細い呟きを落としながら、少年は小走りで進んだ。
 凍ってしまいそうな冬の水に耐えながら手早く顔を洗い、急いで部屋に戻り着替える。迫り寄る焦燥にもつれながらも何とか着替えを終え、コートを肩に引っかけて玄関に向かう。二人暮らしで狭い底には、既にコートとマフラー、ブーツを装備した兄弟の姿があった。己が眠っている間に全て準備していたのだろう。優秀な彼はいつだって用意周到だ。
「朝ご飯は食べないのですか?」
「レイシスたち待たせたらダメだろ」
 片割れの問いにブーツを履きながら答える。朝食を摂るべきであるのは分かっているが、今はそんな時間など無い。約束した少女たちを待たせてしまう可能性は極力排除するべきだ。初詣程度の時間ならば、腹の虫を押さえつけ無視することも簡単だろう。帰ってから昼飯をたくさん食べればいいのだ。
 だったら早く起きてください、と真っ当な言葉が頭上から心を刺す。う、と濁った響きが喉から漏れた。そう言う烈風刀は寝坊することなく早くに起き、きちんと普段通り朝食を終え、寝転けていた己を起こすほど余裕を持って行動しているのだ。言い返しようがない。
 立ち上がり、トントンとつま先を地面に軽く打ち付ける。手早くコートを着ていると、ガチャリ、と重い音の後、玄関ドアが開かれた。目の前の鈍色が、あっという間に空色に塗り替えられる。
 二人で廊下に出、碧は手慣れた様子で鍵を掛ける。カチャン、と錠が落ちる音とノブを回しても開かないことを確認し、エントランスへと足を進めた。冬の穏やかな陽光に照らされた廊下に足音が二つ分落ちていく。
 エントランスの自動ドアをくぐり抜ける。ガラスドアの向こう側、広がる空は冬の朝らしい澄み渡った色をしていた。少し淡い青を、太陽の光と薄雲の白が彩る。小春日和とはこのような様をいうのだろう。普段ならば聞こえるはずの車の音も、子どもの声もない。正月休み、それもまだ朝なのだから当たり前だろう。
「さっみぃ……」
 冷え切った空気が身体を包み込む。部屋で布団を剥ぎ取られた時、否、それ以上の寒さだ。冬の風が吹き抜ける外なのだから当然である。つい先ほどまで布団でぬくまっていた身体にはあまりにも酷な温度だった。絞り出すように声を漏らした口から、白いものが生まれ空へと昇っていく。この調子では雪でも降るのではないか、などと考える。これだけ晴れ渡った青空からしてあり得ないのだけれど。
 さっみぃ、ともう一つ呟いて、首をこれでもかとすくめコートの襟に口元を埋める。剥き出しの指を凍らせるような外気から逃れるように、ポケットに手を突っ込んだ。冷えた分厚い生地が大きな手を包んだ。
「冬なのだから当たり前でしょう」
 すぐ隣から当然だといった調子の声が飛んでくる。そうだけどさぁ、とくぐもった音で返し、横を見やる。寒さなど平気だ、といった音色を奏でたその弟も、コートのポケットに片手を入れていた。危ないからポケットから手を出せ、なんて普段は言うくせに、自分だってやっているではないか。それほど寒さを感じているのに平然としているのだから、何だか気に入らない。思わず唇を尖らせた。
 そもそも、グレイスもいることを知っていて『レイシスと二人で初詣に行く』などと嘘を吐いたことも少しばかり不服だ。己を起こそうとしてのものとはいえ、あまりにも質が悪い。起き抜けの頭とはいえ、すっかり騙された自分も悪いのだけれど。
 さむ、と拗ねたようにこぼし、肩を縮こまらせて少しでも冷気から身を守ろうとする。襟元に埋めた口、そこから吐かれた呼気は依然白へと姿を変えていく。冬らしい光景だ。寒さが厳しいことの証でもある。
「カイロ、持ってこなかったのですか?」
「あー……。忘れた」
 持ってくればよかった、と今更になって後悔が湧き上がる。しかし、今朝の調子ではそんなことに頭が回るはずがない。起き抜け、しかもレイシスを待たせまいと慌てて用意をしたのだから、カイロなんてものに意識が向くわけがなかった。
 手を出してください、と声。いつもの説教だろうか。にしては、音は柔らかなものだ。やっと包み始めた温もりに名残惜しさを覚えながらも、素直にポケットから手を抜きだし隣へと差し出す。刹那、広げた手の平に何かが乗せられた。それが降り立った場所から、温もりが肌の上を広がっていく。白に黒がうっすらと透ける角の丸い長方形は、普段から使っている使い捨てカイロだ。
「えっ、いいの?」
「二つ持ってきましたから」
 貴方のことですから忘れていると思ってましたよ。辛辣な言葉が白く色付き、空に消える。棘があるものだが、芯は柔らかで温かだ。彼の気遣いがよく分かる。やっぱり、この弟はいつだって用意周到で優しいのだ。
 さんきゅ、と弾んだ声で礼を言う。突っ込みっぱなしだったもう片手を引き抜き、両の手で小さなカイロを包み込む。血の色を失い始めていた指先に、柔らかな温もりが宿った。
「あったけー……」
 はぁ、と満足げな溜め息が漏れ出る。冷やされた身体にカイロの温もりはまさに救いだった。じんわりと広がっていく温度が、縮こまっていた身体をゆっくりと解いていく。本当に単純ですね、と隣から飛んできた呆れた呟きは聞こえなかったことにする。
「レイシスたち、今年も着物着てくるかな」
「そうなのではないですか。少なくとも、グレイスには着せたがるでしょうし」
 カイロの温もりにより少しばかりの余裕ができた頭が、他愛も無いことを考える。こぼれた音はすくいあげられ、また返された。たしかに、とゆるく笑みをこぼした。
 この世界を担う可愛らしく愛しい少女は、新たにできた妹を溺愛している。イベント事では様々な衣装を作っては着せているほどだ。正月のような『晴れ着』という滅多に着る機会の無い衣装を着せられるイベントを逃すはずがないだろう。妹も、最近では様々な衣服を着ることを楽しんでいるように見える。今頃、姉の手によって手際よく着付けられているだろう。
 楽しみだなー、と口角を上げ浮かれた声をあげる。そうですね、と珍しく素直な声が返ってきた。愛する少女の着物姿は、兄弟にとっての初詣の楽しみの一つであった。大好きな女の子のハレの華やかな姿を見ることができる。それは年明け最初の幸せと言っても過言では無い。
「そーいや烈風刀はもうお願い事決めた?」
「あぁ……、まだですね」
 覗き込むように隣を見て、兄は問う。全く考えていなかったのだろう、少し呆けたような音が返ってきた。顎に指を添え、弟は宙空を見上げる。うーん、と悩ましげな響きが色の薄くなった唇の隙間から漏れた。
