401/V0.txt

otaku no genkaku tsumeawase

TOP
|
HOME

SDVX157件]8ページ目)

凍てつく君を引き上げて【氷雪+ニア+ノア】

凍てつく君を引き上げて【氷雪+ニア+ノア】
top_SS53.png
ΩDimension4周年おめでとうございます!(大遅刻)
にかこつけた4年前Ω初登場時に練ったプロット救済。ずっと書きたかったけど完全に機会を見失ってたのでここで出しちゃう。
ボス曲のジャケットという大役を任された氷雪ちゃんとニアノアちゃんの話。

 長い柄杓がカタカタと音をたてて震える。細い柄を握る手は冬の空気よりも冷たく、積もる雪よりずっと透明な白に染まりきっていた。
 ボルテ学園、教室棟から少し離れた特別教室棟。その一室に位置する撮影ブースはまばゆい白に包まれていた。写真撮影用の大きなライトで照らされる明るい空間の片隅、機材の強い光が届かぬ物陰に座り込む小さな影が一つ。白と深青で彩られた衣装を纏い、ずり落ちてしまいそうなほど大きな帽子を被った少女――氷雪だ。
 凍えるように縮こまった華奢な身は、冬の海の冷たさを思い起こさせるような青白い衣装に包まれていた。常日頃彼女が身に着けている着物によく似たデザインだが、肩口には大きな切れ込みが入っており、そこから夜の海のような深い青が覗いている。白い布地には鮮やかな海色の細い線が走り縁取っていた。深海色の帯には赤く太い帯紐が結ばれている。髑髏と雪結晶を合わせたような帯留めが中央に輝いていた。
 厚い布地が重なって下半身を包むはずの裾は、大胆に開かれている。その中心を前垂れのような布が守っていた。左右に大きく割れた生地の隙間から覗く脚は、氷柱のように白く細い。影から顔を覗かせる深い青の襦袢とのコントラストが眩しかった。その白さを強調するように、赤い数珠とボロボロになった包帯が片足ずつに巻かれている。
 形の良い白い頭には、海賊帽が載せられている。黒地に金の髑髏マークと濁った赤の羽根で飾られたそれは、小柄な彼女の頭に対して随分と大きなものだ。背を丸め俯いた今の姿勢では、バランスを崩して床に落ちてしまいそうだった。
 寒さを堪えるように己の身を抱え震える彼女の姿は、この部屋において不自然なものだ。室内は滞りなく撮影作業ができるよう、空調が整えられている。むしろ、いくつも点けられた大型ライトの影響で暑さを覚えるほどだ。何より、『雪女』である彼女は人よりも寒さにずっと強い。このように寒さを凌ぐように震え縮こまるのは異常にすら映った。
 どうしよう。
 先ほど――特にこの衣装に着替えてから、氷雪の頭はその五文字で埋め尽くされていた。どうしよう。どうしよう。思わず口からこぼれ落ちそうになるが、可哀想なほど震える唇は音を形作ることができず細い呼気を漏らすだけだ。血の気が消え失せた真っ白な細い指が、まるで縋り付くように柄杓の柄を強く握った。
 ΩDimension――近日行われるアップデートで実装される新システム、およびそれに伴う楽曲追加があるという話は以前から耳にしていた。けれども、そのいくつもの楽曲たちを解禁した先に待ち構える楽曲――所謂『ボス曲』のジャケットを氷雪が担当するということを伝えられたのは、つい数週間前のことだった。
 数年ぶりの新システム、その第一弾を飾るということもあってか、用意された楽曲とエフェクトはどれも非常に難しいものである。しかも、それを専用の特殊ゲージでクリアするという厳しい解禁条件が設けられているのだ。かなり力が入った企画だということは誰が見ても分かる。
 その厳しい条件を全曲満たしてようやく挑戦できる――それもまだ片手で数えられるほどしか存在しない、レベル二〇の楽曲のジャケットを担当することなど、氷雪は欠片も考えていなかった。そもそも、自分がそのような大役を任されることなど想像すらしていなかったのだ。当たり前だ、彼女はそんな大それたことを考えるような性格ではないのだから。
 企画が伝えられた当初は全く実感が湧かず、どこか他人事のように思っていた。しかし、こうして撮影準備を進める内に、事の重大さがじわじわと少女の胸を苛み始めた。ついには、部屋の片隅で一人震えるほどの不安と恐怖が彼女にのしかかったのだった。
 何でわたしが。
 繰り返し湧いてくる疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡る。憂いと恐れに支配された思考は、それに対する明確な解を弾き出すことができない。できるはずなどなかった。
 今まで最高レベルの楽曲を飾ってきたのは、レイシスとマキシマが常だ。最近ではグレイスがその役割を担うことも増えているが、やはり多くはあの二人が務めている。そうでなくとも、古株である嬬武器の兄弟や紅刃、担当経験のあるニアとノアなど、自分よりもずっと相応しい者は大勢いるのだ。なのに、何で自分が――今まで低難易度の楽曲を主に担当してきた自分が今回抜擢されてしまったのか。何で。何で。どうして。疑問が頭を、心を巡り蝕んでいく。どれだけ考えようとも、答える者は今ここに存在しなかった。
 どうにか落ち着こう、と考え吐き出した息は酷く細い。無理に整えようとした呼吸は浅くなるばかりで、過呼吸を起こしてしまいそうな状態だ。少女がどれだけ努力しようとも、震えが止まる気配は無い。華奢な彼女の身体と思考は、答えの見つからない疑問と奥底から込み上げる不安に支配されていた。
 パキ、と高い音が空間に小さく響く。床に垂れた生地が凍り、音をたてたのだ。無意識に雪女の力が暴走している証拠だ。止めなきゃ、と頭に欠片だけ残った冷静な部分が言う。しかし、今の彼女に繊細なコントロールをすることなど不可能だ。パキパキと音が増えていく。室内の一角は真冬と変わらぬ温度まで下がっていっていた。
「あっ! 氷雪姉ちゃんだ!」
「氷雪姉ちゃーん!」
 重く凍る空気を全て吹き飛ばしてしまいそうなほど明るい声が、座り込んで震える少女の名をなぞる。快活な音色に、氷雪の細い肩がびくりと大きく跳ねた。ずっと白い床に縫い付けられていた視線がこわごわとした動きで上がり、音の方向へとゆっくりと移動する。怯えの浮かぶ翡翠の瞳に、柔らかに揺れる長い蒼が映し出された。
「ニ、ア、ちゃん。ノア、ちゃん」
 凍てついた細い喉が何とか紡ぎ出したのは、初等部に属する双子の兎の名だった。いつも元気に満ち溢れぴょんぴょんと飛び跳ねる彼女らは、今日も明るい笑顔を振りまいていた。少女の視線に気付き、兎たちは大きく手を振る。小さな手がぶんぶんと宙を往復する。
 普段ならば学園指定の白に青のセーラー服を身に着けている二人だが、今日は違う。小柄な身は、雲のように真っ白な袖の無いワンピースで彩られていた。
 シンプルなデザインながら、随所にあしらわれたフリルがボリューミーな印象を与える。たっぷりのフリルがあしらわれた胸元、その中央には瞬く星の輝きを模ったアクセサリーが存在を強く主張している。純白の布地はハイウエストで青いリボンによって絞られ、胸の下には金の刺繍が散る夜空色のリボンが垂れて揺れていた。トレードマークの青いリボンカチューシャは、今日は衣装と同じ白だ。兎耳がついたライムライトの靴は、白いリボンとファーが彩るサンダルに変わっている。背中からは、小鳥のような小さくふわふわとした羽が覗いていた。
「……天使さん、でしょうか?」
「そーだよ!」
「海賊の次は天使さんだよ!」
 無意識にこぼした声に、二人の少女は楽しげに応えた。どうかな、とニアはファッションショーのモデルのようにその場でくるりと回る。健康的な肌が透けるほど薄いワンピースの裾と胸元を彩る星模様の青いリボンが、陽光に照らされる花のように鮮やかに開いて舞った。
「え、ぇ。とっても似合っていますよ。かわいい、です」
 楽しげにはしゃぐ双子の姿に、不安で凍りついた少女の心にわずかに熱が灯る。安堵するかのように目をゆっくりと細め、氷雪は硬いながらも言葉を紡いだ。雪色の言葉に、青と白の天使はほんのりと頬を染め笑む。『可愛い』と褒めてもらえたのが嬉しいのだろう、えへへー、と面映ゆそうな笑声とともに紺碧の目が細められた。
「氷雪姉ちゃんもきれいだよ!」
「真っ白ですっごくきれいだよ」
 真っ白お揃いだね、と兎たちはきゃいきゃいと楽しげに声をあげる。新しい衣装と久しぶりのジャケット撮影に気分が高揚しているのだろう、頬は赤く染まり響く声も少し高い。一段と元気に見えた。
 双子兎のまっすぐな賞賛に、氷雪はありがとうございます、と礼を返す。しかしその声は未だ物音に掻き消されてしまうほど細いもので、どうにか微笑みを模ろうとした表情も強ばっていた。見るものに違和感を覚えさせる様相だ。
「……氷雪姉ちゃん、顔真っ白だよ?」
「大丈夫? 具合悪いの?」
 ようやく異変に気づいた双子が、不安げな声で問う。そういえば寒いもんね、と青兎は顔を見合わせる。気温低下の原因は目の前にいる少女なのだが、それには気づいていないようだ。
 眉を下げ心配そうに見つめる後輩の姿に、氷雪の肩がビクリと跳ねる。可哀想なほど怯えた動きだった。ぁ、ぅ、と小さな音が細い喉からこぼれ出る。
「い、いえ。ちょっと……緊張、して、しまって……」
 どうにか平静を取り繕うとするが、答える声は酷く震えていた。指摘された通り、顔色は良いなどとは到底言えないほど青白い。こんな様子では、不調と判断されるのも無理はないことだ。
 心配させてしまっている。困らせてしまっている。焦りが雪女の胸を巣食っていく。細い息を吐く唇は、もう色を失っていた。
「本当に大丈夫?」
「辛いならレイシス姉ちゃんに言ってくるよ?」
「だっ、だいじょうぶ、です。本当に、ただ緊張しているだけ……です、から……」
 だいじょうぶですよ、と雪色の少女は言う。何度も繰り返す言葉は、目の前の二人に伝えるというよりも、己に強く言い聞かせているように見えた。白耳の兎たちは不安げに顔を見合わせる。うーん、と小さな口から悩ましげな音が漏れ出、ハーモニーを奏でる。鏡合わせのように、小さな頭がことりと傾ぐ。昼空色の髪が音も無く揺れた。
「じゃっ、じゃあ」
 静まりかえった冷たい空間の中、声をあげたのはノアだった。姉に比べ少し気の弱いところがある彼女が大きな声を出すのは珍しいことだ。えっとね、えっとね、と呟きながら、ノアはきょとんとした様子の氷雪の前にしゃがみこむ。すぐ目の前、柄杓を握りしめる色を失った手に、己のそれを優しく重ねて包み込んだ。
「あのね、こうしてると安心するの」
 ね、ニアちゃん、と少女は姉を見る。妹の言葉に、ニアはぱちりと瞬く。うん、と元気に答えると、同じようにしゃがみこみ、氷雪と片割れの手に己のそれを重ねた。
「ノアがこわいなー、とか、きんちょうするなー、ってドキドキしてる時はね、いつもニアちゃんがこうやってくれるの」
「ニアも、ノアちゃんが手をぎゅーってしてくれると元気になるの! ノアちゃんの手、すっごくあったかくって安心するんだー」
「だから、氷雪姉ちゃんもこうしたらちょっとだけでも安心できないかな、って……」
 語るノアの声は次第に萎んでいき、丸い眉の端はどんどんと下がっていく。不安の色を浮かべた瑠璃が、天河石をじっと見上げる。大丈夫だろうか。少しでも助けになれないだろうか。迷惑ではないだろうか。幼い彼女のそんな心優しい気遣いが、氷雪には痛いほど伝わってきた。
「……ありがとう、ございます」
 色を失った唇が、二人の天使に礼の言葉を紡いで贈る。心なしか、強張っていた声はほんの少しだけ解けたように聞こえた。
 響きに反し、氷雪の心はどんどんと淀み沈んでいく。こんな小さな子に気を遣わせるなんて。迷惑をかけるだなんて。自己嫌悪がチクチクと胸を刺す。二人分の温かさに包まれているはずの彼女の手は、冷えるばかりだった。
「――なんで、わたしが」
 数え切れないほど繰り返した問いが、小さな口からこぼれ落ちる。数拍、無意識の失言に気づき、氷雪は不安色に染まった目をはっと見開く。青く凍りついた顔が、おそるおそる上げられる。見上げた先には、きょとんとした二対の青があった。降り始めの雪のように微かなそれは、兎の天使たちの耳に届いてしまったらしい。さぁ、と血の気が引いていくのが己でも分かる。常磐の瞳が急いで床へと向けられた。
「氷雪姉ちゃん?」
 心配げに問う兎たちの声に、雪女は可哀想なほど震える。聞かれてしまった。こんな情けない言葉を、こんな小さい子たちに聞かれてしまった。ピシ、と空間が再び冷たい音を鳴らした。
「氷雪姉ちゃん」
 ニアが少女の名を呼ぶ。白い着物に包まれた細い身が更に縮こまった。凍りついてしまったような動きだった。氷雪姉ちゃん、と揃った双子の声は、そんな彼女を包み込み温めるようなとても優しいものだ。
「あのねあのねっ、何か悩んでるんだったらニアたちに言ってみない?」
「えっと、人に言ったらちょっと楽になるかもしれないよ?」
「絶対秘密にするから!」
 真摯な二対のアズライトが、不安に揺れるエメラルドを見つめる。まあるく開かれた星空色には、少しでも力になりたい、という力強い願いが浮かんでいた。あまりにもまっすぐな視線に、萌葱の目がぱちぱちと瞬く。白い喉がひくりと動いた。
「……わたしが」
 ほろり。凍った唇が解ける。白に近いそれは、怯えを孕み震えていた。可哀想なほど小刻みに揺れる唇が、どうにか言葉を紡ぎ出していく。
「わたしが、わたしなんかが、ボスでいいのかな……、って」
 こんなにすぐ緊張して、力もコントロールできなくて、部屋の隅で一人で震えるような、こんな、ただの雪女のわたしが、『ボス曲』なんて大役を。
 恐怖で冷え切った言葉がぽろりぽろりとこぼれていく。音を吐き出す度に、視界がぼやけていく。浅瀬色の瞳に、水が膜張っていく。表面張力が限界を超えこぼれ落ちた雫は、すぐに凍りついてしまった。丸い氷が硬い床を転がっていく。細かな氷粒がいくつも落ちていく音が三人の間に響いた。
 淀む胸の内全てを吐露し、少女の胸にわずかに凪が訪れる。しかし、嫌悪の情がそれを全て塗り潰し、ぐちゃぐちゃに掻き乱していった。こんな小さい子に、こんなに弱い、みっともない姿を見せるだなんて。きっと呆れられてしまう。愛想を尽かされてしまう。嫌われてしまう。こんこんと湧き出す負の感情が、細い身を押し潰さんばかりに襲いかかった。
 カタカタと細かに震える手に重なった小さな手が、力強くぎゅうと握られる。まるで熱を分け与えようとしているようだった。沈みゆく心を、柔らかな温度が一気に引き上げる。
「大丈夫だよ!」
「今日の氷雪姉ちゃん、すっごくきれいですっごくかっこいいもん!」
 キラキラと輝く星空色二対が、川底色を射抜く。少女らの声は、瞳は、自信と元気に満ち溢れていた。二人の言葉は主観的で、決して論理的なものではない。けれども、雪すさぶ少女の心を一気に照らし出し晴らすような勢いがあった。
「でも、やっぱり最初は緊張しちゃうよね」
 ねー、と双子星は顔を見合わせて苦く笑う。ほんのりと染めた頬には羞恥が薄く乗っていた。
 そういえば、この二人もつい数ヶ月前に初めて『ボス曲』の看板を背負ったのだった。けれども、筐体上で盛大に発表されたジャケットの二人は、元気いっぱいの天真爛漫な笑顔をしていたではないか。意外だ、とぱちりと瞬きをする。目の前で笑う双子の兎たちはいつだって元気で、いつだって自信満々で、どんなときでも明るく笑っているのに。そんな彼女たちでも、こんな弱い己のように緊張するのだろうか。
「ノアたちも上手くできるかなーって怖かったけどね、レイシス姉ちゃんが『大丈夫デスヨ』って言ってくれてね」
「『ワタシも最初はとっても緊張しマシタ』って教えてくれたの」
 二人の言葉に、小さな口から、ぇ、と言葉が溢れる。まさかあのレイシスが、と雪色の少女は大きく目を見開いた。
 レイシスはこの世界の看板とも言える、常日頃最前線で活躍している少女だ。多くの『ボス曲』の看板を背負ってきたのも彼女である。いつだって朗らかで、女神のように慈愛に満ちていて、自分をまっすぐに信じている、皆の憧れの女の子。そんなレイシスが撮影で緊張しただなんて、信じられなかった。
「あっ、グレイスちゃんも緊張してたーってオルトリンデ先生が言ってた」
「グレイスさんもですか……?」
 続けて告げられた言葉に、氷雪は思わず驚きの声を漏らす。耳に飛び込んできた情報は、到底信じられないものだった。
 グレイスという少女は芯の通った、いつだって自信に満ち溢れたな子だ。少なくとも、交流の少ない氷雪にはそう映っている。そんな彼女が緊張をするだなんて、冗談のように聞こえる。けれども、情報の出処は彼女をずっと隣で見てきたあの教師なのだ。嘘ではないだろう。
「それ聞いたら安心したの」
「皆同じなんだなー、って」
 だからね、と兎は声を揃える。重ねた手に力がこもる。紅葉のような可愛らしい手が、細く白い手を包み込む。今の氷雪は雪女としての力が暴走している状態だ。周囲の空気はもちろん、彼女自身も雪のように冷たくなっている。このように触れていては、寒いなんて言葉では済まないに決まっている。下手をすれば凍傷を負ってしまう危険性もある。けれども、双子兎はその華奢な手をしっかりと握りしめた。
「氷雪姉ちゃんが緊張するのも一緒だよ!」
「皆と一緒だよ! 普通のこと!」
 だから、大丈夫だよ!
 明朗な二重奏が冷たい空間に響き渡る。星きらめく瞳が大きな孤を描き、色を失ったかんばせへと温かな笑顔を降り注ぐ。
 太陽のような声と表情に、涙に濡れた水宝玉が瞠られる。水底に沈みゆこうとしていた美しい緑の瞳が、ゆっくりと透明度を取り戻していった。眦から透明な雪がはらりと舞う。
 皆一緒。普通。天使たちが高らかに謳う言葉が、渦巻く重い感情で潰れかけた心をそっと掬い上げる。
 本当なのだろうか。心の暗い部分が疑念の声をあげる。しかし、ストンと素直に心に落ちて溶けていく言葉でもあった。当たり前だ、『ボス』なんて大役を初めて担うだなんて、誰だって緊張するだろう。何しろそのイベントの看板であり、企画を象徴するものなのだ。大きな責任感が押し寄せてくるのも、役目が全うできるのかと心細くなるのも、きっと『普通』のことなのだ。目の前の当事者が――緊張や不安といったことに無縁に見える爛漫な少女たちが言うのだから、本当だろう。彼女らが気休めの嘘を吐くなど、欠片も思えなかった。
 それにね、とニアは握った手をそっと撫でる。冷え切った手をなぞる姿は慈しみに満ちていた。それこそ、天から舞い降りた天使のような。
「レイシス姉ちゃんたちが適当に決めるはずないもん!」
「きっといっぱい考えて、氷雪姉ちゃんに決めたんだよ」
「氷雪姉ちゃんがいいんだよ!」
「氷雪姉ちゃんじゃなきゃだめなんだよ!」
 ねっ、と双子は声を揃えて語りかける。寄せ合うように小さな頭が鏡映しに傾ぐ。床についてしまいそうなほど長い青髪がさらりと揺れた。
 一生懸命紡ぎ出された言葉たちに、少女は目を瞠る。ほんのりと紅を取り戻しつつある唇がぽかんと開かれる。驚愕をありありと示していた。
 自分でなければいけないだなんて、考えたこともなかった。決まったことは決まったことで、そこにあるはずの理由など考えたことがなかった――考える余裕など、繊細な少女は持ち合わせていなかった。
 あのレイシスが――誰よりも世界を愛し、誰よりも尽力するあの少女が、意味の無い選出をするわけがないのだ。答える者がいない今真意を知ることはできないが、そこには確かな理由が存在するはずだ。氷雪でいけない理由が。
「……そう、なのでしょうか」
「そうだよ!」
 依然不安に染まった声に、快活な声が二つ重なる。確信を持った響きをしていた。青く長い睫毛に縁取られた目が弧を描く。満面の笑みが緊張と不安に冷えた少女を照らし出した。
「それに、氷雪姉ちゃん一人じゃないよ」
「ニアたちが一緒だよ。三人一緒なら、きっと大丈夫!」
 一回り小さい柔らかな手二対が、爪まで凍りきった手を握りしめる。憂いに揺れる少女に元気を、勇気を分け与えようとするような光景だった。
「……そう、ですね」
 二人が一緒にいてくれますものね、と氷雪は眩しげに目を細める。こぼれ落ちた声からは、緊張に縛られた硬さや不安を孕んだ冷たさは薄れていた。常の彼女が紡ぎ出す、柔らかで穏やかな響きが帰ってきていた。
 そうだ、一人きりではない。ニアとノアがいるのだ。担当する楽曲は違えど、二人も今回の『ボス曲』を背負う役目だ。同じ立場の人間が、共に在ってくれる。寄り添ってくれる。どれだけ心強いことだろう。『一緒』の一言が、少女の心を掬って引き上げる。笑顔と激励という陽光に照らされ、柔らかなそれに絡みついた呪縛が少しずつ剥がれていった。
「うん!」
 元気いっぱいの二重奏が冷えた空間に響く。冬の寒空の下のような冷気は、いつの間にか随分と和らいでいた。千々に乱れた心が落ち着きを取り戻しているのだ。暴走した力は、ようやくその姿を隠し始めた。
 重なった小さな掌が離れていく。指先が赤く染まった紅葉手が、胸の前でぎゅっと握りしめられる。えいえいおー、と元気な声とともに、握り拳が天に向かって掲げられた。
 ぉ、おー、とつられるように氷雪も小さく続く。色が失せた手に、かんばせに、ほんのりと朱が灯った。
 控えめながらも一緒にやってくれた嬉しさにか、双子の天使はにこりと満開の笑みを咲かせた。おー、ともう一度声があがる。先ほどよりも一回り大きな、部屋の外まで聞こえてしまいそうな合奏だ。
 青兎たちがすくりと立ち上がる。丈の短いワンピースの裾がふわりと舞う。たなびく白と青を追い、視線がゆっくりと持ち上がる。潤んだ燐灰石に、差し伸ばされた白く細い腕二つが映った。
「さっ、行こ!」
「一緒に行こう!」
 小さな手を目いっぱいに開き、ニアとノアは腕を伸ばす。ソプラノボイスが重なって可愛らしい音色を奏でた。
 常磐がゆっくりと瞬く。柄杓を固く握りしめていた右手がゆっくりと解けた。白い着物に包まれた細い腕が、こわごわとした様子で伸ばされる。救いの光を求めるように上がったそれに、二つのたなごころが重なった。
 小さな手が細い手を抱きとめ、握りしめ、ぎゅっと引く。わっ、と小さな声をあげながら、氷雪はふらつきながらも立ち上がった。ぺた、と素足が床に触れる音が空間に落ちる。
 自分たちより頭半分上の若葉を見上げ、露草が曲線を描く。空いている手が天に向かって大きく上げられた。
「撮影頑張ろうね!」
「いっぱい綺麗に撮ってもらおうね!」
 もうすぐ行われる撮影に思いを馳せる二人は、元気いっぱいに言う。『撮影』という単語に、解けた身が一瞬強張る。足下から這い寄る緊張を振り払うように、少女はふぅと細く息を吐いた。
 大丈夫だ。レイシスが選んでくれたんだから。二人がいるんだから。一人じゃないんだから。
 双子たちがくれた言葉を心の内で唱える。胸の内を覆う黒い靄がスッと晴れていく気がした。
「……はい、頑張りましょう」
 パタパタとサンダルが床を打つ音に、柔らかな声が混じる。温度を取り戻しつつある空間に溶けて消えそうなそれは、兎たちの耳にしっかりと届いたようだ。真夏に咲くひまわりのような大輪の笑顔がぱっと咲いた。
 双子兎と雪女は手を繋ぎ駆けていく。光に照らされた撮影ブースに人影が三つ飛び込んだ。

畳む

#氷雪ちゃん #ニア #ノア

SDVX

濡れ髪に触れて【ライレフ】

濡れ髪に触れて【ライレフ】
top_SS45.png
オニイチャンは絶対に髪をろくに乾かさないという幻想と弟君はなんかかんか世話焼きだという幻想と髪に触るという性癖が合わさった結果がこれだよ。

