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twitter掌編まとめ6【SDVX/スプラトゥーン】

twitter掌編まとめ6【SDVX/スプラトゥーン】
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twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
スプラの話はうちのイカちゃんとうちの新3号ちゃんの独自設定ありなのでご理解。
成分表示:雷刀+かなで/福龍+椿/神十字/プロ氷/嬬武器雷刀/雪翔+ユーシャ/店員さん+インクリング/インクリング+コジャケ/インクリング

看板娘はとっても強くて/雷刀+かなで
 どんぶりと言うにはいささか大きい器を両の手で持つ。縁に口をつけ、掲げるように持ったそれを傾けた。色の濃いスープがどんどんと姿を消していく。ぷは、と息を吐く音とともに、テーブルに容器が置かれた。ゴトン、と大きな音をたてたそれの中身はもう空っぽだ。
 手を合わせ、ごちそーさま、と一言。伝票を持ち、雷刀は席を立つ。財布を学生鞄の底から取り出し、レジへと向かった。
 放課後には少し遅い時間、部活動帰りには少し早い時間だからか、常は学生で溢れている店内はいつもより空いていた。いるのは大人とごりらがいくらかぐらいだ。おかげか、ベルを鳴らさずとも店員が飛んできた。
「お粗末様でした! おにーちゃん!」
「ごちそーさま」
 レジカウンターのトレーに伝票を置く。小さな手がさっと取り、かなでは慣れた手付きでレジスターを叩いた。客側に向けられた電子パネルにラーメン大盛り一杯分の値段が表示される。レシートだらけの財布を漁り、ぴったりの額をトレーに置いた。流れるようにコイントレーを取り、少女は自動精算機に中身を放り込む。きちんと代金が払われたことを確認した機械がレシートを吐き出す。レシートいる、の問いにちょーだい、と返した。
「また来てね! おにーちゃん!」
 レシートを手渡しにこやかに手を振る看板娘に、少年はおう、と手を振る。胃が満たされた心地良さと空調の涼しい風を感じながら出口へと足を向けようとしたところで、ふとした疑問が頭をよぎった。
「なぁ」
「なにー? もう一杯食べてく?」
「いや、さすがに入んねぇって」
 エプロンのポケットに入れた注文表をすっと手に取り、かなではこちらを見る。手慣れた姿と商売っ気満々の姿に雷刀は苦く笑った。超超超特盛りで有名なここのラーメンをもう一杯食べるほど胃に空き容量は無い。
「クーラーってもう直ってるよな? 何でまだ水着なんだ?」
 ラーメンを茹でる熱湯、スープ作成のための湯、トッピングの野菜を炒める高火力コンロ、そして大勢の客。ボルテ軒は熱気で溢れている。空調をこれでもかと効かせてもやっと人が活動するのにちょうどいい温度になるほどだ。
 そんなある日、クーラーが壊れた。もちろん、店内は凄まじい熱に包まれた。夏なのに店を出たら外の方が涼しくて驚いた、と常連のごりらはどこか遠くを見て語っていた。
 そんな猛暑で皆息絶え絶えになる最中、店員であり看板娘であるかなでは水着にホットパンツという夏真っ盛りな出で立ちで常通りに動き回ったのだ。ハキハキと注文を取り、テキパキとラーメンを出し、元気な笑顔を絶やさず会計を済ませた客を送り出し。機敏に動く姿は素晴らしかった、と常連のごりらは味玉をかじりながら語っていた。
 そんな一大事はあったのはもう昔だ。現在、店内のクーラーはもう直り正常に稼働していた。汗を流し熱々のラーメンを頬張る客に心地良い温度を提供する役目を果たしている。
 ならば、水着にホットパンツ、ついでにエプロンという対熱対策万全な姿はもう元に戻してもいいはずだ。クーラーが効いている今では寒さを覚えてもおかしくない格好ではないか。
 雷刀の問いに、かなではあぁ、と声を漏らす。エプロンの裾を掴み、カーテシーのように少し持ち上げた。
「皆がこの格好喜んでくれるからもうこれでいいかなーって。それに、動いてたら結構暑くなるんだよ? 水着の方が涼しいし動きやすくていいの!」
 答え、少女は掴んだエプロンをパタパタと動かす。身体に風を送るような動きだ。
 確かに、店内を常に走り回る店員には機動性が求められるだろう。そして、いつだって厨房の熱に晒されているのだ。空調の効いた店内にいる自分たちには感じ得ない熱をいつだって抱えていてもおかしくない。
 なるほどなー、と朱は感心した声を漏らす。でしょー、と彼女はエプロンの裾をさばいた。
 それに、と少し潜めた声。いつもの可愛らしい響きのはずなのに、どこか小悪魔めいた音色に聞こえた。
「インパクトある格好のままの方がキャッチーでリピート増えるし、話題になって新しいお客さん獲得しやすいからね」
 秘密だよ、おにーちゃん。看板娘は唇に指を当てにこりと笑う。子どものように純真無垢で元気いっぱいな笑顔のはずなのに、どこか恐ろしさを感じさせた。
 ね、と首を傾げて尋ねるかなでに、雷刀はこくこくと頷く。油たっぷりのラーメンで潤った唇は真一文字に引き結ばれていた。
「じゃ、またのご来店お待ちしてまーす!」
 ひらひらと手を振る少女にぎこちなく手を振り返し、少年は足早に店を出る。引き戸と暖簾をくぐると、むわりとした熱気が身体を包んだ。もう夜が近いというのに、夏の空気は昼と同じ様相をしていた。
「…………なんだっけ。つよか、だっけ」
 先の少女の姿を、言葉を思い返しながら朱はこぼす。背中から戸が開く音と、看板娘の元気な声が聞こえた。




看板娘はとっても意識しちゃって/福龍+椿
 琥珀の目がこちらを見つめる。否、睨む。否、刺し貫くと言った方が相応しいほどの凄まじい鋭さを持っていた。
「福龍」
 妹は兄の名を呼ぶ。その響きも随分と刺々しい。いつもは快活で明朗な声は固いものだ。
「……なんだ」
「にんにく臭いアル」
 すっごい臭いアル、と相変わらず棘しかない声で椿は言う。それが何を意味するかなど、分かりきっている。分かりきっているからこそ面倒臭いのだ。
「何でボルテ軒行ったアルカ!」
 声が爆発する。真正面、それも近距離から音量と高さにキィンと耳が痛みを覚えた。思わず顔をしかめると、目の前の顔が更に不機嫌そうに歪む。心底気に食わなくてたまらないと言いたげな表情だ。
「たまにはいいだろう。おれだって付き合いがあるんだ」
 はぁ、と福龍は顔を逸らし溜め息を吐く。刺すような目から逃げるためではない。正面、つまり妹の方を向いたままでは彼女ににんにくの匂いを多分に含んだ息を吹きかけてしまうからだ。さすがに可哀想だ。それに、そんなことをすれば更に怒りを買うのは分かっているのだから。
 そんな兄の気遣いなど分からぬ妹は、何目ぇ逸らしてるアルカ、と怒りをめいっぱい載せた声をぶつける。どう足掻いたってもう彼女の憤怒を落ち着けられそうにない。
 たまにはボルテ軒行かね、と放課後クラスメイトに誘われた。常ならば店の手伝いと修行をするべきだが、最近は客足も落ち着いており手伝いをする必要性が薄くなっていた。修行も今日はちょうど休みの日である。有り体に言えば暇だった。
 そうして久方ぶりに寄り道して帰り、自室に向かおうと足音を消してそろりと階段を上ろうとしたところで下りてきた妹と鉢合ったのだ。もちろん、瞬時に気付かれた。ボルテ軒のラーメンは人によっては腹を壊すほどにんにくが入っているのだ。
 そうして詰められる今に至る。
「何でよりによってボルテ軒ネ! ライバルアルヨ!」
「ライバル視してるのはお前だけだろう」
 椿は日頃何故かボルテ軒と競い合っている。あちらが季節ものの新商品を出せば、こちらも対抗して出してくる。そのためだけにバイトを雇うほどである。妹に甘くすぐに提案を採用する師範である父にも問題はあるのだけれど。
「あっちもこっちのこと意識してるアル。ちゃんとライバルネ!」
 思わずそうだろうか、とこぼしそうになるのを必死に堪える。胸を張ってまで言う彼女を否定するような語を吐けば、またキャンキャンとした叱責が飛んでくるだろう。面倒事は避けるに限る。
「お前だってCafe VOLTEに行くじゃないか。あっちの方がよっぽど競合するだろ」
「うちのお客はお茶するよりご飯食べに来るのがメインネ。奪い合いになるならご飯になるボルテ軒の方アル」
 椿の弁は正しい。事実、店が一番混むのは夜に近い夕方の頃だ。内容も、甘い物より塩辛いものの方がよく出る。けれども、夕方、ちょうど放課後の時間帯や休日の午後は甘い物を求める女子学生で混むのだ。同じく女子学生から絶大な支持を受けるCafe VOLTEも十分にライバルと言っていい。
「……分かった。行かない」
 いいのだが、それを指摘するのも面倒だ。口論になれば、基本的に感情的ながらも時折正しいことを喚き立てる妹の方が強いのだ。折れてしまう方が早い。早く汗を掻いた服を着替えて口臭を消すために歯を磨きたいのだ。
「絶対アルヨ」
「……さすがに付き合いぐらいは行かせてくれ。おれだってたまには友達と飯を食いに行きたい」
 えー、と椿は心底嫌そうな顔をする。学園周りは栄え、飲食店は多々ある。その中でも何故ボルテ軒を選ぶのか、と言いたげな表情だった。
 仕方無いだろ、選ぶのは友達なんだ、と返す。八割事実で、二割嘘だ。確かに毎回店を決めるのは友人だが、決まってボルテ軒に行くのだ。妹の怒りを買うことを知っていても別の店を提案をしないのは、己がラーメンを求めているからである。弁当を食べて随分と経った放課後、腹の減った男子学生にはボルテ軒のラーメンがちょうどいいのだ。
「…………まぁ、たまにならいいアル」
 何でお前に許可取らなきゃいけないんだ、と嘆きそうになるのを必死に押し込める。落ち着いてきた今、そんなことを言ってろくなことにならないのは目に見えているのだ。押し黙るのが正解だ。
「早く歯磨いて着替えてくるネ。すっごいにんにく臭いアル」
 口元と鼻を手で押さえた少女は言う。うんざりとした顔だった。うんざりしているのはこっちの方だというのに、何とも理不尽だ。分かったよ、と返し、階段を引き返した。
 洗面所に入り、歯磨き粉をこれでもかと付けて歯を磨く。念を入れ、マウスウォッシュを何度も含んでは吐きを繰り返す。これでとりあえずの対処はできただろう。またにんにく臭い、と顔を歪められることはないはずだ。
 席どころか店を満たすほどのにんにくの香り。油が表面を覆うほどのスープ。これでもかと載せられたシャキシャキの野菜。うどんと見紛うほど太い麺。それを一気に掻き込み、全て食べ終え胃がこれでもかと膨れた幸福感。
 美味かったな。
 改めて考え、少年は洗面所を後にした。




繋ぎ合わさる熱/神十字
 青が赤に変わりつつある世界の中を二人で歩く。穏やかな会話の中、紙袋が時折かすかな声をあげた。
 下ろされた手に何かが触れる。啄むように手の甲に指先が触れる。横を見ると、ニコリと笑った紅の姿があった。表情が意味することに、思わず顔をしかめた。
「もういいだろ?」
 渋い顔をする蒼の様子など気にも掛けず、神は問う。問いの形ではあるが、己にとっては命令だった。信仰する存在からの願いなど、叶える以外に選択肢が無い。たとえそれがあまり気の進まないことだったとしても。
「…………いいですよ」
 街はもう遠い。村の少し外れにある住まいまでもまた遠い。ちょうど中間地点、人通りが少ない道だった。つまり、人に目撃される確率は低い。噂が立つようなことはないだろう。
 やった、と神ははしゃいだ声をあげる。甲に触れる指が離れていく。すぐさま、手の平に熱。少し硬い手がするりと潜り込み、手と手を合わせる。指が指の間に入り込み、きゅっと握られた。逡巡、己も指に力を入れる。己の意志を持って指を絡め合う。
 繋いだ手がぶんぶんと振られる。上機嫌に鼻歌まで歌う様は、まるきり子どものそれだ。愛おしさと恥ずかしさが胸の内でぐちゃりと混ざる。ないまぜのそれは、指を解くまでには至らなかった。
 崇める神は何故か手を繋ぐことを好んでいた。否、好むようになった。いつだったか、施設の子どもと手を繋いで歩いていた時、オレも手ぇ繋ぎたい、と言い出したのだ。空いていた反対側の手を差し出すと、彼は酷く嬉しそうにしていた。その場限りのものと思ったのだが、翌日も、翌々日も、手を繋ぎたい、と言い出すようになったのだ。外はもちろん、家の中ですら。
 手を繋ぐことぐらい安いものだ。けれども、さすがに外で要求されるのは困る。いい歳した成人男性――相手は『成人』なんて概念がない存在だが――が人前で手を繋いで歩くのはいささか外聞が良くない。
 己の意見を伝え、擦り合わせ。結果、他人がいないところならば繋いでも問題はない、という結論に至った。己が行動するのは家と職場である施設ぐらいだ。狭い村である、常に人の目に晒されているようなものだ。もう外で繋ぐことはあるまい。
 そんな考えはすぐさま壊された。週末、二人で街に買い物に行った帰り道、彼は言ったのだ。ここらへんって人いねぇよな、と、企みを隠しもしない笑顔で。
 確かに条件は満たしている。けれども、外で手を繋ぐというのはやはり抵抗感があった。そんなもの、な、という追撃に砕かれたのだけれど。
 そうして買い物帰りは手を繋いで歩くのが通例となっていた。なってしまった。何でこんなことに、と嘆くものの、全ては己が曖昧な定義をしてしまった結果である。自業自得だった。
 絡み合った指が手の甲を撫でる。クロワ、と己の名を紡ぐ声は夕焼け空には似つかわない、甘さを含んだものだった。
「そろそろ村ですよ。離してください」
 心を形が無くなるまで融かしていくような響きをどうにか耐え、青年は固い声で事実を告げる。えー、と不満げな声が赤い世界に響いた。間に潜り込んだ指が抜けていく。重ね合わさった手の平が解けていく。名残惜しそうに肌を撫ぜながら手が離れていく。温もりが去っていく。ほのかに覚えてしまった寂しさを必死に振り払った。
「じゃ、帰ったらな」
 離れいった指先が、再び甲をつつく。何を意味するかなど分かりきっていた。すぐさま理解できるほど、こちらも通例になっているのだ。なんたって『他人のいない』『二人きりの』『家の中』なのだから。
 離れていった温かさが、また訪れるであろう温かさが背筋を撫でる。はいはい、と呆れを装った声で返して歩を早めた。ずれた足音のリズムはすぐさま合わさる。カサリと紙袋が鳴き声をあげた。
 夕焼け空の中、二つの足が道を進んでいく。住まいに辿り着き戸が開かれた瞬間、二つの影が一つに繋がった。




もちろん眠れるはずなんてなくて/プロ氷
 豪風が白い髪を吹き荒らす。大振りなブラシとふわふわに仕上げたバスタオルでたなびく雪色を操り、たっぷりと含んだ水分を飛ばしていく。くるぶしまである長い髪を乾かすのは重労働だ。既に慣れているので手間には思わないが、待たせてしまうのは申し訳がない。タオルの手助けを借りながら、氷雪はドライヤーを操った。
 ようやく元の姿を取り戻した白絹を高い位置で手早くまとめ、少女は脱衣所を出る。ぺたぺたと小さな足が可愛らしい音を立てた。
「識苑さん、お風呂ありがとうございました」
 慌ててドアを開け、待ち人を呼ぶ。手元の液晶画面に注がれていた夕陽色が、湯上がりでほのかに赤がにじむかんばせをに向けられた。
「もっとゆっくり入ってていいのに」
「お借りしているのに長く入るなんて申し訳ありません」
 気にしなくていいのになぁ、と識苑は笑う。そう言われても、やはりどうしても気が引けてしまう。家主より先に湯を使っているというのに長風呂だなんて、そんな悠長なことをできるはずがない。
「じゃあ、俺も入ってくるね。湯冷めしないようにあったかくしててね」
 昼のうちに乾かして畳んだ服とタオルを手に取り、青年はよっこらしょ、と呟き立ち上がる。すれ違いざま、己よりも一回り大きな手が湯上がりの温かな頭を撫でた。
 分かりました、と返し、部屋の中央へ向かう。ローテーブルの前、まだ温かさが残っているであろう座布団の横に腰を下ろした。エアコンが送る温かな風が、乾かしたての白い髪を音も無く揺らした。
 香ばしい匂いが鼻をくすぐる。視線をやると、つい先ほどまで彼がいた場所、その目の前に白いマグカップがあった。昼に綺麗に磨いた白には黒が注がれている。きっと愛飲しているコーヒーだろう。愛しい人は黒く苦いそれを好んで飲んでいた。
 まだ湯気がほのかに立っていることから、淹れて間もないことが分かる。ゆっくり飲んでいたかっただろうに、邪魔をしてしまったようだ。申し訳ないことをしてしまった、と少女は眉尻を下げた。
 マグの横には背の高い瓶があった。黒いラベルが貼られたそれは、彼が愛飲しているインスタントコーヒーである。中身は朝見た時よりも随分と減っている。また目分量、それも意図して大量に注いで作ったのだろう。下がった眉が少しだけ寄せられた。
 恋人である識苑はコーヒーを常飲している。味や香りを好んでいるからではない。カフェインを多く摂取できるから、だ。業務で徹夜続きになることの多い彼は、目を覚ますためにかの黒い飲み物を水の代わりと言っていいほど飲んでいる。それもきちんと淹れたものではなく、わざと粉を多く入れて濃く――つまりカフェインを過剰に摂取できるように作っているのだ。
 身体に悪いですよ、とたまに釘を刺すが、へらりと笑ってかわされるだけだ。彼が作り出す様々なものが学園の、ひいては世界の維持に多大なる貢献をしているのは分かっている。けれども、それで身体を壊しては元も子もない。むぅ、と少女は頬を膨らませた。
 真っ黒をたたえたカップを手に取る。これ以上彼に飲ませるわけはいけない。捨ててしまうのは食べ物に申し訳がないことなのだから、自分が飲んでしまおう。温かさを有したマグを両手で挟んで持ち、厚い飲み口に唇を寄せる。そのまま、ぐっと傾けた。
 びくん、と白い浴衣に包まれた肩が跳ねる。ぅ、と小さな声が漏れる。整った細い眉がぎゅっと寄せられる。湯で温められた赤い唇がきゅっと結ばれる。どれも苦々しさに溢れたものだった。
「にがい……」
 苦いという言葉しか出なかった。当たり前だ、コーヒーは苦い飲み物である。それを特別濃く淹れたものなのだから、普通のものよりずっと苦いに決まっている。頭では分かっていた。しかし、予想以上の味だ。舌の全てを苦みで覆いつくし、それ以外の味を判別できなくしてしまわれてもおかしくない酷さである。舌が馬鹿になってしまうとはこういう時に使う表現なのかもしれない。
 細い喉がゆっくりと上下する。恐ろしいほど苦いそれを必死に飲み干し、少女はぷは、と息を吐いた。温かな湯で少しとろけていた真ん丸な瞳は、はっきりとした輪郭を取り戻していた。
 識苑さん、いつもこんなものを飲んでいるなんて。マグから口を離し、雪色は川底色の目を眇める。こんなに苦いものを飲めば、目が醒めるのも当たり前だ。カフェインが豊富ならば尚更である。同時に、胃が荒れることが容易に想像できる。ただでさえ不健康な生活を送っているというのに、そこに自分でダメージを与えてるだなんて危険としか言い様がない。世界のために頑張っているのは讃え労うべきことだが、身体を壊してしまうようなことをするのは大問題だ。
 お風呂から上がってきたらまた言わなくては。考え、中身が空になったマグカップを手にキッチンへと向かう。黒を詰め込んだ胃は妙に重く感じた。