「決まったら教えて! 知りたい!」
「そういうことは人に言ってはいけないというでしょう」
 弾んだ声を、冷静な声がすっぱりと切り裂く。えー、と再び前を向いた翡翠を眇目で見やる。すぐ隣の片割れは、どこ吹く風といった様子で姿勢良く歩いていた。にべもない。
 他人に問うてみたものの、実のところ己も明確には決まっていなかった。願いたいことなど山ほどあるのだ。レイシスが元気に過ごせますように。成績がマシになりますように。今年こそレイシスと海に行けますように。バグが発生しませんように。ヘキサダイバーがまともに遊べるようになりますように。少し考えただけでも泉のように願い事が湧き上がってくる。絞り込むことなど至難の業だ。うーん、と喉が鳴るような音が白い息とともに蒼天へと昇った。
「……お願い事って何個までしていいんだっけ?」
「一個に決まっているでしょう」
 欲張るんじゃありません、と咎める声。想定通りの優等生な返答に、ちぇー、と不満げな声をあげた。
 そんなことを言われても、大量の願い事の中から一つだけを選ぶことなど不可能だ。ただ生きているだけで、叶えたいことも願いたいこともこの手で数えられないほど生まれてくる。人よりも欲深い自覚があり、あれもこれもと目移りしてしまう己ならば尚更だ。
 どうしようか、と縮こめていた首を伸ばし、空へと目をやる。ルビーレッドにスカイブルーがにじんだ。やはり願うならば自分のことだろうか。けれども、運営業務やレイシスに抱えているあれそれも大切で早く叶えたいことだ。弟に対してもそうだ。大切な人のことはいつだって願っていたい。
 烈風刀、と考え、一つの願いが頭をよぎる。常日頃考えていることであり、自力で叶えようと己から動いていることだ。最近では叶いつつあるのだから、神に願うほどのことではない。けれども、これを弟に言ったらどうなるのだろう。好奇心がむくむくと湧き上がる。冬の冷気に冷めつつあった心に、いらずらの灯がともった。ニィ、と無意識に口角が上がる。明らかに怪しいそれは、コートの襟に隠れて気付かれることはない。
「じゃあ、『烈風刀ともっといちゃいちゃできますように』にしよっかなー」
「はぁ?」
 いたずらげな声に素っ頓狂な声が重なる。静かな正月の朝の空間によく響く高さと大きさだった。エメラルドグリーンの瞳はこれでもかと鋭く眇められ、赤い口はぽかんと間の抜けた様子で開いている。冷えて色を失い始めた頬に、ぱっと朱が散った。
「神様にそんな馬鹿馬鹿しいことを願うんじゃありません」
「バカバカしくねーし。じゅーだいだし」
 愛する人と睦まじく過ごしたい。これは愛しい人を持つ人間ならば当然の願いであり、何もおかしな事ではないはずだ。少なくとも、雷刀にとってはこの上なく重大事項である。日々それに努め色々と画策するぐらいには大きな願いだ。馬鹿馬鹿しいだなんて切り捨てるのは酷である。
 ただ、言葉選びが悪い自覚はあった。否、わざとこの表現を選んだ。恋愛事に関しては恥ずかしがり屋で少々奥手な彼は、こんな言い方をすればきっと意識するだろう。今日一日この言葉を忘れられないぐらいには、脳に焼き付いてしまうはずだ。参拝中も、家に帰ってからも、己の言葉は彼の頭にこびりついて離れないだろう。恋人のことばかり考えてしまうだろう。そうなってしまえ、と意地の悪い部分が笑みを浮かべた。
「新年早々何を言っているのですか、本当に」
「お願い事決めてるだけだぜ?」
「……人に言うものではないと言っているでしょう」
 なぁ、とゆっくりとした調子で隣を窺うが、愛し人はふいと顔を背けてしまった。逸れた頭、白のマフラーと浅葱の髪の隙間から覗く耳は、ほんのりと血の色を浮かべていた。寒さ故の赤か、はたまた。考え、ふふ、と呼気のような笑みが漏れた。
 ブーツの硬い靴音がアスファルトの上に響く。晴れ着でその可愛らしい身を着飾っているであろう少女らが待つ神社へは、まだまだかかる。

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#ライレフ #腐向け

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こたつと微睡みと過ぎ去る日々と【嬬武器兄弟】

こたつと微睡みと過ぎ去る日々と【嬬武器兄弟】
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書き納め。嬬武器兄弟が大晦日にこたつでだらだらするだけ。
今年はお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 重い音とどこか間の抜けた声が笑い声に包まれたスタジオに響く。しばらくして、空気を切る音と打撃音、聞き苦しい悲鳴の何とも言い難い三重奏がスピーカーから流れた。
 めまぐるしく人が入れ替わる画面をぼんやりと眺め、烈風刀はコーヒーに口をつける。舌の上をぬるい苦みが染め、少し鈍くなった特有の香ばしさが鼻を抜けていく。手軽なドリップコーヒーとしては十分な味だ。冷えつつある黒を飲み干し、マグを元の位置に置く。深茶の天板の上に、同じ形をした赤と青が並んだ。
 朝早くから始めた大掃除は夕方にようやく終わり、夕食の年越し蕎麦も普段より少し早い夕食で食べた。夜が降り更けた今は、例年通り二人で年末恒例のバラエティ番組を眺めていた。弟にとっては特段心惹かれる内容ではないが、兄が毎年見たいとリモコンを取るのでそれに付き合っている状態だ。興味がさほどないのならば自室に引き上げてしまってもいいのだが、掃除も冬休みの宿題も済ませてしまったのだからやることがない。それに、一年の終わり、大晦日ぐらい家族と過ごしたいものだ。
 斜向かい、隣り合った一辺に座る兄を見る。彼の目の前には、半分ほど食べられたみかんとその皮が山積みになった紙のゴミ箱があった。瑞々しい小さな房を一つつまんだ指は、健康的な赤で彩られた口元に辿り着くことなく机の上で止まっている。黙々とみかんを咀嚼していた口は閉じられ、液晶画面に熱心に注がれていた視線は磨かれた天板に吸い込まれていた。朱い頭はこくりこくりと前後に揺れている。
「こたつで寝ないでくださいよ」
「んー……」
「年越しまで起きていたいのでしょう」
「んー……」