 冷たい空気が肌を撫ぜる。常ならば身を縮こませるようなそれは、長風呂で火照った身体には心地良く感じた。ほぅ、と思わず息が漏れ出る。熱を孕んだ呼気は、暗い廊下に溶けて消えた。
 肺の空気を吐き出した喉が渇きを訴える。長時間の入浴を終えた身体は水分を欲しているようだ。水でも飲もう、と烈風刀はキッチンへと足を向ける。一歩踏み出したところで、少年の動きは止まった。
 照明が落とされ闇に包まれた廊下の中腹、リビングダイニングに続くドアにはめ込まれたガラスからは、光が漏れ出ていた。部屋に人がいる、もしくはいた証拠だ。夜も更けたこの時間、リビングに誰か――唯一の同居人で兄である雷刀がいることは少ない。大方、自室に引き上げる前に訪れ、そのまま電気を消し忘れたのだろう。何事においても大雑把な彼は何度注意しても改善しないのだ。整った若葉色の眉が険しげに寄せられた。
 足早に廊下を歩く。さほど広くはない住居では、目的の場所へはすぐに辿り着いた。リビングの扉、細かい傷のついたノブに手を掛ける。冷えたそれを回すと、軽い音をたててドアが開いた。
 扉の先の空間には、芝居がかった男女の声が響いていた。おそらく、音の発生源はテレビだろう。この時間は連続ドラマをやっていたはずだ。テレビまで点けっぱなしにしていったのか、と細い眉が更に寄せられる。白い眉間に深い皺が刻まれた。
 ダイニングを通り過ぎ、リビングに辿り着く。壁際に置かれたテレビには、手を繋ぎ道を行く男女の姿が映し出されていた。向かい側、二人掛けのソファへと視線を移す。予想に反して、そこには人影があった。眼前に広がる光景に、天河石の瞳が瞬いた。
 ソファにはこの状況を作ったであろう犯人――雷刀が座っていた。普通ならば液晶画面に向けられているであろう顔は俯いている。物語の顛末を見守るべき紅緋の目は閉じられていた。背もたれにもたれかかっているはずの背は丸まり、腹の前で腕を組んだ状態で前傾姿勢になっている。かくん、かくん、と丸まっては伸ばされる首には、白いタオルが掛けられている。きっと、風呂を上がってからそのままにしているのだろう。だらしのない彼にはよくあることだ。
 普段はぴょこぴょこと跳ねた癖のある髪は、どこかまっすぐに下りて見える。沈んで色濃く映るそれは濡れていることを示していた。髪を乾かしていないのがありありと分かる。洗面所にドライヤーを置いているというのに、この片割れはきちんと髪を乾かすことが少ない。今日もそうなのだろう。
 はぁ、と溜め息一つ。テーブルの上に置かれたリモコンを手に取り、テレビの電源を落とす。内蔵スピーカーから流れる軽快な音楽は止み、鮮やかな色を映し出す液晶は黒に包まれた。リモコンを定位置に戻し、今度は兄の肩に手を掛ける。そのまま、加減することなく船を漕ぐ身体を揺らした。
「雷刀、起きてください」
 ぐらぐらと揺れる身体がビクンと大きく跳ねる。んぁ、と常よりもいくらか低い声が聞こえた。呻き声とともに、曲がった首がゆっくりとまっすぐに戻る。伏せられた顔が上がり、緩慢な動きでこちらを向いた。
「んー……? あれ? れふと?」
 己の名を呼ぶ声はふにゃふにゃとして芯を持たず、どこか舌足らずだ。半分ほどしか開かれていない紅玉からは普段の澄んだ輝きは失せ、けぶった色をしている。眠っていたのがよく分かる様子だった。唸りとともに、緩く握られた拳が目元を擦る。猫が顔を洗う姿によく似ていた。
「寝るならちゃんと部屋で寝てください。というか、その前に髪を乾かしてください」
「えー……」
 応える声は先ほどよりもはっきりしている。けれども、返事は淀んだものだ。面倒臭い、と声色が明確に語っていた。
 目元を擦っていた拳が開き、いつもより色の沈んだ緋色の頭へと伸ばされる。節が目立つ指が、湿り気の残る髪の毛を一房つまむ。捩るように指先が動く。んー、と疑問符がついた声が静かになったリビングに落ちた。
「そこそこ乾いてんじゃん」
「どこがですか」
 ピンとつまんだ髪を弾き、ケロリとした顔で雷刀は言う。対面する烈風刀の声と顔は、その正反対に渋いものだ。呆れを多分に含んだ声とともに、少年は目の前の頭へと手を伸ばす。指先から伝わる温度は冷たく、普段のふわふわとした触り心地は無い。じとりと湿ったものだ。やはり乾いてなどいない。自然乾燥で完全に乾かすことなど無理に等しいのだから当たり前だ。薄い唇が苦々しげに引き結ばれた。
「ちゃんと乾かしてください」
「めんどい」
「『めんどい』ではありません。風邪をひきますよ」
 ここ数ヶ月高かった気温は徐々に落ち着きを取り戻し、最近では空調が必要ないほど快適なものだ。夜になると寒さを覚えることもあるくらいである。そんな中髪を乾かさずにいるなど、風邪の原因になるかもしれないではないか。日々の運営業務はどんどんと量を増し、忙しくなっているのだ。こんな時にくだらないことで体調を崩されては困る。
 面倒臭そうに細められた柘榴石がぱちりと瞬く。座面に放り出されていた腕が、首元のタオルを掴んだ。柔らかなそれが音も無く首から抜ける。
「じゃあ、烈風刀が乾かして」
 はい、と目の前にタオルが差し出された。同時に、上がっていた顔が軽く伏せられる。まるで撫でてくれと頭を差し出す犬のようだ。
 いきなりの行動に、藍玉の瞳が幾度も瞬く。ようやく意味を理解して、丸く開かれた目がうんざりとした様子で眇められた。
 自分でやるのが面倒臭いから乾かして、なんてのたまうなど、どれだけものぐさなのだ。大体、高校生にもなってそんなことを人に、それも双子の弟に頼むなどふざけている。行動がまるきり幼い子どものそれだ。この歳でやるようなことではない。
 はぁ、と重く息をこぼす。伸ばされた手にあるタオルを乱暴に奪い取り、目の前の頭に放り投げるように被せる。手を大きく開き、ぐわと指を曲げる。そのまま白に包まれた頭に立て、大きく動かした。
「いってぇ!」
「黙っていてください」
 あがった悲鳴を冷たく切り捨て、碧はガシガシと手を動かす。兄の言葉に従うのは癪だが、こんなふざけたことで風邪をひかれるよりもずっとマシだ。今月はアップデート作業が詰まっているのだ。そんな時に体調を崩され、数少ない戦力が失われてしまうような事態は避けるべき事項である。甘いな、と内心自嘲する。どんなに理屈をこねくり回そうと、このだらしのない片割れを甘やかしていることには相違ない。
 その代わり、加減などしてやらない。頼んだことを後悔しろ、と暗い念を込めつつ、少年は腕を動かす。思いやりなど、今の烈風刀には欠片も持ち合わせていなかった。
 柔らかな布地が動きにあわせて形を変える。ふわふわとしていたそれが、だんだんと重みを増していく。髪が有している水分がタオルに吸われているのだ。そのままわしゃわしゃと拭いてやる。髪と布が擦れる音が静かな空間に落ちた。
 苦しげな唸りがだんだんと消えていく。ようやく観念したか、と布地の下にある顔をちらりと見やった。
 タオルの下に隠れた真紅の瞳は気持ちよさそうにきゅうと細められ、緩い孤を描いていた。痛みに横に引かれていた口元も、どこか緩んでいる。頭を撫でられて喜ぶ犬を思わせる光景だった。
 予想外の表情に、浅葱の目が軽く見開かれる。まあるいそれがぱちぱちと幾度も瞬いた。
 こんなにも乱雑に拭いているというのに、このような顔をするなど思ってもみなかった。そんなに気持ちの良いものなのだろうか、と手を止めることなく考える。髪の手入れは昔から己で全てやっており、他人に髪を拭いてもらうことなどほとんど経験したことが無い。想像すらつかない。
 乾いていた白がすっかり湿って重くなった頃、少年はようやく手を離した。形の良い頭からタオルを引いて取る。布に包まれていた髪は、強風の中歩いたかのようにボサボサになっていた。代わりに、先ほどよりもずっと色が明るくなり、毛先も軽くなっている。常のように跳ねているのがその証拠だ。
 うー、と唸りとともに兄は目を開ける。赤紅が眩しげにぱちぱちと瞬いた。膝の上で揃えられていた手が、再び頭へと向かう。ぐしゃぐしゃになった髪を触ると、おぉ、と感心したような声をあげた。
「乾いたな。あんがと」
 へらりと笑い、雷刀は礼を言う。そのまま立ち上がろうとする彼の頭に手を乗せ、ぐっと押した。わ、と驚愕の声とともに、起こされた身体が座面へと戻る。柔らかなスプリングが軽い音をたてた。
「何だよー」
「そのままでは駄目でしょう」
「いいじゃん。乾いたんだし」
「水分を粗方取っただけです。完全には乾いていません」
 えー、と不満げな声があがる。開いた口は疎ましげに口角を下げていた。普段はぱっちりと開かれた丸い目は、今は瞼が軽く降りている。うたた寝をしていたほどだ、もう眠気が限界に近いのだろう。それでも、このまま部屋に帰してやるほど弟は甘くなかった。まだ湿った状態なのに、眠らせるわけにはいかない。ここまできたら最後まで乾かしてやろう。少しの使命感が少年の心に湧く。
 待っていてください、と鋭く告げ、烈風刀は足早にリビングを出る。湿気の残る洗面所に飛び込み、棚からドライヤーを引っ掴む。パタパタと忙しない足音をたて、急いで居間へと踵を返した。
 大人しくソファに座ったままの兄の横を通り過ぎ、ドライヤーをコンセントに繋ぐ。長いコードを引きつつ、目を擦る彼の前に立った。手元を見て察したのか、朱色の頭が無言で伏せられた。
 手にしたドライヤーのスイッチを入れる。瞬間、ブオォと大きな音が小型の躯体から発せられた。
 吐き出される温かな風を、乱れた髪に吹きかける。大きく一房掴み、頭頂部から毛先に掛けてゆっくりとした手つきで風を当てていく。往復しながらしばらく当て続け、指先から湿り気が伝わってこないことを確認し、また一房掴んで風を吹きかけていく。乾かしながら、緋の髪を撫で梳かして整えていく。同じ動きを何度も何度も繰り返すにつれ、湿った感触はどんどんとふわふわとした柔らかなものへと変化していった。普段通りの触り心地に戻っていっていることに、小さな達成感が胸に芽生える。密かに口元を綻ばせつつ、碧は粛々と手を動かした。
 最後の一房を乾かし終えると、今度はわしゃわしゃと全体を掻き乱しつつ、乾きにくい根元に温風を当てていく。生乾きの部分など作ってはいけない。やるならば最後までしっかりと、が己の信条だ。時折梳いて整えながら、少年は朱い髪に風を吹きかけた。
 先ほどよりも丁寧な手つきに加え、温かな風を受けているからだろうか、雷刀の表情は先ほど以上に穏やかでとろけたものだった。赤い睫に縁取られた目は柔らかな孤を描き、口角は緩く持ち上がり、笑みを形取っている。幸色に満ちたそれに、温かな何かが胸の内に広がっていく。これだけ心地良さそうな姿を見ると、こちらまで良い気分になるものだ。
 最後に全体に風を当て、サッサッと撫でて梳かす。長年放置された樹木のように方々に跳ねた髪は、どんどんと落ち着きを取り戻していった。これで完成だ。片手でドライヤーのスイッチを切る。暴風吹き荒れる音がピタリと止まった。
「乾きましたよ」
「おー」
 言葉とともに小型機械を折りたたむと、感嘆に満ちた声があがった。雷刀は自らの頭に手を当て、さわさわと撫でる。癖のついた髪の毛が指に弾かれぴょこぴょこと揺れた。おー、とまた声が漏れ出たのが見えた。
「ふわっふわのさらっさら」
「ちゃんと乾かせばこうなりますよ」
 当たり前のことに感心の音を漏らす兄の姿に、弟は呆れた声を漏らす。やはり髪を乾かしていないのか、と指で弾いて遊ぶ彼を眇目で睨めつける。かちあった紅玉髄が一瞬で気まずげな色に染まり、ばっと勢いよく逸らされた。どう見ても図星である。はぁ、とわざとらしく溜め息を吐く。う、と苦々しげな声が返ってきた。
「そういや、烈風刀の髪はいつもさらさらだもんな」
 慌てた調子の声とともに、跳ねる赤髪から手が外れる。鍛えられた逞しい腕がこちらへと伸ばされた。胼胝の浮いた指が鮮やかな若草に潜り込み、そっと肌を撫ぜるように掻き分ける。手入れされた髪が音も無く揺れた。指通しを楽しむように、つややかな頭髪がさらさらと梳かされる。なぞる手つきは慈しみに満ちていた。
 触れられる度に胸に満ちる温かな感覚に、少年は気付かれぬようほんの少しだけ瞼を伏せる。不機嫌そうに引き結ばれていた口元が、かすかに綻んだ。
 しばしして、癖のある前髪に触れる指が静かに離れていく。流れていた穏やかな時はそっと終わりを迎えた。
「あんがとな、烈風刀」
 そう言って、雷刀はへにゃりと相好を崩した。穏やかな孤を描く目元は普段よりも少しだけ下がっており、眠気を宿していることがよく分かる。証明するように、くぁ、とあくびが犬歯が覗く大きな口から漏れ出た。
「寝るなら部屋で寝てくださいよ」
「わーってるって」
 二度目の弟の言葉に、兄はひらひらと手を振って応える。大きく開かれた口から再びあくびが漏れ出るのが見えた。
 本当だろうか、と片割れを横目で見ながら、烈風刀はドライヤーのコードをまとめる。夜もだいぶ更けてきているのだ、明日に備えて己も早く眠らなければいけない。早く片付けてしまわないと、と少年は洗面所へと足を向けた。
「なーなー」
 リビングのドアを開いたところで、背中に声が飛んでくる。首だけで振り返ると、そこにはソファの背もたれに腕を掛けてこちらを眺める朱の姿があった。眠気でとろけていた目には、何故か先ほどまではなかった輝きが宿っている。好奇心を前面に出した子どものような様相だ。
「今度はオレが烈風刀の髪乾かしたい」
 眠たげな目元に反し、声は常のように元気に弾んだものだった。いいだろ、と少年は小首を傾げる。乾かしたばかりの茜色が、動きに合わせてさらりと揺れた。
「無理でしょう」
 尋ねる言葉をバッサリと切り捨てる。そこに冷たさは無く、ただ淡々と事実を告げる響きをしていた。えー、と不満げな声が返される。だらりと垂れ下がった手がソファの背面をバタバタと軽く叩いた。
「僕はお風呂から上がったらすぐに乾かしています。貴方に乾かしてもらう機会なんてありませんよ」
「じゃあ、明日だけ乾かさないで」
「何で貴方のためにそんなことをしないといけないのですか」
 身勝手な要求に碧は険しげに川底色の目を眇める。髪が濡れたままで過ごすなど、余計な冷たさと不快感を覚えるだけの愚行だ。何で兄の欲求を満たすために己がそんな思いをせねばならないのだ。澄み渡る浅海色に呆れとほんの少しの怒りが浮かぶ。瞳に宿った感情を読み取ってか、兄は小さな唸りを漏らす。未練がましい音色をしていた。
 紅葉色の瞳が諦め悪く宙を彷徨う。数拍、丸いそれがぱっと見開かれた。尖っていた唇は解け、にぃと孤を描く。何かひらめいたのだろう。それも、ろくでもないことを。普段の経験から嫌でも分かった。
「じゃあさ、一緒に入れば解決だな!」
「は?」
 元気に飛び出した言葉に、烈風刀はぽかんと口を開ける。漏れ出た音は怪訝さに満ちていた。やはりろくでもないことを考えていたようだ。理解しがたい言葉に、頭が軽い痛みを覚える。思わず顔を覆いそうになるのを必死に堪えた。
「一緒に入れば一緒に上がるだろ? そしたら烈風刀の髪濡れたまんまじゃん? そのままオレが乾かしてやれる」
 キラキラと輝くガーネットは、名案だろう、と告げていた。どこがだ、とエメラルドがこれでもかと険しく細められる。髪と同じ色をした細い眉がぎゅっと寄せられた。
 あまりにも無茶苦茶な提案だった。そもそも、高校生にもなって二人で風呂に入るなど普通ならあり得ない――そう、普通ならば。しかし、己たちの関係は『普通』から逸脱したものだ。今まで何度か経験がある以上、あり得ない、と切り捨てるのは少しばかり難しい。けれども、こんなふざけたことのために共に入るなどごめんだ。
「決まりなー。じゃ、おやすみ」
 いつの間にか立ち上がりこちらへと歩み寄っていた雷刀がぽんと背を叩く。ちょっと、と反論をするよりも先に、言葉の宛先は暗い廊下に足早に消えた。開かれたままだった扉が、音をたてて急いで閉められる。もう声が届くことは無いだろう。
 一人取り残された烈風刀は呆然とその場に立ち尽くす。あまりにも突然で、あまりにも勝手で、あまりにもふざけた行動だ。一方的に言い捨て回避する余裕すら与えなかった彼に、ふつふつと怒りが湧いてくる。ドライヤーのコードを握る手に力が込められる。ビニールに包まれたそれが寄せられ、端が軽くばらけた。
 はぁ、と少年は息を吐き出す。非常に重々しい、怒りと呆れがふんだんに詰め込まれたものだった。
 あの兄のことだ、明日は絶対に『一緒に入る』とごねるだろう。それこそ、幼子のように。忘れっぽいくせに、こういうことばかりはしっかりと覚えて声を大にして主張してくるのだから質が悪いったらない。
 しかし、と少年は軽く俯く。重く苛烈な感情が渦巻く胸に小さな何かが顔を覗かせた。
 普段は自分が世話を焼くばかりで、雷刀に何かしてもらうことなどほとんどない。先の行動が実際に行われるというのならば、これ以上になく貴重な機会だ。
 つい先ほどまで眺めていた兄の顔が思い出される。髪を拭かれ乾かされる彼の表情はとても気持ちが良さそうで、幸いに彩られたものだった。他者に髪を手入れしてもらうことは、そんなに気持ちが良いのだろうか。まだ知らぬ温かな何かが、明日己に与えられるかもしれない。そう考えて、淡い何かが心に宿ったのは気のせいではないだろう。
 胸の内に芽生えたそれを振り払うように、碧の少年は強く頭を振る。せっかく整えた髪がバサバサと音をたてて乱れた。
 はぁ、とまた溜め息が漏れ出る。疲れが滲んだものだった。そうだ、他人の髪を乾かすなんて慣れないことをして疲れているのだ。だから、こんな馬鹿なことを考えてしまう。きっとそうだ、と少年は一人頷く。己に言い聞かせるような動きだった。
「……早く寝なければ」
 息を吐いたまま開かれた口から、自然と言葉が漏れ出る。明日も学校が、運営業務があるのだ。しっかりと睡眠を取り、忙しない日常へ備えなければならない。こんなところでドライヤーを握りしめて突っ立っているわけにはいかないのだ。
 はぁ、とまた溜め息一つこぼし、烈風刀は扉横のスイッチに手を伸ばす。プラスチックのそれを軽く押さえると、部屋はすぐさま暗闇に満たされた。そのままノブを握り、少年は扉を開けて廊下へと出た。
 夜闇に包まれたリビングには、ただ静寂が広がっていた。

畳む

#ライレフ #腐向け

SDVX

その美しい髪に口付けを【はるグレ】

その美しい髪に口付けを【はるグレ】
top_SS46.png
αzaleaのジャケがはるグレ(オタク特有の拡大解釈)ではるグレ…………となったのではるグレ。珍しく付き合ってるタイプ。
はるグレが互いに髪を触っていちゃいちゃするだけ。

 躑躅色の髪が音も無く揺れる。癖のあるそれの端、くるんと丸まった箇所を筋張った指が捕らえる。見た目よりもしっかりとした指が、ウェーブがかったそれを梳いていく。ゆっくりと髪の間を指が通る様は、慈しみに満ちていた。
 すっと通り抜けた指が、柔らかな髪を再びつまむ。今度はそのままくるくると指に巻き付けた。スパゲティをフォークで絡め取るような動きだ。不健康なほど白い指先にふわふわとしたアザレアが咲く。
 柔らかな温もりが少女の背に、足に、腹に宿る。チュールレースに守られた柔らかな腹には、緑衣に包まれた腕が回されていた。細い腰に長い腕が回され、緩く捕らえられる。ようやく力加減を覚えたのか、苦しさはない。あるのは穏やかな温かさと安らぎだ。安心感で落ちそうになる瞼を、少しの緊張が押し上げる。スピネルの瞳はどこを見ていいのか分からないのか、宙をうろうろと泳いでいた。
 マゼンタを絡めた指が持ち上がる。そのまま、手の持ち主は己の口元へとそれを運んだ。さらさらとした髪に、音も無く口付けが落とされる。気配で分かったのだろう、細い肩がひくりと揺れた。
「あんた、本当に私の髪好きよね……」
 胸に芽吹く羞恥を誤魔化すように、少女は呆れた調子で言葉を紡ぐ。事実、この少年――今自分を抱きかかえている京終始果は、己の髪によく触れる。ウェーブがかった長い髪を恭しく持ち上げ、音も無く口付けを落とすのは、それこそ出会った時からずっと行われていた。最初は飛び退くほど驚いたものだが、今ではすっかり慣れてしまった。反応することすら面倒臭く感じるほどだ。それでも未だにわずかな恥じらいを覚えてしまうのだから、自分はいつまで経っても子どもだ。
「グレイスの全部が好きですよ?」
 少女の言葉に、始果は平坦な声で返す。ストレートな言葉に、柔らかで白い頬がかぁと紅で染まる。そういう意味じゃないわよ、とすぐ下にある膝をぺしりと叩いた。よくある反応を気にすることなく、狐面の少年は変わらず長い髪を梳かした。柔らかな髪がそっと形を変え、元に戻った。
「汚いわよ」
「そうなのですか?」
「だって一日過ごしたわけだし……」
 首を傾げる始果に、グレイスはもにょもにょと口を動かす。はっきりとした声が徐々に萎んでいく。ぅ、と気まずげな音が少女の細い喉から漏れ出た。
 もちろん、髪は毎日洗っているし、相応に手入れもしている。人に触れさせても問題が無い程度に身綺麗にしているはずだ。けれども、一日過ごし汗や埃が付いたそれを人に――特に愛する人に触れられるのは、何だが気まずい。汗臭くないだろうか、と今更な懸念が湧いて出る。今日は体育の授業がなかったから、余計な汗は掻いていないはずだ。それでも、春の陽気が過ぎ去り夏に近づく今、普段よりも汗を掻いているに違いない。どうしよう、と躑躅は動揺に身を捩る。逃げるような動きは、捕らえられた腕によって阻まれた。
「そうは思いませんよ」
 小さな心が揺れ乱れる中、少年は平時と変わらない調子で言葉を紡ぐ。そこに世辞など無かった。そも、彼は世辞を言うような人間ではない。特に、グレイスに対しては、だ。黒百合色をした少年の言葉は、いつだってまっすぐに少女の心を射抜く。取り繕うことのない言葉に、揺れる少女の心臓はどくんと大きく跳ねた。
 言葉を証明するように、また髪に口付け一つ。ちゅ、と小さなリップノイズが二人の間に落ちる。始果のことだ、きっと偶然でわざとではないだろう。それでも、その小さな音は少女の耳にいやに大きく響いた。さっと白い肌に紅が刷かれる。
 髪ばっかり。そんなことを考えて、少女は密かに頬を膨らませる。膝の上に座らされ、後ろから抱きかかえられた現状は、恋人らしいことをしていると言えるだろう。しかし、本当にただ触れあっているだけで、始果はグレイス本人でなくその緩やかな髪に触れるばかりなのだ。もっと触れてほしい。触れたい。そんな欲求が少女の胸に湧き出る。恋人と少しでも触れ合い交流を深めたいと思うのは自然なことだろう。人と交わることをほとんどせず生きてきた彼女ならば尚更だ。好きな人には、たくさん触れたい。
 腹に回された手に己の両手を掛ける。そのままぐっと前に押し、少しだけ空間を作る。できた余白を活用し、少女は身体を捻って半身だけ振り向く。見上げた先の月色は大きく開かれていた。ぱちり、と満月二つが瞬く。大人しく座っていた少女の突然の行動に驚いたのだろう。
「私にも触らせなさいよ」
 むぅと頬を膨らませ、グレイスは瞬く金色をまっすぐに見つめる。はっきりとした声には、少し拗ねた色が浮かんでいた。当たり前だ、ここまで触れ合っておきながら今の今までろくに構ってもらえなかったのだ。多少いじけるのも仕方が無いことだろう。恋人との甘やかな時間に憧れを抱く年頃の少女ならば尚更だ。
 細い腕が少年の首筋へと伸びる。服と同じ色をした襟巻きを通り過ぎ、白い指が後ろで結わえられた長い髪を捕らえる。細い束を優しく掴み、そのまま肩に掛けるように前に持ってきた。緑の柔らかな布の上に、濡れ羽色の髪が散る。
 ほっそりとした指が漆黒に通される。無造作に束ねられた黒はつややかで、照明の光を受け輝いていた。癖のないストレートの髪は指通しが良く、すっと差し入れるだけで抵抗無く梳かれる。毎朝大格闘している己の癖っ毛とは大違いだ。始果の性格と生活環境上、手入れなどしていないはずだ。それでこのさらさらとした美しい髪に仕上がっているのだから、なんだか悔しい。丸い頬がぷくりと膨らんだ。
「どうしました?」
「何でもないわよ」
 するすると黒い髪に指を絡める少女に、少年は問う。返ってきたのは、ぶっきらぼうな短い言葉だ。少女の声は不満と嫉妬が色濃く浮かんでいた。何故彼女がそんな感情を露わにしているのか分からないのだろう、始果はことりと首を傾げた。長い前髪がさらりと揺れる。
 少女の言葉を深く考える様子もなく、少年は再び手を動かす。高い位置で結われたサイドテールを崩さないように、そっと指を差し入れる。そのまま、櫛を通すようにゆっくりと手を動かす。つややかな髪が、引っかかることなく梳かれていく。指と髪が離れた瞬間、癖のある躑躅はぴょんと跳ねた。それが面白かったのか、少年は何度も指を入れては動かしを繰り返す。大胆ながらも、ガラス細工を扱うような繊細な手つきだった。
 沈黙の中、二人は互いの髪を触りあう。愛おしさに満ちあふれた動きだった。傍から見れば、愛し合う恋人同士が甘やかな時間を過ごしているように映るだろう――彼女らはまだ足りないだなんて思っているだろうけれど。
「……何というのでしょうか」
 流れる静寂を、少し低い声が破る。何が、とグレイスは髪をいじくる手を止め、すぐ隣の顔を見やる。きょとりとした顔に、きょとりとした顔が返される。尖晶石を見つめる琥珀石の瞳がぱちりと瞬く。常は平坦な色をしたそれは、今はどこかきらめいて見えた。
「きみに触れられていると、何だがふわふわ……します」
 ゆっくりと紡がれた言葉には、疑問符が混じっていた。彼にも、今の己の心情が理解できないのだろう。何せ、この少年は『嫉妬』の名すら知らないのだ。今胸から湧き出るこの気持ちを――『幸せ』という名前が付いたそれを理解することなどできなかった。けれども、その温かみはしっかりと分かるのだろう。普段はまっすぐな一本線を描く口元は、無意識にかゆるりと綻んでいた。春を目前とした桜の蕾が解けそうになっている、そんな風景を思い起こさせるものだ。
 微かな笑みを浮かべる狐の姿に、躑躅もつられて口元を緩める。ふふ、と思わず笑声が漏れてしまったのは仕方が無いことだろう。少しの呆れと多分の幸いを含んだそれは、二人の間に溶けて消えた。
 この少年は驚くほど感情の名を知らない。それでも、それを言葉という形として伝えようと思うほど、今この情動を強く感じているのだ。それはグレイスも同じだった。羞恥心が勝ってしまう彼女は言葉にしないものの、彼と同じほどの幸福感を抱えていた。現に、笑みとして表れてしまうほどだ。
 そう、と少女は一言だけ返す。愛おしさと、慈しみと、幸福がたっぷり詰まった音色をしていた。
 彼の真似をして、グレイスは結われた長い黒髪をそっと手に取る。そのまま、つやめくそれに口付け一つ落とした。
 二人きりの空間に、唇が触れる小さな音が落ちて消えた。

畳む

#はるグレ

SDVX

愛おしい熱を【ライレフ】

愛おしい熱を【ライレフ】
top_SS52.png
キスの日に考えたプロットが残ってたので書いたやつ。ライレフがキスするだけ。
Q.何でキスの日当日に投稿しなかったんですか?
A.プロット立て終えたのが終了30分前だったから。