×8 ×4/嬬武器雷刀
 力強く柄を握り締める。ぬかるんだ足下など気にせず、踏みしめる足に力を込め、固い地を蹴る。ダン、と強い音がフィールドに響いた。
 腰に携えた得物を思い切り振り上げる。凄まじい速度で飛んだ斬撃は、目の前の人影に命中した。こちらの存在に気付いたらしい、抗うように銃身が、大量の弾がこちらへと向けられる。降り注ぐそれを細やかな動きで躱し、また振り上げる。命中。一発。高い断末魔とともに、小さな身体が爆ぜる。地面が鮮やかに染め上げられた。
 まずは一人。下がり、雷刀は周りに目をやる。弾が飛び交うフィールドをすいすいと駆け抜ける。時折聞こえる鋭く響き渡る銃声に警戒しつつ、少年は色鮮やかな地面を駆けていく。
 背後に銃声と気配。身を潜めて避け、振り向きつつ一旦下がる。丸い弾を振りまき追いかけてくる相手を正面にみとめ、またぐっと柄を握り締める。一歩下がり、一気に踏み込む。朱い斬撃がまっすぐに飛んでいった。
 慣れたものなのだろう、相手は横に数歩ずれることで躱した。それでも、小さく聞こえた声からかすりはしたことが分かる。急いで背に手をやり、ガラス玉を放り投げる。宙で変形したそれは、距離を取ろうとする相手目掛けて飛んでいった。ガラスが割れる音。小細工は防がれてしまった。否、気を逸らすことができただけで十分だ。低く得物を構え、まっすぐに踏み込む。一気に距離を詰め、また朱を飛ばした。
 シュン、と高い音。今度こと命中したそれは、潰えた相手と地を己と同じ色に染めて消えた。
 これで二人目。道を切り開き、どんどんと進んでいく。味方に背を任せ、敵陣へと踏み込んでいく。頑強なブーツに包まれた足が、鮮やかに彩られたフィールドを縫って駆けていく。
 パァン。
 高い音が蒼天に昇る。音が近い。ちらりと見えた影と音の方向を頼りに駆けてきたが、どうやら正解のようだ。雑多なフィールドの中、斬撃で道を作り、壁を勢い良く登っていく。バシャン、と勢いの良い音と共に身体が宙へと飛び出した。
 目的の者はそこにいた。スコープを覗いていた顔が急いで上げられる。大きな銃身を脇に抱え、一歩退くのが見えた。
 狭い鉄の足場に着地し、すぐさま踏み込む。瞬間、目の前が白に染められた。高い音とともに光が舞う。視界の端に黒がにじんだ。
 どうやらまんまと罠に引っかかってしまったらしい。視界の様子から、相応のダメージを受けていることが分かる。けれど、ここまで来て退くなんて選択肢は無い。目の前の相手を切り伏せる。何よりも成しえなければならないことだ。
 地を踏む。力を込める。下から振り抜き、目の前の存在を斬りつける。鋭い斬撃が、目の前の小さな身体を一色に染め上げた。




 重い音楽が手元の危機から流れる。ゲーム機の液相画面、その左上には負けを意味する英単語が書かれていた。
「何で負けなんだよ!?」
「貴方、敵を倒すことしか考えてなかったじゃないですか。塗るゲームなのですから塗らないと負けるに決まっているでしょう」
 愕然と画面を見つめる雷刀に、烈風刀はイヤホンを外しながら呆れた調子で言う。彼の持つ色違いのゲーム機の中には紙吹雪が舞い、勝利を意味する語が軽快なフォントで書かれていた。
「しかも後衛の僕ばっかり狙って。一人だけ落とし続けても意味がないでしょう」
「そうよ。潰すなら前線のやつからにしなさいよ。私が全部相手する羽目になったんだから」
 同じく重く悲しげな音楽が流れるゲーム機を手に、グレイスは悔しげな朱を睨む。彼と同チームだった彼女ももちろん敗北である。リザルトに示された数字は、彼女がどれだけ前線で奮闘していたかを表していた。
「はわぁ~! 塗りポイントナンバーワンデス!」
 コーラルピンクの機械を眺め、レイシスは喜びに溢れた声をあげる。にこやかな笑みは、つい先ほどまで真剣勝負をやっていたなどとはとても思えない表情であった。
「誰かさんと違ってひたすら塗ってたものねぇ。……え? このポイント、陣地のほとんどを塗ってたってことじゃない?」
「そうなんデスカ?」
 意地悪げな言葉を紡ぎながら、グレイスはボタンを操作する。姉のリザルトを確認した躑躅は、きょとりと目を瞬かせた。妹の言葉に、薔薇色も同じようにぱちりと瞬いた。
「もっかい!」
 雷刀は人差し指を天井に掲げ、大きな声をあげる。負けず嫌いな彼がここで引き下がるわけがない。やるわよ、とグレイスも続く。彼女もまた負けず嫌いだ。ボタンを操作し画面を真剣に睨む姿から、勝利への執着が窺えた。
 机の上に置かれた携帯端末が震える。手を伸ばし、烈風刀は慣れた様子でアプリを操作する。小さなスピーカーから電子音が流れた。
「次のチームどうします? またランダムでいいッスか?」
 少し音質の悪い声がこちらに問う。チーム対戦に加わっていた魂だ。こっちは何でもいいッスよ、と彼は軽い調子で言う。負けたというのに随分と余裕のある声だった。
「オレと烈風刀分けれねぇ?」
「……同じことをする気ですか?」
「塗りなさいって言ってるでしょ」
「リベンジしてぇだけだって」
「分かりましたー。雷刀先輩と烈風刀先輩別にして、あとはランダムってことで」
 カチャカチャとコントローラーを操作する音が聞こえる。ロビー画面、その左に連なる名前がどんどんと増えていく。きちんと設定してくれたのだろう、雷刀と烈風刀のネームプレートだけは違う色になっていた。
「ぜってー勝つ!」
「勝ち逃げは許さないんだから」
「レイシス、頑張りましょうね」
「ハイ! またいっぱい塗っちゃいます!」
 意気込む者。はしゃぐ者。皆瞳は真剣そのものだ。それはそうだ、全員負けず嫌いなのだから。
 試合開始を告げる鈴の音が、四人分のゲーム機から流れた。


4Kスコープ/わかばシューター/スパイガジェット/ジムワイパー
ドライブワイパー/スパッタリー/スクイックリンα/トライストリンガー





旅立つ者を見届け/雪翔+ユーシャ
「雪翔くん、ヘキサダイバーに行ったの!?」
 コントローラーを持つ手が止まる。液晶画面を見つめていた空色の目が瞠られた。まあるい中には、もふりとした茶と白が映っていた。
「うん。抽選が当たったんだ」
「えーいいなー。ぼく、落ちちゃったや」
 弾んだ声と萎れた声。対照的なそれの主たちは、どちらも目の前の大画面に吸い込まれていた。コマンド選択を終え、ターンが進んでいく画面を二人で眺める。いいなぁ、と嘆息にも似た声が効果音にまじって消えた。
「あ……、でもバグの騒ぎがあったんだっけ? 大丈夫だった?」
「今はなんともないよ」
 ヘキサダイバーはバグの影響で時折不安定になる。運悪く、雪翔が体験した日にバグの被害が出てしまったのだ。怪我も無く、念のため行われた検査も結果は異常無しとのことだったので変わらずに過ごしているが、やはりほんの少しだけ不安は残る。あの施設に近づくのがちょっとだけ苦手になるぐらいには。
「ねぇねぇ、何になったの? どんなことしたの?」
「えっとねぇ、商人になったよ!」
 商人、とユーシャは復唱する。蛍石の瞳がキラキラと輝きだした。ファンタジーゲームに必ずいるキャラクター、それも勇者として冒険する上で重要な位置にある存在だ。興味を示すのは必然だ。
「えっ! じゃあ武器とか売ったりしたの!? 冒険家とか……勇者とかに会った!?」
「会ったよ! ……会った、よ?」
 興奮した様子の少年に返す声は、ほのかな疑問が浮かんでいた。あれ、と獣人は首を傾げる。コントローラーを持った友人も、同じく首を傾げた。
「どうしたの? あっ、思い出したくなかった?」
 ごめんね、とユーシャは眉を八の字にして謝る。バグの被害に遭うだなんて酷い思いをしたのだ、それに関することを根掘り葉掘り聞くのはよくないことだと思ったのだろう。そうじゃないよ、と大きな手を慌てて横に振った。
「会ったよ。伝説の勇者の末裔に会ったんだけど……」
 商人になったのは確かだ。勇者の末裔に会ったのも確かだ。けれども、何かが引っかかる。重要な部分だけ抜け落ちているような、大切なことだけ綺麗に忘れているような、そんな感覚がするのだ。バグの影響だろうか。記憶に被害があったという話は聞いていない。ならば、何故こうも不自然さが背を撫ぜるのだろう。
 うーん、と顎に大きな手を当て雪翔は唸る。大丈夫、と不安げな声が小さな頭に降り注いだ。
「会ったけど、どんな人か忘れちゃったや」
「そっかぁ」
 交わす声は少し萎んだものだった。本当ならファンタジーが大好きな彼にいっぱい話をしたいのに、忘れてしまうだなんて。せっかく行ったのになぁ、と大きな耳がしゅんとした様子で垂れた。
 何より、この妙な感覚が気になって仕方無かった。仲の良い友達と遊んでいるのに、何だかとっても寂しいのだ。二人でゲームをするのは楽しいのに、胸がきゅっと苦しくなるのだ。何故なのだろう、と幼き獣は考える。答えは出そうになかった。
「今度は一緒に行こうね! ファンタジーの仮想空間いっぱいあったはずだよ!」
「うん! 頑張ってチケット取らないと!」
 わふわふと手を上げる雪翔の手に、ユーシャは己のそれを重ねる。元気なハイタッチは、確かな約束を示しているようだった。
 お母さんに頼まなきゃ、と少年はコントローラーを操る。テストで良い点取らなきゃいけないね、と獣人は画面を眺める。そうだね、と暗い声が返された。
 画面の中の勇者一行は、ボスを倒し装備を揃えようと街へと帰るところだった。




クリーニングって結構馬鹿にならないお値段するよね/店員さん+インクリング
 揚げきった材料を生地で挟み、紙で包む。ようやく出来上がった料理を冷めないうちに保温ケースに並べた。これで今日の開店準備はひとまず終わりだ。朝早くからの一仕事終え、女はふぅと息を吐いた。
 タッタッタッと軽快な音。客の到来を示す音色に、彼女は食材たちからロビーへと視線を移した。
 レジスターと調味料が並ぶカウンターの向こう側には、駆け寄ってくる人影があった。人気ブランドのシンプルな半袖シャツに身を包み、黒に鮮やかな一色のラインが走るレギンスと大きなブーツで彩られた足を動かすのは一人の少女だ。激しく揺れる長い横髪とどんどんと大きくなる――とはいっても、己に比べれば随分と小柄だ――影から、その速度が見て取れた。
 レジカウンターに辿り着いた少女は、笑顔を浮かべて手を上げた。ミッ、と発した鳴き声のような短い言葉は彼女なりの挨拶だ。
「あら、いらっしゃい! いつもの?」
 彼女はいわゆる常連客だ。毎週のように訪れ、毎回同じメニューを食べていくのですっかりと顔を覚えてしまった。来る度に見せる元気溢れんばかりの笑顔も記憶に残る要因の一つだ。
 問いに、少女はまたミッ、と声をあげる。青い瞳は既に保温ケースに並ぶ料理に吸い込まれていた。ぱちぱちと瞬く大きな目はキラキラと輝いている。開店直後にやってくるほどだ、大層腹が減っているのだろう。
 しばしして、ハッとしたように丸い目が瞠られる。小柄な身体に対しては大きな手が急いだ調子でポケットに入れられた。ごそごそと中を掻き回す音。少しして、大きなチケットが現れた。少女は少し皺の寄ったそれをカウンターに置ぃ。ずいと勢い良く奥へと差し出す様から、早くちょうだいとねだられているような気分になる。可愛らしい姿に、女は口元を綻ばせた。
 チケットを受け取り、レジスターに閉まってケースへと手を伸ばす。赤と黄で構成されたチケットは『アゲバサミサンド』の注文を示すものだ。彼女がいつも食べていく料理である。包みを一つ取り、どうぞと言葉を添えて向こう側の少女へと差し出す。少し角張った両の手が料理をしかりと受け取った。揚げ物がたっぷりと挟まれたそれを、輝く青色が見つめた。
 あ、と音が聞こえてきそうなほど大きく口が開かれる。鋭く尖った歯が除く口内に、挟んだ生地から飛び出したカニのハサミが吸い込まれた。バリン、と硬い殻が砕かれる音。きちんと処理し殻までまるごと食べられるそれが、バリボリと大きな音とともに噛み砕かれていく。もごもごと動く口が少し止まり、細い喉が上下する。白い歯で彩られた赤い口に、再びサンドが吸い込まれていく。バリン。一口。ボリン。また一口。食べ進める内に手に力が入ってしまったのか、揚げ物と一緒に挟み込んだ目玉焼きの黄身が潰れるのが見えた。とろりと溢れる黄色を、小さな舌が急いだ調子で舐め取る。まろやかなそれが好きなのだろう、黄金が染みこんだ部分を中心に少女は食事を進めた。
 気持ちいいほどの食べっぷりに、女は目を細める。己が作った料理をこんなにも美味しそうに食べてくれる。料理をする者としてこれ以上にない幸福だ。様々な苦労があれども店員になってよかったと思える瞬間だった。
「あらまぁ、汚れちゃってるよ。ちゃんと拭きなね」
 カウンター脇に置いてある紙ナプキンを一枚抜き取り、一心不乱に食べ進める少女に差し出す。料理に注ぎ込まれていた海色の瞳がきょとりとした様子でこちらへと向けられた。もう残り少ないサンドを片手に持ち、少女は薄紙を受け取る。衣と黄身と調味料で汚れた口元をぐしゃぐしゃと乱暴に拭い、彼女はまた食べ進めていく。それじゃあ意味が無いよ、と女は困ったように笑った。
 食べ終わった頃を見計らい、またナプキンを一枚差し出す。またぐしぐしと強く拭い、彼女は油で汚れた包みと茶色に染まった白い紙をひとまとめにし、ゴミ箱へと捨てた。
「いってらっしゃい」
 壁に立てかけていた傘――形状は傘であるが立派なブキだ――を片手に、少女はまた高く手を上げる。ミッ、と来た時と同じ調子の声をあげ、少女は上げたそれをブンブンと振る。そのまま階段下へと駆けていった。元気いっぱいの様子に、つぶらな瞳が愛おしそうに細められた。
 それにしても、と女は体躯にしては小さな手を口元に当てる。
 彼女がいつも食べるアゲバサミサンドは、金運に恵まれる効果を持ったものだ。それを毎週のように食べていくなんて。
「よっぽどおカネが無いのねぇ……」
 元気にナワバリバトルへと向かった少女に不安を覚えながらも、店員は次の客を待った。




小さな影探して/インクリング+コジャケ
※うちの新3号設定(赤貧)


 大きな自動ドアをくぐり、ロビーから広場へと出る。普段は重い足取りは、今日はスキップでもしそうなほど軽やかだ。タッタッと雑踏に紛れる足音も軽快に聞こえた。
 なにせ、今日は大勝ちした。勝利に次ぐ勝利を重ね、たんまりとカネを得たのだ。ここ数日は負けが込み、泣き縋るように向かったバイトも失敗続きで収入が激減していただけに今日の成果は大きなものだ。嬉しいったらない。なけなしのチケットを使い金運を上げた甲斐があったというものである。
 早く帰ろう。久しぶりにまともな食事にありつこう。ハイカットスニーカーに包まれた足を操り、少女は階段を駆け下りていく。長いそれの終わり、ブキ屋との間を埋めるように設置された金網の上に視線をやった。
 コジャケ、と相棒の名を口にしようとして少女ははたと止まる。いつもならば保護用の金網の上に鎮座し広場を見渡す小さな相棒の姿は無かった。あるのは無造作に置かれた植木鉢と落書きされた壁だけだ。
 今日は別の場所にいるのだろうか。くるりと振り返り、反対側にある植え込みへと足を伸ばす。オルタナへと続くマンホールを見つめる小さな影は無い。ぶらぶらと手持ち無沙汰に足を動かす同胞しかいなかった。
 封鎖された門の前を駆け、店に続く道へと向かう。謎の透明な立方体の前に佇む小さな体躯は無い。クラゲが気ままに歩いているだけだ。
 珍しい、と少女は丸い目を瞬かせる。普段は広場にいるのだが、今日はどこにも見当たらない。別の場所にいるのだろうか。ああ見えてあの子は神出鬼没だ。己の両の手に乗るような小さな体躯だというのに、この雑踏の中を這い歩きどこかで街行く人々を眺めているのだ。
 踵を返し、店が建ち並ぶ通りへと向かっていく。
 ザッカ屋の前。ポールの上でぴょこぴょこと跳ねる相棒の姿は無い。
 少し歩いてクツ屋の前。出入りする客を眺める相棒の姿は無い。
 振り返って見上げた高い看板の上。広場を見下ろす相棒の姿は無い。
 裏道を抜けた先の開けた場所。デッキを組む少年少女を見つめる相棒の姿は無い。
 急な坂道を駆け上がった高台の上。柵の上で器用に眠る相棒の姿は無い。
 うーん、と少女は小さく唸り声を漏らす。心当たりがあるのはこれぐらいだ。それでも見当たらないだなんて、今日は一体どこへ行ったのだというのだろう。
 仕方無い、と小さく息を吐き、来た道を戻る。先にクリーニング依頼を済ませてしまおう。普段ならば一回依頼できるかできないかというほどの財政事情だが、今日は三回依頼してなお有り余るほど懐が暖かいのだ。忘れぬ内に済ませてしまわないと、いつまで経ってもいいギアを作ることができない。ろくなギアパワーが付いていないものが多く溜まっているのだ。早く始末してしまいたい。
 ナワバトラーの熱い試合が繰り広げられる横を通り抜け、細い裏道を進みロビー前まで戻る。アタッシュケースの横で気怠げに過ごす青年に声を掛けようとしたところで、体躯に対して随分と大きな足が止まった。
 青年が座っている後ろ、高い看板で陰った場所。そこには見知った小さな影があった。
 小さな身体は、薄く小さなヒレを広げて地面にぺたりとうつ伏せている。小柄な図体からは想像出来ないほど大きな口はぽかりと開かれ、赤い舌が覗いていた。飛び出た黄色い真ん丸な目は閉じられている。何故か崩れることがない背の高い髪は、風に吹かれてそよいでいた。
 ここにいたのか、と少女はふっと息を吐く。傷が入り切れた太い眉が、呆れたように八の字を描いた。
 そういえば、相棒はここで眠っていることがあるのだった。あまり行ってはいけないと言いつけており、最近ではその忠告通りに過ごしてくれていただけにすっかり忘れていた。数歩足を動かせば見つかる場所だというのに、あれほど街を駆け回るなんて自分はなんと間抜けなのだろう。内心苦い笑いをこぼした。
 身を半分翻し、少女は後ろに佇むビルへと視線をやる。そこにはクマサン商会――遡上するシャケたちを倒し尽くそうと日々働く同胞たちが集まる店が構えられていた。
 ここに通うのは、シャケを倒すことに命を賭けていると言っていいほど熱心な者が多い。本当に懐が寂しい時に嫌々ながら参加するが、どいつもこいつも恐ろしいほどの気迫に満ちているのだから怖いったらない。
 そんな者たちが集まる場所、しかも仕事終わりに店を出てすぐ目の前に映るような場所にいては、追いかけ回されしばき倒されるに決まっている。なので近寄らないように言っていたのだが、今日ばかりは忘れていたようだ。よほど眠かったのだろうか、と健やかな寝顔を眺めて考える。
 こんなところにいたら危ないよ。
 小さく呟き、少女は眠る相棒に駆け寄る。クリーニングは明日だ。どうせギアパワーを付けるためにまたバトルに明け暮れねばならないのだ。明日の朝一番に依頼し、そのまままっさらなギアを身に着け闘いへと身を投じる方が効率的だろう。
 帰るよ。
 語りかけるように優しく漏らし、少女は眠るコジャケの身体をそっとすくい上げる。蛍光色のギアに包まれた細い腕に収まる相棒は、依然起きる様子は無い。きっと当分の間は眠っているだろう。一旦家に帰り、この子を置いてから買い物に向かった方がいい。
 晩ご飯何にしようかな。たまにはこの子の好きなものも作ってあげないとな。
 久方ぶりの温かな食事に思いを馳せ、少女は人々行き交う広場を歩んでいった。




結局2勝3敗で終わった/インクリング
※うちの新3号設定(赤貧バイト嫌い)