 揺れる頭に言葉を投げかけるが、返ってくるのは唸りに似た音ばかりだ。それも、半分眠っている響きをしていた。先ほどまで液晶画面に映し出される芸人たちを見て声をあげて笑っていたとは思えない様相だ。こたつがもらたす暖かさに負けそうになっているのだろう。この兄はいつもそうだ。
 テーブルの上に並んだマグを見やる。深い赤と薄い青で彩られたそれの中には、底に少しだけ焦げ茶をした水滴が残っている。どちらも空になっていた。カフェインたっぷりのコーヒーを飲んで尚船を漕ぐほど眠くなるのだから、こたつというものは恐ろしい――同じ条件の自分の元には睡魔が訪れていないのだから、気質の問題もあるのだろうけれど。
 自分の分のついでだ、目覚ましに淹れてきてやろう。考え、少年はカーペットに手をつける。身体の半分を包み込む心地良い温度にどうにか抗いつつ、分厚いこたつ布団と毛布の中から抜け出す。机上に並んだマグを手に、碧は立ち上がった。
 冷えたフローリングを足早に進み、キッチンへと向かう。目盛りに合わせて電気ケトルに水を入れ、スイッチを押す。棚からパック詰めされたドリップコーヒーを二人分取りだし、空っぽになったカップにセットした。
 冬の空気が背を撫ぜる。身体を無理矢理冷ますようなそれに、思わず大きく身震いをする。つい先ほどまでこたつの暖かさに包まれていた身体には、キッチンの冷え切った空気は凶器にも近い。どうせ何杯も飲むと分かっていたのだから、一式をリビングに持って行った方が良かっただろうか。いや、さすがにそれは堕落しすぎではないか。寒さで冴えつつある頭で益体もないことを考えている間に、カチン、とスイッチが上がる音がテレビの喧騒が遠くに聞こえる空間に響いた。水が沸く低くくぐもった音が止み、静寂が少年と薄く黒の残る陶器を包む。
 紙製のドリッパーに均等に湯を注ぎ入れる。湯で満たされたそれが水位を減らし、完全に雫が落ちきったところで取り、ゴミ箱に捨てた。寒さをよく表す白い湯気を上げるマグを手に、少年はリビングへと戻る。厚い靴下で保護された足は、普段よりもいくらか動きが速かった。
 リビングの中央、こたつの前。みかんが積まれた籠とゴミ箱、リモコンが載ったそれの傍らで烈風刀は足を止める。目の前に広がる光景に、整った眉が薄く寄せられた。
 溢れそうなほどみかんの皮が詰まった紙のゴミ箱の正面には、朱い塊があった。そこから繋がる肩と丸まった背は、ゆっくりと上下している。授業中よく見る姿だ。つまり、机に突っ伏して眠っている。
 兄のマグを突っ伏した頭の前に置き、穏やかに上下運動を繰り返す肩に手を伸ばす。掴み揺さぶろうとする直前で、少年は手を止めた。セーターに包まれた鍛えられた腕が引き、不満げに一文字を描いていた口元がわずかに解ける。細い溜め息が緩んだ口からこぼれ落ちた。
 日中、それも朝早くから彼はよく働いてくれた。風呂掃除に洗濯物干し、リビングの掃除にエアコンのフィルター掃除、家中の電灯の掃除。加えてくしゃくしゃになったプリントや通販の段ボール箱が溜まりに溜まった自室の掃除。分担したとはいえ、ものぐさで掃除が苦手な彼が朝から頑張って整理整頓をこなしたのだ、疲れているに決まっていた。疲弊した身体に温かな料理で胃が満たされ、とどめにこたつの温もりが身体を包んだのなら、眠ってしまうのも仕方が無いことだろう。動き疲れて眠ってしまうなんて子どもっぽいのだけれど。
 テレビの横に置かれた卓上時計に目をやる。音も無くなめらかに動く針は、日付が変わるまであと一時間と少しだと伝えてきた。やっぱ年越しは起きて過ごしたいじゃん、と彼は毎年浮き足立った様子で主張している。このまま寝過ごしては後がうるさいだろう。日付が変わる二十分ほど前に起こしてやろう。そう考え、烈風刀は定位置に座った。冷えたキッチンとフローリングを歩き冷えた足を、程よい温もりが包み込んだ。
 みかん籠の隣に置かれたリモコンに手を伸ばし、チャンネルを変える。ザッピングしてみるが、やはり大晦日と言うこともあってどのチャンネルも特番ばかりだ。無駄に電気を食うのだから、興味を引くものが無ければ消してしまった方がいいとは分かっている。しかし、音も何もない部屋で一人過ごすというのも何だか寂しいものだ。唯一の話し相手が眠ってしまっているのならば尚更である。テレビの賑やかしい音は、生まれてしまった空白を埋めるのには都合が良かった。
 結局、たまに見るニュース番組にチャンネルを合わせる。番組の雰囲気はがらりと変わっており、例に漏れず年越しをテーマに編成されていた。埃一つ無い画面に、今年のニュースがランキング形式で並べ立てられる。感心や驚きを含んだ出演者やギャラリーの声がスピーカーから流れた。わざとらしいそれが耳を通過していく。
 今年も色々なことがあったな、と鮮やかに映像を映し出す液晶画面をぼんやりと眺めながら考える。自分たちにとって一番のニュースは、バージョンアップによる世界の刷新と、ヴァルキリーモデルという新たな筐体の稼働だろう。年が変わる前から性能向上や新機能の実装、それらの調整に向けて皆で奔走した日々が思い起こされる。一年しか経っていないというのに、もう随分と懐かしく思えた。
 皆で尽力した甲斐あって、評判は上々だ。努力が報われた喜びと安心はあれど、まだ気を緩めるわけにはいかない。ユーザーたちは更なる世界を、機能を求めているのだ。ゲーム運営に関わる者として、それに応える義務がある。ここで満足して立ち止まらず、もっともっと精進せねばならないのだ。口には出さないが、きっと皆同じ思いだろう。来年も頑張らねばな、と小さく頷き、新たに満たされたマグを口に運んだ。程よい温度が喉を潤し、胃から身体を温めた。
 みかんを食べ、テレビを眺め、携帯端末をいじくり、コーヒーを飲み。一人きりの時間はスピーカーから流れる騒がしい音とともに静かに過ぎていく。
 ゴーン、と鈍い音がスピーカー越しの喧騒に紛れて耳に飛び込んでくる。鐘の音だ。もう除夜の鐘が鳴る頃か、と時計へと目をやる。気付けば、新年まであと十五分という時刻になっていた。
 かすかな寝息を立てる兄の背を軽く叩く。雷刀、と眠りの海に身を浸した片割れの名を呼ぶ。深く沈みいっているのか、返事は無い。雷刀、ともう一度強く名をなぞり、今度は肩を揺さぶる。癖のある朱い髪がふわふわと揺れた。しばしして、掴んだ肩がふるりと震える。断続的なそれの後、んー、と濁った音が天板と髪の隙間から漏れ出た。