 スポンジを持った手を動かす。柔らかなアクリル繊維が表面を撫でている内に、茶色のソースが付いた皿は元の白色を取り戻した。バーを上げ、蛇口から水を出す。サァ、と音をたてる流水を浴びせると、雫をまといながら美しく姿を変えた陶磁器が手元に残った。
 水を止め、雫のしたたるそれを水切りかごに置き、烈風刀は再びスポンジを握る。あらかじめ水に浸しておいたご飯茶碗を手に取る。べったりと付着していた米粒のデンプンは、ふやけたおかげか一撫でしただけでさらりと落ちた。
「れーふと」
 声と同時に背に熱。兄がやってきたのだと理解するより先に、腹に手を回された。そっと、しかし簡単には振りほどけない程度の締め付けが鍛えられた腹に与えられる。突然の接触に顔をしかめると同時に、肩に顎が乗せられた。
「ちょっと、お皿を洗ってるところなのですよ」
「んー」
 抗議の言葉は意味の無い音に攫われた。日に焼けていない白い首筋を、赤い髪が撫ぜる。くすぐったさに、少年は小さく身を捩る。昼空色の瞳が眇められる。奔放な兄の何も考えない行動はもうすっかり慣れてしまったことであるが、家事の邪魔をされるのは不服だ。こんなことで作業効率を落としたくはない。
「もう少しで終わりますから。あっちで大人しく待っててください」
「なーなー」
 あしらう言葉を口にするが、相手は意に介する様子はない。こちらの声を無視して呼びかける声は無駄に弾んでいた。どうせくだらない、それもろくでもないことを考えているのだろう。苛立ちと不穏な予感に、髪と同じ色をした碧い眉が強く寄せられた。
「今日、キスの日なんだって」
 明るい声が耳に直接注がれる。子どもが知ったばかりの知識を親に披露するような響きだった。ふふん、と上機嫌な笑声付きだ。それが余計に子どもらしさを醸し出していた。
 やはり、ろくなことを考えていない。はぁ、と見せつけるように思いきり嘆息する。だから何だというのだ。口付けでもしろというのか。そんなもの、いつだって許可も何もなく突然するではないか。だのに、こんな誰が制定したのかも知らぬ記念日と呼んでいいかすら分からないものにかこつけようとするのだから、我が兄ながら呆れる。
 ちゅ、と軽い音が鼓膜を揺らす。耳殻にかさついた温かなものが触れる感覚に、碧は身体を震わせた。ちゅ、ちゅ、とリップ音が形の良い耳にいくつも注ぎ込まれる。耳殻に、耳たぶに、首筋に、うなじに、温かなものが触れる。口付けされているのだと理解するのはすぐだった。
 肌と肌が触れあうくすぐったさに、幾度も口付けされる照れくささに、少年は小さく身を捩る。それも、腹に回された手によって防がれた。前はシンク、後ろは兄に道を塞がれている。身体に腕を巻きつけられているのだから、横に動くことも難しい。逃げることは困難だ。このまま唇が触れる感覚を享受するしかない。
 可愛らしくも艶めかしい音をたて、唇が肌を這っていく。心地の良い熱が触れて離れてを繰り返す。温かなものが皮膚に触れる度に、何か焦がれるような思いが募っていく。じわじわと内側に熱が宿って積もっていく。とろ火で炙られるような気分だ。
 食器を洗う手は完全に止まってしまっていた。当たり前だ、こんな状態で作業なんてろくにできるはずがない。こんな触れるだけのものばかり与えられて、数えられないほどの経験をしてきた身体は、次を、一番欲しい場所への熱を求めてしまう。あまりにも浅ましく、あまりにもはしたないことであるのは分かっている。それでも、想い人をより求めてしまうのは仕方の無いことなのだ。だって、愛しているのだから。
 雷刀、と口付けを降らせる恋人の名を呼ぶ。どこか拗ねた響きだった。常々彼を子どものようだと思っているが、この程度でこんな音を発してしまうなど自分も負けず劣らず子どもではないか。頬にほのかな赤が灯った。
 スポンジを所定の位置に置き、無理矢理身を捩って半身だけ振り返る。広がった視界の先、雷刀はにまりと笑った。チャームポイントである八重歯が覗く、愛らしい笑顔だ。しかし、今はその底にろくでもない思惑が隠れていることがありありと分かる。可愛らしさより腹立たしさを覚えるものだ。整った浅葱色の眉が寄せられた。
 抱き締めた愛し人の目をまっすぐに見やり、朱はなぁに、と間延びした返事をする。砂糖をそのまま音にしたような甘い響きをしていた。ちゅ、とまた音が一つ注がれる。今度は弾力のある耳殻に熱が与えられた。胸にまた何かが降って積もっていく。
「…………こちらはいいのですか」
 尋ねる声は、己らしくもなくぽそぽそとしたものだ。どこであるか、具体的な名称は挙げない。挙げられないのだ。どこに口付けが欲しいかなど、羞恥が邪魔して言葉として形作ることなどできない。頬に熱が広がっていく。先ほどから幾度も与えられるそれによるものではないことは明らかだ。
「そっちも!」
 弟の控えめな言葉に、兄は元気よく応える。腹に回された腕にこもる力が強くなる。苦しさに、思わず呻きその手を叩く。あっ、と焦った声とともに拘束が弱まった。
 見上げた真紅の瞳が愛おしげにきゅうと細められる。口付けする時、彼がよく見せる表情だ。途端に感覚が想起され、背筋を何かが走っていく。隠しようのない期待だ。己は今、何よりも口付けを求めている。
 顔が、唇が、徐々に近づく。普段通り、触れあうより先に目を閉じる。白い瞼は固く閉ざされ、縁取る浅海色の睫毛はふるふると震えていた。健康的な色をした唇がきゅっと結ばれる。
 ちゅ、と再び可愛らしい音。熱が宿ったのは唇ではない、分けられた髪から覗く額にだ。予想外の行動に、抱きかかえられた身体がひくりと震える。引き結ばれていた口がほろりと綻ぶ。ぇ、と漏れた声には動揺がありありと浮かんでいた。
 ちゅ、ちゅ、と音が、温度が幾度も降り注ぐ。額に、瞼に、目尻に、鼻先に、頬に、熱が灯されていく。けれども、求める場所には一切降ってくることはない。細い眉の端が困惑で下がっていく。
 頬に何度目かの灯火が宿ったところで、烈風刀は目を開ける。眉間には深く皺が刻まれ、水宝玉の瞳は眇められていた。その眦にほんのりと赤が差しているのは気のせいではないだろう。柔らかな頬にも、薄らと朱が散っていた。
「分かってやっているでしょう……」
 鋭く細められた碧が、朱を射抜く。薄い唇が自然と尖っていく。いじける子どもの様相とよく似ていた。らしくもないと己でも分かる表情を浮かべている。けれども、こんな顔になってしまうのも当たり前だ。
 鈍感に見えてどこか聡い兄が、己が発した言葉の意味を理解していないわけがない。大体、一番欲しい場所だけ綺麗に避けて口付けを降り注がせるなど、わざとに決まっている。この男は変なところで意地が悪いのだ。特に、なかなか素直になれない自分に対しては。
「別にー? 全部にちゅーしたいだけだぜ?」
 片腕が腹部から離れていく。温かく大きな手が、散々口付けが散らされた頬に添えられた。触れた指先が、白い肌をすりと撫でる。くすぐったさを覚えるとともに、心臓がとくりと跳ねた。鼓動が次第に早さを増していく。
 再び瞼を下ろす。闇に包まれた視界の中、何かが動く気配。
 唇に何かが触れる感触。少しかさついた、それでいて柔らかな肌触りと、確かな温かさ。口付けのそれだ。待ちわびた感覚に、きゅうと喉が鳴る。とくりとくりと心臓が脈打つ。歓喜に溢れた音色をしていた。
 ちゅ、ちゅ、とわざとらしく音をたてて唇と唇が触れあう。温かなそれが重なる度、胸に小さな火が灯っていく。飢餓を訴えていた心が満たされていく。いたずらするように唇を食まれた瞬間、背筋を何かがそっと撫ぜた。ん、と鼻にかかった音が漏れ出る。恥じ入るべき響きは捕らえられた頬に紅を注いだ。
 何度もの重なりの末、愛しい温度が離れていく。名残惜しさに声が漏れ出てしまいそうになるのをどうにか我慢する。もっと欲しい、と叫ぶ胸の内に必死に蓋をした。
 ゆっくりと目を開く。光に順応しきっていない目に、少し細められた緋と八重歯の白覗く赤が映った。キッチンの蛍光灯の下、薄くなったルビーが輝く。鮮烈な色の奥には、同じほど鮮やかな炎が燃えているのが見えた。
「これだけでいい?」
 普段よりも落ち着いた声とともに、節が目立ち始めた指が烈風刀の唇をなぞる。幾度も食まれたそれは、唾液で少し湿っていた。光を受けつやめくそれは、どこか艶めかしさがあった。
 言葉は問いの形を取っているが、響きは確信的なものだ。これだけでは足りないだろう。もっと欲しいだろう。この先が欲しいだろう。かすかに低くなった声はそう告げていた。
 朱の言葉に、赤い口がきゅっと引き結ばれる。形の良い眉が苛立たしげにひそめられた。孔雀石が眇められる。機嫌の悪さを、腹立たしさを隠しもしない表情だ。
 悔しいことに、兄の言葉は真実だ。一番欲しかった場所に熱を与えられた身体は、愛する人の温度を更に求め声をあげる。もっとちょうだい、と本能が浅ましくねだる。しかし、理性はそれを良しとしない。何より、兄の思い通りになるのが悔しくてたまらなかった。普段は突き抜けるほど単純な癖に、こういうところで考えを巡らすのだから腹立たしくて仕方が無い。まんまとはまってしまう己の浅はかさもだ。
 大体、欲しいのは、我慢できないのはお前もだろう。そんな思いを乗せて、弟は目の前の紅宝玉を睨めつける。慣れているのか、兄は意に介す様子もなくまた唇を指で撫ぜる。柔らかなそれがふにりと形を変えた。
 ぐるっと身を翻す。拘束が弱まっていたこともあって、先ほどよりも簡単に振り返ることができた。半分だけ顔を向けていた体勢から、ようやく真正面から向かい合う形になる。突然の行動にか、目の前の炎瑪瑙がぱちりと瞬く。あどけない子どものような表情に内心笑みをこぼしながら、その健康的な色をした頬に手を伸ばす。柔らかく弾力のあるそれを、両の手で包み込んだ。
 今一度、唇に温かな感触。ちゅ、と小さな音が部屋に落ちた。
 ゼロ距離になっていた唇を、顔を離す。すぐ目の前、飴玉のようにきらめく柘榴石がめいっぱいに見開かれたのが映った。ぽかんと間の抜けた様子で口を開きこちらを見つめる姿に、ふふ、と思わず笑みが漏れる。期待通りの反応に、達成感が胸を満たした。
「貴方こそ、いいのですか?」
 問いに問いで返す。ことさらゆっくりとした調子で言葉を紡ぎ出す。わざわざ問うまでもないだろう。お前がそうなのだから。そんな言葉を込めて、挑発的に口角を吊り上げる。にまりと己らしくもない笑顔が形取られた。
「――よくねーに決まってんじゃん」
 数拍、眼前の赤い口がニィと笑う。口端の片方だけ吊り上がった、凶悪な印象を与える笑みだ。愛しいレイシスや幼い初等部の子どもたちにはまず見せられない、絶対に見せることなどない表情である。そも、この笑みが見られるのは己ぐらいだ。何しろ、褥でしか見せないものなのだから。
 仕返しのように両頬を捕らえられる。先ほどの撫でるようなものではない、がっちりと掴んで離さないものだ。どくんと心臓が跳ねる。甘い感覚が背筋を駆け抜けた。
 意趣返しが上手くいった達成感と、己しか見ることができないこの表情を引きずり出した優越感と、この先への期待感が胸を満たす。どくん、どくん、と心臓がうるさく音をたてる。
 顔が、口が近づく。大きく開けられたそれは、触れた瞬間己を食らうだろう。そして、熱くぬめった舌が口腔を我が物顔で荒らし回るのだ。いつもそうなのだから、今日だってそうに決まっている。つい先ほどまでの児戯めいた可愛らしい口付けではない、乱暴とすらいえる捕食者の口付けが今から己を襲うのだ。
 数瞬後に享受するであろう熱を夢想し、思わず口元が緩む。愛しい人に食われるために、碧はそっと目を閉じた。

畳む

#ライレフ #腐向け

SDVX

書き出しと終わりまとめ9【SDVX】

書き出しと終わりまとめ9【SDVX】
top_SS01.png
あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその9。ボ6個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:プロ氷1/ニア+ノア+レフ1/烈風刀1/ライレフ(神十字)2/レイ+グレ1

触れあいを求めて/プロ氷
あおいちさんには「あーあ、言っちゃった」で始まり、「それを人は幸せと呼ぶらしい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字)以内でお願いします。


 あぁ、言ってしまった。
 ぎゅっと目をつむる彼女の顔はそう語っていた。俯いた顔は熟れきった赤色で、きゅっと引き結ばれた唇と胸の前で握られた拳はぷるぷると震えている。細い身体は己が身を守るように縮こまっていた。今までの彼女を見ていれば、彼女が持ちうる勇気を全て振り絞っているのだと分かる姿だった。
「ぁ、え…………、いいの? だ、大丈夫?」
 だというのに、己の口から漏れ出た言葉はこれなのだから何と間抜けなのだろう。これだけ頑張っている彼女に向けて、何だその呆けた返答は。もっと真摯に向き合え。内なる自分が罵倒する。言い返すことなどできなかった。
「だっ、だいじょうぶ、です。でき、ます」
 ぱっと顔を上げ、氷雪は識苑を見上げる。細い身はふるふると震えており、こちらをまっすぐに射抜く川底色の美しい瞳はかすかに潤んでいる。今まで何度も失敗してきたことなのだから怖いのだろう。未知の行為なのだから恐ろしいのだろう。けれども、その色の中にはその恐れを振り払った確かな決意が見えていた。
 小さく頷き、朱に染まりきった頬へと手を伸ばす。触れた指先から伝わる温度は火傷しそうなほど熱い。愛おしい温度に、頬が緩んだ。
 目閉じて、と声をかける。恥ずかしいほどに掠れた音だった。緊張しているのは己も同じなのだ。仕方無いだろう、愛おしい人と触れあう時が来たのだから。愛する少女に触れることをどれだけ待ちわびたことか。慕う少女に触れるのがどれだけ恐ろしいか。自分でも分からなくなるほどだ。
 震えながらも目を閉じ顔を上げたままの少女へと顔を近づける。一センチ。二センチ。のろのろと、しかしながらも確かに離れていた間が縮まっていく。愛おしいかんばせが近づくにつれ、青年の顔も赤らむ。恥ずかしさから目を背けるように瞼を閉じた。
 長い時を経て、二人の距離がゼロになる。薄くかさついた唇と、柔らかな小さな唇が重なった。
 一秒にも満たない邂逅。それでも、触れあった感触は、熱は、存在は、確かなものだった。
 そっと顔を離す。ゼロだった距離が、元通り頭二つ分離れる。恐る恐る目を開けると、翡翠の瞳と視線がかちあった。
「……でき、たね」
「……はい」
 相も変わらず間の抜けた言葉に、肯定の語が返される。淡雪のようにすぐ溶けて消えてしまいそうな声だった。しかし、その愛らしい声は己の耳にしかと届いた。
「――よかったぁ……」
 へなへなと情けなくその場にしゃがみこむ。張り詰めていた緊張の糸が完全に切れてしまい、どっと疲れが襲ってきた。膝に額を付け、はぁと大きく息を吐く。緊張が消えた心の内に、違うものが満ちていく。温かなそれに涙腺が刺激される。みっともなく緩みそうになるそれを必死に押し込めた。
「だ、だいじょうぶですか?」
「大丈夫だよー。……氷雪ちゃんこそ大丈夫?」
 上空から降ってくる問いに手を振って返す。少しの沈黙の後、そっと顔を上げる。見上げた先の小さな顔は逆光で少し薄暗く見えるも、変わらず真っ赤に色付いていることがありありと分かった。
 あ、ぅ、と淀んだ声が降り注ぐ。雪色の肌を朱に染めた少女は口元を着物の袖で覆う。口付けという恋人らしい行為に対しての羞恥が見て取れた。
「だ、だい、じょうぶ、です」
 あの、えっと、と時折唸りながらも氷雪は言葉を続けようとする。未だしゃがみこんだままの識苑は、彼女が発言しようとする様をじぃと見つめ待っていた。引っ込み思案な彼女がこれだけ頑張って何かを言おうとするなど、珍しいことだ。聞いてあげたいに決まっていた。
「――やっときっ、き、す、できて、うれしかった、です」
 長い沈黙の末、少女は拙いながらも言葉を紡ぐ。白銀の髪と同じ色をした眉がへにゃりと下がる。天河石の瞳が緩い弧を描く。その端から、透明な雫が静かに伝った。澄んだそれが悲しみや苦しみによるものではないのは、その幸い色に染まった表情を見れば明らかだった。
「……うん。俺も」
 そう言って識苑は笑みを浮かべる。とろけた顔と言うのが相応しい様相だった。彼の顔も、少女と同じく幸い色で満ち満ちていた。
 紙にインクが染み渡るように、胸の内に温かなものが広がっていく。今にもはち切れ溢れてしまいそうなこれを、人は幸せと呼ぶのだろう。




果てまで届け/ニア+ノア+レフ
AOINOさんには「ガラス瓶の中に想いを詰め込んだ」で始まり、「そのまま変わらずにいてね」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以内でお願いします。


 ガラス瓶の中に、想いを詰め込んだ便箋を入れる。巻かれたそれは元の形に戻ろうとするが、すぐにガラスの壁に阻まれた。
「手紙だけでいいのですか?」
「貝殻も入れる!」
 烈風刀の言葉に、ニアは大きな声で答える。隣で紙を入れるのに四苦八苦している妹の名前を呼ぶ。ちょっと待って、と慌てた声が返ってきた。
「僕が入れましょうか?」
「大丈夫だよっ」
 見かねた少年が手を貸そうとするが、片割れは頑なに断る。一人で成し遂げたいのだろう。言い出したのは彼女なのだから。
 数日前、ノアが一冊の本を差し出してきた。図書室で借りたらしいそれには、『ボトルレター』というものが登場していた。海の向こうへ想いを渡すそれは、ロマンチストな妹の胸をくすぐったのだろう。これやってみたい、と控えめな彼女にしては珍しくはっきりとした主張に、姉は大仰に頷いたのだった。
 そして数日後の放課後、子ども二人きりで海に行こうとしたのを見かねてついてきた烈風刀と共に、砂浜へとやってきたのだ。
 ようやく詰め終えた妹の手を取り、浜辺を歩く。両手で抱えられるほどの貝殻を拾い集め少年の元へ戻ると、彼は苦笑した。
「全部入りますかね」
「入れるの!」
 揃って言うと、少年はそうですか、と口元を綻ばせた。
 クリアな瓶に貝殻を詰め込んでいく。すぐに満たされていくそれに、崩れぬようにどうにか全部詰め込む。おぉ、と驚きと感心の声をあげる碧にふふん、と双子は胸を張った。
 手紙と貝をたっぷり抱えた瓶を手に取る。そのまま、本の登場人物のように大きく振りかぶり、二人で一緒に遠くへと投げた。宙高く飛んだそれは、陽の光を浴びてキラリと光り、青い波間へと消えた。
「届くかな?」
「届くよー!」
「届きますよ、きっと」
 妹の問いに、碧と蒼は同じことを言う。それがなんだか面白くて、ニアはクスクスと笑った。吊られるように、ノアも控えめな笑みを浮かべる。そんな双子を、烈風刀は穏やかなまなざしで眺めていた。
 少女は光り輝く水平線を見やる。このまま、変わらず楽しくいたい。




戒/嬬武器烈風刀
あおいちさんには「また同じ夢を見た」で始まり、「その想いは海に沈めた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以内でお願いします。


 また同じ夢を見た。
 胸元を強く握り締め、烈風刀は荒い息を繰り返す。こめかみを汗が伝う。心臓が痛いほど鼓動する。
 己の身体を取り巻く茨が、鮮烈な朱を刺す。光剣が分厚いジャケットを切り裂く。晒された肌を裂く。布地が、紅が宙を散り彩る。
 斬りつけて、斬りつけて、斬りつけた。それでも立ち上がり向かってくる彼に地に倒され、そして――
 ぐ、と息が詰まる。呼吸が上手くできない。早鐘を打つ胸が痛む。脳の奥が何か叫び声をあげた。
 意識的に息を吐き、深く吸いを繰り返す。うるさかった心音がゆっくりと収まっていく。乱れていた呼気もじきに落ち着きを取り戻した。
 大丈夫。大丈夫だ。言い聞かせるように、心の中で何度も言葉を繰り返す。大丈夫だ。あんなことはもう二度と無い。あんなことはもう絶対に起こり得ない。あり得てはいけない。もう許されないことなのだ。
 そうだ、己は許されない。忘れるな。仲間を、愛しい人を、大切な家族を傷付けた己は許されることはないのだ。優しい彼女がどれだけ良いと言おうとも、頼もしい兄がどれだけ気にするなと言おうとも、己は許されないのだ。
 息を大きく吸い、一気に吐く。あれほど大量に湧いて出た汗は引いていた。静かな夜闇を碧が睨む。そこには、確かな意志が浮かんでいた。
 許されない。許されるはずがない。許されてはいけない。当たり前の事実を今一度口の中で繰り返す。強い響きが身体に刻まれていく。何年もの歳月をかけて重ねられたそれは、もう消えることなどないものだ。
 許されたいだなんて甘い想いは、あの輝かしい海に沈めたのだ。




移ろいゆくもの/神十字
あおいちさんには「みんな変わってしまうんだ」で始まり、「百年も待っていられないよ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば11ツイート(1540字程度)でお願いします。


「皆変わっちまうんだよなぁ」
 窓の外を見やりぽつりと呟く。こぼれた声は存外大きかったようで、少し離れた本棚の前に立つ青年がクスリと笑みを漏らした。
「当たり前ですよ。人間なのですから」
 神様と一緒にしないでください、と軽口を叩き、男は手にしていた本を閉じ、棚へと戻した。白い指先がしばし宙を彷徨い、やがて止まる。背表紙に指を引っかけ、新たな本を取り出した。埃の香りがふわりと舞う。
「にしてもあっという間に変わっちまうじゃん。特に子どもはさ。オレの腰ぐらいしかなかったチビがいつの間にか頭一つ分まで迫ってきてんだぜ?」
 身振り手振り交えつつ赤髪の男は言葉を紡ぐ。小さな子どもと相違ない様子に、緑髪の青年は密かに口元を緩めた。
「子どもの成長は早いですからね」
 そう言って青年は開け放たれた窓の外を見やる。日向の中、幾人もの子どもが駆け回っていた。明確に自我を持ち始めた年頃の子もいれば、そろそろ『子ども』のカテゴリから外れるような年頃の子もいる。ここは『家族』を持たない者たちの集まりだ。様々な歳の子が所属していた。
「おもしれーよなー、子どもってさ」
「貴方は成長しませんものね」
「神がそう簡単に姿形が変わっちゃ困るだろ?」
「そうでしょうか」
「そうだろ。信仰対象がころころ姿変わったら何を信じたらいいか分からなくなっちまう」
「そうでもないと思いますよ。どんな姿であろうと、貴方が貴方であることに変わりはないのですから」
 窓の向こうへと目を向けながら、二人は他愛のない応酬を重ねる。子どもたちを眺める眼差しは、親のそれだった。職員である緑髪の男はもちろんであること、それなりの年月をともに暮らした赤髪の男――人ならざる者である神も彼らを実子のように愛していた。
 カツン、とヒールの音をたてて、神は青年に近寄る。赤い目が男の頭からつま先までじぃと見る。どうした、と蒼は目で問うた。
「お前は変わんねーよなー」
「それはそうですよ。僕はもう大人なんですよ? これ以上成長することなんてほとんどあり得ません」
 そんなもんか、と首を傾げる紅に、そうですよ、と蒼は返す。その口元は穏やかに綻んでいた。
 赤い頭が黒い服に包まれた肩に乗せられる。丸い青がぱちりと瞬いた。柔らかな髪が首筋を撫ぜる感覚に、小さな笑声が漏れ出た。
「……変わんないままでいてくれよ」
「それは無理ですよ。人間なのですから」
「さっき変わんねーっつったじゃん」
「それとこれとは別です」
 人は絶対に変わってしまうものなのです。
 青年――否、青年と呼ぶには幾分か年老いた男は、歌うように言葉を紡ぐ。諦観を孕んだ音色に、神は苦しげな音を漏らした。
「大丈夫ですよ。貴方のことは子どもたちにちゃんと伝え教えてあります。消えることは――」
「そうじゃねぇ!」
 穏やかな笑みを浮かべた男の声を、鋭い声が切り裂く。張り詰めた、今にも泣き出しそうな響きだった。怖い夢を見て夜中に起きてしまった子どものそれに似ているように思え、青い瞳がゆるりと綻んだ。
 寄り添った頭が離れる。黒い外套が翻る。タン、と地面を蹴る音。勢いに任せ、紅は蒼を強く抱き締めた。苦しいですよ、と男は背を叩くが、逆に力が込められるだけだ。聞き入れられる様子はなかった。
「十年もしたら僕のことなんて忘れますよ。だから、大丈夫」
「大丈夫なわけないだろ……」
 子供をあやすように男は黒い背を叩く。絞り出すような低い声が返された。
 十年だろうが百年だろうが、ずっと覚えて待っててやっからな。
 呟きにも似た重い言葉に、蒼は背を叩くことで返した。




冬、君と共に/ライレフ
AOINOさんには「ぬくもりを半分こした」で始まり、「だから君がいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。