 遠くでヘリの音が聞こえる。
 また誰かが現場に向かったのだろう。理解しがたいことに、この労働施設は大盛況なのだ。絶えずヘリの音が響く薄暗い室内は不気味だった。もうとうに慣れてしまったのだけれど。
 高い位置にあるロッカーを開ける。更衣区画のロッカーはいつだって埋まっているが、今日はまばらだ。時間によるものだろうか。些末なことをぼんやりと考えながら、ヘルメットを取る。中に無理矢理収めていた髪がこぼれ落ちるように飛び出した。ライトやインカムといった機材が取り付けられたそれはかなり重い上に蒸れる。外した瞬間、解放感と涼しさが少し乱れた頭部を撫でた。
 オレンジのメットを足下に置き、ハーネスを取る。厳重なテーピングを解きながら長靴を脱ぎ、手袋を取る。どれも緩慢な動きだった。本当ならばさっさと片付けて出ていきたいが、連続で何度も仕事に向かった身体は疲労感に支配されていた。普段あまりアルバイトをしないため、なかなか使い慣れない頑強な装備の着脱を行うのも原因の一つだった。
「おつかれ」
「…………お疲れ様」
 本当に布なのかと疑うほど分厚く固い作業服を脱いでいると、隣から声がした。アルバイト後は皆疲れ果てて無言で着替えるというのに、珍しい。同時に、嫌な予感がした。見ず知らずの者に突然話しかけてくるようなやつが面倒臭くないわけがないのだ。
 最低限の言葉を返し、分厚い生地と格闘を続ける。取り払った非日常のオレンジから、日常のモノクロへと着替えていく。隣からもゴソゴソと厚い布が擦れる音がする。あちらも着替えているのだろう。響きからして男のようだが、気にせずに着替えを続ける。恥ずかしがる余裕など、疲労しきった重い身体には欠片も無かった。
「……なぁ」
 モノクロの薄い生地を頭から被る。布地を絞る紐と長い裾を整えているところで、また声がした。一息吐いて雑談でもしたいというのだろうか。こちらにそんな余裕はないのだ。そもそも、突然話しかけてくるようなやつにこれ以上関わりたくなどない。
「お前、コジャケ飼ってるってマジ?」
 投げかけられた音は固く、懐疑的な響きをしていた。予想だにしない言葉に、思わず視線を向けてしまう。作業着を上半分だけ脱いだ少年は、眉をひそめこちらを見つめていた。
「飼ってない」
「嘘つけ、商会入る時一緒にいるの見たぞ」
「飼ってない」
 詰めるような声に普段通りの声で返していく。嘘言うなよ、と相手は諦めることなく食い下がってくる。予感通り面倒なやつだ。はぁ、とわざとらしく溜め息を吐いた。
「飼ってない。あの子は相棒だから」
 あのコジャケは生活を共にする相棒だ。決して『飼う』だなんてペットのような表現をする存在では無い。共に砂漠でジャンク品を漁り、共にオルタナを進んでいく唯一無二の相棒なのだ。
 屁理屈言ってんじゃねぇよ、と吐き捨てるような声。先に決めつけてきたのはそちらだというのに。屁理屈などと噛みついてくるなんてなんとも面倒臭いやつだ。そもそも、相棒のことに踏み入ってくる時点で大概面倒臭い。着替える手を早くしていく。乱れた髪もしっかり整えたいところだが、一秒でも早くここから抜け出すために我慢しなければならない。
「コジャケいんのに何でバイトしてんだ? 『相棒』と同じやつシバくのためらわねぇのかよ」
「カネの方が大事」
 往生際が悪い相手に言葉をぶつける。少しだけ低く固いそれは、切り捨てると表現した方が相応しい鋭さと冷たさを孕んでいた。
 間髪入れずに返ってきた、それも非常に現実的な答えに少年はたじろぐ。えぇ、と動揺が色濃く滲んだ声がロッカー区画に落ちた。
「あの子、大食らいだから……」
 コジャケはよく食べる。それはもうよく食べる。エンゲル係数など考えたくないほどよく食べる。おかげで食費はうなぎ登りで、財布の中身は垂直に近いほどの下り坂だ。
 普段ならばジャンク品を売りさばき、合間にナワバリバトルに身を投じ稼ぐのだが、今月はそれだけではとても賄えないほど財布には寒風が吹き荒んでいた。ここ最近はジャンク品がなかなか見つからず、ナワバリバトルもバンカラマッチも勝ち星が少ない。だというのに、ケバインクを食べてからは相棒の食欲は更に増した。収入が激減しているのに、出費は悲鳴をあげたいほどかさんでいく。だから、やりたくもないバイトに手を出したのだ。
 そうかよ、と少年は引き下がっていく。少し震えたそれには、動揺と落胆、少しの畏怖があった。現実的な答えの何が悪いのか。勝手に踏み込んできて、勝手に引くなどなんとも失礼なやつである。
 沈黙の中、愛用のヘッドギアを着ける。赤いブーツに足を入れ、つま先で地を叩きしっかりと履いた。レンタルの長靴と手袋を所定の位置に立てて干し、仕事着全てを大きな洗濯機に放り込む。これでもうアルバイトは終わりだ。
「お疲れ様」
「…………おつかれ」
 背に飛んできた声は、何とも言い難い響きをしていた。気にすることなく、外に続く扉を開けた。
 太陽の光が、鮮やかな青が目を刺す。薄暗い商会内とは一転し、外は輝かしいほど晴れやかだ。表現しがたい音楽は扉の向こうに消え、人の声と電車の発着を知らせるベルが身を包んだ。
 人の間を縫って歩き、ロビーへと向かう。入り口脇に置かれた電子掲示板をじぃと見つめた。今のスケジュールはどうなっているのだろう。稼げるルールならいいのだけれど。考えながら、現在の解放地と次回以降の解放地、ルールに目を通していく。
 一番上に書かれた『ガチエリア』の文字に、少女は小さく頷く。このルールは得意な部類で、勝ち越すことも多い。稼ぐのにうってつけだ。先のバイトで財布は多少潤っているものの、万全とは言い難い状態である。もっと稼がねばならない。せめて来月の家賃分は手に入れなければならないのだ。
 赤と黒のブーツに包まれた足が、しっかりとした動きで進む。シューターを手にした小さな影が、ロビーへと吸い込まれていった。

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#嬬武器雷刀 #野増菜かなで #福龍 #椿 #雪翔くん #ユーシャ・夏野・フェアリェータ #インクリング #コジャケ #プロ氷 #ライレフ #腐向け

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年初め、神社にて【グレイスファミリー】

年初め、神社にて【グレイスファミリー】
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書き初め。グレイスちゃんが神社でアルバイトする話。ピリカちゃんの口調は……こう……大目に見ていただけるととても嬉しい……。
昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。

 ありがとうございました、と破魔矢を胸に抱えていった背を見送る。声は少し慌てた調子であれど、しっかりとしたものだった。
 連なっていた列も消え、ようやく人の波が凪ぐ。ふぅ、とグレイスは小さく息を吐く。朝から張り詰めていた心が少しだけ解けた気がした。肺の空気を吐き出した瞬間、どっと重くなる感覚が華奢な身体にのしかかる。回遊魚さながらずっと動き回っていたのだ、忙しさで誤魔化されていた疲れが今になって襲ってきたのだった。はぁ、と二度目に吐き出した息は疲弊が色濃くにじんだ響きをしていた。
 新年を迎えた元日、少女は神社にいた。そこに姉や仲間たちの姿は無い。当たり前だ、今年は初詣に来たのではない。社務所のアルバイトのために訪れたのだ。
 年が明けたばかりの一月、中頃を過ぎた十八日はレイシスの誕生日だ。あの薔薇色の少女は、毎年己の誕生日には素敵なプレゼントと豪奢なケーキを贈ってくれていた。与えられることに慣れていない躑躅の少女にとって、もらうだけの日々は気後れが募るばかりだ。
 もらってばかりの事実を気にするぐらいならば、与える側に回ればよいのだ。己もプレゼントを贈ろう。お返しがしたい。姉の喜ぶ顔が見たいのだ。
 しかし、常日頃ナビゲーターとして研鑽を積むグレイスの財布事情はよろしいとはとても言い難いものである。少し良いプレゼントを、と考えると諦めの情がほのかに湧いてくるような状態だ。これではもらった分のお返しすらできない。決心したのはいいものの、現実的な壁が立ちはだかったのだった。
 ならば選択肢は一つだ。冬休みでありナビゲート業務が休みである正月を狙って、単発のアルバイトを入れたのだ。一日だけとはいえ、正月という忙しく寒い時期ということもあってか時給はなかなかのものである。学生がちょっと良い代物を買うには十分な報酬だ。大切な人たちの誘いを断るのは酷く心苦しかったが、これも全て愛する姉を喜ばせるためなのだ。少女は固い意志を貫いた。
 奥に掛けられた時計を見る。時刻は昼も過ぎた頃合いだった。一日限りの仕事も折り返し地点である。先に休憩に入ったバイト仲間ももうすぐ帰ってくるだろう。昼休憩まであと少し、もうちょっとだけ頑張らねば。ぎゅっと目をつむり、躑躅色は小さく頷いた。
「すまない」
 前方から声。参拝客が来たのだろう。閉じていた目を開き、口元をどうにか笑みの形にする。ほとんど人と関わることなく暮らしていたためか、笑顔を作るのはまだ苦手だ。それでも、今は接客業をしているのだ。客には明るく朗らかな笑顔で接しなければいけない。無愛想な顔で対応して神社の評判に傷が付くなどあってはならないのだ。
「はい、どうされました――」
 少し硬い笑みを浮かべ、グレイスは顔を上げ声の方へと向き直る。指導された通りきちんと言い切るべき言葉は途中で止まった。ただでさえぎこちない表情がビシリと固まる。口角を無理矢理上げた口が丸く開かれる。は、と疑問に染まりきった音が漏れ出た。
「明けましておめでとう、グレイス」
「あけましておめでとうべさ!」
「……明けましておめでとうございます」
 参拝客――オルトリンデはゆるく笑み、小さく手を上げた。下から聞こえる元気な声と受け渡し台から覗く小さな手はピリカのものだ。長い白髪の後ろに見えるのは始果だ。襟巻きに口元を埋め、少年はじぃと愛しい少女を見つめていた。
「な、んでいるのよ!」
 仕事中だと言うことも忘れて、少女は叫ぶ。固まっていた表情筋が動き出し、驚愕と憤怒、そして羞恥が入り交じった表情を作り上げた。頬が赤くなっているのは、冷え切った外気に晒された故ではないだろう。
「俺もいるぜ!」
「帰んなさい!」
 オルトリンデが握る携帯端末から大声が流れる。耳慣れた威勢の良い響きはライオットのものだ。あの図体では境内に入ることができない彼は、音声通話という手段をとったのだろう。いつぞやは諦めた癖に、余計な知識を付けたものだ。ギリ、と思わず奥歯を噛み締めた。
「正月には初詣をするものなのだろう? 四季の行事はきちんとこなすべきだ」
「その通りだぜ。文化の保存は大切だからな」
「グレイスが働いていると聞いてきました。寒くありませんか?」
「グレイス、巫女さんの服さ似合ってるっちゃ!」
 どこか得意げな声で語るオルトリンデに加勢するようなライオット。心配げに襟巻きを差し出す始果に巫女服に興味津々なピリカ。四者四様だが、目的が神社への参拝ではないことは明らかだ。
「冷やかしならさっさと帰んなさい。他の参拝客の迷惑よ」
「冷やかしなどではないぞ。せっかくならばと御守りを買いにきたのだ」
 冷たい視線を送る躑躅に、戦乙女は小さく首を横に振る。そう、と少女は未だ警戒心が残る声で返す。それもきっと建前だ。いい迷惑である。
「御守り、ここにあるもの全て一つずついただこうか」
「お嬢、破魔矢一本ずつ全部くれ。代金は女に預けてある」
「絵馬全部ください」
「しょーばいはんじょーの御守り一つ欲しいべ!」
「お金は大切にしなさいよ!」
 財布から束になった紙幣を取り出す仲間たちに、グレイスは大声をあげる。新年早々そんな大金を使うなど控えるべき行為である。何より、彼女らが口々にする品を本当に欲しているのではないのが丸わかりなのだ。無駄な散財は断固として止めるべきであった。己が原因ならば尚更である。
「言っとくけど、売り上げと私のお給料は関係ないからね」
「そうなのか?」
 事実を告げると、赤と橙の瞳が丸くなる。やはりそれが目当てか、とマゼンタの目が苦々しく細められた。
 オルトリンデたち四人は、あの重力戦争を共に戦った仲間だ。終戦間際の行動もあってか、ネメシスに来てから向こう、彼女らは己に対して過保護と表現するのが正しいほど接してきた。特にオルトリンデとライオットが顕著だ。何かにつけて世話をしようとし、何かにつけて甘やかそうとする。プレゼントのためにアルバイトをすると白状したところ、少し早いお年玉と称して大金を渡そうとするほどの甘やかしぶりだ。もちろん拒否したが、その結果がこれである。
 まぁいい、とオルトリンデは小さく頷く。二色一対の視線が、ずらりと並べられた御守りに注がれた。
「御守りが欲しいのは本当だ。全種買いたいのだが、いくらになる?」
「いっぱい御守り持ってたら神様が喧嘩するわよ。一つにしときなさい」
 端から端まですぃと宙をなぞる仲間に、躑躅は目を眇める。年末、テレビで聞いた話だ。確かにいくつもの神様を一度に連れていれば喧嘩も起こるだろう。記憶に留まるほど印象深い話であった。
 そうなのか、と戦乙女は再び目を丸くする。悩ましげに顎に指を当て、また端から端まで御守りを眺めた。
「ピリカは商売繁盛のだったわよね。八百円よ」
 袖をたくし上げ、少しだけ身を乗りだしてコイントレーを黒兎に差し出す。分かったっちゃ、と小さな手ががま口の財布を開き、硬貨を取り出す。ん、と背伸びをし、ピリカはトレーに銀色を載せた。金額を確認し、赤い御守りを手に取る。神社の名前が書かれた白い袋にそっと入れ、古びた木のカウンターに手をついて背丈を伸ばす少女に手渡した。ありがとだべ、と元気な声と白い息が厚い木板の下から飛んできた。
「では、我は学業成就のものをもらおうか」
「貴方、教える立場でしょ? 何でよ」
「教師といえどまだ実習生の身だ。日々学ぶことはたくさんあるからな」
 八百円だったな、とオルトリンデは一万円札を差し出す。そう、と不思議そうに返し、躑躅の少女は釣り銭と青い御守りが入った袋をトレーに載せて差し出した。
「釣りはいい。とっておくがよい」
「売り上げ計算合わなかったら私が怒られるのよ。ちゃんと受け取りなさい」
 止めるように手を上げにこやかに告げる女性に、少女は眉間に眉を寄せて返す。そうか、と少し萎んだ声。白い指がいくつものお札と硬貨を取って財布へと戻した。
「やっぱ全種くれ。どれも面白ぇデザインしてっからな」
「絵馬、二枚もらえますか?」
 端末の向こう側からライオットが言う。指を二本立てて始果が言う。分かったわ、とグレイスは慌てた調子で品物を袋に詰めた。代金を受け取り、束になって袋に入った破魔矢をオルトリンデに、柄違いの絵馬を始果に渡す。ありがとう。ありがとうございます。礼の言葉が重なった。
「グレイス」
 耳馴染んだ声が己を意味する音を紡ぐ。少女はレジスターをしっかりと閉めて顔を上げた。そこには、絵馬を一枚差し出す狐の姿があった。
「何? 返品? 受け付けてないわよ」
「いえ、きみの分です」
 忍の少年の言葉に躑躅の少女はぱちりと瞬く。きみの分、とはどういうことだろう。突然の、それも彼らしくもない言葉に脳がぐるりと思考を巡らせた。
「新年には絵馬を書くと聞きました」
 どうぞ、と少年は依然絵馬を差し出す。まあるいラズベリルがまた瞬いた。
 白い袖に包まれた腕がそろりと宙を彷徨う。しばしの沈黙。揺れる指先が動物の描かれた五角形を取った。ありがと、と小さな言葉とともに、筆絵で飾られた絵馬がなめらかな手の内に収まった。
「邪魔したな。アルバイト、励むがよい」
「寒いから風邪ひかねぇようにしろよ」
「お仕事がんばるだよ!」
「終わったら迎えに来ますね」
 声かけ手を振り三人の影と一人の声が去っていく。寒風に吹かれたビニール袋がカサカサと音をたてるのが聞こえた。
 嵐のような時間が過ぎ去り、グレイスは大きく息を吐く。はぁ、と音となったそれは重く、疲れがにじむものだった。
 こんなことならば神社でアルバイトするなどと言わなければよかった。しかし、理由を言わねばあの過保護な仲間たちが納得するはずがない。仕方が無いことだったが、それでも後悔が押し寄せてくる。はぁ、とまた深く息を吐いた。
 鈍さが見える動きで視線が手元に向けられる。五角形の中描かれた干支の動物が、疲弊の色を浮かべたスピネルを見つめていた。
 何書こうかしら。そもそも絵馬って何を書くんだったかしら。あとで聞いてみないと。
 ほのかに痛みを覚える頭で考えながら、少女は巫女服の襟を正した。

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#グレイス#京終始果#オルトリンデ=NBLG=ヴァルキュリア#ライオット・デストルドー#ドゥ・サン・コ・ピリカ#グレイスファミリー

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年を過ごす蕎麦の音【嬬武器兄弟】

年を過ごす蕎麦の音【嬬武器兄弟】
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2022年書き納め。嬬武器兄弟が蕎麦を食べるだけ。
今年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 ぐらぐらと沸き立つ水面を眺める。そろそろだろうか、と考えていると、キッチンタイマーが高い音を出して予定時間になったことを知らせた。己の体感への信頼を少しだけ深めながら、烈風刀は鍋つかみに手を通す。パスタ鍋の取っ手を持ち、中身をザルにあける。ベコン、とシンクが不満げな声をあげた。
 軽く湯切りし、菜箸を使って二人分の丼に分ける。別の鍋で作っていた出汁を麺が入ったそれに注ぎ入れた。澄み切った美しい出汁の色、蕎麦の濃灰色のコントラスト、立ち上る温かな香り。どれも胃を刺激するものだった。くぅ、と腹の虫が鳴き声をあげた。
 トースターから海老天を取り出し、キッチンペーパーを敷いた皿に載せる。出来合いのものはあまり買うことはないが、毎年この日だけは買うのが通例になっていた。家中の大掃除で忙しい中、揚げ物をする余裕など無いのだ。
「烈風刀ー、風呂掃除と玄関の掃除終わったー」
 ガチャリ、とリビングのドアが開く。覗いた朱は、疲労が滲んだ色をしていた。散らかりに散らかった自室の掃除をようやく終えた身体には辛いものがあったのだろう。日々何度も何度も掃除しろと言っても無視して過ごし、事前に決めた掃除分担に異論を唱えなかった彼に同情する余地はないが。
「あっ、蕎麦できた?」
「ちょうど。海老天とお箸持って行ってください」
 キッチンを覗き込み、雷刀は弾んだ声をあげる。輝く紅玉の中にはもう疲労の色は無かった。分かりやすい反応に、思わず小さく笑みを漏らしてしまう。誤魔化すように天ぷらの載った皿を差し出した。
 りょーかい、とこれまた弾んだ声。皿を受け取った兄は、軽快な足取りでリビングテーブルへと向かった。カチャカチャと箸を用意する音が聞こえる。少し重い丼を二つ手に持ち、烈風刀はキッチンを出る。箸が並べられた机に年越し蕎麦を置いた。
「いただきまーす」
「いただきます」
 所定の位置に座り、手を合わせる。食事の挨拶をしたところで、同時に箸を持った。赤い箸が海老天を引っ掴み、大きく開いた口に入れる。青い箸が出汁の中揺蕩う蕎麦を掴み、そっと口に運ぶ。サクン、と小気味よい音と、ずるる、と豪快な音が暖かな部屋に響いた。
 珍しく言葉を交わすことなくひたすらに食べ進めていく。昼ご飯はきちんと食べたが、その後休む間もなく動き回ったせいで腹が空いていた。そろそろ痛みを覚えるような頃合いだ。そんな胃腸に、温かな蕎麦と熱々の天ぷらは最高のごちそうだった。
「今年も色々あったなー」
 呟くようにこぼし、雷刀はずぞぞ、と蕎麦を啜る。そうですね、と烈風刀は海老天を出汁に浸しながら応えた。
「バトル大会に新シーズン、アリーナバトルにメガミックスバトルに……、あとは……」
「プロリーグも始まったしな」
 二人で出し合ってようやく数えられるほどの出来事があった。毎年ながら激動の一年だ。特に新シーズンは様々な機能追加が一気に行われたため、忙殺という言葉では済まされないほど忙しかった。そろそろ誰か過労で倒れるのではないかと毎日気が気でなかったことは強く覚えている。
「来年は何したい?」
「そうですね……」
 ずるずると麺を啜る兄から視線を外し、弟は宙を眺める。手にした箸が迷いを表すように小さく揺れた。
「もう少しアリーナバトルに力を入れたいですね。最近腕がなまっている気がするので」
 それはもう激動の日々だった。おかげで、アリーナバトルに赴く頻度は減っていた。行く暇など無かったのだ。バトル大会に向けて特訓した日々はあったものの、やはり時間が経つとなまっているのではないかと不安が湧いてくる。きちんと腕は磨いておかなければならない。いざという時愛しい少女を守れないなんてことがあってはならないのだ。
「お? じゃあ久しぶりに手合わせする?」
 剣を構えるように箸を突きつけ、雷刀はニッと笑う。瞳には愉快さと闘志が宿っていた。行儀が悪いですよ、と碧が鋭い視線を送る。へーい、と朱はきちんと持ち直した。
「まっ、オレが勝つけど」
「今のところ僕が勝ち越しているんですが?」
「引き分けの間違いだろ?」
 交わす言葉は鋭さを宿していた。それこそ、手合わせの最中のような声色だ。眇められた朱と碧がふっと解け、同時に笑みをこぼす。一転、穏やかな空気が二人を包んだ。
「お正月が明けて落ち着いたらお願いします」
「任せとけって」
 また二人で蕎麦を啜る。出汁に浸した海老天は、すっかり水分を吸ってふにゃふにゃになっていた。トースターで温めたてのサクサクも美味しいが、汁を吸ってふにゃりとした衣も美味しい。どちらも楽しめるのが、各々好きなタイミングで載せる今のやり方だ。
「来年もよろしくお願いします」
「よろしくなー!」
 烈風刀は衣が剥がれ落ちそうな天ぷらをそっと箸で持ち上げる。雷刀もまた、尻尾だけになった天ぷらを持ち上げた。あ、と二人同時に口を開ける。箸に捕らえられたそれらは、大きく開かれた口の中に吸い込まれていった。
 パリン、と固い音が夜が降りきった世界に響いた。

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#嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀

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躑躅色飾る夜【はるグレ】

躑躅色飾る夜【はるグレ】
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サンタグレイスちゃんクルー本当に可愛いよねってのとウキウキでサンタクロースやるグレイスちゃん可愛いよねって感じのはるグレ。
メリークリスマス!