 朱い頭がゆっくりと上がり、突っ伏し隠れていた顔があらわになる。額にうっすらと赤い跡が残ったかんばせは、まだ眠気で化粧されていた。やっとといった様子で半分だけ上がった瞼から覗く紅玉はけぶり、普段の輝きを失っている。鈍い朱がゆっくりと瞬き、くぁ、と大きく口が開く。大きなあくびと気の抜ける音が真っ赤な口から漏れ出た。
「もうすぐ日付変わりますよ」
「まじ……?」
 拳を軽く握り猫のように目元を擦りながら、雷刀はテレビ画面の右上、現在時刻を示す数字列に目をやる。うわマジだ、と少しだけ輪郭を取り戻した声があがった。どうやら驚愕で少し目は覚めたようだ。
 こたつ布団に潜り込んでいた腕が這い出、机上のマグへと伸びる。赤い陶器が赤々とした唇と触れ合う。傾けて少し、つめて、と少年は顔をしかめた。湯飲みのように握られたぐっと傾き、中身が一気に煽られる。冷たさと苦みでようやく意識が覚醒に至ったのか、瞼はすっかりと開き、覗く瞳は元の透明度を取り戻していた。
 朱い頭が天板に再び乗せられる。今度は正面から突っ伏すのではなく、横向きだ。プラスチック製の板面に押しつけられた頬がむにゅりと柔らかに形を変える。輝きが灯った瞳は隣に座る蒼玉を見上げていた。
「なー、烈風刀」
「何ですか」
 未だほんのりと眠気がにじむ声が己の名をなぞる。みかんの皮をゴミ箱に入れながら短く返すと、ぱちりと開いた朱がそっと細まったのが見えた。笑みにも似たそれは、愛しさを宿した曲線をしていた。
「今年もありがとな」
 歌うような軽やかな調子で兄は言う。言葉を紡ぎ出す口元は緩み、わずかに口角を上げている。確かな笑みを形作っていた。
「何ですか、いきなり」
「いやー、こういう時ぐらいしかこういうこと言えねーし?」
 訝しげな声に、どこか拗ねたような、少し照れくさそうな声が返される。だって世話になったのは事実じゃん、とほんのりと尖った唇が音を紡ぎ出した。天板に潰されていない方の頬がぷくりと膨らんだのが見えた。
 素直な彼らしいとも、自由奔放な彼らしくないともいえる言葉だ。まっすぐな音色は、確かに弟の胸に染みこんだ。ふ、と訝り固くなった口元が緩む。
「こちらこそ。来年もよろしくお願いしますね」
 世話になったのはこちらもである。まだまだ力不足だと考えているようだが、長い年月をかけ研鑽を積んだ彼は十二分にレイシスたちのサポートを務められている。新たなバージョンと筐体の稼働も、彼の力があってこそできたのだ。一人でも欠けていれば、今過ごす日々はきっとなかっただろう。どんなに謙遜しようと、それは変わらぬ事実だ。
 柔らかな声に、おう、と短い声が応える。寝起きとは思えないほど元気の良い、わずかに照れを孕んだ音だ。へへ、とはにかむ音が朱の緩んだ口元からこぼれ落ちる。続いて、碧の音にならない笑みが漏れ出た。
 ワァ、とスピーカーから一際大きな音が響く。不意の大音に、朱と碧が鮮やかな色を放つ液晶画面へと向けられた。右上に小さく表示されていたデジタル時計は消え、広いスタジオの後方に設置された大液晶へと姿を移していた。デジタルの角張った数字は、年が変わるまであと五分を切ったことを全身で示していた。おっ、と弾んだ声があがる。炎瑪瑙が輝き、リモコンを掴む。ボタンが幾度か押され、スピーカーから流れる音が大きくなった。
 液晶画面に釘付けになった朱を横目に、碧は籠へと手を伸ばす。手のひらからこぼれ落ちそうなほど大ぶりなそれを一つ掴み、皮を剥く。現れた実を分け、一房手に取った。
 昨年もこのように彼とともに過ごしたことを思い出す。テレビから流れるカウントダウンの声に己の声を高らかに重ねるその姿を見ながら年を越したのだ。昨年も今年もそうなのだから、きっと来年もそうなのだろう。そんなことを考え、少年は小さくなった実を口にする。噛んだ瞬間口内に溢れ出た果汁は、甘酸っぱかった。

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#嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀

SDVX

雪色サンタさん【プロ氷】

雪色サンタさん【プロ氷】
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サンタな上に赤縁眼鏡はずるくないですか
ありがとうSOUND VOLTEX……ありがとうKONAMI……ありがとう眼鏡……プロ氷眼鏡おそろ最高……(何でも推しカプに繋げるオタク)

 低い呻り声が物が溢れかえる机の上を張っていく。ゴポゴポと沸き立つあぶくが弾ける音が空気を揺らす。それを掻き消すように、ガサガサと騒がしい音がデスクの下部からあがった。
 あれぇ、と識苑は呆けた声を漏らす。ゴソゴソと耳障りな音が続く。また抜けた声を漏らし、青年は頭を掻きつつ机の下から身を起こす。頭には小さな綿埃が乗っていた。
 息抜きにコーヒーでも飲もう、と湯を沸かしたはいいが、肝心のインスタントコーヒーが見つからない。在庫はまだあったと思っていたのだが、備え付けの棚や積み上がった段ボール箱の奥の奥まで漁ってもそれらしきパッケージは影すら見せなかった。まさか買い忘れていたのだろうか。毎日のように飲むのだから大量に買ってストックしていたはずなのだが。乱れた髪をガシガシと掻き、青年は小さな呻り声をあげる。せっかく沸かしたのに、とみみっちい後悔が胸の隅から湧き上がった。
 コンコンコン。雑多に散らかった部屋にノックの音が飛び込んでくる。放課後である今、技術準備室を訪ねてくる者は少ない。技術班の者だろうか。いや、あの用件第一の面々がノックなんて礼儀正しいことはしない。だとしたら生徒か。それにしても、わざわざ放課後に技術教師である自分の元に訪れるなんて随分と珍しい。
「どうぞー」
「…………し、失礼、します」
 普段の調子で返事をする。しばしの沈黙の後、カラリと軽い音をたてて鉄製の引き戸がわずかに開けられた。狭い隙間から今にも消え入りそうな細い声が滑り込む。少し上ずったそれは、耳慣れた愛おしい響きをしていた。
「あ、氷雪ちゃん」
 鼓膜を揺らした音に、技術教師は弾んだ声で愛しい人の名前をなぞる。戸口の隙間から覗く白は、大切な生徒であり愛する恋人である氷雪の色だ。しかし、今日は少しばかり様子がおかしい。最近では恥ずかしがることなく素直に入室する彼女だが、今日は一歩も踏み入れず戸の隙間からこちらを眺めるばかりだ。出会ったばかりの頃を思い出す様子である。どうしたのだろう、と小さく首を傾げた。