 冬が来る度、ぬくもりを半分こする。
 思ってたより寒いから。暖房代節約したいから。そんな稚拙な嘘を並べ立てて、今日も朱は枕片手に部屋を訪れる。シングルベッドは健康優良児である高校生二人を抱えるには狭いというのに、兄はいつだって屁理屈をこねて己のベッドに潜り込んでくるのだ。どれだけ拒否しようと、素早い動きで冷たい身体を布団に滑り込ませてくるのだから質が悪い。
 今日の言い訳は『寒い』の一言だった。シンプルすぎる言葉は、温度計が示す室温を見るに真実であろう。だからといって、この歳にもなって兄弟二人一緒に寝るという選択肢が発生するのは訳が分からないのだけれど。
「烈風刀、もうちょいこっち」
 声と同時に背中に手を回され、ぐいと身体を引かれる。それだけで二人の距離はゼロに等しいものとなった。ほんのりと相手の温度が伝わってくる。毛布に包まれた身体は柔らかな温もりで満たされており、優しい眠気を誘うものだ。隣にいる者が静かなら、このまま寝入ってしまってもおかしくない。
「暑いのですけれど」
「マジ? オレはこれでちょうどいいけど」
 眇め、闇夜の中の朱を見る。声の調子から、その飴玉のようにまあるい輝く瞳を大きく開いていることが分かる。暑い、と主張したにもかかわらず、少年は布団の主を更に抱き寄せる。足に足が絡みつく。まるで蛸が餌を捕らえるような動きだ。心地良い温度が身体を包み込んでいく。睡魔が瞼をそっと撫ぜた。
「暑いですってば。離れてください」
「オニイチャン、烈風刀が離れたら寒くて眠れなくなっちゃうなー」
 ぐいぐいと胸板を押してみるが、効果はほぼ無い。逆に背に回された手に力が入った。
 悔しいことに、重力戦争時代に戦闘を主にしていた雷刀の方が己より力が勝っている。それに、睡魔に絆されつつある身体は平時よりも言うことが聞かない。抵抗しても無駄であることは烈風刀も理解していた。それでも、このまま兄の思うがままになるのは癪だ。
「雷刀」
「なぁに」
 咎める声で名を呼ぶが、返ってくるのは砂糖を溶かしたような甘ったるい声だ。こつん、と額と額が触れあう。鼻先と鼻先が掠めあう。直接感じる温度と甘やかな呼吸に、浅海色の瞳がぱちりと瞬く。温もりでほのかに色付いていた肌に、ぱっと朱が広がった。反射的に顔を伏せ、首元まで布団に潜り込んでしまう。控えめな笑声が碧い頭に降り注いだ。
 『兄弟』という関係から更に先に進んでしまった今、こうやって抱き合って眠るのは少なくない。顔を近づけ合うことだって数え切れないほどだ。それ以上のことだって、もう多分にやっている。けれども、この胸には恋を初めて知った乙女のような恥じらいがいつだって湧き起こるのだ。なんとも情けない。己でもほとほと呆れるが、湧いて出るものはどうしようもなかった。
 烈風刀、と甘やかな声が己の名を紡ぎ出す。布団からはみ出た頭に温度が灯る。さらさらとした髪の間を、胼胝の浮かぶ指が流れるように梳いていく。眠れない子どもを安心させようとする親のような手つきだ。心地良くもあり、腹立たしくもあった。普段は初等部の子たちと同じほど子どもっぽいというのに、たまにこうやって兄ぶってくる。今のこれに至っては丸め込むための動きだ。薄い唇がきゅっと引き結ばれた。
「……寒いなら、毛布を増やせばいいではありませんか」
「これ以上毛布増やしたら重すぎて寝れねーって」
「いい加減湯たんぽを買ったらどうですか」
「売ってるのどれもちっさいじゃん。あんなんじゃ足りねぇ」
 案を並べ立てるが、のらりくらりと躱されてしまう。どちらも眠りの海に足を浸しているというのに、それらしい言葉を紡ぎ出せてしまうのだから不思議だ。
 背に回された手に力がこもる。途端、わずかにあった空白が埋まって、距離がゼロになる。鼓動の音まで聞こえてきそうだ。首筋に温度。肌を呼気が撫ぜる。すん、と息を吸う短い音が耳のすぐ側で聞こえた。そわりと背筋を何かが駆けていく。理解したくない感覚に、少年は美しい碧の瞳を伏せた。
 闇の中、自分と違うようで似ている声が耳元で囁く。
 だって烈風刀が一番温かい。烈風刀がいい。烈風刀じゃなきゃやだ。




世界がどう在ろうとも/レイ+グレ
あおいちさんには「どうか許さないでください」で始まり、「私は案外欲張りなんだよ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以上でお願いします。


 許さないでよ。
 そう言って、彼女はこちらの胸元を強く掴んだ。崩折れそうなほど震えながらも布地を握り締める姿は、縋り付くと表現した方が正しい。すん、と鼻を啜る音が静かな部屋に落ちる。スピネルのような美しい瞳からしたたる雫が、己の膝に丸いシミを作っていく。生暖かいそれに、彼女が生きてこの場に存在していることを実感する。
 泣きじゃくる躑躅色の頭をそっと撫ぜる。悪夢を見て飛び起きたからだろう、癖の強い髪は汗ばんでいた。しっとりとしたそれが愛おしい。
「許しマスヨ」
「やめてよ!」
 とびきり優しく告げるが、返ってきたのは叫びだった。悲痛に濡れた、痛苦に塗れた、後悔が色濃く浮き出た音色が夜の空気を切り裂く。彼女の胸に抱える痛みが嫌というほど伝わってくる響きだった。
「許さないでよ……許されないんだから……」
 一生許されないのよ。
 絞り出すように呟いて、少女は嗚咽を漏らす。昂りすぎた感情に支配された頭は、もう意味のある語を成せないようだ。喉がひくつく音、鼻を啜る音が静寂を上塗りしていく。
 悲嘆に暮れる妹を、正面からそっと抱き締める。小さな頭を己の肩に乗せ、ぽんぽんと優しく叩く。大丈夫デスヨ、と囁くと、ゆるゆると形の良い頭が横に振られた。癖のある躑躅が揺れる。
 大丈夫、大丈夫。柔い輪郭を描く耳に、優しい囁きを落としていく。まじないのようであり、祈りにも似ていた。
 彼女――グレイスは、時折とびきり悪い夢を見る。泣いて飛び起きるため、その内容は多くは語らない。けれども、言葉の端々からはあの闘いの日々に対する強い後悔が見て取れた。今日だってそうだ。許して、とうわごとのように繰り返していたというのに、起きた今は『許さないで』と正反対の言葉を紡ぐのだ。
 許してほしい本心と、許されてはならないという強迫観念が彼女の精神を削っていく。どれほど苦しいのだろう。どれほど悲しいのだろう。どれほど願っているのだろう。想像を絶する感情であることぐらいは分かった。
 そんな彼女に対して、自分は何ができるのだろうか。今はその頭を、背を撫で、体温を共有し、少しでも落ち着けてやることぐらいしかできなかった。歯痒さに桃色の眉が形を歪める。どれだけの権限を持とうと、己は無力だ。
「大丈夫デス。許されマス。皆、許していマスヨ」
「そんなわけないでしょ。そんなこと、あり得ないんだから」
「あり得マスヨ」
 ワタシが何とかしてみせマス。
 重力戦争では、多大な被害がネメシスを襲った。それに対して良い感情を抱いていない者はいるだろう。彼女の言う通り、許さないと言う者もいるだろう。けれども、大切な妹がこちらの世界にやってきた時に誓ったのだ。全てを何とかしてみせる、と。世界が彼女を受け入れてくれるよう全力を尽くす、と。
「全部、やってみせちゃいマスカラ。ワタシ、案外欲張りなんデスヨ?」

畳む

#プロ氷 #ニア #ノア #嬬武器烈風刀 #ライレフ #レイシス #グレイス #腐向け

SDVX

烈風刀「大丈夫? おっぱい揉む?」【ライレフ/R-18】

烈風刀「大丈夫? おっぱい揉む?」【ライレフ/R-18】
top_SS51.png
お題ガチャで出てきたネタがツボったので膨らませた結果。
インターネッツの悪い冗談に惑わされて疲れ切ったオニイチャンを元気づけようと「大丈夫? おっぱい揉む?」って言った結果美味しくいただかれる弟君の話。