 白いフェイクファーで彩られた手が銀色に伸びる。冬夜の空気に晒された金属は、凍っているのではないかと疑うほど冷たかった。鈍く光るノブを握り、音をたてないようにゆっくりと回す。横向きの長いそれを下ろしきり、おそるおそるといった調子で引く。普段の彼女からは想像できないほど慎重な手つきをしていた。
 傷が付いた扉の向こうは、ほんのりと明るさを持っていた。きっとカーテンを閉めていないのだろう。部屋の主は日常に関わる全てにおいて無頓着なのだ。
 細く開けたドアの隙間から、滑り込むように身を差し込み中へと入る。室内は廊下と同じくひやりとした温度をしていた。寄宿舎の各部屋にはエアコンが備え付けられているが、彼が使っているとは到底思えない。予想通りの様子に、緊張で張り詰めた胸に少しの安心が落ちた。
 これまた音が鳴らないように注意しながら戸を閉め、少女は薄明かりの中そろそろと足を進めていく。摺り足と表現するのが相応しい動きだった。部屋の床は硬いフローリングである。硬質なヒールが打つ高い音が鳴らないように気を付けねばならないのだ。本当ならば音が鳴らないようなものを履いてくるべきだが、それでは格好が付かない。今日はきちんと着飾らねばならないのだ。
「グレイス?」
 二歩進んだところで、すっと影が差す。すぐ近く、目の前から己を示す響きが飛んできた。突然の出来事に、思わずぴゃっと悲鳴をあげる。黒い編み上げブーツで彩られた足が一歩退く。カツン、と高い音が薄闇の中に落ちた。
「ねっ、寝てなさいよ! 何時だと思ってるの!」
「寝ていましたよ。ただ、きみの気配がしたので」
 夜中だということを忘れ、グレイスは大声をあげる。部屋の主であり目の前に立つ始果は当然のように言葉を紡ぎ、小さく首を傾げた。気配って何よ、と躑躅の少女は苦い顔をする。彼は忍であり、気配に敏感なことは知っている。それでも人を識別できるだなんて、一体どういう理屈なのだ。疑問渦巻く少女の顔に、不思議そうな色を宿した瞳が向けられた。
「とにかく、ちゃんと寝てない子のところにはサンタは来ないわよ」
 悔しまぎれに少し意地の悪いことを言ってやる。返ってきたのは残念そうな声ではなく、さんた、と感情の無い復唱だった。
「さんた……とは何でしょうか?」
「え? サンタはサンタでしょ? あんた、サンタを待ってたんじゃないの?」
 不可思議そうに首を傾げる少年に、少女は驚いた声をあげる。彼の後ろ、無機質なベッドへと急いで視線をやる。枕元には、ビビッドな色をした大きな靴下が吊り下げられていた。クリスマスの夜、サンタクロースからのプレゼントを待ち遠しく過ごす子どもとまるきり同じ姿だ。だというのに、何故サンタを知らないというのだ。
 つられるように、カナリアの瞳がマゼンタと同じ方向に向けられる。ベッドのすぐ脇に注がれたそれに、あぁ、と合点がいったような声を漏らしたのが聞こえた。
「くりすますはこうするときみが来てくれるのでしょう?」
 それが常識であるかのように始果は言う。ぱちりと瞬く目は純粋な色で、疑うことなど全くしていないものだ。ぅ、とグレイスは小さく喉を鳴らした。
 クリスマス。サンタクロース。靴下。プレゼント。
 全てはネメシスに来て初めて迎えた冬、レイシスが教えてくれたことだ。クリスマスの夜、枕元に靴下を吊しておくとサンタさんがプレゼントを入れてくれるんデスヨ、とにこやかに語る薔薇色の姿は今でも覚えている。事実、クリスマスの翌朝、吊り下げた靴下の中に大きなプレゼントが入れられていた。不思議な現象に驚いたことは記憶に新しい。
 けれども、それはサンタクロースという謎の人物によるものではなく、姉の仕業だということはとうに理解していた。後でからくりを知った時は少しの落胆を覚えたが、今では別の感情を宿している。心弾むこれは、きっと楽しさというのだろう。
「とにかく! サンタが来てあげたわよ!」
 透き通る肌をした手を胸にかざし、躑躅は高らかに言う。自信満々な音色と大きく鮮やかな瞳は、黒の世界に散りばめられた星々と同じほど輝いていた。
 サンタクロースの役割が与えられたのは、ネメシスで過ごす二度目の冬のことだ。トナカイのカチューシャと赤を基調とした衣装、そしてプレゼントがたっぷりと詰められた大袋で身を飾り、同じくサンタになった双子兎と夜を駆け回ったのだ。どの家にも煙突がなくて慌ててしまったことは未だに記憶に残っている。少し苦い思い出を頭の隅に押しやり、少女はふふん、と楽しげな笑い声を漏らした。
 今年も冬がやってきた。つまり、またサンタの役割を果たす日が来たのだ。だから普段は眠っているこんな夜中に部屋を抜け出してここを訪れたのだ――プレゼントを渡すべき彼は起きてしまったのだけれど。
 肩に担いだ大きな袋を床に置く。口を縛る長いリボンを解き、中に手を入れる。もう残り少なくなったプレゼントの海から目的の物を取り出す。なめらかな手に握られているのは、深緑の箱だった。細長いそれの頭には、真紅のリボンが蝶々結びで巻いてある。クリスマスをよく表した彩りをしていた。
「はい、クリスマスプレゼント。寝てない悪い子だけど、特別にあげるわ」
 ふん、と鼻を慣らし、グレイスはこちらを見下ろす始果の胸に緑を押しつける。普段は手甲に包まれている硬い指が、柔らかな手ごと箱を包み込んだ。びくん、と少女は思わず小さく跳ねる。急いで指を離し、プレゼントと大きな手から逃げた。
「開けてもいいですか?」
「……いいけど」
 少年の問いに、小さな了承の言葉が返される。節が目立つ手が、シックな色合いをしたリボンと包み紙を解いていく。彼にとっては少し小さめのそれに触れる手つきは丁寧でどこか愛おしげなものだ。開けたところでこんな闇の中見えるのだろうか、と些末な疑問が湧き出る。妙に夜目がきくから見えるのだろう、と一人結論づけた。
 壊れ物を扱うかのように、忍の少年は緑に包まれていた白い箱の蓋をゆっくりと開ける。中から現れたのは、紙の緩衝材の中横たわる瓶だった。透明で厚いそれは、たっぷりの液体とピンクで満たされている。薄闇の中でも鮮やかな色合いは存在感を放っていた。
「……花ですか?」
「ハーバリウムよ」
 はーばりうむ、と狐は復唱する。予想通りの反応に、知らないわよねぇ、とこぼしてトンと瓶を突いた。
「保存のきく花よ。あんたの部屋、殺風景すぎるのよ。飾っときなさい」
 忍の少年は物への執着が全くと言っていいほど無い。彼が身を寄せる寄宿舎の一室は、備え付けの家具と己が持ち込んだクッションしかないのがそれをよく表していた。殺風景という言葉では足りないほどの様相である。少しぐらいは日常に彩りを求めるべきだ。
 それに、彼が躑躅咲く植え込みを眺めている姿を学内で何度か見かけた。きっと花が好きなのだろう。だから、鮮やかなピンクの花が詰め込まれたこれを選んだのだ。
 はい、と呟くような声で応え、始果は瓶に指を滑らせる。彼の背から差し込む月光を受け、透明なガラスがほのかに輝いた。
「……まぁ、安いやつだからそんなに日持ちしないけど」
 保存がきく、と言ったものの、ハーバリウムの寿命はあまり長くない。安物ならば尚更だ。本当ならばよくもつ良い物を選びたかったのだが、学生の身でありナビゲーターとして日々活動する己の財布事情はいいとは言い難い。アルバイトをしたものの、四人分ともなると保存期間が長い上等なものを選ぶのは難しかった。結局、少しチープなもので済ませてしまったのは悔しいことである。
 少女の言葉に、少年は首を傾げる。薄闇の中、月光を背にした顔はきょとりとしていた。
「はーばりうむには値段が関係あるのですか?」
「あるでしょ。高い物の方が綺麗だし保存がきくもの」
「そうなのですか……」
 とっても綺麗なのに、と狐は呟く。高いのはもっと綺麗よ、と躑躅は思わず返す。言葉にすると、やはり後悔が胸を襲う。音にならない唸りが細い喉から漏れた。
 くるりと振り返り、忍は窓辺へと向かう。カーテンが開け放たれたまま、月明かりを部屋に注ぎ込むそれの脇、備え付けのシンプルな机にガラス瓶をそっと置いた。差し込む柔らかな光を受け、花弁の色が薄く滲む影が木製の天板に落ちた。
「大切にしますね」
「そうよ。ちゃんと飾っときなさいよ」
 ふわりと笑う始果に、グレイスは呆れたように返す。はい、と優しい響きをした声が二人きりの部屋に落ちた。
 脇に置いた大袋の口を縛り直し、少女は白いそれを肩に担ぐ。中身はだいぶ減ったものの、あまり力の無い己の身体には少しの負担を感じる重さをしていた。ふぅ、と思わず疲労が滲む溜め息を漏らした。
「じゃ、もう寝なさいよ」
「……グレイスはまだ寝ないのですか?」
「レイシスの部屋に寄ってから寝るわ」
 一日かけたサンタの役目はまだ残っている。最後にクリスマスやサンタクロースを教えてくれた――そして、己にとって初めてのサンタクロースになってくれたレイシスの元にプレゼントを届けねばならない。彼女はいつも、特に妹のように接してくる己に対しては与える側にばかり回っている。たまには与えられる側に回るべきである。何より、お返しがしたいのだ。あの喜びに溢れた日をもたらしてくれた姉に。
 そうですか、と少年はこぼす。どこか不満げな音色をしているように聞こえた。彼は少し過保護なきらいがある。こんな遅くまで起きているのが気に入らないのだろうか。それはお互い様だというのに。
「おやすみ。ちゃんと寝なさいよ」
「はい。おやすみなさい」
 ひらひらと手を振り、躑躅は部屋を出る。冷えた冬の空気が剥き出しになった肩を撫でた。小さく震え、少女は歩き出す。ポケットに手を入れ、中に合鍵が入っていることを今一度確認しつつ廊下を進んだ。
 サンタクロースの夜はもう少しだけ続く。

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#はるグレ

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おなかはとってもしなやかだから【ライレフ/R-18】

おなかはとってもしなやかだから【ライレフ/R-18】
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オニイチャンにお腹ごちゅごちゅ突かれて「ぅえ、やだ、むり、おなかやぶれる」ってグズグズ泣いちゃうつまぶきれふとくんはかわいい