 せんせい、と少し掠れた声が呼ぶ。なぁに、と努めて柔らかな声で返す。あの、その、と揺れる声が、技術室と準備室の境目に落ちる。幾許、手が入る程度に開かれていた扉が、軽い音をたてながらゆっくりと大きく開かれていった。
 まず目に飛び込んできたのは赤だ。旬を迎え熟れきったリンゴのように鮮やかな紅色が、夕焼け色の瞳を染め上げる。
 彼女を象徴するような白い着物は、丈の短い真っ赤なワンピースに変わっていた。縦方向に編み目が浮かんでいる生地の端は、白いボアで縁取られている。胸元と少し割れた裾は濃い茶色の丸ボタンで留められていた。ノースリーブのため、日に焼けていないまろい肩があられもなく覗いている。ワンピースと同じ色をした余裕のあるアームカバーが、手折れそうなほど細い腕を二の腕の中ほどから守っていた。
 ワンピースの裾からは黒のフリルスカートがわずかに覗いている。こちらもかなり丈が短く、肌の防護という点では衣服としての機能を果たしていない。代わりに、黒いタイツが細くも柔らかな足を守っている。うっすらと肌の色が透けているのがどこか艶やかだ。履き物も、普段の黒く厚い下駄ではなく、柔らかな白いボアとリボンで彩られた真っ赤なロングブーツに変わっていた。
 鮮烈に赤いリブワンピースの真ん中を、オレンジ色の太い紐が走っている。先は彼女の頭より二回り以上は大きい白い袋に繋がっていた。リボンのショルダーで斜め掛けされたそれは、大きな空色の球、下部を包む赤い生地、薄橙の結晶模様で彩られ、ポップな印象を与えた。
 深夜に降り積もる雪のように白い髪、それに包まれた小ぶりな頭には、柔らかに垂れた三角帽子が被さっていた。真っ赤な生地をボア生地が縁取るのはワンピースと同じだが、左右に猫の耳のような三角飾りが付いているのが特徴的だ。長い三つ編みを結い飾るのは、オレンジの編み紐でなく白くふわふわとしたヘアゴムだ。普段は顔を隠すように長い前髪は、片側を青い雪結晶で飾られたヘアピンで分けられていた。
 長い髪で少しばかり隠れた頬は、赤く色付いていた。清水のように透き通る雪色の肌を紅が染める様は、可愛らしいものだ。白と黒のボア生地で縁取られたアームカバーに包まれた手が、胸元に走る幅の太いショルダーをぎゅっと握る。
「めっ……メリー……クリスマス、です……」
 絞り出すように放たれた声は、少しひっくり返っていた。揺れる音は口から漏れ出てすぐに溶けて消えていく。ぁ、ぅ、と細い声がピンク色の潤った唇からこぼれ落ちる。水底色の瞳は地へと吸い込まれ、ゼリーのようにふるふると震えていた。
 普段の彼女からは想像も付かない衣装で現れた恋人に、識苑は大きく目を見開いた。目の前の現実を受け止めきれぬ身体はしきりに目を瞬かせ、口は呆けたようにぽかんと開いていた。なんとも間の抜けた表情である。
「あ、えっ…………え……?」
 こんなに可愛らしくめかしこんだ愛し子が目の前にいるのだ、もっと言うべき言葉があるとは分かっている。けれども、処理落ちを起こした脳味噌がアウトプットしたのは呆然とした間抜けな音だけである。あ、え、と意味を成さない単音ばかりが開きっぱなしの口からどんどんと落ちていく。無駄な響きが散らかった部屋の床に積み重なっていった。
「あの、えっと……、さっ、サンタさん、です」
 そう言って、氷雪は被った三角帽の端をきゅっと握った。ふわふわとした三角耳と、てっぺんについた丸いぽんぽん飾りが揺れた。
 真っ赤な衣服。真っ赤な三角帽。それに、大きな袋。確かにサンタらしい衣装だ。しかし、彼女が何故そんな格好をしているのか。何故普段の美しい着物ではなくこんなに可愛らしい衣装を身に纏っているのか。今の脳味噌には、湧いて出てくる疑問を処理する能力など無かった。
「ぁ、の……、やはり、変、でしょうか……?」
「えっ、あっ、いや! 似合ってる! めちゃくちゃ似合ってる! すっごく可愛い!」
 萎んでいく声を、高揚し上擦った声が掻き消す。しょんぼりと表情を曇らせる少女を前に、青年はぶんぶんと千切れんばかりの勢いで首を横に振った。可愛い。綺麗。大人っぽい。似合ってる。月並みな台詞が口を突いて出る。ようやく元の処理能力を取り戻しつつある脳味噌は、今度は熱暴走を始めた。
 これでもかと降ってくる賞賛の言葉に、翡翠のまなこが大きく瞠られる。小さく開いた口から、ひゅ、と息が漏れる音。薄紅が刷かれていたかんばせは、あっという間に赤く染め上げられていった。白く細い喉が上下する。オレンジの太いショルダーを握る手に力が込められた。
「本当にすっごく、もうほんと、めっちゃくちゃ可愛いよ! 氷雪ちゃんが選んだの?」
 褒め言葉だけが湧き出漏れ出る口から、ようやく会話らしい言葉が落ちる。普段はシンプルな白と黒で柔らかな身を彩る彼女が、こんな目が醒めるような赤を選ぶのは珍しい。肩だけとはいえ、肌を晒すのも奥ゆかしい彼女らしからぬ選択だ。誰かのアドバイスがあったのか、はたまたジャケット撮影か。クリスマスも近い今の時期を考えると、後者だろうか。最近はジャケット撮影に関わっていないため、その辺りの情報には疎い。
「班田さんが選んでくださったんです」
 そう言って、少女は胸元に両手を当てる。大きく開かれた目がふわりと柔らかに細まり、桜色の唇が軽く綻ぶ。小さく笑声を漏らしはにかむ様は愛くるしい。
 彼女の口から出てきた『班田』の名に、識苑は瞬きを一つ落とす。班田はたしか高等部の生徒だ。人と関わることをあまり得意としない彼女と付き合いがあるのは、同学年の少女二人や同郷の留学生ぐらいである。そんな少女が、新たなる友好関係を築いている。喜ばしいことだ。
「ネメシスクルーにもなるんです。少し、恥ずかしいですけれど……」
 胸元に添えられた手がきゅと握り締められる。固く包まれた白い指先には、緊張が灯っていた。しかし、普段なら凍りついたように強張り色を失う表情は、今回はほんの少し解けたものだ。ネメシスクルーになるのも三度目だ、多少の慣れもあるだろう。それ以上に、新たな衣装が嬉しいのだろう。彼女も年頃の女の子なのだ。