なんだか右が疲れてへとへとになっていたので「お疲れさま。…おっぱい揉む?」と言ってしまった左。その瞬間元気になる右。

「おかえりなさい、補習お疲れ様でした。……お、おっぱ…………胸、揉みますか?」
 暗く濁った紅緋を見つめ、烈風刀はたどたどしく言葉を紡ぐ。ドサ、と鞄が地面に落ちる音がリビングに響く。それ以降、声が、音が続くことはない。静寂が二人を包んだ。
 数日前、勉強の合間の気分転換に行っていたネットサーフィンで、烈風刀は気になる文章を見つけた。
 ――男を元気にさせるなら「大丈夫? おっぱい揉む?」と言えばいい。
 そんな趣味の悪い冗談でしかない一文だが、少年の頭には引っかかるものがあった。具体的には、己たち兄弟、特に兄の性的嗜好についてだ。
 兄との性行為では女側の役割を果たす烈風刀であるが、れっきとした男である。女体への興味は人並みにある。特に女性の豊かな胸部に目が吸い寄せられてしまうことは密かながらもよくあることだった。相手にあまりにも失礼なのでできるだけ隠してはいるが、やはり女体の中でもその部位への関心は一際高い。それは兄も同様であることは、同じ男として分かっていた――デリカシーの無い彼がその嗜好を包み隠さず口にするのが原因なのだけれど。
 そんな彼相手ならば、この文言はてきめんだろう。事実、彼は女性の豊満なそれだけでなく恋人である己の胸にも多大なる興味を持っている。行為中にまさぐられないことは無いと言っても過言ではないほどだ。肉付きの薄い男の胸など触って何が楽しいのかはさっぱり分からないが、いつも上機嫌で捏ねくり回すのだからよっぽど好きなのだろう。
 だから、彼が連日の補習授業で疲れ果てているであろう今日、試してみようと思ったのだ。補習を受けるのは全て兄の日頃の行動によるものであり自業自得だが、疲労困憊といった様子で日々を過ごしている恋人を少しでも元気づけたいと思うのは自然なことだろう。それに、今日はその補習の最終日だ。ひとつのご褒美、疲れを癒やす一助になれば、と少年は件の文言を口にしたのだった。
 その結果、目の前に広がる光景は後悔を引き起こさせるものだった。
 真ん丸な緋色は更に丸く見開かれている。口も同じくぽかんと開かれており、彼のチャームポイントである八重歯が覗いていた。肩に掛けていた鞄はずり落ち、床にへたり込んでいる。先程まで鞄の取っ手を握っていた腕は、身体の横に力無く垂れ下がっていた。身体は硬直し、棒立ちのまま動く様子は無い。呆然という言葉を体現したような姿であった。
 やはり、こんなこと冗談でも言うべきではなかった。少なくとも、ようやく帰宅した者に対して開口一番で言うことではない。胸を揉むか問うなど、あんまりにも淫らではないか。下品だと叱られても当然の物言いである。そんなことを突然言われては、呆然とするのも必然だ。
 あぁ、なんて愚かなことをしたのだろう。いくら兄の性的嗜好に合致しているからと言って、口にしていい言葉ではなかった。反省と後悔の念が胸を襲う。猩々緋から視線が逸れ、徐々に床へと向かっていく。己の愚かさに無意識に唇を引き結んだ。
「……すみません、冗談です。突然こんな馬鹿なことを言ってすみませ――」
「いいの!?」
 精一杯謝罪の言葉を並べ立てようとするも、それは肩を掴む手によって阻まれた。あまりの勢いの良さに、思わず身体がぐらんと揺れる。力加減など一つもしていないのか、指が食い込んだ箇所が痛みを訴えた。鋭いそれに、思わず顔をしかめる。一体どうしたのだと顔を上げると、キラキラと輝くルビーと視線が交わった。
「え!? マジ!? おっぱい揉んでいいの!?」
 燦然と光る炎瑪瑙が、後悔と動揺で淀む藍玉を見つめる。先ほどまで疲労で暗く濁っていたのが嘘のようだ。呆けて開かれていた口の端は上がり、咲き誇るような笑みを形どっている。色濃い陰が差していたその顔は、疲れなど微塵も感じさせない喜色で彩られたものに移り変わっていた。問い質すように、掴まれた肩を強く揺さぶられる。ぐらんぐらんと身体が前後に揺れた。
 彼が口にした『おっぱい』という俗っぽい名称に思わず顔をしかめる。しかし、途中までとはいえ先にその後を口にしたのは己だ。咎める資格など持ち合わせていない。ぅ、と喉が詰まったような音を漏らした。
 本当ならば胸を揉まれるなど、しかも自ら揉まないかと提案するなど、強い羞恥を呼び起こす行為だ。けれども、言ってしまったものは仕方ない。自ら決意したのだ。今日ばかりは彼の好きにさせよう、と。
「え……、いえ、いい、ですけれど……」
「やったー!」
 肩をがっしりと掴んでいた手が離される。そのまま、朱は大きくばんざいをした。天へと手を大きく広げる様は、その胸の内に溢るる喜びを鮮明に表しているように見えた。欲しかったおもちゃを買ってもらった子どものように、やったやったと繰り返す。そのまま小躍りでもしそうな勢いだ。
「立ったままだとやりにくいよな? ソファ行こうぜ!」
 聞いたことがないほど弾む声と宝石のように輝く瞳が、動揺で固まった少年を捕らえる。再び肩を掴まれ、くるんと身を反転させられる。そのまま背を押され、ソファの方へと歩みを進めることとなった。
「ぅ、え? あの、ご飯とお風呂は――」
「そんなの後!」
 未だ心が乱れ揺れる烈風刀のことなど知らぬとばかりに、雷刀はその広い背を押す。ぐいぐいと押し進める力は強く、歩調が乱れよろけそうになるほどだ。どうにか押す調子に歩みを合わせ、ソファの前へと辿り着く。背に当てていた手を離し、兄は一足先に柔らかな座面に腰を下ろした。足を大きく開き、その中心をポンポンと叩く。ここに座れ、ということだろう。決意の通り素直に従い、彼の足の間へと腰を下ろした。浅く腰掛けるも、すぐに腹に回された手がぐいと引き寄せる。あっという間に己の背と彼の胸との距離がゼロになった。
「ほんとにいいの?」
「…………いい、ですよ。お好きにどうぞ」
 最終通告のように問う兄に、弟はしゃんと姿勢を正し答える。背が丸まったままの姿勢では触りにくいだろうと思っての行動だ。変に恥ずかしがって縮こまる方が己の中の羞恥を煽るということは学習している。もちろん、それが兄の性的興奮を煽る要因になることも学習済みだ。今日は性行為をするためではない、彼の疲労を癒やすために行うのだ。変に性欲を煽るのはよろしくない。
「んじゃ、触るな」
 ガッチリと腹をホールドしていた腕が離され、そろそろと上がっていく。しばしして、しなやかな指が胸部に触れた。鍛えられ薄く盛り上がった胸筋を、服の上から大きな手が包み込む。まるで胸当てのように全体を覆われた。
 宛てがわれていた手がゆっくりと動き出す。薄い肉を掴むように指を曲げ、そのまま徐々に閉じていく。第二関節が少し曲がったところで、指が元通りに伸ばし戻されていく。指が動く度、胸筋の上に乗ったわずかな脂肪が、むにりむにりとやわこく形を変える。フェザータッチとでも言うのだろうか、行為の大胆さに反し動きは酷く優しく、緩慢と言っていいものだ。動きに合わせるように柔らかな布地に皺が寄っていく。胸部にのみ皺が生まれる様はどこかいかがわしいものだった。
 ふ、と吐息が漏れ出る。服の上から与えられているとはいえ、刺激は刺激である。胸というすっかり敏感になってしまった部位にこうもじっくり触れられては、どうしても反応してしまう。けれど、この程度の動きで熱を孕んだ反応を示すなど淫乱でしかない。疲れを癒やすのに、そんな淫猥な要素など必要無い。く、と唇を噛んだ。
 抵抗しないことから大丈夫だと判断したのか、胸部を包み込む手の動きはだんだんと勢いを増していく。鷲掴むように指が肉に食い込む。すぐさま離され、また強く掴まれる。まるでパン生地を練るかのように、胸筋と薄い脂肪を揉みしだかれる。動きは大胆なものの、痛みは無い。ひたすらに優しいものだ。まさに行為中、前戯を想起させる動きだった。
 そんなことをされて、開発されきった身体が反応しない訳がない。声帯が震え、上擦った声をあげそうになる。そんなものを聞かせまいと、少年は両の手で己の口を押さえた。それでも鼻を抜ける甘い呼気を隠すことはできない。ん、と甘えるような音が服が擦れる音の中に紛れた。
 刺激に震える烈風刀の様子に気付いたのか、雷刀は小さく笑みをこぼす。己の手によって恋人が可愛らしいリアクションをしているのが嬉しいのだろう。ふふ、という漏れ出るような笑声は、非常に機嫌の良い音色をしていた。
 突如、胸部を揉んでいた手が離れていく。もう気が済んだのだろうか。これで少しでも疲れが癒えたならばいいのだけれど。そんな思いは、数秒も経たない内に破られた。
「――んぅ!?」
 ぐに、と胸の中心部を押し潰される。とろ火で炙るように刺激されていたためか、胸の頂はすっかりと立ち上がっていた――もちろん、性的興奮によって。そんな状態で敏感な部位を、それも不意打ちで強く刺激されたのだ。声をあげてしまうのも仕方のないことだろう。口元を押さえてなければ悲鳴のような嬌声があがっていたことは必至だ。
 尖ったそこを摘まれる。そのまま、ダイヤルを回すようにくりくりと転がされる。服の下にある乳輪をなぞるように、くるくると尖りの周りを指が回る。立ち上がった先端をカリカリと爪で引っかかれる。どれも、前戯で行うもの――性的興奮を煽り、快感を与えるための動きだ。『揉む』という行為からは完全に逸脱していた。
「ちょっ、と! ぁッ、揉むだけじゃないのですか、ぁ!」
「えー? ふつーに、いつもどーりに揉んでるじゃん」
 どこがだ、という言葉は短い悲鳴に掻き消された。胸の中心部を摘まれ、そのまま引っ張られたのだ。強い衝撃――快感に、アッ、と甘い声を漏らす。こんな声二度と聞かせまいと、少年は素早く口元を強く手で覆った。
 その様子が気に入らないのか、胸元をいじる手はどんどんと過激さを増していく。すっかりと主張する先端を捕らえられ、指先で捏ねるようにぐりぐりと刺激される。指を上下に動かし、尖りを弾く。コーヒーをスプーンで掻き回すように、くるくると周囲をなぞられる。立ち上がったそこを、咎めるようにトントンと爪を立てられる。兄の手によって作り変えられた敏感なる部位が、柔らかい布地の上から嬲られる。明らかに性行為を目的とした動きだった。
 どう強く意識しようとも、肉体はそう簡単に言うことを聞いてくれない。耐えようとする理性に反して、ん、ふ、と甘い音が鼻を抜ける。かすかなそれに雄の本能に火をつけられたのか、胸部をもてあそぶ手は止まることを知らない。指の間に尖りを挟まれ、そのまま強く揉みしだかれる。方向性の違う二つの刺激に、脳の奥がぴりぴりと痺れた。
「きもちいい?」
 必死に声を抑える中、耳元で兄は囁く。クスクスという心底愉快そうな笑い声付きだ。腹立たしいことこの上ない。
 そんなことを問われても、肯定することなどできない。こちらは疲労回復を目的としてこの行為を許したのだ。だのに、こんないやらしい触り方をするなど冗談ではない。それに感じ入ってしまっている自分も然りである。事実がどうであれ、肯定できるわけがなかった。そも、今は口を強く封じ込めているのだ。声を出して返答することなど不可能だ。
 なぁ、と問いかける声。含まれた吐息は確かな熱を孕んだものだった。
「直接触ったらもっときもちいいと思うんだけどさ」
 どう、と尋ねる声に選択肢など用意されていなかった。直に触らせろという要求、否、命令だ。確かに揉んでいいと言ったが、そこまでさせる気も道理もない。けれども、胸部を覆う手はむにむにと全体を刺激し、思考能力を奪っていく。きもちがいいことばかりを求めるよう、意識を塗り替えていく。気付けば、小さく首を縦に振っていた。
 胸部をいじめる手が離される。何で、と無意識に問おうとするより先に、視界がぐらりと揺れた。世界が横倒しになる。すぐさま肩を押され、上に半回転する。完全に座面に背を預ける形となった。
 広がった先、視界いっぱいに朱が映し出される。目は愉快そうに三日月型に歪んでおり、大きな口の端は不気味なまでに吊り上がっている。細まった瞳の奥には、確かな情欲の炎が燃え盛っているのが見えた――行為中に見せる、雄の表情そのものだ。
 ごくり、と白い喉が上下する。食われる、と本能が訴える。同じく本能は――被食者として幾度も貪られた本能は、食われたいとはしたなく叫んだ。
 少し捲れた裾の部分、覗く肌に胼胝が浮かぶ手がそっと添えられる。そのまま、中へと侵入してくる。侵入者は肌をなぞりあげ、服を上へ上へと持ち上げていく。熱が肌を伝い撫で上げていく感覚に、思わず息を呑んだ。
 途中で痺れを切らしたのか、裾を掴み、一気に首元まで押し上げられる。現れたのは、日に焼けていない真っ白な肌だ。ところどころ隆起する筋肉が男らしさを感じさせる。盛り上がった筋肉が薄く影を落とす様は、どこかインモラルに見えた。
 鍛えられた筋肉と薄い脂肪で盛り上がった胸の頂は、可哀想なほど赤く染まり、ぴぃんと尖っていた。雪の中咲き誇る椿を思い起こさせる光景だ。服の上から散々嬲られた結果である。一連の愛撫に身体が確かな快感を覚えていた証左でもあった。
 かぁ、と顔に熱が宿る。直接見なくとも、己の胸部が情けないことになっているのは嫌でも分かる。あれだけ情欲を起こさせるほどいじくられ、兄の手によってすっかり作り変えられた身体が淫らな反応をしないはずがないのだ。現に、己の中心部はボトムスで戒められる苦しさを覚えるほど勃ち上がっていた。たかが、胸部を刺激されただけで。
 雷刀もとっくに気付いているだろうに、そこについては全く触れない。触れる気がないのだ。なにせ、今の彼には己の薄っぺらい胸しか映っていないのだから。
 覆い被さった顔が近づく。口付けでもされるのだろうか。思わず身構え、目を閉じる。しかし、いつまで経っても唇に何かが触れる様子はない。何故だ、と疑問を覚えるよりも先に、強い性感が身体を襲った。
「っ、ぁ、あッ!?」
 胸部、その頂点が熱いもので包まれる。手なんか比ではない。温かな湯に身を浸した時の感覚が近かった。じゅ、と残り少ないジュースをストローで吸い上げるような音が鳴る。同時に、熱を持った部分から甘い痺れが走った。
 胸を吸われている。あまりにも突然のことに気付くまで随分と時間を要してしまったが、ようやく現状を把握する。羞恥に顔が赤く染まっていくのが自分でも分かった。
「やっ、雷刀! やめてくださ――ぁアッ!」
 抗議のために両の手で朱い頭を押してみるが、どういう理屈なのかびくともしない。どうにか退けようと奮闘する最中、咎めるように頂に柔く歯が立てられた。強い刺激に、目の前がスパークする。快楽信号が脊椎を駆け抜け、脳に叩き込まれる。頭の中が一気に官能に染まった。
 先ほどの痛苦を癒そうとするように、舌でぺろぺろと舐められる。舌で押し潰され、弾かれ、転がされる。剥き出しになったもう片粒を寂しがらせないように、空いた手が触れる。舌で行うそれとは違う刺激が脳髄に叩き込まれた。
 同時に二箇所も、それも違う風にいじくられ、快楽漬けにされた脳味噌が処理しきれるはずがなかった。許容量を超えた淫悦を逃がそうと、口からとろとろと甘い嬌声があがる。あまりにも卑猥なそれは聞き難いもので、思わず耳を塞ぎたくなる。もうそんな音は漏らすまいと、再び両手で口を強く塞いだ。
 それが男心に火をつけたのだろう。攻め立てる手はどんどんと強くなっていった。口が離され、今度はもう片方の頂点を吸われる。わざと聞かせているであろうちゅうちゅうという音が、耳から思考を犯す。つい先ほどまで口で愛し唾液でぬるついた赤い粒を、指がぐにぐにと潰し転がす。ピン、と指で弾かれた瞬間、呼吸のために開け放たれた鼻から、ン、と高い音が抜ける。その反応に気を良くしたのか、ふ、と笑い声を漏らしたのが聞こえた。その些細な振動すら、今の身体は快楽を拾った。
 きゅう、と肚が鳴き声をあげる。内で燃え盛る情火はどんどんと勢いを増し、天を衝かんとする。下半身に集まった欲望が、限界を叫ぶ。もう吐き出してしまいたい、と。
 嘘だ。絶望が少年を襲う。ただが胸を捏ねくり回されただけで、ここまで官能に支配されるなど初めてだった。直接触れられずにここまで張り詰めるなど初めてだった。限界を訴えるなど初めてだった。赤くなった顔から血が引いていく。天河石の瞳が大きく見開かれた。
 胸だけで達する。未知への恐怖が、快楽で染め上げられた頭に芽吹く。口を塞ぐ両手を離し、烈風刀は引き剥がそうと己が胸に顔を埋める兄の頭をぐいぐいと押す。反対に、しがみつくように顔を押しつけられるだけだった。ならば蹴飛ばそうと試みるが、足と足との間に入られた現状ではそれは叶わなかった。
「やっ、やだっ、らいとっ! や、め……ァっ、やだ……、だ、めぇ、です! も、むりぃ!」
 駄目だ。これ以上は駄目だ。頭が悲鳴をあげる。悦びの声を殺すのも忘れ、碧は叫び限界を訴える。翡翠の瞳から、恐怖と快楽に染まった雫が流れ落ちた。
 そんなことなど知るかと言わんばかりに、雷刀は攻める手をやめない。乳飲み子のように吸い付き、おもちゃで遊ぶように指を動かす。キャパシティが限界を迎えようとしている少年を追い立てるのは容易だった。
 生温かいものに包まれた粒に歯が立てられる。唾液でぬめる尖りにぐいと爪が押し当てられる。瞬間、視界が真っ白に染め上げられた。脳の奥の方がバチバチと音をたてる。きゅん、と肚の奥が悦びの鳴き声をあげた。
「ぁ、あ、あァッ!」
 ビクン、と身体が跳ねる。背が弓なりにしなる。図らずとも、兄に胸を押し付ける形となってしまった。まるでもっといじめてくださいと主張するような動きだ。応えるように、じゅ、と今一度強く吸われる。恐ろしい追撃だった。身体中を電流が走り抜ける。涙で滲む視界が白んだ。
 中心部に生温かいものが広がっていく。気をやったのだ、と呆けた頭で理解した頃には、胸部から雷刀は去っていた。再び視界が朱に染まる。にまりと歪んだ弧を描く口元は、涎でベタついていた。
「おっぱいだけでイった?」
 ニマニマと憎たらしい笑みを浮かべた口が言葉を紡ぐ。わざといやらしい言葉を選んで問うてくるのが腹立たしい。しかし、答えるのも、不快さを訴えるのも、今の烈風刀にはできなかった。長時間じっくりと胸をまさぐられ、容赦なく官能を叩き込まれた脳は、再起動まで時間を要した。
 答えを聞かぬまま、雷刀は弟のボトムスに手をかける。そのまま、下着ごと全て剥ぎ取った。濡れた股ぐらが顕になる。精液が滴るそれは淫らの一言に尽きた。
 不快感が取り払われるとともに、寒気を覚える。濡れた場所がいきなり外気に晒されたのだから当たり前だ。同時に、危機感を覚える――否、これは期待感だ。まだ足りないと泣き叫ぶ肚が満たされるであろう未来への想望だ。
「ら、らいと……、だから、もむだけ、じゃ――」
「これだけで足りんの?」
 呂律の回らない口で、抗議の声をあげる。形式ばかりのものだ。胸に宿るこの先の行為へのときめきは隠しきれていないというのに、頭にしぶとく残っている素直でない部分は体裁を取り繕おうとするのだ。なんとも愚かであった。
 そんなことなどとうに見破っている朱は、再び問いかける。どこか嘲るような響きだった。答えを分かっていての問いだ。足りるはずないだろう、もっと先が欲しいだろう、頭から爪先まで全て食い散らかされたいだろう、と。情欲の焔が燃え盛る瞳はそう訴えていた。
 濡れそぼつ雄茎に手がかけられる。そのまま、揉むように上下に擦られる。鮮烈な快感が一気に脳に叩き込まれた。ヒ、と喉が引きつった音をたてる。ぬちぬちと水っぽい音がリビングに響く。日常を過ごす場に相応しくない卑猥な響きだった。
「オレは足りねーし、もっと欲しい。シたい」
 分かりきった答えを聞くより先に、雷刀は宣言し行動に移す。顕になった白い足を割り開き、膝を折り曲げさせる。そのまま、座面につくほど深く押さえつけた。腰が持ち上がり、必然的に眼前にゆるく勃ち上がり始めた己自身が晒される。ライトの光を受けてらてらと輝く姿に、顔に血が上ってくるのが分かる。お前はこれだけ淫乱なのだぞ、と見せつけられているような心地だった。
 節の目立ち始めた指が、真っ赤な口の中に吸い込まれる。数秒、唾液をたっぷりとまとったそれが姿を現す。これから何が起こるかなど、何をされるかなど容易に分かる。だって、何度も見た光景なのだから。
 秘められた――今は兄の目の前にはっきりと晒されている蕾に、ぬるつく指が押し当てられる。幾度も兄自身を飲み込んだそこは、期待するようにひくついていた。
 濡れた指先がくるくると縁をなぞる。皺一つ一つを伸ばすような動きに、羞恥が込み上げる。欲望に忠実な窄まりは、誘うようにはくはくと口を開けた。
 つぷ、と淫靡な音をたてて指がナカへと這入っていく。隘路が割り開かれていく感覚に――待ち望んだ感覚に、白い身がふるりと震えた。
 侵入者はゆっくりとした足取りで奥へと進んでいく。第一関節まで潜り込み、爪の根元まで戻る。また潜り、退いていく。解すための丁寧な動きだが、浅い部分を何度も繰り返し擦られ、身体は従順に反応を示す。待って、行かないで、と泣き縋るようにきゅうきゅうと指を締め付ける。あやすようにとんとんと内壁を突かれ、ぁ、あ、と細い声が漏れ出た。
 時折雷刀は口を開け、だらしなく舌を垂らす。つつ、と滴る唾液が指を受け止めた秘所に落ちる。何度も潤滑油代わりのそれを継ぎ足していく。くちくちと小さな水音が部屋に響いた。
 第一関節、第二関節と段階を踏んで潜っていく侵入者が、とうとう根本まで這入りこむ。奥を暴かれる悦びに、内部はぎゅっと抱きしめ歓待した。応えるように、鈎状に曲がった指がうちがわを擦る。イイ部分を直接刺激され、碧は法悦の涙をこぼした。もっと、とねだるように無意識に腰がくねる。あまりにもはしたなく、あまりにも猥褻であった。
 一人だった侵入者が、二人、三人と数を増やしていく。三人揃って弱い部分をぐっと強く押される。バタ足をするようにバラバラと動き、内部を掻き回される。曲がった指先が、内壁を同時に三箇所擦り上げる。達したばかりの身体にはあまりにも強い刺激だった。雄を受け入れるために解す行為、つまり準備段階でしかないというのに、すっかり敏感になった身はそれだけで気をやってしまいそうな心地だった。反対に、これだけでは足りない、というはっきりとした意識もあった。こんな指なんかじゃ足りない、もっと逞しいモノに蹂躙されたい、と浅ましい肚が叫んだ。
「ぁっ、やっ、らいと、ぉ」
 待ちきれないとばかりに愛おしい人の名を紡ぐ。快楽から逃れようと、藻掻くように座面を引っ掻く。そんなものに意味などない。ただ、恋人を煽るには十分だったらしい。ぐ、と息が詰まる音が降ってきた。
 侵入者が性急にナカから去っていく。未練がましく締め付けていたためか、抜き出る瞬間、つぷん、といやらしい音がたった。短く小さなそれは、二人の荒い吐息に掻き消された。
 ゴソゴソと衣擦れの音。しばしして、折った膝を強く押された。ぐ、と腰が持ち上がる。眼前に涎をこぼす己自身と解れきった秘蕾が晒された。浅ましいにも程がある光景に思わず目をつむりそうになる。けれども、差し込んだ影がそれを阻んだ。
 ひくつく後孔に、熱いものが触れる。雷刀自身だと気付くのはすぐだった。なにせ、宛がわれている光景が目の前に広がっているのだ。硬く勃ち上がった雄の象徴が、柔らかに綻んだ秘めたる場所にずりずりと擦り付けられる。今からここに挿入れるのだぞ、と宣言されているようだった。
 はー、はー、と荒い息が漏れる。涙で濡れた碧は、先走りを塗り込むように動く肉茎に釘付けになっていた。とろけきった瞳には、愛する人に蹂躙されることを待ち望む色がはっきりと浮かんでいた。
 はくはくと綻ぶ狭穴に、剛直の先端が宛がわれる。熟れきった切っ先が、ゆっくりと中へと這入り込んでいった。
「ぅ、あ……」
 入念に解されたとはいえ、先ほどまでの侵入者は所詮細い指であった。そんなものとは比べものにならないほど太いモノが、狭い道を拓いていく。身体の中を無理矢理拡張されれば、多少なりとも苦しみを感じるはずだ。しかし、今の烈風刀の頭には官能と幸福しかなかった。空白がどんどんと埋められていく感覚に、少年は無意識に口元を緩めた。
 細い肉の道が、一番太い部分まで飲み込む。頭に続き、幹が内部をゆっくりと埋めていく。先端が弱い部分を掠め、少年は悦楽にとろけた声をあげる。縋るように強く締める肉を、逞しい茎が割り開かれていく。長い時間をかけ、巨大なる侵入者がやっと根本まで這入りこんだ。それでも足りないとばかりに、ぐっと腰を押し付けられる。上から体重をかけて突き立てられ、碧はぁっ、と短く声を漏らす。涙が白い頬に透明な筋を作った。
 ずず、と欲望が徐々に去っていく。張り出た部分がごりごりと内壁を擦る。内部を刺激される快びと埋められたものがいなくなる寂しさが胸を襲う。再び座面に爪を立てる。引っかかれた布地がかすかな音をたてた。
 雄の証は隘路の半ば頃で動きを止めた。中途半端に埋められた感覚に、もどかしさに、細い腰がゆらゆらと揺らめく。卑猥なる光景を前に、目の前の赤い口が三日月を描いた。
「ッ、ひっ、ぃ! あっ!」
 しゃくりあげるように雷刀は腰を動かす。コツンコツンと腹側の弱い部分を硬い先端で突かれ、烈風刀は淫悦の泣き声をあげた。敏感なる粘膜を擦り上げられる度、膨大な快楽が生まれる。悦びを示す電気信号が、次々と頭に叩き込まれる。受容する器官がバチバチと危機感を覚える音をたてた。弱点とすら言える箇所を執拗に攻め立てられ、少年は耐えられないとばかりに頭を振る。浅葱の髪がバサバサと乱れる。汗ばんだ肌に美しい碧が張り付く様は艶めかしいものであった。
 膨れた部分をひたすらに擦り上げていた槍が動きを止める。ずずず、と去り、傘の部分が縁に引っかかるような位置で停止する。突如止んだ猛攻に、怒張が引いた位置に、少年は身を固くする。快楽にとろけた頭でも、これから何が起こるかぐらい簡単に分かる。ボロボロと涙をこぼし、拙い動きで頭を横に振る。思考とは正反対に、薄い肚は与えられるであろう快楽を待ちわびきゅんきゅんと疼いた。
 ばちゅん、と肉と肉が打ち付けられる音がリビングに響く。ずぬぬぬ、と肉の刃が一気に鞘の中へと収まっていく。ナカ全体を勢いよく刺激され、碧は悲鳴をあげる。苦しみや痛みによるものではない、悦びに溢れたものだった。
 張り詰めた先端が秘められた襞をこじ開けるように小突く。真上からの体重を掛けたピストンは一撃一撃が重く、身体中に響くようだった。鍛えられた腹に杭の形が浮かんでしまいそうなほどの勢いと衝撃だ。突き破られてしまう、とあり得ない恐怖が頭の片隅に生まれる。すぐさま官能が塗り潰し消し去った。
「ぁっ、あ、ぅ……ぅあ、あっ」
 浅海色の瞳は、目の前の光景に――己が孔穴に恋人自身が幾度も出入りする光景に釘付けになっていた。普段なら目をつむって逃げてしまうそれから、今は目が離せない。丹念な愛撫で昂ぶった身体は、コントロールが効かなくなっていた。ぐちゅぐちゅと結合部から卑猥な音があがる。この肚に兄の体液がたっぷりと塗り込められているという証である。
 ぷちゅん。ぬちゅん。非日常な淫音が日常を過ごす空間に響く。その背徳感は興奮を煽るスパイスでしかない。ソファという普段と違う場所で睦み合っているという事実も、服を着たまま獣のようにまぐわっているという事実も、二人の情欲の炎に薪をくべるだけだった。
 聴覚、視覚、触覚。五感の内の三つも支配されている現状は、脳の処理能力を超えていた。できることなど、とろけた嬌声をあげるぐらいだ。快楽の解放先を求め、カリカリと座面に爪を立てる。見かねたように腕を取られ、目の前の首へと回される。ようやく縋るものを見つけ、少年はぎゅっとその首に抱きついた。汗の、兄の匂いが鼻先を掠める。それだけで肚の奥で燃え盛る火が大きくなった。
 ばちゅん、ぐちゅん、と猥雑なる響きがどんどんと激しさを増していく。兄の腰使いも勢いづき、早くなっていく。柔らかな肉洞が、雄の形に広げられ、擦られ、法悦を叫んだ。
 知っている。何度も経験したことだ。つまり、射精が近いのだ。この肚に種を植え付けられる時が迫っているのだ。待望の時間に、きゅんと肚の奥底がときめく。早くくれ、とばかりに、うちがわは蹂躙者に絡みついた。ぅあ、と熱のこもった吐息が耳に直接注ぎ込まれる。兄が確かな性感を覚えている証拠だ。己の硬く薄い身体で愛しい人が快楽を得ているという喜びが胸の内に湧く。
「らいとっ、らい、とぉっ」
 歓喜と愛しさを表すように、碧き少年は幾度も愛する人の名前を呼ぶ。溢れる唾液でどろどろになった口は、拙い響きしか奏でられない。しかし、それは雄を煽ったらしい。膝を押さえつける手に更に力がこもった。
 れふと、と名を呼ばれる。熱に溺れた声だった。情火が燃え盛るガーネットの瞳が、濡れたエメラルドを射抜く。捕食者のそれに、座面に押さえつけられた背が震える。恐怖だけでない、確かな悦楽があった。愛する雄に残らず食われる悦びは、少年の身体に幾度も刻まれていた。
 ごつごつと音が響きそうな勢いで、肉刃が洞の最奥を突き上げる。奥底を守る襞を執拗に小突かれ、少年は上擦った声をこぼす。奥の奥を暴かれる悦びも、とっくの昔に身体に刻み込まれていた。更なる奥地に誘おうと、内部が蠕動する。うねる狭道に誘われるように、締め付ける内壁から逃げるように、雄は肚を穿つ。咥え込んだ後孔がめくれ上がってしまいそうな勢いだった。
 ごちゅん、と腰骨がぶつかる重い音が響き渡る。瞬間、最奥を守る襞が硬い切っ先によって打ち破られた。隘路のその先、更に狭き道を張り詰めた頭が割り広げる。蠢く肉道が侵入者を殊更強く抱きしめた。
 視界が真っ白に染まる。脊髄を鋭く多大な電流が走っていく。バチン、と脳が限界を迎える音が聞こえた気がした。
「ヒ、ぃっ、あッ――あああああッ!」
 完全に許容量を超えた刺激に、烈風刀は高い悦楽の悲鳴をあげる。びゅくびゅくと彼自身から白濁液が吐き出された。服が捲り上げられた胸に、白い化粧が施される。日に焼けていない白い肌を、熟れた赤い果実を濁った雫が汚す様は、卑猥の一言に尽きた。
 奥底を暴かれ達した身体は、ビクビクと痙攣する。雄杭を受け入れた肉筒がぎゅうと締まる。最奥の守護者である襞が、熱く柔らかな内壁が、ぷくりと熟れた縁が、雄の象徴を抱きしめる。もうとっくに到達したというのに、更に奥へと誘うように蠢き敏感なる部位を撫で上げた。
 ぅあ、と苦しげな声が降ってくる。瞬間、肚の奥に熱いものが注がれた。マグマのような劣情の迸りが、狭き洞を満たしていく。うちがわ全てを焼かれるような心地だった。同時に、言葉にならないほどの多幸感が胸を埋めていく。長らく待ち望んだ温度に、少年はあ、ぁ、とか細い嬌声をこぼす。幸福に満ち溢れた音色は、確かな悦びを謳っていた。
 低い喘ぎを零しながら、雷刀はカクカクと腰を細かく動かす。一つ残らず注ぎ込み、奥の奥まで種を塗り込め植え付ける動きだった。その行動が実ることはないと理解している。しかし、雄としての本能がそうさせたのだった。
 荒い息が二つ重なる。流れる汗が、溢れる唾液がソファの座面に暗いシミを作る。激しい情交は二人の体力を多大に削っていた。それでも朱の手は未だに碧の膝を鷲掴み、座面に押し付けている。獲物を逃すまいとする捕食者の行動だ。
 潤んだ燐灰石が、薄く涙を湛えた柘榴石を見上げる。どこかぼやけながらも熱烈な視線に、朱は笑みをこぼす。何が言いたいのかは言葉にしなくとも分かった。
 開いたままの口をべろりと舐められる。人懐っこい犬のような行動に、自然と目元がゆっくりと垂れ下がる。己も舌を出し、ぺろぺろと舐めるそれをちょんと突く。すぐさま赤いそれに絡め取られた。舌と舌とがもつれあい、艶めかしい即興のダンスを踊る。踊り終え離れた瞬間、今度は唇と唇が重なった。即座に熱の塊が口内に這入り込んでくる。愛しいそれを真正面から受け止めた。
 くちゅくちゅと水音が合わさった唇から漏れ出る。ん、ふ、と甘ったるい音が鼻を抜ける。幸に染まった響きをしていた。
 音をたてて交わっていた唇が離れる。内部で抱きつきあっていた赤たちも、ぬるりと擦れながらも身を離した。透明な糸が愛しあう二人を繋ぐ。頼りないそれは、すぐさま切れて消えた。
「……むねを、もむ、だけって……いったでは、ない、ですかぁ……」
 涙でしとどに濡れた水宝玉が、未だ炎灯る紅玉髄を睨めつける。確かに好きにしろとは言った。けれども、それはあくまで『胸を揉む』という行為の中での話だ。そのままもつれこみ、肌を重ねていいなどとは一言も言っていない。だのにこれである。烈風刀が不満を訴えるのも無理はなかった――抵抗せず大人しく食われた己にも責任があるということは、聡明な彼自身気付いているのだけれど。
 碧の鋭い視線に、朱はぅ、と言葉を詰まらせる。素直に非を認めたのか、ごめん、としょげた謝罪の言葉が降り注いだ。
「だって烈風刀きもちよさそうだったし……つい……」
「『つい』もなにもありませんよ……」
 責任転嫁するような物言いに、烈風刀は呆れの声を漏らす。はぁ、と濡れた口元から重い溜め息が漏れる。うぅ、と唸り声がソファに落ちた。
「でもさぁ、烈風刀だっておっぱい揉まれてきもちよかっただろ?」
 こうやってさ、と雷刀は押さえつけていた膝から手を離す。ニィと口角がいたずらげに吊り上がった。
 服を捲りあげられたまま、ずっと晒されていた胸元に、大きな手が伸びる。胸に散った白を掬い、塗り込めるように頂をくりくりと転がされる。背筋を走る鋭い性感に、少年はヒッ、と短い悲鳴をあげた。垂れた唾液をまぶすように胸全体を包み込み、むにむにと揉まれる。優しいその手付きはいやらしいもので、晴らされたはずの情欲を再び掻き立てるには十分だった。
「ちょ、と、やだっ、らいと! だめですってば!」
「えー? 『揉む』なら好きにしていいって言ったじゃん」
 抵抗の声をあげるも、相手はわざと言葉を歪めて解釈し、手を止めようとしない。盛り上がった胸部全体を手で包まれ、揉みしだかれる。薄い胸が指の通りに形を変えた。
 だめ、だめ、と駄々っ子のように首を横に振る。突き飛ばしてしまいたいはずなのに、鍛えられた腕は愛しい人に縋り抱きついた。まったくの逆効果である。
 ピン、と膨れ上がった尖りを指で弾かれる。瞬間、視界に光が瞬いた。情火に炙られとろけきった脳が、鋭い電気信号を受けバチバチと火花を散らす。細く上擦った喘ぎがリビングに響き渡った。
 肚の奥に炎が宿る。愛しい熱をたっぷり注がれ満足したはずのそこが、もっとくれと泣き声をあげ始める。胸だけでは足りない、もっと熱が欲しい、全て食らい尽くされたい、と淫らな欲望を叫んだ。
 気付けば、再び胸部を雷刀の口が包んでいた。乳飲み子が母乳を求めるように、ちゅうちゅうと吸い付く。唾液をたっぷりまとった熱い舌が、ぷっくりと熟れた粒を優しく弾く。次々と与えられる刺激に、碧は淫悦の涙を流すことしかできなかった。
 ぷは、とわざとらしく息を漏らし、兄は弟の胸から顔を上げる。藍宝玉を射抜く朱い双眸には、未だ欲望の焔が燃え盛っていた。
 どうする、と問う声が真正面から降ってくる。選択肢など与えられていなかった。己自身が再び芯を持っていることも、薄い肚が獣欲を欲していることも、まだ内部に埋め込まれたままの雄が逞しさを取り戻していることも、全て分かっている。分かっていて否と答えられるほど、今の烈風刀に理性などない。先ほどからの性行為で理知的な頭からは理性など削ぎ落とされ、剥き出しになった本能が主導権を握っていた。本能が何を選ぶかなど、自明だ。
 腹に力を込め、ぎゅっと豪槍を抱きしめてやる。不意打ちに、アッ、と少し高い喘ぎがリビングに響く。それだけで胸がすく思いがした。ふふ、と得意気な笑声が漏れ出る。ぐ、と獣が唸るような声が鼓膜を震わせた。
 胸に当てられていた手が、再び膝にかけられる。ぐい、と押され、また眼前に結合部が晒された。大業物を根本まで咥え込んだ様が明け空色の瞳に映し出される。あまりにも淫らな光景に――欲望を刺激する光景に、頬が上気するのが分かった。
 奥底に潜り込んだままの切っ先が、ゆるゆると動かされる。普通ならば暴かれざる秘めたる襞を刺激され、烈風刀はおんなのような高い声をあげる。抉じ開けられた部分を、硬い先端が執拗に攻める。先ほどのいたずらの罰を与えているようだった。
 朱い頭を掻き抱く。こうなった元凶は今抱きついている彼であるのに、碧は目の前の愛する者へと助けを求めるように縋り付いた。幼い子どものようなその姿は、可愛らしくも愚かであった。
 ぱちゅん。ずちゅん。淫猥なる響きがリビングに落ちては積もっていく。非日常な淫音が止む気配は当分無い。

畳む

#ライレフ #腐向け #R18

SDVX

書き出しと終わりまとめ8【SDVX】

書き出しと終わりまとめ8【SDVX】
top_SS01.png
あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその8。ボ6個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:はるグレ1/嬬武器兄弟1/レイシス1/プロ氷1/ライレフ2

一年越しの約束投げつけ/はるグレ
葵壱さんには「消えたがる君を引き止めたかった」で始まり、「そんな怖い顔しないでよ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。


 消えたがる君を引き止めた。
 男女の差、それも闘いから身を引いて久しい者と長期間の戦闘経験を積んだ者では、もちろん後者が勝つ。反射的に握った細腕は、限界まで引き伸びたところで止まった。否、止まる外無かった。
「な、によ」
「これ、チョコレートですよね……?」
 腕を握っていない方の手、そこにある小さな箱を見る。リボンでラッピングされた薄めの箱からは、ほのかに甘い香りが漂っていた。
 始果が口にした語に、グレイスの身体がギクリと強ばる。再び地を蹴り駆け出そうとするが、未だ己を掴む少年によって阻まれた。
「……だったら何よ」
 告げる声は細く硬い。羞恥、はたまた怒りを孕んでいるのか、可愛らしい声は震えていた。
 必死に顔を背けていた彼女が振り返る。白いかんばせは朱に染まり、まあるい瞳の端にはわずかに涙が溜まっていた。
「あんたが『くれ』って言ったから作ってきたんじゃない! 悪い!?」
 廊下全体に響かんばかりに少女は叫ぶ。怒りが見て取れた。それも全て照れ隠しなのは、その顔を見れば明らかだ。
 グレイスの言葉に、少年はふと口元を緩める。
 チョコレートが欲しい、とねだったのは昨年のことだ。それを忘れずにいてくれた。しかも、律儀に守ってくれた。それだけで、胸の内に温かなものが広がっていく。心が何かでぎゅうぎゅうに満たされる。彼女といると、いつもこうだ。不思議と、苦しさはなかった。
 どこか悔しげに歯を食いしばりこちらを睨めつけるグレイスに、始果は眉端を微かに下げる。細められたイエローが、マゼンタを正面から見据えた。
「そんな怖い顔しないでください……。ありがとうございます」



手を取り闇を/嬬武器兄弟
AOINOさんには「暗闇なんて怖くなかった」で始まり、「謎は謎のままがいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。


「く、くくっ、暗闇なんて怖くねーし」
 薄暗闇に声が響く。引きつった口から発されたそれは、哀れなほど震えていた。強がりであることが否応なしに分かる。
「だっ、たら、手を離したらどうなのですか」
 裏返った声に、硬い声が返される。平静を装っているが、彼らしくもなくところどころ詰まる様やかすかに震える響きからそれもハリボテであるのは明らかだ。
 ボルテ学園にて年に一回行われる学園祭。その出し物の一つである『お化け屋敷』に嬬武器の双子は訪れていた。特別教室二つを繋げただけで行われているはずなのに、順路は妙に長く感じる。無意識に普段の歩調の半分以下で進んでいるのだから先に当たり前だ。序盤は先に入った桃と躑躅の姉妹の声が薄っすらと聞こえてきたが、今は音はない。静寂と闇が兄弟二人を包んでいた。
「れ、烈風刀が掴んでんじゃん!?」
「ぼっ、僕は何もしていませんよ」
 隣り合わせに歩く二人は、いつの間にか手を握っていた。どちらとも力が込められており、肌の一部が白くなっている。容易に剥がせそうにないだろう。言葉に反して振り切る様子は互いに無いのだけど。
「ほ、ら。進むぞ。行くぞ」
「え、えぇ。あまり遅くては、後続の人に迷惑ですからね」
 短い応酬の後、双子は歩みを進める。会話というよりも、己に言い聞かせるようなものだった。
 ザリ、と足音がたつ。ビクリと二つの肩が同時に跳ねる。足元から、おどろおどろしい音楽が這い寄る。ありきたりでチープなものだが、雰囲気が完成されたこの薄暗い室内では、何よりも自然な音に聞こえた。
 ワッ、と短い声が二人の横から飛んでくる。同時に、長い黒髪を前に垂らし白装束に身を包んだ女性が碧と朱の視界に飛び込んできた。
「うわああああああああ!?」
「ヒッ――!」
 耳をつんざかんばかりの叫び声を上げる雷刀。短く細い悲鳴と共に息を止める烈風刀。二者二様の反応が薄闇を裂く。あまりの驚愕に、繋いだ手に更に力が込められる。爪が刺さらんばかりの強さだ。それを咎めることは互いに無い。そんな余裕など無いのだ。
「れっ、れふと!」
「らいと!」
 互いに名を呼び安否を確認し、二人は同じタイミングで順路を駆けていく。走らないで、と言う女子生徒の声は双子の耳には届かなかった。
 区切られた道を二人で走る。順路を一直線に走っていく二人の様子に手出しをできる者はおらず、その背を見送るだけだ。駆けて逃げていく者の想定はしていたが、ここまでの速度となると止めようがない。お化け役の生徒はどうしよう、と近場の者に目配せすることしかできなかった。
 薄くかかった薄暗い音楽を背に、双子は駆け抜けていく。いくつめかの角に貼られた『出口』のポスターを目にし、二人の顔からようやく強張りが抜けた。
「出口!」
「はい!」
 暗闇の終わりめがけて双子は足を動かす。最後、一条の光差す暗幕が二人の前に現れる。闇の終焉を示すそれ目掛けて、二人で足を踏み出した。
「――あっ!?」
 あと少しで出口だというところで、烈風刀が声をあげる。突然足が止まり、グラリとその体躯が傾く。そのまま、勢いよく地面に倒れ伏した。もちろん、手をしっかりと握っていた雷刀も同じ運命を辿る。びたーん、と騒々しい音が闇に響き渡った。
「な、んだよぉ……」
 痛みを堪えながらも、雷刀は立ち上がる。しかし、隣に倒れた弟が起き上がる気配が無い。どうした、とそちらを見やると、そこには己の足元を見つめ絶句する彼の姿があった。
 どうしたのだろう、と兄は碧の視線を追う。その先、弟の足首には、小さな白い手がまとわりついていた。それも、ふたつも。
 ひ、と喉が引きつった音をたてる。もう叫ぶ余裕すら残されていなかった。叫びすら抑えられるほど異常で異様な光景だった。人の手が足を掴む。ホラー映画で幾度も見てきた光景だ。恐怖が脳を侵食していく。
 れふと、と音にならない声で弟を呼ぶ。呆然とした――否、恐怖に硬直した烈風刀は動く気配すら無い。浅葱の瞳は見開かれ、足元をいつまでも見つめていた。
「烈風刀っ!」
 弟の名を叫び、兄は握った手を強く引く。無理矢理身を起こされ姿勢がずれたせいか、まとわりついていた手はすっと消えてしまった。好機だ、と覚束ない様子の彼をどうにか立たせ、出口まで引っ張っていく。どうにか二人揃って暗幕をくぐり抜けた。
 暗闇色の布を超えた先は、光と人で溢れていた。日常に戻ってきた証拠だ。はぁ、と大きく溜め息を吐き、双子は床にへたり込んだ。
「二人とも、やっと終わったんデスネ」
「悲鳴すごかったわよ。そんなに怖かったの?」
 にこやかな笑みを浮かべるレイシスと、意地の悪い笑みを浮かべるグレイスが二人を出迎える。姉妹の言葉を聞く余裕など、今の二人には無い。ただぜぇはぁと喘鳴をあげるのみだ。
「いやー、お疲れ様ー」
 四人の元に、看板を持った少女が寄ってくる。白装束に身を包んだ彼女は、このお化け屋敷を担当したクラスの委員長だ。顔見知りと元凶の登場に、烈風刀は何とも言えない表情をした。
「二人とも悲鳴すごかったね。いい宣伝になるよ」
 はは、と悪びれず笑う彼女に、双子はじとりとした視線を返す。ここまで出来の良いお化け屋敷を作った彼女らへの賞賛と、この年にもなってみっともなく叫んだ羞恥がごちゃまぜになった視線だ。
「す……、素晴らしい出来でしたが、最後のはどうかと思いますよ。怪我の恐れがあります」
「そーだぜ。オレたち思いっきり転んだんだからな!」
 どうにか心を鎮めたて、二人は最後の部分への不満をぶつける。顔から地面へとダイブした二人からすれば真っ当な意見だ。
 最後、と言って、クラス委員長は首を傾げる。なんのことやら、といった調子だ。
「最後、足を掴んでくるところがあるではないですか。危険ですよ」
「えっ? そんなの無いよ?」
 危ないじゃん、と言う少女の顔に偽りや誤魔化しは見えない。事実のようだ。
「そんなのありませんデシタケド……」
「最後だけなんにもなかったじゃない」
 先にアトラクションを終えていた姉妹も、同じことを口にする。彼女らが嘘を吐くメリットはない。こちらも事実だろう。
 では、確かに見たあの手は何だったのだ?
 兄弟二人で顔を見合わせる。丸く瞠られた目には、たしかにあの光景を見たということがはっきりと書かれていた。
 うん、と一つ頷き、二人は息を吐く。何も見ていない、とぶつぶつとした呟きが双子の間に落とされた。
 謎は、謎のままがいい。