 肉と肉がぶつかる音が薄闇に響く。注挿が行われる度、粘ついた水音が結び合わさった場所からあがった。淫らな音が鼓膜を震わせ、腰骨から脊椎を凄まじい刺激が駆け抜けていく。脳味噌に叩きつけられたそれは、快楽というラベルが貼られていた。
 下腹部同士がぶつかりあうと同時に、腹の奥底をノックされる。否、ノックなんて可愛らしい言葉では済まない。叩きつける、殴りつける、と表現した方が相応しい勢いと強さをしていた。それこそ、今まさにぶつかっている壁を破らんばかりに。
「ヒッ、ぁ……ぅあッ、あ、あっ」
 ごちゅん、と腹の突き当たりをめいっぱいに抉られ、烈風刀はひたすらに甘い声をこぼす。脳天が痺れるような快感が身体中を駆け巡っていく。思考全てを消し飛ばすようなそれに、動くことすらままならない。こんな多量の法悦を与えられて、もう人間としてまともに動けるわけがなかった。許容限界を超えんばかりの悦楽を逃がすようにとろけた目から涙を流し、声帯を震わせ艶めいた声をあげるのが唯一できることである。
 熱塊が肉洞を穿つ。張り出た部分が柔らかな襞をこそぎ取るように擦り、固く張り詰めた先端が行き止まりを叩く。鍛えられた腹を破かんばかりの勢いだ。このまま力いっぱい突かれていれば、本当に破れてしまうかもしれない。官能に染まりきり思考力がゼロになりつつある脳味噌があり得ない妄想を生み出す。途端、甘い快楽が走り続ける背筋を恐怖がなぞった。
「ぃっ、や……だぁ……、ぁっ、おなか、やぶれ、るっ、ゥう……」
 単音を奏でるだけの嬌声の中に、ようやく意味を持った言葉が混ざる。眦から絶え間なく涙をこぼしながら言う様は、子どもが怪談話に怯えるような可愛らしさがあった。同時に、雄の欲望を煽るような艶めきがある。この場ではどちらが意味を成すかなど、火を見るより明らかだ。
 快楽と恐怖が混ざり合った喘ぎを漏らす中、音が鳴るほど激しかった腰使いがぴたりと止まる。ようやく淫悦の嵐が止み、碧は荒い息をこぼす。酸素を補給する役割を果たす口と喉は快楽を謳い上げるばかりで、呼吸という人間として必要な行動をろくに行えずにいた。全力で身体を打ち付けられ揺さぶられていたのだから尚更である。法悦に沈められ酸素が足りない脳味噌は、性感が湧き上がらせる涙が膜張る瞳は、世界をぼんやりとしか認識できなかった。ただ一つ、目の前の朱だけをはっきりと認め、求めている。
 短く整えられた爪が食い込むほど鷲掴んでいた手が腰から離される。筋が目立ち始めたそれが、縋るようにシーツを握っていた己のものと重ねられた。そのまま優しく握られ、布地の上を、肌の上を滑るように導かれる。辿り着いたのは、己の腹の上だった。多量の汗と絶えずこぼす先走りでべたべたになったそこに、重なった二人分の手が添えられる。
 握る手に力が込められ、ぐ、と手を、腹を押される。ほんの軽いものとはいえ、襲う圧迫感が苦しみをもたらす。それ以上に、うちがわに迎え入れた雄の存在を強く知らしめてきた。この腹に愛しい人を受け入れているのだと再認識した瞬間、ぶわりと汗が、熱が湧き出る。愛する人を咥え込んだ後孔が吸い付くようにきゅうと窄まる。さんざっぱら荒らされた腹の奥がじんと甘い疼きを覚えた。
「ほら、烈風刀のお腹はこんなに丈夫なんだぜ? これぐらいじゃ破れねーよ」
 ぐ、ぐ、と強度を確かめるように何度も腹を押される。鍛えられた腹は、手如きが与える負荷など反発し確固たる硬度を誇ってくる。これしきのことでは破れはしない、と訴えてくるようだった。
 だいじょーぶ、と雷刀は笑みを含んだ声で唱える。安堵させるように、散々揺さぶられて乱れあらわになった額に口付けが落とされた。ちゅ、と性の匂いが立ちこめる空間に相応しくない、児戯めいた可愛らしい音色が降ってきた。
 分かっているのだ。この程度のことで腸は、筋肉は、脂肪は、皮膚は、突き破られたりしない。けれども、まともな判断能力などとうに失ってしまった思考は一度湧き出た不安を払うことができなかった。突き破られてしまうなんて幼稚な恐怖を覚えるほど、律動は激しく穿つ雄は鋭く硬いのだ。
「だから、いっぱいきもちよくなりな?」
 眼前の夕焼け色が三日月を形作る。八重歯が覗く大きな口、その端がニィと擬音が聞こえてきそうなほど吊り上がる。優しく柔らかな言葉と正反対の、凶暴な獣を思わせる姿だった。どれだけつがいを慮ろうとも、獰猛な本性が隠せていない。
 ようやく呼吸を安定させ始めた喉が引きつった音をたてる。こんな表情を目の前にして、捕食者に見定められて、食われることを宣言されて、『大丈夫』なんて優しい言葉は吹き飛んでしまった。新たな恐怖が湧き起こる。腹を突き破られ、骨まで残らず食い尽くされる恐怖が。
 同時に、侵入者を咥え込んだ内部がきゅうと締まる。離すまいとしかりと捕らえ、肉襞が蠢き奥へと誘う。全て食らってください、とねだるような動きだった。どれだけ恐怖を覚えようと、身体は与えられるであろう快楽を貪欲に求めた。
 押しつけられていた腰が退いていく。浅ましくも寂しさを覚えた瞬間、ばちゅん、と肉に肉が叩きつけられる音が部屋に響き渡った。音を認識するより先に、身体全てを支配するような衝撃が脳味噌を揺らす。目の前に光の粒が舞う。
「ぅっ、あ、アッ! あァッ!」
 凄まじい衝撃に、烈風刀は鋭い叫声をあげる。悲鳴と同義の響きだ。けれども、そこにはとろけきった甘さがふんだんに含まれていた。身体を、内臓を直接揺さぶられたことが原因ではないのがはっきりと分かる音色をしていた。
 ゴリゴリと音が聞こえてきそうなほど、柔らかな肉筒を硬い雄根が擦り上げていく。傘になった部分が解れきった内壁全てを刺激し、充血し確かなる硬度を誇る先端が奥底、行き止まりの壁を穿つ。勢い良く注挿し奥の奥を抉る様は、腹を破かんとせん動きにしか思えなかった。それでも、兄の行動全ては受容しきれないほどの快楽を生み出す。聡明な頭を強烈なピンク色に染め上げていく。きもちいいことしか認識できないように書き換えていく。
 腹に置いた手に、明らかに揺さぶられる以外の感覚が伝わってくる。うちがわを荒らし回る存在を、そとがわから認識させられる。突き込まれる度、支配者の形に腹が膨れ形を変えているような感覚に陥った。腹を破られることも、腹が膨らむことも、腹が形を変えることもあるはずがない。理性は冷静に説いただろう。もっとも、今その理性は法悦の波にさらわれ姿を消してしまっているのだけれど。
「ア、やだぁっ! らいと!」
「だいじょーぶッ」
 制止を訴えようと、勝手に震える声帯をどうにか制御して恋人の名を呼ぶ。それも、信憑性など欠片も無い言葉で切り捨てられた。そもそも、紅潮しとろけきった泣き顔で、淫欲に溺れきった甘ったるい声で、従順に腹に手を添えたままの姿で、獣の動きを制止できるはずなどない。余計に欲望を煽り、情火に燃料を注ぐだけだ。
 ごちゅん、ごりゅん。潤んだ粘膜を肉槍が穿っていく。繊細な肉を、大切な場所を、雄が蹂躙していく。恐怖を生み出す律動だ。それ以上に、肉の悦びを叩き込み、人間らしい部分を一切合切奪い去る腰使いだ。きもちいいことばかりをぶちこんで、動物としての本能を剥き出しにしていく。人間らしさなどこそぎ落とし、獣としての欲求だけにしようとしていく。
 あ、あ、と碧はひたすらに声をあげる。それしかできなかった。受容限界を超える官能を止むことなく浴びせられて、能動的に動くことなどできるはずがない。突かれた奥底から湧き上がるきもちよさが勝手に声帯を震わせ、呼吸のために開かれた口が勝手に嬌声を奏でるだけだ。
 動かすことができずに添えたままの手は、腹の中身を抉られる感覚を絶えず訴えてくる。愛するつがいがどこまで侵入しているのか、支配されるべき肉食獣にどこまで食らわれているのか、つぶさに報告してくる。おかげで、咥え込んだ雄を余計に意識してしまう。どれほど深くまで繋がっているかを教え込まされる。どれほど快楽を求め穿ってくるのかを教え込まされる。ただでさえきもちがいいというのに、もっともっときもちがよくなってしまう。愛し人を迎え入れた肚は、歓待するようにきゅんきゅんと収縮を繰り返した。
 ごちゅん、ぶちゅん。狭穴に肉茎が突き立てられる。太い異物をめいっぱいに咥え込んでいる場所は、痛ましいほどに真っ赤に膨れていた。だというのに、二人分の淫液に濡れて艶めく様を見て湧き出るのは淫らの一言だけだ。献身的なまでに恋人を根元まで受け入れ、猥雑なる音を奏でる結合部は、筆舌つくしがたいほど卑猥であった。
 隘路の突き当たりを一心不乱に穿たれる。やはり、腹を破らんとしているとしか思えなかった。少なくとも、奥の奥、突破されてはいけない壁をぶち破らんとしているのは確かだ。だって、そこは一番きもちよくなれる場所なのだから。
 恐怖と期待が胸に渦巻く。内部から身体を破壊される恐ろしさ。脳味噌が使い物にならなくなるほどのきもちよさ。凄まじい情動がぐちゃりと混ざるも、全て孔悦によって吹き飛ばされる。できることなど、己を食らいつくさんとするけものに身を預けることだけだ。
 槌を打ち付けるように、秘められた襞を剛直が穿つ。ごつん、ぐぷん。受け入れる側の負担など一切考えていない動きで欲望で熱された刃を突き立てる。理性が残っていれば、互いに多少はセーブできただろう。理性など一欠片も残っていないから、こんな生殖本能に支配された動物のようにまぐわっているのだ。
 ごぷん、と腹の一番奥から音が聞こえた気がした。
「――――ぁ」
 バチバチと電流が背筋を駆け上がる。脳まで上り詰めたそれは、全貌が見えないほどの快楽を全力でぶちこんだ。
 ビクン、と組み敷かれた白い身体が跳ねる。同時に、屹立を咥え込んだ場所がきゅうぅと強く締まった。侵入者を逃がすまいとする動きだ。支配者に更なる蹂躙をねだる動きだ。悦びの頂に達したのだと主張する動きだ。
 唾液で塗れた唇がぱくぱくと動く。明朗に言葉を紡ぎ上げるそこから声が発せられることはなかった。人間の基礎たる発生方法すら消し飛ばすほどの衝撃だった。これでもかと見開かれた目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。受容限界を超えた悦びを逃がす姿だった。身体全てを支配する悦びを謳い上げる姿だった。
 朱い目が細められる。荒い息をこぼす口が引き結ばれる。ギリ、と歯が擦れる音が聞こえた気がした。それも一瞬だけで、すぐに解けて歪な弧を描く。は、と降ってきた吐息は焔のような凄まじい熱を帯びていた。
 一度突き破られた襞は、返しとなって雄を抱きとめる。敏感な先端を、張り出た傘を、硬い幹を擦っていく。いっとうきもちいいのだろう、求めるように奥ばかりを突かれる。ごぷごぷと破った壁の向こう側をめいっぱいに刺激される。
 雄の象徴が奥底を荒らしに荒らし回る最中、被食者は身体を跳ねさせるだけだった。不規則にびくびくと跳ねる様は、不安すら覚えるものだ。それも捕食者に全て押さえつけられるのだけれど。
 きもちいい。きもちがよくてたまらない。
 突き込む側が最上にきもちよくなれる場所なのだ、受け入れる側だって一番きもちよくなれる場所だ。あれほど恐怖を覚えていたというのに、肚の奥を突き破られた瞬間そんなものは消し飛んでしまった。残るのは『きもちいい』の五文字だけだ。快楽だけを受容するよう都合良く書き換えられた脳髄が、めいっぱいに満たされる。幸福で仕方が無い。
 ひゅ、かひゅ。無駄な開閉を繰り返す口から細い音が鳴る。喉が呼吸をしようと必死に運動しているのだ。襲い来る淫悦に吹き飛ばされて死んでしまわないように、本能は懸命に生に縋った。
「――ッ、ぁ、ア! ぁあ……!」
 ようやく喉が動き出す。いの一番に行ったのは呼吸ではなく発声だった。嬌声をあげる口元は綻んでいた。否、綻ぶなんて美しい表現は相応しくない。だらしなく緩んで、とろけきって、へにゃりとしていた。八の字に下がった眉。細められた目。緩んだ口。常ならば整った顔のパーツは、情けない笑みを作っていた。幸せで仕方が無いと主張していた。
 獣欲を煽る艶声に誘われ、雄は更に奥へと侵入を果たそうとする。縁に引っかかるほど退き、助走をつけて奥の奥を穿つ。抉る。突き破る。繰り返される注挿は重いなんて言葉では済まなかった。証拠に、ぶつかる度にあがる音は酷く大きく強烈な響きをしていた。
 ぐちゅん、ぼちゅん。襞が突き破られては戻りを繰り返し、欲望の証を扱く。張り出た傘が守られていた大切な場所をごりゅごりゅと擦っていく。互いに凄まじい快楽を覚えるものだった。穿って、穿って、穿って。破られて、破られて、破られて。その度にきもちがいいと神経が悦びの声をあげ、身体中を支配した。
 ばちゅん。一際大きな音が鳴る。ぁ、と小さな声が降ってくる。瞬間、暴かれてはならない部分が熱を覚えた。
 ァ、とこちらも声をあげる。ぱちん、と何かが弾けるような感覚。すぐさま、言語化などできない快感が脳味噌を支配した。一際大きく身体が跳ねる。また頂点に至ったのだ。本日二度目のドライオーガズムは、神経を焼き切り全てを焼き尽くしていく。情欲の焔で身体中を焼き尽くして、きもちいいことだけで満たしていく。
 未だ律儀に添えられた手は、内部の様子全てを訴えかけてきた。びゅーびゅーと種が注がれる音。どくどくと精を吐き出す雄が脈打つ音。触覚では決して認識できないものが皮膚から伝わってくるようだった。
 ぁ、あ、と烈風刀は意味など無い音を漏らす。熱を多分に孕んだものだった。とろけきったものだった。幸せでたまらないといったものだった。緩みきった口は、精を注がれ種を植え付けられる悦びを細い声で表していた。
 濁液を注がれ汚される肚がきゅうきゅうと締め付ける。柔らかな襞が根元まで埋め込まれた雄を撫で上げる。搾り取る動きだ。最後のひとしずくまで全部ちょうだい、と貪欲にねだっていた。
 ようやく欲望の濁流が勢いを失っていく。人間の射精などほんのわずかな時間で終わるはずなのに、永遠とすら思える時間だった。永遠に精を吐き出し、子種を注ぎ込み、つがいだと刻み込む。永遠にうちがわを焼かれ、子種を注がれ、つがいだと刻み込まれる。互いに望んでいるのに、人体は正常に動作を終えた。
 荒い息が二つ重なる。時折濁った音が混じるほどの激しさだ。当たり前だ、全身全霊を持って受け入れて受け入れられていたのだから。
 はー、と長い溜め息。降ってくる吐息は多少落ち着いていた。それでもまだ浅くて不安定だ。まだ本調子では内呼吸を繰り返しながら、朱は手を動かす。緩慢に動くそれが、腹に載ったままの手に重ねられる。汗ばんだ皮膚と皮膚が合わさり合うのは少しばかり快くない。けれども、伝わってくる熱はそれ以上に心地良くてたまらなかった。触れた部分から幸せが湧き出るような感覚だ。
「だいじょぶだったろ?」
 そう言って兄は笑みを浮かべる。いつもの朗らかさが無い、少し下手くそなものだった。疲れ切った調子で笑顔を浮かべろという方が難しいのだから仕方が無い。
「だいじょぶ、じゃ……ない、ですよ……」
 ようやく呼吸が安定してきた喉で、弟はどうにか言葉を紡ぎ出す。途切れ途切れのそれはまだとろけたものだ。熱を孕んで、幸福に浸って、悦びを謳う音をしていた。
「お、なか、あつくて……いっぱい、で……」
 未だ受け入れたままの雄は、多少硬度を失っても狭穴を塞ぎ込むほど質量と直径をしていた。栓として機能するそれは、肚の全てを焼く熱を奥の奥に留めていた。肚が熱くてたまらない。肚が満たされてたまらない。心が満たされてたまらない。それ以上に、酷い渇求を覚えた。もっと欲しい、なんて浅ましい願いを。
 紅玉がぱちりと瞬く。数拍、大きな口が三日月型に歪んだ。つがいを愛おしむ笑みだ。餌を見つけた捕食者の笑みだ。
 凶悪と表現するのが相応しい笑顔を前に、碧い目から涙がこぼれ落ちる。恐怖を覚え湧き出たからではない。ふわりと細まったからだ。碧もまた三日月を作った。ゆるみきった、とろけきった、だらしない笑顔を作った。これ以上無くつがいを誘う笑みを作り上げた。
 肚の中で雄が脈打ち始める。質量が増し、大きくなっていくのが腹に置いた手を介して分かった気がした。

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#ライレフ #腐向け #R18

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甘い幸せ分けっこ【ハレルヤ組】

甘い幸せ分けっこ【ハレルヤ組】
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ハレルヤ~~~~~~~~Cafe VOLTEにケーキ食いに行ってくれ~~~~~~~~~(発作)
というわけでハレルヤ組がケーキ食べるだけの話。