 あっ、と雪色は声をあげる。可憐なたなごころが解かれ、ワンピースのポケットに入っていく。しばしの間、細い指が取り出したのは楕円形のケースだった。半透明のワインレッドが開かれ、中から何かを取りだされる。ケースを再びポケットにしまうと、少女はたおやかな指でつまんだ小ぶりなものをカチャカチャと広げた。顔が軽く伏せられ、おそるおそるといった調子で上がる。未だ紅がうっすらと浮かぶかんばせに、ぱっと鮮やかな赤が咲いた。
 氷雪が取り出し着けたのは、シンプルな眼鏡だった。プラスチックのリムは衣装と同じく赤で、アンダーのみで丸みのあるレンズを支えていた。細身なデザインは柔らかな雰囲気をまとう彼女によく似合っている。
「眼鏡も選んでいただいんです」
 両の手をテンプルに添え、少女は弾んだ声を奏でる。言葉を紡ぎ出す桜色の唇は、ゆるやかに綻んでいた。新しいアクセサリーが嬉しいのか、はたまた人に見繕ってもらったのが嬉しいのか。どちらもだろうな、と考え、識苑は頬を緩めた。
「え、っと……、あの、……め、眼鏡、おそろい、ですね」
 咲き誇る椿のように色づいた頬がふにゃりと柔らかく緩む。苔瑪瑙が幸せそうに細められ、白い睫に縁取られた目がふわと弧を描く。えへ、と細く開いた口が可愛らしい笑い声を漏らした。
 幸いに彩られ綻びきったその笑みに、心の臓が跳ねるように大きく拍動する。ポンプの役割を果たす臓器がどんどんと動きを速めていく。同時に、ぎゅっと紐で引き絞られるような感覚もした。
「そ、うだね。うん。おそろいだ」
 バクバクとうるさく音をたてる心臓をどうにか無視して、何とか返事をする。言葉を紡ぐ口はぎこちなくつかえる様子に反してだらしなく緩み、奏でる音色はとろけきった甘い響きをしていた。
 ただでさえ新たな衣装を見せてくれた恋人が愛しくて仕方が無いのに、そこに『おそろい』なんてことを言われては、可愛くて可愛くて仕方が無いではないか。湧き出る幸が胸を、心を、頭を、身体を満たしていく。溢れ出たそれが、表情筋を緩めていく。へにゃへにゃと口元が、頬が、目元が緩むのが自分でも分かる。きっと、なんとも情けない顔になっているだろう。本当ならばこんな顔を彼女に見せるべきではないが、幸せが際限無く湧き出る今ばかりは緩んでいく筋肉をコントロールすることなど不可能だった。
「今年は氷雪ちゃんがサンタなんだ。すごいね」
 ネメシスの住人たちのデータから作られたネメシスクルーは、皆の普段の姿だけではなく季節に合わせた衣装やジャケット衣装の姿のものも生み出されている。クリスマスならば、トナカイモチーフの衣装に身を包んだニアとノア、そのものずばりサンタの格好をしたグレイスなど、前例はある。今年はその役目が氷雪に回ってきたようだ。
「そうなんです。ちゃんと、頑張ってプレゼント配りますよ」
 雪の少女は胸の前で両の手をぎゅっと握り締める。とろけへにゃりと下がっていた眉の端は少しばかり持ち上がり、萌葱の瞳には真摯で真剣な光が宿っていた。かすかに滲む恐れを払うように、白はこくりと小さく頷く。頑張ります、と、健康的につやめく唇が宣言するように今一度言葉を形作った。
 気合いを入れた様子に、識苑はふっと目を細める。頑張り屋で真面目な彼女らしい姿だ。同時に、数年前の彼女からは全く想像できない姿であった。己の体質にコンプレックスを持っているのも相まって、人と関わりをもつことが少なかったこの幼き優しい雪女は、引っ込み思案で酷く控えめな性格をしている。誰よりもぬくもりを求めているのに、人と触れ合うことを自ら避けてしまうほどだ。そんな彼女が、友人たちに背を押されたとはいえ『サンタクロース』の役目を引き受け、全うしようとしている。随分と社交的に、積極的になったものだ。成長したなぁ、とまるで親のように感慨深くなってしまう。
「あっ、あ、の……」
 少しだけ高く細い声。可愛らしい唇が何か言いたげにもごもごと動く。えっと、と何度か繰り返して、少女は再び目の前に立つ恋人を見上げた。先ほどまでぱちりと開いた目は不安げに揺れ、溢れるやる気を象徴するように上がっていた眉は軽く下がっていた。ふわ、と頬に血潮の色が浮かぶ。
「先生は、サンタさんへのお願い決まりましたか……?」
 ことりと首を傾げ問う愛し子に、青年はぱちりと瞬きをした。お願い、と口の中で呟く。つられるように桃色の頭が傾ぐ。乱暴にまとめられたポニーテールがゆらりと揺れた。数瞬、あぁ、と合点のいった声があがった。
「先生、もうサンタって歳じゃないからなぁ」
 クリスマスまであとわずかだ。サンタを信じている子どもたちはもうプレゼントのリクエストやお願い事をしている頃だろう。しかし、自分はもう立派な大人である。『サンタにお願いをする』という考えすら今の今まで湧いてこなかった程度には、サンタからはもう随分と前に卒業してしまった。
 もうサンタになる側だもん、と冗談めかして言う。そうか、もうそんな歳なのか。絶対的な時の流れが胸を深々と刺す。今まで考えたことはあったものの、いざ言葉にするとダメージが襲いかかってくるものだ。想定外の自傷行為に、胸が鈍い痛みを覚える。思わず苦い笑いが少し口角の下がった口からこぼれ出た。
 乾いた笑いを漏らす恋人を前に、氷雪はきゅっと唇を引き結ぶ。赤で彩られた胸の前で握った手を、もう片手が包み込む。祈りの姿にも似ていた。
 はくりと愛らしい小さな口が開く。酸素を求めるように、はくはくと幾度も唇が開閉する。こっ、とわずかに裏返った声が細く白い喉から発せられた。
「今年は、わたしがサンタさん、ですから……、えっと、あの…………」
 しどろもどろに声を漏らしながら、少女は肩から下げた大きな袋に手を突っ込んだ。先が軽く膨らんだアームカバーに包まれた両腕がわたわたと動き、袋の中身を掻き回す。幾許かして、解かれ開いた白い袋から腕が引き抜かれた。
 紅葉手に包まれていたのは、小箱だった。両の手で包み込める程度の大きさのそれは、早朝の澄んだ空を思わせるような水色の包装紙と幅の太いつややかな白いリボンでラッピングされていた。よく見ると、包装紙には薄く雪の結晶を模したマークが散っている。冬らしくも可愛らしいデザインだ。
「く、クリスマスにはまだまだ早いですけれど……」
 サンタさんからの、プレゼントです。
 呟くように言って、氷雪はたなごころに包んだ小箱を差し出した。顔を伏せているため、表情は見えない。しかし、長い髪の隙間から見える耳は牡丹のように赤く色付いていた。よく見れば、箱を持った手は微かに震えている。雪のように澄み渡る白の指は、色を失っていた。