少女と世界生命/レイシス
あおいちさんには「みんな変わってしまうんだ」で始まり、「それを人は幸せと呼ぶらしい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以上でお願いします。


 皆変わってしまうのだ、とレイシスは内心呟く。当たり前のことだというのに、その言葉は胸に重く落ちた。
 彼女の目の前にあるモニタには、歴代のユーザー変移が表示されていた。ありがたいことにユーザー数は増加の一途を辿るばかりだが、減少していないわけではない。BOOTHからプレーしていたデータが、今作はまだ移行が完了していない。つい最近まで毎日プレーしていたデータが、もう二週間も更新されていない。些細な、けれどもナビゲーターとしてこの世界を導く彼女にとって、その数字の変移は寂寞の情を駆り立てるのには十分だ。
 アーケードゲームという、限られた場所でしかプレーできないものである以上、環境や時流の変化によってプレーヤー数は移ろうものだ。頭では分かっているが、幼い彼女の感情は割り切れない。なめらかな肌には似つかわない、深い皺がその眉間に刻まれた。
 レイシスにとって、ゲームの世界が己の全てだ。その住民が減っていくのは、まるで己の世界を否定されているようにも思えた。実際はそんなことなどないと分かっている。けれども、確かに記録されている去る者の数は、世界からの離脱を明確に示している。否定しようがない事実だ。
 データが書き連ねられたウィンドウを閉じ、少女ははぁと大きな溜息を吐く。考え過ぎだと分かっている。けれども、ゲームの存在であるレイシスにとって、その命運を左右するユーザーの変移は重要事項だ。この世界の維持には、トラックコンプリートによるネメシスの自浄作用が不可欠なのだ。
 もし、トラックコンプリートする者がいなくなったら。
 考えただけで、強烈な寒気が背筋を走る。明確な恐怖だ。プレイヤーの減少は、世界を維持する者がいなくなるのと同義である。それすなわち、世界の崩壊だ――己の生きている世界の消滅を示しているのだ。
 少女はぎゅ、と手を握る。何かに縋ろうにも、辺りにあるのは無機質なモニタと机ぐらいだ。心細さでいっぱいになった彼女が助けを求められるものなどない。
 けど、けど、とレイシスはかぶりを振る。桃色の髪が大きく揺れる。整えられた桃色がバサバサと広がる様は、彼女の胸の内を表しているようだった。
 ユーザーは増加している。それは事実だ。増加値が減少値を上回っているのだから、それは確実なものである。マッチング機能も連日盛況だ。遊んでくれる者たちは、確かにいる。彼らを信用せず、何を信用しようか。
 遊んでくれる者がいる。世界を維持してくれる者がいる。そうして、自分たちは生きていける。ようやく生きることができるのだ。
 どうやら、人はこれを幸せと呼ぶらしい。



浮かぶコンプレックス/プロ氷
AOINOさんには「あなたはいつも笑うから」で始まり、「月が綺麗ですね」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。


 あなたはいつも笑うから、自分までつられて笑みを浮かべてしまう。笑い慣れておらず表情筋などろくに動かない不格好な笑顔だろうに、彼はそんな己を見て幸せそうに破顔するのだ。
 不可思議であり、申し訳のないことだった。何故こんな拙い笑顔で、彼はあんなにも喜び笑みを浮かべるのだろう。何故自分はこんなに不格好な表情しかできないのだろう。何故こんなにも己は不器用なのだろう。笑顔を浮かべる度、自己嫌悪が胸に募る。もっとうまく笑えたらいいのに、と。
 氷雪ちゃん、と頭上から声がする。耳慣れた声に視線を上に向けると、そこには安全帯を身に着け壁に張り付いた識苑の姿があった。太いロープがするすると音をたてる。トン、と壁を蹴る音とともに、青年は地に足をつけた。下から風を浴びた白衣が膨らみはためく。
 先生、と上空から現れた彼を呼ぶ。学園転入時から世話になっている教師であり、今は所謂恋人である識苑だ。今まさに思い浮かべていた人の登場に、少女の頬に朱が浮かんだ。
「今帰り? だいぶ遅いけど大丈夫?」
「あ、はい。えっと、大丈夫、です」
 ほのかな不安を浮かべた瞳で真正面から見つめられ、氷雪は反射的に俯く。つかえつかえに吐き出す声はどんどんと萎んでいき、相手にきちんと聞こえるか己でも疑問に思ってしまうものとなってしまった。
 関係を結んでから随分経つというのに、まだこんな調子なのだから呆れてしまう。いつ呆れられてしまってもおかしくない、失礼な態度である。それでも、人との関わりをほとんど持っていなかった少女には、まだこれが精一杯だった。
 自己嫌悪に陥る少女に、そっかー、と柔らかな声が返される。青年は膝を曲げ、少女と同じ視点に立つ。
「ねぇ、一緒に帰らない?」
「え……?」
 突然の言葉に、氷雪は顔を上げる。真正面に夕日色の瞳があった。まあるいそれが、地平線に消えゆくようにそっと細められる。
「今ので点検一通り終わったし、ちょうど帰るところなんだ。今から準備するからちょっと時間かかっちゃうけど、途中まで一緒に帰ってくれたら嬉しいなーって」
 だめかな、と識苑は頭を掻く。髪と同じ色をした眉はゆるい八の字を描いていた。
 下校時刻がとっくに過ぎた今、世界はどんどん闇に包まれていた。中学生、それも女子を一人で暗い夜道を歩かせるのに不安を覚えたのだろう。恋人なのだから尚更だ。
 けれども、と少女はきゅっと唇を引き締める。氷雪の身を寄せる寄宿舎と識苑の住まうアパートとはほとんど正反対だ。『一緒に帰る』のではなく、『送ってもらう』と言う方が正しい。気を遣われ、負担を強いてしまうのが申し訳なくて仕方ない。けれども、『好きな人と一緒に帰ることができる』という喜びが、胸の内に広がって収まってくれない。葛藤に、小さな口から、ぅ、と声が漏れた。
「……やっぱ学園外で一緒にいるの苦手?」
「そっ、そんなことありません」
 不安げな声を、思わず大きな声で遮ってしまう。はしたなさに、少女はさっと顔を赤くする。
「……に、苦手なんかじゃ、なくて……、う、ぅ……」
 嬉しいです、と消え入りそうな声でどうにか言葉を紡ぐ。闇夜に溶けてしまいそうな音は相手にきちんと届いたようで、細められていた橙がぱぁと見開かれた。
 そっか、と識苑ははにかむ。恋人が己と共に過ごすことを厭うていないという事実が嬉しくてたまらないのだろう。端正な顔は喜びにふにゃりと緩んでいた。
 あまりに幸せそうな表情に、氷雪の口元が少しばかり緩む。それは、微笑みを模っていた。
「じゃあ、一緒に帰ってもいい?」
「……は、い」
 今一度の問に、少女はこくりと頷く。少し俯いた白い頭に、大きな何かが乗る。何度も触れられているのだから分かる。識苑の手だ。大きくて骨ばったそれが、被衣ごしに小さな頭を撫でる。優しいそれの心地良さに、少女はほぅと詰めていた息をゆるく吐き出した。
「すぐ用意してくるから、待ってて! すぐに戻ってくるから!」
 タンッ、と地を蹴る音。ロープが引っ張られる音とともに、識苑は手慣れた様子で外壁を登っていった。張り巡らされたロープとロープを渡り、はためく白衣は瞬く間に消えてしまった。
 優しい彼のことだ、本当にすぐに帰ってきてくれるだろう。共に帰ることができる。共に過ごすことができる。その事実に、心が少しそわついた。
 ぺた、と頬に手を当てる。己の拙い言葉に、彼は喜びを満面に笑顔を咲かせていた。反して自分はどうだろう。この胸に沸き立つ喜びを、共に在る喜びを表情として表せなかったではないか。いつだってそうだ。己は感情の発露が下手くそだ。こんな調子だから、先ほどのように彼に不安げな顔をさせてしまうのだ。
 湧き起こる自己嫌悪から逃れようと、少女は空を見上げる。闇の帳には小さな星々と愛し人の瞳のような月が描かれていた。
 今夜は月が綺麗だ。



オサソイ/ライレフ
あおいちさんには「あーあ、言っちゃった」で始まり、「それも多分夢だった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字程度)でお願いします。


 あぁ、言ってしまった。
 すぐさま後悔が押し寄せてくる。自らの意思で口にしたというのに、何故言ってしまったのかと自責の念ばかりが湧いて出る。けれども、口に出してしまったことはもう取り消すことなどできない。どれだけ悔やもうとも、意味など無いのだ。
「あ、え…………え?」
 動揺に満ちた声が部屋に落ちる。顔を伏せた現状見ることは叶わないが、きっと兄は呆けた顔をしているだろう。可愛らしくも大きな口をぽかんと開け、困惑に揺れる瞳でこちらを見ている姿がありありと想像できた。
「あ、え、烈風刀、今、なんて」
 言葉の端々に意味の無い単音がいくつも挟まっている。よっぽど驚いているのだろう。当たり前だ、突然誘いを持ちかけたのだから。
「い、え。何でもありません。すみません。気にしないでください」
 誤魔化す言葉は無意識に早口になっていた――否、誤魔化すも何もない。言い訳にも満たない、無理矢理話を断ち切るための自分勝手な言葉だ。
 急いでソファから立ち上がる。こんな愚かな姿、いつまでも見せるわけにはいかない。早くこの場を去らねば。即座に足を踏み出すが、それよりも先にがしりと腕を掴まれ強く引かれた。ぐらりと身体が揺れる。そのまま、尻餅をつくように再びソファに腰を下ろす形になってしまった。
 烈風刀、と名を呼ばれる。耳慣れているはずの声は、どこか切羽詰まったものだった。伏せていた顔を少しだけ上げる。視界に映ったのは、ぱくぱくと開閉を繰り返す口だった。八重歯の覗くそこから音にならない音が漏れ出るのが聞こえる。
「おっ、オレも、セックスしたい!」
 しばしの沈黙の後に紡がれた言葉は、ストレートなものだった。否、今日に限っては己も直接的な物言いをした。『セックスがしたいです』と。
「いや、ちょっとびっくりしたっていうか……。烈風刀からそう言ってくれると思わなくて」
「……言いますよ。僕だって、人間なのですから」
 人間、それも思春期真っ只中の高校生なのだ。性欲は人並みにある。愛しい人と身体を繫げたいと思うのは自然なことだろう――性にあけすけな兄だってそうなのだから。
 未だ掴まれたままの腕を強く引かれる。バランスを崩し、そのまま二人でソファに倒れ込む。図らずして、兄を押し倒す形となってしまった。
 輝く朱がこちらを見上げる。八重歯がチャームポイントな口元は、どこか意地悪げに釣り上がっていた。
「じゃ、二人ともどーいしたことだし。シよ?」
 な、と問いかける瞳の奥には炎が宿っていた。情欲の焔だ。己の言葉一つで兄がこれほどまで姿を変えた。それがどこか愉快だった。
 そうですね、と想定外に緩んだ声で返す。きっと、己の碧の中にも同じものが燃え上がっているだろう。何せ、健全な高校生なのだから。
 腰に腕が回る。すり、と服越しに撫でられただけで、背筋に電流が走った。小さく息を呑む。愉快げな笑声が下から聞こえた。
 烈風刀、と名を呼ばれるとともに頬を撫でられる。それが何を示すかだなんて、もう分かりきったことだ。
 顔と顔が近付く。鼻先が擦れ合う。視線が交錯する。ふふ、と二人で笑みをこぼし、そのまま目を閉じる。しばしして、唇と唇が交わった。
 幸福感が胸を満たす。こんなの、まるで夢のようだ。



いつかの響きと今の熱/神十字
AOINOさんには「懐かしい声が聞こえた」で始まり、「謎は謎のままがいい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。


 懐かしい声が聞こえた気がした。己を呼ぶ声だ。何十年、下手をすれば百年かそれ以上前に聞いた響き。
「お腹、冷やしてしまいますよ」
 上空から声が降ってくる。睡魔が張り付き重い瞼を上げる。朱い瞳に、青空を背景にこちらを覗き込む青年の姿が映った。
「……冷やさねーって。ニンゲンじゃねーんだから」
「分かりませんよ。人間と同じ形を取っているのですから」
 はい、という声とともに、バサ、とはためく音がたつ。寝転がった己の腹に、薄手の布が掛けられた。
「寝るならそれを掛けて寝てください。見ている方が寒いので」
 薄く笑みを浮かべる青年を見上げ、紅い神は唇を尖らせる。こちらの服装は春だというのに詰め襟にスキニー、ガッチリとしたブーツにおまけに分厚いロングコートを羽織っている。寒さなど微塵も感じさせない服装だ。明らかに子ども扱いされている。
 数え切れないほどの年月を過ごしてきた己が、四半世紀も生きていない人間に子ども扱いされる。不服ではあるが不快ではない。そこに彼なりの愛というものがあるのがはっきりと分かるからだ。
 愛される。慕われる。敬われる。どれも信仰というもので成り立っている己には必要不可欠なものだ。それを惜しみなく降り注いでくれる彼に、感謝こそすれ文句を言うことはない――否、やっぱり子ども扱いは訂正させてほしいが。
 それにしても、と欠伸をしながら夢を反芻する。内容はさっぱり覚えていない。しかし、あの声だけは耳に残っていた。愛しい人の声。随分と昔に別れた声。今はいない彼の声。
 人は声から忘れ去られていく、と愛しい彼は言っていた。だのに、未だに声を思い出すのだから不思議なものである――現在進行形で似た、否、『そのもの』である声を聞いているのだから、当たり前かもしれないのだけれど。
 もしかしたら、勘違いなのかもしれない。寝ている間に話しかけてきた彼の声を、夢現な己が『彼』の声と混同してしまっただけなのかもしれない。あり得る。最近は平和も平和で、随分とボケている自覚があった。
 寝返りを打ち、横を向く。青と緑で埋め尽くされていた視界に、白と蒼が飛び込んでくる。パン、と布地が勢いよく開かれる音と、バサ、と広がる音。小気味の良い響きが、晴れ空の下に響き渡る。洗濯物を干す蒼い青年の姿は、平和を体現したようなものだった。
 しばらくの思案。体勢を元に戻し、腹筋だけで起き上がる。腹に掛けられていた薄布が皺を作る。後で見つかって怒られるより前に、手早く畳んで己がいた場所に置いた。
 立ち上がり、大股で歩き出す。ザ、ザ、と硬い靴底が若い草を鳴らす。高く張られたロープに向かう背を目指す。手にしたものを干し終えた瞬間を狙って、後ろから蒼に抱き付いた。
 わ、と小さな声があがる。抱き付いた身体が硬直する。それもすぐに弛緩し、彼は首だけで振り向く。うつくしい海色が、燃えるような緋色を見つめた。
「どうしたのですか?」
「なーんにも」
 不可思議そうに小首を傾げる蒼を無視し、紅はその肩に顔を埋める。いつもの彼の匂いに石鹸の香りが混じっている。先ほどまで洗濯をしていたからだろうか。そんな些末なことを考える。
 あぁ、温かい。ここにいる。ここに存在している。確かなこの温もりは、彼が間違いなく活きている証拠だ。
「嘘でしょう」
「まぁいいじゃん」
 誤魔化すようにケラケラと笑うと、眉間に刻まれた皺が更に深くなる。普段は鈍いというのに、こういう時だけ妙に鋭いのだから、彼は『彼』のままなのだろう。懐かしさが胸をよぎる。そっと湧いて出たそれをすぐさま掻き消した。
 同年代よりしっかりとした肩に顎を置き、紅はいたずらげにニカリと笑った。
「謎は謎のままのがおもしれーだろ?」

畳む

#はるグレ #嬬武器雷刀 #嬬武器烈風刀 #レイシス #プロ氷 #ライレフ #腐向け

SDVX

無機質なコイビトとの付き合い方【ライ←レフ/R-18】

無機質なコイビトとの付き合い方【ライ←レフ/R-18】
top_SS32.png
片思いをこじらせまくった弟君がとうとうバイブに手を出して一人で致す話。
すけべの練習のつもりだったけどあんまりえろくならなかった。反省。