 ボックス席の広いテーブルの上に音も無く食器が置かれていく。よく磨かれた小ぶりなフォーク、シンプルながらも上品なデザインをした皿、温かさを感じられる白を鮮やかな赤で縁取ったカップ。それぞれが目の前に並べられた。空になった銀の盆を脇に抱えたウェイトレスは、ごゆっくりどうぞ、の一言と伝票を残し美しい足取りで去っていった。
 はわぁ、と感動と歓喜に満ち溢れた声が向かい側から聞こえる。並べられた輝くような白い皿、その上に載せられた美しいケーキを前に、少女は真ん丸な可愛らしい目をキラキラと輝かせていた。つやめく薔薇輝石の瞳が、フルーツでカラフルに彩られたケーキを一心に見つめる。たおやかな手は、震える心と湧き上がる喜びを表すように笑みを形作る口に添えられていた。
 ぱちん、と小さな音をたてて手が三対合わさる。いただきます、と広い席に元気な三重奏が響いた。
 華奢な指がナプキンの上に置かれたフォークを手に取る。銀色が、色彩鮮やかなケーキにそっと差し込まれる。ナパームでつやめく果実とそれらを支えるカスタード、アーモンドクリーム、タルト生地が一口サイズに切り分けられた。ブルーベリーといちごが輝く一欠片を慎重に刺し、桃は小さな口にカトラリーを運んだ。赤い口内に銀の先端とケーキが消える。もぐもぐとまろく柔らかな頬がゆっくりと動く。んー、と喜びで溢れかえった声が閉じた口から漏れ出た。
「美味しいデス~!」
 頬に手を添え、レイシスは幸せ色に染まりきった声をあげる。甘い物が大好きな彼女にとって、ケーキは幸せをそのまま形にしたような素敵なものだろう。新鮮なフルーツがたっぷり載った贅沢な代物は、彼女の心を十二分に満たしたようだ。
 可愛らしい様子に薄く笑みを浮かべつつ、烈風刀も同じくフォークを手に取りケーキを切り分ける。きめの細かい薄い黄色のスポンジと真っ白なクリーム、その中に覗く赤いいちごに銀が刺される。口に運ぶと、バニラの甘さがふわりと香る。濃厚ながらもしつこさを感じさせないミルクの風味、砂糖の穏やかな甘みが舌に広がった。綿飴のようにすぐに溶けてしまいそうなほどふわふわなスポンジと少し固めに立てられた生クリームのなめらかな舌触りが気持ち良い。己でもケーキを作ることはいくらかあるが、こんなにも軽く、それでいて満足感が得られるような代物を作ることなど不可能だ。学園の女子たちに絶大な支持を得ているのも納得の味であった。
 ケーキ食べに行きマセンカ?
 控えめで可愛らしい誘いが来たのは三日前のことだ。世界の更新も無事終わり、今はちょうど運営業務が落ち着いてきた頃合いである。ようやく自由な時間を手に入れられてきたからこその言葉だろう。どうデショウカ、と伺う瞳には少しの不安が膜張っていたことを覚えている。
 もちろん、兄弟二人で二つ返事をした。好きな女の子と出掛けられる。それも『カフェでケーキを食べる』だなんてデートのようなことを、だ。絶対に逃したくない、人生で一番逃すべきではない機会である。そもそも、この愛する少女の提案を断るなどという選択肢は双子の中に存在していなかった。
 そうして足を運んだCafe VOLTE。ショーケースでケーキを選んで食べる今に至る。
 ショートケーキをもう一口食べ、少年は続いてカップに手を伸ばす。中で湯気を立てる黒にそっと息を吹きかけ、赤い縁に口を付けた。コーヒー特有の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。舌の上に深い苦みと少しの酸味が広がっていく。ケーキの甘みが洗い流されていく心地だった。香りも味も、家で飲むものとは段違いだ。さすがカフェラテを名物にしているだけある。
「烈風刀、烈風刀!」
 ハイテンションな声が己の名を呼ぶ。カップを置き隣を見ると、そこには少女と同じくらい目を輝かせた兄の姿があった。手に持ったフォークの先には黒いものが刺さっている。彼が頼んだのはガトーショコラだっただろうか。少し遠い位置から、それも一口分しか見えないというのに、生地がみっちりと詰まっているのが分かる。きっととても濃厚な味がするだろう。
「これすっげーんめぇ! 食ってみろよ!」
 ほら、あーん。雷刀は手にした食器、突き刺したケーキをこちらへと伸ばしてくる。否、突きつけるといった方が正しい勢いと距離だ。あまりの近さにか、チョコレートの香りが鼻を掠める。誘われるように素直に口を開き、シックな黒を迎え入れた。
 瞬間、先ほどの比ではないほどのチョコレートの香りと風味が口内に満ちた。少し固い歯触りながらも、舌に載せればゆっくりと溶けていく。生チョコレートとよく似た食感をしていた。驚くほど濃厚な舌触りと味わいだ。やはりここのケーキは上等だ。それでいて学生でも手が出せるギリギリの値段なのだから恐ろしい。
「美味しいですね」
「だろ? すっげぇうめぇ!」
 柔らかに解けるそれを飲み込み、碧は穏やかに声を紡ぐ。味を、感情を共有できたのが嬉しいのか、赤はニッと笑った。マジうめぇ、と彼はまた黒を切り分けて食べる。まだ丸さを残した頬がもごもごと動いた。
「こちらも美味しいですよ。食べますか?」
「食べる!」
 弟は兄の方へと皿を差し出す。もらってばかりでは申し訳が無い。それに、彼のことだからいつも通り後々一口ちょうだい、とねだってくるのは分かりきっていた。だったら先に食べさせてしまった方がいい。
 問いに元気な声が返される。肯定の語を紡いだ口が、あ、と大きく開かれる。子どもめいた姿にはいはい、と呆れた調子で漏らし、碧い少年はケーキを切り分ける。スポンジと生クリーム、スライスされたいちごがカトラリーに載せられた。隣へと伸ばされた銀食器は、すぐに健康的な口に挟まれた。薄黄色が赤の中に消える。わずかに紅潮した頬が動き、喉が動く。朱い目がぱちりと瞬いた。
「こっちもめっちゃうめぇ! ふわふわ!」
 丸い目を更に丸くし、朱い少年は喜び溢るる声をあげる。どうやらかなり気に入ったようだ。味覚の近い己が好ましいと思ったのだ、兄も気に入るのは納得である。それ以上に、彼は何だって美味しく食べるタイプなのだけれど。
 はわぁ、と溜め息にも似た可愛らしい声が落ち着いた音楽流れる店内に落ちる。確かに聞こえた愛おしい音に、烈風刀はバッと発生源へと顔を向ける。視界にきょとりと目を瞬かせるレイシスが映った。撫子色の瞳は、向かいの席に座る己たち兄弟をしっかりと見つめていた。
 ビクン、と肩が跳ねる。そうだ、今はレイシスも一緒だったのだ。家の中と一切変わらぬ調子の兄につられ、自然に食べさせられてしまった。食べさせてしまった。兄弟で食べさせあうなんて光景を彼女の前で繰り広げてしまった。ただでさえ人に見せるような姿ではないというのに、よりにもよって想いを寄せる女の子の前で家での癖をそのままやってしまった。幼稚な姿を見せてしまった。焦燥と羞恥、多大なる後悔が上等な菓子で潤った心を荒らしていく。食べた物以上の質量が胃の腑に落ちる感覚がした。
「二人だとそういうことできていいデスネ」
 表情を強張らせる烈風刀を、気にせずケーキをを食べる雷刀を眺め、レイシスは穏やかに笑む。微笑ましさがよく出たそれの中に、言葉にしがたい寂しさがうっすらと見えた。
 世界の誕生と同時に生まれた少女は、長い間一人きりだった。小さな妖精が常に寄り添ってはいたものの、同じヒトの形をした存在と出会うまで随分と時間が掛かってしまったという話は聞いている。二回目のバージョンアップが行われた世界には多くのヒトが増え、彼女にも友人がたくさんできた。けれども、立場上運営業務を優先させねばならない桃は遊びに出掛ける機会もあまり多くはない。世界に一番近い女の子は、世界のためにその身を犠牲にしていた。
 そんな彼女には、食べ物を分け与えあう、特に食べさせあうなんて経験はあまり無いのだろう。否、そもそも己たち兄弟がおかしいのだ。皿を交換するだけで済む行為を、わざわざ一口食べさせてやるなんてことは普通無いのだ。長い間一人で暮らし、一人で生きてきたナビゲーターは違和感を覚えていないようだけど。
「ん? レイシスも食う?」
 能天気な声が薄く陰った空気を打ち払う。もう三分の一は姿を消したチョコレートケーキに、フォークがガッと勢い良く突き立てられる。大きく切り分けた塊を刺した銀食器が、少女の前に差し出された。
「ほら、あーん」
 朱い瞳が桃を見据える。突如突き出されたそれに、レイシスはぱちりと瞬きをした。美しいラズベリルが丸くなり、キラキラとした輝きを取り戻す。はわ、と漏れた声は少しの驚きといっぱいの喜びで彩られていた。
「ハイ! アーン」
 意味を理解した桃は大きく口を開く。あーん、と言いながら雷刀はフォークを伸ばす。リップで淑やかに飾られた唇が閉じ、銀の先にあった黒が姿を消した。美しい輪郭をした頬がもごもごと動く。モルガナイトの中に宿る光が更にまばゆく輝きだした。
「美味しいデス!」
「だろ? だろー?」
 感動の声を漏らす薔薇色の少女に、朱い少年はフォークを振って返す。満面の笑みを咲かせる少女を眺める笑顔はどこか自慢げだ。
 はわぁ、と感嘆の声を漏らす桃が銀を手に取る。瑞々しいフルーツがたっぷり載ったタルトが手早く切り分けられた。一口サイズになったそれを崩れないように器用に載せる。照明を受けたナパームがつやつやと光った。
「ワタシのタルトも美味しいデスヨ」
 ハイ、アーン。少年の真似をして、レイシスはフルーツタルトを載せたフォークを差し出す。八重歯で飾られた口の端が嬉しげに上がった。あーん、と復唱し、雷刀は小ぶりなそれを一口で食べる。頬が動き、喉が動く。食物を受け入れた口が笑みを形作った。
「フルーツうめぇな!」
「カスタードとマッチしてるんデスヨネ。甘くて爽やかで美味しいデス!」
 朱と桃はきゃっきゃとはしゃぐ。 その様子を横目で眺める碧は、複雑な色を宿していた。
 愛する少女が楽しく時を過ごしているのは、この世で何より素晴らしいことだ。けれども、その相手が兄だというのが不服で仕方が無い。片想いする少女と恋敵が仲良くケーキを食べさせあう光景を目の前で繰り広げられて、まだまだ発展途上の心が平常でいられるわけがなかった。幸福を嫉妬が食い荒らしていく。荒ぶ心を落ち着けようとコーヒーを一口。何故だか苦みばかりが舌の上を支配した。
 ちらりと兄へと目をやる。少女へと向けられていた目が逸れ、紅玉と蒼玉がかち合う。瞬間、喜びの輝きに溢れた真紅がニマリと細められた。口の片端が吊り上がり、半分笑みを覗かせる。余裕に満ちた笑顔である。何とも腹立たしい笑顔であった。愛おしい少女の前でなければめいっぱいに顔をしかめていただろう。表情を歪めそうになる筋肉を何とかコントロールするも、口の端がひくりと引きつるのだけは抑えられなかった。
「アッ、烈風刀も食べマスカ?」
 弾んだ声が己の名をなぞる。どうにか普段通りの表情を作り、少年は顔を上げた。そこには、フォークを片手に笑顔を咲かせるレイシスの姿があった。ケーキのために用意されたカトラリーには、キウイとオレンジがつやめくタルトが載せられている。細い腕がこちらへと伸ばされた。
「ハイ、アーン」
 ニコニコと笑みを浮かべ、桃は言う。差し出されたケーキ。『あーん』の声。先ほどの兄に与えていた姿と同じだ。つまり、己にもケーキを食べさせようとしているのだ。
 バクン、と心臓が大きく脈打つ。爆発してしまいそうなほどの動きだった。思わず胸を押さえそうになるのを必死に堪える。バクン、バクン、と臓器が騒がしい音をたてて収縮を繰り返す。あまりにうるさいそれを制御しようにも、どうにもできなかった。
 食べている物を一口分け与える。そんなの、幼い頃から兄弟でよくやっているのだから慣れっこだ。けれども、相手がレイシスとなれば別である。恋心を募らせる少女に、直々に食べさせてもらえる。そんな夢のようなことが今まさに起こっているのだ。思春期真っ只中、片想い最中の高校生の心臓が耐えられるわけがない。
 身体が強張る。目が見開かれる。顔が熱を持つ。反対に、指先は氷水に浸したように温度を失っていく。好きな女の子に『あーん』をしてもらえる。夢のような現実だ。受け入れたい。掴み取りたい。恥ずかしい。あまりにも恐れ多い。欲望と理性がぐちゃりと混ざり合う。常は冷静であろうとする頭はもうぐちゃぐちゃになっていた。
 逡巡、烈風刀は小さく口を開ける。ここで断ってしまっては、あの優しい少女は可愛らしいかんばせを曇らせてしまうだろう。判断に時間が掛かっている今ですら、彼女を不安にさせているかもしれない。愛おしい人を悲しませることなどあってはならない。絶対に回避すべきだ。
 あーん、と少女と同じ言葉を口に出す。声は少しつかえ、響きも揺れていた。潤った唇もぷるぷると細かに震えている。緊張が如実に表れていた。緊張するなと言う方が無茶な状況なのだから仕方が無い。
 ハイ、アーン。開いた口に、フォークが、ケーキがそっと入れられる。すぐさま閉じ、少年は身体を銀食器から、少女から距離を取った。心臓は依然うるさく鼓動する。どうにかケーキを咀嚼するが、生地を噛み締める歯すら震えているような気がしてたまらなかった。
「どうデスカ?」
「お、美味しいですね」
 尋ねる桃に、碧はぎこちない声と笑みを返す。こんな凄まじい緊張の中、味なんて分かるわけがない。ケーキを味わう余裕なぞ欠片も残っていなかった。ほとんど塊のまま胃の腑に落ちていったそれに少しの罪悪感を抱く。本来は舌を楽しませる素敵な菓子だというのに、己の心が矮小なせいでただ飲み込むだけになってしまった。きちんと食べたというのに、食べ物を粗末にしてしまった気分だ。
 震える手を制御し、コーヒーを飲み下す。苦みが混乱する脳味噌に活を入れた。少しずつ静まっていく心と頭の中、何かがよぎる。何だ、と思わず思考をそちらに向けてしまう。正体は疑問だった。あのフォークはレイシスが使っていたものだよな、という当たり前の事実が疑問として姿を現した。
 レイシスが使っていたフォークで食べさせてもらった。レイシスが使っていたフォークに口を付けた。つまり。
 身体が固まる。カップを下ろそうとした手が空中で止まる。浅葱の目がこれでもかと見開かれた。心臓がまた騒ぎ立てる。フリーズしたはずの脳味噌は、間接キス、と俗称を叫んだ。
 いや、よく考えろ。あのフォークに直前に触れたのは兄では無いか。食べ物を載せた先端部分に口を付けたのは兄だ。つまり、兄との間接キスである。いつも通りだ。変わらぬことではないか。大丈夫、いつも通り、と頭の中で何度も繰り返す。刷り込んで刻みつけて思い込ませる。疑問を抱く余地を丁寧に塗り潰して無くしていく。
 不自然な動きながらも、どうにかカップをソーサーに置く。ふぅ、と密かに息を吐いた。少し下がった視界、目の前に食べかけのショートケーキが映る。そういえば、食べさせてもらったのに何も返さないのはいかがなものだろうか。それも、相手はケーキが大好きな女の子である。きっと、選べなかった、自分と違うものも気になっているだろう。色んなものを楽しみたいはずだ。
「こちらも美味しいですよ。一口どうぞ」
「エッ、いいんデスカ?」
 剥かれたオレンジを頬張る少女は、ぱぁと顔を輝かせる。えぇ、と柔らかに答え、烈風刀はレイシスの前へと皿を差し出そうとした。
 つやつやの唇が開く。血の通った赤い口が眼前に晒される。あ、と可愛らしい声が大きく開かれたそこから聞こえた。
 突然のことに、少年はきょとりとした様子でその顔を眺める。何故フォークを握らないのだろう。何故口を開けるのだろう。聡明な頭は答えを弾き出す。意味をはっきりと理解する。穏やかに綻んでいた顔が瞬時に固まった。
 口を開けて待つ。つまり、食べさせてもらおうとしている。
 ケーキ皿に触れていた指がピクリと震える。そのまま手を引っ込めてしまいそうになるのを何とか耐えた。
 彼女には一口なんて言わず好きなだけ食べてほしいのだ、このまま皿を押して全て差し出すのが正解に決まっている。けれども、ここで無視をするような対応をしては彼女は悲しんでしまうのではないだろうか。やってもらえなかった、と寂しがってしまうのではないだろうか。嫌がられた、と勘違いしてしまうのではないだろうか。様々な憂慮の中、本能が囁く。何を御託を並べているのだ、お前がやりたいだけだろう、と。
 ギリ、と奥歯を噛み締める。固まった指を動かし、皿の上に載せられたフォークを手に取った。ピースケーキの太い部分、大粒のいちごとたっぷりの生クリームが載った場所を切り分ける。崩れてしまわないように慎重に刺し、持ち上げる。震えをどうにか押さえ込みながら、目の前の少女へと銀色を伸ばした。
「あ、あーん……」
 ただ差し出すだけだったはずが、思わず声が漏れてしまう。いや、彼女も兄もこう言って食べさせていたのだ。言う方が自然である。復唱しただけと判断できる程度の響きだ。理性がそれらしい言葉を並べ立てる。本能は意地悪げな表情でその様を眺めていた。
 可憐な口に、赤いいちごと白いクリーム、黄色のスポンジが近づく。開いたそこが閉じられ、ぱくりとフォークを口に含んだ。見計らって碧は即座に身体を引く。勢いのあまり背もたれに当たり、ソファが揺れた。
 柔らかな曲線を描く頬が動く。白く細い喉が上下し、含んだものを嚥下していく。弧を描いていた目がぱっちりと開かれ、また宝石のようにキラキラと輝きだした。
「いちご美味しいデス! スポンジもふわふわデス~!」
 あげる声は今日一番の感動がにじんでいた。どうやら、かなり彼女好みの味だったらしい。可愛らしい姿に、動悸と表現した方が相応しい動きをする心臓が落ち着きを取り戻していった。
「もう少し食べますか?」
 わずかに身を乗りだし、今度こそぐっと皿を押し少女の真ん前へと差し出す。もう己には手が、フォークが届かないほどの位置だ。また食べさせるような事態にはならないだろう。
「いいんデスカ? あとちょっとしかありマセンヨ?」
「美味しかったんでしょう? 好きなだけ食べてください」
 鴇色の瞳が碧とケーキを行き来する。どうぞ、と背を押してやる。しばしして、いただきマス、と控えめな声とともにフォークが伸ばされた。クリームでコーティングされた生地を小さめに切り分け、少女は口に運ぶ。少しの遠慮と不安がにじんでいた顔は、瞬時に明るいものになった。桃の睫に縁取られた目が閉じ、大きな弧を描く。んー、と漏らす声は幸せをそのまま音にしたような響きをしていた。可愛らしいの一言に尽きる姿に、少年は頬を緩めた。
 もう一口控えめに食べ、レイシスはありがとうゴザイマシタ、と皿を持ち主へと返した。どういたしまして、と白い皿を引き寄せ目の前へと帰還させる。柔らかな白と黄にいちごの赤の差し色がよく映えていたケーキは、残り三分の一ほどになっていた。あまり時間を掛けて食べては表面が乾いてしまう。美味しい物は美味しい状態で食べるべきなのだ。フォークを握り、筋の浮かぶ手が口にケーキを運ぶ。閉じようとしたところで、はたと動きが止まった。
 先ほどレイシスにケーキを食べさせた。己のフォークで食べさせた。つまり、このフォークはレイシスの口が付いたもので。はっきりと触れたもので。
 間接キス。今度こそ、レイシスとの紛うことなき間接キス。
 動きが止まる。一気に冷凍されたかのような固まり方だった。翡翠の目がふるふると震える。脳味噌の中で何かがうるさく騒ぎ立てた。
 どうしよう。どうするべきなのだ。いつだって即座に最適解を弾き出す利巧な頭は、混乱の渦に陥り機能を停止していた。思春期の男子高校生には刺激が強すぎる事実である。仕方の無いことだ。
 間接的なものとはいえ彼女の口と触れ合うなぞ、あってはならないことだ。そういうことは大切に大切にしなければいけないのだ。けれども、このままではケーキが食べられない。皿の上のものは全てレイシスに分け与えるという手があるが、今まさに口に運ぼうとフォークに刺したこの一口は絶対に食べなければいけない。フォークに口を付けなければいけない。レイシスが触れた、このカトラリーに。
 機能を再開するも混乱したまま迷走する頭は、フォークを一旦置く、という答えを弾き出した。カチャリと食器と食器が高い音を奏でる。銀色の上には、ケーキの欠片が載せられたままだ。
 平常心、平常心。まじないのように繰り返し、烈風刀はコーヒーカップに手を伸ばす。もう冷めつつあるコーヒーは、まだ豊かな香りを漂わせていた。惑いに惑いとっちらかった頭を、心地良い香りが落ち着けていく。少し含み、苦みで思考をリセットしようとした。
 あれ、と落ち着きを取り戻し始めた頭が声をあげる。脳内のそれにつられ、碧い目が向かい側に向けられた。
 視界に映るレイシスは、楽しげにケーキを頬張っていた。もちろん、フォークで。先ほど己が口を付けたフォークで。
 つまり。
 ぐ、と思わず喉が狭まる。カップを持ち上げた手がビクンと跳ねる。その拍子に、口内の黒い液体が食道ではない部分へと飛んで入った。迫り上がってくる感覚に、急いで食器を置き口に手を当てる。ゲホ、ゴホ、と湧き上がる咳を手で押し止めた。
「えっ、何? だいじょぶか?」
「大丈夫デスカ?」
「だ、いじょうぶ、です……」
 突如むせ返った烈風刀に、レイシスと雷刀は驚きの声をあげる。整理反射をどうにか抑えながら無事を答える。大丈夫なわけがなかった。身体も心ももうぐちゃぐちゃだ。咳き込みながら、少年は自己嫌悪に陥る。たかが間接キス程度でこんなに動揺するなど、どれだけ初心なのだ。本当に高校生か。咳と呆ればかりが湧いて出た。
 むせる様子が落ち着いてきた頃合い、桃と朱は心配げな瞳を元に戻し、残ったケーキを食し始める。最後の一口を名残惜しげに味わい、二人はフォークを置いた。ごちそうさまでした、と食事の挨拶が輪唱のように奏でられる。美味かったー。美味しかったデスー。コーヒーとカフェラテを味わう口から、満足げな声があがった。
 どうにか常の様子を取り戻しながら、碧はコーヒーをちびちびと飲む。二人が食べ終わったのだから、己も早く食べなければいけない。けれども、未だケーキに、このフォークに手を付ける勇気は無かった。
「…………アノ」
 控えめな声が上がる。炎瑪瑙と苔瑪瑙が上がり、正面を見る。目の前の桃は、可愛らしい瞳をうろうろと泳がせていた。頬にはわずかに紅が浮かんでいる。チークの人工色ではない、血の色だ。
「……ショートケーキ、とっても美味しかったノデ……、もう一個食べてもいいデスカ?」
 口元に手を当て、少女はことりと頭を傾いだ。ツインテールが揺れる。髪と同じ色をした眉はわずかに下がり、八の字を描いていた。浮かべる笑みは先ほどまでの元気いっぱいのものではなく、少し困ったような、恥ずかしげなものだ。
 彼女はよく食べる。それはもうよく食べる。平均よりも食べる量が多い己たちの倍は余裕で食べるほどの健啖家だ。そして、甘い物は彼女の大好物だ。もう一つ求めてしまうのは当然と言ってもいいことである。ここのケーキはあまりにも美味しすぎるのだ。
「オレももう一個食べよっかなー。今度はふわふわなやつ」
 ほら、どいてどいて、と窓側に座っている雷刀は烈風刀の身体を横から押す。弟は大人しく退いて、兄を出してやった。肯定を意味する声に、少女は表情を明るくする。一緒に行きマショウ、と彼女もソファから身を下ろし立ち上がった。ロングスカートの裾がふわりと広がる。
 行ってきマスネ。待っててなー。言葉を残し、二人は飲食スペースからショーケースへと駆けていく。席にはケーキメニューも備え付けられているのだからそれを見て頼めばいいだろうに。いや、きっとケースの中に整列した数々のケーキを眺めながら選ぶのが良いのだろう。その方が絶対に目も心も楽しいのだから。
 カップの中身を飲み干し、烈風刀は息を吐く。碧い瞳は、白い皿へと向けられた。ケーキが五分の一は残った皿に。銀のフォークが横たわる皿に。
 きょろきょろと辺りを見回す。もちろん、桃の姿も朱の姿も無い。そんなことは分かりきっているのに、何故だか確認してしまう。やましいことをするように周りを窺ってしまう。怪しいにも程がある姿だ。けれども、小さな心は周りが気になって仕方が無かった。
 震える手でフォークを掴む。ふぅ、と息を深く吐く。吸って、吐いてをしばし繰り返す。こくりと息を呑む。意を決し、銀のそれを、ケーキが一口載ったそれを口へと運んだ。
 舌の上に優しい甘みが広がった。

畳む

#レイシス #嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀 #ハレルヤ組

SDVX

twitter掌編まとめ5【SDVX】

twitter掌編まとめ5【SDVX】
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twitterで書き散らしてた大体2000字ぐらいの掌編まとめ。twitter掲載時から修正とか改題とかしてるのは気にするな。
成分表示:奈←恋1/キサ+煉1/つまぶき1/はるグレ+レフ1/嬬武器兄弟1/神十字1/火琉毘煉1/ハレルヤ組1/グレイス+ハレルヤ組1

晴れ舞台が焼き付いて/奈←恋
「今度の文化祭、演劇部の舞台でお姫様役をやることになったの」
 そう言ってふわりと笑う親友の横顔は、夕焼けに照らされて色付いていた。夏も終わりに近づいているというのに夕の陽は鮮烈で、白い肌を暖色に染め上げていた。
「……え? お姫様? 奈奈が?」
 処理落ちした脳味噌が、インプットされた情報をやっと理解する。アウトプットされたのは、間の抜けた呆けた声だった。
「変、かしら……?」
「ううん! すっごく似合うわ!」
 穏やかな弧を描いていた眉があっという間に八の字に下がる。陰った可愛らしい顔を前に、慌てて言葉を続ける。そう、と奈奈は依然不安げに首を傾げる。そんな顔をさせてしまうようなことを漏らした己を内心罵倒しながら、似合うに決まってるじゃない、と恋刃は微笑んだ。
「それで、しばらくは練習で遅くなるの。本番まで、一緒に帰れなくなっちゃうと思う」
 寂しげに告げる七色の少女の手を、紅色の少女はきゅっと握る。少し曇った虹の瞳がぱちりと瞬いた。
「待つから一緒に帰りましょ。奈奈一人で夜遅くに出歩かせるのは危ないわ」
 文化祭での公演である、大がかりな物になるだろう。それだけ練習量も多く、日が暮れるまで稽古を重ねるのは容易に想像できた。秋に近づき夜がすぐさま降りてくるようになった今、その程度の理由で親友一人で夜道を歩かせるなど言語道断だ。
「いいの?」
「もちろん。あ、ついでに練習見学できない? 劇の内容気になる」
 明日聞いてみるわね、と七色は笑う。お願い、と紅色も笑った。
 見学許可は簡単に下りた。毎日練習に励む親友を舞台袖から眺め、時には差し入れを持ち込み、時には初めての演技に不安がる様を励まし、時には過度に卑下する姿に檄を飛ばし。練習の日々は過ぎていく。
 文化祭当日は盛況だった。大きな体育館に用意された座席の八割は埋まり、多くの人が舞台の幕開けを待っていた。
 大丈夫かしら。普段とは正反対の黒いドレスに身を包み、カタカタと震えながら奈奈は漏らす。大丈夫よ。すっかりと冷たくなった美しい手を握り、恋刃は自信たっぷりに言う。演劇部の、七色の彼女の努力をずっと見てきた己には、この舞台の失敗など全く考えられなかった。大成功に決まってるわ、と冷えた手を包んで温める。そうだよ、大丈夫、と舞台衣装に着替えた部員たちも口々に言った。
 頑張ってくるわね、と最後には笑顔で手を振った親友は、今は堂々とした姿で舞台に立っていた。初めは緊張でわずかに震えていた声も、今では普段通りの澄んだ、それでいて稽古によって鍛えられたよく通る声をしていた。動きもなめらかで、初心者には見えないものだ。ここしばらくの彼女の努力が結晶となり、ここで輝いていた。
 主人公役である演劇部員の少年も、小さな身体をめいっぱい動かし舞台を盛り上げる。勇者である主人公は、ヒロインであるお姫様を追いかけて国中を旅する。たった一人の険しい旅路の様子を、幼い少年は懸命に演じてみせた。
 物語は佳境に入り、とうとう勇者と姫は出会う。救うべき存在との邂逅だけでは、ハッピーエンドには至らなかった。ナイフを持った勇者は慟哭する。姫の悲痛な悲鳴が会場中に響き渡った。少女の手からリンゴが転がり落ちる。凶器を握ったまま蹲り嗚咽を漏らす少年の手に、たおやかな手が重ねられた。
 どくん、と心臓が大きく脈打つ。え、と思わず漏らした声は、最大の山場を演出する音楽に掻き消された。
 どくん、どくん、と心臓がうるさく跳ねる。気持ちが悪くなるぐらい鼓動が早くなる。背筋を冷たい何かが撫ぜる。嫌な汗が頬を伝う。
 どうして、と少女は一人混乱に陥る。このシーンは練習でも特に見たものだ。主人公の台詞を覚え、帰り道に二人で練習したほどの場面である。なのに、何故か嫌なものが身体中を這って回る。細い身を雁字搦めにして、どこかへ連れて行こうとする。
 精神は暗く揺れ動いているというのに、紅い目は舞台上に釘付けになっていた。細い手を振り払おうとする勇者に、姫は――親友は必死に言葉を振り絞る。序盤か弱く演出されたヒロインの隠された強さが発揮されるシーンだ。大好きな親友の最大の見せ場、最高に格好良い素敵なシーンだ。目が離せるわけがない。なのに、心は目を力いっぱい閉じてしまいたくてたまらなくなる。
 何で。どうして。こんなに素敵な舞台なのに。こんなに素敵な演技なのに。こんなに素敵な奈奈なのに。
 嗚咽を堪えることなく泣く勇者の背に、姫はそっと腕を回す。小さな身体を包み込むように、細い身いっぱい使って抱き締めた。
 奈奈が、誰かを抱き締めている。
 胸がカァと熱を持つ。心臓がギュウと締め付けられる。顔からサァと血の気が引いていく。末端がどんどんと冷えていくのが分かった。
 情動に震える少女は、ずっと舞台を見つめる。見たくもない、と心は意味が分からないことを叫ぶ。見なければならない、と頭は当然のことを語った。
 主人公が、ヒロインが舞台中央で抱き締め合う。金が、赤が、黒が、スポットライトを浴びて鮮烈にきらめいていた。
 輝かしい舞台を見つめる紅は、光など失っていた。焦点の合わないガーネットが、結末で結ばれる二人をただ見つめていた。