 夕陽の瞳がぱちぱちと瞬く。きょとりと丸くなったそれが、ふっと細められた。不健康な白い瞼の隙間から覗く山吹には、愛慕と歓喜、確かな幸福が浮かんでいた。
 頑張り屋の彼女はサンタクロースの役目を果たそうと頑張っているのだ。人との関わりという己の苦手を克服し努力する姿に、愛おしさが溢れ出る。そんなところに己は惹かれたのだ。
 優しい彼女のことだから、きっと己だけでなく学園中の皆にプレゼントを渡しているだろう。それでも、愛する人からプレゼントを贈られるということは、心が沸き立つほど嬉しかった。幸福感が胸を、脳を満たしていく。また口元がへにゃりとだらしなく緩むのが自分でも分かった。
「ありがと」
 礼を言う声は、幸いに満ち満ちたとろけていた。小さな両の手を包み込むように箱を受け取る。重なった手は、その色が表すとおり冷たかった。触れたそれが怯えたようにばっと去っていく。血の気を失った手が、胸の真ん中を分かつように掛けられたショルダーを握った。
「あ、の、えっと……、でっ、では、わたし、着替えてきます。撮影も終わりましたので」
 失礼します、と大きく一礼。耳の付いたサンタ帽を揺らし、少女はくるりと踵を返し扉へと駆けていく。幼い手が慌てた様子で戸を開ける。くるりと振り返って小さく一礼し、少女は戸を閉め技術準備室を出て行った。
 パタパタとくぐもって聞こえる足音を耳にしながら、識苑は今日何度目かの瞬きをした。彼女らしからぬ、随分と忙しない動きだった。いつものように手を振り別れの挨拶を言う暇すらなかったのだから尚更である。もう放課後になって随分と経つ。早く着替えて帰りたかったのだろうか。ならば余計な会話で引き留めてしまったのは申し訳なかったな、と小さな後悔が胸をよぎった。
 両の手で持った小箱に視線を移す。片手で持ち直し、可愛らしい飾り結びにされたリボンを解き、美しい包装紙を破らないようにそっと開いていく。カサカサと紙が擦れる音が狭苦しい部屋に落ちた。
 リボンと紙の下から現れたのは、四角い白い缶だった。正方形に近いそれには、『ハーブティー』とデザインチックな英字の筆記体で書かれている。金色で縁取られた蓋の上には、小さな紙が薄青のマスキングテープで貼り付けられていた。
 たまにはコーヒー以外も飲んでくださいね。氷雪。
 シンプルな飾り枠が彩るメッセージカードには、丸っこい可愛らしい文字でそう書かれていた。署名もある通り、間違いなく氷雪の文字だ。思い遣りのこもった、それでいて諫めるような文面に、思わず苦笑が漏れる。コーヒーばかり飲んでいると胃が荒れますよ、と彼女は時折言う。それでも懲りずに飲んでいた結果が今回のプレゼントなのだろう。己のことを考え抜いたプレゼントへの嬉しさと、心配をかけてしまった申し訳なさが胸の内で混ざり合う。困ったように頭を掻いた。
 金インクで模様が描かれた蓋をそっと外す。瞬間、ハーブの特徴的な爽やかな匂いがふわと舞った。中には個包装されたティーバッグが整然と並んでいた。積み上げられた山々を崩さないように机の上にスペースを作る。そこに手にした缶箱を置き、中身を一つ抜き取る。淡いオレンジ色のパッケージには、『カモミール』と流麗な英書体で書かれていた。
 ちらりと机の脇に目をやる。電気ケトルの中身はまだぬるいはずだ、すぐに沸くだろう。インスタントコーヒーのために沸かしていたものだから、量も十分だろう。ティーバッグの紅茶一杯入れる程度に問題ないくらいの。
 緩く笑み、青年はケトルのスイッチを入れる。小さなボタンを押す指先は、どこか浮かれていた。

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血肉と果実【奈+恋】

血肉と果実【奈+恋】
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今更も今更に10月のエンドシーンネタななこの。
好き合ってないし付き合ってないけど同生産ラインで百合とか薔薇生産しているので注意。
奈恋奈は一生親友以上恋人未満みたいな関係性でいてほしい。

 あーん、と可愛らしい声とともに、白い指が眼前に迫る。ふとした拍子に折れてしまうのではないかと不安になるほど細い指先には、小さな赤があった。不格好な多角形のそれは、毒々しいほど鮮やかだ。透き通り、光を受けてどこかきらめく様はガラスの欠片を思わせた。
 差し出されたそれに、恋刃は小さく眉をひそめる。健康的な色をした唇が引き結ばれ、口角が悩ましげに下がる。きらめく粒と同じほど赤い瞳は、いつだって真っ直ぐに相手を見据える彼女らしくもなくうろうろと宙を彷徨っていた。逡巡、少女は震える口を小さく開き、指の持ち主に向けてわずかに身を乗り出す。あーん、と再び愛らしい声。あーん、とかすかに震え掠れた復唱。白を飾る透る赤は、血肉の色をした舌の上に乗せられ口内へと消えた。華奢な顎が動き、少女は迎え入れたそれを咀嚼する。瞬間、紅玉の瞳が険しげに細められた。
「すっぱぃ……」
「そんなに?」
 口いっぱいに広がる酸味に、赤い少女はうぅ、と苦々しい声を漏らす。小指の爪ほどの小さな実だというのに、舌の上はそれが中に秘めた酸味で一気に塗り潰されてしまった。リンゴやイチゴのように真っ赤に熟れた外見からは全く想像できない味だ。旬を迎えていることもこの味の強さの一因だろうか。だとしてもすっぱいったらない。
 小さくうなりながら顔をしかめる恋刃を、奈奈は不思議そうな顔で眺める。赤い粒――ザクロを食べさせた、つまりは己がこんな顔をしている原因は彼女だというのに、七色の瞳はどこか楽しげに輝いていた。すっぱさに悶える己の顔はそんなにも物珍しいのだろうか。それとも、ただ『あーん』ができて嬉しいのだろうか。後者だといいのだけれど、と少女は机上のペットボトルに手を伸ばした。しかめっ面で口をつけ、大きく傾け中身を煽る。甘いストレートティーだというのに、レモンティーのような風味が口の中に広がった。
 少女らの――正確には奈奈の目の前にはザクロの実が転がっていた。手のひらサイズのそれは熟し、中から目に痛いほど鮮やかな赤が覗いている。絵の具をそのまま塗りたくったようなそれは、どこか不気味な印象すら与える。反して、丁寧に磨かれた宝石のような美しさも持ち合わせていた。
 弾けるようにこぼれたその一粒を取り上げ、虹色の少女は指先で小さな赤を転がす。色彩感覚が狂いそうなほど強い色をした粒を見つめる瞳には、好奇心と愛おしさがにじんでいた。