 無意識に唾を飲み込む。目の前にあるのはただのありふれたダンボール箱だというのに、情けないほど圧倒されていた。
 否、圧倒されているのはその箱の中に鎮座する小箱に、だ。毒々しさを感じさせるほど派手な色で彩られたそれは、薄暗い部屋の中だというのに恐ろしいほどの存在感を放っている。森にぽつりと生えた毒キノコを思わせる風景だ。
 ごくん、と白い喉が動く。少しの深呼吸の後、少年は不気味なまでに鮮やかな小箱に手を伸ばす。手入れされた手は震えていた。未知のものに触れる緊張と怯え、そして確かな期待が乗せられていた。
 いっそ恭しさを思わせる手付きで、両の手で持ち小箱を取り出す。ベッドの上、正座した膝の上に載せ、まじまじとパッケージを見る。ビビッドな色の中に踊る文字はポップな書体だが、書いてあることは可愛らしさとは真逆のものだ。
 初心者向け。感度開発。絶頂。パワフル回転。多種の振動。ナカイキ必至。
 日常ではまず見ないような文字列ばかりだ。そんなものが書かれている――そんなことを売りにしている代物を今手にしている、という非現実な事実が今更ながら押し寄せてくる。紙とプラスチックで構成された箱に少し指が食い込んだ。
 とうとうやってしまった、という後悔が胸をよぎる。同時に、ようやく手に入った、という満足感がふわりと沸き起こる。様々な感情を抱えた心の臓は昂ぶり、大きく鼓動をしていた。
 少年――嬬武器烈風刀は恋をしている。ただの恋とは言い難い。何せ、その対象は実の兄である嬬武器雷刀なのだから。
 青春真っ只中の高校生だ、性欲は人並みにある。欲望を一人処理をするのも多々あることだ。ただ、愛しい彼を想い処理する内に欲求が湧いてきたのだ――抱かれたい、と。
 烈風刀は男だ。生憎子宮や膣といった雄を受け入れる器官は持ち合わせていない。しかし、世には男性同士で恋愛関係を築いている者、肉体関係を持っている者は多くいる。手段があるのは確かだった。
 電子の海を検索してみれば、男同士でのまぐわり方など十秒足らずで手に入れられた。受け入れる部位、その準備、本番の手はず。全てが液晶モニタに並べ立てられ、映し出された文字列が聡明な頭へとインプットされていく。見かけによらず好奇心旺盛な己が該当部位へと手を出すには少しの時間を要したが、ゆっくりと、しかし確かに身体は開発されていった。今では指の二本は楽に受け入れられてしまうほど、この身体は作り変わってしまった。
 こんなに入念に『準備』をするほど『抱かれたい』という強い欲望はありながらも、少年はこの恋が実ることなど無いと確信している。何しろ、兄にはレイシスというとても可愛らしい想い人がいるのだ。彼女を最優先に思考し行動する彼が、その感情を己に向けてくれるだなんて露ほども思わない。あり得ないのだ。あの一途な彼が、彼女以外を視界に入れることなど。
 分かっていながらも、不定期に昂る身体は言うことを聞いてくれなかった。兄を想い、男が受け入れる部位を指で穿つ。雌のそれへと作り変えられつつある場所は、次第に泣き言を言い始めた。こんなものでは足りない、もっと大きなものが欲しい、雄を受け入れたい、と。
 だから、少年は一つの選択をした。所謂バイブ――男根を模した張り型を買おう、と。
 もちろん、葛藤はした。未成年である自分がアダルトグッズなど手にしていいのか。抱かれたいという願望はあるとはいえここまでやる必要はないのではないか。そもそも買ったところでどこに隠すのだ。問題点は山のようにある。全ての解決方法など、学年主席である彼の脳をもってしても弾き出せなかった。
 しかし、世界中に繋がる電子の海では、誰相手だろうが指先一本で何もかもが手に入ってしまう。その手軽さと、無意識に追い詰められた肉欲と、多大な好奇心が後押しし、気付けば決済を済ませていたのだった。
 その結果が現在である。
 息を呑む。もう何度目か分からない。それほどに緊張し、目の前のバイブレーターに気圧されていた。当たり前だ、こんなものを手にするのは人生初めてなのだ。これが己の体内に入る。それを目的とし買ったというのに、全く想像ができない。この指以上の質量を受け入れられることなど、本当にできるのだろうか。今更になって不安まで湧いてきた。
 とにかく、このまま持っているだけでは何も始まらない。すっと息を吸い、ふっと吐く。よし、と大きく頷き、烈風刀はパッケージ上面、取り出し口である部分へと手をかけた。カコ、と指が入り込んだ部分が歪む。
 紙箱の中から商品本体を守る大きなプラスチックケースをずるりと引き抜く。現れたのは、販売ページで見たものそのままだった。つまり、男根だ。
 パッケージはビビッドな色で構成されていたが、本体は薄桃色のパステルカラーで彩られている。しかし、その造形は確かにペニスそのものだった。楔のような頭、大きく張り出したエラ、少し反り返った幹、そこにうねる血管の数々。初心者向けと謳われるだけあって少し小さいが、形は精巧だ。ファンシーな色合いと恐ろしいほどのリアリティが混ざりあい、いっそ禍々しさすら感じさせる。思わず、ぅ、と小さな呻き声をあげた。
 説明書を広げ、指示の通り付属の電池を入れる。使用前に洗浄すること、とあったが、これを水場に持っていくなど不可能だ。もう寝静まっている時間帯とはいえ、万が一同居している兄に見つかっては気まずいどころではない。仕方がないので、除菌効果のあるウェットティッシュで血管の溝まで丁寧に拭き上げた。
 準備が終わったそれを握り、今一度見つめる。色合いは全く違うとはいえ、何度見てもペニスである。つまり、男の股ぐらに生えているもの――兄も有する器官である。ゆるく反り返ったフォルムは、興奮し血が集まりそそり立つそれと同じだ。偽物とはいえ、あまりに緻密なそれは兄のそれがいきり立つ姿を連想させるのは容易なものだった。
 とくりとくりと心臓が脈打つ。偽りの雄を前に、胸が高鳴る。緊張や不安、恐怖は確かにある。けれども、それ以上に期待が上回っていた。これが己の体内に這入る。指では届かない――男根でなければ穿てない場所を刺激する。想像するだけで唾液が湧いてくる。じゅわりと口内に広がるそれを、急いで飲み込んだ。
 さて、これを使うには、受け入れるには準備が必要だ。デリケートな粘膜と触れ合うものだ、身体に合うか合わないかは即座に判断しなければならない。試すなら早く済ませてしまった方がいいに決まっている。
 立ち上がり、ベッドにバスタオルを二枚重ねて敷く。クローゼットに箱を押しやり、代わりにこぶりなボトルを取り出す。男同士での行為を知った頃から愛用している潤滑油だ。受け入れることを想定していない内臓にモノを侵入させるには必要不可欠な代物だ。
 少しの逡巡の末、身に纏っていた衣服を全て取り払う。上は着ていてもいいかもしれないが、万一汚れては面倒だ。片付けは簡潔に、最小限で済ませたい。
 浅ましいことに、下着の中に戒められた己自身は既に兆していた。偽りの雄根を目の前にし興奮するなど、なんて淫らなのだろう。けれど、兄を想う身体はすっかりオスに屈服する悦びを夢想していた。
 肌寒さに震えながらベッドに寝転がる。臀部をバスタオルの上に乗せ、横を向く。もう馴染みきってしまった体位だ。雄の部位だけでなく、雌の代わりになる部位を悦ばせるための姿勢である。最初は羞恥と違和感を覚えていたというのに、今ではもう疑問に思うことなどなくなってしまった。
 枕元に転がしたローションを手に取る。透明なそれを手に広げる。ぬるりとした感覚とひんやりした温度が触覚を刺激した。
 しばらく放置し、冷たいそれを体温で温める。冷たいままでも問題はさほどないが、温めた方がきもちがいいことは学習済みだ。
 生温くなったことを確認し、下半身へと手を伸ばす。まずは雄の部分だ。いきなり後ろを暴くより、前を昂らせてからの方がきもちがいい。これもとっくに学習済みだ。聡い彼はすぐさま知識を吸収し従順にこなすのだ。
 ぬるりとしたものが幹に触れる。背を走る甘い感覚に小さく息を呑む。そのまま、手をゆっくりと上下に動かす。緩慢で単調な動きだが、念願のバイブを手にし昂ぶった身体は普段以上に快楽を拾う。ぬるつく手が幹をなぞる度、脊髄を電気が走り抜けていく。脳の奥の方がピリピリと痺れる。自慰特有の感覚だ。今日は、それが何倍にも増幅されている。
 ぁ、ぅ、とか細い声が漏れ出る。普段なら息を詰めるばかりで声など出さないというのに、普段以上に興奮した身体は声帯を震わせる。急いで空いている方の手で口を塞ぐ。壁一枚隔てた向こうでは兄が寝ているのだ。もし聞かれては大問題だ。
 口を押さえ声を殺すものの、己自身を追い詰める手からはぐちぐちといやらしい音が鳴る。少量の液体がたてる音だ、小さなもののはずである。だというのに、いやに大きく耳に響いた。聞こえてしまわないだろうか。いや、これぐらいはいつものことだ。大丈夫。大丈夫。言い聞かせ、手の動きを早めていく。音が鳴る頻度が増した。
 スナップをきかせ、竿全体を擦り上げる。輪を作り、張り出た部分を刺激する。蜜をこぼす先端を親指でぐりぐりと撫でる。手を動かす度、敏感なる器官は多大な快楽信号を脳味噌に叩きつける。受容器官がバチバチと音をたてる。ふ、と押さえつけた口元から熱い吐息が漏れ出た。
 一人寂しい己を慰めるつもりが、白い手は追い詰めるように動きを早める。血管を潰すように幹を強く握り擦る。先走りをこぼす鈴口を咎めるように抉る。ぐちゅぐちゅと卑猥な音が静かな部屋に響いた。
 視界が白む。目の前で細かな光がスパークする。絶頂が近いのだ。悟った烈風刀はかすかに残っていた理性を総動員し、急いで己自身から手を離した。部屋にこだましていたいやらしい水音がすっと失せる。快楽に浸りきった脳味噌がどうして、と涙声をあげた。答えは簡潔だ。前だけで出さずに我慢した方がきもちがいい。
 胎児のようにぐっと身体を丸める。べとべとの手にローションを継ぎ足し、再び下半身へと伸ばす。先ほどまで弄んでいた雄の部分を通り過ぎ、奥に秘められた蕾へと向かう。生温い粘液が触れた瞬間、蕾はきゅんと窄まった。
 怯え身を竦めたそこをあやすように、縁をゆっくりとなぞっていく。時折、ノックするように指先でつつく。ぬるぬると粘液を塗り込められたそこは、次第にはくり、はくり、と口を開け始めた。期待のこもった仕草だ。ここにおいでください、と誘うような動きだった。
 すっかり従順になったそこに、指を一本宛がう。くぱと物欲しげに広がった瞬間を見計らい、そのまま中に潜り込んだ。白い指が、艷やかな赤い粘膜に包まれる。グロテスクだが、淫靡な光景だった。
 侵入者を察知した内部が、ぎゅうと縮こまる。傷つけないようにゆっくりと動かし、走る緊張をほぐしていく。きゅんきゅんと指を強く締め付ける内部には、いつの間にか第二関節まで這入り込んでいた。鈎のように第一関節を折り曲げ、内壁を細かく擦る。すっかり開発されたうちがわは、それだけで快楽を拾い上げた。雄を弄った時とはまた違う電気信号が背骨を走っていく。ぐ、と柔らかな壁を押す。鋭い感覚が脳髄を焼いた。
 は、ふ、と押さえた口元から抑えきれない吐息が漏れ出る。快楽にとろけ細まった目は、悦びを表すように涙をたたえていた。二人目の侵入者が訪れた途端、ぁう、とくぐもった声が手の隙間からこぼれ落ちる。バタ足をするようにばらばらと指を動かすと、うぅ、と呻きが漏れる。昂ぶりきった身体は最早声帯を制御しきれずにいた。それでも必死に声を殺そうと口を強く押さえ込む姿は健気で愚かであった。
 ちゅぷん、と卑猥な音をたてて指が内部から去っていく。身体の内はすっかりとほぐれきっていた。普段ならもっと奥まで責め立て雄の部位と共にそのまま果てるのだが、今日のこれはまだ前菜だ。メインディッシュまで腹を空かせておかねばならない。
 枕元、ローションの隣に転がしていたバイブを手に取る。何度目かの唾を呑み込む。エメラルドグリーンの瞳は、パステルピンクの機械をじぃと見つめていた。熱烈な視線だった。まるで、想い人を陰から伺う恋い焦がれた乙女のようだ。
 ローションを手の平に継ぎ足す。冷えたそれを再び手で温め、意を決して張り型に塗り込めた。表面に浮かぶ血管が手を刺激する。ただそれだけで頭にピリリと電流が走った。雄を慰め、雌としての準備を済ませた身体は、そんな些細な刺激すら快楽だと認識した。
 ベッドボードに取り付けられた照明が、両手で持った機械を照らし出す。ローションをたっぷりまとったそれは、オレンジ色の光を受けぬらぬらと輝いていた。グロテスクな男根が光る姿は、まるで怪談に出てくる妖怪だ。それでも、少年の胸はドキドキと高鳴った。腹の奥がきゅうと鳴き声をあげる。早くそれをくれ、奥底まで穿ってくれ、と。
 ゆっくりと、おそるおそるぬめるそれを股ぐらへと誘う。鼓動が耳のすぐ側で聞こえる。唾液が湧き出る。はぁ、と熱のこもった吐息がこぼれる。薄桃色を追う翡翠は、期待と涙で濡れていた。
 長い時間をかけ、張り型がようやく窄まりに到達する。たっぷりと濡れた蕾と剣が触れ合った瞬間、ぷちゅ、と音があがった。あまりにもいやらしい音色に、思わず身体が跳ねる。バクバクと心臓が早鐘を打つ。小さな音だ、この部屋に落ちてすぐに消えてしまった。だのに、隣の部屋に聞こえていないかと不安で仕方がなかった。だって、こんな淫らな音、どうやったって誤魔化せない。
 すー、はー、と深呼吸。大丈夫だ、と自らに言い聞かせる。大丈夫だ、兄はもう寝ている。いくら壁は厚くないとはいえ、こんな小さな音聞こえるはずがない。大丈夫。だから、早く。早くこれを。ナカに。
 ふぅ、と息を吐き出し、身体から力を抜く。反して、腕には力を込める。十二分に解され綻んだ秘所に、無機質な生殖器がゆっくりと這入っていく。
「――ぁ、は、……ぁ、あッ、んぁっ」
 尖った部分が狭い内部を切り開いていく。張り出したエラが内壁をゴリゴリと擦っていく。初めての感覚だった。こんなもの、指なんて細くてまっすぐなものでは絶対に味わえない。指なんかよりずっと太い、逞しいモノが隘路を無理矢理割り開いていく。想定外の異物を受け入れる苦しさは確かに感じる。しかし、それ以上の性感が脳味噌に一気に叩き込まれた。
 塞ぐことができない口から、甘い嬌声がとろとろと漏れ出る。受容しきれない快楽をどうにか逃がそうと身体が動いた結果だ。そんなもの、焼け石に水でしかなかった。柔らかなうちがわを大きな存在で抉られる初めての快楽からは逃げることなどできなかった。それでもどうにか抵抗しようと、烈風刀は唇を噛む。声は抑えられたものの、熱を孕んだ吐息はどうしようもない。ふ、ふ、と苦しげな、それでいて甘さを感じさせる呼気が唇の間から漏れた。
 ゆっくり、ゆっくりと偽物の雄が少年の内部に飲み込まれていく。幾許かして、返しになっている部分が尻たぶに当たる。つまり、全てを飲み込んだという証左だ。
 今一度深呼吸をする。心臓は相変わらず壊れてしまいそうなほど早鐘を打っている。多大なる刺激を受けたせいか、意識はどこか靄がかっている。それでも、肚に受け入れた張り型の形だけははっきりと分かった。
 は、は、と浅い息が吐き出される。頭がグラグラと揺れる。興奮しすぎたことによって酸素が足りていないのだろう。それでも、淫欲に溺れつつある思考は呼吸することより先に動き出し始めた。
 全て這入ったはいい。凝らされた造形による凹凸が内部を擦るのはとてもきもちがよかった。けれども、これはただの張り型ではない。バイブレーターだ。もちろん、バイブレーション機能が備わっている。事前に電池を装填した今、スイッチひとつで動かすことができる状態だ。
 挿入れただけでこの有様だというのに、動かしたらどうなってしまうのだろう?
 不安と恐怖が――そしてそれを凌駕する好奇心と欲望が胸の内に湧いて出る。穿たれたい。暴かれたい。乱されたい。卑猥な欲望が脳味噌を埋め尽くしていく。丁寧に下準備をし昂ぶりに昂ぶった身体には最早理性など残っていない。あるのは本能――快楽を求めるこころだけだ。
 鼓動がうるさい。呼吸が苦しい。手が震える。強張った身体に反して、その口元は緩んでいた。これから己の身を襲うであろう快楽への渇望が表れたものだ。
 バイブレーターの端、備わったスイッチへと手を伸ばす。説明書によれば、電源スイッチを入れた後、揉もう一つのボタンを押す度に動きが変わるそうだ。一つ目はどう動くのだろうか。好奇心が背中をグイグイと押す。猫をも殺すそれにされるがままに、烈風刀は根本にあるスイッチを押した。
 ヴィイン、と低いモーター音が部屋に落ちる。同時に、パステルピンクの機械がぐねぐねと身を捩り始めた。
「ッ、ひ、あっ、あッ!」
 心の準備は済ませたつもりだった。だが、そんなものこいつの前では通用しなかった。だって、こんなにも激しく動くなんて、こんなにも奥を抉られるなんて、こんなにも内部を蹂躙されるだなんて思ってもみなかった。荒波に揉まれているかのような気分だ。違うのは、もたらされるのは苦しみではなく悦びだということだ。
 どうせ安物だ、と甘く見ていたのが間違いだった。良い意味でも悪い意味でも想像以上の代物だ。どちらも気持ちが良すぎる、という点で。
 指しか知らないおぼこがこんなもので肚を嬲られて耐えられるわけがない。必死に呼吸をし開いていた口から、甘ったるい悲鳴が飛び出る。潤んでいた瞳から、涙がボロボロとこぼれ落ちる。本能に支配された身体はろくに抵抗などできない。全てされるがままだ。
「ぅあっ、やっ、あ、ア……ひぃっ、ァあッ」
 強力なモーターが唸る中、少年は快楽の津波に飲み込まれていた。先端が指なんかでは届かない奥を抉る。張り出した部分が内壁を掻き回す。うねる幹が浅い場所にあるイイところを押し潰す。肚の内の弱い部分全てを嬲られ、まともでいられるはずがなかった。ビクビクと身体が痙攣する。背が丸まる。防衛本能だ。突如襲ってきた快楽から己を守るための行動だ――そんなもの、欠片も意味が無いのだが。
 いけない。これでは声が聞こえてしまう。こんな淫らな声が兄の耳に入ってしまう。欠片だけ残った理性が必死に警鐘を鳴らす。ひ、と恐怖に引きつった音が喉から漏れる。それもすぐに喘ぎに掻き消された。
 バイブレーターを握っていた手を離し、頭の下に伸ばす。汚れることも気にかけず、枕を取って顔に押し当てた。呼吸が苦しい。それでも、今声を殺すにはこれぐらいしか手段が無い。先ほどのように唇を噛む程度で耐えられるようなものではないのだ。
 男根を模した器具が、規則的な音をたてて粘膜を嬲っていく。返しが当たるほど深く挿入れたというのに、蠢く無機物はまだ奥へと潜ろうとしていた。返しになった部分が肉付きの良くない尻を擦る。シリコンが肌に擦れ不快なはずなのに、快楽に破壊された脳味噌はそれすらもきもちがいいと電気信号を受け取った。
 閉じることができない口から嬌声と唾液がこぼれる。全て枕の綿に吸収されていった。常ならば唾液まみれのそれに不快感と忌避感を覚えるはずだが、今はそんな余裕などない。脳のリソースはほとんど快楽を受容することに割かれていた。
 偽物のペニスに蹂躙される。それがこんなにもきもちがいいだなんて想像すらできなかった。悦びの涙が頬を伝う。いくつもの透明な筋が白い肌に描かれていた。
 ペニス。
 そうだ、これはペニスなのだ。シリコン製の偽物であっても、形は雄だけが有しているそれだ――つまり、兄のそれと言っても過言ではないはずだ。
「ッ、っ……ぅ、ぁっ!」
 あの鮮烈な朱が、兄の顔が脳裏に浮かぶ。瞬間、無機物の雄を咥え込んだ蕾がきゅんと強く窄まった。枕に押し付けた口から、一際高い声があがる。悦楽に染まった響きをしていた。
 兄のそこにあるものを受け入れている。兄と同じものを受け入れている。兄を受け入れている。兄に抱かれている。
 快感で濁る意識が、現実を歪めていく。普段ならば馬鹿馬鹿しい妄想だ、とすぐさま切り捨てるだろう。けれども、快感の海に溺れた脳味噌は、今己を犯しているものが兄のそれであると間違った認識をした。
 無機物が奏でるモーター音など耳に入らない。鼓膜を震わすのは、結合部から響くぐちゅぐちゅという水音と、己が漏らすはしたない喘ぎばかりだ。それがまた現実を捻じ曲げる。犯されているのだ、と。
「ッ、ァッ、らいと……、らいとッ」
 顔と枕の隙間から、兄を呼ぶ声が漏れる。押し殺されくぐもったそれは、隣の部屋で眠る彼に聞こえることはないだろう。烈風刀も本人に届けるために口にしているわけではない。ただ、閉じた瞼の裏側、己を犯す兄の姿を夢想し、少年は愛しい朱の名を何度も繰り返した。
 苦しい。枕に顔を押し付けた体勢では、興奮状態にある己が必要とする量の酸素を十分に摂取することができなかった。ただでさえグラついている意識が揺れる。このままでは生命維持に関わるだろう。生存本能は、声を殺すために必要不可欠な枕を手放すことを選択した。
「ひ、あ……、はッ、ア、ぅあぁ……」
 途端、塞がれていた口から悲鳴のような喘ぎ声が飛び出た。音量調整機能がバカになった喉から漏れるのは、部屋全体に響き渡るようなものだった。
 まずい。聞こえる。聞こえてしまう。こんな浅ましい声を兄に聞かれてしまう。ほんの少しだけ残っていた頭のまともな部分が声高に喚起する。少年は両の手で己の口を急いで塞いだ。ローションでベトベトになっているが、そんなの構っていられない。この声が兄に伝わってしまわないようにすることが最優先だ。
 鼻が開放されたため、呼吸は幾分かマシになった。けれども、意識は未だグラグラと揺れる。酸素不足によるものではない、下半身からもたらされる快楽によってだ。低い唸り声をあげるバイブレーターが、敏感な粘膜を抉り刺激していく。その度に、神経は快楽という名の鋭い電気信号を送るのだ。脳の許容量を超え叩き込まれるそれは最早暴力であった。溢れ出んばかりの快感が脳を、意識を殴るのだ。まともに意識を保つことなどできるはずがなかった。
 目の前がチカチカと瞬く。脳内が白く塗り潰されていく。絶頂の予兆だ。何度もお預けを食らった身体が、ようやく高みに至ろうとしている。待望の感覚に、薄い肚が悦びにひくつく。同時に、大きな恐怖が少年の胸を襲った。
 後ろで己を慰めたことは数え切れないほどある。けれども、達する時はいつだって雄の部位を刺激しているのだ。いくら開発が進んでいるとはいえ、内部の刺激だけで達したことなど一度も無い。今、その瞬間が訪れようとしているのだ。
 雄と一緒に弄ってようやく至れる場所に、雌の代替品だけで上り詰めようとしている。未知の体験だ。どんなことが起こるか、想像すらすることができない。知らないものに恐怖するのは当たり前のことだ。
 しかし、今の彼にその絶頂に至る道を引き返す術など持ち合わせていない。うちがわを刺激し続けるバイブレーターは、電源スイッチを押す、あるいは無理矢理抜き出さないかぎり蹂躙する手を止めないだろう。どちらを行うにも、暴れるそれに手を伸ばす必要がある。だが、今の烈風刀は声を出すまいと必死に手で口を塞いでいる。張り型に触れる余裕など一ミリも持ち合わせていない。止めることなど不可能なのだ。少年はただ、無機質な雄がもたらす悦楽を受け止める――こんな強大なものを受け止めることなど到底不可能だが――しか選択肢が無かった。
 視界が白む。脳味噌がショートする。腹の奥で燃え上がり続けた焔が天を衝く。バチン、と何かが破裂する音が聞こえた気がした。
「――――ッ、ふ、ンぅ!!」
 だらだらと涎をこぼしていた雄から、白い液が吐き出される。必死に塞いだ口、手の隙間から甘ったるい悲鳴があがる。淫らな肚が法悦を叫んだ。
 ビクンビクン、と陸に打ち上げられた魚のように身体が痙攣する。頭が動かない。身体が言うことを聞かない。初めて内部の刺激のみで気をやったのだ、今まで経験したことの無い膨大な快楽を叩き込まれた脳味噌がろくに働くはずなどない。仕方のないことだった。肩で息をするのがやっとである。
「――ぃっ、ア、あっ!?」
 そんな烈風刀のことなど関係ないとばかりに、バイブレーターは入力された回路の通り動く。高みに至り、未だ蠢くそれを強く抱き締める内部を変わらず嬲り虐げていく。絶頂を味わったばかりの身体には、拷問のような刺激だった。
「やっ……、も、むり……! や、だぁ……!」
 駄目だ。これ以上は無理だ。これ以上続けられたら死んでしまう。生命の危機すら感じる快楽に、少年は引き締まった身体をよじる。姿勢が変わった拍子に、偽りの生殖器が突く場所が変わる。新たなる刺激に、少年はひ、と息を呑んだ。
 絶頂を味わったばかりで鈍い身体を無理矢理動かし、烈風刀は後孔へと手を伸ばす。秘所から突き出た部分を握り、一気に機械を引き抜いた。大きく張った部分が、ゴリュゴリュと内部を擦り上げていく。その強い性感に、少年は再び法悦の悲鳴をあげた。
 にゅぽん、と淫らな音をたて、バイブレーターが体内から去る。ようやく身体中を荒らし乱した悦楽が消えた。
 モーター音と喘鳴が部屋に落ちては積もってゆく。あれだけ甘さを孕んでいた呼吸音は、非常にか細く浅い。見ている者を不安にさせるほどのものだ。人生で最大の快楽を叩きつけられたのだ、これほどまで消耗しきってしまうのも納得である。現状では、指先一本動かすことすら難しい。
 時計の針がしばらく歩みを進めた頃、烈風刀はようやく大きく息を吐いた。そのままゆっくり吸って吐いてを繰り返す。はぁ、と大きな溜め息一つ。その拍子に涙が頬を伝った。透明な雫が、シミがいくつもできたシーツに吸い込まれる。
 気だるい身体に鞭を打ち、どうにか身を起こす。重い腕を持ち上げ、ヴゥンと駆動音をあげ蠢き続けるバイブレーターに伸ばす。掴んだそれを緩慢な動きで手繰り寄せ、端に備え付けられた電源スイッチを押す。途端、音と動きが止んだ。征服者が今回の役目を終えた証拠である。
 はぁ、と溜め息もう一つ。少年は浅海色の目を伏せる。潤んだ瞳から、また涙が一筋こぼれ落ちた。
 大変だった。それはもう大変だった。こんな地獄と天国を行き来するような体験、二度とごめんだ。
 こんなことになるとは思ってもみなかった。これはもう封印するしかなかろう。不透明な袋にでも入れてクローゼットの奥底にでもしまっておけばいつか存在も忘れるはずだ。
 しかし、と烈風刀は手にしたバイブレーターを今一度まじまじと見つめる。パステルピンクの本体は、潤滑油と腸液でベトベトになり、不気味な様相をしていた。
 こんなものを兄自身だなんて妄想し、それをオカズにするなど頭が悪いにも程というものがある。津波のような快楽に押し流されていたとはいえ、あまりにも馬鹿らしい思考だ。我ながらほとほと呆れる。思わず嘆息を漏らした。
 視界を下に向ける。下半身に敷いていたバスタオルはもう散々な有様だった。潤滑油を用いる自慰は何度も行っているが、これほどまで広範囲が深く濡れているのは初めてだ。念の為二枚敷いておいてよかった、と内心胸を撫で下ろす。シーツはまだしも、マットレスに被害が及んではたまったものではない。
 今日何度目か分からぬ溜め息。ぬらぬらと輝く張り型をバスタオルの上に放り出し、烈風刀はベッドボードに置いたティッシュ箱に手を伸ばす。何枚か抜き取り、後孔に宛がう。空いた手を秘部に潜り込ませ、中に残ったローションを掻き出す。生温かい液が体内から吐き出される感覚は、いつまで経っても慣れない。しかし、後処理を怠って苦しむのは自分だ。やるしかなかった。
 ローションでぐっしょりと湿ったティッシュをゴミ箱に放り込み、烈風刀は今一度ベッドに倒れ込む。枕を手繰り寄せようとしたところで止まる。涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔をあれだけ押し付けたのだ、こちらも酷い有様になっているだろう。当分は使い物にならないな、と柔らかなそれから手を引いた。
 身体がだるい。今までにない快楽を叩き込まれた身体はすっかりと疲弊していた。時間もあってか睡魔が忍び寄ってくるが、このまま寝るわけにはいかない。汚れた身を清め、ぐちゃぐちゃになった洗濯物を片付け、件の代物を封印せねばならないのだ。
 時計に目をやる。丸い文字盤は、日付が変わってから二時間が経過したことを示していた。コトを始めたのは一時を過ぎた頃だったろうか。随分と長い時間法悦に身を浸していたようだ。時間を忘れるほど乱れた己を恥じる。初体験ばかりの今日は仕方がないかもしれないが、普段ならばあってはいけないことだ。もっと己をコントロールせねばならない。
 とにかく、早く処理せねばならない。この時間なら兄はすっかり夢の中だろう。シャワーを浴びても物音で起きることはないはずだ。
 重い腰を上げ、ベッドから立ち上がる。椅子の上に畳んでおいた上着を被る。本当ならば下も履くべきだが、面倒だった。こんなベトベトの状況で履いても、汚れるだけだ。洗い物が増えてしまうのも避けたい。広げていたバスタオルを手早く畳む。少しの逡巡の末、バイブレーターも手に取る。粘膜に直接触れた代物だ、さすがに洗うべきだろう。パッケージには防水仕様と書いてあったので、水洗いをしても大丈夫なはずだ。
 手にしたそれに視線が吸い込まれる。薄桃色のそれはベトベトで、目にして不快感を覚えるようなものだ。しかし、浅葱の瞳はぽぅと呆けた様子で不気味なそれを見つめていた――まるで、恋する少女のように。
 はっと我に返る。何をしているのだ、自分は。何故封じるべきものをこんなにも熱烈に見つめているのだ。訳の分からぬ己の行動に動揺しつつ、烈風刀はローションと体液で濡れたそれを拭い隠すようにバスタオルの間に突っ込む。これなら床を汚すこともないだろう。ベトベトになった枕カバーも取り外し、タオルと重ねた。
 腰が重い。腹の奥が重い。しかし、頭は幾分かスッキリとしていた。あの恐ろしいまでの快楽から解き放たれたからだろう。脳髄を焼く鋭く甘い感覚が想起され、ふるりと震える。何によるものかは明らかだった。
 とにかく、シャワーを浴びよう。冷水でも浴びればこのピンクに染まった頭も元に戻るはずだ。バイブレーターも、早く洗わなければ雑菌が繁殖してしまう。もう二度と使うことはないとはいえ、清潔な状態を保っておくべきである。
 二枚のバスタオルと枕カバー、その奥に忍ばせたバイブレーターを小脇に抱え、烈風刀は扉へ向かう。音が鳴らぬようノブを回し、少しだけ顔を覗かせ廊下を確認する。廊下とそこに続く部屋部屋は暗闇に包まれていた。兄はもう寝ているという証左である。ほっと胸を撫で下ろし、少年は音もなく廊下に出る。目指すは風呂場だ。
 音をたてることなく、扉が閉まる。淫靡な音で満ちていた部屋は、すっかりと静まり返っていた。

畳む

#ライレフ #腐向け #R18

SDVX

書き出しと終わりまとめ7【SDVX】

書き出しと終わりまとめ7【SDVX】
top_SS01.png
あなたに書いて欲しい物語でだらだら書いていたものまとめその7。ボ6個。毎度の如く診断する時の名前がちょくちょく違うのは気にしない。
成分表示:はるグレ1/ニア+ノア+レフ1/レイ+グレ2/ハレルヤ組1/プロ氷1

愛するだなんて/はるグレ
葵壱さんには「愛したこともないくせに」で始まり、「来年の今日もあなたといたい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以内でお願いします。


 何かを愛したこともないくせに、と誰かが指差して嘲笑う。頭に響く不快な声に、少女は目を閉ざした。
 グレイス。すぐ横で名前を呼ばれる。開いた柘榴石が音を追う。少し首を動かすだけで、こちらを覗き込む虎目石とぶつかった。
 なに、と問いかけてみる。普段通りの声を作ったはずだが、彼にそんな稚拙な嘘は通用しない。首を傾げ、始果は口を開く。どこか不安な音色をしていた。
「苦しいのですか?」
「……そんなことないわ」
 それでも少女は虚勢を張る。見透かされているのは分かっていても、弱い部分ばかりを見せるのは嫌なのだ。腹に回された腕に小さく力がこもる。まるで逃がさないと言わんばかりに。
 何かを愛したこともないくせに。
 誰かが指差して嘲笑う。その『誰か』が『己』であることなどとっくに分かっている。そして、それが真実であるということも嫌というほど分かっている。
 生まれた時には誰もいなくて、冷たい世界で一人で生きて、自己を求めて闘って。誰かを愛する暇など、機会など無かった。こうやって、心を交わすことなど無かった。ただバグを従え、己の都合が良いように操るだけの日々だった。
 だからこそ、今この背にある愛が怖かった。愛をよく理解していない自分に、同じだけの愛を返すことができるのか。抱えているはずの拙い愛を伝えられているのか。この愛が途切れてしまう日が来るのではないか。恐怖が少女の根底にずっと張り付いて消えない。与えられる分だけ心が満たされ、与えられた分だけ憂慮が募る。
 何とも面倒くさい、と己でも思う。それでも、知らなかったものに対する恐怖は未だ拭えずにいた。理解しきれないものに振り回されていた。
 大丈夫ですよ、と少年は囁く。苦しくなるほど確かで、怖くなるほど力強い響きだった。
「来年も、今日も、ずっと君といますから」




果てを夢見て/ニア+ノア+レフ
葵壱さんには「宇宙の果てには何があるのでしょう」で始まり、「なぜか目が離せなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば13ツイート(1820字)以内でお願いします。
参考サイト
質問6-2)宇宙の果てはどうなっているの?
宇宙の果てには何があるの? 専門家に聞いてみた