口止め料八十円/キサ+煉
 オレンジ色のスニーカーに包まれた小さな足が一生懸命動く。バッジで飾った帽子を揺らし、着崩したモスグリーンのジャケットをはためかせながらキサは廊下を駆けた。
 夏休みの間にたくさんのスクープを撮ることができた。あとはこれを報道するだけだ。あぁ、早くたくさんの大事件を伝えたい。もちろん、起こったのは楽しいことばかりではない。しかし、そこには読み取るべき真実が眠っているのだ。これを広めないで何が報道か。
 走る小柄な身体を、高い影が遮る。ぶつからないように急いでブレーキを掛けた。キュッと靴の底面と廊下が擦れる音があがる。
 塞がる者から何かが飛んでくる。いつも通り、放り投げられた物を両手でキャッチする。学園内の購買で売られているあんぱんだ。大好きなそれに、思わず頬が緩む。それもすぐに戻り、少女は不可思議そうな表情を浮かべた。
「次郎くん、いつもあんパンくれるけど何で?」
「火琉毘煉だ」
 疑問を投げかける少女に、煉はすぐさま訂正を入れる。『火琉毘煉』はあくまで彼が名乗っているだけで、本名は『鈴木次郎』である。真実を伝えるべき存在でありたいのだ、人のことはきちんと本名で呼びたい。
「いつも勝手に人のことを面白おかしく喧伝するからだ」
 今だってそうだろう、と少年はすぐ隣、彼女のクラスのドアを指差す。たしかに、今まさに集めた大スクープを学級中に披露するところだった。読まれてるなぁ、と鞄にそっと手をやる。早朝にようやくできあがった、彼が載った新聞をそっと奥に隠した。
「この退治屋である火琉毘煉の活躍を記事にすればいいものの、何でやれ熱中症になったやら服が乾かないやらそういうことばかり言いふらすんだ」
「熱中症の危険性は報道すべきでしょ? 服のも梅雨の酷さを表すにはちょうどいい写真だったし」
 指を立ててキサは言う。納得してしまったのだろう、うぐ、と悔しげな声が漏れた。
「あと毎回もらってもちょっと困るなぁ」
 いつだって愉快な事件の中心にある彼は、キサが記事にすることの多い人物の一人だ。それを報道しようとする度、すぐさまあんパンが投げて寄越されるのだ。それも、毎回。一体、どこで情報を仕入れているのだろう。そこばかりが気になって仕方が無い。聞いても答えてくれないのだけれど。
「抜かりない。いつでも美味に舌鼓を打てるよう、保存期間が長いものを選んでいる」
 顎に指を当て、煉はふっと格好付けたように笑う。論じているのはそこではないが、賞味期限が長いのはありがたい。
 それにしても、毎回これでは財布が痛むだろうによくやることだ。大変だねぇ、と漏らしそうになった言葉をそっと飲み込む。もらう側が言う言葉ではない。
「だから言うなよ」
 眼鏡で飾られた幼げな顔をビシリと指差し、白髪の少年は言う。人を指差すんじゃないわよ、と足下から窘める声があがった。
「分かったよー」
 少女はひらひらと手を振って応える。ネタが一つ減ってしまうのは残念なことだ。しかし、きちんと対価としてあんパンを受け取っているのだから口は閉じねばならない。真実の報道は大切ではあるが、そこを反故してしまうのは良くない。そのあたりは弁えていた。
 言葉を信じたのだろう――今まで何度も同じことをして口止めしたのだから信じて当たり前だ――煉は、では、と身を翻す。そのまま大仰な動きで廊下を歩き、自身の教室へと入っていった。足下を歩く式神が振り返り、小さく礼をする。ごめんなさいね、と大人びた声が聞こえた気がした。真っ白な毛が美しい狐は、すっと音も無く消えた。
 黒い背を見送り、キサは乱れた頭を掻く。落ちてきそうになったキャスケットを慌てて受け止め、しっかりと被り直した。
 新聞は作り直しかなぁ。
 心の中で苦く呟いて、報道少女は軽い足取りで教室へと入る。ホームルームが始まりを告げるチャイムが、人がいなくなった廊下に響いた。




救う旅路と深い夢路/つまぶき
 すぅすぅと穏やかな寝息が眼下からあがる。ソファに横たわった可愛らしい寝顔を前に、つまぶきはあー、と何とも言えない声を漏らした。
 オンラインアリーナのバージョンアップ、それに伴う楽曲とエフェクトの追加、プレー性向上を目的とした機能アップデート、外部世界の大会運営に関する相談、プロリーグ開催に向けての準備。加えて通常アップーデトを行うだけでも重労働だというのに、そこにヘキサダイバーの調査にバトル大会も加わったのだからそれはもう大変だ。世界に一番近い位置にいる頑張り屋さんな少女は、起こる何もかもに全力で打ち込んだ。
 そんな大仕事をいくつも終え、ようやく業務に凪が訪れた。ここ数ヶ月世界の代表として様々なことを行っていたレイシスを慮り、少しの間ナビゲートの仕事はグレイスが一任してくれている。おかげで、少女は久しぶりに穏やかな日々を過ごす時間を手に入れることができた。
 そんな中で彼女がまず選んだのは、ゲームだった。新シーズン以降と同時のアップデートで追加される楽曲、そのジャケット撮影で久方ぶりに会話した少年からゲームの楽しさを説かれたのだ。彼女がやるゲームといえば、自分が暮らす世界の音楽ゲームが主だ。家庭用ゲーム機は持っているものの、随分と長いこと触っていない。オンラインサービスに入れば自由にできるよ、という少年の言葉に、便利デスネ、とキラキラと瞳を輝かせて言っていたことは記憶に新しい。
 少女の手には大きなゲーム機を充電し、四苦八苦しながらオンラインサービスに加入し、専用のゲームをダウンロードし。そうして、彼女は世界を救う旅へと繰り出した。
 荒廃した世界を旅するだけでなく、強い味方キャラを作り出すシステムに自身で歩いてマップを作るシステムと、勧められたゲームにはたくさんの要素が詰まっていた。やりこみ要素も兼ねているものだ。うんうんと唸りながら味方を作り出す横顔は真剣で、それでいて好奇心に輝いていた。二人で相談しながら合成を進め、マップを歩き、物語を歩んでいく。今日はようやく物語の終点に近い中ボスを倒したところだ。
 点けっぱなしになっているゲーム機に近づく。画面はボス戦とその後の会話イベントが終わったところで止まっていた。念のためセーブをして、ゲーム機をスリープ状態にする。己の小さな身体では骨が折れる作業だが、あれほど頑張ってクリアしたのが水泡に帰しては一大事だ。しょんぼりとした少女の顔など見たくない。
 落ちないようにゲーム機をソファの奥に追いやり、小さな妖精は部屋を飛び回る。隅に畳まれしまってあったブランケットを一生懸命引きずり、彼女の寝る場所へと帰る。なんとか広げ、よく眠る柔らかな身体を布で包み込んだ。一仕事終え、ふぅと息を漏らす。これで風邪を引くことはあるまい。
 すやすやと眠る桃を眺める。ゲームはもう佳境だ。この進み具合ならば、数日後には最終ボスを撃破し物語を終えることができるだろう。そんな盛り上がるストーリーが気になって仕方無いのか、彼女は日に日に夜更かしをしていた。遅いから寝ようぜ、と誘っても、もう少しダケ、と懇願してゲームを続けるのだ。おかげで最近は寝不足のようで、授業中うとうととすることがあると聞いている。毎日同じだけ夜更かしして物語を横で見つめる己も日夜眠気と戦っているのだけれど。
 身を丸め、穏やかに眠るレイシスを見下ろす。真っ黒で大きな目がふと細まった。
 己がヒトと同じほどだったなら、彼女をベッドまで運んでいけるのだろう。少女の手のひらに収まってしまうほど小さな己では、そんなことは到底できない。潰されるのがオチである。結局、できるのは起こすか毛布を掛けてやるかの二択だ。この可愛らしい寝顔を歪めることなどできるはずがないから、毎回後者を選ぶこととなっている。
「風邪引くナヨナー」
 長い髪を座面に広げ、白い瞼を下ろし、桜色の唇から寝息を漏らす少女に語りかける。深い眠りの海に身を沈めている彼女には届くはずがないと分かっている。それでも、一言ぐらいこぼしたくなる。心配なのだ、これでも。
 三角形の口が大きく開く。くぁ、とあくびが漏れた。
 己もいい加減寝なければいけない。きっと明日も起きる時間ギリギリまで眠っているであろう少女を起こしてやらねばならないのだ。いつまで経っても手が掛かる。ふ、と穏やかな吐息が弧を描く口元から漏れた。
 ふよふよと飛び、ソファの縁に近い場所に身体を落ち着ける。ここならばレイシスに潰されることもないだろう。余った毛布の端に潜り込み、妖精は薄い身体を柔らかなクッション生地に預けた。
 おやすみー、と眠たげな声。そのまま、桃の少女と銀の妖精は暖かな眠りに身を委ねた。




緑の壁/はるグレ+レフ
 小さく息を吐き、烈風刀は立ち上がる。パッパと手を叩き、付いた微細な土を落とした。手を洗わねばならない。しかし、ここに水場らしい水場は無い。布で拭っているが、衛生上限界もあるだろう。どうしたものかな、と考えていると、烈風刀、と名を呼ばれた。
 払う手をそのまま、少年は振り返る。黒い世界を背景に、躑躅の髪がふわりと揺れるのが見えた。トン、とヒールが地面を打つ。自分の庭のように暗い海を跳び回る少女が目の前に降り立つ。髪と同じ色をした目が、まっすぐに己を射抜いた。
「昨日の続きなんだけど」
「あぁ、あれですか」
 様々な事象が重なり、しばらくの間彼女の下に身を寄せることになった。ネメシスを侵攻する彼女は、度々立案した作戦の相談をしてくる。つい先日までネメシスに住まっていた己は土地勘がある。効率的な進軍方法を相談されることが多々あった。
「ルートは十分だと思います。強いて言えば、特別教室棟側からも送り込めば挟み撃ちにしやすいでしょうか」
「あぁ、そっちは考えてなかったわ」
 宙空に紫の電子モニタが現れる。ネメシスでも度々見るそれと全く同じのデバイスは、バグを使って作ったものらしい。器用なものだ、と感心したのを覚えている。
「ねぇ、この地形ならここの庭みたいなところからも――」
 かざすグレイスの手にあわせ、モニタが動く。そのまま、こちらへと向けられた。電子の地図を指差そうと、細い身が近づく。瞬間、強い風が間を二人の通り抜けた。
 風圧に細めた目を開ける。向いた隣、風が吹き込んできた場所には忍装束に身を包んだ少年がいた。夜闇に浮かぶ満月のような瞳がこちらを睨めつける。緑衣に包まれた手が、そっと広げられた。まるで後ろにいる少女を守るように。
「はーるーかー!」
 少年の後ろから声があがる。明らかに苛立った、強い調子のものだ。目的を果たすべく大切な作戦を練っていたところを邪魔されたのだ、感情的なところがある彼女が怒りを覚えるのは当然である。
「邪魔するなって言ってるでしょ! 何回言ったら分かるのよ!」
 それも、もう片手ではとうに足りないほど邪魔されているのならば。
 グレイスと烈風刀は二人で相談することがよくある。会話の最中、特にふとした瞬間距離が近づくと、必ず始果は現れるのだ。忍である彼の動きなど、速度と手数を重視して戦う烈風刀ですら捉えられない。いつも間に入られ、警戒した目でじぃと睨まれてしまう。
 子猫を守る親猫のような姿に、少年は苦い笑みをこぼす。彼の行動は、躑躅の少女にとっては不可解に映るだろう。しかし、碧い少年にとってはこの上なく分かる行動原理だ。だって、想いを寄せる少女が知らない男と二人で話している状況など、許せるはずがない。
「すみません」
「謝るならやるなって言ってるじゃない! 何で覚えない――」
 警戒をあらわにした声音で忍の少年は謝罪の言葉を紡ぐ。毎度のことだ。学習しないそれが気に食わないのだろう、少女は声を荒げるばかりだ。それも何故か途中でふつりと途絶えてしまう。
「……いいからどきなさいよ。話の途中なんだから」
「…………はい」
 少し低くなった声に従い、少年は二人の間から一歩横にずれる。碧と躑躅を阻んだ緑の障壁は失われた。しかし、その姿はスッと消える。気付けば、彼はグレイスの後ろにいた。長い袖に包まれた手が、黒で彩られた白い腹に回される。そのまま、ぎゅっと抱き締め後ろに寄せた。会議中の二人の身体が遠ざかる。
「…………で、ここのスペースなんだけど」
「はい」
 身体を包まれることに一切言及せず、少女は話を続ける。小さな唇が紡ぐ声は、もう諦めきった響きをしていた。これも毎度のことなのだから仕方が無い。画面を見る邪魔にならないなら、と受け入れているようだ。ある種合理的な判断である。
 躑躅と若草の様子を気にせず、否、気にしない風を装って烈風刀は話を続ける。グレイスもどんどんとアイディアを出していった。
 ちらりと横目で少女を、その背を、腹を、身体を強固に守る少年を見る。依然、彼は険しい顔をしていた。やはり、己とグレイスが話すことをよく思っていないらしい。それでもこれ以上手を出してこないのは、『邪魔するな』という愛しい少女の命令を受けてのことだろう。今回のようなことはあれど、彼は忠臣と表現するのがこれ以上にないくらい相応しい人物なのだ。
 ふ、と烈風刀は息をこぼす。微笑ましさのような、諦めのような、羨望のような、複雑な音色をしていた。
 これぐらいできれば良かったのに。
 あり得もしないことを頭の隅に追いやり、少年は発光するモニタに視線を戻す。黒衣で飾られた白い指が、電子画面を何度も辿った。




機能/性能/君の色 /嬬武器兄弟
 青い布地を頭から被る。輪に腕を通し、太い肩紐をしっかりと肩に掛けた。生地の中程に付いた長い紐を後ろに回す。どうにか後ろ手で蝶々結びにした。うっかり踏んで躓かないように、ぎゅっと引いて端の部分を短くする。腰に当たる少しねじれた感覚から美しい形になっていないことは分かるが、怪我を引き起こさないことの方が重要だ。見目を気にするのは慣れてからだ。
 買ったばかりのエプロンを見下ろし、雷刀は満足げに笑みを浮かべる。何故そんなものをわざわざ着けるのだろう、と料理する弟の背を見て疑問に思っていたが、実際に着けてみるとなかなかに良いものだ。気分が切り替わる感覚がした。
 まな板の前に立ち、包丁を握る。白いそれに載った野菜をリズミカルに切っていく。途中、勢い余って跳ねた具材がエプロンに守られた腹に当たった。少し厚い布地に阻まれているため、服が汚れることはない。こういうところが便利なのだな、と新たな発見に少年は目を輝かせた。
「案外似合ってますね」
 後ろから声が飛んでくる。包丁を置いて振り返ると、マグカップを手にした弟の姿があった。碧い視線は己の身体を守る青い生地に注がれている。彼と一緒に買いに行ったものだが、着ける姿を見せるのは初めてだ。
「だろー? 料理もできるオニイチャンって感じでいいだろー?」
 ニコニコと笑みを浮かべ、朱い少年はくるりと回る。長い腰紐がふわりと舞って身体とともに円を描いた。台所でふざけない、と叱責の言葉がすぐに飛んでくる。
「後ろ、縦結びになってますよ」
 じっとしててください、と冷静な言葉に、大人しく動きを止める。キッチンに入ってきた烈風刀は、青い腰紐をするりと解いて手早く結び直していく。綺麗な青く細い蝶々が引き締まった腰に止まった。あんがと、と生地の持ち主は振り向いて礼を言う。
「後ろ手だと結びにくいんだよなー」
「いつか慣れますよ」
 そう言う弟はいつだって後ろ手でも綺麗な蝶々結びを作っていた。長い間赤いエプロンを身に着け、キッチンに立っていただけある。それでも何だか悔しい。不器用な自覚はあるが、蝶々結びなんて基礎的なことぐらいは早くできるようになりたい。
「そーいやさ、何で烈風刀のエプロンって赤なんだ? いっつも青選ぶだろ?」
 ふと浮かんだ疑問をそのまま投げかける。碧い髪に碧い目。碧は弟を象徴する色だ。だからか、彼は碧いものを好んで買うことが多い。それが、エプロンだけは正反対の赤いものなのである。珍しいことだ。
 冷蔵庫に手を掛けた碧い少年は、白い戸を開けるのを止め顎に手を当てた。翡翠が宙を漂う。
「……たぶん安かったからですね。生地が丈夫で安いとなると、色を選ぶ余裕なんてありませんから」
 なるほど、と雷刀は頷く。弟は好みより機能を優先する節がある。毎日着けるものなのだから、機能を優先するのは当然ではあるのだけれど。
 買う前はたかが布、と思っていたが、実際に買いに出てみるとかなり違いがあることを知った。布地の厚さ、身長に合った丈、ポケットの有無、適度な腰紐の長さ、その他諸々。選択すべきこと、重要視するべき点はたくさんあった。片割れのアドバイスと己の好みを擦り合わせた結果、今身に着けた厚めの青いエプロンを買ったのだ。悩んで選び抜いただけあって、身に着けたこれは心を弾ませる代物だった。
「貴方こそ、何で青にしたのですか? いつもは赤を選ぶでしょうに」
 朱い髪に朱い目と、弟と正反対の朱に縁がある己は、何を買うにもその色を選ぶことが多かった。今回のように青を選ぶのはほとんど無いことだ。彼が疑問に思うのも無理は無いだろう。
「烈風刀が赤ならオレは青かなーって思って」
 店頭には同じ型の赤色もあった。けれども、手を伸ばしたのは片割れを想起する青だった。別にお揃いの色でも良かったのだが、なんだか彼の色を選びたかったのだ。今思えば、洗濯する時取り違えることがなくなるので合理的な判断だ。
「いつもは逆ですのにね」
 何だか不思議です、と烈風刀は笑う。確かになー、と青い裾をつまんで雷刀も笑った。
「晩飯、楽しみにしとけよ」
「期待してますよ」
 ニカリと笑う兄に、弟はふわりと口元を綻ばせる。おう、と元気な声がキッチンに響いた。