「ねぇ、恋刃」
「なに?」
 紅茶の甘みと渋みで口内を洗い流そうとする赤に、虹はそっと目を細める。カラフルな瞳には、どこかいたずらげな光が灯っていた。
「ザクロって、人のお肉の味がするんですって」
 七色に彩られた少女の言葉に、紅茶を飲む恋刃の動きが止まる。ぐ、と口に含んだ液体を噴き出しそうになるのを必死に堪える。どうにか飲み下し、紅緋に染まる少女は目の前に座る親友をじとりと見た。
「何で私に食べさせた後にそんな話をするの……?」
 ザクロは人肉の味。確かに聞いたことのある話だ。しかし、人に食べさせておいて『人のお肉の味』などと告げるのは、さすがに愛しい愛しい親友とはいえいたずらがすぎる。先ほどから幾度も手ずから食べさせているのだから尚更だ――可愛らしい『あーん』の声に逆らえず全部食べた自分も悪いのだけれど。
 昔聞いた覚えがあったから、と少女はこともなげに言う。本当にただ与太として話したようだ。親友はどこかずれたところがある。それが出たのだろう。しかしタイミングと内容が最悪である。
「そもそも、何でこんなに私に食べさせるの? 奈奈が食べたらいいじゃない」
 むぅと頬を膨らませ、恋刃はふてくされたように投げかける。味が気になるならば、人に食べさせて感想を聞くよりも、自分で実際に食べてみる方がいいに決まっている。だのにこの親友は先ほどから己に食べさせるばかりで自分で食べようとはしない。不思議ったらない。
「だって、恋刃みたいだから」
 透き通ってて、真っ赤で、つやつやで。恋刃の目みたい。
 澄んだ瞳とどこか儚げな微笑みを浮かべた少女は、歌うように言葉を紡ぐ。純粋な、裏も何もない声と表情だ。そんな顔でまっすぐに言われては、胸の内に溜め込んだ言葉なぞ失ってしまう。ふわ、と頬が熱を持つ感覚。けれども、その温度も『人のお肉の味』というフレーズにすぐ引っ込んでしまった。
「お味はどう?」
「すっぱいだけよ」
「人のお肉はすっぱいってことなのかしら」
「奈奈?」
 不穏な言葉をぽろぽろとこぼす友に、少女はひきつる口元をあらわに小首を傾げる。どこか天然なところがある彼女だ、悪気などないのだろう。けれども、こんな話題をいつまでも続けるのはごめんだ。お肉から離れましょ、と乞いにも似た声で言うと、そうね、とふわりとした笑みが返される。天然なところがあるだけで、奈奈は心優しい子だ。悪気など一切無いのだろう。けれども、どこか遊ばれているような感覚がするのは何故なのか。名に恋を冠する少女は密かに頬を膨らませた。
「あ。ねぇ、恋刃」
「なに」
 名を呼ぶ奈奈に、恋刃は短く返す。拗ねたような音になってしまったのを誤魔化すように、紅茶を一口。酸味が残っていた口内は、やっと元のフラットな様相を取り戻した。
「ザクロって血の味とも言われてるんですって」
 つややかな瞳がふわりと虹を描く。七色の瞳に宿る光は、どこか妖艶に見えた。
 純粋な少女に不釣り合いな輝きと爆弾のような言葉に、赤色の少女はぱちぱちと瞬きを繰り返す。『血』の一音節に、心臓がドクリと跳ねた。
 ねぇ、と友は口を開く。グロスを塗ったようにつやめく唇の隙間から覗く舌は、ザクロのように――血のように赤かった。
「血の味、した?」
「……しないわよ。ただすっぱいだけ」
 好奇心といたずらの色をにじませた言葉に、少女はぶっきらぼうに返す。血はもっと鉄臭くて、生臭くて、ほの甘い。血のような色をしたこの果実とは似ても似つかない味だ。先ほどまでの己の反応からそんなこと分かっているだろうに、わざわざ問うてくるのは天然故か、それとも故意のものか。愛らしいこの親友は時々訳の分からないことを言う。そこがまた可愛らしいと思ってしまう己も大概なのだけれど。
 ふぅん、と興味深そうな音を漏らし、奈奈は再びザクロの粒を一つ摘み取る。白い指先に赤が灯る。
「こんなに血みたいな――恋刃みたいな色なのにね」
 摘んだ粒を指先で転がしながら、虹色は愛おしげにその赤を見つめる。少し持ち上げ光に透かし、きらめくそれを眺める姿は、大切な宝物を愛でるようなものに見えた。
 指先が口元に運ばれ、少女は血色の粒を可憐な口に入れた。もぐ、と小さな顎が動く。瞬間、七色の目が驚愕に大きく開いた。まあるい可愛らしい目はすぐさまつむられ、ピンク色の唇がきゅっと寄せられた。
「……本当にすっぱいのね」
「散々言ったじゃない」
 ほら、と顔をしかめる親友に、恋刃はペットボトルを差し出す。ありがとう、と弱々しい声とともに、虹の少女は深い琥珀をこくこくと飲む。赤いラベルで彩られたそれから口を離した少女は、今一度すっぱい、とこぼした。瞳からあの輝きは失せ、眉を八の字に下げたどこかしょんぼりとした表情をしていた。さんざっぱら味を聞いていたとはいえ、あのすっぱさをいきなり体験してはこんな顔になってしまうのも無理はない。けれども、そこにはどこか幼い子どものような可愛らしさがあった。ふ、と笑みがこぼれ落ちる。
「ケーキでも食べて口直ししましょ?」
 赤はそう言って席を立つ。目の前の割れたザクロとペットボトルを級友にもらったビニール袋に詰め込み、うー、と小さく声を漏らす虹に手を差し伸べた。口内を支配しているであろう酸味に目を眇める少女は、ぱちりと大きく瞬きをする。透き通る可憐な手が、大きく広げられた華奢な手を取った。
「Cafe VOLTE、秋の新作ケーキが出てるはずよ。食べに行きましょ」
「……ザクロのケーキ、あるかしら?」
「そろそろザクロから離れましょ?」
 あれだけの酸味を味わっておいてまだザクロに固執するのだから、この親友は分からない。そんなところも可愛いのだけれど、と思ってしまう自分も大概だ。
 ほら、と恋刃は愛しい親友の手を引く。幼き頃からの親友に手を引かれ、奈奈はその細い足を動かした。黒いスカートと白いワンピースがふわりと舞う。
 何食べようかしら。やっぱりモンブランじゃない。カボチャもいいかも。弾んだ声を交わしながら、少女たちはケーキに思いを馳せる。ビニール袋の中で、ザクロがまた一つ粒をこぼした。

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#虹霓・シエル・奈奈 #恋刃

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