「宇宙の果てには何があるのかなっ」
 窓の縁に身を乗り出し、ニアは弾んだ声で言う。紺碧の瞳には、ガラスの向こうで輝く星々が映り散りばめられていた。
「宇宙の果て、ですか」
 言葉を繰り返し、烈風刀は窓の向こう側へと目を向ける。浅葱の瞳にも星が散る。分厚いガラス窓から、目視などできないほど遠くへと思いを馳せる少女の頭へと視線を移す。青い頭の上に伸びる長いリボンカチューシャが、彼女の動きと連動して揺れた。
「宇宙に果ては無い、という話は聞いたことがありますね」
「えー!?」
 どこかで聞きかじった知識を口にしてみる。少年の言葉に、ニアは驚嘆の声をあげる。隣にいたノアも、彼の言葉に瑠璃の瞳をまあるくした。兎たちの視線は、窓の外から翡翠の瞳へと向けられた。
「無いの!?」
「一説ですよ。他にも色んな説があります」
 驚きに満ちた顔で少女は問う。慌てて手を振り、注釈を入れる。それでも、今しがた知ってしまった一つの解に双子兎はつぶらな瞳をいっぱいに開き顔を見合わせた。
「『果てが無い』ってことは、どこまでもずっと続いてるってこと?」
「そう……なるのでしょうか……」
 こてんと首を傾げるノアに、烈風刀は言葉を濁す。いつ聞いたか分からないほど前に聞きかじった情報なのだ。詳しいことなど分からない。かといって、答えられずに終わってしまうのも申し訳ない。
「調べてみましょうか」
 そう言って、ポケットから携帯端末を取り出す。『宇宙』『果て』の短い二ワードを検索窓に打ち込むだけで、何万もの答えが弾き出される。その一番上に出てきた文字列をタップする。二色三対の瞳が小さな液晶画面に吸い込まれた。
「百三十八億光年……光年?」
「光が一秒間に進む距離です。ものすごく遠いということですね」
 へー、と声が二つ重なる。小さな文字列を、蒼と碧が追う。短いページだ、数分足らずで読み終わる。ウェブサイトに記された文章ではいくつもの説をあげていたが、最終的には『無い』との結論を出していた。
「ずーっと遠くで途切れちゃってるってことかぁ……」
「観測できないことですから」
「見えないってことだよね?」
「はい。今はまだ、という話のようですが」
 人類の技術は日々進歩している。現時点では観測できずとも、数年後には更なる遠くを見られるようになってもおかしくはない。それこそ、この幼い少女たちが大人になる頃には観測できるようになっていてもおかしくはないのだ。
「二人が大人になる頃には観測できるようになっているかもしれませんよ」
「そうかな?」
「そうだといいなぁ!」
 烈風刀の言葉に、少女らは楽しげな声をあげる。まだ見ぬ果てが解明される楽しみに、長いリボンカチューシャが揺れる。
「早く見えるといいな」
「ねっ」
 青い兎たちは揃って背伸びをし、窓の縁に身を乗り出す。その小さな手が伸ばされ、ガラスに触れる。まるで星を掴もうとするような姿だった。果ての空を夢想し、少女らはきゃいきゃいと談笑する。月明かりに照らされる顔は気色に満ちていた。
 その可愛らしい背に、少年はふと目を細める。まだ見ぬ未来を望むその小さな身体から目が離せなかった。




内緒の寄り道/レイ+グレ
AOINOさんには「ふたりぼっちになりたかった」で始まり、「秘密を分け合った」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字)以内でお願いします。


 気がつけば、ふたりぼっちになってしまった。
 つい先ほどまでいたはずの嬬武器の兄弟はどこにも見えない。唯一いるのは、隣に立つレイシスだけだ。ちらりとそちらに目をやる。彼女は全く気にしていないのか、機嫌の良さそうな顔で袋を持っていた。
 幸い、学園祭用の買い出しは既に済ませており、あとは荷物を学園に持って帰るだけだ。未だネメシスの地理に詳しくないグレイスだけならまだしも、レイシスがいるのだ。はぐれたところで問題は無いだろう。結論づけ、少女は足を動かした。
「ねぇ、グレイス」
 一歩踏み出し、レイシスは妹の名を呼ぶ。なに、と問いかけると、突然手に温かなものが触れる。気がつけば、空いている方の手を彼女に握られていた。
「な、何よ」
「こっちデス」
 慌てて真意を問うも、姉はにこりと笑いかけるだけで何も言わない。振りほどこうにも、駆けるように手を引かれては抵抗もろくにできない。ただ、彼女が進むままについていくことしかできなかった。
「ここデス!」
 そう言って、唐突にレイシスは足を止める。何だ、と桃色の瞳が見つめる方に目をやれば、そこには『鯛焼き』と大きく描かれた赤い幟が立っていた。この店が何なのだろうか、とグレイスは訝しげな目で姉を見る。桜色の目が柔らかな弧を描く。
「ちょっと休憩していきマショウ?」
 美味しいんデスヨ、とキラキラと瞳で語る桃の少女に、躑躅の少女は未だ眇目で姉を見る。だから何だ、と言いたいところだが、こうなった彼女を止められる者はいないことぐらい、短くない付き合いで理解していた。
「アッ。グレイス、あんこ平気デシタヨネ?」
「大丈夫、だけど」
 ヨカッタ、と笑みを浮かべ、少女は店の方へと歩みを進めていった。店主らしき者と対話をする姉をぼんやりと眺める。程なくして、彼女は包み紙二つを抱えてこちらへと帰ってきた。
「ハイ、ドウゾ」
 そう言って、レイシスは包み紙の片方をグレイスに手渡す。両手で受け取ったそれは温かい。四角形の紙からは、魚を模した生地の頭が顔を覗かせていた。おそらく、幟に書いてある通り鯛焼きなのだろう。
 いただきマス、と言って、薔薇色の少女は茶色い頭に大きくかぶりつく。頬がもぐもぐと動き、嬉しそうな声があがる。つられるように、躑躅も小さな口でかぶりつく。瞬間、優しい甘みが口の中に広がった。懐疑で細められていた尖晶石がぱぁと輝く。その姿を見て、紅水晶がふわりと細められた。
「雷刀たちには秘密デスヨ?」
 ネ、とレイシスはマゼンタの瞳を見つめる。確かに、二人だけで寄り道して菓子を食べたなんて話してはいけないことだ。こくりと頷き、グレイスは鯛の頭にまた一口齧り付いた。
 ある日の放課後、姉妹は秘密を分け合った。




数字読み解き/ハレルヤ組
AOINOさんには「嫌なことは数えても減らない」で始まり、「その言葉を飲み込んだ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字)以内でお願いします。


 悲しいことに、嫌なものは数えても減らない。何度数えても事実としてそこにあり続けるのだ。
「あと何問やればいいんだよ……」
「五問ですよ」
「もうちょっとデスネ。頑張ってくだサイ」
 机に肘を付き頭を抱える雷刀に、烈風刀は涼しげに答える。横からレイシスが激励の言葉を投げかけた。
 三人が今いるのは、普段ゲーム運営に使っている会議室でなく放課後の教室だ。授業が終わってから少し経った今、空は少し赤らんでいる。ここ最近、日は次第に短くなっている。じきに真っ赤に染まっていくだろう。
 少年は目の前に広がる問題集を見る。基礎問題の横にはミミズがのたくったような文字で数式と解が書かれている。紛れもなく自分の文字だ。ここまで解いたはいい。問題はこの先の文章題だ。元々読解力の低い自分では、どこをどう読み解けばいいかすら分からない。とりあえず文章内にある数字を書き出してみても、使用方法はさっぱり思いつかない。もう両手を上げ降参したい気持ちでいっぱいだ――隣に座る弟がそれで逃げさせてくれるわけなんてないのだけれど。
 テスト勉強をしましょう、と言い出したのは烈風刀だった。今日返ってきた小テスト、兄の答案用紙に書かれた一桁に近い数字を見ての発言だ。いいデスネ、とレイシスが乗った時点で己に拒否する理由は無くなってしまった。愛しい彼女の言葉は己たち兄弟にとっては絶対なのだ。たとえ、対象が『勉強』という天敵でも、だ。
 文章の下に教科書から引っ張り出した公式を書いてみる。やはり、どの数字を代入すればいいかさっぱり分からない。うー、と濁った音が喉から漏れた。
「れふとぉ……」
 縋るように弟の名を呼ぶ。問題集の上に乗った腕を払い、少年は無言で文章の部分部分にアンダーラインを引いていく。
「これはここに代入して、こっちはここに代入するのです。ここまでは分かりますか?」
 隣から伸ばされたシャープペンシルが、目の前の問題集の上を走る。なめらかな文字が、公式に数字を当てはめていく。見覚えのある姿になった数字群を見て、雷刀はぱっと表情を輝かせた。
「おう! んで、解いていけばいいんだよな」
 言葉より先に手が動く。拙いながらも数式はいくつにも姿を変え、最終的に一つの数字を弾き出した。
 解答欄に記入したところで、碧い視線が計算式を追っていく。最後に記された数字を見て、烈風刀は口元を緩めた。
「合っていますね」
 弟の言葉に、小さくガッツポーズをする。すごいデス、と前から弾んだ声が飛んできた。
「普通の基礎問題は解けているのに何で文章題ができないのですか」
「だってどこ読みゃいいか分かんねーもん……」
 呆れた調子の声に、拗ねたような声が返される。文章題はどこにどの数字が必要なのかという部分から考えねばならないのだ。タスクが一つ増えるだけで脳味噌のキャパシティは限界を迎えてしまう。
「ほら、残り四問ですよ。早く解きましょう」
 そう言って碧は己の手元に視線を戻す。彼の目の前にある問題集は、自分のそれの数ページ先が開かれていた。
 へーい、と返し、手元を見る。新しく現れた文章題は相変わらず何を言っているか分からない。とりあえず弟に倣ってアンダーラインを引いてみたが、さっぱりだった。
 これがあと四問もあるという事実に絶望する。しかも、残りは応用問題のはずだ。更にややこしくなった文を読み解く自信などない。
 もうやだ、という確実に怒られるであろう弱音は飲み込んだ。




春と数/レイ+グレ
葵壱さんには「精一杯背伸びをした」で始まり、「君はきっと泣くだろう」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以内でお願いします。


 精一杯背伸びをする。ヒールの分もあってか、桃色の頭は少しだけ追い抜かすことができた。
「グレイス? どうかしまシタカ?」
「……何で貴方の方が大きいのよ」
 身体測定結果が書かれた紙を握りしめ、グレイスは不服そうに呟く。赤々とした唇は尖っていた。
 レイシスとグレイスは、実際の稼働年月は別として高校二年生程度の体格を形どっている。そこに差異など生まれなくてもいいはずだ。だのに、レイシスの方が己より数センチ身長が高いのだ。ほんの僅かとはいえ、負けているようで何となく気に入らない。小さい分、妹扱いに拍車が掛かりそうなのがまた懸念だ。
「すぐに伸びマスヨ。成長期なんデスカラ」
「それは貴方もじゃない」
 同じ年頃の形をしているのだ、成長速度もそう変わらないだろう。この差は埋まるか怪しい。
 うー、と音にならない唸りが喉から漏れる。何度測定結果を見ても、やはりそこにはレイシスよりも小さい数が書かれている。事実は覆りそうにない。
 成長期により彼女の身長を遥かに超えた己を想像してみる。今より妹らしさは減るだろう。それが目標だ。
 まぁ、実際に背を越したならば、大きくなりマシタネ、なんて言って姉を主張する彼女はきっと泣くのだろうけれど。




優しい貴方/プロ氷
葵壱さんには「ぱちりと目が合った」で始まり、「もう上手に生きられます」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。


 ぱちりと目があった。鮮やかな夕焼け色が瞬く。瞬間、その口元が綻んだ。安全靴がコンクリートを打つ音が近づく。あっという間に、あの美しい橙が己の目の前にやってきた。
「氷雪ちゃん。こんにちは」
「こ、こんにちは」
 柔らかな笑みで挨拶をする識苑に、氷雪は強張った声で何とか返す。編入時から何かとこちらを気にかけ世話を焼いてくれる彼だが、少女は未だ慣れずにいた。あの輝く夕日色の瞳を見られるのは、自分の弱い部分を全て見透かされるようで少しだけ怖い。否、とうに見透かされているのだろう。だからこそ、彼はこんなに優しくしてくれるのだ。
「どう? クラスにはもう慣れた?」
「す、少しだけ、慣れた……と思います」
 問いに対する答えは、どんどんと尻すぼみになっていく。途中編入故最初は一人ぼっちだったが、優しい人が多いおかげか少しずつ話すことのできる人も増えてきている。本当なら自信を持って答えるべきところである。けれども、心の暗い部分がそれを阻んだ。それは全部本当なのか、と。情けをかけられているだけではないのか、と。
「お、お友達も、できました、から」
 心を覆わんとする薄闇を払おうと、少女は言葉を続ける。桜子という大切な友人ができた。この事実は絶対に覆らない。何よりも嬉しいことで、何よりも識苑に報告したいことだった。こう言えば、彼はきっと安堵してくれるだろうから。
「本当!? 良かったねぇ!」
 そっかそっか、と青年は笑う。幸せそうな笑みだった。心から少女のことを案じているのが分かるものだ。その優しさが、それだけ彼に負担をかけているという事実が、胸に刺さる。雪の少女はその小さな手をそっと胸の前で握った。
「今から帰るの?」
「はっ、はい」
「そっか。最近日が暮れるの早いし、気をつけてね」
 じゃあね、と手を振り、識苑は校舎の方へ駆けていく。はためく白衣に向けてさようなら、と言う。細いそれは、絶対に届いていないだろう。挨拶すらろくにできない自己嫌悪が心を蝕む。
 はぁ、と無意識に溜め息がこぼれ落ちる。心優しい彼が無理に気に掛けることがなくなるくらい、もっと上手に生きられたらいいのに。

畳む

#ニア #ノア #嬬武器烈風刀 #レイシス #グレイス #嬬武器雷刀 #ハレルヤ組 #はるグレ #プロ氷

SDVX

その頬に色を【ライレフ】

その頬に色を【ライレフ】
20240125165028-admin.png
今更IV衣装ネタ。頬にイニシャルペイントするのはまだ分かるんですけどそれを兄弟の色でやるのマジ訳分かんないっすね。
Q.こういうのって転写シールとかでやるんじゃないんですか?
A.夢くらい見させて

 視界が闇に包まれる。黒に包まれた世界の中感じるのは、左頬に当てられた手の温もりのみだ。布越しのそれは、いつもよりぬるく感じた。
 ひたり、と右目の下に柔らかなものが当てられる。触れた細いそれが、ゆっくりと縦方向へ滑る。頬に到達したぐらいで離れ、再び同じ場所へと戻っていく。今度は顔の内側に向かって慎重な手つきで動いていく。くすぐられるような感覚に、ふへ、と思わず小さな笑いが口から漏れ出た。ひくりと肩が揺れる。
「もう、動かないでください」
 よれてしまったではありませんか、と闇の中に声が落ちる。ぱちりと目を開けると、そこには筆を手に顔をしかめた弟がいた。
「ごめんごめん」
 謝るも、返ってくるのは溜め息だ。烈風刀は筆を置き、傍らにあった布を手に取る。濡れたそれを兄の頬に優しく押し当てる。しばし置いて、少年は白い布地を肌の上にゆっくりと滑らせる。そこに描かれていた碧い線は綺麗さっぱり無くなっていた。
 レイシスから世界のバージョンアップが行われるという知らせがされたのが半年ほど前。新たな世界に合った己たちの衣装が届いたのはつい最近だ。白を基調にした戦闘服を思わせるデザインは非常に格好良く、兄弟の間でも評判が良い。もちろん、世界を担う薔薇の少女もよく似合っていマス、と賞賛の言葉をくれた。
 武器――少女曰く、本物の武器ではなくスポーツ用品らしい――を持つのは久方ぶりのことである。使い慣れたそれとは違う形状だが、長年扱ってきただけあって長剣は手によく馴染んだ。重力戦争時代と違い、弟は己のような剣ではなくスナイパーライフルを与えられていた。銃の類を取り扱うのは初めてであるはずだが、すぐさま慣れてみせたのだから彼のセンスは素晴らしいものだ。白と黒の武器は、計算しつくされたように新たな衣装にぴたりと合っていた。
 さて、そんな好評な新衣装であったが、問題が一点あった。与えられたデザイン画では、頬にフェイスペイントを施すこととなっているのだ。宣材写真を撮るために着替えようにも、さすがに一人では頬に文字を書くことなどできない。誰かに書いてもらわねばならなかった。この程度のことでレイシスの手を煩わせるわけにはいかない、と、兄弟は互いの顔にペイントを施すこととしたのだ。
 手先が器用だから、ということで、まずは烈風刀が雷刀に書くこととなった。そうして、椅子に座り軽く上を向いて頬に書いてもらっていたのだが、己が笑ってしまったことにより線がよれてしまったらしい。きっと最初の一画は綺麗に書けていたのだろう、ひそめられた眉がその出来の良さを表していた。
 書きますよ、と言われ、再び頬に手を添えられる。彼が書きやすくなるよう、目を閉じる。慎重な手つきで、筆が肌の上をなぞっていく。柔らかな穂先が皮膚をこするのはやはりくすぐったい。鍛えられた腹筋が、しなやかな表情筋が動く。あぁ、と嘆息が降ってきた。
「動かないでくださいと言っているでしょう」
「だってくすぐってーもん」
 怒気を孕む声に、どこか拗ねたような声が返される。時間は有限である。早く終わらせるべきだということは分かっているのだから、自分だって動きたくない。けれども、肌を通る神経はほんの少しの感覚を受け取って、受容した脳は筋肉へと信号を送り出すのだ。元より、くすぐられることに対する耐性は高くない。この衝動を抑えるのはなかなかに難しいことだ。
「次動いたら、よれたままにしますからね」
「それじゃ写真撮れねーじゃん」
「それが分かっているのならば動かないでください」
 ほら、とまた頬に手を当てられる。否、当てられるなんて優しいものではない。顎を指先でしっかり押さえ固定する、鷲掴むような形だ。今度こそ終わらせるつもりでいるらしい。これ以上遅らせるのも怒らせるのも避けるべきことだ。笑わぬよう口を真一文字に引き結び、雷刀はまた目を閉じ上を向いた。
 もう三度目のペイントだ。多少慣れたのだろう、慎重な手つきは思い切りの良いものに変わった。すっと素早く肌の上を筆が走っていく。縦線が引かれ、外から内に向かって曲線が描かれる。腹筋に力が入れ、こそばゆさをどうにか押さえ込んだ。
 さっと内側に筆が払われる。それきり、柔らかな穂先が肌に触れることはない。よし、と満足げな声が鼓膜を震わせた。降ってきた音に、下ろしていた瞼を持ち上げる。広がった視界には、安堵を浮かべた烈風刀の顔があった。
「終わりましたよ」
「さんきゅ」
 礼を言い、椅子から立ち上がり、鏡台に手を付き鏡を覗き込む。己の右頬には、碧い線で『R』の一文字が綺麗に描かれていた。やはり、烈風刀の書く字は美しい。愛する人によって施された文字に思わず頬が緩みそうになる。その色を確かめようと、手を顔へと持ち上げた。
「触ってはいけませんよ」
 兄の行動を予測していたのだろう、弟は鋭い声で釘を刺す。まさに今やろうとしていたことを指摘され、思わずびくりと身体が震える。速乾性の高いインクを使っているが、完全に乾いていない状態で触っては線がのびてしまうかもしれない。そうなっては、また書き直しだ。衣装にインクが付いてしまうのもよろしくない。ばっと勢いよく手を下ろした。
「あ、次烈風刀の番な」
 筆を洗う碧の背に、朱は言葉を投げかける。分かりました、と簡潔な返事の後、丁寧に洗われた筆と朱の塗料を渡される。今度は自分がペイントを施す番だ。
 先ほどまで己が座っていた椅子に烈風刀を座らせる。濡れた穂先を布で拭い、塗料の入ったケースを手に取る。毛先を浸すと、清潔な白が鮮烈な朱に染め上がった。
 よし、と筆を手に弟の前に立つ。翡翠が己の紅玉を見上げる。何を言わずとも、澄んだその色は白い瞼の奥に秘められる。薄い唇がそっと閉じられた。
 あれ、と雷刀は一人首を捻る。今己を見上げる――目は閉じているけれど――弟の表情には、どこか見覚えがあった。フェイスペイントを描くなんてことは初めてなのだから、既視感など覚えないはずだ。何故だろう。どこで見たのだろうか。どうにも思い出せない。んー、と少年は口の中で疑問げに呟いた。
「……どうしたのですか?」
 瞼の奥から浅海色が顔を覗かせる。いつまでも筆を走らせない兄を不思議に思ったのだろう。美しい碧には懐疑の色が宿っていた。早くしないか、というかすかな苛立ちも見て取れた。
 んー、と喉を鳴らし、朱は顎に手を当て思案する。目を閉じ、先ほどの弟の顔を想起する。こちらを見上げ、目を閉じる。そんな表情を見る機会など、日常でそう多くはないだろう。兄弟は同じ身長で、見上げるなんて動作はなかなかない。どちらも相手の目を見て話す性質なのだから、人の前で目を閉じるなんてことはまずしないはずだ。何だろうか、と少年の頭が斜めに傾いでいく。そんな兄の姿を、弟は不審げな瞳で見つめていた。
 あ、と赤い唇から音が漏れる。見上げる。目を閉じる。口を閉じる。どの条件も当てはまる状況を一つ思い出し、少年は声をあげた。頭の中のもやもやとしたものが晴れていく感覚に、朱はぱぁと顔を輝かせた。
「キスする時の顔に似てる」
「は?」
 ようやく解けた既視感に、雷刀はうんうんと頷く。そうだ。口付けをする時、愛しい恋人はいつもあのような表情をするのだ。美しい瞳を白く透き通った瞼で覆い隠し、かすかな緊張に唇を引き結ぶ。まさに、今彼が浮かべていたものと同じだ。
 晴れやかな顔をした兄に反して、烈風刀はこれでもかというほど眉間に皺を寄せていた。それはそうだ。不自然に相手の手が止まり、訝しげに思い目を開けてみれば、いきなりキス云々など言われたのだ。突飛すぎる言葉と思考をあまり快くは思わないだろう。
「いやさ、今の顔、キスする時の顔に似てるなーって」
「な、にを馬鹿なことを考えているのですか」
「え? 烈風刀は思わなかった?」
「…………思いませんよ!」
 きょとりと首を傾げ問う兄に、弟は絶句の後、声を荒げる。その頬は、化粧をしていないというのに赤く色付いていた。その色が何よりの答えである。やっぱ思ったんじゃん、と口をついて出そうになった言葉をすんでのところで飲み込む。こんなことを言っても相手は否定を繰り返すだけだ。むやみに機嫌を損ねるようなことをするのはよくない。撮影まで時間も迫っているのだ――自分の発言で無為に時間を浪費しているのだが。
「ほら、早くしてください。撮影に遅れたらどうするのですか」
 ぎゅっと眉を寄せながら、烈風刀は朱を睨む。へいへい、と軽く返すと、眉間に刻まれた皺が更に深くなる。そんな顔してたら綺麗に書けねーよ、と苦笑すると、しばしして、それもそうですね、と気まずそうな声が返ってきた。気難しげに寄っていた眉が解かれる。これでいいですか、と問い、少年は再び目を閉じ兄を待った。
 改めて筆に塗料を付け、雷刀は弟の顔に向かい合う。顔を固定するように、右頬に手を添える。変な場所についてしまわぬよう、慎重な手つきで目の下に筆を乗せた。震えぬように注意しながら、頬へと向かって縦に線を引いていく。ふ、と息が漏れる音がする。やはり、烈風刀もくすぐったさを覚えるのだろう。動きが少なかったためか、幸い肌を走る線によれはない。そのまま、外側へと横に線を引いていく。弟の名を表す英字、『L』が完成した。
 よし、と筆を肌から離すとともに思わず声がこぼれる。わずかな時間、わずかな動作だったが、きちんと書けたという達成感が胸を満たす。きちんと書けてよかった、という安堵も少年の胸に広がった。
 声で作業の終わりを悟ったのだろう。烈風刀はゆっくりと瞼を開く。兄を見上げる浅葱は眩しげに細められていた。
「ありがとうございます」
「どーいたしまして」
 例の言葉を述べる弟に、兄は軽く返す。てか烈風刀も笑ってんじゃん、と軽口を叩くと、すみません、と碧い眉の端がゆるく下がった。
「思ったよりもくすぐったいですね」
「だろー? 笑っちまうのも仕方無いだろ?」
 そうですね、と返し、碧の少年は鏡へと目をやる。つられて、雷刀も蛍光灯の光に照らされた鏡面を見やった。美しく磨き上げられた鏡には、頬に己のイニシャルが書かれた少年二人が映っていた。受け渡されたデザイン画通りの仕上がりだった。
 鏡を見つめる中、つい先ほど見た映像が頭の中に甦る。己が手に頬を預け、白い瞼をすっと下ろし、つややかな唇を閉じる――口付けを待つ時のような、あの顔を。衝動が胸の底から湧き上がる。感情に素直な己は、そのままそれに突き動かされた。
「なーなー、烈風刀」
「何ですか?」
 名を呼ぶと、愛しい人はきょとりとした顔でこちらを振り向く。筆を水の入ったコップに浸し、一歩彼へ向かって進む。そのまま、何も書かれていない白い頬に再び手を添えた。
「キスしたい」
 あんな可愛らしい顔をされて、彼も己と同じように意識してしまったなど告白されて、口付けがしたくてたまらなくなってしまった。温かな彼に触れたい。よく手入れされた赤い唇に、己のそれを重ね合わせたい。そんな衝動が、少年の胸を焦がす。すり、とグローブをした手で柔らかな頬を撫でた。
「まだ書いたばかりで乾いていないでしょう。駄目です」
 兄の言葉に、弟は再び眉根を寄せた。口付けをして、万が一頬が擦れてしまったらまた書き直しだ。そんなことでまた書くなどごめんなのだろう。薄い唇がきゅっと引き結ばれる。それすら、あの行為を思い起こさせた。愛おしさが溢れ出る。それを行動で示したくてたまらなかった。
「じゃあ、乾いたらしていい?」
「もう撮影まで時間が無いでしょう」
 はぁ、と溜め息を吐く弟とともに、壁に掛けられた時計へと目をやる。アナログの針は、撮影開始時間までまだまだあることをはっきり示していた。塗料は速乾性の高いものが選ばれていることは二人とも承知だ――つまり、口付けする余裕が生まれるほどすぐ乾いて定着することは、弟もしっかりと理解していた。
 時計が表す事実に、天河石の瞳が気まずげに細められる。反して、柘榴石の瞳は機嫌良さげににまりと細められた。相反する色と表情が、壁一面を埋める鏡に映し出される。
「あーあ、早く乾かねーかなー」
 独り言にしてはやけに大きな声で雷刀は呟く。非常に機嫌良く、かなりわざとらしいものだった。静かにできないのですか、と棘のある声が投げつけられる。見下ろした先、未だ姿勢良く椅子に座った烈風刀は、その頬を描かれた塗料と同じ色に染めていた。どんな強い言葉を投げかけられようと、こんな表情をされては怖くもなんともない。可愛らしさすら感じるのだ。
 カチ、とアナログ時計が鳴き声をあげる。長針がまた一つ歩みを進める。鮮やかな朱が乾くまで、もう少し。

畳む

#ライレフ #腐向け

SDVX


expand_less