朱い唇降りしきり/神十字
 ちゅ、と可愛らしい音が若草芽吹く草はらに落ちる。くすぐったいよぉ、ときゃらきゃらとした可愛らしい笑い声があがった。
 硬い輪郭をした手が少し短い前髪をそっと上げる。赤い唇が、さらけ出された白く柔らかな額に落とされる。おにいちゃんキスばっかしてるー。鈴のような笑い声が蒼天に昇った。
「だってお前らのこと大好きだしー?」
「わたしもおにいちゃんのこと好きだよー!」
 紅葉手がシャープな線を描く頬に伸ばされる。潤った小さな唇が、春の日差しを浴びて色付き始めた肌に触れる。幼子の可愛らしい口付けに、紅い男はニカリと笑みを浮かべた。オレも好きー、と黒衣に包まれた腕が彼の半分にも満たない小さな身体を抱き締める。可愛らしい笑声が、明るい笑声が、昼空に響いていく。
 和やかな風景に、青年は頬を緩める――はずだった。けれども、最近の有様を見ては苦い表情ばかりが浮かんでしまう。子どもにこんな顔を見せてはいけないのに、と表情筋を律しようとするが、意識に反して強張っていくばかりだ。
 なぁ、あれって何?
 住宅が並ぶ街並み、玄関で頬に口付け合う家族を見て紅は疑問の声をあげる。えっ、と思わず同じ音を返してしまった。だって、数え切れない時を生きている『神』である彼が口付けを知らないなど考えるはずがないではないか。
 大切な人への親愛表現ですよ、と優しく笑って教えた。翌週、今度は唇と唇を合わせる男女の姿を見て、あれもそうなのか、と指差された時は頭を抱えたが。
 新たな感情の表現方法を覚えた彼は、施設の子どもたちに口付けを降らせるようになった。曰く、皆好きだから。曰く、全員大切だから。子どもたちと同じ時を過ごすようになって随分と経つ。愛情も湧くだろう。庇護欲を刺激する幼子ならば尚更だ。己だってあの子たちが愛しくて仕方が無い。
 けれども、その表現を一律に『口付け』でやってしまうのは良くないに決まっている。口には絶対にするな、と言い聞かせているが、何かあっては大変だ。大切なファーストキスを覚えたての表現方法を使いたがる存在に奪われてしまっては、可哀想なんて言葉では済まない。
「なんかすげー顔してるけど」
 地を映し始めていた蒼の中に、紅が宿る。目の前には、少し屈んでこちらを覗き込む神の姿があった。いつの間にか子どもたちと別れてこちらに来たらしい。
「……いい加減キスするのやめたらどうですか」
「何で? 好きなんだからいいじゃん」
「色々と問題があるのですよ」
 あっけらかんとした様子の神に、人間は渋い顔をする。事故が起こってからでは遅いのだ。それに、あんな微笑ましい風景を見ているというのに何故だか胸が薄ら暗くなるのだ。長く暮らしているはずの己以上に懐いている姿を見ているからだろうか。嫉妬としても幼すぎる。はぁ、と溜め息をこぼす。そーなのか、と紅は納得半分疑問半分の声を漏らした。
「でも大切な人にやるもんなんだろ? 皆大切なんだしいいじゃん」
「『大切』の中でも特に大切な人にするものなのです。そう簡単にするものではありません」
 へぇ、と赤い口から間の抜けた声が漏れる。そうは言ったものの、彼の中で『大切』の分類がきちんとされているか怪しい。不安は尽きない。
「それに、子どもたちの教育にあまり良くありません」
 所構わず口付けを降らせる神の姿に影響され、子どもたちの間では口付け合うのが流行し始めている。こちらも『口』への事故が不安だ。言い聞かせ、早く廃れさせなければいけない。そのためには、まず元凶を止めなければならないのだ。
 ふんふんと目の前の紅い頭が上下し頷く。今度は肩を寄せるようにことりと傾く。戻ってまた頷き。なるほどな、と会得のいった声が聞こえた。
 どうやら理解してくれたらしい。よかった、と胸を撫で下ろす。あとは子どもたちの方をどうにかせねば。考える頭に何かが触れる。温かなものがそっと頭を撫ぜ、こめかみを伝い、頬へと添えられる。
「じゃあクロワにはしてもいいんだよな?」
 だってクロワは一番『大切』なんだし。
 そう言って神は笑う。頭上におわす太陽のような眩しい笑みが向けられる。きゅうと何かに締め付けられるような感覚に陥った。思わず一歩退く。固さが目立つ手が自然と離れていった。
「……まぁ、僕になら」
 日々振り回されているものの、己ならば彼にきちんとストップを掛けられるはずだ。『事故』があっても子どもたちほどダメージは受けない。それに、『神』の求めるものを捧げる信者の役目である。頬や額を差し出すぐらい安いものだ。
 草が踏みしめられる音。目の前の紅が視界を埋める。また頬に温度。紅玉がふっと細まり、赤い口が開く。クロワ、といっとう甘い声が己の名をなぞった。
 紅が近づく。風に揺られる紅が、真ん丸な紅が、八重歯で彩られた紅が近づく。視界を埋めていく。鮮やかな、眩しいほど鮮やかな色に反射的に目を閉じた。
 柔らかな温もりが頬に触れる。ちゅ、と可愛らしい音が耳元で聞こえた。
 熱は一瞬で離れて消えていく。消えていくはずなのに、頬が熱くて仕方無い。触れた場所から伝播していくような心地だ。情けない、と思わず目を伏せる。たかが頬へと口付け程度で赤くなるなど、初心にも程がある。
「そういや何で口はダメなんだ?」
「…………色々と複雑なのです。帰ったら説明しますから」
 この場で唇に唇に触れる意味など教えられるはずがない。彼を納得させる簡潔な言葉は持っていないのだ。それに、子どもたちに聞かれては一大事である。彼と二人暮らしをしているのだから、帰ってから本で例でも出しながら説明した方が早い。
 なぁ、と呼ぶ声。視線をやると、輝く炎瑪瑙と視線が合った。
「帰ってからもやってもいい?」
「ダメです」
 すぐさま切り捨てると、不満げな声があがる。頬を膨らませる姿は幼げで可愛らしいが、絆され許してしまうべきことではない。それを含めて、帰ってからみっちり教えねば。
 一人決心し、蒼は子どもたちへと歩みを進める。そろそろ戻りますよ、と屈んで視線を合わせながら告げる。はーい、と元気な声と、早くも草を踏みしめ駆けていく音が聞こえた。
 風が子の、人の、神の背を押す。若い緑で染まった庭から影が消え、建物の中からはしゃいだ声が聞こえ始めた。




業焔宿りし瞳/火琉毘煉
 幕が垂らされたブースに入る。敷かれた布に皺が寄らないよう、慎重に足を運んだ。
 空間の真ん中に音も無くしゃがみこむ。少し斜めを向き、少年は片膝を床につけた。右半身に温度。視線をやれば、珍しくこちらに寄り添う式神の姿があった。あまり接触を好まない彼女だが、指定されたポーズなのだから仕方無い。早くしなさいよ、と言いたげな菫がこちらに向けられた。
 懐から取り出した愛用の札を、いつものように両手の指に挟んで構える。そのまま、真正面を向いた。まばゆいほどの照明が、数え切れないほどの撮影機材が、脚立に設置されたカメラが見返してくる。透明なレンズと視線がぶつかる。遠くまで引かれ小さくなった円の中に、黒が、白が、赤が見えた。
 深い赤の目がすぅと眇められる。よく舌が回る大きな口が閉じられ、口角が上げられる。普段は見せることのない不敵な笑みを作りだし、退治屋はまっすぐにレンズを見つめた。






「よく撮れてるじゃないか」
 液晶画面を横から覗き込み、煉は満足げに言う。撮影の興奮冷めやらぬのか、どこか上擦った調子をしていた。親指と人差し指を顎に当て、ふふふ、と漏らす笑声もどこか浮ついている。前足を机に掛けて一緒に覗き込んでいた鈴音が呆れを多分に含んだ息を漏らした。
 いつもの調子の少年に構うこと無く、撮影班は淡々と撮った写真を比較していく。これでいいかな、と一枚の写真がノートパソコンの画面いっぱいに表示される。いいじゃないか、と依然浮かれた声が飛んできた。
「俺の業火より燃え血よりも深い瞳が鮮明に刻まれているな。この漆黒の闇と紅蓮の焔差す純白の髪も綺麗に映って――」
「じゃあこれで決まりだねー。お疲れ様」
 流れるように言葉を並べ立てる少年に、撮影を担当していた識苑は手を振る。よく回る舌が止まり、世話になった、と礼の言葉がなめらかに告げられた。礼節はきちんと弁えていた。
 黒いブーツが踵を返す。一歩進んだところで、それはまたくるりと回った。赤い瞳が次の撮影の準備をしようとパソコンを操作する背を眺める。しばしして、なぁ、と煉は口を開いた。
「先の写真なんだが」
「あれ? 別のが良かった?」
「いや、違う」
 慌てて先ほど決定したばかりの写真を開く教師に、退治屋は否定の言葉を返す。夕陽色の目がぱちりと瞬いた。相対する茜空の目が宙を泳ぐ。しばしして、長い指が液晶に映る自身の顔を差した。
「……左目にエフェクトを付けることってできるか?」
「ちょっと」
 煉の提案に、足下に付いていた鈴音が抗議の声をあげる。黒衣に包まれた足を白い前足がぺしんと叩く。わがままを言うな、手を掛けさせるな、と鋭い紫苑の瞳が頭上の主を見上げた。
「いや、もちろん現時点でも素晴らしい写真ではあるのだが、この彼岸花のように鮮烈で紅玉のように濃く深い左目に焔のように輝きたなびく光のエフェクトを付けることで写真の更なる魅力が引き出され――」
「いいねぇ! かっこいいと思うよ!」
 言い訳をするように早い調子の長口上を遮り、月色の目がぱぁと輝く。骨張った手がマウスを操り、画像編集ソフトを立ち上がる。左目に風になびくような赤の線を引き、腕を組んで依然迂遠な言葉を連ねる少年に画面を向けた。
「こんな感じ?」
「そう!」
 簡素に加工された写真を指差し、白髪の少年は大声をあげる。理想通りだったらしい。
「そういえば持ってきた宣材写真もこういう風に加工されてたしねー。君っぽくて良いと思うよ」
「そうだろう? 俺の代償背負いたる左目にはこういうのが――」
「いい加減にしなさい」
 また口を開く煉の頬に肉球が押しつけられる。見かねて立ち上がった鈴音の手だ。まだ丸みを残した頬がぐにりと歪んだ。口に近い部分を押さえられてか、長々とした言葉が止む。そんな二人を気にすること無く、識苑はマウスを操作した。
「うん、じゃあエフェクト入れとくね。今度こそお疲れ様」
「よろしく頼む」
 では、と手を振って身を翻し、少年は大仰な足取りで扉へと歩いていった。戸を開け、廊下に出て一礼し、彼は撮影室を出た。
 特別教室棟の廊下に、ふふふ、と浮かれた調子の笑い声と、はぁ、と呆れた調子の深い溜め息が響いた。




月より団子/ハレルヤ組
 窓越し、星が輝く夜を背に白が並ぶ。綺麗に揃えられた真ん丸は三方の上に積み上げられ、美しい三角山を作り出していた。つるりとした丸だというのに転がり落ちる気配すらないところから、作った人間の几帳面さがよく窺える。
 薔薇輝石の瞳が、柘榴石の瞳が真っ白ですべすべとした表面を見つめる。二色の瞳は山を成す団子に釘付けになっていた。こくりと白く喉が上下する。真っ白なお団子。美しいお団子。美味しそうなお団子。丁寧に作られた月見団子は、少年少女の食欲をこれでもかと刺激した。夕飯を食べたばかりだというのに腹が鳴ってしまいそうなほどだ。
「……一個ぐらいならバレなくね?」
「形崩れちゃうからバレちゃいマスヨ」
「食べる用は別で作ってありますから勝手に食べない」
 月見団子の山に熱烈な視線を送る二人の背に、ほのかに棘が見える声が掛けられる。身体が二つビクンと震え、鏡合わせのような動きでおそるおそる振り向く。食欲に輝く紅葉と桃に、盆を持った浅葱の姿が映った。
「タッ、食べマセンヨ?」
「まだ何にもやってねぇよ?」
 きょろきょろと視線を泳がせる二人に、烈風刀は小さく息を漏らす。呆れと少しの愛しさがにじんでいた。薄く険しさが浮かぶ表情が解け、小さな笑みを浮かべた。
「それに、そちらは作ってから時間が経って固くなっています。あんまり美味しくありませんよ」
 こっちを食べてください、と少年は手にした盆を机の上に置く。両手でなければ持てない大きさのそれには、朱と桃が今の今まで見つめていた白があった。それも、三つ。
 碧は手慣れた様子でテーブルに皿を並べていく。各々の前に置かれた小皿の上には、一口サイズに整えられた団子が小さな山の形に盛られていた。脇にある小さな鉢には、黒と茶と橙がスプーンとともに入っている。二色の瞳が不思議そうな様子で三色を覗き込む。少し節が目立つ指が器を順々に指差した。
「これがあんこで、こっちがみたらし餡、そっちがかぼちゃ餡です。好きなものを掛けて食べてください」
 わぁ、と感嘆の声が二つあがる。誤魔化すように宙をうろうろと漂っていた紅水晶と紅玉が皿に一心に向けられる。見つめる瞳は夜空に浮かぶ星と同じほど輝いていた。関心は台の上に成された大きな三角山でなく、目の前の小さな山にすっかりと移ってしまったようだ。
 並べられた団子の前に、三人一緒に手を合わせる。いただきます、と元気な合唱が夜の部屋に響いた。
「あんこ美味しいデス~!」
「かぼちゃんめぇ! 甘い!」
 好きな餡を掛けた団子が赤い口の中に消え、柔らかな頬がもぐもぐと動く。感動に満ちた声が二つあがった。それはよかった、と烈風刀もみたらし餡をひとすくい掛けて団子を口に運ぶ。出来が良かったのだろう、花緑青の目元がふわりと解けた。
 赤い口の中にどんどんと白が消えていく。団子も餡もあっという間に無くなってしまった。ごちそうさまでした、とまた合唱。美味しかった、と元気いっぱいの二重奏が続いた。
 ルビーレッドが、チェリーピンクがそろりと動く。同じ方向へと向けられた視線二つは、まだ山を成す大きな月見団子に吸い込まれた。輝く二色は、まだ食べ足りないと語っていた。夕飯をめいっぱい食べて尚、ほの甘いであろうそれに目を奪われてしまう。『甘い物は別腹』とはよく言ったものだ。
「そのまま食べるのには向いていませんよ」
「じゃあどうすんだ? 捨てるわけにはいかないだろ?」
「調べたのですけど、おしるこにするのがいいそうで。水分を吸って柔らかくなり食べやすくなるみたいです」
 おしるこ、と二つの声が重なる。同時にバッと振り返り、白い山に向けられていた視線が若草色に注ぎ込まれる。見つめる二色の瞳には、食欲の光が煌々と輝いていた。小さく開いた口から涎が垂れてしまいそうなほどの輝かしさだ。
「……明日にする予定だったんですけどね」
 半分諦めた調子の声に、少年と少女の目が丸くなる。まっすぐに見つめる瞳には、期待がたっぷりと乗っていた。
 困ったように、呆れたように眉を八の字にした碧は、手早く盆に皿を載せる。秋服に包まれた腕が、三方へと伸ばされる。そのまま、器を重ねて空けたスペースにそれを載せた。
「今から作ってきます。ちょっと待っててください」
「ハイ!」
「おう!」
 やったー、と顔を向き合わせ手を上げ喜ぶ二人の姿に、烈風刀はそっと口元を綻ばせる。先の団子も、飾っていた月見団子も、彼が自作したものだ。自分が作った料理を楽しみにしてくれている。美味しく食べてくれている。作り手冥利に尽きる光景だ。
 再びキッチンに立った少年は、ふとリビングへと視線を戻す。ローテーブルの前に腰を下ろした二人は、窓の外には一切目もくれず楽しげに話していた。おしるこ、とはしゃぐ声が耳をなぞる。
 お月見なんですけどね、と笑みを含んで呟く声は、少し冷えた台所に落ちて消えた。




「今日の卵焼きしょっぱかったですね」「たまにはこういうのもいいでしょ?」/グレイス+ハレルヤ組
 いただきます。四重奏が昼休みの賑やかな教室に響く。合わせた手を解くと、各々箸や弁当箱の蓋に手を掛けた。
 薄紫の蓋を両手で開けて取り、グレイスは箸を握る。弁当箱の半分には、朝作って詰め込んだおかずたちが並んでいた。一部冷凍食品を詰め込んだものの、どれもなかなかの出来だ。一人で料理するようになってしばらく経つが、ようやく見目を意識して作ることができるようになってきた。それでもまだ姉や仲間の碧には敵わないのだけど。
 んめー、と向かいから声。頬いっぱいに弁当を頬張る雷刀の姿が見えた。深紅の箸には黄色い卵焼きがあった。少し大ぶりなそれが、めいっぱいに開いた赤い口に吸い込まれる。頬をもぐもぐと動かしながら、またんめぇ、と感嘆の声をあげた。飲み込んでから喋りなさい、と諫める声が朱い頭にぶつけられた。
「なんかさー、たまにしょっぱい卵焼き食べたくなるよな」
 なんでだろな、と彼は白米に箸を伸ばす。わしりと掴み、口に放り込んでいく。すっとした輪郭をした頬が丸く膨らむ。
 え、と躑躅は思わず声を漏らす。白身フライを口に運ぶ手が止まった。
「卵焼きって甘いんじゃないの?」
「しょっぱいのもあるだろ?」
 きょとりとした顔をする躑躅の少女に、朱い少年もきょとりとした顔を返す。アァ、と隣から納得したような声。
「ワタシは甘いのしか作りマセンカラ、グレイスはしょっぱい卵焼き食べたことないンデス」
 ネメシスに来たばかりの頃は、レイシスが昼ご飯に弁当を作ってくれていた。その中に入っている鮮やかに黄色くてかっちりと巻かれた卵焼きはいつだって甘かった。卵焼きとはこういう味なのか、甘い食べ物なのか、と今の今までずっと思っていたが、それは彼女の嗜好の結果だったらしい。
「オレらも基本甘いのだけど、しょっぱいのも作るぜ?」
 な、と雷刀は隣に顔を向ける。そうですね、と烈風刀は箸を置いて応えた。へぇ、とグレイスは漏らす。甘いのとしょっぱいのがあるなら、辛いのや苦いのもあるのだろうか。今度聞いてみようか、と掴んだままだったフライを口に入れる。魚の香りと塩気が舌の上に広がった。
「食べてみますか?」
 筋の浮かぶ手が深い青の二段式弁当箱を掴む。少年はおかずが入った段を少女の目の前に差し出した。ブロッコリーの緑、プチトマトの赤、カップグラタンの白、ウィンナーの茶色。様々な色の中に少し焦げ目の付いた黄色があった。
 いいの、と尋ねると、えぇ、と穏やかな声が返ってくる。いただきます、と一言断って、グレイスはよく焼かれた卵焼きへと箸を伸ばした。一口で食べるには少し大きなそれを半分かじる。口内に広がったのは普段のほの甘い優しい味ではない。しょっぱさの中に不思議な風味が広がるものだった。
「ほんとだ。しょっぱい」
 こくりと飲み込み、少女はこぼす。美味いか、と正面から問いが飛んでくる。美味しいわ、と素直に答えると、目の前の顔がパァと明るくなった。どうやら今日の弁当を作ったのは兄の方のようだ。
「……ねぇ、これって砂糖の代わりに塩入れればいいの?」
「そだな。今日は白だしも入れたけど」
 初めて聞く名だ。しろだし、と思わず復唱する。スーパーに売ってますよ、と優しい声がかけられた。ふぅん、とどこか心ここにあらずといった調子で声を漏らしてしまう。
「美味しいわ。ありがとう」
 礼を言って、グレイスは残りの卵焼きを食べる。またふわりと風味が香る。これが『しろだし』とやらによるものなのだろうか。塩のしょっぱさだけでも十二分に美味しいだろうが、こうやって風味があると更に美味しく感じる。料理って不思議、と心の中でこぼした。
 躑躅の目が弁当箱からあがる。しばしの逡巡、ねぇ、と健康的に色付いた唇が控えめな声を発した。
「しょっぱい卵焼きって、塩としろだしってやつどれぐらい入れればいいの?」
「……えーっと…………、塩はこんくらい? で、白だしはなんかちょっとどばってならないぐらい」
 少女の問いに、制作者である朱は悩んだ末身振り手振りで示す。正確な分量を知りたいのだが、どうやら感覚で作っているようだ。いつも直感で行動する彼らしい。
「こればかりは感覚と経験ですね」
 苦笑を漏らしながら烈風刀が言う。レシピを厳守し、きちんと量って料理をする彼らしくもない言葉だった。経験ねぇ、とどうにもならない解答をぼやくように繰り返した。
「……うん。分かったわ。ありがと」
 今一度礼を紡ぎ、グレイスは白米に箸を伸ばす。舌の上にほのかに残った塩気に、米の甘みが加わった。なるほど、しょっぱい卵焼きはご飯に合うのか。甘い卵焼きも合わないわけではないが、白米に合わせるならこちらの方が良いように思えた。
 今日は帰りにスーパーに寄ろう。そして卵と『しろだし』とやらを買おう。帰ったら試作だ。ぶっつけ本番ではまずいものができあがってしまうかもしれない。そんなもの、自分で食べるのはもちろん人に食べさせるわけにもいかない。
 考え、少女は食事を続ける。鼻の奥にはまだあの風味が残っている気がした。

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SDVX


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